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部活動問題(その4)(野球部監督の叱責で16歳少年が自殺 遺族の訴え なぜ彼は死を選び 両親は9年後の今も闘うか、「ブラック部活」に苦しむ生徒と教員 データで示す驚きの実態とは、中高の「部活至上主義」がいまだ根強い深刻な実情 テスト前にも「家でしっかり練習しろ」と熱血指導) [社会]

部活動問題については、昨年6月27日に取上げた。今日は、(その4)(野球部監督の叱責で16歳少年が自殺 遺族の訴え なぜ彼は死を選び 両親は9年後の今も闘うか、「ブラック部活」に苦しむ生徒と教員 データで示す驚きの実態とは、中高の「部活至上主義」がいまだ根強い深刻な実情 テスト前にも「家でしっかり練習しろ」と熱血指導)である。

先ずは、昨年7月4日付け東洋経済オンラインが掲載したフリーライターの島沢 優子氏による「野球部監督の叱責で16歳少年が自殺、遺族の訴え なぜ彼は死を選び、両親は9年後の今も闘うか」を紹介しよう。
・『2012年7月25日に県立岡山操山高校(岡山市)の野球部マネージャーだった2年の男子生徒A君(当時16)が自殺した問題。 岡山県教育委員会は6月9日、同教委が設置した第三者委員会が「自殺は監督(顧問)の叱責が原因。教員という立場を利用したハラスメントであったとも言える」とする報告書の全文を公開した。 遺族からの長年の要請を受け、亡くなって6年後の2018年に第三者委員会を設けたものの、すでに社会人になった生徒たちを追跡しての調査は容易ではない。原因究明までさらに3年を要した。 今回、遺族が望んだ、監督による叱責と自殺の因果関係が認定された。そして9年目の真実が報告書という形で、白日のもとにさらされた。 しかし、遺族にとって一区切りかと思いきや実はそうではない。筆者のインタビューを受けたA君の両親は「(県教委への)不信感は募るばかりだ」と顔を曇らせた。 「今年3月下旬に報告書の概要が発表され、学校、県教委から詳しい説明を受けたいと伝えたが、2カ月以上経っても正式な説明はなく、謝罪や関係者への処分報告もない。私たちからすれば、(県教委は)報告書を公開しただけ。事実を受け入れていない気がする。私たち遺族はいつまで苦しまなくてはいけないのか」 こう言って、父親はうなだれた。 県教委が遺族に「事実を受け入れていない」と感じさせてしまうのはなぜなのか。まずは報告書に従って、経緯を振り返ってみたい』、「亡くなって6年後の2018年に第三者委員会を設けた・・・原因究明までさらに3年を要した」、異例の長期化だ。
・『報告書で明らかになった驚くべき経緯  当時の顧問は部員の人格を否定するような「死ね」「帰れ」などの発言があるうえ、感情的になって怒鳴ることが多かった。態度が気に入らないとしてパイプ椅子を振り上げるなど、体罰やパワハラ行為を繰り返していた。 A君は暴言指導に苦しみながらも、1年2学期の野球部日誌に「自分は無意味な存在だった。自分はチームにとって存在価値がないので、これからはチームの役に立つよう頑張りたい」と書いている。ところが、3学期にあたる2012年2月、野球部日誌に「もう自分の存在価値も目標もわからなくなった」と記述、練習を休む日が出てきた。) 2年生になった6月には、顧問から捕球できないところにばかりノックされ「声を出せ」と怒鳴られた。さらに「いらんわ。おまえなんか制服に着替えて帰れ」「ベンチにも入るな」と叱責され、練習試合2試合を一塁側のバックネット裏で見るしかなかった。その日以降も「2年生なのに、そんなことをしていいのか」「ルールを知らん三塁じゃから、誰かルールを教えちゃれ」などと罵倒が続いた。 A君は「もう耐えられない」と一度退部。退部を申し出た際も「夏の大会前の3年生の気持ちがわからないのか。チームの士気が下がる」と叱られている。 しかし、同級生から野球部復帰を誘われるなか、3年生の引退とともに部にマネージャーがいなくなることもあって、マネージャーとして復部。顧問から「1回辞めたんじゃから、覚悟はできとるんじゃろうな」と威嚇するような態度をとられたものの、7月23日に復帰した。 その日のミーティングでは「マネージャーなら自分から気づいて板書くらいしろ、それぐらい気遣いができんとマネージャーじゃねえで」「マネージャーなら、お前が書けや。マネージャーだったら、そんくらいせーや」と強い口調で叱責された。翌日の練習では「男のマネージャーなのだから声掛けしろ」などと怒鳴られたり、ノックの球出しのタイミングが悪いと怒られたりした』、せっかく退部したのに、「同級生から野球部復帰を誘われ」、「マネージャーとして復部」、しかし、「顧問」の冷淡な態度は変わらなかったようだ。
・『野球部復帰3日目に起きた”事件”  復帰3日目の25日。猛暑の練習で「マネージャーなら声を出せ!声を出さなかったらマネージャーの存在価値はねえんじゃ。元選手ならわかろうが」と怒鳴られた。足をつった1年生部員を介抱したが、氷を持ってくるのが遅いとして「マネージャーだったら対応しろ」などときつく叱られもした。 この後、顧問とA君との間で小さなすれ違いが起きる。他の部員が体調不良を訴えたため、顧問は氷を持ってこさせようとA君の名前を何回も大声で叫んだが、部室の清掃をしていたため気づかなかった。 練習後、顧問から炎天下のグラウンドに残され、「あのとき、何をしよったんだ」「聞きよるじゃろうが!」と大声で問い詰められた。だが、A君は黙っていた。何も答えないことに腹を立てた顧問に「熱中症で倒れた部員がいたら氷の用意をせい!」「他の(部の)マネージャーにしてもらっとるがな!」「部室におっても外の様子は気にしとけ!」などと怒鳴られ続けた。 学校を出た帰り際「体調不良者が出て大変じゃけど、これからもマネージャー頼むわ」と声をかけた同級生に対し、「もう俺はマネージャーじゃない。存在してるだけだ」と返答した。その数時間後、A君は命を絶った。) 操山高校のPTA会長だった男性は、自殺から8カ月近く経った2013年2月の新聞報道で事実の詳細を知り、初めて遺族と対面。「事件の重大性とPTAとして遺族に寄り添う必要性を感じた」という元PTA会長は同年3月、遺族とともに県教委と面会した。 その際に生徒指導推進参事(県警からの出向者)が言った「調査委員会を立ち上げても、(自殺と顧問の指導との)因果関係はわからんよ」という言葉を脅しのように感じたそうだ。 一周忌直後の2013年8月、顧問は当時の校長と前出の元PTA会長に促され、一度だけ遺族と対面した。だが、顧問は話の途中で「あなたの考えは間違ってる、あなたの表現は違うとすべて言われたら、すべて違うんです。私自身も多分ここにいないほうがいいんです、多分。もう、もう、はい、わかりました!」と声を荒らげてキレてしまい、遺族への謝罪の場とはならなかった。 その後顧問は操山高校に置かれたまま、通信制教員にシフト。軟式野球部の監督に就任した。 A君の三回忌法要が営まれた2014年7月、顧問率いる軟式野球部が全国高校定時制通信制軟式野球大会東中国予選を突破し、本大会出場を決めたニュースが地元紙を飾った。顧問は何の処分も受けず、教員を続けている』、「一周忌直後の2013年8月、顧問は当時の校長と前出の元PTA会長に促され、一度だけ遺族と対面」、しかし「声を荒らげてキレてしまい、遺族への謝罪の場とはならなかった」、「キレ」易さは異常だ。
・『第三者委員会設置を拒み続けた、県教育委員会  一方の県教委は、遺族が求める第三者委員会設置を拒み続け、遺族との調整もついていないなか、「自殺予防と発生時対応マニュアル」を操山高校での自殺問題を受け作成したと2013年10月に地元紙で公表した。 A君の父親は「そうやって論点をずらす姿勢は、ずっと変わらない」と不信感を隠さない。 今の教育長も、子どもの気持ちに気づける環境整備をする、子どもの悩みを聞くと言う。そうではなくて、そういう気持ちにした先生が悪かったと原因を探らなければ、学校や部活動での暴言やパワハラはなくならないはずだ」 運動部活動の顧問による暴言やパワハラを「暴力」ととらえない風潮は、今も日本の社会では根深い。 2018年に自死した岩手の県立高校バレーボール部員も、今年1月に亡くなった沖縄の県立高校の運動部員も、顧問の暴言や無視など理不尽な扱いがその要因だ。両方ともA君のように叩く、蹴るといった有形暴力は受けていない。どの子もみんな、パワハラという教員の立場を利用した「いじめ」を受けて亡くなったと解釈できる。) そこで思い浮かぶのは、A君が顧問から投げつけられた「存在価値はない」という言葉だ。上述した報告書にA君の言葉で「存在価値」「存在」が出てくる。顧問が発した言葉の刃に16歳が敏感に反応していることがわかる。 顧問や生徒指導推進参事の言葉に対する事実確認等を岡山県教育委員会へ申し込むと、岡山県教育庁教育政策課より「ご遺族から求められている詳しい説明に向け、現在、ご遺族と調整を続けており、引き続き真摯に対応していきたいと考えているため、当該教諭も含め、現段階で取材をお受けすることは控えたい」と返事があった。 そのことを遺族に伝えると「ほとんど進展のない調整を言い訳にしないでほしい。息子の死後から、県教委に真摯に対応いただいている印象はありません」と父親は顔をゆがめた。 当時、県教委との面会に同席した元PTA会長は「(県教委は)亡くなった生徒の命より、自分たちの立場を守っているように見えた。だから、いまだに遺族にとって誠意のある謝罪もない。自らを省みて変わろうとしていない」とあきれ果てた様子で話した』、「PTA会長は「(県教委は)亡くなった生徒の命より、自分たちの立場を守っているように見えた・・・自らを省みて変わろうとしていない」とあきれ果てた様子で話した」、なるほど。
・『なぜ遺族への謝罪も、教員の処分もないのか  とはいえ、ほかの自治体でも遺族への十分な説明や謝罪、教員の処分を行わないまま、一足飛びに、再発防止策の策定に話を変えてしまうケースが少なくない。 その背景として、一般社団法人「ここから未来」理事で指導死に詳しい武田さち子さんは教員からの「訴訟リスク」を挙げる。 「教員を処分した教育委員会が、その教員から処分不当で訴えられるケースも少なくないため、簡単に実行できない。近年、文科省が教員の(児童生徒に対する)わいせつ行為を原則として懲戒免職にするとしたように、パワハラ事案に関しても処分基準を国がつくるべきだ。ただ、大阪や兵庫などで適切に処分する自治体も出てきているので、参考にしてほしい」 体罰根絶宣言から8年。いまだ日本のスポーツ界や部活動で暴力やパワハラが蔓延する理由のひとつは、加害者の責任がほとんど問われてこなかったことが挙げられる。 その意味で、説明責任(アカウンタビリティ)の向上を図りつつ、本格的なパワハラ防止に着手すべきだ。関係者は対症療法より原因療法に重心を移し、真実と向き合ってほしい。そうしなければ、子どもの命は永遠に守れない』、「いまだ日本のスポーツ界や部活動で暴力やパワハラが蔓延する理由のひとつは、加害者の責任がほとんど問われてこなかったことが挙げられる」、「関係者は対症療法より原因療法に重心を移し、真実と向き合ってほしい」、同感である。

次に、10月16日付けダイヤモンド・オンライン「「ブラック部活」に苦しむ生徒と教員、データで示す驚きの実態とは」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/281638
・『部活動の問題点をさまざまなデータで示した『部活動の社会学』(岩波書店)が注目を集めている。同書を編集した、教育社会学者で名古屋大学准教授の内田良氏に、現代の部活の実態とあるべき姿を聞いた』、興味深そうだ。
・『タダで指導の学校と教員に依存する保護者  コロナ禍で開催された五輪や甲子園はさまざまな波紋を呼び、感染対策の観点から学校の部活動の可否も議論されている。 本書は2017年に行った全国約4000人の中学校教員へのアンケートなどを元に、部活が過熱していくメカニズムを記している。『ブラック部活動』(東洋館出版社)などで部活動への提言を行ってきた内田氏の集大成とも言えるものだ。 例えば男女差や世代・家族構成による差が部活顧問の負担に与える影響や親の学歴、職業、世帯年収など示すSES(Social-Economic Status:社会経済的背景)を用いて地域の部活の熱中度合いの違いを論じている。 「部活動は学校生活や我々の社会にとても根付いているにもかかわらず、学術的な議論や調査がほとんどされませんでした。学習指導要領で部活は『自主的・自発的な活動』と書かれているだけで、趣味にすぎないため、学術上の位置付けが低かったのです。本書ではさまざまなデータに基づき、部活動の議論を深める工夫をしました」) 本来であれば「やってもやらなくてもいい」という部活動。ゆるい制度であるがゆえに、過熱に歯止めが利かず、教員の長時間労働、過度な練習による子どもたちへの負担増が懸念されているが、内田氏らの調査では異なる実態を示しているという。 「そもそも『部活をするために教員になった』という人は、年齢を問わず一定数いますし、これだけ過熱してきたわけですから、学校では部活はかなり支持されていると思っていました。ところが、驚くべきことに実際は教員の約半分が『部活の顧問をやりたくない』と回答しました。それでも部活の長時間化が止まらない一つの理由は、保護者や同僚からの期待があります。調査では『勝ち負けにこだわらない』と答える一方で、別の項目では『部活動の成績を向上させたい』と答える教員が全体の42%に及びました。また保護者らの期待を感じる教員ほど『成績を向上させたい』と答える傾向にありました」 保護者からの期待は、とりわけ土、日曜日の部活の長時間化に影響している。授業のある平日は物理的に練習量を増やせないため、必然的に土日の練習が長時間になるのだ。保護者からの期待に応え、練習し、試合に勝てばさらに期待が高まり、また練習は長時間になる。このようなスパイラルも過熱の一因であるという。 「保護者による期待は部活、学校依存と言い換えることも可能です。夜まで学校が子どもたちの面倒をみてくれる、あるいは子どもがやりたいことを教員が“タダ”で指導してくれる。保護者は、それが当たり前だと思っていますから、自覚しない形で学校に依存しているのです」 「極論、教員は午後5時に退勤するから、子どもは4時には帰ってくださいと言える」(内田氏)はずの学校だが、そのような圧力や期待のもと、平日夜から土日まで子どもを抱え込んでいる側面があるのだ』、「夜まで学校が子どもたちの面倒をみてくれる、あるいは子どもがやりたいことを教員が“タダ”で指導してくれる。保護者は、それが当たり前だと思っていますから、自覚しない形で学校に依存しているのです」、「保護者」の甘えそのものだ。
・『大会での成果を優先し健康リスクをないがしろに  そもそも、部活動を過熱させることになった転換点の一つは1964年の東京五輪。「メダル獲得のためにスポーツ強化が叫ばれ、部活の大会などでも様々な規制が緩んでいった」(内田氏)という。 五輪と部活は密接な関係があるが、今回の東京五輪が部活に与えた影響について、内田氏は次のように語る。) 「今回の五輪は部活やスポーツの功罪を明らかにしたのではないでしょうか。スポーツ大会が盛り上がることには、熱中症や過度なトレーニングを含むさまざまなリスクを不可視化させ、忘れさせる効果があります。熱心な教員をはじめとする多くの人が、部活でスポーツすることは素晴らしいと話しますが、その裏では防げる事故で亡くなっている人や理不尽さに耐えられず辞めた人もいるはずです。今年の五輪期間に、神妙な面持ちでコロナのニュースを伝えていたメディアが五輪のニュースになるとガラッと明るくなるさまは、コロナのリスクなどを覆い隠したと言えます。このような五輪の光景は上記のようなスポーツの功罪と重なって見えました」 開催自体に賛否両論があった五輪だが、それに続くように甲子園やインターハイなど、部活の大会も今年は続々と行われている。いくらコロナ感染が心配であっても、大会が開催されることで練習せざるを得ない状況になっていると内田氏は言う。 「大会があるから勝つための練習をしなければいけないし、そのためにはマスクを外さないといけない。私が調べたところ、とくに高校で学校のクラスター感染数は授業に比べて明らかに部活のほうが多かったです。すべてが大会ありきで進み、コロナのみならず熱中症のリスクなどがないがしろにされています」 内田氏によると、中学校と高校の運動部活動では毎年3000件ほどの熱中症事例が報告されているという。また、部活中の熱中症による死亡事例も2005年から2018年では中学校で2件、高校で18件となっている(日本スポーツ振興センター「学校事故事例検索データベース」)。こうした熱中症リスクは当然ながら夏場の練習と大会によるものが大きく、内田氏は抜本的な改革を訴える。 「そもそも、熱中症リスクの高い真夏に大会を開くべきなのか疑問です。夏に大会があるから、当然暑い時期に練習もしなければいけない。『授業がない夏休みにしか大会ができない』という反論もありますが、それは『大会の犠牲として一定数は熱中症になり、毎年1~2人死んでください』と言っているようなもの。生徒の負担を少なくした安心・安全な設計をした上で、大会は開くべきです」』、「『授業がない夏休みにしか大会ができない』という反論もありますが、それは『大会の犠牲として一定数は熱中症になり、毎年1~2人死んでください』と言っているようなもの。生徒の負担を少なくした安心・安全な設計をした上で、大会は開くべきです」、その通りだ。
・『部活顧問の美談の裏に多くの生徒の犠牲  このような部活の問題点を危惧してか、文部科学省は部活動を学校主体から地域主体へと移行する「地域移行」の改革案を出している。 この中では休日の部活動の指導を望まない教員が休日は従事しないこと、学校単位ではなく市町村を越えた他校との合同部活動の推進、学校単位ではない大会への参加形態などの方策を示した。) 「部活の主体を学校から地域へ移行することは必須です。学校単位で活動すると、生徒も教員も参加せざるを得なくなります。まずは、学校の活動と部活は切り離すことで教員の負担を減らし、複数の学区で自由参加方式の地域部活とすることで生徒の負担も減らす。地域部活での兼業許可制度も文部省は作ろうとしていますから、部活指導したい教員には一市民として指導してもらう。また地域部活では練習は週に何日と決めて、過熱しない制度設計も必要です」 国主導で部活改革が行われてはいるものの、中には部活動の延長にすぎない地域部活も発生している。 例えば、夕方まで学校主体の練習があり、夜に地域主体でまた練習するという形だ。地域部活を隠れみのに長時間化しているのである。このような事態を防ぐためにも抜本的な部活改革が求められる。 内田氏はこのような部活改革によって過熱を抑え、高校で「燃え尽きる」生徒を減らすべきだとも語る。 「部活顧問は『今でも部活の教え子と交流があり、卒業後、飲みに行くほど固い絆で結ばれている』という美談をよく話します。それによって部活は良いものだから全生徒にさせるべきだと思い込むのです。しかし、その美談の裏には苦しくて辞めた生徒や好きだった競技を嫌いになった生徒も大勢いる。そういう生徒は『燃え尽きた。嫌いになった』と言って大学でスポーツをやらないのです。これは、好きでやっていたはずのスポーツや芸術活動を高校でやめさせるという現代の部活の弊害であり、子どもの成長を止める営みです。大学でそのような学生を見ると、私はとても悔しい。部活改革によって、好きなことを一生涯続けていくことができるように大人が道筋をつけていくべきです」 肥大化、複雑化する部活動について提言を行ってきた内田氏だが、「改革まであと一歩」という。 「2015年から問題提起をしてきましたが、地域移行の取り組みなど、よくここまで変わったなと感じます。教員の半分が顧問をやりたくないのに部活が過熱している仕組みは異常であり、彼らの声が黙殺されていたということです。ただ、問題意識を持っている教員はたくさんいるので、改革までは本当にあと一押しかなと思います」 かく言う筆者も、さまざまな理由により「燃え尽きた」元高校球児である。人ごとではない部活改革の最後の一押しが、『部活動の社会学』となることを期待したい』、「「部活の主体を学校から地域へ移行することは必須です。学校単位で活動すると、生徒も教員も参加せざるを得なくなります」、「教員の半分が顧問をやりたくないのに部活が過熱している仕組みは異常であり、彼らの声が黙殺されていた」、「問題意識を持っている教員はたくさんいるので、改革までは本当にあと一押しかなと思います」、革命的な改革だ、

第三に、3月27日付け東洋経済オンラインが掲載したライターの広尾 晃氏による「中高の「部活至上主義」がいまだ根強い深刻な実情 テスト前にも「家でしっかり練習しろ」と熱血指導」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/541746
・『「日本若者協議会」がスポーツ庁に提出した要望書が話題になっている。一部の中学や高校の部活動で、強制加入させる実態があるとして、部活動は任意加入であることの周知徹底などを求める内容だ。 数年前まで、筆者は野球部だけでなく、スポーツ系、芸術系などさまざまな高校部活を取材していた。学校側が推薦する部活指導者の案内で、その活動を取材するのだ。私立も公立もあったし、全国トップクラスの部もあれば、中堅クラスもあった。そうして取材した多くの部活指導者は「部活至上主義」の信奉者のように思えた』、「「部活至上主義」の信奉者」、とはどうも付き合いたくない人たちのようだ。
・『定期考査前でも生徒に「家でしっかり練習しろ」  取材した多くの指導者は、元日とお盆以外のすべての日を部活にささげていた。ある球技の指導者は「最近は定期考査前は休め、と学校から言われるんですが、休むと元に戻すのに時間がかかるから、生徒には家でしっかり練習しろ、テストが終わったらチェックするからな、と言うんですよ」と忌々しそうに言った。 またある武道系の指導者は「私は結婚してから一度も家族旅行に行ったことがありません。新婚旅行だって2日目には帰ってきて部活の指導をしました。理解ある妻でよかった」と自慢げに言った。 さらにある公立校の陸上部の指導者は「ボーナスのたびにトレーニング器具を自費で購入して、学校に寄贈しています。私が寄贈した器具だけで、トレーニングジムができましたよ」と言った。 「公立校は転任があると思うのですが?」と聞くと、「それでもいいんです、次の学校でも同じように寄贈しますから」とすがすがしい表情で言った。そういう教員の大部分は、高校時代に同じような熱心な教員の指導のもと、部活中心の生活を送ってきた。「高校時代から恩師の先生のように高校教師になって、部活指導を思い切りやりたいと思っていたんです」とこれまた熱血風に語る先生に何人も出会った。 日本の部活の何割かは、こういう熱血教員に率いられている。野球やサッカーのように競技に打ち込んでいれば、プロに進む道が拓け、大きな成功につながる可能性がある部活だけでなく、卒業後はほとんどが普通に就職するか、教員になるかというような部活でも熱血指導が普通に行われている。 典型的なのが「吹奏楽」だ。全国規模のコンクールが開催され、多くの生徒がこれを目指して日夜練習に励んでいる。「コンクールに強い名指導者」と言われる教員が何人かいて、その教員のもとには評判を聞きつけて、多くの生徒が集まる。公立から私立にスカウトされる指導者もいる』、「武道系の指導者は「私は結婚してから一度も家族旅行に行ったことがありません。新婚旅行だって2日目には帰ってきて部活の指導をしました。理解ある妻でよかった」と自慢げに言った」、「熱血教員」による「熱血指導」では、ほどほどなどという言葉は禁物なのかも知れない。 
・『高価な楽器を買い与える親も  筆者は大阪市内の老舗楽器店を取材したが、毎年入学式前になると、生徒たちが親と共に店を訪れ楽器を買っていく。「入門コースならこれくらい、と案内するんですが、子どもにねだられてもっと上等な楽器を買う人も多いですね」と楽器店の担当者は言う。大きな金管楽器の中には軽自動車のような価格になるものもあるが、買い与える親もいるという。 「高校の吹奏楽部には楽器は一通りそろっているんですが、古くて手入れが不十分な楽器が多いし、自分の楽器でないとしっかり練習できない、というんですね」 練習用の楽器を併せて購入する子もいる。手入れをするための用具も購入する。木管楽器のリードの削り方の指導を受ける生徒もいる。もちろん定期的にチューニングや修理に来る。 「吹奏楽」と言えば「高校野球の応援」と思いがちだが、吹奏楽の強豪校の中には野球などスポーツの応援演奏を迷惑がる指導者もいる。ある学校では「コンクール組」と「スポーツ応援組」に分けて別個の曲を練習していた。ちなみに、その学校の大型金管楽器は「コンクール組」はチューバ、「スポーツ応援組」はチューバより軽量なスーザフォンと使い分けていた。スーザフォンは甲子園のアルプス席でよく見る大きな朝顔型のラッパだ。 武道や球技の部活では「全寮制」の場合も多い。指導者の中には「寮長」として寮に住み込み、生徒と寝食を共にする場合も多い。そして指導者の妻も「寮母」になって生徒の生活面の面倒を見ることがある。まさに家族ぐるみで部活に打ち込んでいるのだ。そういう寮に行くと、なんとなく「相撲部屋」みたいな雰囲気が漂うが、寮母をする指導者の妻は「プライベートなんてありませんよね」と笑う。) 熱心に部活をしてきた人にとって、こういう話は珍しくもなんともないだろう。「何が悪いんだ?私は部活に打ち込んで充実した高校生活を送ってきたんだ」という人もたくさんいる。 こうした指導者は、学校にとっては「教師の鑑」となる場合が少なくない。取材先の校長や教頭は「〇〇先生の指導には頭が下がります。24時間365日、子どもたちのことを考えているんですから」という。部活の熱血指導者を経て、校長や教頭などの管理職になる教員も多い。はたから見れば「ブラック部活」「やりがい搾取」のように思えるが、本人たちにその意識はないのだろう。 行きすぎた「部活至上主義」への批判の声は上がっているが、教育界では「中学、高校生は部活をするもの」「教師は授業のほかに部活指導もするもの」という価値観がいまだに根強い。そのために同調圧力に負けて望まぬ部活の顧問を押し付けられ、プライベートの時間を削る教員がいる。 そして一方で冒頭に上げた「生徒の意思に反して部活に強制加入させるケース」が全国で見られるのだ。部活をさせる親の中には「先生、うちの子は暇だとろくなことをしないから、家に帰ったらくたびれて寝るしかないほど、めいっぱい鍛えてやってください」などという人もいる』、「大きな金管楽器の中には軽自動車のような価格になるものもあるが、買い与える親もいるという」、やれやれだ。「行きすぎた「部活至上主義」への批判の声は上がっているが、教育界では「中学、高校生は部活をするもの」「教師は授業のほかに部活指導もするもの」という価値観がいまだに根強い。そのために同調圧力に負けて望まぬ部活の顧問を押し付けられ、プライベートの時間を削る教員がいる」、なるほど。
・『中学から高校の6年間の過ごし方  世間の教師や親の多くは「勉強もしない、部活もしないでゲームをしたり、遊んでばかりいる高校生を絶滅させる」ことを目標にしているかのように思える。 何を隠そう、筆者は怠惰な高校時代を送ってきた。受験にも部活にもそれほど身が入らず、趣味に走ったり無為に多くの時間を空費した。若いころはそのことを後悔したこともあったが、今となってはそういう「バッファー」のような時間も、その後の人生になにがしかの足しになっているのではないかと思う。 中学から高校の6年間は、まさに子どもから大人への移行期であり、毎年のように体つき、容貌が変わり、意識も変化していくときだ。そういう時期に一つの道に打ち込むのも確かに重要かもしれないが、将来への不安や異性への思い、友人や親との軋轢などを経験し、悩み、時間を空費するのも意味がないとは思えない。 この6年間に勉強や部活だけでなく、さまざまな経験をすること、そして悩むことが若者の人格形成に非常に重要なことは、多くの識者が指摘している。 筆者は、有名校だけでなく、定員割れが続いている公立校の部活もいくつか取材した。ある高校の野球部監督は、それまで野球一筋に打ち込んできたが、転任によって部員が2人しかいない高校にやってきた。1人は不登校、もう1人はその友人でアルバイトで学費を稼いでいる。 監督は当初はショックを受けて呆然としていたが、2人に野球の楽しさに触れてもらうために、グラウンドをならし、用具を整備し、キャッチボールから丁寧に教えた。部活を無断で休んでも決して叱ることなく「出て来いよ」と優しく声をかけた。「2人は部活をしなければ、学校をやめてしまうと思うんです。部活の時間だけでも楽しい思い出を作ってもらって、2人とも卒業してほしい」と語った』、「部員が2人しかいない高校」、「2人に野球の楽しさに触れてもらうために、グラウンドをならし、用具を整備し、キャッチボールから丁寧に教えた」、2人では試合は出来ないが、ほのぼのした印象を受ける。
・『部活は数ある選択肢の一つ  またある公立校の吹奏楽部には、古くて手入れの行き届かない楽器しかない。部員たちはアルバイトの合間に楽器に触りに来る。金管楽器の中には凹んだものもある。 指導者は「コンクールとかはとんでもないので、何とか数曲は演奏できるようにしたいんです。部員たちはクリスマスに近所の老人ホームで慰問のコンサートをやるのが目標です。この学校の子たちは、卒業後の目標がない子が多いのですが、お年寄りが喜ぶ姿を見て、福祉関係に行きたい、と言い出した子どももいます」と言った。 取材を通じて、筆者はそういう「部活」も、全国大会で華々しい実績を上げる「部活」に負けず劣らず大いに意義があると思うに至った。これも「部活」なのだ。 部活は、高校生にとって数ある選択肢の一つにすぎない。そして部活への接し方も、ガチガチの「熱中派」だけでなく、軽い趣味程度のものであってもよいし、文系、スポーツ系を掛け持ちしてもよい。欧米で一般的なようにダブルスポーツもあってもよいだろう。もちろん「帰宅部」も当然ありだ。「このスポーツで一生食っていく」みたいなのは、むしろ例外的だ。一言でいえば部活に大事なのは「ダイバーシティー(多様性)」ではないのか? 結局、「部活の選択」で一番大事なのは、高校生の「主体性」「自主的な判断」だ。大人たちは、さまざまな時間を過ごす高校生に寄り添って、控えめにアドバイスをする存在であることが求められる』、「一番大事なのは、高校生の「主体性」「自主的な判断」だ」、同感である。
タグ:部活動問題 せっかく退部したのに、「同級生から野球部復帰を誘われ」、「マネージャーとして復部」、しかし、「顧問」の冷淡な態度は変わらなかったようだ。 「亡くなって6年後の2018年に第三者委員会を設けた・・・原因究明までさらに3年を要した」、異例の長期化だ。 島沢 優子氏による「野球部監督の叱責で16歳少年が自殺、遺族の訴え なぜ彼は死を選び、両親は9年後の今も闘うか」 東洋経済オンライン 「一番大事なのは、高校生の「主体性」「自主的な判断」だ」、同感である。 「部員が2人しかいない高校」、「2人に野球の楽しさに触れてもらうために、グラウンドをならし、用具を整備し、キャッチボールから丁寧に教えた」、2人では試合は出来ないが、ほのぼのした印象を受ける。 「大きな金管楽器の中には軽自動車のような価格になるものもあるが、買い与える親もいるという」、やれやれだ。「行きすぎた「部活至上主義」への批判の声は上がっているが、教育界では「中学、高校生は部活をするもの」「教師は授業のほかに部活指導もするもの」という価値観がいまだに根強い。そのために同調圧力に負けて望まぬ部活の顧問を押し付けられ、プライベートの時間を削る教員がいる」、なるほど。 「武道系の指導者は「私は結婚してから一度も家族旅行に行ったことがありません。新婚旅行だって2日目には帰ってきて部活の指導をしました。理解ある妻でよかった」と自慢げに言った」、「熱血教員」による「熱血指導」では、ほどほどなどという言葉は禁物なのかも知れない。 「「部活至上主義」の信奉者」、とはどうも付き合いたくない人たちのようだ。 広尾 晃氏による「中高の「部活至上主義」がいまだ根強い深刻な実情 テスト前にも「家でしっかり練習しろ」と熱血指導」 「「部活の主体を学校から地域へ移行することは必須です。学校単位で活動すると、生徒も教員も参加せざるを得なくなります」、「教員の半分が顧問をやりたくないのに部活が過熱している仕組みは異常であり、彼らの声が黙殺されていた」、「問題意識を持っている教員はたくさんいるので、改革までは本当にあと一押しかなと思います」、革命的な改革だ、 「『授業がない夏休みにしか大会ができない』という反論もありますが、それは『大会の犠牲として一定数は熱中症になり、毎年1~2人死んでください』と言っているようなもの。生徒の負担を少なくした安心・安全な設計をした上で、大会は開くべきです」、その通りだ。 「夜まで学校が子どもたちの面倒をみてくれる、あるいは子どもがやりたいことを教員が“タダ”で指導してくれる。保護者は、それが当たり前だと思っていますから、自覚しない形で学校に依存しているのです」、「保護者」の甘えそのものだ。 ダイヤモンド・オンライン「「ブラック部活」に苦しむ生徒と教員、データで示す驚きの実態とは」 「いまだ日本のスポーツ界や部活動で暴力やパワハラが蔓延する理由のひとつは、加害者の責任がほとんど問われてこなかったことが挙げられる」、「関係者は対症療法より原因療法に重心を移し、真実と向き合ってほしい」、同感である。 「PTA会長は「(県教委は)亡くなった生徒の命より、自分たちの立場を守っているように見えた・・・自らを省みて変わろうとしていない」とあきれ果てた様子で話した」、なるほど。 「一周忌直後の2013年8月、顧問は当時の校長と前出の元PTA会長に促され、一度だけ遺族と対面」、しかし「声を荒らげてキレてしまい、遺族への謝罪の場とはならなかった」、「キレ」易さは異常だ。 (その4)(野球部監督の叱責で16歳少年が自殺 遺族の訴え なぜ彼は死を選び 両親は9年後の今も闘うか、「ブラック部活」に苦しむ生徒と教員 データで示す驚きの実態とは、中高の「部活至上主義」がいまだ根強い深刻な実情 テスト前にも「家でしっかり練習しろ」と熱血指導)
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地方創生(その9)(【内部告発】鈴木直道知事が中国系企業へ利益供与疑惑の「夕張リゾート」が破産(前)、同(後)、ENEOS製油所閉鎖に揺れる和歌山・有田の「苦悩」 市内生産の9割消失、「工場閉鎖」が迫る地方危機) [経済政策]

地方創生については、2020年8月7日に取上げたままだった。今日は、(その9)(【内部告発】鈴木直道知事が中国系企業へ利益供与疑惑の「夕張リゾート」が破産(前)、同(後)、ENEOS製油所閉鎖に揺れる和歌山・有田の「苦悩」 市内生産の9割消失、「工場閉鎖」が迫る地方危機)である。なお、地方創生から「政策」を削除した。

先ずは、昨年4月5日付けNetIB-Newsが掲載したジャーナリストの横田 一氏による「【内部告発】鈴木直道知事が中国系企業へ利益供与疑惑の「夕張リゾート」が破産(前)」を紹介しよう。
https://www.data-max.co.jp/article/41020
・『「夕張再建」をアピールして2019年4月の北海道知事選で初当選した“菅チルドレン”の鈴木直道知事が “売国(故郷)奴”のような職務怠慢を続けている。夕張市長時代に中国系企業に2億4,000万円で売却した夕張リゾート(マウントレースイスキー場、ホテル)が19年3月に香港系ファンドに15億円で転売された後、昨年12月に廃業・破産申立を発表、歴史のあるスキー場が営業停止に追い込まれてしまったのだ』、このニュースは現在では殆どのニュースサイトには残っておらず、このサイトが数少なく残った。また、一般のマスコミでは、殆ど取上げられておらず。私も初めて知り、驚いた次第だ。
・『鈴木知事が夕張の宝を中国系企業に売却の「売国的」失策  夕張リゾートは地元観光振興の中核的施設であると同時に、市内最大の雇用の受け皿でもあった。だから17年に中国系企業「元大グループ」に売却する際、鈴木市長(当時)は長年の営業継続が前提の話と市議会で説明、固定資産税免除も決めた。しかし、その約束が簡単に反故にされたにもかかわらず、鈴木知事は中国系企業や香港系ファンドに抗議したり、営業再開や買戻しを求める直談判をいまだにしていない。第二の故郷である夕張を踏み台にしただけで、自らの決断が招いた危機的状況の根本的解決(リゾート再開)に乗り出そうとしていないのだ。まさに文字通りの「売国的」失策であるにもかかわらず。 夕張リゾートの利益供与疑惑については本サイトでも19年の北海道知事選当時から問題視してきた(「【スクープ】鈴木直道前夕張市長に中国系元大グループへの利益供与疑惑~10億円購入資金準備の航空会社との面談を拒否」「【北海道知事選2019】鈴木直道・前夕張市長に中国系企業への転売協力疑惑~中国系企業本社と同フロアには指定暴力団有力団体も入居」を参照)』、「長年の営業継続が前提」の約束が、反故にされても、「抗議したり、営業再開や買戻しを求める直談判をいまだにしていない」、とは無責任の極みだ。なかったことにしたいのだろう。
・『「形だけ対応」は菅首相と同様  中国系企業「元大グループ」(呉之平=ご・しへい=社長)が、鈴木市長(当時)との約束を破って得た転売益は推定で10億円以上。転売先の香港系ファンドに営業継続の約束が引き継がれていれば地元への実害は生じなかったが、今回の営業停止で鈴木知事の政治責任が厳しく問われる事態となった。 都庁職員として夕張に派遣された縁で市長選に出馬して初当選、その実績をアピールして道知事となった鈴木氏だが、政治家として産み育ててくれた「第二の故郷」がピンチに陥っても形だけの対応でお茶を濁している。昨年12月28日の会見でも夕張リゾート破綻について「驚きとともに大変残念と思っている」と他人事のように語るだけで自身が売却を決定したことへの謝罪はなかった。 また鈴木知事は「年明け早々に夕張市と国と道と連携したなかで、プロジェクを立ち上げられるように準備をしている」と語ったものの、道庁が1月22日に発表したのは「雇用危機対策推進事業(緊急雇用対策プログラム)」という既存の仕組みだった。リゾート破綻で仕事を失った「離職者等の再就職の促進に向けた活動を支援」するための弥縫策にすぎず、夕張リゾート営業再開に向けた根本的解決策ではなかったのだ。 鈴木知事がやるべきことは明白。市長時代の決定が招いたリゾート営業停止という最悪の事態を元に戻すことだ。約束を破った中国系企業から転売益10億円を違約金として捻出させたり、自らの支持者や関係者らに呼び掛けて15億円を調達すれば、香港系ファンドからの買戻しでスキー場やホテルを再開させることもできる。夕張の“宝”を外資から取り戻す先頭に立って結果を出さない限り、鈴木知事は「夕張リゾートを中国系企業に売って10億円を貢ぎ、約束を破られて破綻を招いた“売国奴”」「市長時代の判断ミスの後始末をしない冷酷非情で無責任な政治家」と後ろ指を指されても仕方がないのだ』、「約束を破った中国系企業から転売益10億円を違約金として捻出させたり、自らの支持者や関係者らに呼び掛けて15億円を調達すれば、香港系ファンドからの買戻しでスキー場やホテルを再開させることもできる」、「約束」は単なる口約束だった可能性もあるが、市や県の稟議に記載されていれば、裁判では主張できる筈だ。「鈴木知事は」、「夕張の“宝”を外資から取り戻す先頭に立って結果を出さない限り、「夕張リゾートを中国系企業に売って10億円を貢ぎ、約束を破られて破綻を招いた“売国奴”」「市長時代の判断ミスの後始末をしない冷酷非情で無責任な政治家」と後ろ指を指されても仕方がない』、その通りだ。
・『香港ファンドとの面談は非公開~鈴木知事も出席せず  市民との対話集会を始めた厚谷司・夕張市長は2月9日、市民から夕張リゾート再開を求める意見が出たのを受けて、香港系ファンドのライ社長(香港在住)と直談判をする考えを明らかにした。「広東語も英語も話せない」と打ち明けたうえで、「同時通訳について道庁の協力も取り付けた」と説明。通訳を介したリモート面談で、リゾート早期再開を求める市民の声をぶつける交渉に臨むことを宣言した。当然、売却時の市長だった鈴木知事も同席すると想定。夕張市役所がリモート面談日程を発表するのを待ち続けたが、翌3月になっても「未決定」との回答が続いた後、3月23日に市役所から次のような連絡があった。 「リモート面談は実施したが、先方の希望で非公開となり、面談日も教えられない。道庁との共催ではなく、鈴木知事は同席しなかった」 具体的協議をする本論部分を非公開にする場合でも、その前の冒頭部分は公開、面談終了後に内容説明をするのが普通だが、「リモート面談について報道関係者に告知をすることはなかった」(夕張市役所)。まさに夕張リゾート再開の先頭に立つべき鈴木知事の姿がまったく見えないまま、もちろん再開時期の見通しすら立たない“ブラックボックス状態”のまま、今年のスキーシーズンを終えようとしているのだ。 リゾート営業停止を招いた“A級戦犯”の鈴木知事と、鈴木市政継承を訴えて初当選した厚谷市長の対応は、あまりに遅くて不十分と言わざるを得ない。(つづく)』、このまま闇に葬るつもりなのだろうが、こんな明白な事件を放置するのでは、北海道のマスコミの名が廃る。

