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日本の政治情勢(その17)(小田嶋氏:政治ネタが減っているとお嘆きの諸兄へ) [国内政治]

昨日に続いて、日本の政治情勢(その17)(小田嶋氏:政治ネタが減っているとお嘆きの諸兄へ)を取上げよう。

コラムニストの小田嶋 隆氏が3月9日付け日経ビジネスオンラインに寄稿した「政治ネタが減っているとお嘆きの諸兄へ」を紹介しよう。
・今年にはいってから、あるいはもっと以前からなのかもしれないが、当欄では、リアルな政治の話題を、直接に扱うことをはばかっている。 読んでいるみなさんは、特段にそういう印象を抱いていないかもしれないが、書いている当事者である私の側では「政治から距離を置いている」という自覚を持っている。
・理由は、簡単に言えば、めんどうくさいからだ。 政治向きの話題は、それらについて観察を続けること自体がそもそもやっかいな作業であるわけなのだが、それ以上に、事実関係や背景を調べるのにいちいち煩瑣な手続きを求められる泥んこ仕事だったりする。記事として仕上げるのにもそれなりの手間がかかる。なにより読解力の低い読者や、狂犬みたいなアカウントからの定型的な反応に対応することが、死ぬほどめんどうくさい。
・そんなわけなので、多少気になるといった程度の話題には、自然と食指が動かなくなる。これは以前、自分でもこうなるだろうと予想していた事態で、まことによろしくない。 一方で、政治の話題を遠ざけていると、コメント欄にその点を高く評価するご意見が思い出したように寄せられたりして、私としては、そこのところに微妙なひっかかりを感じている。
・「なるほど。オダジマが政治ネタ離れすることを喜ぶ読者層が一定数存在しているわけだな」 と思うと、面白くないわけだ。 ツイッターのアカウントにも、その種の反応が届く。 要約すれば、 「あんたは身辺雑記を書き飛ばしている限りにおいてはわりと読ませるライターだけど、政治向きの話題を扱うととたんにバカさ加減を露呈することになっているから、その点は自覚したほうがいいぞ」 といった感じの見方を、わざわざ本人に伝えてくるアカウントが、定期的にあらわれるということだ。
・今回は、オダジマに政治の話題を書かせたくない人たちについて考えてみることにする。 政権支持層の中に、反政権的ないしは反安倍的な記事やツイートを、とにかく全面的に排除しにかかる活動的な人々が含まれていることは、ずっと昔からはっきりしている。 彼らの罵倒には慣れている。 風物詩みたいなものだとすら思っている。 なので、気になっているのはそこではない。
・私が、しばらく前から対応に苦慮しているのは、必ずしも安倍シンパだったり自民党支持層ではない集合の中に、私を政治的な話題から遠ざけようと試みる人たちが少なくないことだ。 これは、実は、当欄のテキストを書く時にだけ感じている感覚ではない。
・とにかく私としては、私が多少なりともかかわっているあらゆる社会的な場面で、私とやりとりするすべての人々が、私の発言を穏当な範囲に誘導するべく粘り強くはたらきかけてきている感じを抱いている……と、こうやって自分のアタマの中にある考えを文字に起こしたものをあらためて読んでみると、まるっきりの被害妄想に見える。とすると、あるいは私は精神のバランスを失いはじめているのかもしれない。
・「あらゆる人間がオレを黙らせようとしている」 「オレの思考回路を非政治的な話題に誘導するための秘密組織が暗躍している」 とは、さすがに思っていない。 ただ、わざわざメールを書いてくるレベルの、言ってみれば「昔からの熱心なファン」と申し上げて良い人たちの中に、私が政治的な話題を取り上げることへの懸念を伝えてくる人間が散見されることは、残念ながら、事実だ。
・そう言ってくる人たちが、政治的に私の考えと対立する立場なのかというと、そんなことはない。 彼らは、私が書いている文章の内容を、大筋において支持してくれている人たちだ。それでも、政治的な話題を扱うことには、反対だという旨のご意見を伝えてくるのだ。 理由は、コメント欄が荒れるのを見たくないという感じのお話だったりする。
・なんだそりゃ。 と私は思う。余計なお世話じゃないか、と。 しかし、そういう意見を表明してくるご当人はいたって真剣に、私のためを思ってアドバイスしているつもりだったりする。 奇妙な話だ。
・つい昨日、ツイッター上で「共感性羞恥」という言葉が話題になっていた(こちら)。 リンク先を辿ってみたところによると、この耳慣れない言葉は、 「ドラマの恥ずかしいシーンや他人のミスを見たときに自分が恥ずかしい思いをしたと脳が働いて、自分が失敗したかのように感じる感情」 を指す概念であるらしい。 なるほど。
・もしかすると、私を応援してくれている人たちが、私の炎上を予防しようとする意図の背景には、似たような感情が介在しているのかもしれない。 そうでなくても、若い世代の中に軋轢や摩擦や論争みたいなことを極端に嫌う人々が増えていることはどうやら事実で、もしかしたら、彼らは、他人が論争に巻き込まれていることを見ることに、圧迫を感じているのかもしれない。
・7~8年ほど前だったか、同世代の男が集まった席で、若い連中とのコミュニケーションのとり方が話題にのぼったことがある。 「別にふつうに話せばいいんじゃないの?」 と言った私の発言は、言下に否定された。 「おまえは、部下というものを持ったことがないからそういうお気楽なセリフを吐いていられるということを、きちんと自覚しといたほうがいいぞ」 「そうか? 部下なんて適当に説教しとけばOKなわけだろ?」 「言っとくけど、おまえの言ってる説教っていうのは、先方から見ればパワハラだからな」 「まちがいないな」 「みんな聞け。ニュースだ。こいつは完全なパワハラ上司になるぞ」 
・どうして私がいきなりパワハラ上司認定を頂戴したのかというと、彼らに言わせれば、20代や30代の若手の中には、説教どころか「異論」そのものを受忍しない人間が一定数含まれていて、うっかり彼らの言い分を全面否定したり論破したり嘲笑したりすると、翌日から出勤してこない可能性が無視できないわけで、してみると、オダジマみたいな口さがない人間を会社に配置したら、まちがいなくおとなしい若手を無思慮にやっつけて出勤不能に追い込むオレオレ上司になるはずだということだった。
・「つまり、議論ができないってことか?」 「そういうわけじゃない。でも、論争とか口論とか叱責とか罵倒とか、その種の精神的負担を強いるコミュニケーションを適用しちゃいけないコたちが確実にいるということだよ」 「どうしてさ」 「どうしてもこうしてもないよ。摩擦とか軋轢とか圧力とか反発とか対立みたいな人間関係を全面的に受け容れない育ちの人間が現実に存在している以上仕方がないじゃないか」 「そんなことで社会生活がやっていけるのか?」 「ははははは。おまえから社会生活なんていう言葉を聞くとは思ってなかった。おまえは社会生活をやっていけているのか? おまえは社会人なのか?」 「いや、オレは別に若いヤツらをシバき倒して鍛え上げるべきだとか、そういうことを言っているわけじゃない。ただ、オレ自身はそんな若いヤツは見たことないってだけだよ」 「それはおまえが人の上に立って仕事をしたことがないってだけの話だよ」
・このお話には若干補足が必要だと思う。 というのも、上記の会話文の中で軋轢を嫌う若者たちのマナーを嘆いている私たちの世代の男たちは、実は、30年前には、軋轢を嫌う意気地なしの小僧として、上の世代のおっさんたちに盛大に嘲笑された過去を共有しているからだ。
・私たちより5年から10年年長の、いわゆる「団塊の世代」は、摩擦と軋轢と対立と自己主張と徒党と抗争と弾圧と反抗がなによりも大好きな人たちだった。 こういう書き方をすると、いくらなんでも乱暴な決めつけだと思われるかもしれないが、団塊の10年後ろを歩いていた若者であった私の目から見て、彼らがそんなふうに見えていたことが、動かしようのない事実である以上、この程度の言い方は勘弁してもらいたい。
・1970年代に新宿のゴールデン街や歌舞伎町を歩いていると、路上で殴り合いをしているおっさんたちを見かけることは決して珍しいなりゆきではなかった。これは誇張ではない。実際に私が大学生だった1970年代の後半、渋谷や新宿の街頭は、殴り合いにかぎらない各種の対人トラブルの温床みたいな場所だった。
・その摩擦と軋轢のエキスパートである彼らに比べれば、私たちは、いきなり見知らぬ人間に論争をふっかけることもしなかったし、わざわざ徒党を組んで対立するグループの若い連中を襲撃しに行く習慣も持っていなかった。 というよりも、前の世代の対人コミュニケーションの直截さを見せつけられて、その野蛮さに辟易していたからこそ、われわれは万事に微温的であるべくつとめていた次第なのである。
・その私たちを、当時のマスコミは、「シラケ世代」あるいは「三無主義」の若者たちと名付けた。三無主義とは、無気力、無関心、無責任の3つの「無」を総称した言葉で、後に、これに無感動の無を加えて、四無主義世代と呼ばれることもあった。とにかく、私たちは、そういうおとなしい、目立たない、歯ごたえのない、数の少ない世代の若者だった。
・ちなみに1975年時点の人口ピラミッド(こちら)を見ると、当時15~19歳だった私たちの世代が、団塊の世代(24~29歳)に比べて、いかに人数が少ないかがわかる。 つまり、私が上記で7年前の会合の際のエピソードとして紹介したお話は、かつて三無主義世代と呼ばれた「目立たない、歯ごたえのない、数の少ない」世代の男たちが30年後に集まって、若い世代の論争耐性の低さを嘆いている場面の会話だったわけで、そう考えてみると、この間の時代の変化の大きさは、相当にとてつもないものなのである。
・現在もTBS系で放送されている「ニュース23」が、筑紫哲也氏のMCでまわされていた時代、あの番組には、「異論!反論!OBJECTION」という視聴者による街頭録音の声を紹介するコーナーがあった。 私がこんなトリビアな話を蒸し返しているのは、「異論!反論!OBJECTION」がレギュラーの企画コーナーとして放送されていた当時は、「異論」を述べ、「反論」をぶつけ合い、「objection(異議申し立て)」を活発化することが、意義のあることだとする社会的な合意のようなものがわれわれの中に存在していたということをお知らせしたかったからだ。
・団塊の世代の人々ほどではなくても、20世紀の平均的な市民であった私たちは、人々が議論を戦わせ、互いの意見をぶつけ合う過程をおおむね歓迎していた。そうやって対立を経た先にあるはずの、実りある合意を目指すことが、民主主義を前進させるための不可欠な過程であるということを、少なくとも建前の上では、共有していたのである。
・ところが、どういう仔細でこんなことになったのかは知らないが、21世紀の平均的な日本人は、異論や反論やオブジェクションを、どうやら品の無いマナーとして忌避している。 最近では、自分自身が論争や争い事を避けるのみならず、他人が争っている姿を見せられることすら拒絶しようとする態度が一般化しつつあるように見える。
・この感じは、前世紀までは喫煙者との同席を拒むといったあたりで折り合いをつけていた嫌煙の風潮が、今世紀に入って以降、路上を含めて視認できる範囲内でのすべての喫煙行為を排除する運動にエスカレートしている姿に、なんとなく似ている。
・ニュース23のキャスターであった筑紫哲也氏は、2002年日韓W杯当時の日本代表サッカーチームの監督であったフィリップ・トルシエ氏を番組に招いた折、 「あなたはジョークを言いませんね」 言ったことがある。 この言葉に、私は驚愕した。 私の見たところ、トルシエは、場違いなジョークの第一人者だったからだ。
・というよりも、私にとって、フィリップ・トルシエは、ジョークにとって最も大切な要素が「違和感」であることを教えてくれた最初の人物だった。 面白いか面白くないかは、たいした問題ではない。 というよりも、ジョークの出来不出来は、ジョークの聴き手である世間が勝手に判断すれば良いことだ。
・しかし、場違いな要素を含まないジョークは、いけない。 なぜなら、ジョークとは、場を破壊する意思であり、人々の間にあるコミュニケーションの約束事を一旦無効化することで更新する、一種の破壊工作だからだ。 「時には赤信号を渡らなければならない」 というトルシエによる有名な提言は、実にそのことを示唆している。 われわれは、時に先方の予断を裏切って、奇天烈な言動に走らなければならない。
・軋轢を嫌う傾向は、他人に迷惑をかけることをいましめ、空気を読まない人間を拒絶し、仲間と気まずくなることを恐れる心情から派生しているところのものだ。 私たちは、いきなり政治的な話題を振ってくる人間を警戒する。
・先方の主張に賛同しないからではない。 現代の日本人が、政治を拒むのは、それが「分断をもたらす」話題であり、さらに言えば、参加する人々を互いに「バカ」呼ばわりさせずにおかない、爆弾リレーに似たゲームであることを知っているからだ。
・政治活動に熱心な人たちは、政治に無関心な人々の思考力を低く見ている。 この傾向は、右でも左でも変わらない。 彼らは、対立する陣営の人間を蛇蝎の如くに憎んでいるが、その一方で、無党派層に対しては、上から目線で対応している。 「わかってない人たち」 「ものを教えてあげないといけない対象」 ぐらいな扱いだ。
・ところが、無党派層は無党派層で、政治的な人間を見下している。 彼らにとっては、右であれ左であれ、政治に熱心だというだけで、もう人間としてひとつ格落ちの存在になる。というのも、政治に関わることは、賭博や酒やセックスにのめり込むことと同様、自制心の欠如で説明されるべき事態だからだ。
・てなわけで、どっちにどう転んでも、政治が話題になる場所では、人々は自分と同じ考えを抱かない人間を軽蔑ないしは嫌悪することになっている。 だからこそ、多くの人々は、平和な環境に政治というタームが持ち込まれることそのものを拒絶する心情を抱くにいたる。
・これは「保守化」でも「右傾化」でもない。 どちらかといえば、「均質化志向」というのか、「同調至上主義」みたいなものだ。 というよりも、「みんなが仲良く、気まずい思いをしないで過ごす空気」を最優先に考えるコミュニケーション哲学は、平成から次の時代に至る基本的な時代思潮になるはずのものだと思う。
・とはいえ、その同調の重視による政治忌避がもたらす圧力は、結果として右傾化の結果とそんなに変わらない未来をもたらすかもしれない。 どういうことなのかというと、「みんなが仲良く気まずい思いをせずに過ごすこと」を至上の価値として運営される社会の行き着く先には、おそらく「進め一億火の玉だ」が待っている、ということだ。
・同調を重んじる人々は、当面の選択として自分の内心の主張がどうであるのかとは別に、とりあえず多数派に与することを選ぶ。と、そういう空気の中で生まれてこのかた一度も他人と口論したことのない人間が大量に造成されると、その彼らは、世間の風潮に決して異を唱えることのできない大人に成長するかもしれない。
・心配だ。 もう一回トルシエを招いて、文部科学大臣あたりのポストを任せることが可能なら、赤信号を渡れる子供たちを育成できると思うのだが。 いや、もちろんジョークだぞ?
http://business.nikkeibp.co.jp/atcl/opinion/15/174784/030800134/?P=1

記事の中で、 『わざわざメールを書いてくるレベルの、言ってみれば「昔からの熱心なファン」と申し上げて良い人たちの中に、私が政治的な話題を取り上げることへの懸念を伝えてくる人間が散見されることは、残念ながら、事実だ』、というのには、世間の変なに改めて驚かされた。 『20代や30代の若手の中には、説教どころか「異論」そのものを受忍しない人間が一定数含まれていて、うっかり彼らの言い分を全面否定したり論破したり嘲笑したりすると、翌日から出勤してこない可能性が無視できないわけで、してみると、オダジマみたいな口さがない人間を会社に配置したら、まちがいなくおとなしい若手を無思慮にやっつけて出勤不能に追い込むオレオレ上司になるはずだということだった』、というのにはさらに驚かされた。 『軋轢を嫌う若者たちのマナーを嘆いている私たちの世代の男たちは、実は、30年前には、軋轢を嫌う意気地なしの小僧として、上の世代のおっさんたち(「団塊の世代」)に盛大に嘲笑された過去を共有しているからだ・・・前の世代の対人コミュニケーションの直截さを見せつけられて、その野蛮さに辟易していたからこそ、われわれは万事に微温的であるべくつとめていた次第なのである』、というのは、団塊の世代に属する私には、よく分かるような気がする。 『「みんなが仲良く、気まずい思いをしないで過ごす空気」を最優先に考えるコミュニケーション哲学は、平成から次の時代に至る基本的な時代思潮になるはずのものだと思う。 とはいえ、その同調の重視による政治忌避がもたらす圧力は、結果として右傾化の結果とそんなに変わらない未来をもたらすかもしれない。 どういうことなのかというと、「みんなが仲良く気まずい思いをせずに過ごすこと」を至上の価値として運営される社会の行き着く先には、おそらく「進め一億火の玉だ」が待っている、ということだ』、との鋭い指摘は説得力があるが、恐ろしいことだ。
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日本の政治情勢(その16)(日米安保妄信はただの屈米 亀井静香氏語る「情けない国」、安倍首相の3選戦略と「ポスト安倍」の暗闘、額賀派クーデターの波紋 “反アベ”結集なら総裁選は大波乱、本気の倒閣へ舵 安倍首相vs朝日新聞が「最終戦争」突入へ) [国内政治]

日本の政治情勢については、昨年12月9日に取上げた。森友問題で国会が空転するなかで、国税庁の佐川長官が辞任、大阪理財局の担当職員の自殺、など事態は流動的なので、この問題は後日取上げるとして、今日は、(その16)(日米安保妄信はただの屈米 亀井静香氏語る「情けない国」、安倍首相の3選戦略と「ポスト安倍」の暗闘、額賀派クーデターの波紋 “反アベ”結集なら総裁選は大波乱、本気の倒閣へ舵 安倍首相vs朝日新聞が「最終戦争」突入へ)である。

先ずは、昨年12月11日付け日刊ゲンダイ「日米安保妄信はただの屈米 亀井静香氏語る「情けない国」」を紹介しよう(▽は小見出し、Qは聞き手の質問、Aは亀井氏の回答、+は回答内の段落)。
・「今の政界は倫理も論理もない。当選しても一緒にやっていく相棒が見つからない」と言って、今年10月の衆院選に出馬せず、引退を表明した前衆議院議員の亀井静香氏。現役時代から歯に衣着せぬ物言いで、時に恐れられ、また慕われてもきた稀有な存在である。自らを「傘張り浪人」と称してきた無頼派は、波瀾万丈の政治家人生の果てに何を思うのか――。
▽ゴミを出さないようにするのが政治
Q:11月28日に開かれた「感謝の集い」は政党を超えた政治家、支援者が駆けつけ大盛況でした。挨拶に立った森喜朗元首相が「男と抱き合ったのは後にも先にも亀井さんだけだ」と。94年、自社さ政権誕生の時ですね。
A:あれで自民党が政権復帰したわけだからね。森喜朗は俺に抱きついて泣いてたよ。羽田内閣が立ち往生すると、小沢一郎が自民党に手を突っ込んできて、海部(俊樹元首相)を担いだ。一方、自民党の俺は社会党に工作を仕掛けた。仁義なき戦いだ。投票が終わるまで、どうなるか読めないんだもの。あんな面白い政局はないよ。
Q:79年の初当選以来38年、13期連続当選。引退を決めた理由は何だったのでしょう?
A:もう少し続けようかという気持ちもあったんだけど、政治家には引き時がある。「まだ、やれ」と言われているうちに退くのが花よ。小沢から電話があって、「希望の比例1位で」という話もあったんだが、81歳のジジイになって、女性のスカートに入って政治やるわけにいかねえよって、引退を決めた。
Q:尊敬する人物は大塩平八郎やチェ・ゲバラと聞きました。警察組織出身とは思えない発想です。
A:これも因縁でね。東大時代、駒場寮に住んでいた時の寮祭で、そこらでウロウロしてた野犬を串焼きにして売ったんです。翌朝、起きたら枕元で女の子たちが「デモを食った、ひどい」とシクシク泣いてる。そのひとりが樺美智子さんだった。自治会が「デモ」と名付けて飼ってた犬を焼き鳥にしちゃったんだな。その樺美智子さんが60年安保で亡くなった。こんな警察じゃいかん。俺が警察に入って叩き直してやると思って、勤めていた会社に辞表を出したんです。
Q:警察では極左対策の初代責任者になり、成田空港事件や、あさま山荘事件などの陣頭指揮を執ったのですよね。
A:家にも帰らず連合赤軍を追いかけてた。あさま山荘事件は苦い思い出です。失敗ですからね。とっ捕まえたメンバーの奥沢修一の自供で幹部の行方がつかめた。リンチ殺人も奥沢が自供したんだ。山狩りをして、妙義山のふもとで最高幹部の森恒夫と永田洋子を逮捕し、アジトに駆け上ってみたら、もぬけの殻よ。取り逃がしたのは責任者の私のミスです。その結果、あさま山荘事件が起こり、目の前で部下が撃ち殺された。悔恨の念しかないね。
+ただ、当時から俺は「彼らがやってることは悪い。だが、心情は分かる」と言っていた。社会を変えたい、日本を良くしたいという一途な思いで若い身を投げ出してるんだから。森恒夫を取り調べた時はすごい迫力だったよ。飢えたオオカミみたいな目つきは、今でも忘れられないね。こういう若い連中が、なぜ極左に走り、同じ日本人同士が敵味方で戦わなきゃならんのか。やりきれない気持ちになりますよ。
Q:それが、政治家を志したきっかけですか?
A:警察の仕事はしょせんゴミ掃除なんだ。ゴミを出さんようにするのが政治だと。女房にも親兄弟にも一言も相談しないで、勝手に警察辞めちゃった。41歳の時だ。俺はどうも単純なんだな。でも、中選挙区時代の広島3区はどえらいところでね。宮沢喜一(元首相)や佐藤守良(元農相)ら強豪ぞろい。俺なんか総スカンで、戸別訪問は10万軒くらい歩いたけど、丼いっぱいの塩を頭からかけられたり、さんざんな目に遭った。
+それを気の毒がった人たちが応援してくれるようになってね。だから、俺の支持基盤は完全な草の根だ。社会的地位のある人なんていやしない。中小・零細企業ばかり。それで、ずっとやってきたのは幸せだよ。
▽マジメぶって「政策だ」なんて笑わせる
Q:中小企業といえば、民主党政権時代に手がけたモラトリアム(返済猶予)法は、当時は批判されましたが、今では「恒久法に」という声が上がるほど浸透しています。
A:モラトリアム法は、自民党にいたら絶対にできなかった。銀行は猛反発で、そうとうやり合いました。郵政で自民党とケンカして離党したから、実現できた。これを大臣就任会見でブチ上げたものだから、鳩山総理も慌てちゃってさ。それで「ダメだというなら俺を更迭しろ」と迫ったんだよ。鳩山さんはいろいろ言われるけど、対米従属からの脱却を本気で考えてた。そこが好きだったね。
Q:現政権の対米追従は度を越しているように見えます。
A:(安倍)晋三はアメリカの尻馬に乗って、トランプ大統領と一緒になって北朝鮮をいたぶろうとしている。これは危険ですよ。やり過ぎると、金正恩は、本物の(核の)ボタンを押すかもしれん。その時、攻撃されるのはアメリカじゃなくて日本だ。だいたいミサイル迎撃なんて、できやしないのにどうするの。日本は米国とは立場が違う。拉致問題も抱えている。気の触れた犯人が人質を取って警察に抵抗している状況と同じで、なだめたり騙したり、あの手この手で交渉の場に引きずり出すしかないんですよ。最初から機動隊で正面突破じゃ、ドンパチになって犠牲者が出る。そこを晋三は分かってないんじゃないか。
Q:だから国民も不安を感じている。
A:何度も晋三と話したんだが、米国の軍事システムを妄信しているんだな。軍事力に絶大な信頼を置いている。だが、日米安保条約さえあれば大丈夫なんて本気で信じてるようではダメだ。安保は日本にとってプラスにならないこともある。守ってもらうために何でもハイハイと従っているのは、ただの屈米だ。情けない日本になってしまった。
▽今の内閣には人間的な厚みがない
Q:今後の政治に対して言いたいことは?
A:みんなおとなしすぎるよ。乱闘なんかないもんね。マジメぶって「政策だ」なんて、笑わせるなっての。政治ってのは権力を構築しなきゃダメなんだ。そこで初めて、国のため国民のための仕事ができる。政策を超えた結びつきがあるかどうかだ。野党のやつらにいつも言ってるの。ちゃぶ台返しでも屁理屈でもいいから、とにかく議事を止めろと。対等の力関係に持っていくには、委員長室を占拠するとか、物理的にも徹底抗戦するしかない。与党を本気で困らせれば、そこで初めて五分の立場で話し合いになる。マスコミは批判するかもしらんけども、国民のためという真剣さが伝われば世論もついてきますよ。
Q:自民党はどうですか。「ポスト安倍」は?
A:残念ながら、いねえんだよなぁ。小選挙区制で政治家がサラリーマン化しちゃった。今の内閣を見ても人間的な厚みがないでしょ。理屈ばかりで血が通っていない。土の匂いがしない。国会議員なんてのは犬みたいなものでね、飼い主は国民なんだ。それがボス犬の方ばかり見て、縮こまっちゃってる。これじゃあ日本が良くなるわけがない。犬は飼い主のために働かなくちゃいかんのですよ。
+俺は現政権がやろうとしている憲法改正にも反対だ。すべての国民が人間らしい生き方をできるようになり、その後で初めて憲法改正の話でしょう。ちょこっと条文を足すなんて、木を竹で接ぐようなことはしちゃいかん。憲法に手を入れたいだけの自己満足じゃないか。本気で国のことを思っているわけでもないガリガリ亡者がやってもロクな改憲にならんよ。でも、こういう簡単なことが通じない世代になってきた。
Q:まっとうな意見を言う人は必要です。今後も“亀井節”に期待している人は多いはずです。
A:年明けには韓国に行って、文在寅大統領と会います。その後で北朝鮮にも入る。最高幹部に会って話をしてきます。交渉のパイプが大事だからね。トランプ大統領とも会う約束をしてるんだ。250億円かけて、バイオマスと太陽光発電の事業も始める。この出力は原発1基の半分くらいになる。俺は脱原発だからね。それを主張するだけじゃ気が済まない。自分でやらねえと。バッジがなくても、やれることはいくらでもある。傘張り浪人が、国際放浪浪人になるだけのことです。
▽かめい・しずか 1936年、広島県庄原市生まれ。東大経済学部を卒業後、サラリーマンを経て警察庁に入庁。自民党の衆院議員として、運輸大臣、建設大臣、政調会長などを歴任。2005年に離党して国民新党を結成し、民主党と連立した鳩山政権では金融担当大臣など。13期務め、17年の衆院選に出馬せず引退した。
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/219076/1

次に、政治ジャーナリストの泉 宏氏が1月18日付け東洋経済オンラインに寄稿した「安倍首相の3選戦略と「ポスト安倍」の暗闘 消化試合の裏で「次の次」をにらむ神経戦へ」を紹介しよう(▽は小見出し)。
・国政選挙が予想されない2018年政局の最大イベントは、9月に予定される自民党総裁選だ。ただ、昨年9月末解散断行、10.22衆院選という大博打が図に当たって1強を維持・強化した安倍晋三首相の「3選」は既定路線で、永田町スズメの興味は「対抗馬にどれだけの差をつけて勝つか」(細田派幹部)に集まる。
・石破茂元地方創生相、野田聖子総務相が出馬に意欲満々だが「出ても勝機はない」(自民幹部)のが大方の見立て。「最有力候補」とされながら様子見を決め込む岸田文雄政調会長に「禅譲狙いでの不出馬説」がつきまとう現状からも、6年ぶりの総裁選は首相の史上最長政権を前提とする消化試合の様相を濃くしている。
・ただ、「次の次」を視野に入れる河野太郎外相や若きスーパースターの小泉進次郎筆頭副幹事長の動きも含め、ゴールが定まらない「ポスト安倍」をめぐる熾烈な駆け引きは年明けからひそかに始まっている。
▽野田氏念頭に「われこそはと手を挙げて」と首相
・二階俊博幹事長や菅義偉官房長官が「3選支持」で石破氏をけん制する一方、野田氏に出馬を促すような首相発言の裏には、反安倍勢力の分断による石破潰しの思惑もにじむ。ここきて、岸田氏が首相の後見人を自任する麻生太郎副総理兼財務相と密談したのも「消化試合の裏側での神経戦」(自民長老)とみられている。首相の出馬表明が予定される初夏に向け、水面下での権力闘争が本格化しそうだ。
・総裁選をめぐる党内実力者の思惑を浮き上がらせたのは首相自身の発言だった。1月12日からバルト3国など東欧歴訪中の首相は15日夕(日本時間)の同行記者団との内政懇談で、総裁選を軸とする今年の政権運営にやや踏み込んで言及した。首相はまず「(総裁選への対応は)雪が解けて、木々の芽が吹き出す、そして緑が深くなってきた頃に考え始めなければいけないかと思う」と語った。
・年明けから繰り返している「セミが鳴くころ」の言い換えともみられているが、通常国会の大幅延長も予想されるだけに、国会会期と関連させず、新緑が深緑に変わる6月中下旬の出馬宣言を暗示したと受け止められている。
・その上で首相は、「自民党には人材が雲霞のごとく存在するから、閣内にあろうがなかろうが、われこそはと手を挙げていただければいい」と笑顔を浮かべた。岸田氏と共に首相と当選同期で総裁選出馬を目指す野田氏を念頭に置いた発言だ。2015年総裁選では、最後まで出馬に向けて推薦人集めに奔走した野田氏を「党内工作で出馬させなかった」(自民幹部)のとは対照的に、「今回は出てもいいよ、という意味」(細田派幹部)なのは明らかだ。もちろん、国政選挙5連勝による3選への自信の表れではあるが、首相の強かな総裁選戦略も垣間見せた発言である。
・2017年3月の党大会では、二階幹事長の主導で「総裁の連続3選」を可能にする党則改正が決議されたが、これに先立つ2014年には総裁選の仕組みも変わっている。2015年総裁選が無投票だったため、今回が初適用となる新ルールは「国会議員票と地方票の比率を1対1とする」のが最大のポイントだ。具体的には、(1)衆参自民党議員(現在405)は各1票、(2)党員・党友には議員数と同じ票数(405)を割り当て、各候補者の得票数に応じてドント方式で配分、という仕組み。
・さらに、6年前のように第1回投票で過半数を獲得した候補がいなかった場合の上位2人の決選投票も、国会議員票に加え、党員・党友票を47都道府県別に集計して、割り当てた47票を各都道府県別に得票1位の候補者に配分する。仮に、2012年総裁選がこのルールで実施されていれば「地方票で首相を圧倒した石破氏が総裁になっていた」(自民幹部)とされるだけに、各候補者の集票戦略も6年前とは微妙に変わることになる。
▽「ダブルスコア以上の圧勝」で苦い記憶を消す
・首相が現在の長期安定政権を築けたのは、2012年総裁選での上位2人に対する国会議員による決選投票で石破氏を逆転したからだ。首相にとっては「苦い記憶」(側近)で、「今回は石破氏に最低でもダブルスコア、できればトリプルスコアで圧勝したいと考えている」(同)とされる。
・現時点での票読みでは、国会議員票では首相が圧倒的に有利だ。最大派閥で首相の出身母体の細田派に麻生派や二階派、さらには額賀派の一部や無派閥の首相支持組を合わせればすでに過半数を上回り、3分の2にも手が届きそうな状況だ。一方で地方票も自民党員を対象とした調査では5割以上が首相支持とされる。仮に総裁選の時点で国会議員数が405人のままなら、首相は1回戦で500票以上を獲得して圧勝する勢いだ。
・ただ、石破氏とのマッチレースとなった場合、地方票で石破氏が善戦すれば、首相の目指すダブルスコア以上は困難となる。ところが、「第3の候補」として野田氏が参戦すると、議員票でも地方票でもいわゆる「反安倍票」が分断される可能性が高い。関係者の票読みでは「三つ巴となれば、ざっくり計算して首相500票、石破氏220票、野田氏80票という結果になる」(自民事務局)とされ、首相の圧勝戦略は「目標達成」となる。首相サイドがあえて野田氏の背中を押すのは、そうした票読みが背景にあるとみられ、党内では「今回は、野田氏の推薦人になっても人事で冷遇されることはない」(若手)との噂も飛び交う。
・当の野田氏は、一連の首相発言について「しっかりと総裁選を進めていこうという決意の表れ」としながらも、20人の推薦人確保については「今回は150%」と強い自信を示す。総裁選を仕切る立場の二階幹事長から「あえて出るだけではしょうがない」とけん制されても、野田氏は党内の一部でささやかれる石破氏との候補1本化の可能性を「ありません」と明確に否定し、自らの出馬には、(1)無投票回避、(2)多様性アピール、(3)女性活躍推進、の「3つの『義』がある」と胸を張る。
・他方、岸田氏周辺では主戦論と自重論が交錯する。年明けに掲載された大手紙の総裁選絡みのコラムで「『次の次』に『次』はない」と揶揄されて、議員を辞めてからも岸田氏の後見人とみられている古賀誠元幹事長が「総理総裁を目指すなら派閥として堂々と戦うべきだ」と派内の若手議員にハッパををかけている。
・その一方で、党・内閣の要職にある岸田派幹部は「あえて首相を敵に回す必要はない」と及び腰だ。総裁選後の人事で冷遇されるのを恐れているからだ。岸田氏自身も、いわゆる「加藤の乱」で同派が分裂した経緯を振り返り、「勝てない戦はするべきでない」と周辺に語ったとされるが、派内には「あいまい戦術は首相の思うつぼ」(若手)との不満も広がる。
▽麻生・岸田の「大宏池会構想」に首相は?
・そうした中、岸田氏は首相発言に合わせたように麻生氏と二人だけで会談した。持ち掛けたのは岸田氏とされ、どちらも会談内容には口を閉ざしているが、互いに総裁選への対応を探ったのは間違いない。もともとは宏池会(現岸田派)所属だった麻生氏は、谷垣禎一元総裁が率いた谷垣グループも含めた「大宏池会構想」をぶち上げたこともあり、首相サイドも「キングメーカー狙いの麻生氏のかく乱戦術では」(側近)と疑心暗鬼だ。
・首相は内政懇談で「自民党には老壮青それぞれの世代に有力な人材がいる。若い人たちもその時期に備え、経験、実績、見識を培ってもらいたい」とも語った。河野氏や小泉氏を念頭に置いた発言とされ、「3選後は大胆な世代交代を進める意向を示唆した」(自民幹部)と受け止める向きも多い。
・無派閥ながら内閣の大番頭として首相を支える菅官房長官は一連の首相発言を受けて出演した民放テレビ番組で、改めて首相の3選支持を明言するとともに、河野氏についても「外相に専念したいのでは」と解説した。昨年8月の内閣改造で首相に河野氏の起用を強く進言した菅氏は、ここにきて周辺に「ポスト安倍は河野」と漏らしたとされる。河野氏は、父親の河野洋平元衆院議長の側近だった麻生氏が率いる麻生派の一員だが、同時進行となった菅発言と麻生・岸田会談は「最近折り合いが悪い麻生、菅両氏のポスト安倍をめぐる主導権争い」(自民長老)との見方も広がる。
・その河野氏がライバル視するのが小泉氏だ。衆院選での自民圧勝の「最高殊勲選手」となった同氏だが、総裁選が話題となる年明け以降も沈黙を守っている。「東京五輪が終わる2020年9月から日本は大きく変わる。それからが若い世代の出番だ」と繰り返す小泉氏は、党内でも「9月総裁選のキーパーソンの1人」(若手)とみられている。同氏は2012年総裁選では石破氏を支持しただけに、首相サイドも「今回も石破氏を支持されると、圧勝の流れが変わりかねない」と気をもむ。
・河野氏は自らの後援会幹部に「小泉氏は近い将来の総理総裁就任は間違いないが、その前に私が…」と訴えたとされるが、今後の展開次第では「次の次」の総裁選が石破、岸田両氏らを飛び越えて「河野、小泉のKK対決になる」(若手)との見方も出始めている。
・ただ、河野氏の父・洋平氏は安倍政治に批判的で、小泉氏の父・純一郎元首相は「原発即時ゼロ」を掲げて、共産党も含む野党に法案提出を呼びかけている。「親子は政治家として別人格」(河野外相)とはいえ、「ポスト安倍がKK対決ともなれば退陣後の首相の影響力を奪う」(自民幹部)ことも想定されるだけに党内の反応は複雑だ。
▽「解散しない」なら「東京五輪花道」説も
・そうした中、昨年末に永田町で流布されたのが「首相の東京五輪花道」説。総裁3選を果たした首相が、2020年夏の五輪開催を成功させた上で、後進に道を譲るため任期途中で退陣する、とのシナリオだ。首相が順当に総裁3選を果たせば次の任期は2021年9月末で、現在の衆院議員の任期満了もその直後の10月下旬だ。仮に安倍政権が任期切れまで続けば首相にはもう一度、衆院解散の選択肢が残る。にもかかわらず首相は昨年の衆院選後、周辺に「もう解散はしない」とつぶやいたとされる。
・解散は後継首相に委ねるという意味なら、「政治的に見て東京五輪直後の2020年秋が勇退のタイミング」(首相経験者)となる。その時点では衆院任期満了まで1年の時間的余裕もあり、次期首相の解散時期の選択肢も広がるからだ。併せて、任期途中の退陣となれば話し合い選出も含めた両院議員総会での後継選びとなる可能性が大きい。そうなれば、首相による後継指名も可能となり、首相周辺が出元とされる「岸田氏への禅譲」説も現実味を帯びる。
・自民党総裁選の歴史は「権謀術数が渦巻く権力闘争」(首相経験者)ばかりだ。首相の父・晋太郎元外相は総理・総裁を目前にして病に倒れた。首相の政界の師でもある小泉純一郎元首相は、長年の盟友だった加藤紘一元幹事長(故人)を追い落として総裁選を制した。そして河野氏の父・洋平氏は党内抗争のはざまで、自民党で初めて総理になれなかった総裁となった。
・ポスト安倍を窺う候補者達はいずれも世襲議員だ。当然「それぞれが先代の歓喜や挫折を背負っての総裁選挑戦」(自民長老)となる。連綿として続く政権党の権力闘争で1強首相の次に勝ち名乗りを上げるのはいったい誰か。「因果はめぐり、歴史は繰り返すのが常」とされる永田町の暗闘は、17日夕の首相帰国を受け、初夏に向けて「深く静かに潜航する」ことになりそうだ。
http://toyokeizai.net/articles/-/205084

