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パンデミック(経済社会的視点)(その21)(コロナうつ「自殺者数の異変」に見る意外な背景 「経済活動が回復するタイミング」で増えている、新型コロナで「脳が縮む」!? 科学誌Natureが公開した驚きの論文、3回目以降の副反応が怖い人に知ってほしい現実 ワクチン接種の安全性をもっと高める必要がある、上海ロックダウン 官僚システムの迷走を暴いた「勇気ある正直者」の電話) [パンデミック]

パンデミック(経済社会的視点)については、本年1月14日に取上げた。今日は、(その21)(コロナうつ「自殺者数の異変」に見る意外な背景 「経済活動が回復するタイミング」で増えている、新型コロナで「脳が縮む」!? 科学誌Natureが公開した驚きの論文、3回目以降の副反応が怖い人に知ってほしい現実 ワクチン接種の安全性をもっと高める必要がある、上海ロックダウン 官僚システムの迷走を暴いた「勇気ある正直者」の電話)である。

先ずは、2月2日付け東洋経済オンラインが掲載したナビタスクリニック内科医師の久住 英二氏による「コロナうつ「自殺者数の異変」に見る意外な背景 「経済活動が回復するタイミング」で増えている」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/507110
・『いわゆる「コロナうつ」、つまりコロナ禍でのメンタルヘルス悪化は、日本でも懸念されてきた。OECDの報告によれば、国内のうつ病の有病率は2020年時点で17.3%と、2013年の7.9%から倍増している。 このうつ病の増加に関連して、医師としても看過できない統計データがある。警察庁が発表している国内「自殺者数」の推移とその理由だ(2020年「令和2年中における自殺の状況」)。 過去数十年にわたって自殺理由のトップは「健康問題」で、全体の約半数近くを占めてきた。その内訳として「うつ病」は例年4割近くにも及ぶ(厚生労働省「自殺対策白書」)。 それでも「健康問題」による自殺は、この10年以上、実数も割合も減少傾向を保っていた。それが2020年は、突如急増したのだ。同じく減少を続けていた自殺者数全体も、増加に転じた。 この唐突な自殺増加を招いた「健康問題」とは、状況的に「コロナうつ」と考えるのが自然だ』、「唐突な自殺増加を招いた「健康問題」とは、状況的に「コロナうつ」と考えるのが自然だ」、その通りなのだろう。
・『「経済・生活問題」の自殺は減少?  他方、「経済・生活問題」理由の自殺は2020年も減少したという。だが、これを額面通り受け取ってよいかは大いに疑問だ。 現実に目を向ければ、日本人は新型コロナ流行によって確実に厳しい経済状況に陥っている。「経済的なダメージに直面した若者は、特にうつ病リスクが高い」というアメリカの調査もある。 また、フランスや英国からは、「パンデミック中も雇用が確保された人は、失業者よりもうつ病や不安神経症のリスクが低かった」(前出OECD報告)とのエビデンスが示されているが、日本の雇用状況は厳しい。 2018年以降ずっと2.5%以下で推移してきた完全失業率は、2020年に入って上昇し、以来一度もコロナ禍以前の水準に戻っていない(労働政策研究・研修機構)。 たとえコロナ禍の「経済・生活問題」から「コロナうつ」を発症し、自殺に至った場合でも、「うつ」が介在すれば統計上は「健康問題」による自殺として扱われる。 「経済・生活問題」がメンタルヘルスに与える影響は、表面上見えづらくなっているのかもしれない。 実は、そう考えた理由はもう1つある。「月別自殺者数」のイレギュラー過ぎる推移だ。 2019年までと比べ2020~2021年は、例年なら減少傾向となる時期に自殺者が増加したり、増える時期に減ったり、ピークがまったく違う月に来たりした。 (グラフ:警察庁資料より筆者作成) やはり新型コロナの影響だろう。この間の大きな出来事と言えば、緊急事態宣言だ。 ・第1回2020年4月7日~5月25日 ・第2回2021年1月8日~3月21日 ・第3回2021年4月25日~6月20日 ・第4回2021年7月12日~9月30日 緊急事態宣言による行動制限が人々の孤独を深め、自殺の増加に直結したのならわかりやすい。だが、宣言期間と月別自殺者数のグラフを見比べると、実際にはそう単純な話でもない。 緊急事態宣言の影響を直接かつ具体的に受けるのは、個人よりも、休業要請・命令の対象となるサービス産業(飲食店やイベント業など)だ。 そこで、直近2年間の自殺者数の変動グラフに、同時期の「第3次産業活動指数」(経済産業省)をグラフにして重ねてみた。すると、興味深い結果となった。 (グラフ:経済産業省および警察庁資料より筆者作成) 「経済・生活問題」を理由とした自殺の減少や、「経済的安定がメンタルヘルスの安定につながる」とした海外の調査結果を踏まえ、「景況悪化時は自殺が増え、好況時は自殺が減る」と勝手にイメージしていたのだが、様子がかなり違う。 それどころか、2020年6月以降は緩やかに、そして2021年前半は偶然とは思えないほどに、自殺者数とサービス産業の動きがシンクロしている』、「シンクロ」の要因は何なのだろう。
・『「経済回復期」に追いつめられる人々  この現象を素直に解釈すれば、自粛生活が明けて経済・社会活動が再開し、正常化が見えてきた頃こそが、メンタルヘルスの危機であり、自殺者の増えやすいタイミングということになる。 つまり、緊急事態宣言の下、皆が等しく我慢を強いられている“非日常”では、厳しい現実から目を背けていることもできた。だが、日常が戻ってきた時、それを素直に歓迎し活動を広げる人たちの姿は、その波に乗れない、受け入れがたい状況にある人たちを追い込んでいく。 例えば第1回宣言では解除後の2020年6月以降、感染が落ち着いてサービス産業も順調に回復していた時期に、自殺者数が急増し、数カ月間そのまま高止まりした。10月には異例のタイミングで、自殺者数の年間ピークを記録している。 第2・3回の宣言でも、宣言の解除から経済活動が回復するタイミングで、自殺者数が増えた。 もちろん、第4回宣言はこの限りではない。自殺数と経済活動の厳密な相関関係を示すには、もっとずっと難しい統計学的解析が必要だ。自殺の要因には、人間関係や学校・仕事問題など、さまざまな要因が絡み合っている。 それでも、経済回復期は、複雑な人間心理がメンタルヘルスに影響を与えやすい、実は非常に繊細な局面なのだ、という認識は持っておいたほうがいい。 以上、前回の記事【医師が警鐘「ステイホームによる健康被害は深刻」】の話も併せると、行動制限に慎重であるべきなのは、単に人権や経済だけが理由ではないとおわかりいただけると思う。 解除後の経済・社会の回復期になって噴出する「からだ」と「こころ」への影響――そこまで見越して、なお制限に踏み切るのかどうかだ。 もっと言えば、おそらくポスト・コロナの数年間は、否応なく同様の「からだ」と「こころ」の健康問題に直面することとなる。さらにくっきりと明暗が分かれるだろう』、「経済回復期は、複雑な人間心理がメンタルヘルスに影響を与えやすい、実は非常に繊細な局面なのだ、という認識は持っておいたほうがいい」、確かにありそうなシナリオだ。
・『患者目線のオンライン医療整備を  新型コロナは依然、世界中で猛威を振るっている。ただ、感染性が高く毒性の低いオミクロン株の出現は、「ゼロコロナ」政策の限界を突きつけ、「withコロナ」容認を後押しした。早々に行動規制の緩和に踏み切る国が続出している。 諸外国の関心はすでに「対コロナ全集中」から「いかに日常を取り戻すか」へ、加速度的にシフトし始めているのだ。日本も判断を迫られている。 来るべきポスト・コロナ社会に向けて、医療はどう備えるべきか。まずは診療や検査のオンライン化を徹底し、患者さんにとって利用しやすいものにしておくことだ。 例えば生活習慣病は、服薬や食事・運動の適切な管理によって状態を維持・改善できるが、放置してしまえば自覚症状のないままに進行する。そのため、いかに健診・検査を受け、診療や指導を継続してもらえるかが非常に大事だ。 また、「こころ」の不調は「からだ」の不調とは違い、定期健診などの早期発見手段や、血液検査値など目に見える指標がない。そのうちに「こころ」がすっかり疲弊して「からだ」も言うことを聞かなくなり、生活が立ち行かない状況に陥ってしまう。 オンライン診療・検査なら、移動や待ち時間の制約を伴わない分、利用へのハードルが低い。体調不良や多忙の際にも受診を諦めずに済むし、潜在患者もすくい上げやすい。 現在、厚生労働省は「オンライン診療の適切な実施に関する指針の見直しに関する検討会」を開催し、体制の整備を進めている。安全性を担保するごく最低限の制約は必要だが、「ハードルの低さ」という大きなメリットが損なわれてしまっては本末転倒だ。 「からだ」の不調でも「こころ」の不調でも、症状が軽かったり単に不安だったりしたときでも、たとえかかりつけ医でなくとも、誰もが初診から利用しやすいオンライン医療へ。さらなる診療報酬改定や法整備等を含め、ぜひ患者さん目線で議論していただきたい。 新型コロナを機に仕事の仕方やライフスタイルが大きく変わる中、医療も転換期を迎えている。オンライン医療が、「からだ」と「こころ」の健康に悩むすべての人のセーフティーネットになれたらと思う』、「医師会」の意向を受けた厚労省は、「ハードル」をなるべく高くしようと画策しているようだ。

次に、3月12日付けダイヤモンド・オンラインが掲載した産業医・内科医でPreventive Room 株式会社代表の森勇磨氏による「新型コロナで「脳が縮む」!? 科学誌Natureが公開した驚きの論文」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/298810
・『人生100年時代は、健康こそ最大の資産です。 しかし40歳を越えると、がん、糖尿病、腎臓病といった病気を避けては通れません。国立がん研究センターによれば、40~49歳のがん患者数は、30~39歳と比べると3倍以上です(2018年)。もちろん50代、60代と年齢を重ねるにつれ、がん患者数はどんどん増えていきます。 本連載は、毎日の食事から、大病を患ったあとのリハビリまで、病気の「予防」「早期発見」「再発予防」を学ぶものです。著者は、産業医×内科医の森勇磨氏。「予防医学ch/医師監修」の管理人でもあり、動画は「わかりやすい説明で参考になる」「怖いけど面白い」と評判で、チャンネル登録者は27万人を超えています。初の単著『40歳からの予防医学 医者が教える「病気にならない知識と習慣74」』を出版し、感染症医・神戸大学教授の岩田健太郎氏が「安心して読める健康の教科書」と推薦文を寄せています。本記事はそんな森氏の緊急提言です』、興味深そうだ。
・『新型コロナで「脳が縮む」!? 科学誌Natureが公開した驚きの論文 新型コロナと脳に関する論文が発表!  新型コロナウイルスが人間の脳に与える影響について、世界各地で様々な仮説が検証されています。 そして、かの有名な科学誌「Nature」に非常に興味深い論文が2022年3月7日に公開されました(※1) その研究内容としては、「UKバイオバンク」と呼ばれるイギリスの研究機関に登録された51-81歳の785名の被験者を対象に、「感染前の脳の画像と感染後の脳の画像を比較して、一体どのような変化があったのか」を調査したものです。 この研究では、感染する前の脳の画像を前もって撮影しておくことで、感染後の画像と比較することでコロナに感染した自体の影響をできるだけ浮き彫りにする事ができるのではないか、という試みです。 またこちらの論文は、「新型コロナ感染者の脳の画像に関連した縦断的研究(特定の個人や集団の経過、前後関係を追跡する研究)としてはおそらく初めてのものになる」とのことでした。 そして気になる結果としては、 ・脳の中で、人の意思決定に重要な役割を果たす「眼窩前頭皮質」という部分や、記憶を整理したり検索したりする役割のある「海馬傍回」という場所の組織の厚みが減少していた ・においを扱う「一次嗅覚皮質」という場所に機能面で関係している部分の組織が損傷していた ・そもそも脳自体のサイズが減少していた というものでした』、「新型コロナで「脳が縮む」!」とはショッキングな報告だ。
・『今、私たちがすべきこと  新型コロナウイルス感染時の合併症として「嗅覚障害」が認められるのは周知の事実ですが、このようにウイルスが脳のにおいを取り扱う組織自体に影響を与える特性から、嗅覚障害が起きている可能性があります。また、記憶や認知機能に関連した組織への影響も認知症などへの影響含め、非常に気になるところです。 そして、入院となった被験者を除いても同様の傾向が認められたとのこと。要するに軽症者に関してもこのような脳細胞への影響が引き起こされる可能性はあるわけです。 過去にも、新型コロナウイルスが脳をはじめとした「中枢神経系」に存在することが発見されたという報告はありましたが、今回紹介した論文のように、より具体的にウイルスが脳に与える影響の実態が解明されてきています。 一般的な関心事としては、こういった脳への影響が「一過性」なのか「長期的」に続くのかという話だと思われます。しかしその点に関しては、中長期視点での今後の研究が待たれますので、現段階で過度な心配は禁物です。 とはいえ、依然として新型コロナウイルスに感染することで脳に関係する様々な影響が認められる可能性は否定できません。 特に中高年にとって脳にまつわる病気で最も一般的なのが認知症です。「他者とのコミュニケーションを定期的にとる」「しっかり運動をする」といった認知症予防はより意識しておくに越したことはないでしょう。 また新型コロナウイルスは血管に影響を与える可能性(※2)も示唆されており、「脳の血管」を守るという意味でも、日々の生活習慣は整えておきたいものです。 【出典】※1 Gwenaëlle Douaud,et al. SARS-CoV-2 is associated with changes in brain structure in UK Biobank. Nature. 2022 Mar 7. ※2 Yan Xie,et al. Long-term cardiovascular outcomes of COVID-19. Nat Med. 2022 Feb 7.』、「特に中高年にとって脳にまつわる病気で最も一般的なのが認知症です。「他者とのコミュニケーションを定期的にとる」「しっかり運動をする」といった認知症予防はより意識しておく」、その通りだ。 
・『40歳からの予防医学 (森勇磨氏の略歴はリンク先参照) 総合内科医・産業医が教える「病気にならない全知識」  はじめまして。医師の森勇磨(もり・ゆうま)と申します。この度『40歳からの予防医学 医者が教える「病気にならない知識と習慣74」』を出版しました。 現代は医学情報があまりにも多すぎます。残念ながら、「正しい情報」と「でたらめな情報」がごった煮になっており、かつて私が勤務していた救急現場でも、 ・スポーツドリンクやエナジードリンクに糖分が多く含まれていることを知らずに飲みすぎて、重篤な糖尿病になった人 ・がん検診を受けず、根拠のない民間療法に頼り、「急な体重減少」や「血便」といった症状を放置して、末期がんの状態で来院される人 ・心不全の初期症状を放置した結果、肺に水がたまってしまい、すぐに人工呼吸器をつけなければ数十分で死に至ってしまう状態で救急搬送されてきた人 病院の「外」でできることをしなかったがために、人生が大きく変わってしまった人をたくさん見てきました。 「病院の外で、やるべきことがあるのではないか?」という思いから、私は現在「予防医学の実務家」と呼ばれる産業医の仕事をしながら、YouTubeなどのSNSを通じて予防医学の情報発信をしています。ありがたいことに、チャンネル登録者数は27万人を超え、「予防医学を専門とした情報発信者」としては、日本一の実績を持っています』、「予防医学の情報発信」は極めて重要だ。
・『日本が抱える「医療制度の課題」とは?  病気になってからの」病院へのアクセスのしやすさ、国民皆保険制度による医療費負担の軽減など、日本の医療制度は世界トップクラスです。 しかし、「病気になる前の」予防医学のアプローチは十分にできているといえず、課題が多いのです。残念なことに、今の日本では、個人個人を病気にさせないことで対価が発生するしくみがうまく機能していません。 そこでこの度、予防医学のエッセンス(病気の予防、早期発見、再発予防)を集約した『40歳からの予防医学 医者が教える「病気にならない知識と習慣74」』を執筆しました』、なるほど。
・『40歳を越えると、親の介護がのしかかってくる  40歳を越えると、「両親の介護」も頻繁に話題にあがってきます。親世代は65歳を越えていて、免疫機能が落ち、筋力や骨も弱くなっています。1回の感染や転倒・骨折などでQOL(生活の質)が著しく低下する年代です。 本書は「親世代(65歳以上)の健康寿命を延ばす」「介護・寝たきり状態にならないための知識」も充実させました。ぜひ親子でシェアしてください。医学的エビデンスの中での「正解」の行動がとれるよう、とにかくわかりやすさ、行動へのつなげやすさを意識しました。あなたの日々の行動に影響を与えることができれば幸いです』、興味深そうな本だ。

第三に、3月26日付け東洋経済オンラインが掲載した医療ガバナンス研究所理事長の上 昌広氏による「3回目以降の副反応が怖い人に知ってほしい現実 ワクチン接種の安全性をもっと高める必要がある」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/541542
・『コロナ感染者が増加に転じた。イギリス・オックスフォード大学が提供するデータベース”Our World in Data”によれば、世界で3月2日、アジアでは2月17日、欧州は3月2日以降、感染者が増えている。春の流行が始まったのだろう。昨春、日本では3月2日から感染者が増加し、ピークは5月14日だった。早晩、日本でも感染者が増加に転じるはずだ。 コロナ対策の肝の1つがワクチン接種だ。オミクロン株に対してもワクチンは有効だった。2月11日、アメリカ疾病対策センター(CDC)が『疫学週報』に発表した研究によると、追加接種から2カ月間、外来受診が87%、入院が91%減っていた。その後、効果は減衰し、4カ月後には、それぞれ66%、78%に低下していた』、興味深そうだ。
・『日本も4回目接種を見据えて動いている  世界では4回目接種の議論が進んでいる。イスラエルは昨年12月21日、6歳以上の全国民と医療従事者、免疫不全患者などに4回目接種をすることを決めているし、アメリカも秋以降に4回目接種を実施する方向で調整が進んでいる。3月15日、アメリカ・ファイザーは、65歳以上を対象とした4回目接種の緊急使用許可を、アメリカ食品医薬品局(FDA)に申請した。 日本政府も、4回目接種の準備に余念がない。3月16日、ファイザー製7500万回、同じくアメリカのモデルナ製7000万回分のワクチンを追加購入することで両社と合意したと発表している。接種の遅れが問題視された第6波での3回目接種とは対照的だ。今回の動きは高く評価したい。 では、このままでいいのか。私は、今こそ、ワクチンの安全性について議論を深めなければならないと考えている。ワクチンは有効だが、副反応を伴う。そして、時に致死的になる。3月22日、このことについて検証したわれわれの論文が公開された。中心になったのは山下えりかと瀧田盛仁だ。ご紹介したい。 本研究では、厚労省が公表した副反応情報、アメリカのワクチンデータベース「VAERS」、および欧州のデータベース「EudraVigilance」を用いた。いずれも公開情報である。 詳細は省くが、3つのデータベースすべてで、ワクチン接種後2日目に死亡の報告が増加していた。図1は日本のデータだ。 【図1】(外部配信先では図表などの画像を全部閲覧できない場合があります。その際は東洋経済オンライン内でお読みください) ただ、これは報告バイアスの可能性がある。報告バイアスとは、ワクチン接種後、数日で亡くなった場合、本当は別の病気が原因だったのに、ワクチンとの関係を疑ってしまい、死亡例の報告が増えることをいう。コロナワクチン接種後の死亡の原因は心不全や脳卒中が多い。ワクチン接種後の死亡に特異的な死因はないため、このようなデータをいくら提示しても、結論はでない』、「報告バイアス」まであるというのは、厳格な科学的推論はやはり大変だ。
・『小柄な人には副反応が強くなる可能性がある  では、どうすればいいのか。われわれが注目したのは性差だ。ファイザー製のワクチンの投与量は、アジア諸国が参加していない国際共同第一相臨床試験に基づいて設定されている。 その結果は、アメリカ『ニューイングランド・ジャーナル・オブ・メディスン』に2020年10月14日に掲載されている。この試験では、参加したボランティアを10マイクログラム(1マイクロは100万分の1)、20マイクログラム、30マイクログラムの投与群に振り分け、副反応の頻度を比較しているが、副反応は用量が増えるほど増加している。 例えば、18~55歳に対する2回目接種で発熱が生じた頻度は、それぞれ0%、8%、17%だし、倦怠感は33%、58%、75%、悪寒は8%、42%、 58%である。つまり、投与量を増やすほど、副反応は強くなるのだが、世界各国が承認した投与量は、人種、性別、体重に関わらず、1回あたり30マイクログラムだった。小柄な人には副反応が強くなる可能性がある。 では、誰が危険だろうか。まず、思い浮かぶのは女性だ。日本人女性成人の平均体重は約50キログラムだ。一方、日本人男性の平均体重は約70キログラム、アメリカ人男性は約90キログラムだから、日本人女性は、日本人男性の1.4倍、米国人男性の1.8倍のワクチンが投与されていると考えることもできる。 われわれは、もし、コロナワクチンが致死的な副作用を生じるのであれば、男性よりも女性の頻度が高いと仮説を立てた。ただ、疾病などのストレスに対する抵抗力は、男性よりも女性のほうが強い。つまり、同じ条件なら、男性のほうがワクチンの副反応は強く出やすいかもしれない。男女の死亡率を単純比較しても、影響は推定できない。 注目したのは、男女の死亡率の比の経時的な推移だ。結果を図2に示す。 【図2】 予想通り、男女の死亡率の差は、接種後1週間以内は女性のほうが高く、その後、減少し、2週間以降では、男性の死亡率のほうが高くなっていた。つまり、死亡率は時間の経過とともに変化していた。この変化は統計的に有意であり、偶然の影響では説明できない。ワクチン接種後1週間以内は、相対的に女性のほうが最悪の事態に至る危険度が高まる。過剰投与による副作用が影響している可能性については議論の余地がある』、「男女の死亡率の差は、接種後1週間以内は女性のほうが高く、その後、減少し、2週間以降では、男性の死亡率のほうが高くなっていた」、なるほど。
・『安全性を高める対策が早急に必要  ちなみに、このような性差はアメリカや欧州のデータベースの解析では検出されなかった。欧米の女性は、一般的に日本人女性より大柄なため、体重あたりの投与量が少ないからだろうと私は考えている。 この研究は、コロナワクチン接種により、女性を中心に副反応で亡くなっていた可能性を示唆する。コロナワクチン接種で亡くなっていた人が多数いるのだから、問題は深刻だ。死亡例を見直し、ハイリスク群を同定し、ワクチン減量も含めて、安全性を高める対策を早急に講じなければならない。 個人レベルでの対応としては、主治医と相談することをお奨めする。感染予防のメリットと、副反応のリスクを天秤にかけて、判断してくれるはずだ。それぞれの状況に応じた柔軟な対応が必要だ』、「このような性差はアメリカや欧州のデータベースの解析では検出されなかった」、しかし「日本」では「性差」がある以上、「ワクチン減量も含めて、安全性を高める対策を早急に講じなければならない」、同感である。

