公務員制度(その6)(経産省 続発するスキャンダルより大きな問題は「産業政策の失敗続き」、遅すぎた子育て世代支援 求められる財政拡充 「こども庁」は必要か 現場からあがる厳しい本音、中村格・新警察庁長官は本部長未経験でトップ就任…「一度は現場を」の不文律が崩れ “政権の腰巾着”だけが出世する) [国内政治]
公務員制度については、7月4日に取上げた。今日は、(その6)(経産省 続発するスキャンダルより大きな問題は「産業政策の失敗続き」、遅すぎた子育て世代支援 求められる財政拡充 「こども庁」は必要か 現場からあがる厳しい本音、中村格・新警察庁長官は本部長未経験でトップ就任…「一度は現場を」の不文律が崩れ “政権の腰巾着”だけが出世する)である。
先ずは、7月14日付けNewsweek日本版が掲載した経済評論家の加谷珪一氏による「経産省、続発するスキャンダルより大きな問題は「産業政策の失敗続き」」を紹介しよう。
https://www.newsweekjapan.jp/kaya/2021/07/post-149_1.php
・『職員によるコロナ支援金制度の悪用や、東芝の株主総会への介入疑惑......。だが最大の問題は時代に合わない産業政策だ> 経済産業省のキャリア職員2名が、コロナ対策の支援金制度を悪用して逮捕されるという信じ難い事件が発生した。同省をめぐっては、東芝の株主総会への不正介入疑惑など、行政運営の透明性が問われていた。しかも同省の産業政策はこのところ失策が続いており、一部からは組織的な問題も指摘されている。場合によっては省の存在意義すら問われかねない状況といってよいだろう。 経済産業省(旧通商産業省)は日本の産業政策を一手に担ってきた官庁だが、近年、失策ばかりが続いている。最も大きいのは半導体産業に対するずさんな支援策だろう。 かつて世界シェアトップを誇っていた日本の半導体産業は1990年代以降、急速に競争力を失い、後発の韓国勢や台湾勢に完敗した。経産省は「日の丸半導体復活」という勇ましい目標を掲げ、エルピーダメモリやルネサスエレクトロニクス、ジャパンディスプレイなど、国策半導体会社、あるいはそれに準じる合弁企業の設立を促し、政府系ファンドなどを通じて多額の公費を投入してきた。 だがエルピーダは倒産。ルネサスも一時、経営危機に直面し、ジャパンディスプレイは現時点でも巨額赤字を垂れ流している状況だ』、かつては、米国から「悪名高い経産省」と一目置かれていたのとは様変わりだ。
・『高度成長は本当に政策のおかげ? 加えて同省には、経営危機に陥った東芝を支援するため、株主総会に不正介入した疑いが持たれている。同省は介入を否定しているが、資本市場の常識として政府による不正介入疑惑が生じた段階で、既に国益を大きく損ねている。 経産省の産業政策は、特定の産業分野に的を絞り、各種の補助金や優遇税制、外国企業の参入規制などで育成を図る、いわゆるターゲティング・ポリシーと呼ばれる手法である。日本の高度成長は一連の政策で実現したとの主張があるが、戦後の産業発展の歴史を冷静に分析すると、必ずしもそうとは言い切れない。 確かに一部の業界では経産省の支援が功を奏したケースもあったが、一方で同省は国内自動車メーカーの多くを不要と見なし、60年代に特定産業振興臨時措置法を通じて再編を試みるなど致命的な判断ミスをしている(同省の要請を産業界が受け入れていたら、日本の自動車産業は消滅していただろう)。 60年代後半には太平洋ベルト地帯に集中していた重化学工業を青森県下北半島にシフトさせる「むつ小川原開発計画」を立案したものの、進出する企業がなく頓挫。その後、同地域を核燃料サイクル施設の拠点としたが、巨費を投じた核燃料サイクル計画そのものが宙に浮いた状況にある。 80年代には高性能コンピューターの開発を目指す「第5世代コンピュータ」計画や、ソフトウエア開発の高度化を目指す「シグマ計画」などを実施したが、ことごとく失敗している。日本の産業界で生き残ったのは政府に頼らなかった業界ばかりであり、半導体産業への支援も同じ文脈で捉える必要がある。 ビジネスに疎い公務員がイノベーションの未来を予想するのが困難であることや、企業の自由な活動を促進する政策誘導こそが最良の産業政策であることは、ほぼ全世界的なコンセンサスとなっている。同省は一時期、時代に合った産業政策を模索する動きを見せたことがあったが、近年になってなぜかその動きを止めてしまった。今こそ本腰を入れて基本戦略を見直す時期に来ているだろう』、「企業の自由な活動を促進する政策誘導こそが最良の産業政策であることは、ほぼ全世界的なコンセンサス」、「今こそ本腰を入れて基本戦略を見直す時期に来ている」、その通りだ。
次に、8月6日付け東洋経済Plus「遅すぎた子育て世代支援、求められる財政拡充 「こども庁」は必要か、現場からあがる厳しい本音」を紹介しよう。
https://premium.toyokeizai.net/articles/-/27687
・『政府が創設を目指している「こども庁」。貧困や虐待、少子化など子どもをめぐる課題は山積みだが、新省庁はこうした難題を解決できるのか。 政府は、子どもに関わる問題を一元的に取り組む「こども庁」の創設を進めている。子どもの貧困や虐待、学校でのいじめ、少子化など早急に解決すべき問題は山積みだ。 こども庁には何が求められているのか。子どもの貧困・教育費問題に詳しい末冨芳・日本大学教授、虐待の体験者で支援活動を行うブローハン聡さん、「保育園を考える親の会」代表の普光院亜紀さんの3人に話を聞いた』、有識者3人の意見とは興味深そうだ。
