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パンデミック(経済社会的視点)(その6)(「ウィズコロナ」「新しい日常」の大いなる欺瞞…戦争のときにそっくりだ 「日本人論的不安」を考える、中国モデルは限界露呈 ポストコロナは「コンパクト民主主義」を目指せ) [国内政治]

昨日に続いて、パンデミック(経済社会的視点)(その6)(「ウィズコロナ」「新しい日常」の大いなる欺瞞…戦争のときにそっくりだ 「日本人論的不安」を考える、中国モデルは限界露呈 ポストコロナは「コンパクト民主主義」を目指せ)を取上げよう。

先ずは、8月9日付け現代ビジネスが掲載した東京大学名誉教授の船曳 建夫氏による「「ウィズコロナ」「新しい日常」の大いなる欺瞞…戦争のときにそっくりだ 「日本人論的不安」を考える」を紹介しよう。
・『「新しい日常」への違和感  202X年のある日、「あの頃大変だったよな、正直ちょっとビビった。でもまぁ、どうにかなるかな、と思っていたら、ま、あの程度で済んだんでよかったなって感じ」とコロナの昔を振り返る。そう終わればいいなと多くの人が不安を抱えながら、いま考えているのではないか。この「いま」とはこれを書いている2020年7月31日。そう終わるだろうか・・・。 この数ヶ月、20世紀の戦争の本をいろいろと読んでいる。戦争という「非常時」が、コロナ下の現在とよく似ているのに気がつく。非常時を、何とか「新しい日常」だ、と政府が人々をなだめようとしている図式に、お定(さだ)まりの「民に不安を与えてはならない」というこの日本列島近代のやり口がよく現れている。 淡々と変化なく、それと感じずに過ぎていくのが「日常」であって、そこに時々、お正月やお祭りなどの「非日常」、ハレの時間が現れる。だから「非日常」はあっても「新しい日常」なんてものはない。それを「作ろう」という国民運動はまやかしだ。 じっさい公文書に載ったりする「新しい日常」の中味はというと「手洗いの徹底、マスクの着用、ソーシャルディスタンス」(!)だったりしてびっくりする。それは感染予防の大事な「技法」ではあっても、決して「日常」ではない。なぜなら現在はかつての日常とは隔たり、大きな危機に晒されているのだから。 空襲警報が鳴ると作らされた防空頭巾(手作りマスク?)をかぶって防空壕に入る。それは戦時中の「技法」であって、そんなことしないで済む平和が来てほしい、と皆は願っていたのだ。繰り返すが、日常でないものを「日常」と名指すのはまやかしである。 行政は言うことを聞いてほしいから「新しい日常」なんて言葉を持ち出してきて、それにすべての新聞が提灯持ちをしているのも、1940年代の戦時中と一緒である。新聞屋さん、戦争終わってから「反省」しても遅いよ』、「「非日常」はあっても「新しい日常」なんてものはない。それを「作ろう」という国民運動はまやかしだ」、「行政は言うことを聞いてほしいから「新しい日常」なんて言葉を持ち出してきて、それにすべての新聞が提灯持ちをしているのも、1940年代の戦時中と一緒である。新聞屋さん、戦争終わってから「反省」しても遅いよ」、政府と大新聞への痛烈な批判だ。
・『「ウィズ結核社会」とは言わない  そのうち「常在戦場」なんて言い出すか、と思っていたら、「ウィズコロナ社会」という珍妙な言葉が世界中の物書きから出てきた。その言葉と考え方がなんとなく「がんと共に生きる」とか、「弱者との共生」とか、だいたいそのあたりの標語と同じような「よいこと」だ、と思ってマスコミなどは使っているらしい。 ある文化人類学者が、元々人間というものは、ウィルスと共に生きて来たのだ、と分かった風のことを書く。地球上のそこら中にウィルスがいるなんてことは中学校の生物の授業で分かっている。 その「ウィズウィルス」についていま書いたら誰だって「ウィズコロナ」と誤読する。しかし、「ウィズ」、「と共に(生きる)」ということばの含意する積極的な意味はどこにあるというのか? 確かに長い間社会は「結核」と共にあった。僕は、小学校でツベルクリンを、そのあと陰性だと痛いBCG注射をされていた世代だ。周りに、結核になって大学を棒に振った人がまだちらほらいた時代だ。でも「ウィズ結核社会」なんてことは言わなかったし、言ったらおかしい。結核は撲滅すべきモノだ、と皆分かっていた。 コロナウィルスも無くすか弱体化させるか(または勝手にそうなる?)、ワクチンなどで免疫力を付けるか、要は人がコロナウィルスによって重症化して死なないようにするしか取るべき方向はない。また別の生物学者が「人類よ、むやみにコロナと争うな」と書いたりしている。どういう意味かわからない。「むやみに」? 適度の嘘はエッセイの味付けになるが、これは無用の誤解を招く危険が大きい。いま僕らは「コロナと争う」しかない。 「争う」中の大局観として、「負ける」も選択肢にあることは、戦争の常である。兵隊は前線で銃弾を撃ち続けるとき、それは自国の家族を守るためだ、と思いながらやっている。しかし、のちになって大局から見れば、実は撃つのを止めて自分だけ白い布を振って降参すればその戦線は崩れ、苦楽を共にした戦友は殺されるかもしれないが、戦局に影響を与え戦争全体の終結は早まったかもしれない。 たとえばこの前の大戦が一日早く終われば、1945年8月15日未明の埼玉県熊谷市の空襲による二百数十人の死者、1万5000の戦災者はなかったことになる。 で、何なんだ、このたとえ話は、と聞かれたら、こう言わなければならない。おそらく国家予算によるコロナ重症患者への治療は、物理的に設備と人員が足りなくなればどこかで早めにあきらめることになるのかも知れない。前線の兵士(医療従事者)による現場の「トリアージ」でなく、戦い全体が「政治的判断」による「ガイドライン」で「転進」を命じられるかも知れない。もう国の方針として、重症者の治療はあきらめます、と(「転進」は日本帝国大本営の「退却」の言い換え)。 現場からも医師たちが、「戦えません」と言い出すことはないのか、と考えたりする。すなわち、現場が持ちこたえれば持ちこたえるほど(撃ち続ければ撃ち続けるほど)政府は耳に心地よい「感染防止と経済再生の両輪」などと言い続け、聞く方もかけ声に踊って、それがかえって感染拡大の大破綻を招くことを私は憂いている。「もうやれないんだ」、と前線が言い出す必要がある』、「「ウィズコロナ社会」という珍妙な言葉・・・いま僕らは「コロナと争う」しかない」、「現場が持ちこたえれば持ちこたえるほど(撃ち続ければ撃ち続けるほど)政府は耳に心地よい「感染防止と経済再生の両輪」などと言い続け、聞く方もかけ声に踊って、それがかえって感染拡大の大破綻を招くことを私は憂いている」、もっともな主張だ。
・『日本の調子がいいと不安になる  僕は『「日本人論」再考』という本を書いたことがあるが、その本の中に今回のコロナウィルスの問題に関わる発見があった。日本人は、西洋との比較で、日本が調子の悪いときに不安になって「日本人がダメなのはなぜだろう」、と「日本人」を論じたくなる。それは分かりやすい。しかし実は、調子がよいときにも不安になって「どうして日本人なのによいのだろう」と原因究明をしたくなるのだ。 今回のコロナの問題でも、感染の初期とそれ以降、日本は他国と比較すればよい状況で、「どうして日本は感染者が少ないの? 欧米と比べて」と「不安がる」人がいた。そこに、ある科学者が論理的なミッシングリンクを「ファクターX」と呼ぶものだから、ますます、「どうして日本だけ調子いいの?」とファクターX探しが行われ、果ては、「こんなによくやっている日本があまり海外で注目さえないのって、嫉妬?」と日本人論が盛り上がった。それはいまでも続いている。 しかし「ファクターX」を一つ特定できるわけはない。回り道をして説明する』、私は「ファクターX」を純粋に何故だろうという視点で捉えていたが、確かに一定の危険性もありそうだ。
・『「日本人だからできた!」の罠  日本海軍の真珠湾奇襲攻撃は戦史上みごとな戦果である。しかし、1941年12月8日にそのニュースをラジオで聞いた人はみな一様に陰鬱であったようだ。中国あたりの戦闘ならまだいいけど、ついにどえらい戦いが始まった、と、勝ったのに暗かった。 しかし、毎日、大戦果が発表され、1942年の2月にシンガポールが陥落すると、日本人論のよくあるメカニズムをなぞるかのように、「どうして日本人なのによいのだろう」の答えが、「それは日本人だから!」と針が一気に逆に振れたような理由に求められる。「本当にジャパンがナンバーワンになるかも」とバブルに湧いた1980年代の後半も同じだった。 つい先月、6月くらいにはややその「やっぱり日本だから欧米なんかとは違うよ」の口ぶりが見られた。そのあたりから「Go To」キャンペーンなどの攻勢が始まったか。 ではいま(2020年7月31日)のコロナは太平洋戦争であればどの時期に当たるか、といえば、ミッドウェー海戦くらいか、と思う。緒戦の勝利のあと、「この堅調は続くのか」「政府の言う医療の現場は持ちこたえているのか」、と不安が兆してきている。 ミッドウェー海戦の時は、実際には負けたのだが、「勝利した」と虚偽の報道がなされた。いまの政府の、「死者数は相変わらず少ない、重症者は急増していない」はミッドウェー海戦の虚偽とは違うが、それを額面通りに受け取ってよいのか。) そうした現状の不安を、国民が理解するためのたすけとしてか、「新型コロナウイルス対策分科会」が感染状況の4段階というのを今日(7月31日)出した。笑ってしまった。これはかつての「大本営発表」の「虚偽」ではないが、「大本営流」の「ごまかし」である。僕のような素人でも分かる。 第4段階が「爆発段階(医療が機能不全):この状況にならぬよう上記対策を実施」だという。これは戦争で言えば、「壊滅段階(軍隊が機能不全):この敗北にならぬよう上記対策を実施」ということで、もしその段階になったときは戦争はもう終わっている。戦争(感染拡大)の第4段階ではなく、敗戦処理(医療崩壊)の第1段階だ。 この第4段階が表にあるため、現状が最悪の直前ではなく「二つ前の「漸増」段階」にずれる。ここにごまかしがある。これを作った「専門家」の苦衷を察する。「感染症専門家」でなく「現場の医師」には、自分の身が現場近くにあるので、この「第4段階」を「段階」としておいているごまかしは明白だろう。「おい、おい、医療が機能不全、て、戦車が地響き立てて向かって来ているのに、竹槍もって戦場に立ってろ、ということ?」と』、確かに「感染状況の4段階」には「「大本営流」の「ごまかし」」がある。
・『ファクターXを探す必要はあるのか  紙数が尽きて、文明論的な話が出来なくて残念だが、最後に、コロナ対策において「どうして日本人なのによいのだろう?」の問いに答えたい。簡単である。ある時点の前に感染者が少なければその後も感染者が少ない、という「感染のメカニズムの常識」で理解できる。だからこそ、明日のために今日の感染者を少なくしようと努力している。 ではなぜ「ある時点」、コロナに気がついて対策を始めた最初の頃、感染者が少なかったのか、といえば、第1の答えは、それは日本の国家的医療体制がしっかりしているからである。ファクターXなど探す必要はない。 ややこしい理屈で言えば、フーコーの言う「生政治」(注)(気になったらネットで調べて下さい)が日本では強く機能しているのだ。たとえば「母子健康手帳」が、健康な兵隊の数を増やそうとだが、早くも1937年に発明されたりと、「国民の健康を国が管理すること」(ほぼ「生政治」)の徹底が進んでいる。 だから初動において、結核の撲滅経験もある保健所が使われ、よく機能し、いままでのところ成功した。要するに、保健所と、各医療機関がぎりぎりまでがんばったのが、この段階までのサクセスストーリーの理由である。 初動時になぜ感染者が少なかったか、のもう一つの理由は「島国だから」である。入ってくる人が少ないし、コントロールしやすい。ダイヤモンドプリンセス号での感染は、「島国」性を浮き彫りにし、最初の教訓ともなった。台湾もニュージーランドも、島国はコロナ対策は取りやすい(僕自身が監訳した本で恐縮ですが、島国性のことは、アラン・マクファーレン著『イギリスと日本』(新曜社)を読んでください)。 この第2の理由、島国性は不変だが、第1の理由が今後も続くかどうかは分からない。医師たちががんばればがんばるほど、「まぁ、どうにかなるかな」と思っている一般の人にはかえって響かないという自己矛盾のようなものがある。戦線が保たれていればよいが、兵士が倒れれば、その空いたところから回り込まれて、挟み撃ちにされてもろくも戦線が崩壊するのは大河ドラマの戦闘を見ていたって分かることだ。 感染状況の段階表のしっぽに「爆発段階(医療が機能不全)」を無理に貼り付けたのを深読みすると、時代劇にあるバカ殿と家老(専門家)の図が目に浮かぶ。「目通り許さん」と言われて完全に蟄居させられたら諫言をする人がいなくなる。それを考えて自分を殺し、殿を怒らさないぎりぎりのところでなんとか家老が具申する様子。202X年のある日、これが笑い話になっていてほしい』、「ファクターXなど探す必要はない」が、「「感染状況の4段階」には「「大本営流」の「ごまかし」」がある」のは大いに問題だ。
(注)生政治:政府等の国家が市民を支配する際に、単に法制度等を個人に課すだけではなく、市民一人ひとりが心から服従するようになってきたとして、個人への支配の方法がこれまでの「政治」からひとりひとりの「生政治」にまで及ぶようになったと説明する(Wikipedia)。

次に、8月11日付けダイヤモンド・オンラインが掲載した立命館大学政策科学部教授の上久保誠人氏による「中国モデルは限界露呈、ポストコロナは「コンパクト民主主義」を目指せ」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/245348
・『次の覇権国家を狙う中国は、権威主義的な政治体制を民主主義に代わる「世界のモデル」だと考えている。そして、自国で発生した新型コロナウイルスへの対策をも、「中国モデル」の宣伝に利用した。しかし、次第にその裏側にある人権侵害や隠蔽体質が伝わり、世界は批判を強めている。やはりポストコロナ時代に目指すべきは中国モデルではない。今回のコロナ禍で見えてきたのは「コンパクト・デモクラシー」の可能性だ』、「中国モデル」の化けの皮が剥がれ始めたのは当然だ。
・『コロナ後の国際社会で重要な「コンパクト・デモクラシー」  外務省の外交専門誌『外交』のVol.62 Jul./Aug. 2020に寄稿する機会をいただいた。 「コロナで変わる国際秩序」「先鋭化する米中対立」の2つのテーマで、倉田徹・立教大学教授の『香港危機は世界の危機へ-「国家安全維持法」成立過程とそれがもたらすもの』や佐橋亮・東京大学准教授の『不信深めるアメリカの対中姿勢』など、多くの論客がさまざまな角度から寄稿している。ぜひ、ご一読いただきたい。 筆者は、『危機に台頭するコンパクト・デモクラシー』という論文を寄稿した。本稿は、その論文では書き切れなかった部分を加筆し、より多くの方に「コロナ後の国際社会」についての筆者の考えをお伝えしたい』、「交専門誌『外交』」への寄稿がベースになっているようなので、いい加減な論文ではなさそうだ。
・『コロナ後に出現するであろう「スーパー・グローバリゼーション」  新型コロナウイルスの感染拡大で人の移動や接触の自粛を求められたことで、社会にさまざまな変化を起きている。例えば、リモートワークと呼ばれる勤務形態、Web会議、教育現場の遠隔授業などの普及である。 「コロナ後の社会」には、グローバリゼーションを超えた「スーバー・グローバリゼーション」が出現するだろう。グローバリゼーションとは、移動・輸送手段や通信技術の発達によって、ヒト、モノ、カネが国家や地域などの境界を越えて大規模に移動することによる、地球規模での社会、経済の変化である。この文脈では、国家を超えて活動する多国籍企業体や国際機関、欧州連合(EU)のような超国家共同体など巨大組織が勢力を拡大してきた。 それに対して「スーバー・グローバリゼーション」は、ITのさらなる進化により、移動すら必要ない。在宅でパソコンやスマートフォンを操作するだけで、世界中のモノを購入でき、ビジネスが行われ、行政サービスも受けられる。のみならず、政治的な国際交渉までが行われる。個人が国家・企業へのハッキング、サイバー攻撃が可能という世界だ。個人が国家や巨大組織を凌駕することもある、従来の常識を超えた世界の出現である。 新型コロナの感染拡大は、スーバー・グローバリゼーション出現のリスクに対するセーフティーネットという観点から、これからの国家・地域のあり方を考えさせてくれる』、「「スーバー・グローバリゼーション」は、ITのさらなる進化により、移動すら必要ない。在宅でパソコンやスマートフォンを操作するだけで、世界中のモノを購入でき、ビジネスが行われ、行政サービスも受けられる。のみならず、政治的な国際交渉までが行われる。個人が国家・企業へのハッキング、サイバー攻撃が可能という世界だ。個人が国家や巨大組織を凌駕することもある、従来の常識を超えた世界の出現である」、なかなか面白い仮設だ。
・『米国の地政学的優位性が揺らぐ事態が多発  新型コロナは、「覇権国家」である米国の基盤を根底から動揺させている。この連載では、米国の地政学的な圧倒的優位性を指摘してきた。ハルフォード・マッキンダー、ニコラス・スパイクマンを祖とする英米系地政学では、米国は「新世界(New World)」であるとされてきた。 それは、どの国からも直接攻撃できない離れた位置にあるということだ。2度の世界大戦では、欧州諸国が戦場となって疲弊するのを尻目に、戦場とはならない政治的・軍事的な圧倒的優位性を生かして、米国は「覇権国家」として台頭したのだ(本連載第201回)。 しかし近年、米国の「新世界」としての優位性を切り崩すさまざまな事態が起きている。北朝鮮のミサイル開発はその一例だ。米国から遠く離れた場所にある小国の北朝鮮は、同盟国である韓国や日本にとっては脅威であっても、米国が本気で相手にする国ではなかった。しかし、北朝鮮はミサイル実験を繰り返して射程距離を伸ばし、ついに大陸間弾道ミサイルを開発して米国を直接攻撃する可能性が出てきた。米国は北朝鮮を無視できなくなり、史上初の米朝首脳会談が開催されたのだ(第155回)。 その他にも、米国を揺るがす事件が多発している。 2016年の大統領選挙でドナルド・トランプ候補(当時)を勝利させようと、ロシアがサイバー攻撃やSNSでの世論工作、選挙干渉を行ったとされること(第201回・P.4)、中国のサイバー攻撃による知的財産侵害などだ。また、米国の通信ネットワークへの関与に懸念を示し、華為技術(ファーウェイ)などの中国ハイテク企業への対抗措置を米国が取り、「米中ハイテク戦争」の様相を呈していることなどもある(第211回・P.4)。つまり、テクノロジーを駆使して、「覇権国家」米国に対するさまざまな形での直接攻撃が可能となっているのだ。 そして、いま米国を最大規模に揺るがしているものが、新型コロナである。米国の死者は8月5日現在、15万6830人で世界最多だ(『新型コロナウイルス、現在の感染者・死者数(5日午後8時時点) 死者70万人に』)。 第1次世界大戦の戦死者数を上回っており、米国内でこれほど多数の死者が出た「有事」は、歴史上初めてだ。これは、米国が完全に「新世界」ではなくなったことを示しているのではないだろうか』、「テクノロジーを駆使して、「覇権国家」米国に対するさまざまな形での直接攻撃が可能となっている」、「新型コロナウイルス・・・ 死者70万人・・・第1次世界大戦の戦死者数を上回っており、米国内でこれほど多数の死者が出た「有事」は、歴史上初めて」、確かに「米国が完全に「新世界」ではなくなったことを示している」、なるほど。
・『新型コロナ対策をも宣伝に使い覇権国家の座を狙う中国  次の「覇権国家」の座を狙っているのが中国だ。急激な経済発展・軍事力拡大に自信を持ち、権威主義的な政治体制を、民主主義に代わる「世界の政治体制のモデル」だと考えている。そして、新型コロナ対策をも「中国モデル」の宣伝に利用しようとしている。 中国は、新型コロナの感染拡大が最初に起こった国だった。一方で、徹底した都市封鎖によって、3月19日には、武漢市と同市がある湖北省を含めて18日に中国国内で発生した新規感染例が「ゼロ」だったと発表した。国内での新型コロナの拡散は終息したと、事実上宣言した最初の国でもある(第236回)。 そして、中国は「感染が広がる他の国を支援する用意がある」とアピールし、都市封鎖の成功を世界に普及させようとした。イタリアがこれに呼応し、全国的な都市封鎖に踏み切った。 また、中国は欧米への批判を強めた。中国共産党系のメディア「環球時報」は、欧米の新型コロナへの対応の甘さを「個人主義的で生ぬるい」と批判。欧米は日常生活を維持したいという国民の希望を退けることができず、国家総動員の体制を築くことができなかった、甘い対応によって、手遅れになってしまったことを「反省すべきだ」と、中国は訴えたのだ。 しかし、中国の思惑はうまくいっているとはいえない。まず、イタリアなど中国式の都市封鎖を採用した国の死者数が爆発的に増加したために、その有効性に疑念が持たれてしまった。 同時に、武漢市の都市封鎖の実態が明らかになった。交通機関が閉鎖され、住民の移動の自由はなくなり、自宅に押し込められ、ドアの外から施錠された。マスクをせずに外出したという理由で市民を当局が拘束。情報統制が強化されて、市民の怒りはネット上から削除された。これら、基本的人権を全く顧みない中国のやり方が世界に知られ、批判されるようになったのだ。 さらに、中国共産党の隠蔽体質にも疑念が広がった。中国が新型コロナを公表する前に、その危険性を訴えた武漢市の李文亮医師を「デマを流した」として公安当局は処分していた。医師の声を封殺して初動が遅れ、世界的な感染拡大を招いたとの怒りが中国国内で広がった(第232回)。 そして、その怒りは世界中に拡散している。新型コロナの感染拡大を招き、自国に大損害をもたらしたとして、中国に賠償を求める訴訟が起き始めている。最初に、米国内の企業や個人からの訴訟が相次いだ。それは、英国、イタリア、ドイツ、エジプト、インド、ナイジェリア、オーストラリアなどに広がっている。遠藤誉氏の『感染者急増するロシアはコロナ対中包囲網にどう対応するか――モスクワ便り』によれば、4月29日時点で賠償請求の総額は100兆ドルで、中国のGDPの7年分に相当する額に達していると、フランス国際ラジオ(RFI)が「香港経済日報」の記事に基づいて報じたという。 結局、都市封鎖は人権侵害とセットだから機能したとみなされ、隠蔽体質が初動を誤らせ、世界に甚大な損害を与えたという非難が広がっている。「中国モデル」は散々な評価だといえるだろう。次の「覇権国家」を狙った中国の行動に、世界が強い警戒心を抱いてしまっている』、「「中国モデル」は散々な評価だといえるだろう。次の「覇権国家」を狙った中国の行動に、世界が強い警戒心を抱いてしまっている」、習近平が強がって威張っているのは、滑稽ですらある。
・『欧州で吹き荒れたポピュリズム旋風が失速した理由  次に、米国の同盟国である自由民主主義国に目を転じてみたい。これらの国ではポピュリズムが台頭し、英国の保守党と労働党、ドイツのキリスト教民主同盟(CDU)と社会民主党など既存政党が苦境に追い込まれていた。自由民主主義への信頼は揺らぎ「時代遅れ」だとして、権威主義体制の優位性を中国が主張した。 しかし、新型コロナ感染拡大は、ポピュリズムを退潮させて、既存政党を救った。なぜか。 ポピュリズム現象は、保守とリベラル双方の既存政党が都市部中道層の有権者の支持を得るため、緊縮財政や規制緩和、移民受け入れなどを実行し、それに各政党のコアな支持層が不満を募らせたことで起こった。ポピュリスト政治家たちは、財政バラマキや排外主義を煽情的に訴え、既存政党のコアな支持層を奪ったのだ(第218回)。 その結果、ポピュリズムは欧州を席巻したが、新型コロナ感染拡大後、各国の指導者の支持率が劇的に回復。ドイツではアンゲラ・メルケル首相の支持率が3月末に79%まで急回復。英国のボリス・ジョンソン首相の支持率は、19年12月時点で34%だったが、3月末に支持率52%に上昇した。 その理由は、新型コロナ対策として実施した都市封鎖の打撃を緩和するために、大規模な経済支援策を打ち出したからだ。既存政党が空前の規模で「バラマキ」を断行し、ポピュリズム政党を支持していた人たちが、既存政党に戻っていったのだ。 一方、日本では、欧州のような現象は起きなかった。それは、自由民主党が保守層からリベラル層まで幅広く支持を獲得しているために、そもそもポピュリズムの台頭がなかったからである』、私は自民党政権がポピュリズム政策も取り込んでいると考えている。
・『中央集権体制よりも勢い増す「コンパクト・デモクラシー」とは?  だが、既存政党も安泰ではない。全国一律の新型コロナ対策を実施しようとする中央集権体制よりも、地方自治体や、中小規模国家・地域の「コンパクト・デモクラシー」が台頭しているからだ。 中央集権体制のフランスでは、エマニュエル・マクロン大統領率いる与党「共和党前進」が統一地方選で惨敗した。一方、欧州主要国の中で新型コロナによる死者数が圧倒的に少なく、経済再開も早いドイツは、州政府が警察や教育など内政面で幅広い権限を持つ連邦制である。 ドイツでは、州政府が現場の状況を掌握して連邦政府よりも先行して動くという政策決定のパターンが効果的に機能している。例えば、マルクス・ゼーダー・バイエルン州首相は、イタリアから国境を越えて新型コロナの感染が広がっている状況を連邦政府に報告し、国境閉鎖に踏み切った。そして、国境を接するオーストリア、スイスとの連携を構築した。 またバイエルン州は、中央政府に先んじて100億ユーロの中小企業向け支援プログラムを発表。さらに、近隣の州と共同で、全国に先駆けてドライブスルー方式でのPCR検査の導入を決定した。ゼーダー州首相は、国民から高い支持を得て、メルケル首相以上に注目を集める存在になっている。 日本においても、全国一律の政策実行を意識して意思決定が慎重になりがちな安倍政権よりも、地方自治体に注目が集まっている。 例えば、4月に安倍晋三首相が「緊急事態宣言」の発令に慎重だったとき、小池百合子・東京都知事は首相に決断を促す強いメッセージを発した。また、緊急事態宣言が発令された場合の都の対応措置に関する概要案を先行して公表するなど、スピーディーな対応を取った(第240回・P.2)。 大阪府の吉村洋文知事の奮闘も、「#吉村寝ろ」という府知事を励ます言葉がツイッターのトレンド入りするほど注目を集めた。吉村府知事は、緊急事態宣言の発動前から週末の外出自粛を府民に求め、厚生労働省による感染者数の非公式の試算をあえて公開して、独自の判断で兵庫県と大阪府間の週末の往来自粛を呼び掛けた(第240回・P.3)。 他にも、さまざまな地方自治体が独自の新型コロナウイルス対策を打ち出す事例が増えている。その代表例が、米紙「ワシントン・ポスト」から「和歌山モデル」と称賛された和歌山県の仁坂吉伸知事だ。感染ルートの追跡を徹底することによって、新型コロナウイルスの封じ込めに成功している』、「小池百合子・東京都知事」がコロナ対策に舵を切ったのは、東京オリンピック1年延期が決まってからで、遅すぎたとの批判もある。「吉村府知事」は最近、うがい薬がコロナ予防に役立つと軽率な発言したことで批判されている。
・『コロナ対策で高評価を得る韓国 対策は「検査・治療・追跡」  欧州や日本の地方自治体同様に、現場に即した迅速で的確な新型コロナ対策を高く評価されている国・地域がある。 韓国の新型コロナ対策は「検査・治療・追跡」である。まず、「ドライブスルー方式」と呼ばれるPCR検査の大規模実施だ。病院内に設置した患者と医師の相互感染を防ぐ検査用ブースを用いている。 PCR検査の大量実施は医療崩壊の恐れがあると広く認識されている(第234回・P.5)。しかし、韓国では症状に応じた患者の振り分けを行い、重篤、重症、中程度の患者は感染症指定病院や政府が指定する「専用の入院治療施設」で対応する。そして軽症者は原則、政府の研修施設などに設置され、医療スタッフが経過を観察する「生活治療センター」に隔離する方法で、医療崩壊を防ぐ態勢を確立した。 さらに、ITを駆使した感染経路の追跡を行う。海外から韓国に入国する際、入国管理事務所で「自己診断アプリ」をインストールする。そして、パスポート番号や滞在していた国などを登録し、入国から14日間、1日1回、体温のほか、咳やのどの痛み、呼吸困難の有無を入力。データは疾病対策予防センターなどに送られる。 また、クレジットカードの利用履歴や防犯カメラの記録、スマートフォンのGPS機能などを使って、感染者の行動履歴をさかのぼって追跡し、匿名でホームページ上に公開している。 この「韓国方式」は、前出のワシントン・ポストでも「1つの手本になった」と評価され、欧州などでも参考にされ ている』、「韓国」でも最近、感染者数が再び増勢に転じたようだ。
・『台湾のコロナ対策は「スピード」が最大の武器  一方、台湾は常に先手を打つ圧倒的な「スピード」のある新型コロナ対策が特徴だ。昨年12月31日、武漢市における新型コロナ感染拡大にいち早く気付き、世界保健機関(WHO)に情報を伝えて警戒を呼び掛け、武漢からの入境者への検疫を開始した。 1月5日には新型コロナの専門家会議を開催。20日にはこの問題で指揮センターを設置し、21日に初の感染者が台湾で確認されると、22日に蔡英文総統が全力での防疫を国家安全会議で指示するなど、素早い対応で新型コロナを封じ込めた。 また、デジタル担当の政務委員(大臣)の天才ホワイトハッカー、オードリー・タン氏は、民間人が開発した「マスクの在庫データを管理するアプリ」を活用した。買い占めなどの混乱がなくなり、政府がマスク全量を買い上げて流通を管理する制度が、円滑に運営されるようになった。 マスクの計画的な在庫管理に成功した台湾は、感染拡大が深刻な欧米や外交関係がある国にマスク計1000万枚を寄贈した。中国からの圧力でWHOから排除され、外交的に孤立を深めていた台湾が外交攻勢をかけているのだ。 最後に、新型コロナの死者数わずか1人のベトナムである。注目すべきは、ウェブサイトとアプリを活用した情報開示だ。感染者数がまだ10人程度だった2月8日、ベトナム保健省は新型コロナウイルスの情報をまとめた公式アプリ「Suc khoe Viet Nam(ベトナムの健康)」をリリースした。 そして、これに合わせて、新型コロナ情報の特設ウェブサイトも開設している。そこには、感染者第1号(BN1)以降、すべての感染者がリスト化され、感染者の年齢、性別、住所、病状、国籍が記載されている。また、感染場所を示す地図も掲載されている。 米政治誌『ポリティコ』の「新型コロナウイルス対策を最も効果的に行なっている国ランキング」によれば、ベトナムは調査対象の30カ国・地域中で最高評価を受けている。 韓国、台湾、ベトナムの新型コロナ対策に問題があるとすれば、テクノロジーを駆使することで人権侵害に至る懸念があることだ。しかし、「コンパクト・デモクラシー」は、政治・行政と市民の間の距離が近く、民主主義が機能しやすいのが特徴だ。議員との直接対話や陳情・請願、情報開示請求、市民参加、住民投票など、さまざまな民主的手法を市民が駆使。それによって、政治・行政による人権侵害を防ぐチェック機能を確立することができると考える』、「コンパクト・デモクラシー」は・・・政治・行政による人権侵害を防ぐチェック機能を確立することができると考える」、「コンパクト・デモクラシー」の欠陥を楽観的見方で埋めているようだ。
・『「コンパクト・デモクラシー」こそポストコロナ時代の社会モデル  「コンパクト・デモクラシー」は、コロナ後の社会に出現するスーバー・グローバリゼーションではどんな役割を果たすのだろうか。 スーバー・グローバリゼーションでは、世界の地域と地域が、国家という枠を超えて直接結び付く(第229回)。そして、個人の活動が劇的に広がる。若者がSNSを通じて世界中から資金調達して起業する。表現活動を行い世界的スターになる。在宅のまま世界中の大学の授業が受けられ、権威ある学術誌の枠を超えて、ネット上で最先端の研究が日々アップデートされることも珍しくなくなるだろう。 このような時代に、従来の国家という枠組みはもはやセーフティーネットとならない。個人の権利を民主主義的に最大限に尊重しながら、テクノロジーを駆使して現場の状況を的確に把握して、スピード対応でリスクを封じ込め、必要な措置を柔軟かつ機動的に行う必要がある。「コンパクト・デモクラシー」こそ、ポストコロナ時代の適切な社会モデルであると考える』、考え方としては面白いが、上手く行った国や地域の例をいきなり「コンパクト・デモクラシー」としてまとめているところには、かなり無理もありそうだ。
タグ:ダイヤモンド・オンライン 欧州で吹き荒れたポピュリズム旋風が失速した理由 コロナ対策で高評価を得る韓国 対策は「検査・治療・追跡」 台湾のコロナ対策は「スピード」が最大の武器 中央集権体制よりも勢い増す「コンパクト・デモクラシー」とは? 「中国モデル」は散々な評価だといえるだろう。次の「覇権国家」を狙った中国の行動に、世界が強い警戒心を抱いてしまっている 中国に賠償を求める訴訟が起き始めている。最初に、米国内の企業や個人からの訴訟が相次いだ。それは、英国、イタリア、ドイツ、エジプト、インド、ナイジェリア、オーストラリアなどに広がっている 中国が新型コロナを公表する前に、その危険性を訴えた武漢市の李文亮医師を「デマを流した」として公安当局は処分していた。医師の声を封殺して初動が遅れ、世界的な感染拡大を招いたとの怒りが中国国内で広がった 基本的人権を全く顧みない中国のやり方が世界に知られ、批判 イタリアなど中国式の都市封鎖を採用した国の死者数が爆発的に増加したために、その有効性に疑念が持たれてしまった 新型コロナ対策をも宣伝に使い覇権国家の座を狙う中国 米国が完全に「新世界」ではなくなったことを示している 第1次世界大戦の戦死者数を上回っており、米国内でこれほど多数の死者が出た「有事」は、歴史上初めて 死者70万人 米国の地政学的優位性が揺らぐ事態が多発 「スーバー・グローバリゼーション」は、ITのさらなる進化により、移動すら必要ない。在宅でパソコンやスマートフォンを操作するだけで、世界中のモノを購入でき、ビジネスが行われ、行政サービスも受けられる。のみならず、政治的な国際交渉までが行われる。個人が国家・企業へのハッキング、サイバー攻撃が可能という世界だ。個人が国家や巨大組織を凌駕することもある、従来の常識を超えた世界の出現である コロナ後に出現するであろう「スーパー・グローバリゼーション」 外務省の外交専門誌『外交』 コロナ後の国際社会で重要な「コンパクト・デモクラシー」 「中国モデル」 「中国モデルは限界露呈、ポストコロナは「コンパクト民主主義」を目指せ」 上久保誠人 フーコーの言う「生政治」 ファクターXを探す必要はあるのか 「感染状況の4段階」には「「大本営流」の「ごまかし」」がある 「日本人だからできた!」の罠 「ファクターX」 日本の調子がいいと不安になる 現場が持ちこたえれば持ちこたえるほど(撃ち続ければ撃ち続けるほど)政府は耳に心地よい「感染防止と経済再生の両輪」などと言い続け、聞く方もかけ声に踊って、それがかえって感染拡大の大破綻を招くことを私は憂いている いま僕らは「コロナと争う」しかない 「ウィズコロナ社会」という珍妙な言葉 「ウィズ結核社会」とは言わない 行政は言うことを聞いてほしいから「新しい日常」なんて言葉を持ち出してきて、それにすべての新聞が提灯持ちをしているのも、1940年代の戦時中と一緒である。新聞屋さん、戦争終わってから「反省」しても遅いよ 「非日常」はあっても「新しい日常」なんてものはない。それを「作ろう」という国民運動はまやかしだ 「新しい日常」への違和感 「「ウィズコロナ」「新しい日常」の大いなる欺瞞…戦争のときにそっくりだ 「日本人論的不安」を考える」 船曳 建夫 現代ビジネス (その6)(「ウィズコロナ」「新しい日常」の大いなる欺瞞…戦争のときにそっくりだ 「日本人論的不安」を考える、中国モデルは限界露呈 ポストコロナは「コンパクト民主主義」を目指せ) (経済社会的視点) パンデミック
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パンデミック(経済社会的視点)(その5)(WHO上級顧問・渋谷健司さんが警鐘 「手遅れに近い」状態を招いた専門家会議の問題点、前のめりの専門家とたじろぐ政治、問題だらけのGo To トラベル 「感染防止と経済活動の両立」は幻に、国内外でウイルスを広げている「米軍」の怠慢 沖縄だけじゃなく 世界で問題になっている) [国内政治]

パンデミック(経済社会的視点)については、7月19日に取上げた。今日は、(その5)(WHO上級顧問・渋谷健司さんが警鐘 「手遅れに近い」状態を招いた専門家会議の問題点、前のめりの専門家とたじろぐ政治、問題だらけのGo To トラベル 「感染防止と経済活動の両立」は幻に、国内外でウイルスを広げている「米軍」の怠慢 沖縄だけじゃなく 世界で問題になっている)である。

先ずは、7月18日付けAERAdot「WHO上級顧問・渋谷健司さんが警鐘 「手遅れに近い」状態を招いた専門家会議の問題点」を紹介しよう。
https://dot.asahi.com/aera/2020041700078.html?page=1
・『WHO事務局上級顧問で英国キングスカレッジ・ロンドン教授の渋谷健司さんが、日本の感染拡大防止策に警鐘を鳴らしている。政治から独立していない「専門家会議」の問題点、クラスター対策、自粛ベースや3密の限界――。いま何が問題で、何が求められているのか(Qが聞き手の質問、Aは渋谷氏の回答)』、第一線の「専門家」の見解とは興味深い。
・『Q:日本の状況をどう見ていますか。 A:手遅れに近いと思います。4月8日に出された非常事態宣言ですが、タイミングとしては1週間遅れたと考えています。 専門家会議のメンバーの西浦博・北海道大学教授は4月3日、東京が爆発的で指数関数的な増殖期に入った可能性を指摘しています。その2日前の、1日には専門家会議が開かれていました。この日は、宣言を出すように促す最後のチャンスだったと思います。1週間の遅れは、新型コロナウイルスの場合、非常に大きいのです』、「4月8日に出された非常事態宣言ですが、タイミングとしては1週間遅れたと考えています・・・1週間の遅れは、新型コロナウイルスの場合、非常に大きい」、正直な感想だろう。
・『クラスター対策は有効だったか  Q:新型コロナの感染拡大防止には「検査離」が基本と言われています。けれども、日本は「クラスター」と言われる感染集団の対策を重視してきました。日本の対策は有効だったのでしょうか。 A:クラスター対策とそれを支える『積極的疫学調査』の枠での検査を進めたので、保健所とその管轄の衛生研究所での検査が中心となりました。 まだ感染が限られていた初期は、保健師さんのインタビューと質の高い検査データで接触者を追い、その感染ルートを追いかけて、クラスターを潰すという方法が有効でした。 しかし、それではいずれ保健所の負担は増し、検査キャパシティーが限界になることは明らかでした。 検査については、保険適用になった後も医療機関から保健所に許可をもらい、その上で患者は帰国者・接触者外来に行って検査をする必要があります。 こうした複雑な仕組みのために検査は増えず、結果として経路を追えない市中感染と院内感染が広がってしまいました。 Q:初期段階でのクラスター対策は有効とも指摘されました。日本ではどの段階で「徹底的な検査と隔離」に方針転換する必要があったのでしょうか。 A:早い段階で感染が拡大した北海道などの地方都市ではクラスター対策が有効でした。しかし、大都市では感染経路をすべて追うことは非常に困難です。『どの段階』というよりは、そもそも検査を絞り続けた戦略がよくありませんでしたし、今こそ『検査と隔離』の基本に戻るべきでしょう』、「そもそも検査を絞り続けた戦略がよくありませんでしたし、今こそ『検査と隔離』の基本に戻るべき」、政府・厚労省の戦略への手厳しい批判だ。
・『「検査数を抑える」は的外れ  Q:日本では当初から「検査を抑えて医療態勢を守る」という考えがありました。そもそも、世界の専門家の間でこのような手法はどう評価されているのでしょうか。 A:検査を抑えるという議論など、世界では全くなされていません。検査を抑えないと患者が増えて医療崩壊するというのは、指定感染症に指定したので陽性の人たちを全員入院させなければならなくなったからであり、検査が理由ではありません。 むしろ、検査をしなかったことで市中感染と院内感染が広がり、そこから医療崩壊が起こっているのが現状です。 Q:政府の専門家会議は、機能していると考えていますか。 A:科学が政治から独立していないように見受けられ、これは大きな問題だと感じています。 先ほど指摘しましたが、4月1日時点で「東京は感染爆発の初期である」と会議メンバーは知っていたはずです。それならばそこで、緊急事態宣言をすべしという提案を出すべきでした。 しかし、この日の記者会見で出てきたメッセージには、国内の逼迫(ひっぱく)した状況を伝えてはいたものの、『我が国では諸外国で見られるようなオーバーシュートは見られていない』といった国民の緊張感を緩ませるような言葉もまぎれていました。 一方で、米国のトランプ大統領の妨害にもかかわらず国立アレルギー感染症研究所のファウチ所長は凛として科学者としての役目を務めており、大統領とは全く違う声明も出します。 彼は『自分は科学者であり、医師である。ただそれだけ』と述べています。そういう人物が今の専門家会議にはいないようです』、「検査を抑えるという議論など、世界では全くなされていません・・・検査をしなかったことで市中感染と院内感染が広がり、そこから医療崩壊が起こっている」、「国立アレルギー感染症研究所のファウチ所長は凛として科学者としての役目を務めており、大統領とは全く違う声明も出します。 彼は『自分は科学者であり、医師である。ただそれだけ』と述べています。そういう人物が今の専門家会議にはいないようです」、同感だ。
・『「3密」「夜クラスター」以外の感染ルート  Q:日本の感染拡大防止策がこのまま自粛ベースで行われた際、何が起きると考えていますか。 A:自粛ベースでも外出が実質削減されればそれで構いませんが、現在のように飲食店は開いたまま、在宅勤務も進まない状態が続けば、感染爆発は止まらないでしょう。いずれ、ロックダウン的な施策が必要と考えます。 Q: 一人一人はどう行動すべきでしょうか。 A:「家にいる」ということです。「自分が感染者かもしれない」と考えて行動すべきです。密閉、密集、密接の「3密」や夜クラスターを避ければよいというメッセージでは、逆に、「自分は関係ない」という意識を持ってしまう可能性があります。それ以外の感染ルートの可能性もあります。実際に感染経路を追えない市中感染が多数を占めているので、注意が必要です』、「現在のように飲食店は開いたまま、在宅勤務も進まない状態が続けば、感染爆発は止まらないでしょう」、政府は感染防止よりも、経済拡大に舵を切ってしまったようだ。どうなることやら・・・。

