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ハラスメント(その21)(女性記者が“告発”できないのはなぜ? 細田衆院議長「セクハラ疑惑」報道から見えてきた マスコミ業界の“体質”、胸に触り布団を敷いて…女性記者が語る「永田町壮絶セクハラ体験」、「見るハラ」「見せハラ」大論争で見落とされる視点 なぜ同意できないか ルッキズムを巻き込み沸騰、公明党・熊野正士議員の性加害が発覚 被害女性が明かす 身の毛もよだつ「セクハラLINE」の内容とは) [社会]

ハラスメントについては、5月22日に取上げた。今日は、(その21)(女性記者が“告発”できないのはなぜ? 細田衆院議長「セクハラ疑惑」報道から見えてきた マスコミ業界の“体質”、胸に触り布団を敷いて…女性記者が語る「永田町壮絶セクハラ体験」、「見るハラ」「見せハラ」大論争で見落とされる視点 なぜ同意できないか ルッキズムを巻き込み沸騰、公明党・熊野正士議員の性加害が発覚 被害女性が明かす 身の毛もよだつ「セクハラLINE」の内容とは)である。

先ずは、5月31日付け文春オンライン「女性記者が“告発”できないのはなぜ? 細田衆院議長「セクハラ疑惑」報道から見えてきた、マスコミ業界の“体質”」を紹介しよう。
https://bunshun.jp/articles/-/54751
・『細田博之衆院議長の「セクハラ」問題。週刊文春が2週にわたり報道した。 流れをおさらいする。まず5月19日発売の週刊文春が『細田博之議長 女性記者に深夜に「今から家に来ないか」』という記事を掲載。 大勢の政治部記者から文春に“告発”が寄せられたとし、細田氏が過去に複数の女性記者らにセクハラ発言を繰り返していたと報道。たとえば女性記者が細田氏に取材をすると「添い寝をしたら教えてあげる」と言われたという話が“常識”のように記者たちの間に広まっているという。 実際に文春が被害に遭っていたといわれるA記者に話を聞くと「無かったと言えば、嘘になりますね」というコメントが。さらにB記者は「深夜に本人から『今から来ないか?』」と電話がかかってきた。断るわけにもいかず、足を運びました。自宅に呼ばれたのは、私だけではないと聞きます」と証言。 こうした話は本当なのか文春が細田事務所に事実関係を尋ねたところ、期日までに回答が無かった。しかし報道後に細田氏は「事実無根」と抗議。 すると翌週の週刊文春(5月26日発売号)で、細田セクハラ問題の第2弾を報じたのだ。タイトルと見出しはこれ』、「衆院議長」ともあろう人物が、「大勢の政治部記者から文春に“告発”が寄せられた」とはみっともない限りだ。
・『「うちに来て」細田衆院議長の嘘を暴く「セクハラ記録」  ・女性記者たちの告発「二人きりで会いたい」「愛してる」 ・党女性職員が周囲に嘆いた「お尻を触られた」 ・最も狙われた女性記者が漏らした「文春はほぼ正しい」 ・カードゲーム仲間人妻の告白「抱きしめたいと言われ…」 どれを読んでもギョッとする。細田氏はこの報道に対し、改めて抗議する文書を出し、「通常国会閉会後、訴訟も視野に入れて検討したい」などと真っ向から反論した。 ここまでが現時点の流れである』、「通常国会閉会」されたが、「訴訟」は起こしてないようだ。やはり勝訴の見込みがないのかも知れない。
・『「最も狙われている」女性記者の回答  さて、細田氏とは別に、私にはどうしても気になる点があったのです。それは取材する記者の側のことだ。 記事の後半に「H記者」が登場している。多数の記者から、細田氏に「最も狙われている」と言われていた女性記者である。 以前からH記者は国会議員のセクハラ発言に強い問題意識を持ち「女性記者は多かれ少なかれ経験している。被害が出た時に担当を外せば解決する問題ではない」と話していたという。前週の文春記事についても「文春はしっかり取材している。記事の内容はほぼ正しい」などと周囲に語っていた。 そんななか文春がH記者に事実確認のために電話をした。ここでH記者から出た言葉は、 「それについては即答できる状況にないんです」「考える時間も必要なので、またご連絡させて下さい」というもの。 翌日、H記者から文春に電話があった。その内容は「やはり今、お答えできることはありません……」という“回答”だった』、「細田氏に「最も狙われている」と言われていた」「H記者」が「回答」を拒否したのは何故だろう。
