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スタートアップ(その7)(「会社辞め 起業したい人」に学んでほしい7大失敗 事業を失敗に導く人の姿勢には共通点がある、ユニコーン不足の日本 なくせるか「起業家に不利な金融契約」、日本経済が世界から遅れる原因作った「真犯人」 なぜこんなにも新興企業が少ないのか) [イノベーション]

スタートアップについては、2020年4月29日に取上げたままだった。久しぶりの今日は、(その7)(「会社辞め 起業したい人」に学んでほしい7大失敗 事業を失敗に導く人の姿勢には共通点がある、ユニコーン不足の日本 なくせるか「起業家に不利な金融契約」、日本経済が世界から遅れる原因作った「真犯人」 なぜこんなにも新興企業が少ないのか)である。なお、タイトルを「ベンチャー」から「スタートアップ」に変更した。

先ずは、昨年5月6日付け東洋経済オンラインが掲載した新規事業家の守屋 実氏による「「会社辞め、起業したい人」に学んでほしい7大失敗 事業を失敗に導く人の姿勢には共通点がある」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/464429
・『コロナ禍で独立や副業を考える人が少なくありません。ただ、「あらかたの起業は失敗する。その中で、粘り強く頑張っていくのには意志が不可欠だ」と語るのが、52の事業をおこしてきた新規事業家の守屋実氏です。『起業は意思が10割』の著者である守屋氏が自らの経験を基に、独立起業の成功例とよくある失敗例を解説します』、「52の事業をおこしてきた」とは興味深そうだ。
・『社会がどんどん変わる中で求められる人材も変わる  人生100年時代の中で何歳まで働くかは、すべての人において大きな課題といえるでしょう。そこで知っておいてほしいことは、日本の企業の平均寿命は30年もたないということです。東京商工リサーチの調査によると、2020年に倒産した企業の平均寿命は23.3年でした。 一般的によく言われている企業の平均寿命30年説をベースに考えると、20代で就職し、30年勤め上げて、50代くらいで会社がなくなるということを意味します。何の準備もしていないでその時点で放り出されることを考えると怖さも感じます。 また、「大企業だから安泰」ということでもありません。先日、長年JRに勤務してきた方が、「50代の私もこのままいけるとは思えない。40代、30代はましてそうだ」と語っていました。コロナ禍となり、大企業の安定はいっそう揺らいでいるといえるのです。 企業が何を考えているかは、自分(社員)ではなく、企業を主語に考えるとわかりやすいです。僕は、「企業の帽子をかぶって考えてみよう」という表現をよく使います。 社会がどんどん変わる中で、事業の転換も求められるようになります。それに合わせて、求められる人材も変わっていきます。この道20年、30年と染まりきった人を変えるよりは、何物にも染まってない20代の若手を採用したほうがてっとり早いと、企業が考えてもおかしくはないでしょう。 高度経済成長期には、年齢とともに役職も給料も上がっていきました。こうした時代は、1社で勤め上げる幸せもあったでしょう。しかし、現在は上の役職が詰まり、10年働いてもその組織で自分が一番下ということがありえます。また、管理職になったものの、部下はいないというケースもありえます。 現在は「昭和96年」ではなく、平成も終わり、令和の時代になっています。環境が大きく変わる中、昭和と同じ働き方を続けるよりは、もっと自分に合った働き方をしたほうが個人にとっても幸せではないでしょうか。 今は、SNSでは簡単に誰とでもつながれますし、隙間時間にリモートで仕事をすることもできます。組織の中にいると、「自分なりの課題意識を持って動く」という習慣がつきにくい。むしろ、そうした行動が抑制される力が働きがちです。 しかし、考えて行動し、従来の仕事の概念から飛び出したほうが、結果的に会社にとっても個人にとってもプラスのことが多いのではないかと僕は考えています』、「2020年に倒産した企業の平均寿命は23.3年」、一般的企業の「平均寿命」はもっと長いと思われる。「考えて行動し、従来の仕事の概念から飛び出したほうが、結果的に会社にとっても個人にとってもプラスのことが多いのではないか」、同感である。
・『重要なのは「会社のプロ」から「仕事のプロ」への展開  これからの時代に重要なことは、「会社のプロ」から「仕事のプロ」に転換することです。「仕事のプロ」とは、1つの仕事を極めて何社からも依頼がくる存在のことです。弁護士や医師などはわかりやすい例でしょう。ちなみに、僕は「起業(新規事業)のプロ」です。「会社のプロ」は1社の名刺で(社内で)たくさんの仕事をしますが、今後は複数の名刺で1つの仕事をすることが求められます。 自分の好きや得意を生かすという視点に立つと、「仕事のプロ」へのヒントが見つかるかもしれません。よく「自分には特別なことは何もない」とおっしゃる方がいますが、「20年間自動車メーカーで働いている」「10年間経理部にいる」といった経歴があれば、十分にその道のプロであるはずです。 「仕事のプロ」のほうが自分を生かすことができ、純粋に楽しいですし、さらに1社でうまくいかなくても複数社と関係性を構築しているという意味でリスクも少ないと思います。 こうした「仕事のプロ」になるために踏まえておいたほうがよいことは、大きく3つあると考えています。 1つ目は、「人は考えたようにはならず、行ったようになる」ということです。起業に向けて勉強することは大切です。しかし、セミナーに行くことや本を読むことをずっと続けていれば、「セミナーに行き本を読む人」になります。「仕事のプロ」になろうと思うのであれば、小さなところから動いてみることです。 副業が許されているならば、どんどんやってみればいい。許されていないのであれば、無報酬でNPOに参画したり、起業した人の手伝いをしてみたりしてもよいでしょう。「行ったように人はなる」ので、自分がやりたいことに直結する動きをすることが重要です。 2つ目は、「特定の領域において想定しうるすべての失敗を経験した人をプロという」ということです。挑戦には失敗がつきものなので、「失敗しないようにしたい」と思っているとプロにはなれません。大事なことは、失敗しても挑戦をやめないことです。失敗をしながらも継続していくことで量稽古を積んでいくと、「初見でも既視感」という域に達することができます。これは、複利の恩恵ともいえるでしょう。 3つ目は、「意志ある先に道は拓ける」ということです。簡単にいうと、「仕事のプロ」になるという意志を持ち続けるということです。) 私は「起業のプロ」ですが、起業が簡単なことだとは思いません。それどころか、あらかたの起業は失敗します。その失敗の中で、粘り強く頑張っていくのには意志が不可欠です。ときどき、「強い意志を持つほどの原体験がありません」という方がいます。 しかし、僕はどんなものでも原体験にはなりうると思うんです。例えば、「顧客からこんなことを言われた」「家族と話していたらこんな話題になった」といったことが事業につながることもある。意志の資源となるものは、意識をすればいくらでも転がっているのです。 実際に、意志を持って会社から独立した方のエピソードをご紹介します。障害のある方に特化したBPO(ビジネスプロセスアウトソーシング)プラットフォーム「NEXT HERO」を運営しているVALT JAPAN(ヴァルトジャパン)の事例です。 2014年に創業したヴァルトジャパンは、データ入力や清掃、部品の検品などの仕事を企業や自治体から受注し、全国の就労継続支援事業所に発注する仕組みを作っています』、「「会社のプロ」から「仕事のプロ」に転換することです。「仕事のプロ」とは、1つの仕事を極めて何社からも依頼がくる存在のことです」、これは「会社」で「仕事」をしている人にはすぐには難しい。
・『精神疾患の患者会で受けた衝撃  代表の小野貴也さんは、もともと製薬会社でMRをしていました。ある時、小野さんは精神疾患の方々の患者会に参加します。そこで、小野さんは衝撃を受けます。多くの方が「仕事の成功体験がなくてつらい」という話をしていたからです。 それまで小野さんは、効果の高い薬を使ってもらうことで、患者の方のQOLを上げられると考えていました。しかし、大事なことは薬を使ってもらうことではなく、仕事における成功体験を積んでもらうことなのではないか、と思うようになったのです。 調べると、病気から復活し再就職しても仕事を軌道に乗せられず、ふたたび病気を繰り返している方が多いことや、就労継続支援事業所の平均月給が1万円台(B型事業所)であるということなどがわかってきました。さらには、少なくない企業が障害者法定雇用率2.3%を達成できず、納付金を支払っている現状も見えてきました。つまり、障害のある方が仕事で充実感を得る場が極端に少ないことがわかったのです。 そこで小野さんはヴァルトジャパンを立ち上げます。「誰かに喜んでもらいたい」「もっと社会に貢献したい」という障害者の方の純粋な気持ちを、「仕事」を通じて叶えたいという意志が起業の根底にはありました。 ヴァルトジャパンは、就労継続支援事業所が自ら営業をしにくいという課題を解決したり、間に入り民間企業の求める発注に安定的に応えられるよう品質管理をしたりといった責任を負いました。これにより、企業と事業所の双方が安心して受発注を行うことができるようになりました。) とはいえ、小野さんの事業は最初から順風満帆にいったわけではありません。初めのうちは全国の就労支援事業所に電話やFAXをして登録を促し、民間企業にも説明を続けました。その中では、無下に断られることも1度や2度ではありませんでした。 また、当初は納品する商品の質にムラがあることもしばしばあり、小野さん自身が手を動かし埋め合わせることもありました。他にも、資金調達の際には銀行やVC(ベンチャーキャピタル)に、「事業としてスケールするイメージが持てない」という理由で断られることが続きました。 しかし創業して7年が経った現在では、ヴァルトジャパンは1000件の事業所が利用し、ワーカーは1万2000人にも及んでいます。 受託案件も1500件を超えました。平均月給も、国は10年間で約1万2000円から約1万6000円まで引き上げるのが精一杯だったのに対し、ヴァルトジャパンは3カ月で約4万5000円にまで向上させることができました。加えて、直近では2億円の調達にも成功したのです』、「ヴァルトジャパン」は「創業して7年が経った現在では・・・1000件の事業所が利用し、ワーカーは1万2000人」、「受託案件も1500件を超えました」、はいいとしても、「平均月給」は低過ぎる印象だ。
・『意思ある先に道が拓けることを実感  僕は小野さんの奮闘を横でサポートしていて、意志ある先に道が拓けるということを改めて痛感したのでした。 独立起業の成功例としてヴァルトジャパンをお伝えしましたが、続いて、よくある失敗例を紹介しましょう。僕は、事業を失敗に導く姿勢やマインドを、「7つの大罪」と呼んでいます。 【事業を失敗へ導く7つの大罪】 第1の大罪 意志なき起業→意志がなければ、挑戦もできず、たくさんの失敗を乗り越えることもできない。 第2の大罪 経験なき理屈→自分で経験せずに手軽に理屈で学ぼうとすると、つまずく。大事なのは行動し、体験から学ぶこと。 第3の大罪 顧客なき事業→顧客に価値を生む視点がなければ、モノあふれの時代ではうまくいかない。 第4の大罪 熱狂なき業務→「目の前の業務をこなす」という感覚では、顧客に熱は届かない。 第5の大罪 挑戦なき失敗→挑戦して失敗するどころか、挑戦もしないケースが多い。100%安全な起業や新規事業はありえない。 第6の大罪 利他なき利己→自分を守ろうとする保身やことなかれ主義からは、新たな価値は生まれない。起業で必要なのは利他の視点。 第7の大罪 自問なき他答→大切なのは誰かに答えをもらうことではない。重要なのは、他人の答えに頼らずに、自ら問い、考え、行動をすること。  中でも、最も多い失敗は、「挑戦なき失敗」ではないかと思います。例えば、ヴァルトジャパンの小野さんの成功の陰には、無数の挑戦なき失敗者がいます。多くの人が「こんなサービスあったらいいのにな」「この状況、なんとかならないかな」と感じますが、自分で解決しようと行動を起こす人は1%もいないのではないかと思います。 さらに、ほとんどの人が度重なる苦戦に「やっぱり難しいな」と諦めてしまい、小野さんのように失敗しながらも7年間頑張り続ける人はやはり1%ほど。「1%×1%」、つまり計算上では1万分の1の確率になる、ということです。まさに「挑戦なき失敗」です。この事例から、挑戦の継続が重要であることがおわかりいただけたのではないでしょうか』、「挑戦の継続が重要」、その通りだ。
・『顧客が何を求めているかを知ることが大事  また、さまざまな方から事業計画の説明を受けている中で「顧客なき事業」の失敗も散見されます。モノ不足の時代には、大量に色々なものを提供すれば顧客がつきました。 しかし今は、商品・サービスが腐る程ある時代です。「ただ作れば売れる」という時代ではありません。こうした社会で大事なことは、顧客が何を求めているかを知ることです。それは、ネットで情報を集めたり企画書を綿密に書いたりするだけでは不十分です。 大事なのは、顧客のところに何度話を聞きにいったかであり、実際に何度価値提供を試みることができたかです。顧客の役に立たないことがわかったら、ピボット(方向転換)することも視野に入れなければいけません。 これからもっと起業する人は増えていくでしょう。その際には、ぜひこの「7つの大罪」を踏まえて歩み出してください。コロナ禍で多くの課題が顕在化した今こそ、多くの起業が求められています。とはいえ、すぐに大きなリスクを背負って独立しろとはいいません。 まずは、「仕事のプロ」となるべく、意志を持って、自身をどう社会に生かしていくかを考えていってはいかがでしょうか』、「まずは、「仕事のプロ」となるべく、意志を持って、自身をどう社会に生かしていくかを考えていってはいかがでしょうか」、同感である。

