金融業界(その9)(グーグル銀行がコンビニ銀行を脅かしかねない訳 新たな金融サービス「Plex」とは一体何者なのか、地銀再編に暗雲…山口FGのお家騒動で“天皇”吉村猛会長が突如 解任された全内幕、みずほに“解体”案まで浮上…今年6度目システムトラブルで強まる坂井社長の経営責任論、三菱UFJ銀行本店に「ニセ税理士」が勤務 税理士法に違反) [金融]
金融業界については、本年7月20日に取上げた。今日は、(その9)(グーグル銀行がコンビニ銀行を脅かしかねない訳 新たな金融サービス「Plex」とは一体何者なのか、地銀再編に暗雲…山口FGのお家騒動で“天皇”吉村猛会長が突如 解任された全内幕、みずほに“解体”案まで浮上…今年6度目システムトラブルで強まる坂井社長の経営責任論、三菱UFJ銀行本店に「ニセ税理士」が勤務 税理士法に違反)である。
先ずは、7月26日付け東洋経済オンラインが掲載した一橋大学名誉教授の野口 悠紀雄氏による「グーグル銀行がコンビニ銀行を脅かしかねない訳 新たな金融サービス「Plex」とは一体何者なのか」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/441941
・『グーグルが「Plex」と呼ぶ新しい金融サービスを開始した。いずれ日本でも導入されるだろう。これは、「組み込み型金融」と呼ばれるもので、銀行APIを通じてグーグルと既存銀行が共同作業を行う。 そこで得られるマネーの取引データを用いて信用スコアリングを行えば、送金・決済コストをゼロにすることが可能だろう。それは、銀行ATMに壊滅的な打撃を与える可能性がある。 昨今の経済現象を鮮やかに斬り、矛盾を指摘し、人々が信じて疑わない「通説」を粉砕する──。野口悠紀雄氏による連載第48回』、興味深そうだ。
・『グーグルが新しい銀行サービスPlexを開始 しばらく前から、「シリコンバレーの大手IT企業が銀行業に進出する」と言われてきた。 最近、そのように見える動きが活発化している。 2020年11月、グーグルがPlexと呼ぶ新しい金融サービスを発表した。アメリカでは、2021年から正式導入された。 普通・当座預金の口座開設、デビットカードの発行、グーグルPay決済、個人間の送金、利用データ分析に基づくサービスなどが、1つのアプリで利用できる。 家計管理のパーソナル・ファイナンシャル・マネジメント(PFM)機能が付属しており、スマートフォンで撮影した領収書やGmailに送られたレシートを自動的に読み込み、カテゴリー別に家計簿にまとめてくれる。さらに、10万超の飲食店でアプリ経由の注文ができる。3万超のガソリンスタンドで給油が可能だ。毎月の口座手数料などはかからない。 日本では、スマートフォン決済の「pring」をグーグルが買収することが話題になっている。いずれ日本でも同種のサービスを提供するのだろう。 以上のことを表面的に見ると、確かに、IT巨大企業が、銀行業務に参入している。 では、これは、銀行業にとっての「黒船来航」なのだろうか? 実は、そうではない。 なぜなら、これはIT企業が独自で提供するサービスではなく、金融機関との共同作業だからだ。 グーグルPlexの場合、シティグループなど11の銀行が提携している。そして、銀行業務を担当する。 この仕組みの核になっているが、「オープンバンキングを知らない人に伝えたい基本」(2021年7月11日)で説明した銀行APIだ。これを通じてPlexは銀行口座にアクセスし、そのデータを利用する。 これは、組み込み型金融(または「埋め込み型金融」、エンベデッドファイナンス)と呼ばれるものだ。) グーグルと銀行は、お互いに自分が強いサービスを提供している。 銀行は、銀行業の免許を持っている。そのため、グーグルは、銀行の業務免許を持たないで金融サービスを提供できる。 他方で、グーグルは、非常に広い顧客との接点がある。全世界に数十億人という顧客を持っている。だから、金融機関から見れば、顧客を大幅に広げることができる。 支店を通じてではなく、グーグルを通じて銀行サービスを提供することになる。これは、銀行が銀行機能を外部の業者に提供するバンキング・アズ・ア・サービス(BaaS)の一形態であると考えることができる』、「金融機関から見れば、顧客を大幅に広げることができる。 支店を通じてではなく、グーグルを通じて銀行サービスを提供することになる。これは、銀行が銀行機能を外部の業者に提供するバンキング・アズ・ア・サービス(BaaS)の一形態」、とはいっても、「グーグル」が他の銀行とも提携していれば、「顧客」はそれほど広がらない可能性もある筈だ。
・『「銀行機能は必要だが、今ある銀行は必要なくなる」 これは、ビル・ゲイツが1994年に言ったとされる有名な言葉だ。 BaaSでは、外から見る限り、銀行以外の主体によって銀行サービスが提供されるわけだ。ビル・ゲイツの予言が実現しつつあると言える。 以上を考えると、本稿の最初で「大手IT企業が銀行業に参入」と言ったのは、正確でないことがわかる。正確に言うと、「IT企業が銀行のライセンスを持たなくても、持ったのと同じようなことになる」ということである。 したがって、グーグルが日本でPlexを提供する場合には、銀行ライセンスを持った銀行と組む必要がある。どこを選ぶかが、今後の大きな課題となるだろう』、邦銀も「グーグル」に日参しているのだろう。
・『アップルやフェイスブック、アマゾンの動きは? 埋め込み型金融サービスは、シリコンバレーの巨大IT企業によって、すでに行われている。グーグルの進出は、遅いとも言える。 アップルは、2014年にアメリカの銀行であるグリーン・ドットと提携してApple Payを開始した。2019年にはゴールドマン・サックスと提携して新型クレジットカードApple Cardの提供を開始した。 フェイスブックは、2019年11月に、「フェイスブックペイ」を開始した(これはディエムとは別の事業だ)。 アマゾンは、2020年6月に、ゴールドマン・サックスと提携して、アマゾンに出店する販売事業者に融資枠を設定するプログラムを開始した。) 仮にグーグルが日本で銀行振り込みのサービスを提供するとして、その料金がいくらになるかは、もちろん、まだわからない。 ただ、それをゼロにすることは不可能ではない。 なぜなら、マネーのデータを用いて収益をあげることができるからだ。 グーグルはPlexを発表した際の声明で「第三者へのデータ販売、ターゲティング広告のためにユーザーの取引履歴を共有したりすることはありません」と表明している。 しかし、「ビッグデータとして利用しない」とは言っていない。 マネーのデータを用いると、信用スコアリングを行うことができる。それを用いて融資事業を行えば、膨大な収入をあげることができる。 これは、中国の電子マネー、アリペイがすでに確立しているビジネスモデルだ。 そこからの莫大な収入があるので、顧客に手数料を求めなくても済む。仮にゼロにしなくても、従来の手数料よりは大幅に下げることが可能だろう。 個人情報保護との関係はどうか。匿名あるいは仮名情報とすれば、ビッグデータとしての利用は可能と思われる』、「匿名あるいは仮名情報とすれば、ビッグデータとしての利用は可能」、上手い手だ。
・『グーグルはデータに貪欲 これまでグーグルは、貪欲にデータを求めてきた。 グーグル傘下のサイドウォーク・ラボが2017年に発表した、トロントのウォーターフロント地区再開発プロジェクトが、その典型例だ。 あらゆるデータをサイドウォークが集め、そのデータを活用して、都市を運用することを計画した。個人情報は、もちろん厳格に保護される。公共の場で収集したデータは、匿名化して、個人を特定できないようにする。第三者へのデータの販売は絶対に行わない。 もっとも、このプロジェクトは、2020年5月に断念を余儀なくされた。「カナダはグーグルの実験マウスではない」とか、「監視資本主義の植民地化実験用」だなどと、データの利用について不安に思う人が、増えてきたからだ。 しかし、サードパーティークッキーの廃止など、これまでのビッグデータビジネスが行き詰まりをみせているいま、新しいビッグデータ源の開発はグーグルにとって喫緊の課題であるに違いない。そのグーグルが、金融サービスに参入しながらそのデータを活用しないことなど、およそ考えられないことだ。) このような形態の金融サービスが現れると、既存の銀行には多大な影響を与えるはずだ。 とくに問題なのは、ATMを使った振り替えだ。 口座振り替えの手数料がかなり高い中で、料金がゼロ、あるいは非常に低い送金・決済が可能になる。しかも、スマートフォンの操作だけでできるので、銀行窓口やATMの所在地まで出向く必要もない。だから、ATMの利用者は激減するだろう』、「非常に低い送金・決済が可能になる」のであれば、「ATMの利用者は激減する」のは確かだ。
・『コンビニ銀行には大きな影響 既存の銀行にとっても大きな影響があるが、とくに問題となるのは、ATMの送金手数料を収入源としてきた銀行だ。セブン銀行やローソン銀行、イオン銀行などがそれにあたる。 セブン銀行は、2001年に設立された。そして、従来の日本の銀行の基本的なビジネスモデルである「預貸金利鞘モデル」とは異なるビジネスモデルを確立した。店舗にあるATMの手数料を基本的な収入源としたのである。 このビジネスモデルは成功し、高い収益率を上げた。そして、低金利により伝統的な銀行のビジネスモデルであった「預貸金利鞘モデル」が、金利の低下で破綻しつつある中で、銀行の新しいビジネスモデルとして成長が期待されてきた。 そして、実際に、これらの銀行は成長した。経常利益を見ると、前述の銀行はすべて黒字である。セブン銀行は地銀トップ5に入る水準であり、ほかも地銀中位行に匹敵するレベルの利益水準を確保している。 ところが、最近になってこのビジネスモデルの環境が大きく変化している。 数年前から、手数料収入の伸びが鈍化しているのだ。 そして今後は、上述のような巨大な競争相手に直面することになる。グーグルPlexのようなサービスが広く使われるようになると、ATMを使う人は極めて少なくなってしまうかもしれない。ATM収入に依存する銀行が生き残るのは至難の業となりかねない。 グーグルPlexの影響はあまりに大きい。 アメリカのバイデン大統領は、7月9日、大企業による寡占の弊害を正すための大統領令に署名した。その中には、「大手IT企業による消費者金融参入の影響の調査」も含まれている。アメリカでは今後、Plexのようなサービスは規制されるのかもしれない。 しかしそれは同時に、消費者が利用料の安い金融サービスを利用できなくなることを意味する』、「カナダ」で「このプロジェクトは、2020年5月に断念を余儀なくされた。「カナダはグーグルの実験マウスではない」とか、「監視資本主義の植民地化実験用」だなどと、データの利用について不安に思う人が、増えてきたからだ」、日本はこんな毅然とした態度は取れないかも知れない。
次に、8月23日付けデイリー新潮「地銀再編に暗雲…山口FGのお家騒動で“天皇”吉村猛会長が突如、解任された全内幕」を紹介しよう。
https://www.dailyshincho.jp/article/2021/08231325/?all=1
・『菅総理の肝煎りで進められてきた「地銀再編」に大打撃を与えかねない事態である。全国の地銀関係者がいまだに動揺を隠しきれないのは、山口銀行を傘下に擁する「山口フィナンシャルグループ(以下、山口FG)」の吉村猛前会長(61)が突如解任された「お家騒動」だ。 日銀のマイナス金利政策の長期化や、地方に顕著な人口減少によって、かねてより地銀経営は苦境が伝えられてきた。そうした状況下にあって、地域商社の設立、IT企業との連携といった独自の手法を次々と導入し、評価を高めてきた吉村氏。そんな「地銀改革の旗手」を襲ったのは、実績の不透明な外資コンサルタントへの高額報酬や、女性問題を指弾する「内部告発文書」だった。 吉村氏のグループ最高経営責任者(CEO)と会長職からの解任が発表されたのは6月25日――。 この日の夕刻に始まった山口FGの椋梨敬介社長の記者会見には、多くの地元メディアが詰めかけた。だが、椋梨氏は社内調査が進行中であるとして、吉村氏の解任理由については「社内合意を得ないまま新規事業を進めた」という要領を得ない説明を繰り返すにとどまった。同日午前に行われた株主総会では、吉村氏は99%の株主からの賛成を得て続投を任されていただけに、会長解任はまさに寝耳に水の出来事である。 だが、山口FG幹部によれば、 「株主総会後に開かれた取締役会で、会長の続投に賛成したのは吉村本人だけだった」 吉村氏は山口銀行徳山支店長を皮切りに、常務取締役東京本部長、山口FG傘下のもみじ銀行、北九州銀行の取締役や山口銀行の会長などを歴任し、山口FGの「中興の祖」と呼ばれる人物で、地元選出の安倍晋三前総理とも懇意とされる。 長年、山口FGに君臨し続けた「天皇」の解任劇は、今年4月、吉村氏を除く取締役や幹部行員に届いた一通の内部告発文書に端を発する。 この文書には、吉村氏が2016年に会長・CEOに就任する以前から、特定の女性行員を愛人として囲っていることや、架空の投資話で顧客から約19億円を集めた第一生命の元社員の女性と徳山支店長時代に極めて親密だったことに加え、東京の外資系コンサル会社「オリバーワイマングループ」に実態不明の多額のコンサル報酬を支出していることなどが指摘されていた。 「ただの怪文書にしては内容が詳し過ぎる。内部の支店長以上の人間が書いたものだ」と事態を重くみた取締役らは、即座に社内調査チームを立ち上げた。その結果、第一生命の女性や、愛人とされる女性行員との関係は傘下銀行の資金の流れからは立証できなかったが、実態不明のコンサル会社への支出、約5億円については確認された。この時点で、社外取締役は吉村氏の会社の私物化を強く疑うこととなったのである。 だが、当の吉村氏は自分に厳しい視線が注がれているのを知ってか知らずか、5月に臨時取締役会を招集。しかも、お膝元の山口県下関市ではなく、なぜか東京で開催し、一部の取締役はオンラインでの参加となった。先の関係者は、「吉村が取締役会の席上で、なんの根回しもなくいきなり“新銀行”の設立案を打ち出したので驚愕してしまった」と振り返る』、「株主総会」後の「取締役会」では、シナリオは出来ていたのだろう。
・『なんじゃ、このふざけた提案は…… 吉村氏の突然の提案は、消費者金融大手アイフルと協力し、リテール(個人向け融資)に特化した新銀行を設立する構想である。社外取締役が衝撃を受けたのは、その内容に他ならない。くだんのコンサル会社の元代表が“新銀行”の頭取に就任し、報酬も数千万円以上と既に決められていたのである。有価証券報告書や関係者によると、山口FGの社外取締役らの報酬は数百万円。その場に居合わせた取締役たちは一様に、「この報酬額は法外過ぎる。なんじゃ、このふざけた提案は……」と呆れたという。 結局、この案は賛同が得られずお蔵入りとなったが、吉村氏とこのコンサル会社には「度が過ぎた蜜月関係にある。このまま吉村にトップを続けさせるわけにはいかない」という空気が取締役らに強く共有される。コンサル会社の元代表は地銀経営に関する著作があり、吉村氏と密接な関係だったが、その助言が山口FG傘下の銀行で業績に影響した形跡は確認できていない。 吉村氏の新銀行構想に関しては、金融機関を監督する金融庁の耳に入り、「コロナ不況で多くの国民が苦しんでいるなか、サラ金業者と個人向けローンに特化した銀行を設立するとは何事か!」と怒りの声が噴出したという。 山口FGは目下、吉村氏とこのコンサル元代表の関係を中心に調査しており、秋ごろに調査結果を記者会見で説明する方針だとみられる。 ただ、金融庁や東京証券取引所、山口FGの一部には株主や傘下の行員、取引先に対する説明責任を果たすには「第三者委員会」での調査が適切という意見も根強い。一方で、ある金融庁OBは、 「金融庁が“優等生”扱いしてきた山口FGに強く言いにくい雰囲気はあったかもしれない。森信親元長官が、あんなに褒めていたスルガ銀行がかぼちゃの馬車をめぐる不正融資で大炎上したことは記憶に新しい」 と指摘する。現段階では、金融庁は「自浄作用に期待する」とのスタンス。山口FGに特別検査が入り、業務改善命令を発出する可能性は低いとみられるが、社内調査でどんな爆弾が飛び出すのかは現状では誰にも分からない。 有力地銀のトップはその県では絶大な力を持つことから「殿様」と呼ばれる。豪腕で知られた吉村氏の転落劇の行く末に、全国の「殿様」が気を揉んでいるかもしれない』、「金融庁が“優等生”扱いしてきた」、「山口FG」、「スルガ銀行」が軒並み問題を起こすとは行政の限界を示しているのかも知れない。「山口FG」の「社内調査でどんな爆弾が飛び出すのか」、注目したい。
第三に、8月26日付け日刊ゲンダイが掲載した経済ジャーナリストの重道武司氏による「みずほに“解体”案まで浮上…今年6度目システムトラブルで強まる坂井社長の経営責任論」を紹介しよう。
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/money/293843
・『みずほの「ニューノーマル」――金融界ではこう揶揄されているらしい。システムトラブルがもはや「新常態」と化しているというわけだ。 みずほフィナンシャルグループ(FG)が先週20日、再びシステム障害を引き起こした。みずほ銀行とみずほ信託銀行の全店で窓口での入出金や振り込みなどの取引が一時できなくなったもので、今年に入って5度目のトラブル。復旧が遅れた外国為替取引では11件の送金に遅れが生じ、当日中の処理ができなかったという。 しかも2~3月に起こした4度の障害を受けて再発防止策を6月公表。危機管理体制やITシステム統制力の強化などに取り組んでいたさなかでのトラブルだけに「タチが悪い」(金融当局筋)。そのうえ23日には6度目の障害だ。 こうなると強まってくるのが坂井辰史社長の経営責任論だろう。みずほ内部ではこれまでトラブルを連発させながらも「(坂井社長の)留任はグループ全体の意思だ」などとして辞任を促すような動きは生じていなかった。坂井社長自身も20日の会見で「再発防止をしっかりやることが私の責任」と強調。退陣に否定的な考えを示している。 ただ金融筋の間では「ここまでくると坂井社長の求心力低下は免れず、辞任は不可避」との見方が支配的。今井誠司執行役副社長や菊地比左志執行役らの名前が後任候補に挙がるほか、外部からのトップ招聘の可能性を取り沙汰する向きも少なくない。 そんな中、当局内の一部で囁かれているとされるのがみずほ“解体”案。みずほ銀をかつてのようにリテールとホールセール部門に切り分けた上、リテールをりそな銀行に、ホールセールは新生銀行に引き継がせるという仰天プランで、新生銀にいまだ2100億円超残る公的資金の「全額回収にメドをつけるきっかけにもなる」と事情通。 日本興業銀行・第一勧業銀行・富士銀行の旧3行間で内部抗争を繰り返し、過去に幾多の醜聞を世にさらしてきたみずほ。旧行意識は上層部では今も「根強くはびこっている」(関係者)とされている。 そんな企業風土やしがらみを断ち切り、預金者と決済機能を守り抜くには「荒療治」しかないということか』、「リテールをりそな銀行に、ホールセールは新生銀行に引き継がせるという仰天プラン」、旧富士・第一勧銀、旧興銀にとっていずれも「格下」の「りそな銀行」、「新生銀行」に「引き継がせる」、というのは、プライドからもあり得ない考え方だ。
第四に、8月23日付けデイリー新潮「三菱UFJ銀行本店に「ニセ税理士」が勤務 税理士法に違反」を紹介しよう。
https://www.dailyshincho.jp/article/2021/08270557/?all=1
・『無資格の者が税理士業務に携わる「ニセ税理士事件」。時折警察当局が摘発して報道もされるが、日本を代表する大企業が深く関わったケースは、おそらく過去に類例がないのではないか。気をつけろ、三菱UFJ銀行本店で「ニセ税理士」が堂々と働いている――。 西川美和監督の映画「ディア・ドクター」の主人公は、笑福亭鶴瓶が演じるニセ医者・伊野治である。山間部の寒村にある村営診療所で働くただ一人の医者として村民から慕われていた伊野は、ある出来事をきっかけに失踪。その後、彼が医師免許を持たないニセ医者だと判明するが、それでも伊野を悪く言う村民はほとんどいなかった……。そんなストーリーの映画が公開されたのは平成21年(2009年)。一方、令和の現実世界に“発覚”したニセモノ騒動の舞台は、世界第5位の総資産額を誇る三菱UFJフィナンシャル・グループ(MUFG)傘下の三菱UFJ銀行である。なんとその本店で堂々と「ニセ税理士」が働いているというのだから、事実は小説より何とやら、だ。 問題の人物はKPMG税理士法人から三菱UFJ銀行本店に出向している30代前半の男性社員、西田公介氏=仮名=である。ちなみにKPMGは世界四大会計事務所(BIG4)の一角を占める多国籍企業だ。 「18年12月頃に出向してきた西田さんは三菱UFJ銀行本店のソリューションプロダクツ部ソリューションフィナンシャルグループに所属しており、同部署の職員はもちろん、同グループの職員も、彼のことは税理士だと思っています」 そう語るのは三菱UFJ銀行関係者である。 「その彼が実は“ニセ税理士”だと気づいたのは先月のことです。ある日、たまたまKPMGの関係者と話す機会があり、西田さんの話題になった時、その関係者が“西田さんは税理士ではない”と言うのです。彼が社内外で配っていた名刺にははっきりと『税理士』とありますし、本人も税理士を名乗っていたので最初はそんなことはあるはずがないと、信じられずにいました。しかし……」 この関係者が半信半疑で日本税理士会連合会のHPにある税理士情報検索サイトに彼の名前を打ち込んでみたところ、「該当するデータはありませんでした」とのメッセージが。「念のため、連合会には電話でも問い合わせましたが、“その名前の税理士の登録はない。彼の職場での行為は税理士法違反にあたる”と言われました。最初は銀行に告発しようと考えました。しかし、もし銀行も組織ぐるみで関与していたとしたら……。大きな組織ですし、隠蔽されてしまったり私自身が不利益を被る可能性もあります」(同) そこで、本誌(「週刊新潮」)に情報提供するに至ったわけである。本誌も独自に日本税理士会連合会に問い合わせたが、やはり彼の名前での税理士登録はなかった。 「税理士名簿に名前のない者は税理士業務を行うことはもちろん、税理士を名乗ることも許されません。税理士法第52条では税理士でない者の税理士業務が禁止されており、これに抵触する場合は2年以下の懲役又は100万円以下の罰金が科されます。また第53条では税理士でない者が税理士を名乗ることを禁止しており、これに反すると100万円以下の罰金を科されます」(連合会の担当者) 実際、無資格の者が税理士業務を行う「ニセ税理士事件」は過去に何度も摘発されており、悪質だとして逮捕されたケースもある。 ちなみに税理士試験の科目には会計学科目と税法科目の2種類があり、会計学科目2科目、税法科目3科目の計5科目をパスすると合格となり、晴れて税理士に。西田氏は一部の科目をすでにパスしている「科目合格者」ではあるが、 「科目を一部パスしていても税理士業務はできないし、税理士と名乗ることも許されません」(同) 一体なぜ日本を代表するメガバンクで「ニセ税理士」が働いているのか――』、信じ難い事件だ。空いた口が塞がらない。一般には「会計士」試験の方が「税理士」試験より難しいと言われているが、「西田さん」の名刺には、「会計士」の表示もないが、そんな人物がKPMGに存在するのも不思議だ。
・『不自然な言い訳 名刺に「税理士」と書かれていることについて西田氏本人に聞くと、 「僕はそれは分かんないです。上の……上の判断なので。僕は知らないです」 三菱UFJ銀行にも取材を申し込んだところ、文書で回答が寄せられた。 「ご指摘を受けて調査したところ、名刺の肩書に税理士の表記があることが判明致しました。当行顧客又は第三者に対して税務アドバイス等の業務は提供しておらず、税理士法52条違反に当たるとの認識はございません」 事情を知るMUFG関係者によると、 「彼が税理士資格を有していないことは受け入れ時には分かっていたのですが、彼の前にKPMGから出向してきた人が全員税理士さんだったので、勘違いして、前任者の名刺の名前と連絡先だけを変えたものを作ってしまったようです」 KPMG税理士法人は、 「出向中の業務は税理士業務に該当しないことを確認しております」 揃って「税理士業務はしていない」と強調する両社。しかし、彼の名刺には「税理士」と記載され、彼が銀行内外で「税理士」として振る舞っていたことは紛れもない事実。その彼が税理士業務に携わっていないとは、いかにも不自然な言い訳だ。 先の三菱UFJ銀行関係者はこう話す。 「彼は銀行内で税務の相談に乗るだけではなく、社外の人のいる席にも同席していたはずです」 そもそも、無資格者が税理士と名乗るだけでも税理士法違反になることは前述した通り。 「それは詐称であり、刑法上の問題に問われる可能性もあります」(税理士の浦野広明氏) さらに奇妙な事実がある。西田氏の知人によると、 「彼は17年頃にKPMGに入っているのですが、その前にも会計や税務を扱う会社で働いていました。その時にはすでに自分は税理士だと言っていましたよ」 そんな彼が三菱UFJ銀行に出向してきた際、“誤って”名刺に税理士と記載される――。驚くべき偶然と言う他ないが、あるいは、その裏に事の真相が隠れているのだろうか。 「彼はどんな席などでも仕事を聞かれたら税理士と答えていました。だから彼の友人は皆、当然のように本物の税理士だと思い込んでいました」 西田氏の地元の知人男性はそう語る。 「ただ、それが嘘だったとしても、“彼ならやりかねないな”としか思いません。彼の実家は会社を経営しているお金持ちで、小さい頃から欲しいものは何でも手に入る環境で育った。そのせいかワガママな性格で、自分の思い通りにするためなら平気で嘘をつくようなところがあるのです」 その私生活も決して褒められたものではなく、 「彼女がいるのに新しい女を探して乗り換え、さらに女を物色する、といったことを繰り返しており、女性を騙してトラブルになったことも。それでいて“子育て中の女性の活躍をサポートしたい”と語るなど、二面性を持っています」(同) 冒頭で触れた映画「ディア・ドクター」の予告編には、「人は誰もが何かになりすまして生きている」という言葉が出てくる。西田氏は自身のインスタグラムでセレブのような生活を自慢していたという。本誌が彼に取材した直後、そのインスタは非公開となった』、KPMGがよりにもよって「税理士」資格のない「西田氏」を出稿させたのかも疑問だ。「三菱UFJ銀行」としても、出向受け入れ時に、従来とは違って「「税理士」資格のない」人間が来たら、どういう問題が生じるか理解していた筈だ。それなのに、何故、このような混乱を生じさせる「出向」を受け入れたのか、説明する義務がある。
先ずは、7月26日付け東洋経済オンラインが掲載した一橋大学名誉教授の野口 悠紀雄氏による「グーグル銀行がコンビニ銀行を脅かしかねない訳 新たな金融サービス「Plex」とは一体何者なのか」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/441941
・『グーグルが「Plex」と呼ぶ新しい金融サービスを開始した。いずれ日本でも導入されるだろう。これは、「組み込み型金融」と呼ばれるもので、銀行APIを通じてグーグルと既存銀行が共同作業を行う。 そこで得られるマネーの取引データを用いて信用スコアリングを行えば、送金・決済コストをゼロにすることが可能だろう。それは、銀行ATMに壊滅的な打撃を与える可能性がある。 昨今の経済現象を鮮やかに斬り、矛盾を指摘し、人々が信じて疑わない「通説」を粉砕する──。野口悠紀雄氏による連載第48回』、興味深そうだ。
・『グーグルが新しい銀行サービスPlexを開始 しばらく前から、「シリコンバレーの大手IT企業が銀行業に進出する」と言われてきた。 最近、そのように見える動きが活発化している。 2020年11月、グーグルがPlexと呼ぶ新しい金融サービスを発表した。アメリカでは、2021年から正式導入された。 普通・当座預金の口座開設、デビットカードの発行、グーグルPay決済、個人間の送金、利用データ分析に基づくサービスなどが、1つのアプリで利用できる。 家計管理のパーソナル・ファイナンシャル・マネジメント(PFM)機能が付属しており、スマートフォンで撮影した領収書やGmailに送られたレシートを自動的に読み込み、カテゴリー別に家計簿にまとめてくれる。さらに、10万超の飲食店でアプリ経由の注文ができる。3万超のガソリンスタンドで給油が可能だ。毎月の口座手数料などはかからない。 日本では、スマートフォン決済の「pring」をグーグルが買収することが話題になっている。いずれ日本でも同種のサービスを提供するのだろう。 以上のことを表面的に見ると、確かに、IT巨大企業が、銀行業務に参入している。 では、これは、銀行業にとっての「黒船来航」なのだろうか? 実は、そうではない。 なぜなら、これはIT企業が独自で提供するサービスではなく、金融機関との共同作業だからだ。 グーグルPlexの場合、シティグループなど11の銀行が提携している。そして、銀行業務を担当する。 この仕組みの核になっているが、「オープンバンキングを知らない人に伝えたい基本」(2021年7月11日)で説明した銀行APIだ。これを通じてPlexは銀行口座にアクセスし、そのデータを利用する。 これは、組み込み型金融(または「埋め込み型金融」、エンベデッドファイナンス)と呼ばれるものだ。) グーグルと銀行は、お互いに自分が強いサービスを提供している。 銀行は、銀行業の免許を持っている。そのため、グーグルは、銀行の業務免許を持たないで金融サービスを提供できる。 他方で、グーグルは、非常に広い顧客との接点がある。全世界に数十億人という顧客を持っている。だから、金融機関から見れば、顧客を大幅に広げることができる。 支店を通じてではなく、グーグルを通じて銀行サービスを提供することになる。これは、銀行が銀行機能を外部の業者に提供するバンキング・アズ・ア・サービス(BaaS)の一形態であると考えることができる』、「金融機関から見れば、顧客を大幅に広げることができる。 支店を通じてではなく、グーグルを通じて銀行サービスを提供することになる。これは、銀行が銀行機能を外部の業者に提供するバンキング・アズ・ア・サービス(BaaS)の一形態」、とはいっても、「グーグル」が他の銀行とも提携していれば、「顧客」はそれほど広がらない可能性もある筈だ。
・『「銀行機能は必要だが、今ある銀行は必要なくなる」 これは、ビル・ゲイツが1994年に言ったとされる有名な言葉だ。 BaaSでは、外から見る限り、銀行以外の主体によって銀行サービスが提供されるわけだ。ビル・ゲイツの予言が実現しつつあると言える。 以上を考えると、本稿の最初で「大手IT企業が銀行業に参入」と言ったのは、正確でないことがわかる。正確に言うと、「IT企業が銀行のライセンスを持たなくても、持ったのと同じようなことになる」ということである。 したがって、グーグルが日本でPlexを提供する場合には、銀行ライセンスを持った銀行と組む必要がある。どこを選ぶかが、今後の大きな課題となるだろう』、邦銀も「グーグル」に日参しているのだろう。
・『アップルやフェイスブック、アマゾンの動きは? 埋め込み型金融サービスは、シリコンバレーの巨大IT企業によって、すでに行われている。グーグルの進出は、遅いとも言える。 アップルは、2014年にアメリカの銀行であるグリーン・ドットと提携してApple Payを開始した。2019年にはゴールドマン・サックスと提携して新型クレジットカードApple Cardの提供を開始した。 フェイスブックは、2019年11月に、「フェイスブックペイ」を開始した(これはディエムとは別の事業だ)。 アマゾンは、2020年6月に、ゴールドマン・サックスと提携して、アマゾンに出店する販売事業者に融資枠を設定するプログラムを開始した。) 仮にグーグルが日本で銀行振り込みのサービスを提供するとして、その料金がいくらになるかは、もちろん、まだわからない。 ただ、それをゼロにすることは不可能ではない。 なぜなら、マネーのデータを用いて収益をあげることができるからだ。 グーグルはPlexを発表した際の声明で「第三者へのデータ販売、ターゲティング広告のためにユーザーの取引履歴を共有したりすることはありません」と表明している。 しかし、「ビッグデータとして利用しない」とは言っていない。 マネーのデータを用いると、信用スコアリングを行うことができる。それを用いて融資事業を行えば、膨大な収入をあげることができる。 これは、中国の電子マネー、アリペイがすでに確立しているビジネスモデルだ。 そこからの莫大な収入があるので、顧客に手数料を求めなくても済む。仮にゼロにしなくても、従来の手数料よりは大幅に下げることが可能だろう。 個人情報保護との関係はどうか。匿名あるいは仮名情報とすれば、ビッグデータとしての利用は可能と思われる』、「匿名あるいは仮名情報とすれば、ビッグデータとしての利用は可能」、上手い手だ。
・『グーグルはデータに貪欲 これまでグーグルは、貪欲にデータを求めてきた。 グーグル傘下のサイドウォーク・ラボが2017年に発表した、トロントのウォーターフロント地区再開発プロジェクトが、その典型例だ。 あらゆるデータをサイドウォークが集め、そのデータを活用して、都市を運用することを計画した。個人情報は、もちろん厳格に保護される。公共の場で収集したデータは、匿名化して、個人を特定できないようにする。第三者へのデータの販売は絶対に行わない。 もっとも、このプロジェクトは、2020年5月に断念を余儀なくされた。「カナダはグーグルの実験マウスではない」とか、「監視資本主義の植民地化実験用」だなどと、データの利用について不安に思う人が、増えてきたからだ。 しかし、サードパーティークッキーの廃止など、これまでのビッグデータビジネスが行き詰まりをみせているいま、新しいビッグデータ源の開発はグーグルにとって喫緊の課題であるに違いない。そのグーグルが、金融サービスに参入しながらそのデータを活用しないことなど、およそ考えられないことだ。) このような形態の金融サービスが現れると、既存の銀行には多大な影響を与えるはずだ。 とくに問題なのは、ATMを使った振り替えだ。 口座振り替えの手数料がかなり高い中で、料金がゼロ、あるいは非常に低い送金・決済が可能になる。しかも、スマートフォンの操作だけでできるので、銀行窓口やATMの所在地まで出向く必要もない。だから、ATMの利用者は激減するだろう』、「非常に低い送金・決済が可能になる」のであれば、「ATMの利用者は激減する」のは確かだ。
・『コンビニ銀行には大きな影響 既存の銀行にとっても大きな影響があるが、とくに問題となるのは、ATMの送金手数料を収入源としてきた銀行だ。セブン銀行やローソン銀行、イオン銀行などがそれにあたる。 セブン銀行は、2001年に設立された。そして、従来の日本の銀行の基本的なビジネスモデルである「預貸金利鞘モデル」とは異なるビジネスモデルを確立した。店舗にあるATMの手数料を基本的な収入源としたのである。 このビジネスモデルは成功し、高い収益率を上げた。そして、低金利により伝統的な銀行のビジネスモデルであった「預貸金利鞘モデル」が、金利の低下で破綻しつつある中で、銀行の新しいビジネスモデルとして成長が期待されてきた。 そして、実際に、これらの銀行は成長した。経常利益を見ると、前述の銀行はすべて黒字である。セブン銀行は地銀トップ5に入る水準であり、ほかも地銀中位行に匹敵するレベルの利益水準を確保している。 ところが、最近になってこのビジネスモデルの環境が大きく変化している。 数年前から、手数料収入の伸びが鈍化しているのだ。 そして今後は、上述のような巨大な競争相手に直面することになる。グーグルPlexのようなサービスが広く使われるようになると、ATMを使う人は極めて少なくなってしまうかもしれない。ATM収入に依存する銀行が生き残るのは至難の業となりかねない。 グーグルPlexの影響はあまりに大きい。 アメリカのバイデン大統領は、7月9日、大企業による寡占の弊害を正すための大統領令に署名した。その中には、「大手IT企業による消費者金融参入の影響の調査」も含まれている。アメリカでは今後、Plexのようなサービスは規制されるのかもしれない。 しかしそれは同時に、消費者が利用料の安い金融サービスを利用できなくなることを意味する』、「カナダ」で「このプロジェクトは、2020年5月に断念を余儀なくされた。「カナダはグーグルの実験マウスではない」とか、「監視資本主義の植民地化実験用」だなどと、データの利用について不安に思う人が、増えてきたからだ」、日本はこんな毅然とした態度は取れないかも知れない。
次に、8月23日付けデイリー新潮「地銀再編に暗雲…山口FGのお家騒動で“天皇”吉村猛会長が突如、解任された全内幕」を紹介しよう。
https://www.dailyshincho.jp/article/2021/08231325/?all=1
・『菅総理の肝煎りで進められてきた「地銀再編」に大打撃を与えかねない事態である。全国の地銀関係者がいまだに動揺を隠しきれないのは、山口銀行を傘下に擁する「山口フィナンシャルグループ(以下、山口FG)」の吉村猛前会長(61)が突如解任された「お家騒動」だ。 日銀のマイナス金利政策の長期化や、地方に顕著な人口減少によって、かねてより地銀経営は苦境が伝えられてきた。そうした状況下にあって、地域商社の設立、IT企業との連携といった独自の手法を次々と導入し、評価を高めてきた吉村氏。そんな「地銀改革の旗手」を襲ったのは、実績の不透明な外資コンサルタントへの高額報酬や、女性問題を指弾する「内部告発文書」だった。 吉村氏のグループ最高経営責任者(CEO)と会長職からの解任が発表されたのは6月25日――。 この日の夕刻に始まった山口FGの椋梨敬介社長の記者会見には、多くの地元メディアが詰めかけた。だが、椋梨氏は社内調査が進行中であるとして、吉村氏の解任理由については「社内合意を得ないまま新規事業を進めた」という要領を得ない説明を繰り返すにとどまった。同日午前に行われた株主総会では、吉村氏は99%の株主からの賛成を得て続投を任されていただけに、会長解任はまさに寝耳に水の出来事である。 だが、山口FG幹部によれば、 「株主総会後に開かれた取締役会で、会長の続投に賛成したのは吉村本人だけだった」 吉村氏は山口銀行徳山支店長を皮切りに、常務取締役東京本部長、山口FG傘下のもみじ銀行、北九州銀行の取締役や山口銀行の会長などを歴任し、山口FGの「中興の祖」と呼ばれる人物で、地元選出の安倍晋三前総理とも懇意とされる。 長年、山口FGに君臨し続けた「天皇」の解任劇は、今年4月、吉村氏を除く取締役や幹部行員に届いた一通の内部告発文書に端を発する。 この文書には、吉村氏が2016年に会長・CEOに就任する以前から、特定の女性行員を愛人として囲っていることや、架空の投資話で顧客から約19億円を集めた第一生命の元社員の女性と徳山支店長時代に極めて親密だったことに加え、東京の外資系コンサル会社「オリバーワイマングループ」に実態不明の多額のコンサル報酬を支出していることなどが指摘されていた。 「ただの怪文書にしては内容が詳し過ぎる。内部の支店長以上の人間が書いたものだ」と事態を重くみた取締役らは、即座に社内調査チームを立ち上げた。その結果、第一生命の女性や、愛人とされる女性行員との関係は傘下銀行の資金の流れからは立証できなかったが、実態不明のコンサル会社への支出、約5億円については確認された。この時点で、社外取締役は吉村氏の会社の私物化を強く疑うこととなったのである。 だが、当の吉村氏は自分に厳しい視線が注がれているのを知ってか知らずか、5月に臨時取締役会を招集。しかも、お膝元の山口県下関市ではなく、なぜか東京で開催し、一部の取締役はオンラインでの参加となった。先の関係者は、「吉村が取締役会の席上で、なんの根回しもなくいきなり“新銀行”の設立案を打ち出したので驚愕してしまった」と振り返る』、「株主総会」後の「取締役会」では、シナリオは出来ていたのだろう。
・『なんじゃ、このふざけた提案は…… 吉村氏の突然の提案は、消費者金融大手アイフルと協力し、リテール(個人向け融資)に特化した新銀行を設立する構想である。社外取締役が衝撃を受けたのは、その内容に他ならない。くだんのコンサル会社の元代表が“新銀行”の頭取に就任し、報酬も数千万円以上と既に決められていたのである。有価証券報告書や関係者によると、山口FGの社外取締役らの報酬は数百万円。その場に居合わせた取締役たちは一様に、「この報酬額は法外過ぎる。なんじゃ、このふざけた提案は……」と呆れたという。 結局、この案は賛同が得られずお蔵入りとなったが、吉村氏とこのコンサル会社には「度が過ぎた蜜月関係にある。このまま吉村にトップを続けさせるわけにはいかない」という空気が取締役らに強く共有される。コンサル会社の元代表は地銀経営に関する著作があり、吉村氏と密接な関係だったが、その助言が山口FG傘下の銀行で業績に影響した形跡は確認できていない。 吉村氏の新銀行構想に関しては、金融機関を監督する金融庁の耳に入り、「コロナ不況で多くの国民が苦しんでいるなか、サラ金業者と個人向けローンに特化した銀行を設立するとは何事か!」と怒りの声が噴出したという。 山口FGは目下、吉村氏とこのコンサル元代表の関係を中心に調査しており、秋ごろに調査結果を記者会見で説明する方針だとみられる。 ただ、金融庁や東京証券取引所、山口FGの一部には株主や傘下の行員、取引先に対する説明責任を果たすには「第三者委員会」での調査が適切という意見も根強い。一方で、ある金融庁OBは、 「金融庁が“優等生”扱いしてきた山口FGに強く言いにくい雰囲気はあったかもしれない。森信親元長官が、あんなに褒めていたスルガ銀行がかぼちゃの馬車をめぐる不正融資で大炎上したことは記憶に新しい」 と指摘する。現段階では、金融庁は「自浄作用に期待する」とのスタンス。山口FGに特別検査が入り、業務改善命令を発出する可能性は低いとみられるが、社内調査でどんな爆弾が飛び出すのかは現状では誰にも分からない。 有力地銀のトップはその県では絶大な力を持つことから「殿様」と呼ばれる。豪腕で知られた吉村氏の転落劇の行く末に、全国の「殿様」が気を揉んでいるかもしれない』、「金融庁が“優等生”扱いしてきた」、「山口FG」、「スルガ銀行」が軒並み問題を起こすとは行政の限界を示しているのかも知れない。「山口FG」の「社内調査でどんな爆弾が飛び出すのか」、注目したい。
第三に、8月26日付け日刊ゲンダイが掲載した経済ジャーナリストの重道武司氏による「みずほに“解体”案まで浮上…今年6度目システムトラブルで強まる坂井社長の経営責任論」を紹介しよう。
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/money/293843
・『みずほの「ニューノーマル」――金融界ではこう揶揄されているらしい。システムトラブルがもはや「新常態」と化しているというわけだ。 みずほフィナンシャルグループ(FG)が先週20日、再びシステム障害を引き起こした。みずほ銀行とみずほ信託銀行の全店で窓口での入出金や振り込みなどの取引が一時できなくなったもので、今年に入って5度目のトラブル。復旧が遅れた外国為替取引では11件の送金に遅れが生じ、当日中の処理ができなかったという。 しかも2~3月に起こした4度の障害を受けて再発防止策を6月公表。危機管理体制やITシステム統制力の強化などに取り組んでいたさなかでのトラブルだけに「タチが悪い」(金融当局筋)。そのうえ23日には6度目の障害だ。 こうなると強まってくるのが坂井辰史社長の経営責任論だろう。みずほ内部ではこれまでトラブルを連発させながらも「(坂井社長の)留任はグループ全体の意思だ」などとして辞任を促すような動きは生じていなかった。坂井社長自身も20日の会見で「再発防止をしっかりやることが私の責任」と強調。退陣に否定的な考えを示している。 ただ金融筋の間では「ここまでくると坂井社長の求心力低下は免れず、辞任は不可避」との見方が支配的。今井誠司執行役副社長や菊地比左志執行役らの名前が後任候補に挙がるほか、外部からのトップ招聘の可能性を取り沙汰する向きも少なくない。 そんな中、当局内の一部で囁かれているとされるのがみずほ“解体”案。みずほ銀をかつてのようにリテールとホールセール部門に切り分けた上、リテールをりそな銀行に、ホールセールは新生銀行に引き継がせるという仰天プランで、新生銀にいまだ2100億円超残る公的資金の「全額回収にメドをつけるきっかけにもなる」と事情通。 日本興業銀行・第一勧業銀行・富士銀行の旧3行間で内部抗争を繰り返し、過去に幾多の醜聞を世にさらしてきたみずほ。旧行意識は上層部では今も「根強くはびこっている」(関係者)とされている。 そんな企業風土やしがらみを断ち切り、預金者と決済機能を守り抜くには「荒療治」しかないということか』、「リテールをりそな銀行に、ホールセールは新生銀行に引き継がせるという仰天プラン」、旧富士・第一勧銀、旧興銀にとっていずれも「格下」の「りそな銀行」、「新生銀行」に「引き継がせる」、というのは、プライドからもあり得ない考え方だ。
第四に、8月23日付けデイリー新潮「三菱UFJ銀行本店に「ニセ税理士」が勤務 税理士法に違反」を紹介しよう。
https://www.dailyshincho.jp/article/2021/08270557/?all=1
・『無資格の者が税理士業務に携わる「ニセ税理士事件」。時折警察当局が摘発して報道もされるが、日本を代表する大企業が深く関わったケースは、おそらく過去に類例がないのではないか。気をつけろ、三菱UFJ銀行本店で「ニセ税理士」が堂々と働いている――。 西川美和監督の映画「ディア・ドクター」の主人公は、笑福亭鶴瓶が演じるニセ医者・伊野治である。山間部の寒村にある村営診療所で働くただ一人の医者として村民から慕われていた伊野は、ある出来事をきっかけに失踪。その後、彼が医師免許を持たないニセ医者だと判明するが、それでも伊野を悪く言う村民はほとんどいなかった……。そんなストーリーの映画が公開されたのは平成21年(2009年)。一方、令和の現実世界に“発覚”したニセモノ騒動の舞台は、世界第5位の総資産額を誇る三菱UFJフィナンシャル・グループ(MUFG)傘下の三菱UFJ銀行である。なんとその本店で堂々と「ニセ税理士」が働いているというのだから、事実は小説より何とやら、だ。 問題の人物はKPMG税理士法人から三菱UFJ銀行本店に出向している30代前半の男性社員、西田公介氏=仮名=である。ちなみにKPMGは世界四大会計事務所(BIG4)の一角を占める多国籍企業だ。 「18年12月頃に出向してきた西田さんは三菱UFJ銀行本店のソリューションプロダクツ部ソリューションフィナンシャルグループに所属しており、同部署の職員はもちろん、同グループの職員も、彼のことは税理士だと思っています」 そう語るのは三菱UFJ銀行関係者である。 「その彼が実は“ニセ税理士”だと気づいたのは先月のことです。ある日、たまたまKPMGの関係者と話す機会があり、西田さんの話題になった時、その関係者が“西田さんは税理士ではない”と言うのです。彼が社内外で配っていた名刺にははっきりと『税理士』とありますし、本人も税理士を名乗っていたので最初はそんなことはあるはずがないと、信じられずにいました。しかし……」 この関係者が半信半疑で日本税理士会連合会のHPにある税理士情報検索サイトに彼の名前を打ち込んでみたところ、「該当するデータはありませんでした」とのメッセージが。「念のため、連合会には電話でも問い合わせましたが、“その名前の税理士の登録はない。彼の職場での行為は税理士法違反にあたる”と言われました。最初は銀行に告発しようと考えました。しかし、もし銀行も組織ぐるみで関与していたとしたら……。大きな組織ですし、隠蔽されてしまったり私自身が不利益を被る可能性もあります」(同) そこで、本誌(「週刊新潮」)に情報提供するに至ったわけである。本誌も独自に日本税理士会連合会に問い合わせたが、やはり彼の名前での税理士登録はなかった。 「税理士名簿に名前のない者は税理士業務を行うことはもちろん、税理士を名乗ることも許されません。税理士法第52条では税理士でない者の税理士業務が禁止されており、これに抵触する場合は2年以下の懲役又は100万円以下の罰金が科されます。また第53条では税理士でない者が税理士を名乗ることを禁止しており、これに反すると100万円以下の罰金を科されます」(連合会の担当者) 実際、無資格の者が税理士業務を行う「ニセ税理士事件」は過去に何度も摘発されており、悪質だとして逮捕されたケースもある。 ちなみに税理士試験の科目には会計学科目と税法科目の2種類があり、会計学科目2科目、税法科目3科目の計5科目をパスすると合格となり、晴れて税理士に。西田氏は一部の科目をすでにパスしている「科目合格者」ではあるが、 「科目を一部パスしていても税理士業務はできないし、税理士と名乗ることも許されません」(同) 一体なぜ日本を代表するメガバンクで「ニセ税理士」が働いているのか――』、信じ難い事件だ。空いた口が塞がらない。一般には「会計士」試験の方が「税理士」試験より難しいと言われているが、「西田さん」の名刺には、「会計士」の表示もないが、そんな人物がKPMGに存在するのも不思議だ。
・『不自然な言い訳 名刺に「税理士」と書かれていることについて西田氏本人に聞くと、 「僕はそれは分かんないです。上の……上の判断なので。僕は知らないです」 三菱UFJ銀行にも取材を申し込んだところ、文書で回答が寄せられた。 「ご指摘を受けて調査したところ、名刺の肩書に税理士の表記があることが判明致しました。当行顧客又は第三者に対して税務アドバイス等の業務は提供しておらず、税理士法52条違反に当たるとの認識はございません」 事情を知るMUFG関係者によると、 「彼が税理士資格を有していないことは受け入れ時には分かっていたのですが、彼の前にKPMGから出向してきた人が全員税理士さんだったので、勘違いして、前任者の名刺の名前と連絡先だけを変えたものを作ってしまったようです」 KPMG税理士法人は、 「出向中の業務は税理士業務に該当しないことを確認しております」 揃って「税理士業務はしていない」と強調する両社。しかし、彼の名刺には「税理士」と記載され、彼が銀行内外で「税理士」として振る舞っていたことは紛れもない事実。その彼が税理士業務に携わっていないとは、いかにも不自然な言い訳だ。 先の三菱UFJ銀行関係者はこう話す。 「彼は銀行内で税務の相談に乗るだけではなく、社外の人のいる席にも同席していたはずです」 そもそも、無資格者が税理士と名乗るだけでも税理士法違反になることは前述した通り。 「それは詐称であり、刑法上の問題に問われる可能性もあります」(税理士の浦野広明氏) さらに奇妙な事実がある。西田氏の知人によると、 「彼は17年頃にKPMGに入っているのですが、その前にも会計や税務を扱う会社で働いていました。その時にはすでに自分は税理士だと言っていましたよ」 そんな彼が三菱UFJ銀行に出向してきた際、“誤って”名刺に税理士と記載される――。驚くべき偶然と言う他ないが、あるいは、その裏に事の真相が隠れているのだろうか。 「彼はどんな席などでも仕事を聞かれたら税理士と答えていました。だから彼の友人は皆、当然のように本物の税理士だと思い込んでいました」 西田氏の地元の知人男性はそう語る。 「ただ、それが嘘だったとしても、“彼ならやりかねないな”としか思いません。彼の実家は会社を経営しているお金持ちで、小さい頃から欲しいものは何でも手に入る環境で育った。そのせいかワガママな性格で、自分の思い通りにするためなら平気で嘘をつくようなところがあるのです」 その私生活も決して褒められたものではなく、 「彼女がいるのに新しい女を探して乗り換え、さらに女を物色する、といったことを繰り返しており、女性を騙してトラブルになったことも。それでいて“子育て中の女性の活躍をサポートしたい”と語るなど、二面性を持っています」(同) 冒頭で触れた映画「ディア・ドクター」の予告編には、「人は誰もが何かになりすまして生きている」という言葉が出てくる。西田氏は自身のインスタグラムでセレブのような生活を自慢していたという。本誌が彼に取材した直後、そのインスタは非公開となった』、KPMGがよりにもよって「税理士」資格のない「西田氏」を出稿させたのかも疑問だ。「三菱UFJ銀行」としても、出向受け入れ時に、従来とは違って「「税理士」資格のない」人間が来たら、どういう問題が生じるか理解していた筈だ。それなのに、何故、このような混乱を生じさせる「出向」を受け入れたのか、説明する義務がある。
タグ:(その9)(グーグル銀行がコンビニ銀行を脅かしかねない訳 新たな金融サービス「Plex」とは一体何者なのか、地銀再編に暗雲…山口FGのお家騒動で“天皇”吉村猛会長が突如 解任された全内幕、みずほに“解体”案まで浮上…今年6度目システムトラブルで強まる坂井社長の経営責任論、三菱UFJ銀行本店に「ニセ税理士」が勤務 税理士法に違反) 東洋経済オンライン 野口 悠紀雄 「グーグル銀行がコンビニ銀行を脅かしかねない訳 新たな金融サービス「Plex」とは一体何者なのか」 「金融機関から見れば、顧客を大幅に広げることができる。 支店を通じてではなく、グーグルを通じて銀行サービスを提供することになる。これは、銀行が銀行機能を外部の業者に提供するバンキング・アズ・ア・サービス(BaaS)の一形態」、とはいっても、「グーグル」が他の銀行とも提携していれば、「顧客」はそれほど広がらない可能性もある筈だ。 邦銀も「グーグル」に日参しているのだろう。 「匿名あるいは仮名情報とすれば、ビッグデータとしての利用は可能」、上手い手だ。 「非常に低い送金・決済が可能になる」のであれば、「ATMの利用者は激減する」のは確かだ。 「カナダ」で「このプロジェクトは、2020年5月に断念を余儀なくされた。「カナダはグーグルの実験マウスではない」とか、「監視資本主義の植民地化実験用」だなどと、データの利用について不安に思う人が、増えてきたからだ」、日本はこんな毅然とした態度は取れないかも知れない。 デイリー新潮 「地銀再編に暗雲…山口FGのお家騒動で“天皇”吉村猛会長が突如、解任された全内幕」 「株主総会」後の「取締役会」では、シナリオは出来ていたのだろう。 「金融庁が“優等生”扱いしてきた」、「山口FG」、「スルガ銀行」が軒並み問題を起こすとは行政の限界を示しているのかも知れない。「山口FG」の「社内調査でどんな爆弾が飛び出すのか」、注目したい。 日刊ゲンダイ 重道武司 「みずほに“解体”案まで浮上…今年6度目システムトラブルで強まる坂井社長の経営責任論」 「リテールをりそな銀行に、ホールセールは新生銀行に引き継がせるという仰天プラン」、旧富士・第一勧銀、旧興銀にとっていずれも「格下」の「りそな銀行」、「新生銀行」に「引き継がせる」、というのは、プライドからもあり得ない考え方だ。 「三菱UFJ銀行本店に「ニセ税理士」が勤務 税理士法に違反」 信じ難い事件だ。空いた口が塞がらない。一般には「会計士」試験の方が「税理士」試験より難しいと言われているが、「西田さん」の名刺には、「会計士」の表示もないが、そんな人物がKPMGに存在するのも不思議だ。 KPMGがよりにもよって「税理士」資格のない「西田氏」を出稿させたのかも疑問だ。「三菱UFJ銀行」としても、出向受け入れ時に、従来とは違って「「税理士」資格のない」人間が来たら、どういう問題が生じるか理解していた筈だ。それなのに、何故、このような混乱を生じさせる「出向」を受け入れたのか、説明する義務がある。
パンデミック(経済社会的視点)(その18)(「コロナ病床5%」旧国立・社保庁197病院への疑問 法律あっても病床確保は厚労相のお願いベース、医師・看護師はもう限界!デルタ株で高まる「自衛隊野戦病院」の必要性、西浦博教授が考える「ワクチン接種が進む日本」でこれから先に見込まれる“展開” 明るい未来を切り開くために、日本が現時点で「ワクチンパスポート」を導入することが あまりに「不合理」と言えるワケ) [パンデミック]
パンデミック(経済社会的視点)については、7月17日に取上げた。今日は、(その18)(「コロナ病床5%」旧国立・社保庁197病院への疑問 法律あっても病床確保は厚労相のお願いベース、医師・看護師はもう限界!デルタ株で高まる「自衛隊野戦病院」の必要性、西浦博教授が考える「ワクチン接種が進む日本」でこれから先に見込まれる“展開” 明るい未来を切り開くために、日本が現時点で「ワクチンパスポート」を導入することが あまりに「不合理」と言えるワケ)である。
先ずは、8月24日付け東洋経済オンラインが掲載した朝日新聞記者の松浦 新氏による「「コロナ病床5%」旧国立・社保庁197病院への疑問 法律あっても病床確保は厚労相のお願いベース」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/450095
・『国立病院機構(NHO)と地域医療機能推進機構(JCHO)をご存じだろうか。いずれも厚生労働省が所管する独立行政法人であり、旧国立病院など公的医療機関を傘下に置く。そのネットワークは国立病院機構が全国140病院で計約3万8000床、地域医療機能推進機構は全国57病院で同約1万4000床を有している。 医療に詳しい人でなければ、JCHOの存在を認識していないかもしれない。ただ、JCHOの理事長が政府対策分科会の尾身茂会長と聞けば、公的医療機関の中でも重要な位置にあると想像がつくだろう。 新型コロナウイルスの爆発的な感染拡大によって、入院できずに自宅で亡くなる患者が相次ぎ、千葉県柏市では新生児が亡くなる悲劇も起きた。日本は災害同然の事態に見舞われている』、「政府対策分科会の尾身茂会長」が「理事長」をしているとは権威ある機関のようだ。
・『NHOとJCHOのコロナ病床は約5% その中において、国立病院機構と地域医療機能推進機構はどれほどコロナ患者を受け入れているのだろうか。筆者が入手した資料によると、7月末時点で、国立病院機構の全国140病院の計約3万8000床のうち、コロナ病床は1854床(4.8%)、地域医療機能推進機構は全国57病院の同1万4000床のうち、816床(5.7%)。合わせてざっと5%程度にすぎない』、文字通り厚労省直轄の病院の割には、「コロナ病床」が「5%程度」とはどう考えても少ない。
・『国立病院機構とJCHOのコロナ病床の提供状況についてまとめた厚労省の内部文書 2機構には、それぞれよって立つ法律もある。国立病院機構法と地域医療機能推進機構法は、それぞれの21条に、「公衆衛生上重大な危害が生じ、若しくは生じるおそれがある緊急の事態に対処するため必要があると認めるときは、(厚労相が)機構に対し、必要な業務の実施を求めることができる」といった規定がある。 いま、まさに「公衆衛生上重大な危害」は目の前で進んでいる。東京都では、コロナ陽性と診断されて療養している患者約4万5000人(8月20日現在)のうち、入院できているのはわずか8.7%の3845人だ。1カ月前はこれが25.2%だった。4人に1人が入院できたのに、1カ月で10人に1人も入院できなくなった。入院やホテルなどでの療養を調整中の人は、1カ月前の1671人から、1万2000人余りに急増した。 コロナはいつ急変するかわからない。こうしている間にも、酸素吸入が必要でも入院先がみつからないコロナ難民が救急車でたらい回しにあっている。 この東京で、国立病院機構は3病院の計1541床のうち128床しかコロナ病床に提供できていない。地域医療機能推進機構も5病院の計1455床のうち158床だ。実際の入院患者は8月6日時点で計195人と、同日に都内で入院していた患者3383人の5.8%にとどまった。災害同然の危機的な状況なのに国が関与する医療機関の対応として妥当なのかと疑問に思う。 なぜ、厚生労働相は両機構に緊急の指示を出さないのか。 8月20日、記者会見でこの点を田村憲久厚労相に聞くと、次のように答えた。 「法律にのっとってというより、いまもお願いはしておりまして、病床は確保いただいております。無理やり何百床空けろと言っても、そこには患者も入っているので、転院をどうするという問題もあるので、言うには言えますが、実態はできないことを言っても仕方がない。極力迷惑をかけない中で最大限の病床を確保してまいりたい」』、「厚労相」の弁明は全く理解不能だ。
