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葬式・墓(その2)(もはやホームパーティーより気楽!? 都市部を中心に注目される「自宅葬」、葬儀社選びから節約ポイントまで葬儀のプロが徹底解説…自宅葬「完全マニュアル」 あらゆる疑問に答えます、親父が死んで、私は突然「おくりびと」になった 思わぬものを親父と私と家族にもたらしてくれた、東京23区内の「火葬場」独占企業が中国資本傘下に 「葬儀業者」は締め出されて青息吐息) [生活]

葬式・墓については、2019年8月11日に取上げた。久しぶりの今日は、(その2)(もはやホームパーティーより気楽!? 都市部を中心に注目される「自宅葬」、葬儀社選びから節約ポイントまで葬儀のプロが徹底解説…自宅葬「完全マニュアル」 あらゆる疑問に答えます、親父が死んで、私は突然「おくりびと」になった 思わぬものを親父と私と家族にもたらしてくれた、東京23区内の「火葬場」独占企業が中国資本傘下に 「葬儀業者」は締め出されて青息吐息)である。

先ずは、本年7月19日付け現代ビジネス「もはやホームパーティーより気楽!? 都市部を中心に注目される「自宅葬」」を紹介しよう。
https://gendai.media/articles/-/97613?imp=0
・『最近、自宅葬を専門とする葬儀社が各所に生まれている。昔は、自宅で葬儀といえば「プライベートな空間に多数の人が押しよせる、大変な葬儀」というイメージがあった。 しかし葬儀が小規模化するにつれ自宅葬のデメリットが消滅し、メリットの大きいものとして注目されている。その理由と、実際に自宅葬を行うときの注意点をお伝えする』、興味深そうだ。
・『「大変なのはイヤ」  自宅で葬儀をするというと「ちょっと古臭いのでは?」と感じる読者も多いだろう。 手狭な自宅に祭壇や棺を迎え入れ、たくさんの弔問客に対応しているうちに僧侶が到着し、読経が始まる――。 参列者らが帰った後、疲れ切った遺族は荒れた玄関や汚れたトイレの清掃、貴重品が盗まれていないかなどの点検に追われる。プライベートな空間が一瞬にしてオープンな場となる自宅葬は、かつて遺族にとって負担の大きいものだった。 自宅葬が負担になるのは、葬儀社にとっても同じだ。葬儀ホールをひとたび建てれば、祭壇も参列者席も備え付けのまま、遺族や参列者に来てもらえばいいだけ。遺族の自宅へ祭壇や白黒幕、玄関飾りのための看板や提灯などを持ち込んで一日だけの葬儀空間を仕立て上げるより、ずっと省力化できる。 需給双方のニーズが合致したことにより、2000年からの20年間はとくに、葬儀ホールが全国に乱立した。 一般財団法人日本消費者協会が数年ごとに行っている「葬儀についてのアンケート調査」によると、1999年には葬儀専用式場での葬儀が30.2%にとどまっていたが、2014年の時点では、すでに81.8%にまで増加している。 一方、1999年時点で38.9%を占めていた自宅葬は、2014年には6.3%にまで減少している』、「1999年には葬儀専用式場での葬儀が30.2%、2014年の時点では81.8%にまで増加、1999年時点で38.9%を占めていた自宅葬は、2014年には6.3%にまで減少」、「自宅葬」から「葬儀専用式場での葬儀」へのシフトが顕著だ。
・『葬儀の極端な小規模化  しかし、世の中のスタンダードとは裏腹に、最近は自宅葬が業界内で注目されつつある。 日本で初めて自宅葬に特化した葬儀社が生まれたのは2016年のこと。それから少しずつ、地域特化型の自宅葬専門会社が誕生し、今では全国対応の会社もある。私の周辺でも、自宅葬を専門とする会社や、自宅葬を推奨する会社が増えてきている。 最近になって自宅葬が取り沙汰されるようになった要因は、葬儀の劇的な小規模化にある。 2000年代後半から、家族と主な親族だけで参列する「家族葬」が遺族らの支持を集めるようになってきた。義理だけで参列する人たちを廃し、内輪だけで故人を見送る家族葬は、経済的にも精神的にも遺族の負担が少ない。今や都市部では約半数が家族葬を選んでいると言っても過言ではない。 2020年代になると、葬儀の規模はさらに縮小してきた。コロナ禍によって3密が敬遠され、遠くの親族を呼ぶことや、通夜振る舞いや精進落としといった会食を控える動きが出てきたためだ。 遠くに住む長男が葬儀に出席できず兄弟に喪主を頼んだり、「高齢のご住職を葬儀会場に連れてこられない」と、葬儀をせず直葬(ちょくそう。火葬だけを行うこと)を選んだりといったケースもあったほどだ。 葬儀の急激な縮小化はもはや止められず、「こぢんまりとした葬儀」の流行は今後も続くのではないか。