次に、この続きを、昨年4月5日付けNetIB-Newsが掲載したジャーナリストの横田 一氏による「【内部告発】鈴木直道知事が中国系企業へ利益供与疑惑の「夕張リゾート」が破産(後)」を紹介しよう。
https://www.data-max.co.jp/article/41040
・『「夕張再建」をアピールして2019年4月の北海道知事選で初当選した“菅チルドレン”の鈴木直道知事が “売国(故郷)奴”のような職務怠慢を続けている。夕張市長時代に中国系企業に2億4,000万円で売却した夕張リゾート(マウントレースイスキー場、ホテル)が19年3月に香港系ファンドに15億円で転売された後、昨年12月に廃業・破産申立を発表、歴史のあるスキー場が営業停止に追い込まれてしまったのだ。(前)から続く』、「売国・・・奴”のような職務怠慢を続けている」、とは言い得て妙だ。
・『夕張リゾート関係者の内部告発~夕張市と道庁の怠慢明白  しかもリゾート破綻(営業停止)は昨年12月以前に予測可能だったという内部告発が夕張リゾート関係者から寄せられている。破産を前提にした計画倒産であることを物語る12月9日付の内部文書を提示され、こう解説してくれたのだ。「(冬場に)スキー場をオープンするには2,000万円ぐらいかかるのですが、そんなお金がないことはわかっていたのです。スキー場を開けないことをわかってチケットを売っていた。しかも12月になる前に暖房業者も引き上げていたので、ホテルも(冬季に)開けられない状態になっていた。お金を支払わないので暖房設備の修理もできないまま放置されていました」(夕張リゾート関係者) 関係者によると、昨年(2020年)の夏ごろから従業員への給料支払いも滞っていたという。昨年2月に従業員約150人の希望退職を募り、パートや派遣社員が辞めていき、「失業保険がもらえる」「退職金を支払うから」という甘言に乗って辞めた正社員もいたが、退職金も未払い状態にあるという。残った従業員の給料は問答無用で半額にされ、昨秋には従業員約30人まで減っていた。この時点で破産確実の事態に陥っており、弁護士との相談も始めていた可能性もある。 「コロナ対策用でアクリル板を購入、冬季に向けて内装(ペンキ塗り)の準備もしていたが、途中でストップがかかった。昨夏に農協からメロンを買う時も『現金支払いではないと売らない』ということになった。10月頃には、水道代も従業員の住民税も払っていない状態になった。ガソリンスタンドでも現金でないと燃料も売ってくれなくなった」(夕張リゾート関係者) 関係者の証言からも、昨秋の時点で夕張リゾートが破産確実でスキー場のオープンは困難という情報を夕張市役所は容易に得ることができたはずだ。夕張リゾート関係者はこう続けた。 「水道代も住民税も滞納しているわけだから、破産寸前の情報は入っていたと思います。しかも従業員の給与からは住民税を天引きしていた。(夕張市の近くの中核都市)岩見沢市の労働監督基準署の職員は『これは犯罪だ』と言っていました。夕張リゾートの従業員が退職金未払いなどで何人も相談に行っていたようです。ただし退職金や給料未払い分に対して裁判を起こす動きは今のところはない。訴訟費用の工面も大変だし、泣き寝入り状態になっています」(同)』、典型的な「破産を前提にした計画倒産」「だ。水道代も住民税も滞納しているわけだから、破産寸前の情報は入っていたと思います。しかも従業員の給与からは住民税を天引きしていた」、役所は何をしていたのだろう。
・『浮き彫りになる「計画倒産」の実態  以下は、夕張リゾート関係者との一問一答(Qは聞き手の質問)。夕張市と道庁の情報収集不足や職務怠慢ぶりを厳しく批判していた。 Q:12月9日付の内部文書を出した夕張リゾートの米澤僚総支配人はどう考えていたのか。 リゾート関係者 悪い人ではないが、実質的な指揮を取っていたのは米澤総支配人ではなくS部長だった。夕張リゾートを1度辞めた後に戻ってきた、米澤氏と同じ〈出戻り組〉だった。昨年春ごろにS部長は戻ってきて“Sグループ”をつくって、金の動きを含めて夕張リゾートを動かしていた。 Q:香港系ファンドのオーナーの意向はどうだったのか。 リゾート関係者 「オーナーとの連絡がつかない」というのが幹部クラスの口癖で、オーナーとの連絡を取るときに間に入った通訳も昨年夏ごろに辞めてしまった。それで弁護士を間に入れて資金提供を依頼して1回か2回は入れたが、「お金も出すつもりはない」と言ってきたようだ。 Q:夕張市も北海道庁も昨年夏には夕張リゾートの経営悪化に気が付いて、スキー場休業回避に向けて動き始めるべきだったのでは。 リゾート関係者 そうだと思います。破産寸前である予兆は出ていたし、秋口にはスキー場オープンは困難との予測は容易にできた。今シーズンオープンに向けた整備をするお金もなかったし、ブルドーザーなどの重機も動いていなかった。それなのに夕張市も道庁も何も手を打たなかった。情報収集不足、職務怠慢などと行政の責任も追及されて当然です。 もちろん、夕張リゾートの米澤総支配人やS部長ら幹部たちも許されない。つらい思いをして辞めていった従業員や代金を回収できない納入業者ら被害者はたくさんいるのだ。計画倒産の実態が明らかになっていけば、関係者や地元住民の怒りが爆発するような状況になる可能性は十分にある。 やっている感演出で事足りることや初動遅れ(後手対応)は、さすがに“菅チルドレン”の鈴木知事だけあって菅首相と瓜2つ。賭博場開設で第二の故郷・横浜をカジノ業者に売り渡そうとするに等しい菅首相と、第二の故郷・夕張を中国系企業に売却(転売益10億円を献上)した鈴木知事は、ぴったりと重なり合うではないか。鈴木知事が今後「売国奴」と後ろ指を指されないために、夕張の宝ともいうべきリゾート再開に向けてどう動くのか注目される』、「今シーズンオープンに向けた整備をするお金もなかったし、ブルドーザーなどの重機も動いていなかった。それなのに夕張市も道庁も何も手を打たなかった。情報収集不足、職務怠慢などと行政の責任も追及されて当然です」、「計画倒産の実態が明らかになっていけば、関係者や地元住民の怒りが爆発するような状況になる可能性は十分にある」、その通りだ。

第三に、3月22日付け東洋経済オンライン「ENEOS製油所閉鎖に揺れる和歌山・有田の「苦悩」 市内生産の9割消失、「工場閉鎖」が迫る地方危機」を紹介しよう。
・『日本の製造業、とりわけ重厚長大産業を中心に国内製造への逆風が強まる中、地域経済を支える工場閉鎖の発表が相次いでいる。 この1月にENEOS和歌山製油所の閉鎖(2023年10月メド)が発表された和歌山県有田市では、市内の製造品出荷額の9割以上が消失する地域存続の危機に瀕する。 『週刊東洋経済』3月22日発売号は「工場が消える 脱炭素が迫る最後の選択」を特集。脱炭素をきっかけに再加速する日本全国の工場閉鎖の実態と、その構造問題に迫っている。工場が消えていくとき、日本の社会は維持できるのだろうか。 ミカン畑が広がる丘から海沿いを見渡すと、赤茶けた工場が広がる。2.5平方キロメートルほどの広大な敷地を作業員の運転するトラックがひっきりなしに行き来する。 和歌山県有田市、大阪の中心部から南へ70キロメートルほど離れた人口3万人弱の地方都市が揺れている。市を支えてきた基幹産業であるENEOSホールディングスの和歌山製油所が、2023年10月をメドに閉鎖されることが決まったからだ。 和歌山製油所の生産能力は同社の原油処理能力の7%に相当する1日当たり12.8万バレル。 1941年の操業開始から、製油所は80年にわたって「当たり前のようにそこにあった」(地元住民)。市の盛衰はこの産業とともにあったと言っても過言ではない。住民は「釣りなどのレジャーも盛んで、若い人の活気が満ちていた」と、重化学工業が盛んだった昭和の時代を懐かしむ』、「ENEOS和歌山製油所の閉鎖・・・が発表された和歌山県有田市では、市内の製造品出荷額の9割以上が消失する地域存続の危機に瀕する」、「市内の製造品出荷額の9割以上が消失」とは確かに大きなインパクトだ。
・発表翌日、知事がENEOS本社へ直談判   しかし、人口減少による全国的なガソリン需要の縮小や脱炭素化の潮流は容赦なく襲いかかる。 ENEOSをはじめとする石油元売り各社は精製能力の縮小を余儀なくされている。ENEOSはこれまで室蘭(北海道)と知多(愛知)での製造を停止したうえ、根岸(神奈川)でも2022年10月に1ラインを廃止する。 同社の大田勝幸社長は1月25日の記者会見で「サプライチェーンの見直しは続く。ここ(和歌山の停止)で終わりになるかはわからない」と話した。 「私は怒っている。地域に死ねというのと同じではないか」翌26日、東京・大手町のENEOS本社には和歌山県の仁坂吉伸知事の姿があった。閉鎖の一報は、たまたま公務で東京へ向かっている最中に聞かされた。予定を急きょ変更して大田社長への直談判に臨んだ。) 30分ほどの話し合いでは、閉鎖後の雇用維持や新たな産業作りを要求。ENEOS側からは県や有田市、経済産業省などを交えた検討会を設置することを提案された。 だが、会談後、記者たちを前で仁坂知事は「納得できない」と繰り返した。製油所が置かれた苦しい事情はわかっている。仁坂知事は「ほかの製油所を止めて、操業(注:原文はミスのためか、ここで切れている) 大田社長は「和歌山はほかの製油所と比べて能力が著しく低い。残念ながら現在も赤字だ」と説明していた。「採算が合わないのに企業に『造り続けなさい』と言うことはできない」(仁坂知事)。 それでも、仕方がないと簡単に引き下がることはできない。背景にあるのは、石油産業に強く依存する地元経済の構造だ。 和歌山製油所の2020年の製造品出荷額は約4700億円だった。県工業統計によると有田市全体では5178億円だ。つまり、和歌山製油所は有田市の製造品出荷額の実に90%超を占めている』、「和歌山製油所は有田市の製造品出荷額の実に90%超を占めている」、極めて高い依存度だ。
・『製油所が町の経済のすべて  雇用面から見ても、製油所の存在は際立つ。ENEOSによると、製油所構内で働くENEOSと協力会社社員は計1300人。有田市の人口の5%程度だ。 ただ、周辺の公共インフラに従事する人のほか、従業員とその家族が利用する飲食店、スーパーなどを含めるとその経済波及効果は計り知れない。地元関係者は「特産品のみかん栽培などの産業はあるが、実際は製油所がこの町の経済のすべてだ」と語る。 それだけに危機感は強い。地元の紀州有田商工会議所は2月14日、緊急相談窓口を設置し、関係会社の業態転換や公的支援の受け方についての相談を受け付けた。担当者は「一人親方のような形態で働く人もなかにはいる。十分な情報がなく不安な人もいるだろう」と話す。 和歌山県や有田市といった行政にも「今後のことが不安だ」「なんとかしてくれ」という声が多く寄せられているという。仁坂知事は「最悪の場合、町が廃墟になってしまう。地域側からは注文を出すくらいしかできない」と苦しい胸の内を明かす。 深刻なのは、若い世代の流出だ。和歌山に限らず、全国の地方では若者が都会へ移り住み、そのまま戻ってこない問題がある。大きな大学のない和歌山では、県外大学への進学率が82.3%と、全国で3番目に高い数字だ(2020年度、学校基本調査)。 和歌山県によると、高校卒業までに自治体が支出する教育経費は一人当たり1800万円。15~29歳の若年世代で年間3000人ほど流出超過になっており、県の試算では毎年500億円もの教育投資効果が県外に出ているという。 製油所で働く人のうち、とりわけ中高年が製油所閉鎖後に新たな職に就いたり、県外に移住したりできるか。仁坂知事は「おそらく半分くらいは地元に残って貯金を取り崩したり、農業の手伝いをして年金生活を待つのではないか。移住は簡単なものではない」とみる ただ、それでは地域経済の所得は増えず、一方で社会保障の負担は増える。地方は貧しくなるばかりだ』、「製油所で働く人のうち」、「おそらく半分くらいは地元に残って貯金を取り崩したり、農業の手伝いをして年金生活を待つのではないか」、「ただ、それでは地域経済の所得は増えず、一方で社会保障の負担は増える。地方は貧しくなるばかりだ」、「地方」にとっては、踏んだり蹴ったりだ。
・『「跡地検討会」に不満の声も  製油所跡地の活用について、ENEOSが提案した検討会も始まった。2月25日にはENEOS幹部や有田市長らが参加する1回目の会合が開かれた。内容についてENEOSは「差し控える」としている。 だが、関係者によると、「3カ月に1度」としていた検討会の頻度に対する不満が噴出。その結果、実務者による協議を3月中にも開くことが決まった。 ENEOS側の緩慢な動きに地元の焦りは募る。「単に太陽光パネルを敷き詰めるだけでは雇用は生まれない」(仁坂知事)と、跡地利用の内容次第では産業活性化につながらない可能性もある。 日本中には同じように使い道を失った工業用地は多数あり、地方の側はこのまま見捨てられるのではといった危機感は強い。そういった声にENEOSをはじめとした企業側がどう向き合うのかも問われている』、「跡地利用の内容次第では産業活性化につながらない可能性もある」、当然である。ゼロ成長下では、「産業」の役割も変わってこざるを得ない。
タグ:危機感は強い。そういった声にENEOSをはじめとした企業側がどう向き合うのかも問われている』、「跡地利用の内容次第では産業活性化につながらない可能性もある」、当然である。ゼロ成長下では、「産業」の役割も変わってこざるを得ない。 「製油所で働く人のうち」、「おそらく半分くらいは地元に残って貯金を取り崩したり、農業の手伝いをして年金生活を待つのではないか」、「ただ、それでは地域経済の所得は増えず、一方で社会保障の負担は増える。地方は貧しくなるばかりだ」、「地方」にとっては、踏んだり蹴ったりだ。 「和歌山製油所は有田市の製造品出荷額の実に90%超を占めている」、極めて高い依存度だ。 「ENEOS和歌山製油所の閉鎖・・・が発表された和歌山県有田市では、市内の製造品出荷額の9割以上が消失する地域存続の危機に瀕する」、「市内の製造品出荷額の9割以上が消失」とは確かに大きなインパクトだ。 東洋経済オンライン「ENEOS製油所閉鎖に揺れる和歌山・有田の「苦悩」 市内生産の9割消失、「工場閉鎖」が迫る地方危機」 「今シーズンオープンに向けた整備をするお金もなかったし、ブルドーザーなどの重機も動いていなかった。それなのに夕張市も道庁も何も手を打たなかった。情報収集不足、職務怠慢などと行政の責任も追及されて当然です」、「計画倒産の実態が明らかになっていけば、関係者や地元住民の怒りが爆発するような状況になる可能性は十分にある」、その通りだ。 典型的な「破産を前提にした計画倒産」「だ。水道代も住民税も滞納しているわけだから、破産寸前の情報は入っていたと思います。しかも従業員の給与からは住民税を天引きしていた」、役所は何をしていたのだろう。 「売国・・・奴”のような職務怠慢を続けている」、とは言い得て妙だ。 横田 一氏による「【内部告発】鈴木直道知事が中国系企業へ利益供与疑惑の「夕張リゾート」が破産(後)」 このまま闇に葬るつもりなのだろうが、こんな明白な事件を放置するのでは、北海道のマスコミの名が廃る。 「約束を破った中国系企業から転売益10億円を違約金として捻出させたり、自らの支持者や関係者らに呼び掛けて15億円を調達すれば、香港系ファンドからの買戻しでスキー場やホテルを再開させることもできる」、「約束」は単なる口約束だった可能性もあるが、市や県の稟議に記載されていれば、裁判では主張できる筈だ。「鈴木知事は」、「夕張の“宝”を外資から取り戻す先頭に立って結果を出さない限り、「夕張リゾートを中国系企業に売って10億円を貢ぎ、約束を破られて破綻を招いた“売国奴”」「市長時代の判断ミスの後始末をしない冷酷非情 「長年の営業継続が前提」の約束が、反故にされても、「抗議したり、営業再開や買戻しを求める直談判をいまだにしていない」、とは無責任の極みだ。なかったことにしたいのだろう。 地方創生政策 (その9)(【内部告発】鈴木直道知事が中国系企業へ利益供与疑惑の「夕張リゾート」が破産(前)、同(後)、ENEOS製油所閉鎖に揺れる和歌山・有田の「苦悩」 市内生産の9割消失、「工場閉鎖」が迫る地方危機) このニュースは現在では殆どのニュースサイトには残っておらず、このサイトが数少なく残った。また、一般のマスコミでは、殆ど取上げられておらず。私も初めて知り、驚いた次第だ。 横田 一氏による「【内部告発】鈴木直道知事が中国系企業へ利益供与疑惑の「夕張リゾート」が破産(前)」 NetIB-News
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人生論(その11)(アインシュタイン「人生最大の失敗」の驚くべき顛末、養老孟司「東大医学部に入るのは超高血圧になるのと同じで 褒められることではない」 日本では「頭の世界」が大きくなり過ぎている、養老孟司「『自分の人生は自分のもの』という考え方からは 生きる意味なんて出てこない」 だから「なぜ死んではいけないんですか?」と考える) [人生]

人生論については、3月8日に取上げたばかりだが。今日は、(その11)(アインシュタイン「人生最大の失敗」の驚くべき顛末、養老孟司「東大医学部に入るのは超高血圧になるのと同じで 褒められることではない」 日本では「頭の世界」が大きくなり過ぎている、養老孟司「『自分の人生は自分のもの』という考え方からは 生きる意味なんて出てこない」 だから「なぜ死んではいけないんですか?」と考える)である。

先ずは、3月6日付けAERAdot.「アインシュタイン「人生最大の失敗」の驚くべき顛末」を紹介しよう。
https://dot.asahi.com/dot/2022022200057.html?page=1
・『誰もが知る天才・アインシュタインには「人生最大の失敗」があったという。彼を長年にわたって悩ませた「失敗」の驚くべき顛末とは――。その逸話を宇宙物理学者・須藤靖(東京大学教授)の著書『宇宙は数式でできている』(朝日新書)より抜粋して紹介する』、興味深そうだ。
・『■アインシュタインの「人生最大の失敗」  アインシュタインは、現在アインシュタイン方程式として知られている一般相対論の基礎方程式に基づいて宇宙がどのように振る舞うのかを計算した結果、無限の過去から無限の未来まで、ずっと同じ状態のままであり続ける静的な宇宙はあり得ず、宇宙は必然的に時間変化することを「発見」しました。 今の我々であれば、「宇宙が時間変化しても別にいいじゃん」と簡単に納得することでしょう。しかし、その当時、特に西欧においては「神が創られた宇宙は完璧なものであり、それが時々刻々変化するなどもってのほかだ」と考える人々が大多数でした。このように時間変化する宇宙という結論は、アインシュタインにとっては悩みの種でした。 そこで彼は、一般相対論が静的宇宙解を持つように、もともとのアインシュタイン方程式に新たな項を付け加えました。それはアインシュタインの宇宙項と呼ばれ、それに対応する定数Λ(ラムダ)は宇宙定数と呼ばれています。 ダーウィンの進化論を学校で教えることを禁止した州があったり、今でも国民の4割が進化論を信じていないとされたりする米国の例を考えれば、このような宗教的な偏見が科学に影響を与えることは、決して過去の話ではありません。そのような偏見とはほぼ無縁な日本は世界的に珍しいというべきなのです。 しかしながら、このΛ項を導入すべき積極的理由がない限り、勝手にそれを追加してしまうと一般相対論の美しさを減じてしまう、とアインシュタインは考えました。古くからの宇宙観と物理学理論の美しさの間で、アインシュタインはとても悩んだのです。 こうして宇宙は時間変化してはならないと考えたアインシュタインは、1917年に渋々宇宙項を追加することに決めたのです。) ところが、米国の天文学者エドウィン・ハッブル(1889―1953)は、遠方の銀河が我々から遠ざかる速度とそれらの銀河までの距離が比例している観測事実を論文にまとめて1929年に出版しました。 通常、この比例関係はハッブルの法則と呼ばれ、宇宙が膨張している観測的証拠として知られています。 ハッブルの研究結果から観測的には宇宙が膨張していることを知ったアインシュタインは、1931年の論文で宇宙項がもはや必要ないことを認め、それを撤回しました。その際に彼は「宇宙定数の導入は自分の人生最大の失敗だった」と述べたとされています。あのアインシュタインでも間違えるのかという驚きもあり、「人生最大の失敗」という言葉は広く知られるようになりました。 ところで、ベルギーのカトリック司祭で宇宙論の研究者でもあったジョルジュ・ルメートル(1894―1966)が、ハッブルより2年早い1927年にこの比例関係を発見していたことが明らかになっています。残念なことに、彼の原論文はフランス語で書かれており、しかもあまり有名ではない雑誌に掲載されていたため、その事実は長い間ほとんど知られていませんでした。この事実が広く認められるようになったため、世界中の天文学者の組織である国際天文学連合は、2018年、今後はハッブルの法則ではなくハッブル・ルメートルの法則と呼ぶことを推奨する決議を可決しました』、「ハッブルの研究結果から観測的には宇宙が膨張していることを知ったアインシュタインは、1931年の論文で宇宙項がもはや必要ないことを認め、それを撤回しました」、さすがいさぎよい「撤回」だ。
・『■蘇るアインシュタインの宇宙定数  このように、宇宙が時間変化していることが定着すると、宇宙定数は理論的にはもはや不要なお荷物だと見なされるようになりました。その一方で、宇宙定数が存在しないことを証明するのもまた極めて困難です。しかし、宇宙論研究者の大半はそれをほぼ無視し続けていました。 ところが、アインシュタインが撤回してから半世紀以上経った1980年代末頃から、宇宙の観測データの質と量がともに飛躍的に向上し、実はΛ項がやはり必要ではないかと考えられ始めたのです。私が博士号を取得したのはまさにこの時期であり、実際に宇宙定数を主たる研究テーマとしていました。 特に日本においては、1990年代初めには、宇宙論の理論研究者の間で、宇宙定数が存在することはほぼ確実だとの理解が共有されていました。国際的には、米国のプリンストン大学やテキサス大学、英国のケンブリッジ例えば、1995年には米国のローレンス・バークレー国立研究所のソール・パールムターのグループが、遠方の超新星を用いた観測から、宇宙定数は存在しないとする論文を発表しました。その年に京都で開催された国際天文学連合総会の際のシンポジウムで、パールムター氏が行った講演に対して、私は「理論的には宇宙定数が存在するという間接的証拠が積み上がっているが、あなたのグループの観測結果はどこまで確実に宇宙定数を否定していると考えているのか」と質問しました。これは、その当時、宇宙定数の存在を支持していた日本の理論研究者の疑問を代表したものだったように思います。 実際その後、彼のグループ、及びハーバード大学のブライアン・シュミットとアダム・リースたちのグループは、互いに独立に多くの観測データを追加し、それらに基づいた解析結果から、宇宙膨張は減速ではなく加速していると結論する論文を1998年に発表しました。さらにその後の観測が積み上がるにつれて、その結果はより確実になりました。この宇宙の加速膨張の発見によって、パールムター、シュミット、リースの3名は、2011年のノーベル物理学賞を受賞しました。そして、その加速膨張の原因としてもっとも有力視されているのが、宇宙定数なのです。 ところで、その当時の状況を指して、「彼らの発見は、それまで予想もされていなかった宇宙定数の存在を示した衝撃的な結果であった」と述べる人も多くいるようですが、これは明らかな間違いです。意図的に話を盛っているのか、あるいは単にその前後の研究の流れを知らないだけなのかはわかりません。 しかし先述のように、少なくとも私の周りの研究者たちは、宇宙定数が存在しないとした1995年のパールムターの最初の論文にこそ驚いたものの、それを自ら否定した1998年の論文の結果に対しては、「やっぱり予想通りだったね」といった反応だったと思います』、「その当時、宇宙定数の存在を支持していた日本の理論研究者の疑問を代表したものだった」、「日本の理論研究者」のレベルは相当高かったようだ。

次に、3月19日付けPRESIDENT Onlineが掲載した解剖学者・東京大学名誉教授の養老 孟司氏による「養老孟司「東大医学部に入るのは超高血圧になるのと同じで、褒められることではない」 日本では「頭の世界」が大きくなり過ぎている」を紹介しよう。
https://president.jp/articles/-/55681
・『解剖学者の養老孟司さんが『子どもが心配 人として大事な三つの力』(PHP新書)という本を出した。養老さんは「『バカの壁』で訴えた都市化の問題が行き着くところまできて、子どもが次々と死ぬ社会になってしまった。この社会のおかしさを、一度立ち止まって考えてほしい」と語る。前後編の特別インタビューをお届けする――。(前編/全2回)』、「子どもが次々と死ぬ社会になってしまった」とは穏やかでない。どういうことだろう。
・『日本は「児童虐待社会」  たまに東京にいくと、夜の9時ごろ、地下鉄で子どもが走り回っているのです。こっちは爺さんですから叱ろうかと思ったんですが、思い直した。 おそらくこの子たちは、学校が終わった後に塾か習い事に行っていたのではないか。夕飯を食べたのかどうかはわからないけれど、こんな時間になってやっと解放されて、だからこうして地下鉄で走り回っているのではないかと。 こうした場面に遭遇すると、つくづく日本社会は「児童虐待社会」だと思います。 実際、日本は子どもの自殺が大変に多い国です。令和3年版の自殺対策白書(厚労省)によれば、わが国の10~39歳の死因の第1位は自殺です。G7の中でも15~34歳の死因の第1位が自殺である国は日本だけ。つまり、国際的に見ても際立って異常な状態にあるのです。 僕が子どもの頃は、もちろん病気や事故で亡くなる子どもはいましたけれど、学齢期の子どもが自殺するなんていうことはまずなかった。そんなことがあれば「異常な事件」として扱われたと思いますが、いまや、子どもの自殺は普通の出来事になってしまった感があります』、「G7の中でも15~34歳の死因の第1位が自殺である国は日本だけ」、「子どもの自殺は普通の出来事になってしまった感があります」、言われてみればその通りだ。
・『かつて日本は子どもの天国だった  昔は、いまに比べれば生活がはるかに不便で、その分人手がたくさん必要でした。だから僕だけでなく、子どもたちはみな家事を手伝わされたものだけれど、その代わり、塾もなければ、習い事もなかった。家の手伝い以外に子どもがやらなくてはいけないことなんて、何もなかったんです。何もやることはなかったけれど、子どもたちはみんな生き生きとしていました。 僕の子ども時代よりもさらに昔、明治維新の前に日本にやってきた欧米人が書き残した記録を読むと、「日本の子どもは勝手気ままで幸せそうだ。そして、大人も子どもも笑っている」なんてことが書いてある。 欧米人は大人と子どもの世界をはっきりと区別しますから、大人と子どもが一緒になって笑っている日本の社会が、いかにも不思議なものとして映ったのでしょう。いずれにせよ、かつての日本では、大人と子どもが屈託なく笑い合って暮らしていたわけです。 でも、いまはあまり笑っていないんじゃないですかね。 果たしていまの日本に、学校が終わった後、友だちと一緒に野山を駆けずり回ったり、何も考えずに、ただぼんやりと風景を眺めて過ごしている子どもがどれほどいるでしょうか。地方に行ったからといって、そういう子どもに出会えるわけではないのです。 こうした状況は、いまに始まったことではありません。すでに昭和30年代の終わりごろから、都市化が進み、子どもの遊び場も、遊ぶ時間も一貫して少なくなっている。その結果として、生き生きとした子どもの日常が日本社会から失われてしまったのです。 子どもの自殺について、明らかに社会に問題がある。僕は、そう考えています』、「すでに昭和30年代の終わりごろから、都市化が進み、子どもの遊び場も、遊ぶ時間も一貫して少なくなっている。その結果として、生き生きとした子どもの日常が日本社会から失われてしまったのです。 子どもの自殺について、明らかに社会に問題がある」、その通りだ。
・『東大理三に入る人は明らかに異常  いかに日本社会が異常な状況にあるかは、大学入学共通テストの当日、東大の前で刺傷事件を起こした高校生のことを考えればよくわかります。 彼は東大の理科三類(医学部進学コース)に入らないと生きる意味がないと考えていたわけですが、これを血圧検査に当てはめて考えてみましょう。 現代の血圧検査では、まずはたくさんの人の血圧を測定して統計を取り、正常値と異常値(高血圧、低血圧)の範囲を決めて、被検者の血圧が正常の範囲にあるのか異常の範囲にあるのかを判定します。 統計に使う測定データの人数が十分に多ければ、血圧の分布はベルカーブ(正規分布)を描きます。ちょうど、教会の鐘(ベル)のような形になるわけです。 そして、このベルカーブのうち、最も人数の多い中央値(ベルの中心)から左右両方にそれていって、95%までに入る範囲を「正常値」とし、そこから先の2.5%+2.5%=5%を「異常値」としています。 血圧の測定では最高血圧と最低血圧の両方を測りますが、最高血圧で言えば、高いほうの異常値は140以上、低いほうの異常値は100以下。つまり140を超えれば高血圧、100を下回れば低血圧と判定されるのです。いずれも、「全体の中では大きく外れていますよ、だから異常ですよ」ということを意味しています。 では、東大理三はどうなのかといったら、偏差値は80を超えており、合格者数は100人ぐらいしかいない。つまり、ベルカーブでいえば最も右の端に位置しているわけで、血圧測定に倣っていえば、完全なる異常値です』、「東大理三・・・偏差値は80を超えており、合格者数は100人ぐらいしかいない。つまり、ベルカーブでいえば最も右の端に位置しているわけで、血圧測定に倣っていえば、完全なる異常値です」、「偏差値」が「完全なる異常値」とは面白い捉え方だ。
・『日本にはびこるおかしなダブルスタンダード  ところがどういうわけでしょうか、頭の評価に関しては「全体の人数の中で大きく外れている方がよい」ということになっている。体の評価では異常とされることが、頭の評価だと正常どころか、むしろよいことだとされているのです。 僕の常識に照らしたら、人間そんなもんじゃないだろうと。頭の評価と体の評価が異なるなんていうことは、普通に考えればまったくおかしなことです。頭に関してだって、ベルカーブの右端は、当然、異常なはずです。異常で病気だから、東大理三(医学部)に入るんでしょうと。 だけど、現代の日本では体よりも頭のほうが偏重されているから、東大理三は素晴らしいということになってしまう。日本社会にはこうした、おかしなダブルスタンダードがいくつも存在しています。おそらく刺傷事件を起こした高校生は、このダブルスタンダードの存在によって精神が混乱してしまったのではないでしょうか。』、「現代の日本では体よりも頭のほうが偏重されているから、東大理三は素晴らしいということになってしまう。日本社会にはこうした、おかしなダブルスタンダードがいくつも存在しています」、その通りだ。
・『「いい人生ってどういう人生ですか?」  少し前のことになりますが、子どもの質問に大人が真面目に答えるというテレビ番組に出演する機会がありました。すると、ある子どもからこんな質問がきたのです。 「いい人生ってどういう人生ですか?」 僕はびっくりしてしまった。 長ければ100年にもおよぶ人生には、当然、紆余うよ曲折があり、いい時もあれば悪い時もある。とてもひと言で説明できるものではありません。昔だったら、こんな事を大人に質問しようものなら、「生意気なことを言うもんじゃない」と一喝されたでしょう。 しかしこの子は、いい人生とは何かを言葉で聞きたかったわけです。言葉で聞くことによって疑問を解決したかった。別のときに高校生から「なぜ、死んではいけないのですか?」と聞かれたこともありました。 この子たちの頭の中に、世の中には言葉では説明できないことがあるということが入っていないのです。言葉ですべて説明できると思っているのが「情報化」で、頭の世界が大きくなり過ぎている結果だと思います』、「この子たちの頭の中に、世の中には言葉では説明できないことがあるということが入っていないのです。言葉ですべて説明できると思っているのが「情報化」で、頭の世界が大きくなり過ぎている結果だと思います」、本来、親などの大人が、教えるべきことだ。
・『言葉で説明できないことがある  僕は大学で解剖を教えていました。 授業はほとんど実習です。講義なんて、年に一度しかなかった。人の体や生死のことは、口でしゃべって教えられることじゃないからです。 仏教でいうところの「四苦」。つまり、「生老病死」、生きて、老いて、病気を得て、死ぬということは、自然なことで、誰も予定してやっているわけではありません。だけど、親たちは子どもの進路についてだけは予定を決めて、あっちにいけ、こっちにいけとやっている。 そこで育った子どもたちは、子ども時代に味わう喜びを先送りさせられています。 子どもを楽しませることなんて、本来はとても簡単なこと。しかし、多くの大人たちはその簡単なことすら、手を抜いてやろうとしない。だから、子どもたちは、これから先も人生は灰色で楽しいことなど何もないと思って、自殺してしまうのでしょう。 都心部では中学受験が過熱して、受験準備が低年齢化していると聞きます。こういうところに「児童虐待社会」の姿がくっきり浮かび上がっていると、僕は思うのです。(後編につづく)』、「都心部では中学受験が過熱して、受験準備が低年齢化していると聞きます。こういうところに「児童虐待社会」の姿がくっきり浮かび上がっている」、同感である。