第三に、1月29日付け日刊ゲンダイ「額賀派クーデターの波紋 “反アベ”結集なら総裁選は大波乱」を紹介しよう(▽は小見出し)。
・突然、勃発した自民党の第3派閥「額賀派」のクーデター劇。参院議員21人全員が、派閥領袖の額賀福志郎氏に退任を求めている。 この時期にクーデターが起きたのは、9月に行われる総裁選に備えるためだともっぱらだ。衆参54人の額賀派は、“反アベ”で動くつもりだとみられている。もともと、闘う集団だった額賀派が“反アベ”に回ったら、“安倍3選”に黄色信号がともる。
・「クーデターの裏に、かつて参院ドンと呼ばれた青木幹雄さんがいるのは間違いないでしょう。額賀派に所属していた青木さんは、いまだに参院額賀派に絶大な影響力がある。青木さんが“右”と決めれば、21人全員が“右”に動く。派閥領袖の額賀さんは“安倍支持”ですが、どうやら青木さんは、総裁選では石破茂を担ぎたいようです。“安倍支持”の額賀さんをクビにして、派内を“石破支持”でまとめるつもりでしょう」(自民党関係者) もともと、青木幹雄氏と石破茂氏の関係は最悪だったが、2016年の参院選の時、石破氏が青木幹雄氏の長男・一彦氏の選挙を全面支援したことで関係が修復したという。
▽「3人」の共通点は“安倍嫌い”
・自民党内は「額賀派」のクーデターを固唾をのんで見ている。第3派閥の「額賀派」が“反アベ”で腹を固めたら、第4派閥の「岸田派」(45人)と第5派閥の「二階派」(44人)も追随する可能性があるからだ。 3つの派閥が“反アベ”で固まったら、安倍首相は敗北する可能性がある。
・「3つの派閥が手を組む可能性はゼロではないでしょう。まず、岸田派の実質的なオーナーである古賀誠氏と青木幹雄氏は親しい関係です。同じビルに事務所を構えている。さらに、二階派の領袖・二階俊博氏も、2人とはツーカーの仲。青木―古賀―二階は、いつでも話ができる。3人の共通点は内心、安倍首相を嫌っていることです。
・3人ともいわゆる“保守本流”です。保守本流は、GHQと一緒に憲法を制定し、日本の繁栄を支えてきた。ところが、安倍首相が敬愛する祖父の岸信介氏は“保守傍流”です。戦犯だったため憲法制定に加われなかった。だから、安倍首相は“押しつけ憲法だ”と批判し、“戦後レジームからの脱却だ”と戦後の日本を否定している。そもそも、保守本流と保守傍流は考え方がまったく違うのです。もちろん、青木―古賀―二階の3人は、勝ち目のないケンカはしないでしょうが、勝てるチャンスがあれば、一気に勝負にでてくるはず。場合によっては、岸田文雄氏を担いでもいいと考えているはずです」(政界関係者)
・NNNの調査では「次の自民党総裁に誰がふさわしいか」は、石破21%、安倍19%だった。国民も“安倍3選”にはウンザリしている。今頃、安倍首相は悲鳴を上げているのではないか。
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/222142/1

第四に、3月6日付け日刊ゲンダイ「本気の倒閣へ舵 安倍首相vs朝日新聞が「最終戦争」突入へ」を紹介しよう(▽は小見出し)。
・「朝日新聞が政権転覆に舵を切った」――。 森友学園関連の決裁文書を財務省が改ざんした疑いについて朝日が1面トップで伝えた先週金曜(2日)、永田町では自民党議員からも冒頭のような声が上がった。  朝日の報道の通りなら、麻生財務相のクビどころか、内閣が吹っ飛ぶような国家犯罪だが、朝日は本気で安倍政権を倒しにいくつもりなのか。
・「朝日の幹部が国会議員OBに会った際、こう言っていたそうです。『自分たちはそれなりにやってきたつもりだが、国会の委員会での安倍首相の名指し攻撃は度を越している。そこまでやるなら、こっちも腹を決めて勝負に出る。森友学園問題に関して隠し玉がある』と」(永田町関係者) どうやら朝日は材料を集めていたようで、それはこの財務省の一件だけではないらしい。
・「平昌五輪期間中を避けて、一番効果的な記事化のタイミングを見極めていたところ、不適切データの問題で裁量労働制拡大の法案提出が断念に追い込まれた。そこで、弱り目にたたり目のこのタイミングで勝負を懸けたということでしょう。スクープは1発だけではなく、第4弾、第5弾まで用意しているそうです」(前出の永田町関係者)
▽自らの説明責任は棚に上げて朝日攻撃
・もともと朝日嫌いの安倍首相だが、年明け以降の朝日攻撃は確かに異様だ。 昨年5月、森友学園の籠池前理事長が小学校の設立趣意書に「安倍晋三記念小学校と書いたと証言した」と朝日が報じたが、設立趣意書の文言は「開成小学校」だった。安倍首相はこれに噛みつき、朝日攻撃を繰り返している。1月28日の衆院予算委で「(朝日は)籠池被告が言ったことをうのみにした」、31日の参院予算委でも「安倍政権を攻撃するためだったのか、朝日新聞は裏を取らずに事実かのように報道した」と猛批判。
・それだけじゃない。自民党議員のフェイスブックに「哀れですね。朝日らしい惨めな言い訳」とコメントを書き込み、2月13日の衆院予算委では、30年前の朝日新聞カメラマンのサンゴ落書きや、13年前のNHK番組への自らの政治介入報道まで持ち出して口汚くケナした。
・設立趣意書の件に関していえば、籠池前理事長は当初、小学校への寄付金の「払込取扱票」に「安倍晋三記念小学校」と書いていたし、財務省が開示した設立趣意書は校名の部分が黒塗りされていたのだから、朝日の記事は決して誤報とはいえない。それなのに、自らの説明責任は棚に上げて朝日攻撃。政治評論家の本澤二郎氏が「最高権力者が国会で特定メディアを激しく批判するのは、言論弾圧にも等しい破廉恥な行為」と言っていたが、まさに常軌を逸している。
・朝日は4日の朝刊1面で、裁量労働制の違法適用で当局から指導された野村不動産の社員が過労自殺していたことをスッパ抜いた。これも“倒閣”の一環なのだろう。働き方改革への野党の批判が勢いづき、「スーパー裁量労働制」と呼ばれる「高度プロフェッショナル制度」の創設も怪しくなってきた。
・焦点は、決算文書改ざん疑惑について財務省がどう説明するのかだ。 自民党内では「朝日は過去に、福島原発事故の吉田調書の件などでチョンボをしている」と誤報に期待をかける向きもあるが、もし誤報なら、逆に朝日の社長のクビが飛ぶ。安倍首相か朝日か、どちらが倒れるか――。いよいよ最終戦争に突入した。
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/224459/3

第一の記事の亀井氏は、警察官僚出身ながらハト派で骨のある保守政治家だった。樺美智子さんとの出会いのエピッソードには笑ってしまった。あさま山荘事件でも、 『当時から俺は「彼らがやってることは悪い。だが、心情は分かる」と言っていた』、という内面の暖かさが漢字られる人物だった。 『晋三はアメリカの尻馬に乗って、トランプ大統領と一緒になって北朝鮮をいたぶろうとしている。これは危険ですよ。やり過ぎると、金正恩は、本物の(核の)ボタンを押すかもしれん。その時、攻撃されるのはアメリカじゃなくて日本だ。だいたいミサイル迎撃なんて、できやしないのにどうするの』、というのは正論だ。
第二の記事で、 『「ダブルスコア以上の圧勝」で苦い記憶を消す』、という安部首相の目論みは、第三の記事の 『額賀派クーデター』、により足元がぐらついているようだ。 『自民党総裁選の歴史は「権謀術数が渦巻く権力闘争」ばかりだ』、にも拘らず、このところ安部一強で無風状態だったが、久しぶりに本来の姿に戻ることを期待したい。
第三の記事で、 (“保守本流の)『3つの派閥が手を組む可能性はゼロではないでしょう』、と岸田派までが反安部に回るとすれば、面白くなるが、岸田氏にはそこまでの決断力はなさそうだ。
第四の記事で、朝日新聞は、 『スクープは1発だけではなく、第4弾、第5弾まで用意しているそうです』、というのが事実であれば、そろそろ出してもいい頃合いなので、何が出てくるか楽しみだ。
タグ:日本の政治情勢 (その16)(日米安保妄信はただの屈米 亀井静香氏語る「情けない国」、安倍首相の3選戦略と「ポスト安倍」の暗闘、額賀派クーデターの波紋 “反アベ”結集なら総裁選は大波乱、本気の倒閣へ舵 安倍首相vs朝日新聞が「最終戦争」突入へ) 森友問題 国税庁の佐川長官が辞任 大阪理財局の担当職員の自殺 日刊ゲンダイ イ「日米安保妄信はただの屈米 亀井静香氏語る「情けない国」」 樺美智子 こんな警察じゃいかん。俺が警察に入って叩き直してやると思って、勤めていた会社に辞表を出したんです 当時から俺は「彼らがやってることは悪い。だが、心情は分かる」と言っていた 警察の仕事はしょせんゴミ掃除なんだ 晋三はアメリカの尻馬に乗って、トランプ大統領と一緒になって北朝鮮をいたぶろうとしている これは危険ですよ。やり過ぎると、金正恩は、本物の(核の)ボタンを押すかもしれん。その時、攻撃されるのはアメリカじゃなくて日本だ。だいたいミサイル迎撃なんて、できやしないのにどうするの 泉 宏 東洋経済オンライン 「安倍首相の3選戦略と「ポスト安倍」の暗闘 消化試合の裏で「次の次」をにらむ神経戦へ」 「ダブルスコア以上の圧勝」で苦い記憶を消す 、「第3の候補」として野田氏が参戦すると、議員票でも地方票でもいわゆる「反安倍票」が分断される可能性が高い 麻生・岸田の「大宏池会構想」に首相は? 「東京五輪花道」説 自民党総裁選の歴史は「権謀術数が渦巻く権力闘争」 「額賀派クーデターの波紋 “反アベ”結集なら総裁選は大波乱」 衆参54人の額賀派は、“反アベ”で動くつもりだとみられている。もともと、闘う集団だった額賀派が“反アベ”に回ったら、“安倍3選”に黄色信号がともる 青木幹雄 「3人」の共通点は“安倍嫌い” 保守本流 保守傍流 「本気の倒閣へ舵 安倍首相vs朝日新聞が「最終戦争」突入へ」 朝日新聞が政権転覆に舵を切った 森友学園関連の決裁文書を財務省が改ざんした疑いについて朝日が1面トップで伝えた スクープは1発だけではなく、第4弾、第5弾まで用意しているそうです 自らの説明責任は棚に上げて朝日攻撃
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EC(電子商取引)(その2)(アマゾンと日本企業の物流には「大学生と小学生」の差がある、アマゾンの物流をうわべだけ真似た日本企業が火傷する理由、ローソンが仕掛ける生鮮食品ネット通販モデルの大きな可能性) [産業動向]

EC(電子商取引)については、昨年10月4日に取上げた。今日は、(その2)(アマゾンと日本企業の物流には「大学生と小学生」の差がある、アマゾンの物流をうわべだけ真似た日本企業が火傷する理由、ローソンが仕掛ける生鮮食品ネット通販モデルの大きな可能性)である。

先ずは、アマゾンジャパンでサプライチェーン部門とテクニカルサポート部門の責任者を歴任、株式会社鶴代表の林部健二氏が1月11日付けダイヤモンド・オンラインに寄稿した「アマゾンと日本企業の物流には「大学生と小学生」の差がある」を紹介しよう(▽は小見出し)。
・今や、通販ビジネス界の“巨人”となったアマゾン。そのサービスレベルは極めて高く、どの企業も追いつくことはできない。アマゾンジャパンでサプライチェーン部門とテクニカルサポート部門の責任者を歴任した林部健二氏に、その強さの秘密と、日本企業はどのように立ち向かっていくべきなのか解説してもらった。
▽アマゾンの取引企業には「冷酷」と映ることも
・翌日配送や、1時間以内配送など、驚くべき配送スピードを実現し、高い顧客満足度を維持するアマゾン。ユーザーから見ると、その生活を便利にしてくれるありがたい存在だが、アマゾンと直接取引をしている企業には、そのビジネスのやり方が「冷酷だ」と映ることも多いという。
・日本でもアマゾンが通販ビジネスのサービスレベルを圧倒的に引き上げ、他の企業はそのレベルについていこうと必死になっている、そんな構図が見える昨今だが、なぜアマゾンはこのような強さを発揮できるのだろうか。俗に言われるような冷酷さが、アマゾンの本当の姿なのだろうか。そして、日本企業は、アマゾンに対抗することができるのだろうか。
・私は、アマゾンジャパンが設立された翌年の2001年にアマゾンジャパンに入社し、10年ほど、サプライチェーン部門とテクニカルサポート部門の責任者を歴任した。そこで見えたアマゾンの強さの秘密と、日本企業がアマゾンに対抗する術を、ここで紹介する。より詳しくは、拙書『なぜアマゾンは「今日中」にモノが届くのか』(プチ・レトル)にて述べているので参考にしてほしい。
▽売り上げの13%を物流に投じMBA取得者を倉庫管理者に
・まず、アマゾンの物流面での強さは、その特異な「物流戦略」にある。 アマゾンでは、一般の会社に比べて物流の重要度が非常に大きい。それは物流への投資の大きさに表れている。アマゾンの2016年12月期の業績を見ると、売上高15兆9431億円(2016年12月28時点為替レートで計算)に対して、その13%をFulfillment(フルフィルメント・物流関連)費用にあてている。 公益社団法人日本ロジスティクスシステム協会の「2016年度物流コスト調査報告書」によると、日本の小売業の売上高に対する物流コストの比率の平均は4.85%であるから、アマゾンの物流コストがどれほど大きいかお分かりいただけるだろう。
・この物流に対するコミットメントが、人材の面にも表れている。アマゾンでは、MBAを取得した人間が倉庫管理者に就いていることが多い。物流を管理するには、物流のことだけがわかればいいのではなく、経営がわかり、システムがわかる人材が必要であるとの考えがベースにある。その視点で、優れた人材を物流にあてているのだ。
・その他、EDIと呼ばれるシステムで他の取引企業とデータ連携し、製造業並みのサプライチェーン管理を行っていることや、独自の需要予測システムによる購買管理、注文から納品までのフルフィルメントパスを最適化する仕組み、需要予測やEDIと連動した在庫管理、Kivaというロボットを活用し、フリーロケーション(商品ごとの保管場所が決まっていない保管形式)を前提とした倉庫管理などが、アマゾンの物流の高いサービスレベルを作り上げている。そのどれか一つが欠けるだけで、このサービスレベルは維持できなくなるだろう。
・また、その物流戦略のベースにあるのが、「アマゾン式ロジカル経営」とでも言うべき、数値に基づく経営だ。KPI、オペレーション、システムの3本柱が、このロジカル経営を支えている。KPI(Key Performance Indicator 重要業績評価指標)を定めている会社は多いが、アマゾンほどこれを厳密にレビューし、オペレーション改善に活かしている会社を見たことがない。
・KPIをレビューするための週次経営会議と、そこでのアクションプランに基づくオペレーション改善が、アマゾンのオペレーションをどんどん最適化していく。そしてそれ以外にも、社内に根付いているオペレーション改善の意識と、それを具体的なタスクに落としていくための課題管理票のシステムが、日々の高速なPDCAを実現している。
▽「顧客のため」との基準から あくまで数値でロジカルな判断
・さらに、アマゾン独自の要求と、日々変わるオペレーションに柔軟に対応するシステム開発を可能にするため、内部で開発者を抱え、あらゆるシステムを内製している。アマゾンのビジネスにおけるシステムの重要度を表すかのように、エンジニアの地位も待遇も、社内では非常に高いのが特徴的である。
・アマゾンが取引企業に「冷酷だ」と見られることがあるのは、このように、あくまで数値に基づいてロジカルな判断を行うからだ。というのも、アマゾンの判断基準はあくまで「最終的に顧客のためになるかどうか」「アマゾンの利益になるかどうか」だからだ。
・アマゾンの利益になれば、「安さ」という形で顧客に還元できるので、それも最終的には顧客のためになる。つまり「顧客至上主義」がアマゾンのビジネスのベースにある。そのビジネスのやり方は、日本企業の商慣習である「昔からお世話になっているから」といった浪花節的な判断基準とは相反する。だから反感を持たれることもあるのだ。
・アマゾンは商品カテゴリを増やし続けており、今や小売企業で通販を行う企業のほとんどは、アマゾンと競わざるを得ない。特に物流の面で、アマゾンの強さに対抗していく必要がある日本企業も多いだろう。
▽日本企業は真似するのではなく別の戦い方をすべき
・では、日本企業はアマゾンの真似をすべきなのだろうか。 私が日本企業の経営者に相談を受けるときに、よく言うことがある。それは「アマゾンと他の日本企業の物流システムの現状は、大学生と小学生ほども差がある」ということだ。
・アマゾンの物流の強さは、アマゾンが20年以上かけて毎年莫大な投資をしながら作り上げてきたものであり、一朝一夕に真似できるものではない。同じ土俵に乗っても勝ち目がないとするならば、アマゾンの真似をするのではなく、別の戦い方をすべきである。
・それはアマゾンにはない、自分たちだけの強みは何かを考えることだ。それを見つけ、磨いていくことができれば、全ての顧客をアマゾンに持っていかれることはない。
・今回、述べてきたことの詳細は、アマゾンジャパン設立の翌年から10年ほど在籍した経験をまとめた拙書『なぜアマゾンは「今日中」にモノが届くのか』をご覧いただきたい。次回は、アマゾンの強さの源泉である「物流戦略」について詳しく述べていくことにする。
http://diamond.jp/articles/-/155265

次に、上記の続き、1月26日付けダイヤモンド・オンライン「アマゾンの物流をうわべだけ真似た日本企業が火傷する理由」を紹介しよう(▽は小見出し)。
・今や、通販ビジネス界の"巨人"となったアマゾン。そのサービスレベルは極めて高く、どの企業も追いつくことはできない。アマゾンジャパンでサプライチェーン部門とテクニカルサポート部門の責任者を歴任し、現在は株式会社鶴代表の林部健二氏に、アマゾンの強さの秘密と、日本企業はどのように立ち向かっていくべきなのか解説してもらった。2回目の今回は、物流戦略を具体的に見ていこう。
▽アマゾンが “巨人”になったのは物流にケタ外れの投資をしたから(書籍の通販からビジネスをスタートさせたアマゾン。サービス開始当初の1995年、本を1冊売っても利益は200円程度であるにもかかわらず、アマゾンの創業者ジェフ・ベゾスは倉庫に100億円の投資をしていた。 そう、今の姿になるまで成功した秘密は、2018年1月11日付けの「アマゾンと日本企業の物流には『大学生と小学生』の差がある」でも触れたように、物流への投資がケタ外れであることだ。
・リアル店舗を持たないネット通販事業者が、リアル店舗の接客に匹敵するサービスを提供するにはどうすればいいのか。アマゾンの答えは、顧客との唯一の物理的な接点である「顧客の手元へ商品を届ける」サービスのレベルを、最大限まで引き上げることだった。そのため、物流に対して巨額の投資を行って、日々、物流システムやサービスを改善、顧客満足度と生産性を引き上げることにまい進したのだ。
▽日本企業がまねできないのは物流への投資ができないから
・アマゾンの影響力が強大になるにつれ、「うちもアマゾンのような倉庫や物流システムを作りたい」といった相談を受ける機会が増えた。しかし、私はそのたびに、「まねすることはできない」と答えている。その理由の一つは、日本企業が「物流に投資することができない」からだ。 まず、ビジネスの形態として、日本を中心にビジネスを展開している企業や、通販だけでなく店舗も合わせて展開しているような企業が、アマゾンをまねすることは現実的ではない。
・しかし、最も大きな違いは、「物流」というものの捉え方である。というのも、多くの日本企業は、物流を「コストセンター」として捉えてしまいがちだ。利益を生み出すわけではないコストだから、必然的にコストダウンを目指すしかなく、古くなっても汚くなっても「倉庫に金はかけられない」という考え方に陥ってしまう。
・しかし、アマゾンは違う。ケタ違いの金額を投じて倉庫に設備投資をし、どんどんハイテク機器や設備を導入した。そうして、倉庫の効率を上げることで生まれた利益を、「安さ」という形で消費者に還元。その結果、商品の安さに引かれた消費者が、さらに商品を購入して購買数が増える、というサイクルを作り上げることに成功したのだ。
・では、アマゾンの物流には、どのような特徴があるのだろうか。具体的に見ていこう。 
(1)販売と物流が社内で一体に
・小売業では一般的に、「販売」と「物流」がはっきり分かれていて、物流は外注していたり、たとえ社内にあったとしても、コストセンターとして捉えられていたりすることが多い。しかし、アマゾンでは販売と物流が社内で一体になっている。前述したようなサイクルが確立しているため、物流の改善が販売も改善させることにつながるからだ。
・具体的な仕組みとして、S&OP(Sales and Operations Planning)が導入されている。これは製造業などで、販売計画と製造・調達などのオペレーションを"すり合わせる"プロセスのこと。アマゾンはこうしたS&OPを2002年頃に導入、各部のトップが毎週集まって協議を行っている。 S&OPの会議では、販売側が「来週は商品Aを100万円分販売する見込みだ」と説明すると、オペレーション側は、その販売に見合う出荷数をまかなえるだけの人員を確保する。
・この際、オペレーション側は決して販売側の言いなりではない。人員を用意したにもかかわらず、予定の販売数を達成できなければ生産性は落ちてしまう。逆に、予定の販売数を達成できても、出荷が追い付かなかった場合は売上計上できない。そのため会議では、販売側とオペレーション側が、互いに「可能な数値なのか」を厳しく追究していく。これにより、予測やオペレーションの"精度"を上げているのだ。
(2)倉庫はフリーロケーションを採用
・アマゾンの倉庫運営の特徴の一つは、「フリーロケーション」を採用していることだ。これは、商品によって置かれる棚の場所が決まっていない倉庫の形式のこと。つまり、入庫する商品を、どこでもいいので空いている棚に置いていくのである。ちなみに、商品ごとに置く場所が決まっていることを「固定ロケーション」という。
・扱っている商品が、少品種多ロットであれば固定ロケーション、多品種少ロットであればフリーロケーションのほうが効率的である。そのため、扱う商品の種類がある程度限られている小売企業や通販事業者の倉庫は、固定ロケーションを前提に設計されている。しかし、無数の商品を扱い、小ロットで注文されることの多いアマゾンでは、フリーロケーションを前提としているのだ。 
(3)ロボットの目的は人員不足の補填ではない
・アマゾンの倉庫内で、「KIVA」と呼ばれる棚を運んでくるロボットが働いているのは有名な話だ。KIVAのコンセプトは、「人がラックまで商品を取りに歩くのではなく、ラックがなるべく近くまで必要な商品を運んでくる」ことだ。 しかし、KIVAの導入は、メディアで説明されているような「人材不足を補うため」や、「機械による効率化」だけでなく、短期間での倉庫構築も目的としている。
・通常、運搬や荷役作業といった、物流業務を効率化するための作業機械であるマテハン(マテリアル・ハンドリング)を導入したり、棚を設置したりするのは大掛かりな工事が必要。しかし、KIVAを利用すればそうした工事は必要なく、すぐに倉庫を稼働させることができる。 アマゾンのような急成長する会社ではスピードが求められる。KIVAというロボットは、そういう意味においてもアマゾン向きのマテハンなのだ。
▽見よう見まねで物流改善しても成果が出ないどころか逆にマイナスに
・アマゾンの強大化に脅かされている日本企業の中には、必死にアマゾンに食いついていこうとしているところもある。しかし、これまで紹介したようなアマゾンのオペレーションや、倉庫運営の"本質"を理解せずに、見よう見まねで物流改善に取り組んでも、成果は出ないどころか、逆にマイナスに働きかねない。 そこで、私が相談を受けた日本企業の物流改善の失敗例を紹介しよう。
(1)TC倉庫を、通販用在庫の保管に使おうとしたアパレル企業
・倉庫には、TC(Transfer Center・通過型)とDC(Distribution Center・保管型)という二つのタイプがある。 代表的なTC倉庫は、平屋家屋で両側にトラックバース(接車場所)があり、向こう側が見えているような建物である。主な機能は仕分けであり、文字通り商品がその倉庫を通過するのみで、保管の機能はない。例えば、中国で生産された服飾製品を、国内の各店舗に向かうトラックに載せる際などに使用される。
・これに対してDC倉庫は、商品を保管する機能を備えている。倉庫内に保管用の棚があり、そこに商品が置かれる、いわゆる一般的にイメージされる倉庫の形態である。このように二つの倉庫は、全く機能が異なるのだ。
・しかし、店舗販売だけでなく、ネット通販も始めることにしたあるアパレル企業は、それまで使っていたTC倉庫を、ネット通販用の商品の保管倉庫に使ってしまったのだ。 TC倉庫には保管用の棚がないため、空いているスペースの片隅に商品が山積みに。これではネットで注文があった時に商品を探すのに手間がかかり、効率が悪いだけでなく、在庫管理もきちんとできずに在庫切れが多発してしまうという事態に陥りかねない。
(2)カタログ通販用倉庫を、eコマース用に転用しようとした部品メーカー
・カタログ通販を行ってきたとある部品メーカーが、今まで使っていた固定ロケーション型の倉庫を、eコマース用に転用しようとした。しかし、前述したように、固定ロケーション型は多品種少ロットには向かない。 せっかくネット通販によって商品数を増やすことができるのに、固定ロケーションのままではそのメリットを相殺してしまう。それどころか倉庫効率が悪くなり、配送の遅延や、サービスレベルの低下につながる可能性もある。こうしてブランドを毀損してしまえば本末転倒である。
・ネット通販の仕組みは、既存の店舗やカタログ通販とは全く別物。まずはそれをしっかりと認識し、既存の枠組みでビジネスを行うのではなく、ネット通販に対応した物流への投資をするべきだろう。
▽アマゾンではMBA取得者を物流管理者に 経営者の視点で活躍できる人材育成が重要
・日本企業がアマゾンをまねすることができないもう一つの理由として、物流を支える人材不足が挙げられる。 物流をコストセンターと捉えている多くの企業では、物流に優れた人材を配置することはできない。中には、物流に投資するなら、人よりアマゾンのようにロボットを導入すればいい、と考える人もいるだろう。
・しかし、どんなに優れたロボットを導入したところで、実際にそれを動かすのは人間である。トラブルの対処や、効率化のための改善などは人間の仕事なのだ。アマゾンはこれを理解しているため、常に優秀な人材を物流に投入して育て続けている。その上で、ロボットやハイテク機器を導入しているのだ。
・今後、物流部門の人材の育成は、非常に重要になる。物流管理者は、物流業務に関する知識だけでなく、経営の仕組みやシステムを理解していることが求められるのだ。アマゾンのように、いきなりMBA取得者を雇うことは難しいかもしれないが、教育することは可能である。 そのため、1ヵ月や2ヵ月ではなく、少なくとも半年程度かけて人材教育を行うことをお勧めしたい。それも単なる座学だけではなく、物流部門の現場で起こる具体的な事例をどう解決するのか、経験豊富な指導者とともにケーススタディを行い、現場での臨機応変な対応力までを磨くような実践的な研修にすべきだ。そこまでして初めて、物流戦略を経営者の視点で考え、実際に現場で活躍できる物流人材を育てることができるからだ。
・アマゾンが、物流に一流の人材を充てることで、どれだけ他の企業に差をつけてきたかを見れば、こうした人材への投資が無駄ではないことがわかるだろう。
http://diamond.jp/articles/-/157020