業界内はそんな危機感に晒されているが、そこで「これほど参列人数が少ないのなら、いっそ自宅葬がいいのでは」という気づきも生まれた。参列者が遺族と近しい親族だけであれば、もはや格式張った葬儀式場は必要ない』、「2000年代後半から、家族と主な親族だけで参列する「家族葬」が遺族らの支持を集めるようになってきた。義理だけで参列する人たちを廃し、内輪だけで故人を見送る家族葬は、経済的にも精神的にも遺族の負担が少ない。今や都市部では約半数が家族葬を選んでいると言っても過言ではない」、「葬儀をせず直葬・・・を選んだりといったケースもあったほど」、「「これほど参列人数が少ないのなら、いっそ自宅葬がいいのでは」という気づきも生まれた」、なるほど。
・『現代の自宅葬はメリットばかり  かつての自宅葬は、「人がたくさん訪れる」ことが一番のストレスであり、大変さを感じる最大の理由であった。 しかし、「人がたくさん訪れない」のならどうだろう。自分たち遺族と、常に交流があるひとつかふたつの親族だけで行う葬儀。盆暮れの集まりと変わらない顔ぶれなら、家の中をきちんと飾り立てなければという欲求も湧かない。そこに棺があるだけで、お別れの空間ができあがるのだ。 気の置けない親族だけなら、自宅葬の不安要素を全て払拭できるし、自宅葬を理由にさまざまな煩わしさからも解放される。 まず、よけいな見栄を張らずにすむため祭壇や幕、玄関飾りなどで自宅を装飾する必要がない。案内看板類も不要だし、駐車場を手配しなければという心配もいらない。結果、費用をかなり節約することにもつながる。 また、手狭な自宅での葬儀なので」という理由で参列を遠慮してもらったり、大きな供花や供物を辞退できたりする。「大勢に参列されると面倒くさい。供花や供物をもらうと、香典返しが手間……」という遺族の気持ちを、上手に隠すことができるのだ。 もはやメリットばかりという印象の自宅葬。後編となる「葬儀社選びから節約ポイントまで葬儀のプロが徹底解説…自宅葬『完全マニュアル』」では、自宅葬の流れや気になる費用、見逃せない注意点についてもお伝えする』、「よけいな見栄を張らずにすむため祭壇や幕、玄関飾りなどで自宅を装飾する必要がない。案内看板類も不要だし、駐車場を手配しなければという心配もいらない。結果、費用をかなり節約することにもつながる。 また、手狭な自宅での葬儀なので」という理由で参列を遠慮してもらったり、大きな供花や供物を辞退できたりする。「大勢に参列されると面倒くさい。供花や供物をもらうと、香典返しが手間……」という遺族の気持ちを、上手に隠すことができるのだ」、確かに「メリットばかりという印象の自宅葬」、もう少し詳しくみてみよう。

次に、この続きとして、7月19日付け現代ビジネス「葬儀社選びから節約ポイントまで葬儀のプロが徹底解説…自宅葬「完全マニュアル」 あらゆる疑問に答えます」を紹介しよう。
https://gendai.media/articles/-/97614?imp=0
・『前編記事「もはやホームパーティーより気楽!? 都市部を中心に注目される『自宅葬』」で見たように、いま、自宅葬に注目が集まっている。かつては負担がかかると思われていた葬儀形式だが、「家族葬」や「直葬」が増えて葬儀の小規模化が加速したことで、誰でも簡単にできるようになったのだ。 後編では、実際に自宅葬を行うときの注意点や費用面でのポイントをお伝えする』、興味深そうだ。
・『重要な3つのメリット  自宅葬には、そもそも重要なメリットが3つある。規模の小さな自宅葬であっても、その3つはもちろん享受できる。 1つは、遺族に忘れ物が生じないということだ。 当たり前のようでいて、実はこれが一番のメリットである。通夜と葬儀を葬儀社のホールで行うとなると、遺族は身支度をし、儀式に必要なものを持参して式場に向かうことになる。数珠に始まり、棺に入れてあげたいものまで、さまざまな忘れ物が発生する。 数珠は葬儀ホールで買えるが、棺に入れてあげたいものは、現地で手に入らない。家へ大事なものを取りに帰る時間がなく、そのまま火葬場に向かうことになるという、切ない事例をたびたび見てきた。 2つめは、時間的余裕が生まれるということ。 遺族は、ただ自宅にいさえすればいい。たびたび式場へ向かう手間が省けるだけでも、かなりの時間的余裕が生まれる。加えて葬儀が気の置けない親族だけであれば、式の直前に着付をしてもいいほどだ。 身も心もボロボロの未亡人が葬儀のため朝5時に起きて、眠い目をこすりながらまずは髪をセットしてもらうといった負担は発生しない。 3つめは、故人を住み慣れた自宅から見送れることだ。 長年入院していたり、施設に入居していたりして、自宅に戻れないまま亡くなる故人も多い。自宅葬であれば、最後に故人を懐かしい自宅へ戻してあげられるし、火葬場に向かうまで、ずっと自宅で遺族といられる。このあたたかな記憶は、残される遺族にとっても心の支えになる』、「遺族に忘れ物が生じない」、「時間的余裕が生まれる」、「故人を住み慣れた自宅から見送れる」、いずれも「自宅葬」の「メリット」だ。