第三に、この続きを、3月20日付けPRESIDENT Online「養老孟司「『自分の人生は自分のもの』という考え方からは、生きる意味なんて出てこない」 だから「なぜ死んではいけないんですか?」と考える」を紹介しよう。
https://president.jp/articles/-/55709
・『解剖学者の養老孟司さんが『子どもが心配 人として大事な三つの力』(PHP新書)という本を出した。養老さんは「戦後の日本では、『自分の人生は自分のものである』という考え方が広がった。しかし、こういう考え方からは生きる意味なんて出てこない」と語る。前後編の特別インタビューをお届けする――。(後編/全2回)』、「養老さんは「戦後の日本では、『自分の人生は自分のものである』という考え方が広がった。しかし、こういう考え方からは生きる意味なんて出てこない」と語る」、どういうことなのだろう。
・『このままでは日本人は消えていなくなる(前編から続く)(「児童虐待社会」がどうして出現したかといえば、それは「都市化」と深い関係があります。 都市化とは人間が頭の中で考えたことを外に出して街をつくるということ。「脳化」と言い換えてもいい。僕はいつも「ああすれば、こうなる」というのですが、そういう考えでつくられているのが都市である、ということです。 たとえば、都市では切符を買って電車に乗れば、目的地に着くでしょう。これも、「ああすれば、こうなる」の一例。都市はそのように作られている。しかし、自然の中ではそうはいきません。森の中で迷ってしまえば、どこにたどり着くかわからないのです。 ある国なり地域なりが都市化すると、多くの場合、少子化が起こります。先進国の都市ではどこもかしこも出生率が下がって、少子化が起こっている。なぜかといえば、都市は頭でつくられているのに対して、子どもは自然だからです。ひとりでに生まれてきて、親の思うようになりません。 だから、都市では子どもを排除することが暗黙の了解になっているのです。 実際、丸の内のまん中や新宿副都心の高層ビル街を歩いている子どもなんて、ほとんど見たことがないでしょう。都市にとって、子どもは厄介で邪魔な存在。それゆえに、子どもを産むことを控えたり、産んでも急いで大人にしようと教育したり、管理したりする。こうしたことが少子化の根本的な原因であり、児童虐待社会の実相です。 先日もニュースになっていましたが、日本の出生数は6年連続で過去最少を記録していて、2021年の速報値で約84万人。厚労省が発表している2020年の合計特殊出生率は1.33しかありません。 大ざっぱに言って、ひと世代で半分ぐらいに減っているんだから、このままいけば遠からず日本は消える。日本から物理的に人間がいなくなってしまう日が本当にやってくると、僕は考えています』、「都市では切符を買って電車に乗れば、目的地に着くでしょう。これも、「ああすれば、こうなる」の一例。都市はそのように作られている」、「先進国の都市ではどこもかしこも出生率が下がって、少子化が起こっている。なぜかといえば、都市は頭でつくられているのに対して、子どもは自然だからです。ひとりでに生まれてきて、親の思うようになりません。 だから、都市では子どもを排除することが暗黙の了解になっている」、「子どもは自然だからです。ひとりでに生まれてきて、親の思うようになりません」、これは傑作だ。
・『「自分の人生は自分のもの」ではない  個人主義の弊害も、子どもの問題を考える上でとても重要です。 戦後の日本の強い傾向で、いわゆる個人主義が広がった。「自分の人生は自分のものである」という考えが蔓延しました。 もしかするとこの文章をお読みのみなさんも、「自分の人生は自分のものである」と考えているかもしれないし、それで何が悪いのかと思うかもしれない。ですが、この考え方は子どもの自殺と大いに関係があると僕は思うのです。「なぜ、死んではいけないんですか?」と質問する子どもは、暗黙のうちに、自分の人生は自分のものなんだから、自分の体をどうしようと勝手だろうと考えています。 これはとんでもないことです。自分の人生は自分のものなんかでは、まったくない。もちろん、自分の人生は他人のものでも国家のものでもありませんが、自分ひとりのものであるという考え方からは、生きる意味なんて出てこないのです』、「自分ひとりのものであるという考え方からは、生きる意味なんて出てこないのです」、なるほど。 
・『人生の意味は外部にある  これは『バカの壁』(新潮新書)でも触れたことですが、V・E・フランクルというアウシュビッツ強制収容所に収容された体験を持つ心理学者は、「意味は外部にある」という言葉を残しています。わかりやすく言えば、「人生の意味は自分だけで完結するものではなく、常に周囲の人、社会との関係から生まれる」(前掲書より)ということです。 つまり、周囲の人や社会との関係がないところから、生きている意味は生まれてこないとフランクルは言うわけですが、個人主義の広がりによって、農村共同体やその代替物だった会社という共同体すら崩壊してしまった現代の日本では、生きる意味を見いだすことがとても難しくなっています。 いや、会社という共同体は存続しているじゃないかと言う人がいるかもしれない。しかし、本物の共同体はメンバーの首を切ったりはしません。リストラなんてするはずがない。ワークシェアをせずに平然とリストラをする日本企業は、もはや共同体とは呼べないのです。 現代の子どもたちは、共同体が崩壊してしまった社会の中で、生きる意味を見失ってしまっている。共同体には共通の目的が必要で、以前であれば「食べていくこと」だった。農作業は皆で協力してやらないとできなかったことが、いま機械を使えば一人でできてしまう。だから、共同体を再生することは――挑戦している人はいますけれど――とても難しいことだと僕は思います』、「周囲の人や社会との関係がないところから、生きている意味は生まれてこないとフランクルは言うわけですが、個人主義の広がりによって、農村共同体やその代替物だった会社という共同体すら崩壊してしまった現代の日本では、生きる意味を見いだすことがとても難しくなっています」、「ワークシェアをせずに平然とリストラをする日本企業は、もはや共同体とは呼べないのです」、その通りだ。
・『解決策は「自然のなかに身を置くこと」  では、どうしたらいいかといったら、もう少し素直に自然と向き合う、子どもと向き合うということだと思っています。 こういっても、あんまりピンとこない人が多いかもしれません。これも言葉で説明できるものではなく、自然のなかにいればひとりでにわかってくることだからです。 先日、僕は福島県の会津地方を旅していました。旅館の窓から外の景色を眺めていると、ちょうど雪が降り始めました。旅館を取り囲む木々の細い枝一本一本に雪が降り積もって、風景が少しずつ白くなっていく。 その様子を眺めていると、ものすごく気持ちがいい。 いつまで眺めていても飽きるということがないのです。子どもが夢中になっているゲームなどのデジタルな刺激とは違って、自然は向こうから働きかけてくることはありません。しかし、自然の中にじっと身を置いていると、徐々に自分が自然と同一化していくのがわかる。これが、とても心地いいのです。 少し理屈っぽいことを言えば、1本の木だって35億年という途方もない歳月を生き延びてそこに生えているわけで、その形状がいい加減にできているはずがない。一本一本の細い枝の先端にいたるまで、自然のルールを反映しているのです。そして、自然の中に身を置いていると、その自然のルールに、われわれの体の中にもある自然のルールが共鳴をする。すると、いくら頭で考えてもわからないことが、わかってくるのです』、「自然の中に身を置いていると、その自然のルールに、われわれの体の中にもある自然のルールが共鳴をする。すると、いくら頭で考えてもわからないことが、わかってくるのです」、やや出来過ぎとの印象を受ける。
・『いじめ問題も都市化で深刻になった  子どもに、自分の体が田んぼとつながっていることを教えないといけない。 科学的にいえば、人間の体は物質でできていて、それはどこから来たかといえば、多くは田んぼからきている。田んぼとか、海とか、川とかが、形を変えてあなたの体になっているんだよってことを教えないといけない。 自然と自分とのつながり、世界とのつながりといってもいいのだけど、自然と自分は地続きであることを感じてほしい。 いじめの問題が大きくなってしまっているのも、子どもに本来あった自然とのつながりが断たれて、子どもの世界が狭くなってしまったことが原因です。人が何かとのつながりを求める生き物だとしたら、自然とのつながりを失った代わりに、子どもの中で身近な人間関係が非常に大きなウエイトを占めるようになってしまった。 昔からいじめはありました。だけど、昔の子は、いじめられたら、海や山や川に逃げることができたんです。僕なんかは、いじめられても、夜に電球にカブトムシが飛んできたら、全部、忘れていましたっけ』、「人が何かとのつながりを求める生き物だとしたら、自然とのつながりを失った代わりに、子どもの中で身近な人間関係が非常に大きなウエイトを占めるようになってしまった」、「いじめ問題」にもつながっているとの主張は、説得力がある。
・『知性は自然のなかで磨かれ  僕は昆虫採集が好きですが、虫とり仲間と話しているととても面白
い。 連中は異口同音に、「体に力が入っていると虫は見えない」と言います。とろうとろうと思うと体に力が入ってしまい、虫にこちらの気配を悟られて逃げられてしまうからです。 反対に、じっと森の中に座って自然と同一化すると、虫がどこにいるかがよく見えるようになり、やがて虫や動物の方から近寄ってくるようになる。そんな禅宗のお坊さんの悟りのような状態を、みんな体験しているのです。 ずっと蝶ばかりとっていた友人が網を振っているのを見ていたら、古武道の達人で研究者の甲野善紀さんの刀の使い方とよく似ていて、驚いたことがあります。言うこともそっくりです。自然のなかで虫取り網を振っていれば、剣術の修行をしているのと同じ学びがあるわけです。 ひとりでに身につく自然のルールや知性は、入学試験で判定できるようなものではありません。ですが、それを手に入れることは後々の人生すべてに大きく影響を与えます。「人生という試験に耐えられる人間になる」と言ってもいい。人生100年時代であることを考えれば、子どもを塾に行かせたり、習い事漬けにするよりも、自然のルールを身につける方がはるかに大切なことではないでしょうか。 だからといって、田舎に移住しろと言うつもりも、取ってつけたような自然体験をさせろと言うつもりもありません。あくまでも「田舎風」でいいのです。空き地があって、虫がいて、そこに行けばいつでも仲間に会える。それで十分なのです。 僕は、都市化した社会、脳化した社会の先を切り開いていくのは、泥だらけになって野山をかけ回っている子どもたちだと思っているのです』、「人生100年時代であることを考えれば、子どもを塾に行かせたり、習い事漬けにするよりも、自然のルールを身につける方がはるかに大切なことではないでしょうか」、同感であるが、都会のなかで実現していくにはハードルが高いようだ。
タグ:「人生100年時代であることを考えれば、子どもを塾に行かせたり、習い事漬けにするよりも、自然のルールを身につける方がはるかに大切なことではないでしょうか」、同感であるが、都会のなかで実現していくにはハードルが高いようだ。 「人が何かとのつながりを求める生き物だとしたら、自然とのつながりを失った代わりに、子どもの中で身近な人間関係が非常に大きなウエイトを占めるようになってしまった」、「いじめ問題」にもつながっているとの主張は、説得力がある。 「自然の中に身を置いていると、その自然のルールに、われわれの体の中にもある自然のルールが共鳴をする。すると、いくら頭で考えてもわからないことが、わかってくるのです」、やや出来過ぎとの印象を受ける。 「周囲の人や社会との関係がないところから、生きている意味は生まれてこないとフランクルは言うわけですが、個人主義の広がりによって、農村共同体やその代替物だった会社という共同体すら崩壊してしまった現代の日本では、生きる意味を見いだすことがとても難しくなっています」、「ワークシェアをせずに平然とリストラをする日本企業は、もはや共同体とは呼べないのです」、その通りだ。 「自分ひとりのものであるという考え方からは、生きる意味なんて出てこないのです」、なるほど。 「都市では切符を買って電車に乗れば、目的地に着くでしょう。これも、「ああすれば、こうなる」の一例。都市はそのように作られている」、「先進国の都市ではどこもかしこも出生率が下がって、少子化が起こっている。なぜかといえば、都市は頭でつくられているのに対して、子どもは自然だからです。ひとりでに生まれてきて、親の思うようになりません。 だから、都市では子どもを排除することが暗黙の了解になっている」、「子どもは自然だからです。ひとりでに生まれてきて、親の思うようになりません」、これは傑作だ。 PRESIDENT Online「養老孟司「『自分の人生は自分のもの』という考え方からは、生きる意味なんて出てこない」 だから「なぜ死んではいけないんですか?」と考える」 「都心部では中学受験が過熱して、受験準備が低年齢化していると聞きます。こういうところに「児童虐待社会」の姿がくっきり浮かび上がっている」、同感である。 「この子たちの頭の中に、世の中には言葉では説明できないことがあるということが入っていないのです。言葉ですべて説明できると思っているのが「情報化」で、頭の世界が大きくなり過ぎている結果だと思います」、本来、親などの大人が、教えるべきことだ。 「現代の日本では体よりも頭のほうが偏重されているから、東大理三は素晴らしいということになってしまう。日本社会にはこうした、おかしなダブルスタンダードがいくつも存在しています」、その通りだ。 「東大理三・・・偏差値は80を超えており、合格者数は100人ぐらいしかいない。つまり、ベルカーブでいえば最も右の端に位置しているわけで、血圧測定に倣っていえば、完全なる異常値です」、「偏差値」が「完全なる異常値」とは面白い捉え方だ。 「すでに昭和30年代の終わりごろから、都市化が進み、子どもの遊び場も、遊ぶ時間も一貫して少なくなっている。その結果として、生き生きとした子どもの日常が日本社会から失われてしまったのです。 子どもの自殺について、明らかに社会に問題がある」、その通りだ。 「G7の中でも15~34歳の死因の第1位が自殺である国は日本だけ」、「子どもの自殺は普通の出来事になってしまった感があります」、言われてみればその通りだ。 「子どもが次々と死ぬ社会になってしまった」とは穏やかでない。どういうことだろう。 「養老孟司「東大医学部に入るのは超高血圧になるのと同じで、褒められることではない」 日本では「頭の世界」が大きくなり過ぎている」 PRESIDENT ONLINE 「その当時、宇宙定数の存在を支持していた日本の理論研究者の疑問を代表したものだった」、「日本の理論研究者」のレベルは相当高かったようだ。 「ハッブルの研究結果から観測的には宇宙が膨張していることを知ったアインシュタインは、1931年の論文で宇宙項がもはや必要ないことを認め、それを撤回しました」、さすがいさぎよい「撤回」だ。 AERAdot.「アインシュタイン「人生最大の失敗」の驚くべき顛末」 (その11)(アインシュタイン「人生最大の失敗」の驚くべき顛末、養老孟司「東大医学部に入るのは超高血圧になるのと同じで 褒められることではない」 日本では「頭の世界」が大きくなり過ぎている、養老孟司「『自分の人生は自分のもの』という考え方からは 生きる意味なんて出てこない」 だから「なぜ死んではいけないんですか?」と考える) 人生論 「養老さんは「戦後の日本では、『自分の人生は自分のものである』という考え方が広がった。しかし、こういう考え方からは生きる意味なんて出てこない」と語る」、どういうことなのだろう。
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災害(その12)(1000年に1度のトンガ大噴火 これでは終わらない可能性、もし「富士山噴火」が起きたら…火山灰で首都圏の都市機能どうなる?【被害想定】、「体育館を避難所にする先進国なんて存在しない」災害大国・日本の被災者ケアが劣悪である根本原因 日本での「美談」は、欧米なら「人権侵害」「ハラスメント」になる) [社会]

災害については、昨年12月27日に取上げた。今日は、(その12)(1000年に1度のトンガ大噴火 これでは終わらない可能性、もし「富士山噴火」が起きたら…火山灰で首都圏の都市機能どうなる?【被害想定】、「体育館を避難所にする先進国なんて存在しない」災害大国・日本の被災者ケアが劣悪である根本原因 日本での「美談」は、欧米なら「人権侵害」「ハラスメント」になる)である。

先ずは、本年1月19日付けNewsweek日本版が掲載した:ニュージーランド・オークランド大学地球科学教授のシェーン・クローニン氏による「1000年に1度のトンガ大噴火、これでは終わらない可能性」を紹介しよう。
https://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2022/01/1000-34.php
・『<なぜあんな大噴火になったのか、今後は何が起こるのか> 南太平洋に浮かぶ島々から成るトンガ王国はいつもなら世界の注目を集めるようなことはない。しかし1月15日に起きた海底火山の大噴火では、この島国で発生した文字どおりの衝撃波が地球の半分を揺るがした。 この海底火山も普段はいたっておとなしい。トンガの首都ヌクアロファから北へ65キロほど船で進むと、海抜100メートル程の2つの小さな無人島フンガハアパイとフンガトンガが海面に顔をのぞかせている。その下に眠るのが、高さ約1800メートル、幅20キロにも及ぶ巨大な海底火山だ。 島の名を合わせてフンガトンガ・フンガハアパイと呼ばれるこの火山は、ここ20年ほど何度か噴火を繰り返してきた。2009年と2014〜15年の噴火でも熱いマグマと蒸気が海上に噴出したが、今回の噴火はそれらよりはるかに大規模だった。 私たちが行ったこれまでの噴火の調査から、今回の噴火はざっと1000年に1度の大噴火と考えられる』、「1000年に1度の大噴火」とはやはり大変なことが起きたようだ。
・『超音速の爆風が発生  海底火山の噴火では、マグマが海水に冷やされるはずなのに、なぜこれほど激しい爆発が起きたのか。 マグマがゆっくりと上昇すれば、たとえ約1200℃の高温であっても、マグマと海水の間に蒸気の薄い層ができて、これが断熱材となり、マグマの外側の表面が冷やされる。 だが地下に火山ガスがたまり、マグマが一気に噴出すると、この仕組みは働かない。マグマが急激に海中に噴き出すと、蒸気の層は吹き飛ばされ、高温のマグマが冷たい海水にじかに触れる。それにより海水が瞬時に気化して、体積が一気に増大し、水蒸気爆発が起きるのだ。 これは火山研究者が「燃料と冷却材の相互作用」と呼ぶ現象だ。極めて激しい爆発により、マグマの外側が吹き飛ばされると、内部のマグマが海水に触れて、さらなる爆発が起きる。このようにして連鎖的に爆発が繰り返され、ついには火山性粒子が大量に噴出し、超音速の爆風が発生する』、「マグマが急激に海中に噴き出すと、蒸気の層は吹き飛ばされ、高温のマグマが冷たい海水にじかに触れる。それにより海水が瞬時に気化して、体積が一気に増大し、水蒸気爆発が起きる」、「連鎖的に爆発が繰り返され、ついには火山性粒子が大量に噴出し、超音速の爆風が発生する」、恐ろしい火山のパワーだ。
・『海底に眠る巨大カルデラ  2014〜15年の噴火で火山円錐丘が形成され、フンガトンガとフンガハアパイを結ぶ長さ5キロの島が誕生した。私たちは2016年にこの島を調査し、これまでの噴火は序章にすぎず、はるかに大規模な噴火がこれから起きると予想した。 海底地形の調査で、海面下150メートルに眠るカルデラが見つかった。 このカルデラはクレーターのような窪地で、直径約5キロ。2009年、2014〜15年の噴火など、小規模の噴火は主にこのカルデラの周縁で起きるが、大規模噴火はカルデラそのものから発生する。大規模噴火では、噴出するマグマの頂部が内側に崩れ落ち、カルデラはさらに深く穿たれる。 小規模の噴火は地下にマグマがゆっくりとたまり続け、大規模な噴火を準備していることを示す兆候だ──過去の噴火の痕跡の化学組成を調べて、私たちはそう考えるようになった』、「これまでの噴火は序章にすぎず、はるかに大規模な噴火がこれから起きると予想した」、不気味な「予想」だ。
・『遠い過去の大噴火の痕跡  フンガトンガとフンガハアパイの堆積層から、フンガ・カルデラで過去に起きた2度の大規模噴火の痕跡が見つかった。私たちはその化学組成が、トンガ王国の首都がある65キロ先の本島・トンガタプ島に堆積した火山灰の化学組成と同じであることを突き止め、放射性炭素年代測定で大規模噴火が起きた年代を調べた。その結果、カルデラの大規模噴火は、およそ1000年に1度の周期で発生していて、前回は1100年に起きたことが分かった。 これに照らせば、今回の噴火は1000年に1度の大噴火と見てよさそうだ。 今はまだ一連の大規模な火山活動のさなかにあり、噴煙で島が覆われていることもあって、不明な事柄が多い。 2021年12月20日と2022年1月13日に起きた2度の噴火は中くらいの規模だった。噴煙が17キロの高さに立ち上り、2014〜15年の噴火でできた島が拡大した』、「カルデラの大規模噴火は、およそ1000年に1度の周期で発生していて、前回は1100年に起きたことが分かった。 これに照らせば、今回の噴火は1000年に1度の大噴火と見てよさそうだ。 今はまだ一連の大規模な火山活動のさなかにあり、噴煙で島が覆われていることもあって、不明な事柄が多い」、さらに「大規模な」噴火があるのかは不明だ。
・『目覚めたフンガ・カルデラ  1月15日の噴火はそれらを上回る規模で、噴煙は高さ約20キロまで上がった。最も注目すべきは、噴煙が火山を中心に半径130キロの同心円状に広がったことだ。その後、噴煙は風に流されて形を変えた。 この噴煙の規模は、凄まじい爆発力を物語っている。その威力はマグマと海水の相互作用だけでは説明できない。ガスが充填した新しいマグマがカルデラから大量に噴出したと考えられる。 この噴火で、トンガの全ての島々、そして近隣のフィジーとサモアの島々も津波に襲われた。衝撃波は何千キロも伝わり、衛星からも観測され、およそ2000キロ離れたニュージーランドでも記録された。トンガタプ島では、噴火後まもなく空が真っ暗になり、火山灰が降り始めた。 これら全ての兆候は、巨大なフンガ・カルデラが目覚めたことを物語っている。津波は大気中と海中を伝わる衝撃波が合わさって起きるが、海底で発生した地滑りやカルデラの崩壊によっても起きる。 今回の噴火が一連の火山活動のピークかどうかはまだ分からない。マグマの圧力が大幅に放出されたのは確かで、それにより噴火が収まる可能性もある。 ただ、堆積層に残る過去の大噴火の痕跡を調べると、1000年に1度の大規模なカルデラ噴火は、複雑な連続的プロセスで、いくつもの噴火が別々に起きたと考えられる。 そのため私たちは、この海底火山では今後数週間、いや、ひょっとすると数年にわたって大規模な活動が続くこともあり得ると予想している。トンガの人々のために、この予想が外れることを祈っている』、「この海底火山では今後数週間、いや、ひょっとすると数年にわたって大規模な活動が続くこともあり得ると予想」、「トンガの人々のために、この予想が外れることを祈っている」、良心的だ。

次に、1月21日付け日刊ゲンダイ 「もし「富士山噴火」が起きたら…火山灰で首都圏の都市機能どうなる?【被害想定】」を紹介しよう。
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/life/300213#:~:text=%E6%98%A8%E5%B9%B4%E6%94%B9%E5%AE%9A%E3%81%95%E3%82%8C%E3%81%9F%E3%80%8C%E5%AF%8C%E5%A3%AB%E5%B1%B1,%E3%81%A9%E3%81%86%E3%81%AA%E3%81%A3%E3%81%A6%E3%81%97%E3%81%BE%E3%81%86%E3%81%AE%E3%81%8B%E3%80%82
・『南太平洋のトンガ諸島の海底火山噴火で、電話やインターネットがつながらない状況が長く続いている。停電による海底通信ケーブルの不調が原因とみられるが、ライフラインが密集する日本なら余計に大事になりかねない。降り注ぐ火山灰によって都市機能は完全にマヒしてしまう。 トンガ海底噴火の噴煙は、最大20キロの成層圏に達し、1991年6月のフィリピン・ピナトゥボ火山の噴火に匹敵する被害が予想されている。 ピナトゥボは世界の平均気温を0.5度ほど低下させ、日本では2年後の93年の記録的冷夏でコメ不足が起こり、タイ米輸入騒動に発展した』、興味深そうだ。
・『日本には海底火山34カ所、活火山も111  今回のトンガ噴火は火山プレートが違うため日本の火山への連動はないが、これと同じことが日本近海で起きた場合も考えておかなければいけない。日本の海域には計34カ所の海域火山があり、昨年8月に小笠原の福徳岡ノ場海底火山が噴火したばかり。大量の軽石が流れ着いたことで話題となった。福徳岡ノ場では噴火前から過去になかったほどの低周波地震が頻発し、すでに昨年4月には海上保安庁が黄緑の海水色の“予兆”を確認していた。現在も白波や変色の異常が続いている。 これに加え、日本には現在111もの活火山がある。そのひとつである富士山は、1707年の「宝永噴火」を最後に約300年間沈黙しているが、2000年から01年にかけて低周波地震が頻発した。いつ噴火してもおかしくない上、必ずしも山頂が火口になるとは限らない。山梨県富士山科学研究所の藤井敏嗣所長(東大名誉教授)は、「次の噴火は山頂火口で発生するとは限らず、噴火の予兆が察知できた数時間後には市街地近くに火口が開くことも考えられる」と警戒を呼びかける。足元の地面が割れ、マグマがあふれ出てくる。まさしくパニック映画のワンシーンのような光景が広がる可能性もあるのだ。 そして、この後の火山灰がさらに厄介だ。昨年改定された「富士山ハザードマップ」の降灰の想定によれば、山頂から70キロ離れた藤沢市で最終的に30センチ、同100キロ離れた東京駅で10センチが予想される(複数回の噴火)。被害総額は1.2兆~2.5兆円で、稲作被害は18万3000ヘクタールに上る。実際に火山灰が降り注げば都市機能はどうなってしまうのか。国内外の事例を参考にまとめた内閣府の被害想定(2019年)を見てみよう』、「マグマ」もさることながら、「この後の火山灰がさらに厄介だ」。
・『降灰1ミリで道路の視界不良、電車はさらに脆弱 ■「交通」  道路はたった1ミリ(0.1センチ)の灰が積もっただけで視界不良だ。実際、1~2ミリの降灰が確認された1974年新潟焼山噴火では一時視界が3メートルしかなくなり、対向車の巻き上げた灰で視界が利かず4歳児をはねる事故が起きている。さらに、降灰が1.3センチになるとエンジン故障。そして2センチでタイヤのスリップが相次ぐ。10センチの降灰ともなると、一般道路のほか、高速道路まで閉鎖。この状況下で自家用車を運転する人はまずいないと思うが、東京脱出のために走行したとするとエアフィルターは80~160キロで交換しないといけない。 鉄道はさらにモロくて、1980年桜島噴火では降灰0.2ミリで鹿児島市電が脱線している。0.5ミリでポイント動作不良、1ミリで線路の電気系統が不調(2011年新燃岳噴火)になってしまう。航空はわずか1ミリで空港閉鎖。13センチなら週単位での閉鎖だ』、「道路」、「鉄道」、「航空」は「火山灰」には脆弱なようだ。
・『■「ライフライン」わずか3ミリで停電の可能性  電力でまず心配なのは発電施設のダウン。首都圏に多く点在する火力発電所は8ミリ(0.8センチ)で吸気系の機能が低下し、一部施設で発電が停止する。配電線は湿った火山灰なら3ミリで配電が止まり、地域内の約6割で停電が発生。実際2016年阿蘇山噴火は3ミリで停電が発生している。また、0.3ミリ以上で太陽光発電は発電量ゼロとなる(パネル角度30度)。 一方、通信は15センチでも問題なく機能が維持される。2008年チャイテン噴火(チリ)では降灰が15センチに達した市街地においても、携帯電話や衛星通信、ラジオなどに障害は発生しなかった。8センチで通信機能が不調になったケースもあるが、微細な灰が携帯電話などに侵入し電子回路をショートさせた可能性がある』、問題は原発の冷却である。「火力発電所」は「吸気系の機能が低下し、一部施設で発電が停止」、程度で済むが、原発は冷却できなくなれば、炉心溶解を起こして、放射能をバラ撒くことになり、まさに東日本は大変なことになる。
・『■「健康」  ヒトへの影響はどうか? 降灰5ミリ(0.5センチ)で喉、鼻、目の異常を訴える(1000人当たり2~4人)。 そして1.3センチになると気管支炎や喘息が悪化。7.5センチなら軽い呼吸器疾患に陥り、1980年セントヘレンズ噴火(米国)では1000人当たり10~20人が手当てを必要とする症状を訴えている』、「放射能」汚染に比べれば、どうということはない。
・『南半球からの輸入小麦、大豆が高騰 ■「農林水産」  最も重大なのが農畜産物への影響だ。葉物や麦類は降灰3センチ以上で被害が甚大になり、6センチ以上で根菜類の地上部が枯れる。神奈川県はもとより、千葉県、埼玉県の農産物が大きなダメージを受ける。1707年富士山噴火では、15センチで翌年の収穫は皆無。50センチで回復まで15~45年を要した。 海産物は5センチの堆積でエビが3割死亡。1977年有珠山噴火では洞爺湖のニジマス養殖池の稚魚が数万匹死んでいる。 農畜産物への被害といえば、トンガ海底噴火の今後の影響も気になる。気象予報士の森田正光氏がこう言う。 「北半球と南半球の違いはありますが、91年に噴火したピナトゥボ火山は北緯15度、今回のトンガは南緯約20度と似たような位置関係にあり、同じように農作物への影響が考えられます。火山灰が成層圏に滞留することで1年半から2年後の低温が予想されるためです。日本は北半球ですので、タイ米騒動が起きた93年の時のような不作にはならないと思いますが、麺用小麦のほとんどを頼るオーストラリア、大豆輸入先2位のブラジルなど南半球は穀倉地帯が多い。国内畜産の飼料穀物の主な輸入先にしても、ブラジル、オーストラリア、アルゼンチンです。輸入物価が上がれば、当然、スーパーの店頭価格にも響いてきます」 食料だけでも定期契約を結んでおいた方がいいかもしれない。ちなみに、ふるさと納税で秋田県仙北市に3万円寄付すると、「あきたこまち5キロ」が5カ月連続で送られてくる。岐阜県飛騨市の「採れたて野菜定期便」は季節ごとに年6回発送される。日頃の備蓄に加え、こうした工夫も考えておきたい』、「富士山大噴火」のような非常時には、「ふるさと納税」の「採れたて野菜定期便」などは停止される可能性が強いので、「こうした工夫」も無駄になるだろう。

第三に、3月10日付けPRESIDENT Onlineが掲載した新潟大学大学院 医歯学総合研究科 特任教授の榛沢 和彦氏による「「体育館を避難所にする先進国なんて存在しない」災害大国・日本の被災者ケアが劣悪である根本原因 日本での「美談」は、欧米なら「人権侵害」「ハラスメント」になる」を紹介しよう。
https://president.jp/articles/-/55248
・『日本では大規模災害が起きると、学校の体育館が避難所に転用されるケースが多い。しかし、先進国ではこうした対応はあり得ない。新潟大学大学院の榛沢和彦特任教授は「日本の避難所は欧米からみればハラスメント状態だ。『避難所の生活を改善すると、被災者の自立が遅れる』という主張がされるなど、根本的な誤解がある」という――。 日本では大規模災害が起きると、学校の体育館が避難所に転用されるケースが多い。しかし、先進国ではこうした対応はあり得ない。新潟大学大学院の榛沢和彦特任教授は「日本の避難所は欧米からみればハラスメント状態だ。『避難所の生活を改善すると、被災者の自立が遅れる』という主張がされるなど、根本的な誤解がある」という――(Qは聞き手の質問、Aは榛沢氏の回答)、興味深そうだ。
・『環境を改善しないと災害関連死は減らない  Q:榛沢先生は、災害関連死や災害関連病を防ぐために避難所の環境改善を訴えてきました。災害関連死は、適切な医療や支援によって0にできると言われています。しかし災害が発生するたびに、災害関連死の事例が報告されます。なぜ、状況は改善しないのでしょうか。 A:災害が発生すると、一般的に急性期(発災から1週間程度)の医療が重視されがちです。しかし急性期だけに力を入れても、根本的に何も解決しません。何よりも、改善すべきは避難所の環境です。 例えば、交通事故が頻繁に起きる道路があったとします。救急車の数を増やしても、事故は減りません。急性期の医療を重視する災害支援は、救急車をたくさん走らせている状況と言えばいいでしょうか。でも、本来なら道路状態や交通状況などを早急に見直す必要があります。 そう考えると、災害関連死を減らすためにも、いち早く環境改善に取り組まなければならないのが、いわゆる「雑魚寝の避難所」です。その風景は、約100年前の関東大震災から何も変わっていないのですから』、「「雑魚寝の避難所」・・・の風景は、約100年前の関東大震災から何も変わっていない」、言われてみれば、確かにその通りだ。
・『イタリアでは家族ごとにテントで生活していた  Q:避難所に対して問題意識を持ったきっかけを教えてください。 A:私が災害医療にかかわるようになったのは、2004年の新潟県中越地震からです。避難所での生活や車中泊などが、エコノミークラス症候群のリスクを高めると初めて気づきました。その後、07年の新潟県中越沖地震、08年の岩手・宮城内陸地震、3.11、2016年の熊本地震などで避難所の医療支援に入りました。 本当の意味で、日本の避難所が抱える問題を突きつけられたのは、2012年です。5月にイタリア北部を大地震がおそいました。その2カ月後、イタリアを訪れて、避難所を視察し、驚きました。広場に大型テントが整然と並んでいる。歩いて入れるほど屋根が高いテントは被災した家族ごとに割り当てられていました。カーペットが敷かれ、人数分のベッドや冷暖房装置も設置されていました。「雑魚寝の避難所」との差に目を見張りました』、「イタリア」では、「歩いて入れるほど屋根が高いテントは被災した家族ごとに割り当てられ・・・。カーペットが敷かれ、人数分のベッドや冷暖房装置も設置」、日本のとは雲泥の差だ。
・『環境を改善しないと災害関連死は減らない  Q:榛沢先生は、災害関連死や災害関連病を防ぐために避難所の環境改善を訴えてきました。災害関連死は、適切な医療や支援によって0にできると言われています。しかし災害が発生するたびに、災害関連死の事例が報告されます。なぜ、状況は改善しないのでしょうか。 A:災害が発生すると、一般的に急性期(発災から1週間程度)の医療が重視されがちです。しかし急性期だけに力を入れても、根本的に何も解決しません。何よりも、改善すべきは避難所の環境です。 例えば、交通事故が頻繁に起きる道路があったとします。救急車の数を増やしても、事故は減りません。急性期の医療を重視する災害支援は、救急車をたくさん走らせている状況と言えばいいでしょうか。でも、本来なら道路状態や交通状況などを早急に見直す必要があります。 そう考えると、災害関連死を減らすためにも、いち早く環境改善に取り組まなければならないのが、いわゆる「雑魚寝の避難所」です。その風景は、約100年前の関東大震災から何も変わっていないのですから』、「災害関連死を減らすためにも、いち早く環境改善に取り組まなければならないのが、いわゆる「雑魚寝の避難所」」、その通りなのだろう。
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・『「非常食」があるのは日本だけ  トイレやシャワーは、移動のコンテナ式でスタッフによって清潔に保たれていました。なかにはコインランドリーや子どもの遊具を備えた避難所もありました。食堂も、巨大テントで、キッチンコンテナで調理したばかりの料理を口にできる。欧米では被災者に温かい食事を提供するのが、当たり前になっていました。「非常食」があるのは日本だけなんですよ。 日本では、避難所で、被災者が並んでおにぎりや弁当を受け取るケースをよく目にしますが、イタリアでは避難所のスタッフが配膳などを担当していました。担当者の言葉が忘れられません。「温かくておいしいものを食べれば元気になるだろう。それが、生活を立て直す上ではもっとも大事なんだ」と。その数カ月前まで3.11の避難所の実態を目の当たりにしたせいか、本当に衝撃を受けました。 Q:日本の避難所とは根本的になにかが違う気がしますね。 A:避難所は、被災したすべての人が安心し、健康的に過ごせて、生活再建へ向けて力を蓄えてもらう場――ヨーロッパやアメリカでは、そうした意識が共有されているのです。 日本は災害大国とよく言われますが、避難所運営だけを見てもアメリカやヨーロッパの方が格段に進んでいます。イタリアも災害が多い国です。地震だけではなく、山火事も水害もひんぱんに起きます。アメリカもそう。毎年のように、ハリケーンやトルネードにおそわれています。そうしたなかで、避難所の環境改善や災害対策が進みました。イタリアでは全人口の0.5%にあたる人たちに必要なテントやキッチン、トイレ、ベッドを備蓄しています。10年以内に津波地震が予想されているシチリアでは今後は3%まで増やす予定だそうです』、「避難所は、被災したすべての人が安心し、健康的に過ごせて、生活再建へ向けて力を蓄えてもらう場――ヨーロッパやアメリカでは、そうした意識が共有されている」、日本も考え方を変えるべきだろう。
・『日本での「美談」が欧米では「人権侵害」  またイタリアでは、災害が発生すると政府から州の市民保護局に対して、72時間以内に避難所を設置するよう指令が下ります。ここでのポイントは、指令を受けるのは、被災した自治体の市民保護局ではなく、その周辺で被害をまぬがれた自治体の市民保護局という点です。 日本では被災した自治体の職員が避難所に寝泊まりして、管理、運営を担当するでしょう。当然ですが、被災自治体の職員も、被災者なんです。避難所運営に奔走する自治体職員の姿が、日本では美談として取り上げられますが、アメリカやヨーロッパなら、人権侵害、あるいはハラスメントとして問題になるでしょうね。 Q:なるほど。避難所のあり方がハラスメントに該当する場合もあるんですね……。 A:避難所が、被災者の立場や人格を尊重しないハラスメント状態になっていることを支援者だけでなく、被災者自身も気づいていません。なかには、食事などの環境をよくすると被災者が自立せずに避難所に居着いてしまうと口にする運営者もいます』、「被災者の立場や人格を尊重しない」「運営者もいます」、大きな問題だ。
・『海外にとって雑魚寝の避難所は「クレイジー」  2018年の西日本豪雨では4カ月、毎日朝に冷たいおにぎり、お昼に同じ菓子パンを出し続けた避難所もありました。被災した人にとっては、要望を出したり、毎日出るおにぎりや菓子パンを断ったりしたら、もう支援がこないかもしれないという不安感もあり、泣き寝入りするしかない。 被災者がガマンを強いられるのは食事だけではありません。寒くて広い体育館で、冷たい床の上にあり合わせの畳やマット……なかには段ボールやビニールシートを敷いて眠る。これでは身体を休めることができません。 3.11の避難所を撮影した写真をアメリカやヨーロッパの支援者に見せたところ「クレイジー……」と絶句された経験があります。 「雑魚寝の避難所」の改善には、簡易ベッドを導入すべきなのですが、まだまだ進んでいません。自宅では畳に布団を敷いて寝ているから、避難所でも簡易ベッドは必要ないと考えている人が多いのです。 もちろん平時なら問題ありませんが、硬い床に一日中すわって過ごすと足腰に想像以上の負担がかかります。3.11のある避難所では、1000人中、30人の高齢者が歩行困難になりました。足腰が痛んでトイレに立つのがおっくうになり、水分を控える被災者も少なくなかった。そうなると脱水状態で血液が濃くなり、エコノミークラス症候群や脳梗塞、心筋梗塞を発症しやすくなるという悪循環に陥ってしまう。それに、雑魚寝は床にたまった埃にウイルスや細菌が付着し、感染症のリスクも高くなる』、「西日本豪雨では4カ月、毎日朝に冷たいおにぎり、お昼に同じ菓子パンを出し続けた避難所もありました」、驚くべき官僚的な運営だ。「硬い床に一日中すわって過ごすと足腰に想像以上の負担がかかります。3.11のある避難所では、1000人中、30人の高齢者が歩行困難になりました」、やはり「簡易ベッド」が必要なようだ。
・『市町村には問題意識が蓄積されにくい  避難所改善などの問題意識は、県の防災担当者には、少しずつ浸透してきたように感じます。しかし被災者支援の中心となる市町村の職員にまでそうした意識が共有できているかと言えば、疑問です。市町村の職員はたいてい3年程度で部署を異動する。経験や問題意識が蓄積されにくい上に、市町村には予算もない。 以前、ある自治体でベッドやトイレ、キッチンを48時間以内に避難所に届ける仕組み作りをしましょうと提案したところ「予算がない」「水や食べ物が先だろう」という反応でした。もちろん水や食べ物も大切ですが、同時にベッドやトイレの導入、温かい食べ物の提供も進めていかなければ、災害関連死は防げないのですが……。 Q:とはいえ、西日本豪雨や北海道胆振地震の避難所には、簡易ベッドが速やかに導入されたと聞きました。環境改善が進んでいるのではないですか。 A:うーん……。まだ簡易ベッド導入のシステムが構築されたとは言えませんね。 例えば、北海道胆振東部地震では、その前年に北見市にある日本赤十字北海道看護大学が研究用に400台の段ボールベッドを購入していました。加えて、発災当日、北海道の危機管理にたずさわり、寒冷地の避難所の危険性を訴え続けてきた北海道赤十字看護大学の根本昌宏先生が偶然、札幌にいたんです。根本先生がすぐに道庁で簡易ベッド導入を提言し、保管していたベッドを避難所に送ることができた。災害時の危機管理の専門家で、道庁の災害対策職員とも顔見知りだった根本先生だから、簡易ベッドの早期導入を実現できたと言えるかもしれません。非常に幸運な事例だったと言えるでしょう』、「市町村の職員はたいてい3年程度で部署を異動する。経験や問題意識が蓄積されにくい上に、市町村には予算もない」、これでは限界がある。
・『災害専門省庁の設立が急務  一方で、私はうまくいかなかったケースも目の当たりにしました。2019年の台風19号では、総務省は発災後かなり速やかに福島、長野、茨城、千葉の4県の担当部署に連絡し、段ボールベッドがどのくらい必要か聞きとりを行いました。その結果、各県とも2000台の希望があったそうです。そして発災4日後ごろには段ボールベッド会社から送付してもらったそうなのですが、その保管場所は自衛隊基地などでした。県の担当者も保管場所や送付先を把握していなかったらしいんです。 災害対策の問題点のひとつとして、避難所の設置部署と運営部署が違うことがあげられます。発災するまでの事前の準備は、総務省の管轄で、発災後は厚労省に代わる。 Q:縦割り行政の弊害ですね。 A:その最たるものですね。だからこそ、その弊害をなくすためにも災害専門省庁の設立が急務です。専門省庁がないから、いつも発災後に補正予算をつけて対応するしかない。 一方イタリアでは災害関連の国家予算は約3000億円。この予算で、テントやトイレ、キッチンなどを備蓄し、搬送用のトレーラーやトラックのメンテナンスを行っています。 ただこうしたイタリアの仕組みがつくられたのも、最近の話なんです。イタリアで災害対策を行う市民保護庁が発足したのが、約40年前。それまでは、現在の日本のように、災害支援は市町村に丸投げでした。しかし1980年に、イルピニア大地震が発生し、建物の倒壊などで約3000人が亡くなりました。被害はそれだけに止まらずに、災害対応の遅れで、約1万人が避難生活で、病気を発症し、なかには命を落とす被災者も出ました。そうした反省から、市民保護庁が誕生したんです』、「発災するまでの事前の準備は、総務省の管轄で、発災後は厚労省に代わる・・・縦割り行政の弊害」、「イタリアで災害対策を行う市民保護庁が発足したのが、約40年前。それまでは、現在の日本のように、災害支援は市町村に丸投げ」、「日本」も司令塔として専門の省庁を設置すべきだ。
・『「生命を守る」だけでなく「生活を早く戻す」  Q:イタリアは“災害関連死”を教訓として、災害専門省庁をつくったということですね。 A:そうとも言えますね。もうひとつ日本の災害対策から抜け落ちている視点が“市民社会保護”という考え方です。 災害後に人々の暮らし、地域コミュニティーをできるだけ早く戻すこと。つまり生命を守るだけでなく、市民生活の復旧を第一に考えた災害対応です。 実は、これは戦争と切り離せない考え方でもあるんです。相手から攻められたとき、市民の生命をどのように守り、暮らしをどう復旧させるのか……。それに、戦争はたくさんの物を消費しますよね。消費ばかりでは戦争は続けられない。だからこそ、被害にあった市民に早く日常生活に復帰してもらって、物を生産して経済を回してもらう必要がありました。市民生活の復旧、復興があり、初めて戦争が続けられる。 こうした考え方が、欧米では災害対応にも生かされている。まずは市民の命を助ける。その後、いち早く社会復帰を果たしてもらう。それが、市民生活の保障や経済の早期復旧につながり、被災者自身のためになると受け止められています。 現状のまま、南海トラフ地震や首都直下地震が発生したらどうなるのか……。新型コロナでは、高齢者や基礎疾患を持つ人のリスクが明らかになりました。それは災害でも同じでしょう。このままでは避難所で、高齢者や基礎疾患を持つ人は過酷な生活を強いられてしまいます。災害時の被災者支援は、個人救済ではなく、公共の福祉です。だからこそ、何よりも避難所の環境改善を急ぐ必要があるのです』、「災害時の被災者支援は、個人救済ではなく、公共の福祉です。だからこそ、何よりも避難所の環境改善を急ぐ必要がある」、同感である。
タグ:「この海底火山では今後数週間、いや、ひょっとすると数年にわたって大規模な活動が続くこともあり得ると予想」、「トンガの人々のために、この予想が外れることを祈っている」、良心的だ。 「カルデラの大規模噴火は、およそ1000年に1度の周期で発生していて、前回は1100年に起きたことが分かった。 これに照らせば、今回の噴火は1000年に1度の大噴火と見てよさそうだ。 今はまだ一連の大規模な火山活動のさなかにあり、噴煙で島が覆われていることもあって、不明な事柄が多い」、さらに「大規模な」噴火があるのかは不明だ。 「これまでの噴火は序章にすぎず、はるかに大規模な噴火がこれから起きると予想した」、不気味な「予想」だ。 「マグマが急激に海中に噴き出すと、蒸気の層は吹き飛ばされ、高温のマグマが冷たい海水にじかに触れる。それにより海水が瞬時に気化して、体積が一気に増大し、水蒸気爆発が起きる」、「連鎖的に爆発が繰り返され、ついには火山性粒子が大量に噴出し、超音速の爆風が発生する」、恐ろしい火山のパワーだ。 「1000年に1度の大噴火」とはやはり大変なことが起きたようだ。 シェーン・クローニン氏による「1000年に1度のトンガ大噴火、これでは終わらない可能性」 Newsweek日本版 (その12)(1000年に1度のトンガ大噴火 これでは終わらない可能性、もし「富士山噴火」が起きたら…火山灰で首都圏の都市機能どうなる?【被害想定】、「体育館を避難所にする先進国なんて存在しない」災害大国・日本の被災者ケアが劣悪である根本原因 日本での「美談」は、欧米なら「人権侵害」「ハラスメント」になる) 災害 「災害時の被災者支援は、個人救済ではなく、公共の福祉です。だからこそ、何よりも避難所の環境改善を急ぐ必要がある」、同感である。 「発災するまでの事前の準備は、総務省の管轄で、発災後は厚労省に代わる・・・縦割り行政の弊害」、「イタリアで災害対策を行う市民保護庁が発足したのが、約40年前。それまでは、現在の日本のように、災害支援は市町村に丸投げ」、「日本」も司令塔として専門の省庁を設置すべきだ。 「市町村の職員はたいてい3年程度で部署を異動する。経験や問題意識が蓄積されにくい上に、市町村には予算もない」、これでは限界がある。 「西日本豪雨では4カ月、毎日朝に冷たいおにぎり、お昼に同じ菓子パンを出し続けた避難所もありました」、驚くべき官僚的な運営だ。「硬い床に一日中すわって過ごすと足腰に想像以上の負担がかかります。3.11のある避難所では、1000人中、30人の高齢者が歩行困難になりました」、やはり「簡易ベッド」が必要なようだ。 「被災者の立場や人格を尊重しない」「運営者もいます」、大きな問題だ。 「避難所は、被災したすべての人が安心し、健康的に過ごせて、生活再建へ向けて力を蓄えてもらう場――ヨーロッパやアメリカでは、そうした意識が共有されている」、日本も考え方を変えるべきだろう。 「災害関連死を減らすためにも、いち早く環境改善に取り組まなければならないのが、いわゆる「雑魚寝の避難所」」、その通りなのだろう。 「イタリア」では、「歩いて入れるほど屋根が高いテントは被災した家族ごとに割り当てられ・・・。カーペットが敷かれ、人数分のベッドや冷暖房装置も設置」、日本のとは雲泥の差だ。 「「雑魚寝の避難所」・・・の風景は、約100年前の関東大震災から何も変わっていない」、言われてみれば、確かにその通りだ。 榛沢 和彦氏による「「体育館を避難所にする先進国なんて存在しない」災害大国・日本の被災者ケアが劣悪である根本原因 日本での「美談」は、欧米なら「人権侵害」「ハラスメント」になる」 PRESIDENT ONLINE 「富士山大噴火」のような非常時には、「ふるさと納税」の「採れたて野菜定期便」などは停止される可能性が強いので、「こうした工夫」も無駄になるだろう。 「放射能」汚染に比べれば、どうということはない。 問題は原発の冷却である。「火力発電所」は「吸気系の機能が低下し、一部施設で発電が停止」、程度で済むが、原発は冷却できなくなれば、炉心溶解を起こして、放射能をバラ撒くことになり、まさに東日本は大変なことになる。 「道路」、「鉄道」、「航空」は「火山灰」には脆弱なようだ。 「マグマ」もさることながら、「この後の火山灰がさらに厄介だ」。 日刊ゲンダイ 「もし「富士山噴火」が起きたら…火山灰で首都圏の都市機能どうなる?【被害想定】」
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ソニーの経営問題(その9)(なぜソニーはモバイルゲーム事業を売却したのか 2つの理由と期待、ソニーがEV初参入へ見せた大胆な「らしさ」の凄み “中の人"が語る「なるほど」な独自性の生み出し方) [企業経営]