・『病床確保に強制力を持たせる法整備の議論が進む中で 要するに、あくまでもお願いベースなのだ。いま、民間病院を想定して、病床確保のために強制力を持たせる法整備をするべきだとの議論もある。すでに今年2月の感染症法改正によって、厚労相や都道府県知事が医療機関などに対して医療提供を勧告できるようになった。罰則はないが、正当な理由がなく従わない場合は施設名などを公表できる。 一方、両機構の法は、機構は「求めがあったときは、正当な理由がない限り、その求めに応じなければならない」とも定めている。にもかかわらず、「お願い」しかできないのが実情なのだ。要するに、「法整備」は立法する官僚と政治家の自己満足にすぎず、実効性はないと言っているのと同じではないか。 コロナ以外の病気やケガのために病床を確保しなければならないという大義名分はあるだろう。ただし、それは民間病院も同じことである。なぜ、未曾有の事態においても国は両機構に対して手をこまぬいているのか。そこには、「消えた年金問題」で政権交代の震源となり、売却寸前だったのに公的病院として残った「ゾンビ」のような大病院があった。 知り合いの厚労省官僚がこんなことを教えてくれた。 地域医療機能推進機構は、厚労省の外局だった旧社会保険庁が国民から保険料を集めてできた病院の寄せ集めだった。前身の「旧社会保険病院」は中小企業などが加入する「旧政府管掌健康保険(現・協会けんぽ)」の積立金から、「旧厚生年金病院」は厚生年金積立金から、「旧船員病院」は、年金部門が厚生年金に統合された「旧船員保険」の積立金でつくられた経緯がある。 こうした公的保険制度は、日本が高齢化する前の戦前から戦中にかけてできたため、多額の積立金を保有していた時期がある。 そのひとつの厚生年金積立金については『厚生年金保険制度回顧録』で、制度ができた当初の旧厚生省年金課長が積立金について次のような証言をしている。 「年金を払うのは先のことだから、今のうち、どんどん使ってしまっても構わない。使ってしまったら先行困るのではないかという声もあったけれども、そんなことは問題ではない。20年先まで大事に持っていても貨幣価値が下がってしまう。だからどんどん運用して活用したほうがいい。せっせと使ってしまえ」』、年金官僚の野放図な無駄遣いにはいまでも腹が立つ。
・『国民の年金積立金を湯水のように垂れ流した こうしてできた施設のひとつが厚生年金病院だ。ほかにも、「年金福祉事業団」という旧厚生省の天下り先があり、リゾート施設などに採算度外視の投資をして、国民の年金積立金を湯水のように垂れ流した。まさに、元年金課長が予言したとおりのことが起きた。 こうした批判に当時の自公政権は、旧社保庁を解体し、厚生年金病院や社会保険病院などを含めた旧社保庁関連施設の民間売却も決めた。ところが、年金記録問題から社保庁解体のきっかけを作り、2009年8月に政権の座についた民主党は、1カ月もたたないうちに方向転換して、3病院の公営を維持する方針を打ち出す。 当時は、赤字の病院が多いなどの理由で引き受け手がみつかりにくいとして、このままでは地域の中核医療拠点がなくなりかねないとされた。結局、3病院は2014年に統合され、地域医療機能推進機構が生まれた。 ところが地域医療機能推進機構は赤字どころか、優良病院そのものだ。2020年度決算によると、201億円もの黒字になっている。好業績は昨年度だけではない。貸借対照表によると、総資産約5800億円に対して負債は約1051億円しかなく、自己資本比率は82%という超健全経営なのだ。 その分析は別の機会に譲るとして、いま、コロナ禍で、民間病院は経営難にあえぐところが多い。民間病院がコロナ患者を引き受けることは、ひとつ間違えば院内感染を引き起こすことにもなり、たちまち経営は傾く』、「民主党は、1カ月もたたないうちに方向転換して、3病院の公営を維持する方針を打ち出す」、きっと官公労の圧力に屈したのだろう。
・『今こそ公的医療機関としての役割を 今こそ、国が主導して民間に範を示すべき時ではないか。20日の記者会見で、田村厚労相に、コロナ専門の病院をつくるために指示を出すつもりはないかと質すと、次のように答えた。 「働いている方々が、覚悟を持って対応していただかなければならないこともありえます。つねに想定しながら、いろいろなお願いをしている。まったく考えていないわけではありませんが、いろいろな問題点がある中で、つねに検討しているということであります」 まどろっこしい言い方だが、考えていないわけではないと言いたいようだ。 取材に対する厚労省医療経営支援課からの回答。なぜこんなにコロナ病床が少ないのか、公的病院の役割を果たしていると考えるか、なども聞いたが回答はなく、都道府県の要請に応じて提供した結果であると、木で鼻をくくったような中身だった 旧社保庁系病院は、一度は民間などに売却されることが決まり、公共性があるという判断で公的医療機関として生き残った。その後に培ってきた経営体力は、今回のような危機の時にこそ活用されなければならないだろう。それができないのであれば、今度こそ、解体・売却したほうがいい。これだけ立派な黒字病院なのに、公的な役割を果たせなければ、公的な優遇措置を続ける意味がない』、「厚労相」が弱腰なのが理解できない。野党は追求しないのだろうか。
次に、8月24日付けダイヤモンド・オンラインが掲載した立命館大学政策科学部教授の上久保誠人氏による「医師・看護師はもう限界!デルタ株で高まる「自衛隊野戦病院」の必要性」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/280193
・『私は、本連載で以前(連載275回)から、野戦病院を新型コロナ対策の「切り札」として提案してきた。デルタ株が猛威を振るっている今になって、野戦病院が現実的なコロナ対策案として浮上している』、興味深そうだ。
・『各界も「野戦病院」の設置を訴え始めた 尾崎治夫・東京都医師会会長や松本正義・関西経済連合会会長などが、新型コロナウイルス感染症の急拡大への対策として「野戦病院」を設置すべきだと提言している。福井県は、実際に100床の病床を持つ「野戦病院」を体育館に設置した。 ただし、これらは、現状のコロナ病床確保の方法の延長線上のものを想定しており、私が提案してきた自衛隊による「野戦病院」と、大きな違いがある。 現在、コロナ病床の確保は、自治体ごとに、都道府県知事の権限で行われている。「感染症法」が改正されて、都道府県知事らは、病院に対しコロナ患者の入院を受け入れるよう「勧告」できる。 しかし、この方式は限界を露呈している。個別の病院がコロナ患者用に転換できるのは、せいぜい数床ずつだからだ。 例えば、大学病院や大病院のがん、心臓病などの高度な治療・手術を維持する必要性を主張されたら、専門家でない知事らは言い返せない。「精神論」で粘って、病院側が病床を1床、2床と切り売りするように最小限、新型コロナ用に明け渡しているのが現状だ(第273回)。 また、医師会の中心メンバーである開業医は、コロナ患者の受け入れが病院経営を直撃するため引き受けたがらない。コロナ患者に対応するための機材、人材が十分ではないという問題もある(高久玲音『やさしい経済学:コロナが問う医療提供の課題(2)患者受け入れが病院収益に影響』)。 今の体制では、野戦病院を現在の病床確保の方法の延長線上でつくっても、同じ問題に直面することになるのではないだろうか』、病院船などのアイデアには首を傾げざるを得なかったが、「野戦病院」は地に足がついた提案だ。
・『医師や看護師の派遣、現実は厳しい? 日本のメリット・デメリット 尾崎会長はテレビ番組で、野戦病院には今までコロナ治療に関わっていないクリニックや大学病院などの医師や看護師が従事する形を想定するという旨を発言した(参照)。 しかし、その医師・看護師らが、自分の病院・クリニックの患者の治療が大事だと主張したら、説得できないだろう。結局、自治体と病院の交渉が難航し、野戦病院に派遣されるのは、最小限の人数とリソースにとどまってしまうのではないだろうか。 また、以前指摘したのだが、野戦病院への医師・看護師の派遣は、おそらく労災などの補償の問題が生じる懸念がある(第264回・p3)。例えば、スポット勤務した医師が、新型コロナに感染した場合、2週間隔離となる。本来の勤務先に出勤できなくなるので、その間の金銭的な補償の問題が発生するのだ。 このように、自治体が野戦病院を設置しようとしても、実現にはさまざまな問題があると思われる。 実際、野戦病院の設置に否定的な東京都は、その理由として現在確保しているコロナ病床が「各医療機関の努力で出してもらったギリギリの数字」だからという。そして、「都内の病院の役割分担や地域性などを考慮して、医療関係者らと現在の体制を組んできた」と説明し、「今ある医療資源を最大限使うことがまず先決」と主張する(毎日新聞『コロナ病床増やしても…東京都が「野戦病院」をつくらない理由』)。 では、無理やり今の医療体制から絞り出して、「野戦病院」を設置すべきかというと、そうとも言い切れないのではないか。現状の医療体制を無理に崩さないほうがいいという考え方もあり得ると思う。 国民皆保険制度により日常的な医療体制が整備され、基礎疾患を持つ人の症状が管理されていることが、日本の新型コロナの重症者、死亡者が欧米に比べて非常に少ない「ファクターX」の一つかもしれないと私は考えている(第262回・p5)。 例えば、英国と比較してみよう』、。
・『英国はコロナ医療にすぐシフトできたが 日常的な医療体制は日本よりも過酷? 英国では、昨年3月にロックダウンを実行したと同時に10日間程度で、国内の医療体制を新型コロナ用にシフトした。しかし、それはがんを除く不要な手術を延期し、退院可能な患者はすべて自宅療養に切り替えて実施したものだった(ピネガー由紀『日本人が知らない英国「コロナ病棟」のリアル 現地在住看護師が語る医療崩壊を防ぐ仕組み』)。 つまり、英国では、日本の何十倍も新型コロナ感染症の患者を出しながら、医療崩壊を起こさなかったことは事実なのだが、重症化する患者や死亡者が多かったことについて、日常的な基礎疾患の管理ができていないからだと思われると、筆者の知人である臨床医は指摘していた。 実際、私が英国に在住していた時に、ナショナルヘルスサービス(NHS:無料の国営医療サービスシステム)へ友人を連れていったことがある。その時は、3カ所病院をたらいまわしにされ、診察を受けられるまで、9時間かかった。 また、NHSでは、普段は風邪や季節性インフルエンザでは病院での入院はおろか、診察すらしてもらえない。NHSの受付窓口で簡単に診断されて処方箋をもらい、薬局で薬を買って自宅で休むだけだ(第277回・p2)。 つまり、英国の日常的な医療のレベルは日本と比べて高いとはいえない。それが、日本と欧米の新型コロナの重症化率、死亡率の差につながっているのではないか。ゆえに、日本の現状の医療体制を崩してコロナ対応に向けることには、慎重であるべきだと思う。 それでは、野戦病院の設置は非現実的な案と切り捨てるべきか。私はそうは思わない』、「英国では、昨年3月にロックダウンを実行したと同時に10日間程度で、国内の医療体制を新型コロナ用にシフトした」、日本では民間中心の医療体制の問題がいち早くから指摘されながら、手つかずでいるのと、「英国」の素早い対応は好対照だ。
・『合理的に考えて、自衛隊が野戦病院をつくるべき 8月12日の東京都のモニタリング会議は「現状の感染状況が続くだけでも、医療提供体制は維持できなくなる」と警鐘を鳴らしている。新しい発想の対策が必要とされているのは間違いない。 そこで、私が提案してきたのが、自衛隊による大規模野戦病院の設置である(第275回)。 まず重要なことは、「自衛隊」が野戦病院をつくることだ。自衛隊には、医官、看護官がそれぞれ約1000人ずつ在籍している。現在、ワクチンの大規模接種センターに医官約90人、看護官約200人が派遣されている。しかし、その業務は8月25日に終了する。 彼らは、いわゆる一般の病院・クリニック、そして医師会の「外側」に存在している。 医療崩壊を防ぐためには、限られた既存の病院・クリニックのリソースをやりくりするよりも、その「外側」に存在する自衛隊に出動してもらい、その人材、機材を加えるほうが、合理的なのではないだろうか。 その上、自衛隊の医官・看護官が「戦場の医師・看護師」であることも重要だ。「救命救急医療」の専門家であり、新型コロナ治療の研修期間は、一般病院・クリニックの医師・看護師が研修するよりも短期間で済む。「即戦力」となり得る存在なのだ。 さらに、自衛隊による「野戦病院」設置の意義は、「集約のメリット」を出せることにある。それは、エクモ・人工呼吸器などの機材、医師、看護師が病院ごとに配置されるよりも、病床を何百床、何千床の単位で1カ所にまとめることで、比較的少ないリソースで、多くの患者を診ることができることだ。 これは、日本以外の諸外国では当たり前のやり方だ(上昌広『「医師多数・コロナ患者少数」の日本が医療崩壊する酷い理由』)。だが、残念ながら日本の現状の医療体制では実現はほぼ不可能である。 だから、日本で、大規模なコロナ専用病院をつくれるとすれば、それは自衛隊しかない。この連載で提案してきたように、まずは東日本と西日本に1カ所ずつ、大規模野戦病院を設置するのである(第275回)』、「集約のメリット」は確かに大きそうだ。
・『大規模野戦病院の具体案…英国のナイチンゲール病院を踏まえて 場所は、東日本は朝霞駐屯地、西日本は伊丹と宇治の駐屯地とする。病床は、前回の私の提案では重症・中等症用としていたが、現在のニーズに合わせて変更したい。患者の重症化を防ぎ、死亡者を出さないことが最重要であるため、中等症用にそれぞれ2000~4000床ずつ用意する。 これは、英国の野戦病院(ナイチンゲール病院)設置を参考にしている(第282回・p2)。この病院は英国軍の支援で、最大4000床の中等症用病床を持ったロンドン・エクセルセンター国際会議場の病院など、全国各地に短期間で建設された(“In case of emergency: The Army and civil assistance” )。 病院開院後は、英国軍の軍医約600人が派遣されてNHSの医師・看護師と協力した。また、機器のメンテナンス、病院内店舗管理など、幅広い臨床支援活動を行った(Financial Times “Military medics to work in UK hospitals as Covid admissions sore”)』、「英国軍の軍医」と「NHSの医師・看護師」の協力は上手くいったのだろうか。
・『医師・看護師はもう限界!デルタ株で高まる「自衛隊野戦病院」の必要性 自衛隊の大規模野戦病院設置は、軽症者を自宅療養とする政府の新方針の実施にも適している。英国軍を事例にすると、「コロナ航空タスクフォース」を設置し、スコットランド、ウェールズ、北アイルランドなどの地方や、離島から英国本土への患者の緊急搬送などを行ってきた(Covid Support Force: the MOD’s contribution to the coronavirus response)。 日本でも、自宅療養の軽症者の情報を自衛隊に集約しておき、中等症化した際には、ヘリコプター等も使用して地方から大規模野戦病院へ即座に移送できるようにするのだ。 英国は、昨年3月、新型コロナのパンデミックの初期段階で大規模野戦病院を設置し、英国軍の支援体制をとった。結局、野戦病院はほとんど使われることがなかったのだが、先回りして体制を整えていたことが重要だ。 日本では、現行の医療制度の範囲で何ができるかを必死に考えてきたが、医療崩壊の危機に直面し、ひたすら国民の行動制限を求めることしかできなかった。 デルタ株の急拡大に直面し、さらなる新しい変異株の拡大のリスクもある今、現行制度の範囲内の対応では限界がある。新しいシステムを先回りしてつくり、病院にも入れず死を迎えるような悲劇は起きないと、国民が落ち着くことができる体制を築く必要がある』、「英国」で「野戦病院はほとんど使われることがなかったのだが、先回りして体制を整えていたことが重要だ」、同感である。
第三に、8月26日付け現代ビジネスが掲載した京都大学大学院 教授の西浦 博氏による「西浦博教授が考える「ワクチン接種が進む日本」でこれから先に見込まれる“展開” 明るい未来を切り開くために」を紹介しよう。
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/86584?imp=0
・『今後の未来像は 予防接種という行為は、接種者自身はもちろんのこと、それ以外の方の感染機会を減らすことに繋がる。そのため、そのような間接的な防御が人口内で積み重なり、流行自体を防ぐ効果が得られたものを集団免疫効果と呼ぶ。そして、流行排除のための閾値について、従来株の場合、予防接種率が60%超程度ではないかと過去の記事で私も言及してきた。 実際に、イスラエルではロックダウン下で2回目接種が完了した者の割合が40%を超えたところで新規感染者数が減少傾向に転じたことから、国内外含めて予防接種に大きな期待が広がったのである。 残念ながら、上記の見通しは楽観的すぎた。それはどうしてなのか。加えて、現時点までの科学的な知見から今後の未来像をどのように見込んでいるのか。簡単ではあるが、本稿で皆さんと共有したい』、興味深そうだ。
・『変異株出現とワクチン効果が見通しを変えた 既に雑誌『数学セミナー』9月号で簡単な数式いくつかを使って解説したが、2021年8月現在に日本で流行を起こしているデルタ株は以下の2つの特徴を有する。 (1)感染性が高い(再生産数が高い) (2)予防接種の効果が従来株より低い いずれの要素も集団免疫閾値に直接的に影響を与える。特に、前回の記事でお伝えした通り、(1)に関して言えば、ウイルスの感染性を表す指標の「基本再生産数」は、デルタ株では5以上の可能性が高く、それは他の感染症で言えば風疹相当くらい高いものである。 風疹相当という観点で考えれば、同室で向かい合って近距離で食事すると危ない、というどころか、同室を一定時間以上共有することで伝播が成立する可能性が十分ある。 この感染性を持つウイルスに対して、不要不急の外出や移動、イベントの自粛、リモートワークなど、主に「非特異的対策」と言われるものだけで防ごうとしている現在の困難な状況については皆さんご存知の通りである。 加えて、予防接種に関しても(1)と(2)の影響のために、少なくとも現在の希望者の予防接種で得られる集団免疫だけでは、パッタリと伝播が止むような予防を期待できない蓋然性が高いことがこれまでにわかった(ただし、後述するように、もちろん予防接種率が高くなると感染頻度は極端に低くなると期待される)。 また、デルタ株に対する予防接種効果が従来株よりも低いことに関して、そのメカニズムの仮説を含めて少しずつ理解されるようになった。 しかし、今後ずっとデルタ株だけが蔓延するわけではなく、新たな変異株が免疫から逃れる機構を獲得していく可能性は高い。また、発生確率が十分高いかは定かではないが今後も感染性がより高い株が生まれる可能性も残されている。 こういった抗原性や感染性の進化をリアルタイムで捕捉しつつ政策が練られたことは科学的にも過去に経験はなく、未だその速度は十分にわかっていない。ただ、少なくとも予防接種と非特異的対策のそれぞれで、国際協調を行うことは必要だったと強く感じさせられている。世界で流行対策に関する足並みを揃えられなかったことの帰結を肌で感じさせられているのが現状なのかも知れない』、「予防接種と非特異的対策のそれぞれで、国際協調を行うことは必要だった」、その通りだ。
・『免疫の失活が起こる 予防接種だけに頼った政策で集団免疫による流行自体の予防が簡単にはできない事実に加え、ワクチンの効果は接種後の時間とともに失活することもわかってきた。 これは主にイスラエルにおいて今年の早い時期から予防接種をしてきた高齢者が、最近になって新たに感染していることがデータとして集積され始めたことから判明した。具体的な持続期間は未だ明らかにされていないが、観察データを見て分析している限りは2回目接種後6-7カ月で感染している事例が珍しくない。 つまり、ワクチン免疫の持続期間は限られている、というものである。 他方、十分にわかっているのは発病の有無に関するものだけであり、重症化や死亡を防ぐ効果がどれくらいの間持続するのかは十分に明らかでない。今後のデータ蓄積で明らかになる見込みである。 これが意味するのは全2回の接種だけで予防接種が終わるわけではないということである。ウイルスの抗原性進化(新しい変異株の出現)に合わせることになるだろうが、免疫が失活した際には流行までの間にイスラエルや米国・英国が決断したような3回目接種が必要になる*1。 これは再接種による免疫の再活性化を期待するもので、ブースター接種と呼ばれる。ブースターは1回で済むかと言えば、おそらくそうではなく、今後の流行動態を注意深く見極めることが求められる』、「ブースターは1回で済むかと言えば、おそらくそうではなく、今後の流行動態を注意深く見極めることが求められる」、そんなに何回も接種させられるのはかなわない。
・『いま、接種をどうすればいいか いま、集団免疫閾値による流行終息が簡単には達成困難であり、発病そのものから逃れるワクチン免疫も1年以内に失われる可能性がある。そのような中で「じゃあ、もう自身は打たない」と思ってしまう方も出るかもしれない。結論から先に書いた上で背景要因などを解説できればと思うが、私は以下を主張したい。 (1)自身の予防のために接種することをお勧めしたい (2)社会の皆で明るい出口を見つけるためにも接種をお考えいただきたい』、なるほど。
・『ご自身のリスクについて デルタ株に対する効果が従来株よりも少し低いことやワクチン免疫が失活する可能性はあるが、現在までに日本を含むいくつかの先進国で用いられているmRNAワクチンの効果は高く、接種者のデータを見ると、デルタ株でも80%以上の確率で発病を防ぐことが知られている。 このレベルの効果は抗原性が変化し得るウイルスに対して類を見ないくらいに高く、免疫が失われるまでの間、接種者は十分に高い効果で守られていることになる。 自身の健康や近しい人のためを考えると、接種をして守られている状態が形作れると良いであろう。今後、社会活動上でも予防接種済みであることでベネフィットを見出せるアドバンテージもあるかもしれない(未接種者だとできないことが出て来る日がくるかも知れない)』、「デルタ株でも80%以上の確率で発病を防ぐ」、まずまずだ。
・『社会全体でのリスクについて 他者のために、社会のために、自身の予防接種が効いている、という考え方である。たとえ予防接種だけに頼った政策で流行を止められなくても、高い接種率の状態だと制御は人口レベルで飛躍的に容易になる。 結果として予防接種はコロナ後の明るい未来を切り開く起爆剤になり得ることは変わらざる事実である。社会構成員の一人として「接種者である」ことは社会の中でのリスクを低減することに繋がっており、そのことを誇りに思っていただきたい。 ただし、現時点においては、感染しても重症化リスクの低い若年成人を中心に、予防接種の希望者は満足な数とは言えない。 例えば、国際医療福祉大学の和田耕治教授らによる調査では20歳代男性の27%、女性の38.7%が接種について「少し様子をみたい」と述べており、50歳代でも男性の18.0%、女性の17.2%が同様の回答をした。 この数字から想像される希望者の水準は、集団でこのウイルスによる感染を防御するには十分とは言えないレベルであり、国が強い施策で流行を止められない現状においては未接種者の多くが自然感染するという帰結を迎えるリスクが極めて高い。 今後、流行や感染に対するリスクの認識が十分に高くならなければ、相当の割合の国民の接種が達成できず、その希望者内だけにとどまってしまう。そして、とても勿体ないことに日本でワクチンが一時的に余ってしまう事態が起きかねない。 ただ、個別事例によって接種困難な事情は認容することが求められ、接種をしない自由も確保されるべきである。そのため、社会全体を予防接種で守るためには、「できるだけ接種しよう」という特別に強い勧奨を行うことが求められる。 そのためには、特別な工夫も必要だろう。たとえば、予防接種後の社会の仕組みに「接種の有無」を組み込むことによって、感染リスクをより低く抑えていく戦略を練ることはできないだろうか。 一例として会社に出勤することや12歳以上の者が学校へ登校するための要件として予防接種を強く推奨することは実質的に可能と思われるし、何等かのイベント参加の要件にすることも可能かもしれない』、「予防接種後の社会の仕組みに「接種の有無」を組み込むことによって、感染リスクをより低く抑えていく戦略を練ることはできないだろうか」、賛成だ。
・『極端に変わることがない近未来 以上の議論から想像いただけるかもしれないが、本感染症のリスクに対峙し続けてきた私から言えることは、接種完了時のイスラエルなどで一時的に見られていたような「ぱっと夜が明ける」ような未来社会が、日本で希望者の予防接種が完了しただけで来ることはなさそうである、ということである。 マスクを外した暮らしができて、普段会わない方と飲食が楽しめて、元の世界に近い接触が返ってくる、というイメージを抱く方も多いと思う。しかし、そのようにリスク認識が一気に社会全体で変わり得る、というような景色をすぐ先の未来に想像することは困難である。特に、現時点で見込まれる接種希望者がほぼ接種済みになるだろう今年11月後半の日本でそのようなリスク状態になることは、残念ながらほぼ期待できない。 それどころか、その後もしばらくは大規模流行が起こり得る状態が続き、医療が逼迫し得る状況(積極的治療が出来ない方が生じたり、自宅療養者が溢れかえったりするような、これまでの逼迫状況)が起こり得ると考えている。予防接種だけでは実効再生産数の値が1を上回るからだ。 もちろん、予防接種が進むにつれ、高齢者が最初に防がれ、その次に50歳代、その次に40歳代と次第に接種で防がれていく。だから、本格的な流行拡大が起こるまでの間は、重症患者数は過去と比較して明確に増加し難くなる。 しかし、接種を希望しない者の人口サイズは未だに大規模な流行サイズを引き起こすのに十分であり、そうすると高齢者を含むハイリスク者の間で未接種のままであった者を巻き込みつつ社会全体で感染が拡大し得る状態となる。それは、現状の接種希望者の見立て程度であれば、そのような中で大規模流行が起こると季節性インフルエンザ相当では到底及ばない流行規模・被害規模になり得る状態が継続する、ということである。 もちろん、そういった流行は接種率が高ければ高いほど被害規模を極端に小さくできる。また、すぐにマスクを外して接触を許すのではなく、まだしばらくの間はマスク着用を続けて不要不急の接触を避ける行動制限が緩徐に続くことで流行リスクが下がることに繋がるだろう。 その中で医療従事者や高齢者のようなハイリスク者のブースター接種が十分に行われるのはもちろんのこと、人口内で免疫を持つ者がほとんどの状況に達することができれば、 医療が崩壊するような流行も次第に回避可能となっていく。 ただし、おそらく年単位の時間をかけてそれが起こっていくのだ。 そこに至るまでの道のりにおいても、できるだけ医療逼迫の程度がひどすぎるような状況を回避しながら進み、直接的・間接的に生じる被害者が少なく済む状況を保っていく。繰り返すが、その間、日常生活でマスクは着用しつつ、ソーシャルディスタンスは確保しながらだが、少しずつ、少しずつ、私たちの文化的な社会活動を元の活力あるものに戻していく』、「おそらく年単位の時間をかけてそれが起こっていくのだ」、想像以上に長い時間がかかりそうだ。
・『未来を切り開くために 私は、そういった流行対策を続けていけば、数年から(長くて)5年くらいの時間をかけて次第に未来が切り開かれていくものと見込んでいる。どこかで頓挫して流行が大きくなるリスクもあるかもしれない。どこかで新しい展開が生じるかもしれない。それでも、大枠は変わらないものと考えている。 その中で、ずっと「パンデミック」の状態が持続するわけではない。この感染症の流行で問題であったのは(1)感染者が出すぎると医療が逼迫してしまうこと(救える命が救えないこと)、(2)他の疾病と比較すると死亡リスクが十分に高いこと、であった。 予防接種と自然感染が進んで、一定の対策下であれば(1)の医療逼迫が起こらない状態、になり、また、ハイリスク者が十分に免疫を保持し続けるか周囲に防御されることによって(2)の死亡リスクが他の疾病と変わらない、ということになれば、パンデミックは移行期(transition phase)へと進むことになる。そうなれば世界保健機関もパンデミックが終了したことをアナウンスするはずである。 ただし、このウイルスがヒト集団から消え去ることはしばらくなさそうである。そのため、少なくとも医療従事者や高齢者を中心とした接種は続いていくのだろう。また、一部の進化生物学者は既に本感染症は数年から5年程度のタイムスパンで、子どもの病気へと変わっていくものと予測している。 このように流行対策のハードルと流行の社会的重大度を少しずつ下げていくことを「テーパリング」と呼ぶことができるだろう。日本語では「先細り」と訳されるが、医療業界では、一部の病気の患者さんの投薬量を時間をかけて少なくしていく際にこの用語が用いられている。そのテーパリングを人口レベルでどのように形作るのか、という命題は、コロナ後の明るい未来をどのように作っていくのか、というものでもある。 ご覧になっていただければわかる通り、その明るい未来は私たち社会構成員が参加しつつ切り開くものである。というのも、予防接種率が高い社会ではテーパリングをより近い未来にすることができるのである。心理学や経済学の専門的知見を動員して接種が特別に強く勧奨される仕組みを必死に考えていくべきだろう。政治が責任を持ってパンデミックのリスクと向かい合えない状態が続くのなら、皆さんと専門家で一緒にこのリスクに対峙して未来を明るく照らしていきたいと思うのだ。 *1 本稿でのブースター接種に関連し、西浦が開示すべき利益相反関係として、西浦はサノフィ社のCOVID-19ワクチンのアドバイザリーボードでブースターワクチンに関する専門家助言を行ったことがあることを申し添える』、「テーパリング」は米国の金融政策が超緩和から出口に向けて変化する意味でも使われるが、ここでまで使われているとは、驚いた。
第四に、8月25日付け現代ビジネスが掲載した経済評論家の加谷 珪一氏による「日本が現時点で「ワクチンパスポート」を導入することが、あまりに「不合理」と言えるワケ」を紹介しよう。
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/86578?imp=0
・『筆者は公共性が高い事業において、従業員に接種を推奨する行為そのものに反対するわけではないが、物事には順序と段階、というものがあり、それを無視すれば、圧倒的に弊害の方が大きくなってしまう。そして、今のタイミングでのパスポート導入はその典型といってよいだろう(従業員への接種推奨や名札装着とワクチンパスポートは厳密には異なるが、ここではとりあえずパスポートとして議論する)。 現時点でワクチンパスポートを導入することの最大の問題点は、政府が十分にワクチンを確保できておらず、打ちたくても打てない人が多数存在しているという現実が無視されていることである』、私は単純に「ワクチンパスポート」に賛成していたが、考え直す必要がありそうだ。
・『肝心の現役世代の接種率は公表されない 政府は、毎日のようにワクチン接種が順調に進んでいるという発表を行っているが、政府が提示するのは高齢者の接種率と全体の接種率ばかりである。 目下、最大の懸案事項となっているのは、仕事で毎日、外出している現役世代に感染拡大が見られることであり、現役世代の接種率が感染抑制のカギを握るが、政府は直接、この数字を出さない。各種の数値から計算しないと現役世代の接種率は分からないので、当然、この数字が報道される頻度は少なくなる。 少し話がそれるが、行政当局が意図的に不十分な情報を公表し、自らの都合のよい世論を形成するというのは、日本では常套手段であり、国民はこうしたカラクリがあることを前提に情報に接しなければならない。だが多くの国民は政府の発表をそのまま受け取るので、誤った解釈が行き渡ることがザラにある。一部のネット民は特にその傾向が強く、メディアがその数字に疑義を呈すると、フェイクニュースだといって大騒ぎする始末である。 報道する側からすれば、政府が出した数字では実態が分からず、再計算する必要があると、そこでミスが発生するリスクが生じるし、確認作業にも多くの手間がかかる。もし間違った情報を出せばそれこそ鬼の首を取ったように騒がれるので、政府が出した情報をそのまま書いた方が無難と考える記者ばかりになっても不思議ではない。 結果として政府が望む情報しか出回らないことになるのだが、こうした事態に対して、「それをチェックして批判するのがメディアの仕事だろ」と安全地帯から声高に批判したところで問題が解決するわけではない。 話を元に戻すと、8月19日時点においてワクチンを2回接種した人は39.7%だが、その多くは65歳以上の高齢者である。ニュースでは全体の接種率や高齢者の接種率の数字ばかりが出てくるが、多くの現役世代が気にしているのは、当該年齢層の接種率だろう』、「行政当局が意図的に不十分な情報を公表し、自らの都合のよい世論を形成する」、困ったことだ。
・『非論理的な思考が招く致命的な事態 65歳未満で2回の接種を終えた人はわずか22.1%であり、医療従事者を含めても28.7%にしかなっていない。1回目を終えた人も36.8%なので、現役世代はまだ多くの人が1回目の接種すら終わっていない状況にある。この数字には職域接種が含まれているが、職域接種は大企業が圧倒的に有利であり、零細企業や自営業者の場合、職域接種を受けることは極めて難しい。 だが全員に公平であるはずの自治体の集団接種は多くが9月まで満杯という状況であり、現時点では予約すら入れられないところも多い。NHKの調査(8月5日)でも、東京23区における若年層の2回接種率は極めて低いとの結果が出ている(20代では3%以下というところが少なくない)。) 会社が責任を持って職域接種を行うのであれば話は別だが、自治体でのワクチン接種を求められても、出来ないというのが現実であり、そうした状況で強引に接種を推奨すれば、差別などの問題を引き起こす可能性が高くなる(ワタミは職域接種を申し出たもののワクチン不足から受理されなかったという報道もある)。 日本人は論理的に物事を考えることが不得意であると指摘されてきたが、非常事態においてこうした非論理的な思考は致命的な事態を招く危険性がある。 今のところ、ワクチンをできるだけ多くの人に接種すること以外、感染を根本的に抑制する方法は存在しない。したがって、ワクチン接種をどれだけ拡大できるのかは、すべてに優先する事項である。 ところが日本では、多くの人が1回目のワクチンすら打てない状態であるにもかかわらず、担当大臣が3回目の接種の目処に言及したり、自治体のトップが若年層の接種が進んでいないことを問題視する発言を行うなど、的外れな議論ばかりしている状況だ』、「多くの人が1回目のワクチンすら打てない状態であるにもかかわらず、担当大臣が3回目の接種の目処に言及したり、自治体のトップが若年層の接種が進んでいないことを問題視する発言を行うなど、的外れな議論ばかりしている」、マスコミがそれを問題視しないのも問題だ。
・『リスクを理解した上での議論なのか? 一部の論者は、欧米ではコロナとの共存を前提に、経済を回すフェーズに入っており、日本もそれを見習って、方針を変えるべきだという主張を行っているが、欧米と日本とでは置かれている状況がまるで異なる。欧米各国は希望者に対するワクチン接種はほぼ全て終えており、3回目の接種も始まっている。やれることはすべてやったので、後は覚悟を持って進み、経済を回していこうという趣旨である。 だが日本は、ワクチン接種という最低限のことが出来ておらず、検査態勢が脆弱であることから、十分な検査もできなくなっており、正確な感染者数の把握すら難しくなっている。 また平時から医療従事者が担当しなければならない患者数が欧米各国の3倍に達するなど、そもそも医療体制が貧弱であり、少し負荷が増えただけで簡単に医療崩壊を起こしてしまう(医療体制の拡充には時間がかかるが、政府は1年間の時間的猶予があったにもかかわらず、この作業を怠ってきた。今すぐに体制を拡充できるわけではないと考えた方がよいだろう)。 筆者は経済を専門分野にしているので、心の底から早く経済を回すフェーズに戻って欲しいと思っている。だが、ワクチン接種が進んでおらず、医療が逼迫した中でそれを行えば、演繹的に得られる結論として感染者は放置せざるを得ない。 コロナに感染した妊婦が自宅で早産に追い込まれて新生児が死亡したり、家族全員が感染して母親が自宅で死亡するなど言葉にならない事例が発生しているほか、一部の医療専門家は、コロナ感染者に無精子症など深刻な後遺症が発生していると指摘している。 ワクチン接種が不十分な中で経済優先に舵を切った場合、こうした事例が多発する可能性があることを理解した上での議論なら問題ないのだが、本当にそうだろうか』、旅行業を救うための「GoTo」キャンペーンが「感染」を酷くしたのも記憶に新しいところだ。
・『日本社会特有の「なかった事にしてしまう」症候群 日本人は演繹的に物事を考える際、都合が悪くなると、演繹の前段階における命題を「なかったことにしてしまう」傾向が顕著である。AならばB、BならばCという具合に論理を構成する際、都合が悪くなるとAが存在しなかったことにしてしまうのだ。 例えば今回のケースでいえば、「ワクチン接種以外に根本的な解決方法はない」という命題があったとしよう。この命題が存在するからこそ、「ワクチンパスポートを導入すればより経済を回しやすくなる」あるいは「3回目の接種を行えば変異株についてもある程度の抑制効果が期待できる」といった新しい命題が得られる。 この演繹プロセスにおいてワクチン接種が唯一の解決策であるという命題はすべてのスタート地点であり、もしワクチン接種が進んでいなければ前提条件が変わってしまうので当該演繹を進めることはできない。だがワクチンパスポートで経済を回す話が海外からやってくると、これにすがってしまい、ワクチン接種が進んでいないという現実を無視してパスポート導入を議論したり、3回目接種の是非ばかりに焦点が集まってしまう。 最近では、「変異株が猛威を振るっているので、ワクチン接種には意味がない」という論理まで登場している。変異株が恐ろしいウイルスならば、ワクチンを接種していなければさらに被害は拡大するはずであり、ますますワクチンが必要というのが正しい演繹だが、一部の人には真逆の論理的帰結になってしまうようである。これも演繹の前段階を無意識的に無視した思考の典型といってよいだろう。 人間は不安になると、無意識的に認知バイアスを生じさせる動物だが、最終的には理性を優先させなければ命は守れない。「現時点ではワクチン接種が唯一の解決策である」という命題は、その事実が変化しない限り、動かしてはならない』、「「現時点ではワクチン接種が唯一の解決策である」という命題は、その事実が変化しない限り、動かしてはならない」、同感である。
先ずは、8月24日付け東洋経済オンラインが掲載した朝日新聞記者の松浦 新氏による「「コロナ病床5%」旧国立・社保庁197病院への疑問 法律あっても病床確保は厚労相のお願いベース」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/450095
・『国立病院機構(NHO)と地域医療機能推進機構(JCHO)をご存じだろうか。いずれも厚生労働省が所管する独立行政法人であり、旧国立病院など公的医療機関を傘下に置く。そのネットワークは国立病院機構が全国140病院で計約3万8000床、地域医療機能推進機構は全国57病院で同約1万4000床を有している。 医療に詳しい人でなければ、JCHOの存在を認識していないかもしれない。ただ、JCHOの理事長が政府対策分科会の尾身茂会長と聞けば、公的医療機関の中でも重要な位置にあると想像がつくだろう。 新型コロナウイルスの爆発的な感染拡大によって、入院できずに自宅で亡くなる患者が相次ぎ、千葉県柏市では新生児が亡くなる悲劇も起きた。日本は災害同然の事態に見舞われている』、「政府対策分科会の尾身茂会長」が「理事長」をしているとは権威ある機関のようだ。
・『NHOとJCHOのコロナ病床は約5% その中において、国立病院機構と地域医療機能推進機構はどれほどコロナ患者を受け入れているのだろうか。筆者が入手した資料によると、7月末時点で、国立病院機構の全国140病院の計約3万8000床のうち、コロナ病床は1854床(4.8%)、地域医療機能推進機構は全国57病院の同1万4000床のうち、816床(5.7%)。合わせてざっと5%程度にすぎない』、文字通り厚労省直轄の病院の割には、「コロナ病床」が「5%程度」とはどう考えても少ない。
・『国立病院機構とJCHOのコロナ病床の提供状況についてまとめた厚労省の内部文書 2機構には、それぞれよって立つ法律もある。国立病院機構法と地域医療機能推進機構法は、それぞれの21条に、「公衆衛生上重大な危害が生じ、若しくは生じるおそれがある緊急の事態に対処するため必要があると認めるときは、(厚労相が)機構に対し、必要な業務の実施を求めることができる」といった規定がある。 いま、まさに「公衆衛生上重大な危害」は目の前で進んでいる。東京都では、コロナ陽性と診断されて療養している患者約4万5000人(8月20日現在)のうち、入院できているのはわずか8.7%の3845人だ。1カ月前はこれが25.2%だった。4人に1人が入院できたのに、1カ月で10人に1人も入院できなくなった。入院やホテルなどでの療養を調整中の人は、1カ月前の1671人から、1万2000人余りに急増した。 コロナはいつ急変するかわからない。こうしている間にも、酸素吸入が必要でも入院先がみつからないコロナ難民が救急車でたらい回しにあっている。 この東京で、国立病院機構は3病院の計1541床のうち128床しかコロナ病床に提供できていない。地域医療機能推進機構も5病院の計1455床のうち158床だ。実際の入院患者は8月6日時点で計195人と、同日に都内で入院していた患者3383人の5.8%にとどまった。災害同然の危機的な状況なのに国が関与する医療機関の対応として妥当なのかと疑問に思う。 なぜ、厚生労働相は両機構に緊急の指示を出さないのか。 8月20日、記者会見でこの点を田村憲久厚労相に聞くと、次のように答えた。 「法律にのっとってというより、いまもお願いはしておりまして、病床は確保いただいております。無理やり何百床空けろと言っても、そこには患者も入っているので、転院をどうするという問題もあるので、言うには言えますが、実態はできないことを言っても仕方がない。極力迷惑をかけない中で最大限の病床を確保してまいりたい」』、「厚労相」の弁明は全く理解不能だ。
・『病床確保に強制力を持たせる法整備の議論が進む中で 要するに、あくまでもお願いベースなのだ。いま、民間病院を想定して、病床確保のために強制力を持たせる法整備をするべきだとの議論もある。すでに今年2月の感染症法改正によって、厚労相や都道府県知事が医療機関などに対して医療提供を勧告できるようになった。罰則はないが、正当な理由がなく従わない場合は施設名などを公表できる。 一方、両機構の法は、機構は「求めがあったときは、正当な理由がない限り、その求めに応じなければならない」とも定めている。にもかかわらず、「お願い」しかできないのが実情なのだ。要するに、「法整備」は立法する官僚と政治家の自己満足にすぎず、実効性はないと言っているのと同じではないか。 コロナ以外の病気やケガのために病床を確保しなければならないという大義名分はあるだろう。ただし、それは民間病院も同じことである。なぜ、未曾有の事態においても国は両機構に対して手をこまぬいているのか。そこには、「消えた年金問題」で政権交代の震源となり、売却寸前だったのに公的病院として残った「ゾンビ」のような大病院があった。 知り合いの厚労省官僚がこんなことを教えてくれた。 地域医療機能推進機構は、厚労省の外局だった旧社会保険庁が国民から保険料を集めてできた病院の寄せ集めだった。前身の「旧社会保険病院」は中小企業などが加入する「旧政府管掌健康保険(現・協会けんぽ)」の積立金から、「旧厚生年金病院」は厚生年金積立金から、「旧船員病院」は、年金部門が厚生年金に統合された「旧船員保険」の積立金でつくられた経緯がある。 こうした公的保険制度は、日本が高齢化する前の戦前から戦中にかけてできたため、多額の積立金を保有していた時期がある。 そのひとつの厚生年金積立金については『厚生年金保険制度回顧録』で、制度ができた当初の旧厚生省年金課長が積立金について次のような証言をしている。 「年金を払うのは先のことだから、今のうち、どんどん使ってしまっても構わない。使ってしまったら先行困るのではないかという声もあったけれども、そんなことは問題ではない。20年先まで大事に持っていても貨幣価値が下がってしまう。だからどんどん運用して活用したほうがいい。せっせと使ってしまえ」』、年金官僚の野放図な無駄遣いにはいまでも腹が立つ。
・『国民の年金積立金を湯水のように垂れ流した こうしてできた施設のひとつが厚生年金病院だ。ほかにも、「年金福祉事業団」という旧厚生省の天下り先があり、リゾート施設などに採算度外視の投資をして、国民の年金積立金を湯水のように垂れ流した。まさに、元年金課長が予言したとおりのことが起きた。 こうした批判に当時の自公政権は、旧社保庁を解体し、厚生年金病院や社会保険病院などを含めた旧社保庁関連施設の民間売却も決めた。ところが、年金記録問題から社保庁解体のきっかけを作り、2009年8月に政権の座についた民主党は、1カ月もたたないうちに方向転換して、3病院の公営を維持する方針を打ち出す。 当時は、赤字の病院が多いなどの理由で引き受け手がみつかりにくいとして、このままでは地域の中核医療拠点がなくなりかねないとされた。結局、3病院は2014年に統合され、地域医療機能推進機構が生まれた。 ところが地域医療機能推進機構は赤字どころか、優良病院そのものだ。2020年度決算によると、201億円もの黒字になっている。好業績は昨年度だけではない。貸借対照表によると、総資産約5800億円に対して負債は約1051億円しかなく、自己資本比率は82%という超健全経営なのだ。 その分析は別の機会に譲るとして、いま、コロナ禍で、民間病院は経営難にあえぐところが多い。民間病院がコロナ患者を引き受けることは、ひとつ間違えば院内感染を引き起こすことにもなり、たちまち経営は傾く』、「民主党は、1カ月もたたないうちに方向転換して、3病院の公営を維持する方針を打ち出す」、きっと官公労の圧力に屈したのだろう。
・『今こそ公的医療機関としての役割を 今こそ、国が主導して民間に範を示すべき時ではないか。20日の記者会見で、田村厚労相に、コロナ専門の病院をつくるために指示を出すつもりはないかと質すと、次のように答えた。 「働いている方々が、覚悟を持って対応していただかなければならないこともありえます。つねに想定しながら、いろいろなお願いをしている。まったく考えていないわけではありませんが、いろいろな問題点がある中で、つねに検討しているということであります」 まどろっこしい言い方だが、考えていないわけではないと言いたいようだ。 取材に対する厚労省医療経営支援課からの回答。なぜこんなにコロナ病床が少ないのか、公的病院の役割を果たしていると考えるか、なども聞いたが回答はなく、都道府県の要請に応じて提供した結果であると、木で鼻をくくったような中身だった 旧社保庁系病院は、一度は民間などに売却されることが決まり、公共性があるという判断で公的医療機関として生き残った。その後に培ってきた経営体力は、今回のような危機の時にこそ活用されなければならないだろう。それができないのであれば、今度こそ、解体・売却したほうがいい。これだけ立派な黒字病院なのに、公的な役割を果たせなければ、公的な優遇措置を続ける意味がない』、「厚労相」が弱腰なのが理解できない。野党は追求しないのだろうか。
次に、8月24日付けダイヤモンド・オンラインが掲載した立命館大学政策科学部教授の上久保誠人氏による「医師・看護師はもう限界!デルタ株で高まる「自衛隊野戦病院」の必要性」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/280193
・『私は、本連載で以前(連載275回)から、野戦病院を新型コロナ対策の「切り札」として提案してきた。デルタ株が猛威を振るっている今になって、野戦病院が現実的なコロナ対策案として浮上している』、興味深そうだ。
・『各界も「野戦病院」の設置を訴え始めた 尾崎治夫・東京都医師会会長や松本正義・関西経済連合会会長などが、新型コロナウイルス感染症の急拡大への対策として「野戦病院」を設置すべきだと提言している。福井県は、実際に100床の病床を持つ「野戦病院」を体育館に設置した。 ただし、これらは、現状のコロナ病床確保の方法の延長線上のものを想定しており、私が提案してきた自衛隊による「野戦病院」と、大きな違いがある。 現在、コロナ病床の確保は、自治体ごとに、都道府県知事の権限で行われている。「感染症法」が改正されて、都道府県知事らは、病院に対しコロナ患者の入院を受け入れるよう「勧告」できる。 しかし、この方式は限界を露呈している。個別の病院がコロナ患者用に転換できるのは、せいぜい数床ずつだからだ。 例えば、大学病院や大病院のがん、心臓病などの高度な治療・手術を維持する必要性を主張されたら、専門家でない知事らは言い返せない。「精神論」で粘って、病院側が病床を1床、2床と切り売りするように最小限、新型コロナ用に明け渡しているのが現状だ(第273回)。 また、医師会の中心メンバーである開業医は、コロナ患者の受け入れが病院経営を直撃するため引き受けたがらない。コロナ患者に対応するための機材、人材が十分ではないという問題もある(高久玲音『やさしい経済学:コロナが問う医療提供の課題(2)患者受け入れが病院収益に影響』)。 今の体制では、野戦病院を現在の病床確保の方法の延長線上でつくっても、同じ問題に直面することになるのではないだろうか』、病院船などのアイデアには首を傾げざるを得なかったが、「野戦病院」は地に足がついた提案だ。
・『医師や看護師の派遣、現実は厳しい? 日本のメリット・デメリット 尾崎会長はテレビ番組で、野戦病院には今までコロナ治療に関わっていないクリニックや大学病院などの医師や看護師が従事する形を想定するという旨を発言した(参照)。 しかし、その医師・看護師らが、自分の病院・クリニックの患者の治療が大事だと主張したら、説得できないだろう。結局、自治体と病院の交渉が難航し、野戦病院に派遣されるのは、最小限の人数とリソースにとどまってしまうのではないだろうか。 また、以前指摘したのだが、野戦病院への医師・看護師の派遣は、おそらく労災などの補償の問題が生じる懸念がある(第264回・p3)。例えば、スポット勤務した医師が、新型コロナに感染した場合、2週間隔離となる。本来の勤務先に出勤できなくなるので、その間の金銭的な補償の問題が発生するのだ。 このように、自治体が野戦病院を設置しようとしても、実現にはさまざまな問題があると思われる。 実際、野戦病院の設置に否定的な東京都は、その理由として現在確保しているコロナ病床が「各医療機関の努力で出してもらったギリギリの数字」だからという。そして、「都内の病院の役割分担や地域性などを考慮して、医療関係者らと現在の体制を組んできた」と説明し、「今ある医療資源を最大限使うことがまず先決」と主張する(毎日新聞『コロナ病床増やしても…東京都が「野戦病院」をつくらない理由』)。 では、無理やり今の医療体制から絞り出して、「野戦病院」を設置すべきかというと、そうとも言い切れないのではないか。現状の医療体制を無理に崩さないほうがいいという考え方もあり得ると思う。 国民皆保険制度により日常的な医療体制が整備され、基礎疾患を持つ人の症状が管理されていることが、日本の新型コロナの重症者、死亡者が欧米に比べて非常に少ない「ファクターX」の一つかもしれないと私は考えている(第262回・p5)。 例えば、英国と比較してみよう』、。
・『英国はコロナ医療にすぐシフトできたが 日常的な医療体制は日本よりも過酷? 英国では、昨年3月にロックダウンを実行したと同時に10日間程度で、国内の医療体制を新型コロナ用にシフトした。しかし、それはがんを除く不要な手術を延期し、退院可能な患者はすべて自宅療養に切り替えて実施したものだった(ピネガー由紀『日本人が知らない英国「コロナ病棟」のリアル 現地在住看護師が語る医療崩壊を防ぐ仕組み』)。 つまり、英国では、日本の何十倍も新型コロナ感染症の患者を出しながら、医療崩壊を起こさなかったことは事実なのだが、重症化する患者や死亡者が多かったことについて、日常的な基礎疾患の管理ができていないからだと思われると、筆者の知人である臨床医は指摘していた。 実際、私が英国に在住していた時に、ナショナルヘルスサービス(NHS:無料の国営医療サービスシステム)へ友人を連れていったことがある。その時は、3カ所病院をたらいまわしにされ、診察を受けられるまで、9時間かかった。 また、NHSでは、普段は風邪や季節性インフルエンザでは病院での入院はおろか、診察すらしてもらえない。NHSの受付窓口で簡単に診断されて処方箋をもらい、薬局で薬を買って自宅で休むだけだ(第277回・p2)。 つまり、英国の日常的な医療のレベルは日本と比べて高いとはいえない。それが、日本と欧米の新型コロナの重症化率、死亡率の差につながっているのではないか。ゆえに、日本の現状の医療体制を崩してコロナ対応に向けることには、慎重であるべきだと思う。 それでは、野戦病院の設置は非現実的な案と切り捨てるべきか。私はそうは思わない』、「英国では、昨年3月にロックダウンを実行したと同時に10日間程度で、国内の医療体制を新型コロナ用にシフトした」、日本では民間中心の医療体制の問題がいち早くから指摘されながら、手つかずでいるのと、「英国」の素早い対応は好対照だ。
・『合理的に考えて、自衛隊が野戦病院をつくるべき 8月12日の東京都のモニタリング会議は「現状の感染状況が続くだけでも、医療提供体制は維持できなくなる」と警鐘を鳴らしている。新しい発想の対策が必要とされているのは間違いない。 そこで、私が提案してきたのが、自衛隊による大規模野戦病院の設置である(第275回)。 まず重要なことは、「自衛隊」が野戦病院をつくることだ。自衛隊には、医官、看護官がそれぞれ約1000人ずつ在籍している。現在、ワクチンの大規模接種センターに医官約90人、看護官約200人が派遣されている。しかし、その業務は8月25日に終了する。 彼らは、いわゆる一般の病院・クリニック、そして医師会の「外側」に存在している。 医療崩壊を防ぐためには、限られた既存の病院・クリニックのリソースをやりくりするよりも、その「外側」に存在する自衛隊に出動してもらい、その人材、機材を加えるほうが、合理的なのではないだろうか。 その上、自衛隊の医官・看護官が「戦場の医師・看護師」であることも重要だ。「救命救急医療」の専門家であり、新型コロナ治療の研修期間は、一般病院・クリニックの医師・看護師が研修するよりも短期間で済む。「即戦力」となり得る存在なのだ。 さらに、自衛隊による「野戦病院」設置の意義は、「集約のメリット」を出せることにある。それは、エクモ・人工呼吸器などの機材、医師、看護師が病院ごとに配置されるよりも、病床を何百床、何千床の単位で1カ所にまとめることで、比較的少ないリソースで、多くの患者を診ることができることだ。 これは、日本以外の諸外国では当たり前のやり方だ(上昌広『「医師多数・コロナ患者少数」の日本が医療崩壊する酷い理由』)。だが、残念ながら日本の現状の医療体制では実現はほぼ不可能である。 だから、日本で、大規模なコロナ専用病院をつくれるとすれば、それは自衛隊しかない。この連載で提案してきたように、まずは東日本と西日本に1カ所ずつ、大規模野戦病院を設置するのである(第275回)』、「集約のメリット」は確かに大きそうだ。
・『大規模野戦病院の具体案…英国のナイチンゲール病院を踏まえて 場所は、東日本は朝霞駐屯地、西日本は伊丹と宇治の駐屯地とする。病床は、前回の私の提案では重症・中等症用としていたが、現在のニーズに合わせて変更したい。患者の重症化を防ぎ、死亡者を出さないことが最重要であるため、中等症用にそれぞれ2000~4000床ずつ用意する。 これは、英国の野戦病院(ナイチンゲール病院)設置を参考にしている(第282回・p2)。この病院は英国軍の支援で、最大4000床の中等症用病床を持ったロンドン・エクセルセンター国際会議場の病院など、全国各地に短期間で建設された(“In case of emergency: The Army and civil assistance” )。 病院開院後は、英国軍の軍医約600人が派遣されてNHSの医師・看護師と協力した。また、機器のメンテナンス、病院内店舗管理など、幅広い臨床支援活動を行った(Financial Times “Military medics to work in UK hospitals as Covid admissions sore”)』、「英国軍の軍医」と「NHSの医師・看護師」の協力は上手くいったのだろうか。
・『医師・看護師はもう限界!デルタ株で高まる「自衛隊野戦病院」の必要性 自衛隊の大規模野戦病院設置は、軽症者を自宅療養とする政府の新方針の実施にも適している。英国軍を事例にすると、「コロナ航空タスクフォース」を設置し、スコットランド、ウェールズ、北アイルランドなどの地方や、離島から英国本土への患者の緊急搬送などを行ってきた(Covid Support Force: the MOD’s contribution to the coronavirus response)。 日本でも、自宅療養の軽症者の情報を自衛隊に集約しておき、中等症化した際には、ヘリコプター等も使用して地方から大規模野戦病院へ即座に移送できるようにするのだ。 英国は、昨年3月、新型コロナのパンデミックの初期段階で大規模野戦病院を設置し、英国軍の支援体制をとった。結局、野戦病院はほとんど使われることがなかったのだが、先回りして体制を整えていたことが重要だ。 日本では、現行の医療制度の範囲で何ができるかを必死に考えてきたが、医療崩壊の危機に直面し、ひたすら国民の行動制限を求めることしかできなかった。 デルタ株の急拡大に直面し、さらなる新しい変異株の拡大のリスクもある今、現行制度の範囲内の対応では限界がある。新しいシステムを先回りしてつくり、病院にも入れず死を迎えるような悲劇は起きないと、国民が落ち着くことができる体制を築く必要がある』、「英国」で「野戦病院はほとんど使われることがなかったのだが、先回りして体制を整えていたことが重要だ」、同感である。
第三に、8月26日付け現代ビジネスが掲載した京都大学大学院 教授の西浦 博氏による「西浦博教授が考える「ワクチン接種が進む日本」でこれから先に見込まれる“展開” 明るい未来を切り開くために」を紹介しよう。
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/86584?imp=0
・『今後の未来像は 予防接種という行為は、接種者自身はもちろんのこと、それ以外の方の感染機会を減らすことに繋がる。そのため、そのような間接的な防御が人口内で積み重なり、流行自体を防ぐ効果が得られたものを集団免疫効果と呼ぶ。そして、流行排除のための閾値について、従来株の場合、予防接種率が60%超程度ではないかと過去の記事で私も言及してきた。 実際に、イスラエルではロックダウン下で2回目接種が完了した者の割合が40%を超えたところで新規感染者数が減少傾向に転じたことから、国内外含めて予防接種に大きな期待が広がったのである。 残念ながら、上記の見通しは楽観的すぎた。それはどうしてなのか。加えて、現時点までの科学的な知見から今後の未来像をどのように見込んでいるのか。簡単ではあるが、本稿で皆さんと共有したい』、興味深そうだ。