・『彼女たちが“告発”できない理由  記事では細田氏の「セクハラ記録」を提供した人物が次のように解説している。 「大手マスコミは、自社の女性記者が細田氏から受けたセクハラ発言を把握しているはずです。ただ、彼女たちはオフレコ取材が前提なので、同僚に迷惑がかかるのでは、とも悩んでいる。自ら名乗り出ることは容易ではありません。上層部としても“貴重な情報源”である細田氏を守りたいから、『あったこと』をなかなか報じられずにいます」 この「解説」を何度も読み返してしまった。恐ろしいことが書かれているではないか。 セクハラ、パワハラ被害にあった人が「仕事のために」被害をなかなか言いだせないという状況がもし本当なら、これは新聞業界、もしくはマスコミ業界全体の問題だと思う。 これは「マスコミ論」でもある。そう思って今回の細田氏のセクハラ疑惑をめぐる報道を新聞各紙で確認するとサラッとしている印象を受ける。 朝日新聞は社説で『細田氏の言動 衆院議長の資質欠く』(5月28日)と書いた。《女性記者らに対するセクハラの指摘に対し、説明責任を果たそうとしない。これでは、議長の資質に欠けるというほかなく、国会に対する国民の信頼をも損ないかねない。》 確かにそうなのだが、まず自社の政治部記者に詳しく尋ねたらどうなのだろう。そのほうが何か新事実や新証言が出てくるのではないか? 「野党は、引き続き追及する構えだ」(5月27日)とも書いているが、どこか他人事である。でも、実は政治家のセクハラ問題は、マスコミがいちばん「知っている」のでは? 私はいま朝日を例に挙げたが、ほかの新聞社やテレビ局も同じだ』、「彼女たちはオフレコ取材が前提なので、同僚に迷惑がかかるのでは、とも悩んでいる。自ら名乗り出ることは容易ではありません。上層部としても“貴重な情報源”である細田氏を守りたいから、『あったこと』をなかなか報じられずにいます」、「セクハラ、パワハラ被害にあった人が「仕事のために」被害をなかなか言いだせないという状況がもし本当なら、これは新聞業界、もしくはマスコミ業界全体の問題だと思う。 これは「マスコミ論」でもある」、「政治家のセクハラ問題は、マスコミがいちばん「知っている」のでは? 私はいま朝日を例に挙げたが、ほかの新聞社やテレビ局も同じだ」、同感である。
・『「女性の番記者を付けている社が目立ちます」  「細田氏の女性好きは昔から有名です。(略)『細田氏は女性にしか話さない』と言われ、女性の番記者を付けている社が目立ちます」(ベテラン政治記者、週刊文春5月19日発売号) 私は政治面によくある「関係者」「党幹部」「重鎮」など、匿名だからこそ言えるコメントを読むのも好きだ。役に立つと思っている。しかし女性記者がパワハラやセクハラに遭っても言いだせない上で成立するものなら、私も楽しんではいられない。 いやいや、取材はそれだけじゃないよ、ちゃんとやってるよ、と言うなら今回の「政治家のセクハラと取材者」の問題を取り上げてほしい。私は嫌味や皮肉で言ってるのではなくマスコミ内部の姿勢を見たいのです。 今回の件で2018年の「財務省セクハラ」問題を思い出した人も多いだろう。女性記者にセクハラ発言を繰り返したと報じられて財務省事務次官・福田淳一氏が辞任した件。あれも発端は週刊誌報道だった。あのときは「週刊新潮」で、今回は「週刊文春」。女性記者へのセクハラは自社の媒体ではなく、週刊誌に訴えてやっと報じられる案件なのか。 細田セクハラ問題は、やはりマスコミ論でもある』、「女性記者へのセクハラは自社の媒体ではなく、週刊誌に訴えてやっと報じられる案件なのか。 細田セクハラ問題は、やはりマスコミ論でもある」、「マスコミ」への痛烈な批判だ。

次に、7月4日付けFRIDAY「胸に触り布団を敷いて…女性記者が語る「永田町壮絶セクハラ体験」」を紹介しよう。
https://friday.kodansha.co.jp/article/251734