ソニーの経営問題については、昨年8月10日に取上げた。今日は、(その9)(なぜソニーはモバイルゲーム事業を売却したのか 2つの理由と期待、ソニーがEV初参入へ見せた大胆な「らしさ」の凄み “中の人"が語る「なるほど」な独自性の生み出し方)である。

先ずは、昨年11月2日付けダイヤモンド・オンラインが掲載した法政大学大学院教授の真壁昭夫氏による「なぜソニーはモバイルゲーム事業を売却したのか、2つの理由と期待」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/286302
・『ソニーはモバイルやオンラインゲーム開発のGSN Gamesを米スコープリーに約10億ドルで売却すると発表した。今後の注目は、ソニーの選択と集中が成果につながるか否かだ。世界経済の変化は激烈を極めている。ソニーといえども変化への対応が遅れれば、事業運営体制が不安定化するリスクは否定できない』、興味深そうだ。
・『知的財産分野へ経営資源を集中する狙い  ソニーグループ(以下、ソニー)傘下のソニー・ピクチャーズ エンターテイメントは、傘下のGSN Games(GSN)を米スコープリーに約10億ドル(約1100億円)で売却すると発表した。GSNはモバイルやオンラインゲームの開発を主な業務としてきた。今回の売却の背景には、ソニーが重視するコンテンツIP(知的財産)分野へ経営資源の集中する狙いがあるとみられる。 一方、同社は半導体などハードウエアの分野でも台湾積体電路製造(TSMC)との共同で新工場の建設を行うなど、自社の市場シェアや収益性、成長性などを評価の軸にして選択と集中を進め、今後、より効率的な事業運営体制の確立を目指している。 今後の注目点は、ソニーの事業戦略が成果につながるか否かだ。これまでの業績を見る限り、コンテンツ事業の強化などは同社の市場シェアの拡大と収益性の向上に寄与する可能性は高いだろう。 ただ、世界経済の変化の速度は恐ろしいほど増している。特に、デジタル化の加速や脱炭素への取り組みなど、世界の経済環境の変化は激烈を極めている。そうした大きな変化の中、ソニーといえども変化への対応が遅れれば、事業運営体制が不安定化するリスクは否定できない』、「大きな変化の中、ソニーといえども変化への対応が遅れれば、事業運営体制が不安定化するリスクは否定できない」、その通りだ。
・『『鬼滅の刃』などのIP創出 株高による投資収益の確定も  ソニーがGSNを売却する理由の一つは、ソニーが重視するコンテンツIP分野へ経営資源の配分を高める狙いがあるのだろう。そのために、GSNの主要業務を、早めにプロダクト・ポートフォリオから外しておく意図が感じられる。 ソニーは『鬼滅の刃』などのコンテンツIPを生み出してファンを獲得し、ゲームなどの新しい需要の創出につなげたい。一方、GSNはカードゲームやビンゴなどのモバイルゲームを得意とする。IPランドスケープ(知財、非知財情報を分析して自社の現状と将来の展開予想を分析すること)に基づいて考えると、ソニーとGSNは目指すコンテンツを構成する要素が異なる。コンテンツIPの創出力に磨きをかけるという重要な目的に照らした場合、ソニーにとってGSNを支配下に置き続ける意義は低下しているようだ。 そのほかにも売却理由があるはずだ。その一つが、投資収益の確定だろう。2019年にソニーは約 414億円(当時の邦貨換算額)を投じてGSNの親会社であるゲーム・ショー・ネットワークを完全子会社化している。一方、今回の売却額は約1100億円だ。モバイルゲーム市場などでシェアを獲得することによってGSNの企業価値は高まった。現在、世界的に株価が高値圏で推移している状況を生かしてソニーは利得を確保し、それを成長期待の高い分野に再配分したいだろう。それも売却理由の一つといえる。 ただ、今回の売却によってソニーとGSNの関係が完全に解消されるわけではない。ソニーは売却額の半分をスコープリーの優先株として受け取る。コンテンツIP開発戦略上のシナジー効果は薄れたものの、モバイルゲーム市場でのビジネスチャンスを手に入れるためにGSNと一定の関係を維持することは重要との判断がソニーにあるとみられる。 コンテンツIP分野にフォーカスして考えると、ソニーは新しいコンテンツIP創出のために組織の集中力を高めたいだろう。そのためにGSNを売却してよりスピーディーかつ多くのコンテンツIPを生み出す体制整備を加速させようとしているのではないか』、「ソニーは新しいコンテンツIP創出のために組織の集中力を高めたいだろう。そのためにGSNを売却してよりスピーディーかつ多くのコンテンツIPを生み出す体制整備を加速させようとしているのではないか」、なるほど。
・『世界トップCMOSイメージセンサーや電気自動車の「VISION-S」へ  次にグループ全体での事業運営に目を向けると、ソニーは成長性、収益性、市場シェアなどの要素に基づいて、最も有効な資源配分を行おうとしている。 その一つのケースが、代表的な画像処理センサーであるCMOSイメージセンサー事業だ。12年以降の経営再建でソニーは、CMOSイメージセンサー事業に経営資源を再配分して世界市場でトップのシェアを獲得した。現在、CMOSイメージセンサー市場でソニーは49%程度のシェアを持つ。近年のシェアは韓国のサムスン電子や米国のオムニビジョンの追い上げによって徐々に低下している。 そうした状況下、ソニーは画像処理センサー事業の競争力を強化してさらなる成長を目指すために、台湾積体電路製造(TSMC)やデンソーとコンソーシアムを組み、熊本県に半導体工場を建設する予定だ。具体的には画像系のセンサーに加えて、車載、ロボット用のチップも生産される予定だ。 その先にソニーが見据える事業展開を考えると、より鮮烈な映像などのコンテンツ没入体験を人々に与えることを目指しているだろう。例えば、ソニーは自動車分野での取り組みを進めている。同社が開発する電気自動車(EV)の「VISION-S」は、CASE時代の到来を念頭に置いた新しいモビリティー創出を目指した取り組みだ。その実現には、インターネットと接続し自律走行を行うための演算装置や画像処理技術、さらには車内エンターテインメントのためのコンテンツの開発や音響・映像技術などの革新が求められる。 そのためにソニーは自社の持つモノづくり精神やコンテンツ創出力を、TSMCが持つ半導体製造の総合力の高さと、自動車関連分野でのデンソーの知見と結合して、新しい画像処理機能を持つセンサーや車載半導体などの創出を目指しているはずだ。より高性能、あるいは新しいチップの創出は、プレイステーションなどゲーム事業の強化にも欠かせない』、「ソニーは自社の持つモノづくり精神やコンテンツ創出力を、TSMCが持つ半導体製造の総合力の高さと、自動車関連分野でのデンソーの知見と結合して、新しい画像処理機能を持つセンサーや車載半導体などの創出を目指しているはずだ」、なるほど。
・『経営陣が世界経済の環境変化に迅速かつ的確に対応できるか  現在、ソニーが進めようとしている選択と集中の目的は、人々に鮮烈な体験を与える力の向上と発揮にあるといえる。ソニーは、ソフトウエア分野では映画・アニメの制作やミュージシャンの育成に、ハードウエア面では半導体の製造技術の磨き上げに集中し、両者を結合することによって新しい生き方の創出を目指しているとの印象を強くする。 ただ、そうした取り組みが成果を発揮するためには、経営陣が世界経済の環境変化に迅速に、的確に対応できるか否かが問われる。経営陣が変化にうまく対応できれば、ソニーの選択と集中が相応の成果を上げることはできるだろう。同社の株価の上昇を見る限り、ソニーが強みを持ち、成長と収益拡大が見込まれる分野への選択と集中を進めることによってさらなる業績拡大が可能と期待する主要投資家は多いようだ。 反対に、経営陣が環境変化への対応に遅れる、あるいは判断を誤ると、ソニーといえども成長力が弱まり、かなり厳しい状況を迎える可能性は否定できない。世界全体で脱炭素やエネルギー資源の高騰、新型コロナウイルスの感染再拡大による動線の不安定化を背景とする供給制約の問題など、ソニーを取り巻く不確定要素は増えている。加えて、コンテンツIP分野において米ネットフリックスの成長や、半導体分野では中国企業によるソフトウエア開発力の強化など、ソニーが選択と集中を進める分野での競争も激化している。 現時点でソニーの取り組みがどのような成果をもたらすかを見通すことは難しい。そうした中ではあるが、同社の成長はわが国経済の再生に不可欠だ。同社が組織を一つにまとめてよりスピーディーに事業を運営する体制を整備し、市場の勝者になることを期待したい』、「ソニーを取り巻く不確定要素は増えている」、「ソニーが選択と集中を進める分野での競争も激化」、今後、「ソニー」が「市場の勝者」となれるかの否か、大いに注目される。

次に、本年2月15日付け東洋経済オンラインが掲載したジャーナリストの川島 蓉子氏による「ソニーがEV初参入へ見せた大胆な「らしさ」の凄み “中の人"が語る「なるほど」な独自性の生み出し方」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/510670
・『コロナ禍をはじめ、企業を取り巻く環境が激変する中、経営の大きなよりどころとなるのが、その企業の個性や独自性といった、いわゆる「らしさ」です。ただ、その企業の「らしさ」は感覚的に養われていることが多く、実は社員でも言葉にして説明するのが難しいケースがあります。 いったい「らしさ」とは何なのか、それをどうやって担保しているのか。ブランドビジネスに精通するジャーナリストの川島蓉子さんが迫ります。 組織に身を置いて仕事していると、「うちらしい」あるいは「うちらしくない」という言葉が頻繁に登場する。新商品や新しい企画を立ち上げるときはもちろん、会議で何か発言すると、上司から「それはうちらしい意見じゃないね」と言われたり、営業で訪れた客先から、「その話は御社らしくないですね」と言われたりすることも――。 「らしさ」という言葉には、個性や独自性という枠組みを越え、企業活動や社員のふるまいまでが含まれるし、その意味でブランディングと深くかかわっている。 一方で「らしさ」とは何かを定義したり、突き詰めたりするのは容易ではない。ブランディングの分析過程で「らしさ」を要素分解したり、場合によってそれを数値化したりすることがある。あるいは、企業のビジョンや理念、行動指針を作るにあたって、「らしさ」を文言で定義する試みがなされているものの、それがズバリかというと、そうではないと思う。 誰もが日常的に使っているのに、意味するところが多面的な「らしさ」という言葉――本連載では、「らしさ」とは何なのかについて考察する。それも、「らしさ」の解を導き出すのではなく、「らしさ」をとらえる視点について探っていく。具体的には、さまざまな企業における「らしさ」をインタビューし、根っこにあるものを見ていきたい。読者の方々にとって、日々の仕事における何らかのヒントになれば幸いだ』、「本連載では、「らしさ」とは何なのかについて考察する」、興味深そうだ。 
・『「ソニーらしさ」を社内ではどうとらえているのか  第1回はソニーグループのクリエイティブセンターを取り上げる。「ウォークマン」や「aibo(アイボ)」をはじめ、クルマの「VISION-S Prototype」や銀座の「Sony Park」など、ソニーには先進的なイメージがあり、それが「らしさ」につながっている。「ソニーらしい」「ソニーらしくない」と評されることも少なくない。 社内でそこをどうとらえているのかを知りたいと思い、昨年10月からクリエイティブセンターのセンター長になった石井大輔さんに話を聞いた。 クリエイティブセンターは、ソニーグループのデザイン部門を担っている。ソニーが掲げる事業は、「ゲーム&ネットワークサービス」「音楽」「映画」「エレクトロニクス・プロダクツ&ソリューション」「イメージング&センシング・ソリューション」「金融」の6つの領域に及ぶ。 エレクトロニクス事業はもとより、エンタテインメントや金融などを含めて幅も奥行きも広く深い。クリエイティブセンターがかかわっているのも、プロダクトのデザインに限らず、UI/UX、ブランディング、コミュニケーション、空間のディレクション、サービスなど多岐にわたっている。 デザインというと、製品の色やかたちを創り出すところととらえる人もいるだろうがそうではない。クリエイティブセンターに籍を置くデザイナーは、ユーザーとかかわる多様な領域すべてにかかわっていると言っても過言ではない。そして、ソニーとユーザーとのタッチポイントに携わるという意味では、いわゆるブランディングの一角を担う仕事であり、「らしさ」に大きく関与している。 “ソニーらしさ”とは何でしょうか」という質問に対し、「実は内部では『らしい』『らしくない』という話をすることは、あまりないのです」と石井さん。「らしさ」について、侃々諤々の議論がなされているという筆者の読みは見事にはずれた』、「クリエイティブセンターに籍を置くデザイナーは、ユーザーとかかわる多様な領域すべてにかかわっていると言っても過言ではない。そして、ソニーとユーザーとのタッチポイントに携わるという意味では、いわゆるブランディングの一角を担う仕事であり、「らしさ」に大きく関与している」、社内にこうした部署を持つのも「ソニーらしい」。
・『デザインを洗練されたものにする「審議」  一方で、「デザインを洗練されたものにするためのディスカッションはしょっちゅうして、それを審議と言っています」とも。社内のいわば公用語として審議が使われていて、さまざまな場面で行われている。国内はもとより、世界各地のソニーでも、“SHINGI”と呼ばれている。オープンでフラットを旨としていて、役職やキャリアに関係なく意見を言い合うという。 「何かあったら『審議しよう』というのは、ソニーのデザイン文化の1つかもしれません。Review(考察)やCritique(批評)とはニュアンスが違っていて、いわば“共創”的な要素が強いのだと思います」(石井さん) よりよくするためにどうするかをゴールに、共に創り上げていくという考えが、企業のDNAのように存在しているのだ。それとともに、人真似ではなく、独自性を追求していくことを重視してもいる。今までにないこと、ほかがやっていないことに挑戦する姿勢も、過去から脈々と受け継がれてきた気風だ。 審議の場では、新人時代から『意見ないの?』と話を振られます」(石井さん)。新人と先輩が入り交じって、フラットな目線で意見を言い合う。開かれた環境ではあるものの、新人にとってはある意味厳しいし、先輩にとっては自分が試される場でもある。そうやって意見をぶつけ合うことで、「らしさ」が培われていくのだろう。 ただ、自由闊達と言っても、それがネガティブに出ると、「自分の意見を否定されてしまった」「上司の言うことを聞かざるをえなくなった」となってしまう。「ネガティブな意見も出ますが、言われた人は、自分の思考のもと、取捨選択してかまわない。そういう風土があるのです」。健全な話し合いだが、他者の意見を取り入れるか否かを自分で判断するということは、主体性と責任が問われるものであり、そこに物差しも必要だ。 どのようになされているのか。) 「基本的にはユーザーがどうとらえるか、そこを起点に考えるのです」(石井さん)。デザイナーというと、自分の世界を表現する人ととらえられがちだがそうではない。あくまで使い手の視点に立って、概念だけでなく、カタチ化するところまでを担う役割――クリエイティブセンターには、そういう共通認識があるという。 企業内の会議でありがちなのは、交わされる議論が、企画書の起承転結のつけ方や、微細なデータや言葉使いの吟味に陥ってしまうこと。だが、クリエイティブセンターでは、議論が白熱しても、それが概念や企画書で終わることはない。抽象レベルで終わらず、実際のカタチ化するところまでを行っているからだ。 クリエイティブセンターは、昨年60周年を迎えた。もともとは、ソニーの創業メンバーの一人である大賀典雄氏が、デザインとブランドを見る組織として作ったという。業容が広がるに従い、組織の位置づけや規模の変化はあったものの、そのポジションを変わらず取り続けてきた。 戦後から高度経済成長の波にのって拡大してきた企業の中で、こういう組織が継承されている事例は数少ない。そう考えると、クリエイティブセンターの存在そのものが、ソニーという企業の独自性の一角をなしていると言っても過言ではないだろう』、「クリエイティブセンター」は「大賀典雄氏が、デザインとブランドを見る組織として作ったという。業容が広がるに従い、組織の位置づけや規模の変化はあったものの、そのポジションを変わらず取り続けてきた」、「ソニーという企業の独自性の一角をなしている」、確かに興味深い組織だ。
・『EVにおけるソニーらしさとは?  2020年に発表された「VISION-S」は、「あのソニーがEV車に挑戦した」と大きな注目を集めた。その姿勢も含めて「ソニーらしい」と国内外で高い評価を得たのだ。 始まりは2018年のこと。 「ソニーが持っている技術やサービスの強みを、モビリティの領域で活かせるのではということから、EVに取り組んでみようという話が出て、先行してクリエイティブセンターでもスタイリングだけでなくUXやブランド考察を含め、さまざまなアイデア展開を始めました」(石井さん) 安心・安全な走行を支援する「センシング」、アップデートによる進化の土台を担う「ネットワーク技術」、オーディオビジュアルやゲームなどの「エンタテインメント」、3つの領域におけるソニーの独自性を盛り込み、これからの社会で求められていくモビリティの可能性を追求することになった。 そのプロジェクトのクリエイティブディレクターにアサインされたのが石井さんだ。傍から見ると、最初から外部のカースタイリングのスタジオに委託して進めるという手もあったのにと思うのだが、あえてその道を選ばなかった。ソニーのデザイン力を信じ、クリエイティブセンターにデザインを任せたという上層部の判断があったのだ。 では、どのように進められたのか。 ゼロから生み出していくプロジェクトということで、まずはどこを目指し、どういうユーザーに向け、どういうものを作っていくのかといった全体構想を、文字とビジュアルで構成する冊子にまとめた。石井さんは「夢物語のようなものを描いた」というが、表層的な夢でないことは、話を聞いているとよくわかる。 未来の社会と人の暮らしを思い描きながら、圧倒的な魅力を放つクルマとはどんな存在か。そこにソニーの独自性をどう盛り込み表現するか。いわば、このプロジェクトのフィロソフィーのようなものをまとめたのだ。この段階で、根幹となる部分を徹底的に審議し、冊子として凝縮したことは、後々、役立ったという。プロジェクトの途上で迷ったとき、そこに立ち返って確認するツールとして機能したのだ。 プロジェクトを進めるうえでいくつかのターニングポイントもあった。さまざまな意見が出る中で、その冊子のコンセプトに立ち返って考え直し、ユーザーから見た新たなソニーらしさの象徴として、「ソニーの技術の結晶体、テクノロジーショーケースにする」と改めて方向性を確認し、アメリカ・ラスベガスで行われるエレクトロニクス関連の展示会、CES(Consumer Electronics Show)で発表することにしたという。 モーターショーなどで展示される、いわゆるコンセプトカーは、未来に飛翔するアイデアが盛り込まれているものの、実現性に乏しいものが少なくない。しかしソニーでは、走行はもとより、現存の基準や規定を充たすことのできる「本物」をデザインすることにした。ここにも「ほかにはない独自性を徹底して追求する」というソニーの精神が現れている』、「最初から外部のカースタイリングのスタジオに委託して進めるという手もあったのにと思うのだが、あえてその道を選ばなかった。ソニーのデザイン力を信じ、クリエイティブセンターにデザインを任せたという上層部の判断があった」、さすが「ソニー」だ。「コンセプトカー」は・・・実現性に乏しいものが少なくない。しかしソニーでは、走行はもとより、現存の基準や規定を充たすことのできる「本物」をデザインすることにした。ここにも「ほかにはない独自性を徹底して追求する」というソニーの精神が現れている」、なるほど。
・『マグナ・シュタイヤーと協業、多様性のある「審議」に  クリエイティブセンター内では、極秘プロジェクトとして進められていたが、開発にあたっては、オーストリアに拠点を置く自動車製造業者のマグナ・シュタイヤーとの協業体制で行われた。欧州のさまざまな国籍のメンバーも入り、まさに多様性のある審議を重ねていったのだ。「社外の人と意見を交わしながら、『本物』を作っていくのは、とても楽しい経験にもなりました」(石井さん) 「最後に悩んだのはブランディングとしてのシンボルマークの表現の部分」だったという。「VISION-S」というブランドの思想を、どう表現するかについて議論を繰り返したのだ。チームメンバーでアイデアを出し合いながら進めたが、いい案がなかなか出てこない。 最後に出てきたのが、EVならではの、電気回路図の図記号からインスピレーションを得た「S」の文字を、フロントに付いているデイライトに埋め込むというもの。「VISION-S」のキーを解除すると、そこから光が放たれ、側面、ドアハンドル、テールランプへと巡っていく。) このクルマは、周囲にぐるりとセンサーが入っていて、車外環境を360度チェックするのが独自性の1つ。「OVAL=人を包む」というコンセプトのもと、「センシングで人を守るモビリティという考えを体現することができました」と石井さん。強いブランディングが行えると意見が一致した。 「ソニーグループのPurpose(存在意義)である『クリエイティビティとテクノロジーの力で、世界を感動で満たす』には、“感動”という言葉が出てくるのですが、「VISION-S」のブランディングは、まさに”心の琴線に触れる”ものになるのではないかという確信みたいなものを抱きました」(石井さん)。 その域に達することができたのは、ブランド、外観から内装、UI/UXも含め、専門領域を持ったデザイナーが1つのチームとなり、連携しながら作り上げていった成果だ。クリエイティブセンターの強みを改めて確認できたという』、「「VISION-S」のブランディングは、まさに”心の琴線に触れる”ものになるのではないかという確信みたいなものを抱きました」(石井さん)。 その域に達することができたのは、ブランド、外観から内装、UI/UXも含め、専門領域を持ったデザイナーが1つのチームとなり、連携しながら作り上げていった成果だ。クリエイティブセンターの強みを改めて確認できたという」、大したものだ。
・『事業分野を横断する「クリエイティブハブ」に  大半の企業は、事業領域が広がるにつれ、部門ごとの縦割り組織が増えていく。仕事の合理効率化ははかれるのだが、水平的な連携は弱くなりがちだ。クリエイティブセンターは、組織を横断して活動している点においてもユニークな存在だ。 例えば、ある領域で培ってきた先進的な技術について、ほかの領域に活用することができる。 「インターフェースの研究開発で培ってきたサービスデザインのノウハウを、ソニー生命のリモートコンサルティングシステムの開発に役立てるといったことも進めています」(石井さん) 分野を横断して全体とかかわれるという立ち位置も、クリエイティブセンターの特色の1つだという。 ソニーの事業領域は、今後ますます広がっていくが、それを横断的につないでシナジーを出していくのは、クリエイティブセンターが担っていくべき役割の1つでもある。「“クリエイティブハブ”と呼んでいるのですが、その幅を広げ、奥行きを深めていくのが課題の1つです」(石井さん)。またクリエイティブセンターでは「ブランディングの一環として、コーポレートビジョンをデザインする仕事が増えています」(石井さん)。 ブランディングにまつわる仕事は、外部のコンサルティング企業や広告代理店などが入って進めることが多い。が、ソニーでは、クリエイティブセンターという内部組織がかかわるというのだ。内部ならではの深い理解がブランディングに有効であること、企業の全体像を俯瞰したうえで、各社のブランディングが行えることなど、いい効果が見えてきているという。 筆者は仕事柄、経営トップに話を聞くこともあれば、さまざまなデザイナーに話を聞くこともある。そこに共通しているのは「未来を見つめる眼差しを持っていること」だ。 経営トップは、未来へ向けた方向づけをして、人や組織を動かしていく、かたやデザイナーは未来に向けた方向づけを、言葉や視覚を通してカタチ化する。経営にデザイナーが関与するのは、ブランディングに寄与するところ大と思ってきたので、これは腑に落ちる話だった。 では、クリエイティブセンターでは、どのようにブランディングを進めるのか。) 例えばソニーモバイルコミュニケーションズ(現ソニー)の場合、まずは、トップをはじめとするマネジメント層と、目指すべき方向についてディスカッションしながら「言葉」を探していく。ワークショップ形式で、思考を言語化して収斂していくプロセスを、クリエイティブセンターが導き出すかたちで進めていった。とともに、その言葉を象徴的に表現するビジュアル化を行ったという。 成果を見せてもらった。「好きを極めたい人々に想像を超えたエクスペリエンスを」というメッセージのもと、ソニーモバイルのコーポレートビジョンが綴られている。(現在はXperiaのビジョンとなっている)。 「人の数だけ、好きはある。人の数だけ、愛するものがある」という文面は、表層的に整えられた言葉の羅列でもなければ、カタカナ用語が羅列された抽象的なものでもない。少しロマンティックな空気をはらみながら、読む人の心に伝わってくる。背景にある星がまたたく宇宙のビジュアルと相まって、明快でわかりやすく、読む人の心に伝わってくる力がある』、「「インターフェースの研究開発で培ってきたサービスデザインのノウハウを、ソニー生命のリモートコンサルティングシステムの開発に役立てるといったことも進めています」・・・分野を横断して全体とかかわれるという立ち位置も、クリエイティブセンターの特色の1つ」、「「好きを極めたい人々に想像を超えたエクスペリエンスを」というメッセージのもと、ソニーモバイルのコーポレートビジョンが綴られている。(現在はXperiaのビジョンとなっている)」、なるほど。
・『ソニーがソニーたるゆえんとは?  発表したところ、社内外の反応が良かった。「ソニーモバイルの中で、万人に向けた普及品というより、一部であっても好きな人が選んでくれる尖ったものを出していこうという意図が、モノ作りをはじめ、社内の風土として根づいていっているのが嬉しいです」と石井さん。 今は、ソニーファイナンスのブランディングを一緒にやっているというが、これから、ソニーの業容が広がっていく中、ブランディングにまつわる仕事は重要度を増していくという。 石井さんの話を聞いていて、ソニーがソニーたるゆえんは、ほかにはない独自性を究めること、ものごとの本質を掘り下げることなど、一見するときれいごとで終わってしまう事柄について、泥臭いと言えるほど真面目に取り組み、デザインを通してカタチ化する。つまり世の中に伝え広めていくことを続けてきた――その積み重ねの成果と感じた。 しかも、1つのところにとどまることなく、前へ前へと進み続ける。時代の先端を切り拓こうと挑み続ける。その姿勢を堅持しているところが「らしさ」につながっている。若い石井さんが、これからのクリエイティブセンターをどう率いていくのか、ソニーの「らしさ」の行方が楽しみだ』、「ソニーがソニーたるゆえんは、ほかにはない独自性を究めること、ものごとの本質を掘り下げることなど、一見するときれいごとで終わってしまう事柄について、泥臭いと言えるほど真面目に取り組み、デザインを通してカタチ化する。つまり世の中に伝え広めていくことを続けてきた――その積み重ねの成果と感じた」、今後も楽しみだ。
タグ:(その9)(なぜソニーはモバイルゲーム事業を売却したのか 2つの理由と期待、ソニーがEV初参入へ見せた大胆な「らしさ」の凄み “中の人"が語る「なるほど」な独自性の生み出し方) ソニーの経営問題 ダイヤモンド・オンライン 真壁昭夫氏による「なぜソニーはモバイルゲーム事業を売却したのか、2つの理由と期待」 「大きな変化の中、ソニーといえども変化への対応が遅れれば、事業運営体制が不安定化するリスクは否定できない」、その通りだ。 「ソニーは新しいコンテンツIP創出のために組織の集中力を高めたいだろう。そのためにGSNを売却してよりスピーディーかつ多くのコンテンツIPを生み出す体制整備を加速させようとしているのではないか」、なるほど。 「ソニーは自社の持つモノづくり精神やコンテンツ創出力を、TSMCが持つ半導体製造の総合力の高さと、自動車関連分野でのデンソーの知見と結合して、新しい画像処理機能を持つセンサーや車載半導体などの創出を目指しているはずだ」、なるほど。 「ソニーを取り巻く不確定要素は増えている」、「ソニーが選択と集中を進める分野での競争も激化」、今後、「ソニー」が「市場の勝者」となれるかの否か、大いに注目される。 東洋経済オンライン 川島 蓉子氏による「ソニーがEV初参入へ見せた大胆な「らしさ」の凄み “中の人"が語る「なるほど」な独自性の生み出し方」 「本連載では、「らしさ」とは何なのかについて考察する」、興味深そうだ。 「クリエイティブセンターに籍を置くデザイナーは、ユーザーとかかわる多様な領域すべてにかかわっていると言っても過言ではない。そして、ソニーとユーザーとのタッチポイントに携わるという意味では、いわゆるブランディングの一角を担う仕事であり、「らしさ」に大きく関与している」、社内にこうした部署を持つのも「ソニーらしい」。 「クリエイティブセンター」は「大賀典雄氏が、デザインとブランドを見る組織として作ったという。業容が広がるに従い、組織の位置づけや規模の変化はあったものの、そのポジションを変わらず取り続けてきた」、「ソニーという企業の独自性の一角をなしている」、確かに興味深い組織だ。 「最初から外部のカースタイリングのスタジオに委託して進めるという手もあったのにと思うのだが、あえてその道を選ばなかった。ソニーのデザイン力を信じ、クリエイティブセンターにデザインを任せたという上層部の判断があった」、さすが「ソニー」だ。「コンセプトカー」は・・・実現性に乏しいものが少なくない。しかしソニーでは、走行はもとより、現存の基準や規定を充たすことのできる「本物」をデザインすることにした。ここにも「ほかにはない独自性を徹底して追求する」というソニーの精神が現れている」、なるほど。 「「VISION-S」のブランディングは、まさに”心の琴線に触れる”ものになるのではないかという確信みたいなものを抱きました」(石井さん)。 その域に達することができたのは、ブランド、外観から内装、UI/UXも含め、専門領域を持ったデザイナーが1つのチームとなり、連携しながら作り上げていった成果だ。クリエイティブセンターの強みを改めて確認できたという」、大したものだ。 「「インターフェースの研究開発で培ってきたサービスデザインのノウハウを、ソニー生命のリモートコンサルティングシステムの開発に役立てるといったことも進めています」・・・分野を横断して全体とかかわれるという立ち位置も、クリエイティブセンターの特色の1つ」、「「好きを極めたい人々に想像を超えたエクスペリエンスを」というメッセージのもと、ソニーモバイルのコーポレートビジョンが綴られている。(現在はXperiaのビジョンとなっている)」、なるほど。 「ソニーがソニーたるゆえんは、ほかにはない独自性を究めること、ものごとの本質を掘り下げることなど、一見するときれいごとで終わってしまう事柄について、泥臭いと言えるほど真面目に取り組み、デザインを通してカタチ化する。つまり世の中に伝え広めていくことを続けてきた――その積み重ねの成果と感じた」、今後も楽しみだ。
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スポーツ界(その34)(「ワリエワ」と「トゥトベリーゼ」和解で分かったロシアの深い闇 成長を止められ 体を壊す少女が続出の異常、日本サッカー協会「自社ビル売却」の舞台裏 想像以上に深刻な懐事情とは、スポーツ指導者を「根性論」の呪縛から解き放つセルフ・コンパッションとは) [社会]

スポーツ界については、2月16日に取上げた。今日は、(その34)(「ワリエワ」と「トゥトベリーゼ」和解で分かったロシアの深い闇 成長を止められ 体を壊す少女が続出の異常、日本サッカー協会「自社ビル売却」の舞台裏 想像以上に深刻な懐事情とは、スポーツ指導者を「根性論」の呪縛から解き放つセルフ・コンパッションとは)である。