次に、7月20日付け中央公論が掲載した東京大学先端科学技術研究センター教授の牧原出氏による「前のめりの専門家とたじろぐ政治」を紹介しよう。
https://chuokoron.jp/society/114450.html
・『分裂の中、たじろぐ政治  「前のめり」の感染症専門家と、これを取り囲むように、多様な分野の専門家が参戦し、大立ち回りとなった新型コロナ対策、という状況は、日本だけに限らない。当初集団免疫を唱えてごうごうたる非難の結果、方針を転換したイギリスや、集団免疫の方針を続けた結果、周辺諸国と比べて死亡率が高くなったスウェーデンはもちろんのこと、比較的感染の抑え込みに成功したドイツですら、専門家への不満は高まっている模様である。どの国も自国の政策を守るために異なる政策をとる他国を非難する傾向にあり、そうしたもろもろの非難が、各国の国内での不満に火をつけている面もあるようにすら見える。 日本の場合は、元来専門家の登用に消極的であった第二次以降の安倍内閣の欠点が赤裸々となった。首相の記者会見でのパフォーマンスの低さは、国会審議で自分の言葉と言えばヤジを言うにとどまり、弁舌に磨きをかけてこなかったこれまでの実績が素直に反映されたに過ぎない。 さらに、官僚への人事権をテコに各省を統制していた菅義偉官房長官を一連の決定から事実上排除し、西村経済再生担当大臣を新型コロナ担当大臣にしたことで、政府全体として各省へのコントロールは低下した。内閣府特命担当大臣には、各省大臣と比べて圧倒的に少ないスタッフしかおらず、その発言権は過去の例を見ても、そうは高くはならないからである。 しかも、当初アドバイザリーボードを設けた加藤厚労大臣と政府内の医療専門家である医系技官の役割がかすんでいる。加藤大臣は、本来ならば尾身会長に代わって、自ら国民に対して説明するにふさわしい立場であるが、どうみても影が薄い。また専門家会議の事務局は、実質、厚労省の医系技官たちがかなりの程度コントロールしているし、末端の保健所の強化や特効薬・ワクチンの早期承認などは、その重要な職務である。にもかかわらず、西村大臣と尾身会長が前面に出れば出るほど、後景に退いた厚労省の役割は見えにくくなっている。 こうして、「安倍一強」のもと、強いチーム組織として安倍首相を支えた政権は、分裂の様相を強めている。誰もが責任を担いきれず、厳しい事態にたじろいでいる。首相の言葉が弱々しく聞こえたり、「まさに」、「歯を食いしばって」、「守り抜く」といった決まり文句が耳障りなほど繰り返されたりするのは、首相を支えるスタッフがやせ細り、政策アイディアの出所が払底しているからである。 その帰結の一つは、官僚が、森友・加計学園問題のようには「忖度」しなくなることである。黒川検事長辞任の際には、処分は訓告にとどまったが、法務省側はより重い戒告を主張し、官邸が訓告にとどめたとのリークがあった。出所はどうみても法務省である。また安倍首相が感染抑え込みの秘策として記者会見でも認可を前倒しにすると強調したアビガンは厚労省が後ろ向きのままである。承認申請する製薬会社は登場していない。もはや官邸が無理筋な方針を各省に投げかけても、そのまま各省が協力するといった状況ではなくなっている』、「「安倍一強」のもと、強いチーム組織として安倍首相を支えた政権は、分裂の様相を強めている。誰もが責任を担いきれず、厳しい事態にたじろいでいる。首相の言葉が弱々しく聞こえたり、「まさに」、「歯を食いしばって」、「守り抜く」といった決まり文句が耳障りなほど繰り返されたりするのは、首相を支えるスタッフがやせ細り、政策アイディアの出所が払底しているからである」、「もはや官邸が無理筋な方針を各省に投げかけても、そのまま各省が協力するといった状況ではなくなっている」、既に政権末期のレームダック化したようだ。
・『現場発の対策が出発点  今後第二波の到来が予想される中、これまでのスタイルでは、到底対応できないであろう。感染の広がりが収まりつつある現在、政権の最大の課題は、専門家とどのようにこれからの政策形成で協力できるかである。 一つ目は、感染症専門家についてである。政治は状況に対してたじろぎ、感染症専門家は「前のめり」であった。それを改めて、政治の責任範囲を明らかにし、専門家は分析と評価に徹するよう役割の分担が必要である。六月二十四日、西村大臣は専門家会議を「廃止」すると述べたが、今後どのような体制がとられるのかは注視すべきである。 二つ目は、感染拡大が落ち着いた現在、一層必要なのは、感染症対策とそのほかの専門分野との調整である。経済との調整が第一義的には重要であり、すでに感染症専門家の要望に応える形で諮問委員会には四名の経済学者が委員となっている。 とは言っても感染症専門家と比べて経済関係の委員の数はきわめて少ない。また経済の専門家の意見と、感染症専門家の意見とは、本質的に接点が薄く、一本化は難しい。異なる複数の意見を一つにまとめることこそ政治の役割であり、厚労大臣と経済再生担当大臣とがそれぞれを助言する専門家の意見を受けて議論して、決定すべきものである。しかし、西村大臣と加藤厚労大臣とが安倍首相を前にそうした大臣政治を繰り広げるようなスタイルを、現政権はとってこなかった。すべてが首相周辺で集中決済することで、これまでの七年間を乗り切ってきたのである。 しかも、教育が典型だが、授業方法、学校生活、入試実施方法など、問題が山積である。地域事情も加わるとすれば、感染者が発生しやすい都市部と、都市部から持ち込まれなければ従来通りの生活を送れるであろう地方部では、それぞれ対応が異なってくるはずである。日常生活全般について、「新しい生活様式」という専門家会議が打ち出した三密回避のためのルールを、それぞれの場面でどう活かすかが問われている。 まず内閣の中での責任分担をもう一度考え直すべきであろう。首相と側近による政策決定はもはや機能しない。まずは官房長官の政府部内全体を調整する役割を再確認する必要がある。チーム組織としての政権の再建はやはり必要であろう。 そして、厚労大臣・文部科学大臣など大臣の役割をもう一度見直すべきである。内閣の基本原則は、各省の所管に全責任を持つ大臣が主体的に行動することである。現政権は、麻生財務相と、安倍首相側近の数名の大臣以外は、ほとんど機能せず、官邸が処理してきた。それが可能だったのは、政権が、時期を区切って安保法制、トランプ大統領対策、地方創生、一億総活躍など、特定の政策に関心を集中し、政策革新を図ってきたからである。しかし、新型コロナ対策では、数年かけて全大臣が所管を見直し、慎重かつ果断に問題を処理する必要がある。「官邸案件」に特化した政策形成では到底対処できないのである。この点は、新型コロナ対策が終息しないうちに政権が代わったときにこそ、さらに重要になるであろう。 三つ目として、問題が長引き、多岐にわたるとすれば、もう一度それぞれの専門家がその枠を超えて地道に討議を繰り返すことがどうしても必要である。これまでは感染者激増と医療崩壊を恐れるあまり、識者の関心が国の中枢での決定に集中しすぎていたのではないだろうか。むしろ、個々の現場での地道な対処策について意見交換を進めるならば、建設的な討議が可能になるであろう。いくつもの手立てで日常生活の質を大きく落とさないような「多重防御」のしかけを仕込んでおけば、突然の感染爆発やロックダウンを防ぐこともできるであろう。 最後は政治が責任をとることが納得され、前向きにこれまでの施策を振り返り、アフターコロナの可能性を探る。そういう体制に向けて、政治も、もろもろの分野の専門家も、そして市民も腰を上げるときである』、「政治の責任範囲を明らかにし、専門家は分析と評価に徹するよう役割の分担が必要」、「首相と側近による政策決定はもはや機能しない。まずは官房長官の政府部内全体を調整する役割を再確認する必要」、「これまでは感染者激増と医療崩壊を恐れるあまり、識者の関心が国の中枢での決定に集中しすぎていたのではないだろうか。むしろ、個々の現場での地道な対処策について意見交換を進めるならば、建設的な討議が可能になるであろう。いくつもの手立てで日常生活の質を大きく落とさないような「多重防御」のしかけを仕込んでおけば、突然の感染爆発やロックダウンを防ぐこともできるであろう」、説得力溢れる提言で、同感だ。

第三に、7月31日付けダイヤモンド・オンラインが掲載した経産省出身で慶應義塾大学大学院メディアデザイン研究科教授の岸 博幸氏による「問題だらけのGo To トラベル、「感染防止と経済活動の両立」は幻に」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/244496
・『遂にGo Toトラベルが始まってしまいました。メディアでは連日、見切り発車で始めたことによる混乱や、事務局が8月まで設立されないといった問題点が盛んに報道されています。 しかし、それら報道されている内容はあくまで表面的な問題に過ぎないと思います。最大の問題点は、政府が感染防止と経済活動の両立を実現できていない中で、経済活動に偏る政策を始めてしまったことではないでしょうか』、政府が「経済活動に偏る政策を始め」ることに納得できる説明をしなかったことも大きな失点だ。
・『Go Toトラベルの混乱の本当の原因  しかし、Go Toトラベルが表面的にも酷すぎることは事実です。私は政策立案の世界に、もう35年くらい関わっていますが、これだけ話にならないレベルでの準備不足のまま見切り発車した政策は記憶にありません。 ではどうしてそんな醜態を晒すことになったかというと、持続化給付金の事務局の民間委託を巡る混乱が尾を引いているとしか思えません。 もともとGo Toトラベルの予算は、官邸(とその背後にいる経済産業省)主導の下で、第1次補正予算に計上されました。経産省は、持続化給付金の時と同様に、自らが差配して他の2つのGo Toキャンペーンと一緒に、民間に事務局を委託して事業を進めようと考えていたはずです。 ところが、持続化給付金の事務局を巡る騒ぎの煽りを受けて、Go Toトラベルは観光業を所管する国交省が急遽担うことになりました。国交省からすれば、自らが積極的に予算化したというより、官邸主導で決まった政策の尻拭いを突然押し付けられたようなものですから、そりゃ“やらされ感”たっぷりになって動きも鈍くなります。 加えて、8月から実施予定だったのが、天の声(=自民党)で7月の4連休からに前倒しでやれと言われたら、大混乱となって当然です。 従って、私は、国交省はむしろ被害者でかわいそうな面もあると思っています。それよりも本件でもっと非難されるべきは、Go Toトラベルは国交省が担当なので自分たちは無関係であるかのように振る舞う西村大臣、そして発案者である官邸と経産省だと思います。責任逃れも甚だしいのではないでしょうか』、「西村大臣、そして発案者である官邸と経産省」の「責任逃れも甚だしい」、同感である。
・『政府の感染状況に関する甘い認識と感染防止での無策  ただ、Go Toキャンペーンの最大の問題は、そうした表面的なことだけではありません。政府は「感染防止と経済活動の両立」を標榜するにもかかわらず、現実には感染状況の認識も甘く感染防止策も不十分で、バランスが経済に偏り過ぎている中で、その偏りをさらに助長する政策であるGo Toキャンペーンを始めてしまったことこそが、最大の問題ではないでしょうか。 そもそも、これまで政府の感染状況に関する認識は非常に甘かったと言わざるを得ません。7月22日に開催された政府の対策本部で安倍首相は、次のように発言しています。 「感染状況の拡大を十分に警戒すべき状況にはありますが、検査体制の拡充や医療提供体制の整備が進んでいること、感染は主に若い世代の中で広がっており、重傷者が少ないことなどを踏まえると、4月の緊急事態宣言時とは大きく状況が異なっております」 もちろん、PCR検査の数が大幅に増えたことで感染者数が増えた面はありますし、30歳代以下の比率が高いのも事実です。しかし、データを見ると、東京都では重症化のリスクの高い60歳代以上の感染者数も、人工呼吸器装着者の数も、4月初めの段階に近づいており、もはや「4月の緊急事態宣言時とは大きく状況が異なる」とは言えないように思えます。 実際、7月22日に開催されたコロナ感染症対策分科会で示された感染症専門家メンバーの分析でも、「爆発的な感染拡大には至っていないが、このままでは漸増が見込まれるので、減少に転じさせるには早急な対策が必要」と、安倍首相の発言よりも強い危機感が示されています。 さらに重要なのは、分科会がそこで、感染を抑えるために「現時点で早急に取り組むべき対策」を提示していることです。 具体的には、3密回避などに向けたガイドライン遵守の徹底、クラスター封じ込め、場合により夜の街への積極的介入(休業要請)などが挙げられています。ちなみに、会合後の会見で尾身会長は、「政府には明日から具体的アクションを取ってほしい」と求めています(参照資料)。 そうした分科会の専門家の危機意識とは正反対に、つい最近まで政府の動きは非常に鈍いままでした。 そもそも、6月上旬から東京で夜の街問題が起きているのに、政府は無策でした。7月になって東京での市中感染、そして全国への感染拡大が明らかになってようやく動き出した感がありますが、その内容も、風営法など感染症と無関係の既存の法律で出来る範囲にとどまり、かつ基本的には自治体任せでした。 役人出身の西村大臣らしく、非常に小役人的な対応に終始していた感があります。7月31日に分科会を開催し、地方自治体が具体的に動く際の判断基準を検討するようですが、既存の法律の範囲内での対応ばかりでは大きな効果は望めません。 要は、これまでの政府のやり方、つまり既存の法律の範囲内でやれることを考えるだけでは明らかに不十分なのです。本来はもっと強力な対応が必要なはずです。 となるとすぐ思いつくのは、再度の緊急事態宣言を発令するということですが、感染防止と経済活動のバランスを前者に極度に傾けてしまいますので、個人的には反対です。実際、そこまでやらなくても政府が出来る対応はまだたくさんあります。 例えばクラスター対策では、自治体の首長が事実上命令に近い法的根拠のある休業要請を、補償金とセットでもっと機動的に出せるようにすべきです。7月30日に東京都が飲食店に対して営業時間短縮を要請する方向であることが報道されましたが、強制力がなく、かつ協力金が20万円と店舗の家賃にも満たない少額では、効果はあまり期待できません。 また、いくつかの国で既に行われているように、市町村レベルやもっと狭いエリアの単位での緊急事態宣言を、これも補償金とセットで出せるようにすることも有効かもしれません。 さらには、真面目にPCR検査の件数を増やしたいなら、ボトルネックである保健所の早急な人員増強が難しいことを考えると、感染症法を改正して、保健所などの公的機関の関与なしでPCR検査を行えるようにする手もあると思います。 そして、これらの新たな実効性ある対策を講じるには法改正や新たな予算措置が必要となるので、本当に真面目に感染防止に取り組みたいのならば、政府与党は早急に臨時国会を召集すべきです。臨時国会を召集しようともせずに、感染防止は自治体任せのような対応ばかりをしていては、政府は本気で感染防止をする気がなく、経済のことしか考えていないと国民に見透かされ、政府への信頼がより一層落ちるだけです。 ついでに言えば、これだけ感染者数が増えているのに、安倍首相が会見で国民に政府のスタンスや政策をしっかりと説明していないというのも論外です』、「臨時国会を召集しようともせずに、感染防止は自治体任せのような対応ばかりをしていては、政府は本気で感染防止をする気がなく、経済のことしか考えていないと国民に見透かされ、政府への信頼がより一層落ちるだけです・・・これだけ感染者数が増えているのに、安倍首相が会見で国民に政府のスタンスや政策をしっかりと説明していないというのも論外」、全く同感である。
・『Go Toトラベルはまず一度止めるべき  そのような状況でGo Toトラベルを始めても、観光業も地域経済も決して救われません。 例えば7月に東京で感染者が200人を超えると、それをきっかけに飲食店に出向く人や飛行機・新幹線を利用する人の数が減ったと言われています。当たり前ですが、多くの国民は健全に感染を恐れているのです。 その国民に対して、感染状況の認識も感染防止策も甘い政府が旗を振っても、政府の機能不全を見透かしている国民は自衛に走りますから、多くの人が観光に出かけるとはとても思えません。 ちなみに、感染防止に無策な政府らしく、Go Toトラベル自体での感染防止策も甘いのが現実です。宿泊施設に感染防止策を講じているかを申告させ、それを観光庁(8月からは事務局)がチェックするだけです。 しかし、そもそも観光庁に感染防止策を判断する能力などありません。本来は、観光地の自治体と連携して、宿泊施設のみならず観光施設や飲食店などでも感染防止策を徹底させ、それをクリアしたところを対象にすべきです。 要は、通常時ならば全国一律での観光業振興という縦割りの政策もありですが、コロナ下では感染の面的な広がりというリスクが存在する以上は、地域の感染防止という横割りの観点も必要なのに、それが全く欠如しているのです。話になりません。 以上から、個人的には、とにかくGo Toトラベルは一度止めるべきだと思います。政府は、コロナ対応でこれまでも朝令暮改を繰り返していますので、もう恥ずかしくもないはずです。通常時のように、一度決めた予算は何があっても予定通り執行するという馬鹿げた固定観念は捨てるべきです。アベノマスクでそれはもう分かったはずです。 その上で、まず感染防止策をしっかりと強化して、政府が標榜する「感染防止と経済活動の両立」のバランスが取れた状態を実現してから、まともな観光業振興策を講じるべきです。旅行代金割引以外にも観光業を振興する方策はいくらでも考えられることを忘れてはいけません』、自民党の二階俊博幹事長が全国旅行業協会の会長として、「Go Toトラベル」に熱を入れている状況では、東京都を外しただけで決行したのも、頷ける。もはや安部政権は末期の幕に向かってまっしぐらのようだ。

第四に、7月28日付け東洋経済オンラインがThe New York Times記事を転載した「国内外でウイルスを広げている「米軍」の怠慢 沖縄だけじゃなく、世界で問題になっている」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/365449
・『アメリカは新型コロナウイルスの制御に苦戦を強いられているが、アメリカ軍が国内外で感染源になっている可能性のあることが軍関係者や各地の公衆衛生当局者の取材で明らかになった。軍人の感染者は2万人を超し、軍内部の感染率は過去6週間で3倍に増加している(7月21日時点)。 感染者数が最も増加しているのは、アリゾナ、カリフォルニア、フロリダ、ジョージア、テキサス州内の基地。いずれも感染者数の急増が確認されている州だ。沖縄のアメリカ軍基地では海兵隊が100人近い感染者を出し、現地当局者の怒りを買った。イラク、アフガニスタン、シリアの交戦区域でも未報告の感染例がすでに多数存在し、アメリカ軍は部隊内の感染爆発と戦っている』、「軍隊」は感染症にはどうしても弱いようだ。
・『アメリカ国内でも基地が感染源に  韓国では、ロバート・エイブラムス司令官がパンデミック初期に積極的な対策でウイルスを抑え込んだことから称賛されていたが、駐留アメリカ軍では現在98人の陽性が確認されている。エイブラムス司令官も認めるように、ウイルスはアメリカから持ち込まれたとみられる。 アメリカ国内では、ジョージア州チャタフーチー郡の当局者が同州にある大規模訓練基地、フォート・ベニングが感染源であることを突き止めた。同郡は人口密度が低いにもかかわらず感染率が高くなっている。カリフォルニア州とノースカロライナ州の当局者も、軍施設と地元コミュニティの感染拡大に関連性があることを確認している。 混雑するバーなどの営業が再開された、都市周辺の人口密集地に住む若者の間で感染が増加しているのは驚くようなことではない。しかし上述したような感染拡大、とりわけ海外の事例は、アメリカ軍の安全対策に疑問を投げかける。国防総省は軍内部での感染防止と、任期を超えて海外にとどまらざるをえなくなった部隊の交代といった、新型コロナに起因する兵站上の問題の双方に対処しなければならない状態にある。 「これはたいへんな課題だ」と、シンクタンク「新アメリカ安全保障センター」で非常勤の上級研究員を務めるジェイソン・デンプシー氏は話す。「ウイルスを国内でも制御できていない以上、極めて重要性の高い任務を除いてはアメリカ軍の展開を歓迎しない国も出てくるだろう」。 いろいろな意味で、アメリカ軍内部の感染急増は、ロックダウン(都市封鎖)に疲れ、日常を取り戻そうとしているアメリカ全体の状況を反映している。国防総省によると、感染件数は7月20日時点で2万1909件と、6月10日時点の7408件から大幅に増えている。3月以降、空母「セオドア・ルーズベルト」の水兵を含む3人の軍人が死亡している。入院した軍人は440人を超す。 アメリカ軍の訓練基地に、ソーシャルディスタンスの空間はほとんど存在しない。兵舎はぎっしり詰め込まれ、訓練はつねに過酷だ。開店中のバーやその他の社交場が隊員を招き寄せる。兵士らは、このような環境で海外派遣の準備を進めている』、「軍内部での感染防止と・・・部隊の交代といった、新型コロナに起因する兵站上の問題の双方に対処しなければならない状態」、にあるのであれば、もっと真剣に感染防止に取り組むべきだろう。
・『集団感染の「完璧な条件」がそろう  「密な環境で若者と年配の世代が共に時間を過ごすアメリカ軍の基地では感染症が広がりやすい。集団感染が燎原の火のように燃え広がるのに完璧な条件がそろっている」。こう指摘するのは、保健政策を研究するダートマス大学タック経営学大学院のリンジー・ライニンガー教授だ。 「残念ながら、密な環境、年齢構成からして基地の集団感染リスクは高い。そして、基地の従業員の多くが地元住民であるため、基地の集団感染はいとも簡単に地域の集団感染に発展しうる」 先日行われた電話記者会見で陸軍のライアン・マッカーシー長官は、大規模な歩兵訓練校を抱えるフォート・ベニングとミズーリ州のフォート・レナード・ウッドの感染急増に言及し、基礎訓練施設の再開を急ぎ過ぎたか、適切な感染防止策をとらなかったツケが軍に回ってきている可能性を認めた。 マッカーシー氏によれば、軍は検査ルールを変更するか、海外配属前に実施される14日間の隔離期間を延長するか、検査の頻度を上げるかどうか、検討を進めている最中だという。 「私たちは事態をとても重く受け止めている」と、在韓アメリカ軍のエイブラムス司令官はアメリカ軍向けに放送されている韓国のAFNラジオ番組内で語った。 世界中の数多くの国に軍隊を展開する唯一の国として、アメリカには何の制限もなくウイルスを他国に持ち込む場面が数多く存在する(アメリカ軍が展開する国には、アメリカからの旅行を禁じている国も含まれる)。さらにアメリカ軍には、すでに新規感染者であふれかえっている地域の感染をさらに加速させる懸念もある。 こうした現実は、複数のアメリカ軍基地が存在する日本南端部の島、沖縄の経験にはっきりと現れている。6月の数週間にわたり、国防総省の移動制限によって延期されていた数千人の海兵隊員の沖縄への派遣が実施されている。エスパー国防長官がアメリカ軍の移動を6月末まで制限し、その後解除したのには2つの狙いがあった。1つは、軍内部の感染防止。もう1つは、長期的な派遣スケジュールに対する悪影響を最小限に食い止めることだ』、沖縄で新規感染者が急増し、医療崩壊しかけているのも、駐留米軍での感染拡大が影響しているのだろう。
・『無許可で開かれたパーティーで感染拡大に拍車  事情をよく知る海兵隊員が匿名を条件に語ったところでは、沖縄に新規感染を持ち込んだのはカリフォルニア州から派遣された海兵隊のヘリコプター・歩兵部隊だったと考えられている。新型コロナの感染は6月に当該部隊内で急速に広がり、7月4日の独立記念日の週末あたりに無許可で開かれたパーティーによって感染拡大に拍車がかかったのはほぼ間違いない、とこの海兵隊員は話す。 「皆も気づいていると思うが、追跡チームによれば、新型コロナに感染した海兵隊員や水兵はおそらく」移動に関して課されていた規制を破った――。独立記念日の数日後に沖縄のアメリカ軍指揮官たちが海兵隊員に向けてこのように記したメッセージを、ニューヨーク・タイムズは入手した。指揮官らは規則に従うよう隊員に警告し、その行動は「徹底的な調査の対象になる」とクギを刺している。 韓国では、2月下旬に同国初の集団感染が確認されて以降、70人を超える在韓アメリカ軍関係者が検査で陽性となっている。アメリカ軍は厳格な隔離手順を順守していると述べる一方、早期に新型コロナの封じ込めに成功した韓国の衛生当局者は、新規感染の大部分が海外由来だとしている。 オーストラリアでは1000人を超す海兵隊員がダーウィンで毎年行われる数カ月の合同軍事演習を最近開始したばかりだが、海兵隊が今月行った報道発表によると、少なくとも1人の海兵隊員が新型コロナに感染していることが判明した。 ドイツではアメリカ軍のシュパングダーレム空軍基地のあるビットブルク=プリュム郡が、国内でも特に感染率の高い地域となっている。ただし、同基地内での感染は減少しつつあるようだ』、「沖縄」では「無許可で開かれたパーティーで感染拡大に拍車」、米軍に自己管理能力が欠如しているようなので、日本としては日米地位協定の見直しを申し入れるべきだろう。
タグ:1週間の遅れは、新型コロナウイルスの場合、非常に大きい 英国キングスカレッジ・ロンドン教授の渋谷健司 軍人の感染者は2万人を超し、軍内部の感染率は過去6週間で3倍に増加 「WHO上級顧問・渋谷健司さんが警鐘 「手遅れに近い」状態を招いた専門家会議の問題点」 自民党の二階俊博幹事長が全国旅行業協会の会長 国立アレルギー感染症研究所のファウチ所長は凛として科学者としての役目を務めており、大統領とは全く違う声明も出します。 彼は『自分は科学者であり、医師である。ただそれだけ』と述べています。そういう人物が今の専門家会議にはいないようです これまでは感染者激増と医療崩壊を恐れるあまり、識者の関心が国の中枢での決定に集中しすぎていたのではないだろうか。むしろ、個々の現場での地道な対処策について意見交換を進めるならば、建設的な討議が可能になるであろう。いくつもの手立てで日常生活の質を大きく落とさないような「多重防御」のしかけを仕込んでおけば、突然の感染爆発やロックダウンを防ぐこともできるであろう 無許可で開かれたパーティーで感染拡大に拍車 これだけ感染者数が増えているのに、安倍首相が会見で国民に政府のスタンスや政策をしっかりと説明していないというのも論外 政治の責任範囲を明らかにし、専門家は分析と評価に徹するよう役割の分担が必要 Go Toトラベルの混乱の本当の原因 政府の感染状況に関する認識は非常に甘かった 岸 博幸 The New York Times 責任逃れも甚だしい もはや官邸が無理筋な方針を各省に投げかけても、そのまま各省が協力するといった状況ではなくなっている 分裂の中、たじろぐ政治 集団感染の「完璧な条件」がそろう パンデミック 牧原出 (経済社会的視点) 現在のように飲食店は開いたまま、在宅勤務も進まない状態が続けば、感染爆発は止まらないでしょう 検査をしなかったことで市中感染と院内感染が広がり、そこから医療崩壊が起こっているのが現状 そもそも検査を絞り続けた戦略がよくありませんでしたし、今こそ『検査と隔離』の基本に戻るべきでしょう 手遅れに近いと思います。4月8日に出された非常事態宣言ですが、タイミングとしては1週間遅れたと考えています WHO事務局上級顧問 「国内外でウイルスを広げている「米軍」の怠慢 沖縄だけじゃなく、世界で問題になっている」 AERAdot Go Toトラベルはまず一度止めるべき 科学が政治から独立していないように見受けられ、これは大きな問題 首相と側近による政策決定はもはや機能しない。まずは官房長官の政府部内全体を調整する役割を再確認する必要 沖縄で新規感染者が急増し、医療崩壊しかけているのも、駐留米軍での感染拡大が影響 臨時国会を召集しようともせずに、感染防止は自治体任せのような対応ばかりをしていては、政府は本気で感染防止をする気がなく、経済のことしか考えていないと国民に見透かされ、政府への信頼がより一層落ちるだけです 現場発の対策が出発点 「問題だらけのGo To トラベル、「感染防止と経済活動の両立」は幻に」 政府の感染状況に関する甘い認識と感染防止での無策 ダイヤモンド・オンライン 東洋経済オンライン 西村大臣、そして発案者である官邸と経産省 「安倍一強」のもと、強いチーム組織として安倍首相を支えた政権は、分裂の様相を強めている。誰もが責任を担いきれず、厳しい事態にたじろいでいる。首相の言葉が弱々しく聞こえたり、「まさに」、「歯を食いしばって」、「守り抜く」といった決まり文句が耳障りなほど繰り返されたりするのは、首相を支えるスタッフがやせ細り、政策アイディアの出所が払底しているからである 「前のめりの専門家とたじろぐ政治」 米軍に自己管理能力が欠如しているようなので、日本としては日米地位協定の見直しを申し入れるべき アメリカ国内でも基地が感染源に 中央公論 「3密」「夜クラスター」以外の感染ルート 「検査数を抑える」は的外れ クラスター対策は有効だったか (その5)(WHO上級顧問・渋谷健司さんが警鐘 「手遅れに近い」状態を招いた専門家会議の問題点、前のめりの専門家とたじろぐ政治、問題だらけのGo To トラベル 「感染防止と経済活動の両立」は幻に、国内外でウイルスを広げている「米軍」の怠慢 沖縄だけじゃなく 世界で問題になっている)
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歴史問題(12)(“神か悪魔か…”さまざまな証言に見る元陸軍参謀・辻政信の「生への執着」、終戦後も国内潜行生活を続けた元日本陸軍参謀が国会議員になった理由、古賀茂明「終戦記念日に考えたい日本の罪」、日本政府は国民を守らない…「原爆は怖くない」ウソだらけの安全神話) [国内政治]

昨日は世界史的な歴史問題を取上げたが、今日は日本史的な歴史問題(12)(“神か悪魔か…”さまざまな証言に見る元陸軍参謀・辻政信の「生への執着」、終戦後も国内潜行生活を続けた元日本陸軍参謀が国会議員になった理由、古賀茂明「終戦記念日に考えたい日本の罪」、日本政府は国民を守らない…「原爆は怖くない」ウソだらけの安全神話)である。

先ずは、5月30日付けFNNプライムオンライン「“神か悪魔か…”さまざまな証言に見る元陸軍参謀・辻政信の「生への執着」 FNSドキュメンタリー大賞2019」を紹介しよう。
https://www.fnn.jp/articles/-/47171
・『東南アジア屈指の大都市、タイの首都・バンコク。 仏教への信仰が厚いこの地には、日本とゆかりの深い施設も点在している。 80年以上の歴史がある、日本人納骨堂もそのひとつで、堂内の一角にいつ誰が描いたのかもわからない肖像画がある。 肖像画に描かれる男性の正体は、バンコクで終戦を迎えた元日本陸軍参謀・辻政信氏。 戦時中、幾多の激戦地で活躍し、“作戦の神様”と評される一方で悪評も絶えない。「無謀な作戦で多くの犠牲を出した」「現場の指揮官に自殺を強要した」などと、耳を疑うものばかりだ。 さらにシンガポールでは反日ゲリラ活動を防ぐためとして、数千人の虐殺を指揮したとされている。 昭和の歴史を綴った作家たちは、「地獄からの使者」「絶対悪」などと辻氏をこき下ろした。 その辻氏は戦後に突然行方をくらませ、アジア各国に潜伏し、戦犯としての追及を逃れる。 再び世に出た辻氏は国会議員になり、防衛力の強化を訴え、“第三次大戦を起こしかねない男”と噂された。そして最後は、出張先の東南アジアで失踪。多くの謎を残したまま、人知れずこの世を去った。 激動の時代に、非難と脚光を浴びながら生きた男。その姿は今を生きる人々にどう映るのか。前編では、辻氏の戦時中の活躍と、戦後の海外での潜行生活を追う』、戦後史の謎の1つは解き明かされるのだろうか。
・『元日本陸軍参謀・辻政信  辻氏の地元・石川県で文房具店を営む、おいの辻政晴さんが取材に応じてくれた。 「中佐(政信)が、ノモンハン事件の一番上に立って、『お前、これやれ』って言えるわけがないです。板垣征四郎とか、大将や中将が指揮官だった。本来、指揮官が一番悪いっちゃ悪い」と話す政晴さん。 政晴さんの妻・美惠子さんは「一回だけ知り合いから、『悪魔ってわかっている政信さんの親戚の家ってわかって嫁に行ったのか』と言われて。正直、あんまり詳しく知らなかった。親は当然知っていたと思うんだけど」と当時を振り返った。 政晴さんの長男・克憲さんは、こう語る。 「小さい頃は、祖父や祖母に『国のために頑張った方なんや』と言われて、それだけを信じて成長してきたんですけど、大きくなったら良いのか悪いのか、いろんな情報が入ってくる。そこで自分なりに『政信さんにもひょっとしたら、こういう面があったのか』みたいなことも感じ取ったんです。 (番組ディレクターの)山本さんは、(辻政信の)いい面をなるべく見てくれていると思うのですが、他の方から直に『正直、政信さんのここ、よくないですよね』って聞いたことがないので教えていただきたい」 問われた山本ディレクターは答える。 「僕もご本人にお会いしたことはないので、否定する立場にはないんですけれども。“悪”だという方の意見としては、やはり軍人時代、参謀として多少暴走したり、失敗したりそこを見ていると思うんです。ですけど、当時は軍隊という大きな組織の中で、たったひとりの決断で彼が悪だと言えてしまうのかというのは、非常に大きな疑問です」』、Wikipediaの記事は不正確らしいが、一読すると、相当のワルという印象を受ける。「番組ディレクター」の見方は立場もあって甘いようだ。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%BE%BB%E6%94%BF%E4%BF%A1
・『エリートでありながら自ら前線に出ていた辻  1939年、旧満州国とモンゴルとの国境地帯・ノモンハンで、日本軍と旧ソ連軍との軍事衝突が勃発。両軍とも2万人近い死傷者を出す惨劇となった。 この戦いで参謀を務めた辻は、本部からの指示に背く作戦を強行。多くの犠牲に繋がったとして非難を浴びた。 当時の辻氏の手記には、「ノモンハンの罪人となると、昨日までの友が赤の他人となり、手のひらを返したようになる」とある。 元帝京大学教授で歴史学者の戸部良一さんは、上司も一目置いた辻氏の特性をこう指摘する。 「彼は、積極果敢に何でもやる、そして率先垂範。部下に丸投げするのではなくて、自分からやる。それから、生命を顧みずに組織の使命のために尽くす、ということをやったので、その部分は当時の人たちから、評価されていたのでしょう。 1932年の第一次上海事変の時にも、第七連隊にいた辻は上海に出征して、そこで怪我もしています。前線に出ているのでよく怪我をする。前線を知っていることが彼の強み。 そうすると、司令部にいて、コマだけ動かしている幕僚たちではかなわない。しかも彼の持っている軍事知識は、優秀だと言われるだけあって、当時の陸軍の中で群を抜いていたでしょうから。そうすると、みんな彼の弁舌にどうしても太刀打ちできないということだろうと思います。まあ、(彼は)はっきり言ってやりすぎなんです。 なんらかの意味で、当時の価値というものに合致しているんですが、それは陸軍の中で通用する価値であって、一般社会や普遍的な価値にそのまま合致したとは思われない。でも、誰もそれを止めることはできなかったんでしょうね」 ノモンハン事件での失敗で辻は一度左遷されるが、その後、マレー半島やシンガポールへの進撃に参加。今度は一転“作戦の神様”として評価された』、「前線に出ているのでよく怪我をする。前線を知っていることが彼の強み。 そうすると、司令部にいて、コマだけ動かしている幕僚たちではかなわない。しかも彼の持っている軍事知識は、優秀だと言われるだけあって、当時の陸軍の中で群を抜いていたでしょうから。そうすると、みんな彼の弁舌にどうしても太刀打ちできないということだろうと思います」、「エリートでありながら自ら前線に出ていた」とは立派だ。しかし、「ノモンハン事件での失敗」は本来、致命的だが、積極的な攻撃姿勢が裏目に出たのだろう。
・『辻の逃亡生活の始まり  太平洋戦争の開戦後、日本軍は欧米の植民地だった東南アジアの大部分や、太平洋の島々を制圧。しかし、アメリカやイギリスの逆襲を受け、勢力は一気に縮小する。 そして、1945年8月15日の終戦時、バンコクに赴任していた辻氏は、シンガポール華僑静粛事件などに関わったとして、イギリスから目の敵にされた。 戦犯として捕まるのはもはや時間の問題だったが、辻氏は奇策に出る。僧侶出身の部下7人と留学僧に扮し、バンコクで身を潜めると決めたのだ。 その部下のひとり、矢神邦雄さんは今でも、当時着ていた僧衣を大切に保管している。 「佐々木教悟という、留学生の坊さんがバンコクのワットスタットという寺にいて。その人を呼びつけて、辻政信が『俺を弟子にせよ』と言ったらしい。『そんな偉い方を坊主にできません』と言ったら『それなら納骨堂に入る手続きをとってくれ』って。それで私らに『(一緒にタイの)坊主にならんか?』と聞かれた」 終戦から2日後、辻氏はバンコク市内の寺にある日本人納骨堂へ。イギリスの追及から逃れるため、「遺書を残して死んだことにしてほしい」と上官に依頼。靑木憲信を名乗る僧侶に身分を変えて逃亡生活を始めた』、「シンガポール華僑静粛事件」では、虐殺に反対して中止を進言した河村参郎司令官と、やはり虐殺に反対した大石隊長の2名、が現場の指揮官としての虐殺の責任をとられて戦犯として処刑(Wikipedia)。しかし、逃亡生活を送ったとは卑怯だ。
・『「生きること」への強い執着  “前代未聞の逃亡者”のルーツをたどっていく。 1902年、石川県旧東谷奥村、現在の加賀市で生まれた。家は貧しく、小学校を出た後は家業の炭焼きを継ぐはずだった。 しかし、頭脳明晰な辻氏は、教師に勧められ、1917年に名古屋陸軍地方幼年学校に入学。1931年には軍のエリートを養成する陸軍大学校を優秀な成績で卒業し、数々の激戦に関わった。 エリートにもかかわらず、自ら最前線へ繰り出し、部下からは慕われた一方、道理に反することは上官でも容赦なく非難し、煙たがられる存在でもあった。 「(辻は)あちこちに弾の傷痕があるらしい。それを見せてくれたけどね。急所ははずれてる。なんとなしに、立派な方だからこの人についていこうかなと思った」(矢神さん) 納骨堂での生活を始めて2カ月あまり。辻氏を追うイギリス軍は、ついに僧侶を含めた民間人にも捜査の手を伸ばす。 ともに潜伏した部下7人を、辻氏は守ってくれるようなことはあったのだろうか? 矢神さんは「守ってくれた。『生きることが一番大事だ』と。『とにかく病気をしちゃだめだ』『倒れちゃだめだ』と重々言われた」と当時を振り返る。 捕まれば処刑は免れない中、辻氏は生きることに執念を燃やした。 辻氏の著書『潜行三千里』には、「死中に活を求めるには、ただ死に向かって全身を叩きつけるにある。死神を辟易させる突進力のみが、生への進路を開拓することができる」とある。 「(辻は)中国に行くと言っていた。蔣介石の部下と心やすくしているので会いに行くと。五族協和(日・漢・満・豪・朝の五族が協同し、新たな満州国の建設に当たる理念)ということを言っていたね」と矢神さんは明かした。 7人の部下と別れた辻氏は、1945年11月に僧侶から華僑に姿を変えてバンコクを脱出。その後、現在のラオスやベトナムを経て中国へ。約1万キロの旅の末、南京にたどり着く。 イギリス軍の追求が及ばないこの地で、辻氏は蒋介石率いる中国国民党の職員として2年近く過ごす。中国への脱出劇が成功したのは、参謀としての辻氏の活躍が蒋介石に知られていたためと言われている』、「南京」で「中国国民党の職員として2年近く過ごす」とは強運だ。
・『中国での滞在は戦犯逃れのため?  辻氏の次男・毅さんが、南京滞在中の父から届いたノート6冊に及ぶ手記を見せてくれた。 「いわゆるの父の自叙伝で、子どもに対する遺書でございます」と毅さんが話す手記には自身の生い立ちから軍人としての歩み、そして終戦直後、生きる道を選ぶまでの葛藤が記されていた。 「自分の利益、自利のためでさえなければ、この生を選ぶことは天地に恥ずるものでない」(手記より) 毅さんは、手記を見ながら「(父は)自殺も考えたんです。責任をとるならそれでもいいんですけど、日本のために、陛下のために働きはできないかという一心から、蔣介石をはじめとする政府とうまくやっていけるような対策を取ろうと。その間の経緯がずっと書いてあります。潜行中どういう形で中国との折衝、あるいはいろんな対応に臨んでいったか、書かれております」と話す。 一方、元帝京大学教授の戸部さんの分析は違う。 「中国に協力するために重慶に行こうと考えたというんですが、2通り考え方があります。辻さんの言ったことをそのまま受け取る考え方と、イギリスの戦犯追及から逃れるためだという考え方。 私は“戦犯追及から逃れる”という動機の方が大きかったんではないかなと思います。 シンガポール攻略の立役者で、それに付随する忌まわしい事件の責任者という捉え方もありましたので、当然ながらイギリス側としては問題視したでしょうし、復讐心があって当然です。 軍人であれば当然ながら、(辻は)本能的にやられるな、と思ったでしょう。逃れようとしたのは、それなりに合理的な判断だったかもしれません。本来、軍人としては責任を取るべきですから、逃げるのはまかりならん、軍人らしくないという批判は当然ありえたでしょうね」 中国での内戦が激化し始めた1948年、辻氏は日本への帰国を決意。約6年ぶりに祖国の地を踏んだ。 しかし、それは再び戦犯として追われる身になることを意味していた。当時、日本では警察やイギリスなど連合国側の憲兵が辻氏の帰国に備えて張り込みを行っていた。 一度は東京に戻るものの、追手の多さを悟った辻氏は、かつての部下に案内され、兵庫県の山あいに身を隠す。 後編では、この後潜伏をやめ国会議員への道を進む辻氏の姿を追っていく』、「後編」が楽しみだ。