・『気になる自宅葬の流れ  自宅葬の大まかな流れは、ホール葬と変わらない。ただ、葬儀の主役は大きな祭壇ではなく棺となり、狭い自宅で行うため棺すなわち故人と参列者との距離が近くなる。棺を囲んで座り、参列者が一人ひとり故人への手紙を読むといった心あたたまる演出がなされるのが特徴だ。 また、故人の写真や動画を盛り込んだオリジナルムービーを流し、参列者がそれを見ながら自由に対話するといった時間も設けられる。会場が狭く、気の置けない人たちばかりが集まる自宅葬だからこそできることだろう。 通夜と葬儀の顔ぶれが同じということもあり、菩提寺と相談して通夜を省略し、葬儀だけを行うといった判断もありうる。 また、通常であれば通夜の前に行う納棺の儀(故人に最後の衣装を着せ、化粧を施して棺に納める儀式)を葬儀に盛り込むような工夫も可能だ』、「通夜を省略し、葬儀だけを行うといった判断もありうる」、確かに「通夜」は無駄ともいえる。
・『自宅葬の費用目安と節約ポイント  少人数の自宅葬は、経済的負担が小さいのも注目したいポイントだ。 香典返しや会食費用といった変動費を考慮しなければ、通夜を省いたプランで30万円ほどが相場となる(お布施は別途)。香典を辞退し、会食をしないと決めてしまえば、変動費を気にする必要もない。 そもそも儀式の必要性を感じないなら、火葬の日まで自宅に安置し、葬儀をせず火葬だけを行う「直葬(ちょくそう)」プランもある。 その場合は10万円台から可能だ。ただ、自治体によって火葬費用が違うため、プラン費用は地域によりかなり変動する。とくに東京23区内は民間の火葬場を使うのが一般的で、火葬費用だけで数万円から10万円の出費となるため気をつけたい。 また、臨終の場所を選ぶのは困難だが、自宅で看取りを行うのであれば病院から自宅への遺体搬送費用を節約できる。遺体搬送費用は距離によって違い、かなりの近距離であれば2万円程度が相場だ。 ほか、仏式ではなく無宗教葬ならお布施を用意する必要はないし、故人の写真や動画を遺族が手持ちのパソコンで編集して手作りのお別れムービーを作成すれば、式のプロデュースに関わる料金が節約できる可能性がある』、「香典返しや会食費用といった変動費を考慮しなければ、通夜を省いたプランで30万円ほどが相場となる(お布施は別途)」、「「葬儀をせず火葬だけを行う「直葬・・・」プランもある。 その場合は10万円台から可能だ」、「故人の写真や動画を遺族が手持ちのパソコンで編集して手作りのお別れムービーを作成すれば、式のプロデュースに関わる料金が節約できる可能性がある」、なるほど。
・『自宅葬を行いたい人のための注意点  自宅葬は、どんな家であってもできるわけではない。 最重要ポイントは「棺が家に入るかどうか」。少人数なら玄関や部屋が多少狭くても、駐車場がなくてもなんとかなる。しかし棺が入らなければ葬儀は難しい。とくに集合住宅では、階段やエレベーターの構造などをあらかじめ調べておきたい。 また、集合住宅の場合は自宅葬をしてもよいものかどうか、マンションの自治会などに事前確認をした方が無難だ。 自宅で葬儀をするとなると、マンション前の人の流れが通常とは少し変わる。読経をすれば声が響くし、霊柩車をマンションの前につけることにもなる。不要なトラブルを生まないためにも、周囲にしっかり説明しておこう。 そして、葬儀社選びにも注意が必要だ。自宅葬を歓迎している葬儀社ばかりではない。設備や人員の関係で、自社のホール葬にしか対応していないところもある。「ここに葬儀を依頼したい」と感じる葬儀社があれば、生前見積もりを依頼して自宅葬ができるかどうか確認しておければ安心だ』、戸建てであっても、「棺が家に入るかどうか」は要チェックだ。「マンション」では「自治会などに事前確認」、「葬儀社選びにも注意が必要」、やはり事前のチェックは周到にしたいものだ。

第三に、8月9日付け東洋経済オンラインが掲載した東京工業大学リベラルアーツ研究教育院 教授の柳瀬 博一氏による「親父が死んで、私は突然「おくりびと」になった 思わぬものを親父と私と家族にもたらしてくれた」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/609883
