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経営学(その1)(日本と「世界の経営学」がこんなにも違う理由 「大学で教える経営学」は本当に役に立つのか、世界の経営理論に「ビジネスモデル」がない理由 持続的繁栄には「センスメイキング」が不可欠、知識創造理論が「ビジネス最強の武器」になる訳 四半世紀で「日本企業が失ったもの」は何か) [企業経営]

今日は、経営学(その1)(日本と「世界の経営学」がこんなにも違う理由 「大学で教える経営学」は本当に役に立つのか、世界の経営理論に「ビジネスモデル」がない理由 持続的繁栄には「センスメイキング」が不可欠、知識創造理論が「ビジネス最強の武器」になる訳 四半世紀で「日本企業が失ったもの」は何か)を取上げよう。

先ずは、2020年5月20日付け東洋経済オンラインが掲載した:早稲田大学商学学術院教授の井上 達彦氏と早稲田大学ビジネススクール教授の 入山 章栄氏の対談「日本と「世界の経営学」がこんなにも違う理由 「大学で教える経営学」は本当に役に立つのか」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/346557
・『2019年末に刊行された早稲田大学の2人の経営学者の著作が話題となっている。井上達彦氏の『ゼロからつくるビジネスモデル』と、入山章栄氏の『世界標準の経営理論』だ。前者が500ページ強、後者が800ページ強ものボリュームだ。 井上氏の所属は商学部で大学生に、入山氏はビジネススクールで実務家に経営学を教えている。それぞれのフィールドも異なる。かたや日本発の経営学、入山氏はアメリカを中心とする世界の経営学だ。そんな立場が対照的な名物教授である2人が、経営学という学問が、役に立つかについて、自由に語りあった』、興味深そうだ。
・『未経験者に経営学は学べないのか?  井上:入山さんとは、アメリカにいらした頃からの知り合いです。2012年に研究休暇でアメリカに行ったときには、入山さんにナイアガラの名物レストランを案内していただいたり、ご自宅で息子の遊び相手になっていただくなど、お世話になりました。 入山:こちらこそ、いろいろお世話になっています。井上さんは今、ビジネス経験のない学部生に経営やビジネスを教えていますが、雲をつかむようなところはありませんか。 井上:確かに、経験があるほうが必要な理論や知識がわかるというアプローチもあります。現在、文科省の次世代アントレプレナー育成事業(EDGE-NEXT)に協力し、海外のカリキュラムにも注目しているのですが、例えば、アメリカのバブソン大学では1年目に起業を経験させますよね。実際に経験してみれば、その後の理論だとか知識の理解度が深まるという考えです。 ただし、私は未経験者に教えても意義がないとは思いません。実は、学生から「先生の話は具体的すぎて、わかりません」と言われたこともあります(笑)。まさに名言で、実務経験がないから、抽象的な話のほうがわかると言うのです。 入山:面白いですね。井上さんの『ゼロからつくるビジネスモデル』と私の本に共通するのは、具体と抽象の往復をしていることです。私の『世界標準の経営理論』では、具体感を持っている実務家向けに、経営理論という抽象を思い切り攻めています。) 例えば、私は単独企業向けの研修講師は基本的に受けていないのですが、唯一引き受けているのが、大手企業4社が合同になっての研修です。ここでは、多様な背景を持つ4社の方々に『世界標準の経営理論』の章をいくつかを読んでもらい、そこで知った経営理論をベースに業界横断で自社・他社の課題や方向性などを議論してもらいます。 業種・業界が違っても、理論をベースにして具体的な悩みごとを話し合うと、すごく盛り上がるし、すごく学びが多いんですよ。考える「軸」が共通であれば、いくらでも議論ができる。これは究極の具体と抽象の往復ですよね。その点、ビジネス経験のない学部生に抽象を説明した後で、井上さんはそれをどう具体と往復させるのですか。 井上:つねに具体を感じている学生もいます。例えば、リーダーシップのテーマであれば、サークルやゼミの体験をふまえて、あれだとピンとくる。グランドデザインなど戦略の大きなところは、それでかなり理解できます。ただし、管理会計などのお金や利益については、アルバイトの経験なども必要になってきますが。 (井上達彦氏の略歴はリンク先参照) 入山:なるほど……。経営学は結局、人間の本質を突き詰めた学問だから、ビジネスである必要はないわけですね。面白いですね。 井上:そうだと思います。それから、学生は頭が柔らかいので、たとえ話やアナロジーを使うと、直感的にわかることもありますね。 むしろビジネスパーソンは業界が違ったりすると「うちとは違う」と言って、アナロジーとして受けつけにくいことがあるかもしれません。具体を知っているからこそ、「うちとは違う」と考えがちですが、本質を理解して自分事として考えてほしいものです。 逆に、学生には自身の経験に当てはめてもらう必要があります。そこで私がよく使うのは、恋愛にたとえること。例えば、SWOT分析で自分の強みは何かと聞いたりします。 」、入山:なるほど。例えば自分の強みは、イケメンではないけれど、お金はあるとか。脅威は周りにイケメンがたくさんいる場合、とかね(笑)。 井上:そして機会は、例えばクリスマスが来ているなら、彼女が好きなのはこれだと(笑)。 入山:確かに、恋愛はわかりやすいですね(笑)』、「私は未経験者に教えても意義がないとは思いません。実は、学生から「先生の話は具体的すぎて、わかりません」と言われたこともあります(笑)。まさに名言で、実務経験がないから、抽象的な話のほうがわかると言うのです」、意外だがよく考えてみればそうなのかも知れない。
