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東芝問題(その41)(東芝 「株主への圧力問題」で判明した経産省の影 ガバナンス提唱者が企業経営に介入する大矛盾、【緊急寄稿】東芝スキャンダルと経産省の暗躍(古賀茂明)、「底なしに悪い会社」東芝から得る7つの教訓 山崎元が解説) [企業経営]

東芝問題については、5月12日に取上げた。6月25日に株主総会が終ったばかりの今日は、(その41)(東芝 「株主への圧力問題」で判明した経産省の影 ガバナンス提唱者が企業経営に介入する大矛盾、【緊急寄稿】東芝スキャンダルと経産省の暗躍(古賀茂明)、「底なしに悪い会社」東芝から得る7つの教訓 山崎元が解説)である。

先ずは、6月16日付け東洋経済オンライン「東芝、「株主への圧力問題」で判明した経産省の影 ガバナンス提唱者が企業経営に介入する大矛盾」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/434485
・『イギリスの投資ファンドからの買収提案と車谷暢昭社長の電撃的な辞任から2カ月。落ち着きを取り戻したかに見えた東芝を、再び激しい嵐が襲っている。 2020年7月に開催された定時株主総会をめぐり、東芝が株主提案などを妨害したとされる問題で、会社法に基づく調査報告書が6月10日に公表された』、「会社法に基づく調査報告書」とは物々しいが、アクティビスト・ファンドが中心になって昨年の株主総会で調査すると決定し、彼らが指名した第三者委員会が発表したもので、確かに「会社法に基づく調査報告書」ではある。
・『東芝と経産省は「一体」  報告書は、東芝の幹部と経済産業省幹部との生々しいやりとりを明らかにした。東芝幹部が、エフィッシモ・キャピタル・マネジーメントなどの大株主を「モノ言う株主(アクティビスト)」と見なし、その排除のために2020年5月に改正された外為法(外国為替及び外国貿易法)を利用しようとしたと指摘。 さらに、株主提案をさせないようエフィッシモに働きかけたり、東芝が有利になるように、経産省と一緒になってほかの大株主の議決権行使に影響を与えようとした。その結果、東芝の株主の権利が制限され、株主総会が公平に運営されなかったと結論づけた。 報告書を受けた東芝は6月14日、同25日開催の株主総会で会社側の社外取締役候補である太田順司、山内卓両氏の再任案を取り下げた。さらに、豊原正恭副社長、加茂正治上席常務の退任も決めた。 同日には永山治取締役会議長が記者会見を行い、陳謝した。東芝は今後、第三者による調査を行い、原因究明と責任の明確化を目指す。永山氏は取締役候補に残り、25日の株主総会で再任が適切か否か、株主の判断を仰ぐ。 報告書は図らずも、「東芝は、経産省といわば一体」という、経産省と東芝の親密な関係も白日の下にさらした。 具体的には、経産省幹部が東芝に対して株主への対応を指示したほか、幹部や経産省参与(当時)が株主に接触して圧力をかけたと指摘。その過程で得た情報を不当に東芝に流した、国家公務員法における守秘義務違反の疑いすらあると踏み込んだ。 経産省はこれまで日本企業に対してコーポレートガバナンスの推進を掲げ、制度設計を進めてきた。その提唱者がガバナンスの原理原則に反するような行動を取っていただけに、問題は根深い。 ところが、経産省の動きは鈍い。梶山弘志経産相は15日の記者会見で経産省として独自に調査する考えを否定。東芝に関する一連の言動も「経産省の政策として当然のことを行っているまで」と開き直った。 職員の守秘義務違反の疑いについても、「必ずしも根拠が明確ではない」と問題視せず、「国の経済安保上重要」という言葉を繰り返し、今後も東芝への外為法上の監督を続ける姿勢を示す』、「永山治取締役会議長」の「取締役」選任議案は「株主総会」で否決される異例の展開となった。「経産省」や「梶山弘志経産相」の姿勢は大いに問題だ。
・『車谷前社長と菅首相の関係  2015年の不正会計以後、人心一新を図ったはずなのに、東芝はなぜガバナンス上の問題を繰り返すのか。 「車谷氏もそれ以外の取締役も東芝の外部から来た。にもかかわらず不祥事が起きることに驚きを隠せない」。14日の会見では、アナリストからこんな意見も飛び出した。 東芝が選んだ社外取締役にも経産省の影がちらつく。そもそも車谷氏が社長に就任したのも、経産省の強い後押しがあったから。ある元社外取締役は、車谷氏を推薦したのは当時の経産省事務次官の嶋田隆氏で、その背後には菅義偉官房長官(現首相)の意向も働いていたと証言する。 東芝の調査報告書でも車谷氏と菅氏の会食が指摘され、このときに株主への対応を報告した可能性が高い。一連の株主への圧力行為はトップである車谷氏の主導で行われており、菅氏の関与が明確になれば、政治問題化する可能性もある。 25日の株主総会は波乱が避けられそうにない。永山氏らの再任案には投資助言会社が反対推奨しているほか、問題に直接関与した取締役候補だけを取り下げる対応に株主が納得するかわからない。「経産省との関わりなどに予想以上に踏み込んだ」(市場関係者)報告書に、株主の追及は必至だろう。 永山氏は14日、取締役としての監督責任を認めたうえで「責任を取る(辞任)よりも責任を果たす(続投)」と続投の理由を説明する。仮に永山氏が辞任したとして東芝の取締役会議長という「火中のクリ」を拾う人がいない現実も表している。東芝は株主総会後も取締役候補を探す予定だが、適任者が見つかる保証はない。 原子力など国家の安全保障に関わる事業を手がける東芝は、いや応なしに政官と関わらざるをえない宿命にある。だが、東芝に健全なガバナンスを取り戻すには、経産省との関係を見直す必要がある』、「車谷前社長」が威張っていたのは「菅首相の関係」が背景にあったようだ。「東芝」の「取締役候補」選びは難航しているらしい。

次に、6月19日付け日刊ゲンダイが掲載した元経産官僚の古賀茂明氏による「【緊急寄稿】東芝スキャンダルと経産省の暗躍(古賀茂明)」を紹介しよう。
・『「栄光の時代を生きた運命共同体」は今や落ちぶれた「腐れ縁」  日本政府とマーケットに対する信頼を根底から覆す大スキャンダルが起きた。大胆に要約すれば、外国株主が東芝に影響力を行使することを嫌った「外資嫌い」の経済産業省と、外資によって自らの地位を脅かされることを恐れた東芝首脳が共謀して、経産省の外国為替管理法上の規制権限をちらつかせて、外国株主に総会での人事案などの提案を止めさせようとしたり、経産省が海外の投資家に対して、外資による提案に賛成しないように働きかけたというものだ。当時の官房長官であった菅総理もこれに関わった疑いが強いという。 真相解明と再発防止策の策定までにはまだ時間がかかるが、それとは別に、マスコミからの取材で、私は、同じ質問を受けている。 東芝と経産省はなぜこんなにべったりの関係なのか、というものだ。 経産省は東芝の所管官庁で、貿易管理や原発関連などで東芝に対する規制権限を持つ。補助金、税の優遇措置でも東芝に便宜を図っているから、経産省は東芝の上に立つようにも見える』、「経産省の外国為替管理法上の規制権限をちらつかせて、外国株主に総会での人事案などの提案を止めさせようとしたり、経産省が海外の投資家に対して、外資による提案に賛成しないように働きかけた」のは、確かに「大スキャンダル」だ。
・『経産官僚にとって東芝は「居心地のいい」天下り先  一方、筆者が経産省にいた頃、東芝に天下りした先輩は、「居心地が良い」と言っていた。加計学園事件で問題になった安倍前首相秘書官を務めた柳瀬唯夫元経済産業審議官も東芝の関連会社、ダイナブック社の非常勤取締役に天下りした。 天下り以外にも、経産省が東芝の世話になることは多い。東芝の社長、会長は経済界で絶大な力を持ち、日本商工会議所(日商)や経団連のトップなど要職の常連だった。自民党への影響力も大きい。筆者も、課長や部長をしている時などに日商会頭だった東芝会長などに「ご説明」に行ったものだ。 経産省の政策にお墨付きをもらう最高機関である産業構造審議会でも東芝首脳は要職を占め、経産省のシナリオ通りに発言してくれた。もちろん、経産省最大の利権である原子力発電のメーカーでもある。どこから見ても、日本産業の頂点に位置し、80年代のジャパン・アズ・ナンバーワンと言われた日本の黄金期に、「ノートリアスMITI(悪名高き通産省)」と世界に恐れられた当時の通産省から見て、最高のパートナーであった。 両者に上下の関係はない。「栄光の時代を生きた運命共同体」だったと言うべきだろう。 後に、経産省の意向を受けて米国の原発メーカー・ウェスチングハウス社を買収して大失敗した東芝は、破綻寸前となった。その時も経産省は、産業革新機構や日本政策投資銀行などを使って東芝を救済し、「東芝復活」の夢に賭けた。その結果が、今回の不祥事だ。両者の関係は、今や、ただの「腐れ縁」に落ちぶれてしまったようだ。 これが「両者の関係は?」という問いに対する答えである』、「東芝」と「経産省」の「関係」は、「栄光の時代を生きた運命共同体」から「「腐れ縁」に落ちぶれてしまった」とは、言い得て妙だ。
・『時代にそぐわず不幸を生む経産官僚「2つのDNA」  東芝と経産省による外国株主の権利行使妨害スキャンダル。メディアから受ける質問で2番目に多いのが、「経産官僚とはどういう人間なのか」である。 彼らには「性」とも言うべき2つのDNAがある。 1つ目は、私が「中央エリート官僚型」と呼ぶタイプの公務員に共通するDNAだ。「自分たちが一番賢い」、だから、「我々が考えることは常に正しい」と思い込む。だが、現実には彼らの頭は時代遅れで使えない。このギャップが不幸の源になる。 例えば、「コーポレート・ガバナンス強化」をうたいながら、その本質は理解できない。ただ、そういう言葉を使えば、企業に対して偉そうに振る舞える。彼らのDNAがそういう方向に導くのだ。独立社外取締役を増やせというのも同じ。自分たちの天下り先が何倍にも増えるということを裏では計算しているが、「自分たちこそが正義」という意識に酔うあまり、そういう自身の下心を自覚できない。今回も、ガバナンスの観点では最低最悪の行為なのだが、本人たちは正義を追求したと信じている。 経産官僚2つ目のDNAは、「日本の経済界を仕切るのは俺たちだ」という強烈なプライドだ。企業が頭を下げて頼ってきたとき、「俺たちが助けてやる」とそれに応える瞬間こそ、至福の時だ。半導体のエルピーダや液晶のJDI(ジャパンディスプレイ)のような経産省のDNAが生んだ、負け組「日の丸連合」は残念ながら連戦連敗だった。ダイエー救済に失敗する直前まで「ダイエー再生はわれらの使命。経産省の鼎の軽重が問われている」と語っていた事務次官もこのDNAの持ち主だった』、「時代にそぐわず不幸を生む経産官僚「2つのDNA」」は、的確な指摘だ。
・『東芝が手に入れた「安全保障」という武器  実は、90年代までに、経産省はエネルギー関連を除く大半の権限を失い、構造的失業時代に入った。安倍政権で権勢を振るった同省出身の今井尚哉総理秘書官のおかげで一時は経産省内閣などと持ち上げられて喜んだが、それも終わった。 そんな経産省が、「改正外為法」により最高の武器を手に入れた。安全保障を口実に、海外投資家に干渉する権限だ。「安保」といえば、「国家の命運を左右する」仕事だ。いや応なく彼らのDNAを刺激する。彼らは、国家を守るためだから何でもできる、というおかしな世界に入ってしまった。 経産省のDNAには「外資嫌い」も含まれる。彼らは平気で経産省に逆らうから、「一番偉いのは我々だぞ!」となる。今回も、外資が東芝の株主総会で提案権を行使すると聞いただけで、「外資の野郎が!」と逆上し、「東芝を守り外資を潰せ」という条件反射となった。 経産官僚のDNAのおかげで日本が沈没、という事態を避けるには経産省解体しかないのかもしれない』、「経産省が、「改正外為法」により最高の武器を手に入れた。安全保障を口実に、海外投資家に干渉する権限だ。「安保」といえば、「国家の命運を左右する」仕事だ。いや応なく彼らのDNAを刺激する。彼らは、国家を守るためだから何でもできる、というおかしな世界に入ってしまった」、暴走を防ぐべきマスコミは記者クラブの枠に囚われて監視機能を果たしてないようだ。困ったことだ。

第三に、6月30日付けダイヤモンド・オンラインが掲載した経済評論家・楽天証券経済研究所客員研究員の山崎 元氏による「「底なしに悪い会社」東芝から得る7つの教訓、山崎元が解説」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/275361
・『6月25日、東芝の株主総会が行われ、取締役会議長を含む2人の取締役選任議案が否決される異例の事態に陥った。近年の東芝は「底なしに悪い会社」だ。本稿では、この東芝を巡る一連の不祥事から、一般市民及びビジネスパーソンにとって役に立つ「教訓」を七つ、いささかの皮肉と共に抽出したい』、「底なしに悪い会社」とは、「山崎 」氏もよほど腹を立てたのだろう。
・『「底なしに悪い会社」東芝 錯乱経営の末路  東芝の株主総会が6月25日に行われて、会社側が提出した取締役選任議案が2人分、否決された。 この議案は、昨年の株主総会が公正に行われなかったという第三者委員会による調査結果を受けて、提出直前に取締役候補2人の選任を撤回するという異例のプロセスで提出されたものだった。そして、取締役会議長の永山治氏(中外製薬名誉会長)を留任させるものであったため、株主の賛成を得られるかどうかが注目されていた。永山氏には、昨年の株主総会の運営に関する責任があると目されたからだ。 近年の東芝は、一言で言って「悪い」。それも、常軌を逸する悪さだ。 ごく大まかに経緯を振り返る。表立ったケチのつきはじめは、総額6000億円超で買収した米国の原子力発電所メーカー、ウェスチングハウスを通じて生じた米国原発事業の多額損失だった。広い事業分野の中から、将来の事業の柱として半導体と原発を選んだ経営的な「選択と集中」(東芝のスローガンでは「集中と選択」)の意志決定が盛大に裏目に出た。 立ち直りを目指す過程では、業績を実態以上によく見せるための大規模な「不適切会計」の問題が生じて、名門・東芝は東京証券取引所第1部から脱落する。この事案は、率直に言って会社ぐるみの粉飾決算だったが、長年の広告宣伝費が効いたものか、国策企業への遠慮があったのか、メディアの報道は必要以上に優しかった。 財務的余裕と信用の両方を失った東芝は、医療機器や半導体といった将来成長が見込めそうな事業を売却し、今回の問題の遠因となる資金調達を行うなどで延命と再建を図る。「そうしないと生き残れなかった」ということなのかもしれない。しかし、普通の感覚の第三者が経営を眺めるなら、重荷である原発事業を維持するために有望なビジネスを売却するという、ほとんど「逆噴射」と言いたくなる錯乱経営だった。しかし、これこそが経済産業省と共に東芝が選択した道だった。 そしてこの度は、昨年の株主総会に際してアクティビスト(物言う株主)の取締役人事案を退けるために、経産省と共謀して株主に不当な圧力をかけたとの嫌疑をかけられている。株主総会に提出する直前に人事案を修正したのだから、状況証拠的に東芝の経営陣には本件に関して、少なくとも「心当たりがある」のだろう。 東芝は、つくづく悪い会社だと言うしかない。ただ、もちろん大多数の東芝社員は悪くないばかりか有能でもあるし、東芝の製品にも優れたものがある(筆者も愛用している)。 本稿では、この東芝関連のもろもろから、怒りを抑えて(少しは怒るが)、一般市民及びビジネスパーソンにとって役に立つ「教訓」を七つほど、いささかの皮肉と共に抽出したい』、「重荷である原発事業を維持するために有望なビジネスを売却するという、ほとんど「逆噴射」と言いたくなる錯乱経営」、とは厳しい指摘だ。「「教訓」を七つ」とは興味深そうだ。
・『【教訓その1】「問題の解決が私の責任」は通用しない  不祥事を起こした企業の社長や政治家などが、「問題を解決することこそが私の責任だ」と言って、そのままポストに居座ろうとすることがある。しかし今回、永山氏の取締役会議長留任が否決されたことは、この言い分が以前よりも通用しにくくなったことを示している。 今回の永山氏の「問題」は、昨年の株主総会の運営が不適切だったのではないかという嫌疑だが、この問題は事実の全貌が十分明らかになっていないし、問題があったとした場合に誰がどのような責任を取るのがいいのかが不確定的だ。 「第三者から見て」、自分自身に責任があるかもしれない問題の解明と処理に永山氏自身が関わることは、自分自身に不都合な真実を隠蔽する可能性が考えられるし、自分に有利な裁定に導こうとする動機が働くかもしれない、との疑いが消せない。つまり、永山氏はこの問題の解決に当たる責任者として(単なる関与者としてもだが)不適切なのだと、自ら理解しなければならない。 経営者や大臣などの組織のトップにとって、自らに責任があるかもしれない問題を扱う際の責任者であり続けることは、「ほぼ例外のない一般論として不適切なのだ」と知るべきだ。「俺は余人をもって代えがたい」と本人が思い込んでいてもダメなのだ』、「「問題を解決することこそが私の責任だ」と言って、そのままポストに居座ろうとする」人は多いが、確かに大きな問題を孕んでいる。
・『【教訓その2】投資家は格好だけのガバナンスを疑え  「不適切会計問題」(より適切には「粉飾決算」だ)の際にも指摘したが、東芝はこの問題が生じる前から、コーポレートガバナンス(企業統治)にあって先進的とされる「委員会等設置会社」であった。 しかし、不適切会計の問題だけでなく、今回は株式会社の企業統治の根幹に関わる株主総会の運営に不正があったと疑われている。 一般論として投資家は、外形的に優れたガバナンス体制を整えている企業に対して、「感心する」よりは、むしろ「疑わしい」と思うくらいでちょうどいい。 委員会等設置会社も社外取締役も取締役会の「多様性」も、それぞれに結構な側面があるが、格好だけに騙されてはいけない。 年金基金などの機関投資家は昨今、議決権行使の助言会社(妙な商売があるものだ)のアドバイスに従って議決権を行使することが多い。ところが、その助言会社も企業の「外面」しか見ていない場合が少なくない。 「不祥事を起こした東芝的な会社について、助言会社はどうアドバイスしていたか過去を検証してみよう」とまで意地悪を言うつもりはないが、「体裁だけの先進的ガバナンス」に気をつけよう。ちなみに、外面だけ良くて中身がダメな会社を見抜く有力な判別手段は、「どう見てもビジネスの機微が分からなそうな社外取締役」の存在であるように思われる。しかし、サンプル数が多すぎて検証が難しいかもしれない』、「どう見てもビジネスの機微が分からなそうな社外取締役」、については「サンプル数が多すぎて検証が難しいかもしれない」とはその通りだろう。
・『【教訓その3】自由な経営にとって「上場」のコストは高い  今や、東芝の株主や投資家一般は東芝に対して「怒っている」に違いないのだが、視点を変えてみよう。東芝を自分の利害にとって都合良く経営したい経営者や、民間会社のまま国策に協力させたい経産省などにとって、東芝が上場企業であることは適切なのだろうか。 上場企業は、株主だけでなく投資家一般に対する情報提供を公平かつ迅速に行わなければならない建前だ。そしてもちろん、特定の株主の利益を増進することも、損なうことも行うべきではない。 経産省は現時点で、防衛などの点で国策上重要な企業の経営に同省が関与することがあるのは当然だと半ば開き直っている。だが、上場会社の株主に対して不公平が生じる関与を行っていいとは思えない。驚く読者がおられるかもしれないが、実は、経産省は上場企業のコーポレートガバナンス改革を主導する立場の官庁なのだ。 百歩譲って「東芝は特別な会社なのだから、われわれが経営に介入することがあってもいいはずだ」という経産省の言い分を認めるとしよう。そうだとしても、上場会社である東芝の株主にとって、そのことは事前に明らかでなければならなかったはずだ。 競馬で言うなら、「このレースでは国策による八百長があるかもしれないことを含んだ上で馬券を買ってください」と宣言するのが、主催者の最低限の良心だろう。 経産省に関しては、少なくともこの人たちにコーポレートガバナンスを語る資格はないと強く感じる。 東芝を自由に操りたい人々にとって、株式の「上場」は余計なのではないか。一方の投資家にとっては、株主総会でさえ八百長をやりかねない人々の存在が余計だ。 東芝は、非上場の「国策東芝」と、クリーンな上場企業の「民間東芝」に事業分割するといいのではないか。後者が、前者のために利用される今の状況は健全でない。 なお東芝の経営問題は、狭くは東芝の株主、広く見ても投資家一般にとっての問題だが、上場企業の経営に隠れて介入するような腐敗した官庁が存在することは、広く国民全体にとっての問題だ。東芝経営陣の責任よりも、経産省の関与の実態解明と責任の明確化の方がはるかに重要な問題だろう』、「東芝経営陣の責任よりも、経産省の関与の実態解明と責任の明確化の方がはるかに重要な問題だろう」、同感である。
・『【教訓その4】官僚は逃げる!  繰り返すが、本件の重要性に鑑みると、誰が、いつ、何をしたのかについて、事実が明らかにされなければならない。調査の必要性を認めないとする梶山弘志経産大臣の発言は、経産行政の責任者として著しく危機感を欠いている。 こんなに大事な問題をなぜ調べないのだろうか。それで、大臣が存在する意味があるのか。この大臣は、単に経産省の責任回避のために、振り付け通りにしゃべっているだけの、ネクタイを締めた発声機能付きのぬいぐるみ程度の人物なのだろう。 このレベルの政治家は与野党を問わず少なくない。次の内閣改造で視界から消える方だろうが、当面不愉快だ。 一般人が「教訓」として気に留めておくべきなのは、経産省のスタンスだろう。経営に介入し、加えておそらくは相談の上で株主総会対策に関わったとみられる経産省が、問題が発生してみると対外説明の上で全く味方になってくれない。そればかりか、「それは民間の問題だ」と言わんばかりの態度を取っていることだ。 嫌疑をかけられている東芝の経営陣の個々の人にとっては、行動の背景に経産省との方針の擦り合わせがあったり、経産省の指示や情報提供があったりしたことを明らかにしてもらえたら、「個人としては、やむを得なかった」という言い訳ができて(少しは)気が楽だったろう。ところが現状では、東芝経営陣が対外的な説明責任を負い、世間の非難を一手に引き受ける形になっている。 永山氏が、一企業である東芝だけでなく国家を思う人であるなら、経緯を「全て」明らかにして、経産省の官僚や関係者も含めて、「事実を明らかにした上で、一緒に然るべき責任を取りましょう」と責任の道連れにしてくださるとよいのだが、そうしようとしても官庁と官僚は責任から逃げるだろう。 経産省幹部の官僚さん個人にとっては、長い官僚人生の「収穫期」に入っていて、本人にとって大事な時期なのだろう。そういうことだから、民間人にとって官僚は、「一緒にリスクを取ってくれる信頼できる相手」ではないことをよくわきまえておくべきだ』、「官僚は逃げる!」、「官僚」だけでなく、民間企業の間でも情勢が厳しくなったら、「逃げ」られるとの覚悟を持って事に当たるべきだ。
・『【教訓その5】カネを出す人は、クチも出す  権利として(即ちゲームのルールとして)当然のことであり、本件にあって、アクティビストは少しも悪くはない。利益を求めて、ルール通りにゲームをプレイしようとしただけだ。東芝が彼らから株式を使って資金を調達した以上、彼らから経営に口出しされる事態は当然のことだ。 アクティビストは、例えば自社株買いや配当の増額のような財務政策的な短期利益を好む傾向がある。しかし、経営陣に十分な成算と説得力があれば、例えば将来の技術やビジネスに投資することが、単なる株主還元よりも株主の利益につながることを納得させられる可能性が十分ある。アクティビストも「もうけたい株主」なのだ。同時に、アクティビストは経営者を鍛えてくれる存在でもある。 さすがに、東芝クラスの会社の経営者は少なくとも耳学問レベルで「資本コスト」という言葉の意味をご存じだろうが、昭和の経営者のように、株主から調達した資本を「配当だけ払っておけばいい、自由に使えるカネ」だと考えているようではいけない。 本来、企業としての東芝の将来に強いモチベーションを持つ経営者なら、アクティビストを味方に付けて、経産省の悪影響を削減するためのバランサーに使うというくらいの戦略性を持つべきだ』、「アクティビストは少しも悪くはない・・・東芝が彼らから株式を使って資金を調達した以上、彼らから経営に口出しされる事態は当然のことだ」、「アクティビストは経営者を鍛えてくれる存在でもある」、「アクティビストを味方に付けて、経産省の悪影響を削減するためのバランサーに使うというくらいの戦略性を持つべき」、その通りだ。
・『【教訓その6】国策は今や足かせだ  東芝がかくも異様な会社となったことの大きな理由は、単に伝統ある大企業だったことだけではなく、同社が、おそらくは防衛政策等に組み込まれた国策企業であったことによるだろう。そして、今も国策企業だ。 端的に言って東芝は、原発事業を企業としての一存で止めることはできないのだろう。そして米国の意思を前提とすると、日本の政府にもそれは不可能なのだろう。日本は米国の実質支配下にある国であり(「対等な同盟国」ではない)、原発はその文脈の下にある。故に東芝側には、「政府はわれわれをつぶせないはずだ」という安心感があるだろう。 だが一般論として、商売の相手が国でなくとも、一つの顧客に大きく依存することは経営上不適切だ。そして、それは現実かもしれないのだが、「国策企業」であることのコストは特に、そこに勤める社員にとって大きい。 国策企業だから東芝はつぶれない(だろう)。これは安心であり、社員にとってもプラスだと思える要素かもしれないが、そのせいで成長ビジネスを売って重荷を抱える「逆噴射経営」が行われた。さらに、消費者向けの商品も扱うにもかかわらず、再三の不祥事でイメージが悪い中でのビジネスを余儀なくされている。 そしてついでに言うと、国策企業でもつぶれることはあるし(例えば日本航空〈JAL〉を見よ)、会社がつぶれなくても社員のリストラは大いにあり得る。 東芝は今でも、多くの技術とビジネスの可能性を持った組織だ。「国策企業なんて、やめてほしい」と思う社員が少なくないのではないか』、「国策は今や足かせだ」はその通りだ。
・『【教訓その7】腐敗した会社の株でももうかる!  今回の問題では昨年の株主総会に際して、経産省の関係者が米ハーバード大学の基金運用ファンドに対して議決権行使を控えるように働きかけたと報道されている。働きかけの有無も内容も現時点では明らかにされていないので、この経緯の事実関係の調査と公表が重要であることは当然なのだが、その点はさておき、ハーバード大学は昨年の株主総会当時にあって、東芝の実質的な大株主だったのだ。 ハーバード大学の基金による東芝株への投資は、昨年の総会で議決権行使を控えたことからも分かるように、シンプルな「純投資」だろう。 筆者の推測だが、ハーバード大学の基金は「不正会計」問題に揺れて株価が安いときに東芝株を大量に取得したのだろう。その後、昨年に東芝の前CEO(最高経営責任者)が仕掛けたMBO(マネジメント・バイアウト、経営陣による自社株買い取り)騒動(これも妙な話だった)による株価急騰までは享受できなかったのかもしれないが、大いにもうかった投資だったにちがいない。 同大学の基金が投資していた時期も、その前も現在も、東芝は株式市場の倫理から言って腐った会社だ。昨今流行の「ESG(環境・社会・ガバナンス)投資」的には最低の会社だったはずだ。 しかし、その株式は、「安く買って、高く売れたらもうかる」普通の株式だった。加えて、「安く」買うためには不祥事が役に立ったとさえいえる。 投資自体の効率を考えるなら(ほかに何を考えるのだろうか?)、「ESG」は投資に関係させない方が明らかにいい。投資論としては当たり前の話だが、今回の教訓に加えておこう』、「腐敗した会社の株でももうかる!」、「「ESG」は投資に関係させない方が明らかにいい」、山崎氏らしいシャープな教訓、同感である。
タグ:東芝問題 (その41)(東芝 「株主への圧力問題」で判明した経産省の影 ガバナンス提唱者が企業経営に介入する大矛盾、【緊急寄稿】東芝スキャンダルと経産省の暗躍(古賀茂明)、「底なしに悪い会社」東芝から得る7つの教訓 山崎元が解説) 東洋経済オンライン 「東芝、「株主への圧力問題」で判明した経産省の影 ガバナンス提唱者が企業経営に介入する大矛盾」 「会社法に基づく調査報告書」とは物々しいが、アクティビスト・ファンドが中心になって昨年の株主総会で調査すると決定し、彼らが指名した第三者委員会が発表したもので、確かに「会社法に基づく調査報告書」ではある。 「永山治取締役会議長」の「取締役」選任議案は「株主総会」で否決される異例の展開となった。「経産省」や「梶山弘志経産相」の姿勢は大いに問題だ。 「車谷前社長」が威張っていたのは「菅首相の関係」が背景にあったようだ。「東芝」の「取締役候補」選びは難航しているらしい。 日刊ゲンダイ 古賀茂明 「【緊急寄稿】東芝スキャンダルと経産省の暗躍(古賀茂明)」 「経産省の外国為替管理法上の規制権限をちらつかせて、外国株主に総会での人事案などの提案を止めさせようとしたり、経産省が海外の投資家に対して、外資による提案に賛成しないように働きかけた」のは、確かに「大スキャンダル」だ。 「東芝」と「経産省」の「関係」は、「栄光の時代を生きた運命共同体」から「「腐れ縁」に落ちぶれてしまった」とは、言い得て妙だ。 「時代にそぐわず不幸を生む経産官僚「2つのDNA」」は、的確な指摘だ。 「経産省が、「改正外為法」により最高の武器を手に入れた。安全保障を口実に、海外投資家に干渉する権限だ。「安保」といえば、「国家の命運を左右する」仕事だ。いや応なく彼らのDNAを刺激する。彼らは、国家を守るためだから何でもできる、というおかしな世界に入ってしまった」、暴走を防ぐべきマスコミは記者クラブの枠に囚われて監視機能を果たしてないようだ。困ったことだ。 ダイヤモンド・オンライン 山崎 元 「「底なしに悪い会社」東芝から得る7つの教訓、山崎元が解説」 「底なしに悪い会社」とは、「山崎 」氏もよほど腹を立てたのだろう。 「重荷である原発事業を維持するために有望なビジネスを売却するという、ほとんど「逆噴射」と言いたくなる錯乱経営」、とは厳しい指摘だ。「「教訓」を七つ」とは興味深そうだ。 【教訓その1】「問題の解決が私の責任」は通用しない 「「問題を解決することこそが私の責任だ」と言って、そのままポストに居座ろうとする」人は多いが、確かに大きな問題を孕んでいる。 【教訓その2】投資家は格好だけのガバナンスを疑え 「どう見てもビジネスの機微が分からなそうな社外取締役」、については「サンプル数が多すぎて検証が難しいかもしれない」とはその通りだろう。 【教訓その3】自由な経営にとって「上場」のコストは高い 「東芝経営陣の責任よりも、経産省の関与の実態解明と責任の明確化の方がはるかに重要な問題だろう」、同感である。 【教訓その4】官僚は逃げる! 「官僚は逃げる!」、「官僚」だけでなく、民間企業の間でも情勢が厳しくなったら、「逃げ」られるとの覚悟を持って事に当たるべきだ。 【教訓その5】カネを出す人は、クチも出す 「アクティビストは少しも悪くはない・・・東芝が彼らから株式を使って資金を調達した以上、彼らから経営に口出しされる事態は当然のことだ」、「アクティビストは経営者を鍛えてくれる存在でもある」、「アクティビストを味方に付けて、経産省の悪影響を削減するためのバランサーに使うというくらいの戦略性を持つべき」、その通りだ。 【教訓その6】国策は今や足かせだ 「国策は今や足かせだ」はその通りだ。 【教訓その7】腐敗した会社の株でももうかる! 「腐敗した会社の株でももうかる!」、「「ESG」は投資に関係させない方が明らかにいい」、山崎氏らしいシャープな教訓、同感である。
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ハラスメント(その18)(【空手】植草歩の竹刀などパワハラ問題 師・香川政夫が強化委員長を解任、「実力社長のセクハラを咎めた役員が次々とクビに」名門メーカー電気興業の大混乱 セクハラの損害賠償を会社も負担、小田嶋氏:やっぱり見た目で決めるのか) [社会]

ハラスメントについては、昨年12月8日に取上げた。今日は、(その18)(【空手】植草歩の竹刀などパワハラ問題 師・香川政夫が強化委員長を解任、「実力社長のセクハラを咎めた役員が次々とクビに」名門メーカー電気興業の大混乱 セクハラの損害賠償を会社も負担、小田嶋氏:やっぱり見た目で決めるのか)である。

先ずは、本年3月31日付けYahooニュースがeFightを転載した「【空手】植草歩の竹刀などパワハラ問題、師・香川政夫が強化委員長を解任」を紹介しよう。
・『空手の組手女子61kg超級で東京五輪代表に確定している植草歩(28=JAL)が、全日本空手道連盟(全空連)の香川政夫強化委員長に対し、パワーハラスメントを訴えている問題で、全空連は9日、理事会を開催し、香川氏の選手強化委員長の解任と全空連理事の辞任を決議した。9日午後、全空連が発表した。 3月31日の全空連の倫理委員会では、双方から聞き取り調査を行った上で「1月27日の帝京大学内の練習において、帝京大学師範香川政夫氏が竹刀を用いた練習を行い、植草歩選手が目を負傷したということが事実関係として認められました。本連盟倫理委員会としては、竹刀を用いた練習は大変危険であり、どの練習においても全く認められるものではありません。引き続き該当事項について調査してまいります」としていた。 本日9日、全空連の公式ホームページでは「更に4月5日に行われた倫理委員会で処分内容を示した通知書と理由書を香川政夫氏に郵送し、弁明の機会を与えました。 4月7日午後同氏より当連盟宛てに選手強化委員長並びに全空連理事の辞職願いが到着しました。 以上の経緯から、本日(4月9日)当連盟は当初予定通り緊急理事会を開催し、同氏の処分を決議したものです」と発表された。 パワハラと、竹刀稽古の内容については、植草が3月28日にアップしたブログによると、竹刀稽古は2020年12月20日頃から開始され、練習の最後の15分間に行われていた。香川氏が、選手に対して竹刀を突きや蹴りに見立て、振り回す、突くなどで攻撃。選手はこれを受け、かわしながら反撃するというもの。 選手は面などの防具をつけることを許されず、これまで目を打撲した植草以外に練習に参加した数人も目に怪我を負ったと記される。怪我について香川氏からは怪我を心配する一言も無かったという』、「竹刀稽古は2020年12月20日頃から開始され・・・選手に対して竹刀を突きや蹴りに見立て、振り回す、突くなどで攻撃。選手はこれを受け、かわしながら反撃するというもの。 選手は面などの防具をつけることを許されず、これまで目を打撲した植草以外に練習に参加した数人も目に怪我を負った」、「防具」なしとは信じられないほど酷い。
・『「竹刀の怪我だけでなく、昨年9月頃より香川氏から「練習環境のこと、大学院進学のこと、その他プライベートや自活の為の仕事のことなどで、自立心・自尊心を傷つけられたり、大声で怒鳴られたりすることが多くなりました」と綴られていることから、師との互いの信頼関係が大きく崩れたことも、この訴えに至ったものと思われる。 全空連会長の笹川尭氏は9日の理事会で「選手強化委員長と現場の指導者が同一人物であるということが、権力、権威の集中となり、風通しが悪く、問題提起のしにくい構図になっていたと思う。このようなことが起きないよう、強化委員会の規定を変え強化委員長と、指導者が同一人物ではない体制に整える。具体的な内容は5月の理事会にて決定する」とした。 また、全空連の選手強化委員長の香川政夫氏が竹刀を指導で使ったことに対しては「決して認められることではない、空手の練習に剣道の練習道具である竹刀等を用いることは禁止と決定した。競技団体として競技者への安全面の配慮が不足していたことを心から反省する」と深く頭を下げた。今後は更に安全面を重視し、倫理委員会も充実させながら対応していくとも語られた。 植草の弁護士は境田正樹氏。11年に施行されたスポーツ基本法の制定をはじめ、多くのスポーツ団体のガバナンス強化、改善に携わる。これまで日本フェンシング協会や日本バスケットボール協会などの再建を担当。話題となったテコンドーの金平会長の辞任時の検証委員長も務めた。一度、植草側は香川氏を傷害容疑で刑事告訴しようとまで動いたが取り下げている。 一方、香川氏は故意に目をついたことは無いとしたが、自ら全ての全空連の職を辞すると届け出、本日決議された』、「植草側は香川氏を傷害容疑で刑事告訴しようとまで動いたが取り下げている」、恩師への思いやりなのだろう。「強化委員長と、指導者が同一人物ではない体制に整える」、遅ればせながら望ましい形だ。

次に、6月25日付けPRESIDENT Onlineが掲載したジャーナリストの山口 義正氏による「「実力社長のセクハラを咎めた役員が次々とクビに」名門メーカー電気興業の大混乱 セクハラの損害賠償を会社も負担」を紹介しよう。
・『「オリンパス事件」にも似た深刻なガバナンス不全  電機メーカーの電気興業が6月22日夕刻、ニュースリリースを発した。見出しは「内部通報に基づく社内調査の実施、再発防止に向けた取り組み、及び処遇について」。中身を見ても、ほとんどの株主は何のことやらわからないだろう。 それは、このニュースリリースには肝心なことが書かれてないからだ。その中身は、10年前の今頃、筆者が報じた「オリンパスの損失隠し事件」にも似た深刻なガバナンス不全である。同社に成り代わって問題を詳報しよう。 東証一部上場企業の電気興業は、1938年創業の元国策会社で、現在は高周波機器や電気通信機器の製造・販売を手掛けている。売上規模は400億円台とやや小ぶりだが、自己資本比率が75%もあり、現預金も潤沢。財務内容は健全そのものと言っていい。 しかし健全な肉体に不健全な精神が宿ったか。上記のニュースリリースに掲げられた(1)ハラスメント行為、(2)不明瞭な交際支出、(3)利益相反の疑いのある取引――が内部通報によって浮かび上がった』、「6月22日夕刻、ニュースリリース」については、現在はホームページには何故かないようだ。旧日本無線電信が「国策会社」だったようだ。
・『「社長→会長→名誉顧問→辞退」と目まぐるしく異動した松澤氏  電気興業をウォッチしている投資家は、今年2月以降、同社の取締役の降格や退任が異様なほど相次いでいることを不思議に思ってみていたに違いない。特に経営トップだった松澤幹夫氏は今年2月以降の短期間のうちに社長から会長に異動し、会長から名誉顧問への異動が発表され、さらに冒頭のリリースによると「健康上の理由」により名誉顧問就任を辞退したのだから。 一方でナンバー2だった石松康次郎専務がヒラの取締役に降格し、今年の株主総会で役員から外れるほか、久野力取締役も退任する。3人の社外取締役と、同じく3人の監査役も交代するというから、役員の大半が入れ替わることになる。一方で昨年6月に取締役に選任したばかりの近藤忠登史氏がそのわずか8カ月後、松澤氏に指名され社長昇格が決まった。 筆者の取材に対し、電気興業は一連の役員人事を「当社の持続的な企業価値向上を実現する上で最適な経営体制の構築を目的として従前から検討していた」と説明しているが、それを鵜呑みにするわけにはいかない。松澤氏には女性社員に対する度重なるセクハラとそれに伴う不明朗な支出――つまり上記の(1)と(2)――があり、電気興業では今年2月、内々にそれらを調べ、松澤氏は追い詰められた』、「目まぐるしく異動した松澤氏」、は同氏が最後まで地位にしがみつこうとした現れだろう。みっともないことだ。
・『いつのまにか切り崩されていた社内取締役たち  ところが2月10日に石松氏や久野氏ら社内取締役たちは雲行きが怪しくなっていることに気付いて驚く。その日の取締役会で、松澤氏がセクハラ問題に何ら触れることなく、会長に退いたうえで近藤取締役を後継社長に指名する動議を提出したのだ。会長に退いて社内で影響力を温存し、責任を追及する邪魔な取締役らのクビをはねるつもりだったのだろう。 松澤氏のセクハラ問題に対処するために足並みを揃えていたはずの石松専務と伊藤一浩常務、下田剛取締役、久野力取締役、そして当時は末席の取締役だった近藤氏らは、いつのまにか切り崩されていた。 切り崩しに動いたのが3人の社外取締役であった痕跡が、各種の資料や音声データに動かぬ証拠として残っている。しかも石松氏らはいつの間にか<松澤氏らと行動を共にしながら、セクハラを止めようとしなかった善管注意義務違反が認められる>と社外取締役らから責任追及を受けるようになった』、「石松氏ら」への「責任追及」は「松澤氏」の反撃である可能性がある。
・『取引先や経営トップと親密な人物が社外取締役を占めている  社外取締役は弁護士の太田洋氏と、元横浜中税務署長で税理士の須佐正秀氏、元SMBC日興証券副社長でSUZUKI NORIYOSHI OFFICE代表の鈴木則義氏の3人。関係者によると、太田氏と松澤氏は、遅くとも電気興業がアクティビストファンドの米スティール・パートナーズの標的になった2007年以来の付き合いで、太田氏が所属する西村あさひ法律事務所にとって電気興業は取引先である。 鈴木氏も「松澤氏と30年来の付き合いがある」(関係者)といい、社外取締役は電気興業の取引先からの出身者や、経営トップの知り合いで固められていたことになる。同じように取引先や経営トップと親密な人物が社外取締役を占め、企業統治が機能不全を起こしていたオリンパスと重なる部分が多いのだ。 しかもニュースリリースの「(3)利益相反の疑いのある取引」とは、西村あさひがSUZUKI NORIYOSHI OFFCEに支払いを求めたコンサルティング費用を電気興業に支払わせたことや、鈴木氏が代表取締役を務めていたエドモン・ドゥ・ロスチャイルド・日興との取引を指しているが、電気興業ではこれを問題なしとして片づけている。経営トップのお目付役であるはずの社外取締役がこんなことで疑われるだけでも恥であろう。 では電気興業はなぜ株主総会の直前になって、わざわざこれらの恥をHP上に掲載したのか』、「社外取締役は電気興業の取引先からの出身者や、経営トップの知り合いで固められていた・・・オリンパスと重なる部分が多い」、その通りだ。
・『記事が出るのを察知して、ダメージコントロールに動いたか  実はリリースが掲載される4日前の6月18日、筆者は電気興業に「松澤氏がセクハラを働き、これが理由で退任したと聞いている。詳しい話を聞きたい」と質問状を送って取材を申し込んだ。取材は21日に電気興業側の弁護士2人が立ち会ってリモートで行われた。私は内部資料を多く集めていること、そしてオンラインメディアで株主総会前に記事を配信することを伝えた。もう言い逃れはできないことを悟らせるためだ。 さらに私は、監査役会がまとめた調査報告書や、外部の弁護士が5月11日付で監査法人トーマツに送付した「コンプライアンス通報・報告」と題する長文の資料や、監査役会が6月1日付でまとめた調査報告書など数々の物証を入手していると告げ、正確で誠実な情報開示を求めた。無条件降伏を迫ったと言い換えてもいい。 これを受けて翌22日には電気興業で取締役会が開かれ、決議したのが冒頭のニュースリリース発信だった。記事が配信される前に自主的にセクハラその他について開示したのは、筆者の記事が配信される前に、同社がダメージコントロールに乗り出したことを意味している』、「記事が配信される前に自主的にセクハラその他について開示したのは、筆者の記事が配信される前に、同社がダメージコントロールに乗り出したことを意味」、「セクハラ」などはお粗末なのに、高度な「ダメージコントロールに乗り出した」とは、誰かの入れ知恵だろう。
・『被害者女性に「100万円でいい?」と迫ったのが近藤社長  ところがその開示姿勢は松澤氏に対する忖度や斟酌がにじみ出ている。このニュースリリースは東京証券取引所の適時開示情報伝達システム「TDNET」で広く発表されたものではなく、電気興業のHP上にこっそり掲載されただけ。ハラスメントを働いた役員についても松澤氏の名を出さずに「代表取締役」としか記されていない。 このリリースを見る限り、セクハラや不明朗な交際支出、利益相反取引のいずれも「当該事案の対処として問題があるとは言えない」「私的流用はない旨の念書の提出を受けている」「外形的には利益相反取引に該当するものの、実質的には利益相反状況にはない」など、大した問題ではなかったと言わんばかりだが、はたしてそうだろうか。前述の「コンプライアンス通報・報告」は弁護士が作成したもので、これらの判断がいかに疎漏なものであるかを28ページにわたってえぐり出しているのだ。 それに電気興業は事後処理で大きな過ちを犯している。経緯から考えて、セクハラ被害者に対する損害賠償は松澤氏が個人で負うべき性質のものでありながら、松澤氏と電気興業は被害者に連帯債務を負う旨の合意書が2月18日付で交わされている。 そこには被害者女性と松澤氏の署名捺印に加え、松澤氏から代表取締役の職務代行指示書を受けていた近藤取締役(現社長)の署名捺印がある。関係者によると、被害者女性に「(損害賠償額は)100万円でいい?」と合意を迫ったのが、近藤氏だった』、「セクハラ被害者に対する損害賠償は松澤氏が個人で負うべき性質のものでありながら、松澤氏と電気興業は被害者に連帯債務を負う旨の合意書が2月18日付で交わされている」、「電気興業」からも支払われれば、株主は代表訴訟で取り戻すべきだ。
・『取材に対しては「連帯債務はない」と虚偽の回答  こんな連帯債務にゴーサインを出しておいて、近藤社長は株主にどう説明するのか。また、問題の調査に当たった社外取締役や監査役は行きがかり上、この合意書の存在を知らないはずはなく、その取り交わしに反対しなかったのか。 しかも取材に応じた浅井貴史管理統括部長は、私に対して「(質問状には)当社が連帯債務を負うと記載されていますが、当社は、被害者に対して金員を支払っておらず、今後も合意内容に従って支払う債務を負っているわけではありません」と虚偽の回答している。 しかし実際には連帯債務はもちろん、損害賠償の支払い期日や支払い方法まで合意書には記されているのだ。浅井氏の説明は真っ赤なウソを含んでおり、29日に開催される株主総会で取締役への昇格が議案に上っている浅井氏の適格性に疑問符を付けざるを得ない。 電気興業の悪質性が際立つのは、責任の所在をねじ曲げるために取締役会議事録の作成段階で出席者の発言を捏造しようとさえしたことだ。事実を取締役会の暗闇に沈めようとしたとしか思えない。 これでも東証一部上場企業なのだ。国内外の投資家は、こうした市場をどう見るか。ガバナンス不全は、一企業の問題にとどまらず、日本の株式市場全体の信頼性と沽券にかかわる。残念ながら「オリンパス事件」から10年を経ても東京市場は変わっちゃいなかった』、「責任の所在をねじ曲げるために取締役会議事録の作成段階で出席者の発言を捏造しようとさえした」、悪質の極みだ。「東証一部上場企業」の名がまたも汚れた。

