働き方改革(その36)(ヤフー「飛行機通勤OK」に隠れた覚悟 日本人の働き方はどう変わる?、「派遣する側」「派遣される側」経験した男性の主張 「派遣はいつまでも続けるべき仕事じゃない」、「45歳定年説」が捨てたもんじゃない理由 第2の人生設計には絶好の時期) [経済政策]
働き方改革については、昨年12月18日に取上げた。今日は、(その36)(ヤフー「飛行機通勤OK」に隠れた覚悟 日本人の働き方はどう変わる?、「派遣する側」「派遣される側」経験した男性の主張 「派遣はいつまでも続けるべき仕事じゃない」、「45歳定年説」が捨てたもんじゃない理由 第2の人生設計には絶好の時期)である。
先ずは、本年1月14日付けダイヤモンド・オンラインが掲載した百年コンサルティング代表の鈴木貴博氏による「ヤフー「飛行機通勤OK」に隠れた覚悟、日本人の働き方はどう変わる?」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/293193
・『ヤフーが居住地制限撤廃を発表 ついに飛行機通勤もOKに ヤフーが12日、社員の居住地制限を撤廃する新しい人事制度を発表しました。同社はこれまでも、リモートワークが進んだ企業として知られていました。しかし、それでも居住地については「出社指示があった場合には午前11時までに出社できる範囲」と定められていました。これが、2022年4月1日から、日本国内であればどこでも居住できるように変更になります。 この新制度がニュースとして新しい点は、居住地制限以外に通勤手段の制限も撤廃したことです。具体的には、特急電車や飛行機での出社もOKになるということです。とはいえ、「飛行機で出勤するって、いったいどういう状況なの?」と疑問が湧くと思います。 そこで、今回の記事では、この制度はどのような働き方の人にメリットがあるのか? そして、この制度がヤフー以外にも広がりそうなのかどうか、について考えてみたいと思います』、私もこのニュースをどう咀嚼したらいいのか分からなかったので、大助かりだ。
・『「居住地制限の撤廃」で得をするのはこんな人 まず、最初の手掛かりとして、居住地制限の撤廃についてはヤフー以外にもメルカリ、LINE、GMOペパポなどが導入しています。ひとことでまとめると、IT企業に導入事例が多く、背景としては優秀なIT人材を採用する際の魅力として、居住地撤廃がアピールできるという事情があるようです。 つまり、(1)会社全体としてリモートワークが成立する働き方インフラが整っている (2)会社の競争力を維持するためには、優秀な社員が入社・定着することが重要だという競争環境がある (3)社員が優秀なITエンジニアの場合など、スキル面でも業務面でもリモートワークが当然という認識がある (4)そのような社員の中で「本社とは遠距離にあたる場所に住みたい」という個人的な事情がある という前提条件がそろう場合に、会社にとっても社員にとってもこの制度が大きな意味を持ちそうです。 その「個人的な事情」については、さまざまなケースが考えられます。アフターファイブや週末は自然に囲まれて過ごしたいから、北海道で勤務したいという人もいるでしょう。配偶者が地方都市に転勤することになったので、同じ場所で同居しながら仕事をしたいという人もいるかもしれません。副業規程に反しない形で、実家など高齢の家族の稼業を一部手伝いながら、リモートで本業の仕事をするという場合も考えられるでしょう。 今回のヤフーの新人事制度なら、どの事情の場合でも新しい制度を適用して遠距離居住での仕事ができそうです。 さて、軽井沢や札幌に居住している社員でも今回のルールの場合、会社から出社指示が出たら東京まで出勤しなければいけないという点は変わりありません。 ここから先は、あくまで「想定」での話となります。業務として週3日はリモートワークで大丈夫でも、週2日は本社に出社して何らかの業務をこなさなければならない仕事をしている人の場合、現実的な居住地は軽井沢のように新幹線通勤ができる場所ということになるのではないでしょうか。 一方で、基本はリモートワークで仕事がこなせて、月数回だけ本社に来なければならないという業務なら、札幌勤務で飛行機通勤というのが現実的にも可能になりそうです。 これまでのヤフーでは、飛行機・特急での通勤はNGでかつ、交通費の片道上限は6500円に設定されていました。通勤ルートとして新幹線通勤は認められていたようです。特急NGの意味は、通常の電車の利用であれば乗車券代は会社負担だが、特急料金は自腹という考えになります。つまり、軽井沢からヤフーの本社がある赤坂見附に出社する人は、乗車券分の2808円は会社支給ですが、特急指定席3380円は自腹ということになっていたはずです。 一方で、これからを考えると、軽井沢-赤坂見附間の1カ月の新幹線通勤定期券代13万4140円は、新ルール上では月額上限の15万円内に収まるため、全額会社負担でカバーしてもらえることになりそうです。) では、札幌居住の人はどうかというと、実質的な交通手段は飛行機一択になるはずです。LCCの場合往復1万円ちょっとの料金が出ることもあるのですが、ビジネスで使える航空券ということでいえば大手キャリアの割引航空券利用で、相場としては往復2万5000円前後を覚悟すべきでしょう。 ヤフーの交通費支給の月15万円という上限は実は税法上の控除額の上限と同じで、これを超える交通費の支給は税法上は給与とみなされることになります。 そうなると、会社支給の交通費内で往復できるのは月6回程度。それでもITエンジニアであれば遠隔地に住みながらも、制度の中で会社の仕事をこなすことはできそうです。 ひとつだけ注意点を挙げておきますと、ヤフーの社員で上限の月15万円が交通費として会社から支給されたとしても、あくまでそれは所得税の計算上得をするというだけの話です。厚生年金や健康保険料は会社から支払われた標準報酬月額をもとに算出するのですが、それには交通費が含まれます。 ですから、月15万円交通費支給の人は、社会保険料は年収が180万円増えたのと同じ計算になります。給与から控除される社会保険料は結構大きいですから、遠隔地居住を目指す方は、一応そのことも念頭においておいたほうがいいとは思います。 今回のヤフーの新制度のメリットをこのように分析してみると、この制度を活用して恩恵を受けられそうな社員は、一つは新幹線通勤をする人、もう一つが遠隔地居住のリモートワークが主で月数回の出勤が発生する社員、という二つのパターンでまとめることができそうです』、「IT企業に導入事例が多く、背景としては優秀なIT人材を採用する際の魅力として、居住地撤廃がアピールできるという事情があるようです」、「この制度を活用して恩恵を受けられそうな社員は、一つは新幹線通勤をする人、もう一つが遠隔地居住のリモートワークが主で月数回の出勤が発生する社員、という二つのパターンでまとめることができそう」、なるほど。
・『飛行機通勤は今後一般企業にも広がるのか? さて、この動きですが、IT企業がきっかけとなって、他の多くの会社にも広がることになるのでしょうか? コロナ禍をきっかけに大企業を中心にDXが広まり、リモートワークが急速に普及しました。同時に、持続的社会をつくるための目標の一つとして、働き方改革が重要視される世の中になってきていることもあります。 それらを考慮すれば、今回のヤフーの新制度は、今は一部のIT企業で広まる程度の動きだったとしても、5年後あたりにはIT業種以外の一般大手企業でも導入が始まる可能性はあるかもしれません。 では、そのような企業で働く社員として期待できること、期待できないことはそれぞれどんなことがあるのでしょうか? 期待できることとしては、会社の制度としてはともかく、自分の仕事の中でリモートワークが増加して、会社に出社する回数が激減するようであれば、自分が住みたい遠くの場所に居住地を定める自由度は増えそうです。 ただ、それを多くの会社が容認はしてくれても、交通費の補助までしてくれるかどうかはわかりません。 以下に説明する事情を考慮したら、あまり過剰な期待はしないほうがいいかもしれません。あくまで自分の意思で本社から遠くはなれた場所にマイホームを構え、週に数回、新幹線で出勤することはできるような仕事環境にはなると思いますが、その新幹線代を皆さんが勤務する会社が払ってくれるかどうかは別だということです。 そもそも大前提の話として、交通費を支給するかどうかは、会社が自由にルールを決められるのが我が国の制度です。ヤフーの場合は、2022年4月1日から居住地自由で1カ月の交通費支給の上限が15万円となるわけですが、この上限の線引きもそれぞれの企業が自由に決められるということです。 つまり、「ヤフーが新幹線定期を認めてくれているんだから、それを交通費に認めないうちの会社はおかしい」と主張することはできないというか、通用もしない。自分の会社には自分の会社の交通費ルールが存在するのは、当たり前だということです』、「今回のヤフーの新制度は、今は一部のIT企業で広まる程度の動きだったとしても、5年後あたりにはIT業種以外の一般大手企業でも導入が始まる可能性はあるかもしれません」、「「ヤフーが新幹線定期を認めてくれているんだから、それを交通費に認めないうちの会社はおかしい」と主張することはできないというか、通用もしない。自分の会社には自分の会社の交通費ルールが存在するのは、当たり前だということです」、当然だ。