第三に、元銀行員で法政大学大学院教授の真壁昭夫氏が3月6日付けダイヤモンド・オンラインに寄稿した「ローソンが仕掛ける生鮮食品ネット通販モデルの大きな可能性」を紹介しよう(▽は小見出し)。
▽ローソンが開始する ネット通販による生鮮食品の店舗受け取り
・今年3月にも、コンビニ大手のローソンが、ネット通販で注文した生鮮食品を店舗で受け取るサービスを開始するという。こうしたサービスは、既に世界的な潮流の一つになっており、現在、小売業界は大変革期を迎えているといっても過言ではない。 有力ネット企業であるアマゾンやアリババ・ドットコムなどは、生鮮食品の取り扱いを強化し、新しいビジネスモデルの実用化に向けてかなりのエネルギーを注力している。先進企業の動きは早く、変革のスピードは日に日に加速している。
・従来、品質管理などを理由に、インターネットを経由した生鮮食品の販売は難しいとの見方があった。しかし、首都圏でのアマゾン・フレッシュの導入のように、インターネットを活用して物流のあり方を変える取り組みが進んでいる。 インターネットでモノの売買契約を成立させ、消費者が望む場所で、希望する時間帯に品物を受け取るサービスが提供できると、EC業界、物流業界、コンビニをはじめとする小売業界の境界はほとんどなくなってしまう。
・インターネットが店舗の役割を担い、店舗には支払い、物流の起点などの機能も備わるようになる。ユーザーの好みに応じて宅配を行う、あるいは、店舗での受け取りが可能になれば、文字通り、いつでもどこでも、生鮮食品を手に入れることができる。そうした消費の発想が受け入れられれば、企業は付加価値を創造し、経済は成長できるだろう。
・インターネットを通した消費の拡大は、店舗での販売をベースに事業を展開してきた小売業界にとって脅威と映るだろう。それが、競争を促進し、さらなるサービスの向上と付加価値の創造を支える。その結果、新しい行動様式が社会に受け入れられる可能性がある。その意味でも、ローソンの取り組みが定着するか否かは重要だ。
▽物流に大きな革命をもたらすインターネット
・野菜や魚、肉類などの生鮮食品を買おうとする場合、実際に目で見て、手に取り、鮮度や形、保存されている条件などを確認しないと気が済まないという人は多い。調理して自分たちの口に入れるものである以上、できるだけ鮮度の良いものを選びたい。有機農法、オーガニックなど作物などの育成方法にまでこだわる人も増えている。
・近年、インターネット技術を用いて、品質面はもちろん、個々人のライフスタイルに合った消費行動を実現し、満足度を高めようとする取り組みが進んできた。先行しているのが、中国のアリババだ。同社は盒馬鮮生(ヘマーセンシェン)というブランドの下で、ECと店舗運営の融合を進めている。 その店舗では、バーコードを読み取り、モバイル決済のアプリ(アリペイ)を使って代金を支払う。レジは必要ない。アリババの無人小売店舗は、平日は業務に勤しむビジネスマンの買い物を支え、週末には家族連れでにぎわう一般の食品スーパーとして運営されている。
・インターネット業界が小売業界を圧迫するという発想よりも、ハイテク技術を通して人々の利便性や満足度の向上が実現されている。もはや、それが小売りのメインになりつつあるように見える。 アリババの取り組みを受け、米アマゾンも同様のビジネスを強化している。わが国でも導入されている生鮮食品のインターネット販売事業に加え、同社は“無人コンビニ”であるアマゾン・ゴーも開始した。アマゾンの場合、品物をとって店舗から出れば、自動的に課金が成立する仕組みが用いられている。 事実上、営業時間や買い物をする時間帯にかかわらず、生鮮食品などが手に入る環境が、世界に普及し始めている。
▽新しい小売の ビジネスモデルを目指すローソン
・ローソンはインターネット技術と店舗をつなぎ、新しいビジネスモデルの確立を目指している。それは、わが国の小売業界の常識に変革をもたらし、新しい消費スタイルを形成する可能性を秘めている。 2013年に同社は食品宅配を手掛ける“大地を守る会”の筆頭株主となった。この時点では、ローソンで通販がメインの有機野菜が買えることが注目されていたが、ある意味、その取り組みはかなり先見的だったといえる。
・ローソンが運営するネットスーパー事業のローソンフレッシュのウェブサイトとみると、“らでぃっしゅぼーや”、“オイシックス”など、品質へのこだわりで知られている食品通販企業が取り扱う品物を購入することができる。 つまり、ローソンは通販食品企業との提携を進めることで、インターネットを経由して生鮮食品の物流を支えるプラットフォーム(ビジネスなどの基盤)を整備してきたといえる。それは、アマゾンや、アリババの発想と共通する部分がある。
・このプラットフォームを、ローソンはコンビニ店舗にも当てはめようとしている。従来、ローソンの通販事業は宅配がメインだった。それに加えて、スマホアプリなどを通して購入した商品を店舗で受け取るシステムを整備し、消費者のライフスタイルに合った利便性の高い小売りサービスを提供していくことが目指されている。
・この取り組みに、無人レジのシステムなどが加われば、ローソンはインターネットと店舗の融合による新しい物流システムの確立だけでなく、省人化を通した人件費の圧縮、店舗網の拡大などを追求することができるだろう。社会が成熟化する中で人々の働き方は多様化し、深夜でなければ食品を買う時間が確保できない人も少なくはない。
・地方では小売店の店舗閉鎖などによって、日常生活に支障が出るケースもある。そうした変化や問題が増える中、ローソンの取り組みが人々の支持を獲得することができれば、同社の成長はこれまでとは違ったフェーズを迎えるだろう。
▽成長のために不可欠な常に改革するスタンス
・国内の小売業界では、ローソン以外の企業もインターネット通販事業を強化している。西友は楽天と、イオンはソフトバンクと連携して店舗での販売とECを通したビジネスの両面を強化している。小売り大手企業は、傘下の銀行子会社を活用してIT技術と金融サービスを融合させたフィンテックビジネスの強化にも取り組んでいる。そうした取り組みが進むことによって、物流、決済(購入代金の支払い)、店舗の運営など、従来の小売ビジネスの発想が大きく変わるだろう。
・企業が市場のシェアを確保していくためには、ローソンのように新しい取り組みを連続的に進め、消費者の関心を引き付けることを目指すことが欠かせない。新しいサービスを提供して、消費者の満足度を高めることができない企業のシェアは低下し、付加価値を生み出すことが難しくなるだろう。市場原理による淘汰が促進されるということだ。ハイテク技術の開発と普及が進むことによって、経済の競争原理が発揮されやすい環境が整備されていく可能性は高まっている。
・長い目でローソンの取り組みを考えると、さまざまな展開が考えられる。例えば、コネクテッドカーを活用して移動式の無人店舗が普及すれば、過疎化が進む地域での生活は大きく改善されるはずだ。それは地方の活性化に重要な役割を果たすだろう。
・新しい技術、コンセプトを応用することで、これまでの業態にとらわれることなくビジネスモデルを構築することが可能になりつつある。常識や既成概念にとらわれることなく既存のシステムと新しい理論や技術を融合させる企業の取り組み(イノベーション)が、社会の活性化には不可欠だ。
・そのために政府は、規制の緩和や従来にはないビジネスモデルを実証的に検証する環境を整備すべきだ。それが、世界的に進むハイテク技術の開発とその応用によって進む競争環境の中で、わが国の企業の収益確保をサポートすることになるはずだ。
http://diamond.jp/articles/-/161921

第一の記事で、 『売上高・・・に対して、その13%をFulfillment(フルフィルメント・物流関連)費用にあてている・・・日本の小売業の売上高に対する物流コストの比率の平均は4.85%』、 『アマゾンでは、MBAを取得した人間が倉庫管理者に就いていることが多い』、 『KPIをレビューするための週次経営会議と、そこでのアクションプランに基づくオペレーション改善が、アマゾンのオペレーションをどんどん最適化していく。そしてそれ以外にも、社内に根付いているオペレーション改善の意識と、それを具体的なタスクに落としていくための課題管理票のシステムが、日々の高速なPDCAを実現している』、 『日々変わるオペレーションに柔軟に対応するシステム開発を可能にするため、内部で開発者を抱え、あらゆるシステムを内製している』、 『アマゾンの物流の強さは、アマゾンが20年以上かけて毎年莫大な投資をしながら作り上げてきたものであり、一朝一夕に真似できるものではない』、などにみられる強味は、「凄い」の一言に尽きる。
第二の記事で、 『最も大きな違いは、「物流」というものの捉え方である。というのも、多くの日本企業は、物流を「コストセンター」として捉えてしまいがちだ。利益を生み出すわけではないコストだから、必然的にコストダウンを目指すしかなく、古くなっても汚くなっても「倉庫に金はかけられない」という考え方に陥ってしまう。
 しかし、アマゾンは違う。ケタ違いの金額を投じて倉庫に設備投資をし、どんどんハイテク機器や設備を導入した。そうして、倉庫の効率を上げることで生まれた利益を、「安さ」という形で消費者に還元。その結果、商品の安さに引かれた消費者が、さらに商品を購入して購買数が増える、というサイクルを作り上げることに成功』、という「物流」への考え方の差は確かに大きい。 『販売と物流が社内で一体に』、 『倉庫はフリーロケーションを採用』、 『ロボットの目的は人員不足の補填ではない』、などもよく考え抜かれた戦略だ。これでは、アマゾンに対抗するのは確かに容易ではなさそうだ。
第三の記事には概ね同意できるが、最後の 『政府は、規制の緩和や従来にはないビジネスモデルを実証的に検証する環境を整備すべきだ』、には違和感を感じた。規制緩和すべき事項はあるのかも知れないが、そうであれば、少しは例示して欲しいものだ。「ビジネスモデルを実証的に検証する環境を整備」、については個別の企業では出来ず、政府でなければ出来ないことがあるのだろうか。どう考えてもそうは思えない。企業向けの「リップサービス」なんだろうか。
タグ:EC(電子商取引) (その2)(アマゾンと日本企業の物流には「大学生と小学生」の差がある、アマゾンの物流をうわべだけ真似た日本企業が火傷する理由、ローソンが仕掛ける生鮮食品ネット通販モデルの大きな可能性) 林部健二 ダイヤモンド・オンライン 「アマゾンと日本企業の物流には「大学生と小学生」の差がある」 売り上げの13%を物流に投じMBA取得者を倉庫管理者に KPIをレビューするための週次経営会議と、そこでのアクションプランに基づくオペレーション改善が、アマゾンのオペレーションをどんどん最適化していく 「顧客のため」との基準から あくまで数値でロジカルな判断 「アマゾンの物流をうわべだけ真似た日本企業が火傷する理由」 日本企業がまねできないのは物流への投資ができないから 多くの日本企業は、物流を「コストセンター」として捉えてしまいがちだ ケタ違いの金額を投じて倉庫に設備投資をし、どんどんハイテク機器や設備を導入した。そうして、倉庫の効率を上げることで生まれた利益を、「安さ」という形で消費者に還元。その結果、商品の安さに引かれた消費者が、さらに商品を購入して購買数が増える、というサイクルを作り上げることに成功 倉庫はフリーロケーションを採用 ロボットの目的は人員不足の補填ではない 真壁昭夫 「ローソンが仕掛ける生鮮食品ネット通販モデルの大きな可能性」 ネット通販による生鮮食品の店舗受け取り
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部活動問題(ブラック部活動)(その1)(「ブラック部活動がブラック企業戦士を生む」教育学者が指摘、小田嶋氏:“部活”は尊い なぜならば) [社会]

今日は、部活動問題(ブラック部活動)(その1)(「ブラック部活動がブラック企業戦士を生む」教育学者が指摘、小田嶋氏:“部活”は尊い なぜならば)を取上げよう。

先ずは、昨年11月25日付けダイヤモンド・オンラインがハフポスト日本版の記事を転載した「「ブラック部活動がブラック企業戦士を生む」教育学者が指摘 内田良・名古屋大学大学院准教授インタビュー」を紹介しよう(▽は小見出し、Qは聞き手の質問、Aは内田氏の回答、+は回答内の段落)。
・毎日残業。土日や夏・冬休み返上は当たり前。その上残業代はほとんど出ない。なんて『ブラック』な環境なのか──。 それが学校、中でも部活動の場で日常的に起きている光景だ。 日々練習や試合に明け暮れる生徒と、それを指導する教員。「活動時間が長い」「休みがない」。そんな悲鳴さえ聞こえてくるが、あまりに習慣化し過ぎて、"長時間活動"はなかなか改善しない。
・自主的なはずなのに、生徒や教員を縛り付けている部活動。その実態を著書『ブラック部活動』につづった名古屋大院准教授の内田良氏は、「ブラックな部活動が企業戦士を生む」「部活動をやってこそ一人前という文化がある」と指摘する。 部活動の現場で今何が起きているのか、内田氏に話を聞いた。
▽「部活動が内申に響く」は都市伝説?
Q:著書の中で「自主的だから過熱する」と指摘されていますが、今までそのような指摘はなかったように思います。
A:そうなんですよね。部活動の根本が自主的なものです。だから「自主的なのになぜ強制するのか」という問いが立ちやすい。 今の教員や会社員の働き方改革では、やりがい搾取という議論がありますよね。「好きでやってるからいいでしょう」と言うけれど、実際は搾取されている。好きだからよいという考えに疑問を投げかけるのが大切だと思います。
+やはり部活動が過熱してきた背景に、部活動が「評価」と関係してきたという点が大きいと思います。 評価とはつまり、入試に使われるということです。直接スポーツ推薦を狙っていない生徒でも、なんとなく部活は大事だという感覚があるわけです。
Q:入試や進学への評価という点でみんな気になってしまっている?
A:そうですね。ネット上では「部活動を辞めると内申や入試に響きますか」という投稿をよく見ます。 生徒だけではなくて、保護者も同じような質問をしているんですよ。もちろんスポーツ推薦を目指していれば別ですが、私は部活が内申に響くというのは都市伝説だと思っています。
+通常は入試において、部活動の比重はすごく小さい。まず当日のテストがあって、それとは別に調査書や内申書があります。 内申書は、通知表に書かれているようなことが記載されていて、その中で部活動は本当にごく一部の小さなことです。決して入試の合否を大きく左右するものではないですよね。 でもみんな、部活やめたら内申に響くと思ってしまう。部活動はだいぶ過大評価されていると思いますね。
Q:影響が大きくないのに、なぜ気にするようになってしまったのでしょうか。何かきっかけがあるのでしょうか。
A:スポーツ推薦で部活動が影響するのはもちろんありますし、当然影響はゼロではないです。 それから例えば、当日のテストの点数が他の生徒と同じで、さらに通知表に書いてある9教科の成績も同じだった場合に、最後に部活動が影響する可能性はありますよね。
+なぜここまで過大評価されているのか。その理由の一つとして、これは仮説なんですが、先生もそれに依存していたのではないかと思います。 つまり、先生にとって部活動が入試に影響するという考えは、部活動で生徒をコントロールできるので損ではないわけです。
+先生は明言しないと思いますが、何となくそういう空気を漂わせていただろうし、それを否定することはない。 「入試に関係ないから部活動に入らなくてもいいよ」と言えばいいものを、「何となくこの先の人生に関係あるぞ」という雰囲気で生徒たちをつなぎ止めていた側面はあると思います。
Q:例えば就職の面接で部活動について聞かれることがあります。学校以外の場でも評価の対象になっているのでしょうか。
A:これは根深い問題です。私が色々な先生から話を聞いている限りでは、高校を卒業した生徒が就職活動をする時に、部活動はかなり影響するのではないかと思います。 大学生は部活動をしている人が少ないので影響力はだいぶ弱まりますが、高卒の場合はたくさんの子供がしてますから、就活の際に尋ねられることが多いですね。
+ですから、部活動の改革は学校の中だけでは難しくて、社会全体で改革していていかないといけない。  部活動の就活への影響を弱めていかないと、生徒が部活動に縛られることになる。生徒の本業は学業というところをちゃんと考えて欲しいと思います。
▽「部活動を持ってこそ一人前」 プレッシャーにおびえる教員たち
Q:教員は部活動で評価されるのでしょうか。
A:今回『ブラック部活動』では、あまり評価のことを深く掘り下げませんでした。私が得意なのは、エビデンス・数字を使うことなんですが、評価は、本当に"空気"だから分からないんですよね。 あまり踏み込めないところがあるのですが、私が聞く限り、かなり"空気"のレベルで部活動が先生の評価にも影響している。
+もちろん生徒も、部活動をしっかりやれば入試でよい評価されるのではと感じているように、先生もそういう所におびえている。 つまり、部活動への取り組み方が、その中学校・高校の教員として評価されてるのではないかと感じるわけですね。
+これは暗黙に言われていることですが、「部活動人事」という言葉もあります。つまり、部活動でいい成績を収めた先生は、それによって人事が決まっていくことがあるのではないかと言われています。当然ながら「部活動人事」と表立って言うことはないです。 先生たちは教科によって採用されていて、部活動によって採用されているわけでは決して無いですから。
+そんなことはないはずなんですが、実際は、例えば強豪校の吹奏楽の先生が異動になったら、後任に有名な吹奏楽の先生が来るということがある。当然ながらある程度部活動を意識した人事が回ってるわけです。 ですから、先生たちも部活動によって評価されるのではないかと強く感じています。
+特に、活躍した部活動や生徒の垂れ幕を下ろしたりすると、今年は数が多い少ないというような話になりますよね。 先生たちは自分が顧問を務める部活動がトロフィーを持って来れないと、失敗したと思うわけです。見える形で評価されてしまいます。それが好きな人はいいけれども、授業で頑張りたい先生とっては結構きついですよね。
Q:目に見える形でプレッシャーを与えられてしまいますね。
A:そもそも、大学などで部活動の指導方法を1回も学ばずに教員になり、自分の専門でないことで評価されるのはきついと思います。
Q:教員にとって、部活動は時間外労働で給料もほとんど出ないという現状があります。本当はやりたくなくても、生徒のことを考えたら声を上げづらいのではないでしょうか。
A:例えばある調査では、「部活動は完全に学校の外部の人にやってもらいたいですか」という質問に、約半数がイエスと答えています。 部活自体を持たなくてもいいと思っている先生も、半分ぐらいいるのではないでしょうか。
+しかし、部活動を持ってこそ一人前の教師という文化が学校にあります。もしやりたくないという声を上げるものなら、「なんで教師になったの」と言われてしまう。 そうするとなかなかやりたくないと言う声を上げられない。 最近では、Twitterやインターネットといった匿名の世界で自分の気持ちを訴えることができ、さらにそれが連帯を生み出すことができます。そういった意味では、職員室はできないことが今できているのかなと思います。
Q:部活対策プロジェクト(※1)という動きが出てきていますよね。
A:そうですね。こういう風に先生たちの声が表に出てくるようになったのも、Twitterが大きな理由です。先生たちが職員室で声を上げられないからこそ、ネットでこれだけ盛り上がっているというふうに理解すべきです。 (※1 20〜30代の若手の教員を中心に、2015年12月に発足。生徒や教員が抱える部活動の問題点などをインターネット上で共有し、署名活動などを行っている)
▽「ブラック部活動が ブラック企業戦士を生む」
Q:著書の中で「ブラック部活動がブラック企業戦士の予備軍を生む」と指摘されています。過熱した部活動の文化が、企業の長時間労働にもつながっていると考えますか。
A:実際に多くの企業で、これだけの長時間労働を許しています。むしろ、長時間働くことや残業をすることこそ素晴らしいという評価・考えは、ひたすら練習をすれば強くなるという部活動の根性論とかなり重なります。
http://diamond.jp/articles/-/150805

次に、コラムニストの小田嶋 隆氏が3月2日付け日経ビジネスオンラインに寄稿した「“部活”は尊い。なぜならば」を紹介しよう。
・高校の部活に週休2日以上の休養日が求められることになりそうだ。 まあ、当然だろう。 中日新聞の記事は、この間の事情を 《学校の運動部活動の在り方に関するガイドラインづくりを進めているスポーツ庁の検討会議は二十三日の会合で、これまで「中学校では週二日以上の休養日を設ける」としてきた活動時間の目安について、審議中の原案に、高校の部活動も原則対象として盛り込むことを了承した。》(こちら) という言い方で伝えている。
・個人的には、なんの問題もないと思う。 というよりも、長らく現場任せのまま放置されていたブラック部活の実態に、スポーツ庁という官僚組織がはじめてメスを入れようとしている点で、画期的な取り組みだと、積極的に評価するべきなのかもしれない。
・一部の体育系の部活が、生徒たちに過酷な練習スケジュールを強要していることは、スポーツ医学的な見地から見て不適切だ……というだけの話ではない。競技力の向上を阻害し、生徒の健全な日常生活を破壊する恐れすらある。顧問として生徒指導に従事する教員の負担が著しく過大である点も無視できない。
・要するに、現状の体育会系の部活(※一部文化系も含む。以下、煩瑣なので「部活」と書かせていただく)は、官庁が乗り出さねばならない程度にどうかしているということだ。あまりにも異常すぎて、内部の関係者が、自分たちのおかしさに気づくことができずにいるのであろう。
・にもかかわらず、いまここにある現実として様々な立場の人間を巻き込んでいる部活という運動体は、内部の人間には制御不能な一個の地獄車だったりする。 というのも、生徒は顧問に口ごたえできないし、顧問は顧問でOBや地域社会の期待を裏切ることができないからだ。もちろん学校は学校でPTAの意向や生徒募集への影響を無視できないし、高体連や高野連や新聞やテレビは部活を素材に制作されるドラマから自由になることができない。とすると、部活が自らをドライブさせている自動運動は、誰が動かしているのかその張本人がわからないにもかかわらず、それでいて誰も止めることのできない地球の自転みたいな調子で、その上に乗っている人間たちの昼夜のあり方を決定してしまう。
・とすれば、こういう怪物は、お上が法と規制のカタナを抜いて退治しにかかるほかに方法がない。 その意味で、スポーツ庁の対応は、着手の段階として、いまのところは適切だと思う。 検討会議が作成しているガイドラインに反発する声もある。 2月27日の日刊スポーツ・コムに 「順番を間違ってないか、公立高の部活週休2日に疑問」(こちら) という見出しの記事が掲載された。
・詳しくはリンク先を参照してほしいのだが、記事の中で、書き手の記者は 《何が悪いって、教員の働き方改革を最優先して、子供たちの気持ちを後回しにしていることだ。故障防止が大きな目的ならば、投手の球数制限など、先に語るべきテーマがあるはずだ。いきなり活動日制限は、順番が間違っている。》 《厳しい練習に励むのは、決してトップアスリートだけではない。スポーツ庁だって、平昌(ピョンチャン)五輪での日本選手の躍進を喜び、メダリストのたゆまぬ努力を礼賛する一方で、高校生には頭ごなしに「週に2日以上は運動するな」と命令するのは、お門違いだ。》 《教員の働き方改革が待ったなしの状況なのは理解で。多忙でどうしようもないならば、部活でなく、授業を減らせばいい。》 と書いている。
・この記事はネット上に配信されるや否や、即座に炎上した。 以来、やれ体育会オヤジの独善だとか、部活至上主義者の横暴だとか、さんざんな言われようで現在に至っている。 袋叩きと言って良い。 なので、当欄では、重複を避ける意味でも、このうえ、記事についていちいちことあげて批判することは控える。
・むしろ、ここでは、日刊スポーツの記者氏の真意を汲み取って、「部活」という組織なり経験が、いかにわたくしども日本人にとってかけがえのない存在であるのかということについてあらためて考えてみたいと思っている。 私自身、もともとは、この記事に寄せられた批判の多くに共感したからこそ、このテーマについて書くことにしたわけなのだが、あれこれ検討しているうちに、単に部活をやっつけるだけでは何かを見落とすことになるのではなかろうかと考えるに至った次第だ。
・というのも、日刊スポーツの記事が大筋において的外れなのはその通りなのだとして、そのこととは別に、記者が訴えんとしていた「部活のかけがえのなさ」の実体的な意味は、「学校」よりもっと大きな「社会」という枠組みの中で考えないと正確には伝わらない話だと思ったからだ。
・ネット上で、件の記事を思うさまにやっつけているのは、おおむね「非部活的な」論者だ。 つまり、高校時代はどちらかといえば勉強のできた組の生徒で、部活練習で朝から晩まで泥にまみれているみたいな暮らし方とは無縁な学校時代を経て社会に出た人たちだということだ。
・こういう人々にとって、部活出身者は、なれなれしくて声がデカくて野卑で高圧的で徒党を組みがちな、なんというのか、日常的に交流したいとはどうにも思えない人たちであるわけで、だからこそ、彼らは、その権化みたいな日刊スポーツの記者氏の言い分を全力で否定しにかかったのだと思う。
・実際、記事の行間には、体育会系っぽさが横溢している。 それゆえ、ネット内に蟠踞する反部活系の論客たちは、日刊スポーツの記事の内容以上に、その行間にある体育会系っぽい匂いに強烈な忌避感を抱いた。 これは、だから、単に部活のありかたをめぐる論争というだけのできごとではない。 昔から戦われてきた、わりと陰険な対立だと思う。
・ネット上ではケチョンケチョンに論破されたあげくにヒモで縛られた資源ゴミの新聞紙みたい扱われている例の日刊スポーツの記事にも、支持者がいないわけではない。 それどころか、あの記事に共感を抱いている読者は、実のところ、日本人の多数派かもしれない。 少なくとも私はそう思っている。
・特に、スポーツ新聞のコアな読者層や、自身がハードな部活を経験した中高年の多くは、あの記事に深い共感をおぼえたはずだ。 「部活が、オレを作った」 と彼らは考えている。 「部活のキツい練習を乗り越えたあの時代の汗と涙が、いまの自分を支えている」 「オレは、教室で学ばなかったさまざまな人生の真実を部活の泥の中で学んだ」 「理屈じゃないんだ」 という形式で、彼らはものを考えている。 で、実際のところ 「理屈じゃないんだ」 と考えている彼らは、理屈では自らが勝てないことを知っている人たちであったりもする。
・とはいえ、理屈では勝つことができず、言葉ではうまく説明できないからこそ、その分だけ、部活への思いは、彼らの中に深く根を張っている。 「理屈じゃないんだ」 と考える彼らは、ネット上で燃え上がっている論争に、あえて積極的に関わろうとはしない。 だから、彼らの気分を代弁した記事は、表面上は、ボロ負けの形で論破されている。
・しかし、彼らが敗北を認めているのかというと、おそらくそんなことはない。 彼らは黙っているだけだ。 「理屈屋の連中が理屈で勝つのは当然の展開で、だから、オレたちの立場は理屈の上ではきれいに否定されているわけだな」 「でも、理屈じゃないんだ」 と、彼らは考えている。
・現実に、世界は理屈で動いているわけではない。 先輩との付き合い方、後輩の扱い方、忍耐と要領、リーダーシップとフォロワーシップ、命令と服従、友情と割り切り、圧力のかわしかた、団結と自己犠牲、勝利への執念、グッドルーザーとしての振る舞い方、あきらめない心とあきらめた仲間への思いやり、あきらめてしまった自分へのアフターケアとあきらめていないふりをすることの大切さなどなど、部活という特殊な閉鎖環境で学んだことが、自分をマトモな社会人にしてくれた、と、彼らはそう考えて、自分を鍛えてくれた部活に感謝している。
・仮に、部活の練習にいくらか有害だったり不適切だったりする要素が含まれているのだとして、だからって、ほかならぬ自分がくぐりぬけてきた思春期の試練がまるごと無意味な徒労だったと決めつけられて、はいそうですかと自分の青春を否定できると思うか? 終業のベルが鳴ると同時に帰宅して予習復習に励んでいたタイプのいけ好かない高校生が、将来、有識者会議に招集されることが当然の展開なのだとして、すべての高校生があんたみたいな腐れインテリを目指すべきだというガイドラインはいくらなんでも行き過ぎじゃないのか?
・われわれの社会は、部活で養われた集団性と自己犠牲の精神を企業戦士に不可欠な資質として、高く評価し、利用してきた経緯の上に成り立っている。 言葉を変えていえば、一丸となって練習に励む部員たちの滅私奉公の集団性をあらまほしき自己鍛錬として賛美する部活魂の教条を、そのままグローバル社畜の労働観として結実せしめたのが現代日本の人材育成プロセスだったわけで、決して自己都合の有給休暇を申請しないばかりか日々のサービス残業を自らの喜びとして消化する夜勤人形は、実は部活アルゴリズムによる鍛造作品だったのである。
・1年に3日しか休まない甲子園出場チームの部活練習は、ダルビッシュがいつだったか自身のブログの中でものの見事に否定し去っていた通り、競技力の向上に寄与しないばかりか、一番大切な高校球児たちの選手生命を脅かす深刻な脅威でもある。 その点で、休まない部活には、ほとんどまったく擁護の余地がない。
・ただ、世間の人間が部活に期待しているのは、必ずしも部員をアスリートとして成長させる過程や、チームを強化する機能ではない。 だから、ダルビッシュをはじめとするスポーツの世界の専門家の言う部活批判は、部活の価値のうちの半分しか否定したことになっていないし、事実、休まない部活の素晴らしさを信奉している人々の心にはまったく届いていない。 「わかってるよ」 「うん。適切に休養をとった方が成果があがるとかいうお話は、20年前から通算で3000回ぐらい聞いてる」 「理屈じゃないんだよ」 「勤行だよ勤行」 「レギュラーなおもて罰走をとぐ、いわんや補欠をや、だよ」
・部活に期待されているものの中身は、実に多様で、しかも当然のことながら理屈では説明できない。 精力善用。高校生にグレるいとまを与えない練習スケジュール。勝っても勝たなくてもとにかく一日中練習することの尊さを教えること。勝利と同じほどに尊い敗北の価値を知ること。先輩後輩のケジメを学ぶこと。協調性。克己心。チームスピリッツ。パシリ耐性。理不尽に耐える根性。
・特に最後の「理不尽に耐える根性」は強烈だ。 この教条がある限り部活は不滅だ。 というのも、外部の人間が部活の理不尽さを指摘すればするだけ、部活の価値が上昇することになるからだ。 ともあれ、理不尽の温床であることが部活の価値の源泉であり、様々な理不尽の中で練習することが自分たちの人間性を高めている、と少なくとも部活の内部にいる彼らはそう考えている。
・とすると、彼らの練習は、滝に打たれている修験者の修行とそんなに変わらないわけで、ということはつまり、滝の水が放出する位置エネルギーの浪費を責めても仕方がないのと同じ理路において、部活の理不尽を指摘しても意味がないのである。 「部活の決まりごととか練習メニューとか序列とかって、理不尽なことだらけですよね」 「だからこそ、理不尽に耐える心が養われるんじゃないか」 という、この種のやりとりに絶望した経験を持つ人は、少なくないはずだ。
・理不尽を指摘すると、指摘された側の人間が 「理不尽だからこそ価値があるんだ」 と答えるこの融通無碍な構造の不死身さが、うちの国の組織の本質なのかもしれない。 結局のところ、あらゆる組織が何らかの理不尽を内包している以上、大切なのは、個々の組織の理不尽を指摘したり改革したり改善したり修正することではない、と、リアリストを自認する人々はそういう順序でものを考える。
・むしろ、組織の中で活動するにあたって個人が身につけておくべき心構えは、理不尽に適応することだ。自分が直面している理不尽を看過し、黙殺し、あるいは身をかわし、ひたすら耐えるなりして、とにかくその理不尽と対決しないことが結局は自分を守ることになるというわけだ。
・私は、高校では陸上部の部員だったが、陸上競技は、チームスポーツでないという点で、ほかの運動部の部活とは性質の違う環境だった。 というよりも、私は、個人競技である陸上部の「部活っぽくない」ところに惹かれて入部した生徒だったわけで、そもそものはじめから、部活を嫌っていた。
・つまり、私は、高校生の頃から、一貫して、部活的な人間ではなかった。 具体的には、協調性やチームスピリッツみたいなものはハナで笑っていたし、リーダーシップも皆無なら、後輩の面倒を見るテの趣味もなく、自己犠牲の精神にいたっては心から憎んでさえいたということだ。 そんなわけなので、サラリーマンは半年しかつとまらなかった。 
・私は、自分が部活を拒絶したことと、企業社会に適応できなかったことを、無関係なふたつの出来事であったとは思っていない。 自分は、部活に適応できない人間だったから、会社員がつとまらなかったのだと、半分ぐらいはそう思っている。 逆に言えば、部活が、会社員としての資質を伸ばす上で有効な場所だということを、私自身が、半ば信じているということでもある。
・部活を否定することは、日本の企業社会のある部分をそのまま否定することを意味している。 だから、部活をめぐる議論は簡単には落着しない。 躍起になって部活を批判する人々がいる一方で、他方には、その意見に決して耳を傾けない人たちがいる。 最終的に、この問題は、部活それ自体のあり方を超えて、わたくしども日本人の集団性についての見解の対立を反映した論争に発展することになるはずだ。
・私は、短距離走の選手だったので、練習スケジュールは自分で決めていた。 部活から学んだことは、とにかくむずかしいことを考えずに、思い切り走りきることだった。 苦手なものから走り去ることを繰り返していれば、誰であれ、いずれたどりつくべき場所に到達する。 私はいま、そういう場所にいる。 他人の部活については、勝手にしやがれと思っている。
http://business.nikkeibp.co.jp/atcl/opinion/15/174784/030100133/?P=1

第一の記事で、 『内申書は・・・その中で部活動は本当にごく一部の小さなことです。決して入試の合否を大きく左右するものではないですよね。 でもみんな、部活やめたら内申に響くと思ってしまう。部活動はだいぶ過大評価されていると思いますね』、 『先生に『とって部活動が入試に影響するという考えは、部活動で生徒をコントロールできるので損ではないわけです』、 『先生たちも部活動によって評価されるのではないかと強く感じています』、 『ブラック部活動がブラック企業戦士の予備軍を生む」』、などの指摘はその通りだ。
第二の記事で、 『いまここにある現実として様々な立場の人間を巻き込んでいる部活という運動体は、内部の人間には制御不能な一個の地獄車だったりする。 というのも、生徒は顧問に口ごたえできないし、顧問は顧問でOBや地域社会の期待を裏切ることができないからだ。もちろん学校は学校でPTAの意向や生徒募集への影響を無視できないし、高体連や高野連や新聞やテレビは部活を素材に制作されるドラマから自由になることができない。とすると、部活が自らをドライブさせている自動運動は、誰が動かしているのかその張本人がわからないにもかかわらず、それでいて誰も止めることのできない地球の自転みたいな調子で、その上に乗っている人間たちの昼夜のあり方を決定してしまう』、との分析には面白いだけでなく、説得力もある。さすがだ。 『部活を否定することは、日本の企業社会のある部分をそのまま否定することを意味している。 だから、部活をめぐる議論は簡単には落着しない。 躍起になって部活を批判する人々がいる一方で、他方には、その意見に決して耳を傾けない人たちがいる。 最終的に、この問題は、部活それ自体のあり方を超えて、わたくしども日本人の集団性についての見解の対立を反映した論争に発展することになるはずだ』、部活動問題はもっと単純と考えていたが、そこまで深い問題だというのを小田嶋氏から教えてもらった。私自身は日本人の強すぎる集団性をもっと弱めて、個性を大切にしてゆくべきと考えている。
タグ:部活動問題 ブラック部活動 (その1)(「ブラック部活動がブラック企業戦士を生む」教育学者が指摘、小田嶋氏:“部活”は尊い なぜならば) ダイヤモンド・オンライン ハフポスト日本版 「「ブラック部活動がブラック企業戦士を生む」教育学者が指摘 内田良・名古屋大学大学院准教授インタビュー」 ブラックな部活動が企業戦士を生む 部活動をやってこそ一人前という文化がある」 内申書は、通知表に書かれているようなことが記載されていて、その中で部活動は本当にごく一部の小さなことです。決して入試の合否を大きく左右するものではないですよね。 でもみんな、部活やめたら内申に響くと思ってしまう。部活動はだいぶ過大評価されていると思いますね 先生にとって部活動が入試に影響するという考えは、部活動で生徒をコントロールできるので損ではないわけです 部活動の改革は学校の中だけでは難しくて、社会全体で改革していていかないといけない 小田嶋 隆 日経ビジネスオンライン 「“部活”は尊い。なぜならば」 、いまここにある現実として様々な立場の人間を巻き込んでいる部活という運動体は、内部の人間には制御不能な一個の地獄車だったりする。 というのも、生徒は顧問に口ごたえできないし、顧問は顧問でOBや地域社会の期待を裏切ることができないからだ もちろん学校は学校でPTAの意向や生徒募集への影響を無視できないし、高体連や高野連や新聞やテレビは部活を素材に制作されるドラマから自由になることができない。とすると、部活が自らをドライブさせている自動運動は、誰が動かしているのかその張本人がわからないにもかかわらず、それでいて誰も止めることのできない地球の自転みたいな調子で、その上に乗っている人間たちの昼夜のあり方を決定してしまう こういう怪物は、お上が法と規制のカタナを抜いて退治しにかかるほかに方法がない われわれの社会は、部活で養われた集団性と自己犠牲の精神を企業戦士に不可欠な資質として、高く評価し、利用してきた経緯の上に成り立っている 「理不尽に耐える根性」は強烈だ。 この教条がある限り部活は不滅 部活を否定することは、日本の企業社会のある部分をそのまま否定することを意味している。 だから、部活をめぐる議論は簡単には落着しない。 躍起になって部活を批判する人々がいる一方で、他方には、その意見に決して耳を傾けない人たちがいる 最終的に、この問題は、部活それ自体のあり方を超えて、わたくしども日本人の集団性についての見解の対立を反映した論争に発展することになるはずだ
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環境問題(その2)(「日本は環境テロリスト寸前」 2018年 知っておくべき「2つの大潮流」、世界で突出、邦銀の「石炭火力発電」向け融資 欧米勢が投資撤退に動く中で真逆の動き、ESG情報審査 新たに10万円を徴収する理由) [経済政策]