次に、この後編、5月31日付けFNNプライムオンライン「終戦後も国内潜行生活を続けた元日本陸軍参謀が国会議員になった理由 FNSドキュメンタリー大賞2019」を紹介しよう。
https://www.fnn.jp/articles/-/47174#:~:text=%E6%A4%9C%E7%B4%A2-,%E7%B5%82%E6%88%A6%E5%BE%8C%E3%82%82%E5%9B%BD%E5%86%85%E6%BD%9C%E8%A1%8C%E7%94%9F%E6%B4%BB%E3%82%92%E7%B6%9A%E3%81%91%E3%81%9F%E5%85%83,%E8%AD%B0%E5%93%A1%E3%81%AB%E3%81%AA%E3%81%A3%E3%81%9F%E7%90%86%E7%94%B1&text=%E6%88%A6%E6%99%82%E4%B8%AD%E3%80%81%E9%99%B8%E8%BB%8D%E5%8F%82%E8%AC%80%E3%81%A8%E3%81%97%E3%81%A6,%E3%81%A9%E3%82%93%E3%81%AA%E7%B4%A0%E9%A1%94%E3%81%A0%E3%81%A3%E3%81%9F%E3%81%AE%E3%81%8B%EF%BC%9F
・『戦時中、陸軍参謀として前線に出ていた辻政信氏。 “作戦の神様”とも呼ばれ、多くの戦地で活躍したとされる辻氏だが、一方で悪評も絶えず、“悪魔”と呼ばれる面もあった。 真逆の評価をまとう男は、どんな素顔だったのか?激動の時代に、非難と脚光を浴びながら生きた男の姿は、今を生きる人々にどう映るのか。 前編では辻氏の戦時中の活躍と、戦後の海外での潜行生活に迫った。後編では、辻氏の国内での潜行生活と、国会議員となってからの歩みを追う』、最後は「国会議員」にまでなったというのは驚きだ。
・『祖国でも引き続き潜伏生活を余儀なくされる  1948年に日本へと帰国を決めた辻氏だが、一度は東京に戻るも、追手の多さを悟り、かつての部下に案内され兵庫県豊岡市三原地区へとやってきた。 「誰も住んでいない古い寺を貸してほしい」と訪ねてきたのは、大学教授・本田正儀を名乗る辻氏だった。 当時、辻氏に直接会った住民・谷岡善一さんは今も健在だ。「(大学教授の本田を名乗る辻が)家にお願いに見えて。(寺で)本を書きたい、執筆したいということで、部落の総会もして『よかろう』ということはありました」と当時を振り返る。 寺は2007年に建て替えられたが、広々としたつくりは以前とほぼ同じだ。 教授に扮した辻は、ここでいつしか身につけた僧侶の務めを行っていた。 「朝晩のお経の務めをしなさった。無住の寺ですから、木魚を叩く音が10年もないわけです。それが朝晩の勤めをしはった。『ああ、木魚をたたいてもらえる』『鐘の音がする』って(地区の)年寄りも尊敬して。それから駐在さん(警察)も寄っているんです。駐在さんも世間話をして、(辻と知らずに)何も言わんで帰しとるんです。そこらへんは、今思えば我々では想像できん度胸ですね」(谷岡さん) 晴れた日には、近くの小川で釣りを楽しみ、質素ながらも豊かな生活を送っていたが、それも長くは続かなかった。 「息子さん(辻の長男)が、豊岡までの切符を買って(父に会いに来た)。豊岡までの切符を買ったことで足がついちゃった。辻が豊岡の周辺におるということが東京の方にばれた。本当に気を許して4カ月おられたと思うんです。息子さんさえ来られなかったら、もっとおられたと思うんです」(谷岡さん)』、「無住の寺」で「4カ月」も「朝晩のお経の務めをしなさった」とはさすが多才だ。
・『自らを「卑怯者」としながらも潜行し続けたのは?  豊岡の生活に別れを告げた辻氏は、親交のある仲間を頼って全国を回る。滞在先は、石川県の実家を含め10カ所以上。なりふり構わぬその足取りに、生きることへの執念がにじむ。 元帝京大学教授で歴史学者の戸部良一さんはその頃をこう分析する。 「辻さんという人は、若い時から戦場で危険なところにも自ら飛び込んで行った人なので、自分の命が助かる、それだけを望んでいたとは限らないだろうなと思います。あるいは、生きてもっと何かやるべきことがあると考えたのかもしれません。 しかしそのためには、普通にやっていたのでは捕まって活動の停止を余儀なくされる。死刑にだってなりかねないですので、それから逃れようとしたのしょう。 辻さん個人としては、自分たちが戦った戦争を、なんらかの形で後世に伝えようと思ったんじゃないですかね。伝えるためには、自分が生きていかなくちゃいけないということなのかもしれませんが、命を助かりたいと思う気持ちと、何か伝えたいという気持ち、どちらが勝っていたのかはわからないです。両方あっただろうと思いますが…」 1年半余りに及ぶ国内潜行の果てに、辻氏は東京都奥多摩町旧古里村の別荘にひとり身を寄せた。 取材スタッフは辻氏のおい、辻政晴さんとその別荘を訪ねるため、「石材会社の近くだった」という口コミを頼りに、辺りを探していく。 タクシーの運転手や近隣住民に、別荘の写真を見せて話を聞いた。 すると、近隣の住民から「建物はもう壊しちゃったけど、この向こう。この向こうに橋がある。橋の左側。東京から宮大工が来て作った家だった。天井なんかすごいよ。この辺にはないような家だった。何年か前に壊しちゃったんだよな」と記憶をたどる。 取材スタッフが手にする本を指し「これ、辻政信の本?ここにいたらしいっちゅうことだけで見たこともないし、噂だからわからない」と話してくれた。 同じ都内の自宅までわずか数10キロだったが、捕まればすべてが終わる立場を辻氏は忘れていなかった。 政晴さんは別荘があった辺りを見回し、「川沿いだね。警察が来たらバッと逃げられるところを、結構おじさんは選んでいるから。川の方にさっと逃げれば」とこぼした。 辻氏が逃亡を続けた約4年半の間、国内外では900人を超える日本の元軍人が戦犯として処刑された。 著書「ガダルカナル」で、辻はこう記している。 “私は追放の身であり、民族を悲劇的戦争に巻き込んだ大罪人であり、当然戦犯として絞首刑を受くべきでありながら逃避潜行した卑怯者である。その罪の万一をも償う道は、世界に先駆けて作られた戦争放棄の憲法を守り抜くために、貪ってきた余生を捧げる以外にはないと信じている”』、自ら「卑怯者」としたが、「その罪の万一をも償う道は・・・」は言い訳だろう。
・『戦犯解除、そして家族との再会  連合国軍はついに辻の戦犯指定解除を決定し、再び世に姿を現した辻氏の存在は、大ニュースとなった。1950年4月11日の毎日新聞朝刊には、こう書かれている。 “【問】今後何をするつもりか。  【答】追放の身が今更大きな顔をして新しい日本の表面に立つべきことでもなし。また、その資格もない。その意味で、また私はあなたたちの前から姿を消すであろう” 自宅へ戻った辻は、貧しい暮らしを耐え抜いた妻、そして5人の子どもと7年ぶりに再会した。 辻氏の次男、毅さんはそのときのことをこう語る。 「7歳のときに朝起きたら、隣に変なおじちゃんが寝ている。キャーッと飛び出した。それが父との初めての出会いでした」  一家団欒は手にしたものの、戦犯から逃れた男の家族には苦難が続いていた。 「学校の先生から、うちの姉たちもいじめられました。小学校時代に。『お前のお父さんはこんな悪いことをやった人間だ』と。先生からのいじめに遭いました」(毅さん) 辻の著書「潜行三千里」には、“罪なき妻や子に、後ろ指をささせるのはこの夫であり、この父である。ただ神に謝し、妻子に詫びた”とある。 それから辻氏は潜行中の記録をしるし、ベストセラー作家に。その知名度をひっさげて、 戦犯解除から2年、1952年に辻氏は地元・石川で衆議院議員選挙に出馬する。自分の国は自分で守るべきとして、アメリカに頼らない軍備が必要と訴えた。非難の声も上がる中、軍人時代の仲間も後押しし、当選を果たした』、「連合国軍はついに辻の戦犯指定解除を決定」、した背景には何があったのだろう。
・『国会議員になり、中立な国づくりを目指す  辻氏は何を思い、国会議員となったのか。 その事情を知るのは、藤力(ふじ・つとむ)さん。20代の頃、知り合いに頼まれて辻氏の議員秘書を務めていた。辻氏について、記憶に残っていることはあるのだろうか。 「いろいろと世間では批判も出ていましたが、昔の兵隊時代のことを私は知りません。戦後については、非常に国を思い、国を良くしようという熱意に燃えて、そのためにいろいろなことをおやりになった。だから、そういう仕事の面については、素晴らしいと思いますね」 国会議員となった辻氏は、各国の要人と会談。日本が二度と戦争に巻き込まれないようにと、中立な国づくりを目指した。 その背景には、第二次大戦後の世界を分断したアメリカと旧ソ連の対立があった。 「その頃、アメリカとロシア(旧ソ連・共産圏)との対立が非常に厳しい時代でした。だから何でもアメリカに追従して、アメリカと一緒にやるのではなくて、日本は日本の立場を守って中立で行かなきゃならんと、そういう思いが強かったんじゃないですか」(藤さん) 1958年、衆議院内閣委員会で辻氏は、「アメリカと運命を共にされるのか、それとも両陣営につかないでいこうとされるのか。あるいはソ連圏とも仲良くしようとされるのか。もう踏み切るときに来ておるのであります。曖昧な態度は許されません。あまりに甘すぎる、ものの見方が。世界情勢は厳しいのでございますよ」と物申している。 藤さんは辻氏が岸首相の退陣要求をしていたことにも触れ、「(辻は)気性も激しいし、自分の思ったことを推し進めていくというような感じだったんじゃないですかね」と話す。 1959年、所属していた自民党のトップを攻撃し、辻氏は除名処分になった。なおも軍備による自衛中立を訴えると、周囲から“第三次大戦を起こしかねない男”とささやかれる。 さらに、辻氏のもとには軍人時代の責任を問う声がいくつも寄せられ、アジア各国で起きた残虐な事件は辻氏が計画したとして、軍の元上官から告発された』、「自民党のトップを攻撃し、辻氏は除名処分になった。なおも軍備による自衛中立を訴える」、さすが硬骨漢らしい。
・『ラオスにて行方不明になるも、真相は謎のまま  1961年4月4日、無所属の参議院議員となった辻は、公務で40日間の東南アジア出張に出かけた。目的は、ベトナム戦争を食い止める和平工作とみられている。 東京を経って2週間余り。ラオスを訪れた辻氏は、僧侶に扮した姿で写真に収まった後、行方が分からなくなった。 そのラオスから、辻氏が秘書の藤氏に送ったはがきには、暗号のような言葉が並ぶ。 はがきには「何とかできる見込みです。まだ誰にもわかるまい。ご安心を乞う。留守宅の連絡を頼む。蘭を枯らさないように。池、伊藤さんによろしく」と書かれ、藤さんは「『池』というのは池田(勇人)総理大臣。その秘書が伊藤さんという人やった」と明かす。 無所属の辻氏は、池田首相と連絡を取っていたのだろうか。 藤さんは「池田さんと直接(連絡を取ること)もありますけど、伊藤さんもずっと手伝いをしていた」と話す。 辻氏はなぜ失踪したのか…さまざまな憶測が飛び交った。 辻氏の行方を知る手がかりを当時、ラオスで兵士の指導をしていた赤坂勝美さんがこう証言している。 「私の教え子(ラオス人兵士)の話によると、ちょうど辻先生がビエンチャン(ラオスの首都)をたってから約1年後に、先生がジャール平原のカンカイというところに現れて、当時の政府が先生を軟禁というか監禁というか、どこかにとどめておいて、いろいろ調べた結果、おそらくその兵隊の言うには、先生がスパイだと疑われたんじゃないかと。彼は上官に命じられて3人で先生をジャール平原の一角で銃殺した、と」 しかし、辻氏の行方をめぐっては、他にも有力な説がある。アメリカが2005年に公開した辻氏に関する文書の中に、中国語で書かれた差出人不明の手紙が入っていた。 ラオス訪問から1年半後、辻氏は中国で生きているという内容だ。 この文書を研究した早稲田大学の有馬哲夫教授は、辻氏がラオスで銃殺された可能性は低いと話す。 「彼はあの(内閣官房長官・副総理などを歴任した)緒方竹虎や、(第52~54代総理、自民党初代総裁)鳩山一郎らの軍事顧問で、いろんなアドバイスをしていたんです。自衛隊が何人ぐらいの規模で、どういった装備が必要なのか、というのを考えなければいけないわけです。 ソ連がもう一度戦争する気があるのか、その場合に戦力にどのぐらい割けるのか、中国はどうか。日本列島に兵員輸送できるのか、潜在敵国になり得るのか、アジアの情勢はどうか。 辻は意識していないんですけども、辻が与えたそういった情報はアメリカにも流れていて、アメリカは非常に評価していた。ですから、アメリカから見ると大物スパイになってしまうわけですよね。 アメリカと敵対した中国から見ると、ベトナム戦争も近いので、ここに入っていろんな情報を辻に発信してほしくないということで、前からマークしていた辻がいよいよ中国の勢力圏・ラオスに入ってくる。 あのCIA文書によると、辻はラオスのエンチェン(ビエンチャン)で拉致されて、そのまま(中国)雲南省に連れて行かれたのだと思います」』、「公務で40日間の東南アジア出張」中に「ラオス」で「行方不明」とは絵に描いたような波乱万丈の人生だ、
・『人知れず亡くなった政信に祈りを捧げる日本人  失踪から8年が経った1969年6月28日に、辻氏は行方不明のまま法律上、死亡と見なされた(法律上の命日は1968年7月20日)。  2019年3月。タイ・バンコクの日本人納骨堂では年に二回の法要が、今年も開かれ、戦争で亡くなった多くの兵士にも祈りがささげられる。 日本から法要に参加した、僧侶の平岡和子さん。名付け親である辻氏は、大おじにあたる。 「皆さんの英霊・亡くなられた方や政信の霊も、粛々と法要をさせていただく場所で、私も使命としてさせていただく。政信のことに関しましては、人それぞれの事情があると思いますので、私自身はこれ以上のことは、なかなか申すことができませんけれども。ネガティブな意味で捉えられてもはっきり言って仕方がないと思います。 ですけど、やっぱりそれで終わらずに、それを乗り越えてほしいと思います。そのためにも、皆さんご成仏というのは、私の務めだと思うので、それだけはさせていただこうと思っています」(平岡さん) 辻氏は全国的には知る人も少ない“過去の人”。郷土でも偉人として扱われていない。戦犯追及を逃れ、国会議員に転じ、最後は謎の失踪と波乱の生涯を歩んだ辻氏は戦後の日本に何を思い、成し遂げようとしてきたのだろうか』、まさに謎多き人物だ。

第三に、8月4日付けAERAdot「古賀茂明「終戦記念日に考えたい日本の罪」」を紹介しよう。
https://dot.asahi.com/wa/2020080300037.html?page=1
・『毎年8月は太平洋戦争について考えるときだ。 今回は北海道東川町の話を紹介したい。私は、同町の「大雪遊水公園」という大きな公園で、ある立像を発見した。その台座には「望郷」の2文字がある。その上には、遠くの空を望む青年の銅像が立つ。開拓民が、遠く離れた故郷に思いを馳せる姿かと思ったが、全くの見当違いだった。 その碑文を要約して紹介しよう。「戦時中の国策として忠別川(大雪山系石狩川の支流)に水力発電所が建設されたが、その発電用水は14キロメートルのトンネルで導水されるために水温が上昇せず、下流の水田に冷害をもたらした。水を回流させて温度を上げるために遊水池建設が計画され、工事のために1944年(昭和19年)9月に338名の中国人が強制連行された。(真冬に氷水の中でという)劣悪な環境下で過酷な労働が強要され、終戦までの11カ月間に88名が死亡。大半は若人だった。異国の地で故郷の父母や親族のことを瞼にえがきながら斃れていったその無念さを思うと慙悸の念を禁じ得ない。この史実を後世に伝え、なお一層の日中友好の発展と永遠の世界平和を願い、88名の中国烈士の御霊に深甚なる祈りを込めてこの像を建立する。2000年7月7日 東川町長 山田孝夫」 中国語訳と英語訳も並び、中国や世界の人々に、自分たちの犯した罪と恥を認め、「反省」と被害者への鎮魂、世界平和を祈る気持ちを伝えようとする感動的な内容だ。 取材を続けてわかったのは、この恥ずべき「犯罪」行為を多くの関係者が隠そうとしたことだ。終戦後、88名の遺体が適切に葬られていなかったという疑いが生じたとき、何と、建設工事中に中国人労働者を使用した土建会社は、適切に葬ったと偽装するため、偽の遺骨を中国側に返還したことが後にわかった。北朝鮮と同じ行為だ。 今回、この話を取り上げたのは、この銅像が建立された2000年当時には、日本の過去の過ちを堂々と認めることができる政治・社会環境があったということを示したいと思ったからだ。今、この銅像と碑文を残そうとしたらどうなるか』、「338名の中国人が強制連行され」、「11カ月間に88名が死亡」、とは初めて知った。「中国人労働者を使用した土建会社は、適切に葬ったと偽装するため、偽の遺骨を中国側に返還」、というのも悪辣だ。
・『日本中から右翼が集結したり脅迫行為が起きて、東川町民も身の危険を感じ、町長も建立断念を余儀なくされたのではないだろうか。 それほど、日本の社会は変化したということだ。このままでは、我が国は、平和を願うどころか、率先して戦争を始める国になっても不思議ではない。 今、米中対立が激化し、遠くない将来に米中戦争勃発という事態も現実味を帯びてきた。国民の多くが嫌中派に転じ、過去の過ちを完全に忘れてしまえば、政府が米国とともに戦争を始めることを国民が止めるどころか、むしろ後押しすることになるのではないか。そうなれば、戦争の勝敗にかかわらず、数十万、数百万の尊い命が失われる。 今、東川町には、アジアから多くの留学生が集まっている。日本の過去の過ちを正直に認め、世界平和のために努力しようという姿勢は、この町の発展に大きく貢献するだろう。これこそ、日本国憲法が目指す平和国家のお手本ではないか。 終戦記念日までの10日あまり、日本の過去の過ちに思いを致し、二度と戦争を起こさないために何をすべきか。じっくり考える機会にしたい』、全く同感である。

第四に、8月6日付け現代ビジネス「日本政府は国民を守らない…「原爆は怖くない」ウソだらけの安全神話」を紹介しよう。
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/74565?imp=0
・『ヒロシマ・ナガサキへの原爆投下から75年。アメリカ軍による非道な行為を許さず、その惨状を語り継ぐことは大切である。それと同時に、「日本政府は原爆の被害から国民を守ろうとしたのか」という視点も重要である。史実を掘り起こすと、現在のコロナ対策にも通じる問題点が浮かび上がってくる……。』、どういうことだろう。
・『政府が説く「火の用心」と「手袋」  1945年(昭和20年)8月6日に広島、8月9日に長崎に原子爆弾が投下された。熱線、爆風、放射線が襲いかかり、町は火炎に包まれて「火の海」になり、放射性物質を多く含んだ「黒い雨」も人々に降り注いだ。 死者は広島市で約14万人、長崎市で約7万人(いずれも推計値)。生き残った人々も、放射線や熱線による被害に苦しみ続ける。たった一発の核兵器がこれだけの被害をもたらす。 戦時中の日本では、こうした被害は隠された。「空襲は怖くない」という情報統制と、「逃げずに火を消せ」という防空法が徹底されていたからである。 新聞記事「防空体制変更いらぬ/怖るに及ばず新型爆弾」(リンク先参照) 内務省防空総本部は、原爆投下直後から新型爆弾への対応策を次々に発表した。新型爆弾の威力は強大であると認めながらも、以下のような心構えと準備があれば新型爆弾も「さほど怖れることはない」と説いている。 *8月8日付 防空総本部 談話より 次の諸点に注意すれば被害を最小限度に止められるから各人は実行しなければならぬ。 +待避壕に蓋がない場合は、毛布や布団をかぶって待避せよ +火傷を防ぐため、手足を露出しない服装にせよ +家屋からの出火を防ぐため、台所などの火の用心をせよ *8月9日付 防空総本部 談話より +軍服程度の衣類を着用すれば、火傷の心配はない +防空頭巾と手袋を着用すれば、手足を完全に火傷から保護できる 毛布で身を守れる、長袖・長ズボンで火傷を防げる、台所の火の用心……。この程度で被害を防げるから安心せよ、と言っているように聞こえる』、原爆の甚大な被害に直面しても、「この程度で被害を防げるから安心せよ」、とはまさに大本営発表だ。
・『「白い下着」と「湿布」で大丈夫  さらに8月11日に、防空総本部は一歩進んだ内容の「新型爆弾への心得」を発表した。 *8月11日付「新型爆弾への心得」より +破壊された建物から火を発することがあるから初期防火せよ +火傷を防ぐためには、白い下着類が有効である +この爆弾の火傷には、油類を塗るか、塩水で湿布すればよい おそるべき安全神話である。爆心地付近の地表面は3,000~4,000℃になり、全身が焼かれて赤黒く変色したり、焼けただれた皮膚が垂れ下がるなどの惨状を政府関係者も知ったはずである。白い下着や湿布があれば大丈夫というはずがない。 しかも、この「心得」は、それまでの談話には明記されなかった「初期消火」という言葉が出てくる。1941年改正の防空法で国民の義務とされた消火活動を、原子爆弾に対しても果敢に実施せよというものである。 (防空法については、過去記事「焼夷弾は手掴み、空襲は大丈夫…国民は『東京大空襲』をどう迎えたか」を参照)』、ここまでくると犯罪的な広報だ。
・『原爆の被害を軽んじる新聞記事  こうした政府方針を受けて、報道各社の論調も変化した。投下の2~3日後には「鬼畜米英の暴虐」として原爆投下を批判する記事も多かったが、徐々に「恐れるに足りぬ」として原爆を軽んじる記事が目立つようになった。 新聞記事「案外小さい爆発音/熱線にも初期消火」(リンク先参照) 読売報知1945年8月14日付の「案外小さい爆発音」という見出しの記事は、長崎県庁前で被爆した記者の詳しい体験報告である。原爆投下の瞬間について、次のように述べている。 +青白い光がピカリと光った。中くらいの稲妻くらいで、強いと思わなかった。 +「あっ新型だ」とピンと来たので、私は持参していた書籍を頭上に置いて身を守った。 +2~3秒後に「ドン」と来た。東京で聞いた爆弾の音よりも小さい音だった。 +地震のように大地が割れたと言う人がいたが、あれは嘘である。 いかにも呑気な印象を受ける。当時の長崎県庁(長崎市江戸町)は爆心地から2.5km離れているが、この付近でも爆風で鉄製の扉が湾曲し、火傷を負う人も多くいた。長崎県庁は全焼している。) さらにこの記事は、原子爆弾が怖くないことを力説していく。 +古い家屋は二、三軒ほど倒れたが、しっかりした建物は木造でも大丈夫だった。 +死者や重傷者は爆風によるもので、素早く待避した者は命に別状はない。 +新型爆弾の輻射熱は爆風より恐ろしくない。 +新型爆弾は直接に火災を招くものではない』、新聞までが「「恐れるに足りぬ」として原爆を軽んじる記事が目立つようになった」、とは御用新聞そのものだ。
・『原爆への対処法を説く意味は…  さらにこの記事は、国民が次のような対処法をとれば被害を防げると説いている。 +新型爆弾が投下されたら、物陰か路上に「伏せ」をすれば身を守れる。 +多少なりとも隠れれば、すぐに人命を奪うということはない。 +爆風の通り道を作って建物の破壊を防ぐために、障子を明け放しておくとよい。 +火傷は肌が露出した部分だけであり、着衣の下は別条はない。 この記事をみた当時の読者は、どのように感じただろうか。 ただ「原子爆弾は怖くない」という感想だけでは終わらない。「被害が大きいというのは嘘である」、「正しい対処をしない人が死ぬ」という論旨が強調され、脳裏に焼き付いてしまう。 実は、それこそが情報統制と防空法の恐ろしさである。「戦争や空襲を怖がる人」は間違った考えの人であり、「原爆で死亡・負傷した人」は間違った対処法をとった人とされてしまう。 こうして、国民の間に、異論を唱えない空気と、被害者を嘲笑する空気が醸成される』、新聞記事によって、「異論を唱えない空気と、被害者を嘲笑する空気が醸成される」、とは現在にも通じる恐ろしい世論操作だ。
・『終戦まで貫かれた政府方針  読売報知だけではない。同じ8月14日付の朝日新聞には「熱線には初期消火」という見出しの記事が載り、「一時噂されたごとき威力を持ったものではなく、防御さえしっかりやれば決して恐るべきものでないことが分かってきた」とある。 家屋が倒壊してから出火するまでに時間がかかるから、初期消火をすれば火災を防げるとも書いている。 猛烈な熱線と爆風で一瞬にして都市が破壊され、人々は全身やけどに苦しむ。町全体を襲う猛火が迫る。そのなかでも逃げずに初期消火せよというのである。 これが、終戦を告げる玉音放送の前日の新聞報道である。「逃げずに火を消せ」という防空法は、終戦前日まで方針変更されずに貫徹されたことが分かる。 陸軍監修のポスター(リンク先参照)』、原爆でも「逃げずに初期消火せよ」、とは記事を書いた記者はどういう気持ちだったのだろう。
・『過去のことと笑ってはいけない  これを過去のことと笑ってはいけない。理由は2つある。 第1に、原子爆弾の被害者は現在も苦しんでいる。「逃げずに火を消せ」という防空法のもとで空襲被害を受けた人々の苦しみも続いている。決して過去のことではない。 第2に、被害の実相が分からず、政府の対処法が正しいか否かを国民が判断できない状態というのは、今のコロナ禍をめぐる日本の現状と共通している。今の私たちが、過去を笑うことなどできないのである。 もちろん今は言論の自由があるから、政府のコロナ対策に対して賛否が噴出して議論が交わされている。戦争反対というだけで逮捕された過去とは同一視できない。 しかし、政府の方針(布製マスクの配布、PCR検査の抑制、不十分な補償など)に対して、「非科学的」とか「国民生活への配慮がない」という批判がなされたときに、政府は十分な根拠を示して国民への説明を果たしているだろうか。 科学的な根拠も示さず、国民の願いや疑問に真摯に耳を傾けないままに、ただ「政府の施策を信用せよ」というだけでは、戦時中と変わらない』、安部政権は、説明責任は果たさず、結論だけを押し付けてくる。
・『国家が国民を守るのか、国民が国家を守るのか  「空襲は怖くない。逃げずに火を消せ」という情報統制と防空法の目的は、国民を守ることではなかった。国民を戦争に協力させ、都市からの人口流出を防いで軍需生産を維持するための国策であった(参照「『空襲から絶対逃げるな』トンデモ防空法が絶望的惨状をもたらした」)。 そこには「国家が国民を守る」という考えはなく、「国民が国家体制を守るために敢闘せよ」という考えが横たわる。国民は政府に要求をできる権利者ではなく、国家の命令に服する義務者とされた。 コロナ対策でも同じことが言える。私たちは、政府に対して生命や生活を守るよう要求できる権利がある。ところが今は、「国民は政府の方針に従って自粛しなければならない」、「コロナ感染拡大を防ぐのは国民の責務である(だから自粛と休業をせよ)」という面ばかりが強調されていないだろうか。 政府の方針は「国民の生命を守るため」のものになっているのか。「生命を軽視してでも経済を維持するため」のものになっていないか。厳しく問いかけていく必要がある。 書籍『逃げるな、火を消せ!―― 戦時下 トンデモ 防空法』 戦時中の写真・ポスター・図版を200点以上掲載している。空襲前夜の空気感を感じ取っていただければ幸いである』、説得力溢れた主張である。
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歴史問題(11)(「ヒトラーの国ドイツ」を生んだビスマルクを賢人と評価する理由 「国際政治の本質」を理解しているか、敗戦をヒトラーのせいにした「戦車将軍」のウソ 誇張と自己弁護で巨大化した「伝説」、なぜナチスドイツは大国フランスを1カ月で降伏させられたのか 戦車将軍 フランス全土を駆け回る) [世界情勢]

歴史問題については、昨年12月11日に取上げた。今日は、(11)(「ヒトラーの国ドイツ」を生んだビスマルクを賢人と評価する理由 「国際政治の本質」を理解しているか、敗戦をヒトラーのせいにした「戦車将軍」のウソ 誇張と自己弁護で巨大化した「伝説」、なぜナチスドイツは大国フランスを1カ月で降伏させられたのか 戦車将軍 フランス全土を駆け回る)である。

先ずは、本年2月27日付けPRESIDENT Onlineが掲載した国際政治アナリストの伊藤 貫氏による「「ヒトラーの国ドイツ」を生んだビスマルクを賢人と評価する理由 「国際政治の本質」を理解しているか」を紹介しよう。
https://president.jp/articles/-/33125
・『ドイツ統一という偉業を成し遂げ、さらにドイツを「欧州大陸の最強帝国」に育て上げた「鉄血宰相」ビスマルク。国際政治アナリストの伊藤貫氏は、「自助努力を怠る日本は、隷属国となる。日本に必要なリアリズム外交を徹底したのが、ビスマルクだった」という――。 ※本稿は、伊藤貫著『歴史に残る外交三賢人』(中公新書ラクレ)の一部を再編集したものです』、「ビスマルク」は有名な割には、日本ではあと1つ具体的なことが知られてないので、勉強する意味は大きい。
・『古代ギリシャ以来、国際政治はアナーキー状態だ  本稿は筆者が尊敬する外交家の中で、リアリズム外交(バランス・オブ・パワー外交)の実践に多大な貢献をしたビスマルクの思考と行動を素描するものである。 ビスマルクは歴史上初めて、常に数十(もしくは数百)に分裂していたドイツ民族を統一した大政治家である。しかし彼は、単にドイツ統一という偉業を成し遂げただけの人ではなかった。彼は建国後のドイツを「欧州大陸の最強帝国」に育て上げて、19世紀後半の欧州外交を牛耳ったのである。 なぜ、リアリズム外交を理解するのに、ビスマルクを知らなければならないのか? 最初に、リアリズム外交の基礎的なコンセプトを説明しておきたい。この外交の重要なポイントは、以下のものである。 (1)国際政治の本質は、古代ギリシャ・ローマ時代から現在まで、常にアナーキー――真の強制執行力を持つ「世界政府」「世界立法院」「世界裁判所」「世界警察軍」が一度も存在しなかった無政府的な状態――であった。 例えば最近の米中露イスラエルのような核武装した軍事強国が、他国や他民族に対して国際法違反の侵略戦争や戦争犯罪を実行しても、国連総会・国連安保理や世界の諸政府は、その侵略戦争や戦争犯罪の犠牲者(例:イラク、シリア、レバノン、パレスチナ自治区、ウクライナ、チベット自治区)を保護する能力を持っていない。2500年前も現在も、強力な軍事国が侵略戦争を始めると、誰もその侵略と戦争犯罪を止められない状態である。 このように無政府的で不安定な国際政治状況を少しでも安定させるため、世界諸国はバランス・オブ・パワー(勢力均衡)の維持に努める必要がある。西洋では17世紀中頃から(19世紀初頭のナポレオン戦争を例外として)第一次世界大戦まで、諸大国の外交家は意図的にバランス・オブ・パワーの維持に努めた。そのため欧州諸国は、大戦争の勃発を防ぐことができた』、国連第一主義などのキレイ事を唱える向きもあるが、現実的には「国際政治の本質は、古代ギリシャ・ローマ時代から現在まで、常にアナーキー」、言われてみればその通りだ。
・『外交に「普遍的正義」や「好き嫌い」はいらない  (2)過去3000年間の国際政治において、世界中の国に共通する文明規範や価値判断や道徳基準は、一度も存在しなかった。アフリカのマサイ族、中央アジアのアフガン人、アラスカのイヌイット、極東の日本人等の価値判断基準は、まったく別のものである。 どの民族、どの文明の価値判断が正しいのか、ということを判断できるのは「神」や「仏」のみであり、自民族中心的な思考のバイアスから逃れられない人間には、不可能な行為である。 したがって諸国は、自国(自民族)の思想的・宗教的・文明的な「優越性」や「普遍性」等を口実として、他国に対して内政干渉したり軍事介入したりすべきではない。そのような行為は、国際政治におけるバランス・オブ・パワーの維持を困難にするだけである。 国際政治に、American Universalism(「アメリカ人の価値判断は、世界中で普遍的なモデルとなるべきだ」と考えるアメリカ中心主義)やグローバリズム、マルクス主義、イスラム原理主義、「國體こくたいの大義」「八紘一宇」「中華文明の優越性」等の独善的な理念を持ち込むべきではない。リアリズム外交に聖戦的・十字軍的な「普遍的正義」や「好き嫌い」の情緒は不要である』、「リアリズム外交に聖戦的・十字軍的な「普遍的正義」や「好き嫌い」の情緒は不要である」、その通りなのだろう。
・『国際政治をするのは「国民国家」それ自体  (3)諸国の統治者は、国際法、国際組織、国際的な紛争処理機関、軍事同盟関係、集団的安全保障システム等の信頼性と有効性は、限られたものであることを常に意識して行動すべきである。国際政治の行動主体はnation‐state(国民国家)なのであり、国際機関や同盟関係ではない(つまり、日本の外交と国防の主体は日本政府なのであり、アメリカ大統領のクリントンやオバマやトランプではない。もっともらしい外交理論を並べたてる国連安保理やワシントンDCの政治家の行動が、日本というnation‐stateによる主体的な行動の代用品になるわけではない)。 自助努力(自主防衛の努力)を怠る国家(=戦後の日本のような国)は、いずれ国際政治の急変事態において脱落国や隷属国となる運命に遭遇する。 以上の三点が、リアリズム外交(バランス・オブ・パワー外交)の重要なコンセプトである。 筆者が本稿において採り上げるビスマルクは、1871年にドイツ統一を達成し、ドイツ帝国初代宰相となった。軍事力によるドイツ統一(「鉄血政策」)を成し遂げ、その後ヨーロッパ外交の主導権を握り、ヨーロッパの平和維持に手腕を発揮したビスマルクは生涯、上記1~3のリアリズム外交を実践した人物であった』、「国際政治の行動主体はnation‐state(国民国家)なのであり、国際機関や同盟関係ではない」、究極的にはそうなのかも知れないが、いまや「国際機関や同盟関係」の重要性も増しているのではなかろうか。
・『「鉄血宰相」は「慎重で柔軟で反戦的」に変身した  「ドイツ建国の父」ビスマルクは、不思議な人物であった。矛盾の塊であった。彼の複雑な思考と矛盾した性格は、多くの人に誤解・曲解されてきた。そのため過去150年間、彼に対する毀誉褒貶きよほうへんは激しかった。ドイツ嫌いの傾向がある欧米のリベラル派やユダヤ系言論人にとって、ビスマルクは「不寛容で権威主義的なドイツ独特の国家主義を作った張本人」であり、「ヒトラーのような独裁者を生み出したドイツの不安定なポリティカル・カルチャーを作った男」であった。 その一方で、保守派の言論人や国際政治学者にはビスマルクを絶賛する人が多かった。戦略家のジョージ・ケナン、ヘンリー・キッシンジャー、ケネス・ウォルツ(国際政治学ネオ・リアリズム学派の創立者)等は、ビスマルクを「リアリズム外交の天才」と絶賛している。 1860年代のビスマルクは、大胆・冷酷・狡猾な外交政策により近隣のデンマーク・オーストリア・フランスを次から次へと軍国プロイセン(プロシア)と戦争せざるを得ない立場に追い込んでいった非情で好戦的な外交家であった。しかしこれらの三戦争に勝利してドイツ統一に成功したビスマルクは、あっという間に「慎重で柔軟で反戦的(避戦的)な現状維持派」に転身したのである。 過去五世紀の国際政治史において、これほどまでに鮮やかに大変身した外交家は他にいない。プロイセン宰相期(1862~70年)のビスマルク外交と、ドイツ帝国宰相期(1871~90年)のビスマルク外交を比べると、まったく別の人物が外交・軍事政策をやっているかのような印象を受ける。それほどまでに際立った変身であった』、「プロイセン宰相期」と「ドイツ帝国宰相期」では状況が変わった以上、「変身」は賢明な策なのだろう。
・『無節操なオポチュニストか、冷酷非情なマキャベリストか  欧米諸国において未だにビスマルクに対する毀誉褒貶が激しいのも、そのせいである。多くのリベラル派にとって、ビスマルクは「無節操なオポチュニスト」であり、「冷酷非情なマキャベリスト」である。しかし保守派(特に国際政治学のリアリスト派)にとって、彼は「軍事力を使うべき時と使うべきでない時を明瞭に峻別する能力があった、稀まれに見る理性的なリアリスト」なのである。 過去五世紀間の国際政治をバランス・オブ・パワー(勢力均衡)外交の視点から見るリアリスト派と、政治的なイデオロギーの立場(国際政治を、自由主義と権威主義の闘い、民主主義と軍国主義の闘い、社会主義と資本主義の闘い、といった「主義」によって判断する立場)から見るリベラル派とでは、ビスマルク外交に対する評価が正反対になってしまう』、評価軸が違えば、「評価が正反対になってしまう」のはやむを得ない。
・『バイロンやシェイクスピアを愛好するインテリ  『歴史に残る外交三賢人』ではこの複雑な外交家ビスマルクを、七つに分けて解説した。それらは、①ビスマルクと明治日本、②厄介な「ドイツ問題」を創り出したビスマルク、③ビスマルクの生い立ちと性格、④無軌道で放埓な青年期、⑤冷徹鋭利な外交官に変身、⑥果敢な武断主義者としてドイツを統一、⑦慎重で避戦的な勢力均衡主義者として西欧外交に君臨、の七項目である。 「傲岸な鉄血宰相」ビスマルクは、実は教養レベルの高いインテリであった。彼はバイロンやシェイクスピアを好み、ウィットに富んだ会話の最中にバイロンの詩やシェイクスピア劇の台詞を原語で(流暢な英語で)巧みに引用して、周囲の人たちを楽しませた談話の名人であった。そして、そのビスマルクの人生自体がByronic でShakespeareanな「激情と苦悶とパラドックスに満ちた壮大な歴史ドラマ」だったのである。 19世紀後半期のヨーロッパに突然、ビスマルクという国際政治の巨人が出現したため、その後の欧州史は根本的に変化してしまった。1860年代から1890年までのビスマルク外交を理解しなければ、20世紀前半期のヨーロッパ外交の悲劇(二度の世界大戦)も理解できない。その意味においてビスマルク外交を理解することは、過去一世紀半の間の国際政治を理解するために不可欠な事項なのである』、「彼はバイロンやシェイクスピアを好み、ウィットに富んだ会話の最中にバイロンの詩やシェイクスピア劇の台詞を原語で(流暢な英語で)巧みに引用して、周囲の人たちを楽しませた談話の名人であった」、典型的な欧州の教養人だ。「ビスマルク外交」と「二度の世界大戦」がどうつながるのか、機会があれば考えていきたい。

次に、3月26日付けPRESIDENT Onlineが掲載した現代史家の大木 毅氏による「敗戦をヒトラーのせいにした「戦車将軍」のウソ 誇張と自己弁護で巨大化した「伝説」」を紹介しよう。
https://president.jp/articles/-/33783
・『ドイツ装甲部隊の父、そして「電撃戦」の生みの親と呼ばれる、ナチス・ドイツの将軍がいる。現代史家の大木毅氏は「『戦車将軍グデーリアン』の自叙伝を鵜呑みにしてはいけない。事実とは異なるところがある」という。彼自身の作りあげた虚像とは――。 ※本稿は、大木毅『戦車将軍グデーリアン「電撃戦」を演出した男』(角川新書)の一部を再編集したものです』、興味深そうだ。
・『ナチス・ドイツを支えた「戦車将軍」のセルフ・イメージ  第2次世界大戦におけるドイツ国防軍は、その能力のほとんどが作戦・戦術次元にとどまっていたとはいえ、優れた指揮官を輩出した。北アフリカで縦横無尽の活躍をみせ、「砂漠の狐」の異名を取ったエルヴィン・ロンメル元帥などは、典型的な実例であろう。 この、ドイツ軍のスーパースターであるロンメルにはかなわないまでも、ハインツ・グデーリアン上級大将(ドイツ軍には、元帥と大将のあいだに「上級大将」という階級がある)といえば、少なからぬ人が、聞いたことがあるとうなずくはずだ。 自ら育て上げたドイツ装甲部隊を率いて東西に転戦、大戦果を挙げた「電撃戦」の立役者にして、ソ連侵攻「バルバロッサ」作戦の先鋒。のちには、装甲兵総監や参謀総長代理として、敗勢にあるナチス・ドイツを支えた「戦車将軍」というあたりが、その最大公約数的イメージであろう。 かかるグデーリアン像は、100パーセント間違いというわけではない。しかしながら、過去四半世紀の軍事史研究の進展は、彼の実態をしだいにあきらかにしつつある。 結局のところ、ここで示したような姿は、グデーリアン本人が広めたセルフ・イメージにほかならず、ロンメルや「ドイツ国防軍最高の頭脳」エーリヒ・フォン・マンシュタインの場合同様、多くの誇張や虚偽が混じり込んでいるのである』、「多くの誇張や虚偽が混じり込んでいる」、避けられないことのようだ。
・『回顧録『電撃戦』によるグデーリアンの虚像  グデーリアンの回想録『電撃戦』(原題は、『一軍人の回想』。原書初版は1951年刊行)である。『電撃戦』は、イギリスの軍事思想家バジル・H・リデル=ハートのプロデュースによって英訳され(英語版タイトルは『パンツァー・リーダー』)、世界的に知られるようになった。 ドイツ語よりもはるかに話者が多い英語に訳されることによって、グデーリアンの回想、あるいは、彼が事実はこうであったと思わせたかった記述は、一躍、第二次世界大戦の基本史料の地位を獲得したのである。 その結果、多くのグデーリアン伝や研究書も、イギリスの軍事史家ケネス・マクセイの著書のような例外もあったとはいえ、おおむね『電撃戦』が打ち出した解釈に沿って書かれていく』、『電撃戦』は戦史上、衝撃的だっただけに、影響力が大きくなるのは当然だ。
・『修正され始めた脚色された「自画像」  日本においても、旧陸軍軍人が『電撃戦』を訳出刊行し、これをもとにして戦史記事などを発表したから、グデーリアンが演出したイメージが、いよいよ流布されることになった。 『電撃戦』の訳者、本郷健元陸軍大佐の評価は、その典型であろう。 「グデーリアン将軍は、ひたむきで情熱的、創造的な想像力に恵まれた真の意味におけるプロフェッショナルな軍人であった。軽易に就かずあえて難局に挑戦しようとする積極果敢な資質の持主であり、みずからに課された職務を全うするためには猪突猛進する……そこには地位や名誉を追い求める野心などみじんも感じられない」(『電撃戦』訳者あとがき)。 史料的・時代的制約を思えば、このような理解がなされたのも無理からぬことではあった。だが、世紀が変わる前後から出てきた新しい研究は、かかるポジティヴなグデーリアン像に疑問を投げかけている』、「訳者」も翻訳本の価値を高めるため、誇張してしまうのだろう。
・『「ドイツ装甲部隊の父」の1人にすぎない  まず、アメリカの軍事史家ロバート・チティーノが、その著作『電撃戦への道』(1999年)において、グデーリアンの輝かしい実績は認めるとしても、ドイツ軍装甲部隊創設・育成の功績は、けっして彼一人に帰せられるものではないことを実証している。 回想録の『電撃戦』では、ごく簡単にしか触れられていないが、グデーリアンの上官であり、自動車戦闘部隊総監を務めたオスヴァルト・ルッツ装甲兵大将こそ、もう一人のキーパーソンだったと指摘したのである。 ルッツは、グデーリアン以前に、戦車の独立集中使用や奇襲的投入などの発想を得ており、いまだ懐疑的な軍首脳部を粘り強く説得して、その思想の実現をはかっていた。機械化戦のドクトリンを最初に文書化したのも、ルッツだった。 つまり、グデーリアンはドイツ装甲部隊の創設者の一人ではあったけれども、彼自らが描いたようなオンリーワンではなかったと主張したのだ。 ついで、2006年には、やはりアメリカの軍事史家であるラッセル・A・ハートが、グデーリアン伝を著し、事実と照らして、いわば彼の自画像であった従来のイメージに修正を迫った』、確かに『電撃戦』のような画期的戦略は、「グデーリアンの上官であり、自動車戦闘部隊総監を務めたオスヴァルト・ルッツ装甲兵大将こそ、もう一人のキーパーソンだった」、大いにあり得る話だ。
・『貧窮するグデーリアンと名声を望むリデル=ハートの協力  また、グデーリアンは、戦後になってから、自分は早くよりイギリスの軍事思想家であるバジル・H・リデル=ハートの著作に注目し、これを咀嚼して、ドイツ装甲部隊の指揮と運用に応用したと主張している。 だが、こうした議論は、第二次世界大戦後のグデーリアンとリデル=ハートの協力関係から来る後付けの誇張であると指摘された。 この問題について、イスラエルの軍事史家アザー・ガットが、リデル=ハートの要請によりグデーリアンが、『電撃戦』英訳版に加筆した部分があることをあきらかにしたのだ。 むろん、そこでは、ドイツ装甲部隊の成功にリデル=ハートの思想が寄与していたことを、実際以上に強調していたのである』、「貧窮するグデーリアンと名声を望むリデル=ハートの協力」、こんなことまであるとは、心底驚かされた。
・『続々と明らかになった誇張や「不都合な事実」  さらに、『電撃戦』の実戦指揮に関する記述にも、事実と異なる部分が少なくないことが指摘された。 オーストラリアの戦史家で、スモレンスク戦(1941年)を独ソ戦の転回点として捉える画期的な研究書を著したデイヴィッド・ストーエルが、グデーリアンの書簡などの一次史料にあたり、『電撃戦』の誇張や恣意的記述を暴露したのである。 ストーエルによれば、『電撃戦』に圧勝として描かれているいくつかの戦闘のあいだも、グデーリアンは実際には悲観と苦渋をあらわにしているというのだ。 同様に、グデーリアンの私文書を含む一次史料を博捜したドイツの歴史家ヨハネス・ヒュルターも、グデーリアンは自らが提示したような非政治的軍人ではなく、ナチスの東方征服を支持する存在であったことをあきらかにした』、「ソ連侵攻「バルバロッサ」作戦の先鋒」に任じられた背景には、「ナチスの東方征服を支持する存在であった」ためだったようだ。
・『『電撃戦』の原案は米軍調査への自己弁護?  加えて、『電撃戦』の上梓は、戦争指導をめぐるヒトラーその他とのあつれきに関して、おのれを弁護する活動の一環であり、さらには収入を得るための手段だったこともわかってきている。 米陸軍歴史局(Historical Branch)は、戦史研究にかつての敵側の視点や情報を取り入れるため、1945年7月より、ドイツ国防軍の元高級将校に対する調査や報告書作成の依頼を行っていた。 やがて、その規模は拡大され、元国防軍高級将校がヒトラーに敗戦の責を押しつけ、自己弁護を唱える場という性格を帯びていくことになる。 ドイツの歴史家エスター=ユーリア・ホーヴェルの研究によれば、グデーリアンは、この米軍による調査に協力的であった。その理由の一つとして、彼が米軍による調査を自己弁護の機会として捉えたとの推測が成り立つであろう。 実は、このグデーリアンの米陸軍歴史局に対する回答が、『電撃戦』の原案の少なからぬ部分を構成しているのである』、「米陸軍歴史局」による「ドイツ国防軍の元高級将校に対する調査や報告書作成の依頼・・・その規模は拡大され、元国防軍高級将校がヒトラーに敗戦の責を押しつけ、自己弁護を唱える場という性格を帯びていくことになる」、戦史研究というのもこうした歪みがあるようだ。
・『隠された蛮行、覆る「軍事テクノクラート」像  しかし、より重要なのは、グデーリアンは、軍人は政治に関わらずという姿勢をくずさぬ、一種の軍事テクノクラートであったとの主張がくつがえされたことだろう。 グデーリアンが、第一次大戦に敗れたのち、「鉄師団」の参謀を務めたことは、1970年代から知られていた。これは、陸海軍の将校や国粋主義的政治家によって募兵され、元下士官兵を中心に編成された私兵集団「義勇軍」の一つである。 「義勇軍」は、敗戦前後にドイツが占領していた地域(ロシア、あるいは講和条約後にバルト三国やポーランドとなる領域)からの撤退を拒否し、白軍とともに赤軍に抗して戦闘を継続、捕虜殺害や住民虐殺など、さまざまな残虐行為を犯していた。 当然、「鉄師団」の参謀だったグデーリアンも、かかる蛮行を見聞していたはずだ。しかし、彼はこの時期のことを『電撃戦』に記していない。 こうした過去、あるいは、プロイセンの名望家の一族に生まれたという出自からすれば、グデーリアンが抱いていた過激な国粋主義は、本来、もっと早くに暴露されてしかるべきだったろうが、先に述べたような賛美の論調から、そうした指摘もないがしろにされがちであった』、第一次大戦後に「編成された私兵集団「義勇軍」の一つ」で「さまざまな残虐行為を犯していた」「「鉄師団」の参謀」、だったとは初めて知ったが、幻滅させる材料だ。
・『ヒトラーに共鳴した“国粋主義者”  さりながら、20世紀の末ごろより、グデーリアンの政治的志向の解明は、著しく進んだ。 グデーリアンは、上層中産階級の人間であることから来る封建的階級認識ゆえに、大衆運動としての側面を持つナチズムとは完全に一致し得なかったにせよ、ヒトラーに共鳴する国粋主義者だったのである。 第一次世界大戦直後、義勇軍に従軍していたころから、ナチ時代、さらには戦後を通じて、彼の政治・歴史観は一貫していた。それは、1948年に捕虜の境遇から解放されてから、1954年に南独シュヴァンガウで没するまでに、発表した諸論考にあきらかである。 そのような議論は、冷戦という時代背景があるとはいえ、強烈な反共主義にみちみちており、彼本来の政治思想をうかがわせるものだった。さらに、今日では、グデーリアンが1950年代に、元ナチスの政治運動に加盟していたことも証明されている』、国防軍はナチスとは別だと思っていたが、「グデーリアン」が「ヒトラーに共鳴した“国粋主義者”」、とはますます幻滅した。
・『「グデーリアンがつくりあげた『仮面』は剥がされた」  このように、今日の歴史学界におけるグデーリアン像は、かつての非政治的な軍事の「職人」といった評価から、作戦・戦術次元の指揮官としては卓越しているが、政治的には素朴な国粋主義者であり、問題を抱えた人物であるとの理解に変わっているとみてよい。 軍事面においても、グデーリアンがドイツ装甲部隊の創設に果たした役割は、もちろん全否定こそされていないものの、割引きされる部分が少なくないのだ。 グデーリアンがつくりあげた「仮面」は剥がされたのである』、歴史を見る際には、こうした「仮面」にも十分気をつける必要がありそうだ。