・『一般のビジネスパーソンが「居住地の自由」を獲得するための手段は? 現実問題として国家公務員の交通費上限は1カ月5万5000円。民間企業の場合もそれに準じるか、それよりも低い上限3万円以下の企業も多いという実態があります。 つまり、交通費支給枠は多くの会社ではそれほど大きくはなく、どのような規程を設けるかは、あくまで社員に対する会社の福利厚生的な要素の一つであって、それを緩和するかどうかは、会社ごとの人事政策判断なのです。 その観点で言えば、そもそも企業から見れば長い通勤時間がかかる遠隔地居住の社員を雇用するのはムダだともいえます。毎日往復3時間のいわゆる「痛勤列車」で会社とマイホームを往復する社員は、お疲れ様といえばお疲れ様ですが、疲労が蓄積すればそもそも戦力としての消耗が激しい。 会社のためにも本人のためにも、近いところに住む社員を採用したほうがお互いにメリットがあるはずです。 だとすれば、居住地の自由を享受できるのは、経済メリットの観点で考えればITエンジニアのように採用が難しい希少人材か、ないしは非常に優秀で会社が手放したくない人材に限られるのではないでしょうか。 そして一般企業の場合は「そうではない一般社員の方が人数が多い」のであれば、会社は交通費の上限を上げるメリットは総合的観点でいえば「ない」でしょう。その代わりに失いたくない優秀な社員の報酬レベルを上げればいいだけの話です。 ですから、一般のビジネスパーソンの場合、何らかの事情から居住地の自由を獲得したければ、自腹で通勤するのが未来においても有力な解決策だと考えたほうがよさそうです。 マイホームを大自然の中に建てるとか、生まれ育った街で両親と一緒に暮らすとか、人生を充実させる目的での自腹遠隔地居住者はそれでも増えていくことでしょう。 ちなみに「自腹の交通費って税金で取り戻せないの?」と疑問を持つ方のためにお話ししておくと、確定申告の際に特定支出控除という制度があって、自腹の交通費の一部を所得から控除してもらえる可能性はあります。 会社が支給してくれない新幹線の特急券部分とか、在来線のグリーン車とか、駅からのタクシー代、それに単身赴任者が実家に頻繁に戻る場合など、自腹になった部分が大きければその一部は税金で取り戻せるかもしれません。 ただし、この特定支出控除は金額のハードルが高くて、年収500万円の人なら自腹が月6.4万円を超えてから、年収1000万円なら自腹が9.2万円を超えた分でないとだめなのです。つまり現実的には、自腹救済についてはそれほど大きな税のメリットは期待できないでしょう。 そう考えると、今回のヤフーの新しい人事制度、未来の多くの日本企業の社員から見ても「あそこの会社はうらやましいな」という先端的な話になるのではないでしょうか』、「居住地の自由を享受できるのは、経済メリットの観点で考えればITエンジニアのように採用が難しい希少人材か、ないしは非常に優秀で会社が手放したくない人材に限られるのではないでしょうか。 そして一般企業の場合は「そうではない一般社員の方が人数が多い」のであれば、会社は交通費の上限を上げるメリットは総合的観点でいえば「ない」でしょう。その代わりに失いたくない優秀な社員の報酬レベルを上げればいいだけの話です」、夢のない話に落着したようだ。
次に、1月19日付け東洋経済オンラインが掲載したジャーナリストの藤田 和恵氏による「「派遣する側」「派遣される側」経験した男性の主張 「派遣はいつまでも続けるべき仕事じゃない」」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/502077
・『現代の日本は、非正規雇用の拡大により、所得格差が急速に広がっている。そこにあるのは、いったん貧困のワナに陥ると抜け出すことが困難な「貧困強制社会」である。本連載では「ボクらの貧困」、つまり男性の貧困の個別ケースにフォーカスしてリポートしていく。 今回紹介するのは「現在、派遣会社の営業をしています。かつては典型的なワーキングプアの生活をしていました」と編集部にメールをくれた、45歳の男性だ』、「「派遣する側」「派遣される側」経験した男性の主張」、とは興味深そうだ。
・『派遣でキャリアを積めるのか? 「派遣は基本的にいつまでも続けるべき仕事じゃない。工場や倉庫で毎日同じ作業を繰り返しても、キャリアアップにはなりません」 都内にある派遣会社の営業担当で、コーディネーターも務めるタツヒサさん(仮名、45歳)はきっぱりと言い切る。しかし、それでは働き手を派遣先に送り込むという自身の仕事を否定することにならないか。これに対し、タツヒサさんはこう答えた。 「ちゃんとした仕事を見つけるまでのつなぎとして、製造や物流系の工場で働くのはいいと思います。あるいは建築や設計、通訳、編集といった専門的な技術を求められる業種なら派遣を続けるのもいいでしょう。(技術・専門職の派遣なら)経験を積めば、将来のキャリアにもなります」 タツヒサさんが所属する会社では主に建築関係の専門スキルを持った人材を派遣している。数年働いた後で正社員になったり、フリーランスとして独立したりする人もいる。一方でタツヒサさんにいわせると、製造や物流系の派遣は毎日同じ作業を繰り返すので確かに効率やスピードは上がる。ただそうしたスキルはその工場内でしか通用しないことが多く、つぶしが利かないという。 また、私が取材する中でも、製造や物流系の派遣労働者がフォークリフトやクレーンの運転資格を取っても、細切れ雇用のため、それらが給与に反映されることはめったにない。コロナ禍においても、雇い止めに遭って仕事も住まいも失うのは、自動車や精密機器メーカー系列の工場で働く派遣労働者が多かった。スキルアップどころか、なんらセーフティーネットもない働き方であることがあらためて浮き彫りになったといえる。 派遣はいつまでも続けるべき仕事ではないというタツヒサさんの考えにはおおいに同意するところだ。 一方、現在派遣会社で正社員として働くタツヒサさんの年収は約400万円。貧困層とはいえない。なぜ本連載の取材に応じようと思ったのか。 タツヒサさんは「私もかつては典型的なワーキングプアでした。日雇い派遣で働いたこともあります。派遣で働くときのコツや、派遣で搾取されないための方法、自分がどうやって貧困から抜け出したのか。その経験をお話ししたいと思ったんです」と説明する。 タツヒサさん自身は就職氷河期世代。4年制大学を卒業したものの、連戦連敗の就職活動や勤め先の倒産、失業と転職、同居する両親との衝突など一通りのことを経験した。20代のころ、どこかに再就職しなくてはと、たまたま飛び込んだ先が派遣会社だったことから、その後は転職先として複数の派遣会社で営業担当やコーディネーターを経験してきたという。 「『ちゃんとした仕事がしたい』という理由で派遣会社を辞めたこともありました」とタツヒサさん。当時は今ほど派遣という働き方は一般的ではなかった。人間を労働力として右から左へ流すだけのようにもみえる仕事に対し、“虚業”なのではという思いがぬぐえなかったという』、「ちゃんとした仕事を見つけるまでのつなぎとして、製造や物流系の工場で働くのはいいと思います。あるいは建築や設計、通訳、編集といった専門的な技術を求められる業種なら派遣を続けるのもいいでしょう」、「製造や物流系の派遣は毎日同じ作業を繰り返すので確かに効率やスピードは上がる。ただそうしたスキルはその工場内でしか通用しないことが多く、つぶしが利かない」、「派遣は基本的にいつまでも続けるべき仕事じゃない」、その通りだ。
・『企業が派遣を導入する目的は「人件費の削減」 自分が担当した人が最終的に正社員として就職したという話を聞くと、やりがいを感じることもあった。一方で従業員を派遣に切り替えた会社の工場では、不良品の返品率が上がったり、手指などを負傷する事故が増えたりといった変化を目の当たりにすることも少なくなかったという。 「企業が派遣を導入する目的は人件費の削減に尽きます」とタツヒサさんは言う。派遣労働者の能力の問題ではなく、不安定雇用という構造からくる問題だとしたうえで「日本製品のブランド価値が下がり始めた原因はこのあたりにあるのではないかと感じます」と振り返る。 海外での競争に勝つためという名目で労働者派遣法の規制緩和に踏み切ったものの、そのことが日本製品の品質劣化につながった、というのがタツヒサさんの実感である。 しかし、本人の希望とは裏腹に採用が決まるのは派遣会社ばかり。ある会社では、実態は労働者派遣にもかかわらず、業務請負を装う「偽装請負」が常態化していた。ほかにも技術職と偽って人材を集めながら工場に派遣したり、病気休暇を取得した派遣社員を強引にクビにしたりといった不適切な行為が横行していたという。タツヒサさんも雇用形態こそ正社員だったが、先輩社員からたびたび「やめちまえ」「ムダ飯食らい」とののしられた。 私が派遣会社の名前を尋ねると、2000年代にさまざまな違法行為を繰り返し、社会問題にもなった企業であることがわかった。結局半年ほどで退職。しかし、次に採用されたのも派遣会社だった。 複雑な思いはあったものの、ここまで縁があるなら、派遣労働者のキャリアアップを支え、最終的には安定した仕事に就いてもらうことを目的にしようと気持ちを切り替えた。 新しい勤務先は主に建築関係の人材派遣を手がけていたが、タツヒサさん自らの判断で比較的専門性の低い内装・建材といった周辺業務にもウイングを広げた。派遣先の開拓には苦労したものの、自らの営業成績アップにもなるし、何より最初の職場で経験を積んだ働き手がより専門性の高い業務へとステップアップするのを手伝うことができると考えたからだ。売り上げ増にも貢献できたという。一石二鳥にも思えたが、タツヒサさんの試みを快く思わない上司もおり、人間関係のもつれから4年ほどで退職を余儀なくされた。 不運だったのは、退職した時期がリーマンショックと重なったこと。毎日ハローワークに通ったが、求人情報を検索するパソコンの前には長い列ができ、2、3時間待ちはざらだった。 職種はともかく、一定以上の待遇にこだわったためか、面接にこぎつけられるのは月1回ほど。派遣会社に登録し、面接のない日はチラシ配りや繁華街での看板持ちといった日雇い派遣やアルバイトで食いつないだ。日給7000円につられ、デリヘルで働く女性を送迎するドライバーをしたこともあったという。) このころは関係が悪かった両親のもとを離れて1人暮らしをしていたので、家賃滞納でアパートを追い出されたこともあった。当時付き合っていた女性からは「仕事が見つけられないのは、あなたが不真面目だから」と三くだり半を突きつけられた。1日1食でしのぐ日もあったのに、安価な炭水化物中心の食事に偏ったせいで60キロ台だった体重は90キロを超えた。八方ふさがりの中、「落ちるところまで落ちたな」と感じたという。 タツヒサさんが貧困状態から抜け出すことができたきっかけは実にあっけなかった。数年前、リーマンショックの前まで勤めていた派遣会社の元上司から戻ってこないかと声をかけられたのだ。元上司はタツヒサさんの仕事ぶりを認めてくれた、社内でも数少ない人だったという。 この会社で、タツヒサさんは自らの意思を貫いた結果、社内で浮いてしまった。一方で巡り巡って当時の努力とこだわりが復職につながったともいえる』、「「企業が派遣を導入する目的は人件費の削減に尽きます」とタツヒサさんは言う。派遣労働者の能力の問題ではなく、不安定雇用という構造からくる問題」、その通りなのだろう。
