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新自由主義(その1)(田原総一朗「竹中平蔵氏に大批判 その異常さを日本は受容できない」 連載「ギロン堂」、「竹中平蔵氏と新自由主義」はなぜ力を持っているのか 前川喜平氏が激白する「改革圧力」との闘い、世界は変わった!「大きな政府」へ舵を切ったアメリカ 日本はどうする?) [経済政策]

今日は、新自由主義(その1)(田原総一朗「竹中平蔵氏に大批判 その異常さを日本は受容できない」 連載「ギロン堂」、「竹中平蔵氏と新自由主義」はなぜ力を持っているのか 前川喜平氏が激白する「改革圧力」との闘い、世界は変わった!「大きな政府」へ舵を切ったアメリカ 日本はどうする?)を取上げよう。

先ずは、昨年12月2日付けAERAdot「田原総一朗「竹中平蔵氏に大批判 その異常さを日本は受容できない」 連載「ギロン堂」」を紹介しよう。
https://dot.asahi.com/wa/2020120100049.html?page=1
・『菅政権の「成長戦略会議」メンバーの竹中平蔵氏が各所から批判を浴びている。その状況について、ジャーナリストの田原総一朗氏は米国や英国の2大政党が掲げる政策の役割という文脈で読み解く。 先日、「サンデー毎日」で佐高信氏と対談した。テーマは竹中平蔵という人物についてであった。 菅義偉首相は内閣の柱として、竹中氏を中核とする「成長戦略会議」なる組織を設置した。安倍前政権下で成長戦略を担った西村康稔氏を担当相とする経済政策は問題ありとして、全面的に対抗するためである。佐高氏は、その竹中氏を「弱肉強食の新自由主義者で、危険極まりない」と批判している。 気になるのは、ここへ来て竹中氏が各所から集中砲火的に批判を浴びていることである。 たとえば、文藝春秋の12月号では、藤原正彦氏の「亡国の改革至上主義」なる竹中氏批判が大きな売り物になっているが、藤原氏は安倍前首相を「戦後初めて自主外交を展開した」と絶賛しているのである。その藤原氏が、竹中氏を「小泉内閣から安倍内閣に至る二十年間にわたり政権の中枢にいて、ありとあらゆる巧言と二枚舌を駆使し、新自由主義の伝道師として日本をミスリードし、日本の富をアメリカに貢いできた、学者でも政治家でも実業家でもない疑惑の人物」として批判している。 さらに、中央公論でも神津里季生、中島岳志の両氏が新自由主義者だと批判し、週刊朝日でも竹中氏が主張するベーシックインカムは「経済オンチ」だと厳しく批判している。また、大宅壮一ノンフィクション賞を受賞した佐々木実氏も、著書で竹中氏を「日本で最も危険な男」と描いている。 こうした集中的な竹中氏批判を読んで、私は坂野潤治氏の言葉を思い出した。坂野氏は近代史の研究者として、私が最も信頼している人物である。 米国や英国には2大政党がある。米国には共和党と民主党があり、共和党は生産性を向上させるために自由競争を重視する。だが、自由競争が続くと、勝者と敗者の格差が大きくなり、生活が苦しくなる敗者が圧倒的に多くなる。そこで民主党政権になる。民主党は格差を縮めるために多くの規制を設け、多数の敗者を助けるために、大規模な社会保障を設ける。 だが、規制を設けると経済が低迷し、社会保障の規模を大きくすると財政事情が悪化する。そこで次の選挙では共和党が勝つ。言ってみれば、共和党は小さな政府、民主党は大きな政府で、それが順番に政権を取っている。英国も同様だ。 坂野氏によれば、日本は自民党も野党も大きな政府で、野党は自民党を批判するだけで、政策ビジョンを持っていないために自民党政権が続いているというのである。自民党の田中派、大平派などは典型的な大きな政府だった。 ところが、経済が悪化して財政事情が極めて悪くなったので、小泉内閣は思い切って小さな政府に転換した。それを仕切ったのが竹中氏だったのである。スローガンは「痛みを伴う構造改革」で少なからぬ拒否反応が出た。さらに、経済悪化の中で、日本の企業は正社員をリストラできないので、非正規社員を雇用できるように法改正した。これが、のちに批判の的となった。 言ってみれば、野党はもちろん、保守層にとっても、竹中氏の小さな政府は異常であり、受け入れられないのだ。つまり、竹中氏批判は、大きな政府を変えるな、ということなのではないだろうか。 ※週刊朝日  2020年12月11日号』、「藤原正彦氏の「亡国の改革至上主義」で、竹中氏を「小泉内閣から安倍内閣に至る二十年間にわたり政権の中枢にいて、ありとあらゆる巧言と二枚舌を駆使し、新自由主義の伝道師として日本をミスリードし、日本の富をアメリカに貢いできた、学者でも政治家でも実業家でもない疑惑の人物」として批判」、とは痛烈だ。「小泉内閣は思い切って小さな政府に転換した。それを仕切ったのが竹中氏だった・・・スローガンは「痛みを伴う構造改革」で少なからぬ拒否反応が出た」、「「痛みを伴う構造改革」は既得権者を抵抗勢力として、多用された。