・『「財源拡充がなければ意味がない」日本大学文理学部教授/末冨芳(末冨芳氏の略歴はリンク先参照) こども庁の話を聞いたとき、私や現場の支援団体は強い怒りを感じました。 コロナ禍で困窮する子育て世代への政府の支援は、あまりに遅すぎます。その中での新省庁の議論は、政策の優先度がどこに置かれているかわからないからです。2人親世帯への給付金支給は支援団体が何度も政府に要望し、感染拡大から1年経ってやっと決まったところでした。 支援団体の調査によると、緊急事態宣言が出されるたびに、非正規労働のシングルマザー世帯を中心に家計が厳しくなっています。食事も満足にできず、体重が減少した子どもも増えています。新しい組織をつくる前に、足元で困窮する子どもの支援を最優先してほしい。 そのうえで新組織の設置は、財政拡充がなければ意味がありません。自民党議員によるこども庁に関する緊急提言では、子育て関連支出の対GDP比を欧米並みの3%台まで倍増させるという目標を掲げました。しかし、(6月に出された)政府の「骨太の方針」では具体的な目標までは触れていません。それどころか、菅首相は一部の高所得者への児童手当廃止を打ち出しています。 日本はそもそも、子ども・子育て世代への支出が少ない。OECD(経済協力開発機構)データによると、これは常識です。子どもを大事にすると言いながら、子どものための給付を削って他の予算に充てることは、大きく矛盾しています。 それに日本は子育てを親子だけの責任にし、国や企業が親子を支援しない「子育て罰」の傾向が強くあります。ですが、少子化対策は個人ではなく、社会全体にとってもメリットになります。少子化対策の受益者である国や企業が、子育てに投資するのは当然のことではないでしょうか』、「日本は子育てを親子だけの責任にし、国や企業が親子を支援しない「子育て罰」の傾向が強くあります」、「子育て罰」とは言い得て妙だが、これでは、少子化が止まる筈はない。
・『内閣府主導の組織では専門性が生きない こども庁創設を機に期待されるのは、教育と福祉のデータを結び付けたデータベースの作成です。貧困や虐待が深刻な子どもをデータベースで判定し、必要な支援につなげる仕組みが政府内で検討されています。それには、そのデータベースを扱い、支援するスクールソーシャルワーカーの増員が必須です。 しかし、こうした子どもに関する専門職は、雇用が不安定で賃金が安い。学校現場で働くスクールソーシャルワーカーは非常勤ばかりです。今はその人たちの善意に頼っていますが、それでは優秀な人材は確保できません。 成長し、変化する子どもへの支援は、高度な専門性と経験が必要です。子ども1人ひとりを守り切ることは、並大抵のことではないのです。そのような責任ある職務に従事する専門職を非常勤で雇い、やりがいを搾取したままでよいのか。こども庁の議論はそのパンドラの箱を開けることになります。だから、人材にお金をかけると、より財源が必要です。一言でいえば、「子どもと専門職をなめるな」ということです。 (こども庁の創設をめぐり)今は組織を一元化する議論が先行していますが、横串が通っている分野とそうでない分野があります。保育園、幼稚園、認定こども園については、すでに省庁間の連携が取れています。連携の蓄積や成果があるにもかかわらず、一部の与党議員は思い込みに基づいて「横串を通せ」と主張しています。思い込みによって一元化すれば、専門行政が崩壊し、逆効果になります。 厚生労働省や文部科学省には、子どもの分野で長く経験を積んだ官僚がいて、省庁間の人事交流もあります。しかし、内閣府では専門性を考慮しない官僚の異動も多い。内閣府主導の省庁では、せっかく蓄積された専門的な行政経験が失われる心配があります。そうならないためには、内閣府から独立した組織にしたほうがよいでしょう。 子どもの実態や政策に詳しい専門家や当事者を置き去りにして、組織設計はできません。現場の支援者や専門家、そして子ども自身の意見を聞く有識者会議を立ち上げ、オープンで丁寧な議論を始めるべきです』、「内閣府主導の省庁では、せっかく蓄積された専門的な行政経験が失われる心配があります。そうならないためには、内閣府から独立した組織にしたほうがよいでしょう」、その通りだ。
・『「子ども主体の省庁にしてほしい」 一般社団法人「コンパスナビ」/ブローハン聡(ブローハン聡氏の略歴はリンク先参照)(「こども庁」をつくるなら、子どもが主体の省庁であってほしいです。「子どものため」は本当に子どものためになっているのか。それを考えるためには、「子どもだからできない」というフィルターを外し、彼らの言葉を聴くことが何より大切です。 子どもが直接発言できないなら、その声を拾う若者、それを応援する大人たちが新しい省庁の中心にいるべきではないでしょうか。 私は幸い、小学生のときに児童養護施設に入り、暴力から逃れられました。しかし、虐待を受けている子どもたちの多くが社会とつながれず、いまだに苦しんでいます。 仮に子どもに「虐待されていますか?」と聞いても、そもそも虐待が何かわかっていません。それに、子どもにとって親は唯一無二の存在。どんな形であっても切り離すことは難しいのです。命を救うことは最優先ですが、子どもの気持ちも含めて手を差し伸べるべきだと思います。 自分の経験を振り返っても、子どもはSOSの出し方がよくわかりません。子どもが声を上げられるようにするためには、小さいときから権利擁護の教育を徹底する必要があります。 それと同時に、学校の教員が子どもの権利についての研修を受けることも重要です。私は教員向けの講演会で、教員が虐待に気づいたことをきっかけに保護された自分の経験を話しています。こうした当事者の声を聴く場が全国に広がれば、虐待の早期発見につながる可能性があります』、「子どもが声を上げられるようにするためには、小さいときから権利擁護の教育を徹底する必要があります」、なるほど。