・『「自分の努力が3割、運が7割」 タツヒサさんは再び安定した仕事に就けたことを「自分の努力が3割、運が7割」と受け止めている。「私の働きを覚えてくれている人がいたのは運がよかったとしかいいようがありません。でも、3割の努力がなければ、その運もめぐってこなかったと思うんです」。 タツヒサさんなりの“成功の秘訣”である。それは現在、派遣で働いている人たちにも通用するのだろうか。 「工場や倉庫での仕事は単純作業かもしれませんが、その間に在庫管理や倉庫整理、受注・発注処理の仕組みまで関心を持って、できれば経験もさせてもらってみてはどうでしょうか。派遣先は大手企業の系列であることも多い。きっと次の仕事探しに生かせるはずです。そして与えられた仕事が終わったら、自分から『何か手伝うことはありませんか?』と聞いてみてください。そういう努力はいつか誰かの目に留まると思います」 一理あるようにもみえる。しかし、派遣はあくまでも労働力の提供である。持論にはなるが、不安定雇用というデメリットをそのままに、本来業務以外のことまで進んでこなしていては、ただの使い勝手のよい人になってしまうのではないか。人間らしい暮らしができない一部の派遣労働の枠組みがおかしいのであり、派遣の優等生になる必要はない。個人的には劣悪な雇用には、もうそろそろ働き手の側からボイコットを仕掛けるべきだと思っているくらいだ。 これに対し、タツヒサさんは「私も、派遣は『ネガティブリスト』から『ポジティブリスト』に戻すべきだと思います。でも、現実には与えられた環境の中で努力をしなければチャンスもつかめないと思うんです」と言う。 長引く不況の中で、労働者派遣法が規制緩和され、派遣可能な業務だけを指定した「ポジティブリスト方式」から、禁止業務だけを指定した「ネガティブリスト方式」に転換、原則自由化されたのは1999年のことだ。制度改正が一朝一夕には望めない以上、タツヒサさんの提案は現実的ではあるのかもしれない。 「踏み台にするつもりで派遣会社を利用してほしい」 派遣する側も、派遣される側も経験したタツヒサさんからのエールである。 本連載「ボクらは『貧困強制社会』を生きている」では生活苦でお悩みの男性の方からの情報・相談をお待ちしております(詳細は個別に取材させていただきます)。こちらのフォームにご記入ください。』、「踏み台にするつもりで派遣会社を利用してほしい」とは言うものの、現実の利用者にはそんな能力を持った人間はいないのではなかろうか。
第三に、2月2日付けダイヤモンド・オンラインが掲載した経済評論家・楽天証券経済研究所客員研究員の山崎 元氏による「「45歳定年説」が捨てたもんじゃない理由、第2の人生設計には絶好の時期」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/294988
・『サントリーホールディングスの新浪剛史社長が唱えた「45歳定年説」は炎上めいた騒ぎとなったが、「45歳」は60歳以降のセカンドキャリアを考えるにはピッタリの時期だ。「45歳定年説」にも、45歳くらいで全く新しい仕事に取り組めるようにビジネスパーソンは自分を磨いて準備をしておくべきだ、という高い水準に真意があったのではないか』、興味深そうだ。
・『鎮火した「45歳定年説」だが45歳は人生設計の適齢期 一時「炎上」めいた話題となった、サントリーホールディングス社長の新浪剛史氏の「45歳定年説」は、ご本人が、「会社が45歳で社員のクビを切るという意図ではない」と補足説明したこともあって、無事「鎮火」したようだ。 せっかく鎮火したのに、再び取り上げるのもいかがなものかと思わなくもないのだが、「45歳」は職業人生のプランニングを考える上で目処とするに適切な年齢だ。 例えば「45歳で人生を考えろ」という指針は、「人生100年時代」といった空念仏よりも、はるかに具体的で役に立つのではないだろうか。) もっとも、「人生100年時代」をうたう金融商品の広告はだいたいが警戒を要するものだとしても(近年は、金融機関がマーケティングで好む怪しい言葉にもなっている)、多くの人にとって人生が長いのは確かだ。一つの会社に一生を託すには、いささか長すぎる。会社にとっても長いし、本人にとっても長すぎる。 政府は、企業に社員を65歳まで雇用することを求めていて、これを70歳まで延長することが望ましいとしている。 しかし、現状の定年延長型の雇用プランは、会社と社員本人の双方にとってあまり楽しくないことが多いように見える。 典型的には、50歳なり55歳なりで「役職定年」となって収入が下がり、60歳で「定年」となる。希望すれば65歳までかなり低い収入と責任のない役職で「再雇用」されるパターンになるのだが、いかにも先細りで「会社に置いてもらっている」感じの会社最後の10年間が寂しい。しかも、その後の人生が長いので、張り合いの上でも経済的な点でも、会社任せの人生は心もとない。 筆者は、職業人生のプランニングを「ファースト・キャリア」と「セカンド・キャリア」の2ステップで考えることをお勧めしたい。たぶん、現在及び近い将来の日本人サラリーマンには、2ステップのキャリア・プランニングが合っていると思う』、「現状の定年延長型の雇用プランは、会社と社員本人の双方にとってあまり楽しくないことが多いように見える・・・いかにも先細りで「会社に置いてもらっている」感じの会社最後の10年間が寂しい。しかも、その後の人生が長いので、張り合いの上でも経済的な点でも、会社任せの人生は心もとない」、「職業人生のプランニングを「ファースト・キャリア」と「セカンド・キャリア」の2ステップで考えることをお勧めしたい」、「2ステップで考える」とはどういうことだろう。
・『2ステップのキャリア・プランニング 3パターンを図解 会社員、公務員などのサラリーマンを前提とするが、2ステップのキャリア・プランニングは三つのパターンに分かれる。人それぞれの適性の違いや、現在勤めている会社の違い、目指すところの違いなどによって、戦略を変える方がいい。) 三つのパターンを簡単に図解すると、下図のようなイメージだ。 2ステップのキャリア・プランニングの3パターン の図はリンク先参照) それぞれのパターンが「45歳」の時点で典型的にはどうしているか。 タイプ1の「組織人型」では、今後も会社に勤めるとしつつも、定年前後から自分のセカンド・キャリアをどうするのかについて考えていて、必要があれば準備を始めている状態だ。 タイプ2の「起業人型」は、45歳前後の時点で新しい事業を自分で始めるような、ファースト・キャリアで勤めた会社とは異なる仕事に乗り出している。 タイプ3の「ハイブリッド型」は、45歳くらいの時点から副業を始めたり、複数の会社に勤めたりして、セカンド・キャリアにつながるような仕事に一部着手しつつ、サラリーマンも続けている。 近未来時点の人数比は順に8:1:1くらいのイメージだろうか。 個人的には、後の二つのパターンの比率をもう少し上げる方が、世の中は楽しそうに思える。 あくまでも筆者の印象なのだが、集団の「1割」では「この人たちは少数の例外なのだ」という感じが少々残る。「2割」までいなくてもいいのだが、「6人に1人」くらいいると、「ある種の集団なのだ」という感じが出てくる。日本人は「孤立」を避けたがるので、仲間がいる方が選択に当たって安心だろう』、「近未来時点の人数比は」、「組織人型」、「起業人型」、「ハイブリッド型」8:1:1くらいのイメージだろうか」、圧倒的に「組織人型」が多いようだ。
