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ベーシックインカム(その3)(「一億総生活保護」化!?ベーシックインカム導入で危惧される未来とは、日本には「ベーシック・インカム」より「ベーシック・サービス」政策が必要かもしれない、盛り上がる「ベーシック・インカム」政策 その「大きな落とし穴」に気づいていますか?) [経済政策]

ベーシックインカムについては、2月17日に取上げた。今日は、(その3)(「一億総生活保護」化!?ベーシックインカム導入で危惧される未来とは、日本には「ベーシック・インカム」より「ベーシック・サービス」政策が必要かもしれない、盛り上がる「ベーシック・インカム」政策 その「大きな落とし穴」に気づいていますか?)である。

先ずは、3月7日付けダイヤモンド・オンラインが転載したAERAdot.「「一億総生活保護」化!?ベーシックインカム導入で危惧される未来とは」を紹介しよう。
https://dot.asahi.com/dot/2021022500028.html?page=1
・『いま、貧困や経済格差の問題を解決する方法として、国が全国民に一律で必要最低限の生活費を給付する「ベーシックインカム」が注目されています。その実現可能性は、どのくらいあるのでしょうか? 『いまこそ「社会主義」』(朝日新聞出版)の共著者である的場昭弘さんと、『武器としての「資本論」』(東洋経済新報社)の著者である白井聡さんに聞きました。(※本記事は、朝日カルチャーセンター主催で2020年11月に行われた対談講座「マルクスとプルードンから考える未来」の内容の一部を加筆・編集したものです。Qは聞き手の質問)』、興味深そうだ。
・『ベーシックインカムは、企業のためのもの?  Q:ベーシックインカム論は、労働者が資本から自由になる道でしょうか? それとも、国民が国家に取り込まれる道でしょうか? 的場:ベーシックインカムというのは、もともとは資本主義的な発想の中から出てきた概念です。資本主義経済では、消費者にたくさん消費してもらわないと、企業活動を継続することができません。つまり、消費者である国民の所得の保障を国家がすることで、企業活動が滞りなく行えるようにしましょうというのが、ベーシックインカム論の背景にあるもともとの考え方です。 一つの近未来として、企業活動がどんどん自動化されていって、いわばロボット化して、多くの労働者が働かなくてもよくなった状況を考えてみましょう。そうすると、仕事を失った労働者は賃金をもらうことができませんから、積極的な消費が行われなくなります。そこで、消費を行ってもらうための方策のひとつとして、ベーシックインカムが出てきます。 このベーシックインカムの実現を考えるにあたってポイントになるのは、国家が国民にあまねくお金を配るための原資をどうやってつくるか、ということです。企業活動が滞りなく行えるようにするという目的に照らせば、企業に税金をかけるというのが合理的となります。その税金を原資にして、国家が労働者にお金を与えて、消費してもらうということです。 ベーシックインカムを受給するとは、いわば、そうやって消費のために動かされていく世界に生きるということです。そもそも、ベーシックインカムという考え方のおおもとには、労働者が自らの労働権をしっかり行使して、その対価として得られるべき所得を得て生きていくという発想がありません。本当にそれでいいのかという、難しい問題を考えなくてはなりません。 政治家の中にはベーシックインカム論を立ち上げようとする人たちもいますが、いまひとつ説明しきれない理由は、いったい誰が何のためにベーシックインカムをやろうとするのかということが明確にされていないからではないでしょうか』、「ベーシックインカムという考え方のおおもとには、労働者が自らの労働権をしっかり行使して、その対価として得られるべき所得を得て生きていくという発想がありません」、これは問題含みだ。
