宗教(その6)(歴史・美術・音楽・建築・文学… 「教養」を「本物の教養」にするためには「宗教」の知識が欠かせない、「もうイエス様では救われないのか」信者急減キリスト教が有史以来の危機…世界的"宗教変動"の衝撃 教会が売られイスラム教のモスクに、聖なる宗教界でイザコザ勃発…「上納金拒否・人事紛糾・怪しい不動産取引」対立・分裂の穏やかではない事情 "本部"との確執で有名寺社も独立) [社会]
宗教については、昨年1月20日に取上げた。今日は、(その6)(歴史・美術・音楽・建築・文学… 「教養」を「本物の教養」にするためには「宗教」の知識が欠かせない、「もうイエス様では救われないのか」信者急減キリスト教が有史以来の危機…世界的"宗教変動"の衝撃 教会が売られイスラム教のモスクに、聖なる宗教界でイザコザ勃発…「上納金拒否・人事紛糾・怪しい不動産取引」対立・分裂の穏やかではない事情 "本部"との確執で有名寺社も独立)である。
先ずは、昨年2月24日付けダイヤモンド・オンラインが掲載した著述家/芸術文化観光専門職大学教授の山中俊之氏による「歴史・美術・音楽・建築・文学… 「教養」を「本物の教養」にするためには「宗教」の知識が欠かせない」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/228463
・『アメリカ・ヨーロッパ・中東・インドなど世界で活躍するビジネスパーソンには、現地の人々と正しくコミュニケーションするための「宗教の知識」が必要だ。しかし、日本人ビジネスパーソンが十分な宗教の知識を持っているとは言えず、自分では知らないうちに失敗を重ねていることも多いという。また、教養を磨きたい人にとっても、「教養の土台」である宗教の知識は欠かせない。西欧の音楽、美術、文学の多くは、キリスト教を普及させ、いかに人々を啓蒙するか、キリスト教を社会にいかに受け入れさせるのかといった葛藤の歴史と深く結びついているからだ。本連載では、世界94ヵ国で学んだ元外交官・山中俊之氏による著書、『ビジネスエリートの必須教養 世界5大宗教入門』(ダイヤモンド社)の内容から、ビジネスパーソンが世界で戦うために欠かせない宗教の知識をお伝えしていく』、確かに「西欧」文化を理解する上で、「宗教の知識は欠かせない」。
・『ローマ・カトリックのヴィジュアル戦略 ユダヤ教は「神とユダヤ人」の契約。キリスト教は「〈父なる神+子なる神(イエス・キリスト)+聖霊の三位一体〉と人間」の間の関係です。 ローマ・カトリックもこの原則に従うのですが、やがて三位一体と人間の間に聖職者が入るようになります。ローマ教皇をトップとするローマ・カトリックの聖職者たちです。 なぜなら、イエスの説教をまとめた聖書は、ギリシャ語で書かれたものが五世紀にローマ帝国の言葉であるラテン語に訳されました。普通の人はラテン語がわかりませんし、識字率もかなり低い。直接、神の教えを読めないのですから、聖職者の話を聞いて、「神父様、すばらしいお話をありがとうございます」と受け取るしかなかったのです。 さらに、カトリックは布教にあたって、もう一つの戦略を打ち出します。ユダヤ教同様、ローマ・カトリックでも偶像崇拝は禁じられていましたが、「字が読めないんだから、目で見て感じればいい」とばかりに聖書に関連する美術品を山のようにつくったのです。 血を流し、磔にされたキリスト像。イエスを処女懐胎した聖母マリア像。昇天するキリストを取り巻く天使たち……。どれも見覚えのあるモチーフだと思います。「キリスト教とはこういうものですよ」というのを、字が読めない人たちに絵で伝え、「情感に訴えて信者にしよう」という狙いがしっかりありました。 今日の西洋美術は、ユダヤ教やキリスト教から大きな影響を受けています。 ビジネスパーソンが、教養の一つとして絵画に通じているのは大きなアドバンテージとなります。 宗教画は、ルネサンス以降も描かれました。たとえば、一七世紀のオランダの画家フェルメールもイエスとマリアが登場する宗教画を描いています。 宗教画の背後のキリスト教が理解できなければ、西洋美術の根っこを知らないことになってしまうでしょう』、「「字が読めないんだから、目で見て感じればいい」とばかりに聖書に関連する美術品を山のようにつくった」、日本でも曼荼羅のような絵が多くつくられた。
・『もし、ロシアがイスラムの国だったら? 美術の力で布教に努めたのは、東方正教会も同じです。 私はかねてから世界の東方正教会に何度も足を運んでおり、本書の執筆にあたってウクライナ、ベラルーシを訪問しましたが、改めてイコンの多さと荘厳さに感嘆しました。 建前的には「偶像ではない」とされていますが、イコンははっきりとキリストが書かれた東方正教会の聖画。キリスト教の物語を表しているのはローマ・カトリックと同じで、多くが黄金に覆われたきらびやかなものです。「何枚も重ねて飾られたイコンの背後にある神様に祈っている」ということになっていますが、イコンの豪華さを布教や伝道のツールとしたのは明らかでしょう。 つまり、東方正教会もカトリック同様、ヴィジュアル戦略をとったわけですが、これに魂を射抜かれたのは庶民ばかりではありません。一〇世紀、キエフ公国ウラジミール大公がギリシャの東方正教会を受け入れたのは、イコンの美しさに魅せられたからだといわれています。 キエフは今のウクライナですから、いってみればこれがロシアや東ヨーロッパが東方正教会のエリアになったきっかけなのです。コンスタンティノープルがイスラム教徒の支配下になって以降は、ロシアが東方正教会の中心になりました。 かつての東ローマ帝国ではキリスト教とイスラム教が争いを繰り返し、今のトルコがイスラム化したのが同じく一〇世紀頃。キリスト教とイスラム教の覇権争いは、世界中で繰り広げられていました。ロシアはローマ・カトリックの国になる可能性はもちろん、イスラムの国になる可能性もあったということです。 もしも、ロシア一帯がイスラム教社会になっていたら、共産主義は生まれなかったかもしれず、中東のイスラム圏と似たような国になっていた可能性すらあります。 ちなみに、東方正教会の人々は、ロシア人といいギリシャ人といい、人間関係の密度が高いと感じます。お互いに助け合おうという感覚が強いというのは、東方正教会のエリアに赴任した経験がある人がよく抱く感想です』、「ロシア一帯がイスラム教社会になっていたら、共産主義は生まれなかったかもしれず、中東のイスラム圏と似たような国になっていた可能性すらあります」、想像力を掻き立てる面白い発想だ。
・『世界遺産めぐりで「宗教の教養」を高める ローマ・カトリックや東方正教会の布教のパワーとなったのは、美術だけではありません。 一二世紀の終わりくらいまではローマ・カトリックではロマネスク建築、東方正教会ではビザンチン建築の教会が主につくられました。その後、非常に高い塔を持つゴシック建築が生まれました。ドイツのケルン大聖堂は、ゴシック建築を代表するカトリック教会。ステンドグラスの美しさに魅せられて世界中の人々が訪れますが、特徴的なのが尖塔の高さです。一五七メートルもあり、高い塔は神のいる天を目指しているとされます。 本書執筆中に火災にあったパリのノートルダム大聖堂は、聖母マリアに捧げるために建造された、やはりゴシック建築を代表する教会です。ステンドグラスやレリーフも多く、早く再建されるよう願うばかりです。 また、サン・ピエトロ大聖堂はカトリックの総本山であり、ミケランジェロが設計した一三二メートルのクーポラ(ドーム)は荘厳です。調和の美のルネサンス様式と豪華なバロック様式の両面をかね備えるとされています。 こうした教会も「世界遺産」として観光するだけでなく、知識を持って見れば、自分のなかにインプットされる情報が豊かになります』、確かに「教会」「建築」は、当時の第一流の芸術で、「世界遺産」となる価値がある。