第四に、4月8日付けダイヤモンド・オンラインが掲載したフリーランスライターのふるまいよしこ氏による「上海ロックダウン、官僚システムの迷走を暴いた「勇気ある正直者」の電話」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/301126
・『新型コロナウイルスの感染拡大で、3月28日から段階的ロックダウンに入った上海市。政府は引き続き「コロナゼロ化」の掛け声の下、全住民のPCR検査などを強行しているが、現場はかなり混乱しているようだ。ある電話のやりとりを収めた動画がネットで拡散している』、興味深そうだ。
・『3月28日から段階的ロックダウンに入った上海 「上海市衛生健康委員会は今朝(4日)、以下の通り報告を行った。2022年4月3日0時から24時までに新型コロナウイルスに感染確定した患者425人と無症状感染者8581人が新たに記録された。患者のうち71人はこれまでに無症状からの感染確定であり、7人の感染と7920人の無症状感染者は隔離管理状態において発見され、その他はリスク関係者への検査によって発見された。海外からの新型コロナウイルス輸入感染確定は8人、無症状患者は4人で、いずれも閉鎖隔離状態で発見された。各地域別情報は以下の通り……」 3月28日から段階的ロックダウンに入った上海市内では、毎朝このような一見詳細なフォーマットで前日の新規感染者数の発表が行われている。SNSの公式アカウントからはこれに続いて、市内16区で新規感染者が出た場所の住所が具体的に付記される。毎日毎日、機械的な発表を繰り返すこともまた、上海市当局が考える「科学的、合理的」な新型コロナ感染対策の一環のようだ。 だが、そこに爆弾が投じられた』、「爆弾」とはどういうことだろう。
・『WSJのスクープ「上海最大の高齢者施設でクラスター発生」  4月1日付けの米「ウォール・ストリート・ジャーナル」(WSJ)が、浦東地区にあり、入院者数1000人を超える上海最大の高齢者施設「上海市東海老年護理医院」(以下、東海老人ケア病院)で「大量の感染者と死者が出ているようだ」と伝えたのである。記事は、職員が感染し隔離されて人手が足りなくなったため、急きょ雇用された新職員らが「病院前に6台の霊柩車が止まっているのを見た」と証言したと紹介している。 また記者は、ここに入院していた父親が亡くなったとつぶやくSNSの書き込みを紹介。書き込んだ息子の友人や、その他病院訪問者も十数人分の遺体を目にしたと伝えている』、「WSJ」であれば、中国政府への忖度など一切ないので、真実に近いのだろう。
・『上海市の発表内容では、重症者や死者の情報が分からない  ここでもう一度、前述の報告フォーマットを見直してみると、新規感染者数は事細かく述べられている一方で、重症者や軽症者の数、さらには死者については一切触れられていないことが分かる。つまりこれらの感染者の影でどれだけの人たちが深刻な状態にあるのか、亡くなった人たちは何人いるのかは「隠されて」いるのである。前述の記事に基づいて、発表された新規感染者の住所を照らし合わせてみると、同病院の住所が確認できた。 さらにWSJはその後続けて、東海老人ケア病院に続き、上海第二の規模を持つ養老病院でも、患者と職員の一部が院内施設に隔離されていることを暴露した。 中国の経済メディア「財新網」も2日、東海老人ケア病院について写真付きの記事を発表した。それによると、同病院は3月12日未明に突然封鎖され、新規患者の受け入れをストップ。一方でその時点で院内にいた入院患者1200人あまりと付添の家族及び職員らが閉じ込められたと、その後PCR検査を経て「解放された」家族の声を伝えている。 しかし、病院内ではその後も陽性患者が発見され、院内は混乱。4月1日の時点では3月25日を最後に院内でPCR検査は行われず、約100人の患者と家族が隔離状態に置かれ、わずか3人の看護師が食事や薬を運び、環境の消毒を行っているという、劣悪な環境にあるとした』、「約100人の患者と家族が隔離状態に置かれ、わずか3人の看護師が食事や薬を運び、環境の消毒を行っているという、劣悪な環境にある」、こういう時には、「看護師」の人繰りが大変だ。
・『ゴミも回収されない劣悪な環境、遺体は放置されたまま  また、WSJが触れたように人手不足で臨時職員が雇用されたものの、そのほとんどがケアサービスの経験を持たず、また多くが上海以外の地区から雇用されていて上海語が分からないため、肝心の老人たちとコミュニケーションが取れず、老人たちは十分なケアを受けることができずにいるという。 職員たちは職員たちで、防護服は身につけているものの特別な防護知識も与えられておらず、患者と同じ部屋に泊まり込む生活を続けている状態だそうだ。3月末には病院の廊下には医療ゴミが詰まったゴミ袋が収集されないままごろごろ転がり、環境の悪化を外部に訴える老人も出ている。また、霊安室に十体近い遺体が放置されているのを目にしたという証言も伝えられている。 一方で、記事ではその証言を裏付けるように浦東葬儀場が、4月1日午前に東海老人ケア医院から送り込まれた十数体の遺体を処理したと紹介していた。また、すでに入院していた父親が亡くなったと連絡を受けた家族は、父親の遺体がどこにあるのか、その死因が新型コロナと関係しているのかどうかも分からないままだと訴えていた。 香港の例を見るまでもなく、上海でも老人のワクチン接種率は一般に低いことを考えると、これらの死者の死因が新型コロナウイルスである可能性が高いことは想像に難くない。だが、上海市は死者に関する情報は一切公開していないのである。そして、「財新網」の記事も即刻削除命令が出たようで、現在同メディアのWebサイトに行ってもその記事は読めなくなっている』、「臨時職員が雇用されたものの、そのほとんどがケアサービスの経験を持たず、また多くが上海以外の地区から雇用されていて上海語が分からないため、肝心の老人たちとコミュニケーションが取れず、老人たちは十分なケアを受けることができずにいる」、中国では地方ごとの訛りの違いも大きいので大変なようだ。
・『地域によっては1カ月近く完全封鎖が続いている状態  表向きは粛々と政策に基づく措置が進められているように見えるが、上海市内では明らかに混乱が始まっている。 上海では3月28日から市内を流れる黄浦江を境に、東(浦東)と西(浦西と浦南)に分け、前者は同日から、後者は4月1日からそれぞれ地域を完全封鎖して市民の動きを止めた上で、4日間の全住民PCR検査を行うことになっていた。しかし、1日午前5時には封鎖が解かれるはずだった浦東区は解除されず、続いて残りの浦西、浦南地区も全面ロックダウンに入った。つまり、上海はほぼ現在、全面的ロックダウン状態にある。そんなロックダウン下でPCR検査だけが何度も何度も繰り返された結果、日々発表される感染者の数字は増加する一方となった。 だが、感染者数の増大に慌てた政府は3日から浦西での検査を中止、改めて4月4日に、2500万人を超える全市民に一挙にPCR検査を行うことを発表した。この日は朝早くから各地域、各団地、そして各ビルごとに住民が呼び出され、並ばされ、検査を受けさせられた。 しかし、オミクロン株の市中感染拡大が叫ばれた3月11日から始まった地区封鎖の対象地域では、ほぼ1カ月近くの封鎖が続いている。妊婦や救急医療を要する人たちから治療を受けられないという悲鳴がSNSで大きな注目を浴び続けている。さらに病院に収容された家族がいつもなら受けられる治療を受けることなく、「亡くなった」とだけ病院から報告が届けられたという叫びも流れるようになった。 そうするうちに市民の中からも「これほどの巨大なコストを払ってまで、『コロナゼロ化』を進める必要が本当にあるのか?」という声が出始めている。上海は中国で最も経済的な豊かさを味わっている都市である。そこに住む人たちは経済の重要性を知り、また自由や権利も全国に先駆けて味わってきた。彼らは中央政府が唱える「コロナゼロ化」に面と向かって反対しないまでも、「民生の需要と基本的権利を押さえつけて任務の執行を強要するような官僚的思考を是正するべきではないのか」という主張もネットでちらほら見かけるようになった』、「上海」であれば、こうした主張が出てきてもおかしくない。
・『上海疾病コントロールセンターへ怒りの電話をかけたところ……  そうこうするうち、その「官僚ぶり」を裏付けるような現実がネットを通じて人々の元に届けられた。 それは電話でのやりとりの録音だった。ある男性が怒りもあらわに、上海疾病コントロールセンターに電話するところから始まる。「上海疾病コントロールセンターですね?」「はい……」電話の向こうは、いかにも覇気のない女性の声。男性は「聞きたいのだけれども」と告げて、事情を話し始める。 彼の両親は、まず母親が骨折して入院。その際、同室の患者に陽性反応が出て、母親は濃厚接触者とみなされ、入院していた病院から政府が感染者向けに準備した野戦病院に移された。その後PCR検査の結果、陰性となり病院に戻った。だが、彼の父親はその母親の接触者(「濃厚」ではないらしい)とされて指定ホテルでの待機を命じられ、2回のPCR検査が実施された。最後の検査はこの電話の2日前で、スマホのアプリに表示される検査結果もその日の夕方に「陰性」のままだったので、自宅に戻った。 しかしその後、男性がこの電話をかけた日に、上海疾病コントロールセンターから直接父親に、「2日前の結果で陽性が出た。これから救急車が向かうので、そのまま隔離施設に向かってもらう」と連絡があったという。 録音では電話の相手はここで、「上司につなぎます」と別の女性に電話をつないだ。男性は怒りにまかせて、「一体、我々はアプリ(「健康雲」と呼ばれる)と疾病センターのどちらを信じればいいんだ?さっきの電話はニセモノじゃないと、どうすれば分かるんだ?一体、誰がどうやって陽性か陰性を判定してるんだ?僕たち市民がその正式な結果証明を手に入れることはできないのか?」と矢継ぎ早に質問した』、こんなトラブルは日常茶飯事だろう。
・『「スマホには陰性としか表示されない」正直すぎる女性の返事  すると、当初は「クレームなら○○に電話して」としか繰り返さなかった電話の相手が言った。 「そうよ、スマホアプリには『陰性』としか表示されないの。でも、私たちのところには1日数百件もの陽性結果が回ってきて、私たちはわざわざその主に電話で陽性だったことを伝えなきゃいけないの。私たちだって、そんなのヘンだって伝えたけど、誰も聞く耳を持とうとしないのよ」 さらに彼女は言った。「疾病センター、アプリ、医療機関……そのどれもが自分たちの判断で動いていて、現場はもう大混乱なのよ」 電話をかけた男性も、あまりの正直な返事に驚いたようだった。女性は続ける。 「お母さんはもうすでにご存じだろうけど、野戦病院はひどい環境で十分な治療もしてないから、行かないほうがいいわ。あなたのご両親はどっちもワクチンを3回接種したんでしょ?だったらますますその必要はないわ。風邪の延長みたいなものだから、家でゆっくり休息を取れば大丈夫よ」 じゃあ、救急車が迎えに来たらどうしたらいい?と尋ねた男性に、彼女はこう言った。 「『陽性の証明書を見せて』と言いなさい。きっと持ってないから、そのことを主張し続けるのよ」 でも、無理やり抑え込まれたら?と心配する男性に彼女は続けた。 「実際のところ、私たちだって専門的な観点から、無症状と軽症の患者を収容する必要はない、家で隔離すれば十分だって何度も言ってきたの。でも、相手にされないの」』、コントロール・センター」の担当女性も大きな組織の歯車の1つとして苦労しているようだ。
・『「この録音を公開しなさいよ」  男性は次第に、「あなたたちも大変なんですね。あなたたちも私と同じ庶民なんですよね。こういうときに庶民がバカを見る……」と相手をいたわり始め、「ぼくらはどうすればいいんでしょう?」と尋ねた。すると、電話の相手の彼女は笑い声を上げてこう言った。 「この録音を公開しなさいよ」 その直前に「これ録音中ですから」と男性に言われ、「わたしの許可もなしに?」とムッとした声を上げていたこの女性の言葉に、逆に男性が驚いた。「でも、公開するとあなたに迷惑がかかるでしょ……」 二人で意見交換を終えてから、男性はお礼を言って電話を切った。後に明らかになったところによると、彼は保険会社に勤めているらしい。男性はこの録音を公開し、そして多くの人たちがそれをシェアした。この女性職員の勇気に感動し、「彼女は守られねば」という声も上がった。 だが、その直後「政府職員は、必要以上のことを語らず、答えないこと」を徹底するようにという通知が下達された。ネットでは彼女の名前も暴露されているので、当局は当然彼女を特定できているはずだ。その後彼女がいかなる立場に置かれているかの続報は、残念ながらまだ流れてきていない』、この程度で「当局」が「彼女」を処罰するようでは、中国政府の度量の小ささを示すだけだ。また、コロナ対策でそれどころではなく、見逃される可能性もある。
タグ:パンデミック(経済社会的視点) (その21)(コロナうつ「自殺者数の異変」に見る意外な背景 「経済活動が回復するタイミング」で増えている、新型コロナで「脳が縮む」!? 科学誌Natureが公開した驚きの論文、3回目以降の副反応が怖い人に知ってほしい現実 ワクチン接種の安全性をもっと高める必要がある、上海ロックダウン 官僚システムの迷走を暴いた「勇気ある正直者」の電話) 東洋経済オンライン 久住 英二氏による「コロナうつ「自殺者数の異変」に見る意外な背景 「経済活動が回復するタイミング」で増えている」 「唐突な自殺増加を招いた「健康問題」とは、状況的に「コロナうつ」と考えるのが自然だ」、その通りなのだろう。 「シンクロ」の要因は何なのだろう。 「経済回復期は、複雑な人間心理がメンタルヘルスに影響を与えやすい、実は非常に繊細な局面なのだ、という認識は持っておいたほうがいい」、確かにありそうなシナリオだ。 「医師会」の意向を受けた厚労省は、「ハードル」をなるべく高くしようと画策しているようだ。 ダイヤモンド・オンライン 森勇磨氏による「新型コロナで「脳が縮む」!? 科学誌Natureが公開した驚きの論文」 「新型コロナで「脳が縮む」!」とはショッキングな報告だ。 「特に中高年にとって脳にまつわる病気で最も一般的なのが認知症です。「他者とのコミュニケーションを定期的にとる」「しっかり運動をする」といった認知症予防はより意識しておく」、その通りだ。 「予防医学の情報発信」は極めて重要だ。 興味深そうな本だ 上 昌広氏による「3回目以降の副反応が怖い人に知ってほしい現実 ワクチン接種の安全性をもっと高める必要がある」 「報告バイアス」まであるというのは、厳格な科学的推論はやはり大変だ。 「男女の死亡率の差は、接種後1週間以内は女性のほうが高く、その後、減少し、2週間以降では、男性の死亡率のほうが高くなっていた」、なるほど。 「このような性差はアメリカや欧州のデータベースの解析では検出されなかった」、しかし「日本」では「性差」がある以上、「ワクチン減量も含めて、安全性を高める対策を早急に講じなければならない」、同感である。 ふるまいよしこ氏による「上海ロックダウン、官僚システムの迷走を暴いた「勇気ある正直者」の電話」 「爆弾」とはどういうことだろう。 「WSJ」であれば、中国政府への忖度など一切ないので、真実に近いのだろう。 「約100人の患者と家族が隔離状態に置かれ、わずか3人の看護師が食事や薬を運び、環境の消毒を行っているという、劣悪な環境にある」、こういう時には、「看護師」の人繰りが大変だ。 「臨時職員が雇用されたものの、そのほとんどがケアサービスの経験を持たず、また多くが上海以外の地区から雇用されていて上海語が分からないため、肝心の老人たちとコミュニケーションが取れず、老人たちは十分なケアを受けることができずにいる」、中国では地方ごとの訛りの違いも大きいので大変なようだ。 「上海」であれば、こうした主張が出てきてもおかしくない。 こんなトラブルは日常茶飯事だろう。 コントロール・センター」の担当女性も大きな組織の歯車の1つとして苦労しているようだ。 この程度で「当局」が「彼女」を処罰するようでは、中国政府の度量の小ささを示すだけだ。また、コロナ対策でそれどころではなく、見逃される可能性もある。
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脳科学(その1)(人は1日に23回逆境を経験する!?脳では何か起きているのか、能率が上がるのは朝か 夜か?仕事の成否を左右する「体内時計」の仕組み、誰でも「いま」より頭がよくなれる…脳科学者・中野信子と精神科医・和田秀樹が語る「脳トレ」の真実 「頭のよさ」には知能面もあれば 感情面もある) [科学]

今日は、脳科学(その1)(人は1日に23回逆境を経験する!?脳では何か起きているのか、能率が上がるのは朝か 夜か?仕事の成否を左右する「体内時計」の仕組み、誰でも「いま」より頭がよくなれる…脳科学者・中野信子と精神科医・和田秀樹が語る「脳トレ」の真実 「頭のよさ」には知能面もあれば 感情面もある)を取上げよう。

先ずは、本年1月28日付けダイヤモンド・オンラインが掲載した医学博士の川崎康彦氏による「人は1日に23回逆境を経験する!?脳では何か起きているのか」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/294601
・『コロナ禍で生活様式が変わり、次々と起こる生活環境の変化にもかかわらず、自分を見失わずに生きていくには、自分で逆境と感じることから逃げずに、向き合う姿勢が必要です。しかし、これは簡単なようで、なかなか難しいのも事実。実際、逆境と向き合うといわれても……という人も少なくないでしょう。ご自身もさまざまな逆境を経験された医学博士の川崎康彦さんは、逆境に「脳科学」という観点からアプローチすることによって、誰もが直面する逆境への対処法を、新たな視点で捉え直しました。逆境に直面したとき、脳の中では一体何が起きているのか、どうすれば、前を向いて一歩踏み出すことができるのか――。そこで今回は川崎さんの新刊『ハーバードで学んだ 逆境の脳科学』(青春出版社)から、逆境において鍵を握る、脳の中の「逆境トライアングル」について抜粋紹介します』、「脳の中の「逆境トライアングル」」とは興味深そうだ。
・『脳は想定外のことを嫌がる  まず、「逆境」とは何か定義しておきたいと思います。 一番かんたんな定義としては「脳の予測がはずれること」。すなわち、脳が当たり前と思っていることと、現実とのギャップです。 逆境指数を提唱したストルツ博士によれば、人は一日に平均23回の逆境を経験するそう。そんなに多いのか?と首をかしげるかもしれませんが、たとえば、こんな事象も逆境にあたるのです。) SNSの「いいね」が思ったより少ない。かけたはずのアラームが鳴らなかった。通勤途中で足をくじいた。上司がなぜか不機嫌でダメ出しばかりする。 こうした日常的な出来事や、仕事上の小さなミス、事件・事故、自然災害に至るまで、ありとあらゆる「予測していなかったこと」が逆境にあてはまるのです。 脳は、物事が予測通りに進んでいる状態を好みます。生きものとして、そのほうが安全、快適だし、楽だからです。いつも通りに物事が運んでいれば、僕たちはいちいち考えて決断する必要もなく、ほぼ自動的に行動できます。 自動的に進んでいくはずの物事の中で、想定外のことや、どことなく違和感があることに出会うと、脳が嫌悪のサインを送ってきます。困惑、恐れ、イライラ、怒り、不安……こうしたネガティブな感情は、脳の想定と現実とのギャップを知らせる「逆境のサイン」でもあります。 逆境のサインが出ると人により、状況により反応は様々ですが、例えばこんな反応があるでしょう。 天敵に襲われた野生動物のように全身に力が入り、手のひらは汗ばみ、心臓の鼓動や脈拍は早くなる過興奮状態。または頭が真っ白になる、唖然となるといったフリーズ状態。 こうした全身レベルの反応だけでなく、脳が認識したギャップに対して、意味不明、理解不能として否定、無視または拒絶して片づけてしまうことも、よく起きます。一般的にいえばめんどうくさいと感じる時がこれに当たります』、「人は一日に平均23回の逆境を経験する」、「逆境」の定義が幅広いとはいえ、結構多いのに驚かされた。「脳は、物事が予測通りに進んでいる状態を好みます。生きものとして、そのほうが安全、快適だし、楽だからです。いつも通りに物事が運んでいれば、僕たちはいちいち考えて決断する必要もなく、ほぼ自動的に行動できます。 自動的に進んでいくはずの物事の中で、想定外のことや、どことなく違和感があることに出会うと、脳が嫌悪のサインを送ってきます」、「脳が認識したギャップに対して、意味不明、理解不能として否定、無視または拒絶して片づけてしまうことも、よく起きます。一般的にいえばめんどうくさいと感じる時がこれに当たります」、「めんどうくさい」まで脳の反応だったとは再認識させられた。
・『逆境こそチャンス、ジャンプ・インを  こうして逆境から遠ざかることはあまりにも、もったいないことです。 逆境のサインをどのように扱い、味わい、自分なりに消化していくのか。それによって、僕たちの生き方はずいぶん違ってくるように思います。 ギャップには、じつはさまざまな可能性、いいかえれば新しい気づきや変化のきっかけが眠っており、チャンスの兆しともなるのです。) そのスタートは、自身の脳について知り、脳内環境を変えていくことにあります。 僕が皆さんに提案したいのは、逆境をうまく切り抜けるためのノウハウではありません。もちろん、逆境の中でじっと耐え忍ぶ力でもない。 むしろ逆境こそ変化のチャンスととらえて、時にはその只中にジャンプ・インするようなやり方を、選択肢の一つとして提案したいのです。 逆境に対して、小手先の対処をしたり、傲慢にねじ伏せるばかりの解決法をとっていると、必ずと言ってよいほど似たような問題に繰り返し襲われます。 必要なのは、自分の中の恐れがどこからくるのか、その恐れが何を引き起こしているのか、勇気をもって向き合うこと。すると、恐れは、ブレーキとして作用するのではなく、あなたの一部となり、次へのステップアップを促すアクセルとして機能しだします。 自分の外側で出会った逆境を、自分の内面の気づきとして落とし込んで、「これにはどんな意味があるのか」と考えられること。変えていく勇気を出すこと。 それができたら、あなたにとって逆境はむしろダイヤモンドのような輝きを放つギフトになっていくのです』、「必要なのは、自分の中の恐れがどこからくるのか、その恐れが何を引き起こしているのか、勇気をもって向き合うこと。すると、恐れは、ブレーキとして作用するのではなく、あなたの一部となり、次へのステップアップを促すアクセルとして機能しだします」、確かに説明されると納得するが、こんなに上手くいくのかとの疑問も残る。
・『脳の秘境「逆境トライアングル」とは  さて、逆境に対面した際には様々な反応が脳内で起きるのですが、逆境という視点から脳を見ていくと、重要な箇所が三つあります。 扁桃体、海馬、前頭前野です。この三箇所を「逆境トライアングル」と呼ぶことにし、それぞれの役目をざっと説明しておきましょう。 「扁桃体」は、恐れ、嫌悪、怒りなどからなるネガティブ感情の中枢です。ギャップが生じた時にこうした感情が逆境の信号として出されるのです。先ほどの体の反応は扁桃体が作動した結果として引き起こされると捉えてもらうとわかりやすいでしょう。 「海馬」は記憶の中枢で、ファイリング作業を行っています。数々の短期記憶の中から、長期記憶として保存しておくべきことを選別して、たとえて言うなら「ショッキングなできごと」「うれしかったこと」といったラベルをつけて参照しやすくします。いわゆる仕分けの場所です。脳の中でもとりわけストレスなどで傷つきやすい器官でもあります。 「前頭前野」は思考の中枢で、高度な情報処理を行う場所です。扁桃体の信号や海馬の行った作業をもとに、前頭前野がいわば「逆境」認定を行います。「戦うか・逃げるか」などのいわば本能的な反応に「待った!」をかけるのも、前頭前野の働きです。この場所は常に私たちの行動の選択に関与します。 ところで、「脳の可塑性」という言葉を聞いたことがあるでしょうか? 可塑性とは簡単にいえば、「変わりやすい」という意味で、僕たちが生まれてから成長するに従って、脳は効率的に働くために変化していくのです。 思春期までの間によけいなシナプスを刈り込む「プルーニング」が行われることはよく知られていますね。 反対に感動したことや奇跡的な体験をしたこと、新しい体験で心に響いたことは、神経ネットワークのシナプス結合をより強固にしていきます。これをシナプスの「チューニング」と呼びます。 プルーニングは脳が行う断捨離、チューニングは脳で行われる学習(または新しいシナプスの建設とイメージしてもいいでしょう)として覚えておいてください。そしてこのプルーニングとチューニングを司るデザイナーが皆さん自身であり、そこに成長があり、ユニークさ、自分らしさが形成されていくのです。 このプルーニングとチューニングは一生続きます。たとえ脳の一部が損傷を受けるようなことがあっても、代替する機能を発達させるというように、脳は一生変化・進化を続けるのです。 つまり、逆境トライアングルのネットワークを、輝かせるのも、錆びつかせるのも、僕たち次第というわけです』、「プルーニングは脳が行う断捨離、チューニングは脳で行われる学習」、「このプルーニングとチューニングは一生続きます」、「脳は一生変化・進化を続けるのです。 つまり、逆境トライアングルのネットワークを、輝かせるのも、錆びつかせるのも、僕たち次第というわけです」、自己責任の世界のようだ。
・『「恐怖」で止まらない、使いこなす  逆境に出会った時、恐怖で行動にブレーキをかける代わりに、「恐怖を使いこなす」ことを考えてみましょう。それにはたとえば次のような方法があります。 ・恐れや不安を、具体的な言葉にする ・さまざまな恐れを、ジャンル分けしてみる(人間関係、時間、環境、お金、未来の不安、過去の失敗、今の状況など) ・記憶の中に、同じような恐れを感じた場面を探してみる(本質の発見) ・その恐れがなくなった自分(なりたい自分)をイメージする ・イメージを文章化し、恐れと向き合うことを宣言する ・勇気と強い意志を持って思いきった行動をトライしてみる ・方法を変えて繰り返してみる 以上が、実践の基本です。 恐れを紐解くとそこから、あなたが本当にやりたいこと、やめたいことが明らかになってきます。すなわち、あなたにとって大切なもの、人生の意味が明確になってくるわけです。あなたがこれから行動していくことがより具体的になっていくわけです。 最後が「繰り返してみる」となっているのは、一度でうまくいくことはほとんどないからです。うまくいくまで、何度でもトライしてみる。とはいっても完璧な成功を目指す必要はなく、ちょっとした変化や手応え、自分にとっての学びでもよいのです。 ……それでも、できれば失敗したくない、と思う人は多いでしょう。 プロスポーツ界では、三割の成功率なら成績優秀とされています。トップ選手の証が三割なのですから、僕たちだって10回のチャレンジで3回成功すれば立派なものです。つまり7回失敗しても当然なのです。 ところで失敗には二種類あることをご存じですか?リスクなしでいつも通り行動した際の失敗と、リスクをとって行動した際の失敗です。 前者はルーティン作業などで起きたミスで、注意していれば防げた失敗かもしれません。後者の失敗は、未経験のことに対して全力を出し切った末の失敗です。 勇気を持って行動しただけで、成長の一歩は確実に踏み出しており、目標へのプロセス上にしっかりと立っているということです。決して結果という瞬間に左右されないでください。失敗というプロセスを踏んだ方がドラマチックでハラハラドキドキな経験となり得ますし人に感動をもたらします。この経験は、自分をさらに深く知ってより魅力的な人間になる上で、そして未来をプランニングする上で、大切な情報をもたらしてくれます。 別のどんな方法が考えられるか。(あるいは、別のタイミングを狙ったほうがよいのか。 誤った思い込みに邪魔されていないか。 失敗に見えても、実は達成できている部分があるのではないか。 今後、どんな助けが必要か。 こうやって、さまざまなことを分析し、検証していくことで、普段の生活では見えにくいチャンスを掴んでください。 ◆本コラムの作者・川崎康彦氏の新刊が発売中! あなたは逆境の中で“脳のブレーキ”を外せるか―。 どうしても苦しい状況の中では「やめよう」「もっと楽な道を」と考えてしまうのが普通だが、同じ苦しい中でも「これはチャンスだ」と考えて失敗を恐れずに動ける人もいる。 一体それは何が違うのか。 じつはその違いには脳の環境によるものが大きい。逆境に強い人と弱い人、チャンスをつかめる人とチャンスから逃げてしまう人は“脳のブレーキ”を外せるかどうかにかかっていた。全世界的な逆境の中で、自分はどのように一歩を踏み出していけばよいのか。ハーバード研究員時代に学んだ脳科学的にみた逆境の乗り越え方のヒントが、ここにある』、「どうしても苦しい状況の中では「やめよう」「もっと楽な道を」と考えてしまうのが普通だが、同じ苦しい中でも「これはチャンスだ」と考えて失敗を恐れずに動ける人もいる」、いつも前者を選択すれば、負け犬となるが、後者を選択するのは勇気と覚悟が必要だ。

次に、1月28日付けダイヤモンド・オンラインが掲載したフリーライターの鈴木 舞氏による「能率が上がるのは朝か、夜か?仕事の成否を左右する「体内時計」の仕組み」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/294567
・『スポーツが趣味のビジネスパーソンにとって、日々のトレーニングは欠かせない。朝のランニング、仕事終わりのフィットネスやゴルフの打ちっぱなしは充実した時間になる。趣味とはいえ、自己記録更新や大会を目指して努力する人も多いはず。仕事と運動の両立には、時間の使い方に工夫が必要だ。ただし、時間当たりの成果を最適化するためには、トレーニングの内容だけでなく、どの時間帯にトレーニングをするかも重要となる。キーワードとなるのは「サーカディアン・リズム」。書籍『シリコンバレー式超ライフハック』(デイヴ・アスプリー著、ダイヤモンド社)を参考に、サーカディアン・リズムが導く傾向を紐解いていこう』、興味深そうだ。
・『サーカディアン・リズムと4つのクロノタイプとは  サーカディアン・リズムは「概日リズム」とも呼ばれており、地球の自転によって24時間周期で刻まれる体内時計を指す。サーカディアン・リズムは人間だけではなく、地球上の生物が持っている機能だ。哺乳類の体内時計は、脳の視床下部にある視交叉上核に存在することがわかっている。人間のサーカディアン・リズムは24時間でなく、1時間多い25時間であることも解明された。 書籍『シリコンバレー式超ライフハック』(デイヴ・アスプリー著、ダイヤモンド社)では、アメリカでスリーブドクターとして活躍するマイケル・ブルース博士による説を紹介。ブルース博士は、多くの不眠症患者に対応してきた臨床心理士だ。 1998年、ある研究結果が「mPer3遺伝子」(哺乳類時計遺伝子)の発現段階で、サーカディアン・リズムを刻んでいることを発見した。ブルース博士はこの研究とこれまで診てきた不眠症患者の症状を通じ、人間のサーカディアン・リズムは1種類ではないと考えた。人間には生まれつきのサーカディアン・リズムの傾向があり、4つの「クロノタイプ」に分類できると提唱したのだ』、「人間」の「体内時計」が「分類」できる4つの「タイプ」とはどんなものなのだろう。
・『クマ、ライオン、オオカミ、イルカ あなたはどの動物タイプ?  ブルース博士が提唱したクロノタイプは、「クマ」「ライオン」「オオカミ」「イルカ」の4種類。それぞれの特徴を簡単にまとめると以下のようになる。 ●クロノタイプ「クマ」 人類の50%を占めるというクマタイプは、基本的に入眠と覚醒が太陽に従って行われる。午前中が最も活動に適した時間帯で、午後の中ごろはややエネルギーの低下を感じる。 ●クロノタイプ「ライオン」 ライオンはいわゆる朝型タイプで、朝に活動するのが向いている。反対に夕方から夜にかけてエネルギーが低下し、就寝時間も早い。人口の15%を占めている。 ●クロノタイプ「オオカミ」 クロノタイプの中で最も夜型なのがオオカミで、人口の15%を占める。夜型というと深夜に活発になるように思えるが、生産性のピークが2つあるのが特徴的だ。深夜のほか、正午から午後2時ごろにかけてピークを迎える。 ●クロノタイプ「イルカ」 睡眠に困難を抱えやすいのがイルカタイプだ。ブルース博士によると、不眠症患者として分類される。高い知性を持つ人や完璧主義者の傾向があり、夜中の長時間を思考に費やしがち。午前の半ばから午後の早い時間までが活動に適している。 この4つのクロノタイプに当てはまるものは、あっただろうか。クロノタイプを参考にするならば、ハイ・パフォーマンスを出すためには最適な時間帯が決まっている。朝型のライオンタイプは夜間にトレーニングをしても、集中力が続かない恐れがある。反対に、夜型のオオカミタイプは朝から運動をしても、体に力が入らないかもしれない。 ブルース博士はさらに、クロノタイプの分類を基に生産性の観察を試みた。24時間のホルモンレベルや身体の生物学的状態を検査し、勤務時間などスケジュールを変えた結果、生産性の上昇が見られたという。つまり、サーカディアン・リズムに従ってトレーニングの時間帯を見直してみると、モチベーションアップや効率性アップが期待できるというわけだ』、「クロノタイプ「イルカ」」の「人口」比は書かれてないが、逆算すると20%となる。「サーカディアン・リズムに従ってトレーニングの時間帯を見直してみると、モチベーションアップや効率性アップが期待できる」、「オオカミ」以外は午前中がほぼ共通するようだ。
・『パフォーマンスをダウンさせる「概日性リズム障害」への対処法  確かにサーカディアン・リズムが乱れると、心身にはさまざまな不調が現れる。「概日性リズム障害」という言葉を聞いたことがある人は多いだろう。 人間の体内時計は25時間であるため、地球の24時間周期とは1時間のずれがある。このずれを修正できずに、睡眠と覚醒のリズムに乱れが生じた状態を「概日性リズム障害」と呼ぶ。日中の眠気、集中力低下、だるさ、頭痛や吐き気、イライラなど心身の不調が主な症状。 概日性リズム障害は、海外旅行や海外出張のための時差ぼけ、シフト制の交代勤務のような昼夜逆転生活を原因として発生することが多い。概日性リズム障害によって眠気や頭痛などの症状が現れていると、ベッドで横になりたくなったり、家で安静にしたくなったりするのも無理はない。 しかし症状改善のためには、朝のうちからカーテンを開けて日光を浴びたり、太陽の下で散歩やウォーキング、軽めのジョギングをしたりするのが効果的だ。なぜならば、サーカディアン・リズムの乱れは日光を浴びるとリセットできることが、研究で解明されているからだ。 「自分は夜型だ」という人でも、サーカディアン・リズムが乱れていれば、夜でも生産性がダウンするものだ。夜型だからと日光を避けた生活を続けていては、サーカディアン・リズムは乱れるばかり。ついには心身の不調を招きかねないだろう。日中の活動に苦手意識がある場合でも、日光浴が健康維持につながることを覚えていてほしい。 リモートワークが浸透し、働き方がますます多様化する中、時間の使い方への意識も高まっている。効率性や生産性を上げるためには、時間帯を見直してみるのもひとつの方法だ。活動の時間帯を変えるだけで、パフォーマンスがアップする可能性がある。ただし哺乳類として生まれたからには、日光を浴びてサーカディアン・リズムの乱れをリセットすることも忘れずに』、「サーカディアン・リズムの乱れは日光を浴びるとリセットできる」、「夜型だからと日光を避けた生活を続けていては、サーカディアン・リズムは乱れるばかり。ついには心身の不調を招きかねないだろう。日中の活動に苦手意識がある場合でも、日光浴が健康維持につながることを覚えていてほしい」、「日光浴」はやはり重要なようだ。