・『ベーシックインカムは、人間を不幸にする?  白井:質問された方も2つの可能性があると思っておられるようですが、私も基本的にはその2つの可能性があるだろうと思います。 ですが、少なくとも、現時点で仮にベーシックインカムが導入されるとするならば、たぶん精神的にネガティブな影響が広がる結果にしかならないじゃないかなという気がします。いうなれば、国民一億総生活保護者化するっていう感じになっちゃうのではないかと。 生活保護という制度に関してはさまざまな問題というのが指摘をされていますが、私がここで問題にしたいのは、不正受給が起きるかもしれないなどといったことではありません。ベーシックインカムは、それをもらいながら暮らすことで、「何もしなくていいんだろう。医療費タダだしな。あー、なんて安楽で、充実もしているな。本当にこれが最高の生き方だ」と思える人がどれほどいるのだろうかという、根本的な問題をはらんでいると思います。 たぶん、そんな人はほぼいないと思うんです。それが、人間のある種、社会的本能ということなのではないかと思います。 ベーシックインカムをもらうとは、いわば、「自分が社会に対して何も与えることができていない」と思いながら、社会から一方的に受け取っているという状態です。もちろん実際には、本人が気付いていないだけで、何かしら社会に与えているのかもしれません。でもとにかく、「与えていない」と思わされる状態で、一方的に給付を受けるという状況が、人間はすごく不愉快、不本意なことなんだろうと思います。だから心がすさみやすいという問題を抱えているのではないでしょうか。) 労働は、人間という存在にとって極めて本質的なものであり、人間らしくあるための条件でもあると思います。生活保護受給者が陥っている精神的苦境はこれが満たされないことに端を発している。ベーシックインカムとして労働をしないでお金だけもらえるとなると、こうした生活保護受給者の精神的苦境が全国民的に広がっていくっていうことが起きるんじゃないのかなということを、私は危惧しています。 的場:結局、労働は、所得とは関係なく存在しているものでもあるということですね。労働は、人間と人間をつなぐものでもある。つまり、労働を抜きにしたら人間関係がなくなるということが言えると思います。 それに、国家からお金を受け取るということは、まあ、国家によってまさに飼いならされてしまうという危険性をはらんでいるとも言えます。ベーシックインカムは、すごくおもしろいアイデアだと思います。ただ、実施するには、さまざまな工夫が必要であるということは間違いないですね』、「「自分が社会に対して何も与えることができていない」と思いながら、社会から一方的に受け取っているという状態です」、「生活保護受給者の精神的苦境が全国民的に広がっていくっていうことが起きるんじゃないのかなということを、私は危惧しています」、「実施するには、さまざまな工夫が必要であるということは間違いない」、決してバラ色の政策ではないようだ。

次に、4月6日付け現代ビジネスが掲載した慶應義塾大学教授の井手 英策氏、 拓殖大学教授の関 良基氏,、ジャーナリストの佐々木 実氏による座談会「日本には「ベーシック・インカム」より「ベーシック・サービス」政策が必要かもしれない」を紹介しよう。
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/81799?imp=0
・『コロナ禍で経済的な困窮が目立つなか「ベーシック・インカム」導入に関する議論が盛んになっている。しかし、このラディカルな政策には落とし穴があるのではないか。さらに、じつは「ベーシック・インカム」ではなく「ベーシック・サービス」のほうが効果的に人々を救うことができるのではないか——経済をめぐる一大トピックを、慶應義塾大学教授の井手英策氏、拓殖大学教授の関良基氏、ジャーナリストの佐々木実氏が語った』、興味深そうだ。
・『盛り上がるベーシック・インカムの議論  佐々木 コロナ禍で困窮世帯が増え、経済的な格差はより一層広がっています。今秋にはデジタル庁が創設されますが、ポスト・コロナを展望するうえでは、劇的に進むデジタル化、AI化の影響も見逃せません。将来消滅する仕事のリストがメディアで報じられたりもしていますが、社会のセーフティネットをどう再構築するかが差し迫った課題となっています。そんななか、「ベーシック・インカム」導入の議論がにわかに起きました。コロナ対策でひとり10万円が給付されましたが、こうした形のすべての人への現金給付を恒久化する制度がベーシック・インカムです。意外なことに火付け役は、菅義偉首相のブレインでもある竹中平蔵氏でした。 のちほどのべるように、彼の案は福祉制度全体の抜本的見直しが条件で私は懸念をもっているのですが、一方で、現金給付政策とは異なり、生きていくうえで必要不可欠なサービスを無償化しようという考え方があります。医療や教育、介護などのサービスを無償化する「ベーシック・サービス」という政策を提唱しているのが財政学者の井手英策教授です。 「現金の給付」か「サービスの無償給付」か。対照的な制度が浮上しているわけですが、じつは、これは市場経済のとらえ方の違いでもあり、引いては目指す社会の違いにもなってきます。「ベーシック・サービス」に私が注目するのは、その政策理念が宇沢弘文(1928‐2014)の提唱した「社会的共通資本」に通じるからでもあります。そこで、宇沢教授の教えを受けた関良基教授にも参加いただき議論したいのですが、まずは井手先生から「ベーシック・サービス」について解説していただけますか』、「「現金の給付」か「サービスの無償給付」か。対照的な制度が浮上」、「「ベーシック・サービス」に私が注目するのは、その政策理念が宇沢弘文・・・の提唱した「社会的共通資本」に通じるからでもあります」、なるほど。