第三に、この続きを、3月31日付けPRESIDENT Onlineが掲載した現代史家の大木 毅氏による「なぜナチスドイツは大国フランスを1カ月で降伏させられたのか 戦車将軍、フランス全土を駆け回る」を紹介しよう。
https://president.jp/articles/-/33982
・『第1次大戦では4年経っても倒せなかったフランスを、ナチス・ドイツは1カ月ほどで攻略した。現代史家の大木毅氏は「グデーリアン装甲部隊の進撃はめざましかった。あまりの急進ぶりに、軍首脳部が何かの間違いではないかと疑ったほどだった」という――。※本稿は、大木毅『戦車将軍 グデーリアン』(角川新書)の一部を再編集したものです』、第2次大戦の最大の謎の1つで、興味深い。
・『ダンケルクの停止命令が発出された理由  このダンケルクの停止命令は、第2次世界大戦史の重大な転回点だったとされている。それによって、連合軍、とりわけイギリス軍に致命傷を与えるチャンスが失われたのだ。かかる不条理な命令を発したのは、ヒトラーだったとされている。 そのこと自体は間違いではない。が、ヒトラー決定以前から、クライスト、クルーゲ、ルントシュテットらが、グデーリアン以下の放胆な突進に不安を覚え、足踏みしたがっていたことも指摘しておかねばならない。 5月23日、クライスト装甲集団司令官は、麾下部隊が消耗し、分散していることを懸念すると、A軍集団司令部に報告した。 あらゆる快速部隊を指揮下に入れていたクルーゲ第4軍司令官も、そうした不安を共有していたから、快速部隊をいったん停止させ、後続部隊との間隔を詰めるべきだと意見具申する。 ルントシュテットA軍集団司令官も、この進言を容れ、25日の攻撃再開に備えて、クライストとホートの両装甲集団は現在地点にとどまるべしと下命した。つまり、24日の停止命令より前、23日に、諸自動車化軍団は足踏みさせられていたのだ』、「ルントシュテットA軍集団司令官」が「ヒトラー」の「停止命令」の前日に、停止を命じていたとは初めて知った。前線指揮官にとっては、補給面を重視して、「グデーリアン以下の放胆な突進に不安を覚え、足踏みしたがっていた」、大いにあり得る話だ。
・『停止命令は“あらためて”出されたもの  けれども、連合軍撃滅のチャンスが到来していると判断したブラウヒッチュ陸軍総司令官とハルダー陸軍参謀総長は、A軍集団の消極的な措置に怒り、全装甲部隊を握っているクルーゲの第4軍をB軍集団麾下に移す旨の命令を発した。 むろん、より攻撃的なB軍集団に突進を続けさせる企図である。 5月24日朝、ヒトラーが、シャルルヴィルにあったA軍集団司令所を訪れたときの情勢は、このようなものであった。 ルントシュテットから、A軍集団が第4軍を奪われ、脇役に追いやられたことを聞かされたヒトラーは、自分のあずかり知らぬところで、かかる重大決定がなされたことに激怒し、ブラウヒッチュの命令は無効であるとした。 その上で、あらためて装甲部隊を停止させると決定したのである。 はたして、ヒトラーを、かくのごとき誤断にみちびいた動機は何だったのだろうか?』、「ルントシュテット」が「ブラウヒッチュの命令」を心よく思っていなかったのだろうか。
・『ヒトラーを誤断させた8つの動機  1940年の西方侵攻作戦について、今なおスタンダードとされている研究書『電撃戦という幻』(1995年初版刊行)を著したドイツの軍事史家カール=ハインツ・フリーザーは、ダンケルク撤退直後から立てられたさまざまな説をもとに、考えられる理由を以下のように列挙している。 ①ダンケルク周辺の地表は装甲部隊の行動に適さないと判断した(24日から雨が降りはじめ、地面が泥濘と化した)。 ②以後、フランス全土を占領する作戦のため、装甲部隊を温存すべきだと考えた。 ③連合軍による側背部への攻撃を恐れ、装甲部隊を控置しておいた。 ④攻勢第2段階に関心が移っており、ダンケルク攻略は副次的な作戦であるとみなした。 ⑤包囲した敵の規模を過小評価し、さほど重要ではないと思っていた。 ⑥海上撤退作戦などは不可能であると考えた。 フリーザーによれば、この①から⑥は必ずしも強固な論拠を持つものではなく、反駁可能である。 重要なのは、⑦空軍力だけでダンケルクの敵を撃滅できるとしたドイツ空軍総司令官ヘルマン・ゲーリング元帥(1938年2月4日進級)の大言壮語を信じたとする説と、⑧イギリスを講和にみちびくため、その面子をつぶすことを恐れて、遠征軍殲滅を避けたとする説であろう』、多くのもっともらしい説があることに、改めて驚かされた。
・『自己の権力を強調するため?  フリーザーは、⑦については、ゲーリングの発言は23日のことで、ヒトラーの決定に影響力をおよぼした可能性はあるものの、当時ドイツ空軍がかなりの消耗を被っていたことを考えれば(当然、総統の耳にも入っている)、決定的な要因となったとは考えにくいとした。 ⑧に関しても、時系列に沿って検討してみると、ヒトラーが、講和のために手加減したと取れるような発言をしたのは、ダンケルク撤退の成功があきらかになってからのことであり、いわば失態をとりつくろう意味があったと退けている。 かかる議論の末に、フリーザーが到達したのは、装甲部隊のダンケルク突入に熱心だったOKHに、誰が主人であるかを見せつけるために、ヒトラーはルントシュテットらに同調した、つまり、自己の権力を強調するために停止命令を出したとする説だ。 この⑦と⑧、そしてフリーザー説に示されている要因のどれかが決定的だったのかもしれないし、あるいは、そのすべてが複合的にヒトラーの心理に作用していた可能性もあろう』、身近にいる「ルントシュテット」の意見に同調したのかも知れない。
・『孤立無援の連合国軍、大規模脱出を決行  いずれにせよ、英国の守護天使が授けたかとさえ思われるような好機が、看過されるわけはなかった。王立海軍は、商船216隻、スクーツ(喫水の浅い木製船)40隻、海軍艦艇139隻、さらに数百の漁船や小舟艇、全体で900隻以上をかき集め、「ダイナモ」作戦を発動した。 その目的は、包囲されたイギリス遠征軍とフランス軍ほかの連合軍の一部部隊を海路救出することだ。 風前の灯火だった連合軍部隊が脱出していくのを、グデーリアンとその装甲部隊は指をくわえて見ているほかなかった。こうして助け出されたイギリス軍将兵は、重装備こそ失っていたとはいえ、英陸軍再建の土台になっていく。 ドイツ軍に訪れた千載一遇の機会は空費されてしまったのである』、ドイツ軍の手落ちとはいえ、「「ダイナモ」作戦」も見事だった。
・『ダンケルク占領で西方侵攻作戦は結着  5月26日、ルントシュテットより状況の変化についての説明を受けたヒトラーは、ようやく停止命令を撤回した。翌27日午前8時、攻撃が再開されたものの、袋の鼠であったはずの連合軍諸部隊は、ダンケルクのほころびから逃れだしていた。 6月1日、ドイツ軍はダンケルク総攻撃を実施し、4日朝には同市を制圧した。彼らが見たものは、おびただしい数の遺棄された装備や物資であった。イギリス陸軍の中核をなす、訓練され、経験を積んだ将兵は、海峡のかなたに去っていたのだ。 ともあれ、ダンケルク占領によって、西方侵攻作戦は結着がついた。ドイツ装甲部隊が築いた回廊の南には、なお相当数のフランス軍部隊があり、ソンムとエーヌの両河川に拠って抵抗の準備を整えてはいる。 だが、主力を撃滅されたフランス軍が66個師団しか有していなかったのに対し、ドイツ軍は104個師団(ほかに予備として19個師団を控置)を投入することが可能だったのである』、「フランス軍が66個師団」残っていたとは初めて知った。
・『赤号作戦(仏本土侵攻)と「グデーリアン装甲集団」の誕生  従って、フランスにとどめを刺すための攻勢、「赤号」作戦(6月5日発動)は、ワンサイド・ゲームの様相を呈することになった。 これに先立つ5月28日、グデーリアンは、あらたな装甲集団を編合し、「赤号」作戦に参加するよう、ヒトラーから命じられる。「グデーリアン装甲集団」の誕生であった。 6月1日にグデーリアンを司令官として発足した、この新装甲集団は2個自動車化軍団を麾下に置いていた。それぞれ二個装甲師団および1個自動車化歩兵師団を有する第39・第41自動車化軍団である。 A軍集団麾下第12軍の指揮下に置かれたグデーリアン装甲集団は、南に向かって突進するように命じられた。スダン南方からスイス国境にかけて展開しているフランス軍の背後に回りこみ、これを包囲することが目的だった。 6月9日、攻勢を発動したグデーリアン装甲集団の進撃はめざましく、たちまちブザンソンを攻略、およそ一週間後の17日にはもうスイス国境に達していた。あまりの急進ぶりに、軍首脳部が何かの間違いではないかと疑ったほどだった。 「ポンタルリエでスイス国境に着いたと報告すると、ヒトラーは『貴官の報告は誤りで、ポンタイエ・シュル・ソーヌ〔東部フランスの町〕に到達したということだろう』と反問してきた。すぐに『ミスではありません。小官は今、スイス国境のポンタルリエにおります』と回答する。それで、疑り深いOKWも納得した」(『電撃戦』)』、「グデーリアン装甲集団の進撃はめざましく・・・あまりの急進ぶりに、軍首脳部が何かの間違いではないかと疑ったほど」、さすがだ。
・『大国フランスを1ヵ月で降伏させる  一方、独仏国境に展開していたドイツC軍集団もマジノ線攻撃を敢行、突破に成功し、6月19日にグデーリアン装甲集団と手をつなぐ。約50万のフランス軍が包囲されたのだ。 この間、6月14日には、無防備都市宣言を出した首都パリにドイツ軍が入城しており、フランス国民の士気は地に落ちていた。6月22日、パリ近郊コンピエーニュの森で独仏の休戦協定が調印される。 ドイツは、第1次世界大戦で4年余の時を費やして、ついに打倒することができなかった大国フランスを、今度は一か月ほどで降したのである』、「大国フランスを、今度は一か月ほどで降した」、「フランス」のふがいなさにはコメントする気にもならない。 
タグ:赤号作戦(仏本土侵攻)と「グデーリアン装甲集団」の誕生 ダンケルク占領で西方侵攻作戦は結着 「ダイナモ」作戦 孤立無援の連合国軍、大規模脱出を決行 自己の権力を強調するため? イギリスを講和にみちびくため、その面子をつぶすことを恐れて、遠征軍殲滅を避けた 空軍力だけでダンケルクの敵を撃滅できるとしたドイツ空軍総司令官ヘルマン・ゲーリング元帥(1938年2月4日進級)の大言壮語を信じた 海上撤退作戦などは不可能であると考えた 包囲した敵の規模を過小評価し、さほど重要ではないと思っていた 攻勢第2段階に関心が移っており、ダンケルク攻略は副次的な作戦であるとみなした 連合軍による側背部への攻撃を恐れ、装甲部隊を控置 以後、フランス全土を占領する作戦のため、装甲部隊を温存すべきだと考えた ダンケルク周辺の地表は装甲部隊の行動に適さないと判断 ヒトラーを誤断させた8つの動機 停止命令は“あらためて”出されたもの グデーリアン以下の放胆な突進に不安を覚え、足踏みしたがっていた ダンケルクの停止命令が発出された理由 「なぜナチスドイツは大国フランスを1カ月で降伏させられたのか 戦車将軍、フランス全土を駆け回る」 「グデーリアンがつくりあげた『仮面』は剥がされた」 ヒトラーに共鳴した“国粋主義者” 隠された蛮行、覆る「軍事テクノクラート」像 『電撃戦』の原案は米軍調査への自己弁護? 続々と明らかになった誇張や「不都合な事実」 貧窮するグデーリアンと名声を望むリデル=ハートの協力 「ドイツ装甲部隊の父」の1人にすぎない 修正され始めた脚色された「自画像」 回顧録『電撃戦』によるグデーリアンの虚像 ナチス・ドイツを支えた「戦車将軍」のセルフ・イメージ 戦車将軍グデーリアン 「敗戦をヒトラーのせいにした「戦車将軍」のウソ 誇張と自己弁護で巨大化した「伝説」」 大木 毅 バイロンやシェイクスピアを好み、ウィットに富んだ会話の最中にバイロンの詩やシェイクスピア劇の台詞を原語で(流暢な英語で)巧みに引用して、周囲の人たちを楽しませた談話の名人であった バイロンやシェイクスピアを愛好するインテリ 無節操なオポチュニストか、冷酷非情なマキャベリストか 「プロイセン宰相期」と「ドイツ帝国宰相期」では状況が変わった以上、「変身」は賢明な策なのだろう 「鉄血宰相」は「慎重で柔軟で反戦的」に変身した 究極的にはそうなのかも知れないが、いまや「国際機関や同盟関係」の重要性も増しているのではなかろうか 国際政治をするのは「国民国家」それ自体 外交に「普遍的正義」や「好き嫌い」はいらない 国際政治の本質は、古代ギリシャ・ローマ時代から現在まで、常にアナーキー 古代ギリシャ以来、国際政治はアナーキー状態 「「ヒトラーの国ドイツ」を生んだビスマルクを賢人と評価する理由 「国際政治の本質」を理解しているか」 伊藤 貫 PRESIDENT ONLINE (11)(「ヒトラーの国ドイツ」を生んだビスマルクを賢人と評価する理由 「国際政治の本質」を理解しているか、敗戦をヒトラーのせいにした「戦車将軍」のウソ 誇張と自己弁護で巨大化した「伝説」、なぜナチスドイツは大国フランスを1カ月で降伏させられたのか 戦車将軍 フランス全土を駆け回る) 歴史問題
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地方創生政策(その8)(医療と介護の国・地方関係を巡る2つの逆説-分権改革20年の節目の年に、地方の3兆円を狙う「ハイエナコンサルタント」 「せっかくのお金」を絶対に渡してはいけない、「地元志向の若者増加」を手放しで喜べない事情 「心の豊かさ」と「経済的繁栄」どちらを取る?) [国内政治]

地方創生政策については、昨年2月27日に取上げた。今日は、(その8)(医療と介護の国・地方関係を巡る2つの逆説-分権改革20年の節目の年に、地方の3兆円を狙う「ハイエナコンサルタント」 「せっかくのお金」を絶対に渡してはいけない、「地元志向の若者増加」を手放しで喜べない事情 「心の豊かさ」と「経済的繁栄」どちらを取る?)である。

先ずは、本年1月7日付けBROGOSが掲載したニッセイ基礎研究所の 三原 岳氏による「医療と介護の国・地方関係を巡る2つの逆説-分権改革20年の節目の年に」を紹介しよう(付注は紹介省略)。
https://blogos.com/article/428073/?p=1
・『1――はじめに~医療・介護の国・地方関係を巡る2つの逆説を節目の年に考える~  2020年がスタートした。筆者の関心事である医療・介護分野では今年も様々な動きが予想される。例えば、病床再編を目指す「地域医療構想」に関しては、民間医療機関の診療データが3月に開示され、9月頃までに都道府県は公立・公的病院の再編・統合について結論を出すよう求められている。さらに、2019年度中に策定される「医師確保計画」を基に、医師の偏在是正に向けた都道府県の取り組みも本格化する。介護に関しても、市町村が「保険者」(保険制度の運営者)として介護予防を進める必要性が論じられており、いずれも都道府県や市町村の取り組みが期待されている。 一方、今年は国・地方の関係を「上下・主従」の関係から「対等・協力」に変更した地方分権改革から20年に当たる。その視点で近年の動向を見ると、自治体は医療・介護分野の権限拡大を望まなかった経緯があり、「地方が望まない分野で分権が進む」という皮肉な状況が生まれている。さらに自治体に対する国の統制を強める制度改正も相次いでおり、「分権化と同時に、集権化が進む」という逆説的な傾向が見受けられる。 本稿では、地方分権改革から20年の節目の年に当たり、当時の議論を簡単に振り返りつつ、医療・介護で進む分権化の動きを取り上げる。その一方、「地方が望まない分野で分権が進む」「分権化と同時に、集権化が進む」という「2つの逆説」が生まれている理由として、「どうやって自治体の自主性を反映するか」という「自治」と、「国の政策を自治体にどこまで実行させるか」という「統治」の間で相克が見られる点を論じ、今後の方向性を探ることとする』、「「地方が望まない分野で分権が進む」「分権化と同時に、集権化が進む」という「2つの逆説」が生まれている」、どういうことなのだろう。
・『2――地方分権改革の概要  地方公共団体の自主性、自立性が高まることによりまして、地方公共団体が住民の意向を踏まえて行政を進めることができるようになり、住民にとっても大きなメリットがある――。当時の小渕恵三首相は1999年5月の衆院本会議で、このように述べて地方分権のメリットを強調した。 この時の国会に提出されていた地方分権一括法では、国が自治体を出先機関のように扱う「機関委任事務」の廃止などを盛り込んでいた。最終的に法律は2000年4月に施行され、国と地方の関係は「上下、主従」から「対等、協力」に変わり、自治体の事務は「法定受託事務」「自治事務」に区分された。このうち、法定受託事務とはパスポートの発給など国の仕事を自治体に委任する事務、後者の自治事務は法令に違反しない限り、自治体の判断で内容を決められる事務と整理され、本稿の主要テーマである医療行政の多くは自治事務に類型化された。 さらに「地方分権の先駆け」と位置付けられた介護保険制度も市町村を主体とし、同じ時期にスタートした(つまり、介護保険も同じく20年を迎えた。この歴史は機会を改めて詳しく論じる)。当時、政策立案に関わった有識者の書籍では「(筆者注:介護保険制度は)明確な形で分権の流れの中にあります。その最大の特色がどこに表れたかというと、保険者を市町村にしていることです」といった表記が見られる(大森彌編著『高齢者介護と自立支援』)。つまり、市町村が住民の意向を踏まえつつ、主体的に介護保険制度を運営することが期待されていたのである。 その後、国・地方の税財政関係を見直す小泉純一郎政権期の「三位一体改革」や、自治体行政に対する国の統制を緩める「義務付け・枠付け」の見直しなど地方分権改革は間断なく議論されており、近年は本稿のメインテーマである医療・介護行政に関しても分権化の傾向が一層、強まっている。ここでは医療・介護の国・地方関係について20年間の変化を簡単に振り返る』、確かに「地方分権改革」も歴史的な経緯を振り返る意義は大きい。
・『3――医療・介護の国・地方関係における20年間の変化 1|医療行政~「都道府県化」の傾向が顕著に~  医療行政では都道府県化という傾向が顕著に見られる。例えば、提供体制改革に関しては、病床削減などを目指す「地域医療構想」が医療計画の一環として2017年3月までに策定され、病床削減や在宅医療の拡大などを都道府県単位で進めることが期待されている。さらに、医師偏在是正や医療人材の確保を目指すための「医師確保計画」も2019年度中に都道府県単位で策定される予定だ。 保険制度に関しては、2008年度と2018年度の改正を通じて、都道府県単位にする改革が進められてきた。具体的には、2008年度改革では中小企業の従業員を対象とした協会けんぽの保険料が都道府県単位に変更され、75歳以上の高齢者が加入する後期高齢者医療制度の広域連合も都道府県単位に設置された。さらに国民健康保険については、2018年度の制度改正を経て、都道府県は市町村とともに制度を運営する立場となった。このほか、各保険者で構成する「保険者協議会」も都道府県単位に設置され、医療費適正化などを話し合う場として重視されつつある。 このように見ると、20年間における医療分野の制度改正の特徴として「都道府県化」が一つの共通点として浮かび上がる』、受益と負担を国より身近な「都道府県」にすることは、「都道府県」ごとの人口構成の違いによる「受益と負担」の不均衡を固定することにつながりそうだ。
・『2|介護行政~予防を中心に市町村の役割強化の傾向が鮮明に~  先に触れた通り、介護保険では元々、市町村が主体性を発揮することが期待されており、近年は介護予防を中心に、その役割を強化する傾向が鮮明となっている。具体的には、要介護認定率の引き下げに成功したとされる埼玉県和光市の事例を「横展開」するため、介護予防に力を入れる市町村を支援する「保険者機能強化推進交付金」(200億円)が2018年度予算で創設された。 さらに今年の通常国会に関連法案が提出される2021年度制度改正では、高齢者が気軽に運動などを楽しめる「通いの場」の拡充が重視されている。例えば、厚生労働省は2019年3月、『これからの地域づくり戦略』を公表し、市町村が介護予防に取り組む際の注意点や先進事例を紹介するなど、介護予防に関する市町村の取り組みに期待している』、「介護予防に力を入れる市町村を支援する「保険者機能強化推進交付金」(200億円)が2018年度予算で創設」、これは望ましい政策のようだ。
・『3|分権化の背景にある「自治」と「統治」の側面  こうした制度改正の背景としては、地域の独自性に考慮する「自治」と、国全体の動向を俯瞰する「統治」という2つの側面が挙げられる。まず、「自治」の観点とは、人口や高齢化率の地域差が大きいことを踏まえ、地域の自主性に期待する考え方である。例えば、人口的にボリュームが大きい「団塊世代」が75歳以上となる2025年まで見通すと、東京都など大都市部では人口増加が続くが、殆どの道県では人口が減少する。さらに、高齢化率の格差も大きく、国一律による制度改正だけでは対応しにくくなっており、地域単位で政策を進めようという動きに繋がっている。 一方、「統治」の観点とは、医療・介護費用が増加している中、自治体にも給付抑制の責任を持たせるようとする考え方である。例えば、病床数が多いと医療費が増える傾向が見られる(医師需要誘発仮説)ため、国は地域医療構想を通じて都道府県に病床削減を進めさせる一方、国民健康保険改革で費用抑制にも関与させたい意向を持っている。この点については、2017年6月の骨太方針(経済財政運営と改革の基本方針)が「都道府県の総合的なガバナンスの強化」を通じて、医療・介護行政の効果的・効率的な運営を進めると定めたことに表れている3。 しかし、この結果として「地方が望まない分野で分権が進んでいる」「分権化と同時に、集権化が進む」という2つの逆説が生まれている。以下、2つの点を論じて行くこととしよう』、なるほど。
・『4――地方が望まない分野で分権が進む逆説  過去の経緯を見ると、都道府県が医療行政の権限強化を望んだ形跡は見受けられず、脆弱な財政基盤を強いられている国民健康保険の財政負担について、全国知事会は一貫して反対してきた。例えば、小泉政権期の三位一体改革で、厚生労働省は「財政安定に運営の広域化が必要であり、積年の悲願である都道府県の本格的な運営参加が不可欠」と考えていた(『国民健康保険七十年史』)ため、新たな財政負担が導入されたが、都道府県サイドは最後まで難色を示した。さらに、2018年度の都道府県化に際しても、全国知事会は受け入れの条件として国の財政支援の充実を要請し、最終的に3,400億円規模の追加支援が実施された。2008年度改革で医療行政を都道府県単位にする方向性が示された時も、44道府県は医療費抑制に関して役割を担うことに反対していた(『朝日新聞』2005年11月20日)。 介護保険に関しても、「赤字補填に悩まされている国民健康保険の二の舞になる」という不安が市町村に根強く、「町村会は心の底からこれに賛意を表したことは一回もなかった」「市町村が介護保険を担当するのはやはり不適当」と考えていた(『全国町村会八十年史』)市町村との調整が最も難航した。 つまり、自治体が望まない分野で分権が進んでいる逆説的な状況が生まれている。これは自治体レベルでの費用抑制を図るという「統治」の観点で制度改正を進めている国と、費用が増える医療・介護分野の役割拡大を嫌う自治体の「自治」(ワガママ?)の相克と言える』、「自治体レベルでの費用抑制を図るという「統治」の観点で制度改正を進めている国と、費用が増える医療・介護分野の役割拡大を嫌う自治体の「自治」(ワガママ?)の相克と言える」、なかなか難しい問題だが、「自治体の」「ワガママ?」とは言い過ぎな気もする。
・『5――分権化と同時に、集権化が進む逆  もう1つが「分権化と同時に、集権化する逆説」である4。医療行政の都道府県化や市町村の保険者機能強化を促しつつ、国による統制を強める制度改正も相次いでいる。 例えば、国民健康保険については、都道府県化が進む傍らで、自治体による医療費適正化に向けた取り組みを評価、採点し、補助金の分配額を左右させる「保険者努力支援制度」(約1,000億円)が2018年度に創設された。介護保険でも同様の仕組みとして、「保険者機能強化推進交付金」(200億円)が2018年度に創設されている。これらは全て自治体の事情とは無関係に、国の配分基準に沿って自治体を動かすことを想定しており、集権化の側面を持っている。 こうした分権と集権が同時に進む理由も、やはり「統治」「自治」の相克に求めることができる。つまり、国は「統治」の視点で費用抑制の責任を自治体に持たせる反面、補助金の分配を通じて影響力を行使することで、自治体の行動を費用抑制に誘導しようとしている。 例えば、2020年度予算案では地域医療構想に関連し、病床削減で収入が減る医療機関を財政支援する予算として84億円を計上。さらに国民健康保険の保険者努力支援制度を500億円積み増したほか、介護保険に関しても自治体による予防・健康づくりを後押しする別の交付金(介護版の保険者努力支援制度)として200億円を盛り込んだ。こうした状況の下、20年前の地方分権改革で重視された「自治」が失われつつあると言える』、「国は「統治」の視点で費用抑制の責任を自治体に持たせる反面、補助金の分配を通じて影響力を行使することで、自治体の行動を費用抑制に誘導しようとしている」、やむを得ないように思える。 
・『6――おわりに~国の統制は今後も強まる?~  20年前の議論と照らすと、分権化と同時に集権化が進む現状について、自治体から疑問の声が上がっていないのは奇異に映る。ただ、これは止むを得ない面もある。自治体は財政難と人手不足に直面する一方、分権改革に伴って仕事が増えており、「分権疲れ」の雰囲気を見て取れる。このため、地方分権改革の趣旨に基づく原則論よりも、「背に腹は代えられない」という自治体の苦況が反映しているのかもしれない。 しかし、医療・介護費用の増加が続く中、「統治」の視点に立った国の締め付けは今後、一層強まるだろう。実際、地域医療構想に関して、厚生労働省は2019年9月、「再編・統合が必要な公立・公的病院」の個別名を開示したほか、病床削減が遅れている地域に対し、国の職員を派遣する案も取り沙汰されている。 こうした「統治」の論理が先行する中、住民の関心が高い医療・介護に関して、自治体が「自治」の論理をどこまで貫徹できるか。分権改革から20年の節目を迎えた今年の一つの焦点となりそうだ』、「病床削減が遅れている地域に対し、国の職員を派遣する案も取り沙汰されている」、「自治」の原則をかなぐり捨てて、直截な手段まで考えているようだ。「地方分権改革」も一筋縄ではいかない難しい問題のようだ。

次に、6月15日付け東洋経済オンラインが掲載したまちビジネス事業家の木下 斉氏による「地方の3兆円を狙う「ハイエナコンサルタント」 「せっかくのお金」を絶対に渡してはいけない」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/355761
・『新型コロナショックから立ち直り、どこまで経済を回復させることができるのか。まさにこれが喫緊の課題ですが、地方においては今後注意しなくてはならないことがあります。それは国から地方に配られる「新型コロナウイルス感染症対応地方創生臨時交付金」の活用方法です』、「「新型コロナウイルス感染症対応」と銘打てば、潤沢な予算がつく悪例の1つだ。
・『地方は8割外注、うち半分を「東京のコンサル」が受注  まず4月22日に閣議決定された1兆円の「新型コロナウイルス感染症対応地方創生臨時交付金」(1次補正予算)は4月末に成立しました。 その後さらに2兆円の増額要請が全国知事会などからも出され、6月12日に第2次補正予算が成立しました。つまり、なんと合計3兆円の交付金が、地方のために使われることになります。 実はこの巨額のお金の活用を巡って、全国各地の自治体関係者には「ぜひ提案したいことがあるから時間をくれ」といった連絡が、東京のコンサルティング会社などから相次いでいます。 こうした東京のコンサルからの「営業攻勢」に応じていたらどうなるでしょうか。地方経済活性化において、せっかく地方に分配している予算を、東京に還流することは全くもって趣旨に沿いません。そればかりか、そもそも、過去の実績を見ると、そのようなコンサルティング会社が大きな成果をあげた試しもありません。 もともと第2次安倍政権の地方創生政策においては「これからは地方自治体がそれぞれの特色に沿って独自の戦略を策定すべきだ」という考えに立ち、配られた予算がありました。公益財団法人の地方自治総合研究所が、その行方を2017年に調査しています。 同調査によると、1342自治体のうち約8割が総合戦略の策定をコンサルタント等へ外注していたことがわかっています。さらにその受注額、受注件数をみると、ともに東京都に本社を置く組織が、外注全体の5割以上のシェアを占めていたことも分かっています。つまり、せっかく地方に振り向けられたはずのお金の4割以上(=0.8×0.5)が東京へ還流していたわけです。今回もまた同じことになるのでしょうか。 そもそも、「それぞれの地方が独自性を発揮して予算活用ができるように」と、地方が独自に策定する計画に対して、国が国庫からお金を出していたわけです。しかし、結果的には「東京のコンサルが受託して計画をつくって地方自治体に納品していた」という笑えない実態があったのです。 当時は「地方創生総合戦略バブル」などと呼ばれ、それこそ金太郎飴のように自治体の人口予測、産業構造、今後の予測みたいな同じような分析が載った、戦略などとは全く呼べないような「名ばかり総合戦略」が自治体に納品されていました』、「1342自治体のうち約8割が総合戦略の策定をコンサルタント等へ外注していた」、「東京都に本社を置く組織が、外注全体の5割以上のシェアを占めていた」、「「名ばかり総合戦略」が自治体に納品」、こんな無駄なことはもう止めてもらいたい。
・『結局、さらに「東京集中」が進んだ  そのような戦略をもとに、地方創生先行型交付金、地方創生加速化交付金という交付金が国の100%負担で配られ、さまざまな事業が提案されて、実行に移されました。今でも記録が残っているので、見てみると頭を抱えてしまうような事業などが乱立しています。 例えば、とある自治体では地方創生にかかわる相談を「年間100件受け付ける」というのが目標の事業(受け付けるだけ!)で2900万円。また別の自治体では、年間1750万円の売り上げ目標の事業になぜかそれ以上の3100万円をつけました。さらには、「産業革命遺産」の「スマホアプリ」に9500万円、林業の新たな従事者3名確保と商品を1つ開発するのに5000万円、と言った具合に、一読してわかるような、なかなか「悩ましい事業」に、大胆にも国の予算が気前よく配られていました。 これら一件一件が「高い」「安い」という話を言うつもりは今さらありません。しかし、地方創生政策が本格的に始動しこれらの予算が投入されて行われてきた結果、いいことはあったのでしょうか。2015年以降、「」東京圏への転入超過数」は年間約12万人から約14万人となり、減るどころか、むしろ増加していきました。もともと政府の目標には、2020年には東京圏の転出入を均衡させる高い目標があったのですが、今は語られなくなりました。 もちろん、安易に東京のコンサルや代理店などに投げてしまう地方自治体も大いに問題です。そろそろ、こうしたやり方では何も解決しないことに気づかなくてはなりません。東京のコンサルが相次いで今また莫大な国庫交付金を狙って営業を始めているようですが、そんな曲がりモノの営業に、地方自治体は飛びついてはいけないのです。 この5年間で費やした膨大な地方創生関連予算は、都市と地方の関係をよりよいものにすることはなく、むしろ東京集中を加速させるものだったのです。何よりも予算が東京から国にいき、国から地方に流れていったのに、その予算さえ東京に還流してきているわけですから、それでは全く話にならないのです。) 今回の地方創生臨時交付金の4割程度は、例えば外食など、新型コロナで苦しんでいる地元の事業者への支援給付のために活用される、とされています。ということは、残りの6割はやはり地元の独自性が試されることになります。全体の予算が約3兆円なら約1.8兆円。これだけの貴重なお金を、東京のコンサルに食われてしまっては、地方にもう未来はありません』、今回も「6割」が「東京のコンサルに食われてしま」う可能性があるとはやれやれだ。
・『地方が独自に稼ぎ、リターンを地元に投資し続る仕組み  本来、このような予算はどう使うべきでしょうか。大切なのは、地方が投資し、毎年稼ぎを作り利回りを生むこと。そして、そうしたリターンを地元のために投資しづつけるということです。 例えば、「アフターコロナ」では、自然環境の豊かな観光コンテンツの人気がすでに高まっています。私の周りでも、熊本県上天草など、一見立地不便であっても、熊本都市圏から十分アクセスできるエリアには、緊急事態宣言解除後に多くの人がすでに戻ってきています。 今回の交付金は、こうした今後の自然を活かした観光などのために使われるべきです。港湾や河川、公園のような既存の公共資産を活用して、宿泊、飲食、アクティビティが行えるように整備することに投資するのです。 そして、そこでは熱心に事業に取り組む民間事業者から、自治体がリーゾナブルな占用料をとるようなことを模索すべきなのです。こうした一連の流れをつくれば、「交付金を配って、それを一過性のイベントで使って終わり」ではなく、お金は継続的に地域の稼ぎとなり、自治体にも歳入をもたらします。地方はその歳入を活用して、地元の観光関係者へのサービス品質改善の教育訓練などにさらに投資し、単価を引き上げていくのです。逆に言えば、安いだけを売り物にするたくさんの構造を打破しよう、といったような緻密な戦略が必要なのです。 それには東京、あるいは首都圏の「ハイエナのように電話して営業してくるようなコンサル」は全く必要ないのです。そもそも、電話してくるようなコンサルは暇で3流もいいところです。実績があり、実力のある人たちは常に仕事が多いものなのです。暇な人員を抱えているようなコンサルに、ろくなところはありません。 そんなところに絶対に騙されてはいけません。まずはわからないなりにでも地元の行政、民間だけで、今からでも取り組めることをやればよいのです。 もし、そのような挑戦が駄目になったとしても、結果としては、なんだかんだで地元でお金は回るわけなので、本来の地方に配る目的でつくられた交付金の役目を果たすわけですから、それはそれで良いのです。また、自分たちで考えて失敗した反省は、次の事業につながります。 この5年間で、いいように食われ尽くした、地方のために配られたはずの交付金。本来は、今回の新型コロナショックで落ち込む地方のために配られる交付金を、ハイエナのように寄ってくるコンサルに食われないよう、くれぐれも注意をしていただきたいのです』、「既存の公共資産を活用して、宿泊、飲食、アクティビティが行えるように整備することに投資するのです。 そして、そこでは熱心に事業に取り組む民間事業者から、自治体がリーゾナブルな占用料をとるようなことを模索すべきなのです。こうした一連の流れをつくれば、「交付金を配って、それを一過性のイベントで使って終わり」ではなく、お金は継続的に地域の稼ぎとなり、自治体にも歳入をもたらします」、なかなかいいアイデアだ。ただ、失敗を恐れて、無難に「コンサル」発注となってしまう自治体が多いのだろう。

第三に、7月21日付け東洋経済オンラインが掲載した経営コンサルタントの日沖 健氏による「「地元志向の若者増加」を手放しで喜べない事情 「心の豊かさ」と「経済的繁栄」どちらを取る?」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/361935
・『日本では近年、生まれ育った地元で暮らし働こうという「地元志向」が強まっています。新型コロナウイルスに伴うテレワークや新しい生活様式の普及などから、この地元志向のトレンドがさらに強まりそうです。今回は、コロナが加速させる「地元志向の状況」と「3つの問題点」について解説していきます』、「地元志向」が強まれば、東京一極集中が止まり、望ましい変化ように思える。
・『コロナで強まる「地元志向」  コロナ感染拡大を受けて、3月以降、日本人の暮らしが大きく変わりました。以前は電車に揺られて通勤していたのが、テレワークで自宅や近所のカフェで仕事をします。買い物は都心のデパートに出かけず、近所の商店街で済ませます。銀座や新宿で呑むのははばかられるので、自宅でZoom呑み。土日も旅行など遠出を控えて、近所をウォーキング。ここ数ヵ月で、日本人の行動半径はめっきり狭くなりました。 仕事や日常生活だけではありません。人生の重要な選択においても、地元志向が急速に高まっています。今回、東京の4つの大学の関係者に取材したところ、全員が口を揃えて「来年の入試では地方からの志願者が減り、入学者に占める首都圏出身者の割合はさらに上昇しそう」と懸念していました。 就職・転職も変わります。東京本社のあるエンジニアリング会社は、昨年まで全国・世界から幅広く人材を募っていましたが、コロナで採用方針の転換を迫られています。採用担当者は、今後の採用について次のようにコメントしました。 「中途のグローバル採用は、当面ストップです。新卒は、技術系は大学の研究室つながりで採用しているのでこれまでとそんなに変わりませんが、事務系については激変することが確実です。地方からの志望者が大幅に減っており、結果的に首都圏出身者の割合がかなり高くなりそうです。コロナが終息してもどうなるのか、ちょっと読めません」 緊急事態宣言が解除され、6月から徐々にコロナ前の生活に戻りつつあります。ただ、新しい生活様式が定着しつつありますし、第2波・第3波への懸念もあり、地元志向のトレンドは今後も続くと予想されます。 「地元が好きで、地元に住み、地元で働くって、別にコロナとかに関係なく当然のことでしょ」と思いがちですが、そうでもありません。 歴史的に見れば、親の後を継いで地元に住まざるをえなかった封建制の時代はともかく、選択の自由が保障される現代社会では、より良い生活を求めて地元以外に移り住む国民が増えます。 世界を見渡すと、約5000万人の中国人が華僑としてさまざまな国で活躍しています。フィリピン人もインド人も地元を飛び出し、世界各地でたくましく生きています。 中国・フィリピン・インドは貧しいから、職を求めてやむなく地元を離れているのでしょうか。そうではありません。先進国でもアメリカの若者の多くは、高校を卒業したら地元から離れた大学に進んで寮生活をし、社会人なってからも頻繁に転職し、点々と住居を変えます。 日本でも、つい一昔前まで、地元志向は希薄でした。坂本龍馬が地元・土佐の閉鎖的な風土を嫌い、長崎に出て一旗揚げたように、幕末以降、地元を離れるのが当たり前になりました。1970年代前半までブラジル・ハワイなどへの海外移民や、東北・九州から東京・大阪への集団就職が数百万人規模で行われました。 このトレンドが一転し、地元志向が鮮明になったのは、バブル崩壊以降のことです。所得減少で地方在住者が子供を首都圏の大学に通わせるのが難しくなったことや少子化で親が一人っ子を自分のそばにキープしておきたいと考えるようになったことが要因とされます。 東京都内の大学で学生全体に地方出身者が占める割合は、1990年の39%から2019年には30.7%まで低下。東大・早稲田・慶応といった全国的に知名度の高い大学も、もはや「首都圏の地方大学」になっているのです』、「東大・早稲田・慶応といった全国的に知名度の高い大学も、もはや「首都圏の地方大学」になっている」、「地元志向」もここまできたかと、改めて驚かされた。
・『地元志向の3つの弊害  最近の日本社会の特徴と言える地元志向。何がいけないのでしょうか。経済面では、3つの弊害があります。 第1に、人的資源の最適配分が実現しません。たとえば、先端農業に必要なバイオテクノロジーの知識を持つAさんが都会に住み、ビル建築設計のスキルを持つBさんが農村に住んでいるとします。ここでAさんが農村に、Bさんが都会に移り住むことで、人的資源が社会的に最適化されます(経済学で言うパレート最適)。しかし、Aさん・Bさんがそれぞれ地元にとどまると、最適化されません。 第2に、イノベーション(革新)が生まれません。経済学者シュムペーターがイノベーションの本質を「新結合の遂行」と喝破した通り、イノベーションは異質な知識・情報が融合することによって生まれます。幼い頃から勝手知ったる仲間と過ごす日本の地方と世界中から多種多様な人材が集まるシリコンバレーで、どちらがイノベーションが生まれやすいか、改めて言うまでもないでしょう。 第3に、地方の衰退に拍車をかけます。地方の企業は、地元で暮らす消費者の消費需要、地元で働く労働者の労働供給を見込めるので、あまり経営努力しなくても商品が売れ、労働者を確保することができます。 そのため、短期的には企業経営が安定しますが、競争して腕を磨くことがないので、競争力が高まりません。競争に敗れて淘汰されることも少ないので、地方では競争力のないゾンビ企業ばかりが残り、長期的には経済が衰退してしまうのです。 コロナの影響で地元志向が強まるのは、致し方ありません。ただ、経済への悪影響を考えると、これを一時的な現象にとどめて、活発に人材が交流する社会を取り戻したいところです。 政府には、進学や就職・転職において、地域間の移動を容易にするような政策や支援が期待されます。今回取材した首都圏の大学の関係者は、地方出身者への奨学金や家賃補助の拡充を訴えていました。 企業も、全国・全世界から多様な人材を集めて、イノベーションを推進したいところです。さいわい、多くのライバル企業が採用に消極的になっている現在は、優秀な人材を獲得するチャンスです』、「人的資源の最適配分」、はともかく、「イノベーション(革新)が生まれません」、「「地方では競争力のないゾンビ企業ばかりが残り、長期的には経済が衰退してしまう」、には違和感がある。地方に優秀な人間が残ることで、地方で「イノベーションが生まれ」、活性化する効果もある筈だ。
・『地元の「居心地の良さ」が危ない  ここで問題になるのが、働く人の意識です。最近の各種アンケートによると、ビジネスパーソンの半数以上がテレワークの継続を希望しています。私の取材でも、地元中心の新しい生活を肯定的に捉える声をたくさん耳にしました。 「通勤がなく、朝ゆっくり散歩したら、景色・町並みなどいろんな発見があった。幼馴染とも30年ぶりに再会することができた。地域とのつながりもできて、改めて地元のことが好きになった」(40代、建設) 「今回、地元中心の生活になって、会社と家を往復するだけの以前の生活が馬鹿馬鹿しく思えてきた。コロナのおかげと言うと不謹慎だが、人間らしい心の豊かさを実感することできて満足している」(30代、IT) サケ・マスの回帰本能ではありませんが、地元愛は人間という動物にとって自然な感情です。どこに住んでどういう生活をするかは、個人の自由です。したがって、人々の地元で暮らすという選択を否定することはできません。 しかし、地元志向は、長期的には経済の衰退を招き、ただでさえ厳しさが増している日本人の生活をますます困難なものにします。 短期的な心の豊かさと長期的な物質的豊かさのトレードオフ(二律背反)にどう折り合いをつけるべきでしょうか。コロナという未曽有の危機に直面し、いま政治・企業・国民には重大な課題が突き付けられているのです』、「地元の「居心地の良さ」が危ない」のは事実だが、前述の通り「地元愛」が地元産業のイノベーション、活性化を生み出す可能性もある筈だ。今後の展開を注目したい。
タグ:「地元愛」が地元産業のイノベーション、活性化を生み出す可能性もある筈 地元の「居心地の良さ」が危ない 地方に優秀な人間が残ることで、地方で「イノベーションが生まれ」、活性化する効果もある筈だ 地方では競争力のないゾンビ企業ばかりが残り、長期的には経済が衰退してしまう 第3に、地方の衰退に拍車をかけます 第2に、イノベーション(革新)が生まれません 第1に、人的資源の最適配分が実現しません 地元志向の3つの弊害 東大・早稲田・慶応といった全国的に知名度の高い大学も、もはや「首都圏の地方大学」になっている コロナで強まる「地元志向」 「地元志向」が強まっています 「「地元志向の若者増加」を手放しで喜べない事情 「心の豊かさ」と「経済的繁栄」どちらを取る?」 日沖 健 既存の公共資産を活用して、宿泊、飲食、アクティビティが行えるように整備することに投資するのです。 そして、そこでは熱心に事業に取り組む民間事業者から、自治体がリーゾナブルな占用料をとるようなことを模索すべきなのです。こうした一連の流れをつくれば、「交付金を配って、それを一過性のイベントで使って終わり」ではなく、お金は継続的に地域の稼ぎとなり、自治体にも歳入をもたらします 地方が独自に稼ぎ、リターンを地元に投資し続る仕組み 結局、さらに「東京集中」が進んだ 「名ばかり総合戦略」が自治体に納品 地方は8割外注、うち半分を「東京のコンサル」が受注 新型コロナウイルス感染症対応地方創生臨時交付金 「地方の3兆円を狙う「ハイエナコンサルタント」 「せっかくのお金」を絶対に渡してはいけない」 木下 斉 東洋経済オンライン 自治」の原則をかなぐり捨てて、直截な手段まで考えているようだ 病床削減が遅れている地域に対し、国の職員を派遣する案も取り沙汰されている 6――おわりに~国の統制は今後も強まる?~ 国は「統治」の視点で費用抑制の責任を自治体に持たせる反面、補助金の分配を通じて影響力を行使することで、自治体の行動を費用抑制に誘導しようとしている 5――分権化と同時に、集権化が進む逆 自治体レベルでの費用抑制を図るという「統治」の観点で制度改正を進めている国と、費用が増える医療・介護分野の役割拡大を嫌う自治体の「自治」(ワガママ?)の相克と言える 4――地方が望まない分野で分権が進む逆説 3|分権化の背景にある「自治」と「統治」の側面 「保険者機能強化推進交付金」(200億円)が2018年度予算で創設 2|介護行政~予防を中心に市町村の役割強化の傾向が鮮明に~ 受益と負担を国より身近な「都道府県」にすることは、「都道府県」ごとの人口構成の違いによる「受益と負担」の不均衡を固定する 1|医療行政~「都道府県化」の傾向が顕著に~ 3――医療・介護の国・地方関係における20年間の変化 2――地方分権改革の概要 「分権化と同時に、集権化が進む」という逆説的な傾向 1――はじめに~医療・介護の国・地方関係を巡る2つの逆説を節目の年に考える~ 「医療と介護の国・地方関係を巡る2つの逆説-分権改革20年の節目の年に」 三原 岳 BROGOS (その8)(医療と介護の国・地方関係を巡る2つの逆説-分権改革20年の節目の年に、地方の3兆円を狙う「ハイエナコンサルタント」 「せっかくのお金」を絶対に渡してはいけない、「地元志向の若者増加」を手放しで喜べない事情 「心の豊かさ」と「経済的繁栄」どちらを取る?) 地方創生政策
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メディア(その23)(産経・フジ「世論調査不正」が投げかけたもの マスコミ電話世論調査は本当に信頼できるか、BBCの英首相会見で痛感 日本メディアの情けなさ 欧米の健全なジャーナリズムが羨ましい それに引き換え日本は、小田嶋氏:スポーツ新聞を憂う) [メディア]