第三に、4月7日付けPRESIDENT BOOKSが掲載した脳科学者・医学博士・認知科学者の中野 信子氏と精神科医・国際医療福祉大学赤坂心理学科教授の和田 秀樹の対談「誰でも「いま」より頭がよくなれる…脳科学者・中野信子と精神科医・和田秀樹が語る「脳トレ」の真実 「頭のよさ」には知能面もあれば、感情面もある」を紹介しよう。
https://president.jp/articles/-/56216?page=1
・『脳科学者・中野信子さんと精神科医・和田秀樹さんが共著『頭のよさとは何か』(プレジデント社)を出した。なぜ日本に「バカ」がはびこるのか。「本物の頭のよさ」とはなんなのか。2人の白熱対論の一部を特別公開する──。(第1回/全2回) ※本稿は、中野信子×和田秀樹『頭のよさとは何か』(プレジデント社)の一部を再編集したものです』、第一人者どうしの対談とは興味深そうだ。
・『脳は前頭葉から「老化」する 【和田】僕はこれまで、精神科医として多くの高齢者を見てきました。 ふつうはみなさん、歳をとったら自分も記憶障害や知能障害が起きるのではと不安に感じているものでしょう。でも、臨床的な観察から言うと、これがずいぶん違う。記憶障害や知能障害が起こるはるか以前に、まず脳の前頭葉機能が衰えてしまうんです。 【中野】ということは……。 【和田】意欲だとか新しいことへの対応能力だとか、クリエイティビティとか、そういった能力から先に「老化」してしまうんですね。 それでよく聞かれるのが、「じゃあどうやったら前頭葉を鍛えられるの?」ということ。流行の「脳トレ」だと、「単純計算を繰り返したり、声を出したりするのがいい」なんて言いますよね』、「記憶障害や知能障害が起こるはるか以前に、まず脳の前頭葉機能が衰えてしまうんです」、「意欲だとか新しいことへの対応能力だとか、クリエイティビティとか、そういった能力から先に「老化」してしまう」、そうした能力は確かにいかにも「老化」には耐えられそうもない。
・『「脳トレ」に意味はあるか?  【中野】ご家庭で日常的にできる脳のトレーニングといった類のものって、15年くらい前からある気がしますが、いわゆる「脳トレ」を本当にやっている人は、実際どれだけいるんでしょうか? 【和田】「脳トレ」自体はかなり眉唾まゆつばなところがあるけれど、続けることで脳の血流が増えることは悪いことではないし、前頭葉を使うことになるのは間違いないと思うんだよね。 【中野】血流と神経新生(*)やシナプスの形成に相関があると仮定すれば、血流の増加によって、いわば脳は本当に鍛えられると考えてよいということですか? *神経幹細胞が分裂、分化して、新たな神経細胞が生まれること。 【和田】歳をとっても、日頃から筋肉を使っている人のほうが、使わない人よりも筋肉は落ちにくいですよね。それと同じで、たとえば日本人の高齢者は新聞をよく読むから、意外に側頭葉機能は落ちないと思うんです。前頭葉機能というのも、使っているほうが落ちにくいんじゃないかと、高齢者をずっと見てきた僕としては感じています。 【中野】なるほど』、「「脳トレ」自体はかなり眉唾まゆつばなところがあるけれど、続けることで脳の血流が増えることは悪いことではないし、前頭葉を使うことになるのは間違いないと思う」、「たとえば日本人の高齢者は新聞をよく読むから、意外に側頭葉機能は落ちないと思うんです。前頭葉機能というのも、使っているほうが落ちにくいんじゃないかと、高齢者をずっと見てきた僕としては感じています」、「新聞」の思わぬ効用だ。
・『前頭葉を使わない日本人  【和田】ところが問題があって、日本人というのはなかなか前頭葉を使わないんです。 企業活動もそうですし、政府や自治体の新型コロナ対応などもそうでしたが、日本は前例踏襲型です。そんな環境で長年暮らしていると、ふだんの生活で前頭葉をあまり使わなくなる。そのため、高齢になればなるほど「面白くない老人」が多くなってしまう。 昔は「お年寄りの知恵」というものがありましたよね。いま80代の高齢者の方が20代の頃は、コレラや結核で死ぬ人がたくさんいました。そういう実態を知っていれば、「昔の感染症の怖さはこんなもんじゃなかったよ」「感染症対策はこうすればいいんだ」なんて言ってもよさそうなもの。 ところがいまでは、高齢者のほうがテレビ情報に振り回されて新型コロナウイルス感染症を必要以上に怖がったりしていますから。前頭葉を鍛えていないと意欲が落ちて、脳の老化が早まるだけでなく、危機対応能力とかクリエイティビティに関しても早く落ちてしまうように思えてなりません。 【中野】そうなんですね。SPM(*)の開発者のカール・フリストンが、「自由エネルギー原理」を唱えていますが、これは、脳ができるだけ予測可能性を上げるという原理に従って、認知のみならず行動も変容するという仮説です。 *統計的パラメトリックマッピング。収得された脳機能画像に記録された脳の活動の変化を可視化するための統計的手法。または、その分析を実行するためのソフトウェアの名称。 いわば、能動的推論とでもいうべきものですが、前例に従うというのはある意味、この真逆で、受動的推論といってもいいものかもしれませんね。かえって顕在化しないストレスがたまり、脳機能は衰えそうです。意欲などが落ちるというのは、そのためかもしれません。』、「日本は前例踏襲型です。そんな環境で長年暮らしていると、ふだんの生活で前頭葉をあまり使わなくなる。そのため、高齢になればなるほど「面白くない老人」が多くなってしまう」、「いまでは、高齢者のほうがテレビ情報に振り回されて新型コロナウイルス感染症を必要以上に怖がったりしていますから。前頭葉を鍛えていないと意欲が落ちて、脳の老化が早まるだけでなく、危機対応能力とかクリエイティビティに関しても早く落ちてしまうように思えてなりません」、困ったことだ。
・『AI時代は「頭の使い方」が変わる  【和田】ただ、人間のクリエイティビティが落ちてしまう分は、AI(人工知能)で補うという方法もあるんです。AIとIT(Information Technology)の本質的な違いは何かというと、ITは人間がやり方を覚えないといけません。ところがAIは、人間ができなかったときに、そのニーズをつかんで勝手に動いてくれる代用頭脳だといえます。 【中野】冷蔵庫に足りないものを把握して、勝手に買ってきてくれたり、という技術もまもなく実用化されそうな勢いですしね。 【和田】そうそう。そういうことが可能なのがAIで、これからの「AI時代」は、別に高齢者が機械の使い方を覚えなくても、AIのほうでどんどんやってくれるようになっていくと思います。 自動車の運転がいい例でしょう。あと数年で、完全自動運転が可能な「レベル5」の自動運転が実用化されるともいわれます。それなのに、高齢者が1件大きな自動車事故を起こすと、「高齢者全員から免許を取り上げろ」といった主張が出てきます。はっきり言ってめちゃくちゃだと思います。 一事が万事で、どうも日本人は前頭葉機能がうまく使えない。前頭葉機能というのは、新規のことに対応する能力です。そんな状態だから、AI新時代に対応できない。高齢者だけでなく、日本社会全体が』、「どうも日本人は前頭葉機能がうまく使えない。前頭葉機能というのは、新規のことに対応する能力です。そんな状態だから、AI新時代に対応できない。高齢者だけでなく、日本社会全体が」、その通りだ。
・『注視すべきは「EQ」  【和田】ところで中野先生に聞きたいのですが、「右脳理論」「左脳理論」というものがあるでしょう。僕らが高校生のとき、「受験勉強ばかりしていても左脳しか鍛えられなくて、右脳が鍛えられない」と散々聞かされていました。その理論って、本当のところどうなんでしょう? 【中野】すでに否定する見解が出されていますよね。私も、左右の機能分化はあるものの、左脳が論理で右脳が芸術(?)という理論にエビデンスが乏しく、信用できないと考えています。 【和田】実は、僕もまったく信用してないんです。 僕は、右脳というより、前頭葉の機能とそのトレーニングにむしろ注目しています。前頭葉機能と知能との関係で注視すべきは「EQ(*)」だと思っています。 *Emotional Intelligence Quotientの略。「心の知能指数」と訳される。感情を上手に管理、コントロールする能力を指す。IQが知能の発達を示すのに対し、EQは感情面から仕事に取り組む姿勢や人間関係への関心などを評価する』、「左右の機能分化はあるものの、左脳が論理で右脳が芸術(?)という理論にエビデンスが乏しく、信用できないと考えています」、「右脳というより、前頭葉の機能とそのトレーニングにむしろ注目しています。前頭葉機能と知能との関係で注視すべきは「EQ(*)」だと思っています」、なるほど。
・『前頭葉を損傷して人生が暗転したエリート弁護士  【和田】EQに関して、アイオワ大学のアントニオ・ダマシオ神経学部長の興味深い研究があります。 ダマシオが診察したエリオット(*)という30代の患者は、弁護士として成功した人でしたが、彼は若くして脳腫瘍におかされ、前頭葉が損傷を受けたため、仕事が続けられず廃人同様の生活をしていました。そして脳外科医によって手術が行われ、腫瘍は脳から完全に摘出されました。 *研究では、身元の特定を避けるため職業が改変されている。本当は弁護士ではなく、エリート商社マンだったという説がある。 そこまではいいのですが、なんと彼は、術後に人がまるっきり変わってしまったんです。仕事を途中で投げ出したり、どうでもいいことに妙にこだわるようになったり。 そこでダマシオが、人格が変わってしまったエリオットを改めて検査したところ、前頭葉の表面は無事だったけど、内側がかなり損傷していることがわかったのです。 ダマシオの検査によれば、知能テストではまったく「異常なし」。でも、感情のコントロールが悪くなるわ、弁護士時代は非常に共感能力が高かった人なのに、まったくダメになってしまうわと、恐ろしい結果になってしまったんです』、「若くして脳腫瘍におかされ」、「脳外科医によって手術が行われ、腫瘍は脳から完全に摘出」、「彼は、術後に人がまるっきり変わってしまったんです。仕事を途中で投げ出したり、どうでもいいことに妙にこだわるようになったり」、「知能テストではまったく「異常なし」。でも、感情のコントロールが悪くなるわ、弁護士時代は非常に共感能力が高かった人なのに、まったくダメになってしまうわと、恐ろしい結果になってしまったんです」、「脳腫瘍」の手術はやはり予想外の副作用が出るリスクがあるようだ。
・『EQは前頭葉の働きを示す  【中野】フィニアス・ゲージ(*)のEQ版っていう感じですね。彼も鉄道工事に従事していたときの事故で脳が損傷し、性格がまったく変わってしまったんですよね。 *19世紀アメリカの鉄道作業員。鉄道工事の事故で、大きな鉄の棒が彼の脳を完全に突き抜けて前頭葉に大きな損傷を受けた。にもかかわらず命に別状はなかったのだが、事故後は人格と行動が完全に変わったといわれる。 【和田】そうそう、まさに。ダマシオは、こういった異常を起こす病変の患者がほかにもいることに気づいたんです。 この話が、ダニエル・ゴールマン(*)のEQ解説書で紹介されてから、多くの研究者は、「EQは前頭葉の働きを示すもの」と考えるようになりました。逆に捉えれば、前頭葉の働きをよくできれば、EQは向上させることができる、ということでもある。 *心理学者・科学ジャーナリスト。EQに関する書籍を執筆。『EQ こころの知能指数』など邦訳されている作品も多い』、「19世紀アメリカの鉄道作業員。鉄道工事の事故で、大きな鉄の棒が彼の脳を完全に突き抜けて前頭葉に大きな損傷を受けた。にもかかわらず命に別状はなかったのだが、事故後は人格と行動が完全に変わったといわれる」、先の「ダマシオ」の例と似た事例だ。これで、「「EQは前頭葉の働きを示すもの」と考えるようになりました」、なるほど。
・『頭のよさには知能面、感情面がある  【中野】前頭葉にフォーカスして対談を進めていくのはいい考えですね。 今回、和田先生と私が本を作るということで、どういうテーマがいいかずっと考えていたんです。せっかくですから、「“頭がいい”とはどういうことか」というテーマがいいんじゃないか。いまの話を受ければ、「頭のよさ」には、知能面もあれば、感情面もありますよね。 【和田】なるほど。 【中野】そんなふうに考えたのには、実は個人的な理由もあるんです。 いまの東大と昔の東大は雲泥の差があるとはいえ、まだまだ世間的に関心を持たれている大学ですよね。毎年、東大理IIIにはそれなりの数の人が受かりますが、和田先生はその中でも際立つ存在でした。私は、学生時代に和田先生の本(*)を読んで、「この人の切れ味はすごいな」と驚いたことがあったんです、生意気にも。 *和田氏は1986年に『試験に強い子がひきつる本──偏差値40でも東大に入れる驚異の和田式受験法88』を上梓。その後、多くの受験関連本を刊行している。中野氏は東大受験を目指しているときに和田氏の本を読み、複雑な課題が一本の補助線を引くことで一気に整理されるような爽快感に打たれた、という』、「中野」氏が「学生時代に和田先生の本を読んで、「この人の切れ味はすごいな」と驚いたことがあったんです」、すごい巡り合わせだ。
・『和田秀樹は「システムハック」している  【中野】和田先生の受験本ひとつとっても、「お勉強して、こういうふうに大学に受かりました」というただのノウハウを書いているわけじゃない。“システムハック”をしているな、と思ったんです。 目先の問題解決をするために単純に「やり方」を暗記して使う能力と、たいていの人が無批判に受け入れてしまっている現実の不条理を整理し、問題点を洗いだして、それを解決するために数ある手段から適切な方法を導きだす。いわば、システムハックができる能力。この2つはまったく別物です。 後者が本当の知性というべきものと私は考えていますが、それがないがしろにされているために、多くの問題が起きていると感じます。 「本当の知性」を強化しないとヤバい。これから来る不確実性の時代に生き残っていくことが難しくなります』、「目先の問題解決をするために単純に「やり方」を暗記して使う能力と、たいていの人が無批判に受け入れてしまっている現実の不条理を整理し、問題点を洗いだして、それを解決するために数ある手段から適切な方法を導きだす。いわば、システムハックができる能力。この2つはまったく別物です。 後者が本当の知性というべきものと私は考えています」、「「本当の知性」を強化しないとヤバい。これから来る不確実性の時代に生き残っていくことが難しくなります」、その通りだろう。
・『誰でも「いま」より頭がよくなれる  【中野】「頭がいいとは、いったいどういうことだろう?」という問いは、多くの人に、自分の可能性を揺さぶり起こすためのトリガーとして作用するでしょう。和田先生の思考の鋭さをより多くの人に知っていただけるとも思います。 【和田】こんなことを言うとなんですが……中野先生も僕も、たまたま学歴が東大卒だから、2人で「頭がよくなる」なんて話をすると、読者の方は「とても真似ができない」と思ってしまうかもしれません。 でも、実は僕が目指しているのは、普通の人でも誰でも、いまより必ず頭がよくなることはできる、ということなんです。その意味では、中野先生のおっしゃったことって、まさに僕がこれまでたくさん本を書いて伝えようとしてきたことでもあります。 今回こういう機会を改めて持つことができたのは嬉しいですね。『頭のよさとは何か』を手に取ってくださった読者のみなさんと、「本当の頭のよさ」について一緒に考えていけたらと思います』、「実は僕が目指しているのは、普通の人でも誰でも、いまより必ず頭がよくなることはできる、ということなんです」、嬉しい励ましだ。
タグ:「「本当の知性」を強化しないとヤバい。これから来る不確実性の時代に生き残っていくことが難しくなります」、その通りだろう。 (その1)(人は1日に23回逆境を経験する!?脳では何か起きているのか、能率が上がるのは朝か 夜か?仕事の成否を左右する「体内時計」の仕組み、誰でも「いま」より頭がよくなれる…脳科学者・中野信子と精神科医・和田秀樹が語る「脳トレ」の真実 「頭のよさ」には知能面もあれば 感情面もある) 脳科学 「中野」氏が「学生時代に和田先生の本を読んで、「この人の切れ味はすごいな」と驚いたことがあったんです」、すごい巡り合わせだ。 「19世紀アメリカの鉄道作業員。鉄道工事の事故で、大きな鉄の棒が彼の脳を完全に突き抜けて前頭葉に大きな損傷を受けた。にもかかわらず命に別状はなかったのだが、事故後は人格と行動が完全に変わったといわれる」、先の「ダマシオ」の例と似た事例だ。これで、「「EQは前頭葉の働きを示すもの」と考えるようになりました」、なるほど。 「若くして脳腫瘍におかされ」、「脳外科医によって手術が行われ、腫瘍は脳から完全に摘出」、「彼は、術後に人がまるっきり変わってしまったんです。仕事を途中で投げ出したり、どうでもいいことに妙にこだわるようになったり」、「知能テストではまったく「異常なし」。でも、感情のコントロールが悪くなるわ、弁護士時代は非常に共感能力が高かった人なのに、まったくダメになってしまうわと、恐ろしい結果になってしまったんです」、「脳腫瘍」の手術はやはり予想外の副作用が出るリスクがあるようだ。 「左右の機能分化はあるものの、左脳が論理で右脳が芸術(?)という理論にエビデンスが乏しく、信用できないと考えています」、「右脳というより、前頭葉の機能とそのトレーニングにむしろ注目しています。前頭葉機能と知能との関係で注視すべきは「EQ(*)」だと思っています」、なるほど。 「どうも日本人は前頭葉機能がうまく使えない。前頭葉機能というのは、新規のことに対応する能力です。そんな状態だから、AI新時代に対応できない。高齢者だけでなく、日本社会全体が」、その通りだ。 「日本は前例踏襲型です。そんな環境で長年暮らしていると、ふだんの生活で前頭葉をあまり使わなくなる。そのため、高齢になればなるほど「面白くない老人」が多くなってしまう」、「いまでは、高齢者のほうがテレビ情報に振り回されて新型コロナウイルス感染症を必要以上に怖がったりしていますから。前頭葉を鍛えていないと意欲が落ちて、脳の老化が早まるだけでなく、危機対応能力とかクリエイティビティに関しても早く落ちてしまうように思えてなりません」、困ったことだ。 「「脳トレ」自体はかなり眉唾まゆつばなところがあるけれど、続けることで脳の血流が増えることは悪いことではないし、前頭葉を使うことになるのは間違いないと思う」、「たとえば日本人の高齢者は新聞をよく読むから、意外に側頭葉機能は落ちないと思うんです。前頭葉機能というのも、使っているほうが落ちにくいんじゃないかと、高齢者をずっと見てきた僕としては感じています」、「新聞」の思わぬ効用だ。 「記憶障害や知能障害が起こるはるか以前に、まず脳の前頭葉機能が衰えてしまうんです」、「意欲だとか新しいことへの対応能力だとか、クリエイティビティとか、そういった能力から先に「老化」してしまう」、そうした能力は確かにいかにも「老化」には耐えられそうもない。 第一人者どうしの対談とは興味深そうだ。 中野信子×和田秀樹『頭のよさとは何か』(プレジデント社)の一部を再編集 対談「誰でも「いま」より頭がよくなれる…脳科学者・中野信子と精神科医・和田秀樹が語る「脳トレ」の真実 「頭のよさ」には知能面もあれば、感情面もある」 和田 秀樹 中野 信子 PRESIDENT BOOKS 「サーカディアン・リズムの乱れは日光を浴びるとリセットできる」、「夜型だからと日光を避けた生活を続けていては、サーカディアン・リズムは乱れるばかり。ついには心身の不調を招きかねないだろう。日中の活動に苦手意識がある場合でも、日光浴が健康維持につながることを覚えていてほしい」、「日光浴」はやはり重要なようだ。 「クロノタイプ「イルカ」」の「人口」比は書かれてないが、逆算すると20%となる。「サーカディアン・リズムに従ってトレーニングの時間帯を見直してみると、モチベーションアップや効率性アップが期待できる」、「オオカミ」以外は午前中がほぼ共通するようだ。 「人間」の「体内時計」が「分類」できる4つの「タイプ」とはどんなものなのだろう。 書籍『シリコンバレー式超ライフハック』(デイヴ・アスプリー著、ダイヤモンド社) 鈴木 舞氏による「能率が上がるのは朝か、夜か?仕事の成否を左右する「体内時計」の仕組み」 「どうしても苦しい状況の中では「やめよう」「もっと楽な道を」と考えてしまうのが普通だが、同じ苦しい中でも「これはチャンスだ」と考えて失敗を恐れずに動ける人もいる」、いつも前者を選択すれば、負け犬となるが、後者を選択するのは勇気と覚悟が必要だ。 「プルーニングは脳が行う断捨離、チューニングは脳で行われる学習」、「このプルーニングとチューニングは一生続きます」、「脳は一生変化・進化を続けるのです。 つまり、逆境トライアングルのネットワークを、輝かせるのも、錆びつかせるのも、僕たち次第というわけです」、自己責任の世界のようだ。 「必要なのは、自分の中の恐れがどこからくるのか、その恐れが何を引き起こしているのか、勇気をもって向き合うこと。すると、恐れは、ブレーキとして作用するのではなく、あなたの一部となり、次へのステップアップを促すアクセルとして機能しだします」、確かに説明されると納得するが、こんなに上手くいくのかとの疑問も残る。 「人は一日に平均23回の逆境を経験する」、「逆境」の定義が幅広いとはいえ、結構多いのに驚かされた。「脳は、物事が予測通りに進んでいる状態を好みます。生きものとして、そのほうが安全、快適だし、楽だからです。いつも通りに物事が運んでいれば、僕たちはいちいち考えて決断する必要もなく、ほぼ自動的に行動できます。 自動的に進んでいくはずの物事の中で、想定外のことや、どことなく違和感があることに出会うと、脳が嫌悪のサインを送ってきます」、「脳が認識したギャップに対して、意味不明、理解不能として否定、無視または拒絶して 「脳の中の「逆境トライアングル」」とは興味深そうだ。 川崎康彦氏による「人は1日に23回逆境を経験する!?脳では何か起きているのか」 ダイヤモンド・オンライン 「実は僕が目指しているのは、普通の人でも誰でも、いまより必ず頭がよくなることはできる、ということなんです」、嬉しい励ましだ。
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今日は更新を休むので、明日にご期待を!

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終活(死への準備)(その2)(哲学博士スティーヴン・ケイヴ4題中の後半:③始皇帝でも失敗した「不死探求」は 「科学×庶民」で実現するか、④それでもやっぱり 人は死ぬ その現実が導く理想の生き方) [人生]

昨日に続いて、終活(死への準備)(その2)(哲学博士スティーヴン・ケイヴ4題中の後半:③始皇帝でも失敗した「不死探求」は 「科学×庶民」で実現するか、④それでもやっぱり 人は死ぬ その現実が導く理想の生き方)を取上げよう。話は抽象的で哲学的だが、あえて終活を取上げるに当たって、準備の意味を込めて取上げた次第である。

先ずは、1月20日付け日経ビジネスオンラインが掲載した哲学博士のスティーヴン・ケイヴ氏による「始皇帝でも失敗した「不死探求」は、「科学×庶民」で実現するか」を紹介しよう。
https://business.nikkei.com/atcl/gen/19/00421/011200003/
・『「死にたくない」「長生きしたい」……人類はこの感情を原動力に、都市をつくり、科学を発展させ、文化を築き上げてきました。そして、「死」がもたらす人生の有限性が、一人ひとりの人生の充実に大きな役割を果たしているといいます。それはいったい、どういうことなのでしょうか。哲学博士で、ケンブリッジ大学「知の未来」研究所(Leverhulme Centre for the Future of Intelligence)エグゼクティブディレクター兼シニアリサーチフェローのスティーヴン・ケイヴ氏による著書『ケンブリッジ大学・人気哲学者の「不死」の講義』から一部を抜粋し、ビジネスパーソンの教養となり、今をより豊かに生きるための考え方を紹介します。3回目は、「権力者による不老不死の追求と、科学が見せる夢」について』、「「死にたくない」「長生きしたい」……人類はこの感情を原動力に、都市をつくり、科学を発展させ、文化を築き上げてきました」、なるほど。
・『始皇帝が目指した「不老不死」  今日では通常、「始皇帝」として知られている秦(しん)王の政(せい)が、自分の死の必然性を痛切に自覚していたことには、何の不思議もない。彼の胸に短剣を突き立てたかった者は大勢いただろうし、現にそれを試みた者も少なからずいた。実の父だったかもしれないし、そうでなかったかもしれない前王は、3年しか王座を保てなかった。さらにその前の王は、わずか1年しかもたなかった。自分が死を免れぬ儚(はかな)い存在であることを一瞬でも忘れる誘惑にかられないように、世間が共謀して皇帝に思い知らせていたわけだ。「死のパラドックス」の前半(連載第1回参照)は、私たちが自分の儚さを意識しながら生きねばならないことを教えてくれる。生まれた者はみな、死なねばならぬことに、誰もが気づいている。 だが、私たちの大半には、この事実が頭に浮かばぬようにする文化的な道具や仕組みがある。親族や友人を突然亡くさぬかぎり、私たちは死が避けようもないことから、喜んで気を逸(そ)らされるに任せている。 ところが、ファラオや独裁者や王のように、暗殺者の影につきまとわれて生きている者は、自分の運命の危うさを、常時思い知らされる。この、自身の脆弱(ぜいじゃく)さについての意識が、最強の地位にある者にこそまとわりついてくるというのは、よくできた皮肉だ。シェイクスピアのヘンリー4世が言うとおり、王冠を戴く者は、安穏と頭を横たえることができないとは。したがって、こうした支配者に、この無情な消滅の自覚が及ぼす最大の影響が見て取れる。 始皇帝は、死を免れえない現実に対してすっかり不安に包まれていたように見えるが、一方で不死身になって、永遠に生き続けることは可能だと信じていた。それを成し遂げるために、彼は秦帝国を打ち立てたのだ。 無期限に生き永らえるというのは、今、ここで命を保つことの継続であり、生存のための日々の奮闘を果てしなく延長することだ。したがって、すべての人間が維持する必要がある、基本的な物事から始まる。すなわち、飲食物と住まいと身を守る道具だ。社会は、発達するにつれ、協同や労働の専門化や技能の伝承を通して、こうした必需品の供給法を洗練させていく。文明は根本的には、延命テクノロジーの集積だ。 農業は食糧の安定供給を確実にし、衣服は寒さを防ぎ、建築は住み処と安全を提供し、優れた武器は狩猟と身を守ることを助け、医学は負傷や病気と闘う。だが、大半の人がこうしたテクノロジーを自分や家族や村に適用して満足するのに対して、始皇帝にははるかに壮大な展望があった。彼は帝国を支配しており、それを永続させ、自分が永遠に君臨するつもりだった。これを達成するために、自分の版図(はんと)を、予測できぬ危険なもののいっさい、すなわち、死をもたらしうるものすべてから隔て始めた。 そして、文字どおりの意味で、すなわち、北の国境沿いに1万キロメートルほど続くことになる城壁の建設という形で、それに取り掛かった。さまざまな文明の人々が、遠い昔から家や村の周り、さらには都市の周囲にさえ防壁を築くのを常としてきたが、1つの帝国をそっくり防壁で隔てることは、かつてなかった。これが万里の長城の始まりであり、この長城は徴用された労働者の血と汗の上に築かれ、その建設中には何十万という人が命を落としたと考えられている。 この長城の内側で、始皇帝は前代未聞の改革を行なって経済を発展させた。度量衡(どりょうこう/長さ・容積・重さの基準)と通貨が統一され、漢字書体が一本化され、行政と統治が合理化された。相争う諸国から、単一の国家が創設された。この国は、始皇帝の祖国である秦(chin =チンと発音する)王国にちなんで、今もなお広く中国(China =チャイナ)として知られている。 その後、紀元前213年に始皇帝は悪名高い命を発し、自分の新体制とは相容れぬ学派の書物はすべて焼かせた。過去の年代記は破棄され、歴史は一から始まることになった。延命の役に立つと思われる文書、すなわち、農業や占いや医学に関するものだけが難を逃れた。残りはみな禁書とされ、その所有は極刑に相当する罪と見なされた。 アルゼンチンの作家ホルヘ・ルイス・ボルヘスは、万里の長城と焚書(ふんしょ)を共に、永遠に生きようとする始皇帝の探求という文脈で捉えた。「空間における城壁と時間における炎は、死の接近を止めることを意図した魔法の防壁だったことを、データが示唆している」と彼は書いている。始皇帝は生――自分の命――を無期限に存続させることができる新しい秩序を樹立することを試みていた。文明と野蛮の相違が表れているのがこれだった。それはボルヘスの言葉を借りれば、魔法の防壁であり、それが生を持続させる秩序を、混沌(こんとん)と疾患と崩壊から隔てているのだった。 始皇帝は、秩序ある政治とよく統制された経済が実現可能だと信じていたのとちょうど同じように、不老不死の霊薬(エリクサー)を手に入れることも可能だと信じていた。そこで皇帝は、最高の医師や呪術師、錬金術師、賢者たちを身辺に置いた。彼らの任務は、皇帝がありきたりの病気にかかったときに治すことだけではなく、加齢に伴う衰えを食い止め、その最終結果である死を寄せつけぬことでもあった。さらに自分の帝国全土を経巡り、霊験(れいげん)あらたかな山々で供犠(くぎ)を執り行ない、各地で出会った呪術師や学者に助言を求め、彼らが処方した水薬や丸薬、霊薬とされるものを熱心に服用した。 日本の和歌山県新宮市周辺に伝わる「徐福(じょふく)伝説」もまた、始皇帝による不老不死の霊薬探索の一端として知られている』、「始皇帝は、秩序ある政治とよく統制された経済が実現可能だと信じていたのとちょうど同じように、不老不死の霊薬・・・を手に入れることも可能だと信じていた。そこで皇帝は、最高の医師や呪術師、錬金術師、賢者たちを身辺に置いた。彼らの任務は、皇帝がありきたりの病気にかかったときに治すことだけではなく、加齢に伴う衰えを食い止め、その最終結果である死を寄せつけぬことでもあった」、「万里の長城」には、軍事上の理由だけでなく、「死の接近を止めることを意図した魔法の防壁」だったとは、初めて知った。
・科学は「不老不死」を実現するか  初期の文明の人々にとって文明は、農業と医学という、明らかに寿命を延ばすテクノロジーから不老不死の霊薬へと、すんなり続いていくものだった。さらに言えば今日もなお、不老不死の霊薬追求の試みの途上にある。 実際、新しい千年紀の初頭に当たる今、霊薬産業は依然として活況を呈している。2010年までの10年間に、れっきとした科学雑誌『ニューサイエンティスト』が掲載した、老化を止めることを約束する新しい「霊薬」の記事は、12にのぼる。 臨床検査を行なった今日の特効薬とは違い、古代の伝説はすべて架空の迷信にすぎないと考えたくなるといけないので指摘しておくが、『ニューサイエンティスト』誌に載った12の老化防止策の1つは、マメ科の草であるレンゲソウの根から抽出した成分を利用したものだ。レンゲソウは、伝統的な中国医学における「基本的な50の薬草」の1つで、始皇帝に処方された薬のうちに入っていた可能性がきわめて高い。呪術と科学の間には、厳然とした境界線はない。 使う方法こそ、長い歳月を経るうちに、より厳密で、効率的で、生産的になったものの、それを別とすれば、私たちは依然として「生き残り」を追求しており、それは歴史が始まって以来、人類が常にやってきたこととまったく同じだ。 「この探求は、単に変わり者や偽医師だけのものだったためしがない」と、医学史家のジェラルド・グルーマンは書いている。それどころか、さまざまな宗教そのものや、高名な哲学者、重要な科学者が、無限の寿命のカギを見つけることに打ち込んできたのだ。 どの世代にも期待をかけるテクノロジーがある。錬金術(錬丹術)という名称で知られる取り組みもまたその一環だ。歴史で初めて錬金術に触れたのが、紀元前1世紀の中国の歴史家、司馬遷(しばせん)が残した記録だ。司馬遷は始皇帝について現在知られていることの大半も記録した。彼は、宮廷の錬金術師が辰砂(しんしゃ/硫化水銀から成る深紅色の鉱物)を金に変えようとしていたこと、そして、もしその金を飲食のために使えば、「けっして死ななくなる」だろうことを記している。このように、錬金術はその最初期から、変化という概念によって統合された2つの目標の追求と結びつけられてきた。その2つの目標とは、卑金属を金に変えること、そして、卑(いや)しい人間を不死の人に変えることだ。 今では錬金術は前者の目標と結びつけられることが多いものの、大方の錬金術師は、どれほど控えめに言っても、これら2つの目標が分かち難く関連していると考えただろうし、司馬遷の記述にあるように、金の製造は無期限の生という目的のための手段にすぎないと考えることが非常に多かった。 これは、西洋の錬金術にも同様に当てはまる。科学実験の提唱者の草分けで、オックスフォード大学教授のロジャー・ベーコンは、1267年に次のように述べている。 「卑金属から不純物と穢(けが)れをすべて取り除いて銀や純金にするような薬は、人間の身体から穢れを取り除いて、長い年月にわたって寿命を延ばすことができると、科学者は考える」 ヨーロッパではルネサンス以降かなりの時を経るまで、化学と錬金術の区別も、科学者と魔術師の区別もなかった。今日私たちが科学的方法の厳密さと見なし、あらゆる迷信の正反対に位置づけるものは、錬金術による不死の探求から、徐々に現れ出てきたにすぎない。 ロバート・ボイル、さらにはサー・アイザック・ニュートンのような、科学時代の黎明期に現れた偉人の多くは、錬金術の教えに染まっており、ニュートン本人は、物理学の分野における自分の発見よりも、錬金術への自分の貢献を重視していた。 根拠に基づく新しい方法の成功が急速に重なるにつれ、古来の知恵と秘術への信頼はやがて衰えていった。もし自然界の秘密が解明されるとしたら、それは丹念に集めた実験データに照らして新しい説を検証することを通して達成されるのであって、古い象形文字を解読することを通してではなかった。 だが、方法と文化が進化しても、霊薬の概念は生き延び、無数の研究者がせっせとそれに取り組み、マーガリンから美顔用クリームまで、ありとあらゆるものを私たちに売りつけるのに利用されている。この探求の科学的な現代版は、神話的な過去を放棄することで、霊薬伝説のきわめて重大な側面、すなわち、それが万人向けに意図されたものではないという面も失ってしまった。じつは、やはり治癒と蘇生の力を持つとされていた聖杯に似て、霊薬は賢者や有徳の人だけが手にできるものだった。永続的な生は、並外れた努力と善行を通して勝ち取るもので、そうした美点が、文明が野蛮へと衰退するのを防いでいるというのが約束事だったのだ』、「呪術と科学の間には、厳然とした境界線はない。 使う方法こそ、長い歳月を経るうちに、より厳密で、効率的で、生産的になったものの、それを別とすれば、私たちは依然として「生き残り」を追求しており、それは歴史が始まって以来、人類が常にやってきたこととまったく同じだ」、「司馬遷は・・・宮廷の錬金術師が辰砂・・・を金に変えようとしていたこと、そして、もしその金を飲食のために使えば、「けっして死ななくなる」だろうことを記している」、「ニュートン本人は、物理学の分野における自分の発見よりも、錬金術への自分の貢献を重視していた」、「ニュートン」でも「錬金術への自分の貢献を重視」とは当時の「錬金術」の地位の高さを示しているようだ。
・『「生き残りのシナリオ」による不死探求の限界  ここで紹介したエピソードは、4つある不死のシナリオ(連載第2回参照)の基本形態の第一である「生き残りのシナリオ」に紐(ひも)づいている。この「生き残りのシナリオ」は、文明が拠(よ)り所としている約束の一部を成し、現代における西洋的世界観の核心にある、進歩の概念にとって不可欠だ。 少しだけ長く、さらに長く、なおいっそう長く生きられるという希望こそが、人間社会の物質的側面のほぼすべての発展を促してきた。そして、今日その希望は、科学と医薬の巨大産業に動機を与えている。これらの分野は、現に私たちの人生を、より長く、より良いものにするような成果を上げている。 だが、さらに先まで私たちを導くことを約束する科学は、他にも教訓を示している。老化と衰弱の過程は、私たちの身体に深く根差していること、私たちの助けとなりうるテクノロジーは、破滅ももたらしかねぬこと、私たちが暮らす世界は人間の生を永遠には許容しないだろうことだ。 私たちは、親や祖父母よりも少し長く生きられるかもしれない。いつの日か、癌(がん)を打ち負かしたり、移植用臓器を培養したりするかもしれない。だが、永遠に生き永らえるのに成功する人は、1人もいないだろう。私たちの生身の体も、私たちが暮らすこの惑星も、それを許すことはない。このシナリオは魅惑的でも生産的でもあるが、約束を果たすことはないのだ』、「私たちの助けとなりうるテクノロジーは、破滅ももたらしかねぬこと、私たちが暮らす世界は人間の生を永遠には許容しないだろうことだ」、「不老不死」が実現すれば、「老人だらけの世界」にならざるを得ず、持続可能性がなくなるので、社会が認める筈がない。