・『モーツァルトもバッハも、キリスト教を抜きに語れない 教会では宗教音楽もつくられ、これが西洋音楽の起源となります。モーツァルト、ヴェルディなど数多くの作曲家が「レクイエム」(鎮魂曲)をつくっていますが、これはもともと死者の安息を祈るために、ミサ(ローマ・カトリックの祭礼、礼拝)で流される曲でした。聖書にインスピレーションがわいて生まれた名曲は数え切れないほどあります。 たとえば、ハイドンの代表作の一つ『天地創造』は、旧約聖書の「創世記」とイギリスの詩人ミルトンの叙事詩『失楽園』をモチーフに作曲されています。 ヘンデルの『メサイア』は曲名からして救世主、すなわちイエス・キリストです。イエスの誕生から受難、磔から復活までを扱っており、有名なハレルヤ・コーラスは、「ヨハネの黙示録」に由来します。ちなみに、「ハレルヤ」というのは、ヘブライ語で「神をたたえよ」の意味になります。 J・S・バッハの最高傑作の一つとも言われる『マタイ受難曲』は、三時間にわたる大作で、新約聖書の「マタイの福音書」に記されたイエスの受難を扱った楽曲です。 我々が普段耳にするクラシック音楽の多くが、神やイエスをたたえるためのものであったり、聖書の内容を再現するものであったりすることは、ぜひ知っておきたい事実です。 ちなみに、日本の古代からの音楽である雅楽も神道と関係があり、音楽と宗教は切っても切れない関係なのです。 西洋文学においてもキリスト教は極めて重要なモチーフになっています。 たとえば、世界文学最高峰の一つといわれるダンテの『神曲』は、地獄、煉獄、天国の各編に分かれ、キリスト教の価値観・教義を文学作品として現していると言えるでしょう。 また、時代は下りますが、ドストエフスキーの『罪と罰』やジッドの『狭き門』も、キリスト教から生まれた文学作品で『罪と罰』のテーマの一つは、法律に違反しても神からは許される犯罪もあるのではないかという深遠なもの。『狭き門』では、神の国と地上の国(=実際に生きているこの世)における幸福の探求がテーマになっています』、「宗教音楽」「が西洋音楽の起源となり」、「音楽と宗教は切っても切れない関係」にある。「キリスト教から生まれた文学作品」もあるなど、「教養」には「宗教」の理解が欠かせないようだ。
次に、昨年4月6日付けPRESIDENT Onlineが掲載した浄土宗僧侶/ジャーナリストの鵜飼 秀徳氏による「「もうイエス様では救われないのか」信者急減キリスト教が有史以来の危機…世界的"宗教変動"の衝撃 教会が売られイスラム教のモスクに」を紹介しよう。
https://president.jp/articles/-/52070
・『欧米で「教会離れ」が進んでいる。米国の調査機関によれば、信じる宗教は何かとの問いに「キリスト教」と回答した米国の成人は2009年の77%から10年後に65%に急減した。ジャーナリストで僧侶の鵜飼秀徳氏は「逆に増えているのは“無神論者”で、特に20~30代は旧来からの教会のつながりよりも、ネット(SNS)を通じた無宗教コミュニティーを求める傾向がある。また、アップルやグーグルなどで瞑想が取り入れられたり、マインドフルネスや禅への関心が高まったりしたことで、半世紀前にはほとんど存在しなかった仏教徒も増えている」という――』、「米国」では選挙では「宗教」の影響が強まっているが、「キリスト教」の信者数が「急減」、「瞑想が取り入れられたり、マインドフルネスや禅への関心が高まったりしたことで、半世紀前にはほとんど存在しなかった仏教徒も増えている」、とは意外だ。
・『世界のイスラム教徒の数がキリスト教徒を上回る日 仏教は減退し、キリスト教は現状維持、イスラム教は繁栄の時代を迎える――。 世界三大宗教と呼ばれる仏教、キリスト教、イスラム教の勢力が転換点を迎えている。将来的にはイスラム教が世界で最大勢力を獲得する見込みで、このような宗教構造の変化は国際政治や生活習慣などにも影響を与える可能性がある。 現在、世界最大の宗教勢力はキリスト教である。世界の総人口73億人のうち23億人(人口比で32%)をキリスト教徒が占めている。次いでイスラム教徒が18億人(25%)、ヒンズー教徒が11億人(15%)、仏教徒が5億人(7%)、民族信仰が4億人(5%)だ。日本の神道は国際的な分類では、「民族信仰」のカテゴリに入る。ちなみに、無宗教は12億人(16%)である。 この宗教構造が、ドラスティックに変化する。 世界の宗教動静を調査している米調査機関ピュー・リサーチ・センターによれば、約40年後の2060年までにはイスラム教徒が30億人(人口比31%)、キリスト教徒が31億人(32%)とほぼ同等になり、その後はイスラム教が世界最大の宗教に躍り出ると見込んでいる。 数の上では仏教を上回っているヒンズー教徒も11億人から14億人(15%)に増える。ユダヤ教は1430万人から1640万人になると予測されている。 では仏教はどうか。仏教は5億人から4億6200万人(5%)に減少する。世界宗教の中では唯一の減退となる見通し。同時に無宗教者も3ポイントほど減少に転じると見込まれる。 こうした宗教構造が変化する背景には、世界人口の激増がある。世界の人口は、2015年の73億人から2060年の間に96億人にまで膨らむと予見されている。この人口増加傾向が高い地域と、イスラム教信仰圏とが重なるのだ。 たとえば、人口2億6000万人のうち9割近くがイスラム教徒というインドネシア。2060年代中頃には6000万人ほど人口が増える見通しだ。 また、サハラ砂漠以南のアフリカ諸国では、民族信仰に加えてイスラム教とキリスト教を信じる割合が高い。この地域は合計特殊出生率が4~7という高水準にある。したがってこの地域では、キリスト教も爆発的に信者数を伸ばすようにも思われる。 だが、キリスト教は北アメリカやヨーロッパでは出生率が低下する傾向にあるため、伸び率を押し下げている。 もっといえば、キリスト教は米国や欧州先進諸国においては「教会離れ」「宗教転換」が進み、有史以来の危機的状況に直面している』、「米調査機関ピュー・リサーチ・センターによれば、約40年後の2060年までにはイスラム教徒が30億人(人口比31%)、キリスト教徒が31億人(32%)とほぼ同等になり、その後はイスラム教が世界最大の宗教に躍り出ると見込んでいる」、「キリスト教は米国や欧州先進諸国においては「教会離れ」「宗教転換」が進み、有史以来の危機的状況に直面している」、なるほど。
・『「キリスト教」と回答した米国成人、2009年77%から10年後に65%へ ピューリサーチセンターが2018から2019年にかけて実施した調査では、「自分が信じる宗教は何ですか」という質問に対し、「キリスト教」と回答した米国の成人は65%。この数字は2009年の77%から12ポイントも減少している。 宗派でみればプロテスタント(51%→43%)とカトリック(23%→20%)では、ややプロテスタントのほうが、減少割合が高いという。全キリスト教徒のうち、定期的に教会に通う割合も52%から47%と減少している。 一方で「無神論者」の割合は、2009年の17%から9ポイント増えて26%になった。現在、米国ではカトリック信者よりも無神論者のほうが多数派になってきている実態があるのだ。 その背景には、日本とは異なる米国の信仰形態がある。日本の場合は「イエ」で宗教を継承していくことが多い。だが、米国では親や夫がカトリックだからといって、子供や妻までカトリックを信じるとは限らない。 特に現在25歳から40歳のミレニアル世代の教会離れは顕著である。彼らはITリテラシーに長けており、旧来からの教会のつながりよりも、インターネット(SNS)を通じた無宗教コミュニティーを求める傾向にあるとの分析もある。 ヨーロッパでも教会離れは加速している。国によって原因は異なるものの、例えばフランスやイギリス、アイルランド、オーストリアなどでは聖職者による性的虐待問題が大きく影響している。 性的虐待は21世紀に入ってから社会問題化した。フランスでは独立委員会が先月、1950年以降に虐待に関わったカトリック教会関係者が最大3200人にも及ぶことを明らかにしたばかりである。 ドイツでは教会税から逃れたいという理由で、教会からの脱会が相次いでいる。同国では教会に所属するキリスト教徒である場合、所得税の8~10%が教会税として課される。日本に置き換えれば、どこかの菩提寺の檀家であれば「寺院税」を支払う義務が発生するということと同じ。この教会税逃れのためこの数年、毎年20万人以上の信者が教会から離れている。 教会がジリ貧になった結果、教会が売りに出され、替わってイスラム教のモスクが入るという事態になっている』、「聖職者による性的虐待問題」は困ったことだ。「ドイツ」の「教会税(注)」の存在は初めて知った。