・『日本の経営学はガラパゴスか?  井上:入山さんは日本の経営学について、どんな印象を持っていますか。 入山:僕はアメリカでしか経営学の教育を受けていないので、日本の実情はそれほど詳しく知らないのですが、面白い研究をしている人は多いなと思います。 例えば、以前に井上さんの研究を紹介してもらったことがありますが、「3人1組の結束力」や「粋」の概念などを取り上げていますよね。これは、日本のコンテクストだから出てくることだと思うので、すごく面白い。 しかし残念なのは、それが海外に十分に発信されていない。もう少し日本の研究成果を海外に橋渡ししたり、つながっていけばよいと思います。私が今回の本を書いた理由の1つも、国内の経営学の研究者に読んでもらい、日本のコンテクストで自分の研究内容を理論とつなげて、情報発信する材料に使ってもらえればと思ったからなのです。 井上:世界の標準の言語、作法、スタイルなど、プロトコルに合わせて発信するのが、今後、日本の経営学がこれから目指すべきところだと私も思っています。 (入山章栄氏の略歴はリンク先参照) 入山:グローバルに見ると、経営学では標準化が進んでいます。同じ理論を使い、実証研究では、定性分析と統計解析をうまく組み合わせながら普遍的な法則を発見していく。 井上:私の印象では、アメリカを中心にするアカデミーは、標準化を進めようとしているのに対し、日本はそうではない。だから、先生の数だけ経営学がある、なんて言われますよね。 私が『ブラックスワンの経営学』を書いたのは、日本の経営学のケーススタディのやり方を海外の標準様式に合わせれば、海外のジャーナルにも掲載してもらえる可能性が出てくると思ったからです。プロトコルは世界に合わせて、問題意識はアメリカの経営学の中ではなかなか語り尽くせないところを見つけて、固有の考え方や現象を探せばよいのです。 入山:そうですね。日本で大事にされているものがあるなら、プロトコルに合わせた形でグローバルに発表できればよいでしょうね』、「アメリカを中心にするアカデミーは、標準化を進めようとしているのに対し、日本はそうではない。だから、先生の数だけ経営学がある、なんて言われますよね」、日本は皆がお山の大将なのだろうか。
・『経営という現象は理論化できるのか?  井上:ところで、私は経営理論というものが本当にあるのかと、たまに思ったりします。入山さんは理論を説明するときに「ディシプリン」という言葉を使っていますが、本をたどれば、経営理論のルーツはすべて社会科学や人文科学の理論ですよね。 入山:海外でも、経営学はセオリー・ボローイング(他分野からの借り物の理論)だと言う人がいます。というのも、経営は現象であり、やっているのは人間だから、人間の根本的な意思決定・行動原理を取り扱う心理学や経済学の考えを借りてくるからです。 私自身はそこにこだわりはなく、「経営学独自の理論でなくてもよい」と思っています。大事なのは経営学という領域の独自性ではなく、あくまで企業・組織・人の真理法則に迫ることですから。例えば、エンジニアリングは背景に物理理論、化学理論があるけれども、だからエンジニアリングに価値がないわけではない。経営学も同じです。 井上:しかし、工学部の人はそれを使って橋が作れますが、経営学では理論を知っているだけでは経営はできません。 入山:うーん、これはどうなんだろう。これは、自然科学と社会科学の違いではないでしょうか。土木は橋を作るのは物理法則が明確だから、こうなったら倒壊する、これなら絶対に大丈夫だとわかる。そういう自然科学と比べて、社会科学は人間を扱います。人間はすごくいい加減で、「絶対こうだ」と言い切れないところが難しい。 井上:普遍的かつ一般化可能な法則を求めないと、科学ではないと言われます。人間を相手にする学問で、果たして科学は成り立ちうるのかと、私はかなり疑問に思っています。) 入山:とはいえ、経済学や経営学でも、ある一定の条件だと再現可能なものはすでにかなりあります。例えば、マーケティングの世界では、データ分析をもとに、方程式を作って予測するとそれなりに当たったり、マイケル・ポーター教授のSCP理論にしても、独占に近いほうが儲かりやすいという法則性はほぼ明らかですよね。 でも、それは100%ではない。自然科学はよほどのことがない限り「外れない」のに対し、人間の科学はそれなりに外れるけれども、大まかな予測ができる。そういう感覚だと思うのです。むしろ重要なのは、とりあえず組織を作った後で、なんで自分はちゃんと組織が作れたのか、失敗したのかと、論理的に説明できることではないかとも思います。 拙著もそうなのですが、ビジネスパーソンにとって「経営理論は自分のやりたいこと、やってきたことを言語化して説明できるツール」だと思っています。 井上:振り返りができるという話ですね。ただし、研究者になろうとする大学院生を見ていて思うのは、どうでもよい細かいことで、重箱の隅をつつくような研究に入り込みやすいことです。変数を1つ加えて統計的に有意になればよいという世界で、それで説明力がどれだけ高まったかは省みられなくなる。 海外のスタイルや様式を使いつつも、問題意識の志や面白さが足りない。現実の経営では、「そこさえ押さえればいい経営ができる」というように、もっと大事なことがほかにもあると思うのです。 入山:面白いご指摘ですね。海外でもそこは問題視されているように思います。特に、「Pハッキング」と呼ばれるように、いかに統計的に有意な結果を特定の変数で出すかという姿勢がよろしくない、という流れに最近はなっています』、「どうでもよい細かいことで、重箱の隅をつつくような研究に入り込みやすいことです。変数を1つ加えて統計的に有意になればよいという世界で、それで説明力がどれだけ高まったかは省みられなくなる」、嘆かわしい傾向だ。