次に、本年1月27日付けエコノミストOnline「「竹中平蔵氏と新自由主義」はなぜ力を持っているのか 前川喜平氏が激白する「改革圧力」との闘い」を紹介しよう。
https://weekly-economist.mainichi.jp/articles/20210118/se1/00m/020/003000d
・『「#竹中平蔵を政治から排除しよう」「#竹中平蔵つまみだせ」 テレビ等で発言するたびに、Twitter上ではこのようなハッシュタグが数万~数十万単位で投稿されるのが、パソナ会長竹中平蔵氏。 菅義偉首相のブレーンの一人であることも周知の事実である。 竹中氏の掲げる「新自由主義」と「構造改革」はかくも国民に不人気だが、実際のところ、霞が関の官僚はどのように思っているのだろうか。 第1次安倍政権時代に「改革圧力」に抵抗したという前川喜平氏に、リアルな霞が関の裏話を語ってもらった(Qは聞き手の質問)』、硬骨漢として鳴らした「前川喜平氏」の見解とは興味深そうだ。
・『かつての霞が関はもっと闘っていた  Q:人事をテコに官邸主導を図る内閣人事局の仕組みがなかった安倍2次政権以前は、各省はいたずらに官邸に追従せず、政策論議ができていたのですか? 前川 第2次政権以前の官邸には、調整役の官僚はいて、政策の絵図を一方的に描いて各省に降ろす、今みたいな「官邸官僚」は、いませんでした。 政策や制度設計は基本的に、各省がそれぞれ、責任とプライドをもって進めていたのです。各省の独立性は高かったのですね。 むろん、時に政権は、看板に掲げたテーマについて、各省に方針を打ち出してきましたが、「司」として、どうしても譲れないと思ったものは、省内で再検討し、押しとどめようとしてきたのです。 折からの圧力が強く、その時は否応なく受け入れざるを得なかった場合でも、「もう、決まってしまったのだから仕方ない」と諦めず、機を見て修正しよう、という姿勢は捨てないでいました。 例えば、教育改革を主要課題に掲げた安倍1次政権は、首相自ら、私的諮問機関の教育再生会議を設置して、「徳育の教科化」を目指しましたが、当時の伊吹文明文科相が「(全体のために個人が犠牲になることを説く)修身科の復活のようなことはすべきではない」と考えて、やり過ごす格好でブレーキをかけたのです。 具体的には、伊吹氏は、教育再生会議が言い出した教科化を文科省に引き取って、中央教育審議会で議論すると道筋を立てた。そのうえで、中教審の会長に、教科化に反対していた劇作家・評論家の山崎正和氏を据えるという芸当をみせた。実際、中教審は見送りを答申し、教科化は立ち消えになりました(※1)。 (※1 安倍2次政権で「道徳の教科化」が実現。安倍氏は今度は、考えの通じた下村博文氏を文科相に充て、官邸に新たに設置した教育再生実行会議も担当させた。下村氏もまた、櫻井よしこ氏を中教審委員に任命。思想的に共鳴するメンバーで態勢を固めて推進した) Q:伊吹氏は国会で、再生会議と文科省・中教審との関係を問われて、再生会議の好きにはさせない、という意思を示していたそうですね(※2)。 (※2 2006年10月31日、教育基本法に関する特別委員会で、伊吹氏は民主党議員の質問に対し、「(再生会議で)学校教育、中教審の守備範囲に落ちてくる意見があれば、私どもの方に引き取る」と発言) 前川 今みたいに官邸にひれ伏して、「ご無理ごもっとも」で何でもやってしまうようなことはなかったのですね。司として、政策を吟味する関門になっていた。 とくに伊吹さんは永田町や霞が関で“イブキング”の異名があったくらいで、当時私は大臣官房総務課長として伊吹さんの側に仕えていたのですが、「安倍君は何を考えているのかね」なんて、上から目線で言っていましたよ(笑)』、「第2次政権以前の官邸には、調整役の官僚はいて、政策の絵図を一方的に描いて各省に降ろす、今みたいな「官邸官僚」は、いませんでした。 政策や制度設計は基本的に、各省がそれぞれ、責任とプライドをもって進めていたのです。各省の独立性は高かったのですね」、「今みたいに官邸にひれ伏して、「ご無理ごもっとも」で何でもやってしまうようなことはなかったのですね。司として、政策を吟味する関門になっていた。 とくに伊吹さんは永田町や霞が関で“イブキング”の異名があったくらいで、当時私は大臣官房総務課長として伊吹さんの側に仕えていたのですが、「安倍君は何を考えているのかね」なんて、上から目線で言っていましたよ」、「伊吹」氏は、自民党の数少ない硬骨漢だが、政界を引退するようだ。