・『子どもが生まれる前から支援を もう1つ、「こども庁」の議論で大切なことは、川下で泣いている子どもだけなく、川上で苦しんでいる親の存在を知ることです。虐待そのものは肯定できませんが、虐待してしまった親にも、貧困や家庭環境に苦しんできた背景があります。 虐待をなくすためには、親が子どもを産むまでの期間に、子育てについて学び、孤立しないように地域のコミュニティにつながる機会が必要ではないでしょうか。 現状で支援の対象となる子どもは18歳まで、とされていることにも問題があります。私は今、児童養護施設や里親家庭といった社会的養護の下で育った若者を支援する団体で働いています。児童養護施設出身の若者の多くは18歳で施設を出て、困ったときに頼れる家族がいないまま生きていかなければなりません。 児童養護施設出身者の半数以上は虐待を受けた経験があるため、心の傷が癒えず、大人との信頼関係がうまく築けないことがあります。そのため、就職した後もつまずく人が多いのです。 私自身は児童養護施設を出た後、アルバイトをして自活していました。親族との関係や日々の暮らしに困っていても、その自覚がありませんでした。しかし、心を許せる友達を通して支援団体につながったことで救われました。 こうした支援につながるためには、子どものときから支援制度やコミュニティの情報を知ることが重要です。その情報を基に何を選択するかは、あくまで本人が考えること。支援という重い言葉ではなく、あくまで本人の選択を手助けする仕組みが必要です』、「こうした支援につながるためには、子どものときから支援制度やコミュニティの情報を知ることが重要です」、その通りなのだろう。
・『「理念なきこども庁ならいらない」 「保育園を考える親の会」代表/普光院亜紀(普光院亜紀氏の略歴はリンク先参照)(こども庁が創設されて、保育園と幼稚園の一体化をさらに進める方向になるのであれば、すべての子どもに質の高い保育が保障されることを確約してほしいと思います。 保育園を考える親の会に先日、「保育園から習い事の月謝2万円を徴収されるようになった」という相談が相次ぎました。どうやら保護者の選択制で別料金を納めた子どものみが保育園で習い事を受けているようです。 たしかに、以前から多くの幼稚園で、正規の預かり時間の終了後に習い事を行い、その月謝を別途集めることが行われてきました。2015年に幼保一元化を目玉にした子ども・子育て支援新制度が始まり、認可保育園や認定こども園、幼稚園などの保育の費用や保育料に関する制度は内閣府が主管するようになりました。 厚生労働省はかつては、別料金は実費程度のものしか認めていませんでした。そのため、習い事的な保育を実施する保育園があっても、ほぼ無料でクラス全員に実施していました。 現在、内閣府に別料金の是非を尋ねても、明確な回答は得られません。幼稚園や営利企業の手法と児童福祉の理念の整合性が議論されないまま、理念なき制度運用になっているのではないかと危ぶんでいます。 こうした事態が生じている背景には、「家計のゆとり」を狙ったビジネスの活性化があります。これは2019年に始まった幼児教育無償化で生じたものです。幼児教育無償化は、2017年の衆院選で与党の選挙公約として掲げられた唐突な施策でした』、「幼児教育無償化」の裏で、「「家計のゆとり」を狙ったビジネスの活性化」が行われているのは問題だ。
・『保育の質が後回しに 国や自治体の財政が窮迫する中で、保育士の処遇や配置基準の改善といった「質の向上」を後回しにし、貴重な財源が無償化へと流れてしまったことは悔やまれてなりません。3歳児では20人に対して保育士1人、4・5歳児では30人に対して保育士1人などという配置基準は、他の先進諸国と比べても異常に低い。早急な改善が必要です。 にもかかわらず、政府が2020年末に公表した「新子育て安心プラン」では、保育士全員が短時間勤務であっても構わないという、規制緩和策が示されました。保育計画を立て、トラブル対応まで担うクラス担任でさえ、パートタイマーになるような施策は認められるべきではありません。 パート保育士にもこれらの業務を担いうる人材はいると思いますが、その保育士がパートタイマーでよいとは考えられません。パート保育士による細切れの保育になった場合には、子どもと保育士の間の愛着関係が形成されにくくなることも懸念されます。 まずは、子どもファーストの理念を設定する。そこから優先順位を決めて制度を見直し、予算を確保する。そのためのこども庁であるなら期待を持てます。逆に子どもの利益を無視して、大人たちの雑多な利害関係を調整するだけの機関になるのなら、こども庁はいりません』、「子どもファーストの理念を設定する。そこから優先順位を決めて制度を見直し、予算を確保する。そのためのこども庁であるなら期待を持てます。逆に子どもの利益を無視して、大人たちの雑多な利害関係を調整するだけの機関になるのなら、こども庁はいりません」、その通りだ。
第三に、10月16日付けYahooニュースが転載したFLASH「中村格・新警察庁長官は本部長未経験でトップ就任…「一度は現場を」の不文律が崩れ、“政権の腰巾着”だけが出世する」を紹介しよう。