・『井手 そもそもは、1976年に国際労働機関が水や衣食住、医療など人間の基本的なニーズを「ベーシックニーズ」としてまとめ、これらを提供することで貧困問題を解決する戦略を主張し始めました。「どこまでが人間に必要なニーズなのか」が問題になるわけですが、「ベーシックニーズ」の範囲はかなり広かった。 そこで僕は議論を現実的に前に進めるためにも、「人々の生き死に」に直結するサービスだけに限定して「ベーシック・サービス」と呼び、それを無償化する政策を提案したわけです。僕が考えている無償化すべきサービスとは、具体的には医療、教育、子育て、介護、障碍者福祉です。 関 ベーシック・サービスはまぎれもなく社会的共通資本の考え方に通じます。宇沢先生が提唱した社会的共通資本とは、人々が豊かな経済生活を営み、すぐれた文化を展開し、人間的に魅力ある社会を安定的に維持することを可能にするような自然環境や社会的装置のことです。 具体的には、大気、森林、河川、水、土壌などの「自然環境」、道路や交通機関、上下水道、電力・ガスなどの「社会的インフラストラクチャー」、教育や医療、司法、金融などの「制度資本」の3つの要素を社会的共通資本としています。 宇沢先生は、「市場経済は社会的共通資本の土台のうえで営まれている」という視点に立ち、社会的共通資本は市場原理のみにゆだねてはならない、と主張しました。そもそも社会的共通資本という概念を提唱した理由は、すべての人が市民としての基本的権利を享受できる制度をつくるためでもありました。 医療、教育、子育て、介護、障碍者福祉に限定されているとはいえ、井手先生が唱えるベーシック・サービスは社会的共通資本の重要な領域であり、これらを無償化する政策は社会的共通資本の理念とも合致しているとおもいます。 井手 いみじくも宇沢先生がおっしゃっていたように、社会的共通資本は一つの基準だけで切り取れるものではなく、それぞれの国の歴史的・社会的・文化的な状況で決まるわけですね。ですから、なにが社会的共通資本、あるいはベーシック・サービスかは、民主主義社会では議論して決めることであり、はじめから答えがあるわけではありません。) 関 宇沢先生は、すべての社会的共通資本を無償で提供すべきと言っていたわけでもありません。たとえば、公共交通機関の運賃や公営住宅の家賃を安くしたり、水道事業にしても民営化ではなく、政府が補填することで公営を維持しながら料金を安くするなどして、社会的共通資本とみなされるサービスを幅広く安価に提供するやり方もかんがえられるでしょう。 2005年に宇沢先生といっしょにドイツを訪れ、シュタットベルケという公営企業を視察したことがありました。水道、電気、ガス、エネルギーなどをすべて提供する公社です。再生エネルギー事業で利益を上げ、その収益でほかの事業の赤字を補填したりするビジネスモデルで、要するに、個別事業ごとの独立採算ではなく、事業すべてを社会的共通資本とみなして総合的な観点から経営されている。いまドイツでは、自治体ごとに設立されたシュタットベルケが伸びています。 視察したとき、宇沢先生はとても感動された様子で、ドイツとくらべると日本は地獄だね、とおっしゃっていました。宇沢先生は、完全無償化とは主張していませんでした。シュタットベルケのようなやり方なども参考にして、より広い範囲の社会的共通資本を安く安定的に提供していく方向もあるのではないでしょうか。 井手 水や食料などを含めたすべての社会的共通資本の負担を軽減させていくのは、ひとつの方向性としてありえます。フランスやスウェーデンのような「大きな政府」を目指すならできるでしょうから、国民の議論を経て、日本の社会的共通資本をそう定義するのであれば、それでいいとおもいます。シュタットベルケもいい方法なんですが、日本の風土になじむか、という問題はありますね。 僕自身は「大きな政府」にまで踏み込むのではなく、まず一歩手前で、OECDの平均的な租税負担率で実現できるところにゴールを置いています。