・『経営学は本当に役立つのか?  入山:ここまでの話の中で感じたのは、おそらく井上さんの問題意識の背景には、「経営学は実学だから、役に立たなくてはならない」という感覚があるのではないでしょうか。 井上:まさにそのとおりです。私の学部時代の指導教授の丸山康則先生は、産業心理学で博士号を取得された後、実務家として企業の研究所で鉄道事故など人の生死がかかった切実な状況で安全学を究めました。 その先生から、心理学の切り口は小刀みたいだが、経営学はそういうものではない。多様な理論がある「マネジメント・セオリー・ジャングル」の時代に、小刀を持って歩いても進めないから、あなたは大ナタをふるいなさい。もっと大きなもので切ったほうが、経営はわかってくるよ、と指摘されたのです。 入山:それは、マクロ的なことをやれという意味でしょうか。 井上:それは、大局を見る「ものの見方」という意味でのパースペクティブだと思います。そのときに引き合いに出されたのは、梅棹忠夫先生の『文明の生態史観』のような観点です。私の大学院時代の師匠の加護野忠男先生(神戸大学名誉教授)も25年前にまったく同じことをおっしゃっていて、驚かされました。「ものの見方」や「考える軸」という話をして、テクニカルなことは、大学で学ぶビジネスパーソンに必要ではない。考えるときの軸が必要だ、と。現象は無限にあっても、軸の数は少なくても間に合います。) 入山:おっしゃるとおりで、「考える軸」を持つことは大切ですよね。僕も『世界標準の経営理論』でさんざん「思考の軸」と書いていますし、とても共感します。 一方で、あえて議論のためにスタンスを取るとすれば、経営学をピュアに学問だとすると、「学問なのだから、重要なのは『知』を膨らませることであって、別に実社会に役に立たなくたってよいではないか」という考え方もあるのではないでしょうか。 例えば私が今、研究しているのは、インド企業と中国企業のどちらがどういう条件で賄賂をするかというもの。これはおそらく実社会には1ミリも役に立ちません(笑)』、なるほど。
・『「面白い」と「役に立つ」が同じベクトルか?  井上:そうでもないと思いますが。入山さんは知的好奇心から研究するとしても、それをほかの人が面白いと思えば、きっと役に立ちます。 入山:井上さんはいい方だから、ポジティブに見ていただければそうですね。問題はその「面白い」と「役に立つ」が同じベクトルかどうか。 ノーベル物理学賞を受賞された梶田隆章先生が、取材であなたの研究は役に立つのかと聞かれて、「役に立つ必要があるの?」とあっさり答えられたというエピソードがあります。ここは重要なポイントで、素粒子衝突実験装置のリニアコライダーを国家レベルで巨額の費用をかけて作っても、当面は役に立たない。 これは企業のイノベーション施策と似たところがあり、「業務に直結」と言い出した途端に、斬新なアイデアが生まれなくなる傾向があると思います。でも、素粒子衝突にしても何にしても、長い目で見ると、結果的にそういう役に立っていないように見えたものの蓄積の一部が世の中で役に立つ可能性がある。 そう考えると、私の経営学へのスタンスは純粋に好奇心から組織や人間の行動を説明したい、というものです。しかも私はデータ解析が好きなので、それをデータで検証していけばよい、という入り方です。「役に立つ研究をやる」ことに自分の興味はありません。 他方で、先人たちの教えの中で役に立ったり、思考の軸になるかもしれないものが、経営理論としてそれなりに普遍化されつつあるのも事実。「興味のあるビジネスパーソンは、それを思考の軸にしてみてください」というスタンスで書いたのが、今回の本なのです。 井上:入山さんはご自身の研究と、一般向けの書籍の執筆などを分けて考えていらっしゃるわけですね。普通は研究結果を社会に発信しようとするのです。入山さんはせっかく関心を持って世界水準の研究もたくさんされているのに、そこでわかったことを人に伝えたくならないのでしょうか。 入山:まず、自分の研究結果は、あくまで1個の研究から得られたものにすぎませんので、それがどのくらい普遍性があるかの保証が十分ではありません。ですから、自分の研究そのものを「役に立つ」と見せかけて一般の方に伝えるスタンスは取らないようにしています。自分の研究は、同業の研究者の人たちに「面白い」と思ってもらえばいい。 とはいえ確かに、自分の興味があることを解明し、それを伝えることは根本的に好きですね。しかし、それは雑誌の連載でも、ラジオでも何でもいいですね。 井上:私の場合は、「役に立ちそうです」と言われるほうがむちゃくちゃうれしいです。だから、「役に立ちそうだ」という雰囲気で話を聞いてくれるほうが燃えるし、もっとそういうものを提供しようと思います。この書籍を書くための取材でも、それが原動力となりました。 入山:この2人のスタンスの違いも面白いですね』、「「面白い」と「役に立つ」が同じベクトルか?」、での「2人のスタンスの違い」は確かに面白い。

次に、この続きを2000年5月20東日付け東洋経済オンライン「世界の経営理論に「ビジネスモデル」がない理由 持続的繁栄には「センスメイキング」が不可欠」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/346559
・『2019年末に刊行された早稲田大学の2人の経営学者の著作が話題となっている。井上達彦氏の『ゼロからつくるビジネスモデル』と、入山章栄氏の『世界標準の経営理論』だ。前者が500ページ強、後者が800ページ強ものボリュームだ。 井上氏の所属は商学部で大学生に、入山氏はビジネススクールで実務家に経営学を教えている。それぞれのフィールドも異なる。かたや日本発の経営学、入山氏はアメリカを中心とする世界の経営学だ。前回に続いて、そんな立場が対照的な名物教授である2人が、「ビジネスモデル」の研究と実践について、自由に語りあった』、興味深そうだ。
