日本の構造問題(その28)(冨山和彦「日本経済を蝕む"昭和的グダグダ"が何度となく繰り返されてしまう根本原因」 政府が"ゾンビ企業"の延命にカネを配り続けている、ついに「日本が独り勝ちする時代」がやってきた なぜ円安が進んでいるのにそこまで言えるのか) [経済政治動向]
日本の構造問題については、7月20日に取上げた。今日は、(その28)(冨山和彦「日本経済を蝕む"昭和的グダグダ"が何度となく繰り返されてしまう根本原因」 政府が"ゾンビ企業"の延命にカネを配り続けている、ついに「日本が独り勝ちする時代」がやってきた なぜ円安が進んでいるのにそこまで言えるのか)である。
先ずは、8月22日付けPRESIDENT Onlineが掲載したHONZ代表の成毛 眞氏と経営共創基盤(IGPI)グループ会長の冨山 和彦氏による「冨山和彦「日本経済を蝕む"昭和的グダグダ"が何度となく繰り返されてしまう根本原因」 政府が"ゾンビ企業"の延命にカネを配り続けている」を紹介しよう。
https://president.jp/articles/-/60781
・『今の日本では「個人の力」の前に「個人の学ぶ力」を求められる 一人ひとりの日本人が「個人の力」を身につけ、生かしていこうとするとき、やはりそこでも壁として立ちはだかるのは、新陳代謝が進まず固定化した産業構造、社会構造だ。 これからの時代に求められる力は、新しい力である。しかし、古くて固定化した産業構造に身を置いても、あるいは、そこに向けて用意されている古い教育システムに身を置いても、それだけでは新しい力は身につかない。 長年にわたり、あれだけSTEM(ステム)(※1)が大事だと言われながら、相変わらずIT人材が足りない、AI技術者が育たないと嘆いている根本原因は、まさに人材教育、人材投資に関わる仕組みが古い構造に固定化されていることにある。 だから、ここでも自らの頭で考え、自らの頭で判断して、自分にフィットした「個人の力」を身につける道筋を探索しなくてはならない。「個人の力」の前に「個人の学ぶ力」を求められるのが、今の日本なのである。 GDPとは、要するに「付加価値の総計」である。付加価値をつくる能力がなければ、経済成長率も上がらないし、国民所得も増えない。日本のような成熟した先進国において、キャッチアップ型、コストと価格競争力勝負の大量生産工業への先行投資で付加価値が生まれる余地は小さい。しかも、付加価値創出はデジタル化とグローバル化による破壊的イノベーションに牽引される時代だ。 イノベーションの時代の付加価値の源泉は、一人ひとりの人間がもつ発想力、創造力、行動力である。そんな個がチームとなって相乗力が生まれ、新しい企業、さらには産業となってスケールする(※2)。 時代の移り変わりによって付加価値を生み出す力を失った古い産業構造のなか、古い組織のルール、古いお作法のなかでは、新しい付加価値を創造する個が輝くのは難しい。サッカーの天才も野球チームにいる限り、才能を開花させられないのは当たり前の話だ。 そこで古い産業構造が固定化して居座りを決め込めば、新しい付加価値が芽吹き大きく成長するスペースは、なかなか生まれない。 政府がお題目としてベンチャー支援を唱えても、他方で古い産業、古い企業の存続をあの手この手で支援すると、効果は相殺され、結果は現状維持となってしまうのだ。そして日本経済の付加価値創出力は停滞を続ける』、「イノベーションの時代の付加価値の源泉は、一人ひとりの人間がもつ発想力、創造力、行動力である。そんな個がチームとなって相乗力が生まれ、新しい企業、さらには産業となってスケールする」、「付加価値を生み出す力を失った古い産業構造のなか、古い組織のルール、古いお作法のなかでは、新しい付加価値を創造する個が輝くのは難しい・・・そこで古い産業構造が固定化して居座りを決め込めば、新しい付加価値が芽吹き大きく成長するスペースは、なかなか生まれない。 政府がお題目としてベンチャー支援を唱えても、他方で古い産業、古い企業の存続をあの手この手で支援すると、効果は相殺され、結果は現状維持となってしまうのだ。そして日本経済の付加価値創出力は停滞を続ける」、ある意味で真相を突いている。
・『経済危機のたびにゾンビ型企業延命メカニズムが働く理由 ちなみに、2008年のリーマンショックのような経済危機が起こっても、打撃の規模の割に、日本で倒産する企業は世界に類を見ないほど少ない。直近のコロナ禍でも、現在の倒産件数は、日本史上で見ても最低水準で推移している。 倒産する企業が少ないと聞くと、いいことのように思えるかもしれない。しかし、これは政府が巨大な支出をして倒産を回避しているだけの話だ。 要は、この国は個人を直接救う公助能力があまりにも低いのである。制度も弱いし、デジタル化も進んでいないので、有事に迅速に手を差し伸べられない。 だから毎回、企業内共助システム、「二重の保護」構造に頼らざるを得ない。そこで必死に融資や助成金で企業を支えるしか、困窮した国民を支える方法がないのだ。 これしかないので局面的にはやむを得ないのだが、すでに触れたように、この仕組みは大きな副作用を伴う。 すなわち、突然襲ってくる危機的状況において、どこでピンチになっているかわからない困窮者の生活、人生を救うには、とりあえず規模の大小、競争力の強弱、生産性の高低に関係なく、すべての企業を支えるしかない。 すると企業の新陳代謝は妨げられ、しかもここで分不相応に大きな借金を抱えて生き延びた企業の多くが過剰債務企業、すなわちゾンビ企業になってしまう。そしてその後も政府の支援に頼るようになる。結果的に、産業構造の固定化がさらに進んでいくのである』、「突然襲ってくる危機的状況において、どこでピンチになっているかわからない困窮者の生活、人生を救うには、とりあえず規模の大小、競争力の強弱、生産性の高低に関係なく、すべての企業を支えるしかない。 すると企業の新陳代謝は妨げられ、しかもここで分不相応に大きな借金を抱えて生き延びた企業の多くが過剰債務企業、すなわちゾンビ企業になってしまう。そしてその後も政府の支援に頼るようになる。結果的に、産業構造の固定化がさらに進んでいくのである」、その通りだ。
・『政府が無差別にカネを配ってしまった事業の末路 欧米でもコロナ禍に際してかなり大きな政府支出で緊急経済対策を打っているが、失業率も倒産件数も相応に増えている。 もともと、どの国も平時から起業率も廃業率も日本より高いのである。コロナ明けを想定すると、長い目で見ると産業の新陳代謝がさらに進み、デジタル技術を駆使した新しい業態、新しい企業への世代交代が進むだろう。歴史的にも、経済危機の後はイノベーションが加速する場合が多い。 しかし、日本では、むしろ古い産業がゾンビ化したまま生き残り、産業構造の固定化が進んでしまう傾向がある。バブル崩壊の後も、リーマンショックの後もそうだった。 原因が何であれ、稼げない企業は淘汰とうたされるのがビジネスの理ことわりだ。そういう意味では、倒産企業が少ないことは、長期的な経済発展という観点からは決して歓迎すべきことではないのである。 実際、コロナ禍でも、まったく同じ構図になりつつある。2020年に73兆円、2021年には55兆円の巨大な経済対策予算が組まれ、一般的には、10万円の個人向け給付金やGo Toキャンペーンなどが注目された。しかし、実はいろいろな形で企業にも巨額の資金が流れているのだ。 キャッシュ・イズ・キング。名目が補助金だろうが、給付金だろうが、融資だろうが、キャッシュが回っている限り、どんなに大赤字になっても企業は潰れない。だから、企業倒産件数は史上最低水準で推移しているのだ。 しかし、無差別にカネを配った結果、企業のなかにはその使い道がなく、預金額ばかりがどんどん積み上がってしまっているところも多い。 「このままでは潰れるかもしれない」という危機感がなければ、何かを変えよう、新しいことをやってみようという機運も高まりにくい。むしろ政府がいくらでも金を出してくれるのだから、危機が収まるまではじっとしていようと考えるのが人情だ』、「名目が補助金だろうが、給付金だろうが、融資だろうが、キャッシュが回っている限り、どんなに大赤字になっても企業は潰れない。だから、企業倒産件数は史上最低水準で推移しているのだ。 しかし、無差別にカネを配った結果、企業のなかにはその使い道がなく、預金額ばかりがどんどん積み上がってしまっているところも多い。 「このままでは潰れるかもしれない」という危機感がなければ、何かを変えよう、新しいことをやってみようという機運も高まりにくい。むしろ政府がいくらでも金を出してくれるのだから、危機が収まるまではじっとしていようと考えるのが人情だ」、その通りだ。
