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健康(その11)(「有酸素運動」で脂肪を落とそうとする人の盲点 減量するのが先か 筋肉をつけるのが先か、うつ病の発症予防に「筋トレ」が効く!?リスボン大の調査研究より、7時間睡眠の人が「ウイルスに強い」決定的証拠 免疫機能を高める驚くべきパワーのカラクリ) [生活]

健康については、9月8日に取上げた。今日は、(その11)(「有酸素運動」で脂肪を落とそうとする人の盲点 減量するのが先か 筋肉をつけるのが先か、うつ病の発症予防に「筋トレ」が効く!?リスボン大の調査研究より、7時間睡眠の人が「ウイルスに強い」決定的証拠 免疫機能を高める驚くべきパワーのカラクリ)である。

先ずは、9月22日付け東洋経済オンラインが掲載した 医学博士/池谷医院院長の池谷 敏郎氏による「「有酸素運動」で脂肪を落とそうとする人の盲点 減量するのが先か、筋肉をつけるのが先か」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/372789
・『せっかく頑張っているトレーニングやランニングも、「代謝の知識」があるかないかで、その効果が変わってきます。内科・循環器科の専門医である池谷敏郎氏(近著に『代謝がすべて やせる・老いない・免疫力を上げる』がある)に、体を動かすときに気をつけたいポイントを、「代謝」という観点から解説してもらいます。 せっかく運動を行うなら効率のいい方法で行いたいですよね。でも、皆さんも日頃から感じているかもしれませんが、食事でエネルギーを摂取するのは簡単なのに、運動でエネルギーを消費するのは大変です。 例えば、おにぎり1個はほんの数分、下手をすれば数十秒で食べ終わりますが、おにぎり1個分のエネルギー(200キロカロリー前後)をジョギングで消費しようと思ったら、体重80キログラムの人なら20分ほど走り続けなければいけません』、「食事でエネルギーを摂取するのは簡単なのに、運動でエネルギーを消費するのは大変です」、その通りだ。
・『目先の消費エネルギーに一喜一憂しなくていい  トレッドミル(ランニングマシン)やフィットネスバイクには、運動を終了すると消費したエネルギー量(カロリー)とともに、そのエネルギー量を食品に換算したときの目安を表示してくれるものがあります。 スポーツジムのランニングマシンで頑張って走って、いい汗をかいたなと思っていたら、「バナナ1本分」などと表示されて、「え?たったそれだけ?」とがっかりした経験はありませんか。脂肪燃焼効率の高い運動を行っても、1回の運動で消費できるエネルギー量には限りがあるのです。 ですから、目先の消費エネルギーに一喜一憂する必要はありません。 たとえ、頑張って運動をして「バナナ1本分」や「おにぎり1個分」のエネルギーしか消費できなかったとしても、それが基礎代謝を高めることにつながれば、普段からエネルギーを消費しやすくなります。 運動は、エネルギーを効率よく消費すると同時に、必ず基礎代謝の向上にもつながる可能性があることを意識する必要があるわけです。つまりは、筋肉がつく(=基礎代謝が向上する)ような運動を選ぶこと。それが、活動代謝を増やすうえで大切な考え方です』、「筋肉がつく・・・ような運動を選ぶこと。それが、活動代謝を増やすうえで大切な考え方」、確かに合理的だ。
・『「やせるには有酸素運動が不可欠」ではない理由  エネルギーを消費することよりも、筋肉を増やして基礎代謝を上げることに注目したトレーニングをまさに実践しているのが、「結果にコミットする」でおなじみの、あのパーソナルトレーニングジムです。基本的に有酸素運動は行わず、筋力トレーニングと糖質制限を中心とした食事改善で、エネルギー供給を減らしながらも筋肉は落とさずに基礎代謝を上げることで結果を出しています。 ダイエットといえば「走る運動」が定番ですが、走るって結構大変ですよね。しんどいうえに、まとまった時間をつくらなければいけません。その点、「走らなくてもやせる」「有酸素運動をしなくてもやせる」ことを実践した画期的なダイエット方法だったからこそ、こんなにもブームになったのでしょう。 ジョギングやランニングのような有酸素運動と、無酸素運動の筋トレを比べると、エネルギー消費量は有酸素運動のほうが上です。だから、体脂肪を落とすには有酸素運動が効果的と言われます。 ただ、覚えておいてほしいのは、「運動でエネルギーを消費して体脂肪を落とすこと」と、「運動で代謝を高めること」は別であるということ。繰り返しになりますが、これは分けて考えなければいけません。 意外にも、多くのエネルギーを消費する有酸素運動は、基礎代謝の高い体づくり(=燃費の悪い体づくり)にはちょっと不十分なのです。一方で、筋トレは、エネルギー消費量を比べると有酸素運動に劣りますが、燃費の悪い体づくりにつながり、長い目で見ると代謝を上げてくれます。 「やせるには有酸素運動を」というのは、前述の2つのうちの「エネルギーを消費すること」のほうしか見ていない不完全なアプローチなのです』、「有酸素運動」と「筋トレ」の違いがよく理解できた。
・『有酸素運動も筋トレも組み合わせることが大事  私は、食事に気をつけることと筋力トレーニングを基本にしつつ、暖かくなってきて薄着のシーズンにさしかかってきたら、追い込みで、冬の間についた脂肪を落とすために走るようにしています。 走り込み前の筋肉を増やす時期には、食べ方には気を配りますが、食べる量(エネルギー摂取量)は減らしません。なぜなら、エネルギーが不足するとタンパク質までエネルギー源にまわってしまい、タンパク質が筋肉の合成に使われなくなってしまうからです。ですから、筋力トレーニングを頑張る時期は、少し脂肪もつけつつ筋肉を増やし、その後の追い込み期に、食事ではタンパク質はしっかり摂って糖質と脂質を少し減らし、ランニングで脂肪を燃焼するようにしています。そうすると、筋肉だけが残って理想的な体になりやすいのです。 「走るだけ」「食事制限だけ」のダイエットでは、やせはするものの筋肉も脂肪も両方落ちていき、残念な体になってしまいます。しかも、過度な食事制限は続きませんし、基礎代謝を下げるので、最終的にはリバウンドしやすく、リバウンドしたあとにやせにくい体になってしまう。その失敗は私はすでに経験済みなので、今は、代謝のいい体づくりと脂肪を落とすことを必ずセットで行うようにしているのです。 ちなみに、燃費の悪い体の筆頭のようなボディビルダーの人たちは、オフシーズンの冬場は食べる量を増やして、あえて一度太るケースが多いようです。この時期は筋肉も脂肪も同時に増やすことにしているというのです。その後、脂肪の材料になりやすい糖質や脂質は減らして、筋肉の材料となるタンパク質と、食物繊維やビタミン、ミネラルが豊富な野菜を中心とした食事に替えていくことで、筋肉だけを残し、大会などの本番に合わせてあの肉体をつくり上げています。 ただ、あれだけムキムキの筋肉を維持するには相当なエネルギーが必要なので、しばらくするとエネルギーが不足して筋肉も落ちていきます。だから、もう一度あえて太ったあとで脂肪だけ落としていくということを繰り返すのです。ずっと保つことはできないからこそ、ボディビルダーの世界にはオンとオフがあるのでしょう。 では、いわゆる中年太りと言われるような、若い頃に比べて筋肉は減り、脂肪がたまった状態になっている人は、エネルギーを消費して体脂肪を落とすことと、筋肉を増やして代謝を高めることのどちらから取り組んだほうがいいのでしょうか。 答えは、「両方同時に行うべき」です。 重たい体で運動をすればひざなどに負担がかかりそうだから、脂肪を落としてから運動に取り組んだほうがいいのではないか、と心配する人もいるかもしれません。実際、太っている人は、重たい荷物を抱え続けているのと同じなので、ひざや股関節を悪くしやすいものです。だからこそ、とくに下半身の筋肉を使う運動を上手に取り入れることが大事です』、「あれだけムキムキの筋肉を維持するには相当なエネルギーが必要なので、しばらくするとエネルギーが不足して筋肉も落ちていきます。だから、もう一度あえて太ったあとで脂肪だけ落としていくということを繰り返すのです。ずっと保つことはできないからこそ、ボディビルダーの世界にはオンとオフがあるのでしょう」、あの体つきには持続性がないとは、初めて知った。
・『ジムでいちばん活動代謝が上がるのは  スポーツジムに行ってランニングマシンで運動をするなら、心拍数を意識して脂肪燃焼効率を高めるとともに、傾斜をつけて少し負荷をかけること。負荷がかかることで、より筋肉がつきやすくなります。そうすると、脂肪を落とす有酸素運動と、筋肉をつける運動を同時に行えて一石二鳥ですね。 水泳も、水圧で自然に負荷がかかるので、有酸素運動だけではなく筋トレ効果もあり、よいと思います。もちろん、マシントレーニングで筋トレを行って、ランニングマシンで有酸素運動を行うなど、両方をそれぞれ行うこともおすすめです。 その際、筋トレから行ったほうがいいのか、有酸素運動から行ったほうがいいのか、順番を気にする人もいるかもしれません。「筋トレをしてから有酸素運動を行ったほうが、成長ホルモンが分泌されて、有酸素運動時の脂肪燃焼効率が高まる」といった話も耳にしますが、科学的根拠は不十分です。 筋トレが先でも有酸素運動が先でも順番はどちらでも構いません。それよりも、両方の要素を取り入れることが大事と考えてください。 ついでにいえば、「1日のうちでどの時間帯に行うべきか」も、とくにこだわる必要はありません。いつでも、できる時間帯でかまいません。ただし、おすすめできない時間帯はあります。自律神経がリラックスモードの副交感神経優位からアクティブモードの交感神経優位へと切り替わる早朝は、体がギアを上げて血圧が上がり、心拍数も増加しているタイミングなので、激しい運動はおすすめできません。また、寝る前も、運動で交感神経を刺激すると眠れなくなってしまうので避けたほうがいいでしょう。 私の場合、ある程度まとまった時間が取れるのは診療後なので、運動は仕事終わりに行っています。ただ、なかなかまとまった時間が取れる日ばかりではありませんよね。ですから、日中の生活のなかで小まめに筋肉を動かす機会を増やすことも大切です』、「早朝」や「寝る前」を避けて、「日中の生活のなかで小まめに筋肉を動かす機会を増やすことも大切です」、明日から心して努力することにしよう。

次に、9月30日付けダイヤモンド・オンラインが掲載した医学ライターの井手ゆきえ氏による「うつ病の発症予防に「筋トレ」が効く!?リスボン大の調査研究より」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/249797
・『思うように気晴らしができない日々が続き、心の調子は下向き加減。そんなときこそお勧めしたいのが「レジスタンス運動(以下、筋トレ)」である。 運動が抑うつ症状を軽減し、予防に働くことはよく知られている。ただ、ウオーキングやジョギングなど有酸素運動に偏る報告が多く、筋トレとの関係はあまり注目されてこなかった。 ポルトガル・リスボン大学の研究者らは、うつ病もしくは抑うつ状態と筋力(マッスル・ストレングス)の関係を調べた423本の調査研究から、日本の研究を含む良質の21本を選び総合的に解析。最終的に26カ国、8万7508人(18歳以上の成人)のデータが対象となった。 その結果、筋力は「身体活動の量」とは関係なく、単独で抑うつ状態のリスクを低下させ、有意に抑うつ症状を軽減させることがわかった。つまり、健康な人は筋トレに励み筋力アップを図ることで、精神的な落ち込みを防ぐ可能性がある一方、既に抑うつ症状に悩まされている人も、筋トレで気持ちが上向きになるわけだ。 採用された日本の研究は40~79歳の地域住民4312人(平均年齢66.3歳、女性58.5%)が対象で、筋力は握力計で計測された(平均29.8kg)。 握力の低値群(平均25.6kg)と高値群(平均35.5kg)で比較した結果、試験に参加した時点で既に抑うつ症状があった人の比率は、低値群で31.3%、高値群は25.8%だった。また、低値群の人たちは登録時に健康であっても、1年後に抑うつ症状が生じるリスクが明らかに高かった。 うつ病の主な症状は(1)抑うつ気分(2)興味や楽しいといった感情の消失(3)体重の極端な増減(4)不眠、あるいは過眠などの睡眠障害だ。 思い当たる節がある方は、発症予防に「自宅で筋トレ=宅トレ」を始めてみよう。最近は「宅トレ」用の動画がアップされているので飽きずに続けられる。 SNSで仲間を募ってもいいだろう。自粛下のコミュニケーション不足にも効きそうだ。少なくとも「宅飲みニケーション」より家庭内の評判は良さそうである』、「健康な人は筋トレに励み筋力アップを図ることで、精神的な落ち込みを防ぐ可能性がある一方、既に抑うつ症状に悩まされている人も、筋トレで気持ちが上向きになる」、「筋トレ」には確かに効き目がありそうだ。

第三に、11月1日付け東洋経済オンラインが掲載した医師・医学博士の根来 秀行氏による「7時間睡眠の人が「ウイルスに強い」決定的証拠 免疫機能を高める驚くべきパワーのカラクリ」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/383085
・『新型コロナウイルス感染症の流行に伴い、食事や運動の重要性だけでなく睡眠に対する注目度が高まった。しかし、日本人の多くは睡眠が重要であることを知っているが、具体的な対策を講じていなかったり、誤った認識をしていたりするケースが目立つ。 ハーバード大学やソルボンヌ大学、日本では東京大学などで最先端の医学研究を行いつつ、その成果をいち早く診療に生かす医師、根来秀行氏の著書『ウイルスから体を守る』の内容から睡眠と免疫機能の関係について、その一部を公開する』、興味深そうだ。
・『薬を飲んでも風邪は治らない、というのは間違い  ちょっとのどが痛くて「風邪かな?」と思ったから、暖かくして早めに寝たら翌日にはすっかり調子がよくなった、というような経験はありませんか。これがウイルス性の症状なら、自然免疫の力で睡眠中にウイルスを倒した証しです。 反対に、ひどいせきが出たり高熱にうなされたりしてよく眠れず、翌朝には体調が悪化したという経験もあるかもしれません。これは、せきや発熱で睡眠が浅くなり、体が持つウイルスを倒す力を活用できなくなっていたからです。 たとえば仕事や家事をする際に、高熱が出ていて頭痛や吐き気、せきや鼻水が止まらなかったとしたら、どうなるでしょうか。おそらく本来の力を発揮できず、やりたいことの半分もできないと思います。 免疫の力も、それは同じ。さまざまな症状や睡眠時の環境によって睡眠が妨害されれば、免疫細胞のはたらきを高める「体内環境」が悪化することになります。 風邪を引いたらとにかく汗をかいたほうがいい、とばかりに厚着して何枚もふとんをかぶる人がいますが、それで眠りが浅くなったら本末転倒です。たしかに体温を上げると免疫細胞は活性化し、代謝はよくなってウイルスの増殖は抑えられます。しかし体温が上がりすぎてうまく眠れなくなると、ウイルスを倒したり細胞を修復したりする力は大幅に低下してしまうのです。 風邪薬には治療効果がないし症状を抑えるだけだから飲んでも意味がないという話を耳にすることがありますが、これは誤解です。症状を軽くすることで睡眠の質を高め体に備わっている免疫機能を充分に発揮させるという点では、薬は重要な役割を果たしています。 免疫機能が高まった状態をつくるには、毛細血管の血流をよくし体のすみずみまで免疫細胞が届いていること、そしてその免疫細胞が活発にはたらく時間をしっかり確保することが非常に有効です。良質な睡眠には、この状態をつくる力があります。 では良質な睡眠を得るには、どうしたらいいのでしょうか。 まず押さえるべきは、睡眠中に副交感神経(注)を優位にすることです。副交感神経が優位ならウイルスを倒すリンパ球が血液中に増えますし、毛細血管へのルートも開くことでリンパ球が体のすみずみまで届くようになるからです。 また睡眠中は、健全な細胞を酸化させたり、毛細血管を傷つけて劣化させたりする活性酸素を、効率的に除去できるタイミングでもあります。活性酸素は、ストレス過多で交感神経優位が続きすぎたり睡眠不足だったりすると大量に発生する物質です。この活性酸素が体内に増えすぎると免疫機能が低下してしまうため、できるだけ留めておきたくありません。 ここで活躍するのが「睡眠ホルモン」とも呼ばれるメラトニンです。メラトニンは非常に強い抗酸化作用を持つため、睡眠中に活性酸素を除去し、毛細血管の劣化と体の酸化を防いでくれます。同じ睡眠時間を確保しても、メラトニンがしっかり分泌された状態で眠るのと分泌されずに眠るのとでは、疲れの取れ方もウイルスを倒す力も圧倒的な差がつくと考えてください。メラトニンを活用し、リンパ球を増やす対策が必要です』、「免疫細胞が活発にはたらく時間をしっかり確保することが非常に有効です」、「免疫機能が高まった状態をつくるには、毛細血管の血流をよくし体のすみずみまで免疫細胞が届いていること、そしてその免疫細胞が活発にはたらく時間をしっかり確保することが非常に有効です。良質な睡眠には、この状態をつくる力があります」、「睡眠中に副交感神経を優位にすること」、「「睡眠ホルモン」とも呼ばれるメラトニンです。メラトニンは非常に強い抗酸化作用を持つため、睡眠中に活性酸素を除去し、毛細血管の劣化と体の酸化を防いでくれます」、本当によくできた仕組みだ。
(注)副交感神経:自律神経のうち、リラックスしたり、休息状態のときに活躍。交感神経は、緊張状態、興奮状態、ストレスで活躍(SGS総合栄養学院)。
・『睡眠時間が短いほど免疫機能は落ちやすい?  世の中には、風邪を引きやすい人と引きにくい人がいます。免疫機能に影響するような薬を服用していたり持病があったりしたら、それが関係していそうですが、健康上の問題を指摘されていない働きざかりでも、しょっちゅう風邪を引いてしまう人がいます。この背景には、いったい何があるのでしょうか。 最近では「働き方改革」が叫ばれるようになり、リモートで労働時間をコントロールする人も増えました。しかし、いまも残業や長い通勤時間に苦しむ人は多いかもしれませんし、仕事でなくても、やりたいことがあると削られがちなのが睡眠です。1日は24時間と決まっているので、どうしてもそうなってしまうのでしょう。しかし最も大切な資産である体が知らぬ間に消耗し衰えてしまうことを考えると、7時間は確保したいところです。 7時間というのは、世界中のさまざまな研究によって導き出された値です。私が勤務するブリガム・アンド・ウイメンズ病院で睡眠時間と寿命の関連性を調べたところ、睡眠時間が7時間の人に比べると、5~6時間の人と8時間以上の人は死亡率が15%も高いという結果が出ました。また、6時間以下の睡眠を1週間続けると、免疫や炎症、ストレス反応などに関連する711個もの遺伝子に悪影響が出たというイギリスでの研究結果もあります。 ウイルスを攻撃するリンパ球の最大の活動時間は副交感神経のはたらきが高まる睡眠中で、睡眠時間が減れば減るほどウイルスと戦うための時間も減ります。 それを端的に示すものとして、徹夜するとリンパ球の比率が10%下がり顆粒球の比率が10%上がったという研究結果もあるからこそ、睡眠時間の確保が重視されるのです。もちろん7時間眠りさえすればいいかというと、答えはNO。 良質な睡眠でなければ、体に備わった免疫機能を活かせません。 現代人は睡眠時間が減っているだけでなく、睡眠の質も大きく低下しています。 「ベッドに入ってもなかなか寝つけない」「夜中に何度も目が覚めてしまう」「寝足りないのに朝早く目覚めてしまう」「たくさん寝ているのに疲れが取れない」「眠りが浅い気がする」などは睡眠の質が低下したシグナルです。 睡眠時間は確保できているのに、眠りを良質にできず体を弱らせ続けている人の多さには、日々の診療でも強い危機感を覚えています。特に中年を過ぎてからは、睡眠の質を上げられるかどうかが人生を楽しめる時間の長さを大きく左右する、と言っても過言ではありません』、「中年を過ぎてからは、睡眠の質を上げられるかどうかが人生を楽しめる時間の長さを大きく左右する」、その通りだ。
・『そもそも「良質な睡眠」とは  では睡眠の質とは、具体的には何を指しているのでしょうか。それを知っていただくには、まず睡眠中に体内で何が起きているかの把握が必要です。 個人差はあるものの、睡眠中はおよそ90分周期でノンレム睡眠とレム睡眠を繰り返しています。細胞の修復を促すホルモンは、眠りに落ちてから90~180分後のいちばん深いノンレム睡眠中に最も多く分泌されるという特徴があり、それが毛細血管を介して全身くまなく運ばれて体の修復が進むというのが大まかな流れです。だいたい午前3~4時が、骨や肌、筋肉が再生される細胞分裂のピークとされています。 傷つき疲弊した細胞にホルモンという修復指示が行き渡るのに3時間、酸素や栄養素という材料が届いて細胞呼吸を繰り返しながらジワジワと修復が進むのに4時間程度は必要と考えると3時間プラス4時間。これが推奨する7時間睡眠の内訳です。 では良質な睡眠を確保するには、どうすればいいのでしょうか。 実は朝まで熟睡できなかったり眠りが浅くなったりする方の多くは、本来睡眠中に優位になるはずの副交感神経のはたらきが上がっていません。 これまで数千人の被験者に協力いただき睡眠中の自律神経の変動を測定してきましたが、よく眠れていない自覚のある方の多くに睡眠中の副交感神経のはたらきが充分に上がらず、交感神経優位の傾向が見られました。そういう方に多いのが、ふとんに入っても手や足の先が冷えたままでなかなか眠れないというケースです。これは交感神経優位の時間が続きすぎて、末梢の毛細血管への血流が低下している証拠の1つです。 赤ちゃんは眠くなると手足がポカポカと温かくなるのを、ご存じでしょうか。赤ちゃんほど顕著ではありませんが、大人でも通常は眠くなると手や足などの体表温度が上がります。これは副交感神経が優位になって毛細血管が開き、末梢への血流が増えるからです。日中は、体を活動状態にするために脳や心臓、筋肉など体の中心部に血液が集まっていますが、夜になると体を休め修復するために血液が中心から末梢へと分散されます。 この、温かい血液の移動とともに体の中心部の熱は下がり、体の末端が温かくなって手先や足先などの表面から熱が放出されるのです。よく聞く「深部体温を下げる」とは、これを指します。 眠り始めに手足が温かくなるのは、自律神経が副交感神経優位に切り替わったサインです。冷え性で寝つきが悪くて困っている人の多くは、交感神経が高ぶって自律神経の切り替えがうまくいかなくなっています』、「傷つき疲弊した細胞にホルモンという修復指示が行き渡るのに3時間、酸素や栄養素という材料が届いて細胞呼吸を繰り返しながらジワジワと修復が進むのに4時間程度は必要と考えると3時間プラス4時間。これが推奨する7時間睡眠の内訳」、なるほど説得的だ。
・『なぜ眠る数時間前からが大事と言われるのか  睡眠に問題のある人の診察で生活習慣を確認すると、自律神経のバランスやパワーを損ねる要因が隠れていることがほとんどです。非常に多いのは、仕事やプライベートで強いストレスを抱えていたり、朝早くから夜遅くまで忙しく活動しすぎていたりするケースで、この傾向がある人は交感神経優位が続きすぎているため、夜になっても下がりきらず深く眠れないのです。 夜遅くにたくさん食べる、寝酒をする、テレビやパソコン、スマートフォンからの光を見るなど、寝る直前の習慣も見過ごせません。呼吸法などで瞬時に交感神経と副交感神経のバランスを整えることも可能ですが、体にとって自然なのは体内時計にしたがって夕方から夜にかけて交感神経が徐々に鎮まり、副交感神経のはたらきが高まる流れです。 これが夕方以降も、仕事などで神経が高ぶる状態が続いたり夜遅く食事を摂ったりして、眠る直前まで脳や内臓をフル稼働させていると寝つきが悪くなり、睡眠中も交感神経優位の状態がしばらく続きます。 睡眠の質を高めるには、夕方以降は副交感神経の働きを邪魔する行動をなるべく避け、副交感神経のはたらきを上げる行動に変えていくのが効果的です』、「体にとって自然なのは体内時計にしたがって夕方から夜にかけて交感神経が徐々に鎮まり、副交感神経のはたらきが高まる流れです」、「体内時計」に従った行動を心がけよう。
タグ:有酸素運動 「やせるには有酸素運動が不可欠」ではない理由 筋肉がつく・・・ような運動を選ぶこと。それが、活動代謝を増やすうえで大切な考え方 目先の消費エネルギーに一喜一憂しなくていい 食事でエネルギーを摂取するのは簡単なのに、運動でエネルギーを消費するのは大変です 代謝の知識 「「有酸素運動」で脂肪を落とそうとする人の盲点 減量するのが先か、筋肉をつけるのが先か」 池谷 敏郎 井手ゆきえ 東洋経済オンライン (その11)(「有酸素運動」で脂肪を落とそうとする人の盲点 減量するのが先か 筋肉をつけるのが先か、うつ病の発症予防に「筋トレ」が効く!?リスボン大の調査研究より、7時間睡眠の人が「ウイルスに強い」決定的証拠 免疫機能を高める驚くべきパワーのカラクリ) 健康 傷つき疲弊した細胞にホルモンという修復指示が行き渡るのに3時間、酸素や栄養素という材料が届いて細胞呼吸を繰り返しながらジワジワと修復が進むのに4時間程度は必要と考えると3時間プラス4時間。これが推奨する7時間睡眠の内訳 日中の生活のなかで小まめに筋肉を動かす機会を増やすことも大切です ジムでいちばん活動代謝が上がるのは あれだけムキムキの筋肉を維持するには相当なエネルギーが必要なので、しばらくするとエネルギーが不足して筋肉も落ちていきます。だから、もう一度あえて太ったあとで脂肪だけ落としていくということを繰り返すのです。ずっと保つことはできないからこそ、ボディビルダーの世界にはオンとオフがあるのでしょう 有酸素運動も筋トレも組み合わせることが大事 筋トレ 睡眠時間が短いほど免疫機能は落ちやすい? ダイヤモンド・オンライン なぜ眠る数時間前からが大事と言われるのか 睡眠中に副交感神経を優位にすること」、「「睡眠ホルモン」とも呼ばれるメラトニンです。メラトニンは非常に強い抗酸化作用を持つため、睡眠中に活性酸素を除去し、毛細血管の劣化と体の酸化を防いでくれます 免疫機能が高まった状態をつくるには、毛細血管の血流をよくし体のすみずみまで免疫細胞が届いていること、そしてその免疫細胞が活発にはたらく時間をしっかり確保することが非常に有効です。良質な睡眠には、この状態をつくる力があります そもそも「良質な睡眠」とは 中年を過ぎてからは、睡眠の質を上げられるかどうかが人生を楽しめる時間の長さを大きく左右する 免疫細胞が活発にはたらく時間をしっかり確保することが非常に有効です 薬を飲んでも風邪は治らない、というのは間違い 「7時間睡眠の人が「ウイルスに強い」決定的証拠 免疫機能を高める驚くべきパワーのカラクリ」 根来 秀行 健康な人は筋トレに励み筋力アップを図ることで、精神的な落ち込みを防ぐ可能性がある一方、既に抑うつ症状に悩まされている人も、筋トレで気持ちが上向きになる 筋力は「身体活動の量」とは関係なく、単独で抑うつ状態のリスクを低下させ、有意に抑うつ症状を軽減させる 「うつ病の発症予防に「筋トレ」が効く!?リスボン大の調査研究より」 体にとって自然なのは体内時計にしたがって夕方から夜にかけて交感神経が徐々に鎮まり、副交感神経のはたらきが高まる流れです
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格差問題(その7)(貧乏人を排除する「スーパーシティ構想」のヤバさに気付かない日本人の脳天気さ ごく一部の金持ちが街を作り変える、今の40歳前後「非正規・未婚者」が抱く深い憂鬱 生活苦の「新しい中年クライシス」が起きている、養老孟司×井上智洋対談「猛烈な格差を招いた公平・中立な社会の皮肉」) [社会]

格差問題については、7月6日に取上げた。今日は、(その7)(貧乏人を排除する「スーパーシティ構想」のヤバさに気付かない日本人の脳天気さ ごく一部の金持ちが街を作り変える、今の40歳前後「非正規・未婚者」が抱く深い憂鬱 生活苦の「新しい中年クライシス」が起きている、養老孟司×井上智洋対談「猛烈な格差を招いた公平・中立な社会の皮肉」)である。

先ずは、8月23日付けPRESIDENT Onlineが掲載した早稲田大学名誉教授の池田 清彦氏による「貧乏人を排除する「スーパーシティ構想」のヤバさに気付かない日本人の脳天気さ ごく一部の金持ちが街を作り変える」を紹介しよう。
https://president.jp/articles/-/38161
・『2020年5月、緊急事態宣言解除の直後の参院本会議で、「スーパーシティ法案」が可決された。生物学者で早稲田大学名誉教授の池田清彦氏は「狙いは経済合理性だけで都市づくりをすること。これから富裕層の思惑のみでいろいろなことが決まるようになり、経済格差はさらに拡大していくだろう。なぜ日本人はそれに怒らないのか」という——。 ※本稿は、池田清彦『自粛バカ』(宝島社)の一部を再編集したものです』、興味深そうだ。
・『コロナでわかった「グローバリズム」の弱点  今回のコロナ騒ぎでわかったのは、経済合理性だけではコロナのような危機に対応できないってことだ。 実は、安倍政権はけっこう前から全国の公的医療機関の統廃合や病床数削減を進めている。2015年に厚生労働省が「2025年までに最大で15%減らす」という目標を掲げ、重症患者を集中治療する高度急性期の病床を13万床、通常の救急医療を担う急性期の病床を40万床、それぞれ3割ほど減らす方向で動いてきた。 この方針に沿って、地方自治体でも大阪なんかもすごく病院を減らしていた。診療実績が少なくて非効率な運営をしている病院は無駄だから潰してしまえというわけだよ。 パンデミックでは病院や病床数が少ないと医療崩壊が起こる。さらに、コロナの指定医療機関になると一般の患者を受け入れられなくなってしまうから、本来なら救急で処置して入院すればなんとかなった人を助けられなくなる。 ヨーロッパで英国に次いで死者が多いイタリアも病床数削減を進めていたことで医療崩壊を起こした。治療を受けられずに自宅で亡くなった人がかなりの数に上ったといわれる。やっぱり新自由主義的な経済合理性だけで医療を運用するのはダメってことだ。医療、そして教育はある程度余裕がある状態で回るようにシステムを最適化する必要がある』、「安倍政権はけっこう前から全国の公的医療機関の統廃合や病床数削減を進めている。2015年に厚生労働省が「2025年までに最大で15%減らす」という目標を掲げ、重症患者を集中治療する高度急性期の病床を13万床、通常の救急医療を担う急性期の病床を40万床、それぞれ3割ほど減らす方向で動いてきた」、医療崩壊の種を蒔いてしまったようだ。
・『アフターコロナ、グローバルキャピタリズムは推進か廃れるか  だから世界は今、このままグローバルキャピタリズム(資本主義)を推し進めていくのか、それともグローバルキャピタリズムが廃れていく方向に進むのか、この2つで揺れていると思う。 たとえば、アメリカは医療費がケタ違いに高額で、医療保険に加入していない人が数千万人もいる。そうした保険証をもたない人がコロナに感染して治療を受けた場合、約470万円から約820万円の自己負担が発生すると試算されている。ちょっと病気になったらたちまち多額の借金を抱える羽目になり、そのまま下層から抜け出せなくなる。 その意味で国民皆保険制度のある日本人は恵まれているけれど、このままグローバルキャピタリズムが進んでいったら日本もアメリカのようになってしまう可能性がある。だから、今後はそれを阻みたい勢力とグローバルキャピタリズムを延命させたい勢力のせめぎ合いになるはずだ』、「アメリカ」では、オバマケアに沿って低所得者向けの「メディケイド」を拡充した州と、しなかった共和党知事の州の間で格差が広がっているようだ。
・『「スーパーシティ法案」緊急事態宣言解除の直後にこっそり可決  そこで出てきたのが「スーパーシティ」構想(※)という法案だ。 ※「スーパーシティ」構想とは、AIやビックデータなどの最先端技術を活用して、国民が住みたいと思うよりよい未来社会を先行実現する「まるごと未来都市」のショーケースを目指すもの。様々なデータを分野横断的に収集・整理し「データ連携基盤」を構築し、地域住民等にサービスを提供することで、住民福祉・利便向上を図る都市と定義されている。 遠隔医療とか完全キャッシュレスとか自動運転とかゴチャゴチャ言っているけれど、これは要するに、自治体ごとグローバルキャピタリズムに組み込み、人の意志なんか関係なく経済合理性だけで都市づくりをするというもの。 大阪あたりが真っ先に手を挙げそうだけれど、このスーパーシティ法案が緊急事態宣言解除の直後に、こっそりと参院本会議で可決されているのにはわけがある(2020年5月27日、「スーパーシティ」構想を含んだ国家戦略特別区域法等の改正法案=スーパーシティ法案が成立)。コロナ禍に遭って崩壊の危険性を察知したグローバルキャピタリズムの焦りの表れだ』、「スーパーシティ」についての、内閣府の解説は下記の通りだが、「緊急事態宣言解除の直後に、こっそりと参院本会議で可決」した理由は、不明だ。https://www.kantei.go.jp/jp/singi/tiiki/kokusentoc/supercity/openlabo/supercitykaisetsu.html 。
・『富裕層の思惑のみでいろいろなことが決まり経済格差は拡大必至  コロナによってグローバルキャピタリズムの前提であるヒトとモノの移動がリスク要因になったので、一時期に比べればよくはなったけれど、中国からモノが来なくなり、いろいろなモノが値上がりしたり流通が滞ったりしている。 それは、これから世界的なヒトとモノの出入りが不自由になっていく可能性があるということだ。それで、リモートで儲けることを画策しているわけだ。 日本人の感性としては、国民全員が貧乏になるのはわりと平気なんだよね。すでに日本はグローバルキャピタリズムによってそうなっているわけだから。30年ほど前までの日本はまだ一億総中流で、金持ちのレベルもそこまでじゃなかったけれど、安倍晋三が首相に返り咲いて以降、トップクラスの金持ちの資産が約3倍から5倍に増えている。 たとえば、ソフトバンクグループ社長の孫正義とファーストリテイリング社長の柳井正の資産は第二次安倍政権が成立したころ(2012年12月)、孫は5700億円、柳井は8700億円だったが、今はどちらも約3兆円である。トップクラスの金持ちだけがむちゃくちゃ儲かっている。 コロナ後の世界ではさらにごく一部の金持ちとその他大勢の貧乏人というふうに階級が分かれていくかもしれない。スーパーシティ構想が進めば住民の声ではなく富裕層の思惑のみでいろんなことを決めるから、いま以上に階級間の格差が広がっていく。そういうシステムをつくろうとしているわけだ。 そうなったとき、日本人はいつものように自然現象とあきらめて富裕層の言いなりになるのか、それとも江戸時代の百姓一揆や打ち壊しのように反旗を翻し、社会をひっくり返そうとするのか。自分の家族、郷里、母校などに対する愛着から発した、本来の土着の攘夷思想は、はたして日本人の心にどれだけ残っているのだろうか』、一応、住民合意があることが前提になっているようだが、「合意」の確かめ方など不明だ。筆者はこれが格差拡大につながるとしているが、そのためには、より詳しく構想を検討する必要がある。

次に、9月23日付け東洋経済オンラインが掲載した京都女子大学客員教授・京都大学名誉教授の橘木 俊詔氏による「今の40歳前後「非正規・未婚者」が抱く深い憂鬱 生活苦の「新しい中年クライシス」が起きている」を紹介しよう。
・『1990年代半ばから2000年代前半の「就職氷河期」。その影響を全面に受けた世代が今、大きな格差に直面している。一度レールから落ちてしまった人に厳しい日本社会の特徴が、就職時期に「機会の平等」を享受できなかった中年世代の上に重くのしかかっている。 しかし、それは決して特定の世代の問題ではない。格差問題に取り組み続けている橘木俊詔氏の新刊『中年格差』から、本書の一部を抜粋・再編集してお届けする』、「橘木」氏の見解とは興味深そうだ。
・『中年期に人格の形成が確立の方向に向かう  19世紀後半から20世紀初頭にかけて心理学の発展に大きく寄与したフロイトは、幼児期における心理や人格形成がその人のその後の一生を決める上で重要な役割を演じると主張した。すなわち、幼児期の心理的葛藤が、成人期、あるいは中年期まで続くとともに、人格の形成に大きく影響を及ぼすと考えたのである。裏返して言えば、幼年期にある程度の心理特徴が定まれば、それ以降は比較的安定した心理状態が続くのである。 しかしフロイトの弟子であったが、彼から去ったユングは中年になって人間の心理は大きく変容することがあると主張し、中年期における人間の心理を探求することの重要性を説いた。 なぜかといえば、中年になると職業を持って仕事をして所得を稼ぐようになるし、結婚して子どもを持って家族を形成するので、まわりの人との付き合いが多くなる。子どものことで悩むことがあるし、中年後半になると親の介護の問題が発生し、それらが心理的な変容と葛藤を生む可能性があると考えた。それによって自己を見直す機会が与えられるので、人格の形成が確立の方向に向かうと考えたのである。 日本におけるユング心理学の継承者である河合隼雄が、「中年クライシス」を論じたのもその影響であると理解できる。河合の著書『中年クライシス』(朝日文芸文庫)、『多層化するライフサイクル』(岩波書店)によると、若年代や中年前期においては、仕事、社会的地位、財産を築き、そして家庭を持つことに必死になるので、自分は何のために生きているのかとか、自分は何者なのかというアイデンティティの問題、自我が何を基礎としているのかなどを考える余裕がなく過ごしてしまうとする。 特に普通の能力を持った人は、仕事、地位、家族、財産などへの対応に忙殺されてしまい、ここで述べた人間の存在意義やアイデンティティ、自我を考える暇などなかったのである。 そこでユングは、恵まれた能力や環境にいる人々が、仕事、地位、家族、財産などに立ち向かっている時期に、特に人間の存在意義とか自我を考える人物となっていることを明らかにした、と河合は主張している。 すなわち、中年の後半期にこのような考えや反省を持ちがちな「中年クライシス」は、特に能力の高い人や恵まれた環境にいる人に多く発生する事象であると河合はみなした。換言すれば、「中年クライシス」はエリートないし準エリートに特有なことなのである。少なくともユングの時代はそうであった』、確かに「フロイト」よりも「ユング」の方が当てはまりそうだ。
・『「中年クライシス」がごく一般の人々にも  しかし時代は進み、ほとんどの人が義務教育と中等教育を受け、多くの人が高等教育を受ける時代になった今日においては、過去においてはエリート層に起こりがちであった「中年クライシス」が、ごく一般の人々にも及んできたのである。 確かに今の時代でも人々は、仕事、地位、財産、家族に深くコミットしているが、昔と異なってごく普通の人々でもこれらの活動をしながらも、人は何のために生きているのかとか、自分は何者なのか、自我を意識するとか反省するといった思いを抱くようになったのである。これこそが今日における「中年クライシス」を多くの人が体験する時代になっている証拠である。 なぜ日本において「中年クライシス」が顕著になったのか、2つの背景を述べておきたい。 1つは、戦前と戦後の一時期の日本は国民の所得は低く、人々は働くことによってその日暮らしに明け暮れせねばならない時代だったので、「人間とは」とか「自分とは」などを考える余裕がなかったことがある。しかし高度成長期以降に国民の所得も伸びて、ある程度豊かになり、「人間とは」「自分とは」を考え直す余裕ができたので、「中年クライシス」が発生する素地が誕生するようになった。 第2に、日本が格差社会に入ったことは確実で、貧富の格差、教育格差などあらゆる分野で格差の目立つ時代となった。中年層の間で経済的に恵まれていない人々の数が増大した。 これを筆者は、ここで述べてきた「人間とは」とか「自分とは」といった心の問題が中年に発生している「中年クライシス」とは別に、それこそ生活の苦しい中年が多く発生している事実を、これまで心理学者の主張してきた「中年クライシス」とは質の異なる「新しい中年クライシス」が発生していると主張したい。 「新しい中年クライシス」とは、若い時代に望む仕事に就くことができず、その不利さが中年期まで持ち越されてまともな収入のない人々の苦悩である。結婚もままならないといった状況にもある。 中年期には心の問題が生じ、あるいは精神上で苦しむ時期だが、究極の証拠としては中年の自殺が多いことがあげられる。拙著『中年格差』でも詳しく解説しているが、厚生労働省や警察庁の統計から読み解くと、40歳代、50歳代、60歳代という中年世代に自殺は多く、男女別に見ると男性のほうに目立つ。その主な理由は「勤務問題を含む経済・生活問題」「男女問題を含む家庭問題」が考えられる』、「「中年クライシス」とは質の異なる「新しい中年クライシス」が発生」。「「新しい中年クライシス」とは、若い時代に望む仕事に就くことができず、その不利さが中年期まで持ち越されてまともな収入のない人々の苦悩である」、確かに深刻そうだ
・『「新しい中年クライシス」と生涯未婚の増加  関連して生涯にわたって1度も結婚しない生涯未婚者の存在に触れておこう。政府の研究所である「国立社会保障・人口問題研究所」の推計によると、1990(平成2)年頃までの生涯未婚率は男性が1~3%、女性が4%台とかなり低かった。これは日本人の皆婚社会という特徴の反映であった。しかし1990年を過ぎる頃から人生で1度も結婚しない人が急増の傾向を示した。21世紀に入るとそれが男性で10%台、女性で5.8%となり、その後も急増を示して現代では男性で24%を超え、女性で15%前後にまで達している。(出所)『中年格差』(青土社) (外部配信先では図やグラフを全部閲覧できない場合があります。その際は東洋経済オンライン内でお読みください) 今後を予想すれば2030年代には男性で30%弱、女性で20%弱である。およそ2~3割の国民が1度も結婚しないと予測されているのである。 なぜ女性より男性のほうが生涯未婚率は高いのか、簡単に述べておこう。第1に、生まれてくる赤ちゃんの性比は、女性を1.0とすると男性は1.05を超えているので、世の中は男性の数が女性の数より多い。一夫一婦制が日本の規範なので、男性で結婚できない人が生じるのは自然である。 第2に、離婚した男性の再婚相手は初婚の女性が多く、これは1人の男性が複数の女性を囲い込むことを意味するので、女性に巡り合えない男性の増加が生じる。 このようにして生涯未婚者の数が増加し、中年期に離婚して再婚しない人がかなりの数存在することになる。こういう人が高齢になってから単身で生活するとなれば、さまざまな問題の生じることは皆の予想できるところである』、「中年期に離婚して再婚しない人がかなりの数存在」、その理由がよく理解できた。 
・『生涯未婚者が高齢になって起こりうる問題  具体的にどういう問題が生じるのかは詳しく論ぜず、箇条書きだけにしておこう。 第1に、非正規社員などが多かったので、賃金収入の低いことがあり、貯蓄額も少ないので高齢になってから生活費に欠乏の生じることがある。 第2に、もし現役労働中に賃金収入の低い仕事をしておれば、社会保険料の支払い額が低かったので、年金、医療、介護などの社会保険給付額が低い。 第3に、孤独死の問題でわかるように、病気や要介護になったときに、一人身なので看護・介護を十分に受けられない場合がある。 第4に、若い頃や中年の頃は1人暮らしをやっていける、と自信に満ちていた人の多いことはすでに紹介したが、そういう人でも高齢になってから心身ともに弱くなるので、心のさびしさや生活上の不便を感じるようになる。 「新しい中年クライシス」の渦中にいる人々は経済的に困窮し、結婚もままならない。将来は不安だらけといった中年期にまつわる不幸は深刻である』、確かに「新しい中年クライシス」は、彼らが高齢化するにつれ大きな問題になる可能性がある。