・『小泉政権の教育「改悪」……前川氏はどうやって止めたのか  Q:前川さん自身も、竹中平蔵氏が旗振り役となった小泉政権の新自由主義改革では、“抵抗勢力”になりました。地方分権や国・地方の歳出削減を図った「三位一体の改革」(※3)で、義務教育費の国庫負担金の廃止が俎上にあがったときには、立ちはだかった。 (※3 ①国が自治体へ支出する「国庫支出金(補助金・負担金)」の削減 ②自治体の財源不足を補うために国が配分する「地方交付税」の見直し ③国から地方への税源移譲、を一体的に進める改革) 前川 あの頃は、小泉構造改革の嵐が政治行政に広く吹いて、教育行政も無風ではいられませんでした。 その一つが、2002年から始まった「三位一体の改革」における義務教育費の国庫負担金(※4)の廃止論議です。 (※4 都道府県・政令指定都市が負担している公立小中学校・特別支援学校の教職員の給与について、その半分(06年度以降は3分の1)を国が負担する制度。三位一体の改革以前の02年度予算で約3兆円) 少し背景説明をしますと、「三位一体」は、小泉改革の一環として、当時総務相の片山虎之助氏が言い出したものです。 総務省は地方分権を旗印にしながら、最終的には、所管する地方交付税交付金の削減を狙っていたのです。 交付税の財布である「地方交付税特別会計」が破たん状態でしたから。交付税削減こそ、「三位一体」の真の目的でした。 そこで総務省はまず、「国庫支出金(負担金・補助金)」の削減と「税源移譲」に着手した。 国の支出金を削減する代わりに、国の税源を移譲して地方税収を増やす、つまり、地方の自主財源が増えて、地方分権になるからいいだろう、というわけです。 そして、地方税収が増えたのだからと、返す刀で“本丸”の交付税の削減にかかろうと企んでいたのですね。税源移譲ができれば、それだけ交付金が削減できる算段です。 彼らはこうした策を、竹中氏が仕切る経済財政諮問会議を舞台に進めようとしていた。 Q:何かこう……、交付税を削減するために、国庫支出金が犠牲になるような話ですね。 前川 ええ。そしてこの時、総務省が目を付けたのが、義務教育費の国庫負担金です。 折も折、私は学校教育の財政を担当する、初等中等教育局の財務課長でした。 全国津々浦々の義務教育の質を守る司として、ここは譲れなかった。 なぜなら、国が都道府県に支出するこのお金があるからこそ、財源の乏しい自治体でも、一定の教育環境を守ることができていたからです。 負担金を、交付税削減の人身御供に差し出すわけにはいかなかったのです。 Q:闘いの日々になった。 前川 総務省は時を追うにつれ、圧力を強めてきました。 まず中学校の教職員分(の負担金)を寄こせ、次に小学校分だ、と――。交付税の削減を見据え、3兆円の税源移譲を狙ってきた。 ところが、シミュレーションしてみると、地方税に振り替えるという3兆円分の多くは、税源の豊かな(課税対象の多い)東京都に行く形になってしまい、他の道府県の税収はさして増えない。 つまり、大半の自治体では、移譲により得られる税収額が、これまで得ていた負担金額を下回ることになる。 総務省は地方交付税で補填するというが、彼らは、ゆくゆくは交付税の削減をもくろんでいるのだから、まったくアテにならない話です。 だから、義務教育費国庫負担金が廃止されれば、税収の乏しい自治体は従来の教育水準が守れなくなるだろうし、自治体間の格差が出てくることも明らかでした。 また一方では、税源移譲をしたくない財務省が、負担金の「交付金化」というクセ球を投げてきた。 地方の自由度を高めるための交付金化だと説明していましたが、狙いは予算の削減でした。 Q:前門の総務省、後門の財務省ですね。 前川 だから私はもう、負担金死守のために関係課の課長とタッグを組んで、総務・財務両省や諮問会議を相手にドンパチの勢いで議論しました。 直属の上司の局長は、青年将校が暴れていると、まあ、黙認しているようでした(笑)。 