第三に、 3月12日付け日経ビジネスオンラインが掲載したコラムニストの小田嶋 隆氏による「やっぱり見た目で決めるのか」を紹介しよう。
https://business.nikkei.com/atcl/NBD/19/00106/00107/
・『米ニューヨーク州のクオモ知事にスキャンダルが持ち上がっている。 本当だろうか。 私は、第一報を知ってから、約1週間、真偽を疑って様子を見ていた。 というのも、昨年の大統領選挙のゴタゴタ以来、米国から伝わってくるニュースを鵜呑みにするとわりと無視できない確率で恥をかいてしまうことを、身をもって学んだからだ。実際、特にSNS経由で拾ってきた米国ネタの多くは、デマやフェイクを含んでいる。 いや、アメリカ人が信用できないとか、アメリカのメディアがガセネタを流していると主張したいのではない。 ただ、かの国は大統領選挙以来、少なくとも政治がらみのニュースのフェイク含有率が飛躍的に高まっていることは、まぎれもない事実なのだ。 もっとも、トランピストのデマは、子供だましだ、と、わが国の事情通は、異口同音にそう言っている。 私は、必ずしもバカにできないぞと思い始めている。というのも、伝わってくる結論だけを見ると、たしかにバカげているものの、さすがに世界に冠たるフェイクの国のフェイクメディアは、実に素敵なニュースサイトの外形を整えているからだ。 日本のインチキメディアについては、それなりに鼻がきくつもりでいる私も、見栄えのする英語フォントで提供されるネタは、うっかりそのまま受け止めたりする。というのも、全体としては真っ赤なウソであっても、細部の演出において気がきいているメイドインUSAのガセネタは、つまるところ、ページとしてどうにも素敵だからだ』、「全体としては真っ赤なウソであっても、細部の演出において気がきいているメイドインUSAのガセネタは、つまるところ、ページとしてどうにも素敵だからだ」、なるほど。
・『実際、小洒落たレイアウトで美麗な写真を並べたそれらのページ  ←正体はカルト宗教系だったりする)は、実に堂々たる押し出しでデマを流してくる。しかも、親切な日本人が、行き届いた翻訳文をつけてくれていたりする。こうなると、幼児誘拐だのというありがちなネタでも強大な誘引力を持つ。 さて、クオモ氏のスキャンダルは、典型的なセクハラ告発案件だった。 私は、第一感で「謀略」を疑った。というのも、クオモ知事は対立するトランプ陣営からは、蛇蝎のように嫌われているリベラルの星だったからだ。 さてしかし、先に結論を述べれば、陰謀に毒されていたのは、ニュースではなくて、私の脳みそだった。この1週間、多方面からの情報を慎重に比較検討してみた結果、このネタが「ガチ」であることがはっきりしてきている。クオモ氏を告発している女性も1人や2人ではない。 なんということだろう。つい半年ほど前に潔くコロナの初期対応を誤った非を認めて、クリーンに再出発を決断した稀有な政治家として、各方面からの喝采を浴びていたあのリベラルの希望の星、クオモ氏は、どうやら、もうひと回りして、セクハラ野郎という、薄汚れたオッサンの位置に落ち着き先を変えてしまったのである。 政治家には、そして人間には色々な顔がある。頭が良くて、弁舌がさわやかで、実行力と決断力において抜きん出て、その実、カネの亡者だったり、色魔だったりする人物は珍しくない。英語の素敵なガセネタページと同じだ。 しかし私は、実はちょっとホッとしている。というのも、「顔が好きになれない」というくだらない理由で、この人をほめる原稿を書いていなかったからだ。自分の好き嫌いは、案外バカにできない』、私は「クオモ氏」はカッコいいと思っているが、小田嶋氏は「顔が好きになれない」ようだ。まさに、十人十色 だ。
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格差問題(その8)(サンデル教授が語る「大卒による無意識の差別」 「努力すれば成功できる」という発想の問題点、「コロナ禍でも五輪すらやめられない」資本主義の暴走を止めなければ人類は滅びる 「中間層を増やせばいい」は間違い、「世界全体が富裕層に甘すぎる」自家用ジェットやスポーツカーは全面禁止にすべきだ 欲望を煽る経済システムはもう限界) [経済]

格差問題については、昨年11月9日に取上げた。今日は、(その8)(サンデル教授が語る「大卒による無意識の差別」 「努力すれば成功できる」という発想の問題点、「コロナ禍でも五輪すらやめられない」資本主義の暴走を止めなければ人類は滅びる 「中間層を増やせばいい」は間違い、「世界全体が富裕層に甘すぎる」自家用ジェットやスポーツカーは全面禁止にすべきだ 欲望を煽る経済システムはもう限界)である。

先ずは、本年4月16日付け東洋経済オンライン「サンデル教授が語る「大卒による無意識の差別」 「努力すれば成功できる」という発想の問題点」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/422935
・『「努力と才能で、人は誰でも成功できる」。ほとんどの人はこう聞いて、何の疑問も持たないだろう。実際、私たちの多くは「成功する人は努力をしている」という価値観の中で生きてきた。競争環境が平等であれば、成功するか否かは個々の努力や才能にゆだねられる、と。 しかし、NHK『ハーバード白熱教室』などで知られる、哲学者のマイケル・サンデル教授から見ると、この能力至上主義の考えの裏には、「成功をしていない、社会的に認められない人は、努力してこなかった責任を負っている」ということになる。そしてこれは、真面目に働いていても、グローバル化やデジタル化の影響を受けている人が、「努力をしなかったから」と尊厳を奪われ、エリートから見下されていると感じる状態を作ってしまった。サンデル教授はこれがアメリカなどで見られるエリートと労働者の分断の本質だと説く。 経済成長に重きを置いた能力主義が招いた分断は解消できるものなのか。能力主義に変わるものはあるのか。そして、誰もが尊厳を保てる社会とはどういうものなのか。『実力も運のうち 能力主義は正義か?』を上梓したサンデル教授に聞いた(Qは聞き手の質問、Aはサンデル教授の回答)』、興味深いところだ。
・『無意識に労働者を「見下している」  Q:この本では能力主義を強調したバラク・オバマ元大統領を含めるリベラルの姿勢を痛烈に批判しています。実際ここへ来て、トランプ現象やポピュリズムの台頭をめぐってリベラルの姿勢を批判する声が高まっています。 A:今回書くにあたっては、2016年のドナルド・トランプによる大統領選のサプライズ当選と、それを可能にした多くの人たち、特に労働者層の怒りや恨み、悲哀といったものを理解しようというところが始まりになりました。労働者の多くは、エリートが自分たちを「見下している」と感じていたのです。 この本では、リベラルの多くが意図せず、大学卒業資格を持っていない労働者を辱め、モチベーションを奪うことによって、彼らの恨みを買うことに加担しているということについて詳しく書いています。これが、民主党が目覚めるきっかけになると同時に、エリートに対して怒りや恨みを持っている労働者が働くうえで何を大切にしているかということを、リベラルが理解するきっかけになればと思っています。 Q:読んだ後、リベラルを標榜する知人何人かにこの話をしましたが、彼らはリベラルが意図せず労働者を見下している可能性がある、という事実を受け入れようとしませんでした。まさか自分が「差別している側」とは受け入れがたいのでしょうか。 A:教育水準の高い、成功している人たちは能力主義のメリットを享受しているので、能力主義を否定することは難しいのです。実際、能力主義は非常に魅力的な原理です。競争環境が平等でありさえすれば、頑張って勉強して能力を発揮し、いい大学に行って成功するということは、「自分のおかげ」であり、自分はその成功に付随する報酬に「値する」という概念は成功者には心地いい。 同時にこれは、社会における資本の分配においても「公平」なように見えます。誰もが平等にレースに参加する資格があり、同じスタート地点に立ち、同じ訓練を受け、同じランニングシューズで走ったとしたら、レースに勝った人がもっとも多い報酬を得る、ということなのですから。 成功した人が報酬を得る、という在り方は、平等な社会、公平な経済を体現しているように思えるので、リベラル側はこの概念に対する否定的な意見を受け入れられないのでしょう』、「リベラルの多くが意図せず、大学卒業資格を持っていない労働者を辱め、モチベーションを奪うことによって、彼らの恨みを買うことに加担しているということについて詳しく書いています」、「能力主義は非常に魅力的な原理です。競争環境が平等でありさえすれば、頑張って勉強して能力を発揮し、いい大学に行って成功するということは、「自分のおかげ」であり、自分はその成功に付随する報酬に「値する」という概念は成功者には心地いい」、さすが「サンデル教授」だけあって、目のつけどころが鋭い。
・『レースは本当に「平等」なのか  しかし、私はこういう疑問を呈します。レース自体は平等にように見えますが、中には生まれつき運動神経がいい人や、人より足が速い人がいます。はたしてそれが自分の努力のみによるものなのか、と。同じスタート地点に立って、同じ努力をしたとしても成功できない人もいる。つまり、成功とはその人の努力だけではなく、才能や生まれ持ったもののおかげでもあるのです。 となると、能力主義の問題は何なのか。それは、成功者における謙虚さの欠如、つまり、人生における幸運や、親や教師、コミュニティ、国といった成功を可能にしてくれた人やものがあるということに対する理解の欠如です。 大学に行かなかった、あるいは、学位をもっていない人は、社会における「いい仕事」、そしてそれに伴う高額な報酬も大卒者に取られてしまう。もし、社会で成功している大卒者が自分の今の成功はすべて自分の努力によるものだと考え、謙虚さをなくしていたとしたら、知らないうちに自分より成功していない人を見下している可能性があるのです。 Q:能力主義を強調しすぎることの怖さは、自分も影響を受ける対象になることだと感じました。グローバル化やデジタル化に乗り遅れてふるい落とされないためには、つねに労働市場の需要に合わせて自分をアップデートしたり、スキルアップをしなければならず、これはしんどいです。 能力主義には2つの負の側面があります。1つは、大学に行かなかった人、成功しなかった人が「それは自分が努力しなかったせいだ」と自分を責め、苦悩することです。この結果は自分が招いたものだ、と。もう1つは、“勝者”にとっても大変な世界だということです。 そもそも能力主義の問題は、社会の中に「勝者」と「敗者」を作ってしまうことです。そして、この数十年の間に、勝者と敗者の分断はどんどん広がっており、これがアメリカやヨーロッパにおける政治の二極化を招いたと考えています。 勝者と敗者に分かれた世界では競争が激化し、成功することへの圧力は非常に大きいものとなる。顕著な例は大学入試です。アメリカでも日本でも、若者にとってどの大学に入るかはとてつもないプレッシャーになっており、これは必ずしも健全なプレッシャーではありません。成功しなければいけない、という強迫観念はトラウマにさえなります』、「能力主義の問題は、社会の中に「勝者」と「敗者」を作ってしまうことです。そして、この数十年の間に、勝者と敗者の分断はどんどん広がっており、これがアメリカやヨーロッパにおける政治の二極化を招いたと考えています。 勝者と敗者に分かれた世界では競争が激化し、成功することへの圧力は非常に大きいものとなる」、その通りだ。
・『対話をしないと分断はもっと進む  Q:勝者と敗者の分断、あるいは社会や政治における二極化は手を付けられない状態にも見えますが、まずはリベラルから歩み寄るべきなのでしょうか。 A:分断の責任は双方にあり、どちらも対話を持ちかける努力をするべきですが、まずは運に恵まれ、大学にも行けて、成功している人が行動を起こすべきではないでしょうか。社会から疎外され、尊敬されていないと感じている人がなぜそう感じているのかを理解しようとすべきです。どんなに難しくても今、階級や人種、社会的バックグラウンドを越えた対話を始めなければ、もっと分断は進みます。 過去40年分断は広がり続けており、社会的結合はどんどん希薄になっている。社会的分断を解消し、私たちが負った傷を癒やすには、お互いを理解するための対話が必要です。これはアメリカだけではなく、すべての民主主義国家に言えることです。 Q:とはいえ、今の世の中において自分と「違う人」と交わったり、ましてや対話をすることは非常に難しくなっています。接点すらないという人もいます。 A:解消するには、社会レベルと個人レベル、2段階の対応があると思います。まず社会的・政治的レベルでは、コミュニティセンターなど、違うバックグラウンドや異なる人生を歩んできた人たちを集める場所が必要です。 公立学校はこういう場所になりえますし、地域におけるレジャーセンター、市民センターなどの文化施設、公園やスポーツ施設も利用できるでしょう。スポーツは昔から異なるバックグラウンドの人がともに集えるものの1つです。 分断を広げるという観点では、ソーシャルメディアに気をつける必要もあります。ある人が見ているフィードに流れてくるニュースや情報、意見は、その人自身の意見に近いものが多く、自分の意見や世界観と異なるニュースなどに接する機会はほぼありません。その点で、ソーシャルメディア、もっと言えば、既存メディアの在り方も見直したほうがいいと思います。 既存メディアは、自分たちがもともと持っている意見だけを出すのではなく、例えばテレビであればバックグラウンドが異なる人を集めて、互いが何について同意できないのか議論する場を作るべきです』、「既存メディアは、自分たちがもともと持っている意見だけを出すのではなく、例えばテレビであればバックグラウンドが異なる人を集めて、互いが何について同意できないのか議論する場を作るべきです」、その通りだが、現実には難しそうだ。
・『トランプ支持者とアンチが4時間語り合った  1つ面白い例をあげましょう。2017年、トランプが大統領に就任した直後、私はニューヨークでトランプ支持者とアンチを集めた番組をNHKでやりました。全米からそれぞれ9人ずつ集めて、トランプ、アメリカ、アメリカファースト主義、メキシコ国境の「壁」など当時物議を醸していたテーマについて、何についてお互い同意できないのかを議論しました。 4時間にわたった議論の末、双方が意見を変えることはありませんでしたが、互いを尊重できるようにはなりました。どんな懸念やモチベーションがそれぞれの考えや意見を構築しているのか、互いに理解することができたわけです。 議論の後、参加者の1人がこう言いました。「番組のおかげで、接点のない人たちが何を考えているのかよく理解できました。しかし、なぜ私たちを引き合わせてくれたのがアメリカではなく、日本のテレビだったのでしょうかね」。 このことは、アメリカの主要メディアでさえ、意見の違う人たちを集めて、可能であればお互いの理解を促すという活動ができていない、ということに気づかせてくれました。つまり、メディアには重要な役割があるということです。 個人レベルでは、自分と似たような人とばかり過ごすのではなく、自分の意見の殻を破って、自分とは違う人と意見を交換する時間を作ることが必要だと思います。スポーツでも文化的な集まりでもいいので、もっとカジュアルにバックグラウンドが違う人と出会う機会が必要です。 Q:対話ができたとしてもアメリカのような国で、分断された人たちが共通のゴールや、サンデル教授がいう共通善(個人や特定の集団ではなく、社会全体共通の善)を見出すことは難しくありませんか。バイデン大統領にできることはあるのでしょうか。 A:政治家たちが何十年にもわたって掲げてきたメッセージを変えなければいけません。民主党も共和党もこれまで、グローバル化による不平等を解消するには、高い教育を受けることだと唱えてきました。そうすれば上に行くことができる、と。グローバル経済で成功するには大学に行け、自分が学んだことは自分が得るものに直結する、頑張ればなんでも手が届く、といったメッセージはレーガン時代から発せられてきました。 しかし、バイデン大統領はこのメッセージを変えなければいけない。能力主義による競争を助長するのではなく、仕事の尊厳を取り戻すことに重きを置くべきです。社会に貢献している誰もが自分のしている仕事の尊厳を感じられるようにするのです』、「なぜ私たちを引き合わせてくれたのがアメリカではなく、日本のテレビだったのでしょうかね」。 このことは、アメリカの主要メディアでさえ、意見の違う人たちを集めて、可能であればお互いの理解を促すという活動ができていない、ということに気づかせてくれました」、「アメリカの主要メディア」は旗色が明らかなので、中立的な番組は、「日本のテレビ」しか出来ないからだろう。
・『コロナが変わるきっかけになるかもしれない  今回のパンデミックは、例えば家で働ける人とコロナ禍でも働きに行かないといけない人など、これまでにもあった格差を露呈しました。しかし、同時に家で働ける人たちが、医療従事者だけでなく、工場労働者やスーパーの店員、配達員、保育士、トラック運転手などコロナでも外で働く人たちにどれだけ頼っているかということに気づくきっかけになりました。必ずしも高給や社会的な名誉を得ているわけでもない人たちや、その仕事の重要性に気づき、エッセンシャルワーカーと呼ぶようなったのです。 コロナが、こういう仕事にもっと尊敬の念を払う必要がある、という議論のドアを開くことになると期待しています。バイデン大統領はこれをきっかけに、労働者における仕事の尊厳とは何かを改めて考えるべきではないでしょうか。 Q:バイデン大統領自身は、「見過ごされている、見下されていること」について、労働者層がエリート層に怒りを抱いていることに気がついていると思いますか。 A:不確かではありますが、気づいている可能性はあります。実際、大統領選挙中のスピーチで、自らは裕福な家庭の出身ではなく、自分の父親が苦労した経験を話しています。「人々があなたを見下したとき、尊敬の念を払わないときにどんな気持ちになるかわかる」と。これが、能力主義ではなく、労働の尊厳に重きを置くメッセージや政策にシフトするスタート地点になる可能性はあります。 Q:今回の著書の中では、能力主義に代わるものとして、「条件の平等」を掲げています。つまり、どんな仕事をしていようと、稼ぎがどれくらいであろうと、誰もが幸せを感じられる社会を実現するということです。ですが、これが実現した場合、「何か難しいことを成し遂げよう」「高い教育を得よう」と考えるモチベーションはどうやったら養えるのでしょうか。) A:新しいスキルを取得したり、自らの能力を発揮する、あるいは自分の能力を生かして共通善に貢献するといった「内在的な満足」や誇りがモチベーションになるのではないでしょうか。実際、私たちは自分の能力やスキルが向上することで満足感を得ます。その能力を生かして、自分の家族だけでなく、社会全体に貢献できるということは喜びなのです。 私が考える民主主義における条件の平等とは、すべての人が同じ収入を得るということではなく、誰もが尊厳を保ち、尊重されるということです。自分の家族、コニュニティ、共通善に貢献しているということに対するリスペクトがある状況です。 私たちが目指すべきは、それぞれの教育水準や収入にかかわらず、誰もが互いに尊敬できる社会です。社会に貢献している証しが収入ではなく、家族を養うことや、社会、コミュニティに貢献していることなどで測られるのが望ましい状態です。 私たちは社会や共通善に対する貢献度は、収入の高さに反映されると誤解されがちですが、目指したいのは、共通善への貢献度がお金で測られるのではなく、生活のために真面目に働き、社会の発展に貢献できることが尊重される社会です』、「工場労働者やスーパーの店員、配達員、保育士、トラック運転手などコロナでも外で働く人たち・・・エッセンシャルワーカーと呼ぶようなったのです。 コロナが、こういう仕事にもっと尊敬の念を払う必要がある、という議論のドアを開くことになると期待」、「エッセンシャルワーカー」に脚光が当たったのはいいことだ。
・『社会への貢献度は1つの指標で測るべきではない  Q:社会への貢献度、あるいは自分の能力やスキルが「お金」という尺度で図られないとしたら、その貢献度は何で測られるようになるのでしょうか。 A:それを見極めるのが難しいので、結局お金や収入、国にとってはGDPなどに落ち着いてしまうわけです。しかし、GDPが国の幸福度を表すものだと信じている人はいません。 私は『それをお金で買いますか』や『これから「正義」の話をしよう』でも、社会への貢献度を1つの数的指標で測るべきではないと提案しています。お金やGDPは誤解を与える指標で、社会などにおいて何が重要かという議論を遮ってしまう。 では、どうやって測るのか? それは数字でもデータでもお金でもGDPでもありません。社会への貢献度は、私たちがかかわる生活の質と充実度と、それを自ら誰かと形作り、組み立てていくことで測られるべきです。例えば、家族を作って子供を育てることの充実感は、お金では図れません。社会、家族、そして個人にとって何が重要かを測ることができる数字などないのです』、「お金やGDPは誤解を与える指標で、社会などにおいて何が重要かという議論を遮ってしまう」、その通りだ。
・『公の場での議論や対話が必要だ  Q:日本のような長らく景気が停滞していて、経済成長が望みにくい社会では、「高い収入を得ること=幸せ」という概念に対してある意味の限界や徒労感を感じていている人もいます。しかし、経済成長が個人の幸せを必ずしももたらさない、と感じながらも、では何が個人の幸せをもたらすかについての議論は発展せず、政治家がその道筋を示すこともしません。 大事なのは、公の場でいい社会やいい生活・人生とは何なのかを議論し、対話することです。これらには、私たちがいかに個として人生を営むか、そして、ほかの人たちとともに生きるか、という問いが含まれています。よりよい生活とは何か、その先にあるいい社会とは何かという議論には、倫理的価値観、時には精神的な価値観も絡んでくるでしょう。 現代の社会では、何がいい生活や社会なのかということについて、それぞれがまったく違う意見や見解を持っているのですが、政治家は人々の間に価値観の相違があることを好まないので対話の機会を持とうとしない。 特にモラルや精神的な価値観における違いを埋めるのは容易ではないですから。こうした問いと向き合わないため、モラルや価値観の相違に対する判断を下すことを避けるために、収入やGDPという指標を社会や共通善への貢献の物差しにしてごまかしているのです。 しかし、今回の本でも述べている通り、私たちが生きていくうえでいい生活とは何か、いい社会とは何という問いは避けて通れません。私たちが考えるいい社会を実現するためには、共通善に対する貢献を何で評価するべきかという議論をしなければならない。 どんな価値観や美徳を大切にする社会を作っていくかという議論をするうえで、倫理的価値観の話は避けられません。正義とは何か。共通善を目指す意味は何か。私たち市民はお互いにどんな責任を負っているのか。社会への貢献は何で評価できるのか。それぞれが尊厳を維持し、互いを尊重するにはどうしたらいいか――。簡単に答えられるものではありませんが、公における議論の中心テーマはこうしたものであるべきです』、「私たちが考えるいい社会を実現するためには、共通善に対する貢献を何で評価するべきかという議論をしなければならない。 どんな価値観や美徳を大切にする社会を作っていくかという議論をするうえで、倫理的価値観の話は避けられません。正義とは何か。共通善を目指す意味は何か。私たち市民はお互いにどんな責任を負っているのか。社会への貢献は何で評価できるのか。それぞれが尊厳を維持し、互いを尊重するにはどうしたらいいか」、同感である。

次に、6月26日付けPRESIDENT Onlineが掲載した大阪市立大学大学院経済学研究科准教授の斎藤 幸平氏、衆議院議員の古川 元久氏、法政大学法学部教授(現代日本経済論)/博士(経済学)の水野 和夫氏による座談会「「コロナ禍でも五輪すらやめられない」資本主義の暴走を止めなければ人類は滅びる 「中間層を増やせばいい」は間違い」を紹介しよう。
・『コロナ禍の最中に日本ではオリンピックが開催されようとしている。なぜそうなってしまうのか。『人新世の「資本論」』(集英社新書)著者の大阪市立大学大学院の斎藤幸平准教授と、共著『正義の政治経済学』(朝日新書)を出した衆議院議員の古川元久さん、法政大学の水野和夫教授の鼎談をお届けしよう――。(前編/全2回)』、興味深そうだ。
・『経済の目的を「成長」から「幸せ」へ  【古川元久(以下、古川)】斎藤さんの『人新世の「資本論」』(集英社新書)を拝読し、こういう形でマルクスを理解するアプローチがあることを学ばせてもらいました。斎藤さんはこの本で、「資本主義では現代の諸課題は解決できない」ことを語り、「脱成長」を理念とする新しいコミュニズムの必要性を説いておられます。 私も、経済成長が自己目的化した現在の資本主義は、さまざまな弊害やひずみを生み出していると思っています。本来、経済成長の目的は成長そのものではなく、成長の先に目指している幸せのほうです。 だとすれば、資本主義やコミュニズムという社会システムの仕組みも大事だとは思いますが、その前提として、私たちが求める幸せとは何なのかということを、あらためて考えなければいけないように感じています。 【斎藤幸平(以下、斎藤)】私も、幸せを重視する経済に移行していく必要があることはまったく同感です。ただその場合に、手段も同時に考えなければなりません。たとえば、ステーキを食べるときにはフォークとナイフを使いますが、納豆を食べるのにフォークやナイフを使ったらうまく食べられませんよね。それと同じように、経済の目的を「成長」から「幸福」に変えるならば、多少改良したところで既存のシステムを手段としてもうまくいきません。つまり、資本主義という社会システムの中に私たちがいる限り、幸せという目的は絶えず遠ざかっていくのではないでしょうか』、「幸せを重視する経済に移行していく必要があることはまったく同感です。ただその場合に、手段も同時に考えなければなりません」、その通りなのかも知れない。
・『資本主義というシステムを維持するのは不合理  【斎藤】というのも、資本主義の本質が、際限のない利潤追求だからです。 マルクスが『資本論』で書いているように、資本の目的は「蓄積せよ、蓄積せよ」、つまり「世界中の富をひたすら蒐集せよ」ということです。先進国の生活だけを見れば、資本主義は私たちを豊かにしたかもしれません。しかし、植民地で奴隷のような過酷な環境で人々を働かせて搾取した歴史もあれば、現代でも社会に過剰な負荷をかけてグローバル経済はまわっている。日本でも、コロナの感染拡大がわかっているのに、資本主義のために、五輪をやめることさえできずにいます。 そしてもうひとつは環境の問題です。現代は人類の経済活動が地球を破壊しつくす「人新世」の時代に突入しています。環境危機を引き起こした犯人は資本主義です。もはや、経済成長を目的とした資本主義というシステムを維持していくことは、まったくもって不合理です。 古川さんと水野さんは『正義の政治経済学』(朝日新書)という共著において、「定常型の経済に移行していくしか道はない」という話をされています。資本の利潤追求にストップをかけ、経済をスローダウンさせるには、市民が、もっと積極的に公共財・共有財(=「コモン」)を管理する「コモン」型社会に移行していくべきです。これは国家が計画・管理をするソ連型の共産主義とは違う、下からのコミュニズムです』、「下からのコミュニズム」とは言い得て妙だ。
・『パンデミックで「経済格差=命の格差」になった  【水野和夫(以下、水野)】資本主義が「蓄積至上主義」だというのは、そのとおりだと思います。実際、資本主義は「蓄積」はうまくやった。旧ソ連のように国家が所有するのではなく、富の蓄積を市場に任せるほうが、はるかに効率がよいことを証明したわけです。 人々が資本主義にこれまで異を唱えなかったのは、資本が蓄積されれば、数年後にはもっと豊かな生活ができる、あるいは有事のような例外状況では蓄積されたお金で救済してもらえると思っていたからです。 ところが現実は、そのどちらも叶わない。資本主義は21世紀において、絶望的な二極化世界を生み出してしまいました。スイス金融大手UBSの2020年の報告によれば、世界の富豪2189人の財産総額は、最貧困層46億人の財産より多く、しかも4月から7月のコロナ禍のせいで、富裕層の資産は27.5%増え、10兆2千億ドルに達したといいます。 つまり、パンデミックという緊急事態においても、資本主義経済はなんら善行をなしえず、経済格差が命の格差になってしまっている。これは、資本を蓄積する正当性がなくなったということですから、過剰な資本に対しては、金融資産税や内部留保税、相続税などの税制を強化して分配するしかないんじゃないでしょうか。資本主義は成功したがゆえに、もうその役割を「終えた」と見るべきです』、「資本主義は21世紀において、絶望的な二極化世界を生み出してしまいました・・・パンデミックという緊急事態においても、資本主義経済はなんら善行をなしえず、経済格差が命の格差になってしまっている。これは、資本を蓄積する正当性がなくなったということですから、過剰な資本に対しては、金融資産税や内部留保税、相続税などの税制を強化して分配するしかないんじゃないでしょうか。資本主義は成功したがゆえに、もうその役割を「終えた」と見るべきです」、厳しい診断だ。
・『「資本主義か? コミュニズムか?」は現実的ではない  【古川】斎藤さんや水野さんがおっしゃる資本主義は西洋的な資本主義で、明治から始まった日本の資本主義の場合には、もともとは西洋とは異なる発想があったんじゃないでしょうか。たとえば、近江商人の時代から、「売り手よし、買い手よし、世間よし」という「三方よし」でないと、商売は成功しないという考え方がありました。 また、大河ドラマで注目が集まっている渋沢栄一は、日本の「資本主義の父」と呼ばれていますが、彼自身は、資本主義という言葉は使わず、「合本主義」という言葉を使っていました。合本主義とは、公益を追求するために、人材や資本を集めて事業を進めるという考え方です。これを資本主義の一形態と考えれば、斎藤さんのコミュニズムにも通じるところがあるんじゃないかと思います。よき資本主義、ということです。 こうしたかつての日本の知恵も踏まえながら、斎藤さんも『人新世の「資本論」』で述べられていた、協同組合のような仕組みを拡充させていく。2020年末には国会でも労働者協同組合法が成立し、「協同組合を見直していこう」という機運が高まりつつあります。 ですから、「資本主義か? コミュニズムか?」というイズムの論争をするよりも、目指すべき方向に近づく具体的なアクションを一つひとつ実現していくほうが現実的ではないかと思うんですが』、「2020年末には国会でも労働者協同組合法が成立し、「協同組合を見直していこう」という機運が高まりつつあります」、初めて知った。
・『「中間層が増えればいい」という話ではない  【斎藤】そこが難しいところです。はたして、「よき資本主義」が本当に存在するのか、と疑問を感じるんですね。 たとえば、行き過ぎたグローバル化による新自由主義が問題だという考え方がありますよね。新自由主義をやめ、金融資産に課税したり民営化を見直したりして、「もっとマシな資本主義を目指そう」という主張はよく耳にします。日本では、渋沢栄一や松下幸之助の精神に範をとった「日本的資本主義」という話になるし、アメリカでも経済学者のジョセフ・E・スティグリッツが、格差を是正して中間層を厚くする「プログレッシブ・キャピタリズム」を目指そうと言っています。 しかし、かつてのよき資本主義の時代でも、豊かな生活を享受していたのは先進国における一定以上の階層の人々に過ぎません。当時も資本主義は、植民地から富やエネルギー、労働力を非常に暴力的に収奪し続けていました。この構造は『正義の政治経済学』にも書かれていますし、水野さんがよく指摘されているように、資本主義を駆動させる資源は、海賊的なものだったわけです。いわば、先進国の労働者たちは、南から収奪した富を資本家たちと山分けして中産階級になったのです。 抜本的にそれらを見直すとすれば、定常経済に移行するだけでなく、保障や支援も含めてグローバルサウスに富を戻していくことも検討していかなければいけないと思います。だから一国の中で、「新自由主義を批判して中間層が増えればいい」という話ではないんですね』、「資本主義を駆動させる資源は、海賊的なものだったわけです。いわば、先進国の労働者たちは、南から収奪した富を資本家たちと山分けして中産階級になったのです」、はともかく、「抜本的にそれらを見直すとすれば、定常経済に移行するだけでなく、保障や支援も含めてグローバルサウスに富を戻していくことも検討していかなければいけないと思います」、については、そこまで歴史の歯車を逆回転させる必要はないと思う。
・『エリートの意識改革程度で、よき資本主義は実現しない  【古川】『人新世の「資本論」』を読んで、斎藤さんと渋沢には共通した考え方があるように私は感じたんです。マルクスと渋沢は、生きた時代が半分ぐらい重なっています。渋沢が『論語と算盤』を出版したのは大正時代、第一次世界大戦の大戦景気でバブルに沸いていた頃です。 当時の日本は渋沢の思いとは裏腹に、西洋式の荒々しい資本主義が浸透し、大資本が産業を牛耳り、資本家と労働者との分断、格差が広がっていました。こうした光景を目の当たりにして渋沢は危機感を抱いたのでしょう。そこで、倫理感を持たなければ、算盤だけではおかしくなるという警鐘を鳴らしたのです。そこが、マルクスが『資本論』を書いて、資本主義の暴力を批判するのと通底しているように思えたんです。 【斎藤】渋沢の時代は、まだ資本主義の勃興期だったので、モラルエコノミー的な議論にも説得力があったかもしれません。ただ、マルクスは渋沢のように、倫理や経営者のマインドで資本主義の力を抑えられるとは考えなかったんですね。資本には個人の意志を超えた力があるというのが、マルクスの物象化論です。 その後の資本主義の暴力を考えれば、マルクスの認識は正しいと思います。経営者や株主、政治家、エリートが意識を少し変えたところで、抜本的な改革は実現しません。みんながSDGsを心がけるぐらいで、よき資本主義に変えられるほど資本主義は甘っちょろいものではないと思います』、同感だ。
・『経営者や資本家に正義を求めるのは無理  【水野】私も斎藤先生と同じような認識です。経営者や資本家に正義を求めるのは、どだい無理な話でしょう。ケインズだってモラルエコノミーを訴えたのに受け入れられず、経済学は手段遂行の学問になってしまいました。SDGsという昨今の動きも、17世紀、18世紀に資本家の倫理を求める運動があったのと同じで、多くの経営者や企業は国際的な世論も高まっているから、「ちょっとお行儀よくしないとナ」という程度の認識でしょう。 実際、株主や経営者は、ROE(自己資本利益率)の目標は取り下げないわけですよね。ROEの目標を取り下げず、「SDGsもがんばりましょう」なんて不可能です。SDGsを本気でやろうとしたら、ROEは現在の地代(リートの利回り)以下、つまり3%以下を目標にすべきです。でも、そんな経営者はいませんから、経営者の倫理に期待はできません。 だとすると、資本主義を終わらせるためには、外部からの政治的な強制力が必要でしょう。企業は1年ごとに、リートの利回りを超えた分の利益は、最高税率を99%として累進課税として徴税する。そのぐらいしないと、抜本的な改革なんてできっこありません』、「経営者や資本家に正義を求めるのは無理」、同感である。
・『労働者自身による「コモン」が必要ではないか  【斎藤】問題はそういう強制力をどう作るかです。経営者に働きかけて労働者の声に耳を傾けさせるとか、経営者に利益を分配させるというのではなく、労働者自身が実質的な管理権限をもって、「コモン」を自主的に運営するような仕組みを拡張していくべきだと私は考えています。その一例が、さきほど古川さんが指摘された労働者協同組合ですね。 【古川】斎藤さんも著書で触れられていましたが、宇沢弘文先生が唱えた社会的共通資本の仕組みをつくっていくということですね。それは私も大賛成です。 【斎藤】たしかに、私の言う「コモン」は、宇沢さんの社会共通資本と近い考え方です。ただ少し違うのは、宇沢さんの場合には階級闘争のような議論は入ってこないんですね。私は、労働者が「コモン」を自主管理するためには、階級闘争的な運動がどうしても必要になってくると思うんです』、「労働者が「コモン」を自主管理するためには、階級闘争的な運動がどうしても必要になってくると思う」、何故なのだろう。重要なことを理由抜きで述べるのは問題だ。
・『民主主義を企業内にも徹底させる方法  【古川】現状の経営者や資本家はたしかに問題があります。でも、はたして現在の労働者たちが今の経営者や資本家を追い出して、代わりに自分たちがその立場に立ったら、本当に公平な社会が実現するかというと、私は少し疑問です。政治の世界でも、苦労人で成り上がった人が権力者になった途端に権力をふりかざす例は、歴史上いくらでもあることです。 結局、権力闘争で今の社会の仕組みをひっくり返していこうとすると、一時は変わっても、再び勝者と敗者を生み出すことになりはしないでしょうか。やはり一人ひとりの意識が変わらないと、本当の意味で社会は変わらないと思います。 【斎藤】階級闘争という点で言いたいのは、むしろ民主主義をもたらしたいわけです。古川さんは、『正義の政治経済学』の中で、「民主主義はどんな人間も自らの欲を完全にコントロールができないという性悪説に立ったシステムである」とおっしゃっています。私も同じ考え方です。だからこそ、所得税や法人税、労働法などによってさまざまな縛りをかけたり、株主たちによる非民主的な会社経営の防御策として、たとえば従業員の持ち株制度をつくったりして、株式会社の中でも民主主義を徹底させる仕組みをつくっていくべきだと考えています。(後編に続く)』、「現在の労働者たちが今の経営者や資本家を追い出して、代わりに自分たちがその立場に立ったら、本当に公平な社会が実現するかというと、私は少し疑問です」、同感である。