・『タイプ1「組織人型」が考えるべきこととは? 会社に定年前後までとどまるのは、多くのサラリーマンにとって自然な選択だ。だが、「その後」のことを考える必要がある。 「60歳くらいから後に、自分は何をして、いつまで働いて、いくらぐらい稼いでいるだろうか?」という問いに対して具体的な答えを考え始めて、必要なら準備に取り掛かるのが45歳だ。 65歳以降すっかり引退して全く働かないという状態は、生活に張り合いを欠くだろうし、経済的にも心配なことが多いだろう。そして、何よりも「もったいない」。 もちろん計画的に資産を作っておくことが望ましいのだが、十分なお金を貯めていなくとも、自分にとって好ましい仕事で働く機会を得ることができて、健康なら、機嫌良く生きていくことが可能だろう。豊かな高齢期を過ごすには、お金を貯める以上に、将来も「稼げる自分」を作ることが重要だ。 セカンド・キャリアとして何を選ぶかは人それぞれだが、「稼げる自分」であるためには、仕事の「能力」と、その能力を買ってくれる「顧客」の二つを用意しなければならない。 士業やコンサルタントなどで独立して稼ぐためには、資格を取得したり知識を仕入れたりすることが必要だろう。技術者の場合も、将来長く稼ぎ続けるためには知識を意識的にアップデートする時間が必要だろう。飲食店や商店、ペンションなどを開業するにも、調理などのスキルを身に付けたり、それぞれの業務における経営に必要な知識を獲得したりすることが必要だ。 加えて、十分な能力があっても独立する場合は顧客が必要だし、事務職や技術職で働くなら雇ってくれる会社の目処をつけることが必要だろう。 「能力」と「顧客」はいずれも獲得に時間を要する。早く準備を始めるのでないと、自分が将来できることの選択肢がどんどん狭まって、貧相なものになってしまいかねない。 60歳まで15年ある「45歳」を、セカンド・キャリアへの準備開始の時期に位置付けることが、多くのサラリーマンにとって適切なのではないかと思う次第だ』、「「能力」と「顧客」はいずれも獲得に時間を要する。早く準備を始めるのでないと、自分が将来できることの選択肢がどんどん狭まって、貧相なものになってしまいかねない。 60歳まで15年ある「45歳」を、セカンド・キャリアへの準備開始の時期に位置付けることが、多くのサラリーマンにとって適切なのではないかと思う次第だ」、なるほど。
・『タイプ2「起業人型」が実現に向けてすべきことは? 全く新しい仕事を始めて、それを大きく育てるためには、大きなエネルギーと長い時間が必要だ。独立して「自分が食べていける」だけでなく、大きな仕事をしようと思うなら、スタートは早い方がいい。 「45歳」くらいまでにスタートすると心に決めて、そのための準備をしておくべきだろう。 冒頭で触れた新浪氏の「45歳定年説」は、「45歳くらいで全く新しい仕事に取り組めるようにビジネスパーソンは自分を磨いて準備をしておくべきだ」という、かなり意欲的でハードルの高い水準に真意があったのではないか。 起業ではなかったが、総合商社(三菱商事)からコンビニエンスストア(ローソン)の社長に転じた新浪氏は、この「起業人型」に属するだろう。会社がチャンスを与えたこともあったが、彼自身も大いに準備をしていた(筆者は、共に新入社員として入社した三菱商事時代の「同期」である)。 新入社員時代の英語の特訓(早朝出社して仲間とトレーニングしていた)にはじまって、社費留学で米ハーバード大学ビジネススクールでMBA(経営学修士)を取得した。帰国してからも、他社の人材も含めて優秀なビジネスパーソンを集めて勉強会を主宰し、勉強に努めるのとともに人脈を拡げていた。加えて、若い時期に出向した給食の会社(ソデックスコーポレーション〈現LEOC〉)で経営の経験を積めたことが大きかった。 新浪氏が会社から多くのチャンスを得ていることも間違いないのだが、公平に見て、ローソンの社長に指名された時、彼には準備ができていた。 「新浪さんのようになりたい」と思う若いサラリーマンが少なからずいると思うが、日頃からの準備が大事であることを強調しておく。 もっとも、言われなければ準備に取りかかっていないような人は、そもそも「起業人型」ではないのだろう』、「新浪さんのようになりたい」と思う若いサラリーマンが少なからずいると思うが、日頃からの準備が大事であることを強調しておく」、「筆者は、共に新入社員として入社した三菱商事時代の「同期」」だけに説得力がある。
・『タイプ3「ハイブリッド型」の勧め 副業・複業を目指す 「ハイブリッド型」は、いわゆる副業や複数の会社・仕事から収入を得る形を通じながら、60歳以降も自分のペースで働くことができる仕事の機会を作っていくキャリア・プランだ。 いきなりサラリーマンを辞めて、独立したり起業したりするよりはリスクが小さい点で、起業人型よりも多くの人にとって目指しやすいのではないか。 勤め先の会社で仕事を減らすかどうかは人にもよるし、副業あるいは複業として手掛けたい仕事の内容にもよるが、うまくいくと、この形は本人にも会社にもメリットがある。 筆者のキャリア・プランはこのタイプだった。42歳の時点で、それまで転職を繰り返して勤めてきた金融系の仕事を離れ、「時間自由かつ副業自由」を条件として交渉してシンクタンクに入って(給与水準は前の半分以下に下げた)、おおっぴらに複数の仕事を始めた。 知り合いの会社にも勤めてみたり、ベンチャー企業に関わってみたり…。試行錯誤があったが、原稿を書いたり、講演やテレビ出演をしたりといった仕事が増えて、「経済評論家」が仕事として軌道に乗った。 その後、サラリーマンとしての勤務先をシンクタンクからインターネット証券に変えて現在(63歳である)に至っている。 筆者は、特段成功者でもないし、幸い失敗しなかっただけなのだが、凡庸なビジネスパーソンのリスクの取り方として、悪い選択肢ではなかったと思っている。 金融マン時代から、筆者はどちらかというと調査系の「知識を売る」種類の仕事をしてきた。こうした仕事では、会社は「時々」役に立つアイデアを必要とするのであって、月曜日から金曜日までフルタイムで社員たる筆者が会社にいることを必要としない。 もし勤務日を減らすこととともに給料を下げることができれば、会社にとってもメリットがある。もちろん、必ずしも給料を下げる必要はなく、複業で社員本人の生産性が上がる場合もあるので、会社の側でもメリットが発生する場合は少なくないはずだ。 例えば、シンクタンクのような業種なら、研究員が副業的な対外活動で有名になることは、会社の知名度や評判にもプラスになる場合がある。別の業種でも同様のことがあるのではないだろうか』、「必ずしも給料を下げる必要はなく、複業で社員本人の生産性が上がる場合もあるので、会社の側でもメリットが発生する場合は少なくないはずだ」、同感である。
・『筆者がキャリア・プランニングで参考にした2人の人物 実は、筆者のキャリア・プランニングには参考にしたモデルが2人いる。 一人は、現在ある大学の教授であるHさんだ。彼は30代の頃に金融系の会社に勤めている際に「給料を6掛けにする代わりに勤務日を週3日にする」という交渉を成立させた。そして大学院に通い学位を得て、大学教授に転身した。 なるほど、そういう条件交渉があり得るのかと大いに感心したことを覚えている。考えてみると、両者にメリットがあり得るなら、前例がなくても交渉はやってみる価値がある。 もう一人は、マルチ・ジョブの草分け的な先輩で、主に外資系の金融機関をわたり歩いたNさんだ。彼は、「人脈の達人」とも呼ぶべき人で、丁寧にメンテナンスされた幅広い人脈を武器に、次々と請われて職場を変えつつ(60代後半になって外資系金融に転職したこともある)、自分の会社のビジネスを発展させていた。 何らかの「強み」を持っていたら、年齢を重ねても職を得ることができることが分かったし、「強み」は複数の仕事で生かすことができる。 筆者にはN氏の人脈のような突出した強みはないが、金融資産の運用に長年関わってきたことが役に立った。 「ハイブリッド型」でも、行動を開始する目処は「45歳」くらいが適当な場合が多いのではないだろうか。 3パターンの中では、「組織人型」を選択する人が多いのだろう。しかし今後、働き方の多様性が広がって、「ハイブリッド型」が増えるのではないかと期待している。 いずれのタイプを選択するとしても、合い言葉は、「45歳を、機嫌良く通過しよう!」だ』、私の「45歳」当時の記憶はもはやないが、もっと若い頃にこれを読んでおけばよかった。
先ずは、本年1月14日付けダイヤモンド・オンラインが掲載した百年コンサルティング代表の鈴木貴博氏による「ヤフー「飛行機通勤OK」に隠れた覚悟、日本人の働き方はどう変わる?」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/293193
・『ヤフーが居住地制限撤廃を発表 ついに飛行機通勤もOKに ヤフーが12日、社員の居住地制限を撤廃する新しい人事制度を発表しました。同社はこれまでも、リモートワークが進んだ企業として知られていました。しかし、それでも居住地については「出社指示があった場合には午前11時までに出社できる範囲」と定められていました。これが、2022年4月1日から、日本国内であればどこでも居住できるように変更になります。 この新制度がニュースとして新しい点は、居住地制限以外に通勤手段の制限も撤廃したことです。具体的には、特急電車や飛行機での出社もOKになるということです。とはいえ、「飛行機で出勤するって、いったいどういう状況なの?」と疑問が湧くと思います。 そこで、今回の記事では、この制度はどのような働き方の人にメリットがあるのか? そして、この制度がヤフー以外にも広がりそうなのかどうか、について考えてみたいと思います』、私もこのニュースをどう咀嚼したらいいのか分からなかったので、大助かりだ。
