香港(その8)(香港返還25年の年に上海封鎖の因縁 中国の2大「制御不能都市」陥落の意味、コロナ禍の香港から「金融専門人材」の流出続く 金融管理局や証券先物委員会でも離職率上昇、1377人逮捕「香港理工大包囲事件」現場で見た衝撃 学内でその様子を撮影した監督に話を聞く) [世界情勢]
香港については、2021年10月19日に取上げた。今日は、(その8)(香港返還25年の年に上海封鎖の因縁 中国の2大「制御不能都市」陥落の意味、コロナ禍の香港から「金融専門人材」の流出続く 金融管理局や証券先物委員会でも離職率上昇、1377人逮捕「香港理工大包囲事件」現場で見た衝撃 学内でその様子を撮影した監督に話を聞く)である。
先ずは、6月24日付けダイヤモンド・オンラインが掲載したジャーナリストの姫田小夏氏による「香港返還25年の年に上海封鎖の因縁、中国の2大「制御不能都市」陥落の意味」を紹介しよう。
・『156年間イギリスの統治下にあった香港が、1997年7月1日に中国へ返還されてから間もなく25年がたつ。くしくもその直前に、香港と肩を並べる国際都市の上海で、2カ月にもわたる厳格なロックダウンが断行された。オミクロン株の感染拡大防止には非有効的といえる上海での措置は、3年前の「香港100万人デモ」の鎮圧と通底するものがある。上海と香港の2都市の歴史にさかのぼり、今後の上海の行方を深読みしてみた』、興味深そうだ。
・『市民を中央政府に服従させることが狙いか 香港返還から25年を迎えた今年、上海ではロックダウンが断行されたことに因縁を感じるのは行き過ぎでもないだろう。 少なくともこの2都市には共通点がある。それは、中央政府のコントロールが利かない“制御不能な都市”ということだ。それを象徴する出来事が、最近では2019年の「香港100万人デモ」と、大胆な住民の反発が起こった今回の「上海ロックダウン」だ。 習近平国家主席の”子飼い”と言われる上海市トップの李強氏(上海市共産党委員会書記)を歯牙にもかけない上海市民の態度は、習氏をして「自分への対抗意識」と警戒させた節がある。 上海は、習氏にとって天敵と言える江沢民派閥の牙城であった。習氏は2012年の党総書記就任以降、「反腐敗運動」を展開して上海閥の一掃に本腰を入れた。1991年から続いた「上海市長は、地元で経験を積んだ官僚が就く」という慣例が2020年に破られたのもその一例で、中央から“子飼い”が派遣されるという人事に、上海市民は不満を高めていた。 こうした一連の“上海つぶし”も、裏を返せば、そこに独特な政治風土があるからだと解釈できるだろう。 そんな上海で行われた今回のロックダウンは、2500万人もの市民を「自宅に幽閉」するもので、「最低限の外出」を許可した武漢市のロックダウンと比較しても、かなりの強硬措置だったことがうかがえる。上海出身の妻を持つ台湾人の王忠義さん(仮名)は、今回のロックダウンの背景をこう解釈している。 「ゼロコロナを大義名分に、上海市民を中央政府に服従させることが狙いだと思いました。軟禁同然の厳しい措置は、共産党の指示に従う習慣を養うためであり、いわば“市民教育の一環”ではないかと。上海市民がおとなしくなれば、他の都市の市民もおとなしくなりますから」』、「「ゼロコロナを大義名分に、上海市民を中央政府に服従させることが狙いだと思いました。軟禁同然の厳しい措置は、共産党の指示に従う習慣を養うためであり、いわば“市民教育の一環”ではないかと。上海市民がおとなしくなれば、他の都市の市民もおとなしくなりますから」、なるほど。
・『開港と“西洋譲り”の思考回路は上海・香港共通 上海は、以前から欧米との接点を持つ人口が一定の層を成し、それゆえ合理的な思考と自由主義的な志向が強い地域ともいわれてきた。ゼロコロナを徹底しようとする当局に対しては「違法行為につき訴える」と歯向かう市民もいたように、党の指導に異議を唱える人たちが一段と増えた。そんな上海からは、「開港」の歴史で香港と共通する文化的素地が見えてくる』、「開港と“西洋譲り”の思考回路は上海・香港共通」、確かにその通りだ。
・『香港返還25年の年に上海封鎖の因縁、中国の2大「制御不能都市」陥落の意味 香港は1841年、上海は1842年に、いずれも英国によって開港させられた都市だ。今なお残る当時の西洋建築からは、文化や制度や思想面でも大きく影響を受けたことが垣間見える。 二つの都市の市民には、「新しい物好きで、多様な価値に抵抗がなく、なおかつ遵法精神があるなどといった面で、共通するものがある」(澎拜新聞)。こうした点こそ“西洋譲り”といえるだろう。 戦後から1950年代にかけて、共産党による内戦と建国を嫌い、上海から多くの住民が英領香港に命からがら逃げ込んだ。その結果、香港島の北角(ノースポイント)は移民が増え、「リトル上海」と呼ばれたそうだ。ベッドタウンで知られる新界(ニューテリトリー)の荃湾(ツェンワン)でも上海語を使う住民が多かったといわれている。上海で財を成した実業家や映画人も、香港に渡り活躍した。 このとき、19世紀に香港に拠点を設け、大陸の港湾都市に支店網を張り巡らしたイギリス資本の香港上海銀行(以下、HSBC)も、上海支店を残して香港に退去した。当時の上海には、公債、株、先物などの金融業に従事する人材もいたが、彼らも香港に移住した。 HSBCは当時、大陸での金融業を独占し、中国経済に深く入り込み、また本拠地の香港でも、特殊な地位と特権とともに金融市場を支配した。1949年、大陸では新中国が誕生、その後共産党政権のもとで混乱が続く中、香港は経済の発展期に突入し、アジアの国際金融センターとして成長した。 ところが、1978年以降、中国が改革開放(市場経済)路線に転換すると、逆の流れが始まった。 香港系資本が上海などの諸都市で投資に乗り出したのだ。特に不動産開発は香港系が得意とするところで、黎明(れいめい)期の上海の不動産市場をけん引した。こうして地下では互いに深いつながりを持ちながら、“兄貴分”としての香港が上海の発展に大きく貢献した。上海が国際金融センターとしての地位を築いたのも、香港との関係と無縁ではなく、2010年代は互いに競い合いながらも協力関係を構築してきた。 HSBCについて言えば、中国の改革開放を商機と読み、1997年の香港返還とともにアジア本部を香港から上海に移転させようとしていた。2000年、森ビルは浦東・陸家嘴に開発したオフィスビルの名称をHSBCに譲渡し、「HSBCタワー(現在の恒生銀行大廈)」と変更したが、これは再び上海が国際金融センターになることを意味していた。 このように、香港の発展には上海系の力が、上海の発展には香港系の力が相互に作用しあっていた』、「香港の発展には上海系の力が、上海の発展には香港系の力が相互に作用しあっていた」、それほど深い関係があったとは初めて知った。
・『上海でも人や資本の流出が始まるか 他方、香港の繁栄のシナリオは1997年の中国返還以降、徐々に狂いを見せた。 1984年12月、当時の英首相マーガレット・サッチャー氏と中国国務院総理の趙紫陽氏が「英中共同声明」に署名した。「中国は一国二制度をもとに、中国の社会主義を香港で実施せず、香港の資本主義の制度は50年間(2047年まで)維持される」とする公約のもと、香港は英国から中国に返還された。 ところが中国は、「50年間不変」とした公約をほごにしたため、学生層は “民主と自由”を求めて大反発した。2014年には、3年後(2017年)に予定されていた普通選挙の導入が事実上撤回されたことに抗議する「雨傘革命」が、5年後の2019年には、逃亡犯条例の改正に反対する「時代革命」が起こった。 警察とデモ隊の武力衝突やデモ隊による地下鉄駅や銀行の破壊などで、香港は大混乱に陥った。中央政府が徐々に干渉や圧力を強化した結果、一部の企業や資本は香港から撤退し、また一部の香港人や外国人も生活や仕事の拠点を他の国に移す事態となった。 そして今、上海では似たような現象が見られる。当局による“ロックダウン”という締め付けで、一部の外国人は上海から出国(もしくはその計画)を進めているのだ。上海市民の間では一時、隠語を使った「移民」情報の検索が激増したが、当局は中国人の不要不急の出国に制限をかけた。 今回のロックダウンにより、上海市民は「兵糧攻め」さながらのやり方で苦しめられた。市内に26ある総合病院も診療停止となり、急患ですらPCR検査が前提だという非合理的なルールが敷かれ、命を落とした市民もいる。陽性者は劣悪な環境の野戦病院に連行されるが、鼻っ柱の強い上海住民は警察権力などものともせずに闘い続けた。マンションや小区にまで視察に来た李強氏に食ってかかる住民もいた。「食ってかかる」とはつまり習政権に歯向かうことを意味する。だからこそ、上海市民を幽閉して“おきゅうを据える”必要があったのだろう。前出の王忠義さんはこう語っている。 「習指導部からすれば、上海市民が“革命”など企てたらたまったものではありません。その押さえ込みのためにコロナを利用して、長期にわたり上海市民を監禁する。それが中央政府の上海に対する“おきゅう”だったのではないかと私は考えています」 「香港デモ」は制圧され、その後急速に「中国化」が進み、香港はすっかり骨抜きにされてしまった。支配のためには経済発展も台無しにするそのやり方は、上海でも繰り返されるのだろうか。 中国共産党が完全な支配を実現させる上での“目の上のコブ”は、西洋文化の影響を受けた香港であり上海だった。そういう“西側の精神”が根付く都市を衰退させ、トンキン湾が囲む海南島を香港に取って代わる自由貿易港と国際的商業都市にする――習氏の野望はここにつながっていくのではないだろうか』、「中国共産党が完全な支配を実現させる上での“目の上のコブ”は、西洋文化の影響を受けた香港であり上海だった。そういう“西側の精神”が根付く都市を衰退させ、トンキン湾が囲む海南島を香港に取って代わる自由貿易港と国際的商業都市にする――習氏の野望はここにつながっていくのではないだろうか」、「習氏の野望」は冷静な計算抜きにした大雑把なもののようだ。