第三に、10月21日付けダイヤモンド・オンライン「養老孟司×井上智洋対談「猛烈な格差を招いた公平・中立な社会の皮肉」」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/251386
・『解剖学者・養老孟司氏は、一次産業が中心だった社会から、「社会システム」の構築が中心となる社会へと変化してきたと指摘する。そうしたシステムを重視する社会において、AIはどのようなインパクトをもたらすのだろうか。『AIの壁 人間の知性を問いなおす』から一部抜粋して、養老氏と経済学者の井上智洋氏との対談をお届けする』、面白そうだ。
・『一次産業の急速な衰退  養老孟司 私は、AIを特別に取り上げるつもりはないんです。昔から言ってきましたから。「意識中心の社会」に移ってきていると。 今、世界の人口の8割は都会に住んでいる。それで一番目立つのは、一次産業の急速な衰退です。一次産業は、直接ものと対面している仕事ですよね。それを技術が補助することによって、日本だと、例えば10家族でやる仕事を1家族で担えるようになった。そうすると、残りの9家族は何をしたらいいか?という話になる。これはある意味、当然の変化であって、僕が生きている間にそうした変化がずっと切れ目なく起きてきたわけです。 実は1940年頃まで、わが国の一次産業従事者の割合は労働人口の4割以上でした。今は、労働人口の4%程度でしょ?10分の1以下なんですよ。 井上智洋 ドラスティックな変化ですよね。) 養老 これは、産業構造の変化に限らないんですよ。例えば、私が専門としてきた解剖学というのは、「一人一人」を、言ってみればバラしていく学問。「一人一人」から得られた情報を論文にする、つまり「情報化」するわけです。その作業というのが、科学の世界でいうところの「一次産業」なんですよ。現物を見て、そこから起こしていく。実験室で行なう実験ならば、その中で一定の論理的な手続きでものを進めることができるんですが、現物が相手だと、均一化・効率化ができないんです。 「虫屋」としての僕の仕事もそうですよ。分類学そのものですから。いろんな種類の虫を手と足を使って集めてきて、それでもって手と目を使って整理するしかない。そこの第一段階のところが、ほとんど経済活動としては認められなくなってるんですね。 一次産業の衰退と同じように、学問の世界にも衰退はある。早い段階からそうだった。僕が若い頃には、すでに「一次産業的な」仕事は時代遅れだよと、生物学の実験室の中にこもるようになっちゃって。だから早いうちから、生物学者は具体的な生き物は見なくなって、細胞を取り出して、モデル化されたシステムを調べていくようになった。 井上 社会構造の変化と同じですね』、「生物学」、「経済・社会学」などが「モデル化されたシステムを調べていくようになった」、というのはやはり一抹の寂しさも覚える。
・『車社会はシステム化の一環である  養老 一方で、社会は「社会システム」の構築の方に中心が移っていった。システムというのは猛烈な初期投資が必要であって、それを先にやってしまった方が勝ちなんですね。今は、GAFAがみんなそうですけれど、いったんシステム化してしまうと、非常に強いんです。 井上 おっしゃるシステムというのは、「プラットフォーム」と言っても良さそうですね。 養老 車社会だって、単体の車造りに忙しいように見えるけれど、実は「システム化」の一環だったんですよ。高速道路の建設にあれだけお金をかけて、道路を全部舗装して、徹底的にやったから。たかだか人一人を運ぶのに、トン単位の重さのものを動かして移動するなんて、地域の枠内の移動に限ってみれば、こんな不合理な話はないでしょう?エネルギー効率的に言えば(笑)。 井上 歩けばいいですよね。エネルギーがかからないし。 養老 人がわざわざ「輸送」されるようになったわけです。その「輸送」のシステム化は、止められなかったわけでしょ?今さら莫大な予算をかけて、でき上がっちゃった輸送網を解体して仕組みを変えようと言ったって、物理でいう慣性能率がものすごく大きくなっちゃって、社会全体をいじくれなくなっちゃった。そういう流れで、「結果的にでき上がっちゃった社会」が勝手にシステムを構築していってしまう傾向って、方向性を変えるとすれば、個人の反抗しかないんです。 井上 アマゾンの不買運動なんかも出てきましたよね』、「物理でいう慣性能率がものすごく大きくなっちゃって、社会全体をいじくれなくなっちゃった。そういう流れで、「結果的にでき上がっちゃった社会」が勝手にシステムを構築していってしまう傾向って、方向性を変えるとすれば、個人の反抗しかないんです」、「養老」氏らしい独創的な見方だ。
・『「理性のみの社会」が抱える欠点  養老 その意味で、国レベルでの「反抗」をやっているのがフランスだと思いますよ。いわゆる「大衆化社会」に対して、国ぐるみで抗っている。フランスって、基本的に農業国ですから、国民の考え方が保守的というか、システム化にはあまり向いていかないところがある。 井上 その意味では、イタリアも独自性のある動きをしますよね? 養老 イタリアなんかは、もっとずいぶん前からふてくされちゃっていますからね。イタリアは、いつも経済危機って言われているんですが、あれは噓ですよ。あれは経済危機じゃなくて、統計の取り方を変えているだけだと思うんです。 井上 目の前で叫ばれる「危機」に囚われるんじゃなくて、大衆化社会というようなキーワードで流れを追っていくことで、本質が見えてくると。 養老 今、大衆化を一番バカ正直にやっちゃっているのがアメリカという国ですよ。つまり、僕の言葉で言えば、国民がこぞって物事すべてを「意識化」してしまう。これは考えると、無理もないなとも最近思えてきた。なぜかというと、「異文化の人をあれだけひと所に集めたら、議論って通用するの?」って。違いを乗り越えるには、普遍的な理性しかないんですよ。例えば日本だったら、家に仏壇か神棚が必ずあるでしょう?それぞれの家には仏壇か神棚を置きましょうという暗黙のルールがある。ところが、もしそれをアメリカの連邦議会で提案したって、「それはローカルなルールだから、×ですよ」って弾かれちゃう(笑)。そうすると、理性的にきちんとみんなを説得できるものを持ってこないといけない。それがアメリカという国の本質ですよね。アメリカの社会システムそのものです。そうすると、当然のことながら、個別性から普遍性へ、そして最後は「永遠なるもの」を求めるようになっていくんです。まがいもなく神ですよね。あれ、理性を突き詰めた究極のものですよ。 井上 そうですね。 養老 だから逆に言うと、今持ってくるシステムと言えば、AIしかないんですよ。 井上 神への崇拝に近い。 養老 ところが人間そのものを見ていくと、個々に感情があったり、それぞれに「0のものを1にしたい」とか「2のものを3にしたい」といった意向があったりする。だから当然摩擦が生まれて、人間関係がぐじゃぐじゃする。そういうものはコンピュータにはありませんからね。だからこそ、コンピュータを駆使して、公平・客観・中立な社会を徹底的に作ってきた。でも皮肉なことに、その結果はなんと、猛烈な格差社会ができ上がっていたという。 井上 摩擦を避けようと思ったら、強烈な摩擦を生む結果になったわけですね。 養老 皮肉だよね。だから僕は、理性のみで強くグイグイ押していく社会には、特有の欠点があるんだとずっと言ってきたんです。その欠点が、今や目に見えてきちゃった。つまり、システムをせこせこ作ってきた結果、人間が置いてきぼりを食っちゃったわけなんです。(両氏の略歴はリンク先参照)』、「コンピュータを駆使して、公平・客観・中立な社会を徹底的に作ってきた。でも皮肉なことに、その結果はなんと、猛烈な格差社会ができ上がっていたという」、「理性のみで強くグイグイ押していく社会には、特有の欠点があるんだとずっと言ってきたんです。その欠点が、今や目に見えてきちゃった。つまり、システムをせこせこ作ってきた結果、人間が置いてきぼりを食っちゃったわけなんです」、なかなか深い見方で、参考になる。
タグ:これまで心理学者の主張してきた「中年クライシス」とは質の異なる「新しい中年クライシス」が発生していると主張したい PRESIDENT ONLINE 池田清彦『自粛バカ』 車社会はシステム化の一環である 生涯未婚者が高齢になって起こりうる問題 池田 清彦 「生物学」、「経済・社会学」などが「モデル化されたシステムを調べていくようになった」 ダイヤモンド・オンライン 1940年頃まで、わが国の一次産業従事者の割合は労働人口の4割以上でした。今は、労働人口の4%程度でしょ 「新しい中年クライシス」とは、若い時代に望む仕事に就くことができず、その不利さが中年期まで持ち越されてまともな収入のない人々の苦悩である 「今の40歳前後「非正規・未婚者」が抱く深い憂鬱 生活苦の「新しい中年クライシス」が起きている」 「新しい中年クライシス」は、彼らが高齢化するにつれ大きな問題になる可能性 日本において「中年クライシス」が顕著になったのか 物理でいう慣性能率がものすごく大きくなっちゃって、社会全体をいじくれなくなっちゃった。そういう流れで、「結果的にでき上がっちゃった社会」が勝手にシステムを構築していってしまう傾向って、方向性を変えるとすれば、個人の反抗しかないんです 「意識中心の社会」に移ってきている 一次産業の急速な衰退 日本が格差社会に入ったことは確実で、貧富の格差、教育格差などあらゆる分野で格差の目立つ時代となった。中年層の間で経済的に恵まれていない人々の数が増大 格差問題 中年期に離婚して再婚しない人がかなりの数存在 コンピュータを駆使して、公平・客観・中立な社会を徹底的に作ってきた。でも皮肉なことに、その結果はなんと、猛烈な格差社会ができ上がっていたという」、「理性のみで強くグイグイ押していく社会には、特有の欠点があるんだとずっと言ってきたんです。その欠点が、今や目に見えてきちゃった。つまり、システムをせこせこ作ってきた結果、人間が置いてきぼりを食っちゃったわけなんです 「中年クライシス」がごく一般の人々にも 中年期に人格の形成が確立の方向に向かう 「理性のみの社会」が抱える欠点 医療崩壊の種を蒔いてしまった 「スーパーシティ法案」緊急事態宣言解除の直後にこっそり可決 コロナでわかった「グローバリズム」の弱点 安倍政権はけっこう前から全国の公的医療機関の統廃合や病床数削減を進めている。2015年に厚生労働省が「2025年までに最大で15%減らす」という目標を掲げ、重症患者を集中治療する高度急性期の病床を13万床、通常の救急医療を担う急性期の病床を40万床、それぞれ3割ほど減らす方向で動いてきた 橘木 俊詔 (その7)(貧乏人を排除する「スーパーシティ構想」のヤバさに気付かない日本人の脳天気さ ごく一部の金持ちが街を作り変える、今の40歳前後「非正規・未婚者」が抱く深い憂鬱 生活苦の「新しい中年クライシス」が起きている、養老孟司×井上智洋対談「猛烈な格差を招いた公平・中立な社会の皮肉」) アフターコロナ、グローバルキャピタリズムは推進か廃れるか 「新しい中年クライシス」と生涯未婚の増加 「スーパーシティ法案」が可決 「貧乏人を排除する「スーパーシティ構想」のヤバさに気付かない日本人の脳天気さ ごく一部の金持ちが街を作り変える」 橘木俊詔氏の新刊『中年格差』 東洋経済オンライン 「アメリカ」では、オバマケアに沿って低所得者向けの「メディケイド」を拡充した州と、しなかった共和党知事の州の間で格差が広がっているようだ 富裕層の思惑のみでいろいろなことが決まり経済格差は拡大必至 「養老孟司×井上智洋対談「猛烈な格差を招いた公平・中立な社会の皮肉」」 高度成長期以降に国民の所得も伸びて、ある程度豊かになり、「人間とは」「自分とは」を考え直す余裕ができたので、「中年クライシス」が発生する素地が誕生
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パンデミック(経済社会的視点)(その9)(スウェーデンが「集団免疫」を獲得 現地医師が明かす成功の裏側、GoToイートは菅総理の信念の180度逆で根本的に誤り、天才哲学者が危惧する パニックの政治とデジタル全体主義、「疫病の記憶」を紡ぐイタリアと日本の教育差 絵画からも両国での捉え方の違いが見えてくる) [パンデミック]

パンデミック(経済社会的視点)については、10月11日に取上げた。今日は、(その9)(スウェーデンが「集団免疫」を獲得 現地医師が明かす成功の裏側、GoToイートは菅総理の信念の180度逆で根本的に誤り、天才哲学者が危惧する パニックの政治とデジタル全体主義、「疫病の記憶」を紡ぐイタリアと日本の教育差 絵画からも両国での捉え方の違いが見えてくる)である。

先ずは、10月15日付けデイリー新潮「スウェーデンが「集団免疫」を獲得 現地医師が明かす成功の裏側」を紹介しよう。
https://www.dailyshincho.jp/article/2020/10180557/?all=1&page=1
・『グローバルに多様性が求められる昨今でも、こと危機下においては、自分流を貫くのは難しい。周囲に足並みを揃えないと、日本の自粛警察が典型だが、圧力がかかる。しかも、圧力をかける側も付和雷同なだけで、根拠が薄弱な場合が多いからやっかいだ。 それは国家レベルでも起きる。新型コロナウイルスの感染拡大を防ぐため、ヨーロッパの多くの国がロックダウンを導入した際、スウェーデンはそれを回避した。その独自路線は当初から物議をかもし、死者数が増えると失敗の烙印を押され、自国のノーベル財団や医師からも批判された。 ところが、同国のカロリンスカ大学病院に勤務する宮川絢子医師は、 「スウェーデン当局は、集団免疫を達成しつつあるという見方を発表しています。最近、若者を中心に陽性者数は増加傾向にあるものの、重症者数や死者数の推移が落ち着いたままであることも、その状況証拠になっていると思います」と話す。そうであるなら非難されるどころか、フランスやスペイン、イギリスなどで感染が再燃するなかでも、泰然としていられよう。すなわち、問題児のはずのスウェーデンが勝者になったことになる。 新型コロナウイルスに感染しての死者数は、たしかにスウェーデンでは、最近あまり増えていない。累計5899人で(10月15日現在)、ピークの4月には1日100人を超えた日も4回あったものの、8月はひと月で78人、9月は54人とかなり落ち着いており、9月下旬以降はゼロという日が目立っている。 結果として、7月以降は国内の死者数全体が、例年とくらべてむしろ少ないほどだ。掲載の表は人口10万人あたりの死者数を週ごとに算出したものだが、9月第3週は13・9人と、ここ数年で最も少なくなっているのである。 スウェーデンの人口は1035万人だから、6千人近い死者数は、絶対数として少ないとはいえない。しかし、人口4732万人のスペインにおける3万2千人、同6706万人のフランスにおける3万2千人、同6679万人のイギリスの4万2千人とくらべ、多いわけではない。しかも、ロックダウンを実施したこれらの国が、いま感染の再燃を受け、再度のロックダウンを検討し、部分的にはすでに導入していることを思えば、スウェーデンに分があるとしか言いようがあるまい。 では、スウェーデンではどんな対策が講じられ、なにが起きたのか。いまも日ごとの感染者数に一喜一憂する日本とは、人々の意識をはじめ、どう異なるのか。それを辿ることで、このウイルスの性質も、われわれの向き合い方も、いっそう明瞭になるに違いない』、「スウェーデン当局は、集団免疫を達成しつつあるという見方を発表」、かねて噂にはなっていたが、「集団免疫達成」とは大したものだ。
・『情報が隠されていない  スウェーデンでは、感染のピーク時にも国民生活にほとんど制限を加えなかった、と誤解している人もいるが、そうではない。宮川医師が説明する。 「パンデミックが宣言された3月中旬以降、“50人以上の集会の禁止”が続いています。たとえば映画館は席を空け、50人以内になるようにして営業していますが、コンサートはほとんどが中止で、オペラなども開催されていません。文化系の職業に就く関係者のダメージは大きいです。10月1日から“500人以上”に緩和される予定でしたが、国内の感染拡大を受け、延期されました。また“高齢者施設への訪問”も、4月から禁止されていましたが、こちらは10月から解禁されています」 集会の制限が象徴するように、スウェーデンの対策の肝はソーシャルディスタンスである。カフェやレストランは、営業を停止させられたり、自粛を求められたりせずにすんだが、 「レストランでも間隔を空けて座るという対策が、来年夏まで延長され、立食形式も禁じられたまま。症状があれば自宅待機、という対策も続いています。しかし、マスクはほとんどの人が着けていません。マスクを優先してソーシャルディスタンスをとらなくなれば、そのほうが問題だ、という考えによるものです」 周辺国のように、だれもが家に閉じこもる期間こそなかったものの、「3月から6月ごろまでは外への人出はすごく少なかった。7月に入って気候もよくなり、感染も収束してきて、夏休みは例年なら国外旅行する人が国内ですごしたので、国内は混雑しました。それに対しては、列車の座席が満席にならないように、予約時に配慮がなされたほかは、特に規制はありませんでした。いまは通常に近い状態と言っていいでしょう」 スウェーデンの規制のあり方は、強制を伴うロックダウンは行わず、自粛要請にとどまった日本の対策と近い――。そう気づいた方も多いのではないか。もちろん、違いはある。 「日本と大きく違ったのは、学校を休校させたかどうか、です。スウェーデンでは子どもが教育を受ける権利が重視され、家庭環境に恵まれない子どもが登校できなくなることで起きる弊害が考慮されました。一斉休校になれば、医療従事者の1割が勤務できなくなるという試算もあり、高校や大学は遠隔授業になっても、保育園や小中学校は閉鎖されませんでした」 ほかにも日本と似て非なる点が指摘できるが、それは、実は根源的な違いかもしれない。 「日本では“自粛警察”のようなものがあったと聞きます。スウェーデンでもごく初期には多少あったようですが、現時点ではまったくありません」 これは国民の意識の差だが、背景には、当局の姿勢の違いがありそうだ。 「悪いデータもよいデータも公開され、情報が隠されていないことが、国民の安心につながっていると思います。死者数が増えているときでも、手を加えていない生データが毎日公開されます。陽性者数だけが問題になることはなく、PCR検査数が増加して陽性者数が増えたときは、“重症者と死者は減っているので問題ない”という説明が当局からありました。別のときには、“陽性者が増えたのは10代後半~40代で、リスクグループである高齢者の陽性者は減っているので問題ない”という説明もなされました。アンケートによれば、当局の対策は7割程度の国民に支持されています。死者数を見ず、陽性者数ばかり気にする国もあり、ノルウェーなども陽性者数が増えてかなり騒いでいて、そういう状況は日本にも見られます。死者数にフォーカスするスウェーデンとはだいぶ違います」 状況を正しく把握できれば、自粛警察のような不毛な行動は防げるわけだ。』、「スウェーデンの対策の肝はソーシャルディスタンスである。カフェやレストランは、営業を停止させられたり、自粛を求められたりせずにすんだが、 「レストランでも間隔を空けて座るという対策が、来年夏まで延長され、立食形式も禁じられたまま」、「スウェーデンでは子どもが教育を受ける権利が重視され、家庭環境に恵まれない子どもが登校できなくなることで起きる弊害が考慮されました・・・高校や大学は遠隔授業になっても、保育園や小中学校は閉鎖されませんでした」、日本では安部首相の独断で「保育園や小中学校は閉鎖」したのとは大きな違いだ。
・『情報が隠されていない  スウェーデンでは、感染のピーク時にも国民生活にほとんど制限を加えなかった、と誤解している人もいるが、そうではない。宮川医師が説明する。 「パンデミックが宣言された3月中旬以降、“50人以上の集会の禁止”が続いています。たとえば映画館は席を空け、50人以内になるようにして営業していますが、コンサートはほとんどが中止で、オペラなども開催されていません。文化系の職業に就く関係者のダメージは大きいです。10月1日から“500人以上”に緩和される予定でしたが、国内の感染拡大を受け、延期されました。また“高齢者施設への訪問”も、4月から禁止されていましたが、こちらは10月から解禁されています」 集会の制限が象徴するように、スウェーデンの対策の肝はソーシャルディスタンスである。カフェやレストランは、営業を停止させられたり、自粛を求められたりせずにすんだが、 「レストランでも間隔を空けて座るという対策が、来年夏まで延長され、立食形式も禁じられたまま。症状があれば自宅待機、という対策も続いています。しかし、マスクはほとんどの人が着けていません。マスクを優先してソーシャルディスタンスをとらなくなれば、そのほうが問題だ、という考えによるものです」 周辺国のように、だれもが家に閉じこもる期間こそなかったものの、「3月から6月ごろまでは外への人出はすごく少なかった。7月に入って気候もよくなり、感染も収束してきて、夏休みは例年なら国外旅行する人が国内ですごしたので、国内は混雑しました。それに対しては、列車の座席が満席にならないように、予約時に配慮がなされたほかは、特に規制はありませんでした。いまは通常に近い状態と言っていいでしょう」 スウェーデンの規制のあり方は、強制を伴うロックダウンは行わず、自粛要請にとどまった日本の対策と近い――。そう気づいた方も多いのではないか。もちろん、違いはある。 「日本と大きく違ったのは、学校を休校させたかどうか、です。スウェーデンでは子どもが教育を受ける権利が重視され、家庭環境に恵まれない子どもが登校できなくなることで起きる弊害が考慮されました。一斉休校になれば、医療従事者の1割が勤務できなくなるという試算もあり、高校や大学は遠隔授業になっても、保育園や小中学校は閉鎖されませんでした」 ほかにも日本と似て非なる点が指摘できるが、それは、実は根源的な違いかもしれない。 「日本では“自粛警察”のようなものがあったと聞きます。スウェーデンでもごく初期には多少あったようですが、現時点ではまったくありません」 これは国民の意識の差だが、背景には、当局の姿勢の違いがありそうだ。 「悪いデータもよいデータも公開され、情報が隠されていないことが、国民の安心につながっていると思います。 増えているときでも、手を加えていない生データが毎日公開されます。陽性者数だけが問題になることはなく、死者数がPCR検査数が増加して陽性者数が増えたときは、“重症者と死者は減っているので問題ない”という説明が当局からありました。別のときには、“陽性者が増えたのは10代後半~40代で、リスクグループである高齢者の陽性者は減っているので問題ない”という説明もなされました。アンケートによれば、当局の対策は7割程度の国民に支持されています。死者数を見ず、陽性者数ばかり気にする国もあり、ノルウェーなども陽性者数が増えてかなり騒いでいて、そういう状況は日本にも見られます。死者数にフォーカスするスウェーデンとはだいぶ違います」 状況を正しく把握できれば、自粛警察のような不毛な行動は防げるわけだ』、「スウェーデンの対策の肝はソーシャルディスタンスである。カフェやレストランは、営業を停止させられたり、自粛を求められたりせずにすんだが、 「レストランでも間隔を空けて座るという対策が、来年夏まで延長され、立食形式も禁じられたまま」、「スウェーデンでは子どもが教育を受ける権利が重視され・・・高校や大学は遠隔授業になっても、保育園や小中学校は閉鎖されませんでした」、日本では安部首相の独断で突如、「保育園や小中学校は閉鎖」したのとは大違いだ。
・『死者が多いのは別の原因  東京大学名誉教授で食の安全・安心財団理事長の唐木英明氏は、 「スウェーデンの新型コロナ対策には、重要なポイントが二つあると思います」 と、こう説明する。「一つは、国家疫学者であるアンデシュ・テグネル氏が、しっかりと対策方針を立てて政府に助言し、政府はそれを最大限実践していることです」 宮川医師の言葉で少し補足すれば、「ロックダウンには、はっきりとした学術的エビデンスがない」というのが、テグネル氏の主張だった。唐木氏の話に戻る。 「対比されるのがイギリスのジョンソン首相で、最初はスウェーデンに近い緩い対策を打ち出しながら、世論に押されて方針を変更してしまいました。一方、スウェーデンは各国から非難されながらも、新型コロナの感染力がどの程度で、どんな人が感染し、どんな症状が出るのか、確認しながら対策していた。二つめのポイントは、国民が国の対策を支持したことで、対策方針をきちんと説明したことが、大きかったのではないでしょうか」 一方、日本はといえば、「専門家会議に振り回され、命がいちばん大事だ、という点ばかりを重視した対策をとってしまった。専門家、すなわち命を守ること以外は使命ではない医療関係者の意見に引きずられた結果、国民も自粛一本やりになってしまいました」 だが、問題は、そういう対策が本当に「命」を守ることにつながるのか、である。京都大学ウイルス・再生医科学研究所の宮沢孝幸准教授が言う。 「集団免疫を獲得してさっさと収束させるか、ワクチンや薬ができるまで自粛を続けるか。新型コロナはどちらかまで収束しませんが、医療崩壊しないかぎり、トータルの感染者数と死者数は変わらないと考えられます。そうであれば、生活を自制する期間が短いほど経済への影響は小さくてすみ、経済苦に悩まされて自殺する人などを含む、トータルの死者数を抑えることができます。ワクチン開発には時間がかかるでしょう。その間、経済がダメージを受け続けるなら、重症化しやすい人への感染を防ぎつつ集団免疫を獲得し、早めに収束させたほうがいい」 もっとも、スウェーデンの対策は必ずしも集団免疫獲得を狙ったものではない旨を、宮川医師は説く。 「長期間の持続が困難なロックダウンは避け、ソーシャルディスタンスをとりながら高齢者を隔離し、医療崩壊の回避を狙ったのです。6月時点で、ストックホルムでの抗体保有率は20%程度でしたが、新型コロナに対し、感染を防いだり軽症化させたりする細胞性免疫が存在する可能性が次々と報告され、公衆衛生庁は7月17日、“集団免疫がほぼ獲得された”という見解を発表しました。これはいわば副産物です」 いずれにせよ、収束にいたる最短の道を歩んでいることは間違いない。 「今年第1四半期(1~3月)のGDPは、ユーロ圏で唯一プラス成長。第2四半期の落ち込みもマイナス8・6%と、EU諸国一般ほどは、経済への打撃は受けませんでした」 それでもノルウェーの死者数は275人、フィンランドは345人なのにくらべ、スウェーデンは犠牲が大きすぎたという指摘もある。だが、『北欧モデル』の共著もある日本総合研究所の翁百合理事長が言う。 「5月にはトランプ大統領が“スウェーデンの緩やかな対策は、大きな代償を払うだろう”と厳しく非難し、ほかにも“経済を最優先して死者数が増えた”といった報道も多い。しかし、これらはスウェーデンのコロナ対策の実態を理解しているとは言いがたいものです。死者が多かったのは、むしろ介護システムの問題です。医療と介護の機能分担に続き、高齢者の在宅介護が進められ、施設には重度の要介護高齢者が入るようになった。その施設は管轄が県から市町村に移ったうえに、民営化が進んでコスト削減が求められました。介護施設の医療は手薄になり、介護者も3割は時給が安いパートタイマーで、多くは移民。スウェーデンで新型コロナに感染して亡くなった人の9割は70歳以上で、その5割は介護施設に居住していました。感染防止対策が不十分な環境下で、パート勤務の介護者などが重度の要介護高齢者の介護に当たったため、クラスターが発生した。そういう構造的な問題があったのです」 テグネル氏が「守るべき高齢者を守れなかった」と言うと、スウェーデンの敗北宣言のように報じられたが、実際には、介護システムの問題を悔やんでの発言だったという』、「スウェーデンの対策は必ずしも集団免疫獲得を狙ったものではない」、「長期間の持続が困難なロックダウンは避け、ソーシャルディスタンスをとりながら高齢者を隔離し、医療崩壊の回避を狙った」、なるほど合理的だ。
・『死亡が若干前倒しに  スウェーデンにおける新型コロナ禍の犠牲者について、もう少し踏み込んでおこう。死亡者の平均年齢83歳は、スウェーデンの平均寿命83・1歳と重なる。ただし、83歳時点での平均余命は7年程度あるが、コロナ禍で死亡した高齢者の8割は、在宅を含め要介護者だった。ちなみに介護施設の入居者は、必ずしも予後が悪くない認知症患者を含めても、入居後18カ月で4割が死亡するという。 このデータを前提に、誤解を恐れずに指摘するなら、犠牲者の多くは、新型コロナに感染して死亡が若干前倒しになった、とは言えないか。先に紹介したように、最近、週ごとの死者数全体が例年より少ないのは、その証左ではないか。この点を宮川医師に尋ねると、 「スウェーデン国内にそういう見方はあります」と言って、こう続ける。 「19年から20年にかけ、記録的な暖冬で、新型コロナ流行前は高齢者の死亡が少なかった。例年通りの気候であれば冬を迎えて亡くなるはずだった方が生き延び、新型コロナに感染して亡くなったこともあり、死亡者数の波が余計に高くなったという状況です。また、新型コロナの犠牲になったのは予後が悪い方が中心だというのは、真実に近いと思います。もっとも、適切な医療を受ければ助かった人もいるはずで、私の義父もコロナに感染してはいませんが、医療を受けられず亡くなりました。だからといって、スウェーデンの政策が間違っていたということではありません」 そして、スウェーデン在住者の実感を漏らす。 「ロックダウンは副作用がかなり大きく、経済的ダメージのみならず、長期的には精神面も含め、健康に悪影響を及ぼして命にかかわってきます。また、センシティブで難しい問題ですが、ロックダウンで失われる命は、若い世代のほうが多いでしょう。年齢に関係なく命は等価だという意見もありますが、予後が悪い高齢者と、これから社会を背負っていく若い人が同じであるとは、簡単には言い切れないと思います」 経済がどん底のところに、パリやマドリッドばかりか、ニューヨークも再度のロックダウンを検討しているという。片や非難の的であったスウェーデンは、死者がゼロの日も多い。日本はそこから何を学ぶべきか。医師で医療経済ジャーナリストの森田洋之氏が言う。 「スウェーデンは結果的に利口な対策でしたが、4~5月の時点ではわからないことだらけで、イチかバチかの側面があったでしょう。それに日本とは社会的背景も国民性も異なるので、日本も真似をすべきだったとは言い切れません。しかし、データが揃いつつあるいまは違う。冬に向けて第3波がやってきたとき、また緊急事態宣言、外出自粛や休業要請というのは合理的ではありません。ロックダウンをしなくても収束に向かい、集団免疫も得られることが、スウェーデンのデータからわかるし、そもそもこのウイルスは、日本人には大きな脅威にならないことがわかっている。外出自粛で感染防止に執心するだけでなく、たとえばステイホームの結果としての孤独が、自殺が増えるという最悪の事態に発展していることも考えるべきです」 スウェーデンの新型コロナ対策の背後に感じられるのは、このウイルスとは長い付き合いになるという覚悟と、そうである以上、無理は禁物だという大人の判断だ。結果として、無用に追い詰められる人は少なくなる。表面的には日本と似た緩い対策を支える精神の違い。日々の感染者数に一喜一憂する日本が学ぶべきはそこにあろう』、スウェーデンが周辺国からの批判をになかで、我が道を行き、結果的に「集団免疫」を獲得したのは凄いことだ。それを信頼した国民も大したものだ。

次に、10月17日付けNewsweek日本版が掲載した財務省出身で慶応義塾大学准教授の小幡 績氏による「GoToイートは菅総理の信念の180度逆で根本的に誤り」を紹介しよう。
https://www.newsweekjapan.jp/obata/2020/10/goto180.php
・『<GoToイート食事券も飲食店への家賃補助も、人気店や馴染みの店の足を引っ張り、質の悪い店を助ける政策だ> GoToイートの不手際や、不正に近い濫用がワイドショーの話題になっているようだが、そうなるに決まっている。何のために、外注しているのかよくわからない。 しかし、それ以前に、GoToイートということ自体が間違っている。 GoToトラベルも、このキャンペーンが終わったら需要が反動減となるので、本当に目先の一時しのぎに過ぎず、キャンペーンがなくても来るような顧客を失うだけなのでよくない、という議論は前回したが、GoToイートはさらに悪い。 500円や1000円をループして永遠に利用するセコイ客の被害は、そのような客で店が溢れ、店はむしろ儲からなくなる。 これは以前から同じことで、6月、飲食が戻らない、と言われていた時でも、私のヒアリング調査、あるいは個人的な体験からすると、通常は予約でいっぱいのような店は、少し予約が取りやすくなる程度で、コロナでも店は客で常に満席だ。いつも満員の店は、コロナの影響で客が減ったと言っても一番悪いときでも通常の8割程度は客は来ていた。そして、7月には9割以上に戻り、8月で感染が再拡大したと言われても、まったくそれは変わらず、通常の9割から通常通りに戻っている。 これは飲食店ではコンセンサスだそうで、駄目な店にも、通常は、人気の店が満員で入れない客が流れていたから、一応客がいただけで、もともと駄目だった店が、人気の店に入れなくてあふれてくる客がいなくなり、閑古鳥が鳴いているだけで、まともな店は客は減っでも最大で1割程度ということだそうだ』、「まともな店は客は減っでも最大で1割程度」、ということのようだ。
・『いずれは潰れる店を延命するだけ  飲食がつぶれるというが、もともと飲食は良くつぶれるので
それで貸す側も値引きはしない。いつでもまた別の店が入るし、いつものことだ、という対応だったようだ。そして、政府の家賃補助は、これらのビルオーナーを安泰にするだけで、もともといつかたたまなければならない店が、コロナで決断しかかっていたのが、決断を先送りにして、家賃補助が終わればやはり廃業するような店の延命をしているにすぎず、しかも彼らの収入にはならず、ビルオーナーが安泰になっただけだ。 つまり、菅総理のいう、自助共助公助に、見事に180度反している。 自助できるところの邪魔をして、守る価値のないところを、国民全体の税金を投入して守っている。しかも、セコイ客に悪用されている。産業の新陳代謝を妨げ、日本経済の活力も成長力も削いでいる。 最悪、弱いものを守る政策だ、というなら、ネットで予約する仕組みは最弱な古い店には機能しない。はやっていないチェーン店が使うだけだし、サイトが儲かるだけだ。 ワイドショーの同情を引いたのは、サイトも開設していないような、スナック、小料理屋、定食屋、飲み屋であり、彼らでない中途半端な商業的に駄目なチェーン店とセコイ客にカネが流れているだけなのだ。 最悪だ。即刻やめるか、菅総理は自助という言葉を信念から外してほしい』、「ネットで予約する仕組みは最弱な古い店には機能しない。はやっていないチェーン店が使うだけだし、サイトが儲かるだけだ・・・サイトも開設していないような、スナック、小料理屋、定食屋、飲み屋であり・・・中途半端な商業的に駄目なチェーン店とセコイ客にカネが流れているだけなのだ』、相変わらず手厳しい批判だ。

第三に、11月2日付け日刊ゲンダイ「天才哲学者が危惧する パニックの政治とデジタル全体主義」を紹介しよう。
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/280678
・『「新しい生活様式」が当たり前になり、菅政権は「デジタル庁」創設に躍起になっている。新型コロナウイルス禍がこの国にもたらした変化の一端である。各国で同時進行中のこうした社会の変貌について、「哲学界のロックスター」とも呼ばれ、世界中で注目される若き天才哲学者は、「デジタル全体主義を加速させる脅威」だとして警鐘を鳴らす。じっくり話を聞いた(Qは聞き手の質問、Aはガブリエル氏の回答)』、「ガブリエル氏」の見解とは興味深そうだ。
・『Q:コロナ禍のパンデミックで「社会は大きく変わる」という見方がありました。現状をどう見ていますか。 A:残念ながら、社会は悪い方向に大きく変わりましたね。この春、私が予測していた「衛生至上主義」と呼ぶ傾向が、現実に顕著になってきています。衛生への配慮の範囲を超えて、行動や文化や政治などあらゆる分野で、ウイルスの「潜在的な脅威」ばかりを気にしている。レストランや大学など、どこでもそうでしょう。 Q:日本でも同じような現象はあります。 A:実質的な脅威ではないのに過剰に反応しているという意味では、人種差別にも似た側面があると思います。このような衛生至上主義は世界各国ではびこり、「パニックの政治」が台頭しています。もちろんウイルスは脅威ですが、多くの国で行われているような警戒は過剰です。この過剰な警戒こそが真の脅威です。 Q:どういうことでしょう? A:現在、ロックダウンまでではないものの、欧州では再び、強い規制が始まっていて、これに対し疑問を呈すると、組織化されたソーシャルメディアの大衆に攻撃されます。理性的な議論すらできないのです。「おまえはオワコンだ」とネットで一方的に有名人をたたく文化がアメリカから伝播してきていますからね。コロナを理由にした非常事態が継続することによって「自由な政治」がなくなることのほうに、私は脅威を覚えます。 「自由」は、民主主義において保障されなければならない最高の価値のひとつですが、衛生至上主義、自由な民主主義にとって極めて深刻な脅威になってきた。これは新しい現象です』、「衛生至上主義は世界各国ではびこり、「パニックの政治」が台頭・・・多くの国で行われているような警戒は過剰です。この過剰な警戒こそが真の脅威」、本質を突いた鋭い指摘だ。
・『米中サイバー戦争は中国が勝利する  Q:衛生至上主義で社会が理性を失っているということですが、その状態が続くとどんな問題がありますか。 A:「デジタル全体主義」が各国で台頭するでしょう。インターネットの影響で、史上初めて、地球上の全人類の行動が同期化していて、全人類が同時に同じものに恐れを抱いています。ここで忘れてならないのは、今回のコロナウイルスによる「パニックの政治」の起源は中国だということです。そしてその中国が、コロナ対策もデジタルを駆使してつくり上げましたよね。 その背後にあるのは、中国と米国のサイバー戦争です。中国のサイバー攻撃はご存じでしょう。米国のほうは、コロナ禍をチャンスに、デジタルサービスがビジネスを拡大させました。このインタビューで使っている「Zoom」やソーシャルメディアにとってはパンデミックは好機です。サイバー戦争の覇権を争う米中両国とも、コロナ禍を利用しているのです。 Q:人類がデジタルに支配され、その覇権を米中で争っていると。 A:私は、このサイバー戦争で中国が勝利するとみています。米国は民主主義国であり、自由を重んじる。しかし、中国共産党にとって個人の自由など無価値で、国の統治において自由は重要ではありません。中国はデジタル化という極めて巧妙な手段で、米国から覇権を奪取したのです。2020年は中国が主導権を握った年になるでしょう』、「中国はデジタル化という極めて巧妙な手段で、米国から覇権を奪取したのです。2020年は中国が主導権を握った年になるでしょう」、不吉な予想だ。
・『ジョージ・オーウェルのシナリオが「Zoom」上に  Q:著書「全体主義の克服」で、<科学と技術によって現代社会のあらゆる問題を解決できるという誤った信念>と断じています。確かにコロナ禍でAIやSNSなどへのやみくもな服従が進んでいるように思います。デジタル化が無制限に進み、監視が強化される不安もあります。 A:パンデミック前に書いた本ですが、その通りになっています。いまや科学や技術は新たな宗教になりつつある。そして、監視社会は将来のことではなく、現在進行形です。ジョージ・オーウェルが「1984」で書いたシナリオが、この「Zoom」上でまさに起きていると言っていい。米国、中国、日本、ドイツなどあらゆる国の諜報機関は、その気になれば、いま私たちが「Zoom」を使って話していることにアクセスできてしまいます。  Q:「デジタル全体主義」では、20世紀の全体主義のように独裁者がいるわけではないともおっしゃっています。これは市民の側が求める「下からの全体主義」とも言えるのでしょうか。 A:中国に関して言えば、デジタルを使った手段を用いているとはいえ、20世紀型の古い独裁主義国家です。ですが、日本やドイツは民主主義的な法の支配で選挙も行われており、その意味では独裁主義ではありません。現在直面しているのは、下からのサブリミナル(潜在意識)な大衆操作です。大衆が自ら「脱自由」を求めている。そうした傾向の背後には、人々が抱えている「不安」を刺激する構造があります。 Q:サブリミナルな大衆操作とは、どういうことでしょう? A:「不安」はソーシャルメディアと検索エンジンによってつくり出されます。例えば、背中にちょっとしたかゆみがあったとします。「背中のかゆみ」をグーグルで検索すると、「がんかもしれない」と出てくる。さらに検索すると極めてまれなタイプのがんを知るようになる。そうやって4時間も検索していれば、「明日には死んでしまうかも」とだんだん思うようになる。 実際には背中がちょっとかゆいだけなんですよ。インターネットにはこういう構造が組み込まれているのです。病は気からと言います。それは、行動経済学や神経科学の分野で研究し尽くされていること。「不安」で人を操ることができるのです。米国や中国のハイテク企業はそうやって大衆操作をしているのです』、「現在直面しているのは、下からのサブリミナル(潜在意識)な大衆操作です。大衆が自ら「脱自由」を求めている。そうした傾向の背後には、人々が抱えている「不安」を刺激する構造があります」、「「不安」はソーシャルメディアと検索エンジンによってつくり出されます・・・「不安」で人を操ることができるのです。米国や中国のハイテク企業はそうやって大衆操作をしているのです」、我々は無力なようだ。
・『「自発的隷従」を避けるにはソーシャルメディアをやめる  Q:サブリミナルですから、あらがうのはなかなか難しい。 いまドイツで起こりつつあるのはサブリミナルな服従、16世紀の表現を使えば「自発的隷従」です。この奴隷には主人はいません。自ら奴隷化しているのです。その先にあるのは民主主義の終焉。自由な個人がいないと民主主義は機能しないからで、これこそが脅威です。 デジタル全体主義は、ソーシャルメディアと検索エンジンによってもたらされる。そして、この手の独裁主義は、いずれ古典的な独裁主義に移行するでしょう。なぜなら、人々は「次の毛沢東」に投票し始めるからです。米国はある程度、そうなっていますよね。ソーシャルメディアが存在しなければ、トランプは大統領になれなかったでしょう。 Q:コロナ禍がデジタル全体主義をさらに加速させる引き金になったということですね。このままでは「自由」はなくなってしまう。 A:まさに、そういうことです。ただ、選択肢はまだ残されている。例えば、私は3月にすべてのソーシャルメディアのアカウントを解約しました。こういう事態が来るだろうと予想したからです。いまは、ソーシャルメディアを一切使っていません。グーグルの検索も最小限にしています。デジタル全体主義は、私たちが自ら止めないと止まらないのです。実際、シリコンバレーで働いていた多くの専門家が著作などで警告を発しています。 ショシャナ・ズボフは「監視資本主義の時代」(原題「The Age of Surveillance Capitalism」)という素晴らしい本で、いかにグーグルが危険かを説いています。グーグルのような企業こそが、民主主義において最大の脅威であるとはっきり申し上げたい。 Q:人類にとっての脅威は、コロナウイルスではない。 A:20世紀の独裁主義は「目に見える悪」でした。強制収容所があり、何十万人という単位で大量虐殺も行われた。しかし、グーグルは違う。便利で見た目も美しく、サービスを無料で提供している。一見、悪には見えません。でも、だからこそ、この新しい敵は危険なのです。これは自由のための闘争です。まだ負けるとは決まっていない。でも、いまは時期が悪い。まるで「スター・ウォーズ」の悪の帝国であり、私はルーク・スカイウォーカーの役を演じている。こんなふうに説明しなければならないほど、事態は酷い状況です』、「グーグルのような企業こそが、民主主義において最大の脅威である」、とは衝撃的な告発だ。