メディアについては、6月10日に取上げた。今日は、(その23)(産経・フジ「世論調査不正」が投げかけたもの マスコミ電話世論調査は本当に信頼できるか、BBCの英首相会見で痛感 日本メディアの情けなさ 欧米の健全なジャーナリズムが羨ましい それに引き換え日本は、小田嶋氏:スポーツ新聞を憂う)である。

先ずは、7月21日付け東洋経済オンラインが掲載した東洋大学教授の薬師寺 克行氏による「産経・フジ「世論調査不正」が投げかけたもの マスコミ電話世論調査は本当に信頼できるか」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/364194
・『産経新聞とFNN(フジテレビ系28局によるニュースネットワーク)が合同で実施していた電話による世論調査の不正が発覚して1カ月余り経つ。この問題を大きく取り上げるマスコミもないまま、不正はすでに忘れ去られつつある。 2000年代に入ってマスコミの間で広く実施されている電話による世論調査は以前から専門家の間からさまざまな問題点が指摘されており、今回の不正はその一端を示したにすぎない。両社は不正が行われた理由を「オペレーターの人集めが難しかった」などと説明しているが、詳細は解明されないまま、世論調査自体を打ち切っている。 同じような電話世論調査を行っている他のマスコミにとっても他人事ではないはずだが、自分のところは不正防止策を講じており、問題ないという立場を報じるだけで、電話調査が持っている構造的問題には踏み込もうとしていない。電話による世論調査が本当に国民の意見の縮図を正確に示すものなのか。国民の意見を科学的に正確にくみ取ることのできる調査と言えるのか。今回の不正問題を機に、いくつかの疑問点を示してみたい』、「他のマスコミ」が黙殺しているのは、武士の情けというよりも、自分たちも同様の問題を抱えているためでは、と勘繰りたくもなる。
・『面接方式と手順が異なる電話調査  以前の世論調査は、自治体の選挙人名簿から無作為に抽出された対象者の自宅を調査員が訪問して回答を聞き取る「面接方式」が主流だった。回答者の全体を全国の有権者の縮図とするため、対象者の抽出は年齢や性別、地域などに偏りが生じないよう厳密に行われていた。 一方、現在、広く行われている電話調査の手順は面接方式とはまったく異なる。朝日新聞や日経新聞などが公表している手順の概要によると、多くの電話調査は固定電話と携帯電話の両方を使って実施される。固定電話と携帯電話で実際に使用されている局番を使って無作為に1万3000~1万4000件を選び、その中から実際に使われている番号、約5000件を自動判定システムで選ぶ。 オペレーターはこの番号に電話をし、個人が契約している電話と判明したら、電話に出た相手に調査を依頼する。過去の経験では、このうち約2000件が個人が契約している電話だという。新聞社やテレビ局によって異なるが、900~1000件程度の回答を目標としているケースが多い。 固定電話の場合、個人の電話とわかり、調査に協力してもらえるとなったら、家族の中の有権者数を聞き、ランダムに「年齢が上から〇人目の方」と調査対象者を決め、その人に回答してもらう。電話に出る人に回答を求めると、在宅の可能性が高い女性や高齢者に回答者が偏ってしまうためだ。携帯電話の場合も、出た人に個人のものであることを確認して協力を求める。 以上のような電話調査をRDD(Random Digit Dialing)方式などと呼んでいる。) 当然、いくつかの疑問がわいてくる。 かつて主流だった面接調査が電話調査にとって代わられた理由の1つが回答率の低下だった。筆者も経験がある1980年代の面接調査は、多くの学生アルバイトを雇い、市役所などに行って選挙人名簿を閲覧し、本社に指定された地域や性別などの条件を満たす有権者を無作為に抽出する作業から始めた。 当時は回答率80%が目標で、70%台を割るようなことがあると社内で問題になることもあった。調査結果の精度を高めるために回答率は最も重要視されていたが、回答率は年々、低下の一途をたどっていった』、「電話調査の手順は面接方式とはまったく異なる」、初めて知った。「面接方式」は「回答率の低下」で、「電話調査」が主流になったのはやむを得ないのだろう。
・『新聞社によって異なる回答率  これに対し電話調査は、いくら回答を拒否されても次の回答者を見つけ、とにかく調査実施時間内にサンプル数が目標にたどり着けばいいようだ。従って、どのくらいの人に拒否されたかがわかる回答率は面接調査ほど重視されていない。 世論調査で最も重要なことは、回答者が母集団(マスコミの世論調査の場合の多くは全国の有権者)をきちんと代表しているか、母集団の縮図となっているかという点である。サンプル数がいくら多くても、特定の階層などに偏った調査結果を国民の声であるとは言えない。 電話調査における回答率の分母は、調査対象となった電話番号のうち個人の電話と判明した数字で、分子はその中の回答数になる。しかし、オペレーターに「この電話は個人のものか企業などのものか」と聞かれ、世論調査に答えたくない人はそれが個人の電話であっても「会社のものです」と答えるかもしれない。それは事実上の回答拒否であり、本来なら分母に含まれるべきだが、そうなってはいない。 さらに各社の調査結果を見ると、電話調査の回答率は新聞社などによって大きく異なっており、中には回答率を記していない記事もある。回答率はもはや眼中にないのかもしれない。 そして、一定の回答数に達するまで次々と新しい回答者に電話をするという手法にも問題があるように思える。このやり方だと積極的に応じる人の回答が必然的に多くなり、その結果、調査結果が偏る可能性がある。 世論調査の世界では1936年のアメリカ大統領選でのジョージ・ギャラップ氏の成功は有名な話となっている。 当時は「リテラリーダイジェスト」という総合雑誌社の世論調査が圧倒的に有名で、かつ信頼されていた。この大統領選でも購読者、自動車保有者などを対象に200万人の回答を得る大規模な調査を実施し、フランクリン・ルーズベルト大統領の再選はないと予測した。 一方、新参者のギャラップ氏は、収入や居住地、性別などを偏りのないようアメリカ全体の比率に合わせて抽出し(この方法を「割り当て法」と呼ぶ)、わずか3000のサンプルでルーズベルトの再選を予想した。結果はルーズベルトの勝利で、ギャラップ氏は一躍有名になった』、「ギャラップ氏」は「世論調査」にイノベーションを生み出したようだ。
・『母集団の縮図をきちんと反映しているのか  ところが、そのギャラップ氏は1948年の大統領選でトルーマン候補の当選を外すという失敗をしている。調査方法は同じ割り当て法だったが、調査員が割り当てられた属性の対象者を見つける際、回答を得やすそうな人を主観的に選ぶなどしたため、結果に偏りが生まれてしまったのだ。この失敗から、調査員の主観を排除する「無作為抽出法」が生み出されることになった。 現在の電話調査も無作為抽出の形はとっている。しかし、調査対象は事実上無制限にあり、目標の回答数が得られるまで新たな調査対象に電話をかけることが可能となっている。逆に言えば、目標数に達した段階で調査が終了となる。これで母集団の縮図がきちんと反映していると言えるのだろうか。 疑問点はほかにもある。最近の電話調査は固定電話と携帯電話の両方を同時に行う「デュアルフレーム方式」の調査が広がっているが、両者のサンプル数の比率は会社によってまちまちである。母集団を正確に反映する比率をどう考えればいいのであろうか。 回答数が少ない世代について、各メディアはその数字を人口比に合わせて補正し、全体の数字に加算している。例えば20代の回答数が人口比に比べ極端に少ない場合、人口比に合わせて大きな回答数に増やす。しかし、少ない回答はその世代の縮図になっているのかも疑問であり、単純な補正が結果をより正確にしているかどうかはわからない。 国民の生活様式やプライバシーについての考え方が変化し、回答率の低下から新しい方法を取り入れざるをえなくなっている事情は理解できる。電話調査については科学的側面だけでなく、経験も積み重ね、国民の声をうまく引き出していると証明されているようだ。 しかし、現代における世論調査が持つ問題点は、その技術的側面もさることながら、メディアの対応にも問題があるように思う。 電話調査が急速に普及した理由は、回答率の低下という問題のほかに、その簡便さがある。全国を対象とする面接調査は、質問・回答用紙の作成や印刷に始まり、多くの調査員の募集や教育など膨大な手間と時間がかかる。費用は億単位にのぼる。 これに対して電話調査は、準備は簡単で時間がかからないうえ、コストも格段に少なくて済む。何か大きな問題があったときに、臨機応変に新聞紙面を飾る材料を作るための調査が実施できる』、「現在の電話調査も無作為抽出の形はとっている」が、残された問題点も少なくないようだ。
・『重視される世論調査の速報性  ただし、電話を使っての調査ゆえに、複雑な問題などについてじっくりと考えてもらって回答を得ることは難しい。質問数にも内容にも限界があるのだ。 また一定の回答数を集めなければならない。回答者の中には「政治のことはわからない」という人もいる。すると、「そういう人の声も含めて世論ですから、わからないというのも立派な答えです」と意味不明の言葉で回答を促しているという。一部の専門家が厳しく指摘しているように、こうなると世論調査とは言いにくくなり、世論の名を借りた「反応調査」、あるいは「感情調査」でしかない。 鳩山由紀夫首相が退陣して菅直人氏が後継首相になり、政治が大きく揺れた2010年。主要な新聞、テレビ局が実施した世論調査は年間230回を超えた。そこまでではないだろうが、近年は以前に比べると世論調査の頻度は増えている。そこで重視されているのが世論調査の速報性だ。 「Go Toトラベル」事業をめぐって東京を除外して始めるなど政府の対応が右往左往すると、一部の新聞は即日、電話による世論調査を実施した。組閣や内閣改造で新閣僚が就任の記者会見をやっている最中に世論調査をスタートさせることも今では当たり前となっている。 世論調査というのは各メディアが自主的に行う調査であり、その記事は一般的なニュースとは本質的に異なる性格のものである。にもかかわらず、一般のニュースと同じように速報性を競うのはなぜなのか。その結果、回答者の感情や反応が集積された数字が独り歩きし、政治の世界に影響を与えることもある。中には社説の主張の根拠に使っているケースもみられる。 電話調査による結果が有権者全体の縮図となっていることが構造的に疑わしいにもかかわらず、世論調査結果の数字があたかも「民意」であるかのように扱う昨今の風潮は、残念ながらマスコミ自身が作り上げたものである。 一方で産経新聞とFNNの起こした世論調査の不正問題が示すように、世論調査には構造問題が存在している。感情や反応を集めただけの数字が政治や社会に過剰な影響を与えることのないよう、マスコミや世論調査の意味について見直すべきであろう』、「電話調査による結果が有権者全体の縮図となっていることが構造的に疑わしいにもかかわらず、世論調査結果の数字があたかも「民意」であるかのように扱う昨今の風潮は、残念ながらマスコミ自身が作り上げたものである」、「世論調査には構造問題が存在している。感情や反応を集めただけの数字が政治や社会に過剰な影響を与えることのないよう、マスコミや世論調査の意味について見直すべき」、「世論調査の意味」を改めて考えさせるいい記事であった。

次に、7月28日付けJBPressが掲載した在英作家の黒木 亮氏による「BBCの英首相会見で痛感、日本メディアの情けなさ 欧米の健全なジャーナリズムが羨ましい、それに引き換え日本は」を紹介しよう。
https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/61461
・『日本の大手メディア(新聞、テレビ)が政治家の疑惑追及に消極的なのは、国民が常々不満に思っていることである。政府・安倍首相の森友・加計問題、桜を見る会疑惑、小池都知事の学歴詐称疑惑などが、メディアのこうした姿勢のために、今も野放し状態だ。メディアの機能不全は、民主主義の根幹にもかかわる重大な問題である。 筆者は英国に住んで32年になるが、欧米メディアの政治家に対する妥協のない報道姿勢を見るにつけ、日本のメディアの根本的改革の必要性を痛感させられる。 7月24日の英国の公共メディアBBCによるボリス・ジョンソン首相の単独インタビュー(https://www.youtube.com/watch?v=3rm45jiPrdw)もそうした思いをあらためて強くするものだった』、「日本の大手メディア・・・が政治家の疑惑追及に消極的なのは、国民が常々不満に思っていることである」、全く同感だ。
・『首相とのサシのインタビューでコロナ対策を追及する記者  首相をインタビューしたのは、ポリティカル・エディター(政治部長的職位)のローラ・キューエンスバーグ氏(女性)。 13分半のインタビューの冒頭は、「新型コロナ問題に関して、あなたは何を間違えたと思いますか?」という質問で始まっている。 これに対して首相は「政府は最初の2、3週間ないしは2、3カ月、新型コロナのことを十分に理解していなかったと思う。特に無症状でうつるという点に関して」と認めた。これは「政府は適切な時期に適切な対策をとってきた」という従来の姿勢からの転換だった。 キューエンスバーグ氏が「理解が十分でなかったので、対策が遅かったということですね?」と問うと、首相は「人々が求めているのは次の段階の準備のために今何をするかだ。過去のことではない」と話題を変えようとした。 キューエンスバーグ氏は「人々は何が起きたか知りたがっている。4万5000人が亡くなっているのですよ。何が間違いだったと思いますか?」と反論し、「新型コロナのことを当初は十分に理解できなかったというのはよく分かります。しかし、あなたは最初から事態を十分真剣に受け取りましたか? 3月3、5、7、9日、あなたは人々と握手をしていますね。しかし、その時点で政府はそういうことをするなと人々にアドバイスをしていました」とたたみかける。 首相は「いや、それは当時の政府のアドバイスではない」と逃げようとしたが、キューエンスバーグ氏は「政府は3月3日にそうアドバイスしています」と指摘する。 この後も「大事なことは今後について話すことだ」と言う首相と、「そのためにこそ、何が間違いだったかを明らかにすべきだ。ロックダウンはtoo lateだったと後悔していないか?」と言うキューエンスバーグ氏の応酬が繰り返される。 苛立った首相は「あなたはインクワイアリー(第三者調査)をしようとしている」と不満を口にするが、キューエンスバーグ氏「政府は当初、集会も禁じなかったし、マスク着用も推奨しなかったし、地域における検査も実施しなかった。今後は速やかに対策を実行できるのか?」と譲らない。) インタビュー半ばで高齢者介護施設への対応が話題となり、首相が介護施設に対する政府の種々の施策を説明し、キューエンスバーグ氏は「今後は従来とは違う(きちんとできる)ということですね?」と念を押している。 その後、キューエンスバーグ氏が「(首相が新型コロナに感染したとき)死ぬと思いましたか?」と訊き、これは答えやすい質問だったせいか、首相の顏をごく一瞬笑みがよぎり、「自分自身もそうだが、太り過ぎが英国の問題の一つだ」と、結構長く喋った(首相は、健康に悪い食品のオンライン広告を禁止する等の太りすぎ対策を近々発表する予定)。 終わりのほうに、「今、あなたの優先課題は何ですか?」と訊かれ、首相は新型コロナに限らずこれまで取り組んできた様々な国家的施策とともに、新型コロナによる不況対策、脱炭素化社会など、今後の目標も列挙した。ここは演説的だったが、首相の考えを視聴者も聞きたいだろうと思ったのか、キューエンスバーグ氏は遮らず、これでインタビューを終えている』、「冒頭は、「新型コロナ問題に関して、あなたは何を間違えたと思いますか?」という質問」、日本では考えられないような厳しい質問だ。 逃げようとしても質問をたたみかけるなど、これぞ本物のインタビューだ。日本のように安部首相の大本営発表的なインタビューとは大違いだ。
・『訊くべきことを訊く記者、ごまかさず懸命に答える首相  この動画を観ると、英語が分からない人でも、両者が対等に話し合い、互いに言うべきことは言い、訊くべきことは訊き、首相もごまかさずに懸命に答えているのが分かるはずだ(それ以外にも、意見が対立したときの典型的な英国人の議論の仕方や、片手の拳を使って意思を表現するジョンソン首相の一風変わった話し方も見られて面白い)。 なお英国の新型コロナ対策は、3月23日に法的強制力のあるロックダウンに踏み切り(違反すると最高で960ポンドの罰金)、同25日には新型コロナ関連法案である「2020年コロナウイルス法」が制定された。 日本の「お願いベース」とは違う強制力のある政策で、4月には毎日5000人ほどいた新規の感染者数は、現在700人前後まで減り、日々の死者数は1000人前後から100人以下になった。PCR検査数は毎日10~15万件と、日本の10倍程度が実施されている。 経済対策も矢継ぎ早に実施しており、筆者のところにも政府からコロナで影響を受けた自営業者に対する補償の案内が届いた(日本のような金のバラまきはない)』、確かに「訊くべきことを訊く記者、ごまかさず懸命に答える首相」、真剣勝負のやり取りなので、動画は観ていて面白い。
・『記者クラブに安住し訊きやすいことだけ訊いているのだから読者離れも必然か  話は戻って、英国では政治家が厳しい説明責任を負っていることは、一般人と政治家の討論会などを見ていても分かる。以前、トニー・ブレア首相がテレビ番組で、一般の参加者から「英国が核兵器を持っているのは、核廃絶の流れに反しているじゃないか」ともっともな指摘をされ、「いや、我々は戦争目的では核を使用しないのです」と、若干苦しい言い訳を必死の形相でしていたのを観たことがある。 2003年のイラク戦争に関しては、日本のNHKに類似した公共メディアのBBCが、45分以内に配備できる大量破壊兵器をイラクが保持しているという確かな情報を政府が持たないまま、イラク攻撃に踏み切ったとすっぱ抜き、政府と大激論になった。このときは、「タイムズ」や「ガーディアン」などの全国紙も、事件を連日大きく報道した。 ところが日本の政治家の記者会見やインタビューでは、政治家が訊かれたくない質問をするのは、記者クラブに属していないメディアの記者やフリーの記者だけと言っても過言ではない。記者クラブに所属している大手メディアのサラリーマン記者は、政治家のご機嫌を取り、時々、政治家からちょっとした情報をもらえれば、バッテンも付かず、結構な給料ももらえるという居心地のよい地位に安住し、真実を追求し、権力の暴走を阻止するという最も重要な役割を放棄している。 そうした態度は政治家につけ込まれる原因にもなる。石井妙子著『女帝 小池百合子』には、小池都知事が、自分を好意的に報じるメディアに優先的に情報を与えて、他社に恥をかかせ、自分に否定的な報道ができないようコントロールしていることが書かれている。学校の授業で、「新聞は社会の木鐸(ぼくたく)」と習ったが、日本ではまったく絵に描いた餅に終わっているのである。 ただし、大手のメディアでも例外はある。東京新聞の望月衣塑子記者は、内閣官房長官の会見で、加計学園問題やジャーナリスト伊藤詩織さんの加害者に対する逮捕状の問題などに関し、積極的な質問を繰り返したし、かつてNHKの「クローズアップ現代」では国谷裕子キャスターが、当時の石原慎太郎都知事に新銀行東京の問題について突っ込んだ質問をし、石原氏が不機嫌になっても、追及の手を緩めなかった。 最近では、小池氏が都知事に再選された直後に、テレビ東京系の報道番組などで池上彰氏が「コロナ対策で連日記者会見をしたのが結果的に選挙運動になったのではないか?」「東京でコロナ感染者が4日連続で100人を超えているが、知事としての責任をどう考えているか?」「新しいモニタリング指標を作成したのは、選挙期間中に新たに休業要請を出したくなかったからではないか?」「『女帝 小池百合子』を読んだか?」「4年間の任期を全うするのか?」といった質問をずばずばとした。 このように日本のメディアでもやろうと思えば、やれるのである。できていない原因の一つは、すでに述べた記者クラブ所属の大手メディアの「小サラリーマン的」な姿勢である。 日本の政治家は、厳しい質問に対して、ごまかしたりはぐらかしたりするので、その手の質問をしても話が噛み合わず、字(記事)になりにくい。真実を追求するより、「字になる」小ネタを聞き出すことに熱心な大手メディアの記者たちの中には、望月記者やフリーの記者の態度を冷笑する者も少なくない。これに対して、欧米のメディアは「字にならない」質問を何人もの記者が繰り出すことによって、政治家に非を認めさせ、権力の暴走を阻止する。EBRD(欧州復興開発銀行)の経費を濫用し、恣意的な運営を行っていた同行総裁ジャック・アタリを1993年に辞任に追い込んだのは、英仏を中心とするメディアの追及だった。 1974年に「文藝春秋」誌に『田中角栄研究―その金脈と人脈』を発表し、田中首相を退陣に追い込んだジャーナリストの立花隆氏は近著『知の旅は終わらない』の中で、記事を発表したとき、真っ先に駆け付けたのは「ワシントン・ポスト」や「ニューズウィーク」など外国メディアで、日本の新聞記者の多くは「あんなことはオレたちは前からみんな知っていたんだ」とうそぶくだけだったと書いている。 大手メディアの記者の中にも、能力があり、やる気のある記者はかなりいる。彼らが力を発揮できていないのは、第一にメディアの経営者の問題であり、第二に取材や記事の方向性を決める現場のデスクの問題である。もう一つ指摘したいのは、そうした消極的なメディア文化の温床になり、政治家との癒着の原因にもなる記者クラブの存在だ。こういうものは解散するか、少なくとも会見での質問者は政治家が指名するのではなく、クラブに所属していないメディアやフリーの記者を含め、くじ引きか順番制にすべきだろう。 最近は、新聞の発行部数が減り、テレビも視聴率が下がって斜陽産業だという嘆きをよく耳にする。しかし、それは国民が知りたいことを伝える努力をしていないことも一因だ。メディア各社は、望月記者やフリーランスの記者を冷笑するような自分たちの姿勢が、権力者をつけ上がらせ、読者からの信頼も失わせ、自分たちの価値を下げていることを認識すべきである。 6月15日には一般の商店が、7月4日には、レストラン、パブ、理髪店、映画館などの営業再開が認められた。 バスや地下鉄内では、マスク着用が義務付けられ(時々守っていない人を見かける)、商店の中でもマスクを着用しないと、最大で100ポンドの罰金が科される。政府はこの冬にインフルエンザが流行して病院の新型コロナへの対応能力を圧迫しないよう、インフルエンザワクチンの接種を50歳以上の人などに無料で行う。BBCのキューエンスバーグ氏も首相とのインタビューの中で認めているが、前例がない難しさがあるのは事実で、そうした中では、今のところ、そこそこ手堅い対策を打ってきたのではないかという印象である』、「記者クラブに所属している大手メディアのサラリーマン記者は、政治家のご機嫌を取り、時々、政治家からちょっとした情報をもらえれば、バッテンも付かず、結構な給料ももらえるという居心地のよい地位に安住し、真実を追求し、権力の暴走を阻止するという最も重要な役割を放棄している。そうした態度は政治家につけ込まれる原因にもなる」、「メディア各社は、望月記者やフリーランスの記者を冷笑するような自分たちの姿勢が、権力者をつけ上がらせ、読者からの信頼も失わせ、自分たちの価値を下げていることを認識すべきである」、説得力溢れる主張で、全く同感である。

第三に、6月12日付け日経ビジネスオンラインが掲載したコラムニストの小田嶋 隆氏による「スポーツ新聞を憂う」を紹介しよう。
https://business.nikkei.com/atcl/seminar/19/00116/00074/?P=1
・『新型コロナウイルス関連の話題には、できれば触れたくないと思っている。 にもかかわらず、気がつくと自分からコロナの話をはじめている。私は、メンタルをやられているのかもしれない。 「コロナ神経症」という病名が、すでに存在しているものなのか確かなところは知らないのだが、でも、自分がそれに罹患しているかもしれないということは、なんとなくわかる。私は正常にものを考え続けることができない。とてもつらい。 世間の人々は、いったいどうやってこのバカげた騒動に耐えているのだろう。不思議でならない。私は、限界だ。とにかく、コロナという言葉は二度と聞きたくない、と、日々、そう思いながら、毎日コロナの話をしている。 多くの人々が、毎日のように同じ話を繰り返している。 テレビ画面に出てくるMCは、この3月以来、何千回というオーダーで告知してきた同じ注意事項や基礎知識を、今朝もまたリピートしている。 「とにかく3つの密を避けることが大切ですね」「ここで気の緩みが出ないように」「マスクは感染防止の決め手にはなりませんが、飛沫の拡散を防ぐためには一定の効果を発揮します」  専門家としてスタジオに招かれているデクノボウの皆さんも、この種の耳タコの常套句を、さも重大な情報を分かち与えるかの体で開陳して恥じない。 「感染者の唾液などの飛沫がウイルスを拡散するわけですが、たとえば通勤電車の手すりやエレベーターのボタンなどに付着したウイルスを触った指で……」 うるせえその話は300回聞いたぞ、と、そう叫び出して液晶画面を破壊せずに済ませることのできる視聴者が、どうして、この国にはこんなにたくさん暮らしているのだろうか。私にはそれが不思議でならない。 そんなこんなで、震災からこっち、ろくに見なくなっていたテレビ放送の中で、ただ二つの例外として、日常的なチェックの対象にしていたスポーツ中継とニュース番組の視聴からも、結局、撤退することになった。 スポーツ関連は、なにしろ競技自体が開催中止に追い込まれている。それゆえ、中継放送が成立していない。テレビ各局は、古いコンテンツの再放送で急場をしのいでいるのだが、いかんせん、その種のレガシー動画のありがたみは、この5年ほどの間にすっかり色あせてしまった。 というのも、その種の「歴史的名勝負」タイプの動画は、ネット内をひとまわりすれば、いくらでも発掘可能だからだ。個人的な好みを申し上げるなら、私は、たとえば同じ「サッカー日本代表・栄光の足跡」でも、テレビ局が下賜してくれる高画質の番組映像よりは、ネット経由であれこれ見比べる動画群の方が好きだ。理由は、随時早送り&一時停止可能な断片として供与されているネット動画の手軽さを愛するからなのだが、それ以上に、もったいぶった有識者の演説やスタジオゲストの軽佻なしゃべりを含まない、YouTubeのスポーツ動画の簡明さに慣れてしまったからだ。 ということはつまり、テレビ局の人間たちが「番組」の仕上げとして練り上げている「味付け」の部分は、スポーツ愛好家たるオダジマにとっては、まるごと邪魔だったということだ。ファンは、試合映像だけ提供してもらえれば十分だと思っている。このことはつまり、あんたたちがコース料理に仕上げるためにゴテゴテと付け加えていた前菜だのスープだのアペリティフだのは、鬱陶しいだけだったということでもある。 ニュース番組を見なくなった理由は、あえて説明するまでもない』、「デクノボウの皆さんも、この種の耳タコの常套句を、さも重大な情報を分かち与えるかの体で開陳して恥じない・・・うるせえその話は300回聞いたぞ、と、そう叫び出して液晶画面を破壊せずに済ませることのできる視聴者が、どうして、この国にはこんなにたくさん暮らしているのだろうか。私にはそれが不思議でならない」、「テレビ局の人間たちが「番組」の仕上げとして練り上げている「味付け」の部分は、スポーツ愛好家たるオダジマにとっては、まるごと邪魔だったということだ」、同感である。
・『2020年のテレビは、つまるところ、1945年の新聞とそんなに変わらない制作物だと思う。10年後に振り返ってみればわかるはずだ。いずれも、国策標語(「進め一億火の玉だ」であるとか「3密を避けましょう」だとか)と大本営発表の部分を取り除くと、ほとんど中身は残らない。大量生産のゴミだ。 そんな中、つい昨日(つまり、6月10日の水曜日)、さるお笑い芸人の不倫を暴いたゴシップのニュースが、しばらくぶりに昼の時間帯の液晶画面を席巻したらしい。 でもって、それらを見たツイッタラー諸氏が、異口同音に 「やっと日常が帰ってきた」 という旨のツイートを投稿した。 私は、視点の独自さをアピールせんとするアカウントたちが、結果的にほとんど同じ内容のツイートを同時発信する結果に立ち至っているSNSの末期症状を眺めながら、コロナ禍の傷の深さに感じ入っていた。 コロナのせいで死んだのは、テレビだけではない。 新聞も雑誌も、果ては個人発信のSNSまでもが俗悪な集団舞踏と化している。 とりわけ、ジャンルとしての生存が危ぶまれるレベルで劣化しているのが、スポーツ新聞だ。 今回は、スポーツ新聞の話をする。 私にとっては、高校生だった時分から、最も深く愛読し、愛着をいだき続けてきたメディアでもある。 そのスポーツ紙が死のうとしている。なんともさびしいことではないか。 スポーツ新聞は、スポーツや芸能まわりの記録とゴシップを丹念に収集しつつ、一般の新聞が扱わない下世話なネタを直截な文体で伝える、良い意味でも悪い意味でも男らしいメディアだった。だからこそ、時代を代表する突発的な名文は、むしろ、全国紙よりもスポーツ紙の紙面に載ることが多かった。そういう意味で、個人的には、スポーツ新聞こそが20世紀を代表する媒体だったのではなかろうかと思っている。 その、スポーツ紙が、コロナ騒動からこっち、ひどいことになっている。 事情は、わからないでもない。 なにしろ、生命線であるプロ野球が、開幕していない。 Jリーグも開幕直後に中断して、いまだに再開していない。 夏の甲子園も中止が決まってしまった。ということは、各地でおこなわれるはずだった県大会も開催されない。 大相撲も、バスケットボールも、ラグビーも、ゴルフも、その他、新聞の記事になりそうな競技はほとんどすべて中断したままだ。 こんな状況で、例年通りのマトモな紙面を作れようはずがないではないか。 と、ここのところまではわかる。 とはいえ、そこのところの事情を最大限に汲んでさしあげるのだとしても、いくらなんでもこの3ヶ月ほどの現状は、あまりにもひどい。 主たる取材源である競技スポーツのスタジアムと、リーグ戦のタイムテーブルを失ったスポーツ紙が、紙面を埋めるための当面のネタ元として白羽の矢を立てたのが、テレビとツイッターであったという事実は、突然の在宅勤務で時間のツブしように困った勤め人諸氏の立ち回り先が、結局のところバカなテレビとSNSの中にしかなかったという現実に、ピタリと一致している点で、いたしかたのないなりゆきであるのだろうとは思うものの、その内容は、やはり、いくらなんでもあんまりひどすぎる』、「コロナのせいで死んだのは、テレビだけではない。 新聞も雑誌も、果ては個人発信のSNSまでもが俗悪な集団舞踏と化している。とりわけ、ジャンルとしての生存が危ぶまれるレベルで劣化しているのが、スポーツ新聞だ』、「スポーツ新聞」は購読してないが、どういうことなのだろう。
・『1.「テレビのバラエティー番組で、どこだかの芸人がこんなことを言って、それを聞いたタレントの誰某がこんな返事をして笑いを誘ったよ」式の、番組内のトークを書き起こしただけのコピペ記事 2.ツイッター論客の◯◯さんが、自身のツイッターで「〇〇は◯◯だ!」と、自説を開陳したよ。という、これまた個人のツイッター投稿をそのままコピペしただけのRT拡散記事  といったあたりが、ご覧の通り、この春以来、大量出稿されているゴミ記事の実相だ。 品質は、はっきり申し上げて「素人のブログ以下」だ。 じっさい、ちょっと気のきいたブロガーなら、同じテレビ番組の感想を書き起こすにしても、もう少しうがった文章を書く。というよりも、個人名で発信するブログの世界では、こんな恥ずかしいレベルのエントリーは、無料執筆者のプライドからして自分でボツにする。 こんな恥ずかしい文章は、カネになるのならまだしも、とてもではないが、タダではヒトサマに読ませるわけにはいかない。当たり前だ。それが文章を書く人間の最低限の矜持というものだ。 さて、この種のコピペ書き起こし記事のネタ元になる「芸人」や「論客」には、結果として、ある「偏向」が介在する。 どういうことなのかというと、以下の特徴を備えた人物の発言が、記事になりやすいということだ。 a.ネット内に信奉者の多いお笑い芸人 b.これまでに多数の炎上歴を持っている揮発性の高いツイッター論客 具体的な名前を挙げるのなら、松本人志氏、ほんこん氏、つるの剛士氏、百田尚樹氏、高須克弥氏、橋下徹氏、吉村洋文大阪府知事、東国原英夫氏といったあたりの面々になる。 こういう人たちの言葉を顔写真付きの記事にしてウェブ上にアップすると、一定数のページビューが見込めるわけだ。 「信者」と呼ばれる人々は、言説の内容にではなく、発言者の「顔」や「名前」に惹かれて群れ集まる性質を備えている。 ということは、その種の「信者」をかかえている以上、特定の「偏向」なり「教祖的熱狂」なりに殉じている人物だということでもある。 実のところ、スポーツ各紙が、これらのタレント論客の発言を無批判に拡散する記事を定期的に配信しはじめたのは、昨日今日の話ではない。 ツイッターならびにテレビ番組コピペ記事は、もう10年以上も前から続いているスポーツ紙編集部の収益源のひとつだった。というのも、駅売りと宅配の部数が長期低落傾向で推移する中、広告収入の点でも型通りの低迷を続けているスポーツ紙にとって、ウェブ版の記事を通じてのアフィリエイト広告収入と、他の媒体(ヤフーニュースやスマートニュースのような、ニュースアプリやキュレーションメディア)への記事の転載によってもたらされる掲載料は、バカにならない現金収入であるはずだからだ。 そんなわけで、スポーツ各紙は、目先の収入のために、本来の記事制作とは別のルートと人員(←この部分はオダジマの臆測です)で、ウェブ用の記事を粗製乱造してきたわけなのだが、このたび、いきなりのコロナ禍に直面して、本来の紙面作成ならびに取材記事執筆ができなくなってみると、副業のクリック収入稼ぎであったコピペ記事作りが、メインになってしまったというわけだ』、「この種のコピペ書き起こし記事のネタ元になる「芸人」や「論客」には、結果として、ある「偏向」が介在する」、「スポーツ各紙が、これらのタレント論客の発言を無批判に拡散する記事を定期的に配信しはじめたのは、昨日今日の話ではない。 ツイッターならびにテレビ番組コピペ記事は、もう10年以上も前から続いているスポーツ紙編集部の収益源のひとつだった」、「コピペ」が広がった理由の一端が理解できた。
・『さてしかし、スポーツ新聞は、その一方で、たくさんの優れた記者をかかえている媒体でもある。 私がいたましく思っているのは、実は、ここのところだ。 紙面を見る限り、記事が劣化していること自体は否定しようのない事実なのだが、では、あの記事を作っている人たちがどうにもならないバカ揃いなのかというと、決してそんなことはないわけで、だからこそ、この話はどうにもいたたまれない悲しい話なのである。 大学に入学した時点では、私は、スポーツ新聞社を第一番の就職先として望んでいる学生だった。 しかし、4年生になってみると、その気持ちは萎えていた。 というのも、私は、マスコミ志望の学生が積み重ねているタイプの準備を完全に怠っていたからだ。卒業時の成績も最低だった。で、倍率の高さと試験の難しさにひるんで、面接にすら行かなかったカタチだ。 私は、自分をあきらめたわけだ。 言っておきたいのは、オダジマが就職活動をしていた1980年代のはじめの時点では、スポーツ新聞社は、学生にとってそれほど困難な就職先でもあれば、憧れの職場でもあったということだ。 その、少なくとも1990年代までは、第一級の憧れの職業であった、スポーツ紙の記者がこんな仕事をせねばならなくなっている。 ここのところが、この話の泣けるポイントだ。 以下にご紹介するのは、いくつかの場所で話したことがあって、そのたびに、聴き手の皆さんに微妙にいやな顔をされる話なのだが、こういう機会なので、読者の皆さんにシェアしておくことにする。いやな気持ちになるであろう人にはあらかじめ謝罪しておく。 1980年代の半ばの3月の半ば頃、私は、とあるパソコン誌の創刊準備号の制作のために築地にある新聞社の社屋で連夜の徹夜作業に従事していた。 深夜の編集部で、眠る前のアタマを落ち着けるべく、手近にあった冊子をパラパラとめくっていて衝撃を受けたというのがこの話の発端だ。 私が手にしていたのは「朝日人」(←いまは名前が変わっているそうです)という名前のちょっとした電話帳(←若い人にはわかりませんね。つまり「数百ページ超、厚さ5センチ超の冊子」ということです)ほどもある、巨大な冊子だった。 一緒に作業をしていた社員の記者さんによると、その冊子は、海外も含めて何十とあるその新聞社の支局に勤務する記者たちが寄稿している「社内誌」だった。 「えっ? ってことは、これ、社内の人間しか読まないんですか?」「そうだよ」「で、社内の人間だけが書いてるわけですか?」「うん。クローズド・サーキットだよね」「で、この厚さなんですか?」「うん。自分の足を食べてるタコみたいな話だろ?」「……これ、べらぼうな本ですね」「べらぼうだよね。いろんな意味で」などと無駄話をしつつも、私は、そこに寄稿されている記事の多彩さと完成度に心を打たれていた。軽めの評論や、身辺雑記や、エッセー、書評や時事コラム、取材こぼれ話や、地域紹介の雑文などなど、どれをとっても整然としていて、当たり前の話だが、文章がきちんとしている。 「なんという才能の浪費だろうか」と、正直、そう思った』、「社内誌」の「朝日人」に「寄稿されている記事の多彩さと完成度に心を打たれていた」、さすが朝日新聞も記者だ。「うん。自分の足を食べてるタコみたいな話だろ?」、「なんという才能の浪費だろうか」、には笑ってしまった。
・『この会社には、これだけの文章を書ける人間が何千人も働いている。で、新聞を発行する会社としては、それらの、それぞれに筆力を備えた記者たちに、一人アタマ数行分の執筆スペースしか与えていない。ということは、この会社は、毎年何十人もの選りすぐりの文章家を選抜して、雇用し、その彼らを一定のメソッドに従って訓練し、育成しながら、結果としては、書く場所も与えずに飼い殺しにしているわけだ。 だからこそ、外部の人間に販売するわけでもない、社内誌にこれほどの水準の文章が満載されている。 なるほど。 「朝日人」は私にとっては、ちょっとした発見だった。ざっと読んでみて、あらためて身の引き締まる思いを味わった。 というのも、これは、逆に考えれば、この新聞社みたいな会社が、毎年何十人もの筆力を備えた人間を飼い殺しにしてくれているからこそ、私のような人間にも出番が回ってくるというお話にほかならなかったからだ。 スポーツ新聞の記者の中にも、素晴らしい文章家がたくさんいる。 私は、さる週刊誌で、スポーツ関連書籍の書評をなんだかんだで10年以上担当しているのだが、その書評欄のために私がこれまでに読んだ何百冊かのスポーツ関連書籍の著者にも、スポーツ新聞の記者出身の書き手はたくさんいる。そして、元スポーツ新聞記者には、名文家が少なからず含まれているのである。 ちょっと残念なのは、現役のスポーツ記者が自分の職場であるスポーツ新聞本紙に書く記事は、必ずしも名文ではないということだ。 というよりも、新聞の記事というのは、その本旨からして、「名文」であってはいけないことになっている。というのも、記事は、余韻や感動よりは、情報の正確さを第一とすべき文章で、その意味で、情緒纏綿であるよりは無味乾燥であるはずのものだからだ。 最後に、最近いくつか読んだスポーツ新聞の記者さんの文章の中から特に気に入ったものをひとつご紹介しておく。 ついでに、この記事を紹介する目的で書いた自分のツイートも引用しておく。 《スポーツ紙は、競技の休止で紙面づくりに困っているのなら、ツイッター発のコピペに頼ってばかりいないで、こういう現場の記者の取材ウラ話みたいなテキストに紙面を割いたらどうだろうか。記者さんたちはきっといい話をいっぱい持っている。こういう時こそそういう記事を読みたい。》 現場で取材している記者は、いい話をたくさん蓄えているし、それらを文章化する表現力も十分に持っている。 インターネットの時代になって、新聞の紙面では、必ずしも持ち前の文章力を発揮する機会に恵まれていない記者たちが、思う存分にペンを振るえる場所が少しずつ整ってきている。 個人的には、文章の世界には、凡庸で直截で平明で飾り気のない無味乾燥な記事文体の文章を山ほど書いた人間にだけ身につく文章力というものが存在する気がしている。なんというのか、素振りを1万回繰り返した人間にだけ身につく本物の実践的なスイングみたいな、ことです。 私の場合は、手遅れだと思っている。長い間好き勝手に来たタマを打ちすぎたので。 この先、スポーツ新聞が生き残るのは難しいと思うのだが、記者の皆さんには、それぞれ、ふさわしい活躍の場が与えられることを祈っている』、「この会社は、毎年何十人もの選りすぐりの文章家を選抜して、雇用し、その彼らを一定のメソッドに従って訓練し、育成しながら、結果としては、書く場所も与えずに飼い殺しにしているわけだ。 だからこそ、外部の人間に販売するわけでもない、社内誌にこれほどの水準の文章が満載されている」、「インターネットの時代になって、新聞の紙面では、必ずしも持ち前の文章力を発揮する機会に恵まれていない記者たちが、思う存分にペンを振るえる場所が少しずつ整ってきている」、「記者の皆さんには、それぞれ、ふさわしい活躍の場が与えられることを祈っている」、現実には「活躍の場が与えられる」前にリストラされてしまう可能性もありそうだ。 
タグ:インターネットの時代になって、新聞の紙面では、必ずしも持ち前の文章力を発揮する機会に恵まれていない記者たちが、思う存分にペンを振るえる場所が少しずつ整ってきている この会社は、毎年何十人もの選りすぐりの文章家を選抜して、雇用し、その彼らを一定のメソッドに従って訓練し、育成しながら、結果としては、書く場所も与えずに飼い殺しにしているわけだ スポーツ新聞が生き残るのは難しいと思うのだが、記者の皆さんには、それぞれ、ふさわしい活躍の場が与えられることを祈っている 「なんという才能の浪費だろうか」 どれをとっても整然としていて、当たり前の話だが、文章がきちんとしている 「朝日人」 「社内誌」 うん。自分の足を食べてるタコみたいな話だろ? この種のコピペ書き起こし記事のネタ元になる「芸人」や「論客」には、結果として、ある「偏向」が介在する スポーツ各紙が、これらのタレント論客の発言を無批判に拡散する記事を定期的に配信しはじめたのは、昨日今日の話ではない。 ツイッターならびにテレビ番組コピペ記事は、もう10年以上も前から続いているスポーツ紙編集部の収益源のひとつだった コロナのせいで死んだのは、テレビだけではない。 新聞も雑誌も、果ては個人発信のSNSまでもが俗悪な集団舞踏と化している。とりわけ、ジャンルとしての生存が危ぶまれるレベルで劣化しているのが、スポーツ新聞だ テレビ局の人間たちが「番組」の仕上げとして練り上げている「味付け」の部分は、スポーツ愛好家たるオダジマにとっては、まるごと邪魔だったということだ うるせえその話は300回聞いたぞ デクノボウの皆さんも、この種の耳タコの常套句を、さも重大な情報を分かち与えるかの体で開陳して恥じない 小田嶋 隆 「スポーツ新聞を憂う」 望月衣塑子記者 日経ビジネスオンライン メディア各社は、望月記者やフリーランスの記者を冷笑するような自分たちの姿勢が、権力者をつけ上がらせ、読者からの信頼も失わせ、自分たちの価値を下げていることを認識すべきである 「新聞は社会の木鐸(ぼくたく)」と習ったが、日本ではまったく絵に描いた餅に終わっている 大手メディアのサラリーマン記者は、政治家のご機嫌を取り、時々、政治家からちょっとした情報をもらえれば、バッテンも付かず、結構な給料ももらえるという居心地のよい地位に安住し、真実を追求し、権力の暴走を阻止するという最も重要な役割を放棄 記者クラブに安住し訊きやすいことだけ訊いているのだから読者離れも必然か 冒頭は、「新型コロナ問題に関して、あなたは何を間違えたと思いますか?」という質問 訊くべきことを訊く記者、ごまかさず懸命に答える首相 日本のように安部首相の大本営発表的なインタビューとは大違い 「BBCの英首相会見で痛感、日本メディアの情けなさ 欧米の健全なジャーナリズムが羨ましい、それに引き換え日本は」 日本の大手メディア(新聞、テレビ)が政治家の疑惑追及に消極的なのは、国民が常々不満に思っていることである JBPRESS 黒木 亮 首相とのサシのインタビューでコロナ対策を追及する記者 BBCによるボリス・ジョンソン首相の単独インタビュー 世論調査には構造問題が存在している。感情や反応を集めただけの数字が政治や社会に過剰な影響を与えることのないよう、マスコミや世論調査の意味について見直すべき 新聞社によって異なる回答率 現在の電話調査も無作為抽出の形はとっている 重視される世論調査の速報性 母集団の縮図をきちんと反映しているのか わずか3000のサンプルでルーズベルトの再選を予想 ギャラップ氏 「面接方式」は「回答率の低下」 面接方式と手順が異なる電話調査 「産経・フジ「世論調査不正」が投げかけたもの マスコミ電話世論調査は本当に信頼できるか」 薬師寺 克行 東洋経済オンライン (その23)(産経・フジ「世論調査不正」が投げかけたもの マスコミ電話世論調査は本当に信頼できるか、BBCの英首相会見で痛感 日本メディアの情けなさ 欧米の健全なジャーナリズムが羨ましい それに引き換え日本は、小田嶋氏:スポーツ新聞を憂う) メディア
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日銀の異次元緩和政策(その33)(日銀の量的緩和がもたらす致命的な3つの害悪 もはや「新次元の金融政策」に転換すべき時だ、独立した中央銀行が直面する 物価安定目標がもたらす罠) [経済政策]