・『大企業は「戦略的グダグダ」ではなく「真正グダグダ」である しかし、コロナ禍が去ってみると、企業間の格差、産業間の実力格差は広がっているだろう。そして、赤字補塡ほてんの借金を積み上げる一方で未来投資をためらっていた企業はゾンビ化していく可能性が高い。 ゾンビにいくら鮮血を注いでもゾンビとして生きながらえるだけであり、人間には戻らない。それと同じように、生産性の低い企業が、利益を上げる本来あるべき企業として蘇るのではなく、生産性が低いまま延命してしまうことになる。 私は20年前の金融危機に際し、産業再生機構(※3)を率いる立場になった時、現場のプロフェッショナル300名とともに公的資金10兆円を産業と金融の一体再生のために駆使したが、ゾンビ企業の延命にはカネを使わなかった。 そのことで多方面から矢のような非難を浴びたが、企業をゾンビ状態で延命させるべきではない。政府が救うべきはゾンビ企業ではなく、稼ぐ力が残っている事業であり、そこで働く人間なのだ。だから、むしろ経済危機に際して起きる企業の新陳代謝を止めるべきではない。 政府は企業の退出に伴う社会的コストの最小化、すなわちオーナー経営者の個人破産の回避や、労働者の転職や職業訓練、リカレント教育(※4)にこそ金を使うべきだと主張してきた。 要は社会全体として、過度な企業内共助の仕組みを脱却しよう、政府は企業、産業の新陳代謝を前提とした、公助共助連動型の包摂的なセーフティネットを整備すべきと主張してきたのである。 しかし、その後も企業内共助依存と「二重の保護」構造の転換は進まず、ひとたび経済危機が起こって企業が風前の灯になりかけると、毎回、政府が巨額のばらまきで救済する。 そんなズブズブの官民関係が続いているのだ。 バブル崩壊後の金融危機、ITバブルの崩壊、リーマンショック、東日本大震災、そしてコロナ禍と、この20年間、日本経済は何度も危機を経験してきた。 そこで淘汰による新陳代謝が起こるなり、徹底的な自己改革によって付加価値生産性が上がるなりしていれば、日本の産業はもっと活発でおもしろいものになっていたかもしれない。 しかし、それを結果的に妨げてきた「二重の保護」構造は政治的にきわめて強固で、これからもなかなか崩せないだろう。官にも民にもその仕組みに寄りかかっている人がたくさんいて、特に、少子高齢化で数はたくさんいる上の世代の選挙民自身に、この構造のまま自分たちは逃げ切れるのではないか、という動機づけが強烈に働いているのだから。 産業再生機構の当時から感じていたのは、政府であれ、大企業であれ、日本の古典的なエスタブリッシュメント組織の体質をひとことで言うなら「グダグダ」であるということだ。すべてが固定的で旧時代的。何かというと「ことなかれ」の保身に走る。悪しき「昭和」である。 のらりくらりと世間の雑音をかわしつつ、やるべきことをしたたかに着々とやる、といった「戦略的グダグダ」ではない。本質的なことを考えていないから有効策を講じられない、大きな効果が見込める政策を断行する勇気もないという、いわば「真正グダグダ」である』、「産業再生機構」で「ゾンビ企業の延命にはカネを使わなかった」と大言壮語しているが、ダイエーは丸紅をスポンサー企業として渡した後も、結局、上手くゆかず、イオンが引き取る形で最終的に処理した。「戦略的グダグダ」はついに実行されなかったようだ。
・『「有事はない」という建前が崩壊し続けた失われた30年 昭和的グダグダ感の根っこの1つには、敗戦後にできた日本国憲法の成立から引き継がれてきた「有事というものは存在しない」という建前路線があるように思う。 憲法はその前文と第9条において、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して戦争放棄を規定している。この憲法が成立した1946年当時は吉田茂内閣の時代だ。吉田は英国流のプラグマティストで自由主義者である。 彼はその後の東西冷戦の時代において、むしろこの憲法を盾に、米国の核の傘の下で軽武装経済重視の国家再建を進めることになる。 いわば、美しい建前を利用して、国家再建という現実政策をプラグマティックに推し進めたのである。 実際、第二次世界大戦が終結してからの20世紀後半、世界はおおむね平和だった。1950年に始まる朝鮮戦争や、1960年代半ばから泥沼化していくベトナム戦争などの局地戦争はあるものの、世界的な戦争は起こっていない。少なくとも日本が当事者として大きな戦争に直接巻き込まれる事態は起きなかった。 そして戦後の日本は、明治時代の「富国強兵」路線マイナス強兵の加工貿易立国による富国路線によって、敗戦による荒廃からみごとに立ち直っていった。 そして長きにわたる平和と経済的繁栄によって、最初はあくまでも建前だった「有事はない」が、40年、50年と経つうちに実体的な前提になっていったのである。 目をつぶれば何も見えないのと同じで、この国のあらゆる仕組みが「有事はない」前提でつくられるようになっていく。 しかし、それほど長期間にわたり平時が続くことのほうが、本来は異常なのだ。現に20世紀末期から21世紀にかけて、元号が昭和から平成に変わると、バブル経済が崩壊し、1995年の阪神淡路、2011年の東日本という2つの大震災が起こり、原発事故も起き、コロナ禍というパンデミックが起こった。 米中対立の動向など国際情勢もきな臭くなる一方だ。南海トラフ地震や富士山噴火と、巨大規模の災害が高い確率で起こる可能性も指摘されている』、「「有事はない」という建前が崩壊し続けた失われた30年」、は安全保障の問題と災害の問題を混同しており、違和感がある。
・『日本の潜在的危機は深まっていく このように「有事がない」なんてことはありえない。万が一、諸国民が公正で信義に溢れる人たちばかりでも激甚な天災は起きるし、新しいウイルスは人間の言うことを聞いてはくれない。 日本も「例外的に有事がなかった時代」が終わり、「いつでも有事が起こりうるという通常の状態」に戻ったのである。 そんなさなかに、この国は、政府もメディアも、ある意味、多くの日本国民さえも、未だに「有事がないという建前は現実でもある」という世界観から脱却できていない。 そんな縁起でもないこと、あってはならないことは起きない、だからそれを前提にした制度や仕組みもあってはならない、という現実歪曲わいきょく空間に閉じこもったままだ。 その結果、有事に直面するたびに有効策を講じられず、大きな効果が見込める施策を断行する勇気もないため、「グダグダ」なパターンを繰り返す。 高度成長期以降の「昭和元禄」天下泰平の時代がもたらした「昭和的グダグダ感」が続く限り、この国の潜在的危機が深まっていく』、平和主義を「現実歪曲わいきょく空間に閉じこもったまま」と批判するのは、安直だ。「高度成長期以降の「昭和元禄」天下泰平の時代がもたらした「昭和的グダグダ感」が続く限り、この国の潜在的危機が深まっていく」、観念的視点からの浮ついた批判で、読むに堪えない。 この後編も8月24日付けであるが、紹介は止めておく。
次に、9月17日付け東洋経済オンラインが掲載した慶應義塾大学大学院准教授の小幡 績氏による「ついに「日本が独り勝ちする時代」がやってきた なぜ円安が進んでいるのにそこまで言えるのか」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/619077
・『円安が1ドル=145円にタッチしそうなまでに進み、世間では「日本経済は終わった」「この世の終わりだ」といったような雰囲気になっている。ある月刊誌などは「日本ひとり負けの真犯人は誰か」などという特集まで組んでいる』、元気になる記事を書いてくれるようで、興味深い。
・『日本は世界と「真逆」 この連載は競馬をこよなく愛するエコノミスト3人による持ち回り連載です(最終ページには競馬の予想が載っています)。記事の一覧はこちら 180度逆だ。ついに「日本がひとり勝ちするとき」がやってきたのだ。 当然だ。説明しよう。 世界は何をいま騒いでいるか。インフレである。インフレが大変なことになり、慌てふためいて、欧米を中心に世界中の中央銀行が政策金利を急激に引き上げている。 その結果、株価が暴落している。世中の中央銀行の量的緩和で膨らんだ株式バブルが崩壊している。実体経済は、この金利引き上げで急速に冷え込んでいる。一方、インフレは収まる気配がないから、いちばん嫌なスタグフレーション(経済が停滞する中での物価高)が確実になっている。世界経済は、「長期停滞」局面に入りつつあるのである。 一方、日本はどうか。世間が「ひとり負け」と騒ぐぐらいだから、日本だけが世界と正反対の状況になっている。 まず、世界で唯一と断言できるほど、インフレが起きていない。企業物価は大幅に上昇しているが、それが消費者物価に反映されるまで非常に時間がかかっており、英国の年率10%、アメリカの8%とは次元が違う2%程度となっている。 英国では、一家計あたりの年間エネルギー関連の支出が100万円超の見込みとなり、文字どおりの大騒ぎとなっている。新しく就任したリズ・トラス首相は、補助金をばらまくことによって、実質20万円以下に抑え込む政策を発表した。 だが、これによる財政支出は約25兆円にもなると言われており、これだけで「英国は財政破綻するのではないか」と言われるありさまだ。 これに比べると、日本の岸田政権のバラマキはバラマキでも低所得世帯へ各5万円程度、総額で1兆円弱であり、何の問題もなく見えてくるのである。 日本では、政策的に、電力会社が電気料金の引き上げを徐々にしかできないように規制しており、これが電気代の安定化に寄与している。日本では2%ちょっとの物価上昇でも、一時は大騒ぎになったが、インフレーションが加速するようなことが起きにくい構造になっているのである。 このような物価が安定した経済においては、中央銀行は急いで政策金利を引き上げる必要はない。だから、日本銀行は、世界で唯一、金融政策を現状維持して、のんびりできているのである』、日本だけ利上げに取り残され、円は暴落傾向だったのを、円売り介入で食い止めている状況で、「日本銀行は、世界で唯一、金融政策を現状維持して、のんびりできている」というのは言い過ぎだ。