・『なぜビジネスモデルは科学との相性が悪いのか?  入山:私は井上さんの新著『ゼロからつくるビジネスモデル』にすごく関心があるんです。なぜなら、海外の経営学では、トップジャーナル(学術誌)に「ビジネスモデル」をテーマにした研究が載ることはほとんどありません。 なぜかというと、私の理解では、ビジネスモデルとエコシステムは、既存の経営学で扱いづらいから。両方ともフワッとしていて、いろんな要素があり、全体性が重要になってくる。 現代の科学は要素還元主義なので、分解して、分解して細かいメカニズムを解き明かす傾向にあります。経営学もそう。細かいメカニズムを解明し、それが積み上がっていくと全体が説明できるだろうと考える。しかし、現実はそう簡単ではない。だから、もともと「全体」を説明しようとするビジネスモデルとは相性がよくないのです。 かといって、海外の経営学者はビジネスモデルに興味がないというと、まったくそうではありません。学会でビジネスモデルのセッションを開くと、大勢の人が集まりますから。その意味でいうと、実務には絶対に意味がありそうだけど、科学的には捉えづらいビジネスモデルというテーマで本を書かれたところは、井上さんっぽいですね。 井上:私は基本的な姿勢として、経営学者は役に立ってなんぼだと思っています。要素に還元できるもの、科学で語りやすいものだけを語って、経営のためになるかというと、決してそんなことはない。むしろ、経営は総合だと思います。 私の師匠の加護野忠男先生(神戸大学名誉教授)も伊丹敬之先生(国際大学学長、一橋大学名誉教授)も『ゼミナール経営学入門』の中で、「経営の神髄は矛盾のマネジメントだ」と書いています。 矛盾というのは、複数の要素があり、ここの組織を正常化すれば、別のところで別の問題が起きるからです。そして、これに絶えず直面するのが経営者だ、と。だから経営者は複数の視点から同じ現象に切り込んで、総合的に判断しなければならないというのです。 入山:私も、そのとおりだと思います。 井上:それを特に強く感じたエピソードがあって。以前、私が広島大学で社会人教育を行っていたときに、子会社を垂直統合するのか、自由に活動できるよう独立させるかを考えるケースをつくりました。 (井上達彦氏の略歴はリンク先参照) 取引コストの観点でどう判断すべきかという問いを立てたので、学生たちはコストや情報の非対称性を中心に議論しましたが、終盤で実際に会社を経営している受講生が「これはこうすべきだ」と指摘したのです。多面的な視点で問題を捉えていたので、すごく説得力があり、みんなも納得しました。 ビジネスモデルもそれと同じで、事業の仕組みとか、収益をあげる仕組みを議論するなら、多面的に見ればいい。1つのディシプリンや構成概念で定義するのではなく、戦略、製品開発、イノベーションと同じような形で見ていけば、何とかなるのではないかと私は思っています。 例えば、起業家がどうやって発想しながら、ビジネスを起こすのか。異業種の例を参照しながらつくっていることがわかれば、事業創造にはそういう方法があるとわかる。そういう努力を積み重ねれば、ビジネスモデルとしての研究は十分に成り立ちます。 入山:そういう意味では、たぶん私の『世界標準の経営理論』が目指しているところも同じですね。特定の理論だけを見るのは学者の仕事なので、学問としてはそれでいいのですが、実務は多面的に見る必要がある。 だからビジネスパーソンは特定の事象でも、経済学ディシプリン、心理学ディシプリン、社会学ディシプリンの理論を総合的に踏まえて、全体で考え、意思決定しないといけない』、「私は基本的な姿勢として・・・要素に還元できるもの、科学で語りやすいものだけを語って、経営のためになるかというと、決してそんなことはない。むしろ、経営は総合だと思います」、「実務は多面的に見る必要がある。 だからビジネスパーソンは特定の事象でも、経済学ディシプリン、心理学ディシプリン、社会学ディシプリンの理論を総合的に踏まえて、全体で考え、意思決定しないといけない」、「ビジネスパーソン」の方が大変なようにも思える。
・『ビジネスモデルは卵か鶏か?  入山:例えばアメリカのウォルマートのビジネスモデルは非常によくできたものですが、それは事後的にそう見えるだけで、現実には、いろんな企業のアイデアを模倣していくうちに、結果的にできあがったものと言われています。 そういうビジネスモデルのつくり方のほうが役に立つのか。それとも、模範的なビジネスモデルを置いて、この部分はこのメカニズムを入れようとか、演繹的に考えるべきなのか。井上さんはどうお考えでしょうか。) 井上:日本の経営学では、以前に「ビジネスシステム」という言葉がありました。ほぼビジネスモデルと同じことですが、結果として生み出された仕組みを指します。それに対して、「ビジネスモデル」は型であり、木の幹に当たります。こういう儲け方をしたらいいな、こういうカスタマー・セグメントにこんな価値提案をして、こういうリソースを使ったらいいなと、枝葉をつけていく。 したがって、経営者は枝葉のないビジネスモデルを参照するのですが、現実はそのとおりにいかないので、創発的に元々の木がすごく複雑に茂ったビジネスシステムができあがるのです。 持続的競争優位を説明するときは、ウォルマートの仕組みの枝葉の茂った部分まで注目して、ここに複雑性や模倣困難性があると見ていく。でも、つくるときには、そんな複雑な部分まで真似できないので、型としてのビジネスモデルが大事だと分けて考えていくと、かなり整理できます。 入山:へえ、そういう型みたいなものがあるのですね。 井上:例えば、広告モデル、マッチングモデル、フリーミアムモデルなどです。30~40の型があるとする書籍もあれば、私たちみたいに、具体と抽象の往復運動しながら、自分で型をつくらないとうまく使えないというスタンスもあります。 型だけあってもつくれないので、「あのビジネスはいい」と思えるお手本を自分で抽象化し、適用してみる。その往復運動をするうちに、本当にいいものになっていくのだと思います』、「「あのビジネスはいい」と思えるお手本を自分で抽象化し、適用してみる。その往復運動をするうちに、本当にいいものになっていくのだと思います」、ずいぶん大変なようだ。