次に、4月25日付け日経ビジネスオンライン「ユニコーン不足の日本、なくせるか「起業家に不利な金融契約」」を紹介しよう。
https://business.nikkei.com/atcl/seminar/19/00030/042200360/
・『経済産業省はこのほど「スタートアップの成長に向けたファイナンスに関するガイダンス」を公表した。新興企業への国内投資額は2021年に7801億円と、過去5年で3.1倍に拡大。年間1兆円の大台が視野に入ってきたが、米国の42兆円、中国の13兆円と比べてまだ小規模だ。日本企業の新陳代謝が遅れ、国際競争に負けるという危機感がある。 経産省のガイダンスではスタートアップ企業が資金調達の際に投資家へ説明すべき事項、適正に企業価値を算定できない場合の影響、ベンチャーキャピタル(VC)や経営者の持ち分比率についての考え方など、創業前からのステージごとに注意点を列挙した。3月に公正取引委員会と示した指針と併せ、円滑なマネー供給を促す狙いだ。 未上場で企業価値が10億ドルを超える「ユニコーン」は米国で520社、中国で167社なのに対し、日本は6社しかない(それぞれ2月時点の集計)。電子決済やデータ活用などIT(情報技術)系で米中やインドのユニコーンが拡大した一方、日本は国際的に活躍する新興企業が限られている。 (図:主要国のユニコーン企業) 2022年2月時点 (出所:経団連資料から作成) 経産省の動きに合わせて経団連は3月、2027年までに日本のスタートアップ企業数を現在の10倍の約10万社、スタートアップへの年間投資額は約10倍の10兆円規模にする目標を掲げた。この達成へと突破すべき壁として、経産省と同様にファイナンス問題に目を向けている。運転資金や設備投資が必要なのは言うまでもないが、出資者による経営への関わり方が成長を大きく左右するためだ。「日本の若者は保守的」と決めつけるのでなく、そもそも日本だと萎縮しやすい制度になっていないか今こそ検証と改革が求められる。(図:年間1兆円の大台が視野に) 国内スタートアップへの投資額 (出所:ユーザベース,「2021年 Japan Startup Finance」) 経団連の副会長であるディー・エヌ・エーの南場智子会長は「日本の企業価値トップ10社を見ると、創業時にVCが支援してからこの規模に成長したケースが1件も入っていない」と、記者会見で嘆いた。世界だと企業価値トップ10社のうち、米アップルやマイクロソフトを含む8社は上場前にVCが支援していた。「日本のVCも頑張ってゼロからここまで成長してきたが、『もっと大きな成功を収めよう』と誘っていけるキャピタリストはどれほどいるのか」(南場氏)』、「未上場で企業価値が10億ドルを超える「ユニコーン」は米国で520社、中国で167社なのに対し、日本は6社しかない」、確かに致命的な格差だ。
・起業家の金融リスク  多くの新興企業はブランド力や豊富な独自資金などがない状態で立ち上がるので、どうしても金融機関のほうが「優越的な地位」にはなりがちだ。経産省の指針では投資契約を結ぶとき、起業家にとって「不利な条項が少ない形で締結することが重要」と指摘した。そもそも不利なことが複数あるという前提なのだが、できるだけ抑制することを目指している。特に、起業家が個人として抱えるリスクの大きさが課題という。 例えば、ミドリムシからバイオ燃料や健康食品を作っているユーグレナ。出雲充社長に創業時の話を聞くと「オフィスに置くコピー機のリースでさえ、私の個人保証だった」と振り返る。ただ、こうしたリース債務や借入金のような明らかな負債だけが責任の対象となるのではない。出雲氏は「エクイティファイナンス(株式発行による資金調達)も、日本のスタートアップ資金調達だと真のエクイティとは言えない」と苦言を呈する。 業績が悪くなったりVCにとって不都合が生じたりした場合、スタートアップ側が株式を買い戻すように求められるからだ。創業から間もない会社は、最悪の場合に売却して現金化できる設備が少なく、累積赤字が拡大している場合もある。実質的に起業家の個人保証となっており、第三者割当増資や株主割当増資であっても、エクイティのはずがデットファイナンス(借り入れ)に近い性格といえる。 公正取引委員会と経産省はこれを問題視している。経営状態が良好でも、出資者が「起業家への買い取り請求権」をちらつかせて搾取することもあるという。例えばある企業は出資者と定めた計画どおりに事業を進めていたが、知的財産権を出資者に無償譲渡するよう求められた。これに応じなければ、出資者から企業側が株式を買い戻すよう迫られる状況だったため、やむなく知財を譲渡した。ここまでくると独占禁止法上の「優越的地位の濫用(らんよう)」に当たるおそれがあるというが、他にも不透明な理由で買い取り請求権が行使される例は散見されるという。 VCなどからスタートアップが出資を受けるとき「もし将来の契約違反があれば、その時に損害賠償請求すれば十分ではないか」と交渉することもできる。ただ、何らかの経営判断と業績の因果関係を立証し、損害額を算定するのは手間がかかる。このためVCが手っ取り早く起業家の行動をコントロールする手段として、買い取り請求権を設定しておくことが多いという。創業期の企業だと法務チームがなく、「弁護士等の専門家に相談する余裕もない状況で契約する」(経団連の分析)という状況も課題だ。 スタートアップでは起業家が過半の株式を保有した状態で、取締役会で大きな影響を及ぼすことも多い。ただ、起業家とその会社を一体とみなして連帯責任を求める出資契約の条項については、「グローバルな観点からはあまり例が無い」(公取委と経産省の指針)。過度に責任を求めると起業を増やせないため、VCなどによる買い取り請求権の対象は会社そのものに限定し、経営者個人には設定しないよう求めている』、「VCなどからスタートアップが出資を受けるとき「もし将来の契約違反があれば、その時に損害賠償請求すれば十分ではないか」と交渉することもできる。ただ、何らかの経営判断と業績の因果関係を立証し、損害額を算定するのは手間がかかる。このためVCが手っ取り早く起業家の行動をコントロールする手段として、買い取り請求権を設定しておくことが多いという」、株式なのに「買い取り請求権を設定」する理由が理解できた。
・『大企業も課題  複数の政府関係者は「既存の大企業も、スタートアップ育成に向けた課題が多い」と語る。実は産業界に対し、新興企業への支援策をさらに具体的に打ち出すよう求める声も政府内にあった。ただ、積極的にリスクを取ることに慎重な大企業も多い。なかなか一枚岩にはできなかったという。 ここ数年、大企業がスタートアップに投資する社内組織としてコーポレート・ベンチャーキャピタル(CVC)を活用する例も増えてきた。しかし、1件あたりの投資額はまだ限定的で、買い取り請求権についても起業家にとって不利なケースがあるという。経産省は「CVCが急速に増加する中でスタートアップの成長について理解が不足したまま、自社の優位性を確保する商慣行が生じていたりする」と指摘する。 そもそも事業会社は金融機関ではないので、他社に大規模に出資してハンズオンで関わっていくような専門人材は多くない。南場氏は「大企業がマイノリティー出資をするというより、事業会社として自社内に取り込むM&A(合併・買収)を積極化して、スタートアップのエコシステムに貢献してほしい」と提言する。 日本のVCにとってイグジットの選択肢が少ないことは、前々から課題として指摘されてきた。大企業への株式譲渡が盛んではないため、国際的には小粒の状態でも投資先を新規上場(IPO)させて利益を確定する。起業家もVCも「世界的な大勝ち」を狙いにくく、出資時にせせこましい契約条件を付ける背景にもなっている。スタートアップへのくびきを少なくしつつ資金を循環させるには、大企業の取り組みも欠かせない』、「事業会社として自社内に取り込むM&A・・・を積極化」してゆけば、確かに「スタートアップ」への「資金を循環」が円滑化する可能性がある。

第三に、5月26日付け東洋経済オンラインが掲載した東洋経済 特約記者(在ニューヨーク)のリチャード・カッツ氏による「日本経済が世界から遅れる原因作った「真犯人」 なぜこんなにも新興企業が少ないのか」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/591483
・『世界の「SONY」や「HONDA」を生んだ時代のように、日本を再びスタートアップの国にするという目標は、岸田文雄首相が5月5日に行われたロンドンでの講演で発表した4つの目標のうちの1つであった。 「ですから、日本に再び創業ブームを起こすことが、私の切なる願いです」。賞賛に値する目標である。しかし、歴代の首相も高い目標を掲げてはきたが、残念ながら実現に必要な施策を打つことはできなかった。岸田首相はそうならないことを期待したいが……』、興味深そうだ。
・『スタートアップが必要なワケ  より多くのスタートアップを生み出すための提案について論じる前に、なぜスタートアップが重要なのか、そしてなぜ日本は遅れを取っているのかを確認したい。 「スタートアップ」や「アントレプレナー」という言葉を聞くと、ベンチャーキャピタル(VC)の資金を投入されたシリコンバレーにあるハイテク企業を思い浮かべる人が多いだろう。しかし、シリコンバレーにあるハイテク企業の数はわずか2000社である。 一方、OECDの統計によると、アメリカには毎年5万社以上の高成長企業(従業員10人以上で、3年連続で年率20%以上の成長を遂げた企業)が存在する。韓国は1万6000社、イギリスは1万3000社、フランスは1万社である。このうちハイテク企業はごく一部で、VC資金を得ている企業は極めて少ない。日本ではこのような企業の数を測定していないため、日本のスタートアップ政策は盲目的に行われている。 国民の生活水準を向上させるためには、成長性の高い中小企業を継続的に創出していくことが不可欠だ。1980年代から1990年代にかけてのアメリカでは、設立5年未満の企業の参入と、効率の悪い老舗企業の閉鎖によって、就業者当たりの製造業生産高の成長率60%という驚くべき結果がもたらされた。 一方、1980年以降、アメリカの新興企業の起業数が鈍化したときに何が起きたかを考えてみていただきたい。2015年までに、就業者1人当たりの生産高は1980年の起業数であったときと比較して3%低くなり、平均家計所得は1600ドル低下した。長年にわたる所得喪失の総額は何倍にも膨らんだ』、「日本では」「高成長企業(従業員10人以上で、3年連続で年率20%以上の成長を遂げた企業)」「のような企業の数を測定していないため、日本のスタートアップ政策は盲目的に行われている」、政策的に重要になったにも拘らず、統計が存在しないとはお粗末極まる。恐らく、官庁間の利権争いが背景にあるのだろう。
・『設立後最初の10年間の成長が低調  残念ながら、日本では高成長している中小企業の数があまりにも少ない。それが、実質世帯所得(価格調整済み)が1995年以降低迷を続けている理由の1つである。日本には数多くの中小企業があるのは確かだが、創立後最初の10年間の成長はOECD諸国の中で最も低調で、老舗中小企業の数がOECD諸国の中で最も多い。 おそらく最大のハードルは、意欲的な若い企業が事業拡大に必要な融資を受けられないことだろう。また、岸田首相が挙げた技術や人的資本という2つの問題も、中小企業の成長を妨げている。 しかし残念ながら、岸田首相もスタートアップを語るとき、VC出資企業の魅力に魅了されすぎているようだ。例えば、岸田首相のプランを推進するため自民党内に結成されたスタートアップ議連は、2027年までにVC投資額を10倍の10兆円(770億ドル)にすることを目標としている。このようなVC投資は魅力的だが、VCから投資を受けた企業だけが注目されるべきではない。 3月には経団連がほぼ同じ内容の提言を出しているが、その内容はシリコンバレー型ベンチャーに終始している。しかもスタートアップ議連の提言では、スタートアップの企業数を10倍に増やすとしている。 しかしこれでは、1社当たりの投資額は現状と変わらず、諸外国と比較してかなり少額になってしまう。そのため、スタートアップ議連の中心人物である平井卓也・前デジタル化担当相がPensions & Investmentsに対して語った、日本は「エンジェル」投資家に対する減税措置も必要であるとの発言は心強い。 エンジェル投資家とは、ベンチャー・キャピタルの資金を必要としない、あるいは資金を得られない革新的な企業に「種銭」を出資する投資家である。平井氏は、具体的なことは何も語らなかった。関係者によると、平井氏のさまざまな提案は、少なくとも部分的には、岸田首相のプログラム作成に携わった政府関係者との議論を反映している可能性が高いという』、「日本は「エンジェル」投資家に対する減税措置も必要であるとの発言は心強い」、しかし財務省が抵抗している筈だ。
・『「華やか」なことが重要なわけではない  岸田首相は、技術に関しても華やかさを追い求めている可能性がある。首相は5つの分野における「国家戦略」を提案したが、その1つ目として挙げられたのが人工知能(AI)だ。これは、超伝導技術やナノテクノロジーを成長の特効薬と考えた過去の戦略と似ている。日本企業は既存の技術すらうまく使いこなせていないのだから、この優先順位は見当違いのように思える。 国の成長を最も後押しするのは、デジタル機器を製造する少数の企業ではない。たとえデジタル技術やソフトウェアが輸入品であったとしても、デジタルを活用して自社を向上させることができる他多数の企業である。 新興企業は老舗企業よりも、新技術を活用して経済全体の成長を促進する手段を開発する可能性が高い。例えば、ネット印刷を手がけるラクスルはネットを利用した宅配便のオークションシステムを構築した。 これによって、配達員の1キロ走行あたりの配達荷物数を大幅に増やすことができた。配達員の収入アップと顧客のコストダウンを達成しただけではなく、地球温暖化防止にも貢献している。このような企業が何万社も生まれたとき、日本は復活を果たすだろう。 日本と諸外国、そして日本の大企業と中小企業の間に存在するデジタル・デバイドは、もはや深い溝と化している。IMD(国際経営開発研究所)は、日本のデジタル競争力を64カ国中62位と評価した。 日本の高校生は数学、科学、共同問題解決能力において80カ国中トップクラスに位置する一方で、デジタルに関する教師の知識、デジタルを教える能力、そして教師を支援するリソースにおいては最下位に位置していることが、この低い順位の1つの要因だ』、「IMD・・・は、日本のデジタル競争力を64カ国中62位と評価」、「日本の高校生は数学、科学、共同問題解決能力において80カ国中トップクラスに位置する一方で、デジタルに関する教師の知識、デジタルを教える能力、そして教師を支援するリソースにおいては最下位に位置していることが、この低い順位の1つの要因だ」、主に「教育面」の立ち遅れが主因とは情けない限りだ。
・『デジタルスキルの教育がない残念さ  政府の教育アドバイザーである鈴木寛氏は、アメリカに拠点を置くジャパン・ズーミナーにおいて、この低迷の理由はデジタルスキルが大学入試に含まれていないことであると説明した。このため、学校の教師はデジタルスキルを教える必要がないと考えているのだ。 2025年からは情報が入試科目に加わるが、教師に対しては誰が教えるのだろうか。岸田首相が 「人的資本への投資は成長戦略の中核」と言うのであれば、このような問題を優先して解決すべきだ。 政治家になる前は銀行員だった岸田首相は、日本の銀行がいかに若い企業、特に女性創業者に対する融資に抵抗を持っているかを理解している。しかも銀行が融資を行う場合、信用スコアの低い創業後50年の企業より、創業後10年の健全な企業に対して高い金利を課す。これは、「ゾンビ」企業を生かし続けようとする政治的圧力が生んだ結果である。 このような状況を政治的に是正するのは難しいが、ここで提案する措置は、政治的・予算的なコストを抑えながら高い経済的利益を得られるというアドバンテージがある。もし岸田首相がこれらの措置を講じられないのであれば、再分配と成長を両立させる「新しい資本主義」の達成に向けた、より難しい解決策に望みはあるのだろうか。) 新興企業は、顧客探しに苦労している。平井氏が指摘するように、GDPの16%を財やサービスの購入に充てている国・地方自治体に対して売り込みができれば新興企業は助かるだろう。 日本では長い間、政府調達において中小企業を優遇するための「別予算」を用意していたが、そのほとんどが老舗企業に割り当てられていた。政府はようやく2015年、創業10年未満の中小企業に対する「別予算」を設けた。 しかし、その額はごくわずかだ。2021年の調達額は770億円にすぎず、国の調達額全体の0.8%と微々たる割合である。もし、政府が新興企業からの調達を拡大すれば、振興企業の収益が増えるだけでなく、銀行融資を受けやすくなり、民間企業に対する売り上げも拡大するだろう』、「銀行が融資を行う場合、信用スコアの低い創業後50年の企業より、創業後10年の健全な企業に対して高い金利を課す。これは、「ゾンビ」企業を生かし続けようとする政治的圧力が生んだ結果である」、これは根拠のない誤解に過ぎない。「創業10年未満の中小企業に対する「別予算」・・・その額はごくわずかだ。2021年の調達額は770億円にすぎず、国の調達額全体の0.8%と微々たる割合」、これを引き上げれば、大企業の既得権を奪うことにはなるが、やむを得ないだろう。
・『エンジェル投資家に対する減税措置  エンジェル投資家に対する減税措置は、高成長の新興企業を大きく後押しすることになる。エンジェル投資家の多くは元起業家で、新興企業に対する資金提供だけではなく指導も行う。2019年、アメリカのエンジェル投資家は6万4000社に対して1社あたり平均37万6000ドルの合計240億ドルを投資した。これはVCから資金を得たスーパースター企業の20倍にあたる。 諸外国では、巧みに設計された税制優遇措置がエンジェル投資ブームを生み出してきた。しかし、税制優遇措置が微々たるものである日本では、ブームは起きなかった。現在、投資対象企業が設立3年未満の場合、所得金額から控除されるのは年間最大でたったの800万円である。その他、設立3年から10年未満の企業に対する投資に対しては、株式等譲渡益からの控除を受けることができる。 アメリカでは、投資先1社につき40万ドルが控除の上限となっている。経済産業省は何年もこの上限を引き上げようと試みているが、財務省がこれを拒否してきた。エンジェル投資家の出資により起業が増えれば税収も増加するのだから、この考えは近視眼的と言える。岸田首相は、財務省の抵抗に打ち勝つ必要がある。 あらゆる富裕国は研究開発に対して補助金を支出しているが、日本では従業員250人未満の企業に対する補助金の割合は全体の8%にすぎない。これはOECD加盟国の中で最も低い。日本における補助はすべて税額控除で行われているため、税額控除はすでに利益を得ている企業しか利用できないというのがこの理由だ。 スタートアップ企業が利益を得るには数年を要する。諸外国ではこのジレンマを解決するために、「繰越」制度を導入している。つまり、税額控除を受けたがまだ利益を出していない企業は、数年後に利益が出た時にその控除を使うことができるのである。 イギリスでは、この繰越期間は無期限とされており、アメリカとカナダでは、繰越期間は20年間と定められている。日本では、安倍政権下で廃止されるまでは、1年間しか使えなかった。この点でも同様に、岸田首相が財務省に打ち勝つことが前進の条件となる』、財務大臣を経験した「岸田首相」がその気になれば、財務省の抵抗に「打ち勝つ」ことも可能な筈だ。
・『二重課税されない仕組みが必要  合同会社という企業形態が生まれたことで、多くの国で起業が盛んに行われるようになった。1988年にアメリカでLLC(リミテッド・ライアビリティー・カンパニー)が認可されると、高成長を遂げる革新的な企業が続々と誕生した。 LLCの強みは、「二重課税」を回避できることだ。従来の株式会社では、まず企業の利益に対して税金を課され、次に利益分配の段階でオーナー・株主個人に対して税金を課される。 LLCの場合、利益に対して一度だけ課税されるため、外部からの出資をより多く呼び込むことができる。2006年、経済産業省の石井芳明氏が合同会社制度の導入を推進した際、石井氏は二重課税の排除も提案した。しかし、このときも財務省が減税に対して拒否権を発動した。 日本では銀行が中小企業の経営者に対し、企業が債務不履行に陥った場合に備えるための「個人保証」を要求するケースが他国と比較してはるかに多い。つまり、企業経営者は自宅や生活資金などを失う可能性があるのだ。そのようなリスクを取る人が少ないのは当然である。 2014年、金融庁はついに銀行に対し、個人保証の利用を減らすよう申し入れした。これを受けて、個人保証を必要とした中小企業向け新規融資の割合(金額ではなく件数)は、2015年の88%から2021年の70%へと徐々に減少している。 ただし、金融庁の新規融資のデータには、既存顧客に対する融資のロールオーバーと新規顧客に対する融資の両方が含まれている。ありうることだが、多くが前者であったとすれば、新興企業にはほとんど役に立たなかったということになる』、「2006年、経済産業省の石井芳明氏が合同会社制度の導入を推進した際、石井氏は二重課税の排除も提案した。しかし、このときも財務省が減税に対して拒否権を発動」、岸田首相が自ら財務省を説得して導入させるべきだ。
・『GPIFが果たせる重要な役割  岸田内閣は、巨大な年金積立金管理運用独立行政法人(GPIF)に対して、VCファンドへの投資を拡大することを求めている。GPIF単独での投資ではなく、国内外の独立したVCファンドを通じて投資するかぎり、GPIFの投資は大いに新興企業に貢献するだろう。 なお、コーポレート・ベンチャー・キャピタル(CVC)は、新興企業ではなく親会社の利益を図るものであるため、GPIFはCVC経由の投資を行うべきではない。 創業ブームを起こすためのソリューションを考えるのは難しいことではない。難しいのは、政治的、官僚的な抵抗に打ち勝つことだ。これまで日本の政策立案者は、「どうしても10キロ痩せたいのに、必要な手段を取らない人」のような行動を繰り返してきた。岸田首相の提案内容の詳細が明らかになれば、首相にその意志と実行力があるかどうかが明らかになるだろう』、「岸田首相」はよく聞くだけでなく、「財務省」を積極的に指導する強力は姿勢も示すべきだろう。
タグ:スタートアップ (その7)(「会社辞め 起業したい人」に学んでほしい7大失敗 事業を失敗に導く人の姿勢には共通点がある、ユニコーン不足の日本 なくせるか「起業家に不利な金融契約」、日本経済が世界から遅れる原因作った「真犯人」 なぜこんなにも新興企業が少ないのか) 東洋経済オンライン 守屋 実氏による「「会社辞め、起業したい人」に学んでほしい7大失敗 事業を失敗に導く人の姿勢には共通点がある」 「52の事業をおこしてきた」とは興味深そうだ。 「2020年に倒産した企業の平均寿命は23.3年」、一般的企業の「平均寿命」はもっと長いと思われる。「考えて行動し、従来の仕事の概念から飛び出したほうが、結果的に会社にとっても個人にとってもプラスのことが多いのではないか」、同感である。 「「会社のプロ」から「仕事のプロ」に転換することです。「仕事のプロ」とは、1つの仕事を極めて何社からも依頼がくる存在のことです」、これは「会社」で「仕事」をしている人にはすぐには難しい。 「ヴァルトジャパン」は「創業して7年が経った現在では・・・1000件の事業所が利用し、ワーカーは1万2000人」、「受託案件も1500件を超えました」、はいいとしても、「平均月給」は低過ぎる印象だ。 「挑戦の継続が重要」、その通りだ。 「まずは、「仕事のプロ」となるべく、意志を持って、自身をどう社会に生かしていくかを考えていってはいかがでしょうか」、同感である。 日経ビジネスオンライン「ユニコーン不足の日本、なくせるか「起業家に不利な金融契約」」 「未上場で企業価値が10億ドルを超える「ユニコーン」は米国で520社、中国で167社なのに対し、日本は6社しかない」、確かに致命的な格差だ。 「VCなどからスタートアップが出資を受けるとき「もし将来の契約違反があれば、その時に損害賠償請求すれば十分ではないか」と交渉することもできる。ただ、何らかの経営判断と業績の因果関係を立証し、損害額を算定するのは手間がかかる。このためVCが手っ取り早く起業家の行動をコントロールする手段として、買い取り請求権を設定しておくことが多いという」、株式なのに「買い取り請求権を設定」する理由が理解できた。 「事業会社として自社内に取り込むM&A・・・を積極化」してゆけば、確かに「スタートアップ」への「資金を循環」が円滑化する可能性がある。 リチャード・カッツ氏による「日本経済が世界から遅れる原因作った「真犯人」 なぜこんなにも新興企業が少ないのか」 「日本では」「高成長企業(従業員10人以上で、3年連続で年率20%以上の成長を遂げた企業)」「のような企業の数を測定していないため、日本のスタートアップ政策は盲目的に行われている」、政策的に重要になったにも拘らず、統計が存在しないとはお粗末極まる。恐らく、官庁間の利権争いが背景にあるのだろう。 「日本は「エンジェル」投資家に対する減税措置も必要であるとの発言は心強い」、しかし財務省が抵抗している筈だ。 「IMD・・・は、日本のデジタル競争力を64カ国中62位と評価」、「日本の高校生は数学、科学、共同問題解決能力において80カ国中トップクラスに位置する一方で、デジタルに関する教師の知識、デジタルを教える能力、そして教師を支援するリソースにおいては最下位に位置していることが、この低い順位の1つの要因だ」、主に「教育面」の立ち遅れが主因とは情けない限りだ。 「銀行が融資を行う場合、信用スコアの低い創業後50年の企業より、創業後10年の健全な企業に対して高い金利を課す。これは、「ゾンビ」企業を生かし続けようとする政治的圧力が生んだ結果である」、これは根拠のない誤解に過ぎない。「創業10年未満の中小企業に対する「別予算」・・・その額はごくわずかだ。2021年の調達額は770億円にすぎず、国の調達額全体の0.8%と微々たる割合」、これを引き上げれば、大企業の既得権を奪うことにはなるが、やむを得ないだろう。 財務大臣を経験した「岸田首相」がその気になれば、財務省の抵抗に「打ち勝つ」ことも可能な筈だ。 「2006年、経済産業省の石井芳明氏が合同会社制度の導入を推進した際、石井氏は二重課税の排除も提案した。しかし、このときも財務省が減税に対して拒否権を発動」、岸田首相が自ら財務省を説得して導入させるべきだ。 「岸田首相」はよく聞くだけでなく、「財務省」を積極的に指導する強力は姿勢も示すべきだろう。
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バイデン政権(その4)(バイデン政権「プーチンフレーション」説は不人気 「インフレ」をめぐる責任論争では共和党が攻勢、アフガンに続きウクライナでも!現地職員を見捨てたアメリカ政府、台湾軍事介入は「計画的失言」?バイデン大統領“捨て身の情報戦”の代償) [世界情勢]