・『賃金が上がらない経済のほうが望ましい理由 これに対して、大多数のエコノミストたちは、「欧米は物価も上がっているが、賃金も上がっている。賃金が上げられる経済だから、物価が上がっても大丈夫であり、日本のように賃金が上げられない経済は最悪だ」として、日本経済を「世界最悪だ」とこき下ろしている。 間違いだ。 1973年に起きたオイルショックのときは、その後の労使交渉が友好的にまとまり、賃金引き上げを社会全体で抑制できた。これにより経済の過熱を抑え、世界で日本だけがインフレをすばやく押さえ込み、1980年代には日本の経済が世界一となった。 これと同じで、賃金が上がらない経済のほうが、現状では望ましい。アメリカなどはそれこそ賃金上昇を死に物狂いで政府を挙げて抑え込もうとしている。つまり、賃金の上がらない日本経済は、現在のスタグフレーションリスクに襲われている世界経済の中では、うらやましがられる存在であり、世界でもっとも恵まれているのである。 消費者物価が上がらないのも、消費者が貧乏性であることが大きい。そのため、少しの値上げでも拒絶反応が大きく、企業側が企業間取引価格は引き上げても、小売価格を引き上げられない。しかし、このようなインフレが最大の問題となっている状況では、ショックアブソーバーが完備された「安定した経済、消費財市場」であり、望ましいのである。 だから、日本の中央銀行だけが金融政策を引き締めに転じる必要がなく、景気が急速に冷え込む恐れがなく、非常に安定して穏やかな景気拡大を続けており、非常にマクロ経済として良好な状態を保っているのである。 いったい、このような世界でもっとも恵まれた状況の日本経済に何の不満があるのか。 現在、日本を騒がせているのは、円安である。これは、異常な規模と特異な手段で行っている異次元金融緩和を、普通の金融緩和にすれば、直ちに解消する。 「連続指値オペ」という、日銀が毎日10年物の国債金利を指定する利回り(上限0.25%程度)で原則無制限に買う政策は、金融市場を完全に殺すものであり、異常なので、直ちに取りやめる。 また、イールドカーブコントロールと呼ばれる「10年物の金利をゼロ程度に抑え込むことをターゲットとする」という、これまた歴史上ほとんど類を見ない政策をやめれば、異常な円安は直ちに解消する。 要は今の円安で困っているのは、日銀の単純なテクニカルな手段のミスである。特異なことをやめ、普通に金融緩和を続けるだけで異常な円安も解消し、金融緩和も続けられるので、日本経済にはまったく問題がない、ということになる。 しかし、有識者たちは「真の日本経済の問題はもっと根深い。いちばんの問題は、この10数年、アメリカでは高い経済成長率を実現したのに、日本は低成長に甘んじたことだ。賃金、物価が上がらない、つまり変化が起こりにくい、ダイナミズムが不足しているのではないか」と懸念する。「アメリカには圧倒的に差をつけられ、中国にも抜かれてしまった。日本経済からダイナミズム、イノベーション、そして経済成長が失われてしまったことが大問題なのだ」と嘆く』、「円安」「は、異常な規模と特異な手段で行っている異次元金融緩和を、普通の金融緩和にすれば、直ちに解消する。 「連続指値オペ」という、日銀が毎日10年物の国債金利を指定する利回り(上限0.25%程度)で原則無制限に買う政策は、金融市場を完全に殺すものであり、異常なので、直ちに取りやめる。 また、イールドカーブコントロールと呼ばれる「10年物の金利をゼロ程度に抑え込むことをターゲットとする」という、これまた歴史上ほとんど類を見ない政策をやめれば、異常な円安は直ちに解消する」、これを止めるべきというのは正論だが、代わりに長期金利が上昇するのは放置する必要がある。
・『「日本の安定性」にもっと積極的な評価を 確かにこれは、日本経済の弱点と言える。良くはない。しかし、何事も、長所と短所がある。 日本の有識者や世間の議論の悪いところは、世界でいちばんのものを持ってきて「それに日本が劣る」と騒ぎたて、「日本はダメだ、悪い国だ」と自虐して、批判したことで満足してしまうことだ。社会保障はスウェーデンと比較し、イノベーションはアメリカと比較し、市場規模は中国と比較する。そりゃあ、さすがに勝ちようがない。 日本経済の特徴は、流動性に欠け、変化やダイナミズムは少ないが、その一方で、抜群の安定性がある。オイルショックでも物価高騰を抑え込み、リーマンショックでもコロナでも、失業率の上昇は、欧米に比べれば、無視できるほどだ。 21世紀になっても給料が上がっていないことを指摘されるが、その理由は3つある。第1に1990年時点の給料がバブルで高すぎたこと、第2に正規雇用と非正規雇用という不思議な区別があり、1990年時点の前者のグループの給料が高すぎた。そのために、後者のグループを急増させたため、2つのグループを合わせた平均では下がることが必然であることだ。第3に、雇用の安定性を良くも悪くも最重要視していること、である。 第1の問題は賃金が上がらないことが解決策であり、第2の問題は日本のマクロ経済の問題ではなく、日本社会制度の問題であり、非正規雇用というものを消滅させ、すべて平等に扱うことが必要だ。第3の問題は、日本人が、社会として歴史的に選択してきた結果である、ということである。 物価が上がりにくいことは、ある状況の下ではすばらしいことであり、その一例がオイルショックであり、今の2022年である。そして、私の主張は、そういう状況がいずれ21世紀の世界経済を覆うことになるのではないか、ということだ』、「物価が上がりにくいことは、ある状況の下ではすばらしいことであり・・・今の2022年である」、「今の2022年」は決して「すばらしいこと」ではなく、経済の弱みになっていると思う。
・『「膨張しない時代」が始まる つまり、第2次世界大戦後、世界はずっとバブルだったのである。バブルという言葉がいやならば、膨張経済の時代だった。その下で、1990年の冷戦終了により、金融バブルが始まった(これは誰がなんと言おうとバブルだ)。 そして、そのバブルが膨張と破裂を繰り返し、いよいよ最後の「世界量的緩和バブル」が弾けつつあったところに、今度はコロナバブルが起きた。そして、それが今インフレにより、激しく破裂するのではなく、着実に萎み始めているのである。そして、萎んだ後は、長期停滞、膨張しない経済、膨張しない時代が始まるのである。 この「膨張しない時代」においては、日本経済と日本社会の安定性、効率性という強みが発揮されることになるのである。 そもそもイノベーションとは何か。すばらしい技術革新により、新しい必需品、生活になくてはならないものを作るのは、すばらしいイノベーションといえる。 だが、今世の中にあふれているのは、「新しい」必要でないものを生み出し、それを消費者に「欲しい」と思わせることである。次々と新しい「ぜいたく品」、要は余計なものを欲しいと思わせ、売りつけ、それにより人々は「造られた欲望」を満たし、幸せになった気でいるのだ。 しかし、これらは不必要なエンターテイメント物だから、すぐに飽きる。だから、作る側は次の「新しい」ぜいたく品を売りつけるのであり、それがやりやすい。それを繰り返していくのが、生活必需品が満たされた後の豊満経済であり、現代なのである。飽食により生活習慣病になるのと同じく、豊満で飽食で食傷気味になりつつあるのが現代経済なのである。) これらは、人々がすぐ飽きる、よく考えると無駄なぜいたく品、流行物であるから、まだいい。害は無駄というだけにすぎない。現在のイノベーションの大半、特にビジネスとして大成功しているものは、「麻薬」を生み出している企業である。 つまり、本来は不必要なものを必要だと人々に思わせ、そしてみんなで使っているうちに、なくてはならないものにしてしまっている「必需な」ぜいたく品である。そして、その多くは、必需と思わせるために、中毒になりやすい、嗜好を刺激するものになっている。ゲームであり、スマホであり、SNSである。 そして要は広告で儲ける。テレビも、報道からすぐに役割はエンターテイメントに変わった。そして広告ビジネスとなった。それがインターネット、スマホにとって変わられただけだ。しかし、中毒性は強まっており、人間社会を思考停止に追い込み、退廃させる「麻薬度」においては、「新しい」イノベーションであるために、より強力になっている』、「その多くは、必需と思わせるために、中毒になりやすい、嗜好を刺激するものになっている。ゲームであり、スマホであり、SNSである。 そして要は広告で儲ける。テレビも、報道からすぐに役割はエンターテイメントに変わった。そして広告ビジネスとなった。それがインターネット、スマホにとって変わられただけだ。しかし、中毒性は強まっており、人間社会を思考停止に追い込み、退廃させる「麻薬度」においては、「新しい」イノベーションであるために、より強力になっている」、これに関しては、異論はなく、その通りだ。