先ずは、2月24日付けデイリー新潮「「ワリエワ」と「トゥトベリーゼ」和解で分かったロシアの深い闇 成長を止められ、体を壊す少女が続出の異常」を紹介しよう。
https://www.dailyshincho.jp/article/2022/02241205/?all=1&page=1
・『北京五輪でドーピング疑惑が持ち上がった、フィギュアスケート女子のカミラ・ワリエワ(15)。彼女のコーチを務めるエテリ・トゥトベリーゼ氏(47)が、自身のInstagramで全世界からの批判に反論した。 スポーツ報知(電子版)は2月21日、「ワリエワのコーチ・トゥトベリゼ氏、ドーピング騒動に言及…激しい尋問『ジャッカルのように襲いかかり』」との記事を配信した。 記事からトゥトベリーゼ氏の発言を引用させていただく。 《カミラ・ワリエワ、団体競技のオリンピック・チャンピオン、私たちの小さな星。とても壊れやすいと同時に、とても強い選手です。カミラが受けた試練は、チーム全員で乗り越えなければならない》《昨日までニコニコしていた人たちが、今日はスタンドから離れ、指摘を受け、ジャッカルのように襲いかかり、さまざまな尋問の方法を提案する、そんな状況がいかに明白であるか》 ワリエワは昨年12月のドーピング検査で、禁止薬物の「トリメタジジン」と、禁止はされていないが「L-カルニチン」と「ハイポキセン」という薬物も検出された。担当記者が問題点を解説する。 「この3種類はいずれも心臓疾患の治療に使われる薬物です。禁止薬物が検出されたという事実に加え、3種類の“カクテル”が明るみになり、ドーピング疑惑は更に強まりました。1種類なら偶然に飲んだという弁明も通るかもしれませんが、3種類の薬となるとそうはいきません。心臓を強化し最後まで完璧な演技ができるよう意図的に薬を飲んだ、あるいは、飲まされた可能性があるのです』、「3種類の薬となると・・・心臓を強化し最後まで完璧な演技ができるよう意図的に薬を飲んだ、あるいは、飲まされた可能性がある」、同居しているおじいさんの薬が混入したとのお粗末な言い訳も出てきたが、「ドーピング疑惑は更に強まりました」、なるほど。
・『真っ黒な疑惑  筑波大学の中村逸郎教授(ロシア政治)は、「ロシアのメダル至上主義が、ここまで先鋭化したかと驚いています」と言う。 「今回の疑惑は、グレーというよりは黒に近い内容です。なぜなら、トゥトベリーゼ氏が数々のメダリストを輩出することができたのは、低年齢の選手の成長を意図的に抑え、跳躍力などを身につけさせたという背景があるからです」 フィギュアスケートは基本的に、体重が軽い小さな子供のほうが有利だと言われている。年齢が1歳上がるだけで、過去には可能だった演技で苦労する選手も少なくない。回転や跳躍が思うようにいかなくなるのだ。 スポーツ誌のNumber(電子版)は2月15日、「フィギュア界で脅かされる“女性の健康問題”…鈴木明子36歳が明かす過酷さ『無月経=ハードな練習ができている証拠でした』」の記事を配信した。 五輪出場経験を持つプロスケーターの鈴木明子(36)はこの記事で、選手の低年齢化を《昨今のジャンプ偏重傾向が年齢の問題と深く関わっています》と指摘している。 《速くたくさん回転するには凹凸がなく、体の軸が細いほうが物理的に速く回れます。そのため、胸やお尻といった女性らしい曲線が出てくると、高難度のジャンプを跳ぶのが難しくなってくるんです。そういった意味で、高得点が得られる4回転に挑戦する場合、より若い方が有利になってくるわけです》』、ザギトワも若手台頭に押されて、今回のオリンピック出場はかなわなかった。現在のやり方では、女性スケーターは4年ごとに使い捨てられていくようだ。「選手の低年齢化を《昨今のジャンプ偏重傾向が年齢の問題と深く関わっています》と指摘、評価方法を「回転」よりも優雅さ重視に変更するような改革案は出てこないのだろうか。
・『ドーピングの常態化!?  こうした事実を踏まえ、トゥトベリーゼ氏は指導する選手の成長を止めるという“奇策”に出たと考えられる。 「跳躍や回転に必要な筋肉以外は脂肪も含めて排除する。それがトゥトベリーゼ氏の指導方針です。このため、ワリエワ選手のように成功する人は別として、コーチの極端な指導で体を壊す少女は多いと言われています。具体的には、背骨の周囲や手の筋肉が弱くなってしまうのです。特に背骨の筋肉不足は深刻で、転倒で背骨を痛めてしまう選手が続出したという情報もあります」(同・中村教授) 3種類の“カクテル薬物”が検出されたことで、ドーピングの常態化が疑われているのは前に見た通りだ。 中村教授は、「そもそも練習段階でも普通にドーピングが行われていたのではないかという疑念も強まっています」と言う。 「普通、10代の少女は、成長期の真っ只中です。そんな時期に成長を止めようというのですから、弊害が生じないほうがおかしいでしょう。極端なダイエットと猛練習を組み合わせるトゥトベリーゼ氏の指導によって、健康を害する少女は少なくなかったはずです。その“治療”のために、ルール違反の薬物が処方されてきた可能性があるのです」』、「コーチの極端な指導で体を壊す少女は多いと言われています」、「ドーピングの常態化が疑われている」、これでは到底、まともなスポーツとはいえない。
・『背景に国家予算  ROCのチームドクターを務めるフィリップ・シュベツキー氏は、2008年の北京夏季五輪でロシアのボート代表チームに不正輸血を行い失格に追い込み、国際ボート連盟から処分を受けた麻酔科医としても知られている(註)。 「そもそも、なぜ五輪のチームドクターとして麻酔医が帯同しているのかが疑問です。普通は外科医とか内科医でしょう。麻酔医は痛みを和らげるプロです。無理な指導法で体の不調を訴えるフィギュア選手に、どのような薬を投与してきたのでしょうか」(同・中村教授) ロシア選手のドーピング問題が報道されると、「多額の報奨金が背景にある」と解説されることも多い。 だが、中村教授は「選手であれコーチであれ、信用されていないルーブルをもらっても嬉しくも何ともありません」と言う。 「選手やコーチが『ドーピングに手を染めてでもメダルが欲しい』と考えてしまうのは、報奨金ではなく国家予算が目当てなのです。もしトゥトベリーゼ氏が今後もメダリストを輩出することができれば、プーチン政権は予算措置を行い、彼女のために専用のトレーニング施設を作り、彼女のスタッフを全員、雇用するでしょう」』、「国家」丸抱えの「ロシア」のやり方は行き過ぎだ。
・『コーチは絶対的存在  銀メダルに輝いたROCのアレクサンドラ・トゥルソワ(17)は、トゥトベリーゼ氏のハグを拒否するなど、最初は反抗していた。だが、最終的には“和解”のメッセージを公開した。 「ロシアのフィギュアスケート界では、コーチの言うことは絶対です。特にトゥトベリーゼ氏のようなスターコーチともなると、選手が彼女に逆らうことは、プーチン大統領に逆らうことと同義なのです」(同・中村教授) トゥトベリーゼ=プーチンという歪んだ師弟関係に、先に見た予算の問題も加わる。 「オリンピックでメダリストという栄誉に輝いても、選手たちはその後、非常に長い人生を生きていかなければなりません。トゥトベリーゼ氏がコーチとして強大な権力を握り、多額の予算を差配できるようになれば、引退後も彼女を頼ったほうが豊かな生活ができるかもしれません。こうして選手たちは、第2の人生のことも考えながら、コーチには絶対に逆らわないのです」(同・中村教授)』、「トゥトベリーゼ氏のようなスターコーチともなると、選手が彼女に逆らうことは、プーチン大統領に逆らうことと同義なのです」、テレビ画面でも彼女の存在感は確かに大きかった。
・『原点はソチ五輪  今回の騒動で、ロシアのスポーツ界はドーピングと手を切る意思が全くないことが浮き彫りになった。その原点は2014年のソチ冬季五輪だったという。 「トーマス・バッハ氏(68)がIOCの会長に就任したのは2013年。この時、プーチン大統領がバッハ氏の会長就任に尽力したことはよく知られています。ここで借りができたバッハ会長は、14年のソチ冬季五輪を全面的にバックアップします」(同・中村教授) 当時のロシアは、2007年から続くリーマンショックの後遺症に苦しんでいた。優秀なコーチ陣が海外に流出してしまっていたのだ。 「プーチン大統領にとっては、自国のソチ五輪でロシアの選手がメダルラッシュを成し遂げ、国威発揚と自身の指導力をアピールすることが何が何でも必要でした。結果、指導力不足を補うため、ロシアのスポーツ界でドーピングが蔓延したのです。そして興味深いことに、このソチ五輪でトゥトベリーゼ氏は、フィギュアスケート団体戦でロシアに金メダルをもたらしたことが高く評価され、プーチン大統領から勲章が贈られたのです」(同・中村教授)』、「プーチン大統領がバッハ氏の会長就任に尽力」、とは初めて知った。「ソチ五輪でソチ五輪でトゥトベリーゼ氏は、フィギュアスケート団体戦でロシアに金メダルをもたらしたことが高く評価され、プーチン大統領から勲章が贈られたは、フィギュアスケート団体戦でロシアに金メダルをもたらしたことが高く評価され、プーチン大統領から勲章が贈られた」、「トゥトベリーゼ氏」の態度が偉そうなのにこんな経緯があったとは・・・。
・『ロシア世論の動向  ロシアの世論はトゥトベリーゼ氏を支持していると報じられている。だが、中村教授は「ひょっとすると、世論が変わる可能性があります」と言う。 「何しろ選手たちは、午前6時から午後9時までフィギュア漬けの日々です。一応は合間に勉強していることになっていますが、疲れて寝ている生徒が大半だと言われています。人間が生きていく上で必要な勉強すらさせてもらえず、なおかつ、指導の場でドーピングが常態化している疑惑があるわけですから、さすがの世論も『これでは児童虐待ではないか』と反発する可能性があります」(同・中村教授) 註:ロシアチームドクターにも疑念が…ワリエワ選手「ドーピング疑惑」裏のスポーツ虐待(現代ビジネス:2月18日)』、「ロシア」にとっては、ウクライナ問題を抱え、「フィギュア」どころではないだろうが、「プーチン」の地位が低下すれば、「トゥトベリーゼ氏」の天下も終焉を迎えるだろう。

次に、3月25日付けダイヤモンド・オンラインが掲載したノンフィクションライターの藤江直人氏による「日本サッカー協会「自社ビル売却」の舞台裏、想像以上に深刻な懐事情とは」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/299892
・『日本サッカー協会(JFA)が下した決断が、驚きを持って受け止められている。長年の悲願をかなえる形で、2003年に購入した東京都文京区内の自社ビル「JFAハウス」を売却するというのだ。JFAだけでなくJリーグなども事務局を構える本丸を、なぜこのタイミングで手放さなければいけないのか。背景を探っていくと、長引くコロナ禍で大幅な収入減と赤字増を余儀なくされているJFAの台所事情が見えてくる』、どういうことだろうか。
・『3月の臨時理事会で突如決定 苦労して手に入れた自社ビルを売却へ  月例理事会からわずか5日後の3月15日に実施された、JFAの臨時理事会。真っ先に決議されたのは「JFAハウスの有効活用検討の件」だった。 臨時理事会終了後、オンライン形式によるメディアブリーフィングに臨んだJFAの須原清貴専務理事が、ある意味で唐突に聞こえる決定事項を報告した。 「JFAハウスの土地建物に関する、三井不動産レジデンシャル株式会社との売買契約を締結する件について、本日の臨時理事会において承認されたとお知らせいたします」 正式名称が日本サッカー協会ビルである「JFAハウス」は、JRおよび東京メトロの御茶ノ水駅から徒歩約7分、東京都文京区サッカー通りに位置するJFAの自社ビルだ。 92年に建てられた地上11階、地下3階の三洋電機マーケティング・プラザビルを、自前のオフィスを悲願としてきたJFAが03年に購入して現在に至っている。 約60億円の購入費はキャッシュで三洋電機に支払われた。約130億円と望外の金額に達した2002年のワールドカップ日韓共催大会の黒字の一部に、万が一ワールドカップで赤字を出した場合の補填用に蓄えていた資金を合わせたものだった。 岸記念体育会館内の一室を長く事務所としてきたJFAは、1990年代になると渋谷区内のオフィスビルに賃貸を繰り返していた。だからこそ、自社ビル購入時のJFA会長だった川淵三郎氏(現JFA相談役)は当時、こんな言葉で感慨に浸っている。 「このビルを実際に見ることができなかった先輩方が大勢いる」 ワールドカップ出場が遠い夢だった時代から、日本サッカー界の発展に尽力した先達へ捧げた感謝の思いだった。ほどなくして、JFAハウスには都内に点在していたJリーグやJFL、日本女子サッカーリーグなどがテナントとして続々と入居してきた。 さらに、1階および地下1・2階の3フロアには「日本サッカーミュージアム」が設けられ、目の前の金花通りはJFAと文京区との交渉で「サッカー通り」に改称された。JFAハウスの住所が「東京都文京区サッカー通り」となっているのもこのためだ』、せっかく「目の前の金花通りはJFAと文京区との交渉で「サッカー通り」に改称」されたのに、「売却」とはよほど「懐事情」が厳しかったのだろう。
・『日本サッカー界の発展を支えたJFAビル 売却の裏にはコロナ禍で悪化した「懐事情」  日本サッカーの象徴であり、本丸でもあったJFAハウスの売却が購入から20年目で決まった。その背景には、JFAを取り巻く環境をも例外なく激変させたコロナ禍があった。 JFAの大きな収入源として「代表関連事業収益」がある。日本代表戦のホーム開催に伴う収益で、国際親善試合の場合、チケット販売やスタジアム内外でのグッズ販売、テレビ放映権などの合計で、1試合当たり5億円の売り上げがあったとされる。 しかし、コロナ禍に見舞われた2020年は、国際親善試合どころか公式戦となるワールドカップ予選も国内で開催できなかった。メンバーをヨーロッパ組だけに限定した上で、10月と11月にヨーロッパで国際親善試合を何とか4試合実施した。 昨年は国内での国際親善試合が3つ組まれたが、6月3日に予定されていたジャマイカ代表戦(札幌ドーム)はPCR検査の陰性証明提出を巡る手違いで、一部ジャマイカ選手団の来日が間に合わないトラブルが発生。直前で開催中止が決まった。 代替として行われたU‐24代表との“兄弟マッチ”、そしてドラガン・ストイコビッチ監督に率いられた6月11日のセルビア代表戦(ノエビアスタジアム神戸)は無観客開催。3月25日の韓国代表戦(日産スタジアム)では観客数の上限が設定された。 同じく国内で昨年に6試合が行われたワールドカップ予選も、無観客もしくは上限を課せられての開催となった。営利企業の損益計算書で当期純利益に当たる「当期一般正味財産増減額」で、JFAは21年度に28億円を上回る赤字を計上している。 16年度に約11億円の黒字だったJFAの当期一般正味財産増減額は、18年度から赤字に転落している。約2億4500万円から19年度は約6億1000万円、20年度では約8億2000万円と年々増え、ついに21年度の数字にまで膨らんだ。 さらに22年度予算では、赤字額が過去最大の約46億円と見込まれている。4年に一度のワールドカップイヤーだが、上半期に国内で開催される代表戦は観客数を収容人員の50%で算出せざるを得なかった。もちろんコロナ禍が考慮されたものだ』、赤字は「18年度」以降、拡大、「コロナ禍」の影響もあって、「21年度に28億円」、「2年度予算」では「約46億円」とは確かに膨大だ。
・『JFAの期末残高が2年で50億円減! それでも「赤字を埋めるための売却ではない」  さまざまな部署であらゆるコストカットを実践しても、収入減と赤字増が止まらない。そんな状況下でJFAハウスの売却が決まった。守秘義務もあって売却金額を非公表とした須原専務理事は「参考までに申し上げれば、100億円を超える売買契約となる」と語った上で、さらにこうつけ加えている。 「赤字を埋めるための売却ではないと、この場を借りて皆様にお伝えしたい」 22年度予算が公表された昨年末の段階でも、須原専務理事は「赤字の多くは一過性のものであり、積立金で対応できる」と心配無用を強調していた。 実際にJFAの「正味財産期末残高」を見ると、22年度予算では約177億2900万円が見込まれている。須原専務理事が「対応できる」と明言したのもうなずける。 しかし、例えば20年度の「正味財産期末残高」は約225億6600万円だった。わずか2年間で50億円近く目減りした以上、事態は風雲急を告げてくる。 支出に当たる経常費用内の事業費に「復興支援費」を計上してきたJFAは、20年度からは「サッカーファミリー復興支援事業費」と改めている。 コロナ禍で資金難に陥る地域の街クラブやスクールが少なくない状況で、サッカー界のピラミッド全体を支える一番下の部分、グラスルーツ(草の根)を絶やすわけにはいかない。ただ、経営面で支援していくには、常にまとまった資金を用意しておく必要がある。 「公益財団法人であるわれわれ組織の責務として、与えられた資産をどのような形で社会へ還元させていくべきか、という視点に立って常に考えなければいけなかった」 コロナ禍においてJFA内で交わされてきた議論を、須原専務理事はこう振り返る。その過程にあった昨年10月に、JFAは三井不動産と「サッカーの力を活用した街づくり連携および拠点再編に関する基本協定」を締結している。 そして、検討項目のひとつとして「『JFAハウス』の有効活用」も設けられ、不動産売買に関して十分な経験と知見を持つ業界上位の信託銀行がコンサルタント役として加わったなかで、売却という選択肢が提案された。須原専務理事が続ける。 「プロフェッショナルである三井不動産やコンサルタントの方々といろいろな相談をさせていただき、いろいろな方向性を探ってきたなかで、与えられた選択肢の中では売却するのが最善なのではないか、という決定に至りました」』、「守秘義務もあって売却金額を非公表」、「売却金額を非公表」にする理由は何なのだろう。「公益財団法人」なので、「公表」が原則で、「非公表」はよほどの事情があるのだろう。ただ、「赤字を埋めるための売却ではないと、この場を借りて皆様にお伝えしたい」、「昨年末の段階でも、須原専務理事は「赤字の多くは一過性のものであり、積立金で対応できる」と心配無用を強調」、などの発言の真意は何なのだろう。
・『高円宮記念JFA夢フィールドへ機能移転 JFAが描く「今後の青写真」とは  決定に至る議論には、ここでもコロナ禍に起因する前提条件があった。 JFAでも、リモートワークや在宅勤務が促進された結果として、過去1年間における職員のJFAハウスにおける平均出勤率は19.5%にとどまった。 最も高い月でも26.7%であり、JFAハウスの10階および11階を占めるオフィススペースの75~80%は活用されていない、いわゆるデッドスペースと化していた。 9階に入居するJリーグをはじめとするテナントも同じ状況にあり、さらに経年劣化が進む施設で必須となる修繕費は、今後8年間で14億円以上に上ると試算された。 20年に千葉市内に完成した、高円宮記念JFA夢フィールドの存在も見逃せない。例えば、ヴァイッド・ハリルホジッチ元監督はJFAハウス内に監督室を設けて、代表活動期間以外はほぼ常駐していた。しかし、今では年代別を含めて、ほぼ全ての代表チームの中枢機能が高円宮記念JFA夢フィールドへ移転している。 一連の状況を前提とした議論を、須原専務理事は改めてこう振り返る。 「オフィスの使用率が著しく低くなっている状況についての課題意識、問題意識については、全く異論はなかった。その前提で、ならば次に何ができるのかを考えました」 三井不動産レジデンシャルとの売買契約は近日中に締結され、その後は三井不動産が取り組んでいる、スポーツを中心とした再開発事業とも連携を図りながら、1年後をめどにJFAハウスから全てのオフィス機能を移転させる。 新たなオフィスを構える場合でも原則として賃貸契約となり、一方でJFAハウスをリースバックするプランもない。須原専務理事は今後の青写真をこう描く。 「コロナ禍が収束してもコロナ前の働き方に完全に戻ることはなく、新しい働き方が推進されていくという前提の下で、高円宮記念JFA夢フィールドとも連携を図りながら、よりよい拠点を設定していきたいと考えています」 職員の出勤率に合わせた面積の最適化やフリーアドレス制の導入、オンライン会議に適した共有オフィスや、通勤時間の削減のためのサテライトオフィスの設置などを念頭に置きながら、時代の変化に合わせて移転の機会を逆に活用していく方針のようだ』、「新しい働き方」が固まるまでは、「原則として賃貸契約」と柔軟な形式の方が望ましいだろう。

第三に、3月25日付けダイヤモンド・オンラインが掲載したフリーライターの鈴木 舞氏による「スポーツ指導者を「根性論」の呪縛から解き放つセルフ・コンパッションとは」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/299942
・『スポーツにおける「根性論」と呼ばれる指導方法は、昨今批判の的になっている。これからの時代は根性論から脱却し、指導者と選手が共に成長する在り方が重要になるだろう。そのキーワードのひとつが「セルフ・コンパッション」だ。『DIAMOND ハーバード・ビジネス・レビュー(2019年5月号)』(ダイヤモンド社)を参考に、根性論脱却のヒントを探ってみる』、興味深そうだ。
・『根性論で選手の未来を潰す指導者の特徴  ネガティブな意味での根性論というと、熱血指導者が過酷なトレーニングを課し、肉体的にも精神的にも選手を追い詰めるイメージを思い浮かべやすい。根性論には「簡単には諦めない」「練習熱心」というポジティブな意味合いもある。とはいえ、根性論に限界と問題が存在し、看過できない事例が発生していることも事実だ。 従来のスポーツ界には、プロ・アマチュアを問わず根性論が蔓延していた。現在でも根性論に根ざした指導は行われている。特に問題となるのが、根性論が引き起こす怪我や体罰、パワーハラスメントだ。 根性論による指導では、長時間のトレーニングや負荷の大きいトレーニングが選択されがちだ。それによって引き起こされるオーバートレーニングやオーバーユースは、選手生命を断つ怪我につながりかねない。だからこそトレーニングプランには、怪我や疲労からの回復期を組み込むのがセオリーだ。トレーニング理論やスポーツ科学を学んだ指導者であれば、休息が必須なことは承知のはず。 十分な知識を習得していない指導者のもとでは、選手が体を壊すリスクが高まる。体が悲鳴を上げていても、根性でカバーできると考えがちだからだ。根性論の指導者には、知識よりも自分の経験や理念を優先する傾向も見られる。しかし、トレーニング理論やスポーツ科学の分野は日々研究が重ねられ、進化を遂げている。情報をアップデートできない指導者は、本人にその気がなくても間違った指導をしてしまう恐れがあるのだ。 昨今における根性論の大きな問題となっているのが、パワハラだ。職場におけるパワハラも問題視されているが、スポーツ界でもパワハラに反対する声は大きい。パワハラ的な言動や行動は「行き過ぎた指導」として表現されることもある』、「従来のスポーツ界には、プロ・アマチュアを問わず根性論が蔓延」、マンガでも「スポーツ根性」もの人気が根強い。「十分な知識を習得していない指導者のもとでは、選手が体を壊すリスクが高まる。体が悲鳴を上げていても、根性でカバーできると考えがちだからだ」、弊害も極めて大きいようだ。
・『スポーツ指導におけるパワハラの定義と相談先  スポーツ界における暴力・ハラスメントについては、独立行政法人日本スポーツ振興センター(JSC)が相談窓口を設けている。下記の言動が、同センターが受け付ける相談の基準だ。 (1) 身体に対する不法な攻撃であって生命又は身体に危害を及ぼす行為 (2) (1)に準じる心身に有害な影響を及ぼす言動 (3)その他競技者の能力・適性にふさわしくないスポーツ指導 (引用元:トップアスリートのための暴力・ハラスメント相談窓口) たとえば殴る・蹴るのほか、突き飛ばす、髪を引っ張る、壁に押さえつけることは暴力行為に当たる。パワハラに関しては、指導中の心ない言葉や人格否定、無視などが該当する行為だ。暑い日の長時間のランニングや、水分補給をさせずに運動させる指導も、相談対象とされている。 上記に当てはまる指導を受けた場合、直近4年以内であれば相談可能だ。ただし、対象となるのはトップアスリートとその関係者に限られる。一般のスポーツ指導におけるパワハラに関しては、各種団体が設置する窓口に相談可能だ。 しかし相談窓口を利用するのは、もっぱらパワハラ被害者側だろう。ビジネスシーンでのパワハラと同様に、指導者は自分がパワハラをしていることに無自覚な場合が少なくない。被害者が声を上げないと、なかなかパワハラの改善が進まないのが現状である。 パワハラ的な指導を防ぐには、指導者の意識改革が必要だろう。そのために取り入れてほしいのが「セルフ・コンパッション」である。 セルフ・コンパッションとは、直訳すると「自分への思いやり」や「自分への慈しみ」という意味だ。心理学では、セルフ・コンパッションによって失敗や挫折からの立ち直りがスムーズになると考えられている。似たような語感を持つ「セルフ・エスティーム」は、「自尊心」や「自己肯定」を指す言葉であり、セルフ・コンパッションとは異なることを理解しておいてほしい。) セルフ・コンパッションは、成長のマインドセットに欠かせないと考えられている。特に、リーダーのポジションを担う人に必要なスキルだ。指導者とリーダーの役割は厳密には異なるだろうが、指導者は選手に指導や助言を与え、リーダーはチームや集団の代表を担う。そしてどちらにも共通しているのが、成長や成功を目標にしている点だ。 こう言われると、疑問に感じる人もいるだろう。「責任あるポジションにいる人間は部下やチームのことを考えるべきで、自分への思いやりを優先すべきではないのでは?」と。ところがリーダーのセルフ・コンパッションが高いほど、チームに大きなメリットをもたらすという説があるのだ。 「リーダーが失敗や挫折にセルフ・コンパッションの態度で対応すると、彼ら自身の職業面での成長や成功を引き寄せる心理学的、行動的な傾向が生まれやすくなるため、リーダー自身が恩恵を受ける。そしてこの恩恵は部下たちに波及させることが可能であり、それによってセルフ・コンパッションの実践がリーダーと部下たちにとってのウイン・ウインの行動になるのである」(『DIAMOND ハーバード・ビジネス・レビュー』より)』、「「リーダーが失敗や挫折にセルフ・コンパッションの態度で対応すると、彼ら自身の職業面での成長や成功を引き寄せる心理学的、行動的な傾向が生まれやすくなるため、リーダー自身が恩恵を受ける。そしてこの恩恵は部下たちに波及させることが可能であり、それによってセルフ・コンパッションの実践がリーダーと部下たちにとってのウイン・ウインの行動になる」、なるほど。
・『スポーツ指導者が習得すべき「セルフ・コンパッション」  つまりセルフ・コンパッションは、むやみやたらに自分への思いやりを発揮すればいいというわけではない。自分自身に寛容な態度で接することが他者への寛容につながり、好循環を発生させることがポイントなのだ。 「できないのは根性がないからだ」と選手を責める指導者は、往々にして他者への不寛容が目立つ。しかし、そうした指導者は自分自身に対してもネガティブで、セルフ・コンパッションが低いのかもしれない。 根性論による指導を予防するには、指導者がスポーツ科学など最新の情報をアップデートすることが不可欠だ。さらに指導者の意識改革として、セルフ・コンパッションによる効果が期待される。自分自身に対して厳しすぎる自覚がある指導者は、今すぐセルフ・コンパッションを始めてみてはいかがだろうか』、「根性論による指導を予防するには、指導者がスポーツ科学など最新の情報をアップデートすることが不可欠だ」、同感だ。 
タグ:スポーツ界 (その34)(「ワリエワ」と「トゥトベリーゼ」和解で分かったロシアの深い闇 成長を止められ 体を壊す少女が続出の異常、日本サッカー協会「自社ビル売却」の舞台裏 想像以上に深刻な懐事情とは、スポーツ指導者を「根性論」の呪縛から解き放つセルフ・コンパッションとは) デイリー新潮「「ワリエワ」と「トゥトベリーゼ」和解で分かったロシアの深い闇 成長を止められ、体を壊す少女が続出の異常」 「3種類の薬となると・・・心臓を強化し最後まで完璧な演技ができるよう意図的に薬を飲んだ、あるいは、飲まされた可能性がある」、同居しているおじいさんの薬が混入したとのお粗末な言い訳も出てきたが、「ドーピング疑惑は更に強まりました」、なるほど。 ザギトワも若手台頭に押されて、今回のオリンピック出場はかなわなかった。現在のやり方では、女性スケーターは4年ごとに使い捨てられていくようだ。「選手の低年齢化を《昨今のジャンプ偏重傾向が年齢の問題と深く関わっています》と指摘、評価方法を「回転」よりも優雅さ重視に変更するような改革案は出てこないのだろうか。 「コーチの極端な指導で体を壊す少女は多いと言われています」、「ドーピングの常態化が疑われている」、これでは到底、まともなスポーツとはいえない。 「国家」丸抱えの「ロシア」のやり方は行き過ぎだ。 「トゥトベリーゼ氏のようなスターコーチともなると、選手が彼女に逆らうことは、プーチン大統領に逆らうことと同義なのです」、テレビ画面でも彼女の存在感は確かに大きかった。 「プーチン大統領がバッハ氏の会長就任に尽力」、とは初めて知った。「ソチ五輪でソチ五輪でトゥトベリーゼ氏は、フィギュアスケート団体戦でロシアに金メダルをもたらしたことが高く評価され、プーチン大統領から勲章が贈られたは、フィギュアスケート団体戦でロシアに金メダルをもたらしたことが高く評価され、プーチン大統領から勲章が贈られた」、「トゥトベリーゼ氏」の態度が偉そうなのにこんな経緯があったとは・・・。 「ロシア」にとっては、ウクライナ問題を抱え、「フィギュア」どころではないだろうが、「プーチン」の地位が低下すれば、「トゥトベリーゼ氏」の天下も終焉を迎えるだろう。 ダイヤモンド・オンライン 藤江直人氏による「日本サッカー協会「自社ビル売却」の舞台裏、想像以上に深刻な懐事情とは」 どういうことだろうか。 せっかく「目の前の金花通りはJFAと文京区との交渉で「サッカー通り」に改称」されたのに、「売却」とはよほど「懐事情」が厳しかったのだろう。 赤字は「18年度」以降、拡大、「コロナ禍」の影響もあって、「21年度に28億円」、「2年度予算」では「約46億円」とは確かに膨大だ。 「守秘義務もあって売却金額を非公表」、「売却金額を非公表」にする理由は何なのだろう。「公益財団法人」なので、「公表」が原則で、「非公表」はよほどの事情があるのだろう。ただ、「赤字を埋めるための売却ではないと、この場を借りて皆様にお伝えしたい」、「昨年末の段階でも、須原専務理事は「赤字の多くは一過性のものであり、積立金で対応できる」と心配無用を強調」、などの発言の真意は何なのだろう。 「新しい働き方」が固まるまでは、「原則として賃貸契約」と柔軟な形式の方が望ましいだろう。 鈴木 舞氏による「スポーツ指導者を「根性論」の呪縛から解き放つセルフ・コンパッションとは」 「従来のスポーツ界には、プロ・アマチュアを問わず根性論が蔓延」、マンガでも「スポーツ根性」もの人気が根強い。「十分な知識を習得していない指導者のもとでは、選手が体を壊すリスクが高まる。体が悲鳴を上げていても、根性でカバーできると考えがちだからだ」、弊害も極めて大きいようだ。 「「リーダーが失敗や挫折にセルフ・コンパッションの態度で対応すると、彼ら自身の職業面での成長や成功を引き寄せる心理学的、行動的な傾向が生まれやすくなるため、リーダー自身が恩恵を受ける。そしてこの恩恵は部下たちに波及させることが可能であり、それによってセルフ・コンパッションの実践がリーダーと部下たちにとってのウイン・ウインの行動になる」、なるほど。 「根性論による指導を予防するには、指導者がスポーツ科学など最新の情報をアップデートすることが不可欠だ」、同感だ。
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韓国(文在寅大統領)(その12)(あまりに無責任な文在寅 世界最悪の感染状況を無視して「K防疫成功」を宣伝 もはや感染対策に興味なし 残り任期は自身の「功績」宣伝するのみか、男性に不満を持つ「韓国女性たち」の容赦ない本音 「男vs.女」バトルが激しさを増す韓国のリアル) [世界情勢]

韓国(文在寅大統領)については、昨年12月15日に取上げた。今日は、(その12)(あまりに無責任な文在寅 世界最悪の感染状況を無視して「K防疫成功」を宣伝 もはや感染対策に興味なし 残り任期は自身の「功績」宣伝するのみか、男性に不満を持つ「韓国女性たち」の容赦ない本音 「男vs.女」バトルが激しさを増す韓国のリアル)である。

先ずは、本年3月22日付けJBPressが掲載したジャーナリストの李 正宣氏による「あまりに無責任な文在寅、世界最悪の感染状況を無視して「K防疫成功」を宣伝 もはや感染対策に興味なし、残り任期は自身の「功績」宣伝するのみか」を紹介しよう。
https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/69385
・『「コロナ防疫を先導する」を自任していた韓国が、一日あたりの新規感染者数で世界1位、一日死亡者数で世界4位という不名誉な状態にはまり込んでいる。新型コロナのパンデミック初期に韓国メディアは日本で起きた「ダイヤモンド・プリンセス」の事態を大いに嘲笑していたが、今や韓国全体が「コロナウイルス培養皿」のような境遇に陥った。 3月20日の日曜日に発表された韓国の新規感染者数は33万人、累積感染者数は938万人にのぼる。韓国の総人口が5100万程度であることを勘案すれば、国民の約20%がコロナに感染した計算だ。さらに深刻なのは、重度の患者数と死亡者数の増加速度が次第に急ピッチになっていることだ。20日の新規重症患者数は1033人、死者は327人だ。この1週間で約2000人が新型コロナで死亡したが、これは累積死亡者の約1万人の2割を占める数字だ』、「今や韓国全体が「コロナウイルス培養皿」のような境遇」、とは言い得て妙だ。
・『死者急増で火葬場がパンク状態  当然、自分の周囲にも死者が出始めている。 筆者の友人は先週、コロナの後遺症による肺炎で父親を亡くした。死亡からもう4日が過ぎたが、亡父の遺体はまだ病院の遺体安置所にあり、葬儀場はもとより、火葬場も予約待機中だという。 「やっと江原道の火葬場から連絡が入り、火葬日が決まったが、葬儀場のほうが到底押さえられそうもないので困っている。このままでは父を火葬した後に葬儀を行わなければならないようだ」 ソウル在住の彼の父親が江原道で火葬することになれば、「管外火葬」(居住する自治体外での火葬)となり、費用は5倍にもなる。 「病院の安置所でもこれ以上遺体を置くことができないというし、ソウルの火葬場はどこも1週間以上待たなければならないと言われた。費用の問題はともかく、こうしてまともに葬儀も行えないまま父親を送ることになってしまい、とても胸が痛い」』、「ソウルの火葬場はどこも1週間以上待たなければならない」、極めて深刻だ。
・『感染しても7日間の自宅療養後は自動的に「非感染者」に  また、別の友人は2月中旬にコロナの後遺症で母親を亡くした。彼は運よく(?)、母を亡くした翌日の夕方に、ソウルの有名大学病院が運営する葬儀場を押さえることができた。だが予約できた葬儀場は200坪もある会場だった。結局、彼は莫大な費用を払わなければならなかったという。 「家族全員が一日中電話にしがみつき、ようやく一つだけ残っていた葬儀場を借りられた。しかし葬式場があまりに広すぎて、寂しくて辛い葬儀になってしまった。父もすでに亡くなっていて、私は一人息子だから家族もこぢんまりしている。しかもコロナのために弔問客は100人にも満たなかった」 筆者もこの葬儀場に行ってきたが、友人の身内だけがぽつんと葬儀場を守っていた。体育館のような広大で立派な葬儀場に置かれていた父の写真が、とりわけ寂しく見えた記憶がある。 また別の友人は、現在も自宅でコロナと格闘中だ。 「コロナ隔離期間が終わってからも熱と喉の痛みが続いている。保健所に電話しても『コロナ隔離が終わったのでもうコロナ患者ではないので、近くの病院に行ってください』と言うだけ。それなのに、いざ病院に向かっても、熱があると建物内に入ることもできない。結局そのまま家でじっと耐えるしかない」 韓国内でオミクロン株への置き換わりが始まった2月初め、文在寅政権は「自宅療養」をコロナ治療の原則に掲げ、自家隔離期間を従来の14日から10日、さらに7日へと短縮した。根拠に掲げたのは「オミクロン株の致死率は軽微なインフルエンザ水準」という点だったが、実際は大統領選挙を目前に控えていたことで、多分に政治的な計算が働いたと見られている。 この新基準よって、コロナの陽性者であっても自宅での隔離期間が7日を過ぎればもはや「コロナ感染者」に分類されなくなったため、従来に比べて完治者の統計は増え、「コロナによる死亡者数」は減った。また隔離期間が過ぎた人は原則的にコロナ病床に入ることができないため、コロナ病床稼働率にも余裕が生じた。このような“統計操作”によって、現実とはかけ離れた数字が報告されるようになった。 だが、韓国政府はワクチンと同様にコロナ治療薬の早期確保にも失敗していたため、「パクスロビド」などのコロナ治療薬は基礎疾患を患っている高齢者などにだけ支給されている。50代の私の友人はコロナ治療薬の処方を受けられないまま病院の診療さえ拒否されている。自分の免疫力にすがりながら自宅で耐えなければならないのだ。 悲惨なことに、彼の家では妻と2人の娘もコロナに感染してしまった。自家隔離中の友人が家族にコロナをうつしてしまったのだ。文在寅大統領が選挙向けに安易な緩和策を打ち出さず、適切な防疫体制を整えていれば、こんな悲劇は起きなかったに違いない』、「自家隔離期間」の「短縮」が「大統領選挙を目前に控えていたことで、多分に政治的な計算が働いた」、「新基準よって、コロナの陽性者であっても自宅での隔離期間が7日を過ぎればもはや「コロナ感染者」に分類されなくなったため、従来に比べて完治者の統計は増え、「コロナによる死亡者数」は減った。また隔離期間が過ぎた人は原則的にコロナ病床に入ることができないため、コロナ病床稼働率にも余裕が生じた。このような“統計操作”によって、現実とはかけ離れた数字が報告されるようになった」、こうした政治判断による「“統計操作”」も困ったものだ。
・『メディアも一斉に政府の無策ぶりを批判  現在、韓国メディアは自国の状況を「コロナ無政府状態」と規定し、文在寅政権の無能さと無責任さが、韓国国民をコロナの恐怖に陥れ、「各自図生」せざるを得ない状態(それぞれが自分の生き延びる道を模索するしかない状況)を招いたといっせいに批判している。 その批判の厳しさは、以下にあげた各メディアの見出しを見れば理解してもらえるだろう。 <社説>コロナ災害で無政府状態を招いた文、国民の前で謝罪せよ(文化日報・3月18日) <社説>コロナによる1日死亡者が世界4位、これがK防疫の水準(毎日新聞・3月18日) <社説>コロナ病床・葬儀大乱、「国民の涙」を政府は見ているのか(毎日経済、3月19日) <社説>コロナに関する限り、大韓民国は無政府状態(中央日報・3月18日) 200万人がそれぞれ闘病、コロナ無政府状態(朝鮮日報・3月18日) 1カ月半で5000人が死亡、手放したK防疫に「各自図生」(ソウル経済・3月19日)』、「メディア」の批判は確かに厳しいようだ。
・『この状況下で「K防疫の成功」を宣伝する厚顔ぶり  状況は日増しに深刻化している。だが、選挙で敗北した文在寅政権は、もはやコロナ防疫に対する意志すら喪失したらしく、やっていることと言えば、今も「功績」と自称するK防疫の宣伝だけだ。 大統領府は20日、ウェブサイトを通じて「文在寅政府の国民報告」というタイトルで文政権5年間の国政運営の成果を盛り込んだ「オンライン白書」を公開した。なんとそこでは文在寅政権の代表的な業績として「K防疫」を強調し、「国民の高いワクチン接種への参加により、韓国は世界的に高いレベルの予防接種率を達成し、オミクロン変異の拡散にも関わらず重症化率及び致命率は減少している」と、現実離れした自画自賛を並べている。 1日に死亡者数429人という過去最多を記録した17日には、コロナ防疫担当部署の保健福祉部が「正確に区別することはできないが、現場によると死者の50%はオミクロンの影響というより、基礎疾患による死亡にオミクロンが軽く感染した状態」とし、見苦しい責任回避の醜態をさらした。 コロナ防疫司令塔を担っている金富謙(キム・ブギョム)首相もまた、フェイスブックで「私たちは今まで、コロナ状況で(世界どこよりも)最もまともに対応していると申し上げることができる」と、K防疫の宣伝に一役買った。さらに「一部のメディアには『各自図生』だとか、『国家が国民を投げ捨てた』といった不安と混乱を助長する扇情的な記事があふれている。メディアの批判も韓国共同体が危機を克服するのに役立つ方向に向かってほしい」と述べ、メディアに警告状を突き付けてみせた。 5月に発足する尹錫悦(ユン・ソクヨル)政権は、コロナ対策を最優先の国政課題に据えている。尹次期大統領は、文在寅政権のコロナ防疫を「政治防疫」と批判してきただけに、現実を反映した対策をまとめるという方針を伝えた。だが文在寅大統領の残りの1カ月の任期の間、韓国国民は無責任な「コロナ放置」をなんとかして凌ぎ、生き延びるしかないようだ』、「文在寅大統領」がレイムダックとはいえ、「オンライン白書」で、「文在寅政権の代表的な業績として「K防疫」を強調し、「国民の高いワクチン接種への参加により、韓国は世界的に高いレベルの予防接種率を達成し、オミクロン変異の拡散にも関わらず重症化率及び致命率は減少している」と、現実離れした自画自賛を並べ」たとは恥知らずもいいところだ。