次に、6月28日付け東洋経済オンラインが転載した財新 Biz&Tech 「コロナ禍の香港から「金融専門人材」の流出続く 金融管理局や証券先物委員会でも離職率上昇」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/598270
・『2020年に新型コロナウイルスの世界的大流行が始まって以降、香港政府は海外からの入境者に対する(中国本土に準じた)厳格な水際対策を続けている。そんななか、香港の金融業界では海外から派遣された駐在員や専門知識を持つ人材の流出に歯止めがかからなくなっている。 香港金融管理局(HKMA)の余偉文(エディー・ユー)総裁は6月13日、同局職員の2021年の離職率が7%に上ったことを明らかにした。過去の離職率はおおむね3~4%だったのと比較して大幅な上昇だ。 余氏によれば、2021年の離職者はIT(情報技術)分野の人材が最も多かった。彼らはIT技術を駆使した金融機関の検査・監督や、同局の業務プロセスのデジタル化などに携わっていたという。 HKMAは香港政府の金融監督機関であると同時に、事実上の中央銀行でもある。香港の金融業界で最もステータスの高い組織の1つだ。香港政府の開示資料によれば、2021年初め時点の職員数は948人。しかし定員は1005人であることから、全体の5%を超える欠員が生じている状況だ』、「香港金融管理局」の「職員の2021年の離職率が7%に上った」、確かに通常の倍と多いようだ。
・『行政長官は「将来を楽観」と言うが… 人材流出が顕著なのはHKMAだけではない。香港証券先物委員会(SFC)の雷添良(ティム・ルイ)主席は、2月7日に開催された香港立法評議会の金融サービス委員会で、SFCの職員の離職率が2020年の5.1%から2021年は12%に上昇したことを明らかにした。 雷氏によれば、離職者の増加の背景には金融業界内での人材争奪戦の激化や、香港から海外への移民の増加がある。そこでSFCは、職員の報酬や昇進の見直し、働き方の多様化などあの手この手の対策を打ち、人材の呼び戻しを図っている。SFCの2022~2023会計年度の人件費予算は、前年度より1億4100万香港ドル(約24億円)増額された。 本記事は「財新」の提供記事です 香港政府トップの林鄭月娥(キャリー・ラム)行政長官は6月12日、金融専門人材の流出問題について公開の場で次のように発言した。 「香港の(国際金融センターとしての)優位性は、他所がたやすく取って代われるものではない。(北京の)中央政府も香港を強力に支援してくれている。香港には内外の人材を再び引き寄せる力があり、私は将来を楽観している」、「香港証券先物委員会」の「職員の離職率が2020年の5.1%から2021年は12%に上昇」、「林鄭月娥行政長官」の強気発言はどう見ても無理があり、「金融専門人材の流出問題」の深刻さを表していると見るべきだろう。
第三に、12月25日付け東洋経済オンラインが掲載したライター・行政書士の熊野 雅恵氏による「1377人逮捕「香港理工大包囲事件」現場で見た衝撃 学内でその様子を撮影した監督に話を聞く」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/641227
・『2019年11月、香港で発生した逃亡犯条例改正反対デモで最多となる1377 名の逮捕者を出した香港理工大学包囲事件。デモ参加者として学内でその様子を撮影した『理大囲城』は香港では上映禁止となったものの、世界の映画祭を席巻。今回は、同作品を監督した「香港ドキュメンタリー映画工作者」に撮影時のエピソードや現在の香港の様子について話を聞いた。 【あらすじ】香港屈指の繁華街にある香港理工大学を警官隊が包囲し、デモ隊と学生はキャンパスで13 日間に及ぶ籠城を余儀なくされた。警察とデモ隊たちの激しい攻防によりキャンパスには火の手が上がる中、デモ隊は「残るか、去るか」の決断を迫られる。個人情報と引き換えに警察が投降を迫る中、暴動罪で逮捕されれば懲役 10 年を課せられる恐怖と仲間を裏切る後ろめたさによって、デモ隊の心はかき乱される……。ロープを使い橋から飛び降り支援者のバイクで脱出する者、下水道から脱出する者、最後まで大学に留まり戦い続けようとする者。彼らの行く手に待つものは―― ――香港理工大学(以下、「理大」)に籠城していたのは若い世代だと思うのですが、日本でも1960年代後半と1970年代後半に学生運動が、また北京では1989年に多くの若者たちが命を落とした天安門事件があり、いずれも敗北に終わっています。彼らはそのことは意識していたのでしょうか。 日本もしかり、中国もしかり、彼らは政府に対する抵抗運動が敗北に終わったケースがたくさんあるのはわかっていました。 でも、「失敗するのをわかりながらも戦わなくてはいけない」という気持ちが学生たちの中にあったんです。 当初は「Be Water」というキャッチフレーズが付くぐらいにデモ隊は縦横無尽に街中を占拠しており、それは文字通りまるで水のようでした。 ところが、後半になるにつれて、デモはストリートから、ロケーション(場所)に変化していきました。すでに水のように柔軟に神出鬼没に表れてデモをするという雰囲気ではなくなっていました。 それはデモ隊の若者が駐車場の4階から転落して亡くなってしまった事件がきっかけでした。いまだに真相はわかりませんが、その事件をきっかけにデモ隊の中に「復讐しなくてはならない」と怒りをあらわにする人たちが出てきたのです。 理大での籠城が発生した当時、デモは後半に差しかかっていましたが、状況はよくなっているとはいえず、学生たちも運動全体に対して悲観的になっていました。ただ、失望がありながらも、「家にじっとしていられない」と思った人たちがあの大学の建物の中にいたんです。 そういう意味では、失敗するとわかっていたかもしれないけど、体の方が動いてしまっていたし、わずかな希望にかけていました。民主化は確かに失敗続きでした。でも、今回は変われるかもしれない、少しは違う結果があるかもしれないと。 さらにこの世代で結果が出なくても、この運動が次の世代に何かしらの意義や意味をもたらして、次の機会に変えられるきっかけになるかもしれない。そうした希望や期待を持って立てこもっていた人たちは多くいました。 一方で、理大に籠城した学生の参加者たちの討論で、よく聞いたのは「悲観的になって行動を起こさない人たちや運動から引いて行ってしまった人たちに対して失望した」という言葉でした。デモから撤退する人もいる中、籠城した人たちは強い意志を持って運動に参加している人たちだったんです(Qは聞き手の質問、Aは回答)』、「香港理工大学」の事件は記憶にないが、どうなったのだろう。
・『「自由を奪われたくない」若い世代 Q:学生たちの祖父母の世代は、元々自由のない環境で育って、香港に移住して自由を満喫したという感覚が強く、孫に向かってデモへの参加を辞めるように叱責しているという話も聞きました。一方で若い世代は自由を守ろうと必死になっています。 A:若い世代はインターネット世代なので、リアルタイムに世界中から入って来る様々な情報に影響されています。 そうした環境の中で、中国により自分たち香港人の文化が奪われてしまう、いわば「文化の侵食」ですが、そのことに対してとても敏感になっていると感じました。) 複雑な社会背景の中で、より自分たちの住んでいる場所である香港の文化を守りたいという気持ちが他の世代に比べて強いのかもしれません。 そのことが、2019年4月に犯罪容疑者の中国本土引き渡しを可能にする逃亡犯条例改定案が議会に上がったときに、デモへと駆り立てたのではないでしょうか。中国に移送される恐怖をほかの世代よりも敏感に感じ取っていたと思います。 Q:香港のデモは2020年に入って始まったコロナ禍により、デモそのものができなくなってしまい、鎮静化の一途を辿ってしまいました。デモに参加した人たちはその後、どうしているのでしょうか。 A:デモのリーダー格の人たちの多くは出国したか、当局によって刑務所に入れられたかのどちらかです。 では香港に残った人たちがどのような生活をしているかということについては、むしろ私たちが知りたい、知って取り上げたいという気持ちです。これから調査したいと思っています。 一時的ではあるかもしれませんが、絶望して、香港の政治的な出来事から意識してすべて離れるという人もいるでしょう。また、いわゆる「ブタ(港猪/香港の豚の意味)」になった人(=政治に無関心になった人)もいるかもしれません。 でもそれは一時的なもので、例えばコロナが完全に収束したり、もしくは2019年に起こったデモのような大きな出来事があったとき、また覚醒して再度姿を現すのではないかと。そこは希望も込めてそのように思っています』、「でもそれは一時的なもので、例えばコロナが完全に収束したり、もしくは2019年に起こったデモのような大きな出来事があったとき、また覚醒して再度姿を現すのではないかと。そこは希望も込めてそのように思っています」、根拠に乏しい希望的観測に過ぎないようだ。