・『「膨張しない経済」の営みの本質とは? しかし、この時代は終わりつつある。なぜ、いま、インフレになっているか。ぜいたく品と「麻薬」を作りすぎて、必需品の生産に手が回らなくなったからである。 優秀な大学を卒業し(またはしなくても)、金を稼ごうとする人々は、みなぜいたく品を作る側に回る。ブランド企業、独占力のある企業、他にない余計なものを作る企業に就職する。象徴的なのは、広告産業である。いらないものを欲しいと思わせる。それで稼ぐのである。 なぜ唯一無二のものはすべてぜいたく品か。「麻薬」か。それは必需品であれば、必要に迫られて、多くの人が作るからである。まず自分が必要なものは自分で作る。そのものを作るのが得意な人は、周りの人に頼まれて余計に作る。確実にニーズはある。あるに決まっている。必要に迫られている。それが村で評判になり、隣町で話題になる。それなら市場(いちば)で売ろうか、となる。 食料は、みなが必要である。だから作ろうとする人がたくさんいる。必需品は確実にニーズがあり、そして、今後もほぼ永遠に必要である。だから、作る人も多く現れる。人間が一生懸命工夫して作れば、世界でただ一人しか作れない、というものなどない。あってもそれはあきらめて、その次によい質のもの、良質の必需品で済ませる。 もしやる気があれば、必需品でよりよいものを作ろうとする。改善する。現在存在する必需品の延長線上で、よりよいものを作ろうとする。だが、これは一見イノベーションになりにくい。それでも社会に大きく貢献する。人々を確実に幸せにする。 しかし、大半は目新しくないから、今までとほとんど同じ値段でしか売れない。大儲けはできない。独占もできない。広告もあまりいらない。みんな使っているし、必要としているし、よりよいかどうかは使ってみないとわからないから、使ってみて、自分で判断するわけだ。) これが「膨張しない経済」における営みである。必需品の質が上がっていく。基礎的な消費の質が改善する。これが社会にとってもっとも必要であり、社会を豊かにし、社会を持続的に幸せにすることだ。格差は生まれにくい。質の差はあるが、その差に断絶はない。社会として一体性は維持されやすい。 驚くほどの経済成長、急速な規模的拡大はない。同じものを少しずつ改良しているのだから、ゆっくり持続的に質が上がっていく。この中で、景気が悪くなることもある。農業中心なら、干ばつ、洪水、気候変動であり、農業以外であっても、何らかの好不調はあるだろう。そのときに必要なのは、効率化である。苦しいときには、みんなが困らないように、少ないコストで、少ない労働力で、少ないエネルギーで同じものを作る。これは確実に社会に役に立つ。 日本企業は、こうした点は得意だ。改善と効率化。これが日本企業の真骨頂だ。そして、金にならない社会のためのイノベーションの代表格が、JR東日本が発行しているICカードの「Suica」である。 筆者に言わせれば、遅ればせながら、消費者の情報を「奪い取って」、消費者を利用して儲けることの可能性に気づいた。だが当初の目的は「キセル防止」「改札の混雑防止」などだった。社会に確実に役に立つ。みんながそれを求めていたからだ。儲けることはほとんど考えていなかった。情報を奪うこと、独占することなど思いもよらなかったはずだ。 配達をしてくれる人々、料理を作ってくれる人々、清掃員、介護者。別に高く売れるイチゴではなく、安全で普通においしい米、小麦を作ってくれる人々。今、社会では彼ら彼女らが不足している』、「改善と効率化。これが日本企業の真骨頂だ」、その通りだが、問題はイノベーションで新たなサービス・商品の価値を生み出すのが不得手な点だ。
・『日本が「持続目的経済」で「世界一」に われわれは、必需品が作れなくなり、いらないぜいたく品が世の中に溢れ、人々は「麻薬」にお金を使っている。だから、新型コロナウイルスや戦争などなんらかの社会的なショックによって供給不足に陥り、必需品が目に見えて高騰してはじめて、ようやく「今まで必需品をつくることに手を抜いてきた社会」になっていたことに気づくのだ。 これからは、必需品を、資源制約、人材制約、環境制約の下で、効率的に作る。地道に質を改善していく。人々の地に足のついたニーズに基づいた改良を加えたものを作るために、改善に勤しむ。そういう、持続性のある、いや持続そのものが目的となる「持続目的経済」"eternal economy"の時代が始まりつつあるのである。その中では日本経済は、どこの経済よりも強みを発揮するだろう。 唯一の懸念は、この日本経済、日本社会の長所に気づかず、短所ばかりをあげつらい、他の国を真似て日本の長所を破壊しつつあることだ。それが、有識者がやっていることであり、エコノミストの政策提言であり、多くのビジネススクールで教えていることなのである。 もう一度、日本経済の長所を捉えなおし、それを活かす社会、経済、社会システムを構築することを目指す必要がある(ここで本編は終了です。次ページは競馬好きの筆者が週末のレースを予想するコーナーです。あらかじめご了承ください)』、「持続そのものが目的となる「持続目的経済」"eternal economy"の時代が始まりつつあるのである。その中では日本経済は、どこの経済よりも強みを発揮するだろう」、その通りなのかも知れない。面白い視点だ。
先ずは、8月22日付けPRESIDENT Onlineが掲載したHONZ代表の成毛 眞氏と経営共創基盤(IGPI)グループ会長の冨山 和彦氏による「冨山和彦「日本経済を蝕む"昭和的グダグダ"が何度となく繰り返されてしまう根本原因」 政府が"ゾンビ企業"の延命にカネを配り続けている」を紹介しよう。
https://president.jp/articles/-/60781
・『今の日本では「個人の力」の前に「個人の学ぶ力」を求められる 一人ひとりの日本人が「個人の力」を身につけ、生かしていこうとするとき、やはりそこでも壁として立ちはだかるのは、新陳代謝が進まず固定化した産業構造、社会構造だ。 これからの時代に求められる力は、新しい力である。しかし、古くて固定化した産業構造に身を置いても、あるいは、そこに向けて用意されている古い教育システムに身を置いても、それだけでは新しい力は身につかない。 長年にわたり、あれだけSTEM(ステム)(※1)が大事だと言われながら、相変わらずIT人材が足りない、AI技術者が育たないと嘆いている根本原因は、まさに人材教育、人材投資に関わる仕組みが古い構造に固定化されていることにある。 だから、ここでも自らの頭で考え、自らの頭で判断して、自分にフィットした「個人の力」を身につける道筋を探索しなくてはならない。「個人の力」の前に「個人の学ぶ力」を求められるのが、今の日本なのである。 GDPとは、要するに「付加価値の総計」である。付加価値をつくる能力がなければ、経済成長率も上がらないし、国民所得も増えない。日本のような成熟した先進国において、キャッチアップ型、コストと価格競争力勝負の大量生産工業への先行投資で付加価値が生まれる余地は小さい。しかも、付加価値創出はデジタル化とグローバル化による破壊的イノベーションに牽引される時代だ。 イノベーションの時代の付加価値の源泉は、一人ひとりの人間がもつ発想力、創造力、行動力である。そんな個がチームとなって相乗力が生まれ、新しい企業、さらには産業となってスケールする(※2)。 時代の移り変わりによって付加価値を生み出す力を失った古い産業構造のなか、古い組織のルール、古いお作法のなかでは、新しい付加価値を創造する個が輝くのは難しい。サッカーの天才も野球チームにいる限り、才能を開花させられないのは当たり前の話だ。 そこで古い産業構造が固定化して居座りを決め込めば、新しい付加価値が芽吹き大きく成長するスペースは、なかなか生まれない。 政府がお題目としてベンチャー支援を唱えても、他方で古い産業、古い企業の存続をあの手この手で支援すると、効果は相殺され、結果は現状維持となってしまうのだ。そして日本経済の付加価値創出力は停滞を続ける』、「イノベーションの時代の付加価値の源泉は、一人ひとりの人間がもつ発想力、創造力、行動力である。そんな個がチームとなって相乗力が生まれ、新しい企業、さらには産業となってスケールする」、「付加価値を生み出す力を失った古い産業構造のなか、古い組織のルール、古いお作法のなかでは、新しい付加価値を創造する個が輝くのは難しい・・・そこで古い産業構造が固定化して居座りを決め込めば、新しい付加価値が芽吹き大きく成長するスペースは、なかなか生まれない。 政府がお題目としてベンチャー支援を唱えても、他方で古い産業、古い企業の存続をあの手この手で支援すると、効果は相殺され、結果は現状維持となってしまうのだ。そして日本経済の付加価値創出力は停滞を続ける」、ある意味で真相を突いている。