(注)教会税:教会財産を領主などの世俗権力から守るために国家が徴収。ドイツのほか、スイス、デンマーク、スウェーデンなども導入(Wikipedia)
・『「教会離れ」の受け皿のひとつが半世紀前まで存在しなかった仏教 欧米における教会離れの受け皿のひとつになっているのが、仏教である。米国では半世紀前まではほとんど存在しなかった仏教徒の割合が近年、増えてきている。 アップルやグーグルなどで「瞑想」が取り入れられてきた影響もあり、「マインドフルネス」や、「禅」、あるいは最近では「念仏」などに精神性を求める傾向がみられる。インターネットを通じて、仏教の教えに触れる「ナイトスタンド・ブディスト」という人々も増えている。 だが、欧米における仏教はまだまだマイナーな宗教であり、教会を離れた人々は「無宗教者」に転じるケースがほとんどだ。 欧米における無宗教者の拡大や、全世界的なイスラム教の広がりは良くも悪くも、国際関係に影響を与えそうだ。確かに経済面ではメリットもある。ムスリムを対象にしたハラール食品やファッションなどのマーケットの拡大が予想できる。 一方で、歴史的にイスラム教はキリスト教との対立関係にあり、宗教的価値観の違いによる摩擦が生じないとも限らない。また、女性に対する人権や教育、社会進出、あるいは表現の自由などが制限されているイスラム教の国家もあり、課題は少なくない。 グローバルな宗教変動が起きている一方で、日本の宗教は当面は安定的に推移すると予測できる。 現在、日本人の信仰は仏教徒が8500万人、神道が8900万人、キリスト教徒が190万人、諸宗が740万人だ(文化庁「宗教年鑑 令和2年」)。 人口1億2500万人にたいし、宗教人口が合計1億8330万人になっているのは日本人の多くが仏教と神道を掛け持ちしているからである。地域の寺の檀家であり、氏子であるといったふうに。 その日本において、中長期的な宗教人口の増減を予測した調査は存在しない。だが、NHK放送文化研究所が実施している宗教に関する調査をみれば、「信仰している宗教」は2008年調査と2018年調査では男性が3ポイント増、女性が5ポイント減であり、さほど大きな変化はみられない。 日本は今後、本格的な人口減少の時代に入るとはいえ、信仰形態は仏教と神道のハイブリッドである状態が当面は続くと考えられる。 日本でも「寺離れ」「無宗教化」が叫ばれ続けているが、欧米の教会離れに比べればまだ楽観視できるレベルである。世界を見回しても、宗教動静が極めて安定しているのが、日本なのだ』、「米国では半世紀前まではほとんど存在しなかった仏教徒の割合が近年、増えてきている。 アップルやグーグルなどで「瞑想」が取り入れられてきた影響もあり、「マインドフルネス」や、「禅」、あるいは最近では「念仏」などに精神性を求める傾向がみられる。インターネットを通じて、仏教の教えに触れる「ナイトスタンド・ブディスト」という人々も増えている」、「日本でも「寺離れ」「無宗教化」が叫ばれ続けているが、欧米の教会離れに比べればまだ楽観視できるレベルである」、なるほど。
第三に、本年2月17日付けPRESIDENT Onlineが掲載した浄土宗僧侶/ジャーナリストの鵜飼 秀徳氏による「聖なる宗教界でイザコザ勃発…「上納金拒否・人事紛糾・怪しい不動産取引」対立・分裂の穏やかではない事情 "本部"との確執で有名寺社も独立」を紹介しよう。
https://president.jp/articles/-/54704
・『文化庁『宗教年鑑』の最新(令和3年)版によれば、伝統宗教も新宗教も年々施設の数や信者数が減っている。ジャーナリストで僧侶の鵜飼秀徳さんは「そうした中でどの宗教教団にも属さない“単立宗教法人”が増えている。元は大きな組織の宗教法人に属してしていたが、経営方針や人事、お金などを巡る対立やトラブルにより、独立する寺社が続出している」という――』、興味深そうだ。
・『日本を映し出す鏡「宗教」が大変なことになっているのをご存じか 毎年この時期になると、宗教学者らの元に1冊の報告書が送られてくる。文化庁が発行する『宗教年鑑』である。宗教法人を所轄する文化庁では、宗教法人の数や教師(僧侶などの宗教者)の数、信者数などを12月に取りまとめている。その統計が報告されるのだ。宗教の動態は、日本を映し出す鏡。最新の『宗教年鑑 令和3年版』で興味深いデータが示されたので解説したい。 まず宗教法人の数の変化について。宗教法人とは、大きく2つの種類に分けられる。包括宗教法人と被包括宗教法人である。 宗教法人の包括・被包括の関係文化庁「宗教年鑑」を参考に作成 仏教でいえば包括宗教法人は真言宗、天台宗といった「宗門」に該当し、被包括宗教法人はその宗門の看板を掲げる「寺院(末寺)」にあたる。神道では、全国7万9000もの神社を包括する神社本庁が包括宗教法人にあたる。 他にも包括宗教法人に所属せずに単独で活動する単立宗教法人がある。 『宗教年鑑 令和3年版』によれば、被包括宗教法人の総数は17万2957法人。前回(令和元年12月)調査よりも335法人減った。 宗教別の内訳でみると前回、仏教系では7万6970カ寺(法人)あったが7万6887カ寺(マイナス83カ寺)に減った。神道系では8万4546社が、8万4444社(マイナス102社)に減少。キリスト教系は4722カ所の教会が4747か所(プラス25カ所)、そのほかの宗教(諸教)は1万4195施設が1万4069施設(マイナス126施設)となっている。 つまり、仏教系・神道系・新宗教系の施設が減少傾向にあり、キリスト教の教会は増えつつあるのだ。近年、この傾向が続いている。 仏教寺院は2年前と比べて83カ寺減少した。それは全体の0.1%に過ぎない。統計上は大した減少率にはみえないが、実態はさにあらず。あくまでも、83カ寺の減少というのは、宗教法人を「解散」した数を意味している。 宗教法人の解散は大変、煩雑な手続きになる。宗教法人解散の実例は、2021年12月22日の本コラム『「YouTuberに荒らされる」廃墟寺が海外ブローカー、反社の“餌食”になる日』で紹介した。 そのため、多くは「空き寺(空き神社)」のまま放置される。つまり、「寺院消滅」「神社消滅」の実態は数字以上に深刻、ということが考えられる』、「多くは「空き寺(空き神社)」のまま放置される」のであれば、確かに「実態実態は数字以上に深刻」。