次に、2月21日付け東洋経済オンラインが掲載したソウル新聞東京特派員の金 珍児氏による「男性に不満を持つ「韓国女性たち」の容赦ない本音 「男vs.女」バトルが激しさを増す韓国のリアル」を紹介しよう。なお、これは、政治よりも社会問題であるが、韓国を理解する上で重要なので取上げた。
https://toyokeizai.net/articles/-/511454
・『「あの事件ですべてが変わった」と多くの韓国人が口をそろえる事件がある。2016年5月に起きたソウル・江南駅付近で起きた女性殺人事件だ。それまで韓国の女性たちにとってフェミニズムは"一般的"なものではなかったが、この事件をきっかけに次々と声を上げ始め、大きな社会運動となった。 あれから約6年ーー。韓国ではその後、世界的な#MeToo運動の流れを受け、ジェンダー平等を求める動きやフェミニズム運動は”独自”に発展。ついには男女間の亀裂を生む、という予想外の事態も招いている。3月に行われる大統領選でもジェンダーは大きなテーマの1つとして候補者や支持者が激論を交わしている。韓国で今何が起きているのか。 韓国に比べ日本は#MeToo運動が盛り上がらなかったと言われるが、それでもジェンダーは避けて通れない重要な問題となっている。韓国の「今」から日本が学べることも多くあるだろう。 韓国フェミニズムの現在地に3日連続で迫る「激震『韓国フェミニズム』知られざるその後」1日目の第1回は、化粧を「拒否」し、結婚にも二の足を踏み始めた韓国女性たちのリアルをソウル新聞東京特派員の金珍児氏が伝える。 【特集のそのほかの記事】第2回:韓国で「ショートカットの女性」が攻撃されるなぜ 第3回:フェミニズムが一気に「爆発」した韓国特有の理由』、「韓国」での「フェミニズム」とは興味深そうだ。 
・『「女性にいつも無視されていた」ので殺した  2016年5月17日早朝、ソウル市・江南(カンナム)駅付近のあるカラオケボックスのトイレで、23歳の女性が刃物で切りつけられて死亡した。犯人の34歳の男性は、男女共用のトイレだったこの場所で、それまでにトイレに入った男性6人を見送って女性が来るのを待っていた後、犯行に及んだ。 この事件が知られると、韓国の女性たちは強い衝撃を受けた。江南駅はソウル最大の繁華街だ。多くの人が行き交う場所で、若い女性が顔見知りでもない男性から無残に殺されたことに驚愕した。 何より衝撃的だったのは、殺人に及んだ理由だ。犯人は精神疾患を患っていたというが、警察に「女性からいつも無視されており、これ以上我慢できずに犯行に及んだ」と陳述。多くの女性が「もしかしたら自分が被害者になったかも」と思い至ることになる。) 事件に憤った女性たちは江南駅へ押し寄せ、23歳という若さでこの世を去らざるをえなかった被害者の女性に思いを寄せた。江南駅の入り口には、女性を追悼する言葉を記した付箋紙がびっしりと貼られ、「女性を嫌悪することを止めてほしい」と訴える集会も行われた。今も続けられている韓国のフェミニズム運動は、こうやって始まったのである。 この事件が起きるまで、韓国で「フェミニズム」は一般的なものではなかった。フェミニズムについて正確に知っている人もおらず、一部の女性たちが男性と同等な権利を主張する学問分野といった程度だった。しかし、江南駅殺人事件以降、韓国の女性たちは男性優位の社会でこれ以上黙ったままではいられないと考えた。女性自ら、自分の権利を求めるために声を上げ始めたのだ』、「女性自ら、自分の権利を求めるために声を上げ始めた」、私はもっと早くから声を上げていたと誤解していた。
・『#MeTooで高職位者が逮捕、辞任、自殺も  韓国のフェミニズムが盛り上がりを見せるもう1つのきっかけは、#MeToo運動である。その決定的なものは2018年3月、韓国中部・忠清南道の知事だった安熙正知事(当時)の秘書だったキム・ジウンさんが、安氏から8カ月にわたり性的暴行とセクハラを受けてきたと放送局で暴露したことだ。 次期大統領候補として人気も人望もあった安氏が犯した行為に多くの人たちは驚愕し、そして上の地位に立つ者が犯すセクハラというものがどのようなものなのかをようやく理解した。安氏は2019年に懲役3年6カ月の判決を受け、現在服役中だ。 この事件以降、高位公職者に対する#MeTooが相次いで起こされた。女性秘書にセクハラを受けたと訴えられた朴元淳前ソウル市長は自殺し、呉巨敦前釜山市長も釜山市役所に勤める女性公務員にセクハラをしたとされ、ようやく手に入れた市長の座から引きずり下ろされた。 これまで、性的被害を受けたにもかかわらず沈黙を強いられるほかなかった女性たちは、過去の彼女たちとは違う。過ちを犯したのは加害者であり、被害を受けた女性に過ちはない――。女性たちは堂々と生きようとしている。 こうして韓国女性が声を上げることが日常的になる中、今も活発に行われている運動がある。「脱コルセット運動」だ。 運動と言うには少し誇張した言い方になるかもしれないが、江南駅事件と#MeToo運動と同じ頃に、インターネット上の女性コミュニティを中心に広がりを見せた。従来韓国で求められていた「女性らしい」、あるいは、「女性はかわいくなければならない」といった行為をしない、という運動だ。 例えば髪の毛を伸ばし、化粧をし、マニキュアを塗ってハイヒールを履く。女性というだけで行ってきたこんな行為をしない。男性たちは顔を洗ってスーツだけを来て出勤しても許されるのに、なぜ女性だけが朝はいち早く起きてかわいらしく化粧をし、スカートをまとって5センチ以上のハイヒールを履かなければいけないのか。このことに、女性たちは「負担を感じる」と声を上げた。 抗議の意味を込めて、ヘアスタイルをショートカットにしてスマホで写真をネットに上げる女性もいた。女性に対する固定的な社会的認識を変えるという行動は高く評価された』、「脱コルセット運動」も理解できる。
・『男性に対抗する「メガリア」の影響力  女性たちのこうした動きのおかげで、男性中心社会が少しずつ変化するという肯定的な評価も多いが、問題も多い。 韓国的なフェミニズム運動は「メガリア(Megalia)」というインターネットサイトを中心に繰り広げられてきたが、このサイトを中心とする行動があまりにも行きすぎるという批判が起きているのだ。 「メガリア」は、「MERS」(中東呼吸器症候群)が流行時、MERSのコミュニティサイトで女性を卑下する議論が生じ、これに憤った女性たちが逆に男性を批判する運動の中心となったサイトだ。女性たちはノルウェーの女性主義小説である『イガリアの娘たち』から「MERS」と「イガリア」を合わせて「メガリア」と表現した。 メガリアでは、「女性嫌悪に反撃する」とし、「ミラーリング」と銘打って男性が女性を卑下する言葉などをそのまま男性に当てはめることも行われている。「男性も女性と同じ思いを味わえ」という意図だった。 例えば、韓国で女性を卑下する表現として「キムチ女」というのがある。キムチ女とは、男性の金を好み、男性を経済面で評価し、男性を利用しようとする女性のことを指すが、これを「キムチ男」と男性に対して表現するようなことだ。 しかし、行きすぎたミラーリングは男性嫌悪だけでなく、性的少数者まで嘲弄することになり、社会的問題となる。それゆえメガリアに対する批判が生じ、結局、2017年にサイトは閉鎖された。 しかし、メガリアを利用していた人たちは「WOMAD(ウォマド)」と呼ばれる極端な女性フェミニズムサイトを開設して活動するなど、「韓国だけのフェミニズム」が多様なやり方で発展。女性の中にはハイヒールを履いたり、ネイルをしている女性を攻撃する動きも出ているなど複雑だ。 さらに問題は、フェミニズム自体は女性の正当な権利を求めるための活動なのに対して、WOMADなどの極端な方法などが10~20歳代の若い男性にとって「フェミニズム=男性嫌悪」という認識を与えてしまったということだ(韓国で「ショートカットの女性」が攻撃されるなぜ)。 韓国フェミニズムの危機は、国民と寄り添うべき大統領候補さえも、男女間の性的対立を深めさせる原因となっている。文在寅大統領は自らが当選した2017年の大統領選挙当時、「フェミニズム大統領となる」と訴えると、20~30歳代の男性は与党「共に民主党」に背を向けて、野党を支持し始めた。 その結果、2021年に最大野党である「国民の力」の党代表として、国会議員の経験もない30代の李俊錫氏が代表として当選。1カ月後に行なわれる大統領選挙を控え、各候補者は20~30歳代の男性票を得るための公約を乱発している。 「国民の党」の大統領候補者である尹錫悦氏は、「女性家族部」を廃止すると述べるやいなや、男性からの支持を得た。与党候補者の李在明候補がフェミニズムと女性の人権を扱うYouTubeチャンネルである「ドットペース」に出演しようとしたが、党はこれを止めさせようとした。男性票が減ることを恐れたためだ』、「与党候補者の李在明候補がフェミニズムと女性の人権を扱うYouTubeチャンネルである「ドットペース」に出演しようとしたが、党はこれを止めさせようとした。男性票が減ることを恐れたためだ」、「与党」が「出演」を「止めさせようとした」のは賢明な判断だ。
・『兵役をめぐる男女それぞれの主張  男性と女性の確執は兵役をめぐる論争にもつながっている。若い男性らは、男女平等と言いたいのであれば女性も兵役の義務を負うべきだと主張する。 韓国では、男性は必ず18カ月間の兵役を課せられる。20代の男性らは、若い盛りに軍への服務があるために女性と付き合えないという犠牲を払っているのだと主張するが、兵役経験は就職の際に経歴として認めてもらえるし、女性の新入社員よりも月給を多くもらえるということもある。 それでも若い男性の不満は小さくない。このため政界の一部ではこうした男性らの支持をあてこんで「女性も軍に服務すべきだ」と主張し、男女間の確執をさらにあおりがちだ。 対する女性側は、こうした一部政治家や若い男性らの主張に不満を爆発させる。女性には出産の苦痛があるうえ、毎月の生理を抱えそれが後を引くというのに、男性は18カ月の苦労だけですむではないか、という主張している。 女性の社会的地位が高まり男性を嫌悪する度合いが強まるとともに、「結婚せずに一人で生きたい」として『非婚』を選ぶ女性も増えている。 韓国統計庁によると、2020年現在の統計値では30代人口(662万7045人)中、未婚人口は281万5227人(42.5%)という数字が出ている。30代の未婚率は2015年の比率(36.3%)よりも6.2ポイント増と増加幅が最大となっただけでなく、初めて40%台を超えたのである。 とりわけ30代男性の未婚率は50.8%、30代女性の未婚率は33.6%と、2015年に比べてそれぞれ6.6ポイント、5.5ポイント増えている。男性の未婚率のほうが女性よりも高いが、男性と女性が結婚しない理由はそれぞれ異なる』、「30代の未婚率」が「初めて40%台を超えた」というのは深刻だ。
・『異なる男女の「結婚しない理由」  男性の場合は就職難や住宅価格の急騰によりやむなく一家を構えることをあきらめる者が増えた一方で、女性のほうでは、結婚については必ずしもすべきことでもなく、「選択」ととらえはじめている。結婚適齢期を迎え結婚・出産という人生にも意味はなくもないけれども、家庭一筋となるととたんにこれまで社会で積み上げてきたキャリアが断たれ、それは望まない、という女性たちが増えているということだ。) 現に、先の統計では、男性の場合2年制または3年制の大卒者の未婚率が27.3%、女性の場合は大学院卒の未婚率が22.1%と、それぞれ最も高くなっている。 韓国だけのフェミニズムが、女性の権利を広げるために大きな役割を果たしたことは事実だ。しかし、そのやり方が過激だったため、男性嫌悪、女性嫌悪を極端に生じさせてしまい、さらには男女間の性的対立に至るようになったということは否定できない。 そして、政界やメディアがフェミニズムによる対立を煽ることもある。女性に対する性的差別、男性中心の社会が完全になくならない現在でも、フェミニズム運動が行うべきことは多い。とはいえ、極端な性的対立ではない、継続可能な方法で女性の権利を高めることができる方法を探すべきだ。これは、韓国フェミニズム運動をこれからも継続させていくための課題でもあるにじゅう』、「フェミニズム」の「やり方が過激だったため、男性嫌悪、女性嫌悪を極端に生じさせてしまい、さらには男女間の性的対立に至るようになったということは否定できない」、不幸なことだ。「極端な性的対立ではない、継続可能な方法で女性の権利を高めることができる方法を探すべきだ」、同感である。
タグ:「フェミニズム」の「やり方が過激だったため、男性嫌悪、女性嫌悪を極端に生じさせてしまい、さらには男女間の性的対立に至るようになったということは否定できない」、不幸なことだ。「極端な性的対立ではない、継続可能な方法で女性の権利を高めることができる方法を探すべきだ」、同感である。 「女性自ら、自分の権利を求めるために声を上げ始めた」、私はもっと早くから声を上げていたと誤解していた。 「韓国」での「フェミニズム」とは興味深そうだ。 金 珍児氏による「男性に不満を持つ「韓国女性たち」の容赦ない本音 「男vs.女」バトルが激しさを増す韓国のリアル」 東洋経済オンライン 「文在寅大統領」がレイムダックとはいえ、「オンライン白書」で、「文在寅政権の代表的な業績として「K防疫」を強調し、「国民の高いワクチン接種への参加により、韓国は世界的に高いレベルの予防接種率を達成し、オミクロン変異の拡散にも関わらず重症化率及び致命率は減少している」と、現実離れした自画自賛を並べ」たとは恥知らずもいいところだ。 「メディア」の批判は確かに厳しいようだ。 「自家隔離期間」の「短縮」が「大統領選挙を目前に控えていたことで、多分に政治的な計算が働いた」、「新基準よって、コロナの陽性者であっても自宅での隔離期間が7日を過ぎればもはや「コロナ感染者」に分類されなくなったため、従来に比べて完治者の統計は増え、「コロナによる死亡者数」は減った。また隔離期間が過ぎた人は原則的にコロナ病床に入ることができないため、コロナ病床稼働率にも余裕が生じた。このような“統計操作”によって、現実とはかけ離れた数字が報告されるようになった」、こうした政治判断による「“統計操作”」も困っ 「ソウルの火葬場はどこも1週間以上待たなければならない」、極めて深刻だ。 「今や韓国全体が「コロナウイルス培養皿」のような境遇」、とは言い得て妙だ。 李 正宣氏による「あまりに無責任な文在寅、世界最悪の感染状況を無視して「K防疫成功」を宣伝 もはや感染対策に興味なし、残り任期は自身の「功績」宣伝するのみか」 JBPRESS 韓国(文在寅大統領) (その12)(あまりに無責任な文在寅 世界最悪の感染状況を無視して「K防疫成功」を宣伝 もはや感染対策に興味なし 残り任期は自身の「功績」宣伝するのみか、男性に不満を持つ「韓国女性たち」の容赦ない本音 「男vs.女」バトルが激しさを増す韓国のリアル)
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維新の会(その5)(維新・遠藤敬国対委員長が代表理事 「秋田犬保存会」に一般社団法人法違反の疑い、下がる支持率「維新の会」に吹き始めた逆風の正体 注目度が高まるにつれて問われる「党体質」、最大ゆ党 維新躍進のカラクリ((7)なぜ「勝ち組」サラリーマンらが日本維新の会を熱烈支援するのか、(11)大阪の姿は日本の未来の先取りか? 選挙モンスターを叩きのめす方策とは)) [国内政治]

維新の会については、1月22日に取上げた。今日は、(その5)(維新・遠藤敬国対委員長が代表理事 「秋田犬保存会」に一般社団法人法違反の疑い、下がる支持率「維新の会」に吹き始めた逆風の正体 注目度が高まるにつれて問われる「党体質」、最大ゆ党 維新躍進のカラクリ((7)なぜ「勝ち組」サラリーマンらが日本維新の会を熱烈支援するのか、(11)大阪の姿は日本の未来の先取りか? 選挙モンスターを叩きのめす方策とは))である。

先ずは、2月16日付け文春オンライン「維新・遠藤敬国対委員長が代表理事 「秋田犬保存会」に一般社団法人法違反の疑い」を紹介しよう。
・『日本維新の会の遠藤敬・国会対策委員長(53)が代表理事を務める公益社団法人「秋田犬保存会」が主催する秋田犬の展覧会を巡り、公平性を欠く審査が行われているとの指摘が相次いでいることが、「週刊文春」の取材でわかった。複数の現役審査員が証言した。公平・公正な審査をすることを記した定款に抵触している可能性があり、一般社団法人法違反の疑いがある。 遠藤氏は飲食店経営などを経て2012年の衆院選に大阪18区から出馬し、初当選、2015年から現在まで国会対策委員長の要職にある。 「菅義偉前首相らとも親交が深い。若い維新執行部にあって、経験豊富な遠藤氏は“最高幹部”の一人」(政治部記者) その遠藤氏は2016年から秋田犬保存会の代表理事(会長)を務めている。秋田犬保存会は、秋田犬の血統書の作成、展覧会の運営、会報の発行などを行う公益社団法人。遠藤氏は同会の代表理事として、2018年5月にはロシアの首都・モスクワで、平昌五輪フィギュアスケート女子金メダリストのアリーナ・ザギトワ選手に、秋田犬の「マサル」を贈呈している。 秋田犬保存会は春・秋年2回行われる「本部展覧会」を主催。近年、秋田犬の人気は海外で急騰しており、過去には本部展の受賞犬が1000万円以上の価格で中国に売られた例もあったという。 本部展などで、約20年にわたり審査員を務めてきた佐野茂氏はこう証言する。 「本部展で、審査部長のT氏に一方的に順位を押し付けられ、不公平な審査を強いられました。本来は合議審ですが、担当審査員の私と議論することもなく、勝手に順位を決められたのです」 T氏は遠藤氏の幼馴染という間柄。日本維新の会・柳ヶ瀬裕文総務会長のYouTubeにも出演し、「今の自分があるのは遠藤のおかげ」などと語っている』、「本部展の受賞犬が1000万円以上の価格で中国に売られた例もあった」、そこまで海外での人気が「急騰」しているとは驚いた。
・『遠藤氏に近しい人の犬を、T氏が上位に  昨年12月5日に開催された第144回本部展では、壮犬牝部門や成犬牝部門の審査を担当していた佐野氏。だが、壮犬牝部門でT氏が1席に指定したのは、担当審査員である佐野氏が上位グループには置いていない犬だった。 「逆に私が上位に置いた犬は『(良くないとされる)耳さしが深い犬や』と外されました。しかし、その後の審査部会で10名以上の審査員にその犬の写真明無しに送ると、T部長も含め全員『深くない』と回答した。もう一方の成犬牝部門でも合議のないまま、私が下位グループと判断していた犬を3席に押し上げました」 T氏が押し上げたのは、遠藤氏が繁殖した犬を育てている人や、昔からの知人が、ハンドラー(犬を引く役割)を務めている犬だった。 この本部展の審査について、審査員を務めた7人のうち4人が、「週刊文春」の取材に応じ、「合議もなく、充分な審査ができなかった」と認めた。 保存会の定款には〈審査員は、本会で定めた『秋田犬標準』を遵守し、公平・公正な審査をする〉と記されている。佐野氏は審査を巡る問題を今年1月16日の審査部会で提起したものの、執行部が前向きな対応を示すことはなかったという。 内閣府公益認定等委員会は以下のように回答した。 「定款が遵守されなければ、一般社団法人法違反です。是正されなければ公益認定取り消しもあり得ます」 秋田犬保存会は主に以下のように回答した。 「(不公平な審査は)事実無根です。仮に指摘の不公平な審査が行われた場合、当会審査部服務規程違反で処罰の対象になるため、顧問弁護士に相談の上、所定の手続きにより各人に対して聞き取り調査を行う予定ですが、取り急ぎT部長(回答では実名)に確認したところ、不公平な審査は行っていないとのことです。よって、当会は当会定款、一般社団法人法、公益財団(ママ)法人法に違反する行為を行っていないと考えております」 遠藤氏に話を聞いた(Qは聞き手の質問、Aは遠藤氏の回答)』、「取り急ぎT部長・・・に確認したところ、不公平な審査は行っていないとのことです。よって、当会は当会定款、一般社団法人法、公益財団(ママ)法人法に違反する行為を行っていないと考えております」、ズサンな確認には空いた口が塞がらない。
・『審査に口出しは「ないない」  Q:T氏は遠藤氏の幼馴染? A:「えぇ、幼馴染です。正真正銘。Tは3歳からの付き合い。(審査)部長に決めたんは、僕じゃなく、審査部会やから」 Q:T氏が一席を勝手に決める不公平な審査では? A:「もしそうなら、皆で合議せんと。Tも環境整えないと。あいつ、カーッと来るから」 Q:会長に近い人の犬が受賞。審査に口出しは? A:「ないない。選挙来たり、パーティ券買ってくれたりはありますけど、忖度しない。ただ、Tには『あの犬、なんで一席なん』とか言うてます。彼の勉強のため」 日本維新の会を巡っては、これまでもマルチ商法企業との関わりが指摘された伊東信久衆院議員や、議員会館で私的なヨガを行っていた杉本和巳衆院議員らの問題が報じられてきた。新たに同党最高幹部が代表理事を務める公益財団法人について違法の疑いが浮上したことを受け、党としてどのように対応するのか、注目される。 2月16日(水)12時配信の「週刊文春 電子版」および2月17日(木)発売の「週刊文春」では、遠藤氏の人物像や秋田犬との深い関わり、公益社団法人法違反の疑いがある別の疑惑、遠藤氏との詳しい一問一答などについても報じている』、「秋田犬」については、プーチン首相やザギトワが飼っていることから、世界的にも有名になったが、肝心の「審査」が情実で行われていたようだ。「日本維新の会の遠藤敬・国会対策委員長・・・が代表理事を務める公益財団法人「秋田犬保存会」に違法の疑いが強まったようだ。

次に、3月3日付け東洋経済オンラインが掲載した 政治ジャーナリストの泉 宏氏による「下がる支持率「維新の会」に吹き始めた逆風の正体 注目度が高まるにつれて問われる「党体質」」を紹介しよう。
・『昨秋の衆院選で公明党を抜いて第3党となり、参院選に向けて進撃を続けてきた日本維新の会に逆風が吹き始めている。維新のシンボル的存在の橋下徹前大阪市長を巡る「ヒトラー」騒動のブーメラン化もきっかけとなって、政党支持率の下落が目立ち始めたからだ。 衆院選での大躍進で維新の存在が政治的にクローズアップされ、各メディアも党幹部らの言動を大きく報道するようになった。それに伴い「同党の『独特な体質』にも国民の注目が集まり、不信感が芽生えた」(自民幹部)との見方が広がる。 とくに「民間人コメンテーター」としてメディアで大活躍する橋下氏の政治的発言内容を、「一般国民の多くが、維新の政治理念や政策と受け止めていることが、逆風の遠因」(同)との指摘もある。立憲民主党の菅直人元首相が、橋下氏に投げつけた「ヒトラー」発言への過剰ともみえる維新の反発と、それに対する国民の反応が、その典型例というわけだ』、確かに「「ヒトラー」発言への」「反応」は異常だった。
・『メディアが面白おかしく報道し始めた  そもそも、維新の代表の松井一郎大阪市長、副代表の吉村洋文大阪府知事は、地域政党・大阪維新の会を仕切るいわゆる「大阪コンビ」。そして、大阪維新を立ち上げた橋下氏は、中央政界でも「実質的には両氏の後見役」(公明党幹部)との位置づけだ。 もともと橋下、松井両氏は12年近く前の大阪維新結党時からの盟友。その両氏がここにきて、両氏や維新への敵対的な発言をした政治家や芸能人らへの提訴などを乱発しているのに対し、攻撃対象となった政治家らは「訴訟などで脅す手法は、維新の強権的体質そのもの」とそろって反発する。 衆院選前と違うのは、維新への国民の注目度の高さを背景に、各メディアがそうした騒動を面白おかしく報道し始めた点。それが「一般国民の間に『維新は変な政党』とのネガティブな印象」(立憲民主幹部)を広げる要因になっているようにみえる。 現在の維新は、衆院選の余勢を駆って、夏の参院選でも議席を大幅に増やし、野党第1党の立憲民主を脅かすことを狙っているとみられる。しかし、衆院選後に大幅上昇した政党支持率は昨年末以降、低下が目立ち始めた。 各メディアが実施した最新の世論調査では、岸田内閣がコロナ対応で批判されても、自民は高支持率をキープ。これに対し、衆院選後に維新に大きく差をつけられて低迷してきた立憲民主の支持率がようやく下げ止まる一方、維新は支持率下落がとまらず、複数の調査で立憲民主を下回る結果となっている。 こうした状況について、政界では「自民に代わる新勢力として注目されたことで、党としての危うい体質も露呈した結果」(閣僚経験者)と指摘する向きが多い。維新を攻撃する他党の議員に対する名誉棄損訴訟や、国会での質疑を巡る懲罰動議などの乱発も、「党勢減退への焦りの表れ」(同)と受け止められている。 岸田政権誕生までは、橋下、松井両氏は安倍晋三元首相、菅義偉前首相との太いパイプを誇示し、「与(よ)党」と「野(や)党」の中間の「ゆ党」を自認して、法案処理や憲法改正などで自民と連携してきた。しかし、岸田首相と維新の関係は疎遠とされ、岸田政権誕生後は維新側も「野党」としての厳しい対応が目立っている』、関西のマスコミがこれまでは「維新の会」には極めて甘かったことが、増長させた可能性もあると思う。
・『安倍氏の「核共有」論に松井氏も同調  そうした中、永田町に波紋を広げたのが、ロシアのウクライナ軍事侵攻を受けて、2月27日朝の民放情報番組に出演、対談した安倍、橋下両氏の言動。安倍氏がアメリカの核兵器を自国領土内に配備して共同運用する「核共有(ニュークリア・シェアリング)」の必要性を強く主張し、橋下氏とも意気投合したような場面が相次いでいたからだ。 首都キエフの軍事的制圧を狙うプーチン大統領に対し、ウクライナ側の命がけの抵抗で、両国の停戦協議は難航し、長期化、泥沼化も懸念されている。その過程で、プーチン氏は「核使用」をちらつかせて西側陣営に脅しをかけた。情報番組では、これに反応した安倍氏が橋下氏の質問に答える形で、「日本も『核共有』を論議すべきだ」とぶち上げた。 日本の「非三核原則」の抜本見直しを求めるような安倍、橋下両氏の言動には、ネット上でも賛成、反対双方の激越な書き込みがあふれ、炎上状態となった。また、自民党内では安倍氏に近い高市早苗政調会長らがすぐさま賛同。維新代表の松井氏も「昭和の価値観のまま令和も行くのか。議論するのは当然だ」などと同調した。 これに対し、岸田首相は翌28日以降の国会答弁で「非核三原則を堅持するわが国の立場から考えても認められない。(政府として)議論することも考えていない」と明確な表現で否定してみせた。 大論争の端緒となった安倍、橋下両氏の発言は、内容的には必ずしも完全に一致しているわけではなかった。しかし「多くの視聴者は、(両氏が)事前に打ち合わせた上での発言と受け止めたはず」(民放テレビ幹部)との指摘が多い。 この問題で安倍氏に同調するのは、自民党内のいわゆるタカ派グループが多い。このため、「維新の立ち位置は自民の保守派と同じ」(自民長老)との印象が、国民の間にも振りまかれる結果となった。) 維新の狙いが、参院選でも自民支持層に多い保守派の票を取り込むことにあるのは間違いない。「前回衆院選での成功体験に基づく戦略」(自民選対)とみられている。 しかし「自民タカ派と同体質というイメージは、有権者の不信感や拒否感を広げる」(同)ことにつながるリスクも否定できない。 これに先立ち、菅直人元首相の「ヒトラー発言」に維新側が「国際法違反」などと抗議し、謝罪を求めたことについて、政府は2月15日の閣議で「国際法や国内法に違反するか否かについては、答えることは困難だ」とする答弁書を決定した。これについても「岸田政権の維新へのいやがらせ」(閣僚経験者)とのうがった見方も広がる。 そもそも、大阪限定の地域政党から本格的全国政党への脱皮を目指す維新にとって、「偏った政治理念と思想を持つ集団」とのレッテルを貼られれば、「最大の票田の中道的保守層の支持離れにつながる」(国民民主若手)のは間違いない。 維新の新しい顔となった吉村氏の国民的人気の要因は、大阪のコロナ対策での府民優先で機動的な対応への評価だったとされる。しかし、ここにきて大阪の状況は「人口当たり死者数や医療のひっ迫度が全国ワースト」(感染症専門家)とされ、府民の不信や不満が顕在化している』、「吉村氏」の「コロナ対策」は早くも化の皮が剥がれたようだ。
・『「大阪組」と一線を画す維新国会議員団は焦り  吉村氏は2月28日、他都府県知事に先駆けて、「感染者数は少し減少傾向にあると思うが、病床のひっ迫は非常に厳しい状態が続いている」として、3月6日が期限となっているまん延防止等重点措置について、政府に「3週間程度の延長」要請を余儀なくされた。これも維新の人気に暗影を投じる結果となりつつある。 こうした状況が、維新内部での動揺や焦りにもつながっているようにみえる。特に、松井、吉村両氏ら「生粋の大阪組」(維新若手)とは一線を画す国会議員団は「超タカ派イメージを払しょくしないと、参院選での得票は先細りになりかねない」(同)と顔をゆがめる。 さらに、「一民間人コメンテーター」としてメディアがもてはやす橋下氏についても、「政治的な中立、公平の観点からは、参院選に絡めての出演要請は自粛すべきだ」(立憲民主幹部)との声も出始めている。 国会での与野党攻防では、国民民主党が突然、政府の当初予算案に賛成した。他党はそろって「参院選後の連立入りを狙った」(共産幹部)と読み「新たな政界再編のきっかけになる」(閣僚経験者)と波紋が広がる。 松井維新代表は「(国民民主が)与党になるというのなら連携はできない。われわれは野党」と苦々し気に非難した。ただ、「出し抜かれた苛立ち」(同)と皮肉る向きもあり、維新の対するさまざまな逆風は当面、収まりそうもない』、「松井維新代表は「(国民民主が)与党になるというのなら連携はできない。われわれは野党」と苦々し気に非難」、「国民民主」に先を越された口惜しさがあるようだ。

第三に、3月9日付け日刊ゲンダイが掲載した関西学院大学法学部教授の冨田宏治氏による「最大ゆ党 維新躍進のカラクリ:(7)なぜ「勝ち組」サラリーマンらが日本維新の会を熱烈支援するのか」を紹介しよう。
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/life/302244
・『「長谷川発言」に喝采を送り、あるいは共感を抱くのは、いったいどのような人々なのか。そこに浮かび上がってくるのは、「貧困と格差に喘ぎ、現状打破を求める若年貧困層」といった「定説」とは対照的な「勝ち組」意識を抱いた中堅サラリーマン層や自営上層の人々の姿である。 彼らは都心のタワーマンションや郊外の戸建て住宅に暮らし、かなり高額な税金、社会保険料、介護保険料、年金などを負担している。しかし、医療、子育て、福祉などの公的サービスの恩恵を受ける機会は必ずしも多くない。 彼らは日頃からジョギング、アスレチックジムなどで体を鍛え、有機野菜や減塩レシピなど健康に留意した食生活を送り、医療機関の世話にならないよう自己管理を怠らない。したがって、飲酒や健康によくない食生活など自堕落な生活の果てに自己責任で病気になった「自業自得の人工透析患者」たちが、もっぱら自分たちの負担している健康保険によって保険診療を受け、実費負担を免れていることに強い不満と敵意、さらには怨嗟や憎悪すら抱いているのだ』、「「長谷川発言」に喝采を送り、あるいは共感を抱く」、のは「維新」の支持層で、「「定説」とは対照的な「勝ち組」意識を抱いた中堅サラリーマン層や自営上層の人々」、とは面白い指摘だ。「自業自得の人工透析患者」も言い得て妙だ。
・『弱者はシロアリ、公務員も加担  だいたい大阪の街の「地べた」にへばりつくように住んでいる「年寄り」「病人」「貧乏人」たちは、税金も、社会保険料も、介護保険料も、年金もほとんど負担していない。もっぱら彼らの負担した税金、保険料、年金をシロアリのように食い潰しつづけている。さらにそれを管理する公務員たちも、高給を取るばかりか、さまざまな無駄遣いや不正を働きながら、労働組合運動まで行って、この食い潰しに加担している。 少子高齢化による医療、福祉への公的負担の激増により国や府の財政危機が進むなか、このままでは日本は滅びかねない。それに引き換え「身を切る改革」や「官から民へ」のスローガンを掲げ、自己責任と市場原理主義にしたがって、閉塞した現在のシステムを打ち壊そうとしてくれている維新は、自分たちの希望を託せる唯一無二の改革勢力にほかならない、といったところだろう。) こうして見てみると、「勝ち組」中堅サラリーマン層が長谷川発言に共感し、こうした人物を候補に担ぐ維新を熱烈に支持する感情も、あながち理解不能ともいえまい。 こうして長谷川発言は、「貧困と格差に喘ぎ、現状打破を求める若年貧困層」などと言われてきた維新支持層についての「定説」が、実体のない都市伝説に過ぎないことを白日の下にさらしてくれているのである』、「「貧困と格差に喘ぎ、現状打破を求める若年貧困層」などと言われてきた維新支持層についての「定説」が、実体のない都市伝説に過ぎないことを白日の下にさらしてくれている」、確かにその通りなのだろう。

第四に、3月15日付け日刊ゲンダイが掲載した関西学院大学法学部教授の冨田宏治氏による「最大ゆ党 維新躍進のカラクリ:(11)大阪の姿は日本の未来の先取りか? 選挙モンスターを叩きのめす方策とは」を紹介しよう。
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/life/302515
・『2020年11月の「大阪都構想」をめぐる2度目の住民投票の敗北は、維新にとって「一丁目一番地」もいえる看板政策の喪失を意味しただけでなく、橋下徹氏と並ぶ創業者・松井一郎大阪市長の政界引退という巨大なダメージをも与えたのだ。23年4月に迫った府市ダブル選は、松井市長の後任を決める、維新にとっても、反維新の側にとっても正念場の選挙となる。維新は候補者選びに際して電話投票による予備選挙を行うことをぶち上げるなど、話題づくりに躍起となっている。 「大阪都構想」という看板を失った維新にとって、これに代わる看板は、人工島・夢洲における大阪・関西万博開催と統合型リゾート施設(IR)開発(=夢洲カジノ万博)しかない。建設残土や浚渫土、焼却灰による埋め立て地である夢洲の土壌汚染は極めて深刻なはずだ。液状化対策や土壌改良に1578億円もの公費投入が必要との大阪市の試算が今頃になって明らかになり、IRへの公費投入を否定してきた松井市長の説明がデタラメだったことも市民の知るところとなった。夢洲カジノについても住民投票をという声も上がっている。 絶対得票率30%をうかがうモンスター的集票マシン・維新は、今後も大阪の街に君臨し続けるのだろうか。そして、こうした大阪の姿は、日本の未来を先取りするものなのだろうか。それは、いずれも大阪市民、大阪府民、日本国民の選択にかかっている。人々の正しい選択のためにも、維新の正体にしっかりと向き合うことが必要だ。 絶対得票率30%というモンスターと選挙で対峙するには、①何が何でも1対1の構図に持ち込み、②投票率を60%以上に引き上げる他はない。現に「大阪都構想」についての2度の住民投票は、2度ともこの2つの条件がクリアされたため、維新にとって手痛い敗北に終わった。維新はモンスター的集票マシンではあるものの、決して無敵ではない。果たして大阪における自民党から共産党までの反維新勢力は、この2つの条件をクリアすることができるのだろうか。 維新政治のもと、大阪における貧困と格差は一層深刻さを増し、シングルマザーをはじめ日々の暮らしをめぐる生きづらさに、政治に関心を持つ余裕やゆとりすら奪われた人々が増え続けている。投票率を60%に引き上げるためにも、反維新の側には、こうした人々としっかりと寄り添い、政治への希望を共にしていくことが求められているのではあるまいか。(おわり)』、「23年4月に迫った府市ダブル選は、松井市長の後任を決める、維新にとっても、反維新の側にとっても正念場の選挙となる」、さあ、「維新」以外の各党は、上記の「2つの条件」をクリアして、「維新」を敗北に追い込めるか否か、大いに注目される。
タグ:維新の会 東洋経済オンライン 「秋田犬」については、プーチン首相やザギトワが飼っていることから、世界的にも有名になったが、肝心の「審査」が情実で行われていたようだ。「日本維新の会の遠藤敬・国会対策委員長・・・が代表理事を務める公益財団法人「秋田犬保存会」に違法の疑いが強まったようだ。 「取り急ぎT部長・・・に確認したところ、不公平な審査は行っていないとのことです。よって、当会は当会定款、一般社団法人法、公益財団(ママ)法人法に違反する行為を行っていないと考えております」、ズサンな確認には空いた口が塞がらない。 「本部展の受賞犬が1000万円以上の価格で中国に売られた例もあった」、そこまで海外での人気が「急騰」しているとは驚いた。 (その5)(維新・遠藤敬国対委員長が代表理事 「秋田犬保存会」に一般社団法人法違反の疑い、下がる支持率「維新の会」に吹き始めた逆風の正体 注目度が高まるにつれて問われる「党体質」、最大ゆ党 維新躍進のカラクリ((7)なぜ「勝ち組」サラリーマンらが日本維新の会を熱烈支援するのか、(11)大阪の姿は日本の未来の先取りか? 選挙モンスターを叩きのめす方策とは)) 文春オンライン「維新・遠藤敬国対委員長が代表理事 「秋田犬保存会」に一般社団法人法違反の疑い」 「23年4月に迫った府市ダブル選は、松井市長の後任を決める、維新にとっても、反維新の側にとっても正念場の選挙となる」、さあ、「維新」以外の各党は、上記の「2つの条件」をクリアして、「維新」を敗北に追い込めるか否か、大いに注目される。 冨田宏治氏による「最大ゆ党 維新躍進のカラクリ:(11)大阪の姿は日本の未来の先取りか? 選挙モンスターを叩きのめす方策とは」 「「貧困と格差に喘ぎ、現状打破を求める若年貧困層」などと言われてきた維新支持層についての「定説」が、実体のない都市伝説に過ぎないことを白日の下にさらしてくれている」、確かにその通りなのだろう。 「「長谷川発言」に喝采を送り、あるいは共感を抱く」、のは「維新」の支持層で、「「定説」とは対照的な「勝ち組」意識を抱いた中堅サラリーマン層や自営上層の人々」、とは面白い指摘だ。「自業自得の人工透析患者」も言い得て妙だ。 冨田宏治氏による「最大ゆ党 維新躍進のカラクリ:(7)なぜ「勝ち組」サラリーマンらが日本維新の会を熱烈支援するのか」 日刊ゲンダイ 「松井維新代表は「(国民民主が)与党になるというのなら連携はできない。われわれは野党」と苦々し気に非難」、「国民民主」に先を越された口惜しさがあるようだ。 「吉村氏」の「コロナ対策」は早くも化の皮が剥がれたようだ。 関西のマスコミがこれまでは「維新の会」には極めて甘かったことが、増長させた可能性もあると思う。 確かに「「ヒトラー」発言への」「反応」は異常だった。 泉 宏氏による「下がる支持率「維新の会」に吹き始めた逆風の正体 注目度が高まるにつれて問われる「党体質」」
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事業再生(その2)(まだそんなことを言っているのか!間違いだらけの「エルピーダ破綻の原因」 あれから10年 まったく生かされていない“教訓”、旧日産系の自動車部品大手マレリが経営破綻…「みずほの抱える爆弾」がはじけた、【スクープ】調剤薬局大手が「事業再生ADR」申請 金融債務は1000億円規模か) [企業経営]