・『経済危機のたびにゾンビ型企業延命メカニズムが働く理由 ちなみに、2008年のリーマンショックのような経済危機が起こっても、打撃の規模の割に、日本で倒産する企業は世界に類を見ないほど少ない。直近のコロナ禍でも、現在の倒産件数は、日本史上で見ても最低水準で推移している。 倒産する企業が少ないと聞くと、いいことのように思えるかもしれない。しかし、これは政府が巨大な支出をして倒産を回避しているだけの話だ。 要は、この国は個人を直接救う公助能力があまりにも低いのである。制度も弱いし、デジタル化も進んでいないので、有事に迅速に手を差し伸べられない。 だから毎回、企業内共助システム、「二重の保護」構造に頼らざるを得ない。そこで必死に融資や助成金で企業を支えるしか、困窮した国民を支える方法がないのだ。 これしかないので局面的にはやむを得ないのだが、すでに触れたように、この仕組みは大きな副作用を伴う。 すなわち、突然襲ってくる危機的状況において、どこでピンチになっているかわからない困窮者の生活、人生を救うには、とりあえず規模の大小、競争力の強弱、生産性の高低に関係なく、すべての企業を支えるしかない。 すると企業の新陳代謝は妨げられ、しかもここで分不相応に大きな借金を抱えて生き延びた企業の多くが過剰債務企業、すなわちゾンビ企業になってしまう。そしてその後も政府の支援に頼るようになる。結果的に、産業構造の固定化がさらに進んでいくのである』、「突然襲ってくる危機的状況において、どこでピンチになっているかわからない困窮者の生活、人生を救うには、とりあえず規模の大小、競争力の強弱、生産性の高低に関係なく、すべての企業を支えるしかない。 すると企業の新陳代謝は妨げられ、しかもここで分不相応に大きな借金を抱えて生き延びた企業の多くが過剰債務企業、すなわちゾンビ企業になってしまう。そしてその後も政府の支援に頼るようになる。結果的に、産業構造の固定化がさらに進んでいくのである」、その通りだ。
・『政府が無差別にカネを配ってしまった事業の末路 欧米でもコロナ禍に際してかなり大きな政府支出で緊急経済対策を打っているが、失業率も倒産件数も相応に増えている。 もともと、どの国も平時から起業率も廃業率も日本より高いのである。コロナ明けを想定すると、長い目で見ると産業の新陳代謝がさらに進み、デジタル技術を駆使した新しい業態、新しい企業への世代交代が進むだろう。歴史的にも、経済危機の後はイノベーションが加速する場合が多い。 しかし、日本では、むしろ古い産業がゾンビ化したまま生き残り、産業構造の固定化が進んでしまう傾向がある。バブル崩壊の後も、リーマンショックの後もそうだった。 原因が何であれ、稼げない企業は淘汰とうたされるのがビジネスの理ことわりだ。そういう意味では、倒産企業が少ないことは、長期的な経済発展という観点からは決して歓迎すべきことではないのである。 実際、コロナ禍でも、まったく同じ構図になりつつある。2020年に73兆円、2021年には55兆円の巨大な経済対策予算が組まれ、一般的には、10万円の個人向け給付金やGo Toキャンペーンなどが注目された。しかし、実はいろいろな形で企業にも巨額の資金が流れているのだ。 キャッシュ・イズ・キング。名目が補助金だろうが、給付金だろうが、融資だろうが、キャッシュが回っている限り、どんなに大赤字になっても企業は潰れない。だから、企業倒産件数は史上最低水準で推移しているのだ。 しかし、無差別にカネを配った結果、企業のなかにはその使い道がなく、預金額ばかりがどんどん積み上がってしまっているところも多い。 「このままでは潰れるかもしれない」という危機感がなければ、何かを変えよう、新しいことをやってみようという機運も高まりにくい。むしろ政府がいくらでも金を出してくれるのだから、危機が収まるまではじっとしていようと考えるのが人情だ』、「名目が補助金だろうが、給付金だろうが、融資だろうが、キャッシュが回っている限り、どんなに大赤字になっても企業は潰れない。だから、企業倒産件数は史上最低水準で推移しているのだ。 しかし、無差別にカネを配った結果、企業のなかにはその使い道がなく、預金額ばかりがどんどん積み上がってしまっているところも多い。 「このままでは潰れるかもしれない」という危機感がなければ、何かを変えよう、新しいことをやってみようという機運も高まりにくい。むしろ政府がいくらでも金を出してくれるのだから、危機が収まるまではじっとしていようと考えるのが人情だ」、その通りだ。
・『大企業は「戦略的グダグダ」ではなく「真正グダグダ」である しかし、コロナ禍が去ってみると、企業間の格差、産業間の実力格差は広がっているだろう。そして、赤字補塡ほてんの借金を積み上げる一方で未来投資をためらっていた企業はゾンビ化していく可能性が高い。 ゾンビにいくら鮮血を注いでもゾンビとして生きながらえるだけであり、人間には戻らない。それと同じように、生産性の低い企業が、利益を上げる本来あるべき企業として蘇るのではなく、生産性が低いまま延命してしまうことになる。 私は20年前の金融危機に際し、産業再生機構(※3)を率いる立場になった時、現場のプロフェッショナル300名とともに公的資金10兆円を産業と金融の一体再生のために駆使したが、ゾンビ企業の延命にはカネを使わなかった。 そのことで多方面から矢のような非難を浴びたが、企業をゾンビ状態で延命させるべきではない。政府が救うべきはゾンビ企業ではなく、稼ぐ力が残っている事業であり、そこで働く人間なのだ。だから、むしろ経済危機に際して起きる企業の新陳代謝を止めるべきではない。 政府は企業の退出に伴う社会的コストの最小化、すなわちオーナー経営者の個人破産の回避や、労働者の転職や職業訓練、リカレント教育(※4)にこそ金を使うべきだと主張してきた。 要は社会全体として、過度な企業内共助の仕組みを脱却しよう、政府は企業、産業の新陳代謝を前提とした、公助共助連動型の包摂的なセーフティネットを整備すべきと主張してきたのである。 しかし、その後も企業内共助依存と「二重の保護」構造の転換は進まず、ひとたび経済危機が起こって企業が風前の灯になりかけると、毎回、政府が巨額のばらまきで救済する。 そんなズブズブの官民関係が続いているのだ。 バブル崩壊後の金融危機、ITバブルの崩壊、リーマンショック、東日本大震災、そしてコロナ禍と、この20年間、日本経済は何度も危機を経験してきた。 そこで淘汰による新陳代謝が起こるなり、徹底的な自己改革によって付加価値生産性が上がるなりしていれば、日本の産業はもっと活発でおもしろいものになっていたかもしれない。 しかし、それを結果的に妨げてきた「二重の保護」構造は政治的にきわめて強固で、これからもなかなか崩せないだろう。官にも民にもその仕組みに寄りかかっている人がたくさんいて、特に、少子高齢化で数はたくさんいる上の世代の選挙民自身に、この構造のまま自分たちは逃げ切れるのではないか、という動機づけが強烈に働いているのだから。 産業再生機構の当時から感じていたのは、政府であれ、大企業であれ、日本の古典的なエスタブリッシュメント組織の体質をひとことで言うなら「グダグダ」であるということだ。すべてが固定的で旧時代的。何かというと「ことなかれ」の保身に走る。悪しき「昭和」である。 のらりくらりと世間の雑音をかわしつつ、やるべきことをしたたかに着々とやる、といった「戦略的グダグダ」ではない。本質的なことを考えていないから有効策を講じられない、大きな効果が見込める政策を断行する勇気もないという、いわば「真正グダグダ」である』、「産業再生機構」で「ゾンビ企業の延命にはカネを使わなかった」と大言壮語しているが、ダイエーは丸紅をスポンサー企業として渡した後も、結局、上手くゆかず、イオンが引き取る形で最終的に処理した。「戦略的グダグダ」はついに実行されなかったようだ。