第四に、11月3日付け東洋経済オンラインが掲載した漫画家・文筆家のヤマザキ マリ氏による「「疫病の記憶」を紡ぐイタリアと日本の教育差 絵画からも両国での捉え方の違いが見えてくる」を紹介しよう。
・『イタリアでは子どものときから、教育のなかで疫病について学ぶ機会があります。例えば、中学校の国語の授業では、アレッサンドロ・マンゾーニの歴史小説『いいなづけ』が、必須図書とされています。物語の舞台は、スペインに支配されていた17世紀の北イタリア。そこにはペスト(黒死病)のパンデミックについての描写が綴られています。漫画家で文筆家のヤマザキマリ氏の新著『たちどまって考える』を一部抜粋・再構成し、イタリアの教育事情を紹介します。 19世紀のイタリアに生きたマンゾーニは、イタリア通貨がリラだった時代には紙幣に肖像が描かれていたほどとてもポピュラーな作家です。義務教育の段階で誰しもが接するという意味で、日本人にとっての夏目漱石のような存在とも言えるかもしれません。 もちろん歴史の授業でも、過去に起きたパンデミックによって社会がどう変わったかということを学びます。古代から現代にかけて、代表的なものがいくつかありますが、古いものであればヨーロッパ世界の礎である古代ローマを襲った「アントニヌスの疫病」でしょうか』、「イタリア」では「パンデミック」が「中学校の国語の授業」でも出てくるとは、歴史教育が根付いているようだ。
・『ローマの安泰を崩したアントニヌスの疫病  紀元165年、マルクス・アウレリウス・アントニヌスが皇帝だった時代に始まったこのパンデミックは、当時彼のお付きのギリシャ人の医者ガレノスが記録した症状からすると、どうやら天然痘だった可能性が高い。また歴史家ギボンは、このパンデミックがのちのローマ帝国の脆弱化、衰退の大きなきっかけになったと記述しています。 アントニヌスは五賢帝の最後の1人で、『自省録』という著書が今なお読まれている"哲学皇帝"と呼ばれる人物です。映画『グラディエーター』(リドリー・スコット監督)で悪徳皇帝コモドゥスの父として登場したと言えば、思い出す方もいるのではないでしょうか。 映画では息子に殺されるというドラマチックな展開になっていますが、実際は皇帝自身もこの疫病に感染し、亡くなったとされています。そしてこのアントニヌス帝の死によって、非常に優れた頭脳で治世した五賢帝たちの時代は終わりを告げ、彼らが築いたローマの安泰が徐々に崩れていくことになります。 アントニヌスの疫病は、帝国の東側に隣接していたパルティア王国の前線、ユーフラテス川流域にいたローマ軍の兵士にまず感染しました。そして、彼らの帰還とともにローマへ持ち込まれました。 その後、ローマ市内だけで千万単位の人が死んだとされますが、それだけの人が死ねば経済は停滞します。小麦を輸入するための船は人材不足で動かせなくなり、港も機能せず、パンを焼く人も死に、民衆は餓死の危機にも迫られました。 一般市民や商業関係者だけでなく、兵士の数も減り、属州の隅々にまで監視が行き届かなくなります。そうすると、敵対関係にあった周辺の蛮族らが国境を越えて帝国内部を侵し始め、ローマ帝国は大きなダメージを受けることになります』、ローマ帝国の軍隊が、パンデミックを仲介したとは、確かにありそうな話だ。
・『歴史上の疫病を教育課程で学ぶ  さらに、紀元250年には「キプリアヌスの疫病」と呼ばれる天然痘のパンデミックが発生し、当時の2人の皇帝も感染して死亡。アレキサンドリアでは人口の3分の2が死滅し、これによってローマ帝国内にはキリスト教を信仰する人々が一気に増えていきます。 キリスト教がローマ帝国の国教になるのはさらに100年以上後のことですが、この疫病のパンデミック前まで、キリスト教はローマに背いた危険な思想を及ぼす過激な新興宗教と見なされていました。 アントニヌスの疫病の際にはキリスト教信者への偏見が過熱し、疫病はローマの神々を信じない彼らのせいだと、弾圧まで行われています。しかし、キプリアヌスの疫病の時代になると、火葬される犠牲者のイメージがキリスト教が説く地獄の様子と重なり、信者を増やすきっかけとなったともされています。 イタリアではこのような歴史上の疫病の影響力を、教育課程で学びます。もちろん学校で学ぶことですから、時間の経過とともに多くの人の記憶から忘却されたりもするでしょう。でもいざというときに、「そう言えばたしか……」と思い出す人も少なからずいるわけです。 では、日本の学校で疫病の影響力について特別に学ぶ機会は果たしてあるでしょうか。 歴史学者の磯田道史さんとコロナ関連のテレビ番組でご一緒したときに彼が言っていたのは、「日本の場合、形で見える崩壊でなければ史実として残らない」ということでした。 磯田さんの師である経済学者の速水融(あきら)さんによると、1918年に始まったスペイン風邪の流行について、当時の文献にはあまり記述らしいものが見当たらないのだそうです。 自分の子どもや家族への感染を懸念した歌人の与謝野晶子が、「人が密集する場所は早くに休業するべきだったのでは」と、感染抑制の必要性を書き残していたぐらいでした。 戦争や震災の災禍は明確な形で見えますが、疫病のような目に見えないものについては言葉として残らない性質が、日本の歴史にはある。しかし、言葉で書き記されなければその記憶は風化しやすくなるでしょう。辛い経験で得た教訓も、世代交代が繰り返されるうちに、人々のなかに留まりにくくなってしまいます』、「疫病のような目に見えないものについては言葉として残らない性質が、日本の歴史にはある・・・言葉で書き記されなければその記憶は風化しやすくなる」、確かに昔の日本史は王朝や幕府中心なので、「疫病」については触れられないのかも知れない。
・『西洋美術のなかの「疫病」  ヨーロッパで美術の勉強をする際にも「疫病」はしっかりかかわってきます。なかでも14世紀半ばに欧州で猛威を振るい、何千万もの犠牲者を出したペストのパンデミックは美術史においても大きな意味をなす出来事でした。 このペストの影響で、当時のヨーロッパの人口の3分の1から3分の2が亡くなったとされていますが、このパンデミックが西洋美術にいったいどのような影響を及ぼしたのか。 主に北部ヨーロッパで顕著だったのが、死神としてペストが描かれるパターンです。人間の行いが悪かったために、天罰としてペストという悪が骸骨の姿で地上に降りてきて、人々を懲らしめているという地獄絵図のような絵画がたくさん残っています。 これは1300年代後半から1400年代初頭にかけてヨーロッパに広がった「死の舞踏」と呼ばれる様式で、イタリアやフランスの美術にも見られます。 こうした絵画から読み解かれるのは、「神の教えに忠実に生きない人間は、疫病という『悪』に襲われかねない」という教訓めいたメッセージです。ヨーロッパでは今でも美術館にこれらの作品が普通に展示されていますから、人々はそこで知らず知らずのうちにペストの怖さや、過去の人々が感じた恐怖を視覚的にインプットされていると思います』、日本では「ヨーロッパ」での「ペスト」のような深刻なパンデミックが起きなかったのだろうか。
・『疫病の記憶は絵画を通して受け継がれる  それこそイタリアでこの手の美術館に行くと、幼稚園児ぐらいの孫におじいさんが絵の説明をしている光景をよく見かけます。骸骨だらけの絵を見てびっくりしている子供に「この死神の意味だがね」などと美術の専門家のように“死の舞踏”について語っていたのを見かけたこともあります。 そのように絵画というメディアを介して、疫病への警戒感が世代から世代へと伝わっている。学校教育での文学、歴史、そして美術も含め、イタリアの人たちは比較的多く、疫病について学ぶ機会をもっているんですね。 なお、美術のなかに描かれた疫病という点では、たとえば西洋美術では、鎌を振り下ろして人々を懲らしめる骸骨、一方の日本では、自然のなかから湧き出た妖怪のような姿として疫病が描かれている。日本と西洋ではその感性に大きな差異があることがそれぞれの絵画から見てとれます。 そうした歴史の教育や美術館を通じての過去との接触は、人々に疫病に対する心構えを備えるきっかけになるでしょう。しかし、情報は得てさえいれば良い、知っていれば安心、というものでもありません。 最近、欧州では新たな感染拡大の兆候が顕著になっています。イタリアでも新規感染者数が2万人を上回る最多数を記録、ミラノでは夜間の外出が制限されました。 夫が教師をしているパドヴァ近郊の高校でも生徒の感染が発覚し、9月の末に新学期が始まってわずか1カ月足らずで学校は閉鎖。生徒も教師も再びオンライン授業の対処が取られているそうです』、「イタリア」では「疫病の記憶は絵画を通して受け継がれる」というのはうらやましい。
・『自らの判断力を問われる時代に  過去のパンデミックを知る歴史の授業や、美術史での“死の舞踏”といった教訓の潜在が、逆に「病気には克服したくない」「自分たちは病気に勝てる」「大したことじゃない」という頑なな姿勢を彼らにもたらしているようにも思えます。 精神的な疲弊が膨らむと、悲観を増す人もいれば、中には積極的に楽観を選択する人もいます。今の欧州にはその傾向が強い。しかし、これからインフルエンザの流行も懸念される中、私たちはますます自らの判断力を問われるようになっていくでしょう。 歴史の中に刻まれた過去の記録が我々に何を伝えようとしているのか、また改めて正面から向き合う時が来たようです』、日本人は「歴史」に「正面から向き合う」ことをせず、いい加減に過ごし、同じ過ちを繰り返しているような気がしてならない。
タグ:スウェーデンの対策は必ずしも集団免疫獲得を狙ったものではない 中途半端な商業的に駄目なチェーン店とセコイ客にカネが流れているだけなのだ 長期間の持続が困難なロックダウンは避け、ソーシャルディスタンスをとりながら高齢者を隔離し、医療崩壊の回避を狙った (経済社会的視点) パンデミック 死者が多いのは別の原因 「GoToイートは菅総理の信念の180度逆で根本的に誤り」 小幡 績 まともな店は客は減っでも最大で1割程度 日刊ゲンダイ 「スウェーデンが「集団免疫」を獲得 現地医師が明かす成功の裏側」 ネットで予約する仕組みは最弱な古い店には機能しない。はやっていないチェーン店が使うだけだし、サイトが儲かるだけだ スウェーデンが周辺国からの批判をになかで、我が道を行き、結果的に「集団免疫」を獲得したのは凄いことだ。それを信頼した国民も大したものだ 「天才哲学者が危惧する パニックの政治とデジタル全体主義」 高校や大学は遠隔授業になっても、保育園や小中学校は閉鎖されませんでした 死亡が若干前倒しに スウェーデンの対策の肝はソーシャルディスタンスである。カフェやレストランは、営業を停止させられたり、自粛を求められたりせずにすんだが、 「レストランでも間隔を空けて座るという対策が、来年夏まで延長され、立食形式も禁じられたまま スウェーデンでは子どもが教育を受ける権利が重視され、家庭環境に恵まれない子どもが登校できなくなることで起きる弊害が考慮されました スウェーデン当局は、集団免疫を達成しつつあるという見方を発表 デイリー新潮 保育園や小中学校は閉鎖されませんでした サイトも開設していないような、スナック、小料理屋、定食屋、飲み屋であり いずれは潰れる店を延命するだけ Newsweek日本版 スウェーデンでは子どもが教育を受ける権利が重視され (その9)(スウェーデンが「集団免疫」を獲得 現地医師が明かす成功の裏側、GoToイートは菅総理の信念の180度逆で根本的に誤り、天才哲学者が危惧する パニックの政治とデジタル全体主義、「疫病の記憶」を紡ぐイタリアと日本の教育差 絵画からも両国での捉え方の違いが見えてくる) 情報が隠されていない 日本人は「歴史」に「正面から向き合う」ことをせず、いい加減に過ごし、同じ過ちを繰り返しているような気がしてならない 自らの判断力を問われる時代に 「イタリア」では「疫病の記憶は絵画を通して受け継がれる」というのはうらやましい 疫病の記憶は絵画を通して受け継がれる 日本では「ヨーロッパ」での「ペスト」のような深刻なパンデミックが起きなかったのだろうか 西洋美術のなかの「疫病」 歴史上の疫病を教育課程で学ぶ 言葉で書き記されなければその記憶は風化しやすくなる 疫病のような目に見えないものについては言葉として残らない性質が、日本の歴史にはある ローマ帝国の軍隊が、パンデミックを仲介 ローマの安泰を崩したアントニヌスの疫病 「「疫病の記憶」を紡ぐイタリアと日本の教育差 絵画からも両国での捉え方の違いが見えてくる」 ヤマザキ マリ 東洋経済オンライン グーグルのような企業こそが、民主主義において最大の脅威である 「不安」で人を操ることができるのです。米国や中国のハイテク企業はそうやって大衆操作をしているのです 「自発的隷従」を避けるにはソーシャルメディアをやめる 「不安」はソーシャルメディアと検索エンジンによってつくり出されます ジョージ・オーウェルのシナリオが「Zoom」上に 米中サイバー戦争は中国が勝利する 多くの国で行われているような警戒は過剰です。この過剰な警戒こそが真の脅威 衛生至上主義は世界各国ではびこり、「パニックの政治」が台頭
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国家主義的経済政策:携帯料金引下げ問題(その3)(日本人はドコモの高い携帯料金に甘んじている 菅首相が圧力をかけるのは間違っている?、菅政権 携帯料金値下げの先にある「強権的国家」の可能性、携帯料金引き下げ 側近が語る菅政権の真意 坂井学・官房副長官「健全な競争環境が必要だ」) [経済政策]

国家主義的経済政策:携帯料金引下げ問題については、2016年1月6日に取上げたままだった。今日は、(その3)(日本人はドコモの高い携帯料金に甘んじている 菅首相が圧力をかけるのは間違っている?、菅政権 携帯料金値下げの先にある「強権的国家」の可能性、携帯料金引き下げ 側近が語る菅政権の真意 坂井学・官房副長官「健全な競争環境が必要だ」)である。なお、これまで「安倍首相の携帯料金引下げ検討指示」は、「携帯料金引下げ問題」に変更した。

先ずは、本年10月4日付け東洋経済オンラインが掲載した財務省出身で慶應義塾大学大学院准教授の小幡 績氏による「日本人はドコモの高い携帯料金に甘んじている 菅首相が圧力をかけるのは間違っている?」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/379409
・『アメリカ大統領選挙戦は、9月29日に注目の第1回大統領候補者討論会が行われ、子供に見せられないような「子供の喧嘩以下の痴態」が世界中に放映された。 この連載は競馬をこよなく愛するエコノミスト3人による持ち回り連載です(最終ページには競馬の予想が載っています)。 これから大統領選挙までかんべえ氏(双日総研チーフストラテジスト吉崎達彦氏)が毎週書いて、私は2021年にバブルが崩壊してから毎週書く方がよい、などと思ったりもする。 それはさておき、今回は大統領選挙に比べたらまったく重要でないのに、日本の国民と菅義偉首相が重大な関心を持っている、携帯電話料金の引き下げ問題の話をしよう』、「小幡 績氏」の切れ味鋭い分析が楽しみだ。
・『携帯キャリア大手3社に問題はあるのか?  菅首相や武田良太総務相などが携帯電話料金の引き下げについて各社に圧力をかけるのは、憲法違反ではないか。 「自主的に料金を下げるよう努力を促しているに過ぎない」といった異論があるかもしれないが、私に言わせれば財産権の侵害であり、民間企業のビジネスの自由を奪う行為である。携帯キャリア大手3社は訴訟を起こし、最高裁判所まで争ったらよい。 そもそも、日本の携帯電話料金の何が問題なのか?結局のところ 1)価格が高すぎる 2)事実上、3社の寡占で独占的な立場を利用して価格を高く釣り上げている3)その結果、3社の利益水準が異常に膨らんでいる ということらしい。しかし、間違いだ。すべて問題はない。 3から逆順に見ていこう。儲け過ぎることで、社会的に制裁を受ける必要があるのであれば、資本主義は成り立たない。利益の最大化を使命として成立している企業が存在することは不可能になる。共産主義になるしかない。 しかし、実は、これが日本企業の利益率が低い理由の1つである。 投資家からも、メディアからも「日本企業は欧米企業に比べて利益率が低すぎる。儲ける力が弱すぎる」と攻撃されてきた。 あたかも、日本企業がサボっているような攻撃のされ方だったが、本当の理由は、儲けると叩かれるから、目立たない程度に利益を抑える癖がついてしまっていたのだ。出る杭は打たれる。儲ける企業も打たれる。みんなで儲けが少なければ、みんなで少しだけ批判を受ければ済む。それなら、後者に甘んじる。合理的だ。 そもそも、日本の携帯キャリアが儲け過ぎなら、アメリカのアップルはどうなるんだ?フェイスブックもグーグル(アルファベット)も、だ。それならば、彼らに対してこそ、菅首相は攻撃すべきではないか。しかも、彼らは、本国アメリカでは一定の法人税を納めるが、自国以外ではとことん租税回避行動をとり、法人税をほとんど払っていない、という批判が日本以外の世界中でなされている。そちらが先ではないか?』、「儲けると叩かれるから、目立たない程度に利益を抑える癖がついてしまっていた」、というのは儲け過ぎ批判の矢面に立ったかつての銀行界でも見られたが、いまや「儲け」を小さくみせるなど夢のまた夢だ。
・『独禁法違反と言えるのか?  2の「独占的な地位を利用して価格を高く釣り上げている」は、問題の本質だ。これが事実なら、こうした事態は放置できない。 しかし、これはまさに法律違反の問題である。首相が批判するのではなく、公約にするのではなく、有罪であることを立証すればよいのであり、それをしないのは、行政府の怠慢であり、政権の不作為である。政権が自慢することでなく、むしろ政権を攻撃する材料となるはずだ。 担当は、独立した組織としての公正取引委員会であり、独占禁止法違反で排除措置命令などの強い措置を取ればいいだけのことだ。違反状態でそれをしないのならば、それは公正取引委員会の大失策であり、政権の大失策である。 では、なぜこれまで問題にならなかったのか?それは、独占禁止法違反ではなかったからである。 3社に独占力はない。確かに3社の寡占状態ではあるが、ついこの前までは、NTTドコモ、au の2強をソフトバンクが追い上げる、という状態だった。ソフトバンクは「つながりにくい」などといったサービスの品質の批判を受けながらも、2社よりも安い価格で攻撃を仕掛け、3強の一角まで浮上してきたのである。そして、「3強」のポジションを獲得するや否や、利益率優先に切り替え、価格戦争は事実上やめてしまったに等しいのである。したがって、そもそも、断然1位のドコモが独占力を発揮して、価格を支配している、という状況ではなかったのである。 では、今は、3社が共謀をして、あるいは実は実質的なカルテル(協定などによって価格や数量などを相互に取り決める行為)などを行っているのだろうか? もちろん、その可能性はゼロではない。しかし、それならば首相が政治的な公約をする問題ではなく、法律にのっとり、正々堂々と、公正取引委員会が前出のように「排除措置命令」を出し、その行為をやめさせ、かつ課徴金を課せばよいことである。繰り返しになるが、それをする義務が公取にはある。それを「公取に行わせる使命」が政権にはある。だから、それは、政権公約にはなりようがなく、法律を公正にしっかりと運用するということに過ぎない』、同感である。
・『「価格が高すぎる問題」は存在しない  実際、日本ではいわゆる格安スマホがあふれている。なかには質の悪いものもあるが、質のよいものもある。実際、私も10年近く格安スマホを使っているがサービスには満足しており、携帯電話代が高いとは一度も思ったことがない。むしろ、過去、アメリカなどの携帯電話代のほうが非常に高く、回線を保有することができなかったという記憶しかない。 つまり、1の「価格は高すぎる」という問題は存在しないのである。日本の携帯電話代は国際的には高くない。むしろどちらかというと安い方なのだ。それなのに、世間だけでなく首相あるいは総務省などが「日本の携帯電話料金が世界的にもっとも高い」と主張し、それを示すグラフなどをメディアにあふれさせているのは、なぜなのだろうか? それは、このデータやグラフが、意図的にミスリードするように作られているからである。あるいはミスリードするために、ひとつのカテゴリーの数字をことさら取り上げているからである。 端的には、スマートフォンのデータ容量「月20ギガバイト」の価格比較の数字である。しかも、それはメインブランド、すなわち最もユーザシェアの高い事業者の料金プランでの比較だ。それによると、ロンドン、パリ、デュッセルドルフの約2倍、ソウルの約1.3倍、値段が高くて有名なニューヨークよりも(わずかに)高いのが東京、ということになっている。 これは、どういう意味か。) 気づかれた方も多いと思うが、要は「ドコモのこの料金プランが高い」ということに過ぎないのである。 東京中心なら、格安スマホを選んでも十分に使えるし、私の使っているIIJのサービスならドコモ(またはau)の設備を使っているから、品質はドコモと変わらないといってもいいが価格は半分以下だ。音声通話をほとんど使わなければ、3分の1以下である。 つまり、日本のスマホ通信料金が高いのは、日本の消費者が「ドコモが大好きだから」なのである。 高いのがいやなら、乗り換えればよい。しかし、それをしない。なぜか。いろいろな理由があると思うが、最大の理由は、ドコモのサービスが「良すぎる」からである。どこにでもドコモショップがあり、何か困ったら何でも助けてくれる。SIMカードを入れたり、新しいスマホの操作を教えてくれたり、至れり尽くせりだ』、「ドコモのサービスが「良すぎる」から」、やや違和感がある。むしろ、「ドコモ」が自分に都合がいい「サービス」に取り込もうとしているから」と考えるべきではないか。
・『日本の価格が高いのは消費者が望んでいるから  これほどのサービスを考えれば、価格が高いとはまったく言えない。実際、総務省の委託調査でも詳細をよく読めば、ドコモに限らずシェア上位のキャリアの平均値を見ても、要は「通信の質は世界有数であり、世界的にも通信の質と価格は比例するので高品質を考えれば日本の携帯通信費は高いとは言えない」、というものになっている。 しかも、通信の品質以外のサービスにおいては、ドコモは間違いなく世界一のサービスであり、私に言わせれば、世界一の過剰なサービス、無駄なサービスを提供しているのである。 だが私は無駄だと思っても、スマホユーザーの大多数はそれを好み、あるいは他社に変えるほど悪くはないなどの消極的な理由から、それを選んでいる。結局、日本の携帯通信価格が高いのは「消費者が望んでいるから」という結論になるのである。 しかし、唯一残された謎は、人々が「望んだ結果」になっているのに、それを首相が「高すぎる」に等しい発言をしたら、人々はそれを絶賛していることである。本当に、日本はミステリー、エキゾチックジャパンだ(本編はここで終了です。次ページは競馬好きの筆者が週末のレースを予想するコーナーです。あらかじめご了承下さい)』、「スマホユーザーの大多数はそれ(世界一の過剰なサービス、無駄なサービス)を好み、あるいは他社に変えるほど悪くはないなどの消極的な理由から、それを選んでいる。結局、日本の携帯通信価格が高いのは「消費者が望んでいるから」という結論になるのである」、「ユーザー」に個々の選択肢を詳しく説明した上で、選択させているのではなく、よさそうに見えるサービスのパッケージを押し付けているのが実態とすれば、「「消費者が望んでいるから」という結論」には若干の無理がありそうだ。

次に、10月6日付けNEWSポストセブン「菅政権 携帯料金値下げの先にある「強権的国家」の可能性」を紹介しよう。
https://www.news-postseven.com/archives/20201006_1600677.html?DETAIL
・『2019年4月1日、当時の菅義偉官房長官(71才)は、首相官邸で新しい元号を発表した。あれから1年半、「令和おじさん」は国のトップに立った──。 安倍晋三前首相の突然の退任表明を受けて行われた自民党総裁選で、岸田文雄前政調会長と石破茂元幹事長を大差で退け、9月16日に晴れて第99代内閣総理大臣に就任し菅義偉氏。目玉政策であるかのように打ち出しているものの中には、数々の問題点が見え隠れする。『総理の影 菅義偉の正体』(小学館)の著者でジャーナリストの森功さんはこう言う。 「菅首相は『デジタル庁の創設』や『行政の縦割り打破』、『規制改革』を掲げています。いずれも謳い文句としては上々ですが、実際に何をやりたいかが見えてこない。 コロナの給付金が遅れたのはマイナンバーが普及していなかったからだといいますが、それなら、マイナンバーを銀行口座とひもづけて普及させる法律をつくればいいだけ。河野太郎行革相の『縦割り110番』が話題ですが、あれも昔からある陳情システムをキャッチーにしただけで、“自分たちだけでは何をやるべきかわからないから110番で募集しているのではないか”とも勘ぐれる。 縦割りや規制にはそれなりの意味があるのでむやみに壊すべきではないし、加計学園問題のように、規制改革が特定の関係者の利益につながるリスクもある」 こうした“国民ウケする”政策のせいで、いま以上に「弱者に優しくない社会」が訪れる可能性は高い。菅首相の「天敵」とさえ呼ばれる東京新聞記者の望月衣塑子さんはこう指摘する。 「菅さんは中小企業や地銀の再編を掲げていますが、それらが弱体化しているいま、強引に再編を進めれば、下位3割の中小企業が切り捨てられるともいわれています。しかも、菅さんが週1度は一緒に食事をするほど心酔しているといわれる竹中平蔵さんは、最近、“年金をやめて生活保護費を大幅に下げ、全国民に一律7万円支給しろ”と言い出しました。もし菅さんがこれに従ってしまったら、低所得者の負担は増すばかりです。 少子化対策として新婚世帯に60万円給付や不妊治療の保険適用検討を打ち出しているものの、LGBTQなどのジェンダー格差を埋めることに関心があるわけではまったくなく、“労働力”としての子供を求めているところが薄っぺらい。菅さんの政策は、“本当の弱者”に対する優しさがありません」(望月さん) 富国強兵の時代のごとく「産めよ増やせよ」では、多様化が進むいまの時代にそぐわない。中途半端なお金をバラまくよりも、非正規雇用をなくして賃金を上げる方が有効ではないか。 このままでは、国民の多くが、自分たちが支持した首相にあっさり裏切られる可能性もある。 経済評論家の浜矩子さんは、「そもそも私たちの生活にどう影響するかを考えるのがムダ」と断じる。つまり、それほど菅首相の掲げる政策は、国民の実生活にそぐうものではないというのだ。 「菅さんが縦割り行政の打破や規制改革をするのは、強いものがより強くなる社会をつくりたいからです。そのためのイメージ戦略に過ぎません。携帯電話の料金が4割下がる代償として、菅さんの思い通りに動く強権的な国家に引きずり込まれるかもしれない。かわいらしい令和おじさんの顔をして、パンケーキをもぐもぐする裏には怖い顔が隠れていると思った方がいい」(浜さん)』、「菅さんが縦割り行政の打破や規制改革をするのは、強いものがより強くなる社会をつくりたいからです。そのためのイメージ戦略に過ぎません」、との浜氏の指摘は本質を突いている。
・『安倍政権の継承を明言しただけに、残された課題も多い。 安倍前首相は「スガちゃんは外交できるのかな?」とこぼしたというが、痛いところを突かれた感じがしたのは菅首相自身だろう。いま、必死に米国のトランプ大統領や中国の習近平国家主席など、次々に世界の首脳と電話会談をしているのは、「おれにも外交はできる」と懸命にアピールしているようにとれる。 「安倍さんが隠蔽してきたモリ・カケ・サクラも心配です。菅さんは官房長官だったので、知らないではすまされない。今後の政権運営の大きな不安材料」(菅首相を知る関係者) 10月下旬には臨時国会が開かれる予定で、まず不妊治療やデジタル庁など、国民ウケする施策を進めるだろう。実績をつくった先に、来年の東京五輪が見えているはずだ。そこまで持ちこたえれば、明るい話題で切り抜けられると考えているのだろう。 「菅さんは政治信念に基づいて権力をつかみ、邪魔になるものを徹底的に排除します。だから長く政権を取ると独裁化が進む恐れがある。スピード感ある仕事人で、猪突猛進に目の前の壁を壊す強さは認めますが、その先にどういう日本を描いているかが見えてこない。弱肉強食の社会が進む、そこがいちばんの怖さです」(望月さん) 叩き上げの苦労人なのか、トップに立ってはいけない強権のナンバー2なのか。 いまはまだ、自分を総理にしてくれた二階俊博幹事長らから言われたことを、顔色を見ながら粛々とやっているだけかもしれない。 スイーツ好きを公言し、なんとなく憎めない苦労人の「令和おじさん」は、本当に支持し続けるに値する人物か否か、国民は目をそらさずに追っていく必要があるだろう』、目下、学術会議が指名した人物のうち6名の委員任命拒否問題で予想以上に手こずっているようだ。やはり「トップに立ってはいけない強権のナンバー2」のようだ。

第三に、11月4日付け東洋経済オンライン「携帯料金引き下げ、側近が語る菅政権の真意 坂井学・官房副長官「健全な競争環境が必要だ」」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/386130
・『9月に発足した菅政権が目玉政策の1つとして打ち出しているのが、携帯電話料金の値下げだ。 だが、政府が民間サービスの価格に直接介入することは原則許されないはずだ。では、菅政権はどういう形で携帯電話料金を値下げするのか。また、菅首相はなぜ、携帯料金の値下げにこだわるのか。 菅首相の側近で、通信分野に詳しい坂井学内閣官房副長官に聞いた(Qは聞き手の質問、Aは坂井氏の回答』、この問題の表裏を知り尽くした坂井氏は最適任のようだ。
・『家族4人なら月1万円の値下げ  Q:総務省は10月27日、モバイル市場の適正化に向けたアクションプランを発表し、翌28日にはKDDIとソフトバンクがそれぞれのサブブランド(UQモバイルとワイモバイル)において、「20GBで4000円前後」という新プランを発表しました。こうした動きをどうみますか? A:基本的には評価したい。20GBという、今までプランがなかった容量のところに新しいプランがつくられて、これまでの大容量の料金と比べると45%前後値段が下がっている。 新しい値段でサービスが提供されたことは、ユーザーにとっても選択肢が広がることになる。 Q:今回はサブブランドに新プランが加わっただけで、値下げとは言えないとの声もあります。新プランで提示された料金水準に納得しているのでしょうか。 A:2~3GBではなく、20GBの大容量で5000円を切る金額は、私は値下げだと思っている。50GB使う人の値段は下がらないが、これまで20GBしか使わない人はプランがないために50GBで契約していた。20GBのプランで十分なわけで、家族4人分であれば1万円を超える月々の値下げになる。かなり値が下がった実感はあると思う。 (新プランが出てきた背景には)楽天の存在もある。楽天はいま5Gで月額2980円というプランなので、そこも大きいだろう。いずれにせよ、(国の方針に)何も反応しないよりは、政府の「お願い」に配慮していただいた対応なので、(菅)総理も評価していると思う。 Q:携帯料金を国際比較する際に引き合いに出されるのはNTTドコモの料金ですが、ドコモにはサブブランドがありません。 ワイモバイルとUQモバイルが同じようなプラン、サービスで4000円前後の価格帯を示している。そのあたりでドコモも(何らかの形での料金引き下げを)お考えなのではないのかなと、私は思っている。 Q:NTTとNTTドコモの統合でドコモに値下げ余地も生まれるということですが、統合の背景に「官邸の意向」があったのではないかとの臆測もあります。 A:おっしゃる意味がわからない。NTTに「統合しろ」なんて考えもないし、言ってもいない。 結果として、いままでより4割ほど安い値段で20GBという大容量を利用できるプランを出していただければ、十分値下げとみなしうるし、評価できるとの思いは(政府内に)あったとは思う。ただ、政府にはどのような手段、どのような形でという意向はまったくない』、ガードが堅いのは役人の典型のようだ。
・『携帯料金はもっと安くできる  Q:2018年に菅官房長官(当時)は、「携帯料金は4割安くなる」と発言しました。背景には何があるのでしょうか。 A:菅総理は総務大臣の前に、テレコム系の副大臣をやっていて、その頃からずっと(携帯料金を)追いかけてきた。総務大臣の頃も「携帯料金が高い」ということを発言している。 2年前の発言は、ぽっと誰かに言われて出たものではない。あのタイミングで確信をもったので話をした。発言を聞いたとき、私は「これは本気だ」と思った。総理は誰よりも情熱をもって、(携帯市場を)健全なマーケットにしたいと思っている。 情報通信網は生活のインフラになっていて、公共財のような意味を持つ。一方で、(NTTやKDDIなどの)キャリアは、電波という国民の財産を独占してビジネスを行っている。料金はもっと安くできるのに、努力しないのはけしからんというのがまずあった。 さらに、3社が3社とも同じような利益率をあげている。構造をみていくと、キャリアと端末メーカーに「ウィンウィン」の関係がある。しかし、消費者はその関係に入っていない。(携帯)ショップでも、販売員が売りたくない売り方、勧めたくない勧め方を消費者にしているケースがある。総理にはキャリアや端末メーカーなどが消費者を向かず、のけ者にしているのはおかしいという意識がある。 民間企業がいくらの値段をつけるか、行政には強制力がない。お願いベースでこういうことが望ましいと言ってきたが、どこまで値下げしろと強制的に言うことはない。料金は適正利潤をのせて決まるし、のせてもらうのはかまわない。ただ、それが適正かどうかだ。 競争原理が働かない中で、その上乗せ(幅)が適切ではなかったりする。健全な競争環境の中で競争原理が働くのが何より大事なことで、その環境を整えることが何よりも必要だ。健全な環境で競争原理が働けば、自然に適切な値段に収斂していく。 Q:坂井副長官は7月、携帯料金値下げに向けた提言書を自民党有志としてまとめ、菅官房長官(当時)に提出しました。報告書のポイントはどこにありますか。 A:いくつかあるが、一番真剣に考えてもらいたいのは、国内外の各キャリアのサービスを比較する指標や数字がないということだ。それでは、ユーザーがどのサービスが優れているのか、適切に評価できない。 ユーザーごとに、「通話が切れにくい」「データの通信速度が速い」など(キャリアに)求めるものが違う。単純な値段は海外が安いが、サービスの優劣は単純に値段だけでは決められないところがある。料金プランも複雑になりすぎていて、どれが得なのかわからない。 自分がどんな使い方をしているのかわからない人も多い。そうした人にもわかりやすい指標ができないかと考えている。そうした指標をつくるための情報をキャリアが出したがらない。企業秘密もあるが、役所に工夫してもらって何とか実現させたい』、「ユーザーがどのサービスが優れているのか、適切に評価」できるような「わかりやすい指標」は、確かにいいアイデアだ。実現に向け努力してもらいたい。
・『eSIMやSIMフリーが今後の課題に  Q:携帯電話市場の競争環境の整備について、今後課題になることは何ですか。 A:キャリア間の流動性は課題の一つだ。提言書で求めている「eSIM」(内蔵SIM=料金の安い事業者に乗り換える手間が簡略化できる)は、アクションプランでずいぶん取り上げてもらった。このあたりも3大キャリアは乗り気ではない。キャリアにしてみると、ユーザーにはなるべく動いてもらわないほうがいい。 SIMフリーも課題だ。端末を購入するとき、ローンを組むとロックがかかったままとなり、100日後に(SIMロックを)解除するための手続きをしなければならない。これを100日後に自動でできるようにするべきだという話をしている。端末の中古市場を整備していく必要もあるだろう。 公正取引委員会は携帯市場で競争原理が公正に働いているか、調査を始めたと発表した。公取委の判断も横目で見ながら、競争環境の整備についてしっかりフォローしていかなければならない。 (政権では)総理の強い意思が共有されている。総理は武田良太総務大臣、通信政策トップの谷脇康彦総務審議官に指示を出して、施策はよく進んでいる。私もお手伝いできるところはしていきたい』、「公取委」による監視は、やはり本筋なので、しっかりやってもらいたい。
タグ:菅さんが縦割り行政の打破や規制改革をするのは、強いものがより強くなる社会をつくりたいからです。そのためのイメージ戦略に過ぎません 「菅政権 携帯料金値下げの先にある「強権的国家」の可能性」 Newsポストセブン よさそうに見えるサービスのパッケージを押し付けているのが実態とすれば、「「消費者が望んでいるから」という結論」には若干の無理がありそうだ 日本の価格が高いのは消費者が望んでいるから 「ドコモのサービスが「良すぎる」から」、やや違和感がある。むしろ、「ドコモ」が自分に都合がいい「サービス」に取り込もうとしているから」と考えるべきではないか 「価格が高すぎる問題」は存在しない 独禁法違反と言えるのか? 儲けると叩かれるから、目立たない程度に利益を抑える癖がついてしまっていた 3)その結果、3社の利益水準が異常に膨らんでいる 2)事実上、3社の寡占で独占的な立場を利用して価格を高く釣り上げている 1)価格が高すぎる 携帯キャリア大手3社に問題はあるのか? 「日本人はドコモの高い携帯料金に甘んじている 菅首相が圧力をかけるのは間違っている?」 小幡 績 東洋経済オンライン (その3)(日本人はドコモの高い携帯料金に甘んじている 菅首相が圧力をかけるのは間違っている?、菅政権 携帯料金値下げの先にある「強権的国家」の可能性、携帯料金引き下げ 側近が語る菅政権の真意 坂井学・官房副長官「健全な競争環境が必要だ」) 「公取委」による監視は、やはり本筋なので、しっかりやってもらいたい 携帯料金引下げ問題 国家主義的経済政策 「携帯料金引き下げ、側近が語る菅政権の真意 坂井学・官房副長官「健全な競争環境が必要だ」」 eSIMやSIMフリーが今後の課題に ユーザーがどのサービスが優れているのか、適切に評価」できるような「わかりやすい指標」 携帯料金はもっと安くできる 学術会議が指名した人物のうち6名の委員任命拒否問題で予想以上に手こずっている
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日本のスポーツ界(その30)(益子直美が語る「バレーボール界の暴力」の現実 大山加奈さんと考える「熱血指導と主体性」、選手村でコンドーム配布、なのに瀬戸大也を処分の怪 「配偶者以外との性交渉」が問題なら 選手村の実態はどうする?、スペインの超名門サッカークラブが選手の親に必ず守らせる2つのルール 強豪国に「お父さんコーチ」はいない、「日本サッカーの非常識」1日も休まない日本より 2カ月休むスペインのほうがなぜ強いのか 日本人は不安解消のために練習する) [社会]

日本のスポーツ界については、7月29日に取上げた。今日は、(その30)(益子直美が語る「バレーボール界の暴力」の現実 大山加奈さんと考える「熱血指導と主体性」、選手村でコンドーム配布、なのに瀬戸大也を処分の怪 「配偶者以外との性交渉」が問題なら 選手村の実態はどうする?、スペインの超名門サッカークラブが選手の親に必ず守らせる2つのルール 強豪国に「お父さんコーチ」はいない、「日本サッカーの非常識」1日も休まない日本より 2カ月休むスペインのほうがなぜ強いのか 日本人は不安解消のために練習する)である。