・『子どもの将来を考えて移住する人 Q:人材の海外流出は進んでいると思いますか。 A:全員が香港を離れようとしているわけではありません。ただ、現実に人材流出は起きているとは思います。 台湾やイギリスに移住した人もいました。あくまで自分の肌感覚ですが、やはり高学歴でスキルがあり、どこの国でも働ける人や、子どものいる人が彼らの将来を案じて香港を離れるという決断をする人が多いです。 一方で、とても有能な人が香港に残っていることも事実で、こういう時期だからこそと、お互いに支え合ったり、励まし合っている人たちもいます。 Q:2022年7月に林鄭月娥(キャリー・ラム)に代わり、新たに警察出身の李家超(ジョン・リー)が行政長官に就任しました。デモ以後、香港では天安門事件に関する記述が教科書から消えたと聞きましたが、いわゆる「表現規制」は進んでいると感じますか。 A:確かに、天安門事件に関する歴史の教科書における記述は少なくなっています。また、報道全般において、政治的なニュースの量が減っていたり、政府にとって不都合な事実は明らかに隠そうとしているように感じます。 表現規制は政策レベルで実施しています。少し前にも、政府に対して批判的なコメントをSNSに掲載しただけで、国家安全維持法に抵触し、訴追されるということがありました。 2020年6月に成立した国家安全維持法はとても曖昧な内容だったので、私たちの生活はどんな風に変わるのか、当時はわかりませんでした。しかし、今、香港で生活をしていて感じるのは、自由な表現空間は間違いなく縮小傾向にあるということです。 Q:被写体とカメラの距離が近いように感じましたが、どのようにして撮影していたのでしょうか。 A:現場でカメラを回していると目立つので、被写体の人たちは自分が撮影されていることはわかっています。撮る前に、名前や撮影したいことなど自分の情報をいったうえで「これから撮影したい」とボディランゲージで伝えていました。 例えば大きな決定をするときの会議などにも立ち会い、撮影していますが、おそらくその時にはもう誰もカメラを気にしていなかったと思います。すべての撮影について了承している、という状況で撮影していました』、「撮る前に、名前や撮影したいことなど自分の情報をいったうえで「これから撮影したい」とボディランゲージで伝えていました」、やむを得ないテクニックだ。
・『なかったことにされたくない Q:撮影中に印象に残ったことはありましたか。 A:「今の自分を記録してほしい」というリクエストを受けました。13日間の撮影の後半に現場にいた学生たちが私たちにインタビューをして欲しいと声を掛けてきたのです。 そのとき、私たちは彼らの考えや感じたことなどを聞きました。香港のデモは公式には「違法な出来事」として存在しなかったことにされる可能性もあります。 その瞬間の自分を記録できるのは、そこにいた人しかいない。記録されなければそこで過ごした時間がなかったことになってしまうかもしれない。その瞬間の自分を残してほしい、という切実な願いがありました。 また、籠城していた13日間は理大の外に出ることはできませんでした。私は食べ物がなくパンばかり食べていたのですが、デモの参加者の一人が鶏のもも肉をみつけて、学食で唐揚げを作ったんです。 それを見て私は「美味しそうだな」と思ったのですが、デモの参加者は「この唐揚げは僕の人生で最後の食事になるかもしれない。あなたはまだ外でいくらでも食べられる」といわれました。それがとても衝撃的で、忘れられない瞬間でした。それほどまでに覚悟をして籠城していたんですね』、「香港のデモは公式には「違法な出来事」として存在しなかったことにされる可能性もあります。 その瞬間の自分を記録できるのは、そこにいた人しかいない。記録されなければそこで過ごした時間がなかったことになってしまうかもしれない。その瞬間の自分を残してほしい、という切実な願いがありました」、自己満足の色彩が濃いようだ。
・『記憶されることの大切さ Q:現地を取材していて、外国メディアも含めて、マスメディアによる報道が香港当局や中国政府に対してプレッシャーを与えることができていると感じましたか。 A:アメリカのCNNやBBCなど国際的に大きなメディアの記者たちは数多くいましたし、デモのライブ中継もかなり見かけました。 ただ、デモの現場でもよく討論されていましたが、現場レベルでは「報道が政府に対してプレッシャーを与えている」という実感はあまりなかったというのが正直なところです。 メディアが盛り上がって取り上げても、そのことが現場に影響を与えていたことはなかったように感じました。報道によって政府の決断が変わったかというと、結果としてそれはなかった。そういう意味では、報道は失敗に終わっているところもあるかと思います。 しかし、もう少し視点、視界を広く持つと、世界のメディアでこの問題が取り上げられるということは、世界の人々に記憶されるということでもあると思います。 「記憶される」ということは香港に残ると決めた人たち、もしくはデモに参加したことがある人たちにとってはとても有意義なことです。自分が自由を求めて戦った記録として後世に伝えることができるし、世界の人々に記憶されれば、協力者が増えて民主化への流れを作りやすくなるかもしれません。 そのことが香港に残った人たちにとってこれからの香港での活動や生活をあきらめない理由につながると思っています。 私たちは映像制作者として、やはりメディアの力、映像の力を信じています。今の香港の状況がメディアに取り上げられることによって、その存在を世界から忘れ去られることを防ぐことができる。そしてそれはそのまま、現地でも海外でも自由を求めて活動している人たちの励みになるんです。そのことを信じてこれからも取材を続けていきたいです』、「私たちは映像制作者として、やはりメディアの力、映像の力を信じています。今の香港の状況がメディアに取り上げられることによって、その存在を世界から忘れ去られることを防ぐことができる。そしてそれはそのまま、現地でも海外でも自由を求めて活動している人たちの励みになるんです。そのことを信じてこれからも取材を続けていきたいです」、「メディア」関係者の思い上がりのような気がする。専制主義政府に対しては、そんな力はないと考えるべきではないだろうか。
第三に、12月25日付け東洋経済オンラインが掲載した ライター・行政書士の熊野 雅恵氏による「1377人逮捕「香港理工大包囲事件」現場で見た衝撃 学内でその様子を撮影した監督に話を聞く」を紹介しよう。
・『2019年11月、香港で発生した逃亡犯条例改正反対デモで最多となる1377 名の逮捕者を出した香港理工大学包囲事件。デモ参加者として学内でその様子を撮影した『理大囲城』は香港では上映禁止となったものの、世界の映画祭を席巻。今回は、同作品を監督した「香港ドキュメンタリー映画工作者」に撮影時のエピソードや現在の香港の様子について話を聞いた。 【あらすじ】香港屈指の繁華街にある香港理工大学を警官隊が包囲し、デモ隊と学生はキャンパスで13 日間に及ぶ籠城を余儀なくされた。警察とデモ隊たちの激しい攻防によりキャンパスには火の手が上がる中、デモ隊は「残るか、去るか」の決断を迫られる。個人情報と引き換えに警察が投降を迫る中、暴動罪で逮捕されれば懲役 10 年を課せられる恐怖と仲間を裏切る後ろめたさによって、デモ隊の心はかき乱される……。ロープを使い橋から飛び降り支援者のバイクで脱出する者、下水道から脱出する者、最後まで大学に留まり戦い続けようとする者。彼らの行く手に待つものは―― ――香港理工大学(以下、「理大」)に籠城していたのは若い世代だと思うのですが、日本でも1960年代後半と1970年代後半に学生運動が、また北京では1989年に多くの若者たちが命を落とした天安門事件があり、いずれも敗北に終わっています。彼らはそのことは意識していたのでしょうか。 日本もしかり、中国もしかり、彼らは政府に対する抵抗運動が敗北に終わったケースがたくさんあるのはわかっていました。 でも、「失敗するのをわかりながらも戦わなくてはいけない」という気持ちが学生たちの中にあったんです。 当初は「Be Water」というキャッチフレーズが付くぐらいにデモ隊は縦横無尽に街中を占拠しており、それは文字通りまるで水のようでした。) ところが、後半になるにつれて、デモはストリートから、ロケーション(場所)に変化していきました。すでに水のように柔軟に神出鬼没に表れてデモをするという雰囲気ではなくなっていました。 それはデモ隊の若者が駐車場の4階から転落して亡くなってしまった事件がきっかけでした。いまだに真相はわかりませんが、その事件をきっかけにデモ隊の中に「復讐しなくてはならない」と怒りをあらわにする人たちが出てきたのです。 理大での籠城が発生した当時、デモは後半に差しかかっていましたが、状況はよくなっているとはいえず、学生たちも運動全体に対して悲観的になっていました。ただ、失望がありながらも、「家にじっとしていられない」と思った人たちがあの大学の建物の中にいたんです。 そういう意味では、失敗するとわかっていたかもしれないけど、体の方が動いてしまっていたし、わずかな希望にかけていました。民主化は確かに失敗続きでした。でも、今回は変われるかもしれない、少しは違う結果があるかもしれないと。 さらにこの世代で結果が出なくても、この運動が次の世代に何かしらの意義や意味をもたらして、次の機会に変えられるきっかけになるかもしれない。そうした希望や期待を持って立てこもっていた人たちは多くいました。 一方で、理大に籠城した学生の参加者たちの討論で、よく聞いたのは「悲観的になって行動を起こさない人たちや運動から引いて行ってしまった人たちに対して失望した」という言葉でした。デモから撤退する人もいる中、籠城した人たちは強い意志を持って運動に参加している人たちだったんです(Qは聞き手の質問、Aは回答)』、「デモから撤退する人もいる中、籠城した人たちは強い意志を持って運動に参加している人たちだった」、なるほど。