・『「有事はない」という建前が崩壊し続けた失われた30年 昭和的グダグダ感の根っこの1つには、敗戦後にできた日本国憲法の成立から引き継がれてきた「有事というものは存在しない」という建前路線があるように思う。 憲法はその前文と第9条において、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して戦争放棄を規定している。この憲法が成立した1946年当時は吉田茂内閣の時代だ。吉田は英国流のプラグマティストで自由主義者である。 彼はその後の東西冷戦の時代において、むしろこの憲法を盾に、米国の核の傘の下で軽武装経済重視の国家再建を進めることになる。 いわば、美しい建前を利用して、国家再建という現実政策をプラグマティックに推し進めたのである。 実際、第二次世界大戦が終結してからの20世紀後半、世界はおおむね平和だった。1950年に始まる朝鮮戦争や、1960年代半ばから泥沼化していくベトナム戦争などの局地戦争はあるものの、世界的な戦争は起こっていない。少なくとも日本が当事者として大きな戦争に直接巻き込まれる事態は起きなかった。 そして戦後の日本は、明治時代の「富国強兵」路線マイナス強兵の加工貿易立国による富国路線によって、敗戦による荒廃からみごとに立ち直っていった。 そして長きにわたる平和と経済的繁栄によって、最初はあくまでも建前だった「有事はない」が、40年、50年と経つうちに実体的な前提になっていったのである。 目をつぶれば何も見えないのと同じで、この国のあらゆる仕組みが「有事はない」前提でつくられるようになっていく。 しかし、それほど長期間にわたり平時が続くことのほうが、本来は異常なのだ。現に20世紀末期から21世紀にかけて、元号が昭和から平成に変わると、バブル経済が崩壊し、1995年の阪神淡路、2011年の東日本という2つの大震災が起こり、原発事故も起き、コロナ禍というパンデミックが起こった。 米中対立の動向など国際情勢もきな臭くなる一方だ。南海トラフ地震や富士山噴火と、巨大規模の災害が高い確率で起こる可能性も指摘されている』、「「有事はない」という建前が崩壊し続けた失われた30年」、は安全保障の問題と災害の問題を混同しており、違和感がある。
・『日本の潜在的危機は深まっていく このように「有事がない」なんてことはありえない。万が一、諸国民が公正で信義に溢れる人たちばかりでも激甚な天災は起きるし、新しいウイルスは人間の言うことを聞いてはくれない。 日本も「例外的に有事がなかった時代」が終わり、「いつでも有事が起こりうるという通常の状態」に戻ったのである。 そんなさなかに、この国は、政府もメディアも、ある意味、多くの日本国民さえも、未だに「有事がないという建前は現実でもある」という世界観から脱却できていない。 そんな縁起でもないこと、あってはならないことは起きない、だからそれを前提にした制度や仕組みもあってはならない、という現実歪曲わいきょく空間に閉じこもったままだ。 その結果、有事に直面するたびに有効策を講じられず、大きな効果が見込める施策を断行する勇気もないため、「グダグダ」なパターンを繰り返す。 高度成長期以降の「昭和元禄」天下泰平の時代がもたらした「昭和的グダグダ感」が続く限り、この国の潜在的危機が深まっていく』、平和主義を「現実歪曲わいきょく空間に閉じこもったまま」と批判するのは、安直だ。「高度成長期以降の「昭和元禄」天下泰平の時代がもたらした「昭和的グダグダ感」が続く限り、この国の潜在的危機が深まっていく」、観念的視点からの浮ついた批判で、読むに堪えない。 この後編も8月24日付けであるが、紹介は止めておく。
次に、9月17日付け東洋経済オンラインが掲載した慶應義塾大学大学院准教授の小幡 績氏による「ついに「日本が独り勝ちする時代」がやってきた なぜ円安が進んでいるのにそこまで言えるのか」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/619077
・『円安が1ドル=145円にタッチしそうなまでに進み、世間では「日本経済は終わった」「この世の終わりだ」といったような雰囲気になっている。ある月刊誌などは「日本ひとり負けの真犯人は誰か」などという特集まで組んでいる』、元気になる記事を書いてくれるようで、興味深い。
・『日本は世界と「真逆」 この連載は競馬をこよなく愛するエコノミスト3人による持ち回り連載です(最終ページには競馬の予想が載っています)。記事の一覧はこちら 180度逆だ。ついに「日本がひとり勝ちするとき」がやってきたのだ。 当然だ。説明しよう。 世界は何をいま騒いでいるか。インフレである。インフレが大変なことになり、慌てふためいて、欧米を中心に世界中の中央銀行が政策金利を急激に引き上げている。 その結果、株価が暴落している。世中の中央銀行の量的緩和で膨らんだ株式バブルが崩壊している。実体経済は、この金利引き上げで急速に冷え込んでいる。一方、インフレは収まる気配がないから、いちばん嫌なスタグフレーション(経済が停滞する中での物価高)が確実になっている。世界経済は、「長期停滞」局面に入りつつあるのである。 一方、日本はどうか。世間が「ひとり負け」と騒ぐぐらいだから、日本だけが世界と正反対の状況になっている。 まず、世界で唯一と断言できるほど、インフレが起きていない。企業物価は大幅に上昇しているが、それが消費者物価に反映されるまで非常に時間がかかっており、英国の年率10%、アメリカの8%とは次元が違う2%程度となっている。 英国では、一家計あたりの年間エネルギー関連の支出が100万円超の見込みとなり、文字どおりの大騒ぎとなっている。新しく就任したリズ・トラス首相は、補助金をばらまくことによって、実質20万円以下に抑え込む政策を発表した。 だが、これによる財政支出は約25兆円にもなると言われており、これだけで「英国は財政破綻するのではないか」と言われるありさまだ。 これに比べると、日本の岸田政権のバラマキはバラマキでも低所得世帯へ各5万円程度、総額で1兆円弱であり、何の問題もなく見えてくるのである。 日本では、政策的に、電力会社が電気料金の引き上げを徐々にしかできないように規制しており、これが電気代の安定化に寄与している。日本では2%ちょっとの物価上昇でも、一時は大騒ぎになったが、インフレーションが加速するようなことが起きにくい構造になっているのである。 このような物価が安定した経済においては、中央銀行は急いで政策金利を引き上げる必要はない。だから、日本銀行は、世界で唯一、金融政策を現状維持して、のんびりできているのである』、日本だけ利上げに取り残され、円は暴落傾向だったのを、円売り介入で食い止めている状況で、「日本銀行は、世界で唯一、金融政策を現状維持して、のんびりできている」というのは言い過ぎだ。
・『賃金が上がらない経済のほうが望ましい理由 これに対して、大多数のエコノミストたちは、「欧米は物価も上がっているが、賃金も上がっている。賃金が上げられる経済だから、物価が上がっても大丈夫であり、日本のように賃金が上げられない経済は最悪だ」として、日本経済を「世界最悪だ」とこき下ろしている。 間違いだ。 1973年に起きたオイルショックのときは、その後の労使交渉が友好的にまとまり、賃金引き上げを社会全体で抑制できた。これにより経済の過熱を抑え、世界で日本だけがインフレをすばやく押さえ込み、1980年代には日本の経済が世界一となった。 これと同じで、賃金が上がらない経済のほうが、現状では望ましい。アメリカなどはそれこそ賃金上昇を死に物狂いで政府を挙げて抑え込もうとしている。つまり、賃金の上がらない日本経済は、現在のスタグフレーションリスクに襲われている世界経済の中では、うらやましがられる存在であり、世界でもっとも恵まれているのである。 消費者物価が上がらないのも、消費者が貧乏性であることが大きい。そのため、少しの値上げでも拒絶反応が大きく、企業側が企業間取引価格は引き上げても、小売価格を引き上げられない。しかし、このようなインフレが最大の問題となっている状況では、ショックアブソーバーが完備された「安定した経済、消費財市場」であり、望ましいのである。 だから、日本の中央銀行だけが金融政策を引き締めに転じる必要がなく、景気が急速に冷え込む恐れがなく、非常に安定して穏やかな景気拡大を続けており、非常にマクロ経済として良好な状態を保っているのである。 いったい、このような世界でもっとも恵まれた状況の日本経済に何の不満があるのか。 現在、日本を騒がせているのは、円安である。これは、異常な規模と特異な手段で行っている異次元金融緩和を、普通の金融緩和にすれば、直ちに解消する。 「連続指値オペ」という、日銀が毎日10年物の国債金利を指定する利回り(上限0.25%程度)で原則無制限に買う政策は、金融市場を完全に殺すものであり、異常なので、直ちに取りやめる。 