次に、この続きを、1月21日付け日経ビジネスオンラインが掲載した哲学博士のスティーヴン・ケイヴ氏による「それでもやっぱり、人は死ぬ その現実が導く理想の生き方」を紹介しよう。
https://business.nikkei.com/atcl/gen/19/00421/011200004/
・『「死にたくない」「長生きしたい」……人類はこの感情を原動力に、都市をつくり、科学を発展させ、文化を築き上げてきました。そして、「死」がもたらす人生の有限性が、一人ひとりの人生の充実に大きな役割を果たしているといいます。それはいったい、どういうことなのでしょうか。哲学博士で、ケンブリッジ大学「知の未来」研究所(Leverhulme Centre for the Future of Intelligence)エグゼクティブディレクター兼シニアリサーチフェローのスティーヴン・ケイヴ氏による著書『ケンブリッジ大学・人気哲学者の「不死」の講義』から一部を抜粋し、ビジネスパーソンの教養となり、今をより豊かに生きるための考え方を紹介します。4回目は、「必ず死ぬという現実を踏まえ、私たちはどう生きるべきなのか」について』、「「必ず死ぬという現実を踏まえ、私たちはどう生きるべきなのか」、役立ちそうだ。
・『守られない「不死への約束」  人類による「不死」の探求は、太古以来の歴史と、無数の信奉者と、人類の文明を形作る計り知れぬ影響力を持ってきた。とはいえ、そのどれもが頂(いただき)には遠く及ばない。私たちは、永遠の生にはけっして手が届かないのだ。 おかげで、少しばかり困ったことになった。私たちはみな、未来永劫(えいごう)生き続けたいという本能、つまり不死への意志を持っている。そして、それは「死のパラドックス」(連載第1回参照)と表裏一体である。 それがすべて幻想なら、いったいどういうことになるのだろう? 個人の観点ではなく、文明の視点から考察すると、状況はなお悪い。始皇帝の物語(連載第3回参照)でも見たように、文明そのものは、死の克服を目指す探求によって推進されてきた。それどころか、多くの文明にとって創始時の存在意義が不死の約束だった。 また、科学と進歩のイデオロギーが現れたのは寿命を無期限に延ばそうとしたからであり、宗教が繁栄するのは死後の生を保証するからであり、文化の所産のほとんどは象徴の領域で自己複製するための私たちの試みであり、子供をもうけるのは自らを未来に存続させたいという生物学的な衝動の表れである。そうした試みを抜きにして、いったいどのような種類の社会が成立しうるだろうか? どれだけ努力しても無に帰するとわかっていても、進歩や正義や文化はありうるだろうか?』、「どれだけ努力しても無に帰するとわかっていても、進歩や正義や文化はありうるだろうか?」とは、本源的な問いだ。
・『「不死」の実現で起こる様々な「大問題」  ただし、この問題に対し、私たちは絶望する必要はなく、生の有限性に向き合いつつも、真っ当(まっとう)で満足のいく人生を送れるはずだと、私は信じている。じつのところ、それは意外なほど容易でさえあるかもしれない。不死には実は、望ましくない点もあるのだ。 不老不死の人が住むという山を登るための奮闘は、成長と革新に満ちたものだったと同時に、流血や残虐行為や不正だらけのものでもあった。始皇帝に限らず、彼らは不老不死を追求するあまり、厖大(ぼうだい)な数の人の人生を破綻させた。名声や栄光を狙う数々の試みが慈悲深さをはなはだしく欠いていることは記憶にとどめる価値がある。 同様に、生物学的な不死のシナリオもまた、人種差別やナショナリズムや外国人嫌いに変質することが頻繁にある。「他者」の排除あるいは殺害は、自らの純潔性を維持し、自分たちの人種こそが死を超越することを示す1つの方法になるからだ。そういうわけでアーネスト・ベッカーは、「死の必然性を否定し、英雄的な自己像を築きたいという衝動が、人間の悪事の根本原因である」と主張したのだ。だから、不死の達成という目的への手段として多くの文明が興(おこ)る一方で、不死のシナリオの結果としてやはり多くの文明が滅亡の憂き目に遭(あ)ってきた。 また、異なる不死のシナリオを持つ文化間の戦争は、アメリカの哲学者サム・キーンの言葉を借りれば、永遠の生にかかわる「聖戦」となる。あなたが自分の命を、プロレタリア革命を進めるために犠牲にしたのなら、資本主義が勝利すれば、後世でのあなたの役割は消滅する。人生をアッラーに捧(ささ)げたいと願うなら、世俗主義が発展すると、楽園に居場所を見出せなくなる恐れがある。こうして、私たちは自らに固有の神話の真実性を守るために闘い、たいてい勝者に劣らぬほどの数の敗者も出るのだ。 さらに、不死のシナリオの望ましからぬ影響は“文明間”の争いだけに限られるわけではない。それぞれの社会の“中”にもやはり、はっきり現れている。不死のシナリオは多くの倫理体系で重要な役割を果たし、この世で人が見せる善行や悪行への褒美や懲罰として永続的なアメとムチを提供する。だが、こうした倫理体系は、非道極まりない不正をも容認しうる厳格な保守主義と表裏一体なのだ。 中世ヨーロッパの支配者がキリスト教に大きな利用価値を見出した理由も、そこにあることは間違いない。キリスト教は搾取される臣民に、日々の生活の忌まわしさから目を逸(そ)らし、代わりに未来の楽園を夢見るように教えたからだ。これこそニーチェが「奴隷の道徳」と呼んだものだ。なぜならそれは、踏みにじられた人々に悲惨な運命を受け容れさせ、来るべき世界での復讐(ふくしゅう)と満足に空想を巡らせるように仕向けるからだ。 奴隷解放、両性間や人種間の平等、社会福祉などを目指す、ここ数世紀の素晴らしい社会改革運動が起こったのは、西洋社会において来世への執着がようやく薄れ始めたときだった。永遠に続く道義的に正しい喜びが待っているのであれば、現世で正義や幸福を追い求める必要はないのだから。 不死を信じる人は、頑(かたく)なに将来の至福を見据え、“今”存在することの価値を理解しそこなっている。 最後になるが、不死のシナリオの大多数が根深い利己心を育てることも注目に値する。そうしたシナリオはあなたに、自分の個人としての人格が無限に存続することに執着するよう教える。すると、あらゆる行動が、あなた個人が生き残る可能性を高めるか低めるか、あるいは期待される永遠の生をより楽しいものにするか否かで評価されるというわけだ。 これらは不死のシナリオが現時点で持つ欠点だが、問題点の一覧にはさらにつけ加えるべき事柄がある。すなわち、私たちが本当に個人の不死を達成したら起こりかねぬことだ』、「キリスト教は搾取される臣民に、日々の生活の忌まわしさから目を逸(そ)らし、代わりに未来の楽園を夢見るように教えたからだ。これこそニーチェが「奴隷の道徳」と呼んだものだ」、「ここ数世紀の素晴らしい社会改革運動が起こったのは、西洋社会において来世への執着がようやく薄れ始めたときだった。永遠に続く道義的に正しい喜びが待っているのであれば、現世で正義や幸福を追い求める必要はないのだから」、なるほど。
・『「無限」という名の新しい絶望  不死によってもたらされる「無限」とは、単なる割り増しの時間ではなく、際限なく続く時間だ。無限の時間という巨大な枠組みの中では、たちまち私たちに残されるのは退屈極まりないものだけということになり、自分の意欲が著しく減退する憂き目に遭いかねない。 もちろん、何度も味わえる楽しみもある。美味(おい)しい食事をしたり、友人と会話したり、好きなスポーツをしたり、お気に入りの音楽を聴いたりといった楽しみだ。こうしたことは、少なくとも2回目、3回目、あるいは100回目でも素晴らしさは薄れぬように思える。だが、毎日キャビアを食べている人は、いずれげんなりするだろうし、いつの日か、たとえ100万年先だとしても、友人たちのジョークにも全部飽きるだろう。あらゆる贅沢(ぜいたく)も、長々と楽しんだ後は、ありきたりのつまらぬものになる。どんな活動を追求しても、終わることなく繰り返すなら、最後にはシーシュポスのような気持ちになるだろう。シーシュポスは、何度やっても必ず転がり落ちる重い岩を山頂に向かって永久に押し上げ続けるという罰を神々に与えられたギリシア神話の王だ。 もう1つ、深刻な問題は次のようなものだ。物事の価値は、その稀少(きしょう)性と関連している。自分が死を免れぬことを自覚している人は、人生に限りがあることを知っているので、時間を大切にし、それを賢く使おうとする。朝、ベッドから起き出すのも、学業を終えて社会に出るのも、安定した老後のためにお金を稼ぐのも、その制約に駆り立てられてのことだ。限りある時間という制約に、私たちのあらゆる決定は左右されている。 無限の時間に関するこの推測が少々抽象的に聞こえるのなら、突然、自分が余命いくばくもないと知った人の経験に目を向けるとよい。末期患者を対象としている精神科医のアーヴィン・D・ヤーロムは、癌(がん)のような重病と診断された人さえ「生きているという実感の高まり……人生における本当に大切な事柄の鮮明な認識……そして、愛する人たちとのより深い意思疎通」を経験することを指摘している。 つまり、生は今の長さであっても、私たちはすでにその真価を理解できておらず、これ以上時間が増えれば、あるいは無限に時間が増えれば、この状態を悪化させるだけであることが、証拠から窺(うかが)える。 無限を前にしては、時間はその価値を失う。そして、時間が無価値になれば、選択というものが無意味になり、時間の使い方を合理的に決めることは不可能になる。意味のある生と生産的な社会には、それらの意味を明確にする限界が必要だ。私たちには生の有限性が不可欠なのだ』、「意味のある生と生産的な社会には、それらの意味を明確にする限界が必要だ。私たちには生の有限性が不可欠なのだ」、その通りだ。
・『ヴィトゲンシュタインが「生に終わりはない」といった理由  真に終わりなき生は恐ろしい災(わざわ)いである可能性を認識すれば、永遠に生きたいという望みは薄れるかもしれない。が、だからといって、死んでもかまわないと私たちが納得する可能性は低い。 しかし、実際に死んでいる状態を恐れるのは無意味かもしれない。これを私たちに明確に言い表すために登場したのは、ギリシアの哲学者だった。エピクロスだ。紀元前300年頃に彼はこう書き記した。 「死は我々にとって何の意味も持たない。なぜなら、あらゆる善悪は感覚の中に存在し、死はあらゆる感覚の終わりだからだ」 「我々が存在しているときには死は存在しないし、死がやって来たときには我々は存在しない。したがって、生きている者にも死んでいる者にも死は関係ない。というのも、死は生者と共には存在しないし、死者は存在しないからだ」 エピクロスの主張は、まさに自然科学が説くことでもある。私たちは“本質的に”、生き物、つまり、生きている物なのだ。そこから議論が紛糾(ふんきゅう)しそうな結論が導き出される。あなたも私も、文字どおり“死んでいる状態”になることはできない。生きている物は死んでいる物になりえない。誰かについて「死んでいる」と言うのは、その人が存在しなくなったということの、簡便な言い換えにすぎない。 20世紀哲学界の巨人ルートヴィヒ・ヴィトゲンシュタインは、意識があり、物事を経験している生き物としての私たちにとってこれが意味するところを、次のように要約している。「死は人生における出来事ではない。私たちは生きて死を経験することはない」。ヴィトゲンシュタインはここから、その意味で「生に終わりはない」と結論した。つまり、私たちは生に終わりがあることを、けっして自覚できない。知りうるのは、生だけなのだ。 自分を海の波にたとえることができるかもしれない。岸に打ち寄せるとき、その短い一生は終わるが、その後「死んでいる波」あるいは「元波」といった何らかの新たな状態に入るわけではない。波を構成していた各部分が消散して、再び海に吸収される。私たちも同様だ。人間という生き物の、自己制御を行なう有機化された複雑な仕組みが機能停止すると、その人は終焉(しゅうえん)を迎える。死という新たな状態に入ったわけではない。その人は終わり、その構成要素はやがて人間の形を失って、再び全体に組み込まれる。 死とは終わりであり、だからこそ、それを正確に理解したときには、死を恐れるべきではない。これまでに積み上げた意識経験が、私たちの“生のすべて”だ。誕生と同様に、死はこうした経験の境界を定義する用語でしかない。このことを、不死の問題の理解と組み合わせると、直感で信じているほど、永遠に生きるというのは良いものでもなく、死は悪いものでもないと結論できる』、「誕生と同様に、死はこうした経験の境界を定義する用語でしかない。このことを、不死の問題の理解と組み合わせると、直感で信じているほど、永遠に生きるというのは良いものでもなく、死は悪いものでもないと結論できる」、なるほど。
・『私たちは、どう生きるべきなのか?  自らの死の必然性に敢然と立ち向かう人々の文明は、その実現に向けて努力する価値がある。そればかりか、死の必然性の自覚は、起こりうるあらゆる状況のうちで最良のものを提供してくれる、と私たちは大胆に主張することさえできるだろう。 人生には終わりがあると知れば、私たちの時間に制限が課されるので、その時間が価値あるものとなる。死は必然であるという事実は、私たちの存在に緊急性を帯びさせ、私たちがそれに形と意味を与えることを可能にしてくれる。 できる間は毎朝起き出して世の中とかかわるべき理由を私たちに与えてくれる。この世界を最高の世界にすべき理由を与えてくれる。それ以外の世界などないことがわかっているからだ。それでいて、制限を課すもの、すなわち死は、私たちが苦しんだり、他のいかなる形で経験したりできるものでは断じてない。私たちは本質的に生き物、すなわち生きている物なのだから、文字どおり死んでいる状態にはなることさえできない。私たちが知りうるのは生のみであり、その生には限りがあるという事実を受け容れれば、それを大切にしなければならないことも理解できる。 私たちの生は、始まりと終わりによって範囲を定められてはいるものの、自分自身を超えてはるか遠くに手を伸ばし、無数の形で他の人々や場所に触れることができる、数知れぬ瞬間から成り立っている。 その意味では、私たちの生は本に似ている。表紙と裏表紙に挟まれた世界で自己完結していながら、遠くの風景や異国の人物やはるか昔に過ぎ去った時代を網羅できる。その本の登場人物たちは限界を知らない。彼らは私たちのように、自らの生を構成している一瞬一瞬を知ることができるだけだ。たとえ本が閉じられたときでさえも。したがって、彼らは最後のページに行き着くことには煩(わずら)わされない。 だから私たちもそうあるべきなのだ』、「私たちが知りうるのは生のみであり、その生には限りがあるという事実を受け容れれば、それを大切にしなければならないことも理解できる」、やはり「生」は「大切に」しなければならない」ようだ。「私たちの生は本に似ている。表紙と裏表紙に挟まれた世界で自己完結していながら、遠くの風景や異国の人物やはるか昔に過ぎ去った時代を網羅できる。その本の登場人物たちは限界を知らない。彼らは私たちのように、自らの生を構成している一瞬一瞬を知ることができるだけだ。たとえ本が閉じられたときでさえも」、「私たちの生は本に似ている」、とはなかなか面白い比喩だ。
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終活(死への準備)(その1)(哲学博士スティーヴン・ケイヴ4題中の前半:①死は それ自体が「パラドックス」である、②全生物のうち 人類だけが「発展」できた4つの理由) [人生]

今日は終活(死への準備)(その1)(哲学博士スティーヴン・ケイヴ4題中の前半:①死は それ自体が「パラドックス」である、②全生物のうち 人類だけが「発展」できた4つの理由)を取上げよう。

先ずは、1月19日付け日経ビジネスオンラインが掲載した哲学博士のスティーヴン・ケイヴ氏による「死は、それ自体が「パラドックス」である」を紹介しよう。
https://business.nikkei.com/atcl/gen/19/00421/011200001/
・『「死にたくない」「長生きしたい」……人類はこの感情を原動力に、都市をつくり、科学を発展させ、文化を築き上げてきました。そして、「死」がもたらす人生の有限性が、一人ひとりの人生の充実に大きな役割を果たしているといいます。それはいったい、どういうことなのでしょうか。哲学博士で、ケンブリッジ大学「知の未来」研究所(Leverhulme Centre for the Future of Intelligence)エグゼクティブディレクター兼シニアリサーチフェローのスティーヴン・ケイヴ氏による著書『ケンブリッジ大学・人気哲学者の「不死」の講義』から一部を抜粋し、ビジネスパーソンの教養となり、今をより豊かに生きるための考え方を紹介します。1回目は、「人は必ず死ぬ。しかし誰もが、自分の死を正しく想像できない」ということについて』、興味深そうだ。
・『人類を突き動かす「永遠」への熱望  私たち人間は、他のあらゆる生き物同様、果てしなく生を追求するよう駆り立てられている。だが、生き物のうちで唯一私たちだけが、その追求の過程で目覚ましい文化を創出して瞠目(どうもく)すべき芸術品を生み出し、豊かな宗教伝統を育み、科学の物質的業績と知的業績を積み上げてきた。そのすべては、「不死」を手に入れるための4つの道をたどることを通して成し遂げられてきた、というのが私の主張だ。 不死への意志が文明の根本的な推進力であるという主張を初めて耳にしたら、疑いを抱く人もいるだろう。 「そのような意志はあまりに抽象的であり、日々の活動の背後にある本能たりえないであろう。あまりに神秘的なので、サルから進化したヒトという生物の行動は説明できそうにない」というのだ。 だが、私たちの永遠への熱望の起源は、神秘的でもなければ抽象的でもない。その正反対で、これほど自然なものはありえないだろう。私たちが未来まで生き延びようと奮闘努力するのは、人類の長い進化の遺産の、直接の結果にすぎない。 あらゆる生命形態に唯一共通するのが、生き永らえ、子孫を残そう、つまり、未来まで存続しようとする傾向だ。どれほど大きな山でも、甘んじて浸食を許す。微細な砂粒が黙って海の波に洗われるのと何ら変わりはない。だが、どれほど小さな生き物でも、風雨や捕食者の攻撃には全力で立ち向かう。生物以外の宇宙の特徴である無秩序に陥るまいとして闘う。生き物はまさにその本質上、はなはだしい不利をものともせずに持ちこたえるための、動的なシステムなのだ。犬であろうと、ミミズであろうと、アメーバであろうと、生き物はひたすら生き続けることのために間断なく奮闘する。永続するためのこの努力こそが、生の本質だ。 進化生物学者リチャード・ドーキンスが言うとおり、「私たちは生き残るためのマシンだが、『私たち』とは人間だけを意味するわけではない。そこには、あらゆる動物、植物、細菌、ウイルスが含まれる」のだ。これは、現代生物学では自明の理となった。何らかの形での自己保存あるいは自己複製は、「生命とは何か」という定義には必ず含まれている。 自然選択による進化の過程は、なぜそうならざるをえないのかを教えてくれる。多様性に富んだ個体群の中では、生き延びて子孫を残すのが最も得意な生物が自らの遺伝子を次世代に伝える。身の回りに見られる猫や樹木や昆虫のどれであれ、今存在しているのは、祖先が自らと子孫を維持するのに最も長(た)けていたからにすぎない。 したがって、生き永らえて子孫を残すことを通じて、未来まで首尾良く生き延びられるかどうかが、まさに進化の勝者と敗者の分かれ目なのだ。 そして、私たち人類に関していえば、直感や複雑な情動や私たちの洗練された推論の過程はみな、生存という目的に、直接的あるいは間接的に貢献するために存在していることが、卓越した神経科学者のアントニオ・ダマシオによって示されている。 生物人類学者のジェイムズ・チザムはさらに推論を進め、あらゆる価値はこのたった1つの目標から生じるとし、その目標とは、「そのために身体が存在している複雑な活動、すなわち無期限の持続」である、と述べている。 ドイツの哲学者アルトゥール・ショーペンハウアーは、この根本的な衝動を単に「生への意志」と呼んだ。とはいえ、時間の制限はない――チザムの言うとおり、私たちが望む持続は「無期限」だ――から、むしろ、永遠の生への意志、あるいは、不死への意志と呼ぶべきだ。 文明という営みの大半を含め、私たちの成すことのじつに多くが、「不死」への衝動によって説明できるのだ』、「文明という営みの大半を含め、私たちの成すことのじつに多くが、「不死」への衝動によって説明できるのだ』、なるほど。
・『人は必ず死ぬ、しかし誰もが「自分の死」は受け入れられない  私たち人間を際立たせているのは、大きくて接続性の高い脳だ。この脳も、私たちが自らを無期限に存続させるのを助けるために進化したのであり、生存のための奮闘には大いに役立つ。 私たちは、自分自身や、未来や、さまざまな可能性を自覚しているので、適応し、精緻な計画を立てることができる。だが、自分自身に関して、恐ろしいと同時に不可解な視点を持つことにもなる。私たちの強力な知性は、私たちも身の回りの他のあらゆる生き物同様、いつの日か死なねばならないという結論に情け容赦(ようしゃ)なく至る。それにもかかわらず、その一方では、私たちの頭脳には1つだけ想像できぬものがあり、それは、死という、自分が存在しない状態そのものだ。それは文字どおり、考えられない。 したがって、死は不可避かつ信じ難いものという印象を与える。これを私は「死のパラドックス」と呼ぶ。 このパラドックスの両面は共に、同じ見事な認知能力から生じる。約250万年前に現生人類の直系の祖先であるホモ属が出現して以来、人間の脳の大きさは3倍になった。それに伴い、概念にまつわる一連の非常に重要な革新が起こった。 第一に、私たちは自分を他者と別個の個体として認識している。これは、大きな脳を持つほんの一握りの種に限られた特質であり、高度な社会的相互作用に不可欠と考えられている。 第二に、私たちは未来について詳しい考えを持っているので、あらかじめ計画を立てたり、それを変更したりできる。これもまた、他の大多数の種では見られぬ能力だ(珍しい例外の1つに、スウェーデンのフールヴィック動物園のチンパンジーの事例がある。そのチンパンジーは、日中に来園者に投げつけるための石を、夜のうちに拾い集めておいた)。 そして第三に、私たちはあれこれ可能性を検討し、目にしてきたものを一般化しながら学習したり、論理的に考えたり、既知のものから未知のものを推測したりでき、さまざまな筋書きを思い浮かべられる』、「私たちの強力な知性は、私たちも身の回りの他のあらゆる生き物同様、いつの日か死なねばならないという結論に情け容赦なく至る。それにもかかわらず、その一方では、私たちの頭脳には1つだけ想像できぬものがあり、それは、死という、自分が存在しない状態そのものだ。それは文字どおり、考えられない。 したがって、死は不可避かつ信じ難いものという印象を与える。これを私は「死のパラドックス」と呼ぶ」、確かに「死」は「想像できない」。
・『「人間の死亡率は100%である」ということ  生き延びる上でこうした能力が有利に働くことは明らかだ。マンモス猟の落とし穴からスーパーマーケットの供給網まで、私たちは必ず必要を満たせるように、物事を計画し、調整し、協力することができる。 だが、こうした能力には代償も伴う。自分や未来についての概念を持ち、身の回りで目にするものに基づいて未知のものを推測したり一般化したりできるなら、仲間がライオンに殺されるのを目撃した場合には、自分もライオンに殺されうることに気づく。そのせいで、いざというときのために槍(やり)の穂先を尖(とが)らせて備えておくようなら役に立つが、不安も生まれる。死という未来の可能性を現在に呼び込む。 そして、生きとし生けるものはすべて死を免れないことに気づく。死こそ真の敵であることを悟る。強力な頭脳を使い、鋭い槍や頑丈な門、満杯の食料貯蔵庫、病院などによって、この敵をしばらくは食い止めることができるが、同時に、すべては結局無駄で、いつの日か自分が死にうるだけではなく、確実に死ぬことがわかる。 これこそ、20世紀のドイツの哲学者マルティン・ハイデッガーが「死に向かう存在」という有名な言葉で表現したものであり、彼はこれこそが人間の境遇にほかならないと考えた。 したがって私たちは、強力な頭脳に恵まれているものの、同時に、死ぬだけではなく、死なねばならぬことを知るという宿命を負わされている』、「私たちは、強力な頭脳に恵まれているものの、同時に、死ぬだけではなく、死なねばならぬことを知るという宿命を負わされている」、「死に向かう存在」である以上、避けて通ることは出来ない。
・『「自分」という視点を抜きに「自分の死」は想像できない  だが、第二の考え――そして、「死のパラドックス」のもう一面――は、その正反対のことを告げている。私たち自身の消滅は不可能だ、と。実際のところ私たちは、“自分が死んだらどうなるか”を想像しようとするたびに、つまずく羽目になる。現に存在していないところを思い描くことが、どうしてもできないのだ。 やってみてほしい。自分の葬儀までは、あるいは、ひょっとすると、暗い虚空までは思い浮かべられるかもしれないが、あなたは依然としてそこに存在している──観察者として、それを思い浮かべて眺めている目として。想像するという、まさにその行為が、あなたを魔法のランプの精のように呼び出し、仮想の存在とする。 したがって、思考する主体としての私たち自身に、死を現実のものにすることはできない。私たちの秀でた想像力が適切に機能しない。想像をしている者が、その想像をしている本人の不在を懸命に想像しようとしてもうまくいかないのだ。 「私たち自身の死を想像することはまったくもって不可能だ。そうしようとするたびに、じつは自分が傍観者として相変わらず存在していることが見て取れるから」と、ジークムント・フロイトは1915年に書いている。彼はここから、次のように結論した。「心の底では、自分が死ぬと信じている人は誰もいない……[なぜなら]無意識の中では、私たちの誰もが、自分は不死だと確信している」からだ。 あるいは、イングランドのロマン派の詩人エドワード・ヤングが言うとおり、「万人が、誰も死を免れないと思っている。自分自身を除けば、だが」。 現代の認知心理学は、この古来の直感に科学的な説明を与える。私たちが新しい事実や可能性を受け入れるかどうかは、それを想像できるかどうかに左右されるという。自分自身の死というのは、意識の終わりを伴うので、意識がないというのはどのようなものかを意識的になぞることはできない』、「自分自身の死というのは、意識の終わりを伴うので、意識がないというのはどのようなものかを意識的になぞることはできない」、確かにその通りだ。
・『「死のパラドックス」を抱えながら生きる  というわけで、私たちはパラドックスを抱えている。未来に目を凝らすと、永遠に生きたいという願望が満たされるように思える。いつの日か自分が存在しなくなることなど、考えられないように感じられるからだ。だから、私たちは自分の不死を信じている。 それでも同時に、毒ヘビから雪崩(なだれ)まで、自分の存在に対する無数の潜在的脅威を痛切に感じており、そこかしこで他の生き物が否応(いやおう)なく命を落とすところを目にする。だから、私たちは自分の死の必然性を信じている。私たちの過度に発達した知的能力が、お前は永遠だ、お前は永遠ではない、死は事実だ、死は不可能だ、と相反することを告げているように思える。 ジグムント・バウマンの言葉を借りると、「死の概念は矛盾を孕(はら)んでいる。そして、そうであり続ける運命にある」となる。私たちの不滅性と、死の必然性の両方が、同等の力を持って私たちの心の中に現れてくるのだから。 この「死のパラドックス」がどのように発生するかは、自分を客観的に眺めるか、主観的に眺めるかと考えれば、説明がつく――だが、説明がつくのと解決するのとは話が別だ。このパラドックスは、私たちの最終的な運命についての、2つの相容れぬ、それでいて強力な直感から成る。私たちはそのような緊張関係を抱えたまま生きてはいけないし、生きてはいない。そのような状態は、恐怖と希望の間の、継続的で身がすくむような苦闘となるだろう。 だが、大半の人はそのような生き方はしない。人間の境遇の中核にある矛盾に身がすくむようなことは、通常ない。それは、存在にまつわるこの窮境を理解するのに役立つ物語を創り出したからで、それらの物語が「不死のシナリオ」であることは言うまでもない。 「誰もが死ぬ。したがって、私も死ぬに違いない。だがこれは想像できないので、私たちは不死を創出し、その所産が文明である」(ブライアン・アップルヤード) 進歩そのものが、無期限の生を求める私たちの抑え難い欲望の産物なのだ』、「進歩そのものが、無期限の生を求める私たちの抑え難い欲望の産物なのだ」、なるほど。