バイデン政権については、1月30日に取上げた。今日は、(その4)(バイデン政権「プーチンフレーション」説は不人気 「インフレ」をめぐる責任論争では共和党が攻勢、アフガンに続きウクライナでも!現地職員を見捨てたアメリカ政府、台湾軍事介入は「計画的失言」?バイデン大統領“捨て身の情報戦”の代償)である。

先ずは、3月16日付け東洋経済オンラインが掲載した米州住友商事会社ワシントン事務所 調査部長の渡辺 亮司氏による「バイデン政権「プーチンフレーション」説は不人気 「インフレ」をめぐる責任論争では共和党が攻勢」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/539019
・『今月末、ハワイ州のコロナ対策緩和とともに、アメリカ全50州で屋内マスク着用義務が撤廃される。ようやくパンデミックの終わりが見え、社会が正常化に向かっていると思われた矢先、ロシアのウクライナ侵攻によってバイデン政権には再び暗雲が垂れこめている。 最大の懸念は、国民の懐を直撃しているインフレが、ウクライナ危機によってさらに高進していることだ。2月の消費者物価指数(CPI)は前年同月比で7.9%の上昇と、40年ぶりの高水準を記録した。国民にとって日々身近なガソリンや家庭用食品の価格はそれぞれ前年比38.0%、8.6%と大幅に上昇した。これらの消費が家計支出に大きな割合を占める低所得者層や中間層への打撃は大きい。 パンデミック沈静化とともに需要が堅調に推移し、夏にかけて自動車の走行距離も増えガソリン需要も増えることが想定される中、インフレの観点からは最悪のタイミングでウクライナ危機は起きた。歴史上、戦争はつねに物価上昇をもたらしてきたが、今回は産油国であるロシアによる戦争である。同危機と各国によるロシア制裁によって、全米のガソリン平均価格は3月14日時点で1ガロン当たり4ドル33セント(日本円で1リットル当たり約135円)まで上昇し、過去最高値を記録した。3月のCPIのさらなる上昇は避けられない』、「インフレ」に対しFRBの甘過ぎる見方に加えて、「ウクライナ危機」は「インフレの観点からは最悪のタイミングで」「起きた」のは確かだ。
・『インフレ悪化を覚悟し、ロシア産原油を輸入禁止に  インフレが悪化しているにもかかわらず、3月8日、バイデン政権はロシア産原油の輸入禁止措置を発表した。ロシア産原油がアメリカの輸入量全体に占める割合は3%と微々たるものではあるが、ロシア産原油の輸入禁止措置がインフレを加速させかねないことを政権は熟知していた。 だが、この苦渋の判断を下した背景には、議会からの圧力があった。議会では超党派でロシア産原油の輸入禁止措置を可決することが確実視されていたため、議会圧力に屈したと見られる前にバイデン政権は先手を打ったようだ。バイデン政権は、ウクライナ侵攻を止めないプーチン大統領に対し弱腰の姿勢を国民に見せるわけにはいかない。 11月の中間選挙でインフレは最大の争点になるとの見方が支配的だ。そのため、自らにとってこの問題を有利に働かせようと、民主党と共和党はインフレに関してまったく異なる角度から主張を展開し始めている。 バイデン大統領の支持率が低迷していることから、現状、民主党は中間選挙での大敗が予想されている。民主党が特に下院で多数派を維持するには、残り約8カ月で奇跡の挽回を必要とする。ロシアのウクライナ侵攻は深刻な人道危機ではあるが、民主党にとっては巻き返しを図るチャンスが到来したともいえる。 バイデン大統領は2月のCPI発表後、インフレ高騰について、「プーチン大統領のウクライナ侵攻が要因」と主張。ホワイトハウスのケイト・ベディングフィールド広報部長は「#PutinPriceHike(#プーチンによる値上げ)」とSNS上でキャンペーンを展開している。民主党支持者の間では、プーチン大統領(Putin)とインフレ(Inflation)を繋げた「プーチンフレーション(Putinflation)」といった造語も拡散し始めている。 ABCニュース・イプソス世論調査(3月11~12日実施)によると、ガソリン価格が上昇したとしてもアメリカがロシア産原油の輸入を禁止することを支持するかとの質問に対して、77%の国民が支持している。SNS上ではウクライナ国民が払っている犠牲に比べれば、アメリカにいる自らがガソリン価格上昇で払う犠牲は微々たるものとの声も広がっている』、「プーチンフレーション」というのはみえみえの責任転嫁だ。
・『共和党はバイデンの「対エネルギー戦争」を批判  一方、共和党議員の多くもロシア産原油の禁輸措置は支持しているものの、ウクライナ危機はエネルギー価格上昇の主因ではないという立場だ。共和党はインフレの責任はプーチン大統領ではなく、バイデン大統領にあると、大統領の責任追及に注力している。つまり「プーチンフレーション」ではなく、引き続き「バイデンフレーション(Bidenflation)」だと主張している。 バイデン政権の化石燃料に対する厳格な国内政策「対エネルギー戦争(War on Energy)」こそ、インフレの主因だと主張しているのだ。共和党はバイデン政権が発足以降、キーストーンXLパイプライン建設阻止や環境規制強化など、気候変動対策を重視してきたことを理由に挙げている。 選挙で共和党議員を支援する全国共和党下院委員会(NRCC)は、今月、「ガソリンスタンドでの痛み(Pain at the pump)」と題するテレビCMの放送を全国の激戦選挙区で開始。同CMではガソリン価格の高騰をバイデン大統領や各選挙区の民主党議員に関連づけ、民主党がアメリカのエネルギー産業を台無しにしたと訴えている。) だが、そもそもアメリカのガソリン価格動向は国内の原油生産量よりも世界の原油価格との相関関係が強い。また、共和党が主張するバイデン政権の「対エネルギー戦争」がインフレにつながるとの話は一理あるが、国内での増産が容易でない理由は、より複雑だ。 社会がESG(環境、社会、企業統治)重視に急速に変貌を遂げる中、近年、化石燃料への新規投資には、経済界、とりわけ金融業界が慎重になってきている。また、共和党は国内でのシェール生産拡大を主張しているが、仮に企業が増産すると決めたとしても、労働力や掘削装置、資材などの不足から、実現は最短で半年後だという。民主党が主張する再生エネルギー推進による国内エネルギー供給の拡大には、長年を要する。 バイデン大統領がガソリン価格上昇に対して、「現時点では、ほとんど何もできない」と語るように、政権に残されたオプションは限られる。そこで、有力視されているのが他国の増産に頼ることだ』、「そもそもアメリカのガソリン価格動向は国内の原油生産量よりも世界の原油価格との相関関係が強い。また、共和党が主張するバイデン政権の「対エネルギー戦争」がインフレにつながるとの話は一理あるが、国内での増産が容易でない理由は、より複雑だ」、なるほど。
・『他の専制主義国家に頼らざるをえない  イラン核合意の再建交渉を急ぐほか、対ベネズエラ制裁の解除、サウジアラビアなどによる増産協力などが想定されている。アメリカでは民間企業が中心となってエネルギーを生産しているが、これらの諸国では国営企業が生産をになっており、国の方針で増産が容易である点にバイデン政権は期待している。 ところが、頼りにしようとしているこれらベネズエラ、イラン、サウジアラビアなどはいずれも専制主義国家であり、国内の超党派による反発は避けられない点が、バイデン政権には弱みとなる。 共和党はすかさず、民主党は専制主義国家のロシアからの原油輸入を禁止する一方、他の専制主義国に増産を懇願している、と批判を始めた。ベネズエラ産原油輸入拡大協議に対しては、ベネズエラ移民が多いフロリダ州で、共和党のマルコ・ルビオ上院議員だけでなく、2022年中間選挙でその対抗馬と目される民主党のバル・デミングズ下院議員も、強い懸念を表明しているのだ。) ロシア軍のウクライナ侵攻以降、バイデン大統領に対する支持率はわずかながら上昇したという世論調査もある。だが、リアル・クリア・ポリティックスの最新世論調査平均値ではいまだに支持率が40%台前半で推移し、不支持が支持を上回る状態が半年以上も続いている。 したがって、民主党がプーチン大統領をインフレの元凶だとする「プーチンフレーション」戦略の効果は不透明だ。前述のABCニュース・イプソス世論調査では、国民の70%がバイデン大統領のインフレ対策を支持していない。「プーチンフレーション」という民主党の訴えは国民に響いていないようだ。 そもそもロシアがウクライナに侵攻する前から、バイデン政権下でインフレ問題は深刻化していた。その当初、バイデン政権がインフレ問題を「一過性」と軽視していたことからも、国民の信頼を失ってしまっている。政権のインフレ要因についての説明は、これまで二転三転してきた。国民は、プーチン大統領によるウクライナ侵攻だけがインフレの原因ではないことを見抜いている』、「共和党はすかさず、民主党は専制主義国家のロシアからの原油輸入を禁止する一方、他の専制主義国に増産を懇願している、と批判を始めた」、事実なので、「民主党」側としては苦しいところだ。
・『インフレ問題をめぐる情報戦では共和党が優勢  民主党の「プーチンフレーション」戦略は近い将来、ますます限界が見えてくるだろう。ウクライナ紛争は首都キエフが陥落したとしても、ゲリラ戦で泥沼化し長引くことが想定されている。一方、現在のようなウクライナ危機ばかりを24時間報道する状況がいつまでも続くとは思えない。ニュースサイクルが速い今日、キエフ陥落後はいずれ他のニュースに国民の関心がシフトする。 その反面、早期解決が困難なインフレ問題は長く国民生活を圧迫する公算が大きい。その結果、過去にもみられたように、不満の矛先は現政権に向かうこととなるであろう。 3月1日のテキサス州予備選を皮切りに、国内政治は中間選挙に向けた選挙サイクルに入り、民主党と共和党の攻防は本格化の様相を見せ始めた。ウクライナ危機以降、インフレ問題をめぐる情報戦が党派間で激しさを増しているが、当面は共和党優勢の状況が続きそうだ』、「ウクライナ紛争」はロシアがターゲットを「キエフ」から、東部地域に移し、長期戦の様相が濃くなっている。「ウクライナ危機以降、インフレ問題をめぐる情報戦が党派間で激しさを増しているが、当面は共和党優勢の状況が続きそうだ」、その通りなのだろう。