小泉政権は官邸主導と言われましたが、今の安倍・菅政権とは違って、丁々発止の議論ができたのですね。ここは決定的な違いです。 Q:議論がいよいよ胸突き八丁にさしかかると、前川さんはブログを立ち上げて、負担金の意義や改革の危険性を訴えました。「子どもたちのため、ここで諦めるわけにはいかない。だからこうして皆さんに説明しているのだ」と。負担金が廃止された場合の、近未来ディストピア短編小説を書いた回まである。 前川 改革論議で我々は一貫して負担金の必要性を主張してきましたが、総務省や財務省に比べて、発言の機会が少なかったのです。諮問会議でも発言の機会がなかなかない。 そのうえ、メディアでは「省益のために負担金を守ろうとしている」なんて、ステレオタイプの批判が繰り返されていた。 ならば、負担金の意義を直接世論に訴えようと試みたわけです。 何とか理解してもらいたいと、シミュレーション小説までね……。 月刊誌に実名で「三位一体の改革」を批判する論文を書いたりもしました。とにかく、あの手この手で抵抗しました』、「前門の総務省、後門の財務省ですね・・・私はもう、負担金死守のために関係課の課長とタッグを組んで、総務・財務両省や諮問会議を相手にドンパチの勢いで議論しました」、「負担金の意義を直接世論に訴えようと・・・シミュレーション小説までね……。 月刊誌に実名で「三位一体の改革」を批判する論文を書いたりもしました」、すごい戦いだったようだ。
・『「新自由主義が世の中を良くする」という風潮があった  Q:激しい折衝の末、「三位一体」が実質的に決着したのは05年秋。国庫負担金は、国の負担率が3分の1へ縮小されたものの、存続させることができました。 前川 私はそれまでに、初等中等教育局の筆頭課である初等中等教育企画課の課長になっていて、最後、この問題の取りまとめに当たりました。 当時自民党の政策責任者だった与謝野馨政調会長の力を借りて話を収めました。 私は、与謝野氏の文科相時代に秘書官を務めていたこともあって、パイプがありました。 改革論議の最中には、自ら負担金制度を見直して、自治体が、あてがわれた総額の枠内で裁量的にお金を使えるよう、地方分権に沿う改革もしました。 このように、省内や各省間で徹底的に論議して、制度を維持したり、設計し直したりするのが本来の官僚の仕事であって、官僚の生きがいです。 負担金を巡る議論は、防衛戦ではありましたが、思いっきり議論ができたという意味では、実は意外と楽しくもあったのです。 Q:官僚の本質が伝わってくる示唆深いお話です。一方、いったんは受け入れざるを得なくて、他日に修正を期した政策も? 前川 振り返れば、格好いいことばかりでありません。 とりわけ、小泉政権以降、「新自由主義が世の中を良くする」という思想が政府内外で強く、司から見ると、明らかに質が悪いと思われる規制緩和まで、時に強いられてきました。 Q:具体的には? 前川 最たるものが、03年から構造改革特区で認められた「株式会社立学校」です。 従来の文科行政は、学校の設置については、国・自治体と、公益法人である学校法人にしか認めていませんでした。 学校教育は公益性の高い仕事ゆえ、営利追求の民間企業にはなじまない、という考えからです。 なのに、規制緩和論者たちが、「教育は『官製市場』でケシカラン。民間参入を促して、競争原理によって教育の質を高めよう」と迫り、「株式会社立学校」ができるようになってしまったのですね。 しかし、結論からいうと、この規制緩和は、やはり大失敗だったと言わざるを得ない。 現在、「株式会社立学校」の大半を占めるのは広域通信制高校で20校ほどありますが、これが非常に質が悪いのです。 Q:どういうことですか? 前川 はい。一方に、本当は勉強なんてしたくないけど高校卒業資格は欲しいという、生徒側の需要が残念ながら存在していました。 そしてもう一方に、それならば、授業料さえ払えば、ロクに勉強しなくても卒業できてしまう学校をつくって利益を上げようと企む人が出てきてしまった。 立派な教育を提供する気などもとよりなくて、学校教育に金儲けのチャンスを見いだしているだけの人たちです。 市場に任せてみたら、このような堕落した「需要と供給の一致」が起こってしまったのです。 特に悪質だったのは、15~16年に発覚したウイッツ青山学園高校の事例です。 テーマパークへの旅行をスクーリングとしたり、名前だけ入学させて、国からの就学支援金を不正に受給したりしていました』、「省内や各省間で徹底的に論議して、制度を維持したり、設計し直したりするのが本来の官僚の仕事であって、官僚の生きがいです」、「規制緩和論者たちが、「教育は『官製市場』でケシカラン。