・『変異株出現とワクチン効果が見通しを変えた 既に雑誌『数学セミナー』9月号で簡単な数式いくつかを使って解説したが、2021年8月現在に日本で流行を起こしているデルタ株は以下の2つの特徴を有する。 (1)感染性が高い(再生産数が高い) (2)予防接種の効果が従来株より低い いずれの要素も集団免疫閾値に直接的に影響を与える。特に、前回の記事でお伝えした通り、(1)に関して言えば、ウイルスの感染性を表す指標の「基本再生産数」は、デルタ株では5以上の可能性が高く、それは他の感染症で言えば風疹相当くらい高いものである。 風疹相当という観点で考えれば、同室で向かい合って近距離で食事すると危ない、というどころか、同室を一定時間以上共有することで伝播が成立する可能性が十分ある。 この感染性を持つウイルスに対して、不要不急の外出や移動、イベントの自粛、リモートワークなど、主に「非特異的対策」と言われるものだけで防ごうとしている現在の困難な状況については皆さんご存知の通りである。 加えて、予防接種に関しても(1)と(2)の影響のために、少なくとも現在の希望者の予防接種で得られる集団免疫だけでは、パッタリと伝播が止むような予防を期待できない蓋然性が高いことがこれまでにわかった(ただし、後述するように、もちろん予防接種率が高くなると感染頻度は極端に低くなると期待される)。 また、デルタ株に対する予防接種効果が従来株よりも低いことに関して、そのメカニズムの仮説を含めて少しずつ理解されるようになった。 しかし、今後ずっとデルタ株だけが蔓延するわけではなく、新たな変異株が免疫から逃れる機構を獲得していく可能性は高い。また、発生確率が十分高いかは定かではないが今後も感染性がより高い株が生まれる可能性も残されている。 こういった抗原性や感染性の進化をリアルタイムで捕捉しつつ政策が練られたことは科学的にも過去に経験はなく、未だその速度は十分にわかっていない。ただ、少なくとも予防接種と非特異的対策のそれぞれで、国際協調を行うことは必要だったと強く感じさせられている。世界で流行対策に関する足並みを揃えられなかったことの帰結を肌で感じさせられているのが現状なのかも知れない』、「予防接種と非特異的対策のそれぞれで、国際協調を行うことは必要だった」、その通りだ。
・『免疫の失活が起こる 予防接種だけに頼った政策で集団免疫による流行自体の予防が簡単にはできない事実に加え、ワクチンの効果は接種後の時間とともに失活することもわかってきた。 これは主にイスラエルにおいて今年の早い時期から予防接種をしてきた高齢者が、最近になって新たに感染していることがデータとして集積され始めたことから判明した。具体的な持続期間は未だ明らかにされていないが、観察データを見て分析している限りは2回目接種後6-7カ月で感染している事例が珍しくない。 つまり、ワクチン免疫の持続期間は限られている、というものである。 他方、十分にわかっているのは発病の有無に関するものだけであり、重症化や死亡を防ぐ効果がどれくらいの間持続するのかは十分に明らかでない。今後のデータ蓄積で明らかになる見込みである。 これが意味するのは全2回の接種だけで予防接種が終わるわけではないということである。ウイルスの抗原性進化(新しい変異株の出現)に合わせることになるだろうが、免疫が失活した際には流行までの間にイスラエルや米国・英国が決断したような3回目接種が必要になる*1。 これは再接種による免疫の再活性化を期待するもので、ブースター接種と呼ばれる。ブースターは1回で済むかと言えば、おそらくそうではなく、今後の流行動態を注意深く見極めることが求められる』、「ブースターは1回で済むかと言えば、おそらくそうではなく、今後の流行動態を注意深く見極めることが求められる」、そんなに何回も接種させられるのはかなわない。
・『いま、接種をどうすればいいか いま、集団免疫閾値による流行終息が簡単には達成困難であり、発病そのものから逃れるワクチン免疫も1年以内に失われる可能性がある。そのような中で「じゃあ、もう自身は打たない」と思ってしまう方も出るかもしれない。結論から先に書いた上で背景要因などを解説できればと思うが、私は以下を主張したい。 (1)自身の予防のために接種することをお勧めしたい (2)社会の皆で明るい出口を見つけるためにも接種をお考えいただきたい』、なるほど。
・『ご自身のリスクについて デルタ株に対する効果が従来株よりも少し低いことやワクチン免疫が失活する可能性はあるが、現在までに日本を含むいくつかの先進国で用いられているmRNAワクチンの効果は高く、接種者のデータを見ると、デルタ株でも80%以上の確率で発病を防ぐことが知られている。 このレベルの効果は抗原性が変化し得るウイルスに対して類を見ないくらいに高く、免疫が失われるまでの間、接種者は十分に高い効果で守られていることになる。 自身の健康や近しい人のためを考えると、接種をして守られている状態が形作れると良いであろう。今後、社会活動上でも予防接種済みであることでベネフィットを見出せるアドバンテージもあるかもしれない(未接種者だとできないことが出て来る日がくるかも知れない)』、「デルタ株でも80%以上の確率で発病を防ぐ」、まずまずだ。
・『社会全体でのリスクについて 他者のために、社会のために、自身の予防接種が効いている、という考え方である。たとえ予防接種だけに頼った政策で流行を止められなくても、高い接種率の状態だと制御は人口レベルで飛躍的に容易になる。 結果として予防接種はコロナ後の明るい未来を切り開く起爆剤になり得ることは変わらざる事実である。社会構成員の一人として「接種者である」ことは社会の中でのリスクを低減することに繋がっており、そのことを誇りに思っていただきたい。 ただし、現時点においては、感染しても重症化リスクの低い若年成人を中心に、予防接種の希望者は満足な数とは言えない。 例えば、国際医療福祉大学の和田耕治教授らによる調査では20歳代男性の27%、女性の38.7%が接種について「少し様子をみたい」と述べており、50歳代でも男性の18.0%、女性の17.2%が同様の回答をした。 この数字から想像される希望者の水準は、集団でこのウイルスによる感染を防御するには十分とは言えないレベルであり、国が強い施策で流行を止められない現状においては未接種者の多くが自然感染するという帰結を迎えるリスクが極めて高い。 今後、流行や感染に対するリスクの認識が十分に高くならなければ、相当の割合の国民の接種が達成できず、その希望者内だけにとどまってしまう。そして、とても勿体ないことに日本でワクチンが一時的に余ってしまう事態が起きかねない。 ただ、個別事例によって接種困難な事情は認容することが求められ、接種をしない自由も確保されるべきである。そのため、社会全体を予防接種で守るためには、「できるだけ接種しよう」という特別に強い勧奨を行うことが求められる。 そのためには、特別な工夫も必要だろう。たとえば、予防接種後の社会の仕組みに「接種の有無」を組み込むことによって、感染リスクをより低く抑えていく戦略を練ることはできないだろうか。 一例として会社に出勤することや12歳以上の者が学校へ登校するための要件として予防接種を強く推奨することは実質的に可能と思われるし、何等かのイベント参加の要件にすることも可能かもしれない』、「予防接種後の社会の仕組みに「接種の有無」を組み込むことによって、感染リスクをより低く抑えていく戦略を練ることはできないだろうか」、賛成だ。
・『極端に変わることがない近未来 以上の議論から想像いただけるかもしれないが、本感染症のリスクに対峙し続けてきた私から言えることは、接種完了時のイスラエルなどで一時的に見られていたような「ぱっと夜が明ける」ような未来社会が、日本で希望者の予防接種が完了しただけで来ることはなさそうである、ということである。 マスクを外した暮らしができて、普段会わない方と飲食が楽しめて、元の世界に近い接触が返ってくる、というイメージを抱く方も多いと思う。しかし、そのようにリスク認識が一気に社会全体で変わり得る、というような景色をすぐ先の未来に想像することは困難である。特に、現時点で見込まれる接種希望者がほぼ接種済みになるだろう今年11月後半の日本でそのようなリスク状態になることは、残念ながらほぼ期待できない。 それどころか、その後もしばらくは大規模流行が起こり得る状態が続き、医療が逼迫し得る状況(積極的治療が出来ない方が生じたり、自宅療養者が溢れかえったりするような、これまでの逼迫状況)が起こり得ると考えている。予防接種だけでは実効再生産数の値が1を上回るからだ。 もちろん、予防接種が進むにつれ、高齢者が最初に防がれ、その次に50歳代、その次に40歳代と次第に接種で防がれていく。だから、本格的な流行拡大が起こるまでの間は、重症患者数は過去と比較して明確に増加し難くなる。 しかし、接種を希望しない者の人口サイズは未だに大規模な流行サイズを引き起こすのに十分であり、そうすると高齢者を含むハイリスク者の間で未接種のままであった者を巻き込みつつ社会全体で感染が拡大し得る状態となる。それは、現状の接種希望者の見立て程度であれば、そのような中で大規模流行が起こると季節性インフルエンザ相当では到底及ばない流行規模・被害規模になり得る状態が継続する、ということである。 もちろん、そういった流行は接種率が高ければ高いほど被害規模を極端に小さくできる。また、すぐにマスクを外して接触を許すのではなく、まだしばらくの間はマスク着用を続けて不要不急の接触を避ける行動制限が緩徐に続くことで流行リスクが下がることに繋がるだろう。 その中で医療従事者や高齢者のようなハイリスク者のブースター接種が十分に行われるのはもちろんのこと、人口内で免疫を持つ者がほとんどの状況に達することができれば、 医療が崩壊するような流行も次第に回避可能となっていく。 ただし、おそらく年単位の時間をかけてそれが起こっていくのだ。 そこに至るまでの道のりにおいても、できるだけ医療逼迫の程度がひどすぎるような状況を回避しながら進み、直接的・間接的に生じる被害者が少なく済む状況を保っていく。繰り返すが、その間、日常生活でマスクは着用しつつ、ソーシャルディスタンスは確保しながらだが、少しずつ、少しずつ、私たちの文化的な社会活動を元の活力あるものに戻していく』、「おそらく年単位の時間をかけてそれが起こっていくのだ」、想像以上に長い時間がかかりそうだ。
・『未来を切り開くために 私は、そういった流行対策を続けていけば、数年から(長くて)5年くらいの時間をかけて次第に未来が切り開かれていくものと見込んでいる。どこかで頓挫して流行が大きくなるリスクもあるかもしれない。どこかで新しい展開が生じるかもしれない。それでも、大枠は変わらないものと考えている。 その中で、ずっと「パンデミック」の状態が持続するわけではない。この感染症の流行で問題であったのは(1)感染者が出すぎると医療が逼迫してしまうこと(救える命が救えないこと)、(2)他の疾病と比較すると死亡リスクが十分に高いこと、であった。 予防接種と自然感染が進んで、一定の対策下であれば(1)の医療逼迫が起こらない状態、になり、また、ハイリスク者が十分に免疫を保持し続けるか周囲に防御されることによって(2)の死亡リスクが他の疾病と変わらない、ということになれば、パンデミックは移行期(transition phase)へと進むことになる。そうなれば世界保健機関もパンデミックが終了したことをアナウンスするはずである。 ただし、このウイルスがヒト集団から消え去ることはしばらくなさそうである。そのため、少なくとも医療従事者や高齢者を中心とした接種は続いていくのだろう。また、一部の進化生物学者は既に本感染症は数年から5年程度のタイムスパンで、子どもの病気へと変わっていくものと予測している。 このように流行対策のハードルと流行の社会的重大度を少しずつ下げていくことを「テーパリング」と呼ぶことができるだろう。日本語では「先細り」と訳されるが、医療業界では、一部の病気の患者さんの投薬量を時間をかけて少なくしていく際にこの用語が用いられている。そのテーパリングを人口レベルでどのように形作るのか、という命題は、コロナ後の明るい未来をどのように作っていくのか、というものでもある。 ご覧になっていただければわかる通り、その明るい未来は私たち社会構成員が参加しつつ切り開くものである。というのも、予防接種率が高い社会ではテーパリングをより近い未来にすることができるのである。心理学や経済学の専門的知見を動員して接種が特別に強く勧奨される仕組みを必死に考えていくべきだろう。政治が責任を持ってパンデミックのリスクと向かい合えない状態が続くのなら、皆さんと専門家で一緒にこのリスクに対峙して未来を明るく照らしていきたいと思うのだ。 *1 本稿でのブースター接種に関連し、西浦が開示すべき利益相反関係として、西浦はサノフィ社のCOVID-19ワクチンのアドバイザリーボードでブースターワクチンに関する専門家助言を行ったことがあることを申し添える』、「テーパリング」は米国の金融政策が超緩和から出口に向けて変化する意味でも使われるが、ここでまで使われているとは、驚いた。
第四に、8月25日付け現代ビジネスが掲載した経済評論家の加谷 珪一氏による「日本が現時点で「ワクチンパスポート」を導入することが、あまりに「不合理」と言えるワケ」を紹介しよう。
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/86578?imp=0
・『筆者は公共性が高い事業において、従業員に接種を推奨する行為そのものに反対するわけではないが、物事には順序と段階、というものがあり、それを無視すれば、圧倒的に弊害の方が大きくなってしまう。そして、今のタイミングでのパスポート導入はその典型といってよいだろう(従業員への接種推奨や名札装着とワクチンパスポートは厳密には異なるが、ここではとりあえずパスポートとして議論する)。 現時点でワクチンパスポートを導入することの最大の問題点は、政府が十分にワクチンを確保できておらず、打ちたくても打てない人が多数存在しているという現実が無視されていることである』、私は単純に「ワクチンパスポート」に賛成していたが、考え直す必要がありそうだ。
・『肝心の現役世代の接種率は公表されない 政府は、毎日のようにワクチン接種が順調に進んでいるという発表を行っているが、政府が提示するのは高齢者の接種率と全体の接種率ばかりである。 目下、最大の懸案事項となっているのは、仕事で毎日、外出している現役世代に感染拡大が見られることであり、現役世代の接種率が感染抑制のカギを握るが、政府は直接、この数字を出さない。各種の数値から計算しないと現役世代の接種率は分からないので、当然、この数字が報道される頻度は少なくなる。 少し話がそれるが、行政当局が意図的に不十分な情報を公表し、自らの都合のよい世論を形成するというのは、日本では常套手段であり、国民はこうしたカラクリがあることを前提に情報に接しなければならない。だが多くの国民は政府の発表をそのまま受け取るので、誤った解釈が行き渡ることがザラにある。一部のネット民は特にその傾向が強く、メディアがその数字に疑義を呈すると、フェイクニュースだといって大騒ぎする始末である。 報道する側からすれば、政府が出した数字では実態が分からず、再計算する必要があると、そこでミスが発生するリスクが生じるし、確認作業にも多くの手間がかかる。もし間違った情報を出せばそれこそ鬼の首を取ったように騒がれるので、政府が出した情報をそのまま書いた方が無難と考える記者ばかりになっても不思議ではない。 結果として政府が望む情報しか出回らないことになるのだが、こうした事態に対して、「それをチェックして批判するのがメディアの仕事だろ」と安全地帯から声高に批判したところで問題が解決するわけではない。 話を元に戻すと、8月19日時点においてワクチンを2回接種した人は39.7%だが、その多くは65歳以上の高齢者である。ニュースでは全体の接種率や高齢者の接種率の数字ばかりが出てくるが、多くの現役世代が気にしているのは、当該年齢層の接種率だろう』、「行政当局が意図的に不十分な情報を公表し、自らの都合のよい世論を形成する」、困ったことだ。
・『非論理的な思考が招く致命的な事態 65歳未満で2回の接種を終えた人はわずか22.1%であり、医療従事者を含めても28.7%にしかなっていない。1回目を終えた人も36.8%なので、現役世代はまだ多くの人が1回目の接種すら終わっていない状況にある。この数字には職域接種が含まれているが、職域接種は大企業が圧倒的に有利であり、零細企業や自営業者の場合、職域接種を受けることは極めて難しい。 だが全員に公平であるはずの自治体の集団接種は多くが9月まで満杯という状況であり、現時点では予約すら入れられないところも多い。NHKの調査(8月5日)でも、東京23区における若年層の2回接種率は極めて低いとの結果が出ている(20代では3%以下というところが少なくない)。) 会社が責任を持って職域接種を行うのであれば話は別だが、自治体でのワクチン接種を求められても、出来ないというのが現実であり、そうした状況で強引に接種を推奨すれば、差別などの問題を引き起こす可能性が高くなる(ワタミは職域接種を申し出たもののワクチン不足から受理されなかったという報道もある)。 日本人は論理的に物事を考えることが不得意であると指摘されてきたが、非常事態においてこうした非論理的な思考は致命的な事態を招く危険性がある。 今のところ、ワクチンをできるだけ多くの人に接種すること以外、感染を根本的に抑制する方法は存在しない。したがって、ワクチン接種をどれだけ拡大できるのかは、すべてに優先する事項である。 ところが日本では、多くの人が1回目のワクチンすら打てない状態であるにもかかわらず、担当大臣が3回目の接種の目処に言及したり、自治体のトップが若年層の接種が進んでいないことを問題視する発言を行うなど、的外れな議論ばかりしている状況だ』、「多くの人が1回目のワクチンすら打てない状態であるにもかかわらず、担当大臣が3回目の接種の目処に言及したり、自治体のトップが若年層の接種が進んでいないことを問題視する発言を行うなど、的外れな議論ばかりしている」、マスコミがそれを問題視しないのも問題だ。
・『リスクを理解した上での議論なのか? 一部の論者は、欧米ではコロナとの共存を前提に、経済を回すフェーズに入っており、日本もそれを見習って、方針を変えるべきだという主張を行っているが、欧米と日本とでは置かれている状況がまるで異なる。欧米各国は希望者に対するワクチン接種はほぼ全て終えており、3回目の接種も始まっている。やれることはすべてやったので、後は覚悟を持って進み、経済を回していこうという趣旨である。 だが日本は、ワクチン接種という最低限のことが出来ておらず、検査態勢が脆弱であることから、十分な検査もできなくなっており、正確な感染者数の把握すら難しくなっている。 また平時から医療従事者が担当しなければならない患者数が欧米各国の3倍に達するなど、そもそも医療体制が貧弱であり、少し負荷が増えただけで簡単に医療崩壊を起こしてしまう(医療体制の拡充には時間がかかるが、政府は1年間の時間的猶予があったにもかかわらず、この作業を怠ってきた。今すぐに体制を拡充できるわけではないと考えた方がよいだろう)。 筆者は経済を専門分野にしているので、心の底から早く経済を回すフェーズに戻って欲しいと思っている。だが、ワクチン接種が進んでおらず、医療が逼迫した中でそれを行えば、演繹的に得られる結論として感染者は放置せざるを得ない。 コロナに感染した妊婦が自宅で早産に追い込まれて新生児が死亡したり、家族全員が感染して母親が自宅で死亡するなど言葉にならない事例が発生しているほか、一部の医療専門家は、コロナ感染者に無精子症など深刻な後遺症が発生していると指摘している。 ワクチン接種が不十分な中で経済優先に舵を切った場合、こうした事例が多発する可能性があることを理解した上での議論なら問題ないのだが、本当にそうだろうか』、旅行業を救うための「GoTo」キャンペーンが「感染」を酷くしたのも記憶に新しいところだ。
・『日本社会特有の「なかった事にしてしまう」症候群 日本人は演繹的に物事を考える際、都合が悪くなると、演繹の前段階における命題を「なかったことにしてしまう」傾向が顕著である。AならばB、BならばCという具合に論理を構成する際、都合が悪くなるとAが存在しなかったことにしてしまうのだ。 例えば今回のケースでいえば、「ワクチン接種以外に根本的な解決方法はない」という命題があったとしよう。この命題が存在するからこそ、「ワクチンパスポートを導入すればより経済を回しやすくなる」あるいは「3回目の接種を行えば変異株についてもある程度の抑制効果が期待できる」といった新しい命題が得られる。 この演繹プロセスにおいてワクチン接種が唯一の解決策であるという命題はすべてのスタート地点であり、もしワクチン接種が進んでいなければ前提条件が変わってしまうので当該演繹を進めることはできない。だがワクチンパスポートで経済を回す話が海外からやってくると、これにすがってしまい、ワクチン接種が進んでいないという現実を無視してパスポート導入を議論したり、3回目接種の是非ばかりに焦点が集まってしまう。 最近では、「変異株が猛威を振るっているので、ワクチン接種には意味がない」という論理まで登場している。変異株が恐ろしいウイルスならば、ワクチンを接種していなければさらに被害は拡大するはずであり、ますますワクチンが必要というのが正しい演繹だが、一部の人には真逆の論理的帰結になってしまうようである。これも演繹の前段階を無意識的に無視した思考の典型といってよいだろう。 人間は不安になると、無意識的に認知バイアスを生じさせる動物だが、最終的には理性を優先させなければ命は守れない。「現時点ではワクチン接種が唯一の解決策である」という命題は、その事実が変化しない限り、動かしてはならない』、「「現時点ではワクチン接種が唯一の解決策である」という命題は、その事実が変化しない限り、動かしてはならない」、同感である。
タグ:パンデミック (経済社会的視点) (その18)(「コロナ病床5%」旧国立・社保庁197病院への疑問 法律あっても病床確保は厚労相のお願いベース、医師・看護師はもう限界!デルタ株で高まる「自衛隊野戦病院」の必要性、西浦博教授が考える「ワクチン接種が進む日本」でこれから先に見込まれる“展開” 明るい未来を切り開くために、日本が現時点で「ワクチンパスポート」を導入することが あまりに「不合理」と言えるワケ) 東洋経済オンライン 松浦 新 「「コロナ病床5%」旧国立・社保庁197病院への疑問 法律あっても病床確保は厚労相のお願いベース」 文字通り厚労省直轄の病院の割には、「コロナ病床」が「5%程度」とはどう考えても少ない。 「厚労相」の弁明は全く理解不能だ。 年金官僚の野放図な無駄遣いにはいまでも腹が立つ。 「民主党は、1カ月もたたないうちに方向転換して、3病院の公営を維持する方針を打ち出す」、きっと官公労の圧力に屈したのだろう。 「厚労相」が弱腰なのが理解できない。野党は追求しないのだろうか。 ダイヤモンド・オンライン 上久保誠人 「医師・看護師はもう限界!デルタ株で高まる「自衛隊野戦病院」の必要性」 病院船などのアイデアには首を傾げざるを得なかったが、「野戦病院」は地に足がついた提案だ。 「英国では、昨年3月にロックダウンを実行したと同時に10日間程度で、国内の医療体制を新型コロナ用にシフトした」、日本では民間中心の医療体制の問題がいち早くから指摘されながら、手つかずでいるのと、「英国」の素早い対応は好対照だ。 「集約のメリット」は確かに大きそうだ。 「英国軍の軍医」と「NHSの医師・看護師」の協力は上手くいったのだろうか。 「英国」で「野戦病院はほとんど使われることがなかったのだが、先回りして体制を整えていたことが重要だ」、同感である。 現代ビジネス 西浦 博 「西浦博教授が考える「ワクチン接種が進む日本」でこれから先に見込まれる“展開” 明るい未来を切り開くために」 「予防接種と非特異的対策のそれぞれで、国際協調を行うことは必要だった」、その通りだ。 「ブースターは1回で済むかと言えば、おそらくそうではなく、今後の流行動態を注意深く見極めることが求められる」、そんなに何回も接種させられるのはかなわない。 「デルタ株でも80%以上の確率で発病を防ぐ」、まずまずだ。 「予防接種後の社会の仕組みに「接種の有無」を組み込むことによって、感染リスクをより低く抑えていく戦略を練ることはできないだろうか」、賛成だ。 「おそらく年単位の時間をかけてそれが起こっていくのだ」、想像以上に長い時間がかかりそうだ。 「テーパリング」は米国の金融政策が超緩和から出口に向けて変化する意味でも使われるが、ここでまで使われているとは、驚いた。 加谷 珪一 「日本が現時点で「ワクチンパスポート」を導入することが、あまりに「不合理」と言えるワケ」 私は単純に「ワクチンパスポート」に賛成していたが、考え直す必要がありそうだ。 「行政当局が意図的に不十分な情報を公表し、自らの都合のよい世論を形成する」、困ったことだ。 「多くの人が1回目のワクチンすら打てない状態であるにもかかわらず、担当大臣が3回目の接種の目処に言及したり、自治体のトップが若年層の接種が進んでいないことを問題視する発言を行うなど、的外れな議論ばかりしている」、マスコミがそれを問題視しないのも問題だ。 旅行業を救うための「GoTo」キャンペーンが「感染」を酷くしたのも記憶に新しいところだ。 「「現時点ではワクチン接種が唯一の解決策である」という命題は、その事実が変化しない限り、動かしてはならない」、同感である。
ホテル(その3)(買収合戦の果てに「ハゲタカ」に食い尽くされた「ユニゾ」がたどる末路 債務不履行の危機も、「30泊36万円」超高級ホテル暮らしは定着するか 都内の名門老舗ホテルが長期滞在プランで勝負、「安さ」の裏にある過酷な労働実態 スーパーホテル 名ばかり「支配人」の悲惨) [産業動向]
ホテルについては、昨年5月28日に取上げた。今日は、(その3)(買収合戦の果てに「ハゲタカ」に食い尽くされた「ユニゾ」がたどる末路 債務不履行の危機も、「30泊36万円」超高級ホテル暮らしは定着するか 都内の名門老舗ホテルが長期滞在プランで勝負、「安さ」の裏にある過酷な労働実態 スーパーホテル 名ばかり「支配人」の悲惨)である。
先ずは、本年3月4日付けデイリー新潮「買収合戦の果てに「ハゲタカ」に食い尽くされた「ユニゾ」がたどる末路 債務不履行の危機も」を紹介しよう。
https://www.dailyshincho.jp/article/2021/07021040/?all=1
・『ホワイトナイトの裏切り 元東証1部上場のみずほ系不動産会社「ユニゾHD(ホールディングス)」の経営環境は、2年前、旅行大手代理店「エイチ・アイ・エス」から仕掛けられた敵対的TOB(株式公開買い付け)を機に一変した。対抗策として、外資ファンドと組んで従業員による自社買収(EBO)を実施したものの、事態が好転することはなかった。 「ユニゾHD」が敵対的買収の標的にされたのは2019年7月。HISが発行済み株式の45%取得を目論み、TOBを実施。ユニゾは、友好的な買収者「ホワイトナイト」として米投資ファンド「フォートレス・インベストメントG(グループ)」に白羽の矢を立てた。 防衛は成功したかに見えたが、フォートレスの裏切りに遭い、さらには世界最大級の米投資ファンド「ブラックストーンG」から狙われる。そこに、「悪魔の囁き」がもたらされた。 米投資ファンド「ローン・スターG」が国内上場企業で初のEBOを提案してきたのだ。EBOとは、従業員が自身の勤務する企業を買収するというもの。ローン・スターの役回りは買収資金を用立てることだった』、この件の詳細は、このブログの昨年5月28日に紹介した。
・『ジャンク債の扱い ユニゾ関係者によると、「ユニゾの“中興の祖”と呼ばれる小崎哲資前社長が主導し、ローン・スターの提案に乗りました。400人弱の社員のうち73人が出資し、EBOの受け皿“チトセア投資”が設立された。昨年4月、チトセア投資はローン・スターからの1510億円の借り入れと優先株の割り当てによる550億円の計2060億円を調達し、それを元手に最終的には買い付け価格を1株6000円にまで引き上げ、EBOを成立させたのです」 結果、ユニゾは非公開化で独立を保てたものの、EBOの資金を捻出するために、次々と「虎の子」を手放さざるを得ず、優良資産は安く買い叩かれ、集客力の低いホテルなどが売れ残った。昨年12月、日本格付研究所によるユニゾ債の格付けは、投資不適格、いわゆるジャンク債の扱いの「BBプラス」へと引き下げられている。 EBO成立後も、ユニゾ倒産を織り込んだマネーゲームに勝算ありと見込んだ別の外資ファンドから狙われている。ハゲタカによる買収を防ぐために戦った結果、倒産がちらつく状態に陥ってしまったのだ。 「週刊新潮」2021年3月4日号「MONEY」欄の有料版では、ユニゾがハゲタカファンドに食い尽くされる経緯を詳報する』、無理をした「EBO」は後始末が大変なようだ。
次に、3月12日付け東洋経済オンライン「「30泊36万円」超高級ホテル暮らしは定着するか 都内の名門老舗ホテルが長期滞在プランで勝負」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/416068
・『緊急事態宣言の延長とともにGoToトラベル事業の再開も遠のき、ホテル業界の受難が続いている。 帝国データバンクの調査では、2020年の宿泊業の倒産は127件と、過去3番目の水準だ。 同社東京支社の丸山昌吾情報取材課長は、「取引先が代金支払いの延期に応じて延命しているところも多い。国の助成金の先行きをみて事業を続けるか、様子を見ている経営者がかなりいる」と話し、旅館・ホテル業界はこれから倒産ラッシュを迎えそうだ』、興味深そうだ。
・『打開策として打ち出したアパート事業(東京・九段下のホテルグランドパレスが6月末で営業を終了したり、藤田観光が大阪市内の老舗宴会場「太閤園」を売却したりするなど、名門企業にもリストラの嵐が吹き始めている。 ホテル御三家の一角、帝国ホテルの2020年4~12月期の売上高は、前年同期比61.6%減の166億円にとどまり、86億円の最終赤字(前年同期30億の黒字)に陥った。宿泊客の50%を占めるインバウンド客が蒸発し、残りの国内も法人客が振るわない。「足元の稼働率は10%ほど。従業員も雇用調整助成金を受けながら適宜休業させている」(帝国ホテルの照井修吾広報課長)という惨状だ。 その帝国ホテルが苦境の打開策として打ち出したのが、「サービスアパートメント」サービスだ。3月15日から始まる同サービスは「30泊36万円」。1泊あたり1万2000円で帝国ホテルに宿泊できる計算で、帝国ホテルはサービス開始に合わせて3つのフロアで一部の部屋を改修し、洗濯機や電子レンジを自由に利用できる共用スペースを設ける。 駐車場は無料で、宿泊期間中、定額でルームサービス(30泊プランで6万円)やシャツなどのランドリーサービス(同3万円)が受けられる。2月1日から予約を開始したところ、わずか数時間で全99室が完売した。 同サービスのきっかけは2020年5月に定保英弥社長が社員に一斉送信した「緊急メール」だった。 「難局を乗り越えるため、皆さんのアイデアを募りたい」 社長の呼びかけに、社員から約5600件の提案が寄せられ、その中に長期滞在プランやサテライトオフィスのアイデアがあった。 ただし、帝国ホテル側はホテル事業以上に注目されることに困惑気味で、「料金はホテルとすれば安いかもしれないが、これはあくまでもアパートメント事業。(シャンプーや歯ブラシなどの)アメニティの交換はないし、シーツの交換も3日に1回。われわれが普段提供しているホテルのサービスと比べられても困る」と照井課長は強調する』、ホテルのブランドイメージを維持できるのだろうか。
・『新しいライフスタイル「ホテリビング」 実際、価格設定の参考にしたのは、同業の長期滞在プランではなく、不動産業者の家具付きレジデンス=サービスアパートメントだった。帝国ホテルの新サービスは旅館業法上の「宿泊」ではあっても、ホテルで暮らす「ホテリビング(ホテル・リビング)」という新しい業態。新しいライフスタイルを世の中に投じる意味があるのだという。 「当然、料金設定を含め、アパートメント事業を始めることで、ブランドイメージ悪化の議論はあったが、38年前にホテルに隣接する複合ビルでオフィスビル賃貸事業を始めたときもたくさんの批判を受けた。いまはその不動産賃貸が経営を底支えしている。バイキング形式も帝国ホテルから全国に広がったが、サービスアパートメントも事業の柱として定着させたい」と照井氏は話す。 他の老舗ホテルも帝国ホテルに追随している。ホテルニューオータニは朝昼夕3食付きの「新・スーパーTOKYOCATION」を30泊75万円でリニューアル販売。京王プラザも30泊21万円で朝食付きの「”暮らす”@the HOTEL」を始めた。 ただ、都内のあるホテル関係者は「ホテルが不動産業の発想に近づいている。背に腹は代えられないが、GoToトラベルの影響に加えてアパートメント事業のような価格に引きずられ、コロナ後も単価が容易に戻ってこない可能性もある」と危機感を吐露する。 一方、「われわれは徹底的にホテルにこだわる」というのは、首相官邸そばに立つ名門ホテル「ザ・キャピトルホテル東急」だ。北大路魯山人ゆかりの星岡茶寮跡地に建つ同ホテルは政治家とのゆかりも深く、レストラン「ORIGAMI」は首相動静に毎日のように登場することで知られている。 同ホテルは3年前に東急ホテルズから同ホテル総支配人に就任した末吉孝弘氏のもと、海外のラグジュアリー層を取り込むべく、フォーブズ・トラベルガイドの星獲得を目指した。 末吉氏は「ホテル業の真価は床面積を効率よく売ることだけではない。外資系に負けない価格帯できちんとしたサービスをすれば満足してもらえる。自信を持って行こうということで、権威あるホテルガイドの星を取るというわかりやすい目標を掲げた」と語る』、「隣接する複合ビルでオフィスビル賃貸事業・・・が経営を底支えしている。バイキング形式も帝国ホテルから全国に広がった」、イノベーティブな歴史もあるようだ。「バイキング形式」の元祖だったとは初めて知った。
・『悲願のホテル部門「5つ星」を取得 これまで接客向上やスイートルームの改装、客室家具の入れ替えなどを行ってきた。冷蔵庫に置く水の品質やペットボトルのデザインにもこだわり、宿泊客が清掃を依頼する際ドアノブにかける札には間伐材を導入した。レストランのストローも1本50円の木製のものに変えた。こうした積み重ねで2017年には3万円程度だった平均客室単価は5万円程度に上昇した。 同ガイドの5つ星ホテルは、マンダリンオリエンタル東京やパレスホテル東京など国内に10あるが、900項目にのぼる覆面調査を経た2020年9月、悲願のフォーブズ・トラベルガイド「ホテル部門」の5つ星(ファイブスター)を取得した。 ただ、いまはコロナ禍の真っただ中。キャピトル東急の宿泊客の75%を占める外国人客が一気に蒸発し、GoTo中断もあって足元の稼働率は10%台。閑古鳥の鳴く惨状は都内の他のホテルとまったく変わらない。それでもロックバンド、クイーンの名曲「The show must go on」(ショーを止めるわけにはいかない)の言葉をバックヤードに掲げ、従業員を鼓舞しながら売店とバー以外は開業させているという。 「コロナ禍でもホテルを愛用してくれるお客さんがいる。そうしたお客さんにコロナを理由にサービスを断ったり、レストランを閉めたりすることはできない。休業して助成金や協力金をもらうほうが効率的だが、けっして閉めてはいけないホテルがある」(末吉氏) キャピトル東急は2月末、ビジネスパースン向けに、スイートルーム(104.7平方メートル)の長期滞在プランを打ち出した。ジムやプールも無料で使えるが、料金は30泊210万円など。愛犬を連れて宿泊ができる部屋も用意し、多様な国内富裕層の需要に応える取り組みも始めたところだ。 かつてない不況に見舞われたホテル業界。「正解」の見えない暗中模索が続くが、その歩みを止めないホテルが結局、生き残ることになる』、高級ホテルの生き残り策も大変なようだ。
第三に、7月30日付け東洋経済Plus「「安さ」の裏にある過酷な労働実態 スーパーホテル、名ばかり「支配人」の悲惨」を紹介しよう。
https://premium.toyokeizai.net/articles/-/27642
・『柔軟な働き方の代表例である個人請負。 無権利状態であるがゆえに予期せぬ事態に追い込まれる人たちがいる。 1泊5000円前後、無料の朝食と温泉付き――。 そう聞けば、ピンとくるビジネスパーソンもいるだろう。全国に166店舗を展開するビジネスホテルチェーン「スーパーホテル」(本社:大阪市西区)だ。客にとってはリーズナブルなこのホテル。しかし、そこで働く店舗責任者の支配人のほとんどは、どれだけ長時間働いても残業代はいっさいもらえない。 2020年3月、新型コロナウイルスの感染拡大がいよいよ深刻になってきた頃だ。1年前なら外国人観光客であふれていた上野駅近くのビジネスホテル街は、閑散としていた。「スーパーホテルJR上野入谷口店」で住み込みで働く副支配人の渡邉亜佐美さんは、5人の男性たちに囲まれていた。 突然ホテルに入ってきた男性らは、制止を振り切ってフロントの受付や予約システムなど店舗業務を掌握し、ホテルを占拠。渡邉さんはフロントの奥にある居住スペースに追いやられた。恐怖を感じた渡邉さんと支配人のAさんは、荷物も持たず着の身着のままホテルを出て行かざるを得なかった。 実はこの男性らは、スーパーホテルの副社長と社員だった。いったい何が起きたのか』、どういうことなのだろう。
・『男女ペアで住み込み、24時間働き詰め この騒動から溯ること2年。2018年4月、渡邉さんとAさんは求人サイトで見つけたスーパーホテルの「ベンチャー支配人・副支配人」に応募した。現在も募集されている求人内容は、こうだ。 応募の条件は、夫婦やカップルなど「男女ペア」であること。男女2人でホテルの支配人・副支配人業務を委託され、その報酬として4年間で4650万円以上が支払われる。4年間勤めあげれば、起業や独立の資金として3000万円ほどの貯金ができるという触れ込みだ。2人が応募したのも、自らの事業の立ち上げに必要な資金を貯めるためだった。 「スーパードリームプロジェクト」と称される求人募集(インターネット上の求人広告より) 2人は89日間に及ぶ研修を受けた後、報酬2人合わせて1100万円で1年間の業務委託契約を締結した。業務委託契約書では、開業届を出して支配人が個人事業主となること、勤務先のホテルに住民票を移すことが義務付けられていた。 こうして2人は「個人事業主」として、JR上野入谷口店(69部屋)で働き始めた。だが、過酷な労働環境に苦しむことになる。 支配人の業務内容は、フロント業務から売上管理、客室の点検、朝食の準備まで、ホテルの業務全般で、勤務は長時間に及んだ。支配人であるAさんの勤務時間は毎日13時から翌朝5時半まで、副支配人の渡邉さんは同じく朝5時半から21時まで。会社の業務要項では、消防管理のため2人以上を常駐させることが義務づけられているため、実質、24時間いることが求められることになる。 それ以外の時間は、フロントの奥にある居住スペースで仮眠をとる。居住スペースといっても、防犯カメラの映像や電話機が設置された狭い宿直室だ。寝ている間も、夜間のチェックインや問い合わせで起こされることもある。 さらに、ホテルを365日、年中無休で営業する契約であるため、働き始めてから1日も休めなかった。病気や妊娠などで支配人らが休む場合は、本社から代行要員が派遣される制度がある。しかし、この代行には1日1人に付き3万円と本社からの交通費を支配人らが支払う必要があった。 仮に女性が妊娠して1カ月間休む場合、100万円以上の出費となる。そのため、実質的に支配人らが長期で休むことは難しい』、これでは「名ばかり「支配人」で、奴隷労働だ」。こんな脱法措置が認められるのだろうか。
・『「最低賃金」も守られない まるで休暇が取れない勤務体制は、通常の企業なら労働基準法違反に当たる働かせ方だ。だが、業務委託契約では労働基準法などの労働法全般が適用されない。労働者であれば守られるはずの最低賃金や解雇の規制はない。年金や健康保険も自己負担だ。一方それは会社側にとっては、社会保険料や時間外手当の負担が生じないことになる。 実際、支配人らへの報酬は最低賃金にも満たない。東京都の最低賃金である1013円で、2人を24時間常駐させた場合の人件費を試算すると、年間約1904万円が必要になる。一方、2人に支払われた1年間の報酬額は1170万円だった。 しかもその報酬には、アルバイト従業員に支払う人件費も含まれている。毎月分割で支払われる報酬から人件費を支払うと、「手元に残るお金はほとんどなく、貯金どころではなかった」とAさんは言う。 こうした個人事業主による業務委託店舗は、同社の採用サイトによるとスーパーホテル全店舗(2021年3月末で166)の75%を占める。一方、社員が運営する直営店は5%。直営店では6、7人の社員が勤務し、業務委託店舗より手厚い人員体制がとられている。 業務委託店舗について、スーパーホテルの採用サイトには次のようにうたわれている。 「ホテル業界では直営店舗かFC(フランチャイズ)店舗の展開がセオリーとされています。この業界の常識に一石を投じる形で、個人事業主に全ての運営を委ねるベンチャー支配人制度は生まれました」 ホテル業界で珍しい業務委託店舗は、不動産業を手がけていた創業者である現会長がつくったものだ。会長の著書『1泊4980円のスーパーホテルがなぜ「顧客満足度」日本一になれたのか?』(アスコム、2013年発行)には、業務委託店舗の仕組みできた経緯が記されている。 「これは、私が不動産事業でシングルマンションを手がけていたとき、管理人に住み込んでもらったことがヒントになっています」 さらに同制度については、こうつづられている。 「支配人も副支配人もスーパーホテルに住み込みで勤務するのが規則ですし、二四時間体制で四年間を過ごします。当然、同じ居室で暮らすわけですから、夫婦のほうがなにかと都合がいいのは当たり前です」 こうした同社独自の制度で、1996年に1号店を出店してから順調に店舗を増やし続けた。2021年は166店舗まで拡大。コロナ流行下で直近1年の売り上げは減少したもの、前年までは20年間増収を続けた』、「東京都の最低賃金である1013円で、2人を24時間常駐させた場合の人件費を試算すると、年間約1904万円が必要になる。一方、2人に支払われた1年間の報酬額は1170万円だった。 しかもその報酬には、アルバイト従業員に支払う人件費も含まれている」、「報酬」は徹底的に安いようだ。こうした店舗がすでに「166店舗まで拡大」とは驚かされた。
・『使い切った電池を入れ替えるよう 業務委託契約書の規定によると、売り上げ下がれば契約を解除される可能性があったため、Aさんと渡邉さんは1日も休まず営業を続けた。その結果、高い稼働率を維持してきた。しかし、ついに体が悲鳴を上げた。 勤務開始から1年を過ぎたころ、Aさんは過労で動悸や息切れを起こすようになった。耳鳴りと頭痛が3カ月間続き、2020年1月には勤務中に倒れ、救急車で病院に運ばれた。それでも、数時間後には仕事に復帰したという。渡邉さんも、1日2時間ほどの睡眠しか取れない日々が続いていた。 「最後の勤務日は5分も立っていられなかった」とAさんは振り返る。 「寝ていてもいつ起こされるかわからず、目を閉じていても、寝ているのか起きているのかわからない状態だった。お酒がないと寝つけないようになり、睡眠導入剤も飲んでいた。熟睡すると死ぬのではないかと不安だった」 心身ともに限界を感じるようなった2人は、個人で加入できる労働組合「首都圏青年ユニオン」に加入。2020年1月に、就労環境の改善を求めて会社側に団体交渉の申し入れをした。こうした最中の同年3月、冒頭のとおり、複数の男性社員が押しかけ、2人はホテルを出ていかざるをえなくなった。 その後2人には、業務委託契約を解除するという旨の通知が会社から届いた。この頃、コロナの流行により同ホテルでは、外国人宿泊客が激減。だが、会社側は支配人らの業務の怠慢によって客室の稼働率が低下したことを契約解除の理由に挙げている。 2人は、仕事と住まいの両方を同時に失った。副支配人の渡邉さんは話す。 「無理な働き方を強いられるため、ほかの店舗でもつぶれる人がいて1~2年で新しい支配人に入れ替わる。まるで使い切った電池を新品に入れ替えるように感じた」 Aさんらは2020年5月、スーパーホテルに対して解雇の無効や未払い残業代の支払いを求める訴訟を起こした。 裁判の最大の争点は、支配人Aさんや渡邉さんの労働実態が、労働基準法上の「労働者」に当たるかどうかだ。労働者であるかは契約形式のみではなく、その働き方の実態で判断される。厚生労働省が示す「労働者」の基準は、使用者の指揮監督下で拘束されて労働を提供し、その労務の対償を支払われる者とされる。 2人は会社の指示のもと、ほぼ24時間拘束されていた。膨大なマニュアルによって業務を規定され、ホテル運営の裁量権はほぼない。よって、本来時間や場所を制約されず、自らの裁量で働けるはずの業務委託には当たらない。働き方の実態は労働者のため、使用者は不当な解雇はできず、残業代を支払う必要がある。これがAさんらの主張だ。 対して、スーパーホテル側は「名実ともに業務委託である」(裁判の答弁書)と全面的に否定している。男性社員が押しかけたことに関しては、業務補助を行おうとしたが、2人が業務を放棄して会社に損害を与えたと主張。提訴したときに記者会見を開いて会社を批判したことが名誉毀損行為に当たるとして、損害賠償を求めて反訴している』、「2人は会社の指示のもと、ほぼ24時間拘束されていた。膨大なマニュアルによって業務を規定され、ホテル運営の裁量権はほぼない。よって、本来時間や場所を制約されず、自らの裁量で働けるはずの業務委託には当たらない。働き方の実態は労働者のため、使用者は不当な解雇はできず、残業代を支払う必要がある」、2人の主張は説得的だ。
・『フランチャイズとは別物 東洋経済の取材に対して、スーパーホテル側は「係争中のため対応は見送る」と回答した。 裁判所に提出された書面によると、時間や場所の拘束性について「ホテルに住民票を異動するように求めているが、個人事業主として税法上の便宜を図ることが目的で、ホテルの居住スペースに拘束する趣旨はない」、「業務をアルバイトに自由に割り振ることができる」と反論している。 ただ、アルバイトを雇っても、責任者である支配人らが長時間ホテルを空けることはできない。さらに、前述したような最低賃金に満たない報酬からアルバイトの人件費を賄わなければならない状態だった。 スーパーホテルはこうも主張している。支配人らの業務委託契約を「フランチャイズ契約と同視すべき」として、フランチャイズの事業主と同じだとする。 しかし、コンビニエンスストアなどが行うフランチャイズ契約は、会社が加盟店に対して商標などの権利を付与し、その対価として加盟店の事業主が売上の一部などの金銭を支払うしくみだ。売上は事業主の収入となる。 それに対し、スーパーホテルの業務委託店舗は金銭の流れが逆だ。会社側が支配人に一定の報酬を支払い、売上は会社に入る。会社側の評価による報奨金はあるものの、いくら売上を増やしても支配人らの収入増にはならない。 一方、稼働率の低下やスーパーホテルが定める評価基準を下回ると、契約解除の可能性がある。さらに、支配人側から中途解約をすれば、会社は毎月報酬から天引きしていた保証金を没収し、損害賠償請求ができる。こうした会社側に有利な内容が、Aさんらの業務委託契約書には記されていた。 Aさんらが契約書を目にしたのは、ホテルでの長期研修の終盤だった。応募時に受けた説明とは異なる内容だったが、すでに自宅や家財道具を引き払っていたため、後戻りはできなかったという。 「業務委託契約には規制をかける法律がない。不平等な契約で、使用者の都合のいい方法で労働者を使える。これを放置すれば、労働法に守られない『働かせ放題』が広がる可能性がある」。首都圏青年ユニオンの原田仁希委員長は、こう指摘する。 現在、裁判は継続中だ。2021年5月、同ユニオンは東京都労働委員会に、スーパーホテルが団体交渉に応じず、強制的にAさんらを職場から追い出したことに対して、不当労働行為の救済を求める申し立てを行った。 「私たちが声を上げたことを機に、今まで被害を受けた人が声上げられるといい」と渡邉さん。 実態は雇用契約の労働者と同様にもかかわらず、業務委託契約を結ぶ、名ばかりの「個人事業主」はあらゆる業種に広がっている。無法地帯はこのまま放置されるのか。この裁判の行方が、1つの試金石となる』、「名ばかりの「個人事業主」はあらゆる業種に広がっている」、「無法地帯」をこのまま放置してはならない。
先ずは、本年3月4日付けデイリー新潮「買収合戦の果てに「ハゲタカ」に食い尽くされた「ユニゾ」がたどる末路 債務不履行の危機も」を紹介しよう。
https://www.dailyshincho.jp/article/2021/07021040/?all=1
・『ホワイトナイトの裏切り 元東証1部上場のみずほ系不動産会社「ユニゾHD(ホールディングス)」の経営環境は、2年前、旅行大手代理店「エイチ・アイ・エス」から仕掛けられた敵対的TOB(株式公開買い付け)を機に一変した。対抗策として、外資ファンドと組んで従業員による自社買収(EBO)を実施したものの、事態が好転することはなかった。 「ユニゾHD」が敵対的買収の標的にされたのは2019年7月。HISが発行済み株式の45%取得を目論み、TOBを実施。ユニゾは、友好的な買収者「ホワイトナイト」として米投資ファンド「フォートレス・インベストメントG(グループ)」に白羽の矢を立てた。 防衛は成功したかに見えたが、フォートレスの裏切りに遭い、さらには世界最大級の米投資ファンド「ブラックストーンG」から狙われる。そこに、「悪魔の囁き」がもたらされた。 米投資ファンド「ローン・スターG」が国内上場企業で初のEBOを提案してきたのだ。EBOとは、従業員が自身の勤務する企業を買収するというもの。ローン・スターの役回りは買収資金を用立てることだった』、この件の詳細は、このブログの昨年5月28日に紹介した。
・『ジャンク債の扱い ユニゾ関係者によると、「ユニゾの“中興の祖”と呼ばれる小崎哲資前社長が主導し、ローン・スターの提案に乗りました。400人弱の社員のうち73人が出資し、EBOの受け皿“チトセア投資”が設立された。昨年4月、チトセア投資はローン・スターからの1510億円の借り入れと優先株の割り当てによる550億円の計2060億円を調達し、それを元手に最終的には買い付け価格を1株6000円にまで引き上げ、EBOを成立させたのです」 結果、ユニゾは非公開化で独立を保てたものの、EBOの資金を捻出するために、次々と「虎の子」を手放さざるを得ず、優良資産は安く買い叩かれ、集客力の低いホテルなどが売れ残った。昨年12月、日本格付研究所によるユニゾ債の格付けは、投資不適格、いわゆるジャンク債の扱いの「BBプラス」へと引き下げられている。 EBO成立後も、ユニゾ倒産を織り込んだマネーゲームに勝算ありと見込んだ別の外資ファンドから狙われている。ハゲタカによる買収を防ぐために戦った結果、倒産がちらつく状態に陥ってしまったのだ。 「週刊新潮」2021年3月4日号「MONEY」欄の有料版では、ユニゾがハゲタカファンドに食い尽くされる経緯を詳報する』、無理をした「EBO」は後始末が大変なようだ。
次に、3月12日付け東洋経済オンライン「「30泊36万円」超高級ホテル暮らしは定着するか 都内の名門老舗ホテルが長期滞在プランで勝負」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/416068
・『緊急事態宣言の延長とともにGoToトラベル事業の再開も遠のき、ホテル業界の受難が続いている。 帝国データバンクの調査では、2020年の宿泊業の倒産は127件と、過去3番目の水準だ。 同社東京支社の丸山昌吾情報取材課長は、「取引先が代金支払いの延期に応じて延命しているところも多い。国の助成金の先行きをみて事業を続けるか、様子を見ている経営者がかなりいる」と話し、旅館・ホテル業界はこれから倒産ラッシュを迎えそうだ』、興味深そうだ。
・『打開策として打ち出したアパート事業(東京・九段下のホテルグランドパレスが6月末で営業を終了したり、藤田観光が大阪市内の老舗宴会場「太閤園」を売却したりするなど、名門企業にもリストラの嵐が吹き始めている。 ホテル御三家の一角、帝国ホテルの2020年4~12月期の売上高は、前年同期比61.6%減の166億円にとどまり、86億円の最終赤字(前年同期30億の黒字)に陥った。宿泊客の50%を占めるインバウンド客が蒸発し、残りの国内も法人客が振るわない。「足元の稼働率は10%ほど。従業員も雇用調整助成金を受けながら適宜休業させている」(帝国ホテルの照井修吾広報課長)という惨状だ。 その帝国ホテルが苦境の打開策として打ち出したのが、「サービスアパートメント」サービスだ。3月15日から始まる同サービスは「30泊36万円」。1泊あたり1万2000円で帝国ホテルに宿泊できる計算で、帝国ホテルはサービス開始に合わせて3つのフロアで一部の部屋を改修し、洗濯機や電子レンジを自由に利用できる共用スペースを設ける。 駐車場は無料で、宿泊期間中、定額でルームサービス(30泊プランで6万円)やシャツなどのランドリーサービス(同3万円)が受けられる。2月1日から予約を開始したところ、わずか数時間で全99室が完売した。 同サービスのきっかけは2020年5月に定保英弥社長が社員に一斉送信した「緊急メール」だった。 「難局を乗り越えるため、皆さんのアイデアを募りたい」 社長の呼びかけに、社員から約5600件の提案が寄せられ、その中に長期滞在プランやサテライトオフィスのアイデアがあった。 ただし、帝国ホテル側はホテル事業以上に注目されることに困惑気味で、「料金はホテルとすれば安いかもしれないが、これはあくまでもアパートメント事業。(シャンプーや歯ブラシなどの)アメニティの交換はないし、シーツの交換も3日に1回。われわれが普段提供しているホテルのサービスと比べられても困る」と照井課長は強調する』、ホテルのブランドイメージを維持できるのだろうか。
・『新しいライフスタイル「ホテリビング」 実際、価格設定の参考にしたのは、同業の長期滞在プランではなく、不動産業者の家具付きレジデンス=サービスアパートメントだった。帝国ホテルの新サービスは旅館業法上の「宿泊」ではあっても、ホテルで暮らす「ホテリビング(ホテル・リビング)」という新しい業態。新しいライフスタイルを世の中に投じる意味があるのだという。 「当然、料金設定を含め、アパートメント事業を始めることで、ブランドイメージ悪化の議論はあったが、38年前にホテルに隣接する複合ビルでオフィスビル賃貸事業を始めたときもたくさんの批判を受けた。いまはその不動産賃貸が経営を底支えしている。バイキング形式も帝国ホテルから全国に広がったが、サービスアパートメントも事業の柱として定着させたい」と照井氏は話す。 他の老舗ホテルも帝国ホテルに追随している。ホテルニューオータニは朝昼夕3食付きの「新・スーパーTOKYOCATION」を30泊75万円でリニューアル販売。京王プラザも30泊21万円で朝食付きの「”暮らす”@the HOTEL」を始めた。 ただ、都内のあるホテル関係者は「ホテルが不動産業の発想に近づいている。背に腹は代えられないが、GoToトラベルの影響に加えてアパートメント事業のような価格に引きずられ、コロナ後も単価が容易に戻ってこない可能性もある」と危機感を吐露する。 一方、「われわれは徹底的にホテルにこだわる」というのは、首相官邸そばに立つ名門ホテル「ザ・キャピトルホテル東急」だ。北大路魯山人ゆかりの星岡茶寮跡地に建つ同ホテルは政治家とのゆかりも深く、レストラン「ORIGAMI」は首相動静に毎日のように登場することで知られている。 同ホテルは3年前に東急ホテルズから同ホテル総支配人に就任した末吉孝弘氏のもと、海外のラグジュアリー層を取り込むべく、フォーブズ・トラベルガイドの星獲得を目指した。 末吉氏は「ホテル業の真価は床面積を効率よく売ることだけではない。外資系に負けない価格帯できちんとしたサービスをすれば満足してもらえる。自信を持って行こうということで、権威あるホテルガイドの星を取るというわかりやすい目標を掲げた」と語る』、「隣接する複合ビルでオフィスビル賃貸事業・・・が経営を底支えしている。バイキング形式も帝国ホテルから全国に広がった」、イノベーティブな歴史もあるようだ。「バイキング形式」の元祖だったとは初めて知った。
・『悲願のホテル部門「5つ星」を取得 これまで接客向上やスイートルームの改装、客室家具の入れ替えなどを行ってきた。冷蔵庫に置く水の品質やペットボトルのデザインにもこだわり、宿泊客が清掃を依頼する際ドアノブにかける札には間伐材を導入した。レストランのストローも1本50円の木製のものに変えた。こうした積み重ねで2017年には3万円程度だった平均客室単価は5万円程度に上昇した。 同ガイドの5つ星ホテルは、マンダリンオリエンタル東京やパレスホテル東京など国内に10あるが、900項目にのぼる覆面調査を経た2020年9月、悲願のフォーブズ・トラベルガイド「ホテル部門」の5つ星(ファイブスター)を取得した。 ただ、いまはコロナ禍の真っただ中。キャピトル東急の宿泊客の75%を占める外国人客が一気に蒸発し、GoTo中断もあって足元の稼働率は10%台。閑古鳥の鳴く惨状は都内の他のホテルとまったく変わらない。それでもロックバンド、クイーンの名曲「The show must go on」(ショーを止めるわけにはいかない)の言葉をバックヤードに掲げ、従業員を鼓舞しながら売店とバー以外は開業させているという。 「コロナ禍でもホテルを愛用してくれるお客さんがいる。そうしたお客さんにコロナを理由にサービスを断ったり、レストランを閉めたりすることはできない。休業して助成金や協力金をもらうほうが効率的だが、けっして閉めてはいけないホテルがある」(末吉氏) キャピトル東急は2月末、ビジネスパースン向けに、スイートルーム(104.7平方メートル)の長期滞在プランを打ち出した。ジムやプールも無料で使えるが、料金は30泊210万円など。愛犬を連れて宿泊ができる部屋も用意し、多様な国内富裕層の需要に応える取り組みも始めたところだ。 かつてない不況に見舞われたホテル業界。「正解」の見えない暗中模索が続くが、その歩みを止めないホテルが結局、生き残ることになる』、高級ホテルの生き残り策も大変なようだ。
第三に、7月30日付け東洋経済Plus「「安さ」の裏にある過酷な労働実態 スーパーホテル、名ばかり「支配人」の悲惨」を紹介しよう。
https://premium.toyokeizai.net/articles/-/27642
・『柔軟な働き方の代表例である個人請負。 無権利状態であるがゆえに予期せぬ事態に追い込まれる人たちがいる。 1泊5000円前後、無料の朝食と温泉付き――。 そう聞けば、ピンとくるビジネスパーソンもいるだろう。全国に166店舗を展開するビジネスホテルチェーン「スーパーホテル」(本社:大阪市西区)だ。客にとってはリーズナブルなこのホテル。しかし、そこで働く店舗責任者の支配人のほとんどは、どれだけ長時間働いても残業代はいっさいもらえない。 2020年3月、新型コロナウイルスの感染拡大がいよいよ深刻になってきた頃だ。1年前なら外国人観光客であふれていた上野駅近くのビジネスホテル街は、閑散としていた。「スーパーホテルJR上野入谷口店」で住み込みで働く副支配人の渡邉亜佐美さんは、5人の男性たちに囲まれていた。 突然ホテルに入ってきた男性らは、制止を振り切ってフロントの受付や予約システムなど店舗業務を掌握し、ホテルを占拠。渡邉さんはフロントの奥にある居住スペースに追いやられた。恐怖を感じた渡邉さんと支配人のAさんは、荷物も持たず着の身着のままホテルを出て行かざるを得なかった。 実はこの男性らは、スーパーホテルの副社長と社員だった。いったい何が起きたのか』、どういうことなのだろう。