・『「国民生活の安全安心を守るため、全力を傾注する」 9月22日、全国の警察組織の頂点たる警察庁長官に新たに就任した中村格(いたる)氏(58)は、就任の記者会見でそう抱負を語った。 晴れて29代目の長官になった中村氏だが、歴代長官と違うところがある。各道府県警察の長たる「本部長」の経験がないまま長官に就任したことだ。 同日に就任した警察庁の露木康浩次長(58)や、9月16日に就任した警視庁のトップである警視総監の大石吉彦氏(58)も本部長経験なし。警察トップ3がいずれも本部長未経験者になった。 「これは異例のことですよ。たとえば前任の松本光弘氏は神奈川県警察本部長を経験しましたし、その前の栗生俊一氏は徳島県警察本部長でした。県警の本部長とは、その地方の警察をまとめ上げるという、いわば現場のトップ。 もしも県警で不祥事が起きれば、その責任を取らないといけない存在です。そこで警察の実状に触れ、実績を残せた人間が上りつめるのが、これまでの警察庁長官でした。警察トップは本部長を経験しておくべきという不文律がこれまでは存在していたんです」(全国紙の元社会部記者) 中村氏の経歴は華々しい。東大卒業後、1986年に警察庁入庁、千葉県警本部捜査第二課長などの刑事畑を経て、在タイ日本国大使館の一等書記官も経験している。また、旧民主党政権から自民党の第2次安倍政権にかけ、5年半にわたり官房長官秘書官を務めている。 「中村氏は警察官僚のなかでも超優秀だといっていいでしょう。確かに地方の県警本部長は経験していませんが、海外への赴任経験もあり、経歴は申し分ない。 ただ、警察庁長官は公安部も経験するものですが、中村氏にはその経歴もありません。秘書官を何度もやっているのでその暇さえなかったということでしょう」(警察ジャーナリストの小川泰平氏) 一方、「“あの事件” のことを考えれば、政権に気に入られて出世したにすぎないでしょう」と前出の元記者は指摘する。 “あの事件” とは、2015年に起きた、ジャーナリストの伊藤詩織さん(30)が、山口敬之(のりゆき)・元TBSワシントン支局長(53)にホテルで性的暴行を受けたと被害を訴え、山口氏に準強姦の容疑で逮捕状が出されたものの、執行直前、当時警視庁刑事部長だった中村氏の判断で “握りつぶされた” というものだ。 山口氏はTBS政治部時代に安倍晋三元首相と親しくしており、中村氏が官邸に忖度した結果ではないかと一部で報じられている。 ある警察OBが語気を強めてこう話す。 「結果的に山口氏は嫌疑不十分で不起訴となりました。しかし、問題はそこではないんです。 署長が逮捕状を出すときは、さまざまな捜査を尽くし、また逮捕状を出す反響も踏まえて判を押すんです。それを刑事部長が握りつぶすなどあってはならないこと。所轄の努力や署長の決断を踏みにじる行為ですよ』、「署長が逮捕状を出すときは、さまざまな捜査を尽くし、また逮捕状を出す反響も踏まえて判を押すんです。それを刑事部長が握りつぶすなどあってはならないこと。所轄の努力や署長の決断を踏みにじる行為ですよ」、官邸にとっては、誠に使い勝手のよい警察官僚だったのだろう。
・『中村氏はそれをやった。秘書官として一度政治の世界に足を踏み入れてしまうと、どうしてもそっちに目が向いてしまう。警察官僚がそんなことではいけないと思います」 就任会見で中村氏は、そのことを問われ「組織として捜査を尽くしたうえで検察に送致した。捜査の過程について具体的に言及するのは控える。私は常に法と証拠に基づき適切に判断してきた。法と証拠以外を考慮して捜査上の判断をしたことは一度もない」と突っぱねた。 前出の元社会部記者は、警察官僚が政権に取り込まれているのではないかと危惧する。 「警察は、政治家を逮捕しなければいけない場合もあります。ところが中村氏は官房長官秘書官を5年も務めている。警察の独立性が失われ、政権の言いなりになりかねません。 警察は、自覚的に政権とは一定程度の距離を持つことが必要です。警察官僚が自分の出世ばかりに気を取られ、政権の腰巾着となってしまうようでは、とうてい国民の信頼を得ることなんかできません」 警察官僚にとって、事件は会議室でも現場でもなく、官邸で起きているようだーー』、「警察は、自覚的に政権とは一定程度の距離を持つことが必要です。警察官僚が自分の出世ばかりに気を取られ、政権の腰巾着となってしまうようでは、とうてい国民の信頼を得ることなんかできません」、同感である。
先ずは、7月14日付けNewsweek日本版が掲載した経済評論家の加谷珪一氏による「経産省、続発するスキャンダルより大きな問題は「産業政策の失敗続き」」を紹介しよう。
https://www.newsweekjapan.jp/kaya/2021/07/post-149_1.php