第三に、この続き、6月27日付けPRESIDENT Onlineの座談会「「世界全体が富裕層に甘すぎる」自家用ジェットやスポーツカーは全面禁止にすべきだ 欲望を煽る経済システムはもう限界」を紹介しよう。
https://president.jp/articles/-/47113
・『二酸化炭素の削減は、いまや全人類の課題のひとつだ。ところが、人類の排出する二酸化炭素の約半分は、世界のトップ1%の富裕層が排出しているという。なぜそこまで偏っているのか。『人新世の「資本論」』(集英社新書)著者の大阪市立大学大学院の斎藤幸平准教授と、共著『正義の政治経済学』(朝日新書)を出した衆議院議員の古川元久さん、法政大学の水野和夫教授の鼎談をお届けしよう――。(後編/全2回)』、興味深そうだ。
・『GDPはもう賞味期限切れ  (前編から続く) 【水野和夫(以下、水野)】資本主義を終わらせるためには、近代社会の宗教である「成長教」を捨てなければなりません。近代資本主義は人と自然から収奪することで、経済成長に躍起になってきました。そして、成長教の根っこにあるのは数字信仰です。そのもとでは、人間の行為をことごとく数量化し、その数値によって社会が正しく機能しているかどうかを判断します。 その最たる指標がGDPです。現代の国家は、GDPが右肩上がりに増えていけば、国も豊かになっているとみなします。しかし、それは幻想です。電気洗濯機も冷蔵庫も、液晶テレビも、先進国にはすでに広く行き渡っている。若い世代は、前の世代に比べて所有欲も薄いという話もよく耳にします。 GDPで国の豊かさを測るというのは、近代成長教の教義であって、もう賞味期限は切れているわけです。ならば、内閣府はGDPを発表するのをやめたらどうかと私は思うのですが、斎藤先生はGDPについてどうお考えですか。 【斎藤幸平(以下、斎藤)】GDPが意味をなした時代がかつてあったから、これだけ浸透しているのだと思います。しかし、それは終わりました。経済成長が生み出してきた負の要素が、いまや気候危機やコロナなどはっきりと目に見える形であらわれてきた以上、GDPで国の豊かさを測る意味は見出せません。とはいえ、GDPを別の指標に置き換えて、ウェルビーイングや幸福度を判断するのも難しいでしょう。各人の幸福は数値で測れるものではありませんから』、「経済成長が生み出してきた負の要素が、いまや気候危機やコロナなどはっきりと目に見える形であらわれてきた以上、GDPで国の豊かさを測る意味は見出せません」、その通りだ。
・『「週24時間の労働」で先進国の最低ニーズは回る  【水野】私もそう思います。幸福を数量化したら、とんでもないことになります。たとえば、メンタルの安定度を数値化して、低かったら薬を飲ませて安定させるなんてことにもなりかねません。個々人の幸福に関しては、政府は関与しないほうがいいですね。 【斎藤】むしろ、各人が自分の好きなことをできる余地を拡大していくような方策に転換していく必要があります。そのためには、「労働時間の短縮」が不可欠です。世の中には、デヴィッド・グレーバーが「ブルシット・ジョブ」と呼んだ、不要な仕事がまだまだたくさんあります。 それを社会から削り、農業やケアワークのような仕事を拡張して、みんなでシェアする。これらは資本主義のもとでは生産性が低いと言われていましたが、本来重要かつ不可欠な仕事です。そうすれば、ケインズが予測した15時間程度の週労働で十分にやっていけるのではないか。仮にそれが極端だとしても、フィンランドが目指している週24時間程度で、先進国の最低限のニーズは回せると思います。 そうすれば、人々は残りの時間を、スポーツや趣味、家事など、別の活動に充てることができます。社会の豊かさとは、こうして生まれるものではないでしょうか』、「フィンランドが目指している週24時間程度で、先進国の最低限のニーズは回せると思います」、同国では現在の他の時間は何に向けられているのだろう。
・『「足るを知る」のは分かち合うこと  【古川元久(以下、古川)】斎藤さんのご指摘は、『正義の政治経済学』(朝日新書)でも書かせていただいた、「足るを知る」に通じることだと思いました。 古来、中国では丸は「天」を表し、四角は「地」を表すと言われています。本には、「吾唯足知(われ、ただ、足るを知る)」のデザインを掲載しましたが(図1※)、このデザインの丸と四角の間、すなわち「天」と「地」の間にある空間が私たちが生きる社会を意味し、その社会を調和のとれたものにするためには「足るを知る」ことが必要であるのをこのデザインは示唆している、私はこう解釈して、その必要性を事あるごとに説いているんです。 「足るを知る」と言うと、ただ単に現状に満足することだと思われがちなんですが、私は「足るを知る」とはそうではなく、他者の存在なしでは生きていけないこの社会で、他者のことを思いやり、生きていく上で必要なものを独り占めするのではなく「分かち合う」ことだと考えています。 この「分かち合い」は、前の世代や次の世代といった、世代を超えた分かち合いも意味します。その意味で、不要な仕事をなくし、未来の地球や人類のために必要な仕事をシェアするという斎藤さんの指摘は、私の考える「足るを知る」に非常に近いと感じます』、「私は「足るを知る」とはそうではなく、他者の存在なしでは生きていけないこの社会で、他者のことを思いやり、生きていく上で必要なものを独り占めするのではなく「分かち合う」ことだと考えています」、なるほど。
・『自由でのんびりする未来としての「コミュニズム」  【斎藤】そうですね。私が主張している脱成長コミュニズムへの転換も、必ずしも欲望を否定するものではありません。資本主義のもとでは、GDPやお金儲けのために効率化をめざして、小さいころから勉強漬けにされ、会社に入っても長時間労働を強いられてしまう。本当はもっとダラダラしたいとか、家族と楽しく過ごしたいと思っているのにそうはできない。コミュニズムは、資本主義のもとで疎外されている根源的な欲望を解放するものでもあります。 だから私の描くコミュニズムは、抽象的な正義や平等を振りかざして人々を抑圧するものではない。かつての共産主義のイメージとは違い、もっと自由でみんなでのんびりするような未来を構想しよう、ということなんですね。 しかし、本当は豊かな生活を実現するための「足るを知る」ことが、今の経済システムのもとでは非常に難しくなっているのも事実です。広告やプロモーション、計画的陳腐化など、いろんな手段で私たちの欲望を絶えずあおるようなシステムが、マーケティングを通じてできあがってしまっているわけですね。この中でいくら足るを知ろうとしても、本当にそれこそ聖人みたいな人でなければ、やはりまた何か買おうかなと思ってしまう』、「広告やプロモーション、計画的陳腐化など、いろんな手段で私たちの欲望を絶えずあおるようなシステムが、マーケティングを通じてできあがってしまっている」、「この中でいくら足るを知ろうとしても、本当にそれこそ聖人みたいな人でなければ、やはりまた何か買おうかなと思ってしまう」、その通りだ。
・『ファストフード禁止ぐらいやらないと間に合わない  【水野】「足るを知る」を実現するためには、要らないものを大胆に手放さないといけませんね。食品ロスの実態や、過剰なまでのコンビニ数でも一目瞭然ですが、私たちの社会は要らないものを作り続けています。図らずもコロナ禍でオンラインのコミュニケーションも普及しましたから、新幹線で日帰りしなければならない急用なんてそこまでないはずです。 【斎藤】同感です。ですから、「足る」を強制的に覚えさせるぐらいしないと。これは日本の話だけではなく、世界全体は今の富裕層に甘過ぎるし、彼らに「足るを知れ」と言ったところで、「我々は寄付をしているから」と言い逃れをするでしょう。 その程度では「足るを知る」とは言えません。たとえば、プライベートジェットの禁止、スポーツカーやヨットの禁止ぐらいは当然です。世界のトップ1%の人たちの二酸化炭素排出量は、世界の半分の人たちの排出している量と同じです。 私たちも、近距離の飛行機移動を禁止したり、ファストフードやファストファッションを禁止することも含めて、もっと抜本的に今の生活を見直す必要があるでしょう。それぐらいしないと間に合わないところまで環境危機は迫っているのに、そこに向き合わないのが昨今のグリーン・ニューディールや緑の経済成長理論だと思うんですね』、「私たちも、近距離の飛行機移動を禁止したり、ファストフードやファストファッションを禁止することも含めて、もっと抜本的に今の生活を見直す必要があるでしょう」、その通りだ。
・『タバコをやめるように経済成長をやめよう  【斎藤】「足るを知る」、あるいは経済成長をやめるイメージとして、禁煙を思い浮かべるとわかりやすいんです。禁煙は、最初はつらいんですね。一日中、タバコのことを考えてしまう。でも、1カ月、2カ月、半年と禁煙をすると、もうタバコのことなんてほとんど考えなくなるし、その結果、ごはんがおいしくなったり、子どもが近くに寄ってきたりとポジティブな変化が起こる。それによって初めて、「ああ、やめておいてよかった」ということを実感するわけです。 【古川】要らないものをなくしていくための我慢は大事だと思います。ただ、「これは駄目だ」と頭ごなしに言われても、なかなか人間はやめることができないし、かえって反発を生んでしまうのではないでしょうか。 まずは不都合な真実から目を背けずにそれを直視することが大切です。人間100%の善人もいなければ、100%の悪人もいない。人間の欲求は放っておくと際限なく大きくなる可能性がありますが、それを追求していくと自分たちの生存自体が危うくなるという不都合な真実がわかれば、「これはやめなきゃいけないな」と自ずから思うようになると思うんですね。だから、私たちにとって不都合な真実や未来を隠さずにきちんと知らせたうえで、必要な制約をかけていく。それが政治の役目だと思います』、同感である。
・『日本国民の20%は「ゼロ資産」  【水野】『正義の政治経済学』でも語ったことですが、まっとうな民主主義を実現するなら、世の中の平等性を確保する必要があります。現状の日本はどうでしょうか。1987年、1988年には国民の3%がゼロ資産でしたが、それが現在は20%にまで増えています。「貯蓄残高ゼロ世帯」が2割にのぼるのです。 一方で、日本の富豪上位50人の資産は約27兆円にものぼり、2020年から48%も増えたといいます。これだけ広がってしまった格差は、ドラスティックに是正しない限り、次の新しい時代には入れません。そのためには、税制を使うしかありませんが、今の政府にそれができるとは思えません。この点について、斎藤先生はどうお考えですか。 【斎藤】格差是正もそうでしょうし、リニアは要らない、オリンピックもやらなくていいという市民の声もあります。だとしたら、それを引き受けて立ち上がる政治家が必要になる。でもまずは、それを支える市民運動がないと政治家も判断できません。 だから僕は、政治家が変わらなきゃいけないという方向ではなく、スペインの市民運動から生まれた「バルセロナ・イン・コモン」という地域政党などの例を紹介しながら、一人ひとりの声から生まれる社会運動をつくっていこうと話しているんです。例えば、バルセロナでは、市民が自分たちで立候補者を選んでいます』、「「バルセロナ・イン・コモン」という地域政党などの例を紹介しながら、一人ひとりの声から生まれる社会運動をつくっていこうと話しているんです」、日本で果たして定着するのだろうか。
・『ヨーロッパの自治体が目指す「恐れぬ自治体」  【斎藤】今、ヨーロッパの自治体は、単にグローバルな大企業とか、欧州連合の言いなりになることをやめて、「フィアレス・シティ(fearless city)」、つまり「恐れぬ自治体」として市民のためのまちづくりをする方向に舵を切っています。こういう動きを日本の自治体にも波及させていきたいわけです。 実際、コロナ対応においては、自治体に権限があることがはっきりして、自治体の首長のリーダーシップの重要性が可視化されました。だから、いいリーダーを立てて、そこから変えていく。そして、そのうねりを国会までもたらそうと。コロナの1年はその可能性を感じさせる1年だったとも思っているんです。 【古川】ヒーロー的な政治家を待望するのではなく、市民運動によって新しい政治のうねりをつくりだしていこうというのが斎藤さんの主張ですね。私も民主主義社会では、政治家が一方的にリードするのではなく、お互いに意見を交わし、いい影響を与え合いながら、自分たちにとって望ましい社会をつくっていくのが、本来のあり方だと思います。 今日この場で数字信仰の話が出ましたが、世の中には数字だけでは決められないことがたくさんあります。政治の世界でも、多数決で決めないほうがいいことがそれこそ数多くあります。 社会の構成員の過半数が反対しても、すべき議論やなすべき政策はありますし、そうした少数であっても真にやるべき政策を訴える声をどう掬い上げていくかが、コロナ後の社会ではさらに必要になっていくでしょう。政治家としてあらためてその重要性を実感した座談でした。こうして常に話し合っていきましょう』、「ヨーロッパの自治体は、単にグローバルな大企業とか、欧州連合の言いなりになることをやめて、「フィアレス・シティ(fearless city)」、つまり「恐れぬ自治体」として市民のためのまちづくりをする方向に舵を切っています」、面白い動きだ。どんな分野で「グローバルな大企業」に対抗しているのだろうか。もう少し情報がほしいところだ。
タグ:格差問題 (その8)(サンデル教授が語る「大卒による無意識の差別」 「努力すれば成功できる」という発想の問題点、「コロナ禍でも五輪すらやめられない」資本主義の暴走を止めなければ人類は滅びる 「中間層を増やせばいい」は間違い、「世界全体が富裕層に甘すぎる」自家用ジェットやスポーツカーは全面禁止にすべきだ 欲望を煽る経済システムはもう限界) 東洋経済オンライン 「サンデル教授が語る「大卒による無意識の差別」 「努力すれば成功できる」という発想の問題点」 『実力も運のうち 能力主義は正義か?』 サンデル教授 「リベラルの多くが意図せず、大学卒業資格を持っていない労働者を辱め、モチベーションを奪うことによって、彼らの恨みを買うことに加担しているということについて詳しく書いています」、「能力主義は非常に魅力的な原理です。競争環境が平等でありさえすれば、頑張って勉強して能力を発揮し、いい大学に行って成功するということは、「自分のおかげ」であり、自分はその成功に付随する報酬に「値する」という概念は成功者には心地いい」、さすが「サンデル教授」だけあって、目のつけどころが鋭い 能力主義の問題は、社会の中に「勝者」と「敗者」を作ってしまうことです。そして、この数十年の間に、勝者と敗者の分断はどんどん広がっており、これがアメリカやヨーロッパにおける政治の二極化を招いたと考えています。 勝者と敗者に分かれた世界では競争が激化し、成功することへの圧力は非常に大きいものとなる」、その通りだ。 「既存メディアは、自分たちがもともと持っている意見だけを出すのではなく、例えばテレビであればバックグラウンドが異なる人を集めて、互いが何について同意できないのか議論する場を作るべきです」、その通りだが、現実には難しそうだ。 「なぜ私たちを引き合わせてくれたのがアメリカではなく、日本のテレビだったのでしょうかね」。 このことは、アメリカの主要メディアでさえ、意見の違う人たちを集めて、可能であればお互いの理解を促すという活動ができていない、ということに気づかせてくれました」、「アメリカの主要メディア」は旗色が明らかなので、中立的な番組は、「日本のテレビ」しか出来ないからだろう。 「工場労働者やスーパーの店員、配達員、保育士、トラック運転手などコロナでも外で働く人たち・・・エッセンシャルワーカーと呼ぶようなったのです。 コロナが、こういう仕事にもっと尊敬の念を払う必要がある、という議論のドアを開くことになると期待」、「エッセンシャルワーカー」に脚光が当たったのはいいことだ 「お金やGDPは誤解を与える指標で、社会などにおいて何が重要かという議論を遮ってしまう」、その通りだ。 「私たちが考えるいい社会を実現するためには、共通善に対する貢献を何で評価するべきかという議論をしなければならない。 どんな価値観や美徳を大切にする社会を作っていくかという議論をするうえで、倫理的価値観の話は避けられません。正義とは何か。共通善を目指す意味は何か。私たち市民はお互いにどんな責任を負っているのか。社会への貢献は何で評価できるのか。それぞれが尊厳を維持し、互いを尊重するにはどうしたらいいか」、同感である。 PRESIDENT ONLINE 斎藤 幸平 古川 元久 水野 和夫 「「コロナ禍でも五輪すらやめられない」資本主義の暴走を止めなければ人類は滅びる 「中間層を増やせばいい」は間違い」 「幸せを重視する経済に移行していく必要があることはまったく同感です。ただその場合に、手段も同時に考えなければなりません」、その通りなのかも知れない。 「下からのコミュニズム」とは言い得て妙だ。 「資本主義は21世紀において、絶望的な二極化世界を生み出してしまいました・・・パンデミックという緊急事態においても、資本主義経済はなんら善行をなしえず、経済格差が命の格差になってしまっている。これは、資本を蓄積する正当性がなくなったということですから、過剰な資本に対しては、金融資産税や内部留保税、相続税などの税制を強化して分配するしかないんじゃないでしょうか。資本主義は成功したがゆえに、もうその役割を「終えた」と見るべきです」、厳しい診断だ。 「2020年末には国会でも労働者協同組合法が成立し、「協同組合を見直していこう」という機運が高まりつつあります」、初めて知った。 「資本主義を駆動させる資源は、海賊的なものだったわけです。いわば、先進国の労働者たちは、南から収奪した富を資本家たちと山分けして中産階級になったのです」、はともかく、「抜本的にそれらを見直すとすれば、定常経済に移行するだけでなく、保障や支援も含めてグローバルサウスに富を戻していくことも検討していかなければいけないと思います」、については、そこまで歴史の歯車を逆回転させる必要はないと思う。 みんながSDGsを心がけるぐらいで、よき資本主義に変えられるほど資本主義は甘っちょろいものではないと思います』、同感だ 「経営者や資本家に正義を求めるのは無理」、同感である。 「労働者が「コモン」を自主管理するためには、階級闘争的な運動がどうしても必要になってくると思う」、何故なのだろう。重要なことを理由抜きで述べるのは問題だ。 「現在の労働者たちが今の経営者や資本家を追い出して、代わりに自分たちがその立場に立ったら、本当に公平な社会が実現するかというと、私は少し疑問です」、同感である。 「「世界全体が富裕層に甘すぎる」自家用ジェットやスポーツカーは全面禁止にすべきだ 欲望を煽る経済システムはもう限界」 「経済成長が生み出してきた負の要素が、いまや気候危機やコロナなどはっきりと目に見える形であらわれてきた以上、GDPで国の豊かさを測る意味は見出せません」、その通りだ 「フィンランドが目指している週24時間程度で、先進国の最低限のニーズは回せると思います」、同国では現在の他の時間は何に向けられているのだろう。 「私は「足るを知る」とはそうではなく、他者の存在なしでは生きていけないこの社会で、他者のことを思いやり、生きていく上で必要なものを独り占めするのではなく「分かち合う」ことだと考えています」、なるほど。 「広告やプロモーション、計画的陳腐化など、いろんな手段で私たちの欲望を絶えずあおるようなシステムが、マーケティングを通じてできあがってしまっている」、「この中でいくら足るを知ろうとしても、本当にそれこそ聖人みたいな人でなければ、やはりまた何か買おうかなと思ってしまう」、その通りだ。 「私たちも、近距離の飛行機移動を禁止したり、ファストフードやファストファッションを禁止することも含めて、もっと抜本的に今の生活を見直す必要があるでしょう」、その通りだ。 「「バルセロナ・イン・コモン」という地域政党などの例を紹介しながら、一人ひとりの声から生まれる社会運動をつくっていこうと話しているんです」、日本で果たして定着するのだろうか。 「ヨーロッパの自治体は、単にグローバルな大企業とか、欧州連合の言いなりになることをやめて、「フィアレス・シティ(fearless city)」、つまり「恐れぬ自治体」として市民のためのまちづくりをする方向に舵を切っています」、面白い動きだ。どんな分野で「グローバルな大企業」に対抗しているのだろうか。もう少し情報がほしいところだ。
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部活動問題(その3)(小学生が「死にたい」ミニバス指導の壮絶な実態 あれから息子は学校にも行けなくなった、部活で「17キロ減量命令」従った女子高生の悲劇 公開で体重測定 部員からの罵声も、「女子チア部員が下半身不随で顧問とコーチが責任逃れ」学校で事故が多発する根本原因 部活中の死亡事故は年10~20件) [社会]

部活動問題については、昨年4月2日に取上げた。今日は、(その3)(小学生が「死にたい」ミニバス指導の壮絶な実態 あれから息子は学校にも行けなくなった、部活で「17キロ減量命令」従った女子高生の悲劇 公開で体重測定 部員からの罵声も、「女子チア部員が下半身不随で顧問とコーチが責任逃れ」学校で事故が多発する根本原因 部活中の死亡事故は年10~20件)である。なお、タイトルから「ブラック部活動」は削除した。

先ずは、本年1月2日付け東洋経済オンラインが掲載したフリーライターの島沢 優子氏による「小学生が「死にたい」ミニバス指導の壮絶な実態 あれから息子は学校にも行けなくなった」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/398967
・『「バスケットさえやらせなかったら……」 首都圏に住む40代の男性会社員は、後悔し続けている。 男性の長男(以下、A君)は昨夏、家でバッタリ倒れた。以来、小学校へはほぼ行けないまま卒業した。不安で夜も眠れない。睡眠障害がひどかった。 成績優秀。真面目でスポーツも得意な子がここまで不調をきたした原因は、ミニバスケットボールクラブでのパワーハラスメントだと男性は考えている。 A君は、20代の若いコーチから足で蹴られたり、胸や腹をこぶしで突くなど暴力を受けていた。試合中、対戦相手と仲間がプレーするなか「おまえはシャトルランやってろ!」と命じられ、ひとりコートをダッシュで往復させられた。試合の応援に来た男性と長男に駆け寄り、「このままじゃポジションなくすぞ!」と怒鳴られたこともあったという』、「家でバッタリ倒れた」、その前にも何らかの予兆があった筈で、「男性会社員」もそれを見逃していたのではなかろうか。
・『練習試合が「1日5試合」の過酷  活動の中身は小学生への指導とは思えないハードなもの。練習試合を1日に5試合やり、試合の間は持久走を命じられた。日本バスケットボール協会(以下JBA)が示す【日本ミニ連加盟規定についての方針(確認)】(2019/2/19 版より)の「ねらい」に掲げた「子どもたちにミニバスケットボールの楽しさを十分に味わわせること」とは、大きくかけ離れたものだった。 「倒れた当初は、学校にもミニバスの練習にも無理に行かなくていいよと見守っていましたが、そうは言ってもそのうち学校にもバスケットも行きだすだろうと高を括っていました。でも、このままでは命が危ないと気づきました」 わずか12歳の男の子に、希死念慮の症状が現われたのだ。 「お父さんはどんな死に方がいい?」 真剣な眼でA君に尋ねられた男性は「考えたことないなあ」と返したものの、(これは希死念慮かも)と大きな不安を感じた。 すぐさま連れて行った心療内科の医師から「家庭には何の問題もない。他に(こころに)打撃を与える何かがあったとしか考えられない」と言われた。卒業するころになってうつ病の診断を受けた。「回復までには数年のスパンが必要」と聞かされ、目の前が真っ暗になったという。すぐにミニバスケットクラブを退会させた。 ただし、そのような被害を受けても、男性はコーチらに面と向かって「あなたたちの暴力やパワハラが原因だ」と訴えることはしなかった。そうしなかった理由について男性はこう話す。 「スポーツの指導はそういうものだと僕ら親たちが刷り込まれていたのだと思います。やりすぎだと感じはしたが、他の親の手前もあって言えなかった」 目の前で繰り広げられる異様な光景に保護者から「ちょっとやりすぎでは……」の声は漏れたが、誰ひとり異議を唱える人はいなかった。強豪私立中学校への進学を世話するなど、大きな権限をもつコーチに逆らえないという事情があった。 「私立中学への進学など考えていなかったとしても、コーチに抗議などして機嫌を損ねれば、そこを目指すほかの親子の邪魔をしてしまうと他の保護者も考えたのでしょう。同じ学区、地域に住み、顔見知りの親たちが混乱を避けたいのはわかります」 とはいえ男性は納得していたわけではなく、コーチの暴力等をどこかに訴えられないかと、弁護士に相談した。JBAや日本スポーツ協会が設ける「スポーツにおける暴力行為等相談窓口」を紹介されたが、被害を受けた子どもへの聴き取り等も必要になると言われ、断念した。 うつ状態で、PTSD(心的外傷後ストレス障害)の症状も出始めていたA君に、相談員や弁護士と対峙するのは困難と判断したのだ。 「後から入ってくる子どもたちのためにクラブ側に指導を考え直してほしかったのですが……」と男性は後悔をにじませる』、「男性はコーチらに面と向かって「あなたたちの暴力やパワハラが原因だ」と訴えることはしなかった」、「「スポーツにおける暴力行為等相談窓口」を紹介されたが、被害を受けた子どもへの聴き取り等も必要になると言われ、断念」、気が弱すぎる印象だ。
・『日本の暴力指導の実態  では、日本ではどのくらいの人が子どもへの暴力指導の被害を訴えているのだろうか。 日本スポーツ協会によると、相談窓口に寄せられた2014年度から2020年8月までの累計相談件数は651件。子どもから成人まで幅広い被害者区分では、小学生が43.7%を占める。子どもが多いのは同協会認定の指導者資格が少年スポーツを対象にしているからだという意見はあるものの、加害側が有資格者でない相談がほとんどだ。最も弱い立場である子どもたちの心身が、A君のように危険にさらされている事実は否めない。 件数だけを見れば、多くの方は「6年間でたったそれだけか」と思うかもしれない。だが、これは氷山の一角だろう。各競技団体に寄せられる相談件数との総計や中身の分析がなされないため、実情は「見える化」されないままだ。これでは、男性とその長男のように声を発することさえできず泣き寝入りする親子は決して少なくないはずだ。 日本スポーツ協会および各競技団体が相談窓口を設置したのは2014年。ちょうど8年前の12年12月23日。大阪市立桜宮高校バスケットボール部員だった高校2年生の男子が、顧問からの暴力や理不尽な扱いを苦に自死した事件がきっかけだ。 事件の当該競技であるバスケットはその後も、暴力は止まっていない。2014年4月~2018年10月の高体連体罰認定件数149件中、バスケットにおける報告は27件で18%。同期間の日本スポーツ協会相談件数は315件中60件、19%と、いずれも全競技中で最多だった。 この結果を受け止めた日本バスケットボール協会(JBA)は2019年に、「クリーンバスケット・クリーン・ザ・ゲーム~暴力暴言根絶」のメッセージを発信した。そこでまずはミニ・中・高校生の都道府県大会や全国大会におけるコーチの選手への暴力的行為や暴言に対するテクニカルファウル調査を実施。 結果として、例えば高校生の場合のテクニカルファウルは都道府県大会では1%、インターハイは5%と全国大会で5倍に。ただし、調査が抑止力になったのか、冬開催の全国大会「ウインターカップ」では0件だった。 さらに2021年は、指導現場の実態を把握するため、まずは「ミニバスケットボールを行っている子どもの保護者を対象としたアンケート」を実施する。 質問は40個余りを用意。練習時間や頻度といった活動の強度はもちろんのこと、練習や試合におけるコーチングについても尋ねる。例えば、以下のようなものが並ぶ。 コーチは、試合に勝つことだけを?指していると思いますか。 コーチは、試合中に常に細かくプレーに対して指?を出していると思いますか。 試合中のコーチによる指?・激励の?葉に、暴?などの問題があると感じたことがありますか。 試合中のコーチによる指導に、頭ごなしに怒鳴る、不必要に威迫するなど感情的な指導と感じることはありますか。 コーチは、試合において選?の主体性(プレーの選択・判断?)を重視していると思いますか。 コーチは、ベンチメンバー全員を可能な限り試合に出場させるよう工夫していると思いますか。 回答は、例えば「思う・やや思う・あまり思わない・思わない」の4段階から選ぶ簡単なものだ。部やクラブを通さない。つまりは指導者を介さないため、回答者が特定されずプライバシーを厳守できる。JBA公式サイトや都道府県協会公式サイト、バスケット専門メディア等で告知し、2021年度内で3カ月間の実施を予定。) アンケートの作成、実施をリードするJBAU12フェアプレー推進グループリーダーの村上佳司・桃山学院教育大学教授は2018年、2019年と国際バスケットボール連盟(FIBA)のミニバスケットボールカンファレンスに参加。コーチが選手と相互にコミュニケーションを図り、主体性を育てる世界基準のコーチングを見てきた。 「日本の育成年代、特に初期のカテゴリーにあたるU12(ミニバスケットボール)の指導のあり方は、世界基準と比べるとまだまだ遅れていると感じた」 JBAによる暴力暴言根絶キャンペーン告知「10センチの挑戦」。コロナ自粛が明けた後の高校生のバスケットへの思いが表現されている。年末に開催されたウインターカップの大会プログラムにも掲載された 日本のコーチングは指示命令が多く、一方通行のコミュニケーションになりがちだ。怒って選手を委縮させ、考える余裕を与えない傾向がある。そうなると「選手は主体性を奪われ、コーチの指示を待つようになる」と村上教授は言う。 「コート内で選手が自分で判断してプレーしなくてはいけないバスケットボールでは、自ら考える力を育てるべき。そのためには、指導者が言動や態度を変えなくてはいけません」 言動や態度を保護者たちの目を通して吸い上げるとともに、アンケートに答え結果を知ることで「グッドコーチ」の姿を知ってもらう。保護者の啓蒙も、ひとつの目的なのだ』、「日本のコーチングは指示命令が多く、一方通行のコミュニケーションになりがちだ。怒って選手を委縮させ、考える余裕を与えない傾向がある。そうなると「選手は主体性を奪われ、コーチの指示を待つようになる」、その通りだ。
・『今も心療内科に通う長男  被害を被ったA君は、中学生になった今も心療内科への通院は欠かせない。 「(バスケットを)放り出してしまったと、今でも自分を責めています」 男性や妻が「君は悪くない」と言い続けてもトラウマは消えない。 男性は「指導者が変わってくれたらと思う。息子のような経験をしてほしくない。急いでほしい」とJBAの取り組みに期待を寄せる』、「被害を被ったA君は、中学生になった今も心療内科への通院は欠かせない」、しかし、同君を追い込んだ「コーチ」はそんな悲劇を知らずに、いまでも同じ非科学的な指導を続けているのかも知れない。

次に、2月11日付け弁護士ドットコム「部活で「17キロ減量命令」従った女子高生の悲劇 公開で体重測定、部員からの罵声も」を紹介しよう。
https://www.bengo4.com/c_18/n_12447/#:~:text=%E5%85%AC%E9%96%8B%E3%81%A7%E4%BD%93%E9%87%8D%E6%B8%AC%E5%AE%9A%E3%80%81%E9%83%A8%E5%93%A1%E3%81%8B%E3%82%89%E3%81%AE%E7%BD%B5%E5%A3%B0%E3%82%82,-%E5%86%99%E7%9C%9F%E3%81%AF%E3%82%A4%E3%83%A1%E3%83%BC%E3%82%B8&text=%E9%83%A8%E6%B4%BB%E3%81%AE%E9%A1%A7%E5%95%8F%E3%81%8B%E3%82%89%E3%80%8C%E3%81%8A%E5%89%8D,%E3%81%8C%E5%AF%84%E3%81%9B%E3%82%89%E3%82%8C%E3%81%BE%E3%81%97%E3%81%9F%E3%80%82
・『部活の顧問から「お前は減量しろ!」と17キロの減量を命じられ、ストレスから体調不良になったーー。 弁護士ドットコムに、このような女子高生からの相談が寄せられました。
・『顧問「17キロの減量」命じ、部員「体重計に乗ってみろ」  相談者は、公立高校のバレーボール部に所属しています。部活の顧問から「お前は減量しろ!理想の体重になるまで皆と同じ練習はさせないし、もちろん試合にも出さない」と減量を命じられました。 しかし、顧問の言う「理想体重」までは17キロ痩せる必要がありました。相談者はランニングと食事制限をしましたが、他の部員と同じ練習ができないストレスやハードな減量で、生理が止まってしまったそうです。 数カ月後、ハードな減量を乗り越えた相談者は、顧問に17キロ減量できたと自己申告しました。ようやく他の部員と同じ練習に参加し、試合にも出してもらえることに。 ところが、ある部員から「体重ごまかしてるんちゃうか、体重計にのってみろ」と言われ、皆の前で体重計に乗せられました。 表示された数字は申告よりも数キロ多く、他の部員から「体重ごまかしてまで試合に出たかったんか」「出ていけ」など、罵声を浴びせられたそうです。顧問からも、「お前なんてもういらん、出て行け」と言われたといいます。 翌日、相談者は練習に参加できず、1人でランニングしていた相談者は気分が悪くなり、トイレで倒れ、救急車で病院に運ばれました。数時間意識が戻らず、脳の検査などをおこなったところ、「部活における過度なストレスによる精神的なもの」と診断されたそうです。 相談者は、顧問の指導は「精神的な体罰」だと考え、体重測定を強要した部員の行為に対しても「いじめ」ではないかと考えています。 今回のケースで、相談者に減量を命じた顧問の指導や、体重測定を強要した他の部員の行為には、どのような法的問題があるのでしょうか。佐田理恵弁護士の解説をお届けします(Qは聞き手の質問、Aは佐田理恵弁護士の回答)』、「17キロ減量」、は明らかに過大な要求だ。
・『減量命令は「体罰」にはあたらないけれど…  Q:部活顧問による減量命令は「体罰」にあたるのでしょうか。 A:体罰とは、身体に対する侵害を内容とする懲戒(殴る、蹴るなど)や被罰者に肉体的苦痛を与えるような懲戒(正座・うさぎ跳びを強いるなど)をいうとされています。 今回のように、17キロの減量を達成するまで練習や試合に出さないというのは、それ自体は、体罰にはあたらないのではないかと考えます。 しかし、高校の運動部活動は、学校教育活動の一環であり、児童生徒が自発的・自主的にスポーツをおこない、より高い水準の技能や記録に挑戦するなどしてスポーツの楽しさや喜びを味わい、学校生活に豊かさをもたらすという意義を有しています。 それを、体重を理由に練習にも参加させないなどということは、児童生徒が学ぶ機会を不当に奪う、行き過ぎた行為であると言えます。 相談者は、自らにランニングと食事制限を課し、生理が止まってしまうほどの無理を強いられることとなりました。 さらに、練習への参加が一度は認められたものの、体重が数キロオーバーしていたことで、再び暴言を浴びせられ、練習に参加できなくなり、最終的に、過度なストレスが原因で倒れてしまったというのですから、顧問の責任は重大であると言えます。 また、体重測定の強要といった他の部員からのいじめも、こうした顧問の問題ある指導により誘発されたと考えられます。この点においても、顧問の責任が極めて重い事案です』、確かに「顧問の責任は重大だ。
・『他の部員の行為は「いじめ」にあたる  Q:他の部員の行為は「いじめ」にあたるといえるのでしょうか。そうであれば、他の部員に対して、相談者は損害賠償請求をすることはできますか。 A:いじめは、いじめ防止対策推進法という法律で、次のように定義されています。 「児童生徒に対して、当該児童生徒が在籍する学校に在籍している等当該児童生徒と一定の人的関係のある他の児童生徒が行う心理的又は物理的な影響を与える行為(インターネットを通じて行われるものも含む)であって、当該行為の対象となった児童生徒が心身の苦痛を感じているもの」。 今回のケースのように、一部の部員らが、皆の前で相談者の体重測定を強要し、その結果、体重が数キロ多かったために罵声を浴びせたことは、相談者にとって屈辱的であったと容易に想像できます。それゆえ、相談者の心身に苦痛を感じさせるものであったとして、いじめに該当すると思われます。 以上のとおり、顧問と一部の部員の行為は違法であり、これにより、相談者は、過度なストレスで倒れてしまったのですから、彼らに対して不法行為に基づく損害賠償請求をすることができます。具体的には、治療費や精神的損害に対する慰謝料などを請求することが考えられます。(弁護士ドットコムライフ)』、「損害賠償請求をすることができます」とはいっても、校内での問題にそこまでやると、校内での居場所がなくなる懸念もあるので、慎重な判断が必要だろう。

第三に、5月13日付けPRESIDENT Onlineが掲載したスポーツライターの酒井 政人氏による「「女子チア部員が下半身不随で顧問とコーチが責任逃れ」学校で事故が多発する根本原因 部活中の死亡事故は年10~20件」を紹介しよう。
・『中学・高校の部活中に起きる事故の数は年間平均35万件にも達し、中には死亡事故に至るケースもある。スポーツライターの酒井政人さんは「高校の女子チアリーディング部の練習中、下半身不随の大ケガをした元部員が今年2月、学校を訴えました。事故の責任の所在を明確にし、部活に励む生徒の向上心に応えるためにも中高の部活の管理や指導は適切な“人材”を活用する仕組みを整えるべき」と訴える――』、興味深そうだ。
・『「女子チア部員が下半身不随」で顧問とコーチが責任逃れの背景  筆者の母校で、痛ましい事故が起きた。 愛知県の岡崎城西高のチアリーディング部の練習中に元女子部員が習熟度に見合わない危険性の高い練習をさせられ、下半身不随の大ケガをしたのは2018年7月のこと。元女子部員は2021年2月、同校を運営する学校法人を相手取り、将来にわたる介護費など約1億8300万円の損害賠償を求めて名古屋地裁に提訴した。 新聞報道などによると、部の男性顧問は部活に姿を見せることは少なく、外部の女性コーチが技術指導をしていたが、事故時は2人とも不在だったという。元女子部員は入部してわずか4カ月目に生徒たちだけの活動中に大技の練習をして事故に遭った。当時の練習状況は、必要な補助者もなく、マットを敷くだけというお粗末なものだったようだ。 弁護士や専門家も参加して同校が作成した事故調査報告書では、「顧問は安全指導を含む全指導を外部コーチに一任していた」との認識を示す一方、コーチは「自身は責任者ではない」と考えていたという。責任の所存がハッキリとしない状態で、安全な指導も徹底されないなかで日々の活動が行われていたようだ。 本来であれば避けられたであろう事故が起きてしまったことは本当に残念でならない。学校側は真摯な対応をするべきだろう。同時に、このような悪夢を二度と起こさないように徹底した再発防止策も求められる』、「「顧問は安全指導を含む全指導を外部コーチに一任していた」との認識を示す一方、コーチは「自身は責任者ではない」と考えていたという。責任の所存がハッキリとしない状態で、安全な指導も徹底されないなかで日々の活動が行われていた」、恐るべき無責任体制を放置してきた学校側の「責任」は重大だ。 
・『顧問教員、部活動指導員、外部コーチ「誰が部活の責任者か」  実は今回のような事件は氷山の一角だ。中学・高校での事故の半数以上は運動部の活動中に起きており、その数は年間35万件にも上っている。日本スポーツ振興センター(JSC)のデータによると、部員数の多いバスケットボールやサッカー、野球、バレーボールなどで事故が多いという。部活中の死亡事故も年間に10~20件ほど起きている。 その主な原因は学校側の「管理不行き届き」だが、非常に悩ましい問題が絡んでいる。 前提として知っておきたいのが、少子化が進む一方で部活動は多彩になっていることだ。全国高等学校体育連盟(高体連)には多くの運動部が所属している(陸上競技、体操、新体操、競泳、飛び込み、水球、バスケットボール、バレーボール、卓球、ソフトテニス、ハンドボール、サッカー、ラグビー、バドミントン、ソフトボール、相撲、柔道、スキー、スケート、ボート、剣道、レスリング、弓道、テニス、登山、自転車競技、ボクシング、ホッケー、ウエイトリフティング、ヨット、フェンシング、空手道、アーチェリー、なぎなた、カヌー、少林寺拳法。このなかで水球、ラグビー、相撲、ボクシングは男子のみで、なぎなたは女子のみ。それ以外は男女ともにある。25年前はほとんどなかった女子サッカー部は全国で約700校が登録している)。 高体連以外では「甲子園大会」を主催している日本高等学校野球連盟(高野連)がメジャーな存在で、他にも応援団部のような伝統的なものもあれば、近年注目を浴びているダンス部、チアリーディング部などもある。ちなみに筆者が岡崎城西高に在籍していた時代は男子校だった。同校は1999年度から共学となり、新たな運動部が次々と誕生した。事件が起きたチアリーディング部もそのひとつだ。 新たな部を立ち上げる時は、顧問の教員が必要となる。しかし、マイナー競技や近年流行しているスポーツは、顧問が経験したことがないケースが少なくない。日本体育協会の運動部活動に関する調査では、約半数の教員が担当する部活動について競技の「経験なし」と回答しているのだ。 未経験の運動部活動の顧問を任されることは教員の心理的負担になるだけでなく、その競技を学ぶ必要が出てくる。マジメに取り組むほど多忙になり、勉強が不十分だと適切な指導をするのが難しくなる。そのため、部活の顧問をやめたいと考えている教員も少なくない。なかなか“適任者”が現れないのが現実だ。 スポーツ庁は「運動部活動については、顧問となる教師の長時間労働につながるとともに、教師に競技経験等がないために、生徒が望む専門的な指導ができない、生徒のスポーツニーズに必ずしも応えられていないこと等の課題があります」と指摘している。 5年に一度実施されている「OECD国際教員指導環境調査」(2018年)によると、日本の教員が課外活動(主に部活動)に費やした時間は週7.5時間。参加国の平均(週1.9時間)を大幅に上回り、1週間当たりの仕事時間は48カ国中最長だった。こうした調査結果から部活動の長さが教員の多忙化を引き起こしていることが問題視されるようになった。 この事実を踏まえ、教員の仕事時間を減らせるように、2017年には教員の「働き方改革」の一環として教員以外の「部活動指導員」が制度化され、認められた。コーチの外部委託は以前からあったが、その多くはOBなどが土日に顔を出して、交通費程度の謝礼で選手たちを指導するというものだ。法律上、外部コーチは身分が不明瞭で、活動中に事故が起こった場合に責任の所在が曖昧だった理由から、単独で大会などに生徒を引率することは認められていなかった。 なお部活動指導員は学校教育法において「学校職員」という身分になる。さらに有償であることが定められ、研修も義務化された。技術的指導だけでなく、単独で顧問になることや大会に生徒を引率することが可能になったのだ。 その報酬額は公立中学の場合で1時間当たり1600円、週3~5回というのが一般的(条件は自治体によって異なる)。しかし、各自治体が定める条件には、「教員免許を授与された経験がある人」「運動部活動の指導経験がある人」などが含まれている場合がほとんどである上、部活動は平日16時ごろから18時ごろまでが多い。その時間に学校に赴き、指導ができる者となるとかなり限られてくる。そのため教育現場で部活動指導員の活躍度はさほど高くないようだ』、「約半数の教員が担当する部活動について競技の「経験なし」と回答」、「部活の顧問をやめたいと考えている教員も少なくない」、そうであれば、無理に未経験でやる気にない教員に「顧問」をさせて取り繕うは止めて、部活動の範囲を一旦、絞り込むのも一考に値するのではなかろうか、或いは、外部の外部指導者に任せればよい。
・『中学・高校の部活動は「外部スタッフ」を有効活用せよ  実は学習指導要領で部活動は教育課程外の自主的・自発的な活動だと位置づけられており、教員が常に帯同する必要はない。そのため、前出の岡崎城西チアリーディング部の顧問のようにほとんど顔を出さない教員がいる一方で、毎日熱血指導をしている教員もいる。 スポーツ庁が2018年3月に策定・公表した「運動部活動の在り方に関する総合的なガイドライン」では、「地域のスポーツ団体との連携、保護者の理解と協力、民間事業者の活用等による、学校と地域が共に子供を育てるという視点に立った、学校と地域が協働・融合した形での地域におけるスポーツ環境整備を進める」と記された項目もある。 そもそも学校の部活動はコーチ(顧問の教員、部活動指導員、外部指導者)によって、指導力の幅が大きい。また各自治体、学校で施設の状況も大きく異なる。外部指導者のような専門スタッフがいるチームは独自でやればいいが、問題はそうした存在がいないケースだ。 その場合、各地域で外部指導者を“シェア”することも考えたほうがいいだろう。各地域でその競技に精通する外部指導者を雇い、月に1~2回、土曜日に各校の選手が集まり、合同で練習するのだ(人数が多い場合は参加できる人数を決めてもいい)。安全面での注意点はもちろん、専門的なトレーニング方法などを学び、各学校に持ち帰ることができる。顧問の教員も必要に応じて勉強が可能になる。 元選手の中には指導者をやってみたいと考えている人は少なくない。指導者になりたい元選手と、専門的な指導者を探している学校。実は両方ともニーズがあるのだ。学校側は外部コーチを内々で探すことが多いが、一般公募すればいい。近年は外部コーチを派遣する会社も出てきており、必要な人材を確保するのはさほど難しくなくなっている。 中学・高校ではそれぞれの科目を専門教員が授業を担うが、部活動はそうではない。選手の気持ちを考えても、競技の知識が未熟な先生に教えてもらうよりも、例えば、日本トップクラスだった元選手に月に数回でも指導を受けられたほうがありがたいに決まっている。とにかく人材を有効的に使うことを考えるべきだろう。 顧問の教員、単独で生徒を引率できる部活動指導員、競技面に精通している外部指導者、それから生徒たちの自主性。これらをうまく活用することができれば、日本の部活動のレベルはさらに上がるのではないか。強豪校に行かなくても、才能を伸ばすことも可能になるだろうし、教員の負担も軽減できるはずだ。 学校関係者は生徒と教員、それからスポーツ指導者を志す者たちのために、柔軟な考えで対応することを望む』、「部活中の死亡事故は年10~20件」はどう考えても多過ぎる。最も重要なのは、学校側が「部活動」に対して最終的な責任を持つことである。いくら生徒や親が望んでいるからといって、教員や外部に「適格な指導者」を見つけられないような「部」は作るべきではないだろう。文科省ももっと指導を強めるべきだ。
タグ:PRESIDENT ONLINE 「損害賠償請求をすることができます」とはいっても、校内での問題にそこまでやると、校内での居場所がなくなる懸念もあるので、慎重な判断が必要だろう。 「部活中の死亡事故は年10~20件」はどう考えても多過ぎる。最も重要なのは、学校側が「部活動」に対して最終的な責任を持つことである。いくら生徒や親が望んでいるからといって、教員や外部に「適格な指導者」を見つけられないような「部」は作るべきではないだろう。文科省ももっと指導を強めるべきだ。 「約半数の教員が担当する部活動について競技の「経験なし」と回答」、「部活の顧問をやめたいと考えている教員も少なくない」、そうであれば、無理に未経験でやる気にない教員に「顧問」をさせて取り繕うは止めて、部活動の範囲を一旦、絞り込むのも一考に値するのではなかろうか、或いは、外部の外部指導者に任せればよい。 「「顧問は安全指導を含む全指導を外部コーチに一任していた」との認識を示す一方、コーチは「自身は責任者ではない」と考えていたという。責任の所存がハッキリとしない状態で、安全な指導も徹底されないなかで日々の活動が行われていた」、恐るべき無責任体制を放置してきた学校側の「責任」は重大だ。 「「女子チア部員が下半身不随で顧問とコーチが責任逃れ」学校で事故が多発する根本原因 部活中の死亡事故は年10~20件」 酒井 政人 確かに「顧問の責任は重大だ。 「17キロ減量」、は明らかに過大な要求だ。 「部活で「17キロ減量命令」従った女子高生の悲劇 公開で体重測定、部員からの罵声も」 弁護士ドットコム 「被害を被ったA君は、中学生になった今も心療内科への通院は欠かせない」、しかし、同君を追い込んだ「コーチ」はそんな悲劇を知らずに、いまでも同じ非科学的な指導を続けているのかも知れない。 「日本のコーチングは指示命令が多く、一方通行のコミュニケーションになりがちだ。怒って選手を委縮させ、考える余裕を与えない傾向がある。そうなると「選手は主体性を奪われ、コーチの指示を待つようになる」、その通りだ 「男性はコーチらに面と向かって「あなたたちの暴力やパワハラが原因だ」と訴えることはしなかった」、「「スポーツにおける暴力行為等相談窓口」を紹介されたが、被害を受けた子どもへの聴き取り等も必要になると言われ、断念」、気が弱すぎる印象だ。 「家でバッタリ倒れた」、その前にも何らかの予兆があった筈で、「男性会社員」もそれを見逃していたのではなかろうか。 「小学生が「死にたい」ミニバス指導の壮絶な実態 あれから息子は学校にも行けなくなった」 島沢 優子 東洋経済オンライン (その3)(小学生が「死にたい」ミニバス指導の壮絶な実態 あれから息子は学校にも行けなくなった、部活で「17キロ減量命令」従った女子高生の悲劇 公開で体重測定 部員からの罵声も、「女子チア部員が下半身不随で顧問とコーチが責任逃れ」学校で事故が多発する根本原因 部活中の死亡事故は年10~20件) 部活動問題
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電機産業(その3)(バルミューダ 一目置かれる「芸術経営」の神髄 電機大手も見習う手法 目指すは売上高24兆円?、日本電産「満を持しての後継指名」で狙う躍進 日産出身の関社長がCEOに 永守氏は会長に専念、パナソニック「巨額買収」 不安拭えぬ2つの理由 次世代に負の遺産残す「ジンクス」を断てるか) [産業動向]