環境問題については、昨年11月7日に取上げた。今日は、(その2)(「日本は環境テロリスト寸前」 2018年 知っておくべき「2つの大潮流」、世界で突出、邦銀の「石炭火力発電」向け融資 欧米勢が投資撤退に動く中で真逆の動き、ESG情報審査 新たに10万円を徴収する理由)である。

先ずは、投資銀行家のぐっちーさんが昨年12月31日付け東洋経済オンラインに寄稿した「ぐっちーさん「日本は環境テロリスト寸前」 2018年、知っておくべき「2つの大潮流」」を紹介しよう(▽は小見出し)。
・ちょうどこの原稿は「年末発行、正月マタギ」というすばらしいタイミングで配信されます。こういう2017年と2018年の二股をかけたようなスケジュールで記事が出されるなんて、見たことも、まして書いたことがないので非常におもしろいですね。みなさま、良いお年を、と明けましておめでとうございます、が同時に載る、非常に珍しい記事となりました。
・ということで、ワタクシは、「実業家かつエコノミスト」という、ほかの方にはあまりない立ち位置でものを書いているわけですが、2017年にできてきた大きな流れのうち、間違いなく2018年もその流れが続いていくものを、2つ挙げておきたいと思います。
▽2018年に知っておくべき「2つの大潮流」とは?
・どなたが書いても2017年はアメリカのドナルド・トランプ大統領や、サウジアラビアなどになってしまうのでしょうが、私はちょっと経営者らしく行ってみたいと思います。 2つとも重要ですが、まずはこちらから行きましょうか。このことは間違いなく経済、社会システムに大きな影響を及ぼしますし、実際の皆様のビジネスもこれらの動きとは無縁ではありません。
・幸い、というか不幸なことなのですが、これらはわたくしがホームグラウンドにしているアメリカ西海岸あたりから比べると、日本は軽く10年は遅れています。ですから、日本でやるなら今からでも十分キャッチアップできると思います。ただ、世界を相手にする大企業レベルにおいてはその意味で勝負付けは終わってしまっているので、日本企業は正直もう遅い……ような気がしてます。それは何かと言えば、 脱炭素Decarbonizatoin です。私は東日本大震災のあった2011年3月の以前から、ご縁があって東北と仕事でかかわり、震災以降はまさにフルコミットメントとなりました。
・基本的にエネルギー効率が悪く、冬が寒い東北において特に必要性を感じたことがあるとすれば、それは当時すでにアメリカで動き始めていた脱炭素。当時、私が書いた論文や書いていた記事を改めて読み返してみると、すでに「脱炭素こそ、これからの経済活動のキーワードとなる」、とあちこちで書いていますし、実際にそれを実行する会社をアメリカにいくつか設立し、いずれも大成功を収めていますから、思った通りの展開になっていると言えましょう。
▽脱炭素から遅れ、代替エネルギーに終始する日本
・これはもう、先日のCOP23(国連気候変動枠組み条約第23回締約国会議)のお話をするまでもなく、ちょうど震災のあった2011年、すでに世界では抗いがたい潮流として「脱炭素」という方向性が確立したといっていいでしょう。 非常に残念だったのは、日本では原発被害が極めて大きかったために、エネルギー問題がともすると代替エネルギー問題に取って代わられてしまい、「原発がなくなったらどうすんねん」、「太陽光だけじゃ足らんだろ」……的な矮小な議論に終始していったことです。
・当時はすでに脱炭素、つまり代替エネルギーの開発も含めて、そもそも炭素を燃やさないためにはどうすればいいか、という方向性が定まっていて、世界中の最先端の技術がそちらに向けて全精力を傾けていったにもかかわらず、日本では後者の議論がいまだにほぼゼロ、というのが現状です。現状だけでいうと、対中近東に毎年3兆円以上の「油代」を払いつつ、化石燃料を燃やし続け、じゃぶじゃぶと油を流しているというのが日本の姿で、そこには将来の日本のエネルギー問題そのものをどうするか、という問題意識はゼロに見えます。
・実は日本では脱炭素、と私が言うといまだに「なんですかそれ?」と真顔で聞いてくる大手企業幹部が日本には多数いるのが現実なわけです。代替エネルギーならわかる(太陽光とか風力でしょ?とすぐ答えが返ってくる)。しかし、脱炭素なんて考えたこともないんですね。
・私が当時から書いているように、脱炭素に真面目に取り組んでいない企業はすべての面で(資本、消費、人材あらゆる分野で)取り残され、数年中に「環境テロリスト」と呼ばれるようになるでしょう。北朝鮮が「核拡散テロリスト」なら、それと同等、もしくはさらに悪いと見られかねない「環境テロリスト」が今の日本なのです。「いや、違う!」といっても仕方がないんです。北朝鮮と同じように世界からそう見られているという厳然たる事実があるのですから、違うなら、「違う!」ときちんと反論せねばなりませんが、どうにもできません。
・先ほどから申し上げているように、日本は2011年にあの大震災があったのですが、そのショックはむしろ海外で真剣に受け止められ、ドイツは福島原発の大事故を目の当たりにして原発を止めにかかった。原発推進派だったアメリカ、中国でさえも原発は危ないと考えはじめ、自然エネルギーに大きく舵を切る。
・その時に日本は、原発を止める代わりに、石炭火力発電にも目を向け、「燃焼効率のよい日本のガスタービンを使えば30%もエネルギー効率を上げることができる!」などとやって、今でも経済産業省の事実上のバックアップで、世界中に火力発電用ガスタービン発電機などを売ろうとしています。
▽潮流を読めない日本の大企業が、けちょんけちょんに
・これが世界の笑いもの(怒りの対象)になっているわけです。「世界中でどうやって化石燃料を燃やさないですまそうか、と考えているのに、今さら石炭火力発電機などを売っている場合じゃない。どうやったら『脱炭素』を達成できるのか本気で考えろ」、と今回のCOP23では、日本企業はけちょんけちょんに叩かれました。
・世界中で炭素を燃やすことはやめよう(中国でさえ5年で800基以上も予定していた石炭火力発電の増設をストップしているし、フランスも石炭発電所の全廃を発表しています)と舵を切っている時に、その石炭を燃やすパワープラントを輸出促進しようとしているのは誰だ、と名指して非難されました。
・また、COP23が始まる前は多くの日本大企業の幹部が「環境問題で進んでいる日本の技術を活用してもらえば世界に貢献できる」などとテレビで語っていましたし、特に重電機メーカーの役員は、世界中の石炭火力発電機を日本製のガスタービンに変えればエネルギー効率を30%以上上げられる、と胸を張っていました。
・繰り返しますが、世界中が石炭を燃やすことをやめようとしているときに、まだましなものがある、と言ってこれを推進するのはこれこそ時代錯誤、下手をすると詐欺師、と言うべきでしょう。世界の評価は「日本は技術力があるのに、なぜ脱炭素にその技術を活用しようとしないのか」ということであり、この総会でも実際に世界中から非難が集中。脱炭素における「周回遅れのランナー」と呼ばれました。つまり、日本はいまだにガスタービン重電機を売りまくる「悪の商人」……でありまして、言い方はよくないかもしれませんが、核拡散に走る北朝鮮と「2大悪」と呼ばれる日も、そう遠くないかもしれません。
・実際に、この時のドキュメンタリーをNHKが放送していて、意気揚々と日本のエネルギー節約技術を世界中にプレゼンしようと乗り込んでいった某企業の幹部が、「日本はそんなことをやっている場合ではないのではないのか、どうして脱炭素に本気で取り組まないのか」、とやり込められ、半泣きになっている姿は印象的でした。
・アメリカから日本に帰ってきてみると、多くの日本人が「日本の環境技術は進んでいる」と勘違いしているのにびっくりします。実際われわれは、日本でも岩手県・紫波町の「オガールプロジェクト」で断熱技術を多用した脱炭素体育館を作りましたし(エアコンの実働は年間10日にも満たない)、今その断熱技術を駆使した住宅の販売に力を入れているところです。
・しかし、いざ、まずはエネルギーを使わない、断熱技術を取り入れた住宅を作ろうとしても、モデルになるようなものは皆無です。すべてゼロから地元の工務店の方がアメリカや欧州で手弁当で学んできて、それを試行錯誤しているのが現状なのです。まともな比較基準すらありません。
・それはそれで紫波町の工務店の将来のビジネスキラーコンテンツになるので、喜ばしいことではありますが、これだけ世界の流れがはっきりしているのに、住宅建材としては最もエネルギー効率の悪いアルミサッシを売りまくっている日本の大手建材メーカーや、それを多用する大手住宅メーカーは「世界の環境テロリスト」、として名指しされる日もそう遠くないかもしれません。
・というか、なぜ技術も資本もある彼らこそ、先頭を切ってやろうとしなかったのか(少なくとも2011年の時に始めていれば今頃世界トップシェアを占めることはそれほど難しくなかった)不思議でなりません。ワタクシのような中小企業の社長にでさえこの潮流の変化は明らかで、わざわざリスクを取ってアメリカで事業を始めたくらいですから、多くの駐在員をアメリカに送っている日本の大手企業にとって取り上げるには極めて容易いテーマだったはずです。しかし、今でもまだ「勘違い」している人が多い、というのが日本の現状です。
▽今や「省エネこそが、大きな利益を生む時代」に
・例えばワタクシがこういう話をすると「うちの本社および事業所はすべてソーラー発電をやっておりまして……」と胸を張る1部上場企業の社長がたくさんおられるわけです。「では、御社の物流や営業などの自動車なども含め全体的なDecarbonizationをどうされていますか」、と伺うと、何を質問されているかすらわからない、というケースがほとんどで、脱炭素=自然エネルギー開発、という狭い思考回路に拘泥しています。
・ここでは、「ランニング」という視点(使うものと生み出すもののコストとプロフィットのバランス、つまり収支)という視点がすっぽり抜け落ちてしまっており、省エネ、しかも今までやったこともないようなレベルまでやらないと、この再生エネルギーの初期投資は間違いなく赤字になる。そうするとカネがかかるから、やっぱり再生エネルギーはだめね……となるのが、日本企業のこれまでの悪循環なのです。
・実は断熱などの省エネは、すぐさま光熱費の減少という形で「おカネになる」ので利益につながり、まさに先のNHKのドキュメンタリーでウォルマートの幹部が言っていたように、これ(省エネ)こそ、大きな利益を生むための投資だ、ということが全く理解できていない、と言えましょう。再生エネルギーに投資ばかりしていても、企業としては収支があわないです。
・先ほど書きましたように、こうした脱炭素(Decarbonization)を目に見えた形で達成していない会社はここ数年で間違いなく世界の市場から追放されます。市場からの締め出しはおろか、資本も集まらず、あっという間に「テロリスト企業」というレッテルを張られます。ビール会社から自動車会社に至るまで、日本の大企業は急いで取り組まねば、世界の市場から追い出される、ということだけははっきり申し上げておきます。「トヨタ自動車のプリウスがエコだ」、なんて言っているうちに、世界はさらにその先に向かっていることをくれぐれもお忘れなきよう……。
・さて、もうひとつのキーワードをご紹介しましょう。 脱工業製品 です。ちょうどわたくしが1960年生まれなので、私が育った高度成長期1970年代というのは、大手工業製品にすべてが飲み込まれる時代でした。大手スーパーの進出により、個人商店はことごとくつぶされ、零細個人企業による丁寧な手工業は豆腐、パン、肉・魚、野菜に至るまで消費者から見放され、つぶされていったという時代でした。
・今からすると信じられませんが、味も安全性も何から何まで、今の時代に引き直して、極端に言えば「山口商店」よりも「イオン」など大手の商品に信頼があったわけです。そういう時期が長く続きましたが、これも、流れは今や大きく変わりつつあります。
▽大手スーパーの「工業製品」を、まだ買いますか?
・つまり、近所のパン屋さん、お肉屋さん、魚屋さんなどが消えていき、すべて大手スーパーに取って代わられて、そこで売られるもの、というのは全国規模で工業製品として売られるため均一で値段が安かったため、高度成長期に庶民は殺到したわけです。 たまに端っこが焦げたりしている近所の手作りのベーカリーのパンは消費者に「不良品」呼ばわりされて消えていき、家庭で食べるパンはすべて大手企業が工場のラインが作り出すもので、それが良いものだ、と消費者が信じていたのです。
・ワタクシの母親などが典型例で、近所のパン屋であんパンを買うと「衛生状態が悪い」、とひどく怒られ、「ヤマザキパンのあんパンを大手スーパーで買いなさい」、と指導されたと言います。近所のお肉屋さんのメンチカツもアイスクリームも、衛生状態が悪くて危ないので食べてはいけない。そしてそれらはテレビで大々的なコマーシャルを打つことができる大手の食品加工企業の商品に取って代わられていったわけです。
・それが最終的にコンビニという形まで行きついたのが現在なわけですが、これも世界の最先端では、すでに変化をしています。少なくともアメリカ西海岸でまともな人(ある程度以上の学歴があって字が読める人)で食品を大手のスーパーで買う人は、ほとんどいません。要するに「何が入っているのか不明な工業製品を口の中に入れる不安」が急に浮上してきたわけです。そりゃそうです。あれは食品というより、極端なことをいえば、化学製品や工業製品に近いですからね。
・今日本でも、近所のブーランジェリー(パン屋さん)が朝しっかり焼いているフランスパンが、普通のスーパーで売っているフランスパンよりも2割高いとして、果たしてみなさんはどちらをお買いになりますか? また、スーパーのハム売り場の100g80円のソーセージと、近所のお肉屋さんの手作りソーセージ(100g200円くらい)とどっちを、お子様に食べさせたいと思いますか?もちろん、街の個人商店が、すべて素晴らしい商品を供給しているという保証はありませんが、素材にこだわっている商店はその店主を見ていればわかりますよね。(余談ですが、スーパーで売っているハム、ソーセージの単価は、同じグラム数の豚肉を買うより安いことを「変だ」、と思わないとすると、あなたは相当毒されてます)。
・はたまた、おばちゃん二人で手作りでおつまみを出しているカウンター居酒屋と大手の居酒屋チェーン(おそらく3割は安い)と、どっちで酒を飲みたいですか? 
▽時代は、手工業に戻ってきている
・こうやって聞いてみると、結構答えは明らかですよね。 そうです。時代は明らかに脱工業製品へ向かい、手工業に戻ってきているのです。特に食品については工業化が行き着いた挙句に、人体に危ないものが入っている、という事実が白日の下にさらされたわけです。一体誰が何を使って作っているのか……がはっきりしないものは危ない(当たり前の話なのですが)と、改めて思ったわけですね。
・ワタクシのようなところまで行くと、極端かもしれませんが(基本的に口にいれるものは野菜にせよ、肉にせよ作った人がわかっている)、しかし、ワタクシと同じような希望を持っている人は本当に多いのです。実際、アメリカだとニューヨークのような大都市でも、朝どれのチキンを夕方に持ってくるような農業者が、たくさん存在します。
・日本はこの点でもまだ遅れているのは明らかで、それは農協という巨大な組織があるのが一つの大きな理由でしょう。 農協や大手スーパーなどの供給する商品をすべて否定しようというものではありません。しかし、ここは、もう個人消費者が自分で考えて立ち上がるしかないわけで、消費者が人体に悪影響を及ぼすようなものが入っているような食品を買わない、と決めればいい。
・その最大のアンチテーゼを提供したのが、われわれが紫波町のオガールでやった、「紫波マルシェ」だった……と言ったら、わかりやすいでしょうか。人口約3万人の東北の田舎、といえども、そういうニーズを集めれば100万人もの人が集まっておカネを落としてくれる、という現実がそこにはあるわけで、逆に言えば「工業製品の食」に対する不安は、それだけ大きいということになります。
・これは食だけではありませんね。わかりやすいのが食ですが、衣食住、あらゆるものの消費者の価値観が変わっているといっていいと思います。 衣でいえば、大手チェーンのスーツと、ご近所のテーラーのスーツ(おそらく3割は高い)とどっちがいいですか、という話ですし、食は今見てきた通りですし、住についてもエアコンかけまくりでエネルギーを垂れ流すナンジャラハウスの住宅と、ほぼ光熱費がゼロで済む断熱住宅(坪単価では、建築費が1-2割ほど高くなります)とどっちがいいですか、という点については、皆様の答えはかなり明確になっているのではないでしょうか。
・テレビ局の方には申し訳有りませんが、テレビCMをガンガンやっているほうがかえって「怪しい」と皆様はすでにお考えのはずです(民放の朝と深夜のコマーシャルは、あやしげなものに取って代わられてきています)。今はまだ流している大手メーカーも、下手なテレビCMをやっていること自体が売り上げを下げる可能性があることに早く気付くべきでしょう。
・そもそも、そんなに良くて売れるものならCMなんかしなくていいわけですが、大手の場合は、巨額の設備投資を回収せねばならないので、大量に売る必要があるわけでして、夫婦2人でやっているようなパン屋さんであれば二人で食うのであれば50件のお得意さんがあれば十分でしょう……。
・こんな時代がもう来ているわけです(このあたりの経済メカニズムについては、有料サイト以外での、ワタクシの代表的な「2枚看板」のもうひとつの媒体である「アエラ」の最新号で、「パンダの行列」を例に取り上げていますので、そちらもご覧ください)。
▽モノ余りの時代、決定権を持つのは消費者に
・作る側だけではありませんよ。今や工業製品を持っている人だって、「テロリスト」なんですよ(笑)。できるだけ、ハンドメイドのものを長く丁寧に使う、という昔ながらの日本人の生活を、ついに世界中が取り入れ始めているといっていいのです。
・その意味ではこの流れは膨大な供給設備をすでに保有している大手企業にとっては死活問題ですが、大手企業をやめて個人商店をやるような方にとってはまたとないチャンスです。今まではそんなことできませんでしたからね。ただし、当たり前ですが、本当に価値のある良いものを作る必要があるわけです。しかし、それさえできれば個人が自由に生きていける、まさに「労働革命」の時代がすぐそこまで来ている。どうせおカネを使うならそういう動きを助けてあげる、というのもありだ、とワタクシは思います。いずれにせよ、二つ目の大きな流れは脱工業化なのです。
・そしていずれの潮流も、みなさま、つまり消費者が決定権を持っているという点が重要です。客単価で1人1000円の店がばたばたとつぶれ、一方で3万円も取るレストランが半年先まで予約が取れない……という現象の本質は、実は所得格差の問題ではありません。むしろそれは、消費者が自ら選んだ結果、であって、この辺りを見定めることが今後のビジネスにおける成功のカギと言えるのではないでしょうか。
http://toyokeizai.net/articles/-/203263

次に、12月31日付け東洋経済オンライン「世界で突出、邦銀の「石炭火力発電」向け融資 欧米勢が投資撤退に動く中で真逆の動き」を紹介しよう(▽は小見出し)。
・二酸化炭素などの温室効果ガスを大量に排出することを理由に、欧米の機関投資家や大手金融機関は石炭火力発電事業への投融資からの撤退を進めつつある。その詳細については、12月30日付の記事(「脱・炭素化」の動きは、もはや世界の常識だ)で明らかにした。その一方で、日本や中国の大手銀行による投融資規模の大きさが浮き彫りになっている。
▽銀行vsパリ協定
・ドイツのNGOウルゲバルト(Urgewald)と国際環境NGOのバンクトラック(BankTrack)は12月11日、新たに石炭火力発電所の建設計画を進めている世界の大手120社への投融資の状況を明らかにした(サイトはこちら)。 「銀行vs.パリ協定」。こんなタイトルが掲げられたバンクトラックのサイトによれば、大手120社向け融資額(2014年1月~2017年9月)で首位となったのがみずほフィナンシャルグループ。第2位の三菱UFJフィナンシャル・グループ、第5位の三井住友フィナンシャルグループなど、大手邦銀が上位を占めている。
・また、株式や債券の引き受けを含む投融資全体でも、上位を独占する中国の金融機関に続き、みずほ(第8位)、三菱UFJ(第11位)、野村ホールディングス(第19位)が顔をのぞかせている。 大手120社には、中部電力、中国電力、J-POWER、関西電力、東京電力ホールディングス、丸紅が含まれている。邦銀はそれら企業への融資のほか、中国などの電力会社への融資などに関与していることから、上位を占めたと見られている。
▽パリ協定採択後も巨額融資を継続
・ウルゲバルトが構築したデータベースを基にバンクトラックが分析したところ、2014年1月から2017年9月までの3年9カ月間に、6300億ドルもの投融資が石炭火力関連に注ぎ込まれていた。そして全体の68%を中国と日本の金融機関が占めていることがわかったという。 2015年12月に地球温暖化対策への国際的な取り組みを決めたパリ協定が採択された後も、2750億ドルの巨額が投融資されたとバンクトラックは分析している。
・また、ウルゲバルトが機関投資家による投資状況をまとめたところ、米ブラックロック(米)に続く2位に日本の年金積立金管理運用独立行政法人(GPIF)が登場。みずほ(第10位)、三菱UFJ(第14位)、日本生命保険(第20位)なども顔をそろえている(サイトはこちら)。 GPIFは環境や社会、ガバナンスに配慮する「ESG投資」を標榜し、「総合型」などESG指数を選定して投資を進めている。ただ、気候変動に特化した指数は現在まで選定されておらず、石炭火力発電事業を営む電力会社株の多くを保有したままだ。
・しかし、「ダイベストメント(投資撤退)」と呼ばれる化石燃料関連資産の売却の動きは、パリ協定採択以降、加速しつつある。 こうした中で、NGOによるデータベース構築やランキング公表が重要な意味を持つのは、「今までリストに含まれていなかった石炭火力発電を営む大手企業がダイベストメントの候補先に新たに加わったことにある」(環境NGO「『環境・持続社会』研究センター」の田辺有輝プログラムコーディネーター)。
・田辺氏によれば、これまでにも欧米の大手機関投資家や金融機関は「石炭採掘大手100社」や「石炭関連ビジネスへの依存度が30%以上の企業リスト」などを基にダイベストメント対象を選定してきたが、「大手の電力会社などはこれらのリストに含まれていないことが多かった」(田辺氏)。
・今回、大手電力会社を含めた「石炭火力発電に関する大手120社」のリストが新たに作成されたことにより、日本の大手電力会社もダイベストメントの嵐にさらされる可能性が高くなっているという。
▽アクサが撤退候補選定にリストを活用
・パリで気候変動サミットが開催された12月12日、フランスの大手保険会社アクサは、ウルゲバルトが作成した"Global Coal Exit List”(https://coalexit.org/)に基づいて石炭火力発電や石炭採掘を営む企業を選び出し、ダイベストメントに踏み切る考えを表明した。ダイベストメントの動きに詳しい前出の田辺氏によれば、丸紅やJ-POWERなどがその候補に該当する可能性が高いという。
・なお、みずほ、三菱UFJは気候変動など環境問題への取り組み姿勢を強調する一方、石炭火力発電事業を営む大手企業向け融資ランキングで首位および第2位になったことへの受け止めについてノーコメントとし、石炭火力発電への投融資方針についても明らかにしていない。
http://toyokeizai.net/articles/-/203019

第三に、2月15日付け日経ビジネスオンライン「ESG情報審査、新たに10万円を徴収する理由 国際環境NGO、CDPジャパン森澤充世氏に聞く日本と海外の違い」を紹介しよう(▽は小見出し、――は聞き手の質問、+は回答内の段落)。
・企業の「環境(E)」「社会(S)」「ガバナンス(G)」の取り組みを投資判断基準の1つに採用する「ESG投資」が活発化している。そんな中、運用資産総額100兆ドルとされる世界800余りの機関投資家が支援し、信頼を寄せる国際環境NGOがある。英ロンドンに拠点を置くCDPだ。
・CDPは毎年、世界の5500社を超す大手企業の経営トップに対し、自社の「気候変動」や「水リスク」、「森林伐採リスク」に関する対策方針や戦略、対策の実績などを尋ねる質問書を送っている。日本企業では、キリンホールディングスやソニー、トヨタ自動車などが回答している。CDPは回答を基に企業の取り組みを独自に採点し、評価を発表する。ESG投資家らはCDPの評価を投資の判断材料として活用しているという。企業にとってCDPの質問書に回答し、高評価を得ることは、株式を長期保有する安定株主を呼び込むうえで重要な課題である。
・そのCDPが今年から、質問書への回答結果を活用する投資家だけでなく、回答する企業に対して「回答事務費用」の支払いを求めている。金額は年間9万7500円(消費税別)だ。気候変動、水リスク、森林伐採リスクの3つある質問書のうち、いくつ回答しても金額は変わらない。CDP Worldwide-Japan(以下、CDPジャパン)の森澤充世ジャパンディレクターに、費用を徴収する理由を聞いた
――日本では今年から、「気候変動」や「ウオーター(水リスク)」「フォレスト(森林伐採リスク)」といった3つの質問書の回答企業に対し回答事務費用の支払いを求めるようになった。集めたお金の用途は。
・森澤:世界中の多数の企業からの回答を受け付け、蓄積するシステムの維持や管理、機能拡張などにコストがかかっている。世界の回答企業などから預かった資金を基に、システムの更新・維持費を賄う。
――他の国では先行して支払いを求めていた。
・森澤:2016年に欧州と米国、2017年には韓国やインドなども含む他の国へも支払いを呼びかけた。昨年末の時点で支払いが始まっていないのは中国と日本だけだった。 導入を先送りしていた背景には、日本でESG投資の機運が醸成されていなかったことがある。他の国では導入が始まっていたものの、日本での実情を踏まえ、ロンドンにあるCDP本部と交渉して先送りしてきた。今は新聞で報道がみられるなど、ESG投資が注目されるようになり、認知が高まった。他国の導入状況を考慮すると、今年は日本でも導入のタイミングとなった。
+日本企業も、他の国で費用負担が始まったことに気づいていただろう。2016年から質問書の末尾に、支払いを依頼する1文がどの国の企業に対しても記載されていたからだ。日本企業はその1文に対し回答しなくてよいことになっていた。 他の国向けにはより高い金額の選択肢も提示している。NGOに対する寄付の習慣が根付いている国では、より高い金額の費用支払いも受け入れられている。
▽韓国は回答企業が減少
――費用負担を先行して導入した国の回答企業数に変化はあるか。
・森澤:韓国で回答企業が減った。費用負担が理由というよりも、同国内でESG投資の成長がこれからであるということが影響していそうだ。
――CDPが集約する情報を使う投資家ではなく、企業が費用を負担するのはなぜかという疑問が、回答企業から聞かれる。
・森澤:投資家にも費用負担を依頼している。投資家は、他社の高額な情報提供サービスも活用している。NGOであるCDPが求める費用は、相対的に低い。 企業にはCDPへの回答を、非財務情報を広く開示する機会と捉え、活用してもらっていると考えている。非財務情報の開示は、企業に利益をもたらす。ESG投資家が、それによって企業を評価して、投資するからだ。
――費用負担の話題から外れるが、他の機関投資家向けインデックスは、公開情報を基にしている。企業担当者の主観の入った情報を基に投資家が投資判断するのは客観性に欠けないかとの指摘もある。
・森澤:投資や金融関連の情報やインデックスを提供する会社は、CDPが集約するデータも公開情報として参照している。まずは企業からの情報提供在りきだ。
――企業の回答を採点する企業(スコアリングパートナー)が、評価や得点を引き上げるためのコンサルティングをしている。
・森澤:採点するパートナーには、コンサルティングの顧客リストを開示してもらい、顧客の採点は担当しないようにしてもらっている。 採点の方法論、つまりESG投資家が注目とする情報開示の要点を、熟知したパートナーが回答企業に伝えることで、企業の情報開示レベルが向上すると期待している。
http://business.nikkeibp.co.jp/atcl/report/15/230270/021400065/?P=1

第一の記事で、 『非常に残念だったのは、日本では原発被害が極めて大きかったために、エネルギー問題がともすると代替エネルギー問題に取って代わられてしまい、「原発がなくなったらどうすんねん」、「太陽光だけじゃ足らんだろ」……的な矮小な議論に終始していったことです』、 『日本は、原発を止める代わりに、石炭火力発電にも目を向け、「燃焼効率のよい日本のガスタービンを使えば30%もエネルギー効率を上げることができる!」などとやって、今でも経済産業省の事実上のバックアップで、世界中に火力発電用ガスタービン発電機などを売ろうとしています』、 『世界中が石炭を燃やすことをやめようとしているときに、まだましなものがある、と言ってこれを推進するのはこれこそ時代錯誤、下手をすると詐欺師、と言うべきでしょう』、などの指摘は手厳しいが、その通りだ。 『こうした脱炭素(Decarbonization)を目に見えた形で達成していない会社はここ数年で間違いなく世界の市場から追放されます。市場からの締め出しはおろか、資本も集まらず、あっという間に「テロリスト企業」というレッテルを張られます』、というのは、第三の記事にあるESG投資への流れを踏まえたものだ。 『時代は、手工業に戻ってきている』、というのには若干の違和感がある。 『われわれが紫波町のオガールでやった、「紫波マルシェ」』、は確かに成功例ではあるが、手工業が再評価されるのは、まだ一部の分野に限られるのではなかろうか。 『客単価で1人1000円の店がばたばたとつぶれ、一方で3万円も取るレストランが半年先まで予約が取れない……という現象の本質は、実は所得格差の問題ではありません。むしろそれは、消費者が自ら選んだ結果』、とういうのは、私には所得格差の問題そのものと思える。「消費者が自ら選んだ結果」というのは、対象の数の違い、つまり安い店への客数と高級店の客数を比べると、後者は増えつつあるとはいっても、前者に比べれば圧倒的に少ないという現実を度外視した極論だと思う。ぐっちーさんも、さすがに年末で酒をきこしめし過ぎたのかも知れない。
第二の記事で、メガバンクが石炭火力発電所向け融資で上位というのは、これまでからプロジェクト・ファイナンスに注力し、安部政権の国策でもあることから、当然の結果だ。 『今回、大手電力会社を含めた「石炭火力発電に関する大手120社」のリストが新たに作成されたことにより、日本の大手電力会社もダイベストメントの嵐にさらされる可能性が高くなっているという』、といったような流れから、邦銀バッシングに発展するリスクがある点に留意すべきだろう。
第三の記事で、CDPがESG情報審査の料金を被評価企業取るというのは、S&PやR&Iなどの格付会社が格付料金を取るのと同じで、当然だろう。 『採点するパートナーには、コンサルティングの顧客リストを開示してもらい、顧客の採点は担当しないようにしてもらっている』、という利益相反防止の仕組みが、きちんと機能することが、ESG評価への信頼を維持するカギだろう。
タグ:国際環境NGO、CDP 今回、大手電力会社を含めた「石炭火力発電に関する大手120社」のリストが新たに作成されたことにより、日本の大手電力会社もダイベストメントの嵐にさらされる可能性が高くなっているという 、「ダイベストメント(投資撤退)」と呼ばれる化石燃料関連資産の売却の動きは、パリ協定採択以降、加速しつつある 「ESG情報審査、新たに10万円を徴収する理由 国際環境NGO、CDPジャパン森澤充世氏に聞く日本と海外の違い」 日経ビジネスオンライン 脱炭素 2018年に知っておくべき「2つの大潮流」とは 回答する企業に対して「回答事務費用」の支払いを求めている 年間9万7500円 (その2)(「日本は環境テロリスト寸前」 2018年 知っておくべき「2つの大潮流」、世界で突出、邦銀の「石炭火力発電」向け融資 欧米勢が投資撤退に動く中で真逆の動き、ESG情報審査 新たに10万円を徴収する理由) 東洋経済オンライン ぐっちーさん 環境問題 「ぐっちーさん「日本は環境テロリスト寸前」 2018年、知っておくべき「2つの大潮流」」 潮流を読めない日本の大企業が、けちょんけちょんに 脱工業製品 脱炭素から遅れ、代替エネルギーに終始する日本 日本は、原発を止める代わりに、石炭火力発電にも目を向け、「燃焼効率のよい日本のガスタービンを使えば30%もエネルギー効率を上げることができる!」などとやって、今でも経済産業省の事実上のバックアップで、世界中に火力発電用ガスタービン発電機などを売ろうとしています 「世界で突出、邦銀の「石炭火力発電」向け融資 欧米勢が投資撤退に動く中で真逆の動き」 欧米の機関投資家や大手金融機関は石炭火力発電事業への投融資からの撤退を進めつつある 時代は、手工業に戻ってきている バンクトラックのサイト 大手邦銀が上位 銀行vs.パリ協定 パリ協定採択後も巨額融資を継続
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日本経済の構造問題(その5)(日本企業が世界のイノベーション競争で後れをとる理由、「若者が出世を望まない」心境の裏にある本質 自分だけが前に出るのをよしとしない文化も、「低すぎる最低賃金」が日本の諸悪の根源だ) [経済政策]

日本経済の構造問題については、昨年11月4日に取上げた。今日は、(その5)(日本企業が世界のイノベーション競争で後れをとる理由、「若者が出世を望まない」心境の裏にある本質 自分だけが前に出るのをよしとしない文化も、「低すぎる最低賃金」が日本の諸悪の根源だ)である。