・『「もう亡くなった大物政治家ですが、胸を触るのが大好きな人がいました。彼は小料理屋に行くと、中居さんの着物に手をつっ込んで触っているような人だったんです。ある時、私がたまたま隣に座ったら、ふざけて『おっぱい触ってもいいかな』と手が伸びてきた。そこで『ちょっとでも触ったら書きますよ』と言ったら、電気に打たれたようにビビビッと手が引っ込みました」 こう語るのは、毎日新聞論説委員の佐藤千矢子氏だ。大阪社会部やワシントン特派員などを経て、全国紙で女性初の政治部長となった有名記者である。佐藤氏は近著『オッサンの壁』(講談社現代新書)で、永田町で体験したセクハラを詳細に告白。男性優位な社会で居心地の良さに安住する政治家の危うさに、警鐘を鳴らしている(以下コメントは佐藤氏)。「『週刊文春』が報じた(衆議院議長)細田博之さんのセクハラ疑惑についてはご本人が否定していて、私自身も噂話しか知らないので、事実関係についてはコメントできません。しかし、昔も今も政治家によるセクハラトラブルが絶えないのは間違いないでしょう。永田町の本質は変わっていないという印象を受けます」 佐藤氏は政治記者として、永田町で長年取材を続けてきた。自身がセクハラ被害を受けることも。政治記者になって2年目の91年には、次のような経験をしたという。 「議員宿舎へ、ある中堅議員の部屋を訪れた時のことです。彼は毎朝集まる数人の記者へ、『朝は味噌汁ぐらい飲まないといけないぞ』とお湯を注いでふるまってくれるような優しい人です。その朝は他に記者がおらず、たまたま1対1でした。いつものように台所で味噌汁を飲みながら話をしていると、議員がこう言います。『睡眠時間も足りていなんだろう。少し寝なさい』と。 彼は隣の和室に行って、押し入れから布団を出し畳の上に敷き始めた。私は遠慮して、早々に部屋を出ました。後から考えると明らかにセクハラです。しかし当時の私はまだ若く記者としても未熟で、何より高齢で優しかった議員とセクハラが結びつきませんでした。『お言葉に甘えて仮眠をとらせていただきます』と、危うく寝てしまいかねなかったんです」』、「ある時、私がたまたま隣に座ったら、ふざけて『おっぱい触ってもいいかな』と手が伸びてきた。そこで『ちょっとでも触ったら書きますよ』と言ったら、電気に打たれたようにビビビッと手が引っ込みました」、さすが「佐藤氏」だけのことはある。
・『「舌を出せ」  セクハラ行為をする永田町関係者は、政治家だけではない。佐藤氏と旧知の女性記者が、90年代後半に体験した屈辱だ。 「彼女は大物議員の秘書から、夜9時ごろバーに呼び出されました。『お前はオヤジ(議員)に食い込めていない』と、相談に乗ってくれるというのです。しかしバーに行くと仕事の話はほとんどなく、秘書はチークダンスを踊ろうと誘ってきました。記者は相手の機嫌を損ねてはいけないと、嫌々一緒に踊っていると耳元でこうささやかれたとか。『舌を出せ』と。 彼はディープキスを求めてきたんです。彼女はなんとか、その場を切り抜けました。上司に相談すると、『ハッハッハッ』と笑い飛ばすばかり。秘書のセクハラには当然腹が立ったが、共感さえしてくれない上司にも怒りがわいたと、悔しそうに話していました」 職業意識から、セクハラを拒否できないケースもある。 「男性と女性の記者が2人で、政治家を夜回り取材した時のことです。政治家は女性記者のお尻を触り、ずっと撫でていた。男性記者が『やめてください』と注意しようとすると、女性は小声で『いいから何も言わないで』と制したそうです。 おそらくは彼女は、この政治家に食い込むためにはお尻を撫でられても仕方ないとガマンしたのでしょう。拒否したら政治家の怒りをかい、会社から担当を変えられるか非難されると考えたのではないでしょうか。彼女の心情を思うと、やるせない気持ちになります」 佐藤氏は、セクハラを受けたら女性も勇気を出して拒否するべきだと話す。 「セクハラは立証が難しい。1対1の密室でのケースが多く、物証もなかなかありませんから。取材拒否などの報復を恐れ、言い出しづらい気持ちもわかります。しかし、声をあげなければ何も解決しません。会社も被害を受けた女性が孤立しないよう、加害者に厳重抗議するなどサポートすべきでしょう。