事業再生については、2019年3月21日に取上げたまあだった。今日は、(その2)(まだそんなことを言っているのか!間違いだらけの「エルピーダ破綻の原因」 あれから10年 まったく生かされていない“教訓”、旧日産系の自動車部品大手マレリが経営破綻…「みずほの抱える爆弾」がはじけた、【スクープ】調剤薬局大手が「事業再生ADR」申請 金融債務は1000億円規模か)である。

ずは、本年3月6J日付けJBPressが掲載した技術経営コンサルタント・微細加工研究所所長の湯之上 隆氏による「まだそんなことを言っているのか!間違いだらけの「エルピーダ破綻の原因」 あれから10年、まったく生かされていない“教訓”」を紹介しよう。この記事は無料の会員登録が必要。
https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/69115
・『『エルピーダの教訓 破綻から10年(上)(下)』──2022年2月25~26日、日経新聞に2回にわたって上記タイトルの記事が掲載された。また、日経電子版では、『坂本エルピーダ元社長「日本の半導体、なお再編余地」』と題するエルピーダ元社長・坂本幸雄氏へのインタビュー記事も掲載された(以下、これらをまとめて「特集記事」と呼ぶ)。 エルピーダとは、1999年12月に、NECと日立製作所からそれぞれDRAM部門を切り出して合弁することによって設立されたDRAM専業メーカーである。当初は「NEC日立メモリ」という会社名だったが、2000年9月28日に「エルピーダメモリ」に社名を変更した。そして、約10年前の2012年2月27日に経営破綻し、2013年7月31日に米Micron Technology(マイクロン・テクノロジー)に買収された。 エルピーダが経営破綻してちょうど10年が経過し、現在国内外で「半導体」が注目されていることもあって、日経新聞が2日にわたる特集記事を企画したのだろう。 しかし筆者はこれらの特集記事を読んで、うんざりしてしまった。元社長の坂本氏をはじめ、特集記事に登場する人たちに対して、「まだそんなことを言っているのか」「まだ自分の失敗を認めないのか」「“教訓”という記事なのに何も“教訓”になっていないじゃないか」と思ったからだ。 本稿では、筆者がなぜこのように思ったかを論じる。まず、日経新聞の特集記事において、筆者が「まだそんなことを言っているのか」もしくは「今頃何を言っているんだ」と感じた箇所を示す。次に、なぜ筆者がそう思うかということを論じる。その中で、特集記事に出てくる人々は、10年経っても何も分かっていない実態を明らかにしたい。 最後に、坂本氏をはじめとして特集記事に出てくる全ての方々には、エルピーダの倒産を経てMicron Memory Japan(マイクロンメモリジャパン)の社長になった木下嘉隆氏が2019年6月の記者会見で「Micronになって本当によかった」と述べた事実を突きつけたい(「『Micronになってよかった』という言葉の重さ」EE Times Japan、2019年7月8日)。 特集記事に名前が出てくる全ての人たちは、この言葉の意味を深く噛み締めていただきたい』、興味深そうだ。
・『まだそんなことを言っているのか  2回にわたる日経新聞の特集記事で、「まだそんなことを言っているのか」もしくは「今頃何をやっているんだ」とうんざりした個所を以下に示す。 (1)《「生き残っていれば、世界と戦えるメモリーメーカーが日本に生まれていただろう」。エルピーダを破綻させた社長の坂本幸雄は嘆息する》 (2)《──エルピーダが勝ち残っていくために、何が必要だったでしょうか。 「資金力だ。実際、リーマン危機後のタイミングでは台湾の半導体メーカー数社とエルピーダによる再編交渉にも取り組んだ。台湾当局も強く後押ししていたが、関係者も多く実現にまでたどりつけなかった」》(筆者注:坂本氏へのインタビュー) (3)《エルピーダの破綻劇は、官民が巨額投資を伴う長期戦に耐えられなくなった構図だ。開発競争が激しく、製造に必要な投資が兆円単位に膨らむ一方、市況の変動は大きい。投資を担える企業の規模と政策支援がなければ、競争から退場を迫られる。》 (4)《「DRAMの技術や最終製品の動向を、当局や金融機関が十分に捉えられていなかった」。長年半導体産業をみてきた東京理科大大学院教授の若林秀樹は指摘する。坂本もスマホ向けの可能性を力説したが、関係者を説得しきれなかった。》 (5)《「日米貿易摩擦の記憶が残る日本は産業政策で後手に回り、金融支援との連携も欠いていた」。若林はこう指摘する。》 (6)《経済産業省は韓台中が国家的な企業育成に取り組んできたのに対し、日本企業の投資が縮小していったことを敗因の一つにあげる。「世界の半導体産業の潮流を見極めることができず、適切で十分な政策を講じてこなかった」。2021年末の国会で経済産業相の萩生田光一はこう総括している。》 (7)《TSMCの誘致を奇貨として日本での産業基盤を強くするためには何が必要か。経済産業省情報産業課長の西川和見は「設備にしても開発にしても『カネ』と『ヒト』だ。企業も政府も判断すれば資金は出せる。ただ、支える人材を育てる、集めることなしには動き出さない」と語る。》 (8)《九州では人材育成の準備を急ぐ。半導体のエンジニア需要に備え、九州の8つの高等専門学校について半導体のカリキュラムの策定を始めた。熊本大学では4月、大学院先端科学研究部に「半導体教育・研究センター」を開設し、学内外の人材で研究開発を加速する計画だ。》 「うんざり」した箇所は以上である(本当はもっとあるがこの程度にしておく)。(1)と(2)はエルピーダ元社長の坂本氏の発言、(3)は日経新聞社の記者の記載、(4)と(5)は東京理科大大学院教授の若林秀樹氏の指摘、(6)は経済産業相の萩生田光一氏の総括、(7)は経済産業省情報産業課長の西川和見氏の発言で、(8)はTSMCの熊本誘致を受け、九州が人材育成に急いでいる様子を表している。 (1)~(5)がエルピーダに関する発言や記載であり、(6)~(8)が日本半導体産業全体およびTSMC熊本誘致に関する発言や記載である。) ここに登場する人々は、エルピーダの経営破綻について何も分かっていない。そして、その教訓は現在に何も活かされていない。本当にうんざりする思いだ。 以下では、筆者とエルピーダの関係を示すとともに、このように考える根拠を明らかにする』、さすが専門的で深い分析が期待できそうだ。
・『筆者とエルピーダの関係  日立に在籍していてDRAMの技術開発を行っていた筆者は、1999年12月のエルピーダ設立直後、出向を志願した。そして、2000年2月から2001年3月までエルピーダのプロセス開発部に所属して、256メガDRAMの技術開発を行った。 当初は、ドライエッチング・グループのリーダー(課長職)だったが、2000年9月にリーダー降格となり、仕事も部下も取上げられて窓際族に追いやられてしまった。エルピーダの社長の方針に楯突く筆者が目障りで、NEC出身の部長に罠を仕掛けられ、排除されてしまった。その結果、エルピーダにはいられなくなり、2001年4月から、つくばにできた半導体のコンソーシアム「セリート」に出向することになった(この辺りの詳細事情は2012年4月19日~6月7日に配信したメールマガジンVol.01~11で記した)。 2000年のITバブルが2001年に崩壊した。その結果、日本の電機メーカーは軒並み大赤字を計上し、大規模なリストラを行った。日立では、「40歳で課長職以上は全員責任を取って辞めてもらいたい」という早期退職勧告がなされた。そしてたたまた40歳&課長職で、エルピーダやセリートに出向していた筆者は、早期退職のターゲットにされたため、2002年10月に日立を退職した(ただし、転職先を探すのに手間取ってしまったため、辞表を出したときは早期退職制度が終わっており、早期退職制度は使えなかった)』、「「リーダー(課長職)だったが、2000年9月にリーダー降格となり、仕事も部下も取上げられて窓際族に追いやられてしまった。エルピーダの社長の方針に楯突く筆者が目障りで、NEC出身の部長に罠を仕掛けられ、排除されてしまった」、なるほど。転職先を探すのに手間取」り、「辞表を出したときは早期退職制度が終わっており、早期退職制度は使えなかった」、不運という他ない。
・『同志社大学の教員としてエルピーダを調査  その後、紆余曲折を経て2003年10月に、同志社大学に新設された経営学の研究センターの教員になった。当時は「専任フェロー」と呼んでいたが、今なら「特任教授」のようなものだと思う。 そして新任の経営学の教員として、最初の研究対象に選んだのがエルピーダだった。エルピーダの設立当初(2000年)のDRAMシェアは、NECと日立の合計で17%あったが、2001年に8%、2002年に4%に落ち、倒産寸前に追い込まれていた。ところが、2002年に坂本氏が社長に就任すると、シェアが向上し始めた(図1)。そこで、社長交代前後で何が起こったのかを突き止めたいと考えたからだ。 (図1 エルピーダの売上高シェアの推移 はリンク先参照) 【本記事は多数の図版を掲載しています。配信先のサイトでご覧になっていて図版が表示されていない場合は、JBpressのサイト(https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/69115)でご覧ください。】 筆者は、坂本社長(当時)の許可を得た後、2004年1月21日および5月11日の2回、エルピーダの社員の聞き取り調査を行った。特に2回目の調査では、NEC出身者と日立出身者の中に少数混じっていた三菱電機出身者に集中して聞き取りを行ったところ、エルピーダの致命的な欠陥が明らかになった。 さらに、同年9月22日に、エルピーダからサムスン電子に転職したX氏へのインタビューを行った。X氏は、設計部門の実力者だったが、坂本氏と対立したためエルピーダを去ることになり、その後、サムスン電子の常務に就任していた人物である。このX氏への聞き取り調査で、エルピーダのDRAM技術の致命傷が決定的であることが分かった。 以下では、この2つの調査結果について説明する』、「エルピーダのDRAM技術の致命傷」とは、どんなことなのだろう。
・『「エルピーダのDRAMは世界一高価」と三菱電機出身者  2004年1月21日の1回目の調査では、NEC出身者6人、日立出身者6人、合計12人について、1人1時間のインタビューを行った。その中で、NEC出身者と日立出身者の中に少数混じっている三菱電機出身の社員が非常に効果的な働きをしていることがうかがえた。 そこで、5月11日の2回目の調査では、三菱電機出身者6人について、1人1時間のインタビューを行った。その頃、エルピーダは台湾のファンドリーを利用して、DRAMの生産量を増大しようとしていた。したがって、三菱電機出身者は、エルピーダの技術、ファンドリーの技術、そして三菱電機の技術、これら3種類の技術を比較できることになる。その比較を行ってもらったところ次のような結果となった(図2)。 (図2 三菱電機からエルピーダに出向した社員へのインタビュー はリンク先参照) 要素技術については、エルピーダが最も優れている。特に微細加工技術については、エルピーダの技術は圧倒的に優れている。また、要素技術を統合してプロセスフローを構築するインテグレーション技術についても、高性能・高品質なDRAMを作る技術はエルピーダが優れている。 一方、効率良く、低コストでDRAMを作る技術は三菱電機の方が優れている。エルピーダはマスク枚数も工程数も多く、“こてこて”である。そして、量産技術については、ファンドリーが最も優れている。次が三菱電機であり、エルピーダは最悪である。スループットが悪いため、装置台数もやたらに多く、三菱電機の倍くらいあるのではないかという。さらに、テスト工程が多過ぎる。エルピーダは三菱電機の10倍くらいテストを行っているという。PC用のDRAMであることを考えると、このテスト工程の多さは気が狂っているという回答があった。 三菱電機出身者の回答をまとめると、「エルピーダのDRAMは世界一高性能かつ世界一信頼性が高いかもしれないが、世界一高価である」ということになった。つまり、一言でいうと、PC用のDRAMとしては、「過剰技術で過剰品質をつくっている」ことが明らかになった。 筆者は、この調査結果に危機感を覚えた。PC用のDRAMを低コストで大量生産しなければならないのに、エルピーダの技術は、一昔前のメインフレーム用DRAMをつくる技術そのままなのである。これでは、原価が嵩み利益は出ない。 この調査結果を、坂本社長をはじめとするエルピーダの幹部に直接報告した。ところが、坂本社長はこの結果に興味を示さなかった。それどころか、広報担当の常務に「あいつは何者だ? エルピーダの欠点ばかり指摘するではないか」と睨まれ、研究中止を言い渡され、エルピーダへの出入りを禁止されることになってしまった』、「PC用のDRAMとしては、「過剰技術で過剰品質をつくっている」ことが明らかに」、「PC用のDRAMを低コストで大量生産しなければならないのに、エルピーダの技術は、一昔前のメインフレーム用DRAMをつくる技術そのままなのである。これでは、原価が嵩み利益は出ない。 この調査結果を、坂本社長をはじめとするエルピーダの幹部に直接報告した。ところが、坂本社長はこの結果に興味を示さなかった。それどころか、広報担当の常務に「あいつは何者だ? エルピーダの欠点ばかり指摘するではないか」と睨まれ、研究中止を言い渡され、エルピーダへの出入りを禁止」、「坂本社長」の心の狭さには驚いた。
・『エルピーダからサムスン電子へ転職したX氏へのインタビュー  筆者は、このインタビューを2004年9月22日に行った。その当時、DRAMの集積度は512メガビットであり、エルピーダの歩留りが98%、サムスン電子の歩留りが83%と報じられていた。そこで、この点について、エルピーダとサムスン電子の両方の技術を比較できるX氏に聞き取り調査を行った。その結果は次の通りである(図3)。(図3 エルピーダからサムスンへ転職したX氏へのインタビュー はリンク先参照) 世間のアナリストや学者たちは、歩留りの数字だけを見て、サムスン電子よりエルピーダの方が技術力が高いと評価していた。しかしX氏は、「そのような評価は全く意味がない」と述べた。そして、その理由を次のように説明した』、「世間のアナリストや学者たちは、歩留りの数字だけを見て、サムスン電子よりエルピーダの方が技術力が高いと評価」、「しかしX氏は、「そのような評価は全く意味がない」と述べた」、なぜなのだろう。
・『第1に、サムスン電子のチップ面積はエルピーダの半分近い  実際に60%だった)。したがって、300mmウェーハから取得できるチップ数は、歩留り83%のサムスン電子の方が、98%のエルピーダよりもずっと多い。 第2に、歩留りを60%から80%に上げるのは比較的容易だが、80%から98%に上げるためにはそれとは質の異なる多大な努力が必要となる。つまり、人、カネ、時間など膨大なコストがかかる。サムスン電子は歩留り80%以上ならビジネスが成り立つので、それ以上の歩留りを追求する必要がない。つまり、歩留り向上のために無駄にコストをかける必要がない。 第3に、サムスン電子は、現在量産しているDRAMのシュリンク版について、4世代同時開発を行っており、現在量産している製品よりさらにチップサイズの小さなDRAMが、すぐ後に控えている。したがって、現在の量産品の歩留りを血道を上げて向上させる代わりに、チップサイズのより小さな製品の量産立ち上げを行うことに注力する。 以上のヒアリングから、闇雲に歩留り向上を追求するのは決して良いことではないということがわかった。極論すれば、たとえ歩留り1%であっても、それで利益が出てビジネスが成立するのならば、それ以上の歩留り向上にコストをかける必要はないということである。もちろん、大した努力をせずして100%近い高歩留りが出るのであれば、それに越したことはない。 しかし、通常、歩留り向上にはコストがかかる。特に、高歩留りを目指すほど、そのコストは指数関数的に増大する。したがって、自社がどの程度の利益(率)を目標にしていて、その利益(率)を実現するにはどの程度の歩留りが必要なのかを明確に把握しておくことが必要である。何事にも費用対効果を考えることが重要なのだ。 一言でいうと、エルピーダは「100%の歩留り」を目標としていた。しかしそれは、手段と目的をはき違えていたと言わざるを得ない。 本来は、サムスン電子のように、利益を上げるための歩留り向上であるべきなのだ。エルピーダは、そこが理解できていなかった』、「エルピーダは「100%の歩留り」を目標としていた。しかしそれは、手段と目的をはき違えていたと言わざるを得ない。 本来は、サムスン電子のように、利益を上げるための歩留り向上であるべきなのだ」、「手段と目的をはき違え」るとはお粗末だ。
・『致命的な欠陥を抱えたエルピーダの末路  エルピーダのマスク枚数や工程数は“こてこて”に多く、検査工程は“気が狂っている”のではないかと思われるほど異常に多い。その結果、過剰技術で過剰品質のDRAMを生産していた。その際、利益を上げるための歩留り向上ではなく、歩留り向上そのものが目的になってしまっていた。そのようにDRAMを生産しても利益が出るはずがない。 実際に、エルピーダが設立されてから経営破綻するまでの営業利益の推移をグラフにしてみると、満足に利益が出たと言えるのは、2006年しかない(図4)。通算成績では完全に赤字である。 (図4 エルピーダの営業利益の推移 はリンク先参照) そして、2007~2008年にDRAM業界に危機が訪れた。1ギガビットDRAMのスポット価格が1ドルに下落したのである。この背景には、5万円のPC「ネットブック」の流行などがあった。エルピーダ出入り禁止になってしまった筆者ではあるが、一緒にDRAM技術の開発をした仲間たちが心配でならなかった。 そこで、その当時連載記事を書いていいた「電子ジャーナル」に、『“DRAM1ドル時代”が到来、ビジネス方式の転換が必要に』(Electronic Journal、2008年12月号)を執筆し、電子ジャーナルの記者にその記事を持たせて、坂本社長に取材に行かせた。筆者は坂本社長に「このままではエルピーダは危ない」と警告したかったのである。 ところが坂本社長は、「DRAM1ドル時代? あり得ない」と回答したという。坂本社長は、DRAM価格の下落は一時的な現象と思ったのだろう。ところが、その後もDRAM価格は下がり続けた。2011年には1ドルどころか0.5ドルまで下がってしまった。 加えて、2008年にはリーマン・ショックが起き、エルピーダは1474億円の営業赤字を計上した。そして、自力再生が不能となり、2009年に産業再生法第1号に認定されて、国費300億円が注入された。2009年と2010年はかろうじて営業黒字を確保したものの、2011年3月11日に東日本大震災が起き、タイの洪水の影響も受け、再び923億円の営業赤字に転落し、翌2012年2月27日にあっけなく経営破綻してしまった』、私は「坂本社長」をテレビ番組で観て、ユニークな人物と評価していた。しかし、筆者が「『“DRAM1ドル時代”が到来、ビジネス方式の転換が必要に』・・・を執筆し、電子ジャーナルの記者にその記事を持たせて、坂本社長に取材に行かせた。筆者は坂本社長に「このままではエルピーダは危ない」と警告したかった」、「ところが坂本社長は、「DRAM1ドル時代? あり得ない」と回答」、筆者の警告をはねつけるとは、「坂本社長」の評価は180度逆転した。
・『気づいた時はすでに遅し  経営破綻する前年の2011年7月11日の日経新聞電子版に、次のような記事が掲載された。 《エルピーダは5月に世界で初めて25ナノメートルを開発し、微細化技術の開発競争で世界の先頭に立った。同時にDRAMの回路設計を見直し、少ない工程数で生産する手法を確立した。 これにより現行世代から最先端品に量産をシフトするのにかかる設備投資を従来の3分の1~約4分の1に抑制。韓国や台湾、米国のライバル企業よりも低コストで最先端品を生産できる体制を整えた。》 エルピーダは、過剰技術で過剰品質をつくっている病気にやっと気づき、それを見直したということである。筆者が2004年に三菱電機出身者への聞き取り調査を行い、その異常な高コスト体質を坂本社長に指摘してから7年が経過していた。 DRAM価格が1ドルから0.5ドルまで値下がりし、リーマン・ショックが起き、歴史的な円高となり、東日本大震災とタイの洪水の被害を受けて、やっと「このままではまずい」と気づいたわけであるが、この新聞報道の5か月後にエルピーダは経営破綻した。 気づくのが、あまりにも遅かったということである』、筆者が「その異常な高コスト体質を坂本社長に指摘してから7年が経過していた」、致命的な遅れである。
・『日経新聞の特集記事の「間違い」  坂本氏は、(1)「生き残っていれば、世界と戦えた」とか、(2)問題は「資金力だ」と発言したが、全く事実は異なる。調査結果で論じたように、異常なまでの高コスト体質のエルピーダが倒産したのは必然である。「坂本社長のエルピーダ」は淘汰されたのである。資金力の問題ではない。収益率の低さが問題であり、収益を出せない技術にこそ問題があり、そこに経営のメスを入れることができなかったことが致命傷になったのだ。 日経新聞の(3)「エルピーダの破綻劇は、官民が巨額投資を伴う長期戦に耐えられなくなった構図」というのも間違っている。繰り返すが、過剰技術で過剰品質をつくり、歩留り100%を目的にする、そのエルピーダの企業体質が問題だったのだ。 東京理科大大学院教授の若林氏の(4)「DRAMの技術や最終製品の動向を、当局や金融機関が十分に捉えられていなかった」や(5)「日米貿易摩擦の記憶が残る日本」などは、全く的外れな指摘だ。もっとエルピーダの技術の実態を見て発言してもらいたい。 萩生田経産相の(6)「世界の半導体産業の潮流を見極めることができず、適切で十分な政策を講じてこなかった」という発言もどうかしている。昨年(2021年)6月1日の衆議院の意見陳述でも述べたことであるが、経産省は呆れるほど「合弁、国プロ、コンソーシアムをやり続けた」のである(図5)。そして、全部失敗した。「経産省が出てきた時点でアウト」なのである。その反省をなぜしないのか? (図5 合弁、国プロ、コンソーシアム、全部失敗した はリンク先参照) (7)TSMCの誘致を奇貨として日本での産業基盤を強くするためには「「設備にしても開発にしても『カネ』と『ヒト』だ」という経産省の西川課長、『ヒト』を育成してからTSMCを誘致すべきではないのか? 順序があべこべだろう。そして、(8)「九州では人材育成の準備を急ぐ」というのは、あまりにも泥縄すぎるだろう。 筆者が日経新聞の特集記事を読んで、うんざりした理由が分かっていただけただろうか?』、「東京理科大大学院教授の若林氏」は証券アナリスト出身で業界構造については、十分知っている筈なのに、お粗末だ。
・『「マイクロンになってよかった」という社員たち  坂本氏、日経新聞の記者、東京理科大大学院教授の若林氏、萩生田経産相、経産省の西川課長には、EE Times Japanの記事「『Micronになってよかった』という言葉の重さ」(2019年7月8日)を、目を見開いて読んでいただきたい。そして、「Micronになってよかった」という言葉の意味をよく考えていただきたい。 筆者も、2019年に広島で国際学会があった時、旧エルピーダで現マイクロンジャパンの社員たちから、「マイクロンに買収されて本当のDRAMビジネスが理解できた」「エルピーダが倒産したのは不運だったのではなく、当然の帰結だ」「外資企業となった現在は完全な実力主義であり、実績を上げれば昇進・昇格・昇給できる」「仕事は大変だが充実しており、エルピーダ時代がいかに甘かったかが実感される」ということを聞いた(「中国は先端DRAMを製造できるか? 生殺与奪権を握る米国政府」EE Times Japan)。 このような実態を理解せずに、日本半導体産業への政策などは、一切行わないでいただきたい。それは税金の無駄遣いであり、何度も失敗の歴史を積み重ねることになるからだ。本当に、もう、うんざりなんです』、「実態を理解せずに、日本半導体産業への政策などは、一切行わないでいただきたい。それは税金の無駄遣いであり、何度も失敗の歴史を積み重ねることになるからだ」、同感である。

次に、 3月10日付け日刊ゲンダイが掲載した経済ジャーナリストの重道武司氏による「旧日産系の自動車部品大手マレリが経営破綻…「みずほの抱える爆弾」がはじけた」を紹介しよう。
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/money/302316
・『「みずほの抱える3爆弾」などと呼ばれてきた大口融資先の一つが、ついにはじけた。大手自動車部品メーカーのマレリホールディングス(旧カルソニックカンセイ、他の2つはソフトバンクグループと昭和電工)で、今月1日、弁護士や公認会計士らでつくる事業再生実務家協会に、私的整理の一つである事業再生ADR(裁判外紛争解決手続き)を申請、経営破綻した。 マレリの有利子負債残高は約1.17兆円。取引金融機関は主力行のみずほ銀行を筆頭に、大手各行や政府系金融機関、複数の地銀に国内保険会社など26社にのぼるとされ、一部には中国をはじめとした外資系金融機関も含まれているという。マレリによる再建計画案の具体的内容は明らかになっていないが、同社では今後の債権者会議などでこれら金融機関に対し多額の債権放棄や債務の株式化(DES)などを要請する見込みだ。 旧カルソニックカンセイは自動車内装品や空調システムなどを手掛ける、日産自動車系列では最大級の部品メーカーだったが、投資ファンドの米KKRが2017年に買収。19年に同じくKKRに買収された伊マニエッティ・マレリと経営統合し、「マレリ」の名で事業再編や構造改革に取り組んできた。 しかし、仏ルノーや三菱自動車を含め、いまなお取引全体の6割を占めるとされる日産グループの業績悪化で売り上げが低迷。連続赤字や資金繰り難に陥っていたところにコロナ禍や半導体不足が直撃し、「とどめを刺された」(関係者)格好だ。 事業再生ADRは対象会社の金融債務負担を軽減して経営再建につなげる仕組み。原則として全債権者(取引金融機関)の合意が必要となるが、「少なくとも50%以上、場合によっては90%近い債権カットを余儀なくされる事案もある」(法曹関係者)という。 みずほ銀のマレリ向け融資額は約3600億円。1800億~3200億円の損失を負うリスクがあるわけだ。みずほはすでに21年10~12月期決算で約2600億円分を「貸倒引当金として損失処理している」(金融筋)とはいえ、外資系の中にはみずほに保有債権の買い取りを求める動きも。最終的な損失がどこまで膨らむかは不透明だ』、金融機関のなかには、「中国をはじめとした外資系金融機関も含まれている」のであれば、「全債権者・・・の合意が必要」はハードルが高い。「「みずほ」は「外資系」から「保有債権の買い取りを求め」られる可能性もありそうだ。

第三に、3月23日付けダイヤモンド・オンラインが掲載した東京経済東京支社長の井出豪彦氏による「【スクープ】調剤薬局大手が「事業再生ADR」申請、金融債務は1000億円規模か」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/299769
・『自動車部品大手のマレリが私的整理の一種である「事業再生ADR手続き」を申請したのは3月1日だったが、実はその前日の2月28日、都内に本社を置く調剤薬局大手も事業再生ADR手続きを申し立てていたことが分かった。3月24日に第1回の債権者会議が行われる予定だ』、日ゼニが入る「調剤薬局大手」までもが「「事業再生ADR手続き」を申請」、には驚かされた。
・『金融債務は1000億円規模 対象債権者数はマレリ以上 さくら薬局(事業再生ADRとは経済産業相の認定を受けた公正・中立な第三者が関与することにより、過大な債務を負った事業者が法的整理(いわゆる「倒産」)によらずに債権者の協力を得ながら事業再生を図る制度で、対象となる債権者は金融債権者に限定される。ADRとは「Alternative Dispute Resolution」(裁判に代替する紛争解決手段)の略で、法的整理では裁判所に相当する「特定認証紛争解決事業者」は、いまのところ一般社団法人の事業再生実務者協会(代表理事:瀬戸英雄弁護士)しか存在しない。 今回、ADRを申請したことが分かったのは、クラフト(東京都千代田区)とそのグループ会社8社だ。 社名になじみは薄いが、「さくら薬局」というピンクの看板の調剤薬局を全国で1000店舗以上チェーン展開し、2021年3月期の売上高は1239億円に達する。グループの金融債務は1000億円規模とみられ、対象債権者はメインバンクの三井住友銀行を筆頭に80社前後もある。マレリの金融債務が1兆円を超えることを考えると負債額は小粒だが、対象債権者数はマレリの26社よりずっと多い』、全国展開するので、地域金融機関からの借入も多い筈だ。
・『コロナ禍の影響で売上高が大幅減  なぜ経営が悪化したのか。事情通によれば、きっかけは新型コロナウイルスの感染拡大だという。 調剤薬局は比較的規模の大きな医療機関の門前に店舗を開設し、その病院で処方箋を受け取った患者を待ち構えるという業態がほとんど。ところが、コロナ禍でコロナ患者以外の「不要不急」な通院は大きく減少してしまった。病院に行けば感染リスクが高いのだから足が遠のくのは当然である。その結果、クラフトの20年3月期の売上高は1937億円あったが、前述の通り21年3月期は1239億円と36%も落ち込んでしまった。 ちなみに、事業再生ADR手続きは原則非公表とされ、債務者自身と対象債権者以外のステークホルダーは知るすべがない。しかし、債務者が上場企業であれば投資判断に極めて重要な情報のため原則を曲げて適時開示される。また、マレリのような非上場企業の場合でも世の中の関心が高いことから広く報道され、公知の事実となっている。 クラフトについても同じく非上場ながら、全国に1000店舗展開する大手企業であり、国民の健康づくりを担う調剤薬局の経営がコロナ禍でいかなる危機に直面しているかを報じることは、高い公益性があると考える。 クラフトの創業は1982年。1号店の所在地は板橋区大谷口上町で、昨秋、建て替え工事を巡る背任事件で日本大学の理事らが逮捕される舞台となった「日本大学付属板橋病院」の向かいにいまもある』、「1号店の所在地」は「「日本大学付属板橋病院」の向かい」とは、偶然の一致だとしても、不思議な因縁を感じる。
・『非公開後の店舗拡大で有利子負債が急増  創業者の梶弘幸氏と、創業メンバーで91年から社長を務める森要氏はともに日大出身だ。以後出店を重ね、95年に株式の店頭登録(現ジャスダック上場)を果たした。 99年にはイオン、ツルハと資本・業務提携を結び、その後も順調に成長を続け、08年3月期には年商700億円をあげたが、期中の07年12月に森社長によるMBO(経営陣による買収)で非公開化すると表明し、08年4月にジャスダックの上場を廃止した。当時の店舗数はおよそ270だった。非公開化を選択した理由は次の通りだ。) 「調剤薬局業界は規制業種であり、国の方針として医療費削減が不可避の状況下で、上場企業の使命である増収増益を図ることは非常に困難な状況となっています。また既存薬局をめぐるM&A取引による争奪戦は熾烈を極め、規模の利益を追求した拡大戦略が厳しい価格競争を引き起こして業界各社の足元の収益を圧迫することは確実視されつつあり、拡大戦略が将来の収益向上に確実につながるのか不透明な状況となっています」(リリースより引用)と経営環境の厳しさを示した上で、「07年度前半における株式市場の上昇局面においても、同業の調剤薬局上場各社の株価は総じて下げ基調にありました」(同)と、短期的な株主の期待に応えることが難しくなっているとした。 確かに大きな総合病院の前には何軒もの調剤薬局が並んでいるのをよく見かける。すでに店舗は飽和状態で、業界では既存店をカネに物を言わせて買収する「陣取り合戦」が繰り広げられているというわけだ。 その上で上場のメリットであるエクイティ・ファイナンスの活用は当分必要性がなく、むしろ資本市場における透明性および公平性の確保のために上場企業に対して要求される規制順守に実質的に要するコストが年々増加する傾向にあるとして、クラフト自身にとっても、株主の立場からしても上場を維持することのデメリットがメリットを上回っていると結論付けた。 「経営陣自身にリスクを集中して、その自己責任において迅速かつ果敢に意思決定ができる経営体制を構築することこそが、中長期的な観点から当社の企業価値の最大化のために必要な施策である」(同)というわけだ。 上場を廃止した上でクラフトは株主の目線を気にすることなく結局のところM&Aによる店舗数拡大にまい進する。20年にはグループ1000店舗を達成した。上場廃止からの12年間で約730店舗増やしたことになり、単純計算で1年に約60店舗ずつ拡大してきたことになる。その結果、有利子負債は08年3月期末に87億円しかなかったが、直近で1000億円規模に膨らんでしまったのだ』、「MBO」後の「12年間で約730店舗増やした」、「有利子負債は08年3月期末に87億円しかなかったが、直近で1000億円規模に」、こんあ不健全なやり方に、メインバンクは文句をつけなかったのだろうか。
・『クラフトの経営を悪化させた2つの誤算  マレリの資金繰りが悪化したのも元をたどればイタリアのマニエッティ・マレリを7200億円で買収したことが裏目に出たわけだが、クラフトの場合も積極的なM&Aによる負債拡大が響いた。前出事情通によれば「クラフトは買収した企業の調剤報酬債権を金融機関に担保提供して次の買収資金を借りるという自転車操業がコロナ禍で行き詰まった」という。調剤報酬が予定通り稼げれば返済に困ることはなかったわけだ。 もうひとつ誤算だったのが、コンプライアンス体制にもほころびが生じて行政処分を受けたことだ。) 20年3月に「さくら薬局会津若松店」(福島県)が厚生労働省東北厚生局から保険薬局指定の取消処分を受けた。クラフトが運営するほかの薬局で行った調剤を会津若松店で行ったものとして不正に請求していた。国の定める「調剤基本料1」の基準(特定の保険医療機関に係る処方箋の割合が9割以下)をクリアするためだったという。 会津若松店は例によって地元の大病院である「竹田綜合病院」の目の前にあり、依存度が極めて高かった。不正はこの地域のエリアマネージャーの指示があったとみられる。株式非公開化によりプライベートな存在となっても最低限守るべきルールはある。この一件でコンプライアンス体制の立て直しが求められることになった。 クラフトグループの経営再建の行方について関係者は「コロナ禍がおさまればキャッシュフローは十分に出るだろう。債務再編により足元の返済負担を緩和すればやっていけるのではないか」と分析する。債務カットは不要というわけだ。ADR手続きの成立には80社前後の対象債権者すべての同意が必要だが、債権放棄が不要であれば反対は出にくいとみられる。いまのところ最終的な事業再生計画案の決議は10月を予定している。 しかし、今回のADRに至る経緯について振り返ると、筆者は08年の上場廃止の判断が果たして正しかったのかと疑問を禁じ得ない。生き残るためには資金力を生かしたM&Aで限られたパイの奪い合いを勝ち抜くしかないとすれば、上場を廃止してエクイティー・ファイナンスの道を自ら閉ざし、借り入れに依存したM&Aを続けるのはそもそも無理があったのではないだろうか。 前出関係者は「経営責任を明確化するためオーナー社長である森氏には退任してもらい、スポンサーの選定を通じて新しい経営体制で生まれ変わることを期待したい」とも話した。 なお、ダイヤモンド・オンラインはクラフトに対し、事業再生ADRを申請した事実や理由について質問したが、クラフトからは「弊社からの回答は差し控えさせて頂く」との回答があった』、「債権放棄が不要であれば反対は出にくいとみられる」、しかし、「上場を廃止してエクイティー・ファイナンスの道を自ら閉ざし、借り入れに依存したM&Aを続けるのはそもそも無理があった」、「経営責任の明確化」は避けて通れないだろう。 
タグ:「エルピーダは「100%の歩留り」を目標としていた。しかしそれは、手段と目的をはき違えていたと言わざるを得ない。 本来は、サムスン電子のように、利益を上げるための歩留り向上であるべきなのだ」、「手段と目的をはき違え」るとはお粗末だ。 「世間のアナリストや学者たちは、歩留りの数字だけを見て、サムスン電子よりエルピーダの方が技術力が高いと評価」、「しかしX氏は、「そのような評価は全く意味がない」と述べた」、なぜなのだろう。 「PC用のDRAMとしては、「過剰技術で過剰品質をつくっている」ことが明らかに」、「PC用のDRAMを低コストで大量生産しなければならないのに、エルピーダの技術は、一昔前のメインフレーム用DRAMをつくる技術そのままなのである。これでは、原価が嵩み利益は出ない。 この調査結果を、坂本社長をはじめとするエルピーダの幹部に直接報告した。ところが、坂本社長はこの結果に興味を示さなかった。それどころか、広報担当の常務に「あいつは何者だ? エルピーダの欠点ばかり指摘するではないか」と睨まれ、研究中止を言い渡され、エ 「エルピーダのDRAM技術の致命傷」とは、どんなことなのだろう。 「「リーダー(課長職)だったが、2000年9月にリーダー降格となり、仕事も部下も取上げられて窓際族に追いやられてしまった。エルピーダの社長の方針に楯突く筆者が目障りで、NEC出身の部長に罠を仕掛けられ、排除されてしまった」、なるほど。転職先を探すのに手間取」り、「辞表を出したときは早期退職制度が終わっており、早期退職制度は使えなかった」、不運という他ない。 さすが専門的で深い分析が期待できそうだ。 湯之上 隆氏による「まだそんなことを言っているのか!間違いだらけの「エルピーダ破綻の原因」 あれから10年、まったく生かされていない“教訓”」 JBPRESS 事業再生 (その2)(まだそんなことを言っているのか!間違いだらけの「エルピーダ破綻の原因」 あれから10年 まったく生かされていない“教訓”、旧日産系の自動車部品大手マレリが経営破綻…「みずほの抱える爆弾」がはじけた、【スクープ】調剤薬局大手が「事業再生ADR」申請 金融債務は1000億円規模か) 私は「坂本社長」をテレビ番組で観て、ユニークな人物と評価していた。しかし、筆者が「『“DRAM1ドル時代”が到来、ビジネス方式の転換が必要に』・・・を執筆し、電子ジャーナルの記者にその記事を持たせて、坂本社長に取材に行かせた。筆者は坂本社長に「このままではエルピーダは危ない」と警告したかった」、「ところが坂本社長は、「DRAM1ドル時代? あり得ない」と回答」、筆者の警告をはねつけるとは、「坂本社長」の評価は180度逆転した。 筆者が「その異常な高コスト体質を坂本社長に指摘してから7年が経過していた」、致命的な遅れである。 「東京理科大大学院教授の若林氏」は証券アナリスト出身で業界構造については、十分知っている筈なのに、お粗末だ。 「実態を理解せずに、日本半導体産業への政策などは、一切行わないでいただきたい。それは税金の無駄遣いであり、何度も失敗の歴史を積み重ねることになるからだ」、同感である 日刊ゲンダイ 重道武司氏による「旧日産系の自動車部品大手マレリが経営破綻…「みずほの抱える爆弾」がはじけた」 金融機関のなかには、「中国をはじめとした外資系金融機関も含まれている」のであれば、「全債権者・・・の合意が必要」はハードルが高い。「「みずほ」は「外資系」から「保有債権の買い取りを求め」られる可能性もありそうだ。 ダイヤモンド・オンライン 井出豪彦氏による「【スクープ】調剤薬局大手が「事業再生ADR」申請、金融債務は1000億円規模か」 日ゼニが入る「調剤薬局大手」までもが「「事業再生ADR手続き」を申請」、には驚かされた。 全国展開するので、地域金融機関からの借入も多い筈だ。 「1号店の所在地」は「「日本大学付属板橋病院」の向かい」とは、偶然の一致だとしても、不思議な因縁を感じる。 「MBO」後の「12年間で約730店舗増やした」、「有利子負債は08年3月期末に87億円しかなかったが、直近で1000億円規模に」、こんあ不健全なやり方に、メインバンクは文句をつけなかったのだろうか。 「債権放棄が不要であれば反対は出にくいとみられる」、しかし、「上場を廃止してエクイティー・ファイナンスの道を自ら閉ざし、借り入れに依存したM&Aを続けるのはそもそも無理があった」、「経営責任の明確化」は避けて通れないだろう。
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格差問題(その9)(日本人は賃金格差の原因をイマイチわかってない いかに労働規制で対処しても問題は解決されない、データで解明「コロナで階級社会化が加速」の衝撃 打撃を最も受けたのは非正規の若者と女性、「正社員を引きずり下ろしたい」"みんなで豊かになる"物語を失った日本の末路 年収400万が高級取りの時代) [経済]