先ずは、9月2日付け東洋経済オンラインが掲載したフリーライターの島沢 優子氏による「益子直美が語る「バレーボール界の暴力」の現実 大山加奈さんと考える「熱血指導と主体性」」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/371823
・『ノーベル平和賞を共同受賞した実績を持つ国際人権NGО「ヒューマン・ライツ・ウォッチ」(HRW/本部ニューヨーク)が、日本のスポーツ現場における子どもの虐待やハラスメントを調査。25歳未満のアンケート回答者381人のうち、約2割が指導者などから暴力を受けているといった実態を7月下旬に発表した。時を同じくして、2018年に岩手の県立高校で男子バレーボール部員だった新谷翼さん(当時17)が自殺したのは、顧問の不適切な指導が一因だったと第三者委員会で認定された。 ほかにも、コロナ禍の闇部活や、部員への暴力が原因で監督の座を追われるといった不祥事が相次ぐバレー界で、この状況を本気で変えようと尽力する元日本代表選手たちがいる。 6年連続で「子どもを怒ってはいけない」小学生のバレーボール大会を主催する益子直美さん(54)と、小中高の全年代で全国制覇を経験し、2004年アテネ五輪に出場しながらも、講演などで「バレーを楽しもう」と呼びかける大山加奈さん(36)だ。2人が思い描く日本バレーの未来とは(Qは聞き手の質問)、興味深そうだ。
・『暴力や暴言の経験は引退後の今も引きずっている  Q:まずは益子さんのお話から。暴力や暴言を受けた経験は? 益子直美(以下、益子):私は中高で経験があります。たたかれるのは嫌だけど、私は暴力以上に暴言が嫌でした。一発ぶたれるほうがまだスッキリするんですよ。後を引くというか、言われた言葉がずっと今でも残っていますね。 大山加奈(以下、大山):今でも? 益子:「お前は本当デカいだけだ」とか、「大事なときに決めないと、真のエースではない」とか。それ自体は事実だろうけど、それって指導なのかな。(亡くなった)新谷君も、暴力ではなく暴言で追い込まれたと報道されてるよね。彼の気持ちが私にはよくわかる。 大山:そうですね。暴言も言葉の暴力ですよね。 益子:今でも夢を見るの。全日本時代から1年に1回とか、引退してからもずっと。橋の上から自殺をする夢とか。チーム全員で死んでお詫びを、みたいな。それで私だけ飛び降りられない。うわーって飛び起きちゃいますね。スパイク決められなかった責任とか、自己否定をずっとずっと積み重ねてきた結果だと思うんだよね。「私、本当にダメだな」っていう劣等感を、ずっとずっと引きずっています。 大山:驚きます……。私は小学生のころはきつかったですが、中学、高校は違う指導なので、そこまで追い詰められてはいません。) Q:今でも夢でうなされる。完全にPTSD(心的外傷後ストレス障害)ですね。益子さんと大山さんは18歳違いなので、多少違いがありますね。 益子:中学も高校も、当時はそういう指導が本当にポピュラーというか、それしかなかった時代だった。大人気だったアニメの「アタックNo.1」の主人公に憧れてバレーを始めて。(主題歌のサビである)「苦しくったって、悲しくったって、コートの中では平気なの」でしょ? それが私が見てきたバレーボールで、それが普通だと思っていたので、何ら不満もなかった。怒られて、ぶたれてるときはすごくつらかったんですけど、それはしょうがないと思って、ずっとやって、引退までやってきたんだよね。 大山:私も小学校の6年間は、それが普通で。逆に、自分たちはほかのチームの子たちに比べたら全然マシだと仲間と言ってました。ほかはもっとひどかった。 Q:以前、スポーツは苦しくて悲しいもの、コーチにたたかれても当然という認識でした。暴力指導のマイナス面についてどう感じていますか? 益子:心が育たないっていうことですね。振り返ると、まったくチャレンジしていなかった。ミスすると怒られるから。ミスはいけないものだと思ってたので。とにかくぶたれないように、ずっと無難な感じでプレーをしてきた。ギリギリのところを狙ってとか、相手の裏をかくとか、そういったトライができなかった。 大山:わかります。怒られるのが怖くて委縮して、それでミスする。悪循環ですよね』、「益子」さんですら、「今でも夢を見るの。全日本時代から1年に1回とか、引退してからもずっと。橋の上から自殺をする夢とか。チーム全員で死んでお詫びを、みたいな。それで私だけ飛び降りられない。うわーって飛び起きちゃいますね・・・「私、本当にダメだな」っていう劣等感を、ずっとずっと引きずっています」、との告白には心底驚かされた。やはりPTSD(心的外傷後ストレス障害)なのだろう。
・『怒られないって、実はしんどい  Q:練習や試合でやらないと、強気で攻める姿勢は身に付きませんよね。それなのに、試合で「なんで強気にいけないんだ」と怒鳴られる。 益子:そう。結局、私はネガティブで自信がないまま。今もそれを引きずっていますね。ただ、スポーツでよく言われる「心技体」でいうところの技術は、中高で教えてもらったと感謝しています。チームが勝つためだったら、Aクイックとか、いろんな技術を教えるはずなのに、高いトスを打ち込ませたり、フェイントはやるなとか、将来を見越して基本をたたき込まれました。 大山:私は、中高で少し違う経験をしています。とくに成徳学園高校(現・下北沢成徳)は、選手が自ら考えて取り組むことを求められました。でも、(顧問に)怒られないって、実はしんどいんです。自主性をもって自分を律して高みを目指すって、すごい大変なことで。それを高校生がやっていくって本当に大変で。「先生怒ってよ、怒ってくれたほうが楽だよ」って思うことも結構ありました。 益子:そうだよね。当時、私は引退していてスポーツキャスターとして加奈ちゃんたちを取材したけれど、ほかの高校と空気感がまったく違ってた。「やらされている感」がまったくなくて。 大山:私はキャプテンとして仲間に厳しいことを言わなきゃいけなかったりしたので、いろいろと難しかったですね。誰から見ても「チームでいちばんあの人は頑張ってるって思ってもらわなきゃいけない」と思って苦しかった。 益子:それなのに、周囲は「成徳は(顧問が)すごく甘い」って思われていたよね。「成徳に勝たせるものか」っていう雰囲気があった。 大山:みんな甘い甘いって言うけど、甘くないよ!って思ってました(笑)。皆さんが思っている「甘さ」って、休みがいっぱいあることや、怒られないこと。携帯を持っていてもよかったし、いろんなことが選手に任されていて自由でした。だから、成徳は甘いから勝てない、あんな甘いチームが勝てるわけないと言われていました。 益子:だから余計に燃えたよね。それで全国制覇しちゃった。 大山:もう絶対、(顧問の)小川(良樹)先生を勝たせてあげたい、やってやるって思ってましたね(笑)』、「大山」さんの「成徳学園高校」は、日本では珍しい「自主性」重視の練習だったようだ。
・『支配された指導法からいきなり解放されると…  Q:小川先生が怒らないのは自主性を引き出したいからで、休みが多いのはきちんとコンディションを整えているからですよね?科学な根拠にのっとって指導されていますね。益子さんはどう思いますか? 益子:いや、もう、私と加奈ちゃんとはある意味、正反対の経験をしていますね。私は中学高校で支配されるような、そんな指導方法を受けてきたんです。ところが、実業団のイトーヨーカドーに入ったら、いきなり自主性とか主体性が大切だとか、バレーを楽しめって言われるわけですよ。 大山:ああ、本当ですね。私と道のりが逆かも。 益子:トレーナーの永田さんっていうアメリカで活動されていた方がイトーヨーカドーに入ってきて。そのあたりからガラリと変わったんです。例えば、メンタルトレーニングを始めたり、練習休みなんか月に半日か1日あればいいぐらいだったのが、3勤1休、4勤半休ぐらいになった。 でも、自主性とか主体性とか、そういう、やったことがないので、自分でどうやってモチベーションを上げればいいのかとか、自分が何を目標に、そこまでたどり着くためにどうやって設計していくかとか、そういうことがまったくわからなかった。 大山:高校を卒業してから、初めて自由になったみたいな。 益子:そう。初めて。学生時代までは答えを100%与えられて、やれと言われたことをこなしてたから、もう、めちゃくちゃきついわけ。「益子はもっとバレー楽しめ」って言われても、「楽しむって何?この間まで練習中に歯を見せただけで怒られたのに、どういうこと?」ってわからなくて。 大山:混乱したんですね。 益子:そう。めちゃくちゃ苦労した。でも、もう時遅し、だったね。なかなか昭和の考えが抜けないまま、バレーを楽しめないまま引退した感じ。 益子:だから、さっき加奈ちゃんが「怒ってもらったほうが楽」って言ったとき、私、本当はラクしてたんだなって。たたかれたり、怒鳴られたりするのは嫌だったけど、一方で自分で考えることしないまま、ここまで大人になっちゃったんだなあって思った。 だから、加奈ちゃんが以前別のインタビューで「小川先生は、バレーをずっと好きでいさせてくれた」って発言しているのを聞いて、すごくうらやましいな、って。 大山:そういうすばらしい指導者に中高で出会って、私は本当に恵まれていたと思います。あのとき違う道を歩んでいたら、私はもう本当に今ここにいない。中学高校でバレーをやめていただろうなって思うんです』、「益子」さんが、「トレーナーの永田さんっていうアメリカで活動されていた方がイトーヨーカドーに入ってきて。そのあたりからガラリと変わったんです」、合理的な練習方法はやはりアメリカ流のようだ。
・『新たな指導スタイルの未来  Q:その点でいうと、大山さんは高校卒業後は熱血指導的な方に出会ったのでは?ギャップを感じませんでしたか? 大山:少なからずギャップはありましたね。ただ周りの選手たちは小中高とそういう環境で、当たり前のように育ってきたので、あまり違和感を感じていないようでした。 益子:ほかの選手は私みたいな感じだと思うよ。だから、みんなフィットしてたんだね。 大山:そうですね。だからやはり苦しかったです。ミスしたら怒られるので、ミスしないようにしなきゃとか、怒られないようにしなきゃとか、メンバーから外されないようにしなきゃというマインドでずっとプレーしてました。それまでは「うまくなりたい、強くなりたい、夢をかなえたい」っていうプラスのエネルギーで頑張ってきたのに。すべてが後ろ向きな、マイナスな考え方になってしまいました。 益子:そうなんだね……。何というか申し訳ない気持ちですね。私、1996年のアトランタ五輪をキャスターとして取材したとき、選手が「楽しみたい」と発言するのを聞いて「もっと真剣にやってよ」って正直思っていて。まだ昭和を引きずってました。それに、イトーヨーカドーのトレーナーが「バレーを楽しもう」っていう機運をアメリカから持ち帰ってくれたのに、それも後進につなげられなかった。 スポーツの新しい価値観や、選手を自立させる指導スタイルへの転換を図るチャンスは、益子さんの言うように過去にもあった。だが、バレーだけでなく日本スポーツ界全体が、それをまだ果たせていない。 益子さん、大山さんが言うように、選手の自主性に任せるのが指導者としての厳しさであるはずなのに、怒鳴ったり指示命令して選手を刺激することを「厳しさ」と思い込んでいる指導者は多い。 この記事の後編では、バレー界が変わるため、2人ができることを模索する』、「益子」さんでも、「アトランタ五輪をキャスターとして取材したとき、選手が「楽しみたい」と発言するのを聞いて「もっと真剣にやってよ」って正直思っていて。まだ昭和を引きずってました。それに、イトーヨーカドーのトレーナーが「バレーを楽しもう」っていう機運をアメリカから持ち帰ってくれたのに、それも後進につなげられなかった」、と反省せざるを得ないほど、古いスタイルは身に染み付いてしまったようだ。日本ではいまだにスポーツ根性ものが人気なのも、考えさせられる。

次に、10月15日付けJBPressが掲載したジャーナリストの青沼 陽一郎氏による「選手村でコンドーム配布、なのに瀬戸大也を処分の怪 「配偶者以外との性交渉」が問題なら、選手村の実態はどうする?」を紹介しよう。
https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/62515
・『競泳で唯一、東京オリンピック代表が内定していた瀬戸大也の不倫問題で、日本水泳連盟は処分を下した。13日に臨時の常務理事会を開き決定している。 年内の活動停止――。スポーツマンシップに反したこと、日本水連など関係団体の名誉を著しく傷つけたことが、「競技者資格規則」に違反したとされた。 これで年内の日本水泳連盟の公式大会への出場、強化合宿、海外遠征への参加ができなくなる。出場を検討していたとされる10〜11月の競泳国際リーグ(ブダペスト)、12月の日本選手権は出場できない。 また、スポーツ振興基金助成金の今年下半期の推薦も停止。日本水泳連盟と日本オリンピック委員会(JOC)の教育プログラムを受講する』、「競技者資格規則」に倫理的なことまで書いてあるとは常識的には信じられないが・・・。
・『国際競技の現場では選手に大量のコンドームが配られているのだが  瀬戸は、平日の昼下がり、都内の自宅から高級外車で近くのコンビニエンスストアまで移動すると、そこで女性と合流。そのままラブホテルに直行してふたりで過ごすと、またもとのコンビニで別れて帰宅。すぐに国産車に乗り換えると、ふたりの子どもを迎えに保育園に向かった。その一部始終が写真付きで先月、週刊誌で報じられていた。瀬戸は2017年に飛び込み選手だったいまの夫人と結婚している。ホテルに入ったのは、それとは別の女性だ。 これがきっかけで、ANAの所属契約が解除。夫婦で出演していた「味の素」の広告出演契約も解除された。 サポート企業は、何よりも選手や対象者のイメージを重視する。その対応は当然だろう。だが、騒動の余波はそれだけでは済まなかった。瀬戸自身から日本オリンピック委員会「シンボルアスリート」と、東京五輪競泳日本代表主将の辞退を申し入れ、了承されている。 それでも、今回の処分でも、昨夏の世界選手権で金メダルを獲得して内定した、東京オリンピック代表は維持された。 とはいえ、この時期の活動停止の処分や経済的な損失の痛手は大きい。無論、練習は続けられるが、その場所を確保できるのかも疑問だ。肉体的にも、精神的にも、来年に延期された東京オリンピックで金メダルを期待できるだけのコンディションを維持できるのだろうか。艶めかしい不倫現場を報じられて、裸で競技する選手に応援が集まるだろうか。 かく言う私も、高校時代には水泳で全国高校総体や国民体育大会の出場経験がある。まったく競泳と疎遠でもない。それだけに残念だ。 いや、それ以上に、今回の日本水泳連盟の処分には、奇妙な違和感を覚える。逆に言えば、国際競技の実態に照らして、どうしても相容れない事情がひとつ浮かんでくる。 オリンピック、パラリンピックでは毎回、あるいは大きな国際競技大会では、コンドームが無料で、それも大量に配布されていることだ』、「サポート企業は、何よりも選手や対象者のイメージを重視する」「広告出演契約も解除」は当然だろう。しかし、「活動停止の処分や経済的な損失の痛手」を与えるのはやり過ぎだ。
・『リオでは45万個、平昌では11万個  瀬戸も出場した前回のリオデジャネイロ大会では、約45万個が配られている。新種目による選手の増員で、東京大会ではそれ以上の数が必要になるとも予測されていた。そこに期待を寄せる国産メーカーもある。 もともとは、HIV感染予防が目的で1988年のソウル大会からはじまった。当時は約8500個だったが、2000年のシドニーでは12万個、08年の北京でも10万個が配られた。12年のロンドンも10万個。前回大会は現地でのジカ熱の流行もあって大幅に増えた。 日本で開催された1998年の長野冬季オリンピックでも配布されている。この時、国内業界トップのオカモトは3〜5万個を寄付。業界2位の相模ゴム工業は2万個を提供。この時に登場したのが「サガミオリジナル」と呼ばれるポリウレタン製の今までにない薄型のもので、日本独自の技術が結集したものだった。 2年前の平昌大会では、選手村や競技会場のトイレ、洗面所、医務室、プレスセンターなどで箱やかごに入れられて、冬季大会史上最多の11万個が配布されていたという。 一応は「性感染症予防のプロモーション」という建前があるのだが、それにしては数が多すぎる。つまりそれだけの需要があるということなのだ。お土産に持ち帰ることもあるとしても、その場で必要のないものをわざわざ置いておくこともない。 海外メディアでは、あちらこちらで行為に及んでいるとするオリンピック選手の証言を披露しているものもある。若くて血気盛んな世界のトップアスリートたちの集まる場所では、それだけ性交渉も活発になる。だったら、それが犯罪でもない限り、選手や関係者同士が欲情をコントロールできないことを前提に、感染症予防対策を優先してあらかじめコンドームを置いておく、という考え方が基本にある』、スポーツ選手を神格化せず、1人の大人との割り切りも必要だ。
・『瀬戸に課せられるのはどんな教育プログラムなのか  独身同士ならいいだろう、といっても節操がない。伴侶を持つ選手はわきまえているとも言い切れない。そんなことをいちいちチェックはできなし、それよりも感染症予防を念頭においた対策で、構ってはいられない。日本の貞操観念なんてぶっ飛んでいると言っても過言ではない。そこで日本のアスリートたちも闘っている。 それがオリンピックの実態だ。新型コロナウイルスで延期がなければ、東京オリンピックでも同じ措置がとられたはずだ。 そこへきて日本の競技団体の説く「スポーツマンシップ」とはなにを指すのだろうか。JOCの「教育プログラム」とは、なにを教えるのだろうか。 瀬戸が問題視された一番の原因が不倫だったとしても、一方でオリンピック施設にコンドームを大量配布し、実質的に“解放区”のようにしていることに疑問を差し挟む余地はないのだろうか。 筋を通すのだとしたら、せめて東京オリンピックの関連施設には「不倫絶対禁止」の張り紙ぐらいすべきだろう。それを破れば、日本の週刊誌が写真付きで暴露を狙っていることも言い含めて』、最後の部分は嫌味なのだろう。「日本水泳連盟」などが国際的常識に沿った判断に切り替えるよう求めたい。

第三に、11月1日付けPRESIDENT Onlineが掲載したサッカー指導者の稲若 健志氏による「スペインの超名門サッカークラブが選手の親に必ず守らせる2つのルール 強豪国に「お父さんコーチ」はいない」を紹介しよう。
https://president.jp/articles/-/40015
・『「1年生には雑用」という日本だけに残る異常な文化  スペインのクラブは7歳、8歳からカテゴリーが1年毎に分かれています。7歳から始まり、日本で高校3年生に当たるフベニールAにいくまで12カテゴリーあります。 日本では、サッカーも学校と同じシステムを採用し、6年、3年、3年。一度チームに加入してしまえばクビになることは、3年間はありません。 しかし、その3年間で問題点が浮き彫りになります。それは、中学1年生や高校1年生のときに、サッカー選手として一番大事な時間を走りや雑用などで過ごさなくてはならないということです。1年生は苦労しないといけない、というこの国の文化的なルールが未だに存在します。このシステムは絶対に見直す必要があると思います。 1年生のときにやっている雑用は世界では当たり前ではなく、日本だけに残る異常な文化です。ましてや、その子どもや大人をフォローしてくれるスタッフも当然ながらいません』、「「1年生には雑用」という日本だけに残る異常な文化」、同感である。
・『親を喜ばせるためにサッカーをやるように変わってしまう  これは一例ですが、レアル・マドリードの場合、クラブに心理カウンセラーが3人います。日本のお父さん、お母さんは息子に対してアドバイスも多々していると思いますが、カウンセラーは必ず親に二つアドバイスをします。 ①まず家に帰ってからサッカーの話をしてはいけない。 ②サッカーは親が教えてはいけない。 これはレアル・マドリードなどトップクラブに限った話になりますが、親が子どもに対してどう関わればいいのか、ということを詳細に伝えます。親は子どもにどう声をかけたらいいのか、どうすればプレッシャーを与えずに子どもが育つのか。子どもが迷子になってしまうことが多々あるからです。 これは例え話ですが、親が子どもにあれこれ聞き過ぎるとどうなるか。 親「今日はどうだった?」 子ども「今日は活躍した」 親「良かったね」 次の日にまた、 親「どうだった?」 子ども「今日は点を決めたよ」 親「良かったね」 それを繰り返すことによって、子どもが自分のサッカーへの喜びではなく、親を喜ばせるためにサッカーをやるように変わってしまうのです』、「レアル・マドリード」の「クラブに心理カウンセラー」が「①まず家に帰ってからサッカーの話をしてはいけない。 ②サッカーは親が教えてはいけない」、というのは、よく考えられた「アドバイス」だ。
・『サッカー強豪国には「お父さんコーチ」はいない  親は基本的に子どもに対してサッカーの話をしてはいけないし、教えてはいけません。海外ではその点で区別されていることが多く、指導者はサッカーを教える人、親は子どもを見守る人。子どもに無用なプレッシャーを与えないために、あまり話をしないのが暗黙の了解になっています。 そこまで根掘り葉掘り聞かないということです。たとえば、ああしたほうがいい、という親がいますよね。そこまで介入するのはよくありません。指導者がいて、教わっている人がいるのなら、その人を信頼して親は見守ってあげてほしいです。 日本の小学生年代のサッカーでは、昔から少年団が溢れています。その少年団では、指導者の数が足りておらず、お父さんがボランティアコーチとしてチームの指導に関わるケースがほとんどです。お父さんコーチの中にも、サッカーを経験している方もいれば、サッカーを経験したことのない方もいます。一方、他国では指導者は指導者という明確な括りがあります。アマチュアだろうがプロだろうが指導者は指導者。ライセンスを持っているし、しっかり教えられる人が教えています。 日本の欠点は指導者に競争力がないことです。サッカーを教える人がそれほどいないので現場にすぐ入れてしまう現実があります。日本の指導者の70%は未だにボランティアコーチという数字もあるほどです』、「日本」でも「サッカー」
「指導者」に科学的指導法の研修を受けさせ、資格を取らせるのも一案だ。
・『試合では「がんばれよ!」という抽象的な言葉が野放し  一方、サッカー強豪国は指導者が余っているほどなので、指導力のある指導者がどんどん下のカテゴリーまで落ちてくる状況があります。そうなると底辺まで質のある指導者たちで埋まっていきます。 日本でお父さんコーチが子どもたちに適当にリフティングをさせて、シュートをどんどん打たせて、試合では「がんばれよ!」などという抽象的な言葉の数々が野放しになっている状況は海外にはありません。 今は日本にもスクールがたくさんありますが、スクールでさえも若いコーチが指導していて、楽しむことがメインになっていることがほとんどでしょう。結果として、子どもたちにはサッカーを学ぶところがありません。その後、中学校、高校で学校の先生にサッカーを習い、やがてサッカーを辞めていくのです。 この流れをどこかで断ち切らない限り、日本は変わらない気がします。もちろん正解はわからないのですが……』、「日本でお父さんコーチが子どもたちに適当にリフティングをさせて、シュートをどんどん打たせて、試合では「がんばれよ!」などという抽象的な言葉の数々が野放しになっている状況」、これでは殆ど何も教えてないに等しい。
・『プロの指導者は「大人が偉い、子どもは従え」とは考えない  少年団のお父さんコーチたちを見ていてよく感じるのは、子どもに言い過ぎてしまうコーチが多いことです。 やたらと「俺は指導者なんだぞ!」という雰囲気を出し過ぎてしまうのです。仕事は対大人ですが、サッカーは対子どもなので、そこは考えなければいけない部分だと思います。 プロの指導者は「大人が偉い、子どもは従え」という考えはありません。子どもに対してもリスペクトを持って指導に当たります。 子どもたちはあまりにも言われ過ぎると、だんだんと「この人の言っていることは正しい」と思いながらサッカーをするようになります。しかし、それが本当に正しいかはわかりません。一つ言えることは、子どもに対してリスペクトを持たない関係などあり得ないということです。 さらに、この少年団制度の欠点として言えることは、選手の移籍が非常にしにくく、引き抜きがほとんどないことです。海外のクラブでは「あいつはいいぞ」という噂が回りに回り、必ずどこかのチームが引き抜きます。子どもからすれば、どこにいても活躍すれば上に行けるので頑張れるというわけです。 しかし、日本の場合は、どんなに少年団で頑張っても、いきなりJリーグのクラブから「君、うちのクラブに入らないか?」という声が届くことはまずありません。Jクラブと当該クラブの関係性、親との関係性、移籍をするに当たり乗り越えないといけないハードルがあるからです』、「選手の移籍」に拘る障害は極力小さくしていくべきだ。
・『「このチームで優勝するんだ!」が美学になるのはおかしい  本来であれば、力のある子どもは移籍を繰り返しながらステップアップしていくのがベストです。「あの子は良い選手だから移籍したんだよ」「だからみんなも頑張ろうね」、そんな会話がそこかしこで生まれるような、いい流れをつくるべきだと思います。 それから、親同士がしがらみを捨てることです。親同士が色々と噂をする中で移籍の障壁となってしまうというのは、いったい誰のためでしょうか。 実力のある子どものためにも移籍させなければいけません。子どもが成長するために「この指導者が必要だ」と思ったときには移籍するべきです。そこにしがらみは関係ありません。 夢を実現するためには、それまでの周りとの関係は捨てるしかないのです。海外では友達に夢があるのであれば「お前、行けよ!」と送り出すのが当たり前です。日本のように「このチームで優勝するんだ!」というのが美学として語られるとしたら、それはおかしなことです。サッカー選手になりたいのならば、自分が上を目指せない環境にいつまでもいることは、一日一日を捨てていると思ったほうがいいかもしれません。それくらい、その場に留まることは意味を成しません』、同感である。

第四に、11月2日付けPRESIDENT Onlineが掲載した上記と同じ稲若 健志氏による「「日本サッカーの非常識」1日も休まない日本より、2カ月休むスペインのほうがなぜ強いのか 日本人は不安解消のために練習する」を紹介しよう。
https://president.jp/articles/-/40038
・『世界で活躍する、世界を変えるサッカー選手を育成するにはどうすればいいのか。強豪国の事情に詳しいサッカー指導者の稲若健志さんは「日本の選手は1年中フルに動き回っているが、強豪国ではあり得ない。もっとも練習をしている国なのに、もっとも結果が出ていない」という――。 ※本稿は、稲若健志『世界を変えてやれ! プロサッカー選手を夢見る子どもたちのために僕ができること』(東洋館出版社)の一部を再編集したものです』、こうした国際比較の視点は重要だ。
・『サッカー強豪国の練習は例外なく「量よりも質」  海外の国と比較したとき、やはり日本だけが1月から12月までフルに動き回っています。スペインでは6月20日から8月20日までは絶対に休みを取ります。アルゼンチンも12月と1月の2カ月間は休みです。つまり、1年間のうちの60日間はどんな選手も活動していません。トップチームの選手たちも活動しないオフの期間が1カ月はあります。 でも、日本人には美学があり、練習をしている自分に安心し、落ち着くのです。これは指導者にも同じことが言えます。子どもを指導していないと指導者が不安になってしまうので、練習をせざる得ないのです。 たとえば、カズ(三浦知良)がシーズンオフ中にグアムでトレーニングをスタートさせたとなると「カズさんがやっているのなら俺たちもやらないとダメだ」と若手が動き始めて、あっちこっちが動き出すのです。そして結果として悪循環が生まれます。焦ってしまい、結果として故障をするなど、長いシーズンがもたない選手が多くなるのです。これは日本人の悪い文化だと思います。日本人は量の中で生きているのです。 しかし、サッカー強豪国はどの国も量より質です。1日3時間も4時間も練習をしないし、とにかく質にこだわっています。 加えて、自由な時間をもっています。公園でサッカーをしたり、遊ぶ時間だったりを大切にしています。そして、家族と過ごす時間も大切にしています。 それなのに、日本だけが指導者の言うことがすべて正しいとされているのです。チームの練習があったら必ず行きなさい、という強制だとしても正しいとされる。この文化は世界と比べたら異常ですね。もっとも練習をしている国なのに、もっとも結果が出ていないのですから』、「日本人」には「若手が動き始めて、あっちこっちが動き出すのです。そして結果として悪循環が生まれます。焦ってしまい、結果として故障をするなど、長いシーズンがもたない選手が多くなる」、「サッカー強豪国はどの国も量より質です。1日3時間も4時間も練習をしないし、とにかく質にこだわっています。 加えて、自由な時間をもっています。公園でサッカーをしたり、遊ぶ時間だったりを大切にしています。そして、家族と過ごす時間も大切にしています」、「日本人」も「量」より「質」重視に切り替えるべきだろう。
・『週に一回だけある試合に全選手を集中させて競争力を維持する  日本では、体と体のぶつかり合いを避ける綺麗なサッカーが是とされています。小学生でも、中学生でも、高校生でも、あまり試合が止まりません。でも、ヨーロッパや南米の同年代の試合はかなり止まります。特に、体と体のぶつけ合いを厭わず、まさにサッカー代理戦争と言われる所以を目一杯に体現します。 彼らはまだ小さい頃からリーグ戦が常に行われています。試合は週1回。そこにすべての力を注がせて戦いに挑ませ、集中させるのです。 一番わかりやすい例としては紅白戦です。日本のピッチでビブス(注)を引っ張ったらどうなりますか? 審判は止めますよね。これがアルゼンチンの場合、それでも紅白戦では笛を吹きません。止めないでプレーオン。そうすると両者が熱くなります。それでもプレーオン、続行です。ファウルの基準もしかり、互いに戦っているのだからある程度は見守ろう、という精神なのです。審判の奥深さについても考えさせられると思います。 一方、日本では練習試合を1日5試合やることがざらにあるでしょう。常にリーグ戦があるわけではないので、だらだらと試合をこなしてしまうのです。量をこなせばうまくなる、という謎の理論があるのでやらせてしまうのです。量をこなせばうまくなるのであれば、今頃日本は世界一になっています』、「サッカー強豪国」では「試合は週1回。そこにすべての力を注がせて戦いに挑ませ、集中させる」、「日本では練習試合を1日5試合やることがざらにあるでしょう・・・だらだらと試合をこなしてしまうのです。量をこなせばうまくなる、という謎の理論があるのでやらせてしまうのです」、手厳しい指摘だ。
(注)ビブス:着る人の役割や所属を一目で伝えられるカラーゼッケン。
・『スペインの高校生は週5回活動で完全オフが週2日  大事なことは、“コンペディティーボ”があることです。つまり、競争力があるということです。スペインの子どもたちは練習試合や公式戦をやるにしても、多いときでも水曜日に練習試合を1回入れる程度です。それも、ほとんどの選手は45分1本しか出場しません。 日曜日にリーグ戦があるので、それを踏まえて45分の出場に留めるのです。南米もほぼ同じです。紅白戦は水曜日と木曜日だけ実施し、公式戦が日曜日だけ。それがみんなわかっているから、競争力を維持しながら全員の焦点が一つに集中するのです。この点は日本と大きく異なりますね。スペインを例に挙げて話をします。練習は9歳までは週に2回、試合が週に1回です。12歳までが週3回の練習と週1回の試合。これは南米もヨーロッパも一緒です。13歳以降は週4回の練習と週1回の試合。高校生ぐらいから週5回の活動があります。完全オフの日が週2回。だから、週6回活動するということはありません』、短時間での集中力に日本ももっと学ぶべきだろう。
・『「走れ!」が正しいなら、日本は世界一強い国になっているはず  練習時間は1日1時間半以上はやりません。 スタートから終わりまで、話を含めて1時間半が最大です。その代わり、練習中のレスト(休憩)の時間は非常に短いです。日本の練習風景のようにダラダラしません。 なぜなら時間が決まっているから、ドリンクを走って飲みに行き、走って戻ってくるのです。練習中に足が止まらないようにしているので、1時間半の練習でもみんなクタクタになって帰っていきます。 日本でも練習は1時間半、その時間にすべてを注ごうとする強度の高い練習を取り入れるようになるなど少しずつ良くなってきていると思いますが、昔が酷すぎた面はあると思います。ひと昔は根性論で「走れ! 走れ!」というものでしたが、それが間違っていたことが科学的にもわかってきています。もしそれが正しかったら、日本は世界一強い国になっているはずです。しかし、現実は何も変わっていません。 さきほどの練習量の話と非常に似ているのですが、子どもが親に流され過ぎて、練習のし過ぎ、教えられ過ぎになっていることがしばしばです。それでも小学生まではいいかもしれませんが、その上の年代に進んだときに、もう身体の中に入る隙間が残っておらず、小さいときほど伸びていかない場合があります。 一番の問題は、やりたいサッカーが、やらされるサッカーに変わってしまい、楽しさを失ってしまうことです』、「一番の問題は、やりたいサッカーが、やらされるサッカーに変わってしまい、楽しさを失ってしまうことです」、その通りだ。
・『メッシ、ネイマール、ロナウジーニョなどが伸びた理由  メッシ、ネイマール、ロナウジーニョなどは、自由な環境でサッカーをやってきたので、あれだけ伸びたのですが、日本の子どもたちは普段からしっかりと練習するので、隙間がなくなり、自由もなくなります。そこから自分を伸ばしていく方法がわからない。自分で自分の伸ばし方がわからないので、そこで止まってしまうのです。 自由の中の量であればまた話が違ってくるのです。ストリートで日が暮れるまでサッカーする子どもはやらされているわけではありません。自由の中で育ってきた選手は想像力で伸びていきます。たとえば、自分はこうやって伸びてきたので、こうやってやろうとか、自分の形やフォーマットができているのです。 練習はもちろん大事ですが、やればやるほどうまくなるという考え方は一旦置いておいて、ゴミ箱に捨てておきましょう(笑)。 練習で大切なのは、バランス、そして質です』、「日本の子どもたちは普段からしっかりと練習するので、隙間がなくなり、自由もなくなります。そこから自分を伸ばしていく方法がわからない。自分で自分の伸ばし方がわからないので、そこで止まってしまうのです」、日本式のやり方はやはり非効率だ。
・『スペイン語で練習は“JUGAR”=遊ぶ  小学生年代では、どのようなシチュエーションでサッカーに向き合っているかが大事になります。死ぬほど厳しくされて今の自分があるのか、自由の中で育ってきた先に今の自分があるのか。前者で育ってきた子どもは、中学生や高校生になり、自分の理性がある程度出てきたときに苦しみます。 逆に、後者は自分をよく理解できているので、壁に当たっても自分で乗り越える術を知っているからさらに伸びていきます。だからこそ、あまりにも厳しく練習をやらされ、親がプレッシャーをかけ過ぎると、子どもは早熟になり、成長が無くなってしまうことが多々あります。 本来、サッカーは自由に楽しむスポーツです。南米でよく見るのは、ストリートでサッカーがうまくなって伸びていく光景です。でも、日本の子どもたちはサッカーをやる場所がないから誰かに習うことになります。習うことで自分で考えるのではなく、言われたことがサッカーなのだと思い込んでやり続け、ある程度のレベルまで到達します。 しかし、やはりプロになるには人から教えられることだけではなれません。結局は、自分自身がある程度考えながらサッカーができないと伸びていきません。だからこそ、子どものときは楽しさと自由さがないといけないのです。 スペイン語で練習は“JUGAR”です。遊ぶという意味の言葉です。でも、日本の練習は“Entrenamiento”(トレーニングの意味)と言います。レジェンドクリニックで来日したロベール・ピレス(元フランス代表)が「もっと練習しよう」と言ったのは“JUGAR”という意味における練習です。もっとサッカーで遊びなさい、ということです』、日本の少年サッカーについての、こうした辛口の見方がもっと広がり、欧米流の合理的なものに近づいていくことを期待する。
タグ:支配された指導法からいきなり解放されると… 稲若 健志 PRESIDENT ONLINE 怒られないって、実はしんどい 島沢 優子 日本のスポーツ界 東洋経済オンライン 暴力や暴言の経験は引退後の今も引きずっている 大山加奈 益子直美 「益子直美が語る「バレーボール界の暴力」の現実 大山加奈さんと考える「熱血指導と主体性」」 (その30)(益子直美が語る「バレーボール界の暴力」の現実 大山加奈さんと考える「熱血指導と主体性」、選手村でコンドーム配布、なのに瀬戸大也を処分の怪 「配偶者以外との性交渉」が問題なら 選手村の実態はどうする?、スペインの超名門サッカークラブが選手の親に必ず守らせる2つのルール 強豪国に「お父さんコーチ」はいない、「日本サッカーの非常識」1日も休まない日本より 2カ月休むスペインのほうがなぜ強いのか 日本人は不安解消のために練習する) 瀬戸に課せられるのはどんな教育プログラムなのか リオでは45万個、平昌では11万個 サポート企業は、何よりも選手や対象者のイメージを重視する」「広告出演契約も解除」は当然だろう。しかし、「活動停止の処分や経済的な損失の痛手」を与えるのはやり過ぎ 国際競技の現場では選手に大量のコンドームが配られているのだが 競技者資格規則 「選手村でコンドーム配布、なのに瀬戸大也を処分の怪 「配偶者以外との性交渉」が問題なら、選手村の実態はどうする?」 青沼 陽一郎 JBPRESS 「益子」さんでも、「アトランタ五輪をキャスターとして取材したとき、選手が「楽しみたい」と発言するのを聞いて「もっと真剣にやってよ」って正直思っていて。まだ昭和を引きずってました。それに、イトーヨーカドーのトレーナーが「バレーを楽しもう」っていう機運をアメリカから持ち帰ってくれたのに、それも後進につなげられなかった」、と反省せざるを得ないほど、古いスタイルは身に染み付いてしまったようだ 新たな指導スタイルの未来 スペイン語で練習は“JUGAR”=遊ぶ 日本の子どもたちは普段からしっかりと練習するので、隙間がなくなり、自由もなくなります。そこから自分を伸ばしていく方法がわからない。自分で自分の伸ばし方がわからないので、そこで止まってしまうのです メッシ、ネイマール、ロナウジーニョなどが伸びた理由 一番の問題は、やりたいサッカーが、やらされるサッカーに変わってしまい、楽しさを失ってしまうことです 「走れ!」が正しいなら、日本は世界一強い国になっているはず 短時間での集中力に日本ももっと学ぶべき スペインの高校生は週5回活動で完全オフが週2日 日本では練習試合を1日5試合やることがざらにあるでしょう・・・だらだらと試合をこなしてしまうのです。量をこなせばうまくなる、という謎の理論があるのでやらせてしまうのです サッカー強豪国」では「試合は週1回。そこにすべての力を注がせて戦いに挑ませ、集中させる」 週に一回だけある試合に全選手を集中させて競争力を維持する サッカー強豪国の練習は例外なく「量よりも質」 「「日本サッカーの非常識」1日も休まない日本より、2カ月休むスペインのほうがなぜ強いのか 日本人は不安解消のために練習する」 「このチームで優勝するんだ!」が美学になるのはおかしい プロの指導者は「大人が偉い、子どもは従え」とは考えない 試合では「がんばれよ!」という抽象的な言葉が野放し サッカー強豪国には「お父さんコーチ」はいない カウンセラーは必ず親に二つアドバイスをします。 ①まず家に帰ってからサッカーの話をしてはいけない。 ②サッカーは親が教えてはいけない レアル・マドリードの場合、クラブに心理カウンセラー 親を喜ばせるためにサッカーをやるように変わってしまう 「1年生には雑用」という日本だけに残る異常な文化 「スペインの超名門サッカークラブが選手の親に必ず守らせる2つのルール 強豪国に「お父さんコーチ」はいない」
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女性活躍(その19)(「伊藤詩織さん」が「TIME」の100人に選出 “逮捕もみ消し”は菅総理の側近で…、「女性はいくらでも嘘をつける」でわかった日本女性を苦しめる最大の原因 「女の敵は女」の本当の意味、アフターピルで「性が乱れる」と叫ぶ人の勘違い 女性側の事情を考慮しない「有識者」の言い分) [社会]

女性活躍については、9月27日に取上げた。今日は、(その19)(「伊藤詩織さん」が「TIME」の100人に選出 “逮捕もみ消し”は菅総理の側近で…、「女性はいくらでも嘘をつける」でわかった日本女性を苦しめる最大の原因 「女の敵は女」の本当の意味、アフターピルで「性が乱れる」と叫ぶ人の勘違い 女性側の事情を考慮しない「有識者」の言い分)である。

先ずは、10月7日付けデイリー新潮「「伊藤詩織さん」が「TIME」の100人に選出 “逮捕もみ消し”は菅総理の側近で…」を紹介しよう。
・『いくら闇に葬り去ろうとしても、世界は犯された罪を忘れない。そう思わせる快挙である。9月23日、米「TIME」誌は、2020年版の「世界で最も影響力のある100人」にジャーナリストの伊藤詩織さん(31)を選んだ。発端となった事件の逮捕状がもみ消された当時、政権中枢にいた菅義偉総理たちの胸中は如何に。 日本から選出されたのは、詩織さんとテニスの大坂なおみ選手(22)の二人だけ。世界の眼が、この事件に並々ならぬ関心を持っていることが窺えるのである。 2015年4月、詩織さんへの準強姦容疑で逮捕状が出ていた山口敬之元TBSワシントン支局長(54)。時の政権と太いパイプを持ち、“総理ベッタリ記者”との異名を持つからか、令状は、官邸に近い当時の中村格(いたる)警視庁刑事部長によって握りつぶされた。 そこで詩織さんは17年5月に本誌(「週刊新潮」)で初めて事件を告発。後に会見で実名告発に踏み切ったことで、他のメディアも彼女の存在を大きく取り上げたのだ。 当の詩織さんに聞くと、「事件を告発して以来、これまで私には、耳を塞ぎたくなるようなラベルがいくつも付いて回りました。でも今回、タイムの『世界で最も影響力のある100人』に選んでいただいて、あらためて、私は私でいいんだ、伊藤詩織として生きていいんだと、後押しをしていただいたような想いがしています。同時に、私と同じように生きている人々に対しても、私たちは堂々と生きていいんだよ、人に話したくないような辛い過去と生きていたって、笑顔で道を歩いていいんだというエールになったと思っています。これを機会に今後、少しでも、真実が明らかになって欲しいと願っています」』、「TIME」誌もなかなか味なことをするものだ。これで事件が全世界の知るところになった。日本政府にとっては屈辱だ。
・『警察庁ナンバー2  結果的に刑事訴追を免れた山口氏を相手に、詩織さんは民事で係争中(一審は勝訴)だが、SNS上で起きた自身への誹謗中傷に対しても、訴訟を起こし闘いを続けている。 国際政治学者の三浦瑠麗氏が言う。 「これまでも、伊藤さんのような思いをした人たちはたくさんいて、仮に声を上げても、黙殺され、加害者が大手を振って社会的な立場を維持している状況に対して、臍(ほぞ)を噬(か)んで見ていることしかできなかった。一連の彼女の行動は、そういった日本人の常識を変える一助になったと思います」 問題なのは、前述の逮捕状もみ消しを図った人物が、権力の階段を昇り続けていることだろう。中村氏は今や警察庁のナンバー2である次長に昇進、来年以降の長官就任に“王手”をかけた。その彼を、官房長官時代に秘書官として重用したのが菅総理なのだ。本誌既報の通り、菅総理は周囲に「警察庁長官になる人物」と評するほどお気に入りだった。 「大きな権力構造の中で、一人の女性の尊厳が冒され放置されることは、絶対にあってはならんことです」と憤るのは、漫画家の小林よしのり氏。この事件を作品で扱い、山口氏から民事で提訴されてもいる。 「自分たちの仲間の男が、女性をレイプしたからといって、たいしたことではないとしてしまう感覚が軽すぎるとワシは思う。権力の座に就くと真っ当な善悪の基準が通用しなくなってしまうのだろうね。絶対にダメだと分からせるためにも、伊藤さんが100人に選ばれたことは痛快です」 最後に、イタリアの劇作家、ヴィットーリオ・アルフィエーリの悲劇「アンティゴネ」から、この言葉を彼らに贈ろう。 「汚名は刑罰になく、犯罪そのものにある」』、「中村氏」の「来年以降の長官就任」は是非とも阻止すべきだが、「菅総理」の下では期待薄だろう。