被害者を突き放し、セクハラを黙認するなど言語道断です。 最大の問題は政治家の意識です。女性を上下関係で見ている人が、あまりに多い。自分と違う属性の人と対等な関係を築けなければ、多様性が重視される世界で日本は相手にされなくなります。永田町に住む人たちには、危機感を持っていただきたいです」 政界や報道現場に立ちはだかる「オッサンの壁」。佐藤氏は乗り越えるのではなく、壊すものだと語る。 現在は論説委員として活躍する。愛知県出身。名古屋大学文学部卒業。17年、全国紙で女性として初の政治部長に就任』、「セクハラを受けたら女性も勇気を出して拒否するべきだ」、「会社も被害を受けた女性が孤立しないよう、加害者に厳重抗議するなどサポートすべきでしょう。被害者を突き放し、セクハラを黙認するなど言語道断です」、「最大の問題は政治家の意識です。女性を上下関係で見ている人が、あまりに多い。自分と違う属性の人と対等な関係を築けなければ、多様性が重視される世界で日本は相手にされなくなります。永田町に住む人たちには、危機感を持っていただきたいです」、同感である。

第三に、8月12日付け東洋経済オンラインが掲載したコラムニスト・人間関係コンサルタント・テレビ解説者 の木村 隆志氏による「「見るハラ」「見せハラ」大論争で見落とされる視点 なぜ同意できないか、ルッキズムを巻き込み沸騰」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/610737
・『猛暑が続くこの1カ月あまり、「見るハラ」という言葉がネット上に書き込まれていましたが、ここに来てその数が急増しました。これは8月8日の「めざまし8」(フジテレビ系)で、「見るハラ」の特集が組まれたからであり、ツイッターのトレンドワード入りしたほか、その後も活発な意見が交わされています。 その「めざまし8」は、「見るハラ」を「薄着の女性をじろじろ見るなどの不快な視線によるセクハラ」と定義。平年を上回る猛暑に加えて、行動制限のない夏は3年ぶりだけに、肌の露出が増えて「見るハラ」を訴える声も増えているのでしょうか』、「見るハラ」とは、初めて知ったが、確かに増えているのだろう。
・『しっかり見ていることへの嫌悪感  ハラスメント被害を訴える女性の声をあげると、「本当にずっと見ている人とかいる」「『何で』って思うし、気持ち悪い」「見るのはしょうがないけど、ガン見とか写真撮るとか隣に座るとか。そういう行動に移してほしくない」など、“ちょっと”でなくしっかり見ていることに嫌悪感があるようです。 ただ、被害を訴える人だけでなく、「こっちもそういう服を着てるから悪くは言えないかな。見られてるのはわかります。いい気持ちにはならないけど」「自分も着たい服は着たいので、『我慢しないといけない部分もあるのかな』って」などの声もあり、「こっちは暑いから薄着したいけど、『見られるならこの服着るのやめよう』って思います」と自主規制している人もいました。 被害を訴える人と、ある程度は受け入れる人の両方がいる一方で見逃せないのは、「『見るハラ』が成立するなら、見たくないものが視界に入る『見せハラ』も成立する」という声。これは「『目のやり場に困る』『反射的に見てしまう』ような服装は逆セクハラではないか」という意見でしょう。) 現在はその「見るハラ」VS「見せハラ」との論争に留まらず、さまざまな角度からの意見が飛び交っている状態。なかには近年、何かと物議を醸している「ルッキズム」が含まれ、複雑化しているところもあります。さまざまなハラスメント被害の声をあげやすくなった今、加害者にも被害者にもなりうる私たちは「見るハラ」とどう向き合っていけばよいのでしょうか』、「「『見るハラ』が成立するなら、見たくないものが視界に入る『見せハラ』も成立する」という声」、その通りだ。