・『「自由を奪われたくない」若い世代 Q:学生たちの祖父母の世代は、元々自由のない環境で育って、香港に移住して自由を満喫したという感覚が強く、孫に向かってデモへの参加を辞めるように叱責しているという話も聞きました。一方で若い世代は自由を守ろうと必死になっています。 A:若い世代はインターネット世代なので、リアルタイムに世界中から入って来る様々な情報に影響されています。 そうした環境の中で、中国により自分たち香港人の文化が奪われてしまう、いわば「文化の侵食」ですが、そのことに対してとても敏感になっていると感じました。) 複雑な社会背景の中で、より自分たちの住んでいる場所である香港の文化を守りたいという気持ちが他の世代に比べて強いのかもしれません。 そのことが、2019年4月に犯罪容疑者の中国本土引き渡しを可能にする逃亡犯条例改定案が議会に上がったときに、デモへと駆り立てたのではないでしょうか。中国に移送される恐怖をほかの世代よりも敏感に感じ取っていたと思います。 Q:香港のデモは2020年に入って始まったコロナ禍により、デモそのものができなくなってしまい、鎮静化の一途を辿ってしまいました。デモに参加した人たちはその後、どうしているのでしょうか。 A:デモのリーダー格の人たちの多くは出国したか、当局によって刑務所に入れられたかのどちらかです。 では香港に残った人たちがどのような生活をしているかということについては、むしろ私たちが知りたい、知って取り上げたいという気持ちです。これから調査したいと思っています。 一時的ではあるかもしれませんが、絶望して、香港の政治的な出来事から意識してすべて離れるという人もいるでしょう。また、いわゆる「ブタ(港猪/香港の豚の意味)」になった人(=政治に無関心になった人)もいるかもしれません。 でもそれは一時的なもので、例えばコロナが完全に収束したり、もしくは2019年に起こったデモのような大きな出来事があったとき、また覚醒して再度姿を現すのではないかと。そこは希望も込めてそのように思っています』、「例えばコロナが完全に収束したり、もしくは2019年に起こったデモのような大きな出来事があったとき、また覚醒して再度姿を現すのではないかと。そこは希望も込めてそのように思っています」、甘い希望的観測の色彩が濃い。
・『子どもの将来を考えて移住する人 Q:人材の海外流出は進んでいると思いますか。 A:全員が香港を離れようとしているわけではありません。ただ、現実に人材流出は起きているとは思います。 台湾やイギリスに移住した人もいました。あくまで自分の肌感覚ですが、やはり高学歴でスキルがあり、どこの国でも働ける人や、子どものいる人が彼らの将来を案じて香港を離れるという決断をする人が多いです。 一方で、とても有能な人が香港に残っていることも事実で、こういう時期だからこそと、お互いに支え合ったり、励まし合っている人たちもいます。) Q:2022年7月に林鄭月娥(キャリー・ラム)に代わり、新たに警察出身の李家超(ジョン・リー)が行政長官に就任しました。デモ以後、香港では天安門事件に関する記述が教科書から消えたと聞きましたが、いわゆる「表現規制」は進んでいると感じますか。 A:確かに、天安門事件に関する歴史の教科書における記述は少なくなっています。また、報道全般において、政治的なニュースの量が減っていたり、政府にとって不都合な事実は明らかに隠そうとしているように感じます。 表現規制は政策レベルで実施しています。少し前にも、政府に対して批判的なコメントをSNSに掲載しただけで、国家安全維持法に抵触し、訴追されるということがありました。 2020年6月に成立した国家安全維持法はとても曖昧な内容だったので、私たちの生活はどんな風に変わるのか、当時はわかりませんでした。しかし、今、香港で生活をしていて感じるのは、自由な表現空間は間違いなく縮小傾向にあるということです。 Q:被写体とカメラの距離が近いように感じましたが、どのようにして撮影していたのでしょうか。 A:現場でカメラを回していると目立つので、被写体の人たちは自分が撮影されていることはわかっています。撮る前に、名前や撮影したいことなど自分の情報をいったうえで「これから撮影したい」とボディランゲージで伝えていました。 例えば大きな決定をするときの会議などにも立ち会い、撮影していますが、おそらくその時にはもう誰もカメラを気にしていなかったと思います。すべての撮影について了承している、という状況で撮影していました』、「現場でカメラを回していると目立つので、被写体の人たちは自分が撮影されていることはわかっています。撮る前に、名前や撮影したいことなど自分の情報をいったうえで「これから撮影したい」とボディランゲージで伝えていました」、「ボディランゲージで伝えていました」とはやむを得ない技ではある。
・『なかったことにされたくない Q:撮影中に印象に残ったことはありましたか。 A:「今の自分を記録してほしい」というリクエストを受けました。13日間の撮影の後半に現場にいた学生たちが私たちにインタビューをして欲しいと声を掛けてきたのです。 そのとき、私たちは彼らの考えや感じたことなどを聞きました。香港のデモは公式には「違法な出来事」として存在しなかったことにされる可能性もあります。 その瞬間の自分を記録できるのは、そこにいた人しかいない。記録されなければそこで過ごした時間がなかったことになってしまうかもしれない。その瞬間の自分を残してほしい、という切実な願いがありました。 また、籠城していた13日間は理大の外に出ることはできませんでした。私は食べ物がなくパンばかり食べていたのですが、デモの参加者の一人が鶏のもも肉をみつけて、学食で唐揚げを作ったんです。 それを見て私は「美味しそうだな」と思ったのですが、デモの参加者は「この唐揚げは僕の人生で最後の食事になるかもしれない。あなたはまだ外でいくらでも食べられる」といわれました。それがとても衝撃的で、忘れられない瞬間でした。それほどまでに覚悟をして籠城していたんですね』、「デモの参加者は「この唐揚げは僕の人生で最後の食事になるかもしれない」、「それほどまでに覚悟をして籠城していた」、なるほど。
・『記憶されることの大切さ Q:現地を取材していて、外国メディアも含めて、マスメディアによる報道が香港当局や中国政府に対してプレッシャーを与えることができていると感じましたか。 A:アメリカのCNNやBBCなど国際的に大きなメディアの記者たちは数多くいましたし、デモのライブ中継もかなり見かけました。 ただ、デモの現場でもよく討論されていましたが、現場レベルでは「報道が政府に対してプレッシャーを与えている」という実感はあまりなかったというのが正直なところです。 メディアが盛り上がって取り上げても、そのことが現場に影響を与えていたことはなかったように感じました。報道によって政府の決断が変わったかというと、結果としてそれはなかった。そういう意味では、報道は失敗に終わっているところもあるかと思います。 しかし、もう少し視点、視界を広く持つと、世界のメディアでこの問題が取り上げられるということは、世界の人々に記憶されるということでもあると思います。 「記憶される」ということは香港に残ると決めた人たち、もしくはデモに参加したことがある人たちにとってはとても有意義なことです。自分が自由を求めて戦った記録として後世に伝えることができるし、世界の人々に記憶されれば、協力者が増えて民主化への流れを作りやすくなるかもしれません。 そのことが香港に残った人たちにとってこれからの香港での活動や生活をあきらめない理由につながると思っています。 私たちは映像制作者として、やはりメディアの力、映像の力を信じています。今の香港の状況がメディアに取り上げられることによって、その存在を世界から忘れ去られることを防ぐことができる。そしてそれはそのまま、現地でも海外でも自由を求めて活動している人たちの励みになるんです。そのことを信じてこれからも取材を続けていきたいです』、「私たちは映像制作者として、やはりメディアの力、映像の力を信じています。今の香港の状況がメディアに取り上げられることによって、その存在を世界から忘れ去られることを防ぐことができる。そしてそれはそのまま、現地でも海外でも自由を求めて活動している人たちの励みになるんです。そのことを信じてこれからも取材を続けていきたいです」、「映像制作者」の自己満足といった印象が拭えない。私にはやはり圧倒的な中国側の力に負けたとしか思えない。
先ずは、6月24日付けダイヤモンド・オンラインが掲載したジャーナリストの姫田小夏氏による「香港返還25年の年に上海封鎖の因縁、中国の2大「制御不能都市」陥落の意味」を紹介しよう。
・『156年間イギリスの統治下にあった香港が、1997年7月1日に中国へ返還されてから間もなく25年がたつ。くしくもその直前に、香港と肩を並べる国際都市の上海で、2カ月にもわたる厳格なロックダウンが断行された。オミクロン株の感染拡大防止には非有効的といえる上海での措置は、3年前の「香港100万人デモ」の鎮圧と通底するものがある。上海と香港の2都市の歴史にさかのぼり、今後の上海の行方を深読みしてみた』、興味深そうだ。
・『市民を中央政府に服従させることが狙いか 香港返還から25年を迎えた今年、上海ではロックダウンが断行されたことに因縁を感じるのは行き過ぎでもないだろう。 少なくともこの2都市には共通点がある。それは、中央政府のコントロールが利かない“制御不能な都市”ということだ。それを象徴する出来事が、最近では2019年の「香港100万人デモ」と、大胆な住民の反発が起こった今回の「上海ロックダウン」だ。 習近平国家主席の”子飼い”と言われる上海市トップの李強氏(上海市共産党委員会書記)を歯牙にもかけない上海市民の態度は、習氏をして「自分への対抗意識」と警戒させた節がある。 上海は、習氏にとって天敵と言える江沢民派閥の牙城であった。習氏は2012年の党総書記就任以降、「反腐敗運動」を展開して上海閥の一掃に本腰を入れた。1991年から続いた「上海市長は、地元で経験を積んだ官僚が就く」という慣例が2020年に破られたのもその一例で、中央から“子飼い”が派遣されるという人事に、上海市民は不満を高めていた。 こうした一連の“上海つぶし”も、裏を返せば、そこに独特な政治風土があるからだと解釈できるだろう。 そんな上海で行われた今回のロックダウンは、2500万人もの市民を「自宅に幽閉」するもので、「最低限の外出」を許可した武漢市のロックダウンと比較しても、かなりの強硬措置だったことがうかがえる。上海出身の妻を持つ台湾人の王忠義さん(仮名)は、今回のロックダウンの背景をこう解釈している。 「ゼロコロナを大義名分に、上海市民を中央政府に服従させることが狙いだと思いました。軟禁同然の厳しい措置は、共産党の指示に従う習慣を養うためであり、いわば“市民教育の一環”ではないかと。上海市民がおとなしくなれば、他の都市の市民もおとなしくなりますから」』、「「ゼロコロナを大義名分に、上海市民を中央政府に服従させることが狙いだと思いました。軟禁同然の厳しい措置は、共産党の指示に従う習慣を養うためであり、いわば“市民教育の一環”ではないかと。上海市民がおとなしくなれば、他の都市の市民もおとなしくなりますから」、なるほど。