民間参入を促して、競争原理によって教育の質を高めよう」と迫り、「株式会社立学校」ができるようになってしまったのですね。 しかし、結論からいうと、この規制緩和は、やはり大失敗だったと言わざるを得ない。 現在、「株式会社立学校」の大半を占めるのは広域通信制高校で20校ほどありますが、これが非常に質が悪いのです・・・特に悪質だったのは、15~16年に発覚したウイッツ青山学園高校の事例です。 テーマパークへの旅行をスクーリングとしたり、名前だけ入学させて、国からの就学支援金を不正に受給したりしていました」、本当に酷い失敗例だ。
・『教育に「市場原理」を導入したのは誰だったのか  Q:規制緩和したら、新自由主義者のもくろみに反して、悪質なものが生まれてしまった。 前川 そうです。教育の質を守るためには、やはり市場に委ねるだけではだめで、何らかの質の保証システム、つまり規制が必要だと、特区の実験は改めて示したのですね。 実際、政府の特区・評価委員会が12年に「株式会社立学校」の審査をしましたが、その時すでに「株式会社立学校」の質の悪さを把握していた我々文科省は、「ここで方向転換をしよう」と図ったのです。 学校の実態を示す資料をそろえて、廃止すべきだと主張した。 当時の平野博文文科相も「こんなのは、おかしい」と後押ししてくれました。委員会の評価を「廃止」に持っていく寸前だったのです。 ところがその時、制度を存続させようと、平野氏に接触してきた人がいた。 そして、こんなふうに、ささやいた。 「最終的には廃止に持っていきますが、いきなり廃止にするとハレーションが起きるかもしれないから、今回は是正措置にとどめた方がいい」 Q:声の主は、いったい誰ですか? 前川 あの和泉洋人氏ですよ。 彼はその折、内閣官房の地域活性化統合事務局長として特区制度の実質的な元締めのような立場にいて、さらに平野氏と昵懇の間柄でした。 そこで、特区を推進したい和泉氏は平野氏を説き伏せたのです。廃止の空手形を切ったようなものです。 Q:平野氏は説得されてしまった? 前川 ええ、平野氏は「それなら段階を踏もう」とトーンダウンしてしまった。 結局、まずは是正措置でいくという評価に落ち着いてしまいました。残念なことに、和泉氏にひっくり返されたのです。 ただ、その後、是正の指導をしたのに、青山学園の問題が出てきたわけです。 本来ならば、「株式会社立学校」はもう廃止に持っていかないといけない。 なのに、和泉氏の約束は果たされず、私自身も退官を迎えてしまいました。 学校の質の維持を預かってきた者として、これは心残りです。心ある後輩に後を託したい思いです。前川喜平氏の略歴はリンク先参照』、「和泉氏の約束は果たされず、私自身も退官を迎えてしまいました。学校の質の維持を預かってきた者として、これは心残りです」、現在の内閣の下では、「心残り」になる部分が増えざるを得ないのかも知れない。

第三に、3月18日付けダイヤモンド・オンラインが掲載した評論家の中野剛志氏による「世界は変わった!「大きな政府」へ舵を切ったアメリカ、日本はどうする?」を紹介しよう。
・『アメリカのバイデン政権は3月12日、巨額の「財政赤字」を計上する200兆円規模の追加経済対策を成立させた。さらに、それにとどまらず、インフラ投資などに重点を置いた第二弾の経済対策によって、長期的な経済成長を目指す計画だという。この政策をめぐって、アメリカの経済学者は「何」を論じているか? それを概観すれば、アメリカが明確に「大きな政府」を志向し始めたことがわかる。アメリカはすでに、「財政赤字の拡大」を恐れて増税議論を始める経済学者すらいる日本とは、まったく違う「道」へ と舵を切ったのだ』、興味深そうだ。