・『職員によるコロナ支援金制度の悪用や、東芝の株主総会への介入疑惑......。だが最大の問題は時代に合わない産業政策だ> 経済産業省のキャリア職員2名が、コロナ対策の支援金制度を悪用して逮捕されるという信じ難い事件が発生した。同省をめぐっては、東芝の株主総会への不正介入疑惑など、行政運営の透明性が問われていた。しかも同省の産業政策はこのところ失策が続いており、一部からは組織的な問題も指摘されている。場合によっては省の存在意義すら問われかねない状況といってよいだろう。 経済産業省(旧通商産業省)は日本の産業政策を一手に担ってきた官庁だが、近年、失策ばかりが続いている。最も大きいのは半導体産業に対するずさんな支援策だろう。 かつて世界シェアトップを誇っていた日本の半導体産業は1990年代以降、急速に競争力を失い、後発の韓国勢や台湾勢に完敗した。経産省は「日の丸半導体復活」という勇ましい目標を掲げ、エルピーダメモリやルネサスエレクトロニクス、ジャパンディスプレイなど、国策半導体会社、あるいはそれに準じる合弁企業の設立を促し、政府系ファンドなどを通じて多額の公費を投入してきた。 だがエルピーダは倒産。ルネサスも一時、経営危機に直面し、ジャパンディスプレイは現時点でも巨額赤字を垂れ流している状況だ』、かつては、米国から「悪名高い経産省」と一目置かれていたのとは様変わりだ。
・『高度成長は本当に政策のおかげ? 加えて同省には、経営危機に陥った東芝を支援するため、株主総会に不正介入した疑いが持たれている。同省は介入を否定しているが、資本市場の常識として政府による不正介入疑惑が生じた段階で、既に国益を大きく損ねている。 経産省の産業政策は、特定の産業分野に的を絞り、各種の補助金や優遇税制、外国企業の参入規制などで育成を図る、いわゆるターゲティング・ポリシーと呼ばれる手法である。日本の高度成長は一連の政策で実現したとの主張があるが、戦後の産業発展の歴史を冷静に分析すると、必ずしもそうとは言い切れない。 確かに一部の業界では経産省の支援が功を奏したケースもあったが、一方で同省は国内自動車メーカーの多くを不要と見なし、60年代に特定産業振興臨時措置法を通じて再編を試みるなど致命的な判断ミスをしている(同省の要請を産業界が受け入れていたら、日本の自動車産業は消滅していただろう)。 60年代後半には太平洋ベルト地帯に集中していた重化学工業を青森県下北半島にシフトさせる「むつ小川原開発計画」を立案したものの、進出する企業がなく頓挫。その後、同地域を核燃料サイクル施設の拠点としたが、巨費を投じた核燃料サイクル計画そのものが宙に浮いた状況にある。 80年代には高性能コンピューターの開発を目指す「第5世代コンピュータ」計画や、ソフトウエア開発の高度化を目指す「シグマ計画」などを実施したが、ことごとく失敗している。日本の産業界で生き残ったのは政府に頼らなかった業界ばかりであり、半導体産業への支援も同じ文脈で捉える必要がある。 ビジネスに疎い公務員がイノベーションの未来を予想するのが困難であることや、企業の自由な活動を促進する政策誘導こそが最良の産業政策であることは、ほぼ全世界的なコンセンサスとなっている。同省は一時期、時代に合った産業政策を模索する動きを見せたことがあったが、近年になってなぜかその動きを止めてしまった。今こそ本腰を入れて基本戦略を見直す時期に来ているだろう』、「企業の自由な活動を促進する政策誘導こそが最良の産業政策であることは、ほぼ全世界的なコンセンサス」、「今こそ本腰を入れて基本戦略を見直す時期に来ている」、その通りだ。
次に、8月6日付け東洋経済Plus「遅すぎた子育て世代支援、求められる財政拡充 「こども庁」は必要か、現場からあがる厳しい本音」を紹介しよう。
https://premium.toyokeizai.net/articles/-/27687
・『政府が創設を目指している「こども庁」。貧困や虐待、少子化など子どもをめぐる課題は山積みだが、新省庁はこうした難題を解決できるのか。 政府は、子どもに関わる問題を一元的に取り組む「こども庁」の創設を進めている。子どもの貧困や虐待、学校でのいじめ、少子化など早急に解決すべき問題は山積みだ。 こども庁には何が求められているのか。子どもの貧困・教育費問題に詳しい末冨芳・日本大学教授、虐待の体験者で支援活動を行うブローハン聡さん、「保育園を考える親の会」代表の普光院亜紀さんの3人に話を聞いた』、有識者3人の意見とは興味深そうだ。
・『「財源拡充がなければ意味がない」日本大学文理学部教授/末冨芳(末冨芳氏の略歴はリンク先参照) こども庁の話を聞いたとき、私や現場の支援団体は強い怒りを感じました。 コロナ禍で困窮する子育て世代への政府の支援は、あまりに遅すぎます。その中での新省庁の議論は、政策の優先度がどこに置かれているかわからないからです。2人親世帯への給付金支給は支援団体が何度も政府に要望し、感染拡大から1年経ってやっと決まったところでした。 支援団体の調査によると、緊急事態宣言が出されるたびに、非正規労働のシングルマザー世帯を中心に家計が厳しくなっています。食事も満足にできず、体重が減少した子どもも増えています。新しい組織をつくる前に、足元で困窮する子どもの支援を最優先してほしい。 そのうえで新組織の設置は、財政拡充がなければ意味がありません。自民党議員によるこども庁に関する緊急提言では、子育て関連支出の対GDP比を欧米並みの3%台まで倍増させるという目標を掲げました。しかし、(6月に出された)政府の「骨太の方針」では具体的な目標までは触れていません。それどころか、菅首相は一部の高所得者への児童手当廃止を打ち出しています。 日本はそもそも、子ども・子育て世代への支出が少ない。OECD(経済協力開発機構)データによると、これは常識です。子どもを大事にすると言いながら、子どものための給付を削って他の予算に充てることは、大きく矛盾しています。 それに日本は子育てを親子だけの責任にし、国や企業が親子を支援しない「子育て罰」の傾向が強くあります。ですが、少子化対策は個人ではなく、社会全体にとってもメリットになります。少子化対策の受益者である国や企業が、子育てに投資するのは当然のことではないでしょうか』、「日本は子育てを親子だけの責任にし、国や企業が親子を支援しない「子育て罰」の傾向が強くあります」、「子育て罰」とは言い得て妙だが、これでは、少子化が止まる筈はない。