・『コロナ禍に訪れた、父の死。通夜も葬儀も、身内だけでこぢんまりと行われることになった。 訪れた女性納棺師に導かれ、父を着替えさせるという経験をする。父の体と向き合ったときに見えてきたものは――。 『国道16号「日本を創った道」』の著者である柳瀬博一さんがコロナ禍に父親を送るという経験を綴った『親父の納棺』から一部抜粋、再構成してお届けします』、興味深そうだ。
・『リハーサルなしで「納棺師」の仕事を手伝うことに  「いっそ、お父様のお着替え、お手伝いされませんか?」 納棺師のすずさんは言った。 「ぼくらが、ですか?」思わず、問い返した。 「…….あの、やってもいいんですか?」 「もちろんです」 1秒前まで想像すらしていなかった。 自宅の和室。親父は目の前に横たわっている。 着替えさせたことなんか、ないぞ。しかも、死んでいるのだ。親父は。 いきなりリハーサルなしで、私は「納棺師」の仕事を手伝うことになった。 そう、「おくりびと」をやることになったのである。 2021年5月20日。親父が死んだ。実家のある静岡のとある病院で。87歳だった。 親父の病と死は、新型コロナウィルスの感染拡大時期とぴったり重なっている。 親父自身はコロナに罹って亡くなったわけではない。 が、コロナがもたらした急激な社会の変化に、親父は翻弄された。家族も翻弄された。 生きた親父と私が最後に会ったのは、亡くなる8カ月前、2020年夏のことだった。 3カ月間入院していた病院のエレベーターホールで。たった10分間だけの面会である。外部の人間が病院に立ち入ることは、原則禁止されていた。 退院した親父は、自宅には戻らず、そのまま特別養護老人ホームに入所した。 老人ホームででも、親父と会うことは不可能だった。 もちろんコロナ禍の影響である。東京で暮らす私、弟、海外に住む妹、老人ホームから徒歩圏内に暮らす親父の妻=母。誰も、親父と面会できなかった。 老人ホームに入所して半年後の2021年春。体調が悪くなった親父は、再び病院に入院した。 引き続き、面会はできない。電話で話をすることも無理だった。 すべて、「コロナ」のせいである。 入院から1ヵ月半後。 親父はあっさりこの世を去った。 通夜は家族だけで行った。母、弟、妹、叔母、そして私。たった5人である。 うちはカソリックなので、翌日の葬儀は地元のカソリック教会で行った。 参列した人は数えるほどだった。 人が集まることは極力避けねばならない。 お通夜も葬儀もごく少人数しか参加できない。親戚の大半も、友人も、知人も、立ち会えなかった。すべて、「コロナ」のせいである。 親父が死んだその日。私と弟は東京から車で実家に戻った。 通夜は4日後。葬儀は5日後だ。誰も弔問にこない。喪主の挨拶も、知らぬ人の涙も、大勢の親族との献杯もない。 と書くと、さみしい別れ、のように聞こえるかもしれない。 ところが、である。実は、ちょっと違った。いや、ずいぶん違った。 私が実家を出たのは40年近く前のこと。東京の大学に進学して以来、ずっと首都圏住まいである。前職は日経BP社で現在は、東京工業大学でメディア論を教えている大学教員だ。暮らしの場も仕事の場もずっと首都圏だった。静岡県にある実家に戻るのは年に1度か2度、盆と正月くらいである。5日間も(死んでいるけれど)親父と一緒にいたのは、大学卒業以来初めてである。 そしてなにより、私と私の家族は、想像もしなかった経験をすることになった。 親父の納棺を直接手伝ったのである。手伝ったどころじゃない。 納棺の儀の大半を、いきなり練習もなしにやったのである。死装束をクローゼットから選び出し、親父を丸裸にして、パンツをはかせ、シャツを着せ、靴下をはかせ、ステテコをはかせ、ズボンをはかせ、ジャケットを着せ、ネクタイを締めたのだ。 つまり「おくりびと」になったわけだ』、「生きた親父と私が最後に会ったのは、亡くなる8カ月前、2020年夏のことだった。 3カ月間入院していた病院のエレベーターホールで。たった10分間だけの面会である。外部の人間が病院に立ち入ることは、原則禁止されていた」、「退院した親父は、自宅には戻らず、そのまま特別養護老人ホームに入所した。 老人ホームででも、親父と会うことは不可能だった。・・・誰も、親父と面会できなかった。 老人ホームに入所して半年後の2021年春。体調が悪くなった親父は、再び病院に入院した。 引き続き、面会はできない。電話で話をすることも無理だった。 すべて、「コロナ」のせいである。 入院から1ヵ月半後。 親父はあっさりこの世を去った」、「5日間も・・親父と一緒にいたのは、大学卒業以来初めてである。 そしてなにより、私と私の家族は、想像もしなかった経験をすることになった。 親父の納棺を直接手伝った・・・ 納棺の儀の大半を、いきなり練習もなしにやったのである。死装束をクローゼットから選び出し、親父を丸裸にして、パンツをはかせ、シャツを着せ、靴下をはかせ、ステテコをはかせ、ズボンをはかせ、ジャケットを着せ、ネクタイを締めたのだ」、生前は「コロナ」の影響で親しくできなかったのが、死後は「納棺の儀の大半を」「やったことで」、濃密な親子関係を過ごすことが出来たようだ。