・『引用する言葉によるアプローチの違い  入山章栄氏の略歴はリンク先参照) 入山:基本的に本の内容を鵜呑みにするよりは、それを前提にもっと考えてもらいたい、と。それは私の本でも同じです。 井上:そうですね。しかし、私はそれを学術の言葉を使わずにやりたいのです。「日常の理論」と言ったりしますが、本でもなるべく現場の人たちが使っている言葉を引用するようにしました。 もちろん、標準の言葉を使ったほうがいい場合もあるのですが、例えばデザイン・シンキングの話をするときには、学問の言葉よりも、デザイナーたちが普段使っている言葉遣いのほうが腹落ち感、納得感があり、脈絡や歴史も拾ってこられる。だから、一見するとすごく学術っぽくならない。 入山:私の本は逆で、むしろアカデミックな言葉をわかりやすく使って説明しようとしています。アカデミックな理論をそのまま知って読者に納得してもらうことで、思考の軸にしてもらいたい。 井上さんはダイレクトに「役に立つ」ことに関心があるから、現場の言葉に落として伝えていく。私は「思考の軸」としての腹落ちにまずは関心があるから、理論をそのまま解説する。私と井上さんで目指していることは近くても、アプローチが違うところは面白いですね。 入山:いろいろな企業を見てくる中で、「このビジネスモデルは面白い」と思ったものはありますか。 井上:やはり公文教育研究会のモデルでしょうか。イギリスのソーシャル・インパクト・ボンドの調査を行い、そこから認知症患者の学習療法に応用して展開するなど、面白いですね。それに、すぐに儲けようと短絡的な考え方をしていない。 ビジネスモデルを設計しようとする中間管理職は、収益モデルばかりにこだわりますが、それではお客さんは誰か、どんな価値を提供するのかという点を忘れてしまう。 その点、公文のグローバル化を進めてきた歴代の社長も、スノーピークの山井太社長も、自分の実現したい世界を実現させるために一生懸命やってきたら、こういう仕組みができていたという展開になっています。 入山:いい会社のいい経営者はたいてい、長期目線で社会にどう影響を与えるかをつねに考えていますよね。私の本で紹介しているのが「センスメイキング」の理論です。 実は、イノベーションに関する講演をするときに、私はいつも「最も日本に足りていないのがセンスメイキングです」と話しています。目先で考えると収益に向かい、いわゆる経営学で言う「Exploitation(深化)」になる。「Exploration(探索)」を続けるには、会社の長期の方向感について腹落ちすることが重要です。 井上:長期的に繁栄する仕組みをつくろうと思ったときの発想や考え方として、すごくこだわる準拠点を意識して、理念をしっかりと持てば、自然にできあがっていきますよね。ビジネスモデルづくりは一朝一夕にはできなくて、持続的に収益を上げる仕組みとなると10年がかりだったりします。そこに一貫性を持たせるのが理念ではないでしょうか」、「井上さんはダイレクトに「役に立つ」ことに関心があるから、現場の言葉に落として伝えていく。私は「思考の軸」としての腹落ちにまずは関心があるから、理論をそのまま解説する。私と井上さんで目指していることは近くても、アプローチが違うところは面白いですね」、学者による「アプローチ」の違いが理解できた。
・『グローバル企業が用いる腹落ちの仕組み  入山:日本でファミリービジネスが強いのは、経営者が方向感について腹落ちがあるからだと思います。いい経営者は30年くらい先のことまでを見て、会社の方向感に自分が腹落ちしています。 しかも、ファミリー企業の場合は、経営者があっちへ行けと言えば、みんながそっちへ動く。だから、長い目で見ると業績もいいというのが、私の理解です。その一方で、日本の同族企業の弱点は、この作業を経営者1人が自分だけの脳内でやっていること。自分は腹落ちしていても、引退した後、たぶんその腹落ちが会社に残らないことも多い。 では、優れたグローバル企業はどうしているかというと、それを仕組みで入れています。例えばデュポンには100年委員会とでもいうべきものがあり、経営幹部が年に1度集まって、専門家も呼んで100年後の未来を死ぬ気で考えて、腹落ちさせるプロセスを実施しています。シーメンスもメガトレンドとして30年先について考えています。 日本企業が「青臭い」とバカにするような会社の方向性やビジョンの腹落ちの刷り込みを、実は優れたグローバル企業は一番大事にしている。そこが日本企業との決定的な違いだと思います。) 井上:そういう腹落ち感でいうと、私の本で紹介したスノーピークの社員はみんなキャンパーなので、キャンプの価値観、自然に対する向き合い方、必要な準備がわかっていて、だから経営ではこれが必要だという考え方をします。社内の雰囲気はいいし、一丸となっている空気があって、面白いですよ。 入山:そういうのが前提にあり、結果的にみんなの方向が揃っているから、気づいたらたぶんビジネスモデルも、一見突飛なように見えるけど、面白い仕組みが出てくるのでしょうね。 井上:理念や仕組みで維持しようとする場合、少数の細かいルールで縛っても、仕組みはいい感じで進化していかないように思います。官僚制がどんどんできていくばかりで。「これだけは守る」という基本原則や、経営者が日々語っている一言のほうが重要です。 例えば、京都では歴史的に、絶対に競争してはいけない、地域に迷惑をかけてはいけないという不文律があり、それが棲み分けにつながり、新しいものをつくろうというチャレンジ精神を育んだと言われています。だから、仕組みづくりのためのプロセス、ルールは面白いと思います。 入山:本当に重要なことですよね。特に日本では、そういうものが現場レベルではあっても、会社の理念になると方向感の腹落ちがすごく弱く、すぐに目先の収益の話になってしまう企業も多い。 ビジネスモデルを考えるときも、どうやってお金を落としてもらえるかではなく、そもそもどうしたらこのビジネスモデルで、経営理念でいう社会問題を解決できるのかを考えることが必要なのでしょうね。まさに自らのビジネスの意味づけ、センスメイキングをすることが大切だということでしょう』、「京都では歴史的に、絶対に競争してはいけない、地域に迷惑をかけてはいけないという不文律があり、それが棲み分けにつながり、新しいものをつくろうというチャレンジ精神を育んだと言われています」、しかし、「日本では、そういうものが現場レベルではあっても、会社の理念になると方向感の腹落ちがすごく弱く、すぐに目先の収益の話になってしまう企業も多い」、なるほど。