電機産業については、昨年2月24日に取上げた。今日は、(その3)(バルミューダ 一目置かれる「芸術経営」の神髄 電機大手も見習う手法 目指すは売上高24兆円?、日本電産「満を持しての後継指名」で狙う躍進 日産出身の関社長がCEOに 永守氏は会長に専念、パナソニック「巨額買収」 不安拭えぬ2つの理由 次世代に負の遺産残す「ジンクス」を断てるか)である。

先ずは、本年1月13日付け東洋経済オンライン「バルミューダ、一目置かれる「芸術経営」の神髄 電機大手も見習う手法、目指すは売上高24兆円?」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/402821
・『長引くコロナ禍で増えた「おうち時間」により、2020年によく売れた家電がある。『バルミューダ ザ・トースター』だ。 トースターの上部に付属の小さなコップで少量の水を注ぐことで、パンが焼けたときに「窯から出したばかりのような味」が再現できる点を売りにする。 価格は2万5850円とトースターの平均価格の4倍強の高級品。だが、2015年の発売から累計で100万台以上売れており、2020年4~6月期には販売台数の過去最高を更新した』、「平均価格の4倍強の高級品」が「2015年の発売から累計で100万台以上売れており」、とはすごい。
・『規模で勝る大手メーカーも一目置く  このトースターを看板商品に、空調家電、調理家電、掃除機などを展開するバルミューダ。同社が、2020年12月16日に東証マザーズへ上場した。当日は3社が上場したため買いは分散すると思われたが、公募価格より6割高い3150円の初値をつけた。足元の株価は5660円(1月7日現在)と順調なスタートを切っている。 2003年、元ミュージシャンの寺尾玄社長が1人で創業したバルミューダ(当時の社名はバルミューダデザイン)。その規模は、2020年12月期で売上高約120億円(前年同期比14.0%増)、当期純利益は約8億円(同26.9%増)となる見込み。売上高で比較すると、パナソニックの家電事業が2兆3700億円(2021年3月期の見込み)、日立製作所も4530億円(同)と、大手家電メーカーが圧倒する。 【2021年1月14日13時50分追記】初出時の表記を一部修正いたします。 それにもかかわらず、「(バルミューダから)学ばせていただくことは多い」(ある総合電機メーカー家電事業部の幹部)と、お手本としてみる向きがある。既存メーカーが学び取りたい、バルミューダの「強み」とはいったい何なのか。 1つは、自社工場を持たず、中国や台湾、国内の工場に製造委託することで、自社では企画開発と販売に注力する「水平分業体制」を敷いていることだ。ゆえに、営業利益率は10%と高い(パナソニックは3%、日立は5%。いずれも今期の見込み)。ただ、同様の戦略はソニーのゲーム機や一部の家電、任天堂、海外ではアメリカ・アップルなどがつとに採用している。 むしろバルミューダならではの強みといえるのが、すでに市場が成熟しきった汎用品の市場で、相場にとらわれない高単価で製品を販売していることだ。 同社が展開する扇風機やトースター、炊飯器などは、通常であれば製品の老朽化や故障などにより、「必要だから買い替える」際にしか需要は発生しない。さらに、春と冬の2度、商品の入れ替えを行い、新型が発売されるため「型落ち品」はセール対象となって価格競争が巻き起こる』、「市場が成熟しきった汎用品の市場で、相場にとらわれない高単価で製品を販売」するには、デザインなど何らかの強味がある筈だ。
・『社長がだいたいの販売価格を決定  一方、バルミューダの商品の値付けは独特だ。寺尾社長が、この商品であればいくらまで出す、という「消費者感覚」(寺尾社長)に基づいて、開発の初期段階でだいたいの販売価格を決めてしまう。他社製品については「全然見ていない」(同、以下のカギカッコ内も同じ)。 さらに、1つの商品に対して展開するのは「バルミューダ ザ・〇〇」という1つの型だけで、廉価版など価格のバラエティーはない。一度発売したら、5年、10年と1つの型を発売し続け、定価販売が基本だ。 では、消費者はバルミューダのどのような点に価値を見出し、相場より高い家電を買っていくのだろうか。2020年12月下旬に行ったインタビューで、寺尾社長はこう解説する。 「バルミューダは、クリエイティビティーによってお客様に選ばれている会社です。クリエイティブとは、簡単にいえば『創意工夫』のこと。昨日までなかった方法を生み出すことです。当社は、創意工夫をして1つの商品を開発し、そこにいくつも工夫を重ねていく。たとえば、従来のトースターとバルミューダのトースターにはいくつも違いがある」 寺尾社長曰く、その1つが製品の「芸術性」を最高潮にまで高める工夫をしていることだという。たとえば、「そよ風のような扇風機」「窯から出したばかりのパンの味を再現するトースター」といったものだ。 これを担うのが、社長直轄の「クリエイティブチーム」だ。同チームでは、商品を購入することで消費者が得られる体験を設定する。それに基づいて、社内で「原理試作品」と呼ばれる製品の原型を作る。デザインを担うのもこのチームで、高年収の男性が多くを占める顧客から「デザイン家電」と支持される所以(ゆえん)はここにある。 芸術性を高めるうえでは、多くの場合で技術上の工夫が必要になるという。同社の場合は、エンジニアとクリエイティブチームが作った試作品とのすり合わせにより、短期間でブラッシュアップしていく』、『創意工夫』で「「芸術性」を最高潮にまで高める工夫をしている」、とは大したものだ。
・『カタログの表紙は「厚切りトースト」  トースターの場合は、「①水を投入して蒸気を発生させる②ヒーターの温度制御を細かく設定する」という2つの技術的な工夫をすることで、「窯から出したばかりのパンような味」を実現させた。 商品の見せ方にも工夫を凝らす。たとえば、トースターを発売したときは、商品のカタログの表紙に家電そのものを登場させず、焼けた厚切りトーストを並べた。 物語仕立ての開発背景も、バルミューダのブランド力を支える。たとえば、2020年11月に発売された掃除機には「これまでクイックルワイパー派で、掃除機を使うのがおっくうだった寺尾社長が、自分でも欲しいと思える理想的な掃除機を作り出すまで」という物語が用意されている。 この3つの工夫を重ねたうえで、品質管理や生産技術の検討、資金繰りなどを経て、委託先が量産に入るというのが、バルミューダの製品開発の基本スキームなのである。 こうした斬新な開発を担う社員の中には、「日の丸家電」からの転職者たちが多い。幹部クラスでも、取締役ビジネスオペレーション部長にパイオニア出身者、商品設計部長にソニーのエレキ事業の生産部門出身者が名を連ねている。どちらも、一時は業績不振に苦しんだ企業。そこでの失敗経験が、バルミューダでの斬新な企画・開発に生きているのかもしれない』、「物語仕立ての開発背景も、バルミューダのブランド力を支える」、「斬新な開発を担う社員の中には、「日の丸家電」からの転職者たちが多い」、なるほど。
・『課題の管理体制を上場前に改善  もっとも、バルミューダにもアキレス腱がある。品質管理だ。2017年には扇風機、2018年にはトースター、そして2019年には電子レンジのリコールを発表している。中でも打撃が大きかったのは、トースターのリコールだ。スチーム機能での不具合による製品の自主回収・無償交換により、2018年12月期の業績は当期純利益が前年同期比95.7%減の3564万円となった。 実は、バルミューダがIPO(新規株式公開)を志した2015年前時点では、こうした品質をはじめ、コストなども含めた「管理体制」を強化することが、上場の目的だったという。 「売上高30億円くらいまでは『勘と気合とラッキー』で乗り切ることができた。だが、月次決算すら満足に出せない状態でそれ以上は大きくなれないと感じた。『こんな車、運転できねえ』と思って」(寺尾社長)。そこで同社の管理体制を”上場企業品質”に向上させるために使ったのが、上場を目指すという手だった。 その甲斐あって、「以前と比べものにならないくらい良い会社になったと自負している」と寺尾社長は胸を張る。では、名実ともに上場会社となったバルミューダはこれから、何を目指していくのか。 1つが、規模の拡大だ。そのために足元で推し進めているのが、客単価のさらなる向上である。2020年11月に発売された掃除機は税込み5万9400円と、これまでのバルミューダ製品で最も高価な製品だ。同社は、本商品に続けていくつかの新製品を投入し、このクリーナー事業を100億円規模にまで育てる見込みだ。 単価向上のうえでは、上場前に展開してきた生活家電というジャンルにはこだわらない。「客単価の高いものは、一般的に技術の集積度が高いもの。基盤にいくつ部品が乗っているかが重要だ」(寺尾氏)。今後は、2020年6月に発売されたスピーカーのようなAV(オーディオ・ビジュアル)家電のみならず、「家電以外のこともやっていくと思う」と示唆する』、生産を全て外部委託している以上、「品質管理」には殊の外、注意する必要があり、「リコール」が相次いだのも頷ける。
・『120億円の売上高を2000倍に?  さらに、顧客基盤の拡大にも資金を投入する。上場で調達した資金の使途の3分の1は、広告宣伝などのマーケティング費だ。実はこれまで、バルミューダはテレビなどのメディア広告をほとんど打ってこなかったという。 現在、同社のブランド認知度は5割弱だが、これは商品の口コミや、広報活動によるメディアなどへの掲載などによるものだ。今後は、マスメディア向けのCMを打つことで、同社の製品のイメージを直接訴えかける狙いだ。 寺尾社長は、同社の成長目標についてこう語る。「創業初年度の売上高は600万円だった。18年経った今年は約120億円。2000倍になっている。私のポリシーとして、『一度できたことは必ずもう一度できる』というものがある」 計算すると、売上高24兆円になる。もし実現すれば、日本のトヨタやアメリカのアップルの背中が見えてくる規模だ。壮大な目標だが、規模拡大の過程でバルミューダが核とする「芸術性」を際立たせ続けることができるかが問われる』、販売チャネルの説明はなかったが、家電量販店は使っているのだろうか。面白い家電メーカーが出来たものだ。

次に、4月24日付け東洋経済オンライン「日本電産「満を持しての後継指名」で狙う躍進 日産出身の関社長がCEOに、永守氏は会長に専念」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/424670
・『長らく日本電産の最大のリスクとも言われてきた、創業者・永守重信会長兼CEO(最高経営責任者)の後継者問題に解決の光が見えてきた。 同社は4月22日に関潤社長COO(最高執行責任者)をCEOに昇格させる人事を発表した。永守氏は会長職に留任する。同日発表された決算も売上高1兆6180億円(前年同期比5.4%増)、営業利益1600億円(同47.4%増)と増収増益で、当初の会社予想も上回った。 関氏は新型コロナの感染拡大や米中対立など未曾有の外部環境下でも、日本電産の業績を成長させた。また日産自動車副COOの経歴もあり、今後日本電産の成長軸となる車載分野に詳しい。カリスマ経営者である永守氏から後継者に対する権限委譲が順調に進んでいることを印象づけた』、興味深そうだ。
・『苦悩していた「後継者問題」が解決へ  「後継者問題を株主から言われ続け、解決しようとしてきた」。4月22日に開かれた同社のオンライン決算説明会の冒頭で、永守氏はまず今回の人事について語った。 日本電産は1973年の創業以来、創業者の永守氏が率いて急成長を遂げてきた。一方、有価証券報告書に記載される事業等リスクでは、ガバナンス上の課題の一つとして「NIDEC(日本電産)代表取締役会長である永守重信(氏)への依存に係るリスク」(2020年3月期有価証券報告書)が明記されるほど、後継者問題は深刻だった。 永守氏は関氏について「経営手法も(自分と)似ており、決断力や人格などもCEOの後継者としてふさわしい」と強調。そのうえで「会社のビジネスの内容も変わってきており、その分野の得意な人が集まって、会社を成長させていくことが大事」(永守氏)と、拡大する車載向けビジネスを関氏がいっそう成長させられるとして、CEOの後継に推す理由を説明した。 過去、永守氏は後継者選びに苦労してきた。2013年から日本電産入りしたものの2015年に日本電産を去ってルネサスエレクトロニクスの社長に転じた呉文精氏、2018年6月に日本電産の社長に就任したものの関氏の社長就任に伴い副社長となった吉本浩之氏などがその例だ。 いずれも永守氏が求めた経営成績を残せなかったほか、吉本氏の社長就任を機に導入した、役員間で議論しながら経営を進める集団指導体制について「創業以来の最大の間違い」と永守氏は振り返り、最終的にいずれも後継者となれなかった。 日産から日本電産に移籍し、2020年4月に社長COOに就任した関氏について永守氏は、2020年2月の会見で「今回こそは立派な人材が見つかって、気持ちが安らかになった」と評価。だが前例を見れば、実際に永守氏の期待に応えられるかは未知数だった。投資家や業界関係者からこの点に注目が集まっていた』、「今回こそは」「後継者問題」は解決するのだろうか。
・『永守氏は「本来のトップの役割」に専念  関氏は社長就任後に統括した家電や産業用事業で固定費削減などの構造改革を断行。就任前の同事業の営業利益率が約5%だったのに対し、2021年1~3月期には9.8%まで引き上げた。 またEV分野への先行費用が負担となっている車載事業でも成果を出した。コロナ禍の落ち込みで2020年4~6月期は営業赤字に沈んだ同事業を、原価低減や市場シェア拡大などで2020年10~12月期以降は営業利益率7%以上を維持するまでの底上げに成功している。 こうした成果は全社的な収益力の向上にも貢献し、社長就任から1年間の”見極め期間”を経て今回の関氏のCEO昇格が実現し、日本電産の後継者問題に答えを出したといえそうだ。 今後、永守氏は「将来像や事業展開など、本来の経営トップとして(の役割で、会社の)あるべき姿を考える」。一方、関氏はCEOとして経営判断と執行の責任を一体化したスピーディーな運営体制の構築を担っていく。 ただ、関氏がCEOに就任する今回の人事で日本電産の経営方針が大きく変わるかといえばそうではない。) これまでも同社は「ツートップ体制」と称する経営体制を敷いてきた。具体的には、永守氏がM&A戦略など中長期の経営戦略や精密小型モーター分野などを統括し、関氏が車載や家電、産業向けモーターの分野を統括するというものだ。 CEO就任で関氏が統括する事業分野は拡大するが、「毎週、関と2人で話し合うことは続け、フレキシブルに経営する」(永守氏)。加えて「CEOが変わっても、会社ががらりと変わることはない」(同)とも説明した。 永守氏の権限を関氏に一挙に委譲し厳密な役割分担を行うというよりも、あくまで即断即決に最適な体制に移行するのが狙いというわけだ』、「毎週、関と2人で話し合うことは続け、フレキシブルに経営する」(永守氏)。加えて「CEOが変わっても、会社ががらりと変わることはない」(同)とも説明」、余り大きな変化はなさそうだ。
・『スピード経営がEV攻略のカギ  こうした体制を構築することで、とくに成長を加速させたい分野がEV関連だ。日本電産はEVの心臓部といえるトラクションモーター(駆動モーター)に注力している。すでに同社のトラクションモーターを採用した車種の販売台数は累計で約13万台に上る。今後も2025年に年間250万台、2030年に同1000万台という急成長の戦略を描く。 EVは既存の自動車メーカーだけでなく、スマートフォンなど電子機器を手掛けている異業種企業からの参入も期待されている。関氏はEVに参入しようとする異業種企業について、「今引き合いがあるものだと、来年には立ち上げてほしいという(オーダーが来る)」など、既存の自動車業界に比べケタ違いに短い時間軸を要求される点を指摘する。 EV関連については、すでに日本電産にも「異業種から声掛けがきている」(関氏)。そのほか、同社自体がiPhoneなどの受託製造を行う台湾の鴻海精密工業が主導するEVプラットフォーム「MIH」に参画するなど、拡販に向け積極的に手を打っている。 動きが速いEV業界でシェアを拡大するためにも、工場建設などの大規模投資を迅速に決定できるようになる必要がある。 長年の懸案だった後継者問題にようやくメドをつけた今、永守氏と関氏が次に問われるのは、目標として掲げる2030年度売上高10兆円への道筋をつけられるかどうかだ。今回の関CEO就任人事がいい決断だったかは、その進捗が明らかにしていくだろう』、今回の「後継指名」が上手くいくかどうか、大いに注目される。

第三に、4月30日付け東洋経済オンライン「パナソニック「巨額買収」、不安拭えぬ2つの理由 次世代に負の遺産残す「ジンクス」を断てるか」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/425539
・『成長への妙策か、それとも不相応な愚策か――。 パナソニックが総額71億ドル(約7700億円)でかねての出資先であるアメリカのソフトウェア企業・ブルーヨンダーを買収する。パナソニックにとっては、2011年に約8000億円を投じ行った三洋電機などの買収以来の巨額案件となる パナソニックは成長の柱となる新事業の創出に苦戦しており、近年は売上高7~8兆円前後での足踏み状態を続けている。今回の買収によってブルーヨンダーが手掛けるサプライチェーンマネジメント分野の事業成長を加速させ、全社の業績底上げを狙う』、今回こそは大丈夫といえるのだろうか。
・『株価には投資家らの「危惧」が表れた  だが、パナソニックの過去を振り返ると楽観はできない。成長を見込んで巨額を投じた事業が想定どおりに寄与せず、たびたび業績の足を引っ張ってきたためだ。今回も投資家らの危惧が株価に表れた。買収発表のあった4月23日、パナソニックの株価は一時前日比4.9%安まで落ち込んだ。 「パナソニックにとって大きな意味を持つこの買収をなんとしても成功させるために、全社を挙げて取り組んでいきたい」。4月1日付けで津賀一宏社長からパナソニックのCEO(最高経営責任者)の職を引き継いだ楠見雄規氏は、23日の会見でブルーヨンダー買収への決意を示した。 ブルーヨンダーが手がけるのはサプライチェーンマネジメントを支援するソフトウェア。生産や流通の現場で効率化を図るためのものだ。具体的は、工場や物流倉庫、小売店舗などで製品の需要予測や在庫管理などを行うソフトウェアを提供し、顧客企業の収益改善につなげている。 同社の2020年度の売上高は約10億ドル(約1080億円)。一見規模は大きくないが、サプライチェーンマネジメントのソフトウェア専門企業としては世界最大だ。保有する特許数も400超と競合他社を大きく上回り、3000社を超える顧客企業には米コカ・コーラ社や英ユニリーバ、米スターバックスなどが名を連ねる。 売り切りではなく、継続的に課金するリカーリング型のビジネスを主力とし、売上高に対するEBITDA比率は約24%と高収益だ。 パナソニックとブルーヨンダーは2019年11月に協業を開始、2020年7月にはパナソニックがブルーヨンダー株を20%取得し関係を深めてきた。 もともとパナソニックは法人向け事業として、センサーや通信機器など得意のハードウェアを用いた製造現場の自動化支援、倉庫や店舗の省人化支援を手掛けてきた。同社はこれらの法人向けシステム事業を、2022年4月に予定する持株会社化で「現場プロセス事業」として主力分野と位置づけ、成長を加速させたい考えだ』、「2019年11月に協業を開始」しているのだから、「ブルーヨンダー」の実態については十分知っているのだろうか。
・『成長目指すための「不可欠なピース」  法人向けシステム事業を率いるパナソニックの樋口泰行代表取締役専務は「当社の事業ポートフォリオにソフトウェアやソリューションが加わるのは大きな意味がある」と話す。ブルーヨンダーの買収で知見が足りなかったソフトウェア分野を強化できるからだ。 今回の買収を経てパナソニックが実現を目指すのは、「オートノマス(自律的な)サプライチェーン」という壮大な未来だ。サプライチェーンの上流から下流まで、ソフトウェアと現場に設置したデバイスやセンサーを連携させ、自動運転のようなオペレーションを構築するという。 楠見氏は「サプライチェーンの現場から無駄や滞留が自律的に省かれる世界を実現する」と意気込み、ブルーヨンダーについて「革命的なソリューションを生み出すのに不可欠なピース」と買収への熱い思いを語った。 パナソニックは調査会社のデータを基に、サプライチェーンマネジメント分野の市場規模が現在の180億ドル(約1兆9000億円)から2024年には280億ドル(約3兆円)以上に拡大する見込みを示している。成長市場で着実にシェアを取り、収益につなげる狙いだ。 だがここで問われるのは、パナソニックに巨額買収で成果を出せるだけの実力があるかどうかだ。) 振り返れば、1991年に脱家電を目指してアメリカの映画大手MCA(現NBCユニバーサル)を買収したが、わずか4年後に8割の株式を手放した。 2011年には三洋電機とパナソニック電工を完全子会社化したものの、全社の売上高は2011年3月期の8兆6926億円から2020年3月期の7兆4906億円へとむしろ減少。買収目的である三洋電機が得意とした角形電池はトヨタ自動車が主導する共同出資会社になり、太陽電池の生産は2021年度中に撤退する。いずれも選択と集中の結果、成長につながらなかった。 樋口氏は「日本企業は買収後の統合作業が得意でなく、パナソニックも例外ではない」と認めたうえで、「ブルーヨンダーの経営がおかしくなるようなことは絶対にしないようにする」と強調した。 両社は協業から1年半かけて関係を深化させてきたほか、すでに樋口氏も2020年7月からブルーヨンダーの取締役として経営に関与してきた。「サプライチェーンの革新という意味では(両社とも)同じ思いを抱いているので、自然と相乗効果を生み出せるはずだ」(樋口氏)と自信を見せる』、「樋口泰行」氏は、「パナソニック」から「ハーバード・ビジネス・スクール」に留学、その後、日本ヒューレット・パッカード社社長、ダイエー社長、日本マイクロソフト社長などを歴任、古巣の「パナソニック」に戻った異色の経歴(Wikipedia)。同氏が「自然と相乗効果を生み出せるはずだ」(樋口氏)と自信を見せる」、のであれば、大丈夫なのかも知れない。
・『失敗のジンクスを絶てるか  ただ、統合作業さえうまく行けば安泰かというとそうではない。 パナソニックの場合、買収案件かどうかにかかわらず、成長領域と位置づけ巨額投資を行った事業がたちまち不採算化し、全社的な停滞をも招いた事案が複数ある。約6000億円を投じたものの液晶テレビとの競争に敗れたプラズマテレビ、数千億円を投じながらテスラ向け電池などで赤字を出し一時「再挑戦事業」に格下げされていた車載事業などがその代表例だ。 プラズマテレビからは2012年に社長に就任した津賀一宏氏の”大ナタ”で撤退。車載事業は2019年4月に同事業部門のトップに就いた楠見氏が固定費削減など構造改革を進め、黒字化まで復調させた。トップ肝いりで巨額投資を行った事業にやがて危機が生じ、次世代の経営陣が立て直すという事態が繰り返されている。 樋口氏は買収先の選定について「すでに経営基盤が安定していて、しっかりした経営者がいることが基準。リカーリング比率が高い会社しか考えてなかった」と話す。「戦う場所を賢く選ばなければコモディティー化や競争激化にさらされるが、(ブルーヨンダーの事業は)参入障壁が高く顧客基盤も持っている」(樋口氏)と、パナソニック社内で堅実な経営判断が行われたことを強調する。 パナソニックのある役員は「投じたお金がどこかに消え、そのツケが次世代に回るのはパナソニックの悪い癖」と苦笑する。悪癖を絶ち、パナソニックが成長路線に回帰するためのピースとしてブルーヨンダーを生かせるか。6月に社長に就任し、持株会社化する新生パナソニックを率いる楠見氏の手腕が問われる』、「楠見氏」や「樋口氏」の「手腕」が見物のようだ。
タグ:電機産業 (その3)(バルミューダ 一目置かれる「芸術経営」の神髄 電機大手も見習う手法 目指すは売上高24兆円?、日本電産「満を持しての後継指名」で狙う躍進 日産出身の関社長がCEOに 永守氏は会長に専念、パナソニック「巨額買収」 不安拭えぬ2つの理由 次世代に負の遺産残す「ジンクス」を断てるか) 東洋経済オンライン 「バルミューダ、一目置かれる「芸術経営」の神髄 電機大手も見習う手法、目指すは売上高24兆円?」 「平均価格の4倍強の高級品」が「2015年の発売から累計で100万台以上売れており」、とはすごい。 「市場が成熟しきった汎用品の市場で、相場にとらわれない高単価で製品を販売」するには、デザインなど何らかの強味がある筈だ。 『創意工夫』で「「芸術性」を最高潮にまで高める工夫をしている」、とは大したものだ。 「物語仕立ての開発背景も、バルミューダのブランド力を支える」、「斬新な開発を担う社員の中には、「日の丸家電」からの転職者たちが多い」、なるほど。 生産を全て外部委託している以上、「品質管理」には殊の外、注意する必要があり、「リコール」が相次いだのも頷ける。 販売チャネルの説明はなかったが、家電量販店は使っているのだろうか。面白い家電メーカーが出来たものだ。 「日本電産「満を持しての後継指名」で狙う躍進 日産出身の関社長がCEOに、永守氏は会長に専念」 「今回こそは」「後継者問題」は解決するのだろうか。 「毎週、関と2人で話し合うことは続け、フレキシブルに経営する」(永守氏)。加えて「CEOが変わっても、会社ががらりと変わることはない」(同)とも説明」、余り大きな変化はなさそうだ 今回の「後継指名」が上手くいくかどうか、大いに注目される。 「パナソニック「巨額買収」、不安拭えぬ2つの理由 次世代に負の遺産残す「ジンクス」を断てるか」 今回こそは大丈夫といえるのだろうか。 「2019年11月に協業を開始」しているのだから、「ブルーヨンダー」の実態については十分知っているのだろうか。 「樋口泰行」氏は、「パナソニック」から「ハーバード・ビジネス・スクール」に留学、その後、日本ヒューレット・パッカード社社長、ダイエー社長、日本マイクロソフト社長などを歴任、古巣の「パナソニック」に戻った異色の経歴(Wikipedia)。同氏が「自然と相乗効果を生み出せるはずだ」(樋口氏)と自信を見せる」、のであれば、大丈夫なのかも知れない。 「楠見氏」や「樋口氏」の「手腕」が見物のようだ。
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民間デジタル化促進策(その2)(デジタル化で「日中」に歴然の差がつく根本理由 中国の挨拶は「起業したか?」に変わりつつある、「DXの第一歩はペーパーレス」10年前に紙をなくしたソフトバンクは、今どうなっているのか 【DOLイベントレポート】脱はんこ・ペーパーレスの実践 ~バックオフィスのデジタル変革~、インドのIT化が猛スピードで進む「3つの要素」 日本はもうかなわない?) [経済政策]

民間デジタル化促進策については、昨年10月24日に取上げた。今日は、(その2)(デジタル化で「日中」に歴然の差がつく根本理由 中国の挨拶は「起業したか?」に変わりつつある、「DXの第一歩はペーパーレス」10年前に紙をなくしたソフトバンクは、今どうなっているのか 【DOLイベントレポート】脱はんこ・ペーパーレスの実践 ~バックオフィスのデジタル変革~、インドのIT化が猛スピードで進む「3つの要素」 日本はもうかなわない?)である。

先ずは、本年2月12日付け東洋経済オンラインが掲載した伊藤忠総研 産業調査センター 主任研究員 の趙 瑋琳氏による「デジタル化で「日中」に歴然の差がつく根本理由 中国の挨拶は「起業したか?」に変わりつつある」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/409659
・『新型コロナウイルス危機を契機に、日本ではオンライン診療の拡充や押印の旧習から電子署名への移行の促進など、新たな動向がみられた。他方で、例えば、給付金の支給にデジタル技術がほとんど活用できないなどデジタルトランスフォーメーション(DX)の遅れで生じた問題が多く露呈してしまった。 『チャイナテック:中国デジタル革命の衝撃』を上梓した、趙瑋琳氏が、なぜデジタル化において中国と日本で差が生まれたのか解説する』、興味深そうだ。
・『日本は社会インフラが成熟しすぎていた  中国と比較し、日本がデジタル化の波に乗り遅れていることは以前より多くの識者によって指摘されている。では、いったいなぜこれほどまでに差が生まれてしまったのか。 昨年日本では、キャッシュレス推進のためにポイント還元事業が行われていたが、依然としてスマホ決済の普及は遅れている。 対して中国で急速にキャッシュレス社会が実現したのは、リープフロッグが起こったからだと考えられる。 リープフロッグとは、ある技術やサービスに関して未成熟な社会が、最新の技術を取り入れることで、発展過程の段階を飛び越え、一気に最先端に到達する現象を言う。加入電話の通信網や銀行のATMサービスが行き届いていなかったアフリカ諸国で、一気にスマートフォンが普及したり、モバイル通信を利用した送金手段が普及したりしたのはその典型例で、クレジットカードの普及が遅れていた中国で、スマートフォン決済が急速に普及しキャッシュレス社会を実現させたのも同じ現象だ。 日本でスマートフォン決済の普及が遅れているのは、すでに現金以外の、キャッシュレス決済手段が成熟しているからだ。1980年代にはすでにクレジットカード決済がかなり普及していた。加えて、前世紀末からさまざまな電子マネーが登場し、現金以外の決済手段が普及したため、スマートフォン決済に他の決済手段より高い利便性を感じる人は少なく、それが普及の妨げになっているのだ。 日本では決済方法に限らずありとあらゆる社会インフラが成熟しているため、最先端のデジタル技術への移行が遅れるという皮肉な現象が起きている。既存の枠組みに不自由を感じるユーザーが少ない日本よりも中国のほうが、社会インフラが未成熟だったため一気にデジタル化が進んだのだ』、「リープフロッグ」とは確かに説得力ある説明だ。ただ、欧米のような先進国ではこれは利かないので、欧米との比較も欲しいところだ。
・『差が生まれたのは、リープフロッグ現象が起きたからだけではない。 生活を変えてしまうような新しいテクノロジーを積極的に受容するか、それとも忌避するのか、その意識の相違もデジタルシフトで日本が中国に先行されている原因の1つと考えられる。例えばAI技術に対し、日本ではAIは人々の仕事を奪うと否定的な受け止め方をする人が多いのに対し、中国ではAIを活用した新しい技術を期待するなど、圧倒的に前向きな議論が多い。 デジタルシフトに対する日中の社会的受容度の差異の要因の1つは、両国の人口構成の差異にあると考えられる。世界で最も高齢化が進んでいる日本に対し、中国では生まれたときから携帯電話などが身の回りにあったデジタルネイティブの世代の層が厚く、高いデジタルマインドを持つ人が多いのだ。そのため、デジタルシフトに対し戸惑いや嫌悪感を持つ人は多くない。 他方、日本ではデジタルシフトへの受容度に世代間で大きな違いがみられ、それが日本でデジタル化が進まない一因となっている。日本社会がデジタルイノベーションを広く受容していくためには、よりポジティブな世論形成と、デジタルマインドの涵養が重要だと思われる』、その通りだろう。
・『起業家気質の差異  デジタル分野の技術開発で日本企業が中国企業の後塵を拝するようになった要因には、起業家気質の差異があると考えられている。 アメリカ・バブソン大学やロンドン大学ロンドン・ビジネススクールなどの研究者らが継続的に行っている国際調査「グローバル・アントレプレナーシップ(Global Entrepreneurship)」の2014年版によると、「職業として起業家はいい選択」に賛成した人(18歳から64歳)の割合は、中国の65.7%に対し日本は31%で半数以下だ。中国はアメリカの64.7%よりも高く、起業を積極的に評価する人が多いことがうかがえる。 「一兵卒にも天下とりの大志あり」はナポレオンの名言だが、中国ではこの語録を好み、今は雇われの身でもいずれ起業し社長になりたいと考える人が大勢いる。また、失敗に寛容な社会的土壌も豊かなのが特徴だ。労働市場の流動性が高く、起業に失敗しても、再就職のチャンスが失われることはない。そうした社会的土壌に加え、起業を奨励する政府の政策も影響し、中国では近年、起業ブームが起きている。 挨拶の言葉は「你好(こんにちは)」から「創業了?(起業したか?)」に変わったといわれるほどだ。起業が「下海」と呼ばれていた1990年代から起業DNAは脈々と受け継がれ、起業家マインドは人々の間に定着しているのだ。 一方、日本では学生の希望する就職先で公務員の人気が高いなど安定志向が定着し、また、労働市場の流動性は比較的低い。そのため、起業を志す人は中国やアメリカと比較すれば著しく少ないと考えられる。 アメリカのGAFAや中国のアリババ、テンセントの名前を挙げるまでもなく、これまでデジタル革命をリードしてきたのはベンチャー企業だ。ベンチャー企業が数多く生まれた国がデジタル革命に勝利してきた。そのような状況にあって、残念ながら、日本のベンチャー企業は、米中の後塵を拝しているのが現状だ。それが、日本のデジタル化の進展に深刻な影響を及ぼしていることは疑いようがない。 この状況を打開するには、起業教育や人材育成、意識改革、規制緩和など、あらゆる側面から議論を深め、行動を起こすことが求められる』、その通りだが、変革には時間がかかり、即効は期待できないようだ。