・『誰もが被害者であり加害者でもある  前提としてあげておかなければいけないのは、「『見る』ことだけで人を処罰することはできない」こと。もちろん、過剰に接近してのぞき続けたり、つけまわしたりなどの行為は罪に問われる可能性があり論外ですが、被害者の声を見る限り、そこまでのケースは稀のようです。 元来「見る」という行為には、いくつかの種類があります。明確な目的を持って見ることもあれば、反射的に見ただけのものもありますし、「カッコイイ服だな」などの好意的なものも、「センス悪いな」などの悪意的なものもあるでしょう。もしくは、「ガン見されている」と感じたときも、その人は近視や老眼であまり見えていないかもしれません。 「見る」という行為にはこのようないくつかの種類があるため、「相手が意図していなくても、自分が不快と感じたらハラスメントになる」という基準に当てはめるのはリスキー。たとえば今回、「見るハラ」の被害を訴えた女性の中にも、自分が「見るハラ」の加害者にもなっている可能性は十分ありえます。 たとえばネット上に「イケメンを見ちゃうのは『見るハラ』?」「鍛えられた筋肉にはつい目が行ってしまう」などの声もありましたが、見られた男性たちの中には不快感を覚えた人がいるかもしれません。もともと「セクハラは男性が最も被害を訴えにくいハラスメント」とも言われていることもあり、もはや男女で分けて男性だけを叩く時代ではないでしょう。 「『見るハラ』を男女で分ける時代ではない」というもう1つの理由は、ルッキズム論争にもつながっていきます。ルッキズムとは、「外見で人の価値を決めることや、その差別・偏見」を指す言葉ですが、ネット上のコメントには「気持ち悪いものを見るような目で見られたことがある」などの被害を訴える男性の声が少なくありませんでした。) これは「性的な目で見られない人も、『ブス』『ブサイク』という目で見られて不快な思いをしている」ということでしょう。また、逆に「カワイイ」「カッコイイ」という目で見られる人の中にも、その見方で不快な思いをしているケースも散見されます。「見るハラ」という言葉を語るとき、このようなルッキズムに関わるところも混ぜなければフェアな議論にはならないのです。 たとえば、性的な「見るハラ」の被害を訴える人は、「この人は『カッコイイ』『カワイイ』からまあいいか」とみなして終わらせるケースはないか。あるいは、『ブサイク』『ブス』などの侮辱的な「見るハラ」加害者になっていないか。被害の声を訴えることは問題ないものの、「自分は絶対にやってない」とはなかなか言い切れない苦しさを抱えているのです』、「「見るハラ」という言葉を語るとき、このようなルッキズムに関わるところも混ぜなければフェアな議論にはならない」、言われてみればその通りだ。
・『「見るハラ」VS「見せハラ」に勝者なし  次に「めざまし8」でもトピックスにあげていた「見るハラ」VS「見せハラ」の論争について。 人間社会で生きている以上、年齢性別や理由を問わず公共の場所では、「見る」「見られる」という行為から逃れられません。もちろん過剰に見続ける一部の人は論外ですが、「自分が見ることも、見られることもある」という前提のうえで主張しなければ説得力に欠けます。 そもそも「見るハラ」が論争になったのは、「日本にそれだけ服装の自由がある」ということ。法律や宗教などの問題がなく、個人が服を選んで着る自由が与えられています。ただ、自由を楽しむのはOKでも、それを周囲がどう思うかは別の話。 たとえば、肌を露出した服装で歩いているときは、「かわいい」「似合っている」から「みっともない」「やめてほしい」までのさまざまな見方があるでしょう。その中から性的なものだけを抽出し、拒絶することで自分の自由を守ろうとするのは無理があります。 MCの谷原章介さんが「路上で凄い露出の多い方だと、『そっち見た』と思われちゃうので下を向いて歩くしかない」と話していましたが、こういう経験をしたことのある人は少なくないでしょう。また、幼い子を持つある母親は、「路上や電車で露出の多い服装は子どもに見せたくない」とコメントしていました。 これらの声もある以上、「自分の着たい服を着て公共の場所を歩く」という自由を優先させたいのであれば、性的なものも含めすべてを受け止める。あるいは、受け流すという責任が伴うのではないでしょうか。しかし、いずれにしても「見るハラ」VS「見せハラ」の論争に勝者はなく、それ以前に勝者を決める必要すらないものなのです。 今回の「見るハラ」論争の中で唯一、明確な答えを出せそうなのが、職場における「見るハラ」。