・『「コロナ」が奪ったものともたらしたもの  私たち家族は、葬儀までの5日間、亡くなった親父と、平時ではありえなった、静かだけれど濃密な時間を過ごした。 ……奇妙な話だが、「コロナ」のおかげである。 2020年1月以来、世界を覆い尽くした新型コロナウィルスは、私たちの日常からさまざまなものを瞬時に奪った。たくさんの人々の生命が危機にさらされ、人と人とが物理的に会うことが困難になり、当たり前の社会活動ができなくなった。私の場合、親の死に目に会えなかった。 一方、コロナ禍は、想像もつかなかった体験をもたらした。物理的に会えない代わりに、私たちはインターネットのリモート会議サービスを活用し、遠く離れた家族や友人と、かつてより頻繁に密接にコミュニケーションをとるようになった。出勤や通学を自粛せざるをえず、自宅にこもるようになって、家族と向き合う時間が物理的に増え、近所で過ごすことが多くなった。 親父が火葬場で灰と煙となった夜。私は、5日間の経験を、その間に劇的に変化した自分の主観についてを、すぐにパソコンに打ち込んだ。生々しい体験だった。だからこそ、すぐに書いておかなければ、あっという間にディテールを忘れてしまうだろう。 自分の経験と感じたことを言葉に置き換えているうちに、気づいたことがあった。 死んだ親父の体に直接ふれ、服を着替えさせる納棺という仕事。 それは、きわめて具体的な「死者との対話」だった。 納棺の手伝いをするその直前まで、おくりびとになるまで、私は親父の死を、親父の遺体を、ちゃんと感じることができていなかった。 コロナ禍でずっと会っていなかったからだろうか。最期を直接みとれなかったからだろうか。そうかもしれない。そういえば、祖父母や友人が突然亡くなったとき、目の前に遺体があるのに、なぜかリアリティを感じることができない。そんな戸惑いを覚えた経験が何度かあった。 実際の通夜や葬儀の場で、そこに親しい人間の遺体があるのに、その遺体の意味を、死んだという事実を、二度と戻ってこない喪失を、うまく汲み取れない。目の前に遺体があるのに、だ。親しかった人の遺体がリアルな存在に感じられない。白い棺に入り、花に縁取られ、白装束を身にまとった故人。亡くなったばかりの本人の体が横たわっている。 現代においては、よっぽど近くで寄り添っていない限り、私たちは、すでに亡くなった人の死に直面することが困難だ。お通夜に駆けつけても、故人はすでに棺に納められ、祭壇に飾られた花とともに、本人ではなく本人の象徴のような存在になっている。そのまま翌日になれば、葬儀が行われ、すぐに荼毘に付されてしまう。遺された者が故人の死を肉体的に直接感じる機会は、ほとんどない』、「死んだ親父の体に直接ふれ、服を着替えさせる納棺という仕事。 それは、きわめて具体的な「死者との対話」だった。 納棺の手伝いをするその直前まで、おくりびとになるまで、私は親父の死を、親父の遺体を、ちゃんと感じることができていなかった」、「現代においては、よっぽど近くで寄り添っていない限り、私たちは、すでに亡くなった人の死に直面することが困難だ。お通夜に駆けつけても、故人はすでに棺に納められ、祭壇に飾られた花とともに、本人ではなく本人の象徴のような存在になっている。そのまま翌日になれば、葬儀が行われ、すぐに荼毘に付されてしまう。遺された者が故人の死を肉体的に直接感じる機会は、ほとんどない」、その通りだ。
・『おくりびとになって消えた戸惑い  実家に戻って、布団に横たわる亡くなった親父と対面したとき、私自身が戸惑った。 うまく感情が出てこない。妙に覚めた、妙に他人行儀な、斜め上から見ているような自分の視線に気づいた。なぜ、こんなによそよそしいんだ。 その戸惑いは、しかし翌日の午後、たちどころに消えてしまった。 納棺師の誘いで、私は、おくりびとになったからである。 親父の体にふれ、手を握り、裸にし、服を着替えさせた瞬間、目の前の遺体は、抽象的な存在から、昔から知っている肉親に戻った。 着替えさせながら、私は親父に話しかけた。声を出して。 「死者との対話」というやつを、きわめて即物的にやっちゃったのだ。 そしてその経験は、思わぬものを、亡くなった親父と私と家族にもたらしてくれた。 ひとことで言うと、「ケア」だ。では、そのケアとはなにか。 それは、死んでしまった人へのケア、死んでしまった人からのケアだ。 