日銀の異次元緩和政策については、5月13日に取上げた。今日は、(その33)(日銀の量的緩和がもたらす致命的な3つの害悪 もはや「新次元の金融政策」に転換すべき時だ、独立した中央銀行が直面する 物価安定目標がもたらす罠)である。

先ずは、6月10日付け東洋経済オンラインが掲載した財務省出身で慶應義塾大学大学院准教授 の小幡 績氏による「日銀の量的緩和がもたらす致命的な3つの害悪 もはや「新次元の金融政策」に転換すべき時だ」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/355472
・『前回の「安倍政権の経済政策は、日本を必ず弱体化させる」では、新型コロナショックに対する大規模な景気刺激策やマクロの需要喚起策は不要であり、無効であることを述べた。 では、金融政策はどうか。同じである。需要刺激策としての、金融政策は不要である。なぜ不要なのか。何をすればいいのか』、「小幡氏」の切れ味鋭い批判をみてみよう。
・『「イールドカーブコントロール」は矛盾をはらむ  まず、日銀が当たり前のようにやっている長期国債の買い入れから見ていこう。これも本来は不要である。 国債買い入れの目的は、金利を低下させることである。だが、本来であれば、これは短期金利のコントロールのための手段である。だから、伝統的には世界中の中央銀行が長期国債を買い入れることはせず、超短期のコール市場の金利のコントロールの補助として、短期国債を買い入れてきたのである。むしろ、本来の呼び方である「オペ」(オペレーション)という言葉がふさわしい。 しかし、リーマンショック以降、世界では量的緩和が長期国債の買い入れを意味するものとして定着してしまった(もともと「量」とは民間銀行の日銀への当座預金の量であり、長期国債の買い入れとは無関係である)。 ただ、現実的な効果としては強力で、民間における投資活動への直接的な金利の影響は、長期金利によるものであるから、短期金利をコントロールして長期金利に間接的に影響を与えるという、伝統的な金融政策を超える絶大な力を持った。 再び、しかし、日銀は、この強力な手段も使い果たしてしまい、長期金利を直接目標にしてコントロールを図る、イールドカーブコントロールに移行した。目標を「10年物の金利をゼロとする」と宣言してしまっているから、長期金利低下効果(上昇させる場合も今後ありうるから正確な用語としてはターゲット効果)はさらにより直接的である。 実は、これは長期国債の買い入れ目標額とは矛盾があった。買い入れ額と金利の2つのターゲットがあるのは両立し得ないからだ。その矛盾は、今回コロナショック対応として、買い入れ額の目標額を中断し無制限に買い入れるとしたことで、図らずも矛盾が解消した。その結果、現在は10年物国債の利回りをゼロに、という目標と長期国債の買い入れ額は無制限とする、という2つの長期国債に関する政策があり、一方で、短期金利はマイナス0.1%というマイナス金利政策も残っている。 これをどうするか。基本的な考え方はリスクを減らす、ということである。これに尽きる。そのためにどうするか』、どのような「リスク」があるのだろう。
・『「長期国債買い入れ無制限」はリスクが高い  まず、マイナス金利は無用の長物なので、廃止する。今後の金融機関の最大のリスクは、直接であれ間接であれ、新型コロナショックで不良債権が増加することである。これに対する資本強化という意味では、マイナス金利は害でしかない。もともと効果がなく弊害だけのものなので、この際、廃止する。 次に「長期金利ターゲットのゼロ%付近」は維持する。これは金融政策として本質的な意味を持つ直接長期金利をコントロールするものだからである。それを人々が将来に対する予想が冷静にできないときに変更することは適切でなく、リスクを高めるだけだ。 しかし、「長期国債買い入れ額無制限」は変更する。名目は同じであるが、この政策の実質的な意味を変更する。変更する理由は、現在の日本経済において、金融政策にとどまらず、すべての政策の中で、これこそがもっともリスクの高いものだからだ。 なぜか。 「無制限」という言葉は「額を決めない」、というものとはまったく異なっており「無限」と誤解される、または「確信犯的に解釈されるもの」だからである。 すでにそれは始まっている。中央銀行は、財政ファイナンスではない(政府の借金を直接引き受けているのではない)と強調しつつも、政府の発行する国債の新発市場において、円滑な取引が行われるよう全力を挙げる、というような趣旨の説明をしている。 特に、アメリカのFRB(米連邦準備制度理事会)は顕著だ。長期国債の保有残高を減らしていたところからのスタートだったこともあるが、グラフをみると、まさに保有残高が、スカイロケットのように、連邦政府の発行額に連動して増えている。実質的には、アメリカも日本も財政ファイナンスを行っているのは誰の目にも明らかであり、建前として、否定しているだけのことだ。 問題は、それが長期にわたるのか、コロナショックへの緊急避難的な一時的なものにとどまるのか、ということだ。 まだアメリカはメリハリが利いている。だから建前を捨てる勢いで、実質的な財政ファイナンスになってもいいから、全力で買い支える。しかし、タイミングが来たらすぐに止める、というスタンスだろう。 一方、日本は、これまでも、財政ファイナンスではないと強く否定してきた。それでいながら、政府の政策や意向に合わせて、大量の国債購入を続けてきた。それだけでなく、加速度的に拡大してきた。 建前はかろうじて守られているものの、この7年間、実質財政ファイナンスを行ってきた。景気がよくなっても、出口には向かわず、国債保有残高を増やし続けた』、「日本」では「この7年間、実質財政ファイナンスを行ってきた」だけに、「「長期国債買い入れ無制限」はリスクが高い」、同感だ。
・『なし崩し的に政府に押し込まれる可能性が高い  この経緯からすると、足元では、財政出動の規模がアメリカ政府よりも日本政府のほうが小さいことから、実質的な財政ファイナンスであると半ば認めたような米FRBのようなスタンスはとらないだろう。だが、いや、だからこそ、なし崩し的に政府に押し込まれる可能性が高い。 実際、MMT(現代貨幣理論)という、世界的には眉唾物の経済理論およびさらに悪いことにそれに基づいた、かつ誤った拡大解釈で「インフレにならなければ、いくらでも財政赤字は増えてかまわない。それどころかインフレにならないのだから、財政赤字を増やさなければならない」、という暴論が、日本だけで蔓延していた。これが、さらに力を増して、加速している雰囲気が、ネット論壇(そういうものが存在するとすれば)に見られる。 しかも、コロナ対策としては、国民が「とにかく何でも金を配れ」、という雰囲気にあることから、歯止めが利かなくなる恐れがある。これが財政破綻を招き、日本経済と日本社会を真の危機に陥れる、というのが、現在の日本における最大のリスクである。 したがって、無制限の国債購入という文言を変更する必要がある。無制限ではなく、国債購入の方針として、量の明示はしない、という見解を公式に発表する。それが現在の日銀の最優先課題である。 論理的には非常に明快だ。イールドカーブコントロールで、長期金利をゼロに固定する目標がある、だから、量はそれに応じて結果として決まってくる。しかも目安を設けることですら、かえって、政策の予見不可能性を増やし、リスクを増やすことになる。イールドカーブコントロールだけに、「名実ともに一本化します」、と宣言すればよい。 「コロナショックが連鎖的な倒産を招き、危機が拡大したらどうするのか」、という質問にも、そのときは量のターゲットは関係ない。「10年物の利回りをゼロにするまで、買い入れるだけのことです」、と答えるだけのことだ』、「MMT」の「誤った拡大解釈で「インフレにならなければ、いくらでも財政赤字は増えてかまわない。それどころかインフレにならないのだから、財政赤字を増やさなければならない」、という暴論が、日本だけで蔓延していた」、確かにリスクの火種は強い。
・『「建前」を再度前面に押し出す効果がある  むしろ、逆側からの質問があるだろう。結局、ほとんど変化がないのだから、「実質的に変更なし」と言えばいいのではないか、という疑問があるはずだ。 そのとおりかもしれない。だが、単純だが、変更すればもっとも重要な直接的な効果として、無制限の買い入れというイメージを払拭し、財政ファイナンスはしない、という建前を再度前面に押し出す、ということである。 それでも政府の要求や世論(エコノミストを含む)からの圧力により、実質財政ファイナンスに陥る可能性も十分にある。しかし、それは残念だが仕方がない。ただ、無制限を残したままでは抵抗もできず、正論として議論することもできず、ただ財政ファイナンスになってしまうし、可能性も高くなってしまうだろう。それを抑えるということだ。 しかし、ここで議論したいのは、もっと理論的なことだ。 それは、「量的緩和」を理論的にも廃止するべきだ、ということだ。すなわち、金融政策において、「量」という概念を消去することである。「量的緩和」および「量」のターゲット一般を撲滅するということである。 なぜ廃止すべきなのか。 それは、間違っているからだ。 そもそも、金融政策は経済学の教科書では、量をターゲットにしたものは出てこない。すべて金利だ。中央銀行の金融政策とは、金利を上げ下げするものである。さらに、実体経済に影響するのは、金利だけだ。したがって、20世紀にはいわずもがなだったのだが、金融政策とは「金利を動かす政策」なのである。 日本銀行が量的緩和を2001年に発明してしまったため、話がややこしくなった。だが、やはりこれは理論的には誤りで、今回を契機に廃止するべきである。 私の主張は、理論的には「間違いだ」、と言われる可能性がある。なぜなら、数式だけを見れば、手段が金利であれ、マネーの量であれ、資金の需給で金利が決まるのであれば、金利を操作変数かつ直接ターゲットにするのと、資金量を操作変数として金利をターゲットにするのと結果は同じだからだ。 しかし、狭い意味での理論、数式モデルの上ではそうかもしれないが、現実の金融市場と金融政策の関係から行くと、量を操作変数またはターゲットをすることで、大きな害が生まれる』、どういうことだろうか。
・『「量」の「3つの害悪」とは?  量をターゲットとすることで、生じる害悪は3つある。 第1に、「貨幣数量説」が当てはまるかのような錯覚を生み出すことだ。 実は、これはもともとの金融政策の狙いとして、経済学の教科書に書いてある。つまり、金融緩和をしたところで、経済主体はそれを予想して行動を変えてしまうから、効果はないはずだ。 もし効果があるとすれば、経済主体が貨幣錯覚に陥って、目の前の価格変化にだけ気を取られて、経済全体の物価水準も上昇して、実質価格は変化していないことに気づかない場合だけだ。金融政策が、効果があるとすると、この貨幣錯覚しかない、というような文脈で語られる。つまり「貨幣錯覚を狙って金融政策をする」というのは、理論的にはあり得る。 しかし、現実には、これは害悪でしかない。市場と経済にリスクをもたらすだけの政策となってしまう。なぜなら、錯覚を起こそうとしても、起こせるかどうか不確実であり、さらに問題なのは、起こしたい錯覚は起こせず、起こしたくない錯覚が制御できないほどに起きてしまう可能性があるからだ。) 端的な例で言えば、異次元緩和においては、実体経済において貨幣錯覚を起こし、物価水準を上昇させたかったわけであるが、人々の消費行動は変化しなかった。一方、資産市場では錯覚は起こる必要はなかったのだが、量的緩和の拡大ということが、マネーが市場にあふれるという想像を膨らませ、リスク資産価格が急上昇した。 これは株価と地価を上げるために金融緩和をしたのなら、成功ということになる。しかし、実体経済に物価を通じて影響を与えようとしたのだとすると失敗である。資産価格が金融緩和によって上がり始めると、供給したマネーは上昇の流れのできたリスク資産市場に回ってしまうからだ。要は、バブルの流れができてしまうと、その後の金融緩和はすべてバブルを膨らませる方へ向かってしまうからである。 誠実な中央銀行はバブルを起こさないように努めるから、これは失敗といえる。政府の圧力で株価上昇のために金融政策を行ったのであれば(アベノミクスやトランプ政策はその可能性が大きいが)、中央銀行としては、政府の圧力に屈したことになり、独立性を自ら放棄するものであり、将来の金融政策に対して禍根を残すことになるから、大失敗である』、「バブルの流れができてしまうと、その後の金融緩和はすべてバブルを膨らませる方へ向かってしまう・・・誠実な中央銀行はバブルを起こさないように努めるから、これは失敗といえる」、その通りだ。
・『「人々は催眠術にかかる」と本気で思っていた人たち  第2の害悪は、資産バブルリスクとも関係するが、「期待に働きかける」というアプローチは危険だということである。期待にアプローチする手法は、論理的にも望ましくない。市場の現実としても政策運営の考え方としても、リスクが大きすぎる。 日銀の異次元緩和においては、インフレ期待を起こすことによって実体経済における現実のインフレを起こそうとした。しかし、実際には、現実のインフレが起こせないどころか、インフレ期待すら高めることはできなかった。前代未聞の国債買い入れ、株式の大量購入を行っても、だ。 理由は簡単で、インフレ期待がどのように起きるか、誰にもわかっていないからである。中央銀行がインフレを起こす、あるいはインフレが起きるまで金融緩和を続ける、という呪文を唱えると、人々は催眠術にかかったかのように、物価が上がると信じ込むはずだ、ということを、冗談ではなく、本気で信じていたようだ。それは黒田東彦総裁だけでなく、アメリカの著名経済学者たちもそうだったから、こちらのような普通の人間としては驚くばかりであった。だが、普通の感覚がない人たちには、普通の世界で何が起こるのかわからないのだろう。 そもそも、インフレそのものの生成構造もわからない。しかも、それはマクロ的な概念であるから、ミクロに生きる個々の経済主体にはわかりようがない。その経済主体がどのようにインフレに対して期待を形成するかはさらに謎というか、わかりようがない。本人たちもわからないし、背景となる構造もわからないし、何もわからないなかで、中央銀行が「インフレを起こします」、と宣言すれば、人々が起きると信じて、起きる前提で行動し、さらに、その行動がインフレを実際に起こす、ということが起きるはずがない。「起きる」と考えるほうが、どうかしている。 期待に働きかけるアプローチは効果がゼロであり、混乱させるという意味では、大きなマイナスである。「期待を動かせる」と期待させることにより、混乱が広がる。混乱に乗じて、乱高下で儲ける投機家たちが資産市場を荒らす。最悪である。異次元緩和という短期決戦のコストのかかる政策で効果がゼロというだけで、十分悪い政策ということだが、さらに投機家による資産市場の不安定化、というのは非常に大きな害である。 第3に、インフレが最終的な目標であるような誤解を与えることだ。金利がターゲットであれば、金利がコントロールできていればよい、ということになる。 一方、金利をターゲットにするのが直接的な目的であるし、手段も持っているということで、何の紛れも誤解も生じない。ところが、国債の買い入れ量をターゲットにすると、それにより金利をコントロールするのであれば、回りくどすぎて、あえてやる必要がないはずで、何か別の目的があるはずだ、ということになる。さらに、デフレ、物価上昇ということを強調しすぎたこととあいまって、国債の買い入れ量をターゲットにして、物価を引き上げるということが最終目標のようなイメージが形成されてしまうことだ。 実際、メディアやエコノミストの議論も、「日銀がインフレを起こせない」ということに異次元緩和の最初の5年は終始してしまった。黒田総裁が2期目になって、ようやく「それは不可能、夢物語、最初から虚構だった・・・」、いずれの解釈をとるにせよ、要は「インフレは起こせないし、起きないし、そしてそれは重要でない」、というコンセンサスが確立した』、「インフレ期待がどのように起きるか、誰にもわかっていないからである。中央銀行がインフレを起こす、あるいはインフレが起きるまで金融緩和を続ける、という呪文を唱えると、人々は催眠術にかかったかのように、物価が上がると信じ込むはずだ、ということを、冗談ではなく、本気で信じていたようだ」、確かに暴論が大手を振って通用していた。「期待に働きかけるアプローチは効果がゼロであり、混乱させるという意味では、大きなマイナスである。「期待を動かせる」と期待させることにより、混乱が広がる。混乱に乗じて、乱高下で儲ける投機家たちが資産市場を荒らす。最悪である」、同感だ。
・『「インフレ夢物語」終了後、ただの市場の材料に  そうなると、今度は、量を買い入れる、ということは「物価ではなく、金(カネ)が資産市場へ流れ込むかどうか」ということになり、株式市場の材料にだけされることになった。まったく金融政策として意味がない。無意味なものになってしまったのである。 これと関連して、株式とJ-REITの買い入れも、資産市場のリスクを増やすだけのもので、金融政策としては誤りである。日銀の説明としては、リスクプレミアムに働きかけるということだが、目的が物価にせよ、需要喚起にせよ、リスクプレミアムに働きかけても、実体経済は動かない。 なぜなら、実体経済におけるリスクプレミアムが低下すれば、リスクの高い設備投資、新しい事業への参入が起きるという因果関係が成立しなければ、株式市場のリスクプレミアムの縮小が金融政策として意味のあるものにはなりえない。実際、株式を日銀が購入することで、直接的に株価が上昇するきっかけをつくることにはなったが、これが実体経済にどのように影響したかは、議論が分かれるところである。 まず、個人投資家のキャピタルゲイン、あるいは株式含み益による資産効果で、個人消費が増えるというルートがある。しかし、これは将来株価が下落してしまえば、逆資産効果が働くことになるため、効果としてはニュートラルである。日銀の買い入れにより株価を押し上げるのであれば、永遠に買い続ける必要があり、それは不可能である。 次に、企業の投資が積極的になるという効果がある。ただし、アメリカの研究でもわかっていることだが、株価上昇に対して、実物の設備投資を増やすのは、もともと株価と設備投資が従来から連動していた企業に限られる。あるいは、株式で実物投資のための資金調達を主に行っている企業に限られる。しかし、このような企業は日本においては極めて少ない。ほとんどが銀行借り入れか社債または自己資金である。 唯一、効果が認められるのは、企業買収M&Aである。株価が高くなると、株式交換での企業買収が容易になるので、より積極的になる。これは実際に影響があったように見受けられる。ただし、「日本市場だけではジリ貧」というムードにより、海外企業の買収にあせって参入した企業も多く見られたので、一長一短とも言える。 総括すると、株式およびJ-REITの日銀の買い入れは、資産市場の価格を直接押し上げる効果を狙っていない限り、実体経済に対する政策としては意味がないことになる。一方、株価対策の政策としては成功したといえる。金融政策でそれをやるべきかどうかはかなり疑問だが、成功は成功だ。 ここでの問題は、今後、どうするかである。 出口戦略も深刻な問題だ(株式は国債と違って満期がないため、どこかで売却しないといけない)。 問題は「いつ買い入れをやめるべきか」、ということである。 今しかない』、思い切った提言だ。
・『今こそ「本質的な政策」に転換すべき時  国債買い入れ額の量的な目標(あるいは目処)の撤廃と合わせて、こちらも量の目標を撤廃して「無制限」に近い、額は決めないこととする。なぜなら、もともとの目的がリスクプレミアムの低下を促すことにあるから、これが金利のターゲットと同じ役割を果たすはずであり、買い入れ額の目標やメドとは対立する。ここで、リスクプレミアムを低下させる、という本質のほうに一本化するのである。 そもそも、日銀がいつ株式ETF(上場投資信託)を買い入れるか、というのは投資家(投機家)の間で常に憶測を呼んでいた。「午前中に下がったときに買う」とか、「日経平均株価が1万8000円を割ったら買う」とか、まさに適当に(願望で)憶測し、それをニュースメディアに分析として憶測を流布していた。それを明確化することになる。 すなわち、リスクプレミアムが高まったら、それに働きかけるために、買い入れを行うということである。それ以外の時には買わないということである。 こうなると、暴落のときの最後の買い手としての出動となり、中央銀行というよりは、まさに政府ファンドによるPKO(株価維持政策)になってしまうが、リスクプレミアムの低下を促すという目的からすれば、「8兆円買い入れる」と量のメドを設定するよりは正論である。 ここに、日銀の金融政策は大きく転換する。 「量」はすべて廃棄するのである。「量的緩和」を廃棄するのであり、量的・質的金融緩和から、普通の金融緩和に戻るのである。量という目標が異常であるから、あえて量的・質的といわなければいけなかったが、量がなくなれば、それはもちろん質的に金融政策を見るのであるから、質的、という言葉も要らないのである。 これは原点回帰であるが、21世紀の日銀の政策としては、大転換である。量を捨てて、金利という価格に戻り、インフレ、物価は指標であり、金利とリスクプレミアムを直接のターゲットとするのである。 これこそが、単なる出口戦略にとどまらない、新しい日常的な金融市場と経済に対応する、新次元の金融政策である』、「量を捨てて、金利という価格に戻り、インフレ、物価は指標であり、金利とリスクプレミアムを直接のターゲットとするのである。 これこそが、単なる出口戦略にとどまらない、新しい日常的な金融市場と経済に対応する、新次元の金融政策である」、画期的な提言で、全面的に賛成したい。

次に、8月5日付けダイヤモンド・オンラインが掲載したBNPパリバ証券経済調査本部長チーフエコノミストの河野龍太郎氏による「独立した中央銀行が直面する、物価安定目標がもたらす罠」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/245011
・『低インフレゆえに日本銀行が金融緩和を続けバブルを醸成した80年代  人はとかく忘れやすい動物だ。 物価安定は大事だが、金融政策運営において、過度にインフレ率にウエートを置き過ぎると金融的不均衡の蓄積につながり、結果として、低い潜在成長率をもたらし経済厚生を引き下げる、というのが80年代後半のバブルの教訓だったはずだ。 インフレ率が低いから中央銀行が国債購入を続けるというのは、結果として、財政の中央銀行依存をさらに強め、一段と低い成長率をもたらすことになるのではないか。 インフレーション・ターゲット論が唱えられ始めた初期の頃、多くの人が懸念したのは、インフレ目標の達成にこだわるあまり、金融を引き締め過ぎることで実体経済を悪化させ、完全雇用を維持できなくなることだった。 そうした批判に対し、主流派経済学は、インフレーション・ターゲットは政策決定の透明性と説明責任を高めるためのツールであって、物価安定のための厳格なルールではなく、雇用など実体経済に十分配慮した「限定された裁量」であると解説していた。 しかし、主要中央銀行が導入する頃には、すっかりインフレの時代は終わっていた。過去20~30年にわたって繰り返された問題は、インフレ目標を達成するために、金融を引き締め過ぎることの弊害ではなかった。 掲げた目標まで現実のインフレ率が上がらないため、金融緩和を続けることで、金融的不均衡が蓄積され、結果として低い潜在成長率と低いインフレ率がもたらされたことだった。 実は、インフレーション・ターゲット前史の日本銀行が最初にこの問題に直面した。1980年代後半に低インフレの下で、日本銀行は金融緩和を続け、それがバブルの醸成につながった。 もちろん、プラザ合意後の急激な円高を回避するため、あるいは、ブラックマンデー後の国際金融の安定を図るため、日本銀行が強い緩和プレッシャーを受けたのは事実である。 しかし、当時、インフレ率そのものが極度に低かったから、物価安定を重視してきた日銀は利上げを正当化することができなかったのである』、忘れ易い我々にとって、金融政策を振り返る意味は大きい。
・『追加財政繰り返すも潜在成長率低下で過剰ストック・債務解消せず金融危機へ  バブルが崩壊すると、金融システムに大打撃をもたらし、信用配分が機能しなくなるため、潜在成長率の足を大きく引っ張るとともに、総需要の低迷でインフレ率は低下した。 金融機関に貸出債権の厳格な資産査定を迫り、必要な引き当てを要請し、金融機関の資本が不足する場合には、市場で調達するか、それが不可能な場合には、公的資金を注入する。そのような処方箋が現在の金融論の教科書には書いてある。 しかし、当時は中々、そうした結論には至らなかった。90年代初頭のバブル崩壊後に選択されたのは、総需要の急激な落ち込みを回避するために、財政、金融政策で、総需要をかさ上げし、バブル期に積み上がった過剰ストックや過剰債務を、時間をかけて解消することだった。潜在成長率が低下しているという認識がなかったため、誤った政策が選択されたのである。 先送り政策(forbearance policy)が選択され、問題企業を整理しない、というメッセージが政策当局者から発せられたと確信した民間金融機関は、追い貸しを続けた。そのことは、成長しない分野に経済資源を滞留させることを意味した。 競争力を維持するための研究開発投資や人的資本投資は削られ、潜在成長率は低下の一途をたどり、インフレ率も低下が続いた。低迷する民間支出を補うために、伝統的な追加財政が繰り返されるが、そのことも成長分野への経済資源の移行を阻害した。 伝統的な公共投資が選択されたのは、総需要かさ上げの即効性が重視されたこともあるが、過剰ストックと過剰債務を抱えた建設業、不動産業、小売業へのミルク補給になると考えられたからでもある。潜在成長率とインフレ率の低下が続いたため、周知の通り、過剰ストックと過剰債務は解消されず、90年代の終わりには、金融危機が訪れた』、「先送り政策
」は必ずしも悪くなかったが、1997年の橋本内閣による消費増税・社会保障負担の引き上げが、回復しかけた日本経済を不況に引きずり込んだというのが、私の認識である。
・『有効性を失った金融緩和 財政依存高まり いわゆる“日本化”が定着  実際には、それ以前の90年代半ばに、自然利子率の低下とインフレ率の低下から、金融緩和は既に有効性を失っていた。不良債権問題で、金融緩和のトランスミッション(波及経路)・メカニズムが毀損したことも無視できないが、同時に、名目金利の実効下限制約から、実質金利を自然利子率以下に下げられなくなっていたのである。 総需要を十分刺激できず、総供給を下回る状況が続くと、問題を抱えていなかったはずの企業も、生産性を向上させるための物的投資や無形資産投資、その源泉である人的資本投資を躊躇するようになる。そのことはITデジタル革命が始まった90年代後半に、日本企業がビジネスモデルを変革するチャンスを逸した点で日本経済への大きな打撃となった。 マクロ安定化政策については、金融政策にもはや効果が期待できないから、追加財政が繰り返される。そのことは経済低迷を一時的に避けることができるとしても、TFP(全要素生産性)上昇率の回復を妨げ、潜在成長率と自然利子率の一段の低下をもたらすから、総需要ショックに脆弱になり、追加財政にますます頼るようになる。 これらの結果、低成長、低インフレ、低金利、膨張する公的債務といういわゆるジャパニフィケーション(日本化)が90年代後半以降に定着していった。 一度、金融的不均衡を醸成すると、容易に抜け出せないネガティブ・スパイラルに陥る。そのことを強く反省した日銀が2006年3月の量的緩和解除の際、インフレ目標の前身である「物価安定の理解」とともに、金融政策の運営方針を決定する際の観点として導入したのが第一の柱(蓋然性の高い見通しが物価安定の下での持続的な経済成長の経路をたどっているか)と第二の柱(金融的不均衡など、第一の柱で取り上げる見通し以外の金融政策を運営する上でのさまざまなリスク)だった。 それは、物価安定を目標としつつ金融政策運営を行うものの、金融的不均衡の蓄積が始まると、たとえインフレ率が低くても、政策変更を行うことが意図されていた。政治的独立性を与えられた専門家集団が同じ失敗を繰り返すのは許されない。 インフレーション・ターゲット固有の弱点を補うスキームが組み込まれていたのである。当時、2%インフレが掲げられなかったのは、そもそも日本ではゼロインフレが長く続き、一気にインフレ予想を引き上げる手段が存在しないと認識されていたからである。名目金利が実効下限制約に直面していることは変わりなかった』、「名目金利の実効下限制約から、実質金利を自然利子率以下に下げられなくなっていたのである。 総需要を十分刺激できず、総供給を下回る状況が続くと、問題を抱えていなかったはずの企業も、生産性を向上させるための物的投資や無形資産投資、その源泉である人的資本投資を躊躇するようになる」、これ以降の認識は、河野氏と概ね同じである。
・『日本企業は10年に1度の危機に備えて IT投資・人的投資抑制し資本確保  結局、運が悪かったのか、それとも企業経営が悪かったのか、あるいは、政策運営がやはり悪かったのか。ジャパニフィケーションをさらに強固にするショックが立て続けに日本を襲った。 まず時計の針を90年代末に戻すと、金融システムの瓦解で貸し渋りが一気に広がり、企業は手元資金をため込むことの重要性を認識する。その後、ITブームで輸出が急伸し、日本経済は一息ついたと思われたが、今度はITバブルが崩壊し、マクロ経済は再び不安定化、日銀は2001年3月に量的緩和を導入せざるを得なくなった。 この間の不確実性に直面した日本企業は、棄損した資本を修復するため、コストカットの追求を続け、人的投資も物的投資も無形資産投資も抑え込んだ。 前述した通り、ようやく2006年3月に量的緩和が解除されるが、それを可能にしたグローバル経済の活況は、後知恵で考えると、米国を中心としたクレジット・バブルの急膨張がもたらしたものだった。 欧米からの強い需要と超円安を背景に、輸出セクターは、借り入れを増やし、国内で生産拠点を増やした。超円安が進んでいたのは、欧米経済がバブルで沸いていたからでもあるが、それだけでなく、その間も日銀が超低金利政策を続けることで、円安圧力を醸成したからである。 しかし、クレジット・バブルが崩壊すると、海外需要は蒸発し、円高進展も相まって、日本の輸出企業は存続が危ぶまれるほどの資金不足に直面した。いまだに政策当局者すら気が付いていないが、時間軸政策(フォワードガイダンス)による円安効果は、不況期に円高という形で完全に相殺される。 過去10年間、日本企業がもうかっても賃金を増やさず、ITデジタル投資も積極化しなかったのは、10年に一度やってくる危機が大きなトラウマになっていたからである。それ故、日銀が異次元緩和の笛を吹いても、多くの企業は、それに踊らされることはなかった。 元々、実効下限制約に直面していたのだから、いかに大規模な量的政策を追求しても、もはや金融政策には継続的にインフレを押し上げる効果は残っていなかった。企業は貯蓄を続け、人件費を抑えたために、個人消費に波及することもなかった。 例外は、グローバル経済の拡大と円安傾向の継続を背景にインバウンド・ブームが起こり、宿泊関連や都市再開発関連で過大な投資を進めたことである。2010年代後半は、AIによるディープラーニングやリモート技術などITデジタル革命が新たなフェーズに突入したが、日本の産業界はそれらと無縁なままであった』、「10年に一度やってくる危機が大きなトラウマになっていた」、といえば聞こえはいいが、本当は経営者が企業家精神を失ってしまったためではなかろうか。
・『パンデミック危機で日本企業はさらに資本積み上げ強まる“日本化”  そこに今回のパンデミック危機が訪れた。日本企業が恐れていた10年に一度の危機が訪れたのである。過大な債務を抱えていた欧米企業にとっては、売り上げ激減は直ちに存続問題をもたらした。 各国の政府、中央銀行は流動性支援とは言うが、売り上げが激減したのであるから、実際に不足しているのは流動性ではなく、資本である。ただ、日本の大企業については、むしろ過大な資本を積み上げていたため、ショックが集中する一部のセクターを除くと、多くが問題を乗り切ることが可能なようにみえる。 ショックが集中した小売業や外食産業で早くも業界再編が始まっているのは、厚い資本を持つ企業が存在することの表れであろう。大企業が倒産を避けられれば、失業の大幅な増加も避けられる。 マクロ経済の短期的な落ち込みが避けられるのは明らかに望ましいことだが、そのことは、過去20年の停滞をもたらしたジャパニフィケーションをより強固にする可能性が高い。 日本生産性本部の調査によると、パンデミック危機でリモートワークに移行した企業で、生産性が低下したと認識する従業員が過半を占めていた。言うまでもなく、前述したITデジタル投資の不足がその背景にある。 パンデミック危機をきっかけにITデジタル投資の必要性に気づいた企業も少なくないが、これが方向転換につながるかと問われると、疑問を持たざるを得ない。厚い資本のおかげで乗り切った今回の危機が誤った成功体験となり、企業は次なる危機に備え、成長のための人的資本投資やITデジタル投資を抑え、貯蓄を続ける恐れがある。 慢性的人手不足で、人的資本投資は多少再開されつつあったが、今後も総需要の回復が限られるため、その流れが滞る可能性が高い。民間投資は増えず、賃金も抑え込まれるため、消費回復も遅れる。マクロ経済の低迷が続くため、追加財政が繰り返され、政府部門の拡大で、ますます、潜在成長率が低下する。 公的債務の膨張が続くため、効率性の悪化で、いずれインフレが上昇し、ジャパニフィケーションは続かないと考える人も少なくない。ただ、低い経済の稼働率が続くため、経済が回復を始めても、まず訪れるのは物価下落圧力である。 また、企業も家計も支出を行わず、予備的動機で貯蓄を続けるとすれば、追加財政はそれを吸収するにすぎないから、インフレ圧力は簡単には生じない。パンデミック危機の収束が遅れ、追加財政が繰り返されても、それは家計や企業の貯蓄となる。 流動性制約に直面する家計は、支出に振り向けるであろうが、多くは本来得られるはずだった所得が補填されるだけだから、追加的な支出に振り向けられるわけではない。資金の多くは金融機関を通じて、国債購入に向かう。金利上昇圧力が高まれば、中央銀行が購入するが、それは統合政府で見れば、国債と当座預金を交換するに過ぎない』、「厚い資本のおかげで乗り切った今回の危機が誤った成功体験となり、企業は次なる危機に備え、成長のための人的資本投資やITデジタル投資を抑え、貯蓄を続ける恐れがある」、困った悪弊だ。
・『公的債務拡大がもたらすもう一つの罠 潜在成長率のさらなる低下  財政ファイナンスという批判に対し、日銀は、政治的に独立した機関として、あくまで低いインフレ、低い成長率に対して、YCC(イールドカーブコントロール)を通じ低い金利に誘導すべく長期国債を購入していると論じる。 パンデミック危機は、少なくとも国内的には、誰か特定の主体に責任がある訳でないため、社会基盤を守るため、家計や企業をサポートし拡張財政を継続することに反対は出ていない。 追加財政がもたらす金利上昇を中央銀行が放置すれば、総需要はさらに悪化し、インフレ目標の到達はますます遅れる。それ故、独立した中央銀行が自らの目標を達成すべく、YCCを通じて国債購入を続けている、という日銀の説明には一理ある。 しかし、である。過去25年間もそうであったように、潜在成長率や自然利子率が低迷を続けているのだから、仮に国債購入を続けたとしても、インフレ率をそもそも引き上げることはできない。 ジャパニフィケーションが続く中で、物価安定を理由に国債の大量購入を続けることは、財政の中央銀行依存をますます強め、制御できない公的債務の膨張をもたらすリスクを高めるだけである。ジャパニフィケーションの下で、中銀の独立性を強調するだけでは、一国経済が財政膨張の罠に陥る。 公的債務の膨張で筆者がより強く懸念しているのは、高率のインフレが訪れることではない。究極的にはFTPL(物価水準の財政理論)的なメカニズムでインフレが訪れる可能性は排除できないが、それ以前にまず確実に生じることは、資源配分をますます歪め、一段と低い潜在成長率をもたらすことである。 潜在成長率が低下すれば、ますます、追加財政が繰り返され、同時に財政の中銀依存はさらに増す。物価安定を強調し、国債購入を続けるだけでは、バブル時と同じ過ちを繰り返すことになりはしないか。 既に公的債務が未曽有の水準に膨らんでいるため、金融市場に大きなショックが訪れた際、これまで以上に、中央銀行は財政の持続可能性に配慮した行動を取らなければならない。一国経済の安定を考えると、物価安定より金融市場の安定を優先せざるを得ない状況にあることは明らかである。 低いインフレ率を解消するために漫然と国債購入を続けるのではなく、制御不能な公的債務の膨張を回避することと、潜在成長率の一段の低下を避けることを意識し、自覚的に国債管理の一翼を担うことが重要ではあるまいか。既に金融政策と財政政策の境界は曖昧になっているが、規律を組み込んだ一体運営のための枠組みを考えるべきだと思われる』、「物価安定より金融市場の安定を優先せざるを得ない状況」、には違和感がある。「物価」に上がる気配が出てきた瞬間に、長期金利は急騰する筈で、「物価安定」の維持が、「金融市場の安定」につながる筈だ。どちらを「優先」するか、といった問題ではないと思う。
タグ:物価安定より金融市場の安定を優先せざるを得ない状況 公的債務拡大がもたらすもう一つの罠 潜在成長率のさらなる低下 厚い資本のおかげで乗り切った今回の危機が誤った成功体験となり、企業は次なる危機に備え、成長のための人的資本投資やITデジタル投資を抑え、貯蓄を続ける恐れがある パンデミック危機で日本企業はさらに資本積み上げ強まる“日本化” 日本企業は10年に1度の危機に備えて IT投資・人的投資抑制し資本確保 有効性を失った金融緩和 財政依存高まり いわゆる“日本化”が定着 追加財政繰り返すも潜在成長率低下で過剰ストック・債務解消せず金融危機へ 低インフレゆえに日本銀行が金融緩和を続けバブルを醸成した80年代 「独立した中央銀行が直面する、物価安定目標がもたらす罠」 河野龍太郎 ダイヤモンド・オンライン 量を捨てて、金利という価格に戻り、インフレ、物価は指標であり、金利とリスクプレミアムを直接のターゲットとするのである。 これこそが、単なる出口戦略にとどまらない、新しい日常的な金融市場と経済に対応する、新次元の金融政策である 今こそ「本質的な政策」に転換すべき時 問題は「いつ買い入れをやめるべきか」、ということである。 今しかない 出口戦略も深刻な問題 「インフレ夢物語」終了後、ただの市場の材料に 期待に働きかけるアプローチは効果がゼロであり、混乱させるという意味では、大きなマイナスである。「期待を動かせる」と期待させることにより、混乱が広がる。混乱に乗じて、乱高下で儲ける投機家たちが資産市場を荒らす。最悪である インフレ期待がどのように起きるか、誰にもわかっていないからである。中央銀行がインフレを起こす、あるいはインフレが起きるまで金融緩和を続ける、という呪文を唱えると、人々は催眠術にかかったかのように、物価が上がると信じ込むはずだ、ということを、冗談ではなく、本気で信じていたようだ 「人々は催眠術にかかる」と本気で思っていた人たち バブルの流れができてしまうと、その後の金融緩和はすべてバブルを膨らませる方へ向かってしまう 第1に、「貨幣数量説」が当てはまるかのような錯覚を生み出すこと 「量」の「3つの害悪」とは? 「建前」を再度前面に押し出す効果がある 「MMT」の「誤った拡大解釈で「インフレにならなければ、いくらでも財政赤字は増えてかまわない。それどころかインフレにならないのだから、財政赤字を増やさなければならない」、という暴論が、日本だけで蔓延していた」 なし崩し的に政府に押し込まれる可能性が高い この7年間、実質財政ファイナンスを行ってきた 「無制限」という言葉は「額を決めない」、というものとはまったく異なっており「無限」と誤解される、または「確信犯的に解釈されるもの」だからである 「長期国債買い入れ無制限」はリスクが高い 「イールドカーブコントロール」は矛盾をはらむ 「日銀の量的緩和がもたらす致命的な3つの害悪 もはや「新次元の金融政策」に転換すべき時だ」 小幡 績 東洋経済オンライン (その33)(日銀の量的緩和がもたらす致命的な3つの害悪 もはや「新次元の金融政策」に転換すべき時だ、独立した中央銀行が直面する 物価安定目標がもたらす罠) 異次元緩和政策 日銀
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台湾(その1)(高雄市長解職であらわになった台湾社会の分断 リコール支持者にみる政治的対立の現実、台湾「デジタル大臣」が生んだ政治の新スタイル タン氏が提唱する「官民連携」の新たな姿とは、さらば李登輝 台湾に「静かなる革命」を起こした男) [世界情勢]

今日は、台湾(その1)(高雄市長解職であらわになった台湾社会の分断 リコール支持者にみる政治的対立の現実、台湾「デジタル大臣」が生んだ政治の新スタイル タン氏が提唱する「官民連携」の新たな姿とは、さらば李登輝 台湾に「静かなる革命」を起こした男)を取上げよう。