次に、10月16日付けPRESIDENT Onlineが掲載した著述家・コラムニストのサンドラ・ヘフェリン氏による「「女性はいくらでも嘘をつける」でわかった日本女性を苦しめる最大の原因 「女の敵は女」の本当の意味」を紹介しよう。
https://president.jp/articles/-/39538
・『「女が嫌いな女」とは週刊誌の人気企画だ。だが、こうした話題が成り立つのは日本だけだ。ドイツ出身のコラムニスト、サンドラ・ヘフェリン氏は「日本に来たばかりのころ、『女の敵は女』という言い回しに驚きました。日本にはシスターフッド(女性同士の連帯)の精神が決定的に欠けています」という——』、興味深そうだ。
・『日本の女性リーダーに足りない大切なもの  「女性はいくらでも嘘をつけますから」――。先日、自民党の杉田水脈衆院議員がそう言い放ったことが話題になりました。 この発言に対して抗議のデモが行われ、謝罪と議員辞職を求めるオンライン署名には約9万筆が集まりました。新聞社等の取材に、しばらくのあいだ杉田議員は「そういう発言はしていない」と答えていたものの、その後一転して発言を認め、「ご不快な思いをさせた」と謝罪しました。 それにしても、なぜよりによって「女性の政治家」がこの手の発言をしたのでしょうか。本当に彼女個人だけの問題なのでしょうか。それともこのようなことを思ったりポロッと言ってしまうような原因は日本の社会にあるのしょうか。 今回はそんな問題について考えてみたいと思います』、「杉田水脈衆院議員」は維新の会から、安部首相に見いだされて自民党の比例区で当選。右派的発言でしばしば話題を振りまいている。
・『日本に来て驚いた言いまわし「女の敵は女」  日本に来たばかりの約20年前、日本の生活スタイルや考え方など、何から何まで筆者には新鮮に感じられました。特に興味深かったのは同性である女性たちとの会話。知り合いや女友達とお茶をしながら何げない雑談をするなかでさまざまな発見がありました。 筆者の知人女性は当時女性社員が少ない会社で働いていましたが、新人の女性社員に対するいじめは主に先輩の「女性」から行われていたといいます。そして彼女は言いました。「難しいのよね、やっぱり女の敵は女だから」と。 その時は、その知人女性がたまたまそういう感想をもったのかな、と思いました。しかし、別の女性と話をした時も「女の敵は女」という言葉が出てきました。そこでようやく、これは日本でよく使われる「言いまわし」なのだと気付きました。 意識してみたところ、確かに日本では「女の敵は女」だと思わされるシチュエーションはちょくちょくあるのでした。 私が日本に来てすぐに横山ノック元大阪府知事による女子大生スタッフへの強制わいせつの件がメディアで話題になりました。筆者もこの女子大生スタッフに大いに同情したのですが、ある女性はこう言いました。 「女子大生はお金のためにマスコミに話を売ったのだと思う」「横山ノックは女子大生にはめられたのだと思う」 この発言を聞いた時に「女の敵は女なんだな」と思ったことを覚えています。 ジャーナリストの伊藤詩織さんの例を見ても分かるように、あれから20年以上経った今も、性被害に遭った女性に「目立ちたいだけ。男性はむしろ女性にはめられた」と言う人は後を絶ちません』、「女性にはめられ」るケースもまれにはあるが、それは例外的事象だ。
・『子供のいる女性の「しわ寄せ」が独身の女性に…  会社で働く女性から「子供を持つ女性社員からのしわ寄せがつらい」という声をよく聞きます。新聞社の悩み相談サイトの「働く」の項目には、定期的にこの手の相談内容がアップされています。 内容は「子供のいる女性の同僚がよく学校の行事や子供の病気などで仕事を休むため、独身の私は有休が全くとれなくなった」「子供のいる女性の同僚が時短で働くようになってから、その分の仕事が独身で子供のいない私に降りかかっている。残業で疲れ果てているのに事態が改善される兆しがない」といったもので、文章から疲労度が伝わってきます。 地方都市で中学校の教員をしていた50代女性は「自分も子供がほしかったけれど、働いていた中学校の女性の教員たちには既に子供がいて、当時独身だった私に仕事がふられることが多かった。デートもままならず結局子供を持つことはかなわなかった」と話しました。 育児と仕事を両立しなければ女性も大変ですが、その横にいる「独身の女性社員」にも大きな負担が強いられている現状があるのでした』、多くの企業ではその通りだろう。
・『責任は会社にあるはずだ  確かに、仕事仲間の女性が子供をもった結果、自分に多くの残業や休日出勤がふりかかってくることを想像すると、その理不尽さに怒りが沸々と湧いてきます。 この話は一見すると、なにかと「子供をもつ女性社員」を責めがちです。しかし本質的な責任は「会社」にあります。誰かが抜けた時に社員に偏ることなく仕事を振り分けたり、新たな人員を雇ったりして調整する責任は会社にあるからです。 ところが実際には「なあなあ」になりがちなのも確かです。 男性が多い会社や中小企業では「女同士で仲良くやってくれよ」とばかりに「女性が抜けた分の仕事は全て別の女性がカバーすればよい」という暗黙の了解があったりします。 結果として独身の女性に負担がかかるのが現実です。 子供を持つ女性は「子供をもって大変なのに、仕事場で女性からつらくあたられる」、独身の女性は「子供を持つ女性のカバーをなぜ私だけがしなければならないの」とそれぞれの言い分があります。 しかし厄介なのは、カバーに入った女性がその大変さを周囲に話すと、男性から「やっぱり女の敵は女なんだな」と思われがちなことです。残念なのは、これが会社の問題であるにもかかわらず、時に「女の敵は女」「女同士のバトル」と周囲から面白おかしく取り上げられることです。 この問題の原因は「男性が育児で仕事をセーブする」ことがまだまだ少ないからです。多くの男性も時短で働けば、総合的に時短で働く社員はかなりの数になります。「時短で働く社員の分をどのようにカバーするか」という点を会社はもっと工夫するはずなのです』、同感である。
・『ドイツもシビア……同性から悪く言われる専業主婦  実はドイツにも女の闘いというものが全くないわけではなく、日本とは少し形は違いますがなかなかシビアです。例えば専業主婦という存在について。日本では「女性の多様な生き方」の中に「専業主婦」も含まれています。実際に専業主婦が一方的に叩かれる場面はあまり見られません。 一方、ドイツでは専業主婦に対する風当たりはかなり強いのです。持病を抱えている、ドイツ語ができないなど、特別な理由がない限り疑問に思われる傾向があります。専業主婦は「なぜ自分でお金を稼ごうと思わないのか」と疑問を直球でぶつけられることも多く、何かと周囲から質問攻めにされることになります。 さらに「夫が望んでいるので専業主婦をしているんです」なんて言った日には、DVの被害者だと思われ相談機関を紹介されかねません。「自分が好きで専業主婦をしている」と言えば、何か問題のある人だと見られる場合が多いのです。 特に、同じ女性が専業主婦に対して厳しい見方をする傾向があります。 ドイツ在住のある日本人女性は「ドイツ人である夫の仕事の都合」でドイツに引っ越し、当初は就労していませんでした。しかし数カ月後、夫の親戚や知人から「なぜ働かないのか」と聞かれ、なかでも女性からの質問攻めが執拗だったと嘆いていました。 このようにドイツでは「専業主婦である」というだけで直接非難されます。そう考えると日本の社会は優しい社会だといえるでしょう』、「ドイツでは「専業主婦である」というだけで直接非難されます」、「日本」とは真逆だ。
・『ヨーロッパでも女性の分断が問題に  また家事の外注が進むヨーロッパでは、高等教育を受けたミドルクラスの女性が家事や掃除などの仕事に就く移民のマイノリティ女性を差別する傾向が見られます。 この現象については、ポストフェミニズム論の代表的論者であるアンジェラ・マクロビー氏がイギリスを例に、本来は「女の仕事」であった家事や掃除などの仕事に従事する移民の女性がミドルクラスの白人女性から「自分たちよりも劣った存在」として憐みの対象で見られ、連帯の対象として見なされていない問題を指摘(Angela McRobbie, 2009, The Aftermath of Feminism, SAGE)しています。 イギリスが階級社会だという背景もありますが、決してそれだけが理由ではなく、明らかに「女性が女性を低く見て、女性が女性にきつく当たる」傾向もあり、ヨーロッパの「女性の連帯」が必ずしも全ての場面でうまくいっているわけではないということがうかがえます』、「ヨーロッパの「女性の連帯」が必ずしも全ての場面でうまくいっているわけではない」、なるほど。
・『「女性同士のバトル」を見るのが好きなニッポンの社会  日本で特徴的なのは「女性同士のバトル」をどこかエンターテインメントとして消費しているところです。週刊誌で「女が嫌いな女」がランキング形式で発表されることがあるのも日本ならではです。 ところで冒頭の杉田水脈氏の「女性はいくらでも嘘をつけますから」という発言について、筆者は当初「女性の一般的な発言に関する杉田氏の感想」と勘違いをしていましたが、実際には性暴力がらみでされた発言でした。 杉田氏は自民党の会議で2021年度の予算の概算要求の説明を受けた際に「性暴力を支援する相談事業を民間団体に任せることは反対だ」という自らの意見を話すなかで「女性はいくらでも嘘をつけますから」と発言しました。 「女性がレイプ被害等について、いくらでも嘘をつける」というのは、日本に限らず世界の多くの国でひろく信じられてきた偏見です。しかしWHOは性暴力被害者のための法医学的ケアガイドラインの中で「女性は(性被害について)嘘をつく」というのは「典型的なレイプ神話」(誤解)だとしています。 杉田氏の性暴力の被害女性を咎める発言は今回が初めてではありません。2018年にはジャーナリストの伊藤詩織さんについて「女としても落ち度がありますよね」「伊藤詩織さんが記者会見を行って嘘の主張をした」と発言しました。SNSには「介抱してくれた男性のベッドに半裸で潜り込むようなことをする女性」と書き、伊藤さんに訴えを起こされています。 性暴力を受けた女性に「本人に落ち度があったのでは」と発言すること自体がセカンドレイプにあたります。衆院議員がこのような発言をする背景には、日本の社会にも同様に考える一定の層がいるからだという見方もできます』、「WHOは性暴力被害者のための法医学的ケアガイドラインの中で「女性は(性被害について)嘘をつく」というのは「典型的なレイプ神話」(誤解)だとしています」、WHOも思い切ったことを言ったものだ。
・『大事にしたい「シスターフッド」  2019年の男女格差の国別ランキングで、日本は「153カ国中121位」でした。G7(主要7ヵ国)のなかで最下位です。しかし日本では「女性は優遇されている」という発言をよく聞きます。仕事で「女性だから」という理由で抜擢されるのはおかしいという声も少なくありません。残念ながら女性自身が「女性だからと優遇はされたくない」と考えている場合もあります。 しかし、ドイツでは2015年に「女性クオータ法」が成立し、翌年から大手企業には監査役会の女性比率を30%以上にすることが義務付けられました。女性の役員や管理職を増やすため、企業には自主目標の設定、具体的処置、達成状況に関する報告義務も課せられています。なお、この制度は公的部門にも適用されています。 学歴も能力もある多くの女性が、前例に従い補助的なポジションにしか就けないことが長年問題視されてきました。そのため具体的な数字を設定し、法的に問題の解決にあたったことは合理的で、この制度に女性が反対したという声は聞こえてきません。 その根底にはシスターフッド(女性同士の連帯)の精神があります。 女性が個人的に「自分は仕事でそれほど上のほうのポジションには行きたくない」と考えていても、「でも上のほうに行きたい他の女性もいるのだから、経営陣に女性が増えるのは良いことだ」と考えるのがシスターフッドです。 つまり自分自身の要望や生き方とは必ずしも一致しなくても、自分と同性である他の女性たちの応援はする、という考え方です。ヨーロッパでは、生き方が違っても、支持する政党が違っても「女性の地位向上のためには団結する」という姿勢が目立ちます』、「シスターフッド」は女性がお互いの足を引っ張り合わないという意味で、日本では欠けている考え方だ。
・『杉田議員にもシスターフッドの精神があれば……  近年の「#MeToo運動」を見ても、日本では「性被害に遭った女性を女性が叩く」ということがしばしば起きています。杉田議員にシスターフッド精神が少しでも頭の片隅にあれば「女性はいくらでも嘘をつけますから」は出てこなかった発言なのです。 「女性は感情的」と同じぐらいに偏見に満ちた発言なのは言うまでもありません。 (一部の)男性が考えがちなことを、よりによって女性である杉田議員が口に出して言ってしまったのは、日々女性を低く見ている多くの「オジサン」に囲まれ、自身も彼らの価値観を内面化してしまった結果かもしれません。 女性の政治家にシスターフッドを期待するのは求めすぎなのでしょうか』、「日々女性を低く見ている多くの「オジサン」に囲まれ、自身も彼らの価値観を内面化してしまった結果かもしれません」、嫌味だが、その通りなのかも知れない。

第三に、10月21日付け東洋経済オンラインが掲載したナビタスクリニック内科医師の久住 英二氏による「アフターピルで「性が乱れる」と叫ぶ人の勘違い 女性側の事情を考慮しない「有識者」の言い分」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/382790
・『若い人たちからは特に「アフターピル」と呼ばれ、認知度が高まりつつある緊急避妊薬。それを市販薬(OTC薬)とする方針が、10月8日報じられた。内閣府は8日、女性の社会参画に関する有識者会議で示した「第5次男女共同参画基本計画」案に、以下のように明記したという。 「避妊をしなかった、または避妊手段が適切かつ十分でなかった結果、予期せぬ妊娠の可能性が生じた女性の求めに応じ、処方箋なしに緊急避妊薬を利用できるよう検討する」』、ようやく「後進国」返上かと、私も驚いた。
・『「アフターピル後進国」の日本  アフターピルは、性交渉の後72時間以内に服用することで妊娠を高い確率で回避する。現在は原則として医師の処方箋なしには購入できない、いわゆる処方薬だ。一方、欧米やアジア諸国90カ国以上ではすでにOTC化されている。風邪薬や胃薬と同様、薬局に出向けば簡単に手に入るのだ。日本は完全に「アフターピル後進国」なのである。 ナビタスクリニックではOTC化の早期実現は難しいと判断し、2018年からオンライン診療・処方を続けてきた。緊急性や必要性を考え、性交渉から120時間後まで効果の得られる個人輸入薬も用意して、女性たちの切実なニーズに最大限応じてきたつもりだ。2019年には152件のオンライン受診者にアフターピルを処方、発送した。 今回の内閣府の発表を聞いて、ようやく肩の荷が下りたと思った。 だが、少し引っかかったのは、それに続く厚労相会見の報道だ。田村憲久厚労相は、閣議後の記者会見で、「これまでの議論を踏まえ、しっかり検討していく」「期限を区切ってとは考えていない」と発言した。 厚労相の言う「これまでの議論」が、オンライン診療をめぐる厚労省検討会でのやり取りを指すことは間違いない。多くの“有識者”が、アフターピルについてはOTC化どころかオンライン診療でさえ、全面解禁に難色を示してきた。 また、解禁の時期について、厚労相があえて見通しを示さなかったのも気になった。実は10月7日時点の報道では、政府方針として「2021年にも導入する」とあった。しかし8~9日の内閣府案報道では、その文言はなくなっていた。そればかりか、薬剤師の対面で服用する条件が付いたという。厚労省検討会を大幅に加味した最終調整が行われた、と見るのが普通だ。 なお、7月末に示された「第5次男女共同参画基本計画策定にあたっての基本的な考え方(素案)」の時点では、「緊急避妊薬」の文字はまだなかった。それからすれば、まさに急展開ではある。当初「来年にもOTC化へ」と聞いた際には、政権交代で利害関係などのしがらみが一気に片付いたのか、とも思った。実際には、そこまでは望めなかったようだが……。 以下、アフターピルをめぐるこれまでの議論を振り返り、根本的な問題を明らかにしていきたい』、興味深そうだ。
・『オンライン診療さえ難色示す“有識者”たち  当院では2018年からアフターピルのオンライン診療・処方を行っている。きっかけの1つは、2017年に厚労省検討会でOTC化が見送られたことだ。「時期尚早」というのがその理由だった。再び議論が盛り上がるには相当の年月がかかるだろう、それまで現行の仕組みの中でできる‟次善策”を、と踏み切ったのが、オンライン診療・処方だった。 以来、多くの女性たちから感謝の言葉をいただいてきた一方、世の中にはオンライン診療を歓迎する人ばかりではなかった。「対面診療は必須」という主張である。 「初診は原則として直接の対面診療による」とした1997年の厚生省(当時)通知が、その主張を後押ししてきた。2018年3月に示された「オンライン診療の適切な実施に関する指針」でも、その“原則”は維持された。ただし、これら「通知」や「指針」に法的拘束力はない。 その後、指針の見直しに関する検討会は、一定条件の下にアフターピルを「オンライン診療の初診対面診療原則の例外」として認めると了承。しかし、その条件は「3週間後の産婦人科受診の約束を取り付ける」「薬局で薬剤師の前で内服する」といった、女性側の事情を考慮しないものだった。 実際、2019年7月の改訂でその2点が指針に明示された。繰り返すが、法的に意味はなく、この通りでなくても受診者に不利益が生じることは一切ない。 そんな中、アフターピルのOTC化と僅差で報じられたのが、初診からのオンライン診療を全面解禁する、という厚労省方針だ。新型コロナ対策としてこの4月から“特例”として時限的に認めていたのを、恒久化するという。 そうなれば、アフターピルを“例外”としてきた大前提がひっくり返る。あるいはOTC化が実現すれば、アフターピルに関してはオンライン診療・処方自体、その役割を終える。世界を見渡せばいずれも既定路線だが、果たしてどうなるか。検討会の動きを注視していきたい。 そもそもなぜ日本では、アフターピルの入手が困難な状態のまま、ある種“聖域”化されてきたのか。OTC化が決して早くはなかったアメリカでさえ、議論に決着がつき解禁されたのは2013年のこと。このままでは日本は10年以上の遅れを許しかねない。 2017年にOTC化が見送られた際の反対側意見が、議事録(厚生労働省、2017年7月26日第2回医療用から要指導・一般用への転用に関する評価検討会議)に残されている。 「この薬品が避妊の目的であることを悪用する」「簡単に避妊できることを根拠に、避妊具を使うことが減ったり、性感染症が増える」「例えば13歳や14歳でも買う可能性が出てくる時代になっていますから、そういうときにどうするか」「もしかすると、消費者の方は、(中略)常備薬的に自宅に置いておく可能性が出てくる」 同じくアフターピルの初診からのオンライン診療を「時期尚早」とする人々の意見も、検討会の議事録(厚生労働省、オンライン診療の適切な実施に関する指針の見直しに関する検討会)から読み取れる。 「日本でこれだけ若い女性が性に関して知識がない状況で、(中略)責任が持てないと思う」「本当に簡単に若い女性が、ここでもらえるという感じでやられたら(=オンライン処方させたら)、これは非常に悪用になってしまうし、あるいは転売などという話も出てくるかもしれない」 ほかにも薬剤師など提供側の理由は挙げられているが、少なくとも利用者側については、心配しつつもその実、「知識が足りないし、信用できない」と言っているに等しい。対面診療を死守しなければ「若い女性の性が乱れる」とでも言わんばかりである』、「オンライン診療」への反対論は、実証的議論ではなく、年寄による単なる印象論だ。
・『科学的な議論でなく、ただのおせっかい?  だが、そうした懸念のほとんどは、ただのおせっかいにすぎない可能性がある。 さまざまな避妊方法が無償提供された場合でさえ、性感染症は増えず、複数の性的パートナー男性がいる女性の数もむしろ減少した、という2014年のアメリカの研究結果がある。14〜45歳女性9256人(6割が25歳未満)を対象とした2~3年にわたる調査で、開始1カ月の時点で複数の男性パートナーがいると答えた被験者は5.2%にとどまり、しかも1年後までには3.3%に減少していた。 米国疾病予防管理センター(CDC)の報告でも、アフターピルOTC化後の2015〜 2017年に実施された10代の性経験調査から、次のようなことが示されている。 ・2002年と比べ、未婚の10代男性の経験割合は17%減少した。 ・性経験の年齢別の増加割合に、男女差はほとんどなかった。 ・10代で初経験した15〜24歳女性78%と男性89%が、初経験時に避妊を行った。 ・10代女性の間で最も一般的な避妊法は、依然としてコンドームである。 確かにアメリカに比べれば、日本は性教育が大幅に遅れている。それでも、“有識者”の方々にはぜひ科学に基づいた議論をお願いしたい。 科学よりも老婆心(老爺心?)が先立ちそうなことは、オンライン診療指針に関する検討会の構成委員名簿を見れば察しが付く。掲載された12人中、女性はたった1人。年齢は40代が1人で、あとはオーバー50、うち3名はオーバー70だ。議事録も確認すると、アフターピルについて発言のあった参考人も、すべて60代男性である。 ふと、菅政権発足時にSNS上で拡散された写真を思い出した。菅首相(71歳)+自民党新四役(60代後半~80代男性)の写真と、フィンランドのマリン首相(34歳)+連立政権党首3人(30代女性)が並んだ写真だ。 この国では、老若男女すべてに関わる医療の問題を、年配の男性たち中心に集まって決めていく。令和日本の現実である』、「この国では、老若男女すべてに関わる医療の問題を、年配の男性たち中心に集まって決めていく。令和日本の現実である」、やはり異常な姿だ。
・『「女性の生き方」の問題であるはず  アフターピルの議論も、男性を中心に行われてきた。しかし本来、避妊やその方法は、社会全体の問題であると同時に、まずは「女性の生き方」の問題であるはずだ。自分の生きたい人生を生きる、その手段を選ぶ、という点において「女性の生きる権利」の一部とも言える。 かといって、女性だけで議論すべきものでもない。性に関わる問題は、当事者よりも、その外側にいる人々の無理解が生み出していることも多い。 特に今日、セクシュアリティの考え方も新たな局面を迎えている。これまでの社会は、身体的特徴にのみ基づく「男性か女性か」という単純な2分類による管理が許されてきた。しかし今や、「LGBT」という呼称でさえ古いという。実際にはもっとずっと多種多様なセクシュアリティーが存在し、それを前提とした議論が求められている。 性の問題を真に理解し、扱うことは容易ではない。さまざまな立場からの意見が飛び交う、真に開かれた議論の場が必要だ。医療や医療界も、認識の変化や体制の変革を求められるだろう。アフターピルのOTC化は、まだ最初の一歩だと思っている』、「本来、避妊やその方法は、社会全体の問題であると同時に、まずは「女性の生き方」の問題であるはずだ」、「さまざまな立場からの意見が飛び交う、真に開かれた議論の場が必要だ。医療や医療界も、認識の変化や体制の変革を求められるだろう。アフターピルのOTC化は、まだ最初の一歩だと思っている」、同感である。
タグ:さまざまな立場からの意見が飛び交う、真に開かれた議論の場が必要だ。医療や医療界も、認識の変化や体制の変革を求められるだろう。アフターピルのOTC化は、まだ最初の一歩だと思っている 本来、避妊やその方法は、社会全体の問題であると同時に、まずは「女性の生き方」の問題であるはずだ 「女性の生き方」の問題であるはず この国では、老若男女すべてに関わる医療の問題を、年配の男性たち中心に集まって決めていく。令和日本の現実である アフターピルについて発言のあった参考人も、すべて60代男性 アフターピルOTC化後の2015〜 2017年に実施された10代の性経験調査 米国疾病予防管理センター(CDC)の報告 『科学的な議論でなく、ただのおせっかい? 「オンライン診療」への反対論は、実証的議論ではなく、単なる印象論だ オンライン診療さえ難色示す“有識者”たち 「アフターピル後進国」の日本 「避妊をしなかった、または避妊手段が適切かつ十分でなかった結果、予期せぬ妊娠の可能性が生じた女性の求めに応じ、処方箋なしに緊急避妊薬を利用できるよう検討する」 女性の社会参画に関する有識者会議で示した「第5次男女共同参画基本計画」案 「アフターピルで「性が乱れる」と叫ぶ人の勘違い 女性側の事情を考慮しない「有識者」の言い分」 久住 英二 東洋経済オンライン 日々女性を低く見ている多くの「オジサン」に囲まれ、自身も彼らの価値観を内面化してしまった結果かもしれません 杉田議員にもシスターフッドの精神があれば… 大事にしたい「シスターフッド」 WHOは性暴力被害者のための法医学的ケアガイドラインの中で「女性は(性被害について)嘘をつく」というのは「典型的なレイプ神話」(誤解)だとしています 「女性同士のバトル」を見るのが好きなニッポンの社会 ヨーロッパの「女性の連帯」が必ずしも全ての場面でうまくいっているわけではない ヨーロッパでも女性の分断が問題に ドイツもシビア……同性から悪く言われる専業主婦 責任は会社にあるはずだ 育児と仕事を両立しなければ女性も大変ですが、その横にいる「独身の女性社員」にも大きな負担が強いられている現状があるのでした 子供のいる女性の「しわ寄せ」が独身の女性に 日本に来て驚いた言いまわし「女の敵は女」 杉田水脈衆院議員 「女性はいくらでも嘘をつけますから」 日本の女性リーダーに足りない大切なもの 「「女性はいくらでも嘘をつける」でわかった日本女性を苦しめる最大の原因 「女の敵は女」の本当の意味」 サンドラ・ヘフェリン PRESIDENT ONLINE 菅総理は周囲に「警察庁長官になる人物」と評するほどお気に入り 中村氏は今や警察庁のナンバー2である次長に昇進、来年以降の長官就任に“王手”をかけた 警察庁ナンバー2 「週刊新潮」)で初めて事件を告発 官邸に近い当時の中村格(いたる)警視庁刑事部長によって握りつぶされた 総理ベッタリ記者 逮捕状が出ていた山口敬之元TBSワシントン支局長 世界の眼が、この事件に並々ならぬ関心を持っていることが窺える 米「TIME」誌は、2020年版の「世界で最も影響力のある100人」にジャーナリストの伊藤詩織さん(31)を選んだ 女性活躍 「「伊藤詩織さん」が「TIME」の100人に選出 “逮捕もみ消し”は菅総理の側近で…」 デイリー新潮 (その19)(「伊藤詩織さん」が「TIME」の100人に選出 “逮捕もみ消し”は菅総理の側近で…、「女性はいくらでも嘘をつける」でわかった日本女性を苦しめる最大の原因 「女の敵は女」の本当の意味、アフターピルで「性が乱れる」と叫ぶ人の勘違い 女性側の事情を考慮しない「有識者」の言い分)
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韓国(文在寅大統領)(その6)(韓国・文在寅大統領、支持率急降下でも「日本叩き」に走らない理由、韓国文大統領は米韓同盟が邪魔なのか?「南北終戦宣言」を元駐韓大使が解説、WTO事務局長選で劣勢の韓国「日本がネガキャン」 次々と毀損していく国益 韓国に回ってきた反日政策の「ツケ」) [世界情勢]

韓国(文在寅大統領)については、8月13日に取上げた。今日は、(その6)(韓国・文在寅大統領、支持率急降下でも「日本叩き」に走らない理由、韓国文大統領は米韓同盟が邪魔なのか?「南北終戦宣言」を元駐韓大使が解説、WTO事務局長選で劣勢の韓国「日本がネガキャン」 次々と毀損していく国益 韓国に回ってきた反日政策の「ツケ」)である。

先ずは、8月16日付け現代ビジネス「韓国・文在寅大統領、支持率急降下でも「日本叩き」に走らない理由」を紹介しよう。
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/74923?imp=0
・『意外にも「日本批判」を展開せず  8月15日、韓国は日本の朝鮮半島地からの解放を祝う75回目の光復節を迎えた。ソウル・東大門(トンデムン)で行われた記念式典で、文在寅(ムン・ジェイン)大統領が演説を行った。 演説の大半は、新型コロナの感染拡大や、最近韓国各地で起きた大規模な水害など、市民生活を気遣ったものだった。 相変わらず関係改善の糸口がつかめない日本に対しては、口ぶりに変化はなかった。「国民とともに、日本の輸出規制という危機に打ち勝った」「むしろ、何者も揺るがすことのできない国に跳躍する機会になった」などと語り、日本の輸出管理措置の解除を求める企業関係者らの声は紹介しなかった。 徴用工判決に基づいて差し押さえられた日本企業資産の現金化への対応について、文大統領が何を述べるかが注目されていたが、「判決は韓国の領土内で最高の法的権威と執行力を持つ。政府は判決を尊重し、被害者が同意できる円満な解決策を日本政府と協議してきたし、現在も協議の門を広く開けている。いつでも日本政府と向き合う準備ができている」と語っただけだった。 一見対話の姿勢は見せているものの、中身をみれば、日本政府が、韓国側に責任を持って解決するよう求めていることには何も答えていない。むしろ、日本を激しく批判しない分、解決への熱意が乏しいようにさえ見えた。 その前日の14日は、国が定める記念日「日本軍慰安婦被害者をたたえる日」だった。文大統領は記念式典に寄せた映像メッセージで「問題解決の最も重要な原則は被害者中心主義だ」と語ったが、日本に対する直接の批判や要求はなかった。 14日、15日の文大統領の演説やメッセージを聴く限り、ただでさえ低かった日韓関係に対する関心が、ほとんど消えかけているようだ。この姿勢は、一部の専門家には意外な動きと受け止められた。韓国の歴代政権は任期後半になって支持率が下がってくると、日本批判を展開して世論の関心を集めようとする傾向があるからだ』、「文在寅大統領」が「日本批判」に走らないのは確かに不思議だ。
・『与野党「支持率逆転」の衝撃  実際、文在寅大統領の支持率は下がり続けている。韓国ギャラップが14日に発表した支持率は、同社調査では2017年5月の就任以来最低値に並ぶ39%まで下がった。韓国の世論調査会社リアルメーターが13日に発表した世論調査でも、支持率43.3%と、不支持の52.5%から10ポイント近く水を空けられた。新型コロナ対策で成果を上げて、7割前後の支持率を誇った春先の勢いは全くない。 また、リアルメーターの調査は、日本の永田町にあたるソウル・汝矣島(ヨイド)に衝撃を与えた。調査によれば、韓国の政権与党、進歩系の「共に民主党」の支持率は33.4%。第1野党で保守系の「未来統合党」が36.5%で、ついに進歩系と保守系の支持率が逆転したからだ。 同社の週間世論調査で、保守系政党が支持率トップに立ったのは、朴槿恵(パク・クネ)政権が側近による専横疑惑で火だるまになり始めた2016年10月以来、3年10ヵ月ぶりの出来事だ。保守系政党はこの間、朴政権の崩壊を経て、全く反攻の機会を見いだせず、「市民の怒りが冷めることは当分ないだろう」というあきらめの声すら出ていた。それだけに、今回の支持率逆転が関係者に与えた衝撃は大きかった。 韓国の与党関係者は、政府与党の支持率急落について「原因は何と言っても不動産問題だろう」と語る。 韓国ギャラップの世論調査結果では、文大統領を支持しない理由として、不動産価格の高騰を挙げた人が33%にのぼり、6週連続で最も多かった。リアルメーターの調査では、支持率の下落幅は年齢別では30代(60%から43%)、地域別ではソウル(48%から35%)が大きかった。いずれも、マンションを買いたくても買えない世代、そして最もマンション不足が叫ばれている地域だ。それは、文在寅政権を支持する中心層でもある』、「不動産価格の高騰」が「支持率下落」の主因とは、政策ミスが背景にあるのだろう。
・『もう一生、家なんて買えない  韓国の市民団体「経済正義を実践する市民連合」が6月に公表した「ソウルの平均アパート(マンション)価格」は、9億2000万ウォン(約8200万円)。あくまで平均値で、高級住宅街のソウル南部・江南(カンナム)地域のマンションは2億円、3億円が当たり前という状況だ。この団体によれば、ソウルのマンションの平均価格は文在寅政権発足時の2017年5月時点の価格6億600万ウォン(約5400万円)から3億ウォン以上も値上がりした。 この問題が、文在寅政権を苦しめている。とりわけ不動産の高騰に反発しているのが若年層だ。若年層には元々、「弱者に寄り添う」という文政権の姿勢に共感した人が多かった。だが、最近3年間のマンション価格の値上がりは、自分たちがその間に稼いだ収入を大きく超えてしまっている。ソウルで働く若者たちは、「もう一生、家など買えない」と言って嘆き合っているという。 実際、リアルメーターの8月13日付調査結果によれば、文大統領の中心支持層のひとつだった20代の支持率は、5.7ポイント下落して34.6%。不支持の54.8%と20ポイント以上の差がついた。職業別では学生の支持率が19ポイントも落ちて27.8%。不支持はその2倍以上の57.9%に達した。 文在寅政権も、不動産問題を放置しているわけではない。2017年5月の政権発足以降、20回以上も対策を発表してきた。ただ、その対策が空回りしている。 文政権の不動産対策の中心は、投機を抑える規制策だ。韓国ではマンション価格が右肩上がりで上昇しているため、不動産投資は「個人が簡単にできる財テク手段のナンバー1」とされている。文政権は、マンションを投資の手段とすることを防ぐため、2戸以上マンションを所有する「多住宅者」と呼ばれる人々への課税強化と、マンション購入のためのローン貸与額の抑制などを進めてきた。韓国市民の間では、「マンションを1戸だけでも購入できたら、それを担保に次々とマンションを購入して稼ぐ」というやり方が流行っているのだ。 ただ、この政策が若者に嫌われた。昔は、自己資金が全体の1割もあれば、残りを職場ローンや銀行ローンでまかなってマンションを購入できた。しかし、今ではローンで補える額はマンション価格の半分にも満たないという。文政権の政策は、かえって自己資金に乏しい若者たちのマンション購入の道を閉ざす結果になった』、「不動産価格の高騰」は韓国だけでなく、主要先進国共通の現象だが、韓国の「高騰」ぶりは突出しているようだ。
・『中間・富裕層の支持離れ  これに対し、保守系野党は、マンションの供給量を増やす政策を主張している。ソウルの場合、全体の住宅供給率は100%を超えているが、韓国人が好む大規模な団地群を形成するアパート(マンション)の供給率は、需要の半分程度しかないとされるからだ。 ソウルには、すでにアパートを建てる土地がほとんど残っていない。一部には、米軍から返還された後に公園になる予定のソウル中心部・龍山(ヨンサン)基地の一部をマンション用地として提供すべきだという声がある。ソウル周辺のグリーンベルト(環境保全のための開発制限区域)を指定解除し、マンション用地に回す案も浮上している。 しかし、いずれも環境破壊を招くという声もあって、実現は簡単ではない。このため保守系野党の間では、国費を一部投入し、老朽化が目立つ江南地域の低層マンション群を取り壊して、高層マンションとして再生することを進める案が浮上しているという。 だが、文在寅政権と与党はこの政策には慎重な姿勢を崩さない。与党関係者は「江南地区は富裕層が多い。富裕層は不動産投機で大もうけしているのに、何でさらに助けてやらなければいけないんだ、という理念的な抵抗感があるからだ」と語る。実際、江南地区の低層マンション群には築30年以上といった物件も珍しくないが、うらぶれた外観とは裏腹に、内部に入ってみると、リモデリングして現代の高級マンションと遜色ない造りになっているケースが珍しくない。 ただ、普通に考えれば、やはり規制中心の与党の政策は分が悪い。また、江南地区は「江南左派」と呼ばれるインテリ左翼が多く住むことでも知られる。前回の大統領選挙では、朴槿恵政権の腐敗に絶望し、文在寅氏に投票した人々も少なくない。今回の不動産問題は、若年層に加え、文在寅政権を支持してくれた中間・富裕層の支持離れも引き起こしている』、「やはり規制中心の与党の政策は分が悪い」、政策ミスも影響しているようだ。
・『「与大野小」の状況で  では、今なぜ文在寅政権はこうした支持率の低下に直面しながら、歴代の政権が取ってきた「日本叩き」の姿勢を強めないのだろうか。 理由の一つは、文政権にとっての「日本叩き」は、日本の経済支援をバックに政権を維持してきた保守勢力を批判するための道具である、という事情がある。 文在寅政権は従来、対日関係を含む外交にほとんど関心の無い政権と言われてきた。関心があるのは、保守との政治闘争と南北関係だけだった。文在寅政権が日本を批判するのは、もっぱら「日本や米国の支持を背景に政権を維持してきた保守勢力」を批判する文脈で使われることが多かったのだ。 文大統領が2019年3月1日、日本統治下の朝鮮半島で1919年に起きた「3・1独立運動」から100年を記念したソウルでの式典で、「親日残滓の清算はあまりに長く先送りされた宿題だ」と語ったのがその典型だった。韓国でいう「親日」とは、日本の統治に積極的に協力した人たちを指す言葉だ。言葉だけ見れば、日本を批判しているように見えるが、実際は「保守叩き」に日本を使っていただけのことだった。 今回、支持率で保守系野党の後塵を拝したとはいえ、国会をみれば、4月の総選挙で与党は大勝しており、全議席の6割を占める「与大野小」の状況である。「共に民主党」には、野党に目配りする動機はまだ薄い。 韓国大統領府の盧英敏(ノ・ヨンミン)秘書室長らは8月7日、「政治責任を取る」として辞表を提出。文大統領は10日、大統領府の新たな政務首席秘書官に「共に民主党」の崔宰誠(チェ・ジェソン)前議員を指名するなど、首席秘書官3人の交代を決めた。これも韓国政界では、文政権は野党が眼中にないことの証拠だと受け止められている。政界関係筋の1人は「崔前議員は、政治的妥協よりも対決を好む政治スタイルで知られる。保守勢力と妥協する必要に迫られていたら、あり得ない人事だった」と語る』、議会での多数派確保で、「保守勢力と妥協する必要」はないのだろう。
・『任期末までの1年半をどう乗り切るか  文政権は今、支持率の繫ぎ留め策として、日本叩きカードは使わず、もっぱら人事を駆使したテコ入れを目指している。上述した大統領府人事や、韓国法務省が今月発表した検事長クラスの検察幹部26人の人事では、「湖南(ホナム)サラム=共に民主党の強固な地盤である半島西部の全羅道(チョルラド)出身者」が多く含まれているからだ。 新たな国家情報院長に就任した朴智元(パク・チウォン)前議員も、全羅道を根拠地とする政界の大物だ。別の韓国政界関係筋は、「湖南エリートたちは、文政権が完全に自分たちの味方だと信じている。政権末期に湖南と衝突して支持率が10%台まで落ちた盧武鉉(ノ・ムヒョン)政権のような失敗は繰り返さないだろう」と語る。 もちろん「今は、自分たちの勢力の立て直しで精いっぱいで、保守との対決など考えている余裕はない」と語る与党関係者もいるが、いずれにしても、文在寅大統領の頭の中には日本は入っていないというのが共通の見方のようだ。 2022年5月の、文在寅大統領の任期末まであと1年半。任期が残り1年を切ればレイムダックに陥るのが、韓国の歴代政権がたどってきた道だった。 日本製鉄(旧新日鉄住金)は今月、韓国司法が差し押さえた韓国内資産の現金化を阻止するための即時抗告を行ったが、それも年末ぐらいまでの時間稼ぎにとどまるだろう。現金化が実現し、日韓が報復合戦に踏み切るころ、文在寅政権はどうなっているのだろうか』、「文在寅大統領の任期末まであと1年半。任期が残り1年を切ればレイムダックに陥る」、残された期間は意外に短いようだ。

第二に、9月29日付けダイヤモンド・オンラインが掲載した元・在韓国特命全権大使の武藤正敏氏による「韓国文大統領は米韓同盟が邪魔なのか?「南北終戦宣言」を元駐韓大使が解説」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/249842
・『文在寅大統領が米国と相談なく国連演説で南北終戦宣言に言及  文在寅大統領は9月22日、テレビ会議形式で開かれた国連一般演説で、南北終戦宣言を提案した。 終戦宣言を提案したのは今回が初めてではなく、北朝鮮もいったんは合意していたが、南北関係が緊張すると、同宣言には見向きもしなくなった。これを再度よみがえらせようとするのが今回の演説であり、その関連部分は次の通り。 「今年は朝鮮戦争が勃発して70年になる年」であり、「もう朝鮮半島では戦争は完全に、そして永久的に収束されなければならない」「朝鮮半島の平和は北東アジアの平和を保障して世界秩序の変化に肯定的に作用するだろう」「その始まりが終息宣言だ」「国際社会の支持と協力が続けば朝鮮半島の非核化と恒久的平和が実現できると、変わりなく信じる」』、「終戦宣言を提案したのは今回が初めてではなく」、とは初めて知った。
・『終結宣言は米国と事前調整がない文在寅大統領の独り相撲  中央日報によれば、文大統領のこうした国連演説に対して、韓国政府筋は「文大統領の終戦宣言提案は(朝鮮戦争の休戦協定の当事者である米国と)事前の調整がなかった」と語ったようである。 同紙は社説で、「非核化に向かった有意義な措置がないまま終戦宣言を締結すれば、致命的な安保空白を招きかねない。終戦宣言を結べば、北朝鮮にとって在韓米軍の撤収を主張する名分になる。1950年の北朝鮮の侵略で韓国を守るため作られたのが国連司令部であるが、その存立の根拠もなくなる」として懸念を表明している。 米国の反応は厳しいものがある。 かつてホワイトハウス安全保障会議で補佐官を務めたマイケル・グリーン戦略国際問題研究所(CSIS)上級副所長は、「韓国大統領が国連で米国議会や政府の立場とこれほど一致しない演説をするのをほぼ見たことがない」「平和を宣布することで、そのように(朝鮮半島平和の実現)できるわけではない」と強い口調で批判した。 米国務省報道官は「我々は北朝鮮に対し、統一された対応を行うため緊密に調整している」として即答を避けた。逆説的にこれは文発言に対する不満の表明とも取れるものとみられている』、「終結宣言は米国と事前調整がない」、「米国」は苦々しく思っているのだろう。
・『韓国ペースで南北関係の実績を作り米国を動かすのが狙いか  米韓共同で北朝鮮に対処するというのがこれまで韓国政府のやり方であった。 しかし、文政権になってから、特に最近の動きを見ると、新しい方針を確定する前に米国の意向を尊重するよりも、韓国のペースでまず南北協力を進めて実績を作り、米国をこれに引きずり込む方針に徐々に転換しつつあるように思われる。 これは北朝鮮の非核化を優先し、それに応じて北朝鮮を支援していくという国際社会の方針とは一線を画すものであり、北朝鮮にいいとこ取りをさせかねない危険な行動である。 しかし、韓国の行動がこれまで実を結ばなかったのは、北朝鮮が韓国に対し反発しているからである。北朝鮮が韓国の提案を受け入れるようになれば、朝鮮半島の構図が大きく変わりかねない危険性をはらんでいる。 文大統領にとって終戦宣言は、2017年7月のベルリン宣言など、朝鮮半島の平和プロセスの出発点だ。2018年4月の第1回南北首脳会談で「停戦協定65周年となる今年、終戦を宣言して停戦協定を平和協定に切り替えることを積極的に推進したい」と合意した。 しかし、米国は北朝鮮の核申告を終戦宣言の条件に掲げたため、こうした試みは失敗に終わっている。 韓国は今回、米国との協議なく、非核化の条件のない終戦宣言を提案したという訳である。魏聖洛(ウィ・ソンナク)元朝鮮半島平和交渉本部長は、「これを本当に推進しようとすれば、条件付きに変えられないよう事前に米国を説得すべきだった」と述べたが、こうした調整なしに動くのが文政権のやり方でもある』、「韓国の行動がこれまで実を結ばなかったのは、北朝鮮が韓国に対し反発しているからである。北朝鮮が韓国の提案を受け入れるようになれば、朝鮮半島の構図が大きく変わりかねない危険性をはらんでいる」、恐ろしいことだ。「こうした調整なしに動くのが文政権のやり方でもある」、困ったものだ。
・『文在寅大統領の南北関係閣僚人事は単独でも「協力実行の決意」の表れ  李仁栄(イ・イニョン)統一相は7日、統一省主催の「朝鮮半島国際平和フォーラムで挨拶し、「南北は互恵的な協力を通じて一つの共同体として生きられる可能性を示すことになるだろう」とし、「朝鮮半島平和プロセスの進展と非核化を巡る朝米対話の大きな流れも引き寄せることができると信じている」と語った。 李統一相は「『小さな企画』を通じて人道協力と交流協力を再開し、再び南北対話を始め、約束したものを一つずつ履行していきたい」「これが保健医療、共同防疫、気候環境などの生活の問題から共生と平和の窓口を見いだせる実質的な協力になる」との認識を表明した。 さらに「南北が主導して国際社会と協力し、完全かつ検証可能で不可逆的な平和時代を切り開かなければならない」と述べた。 これは、対北朝鮮政策を米国と調整しながら進めるよりもまず南北で進め、これに米国も引きずり込むことを念頭に置いた発言であろう。 李統一相は16日、板門店を訪問し、「2017年、朝鮮半島で戦争が取り沙汰された一触即発の状況に比べると、今は軍事的緊張が緩和し、国民が平和を体感できる状況になった」「南北首脳の歴史的決断は高く評価されるべきだ」「軍事的な対立を防ぐ装置として平壌共同宣言と南北軍事合意が重要な機能を果たした」と述べた。  李統一相は、最近の北朝鮮による反発は、韓国がこの合意に基づく協力をないがしろにしているとの不満があるとみている。その元凶となっているのが、南北間の協力問題を扱う米韓ワーキンググループであり、この協議体をバイパスして北朝鮮と協力していこうと模索している。これが平壌共同宣言に戻る道であり、従って、李統一相の言動は文在寅大統領の意向を反映したものでもあろう。 文在寅大統領は、北朝鮮が南北共同連絡事務所を爆破した後、7月3日に外交安保チームを再編したが、そこで任命された統一相長官、国家情報院長、国家安全保障室長、外交安保特別補佐官は、いずれも北朝鮮と親しい活動をしてきた人々である。 こうした閣僚等を従え文政権が目指すのは一層北朝鮮に寄り添った姿勢であり、金正恩氏へのご機嫌取り政策になるだろう』、「文政権が目指すのは一層北朝鮮に寄り添った姿勢であり、金正恩氏へのご機嫌取り政策になるだろう」、やれやれだ。
・『文在寅大統領はなぜ今終戦宣言が必要なのか  19日は、文在寅大統領と北朝鮮の金正恩国務委員長が平壌で首脳会談を行い「平壌共同宣言」に署名してから丸2年となる記念日である。 しかし、当時の南北融和ムードはすっかり消え、文大統領は停滞する南北関係の再活性化に焦っている。 文大統領の任期は残り2年を切った。また、米朝首脳会談に応じたトランプ大統領は11月に大統領選挙を控え、今後の米朝会談にも不透明感が漂っている。 そこで、文大統領は新しい閣僚と共に、南北関係改善の最後のカードを切ったのではないだろうか』、「停滞する南北関係の再活性化に焦っている」、焦ってやる場合には、上手くいかないのが通例だが、この場合はどうなるのだろう。
・『北朝鮮への協力は保健など人道分野から  国連の一般討論演説で、文大統領は「ポストコロナの朝鮮半島問題も、包容性を強化した国際協力の観点から考えることを期待する」と述べた。 その中で防疫協力体関連部分は、「さまざまな国が共に生命を守り安全を保障する協力体は、北朝鮮が国際社会との多者間協力で安保を保証される土台となるだろう」と強調した。 韓国の情報機関・国家情報院のシンクタンク、国家安保戦略研究院は17日の報告書で、北朝鮮経済について、制裁、新型コロナウイルス、水害の三重苦により防疫・産業・財政・市場が同時に崩壊または混乱に陥る「パーフェクトストーム(未曽有の大嵐)」に至る可能性が高まっているとの見方を示した。 そのため、人道的危機が安全保障の危機へとつながらないよう大規模な支援プログラムを速やかに実施する必要があるとした。また、人道支援のための物資輸送、金融取引などについては一時的に制裁の猶予を検討する必要があると指摘した。 本来こうした提案は北朝鮮にとってありがたいはずである。しかし、北朝鮮がこれに応じる可能性はそれほど高くないだろう。北朝鮮は何度も談話を通じて文在寅政権に露骨な非難を繰り返しているばかりでなく、南北協力の象徴である、開城の共同連絡事務所を爆破している。 北朝鮮の立場からすれば、そもそも北朝鮮の苦境は経済制裁からきており、保健分野の協力は末梢的な分野であって、これだけでは喜べないということであろう。 ただ、最近明らかになった南北首脳の親書の交換や、韓国人射殺と焼却の意図や金正恩氏が何を考えているのかはもう少し分析してみる必要はあるかもしれない。 また、文政権の提案は周辺国との調整も行っておらず、周辺各国の協力も見通せない。北朝鮮が非核化に前向きな姿勢を示さない限り、しかも北朝鮮が保健分野への協力に積極的姿勢を見せない限り、これに協力する国はほとんど見当たらないのではないか。 この提案は文在寅大統領の独り相撲で終わるのか。北朝鮮の対応によって文政権は追い詰められている。これを打開するため、ますます北朝鮮にすり寄っていくのだろうか。米国の意向を無視し、北朝鮮の歓心を買おうとすれば、北朝鮮に対する制裁のなし崩し的な違反になることが懸念される。 いずれにせよ、文在寅政権の対北朝鮮政策は北朝鮮の非核化への障害とならないよう望みたいものである』、同感である。
・『日米韓防衛相会談に韓国国防相が姿を見せなかった訳  今年の春ごろまで、日米韓防衛相会談に積極的だったのは韓国だそうである。5月ごろから日米両国に働きかけていたという。 米国も東シナ海、南シナ海で中国の活動が活発になったほか、香港の民主化問題、新型コロナウイルスの中国からの拡散問題、中国の技術覇権挑戦問題などで米中の対立が激しくなったことから、この動きを歓迎して調整を進めていた。そこに新型コロナウイルスの影響で人的往来が制限されたことから調整が難航していた。 そうした中、米国は8月29日にグアムで会談することを提案したが、韓国は鄭景斗(チョン・ギョンドゥ)国防相の参加は困難だと回答してきた。8月に韓国で米韓合同軍事演習が行われること、国防相交代の人事が行われることが理由である。 しかし、米韓合同軍事演習は前日の28日までだし、国防相が必ずしも韓国にいる必要はない。また、文大統領は28日に後任の国防相を指名したが、鄭国防相は国会の聴聞会が終わるまで現職である。 韓国が防衛相会談に不参加を表明したのは、南北共同連絡事務所を破壊した北朝鮮を刺激したくなかったことと米中間でうまく立ち回りたい文政権の意向が反映されているとの見方が強い。 こうした中、米国は日程の再調整は行わず、日米だけで会談を行うことに踏み切った。これまで日米韓が連携して北朝鮮問題に立ち向かってきたにもかかわらず、この重要な局面で日米韓防衛相会談を欠席することの重要性を理解しているのか。 また、米中対立で、欧州、オーストラリアも中国との距離を置こうとしている中、米中の間でうまく立ち回るというのは何を意味するのか文政権は理解しているのであろうか。米国が重視するインド太平洋戦略の中で韓国の影は薄くなるばかりである』、「日米韓防衛相会談」に「韓国」が参加しなかったというのは、象徴的だ。「インド太平洋戦略」はもともと「中国」封じ込めのためのもので、韓国は消極的だ。
・『韓国は米国とは距離を置き同盟関係を置き去りにする  文政権は米国が韓国抜きで日米だけの防衛相会談に踏み切った意味を改めて考える必要がある。 韓国の李秀赫(イ・スヒョク)駐米大使は「今や韓国は米中の間で選択を強要されるのではなく、選択できる国」と発言したそうである。 この発言を米国はどう受け止めたであろうか。米国が韓国に対し中国との関係で厳しい要求を突き付けてくれば「中国を選択する余地もある」との趣旨に聞こえたのではないだろうか。 また、韓米同盟がいつの間にか南北関係改善の足かせのような扱いを受けるようになってきている。文政権は、自由民主主義という価値を共有してきた米国と離れ、中国や北朝鮮にすり寄っている。米韓同盟は韓国の安全保障の基盤であることを今一度かみしめる必要があるだろう』、同感である。