・『男女ペアで住み込み、24時間働き詰め この騒動から溯ること2年。2018年4月、渡邉さんとAさんは求人サイトで見つけたスーパーホテルの「ベンチャー支配人・副支配人」に応募した。現在も募集されている求人内容は、こうだ。 応募の条件は、夫婦やカップルなど「男女ペア」であること。男女2人でホテルの支配人・副支配人業務を委託され、その報酬として4年間で4650万円以上が支払われる。4年間勤めあげれば、起業や独立の資金として3000万円ほどの貯金ができるという触れ込みだ。2人が応募したのも、自らの事業の立ち上げに必要な資金を貯めるためだった。 「スーパードリームプロジェクト」と称される求人募集(インターネット上の求人広告より) 2人は89日間に及ぶ研修を受けた後、報酬2人合わせて1100万円で1年間の業務委託契約を締結した。業務委託契約書では、開業届を出して支配人が個人事業主となること、勤務先のホテルに住民票を移すことが義務付けられていた。 こうして2人は「個人事業主」として、JR上野入谷口店(69部屋)で働き始めた。だが、過酷な労働環境に苦しむことになる。 支配人の業務内容は、フロント業務から売上管理、客室の点検、朝食の準備まで、ホテルの業務全般で、勤務は長時間に及んだ。支配人であるAさんの勤務時間は毎日13時から翌朝5時半まで、副支配人の渡邉さんは同じく朝5時半から21時まで。会社の業務要項では、消防管理のため2人以上を常駐させることが義務づけられているため、実質、24時間いることが求められることになる。 それ以外の時間は、フロントの奥にある居住スペースで仮眠をとる。居住スペースといっても、防犯カメラの映像や電話機が設置された狭い宿直室だ。寝ている間も、夜間のチェックインや問い合わせで起こされることもある。 さらに、ホテルを365日、年中無休で営業する契約であるため、働き始めてから1日も休めなかった。病気や妊娠などで支配人らが休む場合は、本社から代行要員が派遣される制度がある。しかし、この代行には1日1人に付き3万円と本社からの交通費を支配人らが支払う必要があった。 仮に女性が妊娠して1カ月間休む場合、100万円以上の出費となる。そのため、実質的に支配人らが長期で休むことは難しい』、これでは「名ばかり「支配人」で、奴隷労働だ」。こんな脱法措置が認められるのだろうか。
・『「最低賃金」も守られない まるで休暇が取れない勤務体制は、通常の企業なら労働基準法違反に当たる働かせ方だ。だが、業務委託契約では労働基準法などの労働法全般が適用されない。労働者であれば守られるはずの最低賃金や解雇の規制はない。年金や健康保険も自己負担だ。一方それは会社側にとっては、社会保険料や時間外手当の負担が生じないことになる。 実際、支配人らへの報酬は最低賃金にも満たない。東京都の最低賃金である1013円で、2人を24時間常駐させた場合の人件費を試算すると、年間約1904万円が必要になる。一方、2人に支払われた1年間の報酬額は1170万円だった。 しかもその報酬には、アルバイト従業員に支払う人件費も含まれている。毎月分割で支払われる報酬から人件費を支払うと、「手元に残るお金はほとんどなく、貯金どころではなかった」とAさんは言う。 こうした個人事業主による業務委託店舗は、同社の採用サイトによるとスーパーホテル全店舗(2021年3月末で166)の75%を占める。一方、社員が運営する直営店は5%。直営店では6、7人の社員が勤務し、業務委託店舗より手厚い人員体制がとられている。 業務委託店舗について、スーパーホテルの採用サイトには次のようにうたわれている。 「ホテル業界では直営店舗かFC(フランチャイズ)店舗の展開がセオリーとされています。この業界の常識に一石を投じる形で、個人事業主に全ての運営を委ねるベンチャー支配人制度は生まれました」 ホテル業界で珍しい業務委託店舗は、不動産業を手がけていた創業者である現会長がつくったものだ。会長の著書『1泊4980円のスーパーホテルがなぜ「顧客満足度」日本一になれたのか?』(アスコム、2013年発行)には、業務委託店舗の仕組みできた経緯が記されている。 「これは、私が不動産事業でシングルマンションを手がけていたとき、管理人に住み込んでもらったことがヒントになっています」 さらに同制度については、こうつづられている。 「支配人も副支配人もスーパーホテルに住み込みで勤務するのが規則ですし、二四時間体制で四年間を過ごします。当然、同じ居室で暮らすわけですから、夫婦のほうがなにかと都合がいいのは当たり前です」 こうした同社独自の制度で、1996年に1号店を出店してから順調に店舗を増やし続けた。2021年は166店舗まで拡大。コロナ流行下で直近1年の売り上げは減少したもの、前年までは20年間増収を続けた』、「東京都の最低賃金である1013円で、2人を24時間常駐させた場合の人件費を試算すると、年間約1904万円が必要になる。一方、2人に支払われた1年間の報酬額は1170万円だった。 しかもその報酬には、アルバイト従業員に支払う人件費も含まれている」、「報酬」は徹底的に安いようだ。こうした店舗がすでに「166店舗まで拡大」とは驚かされた。
・『使い切った電池を入れ替えるよう 業務委託契約書の規定によると、売り上げ下がれば契約を解除される可能性があったため、Aさんと渡邉さんは1日も休まず営業を続けた。その結果、高い稼働率を維持してきた。しかし、ついに体が悲鳴を上げた。 勤務開始から1年を過ぎたころ、Aさんは過労で動悸や息切れを起こすようになった。耳鳴りと頭痛が3カ月間続き、2020年1月には勤務中に倒れ、救急車で病院に運ばれた。それでも、数時間後には仕事に復帰したという。渡邉さんも、1日2時間ほどの睡眠しか取れない日々が続いていた。 「最後の勤務日は5分も立っていられなかった」とAさんは振り返る。 「寝ていてもいつ起こされるかわからず、目を閉じていても、寝ているのか起きているのかわからない状態だった。お酒がないと寝つけないようになり、睡眠導入剤も飲んでいた。熟睡すると死ぬのではないかと不安だった」 心身ともに限界を感じるようなった2人は、個人で加入できる労働組合「首都圏青年ユニオン」に加入。2020年1月に、就労環境の改善を求めて会社側に団体交渉の申し入れをした。こうした最中の同年3月、冒頭のとおり、複数の男性社員が押しかけ、2人はホテルを出ていかざるをえなくなった。 その後2人には、業務委託契約を解除するという旨の通知が会社から届いた。この頃、コロナの流行により同ホテルでは、外国人宿泊客が激減。だが、会社側は支配人らの業務の怠慢によって客室の稼働率が低下したことを契約解除の理由に挙げている。 2人は、仕事と住まいの両方を同時に失った。副支配人の渡邉さんは話す。 「無理な働き方を強いられるため、ほかの店舗でもつぶれる人がいて1~2年で新しい支配人に入れ替わる。まるで使い切った電池を新品に入れ替えるように感じた」 Aさんらは2020年5月、スーパーホテルに対して解雇の無効や未払い残業代の支払いを求める訴訟を起こした。 裁判の最大の争点は、支配人Aさんや渡邉さんの労働実態が、労働基準法上の「労働者」に当たるかどうかだ。労働者であるかは契約形式のみではなく、その働き方の実態で判断される。厚生労働省が示す「労働者」の基準は、使用者の指揮監督下で拘束されて労働を提供し、その労務の対償を支払われる者とされる。 2人は会社の指示のもと、ほぼ24時間拘束されていた。膨大なマニュアルによって業務を規定され、ホテル運営の裁量権はほぼない。よって、本来時間や場所を制約されず、自らの裁量で働けるはずの業務委託には当たらない。働き方の実態は労働者のため、使用者は不当な解雇はできず、残業代を支払う必要がある。これがAさんらの主張だ。 対して、スーパーホテル側は「名実ともに業務委託である」(裁判の答弁書)と全面的に否定している。男性社員が押しかけたことに関しては、業務補助を行おうとしたが、2人が業務を放棄して会社に損害を与えたと主張。提訴したときに記者会見を開いて会社を批判したことが名誉毀損行為に当たるとして、損害賠償を求めて反訴している』、「2人は会社の指示のもと、ほぼ24時間拘束されていた。膨大なマニュアルによって業務を規定され、ホテル運営の裁量権はほぼない。よって、本来時間や場所を制約されず、自らの裁量で働けるはずの業務委託には当たらない。働き方の実態は労働者のため、使用者は不当な解雇はできず、残業代を支払う必要がある」、2人の主張は説得的だ。
・『フランチャイズとは別物 東洋経済の取材に対して、スーパーホテル側は「係争中のため対応は見送る」と回答した。 裁判所に提出された書面によると、時間や場所の拘束性について「ホテルに住民票を異動するように求めているが、個人事業主として税法上の便宜を図ることが目的で、ホテルの居住スペースに拘束する趣旨はない」、「業務をアルバイトに自由に割り振ることができる」と反論している。 ただ、アルバイトを雇っても、責任者である支配人らが長時間ホテルを空けることはできない。さらに、前述したような最低賃金に満たない報酬からアルバイトの人件費を賄わなければならない状態だった。 スーパーホテルはこうも主張している。支配人らの業務委託契約を「フランチャイズ契約と同視すべき」として、フランチャイズの事業主と同じだとする。 しかし、コンビニエンスストアなどが行うフランチャイズ契約は、会社が加盟店に対して商標などの権利を付与し、その対価として加盟店の事業主が売上の一部などの金銭を支払うしくみだ。売上は事業主の収入となる。 それに対し、スーパーホテルの業務委託店舗は金銭の流れが逆だ。会社側が支配人に一定の報酬を支払い、売上は会社に入る。会社側の評価による報奨金はあるものの、いくら売上を増やしても支配人らの収入増にはならない。 一方、稼働率の低下やスーパーホテルが定める評価基準を下回ると、契約解除の可能性がある。さらに、支配人側から中途解約をすれば、会社は毎月報酬から天引きしていた保証金を没収し、損害賠償請求ができる。こうした会社側に有利な内容が、Aさんらの業務委託契約書には記されていた。 Aさんらが契約書を目にしたのは、ホテルでの長期研修の終盤だった。応募時に受けた説明とは異なる内容だったが、すでに自宅や家財道具を引き払っていたため、後戻りはできなかったという。 「業務委託契約には規制をかける法律がない。不平等な契約で、使用者の都合のいい方法で労働者を使える。これを放置すれば、労働法に守られない『働かせ放題』が広がる可能性がある」。首都圏青年ユニオンの原田仁希委員長は、こう指摘する。 現在、裁判は継続中だ。2021年5月、同ユニオンは東京都労働委員会に、スーパーホテルが団体交渉に応じず、強制的にAさんらを職場から追い出したことに対して、不当労働行為の救済を求める申し立てを行った。 「私たちが声を上げたことを機に、今まで被害を受けた人が声上げられるといい」と渡邉さん。 実態は雇用契約の労働者と同様にもかかわらず、業務委託契約を結ぶ、名ばかりの「個人事業主」はあらゆる業種に広がっている。無法地帯はこのまま放置されるのか。この裁判の行方が、1つの試金石となる』、「名ばかりの「個人事業主」はあらゆる業種に広がっている」、「無法地帯」をこのまま放置してはならない。
タグ:ホテル (その3)(買収合戦の果てに「ハゲタカ」に食い尽くされた「ユニゾ」がたどる末路 債務不履行の危機も、「30泊36万円」超高級ホテル暮らしは定着するか 都内の名門老舗ホテルが長期滞在プランで勝負、「安さ」の裏にある過酷な労働実態 スーパーホテル 名ばかり「支配人」の悲惨) デイリー新潮 「買収合戦の果てに「ハゲタカ」に食い尽くされた「ユニゾ」がたどる末路 債務不履行の危機も」 この件の詳細は、このブログの昨年5月28日に紹介した。 無理をした「EBO」は後始末が大変なようだ。 東洋経済オンライン 「「30泊36万円」超高級ホテル暮らしは定着するか 都内の名門老舗ホテルが長期滞在プランで勝負」 ホテルのブランドイメージを維持できるのだろうか。 「隣接する複合ビルでオフィスビル賃貸事業・・・が経営を底支えしている。バイキング形式も帝国ホテルから全国に広がった」、イノベーティブな歴史もあるようだ。「バイキング形式」の元祖だったとは初めて知った。 高級ホテルの生き残り策も大変なようだ。 東洋経済Plus 「「安さ」の裏にある過酷な労働実態 スーパーホテル、名ばかり「支配人」の悲惨」 どういうことなのだろう。 これでは「名ばかり「支配人」で、奴隷労働だ」。こんな脱法措置が認められるのだろうか。 「東京都の最低賃金である1013円で、2人を24時間常駐させた場合の人件費を試算すると、年間約1904万円が必要になる。一方、2人に支払われた1年間の報酬額は1170万円だった。 しかもその報酬には、アルバイト従業員に支払う人件費も含まれている」、「報酬」は徹底的に安いようだ。こうした店舗がすでに「166店舗まで拡大」とは驚かされた。 「2人は会社の指示のもと、ほぼ24時間拘束されていた。膨大なマニュアルによって業務を規定され、ホテル運営の裁量権はほぼない。よって、本来時間や場所を制約されず、自らの裁量で働けるはずの業務委託には当たらない。働き方の実態は労働者のため、使用者は不当な解雇はできず、残業代を支払う必要がある」、2人の主張は説得的だ。 「名ばかりの「個人事業主」はあらゆる業種に広がっている」、「無法地帯」をこのまま放置してはならない。
コンビニ(その9)(コンビニの年始フル営業支える「助っ人」の正体 コロナ禍で24時間営業問題の弱点はかなり改善、「か・け・ふ」でファミマはどこまで強くなれるか 伊藤忠の「大エース」が担う改革の重責、セブン&アイ、井阪体制6年目でみえた「大変化」 当初予定から1年遅れで中期経営計画が発表に) [産業動向]
コンビニについては、昨年9月30日に取上げた。今日は、(その9)(コンビニの年始フル営業支える「助っ人」の正体 コロナ禍で24時間営業問題の弱点はかなり改善、「か・け・ふ」でファミマはどこまで強くなれるか 伊藤忠の「大エース」が担う改革の重責、セブン&アイ、井阪体制6年目でみえた「大変化」 当初予定から1年遅れで中期経営計画が発表に)である。
先ずは、昨年12月29日付け東洋経済オンラインが掲載した ツナグ働き方研究所 所長の平賀 充記氏による「コンビニの年始フル営業支える「助っ人」の正体 コロナ禍で24時間営業問題の弱点はかなり改善」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/399864
・『「コロナ禍のなか、一生懸命働いてくれた従業員をねぎらいたい」 首都圏で展開するスーパーのサミットは、正月三が日を休業とすることを決めました。サミットの三が日休業は33年ぶりです。1都3県で132店を展開するいなげやも、商業施設や郊外立地店舗など17店を除き、三が日は休む方針。元日休業する大手で目立つのはイオンぐらいです。 スーパーマーケット業界では、年末年始を休業や時短営業に切り替える動きが広がっています。中小スーパーの業界団体が加盟約1500店舗を対象に実施した正月の休業計画の調査によると、元日休業が77%、元日と2日の休業は42%、例年ほとんど見られなかった元日から3日までの休業は23%にのぼっています。業界団体幹部はよると「例年だと三が日休業の企業は1割にも満たなかった」とのこと』、「三が日休業の企業」が23%と、例年比倍増したのはいいことだ。
・『コンビニは正月も休まない これまで、スーパーは年中無休のコンビニに対抗するため元日のみ休業が大半でした。ここ数年は、空前の人出不足と働き方改革の流れから休業が増えていましたが、この年末年始は、コロナ禍というまったく違う理由ながら、さらに休業が加速することとなりました。 一方で、コンビニ各社の動向は逆です。なんと昨年より通常営業に近いかたちとなりそうなのです。今年の年始に50店で休業、時短営業を実施したセブン-イレブン・ジャパンは今回は原則として通常通りに営業する予定です。 ファミリーマートも、休暇を希望した店舗には本部社員がオーナーの業務を代行し負担を軽減する措置をとりつつ、通常営業を続ける方針です。ローソンでは、昨年から今年にかけての年末年始に、全国102のフランチャイズ店で休業実験を行っていました。今年も本部に相談があったフランチャイズ加盟店を対象に、全国の85店舗ほどで年末年始に時短営業や休業を実施します。ただ昨年より実施店舗は少なく、全店舗の1%未満です。) 思い起こせば、感染が拡大する直前の今年2月頃までは「24時間営業問題」といわれるくらい、その是非について議論されていましたが、新型コロナウイルス騒ぎですっかり話題から消えました。4月以降、アルバイト先の飲食店が営業自粛になり、生活費を稼ぐことがままならなくなった学生などが、コンビニの求人に飛びつくようにして応募しているのです。 ローソンが今年5月、東京都墨田区の新店開業で求人募集を行ったときの応募数は、なんと340人。募集予定数は20人程度だったため、倍率は実に17倍にも及びます。既存店を含めた自社の求人サイトを通じた応募総数は、4月は前年同月比で約3倍、5月以降も4~7割増という高い水準で推移しているとのこと。セブンやファミマも状況は同じで、8月は両社とも求人応募数が前年同月比で約2倍に膨らんでいるのです。 今年10月の有効求人倍率をみるとコンビニ業界は1.38倍。昨年同時期の2.54倍から大きく低下しています。働きたい人ひとりあたりにいくつの仕事があるかを示すこの指標からも、確かにコンビニ業界の慢性的な人出不足が解消されつつあるように見えます。コロナ第3波によって、飲食店などの閉店ラッシュが進むことになれば、仕事を求めてコンビニに人が集まるという状況がさらに強まるでしょう。コンビニ各社が、年末年始を休まず営業するという強気の決断をできた背景もそこにあります』、「4月以降、アルバイト先の飲食店が営業自粛になり、生活費を稼ぐことがままならなくなった学生などが、コンビニの求人に飛びつくようにして応募している」、「コンビニ各社が、年末年始を休まず営業するという強気の決断をできた背景」、なるほど。
・『全体的な数字は改善だが局所的に問題は残る ただ、こうしたデータは、あくまでも全体的な概観を示すものです。言ってみれば大手コンビニ3社の本部サイドからみた景色です。 そもそも過疎地域では、構造的な採用難に喘ぎ続けています。繁華街にある店舗は、コロナ禍によって都心に通うリスクが生じたことから採用に大苦戦しています。外国人留学生にも頼りづらい状況で、特に深夜のシフトを埋める人材が枯渇しがちです。 人が集まる地域集まらない地域、人が集まる時間帯集まらない時間帯といった“格差”は、採用環境がある程度改善されたとしても消えずに残っています。いまだ埋まらないシフトは日本全国のいたるところに存在するわけです。一店舗一店舗を経営するFCオーナーには、人によってまったく違う景色が見えているはず。 それだけではありません。従業員の勤務時間を調整する際に発覚する「シフトの穴問題」もあります。急に欠勤する従業員もいます。こうした突発的に発生する人出不足への対応は、依然として悩ましい問題なのです。 採用難店舗、採用難時間、突発的なシフトの穴――。こうした突発的に発生する人手不足を埋めている働き手が、実はいまコンビニ業界を席巻しています。 それがコンビニジョブホッパーです。コンビニ経験者が、ひとつの店舗に雇われるのではなく、いろいろな店舗を渡り歩きながら働くというワークスタイル。自分の都合に合わせ稼ぐウーバーイーツなどと似ていることもあり、コンビニ業界版ギグワーカーというほうがわかりやすいかもしれません』、「コンビニジョブホッパー」が、「突発的に発生する人手不足を埋めている働き手」として新たに登場したとはたくましいものだ。
・『面接なしで採用、いつでもどこでも働ける 「コンビ二ってどこにでもありますよね。経験があると面接なしで採用してもらえるのでラクです。しばらくは、こういう生き方もありかなぁと」 「人間関係が苦手なんで雇われないほうが気楽です。働きたい時にすぐ働けるし」 「コロナで給料減った分、学生時代の経験を生かしてコンビニで副業やってます。本業じゃないから、ある程度家から近いならどの店でもいいし」 「この働き方だと、日本全国のコンビニで働きながら旅できるな、とか妄想したこともあります(笑)」 彼らに取材すると、こうした声がズラリと返ってきました。 なぜ、このような働き方がコンビニ業界で広まってきたのか。 その背景には業界の特性が大きく影響しています。コンビニは日本全国に約5万5000店舗もあり、そもそも雇用の受け皿が大きい。しかも3大チェーンで寡占しているマーケットで、業務内容がある程度共通化されています。もちろんレジなどの基幹システムは違いますし、個々のFCオーナーが独自ルールを定めていたりもします。しかし相対的にはポータブルスキル(=他の職場でも生かせるスキル)が発揮しやすい業容なのです。 セブンで働いた経験者ならセブンですぐに働けるし、セブンで働いた経験者がローソンで働くという他社店舗への鞍替えも比較的容易なのです。 これは裏を返すと雇う側の利点につながっています。コンビニ経験者であれば(もし他社店舗経験者であっても)、ある程度戦力として計算できます。面接をすっ飛ばして採用できるので、急に空いたシフトをタイムリーに埋めてもらうことができます。24時間365日のシフトを担保しなければならないコンビニ店舗にとっては、採用までのシンプルさとスピード感は極めて貴重です』、「コンビニ経験者であれば(もし他社店舗経験者であっても)、ある程度戦力として計算できます。面接をすっ飛ばして採用できるので、急に空いたシフトをタイムリーに埋めてもらうことができます」、確かに「コンビニ店舗にとっては」ありがたい存在だ。
・『細切れかつオンデマンドな働き方に対応進む こうしたコンビニ店舗の思惑をサポートするテクノロジーも進化しています。テレビCMでも知名度をあげたタイミーやショットワークスといったメディアの台頭によって、スキマ時間のマッチングが一般化してきました。電子雇用契約や給与支払いシステムが広まっていったことも、“細切れ”かつ“オンデマンド”な働き方の普及に一役買っています。 コンビニに人が集まりやすくなって、店舗のレギュラーメンバーに不足はなくなったとしても、主戦力である主婦やシニアのなかには、年末年始に働くことを躊躇する人も少なくありません。結局のところ、そうした人たちが休むシフトの穴を埋めてくれる人が必須なのです。そういった意味では、コンビニ各社が年末年始に営業できるのは、コンビニ版ギグワーカーという“助っ人”がいるからなのです。 この年末年始、スーパーが軒並み休業するなかで、コンビニ業界がフル稼働してくれるのは、生活インフラの観点からすればありがたい話です。大袈裟ではなく、“助っ人”ギグワーカーがウイズコロナの正月三が日を支えます』、「タイミーやショットワークスといったメディアの台頭によって、スキマ時間のマッチングが一般化してきました。電子雇用契約や給与支払いシステムが広まっていったことも、“細切れ”かつ“オンデマンド”な働き方の普及に一役買っています」、こんなイノベーションも「コンビニ版ギグワーカー」を支えているようだ。
次に、1月23日付け東洋経済Plus「「か・け・ふ」でファミマはどこまで強くなれるか 伊藤忠の「大エース」が担う改革の重責」を紹介しよう。
https://premium.toyokeizai.net/articles/-/25994
・『2016年9月にサークルKサンクスと合併したファミリーマート。伊藤忠商事によるTOB後に社長交代が決まり、いよいよ改革が本格化する。合併後にファミマはどう変わってきたのか。過去の社長インタビューや記事も交えて改革の行方を探る。「2021年はファミリーマート40周年という重要な節目の年。新たな体制でよりよい会社にしていくため、社長交代を決めた」。1月18日の会見で、ファミリーマートの澤田貴司社長はそう語った。 今年3月から社長に就くのが、「(伊藤忠商事の)大エース」(澤田社長)である細見研介氏(58)だ。細見氏は伊藤忠入社後、約30年間にわたり繊維部門を歩んだ。過去にはアメリカのバッグブランド「レスポートサック」の全世界の商標権使用について競合に決まりかけていた中、3年越しの交渉で獲得した功績がある。 その後、細見氏は食品流通部門長を経て、新たなビジネス創出を目的として2019年に新設された「第8カンパニー」のプレジデントに就任。この新組織に課されていたのが、伊藤忠傘下のファミマ改革だった。岡藤正広会長CEOの「懐刀」とされる細見氏は、王者セブン-イレブンに水をあけられているファミマの改革加速に向けて送り込まれた格好だ。 社長交代会見で細見新社長は「eコマースをはじめとする他業態との競争の激化に加え、デジタル化とコロナ禍の深刻化で人々のライフスタイルが急速に変化している。まさに嵐の中の船出だが、次の40年の持続的な成長に向けて確実に一歩を踏み出し、礎を築くのが私の使命」と語った。 今回の社長交代に合わせて役員も大幅に入れ替わる。4人の社外取締役は2月28日付けですべて退任する。そして、8人の社内取締役のうち、コンビニ業界出身の2人に代わって伊藤忠から2人が加わり、4月からは髙柳浩二会長、細見氏など6人が伊藤忠出身者となる。 では、細見氏はどのようにファミマを舵取りしていくのか。 細見氏は伊藤忠商事の「か・け・ふ」という商売の三原則を引き合いに、「『稼ぐ・削る・防ぐ』の3つに分けて課題を早急に明確化していく」と説明。中でも「1丁目1番地」として挙げたのが、デジタル技術を駆使したコスト削減で、サプライチェーンの再構築に着手しているという。 国内で1.6万店を構えるファミマの商品の粗利益率は30.4%である一方、2.1万店のセブン(32%)、1.4万店と店舗数ではファミマの後塵を拝するローソン(31.1%)にも劣る(いずれも2020年3月~11月期)。 伊藤忠は昨年のTOB(株式公開買い付け)でファミマを取り込んだことで、一体化が加速する。例えば、ファミマの物流は伊藤忠商事の完全子会社である日本アクセスが多くを担うが、ここでの効率化(削る)があるだろう。それだけでなく、ファミマ向けの弁当などを作る製造業者との関係も改めて強化し、ライバルに劣るとされる商品開発力をいかに高めるかも重要だ。 1日の来店客数1500万を基盤としたデータの活用もカギを握る。細見氏は「デジタル化の進展で購買情報が大きく蓄積されてくる。それを利用し、さまざまなパートナーと組みながら新しい事業を創出していく」としている』、「伊藤忠」色を前面に出した「細見」新体制の課題も多そうだ。
・『「2021年問題」という難所 もっとも、「か・け・ふ」を推し進めるに当たり、難所が待ち構えている。一部のファミマ加盟店オーナーが「2021年問題」と名付けて懸念する課題だ。 2016年9月にサークルKサンクスと合併したファミマは、サークルKサンクス約5000店をブランド転換してきた。転換時に元サークルKサンクスの加盟店オーナーの多くはファミマと5年間の契約を結んでおり、初回の契約更新が2021年秋から始まる。 サークルKサンクスから転換したファミマのある加盟店オーナーは、「サークルKサンクスは加盟店と本部が一緒に伸びていこうという共存共栄の姿勢だったが、ファミマではその姿勢が感じられず残念」と不満を口にする。十分な利益を得られないなど、本部が加盟店の不満を解消できなければ、21年以降の契約を更新しない加盟店オーナーが大量に現れかねない。 この点について澤田社長は、「(2020年3月に新設した)店舗再生本部でいったん直営化してから(別のオーナーの加盟店とすることで)加盟店に戻すパターンもあるし、複数店に対する支援も行うよう契約を見直している。十分準備は整っており実行段階にある」と1月18日の会見で説明した。 別の加盟店オーナーは、「大量の契約更新が迫っているだけに、(社長に就く細見氏は)最初の1年が最も重要」と指摘する。伊藤忠から送り込まれた大エースは、加盟店との信頼関係を維持し、現在の1.6万店という規模のまま「強いファミマ」へ変えられるのか。社長就任早々、その経営手腕が試されそうだ』、「2021年問題」では「サークルKサンクスから転換したファミマのある加盟店」が契約を更新しないリスクをどの程度抑えられるか、新社長の腕が試されそうだ。
第三に、7月7日付け東洋経済オンライン「セブン&アイ、井阪体制6年目でみえた「大変化」 当初予定から1年遅れで中期経営計画が発表に」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/439190
・『「(目標を)達成すべく必死になって進めていきたい」。2021~2025年度の中期経営計画を7月1日に発表したセブン&アイ・ホールディングス(HD)。井阪隆一社長は強い覚悟でそう語った。 新たな計画の最大の特徴は、北米を成長の源と位置付けた点だ。営業キャッシュフロー(金融事業を除く)の計画数値からは、それが鮮明に見える。2019年度のセブン&アイ・HDの営業キャッシュフローは4774億円。そのうち、北米コンビニ事業の占める比率は約3割だった。2025年度には同キャッシュフローを8000億円に拡大させ、その半分の4000億円を海外で稼ぎ出す計画だ。 なお利益指標については、会社全体のEBITDA(利払い前・税引き前・償却前利益)のみを示した。2020年度の6268億円から2025年度には1兆円以上に伸ばすとしている』、「営業キャッシュフロー」の「半分の4000億円を海外で稼ぎ出す計画」、買収した米国の子会社にそんな力があるのだろうか。
・『「千載一遇のチャンス」が到来 海外コンビニ事業の牽引役は、アメリカのセブン-イレブンとなる。今年5月には、現地の石油精製会社であるマラソン・ペトロリアムから、「スピードウェイ」を中心とするコンビニ事業を210億ドル(約2.3兆円)で買収。北米におけるセブンの店舗は買収前の9500店から1万3000店になる。スピードウェイはアメリカで店舗数3位。同1位だった米セブンの地位は強固なものになる。 ホットドッグなど好採算商品の販売拡大で、収益性の向上も狙う。弁当など中食の販売で成長してきた日本での成功モデルを輸入する格好だ。買収3年目で見込めるシナジーはEBITDAベースで、5.25億ドル~6.25億ドル(約570億~680億円)。「スピードウェイとの統合は千載一遇のチャンス」と、井阪社長が大きな期待を寄せるのもうなずける。 一方の国内事業についても、新たな計画ではこれまでとの変化が見て取れる。グループの総合力強化を打ち出した点だ。その方針は「グループ食品戦略」に表れている。 セブン&アイ・HDの2020年度の国内売上高7兆4600億円のうち、食品は6割以上を占める重要分野だ。そこで今後は、グループ全体でミールキット(食材セット)などの商 品強化に取り組む。イトーヨーカ堂や国内セブンなどの各社で共同利用するセントラルキッチンや物流センターなどを開設し、効率化を図る。 セブン&アイ・HDは傘下にコンビニから総合スーパーまで多様な業態を持つ。その強みと規模のメリットを生かす考えだ。) 前回の2017~2019年度の中期経営計画は、国内事業の「止血」に軸足を置いたものだった。特にイトーヨーカ堂や百貨店のそごう・西武は、投資効率の低さが問題視され、前中期計画以降に閉店が進んだ。 イトーヨーカ堂の店舗は、2016年度初めの182店から2020年度末には132店へと減った。減少分には、同じセブン&アイグループのヨークに移管した「食品館」などの20店も含むが、イトーヨーカ堂の三枝富博社長は、今年2月の東洋経済の取材で「止血としての閉店は8割方できた」と話した。2016年度初めに23店あったそごう・西武も、店舗譲渡や閉店を経て、直近では10店まで減少した』、「止血としての閉店は8割方できた」ということは、まだ「2割方」の「閉店」はありそうだ。
・『見えにくい「成長の方程式」 国内事業の止血にメドがついたことで、新たな中期経営計画では成長戦略を前面に押し出した形だ。しかし、「アメリカのコンビニで中食を伸ばす」と目標が明快な海外事業と異なり、国内の各事業は「成長の方程式」が見えにくい。 そうなったのは、やはり国内事業が成長の決め手に欠けているからだろう。2010年代の大半の時期は、コンビニを多く出店することで国内でも成長できた。今でも国内コンビニ事業が稼ぎ頭であることに変わりはないが、出店拡大による成長余地は限られている。新たな中期経営計画でも、国内の出店についてはほぼ言及していない。 加えてコロナ禍で事業環境が激変。「個々の事業では十分な変化対応ができない」(井阪社長)とわかり、「横の連携やシナジーを上げる仕組みが足りなかった」(同)との反省にたった。 そこで新たな中期経営計画ではグループの総合力強化という全体最適策を採ることにした。個の力で成長を描くのは困難なため、各社の連携で弱みをカバーしようというわけだ。 だが、成長期待のまだ残るコンビニ事業に経営資源を集中すべきだと主張する声は依然根強い。アメリカのも「であるバリューアクトも今年5月、セブン&アイ・HDは事業を選別すべきだと示唆するコメントを発表した。 北米など海外だけでなく、国内事業でも成長する未来を示せるか。それができなければ、株主から注がれる視線は一段と厳しくなるだろう』、「国内事業でも成長する未来を示せるか」、これまで示せていないだけに、今後「物言う株主」からの要求は一段と厳しくなる可能性がありそうだ。
先ずは、昨年12月29日付け東洋経済オンラインが掲載した ツナグ働き方研究所 所長の平賀 充記氏による「コンビニの年始フル営業支える「助っ人」の正体 コロナ禍で24時間営業問題の弱点はかなり改善」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/399864
・『「コロナ禍のなか、一生懸命働いてくれた従業員をねぎらいたい」 首都圏で展開するスーパーのサミットは、正月三が日を休業とすることを決めました。サミットの三が日休業は33年ぶりです。1都3県で132店を展開するいなげやも、商業施設や郊外立地店舗など17店を除き、三が日は休む方針。元日休業する大手で目立つのはイオンぐらいです。 スーパーマーケット業界では、年末年始を休業や時短営業に切り替える動きが広がっています。中小スーパーの業界団体が加盟約1500店舗を対象に実施した正月の休業計画の調査によると、元日休業が77%、元日と2日の休業は42%、例年ほとんど見られなかった元日から3日までの休業は23%にのぼっています。業界団体幹部はよると「例年だと三が日休業の企業は1割にも満たなかった」とのこと』、「三が日休業の企業」が23%と、例年比倍増したのはいいことだ。
・『コンビニは正月も休まない これまで、スーパーは年中無休のコンビニに対抗するため元日のみ休業が大半でした。ここ数年は、空前の人出不足と働き方改革の流れから休業が増えていましたが、この年末年始は、コロナ禍というまったく違う理由ながら、さらに休業が加速することとなりました。 一方で、コンビニ各社の動向は逆です。なんと昨年より通常営業に近いかたちとなりそうなのです。今年の年始に50店で休業、時短営業を実施したセブン-イレブン・ジャパンは今回は原則として通常通りに営業する予定です。 ファミリーマートも、休暇を希望した店舗には本部社員がオーナーの業務を代行し負担を軽減する措置をとりつつ、通常営業を続ける方針です。ローソンでは、昨年から今年にかけての年末年始に、全国102のフランチャイズ店で休業実験を行っていました。今年も本部に相談があったフランチャイズ加盟店を対象に、全国の85店舗ほどで年末年始に時短営業や休業を実施します。ただ昨年より実施店舗は少なく、全店舗の1%未満です。) 思い起こせば、感染が拡大する直前の今年2月頃までは「24時間営業問題」といわれるくらい、その是非について議論されていましたが、新型コロナウイルス騒ぎですっかり話題から消えました。4月以降、アルバイト先の飲食店が営業自粛になり、生活費を稼ぐことがままならなくなった学生などが、コンビニの求人に飛びつくようにして応募しているのです。 ローソンが今年5月、東京都墨田区の新店開業で求人募集を行ったときの応募数は、なんと340人。募集予定数は20人程度だったため、倍率は実に17倍にも及びます。既存店を含めた自社の求人サイトを通じた応募総数は、4月は前年同月比で約3倍、5月以降も4~7割増という高い水準で推移しているとのこと。セブンやファミマも状況は同じで、8月は両社とも求人応募数が前年同月比で約2倍に膨らんでいるのです。 今年10月の有効求人倍率をみるとコンビニ業界は1.38倍。昨年同時期の2.54倍から大きく低下しています。働きたい人ひとりあたりにいくつの仕事があるかを示すこの指標からも、確かにコンビニ業界の慢性的な人出不足が解消されつつあるように見えます。コロナ第3波によって、飲食店などの閉店ラッシュが進むことになれば、仕事を求めてコンビニに人が集まるという状況がさらに強まるでしょう。コンビニ各社が、年末年始を休まず営業するという強気の決断をできた背景もそこにあります』、「4月以降、アルバイト先の飲食店が営業自粛になり、生活費を稼ぐことがままならなくなった学生などが、コンビニの求人に飛びつくようにして応募している」、「コンビニ各社が、年末年始を休まず営業するという強気の決断をできた背景」、なるほど。
・『全体的な数字は改善だが局所的に問題は残る ただ、こうしたデータは、あくまでも全体的な概観を示すものです。言ってみれば大手コンビニ3社の本部サイドからみた景色です。 そもそも過疎地域では、構造的な採用難に喘ぎ続けています。繁華街にある店舗は、コロナ禍によって都心に通うリスクが生じたことから採用に大苦戦しています。外国人留学生にも頼りづらい状況で、特に深夜のシフトを埋める人材が枯渇しがちです。 人が集まる地域集まらない地域、人が集まる時間帯集まらない時間帯といった“格差”は、採用環境がある程度改善されたとしても消えずに残っています。いまだ埋まらないシフトは日本全国のいたるところに存在するわけです。一店舗一店舗を経営するFCオーナーには、人によってまったく違う景色が見えているはず。 それだけではありません。従業員の勤務時間を調整する際に発覚する「シフトの穴問題」もあります。急に欠勤する従業員もいます。こうした突発的に発生する人出不足への対応は、依然として悩ましい問題なのです。 採用難店舗、採用難時間、突発的なシフトの穴――。こうした突発的に発生する人手不足を埋めている働き手が、実はいまコンビニ業界を席巻しています。 それがコンビニジョブホッパーです。コンビニ経験者が、ひとつの店舗に雇われるのではなく、いろいろな店舗を渡り歩きながら働くというワークスタイル。自分の都合に合わせ稼ぐウーバーイーツなどと似ていることもあり、コンビニ業界版ギグワーカーというほうがわかりやすいかもしれません』、「コンビニジョブホッパー」が、「突発的に発生する人手不足を埋めている働き手」として新たに登場したとはたくましいものだ。
・『面接なしで採用、いつでもどこでも働ける 「コンビ二ってどこにでもありますよね。経験があると面接なしで採用してもらえるのでラクです。しばらくは、こういう生き方もありかなぁと」 「人間関係が苦手なんで雇われないほうが気楽です。働きたい時にすぐ働けるし」 「コロナで給料減った分、学生時代の経験を生かしてコンビニで副業やってます。本業じゃないから、ある程度家から近いならどの店でもいいし」 「この働き方だと、日本全国のコンビニで働きながら旅できるな、とか妄想したこともあります(笑)」 彼らに取材すると、こうした声がズラリと返ってきました。 なぜ、このような働き方がコンビニ業界で広まってきたのか。 その背景には業界の特性が大きく影響しています。コンビニは日本全国に約5万5000店舗もあり、そもそも雇用の受け皿が大きい。しかも3大チェーンで寡占しているマーケットで、業務内容がある程度共通化されています。もちろんレジなどの基幹システムは違いますし、個々のFCオーナーが独自ルールを定めていたりもします。しかし相対的にはポータブルスキル(=他の職場でも生かせるスキル)が発揮しやすい業容なのです。 セブンで働いた経験者ならセブンですぐに働けるし、セブンで働いた経験者がローソンで働くという他社店舗への鞍替えも比較的容易なのです。 これは裏を返すと雇う側の利点につながっています。コンビニ経験者であれば(もし他社店舗経験者であっても)、ある程度戦力として計算できます。面接をすっ飛ばして採用できるので、急に空いたシフトをタイムリーに埋めてもらうことができます。24時間365日のシフトを担保しなければならないコンビニ店舗にとっては、採用までのシンプルさとスピード感は極めて貴重です』、「コンビニ経験者であれば(もし他社店舗経験者であっても)、ある程度戦力として計算できます。面接をすっ飛ばして採用できるので、急に空いたシフトをタイムリーに埋めてもらうことができます」、確かに「コンビニ店舗にとっては」ありがたい存在だ。
・『細切れかつオンデマンドな働き方に対応進む こうしたコンビニ店舗の思惑をサポートするテクノロジーも進化しています。テレビCMでも知名度をあげたタイミーやショットワークスといったメディアの台頭によって、スキマ時間のマッチングが一般化してきました。電子雇用契約や給与支払いシステムが広まっていったことも、“細切れ”かつ“オンデマンド”な働き方の普及に一役買っています。 コンビニに人が集まりやすくなって、店舗のレギュラーメンバーに不足はなくなったとしても、主戦力である主婦やシニアのなかには、年末年始に働くことを躊躇する人も少なくありません。結局のところ、そうした人たちが休むシフトの穴を埋めてくれる人が必須なのです。そういった意味では、コンビニ各社が年末年始に営業できるのは、コンビニ版ギグワーカーという“助っ人”がいるからなのです。 この年末年始、スーパーが軒並み休業するなかで、コンビニ業界がフル稼働してくれるのは、生活インフラの観点からすればありがたい話です。大袈裟ではなく、“助っ人”ギグワーカーがウイズコロナの正月三が日を支えます』、「タイミーやショットワークスといったメディアの台頭によって、スキマ時間のマッチングが一般化してきました。電子雇用契約や給与支払いシステムが広まっていったことも、“細切れ”かつ“オンデマンド”な働き方の普及に一役買っています」、こんなイノベーションも「コンビニ版ギグワーカー」を支えているようだ。
次に、1月23日付け東洋経済Plus「「か・け・ふ」でファミマはどこまで強くなれるか 伊藤忠の「大エース」が担う改革の重責」を紹介しよう。
https://premium.toyokeizai.net/articles/-/25994
・『2016年9月にサークルKサンクスと合併したファミリーマート。伊藤忠商事によるTOB後に社長交代が決まり、いよいよ改革が本格化する。合併後にファミマはどう変わってきたのか。過去の社長インタビューや記事も交えて改革の行方を探る。「2021年はファミリーマート40周年という重要な節目の年。新たな体制でよりよい会社にしていくため、社長交代を決めた」。1月18日の会見で、ファミリーマートの澤田貴司社長はそう語った。 今年3月から社長に就くのが、「(伊藤忠商事の)大エース」(澤田社長)である細見研介氏(58)だ。細見氏は伊藤忠入社後、約30年間にわたり繊維部門を歩んだ。過去にはアメリカのバッグブランド「レスポートサック」の全世界の商標権使用について競合に決まりかけていた中、3年越しの交渉で獲得した功績がある。 その後、細見氏は食品流通部門長を経て、新たなビジネス創出を目的として2019年に新設された「第8カンパニー」のプレジデントに就任。この新組織に課されていたのが、伊藤忠傘下のファミマ改革だった。岡藤正広会長CEOの「懐刀」とされる細見氏は、王者セブン-イレブンに水をあけられているファミマの改革加速に向けて送り込まれた格好だ。 社長交代会見で細見新社長は「eコマースをはじめとする他業態との競争の激化に加え、デジタル化とコロナ禍の深刻化で人々のライフスタイルが急速に変化している。まさに嵐の中の船出だが、次の40年の持続的な成長に向けて確実に一歩を踏み出し、礎を築くのが私の使命」と語った。 今回の社長交代に合わせて役員も大幅に入れ替わる。4人の社外取締役は2月28日付けですべて退任する。そして、8人の社内取締役のうち、コンビニ業界出身の2人に代わって伊藤忠から2人が加わり、4月からは髙柳浩二会長、細見氏など6人が伊藤忠出身者となる。 では、細見氏はどのようにファミマを舵取りしていくのか。 細見氏は伊藤忠商事の「か・け・ふ」という商売の三原則を引き合いに、「『稼ぐ・削る・防ぐ』の3つに分けて課題を早急に明確化していく」と説明。中でも「1丁目1番地」として挙げたのが、デジタル技術を駆使したコスト削減で、サプライチェーンの再構築に着手しているという。 国内で1.6万店を構えるファミマの商品の粗利益率は30.4%である一方、2.1万店のセブン(32%)、1.4万店と店舗数ではファミマの後塵を拝するローソン(31.1%)にも劣る(いずれも2020年3月~11月期)。 伊藤忠は昨年のTOB(株式公開買い付け)でファミマを取り込んだことで、一体化が加速する。例えば、ファミマの物流は伊藤忠商事の完全子会社である日本アクセスが多くを担うが、ここでの効率化(削る)があるだろう。それだけでなく、ファミマ向けの弁当などを作る製造業者との関係も改めて強化し、ライバルに劣るとされる商品開発力をいかに高めるかも重要だ。 1日の来店客数1500万を基盤としたデータの活用もカギを握る。細見氏は「デジタル化の進展で購買情報が大きく蓄積されてくる。それを利用し、さまざまなパートナーと組みながら新しい事業を創出していく」としている』、「伊藤忠」色を前面に出した「細見」新体制の課題も多そうだ。
・『「2021年問題」という難所 もっとも、「か・け・ふ」を推し進めるに当たり、難所が待ち構えている。一部のファミマ加盟店オーナーが「2021年問題」と名付けて懸念する課題だ。 2016年9月にサークルKサンクスと合併したファミマは、サークルKサンクス約5000店をブランド転換してきた。転換時に元サークルKサンクスの加盟店オーナーの多くはファミマと5年間の契約を結んでおり、初回の契約更新が2021年秋から始まる。 サークルKサンクスから転換したファミマのある加盟店オーナーは、「サークルKサンクスは加盟店と本部が一緒に伸びていこうという共存共栄の姿勢だったが、ファミマではその姿勢が感じられず残念」と不満を口にする。十分な利益を得られないなど、本部が加盟店の不満を解消できなければ、21年以降の契約を更新しない加盟店オーナーが大量に現れかねない。 この点について澤田社長は、「(2020年3月に新設した)店舗再生本部でいったん直営化してから(別のオーナーの加盟店とすることで)加盟店に戻すパターンもあるし、複数店に対する支援も行うよう契約を見直している。十分準備は整っており実行段階にある」と1月18日の会見で説明した。 別の加盟店オーナーは、「大量の契約更新が迫っているだけに、(社長に就く細見氏は)最初の1年が最も重要」と指摘する。伊藤忠から送り込まれた大エースは、加盟店との信頼関係を維持し、現在の1.6万店という規模のまま「強いファミマ」へ変えられるのか。社長就任早々、その経営手腕が試されそうだ』、「2021年問題」では「サークルKサンクスから転換したファミマのある加盟店」が契約を更新しないリスクをどの程度抑えられるか、新社長の腕が試されそうだ。
第三に、7月7日付け東洋経済オンライン「セブン&アイ、井阪体制6年目でみえた「大変化」 当初予定から1年遅れで中期経営計画が発表に」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/439190
・『「(目標を)達成すべく必死になって進めていきたい」。2021~2025年度の中期経営計画を7月1日に発表したセブン&アイ・ホールディングス(HD)。井阪隆一社長は強い覚悟でそう語った。 新たな計画の最大の特徴は、北米を成長の源と位置付けた点だ。営業キャッシュフロー(金融事業を除く)の計画数値からは、それが鮮明に見える。2019年度のセブン&アイ・HDの営業キャッシュフローは4774億円。そのうち、北米コンビニ事業の占める比率は約3割だった。2025年度には同キャッシュフローを8000億円に拡大させ、その半分の4000億円を海外で稼ぎ出す計画だ。 なお利益指標については、会社全体のEBITDA(利払い前・税引き前・償却前利益)のみを示した。2020年度の6268億円から2025年度には1兆円以上に伸ばすとしている』、「営業キャッシュフロー」の「半分の4000億円を海外で稼ぎ出す計画」、買収した米国の子会社にそんな力があるのだろうか。
・『「千載一遇のチャンス」が到来 海外コンビニ事業の牽引役は、アメリカのセブン-イレブンとなる。今年5月には、現地の石油精製会社であるマラソン・ペトロリアムから、「スピードウェイ」を中心とするコンビニ事業を210億ドル(約2.3兆円)で買収。北米におけるセブンの店舗は買収前の9500店から1万3000店になる。スピードウェイはアメリカで店舗数3位。同1位だった米セブンの地位は強固なものになる。 ホットドッグなど好採算商品の販売拡大で、収益性の向上も狙う。弁当など中食の販売で成長してきた日本での成功モデルを輸入する格好だ。買収3年目で見込めるシナジーはEBITDAベースで、5.25億ドル~6.25億ドル(約570億~680億円)。「スピードウェイとの統合は千載一遇のチャンス」と、井阪社長が大きな期待を寄せるのもうなずける。 一方の国内事業についても、新たな計画ではこれまでとの変化が見て取れる。グループの総合力強化を打ち出した点だ。その方針は「グループ食品戦略」に表れている。 セブン&アイ・HDの2020年度の国内売上高7兆4600億円のうち、食品は6割以上を占める重要分野だ。そこで今後は、グループ全体でミールキット(食材セット)などの商 品強化に取り組む。イトーヨーカ堂や国内セブンなどの各社で共同利用するセントラルキッチンや物流センターなどを開設し、効率化を図る。 セブン&アイ・HDは傘下にコンビニから総合スーパーまで多様な業態を持つ。その強みと規模のメリットを生かす考えだ。) 前回の2017~2019年度の中期経営計画は、国内事業の「止血」に軸足を置いたものだった。特にイトーヨーカ堂や百貨店のそごう・西武は、投資効率の低さが問題視され、前中期計画以降に閉店が進んだ。 イトーヨーカ堂の店舗は、2016年度初めの182店から2020年度末には132店へと減った。減少分には、同じセブン&アイグループのヨークに移管した「食品館」などの20店も含むが、イトーヨーカ堂の三枝富博社長は、今年2月の東洋経済の取材で「止血としての閉店は8割方できた」と話した。2016年度初めに23店あったそごう・西武も、店舗譲渡や閉店を経て、直近では10店まで減少した』、「止血としての閉店は8割方できた」ということは、まだ「2割方」の「閉店」はありそうだ。
・『見えにくい「成長の方程式」 国内事業の止血にメドがついたことで、新たな中期経営計画では成長戦略を前面に押し出した形だ。しかし、「アメリカのコンビニで中食を伸ばす」と目標が明快な海外事業と異なり、国内の各事業は「成長の方程式」が見えにくい。 そうなったのは、やはり国内事業が成長の決め手に欠けているからだろう。2010年代の大半の時期は、コンビニを多く出店することで国内でも成長できた。今でも国内コンビニ事業が稼ぎ頭であることに変わりはないが、出店拡大による成長余地は限られている。新たな中期経営計画でも、国内の出店についてはほぼ言及していない。 加えてコロナ禍で事業環境が激変。「個々の事業では十分な変化対応ができない」(井阪社長)とわかり、「横の連携やシナジーを上げる仕組みが足りなかった」(同)との反省にたった。 そこで新たな中期経営計画ではグループの総合力強化という全体最適策を採ることにした。個の力で成長を描くのは困難なため、各社の連携で弱みをカバーしようというわけだ。 だが、成長期待のまだ残るコンビニ事業に経営資源を集中すべきだと主張する声は依然根強い。アメリカのも「であるバリューアクトも今年5月、セブン&アイ・HDは事業を選別すべきだと示唆するコメントを発表した。 北米など海外だけでなく、国内事業でも成長する未来を示せるか。それができなければ、株主から注がれる視線は一段と厳しくなるだろう』、「国内事業でも成長する未来を示せるか」、これまで示せていないだけに、今後「物言う株主」からの要求は一段と厳しくなる可能性がありそうだ。
タグ:「営業キャッシュフロー」の「半分の4000億円を海外で稼ぎ出す計画」、買収した米国の子会社にそんな力があるのだろうか。 (その9)(コンビニの年始フル営業支える「助っ人」の正体 コロナ禍で24時間営業問題の弱点はかなり改善、「か・け・ふ」でファミマはどこまで強くなれるか 伊藤忠の「大エース」が担う改革の重責、セブン&アイ、井阪体制6年目でみえた「大変化」 当初予定から1年遅れで中期経営計画が発表に) コンビニ 「コンビニの年始フル営業支える「助っ人」の正体 コロナ禍で24時間営業問題の弱点はかなり改善」 「4月以降、アルバイト先の飲食店が営業自粛になり、生活費を稼ぐことがままならなくなった学生などが、コンビニの求人に飛びつくようにして応募している」、「コンビニ各社が、年末年始を休まず営業するという強気の決断をできた背景」、なるほど。 「コンビニジョブホッパー」が、「突発的に発生する人手不足を埋めている働き手」として新たに登場したとはたくましいものだ。 「コンビニ経験者であれば(もし他社店舗経験者であっても)、ある程度戦力として計算できます。面接をすっ飛ばして採用できるので、急に空いたシフトをタイムリーに埋めてもらうことができます」、確かに「コンビニ店舗にとっては」ありがたい存在だ。 東洋経済オンライン 「タイミーやショットワークスといったメディアの台頭によって、スキマ時間のマッチングが一般化してきました。電子雇用契約や給与支払いシステムが広まっていったことも、“細切れ”かつ“オンデマンド”な働き方の普及に一役買っています」、こんなイノベーションも「コンビニ版ギグワーカー」を支えているようだ。 東洋経済Plus 「「か・け・ふ」でファミマはどこまで強くなれるか 伊藤忠の「大エース」が担う改革の重責」 平賀 充記 「伊藤忠」色を前面に出した「細見」新体制の課題も多そうだ。 「2021年問題」では「サークルKサンクスから転換したファミマのある加盟店」が契約を更新しないリスクをどの程度抑えられるか、新社長の腕が試されそうだ。 「止血としての閉店は8割方できた」ということは、まだ「2割方」の「閉店」はありそうだ。 「国内事業でも成長する未来を示せるか」、これまで示せていないだけに、今後「物言う株主」からの要求は一段と厳しくなる可能性がありそうだ。 「セブン&アイ、井阪体制6年目でみえた「大変化」 当初予定から1年遅れで中期経営計画が発表に」
環境問題(その10)(「社内炭素価格」を取り入れる企業が増えるわけ 脱炭素の動きに対応、課題は投資判断への反映、早急な脱炭素化は日本企業や家計に「コスト増」 雇用が不安定になる可能性も、人為的な影響が主因、今こそ本気でCO2抑制を 国連報告書が指摘する「破局的温暖化」の現実味) [経済政策]
環境問題については、5月4日に取上げた。今日は、(その10)(「社内炭素価格」を取り入れる企業が増えるわけ 脱炭素の動きに対応、課題は投資判断への反映、早急な脱炭素化は日本企業や家計に「コスト増」 雇用が不安定になる可能性も、人為的な影響が主因、今こそ本気でCO2抑制を 国連報告書が指摘する「破局的温暖化」の現実味)である。
先ずは、5月13日付け東洋経済オンライン「「社内炭素価格」を取り入れる企業が増えるわけ 脱炭素の動きに対応、課題は投資判が断への反映」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/427590
・『加速する脱炭素化の動きに対応するため、「社内炭素価格」(インターナルカーボンプライシング、ICP)を採り入れる企業が少しずつ増えている。 ICPは、ビジネスの過程で排出する二酸化炭素(CO2)を各社が独自基準で金額に換算して仮想上のコストとみなし、投資判断等に組み入れる手法だ。 背景には、各国政府がCO2に価格を付けて(カーボンプライシング、CP)、排出量に応じて課税したり、排出量に上限を設けて超過分に罰金を科したりする制度が広がっている事情がある』、「各社が独自基準で金額に換算して仮想上のコストとみなし」、とはいっても、「各国政府」の「CP」や「課税」「罰金」などと整合的なのだろう。
・『炭素価格使い、環境配慮の投資判断 OECDの調査によると、すでに46の国と35の地域(アメリカの一部の州など)がCPを導入済みだが、今後一段と増えるとみられる。企業がICPで自主的にCO2の排出量を抑制することは、世界的なCP拡大への備えになる。 繊維大手の帝人は2021年1月からICPを導入し、グループでの設備投資計画に活用している。同社CSR企画推進部の大崎修一部長は「環境を優先した設備投資はコストアップになりがちで、事業部からは敬遠されることがあった。今後はICPによってCO2の排出量などを考慮した投資を後押ししていきたい」と語る。 ICPを使うと、これまでとは違った投資判断が可能になる。例えば、設備投資を検討する際に、CO2の排出量が多いが、30億円で済む設備Aと、CO2の排出量が少ないが、40億円かかる設備Bがあったとする。性能が同等なら10億円安い設備Aが選ばれるはずだが、今後はICPを加味した金額で比較した結果、設備Bが選ばれることも十分にありうる。 極端な場合、ICPの仮想コストを組み入れた将来的なキャッシュフローがマイナスになれば、「投資不適格」として設備投資自体を見送る可能性もある。) 帝人では、海外事業の一部がすでにCPの影響を受けている。環境問題で先進的なEUでは、事業内容や規模次第でCO2の排出量に上限規制が課される。規制の上限を超えた分は他社から排出権を買ってCO2の排出量を帳消ししなければならず、超過分は1トンあたり100ユーロ(約1万3200円)の罰金が科される。 帝人がドイツで展開している炭素繊維工場は、この排出上限の対象事業に該当する。排出量の上限を超過しているため、毎年、排出権を購入(金額は非公表)することで規制をクリアしているという』、「ドイツ」での事業であれば、「排出権を購入」でオフセットせざるを得ない場合もあり得るだろう。
・『脱炭素シフトで排出権価格が高騰 将来、CO2の排出に伴って企業が負担するコストはかなりのレベルまで上昇していきそうだ。CPの導入エリアが広がっているうえ、CPの対象になる事業も増えていく。 さらに、排出権も高騰する可能性が高い。2020年に1トン当たり20~30ユーロで推移していた排出権は、世界的な脱炭素化シフトの影響を受けて、足元では40ユーロ(約5300円)前後まで跳ね上がっている。 帝人はICPを1トンあたり6000円に設定するが、これは排出権の相場等を参考にして決めたものという。大崎氏は「CPの対象やエリアが広がれば排出権は奪い合いになる。罰金の100ユーロを超えることはないが、そこを上限にかなりのところまで排出権の相場は上がるのではないか」と話す。 同社はこうした見通しも念頭に、ICPを使った投資判断を積み重ねて、先回りして将来的なCO2の排出抑制を目指す。 一昔前は、企業が環境に配慮するのは社会貢献の意味合いが多かった。だが、この2~3年はCP拡大の流れが加速し、CO2抑制は企業の経営に関わる問題になっている。その結果、帝人のように経営戦略としてICPの導入に踏み切る企業が増加している。 環境省によると、2」020年3月時点での日本のICPの導入企業社数は118社でまだ少数派だが、世界ではアメリカ(122社)に次いで多い。2022年には250社程度まで増える見通しだ。 日本政府は2012年から原油や(天然)ガス、石炭などの化石燃料の使用量をCO2排出量に換算し、1トンあたり289円を徴収する地球温暖化対策税を導入しているが、それより負担の重い炭素税などはまだ取り入れていない。 環境省と経済産業省がそれぞれ検討委員会を設置してCPの本格的な導入を議論している最中だ。環境省は前向きだが、経産省や産業界からは企業の負担増を懸念する慎重論があり、先行きはまだ見通せない』、管理用に「ICP」を導入する企業が増えたのに、いまだに「慎重論」を唱える「経産省」はお粗末だ。