・『財政赤字を懸念する声に、「世界は変わった」とアメリカ財務長官  3月12日、バイデン政権の1.9兆ドル(約200兆円)の大型追加経済対策が成立した。 この追加経済対策は「米国救済計画(American Rescue Plan)」と名付けられ、一人最大1400ドル(約15万円)の現金給付(年収8万ドル以上の高所得者を除く)や、失業給付の特例加算、ワクチンの普及など医療対策、そして3000億ドルの地方政府支援などから構成される。 さらに、バイデン政権は、第二弾として、インフラ投資など、より広範な経済対策に重点を置いた「より良い回復のための計画(Build Back Better Recovery Plan)」を計画している。 これは、前代未聞と言っていいほどの財政赤字を伴う政策だ。第一弾の1.9兆ドルに、20年3~12月に発動された経済対策を合わせると、その規模は5.8兆ドル程度(名目GDP比で約28%)となる。これは、通常の年間歳出(19会計年度は4.4兆ドル)を上回り、リーマン・ショック時の経済対策(08~09年で1.5兆ドル程度)をはるかにしのぐ規模である。 しかし、財務長官のジャネット・イエレンは、怯まなかった。 米国は、歴史的な超低金利水準にある。そのような時は、政府債務の水準を気にするよりも、国民を救うために「大きな行動(big act)」、すなわち大規模な財政支出を行うべきだと彼女は力説した。財政赤字を懸念する声に対して、イエレンは「世界は変わったのだ」と言い切った』、「第一弾の1.9兆ドルに、20年3~12月に発動された経済対策を合わせると、その規模は5.8兆ドル程度(名目GDP比で約28%)となる。これは、通常の年間歳出(19会計年度は4.4兆ドル)を上回り、リーマン・ショック時の経済対策(08~09年で1.5兆ドル程度)をはるかにしのぐ規模」、財政支出規模の大きさには驚かされた。
・『サマーズとクルーグマンは「何」を論争したのか?  たしかに、低金利状態においては、財政支出を拡大する余地が十分にあるという見解は、米国の主流派経済学者の間でも、コンセンサスになっているようである。 とは言え、この空前の規模の追加経済対策は、論争を引き起こした。 特に、ハーバード大学のローレンス・サマーズによる批判が注目を集めた。 というのも、サマーズは、先進国経済が低成長、低インフレ、低金利から抜け出せない「長期停滞」に陥っているという議論を展開し、その対策として積極的な財政政策の有効性を説いてきた経済学者だったからだ。 しかも、サマーズは、リーマン・ショックの翌年の2009年から2010年まで国家経済会議委員長を務めていたが、当時の経済対策の規模は過少だったと認めている。そのサマーズが、バイデン政権の積極財政に異を唱えたのは、やや意外性をもって受け止められた。 もちろん、サマーズは宗旨替えをしたわけではなく、依然として積極財政論者である。彼は、米国救済計画の企図には同意し、緊縮財政を拒否したことも評価している。彼が問題にしたのは、救済に充てられる予算の規模であった。議会予算局が推計した米国経済の需給ギャップに比べて、米国救済計画の予算規模はあまりにも大きすぎるため、高インフレを招く可能性があると彼は指摘した。 これに反論したのが、ノーベル経済学賞受賞者のポール・クルーグマンである。 クルーグマンは言う。そもそもパンデミックとの戦いは戦争のようなものだ。戦時中に、「完全雇用の達成までどの程度の刺激策が必要か」などという議論をする者がいるか。戦争に勝つのに必要なだけ財政支出を行うに決まっているではないか。 そうサマーズを挑発した上で、クルーグマンは、サマーズの指摘するインフレのリスクについては、こう反論した。第一に、本当の需給ギャップなど、誰も分かりはしない。第二に、米国救済計画の内訳を見ると、インフレを招くような景気刺激策は少ない。第三に、インフレが起き始めたら、金融引き締め政策をやればよいだけの話だ』、「パンデミックとの戦いは戦争のようなものだ。戦時中に、「完全雇用の達成までどの程度の刺激策が必要か」などという議論をする者がいるか」、との「クルーグマン」の主張は荒過ぎる印象だ。
・『アメリカで進む「経済政策における静かな革命」  なお、サマーズの議論をよく吟味してみると、彼は、財政赤字を懸念する日本の経済学者とは、まったく異なる議論をしていることが分かる。 というのも、サマーズは、インフラ投資などを中心とした第二弾の「より良い回復のための計画」により期待しているのである。そして、生活困窮者の救済を中心とした第一弾の「米国救済計画」が高インフレを招いてしまった場合、第二弾のインフラ投資などを行う余地がなくなることを懸念しているのだ。 それゆえ、サマーズは、後日、批判に対してこう答えている。 「私の見解では、1.9兆ドルの規模自体は何も間違っていないし、景気刺激策の全体では、もっとずっと大きい規模でも支持するだろう。しかし、米国救済計画の実質的な部分は、単に今年や来年の所得を支援するためのものではなく、今後十年あるいはその先も見据えた、持続可能で包摂的な経済成長の促進に向けられるべきだ。」 