第三に、10月30日付けJBPressが掲載した先の記事と同じ武藤 正敏氏による「WTO事務局長選で劣勢の韓国「日本がネガキャン」 次々と毀損していく国益、韓国に回ってきた反日政策の「ツケ」」を紹介しよう。
https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/62711
・『EU27カ国がWTO事務局長選挙で、韓国の兪明希(ユ・ミョンヒ)産業通商資源部通商交渉本部長ではなく、ナイジェリアのヌゴジ・オコンジョイウェアラ元財務相を支持することで合意したとの報道が流れている。 これに関し韓国では、「選挙終盤に日本が韓国に対する『ネガティブキャンペーン(落選運動)』に乗り出し、形成が不利になってきている」との憶測が出ている。そして外交関係者の間では「(韓国)政府が韓日関係を管理さえしていれば、このような状況にはならなかっただろう」という声が上がっているそうである。 韓国は、日本に関することとなると過剰なまでに反応する。日本と韓国の国力の格差があった頃は、日本人はまだ韓国の言動を大目に見る傾向にあったが、今は日本人がこうした韓国の反応に忍耐力をなくしている。そうした要因が相まって日韓関係は過去にないほど険悪になっている。 そこに加えて、韓国は「菅政権になってからの日本の対韓姿勢も冷めたものとなっている」と受け止めている。そのため韓国の反日的行動はますます強まるだろうし、そのことは日本からの反発を招くことになる。いったい韓国は、日韓関係をどこまで悪くするつもりなのだろうか』、「菅政権」の冷淡な姿勢にも問題があると思う。
・『菅総理の所信表明で韓国への言及はわずか2行  韓国の「中央日報」は、10月26日に行われた菅義偉総理の所信表明演説について、「初めて国会演説をした菅首相、安倍氏よりもひどかった・・・韓国への言及はたったの2行」と題する記事を掲載している。その記事では「韓国は極めて重要な隣国」「健全な日韓関係に戻すべく、わが国の一貫した立場に基づいて、適切な対応を強く求めていく」と述べたと紹介している。 この発言に関し中央日報は、「『適切な対応は』は、韓国が司法府の賠償判決を覆すか、これに準ずる前向きな態度を先制的に見せるべきという意味だ」、「韓国の態度変化を『強く求める』ということだ」と解説している。その指摘は、実に的を射ていると評するべきだろう。 さらに同紙は、韓国関係部分は「外交安保領域の最後で、たった2行」で触れたのみであり、「『極めて重要な隣国』と韓国を表現したことも、安倍前首相が今年1月の国会演説で韓国を『基本的価値と戦略的利益を共有する最も重要な隣国』と表現したことに比べると、むしろ後退したという評価だ」としている。 そして、この演説を巡り、「韓日関係は安倍政権時よりも悪化するのではないかという予想も出てきた」と論評したばかりか、時事通信によって、菅政権は「全体として同国(=韓国)に冷淡な印象となった」と伝えられた事実にも触れている。 所信表明演説における菅総理の言葉は、簡潔に日韓関係の本質を表していると思う。 「韓国は極めて重要な隣国」である。だからこれまで日韓関係が悪化した時には、これをこじれないように修復するため、日本は相当な譲歩を重ねてきたのである。しかし、今回の問題は、日韓請求権協定で合意した取り決めを韓国が一方的に覆し、国際法に違反する状態を作ったことに原因がある。これを修復するためには、韓国が適切な措置をとる以外にない。 これまで韓国側から様々な解決案を提示されてきたが、一度として日本側が受け入れ可能な案は提示されて来なかった。この問題の解決策となり得るのは、韓国が国際法違反の状況をいかに解決するかであり、韓国側が適切な措置をとることである。これは問題の本質である。 中央日報は、日本側の立場を適切に分析しているが、「国際法違反の状態を是正する適切な措置をとるべき」とまでは論じていない。おそらく、そのような立場をとれば国内で「親日」とのバッシングを受けることになるから、そこまで踏み込むことは不可能なのであろう。それでも、菅演説から日本側の立場を理解した解説を載せたことは、一歩前進なのかもしれない。 ただ、それにしても日韓関係の一層の悪化を予言し、その責任を菅総理の立場に押し付けるのは妥当ではない。関係悪化は、文在寅政権が元徴用工の問題で請求権協定に反する行動を取ったからである。韓国の一方的な論理で反日的態度をとり、それを当然視するツケが回ってきたということである』、「今回の問題は、日韓請求権協定で合意した取り決めを・・・」といった考え方の部分は、「所信表明」のなかでも簡単に触れるべきだったと思う。あえて「韓国への言及はわずか2行」と冷淡にするのも分からないでもないが、言うべきことはハッキリ言っておくことが必要なのではなかろうか。
・『菅政権にとり文在寅政権は優先度が低い相手  中央日報はまた、菅総理の就任直後、「韓国が菅義偉首相との電話会談を真っ先に提案したが、日本政府が意図的に韓国の順序を後回しにしたという主張が出てきた」と報じている。さらに産経新聞の報道を受ける形で、「日本政府が文大統領との電話会談の順序を後回しにしたことには、菅首相の意向もあった」と伝えている。 ある国で新たな大統領や首相が誕生した場合、多くの場合、新たに就任した方から国交の深い国の指導者に会談を申し入れるものである。それが国際儀礼に従ったやり方であろう。しかし今回の日韓首脳電話会談について、日本から申し入れではなく、韓国から申し入れて実現したということになると、日本側が文在寅氏との電話会談に熱心でなかった、と解釈されてもやむを得まい。 もちろん日韓が価値観を共有し、東アジアの安全保障に協力していく国であれば、真っ先に電話会談を行っていたであろう。しかし、今の韓国は米韓同盟からも徐々に遠ざかり、日本に対しては、日韓請求権協定に違反し日韓関係の基本を踏みにじっている。そればかりか、日本について一方的な決めつけで悪者にし、非難を繰り返している。日本から見て、このような韓国とは協力の優先順位が下がるのは当然であろう。 韓国は、日本を悪者扱いすることが多い。しかし、日本も韓国もそれぞれ独立した外国である。歴史問題を持ち出していつまでも日本非難、反日を繰り返していれば日本人の気持ちは韓国から離れていかざるを得ない。いつまでも非難を繰り返す国と友好関係を結んだ国の例はついぞ聞いたことがない。 いつまでも日本が譲歩することを前提とした日本非難・反日を繰り返すことは、韓国の国益を損なうものである。それは、WTO事務局長選でも、後述する日中韓サミットを巡る問題でも見て取れるだろう』、「菅政権にとり文在寅政権は優先度が低い相手」、は当然としても、「日本政府が意図的に韓国の順序を後回しにした」、というのはやり過ぎなのではなかろうか。
・『開催危ぶまれる韓国で予定の日中韓サミット  10月29日に滝崎成樹アジア大洋州局長が韓国を訪問し、局長級会談が開かれると報じられている。日本は元朝鮮半島出身労働者(元徴用工)に関連し、韓国が日本企業の資産売却を行わないことを約束しなければ、韓国が求めている日中韓首脳会談のための菅総理の韓国訪問はないと韓国側に伝えているといわれる。 NHKは、滝崎局長は今回の会談において「(徴用工問題)で韓国が適切な対応を取らなければ、菅総理は訪問に応じられないとする立場を伝えるものとみられる」と報じている。 韓国が適切な措置を取らなければ総理の訪韓がないのは、最悪の事態を避ける意味でも妥当なことである。なぜなら、今の韓国であれば、総理の訪韓後に日本企業の資産を現金化しかねないからだ。韓国は菅総理が訪韓すれば、「日本が韓国に対し極端な対応をやめ、譲歩してきた」と受け止めかねない国である。その機をうかがって資産の現金化をやりかねない。 もちろん、そんな事態になれば日本国民から猛烈な反発が起こるのは必至だ。そして菅総理に対しても強い批判が沸き上がるだろう。日本による対韓報復措置はより厳しいものにならざるを得ない。 菅総理が韓国を訪問するときには日韓関係を改善させることが求められる。しかし、資産の現金化が行われれば、それは逆効果であり、日韓関係にとって最も悪いシナリオとなってしまう。そのリスクを考えれば、「資産の現金化をしない」との確約なしに菅総理が韓国を訪問するのはあり得ない選択となる。 ところが韓国の反日行動は、自制が効かず、感情に任せてやることが多い。「日本はかつて韓国を併合し、韓国に迷惑をかけたのであるから、多少のことであれば許される」と思い込んでいるように思われる。あるいは、中国や北朝鮮に対して我慢している不満を、日本にぶつけてうっぷんを晴らしているのではないかとさえ思われる。 実際には、韓国は日本と協力することで、これまで国連での活動の場を広げ、国際的なプレゼンスも高めてきた。なのに、現在のような反日行動を続けていたら、今後の韓国の外交力をどうなるのであろうかと心配になるほどだ』、「外交力」では「韓国」は「日本」を大きく上回っているのではなかろうか。批判を受けつつも国連事務総長職をこなしたのは大したものだ。慰安婦問題を米国の自治体に売り込み、効果を上げたのも記憶に新しいところだ。
・『WTO事務局長選で文在寅大統領が各国に異例の支援要請  そこで改めて考えたいのが、WTOの事務局長選である。 文在寅大統領は、この4カ月の間に、14回の電話会談、73カ国への親書で、韓国の兪明希・産業通商資源部通商交渉本部長への支持を要請した。首脳会談が行われる機会に自国から国際機関の長への立候補している人物への支持を要請するのは一般的に行われていることだが、それだけのために電話や親書の発出を行うという異例な熱の入れようだ。 選挙の序盤において劣勢だった兪明希氏は、青瓦台の全面的支援に支えられ、最終決戦に進出した。ところが、選挙戦の終盤になり再び劣勢が伝えられている。「朝鮮日報」によれば、「WTOで影響力が強い日本が最近になって『兪明希反対運動』を展開、雰囲気が変わったと伝えられている」のだという。 同紙はこれまでの取材を総合し、「日本はオコンジョイウェアラ氏についても親中性向を持っており、必ずしも好ましいと思っていない」としている。 「菅内閣は、兪明希氏が次期WTO事務局長になることは日本の世論と国益に良くないと判断したとみられる。兪明希氏は、徴用賠償判決に対する報復措置として日本が昨年、輸出規制を実施すると、これをWTOに提訴する責任者となった。このため、同氏がWTOのトップになることを容認してはならない、という論理だ。兪明希氏が当選すれば、輸出規制訴訟はもちろん、ほかの紛争解決手続きでも日本が不利な状況に置かれる可能性があるとの判断も作用したという」 「日本の外務省は今回のWTO事務局長選挙戦で重要な変数になるヨーロッパや中南米、アジア諸国に対して、兪明希氏を支持しないでほしいと要請していたことが分かった」 さらに朝鮮日報は別の記事で、日本の立場が「今回のEUの支持候補決定にも一部影響を及ぼしたとの分析がある」と伝えている。あくまで兪氏の劣勢は、日本によるネガティブキャンペーンのせいだとしたいようだ。しかし、FTやブルームバーグの報道によれば、EUがオコンジョイウェアラ氏を支持するのはアフリカとの関係強化を希望し、彼女が幅広い経験を持っているためである、という理由のようだ。 ことほど左様に、韓国では日本の影響力を過大評価する傾向にあり、また日本に対しては性善説ではなく性悪説で見る傾向がある。それが、朝鮮日報と外信の見方の違いに表れているのだろう。) では、日本のメディアはどう報じているのか。共同通信は、日本はオコンジョイウェアラ氏支持を決定した、と報じているが、実際にはどの国でも、公式的には国際機関の投票態度は外交上の理由から明らかにされていない。また、日本から候補者が出ているのならばともかく、韓国候補の落選運動を積極的にやっているかについては疑問だ』、「あくまで兪氏の劣勢は、日本によるネガティブキャンペーンのせいだとしたいようだ」、外交力がない日本にそんな芸当が出来るとは到底思えないが、事情の分からない韓国国内向けなので、しょうがない。
・『「大々的な反日・不買運動のツケが来た」  いずれにせよ、WTO事務局長選挙は164カ国の支持率調査を経たのち、この結果に基づき合意を導き出す方式だ。事務局長は加盟国による全会一致で決定されるため、支持率の高い候補が必ずしも当選するわけではないが、一人の候補が圧倒的な支持を集めた場合には、WTOは支持率の低い候補に辞退を勧告することができる。 実際、10月29日付の中央日報に寄れば、「局長選出過程を主管しているデービッド・ウォーカーWTO一般理事会議長は28日夜、兪氏に『ナイジェリアのヌゴジ・オコンジョイウェアラ氏が選好度調査で多くの得票があり、オコンジョイウェアラ氏を推戴することにした』と公式通知した」という。これが事実上の辞退勧告だ。 だが、兪氏の劣勢が明らかになっても、韓国は最後まであきらめず、アメリカなどの支持を取り付けて逆転勝利を狙う構えを崩さない方針のようだ。 国内で支持率が下落している文在寅大統領にとって、WTO事務局長選挙で日本を押しのけての勝利という実績は、支持率回復のためにも是が非でもほしいものだ。一方で元外交部の幹部は朝鮮日報に対して「予想に反して(兪明希氏を)最終投票まで進出させたのは鼓舞的だが、日本のヴィートー(veto=拒否)で当選できなければ、対日外交責任論が浮上するだろう」と述べている。 政府周辺でも「昨年、与党が大々的な反日・不買運動の先頭に立ったのが痛い」との声も上がっているそうである。 このため、兪氏が落選した場合には、しばらく小康状態だった政府の対日強硬路線が復活するだろうとの見通しも伝えている。 だが29日の報道によれば、WTOのメンバー国164カ国のうち、104カ国がオコンジョイウェアラ氏を支持を表明しており、60カ国の支持にとどまる兪氏が逆転するのは極めて難しいと言える。 今韓国は、福島第一原発の汚染処理水の海洋放出についても激しく日本に食って掛かっている。東日本大震災の後の2011年5月、日中韓首脳会談を日本で開催したが、その際、当時の韓国の李明博大統領は、日本の要請に快諾し福島視察を受け入れてくれた。そればかりか、福島での農産物の試食にも応じてくれた。この時、中国の温家宝首相(当時)は消極的であったが、李大統領にならいしぶしぶ応じてくれた。その後、竹島に上陸するなど、反日的な姿勢を急速に強めていった李明博大統領も、この頃までは日本と協力関係を作り上げていこうという態度で接してくれていた。 日本に対し理性的に接してくれる韓国であれば、日本の対応は全く違ったものになるだろう。しかし現在の韓国は、日本に対して感情的、非理性的な態度が過ぎる。日本を性悪説ではなく客観的に、現実的に判断してくれる韓国となることを願っている。それが韓国にとっても国益につながるものである』、同感である。
タグ:文在寅大統領が米国と相談なく国連演説で南北終戦宣言に言及 「WTO事務局長選で劣勢の韓国「日本がネガキャン」 次々と毀損していく国益、韓国に回ってきた反日政策の「ツケ」」 WTO事務局長選で文在寅大統領が各国に異例の支援要請 現在の韓国は、日本に対して感情的、非理性的な態度が過ぎる。日本を性悪説ではなく客観的に、現実的に判断してくれる韓国となることを願っている。それが韓国にとっても国益につながるものである 韓国は米国とは距離を置き同盟関係を置き去りにする 文政権が目指すのは一層北朝鮮に寄り添った姿勢であり、金正恩氏へのご機嫌取り政策になるだろう (文在寅大統領) もう一生、家なんて買えない 「不動産価格の高騰」が「支持率下落」の主因 日米韓防衛相会談に韓国国防相が姿を見せなかった訳 韓国ペースで南北関係の実績を作り米国を動かすのが狙いか 武藤正敏 文在寅大統領の任期末まであと1年半。任期が残り1年を切ればレイムダックに陥る 菅総理の所信表明で韓国への言及はわずか2行 やはり規制中心の与党の政策は分が悪い 「与大野小」の状況で こうした調整なしに動くのが文政権のやり方でもある 「外交力」では「韓国」は「日本」を大きく上回っているのではなかろうか ダイヤモンド・オンライン 「韓国文大統領は米韓同盟が邪魔なのか?「南北終戦宣言」を元駐韓大使が解説」 武藤 正敏 開催危ぶまれる韓国で予定の日中韓サミット 韓国の行動がこれまで実を結ばなかったのは、北朝鮮が韓国に対し反発しているからである。北朝鮮が韓国の提案を受け入れるようになれば、朝鮮半島の構図が大きく変わりかねない危険性をはらんでいる 停滞する南北関係の再活性化に焦っている JBPRESS 中間・富裕層の支持離れ 「日米韓防衛相会談」に「韓国」が参加しなかったというのは、象徴的だ 任期末までの1年半をどう乗り切るか 「大々的な反日・不買運動のツケが来た」 文在寅大統領はなぜ今終戦宣言が必要なのか 与野党「支持率逆転」の衝撃 意外にも「日本批判」を展開せず 文在寅大統領の南北関係閣僚人事は単独でも「協力実行の決意」の表れ 終結宣言は米国と事前調整がない (その6)(韓国・文在寅大統領、支持率急降下でも「日本叩き」に走らない理由、韓国文大統領は米韓同盟が邪魔なのか?「南北終戦宣言」を元駐韓大使が解説、WTO事務局長選で劣勢の韓国「日本がネガキャン」 次々と毀損していく国益 韓国に回ってきた反日政策の「ツケ」) 現代ビジネス 「韓国・文在寅大統領、支持率急降下でも「日本叩き」に走らない理由」 韓国 北朝鮮への協力は保健など人道分野から 菅政権にとり文在寅政権は優先度が低い相手 終戦宣言を提案したのは今回が初めてではなく 終結宣言は米国と事前調整がない文在寅大統領の独り相撲 日本政府が意図的に韓国の順序を後回しにした
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日韓関係(その12)(日韓が「歴史問題」でわかり合えない根本理由 議論すべきは「歴史の実証」か「歴史認識」か、韓国の大統領・首相からの書簡を「菅義偉首相」が“スルー”した理由、日韓歴史問題解決の切り札は在韓米軍撤退 米有力シンクタンク 国務省見解を代弁する提言) [外交]

日韓関係については、8月14日に取上げた。今日は、(その12)(日韓が「歴史問題」でわかり合えない根本理由 議論すべきは「歴史の実証」か「歴史認識」か、韓国の大統領・首相からの書簡を「菅義偉首相」が“スルー”した理由、日韓歴史問題解決の切り札は在韓米軍撤退 米有力シンクタンク 国務省見解を代弁する提言)である。

先ずは、8月19日付け東洋経済オンラインが掲載した立命館大学グローバル教養学部教授の前川 一郎氏ら4人の気鋭の研究者による座談会「日韓が「歴史問題」でわかり合えない根本理由 議論すべきは「歴史の実証」か「歴史認識」か」を紹介しよう。
・『慰安婦問題や徴用工問題など、日韓間で幾度も繰り返される歴史認識問題。さらには自国に都合よく歴史を捉える歴史修正主義も蔓延している。 これらの歴史問題が炎上する背景には何があるのか。また、アカデミズム、メディア、そして社会は、歴史問題にどう向き合えばよいのか。このたび『教養としての歴史問題』を上梓した、前川一郎、倉橋耕平、呉座勇一、辻田真佐憲の4人の気鋭の研究者による同書の座談会部分を抜粋してお届けする』、興味深そうだ。
・『歴史修正主義が台頭した背景  前川:まず、歴史修正主義の台頭について、あらためて皆さんの認識を伺わせてください。『教養としての歴史問題』ではそれぞれ異なる角度で論じているわけですが、議論の前提には、1990年代以降に歴史修正主義が社会への影響力を強めてきたことに対する危機感がありました。 倉橋:これは歴史学だけの問題ではないと認識しています。歴史修正主義の問題は、歴史学のなかでのイデオロギーの左右対立の問題と捉えられるのが一般的ですが、そもそも左右というラベル自体がわかりづらくなっているという現状があります。 歴史修正主義には、日本人の誇りに関心があるから史実はあまり重視しないという特徴があります。それが社会に一定の影響力を持っているのは、社会に対する不安や不満を持つ人々の心情と親和性があるからだとも考えられます。 つまり、対立軸は左右のイデオロギーだけが問題なのではなく、階層対立だという可能性です。現状を認識するには、左右の対立に覆い隠されてしまっている、本当の対立軸をすくい取るといった視点が必要だと思います。 呉座:同感です。左右では分けられない問題も多いと思います。倉橋さんの論考で、右派とスピリチュアル系の親和性が指摘されていましたが、一方で左派であるエコロジー・環境問題の運動家のなかにもスピリチュアル系と結び付く人がいますよね。 辻田:右左は、ほとんど「これは右」「これは左」と分類するラベルになっていると思います。対立軸のもと整理することで、複雑な現実をすっきりと見えた気にさせてくれるわけです。 ただ、日々の生活に忙しい人々に社会の問題をわかりやすく発信することは必要ですけれども、やりすぎると互いに相手にラベルを貼り合い、敵と味方を作って終わりという不健全な振る舞いになってしまいます。ですから、社会の捉え方をバージョンアップしていくという意識をつねに持たなければいけません。そうすることで、硬直した左右の対立図式を乗り越える道も見えてくるのではないでしょうか。 前川:そもそも左とは何か、右とは何かが曖昧になってきていますね。私が書いた植民地主義や「歴史認識」の問題に関して言うと、植民地主義の歴史を持つ国々では、それを否定すると現体制の正当性まで問われることになりかねないため、国として「歴史認識」を考え直そうということにはなかなかならないわけですが、もしかしたらそうした国の姿勢に対する距離感で左右が分かれるかもしれません。あえて言うならば、国にべったり寄っているのが右派で、批判的な立場が左という感じです。 辻田:前川さんはイギリスがご専門ですが、イギリスにも左右の対立はあるのですか』、「歴史修正主義には、日本人の誇りに関心があるから史実はあまり重視しないという特徴があります。それが社会に一定の影響力を持っているのは、社会に対する不安や不満を持つ人々の心情と親和性があるからだとも考えられます」、「植民地主義の歴史を持つ国々では、それを否定すると現体制の正当性まで問われることになりかねないため、国として「歴史認識」を考え直そうということにはなかなかならないわけですが、もしかしたらそうした国の姿勢に対する距離感で左右が分かれるかもしれません」、なるほど。
・『イギリスの論壇の基本は中道  前川:政治に関しては曖昧ですね。保守党と労働党の二大政党制ですから、保革の対立のような印象があるかもしれませんが、明らかに右を標榜する国民党などを除けば、保守党も労働党も、左右というよりは基本は中道なんです。あえて言えば、保守党は中道右派、労働党は中道左派といったところでしょうか。ですが、保守党のなかにも左寄りの人はいるし、労働党のなかにも右派的な人はいる。ですから、明確な左右の対立は見えにくい。 (前川一郎氏の略歴はリンク先参照) 政治の対立軸は、左右というより、サッチャー改革の是非として表れています。要するに、新自由主義に対する姿勢です。 最近も、「新自由主義の申し子」と言われたボリス・ジョンソンが、自分が新型コロナウイルスに感染して、国民保健サービス(NHS)をサポートする気になったのか、あるいは何かのパフォーマンスか知りませんが、「社会というものがまさに存在する(there really is such a thing as society)」と発言しましたね。これは、知ってのとおり、サッチャーの「社会なんてものはない(there is no such thing as society)」という言葉、つまりは新自由主義哲学の否定になります。ジョンソンの口からそんな言葉が出てきたのは驚きだと、世間の注目を集めたわけです。その真意はつかみかねますが. 一方、イギリスでは、論壇と言っていいかわかりませんが、例えばタブロイドと言われる大衆紙には右の新聞が見られますし、高級紙は『ガーディアン』紙のような左やリベラルを標榜する新聞があります。でも、私の印象では、左右双方に論壇誌があって鋭角に対峙しているという感じではない。政治の話ではないですが、やはり中道なんですよね。 そこで、倉橋さんに伺いたいのですが、社会学的な視点でいうと、そもそも日本では右と左の概念はどのように受け止められているのでしょうか。 倉橋:一般的な定義として知られるものは、右とか右翼と言われるのは、基本的には国家を中心に考える人たちだと言っていいと思います。日本だと天皇を中心に国家を考えます。さらに非常に復古的なイデオロギーです。保守と言うときには、変革には慎重で、過去から現在へと続いてきた秩序を支持する人たちだと言えます。 一方、左派はドラスティックな改革を進め、社会主義や共産主義を標榜する人たちのことをいう場合が多く、リベラルは革新的で社会を変革しながらいい方向を目指す人々と語られます。ですが、もちろん、左右は相対的な概念で、(いま前川さんがイギリスの状況を説明してくださったように)時代や社会によって概念のなかに入れられる要素は異なります。 辻田さんのご指摘どおり、ラベリングに使われることも多く、例えば、歴史修正主義者は、それに反対する人たちをひとくくりにして、共産主義者だとかリベラル勢力だと批判します。フェミニズムに対しても、マルクス主義だ、コミンテルンだ、とレッテルを貼ります。しかし、実際は、歴史修正主義に反対する人たちにも、左翼や共産主義ではない人も大勢いるわけです。こうしたラベリング的な要素がある以上、反対のことは左派による右派批判にも起こりえます。) 辻田:よく指摘されるように、ソ連が崩壊した後、右左の違いがわかりづらくなったという状況があります。日本の論壇には、右左を分かつ思想的な根拠は見いだしにくく、主張のパッケージというか、何か束のようなものがあって、それが“右”“左”と呼ばれている印象です。 例えば、原発は推進で、基本的に自民党を支持し、女性の社会進出や夫婦別姓、ジェンダー問題などには消極的でといった束が右派や保守で、その反対が左派やリベラルであるというような感じになっている。けれど、例えば、原発に関して、右派であるから賛成なのだという思想的な根拠がかならずしもあるわけではない。もっと言えば、右翼とは「反左翼」で、左翼は「反右翼」でしかなくなっているとさえ思います』、「ジョンソン首相」が、NHSを再評価するような発言をしたとは初めて知った。コロナに感染したことが影響したのだろうか。
・『左派が権威、右が挑戦者という嘘の構図  呉座:左右の対立について、〈左派が日本の歴史認識や社会規範を支配しており、右派は庶民に寄り添ってその権威に対抗しているのだ〉という言説が、右派によってしきりに喧伝されています。つまり、左派は押しつけがましい権威主義的なインテリであって、右派は大衆を代表して左派の知的権威に挑戦しているのだ、という構図です。右派が一定の共感と支持を獲得しているのは、この戦略に拠るところが大きい。 (呉座勇一の略歴はリンク先参照) けれど、左派が権威で右派が挑戦者という構図はかならずしも実態に即しておらず、レッテル貼りのようなところがあります。戦後のほとんどの時期において保守勢力が政権を担ってきましたし、現在も保守派の代表と言える人が長期にわたり首相を務めています。霞が関の官僚や一流企業の社員など社会の上層にも右寄りの考え方の人は多い。 にもかかわらず、左が体制側で右が改革者という図式は信じられてしまっています。辻田さんが指摘されている右派が提示する「物語」とも関連すると思いますが、この辺りも、右派は非常に巧妙だと思います。 辻田:いまの日本では、いかに刺激的な記号を配置して、人々の注目を集め、動員や利益につなげるかというゲームがあちこちで展開されています。歴史修正主義の運動も、そういう時代の流れのなかで捉えたほうがわかりやすいかもしれません。 前川:私も歴史修正主義の問題を右派だの左派だのといった次元で捉えることには違和感があります。歴史修正主義者はいろいろと言っていますが、その動機はさまざまであるにせよ、要するに彼らが口にするのは、戦争や植民地主義などが刻印した過去の「不正」について、「モノ言う弱者」と彼らが思い込んでいる人たちからとやかく責め立てられることへの反発やいら立ちです。「本当の対立軸」ということであれば、その1つは「過去の克服」に向き合うか否かということであって、もとより右とか左とかという話ではありません。) 前川:さて、ここからは視点を変えて、「事実と物語」に関する議論に移らせてください。実証主義に基づく歴史学の視点で見れば笑止としか言いようのない歴史修正主義が、これほど社会に浸透してしまったのはなぜか。これを、「歴史学の敗北」という観点から言うとどうなるか。もっとも、このフレーズ、歴史研究者から見ればちょっとショッキングなわけですが……。 それでも、「歴史学の敗北」と言うとき、そこには、歴史修正主義者の問題提起に対して、歴史学の側が自陣に閉じこもってきたという問題があるんだと思います。呉座さんが指摘されたとおりです。この辺りの問題について、皆さんのご意見を伺いたいと思います。 辻田:歴史修正主義の蔓延を無視していると、最終的に、アカデミズムにも悪い影響を与えてしまいます。例えば、「歴史学会は反日勢力に支配されている」という暴論が売れて、与党の政治家などに支持されてしまうと、人文系学部の予算削減などにつながりかねないわけですよね。実際、そうなっている部分もあるのではないでしょうか。 歴史学者が自分たちは社会とは関係ないと思っていても、そう簡単にはいきません。研究をほっぽり出して社会運動をしてくれと言いたいわけではありませんが、そういう認識は必要だと思いますね』、「左派が権威、右が挑戦者という嘘の構図」、よくぞこんな見えすいた「嘘」が通用するものだ。「歴史修正主義の蔓延を無視していると、最終的に、アカデミズムにも悪い影響を与えてしまいます」、その通りだ。
・『日韓歴史共同研究が挫折する理由  倉橋:前川さんが、歴史修正主義の“物語”が社会に広く受け入れられているという現実は、裏を返すと、国民の歴史や物語の意味を問い直しているのだというようなことを指摘されていますが、それは重要な視点だと思います。 (倉橋耕平氏の略歴はリンク先参照) 歴史学は当然のこととして、歴史で何が、なぜ起こったかを実証的に解明しようとしますが、一方で、その歴史をどのように認識するかという評価も大切なはずです。そこの部分を、学問としては非常にずさんな歴史修正主義にうまくかすめ取られてしまっているという感覚があります。 そこで思い出したのは日韓歴史共同研究です。2002年に日韓で共通の歴史教科書を作ることを目指した日韓歴史共同研究が開始されましたが、結局挫折しました。政治学者の木村幹さんによると、その原因は議論すべき事柄について共通認識が得られなかったからだそうです。つまり、議論すべきは、歴史の実証なのか、歴史認識かという違いです。 歴史認識問題は、戦後私たちが「過去」をどのように議論したり、理解したりしてきたか、に関わる問題であって、歴史学は日韓双方でこの向き合い方が異なったわけです。他方、歴史修正主義は「過去」をどのように議論するかという点に「国民の物語」をすっぽり入れられた。それは実証主義でなくてもよいわけですね、向き合い方なので。ここにも同じ構造がありました。 呉座:よく指摘されていることですけど、ソ連の崩壊によって、マルクス主義の権威が失墜したことで、歴史学は「世界史の基本法則」というグランドセオリーを失ってしまいました。そのため、歴史学は実証主義にアイデンティティーを求めるようになったという問題があります。 日韓歴史共同研究がかみ合わなかったことには、そうした背景があるのだと思います。韓国側に植民地主義を清算するという歴史認識問題が軸にあるのに対し、日本側にはとくに軸はないので実証的に研究するという意識が前面に出る。目的意識が違うので議論がすれ違ってしまう。 一例を挙げますと、日韓併合は韓国側から見れば一片の正当性もない侵略ですが、日本側は道義的には問題があったけれども当時の国際法では合法でした、という論理を組み立てるわけです。韓国側には詭弁に聞こえるのでしょうが、実証主義に立脚した場合は間違っているとは言えない。植民地統治にしても、日本側はイデオロギー的評価を脇に置いて実態を見ていこうというスタンスなので、収奪一色ではなく近代化が進んだ面もある、と指摘したりする。植民地支配を肯定しているわけではありませんが、韓国側にはそう映ることもある。 そういう意味で、日本の歴史学は、物語というか、歴史を概観する大きな見取り図を描けなくなって、日本の歴史はこうだったと、積極的に市民や社会に示すものがなくなってしまったために、どんどん内向きになって、実証主義の職人として学会でアピールするしかなくなっているという問題があると思います。かと言って、実証主義を軽視してしまっては、歴史修正主義と差別化できなくなるので、なかなか悩ましい』、「日韓歴史共同研究」、は始める前から私は失敗すると予想していたが、その通りになったのは当然である。「日本の歴史学は、物語というか、歴史を概観する大きな見取り図を描けなくなって、日本の歴史はこうだったと、積極的に市民や社会に示すものがなくなってしまったために、どんどん内向きになって、実証主義の職人として学会でアピールするしかなくなっているという問題がある」、その通りなのだろう。
・『なぜ「新しい物語」が必要なのか  前川:辻田さんは「新しい物語」が必要だと指摘されていますが、いかがですか。 辻田:市場では歴史に強い需要があって、本も売れますし、テレビ番組もよく見られます。 (辻田真佐憲氏の略歴はリンク先参照) とはいえ、そこで求められているのはかならずしも学知そのものではないわけです。そのため、ある種の「翻訳」をしなければいけないのですが、呉座さんがおっしゃったような事情もあり、それがうまく機能していませんでした。 歴史修正主義者は、その虚をついたところもあったのではないでしょうか。学知だけではなく、それをベースにしたより「まともな」物語が必要だと述べた理由もここにあります。 前川:市場や商業主義に関しては倉橋さんが社会の問題として議論されています。 いきなり大きな質問からになりますが、結局のところ、社会は学知に何を求めているのでしょうか。つまり、社会における知とは何なのでしょうか。そもそも、社会は専門知を必要としているのでしょうか。 倉橋:非常に難しい問題ですけど、もちろん、専門知は社会にとって必要不可欠だと思います。けれど、専門知に対する評価は非常に低くなり、信頼されなくなっているという現状があるのも事実です。その辺りは、トム・ニコルズというアメリカの研究者が深く分析し、一般向けの著書を出版し、専門知が軽んじられる状況を「反知性主義」という言葉で説明しています。彼の分析はかなり悲観的ですが、世界的な災害や危機が生じたとき、その状況はひっくり返る可能性があるとも指摘していました。 その邦訳(『専門知は、もういらないのか』)が日本で発売された半年後にコロナの問題が起こりました。政府が「専門家会議」を作って助言を求める姿が繰り返し報道されています。それで信頼がどの程度回復するかはわかりませんが、「専門知」が見直されるきっかけとはなったのではないでしょうか。歴史学の問題に関しては、呉座さんが「権威」という言葉を使われましたが、それに対する反発が社会には広がっていて、それが専門知を揺るがしているのではないかと考えています。 反知性主義の背景には「平等観」があるのだと思います。すなわち、専門知という権威を引き下げ、俗説を引き上げるというトレンドがあり、知は専門家だけのものではなく、もっとフラットなものなのだという感覚でしょうか。そういう感覚が社会に広がっている。とくにネットのやり取りを見ているとそんな感じがします』、安部・菅政権は「反知性主義」的色彩がみられる。コロナ対応の「専門家会議」も政治家の責任逃れのためという感じが濃厚だ。
・『現代社会の真の対立軸  辻田:現代美術家の村上隆さんが、かつて「スーパーフラット」という言葉を使いました。すべてが真っ平らだというポストモダンの価値観をよく言い表したものだと思いますが、学校だと、教える側も教えられる側もフラットで平等なのだという感覚なのでしょう。 最初に右左の対立軸の話がありましたけども、もし今、本当に対立軸があるとすれば、それは、すべてがフラットだというポストモダン的な価値観の人たちと、社会にはある種の階層や秩序があると考える(近代的な?)価値観の人たちとの間にあるような気がします。これはどちらが一概にいいとは言いにくいのですが……。 倉橋:その点については、私も同感で、危惧していると言ってもいい。実際に現実にも発せられる言語にも権力勾配や権力格差はつねに付きまとい、それがなくなったことなど歴史上一度もないのに、もはや解消したもののように扱われるという知的現象は数多く見られます。 「男性差別」「在日特権」「日本人ヘイト」といったマジョリティーこそ被害者であるといった言説は、平等あるいは立場のフラットをベースにしたところから語られる権力勾配無視の発想があると思います。歴史修正主義者がそうしたフラットな状況を作り出すために「ディベート」のような言論ゲームを持ち出したのもその延長線上にあると思います』、「歴史修正主義者がそうしたフラットな状況を作り出すために「ディベート」のような言論ゲームを持ち出したのもその延長線上にあると思います」、これからの議論をみていく上で、参考になりそうだ。ただ、肝心の日韓関係とはたいぶ離れてしまったようだ。なお、この座談会の第2回、第3回は、9月29日付け「歴史問題13」で既に取上げた。