また、イールドカーブコントロールと呼ばれる「10年物の金利をゼロ程度に抑え込むことをターゲットとする」という、これまた歴史上ほとんど類を見ない政策をやめれば、異常な円安は直ちに解消する。 要は今の円安で困っているのは、日銀の単純なテクニカルな手段のミスである。特異なことをやめ、普通に金融緩和を続けるだけで異常な円安も解消し、金融緩和も続けられるので、日本経済にはまったく問題がない、ということになる。 しかし、有識者たちは「真の日本経済の問題はもっと根深い。いちばんの問題は、この10数年、アメリカでは高い経済成長率を実現したのに、日本は低成長に甘んじたことだ。賃金、物価が上がらない、つまり変化が起こりにくい、ダイナミズムが不足しているのではないか」と懸念する。「アメリカには圧倒的に差をつけられ、中国にも抜かれてしまった。日本経済からダイナミズム、イノベーション、そして経済成長が失われてしまったことが大問題なのだ」と嘆く』、「円安」「は、異常な規模と特異な手段で行っている異次元金融緩和を、普通の金融緩和にすれば、直ちに解消する。 「連続指値オペ」という、日銀が毎日10年物の国債金利を指定する利回り(上限0.25%程度)で原則無制限に買う政策は、金融市場を完全に殺すものであり、異常なので、直ちに取りやめる。 また、イールドカーブコントロールと呼ばれる「10年物の金利をゼロ程度に抑え込むことをターゲットとする」という、これまた歴史上ほとんど類を見ない政策をやめれば、異常な円安は直ちに解消する」、これを止めるべきというのは正論だが、代わりに長期金利が上昇するのは放置する必要がある。
・『「日本の安定性」にもっと積極的な評価を 確かにこれは、日本経済の弱点と言える。良くはない。しかし、何事も、長所と短所がある。 日本の有識者や世間の議論の悪いところは、世界でいちばんのものを持ってきて「それに日本が劣る」と騒ぎたて、「日本はダメだ、悪い国だ」と自虐して、批判したことで満足してしまうことだ。社会保障はスウェーデンと比較し、イノベーションはアメリカと比較し、市場規模は中国と比較する。そりゃあ、さすがに勝ちようがない。 日本経済の特徴は、流動性に欠け、変化やダイナミズムは少ないが、その一方で、抜群の安定性がある。オイルショックでも物価高騰を抑え込み、リーマンショックでもコロナでも、失業率の上昇は、欧米に比べれば、無視できるほどだ。 21世紀になっても給料が上がっていないことを指摘されるが、その理由は3つある。第1に1990年時点の給料がバブルで高すぎたこと、第2に正規雇用と非正規雇用という不思議な区別があり、1990年時点の前者のグループの給料が高すぎた。そのために、後者のグループを急増させたため、2つのグループを合わせた平均では下がることが必然であることだ。第3に、雇用の安定性を良くも悪くも最重要視していること、である。 第1の問題は賃金が上がらないことが解決策であり、第2の問題は日本のマクロ経済の問題ではなく、日本社会制度の問題であり、非正規雇用というものを消滅させ、すべて平等に扱うことが必要だ。第3の問題は、日本人が、社会として歴史的に選択してきた結果である、ということである。 物価が上がりにくいことは、ある状況の下ではすばらしいことであり、その一例がオイルショックであり、今の2022年である。そして、私の主張は、そういう状況がいずれ21世紀の世界経済を覆うことになるのではないか、ということだ』、「物価が上がりにくいことは、ある状況の下ではすばらしいことであり・・・今の2022年である」、「今の2022年」は決して「すばらしいこと」ではなく、経済の弱みになっていると思う。
・『「膨張しない時代」が始まる つまり、第2次世界大戦後、世界はずっとバブルだったのである。バブルという言葉がいやならば、膨張経済の時代だった。その下で、1990年の冷戦終了により、金融バブルが始まった(これは誰がなんと言おうとバブルだ)。 そして、そのバブルが膨張と破裂を繰り返し、いよいよ最後の「世界量的緩和バブル」が弾けつつあったところに、今度はコロナバブルが起きた。そして、それが今インフレにより、激しく破裂するのではなく、着実に萎み始めているのである。そして、萎んだ後は、長期停滞、膨張しない経済、膨張しない時代が始まるのである。 この「膨張しない時代」においては、日本経済と日本社会の安定性、効率性という強みが発揮されることになるのである。 そもそもイノベーションとは何か。すばらしい技術革新により、新しい必需品、生活になくてはならないものを作るのは、すばらしいイノベーションといえる。 だが、今世の中にあふれているのは、「新しい」必要でないものを生み出し、それを消費者に「欲しい」と思わせることである。次々と新しい「ぜいたく品」、要は余計なものを欲しいと思わせ、売りつけ、それにより人々は「造られた欲望」を満たし、幸せになった気でいるのだ。 しかし、これらは不必要なエンターテイメント物だから、すぐに飽きる。だから、作る側は次の「新しい」ぜいたく品を売りつけるのであり、それがやりやすい。それを繰り返していくのが、生活必需品が満たされた後の豊満経済であり、現代なのである。飽食により生活習慣病になるのと同じく、豊満で飽食で食傷気味になりつつあるのが現代経済なのである。) これらは、人々がすぐ飽きる、よく考えると無駄なぜいたく品、流行物であるから、まだいい。害は無駄というだけにすぎない。現在のイノベーションの大半、特にビジネスとして大成功しているものは、「麻薬」を生み出している企業である。 つまり、本来は不必要なものを必要だと人々に思わせ、そしてみんなで使っているうちに、なくてはならないものにしてしまっている「必需な」ぜいたく品である。そして、その多くは、必需と思わせるために、中毒になりやすい、嗜好を刺激するものになっている。ゲームであり、スマホであり、SNSである。 そして要は広告で儲ける。テレビも、報道からすぐに役割はエンターテイメントに変わった。そして広告ビジネスとなった。それがインターネット、スマホにとって変わられただけだ。しかし、中毒性は強まっており、人間社会を思考停止に追い込み、退廃させる「麻薬度」においては、「新しい」イノベーションであるために、より強力になっている』、「その多くは、必需と思わせるために、中毒になりやすい、嗜好を刺激するものになっている。ゲームであり、スマホであり、SNSである。 そして要は広告で儲ける。テレビも、報道からすぐに役割はエンターテイメントに変わった。そして広告ビジネスとなった。それがインターネット、スマホにとって変わられただけだ。しかし、中毒性は強まっており、人間社会を思考停止に追い込み、退廃させる「麻薬度」においては、「新しい」イノベーションであるために、より強力になっている」、これに関しては、異論はなく、その通りだ。
・『「膨張しない経済」の営みの本質とは? しかし、この時代は終わりつつある。なぜ、いま、インフレになっているか。ぜいたく品と「麻薬」を作りすぎて、必需品の生産に手が回らなくなったからである。 優秀な大学を卒業し(またはしなくても)、金を稼ごうとする人々は、みなぜいたく品を作る側に回る。ブランド企業、独占力のある企業、他にない余計なものを作る企業に就職する。象徴的なのは、広告産業である。いらないものを欲しいと思わせる。それで稼ぐのである。 なぜ唯一無二のものはすべてぜいたく品か。「麻薬」か。それは必需品であれば、必要に迫られて、多くの人が作るからである。まず自分が必要なものは自分で作る。そのものを作るのが得意な人は、周りの人に頼まれて余計に作る。確実にニーズはある。あるに決まっている。必要に迫られている。それが村で評判になり、隣町で話題になる。それなら市場(いちば)で売ろうか、となる。 食料は、みなが必要である。だから作ろうとする人がたくさんいる。必需品は確実にニーズがあり、そして、今後もほぼ永遠に必要である。だから、作る人も多く現れる。人間が一生懸命工夫して作れば、世界でただ一人しか作れない、というものなどない。あってもそれはあきらめて、その次によい質のもの、良質の必需品で済ませる。 もしやる気があれば、必需品でよりよいものを作ろうとする。改善する。現在存在する必需品の延長線上で、よりよいものを作ろうとする。だが、これは一見イノベーションになりにくい。それでも社会に大きく貢献する。人々を確実に幸せにする。 しかし、大半は目新しくないから、今までとほとんど同じ値段でしか売れない。大儲けはできない。独占もできない。広告もあまりいらない。みんな使っているし、必要としているし、よりよいかどうかは使ってみないとわからないから、使ってみて、自分で判断するわけだ。) これが「膨張しない経済」における営みである。必需品の質が上がっていく。基礎的な消費の質が改善する。