次に、3月22日付けNewsweek日本版「アフガンに続きウクライナでも!現地職員を見捨てたアメリカ政府」を紹介しよう。
https://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2022/03/post-98325_1.php
・『<「約束と違う」とウクライナで雇われた米大使館職員が抗議。アメリカ人職員が退避するなか、何の保障もなく取り残されたという> ウクライナの首都キエフの米大使館に勤務していたウクライナ人職員が、約束を反故にされたと米国務省に救済を求めている。 ウクライナの米大使館は、ロシア軍の侵攻前に西部リビウに移転し、その後さらにアメリカ人職員の大半がウクライナ国外に退避したが、現地で雇われたウクライナ人職員とその家族は何の保障もなしに取り残されたというのだ。 キエフの米大使館で働いていたウクライナ人職員の団体が、米国務省の管理部門に宛てた3月11日付の手紙は、「事前の約束を反故にした」無責任な態度に強く抗議した上、給与の支払い、家族と避難する手段の確保、アメリカに長期滞在できる査証の発給を求めている』、「約束を反故にされたと米国務省に救済を求めている」、無責任そのものだ。
・『カブール陥落やサイゴン陥落のときも......  フォーリンポリシーが入手したこの手紙は、ウクライナ人職員団体の指導部が出したもので、ウクライナにおけるアメリカの外交活動を助けてきた約600人のウクライナ人職員の思いを代弁している』、なるほど。
・『「ヨーロッパの国に難民申請しろ」  それによれば、ワシントンの国務省スタッフは現地のウクライナ人職員と何回かオンライン会議を行い、ロシアとの戦闘が激化し、大使館を閉鎖する事態になった場合、現金での給与支払いなど、長期的にウクライナ人職員の生活を保障する手段を講じると約束していた。 すべては無理でも「せめて最低限の援助をしようという誠意すら見られない」と、手紙は訴える。 手紙によれば、国務省は事前にロシアの侵攻後もウクライナ人職員に給与を支払い続け、キエフから避難することになった場合も、出張扱いにしてその間の給与を払うと約束していた。 だが国務省には約束を果たす気が見られないとして、ウクライナ人職員は不安を募らせている。 手紙はまた、国務省スタッフに査証について問い合わせたところ、アメリカではなく、ヨーロッパの国々に難民申請をして支援を求めるよう指示されたと記している。) 「日常的に連絡を取っていれば、現地職員がどんな状況に置かれているかよくわかっているはずだ。家族は引き裂かれ、地下室に避難を余儀なくされ、戦闘に参加する人もいれば、住む場所を失った人もいる。子供たちは学校に行けず、まともな世話もされず、トラウマで心身の健康を害している。この20日間というもの、私たちはみんな夜もおちおち眠れない日々を送っている」 こうした状況下で、欧州の難民になれなどとはよく言えたものだ、と手紙は訴える。「難民としての生活にどれほど多くの困難がつきまとうか、この人はそれすらわかっていない」 また国務省スタッフはキエフの米大使館の再開にも公然と疑問を呈したという。「私たちは全員、ウクライナ軍が敵に勝利して家に帰り、日常を取り戻し、仕事を再開できると信じているのに、(国務省の)スタッフはオンライン会議で『米大使館の仕事が2021年12月のような状態に戻ることは2度とないだろう』と言った。とても辛く、何を考えているのか理解に苦しむ。既にウクライナに見切りをつけているかのようだ」』、「査証について問い合わせたところ、アメリカではなく、ヨーロッパの国々に難民申請をして支援を求めるよう指示された」、「難民としての生活にどれほど多くの困難がつきまとうか、この人はそれすらわかっていない」、酷い責任回避だ。よくぞ恥ずかしげもなく言えたものだ。
・『アメリカの国益に反する  アメリカ外交官職員協会(AFSA)のエリック・ルービン会長によると、国務省はここ数週間にウクライナ人職員に対し経済的な援助を多少増やしたが、十分と言うには程遠いという。AFSAはアメリカの外交官の団体で、国務省から独立した立場で活動している。 「これは倫理観と良識の問題でもある」が、アメリカの国益に関わる問題でもあると、ルービンは言う。「いざというときこそあらゆる手を尽くす姿勢を示せなければ、われわれのために働いてくれる外国人はいなくなるだろう」 これに対し国務省の広報担当は、ウクライナ人職員とは「定期的に」連絡を取り、「この困難な時期に、皆を支えられるよう、法律が許す範囲内であらゆる選択肢を検討している」と述べた。 また「通常業務かテレワークができない職員は、居場所に関わらず、有給の休職扱いにし、必要な場合は給与の前払いなど追加的な支援」を行なっているとも付け加えた。さらに、国務省に対するウクライナ人職員の懸念を共有するため「専用の通信チャンネル」を設置したとも述べた。 キエフの米大使館の警護に当たっていた元海兵隊員が設立したNPOマウンテン・シード財団は、ウクライナ人職員とその家族を支援するため、クラウドファンディングの「ゴーファンドミー」で2万5000ドルの資金集めを開始した。募金者の中には、元ウクライナ駐在の米大使で、現在はギリシャ大使を務めるジェフリー・ピアットの名前もあったが、アテネの米大使館は今のところ問い合わせに回答していない。 ウクライナ人職員と連絡を取っている何人かのアメリカ人職員の話では、ウクライナ人職員の中には比較的安全なウクライナ西部に避難した人や祖国防衛の戦いに参加している人もいるが、ロシア軍がキエフを包囲し、陥落を目指す中、自身や家族がキエフに足止めされている人たちもいるという。 各国の米大使館で働くアメリカ人外交官の間では、国務省はいざという時に長く勤務してきた現地職員をあっさり見捨てるという怒りの声は以前から聞かれていた。民間人まで標的にするロシアの猛攻の最中でも同じことが繰り返されたとなると、国務省への不信感は増す一方だ。 「何カ月も前からヨーロッパ中でロシアが侵攻するぞと警告して回りながら、いざとなったら『緊急時対応のプランがありません』などと、よく平気で言えるものだ」と、ある匿名の外交官はあきれ顔で言う。「正しいことをするチャンスを逃すのは、国務省のお家芸らしい」 フォーリン・ポリシーは国務省にコメントを求めたが、返答はなかった。 国務省の対応には、外交官の間からも疑問の声が上がっている。ロシアによるウクライナ侵攻の可能性を何カ月も前から警告していたのに、なぜ現地職員の避難を支援する計画が何もなかったのか。 「キエフの米大使館の中庭には、大使館が所有していた数十台の車両が、ガソリン満タンの状態で放置されていた。それなのになぜ、彼らは現地職員がキエフから避難するのを手助けしなかったのか」とルービンは言う。 「それについてのどんなお役所的な理由も、不十分だし不適切に思える」と、彼は言う。「避難の支援をしなかったことは、もう済んだことで今更どうにもできないが、これから正しいことをすることは可能だ」 アメリカは2021年秋以降、ロシアの軍備増強とウクライナ侵攻の可能性について、先頭に立ってウクライナやヨーロッパの同盟諸国に警告してきた。1月には米国務省が、一部の米外交官とその家族に対して、ウクライナ国外への退避を命令。ウクライナ外務省はこれについて、ロシアによる侵攻がまだ決まったわけでもないのに、米政府がパニックや不安を煽っていると非難したほど早かった』、「ロシアによるウクライナ侵攻の可能性を何カ月も前から警告していたのに、なぜ現地職員の避難を支援する計画が何もなかったのか」、全く不可解だ。
・『アフガニスタンの教訓は  2月半ばまでには、ウクライナで職務にあたっていた米国務省の全職員が国外に避難し、キエフの米大使館は閉鎖された。2021年8月にイスラム主義組織タリバンが予想以上の速さでアフガニスタンの首都カブールを奪還したとき、首都カブールの米大使館員は大使館屋上からヘリで脱出する失態を演じた。キエフから早々に退避したのはその教訓だろうという解釈もある。 だが複数の米外交官によれば、ウクライナ人職員が直面する窮状を見れば、国務省がアフガニスタンの教訓から何も学んでいないことは明らかだと指摘する。国務省はカブールからの緊急退避のなかで大勢のアフガニスタン人職員を救いもしたが、一方で何千人もの現地職員や通訳などの協力者が現地に取り残された(注:取り残されれば、アメリカの協力者としてタリバン政権に殺される危険もあると彼らは訴えいたにもかかわらず、だ)。 ルービンはウクライナとアフガニスタンの類似点を指摘して、「危機に備えた基本的な緊急対策が必要だ」と述べた。「生死にかかわる状況で、現地職員のために何をすべきなのか。そのことについての検討が、明らかに不足している」』、「国務省がアフガニスタンの教訓から何も学んでいないことは明らかだ」、「危機に備えた基本的な緊急対策が必要だ」、「生死にかかわる状況で、現地職員のために何をすべきなのか。そのことについての検討が、明らかに不足している」、米国の「国務省」には長年のノウハウが蓄積されていると思っていたが、飛んでもないことで、お粗末極まるようだ。