・『「センスメイキング」×「ビジネスモデル」  井上:ビジネスモデルは価値の創造と獲得です。相手にもメリットを与えて、こちらもメリットを得て永続する。これは誘因と貢献で、本当は協力し合えないようなパートナーや取引先と一緒に価値を生み出して大きなことをやろうという、マネジメントの基本です。そう考えていくと、入山さんの言うセンスメイキングの話にもつながりますね。 継続的に儲けるための仕組みづくりの大事なキーワードとして、出てくるのがセンスメイキング。収益モデルの設計というのは、ある意味で技術ではあるけれど、理念なき技術は危ういとも言われます。入山さんの本の第23章(センスメイキング理論)をもう一度読み直しますね。 入山:ありがとうございます(笑)。 井上:入山先生の本でセンスメイキングを読んだ後で、私の本でスノーピークのビジネスモデルを読んでもらうとよいかもしれません。そして、「自分にとってビジネスモデルは何か」と問いかけてみる。 入山:自分の夢や願いを全うするという意志は、日本の会社に足りないですよね。井上さんの本の中でそういう話が出てくるのは第3章、意志の話は第12章。となれば、私の推奨としては、井上さんの本は第1章から読むよりも、まず第3章「ビジネスモデルを学ぶ意義」を読むのがいい読み方かも。 井上:2冊をセットで読み比べて、具体と抽象を行き来させるとよいのかもしれません。合わせると1300ページになってしまいますが(笑)、私も読み直してみます』、「自分の夢や願いを全うするという意志は、日本の会社に足りない」、なんでなのだろう。もっとも、「1300ページ」もある原典を読む気は起きないが・・・。

第三に、本年1月28日付け東洋経済オンラインが掲載した 一橋大学名誉教授の野中 郁次郎氏とシナ・コーポレーション代表取締役の 遠藤 功氏の対談「知識創造理論が「ビジネス最強の武器」になる訳 四半世紀で「日本企業が失ったもの」は何か」を紹介しよう。
・『『現場力を鍛える』『見える化』など数多くの著作があり、経営コンサルタントとして100社を超える経営に関与してきた遠藤功氏。遠藤氏が緊急出版した『コロナ後に生き残る会社食える仕事稼げる働き方』はいまも反響が大きい。 わずか半年ほどで世界を震撼させ、経済活動や社会活動をいっきに停滞させ、世界中の人々の生活をどん底に陥れた「コロナ・ショック」。2020年は「コロナ・ショック」で経済的な側面だけでなく、日本人の価値観や働き方も大きく変わっていったが、2021年もその変化は続いている。 このたび『ワイズカンパニー』『知識創造企業新装版』を上梓した一橋大学名誉教授の野中郁次郎氏と遠藤氏が対談を行った。これからは「『知識創造理論』はビジネス最強の武器になる」という。その理由について両氏が語る。※対談第1回、第2回』、興味深そうだ。
・『SECIモデルの起点は「共同化プロセス」にある  遠藤:1995年に英語版の『知識創造企業』が世に出て、翌年出版された日本語版を当時の私もむさぼり読みました。 つい最近、24年ぶりに新装版が発売されました。おめでとうございます。2020年は続編の『ワイズカンパニー』の翻訳版も出ていますから、「知識創造理論」の当たり年ですね(笑)。 野中:ありがとうございます。『知識創造企業』と『ワイズカンパニー』を一緒に読むと、前著で取り上げられた日本企業と後著のそれの顔ぶれががらりと変わっています。 前著では知識創造のメカニズム、つまり「SECI(セキ)モデル」がうまく合致する新製品開発プロセスにフォーカスしているのに対し、後著は経営全般に光を当てています。 そのため、顔ぶれが違って当然といえば当然なのですが、例えば、前著で取り上げたシャープは、後著では候補にもなりませんでした。「イノベーションを生む経営の持続力」という面で、この四半世紀、「日本企業が失ったもの」は何なのか、一度考えてみたいと思っています。 遠藤:それはとても興味深いテーマですね。ぜひ考察をお願いします。「SECIモデル」の大前提は、最初の「Sの共同化(Socialization)」、つまりは「暗黙知」を互いに共有するプロセスにあると考えてよいのでしょうか?) 野中:そのとおりです。もっと簡単に言うと、「お互いが裃を脱ぎ、向き合って共感すること」です』、「「暗黙知」を互いに共有するプロセス」とは、「お互いが裃を脱ぎ、向き合って共感すること」、なるほど。
・『「共感」は相手の行動を目にした途端「無意識に起こる」  野中:そうすると「相手の視点」に無意識に達することができ、「唯一無二のペア」になる。その結果、「相手が何か困っているなら、何とかしてやりたい」と悩むことになります。ひとしきり悩んだ後、「では一緒に解決しよう」となると、そこに「対話」が生まれます。 「思い」が「言葉」に、「暗黙知」が「形式知」に変わる。それが「Eの表出化(Externalization)」です。 次の段階として、「暗黙知」が「形式知」となり、その「形式知」と「新たな形式知」が組み合わさって、「コンセプト」や「モデル」となります。それが「Cの連結化(Combination)」で、それらを実践することで、各自が「新たな暗黙知」を獲得し身体化するのが「Iの内面化(Internalization)」です。 こうやって組織内を「SECIモデル」がぐるぐると廻っていくわけです。 遠藤:改めてそう聞くと「SECIモデル」はとても手間のかかるプロセスですね(笑)。だからこそ最初に、お互いがペアになるための「共感」が必要になるのでしょうか。 野中:それはそうかもしれません(笑)。興味深いのは、「共感」というのは、「相手の行動を目にした途端、無意識に起こる」ということです。 人間の脳には、他者の行動を外から眺めているだけで、あたかも鏡のように、その行動を自分が行っているような働きをする細胞があります。これを脳科学では「ミラーニューロン」と呼んでいます。それがあるから、2人の人間が出会ったら、すぐにシンクロナイズできるのです。 遠藤:「SECIモデル」は哲学だけではなく、脳科学も取り込んでいるということですね。 