・『内閣府主導の組織では専門性が生きない こども庁創設を機に期待されるのは、教育と福祉のデータを結び付けたデータベースの作成です。貧困や虐待が深刻な子どもをデータベースで判定し、必要な支援につなげる仕組みが政府内で検討されています。それには、そのデータベースを扱い、支援するスクールソーシャルワーカーの増員が必須です。 しかし、こうした子どもに関する専門職は、雇用が不安定で賃金が安い。学校現場で働くスクールソーシャルワーカーは非常勤ばかりです。今はその人たちの善意に頼っていますが、それでは優秀な人材は確保できません。 成長し、変化する子どもへの支援は、高度な専門性と経験が必要です。子ども1人ひとりを守り切ることは、並大抵のことではないのです。そのような責任ある職務に従事する専門職を非常勤で雇い、やりがいを搾取したままでよいのか。こども庁の議論はそのパンドラの箱を開けることになります。だから、人材にお金をかけると、より財源が必要です。一言でいえば、「子どもと専門職をなめるな」ということです。 (こども庁の創設をめぐり)今は組織を一元化する議論が先行していますが、横串が通っている分野とそうでない分野があります。保育園、幼稚園、認定こども園については、すでに省庁間の連携が取れています。連携の蓄積や成果があるにもかかわらず、一部の与党議員は思い込みに基づいて「横串を通せ」と主張しています。思い込みによって一元化すれば、専門行政が崩壊し、逆効果になります。 厚生労働省や文部科学省には、子どもの分野で長く経験を積んだ官僚がいて、省庁間の人事交流もあります。しかし、内閣府では専門性を考慮しない官僚の異動も多い。内閣府主導の省庁では、せっかく蓄積された専門的な行政経験が失われる心配があります。そうならないためには、内閣府から独立した組織にしたほうがよいでしょう。 子どもの実態や政策に詳しい専門家や当事者を置き去りにして、組織設計はできません。現場の支援者や専門家、そして子ども自身の意見を聞く有識者会議を立ち上げ、オープンで丁寧な議論を始めるべきです』、「内閣府主導の省庁では、せっかく蓄積された専門的な行政経験が失われる心配があります。そうならないためには、内閣府から独立した組織にしたほうがよいでしょう」、その通りだ。
・『「子ども主体の省庁にしてほしい」 一般社団法人「コンパスナビ」/ブローハン聡(ブローハン聡氏の略歴はリンク先参照)(「こども庁」をつくるなら、子どもが主体の省庁であってほしいです。「子どものため」は本当に子どものためになっているのか。それを考えるためには、「子どもだからできない」というフィルターを外し、彼らの言葉を聴くことが何より大切です。 子どもが直接発言できないなら、その声を拾う若者、それを応援する大人たちが新しい省庁の中心にいるべきではないでしょうか。 私は幸い、小学生のときに児童養護施設に入り、暴力から逃れられました。しかし、虐待を受けている子どもたちの多くが社会とつながれず、いまだに苦しんでいます。 仮に子どもに「虐待されていますか?」と聞いても、そもそも虐待が何かわかっていません。それに、子どもにとって親は唯一無二の存在。どんな形であっても切り離すことは難しいのです。命を救うことは最優先ですが、子どもの気持ちも含めて手を差し伸べるべきだと思います。 自分の経験を振り返っても、子どもはSOSの出し方がよくわかりません。子どもが声を上げられるようにするためには、小さいときから権利擁護の教育を徹底する必要があります。 それと同時に、学校の教員が子どもの権利についての研修を受けることも重要です。私は教員向けの講演会で、教員が虐待に気づいたことをきっかけに保護された自分の経験を話しています。こうした当事者の声を聴く場が全国に広がれば、虐待の早期発見につながる可能性があります』、「子どもが声を上げられるようにするためには、小さいときから権利擁護の教育を徹底する必要があります」、なるほど。
・『子どもが生まれる前から支援を もう1つ、「こども庁」の議論で大切なことは、川下で泣いている子どもだけなく、川上で苦しんでいる親の存在を知ることです。虐待そのものは肯定できませんが、虐待してしまった親にも、貧困や家庭環境に苦しんできた背景があります。 虐待をなくすためには、親が子どもを産むまでの期間に、子育てについて学び、孤立しないように地域のコミュニティにつながる機会が必要ではないでしょうか。 現状で支援の対象となる子どもは18歳まで、とされていることにも問題があります。私は今、児童養護施設や里親家庭といった社会的養護の下で育った若者を支援する団体で働いています。児童養護施設出身の若者の多くは18歳で施設を出て、困ったときに頼れる家族がいないまま生きていかなければなりません。 児童養護施設出身者の半数以上は虐待を受けた経験があるため、心の傷が癒えず、大人との信頼関係がうまく築けないことがあります。そのため、就職した後もつまずく人が多いのです。 私自身は児童養護施設を出た後、アルバイトをして自活していました。親族との関係や日々の暮らしに困っていても、その自覚がありませんでした。しかし、心を許せる友達を通して支援団体につながったことで救われました。 こうした支援につながるためには、子どものときから支援制度やコミュニティの情報を知ることが重要です。その情報を基に何を選択するかは、あくまで本人が考えること。支援という重い言葉ではなく、あくまで本人の選択を手助けする仕組みが必要です』、「こうした支援につながるためには、子どものときから支援制度やコミュニティの情報を知ることが重要です」、その通りなのだろう。