給与を得るために働く職場では、個人の自由より会社の業績やグループの働きやすさが優先されます。職場が「互いの存在が特定されていて、人間関係が継続される空間」であることも含め、無用なセクハラトラブルを生まないためにも、露出の多い服を避けるルールを作るほうがいいでしょう。 近年では「立場が上がるほどセクハラに対してセンシティブになっている」という人も少なくないだけに、「どうしても露出の多い服を着たい」という人も、「通勤時だけに留める」などの歩み寄りが求められるところです』、「「見るハラ」VS「見せハラ」の論争に勝者はなく、それ以前に勝者を決める必要すらないものなのです」、「今回の「見るハラ」論争の中で唯一、明確な答えを出せそうなのが、職場における「見るハラ」。給与を得るために働く職場では、個人の自由より会社の業績やグループの働きやすさが優先されます。職場が「互いの存在が特定されていて、人間関係が継続される空間」であることも含め、無用なセクハラトラブルを生まないためにも、露出の多い服を避けるルールを作るほうがいいでしょう」、その通りだ。
・『「見る」「見られる」両方に必要なもの  今回の「見るハラ」をめぐる論争は、昭和・平成のころに多かったセクハラが大幅に減って、次の段階に進んでいることの証にも見えました。ネット上に「『服が好きだから見ただけ』ということも多いのに、生きづらい世の中になってしまったな」というコメントがありましたが、ここに他人の行動を制限することの難しさが表れています。 昭和・平成のセクハラは論外で罰するとして、では「見るハラ」はどうしていけばいいのか。 「めざまし8」で「見るハラ」の被害経験があるギャルタレント・あおちゃんぺさんは、「減らすために何が必要か?」と聞かれて、「見る側のモラルじゃないですかね」とコメント。さらに「チラッと見ちゃうのは反射だからしょうがないと思うんですけど。『これ以上見たら常識的に失礼だな』というくらいには見ないとか。でも着るほうは着たいものを着たいし、それって罪じゃないし」などと語りました。 ただこのコメントは「『見るハラ』の被害経験がある」という立場で話しているものにすぎず、モラルは見られる側にも必要ではないでしょうか。たとえば、「この街やこの店では露出を抑えめにする」「公共交通機関では隠すものをかける」などの配慮をする人が増えれば、見る側のモラルを変えていけるかもしれません。また、相手の外見や年齢を問わず「こういう人は性的な目で見る」というレッテルを貼らない心構えも必要でしょう。 もし「見るハラ」に罰則がつくようになったら、誰もが目線の置き場に困るような生きづらい世の中になってしまいます。そうならないためには「見る」「見られる」両側に、相手の心境を考える優しさが必要ではないでしょうか。 今後は、「見るハラ」の被害を受けた人が「どのように嫌だったか」を発信し、それを今回のように議論することで多くの人々に伝わり、「そういう人もいるなら気をつけよう」という気持ちにつながっていく。「見るハラ」は誰もが被害者にも加害者にもなりうる繊細なものだけに、時間をかけて不快になる人の数を少しずつ減らしていくしかないのです』、「「見るハラ」は誰もが被害者にも加害者にもなりうる繊細なものだけに、時間をかけて不快になる人の数を少しずつ減らしていくしかないのです」、同感である。

第四に、9月6日付けデイリー新潮「公明党・熊野正士議員の性加害が発覚 被害女性が明かす、身の毛もよだつ「セクハラLINE」の内容とは」を紹介しよう。
https://www.dailyshincho.jp/article/2022/09061945/?all=1