・『開港と“西洋譲り”の思考回路は上海・香港共通 上海は、以前から欧米との接点を持つ人口が一定の層を成し、それゆえ合理的な思考と自由主義的な志向が強い地域ともいわれてきた。ゼロコロナを徹底しようとする当局に対しては「違法行為につき訴える」と歯向かう市民もいたように、党の指導に異議を唱える人たちが一段と増えた。そんな上海からは、「開港」の歴史で香港と共通する文化的素地が見えてくる』、「開港と“西洋譲り”の思考回路は上海・香港共通」、確かにその通りだ。
・『香港返還25年の年に上海封鎖の因縁、中国の2大「制御不能都市」陥落の意味 香港は1841年、上海は1842年に、いずれも英国によって開港させられた都市だ。今なお残る当時の西洋建築からは、文化や制度や思想面でも大きく影響を受けたことが垣間見える。 二つの都市の市民には、「新しい物好きで、多様な価値に抵抗がなく、なおかつ遵法精神があるなどといった面で、共通するものがある」(澎拜新聞)。こうした点こそ“西洋譲り”といえるだろう。 戦後から1950年代にかけて、共産党による内戦と建国を嫌い、上海から多くの住民が英領香港に命からがら逃げ込んだ。その結果、香港島の北角(ノースポイント)は移民が増え、「リトル上海」と呼ばれたそうだ。ベッドタウンで知られる新界(ニューテリトリー)の荃湾(ツェンワン)でも上海語を使う住民が多かったといわれている。上海で財を成した実業家や映画人も、香港に渡り活躍した。 このとき、19世紀に香港に拠点を設け、大陸の港湾都市に支店網を張り巡らしたイギリス資本の香港上海銀行(以下、HSBC)も、上海支店を残して香港に退去した。当時の上海には、公債、株、先物などの金融業に従事する人材もいたが、彼らも香港に移住した。 HSBCは当時、大陸での金融業を独占し、中国経済に深く入り込み、また本拠地の香港でも、特殊な地位と特権とともに金融市場を支配した。1949年、大陸では新中国が誕生、その後共産党政権のもとで混乱が続く中、香港は経済の発展期に突入し、アジアの国際金融センターとして成長した。 ところが、1978年以降、中国が改革開放(市場経済)路線に転換すると、逆の流れが始まった。 香港系資本が上海などの諸都市で投資に乗り出したのだ。特に不動産開発は香港系が得意とするところで、黎明(れいめい)期の上海の不動産市場をけん引した。こうして地下では互いに深いつながりを持ちながら、“兄貴分”としての香港が上海の発展に大きく貢献した。上海が国際金融センターとしての地位を築いたのも、香港との関係と無縁ではなく、2010年代は互いに競い合いながらも協力関係を構築してきた。 HSBCについて言えば、中国の改革開放を商機と読み、1997年の香港返還とともにアジア本部を香港から上海に移転させようとしていた。2000年、森ビルは浦東・陸家嘴に開発したオフィスビルの名称をHSBCに譲渡し、「HSBCタワー(現在の恒生銀行大廈)」と変更したが、これは再び上海が国際金融センターになることを意味していた。 このように、香港の発展には上海系の力が、上海の発展には香港系の力が相互に作用しあっていた』、「香港の発展には上海系の力が、上海の発展には香港系の力が相互に作用しあっていた」、それほど深い関係があったとは初めて知った。
・『上海でも人や資本の流出が始まるか 他方、香港の繁栄のシナリオは1997年の中国返還以降、徐々に狂いを見せた。 1984年12月、当時の英首相マーガレット・サッチャー氏と中国国務院総理の趙紫陽氏が「英中共同声明」に署名した。「中国は一国二制度をもとに、中国の社会主義を香港で実施せず、香港の資本主義の制度は50年間(2047年まで)維持される」とする公約のもと、香港は英国から中国に返還された。 ところが中国は、「50年間不変」とした公約をほごにしたため、学生層は “民主と自由”を求めて大反発した。2014年には、3年後(2017年)に予定されていた普通選挙の導入が事実上撤回されたことに抗議する「雨傘革命」が、5年後の2019年には、逃亡犯条例の改正に反対する「時代革命」が起こった。 警察とデモ隊の武力衝突やデモ隊による地下鉄駅や銀行の破壊などで、香港は大混乱に陥った。中央政府が徐々に干渉や圧力を強化した結果、一部の企業や資本は香港から撤退し、また一部の香港人や外国人も生活や仕事の拠点を他の国に移す事態となった。 そして今、上海では似たような現象が見られる。当局による“ロックダウン”という締め付けで、一部の外国人は上海から出国(もしくはその計画)を進めているのだ。上海市民の間では一時、隠語を使った「移民」情報の検索が激増したが、当局は中国人の不要不急の出国に制限をかけた。 今回のロックダウンにより、上海市民は「兵糧攻め」さながらのやり方で苦しめられた。市内に26ある総合病院も診療停止となり、急患ですらPCR検査が前提だという非合理的なルールが敷かれ、命を落とした市民もいる。陽性者は劣悪な環境の野戦病院に連行されるが、鼻っ柱の強い上海住民は警察権力などものともせずに闘い続けた。マンションや小区にまで視察に来た李強氏に食ってかかる住民もいた。「食ってかかる」とはつまり習政権に歯向かうことを意味する。だからこそ、上海市民を幽閉して“おきゅうを据える”必要があったのだろう。前出の王忠義さんはこう語っている。 「習指導部からすれば、上海市民が“革命”など企てたらたまったものではありません。その押さえ込みのためにコロナを利用して、長期にわたり上海市民を監禁する。それが中央政府の上海に対する“おきゅう”だったのではないかと私は考えています」 「香港デモ」は制圧され、その後急速に「中国化」が進み、香港はすっかり骨抜きにされてしまった。支配のためには経済発展も台無しにするそのやり方は、上海でも繰り返されるのだろうか。 中国共産党が完全な支配を実現させる上での“目の上のコブ”は、西洋文化の影響を受けた香港であり上海だった。そういう“西側の精神”が根付く都市を衰退させ、トンキン湾が囲む海南島を香港に取って代わる自由貿易港と国際的商業都市にする――習氏の野望はここにつながっていくのではないだろうか』、「中国共産党が完全な支配を実現させる上での“目の上のコブ”は、西洋文化の影響を受けた香港であり上海だった。そういう“西側の精神”が根付く都市を衰退させ、トンキン湾が囲む海南島を香港に取って代わる自由貿易港と国際的商業都市にする――習氏の野望はここにつながっていくのではないだろうか」、「習氏の野望」は冷静な計算抜きにした大雑把なもののようだ。
次に、6月28日付け東洋経済オンラインが転載した財新 Biz&Tech 「コロナ禍の香港から「金融専門人材」の流出続く 金融管理局や証券先物委員会でも離職率上昇」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/598270
・『2020年に新型コロナウイルスの世界的大流行が始まって以降、香港政府は海外からの入境者に対する(中国本土に準じた)厳格な水際対策を続けている。そんななか、香港の金融業界では海外から派遣された駐在員や専門知識を持つ人材の流出に歯止めがかからなくなっている。 香港金融管理局(HKMA)の余偉文(エディー・ユー)総裁は6月13日、同局職員の2021年の離職率が7%に上ったことを明らかにした。過去の離職率はおおむね3~4%だったのと比較して大幅な上昇だ。 余氏によれば、2021年の離職者はIT(情報技術)分野の人材が最も多かった。彼らはIT技術を駆使した金融機関の検査・監督や、同局の業務プロセスのデジタル化などに携わっていたという。 HKMAは香港政府の金融監督機関であると同時に、事実上の中央銀行でもある。香港の金融業界で最もステータスの高い組織の1つだ。香港政府の開示資料によれば、2021年初め時点の職員数は948人。しかし定員は1005人であることから、全体の5%を超える欠員が生じている状況だ』、「香港金融管理局」の「職員の2021年の離職率が7%に上った」、確かに通常の倍と多いようだ。
・『行政長官は「将来を楽観」と言うが… 人材流出が顕著なのはHKMAだけではない。香港証券先物委員会(SFC)の雷添良(ティム・ルイ)主席は、2月7日に開催された香港立法評議会の金融サービス委員会で、SFCの職員の離職率が2020年の5.1%から2021年は12%に上昇したことを明らかにした。 雷氏によれば、離職者の増加の背景には金融業界内での人材争奪戦の激化や、香港から海外への移民の増加がある。そこでSFCは、職員の報酬や昇進の見直し、働き方の多様化などあの手この手の対策を打ち、人材の呼び戻しを図っている。SFCの2022~2023会計年度の人件費予算は、前年度より1億4100万香港ドル(約24億円)増額された。 本記事は「財新」の提供記事です 香港政府トップの林鄭月娥(キャリー・ラム)行政長官は6月12日、金融専門人材の流出問題について公開の場で次のように発言した。 「香港の(国際金融センターとしての)優位性は、他所がたやすく取って代われるものではない。(北京の)中央政府も香港を強力に支援してくれている。香港には内外の人材を再び引き寄せる力があり、私は将来を楽観している」、「香港証券先物委員会」の「職員の離職率が2020年の5.1%から2021年は12%に上昇」、「林鄭月娥行政長官」の強気発言はどう見ても無理があり、「金融専門人材の流出問題」の深刻さを表していると見るべきだろう。