そうすると、無償化するサービスは当然限定されます。つけくわえれば、財つまりモノを全国民に提供するのは社会主義の発想ですよね。僕は財ではなくサービスに限定することで、社会主義とは別のゴールを設定しています』、「ベーシック・サービスはまぎれもなく社会的共通資本の考え方に通じます」、「宇沢先生は、すべての社会的共通資本を無償で提供すべきと言っていたわけでもありません。たとえば、公共交通機関の運賃や公営住宅の家賃を安くしたり、水道事業にしても民営化ではなく、政府が補填することで公営を維持しながら料金を安くするなどして、社会的共通資本とみなされるサービスを幅広く安価に提供するやり方もかんがえられるでしょう」、なるほど。
・『ベーシック・インカムと福祉制度の廃止  佐々木 そもそもなぜサービス無償化の議論が出てくるかというと、格差問題が深刻化して事実上、人としての基本的な権利を享受できない人がすでにたくさん存在しているからですね。憲法は第25条で「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」と規定していますが、有名無実化しているといっていいような現状がある。 コロナ危機に加え、デジタル資本主義の進展で将来に仕事が消失するリスクを考えると、事態はより深刻になることが見込まれるから、制度の抜本的な再構築を迫られているわけですね。 ところで、ベーシック・サービスとは対照的な政策にベーシック・インカムがあります。むしろ、コロナ禍で注目されているのはこちらでしょう。ひとり10万円が給付され、実際に「現金給付」を国民的に体験したことも大きい。 話題となる契機は、政策形成に影響力をもつ経済学者の竹中平蔵氏が言及したことです。『エコノミスト』2020年7月21日号のインタビューでは、「月5万円」のベーシック・インカムを提案しています。のちに「月7万円」に修正しますが、より重要なのは財源に関する竹中氏の次の発言です。 「元になるのは(米経済学者)ミルトン・フリードマンの「負の所得税」の考え方だ。一定の所得がある人は税金を払い、それ以下の場合現金を支給する。また、BI(ベーシック・インカム)を導入することで、生活保護が不要となり、年金も要らなくなる。それらを財源とすることで、大きな財政負担なしに制度を作れる」 つまり、生活保護や基礎年金などの福祉制度を廃止することが前提なわけです。竹中氏自身がのべているように、新自由主義の教祖的存在ミルトン・フリードマンが提唱した考えに基づいています。重層的な福祉経済制度を解体し、最低所得層への現金給付に一本化していく狙いがあります。 このタイプを「竹中=フリードマン型BI」と呼ぶなら、同様の主張をしている人はほかにもいます。日銀の審議委員も務めたエコノミストの原田泰氏は『ベーシック・インカム』(中公新書・2015年)で竹中氏とほぼ同じ主張をしている。というか、竹中氏が「月5万円」をのちに「月7万円」に改めたのは原田氏の試算にならったからのようです。 言いたいことは、ベーシック・インカムが政策として議論される際、竹中=フリードマン型が有力候補になる可能性が高いということ。福祉制度を簡素化して財政再建に取り組みやすくする狙いもあるのではないでしょうか。) 関 じつは今から50年ほども前、宇沢先生は『自動車の社会的費用』(岩波新書・1974年)のなかで、すでにフリードマン型の現金給付、佐々木さん言うところの竹中=フリードマン型BIを批判していたんですよ。 市場化を徹底してすべての公共サービスを民営化したうえで、最低所得に満たず生活できない人たちには現金を給付するのが、フリードマンの「負の所得税」の考えです。宇沢先生は非常に批判的でした。 なぜかというと、フリードマンの考え方を推し進めると、インフレによる社会的不安定性を招く原因になるからです。水や食料、教育、医療など生活に必要な財やサービスは「需要の価格弾力性が低い」という特徴があります。たとえば、病気になれば治療費が高くても治療は受けなければなりません。水や食料なども多少値段が高くても生きていくために買わざるを得ないから、生活に必要な財やサービスは価格が高騰しやすい。 宇沢先生が懸念していたことが、今世紀になってから広範に起きています。世界中で水道の民営化が進んだ結果、水道料金の値上がりがひどくなり、私が昔住んでいたフィリピンのマニラなどでは民営化で料金が一気に5倍になるということもありました。 このように生活必需品の高騰が起これば、定額を給付するベーシック・インカムはセーフティネットとして機能しません。