・『「こんな人が議員をしてはいけない  公明党の熊野正士・参議院議員(57)が女性にわいせつ行為を行い、その後も卑猥なLINEを送るなどの性加害に及んでいたことが、「週刊新潮」の取材で分かった。 ※この記事では性暴力の被害に関する詳細な描写があります。フラッシュバック等の症状のある方はご留意ください。 【閲覧注意】熊野議員が女性に送ったセクハラLINE 「お尻を優しく触るの」など身の毛もよだつ文言が 熊野議員は医師として大阪大学の附属病院などに勤務したのち、2016年に公明党から比例区で出馬した経歴の持ち主。昨年まで農水政務官を務め、この7月の参院選で2度目の当選を果たしたばかりだ。ちなみに、熊野議員は妻と2人の娘の4人家族である。 「私が黙っていたことで、この間の選挙で彼を通してしまったという罪の意識があります。こんな人が議員をしていてはいけないと思っています」 こう憤るのは、関西地方の社会福祉団体で幹部として働く50代独身女性・恵子さん(仮名)だ』、「公明党」は主婦の力が強く、「セクハラ」はタブーだと思っていたので、意外な事件だ。
・『痴漢された女性は、逃げるように立ち去ったが…  彼女が熊野議員と出会ったのは2016年のこと。勤務先に公明党の関係者がいたことから知り合い、熊野議員が団体に協力的な姿勢だったこともあり、一昨年に初めて食事に行ったという。 “事件”が起きたのは昨年10月だった。熊野議員が読みたがっていた本を渡すために会ったところ、帰り際に熊野議員が手をつなぐ素振りを見せてきたという。 「慌てて振り払ったら、手が私のお尻に当たったんです。そしたら、それをいいことにお尻をぎゅっと握ってきたんですよ。“痴漢ですよ!”“何をしてるかわかっているんですか!”と言いましたが、何だかぼーっとしてしまって通じない。“もう帰ります”とそのまま逃げるように立ち去りました」 その後、熊野議員がLINEで送ってきた“謝罪”が以下である。 〈恵子(注:原文は実名)さまのお尻、たまたま手に当たりました。そしたら、とても気持ちよかったので、つい、気がついたら、恵子さまのお尻を触ってしまっていました〉』、「“謝罪”」とは名ばかりで、ずいぶん妄想に基づいた文章だ。
・『卑猥なLINEを昼夜問わず送りつけてくるように…  熊野議員はこの一件で反省するどころか、逆にエスカレートしていった。頻繁に電話やLINEを送ってくるようになり、その中身は“過激化”。自分と女性の行為を妄想し、昼夜を問わず送り付けてくるようになったという。以下が「セクハラLINE」の一部。 〈ゆっくり手を伸ばして、服の上から恵子のお尻を優しく触るの〉 無論、体に触れた痴漢行為は迷惑防止条例違反、あるいは強制わいせつ罪に該当しうる行為であり、 「卑猥な内容のLINEや電話も、頻度によってはストーカー規制法に抵触する恐れがあります」(性犯罪被害に詳しい上谷さくら弁護士) たえかねた恵子さんは卑猥な電話などについて、公明党の上層部に訴え出たが、山口那津男代表らは熊野議員を処分することはなかった。そこで今回の告発に至ったというわけだ。 当の熊野議員に事実関係を質すと、以下のような回答があった。 「現在、体調不良のため入院しています。本人に確認することができないため、回答することはできません」(事務所) 一方、公明党は、「当該女性は、熊野に対し、妻と離婚することを執拗に強要しており、最近では期限を付して離婚するよう強く迫って、応じなければ週刊誌に情報を提供するなどと脅し、熊野は精神的にも極度に追い詰められていました」(公明党) と、あたかも恵子さんに非があるかのように回答。しかし、恵子さんに改めて確認したところ「離婚強要などという事実は一切ありません」という。 9月8日発売の「週刊新潮」では、熊野議員によるセクハラLINEの全容とあわせ4ページにわたって詳報する』、「恵子さんは卑猥な電話などについて、公明党の上層部に訴え出たが、山口那津男代表らは熊野議員を処分することはなかった。そこで今回の告発に至ったというわけだ」、「公明党の上層部」が訴えを無視したのは、参院選を控え混乱回避を優先したためかも知れない。それにしても、クリーンさが売り物だった「公明党」も堕ちたものだ。