次に、6月23日付けダイヤモンド・オンライン「「DXの第一歩はペーパーレス」10年前に紙をなくしたソフトバンクは、今どうなっているのか 【DOLイベントレポート】脱はんこ・ペーパーレスの実践 ~バックオフィスのデジタル変革~」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/271268
・『日本の企業の中でもかなり早く、約10年前から本格的にペーパーレス化を進めていた企業がソフトバンクだ。その動きは今も続いており、ペーパーレス化はDXとなって、2000人の業務自動化、95億円の業務委託費削減、人事部門のAI活用などの成果を上げているという。ソフトバンクはどのようにペーパーレス化を行ってきたのか。ダイヤモンド社・デジタルビジネス局が2021年3月8日に、エフアンドエム、SmartHR、コンカーの協賛を得て行ったWebセミナー「脱はんこ・ペーパーレスの実践 ~バックオフィスのデジタル変革~」の基調講演の様子をお伝えする。(ダイヤモンド・セレクト編集部、ライター 笹田 仁)』、「ソフトバンク」はさぞかし先進的なのだろう、興味深そうだ。
・『DXの第一歩はペーパーレス化。紙が残っていたら、変革はできない  脱はんこ」や「ペーパーレス」と聞くと、「古い」「当たり前」と感じる人もいるかもしれない。今や、デジタル技術でビジネスモデルを根底から改革、さらには企業としてのあり方まで一変させる「デジタルトランスフォーメーション(DX)」が花盛りだ。しかしよく考えてほしい、DXで最初に乗り越えなければならないハードルは「脱はんこ」や「ペーパーレス」ではないだろうか。 ソフトバンクで総務本部副本部長を務める吉岡紋子(あやこ)氏は、日本テレコム(現ソフトバンク)に入社以来、営業、社長付を経験し、2006年より総務を担当している。現職である人事総務統括 総務本部 副本部長には2019年に就任しており、2020年には同社としては初めての「ハイブリッド出席型バーチャル株主総会」の実行や、本社移転で指揮を執った人物だ。 吉岡氏はまず、現時点でのソフトバンクの収益源と、今後の成長戦略について説明した。ソフトバンクというと携帯電話をイメージされる人が多いと思うが、ソフトバンク全社の収益は、携帯電話事業の他、法人事業や流通事業、3月1日にLINEとの事業統合を果たしたヤフーの事業、そして新領域で構成されている。その中でも「PayPayなどの新領域の事業で新たなユニコーン企業を育成していくことで今後の成長を目指している」と付け加えた。つまり、ソフトバンクは恒常的に新事業領域を開拓し、自社を変革させていかなければならないということだ。 そのソフトバンクがデジタル化に取り組み始めたのは、もう10年以上前のことだ。「デジタルトランスフォーメーション(DX)」という言葉が流行し始めたのはここ数年だが、ソフトバンクはそれよりもかなり早くに、DXに取り組んでいたということになる。恒常的に新事業領域を開拓し、自社を変革させていかなければならないという背景があり、自然にデジタル化の道を歩み始めたという。 そして吉岡氏はDXに挑もうとする企業とその関係者に「DXの第一歩はペーパーレス化。紙が残っていたら、変革はできない」とアドバイスする。一見、当たり前のように聞こえるかもしれないが、このあと説明するソフトバンクのペーパーレス化&DXの歩みと成果を聞けば、実に大きな意味がある言葉だと実感できるはずだ』、「ソフトバンク」は文字通り元祖「DX」のようだ。
・『4000人分の仕事を自動化するプロジェクト  ソフトバンクはペーパーレス化&DXに取り組むことで、どんな良いことがあったのだろうか。 ソフトバンクでは2年前から「デジタルワーカー4000プロジェクト」に全社で取り組んでいる。これは、4000人分の仕事をデジタル技術を活用して自動化しようというものだ。開始して2年たった現在、人間がやっていた作業のうち、目標の半分に当たる2000人相当の作業を自動化できたという。そしてその結果、業務委託費を95億円削減でき、600人の従業員を成長領域に配置換えできたそうだ。 このプロジェクトで得られる効果は大きく3つあると吉岡氏は振り返る。1つ目はコスト余力。吉岡氏は、「デジタル技術の費用対効果がかなり良好。正しく導入すれば必ずコストは浮く」と断言した。そして浮いたコストで成長領域を育て、収益化するための投資に充てることで、新事業に取り組みながら、全社の固定費は増やさずそのままで運用できたという。 2つ目は、社員の時間に余力が生まれるという効果。数人で何時間もかけていた作業がクリック1回で済むようになるなど、業務にかかる時間を短縮できるようになった。浮いた時間で人材育成の強化に取り組んだり、従業員の自己成長を促す制度を作って参加してもらうなどの機会を作り、新しいスキルの習得などの教育にかける時間ができたと語る。 3つ目は新しい課題解決だという。例えば現在、新型コロナウイルス感染症の感染拡大のため、対面営業ができない。そこで、オンラインでの商談を始めたところ、顧客との接触も容易になり、実際に先方に出向いて商談をしていた当時に比べると、商談の数が5.5倍に増加し、生産性が上がっているという。 以上のような効果があったからこそ、人材の配置転換や軌道に乗るまでの投資など、成長分野に注力する態勢が素早くできたと吉岡氏は語る。さらに、ペーパーレス化やデジタル化の素地があったからこそ、新型コロナウイルス感染症の感染拡大など環境変化への対応も容易かつ迅速にできたとしている』、「開始して2年たった現在、人間がやっていた作業のうち、目標の半分に当たる2000人相当の作業を自動化できたという。そしてその結果、業務委託費を95億円削減でき、600人の従業員を成長領域に配置換えできた」、大したものだ。
・『重要なのは紙ではなく、紙に書いてある「情報」  ソフトバンクにおけるペーパーレス化の動きが本格化したのは、2012年4月の決算発表で孫正義社長(当時)が「ペーパーゼロ宣言」を打ち出してからだ。この根底には「重要なのは紙ではなく、紙に書いてある情報」という考えがある。この考えがあったからこそ、ソフトバンクにおけるペーパーゼロをDXの出発点とすることができたといえる。 ペーパーゼロ宣言以前、2011年度はソフトバンク社内で少なくとも3億3000万枚の紙を使っていたが、宣言以降、さまざまな施策を打ち出していき、2020年度は全社で1000万枚以内に収まる見込みとなるほど紙の量を減らせたという。 では、具体的にはペーパーレスに向けてどのような施策を打ち出していったのか。まず、3億3000万枚のうち2億3000万枚を占めていた携帯電話などの申込書類を削減するために、新たに専用のシステムを導入し、契約がすべてペーパーレスでシステムの中で完結するようにした。 残りの1億枚はオフィスで使っていたものだ。これを削減するため、紙がなくても仕事や会議ができるように、従業員に配布しているノートパソコンやiPhone、iPadの活用を促すとともに、会議室にはディスプレイやテレビ会議システムなどを整備した』、「ペーパーゼロ宣言」の「根底には「重要なのは紙ではなく、紙に書いてある情報」という考えがある」、なるほど。「2011年度は」「3億3000万枚の紙を使っていた」のが、「2020年度は全社で1000万枚以内に収まる見込み」、とはさすがだ。削減の2/3は、「携帯電話などの申込書類」の「ペーパーレスでシステムの中で完結」、のようだ。
・『社内で使う「紙」を、レッド・グレー・ホワイトの3レベルに分類  そして、各部門で印刷している文書を3つに分類した。今すぐに印刷を止められるものを「レッドリスト」、今すぐには減らせないが、システム化などの工夫で減らせそうなものを「グレーリスト」、法令順守などのために当面は印刷しなければならないものを「ホワイトリスト」という具合だ。 さらに、「情報保管ガイドライン」を作成して全社員に提示したという。ガイドライン提示前は、紙の保管方法は定めていたが、いつ捨てるのかを決めていなかったため、保管期間と廃棄時期をはっきりさせて、保管する紙の量を減らすことを狙ったのだ。保管が必要だが、現物の紙が必要でないときはデータ化して紙を廃棄するなど、残しておくとしても極力データで残して紙を廃棄する方針を打ち出した。 そして、宣言から現在までのペーパーレスの効果を金額に換算すると、年間12億円を削減できたという。驚くべきことに、そのうちおよそ60%が、従業員が紙の準備に費やしていた工数だということだ。会議資料の準備や印刷、コピーなどに従業員1人当たり、1カ月におよそ1時間費やしていたという。紙に書いてある情報には関係のない作業に時間を費やしていたということだ。その時間を集計して、人件費に換算すると年間およそ7億2000万円にも達していた。 吉岡氏は、ペーパーレスに取り組むことで得られる効果として、従業員が雑務から解放されるという点と、情報が紙ではなくデータで流れるようになるため、意思決定のスピードが上がる、さらに、場所にとらわれない働き方にも対応しやすくなる点を挙げた』、「およそ60%が、従業員が紙の準備に費やしていた工数だということだ。会議資料の準備や印刷、コピーなどに従業員1人当たり、1カ月におよそ1時間費やしていたという。紙に書いてある情報には関係のない作業に時間を費やしていたということ」、往々にしてありそうなことだ。
・『業務の規模や性質に応じて自動化の方法を使い分ける  次に話題は業務の自動化に移った。ソフトバンクでは業務が定型的か、非定型的かという尺度と、業務で扱う情報量の多さという2つの尺度で、自動化に使用する手法を使い分けているという。グラフにすると以下の図のようになる。 定型的な業務で、扱うデータ量が多い場合はパッケージソフトウェア。業務がもう少し非定型的になると独自システムやAI(Artificial Intelligence)が選択肢に入ってくる。扱うデータ量が少ない、個人レベルの自動化ならVBA(Visual Basic for Applications)やSQLも選択肢となるという具合だ』、「自動化の方法を使い分け」は合理的に思える。
・『人事部門:新卒採用にAIを活用  吉岡氏は事例として人事部門がAIを活用している例と、社内文書の電子押印の例を紹介した。人事部門の例では、新卒採用のエントリーシートの合否判定や、動画面接にIBMの「Watson」を活用しているという。エントリーシートでは、過去のエントリーシートと合否結果を学習させ判定モデルを作り、新規のエントリーシートをWatsonに投入し、自動的に合否を判定させている。Watsonが合格判定した場合は合格とし、不合格判定した場合は人事担当者が確認して最終合否判断を行っている。加えて、学生からの一次問い合わせ対応にもWatsonを活用し、チャットボットで自動化しているという。 動画面接では、エントリーシートと同様のフローで、学生が提出した動画をAIで分析し、合否判定している。AIの活用により、エントリーシートの確認に割いていた時間を75%削減、動画面接では85%削減できたという。さらに、統一された判定基準で評価できている点も、大きな効果だとしている』、「AI」の効果は絶大なようだ。
・『電子押印&電子署名:紙でのやりとりが必要な文書も将来的に100%電子化  電子押印のシステムは、主に先述の「グレーリスト」と「ホワイトリスト」の一部、つまりシステムによって電子化が可能な文書や、これまで紙でのやりとりが求められていた契約書などの文書を対象にしている。これを電子押印、電子署名のシステムを利用し、100%電子化することを目指す取り組みだ。 政府が2024年度までに行政手続きにおける押印を原則廃止とする方針を打ち出していることから、2022年度には民間企業宛ての書類を100%電子化し、2024年度には行政手続きの書類も100%電子化する予定だという。そのスケジュールから考えて、2021年度内には、ソフトバンク社内の電子押印のシステムは整備を済ませるとしている。 電子署名、電子押印には、すでにあるソフトバンク独自の稟議、押印申請、書類保管のシステムと、社外向けには米DocuSign社のサービスを連携させて利用するとしている。新型コロナウイルス感染症の感染拡大で基本的には在宅勤務となっているが、それでもソフトバンクの調べでは平均で1日当たり110人が押印のために出社しているという。電子押印のシステムが稼働を始めれば、押印のための出社をゼロにできると見込んでいる』、「ソフトバンク」でも「平均で1日当たり110人が押印のために出社」、にはやや驚かされた。
・『DX推進に必要な3つの要素とは?  最後に吉岡氏はDX推進に必要な3つの要素として「トップダウン」「環境構築」「チェンジマインド」を挙げた。ただしトップダウンといっても、上から無理矢理やらせるということではなく、従業員全員が前向きに取り組めるようなビジョンを打ち出すことや、取り組みの意義をトップ自らが全社の従業員に説明することが重要だという。 環境構築はiPhone、iPad、ノートパソコンを従業員に配布したり、自動化の手段を選ぶ尺度を示すなど、従業員が自動化に取り組める環境を整備しないと何も始まらないということだ。 最後のチェンジマインドは、従業員に前向きなチャレンジを促す、変化を起こすことを促すような仕掛けが必要だと吉岡氏は考えているという。ソフトバンクでは、自動化などの事例を横展開することを非常に重視しており、コンテスト形式で事例の発表会を開いている。 現在、ソフトバンクは東京・竹芝に移転したばかりの新本社で、最新技術を使ったさまざまな実証実験を実施しているそうだ。今後も、あっと驚くような発表があるかもしれない』、「トップダウンといっても、上から無理矢理やらせるということではなく、従業員全員が前向きに取り組めるようなビジョンを打ち出すことや、取り組みの意義をトップ自らが全社の従業員に説明することが重要だという」、強引なリーダシップかと思っていたが、意外にソフトなようだ。

第三に、6月25日付けダイヤモンド・オンラインが掲載したテクノロジーライターの大谷和利氏による「インドのIT化が猛スピードで進む「3つの要素」、日本はもうかなわない?」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/274946
・『Google、Microsoft、IBM、Adobe……この4つの企業はすべてCEOがインド人である。さらに、AppleやIntelにも副社長など多数のインド人幹部がおり、今や“インドの強さ”はIT業界における世界的な共通認識になっている。日本ではまだ「インドがIT先進国」という認識の人は少ないのではないだろうか。しかし実際のインド社会は、ものすごいスピード感でIT化・デジタル化が進んでいる。モバイルファーストが徹底しており、キャッシュレス決済も日本よりも普及しているほどだ。 最近、ニュースなどでインドの話題を目にすることが多い。残念ながら、それはインド株とも呼ばれる新型コロナウイルスの変異株絡みのもので、世界各国で問題視され、ネガティブな印象につながっている。 しかし、本来のインドは、IT業界のトップ人材を数多く輩出しており、高齢化とは無縁な人口構成や国外からの投資増大などの要素も相まって、2020年代後半から2030年代にかけて市場としても、また世界企業の製造拠点としても大きな躍進が期待される国なのである。今回は、ここ数年にわたって筆者が目の当たりにしたインドの実情についてまとめてみた』、「世界有数のIT企業」での「インド人」「CEO」の活躍は確かに驚くべきことだ。
・『ステレオタイプや誤解も多いインドのイメージ  インドについて、今でも「仏教」「ヨガ」「カレー」「ターバン」の国というようなイメージしか持ち合わせていないとすれば、それは大きな間違いだ。インドにおける仏教は、ヒンズー教、イスラム教、キリスト教、シク(シーク)教に次ぐ5番目の宗教であり、信者は人口の1%にも満たない。バラモン教の修行としての本来のヨガもごく一部の人が実践するのみで、それ以外は他国と同じくエクササイズとしてのものが主流だ。また、日本人が考えるカレーという料理はなく、カレーに見える多彩な料理には、すべて固有の名前が付いている。そして、いわゆるターバンも、人口の2%以下というシク教徒の中でも特に教義に忠実な人しかまとっていない。 一方では、世界有数のIT企業であるGoogle、Microsoft、IBM、AdobeのCEOはすべてインド人であり、他の産業でもトップや幹部がインド人という例は少なくない。Appleも、上級副社長の中にインド人を擁している。同国の優秀な人材確保のために、研究所やインターン施設を、インド国内に23校あるIIT(Indian Institutes of Technology、インド工科大学。GoogleのCEOなど多数のエリートを輩出する名門大学)の近くに建設するIT企業は多く、Appleも、バンガロールと並ぶテクノロジー拠点のハイデラバードに2500万ドルを投じ4500人規模のR&Dセンターを設立した。 さらにAppleは、iPhone 12を製造する鴻海(ホンハイ)精密工業の工場も同国内で稼働させるなど、インドへの投資を加速させている。というのも、インドは、現時点ではまだ貧富の差が激しいものの、国民の過半数が25歳以下の若者であり、2023年には全人口で中国を抜く見込みだ。同時に、2020年代の後半には中間層の購買力がEUやアメリカ、中国を抜いて世界のトップに躍り出ると予想されており、市場としても非常に魅力的な地域となるためである』、「2020年代の後半には中間層の購買力がEUやアメリカ、中国を抜いて世界のトップに躍り出ると予想」、とは初めて知った。
・『モバイルファーストが当たり前  実際に筆者がコロナ禍の前に3度ほど渡印した際に感心したのは、渡航前にネット経由でe-Visa(電子ビザ)を取得でき、入国時にパスポートに正式なスタンプがもらえる仕組みや、e-Visaの取得者には、現地の主要空港で一定の通話と通信料がチャージされたSIMカードが無料でもらえるという特典の存在、そして、訪れた企業からホテルに帰る際に担当者から「タクシーを呼びましょうか?」ではなく「Uber(あるいは、そのインド版のOla Cabs)を手配しましょうか?」と言われたことだったりした。 また、インドでは3輪タクシーや屋台にまで「Paytm(ペイティーエム)」というキャッシュレス決済サービスが普及している。日本で2018年にスタートし、急速に普及した「PayPay」は、インドのPaytmの技術を基にして日本向けにローカライズしたサービスである。 インドの三輪タクシーでも使えるPaytmは、日本のPayPayのベースとなっている技術だ。 これらのことからもわかるように、インドでは無数のサービスがアプリを介して瞬時に数億人の消費者に直結できることを念頭に作られており、何をするにもスマートフォンなどを利用するモバイルファーストの考え方が常識なのだ。 日本のマイナンバーに相当する国民識別番号の「アドハー」も、すでにほぼ全国民に普及しており、そこには指紋・虹彩・顔のデータも登録しているため、完全な生体認証システムとして機能する。そして、国が管理するこのデータによる認証サービスを民間企業にも積極的に利用させることで、銀行口座の開設などの手続きも簡略化しているのである。ちなみにアドハーの生体認証にはNECの技術が使われており、国家の根幹となる部分に日本が貢献できていることは、喜ばしい限りだ』、なるほど。
・『海外で成功した人がインドに戻り祖国へ投資 スタートアップや産学官の取り組みが進む  もちろん、インド市場に注目しているのは国外企業ばかりではない。これまで、数多くの若さと能力にあふれた人々がいても資金調達の問題があったが、一度、海外で成功した人たちがインドに戻って祖国のために投資する動きも強まっており、起業家たちがそうした支援を受けてさまざまなビジネス展開を始めている。  そのような新興企業をサポートするインキュベーター&アクセラレーター施設を大学が整備したり、大手企業の資金力とスタートアップのアイデアを組み合わせて共創する流れや、企業が周辺住民に対する研究施設の見学会的なものを開催して積極的に社会との交流を図る動きが見られるなど、産学官の取り組みもダイナミックに進みつつある。 たとえば、ハイデラバードのIITに設置されたT-HUBと呼ばれるインキュベーター&アクセラレーター施設では、2017年3月の開設以来、120社を超えるスタートアップをインキュベーションし、1100社を超えるスタートアップの支援を行い、1500社以上の企業を結び付けてきた。また、新たに3万2500平方メートルという巨大な新館のReactor Buildingも建設中で、さらなる躍進が期待されている。 残念なのは、このインド最大級のインキュベーター&アクセラレーター施設のパートナーとして錚々たる国際的大企業が名を連ねているにもかかわらず、日本企業の名前がないことだ。 また、ドイツで設立され、今やヨーロッパで最大級のソフトウエア企業へと成長して世界規模で多様なビジネスアプリ開発を行っているSAPのインドにある研究施設、SAP Labs Indiaもユニークな存在だ。この施設は、全世界に20あるSAPの研究開発ラボの中でもドイツ本国に次ぐ規模を持ち、SAP Startup Studioという名のインキュベーション施設で培われたアイデアを製品化するなど、スタートアップとの共創が行われている。 SAP Labs Indiaのキャンパスは2週間ごとにバンガロール市民に開放され、AIやマシンラーニングなどを含む最新テクノロジーのショーケースイベントが開催される。この取り組みにより、経済的な事情で望む道に進めなかった人でも、意欲さえあれば最先端の技術に触れたり、研究者とのやりとりができるのだ』、「インド最大級のインキュベーター&アクセラレーター施設のパートナー」に「日本企業の名前がない」こと、は残念だ。「SAP」が「全世界に20ある」「研究開発ラボの中でもドイツ本国に次ぐ規模」とはさすがだ。
・『「ジュガール」の精神とインド人が重視する3つの要素  そして、今、インドは新型コロナウイルス禍によって多くの感染者と死者を出している。その数字は驚くべきもので、もちろん、深刻ではあるのだが、これは人口の母数が多いことも関係しており、死亡率自体は筆者の自宅のある大阪府よりも低かったりする。 インド人がよく使う言葉に「ジュガール」というものがあり、これは良い意味で現状を受け入れて、その中で解決策を見いだすようなことを指している。たとえば、あるプロジェクトで、急に納期や予算が半分になったとしたら日本人はパニックを起こすかもしれないが、インド人は、その制約の中でやり遂げようとする。当初と同じ100%の成果は期待できなくとも、何とかそこに近づこうと努力するのである。したがって、ウイルス禍に関しても、筆者は中・長期的に見て必要以上に心配はしておらず、何らかの解決策を見いだしていくものと考えている。 このように書いた後から、インドでの1日あたりのワクチン接種者の数が、750万人という新記録を達成したとのニュースが飛び込んできた。このペースでも、全国民に行き渡るまでにはまだ時間がかかるが、インドの場合には人々が接種会場に足を運ぶほかに、医師らが人々のところを巡回して接種する方法も採られ、ジュガール精神の健在さを印象付けている。 最後に、ある大手日本企業のインド駐在員の方との話の中で、インド人の日本に対するイメージを尋ねたところ、「先進的な技術立国としてのイメージの“貯金”はまだ多少残っているが、このままでは数年のうちに失われるだろう」と危惧されていた。日本企業は、その貯金があるうちに何をなすべきか、真剣に考える時が来ているといえよう。 インドでは、企業人も起業家もデザイナーも、何かを作り出すに当たって、3つの要素を重視する。それは、社会的なインパクトがあるか? インクルーシブ(全員参加型)か? そして、スピード感を持って事に当たっているか? という3点だ。手始めに、自分の会社がこの3つの要素を満たせるかどうか、考えるところから始めてみるのも一つの方法である』、「インド人が重視する3つの要素」である「社会的なインパクトがあるか? インクルーシブ(全員参加型)か? そして、スピード感を持って事に当たっているか?」、というのは日本人も大いに参考にすべきだろう。
タグ:民間デジタル化促進策 (その2)(デジタル化で「日中」に歴然の差がつく根本理由 中国の挨拶は「起業したか?」に変わりつつある、「DXの第一歩はペーパーレス」10年前に紙をなくしたソフトバンクは、今どうなっているのか 【DOLイベントレポート】脱はんこ・ペーパーレスの実践 ~バックオフィスのデジタル変革~、インドのIT化が猛スピードで進む「3つの要素」 日本はもうかなわない?) 東洋経済オンライン 趙 瑋琳 「デジタル化で「日中」に歴然の差がつく根本理由 中国の挨拶は「起業したか?」に変わりつつある」 『チャイナテック:中国デジタル革命の衝撃』 「リープフロッグ」とは確かに説得力ある説明だ。ただ、欧米のような先進国ではこれは利かないので、欧米との比較も欲しいところだ。 その通りだが、変革には時間がかかり、即効は期待できないようだ。 ダイヤモンド・オンライン 「「DXの第一歩はペーパーレス」10年前に紙をなくしたソフトバンクは、今どうなっているのか 【DOLイベントレポート】脱はんこ・ペーパーレスの実践 ~バックオフィスのデジタル変革~」 「ソフトバンク」はさぞかし先進的なのだろう、興味深そうだ。 「ソフトバンク」は文字通り元祖「DX」のようだ。 「開始して2年たった現在、人間がやっていた作業のうち、目標の半分に当たる2000人相当の作業を自動化できたという。そしてその結果、業務委託費を95億円削減でき、600人の従業員を成長領域に配置換えできた」、大したものだ 「ペーパーゼロ宣言」の「根底には「重要なのは紙ではなく、紙に書いてある情報」という考えがある」、なるほど 「2011年度は」「3億3000万枚の紙を使っていた」のが、「2020年度は全社で1000万枚以内に収まる見込み」、とはさすがだ。削減の2/3は、「携帯電話などの申込書類」の「ペーパーレスでシステムの中で完結」、のようだ。 「およそ60%が、従業員が紙の準備に費やしていた工数だということだ。会議資料の準備や印刷、コピーなどに従業員1人当たり、1カ月におよそ1時間費やしていたという。紙に書いてある情報には関係のない作業に時間を費やしていたということ」、往々にしてありそうなことだ。 「自動化の方法を使い分け」は合理的に思える。 「AI」の効果は絶大なようだ。 「ソフトバンク」でも「平均で1日当たり110人が押印のために出社」、にはやや驚かされた。 「トップダウンといっても、上から無理矢理やらせるということではなく、従業員全員が前向きに取り組めるようなビジョンを打ち出すことや、取り組みの意義をトップ自らが全社の従業員に説明することが重要だという」、強引なリーダシップかと思っていたが、意外にソフトなようだ。 大谷和利 「インドのIT化が猛スピードで進む「3つの要素」、日本はもうかなわない?」 「世界有数のIT企業」での「インド人」「CEO」の活躍は確かに驚くべきことだ。 「2020年代の後半には中間層の購買力がEUやアメリカ、中国を抜いて世界のトップに躍り出ると予想」、とは初めて知った。 「インド最大級のインキュベーター&アクセラレーター施設のパートナー」に「日本企業の名前がない」こと、は残念だ。 「SAP」が「全世界に20ある」「研究開発ラボの中でもドイツ本国に次ぐ規模」とはさすがだ。 「インド人が重視する3つの要素」である「社会的なインパクトがあるか? インクルーシブ(全員参加型)か? そして、スピード感を持って事に当たっているか?」、というのは日本人も大いに参考にすべきだろう。
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終末期(その6)(終末期を自分らしく過ごせる場所としてホスピスに期待がかかる理由、1000人の看取りに接した看護師が伝える 苦しみのない穏やかな最期を迎えたい人に 絶対に知っておいてほしいこと、肺がん・脳転移と闘う医師の関本剛さん「標準治療を信頼」) [人生]

終末期については、2019年12月6日に取上げたままだった。久しぶりの今日は、(その6)(終末期を自分らしく過ごせる場所としてホスピスに期待がかかる理由、1000人の看取りに接した看護師が伝える 苦しみのない穏やかな最期を迎えたい人に 絶対に知っておいてほしいこと、肺がん・脳転移と闘う医師の関本剛さん「標準治療を信頼」)である。

先ずは、昨年5月27日付けダイヤモンド・オンラインが掲載した福祉ジャーナリスト(元・日本経済新聞社編集委員)の浅川澄一氏による「終末期を自分らしく過ごせる場所としてホスピスに期待がかかる理由」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/238409
・『がんと難病患者の終末期に特化 「ホスピス」が拡大  終末期の迎え方は依然、大きな課題だ。安全第一の規則に縛られ、窮屈な入院生活のまま亡くなる。そんな人が4人のうち3人もいるのが日本。日常生活を遮断してしまうのが病院。一方で大多数の国民は自宅でのみとりを望んでいる。 だが、医療対応が迫られ家族の負担が大きいため、やむなく入院する羽目になる。一人暮らしや老夫婦なので事実上、みとりができないことも。だからといって、特別養護老人ホームや有料老人ホームなど介護保険施設では、やはり医療対応が難しく入所を断られがちだ。終末期の居場所探しは難しい。 こうした中で、「医療」「看護」「介護」を提供できる「集合住宅」が広がろうとしている。がんと難病の終末期に特化した「ホスピス」である。運営は株式会社。民間ならではの柔軟な発想で既存制度を巧みに活用し、入居者の「自然で自由な生活」を目指している。 昨年4月に開設した横浜市保土ヶ谷区の「在宅ホスピス保土ヶ谷」。相鉄本線西谷駅近くの住宅地に立つ。新築2階建てで27の個室が並ぶ。) 昨年8月に舌がんの末期で入居したAさん(76歳)は余命2週間と言われ、大学病院を車いす状態で退院してきた。首を動かせずにうつむいたまま。よだれを垂らし、吐き気と下痢が続いていた。 「処方している麻薬のせいで吐き気がするのでは」と看護師たちスタッフが訪問医師に提言し、注射から貼り薬に変えた。すると吐き気が消えた。次いで、胃瘻の栄養剤を半固形に変えた。効果は大きく、活力が出てきて歩行ができるようになった。ホールでの音楽会に参加し、顔を上げてコミュニケーションも取れるまでになるなど生活を楽しみながら、12月に旅立った』、「看護師たちスタッフが訪問医師に提言し、注射から貼り薬に変えた。すると吐き気が消え・・・」、こういうプロの「スタッフ」がいれば心強いが、「ホスピス」のパンフレットだけでは分からないだろう。
・『終末期を自分らしく過ごせる場所としてホスピスに期待がかかる理由  筋萎縮性側索硬化症(ALS)を患う飯塚益弘さん(59歳)は入居して1年近くたつ。両脚と左手は動かない。ALSは全身の筋肉が次第に動かなくなる原因不明の難病。人工呼吸器を付け気管切開をしているため、かすれ声。ベッド上のパソコンを右手親指で操り、好きな日本酒などを注文してたしなむ。スタッフが押す車いすで、庭の白いつつじの花を見て回るのも最近の楽しみだ。 現在、末期がんの人が11人、ALSやパーキンソン病、多系統萎縮症など難病の人が12人入居している。1・2階にそれぞれ食堂兼リビングを備え、個室から出てきてテーブルにつく。1階の食堂にはオープンキッチンが併設され、家庭的な雰囲気が漂う』、「ホスピス」建設時に周辺住民の反対運動などが起こらないければいいのだが・・・。
・『医療保険、介護保険を活用し自宅同様の生活が可能に  看護師が来る訪問看護を医療保険で、ヘルパーの訪問介護を介護保険でそれぞれ同じ建物のステーションから派遣し、スタッフは24時間見守る。医師も地域の診療所から毎週訪れる。看護、介護、医療のそれぞれの制度を活用し、病院と変わらないサービスを提供。病院と大きく違うのは、食事や入浴、外出、それに家族の面会や宿泊などに制約がないこと。というのも、この集合住宅は、自宅に近い制度の住宅型有料老人ホームだからだ。つまり在宅サービスを受けながら、自宅と同じ生活を送ることができる。 家賃は、がんの人の部屋は6万円台、難病の人は3万円台。食費と管理費が3万円ずつ、夜勤者の人件費など保険外サービスの生活支援費が2万4000円となる。これに、医療保険と介護保険の1~3割負担が加わり合計で月20万~30万円となる。 運営する「シーユーシー・ホスピス」(吉田豊美社長)は、首都圏や札幌、大阪などにこうした「在宅ホスピス」などを13カ所展開している。 東京都墨田区に18年10月に開設した「在宅ホスピス墨田」には、ぼうこうがんのBさん(78歳)が4月初めに入居した。昨年10月に手術を終え自宅に戻ったが、小腸に穴が開き2月に再入院。症状が悪化し、余命を告げられていた。 本人の強い要望は「ビールが飲みたい」。消化管が使えないので、胸にCVポートを付けて栄養剤を注入しており、口からの摂取は難しい。そこで、看護師たちは工夫した。まず、氷を口に含ませて慣らし始めた。そして、1カ月後に小さなコップでビールを味わえた。亡くなったのはその1週間後だった。 安全第一で医療管理が徹底している病院では実現できなかっただろう。本人の希望をできる限りかなえようとする姿勢の違いである。「生活の質(QOL)」の維持、向上を目指すホスピスならではだ』、死ぬ前に「看護師たちは工夫」で「ビールが飲」めたのは、確かに「安全第一で医療管理が徹底している病院では実現できなかっただろう」、こうした死ぬ前の無理が聞いてもらえるのは有難い。
・『QOLの維持・向上を重視 入居者の希望をできるだけかなえる  「ファミリー・ホスピス」の施設名で6年前から事業展開を始めた「日本ホスピスホールディングス」(高橋正社長)も入居者をがんと難病に特化し、QOLにこだわる。 横浜市栄区にある「ファミリー・ホスピス本郷台ハウス」。頭頚部がんのCさんは、病院で夜間にナースコールを何度も鳴らし、「不穏」な男性と見られていたという。その原因は、「呼吸苦に対する不安から」とみた看護師が対応法を考えた。 首のリンパ節が腫れて気道を圧迫し、呼吸困難状態でもあった。抗不安薬や医療用麻薬の利用など医師と相談して実践したところ、症状を緩和できた。入居後約50日の昨夏に亡くなったが、気道閉塞であるにもかかわらず、好物の寿司を存分に食べることができた。本人の望みをできるだけかなえようというホスピスの姿勢の現れだ。 3月末に一人暮らしのDさん(89歳)が入居した。入院中から「自宅に帰りたい」という思いが強く、病院から3日間だけ自宅に戻り、そのまま自宅からの入居となった。離れて暮らす娘2人には「住み心地のよい自宅で住まわせたいが、胃がんの進行した今の状況では、症状を自分たちだけでは緩和しきれない」との不安があった。そこで「家庭的なところで最期を」となりホスピスを選んだ。 胃がんの腹膜幡種でステージ「4」の末期。余命1~2カ月と医師から告げられていた。腹痛や吐き気に苦しみ、「このつらさを取ってほしい」と本人が切望していた。 看護師たちは在宅医と何回も話し合いを重ね「医療用麻薬をうまく使うことで」(看護師)、症状を緩和することができた。緩和ケアに長けた看護師の実力が発揮された。つらさが消えたこともあり、果物ジュースやみそ汁を飲めるようになった。病院では「経口摂取は無理」と言われていた。 日本ホスピスホールディングスは、運営会社の「カイロス・アンド・カンパニー」と「ナースコール」を傘下に持ち、それぞれ首都圏と愛知県で合わせて14カ所の「ホスピス」を運営している。昨年3月に東京証券取引所マザーズに上場した。 訪問看護と訪問介護の事業所をホスピス内に構え、近隣のクリニックから在宅医が訪問診療に来る。看護小規模多機能型居宅介護や、通所介護を設けているホスピスもある。ホスピスの半数は、住宅型有料老人ホームだが、後の半数は居室が18平方メートル以上のサービス付き高齢者向け住宅(サ高住)である』、「首のリンパ節が腫れて気道を圧迫し、呼吸困難状態でもあった。抗不安薬や医療用麻薬の利用など医師と相談して実践したところ、症状を緩和できた」、「胃がんの腹膜幡種でステージ「4」の末期・・・腹痛や吐き気に苦しみ、「このつらさを取ってほしい」と本人が切望・・・看護師たちは在宅医と何回も話し合いを重ね「医療用麻薬をうまく使うことで」(看護師)、症状を緩和することができた。緩和ケアに長けた看護師の実力が発揮された。つらさが消えたこともあり、果物ジュースやみそ汁を飲めるようになった」、いかにも「ホスピス」らしい成功例を紹介しているのだろうが、一般の病院よりはよさそうだ。
・『運営の主役は訪問看護師 ホスピスケア(緩和ケア)を行う  両社とも、ホスピス運営の主役は訪問看護師ということが大きな特徴だろう。この点で、介護職が主体の在宅介護と介護保険施設、医師が主導する医療機関とは違う。介護と医療の2つの領域を理解できる専門職がリーダーシップをとる。 がん性疼痛看護や緩和ケアの認定看護師、それにがん看護専門看護師がいるので専門性が高く、在宅医に対応法を提言することも。医療だけでなく日々の生活を手助けし、ホスピスの本来の役割を果たせる。ホスピスケア(緩和ケア)とは「身体の痛みだけでなく、心理・社会的苦痛やスピリチュアルな苦悩も緩和する」(世界保健機関)とされる。 日本では、1990年に厚労省ががんとエイズ患者限定の「緩和ケア病棟入院料」を医療保険に導入した。ホスピスは制度名にはなっていない。緩和ケア病棟は、この30年間に増え続け、昨年11月時点で全国に431施設、8808ベッドある。かなり広がったが、地域差が大きい。 都道府県別で最も多いのは福岡県で、東京都を上回っている。36病院が病棟を持ち、全ベッド数は725になる。最も少ないのは、1病院しかない山梨県でわずか15ベッドだ。 しかし、全国で1万ベッドに達していないので、死亡率1位のがん死亡者は約37万人もおり、まだ足りないのが実態だ。厚労省は、2012年に緩和ケア病棟の入院料を3種類に分けた。この4月からの改定では3種類のうち30日以内であれば61日以上より5割増しの報酬とした。「痛みが取れたら在宅で」と早期退院策に拍車をかけた。長期入院の「終のすみか」でなく、退院を急がせることになり、受け皿不足は高まる。そのため民間の「ホスピス」への需要が一段と高まりそうだ。 そもそも、病院は生活の場ではない。緩和ケア病棟でもその大部分は一般病棟のフロアに設けられ、医療の管理下にある。余命が限られた人たちが満足のいく「普通の生活」を送ることは難しい。病院の敷地内でなく、離れた建物が独立している緩和ケア病棟はわずか6棟しかない。 そこへ、「好きな飲食」「自由な日常生活」を掲げた民間事業者のよりホスピスが産声を上げた。日本人の死者数は昨年の136万人から、10年後には160万人を超えるといわれる。ホスピス事業の追随者が現れ、その広がりに期待したい』、「緩和ケア病棟」では「「痛みが取れたら在宅で」と早期退院を迫られること、「病院は生活の場ではない。緩和ケア病棟でもその大部分は一般病棟のフロアに設けられ、医療の管理下にある。余命が限られた人たちが満足のいく「普通の生活」を送ることは難しい」、などから、「緩和ケア病棟」よりは、「民間事業者の」「ホスピス」が中心になっていくのだろう。

次に、本年5月8日付けダイヤモンド・オンラインが掲載した正看護師でBLS(一次救命処置)及びACLS(二次救命処置)インストラクター・看取りコミュニケーターの後閑愛実氏による「1000人の看取りに接した看護師が伝える、苦しみのない穏やかな最期を迎えたい人に、絶対に知っておいてほしいこと」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/269505
・『人は自分の死を自覚した時、あるいは死ぬ時に何を思うのか。そして家族は、それにどう対処するのが最善なのか。 16年にわたり医療現場で1000人以上の患者とその家族に関わってきた看護師によって綴られた『後悔しない死の迎え方』は、看護師として患者のさまざまな命の終わりを見つめる中で学んだ、家族など身近な人の死や自分自身の死を意識した時に、それから死の瞬間までを後悔せずに生きるために知っておいてほしいことを伝える一冊です。 「死」は誰にでも訪れるものなのに、日ごろ語られることはあまりありません。そのせいか、いざ死と向き合わざるを得ない時となって、どうすればいいかわからず、うろたえてしまう人が多いのでしょう。 これからご紹介するエピソードなどは、『後悔しない死の迎え方』から抜粋し、再構成したものです。 医療現場で実際にあった、さまざまな人の多様な死との向き合い方を知ることで、自分なら死にどう向き合おうかと考える機会にしてみてはいかがでしょうか。(こちらは2018年12月20日付け記事を再掲載したものです)』、「1000人の看取りに接した看護師」によるアドバイスとは、興味深そうだ。
・『医療、患者さん、ご家族の思いがすれ違わないために  「縁起が悪い」「考えたくもない」 自分自身や身近な人の死について、じっくり考えたり語り合ったりすることを避けたがる人が多いように思います。 でも、それでいいのでしょうか。 死というのは、精一杯生き抜いた先にあるものです。 決して縁起の悪いものではなく、いわば人生のゴールなのではないでしょうか。 とするなら、万全の準備をして、終わりよければすべてよし、といった姿勢で、何も思い残すことなくそのときを迎えたくはありませんか。 現実にはうまくいかないことがあるにしても、準備不足、考え不足で、自分の人生のゴールである最期を中途半端な形で他人にゆだねることになってしまう人が多くいます。 ゆだねられたご家族は、それが負担や傷となって、その後の人生に影を落としてしまうことだってあるのです……。 私は看護師になって今年で16年目を迎えています。 2007年からは療養病棟に勤務して終末期の患者さんやご家族と向き合うこととなり、1000人以上の方々の看取りに接してきました。 最期まで幸せを感じながら穏やかに亡くなった患者さん、逆に苦しみながら亡くなっていった患者さん、突然の死を受け入れられずに取り乱すご家族など、さまざまな状態の人と向き合ってきました。 その中で私は、どうしたら人は幸せな最期を迎えられるのかを日々考えるようになっていったのです』、人間は嫌なことを考えるのは先送りしがちだが、その結果、「準備不足、考え不足で、自分の人生のゴールである最期を中途半端な形で他人にゆだねることになってしまう人が多くいます」、確かに事前に準備しておくべきだろう。
・『でも、看護師である私がいくら張り切ったところで、患者さん側にもそういう意識がなければ、すべては空回りに終わってしまいます。 患者さん側にもいろいろと考えてもらったり、ご家族で話し合ってもらったりすることが不可欠なのです。 それなしでは、思いが同じでも現実にはすれ違いが生じてしまいます。 たとえば、入院に際して「延命治療は望みません」という患者さんのひと言があったとしましょう。 患者さんやご家族は「これで自分たちの希望も伝えた」と安心しているかもしれませんが、そうではありません。 じつは「延命治療」にはさまざまな考え方、解釈があるのです。 寝たきりで意識がなくなってもできるかぎりの治療をすることが延命治療と思っている人もいれば、救急的な救命措置こそが延命治療と考えている医療関係者もいます。延命治療に対する考え方は百人百様、まちまちなのです。 本人が思う延命と家族が思う延命、私が看護師として思う延命、他の医療者が思う延命、それらはすべて違うといっても過言ではありません。 ですから、医療の現場ではこんなことがよく起こります。 「父は、『延命治療はしないでほしい』と言っていました。ですから延命治療は望みません」 そう言うご家族の隣で、当の患者さんがベッドでたくさんの管につながれ、うつろな目でボーッと空を見上げている……。 「もう十分、延命治療されているのではないですか……」 そう言いたくなるようなシーンをずいぶんと見てきました。 こんなすれ違いがこれ以上起こらないためにも、患者さんを含めての家族同士や、家族と医療者との間での腹を割った話し合い、お互いの考え方の共有が必要なのです。 そもそも医療や延命とは、どうすごしたいか、どう生活したいか、それを叶えるための手段のはずです。 それなのに、医療を受けることや延命自体が目的に変わってしまっているように思います。 考えるべきは、「人生の主人公は自分」という当たり前なことを念頭に置いた、最期までの生き方、すごし方です。医療とはそれを叶えるための手段にすぎないのです。  いつしか私は、こうしたことを病院の中で伝えるのでは遅いと思うようになりました。元気なうちから家族で話し合っておいてほしいと考えるようになったのです。 そんなあるとき、患者の立場から医療をよくしようと活動している方と知り合いました』、私も周囲に『延命治療はしないでほしい』と言っているが、そんなことは何の保証にもならないようだ。「延命治療は望みません」 そう言うご家族の隣で、当の患者さんがベッドでたくさんの管につながれ、うつろな目でボーッと空を見上げている……。 「もう十分、延命治療されているのではないですか……」 そう言いたくなるようなシーンをずいぶんと見てきました」、悲劇的な喜劇だ
・『その方は講演会の中で、「賢い患者になって、医療者とともに医療を変えよう!」と言っていました。 私はそのとおりだと思いました。医療は病院の中からだけでは変わらない、病院の中と外、双方から変えていくものだ。そして、人の言葉はこんなにも心に響くものかと感動したのです。 以来、私は病院の外で、人生の最期のすごし方について、講演活動をしたり、SNSなどで発信するようになりました。 「人生の主人公は自分」であるのだから、最期までのすごし方を家族と話し合っておいてほしい。 そして、それを叶えるための知識と技術の提供、分かち合うコミュニティ形成のために全国に講演に行ったり、看取りについて語るトークイベントを開催するようになりました。 このイベントに参加したあとで看取りを体験した人から、 「心の準備ができていたから、穏やかに看取ることができました」という報告をいただいたこともあります。 看取ったあとにイベントに参加し、「もっとああしておけばよかったとずっと後悔していたけれど、あれでよかったのだと考え直すことができました」
 と言ってくれた人もいました。 そんなたくさんの方の声に後押しされて、私は今回、私自身が遭遇したり見聞きした実例をもとに、後悔しない看取りのためにできること、最期までの時間の幸せなすごし方、延命治療についての考え方などを『後悔しない死の迎え方』という一冊にまとめてみました。 私は、みながみな、「いい人生だった」「あんな最期いいよね」と思えるような「死とうまくつき合う時代」にしていくことが自分に与えられたミッションだと思っています。 この本が、幸せな最期を迎えるためのヒントになってくれれば、そして、ご家族をはじめとする看取った人の心の癒しになれば、著者としてこの上ない喜びです』、『後悔しない死の迎え方』、時間ができれば読んでみたい本だ。