先ずは、作家の橘玲氏が昨年12月27日付けダイヤモンド・オンラインに寄稿した「日本企業が世界のイノベーション競争で後れをとる理由」を紹介しよう(▽は小見出し)。
・作家であり、金融評論家、社会評論家と多彩な顔を持つ橘玲氏が自身の集大成ともいえる書籍『幸福の「資本」論』を発刊。よく語られるものの、実は非常にあいまいな概念だった「幸福な人生」について、“3つの資本”をキーとして定義づけ、「今の日本でいかに幸福に生きていくか?」を追求していく連載。今回は「日本企業と幸福」について考える。
▽大企業からはイノベーションは生まれない
・現代は知識社会であり、企業が生き残るためにはイノベーションが不可欠だとされます。しかし現実には、ハンバーガーからユニクロの洋服までさまざまなサービスや商品が定型化されています。 こうした現象は、1991年にノーベル経済学賞を受賞したアメリカの経済学者、ロナルド・コースの「取引コスト理論」によって説明できます。組織においては、「標準化はコスト減、カスタマイズはコスト増を招く」のです。
・この定理に従えば、利潤の最大化を目指す経営者はイノベーションを抑圧し、あらゆる業務を標準化しなければなりません。これを徹底したのがマクドナルドで、それによって地方の小さなハンバーガーチェーンから世界的な大企業へと成長しました。
・効率化のためにイノベーションを抑圧しなければならないのは、企業だけでなく軍隊や官僚組織も同じです。戦闘のとき、兵士が命令に従わず勝手なことをはじめたら部隊は大混乱に陥ってしまいます。巨大組織は、構成員の個性を徹底的に抑圧し、ロボットのように動かすことによってはじめて機能するのです。
・しかしその一方で、なんの変化もなく旧態依然では、組織はやがて腐り果ててしまうでしょう。時代の変化に合わせて新しい製品やサービスを開発していかなければ、市場からの退出を迫られます。 こうして組織は、イノベーションを抑圧しつつ、イノベーションを実現するという困難な課題を抱え込むことになるのです。
・この難題へのひとつの答えは、「通常の組織構造とは独立した小さなグループにイノベーションを任せる」ことで、1943年にロッキードが「スカンクワークス」と呼ばれる開発チームをつくって大きな成功を収めたことで注目を集めましたが、その後、マクドナルドをはじめとする大規模で複雑な組織が続々とスカンクワークスを活用するようになって、「うまくいくこともあれば、失敗することもある」という退屈な結論が明らかになりました。
・失敗の大きな理由は、チームがあまりに自由奔放にやりすぎると、開発された製品が現実の市場にまったく合わないことでした。高尚すぎるアイデアは、新たなコストセンターをつくるだけなのです。 そこでいまでは、企業のR&D(研究開発)はマーケティングやセールス部門と連携し、顧客がお金を払う製品に結びつけるよう管理されています。しかしこちらもやりすぎるとイノベーションを抑圧し、営業部門に説明しやすい陳腐な製品を山のように「開発」することになってしまうのです。
・経営者や管理職なら誰でも知っていることでしょうが、管理主義と革新性はトレードオフで、その両立は不可能とはいわないまでもきわめて困難なのです(レイ・フィスマン、ティム・サリバン『意外と会社は合理的』日本経済新聞出版社)。
▽アウトソーシングされるイノベーション
・巨大組織の矛盾は、イノベーションと報酬の関係にもあてはまります。 画期的なイノベーションを生み出すためには、積極的にリスクを取らなくてはなりません。ブルーオーシャン(ライバルのいない独占市場)は多くの場合、法律的、道徳的、財務的などさまざまな理由で競合他社が手を出さないニッチにあります。
・これが、日本の会社がイノベーション競争で後れをとる第一の理由です。画期的な商品やサービスを生み出そうとすれば失敗する可能性も高くなりますが、雇用の流動性がない(伽藍の)会社では、いったん失敗した社員は生涯にわたって昇進の可能性を奪われてしまうのです。
・第二の理由は、大きなリスクを取ってイノベーションに成功したとしても、成果に相応しい報酬を与えられないことです。「正社員の互助会」である日本の会社では、一部の社員に役員や社長を上回る高給を支払うことができません(この矛盾は発光ダイオードの発明をめぐる訴訟で明らかになりました)。
・このように日本的雇用制度は、「リスクを取るのはバカバカしい」という強烈なインセンティブを社員に与えています。 日本企業が画期的なイノベーションを生み出せず、欧米(シリコンバレー)の後追いばかりしているうちに、中国や台湾、韓国の新興企業に買収される憂き目にあうようになったのはこれが理由です。
・私見によれば、この問題の解決策は2つしかありません。 ひとつは、経営者自らが大きなリスクを取ってイノベーションを目指すことです。創業経営者であれば組織のしがらみにとらわれることはなく、当然のことながら、成功すれば青天井の報酬を堂々と受け取れます。 日本でもすぐに何人かの経営者が思い浮かぶでしょうが、これは欧米も同じで、アップルやグーグル、フェイスブックなど成功したIT企業はすべてカリスマ的な創業経営者が意思決定しています(かつてのマイクロソフトも同じです)。
・この法則が正しいとすると、カリスマが去って官僚化した企業からはイノベーションは生まれません。とりわけ日本の会社では、社長は「正社員の代表」でその使命はできるだけ大過なく「社員共同体」を維持することなのですから、原理的にリスクを取ることなどできるはずがないのです。
・しかしこのような会社でも、イノベーションがなければ生き残ることができません。このときの選択肢は、おそらくひとつしかないでしょう。それは、イノベーションをすべてアウトソース(外注化)することです。 これならリスクを取るのは外注先で、失敗すれば勝手につぶれるだけです。その一方でイノベーションに成功すれば、有利な契約によって成果を取得すればいいし、その際に社員に比べて法外な報酬を支払ったとしても社内の和を乱すこともありません。社員の関心は同僚との相対的な優劣で、“よそ者”のことはどうでもいいのです。
・組織の取引コストを極大化させた大企業はイノベーションを放棄して、ベンチャー企業に投資し、成果が出れば買収しようとします。これはアメリカの大手IT企業でも頻繁に行なわれており、組織が官僚化して定型化された業務以外のことができなくなると、リスクをアウトソースして成長を維持しようとするのは日本もアメリカも同じです。──それにともなってベンチャー企業のエグジット戦略も、上場から事業を大手企業に売却することへと変わっていきました。
・それに加えて日本の会社は固有の問題を抱えています。画期的なアイデアには多様な文化的背景を持つメンバーの“化学反応”が必要ですが、日本の組織はきわめて同質性が高く、大企業の取締役は「日本人、男性、高齢者、有名大学卒」という属性でほぼ占められています。──同じ発想をする人間だけをいくら集めても、ひとびとが求める新しいもの(Something New)を生み出すことなどできません。 このようにして、高度化し複雑化した知識社会では、イノベーティブな仕事のほとんどは「外注化」されることになるのです。
http://diamond.jp/articles/-/154461

次に、ジェイフィール代表取締役、東京理科大学大学院イノベーション研究科教授の高橋 克徳氏が1月5日付け東洋経済オンラインに寄稿した「「若者が出世を望まない」心境の裏にある本質 自分だけが前に出るのをよしとしない文化も」を紹介しよう(▽は小見出し)。
・「管理職になっても責任や負担ばかりが増え、見返りもなく、将来も保証されない」――。 12月6日に配信した「20~30代が出世を望まなくなってきた本質」には多方面から反響が寄せられました。 拙著『“誰も管理職になりたくない"時代だからこそ みんなでつなぐリーダーシップ』でも詳しく解説していますが、若い世代の出世に対する違和感、抵抗感が近年、強まってきています。ただ、彼らへのヒアリングをしていくと、その根幹には人の上に立って、人を動かすリーダーという存在そのものへの疑問とともに、自分たちがそうした人間になれない、なりたくないという気持ちがあることもわかってきました。
▽目立つこと、上に立つことは重要と思っていない
・リクルートマネジメントソリューションズが3年おきに実施している「新人・若手の意識調査」によると、新人、若手社員が「働く上で重視することは何か」という質問の中で、「世間からもてはやされること」「責任者として采配がふれること」が他項目よりもポイントの極めて低い2項目になっています。目立つこと、上に立つこと自体が働くうえで重要だという意識は低いということがわかります。
・60カ国の研究者が協力して実施している「世界価値観調査(2010~2014)」によると、日本人の若者たち(29歳以下)が世界の中で突出して自分から踏み出していくことや、リスクがあってもチャレンジすることに対して慎重になっている姿が浮かび上がってきます。
・「新たなアイデアを考え出すこと、創造的であること、自分のやり方でできることが重要だ」という質問には60カ国平均が78.9%に対して、日本の29歳以下は45.9%しか肯定的な回答をしていません。「冒険することやリスクを冒すこと、刺激的な生活をすることは重要だ」という質問には60カ国平均が62.3%に対して、日本の29歳以下は22.8%と極端に低くなっています。
・ほかの設問についても日本人の回答率が全体に低めに出ていることは考慮しなければなりませんが、それでも日本の若者が前向きに動き出す姿勢が、ほかの国よりも劣っていると見られても仕方ないような回答率になっているのです。
・これらの調査以外にも、内閣府が出している「子ども・若者白書平成26年版」を見ていくと、日本の20代若者たちが特に、ほかの国の若者たちよりも、自分の長所が見えず、うまくいくかわからないことには意欲的に取り組めないと感じ、未来は変えられないと悲観的になっている人たちが多いことが見えてきます。
・こうした調査から、日本の若者たちが世界の中でも極端に自分を前に押し出すこと、自分の力で何かを変え、切り開いていくことができなくなっているのではないかと指摘する人も多くいます。社内でも「最近の若手はおとなしい」「積極性に欠ける」「自分を主張しない」という認識が広がっている会社も多いように思います。
▽前に出たくない、上に立ちたくないのは、若者だけ?
・こうした自分で自分を前に押し出したくない、踏み出したくないと思っているのは、若者に限ったことなのでしょうか。 実は、先ほどの世界価値観調査をさらに詳しく見ると、創造的で自己主導的であることも、冒険的でチャレンジすることも、年齢を重ねるほどさらに肯定派の割合が減っていることがわかります。
・「新たなアイデアを考え出すこと、創造的であること、自分のやり方でできることが重要だ」という質問については、29歳以下で45.9%が肯定していますが、30~49歳では37.8%、50歳以上では30.9%となっています。「冒険することやリスクを冒すこと、刺激的な生活をすることは重要だ」という質問も、29歳以下で22.6%しか肯定していませんが、30~49歳では8.4%、50歳以上では5.6%と極端に低い回答率になっています。
・つまり、「最近の若手は自分から踏み出さない」「チャレンジをしない」と言っている先輩世代、上司世代ほど、実は自分から踏み出さず、チャレンジしない人たちになっているということが、このデータからは読み取れるのです。若手だけでなく、日本人全体が前に踏み出すことができなくなっている、ためらっているのかもしれません。
・なぜ、こういった状態になっているのでしょうか。 1つは、バブル崩壊以降の社会状況、組織マネジメントが、こうした萎縮する人々、社員を増やしていったということは簡単に想像できると思います。目の前の仕事に追われ、個々人が成果を問われ、効率的に働くことばかりを求められていく。 「新しいことにチャレンジしろ」と言いながら、失敗は許さない。成果につながらなければ、チャレンジしたこと自体も評価されない。こうした状況が続けば、誰も自分から前に踏み出したくなくなるのは当然だといえるかもしれません。
・ただもう1つ、大きな理由があるように思います。それは、そもそも自分だけが前に出る、自分だけが突出するということをあまりよしとしない意識が、日本人の中には依然あるのではないかということです。 1980年代に、社会学者の浜口恵俊が、「日本は個人主義でも集団主義でもなく、間人主義の国である」と指摘したように、人と人との間柄を何よりも重視する意識が根底にある。個々人が自己利益のために生きるのも、集団の論理の中に自分を埋没させ、集団の利益のためだけに従うのも嫌う。人と人とが互恵的な関係をつくり、その中で自己のアイデンティティを見いだしてよりよく生きようとする意識が、まだまだ日本人の根底にはあるのではないかということです。
▽権威を嫌う心理の内側にあるもの
・そうした日本人の根底にある価値観を垣間見る、もう1つのデータがあります。先述した世界価値観調査で、「将来の変化:権威に対する尊敬が高まることがよいことだと思うか」という設問について、60カ国平均では「よいことだ」という回答が55.1%、「悪いことだ」という回答が13.1%となっているのに対して、日本は「よいことだ」が7.1%にすぎず、「悪いことだ」が74.0%にもなっているのです。
・権威という言葉をどう受け止めたのかが国や個人によって異なる可能性はありますが、たとえ尊敬されるぐらいすばらしい人や組織であっても、その人や組織に権威や権力が集中することはよくないという意識が、世界の中で突出して高くなっているのです。
・誰かに権威や権限が集まれば、集団の論理が強くなり、そこに従属しなければならなくなる。たとえ、みんなが尊敬する人であっても、そこにつくられる関係は権威を持つ人と、そこに従う人たち。この構造自体をよしとしない価値観が、日本人の中にあるのではないではないかということです。
・こうしてみてくると、若手社員の素直な感覚、すなわち、上下という固定的な関係よりもフラットな関係のほうがよい、互いを認め合い尊重し合うことが大切だという感覚は、日本人の多くの人たちが根底には持っている感覚なのではないでしょうか。 それを押し殺して働いてきた管理職世代も最初は違和感を覚えながらも、いつの間にか仕方がないことだと受容してきたのではないか。でも、今の若手世代はそうした影響よりも、フラットにボーダレスでつながる社会の中で育ってきている。だから、彼らは自然に口にしている。それだけの違いなのかもしれません。
・だとするとここに、わたしたち日本人らしい感覚で未来を切り開いていく新しいリーダーシップのあり方が見えてきそうです。 上下という縦の関係性で人を動かしていくという発想ではなく、横のつながりで互いに影響を与え合い、一緒に動き出していく。1人で前に踏み出すのではなく、みんなで対話し、連動しながら踏み出していく。自分から踏み出せなくても、踏み出した人を応援することに価値を見いだす、応援し合う関係をつくる。さらに、リーダーを固定せず、状況に応じて、みんなが柔軟に交代しながらリーダーになる。そういった発想の転換をしていったほうが、自分たちの根幹にある感覚と素直にフィットするのかもしれません。
・管理職になりたくない、リーダーになりたくないという言葉の本当の意味を議論しながら、自分たちの心の中にあるとらわれに気づきつつ、逆にどうすれば未来に踏み出していくリーダーシップを、多くの人たちが自然に取れるようになるかを考えてみる。そのとき、本当に自分が前向きに踏み出していくには、どのような関係性があればいいのかを、本音で対話してみる。こうした対話を通じて、管理職やリーダーのあり方を根幹から問い直すことが求められているのかもしれません。
http://toyokeizai.net/articles/-/202713

第三に、元投資銀行のアナリストで小西美術工藝社社長のデービッド・アトキンソン氏が3月2日付け東洋経済オンラインに寄稿した「「低すぎる最低賃金」が日本の諸悪の根源だ 2020年の適切な最低賃金は1313円」を紹介しよう(▽は小見出し)。
・日本でもようやく、「生産性」の大切さが認識され始めてきた。 「生産性向上」についてさまざまな議論が展開されているが、『新・観光立国論』(山本七平賞)で日本の観光政策に多大な影響を与えたデービッド・アトキンソン氏は、その多くが根本的に間違っているという。
・34年間の集大成として「日本経済改革の本丸=生産性」に切り込んだ新刊『新・生産性立国論』を上梓したアトキンソン氏に、真の生産性革命に必要な改革を解説してもらう。
▽日本の最低賃金は「韓国以下」
・前回の「大胆提言!日本企業は『今の半分』に減るべき」では、人口が激減する日本でこれから生産性を上げるためには、減っていく生産年齢人口に合わせて企業の数を減らす必要があり、政府による企業統合促進政策が求められることを指摘しました。 読者から多くのご指摘をいただきましたが、やはり人口減少の規模に驚かれた方が多かったようです。また、企業数を減少させないと人口に占める社長・役員の比率が上がるだけで、経済合理性に悪影響を与えることは、ご理解いただけたかと思います。
・生産性の定義に疑問を持たれる意見も散見されましたが、国際標準である「1人あたりGDPを購買力調整したもの」であると強調しておきます(この点については、回を改めてご説明します)。 さて、生産性の向上のためには、企業数の削減と深いかかわりのある、大変重要な政策がもうひとつあります。それが「最低賃金の引き上げ」です。
・世界的に見て、日本の最低賃金はあまりにも低すぎます。実際どのレベルなのかご存じない方も多いと思いますので、まずはデータを確認しましょう。 直近の各国の購買力調整済み最低賃金を見ると、日本の最低賃金は、日本と同じように生産性が低いスペインとほとんど変わらず、それ以外の欧州各国を大幅に下回る水準です。
・さらに衝撃的なことに、日本の最低賃金は、なんと韓国よりも低いのです(2018年1月より)。この最低賃金の低さがデフレの一因であり、格差社会の最大の原因でもありますし、イノベーションがなかなか起きない最大の要因でもあります。
▽最低賃金と生産性には強い相関がある
・生産性向上の重要性を論じるにあたってなぜ最低賃金か、と不思議に思うかもしれませんが、実際、最低賃金とその国の生産性の間の相関係数は84.4%と非常に高く、最低賃金が高い国ほど生産性が高いことが、世界中のさまざまな研究機関から発表されています。日本は、この関係を真剣に検討する必要があります。
・しかし、最低賃金と生産性はただ高い、低いという議論をする価値があるとは思えません。私が強調したいのは、人材の質と最低賃金と生産性の関係です。 先進国の場合、労働者の質と生産性の間に82.3%という極めて強い相関関係があります。スペインやイタリアなど、生産性の低い国を分析すると、やはり人材のレベルが低いことが低い生産性の主因であることがわかります。先ほど説明したとおり、最低賃金と生産性にも強い相関があるので、当然、労働者の質と最低賃金の間には強い相関があってしかるべきです。
・日本人労働者の質は世界第4位で、大手先進国の中ではトップです。であるにもかかわらず、日本の最低賃金は大手先進国の中の最低水準です。先進国だけで分析すると、労働者の質と最低賃金の間には85.9%もの相関係数が認められますが、日本だけが大きくずれているのです。
・政府は、この事実をどうとらえているのでしょうか。本当は日本の人材など、大したことがないとでも思っているのでしょうか。高く評価されているのは、「何かの間違い」とでも思っているのでしょうか。日本人の人材の質は、第32位の韓国よりも低いと思っているのでしょうか。さもなければ、最低賃金が韓国より低く設定されている理由がわかりません。
・アベノミクスを成功させるためには生産性改革が不可欠であり、それにはまず企業を動かすことが大前提になります。そのための手段として最も確実で、生産性の向上に最適なのが「最低賃金の引き上げ」です。このことは諸外国ですでに確認されています。
▽「失業率上昇」は杞憂だ
・日本で最低賃金の引き上げを提案すると、「企業が倒産する」「失業者が増える」と反対を唱える人が、エコノミストを中心に現われることでしょう。海外でもそうでした。その意見は、確かに需給だけを考えれば、経済学の教科書的には理屈上正当化できるかもしれません。
・しかし、実際のデータをみれば根拠がないのは明らかです。たとえば英国では、1998年に新しい最低賃金の法律が可決され、1999年から実施。その後、19年間かけて、最低賃金は約2.1倍に引き上げられてきました。 英国が最低賃金の導入を決めた1998年、当時の労働党政権の法案に対し、保守党は企業への悪影響とそれに伴う失業率の大幅な上昇を懸念して、猛反対しました。
・その後、実際には失業率の大幅上昇などの予想された悪影響は確認できず、逆に経済に対してよい影響を与えたと評価されるに至り、2005年、保守党は意見を翻して賛成に回りました。今では、最低賃金の引き上げが失業につながるという説を強調する学者は減りました。当然の結果です。
・それでも、あきらめないエコノミストもいるでしょう。中には、短期的に失業率が上昇しなくても、長期的な悪影響を懸念する人もいます。最低賃金を引き上げると、経営者は長期的にITなどの活用を増やし、人を雇わなくなるという、興味深い主張です。 しかし、日本ではこれから人口が減り、それを上回るペースで若い人が減るので、仮に諸外国で長期的に悪影響が出る可能性があったとしても、日本ではそんな心配をする必要はないのです。
・逆に、このエコノミストの「経営者は長期的にITなどの活用を増やし、人を雇わなくなる」という主張は、今の日本は最低賃金があるべき水準より低いため、「IT投資よりも人を安くこき使ったほうが得」だという指摘です。つまり、最低賃金を引き上げることによって、経営者にイノベーションを強制できるのです。
▽日本政府は日本人労働者をバカにしている
・さきほど説明したように、最低賃金と生産性の間には強い相関関係があります。 最低賃金と生産性の相関がここまで強いということは、諸外国は最低賃金を「感覚的に」設定しているわけではなく、何らかの「計算式」が存在していることが推察されます。明示されてはいませんが、この相関からして実質的なコンセンサスのようなものがあることになります。
・実際計算してみると、1人あたりGDPが日本に近いドイツやフランス、英国の場合、最低賃金は「1人・労働時間1時間あたりGDP」の約50%に相当します。一方の日本はというと、なんとわずか27.7%という、ありえないくらい低い水準に抑えられているのです。 欧州の50%に比べて、たったの27.7%だからこそ、日本のワーキングプアは欧州に比べて多く、格差が生まれています。最低賃金の引き上げは、格差社会是正の役割も果たします。
・今挙げたドイツ、フランス、英国は社会保障制度が充実しているという点で、日本と共通しています。社会保障制度を維持するために最低賃金を高くして、稼ぐ力を高めさせて、税収を維持する仕組みとなっています。
・人口が増えない中で社会保障制度を維持するためには、生産性を向上させるしかありません。日本はこれができていないことによって、国の借金が増え、社会保障制度も維持できなくなっています。この悪循環を打破するには、最低賃金の向上が必要不可欠です。
・さきほども確認したとおり、日本の労働者の質はこれら欧州の国よりも高く評価されています。にもかかわらず、最低賃金が低く抑えられている理由とはいったい何なのでしょうか。日本の最低賃金を欧州並みに引き上げたとして、何の問題があるのでしょうか。欧州でもできることが、なぜ日本人にはできないのでしょうか。
・最低賃金をこのように低く抑えこんでいる日本政府の態度は、まるで「日本人労働者が本当は技術がなく、勤勉でもなく、手先も器用ではない」と言っているのと同じように私には映りますが、そのように解釈していいのでしょうか。違うというなら、完全なる矛盾です。
・政府は企業を優遇しすぎて、国民をいじめているのです。バカにしていると言っても過言ではありません。  実は、アメリカの最低賃金も日本と同様に、1人・労働時間1時間あたりGDPの28%とかなり低い水準に抑えられています。これを根拠に、日本の最低賃金の水準は妥当だと思われる方もいるかもしれません。 しかし、日本はアメリカを基準に考えるべきではありません。アメリカはそもそも社会保障制度が充実しておらず、格差を必ずしも悪としない文化があります。かつ、人口も増加しています。一方、日本は欧州と同じように社会保障制度が充実しているうえ、人口が減少しているので、基礎条件はアメリカより欧州に近いと言えます。
・さらに国連は、先進国の最低賃金の絶対額が収斂していると分析しています。アメリカは1人あたりGDPが欧州よりかなり高い水準なので、最低賃金が収斂していれば、1人あたりGDPに対する比率が低くなっても当然です。一方、1人あたりGDPが低い日本には、この理屈は通用しません。
・最低賃金の「相場」が1人・労働時間1時間あたりGDPの50%だと仮定すると、経済成長率と予想人口から、日本の「あるべき最低賃金」を大まかに計算することができます。 詳しい計算は省略しますが、2020年まで毎年1.5%ずつGDPが成長すると仮定すると、2020年の適切な最低賃金は1313円になります。2017年度の全国の加重平均は848円ですから、あと3年で少なくとも465円上げる必要があるのです。
▽企業の「保身のための反対」に耳を傾けてはいけない
・最低賃金の引き上げには、中小企業を中心に猛反対の声が上がることでしょう。やれ、「いまでもギリギリだ!」「倒産しろというのか!」と大騒ぎになるかもしれませんし、実際、海外では似たような事態になった国もありました。 しかし、実際はさきほどの英国のように、経済への悪影響が顕著に現れたことはほとんどなかったのが現実です。
・政府のスタンスとして重要なのは、どんなに反対の声が上がったとしても一切聞き入れないことです。仮に、最低賃金を引き上げたことで、苦しくなる企業が一時的に増えたとしても、日本人の労働者の質にふさわしい給与が払えない以上、それこそ前回提言したように、企業を統合して、無駄を省いて、規模の経済を追求して、払えるようにすればいいのです。
・そもそも前回の記事でも指摘したように、日本の企業数は将来的に多すぎる状況になるので、減らす必要があるのです。最低賃金の引き上げくらいで成り立たなくなってしまう競争力のない会社には、技術者や一般労働者を守るために統合してもらったほうがよいのです。そもそも企業統合によって困る人は、経営者や役員だけです。現場の労働者ではありません。
・日本は先進国の中で第2位の経済規模を誇る大国で、社会保障制度も充実しています。その国で、先進国最低水準の賃金の労働力が使えなければやっていけないような生産性の低い企業には、そもそも存在価値はありません。今後人口が減る中で、そのような企業を守る余裕はありません。日本はもう、そんな贅沢はできないのです。
・そうでなくても、日本ではこれから人口が減って、人手が足りなくなるので、このような存在価値のない企業には退場してもらうべきです。このような生産性の低い企業がなくなれば、世界第4位の質を誇る労働力を、奴隷のような低賃金の仕事から解放し、より生産性の高い、所得の高い仕事に移動させることができます。
・これこそ、日本が再生へ向けて歩むべき道筋です。 次回は、低すぎる最低賃金が可能にしている「高品質・低価格」という奴隷制度を取り上げます。
http://toyokeizai.net/articles/-/210482

第一の記事で、 『組織は、イノベーションを抑圧しつつ、イノベーションを実現するという困難な課題を抱え込むことになるのです・・管理主義と革新性はトレードオフで、その両立は不可能とはいわないまでもきわめて困難なのです・・・アウトソーシングされるイノベーション』、 『画期的なアイデアには多様な文化的背景を持つメンバーの“化学反応”が必要ですが、日本の組織はきわめて同質性が高く、大企業の取締役は「日本人、男性、高齢者、有名大学卒」という属性でほぼ占められています。──同じ発想をする人間だけをいくら集めても、ひとびとが求める新しいもの(Something New)を生み出すことなどできません。 このようにして、高度化し複雑化した知識社会では、イノベーティブな仕事のほとんどは「外注化」されることになるのです』、などの指摘は作家とは思えないほど的確だ。
第二の記事で、 『世界価値観調査をさらに詳しく見ると、創造的で自己主導的であることも、冒険的でチャレンジすることも、年齢を重ねるほどさらに肯定派の割合が減っていることがわかります』、というのは私の予想を覆す驚くべきことだ。 『目の前の仕事に追われ、個々人が成果を問われ、効率的に働くことばかりを求められていく。 「新しいことにチャレンジしろ」と言いながら、失敗は許さない。成果につながらなければ、チャレンジしたこと自体も評価されない。こうした状況が続けば、誰も自分から前に踏み出したくなくなるのは当然だといえるかもしれません。 ただもう1つ、大きな理由があるように思います。それは、そもそも自分だけが前に出る、自分だけが突出するということをあまりよしとしない意識が、日本人の中には依然あるのではないかということです。 1980年代に、社会学者の浜口恵俊が、「日本は個人主義でも集団主義でもなく、間人主義の国である」と指摘したように、人と人との間柄を何よりも重視する意識が根底にある。個々人が自己利益のために生きるのも、集団の論理の中に自分を埋没させ、集団の利益のためだけに従うのも嫌う。人と人とが互恵的な関係をつくり、その中で自己のアイデンティティを見いだしてよりよく生きようとする意識が、まだまだ日本人の根底にはあるのではないかということです』、などの指摘は説得力がある。後者はKY(空気を読む)ことにもつながっているのだろう。
第三の記事で、 『日本人労働者の質は世界第4位で、大手先進国の中ではトップです。であるにもかかわらず、日本の最低賃金は大手先進国の中の最低水準・・・日本の最低賃金は「韓国以下」』、 『最低賃金をこのように低く抑えこんでいる日本政府の態度は、まるで「日本人労働者が本当は技術がなく、勤勉でもなく、手先も器用ではない」と言っているのと同じように私には映りますが、そのように解釈していいのでしょうか。違うというなら、完全なる矛盾です。 政府は企業を優遇しすぎて、国民をいじめているのです』、などの指摘は正論だ。最低賃金を思い切って引上げろとの主張には大賛成だ。
タグ:日本経済の構造問題 (その5)(日本企業が世界のイノベーション競争で後れをとる理由、「若者が出世を望まない」心境の裏にある本質 自分だけが前に出るのをよしとしない文化も、「低すぎる最低賃金」が日本の諸悪の根源だ) 橘玲 ダイヤモンド・オンライン 「日本企業が世界のイノベーション競争で後れをとる理由」 大企業からはイノベーションは生まれない 組織は、イノベーションを抑圧しつつ、イノベーションを実現するという困難な課題を抱え込むことになるのです アウトソーシングされるイノベーション 高橋 克徳 東洋経済オンライン 「「若者が出世を望まない」心境の裏にある本質 自分だけが前に出るのをよしとしない文化も」 目立つこと、上に立つことは重要と思っていない 世界価値観調査(2010~2014)」 創造的で自己主導的であることも、冒険的でチャレンジすることも、年齢を重ねるほどさらに肯定派の割合が減っていることがわかります デービッド・アトキンソン 「「低すぎる最低賃金」が日本の諸悪の根源だ 2020年の適切な最低賃金は1313円」 日本の最低賃金は「韓国以下」 日本人労働者の質は世界第4位で、大手先進国の中ではトップです。であるにもかかわらず、日本の最低賃金は大手先進国の中の最低水準です 企業の「保身のための反対」に耳を傾けてはいけない
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暗号通貨(仮想通貨)(その9)(仮想通貨流出事件は「始まり」に過ぎない 逆風を乗り越えてデジタル革命は本格化する、「暗号通貨に首ったけ」なニッポン人 史上最大級のバーチャル強盗に困惑、ベネズエラが発行する仮想通貨「ペトロ」とは?) [金融]

暗号通貨(仮想通貨)については、2月3日に取上げた。NEMの流出事件を踏まえた今日は、(その9)(仮想通貨流出事件は「始まり」に過ぎない 逆風を乗り越えてデジタル革命は本格化する、「暗号通貨に首ったけ」なニッポン人 史上最大級のバーチャル強盗に困惑、ベネズエラが発行する仮想通貨「ペトロ」とは?)である。

先ずは、コンサルティング会社、BCGのシニアアドバイザーの御立 尚資氏が2月1日付け日経ビジネスオンラインに寄稿した「仮想通貨流出事件は「始まり」に過ぎない 逆風を乗り越えて、デジタル革命は本格化する」を紹介しよう(▽は小見出し)。
▽デジタルエコノミーに対する猛烈な逆風の予兆
・仮想通貨の取引所がハッキングされ盗難にあったことが、メディアをにぎわしている。これはこれで重大な話だし、(やや不謹慎であることをお許しいただきたいが)ブロックチェーンの特徴を活かして、盗まれたNEMという仮想通貨が使われたり他の通貨に交換されたりしないようにして、犯人を追跡しようとする動きを、興味深く注視している。
・ただ、個人的には、このニュース、これから2~3年、早ければ1年以内に吹き荒れるであろうデジタルエコノミーに対する猛烈な逆風のさきがけではないか、と感じている。もう一歩踏み込むと、この逆風とそれに伴う淘汰を乗り越えて、はじめて第4次産業革命と称されるデジタル革命が、ポジティブな形で本格化する時代に入る。そんな予感がしているのだ。
・ここ5年ほどの間は、デジタルの世界が圧倒的な経済価値を示してきた時期だと思う。 世界の時価総額トップ5が米国のデジタル企業に独占され、その次のランクにも中国のテンセントとアリババグループが入った。(2017年12月末時点のトップ5は、アップル、アルファベット[グーグル]、マイクロソフト、アマゾン、フェイスブック)。また、AIの進化、ブロックチェーン技術の登場とフィンテックへの期待などが相まって、ベンチャーキャピタルの投資額は増え続けてきた。
・一方、仮想通貨の世界では、さまざまな問題を乗り越えて、ビットコインの時価総額は1800億米ドル(約20兆円)にも達している。ビットコイン以外の仮想通貨も増え続けており、その時価総額の合計は50兆円を超えるのではないかと推定されている。 極端な言い方をすれば、デジタル関連に資本が集まり、その資本の評価額が上昇することで、デジタル分野でのM&Aやベンチャー投資がさらに盛んになる、という循環が続き、「デジタル革命による価値創造」という信仰が拡がった時代ということになる。
▽ソロスも批判、「Tech titan」への風当たりは強まるか?
・しかし、目を凝らして見ると、この好循環が一方向で進むとは限らないと思える要因がいくつも登場してきた。 第一に、以前このコラムでも取り上げた「Tech titan(注*1)への風当たり」(2017年7月24日公開「アンチトラスト法はアマゾンを規制するか?」参照)。 (注*1) アマゾン、フェイスブック、グーグル(アルファベット)など巨大化したデジタル企業の総称。
・今年のダボス会議で、ジョージ・ソロスが行ったスピーチが代表的だが、「巨大化したITプラットフォーム企業がデータを独占し、不当な利益をあげている」というトーンでの批判が相次いでいる。さらに、アマゾンによる小売業淘汰と雇用減少に対する米国議会での議論、ヨーロッパの各国当局からのデータプライバシー侵害への懸念表明と規制強化の流れ、など、「新しい時代のユーザーメリットを提供する企業像」から「巨悪になりかねないデータ独占・寡占企業群というイメージ」へのシフトは驚くほどだ。 中には、独占禁止の観点から、過去のスタンダードオイルやAT&Tの分割に匹敵する規制を主張する向きも出てきている。
・言い換えれば、国家対企業、という構図になる可能性を秘めているわけで、国が法規制を通じて行使できる力を考えると、少なくとも今の時価総額(現実のキャッシュフローではなく、将来期待を大きく織り込んだもの)が揺らぐ事態になっても不思議ではない。
▽米国・中国間など、テクノロジー覇権を巡る競争の行方
・第二に、米中間を中心とするテクノロジー覇権を巡る競争。 中国は、昨年の全人代での習近平主席の演説に見られるように、AI、ロボティクス、半導体、などの戦略分野で、世界トップクラスになることを明確な目標とし、国営企業や研究機関に対して膨大な投資を始めている。実際に、AIの論文数などでは、すでに世界トップクラスに達したと言ってもよいだろう。
・問題は、この技術を安全保障と国内の社会コントロールのために、徹底的に活用しようとしていることだ。これに対抗する意味もあり、米国政府は中国企業による米国IT関連企業へのM&Aを厳しくコントロールし、また通信インフラ等への中国製品・サービスの導入を差し止めようとし始めている。同様の争いは、ロシアゲートも含めて、米ロ間でも発生している。
・この流れは、インターネット初期から信じられてきた「技術は世界をフラット化する」というテーゼに明らかに逆行する。米国一極集中が終わり始めた現在、技術は、その影響力の高まりとともに、世界をブロック化する方向にも働き始めたのだ。これまた、米国Tech titan、あるいは高いマルチプルを享受しているベンチャー企業の、将来価値を低める要因となる。
▽攻撃ツールの流出で、サイバーテロの可能性が高まっている
・第三には、今回の仮想通貨ハッキングだけでなく、サイバーセキュリティの脆弱性への懸念が高まること。そして、さまざまな犯罪行為による被害が増加して、デジタル技術の社会実装に関して、場合によっては必要以上に抑制的な規制が行われる可能性だ。
・今回の盗難は、ブロックチェーン技術そのものの問題ではなく、「取引所」という名前でありながら資産保管も請け負う組織に、サイバーセキュリティ上の弱点があったということだろう。 (ちなみに、私自身はブロックチェーン技術の有用性は信じているが、量子コンピューティングの実用化に伴う暗号解読性能の飛躍的拡大、今の仮想通貨の仕組みでは取引スピード・量の拡大に制約が大きいこと、など、同技術自体も今後克服すべき課題がまだまだあるとも感じている)
・いくつもの国家がサイバー攻撃能力を高め、敵対する国家の重要インフラを機能不全にする力も付けつつあること。また、この流れの中で、サイバー攻撃に使われるツールがアンダーグラウンドの世界に流出していて、サイバーテロの可能性が高まっていること。 
・これらを考えると、一般社会がサイバー被害の大きさや頻度にパニックになり、過剰な反応をする可能性は十分にあるのではなかろうか。 また、現在の仮想通貨市場「根拠なき熱狂」に近い状態にある。一方、従来型の株や債券の市場が長い時間と数多くの失敗を通じて築き上げてきた詐欺的行為や相場操縦の排除、あるいは一般投資家保護の仕組みは、まだできあがっていない。
・したがって、今後大きな損失を被る個人が多数でて、社会問題化するシナリオも考えておかねばならない。ちなみに、2018年1月16日付けで、Project Syndicateに出されたNouriel Roubini氏の寄稿など、仮想通貨とブロックチェーンへの辛辣な批判も、すでに出てきているのが現状だ。
▽スケープゴートのように「デジタル悪者論」が出てくるだろう
・さて、これら3つの大きな流れに加え──  +ここのところ、今のTech titanのような超ド級の当たりが出なくなってきている中、ベンチャー投資の世界もどこかで市場価格の調整が行われる可能性が高まっていること
 +米国株式市場全体が将来期待を存分に織り込んで高マルチプルを謳歌している一方、金融引き締めが始まりつつあること といった環境要因も勘案すると、なんらかの形で、市場調整が始まってもおかしくはない。
・いつどのように始まるか、あるいは、どういうマグニチュードとスピードで調整が進むか。これは正直分からないが、可能性を頭に置いて、それに備えることは必要な状態になってきていると思う。 この調整の中で、スケープゴートのように「デジタル悪者論」のようなものが必ず出てくるだろうし、デジタル関連のベンチャー、なかにはもう少し大きい企業の中でもバランスシートが弱いところは、淘汰されることもあるだろう。
・最初に述べたように個人的には、「逆風」と「調整」の後のデジタル革命のポジティブな進展を信じている。前の産業革命の際の、ラッダイト(機械の打ち壊し)運動をあげるまでもなく、本当に新しいものが出てきた時、それが定着し、社会に大きなメリットを与える前には、大きな揺り返しがつきものだし、それを乗り越えることで、本質的に世界を良くするものが何か、がはっきりと立ち現われてくる、と考えているからだ。 さて、はからずも予言めいた話になってしまった。
http://business.nikkeibp.co.jp/atcl/opinion/15/213747/013000064/