タグ:「女性記者へのセクハラは自社の媒体ではなく、週刊誌に訴えてやっと報じられる案件なのか。 細田セクハラ問題は、やはりマスコミ論でもある」、「マスコミ」への痛烈な批判だ。 「「見るハラ」は誰もが被害者にも加害者にもなりうる繊細なものだけに、時間をかけて不快になる人の数を少しずつ減らしていくしかないのです」、同感である。 「“謝罪”」とは名ばかりで、ずいぶん妄想に基づいた文章だ。 「「見るハラ」VS「見せハラ」の論争に勝者はなく、それ以前に勝者を決める必要すらないものなのです」、「今回の「見るハラ」論争の中で唯一、明確な答えを出せそうなのが、職場における「見るハラ」。給与を得るために働く職場では、個人の自由より会社の業績やグループの働きやすさが優先されます。職場が「互いの存在が特定されていて、人間関係が継続される空間」であることも含め、無用なセクハラトラブルを生まないためにも、露出の多い服を避けるルールを作るほうがいいでしょう」、その通りだ。 「恵子さんは卑猥な電話などについて、公明党の上層部に訴え出たが、山口那津男代表らは熊野議員を処分することはなかった。そこで今回の告発に至ったというわけだ」、「公明党の上層部」が訴えを無視したのは、参院選を控え混乱回避を優先したためかも知れない。それにしても、クリーンさが売り物だった「公明党」も堕ちたものだ。 「公明党」は主婦の力が強く、「セクハラ」はタブーだと思っていたので、意外な事件だ。 デイリー新潮「公明党・熊野正士議員の性加害が発覚 被害女性が明かす、身の毛もよだつ「セクハラLINE」の内容とは」 「「見るハラ」という言葉を語るとき、このようなルッキズムに関わるところも混ぜなければフェアな議論にはならない」、言われてみればその通りだ。 「「『見るハラ』が成立するなら、見たくないものが視界に入る『見せハラ』も成立する」という声」、その通りだ。 「見るハラ」とは、初めて知ったが、確かに増えているのだろう。 木村 隆志氏による「「見るハラ」「見せハラ」大論争で見落とされる視点 なぜ同意できないか、ルッキズムを巻き込み沸騰」 東洋経済オンライン 「ある時、私がたまたま隣に座ったら、ふざけて『おっぱい触ってもいいかな』と手が伸びてきた。そこで『ちょっとでも触ったら書きますよ』と言ったら、電気に打たれたようにビビビッと手が引っ込みました」、さすが「佐藤氏」だけのことはある。 「通常国会閉会」されたが、「訴訟」は起こしてないようだ。やはり勝訴の見込みがないのかも知れない。 「セクハラを受けたら女性も勇気を出して拒否するべきだ」、「会社も被害を受けた女性が孤立しないよう、加害者に厳重抗議するなどサポートすべきでしょう。被害者を突き放し、セクハラを黙認するなど言語道断です」、「最大の問題は政治家の意識です。女性を上下関係で見ている人が、あまりに多い。自分と違う属性の人と対等な関係を築けなければ、多様性が重視される世界で日本は相手にされなくなります。永田町に住む人たちには、危機感を持っていただきたいです」、同感である。 FRIDAY「胸に触り布団を敷いて…女性記者が語る「永田町壮絶セクハラ体験」」 「細田氏に「最も狙われている」と言われていた」「H記者」が「回答」を拒否したのは何故だろう。 「彼女たちはオフレコ取材が前提なので、同僚に迷惑がかかるのでは、とも悩んでいる。自ら名乗り出ることは容易ではありません。上層部としても“貴重な情報源”である細田氏を守りたいから、『あったこと』をなかなか報じられずにいます」、「セクハラ、パワハラ被害にあった人が「仕事のために」被害をなかなか言いだせないという状況がもし本当なら、これは新聞業界、もしくはマスコミ業界全体の問題だと思う。 これは「マスコミ論」でもある」、「政治家のセクハラ問題は、マスコミがいちばん「知っている」のでは? 私はいま朝日を例に挙げた 「衆院議長」ともあろう人物が、「大勢の政治部記者から文春に“告発”が寄せられた」とはみっともない限りだ。 文春オンライン「女性記者が“告発”できないのはなぜ? 細田衆院議長「セクハラ疑惑」報道から見えてきた、マスコミ業界の“体質”」 (その21)(女性記者が“告発”できないのはなぜ? 細田衆院議長「セクハラ疑惑」報道から見えてきた マスコミ業界の“体質”、胸に触り布団を敷いて…女性記者が語る「永田町壮絶セクハラ体験」、「見るハラ」「見せハラ」大論争で見落とされる視点 なぜ同意できないか ルッキズムを巻き込み沸騰、公明党・熊野正士議員の性加害が発覚 被害女性が明かす 身の毛もよだつ「セクハラLINE」の内容とは) ハラスメント
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