第三に、12月25日付け東洋経済オンラインが掲載したライター・行政書士の熊野 雅恵氏による「1377人逮捕「香港理工大包囲事件」現場で見た衝撃 学内でその様子を撮影した監督に話を聞く」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/641227
・『2019年11月、香港で発生した逃亡犯条例改正反対デモで最多となる1377 名の逮捕者を出した香港理工大学包囲事件。デモ参加者として学内でその様子を撮影した『理大囲城』は香港では上映禁止となったものの、世界の映画祭を席巻。今回は、同作品を監督した「香港ドキュメンタリー映画工作者」に撮影時のエピソードや現在の香港の様子について話を聞いた。 【あらすじ】香港屈指の繁華街にある香港理工大学を警官隊が包囲し、デモ隊と学生はキャンパスで13 日間に及ぶ籠城を余儀なくされた。警察とデモ隊たちの激しい攻防によりキャンパスには火の手が上がる中、デモ隊は「残るか、去るか」の決断を迫られる。個人情報と引き換えに警察が投降を迫る中、暴動罪で逮捕されれば懲役 10 年を課せられる恐怖と仲間を裏切る後ろめたさによって、デモ隊の心はかき乱される……。ロープを使い橋から飛び降り支援者のバイクで脱出する者、下水道から脱出する者、最後まで大学に留まり戦い続けようとする者。彼らの行く手に待つものは―― ――香港理工大学(以下、「理大」)に籠城していたのは若い世代だと思うのですが、日本でも1960年代後半と1970年代後半に学生運動が、また北京では1989年に多くの若者たちが命を落とした天安門事件があり、いずれも敗北に終わっています。彼らはそのことは意識していたのでしょうか。 日本もしかり、中国もしかり、彼らは政府に対する抵抗運動が敗北に終わったケースがたくさんあるのはわかっていました。 でも、「失敗するのをわかりながらも戦わなくてはいけない」という気持ちが学生たちの中にあったんです。 当初は「Be Water」というキャッチフレーズが付くぐらいにデモ隊は縦横無尽に街中を占拠しており、それは文字通りまるで水のようでした。 ところが、後半になるにつれて、デモはストリートから、ロケーション(場所)に変化していきました。すでに水のように柔軟に神出鬼没に表れてデモをするという雰囲気ではなくなっていました。 それはデモ隊の若者が駐車場の4階から転落して亡くなってしまった事件がきっかけでした。いまだに真相はわかりませんが、その事件をきっかけにデモ隊の中に「復讐しなくてはならない」と怒りをあらわにする人たちが出てきたのです。 理大での籠城が発生した当時、デモは後半に差しかかっていましたが、状況はよくなっているとはいえず、学生たちも運動全体に対して悲観的になっていました。ただ、失望がありながらも、「家にじっとしていられない」と思った人たちがあの大学の建物の中にいたんです。 そういう意味では、失敗するとわかっていたかもしれないけど、体の方が動いてしまっていたし、わずかな希望にかけていました。民主化は確かに失敗続きでした。でも、今回は変われるかもしれない、少しは違う結果があるかもしれないと。 さらにこの世代で結果が出なくても、この運動が次の世代に何かしらの意義や意味をもたらして、次の機会に変えられるきっかけになるかもしれない。そうした希望や期待を持って立てこもっていた人たちは多くいました。 一方で、理大に籠城した学生の参加者たちの討論で、よく聞いたのは「悲観的になって行動を起こさない人たちや運動から引いて行ってしまった人たちに対して失望した」という言葉でした。デモから撤退する人もいる中、籠城した人たちは強い意志を持って運動に参加している人たちだったんです(Qは聞き手の質問、Aは回答)』、「香港理工大学」の事件は記憶にないが、どうなったのだろう。
・『「自由を奪われたくない」若い世代 Q:学生たちの祖父母の世代は、元々自由のない環境で育って、香港に移住して自由を満喫したという感覚が強く、孫に向かってデモへの参加を辞めるように叱責しているという話も聞きました。一方で若い世代は自由を守ろうと必死になっています。 A:若い世代はインターネット世代なので、リアルタイムに世界中から入って来る様々な情報に影響されています。 そうした環境の中で、中国により自分たち香港人の文化が奪われてしまう、いわば「文化の侵食」ですが、そのことに対してとても敏感になっていると感じました。) 複雑な社会背景の中で、より自分たちの住んでいる場所である香港の文化を守りたいという気持ちが他の世代に比べて強いのかもしれません。 そのことが、2019年4月に犯罪容疑者の中国本土引き渡しを可能にする逃亡犯条例改定案が議会に上がったときに、デモへと駆り立てたのではないでしょうか。中国に移送される恐怖をほかの世代よりも敏感に感じ取っていたと思います。 Q:香港のデモは2020年に入って始まったコロナ禍により、デモそのものができなくなってしまい、鎮静化の一途を辿ってしまいました。デモに参加した人たちはその後、どうしているのでしょうか。 A:デモのリーダー格の人たちの多くは出国したか、当局によって刑務所に入れられたかのどちらかです。 では香港に残った人たちがどのような生活をしているかということについては、むしろ私たちが知りたい、知って取り上げたいという気持ちです。これから調査したいと思っています。 一時的ではあるかもしれませんが、絶望して、香港の政治的な出来事から意識してすべて離れるという人もいるでしょう。また、いわゆる「ブタ(港猪/香港の豚の意味)」になった人(=政治に無関心になった人)もいるかもしれません。 でもそれは一時的なもので、例えばコロナが完全に収束したり、もしくは2019年に起こったデモのような大きな出来事があったとき、また覚醒して再度姿を現すのではないかと。そこは希望も込めてそのように思っています』、「でもそれは一時的なもので、例えばコロナが完全に収束したり、もしくは2019年に起こったデモのような大きな出来事があったとき、また覚醒して再度姿を現すのではないかと。そこは希望も込めてそのように思っています」、根拠に乏しい希望的観測に過ぎないようだ。
・『子どもの将来を考えて移住する人 Q:人材の海外流出は進んでいると思いますか。 A:全員が香港を離れようとしているわけではありません。ただ、現実に人材流出は起きているとは思います。 台湾やイギリスに移住した人もいました。あくまで自分の肌感覚ですが、やはり高学歴でスキルがあり、どこの国でも働ける人や、子どものいる人が彼らの将来を案じて香港を離れるという決断をする人が多いです。 一方で、とても有能な人が香港に残っていることも事実で、こういう時期だからこそと、お互いに支え合ったり、励まし合っている人たちもいます。 Q:2022年7月に林鄭月娥(キャリー・ラム)に代わり、新たに警察出身の李家超(ジョン・リー)が行政長官に就任しました。デモ以後、香港では天安門事件に関する記述が教科書から消えたと聞きましたが、いわゆる「表現規制」は進んでいると感じますか。 A:確かに、天安門事件に関する歴史の教科書における記述は少なくなっています。また、報道全般において、政治的なニュースの量が減っていたり、政府にとって不都合な事実は明らかに隠そうとしているように感じます。 表現規制は政策レベルで実施しています。少し前にも、政府に対して批判的なコメントをSNSに掲載しただけで、国家安全維持法に抵触し、訴追されるということがありました。 2020年6月に成立した国家安全維持法はとても曖昧な内容だったので、私たちの生活はどんな風に変わるのか、当時はわかりませんでした。しかし、今、香港で生活をしていて感じるのは、自由な表現空間は間違いなく縮小傾向にあるということです。 Q:被写体とカメラの距離が近いように感じましたが、どのようにして撮影していたのでしょうか。 A:現場でカメラを回していると目立つので、被写体の人たちは自分が撮影されていることはわかっています。撮る前に、名前や撮影したいことなど自分の情報をいったうえで「これから撮影したい」とボディランゲージで伝えていました。 例えば大きな決定をするときの会議などにも立ち会い、撮影していますが、おそらくその時にはもう誰もカメラを気にしていなかったと思います。すべての撮影について了承している、という状況で撮影していました』、「撮る前に、名前や撮影したいことなど自分の情報をいったうえで「これから撮影したい」とボディランゲージで伝えていました」、やむを得ないテクニックだ。
・『なかったことにされたくない Q:撮影中に印象に残ったことはありましたか。 A:「今の自分を記録してほしい」というリクエストを受けました。13日間の撮影の後半に現場にいた学生たちが私たちにインタビューをして欲しいと声を掛けてきたのです。 そのとき、私たちは彼らの考えや感じたことなどを聞きました。香港のデモは公式には「違法な出来事」として存在しなかったことにされる可能性もあります。 その瞬間の自分を記録できるのは、そこにいた人しかいない。記録されなければそこで過ごした時間がなかったことになってしまうかもしれない。その瞬間の自分を残してほしい、という切実な願いがありました。 また、籠城していた13日間は理大の外に出ることはできませんでした。私は食べ物がなくパンばかり食べていたのですが、デモの参加者の一人が鶏のもも肉をみつけて、学食で唐揚げを作ったんです。 それを見て私は「美味しそうだな」と思ったのですが、デモの参加者は「この唐揚げは僕の人生で最後の食事になるかもしれない。あなたはまだ外でいくらでも食べられる」といわれました。それがとても衝撃的で、忘れられない瞬間でした。それほどまでに覚悟をして籠城していたんですね』、「香港のデモは公式には「違法な出来事」として存在しなかったことにされる可能性もあります。 その瞬間の自分を記録できるのは、そこにいた人しかいない。記録されなければそこで過ごした時間がなかったことになってしまうかもしれない。その瞬間の自分を残してほしい、という切実な願いがありました」、自己満足の色彩が濃いようだ。