・『どの宗教教団にも属さない「単立宗教法人」が増えている 特に大きく減少しているのが「諸教」と呼ばれる、既成宗教に属さないカテゴリの新宗教である。126施設も減っている。諸教の主要な教団には、天理教やパーフェクトリバティー教団などがある。 例えば統計が始まった1995(平成7)年の調査では、諸教の施設数は1万6231あった。この四半世紀ほどで2162施設(全体の13%)が消えてしまっていることが判明した。寺院や神社同様、宗教法人格だけを有しながら、宗教施設として機能していない施設を入れればもっと多いはずだ。 各宗教の信者数の減少も顕著である。人口に占める仏教系の信者(檀信徒)は8397万1139人(人口全体の46.4%)となり、前回調査よりも86万3971人の減少となった。神道系の信者(氏子)は8792万4087人(同48.5%)で、103万5258人の減少。キリスト教系は191万5294人で、5537人増加した。諸教は733万5572人で6万7988人の減少だ。 日本における宗教人口の総数では1億8114万6092人(前回比でマイナス196万1680人)となった。これは、日本の人口(1億2544万人)を大きく超える数字だ。これは包括宗教法人が文化庁に「自己申告」する仕組みなので、数え方がまちまち(いい加減)なのだ。 そのほか、日本人の信仰が混淆していることも理由に挙げられる。たとえば地方都市では、寺院の檀家でありながら神社の氏子になっているケースはよくある。 また、どこかの寺の檀家だが、新宗教に入信していることも考えられる。たとえば、創価学会に継ぐ新宗教勢力の立正佼成会や、PL学園を組織するパーフェクトリバティー教団などは他宗教との掛け持ちを認めている。 複数の宗教をまたがって信仰できるもうひとつの背景には、日本が憲法20条「信教の自由」の保障がある。そのため、わが国には「国教」が存在しない。 終戦直後には国家神道が解体され、多数の新宗教が誕生し、勃興した。これは「神々のラッシュアワー」(第2次宗教ブーム)と呼ばれている。 戦争が終わり、次男以降の男子が集団で農村を出て(故郷の菩提寺を離れて)、都会に移り住み、核家族を形成。こぞって新宗教に入信した時代があった。 だが、近年、新宗教が急激に信者数を減らしている。諸教にカテゴライズされている新宗教の場合、1995(平成7)年の調査では1111万2595人いたのが、733万5572人にまで激減している(マイナス34%)。 高度経済成長期に入信した若者が高齢、死亡期に入り、同時に子供や孫へと信仰が継承されていないことが考えられる。 伝統宗教も新宗教も、施設の数や信者数を減らす中で、ひとつの奇妙な現象が起きている。 それは、どの宗教教団にも属さない「単立宗教法人」が増えていること。前回調査で単立宗教法人は7141法人だったのが、49法人増えて7190法人になっている。例えば、仏教系単立宗教法人は2019年から2020年の1年間で11法人(カ寺)が誕生している。神道系では14法人(社)が新たに誕生した。 これは何を意味するのだろうか』、「単立宗教法人」の増加は「何を意味するのだろうか」。
・『「上納金拒否・人事紛糾……」対立分裂の穏やかではない事情 この単立宗教法人の誕生の背景には、所属していた教団(包括宗教法人)からの離脱がある。近年、所属教団との確執が原因で、単立化するケースが増えているのだ。 とくに、歴史的な大寺院や大神社で単立になるケースが散見される。 2016年1月には曹洞宗の名刹で織田家の菩提寺である萬松寺(名古屋市中区)が宗門との包括関係を解消すると発表し、物議を醸した。公益財団法人国際宗教研究所宗教情報リサーチセンターによれば、以下のような経緯が報告されている。 2014年、萬松寺の住職が東京都内の浄土真宗系単立寺院の住職を兼務することになった。曹洞宗はその寺院を帰属させるように萬松寺に求めたが、寺側はそれを拒否して、単立の寺院となった。背景には納骨堂事業などの経営上の理由があるとみられている。 また、浄土宗では近年、宗門と大本山の清浄華院が同院の法主(住職)人事を巡って対立。清浄華院が浄土宗からの離脱の意向を示したが、ギリギリのところで回避された。 神道界では神社本庁から、「こんぴらさん」で知られる金刀比羅宮(香川県)が2020年に離脱を表明して、話題になった。金刀比羅宮は本庁の不動産取引にたいして不信感を抱いており、たびたび係争が起きていた。 神社本庁は2021年、天皇の皇位継承後の大嘗祭において当日祭を開催するよう各地の神社に要請。金刀比羅宮も当日祭を開いたが、神社本庁から配られる供物「幣帛料」が大嘗祭当日までに届かなかった。本庁から嫌がらせを受けたと考えた金刀比羅宮は「決して許されない無礼な行い」と表明して、本庁との関係を解消するに至った。 宗教法人の単立化はわかりやすく例えれば、コンビニがフランチャイズから離脱し、独立店になることに似ている。独立すれば、フランチャイズ加盟金を支払う必要がなくなるメリットがある。細かな規約を守ることも不要になる。 宗教法人も同様で、仏教寺院の場合、包括法人から離脱すれば収入などに応じて決められている「賦課金」と呼ばれる上納金を支払う義務はなくなる。儀式のやり方や寺院の運営などについても、宗門の伝統的なやりかたに従う必要はなくなる。信者も、宗旨宗派にこだわらずより広く集めることが可能になる。 包括法人とのしがらみを解消し、経営環境を飛躍的に改善する手段のひとつとしては十分あり得る。 しかし、私は長期的にはデメリットのほうが多いように思う。何百年という歴史を有する伝統教団の、社会的な信頼性は何ものにも変えがたいからだ。単立寺院になってしまえば、新宗教と変わらなくなってしまう。また、後継者の育成についても問題がでてくる。 大手教団は大学を運営しており、例えば仏教系宗門大学だと、そこで教師(僧侶)の養成を行うことができる。また、宗門大学に行かずとも宗門が定める規定の修行を修めれば、教師(僧侶)になることができる。単立寺院の場合は、「自家育成」が可能だが、社会から信用に値する僧侶とみられるかどうかは別問題だ。さまざまな問題があり、いったんは単立化した寺院や神社が、教団に復帰する事例も出てきているのが実情だ。 人口減少、高齢化などの社会構造に飲まれつつある宗教法人。今後の舵取りはますます、難しくなりそうだ』、「仏教寺院の場合、包括法人から離脱すれば収入などに応じて決められている「賦課金」と呼ばれる上納金を支払う義務はなくなる。儀式のやり方や寺院の運営などについても、宗門の伝統的なやりかたに従う必要はなくなる。信者も、宗旨宗派にこだわらずより広く集めることが可能になる」、など短期的にはメリットが大きそうだが、「長期的にはデメリットのほうが多いように思う」。「包括法人」にとっても、所属する「仏教寺院」に目に見える「メリット」を示すいい刺激になるのではなかろうか。
先ずは、昨年2月24日付けダイヤモンド・オンラインが掲載した著述家/芸術文化観光専門職大学教授の山中俊之氏による「歴史・美術・音楽・建築・文学… 「教養」を「本物の教養」にするためには「宗教」の知識が欠かせない」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/228463
・『アメリカ・ヨーロッパ・中東・インドなど世界で活躍するビジネスパーソンには、現地の人々と正しくコミュニケーションするための「宗教の知識」が必要だ。しかし、日本人ビジネスパーソンが十分な宗教の知識を持っているとは言えず、自分では知らないうちに失敗を重ねていることも多いという。また、教養を磨きたい人にとっても、「教養の土台」である宗教の知識は欠かせない。西欧の音楽、美術、文学の多くは、キリスト教を普及させ、いかに人々を啓蒙するか、キリスト教を社会にいかに受け入れさせるのかといった葛藤の歴史と深く結びついているからだ。本連載では、世界94ヵ国で学んだ元外交官・山中俊之氏による著書、『ビジネスエリートの必須教養 世界5大宗教入門』(ダイヤモンド社)の内容から、ビジネスパーソンが世界で戦うために欠かせない宗教の知識をお伝えしていく』、確かに「西欧」文化を理解する上で、「宗教の知識は欠かせない」。