第三に、5月26日付けダイヤモンド・オンラインが掲載したノンフィクションライターの窪田順生氏による「台湾軍事介入は「計画的失言」?バイデン大統領“捨て身の情報戦”の代償」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/303769
・『バイデン大統領の3回目の「失言」で魂胆バレた?  「頼りないおじいちゃんかと思っていたけど、実はなかなかの策士じゃないか!」「失言のふりをして中国を牽制するなんてかっこいい!」 バイデン米大統領の台湾有事をめぐる「計画的失言」が称賛を集めている。 事の発端は今月23日、日米共同記者会見で、中国が台湾侵攻をした場合、軍事介入をするのかと質問され、元気よく「イエス!」と即答したことだった。 これまでアメリカは台湾の自衛を支える一方で、自国の軍事介入は明言しないという「あいまい戦略」をとってきた。政府のスタンスと異なるということで、ホワイトハウスもすぐに火消しに奔走。バイデン氏自身も翌日、報道陣に同じ質問をされると「ノー!」と即答。さらに、「政策は全く変わっていない。それについてはきのうも言った通りだ」と耳を疑うような発言をした。 われわれ一般庶民の感覚からすれば、「昨日は軍事侵攻するって言ったばかりでしょ、もう忘れちゃったの?」と御年79歳の大統領の「もの忘れ」具合にイラッとするが、国際インテリジェンスの専門家によれば、実はこのおとぼけぶりは、すべて「計算」だというのだ。 バイデン大統領といえば、アフガニスタン撤退や、ロシアのウクライナ侵攻前に早々と「軍事介入しない」と宣言するなど「弱腰」が批判されてきた。その苦い経験をいかして中国に対しては、「失言」の体裁で、軍事介入を辞さないという強気の姿勢を見せているというのだ。 そんな「計画的失言」説の根拠となっているのが、これが「3回目」ということだ。 つまり、「台湾有事で軍事介入する」というのは、これまでバイデン大統領は2回発言しており、いずれもすぐにホワイトハウスが火消しして、ご本人も「そんなこと言ってないでしょ」としらばっくれている。 そのパターンが今回も繰り返されたということは、もはやこれは「失言」などではなく、失言の体裁をとった「非公式な意志表明」と受け取るべきだ、というのが専門家の見解なのだ。 こういう高度な情報戦を仕掛けられるのがアメリカのすごいところなのだが、一方で「よくやるな」と驚く部分もある。これはバイデン大統領にとって「自滅」しかねない、リスキーな手法だからだ』、「これが「3回目」ということだ」、「すぐにホワイトハウスが火消しして、ご本人も「そんなこと言ってないでしょ」としらばっくれている。 そのパターンが今回も繰り返されたということは、もはやこれは「失言」などではなく、失言の体裁をとった「非公式な意志表明」と受け取るべきだ、というのが専門家の見解なのだ。 こういう高度な情報戦を仕掛けられるのがアメリカのすごいところなのだが、一方で「よくやるな」と驚く部分もある」、「失言の体裁をとった「非公式な意志表明」」、そういう高度な戦術を「ウクライナ問題」でも発揮してほしかった。
・『「失言のランボルギーニ」アメリカ国民の評価は?  政治家が自分の発言に責任を持てなくなったらおしまいだ。昨日言ったことを今日になって撤回するということが「平常運転」になれば、確かに「敵」はかく乱できるが、「味方」からもそっぽを向かれてしまう。「The Wall Street Journal」も社説でその危険性を指摘している。 <問題は、今の米国の方針がどういったものなのか、誰も確信が持てないことだ。ホワイトハウスが頻繁に大統領の発言を取り消せば、同盟国や敵対勢力にとってのバイデン氏の個人的な信頼性が損なわれる>(5月24日) 日本や台湾は中国の脅威に晒されているので、バイデン大統領の「計画的失言」に好意的だが、アメリカ国民の多くは、そこまで台湾有事に関心がない。経済対策など内政での強いリーダーシップを期待する人が多い中で、大統領が発言する度にホワイトハウスに撤回され、「イエス」「ノー」と回答がコロコロ変わるというのは、リーダーとしてイメージが悪すぎる。 そこに加えて筆者が不思議でしょうがないのは、バイデン政権の審判となる米国議会中間選挙が11月に控えたこのタイミングでよくもまあ「計画的失言」なんて、自分で自分の首を絞めるようなリスキーな作戦を選んだなということだ。 ご存じの方も多いだろうが、バイデン大統領はアメリカではしゃべればしゃべるほど、勘違い発言や失言がポンポンと飛び出ることから、「失言製造器」「失言のランボルギーニ」なんて呼ばれている。日本で言うなら、年齢も近いが、ちょっと前の森喜朗氏のようなイメージなのだ。 記憶に新しいバイデン大統領の失言は、ロシアのウクライナ侵攻を受けて、プーチン大統領に対して「この男が、権力の座にとどまってはいけない」と言い放ったことだ。「ロシアに制裁で圧力をかけてプーチン政権を転覆させろ!」なんてことを主張する日本人の感覚ではまったくセーフの発言だろうが、国際社会の常識では、大国アメリカの大統領がロシアの体制転換を目指していると受け取られたら、米ソ冷戦時代に逆戻りしてもおかしくない問題発言だ。 アメリカのメディアによれば、これはスピーチ原稿にはないバイデン氏の「アドリブ」ということなので、今回と同様に「計画的失言」の可能性もゼロではない。だが、当時はそういう評価はされなかった。結局、各国首脳からいさめられるなど、国内外で激しい批判にさらされたバイデン氏は発言を撤回。共和党の上院議員からこんな嫌味を言われる始末だった。 「頼むから大統領、台本通り読んでください。体制転換と言ったり、示唆したりすれば、大問題を引き起こすことになるでしょう」 このようにバイデン大統領は気分があがってしまうと、調子にのって口を滑らせる「失言癖」があるのだ。2年前の大統領選でも、黒人が司会を務めるラジオ番組に出演して、「私かトランプ氏の支持で迷っているようなら、君は黒人じゃない」なんて口を滑らせて批判を受けている』、「バイデン大統領は気分があがってしまうと、調子にのって口を滑らせる「失言癖」があるのだ」、どうみてもみっとないことだ。
・『捨て身の作戦?「失言」を逆手にとって情報戦に活用  失言に加えて、「単純な言い間違い」や「ど忘れ」も多い。例えば、大統領選の時はトランプ大統領(当時)のファーストネームがスコーンと頭から抜けてしまい、「ジョージ」と呼んでしまった。当時、トランプ氏はバイデン大統領を「認知症」などと攻撃していたが、この言い間違いもそのネタにされてしまった。 また、ある集会では、「副大統領の時に、パークランドの高校乱射事件の学生らと(銃規制について)議論した」と主張をしたが、実はこの事件はそんな昔の話ではなく、19年のトランプ政権下で起きている。頭の中で「時間軸」がめちゃくちゃになっているのだ。ほかにも、ニューハンプシャー州の集会での第一声で「バーモント州は大好きなんだ」と叫んだりと、かなり「天然ボケ」も発揮している。 断っておくが、こういう「失言」や「言い間違い」が多いので、今回の台湾への軍事介入も単なる失言に違いない、などと言いたいわけではない。 アメリカ政治に詳しい多くの専門家が指摘していることなのだから、今回の発言が「計画的失言」であることは間違いないのだろう。 ただ、「失言製造器」「失言のランボルギーニー」などと言われるほど、これまで数多の失言で叩かれてきた政治家が、「失言の体裁で中国を牽制する」というリスキーな手法を選んだことに驚いている。その発想の大胆さ、自身の政治生命をたびたびピンチに追いやった「失言」を逆手にとって、情報戦に活用するという度胸に素直に感心をしているのだ。 先ほども指摘したように、日本人にとっては「すごいぜバイデン」と称賛ものだが、一般のアメリカ国民やトランプ支持者などからすれば、「これも失言じゃないの?」「やっぱりもうろくしていたな」なんて格好の攻撃材料にされてしまう恐れもあるのだ。 つまり、バイデン大統領の政治家としての信頼を大きく失墜しかねない「捨て身の情報戦」なのだ』、「これまで数多の失言で叩かれてきた政治家が、「失言の体裁で中国を牽制する」というリスキーな手法を選んだことに驚いている。その発想の大胆さ、自身の政治生命をたびたびピンチに追いやった「失言」を逆手にとって、情報戦に活用するという度胸に素直に感心をしているのだ」、褒めているのか、嫌味なのか、どちらだろう。
・『トランプ前大統領なら想定内だが…「駆け引き上手」に?  この手の「捨て身の情報戦」はトランプ前大統領が非常にうまかった。  『「トランプならプーチンの戦争を止められた」が説得力をもって語られるワケ』の中でも詳しく紹介したが、トランプ氏は他国の指導者をののしり、核ミサイルをチラつかせながらも、在任中にひとつも新しい戦争を始めていない。 「計画的暴言」で相手を揺さぶって交渉のテーブルにつかせる。「緊張と緩和」を巧みに使い分けて、ギリギリのところで武力衝突を避けてきた実績がある。「取引(ディール)の天才」と自画自賛をしているように、確かに駆け引きがうまいのだ。 それに対して、バイデン氏はそのような「駆け引き上手」のイメージがこれまではなかった。しかし、今回の台湾をめぐる「計画的失言」が事実ならば、かなりの老獪さではないか。 日本でたとえるなら、麻生太郎氏や二階俊博氏が海外へ行って、日本政府の方針と異なる方針を主張して、中国に揺さぶりをかけるようなものだ。自民党も、日本政府も、こんなリスキーな情報戦は仕掛けないだろう。そこにどんなに深い思惑があろうとも、これまでのイメージから「リアル失言」と誤解を生む恐れもあり、ご本人だけではなく政権まで深刻なダメージを負う恐れがあるからだ。 しかし、バイデン氏とアメリカ政府はそんなリスキーな情報戦を、台湾をめぐる国際情勢の中でやってのけた。これは素直に称賛に値する』、前述の疑問は、やはり「褒めている」が正解だったようだ。
・『アメリカの「計画的失言」作戦はもう限界  ただ、残念ながらこの作戦はそろそろ使えない。3回目にして専門家だけではなく、一般の日本人にまで「計画的失言」だと見破られてしまったように、バイデン氏が失言、ホワイトハウスが火消しということが「平常運転」になっているからだ。こうなると、「アメリカは軍事介入する」が正式なメッセージとして定着してしまう。 つまり、バイデン氏がこの話題を振られて、「軍事介入にイエス!」と失言するのが、ダチョウ倶楽部のネタである熱湯風呂の「押すなよ」と同じように、“お約束”になってしまうのだ。 こうなると、もはや中国を牽制することはできない。むしろ、非公式ながらアメリカが軍事介入を「明言」したことと同じなので、ストレートに中国にけんかを売っていることになってしまう。中国人民解放軍の緊張は一気に高まるだろう。 かつての日本軍もそうだったが、軍隊というのは他国からコケにされると、「あちらがそう出るなら受けて立ちましょう」と交戦ムードが高まることがわかっている。実際、これまでの尖閣沖への侵入なども現場の暴走だったと言われている。 もし世界最大規模の軍隊である中国人民解放軍が「アメリカが本気ならこっちもやりますよ」と暴走をすれば、もはや習近平氏でも抑えることは難しいだろう。 政府と個人的見解のダブルスタンダードで中国に揺さぶりをかけるという「計画的失言」が使えるのは、あとせいぜい1、2回ではないか。 “失言製造機”から“駆け引き上手”に転身したバイデン氏が、次にどんな手で中国を牽制するのか注目したい』、「もし世界最大規模の軍隊である中国人民解放軍が「アメリカが本気ならこっちもやりますよ」と暴走をすれば、もはや習近平氏でも抑えることは難しいだろう。 政府と個人的見解のダブルスタンダードで中国に揺さぶりをかけるという「計画的失言」が使えるのは、あとせいぜい1、2回ではないか」、そうだろう。「“失言製造機”から“駆け引き上手”に転身したバイデン氏が、次にどんな手で中国を牽制するのか注目したい」、それよりも、「中間選挙」でボロ負けして、レイムダックになりはしないかと心配だ。
タグ:「ロシアによるウクライナ侵攻の可能性を何カ月も前から警告していたのに、なぜ現地職員の避難を支援する計画が何もなかったのか」、全く不可解だ。 「査証について問い合わせたところ、アメリカではなく、ヨーロッパの国々に難民申請をして支援を求めるよう指示された」、「難民としての生活にどれほど多くの困難がつきまとうか、この人はそれすらわかっていない」、酷い責任回避だ。よくぞ恥ずかしげもなく言えたものだ。 「約束を反故にされたと米国務省に救済を求めている」、無責任そのものだ。 (その4)(バイデン政権「プーチンフレーション」説は不人気 「インフレ」をめぐる責任論争では共和党が攻勢、アフガンに続きウクライナでも!現地職員を見捨てたアメリカ政府、台湾軍事介入は「計画的失言」?バイデン大統領“捨て身の情報戦”の代償) バイデン政権 東洋経済オンライン 渡辺 亮司氏による「バイデン政権「プーチンフレーション」説は不人気 「インフレ」をめぐる責任論争では共和党が攻勢」 「インフレ」に対しFRBの甘過ぎる見方に加えて、「ウクライナ危機」は「インフレの観点からは最悪のタイミングで」「起きた」のは確かだ。 「プーチンフレーション」というのはみえみえの責任転嫁だ。 「そもそもアメリカのガソリン価格動向は国内の原油生産量よりも世界の原油価格との相関関係が強い。また、共和党が主張するバイデン政権の「対エネルギー戦争」がインフレにつながるとの話は一理あるが、国内での増産が容易でない理由は、より複雑だ」、なるほど。 「共和党はすかさず、民主党は専制主義国家のロシアからの原油輸入を禁止する一方、他の専制主義国に増産を懇願している、と批判を始めた」、事実なので、「民主党」側としては苦しいところだ。 「ウクライナ紛争」はロシアがターゲットを「キエフ」から、東部地域に移し、長期戦の様相が濃くなっている。「ウクライナ危機以降、インフレ問題をめぐる情報戦が党派間で激しさを増しているが、当面は共和党優勢の状況が続きそうだ」、その通りなのだろう。 Newsweek日本版「アフガンに続きウクライナでも!現地職員を見捨てたアメリカ政府」 「国務省がアフガニスタンの教訓から何も学んでいないことは明らかだ」、「危機に備えた基本的な緊急対策が必要だ」、「生死にかかわる状況で、現地職員のために何をすべきなのか。そのことについての検討が、明らかに不足している」、米国の「国務省」には長年のノウハウが蓄積されていると思っていたが、飛んでもないことで、お粗末極まるようだ。 ダイヤモンド・オンライン 窪田順生氏による「台湾軍事介入は「計画的失言」?バイデン大統領“捨て身の情報戦”の代償」 「これが「3回目」ということだ」、「すぐにホワイトハウスが火消しして、ご本人も「そんなこと言ってないでしょ」としらばっくれている。 そのパターンが今回も繰り返されたということは、もはやこれは「失言」などではなく、失言の体裁をとった「非公式な意志表明」と受け取るべきだ、というのが専門家の見解なのだ。 こういう高度な情報戦を仕掛けられるのがアメリカのすごいところなのだが、一方で「よくやるな」と驚く部分もある」、「失言の体裁をとった「非公式な意志表明」」、そういう高度な戦術を「ウクライナ問題」でも発揮してほしか 「バイデン大統領は気分があがってしまうと、調子にのって口を滑らせる「失言癖」があるのだ」、どうみてもみっとないことだ。 「これまで数多の失言で叩かれてきた政治家が、「失言の体裁で中国を牽制する」というリスキーな手法を選んだことに驚いている。その発想の大胆さ、自身の政治生命をたびたびピンチに追いやった「失言」を逆手にとって、情報戦に活用するという度胸に素直に感心をしているのだ」、褒めているのか、嫌味なのか、どちらだろう。 前述の疑問は、やはり「褒めている」が正解だったようだ。 「もし世界最大規模の軍隊である中国人民解放軍が「アメリカが本気ならこっちもやりますよ」と暴走をすれば、もはや習近平氏でも抑えることは難しいだろう。 政府と個人的見解のダブルスタンダードで中国に揺さぶりをかけるという「計画的失言」が使えるのは、あとせいぜい1、2回ではないか」、そうだろう。「“失言製造機”から“駆け引き上手”に転身したバイデン氏が、次にどんな手で中国を牽制するのか注目したい」、それよりも、「中間選挙」でボロ負けして、レイムダックになりはしないかと心配だ。
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メディア(その31)(新聞社をダメにした「外を知らない経営者」の過ち 「個人が輝く職場」に戻さなければ復権は難しい、朝日新聞編集委員が安倍晋三氏インタビュー記事介入で処分 OBたちの嘆き、スクープ!日経「テレ東天下り」に物言う株主がNO 株主提案には「日経が最も恐れる男」の名前も) [メディア]

メディアについては、3月20日に取上げた。今日は、(その31)(新聞社をダメにした「外を知らない経営者」の過ち 「個人が輝く職場」に戻さなければ復権は難しい、朝日新聞編集委員が安倍晋三氏インタビュー記事介入で処分 OBたちの嘆き、スクープ!日経「テレ東天下り」に物言う株主がNO 株主提案には「日経が最も恐れる男」の名前も)である。