・『記憶されることの大切さ Q:現地を取材していて、外国メディアも含めて、マスメディアによる報道が香港当局や中国政府に対してプレッシャーを与えることができていると感じましたか。 A:アメリカのCNNやBBCなど国際的に大きなメディアの記者たちは数多くいましたし、デモのライブ中継もかなり見かけました。 ただ、デモの現場でもよく討論されていましたが、現場レベルでは「報道が政府に対してプレッシャーを与えている」という実感はあまりなかったというのが正直なところです。 メディアが盛り上がって取り上げても、そのことが現場に影響を与えていたことはなかったように感じました。報道によって政府の決断が変わったかというと、結果としてそれはなかった。そういう意味では、報道は失敗に終わっているところもあるかと思います。 しかし、もう少し視点、視界を広く持つと、世界のメディアでこの問題が取り上げられるということは、世界の人々に記憶されるということでもあると思います。 「記憶される」ということは香港に残ると決めた人たち、もしくはデモに参加したことがある人たちにとってはとても有意義なことです。自分が自由を求めて戦った記録として後世に伝えることができるし、世界の人々に記憶されれば、協力者が増えて民主化への流れを作りやすくなるかもしれません。 そのことが香港に残った人たちにとってこれからの香港での活動や生活をあきらめない理由につながると思っています。 私たちは映像制作者として、やはりメディアの力、映像の力を信じています。今の香港の状況がメディアに取り上げられることによって、その存在を世界から忘れ去られることを防ぐことができる。そしてそれはそのまま、現地でも海外でも自由を求めて活動している人たちの励みになるんです。そのことを信じてこれからも取材を続けていきたいです』、「私たちは映像制作者として、やはりメディアの力、映像の力を信じています。今の香港の状況がメディアに取り上げられることによって、その存在を世界から忘れ去られることを防ぐことができる。そしてそれはそのまま、現地でも海外でも自由を求めて活動している人たちの励みになるんです。そのことを信じてこれからも取材を続けていきたいです」、「メディア」関係者の思い上がりのような気がする。専制主義政府に対しては、そんな力はないと考えるべきではないだろうか。
第三に、12月25日付け東洋経済オンラインが掲載した ライター・行政書士の熊野 雅恵氏による「1377人逮捕「香港理工大包囲事件」現場で見た衝撃 学内でその様子を撮影した監督に話を聞く」を紹介しよう。
・『2019年11月、香港で発生した逃亡犯条例改正反対デモで最多となる1377 名の逮捕者を出した香港理工大学包囲事件。デモ参加者として学内でその様子を撮影した『理大囲城』は香港では上映禁止となったものの、世界の映画祭を席巻。今回は、同作品を監督した「香港ドキュメンタリー映画工作者」に撮影時のエピソードや現在の香港の様子について話を聞いた。 【あらすじ】香港屈指の繁華街にある香港理工大学を警官隊が包囲し、デモ隊と学生はキャンパスで13 日間に及ぶ籠城を余儀なくされた。警察とデモ隊たちの激しい攻防によりキャンパスには火の手が上がる中、デモ隊は「残るか、去るか」の決断を迫られる。個人情報と引き換えに警察が投降を迫る中、暴動罪で逮捕されれば懲役 10 年を課せられる恐怖と仲間を裏切る後ろめたさによって、デモ隊の心はかき乱される……。ロープを使い橋から飛び降り支援者のバイクで脱出する者、下水道から脱出する者、最後まで大学に留まり戦い続けようとする者。彼らの行く手に待つものは―― ――香港理工大学(以下、「理大」)に籠城していたのは若い世代だと思うのですが、日本でも1960年代後半と1970年代後半に学生運動が、また北京では1989年に多くの若者たちが命を落とした天安門事件があり、いずれも敗北に終わっています。彼らはそのことは意識していたのでしょうか。 日本もしかり、中国もしかり、彼らは政府に対する抵抗運動が敗北に終わったケースがたくさんあるのはわかっていました。 でも、「失敗するのをわかりながらも戦わなくてはいけない」という気持ちが学生たちの中にあったんです。 当初は「Be Water」というキャッチフレーズが付くぐらいにデモ隊は縦横無尽に街中を占拠しており、それは文字通りまるで水のようでした。) ところが、後半になるにつれて、デモはストリートから、ロケーション(場所)に変化していきました。すでに水のように柔軟に神出鬼没に表れてデモをするという雰囲気ではなくなっていました。 それはデモ隊の若者が駐車場の4階から転落して亡くなってしまった事件がきっかけでした。いまだに真相はわかりませんが、その事件をきっかけにデモ隊の中に「復讐しなくてはならない」と怒りをあらわにする人たちが出てきたのです。 理大での籠城が発生した当時、デモは後半に差しかかっていましたが、状況はよくなっているとはいえず、学生たちも運動全体に対して悲観的になっていました。ただ、失望がありながらも、「家にじっとしていられない」と思った人たちがあの大学の建物の中にいたんです。 そういう意味では、失敗するとわかっていたかもしれないけど、体の方が動いてしまっていたし、わずかな希望にかけていました。民主化は確かに失敗続きでした。でも、今回は変われるかもしれない、少しは違う結果があるかもしれないと。 さらにこの世代で結果が出なくても、この運動が次の世代に何かしらの意義や意味をもたらして、次の機会に変えられるきっかけになるかもしれない。そうした希望や期待を持って立てこもっていた人たちは多くいました。 一方で、理大に籠城した学生の参加者たちの討論で、よく聞いたのは「悲観的になって行動を起こさない人たちや運動から引いて行ってしまった人たちに対して失望した」という言葉でした。デモから撤退する人もいる中、籠城した人たちは強い意志を持って運動に参加している人たちだったんです(Qは聞き手の質問、Aは回答)』、「デモから撤退する人もいる中、籠城した人たちは強い意志を持って運動に参加している人たちだった」、なるほど。
・『「自由を奪われたくない」若い世代 Q:学生たちの祖父母の世代は、元々自由のない環境で育って、香港に移住して自由を満喫したという感覚が強く、孫に向かってデモへの参加を辞めるように叱責しているという話も聞きました。一方で若い世代は自由を守ろうと必死になっています。 A:若い世代はインターネット世代なので、リアルタイムに世界中から入って来る様々な情報に影響されています。 そうした環境の中で、中国により自分たち香港人の文化が奪われてしまう、いわば「文化の侵食」ですが、そのことに対してとても敏感になっていると感じました。) 複雑な社会背景の中で、より自分たちの住んでいる場所である香港の文化を守りたいという気持ちが他の世代に比べて強いのかもしれません。 そのことが、2019年4月に犯罪容疑者の中国本土引き渡しを可能にする逃亡犯条例改定案が議会に上がったときに、デモへと駆り立てたのではないでしょうか。中国に移送される恐怖をほかの世代よりも敏感に感じ取っていたと思います。 Q:香港のデモは2020年に入って始まったコロナ禍により、デモそのものができなくなってしまい、鎮静化の一途を辿ってしまいました。デモに参加した人たちはその後、どうしているのでしょうか。 A:デモのリーダー格の人たちの多くは出国したか、当局によって刑務所に入れられたかのどちらかです。 では香港に残った人たちがどのような生活をしているかということについては、むしろ私たちが知りたい、知って取り上げたいという気持ちです。これから調査したいと思っています。 一時的ではあるかもしれませんが、絶望して、香港の政治的な出来事から意識してすべて離れるという人もいるでしょう。また、いわゆる「ブタ(港猪/香港の豚の意味)」になった人(=政治に無関心になった人)もいるかもしれません。 でもそれは一時的なもので、例えばコロナが完全に収束したり、もしくは2019年に起こったデモのような大きな出来事があったとき、また覚醒して再度姿を現すのではないかと。そこは希望も込めてそのように思っています』、「例えばコロナが完全に収束したり、もしくは2019年に起こったデモのような大きな出来事があったとき、また覚醒して再度姿を現すのではないかと。そこは希望も込めてそのように思っています」、甘い希望的観測の色彩が濃い。