つまり、サマーズは「積極財政」を肯定したうえで、インフレ・リスクを回避するには、その「使途」をより長期的な公共投資へと振り向けた方がよいと論じているのだ。「積極財政」を肯定するという点において、サマーズもクルーグマンも差異はないと言えるだろう。そして、このような認識を示す有識者は、彼らにとどまらない。 テキサス大学のジェームズ・ガルブレイスは、第一弾の短期的な救済策に続いて、第二弾として、インフラ投資や気候変動対策などの経済政策が計画されていることを高く評価している。「最も重要なのは、バイデンの計画が、財政赤字だの国家債務だのに関する標語に一切、言及していないことだ」とガルブレイスは言う。 つまり、バイデン政権の経済政策は、短期の景気刺激策で終わるものではなく、将来、緊縮財政に逆戻りするものではないという意志が示されている点が優れているというのだ。 さらに、ウォーリック大学名誉教授のロバート・スキデルスキーは、「経済政策における静かな革命」が進行していると指摘する。 積極財政が単に需要を刺激するだけであるなら、確かに高インフレのリスクはあろう。だが、供給能力をも強化する公共投資であれば、高インフレは回避されるだけでなく、将来の経済成長が可能になる(これは、サマーズと同じ考え方であろう)。今日、財政政策は、金融政策よりも強力な景気対策というにとどまらない。それは、気候変動対策や感染症対策に資本を振り向け、社会をより良くするための手段なのである。これこそが、新しい財政運営のルールであるとスキデルスキーは言う。 コロンビア大学のアダム・トーズもまた、バイデン政権の追加経済対策は、「新しい経済時代の夜明け」であると宣言している。 過去30年間、米国の経済政策を運営するテクノクラートたちは、低インフレの維持を最優先して、財政金融政策を引き締め気味に運営し、失業を放置し、労働者の地位を弱めてきた。バイデン政権は、そういう時代を終らせようとしている。これは、民主的勝利であるとトーズは評するのである。 ちなみに、世論調査によると、米国民の7割が1.9兆ドルの追加経済対策を支持し、その規模についても「適正」が41%、「少なすぎる」が25%であった。 先日論じたように、バイデン政権の大統領補佐官ジェイク・サリバンも、公共投資や産業政策の重要性を説き、過去四十年間の新自由主義は終わったと明示的に述べた。世界は、「大きな政府」の時代へと変わりつつある。 そういう大きな議論が始まっているのだ。 ちなみに日本の長期金利は、イエレンが「歴史的な低金利水準」と言った米国の十分の一以下である。にもかかわらず、未だに財政赤字の拡大を恐れ、歳出抑制どころか増税の議論を始める者すらいる始末である。「大きな政府」への転換については、議論すらされていない。 中野剛志(なかの・たけし)1971年神奈川県生まれ。評論家。元・京都大学大学院工学研究科准教授。専門は政治経済思想。1996年、東京大学教養学部(国際関係論)卒業後、通商産業省(現・経済産業省)に入省。2000年よりエディンバラ大学大学院に留学し、政治思想を専攻。2001年に同大学院より優等修士号、2005年に博士号を取得。2003年、論文“Theorising Economic Nationalism”(Nations and Nationalism)でNations and Nationalism Prizeを受賞。主な著書に山本七平賞奨励賞を受賞した『日本思想史新論』『日本経済学新論』(ちくま新書)、『TPP亡国論』『世界を戦争に導くグローバリズム』(集英社新書)、『富国と強兵』(東洋経済新報社)、『国力論』(以文社)、『国力とは何か』(講談社現代新書)、『保守とは何だろうか』(NHK出版新書)、『官僚の反逆』(幻冬社新書)、『目からウロコが落ちる奇跡の経済教室【基礎知識編】』『全国民が読んだら歴史が変わる奇跡の経済教室【戦略編】』(KKベストセラーズ)など。『MMT 現代貨幣理論入門』(東洋経済新報社)に序文を寄せた。最新刊は『小林秀雄の政治学』(文春新書)』、「過去四十年間の新自由主義は終わった・・・世界は、「大きな政府」の時代へと変わりつつある。 そういう大きな議論が始まっている」、あれほど根強かった「新自由主義」が「終わった」とは俄かには信じ難いが、本家本元のアメリカでは事実のようだ。