低所得者はいずれ生活できなくなりますから。 宇沢先生の理論的な考察によると、給付額を増やしてもさらに必需品が値上がりして、インフレのスパイラルは止まらなくなる。だからこそ、フリードマン型の現金給付を批判して、生活必需性の高い財やサービスは民営化せず、社会的共通資本として公的に管理して価格を抑え、誰もがアクセスできるようにすべきと主張したわけです。) 井手 宇沢先生が『自動車の社会的費用』を出版される少し前、マニュエル・カステルという都市社会学者が「集合的消費」という概念を発表しています。この内容がまさに社会的共通資本なんですよ。オイルショック危機の時代、正しい分配が行われず宇沢先生が怒り狂っているとき、見も知らぬ海外の学者がまったく同じような主張をしていたわけです。 危機の時代になると、「共通のもの」あるいは「集合的なもの」を人間は志向する。革命が起きた時代のマルクスもそうだし、大恐慌時代に登場したケインズやシュンペーターもそうだけど、危機を迎えると「みんなにとって必要なもの」への関心が高まるのです。 関 現在のコロナ危機もそうですが、社会が危機的状況に陥ると、相互扶助なしでは生きていけなくなるからですね。 井手 問題は、支えあう仕組みをどのように制度化するか。ところが、2008年のリーマンショック後、本来であれば「何がみんなにとって必要なのか」を民主主義的に議論すべきときに、「金を配れば喜ぶ」といわんばかりに、札束で顔を引っぱたくような政策が実行されました。麻生太郎政権のもとで実施された定額給付金です。 全員に1万2000円(65歳以上と18歳以下は2万円)が配られましたが、こんなバラマキ政策で人間の命と自由が保障されたと考える人などひとりもいなかったでしょう。かつての宇沢先生たちの主張を思い起こせば、驚くべき議論の質的劣化が起きていますよ。 【後編】「「ベーシック・インカム」政策の「大きな落とし穴」に気づいていますか?」』、「危機を迎えると「みんなにとって必要なもの」への関心が高まるのです・・・現在のコロナ危機もそうですが、社会が危機的状況に陥ると、相互扶助なしでは生きていけなくなるからですね」、「本来であれば「何がみんなにとって必要なのか」を民主主義的に議論すべきときに、「金を配れば喜ぶ」といわんばかりに、札束で顔を引っぱたくような政策が実行されました。麻生太郎政権のもとで実施された定額給付金です」、「驚くべき議論の質的劣化が起きていますよ」、その通りだ。

第三に、この続きを、4月6日付け現代ビジネス「盛り上がる「ベーシック・インカム」政策、その「大きな落とし穴」に気づいていますか?」を紹介しよう。
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/81855?imp=0
・『コロナ禍で経済的な困窮が目立つなか「ベーシック・インカム」導入に関する議論が盛んになっている。しかし、このラディカルな政策には落とし穴があるのではないか。さらに、じつは「ベーシック・インカム」ではなく「ベーシック・サービス」のほうが効果的に人々を救うことができるのではないか——経済をめぐる一大トピックを、慶應義塾大学教授の井手英策氏、拓殖大学教授の関良基氏、ジャーナリストの佐々木実氏が語った』、前編に続いて興味深そうだ。
・『ベーシック・サービスの優れた点  佐々木 井手先生に改めてうかがいたいのですが、福祉制度としてベーシック・サービスとベーシック・インカムを比べたとき、そもそもどのような違いがあるのでしょうか。 井手 どちらにも共通して優れているのは「ベーシック」な点。つまり、すべての人に給付するという普遍主義ですね。特定の低所得者層や働けない人にだけ給付する選別主義的な政策には問題があるからです。貧しい人にだけ給付した途端、中・高所得層は負担者になってしまい、社会は分断される。 生活保護が特徴的ですけども、低所得層の中でも給付を受け取れる人と受け取れない人が出てきます。「人を選ぶ」と社会を引き裂く作用が働いてしまうのです。みんなに配れば所得に関係なく全員が受益者になり、救済される人・されない人の区別がなくなる。ですから、「ベーシック」は「社会的な効率性がある」といえます。 そのうえで、ベーシック・インカムとベーシック・サービスには大きな違いがある。もっとも大きな違いは実現性です。 コロナ禍の10万円給付では予算が総額13兆円かかりました。保育園と幼稚園を一年間無償化するために9000億円が必要でしたから、その約15年分です。