・『社内炭素価格をどこまで反映させるのか そうした中、菅義偉首相は4月22日の気候変動サミットで、「2030年度にCO2等の温室効果ガスを2013年度比で46%削減することを目指す」と表明した。目標達成に向けてCP導入の可能性が一気に高まったことは間違いない。菅首相は1月18日の施政方針演説で脱炭素化への道筋として、「成長につながるCPにも取り組んで参ります」と発言している。 企業にとって悩ましいのは、日本のCPがどのようなレベルになるのかがまだ不透明な今の段階で、ICPでの仮想コストを実際にどこまで投資判断に反映させるのかだ。 2021年4月にICPを導入した化学メーカー・クラレの福島健・経営企画部長は、「国内においてはバーチャル(仮想)での数字をどこまで使うのかは今後、社内で議論が出てくるかもしれない。世界的な流れは明確なのでそれに対応する面も当然あるが、設備投資はそもそも時間が掛かるもの。今から(国内含めてCP導入が増える)将来リスクを見越して取り組む必要がある」と語る。 単純に足元の利益への影響だけを見れば、ICPは利益を目減りさせることも当然ある。また、ICPはあくまでも社内の独自基準だけに、価格の付け方から適用範囲までさまざまなやり方がある。導入する企業は、判断基準や考え方を投資家ら外部に丁寧に伝えて、企業評価にしっかりとつなげていく必要があるだろう』、「ICP」を「導入する企業は、判断基準や考え方を投資家ら外部に丁寧に伝えて、企業評価にしっかりとつなげていく必要がある」、同感である。
次に、5月25日付けダイヤモンド・オンラインが掲載した法政大学大学院教授の真壁昭夫氏による「早急な脱炭素化は日本企業や家計に「コスト増」、雇用が不安定になる可能性も」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/272082
・『2030年度までにわが国は、2013年度対比で炭素排出量を46%削減する目標にチャレンジする。本邦企業は今ある技術の延長によって脱炭素を進めなければならず、負担は増大するだろう。脱炭素によってわが国の技術が生かされる面はあるものの、わが国企業が脱炭素のコストアップで競争力がそがれ、厳しい状況に追い込まれる懸念も軽視できない』、興味深そうだ。
・『コロナで傷ついた経済を立て直す「グリーン・ニューディール」 主要先進国を中心に「脱炭素化」への取り組みが加速している。具体的には、2030年度までにわが国は、2013年度対比で炭素排出量を46%削減する目標にチャレンジする。さらに、2050年までに欧州連合(EU)、英国、米国やわが国が「カーボンニュートラル」(温室効果ガスの排出量を実質ゼロにすること)を目指す。 各国が脱炭素社会を目指す背景には、温室効果ガスの排出削減による気候変動への対応に加え、再生可能エネルギーや水素の利用を支えるインフラ投資などを行い、雇用を創出してコロナ禍によって傷ついた経済を立て直す「グリーン・ニューディール」がある。脱炭素への取り組みは、経済活動の制約ではなく、経済の成長を支えるという考えだ。 ただ、脱炭素社会の実現にはかなり高いハードルがあることを覚悟する必要がある。現在のわが国経済から考えると、脱炭素はわが国の多くの企業や家計にとって「コスト増加」の要因となる可能性が高い。特に、2030年度までに本邦企業は今ある技術の延長によって脱炭素を進めなければならず、負担は増大するだろう。脱炭素によってわが国の技術が生かされる面はあるものの、わが国企業が脱炭素のコストアップで競争力が削がれ、厳しい状況に追い込まれる懸念も軽視できない』、「わが国企業が脱炭素のコストアップで競争力が削がれ、厳しい状況に追い込まれる懸念も軽視できない」、確かに覚悟が必要だ。
・『街にあふれる小型の風車 人工知能(AI)が電力を管理 脱炭素への取り組みによって、わが国の社会と経済は大きなパラダイムシフトに遭遇することになるだろう。そのインパクトをイメージするため、わが国がカーボンニュートラルを達成した場合の社会と経済の様子を頭の中に描いてみたい。 エネルギー分野では、化石燃料の消費がなくなる。電力供給のために、街の至るところに小型の風車が設置され、建物の屋上や屋根には太陽光パネルが敷き詰められる。各建物には消費電力量に応じた蓄電池が設置され、バッテリーシステムは人工知能(AI)に管理される。状況に応じてAIが流通市場で電力を売買し、自律、循環かつ持続的な電力システムが運営される。再生可能エネルギーを用いた電力システムを購入、あるいはサブスクライブする(継続課金でサービスやモノを使う)ことや、家計が企業などと「排出権取引」を行うことも当たり前になる可能性がある。 産業分野では、すべての自動車が電気自動車(EV)あるいは水素を用いた燃料電池自動車(FCV)に変わるだろう。自動車には自動運転・飛行など先端技術が搭載され、「移動する居住空間」として利用される。自動車と家電などの産業の境目は曖昧になり、設計・開発と生産の分離が加速し、わが国で用いられる自動車の多くが、人件費の安い海外の工場でユニット組み立て型の方式によって生産される可能性は高まる。自動車のボディをはじめ衣類や食器、建材などさまざまな資材や製品が、木材を原料とする「セルロースナノファイバー」から生産されるケースも増えるはずだ。 そうした状況下、わが国企業の多くが水素の生成・運搬・貯蔵、および二酸化炭素の回収・貯蔵・再利用、あるいは脱炭素につながる素材の開発製造などの分野で強みを発揮している可能性がある。以上は、わが国政府が脱炭素化への取り組みによって目指す、社会と経済のあり方の一つのイメージだ』、「わが国企業の多くが水素の生成・運搬・貯蔵、および二酸化炭素の回収・貯蔵・再利用、あるいは脱炭素につながる素材の開発製造などの分野で強みを発揮している可能性がある」、「強み」がこのように残って欲しいものだ。
・『必用な温室効果ガス削減量はこれまでの約1.5倍 このように脱炭素化は世の中を大きく変える。特筆すべきはまず、コストの増加だ。要因として、化石燃料依存からの脱却と、温室効果ガスの削減強化が挙げられる。 わが国の発電は化石燃料に依存している。2019年度の発電量の75.7%が石炭、天然ガス、石油等に由来する。政府は2030年度の温室効果ガス46%削減を達成するために、太陽光など再生可能エネルギーの割合を全体の30%台後半に引き上げて、火力発電を減らしたい。その費用は主に家計の負担によってカバーされるだろう。 次に、わが国は温室効果ガスの排出削減を強化しなければならない。国立環境研究所によると、2019年度のわが国の温室効果ガス排出量は12.1億トンだった。政府は2030年度までに排出量を7.6億トンに抑えようとしているので、必要な温室効果ガスの削減量は4.5億トンだ。なお、排出量の約39%を発電などのエネルギー転換部門、25%を産業部門、18%を運輸部門が占める。 2014年度から2019年度までの間、温室効果ガスの削減量は年度平均で約3000万トンだった。2020年度の排出量が11.8億トンだったと仮定すると、今後10年の間に、わが国は温室効果ガスの排出を4.2億トン削減しなければならない。年度に直すと毎年度4200万トン、これまでの年度平均の約1.5倍の削減が必要だ。 法人企業統計調査のデータから、金融・保険を除くわが国企業の営業利益の推移を確認すると、1989年度から2019年度までの営業利益の変化率は年度平均で、製造業でプラス4%、非製造業でプラス2%である。基本的にわが国経済は自動車、機械、素材など製造業の生産性改善によって成長を実現してきた。 2030年度までとなると、あまり時間がなく、かなり早急かつ強力な取り組みが不可欠だ。企業は既存の設備の改修、技術の改良など、さらなる取り組みを進めなければならない。それは、企業のコストを増加させる』、「今後10年の間に、わが国は温室効果ガスの排出を4.2億トン削減しなければならない。年度に直すと毎年度4200万トン、これまでの年度平均の約1.5倍の削減が必要だ」、かなりの努力が必要なようだ。
・『「国境炭素税」で海外に生産移転 国内の雇用が不安定化する可能性 一方、脱炭素はわが国企業に中長期的なビジネスチャンスをもたらすことも想定される。具体的には、二酸化炭素の回収などに用いられるセラミック製品などの素材、バッテリーや環境関連機器の生産に必要な精密機械などの分野で本邦企業は競争力を発揮できるだろう。FCVや、次世代電池として注目される「全固体電池」などの分野でもわが国企業の技術力は高い。パワー半導体などニッチかつ汎用型の半導体分野でも、わが国メーカーは一定の世界シェアを持っている。脱炭素関連ビジネスを強化する総合商社もある。 問題は、経済全体で考えた場合に、脱炭素社会の実現に必要なコストが、ベネフィットを上回る可能性が高いことだ。そう考える背景には複数の要因がある。温室効果ガス削減のコストを生産性向上や技術の改善で吸収することは容易ではない。風力発電の専門家によると、欧州に比べてわが国は風況に恵まれておらず、再生可能エネルギー利用のコストは想定を上回る可能性がある。 また、EUなどが、気候変動への対応が十分ではない国からの輸入品へ課税する「炭素国境調整措置」の導入を目指している。その背景には、脱炭素を世界全体で進めることや、経済対策の財源を確保する狙いがある。この「国境炭素税」を導入する国が増えれば、最終消費者に近い場所での生産や、生産コスト低減を目指して海外に生産拠点を移す本邦企業は増え、国内の雇用環境は不安定化する可能性がある。 以上より、企業をはじめわが国経済にとって、脱炭素への取り組みにかかるコストが潜在的なベネフィットを上回る可能性は軽視できない。もちろん、個別企業単位で見れば、脱炭素を追い風に成長を実現するケースはあるだろう。しかし、現時点で、それが経済全体で発生するコストを上回る付加価値を経済全体にもたらすとは考え難い。わが国にとって、脱炭素への取り組みは「いばらの道」といっても過言ではなく、政府をはじめ経済と社会全体で相当の覚悟が必要だ』、「問題は、経済全体で考えた場合に、脱炭素社会の実現に必要なコストが、ベネフィットを上回る可能性が高いことだ。そう考える背景には複数の要因がある。温室効果ガス削減のコストを生産性向上や技術の改善で吸収することは容易ではない。風力発電の専門家によると、欧州に比べてわが国は風況に恵まれておらず、再生可能エネルギー利用のコストは想定を上回る可能性がある。 また、EUなどが、気候変動への対応が十分ではない国からの輸入品へ課税する「炭素国境調整措置」の導入を目指している」、「わが国にとって、脱炭素への取り組みは「いばらの道」といっても過言ではなく、政府をはじめ経済と社会全体で相当の覚悟が必要だ」、やはりそうか。
第三に、8月26日付け東洋経済Plusが掲載したWWFジャパン・専門ディレクターの小西 雅子氏による「人為的な影響が主因、今こそ本気でCO2抑制を 国連報告書が指摘する「破局的温暖化」の現実味」を紹介しよう。
・『世界中で異常気象とそれに伴う自然災害が多発している。このほど発表されたIPCCの最新報告書を読み解いた。 この夏、西日本から東日本にかけての広い範囲で、40度を超える猛暑や大洪水の被害が相次いでいる。世界を見渡しても、自然災害が多発している。 2021年7月のドイツとベルギーでの大規模な洪水では、濁流が家屋と車を洗い流し、100人以上が亡くなったと報告された。中国では7月の大洪水によって数百万人が被害を受けている。 さらに、北アメリカ北西部では、数日間にわたって40度を超える酷暑が続き、カナダ西部ブリティッシュコロンビア州のリトンでは同国での観測史上最高となる49.6度を記録している。 これらの自然災害は、産業革命以前と比べて約1.1度の平均気温上昇の過程で起こっているものだ。国連の「気候変動に関する政府間パネル」(IPCC)が8月9日に発表した最新の報告書によれば、地球がさらに温暖化していくにつれて、こういった「極端現象」の頻度と強度が一段と増していくという』、「IPCC」がいよいよ遠慮せずにストレートに主張し始めたようだ。
・『IPCC第6次報告書の要点 今回の報告書は、今後20年以内に産業革命以前と比べて世界の平均気温は1.5度上昇し、最も低いシナリオを除いては、1.5度を超えていくと指摘した。気温上昇を1.5度に抑え、深刻な影響を防げるかどうかは、この10年間の私たちの行動次第だということも改めて示された。 IPCCは地球温暖化に関して世界中の専門家の科学的知見を集約している国連の機関で、1990年から5~7年ごとに評価報告書を発表している。前回の第5次報告書(2013年から2014年にかけて順次発表)では「温暖化は人間活動による可能性が非常に高い」としたが、7年ぶりに発表された今回の第6次評価報告書は、さらに踏み込んで「温暖化が人間活動によることは疑う余地がない」と断定した。 人類による責任が科学的にはっきりした今、これ以上の危機を避けるために科学の知見にしたがって迷いなく行動しなければならない。10月31日からイギリス・グラスゴーで開催される第26回国連気候変動枠組条約締約国会議(COP26)に向けて、世界一丸となった行動の加速が求められている。 IPCCの最新の報告書には、私たちが知るべきポイントが3つある。第1は、地球の気候システム全体に人間活動による爪痕が見られることだ。 地球の平均気温はすでに約1.1度上昇しており、熱波や激しい降水、干ばつといった極端現象や、氷河や北極圏の海氷の後退、海面上昇による沿岸部の洪水や海岸浸食、海洋酸性化、熱帯低気圧の強大化などに、人間活動による温暖化の影響が認められると明言した。 例えば海面上昇については、近年になるほど上昇速度が高まっており、少なくとも1971年以降は人為的な影響が主要な要因だと指摘した。 最近の極端現象が温暖化によるものなのか、といった反論がこれまではよくあった。しかし、「イベントアトリビューション」という新たな研究が進み、熱波や激しい降水といった個別の異常気象に関して、地球温暖化がどの程度寄与しているかを評価できるようになった。オックスフォード大学などによる研究速報は、6月のカナダなどの猛暑は人為的な温暖化がなければ発生しなかったと結論づけている』、「イベントアトリビューション」により「個別の異常気象に関して、地球温暖化がどの程度寄与しているかを評価できるようになった」、大きな前進だ。
・『気温上昇によって極端現象も増大 ポイントの2つめは、0.5度の気温上昇差でも温暖化による影響が大きく違ってくることだ。 IPCC報告書では、将来予測としてシナリオ分析が実施されている。私たちの今後の社会の選択によって、将来の気温上昇予測は変わるからだ。 これまでどおり化石燃料に頼り、温室効果ガスを大量に排出する社会のままなのか。それとも資源を循環させながら、脱炭素エネルギー中心の社会に変えていくのかなどによって、今後排出される温室効果ガスの量は異なる。気温上昇の予測もそれらのシナリオに従って変わっていく。 第5次評価報告書では4つの異なる排出量のシナリオが紹介され、それぞれのシナリオによって21世紀末の平均気温は産業革命前に比べておよそ2度から4度上がると示された。第6次評価報告書ではさらに排出量が非常に低いシナリオがもう1つ加わり、5つの将来予測の結果が公表された。 それによると、どのシナリオでも今後20年以内に平均気温が1.5度上昇し、非常に低い排出量のシナリオを除いては、さらに気温が上昇していくことが示された。 気温の上昇に応じて、極端現象が増大していくことも明示された。熱波や激しい降水の頻度や強度は、追加的に気温が0.5度上昇するだけで識別可能な増加が見られる。50年に一度の記録的な熱波が起きる頻度は、1.5度の気温上昇では産業革命前に比べて8.6倍、2度では13.9倍、4度では39.2倍にも達することが示された。 4度上昇するシナリオでは、50年に一度の熱波が毎年のように発生することになる。海面上昇は、1.5度に抑える非常に低い排出量のシナリオでも2100年には28~55センチメートル上昇し、4度上昇するシナリオでは最大1メートルに達する。もはや海面上昇は止めることができず、いずれのシナリオでも、今後何世紀にもわたって海面がさらに上昇し続けることも示された。 私たちはもはや後戻りできないところまで地球環境を変化させており、最悪の危機を避けるために残された道は、今後の気温上昇を1.5度に抑えることだ。 3つめは、1.5度に抑えるためには今後10年の行動がカギであることだ。 今後の気温の上昇幅は、過去からの累積の二酸化炭素(CO2)排出量にほぼ比例する。主要な温室効果ガスであるCO2は安定したガスであり、海洋や陸地生態系に吸収されない限り大気中に貯まっていく。今後の気温上昇を一定レベルに抑えるには、今後CO2の排出量に上限枠が必要になる。 どのシナリオでもCO2などの排出量をいずれゼロにしなければならず、いつゼロにするかによって今後の気温上昇予測は変わる。 今回の報告書では、累積CO2排出量1兆トンごとに約0.45度、平均気温が上がることが示された。人類はすでに約2兆4000億トン排出しているため、1.5度に抑えるために残された排出可能量は4000億トン程度しかない。この上限枠を「炭素予算」と呼ぶが、CO2は現在、年約350~400億トンペースで排出されているため、このままならば、あと10年で1.5度の炭素予算を使い切ってしまうことになる。 つまり、CO2排出量をただちに急減させ、貴重な炭素予算を使い切らないようにしながら、2050年ごろまでには排出量をゼロに持っていかなければ、1.5度の気温上昇に抑えることはできなくなってしまうのだ。もちろんメタンなどCO2以外の温室効果ガスも急減させる必要がある』、「人類はすでに約2兆4000億トン排出しているため、1.5度に抑えるために残された排出可能量は4000億トン程度しかない。この上限枠を「炭素予算」と呼ぶが、CO2は現在、年約350~400億トンペースで排出されているため、このままならば、あと10年で1.5度の炭素予算を使い切ってしまうことになる」、「炭素予算」は「あと10年で1.5度の炭素予算を使い切ってしまう」、衝撃的だ。
・『COP26で問われる具体的な削減計画 1.5度に抑えることは容易ではないが、私たちの選択次第で社会変革も可能であることもわかった。欧米や日本、韓国などの各国はそろって2050年ゼロを掲げている。2050年ゼロに至るまでに貴重な1.5度の炭素予算を使い切らないようにするためには、2030年に向かって現在の排出量をほぼ半減させていく必要がある。実際、欧米や日本は2030年に温室効果ガス排出量をほぼ半減させる目標を掲げた。 COP26で最大の焦点は、各国の2030年に向けた「国別削減目標」(NDC)が科学の知見に照らして十分な削減量となっているかどうかだ。そして目標を掲げるだけではなく、実際にそれを実現する計画が提出されるかどうか。 パリ協定事務局へ提出する国別削減目標には、具体的な削減計画も含まれていなければならない。日本の2030年目標(正確には2030年度目標)は欧米に比べてやや見劣りする2013年度比46%削減であるが、「50%の高みを目指す」と表明しており、今回の報告書をきっかけにさらに50%以上を目指してもらいたい。 そして日本にとって最も重要なことは、今後9年間で46%以上の削減を確実にするエネルギー計画づくりだ。排出量の多い石炭火力の廃止計画を立て、出遅れている再生可能エネルギーを最大限に導入、そして省エネルギーの取り組みを野心的に深掘りすることである』、「日本」は「石炭火力の廃止計画を立て、出遅れている再生可能エネルギーを最大限に導入、そして省エネルギーの取り組みを野心的に深掘りすることである」、同感である。
先ずは、5月13日付け東洋経済オンライン「「社内炭素価格」を取り入れる企業が増えるわけ 脱炭素の動きに対応、課題は投資判が断への反映」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/427590
・『加速する脱炭素化の動きに対応するため、「社内炭素価格」(インターナルカーボンプライシング、ICP)を採り入れる企業が少しずつ増えている。 ICPは、ビジネスの過程で排出する二酸化炭素(CO2)を各社が独自基準で金額に換算して仮想上のコストとみなし、投資判断等に組み入れる手法だ。 背景には、各国政府がCO2に価格を付けて(カーボンプライシング、CP)、排出量に応じて課税したり、排出量に上限を設けて超過分に罰金を科したりする制度が広がっている事情がある』、「各社が独自基準で金額に換算して仮想上のコストとみなし」、とはいっても、「各国政府」の「CP」や「課税」「罰金」などと整合的なのだろう。
・『炭素価格使い、環境配慮の投資判断 OECDの調査によると、すでに46の国と35の地域(アメリカの一部の州など)がCPを導入済みだが、今後一段と増えるとみられる。企業がICPで自主的にCO2の排出量を抑制することは、世界的なCP拡大への備えになる。 繊維大手の帝人は2021年1月からICPを導入し、グループでの設備投資計画に活用している。同社CSR企画推進部の大崎修一部長は「環境を優先した設備投資はコストアップになりがちで、事業部からは敬遠されることがあった。今後はICPによってCO2の排出量などを考慮した投資を後押ししていきたい」と語る。 ICPを使うと、これまでとは違った投資判断が可能になる。例えば、設備投資を検討する際に、CO2の排出量が多いが、30億円で済む設備Aと、CO2の排出量が少ないが、40億円かかる設備Bがあったとする。性能が同等なら10億円安い設備Aが選ばれるはずだが、今後はICPを加味した金額で比較した結果、設備Bが選ばれることも十分にありうる。 極端な場合、ICPの仮想コストを組み入れた将来的なキャッシュフローがマイナスになれば、「投資不適格」として設備投資自体を見送る可能性もある。) 帝人では、海外事業の一部がすでにCPの影響を受けている。環境問題で先進的なEUでは、事業内容や規模次第でCO2の排出量に上限規制が課される。規制の上限を超えた分は他社から排出権を買ってCO2の排出量を帳消ししなければならず、超過分は1トンあたり100ユーロ(約1万3200円)の罰金が科される。 帝人がドイツで展開している炭素繊維工場は、この排出上限の対象事業に該当する。排出量の上限を超過しているため、毎年、排出権を購入(金額は非公表)することで規制をクリアしているという』、「ドイツ」での事業であれば、「排出権を購入」でオフセットせざるを得ない場合もあり得るだろう。
・『脱炭素シフトで排出権価格が高騰 将来、CO2の排出に伴って企業が負担するコストはかなりのレベルまで上昇していきそうだ。CPの導入エリアが広がっているうえ、CPの対象になる事業も増えていく。 さらに、排出権も高騰する可能性が高い。2020年に1トン当たり20~30ユーロで推移していた排出権は、世界的な脱炭素化シフトの影響を受けて、足元では40ユーロ(約5300円)前後まで跳ね上がっている。 帝人はICPを1トンあたり6000円に設定するが、これは排出権の相場等を参考にして決めたものという。大崎氏は「CPの対象やエリアが広がれば排出権は奪い合いになる。罰金の100ユーロを超えることはないが、そこを上限にかなりのところまで排出権の相場は上がるのではないか」と話す。 同社はこうした見通しも念頭に、ICPを使った投資判断を積み重ねて、先回りして将来的なCO2の排出抑制を目指す。 一昔前は、企業が環境に配慮するのは社会貢献の意味合いが多かった。だが、この2~3年はCP拡大の流れが加速し、CO2抑制は企業の経営に関わる問題になっている。その結果、帝人のように経営戦略としてICPの導入に踏み切る企業が増加している。 環境省によると、2」020年3月時点での日本のICPの導入企業社数は118社でまだ少数派だが、世界ではアメリカ(122社)に次いで多い。2022年には250社程度まで増える見通しだ。 日本政府は2012年から原油や(天然)ガス、石炭などの化石燃料の使用量をCO2排出量に換算し、1トンあたり289円を徴収する地球温暖化対策税を導入しているが、それより負担の重い炭素税などはまだ取り入れていない。 環境省と経済産業省がそれぞれ検討委員会を設置してCPの本格的な導入を議論している最中だ。環境省は前向きだが、経産省や産業界からは企業の負担増を懸念する慎重論があり、先行きはまだ見通せない』、管理用に「ICP」を導入する企業が増えたのに、いまだに「慎重論」を唱える「経産省」はお粗末だ。
・『社内炭素価格をどこまで反映させるのか そうした中、菅義偉首相は4月22日の気候変動サミットで、「2030年度にCO2等の温室効果ガスを2013年度比で46%削減することを目指す」と表明した。目標達成に向けてCP導入の可能性が一気に高まったことは間違いない。菅首相は1月18日の施政方針演説で脱炭素化への道筋として、「成長につながるCPにも取り組んで参ります」と発言している。 企業にとって悩ましいのは、日本のCPがどのようなレベルになるのかがまだ不透明な今の段階で、ICPでの仮想コストを実際にどこまで投資判断に反映させるのかだ。 2021年4月にICPを導入した化学メーカー・クラレの福島健・経営企画部長は、「国内においてはバーチャル(仮想)での数字をどこまで使うのかは今後、社内で議論が出てくるかもしれない。世界的な流れは明確なのでそれに対応する面も当然あるが、設備投資はそもそも時間が掛かるもの。今から(国内含めてCP導入が増える)将来リスクを見越して取り組む必要がある」と語る。 単純に足元の利益への影響だけを見れば、ICPは利益を目減りさせることも当然ある。また、ICPはあくまでも社内の独自基準だけに、価格の付け方から適用範囲までさまざまなやり方がある。導入する企業は、判断基準や考え方を投資家ら外部に丁寧に伝えて、企業評価にしっかりとつなげていく必要があるだろう』、「ICP」を「導入する企業は、判断基準や考え方を投資家ら外部に丁寧に伝えて、企業評価にしっかりとつなげていく必要がある」、同感である。
次に、5月25日付けダイヤモンド・オンラインが掲載した法政大学大学院教授の真壁昭夫氏による「早急な脱炭素化は日本企業や家計に「コスト増」、雇用が不安定になる可能性も」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/272082
・『2030年度までにわが国は、2013年度対比で炭素排出量を46%削減する目標にチャレンジする。本邦企業は今ある技術の延長によって脱炭素を進めなければならず、負担は増大するだろう。脱炭素によってわが国の技術が生かされる面はあるものの、わが国企業が脱炭素のコストアップで競争力がそがれ、厳しい状況に追い込まれる懸念も軽視できない』、興味深そうだ。
・『コロナで傷ついた経済を立て直す「グリーン・ニューディール」 主要先進国を中心に「脱炭素化」への取り組みが加速している。具体的には、2030年度までにわが国は、2013年度対比で炭素排出量を46%削減する目標にチャレンジする。さらに、2050年までに欧州連合(EU)、英国、米国やわが国が「カーボンニュートラル」(温室効果ガスの排出量を実質ゼロにすること)を目指す。 各国が脱炭素社会を目指す背景には、温室効果ガスの排出削減による気候変動への対応に加え、再生可能エネルギーや水素の利用を支えるインフラ投資などを行い、雇用を創出してコロナ禍によって傷ついた経済を立て直す「グリーン・ニューディール」がある。脱炭素への取り組みは、経済活動の制約ではなく、経済の成長を支えるという考えだ。 ただ、脱炭素社会の実現にはかなり高いハードルがあることを覚悟する必要がある。現在のわが国経済から考えると、脱炭素はわが国の多くの企業や家計にとって「コスト増加」の要因となる可能性が高い。特に、2030年度までに本邦企業は今ある技術の延長によって脱炭素を進めなければならず、負担は増大するだろう。脱炭素によってわが国の技術が生かされる面はあるものの、わが国企業が脱炭素のコストアップで競争力が削がれ、厳しい状況に追い込まれる懸念も軽視できない』、「わが国企業が脱炭素のコストアップで競争力が削がれ、厳しい状況に追い込まれる懸念も軽視できない」、確かに覚悟が必要だ。
・『街にあふれる小型の風車 人工知能(AI)が電力を管理 脱炭素への取り組みによって、わが国の社会と経済は大きなパラダイムシフトに遭遇することになるだろう。そのインパクトをイメージするため、わが国がカーボンニュートラルを達成した場合の社会と経済の様子を頭の中に描いてみたい。 エネルギー分野では、化石燃料の消費がなくなる。電力供給のために、街の至るところに小型の風車が設置され、建物の屋上や屋根には太陽光パネルが敷き詰められる。各建物には消費電力量に応じた蓄電池が設置され、バッテリーシステムは人工知能(AI)に管理される。状況に応じてAIが流通市場で電力を売買し、自律、循環かつ持続的な電力システムが運営される。再生可能エネルギーを用いた電力システムを購入、あるいはサブスクライブする(継続課金でサービスやモノを使う)ことや、家計が企業などと「排出権取引」を行うことも当たり前になる可能性がある。 産業分野では、すべての自動車が電気自動車(EV)あるいは水素を用いた燃料電池自動車(FCV)に変わるだろう。自動車には自動運転・飛行など先端技術が搭載され、「移動する居住空間」として利用される。自動車と家電などの産業の境目は曖昧になり、設計・開発と生産の分離が加速し、わが国で用いられる自動車の多くが、人件費の安い海外の工場でユニット組み立て型の方式によって生産される可能性は高まる。自動車のボディをはじめ衣類や食器、建材などさまざまな資材や製品が、木材を原料とする「セルロースナノファイバー」から生産されるケースも増えるはずだ。 そうした状況下、わが国企業の多くが水素の生成・運搬・貯蔵、および二酸化炭素の回収・貯蔵・再利用、あるいは脱炭素につながる素材の開発製造などの分野で強みを発揮している可能性がある。以上は、わが国政府が脱炭素化への取り組みによって目指す、社会と経済のあり方の一つのイメージだ』、「わが国企業の多くが水素の生成・運搬・貯蔵、および二酸化炭素の回収・貯蔵・再利用、あるいは脱炭素につながる素材の開発製造などの分野で強みを発揮している可能性がある」、「強み」がこのように残って欲しいものだ。
・『必用な温室効果ガス削減量はこれまでの約1.5倍 このように脱炭素化は世の中を大きく変える。特筆すべきはまず、コストの増加だ。要因として、化石燃料依存からの脱却と、温室効果ガスの削減強化が挙げられる。 わが国の発電は化石燃料に依存している。2019年度の発電量の75.7%が石炭、天然ガス、石油等に由来する。政府は2030年度の温室効果ガス46%削減を達成するために、太陽光など再生可能エネルギーの割合を全体の30%台後半に引き上げて、火力発電を減らしたい。その費用は主に家計の負担によってカバーされるだろう。 次に、わが国は温室効果ガスの排出削減を強化しなければならない。国立環境研究所によると、2019年度のわが国の温室効果ガス排出量は12.1億トンだった。政府は2030年度までに排出量を7.6億トンに抑えようとしているので、必要な温室効果ガスの削減量は4.5億トンだ。なお、排出量の約39%を発電などのエネルギー転換部門、25%を産業部門、18%を運輸部門が占める。 2014年度から2019年度までの間、温室効果ガスの削減量は年度平均で約3000万トンだった。2020年度の排出量が11.8億トンだったと仮定すると、今後10年の間に、わが国は温室効果ガスの排出を4.2億トン削減しなければならない。年度に直すと毎年度4200万トン、これまでの年度平均の約1.5倍の削減が必要だ。 法人企業統計調査のデータから、金融・保険を除くわが国企業の営業利益の推移を確認すると、1989年度から2019年度までの営業利益の変化率は年度平均で、製造業でプラス4%、非製造業でプラス2%である。基本的にわが国経済は自動車、機械、素材など製造業の生産性改善によって成長を実現してきた。 2030年度までとなると、あまり時間がなく、かなり早急かつ強力な取り組みが不可欠だ。企業は既存の設備の改修、技術の改良など、さらなる取り組みを進めなければならない。それは、企業のコストを増加させる』、「今後10年の間に、わが国は温室効果ガスの排出を4.2億トン削減しなければならない。年度に直すと毎年度4200万トン、これまでの年度平均の約1.5倍の削減が必要だ」、かなりの努力が必要なようだ。
・『「国境炭素税」で海外に生産移転 国内の雇用が不安定化する可能性 一方、脱炭素はわが国企業に中長期的なビジネスチャンスをもたらすことも想定される。具体的には、二酸化炭素の回収などに用いられるセラミック製品などの素材、バッテリーや環境関連機器の生産に必要な精密機械などの分野で本邦企業は競争力を発揮できるだろう。FCVや、次世代電池として注目される「全固体電池」などの分野でもわが国企業の技術力は高い。パワー半導体などニッチかつ汎用型の半導体分野でも、わが国メーカーは一定の世界シェアを持っている。脱炭素関連ビジネスを強化する総合商社もある。 問題は、経済全体で考えた場合に、脱炭素社会の実現に必要なコストが、ベネフィットを上回る可能性が高いことだ。そう考える背景には複数の要因がある。温室効果ガス削減のコストを生産性向上や技術の改善で吸収することは容易ではない。風力発電の専門家によると、欧州に比べてわが国は風況に恵まれておらず、再生可能エネルギー利用のコストは想定を上回る可能性がある。 また、EUなどが、気候変動への対応が十分ではない国からの輸入品へ課税する「炭素国境調整措置」の導入を目指している。その背景には、脱炭素を世界全体で進めることや、経済対策の財源を確保する狙いがある。この「国境炭素税」を導入する国が増えれば、最終消費者に近い場所での生産や、生産コスト低減を目指して海外に生産拠点を移す本邦企業は増え、国内の雇用環境は不安定化する可能性がある。 以上より、企業をはじめわが国経済にとって、脱炭素への取り組みにかかるコストが潜在的なベネフィットを上回る可能性は軽視できない。もちろん、個別企業単位で見れば、脱炭素を追い風に成長を実現するケースはあるだろう。しかし、現時点で、それが経済全体で発生するコストを上回る付加価値を経済全体にもたらすとは考え難い。わが国にとって、脱炭素への取り組みは「いばらの道」といっても過言ではなく、政府をはじめ経済と社会全体で相当の覚悟が必要だ』、「問題は、経済全体で考えた場合に、脱炭素社会の実現に必要なコストが、ベネフィットを上回る可能性が高いことだ。そう考える背景には複数の要因がある。温室効果ガス削減のコストを生産性向上や技術の改善で吸収することは容易ではない。風力発電の専門家によると、欧州に比べてわが国は風況に恵まれておらず、再生可能エネルギー利用のコストは想定を上回る可能性がある。 また、EUなどが、気候変動への対応が十分ではない国からの輸入品へ課税する「炭素国境調整措置」の導入を目指している」、「わが国にとって、脱炭素への取り組みは「いばらの道」といっても過言ではなく、政府をはじめ経済と社会全体で相当の覚悟が必要だ」、やはりそうか。
第三に、8月26日付け東洋経済Plusが掲載したWWFジャパン・専門ディレクターの小西 雅子氏による「人為的な影響が主因、今こそ本気でCO2抑制を 国連報告書が指摘する「破局的温暖化」の現実味」を紹介しよう。
・『世界中で異常気象とそれに伴う自然災害が多発している。このほど発表されたIPCCの最新報告書を読み解いた。 この夏、西日本から東日本にかけての広い範囲で、40度を超える猛暑や大洪水の被害が相次いでいる。世界を見渡しても、自然災害が多発している。 2021年7月のドイツとベルギーでの大規模な洪水では、濁流が家屋と車を洗い流し、100人以上が亡くなったと報告された。中国では7月の大洪水によって数百万人が被害を受けている。 さらに、北アメリカ北西部では、数日間にわたって40度を超える酷暑が続き、カナダ西部ブリティッシュコロンビア州のリトンでは同国での観測史上最高となる49.6度を記録している。 これらの自然災害は、産業革命以前と比べて約1.1度の平均気温上昇の過程で起こっているものだ。国連の「気候変動に関する政府間パネル」(IPCC)が8月9日に発表した最新の報告書によれば、地球がさらに温暖化していくにつれて、こういった「極端現象」の頻度と強度が一段と増していくという』、「IPCC」がいよいよ遠慮せずにストレートに主張し始めたようだ。
・『IPCC第6次報告書の要点 今回の報告書は、今後20年以内に産業革命以前と比べて世界の平均気温は1.5度上昇し、最も低いシナリオを除いては、1.5度を超えていくと指摘した。気温上昇を1.5度に抑え、深刻な影響を防げるかどうかは、この10年間の私たちの行動次第だということも改めて示された。 IPCCは地球温暖化に関して世界中の専門家の科学的知見を集約している国連の機関で、1990年から5~7年ごとに評価報告書を発表している。前回の第5次報告書(2013年から2014年にかけて順次発表)では「温暖化は人間活動による可能性が非常に高い」としたが、7年ぶりに発表された今回の第6次評価報告書は、さらに踏み込んで「温暖化が人間活動によることは疑う余地がない」と断定した。 人類による責任が科学的にはっきりした今、これ以上の危機を避けるために科学の知見にしたがって迷いなく行動しなければならない。10月31日からイギリス・グラスゴーで開催される第26回国連気候変動枠組条約締約国会議(COP26)に向けて、世界一丸となった行動の加速が求められている。 IPCCの最新の報告書には、私たちが知るべきポイントが3つある。第1は、地球の気候システム全体に人間活動による爪痕が見られることだ。 地球の平均気温はすでに約1.1度上昇しており、熱波や激しい降水、干ばつといった極端現象や、氷河や北極圏の海氷の後退、海面上昇による沿岸部の洪水や海岸浸食、海洋酸性化、熱帯低気圧の強大化などに、人間活動による温暖化の影響が認められると明言した。 例えば海面上昇については、近年になるほど上昇速度が高まっており、少なくとも1971年以降は人為的な影響が主要な要因だと指摘した。 最近の極端現象が温暖化によるものなのか、といった反論がこれまではよくあった。しかし、「イベントアトリビューション」という新たな研究が進み、熱波や激しい降水といった個別の異常気象に関して、地球温暖化がどの程度寄与しているかを評価できるようになった。オックスフォード大学などによる研究速報は、6月のカナダなどの猛暑は人為的な温暖化がなければ発生しなかったと結論づけている』、「イベントアトリビューション」により「個別の異常気象に関して、地球温暖化がどの程度寄与しているかを評価できるようになった」、大きな前進だ。
・『気温上昇によって極端現象も増大 ポイントの2つめは、0.5度の気温上昇差でも温暖化による影響が大きく違ってくることだ。 IPCC報告書では、将来予測としてシナリオ分析が実施されている。私たちの今後の社会の選択によって、将来の気温上昇予測は変わるからだ。 これまでどおり化石燃料に頼り、温室効果ガスを大量に排出する社会のままなのか。それとも資源を循環させながら、脱炭素エネルギー中心の社会に変えていくのかなどによって、今後排出される温室効果ガスの量は異なる。気温上昇の予測もそれらのシナリオに従って変わっていく。 第5次評価報告書では4つの異なる排出量のシナリオが紹介され、それぞれのシナリオによって21世紀末の平均気温は産業革命前に比べておよそ2度から4度上がると示された。第6次評価報告書ではさらに排出量が非常に低いシナリオがもう1つ加わり、5つの将来予測の結果が公表された。 それによると、どのシナリオでも今後20年以内に平均気温が1.5度上昇し、非常に低い排出量のシナリオを除いては、さらに気温が上昇していくことが示された。 気温の上昇に応じて、極端現象が増大していくことも明示された。熱波や激しい降水の頻度や強度は、追加的に気温が0.5度上昇するだけで識別可能な増加が見られる。50年に一度の記録的な熱波が起きる頻度は、1.5度の気温上昇では産業革命前に比べて8.6倍、2度では13.9倍、4度では39.2倍にも達することが示された。 4度上昇するシナリオでは、50年に一度の熱波が毎年のように発生することになる。海面上昇は、1.5度に抑える非常に低い排出量のシナリオでも2100年には28~55センチメートル上昇し、4度上昇するシナリオでは最大1メートルに達する。もはや海面上昇は止めることができず、いずれのシナリオでも、今後何世紀にもわたって海面がさらに上昇し続けることも示された。 私たちはもはや後戻りできないところまで地球環境を変化させており、最悪の危機を避けるために残された道は、今後の気温上昇を1.5度に抑えることだ。 3つめは、1.5度に抑えるためには今後10年の行動がカギであることだ。 今後の気温の上昇幅は、過去からの累積の二酸化炭素(CO2)排出量にほぼ比例する。主要な温室効果ガスであるCO2は安定したガスであり、海洋や陸地生態系に吸収されない限り大気中に貯まっていく。今後の気温上昇を一定レベルに抑えるには、今後CO2の排出量に上限枠が必要になる。 どのシナリオでもCO2などの排出量をいずれゼロにしなければならず、いつゼロにするかによって今後の気温上昇予測は変わる。 今回の報告書では、累積CO2排出量1兆トンごとに約0.45度、平均気温が上がることが示された。人類はすでに約2兆4000億トン排出しているため、1.5度に抑えるために残された排出可能量は4000億トン程度しかない。この上限枠を「炭素予算」と呼ぶが、CO2は現在、年約350~400億トンペースで排出されているため、このままならば、あと10年で1.5度の炭素予算を使い切ってしまうことになる。 つまり、CO2排出量をただちに急減させ、貴重な炭素予算を使い切らないようにしながら、2050年ごろまでには排出量をゼロに持っていかなければ、1.5度の気温上昇に抑えることはできなくなってしまうのだ。もちろんメタンなどCO2以外の温室効果ガスも急減させる必要がある』、「人類はすでに約2兆4000億トン排出しているため、1.5度に抑えるために残された排出可能量は4000億トン程度しかない。この上限枠を「炭素予算」と呼ぶが、CO2は現在、年約350~400億トンペースで排出されているため、このままならば、あと10年で1.5度の炭素予算を使い切ってしまうことになる」、「炭素予算」は「あと10年で1.5度の炭素予算を使い切ってしまう」、衝撃的だ。
・『COP26で問われる具体的な削減計画 1.5度に抑えることは容易ではないが、私たちの選択次第で社会変革も可能であることもわかった。欧米や日本、韓国などの各国はそろって2050年ゼロを掲げている。2050年ゼロに至るまでに貴重な1.5度の炭素予算を使い切らないようにするためには、2030年に向かって現在の排出量をほぼ半減させていく必要がある。実際、欧米や日本は2030年に温室効果ガス排出量をほぼ半減させる目標を掲げた。 COP26で最大の焦点は、各国の2030年に向けた「国別削減目標」(NDC)が科学の知見に照らして十分な削減量となっているかどうかだ。そして目標を掲げるだけではなく、実際にそれを実現する計画が提出されるかどうか。 パリ協定事務局へ提出する国別削減目標には、具体的な削減計画も含まれていなければならない。日本の2030年目標(正確には2030年度目標)は欧米に比べてやや見劣りする2013年度比46%削減であるが、「50%の高みを目指す」と表明しており、今回の報告書をきっかけにさらに50%以上を目指してもらいたい。 そして日本にとって最も重要なことは、今後9年間で46%以上の削減を確実にするエネルギー計画づくりだ。排出量の多い石炭火力の廃止計画を立て、出遅れている再生可能エネルギーを最大限に導入、そして省エネルギーの取り組みを野心的に深掘りすることである』、「日本」は「石炭火力の廃止計画を立て、出遅れている再生可能エネルギーを最大限に導入、そして省エネルギーの取り組みを野心的に深掘りすることである」、同感である。
タグ:(その10)(「社内炭素価格」を取り入れる企業が増えるわけ 脱炭素の動きに対応、課題は投資判断への反映、早急な脱炭素化は日本企業や家計に「コスト増」 雇用が不安定になる可能性も、人為的な影響が主因、今こそ本気でCO2抑制を 国連報告書が指摘する「破局的温暖化」の現実味) 「各社が独自基準で金額に換算して仮想上のコストとみなし」、とはいっても、「各国政府」の「CP」や「課税」「罰金」などと整合的なのだろう。 「「社内炭素価格」を取り入れる企業が増えるわけ 脱炭素の動きに対応、課題は投資判が断への反映」 東洋経済オンライン 環境問題 管理用に「ICP」を導入する企業が増えたのに、いまだに「慎重論」を唱える「経産省」はお粗末だ。 「ドイツ」での事業であれば、「排出権を購入」でオフセットせざるを得ない場合もあり得るだろう。 「ICP」を「導入する企業は、判断基準や考え方を投資家ら外部に丁寧に伝えて、企業評価にしっかりとつなげていく必要がある」、同感である。 ダイヤモンド・オンライン 真壁昭夫 「早急な脱炭素化は日本企業や家計に「コスト増」、雇用が不安定になる可能性も」 「わが国企業が脱炭素のコストアップで競争力が削がれ、厳しい状況に追い込まれる懸念も軽視できない」、確かに覚悟が必要だ。 「わが国企業の多くが水素の生成・運搬・貯蔵、および二酸化炭素の回収・貯蔵・再利用、あるいは脱炭素につながる素材の開発製造などの分野で強みを発揮している可能性がある」、「強み」がこのように残って欲しいものだ。 「今後10年の間に、わが国は温室効果ガスの排出を4.2億トン削減しなければならない。年度に直すと毎年度4200万トン、これまでの年度平均の約1.5倍の削減が必要だ」、かなりの努力が必要なようだ。 「問題は、経済全体で考えた場合に、脱炭素社会の実現に必要なコストが、ベネフィットを上回る可能性が高いことだ。そう考える背景には複数の要因がある。温室効果ガス削減のコストを生産性向上や技術の改善で吸収することは容易ではない。風力発電の専門家によると、欧州に比べてわが国は風況に恵まれておらず、再生可能エネルギー利用のコストは想定を上回る可能性がある。 また、EUなどが、気候変動への対応が十分ではない国からの輸入品へ課税する「炭素国境調整措置」の導入を目指している」、「わが国にとって、脱炭素への取り組みは「いば 東洋経済Plus 小西 雅子 「人為的な影響が主因、今こそ本気でCO2抑制を 国連報告書が指摘する「破局的温暖化」の現実味」 「IPCC」がいよいよ遠慮せずにストレートに主張し始めたようだ。 「イベントアトリビューション」により「個別の異常気象に関して、地球温暖化がどの程度寄与しているかを評価できるようになった」、大きな前進だ 「人類はすでに約2兆4000億トン排出しているため、1.5度に抑えるために残された排出可能量は4000億トン程度しかない。この上限枠を「炭素予算」と呼ぶが、CO2は現在、年約350~400億トンペースで排出されているため、このままならば、あと10年で1.5度の炭素予算を使い切ってしまうことになる」、「炭素予算」は「あと10年で1.5度の炭素予算を使い切ってしまう」、衝撃的だ。 「日本」は「石炭火力の廃止計画を立て、出遅れている再生可能エネルギーを最大限に導入、そして省エネルギーの取り組みを野心的に深掘りすることである」、同感である。
人権(その7)(ウイグルに「様子見」の日本企業に迫る究極の決断 ESGの論客「中国市場より人権優先」する合理性、「LGBT法見送り」頑なに抵抗する人たちが知りたくない"不都合な真実" 差別発言の背景に根拠のない妄想、東京五輪のトランスジェンダー選手が問いかけたリベラル社会の功罪) [社会]
人権については、5月9日に取上げた。今日は、(その7)(ウイグルに「様子見」の日本企業に迫る究極の決断 ESGの論客「中国市場より人権優先」する合理性、「LGBT法見送り」頑なに抵抗する人たちが知りたくない"不都合な真実" 差別発言の背景に根拠のない妄想、東京五輪のトランスジェンダー選手が問いかけたリベラル社会の功罪)である。
先ずは、6月24日付け東洋経済オンライン「ウイグルに「様子見」の日本企業に迫る究極の決断 ESGの論客「中国市場より人権優先」する合理性」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/436426
・『中国・新疆ウイグル自治区での人権問題をめぐり、国家間の対立が深まっている。 企業にとっても、ウイグル問題はもはやひとごとではない。同地の特産品である綿花を原料に使うアパレルなどはサプライチェーンの見直しに追われている。一方で中国国内では、ウイグル問題に懸念を表明していたスウェーデンのH&Mなどに対して不買運動が起きた。 欧米主導の人権重視の流れに沿うのか、中国市場を取るのか。多くの日本企業は明確な姿勢を打ち出せずにいる。 ESG投資に詳しい高崎経済大学の水口剛学長は、日本企業もウイグルでの人権問題に反対の意思を示すべきと強調する。ウイグル問題は長期的に企業経営にどんな影響を及ぼすのか、そして投資家サイドの動きをどう見通すのかを聞いた(Qは聞き手の質問、Aは水口氏の回答)』、5月19日付け時事通信によれば、アメリカはユニク製品の販売を差し止め、7月2日付け産経新聞は、仏検察当局がユニクロを人道犯罪で捜査、などユニクロが巻き込まれているようだ。
・『中国からの反発必至でも反対姿勢を示すべき Q:多くのアパレル企業がウイグル問題への対応に追われています。 A:いずれ大きな問題になると思っていた。直接的なきっかけは、NGOの「ベター・コットン・イニシアティブ(BCI)」が2020年に出した声明だろう(編集部注:持続可能な綿花生産を推進・認定するBCIは、人権問題への懸念からウイグル綿の認証を2020年に停止)。それからH&Mなどのアパレル企業が「人権問題に加担しない」と、ウイグル綿の使用について懸念を表明し始めた。 今回のケースが特殊なのは、サプライチェーンの先にあったのが一企業ではなく、中国政府だったこと。従来こうした人権問題は工場などの個別企業が強制労働や児童労働に関与していて、調達する側の企業は、(人権侵害の懸念があれば)そこと関わりのある企業との取引停止や、デューデリジェンスなどを行ってきた。 しかし今回はその裏側に中国政府がいて、政策としてウイグル人の支配を強化している。対応次第で、中国からすれば「政府に対する反撃」「内政干渉」だと捉えられる。 Q:では、日本企業はどういう対応を取る必要があるのでしょうか。 A:正しい対策は、同化政策や人権問題には反対の意思を持っている、とはっきり伝えること。中国とは長年友好関係を作り、今後もその関係を続けたいが、ウイグル問題には懸念を持っているという姿勢を明確にすることだろう。 そうすると一時的に中国政府から強い反発を受けて、中国ビジネスはしんどくなる。現実には(政府や国民の反発姿勢が何年も)変わらない可能性もあり、正義を振りかざすだけにいかない難しい面はあるだろう。だが、数年の我慢をしてでも正しい主張をすべきだ』、「日本政府」はこれまで沈黙しているが、これでは日本のアパレルはやり玉に挙げられるだけだろう。
次に、7月13日付けPRESIDENT Onlineが掲載した大正大学心理社会学部人間科学科准教授の田中 俊之氏による「「LGBT法見送り」頑なに抵抗する人たちが知りたくない"不都合な真実" 差別発言の背景に根拠のない妄想」を紹介しよう。
https://president.jp/articles/-/47533
・『先の通常国会で提出が見送られた「LGBT理解増進法案」。LGBTをめぐっては、一部の保守派議員が「種の保存に背く」などと発言して批判が殺到しました。なぜこうした発言が出るのか、発言の根底にある「妄想」とは何か。男性学の第一人者、田中俊之先生に聞きました――』、興味深そうだ。
・『頑なに抵抗し続ける人たち LGBTなどの性的少数者をめぐっては、長い間、そうした人々の権利擁護や理解増進が叫ばれてきました。しかし、保守派議員の中には、こうした声に頑なに抵抗し続けている人たちがいます。 「生物学上、種の保存に背く」「体は男でも自分は女だから女子トイレに入れろとか、女子陸上競技に参加してメダルを取るとか、ばかげたことが起きている」──。彼らはなぜ、こんな差別的な発言をしてしまうのでしょうか』、「差別的な発言」が出てくる背景を探る意味も大きい。
・『差別発言の根底にある“伝統的家族像”という妄想 彼らの発言の根底には「家族崩壊=国家の危機」という大前提があります。その家族像は異性愛者を前提としたもので、人は結婚して子をなし同じ姓を名乗るべき、それが家族であるという考え方に基づいています。そうでなければ家族も日本の伝統も崩壊してしまい、国家が危機に陥るというわけです。 こうした考え方の人は一定数いて、実際、LGBT法も選択的夫婦別姓も、反対しているメンバーはほぼ共通です。それは日本の伝統的家族像とは違うから、伝統や家族の崩壊を防ぐために戦わなければならない──。彼らはそう考えているのでしょうが、それは単なる思い込みで、事実とは明らかに異なります』、具体的な根拠を知りたいものだ。
・『保守派が知りたがらない真実 保守派の人たちは「同性カップルでは子が生まれない」と、それがさも悪いことであるかのように言います。しかし、1953年に行われた調査では、子どもがいない、あるいは子どもの中に男子がいない場合「養子をもらって跡を継がせた方がよい」が約73%と圧倒的多数を占めていました。 つまり、昭和初期の日本では、後継ぎが必要な場合でも「何がなんでも子を生むべき」より、「子どもがほしければ養子をもらえばいい」という考え方のほうが主流だったのです。夫婦とその2人から生まれた子という家族像は、日本の伝統と言えるものではないのです』、「保守派」が主張する「日本の伝統」はどうもいい加減なようだ。
・『家族は暖かいとか冷たいとかではない また、伝統的家族像に固執する姿勢は、彼らが時代に向き合っていないことの証しでもあります。家族社会学では、家族には「直系家族制」と「夫婦家族制」の2つがあるとされています。前者は、親の財産を跡取りが受け継ぎ家族を存続させていくもの。後者は家族の単位は夫婦であり、その夫婦が離婚したり亡くなったりすれば家族も終了というものです。 多くの家庭が農業などの家業を持っていた時代は、直系家族制が適していたでしょう。でも、現代では会社に雇われて働く人が増え、子や孫に継がせる家業を持たないケースが多くなっています。この場合は夫婦家族制のほうが適していますから、自然の流れとして、家族のありかたもそちらのほうに変わってきました。 ところが、保守派の人々が抱く家族像は、直系家族制の時代からまったく変わっていないようです。変化自体は感じているのか、「昔の家族は暖かかった、今は冷たい」などと嘆いていますが、実際にはそういう問題ではありません。暖かいとか冷たいとかではなく、産業構造が変わったから家族のありかたも変わっただけなのです』、「産業構造が変わったから家族のありかたも変わっただけなの」に、「「昔の家族は暖かかった、今は冷たい」などと嘆いています」、勝手なものだ。
・『勉強が足りない ですから、差別発言をした議員は勉強が足りないのではと思います。子どもをもつことに関しては、決して伝統ではないことを伝統と思い込んでいるわけですし、家族のありかたについても産業構造の変化には目を向けず、絆や人情といった感情論で語り続けています。夫婦同姓にしても近代以降の制度ですから、日本の伝統と呼べるものではありません。 そう考えると、保守派議員によるLGBTをめぐる発言は、不勉強と、自分が伝統だと思い込んでいる家族像への固執から起きたものだろうと推測できます。では、彼らがそれほどまでにその家族像に執着する理由は何でしょうか』、「保守派議員」が「その家族像に執着する理由」は何なのだろう。
・『持論を正当化するために妄想にすがっている 新しいものや体験に対して嫌悪感や不安を覚えることを「ネオフォビア」と言います。差別的発言をした議員たちの心理も、これに似ているように思います。彼らにとってLGBT法や選択的夫婦別姓は、自分たちの「安心」をおびやかすもの。だから対抗策として、持論を正当化するような妄想にすがっているのではないでしょうか。 これは世間一般でもよくある話です。振り返れば漫画もテレビゲームも、大人たちは何の根拠もなく「バカになる」「非行の原因になる」などと言って否定してきました。 実を言えば、僕自身もそんな大人の一人です。先日、学生たちが好きなユーチューバーの話で盛り上がっているのを見て、つい「そんなクオリティーが低いものじゃなくてドキュメンタリーでも見たら」と言ってしまいました。自分はユーチューバーの作品を一つも見たことがないのに、です。後から、これじゃただの毛嫌いだな、新しいものに対して完全に思考停止していたな、と反省しました』、「差別的発言をした議員たち」「にとってLGBT法や選択的夫婦別姓は、自分たちの「安心」をおびやかすもの。だから対抗策として、持論を正当化するような妄想にすがっているのではないでしょうか」、なるほど。
・『知りたくない事実を突きつけても聞こうとしない 僕の場合は、毛嫌いを正当化するために「ユーチューバー作品はクオリティーが低い」という根拠のない妄想にすがったわけです。同じように、保守派議員たちは伝統的家族という妄想にすがっているのです。 その妄想を否定するような、前述の養子への意識や産業構造の変化などは、彼らにとっては「知りたくもない事実」。こちらがいくら事実を示しても、そもそも知りたくないので話を聞こうとはしてくれないでしょう。こうした人たちとの戦いは、残念ながらかなり厳しいと言わざるを得ません』、「知りたくない事実を突きつけても聞こうとしない」、困ったことだ。
・『言い続けることが大事 それでも、国民は彼らに対して、真実はこうだ、世論はこうなんだと言い続けるべきです。意見を発信すると同時に、LGBT法や選択的夫婦別姓に反対する議員、差別的発言をする議員など「いつものメンバー」をしっかりチェックして、投票に反映する姿勢も必要です。 ただ、そうしたメンバーは票を得ているから議員になっているわけで、そこは現実として受け止めなければなりません。世の中には彼らの発言を支持する人たちもいる。そうした別世界もあるのだと認識した上で、一人ひとりが自分にできる努力を続けていくことが大事だと思います。 保守派議員による今回の発言は報道で大きく取り上げられ、非難の声もたくさん上がりました。2000年代前半にフェミニズムに対するバックラッシュ(反動、揺り戻し)が起きた時とは雲泥の差です。 例えば、2006年には、今でもご活躍されているジェンダー研究者の上野千鶴子先生が、東京都のある市で人権講座の講師を務める予定だったのですが、「ジェンダーフリーという用語を使うかもしれない」という理由で講座が中止に追い込まれるという事件が発生しています』、「2006年には・・・上野千鶴子先生が、東京都のある市で人権講座の講師を務める予定だったのですが、「ジェンダーフリーという用語を使うかもしれない」という理由で講座が中止に追い込まれる」、事件が比較的最近に起きていたことに驚いた。