先ずは、6月12日付け東洋経済オンラインが掲載したジャーナリストの高橋 正成氏による「高雄市長解職であらわになった台湾社会の分断 リコール支持者にみる政治的対立の現実」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/355951
・『6月6日、台湾政治史上初の事件が起こった。 直轄市である高雄市で韓国瑜市長(62)の罷免(リコール)を問う住民投票が行われ、成立要件だった有権者総数(約230万人)の4分の1を大きく上回る、約94万票が賛成し、市長の罷免が成立した。 韓氏は2018年の高雄市長選挙で中国国民党の候補者として立候補し、約89万票で当選した。今回リコールが成立したことにより、7日以内に解職されることになった』、「リコール」の「成立要件」が「有権者総数・・・の4分の1」、とは少な過ぎる気もする。日本の場合、解職を求める住民投票の請求は3分の1で成立、解職を求める住民投票は2分の1以上で成立する。ただ、もともとの「リコール」の理由はよくわからない。
・『目立つ韓氏支持者の「異常な行動」  親中派の韓氏は2018年の市長選以来、「韓粉」と呼ばれる熱狂的な支持者に支えられていた。中国と一定の協力関係を構築したいが、世論を完全にくみ取れずに選挙で苦戦続きの国民党にとって、韓氏は票が読める数少ない政治家であり、無視できない存在となっていた。 しかし、韓氏のメディア露出が増えるとともに、意見が違う者への嫌がらせを行う韓粉の行動も目立つようになってきた。今回の住民投票でもカメラで投票行動を監視するような韓粉の異常な様子が明らかになるなど、台湾社会の分断ぶりがしばしば指摘されるようになった。そして、それは国民党と与党である民主進歩党の間の分断だけにとどまらない。 この分断はどこまで進んでしまっているのだろうか。高雄市の住民投票の最中、韓氏のリコールを呼び掛ける団体は演説で必ず、「結果がどうであれ、投票が終わった後、私たちは団結して進めなければならない」という言葉を呼びかけていた。 これは単に韓粉との怨讐を超えて、団結することを呼びかけているものではない。それは台湾人1人ひとりにとって身近な存在、すなわち家族にも向けられている。というのも、リコール支持者の家族の中で、実際に一種の分断が起きている例があったためだ。 今回の住民投票で、台北に生活の基盤を置く子どもが投票のために高雄に戻ろうとしたところ、親から「戻って来るな、戻るなら親子の縁を切る」とまで言われた人がいる。子どもはリコール賛成だが、親はリコール反対。今の台湾には政治が家族を引き裂いている現実があるのだ。 戒厳令が1987年に解除され、民主化が本格的に進む1996年ごろまで、台湾では中国をベースとする教育が施されていた。高校の国語の授業は中国の古典が大部分を占め、副読本で中国文学や史学の概説を教えるものが使用されていた。 歴史や地理は中華民国時代の中国の歴史や地理が教えられ、中華民国の根本思想である「三民主義」が必修科目として存在していた。 一方、経済では「アジア四小龍」「NIES」と呼ばれるほど台湾は大きく飛躍し、この頃に学生や社会人だった世代は台湾を知る機会が少ないが、経済成長を日々実感できる時代環境にあった』、「戻って来るな、戻るなら親子の縁を切る」、政治が日本よりは身近なようなのは、ある意味で羨ましい。
・『親子で政治スタンスに違い  たとえ熱狂的な韓粉でなくても、韓氏を支持していた層の多くは、実はこういった時期を過ごした世代が多い。かつての経済成長を感じたい、戒厳令下の安全な社会や政争が少ない政治の時代に戻りたいと願っている中高年世代が多い。韓氏の訴えもこの世代に響くものが多かった。 しかし、経済成長はいつまでも続くわけではない。民主化や台湾化が深化する一方で、経済成長は緩やかになり、少子高齢化が急速に進む中で社会のさまざまな構造改革を進めなければならなくなった。 一方、彼らの子どもの世代は、高度成長の時代を過ごしてきたわけではない。民主主義が深化し、かつてとは想像もできないほど多様な価値観を大切にする台湾で育った。現在の民進党などは、こうした若い世代の意見を多く取り入れており、親子で政治的スタンスが違う家庭が多いのだ。 日本人が友人同士や歓談の場であまり宗教の話をしないように、台湾社会でも親しい同士が政治の話をすることは少ない。台湾では長きにわたって戒厳令が存在したため、政治思想について厳しい取り締まりがあった。 人々は普段は政治から一定の距離を置いているが、意見の相違が明らかになると、それまでぐっと堪えていたエネルギーが爆発し、場合によっては激しい衝突を招く恐れがあったからである。 日本では台湾政治における民主化の成熟度ばかりに目が行きがちだ。だがその一方で、台湾人自身は政治によって分断された家庭や社会を、どのようにしようとしているのか。台湾の人々の努力と模索を知っておいたほうがいいだろう』、「台湾」でも「政治によって分断された家庭や社会」の「修復し前進」、が課題になっているとは、初めて知った。注目したい。

次に、7月30日付け東洋経済オンラインが台湾『今周刊』を転載した「台湾「デジタル大臣」が生んだ政治の新スタイル タン氏が提唱する「官民連携」の新たな姿とは」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/365638
・『台湾の唐鳳(オードリー・タン)デジタル担当大臣。彼女には、必ず「天才」という呼び名がつきまとう。 台湾政府の中でも特殊な存在であるというタン氏だが、彼女は自身が英雄になることを望んでいない。タン氏が求める道は、市民と意見を交わし、ともに社会へ貢献していくことだ。日本でも話題となった「マスクマップ」(注)はその一例だ。では、この天才はどんな信念をもって台湾の政治に新しい風を吹かせたのか』、(注)マスクマップ:マスクの在庫を国が管理し実名での購入制を1か月前から導入。番号での購入可能日の区分やアプリでの在庫表示を行っている。
・『台湾政治に新スタイルをもたらした  タン氏は2016年、当時の林全・行政院長(首相に相当)の要請を受け、デジタル政務委員(大臣)として入閣した。林院長はタン氏の持つ「異質な遺伝子」を内閣に取り入れたいと考えていた。政策づくりに才能ある民間人を積極的に登用し、異なる視点や意見から刺激を与えることで、政治に革新を起こそうと試みたのである。 タン氏本人も民間と官庁をつなぐパイプ役になりたいと希望し、彼女が長年関わってきた世界のオープンコミュニティの経験を政府と共有したいと考えていたところだった。 林氏が辞任しても、タン氏は続く2人の行政院長の期待を裏切ることはなかった。その代表例が、2020年の新型コロナウイルス流行時に発表されたマスクマップである。これはタン氏らと民間の技術者が協力して作り上げたものだ。マスクマップは海外でも話題となり、日本や韓国で同様のサービスが展開された。その成功はタン氏が長年提唱してきた官民連携の有効性を証明し、台湾の政治に新しいスタイルをもたらした。 マスクマップをはじめ、デジタルツールを駆使して世界的な注目を浴びたタン氏。ここで彼女が強調するのは、「マスクマップは決して特定の個人が作ったものではなく、ソーシャル・イノベーションの結果」ということだ。 タン氏は「簡単に言えば、『みんなのことを、みんなで助け合う』ということ。政府が何をしようとしているかに関係なく、1人ひとりがより良い方法を考え、思いついたらやってみる。マスクマップは、みんなが良いアイディアだと思ったから、みんなで作った」と強調する。 では、社会にイノベーションが起きるとき、政府が果たすべき役割は何か。タン氏はイノベーションにおける政府の役割を政府が市民を全力で支持することだと考えている。 「過去によく聞かれた『シビック・エンゲージメント(市民の社会参画)』というものは、政府がテーマを設定して、市民に意見を求めるというものだった。しかし、ソーシャル・イノベーションは市民がテーマを決め、政府が協力して完成するもの。政府は決して主体ではなく、方向性をコントロールする存在でもない」』、「タン氏の持つ「異質な遺伝子」を内閣に取り入れたいと考えていた。政策づくりに才能ある民間人を積極的に登用し、異なる視点や意見から刺激を与えることで、政治に革新を起こそうと試みた」、その試みは成功しているようだ。「ソーシャル・イノベーションは市民がテーマを決め、政府が協力して完成するもの。政府は決して主体ではなく、方向性をコントロールする存在でもない」、画期的な考え方だ。
・『イノベーションのために新設された職務  タン氏がこれまで強く信じていたのは、「1つの意義のある任務を完成させるには、多くの人の知恵が必要だ」ということだ。タン氏は個人による試行錯誤よりも、大衆の知恵を出し合うことのほうがはるかに効率がよいと考えている。 また、どんな公共政策でも、その影響を受ける市民の数に対し、政策決定する政治家の数は極めて少ない。もし実際に影響を受ける市民らが政策のテーマを設定すれば、その討論の中には多くの意見が取り入れられる。つまり、市民の声を反映した政策は、一部の政府関係者が無理に推進した政策より優れたものになるはずだとタン氏は考えている。 イノベーションを実現させるために、台湾では「パブリック・デジタル・イノベーション・スペース」(PDIS)と「パーティシペーション・オフィサー」(PO / 開放政府連絡人)という2つの職務が創設された。 POに就くのは行政院所属の各機関と独立機関からの出向者で、その役割はメディアや政府のスポークスマンのようなものだ。また、POには自身の所属機関の業務を熟知し、かつ市民にわかる言葉で対外的な説明ができる能力を求められる。同時に市民の意見を内部に伝え、必要であれば会議を開く。PO間でも定例会議があり、各機関を横断する議題について話し合う。 2017年に始まったPOによる成果のうち、タン氏が最も誇らしく思うのは、2017年5月の納税時期に起きた電子納税システム炎上事件だ。きっかけは市民によるFacebookへの書き込みだった。当時、財政部(財務省に相当)が提供していた電子納税用のアプリケーションは使い勝手が悪く、Mac OSにも対応していなかった。 ある市民がMacユーザーはどう納税すればよいのか問い合わせたところ、財務部は「Windowsがインストールされているパソコンを借りて納税してほしい」と回答した。事の次第をネット上に書き込むと、同じ不満を持つネットユーザーから財政部への批判が殺到し、炎上した』、「創設された」「PDIS」と「PO」の2つの「職務」も面白そうだ。日本のE-TAXは「Windows」、しかもInternet Exploare限定だ。「台湾」の爪の垢でも煎じて飲ませたい。
・『成功例の積み重ねでイノベーション強化  炎上するや否や、財務部のPOはすぐに書き込みにコメントした。そして、不満の声を上げたネットユーザーらを招き、対策会議を開いた。その会議の意見を基に、財政部と共に電子納税システムの改善が図られた。 タン氏は「財政部からのPOがコメントした途端、流れが変わった。80%のネットユーザーが(システム改善のための)具体的な提案を出し、残る20%のユーザーは財政部長(大臣に相当)の退任を求めたが、そんな意見は見向きはされなかった。最初の書き込みをした人は単なる財務部批判ではなく、アイデアがあった。伝統的な市民参画のスタイルを打ち破り、完成した電子納税システムの満足度は90%以上だ」と振り返る。 「自身の意見が政策に反映できる」と多くの市民が実感できれば、民間発のアイディアは尽きることなく湧いてくるはずだとタン氏は考える。延べ2000万人以上が利用したマスクマップも同じで、これらの成功例を積み重ね、台湾は市民の手による公共政策イノベーションの力をさらに強めることになるだろう。 中学2年生で学校を離れて自主学習を始めて以来、タン氏はある1つのテーマを研究し続けてきた。それは、2人の間で行われるインタラクティブな対話をいかにして20人、200人、1000人、1万人単位へと広げていくかということだ。これを重んじるタン氏は、大臣に就任後も学校での講演をすべて受けている。すでに100回以上になる。 講演を取り仕切るPDISメンバーの黄子維氏は「タン氏の思いはとてもシンプルで、若い人にもっと政府の運営や実務について知る機会をもってほしいと願っている。もし彼らが(タン氏との)交流の中で政府に興味を持ってくれたら、それはイノベーションの種を未来へまいたことになる」と話す。 公務員といえば「保守的」「慎重」というイメージが強いが、タン氏が提唱する作業を通じて、彼らもイノベーションへの想像力を発揮するようになってきた。 公務員には「他者の成功体験に学び、模倣することに長ける」という特性があり、政府によるイノベーションが最初から大規模になることはない。言い方を変えれば、前例があればスムーズに事が運ぶということだ。市民の意見を取り入れ、大幅に改善された電子納税システムの成功例は、政府機関が民間と協力するためのハードルを下げたと言える。 その一方、タン氏は「私が出会う公務員は、誰もがイノベーションに積極的だ。私たちのところに来るのはチャンスを待っていた人たちなのだ。革新的でない人には会ったことはない」とも語る』、「「自身の意見が政策に反映できる」と多くの市民が実感できれば、民間発のアイディアは尽きることなく湧いてくるはずだとタン氏は考える・・・台湾は市民の手による公共政策イノベーションの力をさらに強めることになるだろう」、日本の官僚のやり方とは正反対で、「イノベーション」を起こす方法として大いに注目される。
・『道を変えても目的地は変わらない  PDISの運営において、タン氏は「市民の知恵こそが至上である」という原則を守り続けている。PDIS内に階級はなく、1人ひとりが異なる専門性を持つプロとして全員が平等に扱われる。 誰か1人に決定権があるわけではなく、何をするにしてもタン氏はまず全員の意見を聞く。そして、大まかな方針のみを決め、細かい手順は随時修正していくやり方でさまざまなプロジェクトを進めている。 このPDIS方式は、従来の公共政策で使われがちな「1つひとつの手順を踏んで事を進め、その進度を厳しくチェックする」という方法から見ると、まったく正反対の考え方だと言える。そのため、「朝礼暮改」「リーダーシップに欠ける」などという批判を受けることも多かった。 これに対し、タン氏は「朝令暮改とは、車の運転に例えるとバックさせたり、外出自体をキャンセルするようなもの。しかし私たちのやり方は『前方の渋滞に気づいたら、別のルートに切り替える』ということだ。道を変えるだけで目的地は変わらない」と反論する。 この新しいやり方で台湾は未来に前進しようとしている。だが、タン氏が退任したら、台湾の政治はこの方向性を維持できるのだろうか。この問いに対し、タン氏は「(オープンガバメントと官民連携は)すでに浸透している。PO制度も公共政策参加プラットフォームも、核心部分はすでに出来上がっていて、あとはそこを押さえてみんなが実践するだけ」と答える。そして、オープンイノベーションが定着していけば、「私という個人がここにいるかどうかは、重要なことではない」と言う。 神童、天才と言われながらも、自身の考えが他人より優れていると考えたことはないというタン氏。彼女の望みは、すべての人が自分の意見や知識を惜しみなくシェアし、誠実に話し合いのできるプラットフォームを作ること。誰もが認める天才がもっとも忌避するのは、孤独なのである。〈台湾『今周刊』2020年7月8日〉』、日本のお粗末なIT担当大臣とは違って、「台湾」は凄い大臣が、「オープンガバメントと官民連携」の旗を振っているとは羨ましい限りだ。今後の展開を注目したい。

第三に、8月1日付けNewsweek日本版が掲載した元朝日新聞記者でフリージャーナリストの野嶋 剛氏による「さらば李登輝、台湾に「静かなる革命」を起こした男」を紹介しよう。
https://www.newsweekjapan.jp/nojima/2020/08/post-11.php
・『<元台湾総統の李登輝が97歳で死去した。民主化+台湾化という「静かなる革命」によって、中国に対抗できる台湾に変革した元総統の大きすぎる功績を振り返る> 李登輝のことを「民主先生(ミスターデモクラシー)」であったと称する記述が、その死去を報じる各メディアの報道で散見された。これは、もともと1990年代半ばにニューズウィークが彼を評した言葉が台湾に逆輸入されたものだ。李登輝が台湾の民主化を推進したことは確かだが、彼の功績を逆に限定してしまう言葉になる気がして、私はあまり好きにはなれない。 李登輝にはそれよりも「ミスター台湾」という称号がふさわしい。なぜなら、今日私たちが目にする台湾は、李登輝によって敷かれた道の上を走っているからだ。そのことは現在、対中関係をめぐる台湾の政治的対立軸によく表れている。 与党・民進党はしばしば「独立志向」と呼ばれるが、実際の政治的立場は中華民国体制を維持しつつ、中国と一定の距離を半永久的に保ち続けていく漸進主義だ。これは2000年以降の李登輝が期待した路線である。 一方、いま野党の立場にある国民党は、やはり中華民国体制は堅持しつつ、対中融和を掲げて中国との接近や交流は積極的に進める考え方だ。こちらは李登輝が国民党トップそして台湾総統であった2000年以前に示していた路線である』、「李登輝にはそれよりも「ミスター台湾」という称号がふさわしい」、同感である。
・『目指したのは独立路線でなく自立路線  2000年総統選で民進党の陳水扁が国民党の連戦を破って政権交代が起きたとき、李登輝は事実上敗北の責を問われて国民党から追放されたようなものだった。彼は自らの政治勢力を立ち上げて民進党と共闘し、国民党の対抗勢力となったが、本人が「私は一度も独立を主張したことはない」と述べていたように、李登輝路線とは終始一貫して、台湾の自立路線であり、独立路線ではなかった。 李登輝は台湾の自立を守るため、民主主義を徹底的に利用しようとした。当時の国民党内の慎重論を押し切って総統選挙を96年に実施し自ら当選したことに象徴されるが、総統のみならず立法委員から市町村に至るまで、選挙のない年はないほど台湾社会の隅々に民主制度が行き渡った。 台湾が堅実に選挙を続けたことの効果は絶大だった。 中国は軍事的・経済的な「ハードパワー」において台湾を圧倒するようになった。 その中国に対抗する上で、民主主義やそこから育まれた多様性・先進性を重視する社会の価値観に代表される「ソフトパワー」によって、台湾は国際社会の支持や同情を集めることに成功した。民主主義や言論の自由を拒み続ける中国との対比は日々鮮明となり、今年1月の総統選の投票率が75%という高い政治参加と相まって、国際的評価を高めている』、「目指したのは独立路線でなく自立路線」、「台湾の自立を守るため、民主主義を徹底的に利用しようとした」、優れた政治的判断だ。ただ、「国際的評価」では、中国の猛烈な攻勢によって、「台湾」承認国が減っていることも事実だ。
・『中国歴代トップが屈した深謀遠慮  選挙実施によるもう1つの効果は、台湾における「中国性」を段階的に打ち消し、「台湾化」と呼ばれる現象を社会に広げた点にある。 大陸から渡ってきた国民党は台湾を反抗拠点とし、(植民地としての)「日本人」から「中国人」への民族転換を推し進めた。そこでは中国人教育が行われ、台湾を本土(故郷)と見なす台湾人の心情は抑え込まれた。そのフタを李登輝は台湾人が自分のリーダーを選ぶ社会へ変えることでこじ開け、日本でも中国でもない台湾化へ向けて社会を変貌させていった。 李登輝が賢明だったのは、これらの重大な変革を、数十年単位という時間軸で起こしたことにある。その進みようがあまりに静かで外部からは分かりにくかったため、台湾問題を「核心的利益」とする対岸の中国ですら、李登輝の思惑にうまく反応できず、もはや後戻りのできないほど「脱中国」が進んでしまった。 もし短期的で劇的な変化であれば、中国は放っておかず、国際社会も制止に動いただろう。だが、選挙を平和的に行うだけで人々の意識を徐々に変えていくことに、明確な介入の理由を見いだすことは難しい。それが、李登輝の企図した「静かなる革命」の本意であったと私は考える。 今日、「台湾は中国ではなく、自分たちは台湾人であり、中国人ではない」という台湾アイデンティティーが、台湾社会の支配的価値観になった。中国は李登輝を台湾独立の策謀者として「千古の罪人」と呼んでいる。だが江沢民から胡錦濤、習近平に至る中国の歴代トップが、日本教育を受けて自らを「22歳まで日本人だった」と称する農業経済の専門家の深謀遠慮に屈したことは明らかである』、「選挙を平和的に行うだけで人々の意識を徐々に変えていくことに、明確な介入の理由を見いだすことは難しい。それが、李登輝の企図した「静かなる革命」の本意であった」、「江沢民から胡錦濤、習近平に至る中国の歴代トップが、日本教育を受けて自らを「22歳まで日本人だった」と称する農業経済の専門家の深謀遠慮に屈したことは明らか」、明快な指摘だ。
・『見事な人生、見事な退場に万感の賛辞を  現職の蔡英文総統が李登輝の死去に対して寄せたコメントで「権威主義の反動と民主主義の理想のはざまで、台湾は静かなる革命を起こし、台湾を台湾人の台湾にしてくれた」と述べたのは、こうした経緯からすれば、非常に得心のいくものだった。 李登輝政治の両輪ともいえる民主化と台湾化によって、歴史上初めて、台湾本島と離島の島々を含んだ土地は「台湾」という共同体となった。台湾はなお国際的に未承認国家のままであるが、もはや「統一か独立か」という問題で国論を二分することはなくなり、「台湾としていかに生き残っていくか」に集中して向き合えるようになった。これは台湾内部の統一支持を広げて分断工作を進めたい中国にとって大きな痛手である。 2020年は台湾にとって大きな歴史的転換点となった。李登輝路線の担い手となった民進党が1月の総統選・立法委員選で圧勝。優れたリーダーシップと国民参加によって世界最高レベルの新型コロナウイルス抑え込みを実現させた。さらに李登輝の死去によって、台湾が真の意味でポスト李登輝の時代に入ったことが劇的に印象付けられた。 李登輝死去のニュースが流れた7月30日夜、台湾に関わる人々の間に形容し難い強い喪失感が共有された。それは、「台湾を台湾人の台湾」にしていく李登輝の時代が名実共に幕を閉じたからだ。 中台関係の駆け引きで李登輝は勝利を収めたが、今後の台湾を導く者が習近平の圧力をしのぎ切れるとは限らない。その意味で、2020年は台湾の新たな試練の始まりの年でもあるかもしれない。 ただ、まずは自らの変革の成功を見届けた上での97歳の大往生に対し、見事な人生、見事な退場であると、万感の賛辞を送りたい。<本誌2020年8月11・18日合併号掲載>』、「台湾を台湾人の台湾」にした「李登輝」はやはり偉大な政治家だったようだ。
タグ:台湾 中国歴代トップが屈した深謀遠慮 から胡錦濤、習近平に至る中国の歴代トップが、日本教育を受けて自らを「22歳まで日本人だった」と称する農業経済の専門家の深謀遠慮に屈したことは明らか 選挙を平和的に行うだけで人々の意識を徐々に変えていくことに、明確な介入の理由を見いだすことは難しい。それが、李登輝の企図した「静かなる革命」の本意であった 「ミスター台湾」 オープンガバメントと官民連携 道を変えても目的地は変わらない 民主先生 政治によって分断された家庭や社会 唐鳳(オードリー・タン)デジタル担当大臣 親子で政治スタンスに違い 罷免(リコール)を問う住民投票が行われ、成立要件だった有権者総数(約230万人)の4分の1を大きく上回る、約94万票が賛成し、市長の罷免が成立 高雄市 po その進みようがあまりに静かで外部からは分かりにくかったため、台湾問題を「核心的利益」とする対岸の中国ですら、李登輝の思惑にうまく反応できず、もはや後戻りのできないほど「脱中国」が進んでしまった 賢明だったのは、これらの重大な変革を、数十年単位という時間軸で起こしたことにある 台湾人が自分のリーダーを選ぶ社会へ変えることでこじ開け、日本でも中国でもない台湾化へ向けて社会を変貌させていった 台湾を台湾人の台湾 野嶋 剛 台湾は市民の手による公共政策イノベーションの力をさらに強めることになるだろう 目立つ韓氏支持者の「異常な行動」 修復し前進 「台湾「デジタル大臣」が生んだ政治の新スタイル タン氏が提唱する「官民連携」の新たな姿とは」 「高雄市長解職であらわになった台湾社会の分断 リコール支持者にみる政治的対立の現実」 高橋 正成 東洋経済オンライン ソーシャル・イノベーションは市民がテーマを決め、政府が協力して完成するもの。政府は決して主体ではなく、方向性をコントロールする存在でもない」 「自身の意見が政策に反映できる」と多くの市民が実感できれば、民間発のアイディアは尽きることなく湧いてくるはずだとタン氏は考える PDIS 台湾の自立を守るため、民主主義を徹底的に利用しようとした 目指したのは独立路線でなく自立路線 見事な人生、見事な退場に万感の賛辞を Newsweek日本版 李登輝 「さらば李登輝、台湾に「静かなる革命」を起こした男」 台湾『今周刊』 マスクマップ 台北に生活の基盤を置く子どもが投票のために高雄に戻ろうとしたところ、親から「戻って来るな、戻るなら親子の縁を切る」とまで言われた人がいる (その1)(高雄市長解職であらわになった台湾社会の分断 リコール支持者にみる政治的対立の現実、台湾「デジタル大臣」が生んだ政治の新スタイル タン氏が提唱する「官民連携」の新たな姿とは、さらば李登輝 台湾に「静かなる革命」を起こした男) 台湾政治に新スタイルをもたらした 成功例の積み重ねでイノベーション強化 イノベーションのために新設された職務 林院長はタン氏の持つ「異質な遺伝子」を内閣に取り入れたいと考えていた。政策づくりに才能ある民間人を積極的に登用し、異なる視点や意見から刺激を与えることで、政治に革新を起こそうと試みた
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外国人労働者問題(その15)(驚くほど真っ黒だった「ノリ弁」 入管民営化に漂う不信(無料部分)、「不法就労する外国人」激増させた日本の大失態 「300万円の罰金」国から請求された経営者も、“新移民国家”日本 失踪する技能実習生1万人と新型コロナ対策) [社会]

外国人労働者問題については、昨年10月25日に取上げた。今日は、(その15)(驚くほど真っ黒だった「ノリ弁」 入管民営化に漂う不信(無料部分)、「不法就労する外国人」激増させた日本の大失態 「300万円の罰金」国から請求された経営者も、“新移民国家”日本 失踪する技能実習生1万人と新型コロナ対策)である。

先ずは、5月22日付け朝日新聞「驚くほど真っ黒だった「ノリ弁」 入管民営化に漂う不信」の無料部分を紹介しよう。
https://www.asahi.com/articles/ASN5M6WJCN5MUUPI005.html
・『外国人専門の中堅の人材派遣会社が、不正な申請で多くの外国人を呼び寄せているのではないか――。そんな情報をもとに、朝日新聞の取材班が本格的に動き出したのは昨年夏のことだった。この人材派遣会社は、出入国在留管理庁(入管庁)の名古屋出入国在留管理局(名古屋市)の窓口業務を担っているという』、興味深そうだ。
・『外国人入国で虚偽の契約書提出か 入管業務担う派遣会社  私は驚いた。 入管といえば、日本で働く外国人の入国審査をしたり、在留資格の延長の可否などを判断したりする「役所」である。その窓口の仕事をしているのが公務員ではなく民間企業の人たちなのだという。しかも、外国人専門の人材派遣会社。外国人受け入れの利害関係者が役所の窓口の仕事をしているとは、外国人問題を取材してきた私にとって思いもよらないことだった。 次から次へと疑問が浮かんだ。 なぜ役所の仕事を、公務員でなく民間企業の人たちがやっているのか。 どうして人材派遣会社がその役所仕事を請け負うことになったのか。 外国人受け入れの当事者である人材派遣会社に公的な仕事を任せて大丈夫なのか。 不正の有無を調べる取材と並行して、これらの疑問を解くための取材を始めた。相手は役所である。ふつうに取材していけば、それほど時間をかけずに疑問は解けるだろうと思っていた。だがそれは甘い期待だったと、後になって思い知ることになる。 最初の疑問。窓口業務をなぜ民間に任せることになったのか、経緯を調べた。ルーツは小泉政権時代(2001~06年)にさかのぼる。 小泉政権の代名詞といえば「郵政民営化」だが、民営化したのは郵政だけではなかった。当時、小泉純一郎首相のブレーン的存在だった経済学者の竹中平蔵氏(現パソナグループ会長)が旗振り役となり、さまざまな行政サービスの民営化を進めたのだ。 そこで登場したのが「市場化テスト」というやり方だ。公共サービスの担い手を決める入札に、役所(官)と企業(民)が対等な立場で参加するしくみで、官民を問わず、より効率的に仕事ができるところに業務を任せるというものだ。やみくもに民営化してしまうのではなく、「テスト期間」を設けることで官民を競わせながら、うまくいくところは民間に任せていくという狙いだ。 入管の窓口業務の民営化も、この「市場化テスト」をつかって進められた』、あの「竹中平蔵」の置き土産とは・・・。「民営化」そのものには賛成だが、監督・摘発権限を持った「入管の窓口業務」には馴染まず、反対である。
・『波乱続きだった「入管民営化」  ここで入管という役所の組織図をおさらいしておく。 法務省の管轄下にある入管庁の下に、全国8カ所にある地方入管がぶら下がっている。この地方入管が、在留資格の更新などの実務を担う。 地方入管のうち、東京、名古屋と大阪の3カ所について、窓口業務などの民営化をめざした市場化テストが11年度に始まった。 「入管民営化」のプロセスを調べてみると、じつは波乱続きだった。東京入管の窓口業務を最初に請け負った事業者は2年目に経営破綻(はたん)し、その後は国の直営、さらに公益財団法人である入管協会と、担い手はめまぐるしく変わった。 14年度に受託した民間企業は「取扱件数が想定より多い」と撤退してしまった。国側は「3年契約」をもくろんでいたが、単年度ごとの契約にならざるを得なかった。 こうしたゴタゴタにもかかわらず、民営化の是非を判定する国の「官民競争入札等監理委員会」は入管窓口業務の民営化を「妥当」と判断。19年度からは法務省が業者選びの入札や契約をするようになった。 不正申請が疑われる人材派遣会社が、名古屋入管の窓口業務の委託先を決める入札で落札したのは、まさにこのタイミングだった。 19年度からは、入札のやり方も変更されていた。入札価格だけでなく企業の業務遂行能力などを総合的に判断して決める「総合評価方式」から、最低価格を提示した企業がそのまま落札する「最低価格方式」に変わったのだ。 価格だけで決まるしくみは、取材対象となった人材派遣会社のような比較的規模の小さい業者にとってチャンスといえる。 そこで新たな疑問が浮かぶ。なぜこのタイミングで入札方式を変えたのだろう? 名古屋入管に取材を申し込み、電話やメールで問い合わせてみたが、よくわからない。 46枚のノリ弁(入管業務民営化の裏にある真実に迫ろうと、取材班の藤崎麻里記者はその一部始終を調べるため情報公開請求をしました。しかし、今度は役所が公開した書類そのものに疑念を持たざるをえない事態が生じます。その後のやりとりを詳報します。(無料ここまで)』、「不正申請が疑われる人材派遣会社が、名古屋入管の窓口業務の委託先を決める入札で落札」、とは信じられない。「入管の窓口業務」が、利害関係者である業者に委託されているのでは、公正な業務遂行は期待できない。

次に、6月10日付け東洋経済オンラインが掲載した経済ジャーナリストの夏目 幸明氏による「「不法就労する外国人」激増させた日本の大失態 「300万円の罰金」国から請求された経営者も」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/354358
・『コロナショックは全国の飲食店に甚大な被害を与えた。また“ステイホーム”中の物流を支えた運送業者も人手不足で疲弊しきった状態だ。その裏で、国策により、飲食店や運送業者に追い打ちをかけるような施策が実施されているのをご存じだろうか。何と、ある日突然、国から300万円の納付を求められるのだ。その原因は、さまざまな業界にはびこる“制度疲労”にあった』、どういうことだろう。
・『「技能実習生の失踪」という日本社会の闇  現在、日本の産業の多くは、少子高齢化による深刻な人手不足に陥っている。これが海外――おもに発展途上国からの「留学生」と「技能実習生」によりまかなわれてきたことはなかば常識と言っていい。 しかし話を少し巻き戻すと「留学生」「技能実習生」という呼び方に違和感はないだろうか? 彼、彼女らは実質的には労働力である場合が多い。なのに、日本で働く時は「留学生」「技能実習生」という立場でなければ在留許可を得られない。 このズレの原因は、日本の入管法(出入国管理及び難民認定法)にあった。この法は“専門的知識、技術的知識を持つ外国人材だけを専門的な職業で受け入れる”と定めている。逆に言えば、法は“肉体労働や単純労働とみなされる職種では外国人を受け入れない”と言っているのだ。 実質的に労働力は足りない、しかし肉体労働や単純労働の現場では外国人を雇用できない。ならば留学生、もしくは“日本の国際貢献として発展途上国の若者に農業や漁業や機械加工を教える”という大義名分の元に与えられる「技能実習生」という資格で来日してもらい、現実的には働いてもらおう、というわけである。 これぞ「建前」だと感じないだろうか。そして国家は、この「建前」による弊害をすべて、貴重な労働力であるはずの外国人の方、さらには労働力不足に悩む現場に押しつけてきた。 前提を整理したい。日本学生支援機構の発表によると、2019年5月1日時点で留学生の数は31万2214人。ちなみにこの層は語学力も高いためコンビニなどで働くことが多い(そう、コンビニで複雑なオペレーションをこなせる外国人の方たちは“労働力”としての価値が非常に高い方たちなのだ)。次に厚生労働省の発表によると、2019年10月末時点で、技能実習生は38万3978人いる。 では、留学生や技能実習生は「建前」によってどう苦しんでいるのか。 まず、個人では日本の複雑な制度に対応できず、多くが現地のエージェントに高額な料金を支払って在留許可を取得することになる。さらに、留学生は「就労時間は週に28時間まで(夏休みなどは1日8時間まで拡大される)」という制約を課され、技能実習生は、実質、来日後に実習先を変えることはほぼ不可能、という状況に置かれる。 実習先が倒産した場合などに、複雑な手続きを経れば実習先を変えることはできるが、実質的には、来日後、どれだけハードな労働を課されても“転職”は不可能だ』、「国家は、この「建前」による弊害をすべて、貴重な労働力であるはずの外国人の方、さらには労働力不足に悩む現場に押しつけてきた」、安部政権らしいやり方だ。
・『偽造カードのブラックマーケット  もし、こうした状況に直面したら、どうするのか? 話すのは、外国人労働問題に詳しい、ワンチェック株式会社の山田貴裕社長だ。 「留学生は偽名を使って2つ目のアルバイト先を探します。コンプライアンスが厳しいアルバイト先では本名で働き、地場の家族経営のような建築業者では偽名で働くのです」 より深刻なのは技能実習生だ。 「こちらは、年間なんと3%もの方が失踪します。失踪の理由は“労働が厳しすぎる”“もっと給与がいい仕事に誘われる”などさまざまです。38万人ですから、約1万人もいなくなっています。厳しい条件で働く技能実習生をそそのかし、別の会社に“売る”ブラックマーケットも存在するんですよ。 さらには、これらの外国人が身分を偽れるよう、ニセの在留者カードを製造・販売するマーケットまで形成されています。私はカードの製造元にも行きました。1枚2万円程度で取引されており、非常によくできています」 ちなみに「ワンチェック」は偽造カードを見抜く機械を販売している企業。山田氏いわく「ニセのカードをつくる側も必死で、ホログラムまで精巧に再現されていて目視ではまずわかりません」という。 要するに、肉体労働を行う外国人は入国できない、とする「建前」のせいで、エージェント(中には詐欺同然の手口で途上国の若者を日本に送り込む業者もある)、さらにはブラックマーケットの人間がトクをし、そのツケは現場の留学生、技能実習生に押しつけられてきたのだ』、「「建前」のせいで、エージェント・・・さらにはブラックマーケットの人間がトクをし、そのツケは現場の留学生、技能実習生に押しつけられてきた」、これでは現代版の公的な搾取だ。
・『「知らなかったでは済まない」罰金300万円  この状態をクリーンにすべく国は動いた。しかし、今度はこのツケを雇用する側に払わせようとしている。 2019年4月1日、入国管理局は「出入国在留管理庁」へと格上げされた。その背景には、五輪開催の年から2025年の万博まで海外からの入出国が増え、国内の労働者も今より足りなくなる、という事情があり、組織は人数、予算共に大幅に拡充された。 そして、拡充された組織は「特定技能」と呼ばれる在留資格をスタートさせた。簡単に言えば、介護、建設、漁業など14の業種で、幅広く外国の人材を受け入れていく、と決めたのだ。 ところが、これが「滑った」。さらには暴走した。 まず、外国人が集まらない。5年で最大34万5150人の受け入れを目指すとしているが、2019年4月の制度開始から半年後、ビザが交付されたのはたった732人という滑りっぷりだ。この原因を山田氏が話す。 「途上国のエージェント、さらには日本で働きたいと思う外国人の方への告知がまったく足りていないのです」 その原因は、政治家のセンセイ方の事情だ。産業界・財界は人手不足に悩み、突き上げを続けていた。一方、政治家は選挙をにらんで強制送還も「国民の血税」、票田、献金の確保のため、急遽この法改正を実現する必要に迫られ、2018年12月8日に法改正を実現し、なんと2019年4月1日にスタートとした。これでは告知の時間もない。 しかもこの法案の一部を厳格に適用し始めた。入管法には「不法就労助長罪」があり、密入国者・不法残留者など、在留資格を持たない外国人を雇用すると300万円の罰金を科せられる。 以前は「働きたい」「雇いたい」というニーズの合致があったためあまり問題も起きず、罰金の件数も少なかったが、入国管理局が出入国在留管理庁になると摘発が急増した。 法律は「知らなかった」では済まない。そしてこれが、コロナショックで大きな被害を被った飲食店や運送業などの現業に追い打ちをかけているのだ。 ある建設業者の実例だ。出入国在留管理庁の職員がやってきて、外国人労働者全員の在留カードの確認を求められた。建設業者は在留カードを確認して雇ったが、それは例のブラックマーケットでつくられたニセのカードだった。 山田氏が話すとおりよくできていて、雇用者はカードを偽造と見抜く術はなかった。なのに「法を知らなかったでは済まない」とばかりに300万円もの罰金を科せられるのだ。 上の建築業者の話だ。 「偽造のカードがあるなんて知らなかったから悔しいですよ。もし厳格に法を適用するなら“あなたの会社で働いている外国人は大丈夫ですか?”といった告知がほしかったし、偽造を見抜けるツールもほしかった。捕まった子は食事も自宅で一緒にとるような間柄でしたが、強制送還されていきました。私も“何かおかしい”と思いながら罰金を払いました。ちなみに強制送還の“旅費”も国民の税金ですよ」』、「入国管理局が出入国在留管理庁になると摘発が急増した」、のは当然のことだ。ただ、罪に問うべきは、「偽造のカード」で「建築業者」に紹介した「エージェント」の筈で、「強制送還の“旅費”」も負担させるべきだろう。
・『今こそ“制度疲労”を正せ  筆者は考える。この不幸の元はすべて、外国人労働者を奇妙な「建前」で日本に招いたことだ。そもそも2019年に始まった「特定技能」のような制度を実施し、正々堂々とビザを発給していれば、ブラックマーケットも失踪者も生まれず、業者も300万円払わされることもなく、我々の税が浪費されることもなかったのだ。 現実に即さない法があれば、人が抜け道を探すのは当然だ。倫理的な是非は置き、現実に風俗営業、遊技場の営業など「抜け道」に頼っている産業は多い。今こそ、政治家・官僚は現実に即しさまざまな法を積極的に改正し、細やかに告知する時期ではないか。 逆に、コロナ禍のさなかには、厚労省、総務省消防庁、国税庁が法を弾力的に運用し、酒造メーカーが「消毒にも使えますよ」と飲用のアルコールを販売している。経産省も持続化給付金を異例の速さで給付した。関係者の努力は高く評価されるべきだ。そしてこれだけのことができるならば、その他の現実にあわない法も続々と改正すればよいはずなのだが……?』、同感である。