・『ローマ・カトリックのヴィジュアル戦略 ユダヤ教は「神とユダヤ人」の契約。キリスト教は「〈父なる神+子なる神(イエス・キリスト)+聖霊の三位一体〉と人間」の間の関係です。 ローマ・カトリックもこの原則に従うのですが、やがて三位一体と人間の間に聖職者が入るようになります。ローマ教皇をトップとするローマ・カトリックの聖職者たちです。 なぜなら、イエスの説教をまとめた聖書は、ギリシャ語で書かれたものが五世紀にローマ帝国の言葉であるラテン語に訳されました。普通の人はラテン語がわかりませんし、識字率もかなり低い。直接、神の教えを読めないのですから、聖職者の話を聞いて、「神父様、すばらしいお話をありがとうございます」と受け取るしかなかったのです。 さらに、カトリックは布教にあたって、もう一つの戦略を打ち出します。ユダヤ教同様、ローマ・カトリックでも偶像崇拝は禁じられていましたが、「字が読めないんだから、目で見て感じればいい」とばかりに聖書に関連する美術品を山のようにつくったのです。 血を流し、磔にされたキリスト像。イエスを処女懐胎した聖母マリア像。昇天するキリストを取り巻く天使たち……。どれも見覚えのあるモチーフだと思います。「キリスト教とはこういうものですよ」というのを、字が読めない人たちに絵で伝え、「情感に訴えて信者にしよう」という狙いがしっかりありました。 今日の西洋美術は、ユダヤ教やキリスト教から大きな影響を受けています。 ビジネスパーソンが、教養の一つとして絵画に通じているのは大きなアドバンテージとなります。 宗教画は、ルネサンス以降も描かれました。たとえば、一七世紀のオランダの画家フェルメールもイエスとマリアが登場する宗教画を描いています。 宗教画の背後のキリスト教が理解できなければ、西洋美術の根っこを知らないことになってしまうでしょう』、「「字が読めないんだから、目で見て感じればいい」とばかりに聖書に関連する美術品を山のようにつくった」、日本でも曼荼羅のような絵が多くつくられた。
・『もし、ロシアがイスラムの国だったら? 美術の力で布教に努めたのは、東方正教会も同じです。 私はかねてから世界の東方正教会に何度も足を運んでおり、本書の執筆にあたってウクライナ、ベラルーシを訪問しましたが、改めてイコンの多さと荘厳さに感嘆しました。 建前的には「偶像ではない」とされていますが、イコンははっきりとキリストが書かれた東方正教会の聖画。キリスト教の物語を表しているのはローマ・カトリックと同じで、多くが黄金に覆われたきらびやかなものです。「何枚も重ねて飾られたイコンの背後にある神様に祈っている」ということになっていますが、イコンの豪華さを布教や伝道のツールとしたのは明らかでしょう。 つまり、東方正教会もカトリック同様、ヴィジュアル戦略をとったわけですが、これに魂を射抜かれたのは庶民ばかりではありません。一〇世紀、キエフ公国ウラジミール大公がギリシャの東方正教会を受け入れたのは、イコンの美しさに魅せられたからだといわれています。 キエフは今のウクライナですから、いってみればこれがロシアや東ヨーロッパが東方正教会のエリアになったきっかけなのです。コンスタンティノープルがイスラム教徒の支配下になって以降は、ロシアが東方正教会の中心になりました。 かつての東ローマ帝国ではキリスト教とイスラム教が争いを繰り返し、今のトルコがイスラム化したのが同じく一〇世紀頃。キリスト教とイスラム教の覇権争いは、世界中で繰り広げられていました。ロシアはローマ・カトリックの国になる可能性はもちろん、イスラムの国になる可能性もあったということです。 もしも、ロシア一帯がイスラム教社会になっていたら、共産主義は生まれなかったかもしれず、中東のイスラム圏と似たような国になっていた可能性すらあります。 ちなみに、東方正教会の人々は、ロシア人といいギリシャ人といい、人間関係の密度が高いと感じます。お互いに助け合おうという感覚が強いというのは、東方正教会のエリアに赴任した経験がある人がよく抱く感想です』、「ロシア一帯がイスラム教社会になっていたら、共産主義は生まれなかったかもしれず、中東のイスラム圏と似たような国になっていた可能性すらあります」、想像力を掻き立てる面白い発想だ。
・『世界遺産めぐりで「宗教の教養」を高める ローマ・カトリックや東方正教会の布教のパワーとなったのは、美術だけではありません。 一二世紀の終わりくらいまではローマ・カトリックではロマネスク建築、東方正教会ではビザンチン建築の教会が主につくられました。その後、非常に高い塔を持つゴシック建築が生まれました。ドイツのケルン大聖堂は、ゴシック建築を代表するカトリック教会。ステンドグラスの美しさに魅せられて世界中の人々が訪れますが、特徴的なのが尖塔の高さです。一五七メートルもあり、高い塔は神のいる天を目指しているとされます。 本書執筆中に火災にあったパリのノートルダム大聖堂は、聖母マリアに捧げるために建造された、やはりゴシック建築を代表する教会です。ステンドグラスやレリーフも多く、早く再建されるよう願うばかりです。 また、サン・ピエトロ大聖堂はカトリックの総本山であり、ミケランジェロが設計した一三二メートルのクーポラ(ドーム)は荘厳です。調和の美のルネサンス様式と豪華なバロック様式の両面をかね備えるとされています。 こうした教会も「世界遺産」として観光するだけでなく、知識を持って見れば、自分のなかにインプットされる情報が豊かになります』、確かに「教会」「建築」は、当時の第一流の芸術で、「世界遺産」となる価値がある。
・『モーツァルトもバッハも、キリスト教を抜きに語れない 教会では宗教音楽もつくられ、これが西洋音楽の起源となります。モーツァルト、ヴェルディなど数多くの作曲家が「レクイエム」(鎮魂曲)をつくっていますが、これはもともと死者の安息を祈るために、ミサ(ローマ・カトリックの祭礼、礼拝)で流される曲でした。聖書にインスピレーションがわいて生まれた名曲は数え切れないほどあります。 たとえば、ハイドンの代表作の一つ『天地創造』は、旧約聖書の「創世記」とイギリスの詩人ミルトンの叙事詩『失楽園』をモチーフに作曲されています。 ヘンデルの『メサイア』は曲名からして救世主、すなわちイエス・キリストです。イエスの誕生から受難、磔から復活までを扱っており、有名なハレルヤ・コーラスは、「ヨハネの黙示録」に由来します。ちなみに、「ハレルヤ」というのは、ヘブライ語で「神をたたえよ」の意味になります。 J・S・バッハの最高傑作の一つとも言われる『マタイ受難曲』は、三時間にわたる大作で、新約聖書の「マタイの福音書」に記されたイエスの受難を扱った楽曲です。 我々が普段耳にするクラシック音楽の多くが、神やイエスをたたえるためのものであったり、聖書の内容を再現するものであったりすることは、ぜひ知っておきたい事実です。 ちなみに、日本の古代からの音楽である雅楽も神道と関係があり、音楽と宗教は切っても切れない関係なのです。 西洋文学においてもキリスト教は極めて重要なモチーフになっています。 たとえば、世界文学最高峰の一つといわれるダンテの『神曲』は、地獄、煉獄、天国の各編に分かれ、キリスト教の価値観・教義を文学作品として現していると言えるでしょう。 また、時代は下りますが、ドストエフスキーの『罪と罰』やジッドの『狭き門』も、キリスト教から生まれた文学作品で『罪と罰』のテーマの一つは、法律に違反しても神からは許される犯罪もあるのではないかという深遠なもの。『狭き門』では、神の国と地上の国(=実際に生きているこの世)における幸福の探求がテーマになっています』、「宗教音楽」「が西洋音楽の起源となり」、「音楽と宗教は切っても切れない関係」にある。「キリスト教から生まれた文学作品」もあるなど、「教養」には「宗教」の理解が欠かせないようだ。
次に、昨年4月6日付けPRESIDENT Onlineが掲載した浄土宗僧侶/ジャーナリストの鵜飼 秀徳氏による「「もうイエス様では救われないのか」信者急減キリスト教が有史以来の危機…世界的"宗教変動"の衝撃 教会が売られイスラム教のモスクに」を紹介しよう。