第三に、5月17日付け日刊ゲンダイ「肺がん・脳転移と闘う医師の関本剛さん「標準治療を信頼」」を紹介しよう。本人の略歴は最後の部分にある。
https://hc.nikkan-gendai.com/articles/276221
・『関本剛さん(44歳/緩和ケア医師 関本クリニック院長)=肺がん(脳転移あり) 2019年の秋、人間ドックのつもりで受けた胸部CT検査で4センチ大の肺腫瘍が見つかり、精密検査をしたらステージ4の肺がんで、しかも、大脳、小脳、脳幹への多発脳転移も発見されました。根治を目指す治療はなく、延命を目指した全身抗がん化学療法が最有力の選択肢。その標準治療を受けた場合、「残り2年」というのが平均的なデータです。 現在、告知から約1年半が経ちましたが、まだ仕事を続けられていますし、じつは1月には家族でスキーも楽しみました。昨年「『残り2年』の生き方、考え方」という本を上梓しましたが、このまま2年を超えられたら「儲けもんやな」と思っています。 僕は民間療法や代替医療を一切受け入れないことを誓ったので、主治医の示す標準治療を信頼して、いけるところまでいこうと決めています。 主治医に伝えているのは、仕事ができることを含めて、普通に過ごせる時期の延長こそを望んでいるということ。一番心配なのは、脳に転移したがんが大きくなって体の麻痺が起きたり、認知機能が低下して仕事ができなくなることなので、脳転移に対して効きが悪そうな予兆があれば、治療の変更を遠慮なく伝えてほしいとお願いしています。今こうして仕事を続けていられるのは、その標準治療がよく効いてくれているおかげだと思っています。 幼い頃、小児喘息だったので季節の変わり目には咳込むことが多くありました。2019年はいつもよりちょっとひどい咳が長引いていたのでCT検査を受けたのです。3年間ほど健康診断をしていなかった間にステージ4のがんができていました』、「僕は民間療法や代替医療を一切受け入れないことを誓ったので、主治医の示す標準治療を信頼して、いけるところまでいこうと決めています」、さすが「医師」らしい心がけだ。「一番心配なのは、脳に転移したがんが大きくなって体の麻痺が起きたり、認知機能が低下して仕事ができなくなること」、確かに「体の麻痺が起きたり、認知機能が低下」、は考えるだけで恐ろしい。
・『治療は基本的に放射線プラス抗がん剤です。まずは肺がんの組織を取って遺伝子変異の具合を調べました。簡単に言うと、遺伝子変異があるほうが分子標的治療薬という比較的副作用の少ない薬の選択肢が広がります。 ただ遺伝子変異にもタイプがあって、分子標的治療薬が肺がんにも脳転移にも効くタイプと、そこまで効くかわからないタイプがあるのです。僕の場合は後者でした。なので、脳に放射線治療をした上で分子標的治療薬を服用することになりました。 それによって肺がんはふた回りぐらい小さくなって、脳転移も半年ぐらい横ばいに推移していたのですが、去年の6月に脳に新しいがんができていることが分かり、2次治療である抗がん剤の点滴が始まりました。現在は3週間に1回、点滴をしています。最近、小さくなっていた肺がんが少し大きくなっているとの見立てがあり、次の治療を考えつつ経過を見ているところです』、「肺がん」の進行は一進一退のようだ。
・『腫瘍に伴う身体症状は、咳、胸の痛み、頭痛がときどき。でも、毎日強い痛み止めを飲まなければならないほどではありません。ただ、はじめは「意外と大丈夫だな」と思っていた抗がん剤も最近はこたえるようになってきました。体力の衰えをヒシヒシと感じ、足のむくみやつりも気になってきたので、少し足を鍛えなアカンと思っています。 仕事柄、死ぬことはそれほど怖くはありません。それでも、脳に転移が散らばっていると知ったときには大きなショックがありました。支えになったのは家族であり、友人たちのやさしさです。 自分のことを案じてくれる人たちの気持ちがうれしくて、「グズグズ言うてもしょうがない。死ぬまで生き抜くぞ!」と変化していったように思います』、なるほど。
・『人間は人生を最後まで泳ぎ切る力を持っている  あとは、妻とまだ幼い子供たちのために少しでも多く蓄えを残したいという思いが僕の背中を押しています。なにしろ治療費が高いのです。最初の抗がん剤治療を受けたとき、病院の精算機に「25万円」と表示されてビックリしました。1回分、3割負担でその金額ですからね。4カ月目以降は少し下がりましたが、それでも15万円。ですから「治療費は自分で稼がなイカン!」となりました。正直、それがモチベーションになって仕事を続けているようなものです(笑い)。 自分ががん患者になってわかったのは、医師に質問したとき「ウ~ン」と考えているその「ウ~ン」が、本当に考えている「ウ~ン」なのか、ちょっと面倒くさいと思っている「ウ~ン」なのかが、患者には筒抜けだということ。僕は患者さんに対して友達のように寄り添って一喜一憂する医師でありたいのですが、中には苦手な患者さんもいます。でも、それをゼロに近づけることを目指さないといけないと感じました。 僕が日頃から皆さんにお伝えしているのは、「人間は人生を最後まで泳ぎ切る力を持っている」ということ。それを支えるのが医療だと思っています。泳ぎ切る力があるとはいえ、実際に実行するのは勇気のいることです。いかに勇気を充電するか、それが大事です。そして「なんでもいいから助けて~」ではなく、徐々にでもいいから病気や治療を理解して目的や目標を意識していくこと。それも人生を泳ぎ切る大切なステップだと思います』、「僕は患者さんに対して友達のように寄り添って一喜一憂する医師でありたいのですが、中には苦手な患者さんもいます。でも、それをゼロに近づけることを目指さないといけないと感じました」、やはり「苦手な患者さんもいます」、正直な述懐だ。「それをゼロに近づけることを目指さないといけないと感じました」、いい心がけだ。
・『関本剛(せきもと・ごう) 1976年、兵庫県生まれ。関西医科大学卒業後、同大学付属病院、六甲病院緩和ケア内科勤務を経て、2015年から母親が院長を務める在宅ホスピス「関本クリニック」に移り、3年後に院長に就任。緩和ケア医として1000人以上の「看取り」を経験する中、19年にステージ4の肺がんが発見される。著書に「がんになった緩和ケア医が語る『残り2年』の生き方、考え方」(宝島社)があり、電子書籍にもなっている』。
タグ:終末期 「それをゼロに近づけることを目指さないといけないと感じました」、いい心がけだ。 「僕は患者さんに対して友達のように寄り添って一喜一憂する医師でありたいのですが、中には苦手な患者さんもいます。でも、それをゼロに近づけることを目指さないといけないと感じました」、やはり「苦手な患者さんもいます」、正直な述懐だ。 「肺がん」の進行は一進一退のようだ。 「僕は民間療法や代替医療を一切受け入れないことを誓ったので、主治医の示す標準治療を信頼して、いけるところまでいこうと決めています」、さすが「医師」らしい心がけだ。「一番心配なのは、脳に転移したがんが大きくなって体の麻痺が起きたり、認知機能が低下して仕事ができなくなること」、確かに「体の麻痺が起きたり、認知機能が低下」、は考えるだけで恐ろしい。 「肺がん・脳転移と闘う医師の関本剛さん「標準治療を信頼」」 日刊ゲンダイ 『後悔しない死の迎え方』、時間ができれば読んでみたい本だ。 私も周囲に『延命治療はしないでほしい』と言っているが、そんなことは何の保証にもならないようだ。「延命治療は望みません」 そう言うご家族の隣で、当の患者さんがベッドでたくさんの管につながれ、うつろな目でボーッと空を見上げている……。 「もう十分、延命治療されているのではないですか……」 そう言いたくなるようなシーンをずいぶんと見てきました」、悲劇的な喜劇だ 人間は嫌なことを考えるのは先送りしがちだが、その結果、「準備不足、考え不足で、自分の人生のゴールである最期を中途半端な形で他人にゆだねることになってしまう人が多くいます」、確かに事前に準備しておくべきだろう。 「1000人の看取りに接した看護師」によるアドバイスとは、興味深そうだ。 『後悔しない死の迎え方』 「1000人の看取りに接した看護師が伝える、苦しみのない穏やかな最期を迎えたい人に、絶対に知っておいてほしいこと」 後閑愛実 「緩和ケア病棟」では「「痛みが取れたら在宅で」と早期退院を迫られること、「病院は生活の場ではない。緩和ケア病棟でもその大部分は一般病棟のフロアに設けられ、医療の管理下にある。余命が限られた人たちが満足のいく「普通の生活」を送ることは難しい」、などから、「緩和ケア病棟」よりは、「民間事業者の」「ホスピス」が中心になっていくのだろう。 を紹介しているのだろうが、一般の病院よりはよさそうだ。 「首のリンパ節が腫れて気道を圧迫し、呼吸困難状態でもあった。抗不安薬や医療用麻薬の利用など医師と相談して実践したところ、症状を緩和できた」、「胃がんの腹膜幡種でステージ「4」の末期・・・腹痛や吐き気に苦しみ、「このつらさを取ってほしい」と本人が切望・・・看護師たちは在宅医と何回も話し合いを重ね「医療用麻薬をうまく使うことで」(看護師)、症状を緩和することができた。緩和ケアに長けた看護師の実力が発揮された。つらさが消えたこともあり、果物ジュースやみそ汁を飲めるようになった」、いかにも「ホスピス」らしい成功例 死ぬ前に「看護師たちは工夫」で「ビールが飲」めたのは、確かに「安全第一で医療管理が徹底している病院では実現できなかっただろう」、こうした死ぬ前の無理が聞いてもらえるのは有難い。 「ホスピス」建設時に周辺住民の反対運動などが起こらないければいいのだが・・・。 「看護師たちスタッフが訪問医師に提言し、注射から貼り薬に変えた。すると吐き気が消え・・・」、こういうプロの「スタッフ」がいれば心強いが、「ホスピス」のパンフレットだけでは分からないだろう 「終末期を自分らしく過ごせる場所としてホスピスに期待がかかる理由」 浅川澄一 ダイヤモンド・オンライン (その6)(終末期を自分らしく過ごせる場所としてホスピスに期待がかかる理由、1000人の看取りに接した看護師が伝える 苦しみのない穏やかな最期を迎えたい人に 絶対に知っておいてほしいこと、肺がん・脳転移と闘う医師の関本剛さん「標準治療を信頼」)
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外国人労働者問題(その16)(相次ぐ摘発 在日ベトナム人の真実:(<28>菅首相が入国継続に固執した理由 出稼ぎ労働者の確保、<30>PCR検査せず入国…緩和措置は出稼ぎ労働者確保のため、<34>ベトナム人留学生を増やすための「国ぐるみのペテン」)、「見殺し」にされたスリランカ女性 事件の背後に「内規違反」も…名古屋入管の闇、「33歳の女性が施設内で死亡」難民をあからさまに迷惑がる日本の入国管理制度 国連からも問題視される閉鎖性) [社会]

外国人労働者問題については、昨年8月3日に取上げた。今日は、(その16)(相次ぐ摘発 在日ベトナム人の真実:(<28>菅首相が入国継続に固執した理由 出稼ぎ労働者の確保、<30>PCR検査せず入国…緩和措置は出稼ぎ労働者確保のため、<34>ベトナム人留学生を増やすための「国ぐるみのペテン」)、「見殺し」にされたスリランカ女性 事件の背後に「内規違反」も…名古屋入管の闇、「33歳の女性が施設内で死亡」難民をあからさまに迷惑がる日本の入国管理制度 国連からも問題視される閉鎖性)である。

先ずは、本年1月20日付け日刊ゲンダイが掲載したジャーナリストの出井康博氏による「相次ぐ摘発 在日ベトナム人の真実」のうち「<28>菅首相が入国継続に固執した理由 出稼ぎ労働者の確保」を紹介しよう。
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/life/284122
・『自民党には二階俊博幹事長の他にも“ベトナム好き”の政治家がいる。菅義偉首相である。 昨年10月、菅氏が首相として初の外遊先に選んだのがベトナムだった。こうしたベトナム重視の背景には、「出稼ぎ労働者の確保」という命題がうかがえる。そのことは、コロナ水際対策の外国人入国制限をめぐる菅氏の姿勢からも見て取れる。) 今月7日に1都3県に緊急事態宣言が発令された直後、政府がベトナムなど11カ国・地域に限定して認めていた「ビジネス関係者」の入国に関し、自民党内部からも停止を求める声が相次いだ。しかし、菅氏は「コロナ陰性証明」を条件に入国継続にこだわった。 なぜ、菅氏は外国人の入国を止めたくなかったのか。そもそも新聞やテレビが報じた「ビジネス関係者」とは、具体的にどういった外国人なのか。 法務省出入国在留管理庁は、政府が外国人の入国制限を緩和した昨年11月以降の「国際的な人の往来再開に向けた段階的措置等による入国者数」を週ごとに公開している。このデータを集計すると、同措置のもと入国した外国人は、同11月初めから今年1月10日までの10週間で10万9262人だ。 在留資格別では、「技能実習」が4万809人、「留学」が3万6914人と、2つの資格で全体の7割を超える。実習生はもちろん、留学生にも出稼ぎ目的の外国人が多数含まれる。つまり、「ビジネス関係者」の過半数は、出稼ぎ労働者なのである。) 国籍別はベトナム人が3万6343人で最も多く全体の3分の1を占める。その8割以上は実習生と留学生だ。外国人の入国継続に執着する菅氏の本音が、ベトナムなどからの出稼ぎ労働者の受け入れであることは数字上で明らかだ。 菅氏は安倍政権で官房長官を務めていた頃から、外国人労働者の受け入れに積極的だった。「西日本新聞」(2018年8月23日電子版)のインタビューで、こう語っている。 「外国人材の働きなくして日本経済は回らないところまで来ている。高齢者施設をつくった私の知人も、施設で働く介護人材が集まらないと言っていた」 つまり、産業界の声に応え、外国人労働者を受け入れたいわけだ。そのスタンスは、政界で最もベトナムとつながりが深く、また菅氏と「Go To キャンペーン」を推し進めた二階氏と重なる。) 外国人の入国継続は、「実習生」や「留学生」という低賃金の労働者を欲する産業界には恩恵が大きい。日本語学校をはじめとする留学生頼みの学校業界も大喜びだ。だからといって、国民全体の利益に沿うわけではない。 菅氏は今月13日、緊急事態宣言に7府県を追加した際、急きょ方針を変え、同宣言中は11カ国・地域からの入国も停止するとした。しかし、出稼ぎ労働者の受け入れと引き換えに、肝心のコロナ水際対策が後手に回った可能性は否めない』、「「ビジネス関係者」の過半数は、出稼ぎ労働者なのである。 国籍別はベトナム人が3万6343人で最も多く全体の3分の1を占める。その8割以上は実習生と留学生だ」、てっきり出張者や駐在員だと思っていたが、何のことはない。「ベトナム」からの「実習生と留学生」が太宗のようだ。

次に、この続き、1月23日付け日刊ゲンダイ「<30>PCR検査せず入国…緩和措置は出稼ぎ労働者確保のため」を紹介しよう。
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/life/284122
・『菅義偉首相は今月13日、緊急事態宣言を11都府県に拡大した際、一部の外国人に限って認めていた入国緩和も「一時停止」した。ただし、すでに日本のビザを取得している実習生や留学生の入国は21日まで続いた。わざわざ1週間の猶予を設けてまで、彼らを受け入れたかったのである。 昨年11月から年明けまでの10週間で、11万人近い外国人が来日した。そのうち7割は実習生と留学生だ。そして、全体の3分の1に当たる3万6000人以上がベトナム人である。入国緩和措置の目的が、ベトナムなどからの出稼ぎ労働者受け入れだったことがわかる。 菅氏は万全の水際対策を取ったと胸を張る。だが、本当にそうなのか』、「入国緩和措置の目的が、ベトナムなどからの出稼ぎ労働者受け入れだった」、やれやれだ。
・『ザルのような水際対策  12月、東京都内の日本語学校に留学するため来日したフーンさん(26)には、日本の対応が驚きだったという。 「私はベトナム出発前も成田空港でもPCR検査なしに日本へ入りました。空港からの移動や、その後の生活もほとんど制限なし。ベトナムではありえないことです」 ベトナムは12月以降、全世界からの入国を実質止めている。それ以前も入国者は皆、2週間の厳格な隔離措置が義務づけられた。フーンさんが言う。 「外国人は高級ホテル、ベトナム人だと軍の施設などに拘束されて2週間を過ごします。その間、2回のPCR検査を受け、完全に陰性だと証明されて、やっと解放されるのです」 結果、ベトナムは台湾などと並び、コロナの封じ込めに成功している。 「それでも完璧とは言えません。隣の中国から密入国する人もいるし、変異種に感染したベトナム人も見つかっている」 フーンさんは成田空港へ到着後、知人の車でアパートまで移動した。そして2週間は、外出は極力控えたという。 「留学先の日本語学校が、私の居場所をスマホの位置情報で確認するようになっていました。でも、スマホをアパートに置いていれば、何をするのも自由です。友だちとパーティーだってできてしまう。日本でコロナ感染が広まった理由がわかりました」 ベトナム人が日本へウイルスを持ち込んだ可能性は低い。だが、ベトナムを含め、入国制限緩和措置の対象となっていた11カ国・地域の多くでは、問題の変異種もすでに確認されている。 1月7日に緊急事態宣言がまず1都3県に出された後も、菅首相は「コロナ陰性証明」を条件に外国人の入国継続にこだわった。出稼ぎ労働者の受け入れを重視してのこと。こうした姿勢が、水際対策の緩みにつながった可能性は否めない。 現在の感染爆発の要因としては、やはり菅氏肝いりの「Go To キャンペーン」も指摘されている。だとすれば、2つの「経済優先」政策が招いた人災と言うしかない』、当該の「ベトナム人」にまで「ザルのような水際対策」と驚かれているのでは世話はない。

第三に、この続きを、1月29日付け日刊ゲンダイ「<34>ベトナム人留学生を増やすための「国ぐるみのペテン」」を紹介しよう。
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/life/284493
・『「アルバイトがなくなって学費が払えない」 北関東の専門学校で日本語教師をしているBさん(30代女性)のもとには、教え子のベトナム人留学生から相談が殺到している。 年末から、留学生たちのバイト先である食品関連工場などでクラスターが相次ぎ発生した。コロナ感染者は留学生が大半だったとみられる。そのため工場側は、PCR検査で陰性となった者を含め、留学生を皆解雇した。Bさんが言う。 「確かに、留学生の感染者は多い。でも『留学生』というだけで、陰性者まで解雇されているんです。しかも留学生へのバイト切りは、クラスターの出ていないスーパーなどでも起こっています」』、「工場側は、PCR検査で陰性となった者を含め、留学生を皆解雇」、「留学生を皆解雇」とは「工場側」の対応も安易過ぎる。
・『学費の分割払いすら認めず  留学生たちは3月までに、来年度の学費70万円を学校に納めなくてはならない。見かねたBさんは学校に対し、学費の分割払いを認めるよう提案した。しかし、学校側の対応は冷たかった。「アルバイトがなくなったから学費を払えないというのはおかしい。留学生は皆、アルバイトしなくても学費を払える経済力があるはずですよね」と指摘されたという。) 留学生は専門学校や日本語学校に入学する際、学費の支払い手段が記された「経費支弁書」を提出している。だが、書類の中身はデタラメだ。アルバイトなしでも生活できるよう、つじつまを合わせるため、母国の家族などからの仕送りがあると書かれている。しかし実際には、ベトナムなどアジア新興国出身の留学生で仕送りがある者は少ない。書類にウソを書いて入学しているのだ。 学校側は、それを承知で入学を認める。学費稼ぎのためである。Bさんの学校もそうだ。にもかかわらず、留学生が学費を払えなくなった途端、知らんぷりを決め込む。 留学生たちのウソを黙認してきたのは学校だけではない。彼らの入国時、留学ビザを審査する法務省入管当局や外務省在外公館も同様だ。ビザの発給要件を満たす経済力がないと分かっていながら、偽装留学生にまで入国を認めてきた。日本人が嫌がる人手不足の仕事に従事する低賃金の労働者として利用するためだ。つまり、学校業界のみならず、国ぐるみのペテンなのである。) しかし、コロナで人手不足は緩和した。留学生バイトが不要となる職場も増えた。結果、バイトを失い、生活に行き詰まる留学生が急増している。Bさんは、やり場のない思いをこう話す。 「学校やバイト先は留学生を散々利用しておいて、まさに使い捨てようとしているんです」 学費を払えなければ、学校には残れない。Bさんにこんな言葉を漏らす1年生の留学生がいた。 「先生とは、3月で会えなくなりますね」 学校から姿を消し、不法就労に走る留学生も現れるだろう。コロナで不法就労先すら見つからず、困った末に罪を犯す者も出るかもしれない。それは留学生だけの罪と言えるだろうか。=つづく』、「留学生たちのウソを黙認してきたのは学校だけではない。彼らの入国時、留学ビザを審査する法務省入管当局や外務省在外公館も同様だ。ビザの発給要件を満たす経済力がないと分かっていながら、偽装留学生にまで入国を認めてきた。日本人が嫌がる人手不足の仕事に従事する低賃金の労働者として利用するためだ。つまり、学校業界のみならず、国ぐるみのペテンなのである」、「国ぐるみのペテン」とは言い得て妙だ。つくづく日本の罪深さを感じる。

第四に、3月27日付け弁護士ドットコム「「見殺し」にされたスリランカ女性、事件の背後に「内規違反」も…名古屋入管の闇」を紹介しよう。
・『名古屋出入国在留管理局(名古屋入管)に収容されていたスリランカ人の女性(30代)が3月6日に亡くなった問題で、女性が生前、著しい体調不良を訴えていたにもかかわらず、適切な医療を受けさせなかったとして、国会でも入管の対応が追及されている。入管での人権侵害に詳しい児玉晃一弁護士に聞いた』、興味深そうだ。
・『体重悪化で吐血も点滴をさせなかった  亡くなった女性への面会を続けていた「START」(外国人労働者・難民と共に歩む会)によると、女性は来日後、日本語学校で勉強をしていたが、仕送りが途絶え、学費が払えなくなったことからビザが失効し、昨年8月に収容された。 だが、コロナ禍で帰国できず、収容が長引く中で、今年1月から体調が悪化。嘔吐や吐血を繰り返すようになり、体重は最終的に20キロも減少してしまった。 支援者は、女性を入院させて、点滴を打たせたりするよう繰り返し求めたが、入管側は今年2月5日に女性を病院で受診させたものの、入院は認めず、点滴もおこなわなかったという』、「体重は最終的に20キロも減少」、尋常ではない減り方だ。
・『生命・健康に対する全責任は入管にある  名古屋入管の対応は、素人目に見ても酷いものであるが、法務省の内規にも反している。 入管施設内や退去強制過程での死亡事件に関する訴訟や証拠保全で代理人をつとめた経験がある児玉弁護士は「大原則として被収容者の生命・健康に対する全責任は、拘束している側の入管にあります」と話す。 「収容されている方の処遇に関する被収容者処遇規則30条では"所長等は、被収容者がり病し、又は負傷したときは、医師の診療を受けさせ、病状により適当な措置を講じなければならない"と定めています」(児玉弁護士) ところが、入管側が点滴を認めなかった。児玉弁護士は「被収容者は、移動の自由について一定の制限を受ける以上の制約を受ける謂れはまったくありません」「入管収容はあくまで強制送還の準備のために認められているものにすぎないのですから」と指摘する』、「生命・健康に対する全責任は入管にある」、本件は恐らく支援者たちが「入管」の義務違反に対して提訴する可能性がある。
・『仮放免をみとめていれば「死亡」は防げた  そもそも、入管側が仮放免(一定の条件の下で、収容施設外での生活を認めること)を許可していれば、女性は入院できたし、命を落とすこともなかっただろう。 実際、女性を支援していたSTARTは、入管側が適切な医療を受けさせないのであれば、仮放免するべきと求めていたし、仮放免の申請もしていた。しかし、入管側はこれを許可しようとしなかったのである。 入管の運用指針(2018年2月28日仮放免指示)では「刑事罰を受けたことがある」など、8類型に該当するケースについては「仮放免を許可すべきではない」(※)としているが、児玉弁護士は「現在わかっている情報から言えば、女性はこの8類型に該当していたわけではなさそうです」と言う。 「仮に該当していたとしても、"重度の傷病等、よほどの事情無い限り"との但し書きが入管の運用指針にも明記されています。つまり、仮放免を許可しうるわけです。 しかし、仮放免するか否かは、入管の胸先三寸で決められ、収容の継続の是非について司法など第三者の判断が介在することはありません。このことは、国連の恣意的拘禁作業部会からも国際人権規約に反すると指摘されています」(同)』、「国連の恣意的拘禁作業部会からも国際人権規約に反すると指摘されています」、いくら指摘されても、無視できるが、そんなことを続けていると「日本」の発言力は小さくなる一方だ。
・『入管による内部調査では全然ダメ  名古屋入管での女性死亡について、上川陽子法務大臣は、入管による内部調査を指示している。だが、児玉弁護士は「入管内部の調査に任せては駄目です」と強調する。 「2010年に強制送還のため飛行機に乗せられて制圧され、亡くなったガーナ人男性の事件における入管当局の内部報告書では『送還便搭乗直前から激しく抵抗し、搭乗後も抵抗したことから護送官が制圧した』とされています。しかし、訴訟で開示されたビデオを見たところ、男性がまったく抵抗していないことが誰の目にも明らかになりました」(同) 「2014年3月30日に、胸などの身体の痛みを訴えていたカメルーン人男性がでの入管内部報告書では『前日(3月29日)夕食を摂取し、異変に気づく直前(3月30日午前5時58分)には体動があり、呼吸をしていたことが確認されていることから、急死事案である』とあります。 ところが、午前5時58分に顔を動かす場面が出ていたとされているビデオは、誤操作で消去されたと入管が述べています。そして、この報告書では、後に私たちが提出させたビデオで、男性が『I'm dying(死にそうだ)!!!!』と叫び続けている場面について何ら言及がありません」(同)。 つまり、入管の内部調査は都合の悪い部分が隠蔽され、捏造すらおこなわれてきた、ということだ。同じことは、名古屋の調査でも起こりうる。国会では3月12日の参院予算委員会で、石川大我参議院議員が独立した調査を求めた。これまでのような入管や法務省を擁護するための調査であっては、再発を防げない』、「収容施設内で死亡した事件」が意外に多いのにh驚かされた。「独立した調査」を求めた。これまでのような入管や法務省を擁護するための調査であっては、再発を防げない」、その通りだ。
・『入管法「改正」案にも影響  法務省は今国会で入管法の「改正」を目指している。長期収容への批判から「監理措置」として、入管側のコントロールの下で、収容施設の外での生活を認める制度を新設するとしている。 一見、長期収容の解消につながるように見えるが、児玉弁護士は「収容するか否かが、入管の胸先三寸だけで決められることには変わりありません。今回のスリランカ人女性が入管内部の基準に照らしても仮放免されるべきなのにされなかったことからも裏付けられます」と指摘する。 入管法「改正」以前に、まずは女性死亡の独立した調査がおこなわれるべきだし、内部基準すら守れない入管に収容の適否判断を委ねること自体が見直されるべきだといえるだろう。(※)そもそも、過去に刑事罰を受けたことがある等で仮放免を許可しないこと自体が、まだ犯罪を犯していないのに予防の目的で身体の自由を奪う「予防拘禁」的なものであり、入管の運用は治安維持法のそれより酷いと児玉弁護士は指摘している・・・』、「「予防拘禁」的なもの」は、「治安維持法のそれより酷い」、確かにその通りだ。

第五に、6月2日付けPRESIDENT Online:ジャーナリスト、元ジャパンタイムズ執行役員・論説委員 大門 小百合氏による「33歳の女性が施設内で死亡」難民をあからさまに迷惑がる日本の入国管理制度 国連からも問題視される閉鎖性」を紹介しよう。
https://president.jp/articles/-/46481
・『国会で審議された入管法の改正案には、SNSなどで一般市民だけでなく、作家の中島京子さん、ラサール石井さん、小泉今日子さんら著名人も反対の声を挙げて大きなうねりとなり廃案となった。この議論で焦点となった、日本の入国管理の問題はどこにあるのか、ジャーナリストの大門小百合さんがリポートする――』、興味深そうだ。
・『海外メディアも大きく報じた入管法改正案議論  普段、日本のメディアで在日外国人、とりわけ入国管理の問題が大きく取り上げられることは少ない。だから、自分とは関係のないことだと思っている人も多いのではないだろうか。 しかし、今国会で与野党の攻防ののち見送られることになった「出入国管理及び難民認定法」(入管法)の改正案は、出入国在留管理庁の施設(入管施設)に収容されていたスリランカ人女性のウィシュマ・サンダマリさん(33)が施設内で3月に亡くなったこともあり、この種の法案には珍しくメディアで大きく取り上げられ、海外メディアでも報道された。 “Japan is shaken after a detainee, wasting away, dies alone in her cell”(衰弱した収容者が独房で孤独死し、揺らぐ日本)という衝撃的な見出しで、ウィシュマさんの死亡と今回の入管法改正案の話を報じたのは、ニューヨークタイムズだ。彼女の死によって、入管行政の不透明さに加え、施設に収容されている外国人に対して入管が絶大な権力を持っていることが明らかになったとの記事を掲載した。 また、イギリスのBBC放送も、“Japan pulls controversial asylum seeker bill after criticism”(政府、批判を受け、難民法を撤回)と報じている。 「難民認定申請中の外国人の強制送還をしやすくする」という、人道的観点での問題点も指摘されたこの法案をきっかけに、日本の入管のあり方や難民をとりまく状況が、今まで以上に注目されている』、なるほど。
・『なぜ収容が長期化しているのか  今回の改正案について、政府は「オーバーステイなどで国外退去処分を受けた外国人の送還拒否が相次ぎ、入管施設での収容が長期化している」ことを解消するためと説明していた。しかし、そもそもなぜ収容長期化が状態化しているのだろう? 認定NPO法人難民支援協会の石川えり代表理事は、2018年に収容のルールが厳格化されたことも影響しているという。 2015年9月の入管局長通達では、送還の見込みが立たない人については、さらなる仮放免の活用をはかり、仮放免者の動静の監視に努めるとされていた。しかし、2018年2月には、「収容に耐えがたい傷病者でない限り、原則送還が可能となるまで収容を継続する」という入管局長指示が出され、仮放免の要件がかなり厳しくなった。 「その頃から、収容が長期化し2年を超える人も珍しくなくなりました。『収容に耐えがたい疾病者でない限り』というので、施設から出るためには体を痛めつけるしかない、ハンストするしかないと、ハンストを始める方々も増え、その中で餓死された方までいるという状況です」と石川さんは言う』、「仮放免の要件がかなり厳しくなった。「その頃から、収容が長期化し2年を超える人も珍しくなくなりました」、「収容」の「長期化」は問題だ。
・『施設内で何が起こっているのか  そんな中、今回の法案の審議の中で焦点があたったのは、入管の手続きや入管施設内での処遇だ。 入管の施設で亡くなったウィシュマさんは、留学ビザで来日。日本語学校の在学中にパートナーである男性からDVを受け、退学せざるをえなくなり、在留資格を失った。パートナーから逃げ、静岡県沼津市の交番に駆け込み助けを求めたが、ビザが切れていたことを理由に昨年8月に入管施設に収容された。 その後、体調をくずし、亡くなる直前には歩けなくなるほど衰弱していたという。入管施設内で必要な医療が受けられなかった可能性が国会の議論で指摘されている。彼女が収容されていた名古屋入管は、「保安上の理由」として、遺族や国会議員に対して、ウィシュマさんの収容中の最後の様子を写したビデオの公開を拒んでいる。 「一番の問題は、施設内部の実態が、外からはよくわからないことです。閉鎖された、人を拘禁する施設で、『殴った』『殴らない』、お医者さんに『行けた』『行けない』という話がでた時に、外部の第三者が入らないと実態を知ることが非常に難しい。また、入管から独立して入管のことを監視する機関がないのも問題です」と石川さんは指摘する』、確かに「入管」は問題山積のようだ。
・『国連も「国際法違反」と指摘  「たとえばイギリスには、査察委員会があり、オンブズマンがあって、収容施設を重層的にモニタリングする体制があります。査察委員会は、予告なく施設を査察できる。施設の全てにアクセスでき、収容されている人たちとも話すことができる。日本の入管にも査察委員会はありますが、事務局が入管になっていて、入管から指定された日に査察に行くことになっています」(石川さん) また、多くの国が、在留資格のない外国人の収容の必要性や仮放免の審査については、入管とは別の、独立した司法組織が判断する仕組みをもっている。日本の場合はこうした審査は入管が行い、仮放免の許可、不許可に関わらず、理由は明らかにされない。また、収容期間にも上限が設けられていない。 国連の「恣意的拘禁作業部会(WGAD)」は、昨年9月、日本の入管施設の、このような上限のない長期収容や、司法判断を得ない収容を「国際法違反」とし、日本政府に改善を促している』、「国連の「恣意的拘禁作業部会(WGAD)」」から「国際法違反」と認定されたとは、不名誉なことで、早急に是正すべきだ。
・『難民申請者に厳しい国、日本  ウィシュマさんのケースでは、入管施設の閉鎖性に注目が集まったが、今回の入管法改正案ではさらに、難民申請者の処遇についても議論された。 日本は難民申請がなかなか認められない国として国際社会で知られていることは、すでに多くの人がご存じだろう。昨年の日本での難民申請件数は1万1914人だったが、難民認定されたのはそのうち47人にすぎない。また、2019年のデータでは、日本での難民認定率が0.4%だったのに対し、カナダは55.7%、イギリスは46.2%、アメリカは29.6%、ドイツは25.9%だった。一番低いフランスでも18.5%と、日本の認定率は格段に低い』、「日本の認定率」の「低さ」はやはり、異常だ。
・『難民条約違反の可能性も  入管法改正案の議論の中で、野党や難民支援団体、弁護士などから、人道的配慮に欠けるとして問題視されたのが、送還のルールだ。今までの「難民認定の手続き中は送還しない」とする規定に対し、今回の法案では、3回目以降の申請者については原則としてこのルールの適用外にするとされた。 さらに、送還に従わない人は刑事罰の対象になり、帰国できない人は、1年間の懲役または20万円以下の罰金となる可能性がある。 これらは、日本も加盟している、難民保護を定めた「難民条約」に反するおそれがある。難民条約には、「難民を彼らの生命や自由が脅威にさらされるおそれのある国へ強制的に追放したり、帰還させてはならない(難民条約第33条ノン・ルフルマンの原則)」「庇護申請国へ不正入国しまた不法にいることを理由として、難民を罰してはいけない(難民条約第31条)」と明記されている。 国連高等弁務官事務所も法案に対し「重大な懸念」を表明していた。 「『難民申請を3回繰り返すのは制度の乱用だ』と政府は言います。ただ、1回目であれ2回目であれ3回目であれ、日本の難民認定率は0パーセントに近い。その状況で、『3回目だから乱用です。国に帰ってください』ということにはできません」と、入管法改正に反対していた弁護士の一人、高橋済弁護士は、5月に開かれた記者会見で語った』、「日本も加盟している、難民保護を定めた「難民条約」に反するおそれがある」、法務省は国際的な潮流を無視して唯我独尊の姿勢をいつまで続けるのだろう。恥ずかしいことだ。
・『見知らぬ国で、一人で審査官と向き合う難しさ  また日本では、難民申請する際、一次審査に弁護士などの代理人が同席できない。2019年時点のデータによると、オーストラリア、フランス、イギリスなどの主要な国では、一次審査時の代理人の同伴が可能だ。 日本にたどりついたばかりの外国人が、たった一人で審査官と向き合い、母国に帰れない理由を客観的証拠に基づいて証明するのは、ハードルが高すぎはしないだろうか。そもそも、どれだけの難民が、「帰国すれば命の危険がある」ことを証明する証拠を携えて母国を脱出できるのだろう。 もちろん、不法滞在をしている外国人を取り締まることは必要だし、入管が大切な役割を担っているのも事実だ。ただ、難民問題の専門家は、諸外国のように、入国審査で厳しく取り締まる役割を持つ入管と、難民を保護する機関は別であるべきだと指摘する。つまり、難民の審査は、専門性、独立性のある別の政府機関が行うべきではないかという』、「入管」と「難民を保護する機関」は「別であるべきだ」、筋論からはその通りだろう。
・『審査は平均4年以上  また、難民支援協会の石川さんは、日本には難民の包括的な保護に関する法律が必要だと訴える。 「難民申請してから審査が終わるまで、昨年の平均では52カ月(4.3年)かかっています。難民をどう認定するかというだけでなく、その間の彼ら・彼女らの生活をどうするか、認定された人が自立して日本に定住するために何が必要かまでを踏まえた、包括的な制度が必要だと思います」 特に来日直後の難民は、短期間で困窮生活に陥ることが少なくない。知り合いもなく、住むところもなく、日本語もできないため情報へのアクセスも限定的という状況で、ホームレスになってしまう人も多い。民間の支援団体につながることができた人たちは、こうした団体の援助に頼りながらなんとか生活している状態だという。 単純に比較はできないが、フランスなど、多くの難民が来る国では、政府が難民向けのシェルター、仮の住宅などさまざまな施設を供給している。フランス政府によると、2020年には、こうした施設の収容可能人数は10万7000人。2021年には、受け入れ可能人数を4500人分拡大し、審査に要する期間の短縮(最大6カ月)も行ったそうだ。ホテルの部屋などを国が借り上げ、緊急のシェルターとして提供する場合もあるという。 一方、日本にも難民認定申請者のための宿泊施設はあるが、利用できる人数は極めて限定的だ。たとえば、2019年度に利用した実績は30人と国会で報告されている』、「2019年度に利用した実績は30人」、殆どないに等しいようだ。
・『企業と難民申請者をマッチング  現在、難民申請者が長期に安定的に日本に住むことができる唯一の方法は、政府による難民認定だが、実際は、申請をしても認定される可能性は低い。 そこで、もし、難民申請者が正規に就職できれば、彼らの在留資格を「技術・人文知識・国際業務」という、就労先がある限り日本で安定的に暮らし、働き続けることができる資格に切り替えることができるのではないかと考えたのが、難民問題に取り組むNPO法人WELgee(ウェルジー)だ。 WELgeeは、企業とパートナーシップを組み、難民を人材として企業に紹介する「JobCopass」(ジョブコーパス)という事業を行っており、今までに12件の事例をつくった。うち2件では在留資格の切り替えに成功している』、「WELgee」の活動は有効そうだ。
・『「難民」ではなく「一人のグローバル人材」  「私たちが出会った難民の方たちは、母国ではプログラマー、ジャーナリスト、教師、医者、コンサルタント、社会起業家などで、中には4か国語を話せる人もいます。学歴もあり、リーダーシップを発揮し、活躍してきた人が多いんです」と話すのは、WELgeeで就労伴走事業部を統括する山本菜奈さんだ。 山本さんたちがこれまでに関わった190人の半数以上が、大学か大学院卒の学位を持っているという。母国で民主化運動や平和運動に参加したり、宗教を変えたりしたなどのさまざまな理由で弾圧をうけるなどし、命の危険を感じて日本に逃げてきた人たちだ。 難民申請中の外国人に付与される在留資格は「特定活動」と呼ばれ、6カ月ごとに在留期間を更新しながら、長い場合は10年以上も難民認定の結果を待つ人もいる。WELgeeは、企業と接点を作ることで、彼らに難民認定以外の新しい選択肢を作ったというわけだ。 ある西アジア出身の男性は、WELgeeの事業を通じてゼロからプログラミング技術を学び、IT系のベンチャー企業に就職した。また、西アフリカから来た男性は、大手オートバイメーカーの新規事業開発部のアフリカ事業チームに参画した。 とはいえ、マッチング先の企業を探すのは容易ではない。日本語スキルの問題や「難民」という言葉のイメージが障害になるという。ダイバーシティ&インクルージョンを掲げ、女性やLGBTの人たちを積極的に採用しているという企業でさえ、採用には消極的だったそうだ。 「難民という言葉が抱えるあいまいな響きに加え、『貧しい』『かわいそう』というイメージが強すぎて、なかなか一人のグローバル人材としてみてもらえないんです。そこで、プロセスの初期に実際に会ってもらい、彼ら・彼女らの社会に対する視点や、ありあまる向上心、バイタリティに触れてもらうようにしました」』、「山本さんたちがこれまでに関わった190人の半数以上が、大学か大学院卒の学位を持っているという。母国で民主化運動や平和運動に参加したり、宗教を変えたりしたなどのさまざまな理由で弾圧をうけるなどし、命の危険を感じて日本に逃げてきた人たちだ」、高度なスキルを持った人が多いのは.意外だ。そうであれば、戦力になってくれそうだ。
・『「受け入れないともったいない」  山本さんは、日本のビジネスセクターと一緒に、「日本社会として、難民の人を受け入れないともったいない。彼ら・彼女らがいたほうが、日本の企業も社会も豊かにカラフルになる」という価値観を広げたいと話す。 また、今回注目を集めた入管法についても、「難民保護」という視点だけではない関心の持ち方があるのではないかという。 「『かわいそう、知らなきゃいけない』という入り口から難民の存在を知る人もいますが、『同じ職場で難民の人が働いているんだよね』『難民の人が立ち上げた面白いサービスを新聞で見たんだよね』という人も増えてくればいいなと。そこをきっかけに、入管法の問題を自分ごととしてとらえ、『難民の人たちが日本で安心して働いたり、暮らしたりできるようにするためには、どんな政策が必要か、誰に投票すべきか』を考えるようになってほしいです」』、「日本」も「難民」に対してもう少し開かれた社会になってほしいものだ。 
タグ:外国人労働者問題 (その16)(相次ぐ摘発 在日ベトナム人の真実:(<28>菅首相が入国継続に固執した理由 出稼ぎ労働者の確保、<30>PCR検査せず入国…緩和措置は出稼ぎ労働者確保のため、<34>ベトナム人留学生を増やすための「国ぐるみのペテン」)、「見殺し」にされたスリランカ女性 事件の背後に「内規違反」も…名古屋入管の闇、「33歳の女性が施設内で死亡」難民をあからさまに迷惑がる日本の入国管理制度 国連からも問題視される閉鎖性) 日刊ゲンダイ 出井康博 「相次ぐ摘発 在日ベトナム人の真実」 「<28>菅首相が入国継続に固執した理由 出稼ぎ労働者の確保」 「「ビジネス関係者」の過半数は、出稼ぎ労働者なのである。 国籍別はベトナム人が3万6343人で最も多く全体の3分の1を占める。その8割以上は実習生と留学生だ」、てっきり出張者や駐在員だと思っていたが、何のことはない。「ベトナム」からの「実習生と留学生」が太宗のようだ。 「<30>PCR検査せず入国…緩和措置は出稼ぎ労働者確保のため」 「入国緩和措置の目的が、ベトナムなどからの出稼ぎ労働者受け入れだった」、やれやれだ。 当該の「ベトナム人」にまで「ザルのような水際対策」と驚かれているのでは世話はない。 「<34>ベトナム人留学生を増やすための「国ぐるみのペテン」」 「工場側は、PCR検査で陰性となった者を含め、留学生を皆解雇」、「留学生を皆解雇」とは「工場側」の対応も安易過ぎる。 「留学生たちのウソを黙認してきたのは学校だけではない。彼らの入国時、留学ビザを審査する法務省入管当局や外務省在外公館も同様だ。ビザの発給要件を満たす経済力がないと分かっていながら、偽装留学生にまで入国を認めてきた。日本人が嫌がる人手不足の仕事に従事する低賃金の労働者として利用するためだ。つまり、学校業界のみならず、国ぐるみのペテンなのである」、「国ぐるみのペテン」とは言い得て妙だ。つくづく日本の罪深さを感じる。 弁護士ドットコム 「「見殺し」にされたスリランカ女性、事件の背後に「内規違反」も…名古屋入管の闇」 「体重は最終的に20キロも減少」、尋常ではない減り方だ 「生命・健康に対する全責任は入管にある」、本件は恐らく支援者たちが「入管」の義務違反に対して提訴する可能性がある 「国連の恣意的拘禁作業部会からも国際人権規約に反すると指摘されています」、いくら指摘されても、無視できるが、そんなことを続けていると「日本」の発言力は小さくなる一方だ。 「収容施設内で死亡した事件」が意外に多いのにh驚かされた。「独立した調査」を求めた。これまでのような入管や法務省を擁護するための調査であっては、再発を防げない」、その通りだ。 「「予防拘禁」的なもの」は、「治安維持法のそれより酷い」、確かにその通りだ。 PRESIDENT ONLINE 大門 小百合 「33歳の女性が施設内で死亡」難民をあからさまに迷惑がる日本の入国管理制度 国連からも問題視される閉鎖性」 「仮放免の要件がかなり厳しくなった。「その頃から、収容が長期化し2年を超える人も珍しくなくなりました」、「収容」の「長期化」は問題だ。 確かに「入管」は問題山積のようだ 「国連の「恣意的拘禁作業部会(WGAD)」」から「国際法違反」と認定されたとは、不名誉なことで、早急に是正すべきだ 「日本の認定率」の「低さ」はやはり、異常だ。 「日本も加盟している、難民保護を定めた「難民条約」に反するおそれがある」、法務省は国際的な潮流を無視して唯我独尊の姿勢をいつまで続けるのだろう。恥ずかしいことだ。 「入管」と「難民を保護する機関」は「別であるべきだ」、筋論からはその通りだろう 「2019年度に利用した実績は30人」、殆どないに等しいようだ 「WELgee」の活動は有効そうだ 「山本さんたちがこれまでに関わった190人の半数以上が、大学か大学院卒の学位を持っているという。母国で民主化運動や平和運動に参加したり、宗教を変えたりしたなどのさまざまな理由で弾圧をうけるなどし、命の危険を感じて日本に逃げてきた人たちだ」、高度なスキルを持った人が多いのは.意外だ。そうであれば、戦力になってくれそうだ。 「日本」も「難民」に対してもう少し開かれた社会になってほしいものだ。
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パンデミック(経済社会的視点)(その16)(コロナとさえ戦わない絶望の国ニッポン、尾身会長を「都合よく使う」菅政権の重罪 政府が専門家の価値を暴落させる、「研究所流出説」を甦らせた素人ネット調査団 新型コロナの始祖ウイルスを「発見」!) [パンデミック]