先ずは、4月14日付け東洋経済オンライン「新聞社をダメにした「外を知らない経営者」の過ち 「個人が輝く職場」に戻さなければ復権は難しい」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/581186
・『人材流出が加速する新聞業界。元日経の論客・磯山友幸氏は、管理強化で「きちんとした会社」になった新聞社の問題点を指摘する。 朝日新聞社は4月6日、他社媒体の編集権に”介入”したとして、峯村健司記者に懲戒処分を下した。他方、日本経済新聞に関しては若手記者の退職が相次いでいるという厳しい内情が報道されるなど、目下、新聞業界が何かと騒がしい。 個々の事件にはそれぞれの経緯や原因があるものの、底流には新聞社という組織ジャーナリズムの担い手の構造問題も存在していそうだ。新聞社は今、どんな課題を抱えているのか。部数減が止まらない中、どうすれば報道機関として復権できるのか。 業界内外の論客に聞くインタビューシリーズの第一回は、フリージャーナリストの磯山友幸氏。2011年に日本経済新聞社を辞め、現在はネットメディアやテレビのコメンテーターとして活躍している。新聞社を辞めた理由について「個人で仕事ができる時代になったから」と語る磯山氏の目に、今の新聞社はどう映るのか(Qは聞き手の質問、Aは磯山氏の回答)』、「朝日新聞社」の問題は、第二の記事で取上げる。「日本経済新聞に関しては若手記者の退職が相次いでいる」、とは困ったことだ。
・『「他流試合」で成長していたのに  Q:日本経済新聞社では記者の退職が相次いでいるようです。 A:退職理由として編集局長のパワハラなんかが報道されているが、それは「最後の一押し」的な要素であって、本質的なものではないと思う。新聞記者をとりまく環境の変化が背景にあるのではないか。 この20年ほどで日経記者の自由度は著しく下がった。象徴的な例を挙げると、記者が雑誌など自社以外の媒体でアルバイト原稿を書くことが認められにくくなっている。 1990年代、日経の記者たちは自由にバイト原稿を書いていた。私がバイトを始めたきっかけも当時の部長が外でやっていたバイトを「代わりにやれ」と頼まれたことだった。その部長は、「おまえ、外の締め切りは絶対に守れよ。遅れたら信用を失うぞ」と。社内の原稿について言われないようなことまで言う(笑)。 Q:それくらい自由だったということですね。 A:上司は部下に「他流試合をしろ」と積極的にけしかけていた。稼ぐためというより、記者として成長するため。新聞は一本の原稿で書ける文字量がせいぜい1000字。雑誌なら1本3000~4000字になり、論理の組み立て方などを書き手が自分で考えなければならない。編集者からの注文も多い。 だから記者はおのずと鍛えられる。私自身、原稿が下手な後輩記者には「もっと外で書け」と、知り合いの雑誌編集者を紹介したりしていた。しばらく他流試合をやらせていると、原稿はみるみる上達した。 新聞社は記者個人の力量に大きく依存している。人脈も知識も、会社というよりは記者個人につながっているものだ。記者が輝かないと新聞社は輝かない。だから会社は記者のバイトを黙認してきたし、外で鍛えられた記者がいい仕事をすることが会社の利益につながっていた。記者と会社がウィンウィンの関係を築けていたわけだ。 Q:状況が変わってきたのは、なぜでしょうか。 A:新聞社が記者を遊ばせておけなくなったからだ。新聞の発行部数は1997年を境に減少し、2007年にアップルがiPhoneを発売すると、紙の新聞を読んでいた人々がスマートフォンで情報を得るようになった。このあたりから新聞の発行部数はつるべ落としとなり、業績は悪化の一途をたどる。 貧すれば鈍す。私が日経を退職した2011年の前後になるとすっかり文化が変わり、社内でそれまで黙認されてきた記者のバイトに対し「けしからん」という空気が充満するようになった。どの記者が外で書いているのかを調べようとする動きも出てきた。 そうこうしているうち外で活躍したことのない人が上に立つようになった。外の世界を知らない人が上に立つと、記者の「枠外」の行動を許さなくなる。組織の体質もコンプライアンス重視へと変わっていく。 この傾向は1990年代以降の日本企業全体にもいえる。外の営業などでバリバリ稼いでいた人がコンプラ違反で次々失脚した。外で勝負していた人はたいてい、スネに傷の1つや2つを持っているからだ。 結果的に傷のない、外の世界を知らない人が管理職に登りつめた。やれることはコストカットくらいで、成長に向けた勝負ができない。これこそ日本企業がハマったワナだ。時代の要請がある中で、仕方ない面はあるが、これによって失われたものも多いだろう』、「しばらく他流試合をやらせていると、原稿はみるみる上達した」、「記者が輝かないと新聞社は輝かない。だから会社は記者のバイトを黙認してきたし、外で鍛えられた記者がいい仕事をすることが会社の利益につながっていた」、「2011年の前後になるとすっかり文化が変わり、社内でそれまで黙認されてきた記者のバイトに対し「けしからん」という空気が充満するようになった」、「外で活躍したことのない人が上に立つようになった。外の世界を知らない人が上に立つと、記者の「枠外」の行動を許さなくなる。組織の体質もコンプライアンス重視へと変わっていく」、「これによって失われたものも多いだろう」、なるほど。
・『「きちんとした会社」になった功罪  Q:新聞社も例外ではなかったと。 A:僕が日経を辞める時、「日経の看板がなくなってどうやって仕事をするんだ」と忠告してくれる上司がいた。引き留めようとしてくれたのかもしれないが、迷いはなかった。インターネットやスマホの普及で、新聞社には500年ぶり大変革期がきていると確信していたから。 Q:どういう意味でしょう? A:現存する世界最古の新聞「レラツィオン」が発刊されたのは1605年。大量に印刷して短時間で読者に届けられる技術の確立が新聞発行を可能にしたわけだが、背景にはルネサンス以降の「個」の確立もあった。個々人が互いの情報に価値を見いだす社会に変わろうとしていた。 だから新聞という情報媒体の信頼の基礎も「個人」にあった。読み手が重視したのは会社組織ではなく、伝達者がどのような人物か、だった。 新聞がその性質を大きく変えたのは19世紀以降のこと。近代国家が成立する過程で電信が発達し近代郵便制度が整ったことで、情報の信頼の基盤は「個人」から「朝日新聞社」や「中外物価新報(日本経済新聞の前身)」といった「組織」に変わり始めた。 日本の新聞社が組織として隆盛したのは1970年代以降、高度経済成長期に入り、自宅で新聞を購読する人が急増してから。記者に対し、世間の相場より高い給料を払う、「きちんとした会社」になったのはこのころだ。 Q:「~新聞」の記者という職業が高いステータスになったと。 A:そうだ。ただ前述のとおり、記者個人の力量こそが本来的な価値であるこの業界に、そもそもそういった組織形態はなじまない。1970年代以降の高度経済成長期にはフィットしたのかもしれないが、あくまで一時的な姿だったと考えるのがいいのではないか。 今、ネットとSNSの普及で、情報の発信者は組織から個人へと戻り始めている。新聞の「原点回帰」と言っていい。私が日経を辞めたのも「個人」として活躍できる時代が来たと踏んだからだ。今はさらに、そのハードルは下がっているのではないか。 Q:新聞社は今後どうなるでしょう? A:個人が輝く職場へと戻さなければならないのに、管理強化の流れは変わっていない。輪転機が激しく回っていた時代の分業体制を引きずっていて、個々人をいかに生かすかより、いかに組織を回すかに重心が置かれている。記者の多様な働き方を認めていかないと、記者が新聞社を離れる流れは止められないだろう』、「日本の新聞社が組織として隆盛したのは1970年代以降、高度経済成長期に入り、自宅で新聞を購読する人が急増してから。記者に対し、世間の相場より高い給料を払う、「きちんとした会社」になったのはこのころだ」、「新聞社が組織として隆盛したのは1970年代以降」、そんな最近だったとは初めて知った。「個人が輝く職場へと戻さなければならないのに、管理強化の流れは変わっていない。輪転機が激しく回っていた時代の分業体制を引きずっていて、個々人をいかに生かすかより、いかに組織を回すかに重心が置かれている。記者の多様な働き方を認めていかないと、記者が新聞社を離れる流れは止められないだろう」、なるほど。
・『「権力監視」の機能をどう維持する?  Q:新聞社をはじめ、マスコミは中央官庁や自治体にネットワークを張りめぐらせ、行政や議会をチェックする機能も担っています。 (磯山氏の略歴はリンク先参照) その機能を今後どう維持していくか。これも非常に重要な問題だ。政府の発表を検証する記者がいなくなれば、国民は政府が発表する公式見解を鵜呑みにしてしまうかもしれない。新聞社が縮小していくことの最大のマイナスポイントはここだ。 人を張り付けて「面」で押さえるメディアは、社会的な機能として必要だ。1社だけで維持できないなら、各社が共同出資して1つか2つの会社に機能を集約するなど、何からの手は打たないといけない。 権力者にとって、いちばんやっかいな相手がメディアであるはずだ。もともと記者クラブができたのも強い権力者に対して結束して立ち向かうためだった。それが近年は権力者側にコントロールされる記者が増えている。組織ジャーナリズムの悪い側面が目立ちはじめている。 新聞社の経営問題とは別に、社会的な機能としてのメディアをどう維持していくか。真剣に考えなければならない局面に来ている』、「「権力監視」の機能を含めて、社会的な機能としてのメディアをどう維持していくか。真剣に考えなければならない局面に来ている」、全く同感である。

次に、4月18日付けNEWSポストセブン「朝日新聞編集委員が安倍晋三氏インタビュー記事介入で処分 OBたちの嘆き」を紹介しよう。
https://www.news-postseven.com/archives/20220419_1745629.html?DETAIL
・『新聞・メディア業界に大きな衝撃を与えたのが朝日新聞の峯村健司・編集委員(外交、米国・中国担当)による、『週刊ダイヤモンド』の安倍晋三・元首相インタビュー記事への介入問題だ。 峯村氏は中国の安全保障政策に関する報道で「ボーン・上田記念国際記者賞」、昨年は無料通信アプリLINEが日本の利用者の個人情報に中国人技術者がアクセスできる状態にしていたことをスクープして新聞協会賞を受賞した朝日のエース記者。その峯村氏が今年3月、『週刊ダイヤモンド』が行なった安倍氏へのインタビューについて同誌の副編集長に電話を入れ、「安倍(元)総理がインタビューの中身を心配されている。私が全ての顧問を引き受けている」と発言し、「とりあえず、ゲラ(*校正用の記事の試し刷り)を見せてください」「ゴーサインは私が決める」などと要求した。 週刊ダイヤモンド編集部は要求を拒否し、朝日新聞に対して「編集権の侵害」と抗議。朝日は調査を経て、「政治家と一体化して他メディアの編集活動に介入したと受け取られ、記者の独立性や中立性に疑問を持たれる行動だった」とダイヤモンド側に謝罪。4月7日付朝刊社会面で峯村記者の行為は「報道倫理に反する」と編集委員を解任し、停職1か月の処分を下したことを大きく記事化した。 なぜ、朝日の編集委員が“安倍氏の代理人”を務めたのか。安倍氏は首相退陣後も新聞・テレビに積極的に登場し、ロシアのウクライナ侵攻後は、特に核共有についての議論提起に力を入れている。 首相を辞めてもなお、メディアにそれだけの発信力があるのは、連続在任7年8か月の長期政権下で大メディアを取り込んできたからだ。 安倍氏のメディア戦略は自ら新聞・テレビの最高幹部と会食を重ねて“懐柔”をはかる一方で、「中立・公平」を口実に報道内容に細かく注文をつけて“圧力”をかけるアメとムチの手法で行なわれた。 巧妙だったのはNHKの岩田明子氏、TBS時代の山口敬之氏、テレビコメンテーターでは政治評論家の田崎史郎氏など、主要なメディアに“安倍応援団”の記者をつくり、巧みに官邸寄りの情報を発信させたことだ。 2013年10月に放送されたNHKスペシャル『ドキュメント消費税増税 安倍政権 2か月の攻防』では、安倍氏がどんな覚悟と勇気をふるって消費税増税を決断したかが描かれ、岩田氏が総理執務室で安倍氏を独占インタビューする。まさにNHKが首相の宣伝番組の制作プロダクションになったかのようだった。) そうして大新聞・テレビが次第に権力に刃向かう牙を抜かれ、安倍政権の“宣伝機関”へと傾斜を強めていくなかで、批判的な姿勢を保ってきたのが朝日だった。「森友学園」の国有地売却問題や加計学園の獣医学部新設問題を追及し、財務省の公文書改竄をスクープして安倍氏を追い詰めた。 しかし、今回の報道介入問題で、朝日内部の“安倍応援団”の存在が浮かび上がった。元朝日新聞ソウル特派員の前川惠司氏が語る。 「NHK政治部の岩田記者は安倍首相の懐刀なんて言われていたが、話すことは結局、安倍さんの宣伝と受け取られかねない面があった。峯村さんも“オレは安倍さんに安全保障についてレクしている、安倍さんに食い込んでいる”と社内にアピールしたかったのかもしれないが、記者が向き合う相手は読者以外いないはずだ」 朝日の峯村氏への処分もおかしいと続けた。 「朝日の綱領のひとつに『不偏不党の地に立って言論の自由を貫き、民主国家の完成と世界平和の確立に寄与す』とあるが、朝日新聞の読者は中道から左派の人が多い。政府に批判的な読者が多く、安倍さんは保守の右派で再軍備を主張しているから朝日の立場とは違う。 朝日にはかつて社会党の土井たか子さんの事務所内に自分が主導する市民団体を設置するほどの記者もいたのに、処分などされなかった。なぜ峯村さんだけ処分するのか。安倍さんとつながっていたからなら、不偏不党の処分とは言えないのでは」 峯村氏の行為は「反安倍」という朝日の看板がすでに朽ちかけていることを示している。だからこそ、朝日は慌てて処分に踏み切ったのではないか。そんな内情を思わせる指摘だ』、「峯村さんも“オレは安倍さんに安全保障についてレクしている、安倍さんに食い込んでいる”と社内にアピールしたかったのかもしれないが、記者が向き合う相手は読者以外いないはずだ」、その通りなのだろう。それにしても、超一流の新聞記者、「峯村氏」がこんな罠にはまるとは解らないものだ。