次に、9月20日付けデイリー新潮「韓国の大統領・首相からの書簡を「菅義偉首相」が“スルー”した理由」を紹介しよう。
https://www.dailyshincho.jp/article/2020/09201700/?all=1
・『戦後最悪とされる日韓関係。その原因は従軍慰安婦や徴用工などに関する歴史認識問題だ。なぜ歴史認識が日韓で乖離し、対立を生んだのか。その軌跡を、歴史家が丹念に追う。『歴史認識はどう語られてきたか』を書いた神戸大学大学院の木村幹教授に聞いた(Qは聞き手の質問、Aは木村氏の回答)』、興味深そうだ。
・『「河野談話」もすでに歴史  Q:解決不可能と思えるほど、日韓関係は悪いままです。 A:解決をいう前に、われわれが双方の現代史をきちんと把握し、理解しているのかどうか。歴史認識とは、過去の歴史的事実そのものをめぐる問題というよりも、過去の歴史的事実をそれぞれの時代に生きる人々がどのように考え、どの部分にどのような重要性を見いだすかという問題です。この点が、きちんと理解されていません。 Q:確かに「そうだろう」「そうだったはずだ」といった思い込みで語られがちですね。 A:太平洋戦争中の問題である慰安婦問題を、「当時の人は慰安婦なんて知らなかった」として語る人がいます。戦後75年といいますが、その時間幅は奈良時代(710〜94年)とほぼ変わらず、明治維新(1867年)から太平洋戦争終結(1945年)までに匹敵する「一時代」なのです。でも、現代史なので自分たちから遠くないとの感覚があり、「知ってるよ」と安易に判断して語りがちです。 Q:慰安婦への日本軍の関与を認めた1993年の「河野談話」の是非が問題になることがありますが、その実、河野談話で何が語られたのかは知られていません。 A:27年前のことですが、きちんと理解されているかどうか。河野談話もすでに歴史であり、だからこそきちんと確認して議論する必要があるのですが、多くの人はそうは考えません。1982年の教科書問題や1980〜90年代から広がった慰安婦・徴用工問題は、それぞれの時代でどのように、どういった状況で語られ、あるいは認識されていたのか。そういった歴史の変化を追い、それを残せるか。歴史家は、歴史に振り切られないようにすべきです。 Q:韓国ではとくに、1987年の民主化をはじめ1980年代に激動の時代を迎えました。 (木村 幹氏の略歴はリンク先参照) 日本は海外から「安定した国でいいですね」と言われます。生活が安定し平和であるのはいいことですが、そのぶん対外的な変化に鈍感です。日本の外には激しい変化の生じている国があり、韓国はその1つです。外国とのギャップに、もっと留意すべきでしょう。 例えば安倍晋三前首相は、2015年の慰安婦合意など韓国に対して積極的でした。祖父・岸信介元首相から彼の時代の韓国の話を聞き、それが安倍氏の対韓認識を形成したゆえかもしれません。 しかし、岸氏が在任した1950年代末からはもちろん、安倍氏の在任期間中にも朴槿恵(パククネ)、文在寅(ムンジェイン)政権下で韓国は大きく変化しました。その変化を安倍氏はきちんと読み取れていたでしょうか。もちろん、これは韓国の政権も同じで、この10年間の日本の対韓国世論の急速な悪化は、彼らにとってもついていくのが大変な現象でしたからね』、「戦後75年といいますが、その時間幅は奈良時代(710〜94年)とほぼ変わらず、明治維新(1867年)から太平洋戦争終結(1945年)までに匹敵する「一時代」なのです」、その重みを再認識した。「河野談話で何が語られたのかは知られていません」、「それぞれの時代でどのように、どういった状況で語られ、あるいは認識されていたのか。そういった歴史の変化を追い、それを残せるか」、は歴史家もさることながら、ジャーナリストにも責任があると思う。
・『80年代の変化に日本は気がつかなかった  Q:歴史認識が大きな外交懸案となったのは1980〜90年代以降です。これには、韓国の歴史研究者の世代交代も影響したのですか。 A:植民地時代の歴史研究は、朝鮮半島では日本人研究者が主導しました。韓国人の研究者が本格的に養成されるようになったのは、植民地支配の末期からです。だから、日本支配が終わった当時の歴史研究者の大半はまだ20代で、彼らがそのまま教授として主要大学のポストに就いた。それから約30年間、彼らは退職するまで学界の要職を占め続けました。 1980年代に入り、韓国の経済成長と国際環境の変化などを背景に、従来の研究とは一線を画す歴史研究を主張する研究者が出現しました。日本語で教育を受けた世代が徐々に退場し、「民族史観」が打ち立てられるなど歴史研究の大きなパラダイムシフトが生じました。この変化が、その後の歴史認識問題の下地となるのですが、この大きな変化に当時の日本人は気づきませんでした。 Q:2018〜19年には旭日旗への韓国世論の反発や韓国艦艇による自衛隊機レーダー照射、日本の輸出規制管理強化などの問題が発生して日韓対立がさらに深まりました。 A:慰安婦・徴用工問題とは明らかに違う、韓国発の新たなイシューが頻発しています。とくに旭日旗問題は、従来の慰安婦や徴用工といった問題とは、具体的な当事者がいない点で、性質が異なります。 問題が大きくなったのは、2018年に韓国で予定されていた国際観艦式を前に、参加を予定していた海上自衛隊に対し韓国海軍が旭日旗の使用自粛を実質的に要請したことに海自が反発、参加を取りやめたからでした。背景には、旭日旗は日本軍国主義の象徴であり「戦犯旗」だとの認識がすでに確立していたことがありました』、こうしたことは、第一義的には外務省の韓国担当部署やジャーナリストの責任の筈だ。
・『日本のプレゼンスは韓国で低くなった  この認識が韓国で急速に影響力を持ったのは、人々が歴史の具体的な事実に関心を失い、植民地支配=悪であり違法、とする単純な理解に頼るようになったからです。この植民地支配=悪であり違法、とする考え方は、大韓民国建国上の「建前」でもあり、韓国では誰も抵抗できない。だから例えばインターネットで、他人を批判する際にはものすごく便利だったりします。そして、これに対して大統領など政府要人らもわざわざ火消しに動こうとしない。 かつて、日本との関係が強い時代には国内の対日反発は要人らが必ず抑えようとしました。しかしこの20年間、韓国での日本の政治的・経済的プレゼンスが低下し、相対的に重要性が低くなりました。ゆえに、無理に火消しに走ろうというインセンティブが要人らに生じない。となれば、旭日旗問題のような「建前」に関わる問題が今後も簡単に起こるようになります。 Q:文政権は日本に関心がないとの指摘もよく聞きます。 A:重要性が低いので関心も低くなる。日韓関係での「イデオロギーガバナンス」、国家としての建前に関わるナショナリズムを統制するシステムが利かなくなっています。建前を抑え、関係改善のために「火中の栗を拾う」エリート層がいなくなれば、現場での日本への対応に配慮がなくなります。レーダー照射のような緊張感のない事態が発生しやすくなるでしょう』、日本にとって「日韓関係」はやはり重要なので、日本側から能動的に如何に働きかけてゆくか、真剣に戦略を練り直すべきだろう。

第三に、10月5日付けJBPressが掲載した在米ジャーナリストの高濱 賛氏による「日韓歴史問題解決の切り札は在韓米軍撤退 米有力シンクタンク、国務省見解を代弁する提言」を紹介しよう。
https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/62365
・『文大統領にとり最高裁判断は「盾と矛」  菅義偉首相は9月29日、韓国の文在寅大統領と首相就任後初めて電話会談した。韓国側の申し入れで行われた。 日韓の最大の懸案になっている元徴用工問題について首相が「このまま放置してはならない」と述べたのに対し、文大統領は従来通りの主張を繰り返した。 「両政府とすべての当事者が受け入れ可能で最適な解決策を共に模索することを望む」 そんな解決策はない。 しかもそうした解決策を自分から率先して模索するのではなく、誰か(つまり日本側が)が模索することを「望む」と、どこまでも第三者的スタンスに終始している。 日韓関係がここまで冷え込んでしまった「元凶」は、2018年、韓国の最高裁が元徴用工訴訟で新日鉄住金(現日本製鉄)に賠償を命じたことにある。 日本政府は、元徴用工問題は1965年の日韓請求権協定(これは国際法だ)で「完全かつ最終的に解決済み」と主張、一歩も引かない。 文在寅大統領は、この最高裁の司法判断を金科玉条のように尊重する姿勢を崩そうとしていない。 長年にわたり、日韓関係を定点観測してきた米シンクタンクの上級研究員N氏は、ずばり言い切っている。 「その背景には文在寅大統領を選び、支えてきた朝鮮民族第一主義(コリアン・ナショナリズム)があり、それに逆らえば政権が吹っ飛んでしまうからだろう」 「最高裁の判断は、韓国では国際法よりも重要であり、バイブルよりも権威ある存在になってしまっている」 「文大統領にとっては司法判断は自分を守ってくれる盾であり、矛になってしまった」) (韓国から見れば)強硬派の安倍晋三氏が首相の座を降り、「実用主義者」の菅首相が登場したことで「日本側の出方も変化しうる」(李元徳・国民大学教授)と楽観視する向きもあるようだ。 しかし、冒頭の電話会談のやり取りをみる限り、こうした見方は的外れだった。菅政権でも膠着状態は続きそうだ。 しかも日韓関係改善には唯一の「仲介役」になり得るドナルド・トランプ米大統領がついに新型コロナウイルスに感染し、米政治は暗転してしまった。 1か月を切った大統領選がどうなるのか。誰も予測すらできなくなってきた。 米国にとって日韓関係などはレーダーサイトから消えてしまいそうだ。 そうした中、マイク・ポンペオ国務長官が10月4日から6日まで訪日する。対中包囲網構築に向けた日本、オーストラリア、インドとの4か国外相会合に出席するのが主目的だが、菅首相とも就任後初会談する。 当初は韓国、モンゴルも歴訪する予定だったが、トランプ大統領の容体が予断を許さないためキャンセルされた。 新型コロナウイルス感染症が世界的に拡大してから、日本を訪問するのは初めて。 実務外遊というよりも「国家の危機」に際しても、米国が太平洋地域の盟主であることを中ロに見せつけるシンボリックな歴訪と言えそうだ。 むろん北朝鮮に睨みを利かせる狙いもある。 菅首相との会談では、元徴用工問題がアジェンダとして取り上げられるのは必至だ。 トランプ大統領夫妻の感染が公表されて以降、大統領に同行したり、濃厚接触していた側近や政治家が次々陽性反応を示している。 最側近のポンペオ国務長官は一応陰性反応が出たようだが、まだ予断は許さない。 ▽新進気鋭の女性国際政治学者の予見(コロナウイルス感染が拡大する中で、日韓関係に関する注目すべきメモランダムが公になっている。 (https://www.nbr.org/publication/the-next-steps-for-u-s-rok-japan-trilateralism/) 東アジア専門に調査研究する米有力研究機関、「ナショナル・ビュロー・オブ・アジアン・リサーチ」(NBR)が公表した安倍首相退陣後の日韓関係を予測したメモランダムだ。 その予測とは一言で言うとこうだ。 「対韓強硬派の安倍首相が辞任しても日韓関係は好転はしない」「米国の長期的な軍事コミットメントに対する日韓両国の疑念が強まらない限り、歴史認識をめぐる双方の溝を埋めることはできないだろう」 このメモランダムは、東アジア問題研究で脚光を浴びているダートマス大学のジェニファー・リンド准教授とのインタビューを編集者がまとめたもの。 同准教授は、カリフォルリア大学バークレー校、同サンディエゴ校を経て、MIT(マサチューセッツ工科大学)で博士号を取得。 現在ハーバード大学ライシャワー日本研究所、英チャタムハウスにも特別研究員として籍を置く一方、米国防長官室、国防総省系シンクタンク「ランド研究所」のコンサルタントも兼務している。) 近年、早稲田大学やロンドン大学東洋アフリカ・スクール(SOAS)にも客員研究員として留学、東アジア情勢に関する最新情報を入手している。 高度のアカデミック研究に現実外交の実態分析を加味した同准教授の論文は、外交専門誌「フォーリン・アフェアーズ」、「ナショナル・インタレスト」にしばしば掲載され、外交専門家、特に米政府の外交政策立案者の間では高い評価を受けている。 2008年には戦争の記憶がその後の当事国同士の和解に与えるインパクトを分析した『Sorry States:Apologies in the International Politics』を上梓している。 (https://www.amazon.com/Sorry-States-Apologies-International-Politics/dp/0801476283)』、「米国の長期的な軍事コミットメントに対する日韓両国の疑念が強まらない限り、歴史認識をめぐる双方の溝を埋めることはできないだろう」、との「リンド准教授」の見解は興味深い。
・『反日は韓国人のアイデンティティ  今回取り上げたメモランダムで同准教授が指摘したのは以下の点だ。 一、韓国のアンチ・ジャパニズム(反日主義)は、韓国のナショナリズムの重要な要素で日本に対する怒りと屈辱は韓国人のアイデンティティの根幹になっている。 二、日本サイドのリベラル派は歴史認識問題については柔軟性を見せているが、保守派には根強い愛国主義が定着している。従って日本政府が韓国の主張に歩み寄る空気は希薄だ。 三、(米国内の)一部専門家は歴史認識問題を解決したうえで日韓は安保、経済的協力関係を改善するべきだと指摘している。だが私はこうした指摘には同意できない。 四、日韓関係改善に米国が仲介役を果たすべきだという指摘がある。だが米国が仲介するのは困難だ。関係改善するには日韓両国の官民各層が本気で取り組む以外にない。 五、現実的な予測をすれば、日韓関係の現状を打破するには、米国が在韓米軍撤収などで長期的な軍事コミットメントを変更させる以外にないかもしれない。 六、日韓両政府が米国の両国に対する軍事コミットメントを反故にするという疑念を深めた時、共通の脅威に対応するには歴史認識問題をめぐる対立を脇に置いて協力せねばならないという判断をせざるを得なくなるだろう。 リンド准教授の見解はワシントンではどう受け止められているか。 日韓とここ30年付き合ってきた米国務省関係者B氏は筆者にこうコメントしている。 「正直言って、リンド准教授の分析は妥当だ。私も同意する」「国務省はじめ外交国防政策に携わっているエリート官僚のコンセンサスを代弁している。同准教授の東アジア情勢分析は政府部内でも高い評価を受けている」』、「米国が仲介するのは困難」、なのは確かなようだ。やはり、「六、日韓両政府が米国の両国に対する軍事コミットメントを反故にするという疑念を深めた時、共通の脅威に対応するには歴史認識問題をめぐる対立を脇に置いて協力せねばならないという判断をせざるを得なくなるだろう」、が現実的なのだろう。
タグ:「河野談話」もすでに歴史 なぜ「新しい物語」が必要なのか 歴史修正主義が台頭した背景 左派が権威、右が挑戦者という嘘の構図」、よくぞこんな見えすいた「嘘」が通用するものだ。「歴史修正主義の蔓延を無視していると、最終的に、アカデミズムにも悪い影響を与えてしまいます 河野談話で何が語られたのかは知られていません」、「それぞれの時代でどのように、どういった状況で語られ、あるいは認識されていたのか。そういった歴史の変化を追い、それを残せるか 日韓両政府が米国の両国に対する軍事コミットメントを反故にするという疑念を深めた時、共通の脅威に対応するには歴史認識問題をめぐる対立を脇に置いて協力せねばならないという判断をせざるを得なくなるだろう 日本の歴史学は、物語というか、歴史を概観する大きな見取り図を描けなくなって、日本の歴史はこうだったと、積極的に市民や社会に示すものがなくなってしまったために、どんどん内向きになって、実証主義の職人として学会でアピールするしかなくなっているという問題がある 米国が仲介するのは困難 反日は韓国人のアイデンティティ 左派が権威、右が挑戦者という嘘の構図 米国の長期的な軍事コミットメントに対する日韓両国の疑念が強まらない限り、歴史認識をめぐる双方の溝を埋めることはできないだろう 文大統領にとり最高裁判断は「盾と矛」 「日韓歴史問題解決の切り札は在韓米軍撤退 米有力シンクタンク、国務省見解を代弁する提言」 JBPRESS 日本にとって「日韓関係」はやはり重要なので、日本側から能動的に如何に働きかけてゆくか、真剣に戦略を練り直すべきだろう 80年代の変化に日本は気がつかなかった NHSを再評価 ジョンソン首相 「韓国の大統領・首相からの書簡を「菅義偉首相」が“スルー”した理由」 歴史修正主義には、日本人の誇りに関心があるから史実はあまり重視しないという特徴があります。それが社会に一定の影響力を持っているのは、社会に対する不安や不満を持つ人々の心情と親和性があるからだとも考えられます 日韓歴史共同研究が挫折する理由 デイリー新潮 イギリスの論壇の基本は中道 (その12)(日韓が「歴史問題」でわかり合えない根本理由 議論すべきは「歴史の実証」か「歴史認識」か、韓国の大統領・首相からの書簡を「菅義偉首相」が“スルー”した理由、日韓歴史問題解決の切り札は在韓米軍撤退 米有力シンクタンク 国務省見解を代弁する提言) 植民地主義の歴史を持つ国々では、それを否定すると現体制の正当性まで問われることになりかねないため、国として「歴史認識」を考え直そうということにはなかなかならないわけですが、もしかしたらそうした国の姿勢に対する距離感で左右が分かれるかもしれません 東洋経済オンライン 前川 一郎 戦後75年といいますが、その時間幅は奈良時代(710〜94年)とほぼ変わらず、明治維新(1867年)から太平洋戦争終結(1945年)までに匹敵する「一時代」なのです 日韓関係 現代社会の真の対立軸 歴史問題13 木村幹教授 「日韓が「歴史問題」でわかり合えない根本理由 議論すべきは「歴史の実証」か「歴史認識」か」 4人の気鋭の研究者による座談会 ジャーナリストにも責任
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メディア(その24)(テレビ報道に危機覚えた記者たちの重い一石 Choose Life Projectは公共メディアを目指す、文春と新潮 雑誌は似ていても社風は大違い!キーワードは「アマとプロ」、警視庁取材で女性記者が増加 大谷昭宏氏が背景を解説) [メディア]

メディアについては、8月6日に取上げた。今日は、(その24)(テレビ報道に危機覚えた記者たちの重い一石 Choose Life Projectは公共メディアを目指す、文春と新潮 雑誌は似ていても社風は大違い!キーワードは「アマとプロ」、警視庁取材で女性記者が増加 大谷昭宏氏が背景を解説)である。

先ずは、8月9日付け東洋経済オンラインが掲載したFrontline Pressによる「テレビ報道に危機覚えた記者たちの重い一石 Choose Life Projectは公共メディアを目指す」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/367155
・『“今のテレビ”ではできない報道をやりたい」。 テレビのディレクターや記者らが立ち上げたネットメディア「Choose Life Project(CLP)」が、じわじわと浸透している。2016年から選挙や国政に関する動画を制作し、YouTubeやTwitterなどで発信。この夏には“本格始動”を目指してクラウドファンディングを始め、わずかな日数で多額の資金を集めた。彼らはいったい何を目指しているのか。テレビと違う報道とは何か。代表の佐治洋さん(38)に聞いた』、興味深そうだ。
・『「このままじゃだめだ」  「このままじゃだめだと思ったんです」と、佐治さんは振り返る。2015年9月、国会で安全保障関連法が成立した時のことだ。これにより、自衛隊が海外で他国のために武力行使できるようになった。佐治さんは当時、TBSの関連会社でディレクターとして報道番組の制作に携わっていた。 「あれだけ反対が多かったのに、時間をかけるべき(国会の)議論が数の力で押し切られ、十分な審議がされませんでした。問題意識を持ったディレクターや記者と話し合い、『自分たちにできることをやろう』と。それがCLPです。立ち上げは翌年、2016年でした」 (佐治洋氏の略歴はリンク先参照) テレビ局で番組制作などに関わる20~40代のディレクターや記者たちが集まってきた。 「中心メンバーは5人ほどですが、離合集散型です。その都度、取材テーマを話し合って、できる人が取り掛かります。最初の頃は選挙の投票率が問題だと考えていた。特に若い人たちの投票率を上げたい。そのための動画制作を考えました」 国政選挙の投票率は低かった。衆議院議員選挙では、2012年が59.32%。その次の2014年は歴代最低の52.66%。参議院議員選挙でも、1998年~2013年にかけての6回の選挙は、いずれも50%台だ。2人に1人ほどしか投票しない現実が目の前にあった。 「これからの日本を大きく変える政策があっても、有権者の半数が政治家を選んでいない。そこに大きな違和感がありました。『投票しない自由もある』と言う人もいるけれど、その人たち、あるいは未来の世代がどこかで『政治の結果責任』に直面することになる。投票することは、自分たちの人生を選ぶ1つの方法でもある。だから、『選ぼうよ』という思いを込め、Choose Life Project というこの名前にしました」 最初の動画公開は2016年7月、参議院議員選挙に向けて投票を呼び掛ける内容だった。著名人のメッセージ動画を次々とYouTubeにアップ。皮切りは映画監督の是枝裕和さんだ。「自分たちの今と未来に1人ひとりが責任を持つのが民主主義」「選挙へ行きましょう」と是枝さんは呼び掛けた』、なかなか興味深い試みだ。
・『「国会ウオッチング」開始で様子が変わる  2016年の参院選、都知事選……。CLPは選挙のたびに、こうした動画をYouTubeにアップしていく。しかし、再生数は大きく伸びなかった。様子が変わったのは今年2月ごろ、国会議員の発言を取り上げる「国会ウオッチング」を始めてからだ。国会審議の具体的なやりとりは、テレビのニュースではなかなか報じられない。一方で、審議を丸々流す中継は視聴者にフレンドリーとも言い難い。CLPの「国会ウオッチング」はその隙間を狙い、質疑や記者会見の山場やポイントとなるやり取りを編集した動画を次々と制作し、広く拡散された。 YouTubeやTwitterの動画は既に100本を超える。短時間で打ち切られた2月末の首相の記者会見動画は28万回再生された。障害者施設「やまゆり園」で起きた殺傷事件について、NPO法人代表にインタビューした動画の再生回数は60万回を超えた。この夏の東京都知事選ではCLPが主要4候補の討論会を企画、中継し、これも多くの視聴者が視聴した。 佐治さん自身も驚いたのは、検察庁法改正をめぐる動画の視聴だった。特に、同法の改正に反対する元検事総長らの記者会見動画は、地味な映像にもかかわらず、5月の公開直後から再生数が天を突くように伸び、2カ月余りで58万回に上った。 この問題でCLPは、識者らを集めた討論会や中谷元氏へのインタビューなども発信している。中谷氏のインタビューでは本人が「昔は自民党の中で喧々諤々の議論をしていたが、決定のプロセスが見えにくくなった。権力のあるものはできるだけ権力を使わないように物事をまとめていかないとならない」と発言し、話題となった。 投票呼び掛けから、ニュース・報道へ。その動きが本格化した瞬間である。 佐治さんは言う。 「検察庁法に関する番組はどれも地味な動画です。法律の知識がないと、視聴者には理解が難しいだろうと思っていました。ですが、多くの方々に見てもらい、Twitterでも何百万という声が上がった。視聴者はちゃんと見ているんだ、と改めて思いました」 「一方、今のテレビではこうした報道が難しくなっている。政治や社会の問題を取り上げようとすると、『難しくて伝わらない』『視聴率が下がる』とやめてしまうんです。最近は報道番組でも“数字”を持ち出してワーワー言ってくる(局内の)人が多くなっている。でも、それって、視聴者をバカにした感覚ですよね。作り手は視聴者をもっと信じたほうがいい」 佐治さんは、CLPに専念するため制作会社を退社した7月に「本格始動」のための資金集めにクラウドファンディングを始めたところ、わずか5日間で目標額の倍となる1600万円超が集まった。 今後は、話題のニュースについて専門家らが解説する「Choose TV」、国会で何が起きているのかを見せる「国会ウオッチング」、さまざまな出来事の当事者に聞く「インタビュー」、裁判の結末を伝える「判決ウォッチング」、設立当初から続く「選挙企画」などの枠組みの下で、番組を制作し、視聴者にニュースを届けていくという。「現場での取材もしていきたい」と佐治さんは語る。 多数の新興メディアが登場する中で、CLPは何を目指しているのか。着地点はどこにあるのか。 「私がテレビの報道番組を手掛けるようになった2007年頃は、現場の雰囲気が今と全然違いました。私自身は筑紫哲也さんに憧れていたし、現場には少しでもいい報道番組を作ろうという気概を持った人たちが多くいた。番組を自由に作る雰囲気があり、ディレクターも記者もカメラマンも、すごい人たちばかりでした」 ただ、状況は年々悪くなっているという』、「クラウドファンディング」では、3000万円に引き上げた目標額も達成したようだ。「今のテレビではこうした報道が難しくなっている。政治や社会の問題を取り上げようとすると、『難しくて伝わらない』『視聴率が下がる』とやめてしまうんです。最近は報道番組でも“数字”を持ち出してワーワー言ってくる(局内の)人が多くなっている。でも、それって、視聴者をバカにした感覚ですよね。作り手は視聴者をもっと信じたほうがいい」、同感である。
・『「今のテレビは日々のニュースが弱っている」  「自分は制作会社の人間だったので詳しくは分かりませんが、気概を持った人たちが次々と現場から外されていきました。それも“栄転”に見えるような形で。『何か意見すれば、報道局以外に飛ばされる』という感覚が広がり、結果的に、組織内では似たような人がどんどん偉くなった。最近はよく、『政権による外圧で報道が歪んでいる』などと言われますが、むしろ、テレビ局の内側にいる人たちが大事なものを自ら手放しているように思います」 「特に、日々のニュース番組が弱くなっています。その日に起こった事件や事故といった“発生もの”ばかりで、問題を深堀りする特集枠が急に少なくなってきた。週に1度の報道番組もありますが、視聴者の多くは高齢者です。若い人たちはニュース・報道に関心がないので、ネット空間でも何かをやらないとまずい、と。そういう感覚をCLPのメンバーと共有しています」 今でもテレビの影響力は大きい、と佐治さんは言う。もしCLPに放送枠をくれるなら10分でも欲しい、と。 「目指しているのは『公共メディア』です。だから、課金メディアにはしたくない。芸能人、著名人の方々も含め、いろんな人が自由に発言してもらい、番組としてそれを残していくわけです。かつてのテレビの自由さも意識しています。どこに行くか分からない、予定調和ではないコンテンツ。現場取材やルポものも作っていきたい。将来はネット上で放送局を作りたいと構想しています」 取材:笹島康仁=フロントラインプレス(Frontline Press)所属』、今後の活躍を期待したい。

次に、9月16日付けダイヤモンド・オンラインが掲載した元週刊文春・月刊文芸春秋編集長の木俣正剛氏による「文春と新潮、雑誌は似ていても社風は大違い!キーワードは「アマとプロ」」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/248723
・『文芸春秋に入社して2018年に退社するまで40年間。『週刊文春』『文芸春秋』編集長を務め、週刊誌報道の一線に身を置いてきた筆者が語る「あの事件の舞台裏」。今回はライバルについて。週刊文春と「似たような雑誌」と思われている週刊新潮ですが、実は社風は全然違う。そのあたりを解説しましょう』、面白そうだ。
・『「永遠のライバル」だが新潮と文春の雰囲気は真逆!  『週刊新潮』は間違いなく『週刊文春』のライバルです。私が入社した1970年代後半は、新潮が圧倒的に部数も多く、取材内容も充実していました。「新潮に追いつけ、追い越せ」が私たちの世代の目標だったのです。 似たような誌面だから、似たような編集部だろうと思われがちですが、両社の社風はまったく違います。 文春は社員持ち株制度で社員が社長を決めますが、新潮社はオーナー会社です。人事異動が激しい文春に対して、新潮はずっと週刊新潮にいるという人もいます(今は新潮もだいぶ人事異動があるようですが)。 文春は学園祭のように、みんな遅くまでワイワイ議論しながらつくっていますが、新潮の記者はプロ。自分の仕事が終わったら、さっさと帰宅するので編集部はとても静かなのだそうです。 私が編集長時代、週刊新潮の早川清編集長とのトークイベントがありました。同い年で、同じ時期に同じ業界で仕事をしている、一種の戦友です。) イベントのあと、こんな質問が出ました。 「私は雑誌の読者欄に投稿するのが趣味です。編集長のお2人は読んでいただいていますか?」 私は基本的にすべてに目を通し、読者欄に掲載する原稿も決めていますと答えました。 ところが、早川氏は「読んでいません」という驚くべき答え。「週刊新潮は読者に迎合しない雑誌です。読まないことにしています」と言うのです。 今なら炎上コメントかもしれませんが、新潮らしい答えです。早川氏は傲慢な人間でも、人の話に耳を貸さない人でもありません。しかし、週刊新潮のあるべき立場を熟知しているというべきでしょう。 一言でいえば、週刊新潮は「見識」を示すメディアであり、週刊文春、いや文春ジャーナリズムは「常識」を語るメディアです。プロの新潮に対して、文春はアマチュア。素人目線で「なぜ?」と迫るのが編集方針といっていいでしょう』、「文春は社員持ち株制度で社員が社長を決めますが、新潮社はオーナー会社です」、「週刊新潮編集長」の「早川氏は(読者投稿欄を)「読んでいません」という驚くべき答え。「週刊新潮は読者に迎合しない雑誌です。読まないことにしています」・・・週刊新潮のあるべき立場を熟知しているというべきでしょう。 一言でいえば、週刊新潮は「見識」を示すメディアであり、週刊文春、いや文春ジャーナリズムは「常識」を語るメディアです」、こんな違いがあったとは初めて知った。
・『深夜にかかってくるナゾの電話 声の主は「藤圭子」だった!  そんな「素人」だからやってしまう笑い話が、たくさんあります。 20年ほど前、大流行したドラマ『ヒーロー』。ジャニーズの木村拓哉がジーンズ姿で検察官を演じるのが大受けだったのですが、「ジーンズの検事なんて本当にいるの?」というテーマを設定したところ、人事異動で来たばかりの記者が取材結果を報告してきました。 「誰に聞けばいいかわからないので、検察で一番有名な吉永祐介元検事総長の自宅に電話をしたら、ご本人が出てくれました。ドラマを見ていなかったのでいろいろ説明したら、『ジーンズ検事なんてありえない』と言っていました」) コメントはそのまま掲載されましたが、新潮はこんな「無謀」はしないでしょう。 ちなみに、この「無謀」記者。異動前は、連載小説の担当でした。深夜、原稿を待つ間、編集部にはいろいろな電話がかかってきます。大抵は被害妄想系なので、正直、仕事の邪魔になります。 そんな邪険にしたくなる電話に、辛抱強く付き合っていたのが「無謀」君。そして、被害妄想系だと最初は思った女性の声が「藤圭子」本人であり、元夫を恨み、娘・宇多田ヒカルを心配する情報提供であることに気づき、数カ月も電話の愚痴につきあった末、とうとう本人に会うことに成功し、記事にすることにもなりました。 こういう人間を特集記者にしないのはもったいない。現場の判断ですでに文芸畑への異動が決まっていた彼の部内異動が決まりました。こんな異動も文春流です』、「被害妄想系だと最初は思った女性の声が「藤圭子」本人であり、元夫を恨み、娘・宇多田ヒカルを心配する情報提供であることに気づき、数カ月も電話の愚痴につきあった末、とうとう本人に会うことに成功し、記事にすることにもなりました」、思わぬところに特ダネがころがっているようだ。
・『うちの社長は「昼行灯」 月刊誌の社内コラムは大人気  さて、『月刊文芸春秋』に「社中日記」というコラムがあります。雑誌の最終ページです。時には飲んだくれ、時には女性にフられ、遅刻に早退に徹夜の大暴れ、ひどい社員ばかり出てきます。 読者には、この欄から読むという方が多いようです。そして、大抵の質問は、あの話は本当ですか? ……ほとんどの話は本当です。まあ話を少し盛ってあることは事実ですが。 「社中日記」には、文春の社風をあらわすエッセンスが含まれています。まずは、編集長以外は、社長であっても平気で悪口を書きます(さすがに編集長だけは、読者への説得力を欠くことになるので書かない、という社内ルールがあります)。少し前の上野徹社長などは、「昼行灯」とまで書かれていました。) もともと社員は350人ほどしかいません。拠点は東京の本社しかないので、社員は誰もが家族のように親しく打ち解けています。社員持ち株制度なので、オーナーはいません。社員の互選によって社長は決まります。無借金経営なので、記事に対する圧力がかかる可能性も極めて少ない会社です。 それ以上に誇るべきは、民主主義でしょう。社内の誰も、社長や局長などと呼びません。職名ではなく名前を呼びます。平社員が社長に話しかけるときも「○○さん」。逆に社長が平社員に呼びかけるときも「○○くん」。 特派記者(いわゆる契約のフリー記者)に対しても、同じです。編集長と呼ばずに○○さんだし、編集長も契約記者に対しては○○さん。フリーの記者とは、言わばノンフィクション作家の卵。当然呼び捨てにする関係ではなく、編集者と作家の関係なのです。 最近、「社長」などと肩書で呼ぶ社員が増えた、という愚痴を社内から聞きましたが、この美風は壊さないでほしいものです』、「文芸春秋」の民主的な社風は確かに驚くほどだ。
・『阿川弘之が示した文春社員の「6カ条」  『月刊文芸春秋』90周年には、阿川弘之先生に原稿を書いていただきました。「伝統の社風」と題された文章は、一度は文春に入社を志した作家にしか書けない、愛情にあふれたものでした。 阿川さんは文春社員に必要なことを6カ条、示してくださいました。 一、どんな上役に対しても自由にものが言えて、自己の主張を容易には曲げないこと 二、ユーモアが通じること 三、字句難解で、観念論風な文章は好まれざること 四、偏向した論議も、右寄り左寄りを問わず遠ざけること (以下略) 「みなさん、どうか、伝統を大切に取り扱ってください」というのが阿川先生の言葉ですが、OBの私も同じ気持ちです』、阿川弘之氏が「文春に入社を志した:とは初めて知ったが、「6カ条」はさすがだ。

第三に、10月28日付けNEWSポストセブン「警視庁取材で女性記者が増加 大谷昭宏氏が背景を解説」を紹介しよう。
https://www.news-postseven.com/archives/20201028_1608305.html?DETAIL
・『テレビや新聞といった大手メディアの警視庁担当記者といえば社会部の花形だが、ここにきて変化が生まれている。ある全国紙社会部記者は「今年7月の異動で、警視庁担当のうち二課四課担当の記者がほとんど女性記者になったのです。印象では、男性記者が全体の1~2割くらいまで減ったように見える」と明かした。 警視庁をはじめ各省庁など公的機関や、プロ野球や日本相撲協会のような各種業界団体を取材するために、大手新聞社やテレビ局が中心となって構成する「記者クラブ」があることはよく知られている。その1つ、警視庁記者クラブ内の二課四課担当とは、詐欺や贈収賄、税法違反などを扱う警視庁捜査二課と、暴力団などの反社会的勢力を扱う同庁捜査四課を取材する。通称「2・4(ニーヨン)担当」などといわれる。 前出の全国紙記者は「近年は二課四課の事件が少なくて各社が記者数を減らしたこともありますが、それ以上に男性記者よりも女性記者のほうが根性があって、実際に結果も出す傾向があるのです。だから各社、女性記者を担当に据えているのではないでしょうか」と解説した。 元読売新聞社警察担当OBで、ジャーナリストの大谷昭宏氏(75才)はこう話す。 「殺人や強盗事件を扱う捜査一課担当でも、女性記者が増えているそうですよ。新聞社の新卒採用でも、以前に比べて女性が多くなっていると聞きます」(以下、「」内は大谷氏) 昔から、小説やドラマ、映画で「夜討ち朝駆け」の事件記者の多くは男性だったが、様変わりしたということか。 「我々の時代の花形は、政治部や外事ではなく社会部でした。元朝日新聞の筑紫哲也さん(享年73)や元読売新聞のノンフィクション作家の本田靖春さん(享年71)など、そうそうたるメンバーもいました。 ただし、やっぱり社会部は“厳しすぎる”んですよ。だから、地方支局から本社転勤の希望を出す際にも、社会部は人気がない。そうした中で、最近では女性記者のほうが『社会部でも何でもやります』と前向きな人が多いそうです」』、「警視庁担当のうち二課四課担当の記者がほとんど女性記者になったのです」、時代も変わったものだ。
・『現場の大きな変化についてベテラン男性記者からは「若い女性は、男性の取材対象者に気に入られやすいからな……」といったやっかみの声も聞こえてくるが、大谷氏は「女性であることを武器にスクープが取れるなんて、彼女たちも思っていない」と否定する。 2018年に当時の福田淳一・財務事務次官がテレビ朝日女性記者に対し「おっぱい触らせて」「キスしたい」といったセクハラ発言が問題になったことは記憶に新しい。が、これは明らかに取材される側の品性の問題だ。 「かつては、自宅前に男性記者が何日も夜討ち朝駆けで待っていると、見かねた取材対象者が『外は寒いから、中に入って話しましょう』と自宅へ入れることもありました。しかし、女性記者相手だと誤解を招きかねません。だから今は、どの組織も記者への対応マニュアルを持っています」 女性というだけでネタが取れるわけではないのだ。 「取材をかけた警察署でけんもほろろに追い返されても、我々の仕事はそこから、どうこじ開けていくかがスタートです。そういう厳しい取材の現場で、気骨ある男性記者が少なくなっているのではないでしょうか」 大谷氏は苦笑いしながらそう解説する。たしかに、若い男性記者の中には「サツまわりは嫌だなぁ」と愚痴る人が増えてきているという。 男性であろうが女性であろうが、記者クラブに座ってネタを待っているだけでは、メディアの醍醐味は得られない』、「今は、どの組織も記者への対応マニュアルを持っています」 女性というだけでネタが取れるわけではないのだ」、女性記者の進出が進めば、取材のあり方など多くの面が合理的なものに変化してゆく可能性があろう。
タグ:女性記者の進出が進めば、取材のあり方など多くの面が合理的なものに変化してゆく可能性があろう 今は、どの組織も記者への対応マニュアルを持っています」 女性というだけでネタが取れるわけではないのだ 警視庁担当のうち二課四課担当の記者がほとんど女性記者になったのです 「警視庁取材で女性記者が増加 大谷昭宏氏が背景を解説」 Newsポストセブン 阿川弘之が示した文春社員の「6カ条」 「文芸春秋」の民主的な社風は確かに驚くほどだ うちの社長は「昼行灯」 月刊誌の社内コラムは大人気 被害妄想系だと最初は思った女性の声が「藤圭子」本人 深夜にかかってくるナゾの電話 声の主は「藤圭子」だった! 週刊新潮のあるべき立場を熟知しているというべきでしょう。 一言でいえば、週刊新潮は「見識」を示すメディアであり、週刊文春、いや文春ジャーナリズムは「常識」を語るメディアです 「週刊新潮編集長」の「早川氏は(読者投稿欄を)「読んでいません」という驚くべき答え。「週刊新潮は読者に迎合しない雑誌です。読まないことにしています」 文春は社員持ち株制度で社員が社長を決めますが、新潮社はオーナー会社です 「永遠のライバル」だが新潮と文春の雰囲気は真逆! 「文春と新潮、雑誌は似ていても社風は大違い!キーワードは「アマとプロ」」 木俣正剛 ダイヤモンド・オンライン 今のテレビは日々のニュースが弱っている 今のテレビではこうした報道が難しくなっている。政治や社会の問題を取り上げようとすると、『難しくて伝わらない』『視聴率が下がる』とやめてしまうんです。最近は報道番組でも“数字”を持ち出してワーワー言ってくる(局内の)人が多くなっている。でも、それって、視聴者をバカにした感覚ですよね。作り手は視聴者をもっと信じたほうがいい 「クラウドファンディング」では、3000万円に引き上げた目標額も達成したようだ 「国会ウオッチング」開始で様子が変わる 投票することは、自分たちの人生を選ぶ1つの方法でもある。だから、『選ぼうよ』という思いを込め、Choose Life Project というこの名前にしました メディア (その24)(テレビ報道に危機覚えた記者たちの重い一石 Choose Life Projectは公共メディアを目指す、文春と新潮 雑誌は似ていても社風は大違い!キーワードは「アマとプロ」、警視庁取材で女性記者が増加 大谷昭宏氏が背景を解説) 東洋経済オンライン Frontline Press 「テレビ報道に危機覚えた記者たちの重い一石 Choose Life Projectは公共メディアを目指す」 「このままじゃだめだ」
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人権(その4)(黒人差別問題から省みる日本人の「普通」地獄、女子アナの登竜門「大学ミスコン」は もう全大学で中止すべきだ もう論点は「女性差別」だけではない、小田嶋氏:一億総祖父母時代に 大坂なおみ選手をたたえる) [社会]

人権については、6月28日に取上げた。今日は、(その4)(黒人差別問題から省みる日本人の「普通」地獄、女子アナの登竜門「大学ミスコン」は もう全大学で中止すべきだ もう論点は「女性差別」だけではない、小田嶋氏:一億総祖父母時代に 大坂なおみ選手をたたえる)である。