・『子どもの将来を考えて移住する人 Q:人材の海外流出は進んでいると思いますか。 A:全員が香港を離れようとしているわけではありません。ただ、現実に人材流出は起きているとは思います。 台湾やイギリスに移住した人もいました。あくまで自分の肌感覚ですが、やはり高学歴でスキルがあり、どこの国でも働ける人や、子どものいる人が彼らの将来を案じて香港を離れるという決断をする人が多いです。 一方で、とても有能な人が香港に残っていることも事実で、こういう時期だからこそと、お互いに支え合ったり、励まし合っている人たちもいます。) Q:2022年7月に林鄭月娥(キャリー・ラム)に代わり、新たに警察出身の李家超(ジョン・リー)が行政長官に就任しました。デモ以後、香港では天安門事件に関する記述が教科書から消えたと聞きましたが、いわゆる「表現規制」は進んでいると感じますか。 A:確かに、天安門事件に関する歴史の教科書における記述は少なくなっています。また、報道全般において、政治的なニュースの量が減っていたり、政府にとって不都合な事実は明らかに隠そうとしているように感じます。 表現規制は政策レベルで実施しています。少し前にも、政府に対して批判的なコメントをSNSに掲載しただけで、国家安全維持法に抵触し、訴追されるということがありました。 2020年6月に成立した国家安全維持法はとても曖昧な内容だったので、私たちの生活はどんな風に変わるのか、当時はわかりませんでした。しかし、今、香港で生活をしていて感じるのは、自由な表現空間は間違いなく縮小傾向にあるということです。 Q:被写体とカメラの距離が近いように感じましたが、どのようにして撮影していたのでしょうか。 A:現場でカメラを回していると目立つので、被写体の人たちは自分が撮影されていることはわかっています。撮る前に、名前や撮影したいことなど自分の情報をいったうえで「これから撮影したい」とボディランゲージで伝えていました。 例えば大きな決定をするときの会議などにも立ち会い、撮影していますが、おそらくその時にはもう誰もカメラを気にしていなかったと思います。すべての撮影について了承している、という状況で撮影していました』、「現場でカメラを回していると目立つので、被写体の人たちは自分が撮影されていることはわかっています。撮る前に、名前や撮影したいことなど自分の情報をいったうえで「これから撮影したい」とボディランゲージで伝えていました」、「ボディランゲージで伝えていました」とはやむを得ない技ではある。
・『なかったことにされたくない Q:撮影中に印象に残ったことはありましたか。 A:「今の自分を記録してほしい」というリクエストを受けました。13日間の撮影の後半に現場にいた学生たちが私たちにインタビューをして欲しいと声を掛けてきたのです。 そのとき、私たちは彼らの考えや感じたことなどを聞きました。香港のデモは公式には「違法な出来事」として存在しなかったことにされる可能性もあります。 その瞬間の自分を記録できるのは、そこにいた人しかいない。記録されなければそこで過ごした時間がなかったことになってしまうかもしれない。その瞬間の自分を残してほしい、という切実な願いがありました。 また、籠城していた13日間は理大の外に出ることはできませんでした。私は食べ物がなくパンばかり食べていたのですが、デモの参加者の一人が鶏のもも肉をみつけて、学食で唐揚げを作ったんです。 それを見て私は「美味しそうだな」と思ったのですが、デモの参加者は「この唐揚げは僕の人生で最後の食事になるかもしれない。あなたはまだ外でいくらでも食べられる」といわれました。それがとても衝撃的で、忘れられない瞬間でした。それほどまでに覚悟をして籠城していたんですね』、「デモの参加者は「この唐揚げは僕の人生で最後の食事になるかもしれない」、「それほどまでに覚悟をして籠城していた」、なるほど。
・『記憶されることの大切さ Q:現地を取材していて、外国メディアも含めて、マスメディアによる報道が香港当局や中国政府に対してプレッシャーを与えることができていると感じましたか。 A:アメリカのCNNやBBCなど国際的に大きなメディアの記者たちは数多くいましたし、デモのライブ中継もかなり見かけました。 ただ、デモの現場でもよく討論されていましたが、現場レベルでは「報道が政府に対してプレッシャーを与えている」という実感はあまりなかったというのが正直なところです。 メディアが盛り上がって取り上げても、そのことが現場に影響を与えていたことはなかったように感じました。報道によって政府の決断が変わったかというと、結果としてそれはなかった。そういう意味では、報道は失敗に終わっているところもあるかと思います。 しかし、もう少し視点、視界を広く持つと、世界のメディアでこの問題が取り上げられるということは、世界の人々に記憶されるということでもあると思います。 「記憶される」ということは香港に残ると決めた人たち、もしくはデモに参加したことがある人たちにとってはとても有意義なことです。自分が自由を求めて戦った記録として後世に伝えることができるし、世界の人々に記憶されれば、協力者が増えて民主化への流れを作りやすくなるかもしれません。 そのことが香港に残った人たちにとってこれからの香港での活動や生活をあきらめない理由につながると思っています。 私たちは映像制作者として、やはりメディアの力、映像の力を信じています。今の香港の状況がメディアに取り上げられることによって、その存在を世界から忘れ去られることを防ぐことができる。そしてそれはそのまま、現地でも海外でも自由を求めて活動している人たちの励みになるんです。そのことを信じてこれからも取材を続けていきたいです』、「私たちは映像制作者として、やはりメディアの力、映像の力を信じています。今の香港の状況がメディアに取り上げられることによって、その存在を世界から忘れ去られることを防ぐことができる。そしてそれはそのまま、現地でも海外でも自由を求めて活動している人たちの励みになるんです。そのことを信じてこれからも取材を続けていきたいです」、「映像制作者」の自己満足といった印象が拭えない。私にはやはり圧倒的な中国側の力に負けたとしか思えない。
タグ:香港 (その8)(香港返還25年の年に上海封鎖の因縁 中国の2大「制御不能都市」陥落の意味、コロナ禍の香港から「金融専門人材」の流出続く 金融管理局や証券先物委員会でも離職率上昇、1377人逮捕「香港理工大包囲事件」現場で見た衝撃 学内でその様子を撮影した監督に話を聞く) ダイヤモンド・オンライン 姫田小夏氏による「香港返還25年の年に上海封鎖の因縁、中国の2大「制御不能都市」陥落の意味」 「「ゼロコロナを大義名分に、上海市民を中央政府に服従させることが狙いだと思いました。軟禁同然の厳しい措置は、共産党の指示に従う習慣を養うためであり、いわば“市民教育の一環”ではないかと。上海市民がおとなしくなれば、他の都市の市民もおとなしくなりますから」、なるほど。 「開港と“西洋譲り”の思考回路は上海・香港共通」、確かにその通りだ。 「香港の発展には上海系の力が、上海の発展には香港系の力が相互に作用しあっていた」、それほど深い関係があったとは初めて知った。 「中国共産党が完全な支配を実現させる上での“目の上のコブ”は、西洋文化の影響を受けた香港であり上海だった。そういう“西側の精神”が根付く都市を衰退させ、トンキン湾が囲む海南島を香港に取って代わる自由貿易港と国際的商業都市にする――習氏の野望はここにつながっていくのではないだろうか」、「習氏の野望」は冷静な計算抜きにした大雑把なもののようだ。 東洋経済オンライン 財新 Biz&Tech 「コロナ禍の香港から「金融専門人材」の流出続く 金融管理局や証券先物委員会でも離職率上昇」 「香港金融管理局」の「職員の2021年の離職率が7%に上った」、確かに通常の倍と多いようだ。 「香港証券先物委員会」の「職員の離職率が2020年の5.1%から2021年は12%に上昇」、「林鄭月娥行政長官」の強気発言はどう見ても無理があり、「金融専門人材の流出問題」の深刻さを表していると見るべきだろう。 熊野 雅恵氏による「1377人逮捕「香港理工大包囲事件」現場で見た衝撃 学内でその様子を撮影した監督に話を聞く」 「香港理工大学」の事件は記憶にないが、どうなったのだろう。 「でもそれは一時的なもので、例えばコロナが完全に収束したり、もしくは2019年に起こったデモのような大きな出来事があったとき、また覚醒して再度姿を現すのではないかと。そこは希望も込めてそのように思っています」、根拠に乏しい希望的観測に過ぎないようだ。 「撮る前に、名前や撮影したいことなど自分の情報をいったうえで「これから撮影したい」とボディランゲージで伝えていました」、やむを得ないテクニックだ。 「香港のデモは公式には「違法な出来事」として存在しなかったことにされる可能性もあります。 その瞬間の自分を記録できるのは、そこにいた人しかいない。記録されなければそこで過ごした時間がなかったことになってしまうかもしれない。その瞬間の自分を残してほしい、という切実な願いがありました」、自己満足の色彩が濃いようだ。 「私たちは映像制作者として、やはりメディアの力、映像の力を信じています。今の香港の状況がメディアに取り上げられることによって、その存在を世界から忘れ去られることを防ぐことができる。そしてそれはそのまま、現地でも海外でも自由を求めて活動している人たちの励みになるんです。そのことを信じてこれからも取材を続けていきたいです」、 「メディア」関係者の思い上がりのような気がする。専制主義政府に対しては、そんな力はないと考えるべきではないだろうか。 「デモから撤退する人もいる中、籠城した人たちは強い意志を持って運動に参加している人たちだった」、なるほど。 「例えばコロナが完全に収束したり、もしくは2019年に起こったデモのような大きな出来事があったとき、また覚醒して再度姿を現すのではないかと。そこは希望も込めてそのように思っています」、甘い希望的観測の色彩が濃い。 「現場でカメラを回していると目立つので、被写体の人たちは自分が撮影されていることはわかっています。撮る前に、名前や撮影したいことなど自分の情報をいったうえで「これから撮影したい」とボディランゲージで伝えていました」、「ボディランゲージで伝えていました」とはやむを得ない技ではある。 「デモの参加者は「この唐揚げは僕の人生で最後の食事になるかもしれない」、「それほどまでに覚悟をして籠城していた」、なるほど。 「映像制作者」の自己満足といった印象が拭えない。私にはやはり圧倒的な中国側の力に負けたとしか思えない。