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大阪万博(その1)(240億円ばらまく大阪万博 経費は1兆2000億円まで膨張か、小田嶋氏:「空気」は万博開催では変わらない) [国内政治]

今日は、大阪万博(その1)(240億円ばらまく大阪万博 経費は1兆2000億円まで膨張か、小田嶋氏:「空気」は万博開催では変わらない)を取上げよう。

先ずは、11月28日付け日刊ゲンダイ「240億円ばらまく大阪万博 経費は1兆2000億円まで膨張か」を紹介しよう。
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/242500
・『大阪開催が決定した万国博覧会。松井一郎府知事や世耕弘成経産相が中腰で大喜びする姿は、2013年に東京が五輪開催都市に決定した際の、安倍首相や森喜朗大会組織委会長の姿にソックリだった。経費の高騰が問題視される東京五輪だが、大阪万博でもバカ高くなるのか。 大阪万博の事業費について、府の博覧会推進室の担当者はこう説明する。「昨年9月に愛知万博(05年)を参考にして作成した履行申請書では、会場やパビリオンなどの会場建設費用が1250億円、事業運営費、会場管理などの事業運営費が820億円。人工島の夢洲(大阪市)に建設する地下鉄駅の整備費用などの関連費用が730億円で、おおよそ2800億円になる予定です。これより高騰する可能性もあるので、経費をなるべく抑えるよう注意しています」 この金額に開催候補選挙で世耕経産相が約束した「100カ国に計240億円」のばらまきが入るから、現時点で少なくとも3040億円以上の経費は必要となる計算だ』、参加国に240億円もバラ撒くのであれば、大阪に決定したのは当然だ。総額3040億円以上とは、安倍政権としては維新の会を取り込むには安いと考えているのだろう。
・『「夢洲」にも不安が残る。東京の豊洲と同じ軟弱地盤だからだ。豊洲への市場移転では、基盤整備費などで40ヘクタールの土地に計約4000億円の経費がかかった。「夢洲」の面積は10倍の約400ヘクタール。さらに地下鉄中央線の駅を新設するというから、とても3040億円で足りるとは思えない。東京五輪でも、招致時点で7340億円と見積もられていた経費が、会計監査院の試算では20年までに4倍の3兆円に膨れ上がった。大阪万博も4倍の1兆2000億円となるのか。 経済ジャーナリストの荻原博子氏はこう言う。「パリが立候補を辞退して、米国が国としての不参加を表明するなど、世界では万博を敬遠する流れです。日本だけが70年大阪万博の夢を追って、採算が取れる見通しもないまま計画を進めています。予算も4倍にまで膨れ上がる可能性もあるでしょう。今からでもやめたほうがいいです」 まったく冗談じゃない』、軟弱地盤に地下鉄の駅を新設するというのも狂気の沙汰だ。本来、手綱を締めるべき財務省 も、消費税引上げを控えているためか、鳴りを潜めているのはだらしない。

次に、コラムニストの小田嶋 隆氏が11月30日付け日経ビジネスオンラインに寄稿した「「空気」は万博開催では変わらない」を紹介しよう。
https://business.nikkeibp.co.jp/atcl/opinion/15/174784/112900168/?P=1
・2025年の国際博覧会(万博)が、大阪で開催されることが決定した。このニュースが伝えられた11月24日の午前、私は、ツイッター上に《NHKは局をあげて万博大歓迎体制なのだな。まあ、公共放送とてメディア企業である以上、この種の巨大イベントから直接的な収益を期待するのは当然なわけで、彼らはモロな利害関係者というのか、立ち位置的には祭りにおける露天商(←言葉の使い方に配慮しています)と同じなのだね。》(こちら) 《万博を起爆剤にとか言ってる人たちは、もしかして本気で大阪を爆破するつもりでいるわけなのか?》(こちら) 《招致の賛否を問う段階では反対派の意見も応分に紹介されていた。それが、招致が決定すると反対派の声は「なかったこと」にされる。一夜にして「もう決まったことなのだから一丸となって協力しよう」という空気ができあがる。東京五輪の時も同じだった。たぶん先の大戦でも同様の空気だったはず。》(こちら) 《NHKの番組の司会者は万博招致決定を「うれしいニュースがはいってきました」という第一声とともに紹介した。「ああ、こういう伝え方になるのか」と思った。 賛否のあった事柄でも決まってしまえば、全国民的な「うれしいニュース」になる。われわれはまるで成長していない。》(こちら)という書き込みを連投した』、NHKを「祭りにおける露天商」とは言い得て妙だ。確かに、決定してからマスコミが歓迎一色になっているのは薄気味悪い。