次に、1月20日付け日経ビジネスオンラインが掲載した哲学博士のスティーヴン・ケイヴ氏による「全生物のうち、人類だけが「発展」できた4つの理由」を紹介しよう。
https://business.nikkei.com/atcl/gen/19/00421/011200002/
・『「死にたくない」「長生きしたい」……人類はこの感情を原動力に、都市をつくり、科学を発展させ、文化を築き上げてきました。そして、「死」がもたらす人生の有限性が、一人ひとりの人生の充実に大きな役割を果たしているといいます。それはいったい、どういうことなのでしょうか。哲学博士で、ケンブリッジ大学「知の未来」研究所(Leverhulme Centre for the Future of Intelligence)エグゼクティブディレクター兼シニアリサーチフェローのスティーヴン・ケイヴ氏による著書『ケンブリッジ大学・人気哲学者の「不死」の講義』から一部を抜粋し、ビジネスパーソンの教養となり、今をより豊かに生きるための考え方を紹介します。2回目は、人類の発達の原動力となった、「4つの不死への願望」について』、「4つの不死への願望」とはどういうことだろう。
・『人類の営みはすべて、「4つの不死探求」につながっている  あらゆる生き物が先々まで生き延びようとするが、人間は永遠の生を求める。この探求、この不死への意志こそが、人類の業績の基盤であり、宗教の源泉、哲学の着想の起源、都市の創造者、芸術の背後にある衝動だ。それは私たちの本性そのものに埋め込まれており、その成果が、文明として知られているものにほかならない。 「どのようにして不死を達成するか」という物語は見たところ多様であるものの、その根底には4つの基本形態しかない。私はそれを4つの「不死のシナリオ」と呼ぶことにする。 永続的な生を達成するためにこれまでなされた──そして、これからなされるであろう──試みはすべて、その4つのシナリオをなぞる。4つのシナリオは、私たちが自らの最も素朴な衝動、すなわち、生き続けたいという衝動を誘導する道筋でありながら、最も高度な知的偉業や宗教的偉業や芸術的偉業へとつながってきた』、「4つのシナリオは、私たちが自らの最も素朴な衝動、すなわち、生き続けたいという衝動を誘導する道筋でありながら、最も高度な知的偉業や宗教的偉業や芸術的偉業へとつながってきた」、ずいぶん有益なことにつながったようだ。
・『科学・都市・文明……「生き延びる」ための涙ぐましい努力  第一の道は、私たちの本能に直接端を発している。他のあらゆる生き物と同じで、私たちも死を避けようと懸命に努力する。永遠に──物理的に、この世で──死を避けるという夢は、不死のシナリオのうちでも最も基本的なものだ。この最初の道は単に、「生き残りのシナリオ」と呼ぶことにする。 人は衰弱して死ぬという基本的事実を前にすると、このシナリオには期待が持てそうになく、論外にさえ思える。ところが、この考えは、じつに広く行き渡っている。ほぼあらゆる文化に、老化と死を打ち負かす秘密を発見した賢者や黄金時代の英雄や辺境の農民の伝説が見られる。 このシナリオは、若さと健康を保ち、少しばかり長く、1年、2年、あるいは10年よけいに生きようとする私たちの試みの延長にすぎない。食糧の供給や都市を囲む城壁といった、身体的欲求を満たして安全を守る文明の側面は、この道筋を行く第一歩であり、医療と衛生がそれに続く。 だが、大半の文明は、単なる長生きをはるかに凌(しの)ぐビジョンを見せる。病気や衰弱を永久に打ち負かす「不死の薬」の存在をほのめかすのだ。このビジョンは、道教のようなさまざまな宗教や、聖杯崇拝のような秘教・秘術を支えてきたが、今日ほど広まっている時代はかつてない。「科学の進歩」という概念そのものが、科学は寿命を果てしなく延ばせることを前提としており、定評のある多数の科学者や科学技術者が、寿命は程なく大幅に延びると考えている。 だが、「生き残りのシナリオ」にすべてを賭けるという戦略は危うい。これまでのところ、成功率ははなはだ心もとないからだ』、「「生き残りのシナリオ」にすべてを賭けるという戦略は危うい。これまでのところ、成功率ははなはだ心もとないからだ」、それはその通りだろう。
・『キリスト教・アバター・人体冷凍……「死後の生」への切望  したがって、第二の道が代替策を提供してくれる。それによれば、たとえ死が訪れても、やり直しが利くという。これが「蘇(よみがえ)りのシナリオ」で、私たちは物理的に死なねばならないとはいえ、生前に持っていたものと同じ身体で物理的に復活できるという信念だ。 蘇るという希望は、単に生き永らえようとする試みほど基本的なものではないにせよ、やはり自然に根差している。自然界は冬に死を迎えるものの、翌年には勢いも新たに蘇る様子を、私たちは見慣れているからだ。春になると世界中の何十億という人が、この、死に対する生の勝利を、人間も蘇るという見込みとあからさまに結びつけ、復活祭のような祝祭で祝う。信者の多くは気づいていないが、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教という三大一神教もみな、中心的教義として、文字どおりの物理的な蘇りを信じている。これらの宗教が初期に収めた成功は、この信念があればこそだった。 これらの古代からの伝統に加えて、別の形態の蘇りも、神よりテクノロジーを信頼したがる人々の間で人気が高まっている。たとえば、いつの日か 治療を施されて生き返ることを期待し、有償で遺体を凍結してもらう人体冷凍保存(クライオニクス)は、テクノロジーによる蘇りの新たな路線だ。 テクノロジーが急速に発展するなか、なおいっそうハイテクの蘇りの形態も提案されつつある。自分をコンピューターにアップロードし、それから新しい身体あるいはデジタルアバターにリロードする可能性がその一例だ』、「ユダヤ教、キリスト教、イスラム教という三大一神教もみな、中心的教義として、文字どおりの物理的な蘇りを信じている。これらの宗教が初期に収めた成功は、この信念があればこそだった」、「イスラム教」まで「物理的な蘇りを信じている」とは初めて知った。「ハイテクの蘇りの形態も提案されつつある。自分をコンピューターにアップロードし、それから新しい身体あるいはデジタルアバターにリロードする可能性がその一例」、余り有難味があるとも思えないが・・・。
・『来世・生まれ変わり・輪廻(りんね)……「霊魂」による転生は可能か  とはいえ、来世では、たとえデジタル形式であってさえも、かつての身体を継承したがらぬ人もいる。物質界はあまりに当てにならず、永遠性を保証できないと思っているからだ。したがって彼らは、何らかの霊的存在、すなわち「霊魂」として生き延びることを夢見る。これが第三の道だ。 現在、地球上の人の大多数が、自分には霊魂があると信じている。じつに、イギリス人の3分の2、アメリカではそれよりもなお多くの割合の人が霊魂の存在を信じているという。この考えは、キリスト教では今や支配的な信念となっているだけでなく、ヒンドゥー教や仏教をはじめ、他の多くの宗教でも中核を成している。 この「霊魂のシナリオ」を信奉する人は「蘇りのシナリオ」の信奉者とは違い、この世に物理的に蘇ることにおおむね見切りをつけ、何かもっと霊的なものから成る未来を信じる。先の2つほどには自然に根差してはいないものの、この信念も直感から生じる。 夢や神秘体験の中で、人間は身体を抜け出る感覚を久しく抱いてきた。昔から多くの人には、霊魂や心はそれが宿っている肉体から分離でき、したがって、肉体なしに生き延びられるように思えたのだ』、「この「霊魂のシナリオ」を信奉する人は「蘇りのシナリオ」の信奉者とは違い、この世に物理的に蘇ることにおおむね見切りをつけ、何かもっと霊的なものから成る未来を信じる」、「物理的に蘇ることにおおむね見切りをつけ、何かもっと霊的なものから成る未来を信じる」、信じるハードルは低そうだ。
・『名声・栄光・遺伝子……第四の「不滅」を求めて  霊魂の概念は東洋でも西洋でももてはやされてきたものの、この概念にも疑いを抱く人はいた。物質志向の人の場合には、特にそうだ。そのような人でさえ、おそらく最も広く普及しているシナリオ、すなわち第四の道である「遺産(レガシー)のシナリオ」には慰めを見出すことができる。 この考えは、物理的な身体の存続も非物質的な霊魂も必要とせず、その代わりに、もっと間接的な形──名声や栄光、あるいは遺伝子といった形─―で未来まで存続することを主眼としている。名声と不死の結びつきは、古代世界では広く見られたし、それ以後も、ギリシア神話の英雄アキレウスがトロイアの戦場で長寿よりも永遠の栄光を選んだ例に、多くの人が倣(なら)ってきた。 文化には、生きとし生けるものには欠けている永続性と堅牢(けんろう)性が備わっており、したがって、永遠の生は、文化の領域に自らの居場所を確保できる人のものだと、古代ギリシア人は信じていた。今日私たちは、アキレウスが必死に栄光を求めたのに劣らず、名を上げようと躍起になっているように見える。文化の中に位置を占めようとする競争は、相変わらず熾烈(しれつ)だ。 多くの人は、名望だけではなく、より具体的なもの、すなわち子孫まで後に残す。私たちの遺伝子は不滅だと言われてきた。まさに生命の起源にまで、はるか何十億年も遡れるし、運が良ければ、遠い未来にまで続いていくだろうからだ。 あるいは、一部の人が主張するように、私たちの遺産は、地球上の生命の一環──個々の人間が死んだ後も末永く生き続ける超個体、いわゆる「ガイア」の一環──であったこと、さらには、発展していく宇宙の一環でさえあったことかもしれない』、「物理的な身体の存続も非物質的な霊魂も必要とせず、その代わりに、もっと間接的な形──名声や栄光、あるいは遺伝子といった形─―で未来まで存続することを主眼としている。名声と不死の結びつきは、古代世界では広く見られたし、それ以後も、ギリシア神話の英雄アキレウスがトロイアの戦場で長寿よりも永遠の栄光を選んだ例に、多くの人が倣(なら)ってきた」、なるほど。
・『結局、どうすれば「不死」を実現できるのか  これらのシナリオは、古代の神話から最近のマニュフェストまで、多種多様な形で示されるが、どの文化にも最低1つは見られ、生の道の道標となっている。何千年にもわたってたった1つの道をたどってきた文明もあれば、進む道を替えた文明もある。だが、4つのうちのどれにも支えられずに存続してきた文明は1つとしてない。どの文明にも不死のシナリオがあり、それらはみな、今挙げた4つのどれかに該当する。 今日の先進世界でも、4つのシナリオがすべて健在だ。ただし、単一の物語にまとめ上げられてはいない。むしろ、信念の市場でそれぞれの見方が競い合っている。市場を見て回り、じっくり考えてからどれにするか決める人もいれば、最新の流行を追う人もいるが、大半の人は単に、親が買ったものを買う。だが、承知していようといまいと、私たちの大多数は、山積みになった不死の信条のいずれかを買っている。 これらの不死の4つのシナリオの1つひとつは、私たちの文明を現在のもののようにならしめる上で、どのような貢献をしてきたのだろうか。そして同時に、これら4つの道のどれが本当に約束を果たす可能性があるのだろうか。 4つのシナリオは、人間の境遇に深く根差した側面に動機づけられて生み出されたが、だからといって、それらが正しいかどうかはわからない。みな、歴史の黎明(れいめい)期に人類によって成し遂げられた正真正銘の発見かもしれないし、あるいは、希望的観測の手の込んだ産物ということもありうる。 私たちは、不死の秘密を解明するように「死のパラドックス」(連載第1回参照)によって駆り立てられたのかもしれないし、あるいは、不死の秘密を創作するように駆り立てられたこともありうる。それぞれの道は歴史を通して、仮に何十億と言わぬまでも、何億、何千万という信奉者を集めてきた。そして、現在もなお、集めている。それぞれが、多数の哲学者や神学者や賢者に擁護されてきた。 そのうちの1つ、あるいはすべてが、深い森を抜け、雲の上の、不老不死の山の日当たりの良い頂上まで私たちを導いてくれるのか、どれ1つとして導いてはくれないのかは、まだ探求の途上なのだ』、「4つのシナリオは、人間の境遇に深く根差した側面に動機づけられて生み出されたが、だからといって、それらが正しいかどうかはわからない。みな、歴史の黎明(れいめい)期に人類によって成し遂げられた正真正銘の発見かもしれないし、あるいは、希望的観測の手の込んだ産物ということもありうる」、「まだ探求の途上なのだ」、「探求」は永遠に続くのだろう。
タグ:「私たちの強力な知性は、私たちも身の回りの他のあらゆる生き物同様、いつの日か死なねばならないという結論に情け容赦なく至る。それにもかかわらず、その一方では、私たちの頭脳には1つだけ想像できぬものがあり、それは、死という、自分が存在しない状態そのものだ。それは文字どおり、考えられない。 したがって、死は不可避かつ信じ難いものという印象を与える。これを私は「死のパラドックス」と呼ぶ」、確かに「死」は「想像できない」。 「文明という営みの大半を含め、私たちの成すことのじつに多くが、「不死」への衝動によって説明できるのだ』、なるほど。 スティーヴン・ケイヴ氏による「死は、それ自体が「パラドックス」である」 日経ビジネスオンライン 終活(死への準備) (その1)(哲学博士スティーヴン・ケイヴ4題中の前半:①死は それ自体が「パラドックス」である、②全生物のうち 人類だけが「発展」できた4つの理由) 「私たちは、強力な頭脳に恵まれているものの、同時に、死ぬだけではなく、死なねばならぬことを知るという宿命を負わされている」、「死に向かう存在」である以上、避けて通ることは出来ない。 「自分自身の死というのは、意識の終わりを伴うので、意識がないというのはどのようなものかを意識的になぞることはできない」、確かにその通りだ。 「進歩そのものが、無期限の生を求める私たちの抑え難い欲望の産物なのだ」、なるほど。 スティーヴン・ケイヴ氏による「全生物のうち、人類だけが「発展」できた4つの理由」 「4つの不死への願望」とはどういうことだろう。 「4つのシナリオは、私たちが自らの最も素朴な衝動、すなわち、生き続けたいという衝動を誘導する道筋でありながら、最も高度な知的偉業や宗教的偉業や芸術的偉業へとつながってきた」、ずいぶん有益なことにつながったようだ。 「「生き残りのシナリオ」にすべてを賭けるという戦略は危うい。これまでのところ、成功率ははなはだ心もとないからだ」、それはその通りだろう。 「ユダヤ教、キリスト教、イスラム教という三大一神教もみな、中心的教義として、文字どおりの物理的な蘇りを信じている。これらの宗教が初期に収めた成功は、この信念があればこそだった」、「イスラム教」まで「物理的な蘇りを信じている」とは初めて知った。「ハイテクの蘇りの形態も提案されつつある。自分をコンピューターにアップロードし、それから新しい身体あるいはデジタルアバターにリロードする可能性がその一例」、余り有難味があるとも思えないが・・・。 「この「霊魂のシナリオ」を信奉する人は「蘇りのシナリオ」の信奉者とは違い、この世に物理的に蘇ることにおおむね見切りをつけ、何かもっと霊的なものから成る未来を信じる」、「物理的に蘇ることにおおむね見切りをつけ、何かもっと霊的なものから成る未来を信じる」、信じるハードルは低そうだ。 「物理的な身体の存続も非物質的な霊魂も必要とせず、その代わりに、もっと間接的な形──名声や栄光、あるいは遺伝子といった形─―で未来まで存続することを主眼としている。名声と不死の結びつきは、古代世界では広く見られたし、それ以後も、ギリシア神話の英雄アキレウスがトロイアの戦場で長寿よりも永遠の栄光を選んだ例に、多くの人が倣(なら)ってきた」、なるほど。 「4つのシナリオは、人間の境遇に深く根差した側面に動機づけられて生み出されたが、だからといって、それらが正しいかどうかはわからない。みな、歴史の黎明(れいめい)期に人類によって成し遂げられた正真正銘の発見かもしれないし、あるいは、希望的観測の手の込んだ産物ということもありうる」、「まだ探求の途上なのだ」、「探求」は永遠に続くのだろう。
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いじめ問題(その12)(LINEいじめは「言葉遊びだと思う」 自殺した高1生徒めぐり校長が法廷で証言 都立高校男子生徒いじめ自殺訴訟、「アイツはいじめてもいい」と犬笛を吹く存在とは?社会から「いじめ」がなくならないこれだけの理由<内田樹×岩田健太郎>) [社会]

いじめ問題については、昨年10月27日に取上げた。今日は、(その12)(LINEいじめは「言葉遊びだと思う」 自殺した高1生徒めぐり校長が法廷で証言 都立高校男子生徒いじめ自殺訴訟、「アイツはいじめてもいい」と犬笛を吹く存在とは?社会から「いじめ」がなくならないこれだけの理由<内田樹×岩田健太郎>)である。

先ずは、2月2日付け文春オンライン:「LINEいじめは「言葉遊びだと思う」 自殺した高1生徒めぐり校長が法廷で証言 都立高校男子生徒いじめ自殺訴訟」を紹介しよう。
https://bunshun.jp/articles/-/51753
・『2015年9月27日、東京都立小山台高校1年の男子生徒Aさん(享年16)が、JR中央本線大月駅(山梨県大月市)で自殺した。 Aさんの遺族が東京都を相手に損害賠償を求めている裁判が、東京地裁(清野正彦裁判長)で進行している。この問題をめぐっては、調査委員会が「いじめは確認できない」との報告書をまとめた。しかし、裁判の過程では、クラスの男子で作るグループLINEから事実上、排除されていたことが新たにわかった。また、Aさんの死後に実施されたアンケートの原本を校長が自ら破棄したことを認めた。 2022年1月20日、原告や被告側の証人尋問が終わり、清野裁判長は和解協議を持ちかけた。次回は非公開の進行協議で和解を含めて検討するという』、「都立小山台高校」は東京工業大学に近いこともあって、進学者が多い有名都立高校だが、こんないじめ事件が発生、学校側の隠蔽工作には驚かされた。
・『「学校が息子のSOSに気が付いたら、自死しなかったのではないか」  訴状などによると、高校入学後の2015年4月から、Aさんは嫌がる呼び名で同級生から連呼されたり、無視などされていた。同年9月27日、大月駅のホームから飛び降り、電車にはねられ、死亡した。 訴訟前に行った「個人情報開示請求」では、同年4~5月、Aさんが学校のアンケートに悩みを記載し、スクールカウンセラーの相談を希望していたことが明らかになった。9月には保健室を4回も利用していたことがわかったが、保護者への連絡はなかった。 今年1月20日の尋問で、Aさんの母親は「(Aさんの死後)スマホ、Twitter、LINEを調べました。すると、いじめがあったことがわかった。学校が息子のSOSに気が付いたら、自死しなかったのではないか」と話した。母親は、クラウドデータを復活させることができ、部活動のグループLINEで、嫌がる名前を連呼されていたことが判明。その連呼が「テロ行為」と呼ばれていたことも指摘した。 亡くなった原因について弁護人に聞かれた母親は、次のように証言もした。 「いじめが原因だと思った。嫌がる名前に関しては何度も抗議していることが同級生の証言でわかっています。部活動のグループLINEで、連呼をされたのは息子だけ。部員たちはいじめと認識していたと思います。息子は歌が得意でした。しかし、合唱コンクールの練習で何度も注意されたことで、Twitterに〈自己嫌悪が凄まじい〉とつぶやいていた。水泳大会では、息子は水泳が得意ではないし、泳ぎ方が変と言われていた。Twitterには何度も〈ごめんなさい〉と投稿していました」』、「嫌がる名前に関しては何度も抗議していることが同級生の証言でわかっています。部活動のグループLINEで、連呼をされたのは息子だけ。部員たちはいじめと認識」、いじめそのものだ。
・『仲間外れ、名前連呼などグループLINEでもいじめが…  クラスの男子のみでつくるグループLINEがあった。Aさんも「招待」されていたが、説明をされないとわからない「グループ名」になっていた。知らなければ、いたずらやスパムだと思い、入室しないこともありうる。クラスでグループLINEに入っていなかったのは、Aさんだけ。このことは、死後に作られた調査委の報告書に記載はない。 「このグループが、クラスの男子だけのものとの説明がなければわからない。知らされていないということは、息子だけを排除していたことは明らか」(Aさんの母親) Aさんは中2の頃からTwitterをしていた。ゲームのことや楽しいことを中心につぶやいていた。しかし、高校入学後の5月頃から、悩みを投稿するようになったという。学校については「帰りたい」や「休みたい」という表現が続いた。夏休み明けの9月になっても「休みたい」と言っていた。母親は、担任に「学校で変わった様子はないか?」と電話した。しかし、「特に変わった様子はない」と担任は言っていたという。 「夏休み前のホームルームで机を叩き、大声を出していたことがわかっています。他の生徒の発言に怒ったとの証言があります。侮辱的なことを言われたのではないかと思います」(Aさんの母親) このときの出来事について、2021年12月10日の尋問で、当時の担任は「机をたたく直前、他の生徒とやりとりする会話は記憶にない。周囲から見ると唐突に見え、みんなが一瞬、止まりました。発言していたことは聞き取れませんでした。彼にとっては珍しい行動」と証言した。その後、Aさんに声をかけた担任は、「できるだけ人がいない状態で、教室で聞き取りをした」というが、調査委の聞き取りでは、そのやりとりを目撃した生徒の証言が載っている。Aさんはイライラした理由について話をしたが、担任は、事実確認をしていなかったという。 担任は9月に母親から電話で問い合わせがあったことは認めたが、「電話の所要時間は10分から15分。学校での様子を聞かれた記憶はないです。運動会がイヤというのがメインだったと思います。それに、電話が少し遠かったので、何度も聞き返しました」と、母親の証言との食い違いが明らかになった』、「当時の担任は「机をたたく直前、他の生徒とやりとりする会話は記憶にない。周囲から見ると唐突に見え、みんなが一瞬、止まりました・・・彼にとっては珍しい行動」と証言した。その後、Aさんに声をかけた担任は、「できるだけ人がいない状態で、教室で聞き取りをした」というが・・・Aさんはイライラした理由について話をしたが、担任は、事実確認をしていなかったという」、「担任」の対応は不誠実だ。
・『いじめに対して校長は「嫌がらせではない」「故意ではない」  2021年11月12日には校長の証言があった。Aさんの死後に実施されたアンケート原本は校長によって破棄された。遺族が個人情報開示請求を求めた際に、「不存在」とされていた。しかし、裁判で、改めて文書の提出のやりとりをしていた際、校長のパソコンに一部が残っていることが明らかになった。自殺後に行われた調査内容の一部に関する写し。都教委の「学校経営支援センター」が教員から聞き取ったもの。A4で60枚。 そのアンケートを整理した資料について、被告側の弁護人から「どのように作成したものか?」と聞かれ、校長は「全校アンケートの中から、気になる部分をまとめた」とした。つまり、校長の判断で「気になるもの」をまとめた資料だ。しかし、何が“気になるもの”なのかの判断基準は示されず、恣意的なまとめの可能性を払拭する証言はなかった。 「(気になるものは)10点ほどあった。そのアンケートのコピーをとり、気になる箇所にマーカーを引いた。その箇所をまとめたものがその資料です。そして、その回答をした生徒に対して、教員に内容を確認するために聞き取らせた。その内容はコピーにメモをした。メモがない場合は口頭での報告があった。それを受けて一覧表にして打ち込んだもの。アンケート用紙の原本は破棄した」 校長は、こうも述べ、自らアンケート原本を破棄したことも説明した。 都教育庁はこれまでに、自殺したAさんに関する情報や教育庁が作成した報告書、調査部会の関連資料などを「公文書」とする文書を遺族に示している。公文書は、重要度によって保存期間が定められている。「都文書管理規則」では、保存期間が「1年未満」「1年」「3年」「5年」「10年」「長期」と区分される。文部科学省が作成した「いじめの重大事態の調査に関するガイドライン」(2017年3月)では、「指導要録の保存期間に合わせて、少なくとも5年間保存することが望ましい」とされている。 また、授業中に、教員がAさんの呼び名を何度も間違えたことがきっかけで、部活動のLINEグループで、呼ばれたくない名前で連呼されたことに関連し、校長は、呼ばれたくない名前の連呼行為は「日常的な攻撃」や「嫌がらせ」ではない、とした。さらに、間違えた理由については、「故意ではない。以前に勤務していた学校では、間違えた呼び名のように呼ぶ生徒が多かったため」とした。さらに、校長は、こうも答えた』、「校長」は「自らアンケート原本を破棄」、これは「ガイドライン」違反だ。さらに、「呼ばれたくない名前の連呼行為は「日常的な攻撃」や「嫌がらせ」ではない、とした。さらに、間違えた理由については、「故意ではない」、明らかに事件を矮小化させようとの隠蔽だ。
・『「(英語の担当教諭が間違えた呼び方をしたときのクラスの反応の聞き取りは)していません。(LINEグループでの、呼ばれたくない名前についての連呼行為を示した画像について)これ自体、初めて見ました。ただ、(LINEでの連呼行為は)言葉遊びだと思う」 調査委員会の調査では、LINEでの連呼行為について、「(亡くなった)本人が、間違った名前で呼ぶのをやめてほしい」と言っていた、という生徒の証言が記されている。これについて校長は「(この証言の資料を)見るのは初めてです」とした上で、「このことが、亡くなったAさんに、心身の苦痛を与えたかどうかはわからない」と、いじめとの認識はなかった。 Aさんは9月になって、4回の保健室利用がある。これは遺族の個人情報開示請求でわかった内容だが、校長は「保健室を利用し、医療に関わる可能性がある場合は、利用者カードに記入し、担任か教科担当教員に渡すことになっていたが、当時は、特別な配慮が必要との認識はなかった。9月は行事が立て込んでいて、毎日10人以上の生徒が保健室を利用していた」として、保健室での何かしらのサインには気づけなかった理由を説明。自殺の予見可能性や安全配慮義務を事実上、否定する主張の証言となった』、「「(亡くなった)本人が、間違った名前で呼ぶのをやめてほしい」と言っていた」にも拘らず、「(LINEでの連呼行為は)言葉遊びだと思う」、との「校長」の無任発言にはあきれてものも言えない。
・『都教委の職員による母親への“暴行”も発覚した  事後対応をめぐっては、Aさんの死後に設置された調査委の事務局で、都教委の職員が、母親に対して“暴行”を働いたことが問題になった。 2016年8月、担当職員が、調査委の会議後、都庁庁舎内で母親と面談している。向かい合って座っていたが、母親が「親しかった生徒とのトラブルがなかったか調査してほしい」などと話をすると、「調査していることで生徒や保護者から苦情が出ている」などと怒鳴りながら、担当職員が立ち上がり、持っていたファインダーを何度も叩きつけた。このことで母親は「もう調査をしなくていい」と言ったほどだ。 これについて、この職員も尋問に応じて、「叩きつけたのは3回。できる限り冷静に対応しようとしました。しかし、原告が、ある生徒の名前を挙げて不満を述べていました。私自身、感情的に大きな声を出してしまいました。対応については反省しています。しかし、恫喝はしていない」と証言した。いじめに関する調査の過程で、教委の事務局担当職員のこうした対応が明らかになるのは異例だ』、「職員」の行為は、「生徒や保護者から苦情が出ている」のが背景とはいえ、やはり問題だ。