野中:そうです。その共感関係の原型は「親子関係」なのです。 赤ん坊にとっては、いま触れている肌が自分のものか母親のものか、いま聞こえた声が、自分が発したのか母親なのかが、よくわからない主客未分関係にある。そこには母親との一心同体の共感しかありません。その状態を現象学では相互主観性(が成立した状態)と呼んでいます。) 遠藤:現象学まで取り込んでしまうとは、つくづく奥が深い。私が「知識創造理論」をすごいと思うのは、世界で唯一といっていい、「組織において新しい知がつくり出されるプロセスをしっかり説明した理論」だからです。「知識社会」という言葉を発明したピーター・ドラッカーも、『知識創造理論』を「現代の名著」と絶賛していたくらいですから。 野中:ありがとうございます。 (野中郁次郎氏の略歴はリンク先参照) 遠藤:さらに言うと、2つの意味ですごいと思っています。ひとつは、「経営における『情報』と『知識』の違いを明らかにした」こと。 すごくはしょっていうと、「情報」というのは、「人間の目的や信念とは関係なく外からもたらされるもの」であるのに対し、「知識」は「目的や信念に深く関わり、人間自身が作り上げるものである」ということです。 現代の企業を制するのは「情報」よりも「知識」なんですよ。そういう意味では、「知識創造理論」は競争力の源泉となる革新、つまり、イノベーションが起こるメカニズムを説明する際にも活用できる。 野中:そのとおりですね。 遠藤:もうひとつは、その「知識」にも2種類があることを明らかにしたことです。ひとつは言語化あるいは記号化された「形式知」であり、もうひとつが言語化や記号化が困難な、その人の身体に深く根差した「暗黙知」です。その2つをもった個人が全人格的に交流しながら新たな知を紡いでいく。それが知識創造のプロセス、すなわち「SECIモデル」ということですよね。 野中:おっしゃるとおりです。「形式知」と「暗黙知」の区別は氷山で考えるとわかりやすいんです。海の上に出ていて、その正体がよく見えるのが「形式知」であり、逆に海の底に潜って見えないのが「暗黙知」なんです。暗黙知と形式知はグラデーションでつながっていますが、「暗黙知」こそが人間の創造力の源泉なのです』、「「SECIモデル」はとても手間のかかるプロセス」、「「ミラーニューロン」・・・があるから、2人の人間が出会ったら、すぐにシンクロナイズできるのです」、「「知識創造理論」をすごいと思うのは、世界で唯一といっていい、「組織において新しい知がつくり出されるプロセスをしっかり説明した理論」だから」、「暗黙知と形式知はグラデーションでつながっていますが、「暗黙知」こそが人間の創造力の源泉なのです」、なるほど。
・『知識創造が「神棚に供えられて」しまっている  遠藤:なるほど。私が最近思っているのは、この「SECIモデル」にしても、知識創造にしても、多くの日本人が日本企業の現場で日々取り組んでいることにほかならないということです。ほかの国ではなかなかそうはいかないでしょう。 知識創造が「大衆化」「民主化」されているところに日本の強みがあったはずなのに、それがどんどん薄れてきた。知識創造が神棚に供えられ、「特殊な人しか実行できない特別なもの」のように思われている。私はそこを大変残念に思っています。 野中:最初に「思いや共感ありき」ではなく「理論や分析ありき」になっているからではないでしょうか。 野中:同志社大学教授の佐藤郁哉さんが、いみじくもこう言っています。「ビジネスの現場に相当、浸透しているPDCAサイクルは、得てして『PdCaサイクル』になりがちで、『P』と『C』は大きいが、『d』と『a』は尻すぼみだ」と。 何を言いたいかというと、肝心の「実行(Do)」と「行動(Action)」がほとんど行われず、「計画(Plan)」と「検証(Check)」ばかりになってしまうというわけです。 その結果、「オーバープランニング(過剰計画)」「オーバーアナリシス(過剰分析)」「オーバーコンプライアンス(過剰規則)」という3つの過剰病にかかって、実行力が衰え、組織が弱体化しているのです。 理屈をこいている暇があったら、まずやってみる。うまくいったら儲けもの、うまくいかなかったら反省して「別の方法」を試す。何が真理かといったら、うまくいったものが真理になるのです。 遠藤:私が思うに、いい経営をしている企業は結局、「SECIモデル」を廻しているのです。しかも、それは世界中の企業に当てはまるはずです』、「知識創造が「大衆化」「民主化」されているところに日本の強みがあったはずなのに、それがどんどん薄れてきた。知識創造が神棚に供えられ、「特殊な人しか実行できない特別なもの」のように思われている。私はそこを大変残念に思っています」、「「オーバープランニング(過剰計画)」「オーバーアナリシス(過剰分析)」「オーバーコンプライアンス(過剰規則)」という3つの過剰病にかかって、実行力が衰え、組織が弱体化しているのです」、その通りなのだろう。
・『数値至上経営の「虚妄」  野中:「われ思うゆえにわれあり」と説いたデカルト以来、サイエンスは分析至上主義できました。 (遠藤功氏の略歴はリンク先参照) サイエンスは分析と不即不離の関係にあるので、仕方がありません。でも、そのサイエンスだって、最初に「分析ありき」ではないはずです。 人間には身体がありますから、物事を認識する最初のプロセスにはその身体を通した主観的な経験がくる。その主観的な経験の本質を極めていくと客観的な数値やモデルになり、それがサイエンスになる。最初に「経験ありき」で、その後に分析がくる。その順番は揺らがない。 遠藤:それが逆転しているのが、一部コンサルタントや経営学者が、アメリカの受け売りで一時盛んに唱えていた「ROE(株主資本利益率)経営」ですね。 野中:そのとおりです。ROEの値は、何の価値も生まない自社株買いや社員の解雇による経費削減でも高まります。 「ROEの値ありき」で走ると、株主しかハッピーになりませんから、「経営の持続性」が損なわれ、結局、「何のためのROEなのか」わからない。 