・『「居住地制限の撤廃」で得をするのはこんな人 まず、最初の手掛かりとして、居住地制限の撤廃についてはヤフー以外にもメルカリ、LINE、GMOペパポなどが導入しています。ひとことでまとめると、IT企業に導入事例が多く、背景としては優秀なIT人材を採用する際の魅力として、居住地撤廃がアピールできるという事情があるようです。 つまり、(1)会社全体としてリモートワークが成立する働き方インフラが整っている (2)会社の競争力を維持するためには、優秀な社員が入社・定着することが重要だという競争環境がある (3)社員が優秀なITエンジニアの場合など、スキル面でも業務面でもリモートワークが当然という認識がある (4)そのような社員の中で「本社とは遠距離にあたる場所に住みたい」という個人的な事情がある という前提条件がそろう場合に、会社にとっても社員にとってもこの制度が大きな意味を持ちそうです。 その「個人的な事情」については、さまざまなケースが考えられます。アフターファイブや週末は自然に囲まれて過ごしたいから、北海道で勤務したいという人もいるでしょう。配偶者が地方都市に転勤することになったので、同じ場所で同居しながら仕事をしたいという人もいるかもしれません。副業規程に反しない形で、実家など高齢の家族の稼業を一部手伝いながら、リモートで本業の仕事をするという場合も考えられるでしょう。 今回のヤフーの新人事制度なら、どの事情の場合でも新しい制度を適用して遠距離居住での仕事ができそうです。 さて、軽井沢や札幌に居住している社員でも今回のルールの場合、会社から出社指示が出たら東京まで出勤しなければいけないという点は変わりありません。 ここから先は、あくまで「想定」での話となります。業務として週3日はリモートワークで大丈夫でも、週2日は本社に出社して何らかの業務をこなさなければならない仕事をしている人の場合、現実的な居住地は軽井沢のように新幹線通勤ができる場所ということになるのではないでしょうか。 一方で、基本はリモートワークで仕事がこなせて、月数回だけ本社に来なければならないという業務なら、札幌勤務で飛行機通勤というのが現実的にも可能になりそうです。 これまでのヤフーでは、飛行機・特急での通勤はNGでかつ、交通費の片道上限は6500円に設定されていました。通勤ルートとして新幹線通勤は認められていたようです。特急NGの意味は、通常の電車の利用であれば乗車券代は会社負担だが、特急料金は自腹という考えになります。つまり、軽井沢からヤフーの本社がある赤坂見附に出社する人は、乗車券分の2808円は会社支給ですが、特急指定席3380円は自腹ということになっていたはずです。 一方で、これからを考えると、軽井沢-赤坂見附間の1カ月の新幹線通勤定期券代13万4140円は、新ルール上では月額上限の15万円内に収まるため、全額会社負担でカバーしてもらえることになりそうです。) では、札幌居住の人はどうかというと、実質的な交通手段は飛行機一択になるはずです。LCCの場合往復1万円ちょっとの料金が出ることもあるのですが、ビジネスで使える航空券ということでいえば大手キャリアの割引航空券利用で、相場としては往復2万5000円前後を覚悟すべきでしょう。 ヤフーの交通費支給の月15万円という上限は実は税法上の控除額の上限と同じで、これを超える交通費の支給は税法上は給与とみなされることになります。 そうなると、会社支給の交通費内で往復できるのは月6回程度。それでもITエンジニアであれば遠隔地に住みながらも、制度の中で会社の仕事をこなすことはできそうです。 ひとつだけ注意点を挙げておきますと、ヤフーの社員で上限の月15万円が交通費として会社から支給されたとしても、あくまでそれは所得税の計算上得をするというだけの話です。厚生年金や健康保険料は会社から支払われた標準報酬月額をもとに算出するのですが、それには交通費が含まれます。 ですから、月15万円交通費支給の人は、社会保険料は年収が180万円増えたのと同じ計算になります。給与から控除される社会保険料は結構大きいですから、遠隔地居住を目指す方は、一応そのことも念頭においておいたほうがいいとは思います。 今回のヤフーの新制度のメリットをこのように分析してみると、この制度を活用して恩恵を受けられそうな社員は、一つは新幹線通勤をする人、もう一つが遠隔地居住のリモートワークが主で月数回の出勤が発生する社員、という二つのパターンでまとめることができそうです』、「IT企業に導入事例が多く、背景としては優秀なIT人材を採用する際の魅力として、居住地撤廃がアピールできるという事情があるようです」、「この制度を活用して恩恵を受けられそうな社員は、一つは新幹線通勤をする人、もう一つが遠隔地居住のリモートワークが主で月数回の出勤が発生する社員、という二つのパターンでまとめることができそう」、なるほど。
・『飛行機通勤は今後一般企業にも広がるのか? さて、この動きですが、IT企業がきっかけとなって、他の多くの会社にも広がることになるのでしょうか? コロナ禍をきっかけに大企業を中心にDXが広まり、リモートワークが急速に普及しました。同時に、持続的社会をつくるための目標の一つとして、働き方改革が重要視される世の中になってきていることもあります。 それらを考慮すれば、今回のヤフーの新制度は、今は一部のIT企業で広まる程度の動きだったとしても、5年後あたりにはIT業種以外の一般大手企業でも導入が始まる可能性はあるかもしれません。 では、そのような企業で働く社員として期待できること、期待できないことはそれぞれどんなことがあるのでしょうか? 期待できることとしては、会社の制度としてはともかく、自分の仕事の中でリモートワークが増加して、会社に出社する回数が激減するようであれば、自分が住みたい遠くの場所に居住地を定める自由度は増えそうです。 ただ、それを多くの会社が容認はしてくれても、交通費の補助までしてくれるかどうかはわかりません。 以下に説明する事情を考慮したら、あまり過剰な期待はしないほうがいいかもしれません。あくまで自分の意思で本社から遠くはなれた場所にマイホームを構え、週に数回、新幹線で出勤することはできるような仕事環境にはなると思いますが、その新幹線代を皆さんが勤務する会社が払ってくれるかどうかは別だということです。 そもそも大前提の話として、交通費を支給するかどうかは、会社が自由にルールを決められるのが我が国の制度です。ヤフーの場合は、2022年4月1日から居住地自由で1カ月の交通費支給の上限が15万円となるわけですが、この上限の線引きもそれぞれの企業が自由に決められるということです。 つまり、「ヤフーが新幹線定期を認めてくれているんだから、それを交通費に認めないうちの会社はおかしい」と主張することはできないというか、通用もしない。自分の会社には自分の会社の交通費ルールが存在するのは、当たり前だということです』、「今回のヤフーの新制度は、今は一部のIT企業で広まる程度の動きだったとしても、5年後あたりにはIT業種以外の一般大手企業でも導入が始まる可能性はあるかもしれません」、「「ヤフーが新幹線定期を認めてくれているんだから、それを交通費に認めないうちの会社はおかしい」と主張することはできないというか、通用もしない。自分の会社には自分の会社の交通費ルールが存在するのは、当たり前だということです」、当然だ。
・『一般のビジネスパーソンが「居住地の自由」を獲得するための手段は? 現実問題として国家公務員の交通費上限は1カ月5万5000円。民間企業の場合もそれに準じるか、それよりも低い上限3万円以下の企業も多いという実態があります。 つまり、交通費支給枠は多くの会社ではそれほど大きくはなく、どのような規程を設けるかは、あくまで社員に対する会社の福利厚生的な要素の一つであって、それを緩和するかどうかは、会社ごとの人事政策判断なのです。 その観点で言えば、そもそも企業から見れば長い通勤時間がかかる遠隔地居住の社員を雇用するのはムダだともいえます。毎日往復3時間のいわゆる「痛勤列車」で会社とマイホームを往復する社員は、お疲れ様といえばお疲れ様ですが、疲労が蓄積すればそもそも戦力としての消耗が激しい。 会社のためにも本人のためにも、近いところに住む社員を採用したほうがお互いにメリットがあるはずです。 だとすれば、居住地の自由を享受できるのは、経済メリットの観点で考えればITエンジニアのように採用が難しい希少人材か、ないしは非常に優秀で会社が手放したくない人材に限られるのではないでしょうか。 そして一般企業の場合は「そうではない一般社員の方が人数が多い」のであれば、会社は交通費の上限を上げるメリットは総合的観点でいえば「ない」でしょう。その代わりに失いたくない優秀な社員の報酬レベルを上げればいいだけの話です。 ですから、一般のビジネスパーソンの場合、何らかの事情から居住地の自由を獲得したければ、自腹で通勤するのが未来においても有力な解決策だと考えたほうがよさそうです。 マイホームを大自然の中に建てるとか、生まれ育った街で両親と一緒に暮らすとか、人生を充実させる目的での自腹遠隔地居住者はそれでも増えていくことでしょう。 ちなみに「自腹の交通費って税金で取り戻せないの?」と疑問を持つ方のためにお話ししておくと、確定申告の際に特定支出控除という制度があって、自腹の交通費の一部を所得から控除してもらえる可能性はあります。 会社が支給してくれない新幹線の特急券部分とか、在来線のグリーン車とか、駅からのタクシー代、それに単身赴任者が実家に頻繁に戻る場合など、自腹になった部分が大きければその一部は税金で取り戻せるかもしれません。 ただし、この特定支出控除は金額のハードルが高くて、年収500万円の人なら自腹が月6.4万円を超えてから、年収1000万円なら自腹が9.2万円を超えた分でないとだめなのです。つまり現実的には、自腹救済についてはそれほど大きな税のメリットは期待できないでしょう。 そう考えると、今回のヤフーの新しい人事制度、未来の多くの日本企業の社員から見ても「あそこの会社はうらやましいな」という先端的な話になるのではないでしょうか』、「居住地の自由を享受できるのは、経済メリットの観点で考えればITエンジニアのように採用が難しい希少人材か、ないしは非常に優秀で会社が手放したくない人材に限られるのではないでしょうか。 そして一般企業の場合は「そうではない一般社員の方が人数が多い」のであれば、会社は交通費の上限を上げるメリットは総合的観点でいえば「ない」でしょう。その代わりに失いたくない優秀な社員の報酬レベルを上げればいいだけの話です」、夢のない話に落着したようだ。