・『時代は確実に変わってきている 上野先生はこの一件について、次のように述べています。「都の役人の女性行政に対する態度が、ここ数年のうちに、もっとはっきり言えば石原都政以後に、大きく変わったことは誰もが気づいている――中略――石原都政以後に、わたしは都にとっては、「危険人物」となったようである」(若桑みどり他編 2006『「ジェンダー」の危機を超える!』青弓社)。 ちなみに、石原慎太郎さんは、学者の言葉を引用したとしながら、2001年に女性週刊誌のインタビューでこのように語っています。「女性が生殖能力を失っても生きているってのは、無駄で罪ですって」。 もし、2020年代になった今、上野先生の講座が中止になったり、現役の都知事があからさまな女性差別発言をしたりすれば大問題になるはずです。時代は確実に進歩したと思います。多くの人々がSNSを通じて意見を発信するようになり、報道もジェンダーというテーマを避けることはほとんどなくなったどころか、大きく取り上げるようにさえなりました。 以前は言われっぱなしだった女性に対する差別的発言にも、今は「言い返し」ができる状況になっています。今後も保守派議員による差別的発言は起きるでしょうが、それに対峙できる社会になってきているのです。こうした流れがさらに加速して、彼らや社会を変える力になることを期待しています』、同感である。
第三に、8月24日付けダイヤモンド・オンラインが掲載した作家の橘玲氏による「東京五輪のトランスジェンダー選手が問いかけたリベラル社会の功罪【橘玲の日々刻々】」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/280272
・『東京五輪の女子重量挙げ87キロ超級に、男性から女性に性別変更したトランスジェンダーの選手がはじめて出場しました。 ニュージーランド代表のこの選手は、10代から男子として国内大会に出場、23歳でいったん競技から離れたあと、30代半ばに性別適合手術を受けて女性として競技に戻りました。2017年に世界選手権で銀メダルを獲得、43歳にしてオリンピック出場の夢をかなえたことになります(結果は3回の試技をいずれも失敗して記録なし)。 多様性の尊重を掲げる五輪を象徴する話ですが、この“快挙”がすべてのひとから歓迎されているわけではありません。 トランスジェンダーの重量挙げ選手は、試合に出るたびにライバルから抗議され、他国選手団からは出場資格の取り消しを求められました。女性の権利を擁護する地元ニュージーランドの団体は、「「男性」が女性の機会を奪っている」と批判しています。 IOCのガイドラインでは、「女子」選手は男性ホルモンのテストステロン濃度が一定の値より低くなければならず、重量挙げ選手はこの基準をクリアしています。とはいえ、男性では思春期にテストステロン濃度が急激に上がり、それが骨格や筋肉の発達を促進するので、それ以降に性転換しても「生物学的性差」の大きな優位性は残るとの主張には説得力があります。 IOCはトランスジェンダー女性の五輪参加を支持するコメントを出す準備をしていましたが、一部の競技団体からの反発で発表を見合わせました。この流れが続けば、いずれは「女子」競技は身体能力に優れたトランスジェンダー女性に席捲されてしまうという不安を払拭できなかったのでしょう』、「IOCのガイドライン」が静態的な「男性ホルモンのテストステロン濃度」に注目していたが、本来は成長期のそれに注目すべきだった。成長期に豊富な「テストステロン濃度」を享受して男性としての筋力などの体を手に入れてから、低い「濃度」に移ったとしても、「「生物学的性差」の大きな優位性は残る」、その通りだ。「IOC」が「トランスジェンダー女性の五輪参加を支持するコメントを出す準備」を「見送った」のは当然だが、当初の「ガイドライン」の修正にも踏み込むべきだろう。
・『リベラルな社会では、「すべてのひとが自分らしく生きられるべきだ」という理想が追求されます。人種・民族・性別・国籍・身分・性的志向など、本人の意志では変えられないものを理由とした差別が許されないのは当然のことです。「リベラル化」が、総体としては、社会の厚生(幸福度)を大きく引き上げたことは間違いありません。 しかし、価値観の異なるさまざまなひとが「自分らしく」生きようとすれば、あちこちで利害が衝突し、人間関係は複雑になっていきます。政治は利害調整の機能を失って迷走し、行政システムは、あらゆるクレームに対応するために巨大化し、誰にも理解できないものになっていくでしょう。 このようにして、すべてのひとが「自分らしく」生きられる社会を目指そうと努力するほど、社会のあちこちで紛争が起き、「生きづらさ」が増していくという皮肉な事態になります。五輪のトランスジェンダー問題は、その典型的な事例でしょう。 ますます「リベラル化」が進む社会では、「自分らしく」生きるという特権を享受できるひとたち(エリート)と、「自分らしく」生きなければならないという圧力を受けながらも、そうできないひとたちに社会は分断されていきます。これは「リベラル化」の必然なのですから、「リベラル」な政策で解決することはできません。 そんな話を新刊『無理ゲー社会』(小学館新書)で書きました。光が強ければ強いほど、影もいっそう濃くなるという話です』、これは「五輪のトランスジェンダー問題」一般の問題ではなく、「IOC」が運用を誤った問題で、「リベラル」とは関係ない話の筈だ。
先ずは、6月24日付け東洋経済オンライン「ウイグルに「様子見」の日本企業に迫る究極の決断 ESGの論客「中国市場より人権優先」する合理性」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/436426
・『中国・新疆ウイグル自治区での人権問題をめぐり、国家間の対立が深まっている。 企業にとっても、ウイグル問題はもはやひとごとではない。同地の特産品である綿花を原料に使うアパレルなどはサプライチェーンの見直しに追われている。一方で中国国内では、ウイグル問題に懸念を表明していたスウェーデンのH&Mなどに対して不買運動が起きた。 欧米主導の人権重視の流れに沿うのか、中国市場を取るのか。多くの日本企業は明確な姿勢を打ち出せずにいる。 ESG投資に詳しい高崎経済大学の水口剛学長は、日本企業もウイグルでの人権問題に反対の意思を示すべきと強調する。ウイグル問題は長期的に企業経営にどんな影響を及ぼすのか、そして投資家サイドの動きをどう見通すのかを聞いた(Qは聞き手の質問、Aは水口氏の回答)』、5月19日付け時事通信によれば、アメリカはユニク製品の販売を差し止め、7月2日付け産経新聞は、仏検察当局がユニクロを人道犯罪で捜査、などユニクロが巻き込まれているようだ。
・『中国からの反発必至でも反対姿勢を示すべき Q:多くのアパレル企業がウイグル問題への対応に追われています。 A:いずれ大きな問題になると思っていた。直接的なきっかけは、NGOの「ベター・コットン・イニシアティブ(BCI)」が2020年に出した声明だろう(編集部注:持続可能な綿花生産を推進・認定するBCIは、人権問題への懸念からウイグル綿の認証を2020年に停止)。それからH&Mなどのアパレル企業が「人権問題に加担しない」と、ウイグル綿の使用について懸念を表明し始めた。 今回のケースが特殊なのは、サプライチェーンの先にあったのが一企業ではなく、中国政府だったこと。従来こうした人権問題は工場などの個別企業が強制労働や児童労働に関与していて、調達する側の企業は、(人権侵害の懸念があれば)そこと関わりのある企業との取引停止や、デューデリジェンスなどを行ってきた。 しかし今回はその裏側に中国政府がいて、政策としてウイグル人の支配を強化している。対応次第で、中国からすれば「政府に対する反撃」「内政干渉」だと捉えられる。 Q:では、日本企業はどういう対応を取る必要があるのでしょうか。 A:正しい対策は、同化政策や人権問題には反対の意思を持っている、とはっきり伝えること。中国とは長年友好関係を作り、今後もその関係を続けたいが、ウイグル問題には懸念を持っているという姿勢を明確にすることだろう。 そうすると一時的に中国政府から強い反発を受けて、中国ビジネスはしんどくなる。現実には(政府や国民の反発姿勢が何年も)変わらない可能性もあり、正義を振りかざすだけにいかない難しい面はあるだろう。だが、数年の我慢をしてでも正しい主張をすべきだ』、「日本政府」はこれまで沈黙しているが、これでは日本のアパレルはやり玉に挙げられるだけだろう。
次に、7月13日付けPRESIDENT Onlineが掲載した大正大学心理社会学部人間科学科准教授の田中 俊之氏による「「LGBT法見送り」頑なに抵抗する人たちが知りたくない"不都合な真実" 差別発言の背景に根拠のない妄想」を紹介しよう。
https://president.jp/articles/-/47533
・『先の通常国会で提出が見送られた「LGBT理解増進法案」。LGBTをめぐっては、一部の保守派議員が「種の保存に背く」などと発言して批判が殺到しました。なぜこうした発言が出るのか、発言の根底にある「妄想」とは何か。男性学の第一人者、田中俊之先生に聞きました――』、興味深そうだ。
・『頑なに抵抗し続ける人たち LGBTなどの性的少数者をめぐっては、長い間、そうした人々の権利擁護や理解増進が叫ばれてきました。しかし、保守派議員の中には、こうした声に頑なに抵抗し続けている人たちがいます。 「生物学上、種の保存に背く」「体は男でも自分は女だから女子トイレに入れろとか、女子陸上競技に参加してメダルを取るとか、ばかげたことが起きている」──。彼らはなぜ、こんな差別的な発言をしてしまうのでしょうか』、「差別的な発言」が出てくる背景を探る意味も大きい。
・『差別発言の根底にある“伝統的家族像”という妄想 彼らの発言の根底には「家族崩壊=国家の危機」という大前提があります。その家族像は異性愛者を前提としたもので、人は結婚して子をなし同じ姓を名乗るべき、それが家族であるという考え方に基づいています。そうでなければ家族も日本の伝統も崩壊してしまい、国家が危機に陥るというわけです。 こうした考え方の人は一定数いて、実際、LGBT法も選択的夫婦別姓も、反対しているメンバーはほぼ共通です。それは日本の伝統的家族像とは違うから、伝統や家族の崩壊を防ぐために戦わなければならない──。彼らはそう考えているのでしょうが、それは単なる思い込みで、事実とは明らかに異なります』、具体的な根拠を知りたいものだ。
・『保守派が知りたがらない真実 保守派の人たちは「同性カップルでは子が生まれない」と、それがさも悪いことであるかのように言います。しかし、1953年に行われた調査では、子どもがいない、あるいは子どもの中に男子がいない場合「養子をもらって跡を継がせた方がよい」が約73%と圧倒的多数を占めていました。 つまり、昭和初期の日本では、後継ぎが必要な場合でも「何がなんでも子を生むべき」より、「子どもがほしければ養子をもらえばいい」という考え方のほうが主流だったのです。夫婦とその2人から生まれた子という家族像は、日本の伝統と言えるものではないのです』、「保守派」が主張する「日本の伝統」はどうもいい加減なようだ。
・『家族は暖かいとか冷たいとかではない また、伝統的家族像に固執する姿勢は、彼らが時代に向き合っていないことの証しでもあります。家族社会学では、家族には「直系家族制」と「夫婦家族制」の2つがあるとされています。前者は、親の財産を跡取りが受け継ぎ家族を存続させていくもの。後者は家族の単位は夫婦であり、その夫婦が離婚したり亡くなったりすれば家族も終了というものです。 多くの家庭が農業などの家業を持っていた時代は、直系家族制が適していたでしょう。でも、現代では会社に雇われて働く人が増え、子や孫に継がせる家業を持たないケースが多くなっています。この場合は夫婦家族制のほうが適していますから、自然の流れとして、家族のありかたもそちらのほうに変わってきました。 ところが、保守派の人々が抱く家族像は、直系家族制の時代からまったく変わっていないようです。変化自体は感じているのか、「昔の家族は暖かかった、今は冷たい」などと嘆いていますが、実際にはそういう問題ではありません。暖かいとか冷たいとかではなく、産業構造が変わったから家族のありかたも変わっただけなのです』、「産業構造が変わったから家族のありかたも変わっただけなの」に、「「昔の家族は暖かかった、今は冷たい」などと嘆いています」、勝手なものだ。
・『勉強が足りない ですから、差別発言をした議員は勉強が足りないのではと思います。子どもをもつことに関しては、決して伝統ではないことを伝統と思い込んでいるわけですし、家族のありかたについても産業構造の変化には目を向けず、絆や人情といった感情論で語り続けています。夫婦同姓にしても近代以降の制度ですから、日本の伝統と呼べるものではありません。 そう考えると、保守派議員によるLGBTをめぐる発言は、不勉強と、自分が伝統だと思い込んでいる家族像への固執から起きたものだろうと推測できます。では、彼らがそれほどまでにその家族像に執着する理由は何でしょうか』、「保守派議員」が「その家族像に執着する理由」は何なのだろう。
・『持論を正当化するために妄想にすがっている 新しいものや体験に対して嫌悪感や不安を覚えることを「ネオフォビア」と言います。差別的発言をした議員たちの心理も、これに似ているように思います。彼らにとってLGBT法や選択的夫婦別姓は、自分たちの「安心」をおびやかすもの。だから対抗策として、持論を正当化するような妄想にすがっているのではないでしょうか。 これは世間一般でもよくある話です。振り返れば漫画もテレビゲームも、大人たちは何の根拠もなく「バカになる」「非行の原因になる」などと言って否定してきました。 実を言えば、僕自身もそんな大人の一人です。先日、学生たちが好きなユーチューバーの話で盛り上がっているのを見て、つい「そんなクオリティーが低いものじゃなくてドキュメンタリーでも見たら」と言ってしまいました。自分はユーチューバーの作品を一つも見たことがないのに、です。後から、これじゃただの毛嫌いだな、新しいものに対して完全に思考停止していたな、と反省しました』、「差別的発言をした議員たち」「にとってLGBT法や選択的夫婦別姓は、自分たちの「安心」をおびやかすもの。だから対抗策として、持論を正当化するような妄想にすがっているのではないでしょうか」、なるほど。
・『知りたくない事実を突きつけても聞こうとしない 僕の場合は、毛嫌いを正当化するために「ユーチューバー作品はクオリティーが低い」という根拠のない妄想にすがったわけです。同じように、保守派議員たちは伝統的家族という妄想にすがっているのです。 その妄想を否定するような、前述の養子への意識や産業構造の変化などは、彼らにとっては「知りたくもない事実」。こちらがいくら事実を示しても、そもそも知りたくないので話を聞こうとはしてくれないでしょう。こうした人たちとの戦いは、残念ながらかなり厳しいと言わざるを得ません』、「知りたくない事実を突きつけても聞こうとしない」、困ったことだ。
・『言い続けることが大事 それでも、国民は彼らに対して、真実はこうだ、世論はこうなんだと言い続けるべきです。意見を発信すると同時に、LGBT法や選択的夫婦別姓に反対する議員、差別的発言をする議員など「いつものメンバー」をしっかりチェックして、投票に反映する姿勢も必要です。 ただ、そうしたメンバーは票を得ているから議員になっているわけで、そこは現実として受け止めなければなりません。世の中には彼らの発言を支持する人たちもいる。そうした別世界もあるのだと認識した上で、一人ひとりが自分にできる努力を続けていくことが大事だと思います。 保守派議員による今回の発言は報道で大きく取り上げられ、非難の声もたくさん上がりました。2000年代前半にフェミニズムに対するバックラッシュ(反動、揺り戻し)が起きた時とは雲泥の差です。 例えば、2006年には、今でもご活躍されているジェンダー研究者の上野千鶴子先生が、東京都のある市で人権講座の講師を務める予定だったのですが、「ジェンダーフリーという用語を使うかもしれない」という理由で講座が中止に追い込まれるという事件が発生しています』、「2006年には・・・上野千鶴子先生が、東京都のある市で人権講座の講師を務める予定だったのですが、「ジェンダーフリーという用語を使うかもしれない」という理由で講座が中止に追い込まれる」、事件が比較的最近に起きていたことに驚いた。
・『時代は確実に変わってきている 上野先生はこの一件について、次のように述べています。「都の役人の女性行政に対する態度が、ここ数年のうちに、もっとはっきり言えば石原都政以後に、大きく変わったことは誰もが気づいている――中略――石原都政以後に、わたしは都にとっては、「危険人物」となったようである」(若桑みどり他編 2006『「ジェンダー」の危機を超える!』青弓社)。 ちなみに、石原慎太郎さんは、学者の言葉を引用したとしながら、2001年に女性週刊誌のインタビューでこのように語っています。「女性が生殖能力を失っても生きているってのは、無駄で罪ですって」。 もし、2020年代になった今、上野先生の講座が中止になったり、現役の都知事があからさまな女性差別発言をしたりすれば大問題になるはずです。時代は確実に進歩したと思います。多くの人々がSNSを通じて意見を発信するようになり、報道もジェンダーというテーマを避けることはほとんどなくなったどころか、大きく取り上げるようにさえなりました。 以前は言われっぱなしだった女性に対する差別的発言にも、今は「言い返し」ができる状況になっています。今後も保守派議員による差別的発言は起きるでしょうが、それに対峙できる社会になってきているのです。こうした流れがさらに加速して、彼らや社会を変える力になることを期待しています』、同感である。
第三に、8月24日付けダイヤモンド・オンラインが掲載した作家の橘玲氏による「東京五輪のトランスジェンダー選手が問いかけたリベラル社会の功罪【橘玲の日々刻々】」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/280272
・『東京五輪の女子重量挙げ87キロ超級に、男性から女性に性別変更したトランスジェンダーの選手がはじめて出場しました。 ニュージーランド代表のこの選手は、10代から男子として国内大会に出場、23歳でいったん競技から離れたあと、30代半ばに性別適合手術を受けて女性として競技に戻りました。2017年に世界選手権で銀メダルを獲得、43歳にしてオリンピック出場の夢をかなえたことになります(結果は3回の試技をいずれも失敗して記録なし)。 多様性の尊重を掲げる五輪を象徴する話ですが、この“快挙”がすべてのひとから歓迎されているわけではありません。 トランスジェンダーの重量挙げ選手は、試合に出るたびにライバルから抗議され、他国選手団からは出場資格の取り消しを求められました。女性の権利を擁護する地元ニュージーランドの団体は、「「男性」が女性の機会を奪っている」と批判しています。 IOCのガイドラインでは、「女子」選手は男性ホルモンのテストステロン濃度が一定の値より低くなければならず、重量挙げ選手はこの基準をクリアしています。とはいえ、男性では思春期にテストステロン濃度が急激に上がり、それが骨格や筋肉の発達を促進するので、それ以降に性転換しても「生物学的性差」の大きな優位性は残るとの主張には説得力があります。 IOCはトランスジェンダー女性の五輪参加を支持するコメントを出す準備をしていましたが、一部の競技団体からの反発で発表を見合わせました。この流れが続けば、いずれは「女子」競技は身体能力に優れたトランスジェンダー女性に席捲されてしまうという不安を払拭できなかったのでしょう』、「IOCのガイドライン」が静態的な「男性ホルモンのテストステロン濃度」に注目していたが、本来は成長期のそれに注目すべきだった。成長期に豊富な「テストステロン濃度」を享受して男性としての筋力などの体を手に入れてから、低い「濃度」に移ったとしても、「「生物学的性差」の大きな優位性は残る」、その通りだ。「IOC」が「トランスジェンダー女性の五輪参加を支持するコメントを出す準備」を「見送った」のは当然だが、当初の「ガイドライン」の修正にも踏み込むべきだろう。
・『リベラルな社会では、「すべてのひとが自分らしく生きられるべきだ」という理想が追求されます。人種・民族・性別・国籍・身分・性的志向など、本人の意志では変えられないものを理由とした差別が許されないのは当然のことです。「リベラル化」が、総体としては、社会の厚生(幸福度)を大きく引き上げたことは間違いありません。 しかし、価値観の異なるさまざまなひとが「自分らしく」生きようとすれば、あちこちで利害が衝突し、人間関係は複雑になっていきます。政治は利害調整の機能を失って迷走し、行政システムは、あらゆるクレームに対応するために巨大化し、誰にも理解できないものになっていくでしょう。 このようにして、すべてのひとが「自分らしく」生きられる社会を目指そうと努力するほど、社会のあちこちで紛争が起き、「生きづらさ」が増していくという皮肉な事態になります。五輪のトランスジェンダー問題は、その典型的な事例でしょう。 ますます「リベラル化」が進む社会では、「自分らしく」生きるという特権を享受できるひとたち(エリート)と、「自分らしく」生きなければならないという圧力を受けながらも、そうできないひとたちに社会は分断されていきます。これは「リベラル化」の必然なのですから、「リベラル」な政策で解決することはできません。 そんな話を新刊『無理ゲー社会』(小学館新書)で書きました。光が強ければ強いほど、影もいっそう濃くなるという話です』、これは「五輪のトランスジェンダー問題」一般の問題ではなく、「IOC」が運用を誤った問題で、「リベラル」とは関係ない話の筈だ。
タグ:人権 (その7)(ウイグルに「様子見」の日本企業に迫る究極の決断 ESGの論客「中国市場より人権優先」する合理性、「LGBT法見送り」頑なに抵抗する人たちが知りたくない"不都合な真実" 差別発言の背景に根拠のない妄想、東京五輪のトランスジェンダー選手が問いかけたリベラル社会の功罪) 東洋経済オンライン 「ウイグルに「様子見」の日本企業に迫る究極の決断 ESGの論客「中国市場より人権優先」する合理性」 5月19日付け時事通信によれば、アメリカはユニク製品の販売を差し止め、7月2日付け産経新聞は、仏検察当局がユニクロを人道犯罪で捜査、などユニクロが巻き込まれているようだ。 「日本政府」はこれまで沈黙しているが、これでは日本のアパレルはやり玉に挙げられるだけだろう。 PRESIDENT ONLINE 田中 俊之 「「LGBT法見送り」頑なに抵抗する人たちが知りたくない"不都合な真実" 差別発言の背景に根拠のない妄想」 「差別的な発言」が出てくる背景を探る意味も大きい。 具体的な根拠を知りたいものだ 「保守派」が主張する「日本の伝統」はどうもいい加減なようだ。 「産業構造が変わったから家族のありかたも変わっただけなの」に、「「昔の家族は暖かかった、今は冷たい」などと嘆いています」、勝手なものだ。 「保守派議員」が「その家族像に執着する理由」は何なのだろう。 「差別的発言をした議員たち」「にとってLGBT法や選択的夫婦別姓は、自分たちの「安心」をおびやかすもの。だから対抗策として、持論を正当化するような妄想にすがっているのではないでしょうか」、なるほど。 「知りたくない事実を突きつけても聞こうとしない」、困ったことだ。 「2006年には・・・上野千鶴子先生が、東京都のある市で人権講座の講師を務める予定だったのですが、「ジェンダーフリーという用語を使うかもしれない」という理由で講座が中止に追い込まれる」、事件が比較的最近に起きていたことに驚いた。 今後も保守派議員による差別的発言は起きるでしょうが、それに対峙できる社会になってきているのです。こうした流れがさらに加速して、彼らや社会を変える力になることを期待しています』、同感である。 ダイヤモンド・オンライン 橘玲 「東京五輪のトランスジェンダー選手が問いかけたリベラル社会の功罪【橘玲の日々刻々】」 「IOCのガイドライン」が静態的な「男性ホルモンのテストステロン濃度」に注目していたが、本来は成長期のそれに注目すべきだった。成長期に豊富な「テストステロン濃度」を享受して男性としての筋力などの体を手に入れてから、低い「濃度」に移ったとしても、「「生物学的性差」の大きな優位性は残る」、その通りだ。「IOC」が「トランスジェンダー女性の五輪参加を支持するコメントを出す準備」を「見送った」のは当然だが、当初の「ガイドライン」の修正にも踏み込むべきだろう。 これは「五輪のトランスジェンダー問題」一般の問題ではなく、「IOC」が運用を誤った問題で、「リベラル」とは関係ない話の筈だ。
歴史問題(その15)(英雄「ナポレオン」没200年の今、猛批判される訳 奴隷制復活、有色人種の隷属は許されないが…、「いまさらやめられない」が生んだ350万人の悲劇 日本は負けを承知でなぜあの戦争を続けたのか、「"戦争は嫌です"で終わらせてはいけない」知の巨人が恐れた"日本社会の習性" 形を変えて繰り返すのではないか) [政治]
歴史問題については、3月7日に取上げた。今日は、(その15)(英雄「ナポレオン」没200年の今、猛批判される訳 奴隷制復活、有色人種の隷属は許されないが…、「いまさらやめられない」が生んだ350万人の悲劇 日本は負けを承知でなぜあの戦争を続けたのか、「"戦争は嫌です"で終わらせてはいけない」知の巨人が恐れた"日本社会の習性" 形を変えて繰り返すのではないか)である。
先ずは、5月8日付け東洋経済オンラインが掲載した国際ジャーナリスト(フランス在住)の安部 雅延氏による「英雄「ナポレオン」没200年の今、猛批判される訳 奴隷制復活、有色人種の隷属は許されないが…」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/426180
・『最近のフランス国内のいくつかの世論調査によると、「フランスの歴史上最も誇れる英雄」のトップはジャンヌ・ダルクでも、ドゴール将軍でもなく、ナポレオン・ボナパルト(1世)だという。今年はセントヘレナ島に幽閉され、1821年5月5日に51歳で他界してから200年になる。そのため、フランス各地でイベントが企画されている。 ナポレオンは君主制を打倒した大革命後に登場した皇帝だ。イギリスやオーストリア、ロシアなど君主制の国が自分の地位を危ぶみ、フランス封じ込めに動く中、それらの国々を跳ね除け、近代戦争の軍隊の礎を築いた人物として知られる。生涯戦績は38戦35勝と圧倒的な強さだ。 ナポレオンの近代的戦術は今も世界各地の士官学校の教材となっており、特に敵の動き始めた「動的」状態に勝機を見出す戦術は有名だ。戦争だけでなく、世界のビジネススクールでも、机上の戦略ではなく、物事を進行させながら機会を捉える戦い方が、競争の激化するビジネス界で有効だという理由で教えられている。 戦争以外でのナポレオンの最大の功績は、革命が目指した理念を法的に体系化したフランス民法法典(ナポレオン法典)を書いたことにある。ナポレオンは、ただ権力を振るう皇帝ではなかった。ナポレオン法典は過去の封建制を終わらせ、自由、平等、人権を尊重するフランスを築く基礎になっただけでなく、日本を含め、世界各地の近代市民社会の法の規範ともなり、フランス人が自画自賛するゆえんとなっている』、「ナポレオンの近代的戦術は今も世界各地の士官学校の教材となっており」、「ナポレオン法典は・・・日本を含め、世界各地の近代市民社会の法の規範ともなり」、確かに功績は偉大だ。
・『活発化する「キャンセルカルチャー」 ところが、フランスでは現在、ナポレオン没後200年を手放しで祝えない雰囲気が漂っている。 欧米ではこの1年間、奴隷制に関与しながら英雄視される歴史上の人物の像を破壊する運動が繰り返された。いわゆるキャンセルカルチャー(本来はコールアウト・カルチャー)の運動が活発化し、21世紀の価値観に沿わない主張をしたり、行動したりした人物を英雄の座から引きずり下ろす運動が繰り返されている。 実はナポレオンもその運動のやり玉にあげられているのだ。ナポレオンは奴隷制を復活させて有色人種を隷属させ、女性の社会的地位を男性の下に位置付けたためだ。その2つがある限り、英雄としての資格はないという主張がキャンセルカルチャーの運動をする人々からなされ、フランス国民や政府を困惑させている。 アメリカでは2013年に黒人に対する暴力や構造的な人種差別の撤廃を訴えるブラック・ライブズ・マター(BLM)運動が起こった。 昨年夏、黒人のジョージ・フロイドさんが警官の暴力で死亡したとされる事件で運動はさらに拡散。南北戦争で奴隷制存続を指示した南軍に関係する像など記念碑の破壊や撤去が急増した。イギリスで、17世紀の奴隷商人エドワード・コルストンの銅像がデモ隊によって破壊されるなど、ヨーロッパにも波及している。 これら人種差別を批判する潮流とともに、差別者の認定を受けた人物がSNS上などで徹底的に批判され、辱められるキャンセルカルチャーも横行している。日本でも性的マイノリティー(LGBT)への差別(それ自体は不当)に敏感となり、差別者へのバッシングは厳しさを増している。 イギリスでは海に放り込まれたコルストンの銅像を博物館に陳列し、いいことと悪いことの正確な史実の説明を加える方針を打ち出した。なぜなら、英国近代史の最高の英雄ウィンストン・チャーチルもアジア人蔑視で知られ、過去の英雄を今の価値観に照らせば、問題のない英雄はいないという事情もある』、行き過ぎた「キャンセルカルチャーの運動」は考えものだ。歴史上の人物は生きていた時代の価値観で判断すべきだろう。
・『廃止していた奴隷制度を復活させたナポレオン フランスでは、革命後の1791年に植民地だった現在のハイチで黒人奴隷反乱が起き、国民公会は1794年に奴隷制度を廃止した。ところが権力を掌握したナポレオン1世は、1802年に奴隷制度を復活させ、奴隷労働を合法とした。その後、ハイチは1804年に独立し、奴隷制度が廃止されたのは1848年の2月革命で樹立された共和制政府によってだった。 奴隷制の残酷さは日本ではあまり知られていないが、奴隷商人によって家族はバラバラに売買され、人間として扱われなかった。今でもその扱いを受けた先祖を持つ人々の恨みは消えていない。 3月18日付のニューヨーク・タイムズはハイチ出身の黒人女性の研究者、マルリーン・ダート教授の寄稿を掲載し、「フランス人はナポレオンが行った奴隷制復活の暴挙を知りながら、まるで何事もなかったかのように、その歴史的罪を論じようとしない」という批判の記事を掲載した。 彼女の批判は、ナポレオンだけでなく彼の政策を支持したフランス国民やフランス軍にも向けられ、「恥ずべき歴史と向き合おうとしていない」「BLM運動の潮流を無視して、ナポレオン没後200年を祝おうとしている」と批判し、キャンセルカルチャーにも影響を与えている。 無論、フランスでも議論がないわけではない。パリ北東部、ラ・ヴィレット公園内にある「グラン・アール・ドゥ・ラ・ヴィレット」で大規模な「ナポレオン展」が本来は4月14日から開催予定だったが、コロナ禍のロックダウンで延期されている。このイベントの企画段階で、歴史学者から、ナポレオンの失政部分を隠蔽すべきではないという指摘があった。 奴隷制復活だけでなく、女性の社会的地位を男性の下に位置付けたことへの批判も根強い。 ナポレオンが定めた民法では、妻と子供に対する家長の権力は絶対的であり、妻は夫に従わなければならないと定められている。さらに1810年のナポレオン民法の下では、夫が自宅で妻の不貞行為に遭遇した場合、妻を殺害したとしても罪に問われないと定められていた。 ナポレオン自身、生涯に2度結婚したが、そのほかに少なくとも3人以上の愛人がいたとされる。男性中心社会であったことは確かで、そもそも革命後の「人権宣言」には女性の権利が含まれていなかった。ナポレオンの民法が原因かどうかはわからないが、婦人参政権法案が採択されたのは1945年4月と欧米主要国の中では最も遅かった。 自由、平等、友愛をうたう大革命で、女性はほとんどの政策意思決定に関わっていなかった。カトリックの教えでは家父長制度が当然とされ、女性聖職者は今でも認められていない。フランスの歴史に深く関わってきたとされるフリーメイソンも男性の秘密結社だ。筆者のフリーメイソンの友人は「女性は政治に向いていない」と言い切っている』、「奴隷制度を復活させ、奴隷労働を合法とした」のは、やはり問題だ。「フリーメイソン」を生んだ社会なので、「女性」の社会進出は遅れたようだ。
・『当時の社会慣習からすれば当然といえるものナ ポレオンの定めた民法での妻の夫への絶対従属は、イスラム教の教えにも似ているが、当時の社会慣習からすれば、当然ともいえるものだった。 ナポレオン民法は当時、女性の従属的地位を決定的なものにした。そこから女性が社会的、政治的に平等な地位が与えられるまでに100年以上の年を要した。 1970年代以降、フランスでのフェミニズム運動が世界的に知られるようになった背景に、ナポレオンの存在があると主張するフェミニズム活動家は少なくない。フェニミズム運動家もまた、ナポレオンを称賛することを認めない勢力として、没後200年のイベントに注文をつけている。 しかし、フランスはヒステリックなキャンセルカルチャーに加わるつもりはないようだ。 そもそもフランスでは、政治指導者に聖人君子的なものは求めていない。実際、ミッテラン大統領以降の歴代大統領の浮気、離婚、隠し子は政治生命には影響していない。マクロン現大統領を支持するフランス国民の多くは若きエリートで、高校時代に女性教師と不倫して25歳年上の女性を妻にしたことを今風と好感する国民だ。 戦中戦後のリーダーだったドゴールのように「支持率が50%を切ったら大統領をやめる」と言った誠実でモラルの高い政治家を尊敬する側面もあるが、政治権力者が市民と同じように権力や金に執着し、男女の色恋に弱い(セクハラは別だが)のは、庶民に近くていいという感覚もある』、「マクロン現大統領を支持するフランス国民の多くは若きエリートで、高校時代に女性教師と不倫して25歳年上の女性を妻にしたことを今風と好感する国民だ」、さすが「フランス」らしい。
・『ノブレスオブリージュの精神が失われている マクロン大統領は、戦後創設された上級公務員や政治家を養成する国立行政学院(ENA)を廃校にし、さらにはほかのエリート養成のグランゼコールの改革に取り組もうとしている。理由は市民離れした特権階級化を防ぐためだが、一般国民は大した変革はできないと冷ややかだ。 グランゼコールの中には理工系のエコール・ポリテクニークがある。同校は革命後に設立され、ナポレオン1世が軍学校にしたエリート養成校だ。だから今まで毎年、革命記念日に同校の学生が軍服をまとい、パリのシャンゼリゼ通りを行進してきた。 ENA廃校によるエリート教育のリセットには、ナポレオン時代から指導者教育で強調されたノブレスオブリージュ(高貴の義務)、すなわち権力者は私欲を排して公的に尽くす義務があるという精神が失われたこともある。いわゆる指導者のコンプライアンス問題だ。 その典型がポリテクニークの卒業生で、背任罪や私的資金乱用罪で起訴された日産自動車の元会長のカルロス・ゴーン被告だ。 ナポレオンは確かに奴隷制を復活させ、女性の地位を決定づけたという意味で、今の価値観では認められないかもしれない。しかし、ヨーロッパの近代市民社会の確立に貢献し、ヨーロッパに範を求めた明治・大正時代の日本の近代化にも大きな影響を与えたことは否定できない。 200年以上前の時代状況を今日に当てはめれば、英雄の価値は減ってしまうのだろう。ただナポレオンは今のビジネスにも通じるリーダーシップや戦略戦術の面で残した功績も大きい。国の方向性を決定づけ、ヨーロッパを変えてしまうほどのスケールの大きな指導者だったことの評価は、これからも変わらないだろう』、「ヨーロッパの近代市民社会の確立に貢献し、ヨーロッパに範を求めた明治・大正時代の日本の近代化にも大きな影響を与えた」、やはり偉大な人物であることは確かだ。
次に、8月16日付け東洋経済オンラインが掲載した元伊藤忠社長、元中国大使で日本中国友好協会会長の丹羽 宇一郎氏による「「いまさらやめられない」が生んだ350万人の悲劇 日本は負けを承知でなぜあの戦争を続けたのか」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/444666
・『8月15日は終戦の日。あの夏から76年を経て戦争は人々の記憶から、歴史の記録へと変わりつつある。だが350万人の犠牲をけっして記憶から消してはならない。「戦争に近づかないために、日本人は、76年前に終わった日本の戦争について学び直すべきである」と訴え続ける、『戦争の大問題』の著者で、日中友好協会会長の丹羽宇一郎氏が、二度と戦争をしないために心にとどめておくべきことを訴える』、興味深そうだ。
・『なぜ負けが明白な戦争をやめられなかったのか 昭和の大戦の犠牲者は310万人とも350万人ともいわれる。そのほとんどが戦争末期の1年間に集中している。いったい終戦の1年前には何があったのか。 戦時の日本は「絶対国防圏」という最終防衛ラインを定めていた。太平洋方面における絶対国防圏はマリアナ諸島である。マリアナ諸島を取られると、日本本土全体が米軍機によって空襲可能となるからだ。 事実、東京大空襲ほか主要都市の大空襲、広島、長崎の原爆投下はマリアナ諸島のサイパン、テニアンから飛び立った爆撃機によるものである。そのマリアナ諸島を終戦のほぼ1年前、1944年6月の「マリアナ沖海戦」で失った。この戦闘によって日本海軍は壊滅的な損害を受け、対米戦の敗北が決定的となった。知らぬが仏というが、知らない仏はいなかった。軍人と役人は仏の顔をしながら、その実、鬼だったのだ。 拙著『戦争の大問題』で、元自民党幹事長・元日本遺族会会長の古賀誠氏は次のように述べている。 「マリアナ沖海戦の後に200万人の日本人が犠牲になった。政府はこの段階で戦争をやめるべきだった。このとき戦争をやめていれば、東京大空襲はなかった。沖縄戦もなかった。広島、長崎の原爆もなかった。戦争をやめなかった政府の罪は重い」(『戦争の大問題』 戦前、海軍兵棋演習ではマリアナ諸島が取られたらそこで演習終了。つまりマリアナ諸島を取られたら負けなのだ。対米戦の敗北は筋書きどおりとなり、戦争をやめようとしない仏の顔をした鬼によって、負け戦をずるずると延ばし、いたずらに人命を損なっていったのが、1944年6月から1945年8月15日までの日本である。 沖縄では実に県民の4人に1人が犠牲となり、広島では14万人が、長崎では7万5000人が原爆の犠牲となり、東京では10万人、その他の都市の空襲犠牲者を合わせると50万人を超える。この間、多くの兵隊も南方戦線で、中国・アジアで、補給を絶たれ降伏することも許されず病気や飢えによって命を失った。フィリピンのミンダナオ島に軍曹として派遣された谷口末廣さんはこう語っていた。
「最初は(倒れた戦友を)連れていくのが戦友愛、次は手榴弾を1個渡して捕まったら自爆しろよと置いていくのが戦友愛、そのうちどうせ死ぬんだから彼の血肉を生きている者の体力とするのが戦友愛と変わってくる。死人と一緒に寝たとか、死人のものを食べたとか、死人の服を着たとか、死人の靴を貰ったとか、みんな知っている」(『戦争の大問題』)) 戦場で、国内で、人々が酸鼻を極める日々を送らざるをえなくなる前に、なぜ負けが明白な戦争をやめることができなかったのか。この問いは、なぜ戦争を始めたのかよりも重い意味がある』、「戦前、海軍兵棋演習ではマリアナ諸島が取られたらそこで演習終了。つまりマリアナ諸島を取られたら負けなのだ」、「マリアナ沖海戦の後に200万人の日本人が犠牲になった。政府はこの段階で戦争をやめるべきだった。このとき戦争をやめていれば、東京大空襲はなかった。沖縄戦もなかった。広島、長崎の原爆もなかった。戦争をやめなかった政府の罪は重い」、その通りだ。
・『最後まで責任と権限のあいまいなまま戦後へ 大変な犠牲が出たうえに負けは確実、それでもなお、やめられなかった理由はいったい何だったのだろうか。 私は社長時代に4000億円の不良資産を処理したが、赤字決算となれば株価は下がり、株価が下がれば株主から批判される。ひとつ間違えば経営危機となり、社長は四方八方から責任を追及される。 手柄は自分のもの、責任は他人のものが人間の本性である。そこで、みんな御身大切で責任を取ろうとせず、問題を先送りにしてしまう。 戦時中の指導者もそうだったのではなかろうか。戦争をやめるということは、南方の島々もアジアにおける権益も手放すということだ。それは赤字決算の比ではない。誰も進んで責任を負おうとは考えなかったはずだ。 いや、そもそもはじめから責任を負って戦争に臨んでいたのかも不明である。 これも私が社長時代、ある役員から事業プランが上がってきた。私は実現困難と判断したが、本人が強く求めるので、そこまで自信があるならと実行を認めた。ただし「他人に任せず君が最後まで実際に陣頭指揮を執ることを条件とする」とした。失敗したらその責任を取らせるという意味である。 事業プランの承認を得たら後は現場任せ、失敗しても責任を現場に押し付け自分は取らない。そんな腹づもりなら、失敗しても自分は安全なのだから、無謀な計画でも安易に実行しようとする。これが見通しの立たない事業に手を着けるときの心理だ。責任の所在があいまいなのである。 戦前の外交評論家、清沢洌が戦時下の国内事情をつづった『暗黒日記』にこんな記述がある。 「昭和18年8月26日(木)米英が休戦条件として『戦争責任者を引渡せ』と対イタリー条件と同じことを言ってきたとしたら、東條首相その他はどうするか?」 「昭和20年2月19日(月)?山君の話に、議会で、安藤正純君が『戦争責任』の所在を質問した。小磯の答弁は政務ならば総理が負う。作戦ならば統帥部が負う。しかし戦争そのものについてはお答えしたくなしといったという」(いずれも『暗黒日記』) 清沢は小磯総理の答弁を記した後に、「戦争の責任もなき国である」と付記した。清沢の日記中には、今日とまったく変わらない日本人の姿がある。 責任と権限のあいまいなまま戦争が始まり、最後まで明瞭になることなく、天皇の御聖断によって戦争は終わった。戦争を推し進めた指導者は、だれも責任を負って戦争をやめようとはしなかった。 そして、戦争責任はあいまいなまま日本の戦後が始まってしまった。 戦争を始めた責任者が不在でも、戦争をやめる責任を負うことはできる。責任を負うことは国であれ企業であれ、組織のトップに就いた者の務めである。責任を負わないトップは誰がどう言おうとトップの資格はない』、「みんな御身大切で責任を取ろうとせず、問題を先送りにしてしまう。 戦時中の指導者もそうだったのではなかろうか。戦争をやめるということは、南方の島々もアジアにおける権益も手放すということだ。それは赤字決算の比ではない。誰も進んで責任を負おうとは考えなかったはずだ」、「責任と権限のあいまいなまま戦争が始まり、最後まで明瞭になることなく、天皇の御聖断によって戦争は終わった。戦争を推し進めた指導者は、だれも責任を負って戦争をやめようとはしなかった。 そして、戦争責任はあいまいなまま日本の戦後が始まってしまった」、何事も曖昧なまま済まそうとする日本的やり方の典型だ。
・『負けると知りながら必勝を叫ぶ無責任 実際に戦場に立った人たちも、なぜあの戦争をやめられなかったのかと問う人は多かった。シベリア抑留を経験した與田純次さんもこう語っていた。 「満州(満州国、1932年満州事変によって建国された中国東北部にあった日本の植民地、1945年日本の敗戦と共に消滅)でやめておけばよかったのだ」(『戦争の大問題』) できることなら「満州も」やめておけばよかった。しかし満州事変に国民は大喝采を送った。 「満州事変では関東軍の暴走、朝鮮軍の独断越境(満州の応援に国境を越えて派遣)に、責任を感じた陸軍大臣(南次郎)等が辞表を用意したが、新聞は林洗十郎朝鮮軍司令官を『越境将軍』ともてはやしたため陸軍大臣は辞表を懐に収めた」(『戦争の大問題』) 結果がよければ規律違反を犯しても責任を問われない。では、結果がついてこないときはどうするのか。結果が出るまでやめないのである。確たる結果もなく途中でやめれば責任を逃れられない。だから、どれだけ犠牲が出ようと結果が出るまで続けるのだ。 だが、日本人は結果に対する査定もあいまいだ。国民の大喝采を浴びて建国された満州国だが、結果的には最後まで経済的にお荷物だったし、国際政治上でも益するところがなかった。 戦前でも、石橋湛山などは「日本が国際社会で立ち行くためには、政治的のみならず経済的にも、満州を放棄するほうがむしろ有利である」と主張していた。 だが形だけのものでも、一度手にしたら放棄するのは難しい。当時の指導者も国民も、ここまでやって手放すのは惜しい、ここまで来ていまさらやめられないという気持ちだったに違いない。権限と決定のあいまいさと、いまさらやめられないは、日本人の悪しき習性であり、今回の東京2020オリンピックや新型コロナ対策でもさまざまな形で影を落とした。 いまさらやめられないと考えた指導者たちも、本気で対米戦に勝てるとは思っていなかったはずだ。 「昭和15年『内閣総力研究所』が発足した。日米戦の研究機関である。陸海軍および各省、それに民間から選ばれた30代の若手エリート達が日本の兵力、経済力、国際関係など、あらゆる観点から日米戦を分析した。その結果、出した答えが『日本必敗』である」(『戦争の大問題』) この報告を聞いた東條陸相は、「これはあくまでも机上の演習であり、実際の戦争というものは君たちが考えているようなものではない」と握りつぶした。つまり口が裂けても言えないが、内心日本が負けることはわかっていたのである。 市井の人である清沢はこの事実を知る由もないが、彼の批評眼は事実を鋭く突いていた。 「昭和19年9月12日(火)いろいろ計画することが、『戦争に勝つ』という前提の下に進めている。しかも、だれもそうした指導者階級は『勝たない』ことを知っているのである」(『暗黒日記』) 東條首相は開戦時の演説「大詔を拝し奉りて」で、「およそ勝利の要訣(ようけつ)は必勝の信念を堅持することであります」と強く国民に訴えた。科学的な検証に目を背け、神風頼みで勝利のみ信じよと国民に迫るのは、とても責任あるトップの言動ではない。国民には仏のような顔を見せていた軍人、役人だが、『暗黒日記』では文字どおり暗闇の中でうごめく鬼と、その正体が暴かれている』、「満州事変では・・・責任を感じた陸軍大臣(南次郎)等が辞表を用意したが、新聞は林洗十郎朝鮮軍司令官を『越境将軍』ともてはやしたため陸軍大臣は辞表を懐に収めた」、マスコミの罪深さを示している。
・『いまわれわれに問われるもの 皇室と日本を深く敬愛した清沢だが、国民に対しては期待と失望が織り交ざっていた。 「昭和18年7月15日(木)僕はかつて田中義一内閣のときに、対支強硬政策というものは最後だろうと書いたことがあった。田中の無茶な失敗によって国民の目が覚めたと考えたからである。しかし国民は左様に反省的なものでないことを知った。彼らは無知にして因果関係を知らぬからである。今回も国民が反省するだろうと考えるのは、歴史的暗愚を知らぬものである」(『暗黒日記』)と手厳しく国民の未熟さを指摘するときもあれば、次のように将来の期待を示すこともあった。 「昭和20年1月25日(木)日本人は、いって聞かせさえすれば分かる国民ではないのだろうか。正しいほうに自然につく素質を持っているのではなかろうか。正しいほうにおもむくことの恐さから、官僚は耳をふさぐことばかり考えているのではなかろうか。したがって言論自由が行われれば日本はよくなるのではないか。来たるべき秩序においては、言論の自由だけは確保しなくてはならぬ」(『暗黒日記』) われわれはこの清沢の期待に応えたい。しかし彼の指摘するわれわれの愚かさのほうが正鵠を射ているように思える。清沢は76年前に今日のわれわれのことを見通していたかのようだ。 いまだに愚かさの先行するわれわれは、努めて自らの行動を慎まねばならない。われわれには依然として動物の血が流れている。動物の血に一度火が点けば、もはやとどまることはできない。途中で引き返すことも不可能だ。このことを忘れてはならない。 2021年8月15日、終戦から76年を経て戦争は人々の記憶から、歴史の記録へと変わりつつある。だが350万人の悲劇をけっして記憶から消してはならない。この悲劇とともに、今もなお、おろかで動物の血を宿しているわれわれの危うさを肝に銘じておくべきだ』、「われわれには依然として動物の血が流れている。動物の血に一度火が点けば、もはやとどまることはできない。途中で引き返すことも不可能だ。このことを忘れてはならない」、深い反省の気持ちを持ち続ける「丹羽 氏」のような考え方が多数派になってほしいものだ。
第三に、8月15日付けPRESIDENT Onlineが掲載したノンフィクション作家の保阪 正康氏による「「"戦争は嫌です"で終わらせてはいけない」知の巨人が恐れた"日本社会の習性" 形を変えて繰り返すのではないか」を紹介しよう。
https://president.jp/articles/-/48731
・『ジャーナリスト・評論家の立花隆さんは「戦争」をどう捉えていたのか。このほど大江健三郎さんとの対話と長崎大学での講演を収録した『立花隆 最後に語り伝えたいこと』が発売された。同書に収録されているノンフィクション作家・保阪正康さんの解説を一部紹介しよう――。※本稿は、立花隆『立花隆 最後に語り伝えたいこと』(中央公論新社)の一部を再編集したものです』、興味深そうだ。
・『戦後民主主義教育を受けた「第1期生」としての責務 私と立花は6カ月ほど私が早くに生まれているために、小学校教育は1年私が早かった。私は昭和21(1946)年4月に国民学校に入学した。この年はまだ国民学校と言っていたのである。北海道の人口2万人余の町の小学校であったが、まだ教育制度も、教育環境も、昭和20年4月の頃と変わりなく、変わったのは教育内容であった。いわゆる戦後民主主義教育の始まりであった。 私たちは、ミンシュシュギという語を最初に習った。昭和21年はまだカタカナから学んだのである。立花は翌22年に小学校に入学したことになる。この年4月から教育制度は改まり、名称も小学校となり、すべての教科書も揃うようになった。新制度下の第1期生といえば、やはり立花の世代になるのであろう。すでに彼も書き、話している通りだが、しかし私の年代は実質的な第1期生というのは我々の年代だと自負している。戦争が終わったとはいえ、制度のもとでの第1期生と教育内容の新しい理念のもとでの第1期生、1年違いとはいえ、私と立花との年代の差にはそのズレが示されている。そのズレをただすのが戦争教育への徹底した批判だった。それは三つの歴史的意味をもっているはずであった。 一、我々の年代が「戦争」の批判を行い、その誤りを継承するのは歴史的責務である 二、あの戦争を選択した責任と批判は明確な論理と具体的事実で指摘するべきである 三、日本社会から戦争体験者が全くいなくなったときに、日本人は戦争否定の論理は確立しえているだろうか』、第三の点ははなはだ心もとない印象だ。
・『札幌で開かれたシンポジウムでの示唆に富む話 立花の戦争批判、そして日本社会の将来についての論点と分析もこのような視点に基づいていると私が理解したのは平成21(2009)年であった。私の出身地・札幌でシンポジウムが開かれることになり、私が人選などを担当し、北海道から近現代史の視点を全国に発信しようということになった。私は半藤一利と立花に連絡を取り、出席をお願いした。2人とも快く応じてくれた。そのシンポジウムで、立花は私の決めたテーマに合わせてくれたのか、日本の将来に極めて示唆に富む話を感情をこめて説いた。 私と半藤はいかに昭和史の教訓を次代に語っていくべきか、そういう話であった。ちょうどその頃は3人とも大学に講座を持っていたのだが、私と半藤はその体験を通じてどういうことをどのようにして語り継いでいくべきか、そういう話になった。3人がそれぞれ30分ずつ講演を行い、そのあと休憩を挟んで1時間半ほどシンポジウムを続けるというのが、約束であった。立花は話し出すと、特に興がのると時間を忘れてしまうので、私と半藤はそれぞれ20分話すことにして、2人の削った時間の20分を立花に回すと決めた。50分あれば、彼の講演も終わるだろうと予測したのであった。しかし立花は話をすべて伝えたかったのか、50分ほど過ぎても終わらない。結局1時間を過ぎても終わらなかった』、「立花」氏のような大物を入れた「シンポジウム」では、確かに時間配分が難しくなるのは避けられないようだ。
・『「精神力」を頼りに戦争に入っていった日本 その時の話を、私はよくおぼえている。それほど衝撃的、かつ刺激的な内容だったのである。立花は時に苛立ちを露骨に表しながら話し続けた。聴衆も特に騒ぎ立てるわけではなく耳を傾けていた。それだけ立花の話は関心が持たれたのであった。私は立花が近現代史の研究者やジャーナリストなどとは一味違うな、と思ったのもこの時であったが、彼は戦争はなぜ起こったのか、どういうシミュレーションの元での判断だったのか、彼我の戦力比をどう考えるか、という点にポイントを絞って論じた。 対アメリカとの戦力をどう比較したのか、そこを問題にしたのである。すべての数字は戦争の結果について「勝利」などはあり得ない、というのが結論のはずなのに、それでも戦うというのはどういうことなのか。そのことをこの時は説いたわけではないのだが、立花が問題にしたのは以下のようなことだった。軍事が行うシミュレーションの折に、敵と味方が衝突したら、その勝敗についていくつかのパラメーター(変数、測定値)にいろいろ数字を入れていく。客観的な数字を入れるだけでは、日本に勝ち目はない。ところがもっとも楽観的な数字を入れると、それでも敗北と出るが、しかし僅差で敗れるとなる。そこで軍事指導者たちは、日本には精神力という数値化できないプラスがある、といったような判断をする。そして戦争に入っていったということになる』、「軍事指導者たちは、日本には精神力という数値化できないプラスがある、といったような判断をする。そして戦争に入っていった」、事実であれば、お粗末だ。
・『歴史を語り継ぐ姿勢が余人とは違う 立花の講演はこのことが本題ではなかったので、このからくりが日本人の欠陥であるというような例のひとつに挙げたに過ぎなかった。しかし私はこの説明を聞いて、立花の歴史を語り継ぐ姿勢の本質がわかった。というよりこの人はやはり余人と違うという実感であった。私は日本の軍事指導者の最大の欠点は、「主観的願望を客観的事実にすり替える」という点にあると考えてきた。そういう例にまさに符節すると思った。立花のこういう指摘は、実は無意識のうちに「ある立場(日本的指導者というべき)」に立つ人の思考方法そのものだとも気がついたのである。そのことを語っておかなければならない。そこに民主主義教育を受けた世代が自立していった姿がある。私はそのことに感銘を受けたのである』、なるほど。
・『戦争体験を自らの身体から離して客体化する「三次的継承」 一般的には、戦争体験を語るには自らの身体的、社会的体験を語るのが普通であり、そのことによって「体験の継承」という言い方で括られていく。あえていえば「一次的継承」という表現で語ってもいいかもしれない。俗に言う継承はこのような理解であろう。さてこれとは別に他者の体験を聞き取り、それを語り継ぐ「二次的継承」という手法がある。むろんこれは私なりの用い方であり、すべてをうまく捉えているとは思わないが、こうした分け方をしていかないと歴史の継承という意味は散漫になってしまう。 そのほかに「三次的継承」があると考えてきた。それは体験の教訓化、あるいは継承の社会化ともいうべき内容である。戦争体験を自らの身体から離して客体化するのである。一次的継承を感性という語で語るなら、三次的継承は知性とか理性ということになろうか。付け加えておくが、戦争体験はないが、体験を聞く、読むなどで確かめ、それを語り継ぐ前述の二次的継承は必然的に三次的継承の要素を取り入れていなければ普遍性を失ってしまうことになる』、「二次的継承は必然的に三次的継承の要素を取り入れていなければ普遍性を失ってしまう」、というのは確かだ。
・『「三次的継承」から「一次的継承」に目を移すプロセス 私が、昭和史や太平洋戦争を語り継ごうと志しているのは、「一次的継承」「二次的継承」から「三次的継承」までを踏まえてと考えているのだが、どうしても一次的継承、二次的継承が軸になり、三次的継承は主ではなく、従という姿勢になってしまう。私の見る限りほとんどは一次的継承を語り、その結論として「戦争は嫌です」「こんな非人間的所業はありません」と結論づける。その方程式のような問答がこの国の平常の姿である。立花はそうではなく、三次的継承を初めに持ってきて、それを説く。そして一次的継承に目を移す。私などとは異なってかなり知性的、理性的なプロセスを辿っている。 立花は、自らの戦争体験を土台に据えるにせよそこから人類の、あるいは地球規模の、そしてとうとう科学によって身を滅ぼすような兵器を作り上げてしまった我々の時代が、どのように変転するのかに、知的に興味を持っている。その関心は自らの体験の一部が拡大していった末に辿り着いたのである。一般には感性から知性へ、と移行するが、立花は感性はきっかけで、知性が二重、三重に拡大していき、そして感性が時に知性をさらに押し上げるといった役割を果たしている』、「立花は感性はきっかけで、知性が二重、三重に拡大していき、そして感性が時に知性をさらに押し上げるといった役割を果たしている」、さすが「立花」氏だ。
・『「歴史のなかで何を自らに問うて生きるのか」 立花は、体験の継承を「三次的継承」から説く。なぜだろうか。開戦前の彼我の戦力比に大きな違いがあるのに、なぜ戦争を選んだのかとの問いは、普通には継承のレベルでは初めに来ることではない。しかし立花は自らも戦後民主主義の第1期ともいうべき世代だと簡単に言った後に知性で説くのだ。本書の長崎大学での講演(2015年1月17日)は、私たちとの札幌でのシンポジウムから5年余後になるが、読んでいて立花の体験継承を土台に据えての知性の分析による覚悟が感じられて、私は立花の心中に「人生の段階(生きるステージ)」が上がってきているのだな、と受け止めた。私が猫ビルで4時間ほど対話した頃になるだろうか、立花の中に、「若い世代」に語り継ぐという姿勢が生まれているということであった。それは何も若い世代と接するという意味ではなく、君たちは何を参考に生きるのか、歴史のなかで何を自らに問うて生きるのかを、自分に問え、その時の参考の一助にと私は語っているんだ、私だってそう問うてきたんだ、という感情の迸ほとばしりが感じられる』、なるほど。
・『知性が放射線状に広がっていった この講演には立花が、思考を深めることになる歴史のキーワードがさりげなくある。少々引用すると、「僕は一〇〇%戦後民主主義世代なんです」「僕たちは戦前と戦後の時代の断絶を感じながら生きてきました」「あの戦争のあの原爆体験というものは、本当にすべての人が記憶すべき対象です」「戦争が終わったときにどん底で、僕はそのときに五歳ですから、毎日食うものもなくて、本当に大変だったんです」などから立花の知性は、放射線状に広がっていった。 さらに一次的継承の試みというべきだが、立花は大胆な方法も考えている。2010年6月に立教大学の立花ゼミで、主にゼミ生を相手に母親の龍子、兄の弘道、妹の菊入直代、そして立花の4人で、「敗戦・私たちはこうして中国を脱出した」というタイトルで終戦時の体験を語っている。札幌での私たちの「戦争体験を次代にどう語り継ぐか」の実践でもあったのだろう』、「戦争体験を次代にどう語り継ぐか」は実に難しい課題だ。
・『この社会は形を変えて同じ誤謬を重ねる「習性」があるのではないか これが長崎大学への講演につながっていったように、私には思われる。私は立花が恐れていたのは、この社会が「体験」から何も学ばないという怠慢ではなく、この社会は形を変えて同じ誤謬を重ねる「習性」があるという不安ではなかったろうか、という感がしてならないのである。 立花の言動は一次的継承を語ることで、歴史の継承が戦争体験者が一人もいなくなった時代に知性だけで語ることによる歪みを正そうとしたのかもしれない。彼自身があの戦争の愚かしさと一線を引いていた世代の感性と知性の両輪を信頼し、それを歴史に刻もうとしていたのかもしれない。 私は立花よりも、その一族と会い、知性の刺激を受けてきた。立花との対話を思い出すと会った回数は少ないにせよ、3時間も4時間もの対話を交わしていた時に彼のイントネーションに、あれは水戸の訛りだろうか、あるいは長崎のなごりだろうか、と窺える時があった。私にも北海道のイントネーションがあっただろう。がん患者の体験を持つ私たちは、死について生育地の訛りを交えて驚くほど淡々と向き合っていることを確認した。同年代のトップランクの頭脳と会話しているな、との思い出が懐かしい』、「私は立花が恐れていたのは、この社会が「体験」から何も学ばないという怠慢ではなく、この社会は形を変えて同じ誤謬を重ねる「習性」があるという不安ではなかったろうか、という感がしてならない」、困った「習性」だが、私も同感である。