格差問題については、昨年6月28日に取り上げたままだった。今日は、(その9)(日本人は賃金格差の原因をイマイチわかってない いかに労働規制で対処しても問題は解決されない、データで解明「コロナで階級社会化が加速」の衝撃 打撃を最も受けたのは非正規の若者と女性、「正社員を引きずり下ろしたい」"みんなで豊かになる"物語を失った日本の末路 年収400万が高級取りの時代)である。

先ずは、昨年10月18日付け東洋経済オンラインが掲載した大蔵省出身で一橋大学名誉教授の野口 悠紀雄氏による「日本人は賃金格差の原因をイマイチわかってない いかに労働規制で対処しても問題は解決されない」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/461635
・『所得格差をもたらす大きな原因の1つは、賃金格差だ。日本では、企業規模別に大きな賃金格差がある。それは、資本装備率が企業規模別に大きく異なることが原因になっている。この問題を解決しない事後的な所得再分配政策では、いつになっても同じ政策から脱却できない。 昨今の経済現象を鮮やかに斬り、矛盾を指摘し、人々が信じて疑わない「通説」を粉砕する──。野口悠紀雄氏による連載第54回』、興味深そうだ。
・『賃金格差は、単純な再分配政策では解決できない  岸田内閣は、所得再分配を経済政策の柱にしている。 所得格差を生む原因としては、さまざまなものがある。 第1に、相続等によって生じる資産保有額の違いは、所得格差の大きな原因だ。 第2に、何らかの理由で働くことができず、収入の途を断たれている人々がいる。 こうしたことを原因として生じる所得格差に対しては、税制や財政支出での対応が必要だ。 所得格差を生む第3の原因は、賃金格差だ。 後述するように、現在の日本では、大企業と零細企業の間に大きな賃金格差がある。あるいは、正規雇用者と非正規雇用者の間に賃金格差がある。 所得格差の大部分は、こうした賃金格差によって生じている。 したがって、分配を重視するのであれば、賃金格差の問題を避けて通ることはできない。賃金格差是正のための政策は、分配政策のなかで中心的な比重を占めるべきものだ。 ところで、賃金格差については、事後的な再分配政策をいくら手厚く行っても、問題を解決したことにはならない。 なぜなら、事後的な再分配政策だけでは、賃金格差を生んでいる原因を是正することはできないからだ。 格差の原因を直さない限り、いつになっても同じような再分配政策から脱却できない。 したがって、賃金格差問題については、その原因を正しく把握し、対策を講じる必要がある。 以下では、賃金格差がどのような原因で生じているのか、それを是正するにはどのような措置が必要なのかを考えることとしよう。 法人企業統計調査(金融業、保険業以外の業種)によって、2020年度における企業規模別の賃金(従業員一人あたりの給与・賞与の合計)を見ると、図表1のとおりだ。 (外部配信先では図表を全部閲覧できない場合があります。その際は東洋経済オンライン内でお読みください) 資本金10億円以上の企業(「大企業」と呼ぶ)の賃金は575万円であり、資本金1000万円未満の企業(「零細企業」と呼ぶ)の236万円の2.4倍にもなる。 日本の高度成長期において、「二重構造」ということが言われた。経済成長を牽引する製造業の大企業と、中小零細企業や農業との間で、生産性や賃金に大きな格差があるという問題だ。 日本経済は、現在でもこれと同じような問題を抱えていることになる』、「賃金格差については、事後的な再分配政策をいくら手厚く行っても、問題を解決したことにはならない」、累進税制などの「再分配政策」には技術的な限界でもあるのだろうか。
・『賃金格差の原因は、資本装備率の差  上記のような賃金格差の原因としてまず考えられるのは、分配率(付加価値に占める賃金の比率)だ。そこで分配率を企業規模別に見ると、図表1のw/v欄に示すとおりだ。 分配率は、むしろ大企業の場合に低い。したがって、分配率の差が賃金格差の原因とは考えられない。 ただし、零細企業の分配率は低い。これについては後述する。 賃金格差の原因として第2に考えられるのは、資本装備率の差だ。ここで、「資本装備率」とは、従業員一人あたりの有形固定資産だ(なお、法人企業統計調査は、これを「労働装備率」と称している)。 この値は、大企業が2887万円であるのに対して、零細企業では790万円と、大企業の3.7分の1でしかない。 このように、資本装備率において、企業規模別に顕著な差があり、大企業が高く、零細企業が低い。 これが賃金格差の基本的な原因と考えられる。 法人企業全体での有形固定資本は490兆円だ。そのうち43.6%を占める213兆円が、従業員数では全体の18.6%でしかない大企業に保有されているのである。) 賃金や資本装備率などを産業別に見ると、図表2のとおりだ。 製造業と非製造業を比較すると、あまり大きな差はないが、製造業がやや高めだ。 問題は、宿泊・飲食サービスなど対人サービス業における賃金が低いことだ。 ただし、これは、宿泊・飲食サービスでは、零細企業が多いためかもしれない。そこで、従業員数や付加価値において大企業が占める比率を産業別に見ると、図表3のとおりだ。 従業員数で見ても付加価値で見ても、製造業では大企業の占める比率が高いのに対して、非製造業では製造業より大企業の比率が低い。 そして、宿泊・飲食サービス業では、従業員数で見ても付加価値で見ても、大企業の比率がかなり低い。 したがって、産業別に資本装備率や一人あたり賃金の差が生じる基本的な原因は、大企業の比率が産業別に異なることだと考えることができる。 つまり、賃金格差をもたらしている基本的な原因は、企業規模の違いなのだ』、「資本装備率において、企業規模別に顕著な差があり、大企業が高く、零細企業が低い。 これが賃金格差の基本的な原因と考えられる」、には違和感がある。「資本装備率」が高いのであれば、「資本」の取り分が大きくなるのは理解できるが、「労働」の取り分が大きくなるのは理解できない。ただ、「資本装備率」が「企業規模」を表しているので、「基本的な原因は、企業規模の違いなのだ」との判断はその通りだ。
・『理論値との比較  以上で述べた観察結果を、理論モデルの結果と照合してみよう。 「コブ=ダグラス」と呼ばれる生産関数を想定し、産出の労働弾力性をaとする。ここで、「産出の労働弾力性がaである」とは、労働力がx倍に増加したとき、付加価値生産額がxのa乗倍だけ増加することを意味する。 このモデルから、つぎの結論が得られる(証明略)。 (1)労働分配率(付加価値生産額に占める賃金所得の比率)は、aに等しくなる。 (2)資本装備率をkで表すと、賃金は、kの(1-a)乗に比例する。) このモデルにしたがって理論値を計算すると、図表4のようになる。ここでaとしては、全産業の労働分配率の値0.538(図表1参照)を用いた。 理論値は、実際の賃金の傾向をかなりよく説明している。 つまり、資本装備率の差が賃金格差をもたらすと考えてよいことになる。 ただし、詳しく見ると、資本金5000万円未満の企業につき、現実値は理論値より小さめになる。 これは、このサイズの企業では、労働組合が組織されておらず、交渉力が乏しいためかもしれない。そうであれば、政策的に介入の余地がある』、なるほど。
・『原因と結果を取り違えてはならない  賃金格差が生じる原因として、しばしば非正規労働者の存在が指摘される。「非正規労働者が多いから、賃金が低くなる」という意見だ。 表面的には確かにそのとおりなのだが、これは、原因と結果を取り違えた議論だ。 因果関係としては、零細企業では、生産性が低いために非正規労働者に頼らざるをえないのだ。 だから、「同一労働、同一賃金」を導入し、非正規労働者の労働条件を正規並みにしたとしても、問題は解決できない。そうすれば、非正規労働が削減されるだけの結果にしかならない。 また、賃金格差を解消するために最低賃金を引き上げるべきだと言われることがある。 しかし、そうしたところで問題の解決にはならない。雇用が縮小するだけのことだ。 低賃金を生み出している原因を解決しない限り、いかに労働規制で対処しても、問題は解決されない。 中小零細企業の賃金を大企業並みに引き上げるためには、中小零細企業の資本装備率を高める必要がある。 そのために、中小零細企業に対する政策融資措置が必要だ』、「最低賃金を引き上げるべき」との主張の代表格は、英国人アナリストのデービッド・アトキンソン氏だ。野口氏氏は「雇用が縮小するだけのこと」としているが、私にはどちらが正しいのかは判断できない。

次に、11月30日付け東洋経済オンラインが掲載した早稲田大学人間科学学術院教授の橋本 健二氏による「データで解明「コロナで階級社会化が加速」の衝撃 打撃を最も受けたのは非正規の若者と女性」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/470173
・『コロナ禍で最も経済的な打撃を受けたのは誰なのか。「非正規の若者と女性」と指摘するのが、階級・格差社会を研究する早稲田大学教授の橋本健二氏だ。橋本氏は、かつて「一億総中流」と呼ばれた日本社会に階級性があることを指摘。さらに非正規雇用で所得の低い「アンダークラス」が出現していることを明らかにした。 貧困に陥った若者たちの実態に4日連続で迫る特集「見過ごされる若者の貧困」1日目の第4回は、コロナ禍が格差に与えた影響について、橋本氏がデータで解明する。 【特集のそのほかの記事】第1回:「時給高いから上京」の21歳女性を襲った"想定外" 第2回:「コロナで路上生活」38歳元派遣の"10年前の後悔" 第3回:「親が学費負担放棄」学生を絶望させる新たな貧困  1947年に発表されたアルベール・カミュの小説『ペスト』と、1722年に出版された、『ロビンソン・クルーソー』の作者であるダニエル・デフォーの実録小説『ペスト』(原題は『ペストの年の記録』)の2冊はいずれも、その事実を描いている。 ごく簡単に要約すると、カミュの『ペスト』には、次のように書かれている。 ペストが流行し始めると、必需品への投機が始まったため価格が高騰し、富裕な家庭は何ひとつ不自由しないのに、貧しい家庭は苦しい生活を強いられるようになった。 また看護人や墓掘り人など、感染の危険の多い職業に就く人々は次々に死んでいったが、人手不足になることはなかった。なぜなら、ペストの蔓延による経済組織の破壊によって生まれた多数の失業者が、下層の仕事を担うようになったからだ、と』、世の中はこんな非常事態でも需給バランスが取れるように動いたことに強い印象を受けた。
・『被害にあったのは必ずしも貧困層ではない  デフォーの『ペスト』は、1665年のロンドンでのペストの大流行に題材をとっているが、やはりペストが人々の間の格差をきわだたせたことを克明に描いている。 流行の初期には、まず郊外に疎開先をもつ一部の富裕層が、真っ先に脱出した。豊かな市民や役人たちは、自分や家族はできるだけ家から外に出ないようにして、奉公人を生活必需品の買い物に行かせていたが、往来を駆けずりまわった奉公人たちは感染し、さらに感染を広げていった。死体の運搬や埋葬のために雇われていた者たちが病気になったり死んだりすると、仕事にあぶれた貧乏人たちが代わりに雇われた。 さらに、次のような注目すべき事実も描かれている。ペスト禍で真っ先に生活が困窮したのは、装飾品や衣服、家具など不要不急のものを製造する職人たちと、これらを扱う商売人たちだった、というのである。 料亭、居酒屋その他の飲食店での酒宴は禁止され、過度の飲酒は悪疫伝播の原因だとして厳重に取り締まられ、夜9時過ぎの料亭、居酒屋、コーヒーハウスへの出入りは禁止された。 ここで被害を被ったのは、必ずしも貧困層というわけではなく、自分で事業を営む人々であり、しかもその被害は、感染によるものではなく、事業が痛手を受けたことによるものである。これらの人々のもとで働いていた職人や店員も、仕事を失ったはずだ。 これは現代の日本と、まったくといっていいほど同じである。 政府は必需品ではないものを扱う小売店と飲食店に、強い制限を発動した。しかし、大企業と大型店の攻勢、新興国からの輸入の拡大によって多くの商工業の自営業者が淘汰されてしまった今日、生き残っているのは、大企業では扱いにくい個性的な商品や趣味性の高い商品、つまり必需品ではないものを扱う業者、そして飲食業者である。これらが直撃を受けた。 またこれらの商品を扱う小売店や飲食店は、非正規労働者の多い業種である。だから経営する旧中間階級とともに、非正規労働者が直撃を受けた。 以上からわかったことを整理すると、感染症は、すべての人々に平等に襲いかかるのではない。階級によって影響に差があるのだ。そしてこの階級性には、2つの要素がある。 1つは、感染リスクの違いである。仕事の種類によって、感染リスクの高い場所に近づく必要性は異なる。だから感染リスクは、階級によって異なるのである。 もう1つは、経済的なメカニズムから受ける影響の違いである。物価の上昇から受ける影響は、豊かな階級では小さく、貧しい階級では大きい。感染症の拡大は仕事に影響するが、その影響は階級によって異なる』、「感染症は、すべての人々に平等に襲いかかるのではない。階級によって影響に差があるのだ」、「感染リスクは、階級によって異なる」、「物価の上昇から受ける影響は、豊かな階級では小さく、貧しい階級では大きい」、なるほど。
・『現代資本主義社会を構成する4つの階級  それではデータを使って、コロナ禍がそれぞれの階級にどのような影響を与えたのか、確かめてみよう。ここでは、資本家階級、新中間階級、旧中間階級、労働者階級、アンダークラスの階級5分類を用いる。まずはその説明をしよう。 資本主義社会の最も基本的な階級は、生産手段を所有する経営者である資本家階級と、資本家階級に雇われて働く労働者階級である。しかし現実の社会には、その間に2つの中間階級が存在している。 1つは商工業の自営業者や自営農民などの「旧中間階級」である。これらの人々は生産手段を所有しているが、その量が小さいため、自分や家族でこの生産手段を使い、現場で働いている。このように資本家階級と労働者階級の性質を兼ね備えた人々であり、しかも資本主義の成立以前から存在する古い階級であることから、旧中間階級と呼ばれる。 もう1つは、雇用されて専門職・管理職・上級事務職などとして働く「新中間階級」だ。雇用されて働く労働者階級を管理したり、生産手段全体の管理・運用を行ったりするような仕事は、もともと資本家階級が担っていたが、企業規模が大きくなると一部の労働者に委ねられるようになる。 そうした人々は、労働者階級と同様に被雇用者でありながら、労働者階級の上に立つようになる。このように労働者階級と資本家階級の中間に位置する階級であり、しかも資本主義の発展とともに新しく生まれた階級であることから、新中間階級と呼ばれる。 こうして現代資本主義社会は、資本家階級、新中間階級、旧中間階級、労働者階級の4つの階級から構成されるようになった。) だが、近年になって大きな変化が生じてきた。労働者階級の内部に、従来から存在してきた正規雇用の労働者階級とは異質の、むしろ別の階級とみなすのがふさわしい下層階級が形成されてきたからである。 非正規労働者のなかでも、以前から数が多かったパート主婦は、家計補助のために働くことが多いから、必ずしも貧困に陥りやすいわけではない。しかし近年は、それ以外、つまり男性と配偶者のない女性の非正規労働者が激増している。 雇用が不安定で、賃金が低く、労働者階級としての最低条件すら満たされないこれらの人々は、アンダークラス、あるいはプレカリアートなどと呼ばれてきた。ここでは単刀直入なわかりやすさから、アンダークラスと呼ぶことにしたい。そしてアンダークラスが1つの階級として確立した社会を、新・階級社会と呼ぶことにしたい。 <日本の新・階級構造> 資本家階級:経営者、役員 新中間階級:被雇用の専門職、管理職、上級事務職 旧中間階級:商工業の自営業者、家族従業者、農民 労働者階級:被雇用の単純事務職、販売職、サービス職、その他マニュアル労働者 アンダークラス:非正規労働者(パート、アルバイト、派遣社員) 次の表は、5つの階級の経済状態、そして2020年4月の緊急事態宣言以降に、それぞれの仕事に起こった変化をまとめたものである。 (※外部配信先では図をすべて閲覧できない場合があります。その際は東洋経済オンライン内でお読みください) これを見ると、コロナ禍で大きなインパクトを受けたのは、弱い立場のアンダークラス、そして以前から衰退が続いてきた零細な商工業者の階級である旧中間階級であることがわかる。 世帯年収は、資本家階級が1100万円と最も多く、これに新中間階級が816万円で続いている。旧中間階級は678万円にとどまり、644万円の労働者階級と大差がないが、2019年と比べると127万円も減った。そして、アンダークラスは393万円と最も低い。 なお2020年の個人年収は、資本家階級が818万円、新中間階級が561万円、旧中間階級が413万円、労働者階級が463万円、アンダークラスが216万円である。アンダークラスの収入がきわめて低く、労働者階級」との比較でも、半分以下にとどまっている』、「アンダークラス」では世帯年収」、「個人年収」とも群を抜いて低いようだ。
・『旧中間階級とアンダークラスは貧困率も高い  貧困率はどうか。資本家階級が7.5%、新中間階級が5.2%と低く、労働者階級も9.5%にとどまるが、旧中間階級は20.4%、アンダークラスは38.0%と高い。 次に、仕事の上での変化を見ると、どの階級も勤務日数や労働時間、そして収入を減らしている人が多いが、階級による違いも大きい。最も影響を受けたのは旧中間階級とアンダークラスで、それぞれ42.0%、29.1%が収入を、そして34.9%、37.2%が勤務日数や労働時間を減らしている。 興味深いのは、勤務日数や労働時間が減ったという人の中で、収入が減ったとする人の比率である。新中間階級では勤務日数や労働時間が減ったという人のうち、収入が減ったのは37.0%である。この比率は労働者階級では52.1%と半数を超え、アンダークラスと旧中間階級は、それぞれ61.6%、67.3%と、明らかに高い。新中間階級は、仕事が減っても会社組織に守られて収入が減らないことが多いのである。 さらに在宅勤務などの勤務形態の変更を経験したのは、新中間階級が最も多く25.4%、もっとも少ないのは旧中間階級で4.3%、ほかはいずれも10%台の前半である。新中間階級は在宅勤務によって感染のリスクを減らすことができたということがわかる。 貧困率が最も高いアンダークラスでは、内部での格差も見逃せない。次の表は、アンダークラスに起こった仕事上の変化を、年齢別に見たものだ。 まず勤務先が休業したという人の比率を見ると、20~39歳の若者が16.8%と高く、40歳以上(8.3%)の2倍となっている。コロナ禍は明らかに、若者の仕事により強く影響したのである。 しかし勤務日数や労働時間、そして収入の変化を見ると、様相が異なる。勤務日数や労働時間が減ったという人は、どちらの年齢層も36.5%で違いがない。収入が減った人の比率は、20~39歳の若者が25.1%にとどまるのに対して、40歳以上では31.8%に上っている』、「新中間階級は在宅勤務によって感染のリスクを減らすことができた」、「アンダークラスでは」、「コロナ禍は明らかに、若者の仕事により強く影響」したが、「収入が減った人の比率は・・・40歳以上では31.8%と「若者」より多いようだ。
・『若者は転職や副業で何とかしのいでいる?  なぜこんな結果になるのか。その理由は、転職した人の比率と副業を始めた人の比率を見ればわかる。20~39歳の若者は9.0%までが転職しているのに、40歳以上で転職したのはわずか0.5%である。また若者の4.8%が副業を始めているが、40歳以上ではこの比率が2.6%にとどまる。 どうやら若者たちは、コロナ禍によって勤め先が休業するなど、大きな影響を受けはしたのだが、転職や副業によって何とかしのいでいるらしいのである。これも若さゆえだろう。ちなみに転職した若者の比率を男女別に見ると、男性4.9%、女性11.3%となっており、女性のほうが苦労したことがうかがえる。 これに対して40歳以上の人々は、仕事が減ったにもかかわらず転職も副業もしなかったために収入が減っているのだが、実はここには男女差がある。収入が減った人の比率は男性では24.7%にとどまるのに対して、女性では36.1%と明らかに多いのである。 中年男性アンダークラスがある程度まで守られているのに対して、中年女性アンダークラスは、放置されているようである。詳しいことはわからないが、おそらく休業補償などの制度が男性のほうにより多く適用されているのだろう。 このようにコロナ禍は、従来からあった階級間の格差をより際立たせた。アンダークラスと旧中間階級がより大きなインパクトを受け、さらにアンダークラスの内部を見ると、若者と女性が受けたインパクトが大きい。 弱者がより大きな影響を被り、格差が拡大した。コロナ禍は日本の社会に、大きな傷跡を残したといわなければならない。この傷を癒やし、さらに格差を縮小して災禍に強い社会をつくりだすことが、今後の日本社会には求められる』、「コロナ禍は、従来からあった階級間の格差をより際立たせた。アンダークラスと旧中間階級がより大きなインパクトを受け、さらにアンダークラスの内部を見ると、若者と女性が受けたインパクトが大きい。 弱者がより大きな影響を被り、格差が拡大した」、「格差を縮小して災禍に強い社会をつくりだすことが、今後の日本社会には求められる」、同感である。

第三に、本年1月19日付けPRESIDENT Onlineが掲載した文筆家・ラジオパーソナリティーの御田寺 圭氏による「「正社員を引きずり下ろしたい」"みんなで豊かになる"物語を失った日本の末路 年収400万が高級取りの時代」を紹介しよう。
https://president.jp/articles/-/53872
・『日本郵政グループが、正社員と非正社員の待遇格差を縮めるために「正社員の休暇を減らす」ことを労働組合に提案した。文筆家の御田寺圭さんは「『みんなで豊かになる』という物語は失われてしまった。今は『平等に貧しくなる』方が説得力をもつ時代になっている」という』、「今は『平等に貧しくなる』方が説得力をもつ時代になっている」、寂しい限りだ。
・『日本郵政が「格差を縮めるため」に選んだ方法  フェアなことは、いいことだ――と、だれもが考える時代だ。 フェアネスが尊重されることに、だれも異論を挿まず、賛意を示す。そんな時代だからこそ、こんな結論が導かれた。 日本郵政グループが、2020年10月の最高裁判決で「正社員と非正社員の待遇に不合理な格差がある」と認定された労働条件について、格差を縮める見直しを労働組合に提案したことがわかった。正社員の休暇を減らす内容が含まれており、労組側には反対意見がある。 会社側が見直しを提案したのは、夏期・冬期の有給休暇、年始(1月2~3日)の祝日給、有給の病気休暇の3点。夏冬の有休は現在、郵便業務につく正社員で夏と冬に3日ずつ、アソシエイト社員(期間雇用から無期雇用に切り替えられた社員)で1日ずつだが、期間雇用社員はゼロ。会社提案は、期間雇用社員に夏冬1日ずつ与える一方、正社員は2日ずつに減らす内容で、正社員にとっては不利益な変更になる。 朝日新聞「『正社員の休暇減らす』日本郵政、待遇格差認定の判決受け提案」(2022年1月6日)より引用』、既得権を切り下げられる「労組」はどうするのだろう。
・『「正社員の待遇を、非正社員並みに下げます」  正社員と非正社員の待遇格差があることを批判され、ついには最高裁判決によってその是正を求められてきた日本郵政は、こともあろうに「正社員の待遇を非正社員に近づける(下方修正する)」ことによってその格差を「是正」しようと提案した。 これには少なからず疑問や批判の声が寄せられた。たしかに、これはこれで、不合理な格差を埋める「フェア」な施策であるというわけだが、求められていたのは「非正社員の待遇を正社員並みに近づけること」であるだろう。 しかしながら、日本郵政側がそれを理解していなかったわけではない。もちろん、なにかの気の迷いによって、本末転倒な解決案を出してきたわけでもない。むしろ、これこそが現代社会の時代精神を反映したある種の「総意」であると考えたからこそ、労働組合に対してこの案を堂々と提起したのである』、「「正社員の待遇を非正社員に近づける・・・」ことによってその格差を「是正」しようと提案」、には驚かされた。
・『「若者にとって年収400万円は高給取り」  この社会では「きっといつか、自分も(あの人たちのように)いい暮らしができるようになる」という物語にリアリティを感じることができない人がどんどん増えている。 今年、賃金が上がると思うかNHKの世論調査で聞いたところ「上がる」と答えた人が21%、「上がらない」と答えた人が72%でした。 NHK「ことし賃金は『上がる』21% 『上がらない』72% NHK世論調査」(2022年1月12日)より引用 自分の人生も暮らし向きも上向かず、いつまでも現状がくすぶったまま維持され、低空飛行を続けていくことなる――という閉塞的な未来のビジョンの方が、現代社会ではよほど想像することがたやすい。とくにそれは若者層に顕著になっている。先日にもツイッターでは「若者にとって年収400万円は高給取りとみなされている」とするツイートが大きな波紋を呼んだ。 今日の若者たちにとってみれば「年収400万円は高給取り」というのはまったく冗談ではない。国税庁「民間給与実態統計調査」によれば、20~24歳の男性の平均給与は277万円、25~29歳でも393万円だ。年収400万円が現実的な数字となってくるのは30代からになる。※編集部註:初出時は厚生労働省「賃金構造基本統計調査」の結果を記していましたが、国税庁「民間給与実態統計調査」に差し替えます。(1月20日17時58分追記)』、「今日の若者たちにとってみれば「年収400万円は高給取り」というのはまったく冗談ではない」、てっきり「冗談」だと思っていたが、そうでもないとは改めて驚かされた。
・『「今日よりも明日がいい日になる」「来年は今年よりも給料が大幅に上がっている」「ボーナスをあてにして大きな買い物ができる」 ひと昔前の時代であれば、とくに違和感なく受け入れられてきたこうした一般的な感覚が、現代社会の働き盛りの人びとにとってはそうではない。本当にそのような時代が実在していたのか疑わしい、さながら異世界や別の世界線にある日本社会を語っているかのような感覚に陥ってしまう』、「ひと昔前の時代であれば、とくに違和感なく受け入れられてきたこうした一般的な感覚が、現代社会の働き盛りの人びとにとってはそうではない。本当にそのような時代が実在していたのか疑わしい」、時代の変化は予想以上だ。
・『磯野家も野原家も「圧倒的な勝ち組」に見える  漫画『サザエさん』の磯野家やフグ田家、あるいは『クレヨンしんちゃん』の野原家は当初、ごく平凡な中流家庭つまり「庶民階級」の姿を想定して描写されたし、そのような庶民の描かれ方に人びとは疑問をもたなかった。しかし、いまの20代や30代からすれば、かれらを「ごく平凡な庶民の姿」とみなす人はそれほど多くはないだろう。むしろ圧倒的な勝ち組・富裕層の家庭としてみなすようになっている。 都心もしくは首都圏に一戸建てのマイホームやマイカーを所持し、子どもを複数人育てる――これらは『サザエさん』や『クレヨンしんちゃん』がはじまった時代には「ふつうの一般家庭の姿」として受け入れられていた。だが、もはやその「ふつう」は、はるか遠い高みへと消え去ってしまった。私たちはどんどん貧しくなっていく国に生きている。 『サザエさん』や『クレヨンしんちゃん』で描かれたサラリーマンの暮らし向きは、もはや現代人にとっては「在りし日の懐かしい風景」ではなく、ある種の「(心情的に受け入れがたい描写としての)ファンタジー」なのである』、「漫画『サザエさん』の磯野家やフグ田家、あるいは『クレヨンしんちゃん』の野原家は当初、ごく平凡な中流家庭つまり「庶民階級」の姿を想定して描写された」、「しかし、いまの20代や30代からすれば、かれらを「ごく平凡な庶民の姿」とみなす人はそれほど多くはないだろう。むしろ圧倒的な勝ち組・富裕層の家庭としてみなすようになっている」、「圧倒的な勝ち組・富裕層の家庭としてみなすようになっている」、信じられないような時代の断絶を感じる。
・『正社員は「いつかなれるもの」ではなくなった  磯野家や野原家が庶民ではなく「勝ち組」の既得権益者側に見える――このようなコンテクストを踏まえれば、正社員として働き大小さまざまな恩恵を享受できていることが「ふつうである」という前提を、もはや全社会的に共有することが難しくなっていることが見えてくる。つまり、同じ会社で働く非正規雇用者からすれば、正社員は「いつか自分がそうなりえる姿」ではなくて、一生交わることのない並行世界の住人にしか思えないのだ。 近頃において「無駄を省く(既得権益者の利権を削る)」といったスタンスの党派が喝采されるのも「自分はそのような粛清の刃を向けられる側の世界の住人ではないし、これからもずっとそうである」という感覚を少なくない人が共有しているからだ。 自分が踏み入れることのない並行世界の人びとだけが「おいしい思い」をしている姿を見るのは、不公平というか差別的にすら思える。「正社員/恵まれている人の待遇を削ったら、まわりまわって自分にも損がある」――というマクロ経済学的な知見に裏付けられた正論には、もはや多くの人がリアリティや説得力を感じられなくなっている。「どうせ自分はずっとこのままなのに、どうして同じような仕事をしているあいつらは(大したことをしていないなのに)給料が高いのか。それは不当だ。差別だ」という不公平感の方が優勢になる』、「同じ会社で働く非正規雇用者からすれば、正社員は「いつか自分がそうなりえる姿」ではなくて、一生交わることのない並行世界の住人にしか思えないのだ」、「一生交わることのない並行世界の住人」とは言い得て妙だ。
・『「みんなで豊かになる」という物語の死  自分がけっしてその領域に足を踏み入れることはない「別世界」で暮らす人びとの待遇が引き下げられることは、自分にとってなんの痛みもないどころか、かえって社会がより「公平」に近づいて歓迎されるべき「善行」だ――とすら考えられるようになる。 「いま恵まれている人を引き下げたら、自分がその立場に行けたときに損をする。だから少しでもだれかが得する方向に働きかけよう」という、互助的な規範意識が、機能不全に陥ろうとしている。「みんなが苦しい時代に、おいしい思いをしているのは不当な既得権益者に違いないのだから、かれらにメスを入れて闇を暴き、引きずり下ろす! それが民意である!」――というスタンスを明確にする、いわゆるポピュリズム政党が市民社会からの喝采を浴びますます勢いに乗るのは偶然ではない。 この社会が「みんなで豊かになる」という社会的合意(あるいは共同幻想)を喪失してしまっていることの裏返しでもある』、「互助的な規範意識が、機能不全」、「「みんなが苦しい時代に、おいしい思いをしているのは不当な既得権益者に違いないのだから、かれらにメスを入れて闇を暴き、引きずり下ろす! それが民意である!、なんとも世知辛い世の中になったものだ。
・『「平等に貧しくなろう」が説得力をもつ社会  世の中で「豊かな人」を見かけても、「羨ましいが、きっと自分にもいつかはその番が巡ってくるだろう」と肯定的に考えられなくなった。そうではなくて「豊かな人は、自分たちから富を奪っている収奪者だからこそ豊かなのだ」という感覚が支配していくようになった。 日本郵政の経営陣は、この社会が左右だけではなくて上下に分断されている空気を素直に読み込んだからこそ、「正社員の《特権》を解体して、フェアな待遇に改定しましょう」と持ち掛けた。こうした提言がたとえネットでは批判殺到でも、実社会においてはこの種の提案を支持する人が今日には一定数いることは明らかだ。 「みんなで豊かになる」という物語をだれも信じられなくなった。無理もない。いつか自分が豊かになると信じて待つには「失われた30年」はあまりにも長すぎたからだ。 「みんなで豊かになる」という美しい物語が死んだ。 その代わりにやってきたのが「平等に貧しくなろう」であった。 みんながつらくて苦しい時代には、いつか自分たち全員が慈悲深い神によって掬いあげられる日がやってくる物語よりも、「豊かさ」を享受している者を引きずり下ろす物語の方が、はるかに説得力があった』、「「豊かさ」を享受している者を引きずり下ろす物語の方が、はるかに説得力があった」、嫌な時代になったものだ。
タグ:格差問題 (その9)(日本人は賃金格差の原因をイマイチわかってない いかに労働規制で対処しても問題は解決されない、データで解明「コロナで階級社会化が加速」の衝撃 打撃を最も受けたのは非正規の若者と女性、「正社員を引きずり下ろしたい」"みんなで豊かになる"物語を失った日本の末路 年収400万が高級取りの時代) 東洋経済オンライン 野口 悠紀雄氏による「日本人は賃金格差の原因をイマイチわかってない いかに労働規制で対処しても問題は解決されない」 「賃金格差については、事後的な再分配政策をいくら手厚く行っても、問題を解決したことにはならない」、累進税制などの「再分配政策」には技術的な限界でもあるのだろうか。 「資本装備率において、企業規模別に顕著な差があり、大企業が高く、零細企業が低い。 これが賃金格差の基本的な原因と考えられる」、には違和感がある。「資本装備率」が高いのであれば、「資本」の取り分が大きくなるのは理解できるが、「労働」の取り分が大きくなるのは理解できない。ただ、「資本装備率」が「企業規模」を表しているので、「基本的な原因は、企業規模の違いなのだ」との判断はその通りだ。 「最低賃金を引き上げるべき」との主張の代表格は、英国人アナリストのデービッド・アトキンソン氏だ。野口氏氏は「雇用が縮小するだけのこと」としているが、私にはどちらが正しいのかは判断できない。 橋本 健二氏による「データで解明「コロナで階級社会化が加速」の衝撃 打撃を最も受けたのは非正規の若者と女性」 世の中はこんな非常事態でも需給バランスが取れるように動いたことに強い印象を受けた。 「感染症は、すべての人々に平等に襲いかかるのではない。階級によって影響に差があるのだ」、「感染リスクは、階級によって異なる」、「物価の上昇から受ける影響は、豊かな階級では小さく、貧しい階級では大きい」、なるほど。 「アンダークラス」では世帯年収」、「個人年収」とも群を抜いて低いようだ。 「新中間階級は在宅勤務によって感染のリスクを減らすことができた」、「アンダークラスでは」、「コロナ禍は明らかに、若者の仕事により強く影響」したが、「収入が減った人の比率は・・・40歳以上では31.8%と「若者」より多いようだ。 「コロナ禍は、従来からあった階級間の格差をより際立たせた。アンダークラスと旧中間階級がより大きなインパクトを受け、さらにアンダークラスの内部を見ると、若者と女性が受けたインパクトが大きい。 弱者がより大きな影響を被り、格差が拡大した」、「格差を縮小して災禍に強い社会をつくりだすことが、今後の日本社会には求められる」、同感である。 PRESIDENT ONLINE 御田寺 圭氏による「「正社員を引きずり下ろしたい」"みんなで豊かになる"物語を失った日本の末路 年収400万が高級取りの時代」 「今は『平等に貧しくなる』方が説得力をもつ時代になっている」、寂しい限りだ。 既得権を切り下げられる「労組」はどうするのだろう。 「「正社員の待遇を非正社員に近づける・・・」ことによってその格差を「是正」しようと提案」、には驚かされた。 「今日の若者たちにとってみれば「年収400万円は高給取り」というのはまったく冗談ではない」、てっきり「冗談」だと思っていたが、そうでもないとは改めて驚かされた。 「ひと昔前の時代であれば、とくに違和感なく受け入れられてきたこうした一般的な感覚が、現代社会の働き盛りの人びとにとってはそうではない。本当にそのような時代が実在していたのか疑わしい」、時代の変化は予想以上だ。 「漫画『サザエさん』の磯野家やフグ田家、あるいは『クレヨンしんちゃん』の野原家は当初、ごく平凡な中流家庭つまり「庶民階級」の姿を想定して描写された」、「しかし、いまの20代や30代からすれば、かれらを「ごく平凡な庶民の姿」とみなす人はそれほど多くはないだろう。むしろ圧倒的な勝ち組・富裕層の家庭としてみなすようになっている」、「圧倒的な勝ち組・富裕層の家庭としてみなすようになっている」、信じられないような時代の断絶を感じる。 「同じ会社で働く非正規雇用者からすれば、正社員は「いつか自分がそうなりえる姿」ではなくて、一生交わることのない並行世界の住人にしか思えないのだ」、「一生交わることのない並行世界の住人」とは言い得て妙だ。 「互助的な規範意識が、機能不全」、「「みんなが苦しい時代に、おいしい思いをしているのは不当な既得権益者に違いないのだから、かれらにメスを入れて闇を暴き、引きずり下ろす! それが民意である!、なんとも世知辛い世の中になったものだ。 「「豊かさ」を享受している者を引きずり下ろす物語の方が、はるかに説得力があった」、嫌な時代になったものだ。
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