次に、1月19日付け東洋経済オンラインが掲載したジャーナリストの藤田 和恵氏による「「派遣する側」「派遣される側」経験した男性の主張 「派遣はいつまでも続けるべき仕事じゃない」」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/502077
・『現代の日本は、非正規雇用の拡大により、所得格差が急速に広がっている。そこにあるのは、いったん貧困のワナに陥ると抜け出すことが困難な「貧困強制社会」である。本連載では「ボクらの貧困」、つまり男性の貧困の個別ケースにフォーカスしてリポートしていく。 今回紹介するのは「現在、派遣会社の営業をしています。かつては典型的なワーキングプアの生活をしていました」と編集部にメールをくれた、45歳の男性だ』、「「派遣する側」「派遣される側」経験した男性の主張」、とは興味深そうだ。
・『派遣でキャリアを積めるのか? 「派遣は基本的にいつまでも続けるべき仕事じゃない。工場や倉庫で毎日同じ作業を繰り返しても、キャリアアップにはなりません」 都内にある派遣会社の営業担当で、コーディネーターも務めるタツヒサさん(仮名、45歳)はきっぱりと言い切る。しかし、それでは働き手を派遣先に送り込むという自身の仕事を否定することにならないか。これに対し、タツヒサさんはこう答えた。 「ちゃんとした仕事を見つけるまでのつなぎとして、製造や物流系の工場で働くのはいいと思います。あるいは建築や設計、通訳、編集といった専門的な技術を求められる業種なら派遣を続けるのもいいでしょう。(技術・専門職の派遣なら)経験を積めば、将来のキャリアにもなります」 タツヒサさんが所属する会社では主に建築関係の専門スキルを持った人材を派遣している。数年働いた後で正社員になったり、フリーランスとして独立したりする人もいる。一方でタツヒサさんにいわせると、製造や物流系の派遣は毎日同じ作業を繰り返すので確かに効率やスピードは上がる。ただそうしたスキルはその工場内でしか通用しないことが多く、つぶしが利かないという。 また、私が取材する中でも、製造や物流系の派遣労働者がフォークリフトやクレーンの運転資格を取っても、細切れ雇用のため、それらが給与に反映されることはめったにない。コロナ禍においても、雇い止めに遭って仕事も住まいも失うのは、自動車や精密機器メーカー系列の工場で働く派遣労働者が多かった。スキルアップどころか、なんらセーフティーネットもない働き方であることがあらためて浮き彫りになったといえる。 派遣はいつまでも続けるべき仕事ではないというタツヒサさんの考えにはおおいに同意するところだ。 一方、現在派遣会社で正社員として働くタツヒサさんの年収は約400万円。貧困層とはいえない。なぜ本連載の取材に応じようと思ったのか。 タツヒサさんは「私もかつては典型的なワーキングプアでした。日雇い派遣で働いたこともあります。派遣で働くときのコツや、派遣で搾取されないための方法、自分がどうやって貧困から抜け出したのか。その経験をお話ししたいと思ったんです」と説明する。 タツヒサさん自身は就職氷河期世代。4年制大学を卒業したものの、連戦連敗の就職活動や勤め先の倒産、失業と転職、同居する両親との衝突など一通りのことを経験した。20代のころ、どこかに再就職しなくてはと、たまたま飛び込んだ先が派遣会社だったことから、その後は転職先として複数の派遣会社で営業担当やコーディネーターを経験してきたという。 「『ちゃんとした仕事がしたい』という理由で派遣会社を辞めたこともありました」とタツヒサさん。当時は今ほど派遣という働き方は一般的ではなかった。人間を労働力として右から左へ流すだけのようにもみえる仕事に対し、“虚業”なのではという思いがぬぐえなかったという』、「ちゃんとした仕事を見つけるまでのつなぎとして、製造や物流系の工場で働くのはいいと思います。あるいは建築や設計、通訳、編集といった専門的な技術を求められる業種なら派遣を続けるのもいいでしょう」、「製造や物流系の派遣は毎日同じ作業を繰り返すので確かに効率やスピードは上がる。ただそうしたスキルはその工場内でしか通用しないことが多く、つぶしが利かない」、「派遣は基本的にいつまでも続けるべき仕事じゃない」、その通りだ。
・『企業が派遣を導入する目的は「人件費の削減」 自分が担当した人が最終的に正社員として就職したという話を聞くと、やりがいを感じることもあった。一方で従業員を派遣に切り替えた会社の工場では、不良品の返品率が上がったり、手指などを負傷する事故が増えたりといった変化を目の当たりにすることも少なくなかったという。 「企業が派遣を導入する目的は人件費の削減に尽きます」とタツヒサさんは言う。派遣労働者の能力の問題ではなく、不安定雇用という構造からくる問題だとしたうえで「日本製品のブランド価値が下がり始めた原因はこのあたりにあるのではないかと感じます」と振り返る。 海外での競争に勝つためという名目で労働者派遣法の規制緩和に踏み切ったものの、そのことが日本製品の品質劣化につながった、というのがタツヒサさんの実感である。 しかし、本人の希望とは裏腹に採用が決まるのは派遣会社ばかり。ある会社では、実態は労働者派遣にもかかわらず、業務請負を装う「偽装請負」が常態化していた。ほかにも技術職と偽って人材を集めながら工場に派遣したり、病気休暇を取得した派遣社員を強引にクビにしたりといった不適切な行為が横行していたという。タツヒサさんも雇用形態こそ正社員だったが、先輩社員からたびたび「やめちまえ」「ムダ飯食らい」とののしられた。 私が派遣会社の名前を尋ねると、2000年代にさまざまな違法行為を繰り返し、社会問題にもなった企業であることがわかった。結局半年ほどで退職。しかし、次に採用されたのも派遣会社だった。 複雑な思いはあったものの、ここまで縁があるなら、派遣労働者のキャリアアップを支え、最終的には安定した仕事に就いてもらうことを目的にしようと気持ちを切り替えた。 新しい勤務先は主に建築関係の人材派遣を手がけていたが、タツヒサさん自らの判断で比較的専門性の低い内装・建材といった周辺業務にもウイングを広げた。派遣先の開拓には苦労したものの、自らの営業成績アップにもなるし、何より最初の職場で経験を積んだ働き手がより専門性の高い業務へとステップアップするのを手伝うことができると考えたからだ。売り上げ増にも貢献できたという。一石二鳥にも思えたが、タツヒサさんの試みを快く思わない上司もおり、人間関係のもつれから4年ほどで退職を余儀なくされた。 不運だったのは、退職した時期がリーマンショックと重なったこと。毎日ハローワークに通ったが、求人情報を検索するパソコンの前には長い列ができ、2、3時間待ちはざらだった。 職種はともかく、一定以上の待遇にこだわったためか、面接にこぎつけられるのは月1回ほど。派遣会社に登録し、面接のない日はチラシ配りや繁華街での看板持ちといった日雇い派遣やアルバイトで食いつないだ。日給7000円につられ、デリヘルで働く女性を送迎するドライバーをしたこともあったという。) このころは関係が悪かった両親のもとを離れて1人暮らしをしていたので、家賃滞納でアパートを追い出されたこともあった。当時付き合っていた女性からは「仕事が見つけられないのは、あなたが不真面目だから」と三くだり半を突きつけられた。1日1食でしのぐ日もあったのに、安価な炭水化物中心の食事に偏ったせいで60キロ台だった体重は90キロを超えた。八方ふさがりの中、「落ちるところまで落ちたな」と感じたという。 タツヒサさんが貧困状態から抜け出すことができたきっかけは実にあっけなかった。数年前、リーマンショックの前まで勤めていた派遣会社の元上司から戻ってこないかと声をかけられたのだ。元上司はタツヒサさんの仕事ぶりを認めてくれた、社内でも数少ない人だったという。 この会社で、タツヒサさんは自らの意思を貫いた結果、社内で浮いてしまった。一方で巡り巡って当時の努力とこだわりが復職につながったともいえる』、「「企業が派遣を導入する目的は人件費の削減に尽きます」とタツヒサさんは言う。派遣労働者の能力の問題ではなく、不安定雇用という構造からくる問題」、その通りなのだろう。