最近はさすがに流行らなくなってきたので、「ESG(環境・社会・ガバナンス重視)経営」に乗り換える輩もいる。SDGsへの熱狂などを見ると、「バッジを付け替えればいいのか、もうやめてよ」と言いたくなります(笑)。 遠藤:情けない話ですね。 野中:最近、伊藤忠商事が企業理念を「三方よし」に変えました。清水建設は「論語と算盤」を社是にしました。日本企業は古くからSDGsに取り組んできたわけです。 それには頬かむりして、バッジ付け替え組は、さも新しい経営手法のように唱道してしまう。実に嘆かわしいことです』、「一部コンサルタントや経営学者が、アメリカの受け売りで一時盛んに唱えていた「ROE・・・経営」ですね」、「「ROEの値ありき」で走ると、株主しかハッピーになりませんから、「経営の持続性」が損なわれ、結局、「何のためのROEなのか」わからない」、「最近はさすがに流行らなくなってきたので、「ESG・・・経営」に乗り換える輩もいる」、「「バッジを付け替えればいいのか、もうやめてよ」と言いたくなります」、同感である。
タグ:経営学 「私は未経験者に教えても意義がないとは思いません。実は、学生から「先生の話は具体的すぎて、わかりません」と言われたこともあります(笑)。まさに名言で、実務経験がないから、抽象的な話のほうがわかると言うのです」、意外だがよく考えてみればそうなのかも知れない。 遠藤 功 「一部コンサルタントや経営学者が、アメリカの受け売りで一時盛んに唱えていた「ROE・・・経営」ですね」、「「ROEの値ありき」で走ると、株主しかハッピーになりませんから、「経営の持続性」が損なわれ、結局、「何のためのROEなのか」わからない」、「最近はさすがに流行らなくなってきたので、「ESG・・・経営」に乗り換える輩もいる」、「「バッジを付け替えればいいのか、もうやめてよ」と言いたくなります」、同感である。 「「SECIモデル」はとても手間のかかるプロセス」、「「ミラーニューロン」・・・があるから、2人の人間が出会ったら、すぐにシンクロナイズできるのです」、「「知識創造理論」をすごいと思うのは、世界で唯一といっていい、「組織において新しい知がつくり出されるプロセスをしっかり説明した理論」だから」、「暗黙知と形式知はグラデーションでつながっていますが、「暗黙知」こそが人間の創造力の源泉なのです」、なるほど。 「「暗黙知」を互いに共有するプロセス」とは、「お互いが裃を脱ぎ、向き合って共感すること」、なるほど。 「知識創造が「大衆化」「民主化」されているところに日本の強みがあったはずなのに、それがどんどん薄れてきた。知識創造が神棚に供えられ、「特殊な人しか実行できない特別なもの」のように思われている。私はそこを大変残念に思っています」、「「オーバープランニング(過剰計画)」「オーバーアナリシス(過剰分析)」「オーバーコンプライアンス(過剰規則)」という3つの過剰病にかかって、実行力が衰え、組織が弱体化しているのです」、その通りなのだろう。 「知識創造理論が「ビジネス最強の武器」になる訳 四半世紀で「日本企業が失ったもの」は何か」 「どうでもよい細かいことで、重箱の隅をつつくような研究に入り込みやすいことです。変数を1つ加えて統計的に有意になればよいという世界で、それで説明力がどれだけ高まったかは省みられなくなる」、嘆かわしい傾向だ。 「アメリカを中心にするアカデミーは、標準化を進めようとしているのに対し、日本はそうではない。だから、先生の数だけ経営学がある、なんて言われますよね」、日本は皆がお山の大将なのだろうか。 「日本と「世界の経営学」がこんなにも違う理由 「大学で教える経営学」は本当に役に立つのか」 東洋経済オンライン 入山 章栄 野中 郁次郎 「自分の夢や願いを全うするという意志は、日本の会社に足りない」、なんでなのだろう。もっとも、「1300ページ」もある原典を読む気は起きないが・・・。 「京都では歴史的に、絶対に競争してはいけない、地域に迷惑をかけてはいけないという不文律があり、それが棲み分けにつながり、新しいものをつくろうというチャレンジ精神を育んだと言われています」、しかし、「日本では、そういうものが現場レベルではあっても、会社の理念になると方向感の腹落ちがすごく弱く、すぐに目先の収益の話になってしまう企業も多い」、なるほど。 「井上さんはダイレクトに「役に立つ」ことに関心があるから、現場の言葉に落として伝えていく。私は「思考の軸」としての腹落ちにまずは関心があるから、理論をそのまま解説する。私と井上さんで目指していることは近くても、アプローチが違うところは面白いですね」、学者による「アプローチ」の違いが理解できた。 「「あのビジネスはいい」と思えるお手本を自分で抽象化し、適用してみる。その往復運動をするうちに、本当にいいものになっていくのだと思います」、ずいぶん大変なようだ。 「私は基本的な姿勢として・・・要素に還元できるもの、科学で語りやすいものだけを語って、経営のためになるかというと、決してそんなことはない。むしろ、経営は総合だと思います」、「実務は多面的に見る必要がある。 だからビジネスパーソンは特定の事象でも、経済学ディシプリン、心理学ディシプリン、社会学ディシプリンの理論を総合的に踏まえて、全体で考え、意思決定しないといけない」、「ビジネスパーソン」の方が大変なようにも思える。 東洋経済オンライン「世界の経営理論に「ビジネスモデル」がない理由 持続的繁栄には「センスメイキング」が不可欠」 「「面白い」と「役に立つ」が同じベクトルか?」、での「2人のスタンスの違い」は確かに面白い。 井上 達彦 (その1)(日本と「世界の経営学」がこんなにも違う理由 「大学で教える経営学」は本当に役に立つのか、世界の経営理論に「ビジネスモデル」がない理由 持続的繁栄には「センスメイキング」が不可欠、知識創造理論が「ビジネス最強の武器」になる訳 四半世紀で「日本企業が失ったもの」は何か)
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