次に、2月13日付けJBPressがファイナンシャル・タイムズ記事を転載した「「暗号通貨に首ったけ」なニッポン人 史上最大級のバーチャル強盗に困惑、それでも熱烈なファンは支持」を紹介しよう。
・かつて「アイドル」ガールズ・バンドのメンバーとして活躍し、現在はセレブのニュースを扱うサイトでディレクターを務める熱心な暗号通貨投資家の山咲こむぎ氏は1月26日、見慣れない電子メールをオフィスで受信した。  差出人はお気に入りの仮想通貨取引所、コインチェックだった。 日本の有名コメディアンを起用したテレビCMをプライムタイムに流している企業で、山咲氏はここに数百万円を預けていた。メールを開いてみると、XEM(ゼム)という仮想通貨の出金を一時停止していると書かれていた。
・暗号通貨ブームに酔いしれていた日本の若者たちと同様に、山咲氏は数カ月前からXEMを買い増し、価格が急伸する中で再投資を繰り返していた。 ソフトウエアのメンテナンスでもしているのだろうと考え、メールを一蹴しようとした。ところが、日本のソーシャルメディアの著名人たちから、うわさやニュースを引用した不安そうなツイートが飛び込んできた。
・やがて、本格的なパニックが始まった。自分の大事なXEMがハッカーに盗まれた、史上最大級の強盗にやられた――山咲氏はすぐにそう理解した。 「私はコインチェックを完全に信じていました。信頼していました」。このほかにも4つの仮想通貨取引所に取引口座を持ち、それらの間の価格差から利益を得ることに長けている山咲氏はこう語った。
・「あの人たちはいつもセキュリティーの話をしていました。でも、話だけだったんですね」 5億2300万XEM(ざっと5億ドルに相当)が盗まれた事件は、同じく東京を本拠地とするマウントゴックスの一件を思い出させる。 2014年に同様なハッキングを受けた同社はその後破綻した。投資家は損失を被り、1回目のビットコイン・ブームは最悪の結末を迎えた。
・山咲氏のような若手暗号通貨トレーダーの間では、「GOXする」という言葉が取引所の破綻を意味する動詞として使われている。 しかし、規制を通じた暗号通貨の合法化で世界をリードしてきた日本の政府当局者の間では、金融界のイノベーション(技術革新)がどんなコストをもたらし得るかを思い出させてくれる、恐ろしい言葉として受け止められている。
・米国当局によれば、2009~2015年に世界のビットコイン取引所の3分の1がハッキングの被害に遭っている。 技術面と法制面における日本政府のアドバイザーたちは、こうした脆弱さについてもっと率直な指摘をしている。コインチェックの大惨事の詳細が明らかになるなか、日本の金融庁は信頼を失う瀬戸際に立たされている。
・コインチェックでの盗難は、暗号通貨そのものがぐらついているタイミングで発生した。ビットコインをはじめとするこれらの通貨は現在、下落基調にあるが、最近までは驚異的な上昇相場を演じていた。 中には、2017年末までの数カ月で100倍に値上がりしたものもあった。煽ったのは日本の投資家だった。レバレッジをかけて行われることが多い日本の投資家の取引は、世界全体の40%を占めていた。
・中国と韓国は仮想通貨そのものを禁止しようとしており、台湾の取引所「ビットフィネックス」とその暗号通貨「テザー」については疑問が積み上がっている。 そうした中、仮想通貨ブームの将来は、山咲氏がXEMを取り戻せるか否かにかかっているのかもしれない。
・コインチェックの大塚雄介・最高執行責任者(COO)は、暗号通貨ブームを誰にも負けないほど楽しんでいた。実際、1月25日(木曜日)の午後5時、つまり盗難に遭うほんの数時間前に、大塚氏はブームについて豪語していた。 日本経済新聞のインタビューに答え、「現代版ゴールドラッシュですよ。仮想通貨取引所はすでに1.5強。うちがトップで、ビットフライヤーさんがうちの半分くらい」だと話していたのだ。
・コインチェックは、日本で最もシンプルで使い勝手のよい取引所だという評判を得ており、この国は暗号通貨に首ったけだった。27歳の和田晃一良社長をはじめとする経営陣は、大変なお金持ちになりつつあった。
・1月26日未明。いつもとは違う種類のユーザーが、コインチェックが非常に使い勝手のよい取引所であることに気づいた。ハッカーだ。 真夜中に2階の窓から忍び込むコソ泥よろしく同社のセキュリティーを破り、XEMという宝が「ホット・ウォレット」、すなわちインターネットに接続されたコンピューターに保管されているのを発見したのだ。 本来であれば、暗号通貨はネットワークから切り離された「コールド・ウォレット」に保管するのが最も良いやり方だ。
・ハッカーがどこの誰なのか、どうやって宝を持ち出したのかといった情報はまだない。しかし、XEMのブロックチェーンからは詳細な情報がいくつか見い出せる。 これによるとハッカーは午前0時2分、目の前に宝の山があることが信じられなかったのか、まず10XEM(約10ドル)だけ盗み出し、コインチェックから自分の追跡可能なウォレットに送金した。それから中に押し入り、デジタル金庫をあさり始めた。 ハッカーはその後の8分間で計5億2000万XEMを、6回に分けて持ち去った。その週の市場価格(1XEM=約1ドル)で評価すれば、これは史上最大級の盗難事件となる。銀行強盗や、美術品を狙う泥棒が引き起こす大事件と同じレベルだ。
・くだんのハッカーは奪ったものの大きさに衝撃を受けたのか、それから2時間ほどは何もしなかった。少なくとも、ブロックチェーンからは何の動きも見受けられない。 午前3時頃になって、盗んだXEMをほかのデジタルウォレットに送り始めたが、コインチェックのシステムはまだ開いたままだった。 そこで午前3時35分に150万XEM、同4時33分に100万XEMをそれぞれ新たに盗み出し、同8時26分には残っていた80万XEMにも手をつけた。コインチェックは有り金をすべて持って行かれたのだ。
・金庫は空っぽだったが、コインチェックの管理者がそれに気づくにはさらに時間を要した。 金曜に出勤してきた社員は、いつも通りに仕事を始めた。しかし午前11時25分、ようやく異常に気がついた。 うわさが広がり、預けた通貨を引き出そうとする動きが急増した。東京のトレンディーな街、渋谷にあるコインチェックのオフィスの外には、投資家やジャーナリストが多数集まり始めた。
・26日の夜遅く、ハッカーの襲撃からほぼ24時間が経過した頃、真っ青な顔をした和田氏と大塚氏がテレビカメラに向かって深々と頭を下げた。「このたびはお客さまにご迷惑をおかけしてしまい、まことに申し訳ございません」と大塚氏は述べた。
・「ゼム」と発音するXEMは、NEM(ネム)と呼ばれるシステムに組み込まれたデジタル通貨だ。NEMは、イーサリアムなどと同じく、企業がアプリケーションを作る際のプラットフォームとして設計された第2世代ブロックチェーンの1つだ。 2017年1月の時点で、XEMには1セント弱の価値しかなかったが、その後に文字通りの急騰を演じ、ハッキングされるまでに1万パーセントを超える値上がりを遂げていた。
・コインチェックは被害に遭った顧客26万人に対し、1XEM=80セントのレートで換算した現金(合計で4億2200万ドル)で返金すると約束している。 となると、山咲氏のような投資家にとっては、それだけの資金をコインチェックが持っているのか否かが大きな問題となる。 同社は財務状況についてはコメントを拒んだ。
・しかしこれまでの取引量を見る限り、暗号通貨ブームの時期には1日当たり200万~300万ドルの売り上げを得ていた可能性があり、ビットコインやXEMを含むそのほかの暗号通貨による顧客資産は、ハッキングに遭った時点で50億ドルに達していたかもしれない、とライバル会社は推計している。
・おそらく、これらの資産の評価額は、暗号通貨の急落に伴って目減りしているだろう。 ここで重要になるのは、コインチェックが自身の名義で多額の暗号通貨を保有しているかという問題だ。 保有しているなら、それを顧客への返金に充てることができるかもしれない。
・またライバル会社によれば、ハッカーと交渉するのは珍しいことではないため、同社は被害額よりも少ない額のビットコイン(あるいは、もっと使いやすいほかの通貨)をハッカーに差し出し、XEMを取り戻すことができるかもしれないという。
・XEMを発行するNEM財団には、奪われたXEMを取り戻すことはできない。だが、財団はXEMにタグ(銀行券の発券番号のようなもの)をつけているため、ハッカーが盗んだXEMをほかの取引所に持ち込もうとすれば、取引所の方で分かるようになっている。 ここで、今回の犯罪の奇妙な性質が浮かび上がる。コインチェックとその顧客は損をしたが、誰が得をしたかがはっきりしないのだ。
・「盗まれたXEMが移動も使用もされなければ、その分だけXEMの供給量が減少し、システム内のほかのXEMが稀少になって価値が高まる」NEM財団のジェフ・マクドナルド副代表はこう語る。 「しかし、ハッカーが売却できるのであれば、市場に放出したり安値で売却したりできる。先ほどとは逆の、供給が増えて需要が減るパターンだ。どちらのシナリオになるかは、時間が経ってみないと分からない」
・多くの暗号通貨が売られるなか、XEMの価格は2月2日の時点で50セントにまで下落した。 評論家などからは、日本の金融庁は規制を通じてハッキングを未然に防ぐはずだったから、今回の一件で恥をかいたことになる、コインチェックは暗号通貨の分野での金融庁の無能ぶりを白日の下にさらしたとの指摘も出ている。
・「トークンとは何か、ブロックチェーンの真の機能とは、ホット・ウォレットとは、コールド・ウォレットとは何なのか、金融庁は全然理解できていない。昨年初めの時点では、彼らの知識は非常に限られたものだった」 日本仮想通貨事業者協会(JCBA)の顧問弁護士、河合健氏はそう語る。
・金融庁は今、取り締まらなくてはいけないと考えている。2月2日にはコインチェックの立ち入り検査を行い、日本国内にあるほかの31事業者にもセキュリティーを強化するよう警告した。 また検査の実施や情報セキュリティーガイドラインの策定のために、外部の情報技術(IT)専門家を雇っている。仮想通貨取引所としての登録を申請したおよそ100社の事業者はこれから、長く待たされることになる。
・とはいえ金融庁も、起業家精神の旺盛な分野をつぶしたくはないと思っている。暗号通貨に代表されるいわゆる「フィンテック」は、日本政府の産業政策の一部にもなっている。この国の、停滞している金融セクターを成長させることがその目的だ。 「彼ら(金融庁)はこの規制を検討するとき、対象になるのは設立間もない小企業であって大会社ではないと思っていた。そのため、証券取引法は適さないと考えた。負担が重すぎて、イノベーションの芽を摘んでしまうからだ」と河合氏は指摘する。
・「金融庁のおかげで、日本は世界で初めて暗号通貨交換ビジネスというものを定義する国になった。今では、金融庁は暗号通貨を規制したいと思いながらも、ブロックチェーンでのイノベーションは引き続き促進したいと考えているように見える」 だが、規制当局が次の一手を考え、コインチェックが消滅に思いをめぐらせ、ビットコインの価格が年初来で40%下落している中にあっても、山咲氏をはじめとする投資家たちは暗号通貨を断固支持している。
・「私たちはまだ、仮想通貨に首ったけなんです」。山咲氏はスマートフォンで価格をチェックしながらそう言った。 「もし心配事があるとしたら、それはコインチェックが円で返金すると言ったことです。失礼ですよ。私たちはXEMを返してほしいんです」
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/52321

第三に、闇株新聞が2月22日付けで掲載した「ベネズエラが発行する仮想通貨「ペトロ」とは?」を紹介しよう。
・世界最大の原油埋蔵量(3000億バレル)があるベネズエラは、急進的な反米社会主義国であるため米国陣営から貸し出しが止められるなどの経済制裁を受けています。また相変わらず政権中枢の汚職も多く、国内経済が完全に破綻しています。 また2017年は2600%以上のインフレとなり(モノの価格が1年で25倍以上になる)、ベネズエラの自国通貨・ボリバルが1年で4%にまで減価したことになります。
・そんなベネズエラのマドゥロ大統領が2月20日、破綻した経済を立て直すため、ベネズエラ独自の仮想通貨「ペトロ」を発行すると発表しました。何でも豊かな埋蔵原油を価値の裏付けとし、「ぺトロ」1単位が埋蔵原油1バレルの価値に相当することを約束しているようです。
・またとりあえず発行上限を1億「ぺトロ」としているため、うまくいけば60億ドルが調達できます。また「ペトロ」はドル、ユーロ、円、人民元などの主要通貨と主要仮想通貨で購入でき、自国通貨・ボリバルでは購入できません。自国通貨・ボリバルがさらに下落することを避けるためです。
・要するにベネズエラ政府は、自国通貨・ボリバルの価値が急落してしまい、対立する米国からドルが調達できず、やむを得ず国際金融市場における資金調達の手段として、あるいは輸入代金の支払い手段として「苦し紛れに考案したもの」となります。
・ただ発行日の2月20日には、相当する原油価格の6割引きでオファーされていたようで、簡単に思惑通りにはいかないようです。さらに「ペトロ」は原油価格の価値に相当するとはいっても、実際に相当する原油と交換できるわけではなさそうです。
・このままだと「ペトロ」は不完全ではありながら埋蔵原油を裏付けとした「通貨の一種」となりますが、そこには最近流行りのブロック・チェーン技術が使われているようで、中央政府主導で発行される「価値の裏付けまで備えた」世界最初の仮想通貨であることになります。
・その基本システムはイーサリアムを使っているとも言われますが、最近日本で大量に流出したNEMのシステムが使われているようです。 もっと正確に言えば、同じように米国陣営からの経済制裁を受けているロシアが、本年1月に独自の仮想通貨・クリプトルーブルをロシアの法定通貨にするための法案を提出しています。また同じく経済制裁を受けている北朝鮮は、もっぱら他国から仮想通貨を「盗み出す」ことに力を入れているようです。
・もちろん本物の基軸通貨である米ドルと比べれば微々たる動きではありますが、トランプ大統領は必ずしもドルの価値を守ることがそれほど重要とは考えていないことや、その米国陣営から経済制裁を受ける国が増えているため(その主たる制裁とはドルを自由に使い保管することを禁じるものです)、反米陣営から仮想通貨が生まれ、不正利用も含めてそれなりの需要が出てくることになります。
・そこでベネズエラ政府が主導する仮想通貨「ペトロ」に話を戻します。 ここでベネズエラ政府が表に出ず、埋蔵原油も価値の裏付けとせず、普通の「仮想通貨」を発行したなら、そのICOや売り出しの稚拙さによって多少の差があるはずですが、それでも当初価格の5~10倍(あるいはそれ以上)の価格がついていたような気がします。
・繰り返しですが、不完全ではあるものの埋蔵原油が価値の裏付けとなっている「ペトロ」は、その埋蔵原油の価値の4割(6割引き)の価格となっています。ベネズエラ政府は、一応ホワイトペーパーを作成していますが、無国籍が原則の仮想通貨にベネズエラ政府の名前を出してしまったことと、律儀に(不完全ではありますが)埋蔵原油と価値が連動するようにしたところが「失敗」だったはずです。
・つまり昨年後半ほどの勢いはなくなっているようですが、それでも国籍が不明で何の価値保全も約束されていない「訳の分からない」仮想通貨が、国籍が明らかで何らかの価値保全が取られている仮想通貨より、はるかに高値で取り引きされていることになります。 2月21日付け「あまりにも未熟でモラルの低い仮想通貨取引所はどうすべきなのか?」と合わせて、そろそろ冷静になって仮想通貨バブルを警戒するべきだと考えてしまいます。
http://yamikabu.blog136.fc2.com/blog-entry-2174.htm

第一の記事の最後に、 『個人的には、「逆風」と「調整」の後のデジタル革命のポジティブな進展を信じている。前の産業革命の際の、ラッダイト(機械の打ち壊し)運動をあげるまでもなく、本当に新しいものが出てきた時、それが定着し、社会に大きなメリットを与える前には、大きな揺り返しがつきものだし、それを乗り越えることで、本質的に世界を良くするものが何か、がはっきりと立ち現われてくる、と考えているからだ』、との指摘は的確だ。さすが、御立氏である。
第二の記事で、 『米国当局によれば、2009~2015年に世界のビットコイン取引所の3分の1がハッキングの被害に遭っている』、にも拘らず、 『いつもとは違う種類のユーザーが、コインチェックが非常に使い勝手のよい取引所であることに気づいた。ハッカーだ』、というのは使い勝手のよさを重視するの余り、セキュリティを犠牲にしたコインチェックの自業自得とも言える。  『日本の金融庁は規制を通じてハッキングを未然に防ぐはずだったから、今回の一件で恥をかいたことになる、コインチェックは暗号通貨の分野での金融庁の無能ぶりを白日の下にさらしたとの指摘も出ている』、との金融庁批判はその通りだ。
第三の記事で、 『ベネズエラ独自の仮想通貨「ペトロ」を発行すると発表しました。何でも豊かな埋蔵原油を価値の裏付けとし、「ぺトロ」1単位が埋蔵原油1バレルの価値に相当することを約束』、というのでは、仮想通貨ではなく、実物資産に価値を裏付けられた「実物通過」である。 『相当する原油価格の6割引きでオファーされていた』、というのは、ベネズエラ政府が約束を履行できないリスクを織り込んだためであろう。 『国籍が不明で何の価値保全も約束されていない「訳の分からない」仮想通貨が、国籍が明らかで何らかの価値保全が取られている仮想通貨より、はるかに高値で取り引きされていることになります・・・そろそろ冷静になって仮想通貨バブルを警戒するべきだと考えてしまいます』、というのは説得力がある。
タグ:デジタルエコノミーに対する猛烈な逆風の予兆 個人的には、「逆風」と「調整」の後のデジタル革命のポジティブな進展を信じている コインチェック ファイナンシャル・タイムズ NEM 「「暗号通貨に首ったけ」なニッポン人 史上最大級のバーチャル強盗に困惑、それでも熱烈なファンは支持」 日本で最もシンプルで使い勝手のよい取引所だという評判 闇株新聞 (その9)(仮想通貨流出事件は「始まり」に過ぎない 逆風を乗り越えてデジタル革命は本格化する、「暗号通貨に首ったけ」なニッポン人 史上最大級のバーチャル強盗に困惑、ベネズエラが発行する仮想通貨「ペトロ」とは?) ブロックチェーン技術そのものの問題ではなく、「取引所」という名前でありながら資産保管も請け負う組織に、サイバーセキュリティ上の弱点があったということだろう (仮想通貨) XEM 「ベネズエラが発行する仮想通貨「ペトロ」とは?」 そろそろ冷静になって仮想通貨バブルを警戒するべき 2017年は2600%以上のインフレ 日経ビジネスオンライン 金融庁 ソロスも批判、「Tech titan」への風当たりは強まるか? スケープゴートのように「デジタル悪者論」が出てくるだろう 暗号通貨 2009~2015年に世界のビットコイン取引所の3分の1がハッキングの被害に遭っている 、「ぺトロ」1単位が埋蔵原油1バレルの価値に相当することを約束 相当する原油価格の6割引きでオファー 「仮想通貨流出事件は「始まり」に過ぎない 逆風を乗り越えて、デジタル革命は本格化する」 JBPRESS 御立 尚資 普通の「仮想通貨」を発行したなら、そのICOや売り出しの稚拙さによって多少の差があるはずですが、それでも当初価格の5~10倍(あるいはそれ以上)の価格がついていたような気がします
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沖縄問題(その7)(米軍機トラブルは必然…原因は沖縄の自然環境による腐食、ヘリ飛行問題 地位協定見直しに火が付けば安倍一強終焉も、なぜ米軍沖縄海兵隊の事故対応は年々「劣化」しているのか 元海兵隊関係者の考察) [外交]

沖縄問題については、昨年9月3日に取上げた。米軍機トラブルが相次いでいる今日は、(その7)(米軍機トラブルは必然…原因は沖縄の自然環境による腐食、ヘリ飛行問題 地位協定見直しに火が付けば安倍一強終焉も、なぜ米軍沖縄海兵隊の事故対応は年々「劣化」しているのか 元海兵隊関係者の考察)である。

先ずは、1月9日付け日刊ゲンダイ「米軍機トラブルは必然…原因は沖縄の自然環境による腐食」を紹介しよう(▽は小見出し)。
・また米軍ヘリのトラブルだ。8日夕方、沖縄・読谷村儀間の廃棄物処分場に米軍普天間基地所属のAH1攻撃ヘリが不時着。現場の東側約500メートルには住宅地、南側には大型リゾートホテルがあり、あわや大惨事だった。6日には同じく普天間配属のUH1ヘリがうるま市伊計島の砂浜に不時着し、この日、撤去作業を終えたばかり。米軍機の事故やトラブルが相次ぐのは必然で、その原因も米軍はとっくに把握している。
▽米当局も認めた機体の劣化
・米海兵隊当局が年間基本運用方針をまとめた「米海兵航空計画2018」。その中で初めて策定したのが、在日米軍機の機体保護を目的とした米本国の基地などとの航空機の交換(ローテーション)計画だ。 なぜ、このような計画が必要なのか。理由は沖縄の過酷な自然環境だ。海域に囲まれた沖縄の塩害や強風などが、米軍機の腐食を加速させているというのである。
・米海兵隊は計画の目的について、「機体の劣化を加速させる沖縄やハワイなどの環境下における時間を削減する」とメリットを強調。沖縄配備の時間を減らせば、その分だけ機体の保護と整備に充てる時間も予算も削れるという理屈だ。
・この計画をスクープした沖縄タイムスが米海兵隊当局に取材すると、沖縄などの腐食が起こり得る厳しい自然環境下で運用されている軍用機を必要に応じて他基地配属機とローテーションすることにより機体を保護するのが目的などと趣旨を説明したという。米軍当局が、沖縄の自然環境が機体に与える悪影響を認め、世界的な規模で対策を取るのは初めてとみられる。
・昨年から頻発する米軍機による事故の背景に、大型輸送ヘリCH53の老朽化や米国の軍事費削減による整備体制の悪化が指摘されてきたが、何てことはない。沖縄の過酷な環境に機体を置いておくだけで、米軍機は自然とオンボロになると米軍も認めたわけだ。
▽日米地位協定見直しに動くべき
・米軍機は日米地位協定に基づく「航空特例法」により、日本の航空法の適用外という「治外法権」状態が続いている。普天間所属のヘリなどは沖縄だけでなく、日本全土の上空を好き勝手に飛び回り、全国の米軍基地を自由に往来している。沖縄の過酷な環境で腐食し劣化した米軍機がいつ、どこから墜落してきてもおかしくないのだ。
・いざ事故が起きても、日米地位協定が妨げとなり、日本の捜査権は及ばない。伊計島の不時着現場もヘリを中心に二重の規制線が張られ、沖縄県警は外周の規制線を警護するのみ。米兵がメインローターやプロペラを外す作業を見守るだけで、事故機の調査や乗組員への聞き取りは一切できないまま。8日午前にCH53が不時着機をつり上げて撤去するまで黙って見ているしかなかった。
・「8日の読谷村の不時着現場も日本のメディアが事故機を撮影しようとすると、米軍関係者がカメラに向けて投光器の光を浴びせ、機体を撮らせないよう嫌がらせをしていました」(現地メディア関係者) こんな到底、独立国とはいえない対米間の不平等な現実は世界を見渡しても異常だ。
・「日本と同じ、先の大戦の敗戦国で米国と同盟関係にあるドイツは主権に基づき、米軍機の国内法順守を認めさせています。安倍首相は自民党の新年仕事始めで、『占領時代の仕組みを変える』と改憲に意欲を燃やしていましたが、それを言うなら、『占領時代そのもの』の日米地位協定の見直しに真っ先に動くべきです」(立正大名誉教授・金子勝氏=憲法)
・国民の生命と財産は二の次で、米国にシッポふりふりのポチ政権の下では、いくら命があっても足りない。
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/220852/1

次に、1月23日付け日刊ゲンダイ「ヘリ飛行問題 地位協定見直しに火が付けば安倍一強終焉も」を紹介しよう(▽は小見出し)。
・安倍政権に「白黒」をつける覚悟が、どこまであるのか。昨年末に米軍ヘリの窓が落下した普天間第二小学校の上空を、再び米軍普天間基地所属のヘリ3機が編隊飛行したかどうかを巡り、防衛省と米軍の主張が対立している。
・防衛省は上空飛行を沖縄防衛局の監視員の目視とカメラで確認したと主張。カメラ映像を報道陣に公開した。映像を見る限り、明らかにヘリが小学校上空を飛んでいる。一方、米側はレーダーによるヘリの航跡データの分析とパイロットへの聞き取り調査から、「飛行した事実はない」と防衛省の言い分を真っ向から否定しているのだ。
・小野寺防衛相は映像を米側に提供し事実関係を確認するよう求めたと説明したが、“動かぬ証拠”を握った以上、もっと強気に出るべきだ。沖縄県の翁長知事の要請通り、米側が強く否定するなら、その根拠にしている航跡データの公表を迫るのがスジ。米側に航跡データを公表させて映像と照らし合わせない限り、「飛んだ」「飛んでいない」の水掛け論に終わるのがオチである。
▽主張の食い違いは選挙向けのポーズ
・安倍政権が珍しく米側に盾突いているようなそぶりはしょせん、告示が迫る名護市長選や県知事選など沖縄の「選挙イヤー」を意識したパフォーマンス。そもそも窓落下事故後の日米合意は、小学校上空の飛行を「最大限可能な限り避ける」という“努力目標”にとどまっている。
・落下当時、小学校のグラウンドでは児童60人が体育の授業中で、落下地点は児童たちから10メートルしか離れていなかった。鉄製の窓の重さは7・7キロ。直撃していたら、恐らく命はなかっただろう。日本の幼い命がこれだけの危険にさらされたのだが、安倍政権には「学校の上空は飛ばない」と米側に義務化を求めるつもりは、さらさらない。
・立ちはだかるのが日米地位協定の「壁」だ。 日米地位協定に基づく特例法で、米軍機は日本の航空法の義務規定の適用除外。航空法は住宅密集地などでは300メートル以上、それ以外の場所でも150メートル以上の高度を保つよう定めているが、米軍機は日本上空を飛びたい放題という「治外法権」状態が続いている。
・フザケたことに、米軍機は日本の米軍住宅の上空では普天間第二小のような低空飛行は絶対にしない。なぜなら米国内法がそうした危険な飛行を禁じており、その規定が海外の米軍居住地にも適用されるためだ。 「米国内法では、鳥類やコウモリなどの野生生物から歴史遺跡まで、それらに悪影響があると判断されれば、もう飛行訓練はできません。飛行禁止区域の指定が優先されて、計画そのものが中止となります」(米在住ジャーナリスト)
・つまり前出の航空特例法があるため米軍にすれば日本国民の扱いはコウモリ以下で「OK」。こんなヒドイ人権無視の状況を放置しているのが、ひたすら米国ベッタリの安倍政権なのだ。 「維新以外の野党は近く合同で米国大使館に米軍機運用の是正を申し入れる予定です。通常国会でも相次ぐ米軍ヘリ事故に対する安倍政権の弱腰対応を追及する構えで、米軍が憲法を超越した存在のままでいいのかと日米地位協定の『闇』に鋭く切り込み、世論を喚起すれば、安倍政権は追い込まれる。自民党の石破元幹事長も、9条改憲を目指すなら『地位協定見直しとワンセット』の立場で、安倍首相が3選を目指す9月の総裁選もひと波乱ありそうです」(基地問題に詳しいジャーナリストの横田一氏)
・野党はここが正念場だ。地位協定見直しが通常国会最大の焦点となれば、安倍1強の政治状況はガラリと変わる。
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/221698/1