大学の無償化には2兆〜3兆円必要ですが、これで学生1人当たりの平均学費の100万円をなくすことができる。 じつは13兆円もあれば、ほとんどのベーシック・サービスは無償化できたんですよ。医療費負担が3割から2割になり、大学、介護、障碍者福祉はタダにできた。それだけじゃありません。おまけに、これは現金ですが、失業者に5万円、低所得層に家賃補助で2万円、毎月払うこともできた。ポイントは、サービス給付は現金給付とは比べ物にならないくらい安上がりということ。 どうしてかというと、サービスは必要な人しか使いませんから。幼稚園が無償化されても、佐々木さんが幼稚園に入りなおしたりはしないでしょう。一方、ベーシック・インカムはみんなにまんべんなく配るから巨額にならざるをえない。 かりに生活保護と同水準のベーシック・インカムを給付すると、ひとり月額12万円なので年間144万円。必要な予算は180兆円になります。コロナ前の国家予算の1.8倍もの予算が必要な政策を毎年続けられますか? 予算を抑えようとすれば、ほかの社会保障制度の多くを廃止して現金給付に一本化する、新自由主義的なベーシック・インカムに向かうしかありません。) 佐々木 竹中=フリードマン型のベーシック・インカムを取り上げたのも、予算の制約を考慮すると、その方向に向かう可能性が高いと考えたからでした。 井手 現実の問題として、ベーシック・インカムで現金を配ったからといって必ずサービスにアクセスできるとは限りません。子どもの分の給付金を親に渡したら、借金の返済にまわしてしまうかもしれない。おまけに、福祉制度が縮小されて医療費が全額自己負担にでもなれば、病気になったときのお金を事前に使いこんだことになる。でも社会は助けてくれません。お金はもう渡したんだから。つまりは、究極の自己責任社会ですよ』、「ベーシック・サービスとベーシック・インカム・・・どちらにも共通して優れているのは「ベーシック」な点。つまり、すべての人に給付するという普遍主義ですね。特定の低所得者層や働けない人にだけ給付する選別主義的な政策には問題があるからです。貧しい人にだけ給付した途端、中・高所得層は負担者になってしまい、社会は分断される」、「サービス給付は現金給付とは比べ物にならないくらい安上がりということ。 どうしてかというと、サービスは必要な人しか使いませんから」、「竹中=フリードマン型のベーシック・インカムを取り上げたのも、予算の制約を考慮すると、その方向に向かう可能性が高いと考えたからでした」、その通りだ。
・『莫大な予算をどう捻出する?  佐々木 ベーシック・インカムに比べて安上がりということはわかりましたが、それでも医療、教育、子育て、介護、障碍者福祉の費用を政府が負担するとなると、莫大な予算が必要です。井手先生は『幸福の増税論』(岩波新書・2018年)で試算されていますね。政策提言の柱は、消費税の税率を19%まで引き上げればベーシック・サービスは実現できるというものでした。 関 医療、教育、子育て、介護、障碍者福祉のサービスを無償化するという、井手先生の考えには基本的に賛成です。そのうえでお聞きするのですが、「消費税増税ありき」ではかえって反対する国民が多くなるのではないでしょうか。 トマ・ピケティが『21世紀の資本』で明らかにしたように、資本収益率が経済成長率を上回ると必ず格差が生じる。現在の日本では、所得が1億円を超えると逆に税の負担率が下がっています。なぜかというと、株式の売却益や配当金への税率が20%止まりだからです。金融所得への課税は税率を40%あるいは50%にまで引き上げてもいいのではと考えていますが、まずこうした不公平な税制を改めてから消費税の議論に移るべきではないでしょうか。そうでないと国民の納得が得られないようにおもいます。 井手 少し現状の認識が違いますね。前回の衆議院選挙と参議院選挙で圧勝した候補者たちは、じつは「消費増税」を主張していました。「減税」「増税凍結」を主張した人たちは惨敗しているんですよ。国民は取られることだけでなく、税収を何にどう使うかにも関心をもっているということです。 ベーシック・サービスが消費税の増税を抜きに考えられない理由は単純で、消費税は税率を1%上げると2.8兆円の税収増になります。富裕層の所得税を1%上げても1400億円にしかなりません。かりに法人税をベーシック・サービスの財源にするなら30%以上の増税が必要ですが、現実的ではありませんよね』、「所得が1億円を超えると逆に税の負担率が下がっています。なぜかというと、株式の売却益や配当金への税率が20%止まりだからです。金融所得への課税は税率を40%あるいは50%にまで引き上げてもいいのではと考えていますが、まずこうした不公平な税制を改めてから消費税の議論に移るべき」、「ベーシック・サービスが消費税の増税を抜きに考えられない」、その通りだ。