・『以来、私のタイムラインは、共感や反発のリアクションで騒然としている次第なのだが、今回は、万博をめぐる議論の行方について考えてみるつもりでいる。 さきほど、執筆に先立って作成したメモをあらためて読み返してみたのだが、なんというのか、論点が多すぎてうまくまとめられる感じがしない。あまりにもとっ散らかっている。 こういう場合は、切り口をひとつか二つに絞ったうえでシンプルに書き始めるのが正しい。あれもこれもと多方面のネタを拾い集めに行くと、必ずや支離滅裂な原稿ができあがってくる。このことは、私が経験から学び得た数少ない教訓のひとつだと言って良い。 が、今回はあえてとっ散らかった原稿を書くつもりでいる。理由は、とりあえず自分のアタマの中にあるノイズを吐き出した後でないと、先に進むことができない気がしているからだ。 文章を書くことの効用のひとつは、自分が何を考えているのかを知るところにある。特に今回のテーマのような錯綜した話題は、普通に自分のアタマの中で考えているだけでは、いつまでも行ったり来たりするばかりで焦点を結ばない。 その、自分のアタマの中に浮かんだり消えたりしている未整理な断片を、順次根気よく書き起こして行けば、自分の考えていることの全体像をある程度把握できる。このことは、逆に言えば、文章として整形して吐き出す以前のナマの思考は、実は自分にとっても意味不明であるケースが多いということでもある。 そんなわけなので、私自身は、普段から、まずなによりも自分が何を考えているのかを知りたくて文章を書き始めている。今回もそうするつもりだ』、普通の人間は、書く前に、書きたいことを整理してから書くものだが、小田島氏が「自分が何を考えているのかを知りたくて文章を書き始めている」というのには驚かされた。さすが文章の達人だ。
・『炎上誘発気味のツイートを書き並べてから2日後、さるネットTV局のスタッフから出演依頼のメールが寄せられた。 いくつか疑問点があったので、折り返し電話をして真意を尋ねた。 確認したところでは、オファーの内容は以下のようなものだった。 1.出演日 2.生放送で討論をしてもらう 3.出演時間は45分。討論のコーナーは実質30分前後 4.討論の内容は万博の是非について 5.他の出演者はキャスター、進行役、アシスタント、万博賛成派の論客、レギュラー出演の文化人など 6.スタジオ入り&打ち合わせは、番組開始前30分から なるほど。 説明を受けて、私の方からは 1.万博反対の意見をテレビ画面を通じて表明することで、自分にメリットがあるように思えない 2.単純に賛成派と反対派に分かれて議論をすると、たぶん視聴者の目には反対派が重箱の隅をつついているように見えるはず 3.自分が反対する論拠をテレビの生放送のサイズのコメントとして適切に説明しきれる自信がない という感じの懸念を伝えた。 現実問題として、テレビ局はどこであれ万博に対して全社的に前のめりだったりする。 とすれば、そのテレビ局があえて反対意見を表明している人間に対して発した出演オファーを、無邪気に受け止めて良いものなのかどうかは、大いに疑問だ。テレビの世界で仕事をしている芸能人や文化人の中にも万博招致の当事者(大手の芸能事務所に所属する芸人が万博誘致委員会のアンバサダーに就任している)に名を連ねている人間が少なくない。そんな状況下で、万博への賛否を問う討論にノコノコ顔出しで出演する仕事は、普通に考えてリスクが大きすぎる。ヘタをするとスケープゴートの役割を演じることになる。 スタッフ氏は、私の疑念に即答することはしなかったが、2時間ほど後、連絡用に一時的にフォローしたツイッターに「今回は別の企画で番組を進行することになりました。そんなわけですので、申し訳ありませんが、ご出演のオファーはまた別の機会にご検討ください」という主旨のダイレクトメールを届けてくれた。かくして、企画は流れることになった。 結果的には、これで良かったのだと思っている』、TV局からの出演オファーに対して、舞い上がらずに慎重に対応した小田島氏はさすがだ。