第三に、7月8日付け日経ビジネスオンラインが掲載したJX通信社の松本 健太郎氏による「“新移民国家”日本 失踪する技能実習生1万人と新型コロナ対策」を紹介しよう。
https://business.nikkei.com/atcl/seminar/19/00067/070300032/?P=1
・『公的統計データなどを基に語られる“事実”は、うのみにしてよいのか? 一般に“常識“と思われていることは、本当に正しいのか? 気鋭のデータサイエンティストがそうした視点で統計データを分析・検証する。結論として示される数字だけではなく、その数字がどのように算出されたかに目を向けて、真実を明らかにしていく。 第2次安倍政権の発足以降、政府は女性活躍、さらに一億総活躍と皆に「活躍」を求めてきました。 意地の悪い表現をすると、要は「新たな労働力の確保」だと筆者は解釈しています。もっとも「働きたいけど働けない」「希望の働き方ができない」人たちは大勢いるわけですから、そうした方々にとって「働きやすさ」を推進する施策は決して悪いことではありません。 実際、各年代の人口に対する労働力人口の比率を見てみると、2013~15年ごろから上昇傾向が見られます。とはいえ、1人当たりの年収は増えたのかとか、非正規雇用が増えているとか、様々なつっこみポイントがあるのかもしれませんが……。 年齢階級別の労働力人口比率(図はリンク先参照) 一方、農業や漁業、製造業、サービス業など、まだまだ労働力不足が著しい産業・業種もあります。そこで政府は、日本国民だけでなく外国人にも活躍を求めて18年に出入国管理法を改正しました。具体的には外国人の受け入れ政策を見直し、その人数を増やそうという政策です。 もっとも、日本でより多くの外国人に働き手となってもらうなら、それは実質的には「移民」の推進ではないか、と筆者は感じます。実際、入管法改正時にこのことが国会で大きな論戦を巻き起こしました。しかし、安倍首相は一貫して「移民政策ではない」と否定しています。 政府としての定義でありますが、今回の受け入れは移民政策には当たらない。そして、移民政策とはどういう政策であるかということでございますが、例えば、国民の人口に比して一定程度の割合で外国人及びその家族を期限を設けることなく受け入れることによって国家を維持していこうとする政策、そういう政策は取らないということでございます(第196回国会 国家基本政策委員会合同審査会(平成30年6月27日)。  この法改正で新たに受け入れることになるのはざっくりと言えば、「日本に永住しない外国人」です。しかし、それは「移民」と何がどう違うのでしょうか。世界中に新型コロナウイルスがまん延した現在、こうした政策でどのような潜在的デメリットが生まれたのかを改めて振り返ってみることにします』、「安倍首相は一貫して「移民政策ではない」と否定」、建前論に過ぎない。実態をみてゆくべきなのは言うまでもない。
・『国によって異なる移民の定義。具体的に「誰」なのか?  「移民」の数え方について、世界で合意された定義はありません。したがって各国が発表している数字は微妙に意味が異なります。それほどセンシティブな話なのだと推察します。 一般によく引用される1997年の国連事務総長報告書では「通常の居住地以外の国に移動し、少なくとも12カ月間当該国に居住する人」を移民と定義しています。また国際連合広報センターでは「定住国を変更した人々を国際移民とみなす」「3カ月から12カ月間の移動を短期的または一時的移住、1年以上にわたる居住国の変更を長期的または恒久移住」と定義しています。 そうなるとケースによっては、留学生、仕事での赴任者、長期旅行者も「移民」となり得ます。ちなみに、定義には国籍に関する言及はないので、日本で生まれ育った外国籍保有者は、通常の居住地が日本のため「移民」ではなくなります。 これらの定義に従うと、安倍首相の言う「定住しない外国人」も実際は「移民」になるのですが、共通認識となる定義がないため、移民議論は「私はそうは感じない」「日本政府はそのような立場をとらない」といったオピニオン論争に終始してしまいます。実際、国会論戦でそうした場面を多く見かけました。 そこで、いったん「移民とは何か」論争は脇に置いて、数字に目を向けます。 まず、2006年以降の在留外国人の推移を確認します。08年のリーマン・ショック、11年の東日本大震災で少し減少しましたが、12年を底に7年間で約1.4倍に増加して、19年末には293万3137人を記録しました。 在留外国人の推移(2006年~19年)(図はリンク先参照) 在留外国人と聞くと、主に在日韓国・朝鮮人や在日台湾人の方々など特別永住者の方が半数を占めているイメージがありますが、実態は大きく異なります。特別永住者は19年末時点で31万2501人、全体の11%ほどでしかありません。 実際には、中長期在留者と呼ばれる外国人が大半です。中でも永住者、技能実習生、留学生など上位3つの在留資格で過半数を占めます。過去10年間の推移を見ると、技能実習生が特に大きく増えていると分かります。 残留資格別に見た中長期残留者の過去10年間の推移(図はリンク先参照) 仮に「移民」を国連の定義より厳格にして、安倍首相のイメージされているような「日本に永住している人たち」に限ったとしても、「特別永住者+永住者」で2019年には110万人を数えます。この数は富山県や秋田県の人口より多いのです』、「「特別永住者+永住者」で2019年には110万人」、とは想像以上に多いようだ。
・『知られていない移民大国「日本」の実態  世界各国の「移民」に関する指標と比べてみると、日本がどのような位置付けにあるかが分かります。OECDの「International Migration Outlook 2019」によれば、17年の外国人流入数で日本は第4位にランクインしています。その順位の高さにちょっと驚きます。 各国の外国人流入数(2017年)(図はリンク先参照) ただし、「流入数」は「フロー」であり、「ストック」を意味していません。また伝統的な移民国家として知られるオーストラリア(11位)、カナダ(9位)、ロシア(対象外)が日本より下にランクしている結果は、どうにも解せません。これらの国の「流入数」は、各国統計のうちどのデータを参照しているのか細かい記述が見当たらないのですが、おそらく日本で言うところの「永住のみ」を対象にしているのではないか、と推察します。 そこで今度は国連による移民データに目を向けます。それぞれフローとストックが用意されていました。「The 2019 Revision of World Population Prospects」ではフローが分かります。15~20年の5年間の推計値で純移民流入数(自国への移民流入数から外国への移民流出数を差し引いた人数)は以下の通りと分かりました。この図で見ると日本は16位、先進国に限れば(ロシアを含めなければ)7位となります。 国別の純移民流入数(2015~20年)(図はリンク先参照) 米国やドイツを基準にすると低く感じますが、先進国第7位は「思っているより高い順位」ではないでしょうか。 さらに「International Migrant Stock 2019」ではストックが分かります。19年におけるinternational migrant(自国に住む外国生まれの居住者もしくは外国籍の居住者の推計人口)は以下の通りです。これを見ると日本は26位、先進国に限れば(ロシアを含めなければ)10位となります。 国別の移民人口(図はリンク先参照) どうやら、日本のニュースの多くはOECDのデータを参照しているようですが、より実態に近いのは国連のデータではないかと思います。 そして、米国、英国、オーストラリア、カナダのような代表的な先進国における移民国家と違い、日本が先進国の中で新興の「移民国家」として顔をのぞかせているのは、相対的な順位からしても間違いありません。 すなわち、入管法改正で「移民か」「移民ではないか」と議論するよりも、早急に「増え続ける外国人にとって、働きやすい日本であるためにどうするか」について議論が必要なのです』、これだけ存在感を増し、「移民大国」になっている以上、その通りだ。
・『残るも地獄、帰るも地獄、技能実習生制度の問題  「働きやすさ」には様々な観点があるでしょうが、少なくとも「低賃金」「長期労働」の職場ではありません。しかし、実際にそうした職場で働かされていたのが外国人技能実習生です。 法務省が18年に公開した「失踪技能実習生の現状」と題したリポートには、不法残留などの入管難民法違反で検挙された2892人に対して実施した聞き取り調査で、「低賃金」「低賃金(契約賃金以下)」「低賃金(最低賃金以下)」があり、このうちいずれかあるいは複数にチェックしたのは2870人中1929人(67.2%)でした(この調査では当初、これら低賃金による失踪原因を「より高い賃金を求めて」という調査項目にない言葉に言い換えていたとして問題になりました)。また、法務省が18年に発表した「平成29年の『不正行為』について」によれば、299件あった外国人の研修・技能実習にかかわる「不正行為」中、労働時間や賃金不払等によるものは163件(54.5%)と最も多かったのです 。 この結果を受けて、「技能実習制度の運用に関するプロジェクトチーム」が18年に設置され、19年3月に「調査・検討結果報告書」が発表されました。報告書では5218人の失踪技能実習生と4280の実習実施機関に調査を行い、客観的な資料が手に入った3560人中721人(重複含め延べ893人分)に不正行為が認められました。 類型別に見た失踪技能実習生への不正行為(図はリンク先参照) 客観的な資料が手に入ったもので、この状態ですから、資料が手に入らなかった(資料すらない?) 1658人が働いていた環境はより過酷なものだったのではないかと思うのは、私だけでしょうか。ちなみに、「協力を拒まれたため調査を行うことができなかった(113機関155人分)」「倒産、所在不明等により、調査を行うことができなかった(270機関320人分)」との記載もあり、闇の深さを感じずにいられません。 技能実習生の失踪は年々増加しており、14年には4847人でしたが4年後の18年には9052人と2倍近くまで増えています。 技能実習生には、日本に中長期間在留する外国人に対して交付される在留カードが渡されますが、失踪した時点で失効します。そうなると、実習生は「不法滞在者」となってしまいます。「不法滞在者=見つかったら本国送還」です。ちなみに日本における不法滞在者は19年1月1日時点で計7万4167人と分かっています。 在留技能実習生+新規技能実習生の合計人数に占める失踪技能実習生数の割合の推移)(図はリンク先参照) ちなみに、この増加傾向については「技能実習生が増加しており、失踪率は2~3%の範囲内で収まっている」と説明する人もいますが、国が「分母は増やす」と言っている以上、率を下げないと失踪者自体は増加する一方です。新型コロナ禍の中、当面、新規の実習生が増えることはないでしょうが、すでに40万人を超える人たちが実習生として働いています。そして年に1万人近い人たちが失踪するという現実は無視してはいけないでしょう』、確かに「年に1万人近い人たちが失踪」、重い現実だ。
・『技能実習生にも新型コロナ対策を  失踪者の増加は、今まで重く受け止められなかった問題かもしれませんが、このコロナ禍においては大問題です。皆さんに想像してほしいのです。もし、うち1人でも新型コロナに感染したとします。どうやって適切な検査・治療を受けられるでしょうか? 他人に在留カードを貸与することは違法です。よほどでない限り「在留カードを使って治療を受ける」ことは難しいでしょう。 社会的弱者へのケアが感染拡大リスクを低減させるために必要なことは、この連載の「新型コロナ第2波に向け社会的弱者のケアを」でも書きました。同じことが、“移民”にも必要だと思います。 現在、再び感染が広がっていますが、多くは20~30代の若者で、無症状が大半だといわれています。しかし、自覚症状が出たとしても病院にすら怖くて行けない人たちが一定数いることに、もう少し着目してほしいのです。不法滞在者が集まって暮らしている環境はおそらく3密であり、その場所自体がクラスターとなった場合、どうやって発見、根治できるでしょうか。 こうした状況は失踪した技能実習生を責めるのではなく、そうせざるを得なかった環境をつくった人たち、一定の割合で起こることスルーしている法務省や政治家の皆さん、そして外国人にも活躍を求めた政府の皆さんのそれぞれが「どうすればよいのか」と考えるべき事案だと考えられます。 例えば、不法滞在者が新型コロナに感染した場合、「感染を隠す」ことにならないように医療費は無償、かつ完治するまで日本に滞在させ、また何らかの罰則が科された後、日本で再び就労できるような支援はできないでしょうか。今は、感染を隠してしまう状況をつくることが怖いと思うのです』、「移民」での感染の恐ろしさは、自国民の感染対策では成功したシンガポールで問題化、ドイツでも食肉工場での外国人労働者で問題化した。日本でも自らの問題として、早急に対策を打ち出すべきだ。
タグ:ドイツ 不法滞在者が新型コロナに感染した場合、「感染を隠す」ことにならないように医療費は無償、かつ完治するまで日本に滞在させ、また何らかの罰則が科された後、日本で再び就労できるような支援は 年に1万人近い人たちが失踪 知られていない移民大国「日本」の実態 国によって異なる移民の定義。具体的に「誰」なのか? 松本 健太郎 今こそ“制度疲労”を正せ 入国管理局が出入国在留管理庁になると摘発が急増した さらにはブラックマーケットの人間がトクをし、そのツケは現場の留学生、技能実習生に押しつけられてきた 偽造カードのブラックマーケット 留学生、もしくは“日本の国際貢献として発展途上国の若者に農業や漁業や機械加工を教える”という大義名分の元に与えられる「技能実習生」という資格で来日してもらい、現実的には働いてもらおう 彼、彼女らは実質的には労働力である場合が多い。なのに、日本で働く時は「留学生」「技能実習生」という立場でなければ在留許可を得られない 「技能実習生の失踪」という日本社会の闇 夏目 幸明 「入管の窓口業務」が、利害関係者である業者に委託されているのでは、公正な業務遂行は期待できない 不正申請が疑われる人材派遣会社が、名古屋入管の窓口業務の委託先を決める入札で落札 波乱続きだった「入管民営化」 ルーツは小泉政権時代 「驚くほど真っ黒だった「ノリ弁」 入管民営化に漂う不信」 (その15)(驚くほど真っ黒だった「ノリ弁」 入管民営化に漂う不信(無料部分)、「不法就労する外国人」激増させた日本の大失態 「300万円の罰金」国から請求された経営者も、“新移民国家”日本 失踪する技能実習生1万人と新型コロナ対策) シンガポール 技能実習生にも新型コロナ対策を 残るも地獄、帰るも地獄、技能実習生制度の問題 「特別永住者+永住者」で2019年には110万人 「“新移民国家”日本 失踪する技能実習生1万人と新型コロナ対策」 日経ビジネスオンライン 罪に問うべきは、「偽造のカード」で「建築業者」に紹介した「エージェント」の筈で、「強制送還の“旅費”」も負担させるべき 「知らなかったでは済まない」罰金300万円 「建前」のせいで、エージェント 国家は、この「建前」による弊害をすべて、貴重な労働力であるはずの外国人の方、さらには労働力不足に悩む現場に押しつけてきた 法は“肉体労働や単純労働とみなされる職種では外国人を受け入れない” 「留学生」と「技能実習生」によりまかなわれてきた 「「不法就労する外国人」激増させた日本の大失態 「300万円の罰金」国から請求された経営者も」 東洋経済オンライン 「最低価格方式」 監督・摘発権限を持った「入管の窓口業務」には馴染まず、反対 竹中平蔵氏(現パソナグループ会長)が旗振り役となり、さまざまな行政サービスの民営化を進めた 外国人入国で虚偽の契約書提出か 入管業務担う派遣会社 朝日新聞 外国人労働者問題
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米中経済戦争(その12)(「脱中国」サプライチェーンが世界中で本格化 日本の製造業も対応急務、領事館閉鎖は序の口 バイデン政権が狙う中国潰し 大統領選対策のトランプ芝居とは異なる強硬な対中政策へ、ポンペオ演説ににじむ「対中政策」後悔の端緒 6年前に現れていた"中国台頭"の懸念と予兆) [世界情勢]

米中経済戦争については、6月4日に取上げた。今日は、(その12)(「脱中国」サプライチェーンが世界中で本格化 日本の製造業も対応急務、領事館閉鎖は序の口 バイデン政権が狙う中国潰し 大統領選対策のトランプ芝居とは異なる強硬な対中政策へ、ポンペオ演説ににじむ「対中政策」後悔の端緒 6年前に現れていた"中国台頭"の懸念と予兆)である。

先ずは、7月10日付けダイヤモンド・オンラインが掲載したジャーナリストの姫田小夏氏による「「脱中国」サプライチェーンが世界中で本格化、日本の製造業も対応急務」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/242724
・『新型コロナウイルスのまん延をきっかけに、世界各国の製造業は中国に依存したサプライチェーン(製品供給網)の再構築を迫られている。米国は通商政策の結果、昨年、中国からの輸入を減少させた。日本もコスト削減以上に、防疫、国防、ブロック経済化を視野に入れた供給網の見直しを迫られている』、「日本」の「供給網の見直し」はどうなるのだろう。
・『いち早く国内回帰へ動いた台湾の製造業  サプライチェーン(製品供給網)の再編は、深刻化する米中貿易戦争で重要な検討課題となっていた。これにくさびを打ち込んだのが新型コロナウイルスだ。これまで「米中間の政治マター」ともいわれてきたサプライチェーンの国内回帰の動きだが、グローバル化の後退とともに本格化する気配だ。 中国大陸からのサプライチェーンの移転で、迅速な動きを示したのが台湾だった。2019年、深刻化する米中貿易戦争を背景に、「国内回帰」と「南下政策」の2本立ての政策を打ち出した。国内回帰策といわれる「歓迎台商回台投資行動方案」に基づき、中国で操業している台湾企業を対象にUターン投資を推進した結果、20年7月2日時点で192社、総額で約7763億台湾ドル(約2兆8323億円)の投資が認可された。 その中には世界に冠たる技術を持つ企業もあり、水晶デバイスで世界首位の台湾晶技(TXC)、リニアガイドの生産量で世界屈指の上銀科技(ハイウィン・テクノロジーズ)、半導体のイオン注入装置大手の翔名科技(フィードバックテック)などが、台湾での操業のための準備を着々と進めている。 日本でも昨年、中国からの生産シフトが議論されたが、台湾のような積極的な動きは特に見られなかった。経済産業省の外郭団体である日本立地センターにヒアリングしたところ、「拠点を国内に戻す企業は一部あるものの、国内回帰が潮流になるほどでもない」とし、「海外での事業を継続するのが日本の製造業の傾向」という回答だった。 同年10月5日、日本経済新聞は、日本企業の中国担当者1000人を対象にしたアンケート結果を公表したが、「現状維持で様子見」が約6割を占めていた。筆者も中国駐在者にたずねたところ、「弊社の生産活動は中国市場への供給がメイン」という回答や、「米中の政治マターだから、そのうち元のさやに収まるのではないか」という見方もあった。 新型コロナウイルスの打撃を受ける前までは、インバウンド需要もあり、化粧品メーカーなどを中心に、日本国内での生産拠点を増強する動きも見られた。化粧品は訪日外国人客の間で高まる日本ブランド人気で、前年に品切れが続出したこともあり、国内体制の強化が待たれていた。 その一方で、「海外シフトを強めたことのツケで、工場を増設しても技術者が足りない」という声も聞かれた。化粧品のみならず、日本は製造業の空洞化が長年続いたこともあり、技術者は雲散霧消してしまい、製造現場での労働者確保が懸念材料となっていたのは周知のとおりである』、「中国で操業している台湾企業」は「国内回帰」に力を入れているのには、香港情勢も影響している筈だ。他方、「海外での事業を継続するのが日本の製造業の傾向」とは何事も慎重な日本企業らしい。
・『米国は貿易戦争で900億ドルの減少に  18~19年にかけて激しい米中貿易戦争を繰り広げた米国だが、米国企業の生産拠点にはどのような変化が起こっているのだろうか。 米コンサルティングファームのA.T.カーニーは4月、アジア14カ国・地域の低コスト生産国(中国、台湾、マレーシア、インドネシア、インド、タイ、ベトナム、パキスタン、スリランカ、カンボジア、香港、シンガポール、バングラデシュ、フィリピン)からの19年の合計輸入額は7570億ドル(約81.8兆円)となり、前年の8160億ドル(約87.5兆円)から7.2%、金額にして590億ドル(約6.4兆円)が減少したと、調査結果を公表した。 中国からの総輸入額は900億ドル(約9.7兆円)減少し、中国以外の低コスト生産国から310億ドル(約3.3兆円)増加したうちの約半分がベトナムからの輸入だという。A.T.カーニーは「高関税をかわすために、中国の生産者がベトナムで積み替えて米国に出荷したことが考えられる」と推察している。同様に、メキシコからの輸入も130億ドル(約1.4兆円)増加している。 このような動向を表すのが、製造業の輸入比率(MIR)である。19年に12.1%をつけたが、これは米国の製造業総生産の1ドルごとに、アジアの低コスト生産国から12.1セント相当のオフショア輸入を行ったことを示している。MIRは11年以降、一貫して右肩上がりが続き、18年は13.1%まで上昇していた。 また、08年から追跡を開始したリショアリング(海外拠点の国内回帰)指数は、98ポイントという前例なき急上昇を示した。18年はマイナス32ポイントだったことからすると、「2019年のシビアな米中貿易戦争で、多くの米国企業が代替手段を模索した結果」(A.T.カーニー)だといえる。 昨年は、米国の通商政策により多くの米国企業が中国からの輸入を減らそうと並々ならぬ企業努力を強いられたが、その一方で、「貿易戦争が終われば元に戻る」ともささやかれていた。しかし、A.T.カーニーのレポートは「新型コロナウイルスの影響でその可能性はなくなった」と断じている。 A.T.カーニーがまとめた19年の結果は、米国のサプライチェーンが中国以外のほかの低コスト生産国にシフトしたことを告げるものだが、中国からの米国内への回帰は依然課題であり続けているようだ。自動化の導入や熟練工の確保の進展については、引き続き目を向けていきたいところだ』、「米国のサプライチェーンが中国以外のほかの低コスト生産国にシフト」は発生したが、「米国内への回帰」はコストから難しそうだ。
・『世界の権威が指摘する反グローバリゼーションの動き  3月20日発行の米外交専門誌「フォーリン・ポリシー」には、12名の論客が「ポストコロナの世界動向」についてコメントを寄せているのだが、うち3名の論客が従来のサプライチェーンの継続性について、以下のような悲観的見解を示している。 英国王室国際問題研究所所長のロビン・ニブレット氏は、「新型コロナウイルスは、政府、社会、企業に長期的な経済的孤立を強いるものとなり、21世紀初頭に定義された有益なグローバリゼーションの考えに戻る可能性は非常に低いと思われる」と指摘している。 ピュリツァー賞を受賞した米国ジャーナリストのローリー・ギャレット氏は「サプライチェーンは消費地に近づき、企業の短期的な利益はカットされるが、システム全体の回復力は高くなる」と論じ、米外交官のリチャード・N・ハース氏は「サプライチェーンの脆弱性から、地産地消に向かうだろう」と主張している。 12人の論客のコメントから感じ取れるのは、つい最近まで進展を見せたウィン-ウィンの関係によるグローバル化は陰りを見せ、その逆の動きが始まるという世界の流れの大きな変化だ。 こうした逆流に日本も無縁ではいられない。最近、中国が尖閣諸島で見せる動きなど、日中間が抱える火種の再燃も懸念され、ひとたびこれがこじれるような事態になれば、中国は日本に経済制裁を科してくるに違いない。世界覇権を急いでいるようにも見える中国だが、同国では有識者による「世界は今後、米国と中国の2つの陣営に棲み分けされる」とする発言が目立つようになった。中国からすれば、日米同盟を理由に日本を同じ陣営とは解釈しないだろう。 周りを見渡せば、日本人の生活を取り巻く商品の大半が「メイド・イン・チャイナ」である。生鮮野菜、加工食品、冷凍食品などの食にかかわる商品はもちろん、医療用品、家電製品、小物雑貨に至るまで、ありとあらゆるものが中国からの輸入品だ。 コロナ禍の日本はマスクや医療用品の不足解消に奔走させられたが、ひとたび非常事態に陥れば、中国からの供給は、こつぜんと途絶えてしまう怖さを目の当たりにした。コスト削減を目的に日本から出ていったサプライチェーンだが、ここに防疫や国防、ブロック経済化のリスク回避が加わる今、日本企業も国内回帰や拠点分散化を加速させるときが来たようだ』、「つい最近まで進展を見せたウィン-ウィンの関係によるグローバル化は陰りを見せ、その逆の動きが始まるという世界の流れの大きな変化だ」、「日本企業も国内回帰や拠点分散化を加速させるときが来たようだ」、「日本企業」もいつまでも慎重姿勢を続けることは許されないだろう。

次に、7月27日付けJBPressが掲載した読売新聞出身で米国在住のジャーナリストの高濱 賛氏による「領事館閉鎖は序の口、バイデン政権が狙う中国潰し 大統領選対策のトランプ芝居とは異なる強硬な対中政策へ」を紹介しよう。
https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/61451
・『米中の「カブキ・プレー」とは  中国の習近平政権は7月27日、四川省成都の米総領事館(総領事以下現地雇い中国人を含むと200人)を閉鎖、米外交官を国外追放した。 米国のドナルド・トランプ政権によるテキサス州ヒューストン総領事館(総領事以下60人)閉鎖に対する対抗措置だ。 米政府高官によると、同総領事館は米国の知的財産を窃取する一大拠点。 同総領事館の幹部は、学生や研究員という肩書を隠れ蓑に米国の学術機関に入り込んでいる中国人スパイに具体的な指示を出し、情報収集活動を支援していたという。 また米国に「亡命」している中国の反体制民主派活動家を本国送還させるタスクフォースの滞在拠点にもなっていたという。 ヒューストンの地元メディアによると、閉鎖命令が出された直後、領事館の裏庭ではドラム缶に大量の文書が投げ込まれ、領事館員が焼却しているのを隣人が目撃。 黒煙が立ち込めたため市の消防隊が出動したが、外交特権を行使して館内には入れさせなかった。 いずれにせよ、米中の在外公館閉鎖の応酬は、ヒューストンと成都といったローカルな話でとどまりそうにない。少なくとも米大統領選の行われる11月3日まではさらに強まりそうな雲行きになってきた。 トランプ大統領は、次の手としてサンフランシスコ総領事館閉鎖を考えており、これに対し、習近平主席は米国の香港総領事館閉鎖を検討しているとの憶測も出ている。 中国が米国の学術機関や民間企業が開発している先端技術情報、いわゆる米国にとっての知的財産を盗み出そうとするスパイ活動は今に始まったことではない。 それは諜報員を使ったものもあればサイバー攻撃によるものもある。 また中国だけがそうした窃取活動をしているわけでもない。 特にサイバー攻撃は中国以外、ロシアやイラン、北朝鮮といった「敵対国」も活発だ。さらにはイスラエルなど米国の同盟国も先端技術情報を盗み出そうと必死だ。 米国もこれら諸国にスパイを送り込み、同様の諜報活動を行っている。 スパイ活動は送り出した国にとっては「愛国者」であり、「英雄」だ。米中メディアも今回の在外公館閉鎖を大きく報道している。 米サイドは、トランプ大統領をはじめマイク・ポンペオ国務長官、ロバート・オブライエン大統領補佐官(国家安全保障担当)、ビル・バー司法長官、クリストファー・レイ米連邦捜査局(FBI)長官が相次いでこの件について公の場で言及し、中国の窃取活動を激しく非難している。 だが、中国やロシアによる米国内での諜報活動はこれまでにも摘発され、外交官が国外追放になったケースは少なからずある。 みな穏便かつ冷静に行われ、処理後は何事もなかったかのように外交関係は続けられてきた。 中国の蔡偉ヒューストン総領事が指摘するように「国際法と国際関係の基本的なルールに違反して」在米中国公館を閉鎖するのは異例だ。 しかも大統領自らがこれを命じたことを公言するのも例がない』、「ヒューストン・・・領事館の裏庭ではドラム缶に大量の文書が投げ込まれ、領事館員が焼却しているのを隣人が目撃。 黒煙が立ち込めたため市の消防隊が出動」、というのは日本のテレビでも流れた。やはり都合が悪い文書があったのだろう。
・『中国と「小さな戦争」望むトランプ支持層  いったいトランプ政権内部で何が起こっているのか。 北京の米国大使館に勤務したこともある国務省の元高官は今回の事件をこう見ている。「ポンペオ国務長官が7月23日にカリフォルニア州ヨーバリンダのニクソン記念図書館で行った演説を読めば分かることが一つある」 「ポンペオ長官はこう言っている。『もし我々が中国に跪けば、これからの世代、我々の子供たちの子供たちは中国共産党のご慈悲の下で加護を受けることになる』」「知的財産窃取から南シナ海での軍事示唆活動に至るまで、中国の独善的な行為について米国民は苛立たしく思っている。それは労働者層、ビジネス界、エリート層に共通している」 「ピュー・リサーチ・センターの世論調査でも中国が米国にとって『最大の敵』と答える米国民は62%に上っている」 「新型コロナウイルス感染症発生以後、こうした傾向はますます強まっているようだ」(https://www.pewresearch.org/global/2020/04/21/u-s-views-of-china-increasingly-negative-amid-coronavirus-outbreak/)) 「それを今、トランプ政権は徹底的に批判し、積極的に中国に是正を求めている、というジェスチャーは大統領選には効き目がある」 (https://www.state.gov/communist-china-and-the-free-worlds-future/) 今回の事件はトランプ大統領が打ち出した新たな選挙キャンペーン的要素がある。 「米国内、特にトランプ支持層には中国との(大規模な戦争ではなく、限定されたいざこざといった意味の)『スモール・ウォー(小さな戦争、小競り合い)』を望む者が少なくない」「反中は、彼が食らいつきたいくなる『レッド・ミート』*1だからだ」 *1=調理前の赤みががかった肉。そこから望んでいる政策や主張を意味している。 「新型コロナウイルス感染症対応のまずさ、白人警官による黒人男性殺害事件以後の『ブラック・ライブズ・マター』運動、デモ鎮圧措置など、トランプ氏は何をやってもうまくいかない」「支持率は降下、目玉商品だった経済も低迷と、大統領選に向けて明るい材料はゼロ」 「そこでこのタイミングで、米世論の反中ムードに乗っかる形で中国に対する強硬姿勢を見せたわけだ」「中国による知的財産窃取問題はトランプ政権発足以前からあり米中首脳会談でも何度も取り上げられた懸案だ。今急にこうなったわけでもない」「米中外交当局はそんなことは先刻承知。目下のところは総領事館閉鎖の応酬でメディアは騒いでいるが、外交当局者がやっているのは『カブキ・プレー』*2だ」 「問題なのはその『カブキ・プレー』、が実際の米中外交関係にインパクトを与え始めていることだ」 もう一人、バラク・オバマ政権下で東アジア太平洋担当の国務次官補を務めたダニエル・ラッセル氏(現在アジア協会政策研究所副会長)も同じような見方をしている。 「ヒューストン総領事館の閉鎖は、米中間の間で存在している外交チャンネルをさらに減らすことになり、その修復は極めて困難になってくるだろう」「中国サイドは今回のトランプ大統領の決定は、知的財産問題そのものよりも大統領選挙に関係がある、と言っている」「この指摘に反論するのは極めて難しいのではないだろうか」』、「このタイミングで、米世論の反中ムードに乗っかる形で中国に対する強硬姿勢を見せたわけだ」、「外交当局者がやっているのは『カブキ・プレー』」、さもありなんだ。
・『ソフト・ターゲット狙った中国人スパイ  米メディアは保守系ウォールストリート・ジャーナルはじめワシントン・エグザミナーなどは中国の知的財産窃取事件を大々的に報道している。 ウォールストリート・ジャーナル(7月25日付)は、新たにシンガポール国籍の中国人、ジュン・ウェイ・ヤオ容疑者が中国の諜報機関に雇われて米国務省に勤務する米国人や民間人から極秘情報を入手していた容疑で逮捕、起訴したと報じている。 検察の訴状によれば、ヤオ容疑者は国務省職員に謝礼を出して定期的にリポートを書かせ、そのうち特定の質問に答えさせる方式で情報を入手していたという。 同容疑者は司法省当局に対し、容疑を認めているという。 入手した情報には中国軍が欲しがる多用途性ステルス戦闘機「F-35B」に関する極秘情報もあったという。 「ヒューストン総領事館の知的財産窃盗事件とは直接関係ないが、中国諜報機関は外国籍の中国人のネットワークを通じて『ソフト・ターゲット』(=Soft Target、狙いやすいカモ)を標的にして情報収集をわが裏庭でやっていた」(ウォールストリート・ジャーナル) (https://www.wsj.com/articles/china-operative-pleads-guilty-to-spying-in-u-s-11595629687) 米メディアがここにきて集中的に報じている中国のスパイ事件は以下の通りだ。)*2=米政治用語で「言い争っている双方がともに落としどころは分かっていながら世論向けにはあたかも対立しているかのように見せる政治交渉」という意味。 もう一人、バラク・オバマ政権下で東アジア太平洋担当の国務次官補を務めたダニエル・ラッセル氏(現在アジア協会政策研究所副会長)も同じような見方をしている。 ●2019年12月、ボストン国際空港から中国に向かおうとしていた中国人研究員、ツァオ・ソン・ツェン容疑者が新型コロナウイルス関連の生態研究用試料ビン21本を持ち出そうとしていたことが判明、その場で逮捕された。 ●2020年1月にはボストン大学留学中の中国人学生、ヤン・クイン・イエ、6月にはスタンフォード大学留学中のソン・チェン、カリフォルニア大学デービス校留学中だったタン・ジュアン(女性)をそれぞれビザ申請虚偽申告容疑で逮捕した。 3人とも入国した際には学生・学術ビザで留学していたが、実際には中国軍直轄の空軍軍事医学大学などに籍を置く現職軍人(諜報部員とみられる)だったことが判明したためだ。 タン容疑者は司法当局の尋問を受けた直後、サンフランシスコの中国総領事館に逃げ込んだが、その後逮捕された。 むろん、この容疑はあくまでも別件逮捕。スパイ網解明が主目的と見られる。 ●米国に2009年から居住していたリ・シャオユ、ドン・ジャジイの2人の中国人スパイが中国国家安全部に指示され、テキサス、マサチューセッツ、バージニア州などのエンジニアリング・テクノロジー企業など25社をハッキングしていた容疑で逮捕状が出された。 2人はすでに出国し、中国に帰国した模様だ。 2人は、新型コロナウイルス感染症ワクチンの開発情報をはじめ軍事衛星関連などの極秘情報を中国に送っていたことが発覚している。 新型コロナウイルス発生後は、中国が米国の特効薬やワクチン開発に関する情報を欲しがっていたことが浮き彫りになっている』、「米国」への「スパイ」活動は大いにありそうで、特段、珍しいものではない。
・『「バイデン対中外交」の青写真  トランプ大統領の有権者に対するメッセージは一つ。 「中国をここまで傲慢にさせたのは、バラク・オバマ政権と民主党だ」「なぜこれほど米国の財産である先端技術情報を中国が盗むのを手をこまぬいて見逃していたのか」「しかもコロナ禍発生以後、中国人民解放軍直轄の諜報機関が米国が開発中のコロナ特効薬やワクチンに関する情報を盗もうとしている」「中国の野望に立ち向かえるのはトランプ大統領を再選させる以外にない」 オバマ政権が中国によるスパイ活動阻止に無関心であったわけではない。ところが当時は中国側も米国によるサイバー攻撃があると反論、そうした事例も明るみに出ていた。 結局、2015年9月の米中首脳会談では、商業利益を得ることを目的としたサイバー攻撃を行わないことで合意、そのための新たな対話メカニズムを創設することでお茶を濁した経緯がある。 それから5年。中国はスパイ投入とサイバー攻撃の両面から米国の知的財産窃取活動を活発化させてきたのだ。 (https://www.politico.com/story/2017/11/08/trump-obama-china-hacking-deal-244658) 米中関係の現状を踏まえれば、ジョー・バイデン前副大統領が次期大統領になっても中国のスパイ活動に厳しい対応をとることは必至だ。 問題はトランプ政権の手法とは大きく異なることだろう。 バイデン政権は、米国内に入り込んでいる中国人スパイを摘発・逮捕するのではなく、むしろサイバー攻撃による知的財産窃取活動への対応強化を図るのではないだろうか。 それを暗示する報告書がこのほど明らかになった。 米上院外交委員会の民主党委員長格のロバート・メネンデス議員(ニュージャージー州選出、2013年~15年外交委員長)が同委員会の民主党系スタッフに委託して調査し、作成した中国のサイバー攻撃に関する報告書*3が21日公表されたのだ。 *3=『The New Big Brother: China and Digital Authoritarianism』 https://www.foreign.senate.gov/imo/media/doc/2020%20SFRC%20Minority%20Staff%20Report%20-%20The%20New%20Big%20Brother%20-%20China%20and%20Digital%20Authoritarianism.pdf) この報告書が問題提起している点は以下の通りだ。 一、中国は自らが開発した情報通信技術(ICT=Information and Communication Technologies)のハードウエアとシステムを中国国内だけでなく海外にまで拡散拡大することを狙っている。 一、それによって経済の継続的発展だけではなく、『デジタル権威独裁主義』(Digital authoritarianism)をデジタル統治・支配のモデルとして確立、拡大、国際化、制度化させることを目指している。 一、もしこの中国の動きを黙認すれば、中国はデジタル・ドメインのルールを勝手に書き、米国のみならずその同盟国のインターネットや関連技術を支配する『デジタル権威独裁主義』の扉を開けさせてしまうことになる。 一、これが実現すれば、中国はデジタルにより自らの人権抑圧・反政府民主化活動監視などを強化するだけでなく、世界の独裁政権に『デジタル権威独裁主義』のツールを提供することが可能になる。 一、すでに中南米のベネズエラ、エクアドル、アフリカのザンビアなどの独裁者はこの中国のモデルに強い関心を示している。 一、これを阻止するために米大統領は中国の『デジタル権威独裁主義』に対抗する同盟国・友好国による連合を結成するよう提唱する。 一、米国内においては議会が『デジタル権威独裁主義』に対抗する方策として米国主導の5G(第5世代移動通信システム)を創設するための官民コンソーシアム設立法を成立させるべきである。 一、また議会は、サイバー軍事士官学校(Cyber military service academy)を新設する法律を成立させるべきである。 すでに「バイデン大統領」がサイバー攻撃を阻止するための閣僚ポストを新設すべきだといった意見があることを示唆する論評も出ている。 (https://www.nytimes.com/2020/05/20/opinion/biden-vice-president-cabinet.html) バイデン陣営の幹部の一人、A氏はトランプ氏の中国スパイ摘発や中国総領事館閉鎖について、筆者にこう述べている。 「大山鳴動して鼠一匹(Much cry little wool)の譬え。中国の知的財産窃取を撲滅するにはもっと大きな仕かけが必要だ」「トランプ氏のやっていることはFBIがマフィアの使い走りを摘発しているようなものだよ」 A氏の言葉を日本流に解釈すれば、「トランプ捕り物帖」は面白いが中身は薄い。木を見て森を見ずなのかもしれない』、「「トランプ捕り物帖」は面白いが中身は薄い。木を見て森を見ずなのかもしれない」、本丸は「バイデン陣営」が狙う「中国のサイバー攻撃」による『デジタル権威独裁主義』を阻止することこととは、大掛かりだ。非力な日本には無理なので、「バイデン」「次期大統領」に頑張ってもらいたい。

第三に、7月30日付け東洋経済オンラインが掲載した作家・ジャーナリストの青沼 陽一郎氏による「ポンペオ演説ににじむ「対中政策」後悔の端緒 6年前に現れていた"中国台頭"の懸念と予兆」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/365905
・『米中の“新冷戦”が新たな局面に入った。アメリカのマイク・ポンペオ国務長官は7月23日の演説で、中国との対立姿勢を強烈に打ち出した。 「習近平総書記は、破綻した全体主義のイデオロギーの真の信奉者だ」と断言。「われわれは両国間の根本的な政治的、イデオロギーの違いをもはや無視することはできない」と、中国の共産主義に批判の矛先を向けた。さらに、アメリカの歴代政権が続けてきた、一定の関係を保ちながら経済発展を支援し、ひいては中国の民主化を促す「関与政策」を「失敗」と断じた。 演説の場所が、カリフォルニア州にあるリチャード・ニクソン大統領図書館・博物館であったことも、その意義を強調している。中国への電撃訪問で国交を開き、「関与政策」を始めたのも、ニクソン大統領だったからだ』、「ポンペオ国務長官」が「ニクソン大統領図書館・博物館」で歴史的な反中国演説をするとは、アッパレだ。
・『ポンペオ演説の裏側に潜む真意  この演説の前に、アメリカ政府はテキサス州ヒューストンにある中国総領事館を閉鎖させている。これについて、ポンペオ国務長官は「スパイ活動と知的財産窃盗の拠点」だったことを理由とした。中国はこの報復として、四川省成都のアメリカ総領事館を閉鎖させた。 ポンペオ国務長官はこうも発言している。 「自由世界が共産主義の中国を変えなければ、中国がわれわれを変えるだろう」 この意味するところは大きい。言い換えれば、このままだと中国の共産主義が世界をのみ込んでしまう、ということであり、もはや中国共産党による国家体制を破壊することすら意味している。 香港情勢も加わって、2大国のこのようなイデオロギー対決にまで至っている。しかし、「中国が世界のルールを変えてしまう」という懸念と予兆は、ずっと以前からアメリカ国内にあった。それも世界の「食の安全」を変えてしまうというものだ。 私がアメリカの首都ワシントンDCを訪れた、6年前のことだ。毎年開催される「米国食肉輸出連合会(USMEF)」の総会を取材するためだった。 世界中に支部を持つこの団体の主な任務は、ひと言で言えば、アメリカ産の牛・豚肉輸出のインテリジェンスだ。日本にも東京・虎ノ門にオフィスを構える。 アメリカ国内の個人の食肉生産者、飼料穀物生産者から、「カーギル(Cargill)」などの穀物メジャー、加工業者、流通業者、それに農業団体など、あらゆる立場の関係者からの出資と、政府の資金が供出された半官半民の組織として、1976年に設立された。アメリカの食肉戦略の要だ。 USMEFの総会では、その1年間の活動が報告される。世界のどの地域のどこの国で輸出が伸びなかった、その理由はどこにあるのか、どうすればよいのか――。牛肉、豚肉の分科会で大学の研究者らが報告を行い、翌年の活動方針を立てる。 私が訪れた当時は、オバマ政権の末期で、今では信じられないかもしれないが、TPP(環太平洋パートナーシップ協定)の合意が遅れているのは日本のせいだ、と批判する意見まで飛んでいた』、「「米国食肉輸出連合会」の総会は、政府への影響力も大きそうだ。
・『「世界の秩序が崩壊しつつある」  3日間の予定で開催された総会の最終日。全体のビジネスセッションが行われた。壇上にはパネラーとして、在ワシントン・アイルランド大使、アメリカ農務省海外農務局局長次官補、それに大手海外コンサルティング会社社長が並んでいた。 その冒頭、司会進行役からのこんな発言から始まった。 「今、世界の秩序が崩壊しつつあります」 そこから、当時は世界の脅威ともなっていたイスラム過激派組織ISIS(イスラミックステイト)や、ロシアがクリミア半島を併合したウクライナ情勢を例に、その深刻さを強調したところで、こう続けた。 「そこへ来て問題なのは中国です。新しい世界状況にどう対応していくのか、そこがはっきりしない……」 中国では、ちょうど習近平政権が「一帯一路」政策を打ち出し、AIIB(アジアインフラ投資銀行)を立ち上げた時期と重なっていた。そこへ、パネラーの農務省局長次官補がこう評価を加えた。 「中国はこれまで世界の標準をつくる国ではなかった。開放政策をとっていく中で、世界に顔を出す国ではなかった。WTO(世界貿易機関)への加盟でも、先に決まったことを中国が受け入れる形で行われてきた。ところが、金融危機以降の中国は、国際舞台に顔を出すようになってきた。軍事的にも強大で、政治的影響力を持つようになり、世界のルールを変える、あるいは策定する力を持つようになってきた」 そこから、食の安全のグローバル化、標準化にも中国が影響してきている例として「ラクトパミン」が挙げられた。 ラクトパミン(塩酸ラクトパミン)とは、興奮剤・成長促進剤としての作用がある化学物質。主に赤身肉を多くさせる目的で、アメリカでは豚の肥育最終段階(出荷前45〜90日)で使用される。 日本人の多くは知らないかもしれないが、アメリカやカナダから輸入される豚肉には、この薬剤が使用されている。一方で、日本国内で生産される豚肉には使用が認められていない。 この安全性について、FAO(国連食糧農業機関)とWHO(世界保健機関)が共同で組織し、食品の国際規格を設定するコーデックス委員会は2012年7月5日に、動物組織に使用する場合の最大残留基準値を設定している。つまり、豚肉や牛肉における安全とされる残留基準値だ。 だが、この基準値はアメリカの提案による参加国の票決によって決まったもので、しかもその内訳が賛成69票、反対67票という僅差によるものだった。これに猛反発しているのがEU(欧州連合)だった。 決定の翌日、EUはさっそく声明を発表し、「データが十分でなく、ヒトへの健康影響が除外できない」として、使用肉の輸入すら断固拒否した。これとまったく同じ立場をとったのがロシアと中国だった。 もともと中国では、豚肉の脂身を減らし赤身肉を増やす「痩肉精」と呼ばれる添加物が使われていた。ところが、中国各地でこの肉を食べたことによる中毒事件が発生したため、全土での使用が禁止された。 そんな過去のトラウマから、中国には肉赤身化剤を一掃したい事情があった。少しでも認めようものなら、国内でまた模造品が出回って、とんでもないことになるからだ。 だが、アメリカはそうは受け取らない』、「金融危機以降の中国は、国際舞台に顔を出すようになってきた。軍事的にも強大で、政治的影響力を持つようになり、世界のルールを変える、あるいは策定する力を持つようになってきた」、との時代認識は正しいが、「ラクトパミン」問題では米国の主張は余りに手前勝手だ。
・『「動物防疫上の理由から貿易を阻害している国」  彼らは中国をそう表現していた。 しかも、「中国はEUのやり方をまねている」という意見がパネラーから飛び出すほど、アメリカにとってみればEUと中国が歩調をそろえたように映った。いや、その時点でEUを超える存在に見えた。 だから、アメリカの食肉業界を代表する彼らは、こう言っていた。 「これからは、中国が食の安全のルールを決めていく」 中国の“毒食”を指摘してきた日本からすれば、とても信じがたいことかもしれない。しかし、世界的に見れば、中国は食の安全に厳格さを求めるようになって、食料貿易にも大きな影響を与える国として台頭していた』、「中国は食の安全に厳格さを求めるようになって、食料貿易にも大きな影響を与える国として台頭」、米国に対抗し得る勢力として日本にとっても大歓迎だ。
・『中国の過度な台頭を許した原因  今年6月に中国は、アメリカ、カナダ、ブラジルから輸入される大豆に、新型コロナウイルスに汚染されていないとする安全証明書を求めている。今では日本国内でも、中国の“毒食”を指摘する声も聞こえてこない。 今回のポンペオ国務長官の演説の裏にあるのは、そのころから叫ばれていた中国の台頭がここまでになるとは予測していなかったことだ。むしろ、気づくのが遅すぎたほどだ。 その見通しの過ちは、前政権の局長次官補が言ったように、中国のWTO加盟によって「中国は既存の世界の貿易ルールに従う国だ」と錯覚したことにある。これからは自由主義経済に従う、共産主義も変わっていく。それこそが「関与政策」の成功の第1歩とすら思っていた。だからこそ、ここへ来てポンペオ国務長官が「失敗」と表明したはずだ。 中国が世界の食の安全を牛耳る。厳格化させる。そうなると、日本が中国に食料を依存するようになって以来、ずっと“毒食”問題を叫んできたことが、中国を教育して、改めさせた国として誇らしいが、今ではその中国の言いなりにさせられるところにまで、世界情勢は来ている』、「日本が」「中国を教育して、改めさせた国」か否かはともかく、「中国が世界の食の安全を牛耳る。厳格化させる」のは有難い話だ。
タグ:米中経済戦争 (その12)(「脱中国」サプライチェーンが世界中で本格化 日本の製造業も対応急務、領事館閉鎖は序の口 バイデン政権が狙う中国潰し 大統領選対策のトランプ芝居とは異なる強硬な対中政策へ、ポンペオ演説ににじむ「対中政策」後悔の端緒 6年前に現れていた"中国台頭"の懸念と予兆) ダイヤモンド・オンライン 姫田小夏 「「脱中国」サプライチェーンが世界中で本格化、日本の製造業も対応急務」 世界各国の製造業は中国に依存したサプライチェーン(製品供給網)の再構築を迫られている 「ニクソン大統領図書館・博物館」で歴史的な反中国演説 ポンペオ国務長官 海外での事業を継続するのが日本の製造業の傾向 外交当局者がやっているのは『カブキ・プレー』 青沼 陽一郎 東洋経済オンライン 高濱 賛 「バイデン対中外交」の青写真 サイバー攻撃による知的財産窃取活動への対応強化を図る 世界の権威が指摘する反グローバリゼーションの動き つい最近まで進展を見せたウィン-ウィンの関係によるグローバル化は陰りを見せ、その逆の動きが始まるという世界の流れの大きな変化だ ソフト・ターゲット狙った中国人スパイ 中国は食の安全に厳格さを求めるようになって、食料貿易にも大きな影響を与える国として台頭 「米国内への回帰」はコストから難しそうだ このタイミングで、米世論の反中ムードに乗っかる形で中国に対する強硬姿勢を見せたわけだ 「米国のサプライチェーンが中国以外のほかの低コスト生産国にシフト」 ポンペオ演説ににじむ「対中政策」後悔の端緒 6年前に現れていた"中国台頭"の懸念と予兆」 JBPRESS 中国と「小さな戦争」望むトランプ支持層 日本企業も国内回帰や拠点分散化を加速させるときが来たようだ 米中の「カブキ・プレー」とは デジタル権威独裁主義 いち早く国内回帰へ動いた台湾の製造業 中国の過度な台頭を許した原因 「領事館閉鎖は序の口、バイデン政権が狙う中国潰し 大統領選対策のトランプ芝居とは異なる強硬な対中政策へ」 米国は貿易戦争で900億ドルの減少に 今回の事件はトランプ大統領が打ち出した新たな選挙キャンペーン的要素 ポンペオ演説の裏側に潜む真意 「ラクトパミン」問題では米国の主張は余りに手前勝手だ 「動物防疫上の理由から貿易を阻害している国」 「世界の秩序が崩壊しつつある」 中国が世界の食の安全を牛耳る。厳格化させる 金融危機以降の中国は、国際舞台に顔を出すようになってきた。軍事的にも強大で、政治的影響力を持つようになり、世界のルールを変える、あるいは策定する力を持つようになってきた
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