タグ:新自由主義 (その1)(田原総一朗「竹中平蔵氏に大批判 その異常さを日本は受容できない」 連載「ギロン堂」、「竹中平蔵氏と新自由主義」はなぜ力を持っているのか 前川喜平氏が激白する「改革圧力」との闘い、世界は変わった!「大きな政府」へ舵を切ったアメリカ 日本はどうする?) AERAdot 「田原総一朗「竹中平蔵氏に大批判 その異常さを日本は受容できない」 連載「ギロン堂」」 竹中氏が各所から集中砲火的に批判を浴びている 「藤原正彦氏の「亡国の改革至上主義」で、竹中氏を「小泉内閣から安倍内閣に至る二十年間にわたり政権の中枢にいて、ありとあらゆる巧言と二枚舌を駆使し、新自由主義の伝道師として日本をミスリードし、日本の富をアメリカに貢いできた、学者でも政治家でも実業家でもない疑惑の人物」として批判」、とは痛烈だ。 「小泉内閣は思い切って小さな政府に転換した。それを仕切ったのが竹中氏だった・・・スローガンは「痛みを伴う構造改革」で少なからぬ拒否反応が出た」、「「痛みを伴う構造改革」は既得権者を抵抗勢力として、多用された。 エコノミストOnline 「「竹中平蔵氏と新自由主義」はなぜ力を持っているのか 前川喜平氏が激白する「改革圧力」との闘い」 硬骨漢として鳴らした「前川喜平氏」の見解とは興味深そうだ。 「第2次政権以前の官邸には、調整役の官僚はいて、政策の絵図を一方的に描いて各省に降ろす、今みたいな「官邸官僚」は、いませんでした。 政策や制度設計は基本的に、各省がそれぞれ、責任とプライドをもって進めていたのです。各省の独立性は高かったのですね」、 「今みたいに官邸にひれ伏して、「ご無理ごもっとも」で何でもやってしまうようなことはなかったのですね。司として、政策を吟味する関門になっていた。 とくに伊吹さんは永田町や霞が関で“イブキング”の異名があったくらいで、当時私は大臣官房総務課長として伊吹さんの側に仕えていたのですが、「安倍君は何を考えているのかね」なんて、上から目線で言っていましたよ」、「伊吹」氏は、自民党の数少ない硬骨漢だが、政界を引退するようだ。 「前門の総務省、後門の財務省ですね・・・私はもう、負担金死守のために関係課の課長とタッグを組んで、総務・財務両省や諮問会議を相手にドンパチの勢いで議論しました」、 負担金の意義を直接世論に訴えようと・・・シミュレーション小説までね……。 月刊誌に実名で「三位一体の改革」を批判する論文を書いたりもしました」、すごい戦いだったようだ。 「省内や各省間で徹底的に論議して、制度を維持したり、設計し直したりするのが本来の官僚の仕事であって、官僚の生きがいです」、 「規制緩和論者たちが、「教育は『官製市場』でケシカラン。民間参入を促して、競争原理によって教育の質を高めよう」と迫り、「株式会社立学校」ができるようになってしまったのですね。 しかし、結論からいうと、この規制緩和は、やはり大失敗だったと言わざるを得ない。 現在、「株式会社立学校」の大半を占めるのは広域通信制高校で20校ほどありますが、これが非常に質が悪いのです・・・特に悪質だったのは、15~16年に発覚したウイッツ青山学園高校の事例です。 テーマパークへの旅行をスクーリングとしたり、名前だけ入学させて、国 「和泉氏の約束は果たされず、私自身も退官を迎えてしまいました。学校の質の維持を預かってきた者として、これは心残りです」、現在の内閣の下では、「心残り」になる部分が増えざるを得ないのかも知れない。 ダイヤモンド・オンライン 中野剛志 「世界は変わった!「大きな政府」へ舵を切ったアメリカ、日本はどうする?」 「第一弾の1.9兆ドルに、20年3~12月に発動された経済対策を合わせると、その規模は5.8兆ドル程度(名目GDP比で約28%)となる。これは、通常の年間歳出(19会計年度は4.4兆ドル)を上回り、リーマン・ショック時の経済対策(08~09年で1.5兆ドル程度)をはるかにしのぐ規模」、財政支出規模の大きさには驚かされた。 「パンデミックとの戦いは戦争のようなものだ。戦時中に、「完全雇用の達成までどの程度の刺激策が必要か」などという議論をする者がいるか」、との「クルーグマン」の主張は荒過ぎる印象だ。 「過去四十年間の新自由主義は終わった・・・世界は、「大きな政府」の時代へと変わりつつある。 そういう大きな議論が始まっている」、あれほど根強かった「新自由主義」が「終わった」とは俄かには信じ難いが、本家本元のアメリカでは事実のようだ。
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