・『井手 関先生がおっしゃるように金融所得への課税を40%まで上げても、得られる税収は消費税1%分にもなりません。『幸福の増税論』では「本書が示唆するのは、消費税の増税と富裕層への課税をパッケージ化し、負担と受益のバランスのとれた税制改正によって『くらしの自己負担が減った』という『成功体験』をし、次の増税につなげていくという戦略である」と述べました。 金融所得の税率を上げることに反対ではありません。むしろ賛成です。ですが、ベーシック・サービスを実現するには同時に消費税を上げることがどうしても必要です。そうでなければ、富裕層叩きにはなっても、結局、今苦しんでいる人を見殺しにすることになるからです。 関 私が言いたかったのは、格差を助長する制度を改めなければ、問題の根源である格差の拡大は収まらないということです。そのためには、金融所得への課税を強化して、資本収益率を経済成長率より低くしなければなりません。 そういう意味で、議論の順序として、消費増税より金融所得への課税と法人税の引き上げが先ではないかと。世界的な潮流をみても、タックスヘイブンを回避するためにOECDで共通の最低法人税率を15%に設定しようという動きがありますよね。個人的には25%まで上げてもいいと考えていますが。 井手 繰り返しになりますが、金融所得税や法人税を引き上げることに反対ではありません。ただ、消費税の前に、とこだわる理由はわかりません。消費税を使って、豊富な税収を思い切って使う。それが、本当に困っている人たちの暮らしを楽にする近道だと申し上げています。 関 もう少し言わせていただくと、現在の地球レベルでの課題は格差問題と気候変動です。私の専門は環境政策ですが、これから環境税が非常に重要な役割を果たすと考えています。消費税は一律に引き上げるのではなく、環境への負荷に応じて税率に差をつける税のあり方はどうでしょうか。) 井手 環境税のような政策課税は社会的に望ましくない行為を減らすことが目的なので、究極的には「税収0円」がベストな状態。人間の暮らしの基礎を支えるべき財政が減っていく財源に頼っていいかという問題は原理的にはあると思います。もっとも、ヨーロッパで議論されているような「スマート付加価値税」、つまりお金持ちが買うような高額な嗜好品に高い税率をかける消費税は考えられますから、環境への負荷の大きい消費に税をかけるという発想はありだと思います』、「格差を助長する制度を改めなければ、問題の根源である格差の拡大は収まらないということです。そのためには、金融所得への課税を強化して、資本収益率を経済成長率より低くしなければなりません。 そういう意味で、議論の順序として、消費増税より金融所得への課税と法人税の引き上げが先ではないか」、同感である。
・『「格差はいけない」とはどういう意味か  佐々木 井手先生はコロナ禍が起きる前からベーシック・サービスを提唱されていますよね。著作や発言からは切迫感が伝わってくる。「すぐにでも政策に反映させたい」という思いが強いから、給付するサービスを戦略的に限定し、消費税増税をあえて前面に出しているのではという印象を持っているのですが。 井手 僕は貧乏な家に育って、母がスナックをやりながら大学まで出してもらいました。大学3年生のとき、授業料免除申請が通らなくて、母に謝ったことがある。あの時、「消費税は上がるけど、そのかわり大学はタダになるよ」と言われていたら、母は泣いて喜んだはず。そういう体験が切迫感につながっているのだろうとおもいます。お金持ちにまず税を、というのは、本当にしんどい人の目線じゃない。 ベーシック・サービスが実現して、子どもの学費や医療費、介護費のような将来への不安がなくなれば、世帯年収が300万円でも安心して暮らすことができるんです。こうした政策を訴えるのは、結局、「格差がいけない」という言葉の「意味」を考えるからなんです。 新古典派経済学では失業者の労働の価値はゼロです。宇沢先生はそこにメスを入れ、「なぜその人は失業したのか、その意味を考えなさい」と問いました。そこに宇沢経済学の本質があると思う。 格差がダメだというとき、では、なぜダメなのか、その意味を考えないと。格差は必ず発生しますよ。結局、受け入れられる格差とダメな格差の線引きが重要。「サービスにアクセスできない人たちは生きていけない」、そんな人たちを生む格差がダメな格差の本質です。だからこそ、ベーシック・サービスを提唱しているのです』、「「サービスにアクセスできない人たちは生きていけない」、そんな人たちを生む格差がダメな格差の本質です。だからこそ、ベーシック・サービスを提唱しているのです」、同感である。 