第三に、4月16日付け東洋経済オンライン「スクープ!日経「テレ東天下り」に物言う株主がNO 株主提案には「日経が最も恐れる男」の名前も」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/581882
・『日経グループを想定外の激震が襲っている。 4月14日、民放キー局のテレビ東京ホールディングス(HD、東証プライム市場上場)が、アクティビスト(物言う株主)から6月の定時株主総会に向けた株主提案を受けていたことが東洋経済の取材でわかった。仕掛けたのは、香港の投資会社であるリム・アドバイザーズだ。 リムが行った提案の中で最大のポイントは、筆頭株主である日本経済新聞社(日経)から経営陣がテレ東HDに「天下り」する慣行を廃止すること。その実行を担保するための社外取締役候補として「日経が最も恐れる男」の起用を提案している。リムは日経とテレ東という経済報道の巨人に挑戦状をたたきつけた格好だ』、「テレ東という経済報道の巨人に挑戦状をたたきつけた格好だ」、これは興味深そうだ。
・『歴代のテレ東社長は日経の出身者  まず、「天下り」の実態を見ておこう。日経はテレ東HDに32.0%を出資する筆頭株主。現在の同社経営陣のトップ3はいずれも日経本体の取締役経験者だ。1973年就任の佐藤良邦氏以来、テレ東HD(2010年から持株会社体制へ移行)社長は40年近く日経出身者が占め続けてきた。 また、テレ東HDで特別顧問の職にある高橋雄一氏は日経からテレ東社長に転じ、2020年にテレ東HD会長を退任した人物だ。今回、リムは報酬つきの顧問制度を撤廃することも求めている。 日本の放送法では民放キー局などを傘下に抱える持ち株会社に、特定株主が3分の1以上出資できないと定めている。日経はほぼその上限の株式を保有している。「日経幹部にとってテレ東は最も格の高い天下り先」(日経元記者)という。) 近年、TBSホールディングス、テレビ朝日ホールディングス、フジ・メディア・ホールディングスなどの民放大手は続々とアクティビストの標的になってきた。 これらの企業はいずれもPBR(株価純資産倍率)が1倍を下回る。一方で、現預金、持ち合い株、不動産といったノンコアの資産を豊富に抱えている。アクティビストから見れば、株主提案など経営陣への圧力により増配といった果実を得やすい、実においしい状態なのだろう。 (外部配信先では図を全部閲覧できない場合があります。その際は東洋経済オンライン内でお読みください) 石川一郎社長が就任(2020年6月)してからの株価推移をみると、テレ東HDは一人負け状態だ。 2021年12月末時点でテレ東HDの純資産は900億円に及ぶが、足元の時価総額は約550億円。PBRは0.6倍に過ぎず、345億円ものキャッシュを抱えるテレ東HDもアクティビストからすれば格好の獲物のはず。だが、長らく同社は太平無事だった。「日経は企業に圧倒的な影響力を持つ『ご意見番』。テレ東を突き上げて彼らを敵に回すのは、アクティビストにとっても怖いこと」(投資ファンド関係者)だからだともいえる』、「「日経は企業に圧倒的な影響力を持つ『ご意見番』。テレ東を突き上げて彼らを敵に回すのは、アクティビストにとっても怖いこと」、今回はこうした制約が弱くなったのかも知れない。
・『上場企業の「天下り」を問題視  そうした中、あえて株主提案を突きつけたリムは、日本企業の「天下り」体質を目の敵にしているファンドだ。 2021年には平和不動産、2022年には鳥居薬品に、取引先や親会社からの天下りの禁止を求める株主提案を行っている。両社への提案書では、利益相反や、トップに迎える人材の適格性を問うている。 リムはすでに1%余りのテレ東HD株を保有しているもようだ。その圧力が作用したのか、テレ東HDは2022年2月に増配と自社株買い、さらに人事諮問委員会、報酬諮問委員会の設置を五月雨で発表している。リムはそれでも不十分と見て、今回の株主提案を放ったのだろう。 関係者を驚かせたのは、リムが社外取締役の候補として思いも寄らない人物を挙げたことだ。 テレ東HDには現在、5人の社外取締役がいる。日経の岡田直敏会長のほかには、大橋洋治・ANAホールディングス相談役、岩沙弘道・三井不動産会長、澤部肇・TDK元会長、奥正之・三井住友フィナンシャルグループ名誉顧問と、財界の重鎮が並ぶ。 そうした人たちではガバナンス強化に不十分とみて、リムが社外取締役の候補として挙げたのは阿部重夫氏。1973年に日経記者となり、欧州総局ロンドン駐在編集委員や『日経ベンチャー』編集長などを務めて1998年に退社した。 彼の名前は日経グループのガバナンスを語るときには欠かせない。2003年に当時の鶴田卓彦社長による支配を崩壊させた立役者の一人だからだ。同年1月には、日経新聞のベンチャー市場部長(当時)だった大塚将司氏が社員株主として鶴田氏の解任動議を提出した。子会社での融通手形操作によって巨額の損失が出ていたことと、会社の接待費を不適切に使用した疑惑がその理由だった。 内外の批判を受けて、鶴田氏は会長、さらに相談役に退いたが、この過程で大きなインパクトを与えたのが、阿部氏が編集長を務めていた月刊誌『選択』での報道だ。鶴田体制の実態を暴露した連載では、赤坂のクラブの密室でのやりとりまで生々しく再現。日経社内を震撼させた』、「阿部氏が編集長を務めていた月刊誌『選択』での報道」、『選択』はスクープものを売り物にしており、「阿部氏」がその「編集長」になっていたとは、まさに本件の最適任者だ。
・『「リベンジではなく、リデンプション」  現在ウェブメディア「ストイカ・オンライン」の編集代表を務める阿部氏には、日経社内に今でも多くの“信奉者”がいる。現役のメディア人、かつグループの内部情報を豊富に持つ阿部氏は日経経営陣にとって最も恐ろしい人物のはずだ。 株主提案の取締役候補を引き受けた理由を阿部氏に質問すると、「これはリベンジではなく、リデンプションです」という短い回答があった。リデンプションとは「義務の履行」を意味する言葉。そこには、日経グループという“古巣”の改革に向けた静かな意気込みが見てとれる。 東洋経済の取材に対し、テレ東HDは「当社は、LIM JAPAN EVENT MASTER FUND(リム)から2022年6月に開催予定の第12回定時株主総会における株主提案書を受領しました。内容については精査中です」と回答した。一方のリムは「個別の投資先に関してはお答えできない」とする。 今後の注目点は、6月16日に予定されるテレ東HDの株主総会に向けてリムの提案にどれだけの支持が集まるかだ。 リムの平和不動産への株主提案は2021年6月の総会で否決されたものの、2022年に入って同社は指名委員会等設置会社への移行を決めた。鳥居薬品の2022年3月の総会に当たり、議決権行使助言会社のISS社は天下り廃止の議案への賛成を推奨していた。「天下り批判」は機関投資家の支持を得やすく、そこがリムの狙い目だろう。 【2022年4月16日9時35分追記】初出時の総会の記述を修正しました。 テレ東HDに対する株主提案には、企業が純粋な投資目的でなく、取引先との関係維持などのために持っている政策保有株の放出も盛り込まれている。同社は100億円を超える政策保有株を持っており、その中には、住友不動産株のように2020年度に新たに買い増した例もある。また、リムはテレ東HDに対し、過剰資本解消のため2021年度の純利益をすべて配当に回すよう求めている。 上場企業のガバナンスの透明性確保は、日経グループのメディアが繰り返し訴えてきたことだ。リムの株主提案はその言論の一貫性を問うたものだけに、真剣に対応せざるをえない。5月半ばまでになされるだろうテレ東HDの取締役会意見の表明が待たれる』、5月12日付けで「テレ東HDの取締役会」が出した声明、株主提案に対する当社取締役会意見に関するお知らせ では、株主提案にはいずれも反対している。
https://ssl4.eir-parts.net/doc/9413/tdnet/2119630/00.pdf
さて、6月16日に株主総会ではどうなるだろうか。
タグ:「朝日新聞社」の問題は、第二の記事で取上げる。「日本経済新聞に関しては若手記者の退職が相次いでいる」、とは困ったことだ。 東洋経済オンライン「新聞社をダメにした「外を知らない経営者」の過ち 「個人が輝く職場」に戻さなければ復権は難しい」 メディア (その31)(新聞社をダメにした「外を知らない経営者」の過ち 「個人が輝く職場」に戻さなければ復権は難しい、朝日新聞編集委員が安倍晋三氏インタビュー記事介入で処分 OBたちの嘆き、スクープ!日経「テレ東天下り」に物言う株主がNO 株主提案には「日経が最も恐れる男」の名前も) 「しばらく他流試合をやらせていると、原稿はみるみる上達した」、「記者が輝かないと新聞社は輝かない。だから会社は記者のバイトを黙認してきたし、外で鍛えられた記者がいい仕事をすることが会社の利益につながっていた」、「2011年の前後になるとすっかり文化が変わり、社内でそれまで黙認されてきた記者のバイトに対し「けしからん」という空気が充満するようになった」、「外で活躍したことのない人が上に立つようになった。外の世界を知らない人が上に立つと、記者の「枠外」の行動を許さなくなる。組織の体質もコンプライアンス重視へと 「日本の新聞社が組織として隆盛したのは1970年代以降、高度経済成長期に入り、自宅で新聞を購読する人が急増してから。記者に対し、世間の相場より高い給料を払う、「きちんとした会社」になったのはこのころだ」、「新聞社が組織として隆盛したのは1970年代以降」、そんな最近だったとは初めて知った。「個人が輝く職場へと戻さなければならないのに、管理強化の流れは変わっていない。輪転機が激しく回っていた時代の分業体制を引きずっていて、個々人をいかに生かすかより、いかに組織を回すかに重心が置かれている。記者の多様な働き方 「「権力監視」の機能を含めて、社会的な機能としてのメディアをどう維持していくか。真剣に考えなければならない局面に来ている」、全く同感である。 NEWSポストセブン「朝日新聞編集委員が安倍晋三氏インタビュー記事介入で処分 OBたちの嘆き」 日新聞の峯村健司・編集委員 「峯村さんも“オレは安倍さんに安全保障についてレクしている、安倍さんに食い込んでいる”と社内にアピールしたかったのかもしれないが、記者が向き合う相手は読者以外いないはずだ」、その通りなのだろう。それにしても、超一流の新聞記者、「峯村氏」がこんな罠にはまるとは解らないものだ。 東洋経済オンライン「スクープ!日経「テレ東天下り」に物言う株主がNO 株主提案には「日経が最も恐れる男」の名前も」 「テレ東という経済報道の巨人に挑戦状をたたきつけた格好だ」、これは興味深そうだ。 「「日経は企業に圧倒的な影響力を持つ『ご意見番』。テレ東を突き上げて彼らを敵に回すのは、アクティビストにとっても怖いこと」、今回はこうした制約が弱くなったのかも知れない。 「阿部氏が編集長を務めていた月刊誌『選択』での報道」、『選択』はスクープものを売り物にしており、「阿部氏」がその「編集長」になっていたとは、まさに本件の最適任者だ。 5月12日付けで「テレ東HDの取締役会」が出した声明、株主提案に対する当社取締役会意見に関するお知らせ では、株主提案にはいずれも反対している。 https://ssl4.eir-parts.net/doc/9413/tdnet/2119630/00.pdf。 さて、6月16日に株主総会ではどうなるだろうか。
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パンデミック(経済社会的視点)(その23)(中国ゼロコロナ政策)(中国のゼロコロナ固執で露呈した 「習近平国家主席は絶対正しい」の限界、習近平の「ゼロコロナ」への固執が招いた上海ロックダウン地獄絵図 コロナは個人独裁の綻びの始まり・前編、習近平コロナ失政に「無関心」で高まる李克強の存在感が意味すること コロナは個人独裁の綻びの始まり・後編) [パンデミック]

パンデミック(経済社会的視点)については、4月22日に取上げた。今日は、(その23)(中国ゼロコロナ政策)(中国のゼロコロナ固執で露呈した 「習近平国家主席は絶対正しい」の限界、習近平の「ゼロコロナ」への固執が招いた上海ロックダウン地獄絵図 コロナは個人独裁の綻びの始まり・前編、習近平コロナ失政に「無関心」で高まる李克強の存在感が意味すること コロナは個人独裁の綻びの始まり・後編)である。

先ずは、5月3日付けダイヤモンド・オンラインが掲載した立命館大学政策科学部教授の上久保誠人氏による「中国のゼロコロナ固執で露呈した、「習近平国家主席は絶対正しい」の限界」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/302579
・『中国は、最初に新型コロナウイルスが感染拡大した国だ。しかし、徹底した都市封鎖と行動制限の「ゼロコロナ政策」によって感染拡大を抑え込んだ(本連載第236回)。しかし、今、その政策が限界を迎えつつある。国民からの不満も爆発しているのに「ゼロコロナ」から脱却できない。権威主義的体制の根本的な問題は何か』、中国が直面するジレンマとは興味深そうだ。
・『一歩先を進んでいたはずの中国、世界から置きざりに?   「ゼロコロナ」によって感染拡大を抑え込むことができた中国では、企業が、他国に先駆けて、生産を再開することができた。2020年、中国はG20の中で、唯一のプラス成長2.3%を達成している。中国政府は、「新型肺炎のまん延を最も包括的に、厳格に、徹底的に抑え込んだ」と自画自賛した。 欧米諸国や日本など感染封じ込めに失敗したかにみえた自由民主主義諸国と対比して、中国の権威主義的な政治体制の優位性を強く主張し、「感染が広がる他の国に支援する用意がある」とアピールした(本連載第263回)。 この成功体験から、中国政府は「『ゼロコロナ』こそが、ベストのコロナ対策」と訴え、新型コロナの徹底的な封じ込めを指示し続けた。 ところが、その後新型コロナはアルファ株やデルタ株、オミクロン株など、次々と変異を繰り返したことで、世界の対応に変化が起きる。 欧米諸国などは次々と「ゼロコロナ」の実現を放棄。新型コロナの消滅は不可能だという前提で、ワクチン開発・接種、治療薬の開発によって、ウイルスと共存・共生しながら社会を正常化していく方針に転換したのだ』、『ゼロコロナ』の「成功体験」に囚われて、「欧米諸国など」が「ウイルスと共存・共生しながら社会を正常化していく方針に転換した」のに取り残されたようだ。
・『英国は「日常へ移行」し、他国も「ウィズコロナ」を覚悟  デルタ株が猛威を振るっていた昨年7月、英国ではジョンソン首相が、集会や飲食店の制限の解除など、感染抑制のための制限措置の大半を解除し、経済・社会を正常化すると決断した。さらに、今年2月24日に新型コロナ対策のすべての法的規制を撤廃した。新型コロナ陽性者の最短5日間の自主隔離の義務などが廃止された。 ただし、ジョンソン首相は、「このウイルスはなくならない。そのため、今日は新型コロナに対する勝利宣言できる日ではない」と発言した。一方で、ジョンソン首相は「感染のピークは過ぎて感染者数は減少している」とも指摘した。英国は新型コロナ感染再拡大や新たな変異株への備えをしつつ、「日常への移行」を完了すると宣言した(BBC NEWS「英イングランド、コロナ規制を全廃へ 隔離措置は24日に廃止」)。 4月1日からは、「新型ウイルスの影響を最も受けやすい人」を除き、一般市民を対象とした無料の大規模症状検査は終了となった。 英国と同様に、他の欧米諸国や日本などは、ワクチン接種で重症化防止措置を取れば、あとは手洗い、消毒、マスク着用で感染を防止し、社会活動、経済活動を平時に戻していくという「ウィズコロナ」の方向性に向かっている。 中国でも、感染力の強いデルタ株やオミクロン株の感染を抑えることができなかった。しかし、「ゼロコロナ」を世界に誇っていた中国は、習近平国家主席の強力な指導力による「ゼロコロナ政策」を貫き通そうとした。 2022年冬の北京五輪を成功させなくてはならないという国家目標があったからだ』、「英国と同様に、他の欧米諸国や日本などは、ワクチン接種で重症化防止措置を取れば、あとは手洗い、消毒、マスク着用で感染を防止し、社会活動、経済活動を平時に戻していくという「ウィズコロナ」の方向性に向かっている」、「「ゼロコロナ」を世界に誇っていた中国は、習近平国家主席の強力な指導力による「ゼロコロナ政策」を貫き通そうとした」、思い上がった「ゼロコロナ」の罠に囚われたようだ。
・『「ゼロコロナ」に執着、プライドのため国民の不満もスルー  2021年夏の東京五輪は、無観客開催という変則的な形となったが、中国は、北京大会を完璧な形で成功することで、国家としての威信と力量を世界に示そうとした(田中信彦「『ゼロコロナ』の呪縛から逃れられるか 中国の政策に見るナショナリズムの変化」NEC Wisdom)。 だが、結局はデルタ株の感染拡大に直面して、昨年9月に海外からの観客受け入れを断念した。大会直前の今年1月には、オミクロン株の感染拡大で、チケットの一般販売を行わず、観客を限定して受け入れると変更せざるを得なくなった。 3月、中国の新型コロナ感染者数は、重症者数は英国など諸外国と比べて大きなものではなかったが、中国各地の都市でロックダウンや厳しい行動制限が実施された。 人口2400万人都市の上海でロックダウン(都市封鎖)も長期化している。吉林省長春市、陝西省西安市や河南省鄭州市など、中国の45都市で移動制限などなんらかの封鎖措置が取られているという情報もある(朝日新聞デジタル「中国『ゼロコロナ』政策 なぜ苦境 習指導部の『堅持』、リスクにも」)。 「ゼロコロナ」政策は、ある都市でわずかな感染が発生しただけでも、その全市民にPCR検査が行われ、自宅待機、厳格な外出制限を実施する。不要不急の企業活動、飲食店、商業施設、娯楽施設の営業、学校や公共交通機関の停止、幹線道路の封鎖といった都市封鎖を徹底的に行うというものだ。 だが、その厳格さにもかかわらず、感染拡大が収まる気配を見せない。市民が食料の調達に苦労し、病院をたらい回しにされる医療ひっ迫の危機にあるという。市民の不満が次第に高まり、SNS上には当局に抗議する市民の動画が流れたりしている(AERA.dot 「『物資をよこせ!』中国ゼロコロナで困窮する人たち 『私がゼロにされる』批判投稿も」)。 しかし、中国政府は、市民の不満に応えようとしない。「ゼロコロナ」政策は、中国が新型コロナ対策で世界を指導する地位にあること、中国の政治体制が自由民主主義より優れていることをアピールする政策であったので、その変更は極めて難しいのだ。 むしろ、中国政府は「ゼロコロナ」政策をより徹底的に行うことを指示している。3月以降、ゼロコロナ政策の遂行に失敗したとして、120人以上の地方政府や党の幹部が更迭などの処分を受けているという情報もある(西日本新聞「『ゼロコロナ』中国に逆風 経済打撃、市民に不満『独り負けに』」)。 だが、ゼロコロナの徹底でも、新型コロナの感染拡大は止まらず、状況は好転しない。上海市で、新規感染者の少ない区画では、段階的に外出制限を緩める方針を示していた。しかし、再び外出制限を厳格化する方針を決めた。感染の深刻な地域では、PCR検査をあらためて徹底する方針を決めざるを得なくなっている(日本経済新聞「上海市、外出制限を再び厳格化 感染増加地域で」)。 要するに、英国など欧米諸国を中心に、多くの国がウイルスとの共存・共生を目指す「ウィズコロナ」戦略に転じる中、「ゼロコロナ」政策を貫いてきた中国が、新型コロナの感染拡大に苦心惨憺しているのだ』、「「ゼロコロナ」政策は、中国が新型コロナ対策で世界を指導する地位にあること、中国の政治体制が自由民主主義より優れていることをアピールする政策であったので、その変更は極めて難しいのだ。 むしろ、中国政府は「ゼロコロナ」政策をより徹底的に行うことを指示している」、「「ゼロコロナ」政策を貫いてきた中国が、新型コロナの感染拡大に苦心惨憺している」、科学的視点より政治的視点を重視したツケだ。
・『間違いを修正できない!身動きが取れなくなった中国  この連載で主張してきた、ロシアや中国のような「権威主義的体制」の弱点を端的に示している(第220回)。権威主義的体制は、指導者は絶対に間違うことがないという「無謬(むびゅう)性」を前提としている。指導者は常に正しく、常に勝利し国民を導いていく。これが、指導者の「権威」と「権力」の基盤である。 だから、権威主義的体制では、自由民主主義体制では当たり前に行われる、国民の声を聴いて妥協し、政策を修正するということは、それ自体が権威を揺るがすことになるため絶対に認められないのだ。 そして、重要なことは、うまくいかなくなったら、うそを重ねて権威を守ろうとする。これは、「ゼロコロナ」政策に固執する、現在の中国の状況に完全に当てはまるのではないだろうか。 中国は、迅速な意思決定が可能であるとして権威主義的体制の優位性を主張してきた。だが、その主張は間違っている。実際には、政策の修正が必要な局面になると、とたんに非効率的となる。必要な決断を遅らせる、コストの高いものであることが明白だ。 権威主義的体制では、指導者の政策の間違いを正すには、政権を倒す体制変革、最悪の場合武力による革命が必要になる。重要なことは、そのとき、多くの人々の生活や生命が犠牲になってしまうことなのだ。 欧米や日本の自由民主主義体制ならば、指導者の政策の間違いを修正するのは、それほど難しいものではない。基本的に情報がオープンであることを通じて国民は指導者の間違いを知ることができるからだ。 そして、間違いは選挙を通じてやり直すことができる。それが、一見地味ではあるが、自由民主主義にあって他の政治体制にはない最大のメリットであると、何度でも強調しておきたい。 現在、ウクライナ侵攻の停戦協議が進まず泥沼化している。それは、突き詰めればロシア・プーチン大統領が「戦争遂行に失敗した」という形では、戦争を終えられないからだ。失敗を認めることは、プーチン政権の権威と正統性を失わせることになるのだ(第299回)。 中国の新型コロナ対策も、習主席の「ゼロコロナ」政策が誤っていたという形には絶対にできない。だから、「ゼロコロナ」政策が正しかったという形を作るまで、政策を転換することができない。中国は、習主席の無謬性という「権威」を守るために、政策を変えることができず、身動きが取れなくなってしまっているということなのだ』、「権威主義的体制では、指導者の政策の間違いを正すには、政権を倒す体制変革、最悪の場合武力による革命が必要になる。重要なことは、そのとき、多くの人々の生活や生命が犠牲になってしまう」、「欧米や日本の自由民主主義体制ならば、指導者の政策の間違いを修正するのは、それほど難しいものではない。基本的に情報がオープンであることを通じて国民は指導者の間違いを知ることができるからだ。 そして、間違いは選挙を通じてやり直すことができる。それが、一見地味ではあるが、自由民主主義にあって他の政治体制にはない最大のメリットであると、何度でも強調しておきたい」、完全に同感である。