・『口達者な出演者に囲まれて一斉にまくし立てられたら、私はつい余計なことを言ったかもしれない。 私が万博の招致に賛成できずにいる理由の半分以上は、言ってみれば自分ながらうまく説明できずにいる不定形の不安に過ぎないからだ。こんな曖昧模糊とした感情を訴えたところで、視聴者に理解できるとは思えない。 おそらく、多くの番組視聴者は「このおっさん、さっきから何をグダグダネガティブなことばっかり並べてるんだ?」「おまえが不幸なのはわかったからオレを巻き込まないでくれという感じしかしない」「この人はつまり他人がうれしそうにしてることが不愉快だと言ってるわけか?」という感じの感想を抱くことになったはずだ。 そんな役回りはごめんだ。 私が万博の開催に良い感情を持っていない理由を、すべて並べ立てればそれなりのボリュームになる。 資金計画の不明瞭さや、カジノとの関連や、国の予算が不当に支出されるかもしれないことに対する疑念は、すでに幾人かの論者が指摘しているところだし、そのあたりの論点については、11月25日の朝日新聞の社説がわかりやすくまとめている(こちら)。 ただ、私自身が万博の開催を支持しない主たる理由は、もうすこし漠然としたものだ。 たとえば、私が最も強烈に反発を感じているのは、万博の招致が決定して以来テレビの画面から流れてくる「空気」だったりする。 こういうことを言うと「空気を理由に反対してるわけか(笑)」「さすがエア論客だな(笑)」てな調子で私の論拠の曖昧さを指摘する声が湧き上がるはずだ。 ご指摘の通り、私は、万博の招致や開催そのものよりも、それがもたらすであろう「空気」を懸念している。しかも、その懸念は、エビデンスやファクトとはかけ離れたものだ』、「「空気」を懸念している」とは小田島氏らしい。
・『ただ、思い出してほしいのは、万博を歓迎している人たちが期待しているのも、また「空気」であるはずだということだ。 万博が語られる時に必ずと言って良いほど使われる「起爆剤」という言葉がこのあたりの事情を端的に物語っている。 万博に期待する人たちは、万博それ自体の動員や収入よりも、万博の開催を通じてもたらされる「波及効果」や「人心の一新」や「夢」といった副次的な「空気」をあてにしている。ということは、結局のところ、彼らは、本当の狙いである「爆発」は、「起爆剤」としての万博が開催された後にやってくると考えているのである。 それゆえ、私の憂慮の念も、その万博がもたらすであろう「空気」に向けられている。 万博招致決定のニュースがもたらした「空気」の変化は、まず最初に「招致反対言論の一掃」という形で顕在化しはじめている。 招致に反対する人々が消滅したのではない。 招致が決定した瞬間に、反対意見を表明してはいけない空気が醸成されたということだ。 私がテレビ出演をためらったことも、その流れのひとつのあらわれと申し上げて良い。 要するに、「いまさら反対意見を言っても何の得にもならない」と、万博の開催に反対している人間の多くが、そう考えざるを得ない方向に、世間の「空気」が変わってしまったわけだ。 ちなみに申せばこの空気は、同時に「全国民が一丸となること」「国と自治体が一致協力してひとつの目標に取り組むこと」「企業や市民も心をひとつにして万博の成功に尽力すること」といった挙国一致しぐさの浸透を促す空気でもある』、「万博を歓迎している人たちが期待しているのも、また「空気」」というのは、言われてみればその通りだ。「挙国一致しぐさ」とは上手い表現だ。