「納棺」は、死者の弔いである前に、死者と生者、両方へのケアなのだ。) 「ケア」の仕事とはなにか。 通常は、医療や介護の世界の現場で、患者や老人、障害者のお世話をする仕事のことを指すケースが多い。ここで疑問が生じる。ケアは、生きている人だけのものなのか? 私たちは遠い昔から死者を弔ってきた。弔いは間違いなく死者に対するケアである。 宗教も葬儀も古墳もピラミッドもお墓もミイラもお盆も、死者に対するケアだ。 ただし、私が見落としていた死者へのケアがあった。 亡くなったばかりの遺体、つまり死体に対する物理的なケア、である。まさに今回、私が経験した、親父の手を握り、服を着替えさせた、あの行為だ。人は亡くなっても、体はそこに残っている。死体のケアなくして、葬儀も火葬も埋葬もお墓も一周忌もない。 間違いなく、死体のケアは、宗教の誕生より前から存在していたはずである。ケアしなければ死体は腐っていくままだ。私たちの先祖は、はるか昔から死体となった親しい人のケアをしてきたはずだ。もしかすると死体のケア、死者との物理的なケアを通して生まれてきた物語や宗教があったかもしれない』、「親父の体にふれ、手を握り、裸にし、服を着替えさせた瞬間、目の前の遺体は、抽象的な存在から、昔から知っている肉親に戻った。 着替えさせながら、私は親父に話しかけた。声を出して。 「死者との対話」というやつを、きわめて即物的にやっちゃったのだ。 そしてその経験は、思わぬものを、亡くなった親父と私と家族にもたらしてくれた。 ひとことで言うと、「ケア」だ。では、そのケアとはなにか。 それは、死んでしまった人へのケア、死んでしまった人からのケアだ。 「納棺」は、死者の弔いである前に、死者と生者、両方へのケアなのだ』、
・『たんなる儀式ではない  そんな死体のケアについて、でも、私は、自分が直接経験するまで思いを馳せることはなかった。 納棺師のオフィシャルな仕事は、数日内に焼き場で燃やされてこの世からいなくなってしまう人に、ふさわしい衣装を着せ、ふさわしい化粧をして、弔ってあげることだろう。 ただし、それはたんなる儀式ではない。着替えと死化粧の施しだけじゃない。そこには、亡くなった方に対する、そして遺された人たちに対する、「ケア」すべてが含まれているのだ。ただし、通常、この死体のケアに遺族が直接かかわることはほとんどない。通夜や葬儀の準備におおわらわで、主人公=死者の死体のケアは、プロ=納棺師に任せきりになってしまうのが通例だ。 だから、私たちは、棺の中に隔離された「故人」と遠巻きに対面するしかない。 世界トップの高齢者社会である日本は、これから未曾有の高齢者多死時代を迎える。戦後、日本が若かった時代の年間死者数は60万人程度だった。それが高齢化が進むと次第に死者数は増え、2016年には130万人を超えた。国立社会保障・人口問題研究所の調べでは、2024年以降、毎年150万人の日本人が亡くなる。そんな時代が50年前後続くという。 誰かの死を看取るという行為は、あらゆる日本人にとって当事者問題にすでになっている。 だからこそ、亡くなった人と残された人との間の最後のコミュニケーションの機会である「納棺」「おくりびと」経験の重要性について、少しでも多くの人に知ってもらいたい。たまたまコロナ禍のまっただなかで親父を亡くし、たまたま「おくりびと」経験をした、私の個人的な思いである』、私の父母の葬儀では、病院で死んだので、私自身は「おくりびと」経験は出来なかった。残念だが、殆どの「日本人」も同様なのでしょうがない。

第四に、10月13日付けデイリー新潮「東京23区内の「火葬場」独占企業が中国資本傘下に 「葬儀業者」は締め出されて青息吐息」を紹介しよう。
https://www.dailyshincho.jp/article/2022/10131040/?all=1
・『ラオックスグループ  東京23区に火葬場は9カ所ある。7カ所が民営で、そのうち6カ所を運営するのが「東京博善」だ。安倍晋三元首相が荼毘に付されたのも東京博善の「桐ケ谷斎場」だった。皇族と縁の深い「落合」や「代々幡」なども管轄する東京博善が、今夏から、中国系企業に様変わり。葬儀業界は不測の事態に見舞われることとなった。 東京博善が運営する火葬場は需要には事欠かず、売上高は年間93億円超。純資産355億円という超リッチ企業である。親会社は、印刷事業が中核の「広済堂HD(ホールディングス)」だ。 2019年7月、広済堂大株主の「エイチ・アイ・エス」澤田秀雄会長が所有株を手放した。売り先は中国人実業家、羅怡文(らいぶん)氏率いるラオックスグループの「グローバルワーカー派遣」なる人材派遣会社だった。以降も買い増しを続けたグローバルワーカー派遣は筆頭株主に。共同保有者の「R&LHD」と併せれば、羅氏の保有する広済堂株は25%超に達した。 今年1月には、広済堂が羅氏関連の投資会社に第三者割当増資を実施。その結果、羅氏は40%超の広済堂株を押さえ、必然的に東京博善も勢力下に収めたのである』、「東京博善が運営する火葬場は需要には事欠かず、売上高は年間93億円超。純資産355億円という超リッチ企業」、その筆頭株主が「「エイチ・アイ・エス」澤田秀雄会長」から「羅怡文・・・氏率いるラオックスグループの「グローバルワーカー派遣」なる人材派遣会社」に変わったとは初めて知った。