パンデミック(経済社会的視点)については、5月10日に取上げた。今日は、(その16)(コロナとさえ戦わない絶望の国ニッポン、尾身会長を「都合よく使う」菅政権の重罪 政府が専門家の価値を暴落させる、「研究所流出説」を甦らせた素人ネット調査団 新型コロナの始祖ウイルスを「発見」!)である。

先ずは、5月3日付けNewsweek日本版が掲載した財務省出身で慶応義塾大学准教授の小幡 績氏による「コロナとさえ戦わない絶望の国ニッポン」を紹介しよう。
https://www.newsweekjapan.jp/obata/2021/05/post-65_1.php
・『<コロナ危機が始まって一年、既得権益との戦いも国民的な議論もなく、ただただ戦いから逃げてきた結果、日本は大変なことになっている> 私は、日本に絶望した。 第一に、コロナ危機はいまや日本だけだ。世界ではコロナ危機は過去のものとなり、いまだに苦しみ、先が見えていないのは、インドと日本だけだ。 第二に、オリンピックなどという不要不急、重要性の低いイベントに国が囚われてしまっている。物事の優先順位がつけられない国は、普通は、滅亡する。歴史においてはそうだった。 第三に、専門家も政治家も嘘ばかり付いている。意図的な嘘なのか、物事をあまりに知らなくて間違っているだけなのか、よくわからないが、いずれにせよ、当たり前のことすらまったくわかっていない。間違ったことを言い続けている』、「オリンピックなどという不要不急、重要性の低いイベントに国が囚われてしまっている。物事の優先順位がつけられない国は、普通は、滅亡する」、痛烈な批判だ。
・『誰も何もやる気がない  第一の点は、3つに分けられる。1)コロナ対策そのものが最悪だし、2)医療体制は整っているはずなのに、実効性が低く、3)コロナ危機の程度が軽いにもかかわらず、経済への悪影響は、世界最高水準。悪い、悪い、悪いの三拍子だ。 日本のコロナ危機は、ワクチンの遅れと、イギリス型変異ウイルスが理由と思われているが、そうではない。変異ウイルスは世界中で発生しており、それは警戒が必要ではあるが、どの国も同じである。第二に、韓国でもワクチン接種は欧米よりも遅れている。当たり前だ。欧米の新型コロナによる死者と東アジアでの死者の数は比較にならず、緊急性の高い欧米、イスラエルで進んだだけで、感染者が少ない日本で、ワクチンが欧米よりも遅れるのは当たり前だ。 問題は、コロナ対策が、実際にはまったく何も行われていないことにある。 スマートフォンの感染者接触アプリCOCOAもデジタル庁もどこかに消えてしまい、保健所のDX(デジタルトランスフォーメーション)も導入したが、機能していない。検査も増えない。 医療の体制も混乱の極みだ。政府そしてとりわけ知事たちはこの1年、テレビに出る以外に何をしてきたのか。 医療体制が混乱しているのは、医療システムを社会全体のために動員する仕組みもやる気も存在しないからだ。とりわけ、やる気のほうが大きい。 病院と医師たちは、一部(せいぜい半分)の良心的で献身的な人々の善意、ボランティアに依存するばかりで、過半の病院と医師たちは新型コロナと無関係である。コロナに追われて手薄になった病院や医師たちをフォローする体制もないし、一肌も脱がないし、これをチャンスとばかり儲けようとして、結果的に社会に貢献することもない。 怪しいPCR検査、簡易検査の広告が出るぐらいで、触らぬウイルスに祟りなし、といった雰囲気だ。) しかし、病院と医師が自発的に動かないと文句を言っていても仕方ないし、それこそが政府と知事たちの役割で緊急動員体制を作るのが仕事だ。政治家たちは、医師会に気兼ねして何もできず、裏取引や利益誘導をして動員する度量もリスクテイクも悪知恵も野心もない。きれいでも汚くてもどっちでもいいから仕事のできる政治家が必要だ。仕事がとにかくしたい、と言っていた総理はどこへ行ったのか。 しかし、いまさら政治を批判していても仕方がない。この20年衰退の一途だった政治にいまさら期待するほうが間違いで、人々は自衛するしかないし、それが当然のサバイバル術だ。ところが、人々は、恐怖と欲望に支配されて、政治家並みに見るも無残な有様だ。 緊急事態宣言は何の効果もないが、1回目は絶大な効果があったように見え、2回目はそれほどでもないが、多少影響があったように感じられ、3回目の今回は、誰がどう見ても効果ゼロだ。 しかし、1回目の効果に見えたのは、緊急事態宣言ではなく、自称有識者が、ロンドンとニューヨークの危機を吹聴して、ことさらに人々を脅し、専門家までが、極端な8割削減、死亡者数数十万と、こちらも煽って、人々を恐怖に陥れたからだ』、「1回目の効果に見えたのは、緊急事態宣言ではなく、自称有識者が、ロンドンとニューヨークの危機を吹聴して、ことさらに人々を脅し、専門家までが、極端な8割削減、死亡者数数十万と、こちらも煽って、人々を恐怖に陥れたからだ」、面白い見方だ。
・『恐怖で麻痺した個人消費  そして、芸能人が死亡し、人々、とりわけ高齢者は死に怯え、恐怖が彼らを支配し、日本は自粛に包まれ、街は静まり返った。一方、若者たちは、緊急事態、コロナ危機を、初めてのハロウィンのように、目新しいイベントとして受け止めた。知的な大人を自認する意識高い系の人々にとっては、自粛を推奨すること、欧米の危機を伝えることが知的な作業と感じ、手当たりしだいの情報をSNSで拡散し、自己満足し、その結果、高齢者を恐怖に陥れた。 つまり、高齢者は恐怖に支配され、若者たちは、イベント参加あるいは知的自画自賛に陶酔するという欲望に身を任せた。これが1年前であった。 2回目の緊急事態宣言は、政治がGoToなどで迷走する中、何の意味も持たなかったが、東京の新規感染確認者数が一日で2000を超えた、というその2000という数字が人々を恐怖に陥れ、再び恐怖が社会を支配し、年末年始の日本は自粛が支配した。 しかし、3回目は何も効かない。唯一効果があるのは、変異ウイルスの恐怖で、それを政府が意識的にか無意識にか利用し、多少の効果を収めた。恐怖で人々の行動を制限したのである。 この結果、経済は最悪となった。 海外輸出は好調で、企業はDXなど好景気に沸く企業も多いが、個人消費関連は、特にサービスセクターで壊滅状態である。なぜなら、実際のコロナ危機とは無関係に、また外出禁止も小売店営業停止もないにもかかわらず、日本の消費の中心である高所得者層や小金持ちの小資産家層は中高年であるため、恐怖に支配されて動けないからだ。個人消費は激減した。そして、株式投資だけが盛り上がった。) 一方、自粛というイベントに飽きた若者層は、旅行でも外食でも行きたかったが、カネがなく、GoToキャンペーンという税金補助もなくなったので、一気にカネを使わずに、路上飲みや友人宅でパーティーを行った。サービス消費経済は大きく落込んだのである。 日本経済がこれだけ危機に陥り、社会は恐怖に包まれているのに、なぜか、政府はオリンピックに躍起になり、すべてを差し置いてオリンピック優先である。GoToは世論の逆襲にあってやめたが、なぜか聖火リレーは続けられ、会食禁止、集まり禁止と言いながら、芸能人を多数起用し、ギャラなしでオリンピックを盛り上げるイベントに動員し、沿道にミーハーな人々の密を作った。 そして人々は、政府の緊急事態宣言もワクチン戦略もすべてはオリンピックのためだと解釈し、非難し、飲食店の人々はとりわけ怒りに燃えた。それにもかかわらず、もちろん感染状況次第ではオリンピックはできません、しかし、その最悪の事態にならないように全力を尽くしますと言えばいいだけなのに、オリンピックができないこともありうるというのは禁句で、何があっても触れない、という態度が、人々の政治不信を加速し、自粛要請に対する反発を高め、今後の政府の分析、説明、呼びかけ、すべての効果をさらに失わせている。 ただ一言、感染状況次第と言えばいいだけなのに、頑なに否定し、自分たちの権力の影響力を低下させることをあえてやっている。馬鹿なのか、利害関係からオリンピックをどうしてもやりたいという気持ちに正直すぎるのか、いずれにせよ、意味不明で、この些細なイベントにより、政策の優先順位がすべて混乱している』、「最悪の事態にならないように全力を尽くしますと言えばいいだけなのに、オリンピックができないこともありうるというのは禁句で、何があっても触れない、という態度が、人々の政治不信を加速し、自粛要請に対する反発を高め、今後の政府の分析、説明、呼びかけ、すべての効果をさらに失わせている」、その通りだ。
・『ワクチン接種では公平性に拘る愚  コロナワクチンの話もそうだ。とにかく、早く多くの人に打つことが重要であるにもかかわらず、隣町との公平性が重要で、市町村にどう割り振るかで揉めている、誰に打つかで揉めている、不手際はいちいち批判される、まったく行政の効率性は最低レベルである。 一方、人々も、副作用に過剰反応し、申し込みにも殺到し、感情的にしか行動できない。優先順位が間違っている。とにかく、早く大勢に打つことが重要で、自分が打とうが、周りが打とうが、効果はあるのだから、全員が打ち終わるのを早くすればよい。公平性は後だ。 しかし、最大の問題は、政治家も専門家も、間違ったことばかり1年も言い続けている。これが最大の問題だ。 まず、感染リスクについてすら、いまだに通勤電車の混雑を減らせ、テレワーク7割などと言っている。ソーシャルディスタンスや三密など、すでに間違いだったことがはっきりしたことを誰も訂正しないどころか、いまだにそれを主張し続けている。 これが人々を愚かにさせる。唾液の飛まつだけだから、しゃべらなければ移らない。スーパーのレジで並んでいると、裕福そうな初老の女性に、いきなり振り向かれて、ソーシャルディスタンスと叫ばれ、私が70センチに接近していることを殺人未遂であるかのように非難する。貴方の叫びによる飛まつが一番危ないのだが、と思い、マスク越しであっても飛まつが一切でないように、黙って肩をすくめると、鬼のような形相でどこかへ行ってしまった。 しかし、最大の嘘は、日本の法体系では、強制力を持った措置が取れない、と政治家も有識者とやらも、知ったような顔でそれを大前提として議論をしていること。それは嘘だ』、「ソーシャルディスタンスや三密など、すでに間違いだったことがはっきりしたことを誰も訂正しないどころか、いまだにそれを主張し続けている」、マスコミも政府の誤ったキャンペーンの片棒を担いでいる。
・『ロックダウンも可能だった  憲法、基本的人権において、欧米と日本の法的な制限の差はない。いわゆる欧州大陸法と英米法(コモンロー)とで、法律の書き方、裁判制度などは異なるが、基本的人権の制限に関する差はない。実際、フランスでもドイツでもイギリスと同じように行動は制限され、外出は禁止されている。 単に、日本においては、特別措置法で、その規定がない、と言うことに過ぎない。なければ、作ればよい。特措法改正をしたときに、もっといろいろできるようにすればよかっただけだ。それは、医師会や世論が怖くて、できない、面倒だからしない、それだけのことだ。 1年間、国会でも戦わず、医師会とも戦わず、世論とも戦わず、政治も政府も何もしてこなかった。それを誰も責めなかった。むしろ、行動制限には補償がセットで必要だと、訳知り顔で政府を攻撃する。そんなことはない。社会秩序、社会全体の保健衛生上の危機がある場合には、一般的な規制をすることは憲法違反にならない。個別の措置は、憲法違反になる可能性があるが、それは裁判をやって判断するだけのことだ。 百貨店だけに休業を命令するのは明らかな憲法違反だが、特定の地域の人々全員に外出を禁止するのは憲法違反でない。小売店すべてに休業命令を出すのも違反でない。飲食店すべて休業命令を出すのは、違反でないと思われるが、飲食店の側で争う余地はある。 しかし、それは議論しなければ結論は出ない。裁判所であれ、国会であれ、メディアであれ、どこでも議論を戦わせずに、戦いから逃げてきた1年間。政治もわれわれも。それが、現在の結果をもたらしている。 そして、この戦いから逃げる姿勢は現在も継続している。太平洋戦争も同じだった、ともいえるだろう。 つまり、日本は絶望的で、望みがないのではないか、と思ってしまうのである』、「日本においては、特別措置法で、その規定がない、と言うことに過ぎない。なければ、作ればよい。特措法改正をしたときに、もっといろいろできるようにすればよかっただけだ」、憲法改正する口実に憲法問題を持ち出しているとすれば、罪が深い。

次に、6月9日付けダイヤモンド・オンラインが掲載した経済評論家・楽天証券経済研究所客員研究員の山崎 元氏による「尾身会長を「都合よく使う」菅政権の重罪、政府が専門家の価値を暴落させる」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/273412
・『政府の新型コロナウイルス感染症対策分科会の尾身茂会長が、東京オリンピック・パラリンピックの開催に警鐘を鳴らしたことで大騒動が巻き起こっている。それに対する政府の対応はお粗末なもので、政治家としての能力不足を露呈した。今回の問題は、政府が尾身会長の専門性と権威を自分たちに都合のいい内容ばかりに使おうとしていることにある。尾身会長の扱い方いかんで、「政府が使う専門家」の価値が大きく動くことになるかもしれない』、興味深そうだ。
・『コロナ対策分科会の尾身茂会長が東京五輪のリスクを警告  政府の新型コロナウイルス感染症対策分科会の会長を務める尾身茂氏が、6月2日に東京オリンピックの開催の可否について問われて、「普通はない。このパンデミックで」と答えたことが波紋を呼んでいる。 言葉を補うと「現在のようなパンデミック(感染症の大流行)の状況下では、東京オリンピックのようなイベントを開くことは、常識的には行うべきでない」という意味に解される。これまで政府の意向に沿った情報発信を行ってきて、「御用学者」などとやゆする声も一部にあった尾身氏だが、政府がやりたがっているように見える東京オリンピックの開催に明確に反対する意見を述べたことに驚きが広がった。 尾身会長のコロナ対策は「人流を抑える」ことに要点があった。そのため、数万人単位の人間が国境を越えて動く、異次元の人流イベントである東京オリンピック開催に対して否定的な意見を持つことは、全く自然に思われる』、その通りだ。
・『「尾身発言」に応えられない菅政権 政治家として能力不足  オリンピック開催に反対の国民からは「尾身さん、よく言ってくれた。ありがとう」との声がある一方、ある「与党幹部」はこの発言に対して「越権行為だ」と不快感を表明したとの報道もある。 後者については、尾身氏は自身がオリンピック開催の可否の決定者でないことについて、十分に認識しているように思われる。彼は、「普通はない」が、それでもやる場合には、なぜやるのか理由の十分な説明が国民に対して必要だと言っている。別段の越権はない。 問題は、これに十分応えることができていない菅義偉首相以下の政府の側にある。はっきり言って、政治家として能力不足だ。職務の継続に無理があるのは尾身会長の方ではなく、菅首相の方ではないだろうか。「安全・安心なオリンピック」と呪文を唱えるだけで、「どのようにすると、なぜ、安全なのか?」が分からないので、国民は政府を信用できずにいる。各種の調査で内閣支持率が下落している大きな理由だろう。 尾身氏の発言を重視した野党は、分科会に東京オリンピックの安全性に関して諮問を求めるべきだと要求しているが、政府はこれを拒否している。東京オリンピックの開催に対して否定的な意見を分科会の答えとして受け取ってしまうと、不都合だということなのだろう。改めて言うまでもないが、諮問云々の手続きが問題なのではなく、リスクに対する専門家の判断が問題なのだから、全くばかばかしいこだわりだ』、このブログの「東京オリンピック(五輪)(その18)」でみたように、「菅首相」はどうもオリンピックが始まってしまえば、国民はオリンピックに熱狂することに賭けているようだ。無論、そんな本音は口に出す訳にはいかない。
・『政府にとっての専門家の「利用価値」  現時点で、尾身氏は、独自に情報を発信する意向だと報じられている。 感染症対策の「専門家」として、コロナ禍におけるオリンピック開催のリスクや、どうしても開催する場合に必要な対策を提示することが自らの責任だと考えておられるようだ。極めて「まとも」で「普通」の考えだと、筆者は思う。 政府に対して、時には企業や学校などの組織に対して、「専門家」は微妙な位置に立つ場合がある。 多くの場合に専門家は、政府などの組織が実行したいと考えることの正しさを専門家として裏書きして、その正当性を補強する役割を期待される。例えば、昨年の「Go Toキャンペーン」の際には、Go Toキャンペーンが感染症対策と両立できるという情報発信を専門家が行ってくれると、政府としては好都合だった。 かくして、多数の「委員会」や「有識者会議」が生まれる。 一般に、こうした会議に呼ばれる専門家には、(1)政府に認められた専門家としてステータスを得る、(2)専門的な知見を広く世間に知らせることができる、(3)自分の所属組織(例えば大学)が政府と良好な関係を持つことにメリットがある(研究費などで)、といったモチベーションがある。 なお、この3番目のメリットに関しては、学者の場合にそれなりに重要な場合があるだろう。ただ、政府との関わりが自分の所属する会社に受注をもたらすような関係性になると、不適切な場合がある。今回、名指しは避けるが、政府に関係する「会議」のメンバーにはこの点で深刻な疑義を感じさせる人物が存在する。 尾身会長は元官僚であり、地域医療機能推進機構の理事長だが、(3)に関する疑義は今のところ感じられない。また、尾身会長の分科会については存じ上げないが、この種の有識者会議の出席に関する謝礼金はごく安いのが普通で、尾身氏のような方にとってほとんど意味がない金額だ。 従って尾身会長は、これまで専門家としての使命感から「手弁当」的な感覚で協力してきたと実感しているに違いない』、その通りだろう。
・『尾身会長vs菅政権、問題の本質は「専門家を都合よく使おうとすること」  今回の政府と尾身会長の間の問題は、政府の側が、尾身会長の専門性と権威を自分たちに都合のいい内容ばかりに使おうとしていることにある。 政府の行うことが正しいと専門家が判断する限りでは、この関係性は専門家自身にとっても問題はない。 しかし、今回の東京オリンピックの感染症リスクは、尾身氏の専門家としての知見から看過できないものなのだろう。 あるいは、筆者の邪推の可能性もあるが、尾身会長は、東京オリンピックの開催は不可避と判断した上で、開催後の感染問題の深刻化の可能性を踏まえて「専門家として事前に警告した」という事跡を残しておきたいのかもしれない。 この場合、尾身氏の対社会的な保身行為だともいえる。しかし、万一そうした理由があるとしても、リスクを警告するという行為自体は国民一般に対する「専門家」の行動として適切である。リスクを知っていて何も言わずにいるよりは、いかなる形であっても情報を発信する方がずっといい。 情報の受け手である国民としては、尾身氏の発言の背景が上記のいずれであるとしても、「尾身氏の目から見て、東京オリンピック開催には深刻なリスクがある」と受け取ることができる。 オリンピックを開催したい政府としては、尾身会長に「オリンピックを安全に開催することは十分可能だ」と言ってもらえると都合がよかったのだろうが、そうはならなかった。 「それでも開催する」という判断なら、判断の責任者が国民に納得のいく説明をする必要がある。尾身氏の専門性を隠れみのにして、説明の代用にしようとすることは虫が良すぎる』、「尾身氏の専門性を隠れみのにして、説明の代用にしようとすることは虫が良すぎる」、同感である。
・『個人と組織にとっての「専門家キャピタル」  東京オリンピックの開催に深刻なリスクを認める場合、尾身会長にとって今回の発言は、専門家としての権威や評判の価値、いわば自らの「専門家キャピタル」を守るための行動だと解することができる。 政府や企業が「専門家」を使おうとする場合、個々の専門家にとって自らの価値を守る上で譲れない一線がどの辺りにあるのかを見極めることが重要だ。専門家(特に学者)は、経済的な利にさとい人や、自説にこだわらずに御用学者に徹することを役割と考える人もいるが、多くは「仲間内の評判」に敏感だ。専門家は専門家仲間によって承認され合うことによってその世界での価値を維持している。 政府はこれまで、尾身氏の「専門家キャピタル」を大いに利用してきたが、今回同じ手が利かなくなったことに対してどう対処するのだろうか。 いかにもありそうな選択肢は、(1)別の専門家を使う、(2)尾身氏に圧力を掛けて好都合な発信を強いる、の二つだが、どうなるか。 (1)は「ノーベル賞級の御用学者」が必要だが、適任者が急には見つからないかもしれない。(2)は、尾身氏に個人的な弱みがあるのか否かが問題になる。週刊誌などで、尾身氏の個人的なスキャンダルが見出しとなるような事態が今後起これば、背後で(2)のような事態が進行した可能性が大きいと推測できる。どちらにせよ、感じのいい進展ではない。 三つ目の選択肢があるとすれば、(3)警告を無視してオリンピックを強行する、だろう。知性のかけらも感じさせない強引な方法だが、時間の切迫具合から見て、こうなりそうな予感はある』、確かに(3)の可能性が高そうだ。
・『政府が選んだ専門家が信用されなくなる そんな未来が訪れかねない  政府が、専門家が有する「専門家キャピタル」を各種の「会議」や「委員」などの立て付けを使って都合よく利用する行動は、今後も続くだろう。ただし、専門家の使い方があまりに粗末だと、そもそも政府が選んだ専門家が信用されなくなるという、政府レベルでの「専門家キャピタル」の毀損が起こりかねない。 新型コロナも東京オリンピックも国民の関心の高いテーマだ。専門家としての尾身会長の扱い方いかんで、政府が使う専門家というものの価値が大きく動くことになるかもしれない。 例えば一転して、政府が尾身氏の警告に耳を傾け、東京オリンピックの開催を断念した場合、「専門家」への国民の尊敬は高まるだろうし、菅内閣の支持率は上昇するかもしれない。 政府に限らず、企業でも学校でも、「専門家」の扱い方は重要であると同時に難しい。もちろん、専門家自身の身の振り方も簡単ではない』、さすが山崎氏らしい深い考察だ。

第三に、6月4日付けNewsweek日本版が掲載したローワン・ジェイコブソン氏による「「研究所流出説」を甦らせた素人ネット調査団、新型コロナの始祖ウイルスを「発見」!」を紹介しよう。
https://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2021/06/post-96453_1.php
・『<パンデミック発生後早い段階で「反中の陰謀説」とされてきた新型コロナウイルスの「研究所流出説」がここへ来て急に見直されているのは、中国の説明がおかしいと感じた世界各地のアマチュアネットユーザーがチームを組んで否定しがたい新事実を科学界と大メディアに突きつけたからだ> 新型コロナウイルス感染症のパンデミック(世界的な大流行)は中国・武漢の研究所から手違いでウイルスが流出して引き起こされた──これはつい最近までオルト・ライト(新右翼)的な陰謀論としておおむね無視されてきた主張だ。 ワシントン・ポストは2020年初め、「専門家が何度もその誤りを証明した陰謀論を、執拗に蒸し返している」として、トム・コットン上院議員を批判。CNNは「陰謀論や誤情報を信じている友人や家族を説得する方法」を伝え、ニューヨーク・タイムズも「非主流の説」扱いをし、公共放送のNPRも「研究所の事故で流出したという説は虚偽だと証明されている」と述べるなど、アメリカの他の主要メディアもおおむねこの説を否定していた。 そうした中で、本誌は例外的に2020年4月、武漢ウイルス研究所(WIV)はウイルスの病原性や感染性を強める「機能獲得型」研究を行なっており、ここから流出した可能性も否定できないと報道した。同様の報道を行なったのは、左派系雑誌のマザー・ジョーンズに加え、ビジネス・インサイダー、ニューヨーク・ポスト、FOXニュースと、ごく少数のメディアだけだ』、「研究所流出説」も当初は少数派だったようだ。
・『あるのは好奇心と根気だけ  だがこの1週間ほど、研究所流出説がにわかに注目を浴び始めた。ジョー・バイデン米大統領は情報機関に追加調査を指示。主要メディアも手のひらを返したように、流出説をあり得る仮説として扱い始めた。 雲行きが変わった理由は明らかだ。この何カ月かの間に武漢の研究所からの流出を疑わせる状況証拠が次々に明るみに出て、無視できないほどに蓄積された。 それらの証拠を探り当てたのは、ジャーナリストでもスパイでも科学者でもない。アマチュアの「探偵」たちだ。彼らの武器は好奇心、そして来る日も来る日もインターネット上の膨大な情報をかき分け、手掛かりを探す根気強さ。それだけだ。 パンデミックが始まってからというもの、その原因に関心をもった世界各地のアマチュア20数人が独自に調査を行い、埋もれた文書を掘り起こし、断片的な情報をつなぎ合わせてきた。彼らがばらばらに発信した推理が1つ、また1つとツイッター上でつながり、やがてはまとまったストーリーが紡ぎ出されてきた。 それは言ってみれば「オープンソースの自由参加型ブレインストーミング」であり、ネット調査と市民ジャーナリズムの要素が合体した、全く新しい調査方法である。彼らは自分たちをDRASTIC(Decentralized Radical Autonomous Search Team Investing COVID-19=新型コロナウイルス感染症に関する分散型の急進的な匿名の調査チームの頭文字を取った略称だ)と名乗る。 DRASTICの調査結果は長い間、ツイッター上のオタク世界の片隅に埋もれ、少数のフォロワーにしか知られていなかった。探偵たちはたびたび捜査の袋小路にぶつかったし、時には彼らの解釈に異を唱える科学者たちと論争になった。それらの数々のツイートは、ツイッターの「ファイヤーホース」サービスを介して、1つのまとまったニュースの流れを形づくった。 調査の質はしだいに向上し、事実究明に向けたその執念がより幅広いフォロワーを引きつけ、科学者やジャーナリストもその内容に注目するようになった。 DRASTICのおかげで、今ではいくつかの重要な事柄が分かっている』、「パンデミックが始まってからというもの、その原因に関心をもった世界各地のアマチュア20数人が独自に調査を行い、埋もれた文書を掘り起こし、断片的な情報をつなぎ合わせてきた。彼らがばらばらに発信した推理が1つ、また1つとツイッター上でつながり、やがてはまとまったストーリーが紡ぎ出されてきた。 それは言ってみれば「オープンソースの自由参加型ブレインストーミング」であり、ネット調査と市民ジャーナリズムの要素が合体した、全く新しい調査方法である」、素人集団がここまでやるとは素晴らしい。
・『どう見ても疑うしかない新事実  まず、武漢の研究所が長年、コウモリのいる洞窟で何種類ものコロナウイルスを収集してきたこと。その多くは2012年にSARS(重症急性呼吸器症候群)のような症状を起こして3人の鉱山労働者が死亡した銅鉱山で見つかったもので、新型コロナと最も近縁なウイルスもそこに含まれるとみられている。 また、武漢の研究所はこれらのウイルスを使ってさまざまな実験を行なっていたが、安全管理はお粗末で、曝露や流出の危険性があったことも明らかになった。研究所も中国政府もこうした活動を外部に知られないよう、ひた隠しにしていたのだ。 さらに、新型コロナの発生源とされた武漢の華南海鮮市場で最初の集団感染が起きるよりも何週間も前に、既に感染者が発生していたことも分かった。 これらのいずれも、研究所流出説を裏付ける決定的な証拠とは言えない。研究所が発生源ではない可能性も十分にある。しかしDRASTICが集めた証拠は、検察官の言う「相当な理由」にはなる。つまり、研究所から出た可能性を疑い、本格的な捜査を行うに足る理由がある、ということだ。) アメリカやその他の国々が精力的に調査を進めても、研究所流出説を裏付ける明白な証拠が得られるという保証はない。中国の全面的な協力なしには、徹底した調査はできないが、中国の協力は得られそうにない。 それでも、この雑多な背景を持つ少数のアマチュアたちがやってのけた草の根の調査報道は、21世紀の最大のスクープとなる可能性がある。 以下はその詳しい経緯だ。 DRASTICの1人、「シーカー(探索者)」と名乗る20代後半のインド人男性がメールとテキストメッセージで本誌の取材に応じてくれた。 彼はインド東部の西ベンガル州在住。地元の伝統的な舞踊に使われる仮面をツイッターのロゴにしている。仕事は建築、絵画、映像制作など。母や姉妹がよく作るインドのお粥「キチュリー」のように雑多な素材が混じり合うことで、意外性に富む作品ができるそうだ。 熱心な独学者で、グーグルが監視の目を光らせるネット上の「表通り」からは外れた「路地裏」に精通し、興味を持ったトピックについてはそこでせっせと情報収集をしてきた。その成果をレディットに頻繁に投稿し、75万カル・ポイントを獲得したという。 本誌に明かしてくれたプロフィールは以上。本名の公表は控えたいそうだ』、「この雑多な背景を持つ少数のアマチュアたちがやってのけた草の根の調査報道は、21世紀の最大のスクープとなる可能性がある」、ずいぶん面白い時代になったものだ。
・『「流出説」を揉み消した大物の正体  パンデミックが始まった当初、新型コロナ関連のニュースを追っていた人たちの例に漏れず、シーカーも武漢の海鮮市場で野生動物からヒトに感染が広がったと信じていた。3月27日付のツイートで、彼は「珍しい動物の取引で生まれたおかしなウイルスで、親や祖父母が死ぬなんて、ひどい話だ」と嘆いた。 彼がそう信じたのは、主要メディアがそう報じたからで、主要メディアがそう報じたのは何人かの科学者がそう主張したからだ。 そう主張した科学者の筆頭格がピーター・ダザック。パンデミックを起こす可能性がある自然界の病原体について大規模な国際調査を行う非営利の研究機関、エコヘルス・アライアンスの代表だ。 ダザックは、武漢ウイルス研究所に所属するコウモリのウイルス研究の第一人者、石正麗(シー・ジェンリー)と長年共同研究を行なってきた。十数本近い論文を共同執筆し、分かっているだけで60万ドルの米政府の助成金を彼女に回してきた。) 世界で最も多くコロナウイルスを収集してきた研究所のすぐそばで、未知のコロナウイルスの集団感染が発生したとなると、研究所から流出した疑いを持つのは理の当然だ。ダザックはすかさずそれに待ったをかけた。他の26人の科学者と連名で2020年2月19日、医学誌ランセットで公開書簡を発表。「新型コロナウイルス感染症が自然な発生源を持たないことを示唆する陰謀論を、私たちは断固として非難する」と宣言したのだ。 今では情報自由法の請求記録から、ダザックが研究所流出説を潰すための公開書簡の作成を主導したことが分かっている。彼は書簡の草案を作成し、仲間の科学者たちに署名させて、それが幅広い科学者の見解を示すものに見えるように画策したのだ。 ダザックは科学者たちに署名を求めるメールの中で、「この声明にはエコヘルス・アライアンスのロゴは入らないし、特定の組織や人物が作成したものだと特定されることはない」と確約していた。武漢ウイルス研究所と研究内容が重なる科学者たちは、「(署名から)研究内容を逆にたどられることがないように」署名しないことで同意した。 だが当時、ダザックが果たした役割については、それをほのめかす兆しもなかった。公開書簡が発表されたことがきっかけでメディアに頻繁に登場するようになったダザックは、研究所流出説を「不合理」「根拠に欠ける」「完全なでたらめ」と一蹴した。彼はまた、同研究所につながる証拠を発表した複数の科学者を攻撃。研究所流出説が理にかなわない理由の一部として、武漢ウイルス研究所では、新型コロナウイルスに少しでも似ているウイルスを一切培養していなかったと主張した』、「情報自由法の請求記録から、ダザックが研究所流出説を潰すための公開書簡の作成を主導したことが分かっている。彼は書簡の草案を作成し、仲間の科学者たちに署名させて、それが幅広い科学者の見解を示すものに見えるように画策した」、隠蔽工作も手がこんでいるようだ。
・『コウモリウイルスの専門家、石正麗  ダザックは長期にわたって、驚くほど大きな影響力を持ち続けた。彼のしたことが公にされれば、彼のキャリアも組織も大きな打撃を受けただろうが、メディアがそうした疑問を提起することはほとんどなかった。 皮肉にもダザックの「共犯」となったのが、ドナルド・トランプ前米大統領だった。「中国ウイルス説」を唱えるトランプ政権がエコヘルス・アライアンスへの助成金を打ち切ると、メディアはダザックを陰謀論者たちの「犠牲者」として同情的に取り上げたのだ。 シーカーは、2020年前半までにはその考え方に疑問を抱くようになっていた。そこで、通説のあら探しをしていた人々とのやり取りを始めた。 その中で見つけた重要な情報が、カナダの起業家ユーリ・デイギンによる、オンラインプラットフォーム「メディウム」への投稿だ。デイギンはこの中で、石正麗が2月3日に科学誌ネイチャーで発表したウイルス「RaTG13」を取り上げていた。石正麗は論文の中で、新型コロナウイルスについての詳細な分析結果を紹介。新型コロナウイルスと遺伝子レベルで似ているウイルスとして、「RaTG13」(コウモリコロナウイルス)を挙げていた。) 論文はRaTG13の起源については曖昧で、中国南部の雲南省に生息するコウモリから以前検出されたと述べるだけで、いつ・どこで発見されたのか具体的な言及はなかった。 デイギンはこの論文に疑念を抱いた。新型コロナウイルスは、RaTG13あるいはその関連ウイルスを調べていて、遺伝子を混ぜ合わせたり、照合したりする作業の過程で生まれた可能性があるのではないかと考えた。デイギンの投稿内容は包括的で、説得力があった。シーカーはデイギンの説をレディットに投稿。するとすぐに、彼のアカウントは永久凍結された。 この検閲の気配が、シーカーの好奇心とやる気を刺激した。ツイッター上にあるグループのアイデアをさらに読んでいくと、「この問題について活発に議論し、調査しているグループが見つかった」と、彼は本誌へのメールで述べた。 この刺激的なグループを構成していたのは、起業家やエンジニア、それにロッサーナ・セグレトという米インスブルック大学の微生物学者もいた。彼らは互いに面識はなかったが、新型コロナウイルスの起源が動物という通説に疑問をもった点が共通していた。 アジアのどこかに暮らしているという冗談好きのコーディネーターがグループの会話を管理していた。この人物はビリー・ボスティックソンという偽名を使っており、ツイッターのアイコンには、痛めつけられた研究用のサルの絵を使っている』、「「中国ウイルス説」を唱えるトランプ政権がエコヘルス・アライアンスへの助成金を打ち切ると、メディアはダザックを陰謀論者たちの「犠牲者」として同情的に取り上げたのだ」、皮肉なことだ。「刺激的なグループを構成していたのは、起業家やエンジニア、それにロッサーナ・セグレトという米インスブルック大学の微生物学者もいた。彼らは互いに面識はなかったが、新型コロナウイルスの起源が動物という通説に疑問をもった点が共通していた」、なるほど。
・『真相を明らかにする使命感  まさにシーカーにぴったりのグループだった。「彼らの手助けを得て、詳しいことを学んでいった」と彼は言う。「いつの間にか、この謎にすっかり夢中になっていた」 彼を駆り立てたのは好奇心だけではなく、ひとりの市民としての責任感でもあった。「新型コロナウイルスは、数えきれない人の命を奪い、大勢の人の生活を破壊した。多くの謎も残しているのに、その追跡調査が行なわれていない。人類には答えを知る権利がある」 シーカーをはじめとするメンバーたちは徐々に、RaTG13がその「答え」の一部を解明する上での鍵を握っているのではないかと確信するようになった。 グループのスレッドでは、6人ほどの参加者がこの謎について活発な議論を展開。彼らはヒントを求めて、インターネットや武漢ウイルス研究所の過去の論文をくまなく調べた。彼らは世界中の人々が見られる形で、リアルタイムでデータを更新し、さまざまな仮説を検証し、互いの意見を修正し合い、幾つかの重要な指摘を行った。 RaTG13の遺伝子配列が、石正麗が何年も前に発表した論文に記されていた遺伝子コードの一部と完璧に一致した、というのもその一つだ。この遺伝子コードは、武漢ウイルス研究所が雲南省のコウモリから発見したウイルスのものだった。) DRASTICチームは、2つの論文に含まれる重要な詳細情報を過去の複数の報道と結びつけて、RaTG13は雲南省の墨江ハニ族自治県にある鉱山の坑道で発見されたウイルスだと断定した。ここでは2012年に、コウモリの糞を除去していた男性6人が肺炎を発症し、そのうち3人が死亡していた。DRASTICはこれが、ヒトが新型コロナウイルスの始祖ウイルス(おそらくRaTG13かそれに類似したウイルス)に感染した初めての症例だったのではないかと考えた。 石正麗は科学誌「サイエンティフィック・アメリカン」に掲載されたプロフィールの中で、複数の鉱山労働者が死亡した墨江ハニ族自治県の鉱山について調査を行なったことを認めている。だが彼女はこの銅鉱山の一件とRaTG13を関連づけることは避けており(論文の中でも触れていない)、作業員たちは洞窟の中の「真菌(カビ)」が原因で死亡したと主張した。 DRASTICの面々は納得しなかった。鉱山労働者を死に追いやったのは真菌ではなく、SARSウイルスに似たウイルスで、研究所は何らかの理由でそれを隠そうとしているのではないかと、彼らは考えた。だが、それは直感にすぎず、証明する手立てはなかった』、「RaTG13の遺伝子配列が、石正麗が何年も前に発表した論文に記されていた遺伝子コードの一部と完璧に一致した」、こんなことが起こり得るとは謎解きも面白そうだ。
・『2012年の鉱山労働者の死因を追え  だがネット情報を探るうちに、シーカーは中国の学術誌や論文を網羅した巨大なデータベース、CNKI(中国学術文献オンラインサービス)を見つけた。ここにある膨大な学術文献の中に、鉱山労働者の死に関連した情報が埋もれているかもしれない。 彼はベッドの横のテーブルにチャイを用意し、携帯電話とノートパソコンで夜を徹して探索を続けた。問題の鉱山がある地域の名称(墨江ハニ族自治県)に思いつく限りの関連キーワードを付けて、グーグル翻訳で英語を簡体字の漢字に変換して検索をかけ、検索結果をまた英語に翻訳して目を通す。「墨江+肺炎」「墨江+武漢ウイルス研究所」「墨江+コウモリ」「墨江+SARS」という具合だ。 1回の検索で何千もの結果が出て、雑誌、本、新聞、修士論文、博士論文などのデータベースが半ダースほども表示される。シーカーは来る夜も来る夜もそれらに目を通したが、有用な情報は得られなかった。精魂尽きるとチャイを飲み、アーケードゲームで気分転換して、また作業を続ける。) その宝物に出くわしたのは、あきらめかけた時だった。昆明医科大学の院生が2013年に提出した60ページに及ぶ修士論文だ。タイトルは「未知のウイルスによる6人の重症肺炎患者の分析」。患者1人1人の症状と治療の進展を事細かく述べた上で、執筆者は疑わしい「犯人」を挙げていた。「シナキクガシラコウモリ、あるいはその他のコウモリ由来のSARSのような(症状を引き起こすコロナウイルス)」の仕業だ、と。 シーカーは淡々と、論文のタイトルとリンクをツイッターに投稿した。2020年5月18日のことだ。次に、中国疾病対策予防センターの博士研究員(ポスドク)が執筆した同じテーマの論文を調べると、内容の多くは最初の論文と一致していた。鉱山労働者のうち4人はSARSウイルスに似たウイルスの抗体検査で陽性だったこと、これらの検査結果は全て、武漢の研究所に報告されていたことも分かった(シーカーが2つの論文のリンクを貼った直後に、中国はCNKIのアクセス管理を変更し、彼が行なったような調査はできなくなった)』、「中国」の隠蔽工作は徹底しているようだ。
・『主要メディアの無関心に呆れる  2012年にSARSウイルスに似たウイルスが見つかり、その事実が隠蔽され、武漢の研究所が問題の鉱山からさらにサンプルを採取して持ち帰るためにスタッフを派遣したのだとすれば、これは一大スクープだ。欧米の主要メディアはすぐさま飛びついて派手に報道するはずと思ったが、何週間も話題にすらならなかった。イギリスではサンデー・タイムズが特集を組んだほか、少数のメディアが報道したが、米メディアは全く取り上げなかった。 「メディアは大騒ぎになると思っていた」と、シーカーは本誌に打ち明けた。「事実や因果関係に対する関心のなさに、あきれるばかりだった。潤沢なリソースを持つ主要メディアが、調査報道で(アマチュア集団に)大幅な後れを取るなんて、さっぱり理解できない」 DRASTICは数日のうちに、墨江ハニ族自治県にある鉱山の位置を突き止めたが、主要メディアがそのツイートに注目し、記者たちが我先に問題の坑口を目指し始めたのは、2020年も終わりに近づいてからだ。 ※後編はこちら:武漢研究所は長年、危険なコロナウイルスの機能獲得実験を行っていた』、「イギリスではサンデー・タイムズが特集を組んだほか、少数のメディアが報道したが、米メディアは全く取り上げなかっのた」、そんなもだろう。「潤沢なリソースを持つ主要メディアが、調査報道で(アマチュア集団に)大幅な後れを取るなんて、さっぱり理解できない」、「主要メディア」には商業主義の制約もあるのだろう。既に長くなったので、「後編」の紹介は下記リンクの紹介に留めた。いずれにしろ、「武漢研究所」の疑いが一段と深まったようだ。
https://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2021/06/2-361_1.php
タグ:小幡 績 ダイヤモンド・オンライン さすが山崎氏らしい深い考察だ。 「日本においては、特別措置法で、その規定がない、と言うことに過ぎない。なければ、作ればよい。特措法改正をしたときに、もっといろいろできるようにすればよかっただけだ」、憲法改正する口実に憲法問題を持ち出しているとすれば、罪が深い。 「潤沢なリソースを持つ主要メディアが、調査報道で(アマチュア集団に)大幅な後れを取るなんて、さっぱり理解できない」、「主要メディア」には商業主義の制約もあるのだろう。既に長くなったので、「後編」の紹介は下記リンクの紹介に留めた。いずれにしろ、「武漢研究所」の疑いが一段と深まったようだ。 https://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2021/06/2-361_1.php 「ソーシャルディスタンスや三密など、すでに間違いだったことがはっきりしたことを誰も訂正しないどころか、いまだにそれを主張し続けている」、マスコミも政府の誤ったキャンペーンの片棒を担いでいる 「RaTG13の遺伝子配列が、石正麗が何年も前に発表した論文に記されていた遺伝子コードの一部と完璧に一致した」、こんなことが起こり得るとは謎解きも面白そうだ。 「「研究所流出説」を甦らせた素人ネット調査団、新型コロナの始祖ウイルスを「発見」!」 ローワン・ジェイコブソン 「中国」の隠蔽工作は徹底しているようだ。 「尾身氏の専門性を隠れみのにして、説明の代用にしようとすることは虫が良すぎる」、同感である。 尾身会長は、これまで専門家としての使命感から「手弁当」的な感覚で協力してきたと実感しているに違いない』、その通りだろう パンデミック Newsweek日本版 (その16)(コロナとさえ戦わない絶望の国ニッポン、尾身会長を「都合よく使う」菅政権の重罪 政府が専門家の価値を暴落させる、「研究所流出説」を甦らせた素人ネット調査団 新型コロナの始祖ウイルスを「発見」!) 確かに(3)の可能性が高そうだ。 「最悪の事態にならないように全力を尽くしますと言えばいいだけなのに、オリンピックができないこともありうるというのは禁句で、何があっても触れない、という態度が、人々の政治不信を加速し、自粛要請に対する反発を高め、今後の政府の分析、説明、呼びかけ、すべての効果をさらに失わせている」、その通りだ。 「研究所流出説」も当初は少数派だったようだ。 「「中国ウイルス説」を唱えるトランプ政権がエコヘルス・アライアンスへの助成金を打ち切ると、メディアはダザックを陰謀論者たちの「犠牲者」として同情的に取り上げたのだ」、皮肉なことだ。「刺激的なグループを構成していたのは、起業家やエンジニア、それにロッサーナ・セグレトという米インスブルック大学の微生物学者もいた。彼らは互いに面識はなかったが、新型コロナウイルスの起源が動物という通説に疑問をもった点が共通していた」、なるほど。 「1回目の効果に見えたのは、緊急事態宣言ではなく、自称有識者が、ロンドンとニューヨークの危機を吹聴して、ことさらに人々を脅し、専門家までが、極端な8割削減、死亡者数数十万と、こちらも煽って、人々を恐怖に陥れたからだ」、面白い見方だ。 「菅首相」はどうもオリンピックが始まってしまえば、国民はオリンピックに熱狂することに賭けているようだ。無論、そんな本音は口に出す訳にはいかない パンデミック発生後早い段階で「反中の陰謀説」とされてきた新型コロナウイルスの「研究所流出説」がここへ来て急に見直されているのは、中国の説明がおかしいと感じた世界各地のアマチュアネットユーザーがチームを組んで否定しがたい新事実を科学界と大メディアに突きつけたからだ 東京オリンピック(五輪)(その18) 「尾身会長を「都合よく使う」菅政権の重罪、政府が専門家の価値を暴落させる」 「情報自由法の請求記録から、ダザックが研究所流出説を潰すための公開書簡の作成を主導したことが分かっている。彼は書簡の草案を作成し、仲間の科学者たちに署名させて、それが幅広い科学者の見解を示すものに見えるように画策した」、隠蔽工作も手がこんでいるようだ 「この雑多な背景を持つ少数のアマチュアたちがやってのけた草の根の調査報道は、21世紀の最大のスクープとなる可能性がある」、ずいぶん面白い時代になったものだ。 「オリンピックなどという不要不急、重要性の低いイベントに国が囚われてしまっている。物事の優先順位がつけられない国は、普通は、滅亡する」、痛烈な批判だ 「コロナとさえ戦わない絶望の国ニッポン」 山崎 元 「イギリスではサンデー・タイムズが特集を組んだほか、少数のメディアが報道したが、米メディアは全く取り上げなかっのた」、そんなもだろう (経済社会的視点) 「パンデミックが始まってからというもの、その原因に関心をもった世界各地のアマチュア20数人が独自に調査を行い、埋もれた文書を掘り起こし、断片的な情報をつなぎ合わせてきた。彼らがばらばらに発信した推理が1つ、また1つとツイッター上でつながり、やがてはまとまったストーリーが紡ぎ出されてきた。 それは言ってみれば「オープンソースの自由参加型ブレインストーミング」であり、ネット調査と市民ジャーナリズムの要素が合体した、全く新しい調査方法である」、素人集団がここまでやるとは素晴らしい。
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パンデミック(医学的視点)(その20)(コロナワクチン副反応で無視できない重大事実 体の小さい日本人が米国人並み投与量でいいか、インタビュー/東京大学医科学研究所教授 石井健 ロナワクチン「国産」が出遅れた根本原因、ワクチン輸出国だった日本が、「輸入ワクチン頼み」に落ちぶれた根本原因 開発途絶を招いた「全面敗訴」の重み) [パンデミック]