・『「理念なきこども庁ならいらない」 「保育園を考える親の会」代表/普光院亜紀(普光院亜紀氏の略歴はリンク先参照)(こども庁が創設されて、保育園と幼稚園の一体化をさらに進める方向になるのであれば、すべての子どもに質の高い保育が保障されることを確約してほしいと思います。 保育園を考える親の会に先日、「保育園から習い事の月謝2万円を徴収されるようになった」という相談が相次ぎました。どうやら保護者の選択制で別料金を納めた子どものみが保育園で習い事を受けているようです。 たしかに、以前から多くの幼稚園で、正規の預かり時間の終了後に習い事を行い、その月謝を別途集めることが行われてきました。2015年に幼保一元化を目玉にした子ども・子育て支援新制度が始まり、認可保育園や認定こども園、幼稚園などの保育の費用や保育料に関する制度は内閣府が主管するようになりました。 厚生労働省はかつては、別料金は実費程度のものしか認めていませんでした。そのため、習い事的な保育を実施する保育園があっても、ほぼ無料でクラス全員に実施していました。 現在、内閣府に別料金の是非を尋ねても、明確な回答は得られません。幼稚園や営利企業の手法と児童福祉の理念の整合性が議論されないまま、理念なき制度運用になっているのではないかと危ぶんでいます。 こうした事態が生じている背景には、「家計のゆとり」を狙ったビジネスの活性化があります。これは2019年に始まった幼児教育無償化で生じたものです。幼児教育無償化は、2017年の衆院選で与党の選挙公約として掲げられた唐突な施策でした』、「幼児教育無償化」の裏で、「「家計のゆとり」を狙ったビジネスの活性化」が行われているのは問題だ。
・『保育の質が後回しに 国や自治体の財政が窮迫する中で、保育士の処遇や配置基準の改善といった「質の向上」を後回しにし、貴重な財源が無償化へと流れてしまったことは悔やまれてなりません。3歳児では20人に対して保育士1人、4・5歳児では30人に対して保育士1人などという配置基準は、他の先進諸国と比べても異常に低い。早急な改善が必要です。 にもかかわらず、政府が2020年末に公表した「新子育て安心プラン」では、保育士全員が短時間勤務であっても構わないという、規制緩和策が示されました。保育計画を立て、トラブル対応まで担うクラス担任でさえ、パートタイマーになるような施策は認められるべきではありません。 パート保育士にもこれらの業務を担いうる人材はいると思いますが、その保育士がパートタイマーでよいとは考えられません。パート保育士による細切れの保育になった場合には、子どもと保育士の間の愛着関係が形成されにくくなることも懸念されます。 まずは、子どもファーストの理念を設定する。そこから優先順位を決めて制度を見直し、予算を確保する。そのためのこども庁であるなら期待を持てます。逆に子どもの利益を無視して、大人たちの雑多な利害関係を調整するだけの機関になるのなら、こども庁はいりません』、「子どもファーストの理念を設定する。そこから優先順位を決めて制度を見直し、予算を確保する。そのためのこども庁であるなら期待を持てます。逆に子どもの利益を無視して、大人たちの雑多な利害関係を調整するだけの機関になるのなら、こども庁はいりません」、その通りだ。
第三に、10月16日付けYahooニュースが転載したFLASH「中村格・新警察庁長官は本部長未経験でトップ就任…「一度は現場を」の不文律が崩れ、“政権の腰巾着”だけが出世する」を紹介しよう。
・『「国民生活の安全安心を守るため、全力を傾注する」 9月22日、全国の警察組織の頂点たる警察庁長官に新たに就任した中村格(いたる)氏(58)は、就任の記者会見でそう抱負を語った。 晴れて29代目の長官になった中村氏だが、歴代長官と違うところがある。各道府県警察の長たる「本部長」の経験がないまま長官に就任したことだ。 同日に就任した警察庁の露木康浩次長(58)や、9月16日に就任した警視庁のトップである警視総監の大石吉彦氏(58)も本部長経験なし。警察トップ3がいずれも本部長未経験者になった。 「これは異例のことですよ。たとえば前任の松本光弘氏は神奈川県警察本部長を経験しましたし、その前の栗生俊一氏は徳島県警察本部長でした。県警の本部長とは、その地方の警察をまとめ上げるという、いわば現場のトップ。 もしも県警で不祥事が起きれば、その責任を取らないといけない存在です。そこで警察の実状に触れ、実績を残せた人間が上りつめるのが、これまでの警察庁長官でした。警察トップは本部長を経験しておくべきという不文律がこれまでは存在していたんです」(全国紙の元社会部記者) 中村氏の経歴は華々しい。東大卒業後、1986年に警察庁入庁、千葉県警本部捜査第二課長などの刑事畑を経て、在タイ日本国大使館の一等書記官も経験している。また、旧民主党政権から自民党の第2次安倍政権にかけ、5年半にわたり官房長官秘書官を務めている。 「中村氏は警察官僚のなかでも超優秀だといっていいでしょう。確かに地方の県警本部長は経験していませんが、海外への赴任経験もあり、経歴は申し分ない。 ただ、警察庁長官は公安部も経験するものですが、中村氏にはその経歴もありません。