第三に、政治学者 元米海兵隊太平洋基地政務外交部次長のロバート・D・エルドリッヂ氏が2月27日付け現代ビジネスに寄稿した「なぜ米軍沖縄海兵隊の事故対応は年々「劣化」しているのか 元海兵隊関係者の考察」を紹介しよう(▽は小見出し)。
▽事故だけではなく事故後の対応が問題
・2月初旬に沖縄県名護市長選で保守系候補が当選した。普天間飛行場の移転問題にとっては良い結果となった。 それゆえ、沖縄の基地問題は、地元感情が緩和する方向に向かっているように見えるかもしれない。しかし、そう簡単ではない。むしろ、ますます深刻になっているといっていい。
・いうまでもなく、直前までさまざまな事故が立て続けに起きたことが大きい。それだけではない。その事故への対応がさらにまずく事態をこじらせている。 最近、頻発している事故についても、今、海兵隊が、あるいは米軍全体が、朝鮮半島有事で繁忙と緊張の極みにあることが原因、という説明が広がっている。
・しかし、有事だからといって、問題の本質を見誤るわけにはいかない。誤解どころか、誤魔化しているのではないか。 海兵隊の繁忙度が特に上がっているのは冷戦終了後から始まっていることだ。予算が限られている中で、任務が爆発的に増えている。その意味で陸上自衛隊の状況と似ている。だから事故頻発ということだけを取り上げても、朝鮮半島有事ということでは理由の説明としては不十分だ。
・さらにいえば、米軍と現地の関係悪化の一番の原因と筆者が考えている、事故後の対応全体がまずいことの説明にはならない。 事故にはさまざまな側面がある。整備の問題、欠陥の問題、人的問題、管制の問題、あるいは気象の問題などで、必ずしも人間がコントロールできるとは限らない。 しかし、事故が起きてからの対応は、すべて人間がコントロールすることだ。丁寧な対応は、その気になればできる話だ。これこそが今、うまくいっていないことなのである。
・この問題は、以前から深刻だった。2016年12月13日に起きたオスプレイ不時着水事故を振り返ってみたい。 この事故は空中給油の訓練中に発生したものだった。つまり、沖縄などのメディアがよく批判する「欠陥機」ではない。 給油ホースが接触してプロペラが破損。基地に緊急に帰還するために、沖縄県民と深い交流のあった女性操縦者は、あえて民間地の上を飛ばず、最北の辺戸岬を回って南に向けて海岸沿いで飛んだ。
・故障のまま遠回りのため、力を失い、あと僅かの距離で海に着水した。この操縦者をはじめ、乗務員に怪我が負ったが、住民の被害はなかった。しかし、直後の海兵隊の初期対応がまずくて、近隣の住民や県庁に不信感を抱かせることになってしまった。 結局、第3海兵遠征軍司令官で沖縄での米軍のトップである4軍調整官が、知事に対してだけでなく、住民に対して謝罪しなければならない状況になった。
・そこで住民に対し、事故の後のしっかりした清掃(現状回復)、さらに、事の原因の公表を速やかに行うことなど、いろいろ約束した、と言われているが、私はその約束が、守られていないということを事故後の現地取材で知った。 その結果、もともと米軍に対して好意的な住民たちを反対側に追いやってしまった。現地で話を聞いて回ったが、保革の比率が逆転したとまでとの報告を受けた。
・米軍は敵を作るのは非常に上手だ。本来なら海兵隊は、敵に対しては強烈、味方に対しては最大の友であるべきだ。しかし、この3年間、特にこの1年余り、味方は激減しているらしい。 有事のことを重視する人は、この敵に対して強烈であることに重きを置き、友に対する部分を軽く見てしまっている。これは、基地反対の人々のいう、「軍事優先」の典型的な考え方だ。これを続ければ、反対の人だけではなく、中立や支持者でさえ、離れていく。
・事故だけではなく、事件も同じことが言える。本来、基地と関係がなかった人は、何かの事件や犯罪に巻き込まれて、その後、日米両政府、基地、あるいは、地位協定という高く厚い壁に遭い、速やかに解決どころか対応さえもされなければ、不快感が増すのは当然だ。
・政府はもちろんだが、あえて言うと、基地の関係者こそ、その同情を持つべきと思い、その精神で仕事を取り組んでいた。 実は、これは私にとって「仕事」ではなかった。日米沖関係の重要性を強く意識した者としての「使命」だった。沖縄で勤務できるようになったのは、いい意味で運命だった。今、仕事されている日米の関係者は、同じ使命感を持って取り組んでほしい。
・安定していなければならない基地の周辺で、特に同盟国で事故が起きたとき、地元との関係を維持するために求められるのは、誠意と透明性だ。それが実施されてなかったのだ。
▽経験の無駄遣い
・それがないまま、昨年10月23日、北部でCH53の墜落炎上があった。 前回の着水問題をきれいに対応して、そして信頼関係を事故前の段階に回復し、それだけではなく、より発展させていれば、そのあとの問題で、県民や県庁がもう少し冷静に反応していたろう。
・何かがあったら、それに対する対応をしなければならないということは、もちろん非常に重要だ。それがうまくいかず、誠意の欠けた冷たい対応であれば、事故や事件の被害を受けた人は、二次被害を受けたと感じるだろう。その気持ちになって不思議ではない。
・理想的には、関係回復だけではなく、以前の関係より発展的な関係に持っていくべきだ。 それだけではなく、普段から良好な関係を築くことが重要だ。日々の信頼関係があればあるほど、何かあっても、もう少し事情を理解し、ある程度許してもらえる。いってみれば、貯金ができる。
・今の沖縄の米軍は貯金ゼロかマイナスの状態だ。私は在任中、貯金をいっぱいためたつもりだったが、この3年間で全部なくなったようだ。しかし、お金より、信頼のほうがいうまでもなく大切だ。 例えば、一昨年のオスプレイの着水から、昨年のCH53の墜落の間に、事故の直接対応のほかに、日々の信頼構築にも力を入れてこなかった。
・それがないまま、次々事故が起こっている。教訓が、果たして活かされていたのだろうか。 2004年8月13日の沖縄国際大学キャンパス内にCH53が墜落した事故の対応では、大変多くの問題が浮き彫りになった。 そこで、日米と沖縄県で2005年から毎年、墜落事故を想定した訓練をやっていた。想定も主催者も毎回変え、さまざまの状況に対応できるはずだった。
・しかし、そうやって積み重ねた経験が、私が見ている限り、オスプレイ着水の事故を含めて一切活かされていない。 米軍側で、実際に訓練を行った主要な関係者が、もはやいなくなっているのだ。 なぜかというと、1つには、3年前に地元との懸け橋でいた私が解任されたころ、司令部の士気がものすごく落ちており、どんどん長く関わってきた人たちが去って行ったということがある。
・そして2つ目に、これは構造的な問題だが、60年代からアメリカ政府が設けている「5年ルール」の弊害がある。 これは海外の勤務は最大5年までとし、よほどの事情がない限り延長はないというもの。このルールは、相手の国に近寄りすぎることで国益を損なわないようにするという目的でスパイの心配が特にあった冷戦時代に設けられたものだ。
・しかし、アジアでは、特に日本では、言葉の壁があるし、人間関係を作るのに時間がかかるという事情がある。一般的なルールを当てはめるには、無理がある。 文民については柔軟に運用されていたが、2014年のあたりから厳格になって、広報、訓練、私がいた政策部門など次々に対象となってしまった。
・私は、解任後、2015年夏に太平洋軍を拠点にするハワイの有力紙に寄稿した。「この5年ルールは、日米同盟にとって打撃を与えるので見直すべきだ」という提言だった。 残念ながら、主要な人々がそれで引っかかってその通りになった。
▽会話ができない関係
・この悪循環を変えないと、健全な日米同盟の維持が難しいと思う。 今の状況だと、小野寺防衛大臣がすごくかわいそうだ。彼自身、相当頭にきていると思う。 それだけではない。米軍の4軍調整官と防衛省防衛局長の関係が、とても悪くなっている。噂されているのが、4軍調整官と、外務省の沖縄担当特命全権大使の関係だ。ろくに話もできず、あまり会うこともないというところまできてしまっているという。
・日本側は、米軍の事故対応がまずいうえ、日常からの地元との関係構築を近年まったくやっていないことが、さらに現地の感情を悪くしているとみている。その上、時々嫌がらせをしてくると思っている。 一方、米軍の方は、日本政府は、広報的な面を含めて自分たちを守ろうとしていないと感じている。
・このトップ同士の関係、そして先に説明した米軍と地元との関係の修復を図ろうとしても、そもそも両者の架け橋になる人が全く見当たらない。 先に説明したトラブル対応の経験者が留まっていないだけでなく、これほどまでに人材の問題は深刻なのである。
・米軍側に必要な調整能力が備わらないのは、「5年ルール」以外にも構造的問題がある。海兵隊の組織は、実戦部隊と基地管理部門の2系統に6年半前から不要に分かれている。 以前は、3つの実戦部隊である遠征軍に対応する形で、3つの基地管理部門が併設されていたが、現在、2011年秋に行った海兵隊の組織再編に伴い、アジア太平洋地域をはじめ、米西海岸と東海岸のそれぞれの基地管理部門だけが一本化されている。
・現地では、遠征軍の司令官が両部門のトップという形になっているが、実際の人事管理では別系統である。 例えば、筆者は海兵隊に所属していた時の肩書は、「太平洋基地政務外交部(G-7)次長」であった。つまり基地管理部門のラインである。 トラブルの調整役を担うとすればこのラインである。しかし、訓練関係のトラブルが起きるとすれば、内容によるが、大体、実戦部隊である。
・問題は、現地の実戦部隊のトップと、基地管理部門のトップが必ずしも意思疎通が取れているとは言えないのである。これでは現場の行動の手足を縛ってしまう。 さらに言えば、残念ながら、同じ司令部の中でも制服は文民を信頼しない側面がある。One Team, One Fightという言い方があるが、それは実行されていない。
・しかし、そもそも日本は「相手」や「敵」ではなく、パートナーである。日本政府をはじめ、基地を抱いている地方自治体は、米軍と同じチームのはずだ。 沖縄の海兵隊は、現地との関係を健全化する方向に目が向いていないと言わざるを得ない。むしろ、様々な情報ルートによれば、今年に入ってから特に悪化している。
・筆者は、2015年春まで勤務したが、その間、改革案を繰り返して提示し、抜本的な解決策をその夏に図る予定だったが、透明性を重視しなかった司令官によって解任された。 それによって、その案はもちろんのこと、それ以降、まとめてきたより大胆な案は当然、活かされていない。
・こうした組織的な問題、人間関係を解決しない限り、「多忙化の訓練」で発生するとされている事故の対応がますます難しくなる。 これ以上、海兵隊を保護する言い訳を止めて、問題の本質を直視して、改善の措置をとるべきだ。
・そうすることによって見えてくるのが、真の強い日米同盟であり、本来あるべき「最強の友」の姿だ。そうしなければ、味方は必然的に逆に「最強の敵」になりかねない。
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/54607

第一の記事で、 『海域に囲まれた沖縄の塩害や強風などが、米軍機の腐食を加速させている』、というのは、確かにありそうな話だ。 『他基地配属機とローテーションすることにより機体を保護』、というのはご苦労なことだ。 『「日本と同じ、先の大戦の敗戦国で米国と同盟関係にあるドイツは主権に基づき、米軍機の国内法順守を認めさせています。安倍首相は自民党の新年仕事始めで、『占領時代の仕組みを変える』と改憲に意欲を燃やしていましたが、それを言うなら、『占領時代そのもの』の日米地位協定の見直しに真っ先に動くべきです」(立正大名誉教授・金子勝氏=憲法)』、といのはその通りだ。

第二の記事で、 『フザケたことに、米軍機は日本の米軍住宅の上空では普天間第二小のような低空飛行は絶対にしない。なぜなら米国内法がそうした危険な飛行を禁じており、その規定が海外の米軍居住地にも適用されるためだ。 「米国内法では、鳥類やコウモリなどの野生生物から歴史遺跡まで、それらに悪影響があると判断されれば、もう飛行訓練はできません。飛行禁止区域の指定が優先されて、計画そのものが中止となります」(米在住ジャーナリスト)』、というのは、本当に腹立たしい。

第三の記事で、 『米軍の4軍調整官と防衛省防衛局長の関係が、とても悪くなっている。噂されているのが、4軍調整官と、外務省の沖縄担当特命全権大使の関係だ。ろくに話もできず、あまり会うこともないというところまできてしまっているという・・・トップ同士の関係、そして先に説明した米軍と地元との関係の修復を図ろうとしても、そもそも両者の架け橋になる人が全く見当たらない。 先に説明したトラブル対応の経験者が留まっていないだけでなく、これほどまでに人材の問題は深刻なのである』、というコミュニケーションの悪化には驚かされた。 『筆者は、2015年春まで勤務したが、その間、改革案を繰り返して提示し、抜本的な解決策をその夏に図る予定だったが、透明性を重視しなかった司令官によって解任された』、恐らく、エルドリッヂ氏が沖縄に同情的になり過ぎたと判断されたのであろう。惜しい人を失ったものだ。
タグ:沖縄問題 日刊ゲンダイ 「米軍機トラブルは必然…原因は沖縄の自然環境による腐食」 日米地位協定 (その7)(米軍機トラブルは必然…原因は沖縄の自然環境による腐食、ヘリ飛行問題 地位協定見直しに火が付けば安倍一強終焉も、なぜ米軍沖縄海兵隊の事故対応は年々「劣化」しているのか 元海兵隊関係者の考察) その中で初めて策定したのが、在日米軍機の機体保護を目的とした米本国の基地などとの航空機の交換(ローテーション)計画だ 。米軍の4軍調整官と防衛省防衛局長の関係が、とても悪くなっている。噂されているのが、4軍調整官と、外務省の沖縄担当特命全権大使の関係だ。ろくに話もできず、あまり会うこともないというところまできてしまっているという 米海兵航空計画2018 5年ルール 米軍側で、実際に訓練を行った主要な関係者が、もはやいなくなっているのだ。 なぜかというと、1つには、3年前に地元との懸け橋でいた私が解任されたころ、司令部の士気がものすごく落ちており、どんどん長く関わってきた人たちが去って行ったということがある 「なぜ米軍沖縄海兵隊の事故対応は年々「劣化」しているのか 元海兵隊関係者の考察」 現代ビジネス ロバート・D・エルドリッヂ 日本の捜査権は及ばない 「ヘリ飛行問題 地位協定見直しに火が付けば安倍一強終焉も」 安倍首相は自民党の新年仕事始めで、『占領時代の仕組みを変える』と改憲に意欲を燃やしていましたが、それを言うなら、『占領時代そのもの』の日米地位協定の見直しに真っ先に動くべきです」( ドイツは主権に基づき、米軍機の国内法順守を認めさせています
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働き方改革(その13)(国会紛糾で分かった日本企業の生産性が低いワケ 二言目には「生産性を上げろ」という人の「働かせ改悪」、裁量労働制「ずさんデータ」を生んだのも官僚の“忖度”か) [経済政策]

働き方改革については、2月25日に取上げたが、今日は、(その13)(国会紛糾で分かった日本企業の生産性が低いワケ 二言目には「生産性を上げろ」という人の「働かせ改悪」、裁量労働制「ずさんデータ」を生んだのも官僚の“忖度”か)である。

先ずは、健康社会学者の河合 薫氏が2月27日付け日経ビジネスオンラインに寄稿した「国会紛糾で分かった日本企業の生産性が低いワケ 二言目には「生産性を上げろ」という人の「働かせ改悪」」を紹介しよう。
・今回のテーマは「生産性」──。 先にテーマを書いたのには理由があるのだが(あとで説明します)、妙な方向に議論が進んでいる「裁量労働制拡大」と対で使われる「生産性」である。
・1月23日付で「年収制限のない“定額働かせ放題”ってマジ?」で書いた通り、高度プロフェッショナル制度の陰でスポットを浴びてこなかった問題アリアリ法案が、安倍首相の答弁により注目を浴びることになったのは実に喜ばしい事件である。ひょうたんから駒? 自爆? 天のいたずら? はたまた「不正は必ずボロが出る」ということなのか。
・ところが残念なことに、国会では「誰それの責任」だの、「安倍首相がホニャララと言ったとか言わないとか」本質的な議論とは程遠いやり取りが繰り返されている。挙げ句の果てには一年延期だのなんだのと、“違う名前で出ています”トリックが使われそうな空気が漂ってきた。
・たとえ野党が求めるとおり今回での法案成立を政府が諦めたとしても、もっと狡猾な手段で、10年がかりの宿願であった「ホワイトカラーエグゼンプション」を意地でも通す。おそらく。多分。9割以上の確率で。それくらいどうしたって成立させたい法案なのだ。
・無論、不適切なデータを用いたこと自体問題なので、この件に関する私なりの見解をコメントしておきます。 ご存知のとおり、比較データは平成27年(2015年)3月の厚生労働部門会議で、民主党(当時)の山井和則議員に対して提示されたもので、その後も塩崎恭久前厚生労働相や今年1月の安倍首相の国会答弁で使われてきた。
・厚労省は「異なる条件で比較し不適切なデータを作成していた」と公表しているけど、
 +「1カ月で最も長く働いた日の残業時間」(一般労働者) +「1日の平均的な労働時間」(裁量制の労働者) という、(ぶっちゃけ)全く異なる質問のデータである。 普通に考えれば、よほどの“おバカちゃん”でない限り、このような「混同」はしない。
・裁量労働制で働く人の1日の労働時間が「2時間以下になっている」ケースなど、厚労省は不適切データが117件あるとしてきた。さらに2月26日の衆院予算委員会で加藤勝信厚労相は、新たに233件の不適切データを確認したことを明らかにした。これって、基本中の基本であるデータのクリーニングさえ行なわないまま使ったということになる。「入力ミス」との報道もあるが、入力したデータを分析をする前に“普通”はやるものだ。
・要するに、 「どうする? なんかデータ出せってさ。なんかない?」 「オッ。これどうだ?」 「でも、質問違うし……」 「いいよ、これで。だいたい裁量制なんだから、労働時間とか関係ないだろ」 「だね。飲み放題で飲むのと、普通で飲むのとどっちが酒の量が多いか?って聞いてるみたいなもんだしね」  「ん? ま、いいよ。平均、平均。平均でGO!!」 と、その場しのぎの“ノリ”で作ったしか思えないほど稚拙なのだ。
・そもそも「長時間労働になるんじゃないのか?」という質問の答えを「平均値」で示すなどもっての外。 例えば10人の一般労働者と10人の裁量労働制の人を比較する場合、 +超「長」時間労働者がひとりでもいれば平均値は上がる。 +超「短」時間労働者がひとりでもいれば平均値は下がる。 対象者の職種は? 男か女か? 年代別には? いつ(繁忙期か閑散期か)の労働時間?によっても数値は大きく変わる。そんなことくらい、“労働問題”を少しでもかじっていれば、当然分かるお話である。
・それに先のコラムのデータソースは、厚労省の要請で労働政策研究・研修機構(JILPT)が実施した調査結果だ。つまり、「もう一度、実態調査をやれ!」「いや、やらない!」とか意味不明。厚労省が要請したのに、知らない、わけがないのである。
・ご覧の通り、1カ月の実労働時間が「200時間以上の割合」は、一般の労働者が32.6%に対し、企画業務型裁量制は44.9%と長い(先のコラムより再掲)。 で、2月22日になって、なぜかやっと、ホントにやっと、安倍首相はこの調査結果を用いた答弁をした。 「裁量労働制で働く人のおよそ3分の2は満足していると回答したが、それ以外の方々もいて、不満の理由の多くは労働時間が長いことを挙げている。労働時間が長くなった場合には健康確保措置を取っていく。みなし労働時間と実労働時間にかい離がある場合に適切な指導を行うことも新しい法案に入れ込んでおり、そうした対応を取ることで柔軟な働き方を可能としたい」と。
・ふむ。これは私がコラムで指摘した一部に、極めて近い答弁である。だが、これはあくまでも枝葉末節でしかない。 不満な点(複数回答のワースト5)  安倍首相の答弁に使った「不満」の元データは上記の通りで、どの不満も「裁量制の根幹に関わる不満」である。
・さらに、先の調査では……、
 +「一律の出退勤時刻がある」49.0% +「出勤の時刻は自由だが出勤の必要はある」34.9%
 +遅刻した場合、 +「上司に注意される」43.3%  +「勤務評定に反映される」22.7%
          +「賃金カット」10.8% +「場合によっては懲戒処分」6.5% という結果も示されているのだ。
・いったい、これのどこか「裁量制」なのか。 これだけのデータが揃っていて、「裁量労働制の拡大」という一般の人たちも興味ある問題がクローズアップされているのだから、国会では、
 +いったい何のための裁量制拡大なのか?
 +現行の制度(フレックスタイム、テレワーク)で対応は不可能なのか?
 +働き方改革の一丁目一番地は「過労死・過労自殺」をなくすということではないのか?
・といった本質的な議論をしてもらいたかった。 残念……。本当に残念で仕方がない。  
・ここからが本題である。 今回のデータ問題が明らかになった時、テレビやラジオのコメンテーターやいわゆる識者の人たちがSNSなどで、連発したのが“生産性”というマジックワードである。 コラム冒頭で「先にテーマを書いた」のは、「生産性」という言葉を伝家の宝刀のごとく使う人たちは、不適切データへの興味が一切ない。いや、興味がないばかりか不適切データに言及する人を見下しているように見える(あくまでも個人的意見です)。
・「本来議論するのは“生産性”についてでしょ?」と。 「裁量制を拡大するのは悪いことじゃないでしょ? それで“生産性”が上がるんだから」 「そうだよ。時間でしばるより、好きな時間に自由にできる裁量制を持たせた方が“生産性”は向上する」 「いつまで時間で評価するんだよ。だから長時間労働が無くならないだよ」 「生産性で比較しないとな」 「自分のライフスタイルに合わせられるんだから、生産性は上がる」etc etc……。
・生産性を上げる──。 働き方改革という言葉が市民権を得るかなり前から、働く人たちは耳にタコができるくらい「生産性を上げろ!」と、“上”からプレッシャーをかけられてきた。 働き方改革という言葉ができてからは「生産性の向上」という言葉がありとあらゆる問題の魔法の杖のごとく使われている。
・でもね、ここで思うわけです。 生産性を上げるっていったい何? と。 生産性で評価するって言うけど、何をもって「生産性を向上させる」と濫用する人たちは考えているのだろう? まさか「生産性を上げる=コストを削減する」と勘違いしている? そんなことを未だに考えているとはさすがに思いたくないけど、今回の裁量制拡大法案でいえば、企業にとって「コスト削減」になることは明白である。
・安倍首相が答弁しているとおり、
 +過労死基準を超えるくらいの長時間労働になっても、「健康確保措置を取っていく」だけなわけだし
 +みなし残業時間と実労働時間が乖離していても「適切な指導を行なう」だけなわけだし、 罰則規定への言及は一切なし。
・実労働時間の把握は義務化されるのか? それをしていなかったときの罰則はあるのか? といったことへの議論も行われていない。 要するにこの法案で可能になるのは、「柔軟な働き方」じゃなく、「柔軟な働かせ方」。企業側に極めて有利な内容なのだ。
・こういった懸念には必ずといっていいほど、「このご時世、下手なことしたらブラック企業呼ばわりされるから、変なことはしないでしょ?」との意見が出る。 なるほど。だったらなおさらのこと、罰則規定を盛り込めばいい。 会社が潰れても仕方がないくらいの罰則を科す。「労働者を使い捨てにするようなことはしない」のなら、何ら問題はないはずだ。
・でも、そういった企業の“コスト負担”になる罰則は絶対につけない。罰則の“ば”の字も出ない。「残業上限100時間未満」という過労死を合法化するような罰則基準で「画期的!」と賞賛しているのだから、端っからコスト負担など頭にないのである。
・日本企業はこれまでもコストを削減することで、生産性を上げてきた。サラリーマンの代名詞となった“残業”も、1970年代に「メイド・イン・ジャパン」が世界で評価され需要が急激に拡大し、追いつかない供給を労働時間を増やしてカバーしようという発想に基づいている。
・その結果、心臓や脳が悲鳴をあげ、過労死する人が量産された。その後、デフレで供給過多になり、生産設備とともに人も減らしたのに、「残業文化」だけは残った。 「人を雇い入れるより便利だ! 頑張って働いてもらうよ!」──。 経営者が安易にそう判断したのだ。悲しいことだけど。
・残業文化の変遷は、一日の残業時間の変化を見れば分かる。 平日1日当たりの労働時間(フルタイム勤務の男性)は、1976年「8.01時間」、1991年「8.70時間」、2001年「8.79時間」、2011年「9.21時間」と、確実に増加。週休二日制が一般的になった2000年代以降も増えているのだ。 1日10時間労働している労働者の割合も、1976年には17.1%だったが、1991年35.3%、2011年には4割強の43.7%とこの35年間で増え続けている(「日本人の働き方と労働時間に関する現状」内閣府規制改革会議 雇用ワーキンググループ資料より)。
・つまり、「生産性を上げる=コストを削減する」ではないのに、「生産性を上げなきゃ!そのためにはコスト削減だ!」という誤った認識が共有されているといっても過言ではないのである。 では、生産性を向上させるのに必要なモノとは何か?
・実にシンプル。人を「資本」と考え「投資」することだ。 社員の賃金を上げるのも投資だし、十分な休養や余暇を与えることも投資だし、福利厚生を充実させることも投資だし、スキルや知識を習得するための研修を強化することも投資だ。 とりわけ、“オーケストラの指揮者”でもある管理職のマネジメント能力を高める、徹底的な研修への投資は不可欠である。
・まさしく「人」。働いているのは人。 その当たり前を忘れ、「人」の持つ可能性を信じず、数字しか見ない(見えない)経営者が、「コスト削減=生産性向上」などと勘違いするのだ。 もちろんコスト削減は必要である。  だが、リーマンショック以降、日本企業は「これ以上削るところはない」というくらいコスト削減に務めてきたはずだ。人を減らし、賃金を押さえ、ボールペン一本まで削ってきた。
・一方、投資はどうか?
 +内閣府が発表した2017年12月の景気動向指数は、それまで最高だったバブル経済期の1990年10月(120.6)を上回り、1985年以降で最高を記録したのに、「実質賃金指数が前年を0.2%下回り、2年ぶりに低下」(参考:「働かなくてもカネがもらえる」から働くんです)
 +企業が毎月支出する「従業員1人当たりの教育訓練費」は1112円(2016年)で、ピークの1991年(1670円)と比較すると500円も少ない。また、従業員の雇用で生じる現金給与以外の費用(労働費用)に占める割合は1.4%と、最低だった2011年と同水準だった(参考:人材を「人財」と豪語するドヤ顔トップの嘘)
・悲しすぎる。“投資”の陰すら見当たらないのだ。 人に投資すれば人は成長する。そういった職場は、人生の質を高め、人生に意味を与える。人にしかできない想像力を駆使し、「買いたい!お金を払いたい!」と人々が思う商品を生み出す。いわば、付加価値の向上。
・「労働者の健康と満足感と、職場の生産性や業績には相互作用があり、互いに強化できる」とした米労働安全衛生研究所(NIOSH)の「健康職場(healthy work organization)」が実現するのだ。 1980年代後半に、健康職場モデルが提唱されるに至った背景には、「生産性を上げるには労働者を酷使するしかない」という考えが主流で、多くの労働者がメンタルヘルスを損なっていた社会状況があった。
・「会社が生き残るには、従業員はがむしゃらに仕事してもらわないとね」と宣う経営者の考えを改めてもらうために、NIOSHが提唱したのが健康職場モデルだったのである。 「健康職場」とは、逆説的に言えば、職場に過度のストレッサーがなく、あるいは本質的に安全化が図られているために、ストレス解消に熱心に取り組んだり、細心の注意を払ったりする必要のない職場のこと。つまり「長時間労働になるのでは?」などと懸念が生まれる時点で、その前提から外れていることになる。
・同時に、生産性を上げるために人員削減(リストラ)を断行することも、健康職場の理念とは異なる。 米国で1980年代に人員を3%以上カットした大企業311社(平均は10%カット)について調査を行った結果、経営指標の改善した企業は皆無。逆に経営が悪化している企業が多かった(NIOSH調べ)。米経営者協会が行った調査でも、1989~94年の6年間にリストラを実施した企業のうち、3分の2は実施期間中に生産性の向上は見られなかった。 リストラをすると人件費が下がるため、数字の上では生産性が向上したように見える。だが、実際の生産性はアップするどころかダウンする。
・一方、人的投資を継続的に行っている企業では生産性が上がる調査結果は国内外でいくつも存在する。人が成長するということは生産性をあげること。実にシンプルな法則が明らかになっているのだ。 人的資源への投資を行なっている企業のトップに聞いてほしい。 「裁量労働制の拡大は必要ですか?」と。 「現行の制度(フレックスタイム、テレワーク)で対応できませんか?」と。 そして、おそらく裁量を持ち、自らの「生産性は高い」と信じてやまない人たちが、法案さえ通れば「生産性は上がる」と信じているのかもしれない。
http://business.nikkeibp.co.jp/atcl/opinion/15/200475/022600147/?P=1

次に、3月2日付けダイヤモンド・オンライン「裁量労働制「ずさんデータ」を生んだのも官僚の“忖度”か」を紹介しよう(▽は小見出し)。
・役人の大チョンボか、またまた官邸の意向をおもんぱかった「忖度」か――。安倍政権が目玉に据える「働き方改革関連法案」を巡り、厚労省が調査した労働時間のデータのずさんな実態が次々に発覚した。裁量労働制の労働時間が一般労働より短いというデータが、実態を調べたものではない「加工データ」だったことなどがわかった。
・安倍首相は答弁撤回に追い込まれたが、その後もつじつまの合わない「異常値」が大量に見つかるは、加藤厚労相が「ない」と言っていた資料が厚労省の地下倉庫から出てくるはのドタバタが止まらない。当初、強気だった安倍政権は、一転、裁量労働制の対象拡大を法案から削除する事態に追い込まれた。 「第二の年金記録紛失事件」の様相にも強気を崩さない安倍政権だが、笑い話ではすまない事態が進行中なのもしれない。
▽「裁量労働の方が働く時間短い」 政権に都合のいい“加工データ”
・28日深夜。2018年度予算がようやく衆院本会議で可決した頃、首相官邸に、二階俊弘自民党幹事長、井上義久公明党幹事長ら与党首脳と、菅官房長官らが急きょ、集まった。 しばらくして「裁量労働制の適用拡大、法案に盛り込まない意向」の情報が速報などで流れた。 日付が変わった1日未明、官邸のロビーに現れた首相は、少しやつれた表情で口を開いた。 「裁量労働制にかかるデータについて、国民の皆様が疑念を抱く。そういう結果になっております。裁量労働制については全面削除するように指示をいたしました」
・第二次安倍政権発足から5年超。強気一辺倒だった政権が、目玉法案で大幅な「撤退」を強いられた瞬間だった。 政権が追い込まれることになったデータ問題とは何だったのか。
・疑惑のポイントは、大きく2つに分かれる。 一つは、安倍首相の国会答弁の根拠となった労働時間のデータを厚労省が「不適切」に作っていたことだ。 二つ目は法案作成の過程で厚労省が報告した労働時間の調査に、これまでだけで400件を超える「異常値」が含まれていたことだ。
・中でも「働き方改革」関連法案の今国会での成立を目指す政権に、都合のいい数字だったのが、裁量労働制の労働時間と一般労働の労働時間についてのデータだった。 「裁量労働制で働く方の労働時間の長さは、一般労働よりも短いというデータもある」 1月29日の衆議院予算委員会。立憲民主党の長妻昭・代表代行の質問に対する、この安倍首相の答弁がすべての始まりだった。
・この2日後の予算委では、加藤勝信厚労相がこのデータの具体的な数値に言及。 「平均的な一般労働者の1日の実労働時間ですが、9時間37分に対して、企画業務型裁量労働制は9時間16分、とこういう数字もある」 こう答弁した。 裁量労働制で働く人の労働時間が、一般労働者より「21分も短い」という主張だ。
・野党側は「裁量労働制を拡大すれば、労働時間が長くなり、過労死が増える」と主張して、裁量拡大を盛り込んだ「働き方改革関連法案」に一貫して反対してきた。 首相や加藤厚労相の答弁は、「裁量労働制は長時間労働になる」という野党の反論を突き崩そうという狙いが明確だった。
・野党側は、このデータに対して徹底的な追及を始める。同じタイミングで、ネット上でも、労働組合関係者や労働法学者らから、このデータについての疑問点が次々と指摘され始めた。 厚労省は2月19日、この数字が「不適切だった」と認めて謝罪。安倍首相は2月14日に、答弁を撤回した。 何が「不適切」だったのか。
・最大の問題は、一般労働者の1日の実労働時間として示された「9時間37分」が実は、残業時間の数値である「1時間37分」に、法定労働時間の「8時間」を単純に足し合わせて作った「加工データ」だったことだ。 厚労省はそうした説明もなしに、加工データを一般労働者の「実労働時間」としていた。 一方の裁量労働制の人の実労働時間は、調査に基づいた実際の数値だった。
・算出の仕方が全く違う2つの数値を同列に比べて、「裁量は一般より労働時間が短い」という国会答弁の主張の根拠に、政権が使っていたのだ。 詳細は後述するが、一般労働者の残業時間は長めに出やすい調査手法だったことも明らかになっている。
▽一般労働の労働時間が長めに出る調査のやり方
・問題は、「なぜ、こんなデータを厚労省が作ったのか」だ。 経緯を時系列で振り返ってみる。 このデータは、2013年に厚労省が行った「労働時間等総合実態調査」(実態調査)の数値が元になっている。 全国の1万1575事業所に、各地の労働基準監督官が出向いて、一般労働者の残業時間や裁量労働制で働く人の労働時間を聞き取って集計した調査だ。
・12年12月の第二次安倍政権発足の直後から、首相は「世界で一番企業が活躍しやすい国」というスローガンをぶち上げ、経済界が要望する労働規制の緩和に乗り出した。 その柱の一つとなったのが、実際の労働時間と関係なく、労使であらかじめ定めた時間を働いたことにする裁量労働制の対象拡大だ。 業務の性質上、実労働時間を算定するのが難しい職種などに適用し、労働時間規制にしばられない柔軟な働き方ができるようにするのが狙いとされ、13年6月に閣議決定した「日本再興戦略」(成長戦略)にも盛り込まれた。
・厚労省では、労使の代表が参加して労働法制を審議する「労働政策審議会(労政審)」で、裁量拡大などの議論をスタートさせたが、実態調査はその議論の土台となる基本的なデータとして、厚労省が労政審に示したものだった。 労政審では、労働側から「長時間労働を助長する」と猛反発が出たものの、厚労省は法案提出を既定路線とする政権の方針をなぞるように、法案作成で押し切った。
・政権は15年4月に裁量拡大を盛り込んだ労働基準法改正案を閣議決定して、国会に提出している。 連合を支持母体とする民主党(当時)は当然のように猛反対し、党の厚生労働部会に、厚労省の担当者を呼んで法案の内容を追及していた。 部会では、裁量労働制で働く人と一般労働者の実労働時間を比較するデータが必要ではないか、という議論が盛り上がっていた。 そこで厚労省は15年3月26日の民主党厚労部会に、比較データを記載した資料を提出した。これが今回、問題となった「不適切」なデータだ。
・この比較データについて、厚労省は2月19日、記者会見し、データを作成した担当課を統括する土屋喜久審議官がこう説明している。 調査は、各事業所で働く人のうち、一般労働者の「平均的な者」を1人選んで、残業時間を聞く方式だった。ただ、その残業時間は「1日の時間外労働(残業)の最長時間」を聞いている。  「時間外労働」とは、法定労働時間である「8時間」を超えた分の時間のことだ。一方、裁量労働制についても「平均的な者」を1人選んで、1日の労働時間を聞いたという。
・つまり、厚労省は一般労働者については、1日の実労働時間を調べていない上、1日の「残業時間」も、「平均」ではなく「最長」を調べていた。その数値を集計した数値が「1時間37分」だった。 一般労働者の実労働時間についてのデータを持っていなかったことから、“苦肉の策”として「残業時間+『8時間』」という足し算をして「9時間37分」をはじき出したというわけだ。 しかし、足し算の元となっている「残業時間」は、「最長」の時間のため長めに出やすい。さらに、1日の労働時間が8時間以下の一般労働者も相当数いる。
・こうしたことを考慮せずに単純に足した「9時間37分」を「実労働時間」として示し、実数値である裁量労働の「1日の労働時間」と同列に比べるのは明らかに「不適切」だ。厚労省は、そう認めて謝罪した。 足し算をしたのは、当時の厚労省の担当者だったといい、「手元にあるデータの中で比較しようとした。担当者は比較可能なデータだったと思っていた」と、厚労省幹部は釈明する。 このデータは、当時の担当課長と担当局長の決裁も通っている。
▽「不適切」データを3年間、使い続ける
・民主党の部会にこのデータが示された約1週間後の15年4月3日に、政府は法案を提出した。 民主党の部会に示されただけなら、問題はここまで大きくはならなかったかもしれない。 しかし、政府は、このデータをその後、国会答弁で使い始めた。 法案提出から約3ヵ月後の15年7月31日、衆院厚生労働委員会で、民主党(当時)の山井和則議員の質問に、当時の塩崎恭久厚労相は、こう答弁した。 「平均時間でいきますと(中略)裁量労働制だと9時間16分、一般労働者でいきますと9時間37分ということで、むしろ一般労働者の方が平均でいくと長い」 安倍首相が1月29日に答弁した内容と全く同じ答弁を、3年前に厚労相が国会でしているのである。
・「裁量労働は長時間労働を助長する」という野党の指摘に反論するためのデータとして使っている文脈も全く同じだ。 17年2月の衆院予算委でも、塩崎厚労相は、同じデータを再度使って「裁量労働制で働く方の労働時間は、一般労働者よりも短いというデータもございます」と答弁している。
・15年に国会に提出されたこの労働基準法改正案は、裁量労働制と同時に盛り込まれた「高度プロフェッショナル制度」とともに、「残業代ゼロ法案」と野党から批判され、国会審議に入れないたなざらしが続いた。 昨夏、安倍首相が衆院を解散したことで、この労基法改正案はいったん廃案となったが、今国会に、まったくと言っていいほど同じ内容が「働き方改革関連法案」に盛り込まれ、提出が予定されていた。
・安倍首相は、これまでと同じように、野党側の「(裁量制拡大は)過労死を助長する」との批判を封じ、「裁量制の労働時間の方が一般労働者より短い」と反論するための「根拠」として、このデータを使ったのだ
▽「担当者の識別ミス」と厚労省 「官邸への忖度」と野党は疑う
・安倍首相も加藤厚労相も、厚労省に都合のいいデータを作らせたことは否定し続けている。厚労省側も「データを作った担当者の認識ミス」という趣旨の説明を続けている。 しかし、こうした経緯を踏まえてこの問題を見た時、厚労省の官僚が政権に「忖度」しなかった、と本当に言い切れるのだろうか。 「産業競争力会議」「規制改革会議」「働き方改革実現会議」といった官邸主導の会議を次々と立ち上げて、方針を先に固めてしまうのが安倍政権のやり方だ。
・実際の法案づくりを担う厚労省の官僚は、先に決められた「政権の方針」と野党の反対論との間に、なんとか折り合いをつけて法案成立に持って行くことが最も重要な仕事になっている。 「森友・加計問題」で、官僚の「忖度」が浮き彫りになった中で、官邸と厚労省がいくら「担当者のミス」と説明しても、「忖度」の疑惑は容易には消えないだろう。
▽つじつまの合わない「異常値」 相次いで見つかる
・ほかにも、労働時間の実態調査でつじつまの合わない「異常値」が相次いで見つかったことが、疑惑をさらに深めることになっている。 2月19日に不適切データについて、厚労省が記者会見で公表した、調査した1万1575事業所の残業時間を打ち込んだ「元データ」を、野党議員の秘書らが分析したところ、一般労働者の残業時間に、異常値が次々と見つかったのだ。
・調査では、残業時間を事業所ごとに、1日、1週間、1ヵ月の単位で聞いている。残業時間は、1日が最も短く、1週間、1ヵ月と長くなるのが普通だ。 ところが、ある事業所では、1日の残業時間が「45時間」なのに、1ヵ月はそれより短い「28時間」となっていた。別の事業所では、1日の残業時間が「5時間15分」、1週間が「4時間30分」、1ヵ月が「4時間」と、調査期間が長くなるごとに短くなっていた。
・1日が「2時間30分」で、1週間と1ヵ月がともに「0分」というケースもあった。 立憲民主党の長妻昭・代表代行は「素人が見ても相当おかしい」と、厚労省に精査を要求。その結果、見つかった異常値は、87事業所で計117件にのぼった。 厚労省の担当課は「誤記か入力ミスと考えられる」と釈明。これに対し野党は厚労省に、1万1575事業所全てのデータの確認を求めた。
・安倍首相は22日の衆院予算委で「(調査の)原票と打ち込んだデータを突合(とつごう)し、精査しなければならない」と答弁せざるを得なかった。 26日にも、1日の残業時間が「0分」なのに1週間や1ヵ月の残業時間は計上されている異常値が新たに233件見つかり、28日にも57件が見つかった。
▽地下倉庫から「ない」はずの資料が32箱
・「調査の原票」を巡っても、ひと悶着が起きた。 「原票」とは、調査を担当した労働基準監督官が数値を実際に書き込んだ調査票のことを指す。厚労省がこれまで公表しているのは、原票に記された残業時間や労働時間などの数値を打ち込んだ「元データ」だけ。野党側は不適切な比較データが発覚した時点で、「原票」を全て公表するように厚労省に求めていた。
・しかし、加藤厚労相は答弁で「(原票は)なくなっている」と述べていた。それが、2月21日になって厚労省が「省の地下倉庫でみつかった」と明らかにしたのだ。 それも、最初は「5箱」という情報が「30箱以上」に変わるなど、混乱した。
・野党の求めに応じ、厚労省は原票のうち3事業所分のみをまず提供したが、1事業所あたり12ページ中「ほぼ全ページが黒塗り」という代物だった。 憤慨した野党の一部議員が、厚労省に「原票を見せろ」と乗り込み、厚労省の担当者との押し問答の末、1万以上の原票が入った32個の段ボールを16階の会議室に運ばせ、報道陣に公開させた。
・山積みの段ボールを前に、野党議員の1人は「この量を見れば、(厚労省が最初説明していた)ロッカーを探したけどなかったという話自体がウソだったことは明らかだ」。 「これ(32個の段ボール)、ロッカーに入る?入らないよ!」と、声を荒げた。
▽法案提出は先送りに 野党は労政審のやり直しを求める
・政府は関連法案の国会提出を3月中旬以降に遅らせることを表明し、沈静化を図る構えだったが、収まらないと判断し、裁量労働制拡大の切り離しに踏み切った。 だが、野党側は、法案の前提となるデータに誤りが次々と見つかっている以上、調査をやり直し、その調査を元に審議した労政審もやり直せ、と求めている。
・政府はすでに裁量労働制の対象拡大の実施時期を、これまでの方針より1年延ばして再来年にすることを表明しているが、今後の事態の展開次第では、さらなる後退を迫られることにもなりそうだ。 「データ問題は本質ではない。重箱の隅をつくような野党の方にこそ国民はあきれている」と、政権内からは愚痴とも八つ当たりともつかない声もある。
・しかし、今回のデータ問題で浮かび上がったのは、官僚の忖度が、あり得ない不適切なデータを生み出してしまいかねないという安倍政権の危うい姿だ。 この懸念が払拭されない限り、国民もオチのない「ドタバタ劇」を延々見せられることにもなる。
http://diamond.jp/articles/-/161861