先ずは、5月8日付け東洋経済オンラインが掲載した国際ジャーナリスト(フランス在住)の安部 雅延氏による「英雄「ナポレオン」没200年の今、猛批判される訳 奴隷制復活、有色人種の隷属は許されないが…」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/426180
・『最近のフランス国内のいくつかの世論調査によると、「フランスの歴史上最も誇れる英雄」のトップはジャンヌ・ダルクでも、ドゴール将軍でもなく、ナポレオン・ボナパルト(1世)だという。今年はセントヘレナ島に幽閉され、1821年5月5日に51歳で他界してから200年になる。そのため、フランス各地でイベントが企画されている。 ナポレオンは君主制を打倒した大革命後に登場した皇帝だ。イギリスやオーストリア、ロシアなど君主制の国が自分の地位を危ぶみ、フランス封じ込めに動く中、それらの国々を跳ね除け、近代戦争の軍隊の礎を築いた人物として知られる。生涯戦績は38戦35勝と圧倒的な強さだ。 ナポレオンの近代的戦術は今も世界各地の士官学校の教材となっており、特に敵の動き始めた「動的」状態に勝機を見出す戦術は有名だ。戦争だけでなく、世界のビジネススクールでも、机上の戦略ではなく、物事を進行させながら機会を捉える戦い方が、競争の激化するビジネス界で有効だという理由で教えられている。 戦争以外でのナポレオンの最大の功績は、革命が目指した理念を法的に体系化したフランス民法法典(ナポレオン法典)を書いたことにある。ナポレオンは、ただ権力を振るう皇帝ではなかった。ナポレオン法典は過去の封建制を終わらせ、自由、平等、人権を尊重するフランスを築く基礎になっただけでなく、日本を含め、世界各地の近代市民社会の法の規範ともなり、フランス人が自画自賛するゆえんとなっている』、「ナポレオンの近代的戦術は今も世界各地の士官学校の教材となっており」、「ナポレオン法典は・・・日本を含め、世界各地の近代市民社会の法の規範ともなり」、確かに功績は偉大だ。
・『活発化する「キャンセルカルチャー」 ところが、フランスでは現在、ナポレオン没後200年を手放しで祝えない雰囲気が漂っている。 欧米ではこの1年間、奴隷制に関与しながら英雄視される歴史上の人物の像を破壊する運動が繰り返された。いわゆるキャンセルカルチャー(本来はコールアウト・カルチャー)の運動が活発化し、21世紀の価値観に沿わない主張をしたり、行動したりした人物を英雄の座から引きずり下ろす運動が繰り返されている。 実はナポレオンもその運動のやり玉にあげられているのだ。ナポレオンは奴隷制を復活させて有色人種を隷属させ、女性の社会的地位を男性の下に位置付けたためだ。その2つがある限り、英雄としての資格はないという主張がキャンセルカルチャーの運動をする人々からなされ、フランス国民や政府を困惑させている。 アメリカでは2013年に黒人に対する暴力や構造的な人種差別の撤廃を訴えるブラック・ライブズ・マター(BLM)運動が起こった。 昨年夏、黒人のジョージ・フロイドさんが警官の暴力で死亡したとされる事件で運動はさらに拡散。南北戦争で奴隷制存続を指示した南軍に関係する像など記念碑の破壊や撤去が急増した。イギリスで、17世紀の奴隷商人エドワード・コルストンの銅像がデモ隊によって破壊されるなど、ヨーロッパにも波及している。 これら人種差別を批判する潮流とともに、差別者の認定を受けた人物がSNS上などで徹底的に批判され、辱められるキャンセルカルチャーも横行している。日本でも性的マイノリティー(LGBT)への差別(それ自体は不当)に敏感となり、差別者へのバッシングは厳しさを増している。 イギリスでは海に放り込まれたコルストンの銅像を博物館に陳列し、いいことと悪いことの正確な史実の説明を加える方針を打ち出した。なぜなら、英国近代史の最高の英雄ウィンストン・チャーチルもアジア人蔑視で知られ、過去の英雄を今の価値観に照らせば、問題のない英雄はいないという事情もある』、行き過ぎた「キャンセルカルチャーの運動」は考えものだ。歴史上の人物は生きていた時代の価値観で判断すべきだろう。
・『廃止していた奴隷制度を復活させたナポレオン フランスでは、革命後の1791年に植民地だった現在のハイチで黒人奴隷反乱が起き、国民公会は1794年に奴隷制度を廃止した。ところが権力を掌握したナポレオン1世は、1802年に奴隷制度を復活させ、奴隷労働を合法とした。その後、ハイチは1804年に独立し、奴隷制度が廃止されたのは1848年の2月革命で樹立された共和制政府によってだった。 奴隷制の残酷さは日本ではあまり知られていないが、奴隷商人によって家族はバラバラに売買され、人間として扱われなかった。今でもその扱いを受けた先祖を持つ人々の恨みは消えていない。 3月18日付のニューヨーク・タイムズはハイチ出身の黒人女性の研究者、マルリーン・ダート教授の寄稿を掲載し、「フランス人はナポレオンが行った奴隷制復活の暴挙を知りながら、まるで何事もなかったかのように、その歴史的罪を論じようとしない」という批判の記事を掲載した。 彼女の批判は、ナポレオンだけでなく彼の政策を支持したフランス国民やフランス軍にも向けられ、「恥ずべき歴史と向き合おうとしていない」「BLM運動の潮流を無視して、ナポレオン没後200年を祝おうとしている」と批判し、キャンセルカルチャーにも影響を与えている。 無論、フランスでも議論がないわけではない。パリ北東部、ラ・ヴィレット公園内にある「グラン・アール・ドゥ・ラ・ヴィレット」で大規模な「ナポレオン展」が本来は4月14日から開催予定だったが、コロナ禍のロックダウンで延期されている。このイベントの企画段階で、歴史学者から、ナポレオンの失政部分を隠蔽すべきではないという指摘があった。 奴隷制復活だけでなく、女性の社会的地位を男性の下に位置付けたことへの批判も根強い。 ナポレオンが定めた民法では、妻と子供に対する家長の権力は絶対的であり、妻は夫に従わなければならないと定められている。さらに1810年のナポレオン民法の下では、夫が自宅で妻の不貞行為に遭遇した場合、妻を殺害したとしても罪に問われないと定められていた。 ナポレオン自身、生涯に2度結婚したが、そのほかに少なくとも3人以上の愛人がいたとされる。男性中心社会であったことは確かで、そもそも革命後の「人権宣言」には女性の権利が含まれていなかった。ナポレオンの民法が原因かどうかはわからないが、婦人参政権法案が採択されたのは1945年4月と欧米主要国の中では最も遅かった。 自由、平等、友愛をうたう大革命で、女性はほとんどの政策意思決定に関わっていなかった。カトリックの教えでは家父長制度が当然とされ、女性聖職者は今でも認められていない。フランスの歴史に深く関わってきたとされるフリーメイソンも男性の秘密結社だ。筆者のフリーメイソンの友人は「女性は政治に向いていない」と言い切っている』、「奴隷制度を復活させ、奴隷労働を合法とした」のは、やはり問題だ。「フリーメイソン」を生んだ社会なので、「女性」の社会進出は遅れたようだ。
・『当時の社会慣習からすれば当然といえるものナ ポレオンの定めた民法での妻の夫への絶対従属は、イスラム教の教えにも似ているが、当時の社会慣習からすれば、当然ともいえるものだった。 ナポレオン民法は当時、女性の従属的地位を決定的なものにした。そこから女性が社会的、政治的に平等な地位が与えられるまでに100年以上の年を要した。 1970年代以降、フランスでのフェミニズム運動が世界的に知られるようになった背景に、ナポレオンの存在があると主張するフェミニズム活動家は少なくない。フェニミズム運動家もまた、ナポレオンを称賛することを認めない勢力として、没後200年のイベントに注文をつけている。 しかし、フランスはヒステリックなキャンセルカルチャーに加わるつもりはないようだ。 そもそもフランスでは、政治指導者に聖人君子的なものは求めていない。実際、ミッテラン大統領以降の歴代大統領の浮気、離婚、隠し子は政治生命には影響していない。マクロン現大統領を支持するフランス国民の多くは若きエリートで、高校時代に女性教師と不倫して25歳年上の女性を妻にしたことを今風と好感する国民だ。 戦中戦後のリーダーだったドゴールのように「支持率が50%を切ったら大統領をやめる」と言った誠実でモラルの高い政治家を尊敬する側面もあるが、政治権力者が市民と同じように権力や金に執着し、男女の色恋に弱い(セクハラは別だが)のは、庶民に近くていいという感覚もある』、「マクロン現大統領を支持するフランス国民の多くは若きエリートで、高校時代に女性教師と不倫して25歳年上の女性を妻にしたことを今風と好感する国民だ」、さすが「フランス」らしい。
・『ノブレスオブリージュの精神が失われている マクロン大統領は、戦後創設された上級公務員や政治家を養成する国立行政学院(ENA)を廃校にし、さらにはほかのエリート養成のグランゼコールの改革に取り組もうとしている。理由は市民離れした特権階級化を防ぐためだが、一般国民は大した変革はできないと冷ややかだ。 グランゼコールの中には理工系のエコール・ポリテクニークがある。同校は革命後に設立され、ナポレオン1世が軍学校にしたエリート養成校だ。だから今まで毎年、革命記念日に同校の学生が軍服をまとい、パリのシャンゼリゼ通りを行進してきた。 ENA廃校によるエリート教育のリセットには、ナポレオン時代から指導者教育で強調されたノブレスオブリージュ(高貴の義務)、すなわち権力者は私欲を排して公的に尽くす義務があるという精神が失われたこともある。いわゆる指導者のコンプライアンス問題だ。 その典型がポリテクニークの卒業生で、背任罪や私的資金乱用罪で起訴された日産自動車の元会長のカルロス・ゴーン被告だ。 ナポレオンは確かに奴隷制を復活させ、女性の地位を決定づけたという意味で、今の価値観では認められないかもしれない。しかし、ヨーロッパの近代市民社会の確立に貢献し、ヨーロッパに範を求めた明治・大正時代の日本の近代化にも大きな影響を与えたことは否定できない。 200年以上前の時代状況を今日に当てはめれば、英雄の価値は減ってしまうのだろう。ただナポレオンは今のビジネスにも通じるリーダーシップや戦略戦術の面で残した功績も大きい。国の方向性を決定づけ、ヨーロッパを変えてしまうほどのスケールの大きな指導者だったことの評価は、これからも変わらないだろう』、「ヨーロッパの近代市民社会の確立に貢献し、ヨーロッパに範を求めた明治・大正時代の日本の近代化にも大きな影響を与えた」、やはり偉大な人物であることは確かだ。
次に、8月16日付け東洋経済オンラインが掲載した元伊藤忠社長、元中国大使で日本中国友好協会会長の丹羽 宇一郎氏による「「いまさらやめられない」が生んだ350万人の悲劇 日本は負けを承知でなぜあの戦争を続けたのか」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/444666
・『8月15日は終戦の日。あの夏から76年を経て戦争は人々の記憶から、歴史の記録へと変わりつつある。だが350万人の犠牲をけっして記憶から消してはならない。「戦争に近づかないために、日本人は、76年前に終わった日本の戦争について学び直すべきである」と訴え続ける、『戦争の大問題』の著者で、日中友好協会会長の丹羽宇一郎氏が、二度と戦争をしないために心にとどめておくべきことを訴える』、興味深そうだ。
・『なぜ負けが明白な戦争をやめられなかったのか 昭和の大戦の犠牲者は310万人とも350万人ともいわれる。そのほとんどが戦争末期の1年間に集中している。いったい終戦の1年前には何があったのか。 戦時の日本は「絶対国防圏」という最終防衛ラインを定めていた。太平洋方面における絶対国防圏はマリアナ諸島である。マリアナ諸島を取られると、日本本土全体が米軍機によって空襲可能となるからだ。 事実、東京大空襲ほか主要都市の大空襲、広島、長崎の原爆投下はマリアナ諸島のサイパン、テニアンから飛び立った爆撃機によるものである。そのマリアナ諸島を終戦のほぼ1年前、1944年6月の「マリアナ沖海戦」で失った。この戦闘によって日本海軍は壊滅的な損害を受け、対米戦の敗北が決定的となった。知らぬが仏というが、知らない仏はいなかった。軍人と役人は仏の顔をしながら、その実、鬼だったのだ。 拙著『戦争の大問題』で、元自民党幹事長・元日本遺族会会長の古賀誠氏は次のように述べている。 「マリアナ沖海戦の後に200万人の日本人が犠牲になった。政府はこの段階で戦争をやめるべきだった。このとき戦争をやめていれば、東京大空襲はなかった。沖縄戦もなかった。広島、長崎の原爆もなかった。戦争をやめなかった政府の罪は重い」(『戦争の大問題』 戦前、海軍兵棋演習ではマリアナ諸島が取られたらそこで演習終了。つまりマリアナ諸島を取られたら負けなのだ。対米戦の敗北は筋書きどおりとなり、戦争をやめようとしない仏の顔をした鬼によって、負け戦をずるずると延ばし、いたずらに人命を損なっていったのが、1944年6月から1945年8月15日までの日本である。 沖縄では実に県民の4人に1人が犠牲となり、広島では14万人が、長崎では7万5000人が原爆の犠牲となり、東京では10万人、その他の都市の空襲犠牲者を合わせると50万人を超える。この間、多くの兵隊も南方戦線で、中国・アジアで、補給を絶たれ降伏することも許されず病気や飢えによって命を失った。フィリピンのミンダナオ島に軍曹として派遣された谷口末廣さんはこう語っていた。
「最初は(倒れた戦友を)連れていくのが戦友愛、次は手榴弾を1個渡して捕まったら自爆しろよと置いていくのが戦友愛、そのうちどうせ死ぬんだから彼の血肉を生きている者の体力とするのが戦友愛と変わってくる。死人と一緒に寝たとか、死人のものを食べたとか、死人の服を着たとか、死人の靴を貰ったとか、みんな知っている」(『戦争の大問題』)) 戦場で、国内で、人々が酸鼻を極める日々を送らざるをえなくなる前に、なぜ負けが明白な戦争をやめることができなかったのか。この問いは、なぜ戦争を始めたのかよりも重い意味がある』、「戦前、海軍兵棋演習ではマリアナ諸島が取られたらそこで演習終了。つまりマリアナ諸島を取られたら負けなのだ」、「マリアナ沖海戦の後に200万人の日本人が犠牲になった。政府はこの段階で戦争をやめるべきだった。このとき戦争をやめていれば、東京大空襲はなかった。沖縄戦もなかった。広島、長崎の原爆もなかった。戦争をやめなかった政府の罪は重い」、その通りだ。
・『最後まで責任と権限のあいまいなまま戦後へ 大変な犠牲が出たうえに負けは確実、それでもなお、やめられなかった理由はいったい何だったのだろうか。 私は社長時代に4000億円の不良資産を処理したが、赤字決算となれば株価は下がり、株価が下がれば株主から批判される。ひとつ間違えば経営危機となり、社長は四方八方から責任を追及される。 手柄は自分のもの、責任は他人のものが人間の本性である。そこで、みんな御身大切で責任を取ろうとせず、問題を先送りにしてしまう。 戦時中の指導者もそうだったのではなかろうか。戦争をやめるということは、南方の島々もアジアにおける権益も手放すということだ。それは赤字決算の比ではない。誰も進んで責任を負おうとは考えなかったはずだ。 いや、そもそもはじめから責任を負って戦争に臨んでいたのかも不明である。 これも私が社長時代、ある役員から事業プランが上がってきた。私は実現困難と判断したが、本人が強く求めるので、そこまで自信があるならと実行を認めた。ただし「他人に任せず君が最後まで実際に陣頭指揮を執ることを条件とする」とした。失敗したらその責任を取らせるという意味である。 事業プランの承認を得たら後は現場任せ、失敗しても責任を現場に押し付け自分は取らない。そんな腹づもりなら、失敗しても自分は安全なのだから、無謀な計画でも安易に実行しようとする。これが見通しの立たない事業に手を着けるときの心理だ。責任の所在があいまいなのである。 戦前の外交評論家、清沢洌が戦時下の国内事情をつづった『暗黒日記』にこんな記述がある。 「昭和18年8月26日(木)米英が休戦条件として『戦争責任者を引渡せ』と対イタリー条件と同じことを言ってきたとしたら、東條首相その他はどうするか?」 「昭和20年2月19日(月)?山君の話に、議会で、安藤正純君が『戦争責任』の所在を質問した。小磯の答弁は政務ならば総理が負う。作戦ならば統帥部が負う。しかし戦争そのものについてはお答えしたくなしといったという」(いずれも『暗黒日記』) 清沢は小磯総理の答弁を記した後に、「戦争の責任もなき国である」と付記した。清沢の日記中には、今日とまったく変わらない日本人の姿がある。 責任と権限のあいまいなまま戦争が始まり、最後まで明瞭になることなく、天皇の御聖断によって戦争は終わった。戦争を推し進めた指導者は、だれも責任を負って戦争をやめようとはしなかった。 そして、戦争責任はあいまいなまま日本の戦後が始まってしまった。 戦争を始めた責任者が不在でも、戦争をやめる責任を負うことはできる。責任を負うことは国であれ企業であれ、組織のトップに就いた者の務めである。責任を負わないトップは誰がどう言おうとトップの資格はない』、「みんな御身大切で責任を取ろうとせず、問題を先送りにしてしまう。 戦時中の指導者もそうだったのではなかろうか。戦争をやめるということは、南方の島々もアジアにおける権益も手放すということだ。それは赤字決算の比ではない。誰も進んで責任を負おうとは考えなかったはずだ」、「責任と権限のあいまいなまま戦争が始まり、最後まで明瞭になることなく、天皇の御聖断によって戦争は終わった。戦争を推し進めた指導者は、だれも責任を負って戦争をやめようとはしなかった。 そして、戦争責任はあいまいなまま日本の戦後が始まってしまった」、何事も曖昧なまま済まそうとする日本的やり方の典型だ。
・『負けると知りながら必勝を叫ぶ無責任 実際に戦場に立った人たちも、なぜあの戦争をやめられなかったのかと問う人は多かった。シベリア抑留を経験した與田純次さんもこう語っていた。 「満州(満州国、1932年満州事変によって建国された中国東北部にあった日本の植民地、1945年日本の敗戦と共に消滅)でやめておけばよかったのだ」(『戦争の大問題』) できることなら「満州も」やめておけばよかった。しかし満州事変に国民は大喝采を送った。 「満州事変では関東軍の暴走、朝鮮軍の独断越境(満州の応援に国境を越えて派遣)に、責任を感じた陸軍大臣(南次郎)等が辞表を用意したが、新聞は林洗十郎朝鮮軍司令官を『越境将軍』ともてはやしたため陸軍大臣は辞表を懐に収めた」(『戦争の大問題』) 結果がよければ規律違反を犯しても責任を問われない。では、結果がついてこないときはどうするのか。結果が出るまでやめないのである。確たる結果もなく途中でやめれば責任を逃れられない。だから、どれだけ犠牲が出ようと結果が出るまで続けるのだ。 だが、日本人は結果に対する査定もあいまいだ。国民の大喝采を浴びて建国された満州国だが、結果的には最後まで経済的にお荷物だったし、国際政治上でも益するところがなかった。 戦前でも、石橋湛山などは「日本が国際社会で立ち行くためには、政治的のみならず経済的にも、満州を放棄するほうがむしろ有利である」と主張していた。 だが形だけのものでも、一度手にしたら放棄するのは難しい。当時の指導者も国民も、ここまでやって手放すのは惜しい、ここまで来ていまさらやめられないという気持ちだったに違いない。権限と決定のあいまいさと、いまさらやめられないは、日本人の悪しき習性であり、今回の東京2020オリンピックや新型コロナ対策でもさまざまな形で影を落とした。 いまさらやめられないと考えた指導者たちも、本気で対米戦に勝てるとは思っていなかったはずだ。 「昭和15年『内閣総力研究所』が発足した。日米戦の研究機関である。陸海軍および各省、それに民間から選ばれた30代の若手エリート達が日本の兵力、経済力、国際関係など、あらゆる観点から日米戦を分析した。その結果、出した答えが『日本必敗』である」(『戦争の大問題』) この報告を聞いた東條陸相は、「これはあくまでも机上の演習であり、実際の戦争というものは君たちが考えているようなものではない」と握りつぶした。つまり口が裂けても言えないが、内心日本が負けることはわかっていたのである。 市井の人である清沢はこの事実を知る由もないが、彼の批評眼は事実を鋭く突いていた。 「昭和19年9月12日(火)いろいろ計画することが、『戦争に勝つ』という前提の下に進めている。しかも、だれもそうした指導者階級は『勝たない』ことを知っているのである」(『暗黒日記』) 東條首相は開戦時の演説「大詔を拝し奉りて」で、「およそ勝利の要訣(ようけつ)は必勝の信念を堅持することであります」と強く国民に訴えた。科学的な検証に目を背け、神風頼みで勝利のみ信じよと国民に迫るのは、とても責任あるトップの言動ではない。国民には仏のような顔を見せていた軍人、役人だが、『暗黒日記』では文字どおり暗闇の中でうごめく鬼と、その正体が暴かれている』、「満州事変では・・・責任を感じた陸軍大臣(南次郎)等が辞表を用意したが、新聞は林洗十郎朝鮮軍司令官を『越境将軍』ともてはやしたため陸軍大臣は辞表を懐に収めた」、マスコミの罪深さを示している。
・『いまわれわれに問われるもの 皇室と日本を深く敬愛した清沢だが、国民に対しては期待と失望が織り交ざっていた。 「昭和18年7月15日(木)僕はかつて田中義一内閣のときに、対支強硬政策というものは最後だろうと書いたことがあった。田中の無茶な失敗によって国民の目が覚めたと考えたからである。しかし国民は左様に反省的なものでないことを知った。彼らは無知にして因果関係を知らぬからである。今回も国民が反省するだろうと考えるのは、歴史的暗愚を知らぬものである」(『暗黒日記』)と手厳しく国民の未熟さを指摘するときもあれば、次のように将来の期待を示すこともあった。 「昭和20年1月25日(木)日本人は、いって聞かせさえすれば分かる国民ではないのだろうか。正しいほうに自然につく素質を持っているのではなかろうか。正しいほうにおもむくことの恐さから、官僚は耳をふさぐことばかり考えているのではなかろうか。したがって言論自由が行われれば日本はよくなるのではないか。来たるべき秩序においては、言論の自由だけは確保しなくてはならぬ」(『暗黒日記』) われわれはこの清沢の期待に応えたい。しかし彼の指摘するわれわれの愚かさのほうが正鵠を射ているように思える。清沢は76年前に今日のわれわれのことを見通していたかのようだ。 いまだに愚かさの先行するわれわれは、努めて自らの行動を慎まねばならない。われわれには依然として動物の血が流れている。動物の血に一度火が点けば、もはやとどまることはできない。途中で引き返すことも不可能だ。このことを忘れてはならない。 2021年8月15日、終戦から76年を経て戦争は人々の記憶から、歴史の記録へと変わりつつある。だが350万人の悲劇をけっして記憶から消してはならない。この悲劇とともに、今もなお、おろかで動物の血を宿しているわれわれの危うさを肝に銘じておくべきだ』、「われわれには依然として動物の血が流れている。動物の血に一度火が点けば、もはやとどまることはできない。途中で引き返すことも不可能だ。このことを忘れてはならない」、深い反省の気持ちを持ち続ける「丹羽 氏」のような考え方が多数派になってほしいものだ。
第三に、8月15日付けPRESIDENT Onlineが掲載したノンフィクション作家の保阪 正康氏による「「"戦争は嫌です"で終わらせてはいけない」知の巨人が恐れた"日本社会の習性" 形を変えて繰り返すのではないか」を紹介しよう。
https://president.jp/articles/-/48731
・『ジャーナリスト・評論家の立花隆さんは「戦争」をどう捉えていたのか。このほど大江健三郎さんとの対話と長崎大学での講演を収録した『立花隆 最後に語り伝えたいこと』が発売された。同書に収録されているノンフィクション作家・保阪正康さんの解説を一部紹介しよう――。※本稿は、立花隆『立花隆 最後に語り伝えたいこと』(中央公論新社)の一部を再編集したものです』、興味深そうだ。
・『戦後民主主義教育を受けた「第1期生」としての責務 私と立花は6カ月ほど私が早くに生まれているために、小学校教育は1年私が早かった。私は昭和21(1946)年4月に国民学校に入学した。この年はまだ国民学校と言っていたのである。北海道の人口2万人余の町の小学校であったが、まだ教育制度も、教育環境も、昭和20年4月の頃と変わりなく、変わったのは教育内容であった。いわゆる戦後民主主義教育の始まりであった。 私たちは、ミンシュシュギという語を最初に習った。昭和21年はまだカタカナから学んだのである。立花は翌22年に小学校に入学したことになる。この年4月から教育制度は改まり、名称も小学校となり、すべての教科書も揃うようになった。新制度下の第1期生といえば、やはり立花の世代になるのであろう。すでに彼も書き、話している通りだが、しかし私の年代は実質的な第1期生というのは我々の年代だと自負している。戦争が終わったとはいえ、制度のもとでの第1期生と教育内容の新しい理念のもとでの第1期生、1年違いとはいえ、私と立花との年代の差にはそのズレが示されている。そのズレをただすのが戦争教育への徹底した批判だった。それは三つの歴史的意味をもっているはずであった。 一、我々の年代が「戦争」の批判を行い、その誤りを継承するのは歴史的責務である 二、あの戦争を選択した責任と批判は明確な論理と具体的事実で指摘するべきである 三、日本社会から戦争体験者が全くいなくなったときに、日本人は戦争否定の論理は確立しえているだろうか』、第三の点ははなはだ心もとない印象だ。
・『札幌で開かれたシンポジウムでの示唆に富む話 立花の戦争批判、そして日本社会の将来についての論点と分析もこのような視点に基づいていると私が理解したのは平成21(2009)年であった。私の出身地・札幌でシンポジウムが開かれることになり、私が人選などを担当し、北海道から近現代史の視点を全国に発信しようということになった。私は半藤一利と立花に連絡を取り、出席をお願いした。2人とも快く応じてくれた。そのシンポジウムで、立花は私の決めたテーマに合わせてくれたのか、日本の将来に極めて示唆に富む話を感情をこめて説いた。 私と半藤はいかに昭和史の教訓を次代に語っていくべきか、そういう話であった。ちょうどその頃は3人とも大学に講座を持っていたのだが、私と半藤はその体験を通じてどういうことをどのようにして語り継いでいくべきか、そういう話になった。3人がそれぞれ30分ずつ講演を行い、そのあと休憩を挟んで1時間半ほどシンポジウムを続けるというのが、約束であった。立花は話し出すと、特に興がのると時間を忘れてしまうので、私と半藤はそれぞれ20分話すことにして、2人の削った時間の20分を立花に回すと決めた。50分あれば、彼の講演も終わるだろうと予測したのであった。しかし立花は話をすべて伝えたかったのか、50分ほど過ぎても終わらない。結局1時間を過ぎても終わらなかった』、「立花」氏のような大物を入れた「シンポジウム」では、確かに時間配分が難しくなるのは避けられないようだ。
・『「精神力」を頼りに戦争に入っていった日本 その時の話を、私はよくおぼえている。それほど衝撃的、かつ刺激的な内容だったのである。立花は時に苛立ちを露骨に表しながら話し続けた。聴衆も特に騒ぎ立てるわけではなく耳を傾けていた。それだけ立花の話は関心が持たれたのであった。私は立花が近現代史の研究者やジャーナリストなどとは一味違うな、と思ったのもこの時であったが、彼は戦争はなぜ起こったのか、どういうシミュレーションの元での判断だったのか、彼我の戦力比をどう考えるか、という点にポイントを絞って論じた。 対アメリカとの戦力をどう比較したのか、そこを問題にしたのである。すべての数字は戦争の結果について「勝利」などはあり得ない、というのが結論のはずなのに、それでも戦うというのはどういうことなのか。そのことをこの時は説いたわけではないのだが、立花が問題にしたのは以下のようなことだった。軍事が行うシミュレーションの折に、敵と味方が衝突したら、その勝敗についていくつかのパラメーター(変数、測定値)にいろいろ数字を入れていく。客観的な数字を入れるだけでは、日本に勝ち目はない。ところがもっとも楽観的な数字を入れると、それでも敗北と出るが、しかし僅差で敗れるとなる。そこで軍事指導者たちは、日本には精神力という数値化できないプラスがある、といったような判断をする。そして戦争に入っていったということになる』、「軍事指導者たちは、日本には精神力という数値化できないプラスがある、といったような判断をする。そして戦争に入っていった」、事実であれば、お粗末だ。
・『歴史を語り継ぐ姿勢が余人とは違う 立花の講演はこのことが本題ではなかったので、このからくりが日本人の欠陥であるというような例のひとつに挙げたに過ぎなかった。しかし私はこの説明を聞いて、立花の歴史を語り継ぐ姿勢の本質がわかった。というよりこの人はやはり余人と違うという実感であった。私は日本の軍事指導者の最大の欠点は、「主観的願望を客観的事実にすり替える」という点にあると考えてきた。そういう例にまさに符節すると思った。立花のこういう指摘は、実は無意識のうちに「ある立場(日本的指導者というべき)」に立つ人の思考方法そのものだとも気がついたのである。そのことを語っておかなければならない。そこに民主主義教育を受けた世代が自立していった姿がある。私はそのことに感銘を受けたのである』、なるほど。
・『戦争体験を自らの身体から離して客体化する「三次的継承」 一般的には、戦争体験を語るには自らの身体的、社会的体験を語るのが普通であり、そのことによって「体験の継承」という言い方で括られていく。あえていえば「一次的継承」という表現で語ってもいいかもしれない。俗に言う継承はこのような理解であろう。さてこれとは別に他者の体験を聞き取り、それを語り継ぐ「二次的継承」という手法がある。むろんこれは私なりの用い方であり、すべてをうまく捉えているとは思わないが、こうした分け方をしていかないと歴史の継承という意味は散漫になってしまう。 そのほかに「三次的継承」があると考えてきた。それは体験の教訓化、あるいは継承の社会化ともいうべき内容である。戦争体験を自らの身体から離して客体化するのである。一次的継承を感性という語で語るなら、三次的継承は知性とか理性ということになろうか。付け加えておくが、戦争体験はないが、体験を聞く、読むなどで確かめ、それを語り継ぐ前述の二次的継承は必然的に三次的継承の要素を取り入れていなければ普遍性を失ってしまうことになる』、「二次的継承は必然的に三次的継承の要素を取り入れていなければ普遍性を失ってしまう」、というのは確かだ。
・『「三次的継承」から「一次的継承」に目を移すプロセス 私が、昭和史や太平洋戦争を語り継ごうと志しているのは、「一次的継承」「二次的継承」から「三次的継承」までを踏まえてと考えているのだが、どうしても一次的継承、二次的継承が軸になり、三次的継承は主ではなく、従という姿勢になってしまう。私の見る限りほとんどは一次的継承を語り、その結論として「戦争は嫌です」「こんな非人間的所業はありません」と結論づける。その方程式のような問答がこの国の平常の姿である。立花はそうではなく、三次的継承を初めに持ってきて、それを説く。そして一次的継承に目を移す。私などとは異なってかなり知性的、理性的なプロセスを辿っている。 立花は、自らの戦争体験を土台に据えるにせよそこから人類の、あるいは地球規模の、そしてとうとう科学によって身を滅ぼすような兵器を作り上げてしまった我々の時代が、どのように変転するのかに、知的に興味を持っている。その関心は自らの体験の一部が拡大していった末に辿り着いたのである。一般には感性から知性へ、と移行するが、立花は感性はきっかけで、知性が二重、三重に拡大していき、そして感性が時に知性をさらに押し上げるといった役割を果たしている』、「立花は感性はきっかけで、知性が二重、三重に拡大していき、そして感性が時に知性をさらに押し上げるといった役割を果たしている」、さすが「立花」氏だ。
・『「歴史のなかで何を自らに問うて生きるのか」 立花は、体験の継承を「三次的継承」から説く。なぜだろうか。開戦前の彼我の戦力比に大きな違いがあるのに、なぜ戦争を選んだのかとの問いは、普通には継承のレベルでは初めに来ることではない。しかし立花は自らも戦後民主主義の第1期ともいうべき世代だと簡単に言った後に知性で説くのだ。本書の長崎大学での講演(2015年1月17日)は、私たちとの札幌でのシンポジウムから5年余後になるが、読んでいて立花の体験継承を土台に据えての知性の分析による覚悟が感じられて、私は立花の心中に「人生の段階(生きるステージ)」が上がってきているのだな、と受け止めた。私が猫ビルで4時間ほど対話した頃になるだろうか、立花の中に、「若い世代」に語り継ぐという姿勢が生まれているということであった。それは何も若い世代と接するという意味ではなく、君たちは何を参考に生きるのか、歴史のなかで何を自らに問うて生きるのかを、自分に問え、その時の参考の一助にと私は語っているんだ、私だってそう問うてきたんだ、という感情の迸ほとばしりが感じられる』、なるほど。
・『知性が放射線状に広がっていった この講演には立花が、思考を深めることになる歴史のキーワードがさりげなくある。少々引用すると、「僕は一〇〇%戦後民主主義世代なんです」「僕たちは戦前と戦後の時代の断絶を感じながら生きてきました」「あの戦争のあの原爆体験というものは、本当にすべての人が記憶すべき対象です」「戦争が終わったときにどん底で、僕はそのときに五歳ですから、毎日食うものもなくて、本当に大変だったんです」などから立花の知性は、放射線状に広がっていった。 さらに一次的継承の試みというべきだが、立花は大胆な方法も考えている。2010年6月に立教大学の立花ゼミで、主にゼミ生を相手に母親の龍子、兄の弘道、妹の菊入直代、そして立花の4人で、「敗戦・私たちはこうして中国を脱出した」というタイトルで終戦時の体験を語っている。札幌での私たちの「戦争体験を次代にどう語り継ぐか」の実践でもあったのだろう』、「戦争体験を次代にどう語り継ぐか」は実に難しい課題だ。
・『この社会は形を変えて同じ誤謬を重ねる「習性」があるのではないか これが長崎大学への講演につながっていったように、私には思われる。私は立花が恐れていたのは、この社会が「体験」から何も学ばないという怠慢ではなく、この社会は形を変えて同じ誤謬を重ねる「習性」があるという不安ではなかったろうか、という感がしてならないのである。 立花の言動は一次的継承を語ることで、歴史の継承が戦争体験者が一人もいなくなった時代に知性だけで語ることによる歪みを正そうとしたのかもしれない。彼自身があの戦争の愚かしさと一線を引いていた世代の感性と知性の両輪を信頼し、それを歴史に刻もうとしていたのかもしれない。 私は立花よりも、その一族と会い、知性の刺激を受けてきた。立花との対話を思い出すと会った回数は少ないにせよ、3時間も4時間もの対話を交わしていた時に彼のイントネーションに、あれは水戸の訛りだろうか、あるいは長崎のなごりだろうか、と窺える時があった。私にも北海道のイントネーションがあっただろう。がん患者の体験を持つ私たちは、死について生育地の訛りを交えて驚くほど淡々と向き合っていることを確認した。同年代のトップランクの頭脳と会話しているな、との思い出が懐かしい』、「私は立花が恐れていたのは、この社会が「体験」から何も学ばないという怠慢ではなく、この社会は形を変えて同じ誤謬を重ねる「習性」があるという不安ではなかったろうか、という感がしてならない」、困った「習性」だが、私も同感である。
タグ:「立花は感性はきっかけで、知性が二重、三重に拡大していき、そして感性が時に知性をさらに押し上げるといった役割を果たしている」、さすが「立花」氏だ。 PRESIDENT ONLINE 「ヨーロッパの近代市民社会の確立に貢献し、ヨーロッパに範を求めた明治・大正時代の日本の近代化にも大きな影響を与えた」、やはり偉大な人物であることは確かだ。 行き過ぎた「キャンセルカルチャーの運動」は考えものだ。歴史上の人物は生きていた時代の価値観で判断すべきだろう。 保阪 正康 「われわれには依然として動物の血が流れている。動物の血に一度火が点けば、もはやとどまることはできない。途中で引き返すことも不可能だ。このことを忘れてはならない」、深い反省の気持ちを持ち続ける「丹羽 氏」のような考え方が多数派になってほしいものだ。 「マクロン現大統領を支持するフランス国民の多くは若きエリートで、高校時代に女性教師と不倫して25歳年上の女性を妻にしたことを今風と好感する国民だ」、さすが「フランス」らしい。 「「いまさらやめられない」が生んだ350万人の悲劇 日本は負けを承知でなぜあの戦争を続けたのか」 丹羽 宇一郎 「立花」氏のような大物を入れた「シンポジウム」では、確かに時間配分が難しくなるのは避けられないようだ。 「満州事変では・・・責任を感じた陸軍大臣(南次郎)等が辞表を用意したが、新聞は林洗十郎朝鮮軍司令官を『越境将軍』ともてはやしたため陸軍大臣は辞表を懐に収めた」、マスコミの罪深さを示している。 「軍事指導者たちは、日本には精神力という数値化できないプラスがある、といったような判断をする。そして戦争に入っていった」、事実であれば、お粗末だ 「「"戦争は嫌です"で終わらせてはいけない」知の巨人が恐れた"日本社会の習性" 形を変えて繰り返すのではないか」 「みんな御身大切で責任を取ろうとせず、問題を先送りにしてしまう。 戦時中の指導者もそうだったのではなかろうか。戦争をやめるということは、南方の島々もアジアにおける権益も手放すということだ。それは赤字決算の比ではない。誰も進んで責任を負おうとは考えなかったはずだ」、「責任と権限のあいまいなまま戦争が始まり、最後まで明瞭になることなく、天皇の御聖断によって戦争は終わった。戦争を推し進めた指導者は、だれも責任を負って戦争をやめようとはしなかった。 そして、戦争責任はあいまいなまま日本の戦後が始まってしまった」、 「奴隷制度を復活させ、奴隷労働を合法とした」のは、やはり問題だ。「フリーメイソン」を生んだ社会なので、「女性」の社会進出は遅れたようだ。 第三の点ははなはだ心もとない印象だ。 「私は立花が恐れていたのは、この社会が「体験」から何も学ばないという怠慢ではなく、この社会は形を変えて同じ誤謬を重ねる「習性」があるという不安ではなかったろうか、という感がしてならない」、困った「習性」だが、私も同感である。 「戦争体験を次代にどう語り継ぐか」は実に難しい課題だ。 「二次的継承は必然的に三次的継承の要素を取り入れていなければ普遍性を失ってしまう」、というのは確かだ。 「戦前、海軍兵棋演習ではマリアナ諸島が取られたらそこで演習終了。つまりマリアナ諸島を取られたら負けなのだ」、「マリアナ沖海戦の後に200万人の日本人が犠牲になった。政府はこの段階で戦争をやめるべきだった。このとき戦争をやめていれば、東京大空襲はなかった。沖縄戦もなかった。広島、長崎の原爆もなかった。戦争をやめなかった政府の罪は重い」、その通りだ。 歴史問題 安部 雅延 (その15)(英雄「ナポレオン」没200年の今、猛批判される訳 奴隷制復活、有色人種の隷属は許されないが…、「いまさらやめられない」が生んだ350万人の悲劇 日本は負けを承知でなぜあの戦争を続けたのか、「"戦争は嫌です"で終わらせてはいけない」知の巨人が恐れた"日本社会の習性" 形を変えて繰り返すのではないか) 「英雄「ナポレオン」没200年の今、猛批判される訳 奴隷制復活、有色人種の隷属は許されないが…」 東洋経済オンライン 「ナポレオンの近代的戦術は今も世界各地の士官学校の教材となっており」、「ナポレオン法典は・・・日本を含め、世界各地の近代市民社会の法の規範ともなり」、確かに功績は偉大だ。
パンデミック(医学的視点)(その21)(中外製薬ロナプリーブ「コロナ第4の薬」の正体 抗体カクテル療法とは何? 有効性、コストは?、コロナワクチン接種後に感染「ブレークスルー感染」どうすれば?) [パンデミック]
パンデミック(医学的視点)については、6月21日に取上げた。今日は、(その21)(中外製薬ロナプリーブ「コロナ第4の薬」の正体 抗体カクテル療法とは何? 有効性、コストは?、コロナワクチン接種後に感染「ブレークスルー感染」どうすれば?)である。
先ずは、7月25日付け東洋経済オンラインが掲載したジャーナリストの村上 和巳氏による「中外製薬ロナプリーブ「コロナ第4の薬」の正体 抗体カクテル療法とは何? 有効性、コストは?」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/442812
・『新型コロナウイルス感染症(以下、新型コロナ)に対するワクチン接種の進行状況が注目を浴びている中で、これまで思ったように進展してこなかったのが治療薬の開発である。そうした中で厚生労働省は7月19日、中外製薬の新型コロナに対する抗体カクテル療法「ロナプリーブ」を特例承認した。 この薬はすでにアメリカで2020年11月21日に緊急使用許可を取得し、同様の許可はドイツやフランスでも取得しているが、これらはいずれも正式承認前の緊急避難的措置。いわば「仮免許承認」とも言える。正式承認されたのは日本が世界初。新型コロナに対する治療として日本国内で適応を持つ薬剤は、これでようやく4種類目だが、既存の3種類がいずれも中等症以上の重症度で使用されるのに対し、ロナプリーブは条件次第で軽症に使える初の薬でもある。 また、既存の3種類の治療薬である抗ウイルス薬のレムデシビル、ステロイド薬のデキサメタゾン、ヤヌスキナーゼ(JAK)阻害薬のバリシチニブはいずれも他の病気の治療を目的に開発されたものの中から、新型コロナに対しても有効という臨床試験データが得られたために効能が追加された通称「ドラッグ・リポジショニング」で生み出されたもの。つまり最初から新型コロナの治療を目的として開発された薬剤としては国内初承認でもあり、「正真正銘の新型コロナ治療薬」とも言える』、「最初から新型コロナの治療を目的として開発された薬剤としては国内初承認」、確かに画期的だ。
・『ロナプリーブってどんな薬? 今回承認されたロナプリーブは単一成分の薬ではない。医薬品として使用するため人工的に製造した抗体は別名「抗体医薬品」と呼ばれるが、ロナプリーブはカシリビマブ、イムデビマブと呼ばれる2種類の抗体医薬品が含まれる注射薬である。複数の抗体医薬品で行う治療であることから、酒やジュースなど複数の飲料を混ぜて作られるカクテルになぞらえて、この薬を使う治療法は「抗体カクテル療法」と呼ばれる。 そもそもこの抗体はアメリカの製薬企業リジェネロン・ファーマシューティカルズ社が最初に作り出したもので、現在売上高で世界第1位の製薬企業であるスイス・ロシュ社が同社と提携して獲得。ロシュ社の子会社である中外製薬が日本国内での開発・販売ライセンスを取得していた。ちなみに中外製薬は1925年創業の日本の製薬企業だったが、2002年にロシュ社が過半数の株式を取得し、同社のグループ会社になっている。 ロナプリーブが新型コロナ患者でどのような効果を発揮するかを説明するためには、まず新型コロナウイルスがヒトの体内でどのように感染を起こしているかを知っておく必要がある』、なるほど。
・『ロナプリーブはどのような作用を示すのか? これまでの各種報道で新型コロナウイルスの模式図を見た人は少なくないと思うが、このウイルスの構造は一言で言うと、円形のボールのようなものの表面に数多くのトゲが突き出している。このトゲがスパイクタンパク質と呼ばれるもので、ヒトの細胞の特定の部分に取り付いて、そこからウイルスの遺伝子がヒトの細胞に送り込まれる。これがまさに「感染」と呼ばれる状態である。その後は送り込まれた遺伝子がヒトの細胞を間借りし、次々と新型コロナウイルスを作り出し(増殖)していく。 この2つの抗体はそれぞれがこのスパイクタンパク質に結合する。そうすることで前述のスパイクタンパクとヒトの細胞との結合、すなわち感染の成立が阻止される。このため2つの抗体は中和抗体とも呼ばれる。 ここで「それってワクチンと似ていない?」と思った人もいるかもしれない。ある意味その通りである。現在新型コロナで使われているメッセンジャーRNA(mRNA)ワクチンは、前述の新型コロナのスパイクタンパク質の遺伝情報が成分である。これがヒトの体内に入りヒトの細胞を間借りしてスパイクタンパク質だけを作り出し、それを異物と認識したヒトの免疫が中和抗体を作ったり、一部の免疫細胞が異物と認識して直接攻撃する能力を獲得・記憶したりする。 ただ、ロナプリーブとワクチンの中和抗体には違いがある。ロナプリーブの中和抗体は感染判明後、静脈に点滴で注射するオンデマンド方式で、それを止めれば抗体は無くなるのに対し、ワクチンの場合はいったん基本スケジュール通りに接種が完了すればその後一定期間はウイルスの体内侵入に合わせて体内で自動的に中和抗体が製造されるオートメーション方式である点だ』、「ロナプリーブとワクチンの中和抗体には違いがある」のは理解できた。
・『新薬ロナプリーブの実力 今回のロナプリーブでの「特例承認」とは、「医薬品、医療機器等の品質、有効性及び安全性の確保等に関する法律(通称・薬機法)」の第14条の3に基づき、非常事態の際に国内未承認で海外では承認などを受けた医薬品を簡略化した手続きで特例的に承認する仕組み。簡略化とは、簡単に言えば海外で承認などを受けた医薬品に関して、海外での臨床試験データを軸に日本国内での臨床試験を最小限にして、データを迅速に審査して承認を行う制度だ。 ちなみに特例承認は、あくまで日本と同等水準の医薬品の承認制度を持っている国で承認などを受けた医薬品にのみ対象を限定している。この「同等水準の国」として現時点で認められているのはアメリカ、イギリス、カナダ、フランス、ドイツの5か国のみだ。 今回のロナプリーブの特例承認の審査では、アメリカなどで緊急使用許可の承認などを受けた際に提出された海外での臨床試験データが用いられている。この試験は「REGN-COV 2067」という名称で、入院には至っていないものの、肥満や50歳以上および高血圧を含む心血管疾患を有するなど、少なくとも1つの重症リスク因子を有している新型コロナ患者を対象に行われた。 対象患者には標準的な対症療法を行いながら、ロナプリーブ1200mg(シリビマブ、イムデビマブをそれぞれ600mg)を静脈内に1回投与するグループと偽薬(プラセボ)を静脈内に1回投与するグループを設定し、効果を比較した』、なるほど。
・『入院や死亡のリスクが70.4%も低下 これまで明らかになっている結果は、投与から約1カ月以内の新型コロナに関連する入院または新型コロナとの関連は問わず何らかの理由で死亡に至った事例の発生率は、プラセボ・グループが3.2%、ロナプリーブ・グループが1.0%で、プラセボ・グループに比べてロナプリーブ・グループは、入院や死亡のリスクが70.4%も低下していた。また症状の持続期間(中央値)は、プラセボ・グループの14日に対して、ロナプリーブ・グループは10日に短縮した。 安全性について、重篤な有害事象発現率はロナプリーブ・グループが1.1%、プラセボ・グループ4.0%。ちなみに有害事象とは、副作用とイコールではなく、薬やプラセボの投与後から一定期間中に起きた好ましくない体の変化をすべてカウントしたものである。 有害事象の中で薬との因果関係が否定できない、あるいは因果関係があると認定されたものが「副作用」と分類される。現時点でロナプリーブによる副作用と考えられているものは、注射から24時間以内に起こる発熱、悪寒、吐き気、めまいなどの急性症状である「急性輸液反応(infusion reaction)」で、その発現率は0.2%である』、「ロナプリーブ」の効果は確かに明確なようだ。
・『家族内感染対策で認められた予防効果 今回、ロナプリーブでは死亡リスクを減少させるというエビデンスが示されたが、すでに新型コロナに対する適応が日本国内で認められている薬剤の中では、デキサメタゾンについで2種類目であり、今後の新型コロナ治療にとっては明るい材料である。 一方、まだ適応として承認されたものではないが、これまでに行われた臨床試験の結果からは家族内感染での発症予防効果も認められている。これはアメリカ国立衛生研究所(NIH)傘下の国立アレルギー・感染症研究所(NIAID)とロシュ社が共同で実施した臨床試験「REGN-COV 2069」で明らかにされた。 試験では4日以内に新型コロナ陽性と判定された人と同居し、新型コロナウイルスに対する抗体が体内に存在しない、あるいは新型コロナの症状がない人が対象。この対象者でプラセボ注射のグループとロナプリーブ1200mg単回皮下注射のグループで「29日目までの症状のある感染者の発生率」を比較したところ、ロナプリーブ・グループでは、プラセボ・グループに比べ、発生率が81%も減少したことが分かった。 また、症状の消失までに要した期間は、プラセボ・グループでは3週間だったのに対し、ロナプリーブ・グループでは平均1週間以内と大幅な期間短縮が認められている』、「家族内感染での発症予防効果も認められている」、現在のように医療崩壊で自宅療養を余儀なくされる場合には、耳寄りな話のように聞こえるが・・・。
・『どのような患者に使えるか? さて実際、今回の特例承認でどのような患者に使えるかだが、添付文書では新型コロナウイルス感染症で「重症化リスク因子を有し、酸素投与を要しない患者」と定めている。 まず「酸素投与を要しない」とは、ロナプリーブの臨床試験の患者選択基準に基づくと酸素飽和度(SpO2)が93%以上ということになる。酸素飽和度は心臓から全身に運ばれる動脈血の中を流れている赤血球に含まれるヘモグロビンの何%に酸素が結合しているかという指標で正常値は96~99%。肺や心臓の機能が低下して酸素を体内に取り込む力が落ちてくると低下する。 厚生労働省が発刊している「新型コロナウイルス感染症(COVID-19)診療の手引き」では、新型コロナの重症度を軽症、中等症Ⅰ、中等症Ⅱ、重症の4段階に定め、酸素飽和度93%以上は軽症から中等症Ⅰに当たる。ちなみに軽症とは肺炎は認められず、呼吸器症状も全くないあるいは咳だけ、中等症Ⅰは肺炎・呼吸困難はあるものの呼吸不全(呼吸がうまくできずに他の臓器の機能にも影響が及ぶ状態)には至っていない状態を指す。 もう1つの投与基準である「重症化リスク因子」だが、これも臨床試験での患者選択基準に従うと以下のような因子が指摘されている。 +50歳以上 +肥満(BMI 30kg/m2以上) +心血管疾患(高血圧を含む) +慢性肺疾患(喘息を含む) +1型または2型糖尿病 +慢性腎障害(透析患者を含む) +慢性肝疾患 +免疫抑制状態(例:悪性腫瘍治療、骨髄または臓器移植、免疫不全、コントロール不良のHIV、AIDS、鎌状赤血球貧血、サラセミア、免疫抑制剤の長期投与) ちなみに「新型コロナウイルス感染症(COVID-19)診療の手引き」で記載のある重症化リスク因子には上記の臨床試験での基準に加え、「妊娠後期」の表記がある。通常、臨床試験で妊婦が対象者になることはなく、添付文書でも生殖への影響を調べる「生殖発生毒性試験」は行っていないと明記され、「妊婦又は妊娠している可能性のある女性には、治療上の有益性が危険性を上回ると判断される場合にのみ投与すること」と記載されている。 いずれにせよロナプリーブではこれら2つの基準を満さねばならず、新型コロナに感染したから誰でも投与を受けられるわけではない。 また、この薬は通常の薬と違い、医療機関が医薬品卸に直接発注して購入することはできない。当面は世界的にも供給量が限られることもあり、国内では中外製薬との契約に基づき全量を政府が買い上げ、必要とする医療機関の求めに応じて国が中外製薬を通じて配分する。 さらに前述の「新型コロナウイルス感染症(COVID-19)診療の手引き」では、重症化リスクのある患者は入院治療を要すると定めている。このため厚生労働省新型コロナウイルス感染症対策推進本部が発出したロナプリーブに関する事務連絡通知では、供給する医療機関は、こうした患者の入院を受け入れている医療機関に限定している。感染者急増でベッドの空きがないため、重症化リスクがありながら入院ができないなどの特殊なケースなどを除けば、当面はホテルあるいは自宅での療養者は投与対象にはならない』、「当面はホテルあるいは自宅での療養者は投与対象にはならない」、過度な期待は禁物のようだ。
・『気軽に使えない理由に国の財政負担問題も ロナプリーブが思ったように気軽に使えない理由には医学的な問題だけでなく、経済的な問題、国の財政負担の問題もあると考えられる。 現在感染症法に基づく指定感染症となっている新型コロナの治療費は全額公費で負担される。つまりロナプリーブを使われる人は一銭も薬剤費はかからない。これはこの薬に限らず、すでに新型コロナに適応のある治療薬のレムデシビル、デキサメサゾン、バリシチニブを使う場合や人工呼吸器や体外式膜型人工肺(ECMO)を使う場合などもすべて公費負担で患者本人の金銭負担はない。 とはいえ、無制限に使えば国庫に負担をかけることになる。ではロナプリーブの薬剤費がいくらになるかだが、これは今のところ不明。通常、日本国内で承認された薬は公定薬価が定められて公開されるが、ロナプリーブは中外製薬と国との契約で一括購入し、使用時は国が全額負担することもあってか公定薬価は決められていない。また、国の購入数量、総購入金額も現時点では非公開である。 ただ、一般的に抗体医薬品は高薬価である。既存の抗体医薬品はおおむね1回の注射で安くても2万~3万円、高いものでは10数万円はかかる。ロナプリーブの場合は2種類の抗体医薬品の組み合わせなので1回4万円以上は念頭に置く必要がある。これで対象患者が多くなればなるほど国の財政負担は激増する。 ちなみに前述のようにこの薬剤がウイルスの中和抗体であり、家族内感染の発症予防効果もあることから「ワクチンではなくロナプリーブを使えば良い」という意見も出てくるかもしれないので、念のためにそれについて答えておくと、医学的にも財政的にも現実的ではない。 ロナプリーブで判明している家族内感染予防効果は1回の注射で1カ月ほど。この原理に従えば確実な予防のためには、毎月注射しなければならないことになる。ワクチンが2回の接種で少なくとも半年以上、おおよそ1年程度は感染予防効果があると考えられていることからすると、医学的に見てパフォーマンスが悪い。接種する患者側の苦痛に関して言及しても、年間12回注射の針を刺されるのと、2回で済むのとどちらが良いかの答えはほぼ自明だ』、「ロナプリーブで判明している家族内感染予防効果」は「医学的に見てパフォーマンスが悪い」ようだ。
・『国民全員に予防的に使うのは割に合わない また、コストに関してもワクチンは2回の接種で4000円程度。ロナプリープは前述のように1回で4万円以上かかることは確実。現在のワクチン接種対象者は約1億1000万人になるので仮にこれら全員に使うとしたら、ワクチンならば年間4400億円、ロナプリープならば年間53兆円の財源が必要になる。これは日本の国の年間予算(一般会計歳出)の半分に相当する。きわめて非現実的と言わざるをえない。 いずれにせよ今回登場したロナプリーブは、治療薬としてはこれまでの中でも比較的画期性は高いと言えるし、治療選択肢が増えたことは歓迎すべきことだ。 しかし、限定された投与対象、煩雑な注射薬、高額なコストがかかる抗体医薬品という現実を考えれば決定打とはいえない。また、今後の治療薬開発なのでより簡便かつ安価な経口薬が登場した場合は瞬く間に取って代わられる可能性がある』、「ロナプリーブは、治療薬としてはこれまでの中でも比較的画期性は高いと言えるし、治療選択肢が増えたことは歓迎すべきことだ。 しかし、限定された投与対象、煩雑な注射薬、高額なコストがかかる抗体医薬品という現実を考えれば決定打とはいえない」、その通りだ。
次に、8月2日付けNHK首都圏ナビ「コロナワクチン接種後に感染「ブレークスルー感染」どうすれば?」を紹介しよう。
https://www.nhk.or.jp/shutoken/newsup/20210802c.html
・『新型コロナウイルスのワクチン接種を終えたあと、2週間以上して感染が確認されるいわゆる「ブレイクスルー感染」。国の初めての調査結果がまとまり、6月末までの3か月間に67人の感染が確認されました。 国立感染症研究所は「ワクチンの有効性を否定する結果ではないが、接種後も感染対策を続けることが重要だ」としています』、「3か月間に67人の感染が確認」、とはワクチンの効果も万全ではないようだ。
・『ワクチン接種 2回目終了は全人口の29% ワクチンの接種は、2回目の接種を終えた人は、政府が8月2日に公表した状況によりますと国内で少なくとも新型コロナウイルスのワクチンを1回接種した人は全人口の39.61%となっています。 また2回目の接種を終えた人は全人口の29.12%となります。(全人口にはワクチン接種の対象年齢に満たない子どもも含む)』、なるほど。
・『接種後に感染「ブレークスルー感染」 ワクチンの接種後、感染が確認されるケースはどうなっているのか。国の初めての調査結果がまとまりました。 新型コロナウイルスワクチンの接種を終えてから免疫が完全につくまでには14日かかるとされます。海外では、そのあとに感染が確認される事例がまれに報告され、「ブレイクスルー感染」とも呼ばれています。 国立感染症研究所が、自治体や医療機関からの報告をもとに初めて調査を行った結果、4月1日~6月30日の3か月間に合わせて67人の感染が確認されました。 79%が20代から40代で、重症者はいなかったということです。 ウイルスの遺伝子を解析できた14例 12例:イギリスで確認された変異ウイルスの「アルファ株」 2例: インドで確認された「デルタ株」は2例 また、一部の検体からは感染力を持つウイルスも検出されたということです』、「一部の検体からは感染力を持つウイルスも検出された」、とは驚かされた。
・『国立感染研「接種後も感染対策を」 国立感染症研究所は、「接種後も感染対策を続けることが重要だ」としています。 国立感染症研究所「ワクチンの有効性の高さを否定する結果ではないが、二次感染を起こすリスクもあり、接種後も感染対策を続けることが重要だ。また、医療機関なども、症状などから感染が疑われる場合は積極的に検査を行う必要がある」』、「接種」したらもう感染しないと思っていたが、「ブレークスルー感染」を防ぐには「接種後も感染対策を続けることが重要だ」のようだ。
・『デルタ株感染拡大 米では接種後もマスク着用推奨 さらに、デルタ株の感染拡大に伴う動きも。 アメリカのCDC=疾病対策センターは新型コロナウイルスワクチンの接種を完了した人も感染が深刻な地域では屋内でのマスクの着用を推奨するという新たな指針を示しました。 アメリカでは1日に報告される感染者数の7日間平均が26日の時点で5万人を超え、前の週より50%あまり増えています。 CDCは27日、インドで確認された変異ウイルスの「デルタ株」が感染例の8割を占めると推定されるとして、ワクチンの接種を完了した人も感染者の数などが一定の水準を超えた地域では屋内でのマスクの着用を推奨するという新たな指針を発表しました。 指針は首都ワシントンやニューヨーク、ロサンゼルスなどの大都市を含む39の州や地域が対象となっています。 CDCのワレンスキー所長は、電話会見で「デルタ株はまれに接種を完了した人への感染も確認されている」と述べた上でワクチンの効果は十分高いとして接種を重ねて呼びかけました。 バイデン大統領はことし5月、接種を完了した人は原則としてマスクを着けなくてもよいとしましたが、デルタ株の急速な拡大でわずか2か月で転換を余儀なくされました』、イスラエルやアメリカでは3回目のブースター接種を目指すようだ。ただ、途上国などまだ2回目の「接種」すら済んでない国が殆どで、WHOなどはブースター接種よりも、未接種国での「接種」を優先させたいとしている。アメリカがトランプ前大統領ほどではないにしても、感染症の分野でまで自国優先路線を続けるのは困ったことだ。