・『「自分の努力が3割、運が7割」 タツヒサさんは再び安定した仕事に就けたことを「自分の努力が3割、運が7割」と受け止めている。「私の働きを覚えてくれている人がいたのは運がよかったとしかいいようがありません。でも、3割の努力がなければ、その運もめぐってこなかったと思うんです」。 タツヒサさんなりの“成功の秘訣”である。それは現在、派遣で働いている人たちにも通用するのだろうか。 「工場や倉庫での仕事は単純作業かもしれませんが、その間に在庫管理や倉庫整理、受注・発注処理の仕組みまで関心を持って、できれば経験もさせてもらってみてはどうでしょうか。派遣先は大手企業の系列であることも多い。きっと次の仕事探しに生かせるはずです。そして与えられた仕事が終わったら、自分から『何か手伝うことはありませんか?』と聞いてみてください。そういう努力はいつか誰かの目に留まると思います」 一理あるようにもみえる。しかし、派遣はあくまでも労働力の提供である。持論にはなるが、不安定雇用というデメリットをそのままに、本来業務以外のことまで進んでこなしていては、ただの使い勝手のよい人になってしまうのではないか。人間らしい暮らしができない一部の派遣労働の枠組みがおかしいのであり、派遣の優等生になる必要はない。個人的には劣悪な雇用には、もうそろそろ働き手の側からボイコットを仕掛けるべきだと思っているくらいだ。 これに対し、タツヒサさんは「私も、派遣は『ネガティブリスト』から『ポジティブリスト』に戻すべきだと思います。でも、現実には与えられた環境の中で努力をしなければチャンスもつかめないと思うんです」と言う。 長引く不況の中で、労働者派遣法が規制緩和され、派遣可能な業務だけを指定した「ポジティブリスト方式」から、禁止業務だけを指定した「ネガティブリスト方式」に転換、原則自由化されたのは1999年のことだ。制度改正が一朝一夕には望めない以上、タツヒサさんの提案は現実的ではあるのかもしれない。 「踏み台にするつもりで派遣会社を利用してほしい」 派遣する側も、派遣される側も経験したタツヒサさんからのエールである。 本連載「ボクらは『貧困強制社会』を生きている」では生活苦でお悩みの男性の方からの情報・相談をお待ちしております(詳細は個別に取材させていただきます)。こちらのフォームにご記入ください。』、「踏み台にするつもりで派遣会社を利用してほしい」とは言うものの、現実の利用者にはそんな能力を持った人間はいないのではなかろうか。
第三に、2月2日付けダイヤモンド・オンラインが掲載した経済評論家・楽天証券経済研究所客員研究員の山崎 元氏による「「45歳定年説」が捨てたもんじゃない理由、第2の人生設計には絶好の時期」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/294988
・『サントリーホールディングスの新浪剛史社長が唱えた「45歳定年説」は炎上めいた騒ぎとなったが、「45歳」は60歳以降のセカンドキャリアを考えるにはピッタリの時期だ。「45歳定年説」にも、45歳くらいで全く新しい仕事に取り組めるようにビジネスパーソンは自分を磨いて準備をしておくべきだ、という高い水準に真意があったのではないか』、興味深そうだ。
・『鎮火した「45歳定年説」だが45歳は人生設計の適齢期 一時「炎上」めいた話題となった、サントリーホールディングス社長の新浪剛史氏の「45歳定年説」は、ご本人が、「会社が45歳で社員のクビを切るという意図ではない」と補足説明したこともあって、無事「鎮火」したようだ。 せっかく鎮火したのに、再び取り上げるのもいかがなものかと思わなくもないのだが、「45歳」は職業人生のプランニングを考える上で目処とするに適切な年齢だ。 例えば「45歳で人生を考えろ」という指針は、「人生100年時代」といった空念仏よりも、はるかに具体的で役に立つのではないだろうか。) もっとも、「人生100年時代」をうたう金融商品の広告はだいたいが警戒を要するものだとしても(近年は、金融機関がマーケティングで好む怪しい言葉にもなっている)、多くの人にとって人生が長いのは確かだ。一つの会社に一生を託すには、いささか長すぎる。会社にとっても長いし、本人にとっても長すぎる。 政府は、企業に社員を65歳まで雇用することを求めていて、これを70歳まで延長することが望ましいとしている。 しかし、現状の定年延長型の雇用プランは、会社と社員本人の双方にとってあまり楽しくないことが多いように見える。 典型的には、50歳なり55歳なりで「役職定年」となって収入が下がり、60歳で「定年」となる。希望すれば65歳までかなり低い収入と責任のない役職で「再雇用」されるパターンになるのだが、いかにも先細りで「会社に置いてもらっている」感じの会社最後の10年間が寂しい。しかも、その後の人生が長いので、張り合いの上でも経済的な点でも、会社任せの人生は心もとない。 筆者は、職業人生のプランニングを「ファースト・キャリア」と「セカンド・キャリア」の2ステップで考えることをお勧めしたい。たぶん、現在及び近い将来の日本人サラリーマンには、2ステップのキャリア・プランニングが合っていると思う』、「現状の定年延長型の雇用プランは、会社と社員本人の双方にとってあまり楽しくないことが多いように見える・・・いかにも先細りで「会社に置いてもらっている」感じの会社最後の10年間が寂しい。しかも、その後の人生が長いので、張り合いの上でも経済的な点でも、会社任せの人生は心もとない」、「職業人生のプランニングを「ファースト・キャリア」と「セカンド・キャリア」の2ステップで考えることをお勧めしたい」、「2ステップで考える」とはどういうことだろう。
・『2ステップのキャリア・プランニング 3パターンを図解 会社員、公務員などのサラリーマンを前提とするが、2ステップのキャリア・プランニングは三つのパターンに分かれる。人それぞれの適性の違いや、現在勤めている会社の違い、目指すところの違いなどによって、戦略を変える方がいい。) 三つのパターンを簡単に図解すると、下図のようなイメージだ。 2ステップのキャリア・プランニングの3パターン の図はリンク先参照) それぞれのパターンが「45歳」の時点で典型的にはどうしているか。 タイプ1の「組織人型」では、今後も会社に勤めるとしつつも、定年前後から自分のセカンド・キャリアをどうするのかについて考えていて、必要があれば準備を始めている状態だ。 タイプ2の「起業人型」は、45歳前後の時点で新しい事業を自分で始めるような、ファースト・キャリアで勤めた会社とは異なる仕事に乗り出している。 タイプ3の「ハイブリッド型」は、45歳くらいの時点から副業を始めたり、複数の会社に勤めたりして、セカンド・キャリアにつながるような仕事に一部着手しつつ、サラリーマンも続けている。 近未来時点の人数比は順に8:1:1くらいのイメージだろうか。 個人的には、後の二つのパターンの比率をもう少し上げる方が、世の中は楽しそうに思える。 あくまでも筆者の印象なのだが、集団の「1割」では「この人たちは少数の例外なのだ」という感じが少々残る。「2割」までいなくてもいいのだが、「6人に1人」くらいいると、「ある種の集団なのだ」という感じが出てくる。日本人は「孤立」を避けたがるので、仲間がいる方が選択に当たって安心だろう』、「近未来時点の人数比は」、「組織人型」、「起業人型」、「ハイブリッド型」8:1:1くらいのイメージだろうか」、圧倒的に「組織人型」が多いようだ。
・『タイプ1「組織人型」が考えるべきこととは? 会社に定年前後までとどまるのは、多くのサラリーマンにとって自然な選択だ。だが、「その後」のことを考える必要がある。 「60歳くらいから後に、自分は何をして、いつまで働いて、いくらぐらい稼いでいるだろうか?」という問いに対して具体的な答えを考え始めて、必要なら準備に取り掛かるのが45歳だ。 65歳以降すっかり引退して全く働かないという状態は、生活に張り合いを欠くだろうし、経済的にも心配なことが多いだろう。そして、何よりも「もったいない」。 もちろん計画的に資産を作っておくことが望ましいのだが、十分なお金を貯めていなくとも、自分にとって好ましい仕事で働く機会を得ることができて、健康なら、機嫌良く生きていくことが可能だろう。豊かな高齢期を過ごすには、お金を貯める以上に、将来も「稼げる自分」を作ることが重要だ。 セカンド・キャリアとして何を選ぶかは人それぞれだが、「稼げる自分」であるためには、仕事の「能力」と、その能力を買ってくれる「顧客」の二つを用意しなければならない。 士業やコンサルタントなどで独立して稼ぐためには、資格を取得したり知識を仕入れたりすることが必要だろう。技術者の場合も、将来長く稼ぎ続けるためには知識を意識的にアップデートする時間が必要だろう。飲食店や商店、ペンションなどを開業するにも、調理などのスキルを身に付けたり、それぞれの業務における経営に必要な知識を獲得したりすることが必要だ。 加えて、十分な能力があっても独立する場合は顧客が必要だし、事務職や技術職で働くなら雇ってくれる会社の目処をつけることが必要だろう。 「能力」と「顧客」はいずれも獲得に時間を要する。早く準備を始めるのでないと、自分が将来できることの選択肢がどんどん狭まって、貧相なものになってしまいかねない。 60歳まで15年ある「45歳」を、セカンド・キャリアへの準備開始の時期に位置付けることが、多くのサラリーマンにとって適切なのではないかと思う次第だ』、「「能力」と「顧客」はいずれも獲得に時間を要する。早く準備を始めるのでないと、自分が将来できることの選択肢がどんどん狭まって、貧相なものになってしまいかねない。 60歳まで15年ある「45歳」を、セカンド・キャリアへの準備開始の時期に位置付けることが、多くのサラリーマンにとって適切なのではないかと思う次第だ」、なるほど。
・『タイプ2「起業人型」が実現に向けてすべきことは? 全く新しい仕事を始めて、それを大きく育てるためには、大きなエネルギーと長い時間が必要だ。独立して「自分が食べていける」だけでなく、大きな仕事をしようと思うなら、スタートは早い方がいい。 「45歳」くらいまでにスタートすると心に決めて、そのための準備をしておくべきだろう。 冒頭で触れた新浪氏の「45歳定年説」は、「45歳くらいで全く新しい仕事に取り組めるようにビジネスパーソンは自分を磨いて準備をしておくべきだ」という、かなり意欲的でハードルの高い水準に真意があったのではないか。 起業ではなかったが、総合商社(三菱商事)からコンビニエンスストア(ローソン)の社長に転じた新浪氏は、この「起業人型」に属するだろう。会社がチャンスを与えたこともあったが、彼自身も大いに準備をしていた(筆者は、共に新入社員として入社した三菱商事時代の「同期」である)。 新入社員時代の英語の特訓(早朝出社して仲間とトレーニングしていた)にはじまって、社費留学で米ハーバード大学ビジネススクールでMBA(経営学修士)を取得した。帰国してからも、他社の人材も含めて優秀なビジネスパーソンを集めて勉強会を主宰し、勉強に努めるのとともに人脈を拡げていた。加えて、若い時期に出向した給食の会社(ソデックスコーポレーション〈現LEOC〉)で経営の経験を積めたことが大きかった。 新浪氏が会社から多くのチャンスを得ていることも間違いないのだが、公平に見て、ローソンの社長に指名された時、彼には準備ができていた。 「新浪さんのようになりたい」と思う若いサラリーマンが少なからずいると思うが、日頃からの準備が大事であることを強調しておく。 もっとも、言われなければ準備に取りかかっていないような人は、そもそも「起業人型」ではないのだろう』、「新浪さんのようになりたい」と思う若いサラリーマンが少なからずいると思うが、日頃からの準備が大事であることを強調しておく」、「筆者は、共に新入社員として入社した三菱商事時代の「同期」」だけに説得力がある。