秘書官を何度もやっているのでその暇さえなかったということでしょう」(警察ジャーナリストの小川泰平氏) 一方、「“あの事件” のことを考えれば、政権に気に入られて出世したにすぎないでしょう」と前出の元記者は指摘する。 “あの事件” とは、2015年に起きた、ジャーナリストの伊藤詩織さん(30)が、山口敬之(のりゆき)・元TBSワシントン支局長(53)にホテルで性的暴行を受けたと被害を訴え、山口氏に準強姦の容疑で逮捕状が出されたものの、執行直前、当時警視庁刑事部長だった中村氏の判断で “握りつぶされた” というものだ。 山口氏はTBS政治部時代に安倍晋三元首相と親しくしており、中村氏が官邸に忖度した結果ではないかと一部で報じられている。 ある警察OBが語気を強めてこう話す。 「結果的に山口氏は嫌疑不十分で不起訴となりました。しかし、問題はそこではないんです。 署長が逮捕状を出すときは、さまざまな捜査を尽くし、また逮捕状を出す反響も踏まえて判を押すんです。それを刑事部長が握りつぶすなどあってはならないこと。所轄の努力や署長の決断を踏みにじる行為ですよ』、「署長が逮捕状を出すときは、さまざまな捜査を尽くし、また逮捕状を出す反響も踏まえて判を押すんです。それを刑事部長が握りつぶすなどあってはならないこと。所轄の努力や署長の決断を踏みにじる行為ですよ」、官邸にとっては、誠に使い勝手のよい警察官僚だったのだろう。
・『中村氏はそれをやった。秘書官として一度政治の世界に足を踏み入れてしまうと、どうしてもそっちに目が向いてしまう。警察官僚がそんなことではいけないと思います」 就任会見で中村氏は、そのことを問われ「組織として捜査を尽くしたうえで検察に送致した。捜査の過程について具体的に言及するのは控える。私は常に法と証拠に基づき適切に判断してきた。法と証拠以外を考慮して捜査上の判断をしたことは一度もない」と突っぱねた。 前出の元社会部記者は、警察官僚が政権に取り込まれているのではないかと危惧する。 「警察は、政治家を逮捕しなければいけない場合もあります。ところが中村氏は官房長官秘書官を5年も務めている。警察の独立性が失われ、政権の言いなりになりかねません。 警察は、自覚的に政権とは一定程度の距離を持つことが必要です。警察官僚が自分の出世ばかりに気を取られ、政権の腰巾着となってしまうようでは、とうてい国民の信頼を得ることなんかできません」 警察官僚にとって、事件は会議室でも現場でもなく、官邸で起きているようだーー』、「警察は、自覚的に政権とは一定程度の距離を持つことが必要です。警察官僚が自分の出世ばかりに気を取られ、政権の腰巾着となってしまうようでは、とうてい国民の信頼を得ることなんかできません」、同感である。
タグ:公務員制度 (その6)(経産省 続発するスキャンダルより大きな問題は「産業政策の失敗続き」、遅すぎた子育て世代支援 求められる財政拡充 「こども庁」は必要か 現場からあがる厳しい本音、中村格・新警察庁長官は本部長未経験でトップ就任…「一度は現場を」の不文律が崩れ “政権の腰巾着”だけが出世する) Newsweek日本版 加谷珪一 「経産省、続発するスキャンダルより大きな問題は「産業政策の失敗続き」」 かつては、米国から「悪名高い経産省」と一目置かれていたのとは様変わりだ。 「企業の自由な活動を促進する政策誘導こそが最良の産業政策であることは、ほぼ全世界的なコンセンサス」、「今こそ本腰を入れて基本戦略を見直す時期に来ている」、その通りだ。 東洋経済Plus 「遅すぎた子育て世代支援、求められる財政拡充 「こども庁」は必要か、現場からあがる厳しい本音」 有識者3人の意見とは興味深そうだ。 「財源拡充がなければ意味がない」日本大学文理学部教授/末冨芳 「日本は子育てを親子だけの責任にし、国や企業が親子を支援しない「子育て罰」の傾向が強くあります」、「子育て罰」とは言い得て妙だが、これでは、少子化が止まる筈はない。 「内閣府主導の省庁では、せっかく蓄積された専門的な行政経験が失われる心配があります。そうならないためには、内閣府から独立した組織にしたほうがよいでしょう」、その通りだ。 「子どもが声を上げられるようにするためには、小さいときから権利擁護の教育を徹底する必要があります」、なるほど。 「こうした支援につながるためには、子どものときから支援制度やコミュニティの情報を知ることが重要です」、その通りなのだろう。 「幼児教育無償化」の裏で、「「家計のゆとり」を狙ったビジネスの活性化」が行われているのは問題だ。 「子どもファーストの理念を設定する。そこから優先順位を決めて制度を見直し、予算を確保する。そのためのこども庁であるなら期待を持てます。逆に子どもの利益を無視して、大人たちの雑多な利害関係を調整するだけの機関になるのなら、こども庁はいりません」、その通りだ。 yahooニュース Flash 「中村格・新警察庁長官は本部長未経験でトップ就任…「一度は現場を」の不文律が崩れ、“政権の腰巾着”だけが出世する」 「署長が逮捕状を出すときは、さまざまな捜査を尽くし、また逮捕状を出す反響も踏まえて判を押すんです。それを刑事部長が握りつぶすなどあってはならないこと。所轄の努力や署長の決断を踏みにじる行為ですよ」、官邸にとっては、誠に使い勝手のよい警察官僚だったのだろう。 「警察は、自覚的に政権とは一定程度の距離を持つことが必要です。警察官僚が自分の出世ばかりに気を取られ、政権の腰巾着となってしまうようでは、とうてい国民の信頼を得ることなんかできません」、同感である。