次に、3月27日付けAERAdot「「アイツはいじめてもいい」と犬笛を吹く存在とは?社会から「いじめ」がなくならないこれだけの理由<内田樹×岩田健太郎>」を紹介しよう。
・『なぜ、いじめはなくならないのか。最新共著作『リスクを生きる』(朝日新書)で哲学者・内田樹さんと医者・岩田健太郎さんは「アイツはいじめてもいい」と犬笛を吹く存在を鋭く指摘する。リスク社会を生き抜くための視点を本書から抜粋してご紹介する』、興味深そうだ。
・『いじめにGOサインを出す教師  岩田:コロナ禍以降に若年層の自殺者数が増えているというニュースがずいぶんありました。 内田:そうでした。 岩田:学生と社会人では、自殺の理由もだいぶ違いがあると思います。以前、『ぼくが見つけたいじめを克服する方法――日本の空気、体質を変える』(光文社新書)を書いたときに、小中高校生の自殺についてかなり調べたんです。学童の自殺の原因はほとんどがいじめなんですね。ただ調べ方によって、結果にだいぶばらつきが出ます。文科省が取ったアンケートではいじめ以外の原因が多く、民間団体が実施するアンケートでは、いじめがほぼ主要因なんです。というのも、文科省のアンケートは設問が誘導尋問的で、さらに問題なのは、学校の教頭先生にアンケートを取っているんですね。教頭先生に訊いたら「学校には問題はない」と当然言うでしょう。「訊く相手を間違ってるよ」と僕は思うんですが。 内田:僕も子どもの頃にいじめられた経験がありますからわかります。学校でのいじめって、基本的には教師が暗黙のGOサインを出しているんですよね。 岩田:「いじめてもいいぞ」、と。 内田:はっきりと態度にする場合もあるし、暗黙の場合もありますけれど、教師が「こいつはいじめても構わない」というサインを出しているんです。子どもは「いじめても処罰されない」という保証がないと、なかなか踏み切れない。だから、この子をいじめたら、先生からきびしく咎められるということがわかっている子には手を出さない。 先生だって、気に入らない子がいるんです。大人の本音を見透かしているような子どもや、統制を乱すような子どもは、先生にとっても目障りだし、疎ましい。そういった子に対しては、叱り方に微妙にとげがあったり、絡みかたがしつこかったりする。そういうわずかなシグナルでも「あいつはいじめても大丈夫」と子どもたちはわかる。 岩田:そして、集団でいじめる。) 内田:子どもたちも、程度の差はあれ、暴力的なものをうちに抱えているんです。これはどうしようもない。だから、その暴力性や攻撃性をどうやって適切にリリースするか、それを教育者は工夫しなければいけない。子どもは誰もが「天使」であるわけじゃない。けっこう禍々しいものを抱え込んでいるんです。 だから、本気で学校からいじめをなくしたいと思っているなら、「子どもには攻撃性、暴力性が潜んでいる」ということをまず認める必要がある。その上でそれを小出しにリリースさせて、クラスメイトに向けて暴発するきっかけを与えないように気づかう。子どもが子どもに向けて暴力を振るってもいいという「言い訳」を決して子どもに与えてはいけない。 岩田:その言い訳とは、特定の子を「叱る」ような、教師自らが出すGOサインのことですね』、「教師が「こいつはいじめても構わない」というサインを出しているんです。子どもは「いじめても処罰されない」という保証がないと、なかなか踏み切れない」、この指摘は新鮮で説得力がある。「子どもたちも、程度の差はあれ、暴力的なものをうちに抱えているんです。これはどうしようもない。だから、その暴力性や攻撃性をどうやって適切にリリースするか、それを教育者は工夫しなければいけない。子どもは誰もが「天使」であるわけじゃない。けっこう禍々しいものを抱え込んでいるんです」、なるほど。 
・『安全保証、社会的承認、且つ歓待  内田:そうです。でも、教員養成課程で「教師自身に嗜虐的傾向があること」のリスクについてはたぶん問題にされていないと思う。若い教師志望の大学生に向かって、「きみたちは生徒にとって非常に危険な存在になり得る」ということを教える必要があると僕は思います。教師は目に見えない刃物のようなものを持って教壇に立っている。その危険性を教師自身にまず自覚してもらうことがたいせつだと思う。教科をうまく教えるとか、進学成績を上げることよりも、「子どもたちを絶対に傷つけない」こと、それが教師の使命としては最優先されるべきなんです。 教師の第一の仕事は子どもたちに向かって、「君たちはここにいる限り安全だ」と保証することです。「ここは君たちのための場所だ。だから、君たちはここにいる権利がある。君たちがここにいることを私は歓待する」と子どもに向けて誓言すること。子どもたちに安全を保証し、承認を与え、歓待し、祝福する。それができる人なら、教え方がどんなに下手だって、僕は構わないと思うんです。 岩田:大人社会もまったく同様で、僕もとても気をつけていることに重なります。僕自身、この五年ぐらい若い研修医や学生を教える立場にいますから。 どうしても爪弾きにされちゃう人がときどき出てくるんです。そういう人って僕から見ても、カチンとくるようなことを結構言っちゃうんですよ。でも、そのときに踏みとどまる。カチンとくるのを自制して、その人の側に立つように自分に言い聞かせています。僕だって、感情のままに流されれば「なんだよ、お前は」となりますよ。それでも「こいつは仲間はずれにしてもいい」という集団の雰囲気には頑として抗い、その人をサポートしなければいけない。周囲に「抗う」のはかなり難しいんですけど、意識してやっています。そうしなければ、いじめにつながり排除が生まれ、ひいてはチーム全体のレベルが落ちてしまいますから。 ソーシャルメディアも同様です。ツイッターなどの炎上騒動を見ても、集団のノリに抗わないタイプの人は、誰かが「こいつは叩いていい」という犬笛を吹くと一緒になって攻撃を始めちゃう。それが集団になると、ますます堂々と人を傷つける。 内田:ツイッターが大炎上するのは、実はメディア自身が「犬笛」を吹いているからだと思います。メディアにしてみれば、炎上であれ誹謗中傷であれ、それによって閲覧回数が増えればビジネス的には成功なわけです。メディア自身が個人攻撃を「あってはならない」ことだと思って、決然とした態度をとらない限り、SNSが「いじめ」の温床になるということは終わらないと思います。 メディアはただ情報が行き交う無機的な場じゃない。国民的な合意形成のための対話のプラットフォームです。利用者たちの市民的成熟を支援するものでなければならない。そうである以上は守るべき「品位」と「節度」というものがあって然るべきだと思います。 岩田:皆が一斉に叩いているときに同調しない。それを自分のルールにしています。いじめは常に、マジョリティが、マイノリティに対して行います。だから学校でいじめが起きたとき、教師はマジョリティの逆の立場、つまりマイノリティ側に立つのがプリンシプルです。そしてその先生を、他の教師皆がサポートするのが原則であるべきです。ところが日本の社会って、そういう原理原則を骨抜きにしてしまうところがあるんですよね。 内田:そうです。教員たちの中にも「いじめ」を容認する風土がある。教員個人の「教育力」について査定がなされて、低い評価をされたものは「多少つらい思いをしてもいい」というような雰囲気があるのだとしたら、学校での「いじめ」はなくなりません』、「学校でいじめが起きたとき、教師はマジョリティの逆の立場、つまりマイノリティ側に立つのがプリンシプルです。そしてその先生を、他の教師皆がサポートするのが原則であるべきです」、「ところが日本の社会って、そういう原理原則を骨抜きにしてしまうところがあるんですよね・・・教員たちの中にも「いじめ」を容認する風土がある。教員個人の「教育力」について査定がなされて、低い評価をされたものは「多少つらい思いをしてもいい」というような雰囲気があるのだとしたら、学校での「いじめ」はなくなりません」、「教員たちの中にも「いじめ」を容認する風土がある」、鋭い指摘だ。やはり「教師は・・・マイノリティ側に立つのがプリンシプルです」、に立ち返る必要がありそうだ。
タグ:(その12)(LINEいじめは「言葉遊びだと思う」 自殺した高1生徒めぐり校長が法廷で証言 都立高校男子生徒いじめ自殺訴訟、「アイツはいじめてもいい」と犬笛を吹く存在とは?社会から「いじめ」がなくならないこれだけの理由<内田樹×岩田健太郎>) いじめ問題 文春オンライン:「LINEいじめは「言葉遊びだと思う」 自殺した高1生徒めぐり校長が法廷で証言 都立高校男子生徒いじめ自殺訴訟」 「都立小山台高校」は東京工業大学に近いこともあって、進学者が多い有名都立高校だが、こんないじめ事件が発生、学校側の隠蔽工作には驚かされた。 「嫌がる名前に関しては何度も抗議していることが同級生の証言でわかっています。部活動のグループLINEで、連呼をされたのは息子だけ。部員たちはいじめと認識」、いじめそのものだ。 「当時の担任は「机をたたく直前、他の生徒とやりとりする会話は記憶にない。周囲から見ると唐突に見え、みんなが一瞬、止まりました・・・彼にとっては珍しい行動」と証言した。その後、Aさんに声をかけた担任は、「できるだけ人がいない状態で、教室で聞き取りをした」というが・・・Aさんはイライラした理由について話をしたが、担任は、事実確認をしていなかったという」、「担任」の対応は不誠実だ。 「校長」は「自らアンケート原本を破棄」、これは「ガイドライン」違反だ。さらに、「呼ばれたくない名前の連呼行為は「日常的な攻撃」や「嫌がらせ」ではない、とした。さらに、間違えた理由については、「故意ではない」、明らかに事件を矮小化させようとの隠蔽だ。 「「(亡くなった)本人が、間違った名前で呼ぶのをやめてほしい」と言っていた」にも拘らず、「(LINEでの連呼行為は)言葉遊びだと思う」、との「校長」の無任発言にはあきれてものも言えない。 「職員」の行為は、「生徒や保護者から苦情が出ている」のが背景とはいえ、やはり問題だ。 AERAdot「「アイツはいじめてもいい」と犬笛を吹く存在とは?社会から「いじめ」がなくならないこれだけの理由<内田樹×岩田健太郎>」 「教師が「こいつはいじめても構わない」というサインを出しているんです。子どもは「いじめても処罰されない」という保証がないと、なかなか踏み切れない」、この指摘は新鮮で説得力がある。「子どもたちも、程度の差はあれ、暴力的なものをうちに抱えているんです。これはどうしようもない。だから、その暴力性や攻撃性をどうやって適切にリリースするか、それを教育者は工夫しなければいけない。子どもは誰もが「天使」であるわけじゃない。けっこう禍々しいものを抱え込んでいるんです」、なるほど。 「学校でいじめが起きたとき、教師はマジョリティの逆の立場、つまりマイノリティ側に立つのがプリンシプルです。そしてその先生を、他の教師皆がサポートするのが原則であるべきです」、「ところが日本の社会って、そういう原理原則を骨抜きにしてしまうところがあるんですよね・・・教員たちの中にも「いじめ」を容認する風土がある。教員個人の「教育力」について査定がなされて、低い評価をされたものは「多少つらい思いをしてもいい」というような雰囲気があるのだとしたら、学校での「いじめ」はなくなりません」、「教員たちの中にも「いじめ
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北京五輪(高梨沙羅スーツ違反問題 日本選手団「抗議しない」に「責任の所在明確にすべき」の指摘が〈dot.〉、北京五輪で見えた中国の信用欠如ぶり、「違反」「失格」 続出で疑惑の祭典に、札幌五輪:「2030年冬季五輪招致」に前のめり札幌市の危機感 市の調査では「賛成」が過半数を占めたが…) [社会]

今日は、北京五輪(高梨沙羅スーツ違反問題 日本選手団「抗議しない」に「責任の所在明確にすべき」の指摘が〈dot.〉、北京五輪で見えた中国の信用欠如ぶり、「違反」「失格」 続出で疑惑の祭典に、札幌五輪:「2030年冬季五輪招致」に前のめり札幌市の危機感 市の調査では「賛成」が過半数を占めたが…)を取上げよう。

先ずは、本年2月14日付けAERAdot「高梨沙羅スーツ違反問題 日本選手団「抗議しない」に「責任の所在明確にすべき」の指摘が〈dot.〉」を紹介しよう。
https://dot.asahi.com/dot/2022021400009.html?page=1
・『北京五輪のスキージャンプ混合団体で高梨沙羅がスーツの規定違反で失格となったことについて、日本選手団の伊東秀仁団長が、国際スキー連盟(FIS)に抗議しない意向を表明したことが大きな反響を呼んでいる。 高梨は同競技の1番手で飛び、103メートルを計測。女子個人銅メダルのニカ・クリジュナル(スロベニア)の126・6点に次ぐ2位の124・5点が表示されたが、その後にスーツ規定違反で失格となったことが判明。規定違反の理由は高梨のスーツがもも周りが規定より2センチ大きかったという。1回目の得点が「0」となり、うずくまり顔を覆って涙を流している映像が映った。2回目は98.5メートルを飛び、佐藤幸椰、伊藤有希、小林陵侑も好ジャンプで猛追したが、4位とメダルに届かなかった。この競技で4カ国5人と失格者が続出。ルール適用と透明性について注目を集めた。 報道によると、13日に北京市内のメインメディアセンターで中間報告会見を行った伊東団長は「現時点ではすべての選手やスタッフのケアを最優先として今大会に注力することが必要だという認識」と強調した上で、「今すぐこのルールに対して我々が抗議するということではない。今後この規定に関してはスキー連盟を通していろいろ話し合いながら、抗議ではなく改善を求めていく可能性はある」と述べたという。 「各国の選手たちから『これまでと違う採寸方法だった』という証言が出ています。ルール違反をしたから従ってFISに抗議しないというのではなく、採寸方法がどう違ったのか、なぜ事前にその通達がなかったのかなど詳細を明らかにするように訴えるべきです。もちろん、高梨選手の精神的ケアは重要ですが、2度とこのような悲劇を繰り返さないためにも、なぜ今回のようなアクシデントが起きたのか検証しなければないといけない。一連の騒動の一番の問題点はルール運用が極めてあいまいなことです。計測方法は統一されるべきだが、『今までスーツ規定のチェックが甘かったから、今回も通るだろう』と日本選手団が判断したのであれば責任の所在を明確にすべきです。高梨を含めて選手たちは大げさでなく命をかけて戦っているわけですから」(スポーツ紙記者)』、「日本」側の対応は、物事を荒立てないで丸く収めることを重視する、余りにも「日本」的だ。
・『ネット上では、「協会が異議申し立てをしないと誰がするのですか?選手個人が発言するとバッシングやその後の競技活動に影響することとを考えても協会が質問状とかはっきりさせないとダメじゃないですか?事なかれ主義はダメですよ。ここまで話が大きくなれば 黙っているのが美徳となる日本はやめとかないと選手が可哀想です」「決定した結果について抗議しないのはわかるとしても、今回の件における様々な疑問点については、選手から聞き取った結果をとりまとめ、協会としてきちんと意見書を出し、運営側からの回答を求めるべき。選手と運営の言い分が異なっている以上、また、今後このような事態が二度と起きないよう、他国と足並みを揃え、徹底的にやるべき」などのコメントが。 高梨に責任を背負い込ませてはいけない。自身のインスタグラムで「今回、私の男女混合団体戦での失格で日本チーム皆んなのメダルのチャンスを奪ってしまったこと、そして、今までチームを応援してくださった皆様、そこに携わり支えて下さった皆様を深く失望させる結果となってしまった事、誠に申し訳ありませんでした。私の失格のせいで皆んなの人生を変えてしまったことは変わりようのない事実です。謝ってもメダルは返ってくることはなく責任が取れるとも思っておりませんが今後の私の競技に関しては考える必要があります。それ程大変なことをしてしまった事深く反省しております」と悲痛な思いを綴っているが、スーツ規定違反の責任はない。 伊東団長と会見に同席した原田雅彦総監督は、今月25日に開幕する女子W杯ヒンツェンバッハ大会(オーストリア)に向けて、高梨が欧州に入っていることを明らかにしている。深い悲しみにうちひしがれたが、前を向いて戦い続けている。一方で、今回のスーツ規定違反について、FIS、日本選手団は説明責任を果たす必要があるだろう』、「今回の件における様々な疑問点については、選手から聞き取った結果をとりまとめ、協会としてきちんと意見書を出し、運営側からの回答を求めるべき。選手と運営の言い分が異なっている以上、また、今後このような事態が二度と起きないよう、他国と足並みを揃え、徹底的にやるべき」、その通りだ。「FIS、日本選手団は説明責任を果たす必要がある」、どんな「説明」があるのか楽しみだ。

次に、2月22日付けダイヤモンド・オンラインが掲載した立命館大学政策科学部教授の上久保誠人氏による「北京五輪で見えた中国の信用欠如ぶり、「違反」「失格」 続出で疑惑の祭典に」を紹介しよう。
・『北京冬季五輪が閉幕した。日本は、金3個、銀6個、銅9個の合計18個の冬季五輪史上最多のメダルを獲得した。一方、誤審、違反、失格、疑惑とさまざまな「騒動」が連日起こる混乱五輪となった。しかし、これまで以上に、北京冬季五輪の「騒動」が拡大したのは、開催国・中国に対する「信用」が欠けていたからだと言わざるを得ない』、確かに「さまざまな「騒動」が連日起こる混乱五輪となった」、それを深堀していくのは興味深そうだ。
・『北京五輪、開催前から騒動だらけ  これまでの五輪でも数々の騒動があった。シドニー五輪柔道100キロ超級決勝で、篠原信一選手が敗れた「世紀の誤審」があるし、バルセロナ五輪陸上100メートル走でのベン・ジョンソン選手のドーピングでの失格なども記憶に残る。「騒動」もスポーツというドラマの一部かもしれない。 一方、北京冬季五輪では、1つだけではなく、さまざまな「騒動」が起こった。動画が流れ、選手、関係者、専門家、メディアなどから新しい情報が次々と出た。SNSで世界中のネットユーザーから批判が殺到し、騒動が収まらない。従来にない現象が起こっていた。 北京冬季五輪は、開催前から雰囲気がよくなかった。例えば、国際オリンピック委員会(IOC)の言動を振り返ってみたい。 東京五輪の前にもIOC関係者の言動が問題となっていた。例えば、トーマス・バッハ会長は、「五輪のために誰もがいくらかの犠牲を払わないといけない」と発言し、批判されていた。しかし、会長の発言を英語の原文で読むと、ニュアンスが違っていた。 バッハ会長の発言は、「We have to make some sacrifices to make this possible(オリンピックを開催するためには、我々はいくらかの犠牲を払わなければいけない)」である。この「We」を「誰もが」と訳して怒っている人が多かった。だが、Weは「私たち」なので「五輪関係者がいくらかの犠牲を払う」が正しい意味だろう。 バッハ会長は続けて、「The safety and security of our everyone is utmost priority. But together with our Japanese colleagues we will have to ensure that our athletes came come together and compete in a safe environment. (皆さんの安全と安心は最優先です。しかし、日本の同僚と一緒に、選手たちが安全な環境で一緒に競技できるようにしなければなりません)」とも述べていた。「日本人は命を犠牲にしろ」「感染リスクを受け入れろ」と言っていたわけではなかったのだ。 一方、北京冬季五輪前はどうだろうか』、「トーマス・バッハ会長は、「五輪のために誰もがいくらかの犠牲を払わないといけない」と発言し、批判されていた。しかし、会長の発言を英語の原文で読むと」、「「五輪関係者がいくらかの犠牲を払う」が正しい意味」と誤訳だったようだ。日本のマスコミももっとしっかりしてほしい。
・『一線を越えたバッハ会長の言動  昨年11月、中国の女子テニス選手・彭帥さんが、中国共産党の元最高指導部メンバーから性的関係を持つよう強要されたなどと告発した後、一時、行方不明が懸念される状況となった。 その時、IOCはバッハ会長が彭さんとテレビ電話で話したと発表し、笑顔で画面に映る彭さんの写真も公開された。 しかし、IOCは中国の人権問題への批判の高まりを避けたと厳しく非難された。女子テニス協会(WTA)のスティーブ・サイモン最高経営責任者(CEO)は「彭選手が自由で安全で、検閲や強制、脅迫を受けていないか重大な疑問を抱いている」と表明し、「2022年に中国で大会を開催した場合、選手やスタッフ全員が直面し得るリスクを大いに懸念している」と述べた。 バッハ会長は、中国の人権侵害、言論弾圧的な姿勢を容認するかのような発言もした。北京五輪大会組織委員会が「中国の法律や規則に違反する行動や発言は特定の処罰対象となる」と述べ、大会期間中のアスリートの「自由な言論」を取り締まると警告した(本連載第291回)。これに対して、バッハ会長は「俳優はハムレットの劇中に抗議活動をしない。選手も組織が作ったルールを順守しなければならない」と発言し、組織委員会の方針を認めたのだ。 バッハ会長は、東京五輪時には「ぼったくり男爵」とやゆされていたが、IOC会長として節度を保った発言はしていた。ところが、北京冬季五輪では、会長の言動は一線を越えてしまったのだ』、「バッハ会長は「俳優はハムレットの劇中に抗議活動をしない。選手も組織が作ったルールを順守しなければならない」と発言し、組織委員会の方針を認めたのだ」、初めて知ったが、とんでもないことだ。
・『東京五輪で日本は叩かれ学び、北京五輪で中国はゴリ押し  東京五輪では、過去の言動を理由に、開会式で楽曲を担当していた小山田圭吾氏、文化イベントに出演予定の絵本作家・のぶみ氏が辞任、開会式ショーディレクターの小林賢太郎氏が解任される事態となった。 次々と大会のクリエイターが辞めていく事態に、大会組織委員会が「身体検査」が甘すぎたと批判された。しかし、私は「逆身体検査」のような人選になっていたと主張した。人権侵害、人種差別、民族蔑視などに反対してきた人や、女性、LGBT、障がい者などの権利拡大に熱心に活動してきた人たちをむしろ「言動が危険な人物」として、クリエイターの候補者から外してきたのではないかということだ(第281回)。 しかし、日本の問題は、人権問題に取り組んでいないわけではなく、その対応が「Too Little (少なすぎる)」「Too Late(遅すぎる)」「Too Old(古すぎる)」であることだ(第294回・p3)。) 日本は国際連合から人権問題についてさまざまな勧告を受けている(第219回)。要は、取り組んではいるが、「Too Little」だ。欧米の取り組みから20年くらい遅れている「Too Late」な状況でもある。そして、森喜朗五輪組織委員会会長(当時)の「女性の会議は長い」発言による辞任など、「昭和の老人」の価値観が社会を支配する「Too Old」な状況だ(第268回)。 ただし、東京五輪で日本は、批判を浴びてはやり直すことを繰り返した。東京五輪は、日本が「人権感覚」や「多様性」と「調和」のある社会とはなにかを学ぶ場となった。 一方、北京五輪では、中国が学ぶ場になるどころか、カネと権力でIOCの頬を張って、自らの価値観を押し付けたようにみえた。 五輪開催前、新疆ウイグル自治区やチベットでの人権侵害、香港での民主化運動の弾圧などに対する抗議として、米国などが選手団以外の外交使節団を派遣しない「外交ボイコット」を断行した(第291回・p1)。 しかし、中国は、弾圧と批判されても「中国社会を不安定化させるテロリストとの戦い」だと正当化した。我々は「大国」になった。我々が学ぶべきことはない。我々の「民主」があるのだというのだ(第295回)』、「北京五輪では、中国が学ぶ場になるどころか、カネと権力でIOCの頬を張って、自らの価値観を押し付けたようにみえた」、とんでもないことだ。
・『騒動に政治的な裏がある?「外交ボイコット 」した国もメダル獲得  さて、議論を北京冬季五輪の「騒動」に戻したい。繰り返すが、「騒動」はスポーツの競技会ではよくあることだ。 だが、例えばショートトラックスピードスケート競技のように、普段でも起こり得るような競技中の競り合いによる接触や転倒などが、必要以上に「大騒動」に発展した印象だ。接触や転倒などに下された裁定に、皆、簡単に納得しようとしなかった。 選手やスタッフが不平不満を次々に口にして、もめ事が大きくなっていった。「ギスギスした空気」が大会全体に広がっていたようにみえた。 明らかに尋常とはいえない問題も起きた。まず、ノルディックスキー・ジャンプ混合団体で、日本の高梨沙羅選手ら4チームの5選手が競技後の抜き打ち検査でスーツが規定違反とされて失格となったことだ。) 女子の検査を担当した検査官は、従来通りに検査をして妥当な判断だったと主張した。ところが、高梨選手やドイツの選手など検査を受けた選手たちや出場各国関係者から、次々と異論が噴出した。 検査官と選手の証言が完全に食い違い、次々と新しい情報が出てくる。真偽は不明で、事態は混迷を極める一方だ。 そして、女子フィギュアスケートのカミラ・ワリエワ選手のドーピングを巡る問題だ。ワリエワ選手は、昨年12月の試合で提出した検体が陽性となり、ロシア反ドーピング機関(RUSADA)が五輪への暫定資格停止処分を下した。ところが、ワリエワ選手側の抗議により処分が解除されていた。 これを不服とした国際オリンピック委員会(IOC)や国際スケート連盟(ISU)などがスポーツ仲裁裁判所(CAS)に提訴したが、CASはワリエラ選手の出場を許可した。CASは、その理由として、現在15歳のワリエワは世界ドーピング防止規定(WADC)における「被保護者」であることや、五輪期間中の検体は陽性ではなかったことなどを挙げた。 ドーピング疑惑のある選手が、世界最高のスポーツの祭典である五輪に、IOCやISUが不服とする中で出場するという異様な状況となった。これに対して、バンクーバー五輪金メダリストのキム・ヨナ氏など、世界中から反発の声が上がった。 これらの「大騒動」については、中国や、ロシアなど中国を支持するとされる国を勝たせる一方で、「外交ボイコット」を行った国など、中国と対立的な国をおとしめているとネット上などで指摘されたりした。 だが、実際はショートトラックスケートで疑惑の判定で失格となった韓国やロシアは、「外交ボイコット」を行っていない。 逆に、ジャンプ複合団体で銅メダルを獲得したカナダは、「外交ボイコット」を行っただけでなく、中国通信機器大手・ファーウェイの孟晩舟副会長兼最高財務責任者(CFO)の拘束以降、中国との関係が悪化してきた。要するに、中国との関係性で恣意的に判定が行われてきたという説は論理的な根拠が薄い。』、「ノルディックスキー・ジャンプ混合団体で、日本の高梨沙羅選手ら4チームの5選手が競技後の抜き打ち検査でスーツが規定違反とされて失格となったこと」、についてはもっと詳細な検証が必要だろう。ただ、「カナダ」と「中国との関係性で恣意的に判定が行われてきたという説は論理的な根拠が薄い」、それはそうだろう。
・『それでもなくならない疑念、中国への不平不満  それでも、「大騒動」が次々と起こり、このような説が広がっていく背景は看過できない。中国が人権侵害への批判をカネと権力に物を言わせて強引に抑えつけてきたことを世界は見てきた。五輪においても、札束で頬を張りながら「白いものを黒」ということを強引に進めているのではないかと、世界中の多くの人は疑っていた。 要は、中国は「信頼」されておらず、疑心暗鬼が広がっていた。それが、微妙な判定に対する強い不平不満につながったと考えられるのだ。 経済的・軍事的な拡大だけを見れば、中国が「大国」となったことは言うまでもない。しかし、中国の振る舞いは到底「大国」とはいえない。 「大国」の振る舞いとは、札束で頬を張って小さな国を抑えつけることではない。そんなことをしても「面従腹背」、軽蔑されるだけだ。「大国」の条件とは「寛容さ」だ。それは、すべての人の言語、歴史、文化、宗教、民族、思想信条、基本的人権をおおらかに受け入れることである。 中国が、北京冬季五輪の「騒動」の経験を通じて、「寛容」な大国らしい振る舞いを学んでいくことを強く望む。それが、中国が札束を使わずとも世界から尊敬される道なのだと、私は中国の友人として言っておきたい』、「「大国」の振る舞いとは、札束で頬を張って小さな国を抑えつけることではない。そんなことをしても「面従腹背」、軽蔑されるだけだ。「大国」の条件とは「寛容さ」だ。それは、すべての人の言語、歴史、文化、宗教、民族、思想信条、基本的人権をおおらかに受け入れることである」、同感である。