先ずは、6月23日付け日経ビジネスオンラインが掲載した健康社会学者(Ph.D.)の河合 薫氏による「黒人差別問題から省みる日本人の「普通」地獄」を紹介しよう。
https://business.nikkei.com/atcl/seminar/19/00118/00079/?P=1
・『今回は感情の赴くままに書く。なので、読んだ方も感情の赴くままに考えて欲しい。 「まず、俺は誰も責める気はない。文句を言うつもりもない。これが差別だとかどうとかそんなの本当にどうでもいい話」 これは6月15日に、東北楽天ゴールデンイーグルスのオコエ瑠偉選手が「自分のものすごく嫌だった過去」を、ツイッターでさらけだした際に、冒頭に書かれていた言葉だ。 オコエ選手が「周りと違うと初めて認識させられた」のは、保育園で先生が「みにくいアヒルの子」を読んでくれたときの周りの子供たちのまなざしだった。うつむき耳をふさぎ、孤独を感じたオコエ選手は、その後も“心が無くなる瞬間”をたびたび経験する。 「親の似顔絵を書くとき、顔は肌色で描きなさいと言われた」「おまえの家で虫とか食うんだろうと罵られた」「甲子園に黒人は出るなとか聞こえてきた」……etc.etc 「ここから飛び降りて生まれ変わって、普通の日本人になれるかな、と考えていた。今となっては、この普通とはなんだろうといまだに考えている」「心が無くなるのは本当に怖い」──。 そして、3ページにわたるオコエ選手の“嫌だった過去”は、こう締めくくられた。「今後、自分の子供ができて同じ経験をさせないようにするにはどうすればいいのだろう。と考えている人。そういう人たちの共感につながればいいな」と。 #BlackLivesMatter のハッシュタグが付けられたこの投稿は、6月22日現在で19万3000件の「いいね」が付き、5万2000件リツイートされている。このツイートはさまざまなメディアでも取り上げられたので、ご覧になった人も多いかもしれない。 一方、オコエ選手はメディアが、「楽天オコエ、差別受けた過去明かす」という見出しを付け報じていることに対し、ツイッターを更新し、「メディアがこうやって勝手に差別とかいうけど、日本人一部にとって差別って言葉自体刺激的だし、これが差別なのか俺でも分からないから俺は使わない」と記している』、「保育園で先生が」「親の似顔絵を書くとき、顔は肌色で描きなさいと言われた」、とは酷い話だ。混血の児童も増えていることから、先生に最低限の人権教育をするべきだろう。
・『米国に端を発した差別反対の動き  差別。確かに刺激的な言葉だ。なのに「差別された」「差別されてんだよ」などと、この言葉を日常的に使うこともある。「それ差別だろ?」とののしれば、「差別じゃないよ、区別だよ」と言い返されることも。学歴差別、男女差別、年齢差別など、理不尽な差別に悩み、苦しむ人たちもいる。 オコエ選手の投稿は、#BlackLivesMatter のハッシュタグが付けられているとおり、白人警察官による米ミネソタ州の黒人暴行死事件が引き金となった全米の抗議デモに関連して、「自分のものすごく嫌だった過去」を書いたものだ。 亡くなったミネソタ州の男性の最期の言葉は、“I can't breathe”。男性は警官らに首と背中を圧迫され続け、脳への血流が止まって死亡し、事実上の即死状態だった。現場にいた警察官4人全員が懲戒解雇され、起訴されている。 これまでも黒人男性が警察官に射殺される事件は繰り返された。今回の抗議デモの最中も、米ジョージア州アトランタのハンバーガー店で黒人男性が射殺された。どれもこれも不合理な事件で、そこに「黒人の人権」はなかった。 相手が黒人だから発砲しているんじゃないのか。黒人の命を軽んじてるんじゃないのか。400年前にアフリカから黒人を「奴隷」として買ってきた時代は、とっくに終わっているのに、黒人の「生きる意志」さえ奪う人たちが後を絶たない。 つまり、#BlackLivesMatterとは、言葉が示す通り「命」の問題なのだ。 日本のメディアは今回の抗議デモが過激化している背景を、「人種差別とコロナ禍で浮かび上がった所得や医療水準の格差の広がり」と説明するが、それは「イエス」であり「ノー」だ。 米国には日本人が決して理解できない「感情」がある。少なくとも私はそう考えている。幼少期に私が米国に住んでいたときも、ティーンになって留学したときも、大人になって米国人の友人とお酒を交わしたときも、「私たち日本人には理解できない“感情”」を、たびたび感じてきた。それは外からは決して見えない、皮膚の下に潜んでいるものだった。 奴隷制という歴史と、多種多様な人たちがつくり上げた国だからこそ、オバマさんのような理想を掲げ、平和を追求し「I」ではなく、「we」を主語にするリーダーが必要だった。だが、トランプ大統領になってから、そうした米国の“建前”がどんどん崩れていってしまったのだ。 その一方で米国には、属性ではなく「個人」をきちんと評価し、「異物」を受け入れる土壌もある。アフリカ系米国人であっても、スポーツ選手、俳優、芸能人、ミュージシャン、政治家、実業家として活躍する人たちもいるし、スパースターとして米国のアイコンになっている人はたくさんいる。例えば野球の世界を見ればいかに米国が「個人」をきちんと認めるかが分かるはずだ』、「米国には日本人が決して理解できない「感情」がある・・・幼少期に私が米国に住んでいたときも、ティーンになって留学したときも、大人になって米国人の友人とお酒を交わしたときも、「私たち日本人には理解できない“感情”」を、たびたび感じてきた。それは外からは決して見えない、皮膚の下に潜んでいるものだった」、さすが米国での生活体験が長い河合氏ならではの捉え方だ。
・『多様性を認める米国で花開いた野茂とイチロー  1995年に、ドジャースとマイナー契約を結んで米国に渡った野茂英雄さんは、トルネード投法で瞬く間に人気者になり、米国で一番有名な日本人になったし、イチローさんもメジャーリーグに新しい風を吹かせた。 野茂さんがメジャーに挑戦することになったとき、多くの日本人は「無理に決まってる」と冷たく言い放ち、イチローさんのときも「あの体格じゃ無理に決まってる」と冷ややかな見方が多かった。実際に米国で活躍してヒーローになって初めて評価した。そしてその名声を逆輸入したのだ。 そう。これこそが日本の問題であり、オコエ選手の経験が、問うていることではないだろうか。「ここから飛び降りて生まれ変わって、普通の日本人になれるかな、と考えていた。今となっては、この普通とはなんだろうといまだに考えている」と、オコエ選手が吐露したように、日本には「普通」という、至極曖昧で、それでいてとんでもなく重い“まなざし”が社会のいたるところに刷り込まれている。 日本という国が持つ「異物への厳しいまなざしの根深さ」と言い換えてもいい。 個人的な話で恐縮だが、私は9歳から米国で過ごし13歳のときに日本に帰国した。当時の日本は、「帰国子女」が珍しい存在だった。なので、毎日のように同級生が“米国帰り”の私を見物にきた。まるでパンダのようだった。 そんなある日、「事件」が起こる。学校に行ったら、上履きがズタズタに切り裂かれ、「米国帰り、ばーか!」「調子に乗るな!」「目立ちすきぎなんだよ!」と サインペンで書かれていたのだ。 その数週間前にも、1つ上の女の先輩に「目立ってるんじゃないよ!」と突然怒られたことがあったので、おそらく同級生の中に「異物である私」を快く思わない生徒がいたのだと思う。 日本に帰国してから漠然とした息苦しさを感じていたが、上履き事件でやっとその正体が理解できた。それは「普通が一番」という暗黙のルールだった。「普通」とはみんなと一緒。見た目、キャラクター、能力、思考性などのありとあらゆる場面で、「普通」が求められてしまうのだ』、「「普通が一番」という暗黙のルールだった。「普通」とはみんなと一緒。見た目、キャラクター、能力、思考性などのありとあらゆる場面で、「普通」が求められてしまう」、同質性を強く求める日本社会の狭量さが如実に表れているようだ。
・『小さな違いも許せない「普通の日本人」という価値観  米国では常に「自分MAX」になる教育を受けた。勉強好きな子は勉強し、駆けっこの速い子は陸上チームに入り、おませな女の子たちは口紅を塗り髪の毛をブリーチし、誰もが「最高の自分」を目指していた。 ところが日本では「みんなと一緒」じゃないと嫌われる。それまで「自分の意見を言いなさい」と教育されてきたのに、日本では黙っている方が安全。手を挙げて意見を言うと、ダサい、でしゃばり、目立ちたがりと揶揄(やゆ)される。それは私にとって拷問だった。だって、米国では人と違うことが前提で社会が成立していたのだ。 一方、日本社会は同質性の高い集団なので、小さな不一致が目立つ。そのことに日本人は耐えられない。不一致=目立つ存在がいることで、多数派は「普通の日本人」という意味不明の価値観で結託する。 フランスに本社がある某企業に勤める知人が、実に面白いことを嘆いていたことがある。その会社では、フランス人が日本に出張したり、転勤したりするときのためのマニュアルがあり、そこには次のような一節がある。 「スーツは紺かグレー。ネクタイはストライプ。それ以外は、日本人には受け入れられない」と。 彼にこの話を聞いたあと、大手町かいわいでビジネスマンウオッチングをしたら、笑えるほどそのとおりだった。いったい誰の指示でニッポンの会社員は “ドレスコード”を守っているのか。 毎年行われる新卒採用の合同企業説明会に“黒スーツ軍団”が押し寄せる光景も、まるで「国葬」だ。企業側がどんなに「リクルートスーツじゃなくていい」とアナウンスしても、“喪服”を選ばない学生は一向に増えない。 「人それぞれだよね~」だの「個性は大切だよね~」と言うくせに、「その方が無難だね」と、「みんな一緒」の選択をする。服装にまで「普通」を好む日本人のマインドは、平均以上効果に関する調査でも示されている。 「平均以上効果」は、「私は平均より上」と自己評価する心理で、かつては人の「基礎的な性質」と考えられてきた。例えば「あなたのリーダーシップ能力は、このクラスの中で上から何%くらいに入りますか?」という質問をした場合、「上位20%」と答える人の割合が「上位80%」と答える人より圧倒的に多く、「半分より下」と答える人はごくわずかといった具合だった。 ところが世界中で研究が蓄積され、この平均以上効果が文化的な影響を受けることが分かってきた。日本をはじめとするアジアの国々では、「私は平均より上」と答える人の割合が欧米に比べ少ない、あるいは「平均以上効果」自体が認められないケースが相次いで報告されたのだ。 そんな中、日本には日本独特の傾向があることが分かった。 平均以上効果自体は認められたが、そのサイズが欧米に比べ小さいだけでなく、「自分は普通=みんなと一緒」と考えている人ほど満足感が高いという、極めて肌感覚に近い結果が認められたのだ』、「それまで「自分の意見を言いなさい」と教育されてきたのに、日本では黙っている方が安全。手を挙げて意見を言うと、ダサい、でしゃばり、目立ちたがりと揶揄される。それは私にとって拷問だった」、大学でも学生に質問を促しても、殆どが黙っているだけのようだ。「日本には日本独特の傾向があることが分かった。 平均以上効果自体は認められたが、そのサイズが欧米に比べ小さいだけでなく、「自分は普通=みんなと一緒」と考えている人ほど満足感が高いという、極めて肌感覚に近い結果が認められた」、その通りなのだろう。
・『差別する側は気づかない地獄のまなざし  フランスの哲学者、ジャン=ポール・サルトルは、社会のまなざしをregardと名づけ、以下のように論じている。「人間は自分で選択したわけでもないのに、気づいたときには既に、常に状況に拘束されている。他人から何ものかとして見られることは、私を1つの存在として凝固させ、他者のまなざしは、私を対自から即自存在に変じさせる。地獄とは他人である」(『存在と無』より抜粋して要約)と。 私たちの言動の多くは社会との関わりの中で生まれ、他者のまなざしという、えたいのしれない空気に操られ、他者に支配されている。地獄とは他人。まさに「普通の日本人」というまなざしに、オコエ選手は心を無くしたのだろう。 ところがやっかいなことに、まなざしを注いでいる人には「まなざしに拘束される息苦しさ」も、そこに地獄が存在することすら分からない。 だから#BlackLivesMatterのデモが、日本でも行われたことに対し、「日本には黒人差別なんてないのにこの人たちなにやってんだ」と平気で罵倒したり、このデモを支持する投稿をしたテニスの大坂なおみ選手に心ない書き込みをしたりする人たちがいたのではないか。 そして、「普通」という意味不明のまなざしに、悩み、苦しみ、生きづらさを感じている人たちがいたるところに存在することすら、「普通」の人たちには理解できない。 障害のある人、LGBT、外国人、結婚しない女性、子供がいない夫婦、イクメン、などなど、普通の日本人というマジョリティーからはみ出るマイノリティーは、異物と判断され、「普通」に同化するか、排除されるか、はたまた屈辱的な扱いに耐えるかという、究極の選択を迫られる。オコエ選手と同じように、心が無くなる経験をする日本人もたくさんいる。 「今後、自分の子供ができて同じ経験をさせないようにするはどうすればいいのだろう。」 オコエ選手のこの言葉に秘められた闇は深い。実に深い。無意識に普通を求める社会。普通って、何なんだよ』、「普通」(「同質性」)を極端にまだ求める日本社会の闇は深い。一挙に打開するのは到底無理で、部分的に改善してゆく他ないのかも知れない。

次に、7月10日付けPRESIDENT Onlineが掲載した教育ジャーナリストの小林 哲夫氏による「女子アナの登竜門「大学ミスコン」は、もう全大学で中止すべきだ もう論点は「女性差別」だけではない」を紹介しよう。
https://president.jp/articles/-/36847
・『多くの大学の学園祭では「ミスコンテスト」が行われている。だが、上智大、法政大、国際基督教大などは「多様性の尊重」という観点から中止を決めた。教育ジャーナリストの小林哲夫氏は「これまでもミスコンは『女性差別』と批判されてきた。今回、さらなる論点が出てきたことで、ミスコンを中止する流れが加速しそうだ」という――』、興味深そうだ。
・『再燃する廃止論、「大学ミスコン」はこれからも続くのか  2020年4月、上智大ではコンテストの主催者が、大学祭=ソフィア祭でのミスコンを廃止すると決定し、次のような声明を出した。 「現状のミス・ミスターコンが孕む外見主義的な判断基準という問題や『ミス=女性らしさ』『ミスター=男らしさ』という性の画一的な価値観の押し付けを助長するようなコンテスト名からしても、LGBTQや多様性という観点から批判を受けることは然るべきであり、致し方ないと言わざるを得ません。(略)このような状況を鑑みて、今年度からミス・ミスターコンを廃止する決断に至り、時代に沿った新たなコンテストを開催することになりました」(2020年4月1日 ソフィア祭実行委員会コンテスト局)。 上智大がミスコンを廃止した理由として、「LGBTQや多様性という観点」をあげている。これと同じ理由でミスコンをいっさい認めないと宣言した大学があった。法政大である。昨年11月、同大学は田中優子総長名義でこう訴える。 「本学では、2016年6月に『ダイバーシティ宣言』を行いましたが、ダイバーシティの基調をなすのは『多様な人格への敬意』にほかなりません。『ミス/ミスターコンテスト』のように主観に基づいて人を順位付けする行為は、『多様な人格への敬意』と相反するものであり、容認できるものではありません」(大学ウェブサイト 2019年11月29日)』、「ソフィア祭実行委員会」では、新企画Sophian's Got Talent、Sophian's Contest、で候補者の人間性やスキル、SDGsなど社会への歩み寄りといった内面を競うものとしている。
https://www.sophiafes.com/
・『「多様性の尊重」という新しい潮流  こうした動きは10年ほど前からあった。 2011年、国際基督教大では、学生がミスコンについて、「多様な人間のあり方が尊重」されなければならないことを理由に反対し、それ以降、開催されていない。当時、「ICUのミスコン企画に反対する会」がこう訴えている。 「私たちは、人種的、身体的、階級的に画一的な女性の美のイメージの強化をもたらし、女性の性的対象化の道具として機能してきた歴史をもつミスコンに、そもそも反対します。ですから私たちは、ICUの外においても、差別的な電車の釣り広告やミスコンに反対します。基本的な人権、および多様な人間のあり方が尊重される社会をめざす私たちは、当然ICUでのミスコン開催にも反対します」(同会のウェブサイト)。 上智大、法政大、国際基督教大で唱えられた、多様性を尊重するという気運は、さまざまな性のあり方が尊重される、たとえば、トランスジェンダーの人たちが快適に生活できる社会づくりを目ざすものだ。人権問題でもある。大学、学生のこうした理念と大学ミスコンはおよそ相容れない、というわけである』、「ミスコン」ぐらい、目くじらを立てなくてもと思うが、時代の要請なのだろう。
・『女性差別批判をよそに広がった「大学ミスコン」  大学ミスコンへの風当りの強さは、きのう今日はじまった話ではない。常に批判がついてまわった。大学ミスコンは1970年代後半から各地で広まっているが、当初から女性に対する差別として厳しい批判を受けてきた。 1978年、名古屋大では大学祭で予定されていた「ミス・キャンパスコンテスト」が、女性問題研究会からの抗議を受けて中止となった。同会はこう訴えている。 「出場した女性に賞品を与えることで女性を商品化し、しかもそれが男性にとっての商品、見せ物、人形であることは女性が男性にとっての性的対象物であるという歴史的な男性中心の論理をそのまま受け継ぐものである。」(『週刊朝日』1978年6月23日号) 1987年、東京大駒場祭で「東大生GALコンテスト」では乱闘騒ぎが起きている。東京大学新聞がこう伝えている。 「開会後しばらくして、急に会場内の照明が消され、数ケ所で爆竹が鳴らされ、様々な姿に変装して花火のようなものを手にした学生がつぎつぎと舞台にあがった。主催者側と合わせて約四十人が舞台上で乱闘状態となり、会は中止となった。乱闘の中で、水をかけたりイスを投げた者もあった」(同新聞1987年11月24日) しかし、大学ミスコンは廃れることはなかった。 1980年代半ばから1990年代にかけて、「女子大生ブーム」が起こり、女子学生がたいそう注目されたことも大きい。一方で、ミスコンに登場したいという女子学生も増えた。その動機には「自分を磨きたい」「キャリアアップとしたい」などがあり、女性差別という批判を打ち消さんばかりの勢いだった』、歴史的にも賛否両論が対立してきたようだ。
・『ブランド化し、協賛企業が群がった「ミス慶應」  1990年代から2000年代、かつてミスコンを粉砕した強硬な「反対勢力」はほとんどなくなった。バブル経済はとうに崩壊し、ITバブルを迎えるがそれもはじける中、大学ミスコンは元気だった。 なかでも、「ミス慶応」は大学ミスコンのなかで圧倒的なブランド力を持っていた。ミスコンを主催するのは広告学研究会である。彼らは「ミス慶応」といいイベントの流れを次のように話している。 「候補者は広研のホームページの告知と学内のポスター掲示によって募集しました。また、自薦、他薦だけでなく私達がスカウトした方もいます。それは四五月に行いました。そして、六月に日吉でお披露目イベント、七月には七夕祭への参加、八月には当サークルが経営している海の家でのイベントというように学内でのプロモーションを積極的に行いました。そして今年十月十六日、十七日は109でのプレイベントを開催しました。このプレイベントと三田祭での会場投票、Web投票、携帯での投票数によって『ミス慶応』は決まります」(慶應塾生新聞2004年11月10日号) 「ミス慶応」には、協賛企業が群がっていた。2000年代後半、こんな報道がある。 「優勝者への賞品も豪華で、06年のミスには、外車のBMWが贈られた。昨年はティアラだった。(略)協賛金の総額について、研究会は教えられないとしているが、慶大広報室によれば、数百万円規模という」(朝日新聞2009年11月16日)』、「06年のミスには、外車のBMWが贈られた。昨年はティアラだった」、さすが『ミス慶応』だけあったようだ。
・『「女子アナの登竜門」不祥事連発でも注目される理由  これほどまでに熱狂しエスカレートしたのは、大学ミスコンが社会的に影響力を持つようになったからだ。「ミス○○大学」はメディアでもてはやされてしまう。そして、何より大きいのはアナウンサーの登竜門の役割を果たしことだ。 TBSの元アナウンサーがこんな話をしてくれた。 「アナウンサー採用にあたってミスコン入賞者を現場のアナウンス室がダメ出しをしても、なぜか最終面接まで残ってしまう。幹部、役員レベルがはじめにミスコン入賞者ありきでピックアップさせたからです。それで失敗したケースはいくつもあるんですけどね」 慶應義塾大のミスコン出身のアナウンサーには中野美奈子、秋元優里、細貝沙羅、小澤陽子(以上、フジテレビ)、小川知子、青木裕子、宇内梨沙(以上、TBS)、竹内由恵、桝田沙也香(以上、テレビ朝日)などがいる。 「ミス慶応」のブランド力は大きい。それを運営する広告学研究会の学生たちの感覚はときにマヒすることがあるようで、不祥事をよく起こす。2009年、同会部員が駅構内を裸で走るなどして書類送検される。2016年には部員が女性部員を泥酔させて集団で強姦、動画まで撮影されたと報じられる。 2019年、2つの団体が慶應ミスコンを企画したが、のちに一団体が取りやめるというゴタゴタがあった。大学当局もかなり気にしており、公式にこんな告知を出している。 「近年、学外において、『ミス慶応』あるいはそれに類する名称を掲げたコンテストが開催されていますが、それらを運営する団体は本学の公認学生団体ではなく、コンテスト自体も慶應義塾とは一切関わりがありません。しかしながら、それらのコンテストには本学の学生も参加しており、一部報道に見られるようなトラブルも発生しています。本学はこうした事態を深く憂慮しており、状況によって今後の対応を検討していきたいと考えます」(大学ウェブサイト 2019年9月)。慶應義塾大学ウェブサイトより』、「広告学研究会・・・不祥事をよく起こす・・・2016年には部員が女性部員を泥酔させて集団強姦、動画まで撮影」、これはよく覚えているが、確かにお粗末な事件だった。
・『学生、参加者、企業が築いた「ウインウインの関係」  それでも大学ミスコンはなくならない。学生はキャンパスを盛り上げたい、参加者はミスコンに出てキャリアアップにつなげたい、企業はミスコン活用で商品宣伝し金儲けしたい、などのさまざまな思惑で利害が一致してしまうからだ。ウインウインの関係が成り立つ以上、やめられないようだ。 ミスコンが盛んな大学は青山学院大、立教大、学習院大、そして東京大などがある。なお、早稲田大は2000年代に入って、「早稲田」と名のつくミスコンは禁じられている。同大学学生部はこう話している。 「きちんとした審査員がいるわけでもなく、容姿で女性を選ぶのは、どんな口実をつけてもダメです」(朝日新聞2009年11月6日)。 今年、東京大学新聞がミスコン開催の是非を問う記事を掲載した。反対する「ミスコン&ミスターコンを考える会」はこう訴える。 「女性は日々否応なしに外見や『女子力』などを男性に評価され、苦しむ人もます。コンテストはこうした日常的な行為を大々的に学園祭の企画として行い追認するものです。(略)コンテストは支持者が男性であろうと女性であろうと、ある一定の「女性はこうあるべき」というジェンダー規範を再生産し社会に浸透させています。このジェンダー規範が多くの女性を傷つけているのです」。 この主張について、「ミス東大」となった女子学生は次のような談話を寄せている。 「自分の人生を自分で切り開きたい人にとっていい機会だと思う、ミスコン自体は表面的な美の闘いだけではないと思う」(賛否いずれも、東京大学新聞2020年4月7日号)』、「ミス東大」の言い分はやはり手前勝手な印象だ。
・『「多様性の尊重」の潮流がもたらすインパクト  女性差別を助長する。これまで大学ミスコンへの批判はこのような視点がメインだった。ところが、はじめに紹介した上智大、法政大、国際基督教大のように「多様性の尊重」が加わったことで、大学ミスコンを批判する層は広範囲になるとみていい。 昨今、LGBTQなど、さまざまな性のあり方を抱える人たちを差別してはならない。尊重し共に生活していこうという考え方であり、世界じゅうで広がっている。これは人権の尊重、平等社会を根底とするテーマであり、黒人差別反対運動など同じ潮流と言える。 人間が等しく生きる、だれもが尊重される社会を築くために、先人が多くの思想を残してきた、それは教養知、学問知と言ってもいい。 そういう意味で、大学という知の最先端の場では、「多様性の尊重」とは相容れないとされるミスコン開催は、問われることになるだろう。実際、海外の大学でミスコン開催は少ない。たとえば、「ミス・ハーバード」「ミス・ケンブリッジ」などは聞いたことがない』、確かに「大学でミスコン」と「多様性の尊重」とは相性が悪いようだ。
・『今こそ大学の矜持を示すべき  もう、大学ミスコンはやめるべきではないか。 大学がアカデミズムという自覚を持ちたければ、「多様性の尊重」を追求するために。 慶應義塾大はこう掲げている。「自他の尊厳を守り、何事も自分の判断・責任のもとに行うことを意味する、慶應義塾の基本精神です」(大学ウェブサイト)。ならば、「自他の尊厳を守」るためにも。諸外国から非難されたので大学ミスコンをやめる、などという、外圧に弱い日本らしい、恥ずかしい思いをしないよう、大学は考えてほしい。 ミスコン廃止について、「ひがみはないか」「たかがコンテストなのに」「女性が出たいといっているのに」「美人を評価して何が悪い」などという意見に、大学あるいは学生が理路整然と答えていく。それが大学の矜持だと思う』、「大学ミスコンはやめるべき」だが、その大きなカギを「慶應義塾大」が握っているようだ。

第三に、9月18日付け日経ビジネスオンラインが掲載したコラムニストの小田嶋 隆氏による「一億総祖父母時代に、大坂なおみ選手をたたえる」を紹介しよう。
https://business.nikkei.com/atcl/seminar/19/00116/00086/?P=1
・『菅義偉氏が第99代の内閣総理大臣に就任した。各メディアは新首相および新内閣の話題で持ち切りだ。 私個人としては、「ああそうですか」と申し上げる以外に伝えるべき言葉が見つからない。 もう少し事態がはっきりしてきたら、あるいは、何かを言うことになるかもしれないが、何も言わないかもしれない。私が何かを言う前に、政権の方が倒れているかもしれない。どっちにしても、先のことはわからない。 今回は、大坂なおみ選手の全米オープンテニス大会での優勝をめぐって、いくつかのメディアで取り上げられた話題を振り返ってみたいと思っている。 この話題には、いくつかの重要な問題の糸口が顔をのぞかせている。その「いくつかの重要な問題」を思いつくままに箇条書きにすれば、 アメリカにおける黒人差別の問題に、われら日本人は、どのようなスタンスで関与すべきであるのか。 スポーツ選手や芸能人などの著名人が社会的な問題や政治的な事象について発言することを、わたくしども一般人はどう受け止めたら良いのか。 女性のスポーツ選手を「真央ちゃん」「なおみちゃん」と、いつまでたっても「娘呼び」にしたがる国民の心情の奥底には何が隠されているのか。 女性差別や人種差別など、なんであれ差別について発言する人間を「反差別界隈」などと呼んで揶揄したがる人たちの真意は那辺にあるのだろうか。 という感じになる。 最初の黒人差別問題についての議論は、一見、わりと単純に見える。 というのも、原則論を述べるなら、どこの国の誰に対する差別であれ、人間が人間を差別することは、許されないことであるはずだからだ。 してみると、不当な差別に抗議の声を上げている人々を支援するのが21世紀の人間として当然の反応だということになる。 ただ、世界は原理原則だけで動いているわけではない。 たとえばの話、中国政府によるウイグル人やチベット民族への差別待遇に抗議の声を上げている人たちは、アメリカの黒人差別に比較的冷淡だったりする。逆にアメリカの黒人差別問題を取り上げることに熱心な論客は、ウイグル、チベットの問題にはさしたる関心を示していないケースが多い。 これらの問題への評価は、差別が良いとか悪いとかいった原則の話よりも、差別に関与している人々と、それを話題にしている人々の関係の近さをより大きく反映している。 であるから、中国政府に難癖をつけたいと考えている人々は、なにかにつけてウイグル・チベットの話題を持ち出したがるし、逆にアメリカの現政権に言いがかりをつけたいと考えている向きは、彼の国の国論を二分している黒人差別問題を話題にしたがる。そういうことになっている。 大坂なおみ選手が全米オープンテニスのコート上に持ち込んだBLM(Black Lives Matter)についても、人々の反応は一様ではなかった。 わかりやすい例をひとつご紹介する。 大坂なおみ選手が優勝を決めた9月14日、自民党所属の参議院議員・松川るい氏がこんなツイートを投稿した。(←現在は削除済み) 《大坂なおみさん、優勝おめでとうございます!! 優勝だけでも凄いのに、7枚のマスクに込めたメッセージは凄いインパクトを米国に世界に与えました。日本人として誇りに思います。米国警察は黒人の命を軽視するのをやめてほしい。》 すると、このツイートに対して、主に自民党の支持層から反発が殺到する。 代表的なご意見としては 「大坂なおみは無謬ではない」「アメリカの警察が黒人の命を軽視していると断じるのは軽率」「国会議員が公の場で発信することではない」「民主党に利用されている」「暴力的な暴動に発展している運動を無批判に支援するのか」といったあたりだったろうか』、「松川るい氏」の「ツイート」は「自民党議員」らしからぬ内容で、「主に自民党の支持層から反発が殺到」、あり得る話だ。
・『で、これらの批判にこたえる形で、松川るい議員は、9月16日午後、《下記Twitterについて。殆どの警官の皆様は命懸けで市民を守っています。それにもかかわらず、軽率なコメントをしてしまったことを関係者の方々に心からお詫び申し上げます。本当に申し訳ありませんでした。》 と、既に削除・撤回した9月14日のツイートのスクリーンショットを添付した上で謝罪を発信した。 以上に見るように、BLMへの反応は 「差別に反対しているのだから善意の運動であるに決まっている」 というシンプルな見方に終始するものではない。 当然、「人種間の複雑な対立感情を大統領選挙のための投票行動に結びつけるための策動のひとつだ」というおなじみの方向から警戒する人々もいれば、中には「裏では中国共産党が糸を引いている」というトンデモな陰謀論を持ち出して批判する向きもある。 運動そのものへの個々人の評価とは別に、米国内では、トランプ支持派/反トランプ陣営、あるいは、共和党支持層/民主党支持層の別によって、運動への評価が180度異なっていたりする。もちろん、米国外でも、論者が親米/反米、親中/反中のいずれであるかによって運動へのスタンスはまるっきり違っていたりする。それらの立場の違いとは関係なく、とにかくデモ全般を嫌う人たちもいれば、どんな体制に対してであれ、反体制の旗を掲げることそのものへの忌避感を隠さない人々もいる。 いずれにせよ、BLMへの評価は、運動の実態そのものよりも、それを見つめる人々の立ち位置をより大きく反映している。 私個人は、BLMを、米国の歴史を正面から問い直す歴史的な運動として眺めている。その意味で、この運動を大統領選挙の戦術であるとか民主・共和両党の対立だとかいった短期的で政治的な戦術の問題に矮小化している人々は、いくらなんでも視野が狭すぎると思っている。 そう考えてみると、大坂なおみ選手は、まさに米国の歴史の一大転換期に立ち会う形で、その一部として、大切な役割を担っているわけで、その大舞台で堂々と振る舞ったその彼女の知性のしなやかさと勇気は、最大限に評価せねばならない。みごとだと思う。 ところが、うちの国のSNSでは、その大坂なおみ選手の行動に対して 「テニス選手ならテニスのプレイでアピールしてほしい」「政治的な問題をコートに持ち込まないでほしい」「スポーツ選手がスポーツのファンに上から説教をする態度には反発を感じる」といった調子の反発の声が大量に寄せられている。 これらの声に対しては、大坂なおみ選手本人が、9月16日付で、以下のようなコメントをツイッターのタイムラインに発信している。 《All the people that were telling me to “keep politics out of sports”, (which it wasn’t political at all), really inspired me to win. You better believe I’m gonna try to be on your tv for as long as possible.》 ちなみに、ツイッターの「翻訳」ボタンを押した結果は以下の通り。  《「政治をスポーツから遠ざける」ようにと私に言っていたすべての人々(それはまったく政治的ではありませんでした)は、本当に勝つために刺激を受けました。私はできるだけ長くテレビに出演するつもりだと信じた方がいいです。》 なるほど。翻訳がやや生硬なので補足すると、こんな感じだろうか。 《私が勝てたのは「スポーツに政治を持ち込むな」と言ってきた人たちのおかげです(実際、黒人の生命の問題は政治以前の問題ですが)。私はあなたたちの見ているテレビに一秒でも長く映るつもりなのでよろしくね。》 なんとみごとなリターンエースではないか。 私が付け加える言葉はひとつもないのだが、それではこっちの商売が立ち行かないので、以下、いくつか蛇足を並べてみる』、「大坂なおみ」の「ツイッター」発信は確かに「みごとなリターンエース」だ。
・『スポーツ選手でも歌手でも、あるいはコラムニストでも絵描きでも同じことだが、自分の顔と名前を世間に晒した上で、自分の作品なり技倆なりを売っている人間は、知名度を足がかりに稼いでいることに伴う責任と覚悟を持っていなければならない。 その責任とは、自分の発言や行動が人々に大きな影響を与えることへのあらかじめの決意であり、覚悟というのは、その影響によってもたらされる結果を引き受ける心構えのことだ。 であるからして、アイドルであれ作曲家であれ、世間に名前や顔を晒している人間は、自分の言動がもたらす社会的な影響力に無知であってはならない。 もちろんこれは、「発言してはいけない」ということではないし 「発言せねばならない」ということでもない。 具体的な指針としては、「自分の発言がどんなふうに波及するのかをよく考えた上で発言すべきだ」ということになる。 その点において、大坂なおみさんは、十分に思慮深かったと思う。 巨大な知名度を持っている人間が軽率に発言すべきでないことは、たしかにその通りではある。 しかしながら、その一方で、知名度を持った人間が、自身の知名度に見合った発言を心がけることもまた、大切な覚悟だと思っている。 どういうことなのかというと、大坂選手のような立場の人間(ワールドクラスの著名なアスリート)は、たとえば、BLMのような運動について、黒人として、女性として、アスリートとして、あるいは複数の民族ならびに複数の国籍、文化を代表する人間として、自分なりの見解を表明することを期待されているということだ。 当該の問題について、考えがまとまっていないのであれば、沈黙してもかまわない。また、考えがあっても、その考えを堂々と表明することに気後れを感じるのであれば、その場合も黙ることは決して恥ではない。 ただ、ある程度まとまった考えを持っているのであれば、それを率直に表明することを期待されている立場の者として、発言することは決して「出過ぎたマネ」ではない。 自分が発言したことの反響を受け止める覚悟ができているのであれば、自身の知名度を活用して広く世界に自分の考えを訴えることは、意義のあることだ。 そして、知名度の反作用をすすんで引き受けることは、21世紀という情報社会にあっては、著名人に求められる責任のひとつですらある。 もちろん、テニスの選手は政治の専門家ではないし、社会的な様々な問題についての研究者でもない。大坂なおみ選手とて、テニスが上手であることを除けば、あたりまえな22歳の若い女性に過ぎないのだろう。 とはいえ、あたりまえな22歳の若い女性であるからという理由で、自由な発言が許されないということはあり得ない。どんな立場のどんな人間であっても、アタマの中にある考えを自分の口で表現する権利は等しく持っている。それは有名人であろうと勤め人であろうと学生であろうと同じことだ。 とすれば、世界中にいる22歳の等身大の女性の一人として、リキまずに自分の中にある率直な心情を表明する手段を持っている人間が、思っているそのままを表現することは、価値のあることだ。 ところが、実際には、大坂なおみ選手のような若い女性のアスリートの場合、とりわけその政治的発言が疎まれる背景がある。 なぜというに、女性アスリートに関しては、スポンサーやファンやスポーツマスコミが総力をあげて、 「なおみちゃん」と呼びかけ得るイメージを着せかけにかかる風潮が、いまだに消えていないからだ。 「真央ちゃん」「ミキティ」「愛ちゃん」「桃子」「さくら」「聖子」と、メディアは、女性アスリートを、同じ教室で学ぶ同級生の女子か、でなければ自分の「娘」みたいな呼び名で呼ぶことを好む。そうすることで、彼女たちの人柄を、実態よりずっと幼いイメージの中に閉じ込めようとするのだ』、「自分が発言したことの反響を受け止める覚悟ができているのであれば、自身の知名度を活用して広く世界に自分の考えを訴えることは、意義のあることだ。 そして、知名度の反作用をすすんで引き受けることは、21世紀という情報社会にあっては、著名人に求められる責任のひとつですらある」、その通りだ。「女性アスリートに関しては、スポンサーやファンやスポーツマスコミが総力をあげて、 「なおみちゃん」と呼びかけ得るイメージを着せかけにかかる風潮が、いまだに消えていない」、困った傾向だ。
・『理由は、たぶん、その方が扱いやすいからでもあれば、キャラクター商品の売り上げに貢献するからでもあるのだろう。 このスポーツマスコミによる「娘呼び」問題については、10年前のバンクーバーオリンピックの直前に当欄で原稿を書いたことがあるのだが、残念なことにリンク切れになっている。 自分のブログに再掲しておいたので、興味のある向きは見に行ってみてください。 コロナ下の断末魔にあえぐわれらがスポーツメディアは、この期に及んで、いまだに女性アスリートを「娘」や「孫」のように扱いたがる。 このことは、スポーツ観戦者たるわれわれが、孫の運動会を見に行く祖父母の目線で競技を眺めていることを物語っている。 一億総祖父母。 いやな時代に生まれ合わせてしまったものだ。 最後に、大坂なおみさんのツイッターに向けて、大量に寄せられた反発と非難のリプライを眺めながら考えたことを記録しておく。 女性差別でも黒人差別でも、あるいは沖縄の人々への不当な扱いへの抗議でも、いつも同じタイプの罵倒の書き込みを繰り返す人々がいて、その中には、いわゆる「ネトウヨ」に分類される人たちが大量に含まれている。 このことは、もはや誰もが知っている退屈な事実でもある。 実際、大坂なおみさんに醜い言葉をぶつけている人々の7割以上は、いわゆる「ネトウヨ」と呼ばれる人たちだった。 この人たちに対して、私の方から特に伝える言葉はない 逆に言えばだが、私は、あの人たちには、何を言っても無駄だと思っている。 彼らは、あるタイプの動員の笛に呼応して集結した、個体識別不能なボット型プログラムみたいなものだ。マジメに応対すべき対象ではない。 むしろ、面倒なのは、ネトウヨとは別の人たちだ。 ネトウヨとはまるでタイプの違う、もう少し知的なものの言い方で大坂選手をやんわりとたしなめにかかっている人たちこそが、実は、差別を固定することに最も熱心に情熱を傾けている人々なのである。 彼らは、たとえば大坂選手に 「あなたは、他人の差別を指摘できるほど完璧な人間なのですか?」という感じの質問を投げかけていたりする。 これは、一見すると、なんということもない自然な問いかけに見える。しかしながら、この問いは、実のところ、相当に念の入った嫌味を含んでいる。 事実、この問いは、翻訳すれば 「完璧な人間でなければ他人の差別を指摘できるはずはないと思うのですが、あなたはその完璧な人格者なのですか?」 という厄介なトラップ(罠)でもある。 差別の問題を扱うと、必ずこの種のトラップに手を焼くことになる。 というのも、反差別の運動を敵視する人々(彼らは、差別に反対する人々を「反差別界隈」という呼び方で分類していたりする)は、「反差別運動に従事している人間こそが、差別を助長している」という魔法のような論陣を張って、差別への抵抗運動を貶めにかかっている人々でもあるからだ』、「「反差別運動に従事している人間こそが、差別を助長している」という魔法のような論陣を張って、差別への抵抗運動を貶めにかかっている人々でもある」、高度な攻撃手法のようだ。
・『彼らの理屈はこうだ。反差別の人々は、差別を絶対悪として敵視している。それゆえ、彼らは自分たちの中には、絶対に差別意識が存在しないという自覚を抱いている。で、彼らは、世界を「差別意識を持っている邪悪な彼ら」と「差別意識を持たない正しく清潔な自分たち」の2つに分断して、邪悪な人間たちを叩く運動に邁進する。その結果、反差別運動に従事している人間たち自身の中にある差別意識は、抑圧、否定され、こじれた攻撃欲求となって他者に向かう。 なんだか手品みたいな理屈だが、これを信じている人間は、少なくない。悪夢みたいだ。 「あなたは他人の差別を指摘できるほど完璧な人間なのですか?」 という問いは、一方で 「完璧な人格者以外は他人の差別を指摘してはいけない」 という不可能な禁忌を設定しにかかっている。 さらに、もう一方の側面では、論敵を 「はいそうです、私は差別意識なんか持っていない倫理的に完全な人間です」というあり得ない立場に追い込もうとする罠を仕掛けている。 最初の前提に戻って言うなら 「不完全な人間同士が、お互いの差別を注意し合うことでわたくしども人類の社会は少しずつ前進して行くのですね」 というのが、われわれすべての人間の例外のない立ち位置なのであって 「完全な人間でなければ他人の非を指摘してはいけない」という前提の方が明らかに狂っているという、それだけの話なのだ。 どんな人間であれ、差別意識をまったく持っていないなんてことはあり得ない。あたりまえの話だ。こんなことは、私がいまさらことあげて言うまでもなく、誰もが認めている21世紀の常識に属する話だ。 差別に反対している人々が、自分たちの中の差別意識を絶対に認めない人々であるのかというと、そんなこともない。少なくとも、私の観察範囲では、そういう人間には会ったことがない。 あるいは、広い世の中には「自分は絶対に差別なんかしないし、差別する気持ちを持ったこともありません」と言い張る人間もいるのかもしれない。しかし、そういう人は、そもそも差別に反対する運動には冷淡なタイプなのではなかろうか。 差別に反対している人たちの多くは、 「誰もが持っている差別の気持ちや、自分でも気づかずにいる差別感情も含めて、差別には注意しないといけない」「仮に差別意識がすぐには消えないのだとしても、それをなるべく外に出さないように努力するのが現代の人間に求められる心がけですよね」 「すべての差別がすぐに根絶できなくても、それらを少しずつでも減らすように努力していこうではありませんか」 といった程度のことを繰り返しているに過ぎない。 その「反差別界隈」の人々を 「お前たちは差別者で、われわれは差別糾弾者だ」てな調子で、世界を分断しにかかる狂信者の悪党として描写せねばならないのは、たぶん、差別を指摘された人々の中に、その指摘を 「上から」言われたと思い込んだ人がいるからなのではあるまいか。 もしかして、彼らは、22歳の「女の子」に何かを教えられたことを、屈辱と感じるタイプの感受性を持っているのだろうか。 本当は、こんな話に上も下もないのである。誰かが誰かを差別していることに心を痛めるのは、あたりまえな人間のあたりまえな心情であるに過ぎない。 ところが、反・反差別界隈の人たちは、そのあたりまえな市民のあたりまえな心情を 「お気持ち」というような言葉で揶揄嘲笑していたりする。 理性とは、感情を軽んじることではない。 こんなバカバカしい、1たす1は2ですよ、みたいな、あまりにもあたりまえな話は、できれば文章にしたくなかった。 残念だ。 大坂なおみさんは、不当に殺害された実在の黒人の被害者たちの名前をもう一度思い出してほしい旨を訴えたに過ぎない。 彼女は、自分だけが正しくて、それを認めない世界が間違っていると宣言したのではない。 その十分に抑制のきいた彼女の落ち着いたメッセージを、平常心で受け止めることができなかった人々の圧力に屈して不必要な謝罪を表明した議員さんには、もう一度謝ってほしいと思う。 誰も間違っていませんでした、と』、「反・反差別界隈の人たちは、そのあたりまえな市民のあたりまえな心情を 「お気持ち」というような言葉で揶揄嘲笑していたりする」、全くイヤラシイ姿勢だ。「その十分に抑制のきいた彼女の落ち着いたメッセージを、平常心で受け止めることができなかった人々の圧力に屈して不必要な謝罪を表明した議員さんには、もう一度謝ってほしいと思う」、同感である。
タグ:(その4)(黒人差別問題から省みる日本人の「普通」地獄、女子アナの登竜門「大学ミスコン」は もう全大学で中止すべきだ もう論点は「女性差別」だけではない、小田嶋氏:一億総祖父母時代に 大坂なおみ選手をたたえる) 人権 その十分に抑制のきいた彼女の落ち着いたメッセージを、平常心で受け止めることができなかった人々の圧力に屈して不必要な謝罪を表明した議員さんには、もう一度謝ってほしいと思う 反・反差別界隈の人たちは、そのあたりまえな市民のあたりまえな心情を 「お気持ち」というような言葉で揶揄嘲笑していたりする 「反差別運動に従事している人間こそが、差別を助長している」という魔法のような論陣を張って、差別への抵抗運動を貶めにかかっている人々でもある 女性アスリートに関しては、スポンサーやファンやスポーツマスコミが総力をあげて、 「なおみちゃん」と呼びかけ得るイメージを着せかけにかかる風潮が、いまだに消えていない 自分が発言したことの反響を受け止める覚悟ができているのであれば、自身の知名度を活用して広く世界に自分の考えを訴えることは、意義のあることだ。 そして、知名度の反作用をすすんで引き受けることは、21世紀という情報社会にあっては、著名人に求められる責任のひとつですらある 「みごとなリターンエース」 大坂なおみ 「松川るい氏」の「ツイート」は「自民党議員」らしからぬ内容 「一億総祖父母時代に、大坂なおみ選手をたたえる」 小田嶋 隆 今こそ大学の矜持を示すべき 「大学でミスコン」と「多様性の尊重」とは相性が悪い 「多様性の尊重」の潮流がもたらすインパクト 学生、参加者、企業が築いた「ウインウインの関係」 広告学研究会 「女子アナの登竜門」不祥事連発でも注目される理由 さすが『ミス慶応』だけあったようだ 06年のミスには、外車のBMWが贈られた。昨年はティアラだった ブランド化し、協賛企業が群がった「ミス慶應」 女性差別批判をよそに広がった「大学ミスコン」 「多様性の尊重」という新しい潮流 候補者の人間性やスキル、SDGsなど社会への歩み寄りといった内面を競う Sophian's Contest Sophian's Got Talent ソフィア祭実行委員会 再燃する廃止論、「大学ミスコン」はこれからも続くのか 「女子アナの登竜門「大学ミスコン」は、もう全大学で中止すべきだ もう論点は「女性差別」だけではない」 小林 哲夫 PRESIDENT ONLINE 「普通」(「同質性」)を極端にまだ求める日本社会の闇は深い 差別する側は気づかない地獄のまなざし 日本には日本独特の傾向があることが分かった。 平均以上効果自体は認められたが、そのサイズが欧米に比べ小さいだけでなく、「自分は普通=みんなと一緒」と考えている人ほど満足感が高いという、極めて肌感覚に近い結果が認められた それまで「自分の意見を言いなさい」と教育されてきたのに、日本では黙っている方が安全。手を挙げて意見を言うと、ダサい、でしゃばり、目立ちたがりと揶揄される。それは私にとって拷問だった 小さな違いも許せない「普通の日本人」という価値観 「普通が一番」という暗黙のルールだった。「普通」とはみんなと一緒。見た目、キャラクター、能力、思考性などのありとあらゆる場面で、「普通」が求められてしまう 多様性を認める米国で花開いた野茂とイチロー 幼少期に私が米国に住んでいたときも、ティーンになって留学したときも、大人になって米国人の友人とお酒を交わしたときも、「私たち日本人には理解できない“感情”」を、たびたび感じてきた。それは外からは決して見えない、皮膚の下に潜んでいるものだった 米国には日本人が決して理解できない「感情」がある 米国に端を発した差別反対の動き 保育園で先生が」「親の似顔絵を書くとき、顔は肌色で描きなさいと言われた オコエ瑠偉選手 「黒人差別問題から省みる日本人の「普通」地獄」 河合 薫 日経ビジネスオンライン
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