・『私自身は、万博推進派と万博反対派の間を分かつ最も本質的な違いは、この「全員一丸」への態度の違いなのだと考えている。 もちろん、資金調達への疑念や開催の正当性に対する疑問などなど、賛成派と反対派の間には、様々な見解の相違が介在している。 ただ、両者が決して相容れない最も致命的な対立点は、カネやカジノの問題より、この「挙国一致」への反応の違いなのであって、採算性や正当性をめぐる議論は、実のところ、「国民一丸」への賛否をより具体的な次元での争いとして処理するための代理戦争に過ぎないのである。 この争いは、わたくしども個々の日本人の個人的な歴史の中で、ずっと底流していた葛藤でもある。 たとえば、通っていた学校で、「大切なのは全校生徒が一丸となって協力することだ。全員が一致団結して行動する時の昂揚感と共通意識の大切さを学べるのであれば、ベルマーク集めでも校舎裏の草取りでも、対象はなんであってもかまわない。とにかく成長過程にある君たちにとって大切なのは、仲間たちと心を一つにする経験なのだ」といった感じの演説を聞かされた経験はないだろうか。 私にはある。 で、その種の演説を聞かされる度に「うへえ、薄気味悪い」と思っていた。 そう思わなかった生徒もいたはずだ。たぶん、彼らの方が多数派なのだろう。で、その彼らは、万博を歓迎しているはずだ』、私などは生徒時代には先生の言うことに何の疑問も抱かなかったが、小田島氏は随分、ませた生徒だったようだ。
・『かりに、万博がケチくさいイベントに終始して、資金の流れが最終的にどんぶり勘定のどがちゃがに帰するのだとしても、大勢の人間が一致してひとつの国家的イベントを盛り上げようとした営為そのものは、かけがえのない尊い経験だと、そんなふうに考えるはずだからだ。 教頭先生の演説について、いまの私は、薄気味悪いとばかりは思わない。一定の評価はする。思春期の子供たちがチームスピリッツを学ぶ機会は重要だ。 学校や市町村あたりの単位で、一体感を持つことの至福を味わう経験も、それはそれで有意義なのかもしれない。 ただ、国家レベルで醸成される一体感については、いまなお私は薄気味の悪さを感じる。 これは、性分なので、どうしようもない。 万博招致決定のニュースに対してネガティブな書き込みをした私のもとには、強い調子の罵倒のリプライが多数寄せられている。 彼らが私に伝えようとしているのは、万博への意見そのものではなくて、「みんなが楽しもうとしていることに自分勝手なイチャモンつけてんじゃねえよ」という義憤のようなものだったのだと思う。 というよりも、「どうしてあなたはみんなと足並みを揃えることができないのですか」という素朴な疑問をぶつけてきているのかもしれない。 それは、私が尋ねたい質問でもある。どうして私はみんなと足並みを揃えることができないのだろう』、日本の強い同調圧力は、全体主義につながりかねないリスクを孕んでいる。
・『万博を起爆剤に経済を活性化させるというお話があちこちから聞こえてくる。 無理だと思う。 1970年の大阪万博の夢を再召喚することは、あらゆる意味で不可能だからだ。  前回のケースにしても、万博が高度成長をもたらしたわけではない。順序が逆だ。実態としては、高度成長の果実として万博がもたらされたに過ぎない。  大きな靴を履けば背が伸びるわけではないのと同じことだ。 現実を見ないといけない。  背の高い人は多くの場合足も大きいので大きいサイズの靴を履く。それだけの話だ。 原因と結果を取り違えてはいけない。 ファーストクラスに乗ったり高級外車を買ったところで富裕層になれるわけではない。富裕層がその可処分所得の高さゆえに高級外車に乗りがちだという事実の表面しか見ていないから、そういう考え方にハマってしまう。 いましめなければならない』、説得力がある主張だ。
・『もっとも、万博に波及効果がまるでないのかというと、そんなこともない。  現に私は、1970年の万博の会場を散々歩き回ったおかげで、行列が大嫌いな大人に成長することができたと思っている。この点は感謝しなければならない。 そういえば、万博見物から帰京してしばらくの間、「アホか」というのが、私の口癖になっていたことを思い出した。 いまだに、口をついて外に出ることがある。  2025年には、全国的に広まっているかもしれない』、なんとも秀逸なオチだ。
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