第三に、「北京五輪」とは離れるが、3月30日付けダイヤモンド・オンラインが掲載したジャーナリストの山田 稔氏による「「2030年冬季五輪招致」に前のめり札幌市の危機感 市の調査では「賛成」が過半数を占めたが…」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/541661
・『東京オリンピック・パラリンピックが閉幕して約半年。次の日本での開催に向けて招致活動も徐々に動き出している。札幌市が狙うのは2030年冬季オリンピック・パラリンピックだ。実現すれば58年ぶりの札幌開催となる。だが、北海道民や札幌市民の間では賛否が渦巻いている』、私は東京五輪も反対していたが、「札幌」まで性懲りもなく立候補したとのニュースに驚いて、今回、紹介した次第である。
・『札幌五輪「賛成」派が過半数  3月16日札幌市は、市民・道民対象の「2030年冬季オリンピック・パラリンピック招致に係る意向調査」で、「賛成」派が過半数に達したと発表した。 結果が公表される前日の15日、札幌市の秋元克広市長は東京・永田町にいた。自民党の北海道選出国会議員らでつくる2030年札幌冬季五輪・パラリンピック招致推進本部の会合に出席し、「官民を挙げて取り組みを進め、地域づくりに貢献したい。北海道のみならずビジネスチャンスにつながる。ぜひとも力をいただき、大会を実現したい」と協力を呼びかけていた。 この会合では、もう1人、キーパーソンの政治家が発言した。北海道出身で、2020年東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会会長を務めた橋本聖子氏だ。橋本氏は「札幌、北海道が描く50年後、100年後のビジョンに付加価値を付ける意味で非常に重要。東京大会で得た経験を引き継ぐ」と語ったと報じられている。 3月18日に橋本氏や山下泰裕JOC会長らと官邸で面会した岸田文雄首相も、五輪招致について「国としても全面的に協力する」と前向きの姿勢だ。 一気に五輪招致の既成事実化が進みそうな状況だが、その背景を探った。 まずは1万7500人を対象に行われた意向調査の速報結果を吟味してみよう。調査は郵送(札幌市民5775人)、インターネット(市民・道民5540人)、街頭(映画館に来場した市民を含む道民2560人)の3つの手法で行われた。公開された結果を市民、道民別に示してみた。 ■札幌市民(総計9396人)○郵送調査 賛成派52%(賛成26%+どちらかといえば賛成26%) 反対派39%(反対22%+どちらかといえば反対17%) わからない9% ○ネット調査 賛成派52%(賛成22%+どちらかといえば賛成30%) 反対派31%(反対17%+どちらかといえば反対14%) わからない16%○街頭調査 賛成派57%(賛成35%+どちらかといえば賛成22%) 反対派35%(反対19%+どちらかといえば反対16%) わからない8%) ■道民(総計4479人) ○ネット調査 賛成派60%(賛成29%+どちらかといえば賛成31%) 反対派23%(反対11%+どちらかといえば反対12%) わからない18% ○街頭調査 賛成派75%(賛成48%+どちらかといえば賛成27%) 反対派15%(反対7%+どちらかといえば反対8%) わからない 9%  市民と道民をあわせた結果では、郵送(市民のみ)の賛成派は52%、ネット調査の賛成派は57%、街頭調査の賛成派は65%で、3つの調査すべてにおいて賛成派が過半数を占めたことになる。 ただし、札幌市民に限ってみると賛成派は52~57%と道民の結果よりも低めで、反対派も31~39%と道民結果より高い。経費負担が伴う開催都市ならではの反応だろう。 この結果を受けて秋元札幌市長は「2030年大会招致活動の次のステップに進むために、今後関係団体への、より一層の協力を依頼していきたい」と大会招致に意欲をみせた。 その一方で、地元紙の北海道新聞は3月22日付の社説で「札幌五輪調査招致合意とは言い難い」と冷静な分析を示している。調査期間(3月2日~14日、調査手法により異なる)が日本勢の活躍した北京五輪の余熱が残っている時期だったこと、市が調査に併せ、駅前の地下歩行空間で招致PR活動を行っていたことを挙げ、「中立で客観的な環境で民意を測ろうとしたのかは疑問が残る」と指摘している。 地元の札幌、北海道の意向とは別に、Yahoo!が行っている「招致賛成か反対か」を問う調査(3月15日~25日)には1万7226人が投票。「賛成」2024票、「反対」1万4982票、「わからない」「どちらでもない」220票で、反対が全体の約87%と圧倒的に多い結果となっている。 対象がまったく異なるうえ、調査主体も調査方法も異なるので単純には比較できないが、正反対の結果となった。インターネット上では、トラブル続きだった東京五輪の総括、検証も済んでいないのに、再び五輪開催という流れに疑問を抱く声も聞かれる』、「Yahoo!が行っている「招致賛成か反対か」を問う調査(3月15日~25日)には1万7226人が投票。「賛成」2024票、「反対」1万4982票、「わからない」「どちらでもない」220票で、反対が全体の約87%と圧倒的に多い結果」、地元へのアンケートとは異なる結果となったが、「東京五輪の総括、検証も済んでいないのに、再び五輪開催という流れに疑問を抱く」、私のフィーリングに近い。
・『過熱する地元経済界の招致機運  五輪招致に向けて前のめりなのは札幌市だけではない。地元の経済界も熱い視線を送っている。北海道新聞が昨年12月に実施した道内主要企業を対象にした五輪に関する意識調査(1月12日発表=回答201社)によると、招致に「賛成」は34.3%で「どちらかといえば賛成」が30.3%。賛成派が64.6%で反対派の13.0%を大きく上回った。 賛成の理由でもっとも多かったのは「北海道全体の経済活動が活性化する」で、そのほかに「会場となる地域と近郊の経済活動が活性化する」「北海道の魅力を世界に発信できる」といった点があげられている。 招致に向けた動きもみられる。札幌市は2014年に、2026年冬季五輪招致を表明した(その後延期)が、これを受けて札幌商工会議所は、翌年「冬季オリンピック・パラリンピック札幌招致期成会」を設立し、今日に至っている。そして現在、同会は個人レベルの応援組織「冬季オリパラサポーターズクラブ」のメンバーを募集するなど、招致実現に向けた機運を高める取り組みを行っている。) さて、ここからは札幌市の現状について見てみよう。北海道内で一極集中が続いてきた札幌市。住民基本台帳に基づく2022年1月1日の札幌市の人口(外国人を含む)は196万668人となり、1972年の政令指定都市移行後初めて減少に転じた。1972年といえば前回の札幌冬季五輪開催年である。五輪開催から50年後に人口減少局面が訪れたということだ。 札幌市の人口は1970年に100万人を突破して以降、道内各地から人々を吸引する形で増え続け、200万人目前にして失速した形だ。詳しく見ると、出生数低下に伴う自然減は2009年から続いている。また道外への転出では、直近データで見る限りでも2001年以降転出超過が続いている。つまり、道内各地からの転入超過による社会増で人口が増加してきていたのだが、ここへきてそのパイプも細くなってしまったというわけだ。 それもそのはず。北海道の人口も1月末現在で517万8000人と520万人を割り込んでしまった。前年同期から4万7000人減り、過去10年で最大の減少幅となった。道、札幌市ともに人口減少の厳しい局面にあるのだ』、「道、札幌市ともに人口減少の厳しい局面にある」とはいえ、五輪開催の観光客増加の効果は限定的だろう。競技場などのインフラ投資は余り必要ない筈だ。
・『コロナ禍で観光業に打撃  さらにコロナ禍の影響による観光打撃など北海道経済を取り巻く環境は厳しい。札幌市に限っても、2021年度下期市内企業の市内景況判断B.S.I(見通し)は▲22.6で、3期連続で上昇する見通しだが、コロナ前の▲11.2よりもはるかに低い。 百貨店・スーパー販売額など個人消費は持ち直してきているが、2021年の家計調査の名目消費支出は前年比11%減だ。有効求人倍率も1倍を割り込んだ状況が長期化し、今年1月は0.86(札幌圏)にとどまっている。 さらには1972年の冬季五輪時に建設された市内の公共インフラや商業施設、五輪関連施設の老朽化が進んでいる。前回五輪開催から50年、今年8月に市制100周年という節目を迎える札幌にとっては大きな転換期でもあるのだ。 人口減と経済縮小が同時進行という状況について、秋元市長は札幌市の五輪招致サイト内でのインタビューでも触れている。 「(人口減少局面では)外貨を稼ぐことが必要。札幌は雪や自然環境という大きな財産がある。そういったものを世界に発信して、外から稼ぐきっかけにしていければと思う」などと語っている。人口減少、経済縮小局面に突入したなかで、五輪を契機に札幌の活性化を図りたいということだ。) 札幌五輪招致の既成事実化が進むなか、2030年度の新幹線札幌延伸と五輪開催を見越したかのような動きが各地で進んでいる。 まずは札幌市内で進む再開発ラッシュ。驚くことに現在30以上のビルや施設の建設が進んでいる。地下空間のリフレッシュや地下鉄駅のホーム増設なども進む。北海道新幹線札幌駅開業に向けて、南口には地上46階、高さ約245mのタワービルが建設され、ビル内にマリオットブランドのホテルができる。タワーは2029年秋に完成予定だ。 一方、北口にはマンション、ホテル、オフィス、店舗などからなる地上48階、高さ175mの複合型再開発ビルが建設中で、2023年末に竣工。すすきの地区でも「札幌すすきの駅前複合開発計画(仮称)」の工事が進み、2023年秋に開業する。 このような開発は札幌だけではない。市の大会概要案でアルペン競技開催が見込まれるニセコ地区では超高級ホテルなどの建設が進み、富良野にも外資参入の動きがみられる。外資による森林買収も後を絶たない。 さらに、民族共生象徴空間「ウポポイ」のある白老町(北海道中南部)には高級リゾートホテルが開業した。アフターコロナを見据えた動きが目白押しなのである。 札幌の活性化、北海道再生という地元政財界の悲願と新たなビジネスチャンスを狙う外資を含む投資家などの思惑が一致して「札幌五輪招致」が邁進しているかのようだ』、「2030年度の新幹線札幌延伸と五輪開催を見越したかのような動きが各地で進んでいる。 まずは札幌市内で進む再開発ラッシュ。驚くことに現在30以上のビルや施設の建設が進んでいる」、「札幌五輪招致」に関してはいささかフライング気味だが、ここまで突き進んでいることに驚かされた。
・『調査結果に驚く市民、先端的な街づくりを求める声  こうした状況を札幌市民はどう受け止めているのだろうか。市の意識調査の連絡がなかったという60代の男性の反応は冷ややかだ。 「昨年の東京五輪、今年の北京五輪と五輪開催のネガティブな側面が目立ちすぎ、その検証もきちんと行われていない状況では、やはり招致には反対せざるをえませんね。私の周りでは五輪招致はほとんど話題にもなりませんが、それにしても過半数が賛成という結果には驚きました」 今年の大雪で除雪作業の遅れに苦労した市民の間からは「五輪よりもほかにやるべきことがある」との声も聞かれる。 一方、「(今後の)札幌市の決定を尊重する」という女性は「五輪の是非を問わず、ゼロカーボンをキーワードに、公共施設の維持のあり方や自動車に過度に頼らない公共交通のあり方など抜本的な見直しが札幌市には必要だと思っています」と先端的な街づくりへの要望を語ってくれた。 冬季五輪招致に向けた動きは今後ますます過熱化、加速化していくと思われる。行政当局は1回だけの意識調査だけでなく、もっと広範に市民や道民の声を拾い上げ、合意形成への努力を重ねていく必要があるだろう。市民や道民は五輪招致を起爆剤とする街づくりビジョン、活性化構想を望んでいるのか、それとも別の構想を望んでいるのか。東京五輪の反省を踏まえ、慎重な検討が必要だろう』、「フライング気味」とはいえ、ここは落ち着いて、中長期的観点での振興策を基本に、五輪を考えるべきだろう。
タグ:「北京五輪では、中国が学ぶ場になるどころか、カネと権力でIOCの頬を張って、自らの価値観を押し付けたようにみえた」、とんでもないことだ。 (高梨沙羅スーツ違反問題 日本選手団「抗議しない」に「責任の所在明確にすべき」の指摘が〈dot.〉、北京五輪で見えた中国の信用欠如ぶり、「違反」「失格」 続出で疑惑の祭典に、札幌五輪:「2030年冬季五輪招致」に前のめり札幌市の危機感 市の調査では「賛成」が過半数を占めたが…) 北京五輪 「バッハ会長は「俳優はハムレットの劇中に抗議活動をしない。選手も組織が作ったルールを順守しなければならない」と発言し、組織委員会の方針を認めたのだ」、初めて知ったが、とんでもないことだ。 日本のマスコミももっとしっかりしてほしい。 「トーマス・バッハ会長は、「五輪のために誰もがいくらかの犠牲を払わないといけない」と発言し、批判されていた。しかし、会長の発言を英語の原文で読むと」、「「五輪関係者がいくらかの犠牲を払う」が正しい意味」と誤訳だったようだ。 確かに「さまざまな「騒動」が連日起こる混乱五輪となった」、それを深堀していくのは興味深そうだ 上久保誠人氏による「北京五輪で見えた中国の信用欠如ぶり、「違反」「失格」 続出で疑惑の祭典に」 ダイヤモンド・オンライン 「今回の件における様々な疑問点については、選手から聞き取った結果をとりまとめ、協会としてきちんと意見書を出し、運営側からの回答を求めるべき。選手と運営の言い分が異なっている以上、また、今後このような事態が二度と起きないよう、他国と足並みを揃え、徹底的にやるべき」、その通りだ。「FIS、日本選手団は説明責任を果たす必要がある」、どんな「説明」があるのか楽しみだ。 「日本」側の対応は、物事を荒立てないで丸く収めることを重視する、余りにも「日本」的だ。 AERAdot「高梨沙羅スーツ違反問題 日本選手団「抗議しない」に「責任の所在明確にすべき」の指摘が〈dot.〉」 「フライング気味」とはいえ、ここは落ち着いて、中長期的観点での振興策を基本に、五輪を考えるべきだろう。 「2030年度の新幹線札幌延伸と五輪開催を見越したかのような動きが各地で進んでいる。 まずは札幌市内で進む再開発ラッシュ。驚くことに現在30以上のビルや施設の建設が進んでいる」、「札幌五輪招致」に関してはいささかフライング気味だが、ここまで突き進んでいることに驚かされた。 「道、札幌市ともに人口減少の厳しい局面にある」とはいえ、五輪開催の観光客増加の効果は限定的だろう。競技場などのインフラ投資は余り必要ない筈だ。 「Yahoo!が行っている「招致賛成か反対か」を問う調査(3月15日~25日)には1万7226人が投票。「賛成」2024票、「反対」1万4982票、「わからない」「どちらでもない」220票で、反対が全体の約87%と圧倒的に多い結果」、地元へのアンケートとは異なる結果となったが、「東京五輪の総括、検証も済んでいないのに、再び五輪開催という流れに疑問を抱く」、私のフィーリングに近い。 実現すれば58年ぶりの札幌開催となる。だが、北海道民や札幌市民の間では賛否が渦巻いている』、私は東京五輪も反対していたが、「札幌」まで性懲りもなく立候補したとのニュースに驚いて、今回、紹介した次第である。 山田 稔氏による「「2030年冬季五輪招致」に前のめり札幌市の危機感 市の調査では「賛成」が過半数を占めたが…」 「「大国」の振る舞いとは、札束で頬を張って小さな国を抑えつけることではない。そんなことをしても「面従腹背」、軽蔑されるだけだ。「大国」の条件とは「寛容さ」だ。それは、すべての人の言語、歴史、文化、宗教、民族、思想信条、基本的人権をおおらかに受け入れることである」、同感である。 「ノルディックスキー・ジャンプ混合団体で、日本の高梨沙羅選手ら4チームの5選手が競技後の抜き打ち検査でスーツが規定違反とされて失格となったこと」、についてはもっと詳細な検証が必要だろう。ただ、「カナダ」と「中国との関係性で恣意的に判定が行われてきたという説は論理的な根拠が薄い」、それはそうだろう。
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ホテル(その5)(【独自】アパホテルがコロナ宿泊療養者の食事代“中抜き”認める 苦情が相次ぎ行政指導も、【独自】大阪府がコロナ宿泊療養施設費でアパホテルに40億円強を支出 他のホテルの2倍以上で「優遇」の声、ドーミーイン「夜鳴きそば」が誕生した意外な経緯 夜の時間帯に宿泊者に無料提供されるラーメン) [産業動向]

ホテルについては、昨年11月11日に取上げた。今日は、(その5)(【独自】アパホテルがコロナ宿泊療養者の食事代“中抜き”認める 苦情が相次ぎ行政指導も、【独自】大阪府がコロナ宿泊療養施設費でアパホテルに40億円強を支出 他のホテルの2倍以上で「優遇」の声、ドーミーイン「夜鳴きそば」が誕生した意外な経緯 夜の時間帯に宿泊者に無料提供されるラーメン)である。

先ずは、本年3月5日付けAERAdot「【独自】アパホテルがコロナ宿泊療養者の食事代“中抜き”認める 苦情が相次ぎ行政指導も」を紹介しよう。
https://dot.asahi.com/dot/2022030400078.html?page=1
・『「ご指摘のあった2つの宿泊療養ホテルのうち1つでカレーが出されていたことが調査でわかりました。1月は19日と28日、2月は3日、11日、18日の合計5回、いずれも昼食です。療養者に提供するお弁当は外部業者に委託をしておりますが、第6波になって以前に比べ症状の軽い療養者が多い。カレーを喜んでいただけると取引業者が判断し、メニュー変更となり、当方も問題ないだろうとカレーを提供いたしました。カレーはアパ社長カレーではなく、外部業者が調理したものです。現在はカレーの提供はしておりません」 大阪府の基準1食900円に食費が達しない疑惑もある。アパホテルは次のように回答した。 一部の宿泊療養ホテルで外部業者に委託をしておりますが、具体的な金額は差し控えますが、ホテルによっては多少、必要経費を差し引かせていただいている場合もございます。必要経費内容はお弁当の発注業務、届いた弁当の数量・内容のチェック、弁当の設置業務等です。現在は大阪府からの指示を受け、必要経費はいただいておりません」 大阪府の吉村洋文知事はAERAdot.が報じた療養ホテルの”中抜き”記事を引用してツィート(2月24日付)。 <ここは改善します。大阪府は宿泊療養施設での弁当代として一食900円相当、一日3食計2700円分を宿泊療養施設に支給しています。(略)看護師さんによる検食や府における確認作業を強化します>と発信していた。 厚生労働省のマニュアルには「(1食1500円の)食事提供費の交付金」には「配送料は含まない」と明記されている。配送費、配膳代相当分は別途、 国庫より支給される仕組みなっている。大阪府の行政指導を受け、アパホテルは「中抜き」を認めた格好だ』、「ホテルによっては多少、必要経費を差し引かせていただいている場合もございます。必要経費内容はお弁当の発注業務、届いた弁当の数量・内容のチェック、弁当の設置業務等です。現在は大阪府からの指示を受け、必要経費はいただいておりません」、「アパホテル」の言い分は全く筋が通らない。「中抜き」批判に取ってつけただけのようだ。
・『一方、東京も宿泊療養ホテルは現在、37施設あるが、アパホテルはうち11の施設を提供している。東京都に取材すると、弁当価格は1食1100円で、一日3食で3300円という。1食の差額400円で各療養ホテルにゼリーやレトルトのおかゆ、みそ汁、カップラーメンなどを用意しているという。都内のアパ系列のホテルAで昨年、療養した元コロナ感染者はこう話す。 「ホテルではアパ社長のカード、『アパ社長カレー』などと書かれたメニューが配られていましたが、弁当は価格500円前後と思える内容でとても1食1100円には見えませんでした。コロッケ、焼きそばと春巻き、カツカレー、サバの味噌煮、缶詰のフルー都庁関係者によると、Aを含む都内のアパ系列のホテルは第5波の昨秋まで、同系列のB(23区内)の厨房で一括して弁当を製造。都内の各ホテルに弁当を配送していたという。 「都に苦情が相次ぎ、指導が入りました。第6波では外部の弁当業者に変更された」(同前) アパ系列のホテルAに食事の苦情や都の行政指導について取材をすると、「東京都が一括して回答することになっているのでお答えすることはできない。都に聞いてほしい」との回答だった。 東京都を取材をすると、個別ホテルについては答えられないとしながらも、以下のように回答した。 「入所者からのご意見やアンケート調査などに基づき、メニューを増やす、味付けを変える、彩(いろどり)良い見た目にするなど、弁当事業者に働きかけています。一部のホテルでは、こうした対応の一環として、他の弁当事業者に変更したり、お弁当の提供体制を見直したりするなど食事の改善を図っています」(福祉保健局) 全国最大の688ホテル、10万超の客室を擁する業界大手アパグループ。2021年11月期の決算を発表し、連結売上高は917億万円(前期比1.4%増)、経常利益は75億円(前期比645%増)で、39億円の黒字となる増収増益となった。コスト削減とコロナ宿泊療養施設として自治体への一棟貸しを進めたことが寄与したとされる』、「東京都」では「第5波の昨秋まで、同系列のB(23区内)の厨房で一括して弁当を製造。都内の各ホテルに弁当を配送していたという。 「弁当は価格500円前後と思える内容でとても1食1100円には見えませんでした」、「都に苦情が相次ぎ、指導が入りました。第6波では外部の弁当業者に変更された」、「東京都」でも「中抜き」が酷かったようだ。ここまで悪どくやらなくても、ちゃんと儲かるようだ。

次に、3月13日付けAERAdot「【独自】大阪府がコロナ宿泊療養施設費でアパホテルに40億円強を支出 他のホテルの2倍以上で「優遇」の声」を紹介しよう。
https://dot.asahi.com/dot/2022031200021.html?page=1
・『大阪府は新型コロナウイルス感染者の宿泊療養用ホテル41施設のうち19ホテルが1人1日計2700円の弁当代から経費として最大700円を“中抜き”をしていたことを3月11日、公表した。アパホテルなどが食費を“中抜き”しているとAERAdot.が特報し、府が公式にホテル側に見直しを求めた格好だ。 【写真特集】“恐怖のカツカレー”から「ひっぱりだこ飯」まで…情報公開請求で判明したアパ、東横INN、ダイワロイネットホテルズなどの弁当総覧(リンク先参照) 2021年4月から22年3月までに大阪府は宿泊療養用ホテルに対し、使用料及び賃借料、食費、飲料、ゴミ回収・処理費、清掃費、リネン一式(枕カバー、敷シーツ、掛シーツ)などの経費として計272億円を支出。うちアパホテル(9施設)に対しては、40億7720万円(1月末時点)と突出した額を支出していたことがAERAdot.調査でわかった。2位以下のコンソルト、スーパーホテル、東横インなどはいずれもアパホテルの半額以下となっている。 AERAdot.が入手した大阪市内のアパホテルが21年1月、府へ提出した請求書によると、食費は1食700円、飲料(500ml)1本は130円。さらにゴミ回収・処理費は1袋(50L)で破格の1万円、リネン一式は5000円などとなっていた。 一方、大阪市内の大阪アカデミアホテルがほぼ同時期に出した請求書も入手したが、食費は1食500円、飲料は100円(同)、ゴミ回収・処理費(同)は1袋(同)5000円、リネン一式は4000円などとなっていた。 国はホテル宿泊療養者の食費を1食1500円と定めているが、府は独自基準で昨年春まで1食500円と定めていた。ところが、府議会で「安すぎる」と問題になり、1食900円に引き上げた経緯があった。 「食費など経費は府と相談の上、決めている」(大阪アカデミアホテル) なぜ、アパホテルと他のホテルで食費や経費に差があるのか? 「アパホテルは地方自治体法(第167条の2)による随意契約を『緊急で入札をしている暇がない』(第5号)との理由で府と結んでいる。他の多くのホテルでも随意契約が結ばれていますが、『公募に付した』(第2号)と根拠に差があります。また府はこの当時、ホテルに1食500円を基本ルールとして請求書をもらっていたが、アパは200円前後の上乗せが認められていました。ゴミ回収など他の経費も多少、高くとも黙認されるなど優遇されていたようです」(内閣府関係者)』、「「アパホテル」は「ゴミ回収・処理費は1袋(50L)で破格の1万円」、「アパは200円前後の上乗せが認められていました。ゴミ回収など他の経費も多少、高くとも黙認されるなど優遇されていたようです」、アパの経営者は安倍前首相のスポンサーで維新の会とも親しいのが、優遇につながっているとすれば、問題だ.。
・『これまでAERAdot.が報じた通り、宿泊療養者らの証言からアパホテルの食事は「粗末で中抜きがひどい」と指摘されていた。しかし、部屋の清掃やゴミ処理などについても「問題がある」という。 「ごみは速やかに回収されず、床や壁際には結構、ごみや髪の毛が落ちていました」(アパホテルで宿泊療養したAさん) アパホテルの対応に対し、食事のひどさなどで厚生労働省、総務省、大阪府に改善を要求する要望もあったという。 大阪市内のアパホテルで1月まで清掃の仕事をしたBさんはこう明かす。 「弁当は毎日100~200食近くが廃棄されており、ゴミは1日2回、ペール缶と呼ばれる白いゴミ箱に突っ込んでいた。それをゴミ回収業者が定期的に取りに来ていました。清掃やゴミ処理は杜撰でした。ゴミ袋の数量計算もアバウトで正確な数字ではない時もありました」 宿泊療養ホテルは使用料の他、食事、清掃、警備などあらゆる経費が国庫で負担されている。なぜ、アパホテルはこうした問題が浮上してもなぜ、「優遇」されたのだろうか。 「日本維新の会とアパの仲が良いということは府職員みんな心得ているところです。宿泊療養ホテルの件も府からアパさんにお声がけしてやっているわけです。多少の問題があっても正直、気を遣います」(府職員) 日本維新の会の石井苗子参院議員が3月4日、わざわざ「#アパ」と付けて発信したTwitterには<本日、赤坂見附のアパホテル本社2階に事務所を開設しました>と記されてあった。石井議員はアパホテルが新潟や名古屋でオープンした時のテープカットに駆けつけたり、アパグループの元谷外志雄代表が塾長を務める「アパ日本再興財団・勝平塾」の講師を務めていた。 大阪府政策企画部危機管理災害対策課にアパホテルについて取材をすると、こう答えた。 「府のホームページで療養ホテルを公募した後、アパホテルに声をかけたことはあるが、特別な関係ではない。日本維新の会も何ら関係はない。昨年春まで府内の宿泊療養ホテルには1食500円でお願いしていたが、アパホテルのように高い額もあった。ゴミ処理費などもホテルによって金額が違うこともある」』、「「弁当は毎日100~200食近くが廃棄」、本来、発注数は確実なのに、不味いため食べられずに廃棄」されているとすれば、これも問題だ。
・『アパホテルに清掃問題、日本維新の会との関係などで取材を申し込んだところ、以下の回答があった。 「(療養者)退所の後には必ず消毒及び清掃を入れております。しかしながら、閉所していたホテルが急遽受け入れとなった際や、使用後の客室の清掃の際に防護服を着て清掃業務を行うことから、清掃の不備について月に数件程度のご指摘は頂いており、清掃業者と協議しながら改善に努めてまいりました。なお、大阪府様からは、弊社が特別に多いという認識は持っていないとの回答を頂いております」 日本維新の会、石井議員との関係については「弊社本社ビルの2階と3階が空室だったため募集を行っていたところ、石井苗子議員事務所より問い合わせがあり、テナントとしてご入居いただくことになりました。会社として特定の政党や候補を応援しているということはございません」。 アパホテルは2021年度、宿泊療養ホテルとして全国の自治体に61施設、2万4千室以上を貸しだしている。同年11月期の決算では、前期比645%増の75億円の経常利益、39億円の黒字となる増収増益となった。神戸学院大学法学部教授の上脇博之教授はこう指摘する。 「アパなど療養ホテルへ支払われる費用は国の税金なので、食事やサービスが不十分なホテルとは契約すべきではない。ホテルによって食事やサービスの質が悪くなれば、療養者が被害を被る。税金をぼったくられることになるので、返金を求めるなど規定を設けるべき」』、先ずは、「療養ホテル」に関する情報ももっと公開すべきだ。「返金」はその後の課題だ。