タグ:ダイヤモンド・オンライン (その3)(「一億総生活保護」化!?ベーシックインカム導入で危惧される未来とは、日本には「ベーシック・インカム」より「ベーシック・サービス」政策が必要かもしれない、盛り上がる「ベーシック・インカム」政策 その「大きな落とし穴」に気づいていますか?) ベーシックインカム 「「一億総生活保護」化!?ベーシックインカム導入で危惧される未来とは」 AERAdot. 「ベーシックインカムという考え方のおおもとには、労働者が自らの労働権をしっかり行使して、その対価として得られるべき所得を得て生きていくという発想がありません」、これは問題含みだ。 「「自分が社会に対して何も与えることができていない」と思いながら、社会から一方的に受け取っているという状態です」、「生活保護受給者の精神的苦境が全国民的に広がっていくっていうことが起きるんじゃないのかなということを、私は危惧しています」、「実施するには、さまざまな工夫が必要であるということは間違いない」、決してバラ色の政策ではないようだ。 現代ビジネス 井手 英策 関 良基 佐々木 実 「日本には「ベーシック・インカム」より「ベーシック・サービス」政策が必要かもしれない」 「「現金の給付」か「サービスの無償給付」か。対照的な制度が浮上」、「「ベーシック・サービス」に私が注目するのは、その政策理念が宇沢弘文・・・の提唱した「社会的共通資本」に通じるからでもあります」、なるほど。 「ベーシック・サービスはまぎれもなく社会的共通資本の考え方に通じます」、「宇沢先生は、すべての社会的共通資本を無償で提供すべきと言っていたわけでもありません。たとえば、公共交通機関の運賃や公営住宅の家賃を安くしたり、水道事業にしても民営化ではなく、政府が補填することで公営を維持しながら料金を安くするなどして、社会的共通資本とみなされるサービスを幅広く安価に提供するやり方もかんがえられるでしょう」、なるほど。 「危機を迎えると「みんなにとって必要なもの」への関心が高まるのです・・・現在のコロナ危機もそうですが、社会が危機的状況に陥ると、相互扶助なしでは生きていけなくなるからですね」、「本来であれば「何がみんなにとって必要なのか」を民主主義的に議論すべきときに、「金を配れば喜ぶ」といわんばかりに、札束で顔を引っぱたくような政策が実行されました。麻生太郎政権のもとで実施された定額給付金です」、「驚くべき議論の質的劣化が起きていますよ」、その通りだ。 「盛り上がる「ベーシック・インカム」政策、その「大きな落とし穴」に気づいていますか?」 「ベーシック・サービスとベーシック・インカム・・・どちらにも共通して優れているのは「ベーシック」な点。つまり、すべての人に給付するという普遍主義ですね。特定の低所得者層や働けない人にだけ給付する選別主義的な政策には問題があるからです。貧しい人にだけ給付した途端、中・高所得層は負担者になってしまい、社会は分断される」、「サービス給付は現金給付とは比べ物にならないくらい安上がりということ。 どうしてかというと、サービスは必要な人しか使いませんから」、「竹中=フリードマン型のベーシック・インカムを取り上げたのも 「所得が1億円を超えると逆に税の負担率が下がっています。なぜかというと、株式の売却益や配当金への税率が20%止まりだからです。金融所得への課税は税率を40%あるいは50%にまで引き上げてもいいのではと考えていますが、まずこうした不公平な税制を改めてから消費税の議論に移るべき」、「ベーシック・サービスが消費税の増税を抜きに考えられない」、その通りだ。 「格差を助長する制度を改めなければ、問題の根源である格差の拡大は収まらないということです。そのためには、金融所得への課税を強化して、資本収益率を経済成長率より低くしなければなりません。 そういう意味で、議論の順序として、消費増税より金融所得への課税と法人税の引き上げが先ではないか」、同感である 「「サービスにアクセスできない人たちは生きていけない」、そんな人たちを生む格差がダメな格差の本質です。だからこそ、ベーシック・サービスを提唱しているのです」、同感である。
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