https://president.jp/articles/-/52070
・『欧米で「教会離れ」が進んでいる。米国の調査機関によれば、信じる宗教は何かとの問いに「キリスト教」と回答した米国の成人は2009年の77%から10年後に65%に急減した。ジャーナリストで僧侶の鵜飼秀徳氏は「逆に増えているのは“無神論者”で、特に20~30代は旧来からの教会のつながりよりも、ネット(SNS)を通じた無宗教コミュニティーを求める傾向がある。また、アップルやグーグルなどで瞑想が取り入れられたり、マインドフルネスや禅への関心が高まったりしたことで、半世紀前にはほとんど存在しなかった仏教徒も増えている」という――』、「米国」では選挙では「宗教」の影響が強まっているが、「キリスト教」の信者数が「急減」、「瞑想が取り入れられたり、マインドフルネスや禅への関心が高まったりしたことで、半世紀前にはほとんど存在しなかった仏教徒も増えている」、とは意外だ。
・『世界のイスラム教徒の数がキリスト教徒を上回る日 仏教は減退し、キリスト教は現状維持、イスラム教は繁栄の時代を迎える――。 世界三大宗教と呼ばれる仏教、キリスト教、イスラム教の勢力が転換点を迎えている。将来的にはイスラム教が世界で最大勢力を獲得する見込みで、このような宗教構造の変化は国際政治や生活習慣などにも影響を与える可能性がある。 現在、世界最大の宗教勢力はキリスト教である。世界の総人口73億人のうち23億人(人口比で32%)をキリスト教徒が占めている。次いでイスラム教徒が18億人(25%)、ヒンズー教徒が11億人(15%)、仏教徒が5億人(7%)、民族信仰が4億人(5%)だ。日本の神道は国際的な分類では、「民族信仰」のカテゴリに入る。ちなみに、無宗教は12億人(16%)である。 この宗教構造が、ドラスティックに変化する。 世界の宗教動静を調査している米調査機関ピュー・リサーチ・センターによれば、約40年後の2060年までにはイスラム教徒が30億人(人口比31%)、キリスト教徒が31億人(32%)とほぼ同等になり、その後はイスラム教が世界最大の宗教に躍り出ると見込んでいる。 数の上では仏教を上回っているヒンズー教徒も11億人から14億人(15%)に増える。ユダヤ教は1430万人から1640万人になると予測されている。 では仏教はどうか。仏教は5億人から4億6200万人(5%)に減少する。世界宗教の中では唯一の減退となる見通し。同時に無宗教者も3ポイントほど減少に転じると見込まれる。 こうした宗教構造が変化する背景には、世界人口の激増がある。世界の人口は、2015年の73億人から2060年の間に96億人にまで膨らむと予見されている。この人口増加傾向が高い地域と、イスラム教信仰圏とが重なるのだ。 たとえば、人口2億6000万人のうち9割近くがイスラム教徒というインドネシア。2060年代中頃には6000万人ほど人口が増える見通しだ。 また、サハラ砂漠以南のアフリカ諸国では、民族信仰に加えてイスラム教とキリスト教を信じる割合が高い。この地域は合計特殊出生率が4~7という高水準にある。したがってこの地域では、キリスト教も爆発的に信者数を伸ばすようにも思われる。 だが、キリスト教は北アメリカやヨーロッパでは出生率が低下する傾向にあるため、伸び率を押し下げている。 もっといえば、キリスト教は米国や欧州先進諸国においては「教会離れ」「宗教転換」が進み、有史以来の危機的状況に直面している』、「米調査機関ピュー・リサーチ・センターによれば、約40年後の2060年までにはイスラム教徒が30億人(人口比31%)、キリスト教徒が31億人(32%)とほぼ同等になり、その後はイスラム教が世界最大の宗教に躍り出ると見込んでいる」、「キリスト教は米国や欧州先進諸国においては「教会離れ」「宗教転換」が進み、有史以来の危機的状況に直面している」、なるほど。
・『「キリスト教」と回答した米国成人、2009年77%から10年後に65%へ ピューリサーチセンターが2018から2019年にかけて実施した調査では、「自分が信じる宗教は何ですか」という質問に対し、「キリスト教」と回答した米国の成人は65%。この数字は2009年の77%から12ポイントも減少している。 宗派でみればプロテスタント(51%→43%)とカトリック(23%→20%)では、ややプロテスタントのほうが、減少割合が高いという。全キリスト教徒のうち、定期的に教会に通う割合も52%から47%と減少している。 一方で「無神論者」の割合は、2009年の17%から9ポイント増えて26%になった。現在、米国ではカトリック信者よりも無神論者のほうが多数派になってきている実態があるのだ。 その背景には、日本とは異なる米国の信仰形態がある。日本の場合は「イエ」で宗教を継承していくことが多い。だが、米国では親や夫がカトリックだからといって、子供や妻までカトリックを信じるとは限らない。 特に現在25歳から40歳のミレニアル世代の教会離れは顕著である。彼らはITリテラシーに長けており、旧来からの教会のつながりよりも、インターネット(SNS)を通じた無宗教コミュニティーを求める傾向にあるとの分析もある。 ヨーロッパでも教会離れは加速している。国によって原因は異なるものの、例えばフランスやイギリス、アイルランド、オーストリアなどでは聖職者による性的虐待問題が大きく影響している。 性的虐待は21世紀に入ってから社会問題化した。フランスでは独立委員会が先月、1950年以降に虐待に関わったカトリック教会関係者が最大3200人にも及ぶことを明らかにしたばかりである。 ドイツでは教会税から逃れたいという理由で、教会からの脱会が相次いでいる。同国では教会に所属するキリスト教徒である場合、所得税の8~10%が教会税として課される。日本に置き換えれば、どこかの菩提寺の檀家であれば「寺院税」を支払う義務が発生するということと同じ。この教会税逃れのためこの数年、毎年20万人以上の信者が教会から離れている。 教会がジリ貧になった結果、教会が売りに出され、替わってイスラム教のモスクが入るという事態になっている』、「聖職者による性的虐待問題」は困ったことだ。「ドイツ」の「教会税(注)」の存在は初めて知った。
(注)教会税:教会財産を領主などの世俗権力から守るために国家が徴収。ドイツのほか、スイス、デンマーク、スウェーデンなども導入(Wikipedia)
・『「教会離れ」の受け皿のひとつが半世紀前まで存在しなかった仏教 欧米における教会離れの受け皿のひとつになっているのが、仏教である。米国では半世紀前まではほとんど存在しなかった仏教徒の割合が近年、増えてきている。 アップルやグーグルなどで「瞑想」が取り入れられてきた影響もあり、「マインドフルネス」や、「禅」、あるいは最近では「念仏」などに精神性を求める傾向がみられる。インターネットを通じて、仏教の教えに触れる「ナイトスタンド・ブディスト」という人々も増えている。 だが、欧米における仏教はまだまだマイナーな宗教であり、教会を離れた人々は「無宗教者」に転じるケースがほとんどだ。 欧米における無宗教者の拡大や、全世界的なイスラム教の広がりは良くも悪くも、国際関係に影響を与えそうだ。確かに経済面ではメリットもある。ムスリムを対象にしたハラール食品やファッションなどのマーケットの拡大が予想できる。 一方で、歴史的にイスラム教はキリスト教との対立関係にあり、宗教的価値観の違いによる摩擦が生じないとも限らない。また、女性に対する人権や教育、社会進出、あるいは表現の自由などが制限されているイスラム教の国家もあり、課題は少なくない。 グローバルな宗教変動が起きている一方で、日本の宗教は当面は安定的に推移すると予測できる。 