第三に、3月27日付け東洋経済オンラインが掲載したワニブックスNewsCrunch編集部による「 ドーミーイン「夜鳴きそば」が誕生した意外な経緯 夜の時間帯に宿泊者に無料提供されるラーメン」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/540025
・『大浴場やサウナを備えていることや、しょうゆラーメン「夜鳴きそば」の無料サービスなどで注目されるビジネスホテル「ドーミーイン」。ファン目線でその魅力を分析した書籍『Have a nice ドーミーイン -「一泊すると住みたくなる」最高のビジネスホテル』より一部抜粋して、独特なサービスが誕生した経緯を紹介します』、夜食が無料でサービスされるとは、嬉しい。
・『「社員寮を出張で使いたい」という声から誕生  ドーミーインの1号店は埼玉県にあった「ドーミーインEXPRESS草加City」。 「まさにここがドーミーインの出発点。2023年でホテル事業がスタートしてから30年ということになりますね」(共立メンテナンスの担当者、以下同) そう、ドーミーインを運営する共立メンテナンスは、もともとホテルをメインとした会社ではなかった。 「主幹事業は寮でした。ドーミーインは『社員寮を出張で使いたい』という声から始まった事業です。ドーミーインというホテル名も、弊社が運営する寮のブランド名『ドーミー』に、ホテルチェーンでよく使われている〝イン〟をプラスした造語です」 当時から「寮を運営する会社がホテル業界に進出」ということで話題になっていたが、筆者は学生寮にも社員寮にも住んだことがないので、あまりピンと来ていなかった。それがホテル運営にどう影響するのだろうか、と。 だが、ドーミーインによく泊まるようになり、ほかのホテルチェーンとのサービスの違いなどを感じていくうちに、寮生活について調べてみて、あぁ、なるほど、とドーミーインの「泊まり心地の良さ」の秘密を垣間見たような気がした。 先ほど、「社員寮を出張で使いたい」というフレーズがあった。それこそドーミーイン誕生の原点なわけだ。 社員寮「ドーミー」では寮長・寮母が常駐し、自社の管理栄養士が監修する朝食と夕食を、寮の厨房で手作りして提供。部屋には家具が備え付けられ、Wi-Fiも完備。大浴場や無料で使える洗濯機もあり、中にはサウナが付いている寮もあるとのこと……これはうらやましい。) しかも一人暮らしで面倒なのは自炊・掃除・宅配の再配達、不安なのは病気・治安・修理などだが、それらが解消されることで心身ともに健康的でモチベーションの高い毎日を過ごせる──あれ?これってまさにドーミーインのサービスがギュッと詰まっているではないか。 現在、「ドーミー」は全国に約500棟以上を展開。学生寮としても使用されており、実際に「住んでいる」人がこれだけの数いるわけで、ホテルを運営しているだけでは構築できないノウハウが蓄積されていくことがわかる。 「ドーミーインが始まった当初は、寮として使用しようと考えていた物件の転用がベースになっていたようです。それがほかのホテルとはちょっと違った部屋の間取りにつながっているんですね」 「ドーミー」を利用しているのは学生たち、また建築業界、IT業界、金融業界、サービス業界に勤務する社会人など多岐にわたるが、多くの人が「まるで実家に住んでいるような安心感をおぼえる」という感想を残している。これもまたドーミーインに宿泊しているときに感じる「このまま連泊したい」とか「いっそのこと住んでしまいたい」という思いに相通ずるものがある。 寮がルーツ、という異色のバックボーンは、新しいホテルの価値観を生み出す大きな理由のひとつになっていた』、「多くの人が「まるで実家に住んでいるような安心感をおぼえる」という感想を残している。これもまたドーミーインに宿泊しているときに感じる「このまま連泊したい」とか「いっそのこと住んでしまいたい」という思いに相通ずるものがある」、「寮がルーツ、という異色のバックボーンは、新しいホテルの価値観を生み出す大きな理由のひとつになっていた」、なるほど。
・『夜鳴きそばの提供に込められたドーミーインの思い  ドーミーインならではのサービスとして定着している夜鳴きそば。夜遅めの時間帯に宿泊者に無料で振る舞われる温かいラーメンは、心と体に染みる味わいである。 「これは創業者のこだわりから生まれたサービスです。今やさまざまなお客さまにご利用いただくようになったドーミーインですが、もともとは出張するビジネスマンのためのホテルでした。仕事を終えてホテルに戻っても、部屋にこもったままおひとりで過ごすのが以前のパターンでした。そこで簡単なお夜食を提供することで、『部屋を出て、スタッフやそこに居合わせた人々と、ほんのひと時でも会話を楽しむきっかけになるのでは?』と私たちは考えたのです。 つまり、食事そのものというより、人と人とのふれあいの『場』の提供です。その夜食という提供シーンに合うメニューとして考えられたのが、万人に受け入れられるラーメン、すなわち『夜鳴きそば』でした。ドーミーインの夜鳴きそばの提供の裏には、そんな思いがあったのです」) 「味にもこだわりがありまして、ずっと変わらないと思われている方もいらっしゃるかもしれませんが、日々、よりよいものになるよう考えています。極端な話をすれば『本当にしょうゆ味でいいのか?』という論議もよくしています。昔からご利用している方ならおわかりになると思うんですが、過去にはチャーシューが乗っていたこともありますし、夜鳴きそばと一緒にまぜごはんを提供していたこともあったんですよ。 ただ、本来は夜遅い時間に召し上がっていただくもので、あくまでも小腹が空いてしまった方のためのサービスです。これにも理由があって、当社ではリゾートホテルも運営しており、レストランで夕食を提供するのですが、早めに夕食を済ませてしまった方はどうしても深夜に小腹が空きますし、街中にあるホテルと違って、近くに飲食店があるわけでもないので、じゃあ、レストランの厨房を使って夜鳴きそばを提供しましょう、ということになったんです。 つまり、夜食ですから、翌日に響かないように、麺は半玉、スープはあっさり、具材のほうもメンマ、のり、ネギといったものに変えていきました。ただ、ひとつひとつの具材、それこそ麺からこだわって開発していますし、全体のバランスもしっかりと考えたうえで提供させていただいているのが現在の夜鳴きそばです。そして現在、夜鳴きそばは、ビジネスマンだけではなく、小さなお子様連れのご家族から海外のお客さままで、文字どおり万人に愛されるドーミーインの名物へと進化しました」』、「食事そのものというより、人と人とのふれあいの『場』の提供です。その夜食という提供シーンに合うメニューとして考えられたのが、万人に受け入れられるラーメン、すなわち『夜鳴きそば』でした」、一人で食べる夜食と誤解していたが、提供してくれる場所に食べに行くとは確かに気分転換にもなり、いいことだ。
・『「大盛りを推奨していない」理由  ひとつ気になったのは、中には「大盛りでお願いします」と注文するお客さんがいて、スタッフも即座に対応していたこと。どこにも「大盛りOK」という文言はないのだが、これは裏技なのだろうか?  「もちろん、そういった注文にも対応させていただいていますが、そうした表記がないのは、私共としましては大盛りを推奨していないから、という理由になります。先ほど、お話ししましたように全体のバランスを考えた上での盛り付けとなっているので、大盛りにするとそのバランスが崩れてしまうんですね。だから推奨できません、ということで、どうしてもお腹が空いて、もっと食べたいという方は、大盛りではなく、ぜひ『おかわり』をしていただければ、と思います。 実はリゾートホテルでは別の味の夜鳴きそばも提供しています。いずれ、それがドーミーインに登場することもあるかもしれません。フロントで配っていたカップラーメンの『ご麺なさい』は現在、提供をストップしていますが、代わりにお部屋へのテイクアウト対応をさせていただいております。もっともサービス自体を廃止したわけではなく、すでに次の準備をしています!どうぞお楽しみに」 コロナ禍で利用者が増えたという夜鳴きそばのサービス。全国どこに行っても変わらぬ味の裏では、これだけのこだわりとさらなる進化のための研鑽が続けられていた。これがあったかさの秘密、である』、「コロナ禍で利用者が増えたという夜鳴きそばのサービス。全国どこに行っても変わらぬ味の裏では、これだけのこだわりとさらなる進化のための研鑽が続けられていた。これがあったかさの秘密、である」、ユニークでいい「サービス」だ。現役を引退して、もう出張はなくなったが、あれば是非利用してみたい。 
タグ:(その5)(【独自】アパホテルがコロナ宿泊療養者の食事代“中抜き”認める 苦情が相次ぎ行政指導も、【独自】大阪府がコロナ宿泊療養施設費でアパホテルに40億円強を支出 他のホテルの2倍以上で「優遇」の声、ドーミーイン「夜鳴きそば」が誕生した意外な経緯 夜の時間帯に宿泊者に無料提供されるラーメン) ホテル 「コロナ禍で利用者が増えたという夜鳴きそばのサービス。全国どこに行っても変わらぬ味の裏では、これだけのこだわりとさらなる進化のための研鑽が続けられていた。これがあったかさの秘密、である」、ユニークでいい「サービス」だ。現役を引退して、もう出張はなくなったが、あれば是非利用してみたい。 「食事そのものというより、人と人とのふれあいの『場』の提供です。その夜食という提供シーンに合うメニューとして考えられたのが、万人に受け入れられるラーメン、すなわち『夜鳴きそば』でした」、一人で食べる夜食と誤解していたが、提供してくれる場所に食べに行くとは確かに気分転換にもなり、いいことだ。 「多くの人が「まるで実家に住んでいるような安心感をおぼえる」という感想を残している。これもまたドーミーインに宿泊しているときに感じる「このまま連泊したい」とか「いっそのこと住んでしまいたい」という思いに相通ずるものがある」、「寮がルーツ、という異色のバックボーンは、新しいホテルの価値観を生み出す大きな理由のひとつになっていた」、なるほど。 夜食が無料でサービスされるとは、嬉しい。 『Have a nice ドーミーイン -「一泊すると住みたくなる」最高のビジネスホテル』 ワニブックスNewsCrunch編集部による「 ドーミーイン「夜鳴きそば」が誕生した意外な経緯 夜の時間帯に宿泊者に無料提供されるラーメン」 東洋経済オンライン 先ずは、「療養ホテル」に関する情報ももっと公開すべきだ。「返金」はその後の課題だ。 「「弁当は毎日100~200食近くが廃棄」、本来、発注数は確実なのに、不味いため食べられずに廃棄」されているとすれば、これも問題だ。 「「アパホテル」は「ゴミ回収・処理費は1袋(50L)で破格の1万円」、「アパは200円前後の上乗せが認められていました。ゴミ回収など他の経費も多少、高くとも黙認されるなど優遇されていたようです」、アパの経営者は安倍前首相のスポンサーで維新の会とも親しいのが、優遇につながっているとすれば、問題だ.。 AERAdot「【独自】大阪府がコロナ宿泊療養施設費でアパホテルに40億円強を支出 他のホテルの2倍以上で「優遇」の声」 「東京都」では「第5波の昨秋まで、同系列のB(23区内)の厨房で一括して弁当を製造。都内の各ホテルに弁当を配送していたという。 「弁当は価格500円前後と思える内容でとても1食1100円には見えませんでした」、「都に苦情が相次ぎ、指導が入りました。第6波では外部の弁当業者に変更された」、「東京都」でも「中抜き」が酷かったようだ。ここまで悪どくやらなくても、ちゃんと儲かるようだ。 「ホテルによっては多少、必要経費を差し引かせていただいている場合もございます。必要経費内容はお弁当の発注業務、届いた弁当の数量・内容のチェック、弁当の設置業務等です。現在は大阪府からの指示を受け、必要経費はいただいておりません」、「アパホテル」の言い分は全く筋が通らない。「中抜き」批判に取ってつけただけのようだ。 AERAdot「【独自】アパホテルがコロナ宿泊療養者の食事代“中抜き”認める 苦情が相次ぎ行政指導も」
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今日は更新を休むので、明日にご期待を!

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株式・為替相場(その15)(円安の加速でも「為替介入」が困難な根本理由 JPモルガン・チェース銀行の佐々木融氏に聞く、ロシア・ルーブルにも負けつつある日本の「円」 「トルコ中銀の独自理論が招くリラ安」に類似も) [金融]

株式・為替相場については、本年3月14日に取上げたばかりだが、急速な円安を踏まえた今日は、(その15)(円安の加速でも「為替介入」が困難な根本理由 JPモルガン・チェース銀行の佐々木融氏に聞く、ロシア・ルーブルにも負けつつある日本の「円」 「トルコ中銀の独自理論が招くリラ安」に類似も)である。

先ずは、3月31日付け東洋経済オンライン「円安の加速でも「為替介入」が困難な根本理由 JPモルガン・チェース銀行の佐々木融氏に聞く」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/578553
・『市場では為替介入観測が高まっているが、「円売り介入」と「円買い介入」の決定的な違いを認識しておく必要がある。 ウクライナ危機以降、「有事の円買い」となるどころか、円安が加速している。この動きはどこまで続くのか。そして、1998年以来の為替介入はあるのか。 為替市場に精通するJPモルガン・チェース銀行 市場調査本部長の佐々木融氏に聞いた(インタビューは3月29日、Qは聞き手の質問、Aは佐々木氏の回答)。 Q:円安がなかなか止まりません。3月28日には日本銀行が10年債の目標金利が0.25%の上限に近づいたことで、指し値オペを行ったところ、1ドル=122円台から125円台まで円安が進みました。この動きをどう見ますか。 A:基本的に実需による動きで、輸入企業の円売りとか、ポートフォリオ運用における円売りだ。円安が日本市場の時間帯に進んでいること、IMM(シカゴ・マーカンタイル取引所の先物取引)市場の円売りポジションはそれほど積み上がっていないことから実需の動きだと思う。 もちろんドル円相場と日米金利差との相関はある。だが、日本の10年金利が上がっても、日米金利差に与える影響は小さいので、日銀の「指し値オペ」はさらなる円売りの口実になっただけだと思う。 Q:今、123円に戻っています。いったん止まるのでしょうか。 A:円は実質実効レートで見ると1972年以来50年ぶりの安値。購買力平価からの乖離でみて、ドル円が最も割高だったのは1982年ごろだが、現在も同じ程度の乖離になってきているので、いったんの節目だと思う。 ただ、前述のように実需の動きなので、ここから先、投機が乗ってくるともっと円安が進む可能性があり、不気味だ。いずれにしても今の円安はよくない』、「円の実質実効レート」は、次のリンクのように、確かに「50年ぶりの安値」だ。
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUB208IY0Q2A120C2000000/#:~:text=%E5%AE%9F%E8%B3%AA%E5%AE%9F%E5%8A%B9%E7%82%BA%E6%9B%BF%E3%83%AC%E3%83%BC%E3%83%88%E3%81%AF,%E5%8D%8A%E5%88%86%E4%BB%A5%E4%B8%8B%E3%81%AB%E4%BD%8E%E4%B8%8B%E3%81%97%E3%81%9F%E3%80%82
・『今は泣きっ面に蜂の状態  Q:2010年代には「リスクオフの円高」とよく言われて、悪いイベントがあると、日本のプレーヤーが手元に円を確保するために海外投資を円に戻してくると言われました。しかし、最近はそうなっていません。これはキャピタルフライト(資本逃避)といえるのでしょうか。 A:2013年ごろから日本企業による海外直接投資が急増している。企業によるキャピタルフライトが続いて、どんどん外へ出ているということの影響が出ているといえる。 (佐々木氏の略歴はリンク先参照) そもそも海外へ直接投資をするときに円売り外貨買いを行うし、現地生産で得た収益をまた現地で再投資する。だから、これだけ円安になっても輸出が増えていかないし、日本に資金は戻ってこない。日本企業によるキャピタルフライトが円安につながっている。 日本は資源もないし、食糧自給率も低いので、通貨を弱くしてはいけなかったのではないか。強い製造業をもっと強くするには円安が必要だという戦略できたが、その強い製造業は外へ出て行ってしまった。一方、消費者は国内で海外からの輸入に頼らざるを得ないので、今や貿易赤字と円安で泣きっ面に蜂の状態だ。 それで貿易赤字が拡大すると、ますますドルでの支払いが大きくなるので、ドル高円安が進む。円安と貿易赤字のスパイラルが起きてしまう。) Q:日本銀行の黒田東彦総裁をはじめ、「円安は日本経済にとってプラス」という人もまだ多いですね。 A:確かに、日本は今でも世界最大の対外純債権国。また、その対外債権から得られる収益によって所得収支は大幅な黒字なので、貿易収支が赤字になっても経常収支は大幅な黒字を維持している。だから円安がプラスになるというのは確かにそうだが、それはストックの話であり、計算上の話だ。対外資産を多く保有する日本企業と投資家の一部のストック上の評価益は増えるということ。 問題は、日本企業がその円安から得られた収益増加分をすべて売却して円に換えて日本で働く従業員に配布するのかといえば、そんなことはないだろう。ストックでいくら含み益が増えても、フローでそれを日本に戻さなければ、圧倒的多数の日本の家計や輸入企業にとっては、(対外債権から収益を得る)メリットより輸入物価が上昇することのデメリットのほうが大きい。 このまま円安を放置すると、日本の多くの家計はダメージを受けることになる。すでに円の購買力が著しく低下していることによって、円で給与をもらっている日本国民の窮乏化が進む』、「日本は資源もないし、食糧自給率も低いので、通貨を弱くしてはいけなかったのではないか。強い製造業をもっと強くするには円安が必要だという戦略できたが、その強い製造業は外へ出て行ってしまった」、「円安政策」は完全に誤っていた。「対外資産を多く保有する日本企業と投資家の一部のストック上の評価益は増える」が、「ストックでいくら含み益が増えても、フローでそれを日本に戻さなければ、圧倒的多数の日本の家計や輸入企業にとっては、・・・メリットより輸入物価が上昇することのデメリットのほうが大きい」、「このまま円安を放置すると、日本の多くの家計はダメージを受けることになる」。
・『インフレの世界へ移行している  Q:では、ロシア・ウクライナ間で停戦協議が成立するなど、資源価格の高騰が止まることに期待するしかないのでしょうか? A:目先はそうでしょう。ただし、ウクライナ危機よりも前から、環境規制・脱炭素、保護主義などの影響で、資源価格は上昇し、インフレ圧力は強まっていた。経済原理よりもイデオロギーで動く世界に変わったことが大きい。そうなると、効率性が失われていく。長期的にデフレ・ディスインフレの世界からインフレの世界に移行している。 Q:では、政策的に円安を止めるにはどうすればいいでしょうか。 A:メディアは日本銀行の政策を問題にし、総裁の黒田さんに質問することが多いが、為替は日銀の管轄ではない。政府の管轄だ。 日銀は2%の物価目標を実現するために、長期金利を0.25%以下に抑えると約束したので、そうしているだけだ。黒田さんにしてみれば、かつては円高を責められ、今回は円安について責められているが、日銀は為替のために政策を決めているわけではないと言い続けている。政府が態度をハッキリさせる必要がある。 Q:昨日(3月29日)、神田財務官が来日していたアメリカの財務次官(代行)との会談後、「為替の問題に関し、日米の通貨当局で緊密に意思疎通を図っていくことを確認した」とコメントしました。為替介入の可能性はあるのでしょうか。円売り介入は2011年、円買い介入は1998年を最後にやっていませんが。 A:介入はないと思う。この程度ではできないでしょう。 そもそも、アメリカの為替操作に関する見方がシビアになっていて、為替操作はしにくい環境になっている。もうひとつの大きな理由は、「円売り介入」と「円買い介入」は決定的に違うということ。 円売りは円を発行すればよいが、円買いは外貨準備を使う。外貨準備からドルを売って円を買うと、円安が止まらなかったときに市場から攻撃を受ける。例えば、外貨準備が半分になったけど止まらないよね、といったことになると、そのあたりから市場が「円売り攻撃」を開始するでしょう。過去の通貨危機は基本的に自国通貨が弱くなったときに、外貨準備を使って防戦しようとして失敗したから起きている』、「過去の通貨危機は基本的に自国通貨が弱くなったときに、外貨準備を使って防戦しようとして失敗したから起きている」、「円買い介入」を持続的にやるのは事実上困難だ。
・『「止まるなら買うことないでしょ」  また、円高のときの円売りは協調介入を他国に頼みやすい。「持っている円が高くなってよかったですね、そろそろ売って利益を取ってくださいよ」と言える。 しかし、円がどんどん下がっているときに「お願いですから円を買ってください」と下手に出た時点で(ほかの国は)どこもついてこない。暴落を恐れていることが誰の目にも明らかだからだ。「125円で止まると思うから、買ってくださいよ」と言ったら、「(円安が)止まるなら買うことないでしょ」と言われてしまう。 Q:そうすると、政府ができることは? A:政府として「これ以上の円安は望ましくない。日本経済にはフローでみてよくないことだと、何らかの対応を考える」という姿勢を示す。そして、本当は日本の経済構造を変えるような政策を打ち出さないといけない。日本に投資をしてもらう、国内に戻ってもらうようなインセンティブを考えないと根本的な変化は起きない。 資源のない国が資源と交換するための自国通貨を弱くするような政策を続けた結果、強い製造業まで出て行ってしまった。そして、今資源価格が上昇し、円は極端に購買力を失い始めている。逆回転を起こすような政策を打たなければ、日本はどんどん貧しい国になっていってしまうリスクがある』、筆者は「日銀」出身だけに、「黒田総裁」よりも「政府」に注文をつけている。「逆回転を起こすような政策を打たなければ、日本はどんどん貧しい国になっていってしまうリスクがある」、「日本の経済構造を変えるような政策を打ち出さないといけない。日本に投資をしてもらう、国内に戻ってもらうようなインセンティブを考えないと根本的な変化は起きない」、その通りだ。

次に、4月1日付け東洋経済オンラインが掲載した みずほ銀行 チーフマーケット・エコノミスト の唐鎌 大輔氏による「ロシア・ルーブルにも負けつつある日本の「円」 「トルコ中銀の独自理論が招くリラ安」に類似も」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/578361
・『ドル円相場は一時125円台まで急騰した後、121円台まで反落し、ここもとの急激な動きの揺り戻しが来ている印象である。とはいえ、経常赤字に象徴される需給環境の変化や世界の中央銀行の潮流に反して日本銀行が金利抑制的な政策運営に勤しんでいる事実も踏まえれば、円相場の劣勢は大きく変わらないだろう。 確かに、アメリカ金利のイールドカーブは、最も指標性が高い10年と2年が逆転するという動きが見られてはじめ、アメリカ金利とドルの相互連関的な上昇には終わりが見えてきた感がある。この点で円安の勢いが鈍る可能性はあるだろう。とはいえ、以下に論じるように、足元の円安はドル高の裏返しではなく円の独歩安、つまり日本固有の要因が意識されている印象が強く、アメリカの動きによる反転を期待する従来の発想は危うい』、「足元の円安はドル高の裏返しではなく円の独歩安、つまり日本固有の要因が意識されている印象が強く、アメリカの動きによる反転を期待する従来の発想は危うい」、その通りだ。
・『ロシアのルーブルに負ける円  いかに評価されていないかを理解するには対ロシア・ルーブル相場を見るとよくわかる。周知のとおり、苛烈な経済制裁の結果としてルーブルは大暴落し、ロシア国民はインフレ高進に悩まされている。しかし、対円相場では、一時マイナス50%程度まで下落したものの、一連の円売り相場の結果、2月末の経済制裁実施前の水準をやや上回る程度まで値を戻している。(本記事はグラフと併せてご覧ください。外部配信先ではすべて閲覧できない場合があります。その際は東洋経済オンライン内でご確認ください) ルーブルの価値は対円では、SWIFT遮断や外貨準備凍結などが決断される以前に戻っている一方、対ドル相場も値を戻す傾向にあるものの、制裁前水準に対しマイナス13%程度とまだ下落幅は相応に大きい(以上3月30日午前時点の数字)。円は戦時中で経済制裁を受け、国際金融システムから孤立しつつある通貨にも負けているという現実がある。) 他通貨とも比較してみよう。過去1年間に関し、対ドルでの変化率を見ると、やはり円は主要通貨の中で劣後している。2021年通年でも、2022年初来でも円の下落幅は目立って大きい。もちろん、多くの通貨が対ドルで負けているため、為替市場の潮流としてドル高であることは間違いない。しかし同時に、現下の円安を単に「ドル高の裏返し」と割り切ることには無理がある。ルーブルにすら勝てていない以上、やはり今の円安には日本固有の材料が寄与している』、「ルーブルにすら勝てていない以上、やはり今の円安には日本固有の材料が寄与」、事態は深刻だ。
・『「通貨の信認」毀損の代表格トルコ・リラ  すでに、国会では黒田総裁に「円の信認」の毀損について質す場面が見られているが、「通貨の信認」が毀損しているという事例で真っ先に思い浮かぶのがトルコ・リラである。トルコ・リラといえば、実質的にトルコ中銀(CBT)の政策運営を牛耳るエルドアン大統領が「高金利が高インフレを招く。よって利下げでインフレを抑制できる」という独自の理論を唱え、この思想を中銀に強いていることで知られる。 「高インフレに対し利下げで応戦する」という政策運営は文字どおり火に油を注ぐようなものだが、この独自理論では「通貨を意図的に切り下げることで輸出が焚きつけられ、経常収支が改善、結果的に為替の安定も図られる」ことが想定されているという。常人には理解の難しいロジックである。 周知のとおり、一般的な経済理論からはかけ離れた政策運営は金融市場から支持されず、トルコ・リラは慢性的に下落を重ね、同国の2月消費者物価指数(CPI)は前年比50%を優に超えるなど、独自理論に基づくインフレ抑制策はまったく奏功していない。しかし、この期に及んでも追加利下げの可能性が示唆されるなど、もはや中銀の独立性以前の問題として、いったいどのような理屈で動くのか皆目見当がつかない。) ちなみに名目実効為替相場を例に取って、2010年平均を100としたとき、トルコ・リラの現在の価値は12程度であり、10年余りで通貨価値が9割も失われている。もはや紙幣や硬貨は紙屑や鉄屑と比較されうる次元である。過去1年に限定しても、価値が半減するなど「通貨の信認」が毀損するという点に関し、トルコ・リラは異次元の存在である』、「トルコ・リラ」は「10年余りで通貨価値が9割も失われている」、「過去1年に限定しても、価値が半減するなど「通貨の信認」が毀損するという点に関し、トルコ・リラは異次元の存在である」、「「高インフレに対し利下げで応戦する」という政策運営は文字どおり火に油を注ぐようなものだ」、その結果が「インフレ」のさらなる悪化である。
・『トルコ中銀と日銀の類似性  しかし、トルコ中銀の奇異な政策運営は、理論はともかく結論として、「インフレでも緩和を止めない」という点で、現在の日銀がやっていることと共通している。もちろん、日本がトルコほどのインフレに見舞われているわけではなく、また、利下げという振り切った対応に着手しているわけではないので両中銀の立ち位置にはまだだいぶ距離がある。 とはいえ、すでに慣れ切ってしまっている感もあるが、中銀が長期債市場に介入して金利水準をペッグするという日銀のイールドカーブコントロール(YCC)は世界的にも特異な枠組みである。 通貨安が物価高の背中を押し、実質的な所得環境悪化が懸念される状況でも長期債の無制限購入を通じて金利の低め誘導を図るのだから、当然金融市場は「円売りは日銀のお墨付き」という解釈をするだろう。実際、日銀が指値オペ(0.25%で国債の無制限の買取を行う)を通告した日に、円は125円をつけた。 そうした政策運営は実体経済の改善を図るためには適切な措置だというのが日銀の主張だが、エルドアン大統領も本気で利下げがインフレ抑制に寄与する適切な措置だと信じている。「インフレでも緩和を止めない」という最も本質的かつ例外的な部分で両者は共通しており、その状況が通貨売りの背景にあることは否めない。) もちろん、円安が日本経済にとって苦痛であると思われている今、日銀がうかつに政策変更を行えば、投機的な円売りを焚きつけるトリガーになりかねないだろう。ここで政策を引き締め方向に調整すれば「円売りで催促すれば引き締めが出てくる」と為替市場は考えるはずである。引き締め決定とともにポジションを解消すれば勝算は立ちやすくなる』、「「インフレでも緩和を止めない」という最も本質的かつ例外的な部分で両者(「トルコ」と「日銀」)は共通しており、その状況が通貨売りの背景にあることは否めない」、言われてみればその通りだ。
・『政治が動く「参院選前」にもう一波乱か  このゲームに巻き込まれると足抜けするのが非常に難しくなるので黒田総裁が現行路線を肯定し続けるということも一定の正当性があると筆者は思う。こうした状況下、日銀がにわかに姿勢を修正して、引き締め方向に傾斜するとすれば、やはり政治的なプレッシャーが金融政策に及ぶときなのかもしれない。それが起こるとすれば円安が世論の不満を買っていると判断されたときであろうし、タイミングとしては夏の参院選前が考えられる。円相場にもう一波乱あるとすれば、そのタイミングであろう』、「このゲームに巻き込まれると足抜けするのが非常に難しくなる」、これは異次元緩和のデメリットそのものである。「「参院選前」にもう一波乱か」、結局、リスクを先送りする可能性もありそうだ。
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