先ずは、7月25日付け東洋経済オンラインが掲載したジャーナリストの村上 和巳氏による「中外製薬ロナプリーブ「コロナ第4の薬」の正体 抗体カクテル療法とは何? 有効性、コストは?」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/442812
・『新型コロナウイルス感染症(以下、新型コロナ)に対するワクチン接種の進行状況が注目を浴びている中で、これまで思ったように進展してこなかったのが治療薬の開発である。そうした中で厚生労働省は7月19日、中外製薬の新型コロナに対する抗体カクテル療法「ロナプリーブ」を特例承認した。 この薬はすでにアメリカで2020年11月21日に緊急使用許可を取得し、同様の許可はドイツやフランスでも取得しているが、これらはいずれも正式承認前の緊急避難的措置。いわば「仮免許承認」とも言える。正式承認されたのは日本が世界初。新型コロナに対する治療として日本国内で適応を持つ薬剤は、これでようやく4種類目だが、既存の3種類がいずれも中等症以上の重症度で使用されるのに対し、ロナプリーブは条件次第で軽症に使える初の薬でもある。 また、既存の3種類の治療薬である抗ウイルス薬のレムデシビル、ステロイド薬のデキサメタゾン、ヤヌスキナーゼ(JAK)阻害薬のバリシチニブはいずれも他の病気の治療を目的に開発されたものの中から、新型コロナに対しても有効という臨床試験データが得られたために効能が追加された通称「ドラッグ・リポジショニング」で生み出されたもの。つまり最初から新型コロナの治療を目的として開発された薬剤としては国内初承認でもあり、「正真正銘の新型コロナ治療薬」とも言える』、「最初から新型コロナの治療を目的として開発された薬剤としては国内初承認」、確かに画期的だ。
・『ロナプリーブってどんな薬? 今回承認されたロナプリーブは単一成分の薬ではない。医薬品として使用するため人工的に製造した抗体は別名「抗体医薬品」と呼ばれるが、ロナプリーブはカシリビマブ、イムデビマブと呼ばれる2種類の抗体医薬品が含まれる注射薬である。複数の抗体医薬品で行う治療であることから、酒やジュースなど複数の飲料を混ぜて作られるカクテルになぞらえて、この薬を使う治療法は「抗体カクテル療法」と呼ばれる。 そもそもこの抗体はアメリカの製薬企業リジェネロン・ファーマシューティカルズ社が最初に作り出したもので、現在売上高で世界第1位の製薬企業であるスイス・ロシュ社が同社と提携して獲得。ロシュ社の子会社である中外製薬が日本国内での開発・販売ライセンスを取得していた。ちなみに中外製薬は1925年創業の日本の製薬企業だったが、2002年にロシュ社が過半数の株式を取得し、同社のグループ会社になっている。 ロナプリーブが新型コロナ患者でどのような効果を発揮するかを説明するためには、まず新型コロナウイルスがヒトの体内でどのように感染を起こしているかを知っておく必要がある』、なるほど。
・『ロナプリーブはどのような作用を示すのか? これまでの各種報道で新型コロナウイルスの模式図を見た人は少なくないと思うが、このウイルスの構造は一言で言うと、円形のボールのようなものの表面に数多くのトゲが突き出している。このトゲがスパイクタンパク質と呼ばれるもので、ヒトの細胞の特定の部分に取り付いて、そこからウイルスの遺伝子がヒトの細胞に送り込まれる。これがまさに「感染」と呼ばれる状態である。その後は送り込まれた遺伝子がヒトの細胞を間借りし、次々と新型コロナウイルスを作り出し(増殖)していく。 この2つの抗体はそれぞれがこのスパイクタンパク質に結合する。そうすることで前述のスパイクタンパクとヒトの細胞との結合、すなわち感染の成立が阻止される。このため2つの抗体は中和抗体とも呼ばれる。 ここで「それってワクチンと似ていない?」と思った人もいるかもしれない。ある意味その通りである。現在新型コロナで使われているメッセンジャーRNA(mRNA)ワクチンは、前述の新型コロナのスパイクタンパク質の遺伝情報が成分である。これがヒトの体内に入りヒトの細胞を間借りしてスパイクタンパク質だけを作り出し、それを異物と認識したヒトの免疫が中和抗体を作ったり、一部の免疫細胞が異物と認識して直接攻撃する能力を獲得・記憶したりする。 ただ、ロナプリーブとワクチンの中和抗体には違いがある。ロナプリーブの中和抗体は感染判明後、静脈に点滴で注射するオンデマンド方式で、それを止めれば抗体は無くなるのに対し、ワクチンの場合はいったん基本スケジュール通りに接種が完了すればその後一定期間はウイルスの体内侵入に合わせて体内で自動的に中和抗体が製造されるオートメーション方式である点だ』、「ロナプリーブとワクチンの中和抗体には違いがある」のは理解できた。
・『新薬ロナプリーブの実力 今回のロナプリーブでの「特例承認」とは、「医薬品、医療機器等の品質、有効性及び安全性の確保等に関する法律(通称・薬機法)」の第14条の3に基づき、非常事態の際に国内未承認で海外では承認などを受けた医薬品を簡略化した手続きで特例的に承認する仕組み。簡略化とは、簡単に言えば海外で承認などを受けた医薬品に関して、海外での臨床試験データを軸に日本国内での臨床試験を最小限にして、データを迅速に審査して承認を行う制度だ。 ちなみに特例承認は、あくまで日本と同等水準の医薬品の承認制度を持っている国で承認などを受けた医薬品にのみ対象を限定している。この「同等水準の国」として現時点で認められているのはアメリカ、イギリス、カナダ、フランス、ドイツの5か国のみだ。 今回のロナプリーブの特例承認の審査では、アメリカなどで緊急使用許可の承認などを受けた際に提出された海外での臨床試験データが用いられている。この試験は「REGN-COV 2067」という名称で、入院には至っていないものの、肥満や50歳以上および高血圧を含む心血管疾患を有するなど、少なくとも1つの重症リスク因子を有している新型コロナ患者を対象に行われた。 対象患者には標準的な対症療法を行いながら、ロナプリーブ1200mg(シリビマブ、イムデビマブをそれぞれ600mg)を静脈内に1回投与するグループと偽薬(プラセボ)を静脈内に1回投与するグループを設定し、効果を比較した』、なるほど。
・『入院や死亡のリスクが70.4%も低下 これまで明らかになっている結果は、投与から約1カ月以内の新型コロナに関連する入院または新型コロナとの関連は問わず何らかの理由で死亡に至った事例の発生率は、プラセボ・グループが3.2%、ロナプリーブ・グループが1.0%で、プラセボ・グループに比べてロナプリーブ・グループは、入院や死亡のリスクが70.4%も低下していた。また症状の持続期間(中央値)は、プラセボ・グループの14日に対して、ロナプリーブ・グループは10日に短縮した。 安全性について、重篤な有害事象発現率はロナプリーブ・グループが1.1%、プラセボ・グループ4.0%。ちなみに有害事象とは、副作用とイコールではなく、薬やプラセボの投与後から一定期間中に起きた好ましくない体の変化をすべてカウントしたものである。 有害事象の中で薬との因果関係が否定できない、あるいは因果関係があると認定されたものが「副作用」と分類される。現時点でロナプリーブによる副作用と考えられているものは、注射から24時間以内に起こる発熱、悪寒、吐き気、めまいなどの急性症状である「急性輸液反応(infusion reaction)」で、その発現率は0.2%である』、「ロナプリーブ」の効果は確かに明確なようだ。
・『家族内感染対策で認められた予防効果 今回、ロナプリーブでは死亡リスクを減少させるというエビデンスが示されたが、すでに新型コロナに対する適応が日本国内で認められている薬剤の中では、デキサメタゾンについで2種類目であり、今後の新型コロナ治療にとっては明るい材料である。 一方、まだ適応として承認されたものではないが、これまでに行われた臨床試験の結果からは家族内感染での発症予防効果も認められている。これはアメリカ国立衛生研究所(NIH)傘下の国立アレルギー・感染症研究所(NIAID)とロシュ社が共同で実施した臨床試験「REGN-COV 2069」で明らかにされた。 試験では4日以内に新型コロナ陽性と判定された人と同居し、新型コロナウイルスに対する抗体が体内に存在しない、あるいは新型コロナの症状がない人が対象。この対象者でプラセボ注射のグループとロナプリーブ1200mg単回皮下注射のグループで「29日目までの症状のある感染者の発生率」を比較したところ、ロナプリーブ・グループでは、プラセボ・グループに比べ、発生率が81%も減少したことが分かった。 また、症状の消失までに要した期間は、プラセボ・グループでは3週間だったのに対し、ロナプリーブ・グループでは平均1週間以内と大幅な期間短縮が認められている』、「家族内感染での発症予防効果も認められている」、現在のように医療崩壊で自宅療養を余儀なくされる場合には、耳寄りな話のように聞こえるが・・・。
・『どのような患者に使えるか? さて実際、今回の特例承認でどのような患者に使えるかだが、添付文書では新型コロナウイルス感染症で「重症化リスク因子を有し、酸素投与を要しない患者」と定めている。 まず「酸素投与を要しない」とは、ロナプリーブの臨床試験の患者選択基準に基づくと酸素飽和度(SpO2)が93%以上ということになる。酸素飽和度は心臓から全身に運ばれる動脈血の中を流れている赤血球に含まれるヘモグロビンの何%に酸素が結合しているかという指標で正常値は96~99%。肺や心臓の機能が低下して酸素を体内に取り込む力が落ちてくると低下する。 厚生労働省が発刊している「新型コロナウイルス感染症(COVID-19)診療の手引き」では、新型コロナの重症度を軽症、中等症Ⅰ、中等症Ⅱ、重症の4段階に定め、酸素飽和度93%以上は軽症から中等症Ⅰに当たる。ちなみに軽症とは肺炎は認められず、呼吸器症状も全くないあるいは咳だけ、中等症Ⅰは肺炎・呼吸困難はあるものの呼吸不全(呼吸がうまくできずに他の臓器の機能にも影響が及ぶ状態)には至っていない状態を指す。 もう1つの投与基準である「重症化リスク因子」だが、これも臨床試験での患者選択基準に従うと以下のような因子が指摘されている。 +50歳以上 +肥満(BMI 30kg/m2以上) +心血管疾患(高血圧を含む) +慢性肺疾患(喘息を含む) +1型または2型糖尿病 +慢性腎障害(透析患者を含む) +慢性肝疾患 +免疫抑制状態(例:悪性腫瘍治療、骨髄または臓器移植、免疫不全、コントロール不良のHIV、AIDS、鎌状赤血球貧血、サラセミア、免疫抑制剤の長期投与) ちなみに「新型コロナウイルス感染症(COVID-19)診療の手引き」で記載のある重症化リスク因子には上記の臨床試験での基準に加え、「妊娠後期」の表記がある。通常、臨床試験で妊婦が対象者になることはなく、添付文書でも生殖への影響を調べる「生殖発生毒性試験」は行っていないと明記され、「妊婦又は妊娠している可能性のある女性には、治療上の有益性が危険性を上回ると判断される場合にのみ投与すること」と記載されている。 いずれにせよロナプリーブではこれら2つの基準を満さねばならず、新型コロナに感染したから誰でも投与を受けられるわけではない。 また、この薬は通常の薬と違い、医療機関が医薬品卸に直接発注して購入することはできない。当面は世界的にも供給量が限られることもあり、国内では中外製薬との契約に基づき全量を政府が買い上げ、必要とする医療機関の求めに応じて国が中外製薬を通じて配分する。 さらに前述の「新型コロナウイルス感染症(COVID-19)診療の手引き」では、重症化リスクのある患者は入院治療を要すると定めている。このため厚生労働省新型コロナウイルス感染症対策推進本部が発出したロナプリーブに関する事務連絡通知では、供給する医療機関は、こうした患者の入院を受け入れている医療機関に限定している。感染者急増でベッドの空きがないため、重症化リスクがありながら入院ができないなどの特殊なケースなどを除けば、当面はホテルあるいは自宅での療養者は投与対象にはならない』、「当面はホテルあるいは自宅での療養者は投与対象にはならない」、過度な期待は禁物のようだ。
・『気軽に使えない理由に国の財政負担問題も ロナプリーブが思ったように気軽に使えない理由には医学的な問題だけでなく、経済的な問題、国の財政負担の問題もあると考えられる。 現在感染症法に基づく指定感染症となっている新型コロナの治療費は全額公費で負担される。つまりロナプリーブを使われる人は一銭も薬剤費はかからない。これはこの薬に限らず、すでに新型コロナに適応のある治療薬のレムデシビル、デキサメサゾン、バリシチニブを使う場合や人工呼吸器や体外式膜型人工肺(ECMO)を使う場合などもすべて公費負担で患者本人の金銭負担はない。 とはいえ、無制限に使えば国庫に負担をかけることになる。ではロナプリーブの薬剤費がいくらになるかだが、これは今のところ不明。通常、日本国内で承認された薬は公定薬価が定められて公開されるが、ロナプリーブは中外製薬と国との契約で一括購入し、使用時は国が全額負担することもあってか公定薬価は決められていない。また、国の購入数量、総購入金額も現時点では非公開である。 ただ、一般的に抗体医薬品は高薬価である。既存の抗体医薬品はおおむね1回の注射で安くても2万~3万円、高いものでは10数万円はかかる。ロナプリーブの場合は2種類の抗体医薬品の組み合わせなので1回4万円以上は念頭に置く必要がある。これで対象患者が多くなればなるほど国の財政負担は激増する。 ちなみに前述のようにこの薬剤がウイルスの中和抗体であり、家族内感染の発症予防効果もあることから「ワクチンではなくロナプリーブを使えば良い」という意見も出てくるかもしれないので、念のためにそれについて答えておくと、医学的にも財政的にも現実的ではない。 ロナプリーブで判明している家族内感染予防効果は1回の注射で1カ月ほど。この原理に従えば確実な予防のためには、毎月注射しなければならないことになる。ワクチンが2回の接種で少なくとも半年以上、おおよそ1年程度は感染予防効果があると考えられていることからすると、医学的に見てパフォーマンスが悪い。接種する患者側の苦痛に関して言及しても、年間12回注射の針を刺されるのと、2回で済むのとどちらが良いかの答えはほぼ自明だ』、「ロナプリーブで判明している家族内感染予防効果」は「医学的に見てパフォーマンスが悪い」ようだ。
・『国民全員に予防的に使うのは割に合わない また、コストに関してもワクチンは2回の接種で4000円程度。ロナプリープは前述のように1回で4万円以上かかることは確実。現在のワクチン接種対象者は約1億1000万人になるので仮にこれら全員に使うとしたら、ワクチンならば年間4400億円、ロナプリープならば年間53兆円の財源が必要になる。これは日本の国の年間予算(一般会計歳出)の半分に相当する。きわめて非現実的と言わざるをえない。 いずれにせよ今回登場したロナプリーブは、治療薬としてはこれまでの中でも比較的画期性は高いと言えるし、治療選択肢が増えたことは歓迎すべきことだ。 しかし、限定された投与対象、煩雑な注射薬、高額なコストがかかる抗体医薬品という現実を考えれば決定打とはいえない。また、今後の治療薬開発なのでより簡便かつ安価な経口薬が登場した場合は瞬く間に取って代わられる可能性がある』、「ロナプリーブは、治療薬としてはこれまでの中でも比較的画期性は高いと言えるし、治療選択肢が増えたことは歓迎すべきことだ。 しかし、限定された投与対象、煩雑な注射薬、高額なコストがかかる抗体医薬品という現実を考えれば決定打とはいえない」、その通りだ。
次に、8月2日付けNHK首都圏ナビ「コロナワクチン接種後に感染「ブレークスルー感染」どうすれば?」を紹介しよう。
https://www.nhk.or.jp/shutoken/newsup/20210802c.html
・『新型コロナウイルスのワクチン接種を終えたあと、2週間以上して感染が確認されるいわゆる「ブレイクスルー感染」。国の初めての調査結果がまとまり、6月末までの3か月間に67人の感染が確認されました。 国立感染症研究所は「ワクチンの有効性を否定する結果ではないが、接種後も感染対策を続けることが重要だ」としています』、「3か月間に67人の感染が確認」、とはワクチンの効果も万全ではないようだ。
・『ワクチン接種 2回目終了は全人口の29% ワクチンの接種は、2回目の接種を終えた人は、政府が8月2日に公表した状況によりますと国内で少なくとも新型コロナウイルスのワクチンを1回接種した人は全人口の39.61%となっています。 また2回目の接種を終えた人は全人口の29.12%となります。(全人口にはワクチン接種の対象年齢に満たない子どもも含む)』、なるほど。
・『接種後に感染「ブレークスルー感染」 ワクチンの接種後、感染が確認されるケースはどうなっているのか。国の初めての調査結果がまとまりました。 新型コロナウイルスワクチンの接種を終えてから免疫が完全につくまでには14日かかるとされます。海外では、そのあとに感染が確認される事例がまれに報告され、「ブレイクスルー感染」とも呼ばれています。 国立感染症研究所が、自治体や医療機関からの報告をもとに初めて調査を行った結果、4月1日~6月30日の3か月間に合わせて67人の感染が確認されました。 79%が20代から40代で、重症者はいなかったということです。 ウイルスの遺伝子を解析できた14例 12例:イギリスで確認された変異ウイルスの「アルファ株」 2例: インドで確認された「デルタ株」は2例 また、一部の検体からは感染力を持つウイルスも検出されたということです』、「一部の検体からは感染力を持つウイルスも検出された」、とは驚かされた。
・『国立感染研「接種後も感染対策を」 国立感染症研究所は、「接種後も感染対策を続けることが重要だ」としています。 国立感染症研究所「ワクチンの有効性の高さを否定する結果ではないが、二次感染を起こすリスクもあり、接種後も感染対策を続けることが重要だ。また、医療機関なども、症状などから感染が疑われる場合は積極的に検査を行う必要がある」』、「接種」したらもう感染しないと思っていたが、「ブレークスルー感染」を防ぐには「接種後も感染対策を続けることが重要だ」のようだ。
・『デルタ株感染拡大 米では接種後もマスク着用推奨 さらに、デルタ株の感染拡大に伴う動きも。 アメリカのCDC=疾病対策センターは新型コロナウイルスワクチンの接種を完了した人も感染が深刻な地域では屋内でのマスクの着用を推奨するという新たな指針を示しました。 アメリカでは1日に報告される感染者数の7日間平均が26日の時点で5万人を超え、前の週より50%あまり増えています。 CDCは27日、インドで確認された変異ウイルスの「デルタ株」が感染例の8割を占めると推定されるとして、ワクチンの接種を完了した人も感染者の数などが一定の水準を超えた地域では屋内でのマスクの着用を推奨するという新たな指針を発表しました。 指針は首都ワシントンやニューヨーク、ロサンゼルスなどの大都市を含む39の州や地域が対象となっています。 CDCのワレンスキー所長は、電話会見で「デルタ株はまれに接種を完了した人への感染も確認されている」と述べた上でワクチンの効果は十分高いとして接種を重ねて呼びかけました。 バイデン大統領はことし5月、接種を完了した人は原則としてマスクを着けなくてもよいとしましたが、デルタ株の急速な拡大でわずか2か月で転換を余儀なくされました』、イスラエルやアメリカでは3回目のブースター接種を目指すようだ。ただ、途上国などまだ2回目の「接種」すら済んでない国が殆どで、WHOなどはブースター接種よりも、未接種国での「接種」を優先させたいとしている。アメリカがトランプ前大統領ほどではないにしても、感染症の分野でまで自国優先路線を続けるのは困ったことだ。
タグ:パンデミック (その21)(中外製薬ロナプリーブ「コロナ第4の薬」の正体 抗体カクテル療法とは何? 有効性、コストは?、コロナワクチン接種後に感染「ブレークスルー感染」どうすれば?) (医学的視点) 東洋経済オンライン 村上 和巳 「中外製薬ロナプリーブ「コロナ第4の薬」の正体 抗体カクテル療法とは何? 有効性、コストは?」 「最初から新型コロナの治療を目的として開発された薬剤としては国内初承認」、確かに画期的だ。 「ロナプリーブとワクチンの中和抗体には違いがある」のは理解できた。 「ロナプリーブ」の効果は確かに明確なようだ。 現在のように医療崩壊で自宅療養を余儀なくされる場合には、耳寄りな話のように聞こえるが・・・。 「当面はホテルあるいは自宅での療養者は投与対象にはならない」、過度な期待は禁物のようだ。 「ロナプリーブで判明している家族内感染予防効果」は「医学的に見てパフォーマンスが悪い」ようだ。 「ロナプリーブは、治療薬としてはこれまでの中でも比較的画期性は高いと言えるし、治療選択肢が増えたことは歓迎すべきことだ。 しかし、限定された投与対象、煩雑な注射薬、高額なコストがかかる抗体医薬品という現実を考えれば決定打とはいえない」、その通りだ。 NHK首都圏ナビ 「コロナワクチン接種後に感染「ブレークスルー感染」どうすれば?」 「3か月間に67人の感染が確認」、とはワクチンの効果も万全ではないようだ。 「一部の検体からは感染力を持つウイルスも検出された」、とは驚かされた。 「接種」したらもう感染しないと思っていたが、「ブレークスルー感染」を防ぐには「接種後も感染対策を続けることが重要だ」のようだ。 イスラエルやアメリカでは3回目のブースター接種を目指すようだ。ただ、途上国などまだ2回目の「接種」すら済んでない国が殆どで、WHOなどはブースター接種よりも、未接種国での「接種」を優先させたいとしている。アメリカがトランプ前大統領ほどではないにしても、感染症の分野でまで自国優先路線を続けるのは困ったことだ。
民主主義(その8)(千葉県知事選の「奇抜な候補者たち」を振り返る 選挙はこれでいいのか、「国の未来を国民投票で決めるとヤバい」大混乱が続く英国政治の教訓 「人気取り政治家」が悲劇を招いた) [政治]
民主主義については、3月10日に取上げた。今日は、(その8)(千葉県知事選の「奇抜な候補者たち」を振り返る 選挙はこれでいいのか、「国の未来を国民投票で決めるとヤバい」大混乱が続く英国政治の教訓 「人気取り政治家」が悲劇を招いた)である。
先ずは、3月27日付けダイヤモンド・オンラインが掲載したフリーライターの武藤弘樹氏による「千葉県知事選の「奇抜な候補者たち」を振り返る、選挙はこれでいいのか」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/266728
・『コロナ禍、しかも雨の中での投票となったものの、終わってみれば前回を7.81ポイント上回る38.99%の投票率となった千葉県知事選挙。ネット上では検索予測に「千葉県知事選 ヤバい」と出る、異例の話題ぶりだった。千葉県民の筆者が振り返る』、「森田」前知事の顔を見ないで済むようになっただけでも、有難い。
・『ネットを賑わした千葉県知事選 放送事故級の政見放送に賛否 2021年3月21日に千葉県知事選挙の投開票が行われた。3期を務めた森田健作知事が任期満了で4月に退任するため、12年ぶりの新知事を決める戦いである。結果は前千葉市長の熊谷俊人氏の圧勝となった。 今回の千葉県知事選挙についてはネットなどで話題になったのでご存じの方も多いかもしれない。過去最多の新人8人による立候補、熊谷氏が更新した過去最多となる140万超えの得票数などいくつかの話題性があったが、やはりもっとも注目されたのは怪しげな候補者が多かった点であろう。それら候補者による政見放送は「放送事故」としてネットを大いに賑わした。 話題となったのは、いわゆる独立系の候補者5人である。彼らの略歴と主張を、現在千葉県在住である筆者の個人的な感想を添えつつ、おさらいしておきたい』、どんな「主張」をしているのだろう。
・『本気で真剣な3候補者 それぞれが思い描く千葉県 ● 医師で、「千葉のバイデン」を目指すという真面目そうな見た目の男性である。政見放送では冒頭から戦争などによる危機に備えることを強く訴え、「危機意識の高い人なのかな」と思って見ていたら、「少子化対策として20歳以上の希望者の精子と卵子を冷凍保存する。これにより70歳になっても子どもが作れる」と主張し、視聴者に最初の違和感を抱かせた。 そして終盤、「現在の夢は千葉県知事に当選し、小池百合子氏と結婚すること」と宣言。ネタなのかと思わされたが、もう一度「知事に当選して小池氏と結婚できますよう、県民の皆様の温かいご支援を」と念を押していたので、おそらくその熱意は本物である』、「当選し、小池百合子氏と結婚すること」、こんな個人的なことまで「政見」に盛り込むとは驚かされた。
・『●平塚正幸氏(39歳・国民主権党) 社会活動家、およびYouTuberで、昨年話題になった、マスク非着用による「クラスターフェス」を主催した人物である。今回の県知事選での露出でも一貫してコロナワクチンとマスク着用の危険性を訴えることに終始した。政見放送時の紹介を聞き取ったところによると「国民主権党党首」「マスクを外そうの会会長」「PCR検査・ワクチンは健康な人を病気にする。受けてはいけないの会会長」などいくつかの肩書を持つようだ。社会の大勢から外れた主張ではあるが、おそらく本人の熱意はこれもまた本物である。 なお、「ワクチン危険」と大書された氏の選挙ポスターについては、選挙管理委員会に苦情が殺到したそうである』、コメントする気にもならない。
・『●皆川真一郎氏(66歳・無所属)(高校の校長や大学の参事を歴任した教育関係者である。温和そうな見た目で、掲げる政策も人々の生活に寄り添ったものが多い。その中の「犬・猫殺処分ゼロ」は個人的にもろ手を挙げて支持したいところだったが、ポスターおよび選挙公報でなんといっても目を引いたのが「房 bou」という札だ。これは氏が構想している県独自の通貨で、「1円=1房」の価値があるとされていた。新通貨ということで耳なじみがないせいかどこか不気味な響きがあるが、この「房」で県民の生活を支援していく狙いがあったようである。ポスターに表示されている「房」は100万房札で、デザインは千葉県の全体図と落花生、そして氏の似顔絵があしらわれたものに仕上がっている』、あえて地域通貨を出す理由は何なのだろう。
・『隣人に見る人物の類型 奇抜な3候補に親近感を抱く可能性 3月18日にはニュースサイト「選挙ドットコム」に、政治ライターのひがしみすず氏が今回の選挙候補者8人に電話取材を申し込み、回答をもらうという趣旨の記事が掲載された(参照:『千葉県知事選挙2021の候補者がヤバい!?全員に直接電凸して将来の千葉県民が質問してみた』)。 非常に興味深い視点で、面白く拝読したのだが、氏は電話取材を通して候補者に対する印象が大きく変わった(特に皆川氏については良い意味で変わったとのこと)という旨のことを書かれていて、ハッとさせられた。 投票する側のわれわれは、特に新人の候補者の人となりはその人の選挙活動を通してしか知ることができない。だから掲げている政策や主張が怪しげであればその人物の全てが怪しげに思えてくるのだが、選挙活動はその人のただの一部、氷山の一角である。普段は極めて常識的な人物だが、政治的主張だけがとんがっている可能性は多分にある。 良識ある隣人が、その人の哲学や思想をよくよく聞いてみると実はぶっ飛んでいる人だったと判明することはわれわれの日常の中にもたまに起こり得る。ということは、奇抜な主張の候補者はものすごく奇抜に映るが、実はその人の一部分だけが奇抜なだけで他の部分は常識的なのかもしれない。一部がとんがっているような人物の類型はちまたに珍しくなく、その中で並々ならぬ熱意を持った人が候補者に名乗りを上げたというケースもままあったのかもしれない。 つまり、宇宙人のように思えていた候補者は、出会いが違えば愛すべき隣人になっていたのかもしれない…これは新鮮な気づきであった(といって、この気づきによって投票先が変わることもなさそうではあるが)』、「宇宙人のように思えていた候補者は、出会いが違えば愛すべき隣人になっていたのかもしれない」、その通りなのかも知れない。
・『エンターテインメント的だった人の候補者 さて、ここまで独立系候補者3人を紹介し、残るところはあと2人である。この5人の候補者は奇抜な主張を展開したという点で共通しているが、まだ紹介していない残りの2人はさらに一線を画す。この2人は先述の3人が醸す、彼岸の彼方から発せられるような真剣さによるすごみこそないが、話題作りへの姿勢は真剣そのものであった。 ●後藤輝樹氏(38歳・ベーシックインカム党)(政治団体代表、およびYouTuberである。2016年の東京都知事選の政見放送でほぼ全裸になり、ひわいな言葉を連呼するなどして一躍注目を集め、界隈の有名人となった。今回の千葉県知事選挙の政見放送(NHK)では「ちなつさん、大好きです」と切り出し、時間いっぱいを使って交際相手に向けての公開プロポーズを行った。 おそらくご本人に逆張りを好むあまのじゃく的気質があるらしく、コロナ禍によって交際相手と親密さが増したとして「コロナさん、ありがとう」と発言していた。過去の政見放送を見返しても感じられたが、人が不快に感じるラインの2、3歩越えたところを攻め続けるスタイルの人物である(その姿勢が面白がられているともいえる)。 東京新聞の記事によれば「コロナ禍でも、人との出会いの大切さや幸せになれるといったメッセージを込めた」(参照:東京新聞)らしく、なるほどと思わされたが、それでもやはりコロナ禍で悲劇を味わわされた人もたくさんいるわけで、「ありがとう」は、そうした人たちに向けての配慮が十分であるとは言い難い。とはいえ、もし一部の熱狂的な支持を獲得しているなら、それは氏の思惑はある程度成功しているわけで、非常にアングラ的な活動方針であるといえる。 ●河合悠祐氏(40歳・千葉県全体を夢と魔法の国にする党) YouTuber、および会社経営者で、映画『ジョーカー』の主人公を模した衣装に白塗りメイクで登場し、「千葉県全体をディズニーランドにする」などの独特な政策を掲げた。政見放送は全編笑いを取りにいっていた』、確かに変わった人のようだ。
・『売名に利用される選挙のあり方が問われる 千葉県民歴2年弱の筆者は、引っ越してきてからできた知り合いの面々に今回の知事選について感想を聞いて回ったが、「ふざけすぎていて他の都道府県に恥ずかしい」「面白かった。もっとやってほしい」などの声が聞かれた。すでに他のメディアでも同様の声が伝えられているので、県民の思いは概ね共通しているようである。 今回の千葉県知事選挙の候補者の活動(広報、政見放送など)には当然ながら賛否が寄せられた。「これをきっかけに選挙に興味を持つ人が増えるといい」という積極的賛成論や、「消去法でも投票先が絞り込めるなら有意義である」という消極的賛成論があった。 一方、否定派は「まじめにやれ」「税金の無駄遣い」などと主張した。そんな否定派に対して「彼ら(奇抜な候補者ら)はルールに則って戦った」「奇抜な政策を切り捨てるなど、マジョリティーの常識やマナーを押し付ける行為は民主主義にとって危険」などの反論があり、ややこしい議論になっている。 2016年の東京都知事選挙のときから問題視されつつあるのが、「近年、選挙活動を通した売名行為が増えてきている」ということ。現代は知名度をそのまま収入に換金できる(YouTuberとして動画の再生数を伸ばして収益を得るなど)時代であるから、それも必然的な流れであるといえよう。何しろ選挙は広告宣伝費のコスパがいい。立候補に伴う供託金300万円さえ支払えば選挙を通して自分自身の宣伝が行える。 今回の立候補者たちは奇抜といえ、そして、確かに主張こそ奇抜を極めたが、憲法や法律に抵触することは何一つ行っていなかった。正々堂々ルールに則って世間を賑わし、売名を達成したのである。だからそのやり方は(決して品はよくなかったが)賢かったといえる。 しかし、「当選が至上目的ではないし、落選しても売名できればお得」と考える立候補者が乱立する選挙がはたして健全であるかは今一度考えられる必要がある。 問題は立候補のシステムを利用した個人にあるのではなく、システムそのものにある(被選挙権や言論の自由などによって個人に咎〈とが〉を認定することはできない)。選挙のあり方の現状が強く問題視されるのであれば、「供託金の額を引き上げ(あるいは引き下げ)」といった具体的な形でシステムの方に変更が施されるであろう。これに関しては世論の動向を見守るばかりである』、「選挙は広告宣伝費のコスパがいい。立候補に伴う供託金300万円さえ支払えば選挙を通して自分自身の宣伝が行える」、やはり、「供託金の額を引き上げ(あるいは引き下げ)」が必要なようだ。
次に、5月15日付けPRESIDENT Onlineが掲載した三菱UFJリサーチ&コンサルティング 調査部 副主任研究員の土田 陽介氏による「「国の未来を国民投票で決めるとヤバい」大混乱が続く英国政治の教訓 「人気取り政治家」が悲劇を招いた」を紹介しよう。
https://president.jp/articles/-/46040
・『「スコットランドで独立運動が再燃」総選挙で支持派が過半数に 5月6日、英国を構成するスコットランドで議会選(定数129)が実施され、スタージョン行政府首相が率いる与党スコットランド民族党(SNP)が獲得した議席は64にとどまり、単独過半数に1議席届かなかった。しかし環境政党である緑の党の8議席と合わせて、英国からの独立を支持する勢力が議会の過半数を得ることになった。 スタージョン行政府首相は選挙結果を受けて、喫緊の課題は新型コロナウイルス対応にあるとしながらも、スコットランド独立の是非を問う2回目の住民投票を実施する用意があることを表明した。他方で英国のジョンソン首相は住民投票の実施を認めないという姿勢を改めて示し、スタージョン行政府首相に対して牽制した。 英国がいくらそれを阻もうと、スコットランドが民意を確認したうえで独立を宣言すること自体は可能だ。しかしながら、スコットランドを第三国が独立国家として容認するかどうかはまた別問題となる。例えば2008年にセルビアの反対を押し切って独立したコソボの場合、日本をはじめとする第三国が承認したからこそ、独立国家になり得た。 2016年6月の国民投票で離脱派が僅差で勝利したことを受けて、英国は2020年1月にEUから離脱した。そのEU離脱を主導したジョンソン首相が、今度は同様に住民投票での意思を確認したうえで英国から離脱しようとするスコットランドの指導者を批判する。なんとも皮肉めいた状況に陥っているのが、今の英国の実情である。 ▽独自通貨を導入する必要性(現実的には、スコットランドが独立するうえでの障壁はさまざまある。そのうち経済の観点からは、とりわけ独自通貨の導入が大きな論点となる。現在スコットランドで使われている通貨は英国のポンドであり、スコットランド銀行、RBS(ロイヤル・バンク・オブ・スコットランド)、クライズデール銀行という三大民間銀行によって発行されている。) しかしスコットランドが英国から独立すれば、おのずと独自の通貨を持つ必要に迫られる。そのため発券機能を持つスコットランド独自の中央銀行を設立しなければならない。そして新設された中銀は、スコットランド政府の信用力に基づき、通貨を発行することになる。ここで意味するスコットランド政府の信用力とは、財政の健全性にほかならない。 コロナ禍で英国の公的債務は国内総生産(GDP)の規模を60年ぶりに上回ったが、スコットランドは独立に当たり、最終的にはその経済規模に応じた公的債務を引き継ぐ必要がある。それに英国は経常赤字、つまり貯蓄不足の国であるが、スコットランドもまた同様だ。保守的な財政運営に努めないと、新たに発行する国債の買い手など見つからない。 それにスコットランドは人口わずか500万人強にすぎず、内需も厚みに欠ける。つまり需給の両面で、スコットランド経済は成長の余力に乏しい。よほどタイトな財政運営をしない限り、外国人投資家がスコットランド国債を好んで買うことは考えにくい。そうした状況では、中銀が新たに発行する独自通貨も投資家の信認を得ることができない』、北海油田での産油が活発だった頃は、魅力があったろうが、現在ではそんな売り物もない。
・『EU再加盟への道のりは極めて長い それにスコットランドが独自通貨を導入しても、当面は交換性に乏しい状態が続く。つまりスコットランドで独自通貨を米ドルなど外貨に交換できても、外国ではそうした交換が成り立たない。皮肉なことに、スコットランド人が資産防衛のために独自通貨を国内で外貨にどんどん交換するため、固定相場制を導入したとしても維持できないだろう。 そうなると、スコットランドの独自通貨は早晩、通貨危機に陥ることになる。そうなれば、これまでスコットランド人が積み上げてきた金融資産の価値が大幅に目減りする。とりわけ年金受給者は悲惨であり、生活が貧しくなることは目に見えている。欧州債務危機の際にギリシャがユーロから離脱しなかった(できなかった)理由と同じだ。 またSNPは、スコットランドが独立したらEUに再加盟する方針を堅持している。英国は元々EUに加盟していたわけだから、EU加盟基準(コペンハーゲン基準)のうち政治的基準(民主主義、基本的人権の尊重など)や法的基準(国内法とEU法との整合)はほとんどクリアしているが、経済的基準となると、やはり話は変わってくる。 経済的基準とは、物価や金利などを中心に要するに安定したマクロ経済環境を維持することを意味する。物価や金利などを安定化させるためには、どうしても保守的な財政運営が欠かせない。スコットランドが独立した場合、少なくとも数年、マクロ経済は混乱を余儀なくされる。経済的基準を満たすためには最低でも10年はかかるだろう』、「経済的基準を満たすためには最低でも10年はかかる」、そんなに長く持ちこたえられるだろうか。
・『他のEU加盟国が歓迎しない恐れ 先に述べたコソボの場合、アルバニア系住民の実効支配が続いており、セルビアとの関係が長らく緊張していたことなどから、EU各国はコソボを独立させた方が地域の安定に貢献すると判断し、その独立を容認した経緯がある。復興支援の観点からEUはコソボでのユーロ利用を黙認したため、コソボは独自通貨発行の問題を回避できた。 コソボの人口は200万人に満たず、また所得水準も4000米ドルを超える程度と低い。そして何より、セルビアがEUにまだ加盟しておらず、コソボの独立もEUにとってはある意味で対岸の火事であった。しかしながらスコットランドの場合、袂を分けたとはいえ近しい関係を維持したい英国との兼ね合いもあり、コソボのようにはいかない。 それにEU各国の中には、英国と同様に地方の独立問題を抱えている国が少なくない。非常に有名な例としてはスペインのカタルーニャ州があるが、スコットランドの独立がそうしたEUの中でくすぶる地域ナショナリズムを刺激する恐れは非常に大きい。つまり、スコットランドの独立を、EU各国は歓迎するどころか、忌避する恐れがある。 こうしたことを最も良く分かっているのは、実はSNPだろう。それだけに、スタージョン行政府首相らSNP指導部がいたずらに独立に向けた動きを仕掛けてくるとは、まず考えられない。今後は民意の動向を見極めつつ、スタージョン行政府首相は英国のジョンソン首相に対して、高度に政治的な駆け引きを展開することになるはずだ』、「スコットランドの独立を、EU各国は歓迎するどころか、忌避する恐れがある」、確かにその通りだろう。そうだとすると、「英国のジョンソン首相に対」する交渉力も弱くならざるを得ないだろう。
・『国民投票が悲劇的な結果をもたらす教訓 しかしながら、われわれはすでに英国のEU離脱というショックを経験している。それは政治が国民投票という手段で民意を利用しようとした結果、その制御を放棄した末の悲劇ともいえる。経済的には極めて非合理な決断がスコットランドでなされたとすれば、それは英国、特に民意をもてあそんだ責任政党である保守党にとり、皮肉以外の何でもない。 なお日本では5月11日、国民投票法案が衆議院で可決された。国民の声が政治決定に反映され易くなると期待される一方で、政治がそれをもてあそぶような事態が生じる危険性もはらんでいる。国民投票や住民投票が悲劇的な結果をもたらす可能性があることについて、英国やスコットランドの動きからわれわれが学ぶことは多いといえよう』、「英国のEU離脱」など複雑な問題は「国民投票」に向いていないと指摘する学者も多い。
先ずは、3月27日付けダイヤモンド・オンラインが掲載したフリーライターの武藤弘樹氏による「千葉県知事選の「奇抜な候補者たち」を振り返る、選挙はこれでいいのか」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/266728
・『コロナ禍、しかも雨の中での投票となったものの、終わってみれば前回を7.81ポイント上回る38.99%の投票率となった千葉県知事選挙。ネット上では検索予測に「千葉県知事選 ヤバい」と出る、異例の話題ぶりだった。千葉県民の筆者が振り返る』、「森田」前知事の顔を見ないで済むようになっただけでも、有難い。
・『ネットを賑わした千葉県知事選 放送事故級の政見放送に賛否 2021年3月21日に千葉県知事選挙の投開票が行われた。3期を務めた森田健作知事が任期満了で4月に退任するため、12年ぶりの新知事を決める戦いである。結果は前千葉市長の熊谷俊人氏の圧勝となった。 今回の千葉県知事選挙についてはネットなどで話題になったのでご存じの方も多いかもしれない。過去最多の新人8人による立候補、熊谷氏が更新した過去最多となる140万超えの得票数などいくつかの話題性があったが、やはりもっとも注目されたのは怪しげな候補者が多かった点であろう。それら候補者による政見放送は「放送事故」としてネットを大いに賑わした。 話題となったのは、いわゆる独立系の候補者5人である。彼らの略歴と主張を、現在千葉県在住である筆者の個人的な感想を添えつつ、おさらいしておきたい』、どんな「主張」をしているのだろう。
・『本気で真剣な3候補者 それぞれが思い描く千葉県 ● 医師で、「千葉のバイデン」を目指すという真面目そうな見た目の男性である。政見放送では冒頭から戦争などによる危機に備えることを強く訴え、「危機意識の高い人なのかな」と思って見ていたら、「少子化対策として20歳以上の希望者の精子と卵子を冷凍保存する。これにより70歳になっても子どもが作れる」と主張し、視聴者に最初の違和感を抱かせた。 そして終盤、「現在の夢は千葉県知事に当選し、小池百合子氏と結婚すること」と宣言。ネタなのかと思わされたが、もう一度「知事に当選して小池氏と結婚できますよう、県民の皆様の温かいご支援を」と念を押していたので、おそらくその熱意は本物である』、「当選し、小池百合子氏と結婚すること」、こんな個人的なことまで「政見」に盛り込むとは驚かされた。
・『●平塚正幸氏(39歳・国民主権党) 社会活動家、およびYouTuberで、昨年話題になった、マスク非着用による「クラスターフェス」を主催した人物である。今回の県知事選での露出でも一貫してコロナワクチンとマスク着用の危険性を訴えることに終始した。政見放送時の紹介を聞き取ったところによると「国民主権党党首」「マスクを外そうの会会長」「PCR検査・ワクチンは健康な人を病気にする。受けてはいけないの会会長」などいくつかの肩書を持つようだ。社会の大勢から外れた主張ではあるが、おそらく本人の熱意はこれもまた本物である。 なお、「ワクチン危険」と大書された氏の選挙ポスターについては、選挙管理委員会に苦情が殺到したそうである』、コメントする気にもならない。
・『●皆川真一郎氏(66歳・無所属)(高校の校長や大学の参事を歴任した教育関係者である。温和そうな見た目で、掲げる政策も人々の生活に寄り添ったものが多い。その中の「犬・猫殺処分ゼロ」は個人的にもろ手を挙げて支持したいところだったが、ポスターおよび選挙公報でなんといっても目を引いたのが「房 bou」という札だ。これは氏が構想している県独自の通貨で、「1円=1房」の価値があるとされていた。新通貨ということで耳なじみがないせいかどこか不気味な響きがあるが、この「房」で県民の生活を支援していく狙いがあったようである。ポスターに表示されている「房」は100万房札で、デザインは千葉県の全体図と落花生、そして氏の似顔絵があしらわれたものに仕上がっている』、あえて地域通貨を出す理由は何なのだろう。
・『隣人に見る人物の類型 奇抜な3候補に親近感を抱く可能性 3月18日にはニュースサイト「選挙ドットコム」に、政治ライターのひがしみすず氏が今回の選挙候補者8人に電話取材を申し込み、回答をもらうという趣旨の記事が掲載された(参照:『千葉県知事選挙2021の候補者がヤバい!?全員に直接電凸して将来の千葉県民が質問してみた』)。 非常に興味深い視点で、面白く拝読したのだが、氏は電話取材を通して候補者に対する印象が大きく変わった(特に皆川氏については良い意味で変わったとのこと)という旨のことを書かれていて、ハッとさせられた。 投票する側のわれわれは、特に新人の候補者の人となりはその人の選挙活動を通してしか知ることができない。だから掲げている政策や主張が怪しげであればその人物の全てが怪しげに思えてくるのだが、選挙活動はその人のただの一部、氷山の一角である。普段は極めて常識的な人物だが、政治的主張だけがとんがっている可能性は多分にある。 良識ある隣人が、その人の哲学や思想をよくよく聞いてみると実はぶっ飛んでいる人だったと判明することはわれわれの日常の中にもたまに起こり得る。ということは、奇抜な主張の候補者はものすごく奇抜に映るが、実はその人の一部分だけが奇抜なだけで他の部分は常識的なのかもしれない。一部がとんがっているような人物の類型はちまたに珍しくなく、その中で並々ならぬ熱意を持った人が候補者に名乗りを上げたというケースもままあったのかもしれない。 つまり、宇宙人のように思えていた候補者は、出会いが違えば愛すべき隣人になっていたのかもしれない…これは新鮮な気づきであった(といって、この気づきによって投票先が変わることもなさそうではあるが)』、「宇宙人のように思えていた候補者は、出会いが違えば愛すべき隣人になっていたのかもしれない」、その通りなのかも知れない。
・『エンターテインメント的だった人の候補者 さて、ここまで独立系候補者3人を紹介し、残るところはあと2人である。この5人の候補者は奇抜な主張を展開したという点で共通しているが、まだ紹介していない残りの2人はさらに一線を画す。この2人は先述の3人が醸す、彼岸の彼方から発せられるような真剣さによるすごみこそないが、話題作りへの姿勢は真剣そのものであった。 ●後藤輝樹氏(38歳・ベーシックインカム党)(政治団体代表、およびYouTuberである。2016年の東京都知事選の政見放送でほぼ全裸になり、ひわいな言葉を連呼するなどして一躍注目を集め、界隈の有名人となった。今回の千葉県知事選挙の政見放送(NHK)では「ちなつさん、大好きです」と切り出し、時間いっぱいを使って交際相手に向けての公開プロポーズを行った。 おそらくご本人に逆張りを好むあまのじゃく的気質があるらしく、コロナ禍によって交際相手と親密さが増したとして「コロナさん、ありがとう」と発言していた。過去の政見放送を見返しても感じられたが、人が不快に感じるラインの2、3歩越えたところを攻め続けるスタイルの人物である(その姿勢が面白がられているともいえる)。 東京新聞の記事によれば「コロナ禍でも、人との出会いの大切さや幸せになれるといったメッセージを込めた」(参照:東京新聞)らしく、なるほどと思わされたが、それでもやはりコロナ禍で悲劇を味わわされた人もたくさんいるわけで、「ありがとう」は、そうした人たちに向けての配慮が十分であるとは言い難い。とはいえ、もし一部の熱狂的な支持を獲得しているなら、それは氏の思惑はある程度成功しているわけで、非常にアングラ的な活動方針であるといえる。 ●河合悠祐氏(40歳・千葉県全体を夢と魔法の国にする党) YouTuber、および会社経営者で、映画『ジョーカー』の主人公を模した衣装に白塗りメイクで登場し、「千葉県全体をディズニーランドにする」などの独特な政策を掲げた。政見放送は全編笑いを取りにいっていた』、確かに変わった人のようだ。
・『売名に利用される選挙のあり方が問われる 千葉県民歴2年弱の筆者は、引っ越してきてからできた知り合いの面々に今回の知事選について感想を聞いて回ったが、「ふざけすぎていて他の都道府県に恥ずかしい」「面白かった。もっとやってほしい」などの声が聞かれた。すでに他のメディアでも同様の声が伝えられているので、県民の思いは概ね共通しているようである。 今回の千葉県知事選挙の候補者の活動(広報、政見放送など)には当然ながら賛否が寄せられた。「これをきっかけに選挙に興味を持つ人が増えるといい」という積極的賛成論や、「消去法でも投票先が絞り込めるなら有意義である」という消極的賛成論があった。 一方、否定派は「まじめにやれ」「税金の無駄遣い」などと主張した。そんな否定派に対して「彼ら(奇抜な候補者ら)はルールに則って戦った」「奇抜な政策を切り捨てるなど、マジョリティーの常識やマナーを押し付ける行為は民主主義にとって危険」などの反論があり、ややこしい議論になっている。 2016年の東京都知事選挙のときから問題視されつつあるのが、「近年、選挙活動を通した売名行為が増えてきている」ということ。現代は知名度をそのまま収入に換金できる(YouTuberとして動画の再生数を伸ばして収益を得るなど)時代であるから、それも必然的な流れであるといえよう。何しろ選挙は広告宣伝費のコスパがいい。立候補に伴う供託金300万円さえ支払えば選挙を通して自分自身の宣伝が行える。 今回の立候補者たちは奇抜といえ、そして、確かに主張こそ奇抜を極めたが、憲法や法律に抵触することは何一つ行っていなかった。正々堂々ルールに則って世間を賑わし、売名を達成したのである。だからそのやり方は(決して品はよくなかったが)賢かったといえる。 しかし、「当選が至上目的ではないし、落選しても売名できればお得」と考える立候補者が乱立する選挙がはたして健全であるかは今一度考えられる必要がある。 問題は立候補のシステムを利用した個人にあるのではなく、システムそのものにある(被選挙権や言論の自由などによって個人に咎〈とが〉を認定することはできない)。選挙のあり方の現状が強く問題視されるのであれば、「供託金の額を引き上げ(あるいは引き下げ)」といった具体的な形でシステムの方に変更が施されるであろう。これに関しては世論の動向を見守るばかりである』、「選挙は広告宣伝費のコスパがいい。立候補に伴う供託金300万円さえ支払えば選挙を通して自分自身の宣伝が行える」、やはり、「供託金の額を引き上げ(あるいは引き下げ)」が必要なようだ。
次に、5月15日付けPRESIDENT Onlineが掲載した三菱UFJリサーチ&コンサルティング 調査部 副主任研究員の土田 陽介氏による「「国の未来を国民投票で決めるとヤバい」大混乱が続く英国政治の教訓 「人気取り政治家」が悲劇を招いた」を紹介しよう。
https://president.jp/articles/-/46040
・『「スコットランドで独立運動が再燃」総選挙で支持派が過半数に 5月6日、英国を構成するスコットランドで議会選(定数129)が実施され、スタージョン行政府首相が率いる与党スコットランド民族党(SNP)が獲得した議席は64にとどまり、単独過半数に1議席届かなかった。しかし環境政党である緑の党の8議席と合わせて、英国からの独立を支持する勢力が議会の過半数を得ることになった。 スタージョン行政府首相は選挙結果を受けて、喫緊の課題は新型コロナウイルス対応にあるとしながらも、スコットランド独立の是非を問う2回目の住民投票を実施する用意があることを表明した。他方で英国のジョンソン首相は住民投票の実施を認めないという姿勢を改めて示し、スタージョン行政府首相に対して牽制した。 英国がいくらそれを阻もうと、スコットランドが民意を確認したうえで独立を宣言すること自体は可能だ。しかしながら、スコットランドを第三国が独立国家として容認するかどうかはまた別問題となる。例えば2008年にセルビアの反対を押し切って独立したコソボの場合、日本をはじめとする第三国が承認したからこそ、独立国家になり得た。 2016年6月の国民投票で離脱派が僅差で勝利したことを受けて、英国は2020年1月にEUから離脱した。そのEU離脱を主導したジョンソン首相が、今度は同様に住民投票での意思を確認したうえで英国から離脱しようとするスコットランドの指導者を批判する。なんとも皮肉めいた状況に陥っているのが、今の英国の実情である。 ▽独自通貨を導入する必要性(現実的には、スコットランドが独立するうえでの障壁はさまざまある。そのうち経済の観点からは、とりわけ独自通貨の導入が大きな論点となる。現在スコットランドで使われている通貨は英国のポンドであり、スコットランド銀行、RBS(ロイヤル・バンク・オブ・スコットランド)、クライズデール銀行という三大民間銀行によって発行されている。) しかしスコットランドが英国から独立すれば、おのずと独自の通貨を持つ必要に迫られる。そのため発券機能を持つスコットランド独自の中央銀行を設立しなければならない。そして新設された中銀は、スコットランド政府の信用力に基づき、通貨を発行することになる。ここで意味するスコットランド政府の信用力とは、財政の健全性にほかならない。 コロナ禍で英国の公的債務は国内総生産(GDP)の規模を60年ぶりに上回ったが、スコットランドは独立に当たり、最終的にはその経済規模に応じた公的債務を引き継ぐ必要がある。それに英国は経常赤字、つまり貯蓄不足の国であるが、スコットランドもまた同様だ。保守的な財政運営に努めないと、新たに発行する国債の買い手など見つからない。 それにスコットランドは人口わずか500万人強にすぎず、内需も厚みに欠ける。つまり需給の両面で、スコットランド経済は成長の余力に乏しい。よほどタイトな財政運営をしない限り、外国人投資家がスコットランド国債を好んで買うことは考えにくい。そうした状況では、中銀が新たに発行する独自通貨も投資家の信認を得ることができない』、北海油田での産油が活発だった頃は、魅力があったろうが、現在ではそんな売り物もない。
・『EU再加盟への道のりは極めて長い それにスコットランドが独自通貨を導入しても、当面は交換性に乏しい状態が続く。つまりスコットランドで独自通貨を米ドルなど外貨に交換できても、外国ではそうした交換が成り立たない。皮肉なことに、スコットランド人が資産防衛のために独自通貨を国内で外貨にどんどん交換するため、固定相場制を導入したとしても維持できないだろう。 そうなると、スコットランドの独自通貨は早晩、通貨危機に陥ることになる。そうなれば、これまでスコットランド人が積み上げてきた金融資産の価値が大幅に目減りする。とりわけ年金受給者は悲惨であり、生活が貧しくなることは目に見えている。欧州債務危機の際にギリシャがユーロから離脱しなかった(できなかった)理由と同じだ。 またSNPは、スコットランドが独立したらEUに再加盟する方針を堅持している。英国は元々EUに加盟していたわけだから、EU加盟基準(コペンハーゲン基準)のうち政治的基準(民主主義、基本的人権の尊重など)や法的基準(国内法とEU法との整合)はほとんどクリアしているが、経済的基準となると、やはり話は変わってくる。 経済的基準とは、物価や金利などを中心に要するに安定したマクロ経済環境を維持することを意味する。物価や金利などを安定化させるためには、どうしても保守的な財政運営が欠かせない。スコットランドが独立した場合、少なくとも数年、マクロ経済は混乱を余儀なくされる。経済的基準を満たすためには最低でも10年はかかるだろう』、「経済的基準を満たすためには最低でも10年はかかる」、そんなに長く持ちこたえられるだろうか。
・『他のEU加盟国が歓迎しない恐れ 先に述べたコソボの場合、アルバニア系住民の実効支配が続いており、セルビアとの関係が長らく緊張していたことなどから、EU各国はコソボを独立させた方が地域の安定に貢献すると判断し、その独立を容認した経緯がある。復興支援の観点からEUはコソボでのユーロ利用を黙認したため、コソボは独自通貨発行の問題を回避できた。 コソボの人口は200万人に満たず、また所得水準も4000米ドルを超える程度と低い。そして何より、セルビアがEUにまだ加盟しておらず、コソボの独立もEUにとってはある意味で対岸の火事であった。しかしながらスコットランドの場合、袂を分けたとはいえ近しい関係を維持したい英国との兼ね合いもあり、コソボのようにはいかない。 それにEU各国の中には、英国と同様に地方の独立問題を抱えている国が少なくない。非常に有名な例としてはスペインのカタルーニャ州があるが、スコットランドの独立がそうしたEUの中でくすぶる地域ナショナリズムを刺激する恐れは非常に大きい。つまり、スコットランドの独立を、EU各国は歓迎するどころか、忌避する恐れがある。 こうしたことを最も良く分かっているのは、実はSNPだろう。それだけに、スタージョン行政府首相らSNP指導部がいたずらに独立に向けた動きを仕掛けてくるとは、まず考えられない。今後は民意の動向を見極めつつ、スタージョン行政府首相は英国のジョンソン首相に対して、高度に政治的な駆け引きを展開することになるはずだ』、「スコットランドの独立を、EU各国は歓迎するどころか、忌避する恐れがある」、確かにその通りだろう。そうだとすると、「英国のジョンソン首相に対」する交渉力も弱くならざるを得ないだろう。
・『国民投票が悲劇的な結果をもたらす教訓 しかしながら、われわれはすでに英国のEU離脱というショックを経験している。それは政治が国民投票という手段で民意を利用しようとした結果、その制御を放棄した末の悲劇ともいえる。経済的には極めて非合理な決断がスコットランドでなされたとすれば、それは英国、特に民意をもてあそんだ責任政党である保守党にとり、皮肉以外の何でもない。 なお日本では5月11日、国民投票法案が衆議院で可決された。国民の声が政治決定に反映され易くなると期待される一方で、政治がそれをもてあそぶような事態が生じる危険性もはらんでいる。国民投票や住民投票が悲劇的な結果をもたらす可能性があることについて、英国やスコットランドの動きからわれわれが学ぶことは多いといえよう』、「英国のEU離脱」など複雑な問題は「国民投票」に向いていないと指摘する学者も多い。
タグ:ダイヤモンド・オンライン 平塚正幸氏(39歳・国民主権党) 武藤弘樹 「千葉県知事選の「奇抜な候補者たち」を振り返る、選挙はこれでいいのか」 民主主義 どんな「主張」をしているのだろう。 (その8)(千葉県知事選の「奇抜な候補者たち」を振り返る 選挙はこれでいいのか、「国の未来を国民投票で決めるとヤバい」大混乱が続く英国政治の教訓 「人気取り政治家」が悲劇を招いた) 加藤健一郎氏(71歳・無所属) 「森田」前知事の顔を見ないで済むようになっただけでも、有難い。 「当選し、小池百合子氏と結婚すること」、こんな個人的なことまで「政見」に盛り込むとは驚かされた。 コメントする気にもならない。 皆川真一郎氏(66歳・無所属) あえて地域通貨を出す理由は何なのだろう 「宇宙人のように思えていた候補者は、出会いが違えば愛すべき隣人になっていたのかもしれない」、その通りなのかも知れない。 後藤輝樹氏(38歳・ベーシックインカム党) 河合悠祐氏(40歳・千葉県全体を夢と魔法の国にする党) 「選挙は広告宣伝費のコスパがいい。立候補に伴う供託金300万円さえ支払えば選挙を通して自分自身の宣伝が行える」、やはり、「供託金の額を引き上げ(あるいは引き下げ)」が必要なようだ。 PRESIDENT ONLINE 土田 陽介 「「国の未来を国民投票で決めるとヤバい」大混乱が続く英国政治の教訓 「人気取り政治家」が悲劇を招いた」 北海油田での産油が活発だった頃は、魅力があったろうが、現在ではそんな売り物もない。 「経済的基準を満たすためには最低でも10年はかかる」、そんなに長く持ちこたえられるだろうか。 「スコットランドの独立を、EU各国は歓迎するどころか、忌避する恐れがある」、確かにその通りだろう。そうだとすると、「英国のジョンソン首相に対」する交渉力も弱くならざるを得ないだろう。 「英国のEU離脱」など複雑な問題は「国民投票」に向いていないと指摘する学者も多い。