現在、日本人の信仰は仏教徒が8500万人、神道が8900万人、キリスト教徒が190万人、諸宗が740万人だ(文化庁「宗教年鑑 令和2年」)。 人口1億2500万人にたいし、宗教人口が合計1億8330万人になっているのは日本人の多くが仏教と神道を掛け持ちしているからである。地域の寺の檀家であり、氏子であるといったふうに。 その日本において、中長期的な宗教人口の増減を予測した調査は存在しない。だが、NHK放送文化研究所が実施している宗教に関する調査をみれば、「信仰している宗教」は2008年調査と2018年調査では男性が3ポイント増、女性が5ポイント減であり、さほど大きな変化はみられない。 日本は今後、本格的な人口減少の時代に入るとはいえ、信仰形態は仏教と神道のハイブリッドである状態が当面は続くと考えられる。 日本でも「寺離れ」「無宗教化」が叫ばれ続けているが、欧米の教会離れに比べればまだ楽観視できるレベルである。世界を見回しても、宗教動静が極めて安定しているのが、日本なのだ』、「米国では半世紀前まではほとんど存在しなかった仏教徒の割合が近年、増えてきている。 アップルやグーグルなどで「瞑想」が取り入れられてきた影響もあり、「マインドフルネス」や、「禅」、あるいは最近では「念仏」などに精神性を求める傾向がみられる。インターネットを通じて、仏教の教えに触れる「ナイトスタンド・ブディスト」という人々も増えている」、「日本でも「寺離れ」「無宗教化」が叫ばれ続けているが、欧米の教会離れに比べればまだ楽観視できるレベルである」、なるほど。
第三に、本年2月17日付けPRESIDENT Onlineが掲載した浄土宗僧侶/ジャーナリストの鵜飼 秀徳氏による「聖なる宗教界でイザコザ勃発…「上納金拒否・人事紛糾・怪しい不動産取引」対立・分裂の穏やかではない事情 "本部"との確執で有名寺社も独立」を紹介しよう。
https://president.jp/articles/-/54704
・『文化庁『宗教年鑑』の最新(令和3年)版によれば、伝統宗教も新宗教も年々施設の数や信者数が減っている。ジャーナリストで僧侶の鵜飼秀徳さんは「そうした中でどの宗教教団にも属さない“単立宗教法人”が増えている。元は大きな組織の宗教法人に属してしていたが、経営方針や人事、お金などを巡る対立やトラブルにより、独立する寺社が続出している」という――』、興味深そうだ。
・『日本を映し出す鏡「宗教」が大変なことになっているのをご存じか 毎年この時期になると、宗教学者らの元に1冊の報告書が送られてくる。文化庁が発行する『宗教年鑑』である。宗教法人を所轄する文化庁では、宗教法人の数や教師(僧侶などの宗教者)の数、信者数などを12月に取りまとめている。その統計が報告されるのだ。宗教の動態は、日本を映し出す鏡。最新の『宗教年鑑 令和3年版』で興味深いデータが示されたので解説したい。 まず宗教法人の数の変化について。宗教法人とは、大きく2つの種類に分けられる。包括宗教法人と被包括宗教法人である。 宗教法人の包括・被包括の関係文化庁「宗教年鑑」を参考に作成 仏教でいえば包括宗教法人は真言宗、天台宗といった「宗門」に該当し、被包括宗教法人はその宗門の看板を掲げる「寺院(末寺)」にあたる。神道では、全国7万9000もの神社を包括する神社本庁が包括宗教法人にあたる。 他にも包括宗教法人に所属せずに単独で活動する単立宗教法人がある。 『宗教年鑑 令和3年版』によれば、被包括宗教法人の総数は17万2957法人。前回(令和元年12月)調査よりも335法人減った。 宗教別の内訳でみると前回、仏教系では7万6970カ寺(法人)あったが7万6887カ寺(マイナス83カ寺)に減った。神道系では8万4546社が、8万4444社(マイナス102社)に減少。キリスト教系は4722カ所の教会が4747か所(プラス25カ所)、そのほかの宗教(諸教)は1万4195施設が1万4069施設(マイナス126施設)となっている。 つまり、仏教系・神道系・新宗教系の施設が減少傾向にあり、キリスト教の教会は増えつつあるのだ。近年、この傾向が続いている。 仏教寺院は2年前と比べて83カ寺減少した。それは全体の0.1%に過ぎない。統計上は大した減少率にはみえないが、実態はさにあらず。あくまでも、83カ寺の減少というのは、宗教法人を「解散」した数を意味している。 宗教法人の解散は大変、煩雑な手続きになる。宗教法人解散の実例は、2021年12月22日の本コラム『「YouTuberに荒らされる」廃墟寺が海外ブローカー、反社の“餌食”になる日』で紹介した。 そのため、多くは「空き寺(空き神社)」のまま放置される。つまり、「寺院消滅」「神社消滅」の実態は数字以上に深刻、ということが考えられる』、「多くは「空き寺(空き神社)」のまま放置される」のであれば、確かに「実態実態は数字以上に深刻」。
・『どの宗教教団にも属さない「単立宗教法人」が増えている 特に大きく減少しているのが「諸教」と呼ばれる、既成宗教に属さないカテゴリの新宗教である。126施設も減っている。諸教の主要な教団には、天理教やパーフェクトリバティー教団などがある。 例えば統計が始まった1995(平成7)年の調査では、諸教の施設数は1万6231あった。この四半世紀ほどで2162施設(全体の13%)が消えてしまっていることが判明した。寺院や神社同様、宗教法人格だけを有しながら、宗教施設として機能していない施設を入れればもっと多いはずだ。 各宗教の信者数の減少も顕著である。人口に占める仏教系の信者(檀信徒)は8397万1139人(人口全体の46.4%)となり、前回調査よりも86万3971人の減少となった。神道系の信者(氏子)は8792万4087人(同48.5%)で、103万5258人の減少。キリスト教系は191万5294人で、5537人増加した。諸教は733万5572人で6万7988人の減少だ。 日本における宗教人口の総数では1億8114万6092人(前回比でマイナス196万1680人)となった。これは、日本の人口(1億2544万人)を大きく超える数字だ。これは包括宗教法人が文化庁に「自己申告」する仕組みなので、数え方がまちまち(いい加減)なのだ。 そのほか、日本人の信仰が混淆していることも理由に挙げられる。たとえば地方都市では、寺院の檀家でありながら神社の氏子になっているケースはよくある。 また、どこかの寺の檀家だが、新宗教に入信していることも考えられる。たとえば、創価学会に継ぐ新宗教勢力の立正佼成会や、PL学園を組織するパーフェクトリバティー教団などは他宗教との掛け持ちを認めている。 複数の宗教をまたがって信仰できるもうひとつの背景には、日本が憲法20条「信教の自由」の保障がある。そのため、わが国には「国教」が存在しない。 終戦直後には国家神道が解体され、多数の新宗教が誕生し、勃興した。これは「神々のラッシュアワー」(第2次宗教ブーム)と呼ばれている。 戦争が終わり、次男以降の男子が集団で農村を出て(故郷の菩提寺を離れて)、都会に移り住み、核家族を形成。こぞって新宗教に入信した時代があった。 だが、近年、新宗教が急激に信者数を減らしている。諸教にカテゴライズされている新宗教の場合、1995(平成7)年の調査では1111万2595人いたのが、733万5572人にまで激減している(マイナス34%)。 高度経済成長期に入信した若者が高齢、死亡期に入り、同時に子供や孫へと信仰が継承されていないことが考えられる。 伝統宗教も新宗教も、施設の数や信者数を減らす中で、ひとつの奇妙な現象が起きている。 それは、どの宗教教団にも属さない「単立宗教法人」が増えていること。前回調査で単立宗教法人は7141法人だったのが、49法人増えて7190法人になっている。例えば、仏教系単立宗教法人は2019年から2020年の1年間で11法人(カ寺)が誕生している。神道系では14法人(社)が新たに誕生した。 これは何を意味するのだろうか』、「単立宗教法人」の増加は「何を意味するのだろうか」。