・『締め出し  23区内に拠点を持つ葬儀業者によると、 「これまで、火葬場を利用するには、まず葬儀業者に依頼しなければなりませんでした。東京博善は葬儀事業に手を出さず、業者との間で棲み分けができていた。ところが、今年7月から、東京博善でも葬儀が執り行えるようになりました。広済堂が大手葬儀社の“燦HD”と手を組み“グランセレモ東京”という合弁会社を設立したからです」 同時に、東京博善は葬儀業者向けに「ウェブサイト掲載ガイドラインについて」なるものを示した。葬儀業者は、東京博善の斎場をウェブでの宣伝に用いることを禁じられたという。 「違反を続けると締め出しを食らうとのことでしたので、やむなくガイドラインに従った。その結果、月3000万円前後だった東京博善での売上が一気にゼロに落ち込みました」 葬儀業者は青息吐息の経営状況に追いやられる一方で、東京博善が荒稼ぎを加速させるのは間違いない。 「週刊新潮」2022年10月13日号「MONEY」欄の有料版では、東京博善が運営する火葬場の歴史や広済堂株をめぐる争い、葬儀業界の現状を詳報する。東京博善は「ご喪家ファーストの観点から、混乱を招くような広告はあってはならない」との判断でガイドラインを示したと主張している』、「葬儀業者は、東京博善の斎場をウェブでの宣伝に用いることを禁じられた」、「月3000万円前後だった東京博善での売上が一気にゼロに落ち込みました」、これだけでは分かり難いが、「広告」ルールに従っただけで、「月3000万円前後だった東京博善での売上が一気にゼロに落ち込みました」というのは理解出来ない。「東京博善」の「葬儀業者」は多数ある筈なので、他社はどうなのかも知りたいところだ。筆頭株主が代わっただけで、こんな混乱が起きるとは信じ難い。
タグ:葬式・墓 (その2)(もはやホームパーティーより気楽!? 都市部を中心に注目される「自宅葬」、葬儀社選びから節約ポイントまで葬儀のプロが徹底解説…自宅葬「完全マニュアル」 あらゆる疑問に答えます、親父が死んで、私は突然「おくりびと」になった 思わぬものを親父と私と家族にもたらしてくれた、東京23区内の「火葬場」独占企業が中国資本傘下に 「葬儀業者」は締め出されて青息吐息) 現代ビジネス「もはやホームパーティーより気楽!? 都市部を中心に注目される「自宅葬」」 「1999年には葬儀専用式場での葬儀が30.2%、2014年の時点では81.8%にまで増加、1999年時点で38.9%を占めていた自宅葬は、2014年には6.3%にまで減少」、「自宅葬」から「葬儀専用式場での葬儀」へのシフトが顕著だ。 「2000年代後半から、家族と主な親族だけで参列する「家族葬」が遺族らの支持を集めるようになってきた。義理だけで参列する人たちを廃し、内輪だけで故人を見送る家族葬は、経済的にも精神的にも遺族の負担が少ない。今や都市部では約半数が家族葬を選んでいると言っても過言ではない」、「葬儀をせず直葬・・・を選んだりといったケースもあったほど」、「「これほど参列人数が少ないのなら、いっそ自宅葬がいいのでは」という気づきも生まれた」、なるほど。 「よけいな見栄を張らずにすむため祭壇や幕、玄関飾りなどで自宅を装飾する必要がない。案内看板類も不要だし、駐車場を手配しなければという心配もいらない。結果、費用をかなり節約することにもつながる。 また、手狭な自宅での葬儀なので」という理由で参列を遠慮してもらったり、大きな供花や供物を辞退できたりする。「大勢に参列されると面倒くさい。供花や供物をもらうと、香典返しが手間……」という遺族の気持ちを、上手に隠すことができるのだ」、確かに「メリットばかりという印象の自宅葬」、もう少し詳しくみてみよう。 現代ビジネス「葬儀社選びから節約ポイントまで葬儀のプロが徹底解説…自宅葬「完全マニュアル」 あらゆる疑問に答えます」 「遺族に忘れ物が生じない」、「時間的余裕が生まれる」、「故人を住み慣れた自宅から見送れる」、いずれも「自宅葬」の「メリット」だ。 「通夜を省略し、葬儀だけを行うといった判断もありうる」、確かに「通夜」は無駄ともいえる。 