第一の記事で、 『+遅刻した場合、 +「上司に注意される」43.3%  +「勤務評定に反映される」22.7%
 +「賃金カット」10.8% +「場合によっては懲戒処分」6.5% という結果も示されているのだ。 いったい、これのどこか「裁量制」なのか・・・国会では、 +いったい何のための裁量制拡大なのか?  +現行の制度(フレックスタイム、テレワーク)で対応は不可能なのか?  +働き方改革の一丁目一番地は「過労死・過労自殺」をなくすということではないのか? といった本質的な議論をしてもらいたかった。 残念……。本当に残念で仕方がない』、 『その後、デフレで供給過多になり、生産設備とともに人も減らしたのに、「残業文化」だけは残った。 「人を雇い入れるより便利だ! 頑張って働いてもらうよ!」──。 経営者が安易にそう判断したのだ。悲しいことだけど』、 『「生産性を上げる=コストを削減する」ではないのに、「生産性を上げなきゃ!そのためにはコスト削減だ!」という誤った認識が共有されているといっても過言ではないのである。 では、生産性を向上させるのに必要なモノとは何か? 実にシンプル。人を「資本」と考え「投資」することだ』、 『米経営者協会が行った調査でも、1989~94年の6年間にリストラを実施した企業のうち、3分の2は実施期間中に生産性の向上は見られなかった。 リストラをすると人件費が下がるため、数字の上では生産性が向上したように見える。だが、実際の生産性はアップするどころかダウンする』、などの指摘は説得力がある。さすが河合氏だ。
第二の記事で、 『「労働政策審議会(労政審)」で、裁量拡大などの議論をスタートさせたが、実態調査はその議論の土台となる基本的なデータとして、厚労省が労政審に示したものだった。 労政審では、労働側から「長時間労働を助長する」と猛反発が出たものの、厚労省は法案提出を既定路線とする政権の方針をなぞるように、法案作成で押し切った』、 『民主党(当時)は・・・党の厚生労働部会に、厚労省の担当者を呼んで法案の内容を追及していた・・・厚労省は15年3月26日の民主党厚労部会に、比較データを記載した資料を提出した。これが今回、問題となった「不適切」なデータだ』、 『「不適切」データを3年間、使い続ける』、などからみると、この問題は、どうやら3年前からくすぶっていたようだ。労政審に出席していた連合や、民主党厚労部会のメンバーの目は節穴だったのだろうか。安部政権により悪用されるのが見え見えの問題を、提示された時点で論破出来なかった罪は深い。また、それを報道しなかったマスコミも、安部政権への忖度があったにせよ、罪が深い。さらに、こんな子ども騙しの手を使ったことで、官僚への信頼を完全に失墜させた厚労省の罪が最も深いのは、言うまでもない。
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電気自動車(EV)(その4)(テスラが明かした「モデル3」生産地獄の実態、窮地のテスラに立ちはだかる自動車トップ 2018年から本格化する熾烈なEV競争の先は?、ベンツ・BMW・VWも本音では「EV本格普及はいまだ不透明」と見る) [科学技術]

電気自動車(EV)については、1月17日に取上げたが、今日は、(その4)(テスラが明かした「モデル3」生産地獄の実態、窮地のテスラに立ちはだかる自動車トップ 2018年から本格化する熾烈なEV競争の先は?、ベンツ・BMW・VWも本音では「EV本格普及はいまだ不透明」と見る)である。

先ずは、2月10日付け東洋経済オンライン「テスラが明かした「モデル3」生産地獄の実態 ロケットのようにうまく軌道に乗らない」を紹介しよう(▽は小見出し)。
・世界最大の輸送能力を持つ大型ロケットが現地時間の2月6日、米フロリダ州のケネディ宇宙センターから発射された。 成功させたのは、イーロン・マスク氏が設立した宇宙輸送関連会社スペースXだ。ロケットの先端にはマスク氏がやはりCEOを務めるテスラのEV(電気自動車)「ロードスター」が乗せられ、火星の軌道に投入された。現在は同車に搭載されたカメラがとらえた宇宙の様子がネットに配信され、大きな話題になっている。 一方、なかなか軌道に乗らないのは、マスク氏の本業、EV生産だ。
▽2017年度は約2150億円の赤字
・翌7日に発表されたテスラの2017年度通期決算は、最終損益がマイナス19億6140万ドル(約2150億円、前年同期比で約13億ドルの悪化)と、過去最大の赤字となった。高級車の「モデルS」や「モデルX」は好調だったが、昨年7月からスタートしたEV「モデル3」の量産立ち上げに今なお苦戦し、先行投資がかさんでいる。
・モデル3はテスラ初の量産型EVで価格は3.5万ドルから。2017年7月に出荷を始めたが、納入台数は7~9月期がわずか260台、10~12月も1500台にとどまった。週5000台の生産目標は、当初2017年末までに達成する計画だったが、今年6月末までに延期された。延期は今回で2度目になる。
・ボトルネックは大きく2つある。電池パックと車体の組み立て工程だ。 モデル3の電池生産は2017年1月、米ネバダ州に開所した世界最大の電池工場、ギガファクトリーで行われている。作られているのは、パナソニック製の円筒型リチウムイオン電池「2170」だ。パナソニックが作った電池のセルを、テスラがモジュール化(組み立て)する。
・この組み立ては、ロボットを活用した完全自動化ラインで行う予定。しかしこの4つの工程のうち2つの立ち上げを委託していた業者が機能せず、結局テスラ自らが行うことになった。 そのため、当面は手作業での組み立てを余儀なくされた。これには自信家のマスク氏も「われわれがいささか自信過剰になりすぎていた」と肩を落とす。車体組み立ての行程においても、同じく部品の自動組み立てのスピードが上がらない。
・そこでテスラは、2016年に買収したドイツの自動生産設備大手グローマンのチームを動員して、自動化工程に人を配置する半自動化ラインを導入。完全自動化が可能になるまでの「つなぎ」として活用することにした。 決算発表の当日に行われた電話会見でマスク氏は、「モデル3の苦戦はあくまで時間の問題。全体計画の中で現在の誤差は極めて些末なことだ」と強気の姿勢を崩さなかった。だが一方で、自ら「生産地獄」と表現する現状について、「こんな経験は二度としたくない。(11月の)感謝祭の日ですら、ほかのテスラ社員と一緒にギガファクトリーにいた。週7日、みんながバケーションを楽しんでいるときもだ」とも漏らした。
▽パナソニックに「テスラリスク」
・モデル3を巡る想定外の苦戦は、テスラに電池を独占供給するパナソニックにも影を落とす。5日に発表した2017年4~12月期(第3四半期)決算において、同社はこの生産遅延の影響で売上高で約900億円、営業損益で約240億円のマイナス影響を受けたと公表した。この結果、2次電池事業は54億円の営業赤字に沈んでいる。
・業績全体は増収増益で通期計画を上方修正しており、いたって好調。だが、成長事業と位置づける自動車電池事業の最大顧客はテスラだ。その先行きには一抹の不安がよぎる。2017年12月には、トヨタ自動車からの呼びかけで車載電池事業における協業検討を発表したが、それが結果的に「テスラリスク」をやわらげることとなった。
・パナソニックの津賀一宏社長は、1月上旬にラスベガスで開かれた家電見本市への参加後にギガファクトリーを訪問し、「現状を見てテスラ社との打ち合わせをする」と語った。打ち合わせの結果、どのような方針で合意したのかが気になるところだ。
・最終赤字が続く中で、テスラの財務リスクは膨らんでいる。2017年度のフリーキャッシュフロー(企業活動から生み出される余剰資金)は約34億ドルの赤字と、前年の倍以上に拡大。自己資本比率も15%を下回る。  これまでは新モデルの購入予約金と、増資と社債といった市場からの資金調達により「錬金術」のごとく資金を生み出してきたテスラ。期末時点の保有現金も、約33億ドルと前期からほとんど変わっていない。さらに1月末には、モデルXとSのリース債権を流動化し、5億4600万ドルを調達したことを発表した。
▽ツイッターはロケットの話題一色
・ただ同社は、今後もモデル3のための設備投資を拡大する必要がある。さらに今回、現在市場が盛り上がるSUV(スポーツ用多目的車)型の「モデルY」を投入するために、2018年末までに新たな投資を行うことも発表している。その程度によっては、資金繰りが苦しくなる可能性もある。決算発表翌日の株価は、市場が全面安だったこともあるが、2割減と大きく値を下げた。
・マスク氏は、モデル3の週次生産5000台実現を前提に、2018年度中の営業黒字化を宣言する。ただ、市場関係者の中には「生産台数はその半分程度になるのでは」という見方もある。 テスラは長期計画を掲げたうえで、そこから逆算して具体的な計画を立てる。モデル3の量産は、マスク氏が2006年に描いたマスタープランの最終ステップになる。だが、同氏がいうところの「誤差」に消費者や投資家、そしてサプライヤーがどこまで付き合えるかは別の問題だ。
・生産設備の不具合が露呈した10月頃には、ギガファクトリーの立ち上げで工場に泊まり込んだ様子などをツイッターで投稿していたマスク氏。だが、現在の同氏のツイッターはロケットの話題一色。足元における量産化への進捗は、うかがい知ることができない。
http://toyokeizai.net/articles/-/201504

次に、本田技術出身で名古屋大学客員教授/エスペック上席顧問の佐藤 登氏が2月8日付け日経ビジネスオンラインに寄稿した「窮地のテスラに立ちはだかる自動車トップ 2018年から本格化する熾烈なEV競争の先は?」を紹介しよう(▽は小見出し、+は①、②などの中での段落)。
・昨年後半から、米テスラの「モデル3」が生産地獄に陥っている状態、すなわち当初の量産計画通りの生産台数には全く届かず四苦八苦している状態が報道されてきた。その中には、自動車業界の競争意識、電池業界のビジネス戦略、そして大きな投資を要求されてきた部材メーカーの悲喜こもごもが盛り込まれている。
・遡れば2017年6月に、テスラは中国の上海市に電気自動車(EV)の生産工場を建設する方向であることを報じた。その場合の条件としては現地企業との合弁が前提とされていたが、果たして順調に進んでいるのか。現在の米国における状況を考慮すれば現実性があまり感じられない。
・CEOのイーロン・マスク氏は、電動車、とりわけEVの最大市場となる中国で巨大工場を建設すると述べていた。2018年の生産キャパは中国巨大工場の稼働分も含め 全世界で年産台数50万台の計画を掲げた。現在の生産台数との乖離が大きいだけでなく、そもそもこのような大量のEVを本当に量産できるのか、根本的な問題があるのではないだろうか。
・テスラは17年3月に中国ネット大手のテンセントから5%の出資を受けている。そして、同年4月にマスク氏が訪中した際には汪洋副首相と会談したとされている。もともとテスラは14年に中国市場に参入した。その後の16年には15年の3倍以上の売上高を記録した。米国からの輸出のため、関税と輸送費が課せられる格好であったが一大ブームを巻き起こしたことになる。だが、一定数が市場に出回った後には飽和感が漂い、頭打ちになったことも記憶に新しい。
・そのような中で、米国からの輸出よりも中国での現地生産に踏み切れば相応のメリットが出ると言う試算は正しい。だが、そこには想定外の誤算があったようだ。それは、35万台のバックオーダーを抱えていると言いながらも、それに見合った量産技術と生産体制の整備が進んでいないままでの生産をしているような実態だ。すなわち、本格的な生産技術が伴っていないという欠陥である。
・米国ネバダ工場だけでの量産台数としては週5000台ペースの生産を計画してスタートしたのだが、生産地獄に至ったことで17年7月に発売開始した直後には、その生産計画を17年末までと一旦延期した。さらに1月に入ると達成時期を18年4~6月期までと2度目の延期をアナウンスした。
▽テスラが陥っている罠
・2017年の第3四半期こそ売上高は前年同期比で8%増加したと言うが、1~9月間の営業損失は売上高の11.5%に達したとのこと。象徴するように、17年12月上旬の日本経済新聞の夕刊には、「テスラ暗雲、冷める投資家」というタイトルの記事が掲載された。 それによれば、17年7月に出荷を開始した量産型EV「モデル3」の生産が計画を大幅に下回っていることが株価に大きく影響したという。17年7月から9月期までの「モデル3」の生産台数は当初計画であった1300台の2割に留まり、260台しか生産できなかったとのこと。しかも納車先は社員または会社関係者にのみだったという。
・17年9月18日に上場来最高値の389ドルを付けた株価は、そういう状況が影響して後に下降を続け、12月8日には最高値から20%を下げた。「モデル3」発表と同時にバックオーダーが35万台に達したと話題になったテスラだが、明らかに量産体制の脆弱さが露呈している。17年10月から販売が開始された日産の新型EV「リーフ」が現在抱える1万6千台、そして仏ルノーのEV「ZOE」が抱える3万台規模(ルノーの知人談)に比べれば、テスラへの期待感がいかに大きかったかは想像に難くない。
・先の日経新聞によれば、テスラの財務は火の車とのこと。時価総額で米ゼネラルモーターズ(GM)やフォード・モーターを超えたと話題になったものの、実態とは大きな乖離があるようだ。17年7月から9月まで1年間のキャッシュフローは約5500億円の赤字、しかも16年12月通期の3倍にまで膨らんだというから火の車と言う比喩が妥当だ。
・決算における巨額の赤字体質に対する補填と設備投資に対する資金は、増資と社債でやりくりしている模様である。17年9月時点での手元資金は4000億円規模であるようだが、一方、負債額は1兆1000億円程度を抱えていると見られている。返済に追われる現状での打開策は、そう簡単ではないように映る。
・現在抱えているバックオーダーは、いつになったら全車納車になり得るのか、現状を踏まえると数年はかかる計算になる。一方、本年から米国ゼロエミッション自動車(ZEV)規制が急激に強化され、19年からは中国の新エネルギー自動車(NEV)規制が待ち構える。そして21年からは欧州におけるCO2規制が発効することで、世界の自動車各社は否が応でも電動化シフトを実行しなければならない。
▽日米欧の電動化戦略
・これを議論すると、ますますテスラは窮地に追い込まれると筆者は予測するが、同じ意見を有す読者の方々も少なくないのではと察したい。 先週の1月29日から2月1日までの4日間、ドイツ・マインツで自動車の電動化と車載用電池に関する国際会議「AABC(Advanced Automotive Battery Conference) Europe 2017」が開催され、筆者も参加した。予想はしていたというものの驚いたことはまず、昨年の700人規模の参加者が一気に1000人を超えたこと。欧州で開催された本会議の参加者急増加が、欧州自動車業界を始めとする電動化シフトが現実的なものとなってきたことの証しでもある。
・これまでも欧州勢、特にドイツ勢のダイムラー、BMW、そしてフォルクスワーゲン(VW)が数兆円規模の投資を図り電動化へのかじ取りを行っていることは報道されてきたが、その気迫を実感できる良い機会であった。そこにはドイツ勢のみならず、ルノーの電動化に対する積極的な戦略も発信され、まさに欧州で進んでいるEVシフトは言葉だけではない実態が伴う本格的なムーブメントである。
①欧州勢の電動化へのかじ取り
+2015年に発覚したVWのディーゼル燃費スキャンダルが引き金となり、加えてドイツのメルケル首相が発信した将来的なディーゼル車の排除が重なり、ドイツの自動車各社はリベンジの意味も込めつつ電動化には極めて積極的である。リップサービスで建前論的と、周囲には疑問視する意見もあるようだが、現在の各社の取り組み姿勢を考えれば、決して一時凌ぎの発言とは思えない。 ドイツ勢各社による開発投資計画、車種数の具体的発信、日本人エキスパートの積極的人材活用、電池各社に対する求心力の増大――これを裏付ける事例は山ほどある。
+ドイツ勢もフランス勢も昨今、車載電池に対する考え方を大幅に変えてきた。従来、電池は調達部品の1つとしてしか考えていなかった各社は、電池パックシステムをボッシュのようなTier1に委ねる戦略を推進してきたが、それでは競争力や差別化を図れないと漸く気付いた。電池セル単体は調達戦略のもとで受け入れるが、それ以降のモジュール化から制御システムまで包含した電池パックシステムを自社内での自前化にシフトさせている戦略に方向転換した。
+更なる裏付けの1つは、韓国トップ3の欧州拠点構築の動きだ。ポーランドでいち早くリチウムイオン電池(LIB)の生産拠点を構えた韓国LG化学は、第一次の400億円規模投資を終え2017年後半から生産を開始した。今後、さらなる第二次投資計画を進めようとしている。サムスンSDIはハンガリーに400億円規模の投資にてLIB生産拠点を作り、本年中の稼働を目標にしている。
+そして韓国の第3勢力であるSKイノベーションはハンガリーに、850億円を投資し生産拠点を構え、2020年の稼働を目指すと言う。韓国のトップ3の電池メーカーが欧州に拠点を構え、しかも巨額投資を行うという同じベクトル化にあるということをどう考えるべきか。 筆者がサムスンSDIに在籍していた経験から類推するに、マーケティング活動が日本勢より数倍積極的な韓国勢が、当てもなく巨額投資するはずはない。それには電池各社の十分な算段があるはずで、供給契約と言わずとも、それなりの可能性にかけている節がある。
②米国勢の電動化へのかじ取り
+GMもフォードも、ZEV規制、そして中国市場での展開もしたたかな戦略を進めている。欧州勢ほど大々的なEVシフトをしてこなかったのは、欧州勢がディーゼルスキャンダルの解決策で大々的に発信したスタンスとは異なり、じっくり練った戦略を打ち出しているためである。テスラのEV事業とは一線を画し、むしろ自動車の歴史を牽引してきた米国トップ企業の余裕すら感じる。両社にとって、テスラは気にはなるが大きな脅威とは感じていないようだ。
③日本勢の電動化へのかじ取り
+日本勢はまた特有の戦略を有している。特にトヨタとホンダには強力なハイブリッド車(HEV)があるからだ。日本ではもちろん、最近では欧州でも、そして中国でもHEVの販売が伸びていることが象徴している。  ZEV規制、NEV規制においてHEVはクレジットにカウントされるカテゴリーから排除されている。しかし、そのHEVが日本ではもちろん、欧州、そして中国で販売を拡大している事実は何であろうか?
+取りも直さず、消費者にとってHEVが魅力ある製品であることに違いはないからである。ZEV規制もNEV規制でも、トヨタとホンダのみが勝ち組であるHEVであるからこそ、各規制でのHEV排除が行われたこと。一方では、HEVが燃料節減や充電器設備投資が不要なる商品であることから使い勝手の良い電動車として認知を得ていることに他ならない。そういう日本のトップ2でも、いざEVの商品化を実現する段階では、トヨタもホンダもEVは個社のプライドをかけて発信して来るはずだ。
▽テスラの行方は?
・以上のように、量産技術を得意とする日米欧の自動車各社の姿勢は、現在テスラが抱える病とは無縁な状況下にある。 前述した世界のトップブランドメーカーがEVシフトに立ち向かうことで、テスラの行方にも大きな影響を及ぼすことは間違いないだろう。今回のAABC国際会議に参加していた日本人、部材メーカー、電池メーカー、調査会社、コンサル会社の知人達と筆者を含む8人は、会食会の場で今後のテスラの行方を占った。
・そもそも大量生産をしたことがないテスラが、一気に50万台規模の量産を具現化するのは困難で、数年の時間はかかるはず。「モデルS」のような尖った高級路線での存在感はそれなりにあるが、「モデル3」のような普及車カテゴリーでは、真っ向から世界の名だたる自動車各社のEVと直接比較される。そこではテスラの選択肢や存在感は大きなものではなく、むしろトップブランドのEVの方が安全性や信頼性で消費者の関心を惹くだろうと。
・そして、現在の生産地獄が長引けば長引くほどキャッシュフローの改善は見込めず、経営はもっと窮地に陥るはず。シナリオとしてありうるのは、17年春にGMの時価総額を超えたテスラだけに、それを武器に中国企業に売却することだ。生産地獄から逃れる短絡的な解決方法の手段のひとつのような気がする。
http://business.nikkeibp.co.jp/atcl/opinion/15/246040/020600068/?P=1

第三に、ジャーナリストの桃田健史氏が2月15日付けダイヤモンド・オンラインに寄稿しら「ベンツ・BMW・VWも本音では「EV本格普及はいまだ不透明」と見る」を紹介しよう(▽は小見出し)。
▽7年ぶりに再びEVバブル到来 再度注目が集まるAABC
・EVシフトについて、ブームの仕掛け人であるジャーマン3(ダイムラー・BMW・フォルクスワーゲングループ〈以下VW〉)の関係者すら「EV本格普及についてはいまだに不透明」という見解を示したことに、日本人関係者の多くが驚いた。 EV用の車載電池の国際カンファレンス、AABCヨーロッパ(2017年1月29日~2月1日、 於・独マインツ)での出来事だ。
・AABCとは、アドバンスド・オートモービル・バッテリー・カンファレンスの略称で、自動車メーカー、自動車部品メーカー、化学メーカー、コンサルティング企業、そして学術関係者など、自動車に搭載する次世代電池に関する研究や市場調査について発表を行う場だ。AABCはもともとアメリカで始まり、欧州やアジアでも開催されており、この分野の世界の最新情報が収集できる場として、産業界で高い評価を得ている。
・筆者は2000年代中盤から世界各地で開催されるAABCを定常的に取材しており、2010年前後の第四次EVブームの際、AABC自体の参加者数もスポンサー数も急増するという「EVバブル」を実体験した。 そんなAABCに再び、脚光が当たっている。 背景にあるのは、VWがディーゼル不正によって世間から食らったネガティブな企業イメージから、V字回復を狙って策定した新規事業計画から派生した、世界各地での「EVシフト」というトレンドである。
▽欧州委員会の新発表あるも…欧州でのEV普及はいまだに不透明
・欧州のEVシフトの構図について筆者の見立ては、VWが仕掛けて、そこにダイムラーがすぐに相乗りし、その流れをBMWが追い、独自動車部品大手のボッシュとコンチネンタルがサイドサポートに回った、というもの。 そうした独企業のマーケティング戦略とほぼ同時に、英国とフランス両国の国内政治の案件として、環境問題の観点から自動車に焦点が当たり、「2040年までにガソリン車・ディーゼル車の販売禁止を目指す」といった「目標値」を公表した。
・さらに、インドでも「2030年までに国内販売車のすべてをEVとする」との野心的な草案が公表された。本件についてはその後、政権内での意見の相違から事態は変化している。詳細については2月中にインド国内での取材を進め、本連載でも情報公開する予定だ。
・こうした、2016~2017年中盤までのEVシフトの流れに、新たなる動きが加わった。EC(欧州委員会)が2017年11月8日、域内で販売される車両に対するCO2規制値を、2030年に2021年比で30%減とする案を示したのだ。
・自動車メーカー各社の技術開発者は、これまで「世界で最も厳しい排気ガス規制は欧州だ」と口を揃えてきた。具体的には、2021年までにCO2レベルが1kmあたり95gだ。これをクリアするためには、ハイブリッド車やプラグインハイブリッド車など、ガソリンエンジンやディーゼルエンジンにモーターを加えた電動化が必然だと考えられている。ただし、モーターのみで走行するEVについては「EVがなくても、95g規制は乗り切れる」と見る自動車メーカーがほとんどだった。
・それが今回、2030年までに2021年比の30%減という数字がECから出てきたため、「EVの強化の可能性も考慮するべきか?」という空気に変わってきている。 繰り返すが、あくまでも「考慮するべきか?」という段階だ。 なぜならば、ECは今のところ、中国のNEV法(新エネルギー車規制法)や米カリフォルニア州のZEV法(ゼロエミッション車規制法)のように、事実上のEV販売台数規制を考えてはいないからだ。
▽当面の主戦場は中国市場 政策主導で動き、消費者は不在
・そのため、今回のAABCヨーロッパでも、話題がEVに限定されると「中国ありき」という議論になった。 台湾の工業技術研究院の発表によると、2017年の中国EV販売総数は、前年比53.5%増の77万7338台となった。これは2017年の世界EV市場140万台の半数以上を占める。また、2018年には中国EV販売総数は100万台に達する可能性が高く、さらに中国政府は2020年に500万台を目標として掲げている。
・NEV法では、2019年に市場のうち10%、2020年には12%との規制値を設けており、NEVが起爆剤となってEV販売台数における「中国ひとり勝ち」がほぼ確定している状況だ。 もう一方のEV販売台数規制であるZEV法については、ホンダのアメリカ法人の発表にあったように、トランプ政権になってからEVを含む次世代車の普及について、連邦政府とカリフォルニア州が今後どのように擦りあわせをしていくのか「不透明な情勢」である。
・このように、EVについては、政策主導型での普及がいまだに“主役”であり、そこに自動車メーカーが「様子を見ながら、お付き合いする」といった格好だ。 つまり、「消費者不在」の状況が続く。 AABCヨーロッパでの4日間にわたる発表と議論、そしてアメリカ、ドイツ、フランス、ベルギー、スウェーデン、フィンランド、日本、インド、中国、韓国、台湾などからの参加者たちと個別に意見交換する中で、筆者は一抹の不安を感じた。  もし、中国がNEV法実施に失敗したら、再び世界EVバブルは崩壊するのかもしれない。 中国は2010年前後に実施した、公共交通機関を主体とした壮大なEV施策「十城千両」も、当初の普及台数目標に未達の地方都市が続出したことなどを理由に、なんの前触れもなく打ち切った過去がある。
・ジャーマン3が提唱するEVシフト。その動向、日本としてはしっかりと見守っていかなかればならない。
http://diamond.jp/articles/-/159754

第一の記事で、 マスク氏が、『自ら「生産地獄」と表現する現状について、「こんな経験は二度としたくない。(11月の)感謝祭の日ですら、ほかのテスラ社員と一緒にギガファクトリーにいた。週7日、みんながバケーションを楽しんでいるときもだ」とも漏らした』、というのは、いくらマスク氏といえども、量産の世界は思う通りにはいかないようだ。
第二の記事で、 『納車先は社員または会社関係者にのみだったという』、というのは、まだ品質に自信がないためなのかも知れない。  『そもそも大量生産をしたことがないテスラが、一気に50万台規模の量産を具現化するのは困難で、数年の時間はかかるはず』、と量産の壁は予想以上に高いようだ。 『シナリオとしてありうるのは、17年春にGMの時価総額を超えたテスラだけに、それを武器に中国企業に売却することだ。生産地獄から逃れる短絡的な解決方法の手段のひとつのような気がする』、とのアドバイスは、いざ売ろうとしたら、GMの時価総額を超えたことなど吹き飛んで、厳しく買い叩かれることになるので、そう簡単ではなさそうだ。
第三の記事で、 『当面の主戦場は中国市場 政策主導で動き、消費者は不在』、しかし、 『中国は2010年前後に実施した、公共交通機関を主体とした壮大なEV施策「十城千両」も、当初の普及台数目標に未達の地方都市が続出したことなどを理由に、なんの前触れもなく打ち切った過去がある』、というのでは、 『自動車メーカーが「様子を見ながら、お付き合いする」といった格好』、なのも無理からぬところだ。
タグ:電気自動車 桃田健史 (EV) 「テスラが明かした「モデル3」生産地獄の実態 ロケットのようにうまく軌道に乗らない」 ダイヤモンド・オンライン 「ベンツ・BMW・VWも本音では「EV本格普及はいまだ不透明」と見る」 シナリオとしてありうるのは、17年春にGMの時価総額を超えたテスラだけに、それを武器に中国企業に売却することだ 中国は2010年前後に実施した、公共交通機関を主体とした壮大なEV施策「十城千両」も、当初の普及台数目標に未達の地方都市が続出したことなどを理由に、なんの前触れもなく打ち切った過去がある 当面の主戦場は中国市場 政策主導で動き、消費者は不在 欧州委員会の新発表あるも…欧州でのEV普及はいまだに不透明 納車先は社員または会社関係者にのみだったという 現在の生産地獄が長引けば長引くほどキャッシュフローの改善は見込めず、経営はもっと窮地に陥るはず ますますテスラは窮地に追い込まれると筆者は予測 テスラの財務は火の車 本格的な生産技術が伴っていないという欠陥 パナソニックに「テスラリスク」 テンセントから5%の出資 「窮地のテスラに立ちはだかる自動車トップ 2018年から本格化する熾烈なEV競争の先は?」 量産立ち上げに今なお苦戦 日経ビジネスオンライン 佐藤 登 自ら「生産地獄」と表現する現状について、「こんな経験は二度としたくない。(11月の)感謝祭の日ですら、ほかのテスラ社員と一緒にギガファクトリーにいた。週7日、みんながバケーションを楽しんでいるときもだ」とも漏らした モデル3 東洋経済オンライン (その4)(テスラが明かした「モデル3」生産地獄の実態、窮地のテスラに立ちはだかる自動車トップ 2018年から本格化する熾烈なEV競争の先は?、ベンツ・BMW・VWも本音では「EV本格普及はいまだ不透明」と見る)
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