・『タイプ3「ハイブリッド型」の勧め 副業・複業を目指す 「ハイブリッド型」は、いわゆる副業や複数の会社・仕事から収入を得る形を通じながら、60歳以降も自分のペースで働くことができる仕事の機会を作っていくキャリア・プランだ。 いきなりサラリーマンを辞めて、独立したり起業したりするよりはリスクが小さい点で、起業人型よりも多くの人にとって目指しやすいのではないか。 勤め先の会社で仕事を減らすかどうかは人にもよるし、副業あるいは複業として手掛けたい仕事の内容にもよるが、うまくいくと、この形は本人にも会社にもメリットがある。 筆者のキャリア・プランはこのタイプだった。42歳の時点で、それまで転職を繰り返して勤めてきた金融系の仕事を離れ、「時間自由かつ副業自由」を条件として交渉してシンクタンクに入って(給与水準は前の半分以下に下げた)、おおっぴらに複数の仕事を始めた。 知り合いの会社にも勤めてみたり、ベンチャー企業に関わってみたり…。試行錯誤があったが、原稿を書いたり、講演やテレビ出演をしたりといった仕事が増えて、「経済評論家」が仕事として軌道に乗った。 その後、サラリーマンとしての勤務先をシンクタンクからインターネット証券に変えて現在(63歳である)に至っている。 筆者は、特段成功者でもないし、幸い失敗しなかっただけなのだが、凡庸なビジネスパーソンのリスクの取り方として、悪い選択肢ではなかったと思っている。 金融マン時代から、筆者はどちらかというと調査系の「知識を売る」種類の仕事をしてきた。こうした仕事では、会社は「時々」役に立つアイデアを必要とするのであって、月曜日から金曜日までフルタイムで社員たる筆者が会社にいることを必要としない。 もし勤務日を減らすこととともに給料を下げることができれば、会社にとってもメリットがある。もちろん、必ずしも給料を下げる必要はなく、複業で社員本人の生産性が上がる場合もあるので、会社の側でもメリットが発生する場合は少なくないはずだ。 例えば、シンクタンクのような業種なら、研究員が副業的な対外活動で有名になることは、会社の知名度や評判にもプラスになる場合がある。別の業種でも同様のことがあるのではないだろうか』、「必ずしも給料を下げる必要はなく、複業で社員本人の生産性が上がる場合もあるので、会社の側でもメリットが発生する場合は少なくないはずだ」、同感である。
・『筆者がキャリア・プランニングで参考にした2人の人物 実は、筆者のキャリア・プランニングには参考にしたモデルが2人いる。 一人は、現在ある大学の教授であるHさんだ。彼は30代の頃に金融系の会社に勤めている際に「給料を6掛けにする代わりに勤務日を週3日にする」という交渉を成立させた。そして大学院に通い学位を得て、大学教授に転身した。 なるほど、そういう条件交渉があり得るのかと大いに感心したことを覚えている。考えてみると、両者にメリットがあり得るなら、前例がなくても交渉はやってみる価値がある。 もう一人は、マルチ・ジョブの草分け的な先輩で、主に外資系の金融機関をわたり歩いたNさんだ。彼は、「人脈の達人」とも呼ぶべき人で、丁寧にメンテナンスされた幅広い人脈を武器に、次々と請われて職場を変えつつ(60代後半になって外資系金融に転職したこともある)、自分の会社のビジネスを発展させていた。 何らかの「強み」を持っていたら、年齢を重ねても職を得ることができることが分かったし、「強み」は複数の仕事で生かすことができる。 筆者にはN氏の人脈のような突出した強みはないが、金融資産の運用に長年関わってきたことが役に立った。 「ハイブリッド型」でも、行動を開始する目処は「45歳」くらいが適当な場合が多いのではないだろうか。 3パターンの中では、「組織人型」を選択する人が多いのだろう。しかし今後、働き方の多様性が広がって、「ハイブリッド型」が増えるのではないかと期待している。 いずれのタイプを選択するとしても、合い言葉は、「45歳を、機嫌良く通過しよう!」だ』、私の「45歳」当時の記憶はもはやないが、もっと若い頃にこれを読んでおけばよかった。
タグ:働き方改革 (その36)(ヤフー「飛行機通勤OK」に隠れた覚悟 日本人の働き方はどう変わる?、「派遣する側」「派遣される側」経験した男性の主張 「派遣はいつまでも続けるべき仕事じゃない」、「45歳定年説」が捨てたもんじゃない理由 第2の人生設計には絶好の時期) ダイヤモンド・オンライン 鈴木貴博氏による「ヤフー「飛行機通勤OK」に隠れた覚悟、日本人の働き方はどう変わる?」 私もこのニュースをどう咀嚼したらいいのか分からなかったので、大助かりだ。 「IT企業に導入事例が多く、背景としては優秀なIT人材を採用する際の魅力として、居住地撤廃がアピールできるという事情があるようです」、「この制度を活用して恩恵を受けられそうな社員は、一つは新幹線通勤をする人、もう一つが遠隔地居住のリモートワークが主で月数回の出勤が発生する社員、という二つのパターンでまとめることができそう」、なるほど。 「今回のヤフーの新制度は、今は一部のIT企業で広まる程度の動きだったとしても、5年後あたりにはIT業種以外の一般大手企業でも導入が始まる可能性はあるかもしれません」、「「ヤフーが新幹線定期を認めてくれているんだから、それを交通費に認めないうちの会社はおかしい」と主張することはできないというか、通用もしない。自分の会社には自分の会社の交通費ルールが存在するのは、当たり前だということです」、当然だ。 「居住地の自由を享受できるのは、経済メリットの観点で考えればITエンジニアのように採用が難しい希少人材か、ないしは非常に優秀で会社が手放したくない人材に限られるのではないでしょうか。 そして一般企業の場合は「そうではない一般社員の方が人数が多い」のであれば、会社は交通費の上限を上げるメリットは総合的観点でいえば「ない」でしょう。その代わりに失いたくない優秀な社員の報酬レベルを上げればいいだけの話です」、夢のない話に落着したようだ。 東洋経済オンライン 藤田 和恵氏による「「派遣する側」「派遣される側」経験した男性の主張 「派遣はいつまでも続けるべき仕事じゃない」」 「「派遣する側」「派遣される側」経験した男性の主張」、とは興味深そうだ。 「ちゃんとした仕事を見つけるまでのつなぎとして、製造や物流系の工場で働くのはいいと思います。あるいは建築や設計、通訳、編集といった専門的な技術を求められる業種なら派遣を続けるのもいいでしょう」、「製造や物流系の派遣は毎日同じ作業を繰り返すので確かに効率やスピードは上がる。ただそうしたスキルはその工場内でしか通用しないことが多く、つぶしが利かない」、「派遣は基本的にいつまでも続けるべき仕事じゃない」、その通りだ。 「「企業が派遣を導入する目的は人件費の削減に尽きます」とタツヒサさんは言う。派遣労働者の能力の問題ではなく、不安定雇用という構造からくる問題」、その通りなのだろう。 「踏み台にするつもりで派遣会社を利用してほしい」とは言うものの、現実の利用者にはそんな能力を持った人間はいないのではなかろうか。 山崎 元氏による「「45歳定年説」が捨てたもんじゃない理由、第2の人生設計には絶好の時期」 「現状の定年延長型の雇用プランは、会社と社員本人の双方にとってあまり楽しくないことが多いように見える・・・いかにも先細りで「会社に置いてもらっている」感じの会社最後の10年間が寂しい。しかも、その後の人生が長いので、張り合いの上でも経済的な点でも、会社任せの人生は心もとない」、「職業人生のプランニングを「ファースト・キャリア」と「セカンド・キャリア」の2ステップで考えることをお勧めしたい」、「2ステップで考える」とはどういうことだろう。 「近未来時点の人数比は」、「組織人型」、「起業人型」、「ハイブリッド型」8:1:1くらいのイメージだろうか」、圧倒的に「組織人型」が多いようだ。 「「能力」と「顧客」はいずれも獲得に時間を要する。早く準備を始めるのでないと、自分が将来できることの選択肢がどんどん狭まって、貧相なものになってしまいかねない。 60歳まで15年ある「45歳」を、セカンド・キャリアへの準備開始の時期に位置付けることが、多くのサラリーマンにとって適切なのではないかと思う次第だ」、なるほど。 「新浪さんのようになりたい」と思う若いサラリーマンが少なからずいると思うが、日頃からの準備が大事であることを強調しておく」、「筆者は、共に新入社員として入社した三菱商事時代の「同期」」だけに説得力がある。 「必ずしも給料を下げる必要はなく、複業で社員本人の生産性が上がる場合もあるので、会社の側でもメリットが発生する場合は少なくないはずだ」、同感である。 私の「45歳」当時の記憶はもはやないが、もっと若い頃にこれを読んでおけばよかった。