パンデミック(医学的視点)については、4月22日に取上げた。今日は、(その20)(コロナワクチン副反応で無視できない重大事実 体の小さい日本人が米国人並み投与量でいいか、インタビュー/東京大学医科学研究所教授 石井健 ロナワクチン「国産」が出遅れた根本原因、ワクチン輸出国だった日本が、「輸入ワクチン頼み」に落ちぶれた根本原因 開発途絶を招いた「全面敗訴」の重み)である。

先ずは、4月30日付け東洋経済オンラインが掲載した医療ガバナンス研究所理事長の上 昌広氏による「コロナワクチン副反応で無視できない重大事実 体の小さい日本人が米国人並み投与量でいいか」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/425737
・『新型コロナウイルスワクチン接種の副反応が関心を集めている。 相馬中央病院の藤岡将医師は「2回目の接種が終わったあと2日間は倦怠感が強く、仕事の空き時間は医局で寝ていました」という。藤岡医師が勤務する病院の職員の中には、接種後の発熱・倦怠感が強く、入院が必要になった人もいるという。 コロナワクチンの副反応については、私も同じイメージを抱いている。接種者の多くが、発熱や倦怠感などを訴えている。特に2回目の接種で顕著だ』、私も先週、1回目の接種をした。幸い「副反応」は出なかったが、「2回目の接種で顕著」、まだまだ安心できないようだ。
・『副反応の疑いは0.17%  ただ、このような副反応は、厚労省の調査ではカウントされていないようだ。厚労省によると、4月18日現在、医療従事者を対象に193万111件の接種が実施され、副反応疑いとして3298件が報告されている。その頻度は0.17%だ。 コロナワクチンの副反応は、492件報告されているアナフィラキシーに関心が集まるが、ワクチン接種に伴う「強い炎症反応」に対して、厚労省は関心がない。 これではいけない。私が注目するのは死者が出ていることだ。4月21日現在、10名の死者が報告されている。死因は脳出血4例、心不全・不整脈・化膿性脊髄炎・誤嚥性肺炎・溺死・不明それぞれ1例だ。 もちろん、これだけでワクチンによるものと結論づけられない。ただ、否定もできない。医薬品の臨床試験では、原因を問わず、あらゆる死亡を有害事象として扱う。一見、無関係に見える溺死も、遊泳中や入浴中に不整脈が生じた結果かもしれない。不整脈は解剖してもわからないことが多く、このようなケースを有害事象から除外すれば、そのリスクを過小評価しかねない。 今回のケースで、私が注目するのは8例が接種後10日以内、6例が4日以内に死亡していることだ。この中には接種後4日目に脳出血で死亡した26歳女性や、3日後に死因不明で亡くなった37歳男性も含まれる。2人とも特記すべき基礎疾患はない。 彼らの死亡がワクチン接種と無関係なら、死亡日がワクチン接種数日後に集中することはない。今回の医療従事者の接種は、国立病院機構などの臨床研究としても実施されており、接種後数日以内の死亡だけ報告したという「報告バイアス」の可能性も低い。以上の事実を考慮すれば、このような死亡と接種後の炎症反応が関係している可能性は否定できない。 なぜ、こうなるのだろうか。私は、日本人に対して過剰投与になっている可能性があると考えている。 ファイザー製のワクチンの場合、3週間隔で30㎍を2回接種する。これは欧米での用量を、そのまま日本人に応用したためだ。この際に、日本人と欧米人の体格の差は考慮されていない』、「私が注目するのは8例が接種後10日以内、6例が4日以内に死亡している」、「このような副反応は、厚労省の調査ではカウントされていない」、のは接種促進へのマイナスの影響を懸念したためなのだろうか。「このような死亡と接種後の炎症反応が関係している可能性は否定できない」、「私は、日本人に対して過剰投与になっている可能性があると考えている」、なるほど。
・『日本人とアメリカ人の体格差は1.3倍  日本人成人の平均体重は男性約70kg、女性は約50kgだ。一方、アメリカ人は男性約90kg、女性約75kgだ。日本人男性は米国人の1.3倍、女性は1.5倍のワクチンを投与していると考えることもできる。 では、ファイザー製のワクチンの副反応は、投与量とどのような関係があるのだろうか。これについては、アメリカの医学雑誌『ニューイングランド・ジャーナル・オブ・メディスン』に昨年10月14日に掲載された第1相臨床試験の結果が参考になる。この試験では、試験に参加したボランティアを10㎍、20㎍、30㎍に振り分け、副反応の頻度を比較した。 18~55歳に対する2回目接種で発熱が生じた頻度は、それぞれ0%、8%、17%だし、倦怠感は33%、58%、75%、悪寒は8%、42%、58%である。副反応と接種量の間には明白な用量依存性がある。 実は、コロナワクチンの副反応は、高齢者は若年者よりも軽微だ。65~85歳に対する2回目接種では、10㎍、20㎍、30㎍投与群での発熱は、それぞれ0%、0%、8%だ。倦怠感は17%、50%、42%、悪寒は17%、8%、17%である。 体重当たりに換算すれば、日本人は欧米人の3割から5割増しのワクチンを投与されていることになる。これは欧米での投与量の40~45㎍に相当する。筆者の周囲の若年の医療従事者の多くが、倦怠感や悪寒を生じたのも納得できる。 幸い、若年者は体力がある。多少副反応が出ようが、乗りこえることができる。一方、高齢者は臓器の予備力が低く、体力もない。さらに、若年成人と比べて、10%程度体重は減少する。彼らに欧米人並みのコロナワクチンを投与すれば、どのような副反応が生じるか予想できない。 これまで、私が知る限り、ワクチンが国内外で異なる用量で用いられているケースはない。おそらく、これまでのワクチンは相当に安全性が高かったのだろう。 コロナワクチンはわからない。これまで臨床応用されたことがないmRNAベースのワクチンだからだ。日本は、国際共同研究の結果を基に特例承認することなく、独自に第1相臨床試験を実施したのに、この試験では30㎍が投与されただけで、用量設定試験は実施しなかった。安全性について検証するせっかくの機会を失った』、「体重当たりに換算すれば、日本人は欧米人の3割から5割増しのワクチンを投与されていることになる」、「日本は、国際共同研究の結果を基に特例承認することなく、独自に第1相臨床試験を実施したのに、この試験では30㎍が投与されただけで、用量設定試験は実施しなかった。安全性について検証するせっかくの機会を失った」、もったいないことをしたものだ。
・『厚労省に求められる正確な説明  もちろん、厚労省にも言い分はある。安全性の観点から海外より少ない20㎍が適切な投与量となった場合、その量での有効性を再度、第3相臨床試験で検証しなければならないからだ。ファイザー社は実施しないだろう。これでは日本にワクチンが入ってこない。 重要なのは、このような苦しい事情を、国民に正確に説明することだ。そうすれば、国民が問題点のありかを認識できる。持病をもつ高齢者はかかりつけ医で接種してもらい、主治医はワクチン接種量を減量することも可能だ。また、副反応が強ければ、早期に解熱剤、鎮痛剤を投与することもできる。要は、問題を認識すれば、それぞれやりようがあるのだ。高齢者の接種でのワクチン投与量について、再考が必要だと問題提起したい』、「このような苦しい事情を、国民に正確に説明することだ。そうすれば、国民が問題点のありかを認識できる。持病をもつ高齢者はかかりつけ医で接種してもらい、主治医はワクチン接種量を減量することも可能だ。また、副反応が強ければ、早期に解熱剤、鎮痛剤を投与することもできる」、「主治医はワクチン接種量を減量することも可能」、初めて知ったが、同氏の見解には同意する。

次に、6月2日付け東洋経済Plus「インタビュー/東京大学医科学研究所教授 石井健 ロナワクチン「国産」が出遅れた根本原因」を紹介しよう。
・『新型コロナワクチンの大規模接種が始まったが、使われているのは海外メーカーの製品だ。国内メーカーはなぜ後塵を拝したのか。 ついに日本でも新型コロナワクチンの大規模接種が始まった。 だが、接種に使われているのはアメリカの製薬大手ファイザーやモデルナが製造したワクチンだ。そこに国内メーカーが開発した「純国産ワクチン」はない。複数の候補は臨床試験段階で、実用化まではまだ時間がかかりそうだ。 実は、今回のようなパンデミック(感染症の世界的大流行)を見据え、2016年からコロナウイルスの「模擬ワクチン」の開発に乗り出していた研究者がいる。東京大学医科学研究所の石井健教授だ。 石井教授は、アメリカの規制当局であるFDA(食品医薬品局)でワクチンの基礎研究や臨床試験の審査業務に携わった経験も持つ、ワクチン研究の第一人者だ。そして、模擬ワクチン開発で活用しようとしていた技術こそ、ファイザーやモデルナが活用して開発レースで他社を圧倒した「RNAワクチン」の技術だった。 なぜ日本企業は開発レースで完全に出遅れたのか。また、石井教授が日本で進めていた模擬ワクチンのプロジェクトはなぜ頓挫したのか。これまでのワクチン産業、ワクチン行政に横たわる課題について石井教授に聞いた(Qは聞き手の質問、Aは石井教授の回答)』、日本の「ワクチン」敗戦についての、第一人者による解説とは、興味深そうだ。
・『ワクチン産業が抱えるトラウマ  Q:「敗戦」とまで言われている国内のワクチン開発状況をどう見ていますか? A:アメリカが100億ドルの予算を確保して進めてきた「ワープスピード計画」と比較すれば、実用化のタイミングでは完全に敗戦した。でもそれは想定内だ。 むしろ、先に実用化されたワクチンが予想以上に良いワクチンになったので、後発組の開発が非常にやりにくくなっている。 接種が進めば感染者は出なくなるだろうし、よいワクチンがあるのに(治験薬の有効性を確認するために)偽薬を打つプラセボ試験も行いづらくなってしまった。 Q:なぜ国産ワクチンの開発が遅れているのでしょうか? A:国産ワクチンの開発体制が整っていないのは、(技術革新が進んだ)この20年にわたって続いてきた問題だ。  とくに日本で大きいのが「ワクチン禍」。最近では子宮頸がんワクチンのケースを筆頭に、副反応の大きさに焦点が当たりがちで、単純に言うと「ワクチン嫌いの人」が多くなった。 病気を治療するものではないので、接種することによるベネフィットがわかりづらい。そうしたこともあって、日本の産業界は興味を示してこなかった。 それ以上に大きいのは、2009年に新型インフルエンザのパンデミックが起こってからの一連の出来事だった。ワクチン産業にとってのトラウマになっている。 Q:トラウマとは? A:当時も、国産ワクチンは敗戦した。国内での開発が間に合わず、海外メーカーのものを緊急輸入した。幸いにも輸入してから感染が収束に向かったため、そのほとんどを廃棄することになったわけだが。 その敗戦を受けて政府内で議論が巻き起こり、「国産ワクチンを開発する体制を整備しなくては」となった。今とほとんど同じことが、当時議論されていたわけだ。 結果、国は4社のメーカーにそれぞれ200億円から300億円という巨額の助成金を出して、次の新型インフルエンザが流行するときのために、最新鋭のワクチン工場を作らせた。製造体制を5年以内に整えて、国に納入できるようにしなさい、と。 だが、そのうちの1社、阪大微研(阪大微生物病研究会)は開発を断念し辞退。工場を建設していたものの、助成金は国に全額返還させられた。別の1社である北里第一三共(現、第一三共バイオテック)も、(製造体制の整備について)時期が遅れたという理由で遅延損害金を支払うことになった。 そのため、当時手を挙げた国内のワクチンメーカー2社にとってはいい思い出がない。今回、ワクチンメーカーの動き出しが非常に鈍かったのは、10年前のことを引きずっていたということもあるだろう』、「ワクチン禍」で「ワクチン嫌いの人」が多くなったことに加え、「2009年に新型インフルエンザのパンデミックが起こってからの一連の出来事だった。ワクチン産業にとってのトラウマになっている」、ことが業界サイドの主因のようだ。
・『海外は「有事対応」でワクチンを開発  Q:今回、当時の経験や議論を生かすことはできなかったのでしょうか。 A:インフルエンザウイルス用に当時作った設備は今回使えなかった。それに、助成金であっても、今回も大規模な工場を建設してもモノにならなかったらどうするのか、ということが頭をよぎったはず。メーカーの人ははっきりそう言わないまでも、当初積極的ではなかったのは確かだ。 だからこそ、ワクチン開発にまず名乗りを上げたのは、こうしたしがらみがなかったバイオベンチャーのアンジェスや塩野義製薬だった。 Q:仮に当初から国内メーカーにやる気があったとしても、欧米メーカーとの開発競争についていけたのかという問題もあるのではないでしょうか。 A:今回、ヨーロッパ、アメリカ、中国、ロシアは当初から巨額の予算を組んで戦争と同じような有事対応をしていた。 一方で、日本は災害規模とはいえ公衆衛生上の対応にとどまった。確かに、国の危機感とサポートの規模は明らかに違っていた。 とくに、国内でRNAワクチンの開発にすぐに取りかかれなかったのは大きい。従来の開発方法に比べて圧倒的に早く、簡便だからだ。 【キーワード解説】RNAワクチン  新たなアプローチで開発されたワクチン。従来型のワクチンは、実際のウイルスに人為的な操作を加えてから体内に送り込み、抗体を作り出すことでウイルス増殖を抑える。一方、RNAワクチンはウイルスの設計図である遺伝情報のみを体内に入れ、抗体が生み出されることを狙う。 RNAワクチンの技術そのものは20年前からあって、徐々に技術が成熟してきていた。当時からワクチン技術の「地殻変動」と呼んでいたが、破壊的なイノベーションになる可能性を秘めていた。 この技術を、国内ですぐに応用できるレベルに温めてこられなかったのは誰が悪いというわけではないが、自分自身も反省している。 Q:石井教授が開発しようとしていたモックアップ(模擬)ワクチンもこの技術を使っていました。 A:いずれ来るかもしれない感染症に対して、模擬ワクチンを作っておくというプロジェクトを進めていた。そのモックアップを作っておければ、実際に感染が広がってワクチンが必要になった場合に、すぐに本番の試験に進めるからだ。 Q:当時やろうと思ったのにはどういう経緯が? A:アメリカのFDA(食品医薬品局)に所属していたときに、「9・11」の後に炭疽菌によるバイオテロがあった。なので、緊急時にはワクチンがいきなり必要になるときがあるということを、身をもって学んでいた。 RNAワクチンという技術を知ったときに、これは緊急的な感染症のワクチンに使えるな、とすぐに思った。 その後、2015年に韓国でMERS(中東呼吸器症候群)コロナウイルスのアウトブレイク(突発的発生)があった。一気に感染者が増えて、人がどんどん死んでいた。これは間違いなく日本に来ると感じた。 絶対にやらなければと思い、(日本で)RNAワクチン研究の予算をもらった。 Q:2018年度までは研究予算が6000万円ありました。しかし、開発費用がよりかかるはずの後半にはむしろ1000万円にまで減額されています。 A:当初の計画では、2020年からMERSワクチンのフェーズ1の臨床試験を行う予定だった。 サルでの実験まではうまくいき、次はヒトでの試験をしましょうと。でもヒトでの試験をするとなると、それまで数千万円で済んでいた研究費が、数億円単位で必要になる。さすがにこの予算は国からは出せない、という話になり計画が頓挫してしまった。 国としては、企業のほうに臨床試験の費用を負担してもらってくれと。企業は、公益性が高いことなので国のほうに負担してもらってくれと。この狭間でどうしようもできなかった。 Q:企業としては収益に繋がらないから、ですね。 A:MERSのアウトブレイクはもう終息していたので、試験の現実味が薄いのも確かだった。結果的に日本で感染者は出ていなかったのでビジネスにもならない。さらに、当時はRNAワクチンについてよく知られていなくて、「そんなもの危なくて人に打てるか」という雰囲気もあった。 もしもの話だが、あのときにベンチャー企業を作って治験費用を集められていれば、今回開発に成功しているモデルナやビオンテックなどと同じような状況になっていたのかな、と思うこともある。 当時、なぜ諦めてしまったのかというと、自分自身が「狼少年」になりたくなかったからかもしれない。実際、MERSは現在もアウトブレイクを起こしてはいない。仮に開発に成功したとしても、将来的に製品としては無価値になる可能性もある。 ただ、当時実際に事を動かそうとしていたのは私だけだったので、今となっては国や企業に頼らず、各方面に必要性を主張し続ければよかったと反省している』、「今回、ヨーロッパ、アメリカ、中国、ロシアは当初から巨額の予算を組んで戦争と同じような有事対応をしていた。 一方で、日本は・・・公衆衛生上の対応にとどまった。確かに、国の危機感とサポートの規模は明らかに違っていた」、「RNAワクチン研究の予算・・・2018年度までは研究予算が6000万円ありました。しかし、開発費用がよりかかるはずの後半にはむしろ1000万円にまで減額されています。 A:当初の計画では、2020年からMERSワクチンのフェーズ1の臨床試験を行う予定だった。 サルでの実験まではうまくいき、次はヒトでの試験をしましょうと。でもヒトでの試験をするとなると、それまで数千万円で済んでいた研究費が、数億円単位で必要になる。さすがにこの予算は国からは出せない、という話になり計画が頓挫」、日本の国の支援には大きな問題があったようだ。
・『感染症の研究は“オワコン”だった  Q:2009年に新型インフルエンザのパンデミックが起きる以前も、国内でのワクチン開発体制の足腰は弱かったのでしょうか? 2007年に、国から「ワクチン産業ビジョン」という方針が出されたことがある。 【キーワード解説】「ワクチン産業ビジョン」 2007年3月に厚生労働省から発表された。「世界的にも新たな病原体が出現し続けている現在、国民を感染症から防御することは国家の果たすべき重要な役割」として、政府の取り組みや産業界のめざすべき方向性、需給安定化の取り組みなど、複数のアクションプランが示された。 1980年代以降、ワクチンの副反応によって多くの訴訟が起きていた。社会的に風当たりが強く、企業としてワクチンビジネスのうまみがなくなっていた。そのため日本発の新しいワクチンの開発が行われなくなってしまっている状況をどうにかしよう、という思いが背景にあった。 ただそれ以前に、感染症の研究はもはや“オワコン”だった。 感染症研究は先端的だと思われていなくて、分野として忘れ去られていた感があった。むしろホットだったのはがんとかゲノムとか脳の研究。免疫の領域でも、格好よかったのはワクチンとは違う分野の研究だった。 感染症、しかもワクチン研究なんてしていると「お前、大丈夫か」という感じだった。 Q:研究者としては、当然、予算配分が厚い分野に行くわけですね。 A:2000年代初めから、ゲノムやがんにお金が行きすぎていたということはあるだろう。 行きすぎ、ということはなくともバランスは取れていなかった。RNAワクチンのような破壊的なイノベーションは10年、20年の基礎研究の下地があってようやく生まれてくるものだ。そこへの国のサポートは明らかに足りなかった。 Q:改めて、ワクチンはなぜ国産である必要があるのでしょうか? A:「国防」という観点から考えれば説明は必要ないだろう。 今回だって、開発したのがアメリカだからたまたま輸入できているだけかもしれない。実際に、世界中では政治的な駆け引きに使われてしまっている。 すべて輸入すればいいじゃないかというかもしれないが、将来的に国際的な立場が弱くなって優先度が低くなった場合など、国民を守るにはどうすればいいのか。また、日本だけでバイオテロが起きる可能性もある。国産ワクチンが必要ないという議論は成り立たない。 災害が起きたときにインフラを復旧する手立てが必要なのと同じように、国産ワクチンは必要だ。 Q:アメリカのFDAにいた当時、周囲の認識も同じでしたか? A:緊急対策用のワクチンがつねに必要だということは、アメリカでは常識だった。世界中に展開する軍があるので、世界中に存在する感染症はアメリカにいなくても十分脅威だ。バイオテロ対策はもちろんだが、だからこそお金が軍から出てくる。 それに、感染症研究が日本と違って“オワコン”ではなかった。HIV などを含めて、研究予算が潤沢だった。なので、むしろ日本に戻ってきた際には他の分野に比べて予算が少ないことに改めて愕然とさせられた。 Q:日本政府はワクチンの「世界トップレベルの研究開発拠点」を作る方針です。 A:この問題は司令塔がないと動かない。ワクチンの基礎研究は文部科学省、産業化するには経済産業省、厚生労働省の中でもワクチン開発、審査、予防接種事業すべてが縦割りになっていてバラバラだ。 官僚1人ひとりは真剣にやっている。でもそれが縦割りとなっていることで、組織としてはまったく機能していなかった。 今からでも、ワクチンの基礎研究から臨床試験ができて、ビジネスの論理にかかわらず重要度の高いものから開発できるような体制を整えることが理想だ。5年、10年後に同じことが起きたときに、今までの失敗体験をすべてポジティブに変えられるような組織になればいい』、「感染症研究は先端的だと思われていなくて、分野として忘れ去られていた感があった。むしろホットだったのはがんとかゲノムとか脳の研究。免疫の領域でも、格好よかったのはワクチンとは違う分野の研究だった」、まさに「“オワコン”」だ。「ワクチンの基礎研究は文部科学省、産業化するには経済産業省、厚生労働省の中でもワクチン開発、審査、予防接種事業すべてが縦割りになっていてバラバラだ」、こんなところにまで縦割りの弊害が表れているようだ。「5年、10年後に同じことが起きたときに、今までの失敗体験をすべてポジティブに変えられるような組織になればいい」、これは単なる願望のようだ。

第三に、6月1日付けPRESIDENT Online「ワクチン輸出国だった日本が、「輸入ワクチン頼み」に落ちぶれた根本原因 開発途絶を招いた「全面敗訴」の重み」を紹介しよう。
・『ようやく「国産ワクチン」の開発に踏み切るが…  一向に収束する気配が見えない新型コロナウイルス。ようやく日本が「国産ワクチン」の開発に踏み切る。6月2日の「COVAX(コバックス)ワクチンサミット」で菅義偉首相は、国産ワクチンの研究開発拠点の整備構想を表明、官民あげてのワクチン開発が動き出す。 コバックス・サミットは日本政府と国際機関の共催だ。ワクチンの接種が遅れる日本は米国から「渡航中止勧告」を出されるなど、世界から孤立しつつある。このため、米国や欧州の主要国など30の国・地域の参加を要請。各国を巻き込んで「ワクチン後進国」の汚名返上をアピールしたい考えだ。 日本は米国のファイザーやモデルナなど3社のワクチンが薬事承認され、供給体制が整いつつある。東京や大阪など大都市を中心に65歳以上の接種が始まった。しかし、海外産のワクチンに頼る状況には変わりない。変異株がまたぞろ出てくれば、それに対応したワクチンの開発が必要になり、日本への供給は後回しになる。「コロナ優等生」と言われた台湾でも変異株が蔓延。ワクチンの接種が遅れる蔡英文総統は一転して苦しい立場に置かれている』、「コバックス・サミット」で「「ワクチン後進国」の汚名返上をアピールしたい考え」、そんなことでは「汚名返上」など及びもつかない筈だ。
・『日本は1980年代までは「ワクチン先進国」だった  日本と同様、台湾や韓国は国産ワクチンの開発に後れを取った。ワクチン接種の遅れが「経済回復の遅れ」を招く中で、日韓台の焦りの色は日に日に濃くなるばかりだ。 起死回生を目指す日本はコバックスサミットで、資金や体制面での支援のほか、実用化までの国の制度の再構築を掲げる。世界トップレベルの研究開発拠点を設けて、治験や新薬の承認などの面で規制を緩和し、大学や製薬会社が共同研究に取り組む体制を構築する。製薬会社の資金面での懸念を払しょくするために開発したワクチンを政府が買い上げる仕組みや基金設立に向けても検討する。 今や、他国のワクチンに頼る日本だが、1980年代までは「ワクチン先進国」だった。水痘、日本脳炎、百日ぜきなどのワクチンを世界に先駆けて開発、米国などに技術供与していたほどだ。 では、なぜ、ワクチンの開発が途絶するまで衰退したのか。その大きな要因の一つが訴訟だ』、「日本」が「1980年代までは「ワクチン先進国」だった」、はいいとしても、「衰退したのか。その大きな要因の一つが訴訟だ」というのは。本当だろうか。
・『副作用を恐れる保護者の判断などで接種率は一気に低下  70年ごろから、天然痘ワクチンやはしかや風疹、おたふくかぜなど予防接種や子宮頸がんワクチンでの健康被害が社会問題化し、国は相次いで起訴された。その様子をみた企業も需要が安定した予防接種用の既存ワクチンの製造だけを担う「護送船団方式」で細々と続け、新規開発に及び腰になった。 決定的だったのが92年の東京高裁での国の全面敗訴だ。世論に押される形で国は上告を断念した。94年には予防接種法が改正されて接種は「努力義務」となり、副作用を恐れる保護者の判断などで接種率は一気に下がり、それと同時に日本の製薬会社はワクチン開発から身を引き始めた。 そして薬害エイズ事件がとどめを刺した。この事件で当時の厚生省の担当課長が業務上過失致死罪で有罪判決を受けた。ワクチン接種を許可する行政も一気に腰が引けた。 ※編集部註:血液製剤についての説明が間違っていました。当該部分を削除します。(6月3日9時55分追記)』、「天然痘ワクチンやはしかや風疹、おたふくかぜなど予防接種や子宮頸がんワクチンでの健康被害が社会問題化し、国は相次いで起訴」、「92年の東京高裁での国の全面敗訴・・・94年には予防接種法が改正されて接種は「努力義務」となり、副作用を恐れる保護者の判断などで接種率は一気に下がり」、「薬害エイズ事件がとどめを刺した」、確かにこれだけ重なれば「製薬会社はワクチン開発から身を引」くのもやむを得ない。
・『米国はワクチン開発と供給に約2兆円を投資  一方、海外は事情が異なる。2000年ごろから重症急性呼吸器症候群(SARS)やエボラ出血熱、中東呼吸器症候群(MERS)など、致死率の高いウイルス感染症が次々と流行。それへの対応策として、ワクチン開発が急速に進んだ。新型コロナワクチンとして注目を集めるmRNAワクチンはもともとがんの治療手段として研究されていたが、新型コロナに応用された。 米国は01年の炭疽たんそ菌事件を契機に、感染症に対する制度や体制を抜本的に見直した。有事には保健福祉省(HHS)が司令塔になって、製薬会社や研究機関などと連携。ワクチン開発資金の支援や臨床試験(治験)、緊急使用許可といった取り組みが一気通貫で進む。 中国の隣国である台湾で、新型コロナウイルスの感染初期に感染者の爆発を防げたのはSARSでの手痛い経験があったからだ。 米国はトランプ政権時にワクチン開発と供給の計画を立ち上げ、およそ2兆円を投資した。バイデン政権は国防生産法に基づいてワクチン製造支援に企業を注力させる方針を打ち出した。中国も政府主導でワクチンを開発し、海外で供給する「ワクチン外交」に乗り出している』、「mRNAワクチンはもともとがんの治療手段として研究されていたが、新型コロナに応用された」、初めて知った。
・『画期的技術をもっていたUMNファーマは債務超過に  現在、日本では主に5社が開発に取り組み、うち4社が臨床試験中だが、年内に供給できる見通しは立っていない。寒々とした状況だが、一回消えかけたワクチン開発が盛り上がる機運はあった。09年から10年にかけて蔓延した新型インフルエンザの世界的流行だ。日本でも推定で2000万人が感染、200人を超える死者を出した。 この際、政府は約1000億円の補助金を出して国内3社に新型インフルエンザワクチンの製造工場を整備させた。しかし、インフルエンザの収束であえなく計画は立ち消えとなる。有事にしか使わないワクチンの製造設備を民間企業が維持するのは過大な負担となるからだ。 さらに14年には、鶏卵で培養する従来方法ではなく、遺伝子組み換え技術を用いて開発した同ワクチンを厚労省所管の「医薬品医療機器総合機構」に新規メーカーのUMNファーマが承認申請した。鶏卵培養だとワクチン製造に約半年かかるところ、この方法なら1~2カ月に短縮できる画期的技術だ。 当時、UMNファーマは最大8000万人分のワクチン生産能力を有する工場をもち、同社の季節性インフルエンザワクチンの原液はその後、仏サノフィの米子会社にも提供された。米国では承認されていたためだ。しかし、同機構は明確な理由を示さないまま、UMNファーマの申請を3年間放置し、同社は2017年に取り下げを余儀なくされた。その後、UMNファーマは債務超過になり、今は塩野義製薬の傘下に入っている』、「医薬品医療機器総合機構」が「明確な理由を示さないまま、UMNファーマの申請を3年間放置」、「UMNファーマは債務超過になり、今は塩野義製薬の傘下に入っている」、放置した理由などは何だったのだろう。
・『日本の「mRNAワクチン開発」は予算カットで18年に凍結済み  2010年には政府の有識者会議もワクチン製造会社の支援や開発の推進などの提言をしていたが、結局、この提言が日の目を見ることはなかった。 新型コロナワクチンの開発に道を開いたとされるmRNAワクチンでも国立研究開発法人である医薬基盤・健康・栄養研究所が開発を進めていたが、臨床試験の予算がカットされ、18年には計画が凍結された。 米バイオのモデルナが13年に47億円、16年に135億円の支援を国防省や保健社会福祉省からそれぞれ受けていたのとは対照的だ。平時での備えがあったからこそ、新型コロナの世界的感染から1年余りで同社が新型ワクチンの開発ができたのだ』、「2010年には政府の有識者会議もワクチン製造会社の支援や開発の推進などの提言をしていたが、結局、この提言が日の目を見ることはなかった」、「「mRNAワクチン開発」は予算カットで18年に凍結済み」、もっと一貫して支援策が必要だ。
・『責任をすべて行政に押し付けるのは得策ではない  米国や中国のワクチン開発は安全保障との絡みで語られることが多い。しかし、日本がいつまでもワクチンの輸入に頼るようなことにとどまれば、変異を繰り返すコロナの猛威が起きるたびに、新たなワクチンの供与を要請する事態が繰り返されることになる。財政支出で「買い占める」ことをすれば、諸外国から集中非難を受けることにもなりかねない。 ワクチン開発には巨額な資金がかかる一方で、実際に感染が起こらなければワクチンが使われることもない。研究施設や製造設備の維持にかかる負担を企業だけに課すことは難しい。 英国では製薬会社に毎年一定額を支払い、必要な時に必要な量を優先的に受け取れる「サブスクリプション(定額制)」方式の新薬の調達契約を導入している。同方式であれば、製薬会社も資金回収への懸念を抱えることなく設備を維持できる。 新型コロナ以外の感染症は今後も続く可能性はある。副作用が起こるかもしれない新型ワクチンの認可に厚労省の役人が慎重になる心情は理解できる。責任をすべて行政に押し付けるのは得策ではない。これまでの失敗を生かし、ワクチンを含めた新たな薬や治療法の開発を進められる仕組みを作らなければ、日本の感染症対策はいつまでたっても世界に劣後することになる』、「英国」での「「サブスクリプション・・・」方式の新薬の調達契約を導入」、はなかなかよさそうな方式だ。様々な工夫をして「ワクチンを含めた新たな薬や治療法の開発」を支援すべきだ。
タグ:パンデミック (医学的視点) (その20)(コロナワクチン副反応で無視できない重大事実 体の小さい日本人が米国人並み投与量でいいか、インタビュー/東京大学医科学研究所教授 石井健 ロナワクチン「国産」が出遅れた根本原因、ワクチン輸出国だった日本が、「輸入ワクチン頼み」に落ちぶれた根本原因 開発途絶を招いた「全面敗訴」の重み) 東洋経済オンライン 上 昌広 「コロナワクチン副反応で無視できない重大事実 体の小さい日本人が米国人並み投与量でいいか」 私も先週、1回目の接種をした。幸い「副反応」は出なかったが、「2回目の接種で顕著」、まだまだ安心できないようだ。 「私が注目するのは8例が接種後10日以内、6例が4日以内に死亡している」、「このような副反応は、厚労省の調査ではカウントされていない」、のは接種促進へのマイナスの影響を懸念したためなのだろうか。 「このような死亡と接種後の炎症反応が関係している可能性は否定できない」、「私は、日本人に対して過剰投与になっている可能性があると考えている」、なるほど。 「体重当たりに換算すれば、日本人は欧米人の3割から5割増しのワクチンを投与されていることになる」、「日本は、国際共同研究の結果を基に特例承認することなく、独自に第1相臨床試験を実施したのに、この試験では30㎍が投与されただけで、用量設定試験は実施しなかった。安全性について検証するせっかくの機会を失った」、もったいないことをしたものだ。 「このような苦しい事情を、国民に正確に説明することだ。そうすれば、国民が問題点のありかを認識できる。持病をもつ高齢者はかかりつけ医で接種してもらい、主治医はワクチン接種量を減量することも可能だ。また、副反応が強ければ、早期に解熱剤、鎮痛剤を投与することもできる」、「主治医はワクチン接種量を減量することも可能」、初めて知ったが、同氏の見解には同意する 東洋経済Plus 「インタビュー/東京大学医科学研究所教授 石井健 ロナワクチン「国産」が出遅れた根本原因」 日本の「ワクチン」敗戦についての、第一人者による解説とは、興味深そうだ。 「ワクチン禍」で「ワクチン嫌いの人」が多くなったことに加え、「2009年に新型インフルエンザのパンデミックが起こってからの一連の出来事だった。ワクチン産業にとってのトラウマになっている」、ことが業界サイドの主因のようだ 今回、ヨーロッパ、アメリカ、中国、ロシアは当初から巨額の予算を組んで戦争と同じような有事対応をしていた。 一方で、日本は・・・公衆衛生上の対応にとどまった。確かに、国の危機感とサポートの規模は明らかに違っていた」 「RNAワクチン研究の予算・・・2018年度までは研究予算が6000万円ありました。しかし、開発費用がよりかかるはずの後半にはむしろ1000万円にまで減額されています。 A:当初の計画では、2020年からMERSワクチンのフェーズ1の臨床試験を行う予定だった。 サルでの実験まではうまくいき、次はヒトでの試験をしましょうと。でもヒトでの試験をするとなると、それまで数千万円で済んでいた研究費が、数億円単位で必要になる。さすがにこの予算は国からは出せない、という話になり計画が頓挫」、日本の国の支援には大きな問題 「感染症研究は先端的だと思われていなくて、分野として忘れ去られていた感があった。むしろホットだったのはがんとかゲノムとか脳の研究。免疫の領域でも、格好よかったのはワクチンとは違う分野の研究だった」、まさに「“オワコン”」だ。 「ワクチンの基礎研究は文部科学省、産業化するには経済産業省、厚生労働省の中でもワクチン開発、審査、予防接種事業すべてが縦割りになっていてバラバラだ」、こんなところにまで縦割りの弊害が表れているようだ。「5年、10年後に同じことが起きたときに、今までの失敗体験をすべてポジティブに変えられるような組織になればいい」、これは単なる願望のようだ。 PRESIDENT ONLINE 「ワクチン輸出国だった日本が、「輸入ワクチン頼み」に落ちぶれた根本原因 開発途絶を招いた「全面敗訴」の重み」 「コバックス・サミット」で「「ワクチン後進国」の汚名返上をアピールしたい考え」、そんなことでは「汚名返上」など及びもつかない筈だ。 「日本」が「1980年代までは「ワクチン先進国」だった」、はいいとしても、「衰退したのか。その大きな要因の一つが訴訟だ」というのは。本当だろうか。 「天然痘ワクチンやはしかや風疹、おたふくかぜなど予防接種や子宮頸がんワクチンでの健康被害が社会問題化し、国は相次いで起訴」、「92年の東京高裁での国の全面敗訴・・・94年には予防接種法が改正されて接種は「努力義務」となり、副作用を恐れる保護者の判断などで接種率は一気に下がり」、「薬害エイズ事件がとどめを刺した」、確かにこれだけ重なれば「製薬会社はワクチン開発から身を引」くのもやむを得ない。 「mRNAワクチンはもともとがんの治療手段として研究されていたが、新型コロナに応用された」、初めて知った 「医薬品医療機器総合機構」が「明確な理由を示さないまま、UMNファーマの申請を3年間放置」、「UMNファーマは債務超過になり、今は塩野義製薬の傘下に入っている」、放置した理由などは何だったのだろう 「2010年には政府の有識者会議もワクチン製造会社の支援や開発の推進などの提言をしていたが、結局、この提言が日の目を見ることはなかった」、「「mRNAワクチン開発」は予算カットで18年に凍結済み」、もっと一貫して支援策が必要だ。 「英国」での「「サブスクリプション・・・」方式の新薬の調達契約を導入」、はなかなかよさそうな方式だ。様々な工夫をして「ワクチンを含めた新たな薬や治療法の開発」を支援すべきだ。
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