・『「上納金拒否・人事紛糾……」対立分裂の穏やかではない事情 この単立宗教法人の誕生の背景には、所属していた教団(包括宗教法人)からの離脱がある。近年、所属教団との確執が原因で、単立化するケースが増えているのだ。 とくに、歴史的な大寺院や大神社で単立になるケースが散見される。 2016年1月には曹洞宗の名刹で織田家の菩提寺である萬松寺(名古屋市中区)が宗門との包括関係を解消すると発表し、物議を醸した。公益財団法人国際宗教研究所宗教情報リサーチセンターによれば、以下のような経緯が報告されている。 2014年、萬松寺の住職が東京都内の浄土真宗系単立寺院の住職を兼務することになった。曹洞宗はその寺院を帰属させるように萬松寺に求めたが、寺側はそれを拒否して、単立の寺院となった。背景には納骨堂事業などの経営上の理由があるとみられている。 また、浄土宗では近年、宗門と大本山の清浄華院が同院の法主(住職)人事を巡って対立。清浄華院が浄土宗からの離脱の意向を示したが、ギリギリのところで回避された。 神道界では神社本庁から、「こんぴらさん」で知られる金刀比羅宮(香川県)が2020年に離脱を表明して、話題になった。金刀比羅宮は本庁の不動産取引にたいして不信感を抱いており、たびたび係争が起きていた。 神社本庁は2021年、天皇の皇位継承後の大嘗祭において当日祭を開催するよう各地の神社に要請。金刀比羅宮も当日祭を開いたが、神社本庁から配られる供物「幣帛料」が大嘗祭当日までに届かなかった。本庁から嫌がらせを受けたと考えた金刀比羅宮は「決して許されない無礼な行い」と表明して、本庁との関係を解消するに至った。 宗教法人の単立化はわかりやすく例えれば、コンビニがフランチャイズから離脱し、独立店になることに似ている。独立すれば、フランチャイズ加盟金を支払う必要がなくなるメリットがある。細かな規約を守ることも不要になる。 宗教法人も同様で、仏教寺院の場合、包括法人から離脱すれば収入などに応じて決められている「賦課金」と呼ばれる上納金を支払う義務はなくなる。儀式のやり方や寺院の運営などについても、宗門の伝統的なやりかたに従う必要はなくなる。信者も、宗旨宗派にこだわらずより広く集めることが可能になる。 包括法人とのしがらみを解消し、経営環境を飛躍的に改善する手段のひとつとしては十分あり得る。 しかし、私は長期的にはデメリットのほうが多いように思う。何百年という歴史を有する伝統教団の、社会的な信頼性は何ものにも変えがたいからだ。単立寺院になってしまえば、新宗教と変わらなくなってしまう。また、後継者の育成についても問題がでてくる。 大手教団は大学を運営しており、例えば仏教系宗門大学だと、そこで教師(僧侶)の養成を行うことができる。また、宗門大学に行かずとも宗門が定める規定の修行を修めれば、教師(僧侶)になることができる。単立寺院の場合は、「自家育成」が可能だが、社会から信用に値する僧侶とみられるかどうかは別問題だ。さまざまな問題があり、いったんは単立化した寺院や神社が、教団に復帰する事例も出てきているのが実情だ。 人口減少、高齢化などの社会構造に飲まれつつある宗教法人。今後の舵取りはますます、難しくなりそうだ』、「仏教寺院の場合、包括法人から離脱すれば収入などに応じて決められている「賦課金」と呼ばれる上納金を支払う義務はなくなる。儀式のやり方や寺院の運営などについても、宗門の伝統的なやりかたに従う必要はなくなる。信者も、宗旨宗派にこだわらずより広く集めることが可能になる」、など短期的にはメリットが大きそうだが、「長期的にはデメリットのほうが多いように思う」。「包括法人」にとっても、所属する「仏教寺院」に目に見える「メリット」を示すいい刺激になるのではなかろうか。
タグ:ダイヤモンド・オンライン (その6)(歴史・美術・音楽・建築・文学… 「教養」を「本物の教養」にするためには「宗教」の知識が欠かせない、「もうイエス様では救われないのか」信者急減キリスト教が有史以来の危機…世界的"宗教変動"の衝撃 教会が売られイスラム教のモスクに、聖なる宗教界でイザコザ勃発…「上納金拒否・人事紛糾・怪しい不動産取引」対立・分裂の穏やかではない事情 "本部"との確執で有名寺社も独立) 宗教 山中俊之氏による「歴史・美術・音楽・建築・文学… 「教養」を「本物の教養」にするためには「宗教」の知識が欠かせない」 確かに「西欧」文化を理解する上で、「宗教の知識は欠かせない」。 「「字が読めないんだから、目で見て感じればいい」とばかりに聖書に関連する美術品を山のようにつくった」、日本でも曼荼羅のような絵が多くつくられた。 「ロシア一帯がイスラム教社会になっていたら、共産主義は生まれなかったかもしれず、中東のイスラム圏と似たような国になっていた可能性すらあります」、想像力を掻き立てる面白い発想だ。 、確かに「教会」「建築」は、当時の第一流の芸術で、「世界遺産」となる価値がある。 「宗教音楽」「が西洋音楽の起源となり」、「音楽と宗教は切っても切れない関係」にある。「キリスト教から生まれた文学作品」もあるなど、「教養」には「宗教」の理解が欠かせないようだ。 PRESIDENT ONLINE 鵜飼 秀徳氏による「「もうイエス様では救われないのか」信者急減キリスト教が有史以来の危機…世界的"宗教変動"の衝撃 教会が売られイスラム教のモスクに」 米国」では選挙では「宗教」の影響が強まっているが、「キリスト教」の信者数が「急減」、「瞑想が取り入れられたり、マインドフルネスや禅への関心が高まったりしたことで、半世紀前にはほとんど存在しなかった仏教徒も増えている」、とは意外だ。 「米調査機関ピュー・リサーチ・センターによれば、約40年後の2060年までにはイスラム教徒が30億人(人口比31%)、キリスト教徒が31億人(32%)とほぼ同等になり、その後はイスラム教が世界最大の宗教に躍り出ると見込んでいる」、「キリスト教は米国や欧州先進諸国においては「教会離れ」「宗教転換」が進み、有史以来の危機的状況に直面している」、なるほど。 「聖職者による性的虐待問題」は困ったことだ。「ドイツ」の「教会税(注)」の存在は初めて知った。 (注)教会税:教会財産を領主などの世俗権力から守るために国家が徴収。ドイツのほか、スイス、デンマーク、スウェーデンなども導入(Wikipedia) 「米国では半世紀前まではほとんど存在しなかった仏教徒の割合が近年、増えてきている。 アップルやグーグルなどで「瞑想」が取り入れられてきた影響もあり、「マインドフルネス」や、「禅」、あるいは最近では「念仏」などに精神性を求める傾向がみられる。インターネットを通じて、仏教の教えに触れる「ナイトスタンド・ブディスト」という人々も増えている」、「日本でも「寺離れ」「無宗教化」が叫ばれ続けているが、欧米の教会離れに比べればまだ楽観視できるレベルである」、なるほど。 鵜飼 秀徳氏による「聖なる宗教界でイザコザ勃発…「上納金拒否・人事紛糾・怪しい不動産取引」対立・分裂の穏やかではない事情 "本部"との確執で有名寺社も独立」 「多くは「空き寺(空き神社)」のまま放置される」のであれば、確かに「実態実態は数字以上に深刻」 「単立宗教法人」の増加は「何を意味するのだろうか」 「仏教寺院の場合、包括法人から離脱すれば収入などに応じて決められている「賦課金」と呼ばれる上納金を支払う義務はなくなる。儀式のやり方や寺院の運営などについても、宗門の伝統的なやりかたに従う必要はなくなる。信者も、宗旨宗派にこだわらずより広く集めることが可能になる」、など短期的にはメリットが大きそうだが、「長期的にはデメリットのほうが多いように思う」。「包括法人」にとっても、所属する「仏教寺院」に目に見える「メリット」を示すいい刺激になるのではなかろうか。