「香典返しや会食費用といった変動費を考慮しなければ、通夜を省いたプランで30万円ほどが相場となる(お布施は別途)」、「「葬儀をせず火葬だけを行う「直葬・・・」プランもある。 その場合は10万円台から可能だ」、「故人の写真や動画を遺族が手持ちのパソコンで編集して手作りのお別れムービーを作成すれば、式のプロデュースに関わる料金が節約できる可能性がある」、なるほど。 戸建てであっても、「棺が家に入るかどうか」は要チェックだ。「マンション」では「自治会などに事前確認」、「葬儀社選びにも注意が必要」、やはり事前のチェックは周到にしたいものだ。 東洋経済オンライン 柳瀬 博一氏による「親父が死んで、私は突然「おくりびと」になった 思わぬものを親父と私と家族にもたらしてくれた」 「生きた親父と私が最後に会ったのは、亡くなる8カ月前、2020年夏のことだった。 3カ月間入院していた病院のエレベーターホールで。たった10分間だけの面会である。外部の人間が病院に立ち入ることは、原則禁止されていた」、「退院した親父は、自宅には戻らず、そのまま特別養護老人ホームに入所した。 老人ホームででも、親父と会うことは不可能だった。・・・誰も、親父と面会できなかった。 老人ホームに入所して半年後の2021年春。体調が悪くなった親父は、再び病院に入院した。 引き続き、面会はできない。電話で話をすることも無理だった。 すべて、「コロナ」のせいである。 入院から1ヵ月半後。 親父はあっさりこの世を去った」、「5日間も・・親父と一緒にいたのは、大学卒業以来初めてである。 そしてなにより、私と私の家族は、想像もしなかった経験をすることになった。 親父の納棺を直接手伝った・・・ 納棺の儀の大半を、いきなり練習もなしにやったのである。 死装束をクローゼットから選び出し、親父を丸裸にして、パンツをはかせ、シャツを着せ、靴下をはかせ、ステテコをはかせ、ズボンをはかせ、ジャケットを着せ、ネクタイを締めたのだ」、生前は「コロナ」の影響で親しくできなかったのが、死後は「納棺の儀の大半を」「やったことで」、濃密な親子関係を過ごすことが出来たようだ。 「死んだ親父の体に直接ふれ、服を着替えさせる納棺という仕事。 それは、きわめて具体的な「死者との対話」だった。 納棺の手伝いをするその直前まで、おくりびとになるまで、私は親父の死を、親父の遺体を、ちゃんと感じることができていなかった」、 「現代においては、よっぽど近くで寄り添っていない限り、私たちは、すでに亡くなった人の死に直面することが困難だ。お通夜に駆けつけても、故人はすでに棺に納められ、祭壇に飾られた花とともに、本人ではなく本人の象徴のような存在になっている。そのまま翌日になれば、葬儀が行われ、すぐに荼毘に付されてしまう。遺された者が故人の死を肉体的に直接感じる機会は、ほとんどない」、その通りだ。 「親父の体にふれ、手を握り、裸にし、服を着替えさせた瞬間、目の前の遺体は、抽象的な存在から、昔から知っている肉親に戻った。 着替えさせながら、私は親父に話しかけた。声を出して。 「死者との対話」というやつを、きわめて即物的にやっちゃったのだ。 そしてその経験は、思わぬものを、亡くなった親父と私と家族にもたらしてくれた。 ひとことで言うと、「ケア」だ。では、そのケアとはなにか。 それは、死んでしまった人へのケア、死んでしまった人からのケアだ。 「納棺」は、死者の弔いである前に、死者と生者、両方へのケアなのだ 私の父母の葬儀では、病院で死んだので、私自身は「おくりびと」経験は出来なかった。残念だが、殆どの「日本人」も同様なのでしょうがない。 デイリー新潮「東京23区内の「火葬場」独占企業が中国資本傘下に 「葬儀業者」は締め出されて青息吐息」 「東京博善が運営する火葬場は需要には事欠かず、売上高は年間93億円超。純資産355億円という超リッチ企業」、その筆頭株主が「「エイチ・アイ・エス」澤田秀雄会長」から「羅怡文・・・氏率いるラオックスグループの「グローバルワーカー派遣」なる人材派遣会社」に変わったとは初めて知った。 「葬儀業者は、東京博善の斎場をウェブでの宣伝に用いることを禁じられた」、「月3000万円前後だった東京博善での売上が一気にゼロに落ち込みました」、これだけでは分かり難いが、「広告」ルールに従っただけで、「月3000万円前後だった東京博善での売上が一気にゼロに落ち込みました」というのは理解出来ない。「東京博善」の「葬儀業者」は多数ある筈なので、他社はどうなのかも知りたいところだ。筆頭株主が代わっただけで、こんな混乱が起きるとは信じ難い。
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