これが社会にとってもっとも必要であり、社会を豊かにし、社会を持続的に幸せにすることだ。格差は生まれにくい。質の差はあるが、その差に断絶はない。社会として一体性は維持されやすい。 驚くほどの経済成長、急速な規模的拡大はない。同じものを少しずつ改良しているのだから、ゆっくり持続的に質が上がっていく。この中で、景気が悪くなることもある。農業中心なら、干ばつ、洪水、気候変動であり、農業以外であっても、何らかの好不調はあるだろう。そのときに必要なのは、効率化である。苦しいときには、みんなが困らないように、少ないコストで、少ない労働力で、少ないエネルギーで同じものを作る。これは確実に社会に役に立つ。 日本企業は、こうした点は得意だ。改善と効率化。これが日本企業の真骨頂だ。そして、金にならない社会のためのイノベーションの代表格が、JR東日本が発行しているICカードの「Suica」である。 筆者に言わせれば、遅ればせながら、消費者の情報を「奪い取って」、消費者を利用して儲けることの可能性に気づいた。だが当初の目的は「キセル防止」「改札の混雑防止」などだった。社会に確実に役に立つ。みんながそれを求めていたからだ。儲けることはほとんど考えていなかった。情報を奪うこと、独占することなど思いもよらなかったはずだ。 配達をしてくれる人々、料理を作ってくれる人々、清掃員、介護者。別に高く売れるイチゴではなく、安全で普通においしい米、小麦を作ってくれる人々。今、社会では彼ら彼女らが不足している』、「改善と効率化。これが日本企業の真骨頂だ」、その通りだが、問題はイノベーションで新たなサービス・商品の価値を生み出すのが不得手な点だ。
・『日本が「持続目的経済」で「世界一」に われわれは、必需品が作れなくなり、いらないぜいたく品が世の中に溢れ、人々は「麻薬」にお金を使っている。だから、新型コロナウイルスや戦争などなんらかの社会的なショックによって供給不足に陥り、必需品が目に見えて高騰してはじめて、ようやく「今まで必需品をつくることに手を抜いてきた社会」になっていたことに気づくのだ。 これからは、必需品を、資源制約、人材制約、環境制約の下で、効率的に作る。地道に質を改善していく。人々の地に足のついたニーズに基づいた改良を加えたものを作るために、改善に勤しむ。そういう、持続性のある、いや持続そのものが目的となる「持続目的経済」"eternal economy"の時代が始まりつつあるのである。その中では日本経済は、どこの経済よりも強みを発揮するだろう。 唯一の懸念は、この日本経済、日本社会の長所に気づかず、短所ばかりをあげつらい、他の国を真似て日本の長所を破壊しつつあることだ。それが、有識者がやっていることであり、エコノミストの政策提言であり、多くのビジネススクールで教えていることなのである。 もう一度、日本経済の長所を捉えなおし、それを活かす社会、経済、社会システムを構築することを目指す必要がある(ここで本編は終了です。次ページは競馬好きの筆者が週末のレースを予想するコーナーです。あらかじめご了承ください)』、「持続そのものが目的となる「持続目的経済」"eternal economy"の時代が始まりつつあるのである。その中では日本経済は、どこの経済よりも強みを発揮するだろう」、その通りなのかも知れない。面白い視点だ。
タグ:「その多くは、必需と思わせるために、中毒になりやすい、嗜好を刺激するものになっている。ゲームであり、スマホであり、SNSである。 そして要は広告で儲ける。テレビも、報道からすぐに役割はエンターテイメントに変わった。そして広告ビジネスとなった。それがインターネット、スマホにとって変わられただけだ。しかし、中毒性は強まっており、人間社会を思考停止に追い込み、退廃させる「麻薬度」においては、「新しい」イノベーションであるために、より強力になっている」、これに関しては、異論はなく、その通りだ。 「物価が上がりにくいことは、ある状況の下ではすばらしいことであり・・・今の2022年である」、「今の2022年」は決して「すばらしいこと」ではなく、経済の弱みになっていると思う。 代わりに長期金利が上昇するのは放置する必要がある。 (その28)(冨山和彦「日本経済を蝕む"昭和的グダグダ"が何度となく繰り返されてしまう根本原因」 政府が"ゾンビ企業"の延命にカネを配り続けている、ついに「日本が独り勝ちする時代」がやってきた なぜ円安が進んでいるのにそこまで言えるのか) PRESIDENT ONLINE 存続をあの手この手で支援すると、効果は相殺され、結果は現状維持となってしまうのだ。そして日本経済の付加価値創出力は停滞を続ける」、ある意味で真相を突いている。 元気になる記事を書いてくれるようで、興味深い。 「円安」「は、異常な規模と特異な手段で行っている異次元金融緩和を、普通の金融緩和にすれば、直ちに解消する。 「連続指値オペ」という、日銀が毎日10年物の国債金利を指定する利回り(上限0.25%程度)で原則無制限に買う政策は、金融市場を完全に殺すものであり、異常なので、直ちに取りやめる。 また、イールドカーブコントロールと呼ばれる「10年物の金利をゼロ程度に抑え込むことをターゲットとする」という、これまた歴史上ほとんど類を見ない政策をやめれば、異常な円安は直ちに解消する」、これを止めるべきというのは正論だが 日本だけ利上げに取り残され、円は暴落傾向だったのを、円売り介入で食い止めている状況で、「日本銀行は、世界で唯一、金融政策を現状維持して、のんびりできている」というのは言い過ぎだ。 日本の構造問題 平和主義を「現実歪曲わいきょく空間に閉じこもったまま」と批判するのは、安直だ。「高度成長期以降の「昭和元禄」天下泰平の時代がもたらした「昭和的グダグダ感」が続く限り、この国の潜在的危機が深まっていく」、観念的視点からの浮ついた批判で、読むに堪えない。 この後編も8月24日付けであるが、紹介は止めておく。 「「有事はない」という建前が崩壊し続けた失われた30年」、は安全保障の問題と災害の問題を混同しており、違和感がある。 「産業再生機構」で「ゾンビ企業の延命にはカネを使わなかった」と大言壮語しているが、ダイエーは丸紅をスポンサー企業として渡した後も、結局、上手くゆかず、イオンが引き取る形で最終的に処理した。「戦略的グダグダ」はついに実行されなかったようだ。 冨山 和彦氏による「冨山和彦「日本経済を蝕む"昭和的グダグダ"が何度となく繰り返されてしまう根本原因」 政府が"ゾンビ企業"の延命にカネを配り続けている」 成毛 眞氏 「イノベーションの時代の付加価値の源泉は、一人ひとりの人間がもつ発想力、創造力、行動力である。そんな個がチームとなって相乗力が生まれ、新しい企業、さらには産業となってスケールする」、「付加価値を生み出す力を失った古い産業構造のなか、古い組織のルール、古いお作法のなかでは、新しい付加価値を創造する個が輝くのは難しい・・・そこで古い産業構造が固定化して居座りを決め込めば、新しい付加価値が芽吹き大きく成長するスペースは、なかなか生まれない。 政府がお題目としてベンチャー支援を唱えても、他方で古い産業、古い企業の うと考えるのが人情だ」、その通りだ。 「名目が補助金だろうが、給付金だろうが、融資だろうが、キャッシュが回っている限り、どんなに大赤字になっても企業は潰れない。だから、企業倒産件数は史上最低水準で推移しているのだ。 しかし、無差別にカネを配った結果、企業のなかにはその使い道がなく、預金額ばかりがどんどん積み上がってしまっているところも多い。 「このままでは潰れるかもしれない」という危機感がなければ、何かを変えよう、新しいことをやってみようという機運も高まりにくい。むしろ政府がいくらでも金を出してくれるのだから、危機が収まるまではじっとしていよ 「突然襲ってくる危機的状況において、どこでピンチになっているかわからない困窮者の生活、人生を救うには、とりあえず規模の大小、競争力の強弱、生産性の高低に関係なく、すべての企業を支えるしかない。 すると企業の新陳代謝は妨げられ、しかもここで分不相応に大きな借金を抱えて生き延びた企業の多くが過剰債務企業、すなわちゾンビ企業になってしまう。そしてその後も政府の支援に頼るようになる。結果的に、産業構造の固定化がさらに進んでいくのである」、その通りだ。 小幡 績氏による「ついに「日本が独り勝ちする時代」がやってきた なぜ円安が進んでいるのにそこまで言えるのか」 東洋経済オンライン 「持続そのものが目的となる「持続目的経済」"eternal economy"の時代が始まりつつあるのである。その中では日本経済は、どこの経済よりも強みを発揮するだろう」、その通りなのかも知れない。面白い視点だ。 「改善と効率化。これが日本企業の真骨頂だ」、その通りだが、問題はイノベーションで新たなサービス・商品の価値を生み出すのが不得手な点だ。