次に、5月2日付け現代ビジネスが掲載した在日評論家の石 平氏による「習近平の「ゼロコロナ」への固執が招いた上海ロックダウン地獄絵図 コロナは個人独裁の綻びの始まり・前編」を紹介しよう。
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/94861?imp=0
・『怒りに満ちあふれる閉鎖都市・上海  日本のメディアでも連日報じられているように、中国屈指の大経済都市・上海は3月27日からロックダウンされることとなった。当初は市中心部を東西に分けて2段階的にロックダウンを始めていたが、4月5日あたりから全面的なロックダウンが実施された。 ロックダウン期間がすでに1ヵ月ほどが経った、この原稿を書いている4月27日現在、解除される見通しはいっさい立っていない。 そしてこの1ヵ月間、都市封鎖の上海市内はまさに阿鼻叫喚の地獄と化している。物流の中断や小売店の休業などによって生活物資が決定的に不足して食糧難も起き、文字通りの飢餓の蔓延が現実に起きた。 さらに、極端な強制隔離措置が取られた中では、重病となっていても病院へ行けないケースや小さな子供が親から切り離されて隔離施設へ送られるような人道上の災難も多発した。 このような状況に対し、多くの上海市民の不満が爆発寸前となった。一部の区域では市民による局部的な騒乱や抗議活動が勃発し、封鎖された市内を視察した上海市党委員会書記が市民に面罵されるという共産党政権下ではめったにない珍光景が見られるまでになった。 こうした中で、「上海人の忍耐は極限に達している」とする憤慨のブログ文が4月初旬にネット上で流布されると2000万回以上の閲覧され、全国で大きな反響を呼んだ。 4月22日からは、市民の怒りと悲しみの肉声を拾った短編動画の「四月の声」が通信アプリの「微信」上にアップされて大量に転載、拡散された。動画は当局により直ちに削除されたが、市民らは別の通信アプリやQRコードを使うなどして拡散を続け、団結して検閲に対抗した』、「市内を視察した上海市党委員会書記が市民に面罵されるという共産党政権下ではめったにない珍光景が見られるまでになった」、確かに驚くべきことだが、市民の怒りの強さを示しているようだ。
・『効果なしの無駄政策  このように、この1ヵ月間、上海史上初めてのロックダウンによって市内が大混乱に陥り、市民には多大な犠牲と不便が強いられている。そしてその結果、市民の反発と憤りがいよいよ頂点に達しつつある。その一方、2600万人の大経済都市である上海の長引くロックダウンの、上海の経済だけでなく中国経済全体に与えるダメージの大きさは計りきれない。 コロナ感染の拡大云々というよりも、感染拡大を封じ込めるための手段であるはずのロックダウンそのものは、上海と上海市民にとっての大災難となっているのである。 問題は、それほどのコストを払って強行された上海ロックダウンは果たして、コロナ感染拡大の封じ込めという当初の目的を達成しているかである。4月27日現在の状況からすれば答えはやはり「NO」である。というよりもむしろ、ロックダウンの中で感染拡大は酷くなる一方である。 3月26日、ロックダウンされた前日の上海市内で確認された感染者数は45名で、無症状感染者数が2631名であった。しかし、ロックダウンされて約1ヵ月が経った4月25日、同じ上海市内で確認された新規感染者数が1661名、無症状感染者数が1万5319名である。 つまり、数字を見る限り、ロックダウンによって感染者数が減らされたのではなくむしろその逆である。まさに前代未聞の厳しいロックダウンの中において、実は感染者数と無症状感染者数の両方は大幅に増えているわけである。 その原因についての探求は本論考の範囲外であるが、一つ確実に言えるのは、要するにロックダウンという措置は上海市内の感染拡大の封じ込めに全く役に立っていない、ということだ。この1ヵ月のロックダウンは単に、副作用としての大災難こそを招いた効果なしの無駄策だったのである』、「ロックダウン」が成功した武漢市は、人口1180万人と、「上海」の「2600万人」より小粒で、「オミクロン変異株」のように複雑化してなかった。
・『誰の責任かはよくわかっている  ここまできたら、ロックダウンを目玉とする政府当局のコロナ対策は、もはや完全に失敗していると言わざるを得ない。そしてこの失敗はすなわち、中国の独裁者である習近平主席その人の失敗でもある。 3月25日掲載の「もはや“アリ地獄”…『ゼロコロナ政策』に固執する習近平の思考回路」で指摘したように、上海など大都市でロックダウンという厳重措置が取られたことの背後には、習主席の主導下で推し進められてきた「ゼロコロナ」政策がある。 今までは、コロナウイルスの完全撲滅を目指すこの極端な政策の貫徹こそが、中国におけるコロナの封じ込めを成功へと導いた最大の要因であったから、「ゼロコロナ」政策はいつの間にか習近平政権の一枚看板の政策となっていて、「社会主義制度の優越性」の印にさえなっているのである。 それだからこそ、習主席は今になっても「ゼロコロナ」政策の堅持に異様なほどに固執している。だが、問題は、感染力の非常に強いオミクロン変異株の出現によって、コロナの完全撲滅はすでに不可能となっていて、「ゼロコロナ」政策自体は現実性を失っていることである。 それでも習主席は、自らの看板政策を守るべく、ゼロコロナ政策の継続にあくまでも固執し、中央と各地方政府にこの政策の貫徹を強要している。 実際、上海ロックダウンの実施はまさに中央から派遣された「督査組」の強い指導下で始まったものである。政治局員・副首相の孫春蘭氏が「習主席指示の貫徹」と称して数回にわたって上海入りして陣頭指揮をとったことは周知の通りである。 つまり、中国における「ゼロコロナ」政策推進の司令塔が習主席本人であることと、上海ロックダウンを指示したのが習主席自身であることは、今の中国では周知の事実である。習主席=「ゼロコロナ」政策、ゼロコロナ政策=ロックダウンは中国国内の常識とさえなっている。 しかしその結果、この乱暴にして極端な「ゼロコロナ」政策の推進が習主席自身のイメージダウンにつながるだけでなく、その政策の失敗もまた、習主席の権威を大きく傷つけて彼の「バカ殿ぶり」を天下に晒し出しているのである』、「この乱暴にして極端な「ゼロコロナ」政策の推進が習主席自身のイメージダウンにつながるだけでなく、その政策の失敗もまた、習主席の権威を大きく傷つけて彼の「バカ殿ぶり」を天下に晒し出しているのである」、「彼の「バカ殿ぶり」を天下に晒し出している」、もう日本国籍を取得した筆者ならではの遠慮のない書きぶりだ。
・『批判押さえ込みの大キャンペーン  こうした中で、ロックダウンによって多くの苦難を強いられた上海市民の不満と憤りのその矛先の向かう先が、まさに習主席その人であるとは言うまでもない。上海市共産党委員会の書記でロックダウンの現地責任者の李強氏が、習主席の側近幹部として上海に送り込まれたことからしても、市民の憤りがもっぱら習氏に向かっていくのはなおさら当然のことであろう。 独裁者を公然と批判することはできないが、「あのバカのせいでこうなった!」と多くの上海市民が思っているのであろう。 流石の習主席も、自らの主導する「ゼロコロナ」政策に対する国内の反感・反発の強さを感じ取ったのだろうか。 4月13日、習主席は視察先の海南島でコロナ対策に言及して、「ゼロコロナ」政策の堅持を改めて強調した。そして、それに呼応するような形で、同じ4月13日からは、新華社通信、人民日報、中央テレビ局などの共産党宣伝部直轄下の中央メデイアは一斉に、「動揺せずに“ゼロコロナ”政策を堅持せよ!」、「“ゼロコロナ”政策を堅持し、動揺せず躊躇わず」と題する論説や記事を大々的に掲載して、「“ゼロコロナ”政策万々歳!」の宣伝キャンーペンを始めたのである。 中国の政治を熟知している人ならばよく分かるように、「ゼロコロナ」政策擁護の宣伝キャンーペンがこうして一斉に展開され始まったことは、まさにこの政策に対する国内の批判が高まっていることの裏返しであって、政策が失敗に終わろうとしていることの証拠である。 共産党中央宣伝部部長の黄坤明氏は、習主席の福建省・浙江省勤務時代からずっと主席に追随してきた腹心の一人でもあるから、上述のゼロコロナ政策擁護キャンペーンの展開は、習主席陣における危機感の高まりの現れでもあろう。 このままでは、ボスの習主席のさらなる権威失墜は必至だから取り巻きの人々も必死である。しかし、習主席陣営が守りに入って自分たちの政策の「防衛戦」を強いられるようなこと自体はむしろ、強固に見える習近平独裁体制がボロを出していることの証左であろう。 このことは秋の党大会に向け政治闘争に発展しかねない事態である。そして、この空前の失政を横目に党内で存在感を増している人物がいる。李克強首相である。 その静かな政治パフォーマンスのあり方と水面下での対立構造を、後編「習近平コロナ失政に『無関心』で高まる李克強の存在感の意味すること」で明らかにしていきたい』、早く続きを読みたいものだ。

第三に、この続きを、5月2日付け現代ビジネスが掲載した在日評論家の石 平氏による「習近平コロナ失政に「無関心」で高まる李克強の存在感が意味すること コロナは個人独裁の綻びの始まり・後編」を紹介しよう。
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/94862?imp=0
・『李克強首相の深謀遠慮  1ヵ月前から続いている中国・上海の都市封鎖は、経済活動や住民の生活に名状しがたい混乱を与えながら、肝心のコロナ感染を全く制圧できていないという、大失策となっている。 前編「習近平の『ゼロコロナ』への固執が招いた上海ロックダウン地獄絵図」で解説したように、秋の党大会を見すえて実績作りに狂奔した習近平国家主席の失態だが、その一方、このコロナ対策における習主席の大失敗・失態を横目にして、自らの管轄する領域で存在感を発揮している指導者もいる。党内における習主席最大のライバルであって対抗勢力筆頭の李克強首相である。 上海がロックダウンされている中で、李首相はどのような動きをしているのか。それを時間順に追って見ていけば実に興味深いものがある。 まずは上海ロックダウンが始まった直後の3月29日、李首相は国務院常務会議を主宰したが、会議のテーマは特大交通事故の防止や経済上の投資拡大の促進であってコロナ対策や「上海」とは全く無関係であった。 そして4月7日、李首相は再び国務院常務会議を主宰した。今度の議題は年金政策・失業対策の調整と研究であって、やはり「コロナ」とも「上海」とも関係はない。4月9日、李首相は「経済情勢に関する専門家・企業家座談会」を主宰し、参加者たちの声に耳を傾けたが、コロナのことも上海のことも一切話題に出ていない。 そして4月11日、李首相は視察先の江西省で「一部地方政府責任者座談会」を主宰し、参加者たちと共に経済成長の維持について討議した。江西省の党委員会書記・省長がリアルで参加した以外に、遼寧省・浙江省・広東省・四川省4省の省長はオンライン参加した。 4月13日、李首相はまたもや国務院常務会議を主宰し、「消費促進」などに関し具体策を討議しそれを決定した。4月14日、李首相は来る洪水・旱魃期における「洪水対策・旱魃対策」に関して、関連中央官庁と各地方政府に「重要指示」を出した。そして4月25日、李首相は「国務院第5回廉政会議」を主宰、「清廉潔白の政治」の実現について参加者たちと討議して「重要講話」を行なったという』、コロナの話題を避けたのはまさに見事だ。
・『上海ロックダウンには一言も触れず  このように、上海ロックダウンの1ヵ月を通して、李首相は地方視察をしたり一連の会議・座談会を主宰したりして精力的に動き回っていることがわかる。これを見る限り彼の首相としての存在感は十分に示されていると思うが、その反面、この一連活動において、首相の彼が見事と言って良いほど、コロナ対策の話と上海ロックダウンの話に一切ノータッチの姿勢を貫いていることは特徴的である。 上述の一連の会議・座談会では李首相は、喫緊のコロナ感染拡大のことに一切触れず、コロナ対策についても一言も語らない。そして、上海という2600万人の大都会がロックダウンされているという国家の一大事に関しては、李首相は、ただ見て見ぬふりしているのである。 普段ではそれはあり得ない話である。李首相の立派な「職務放棄」であるとも言えよう。それでも李首相が、そんなことは百も承知の上でコロナ対策と上海のことに一切触れない姿勢を貫いたのは、彼なりの政治上の深謀遠慮があるのであろう。 彼がこのような姿勢をとった狙いの一つはやはり、国民から大きな反感を買っている「ゼロコロナ」政策を自分自身から完全に切り離して、首相としての自分はこの不人気な政策に一切関わってないことを国民に明確に示すことにあるのであろう。つまり彼は全国民に向かって、「俺がこんな馬鹿げた政策には全く無関係だぞ」と言いたかったのであろう。 それと同時に彼はまた、自分が「ゼロコロナ」政策にも上海のロックダウンにもむしろ反対していることを暗に示唆しているのである。首相として独裁者習主席の看板政策に公然と異を唱えることはできないが、「ゼロコロナ」政策に一切ノータッチする態度を徹底的に貫く彼の言動は誰から見ても、この政策に対する反対姿勢の表れでしかない』、「「ゼロコロナ」政策に一切ノータッチする態度を徹底的に貫く彼の言動は誰から見ても、この政策に対する反対姿勢の表れでしかない」、その通りだ。
・『秋の党大会に向け政治闘争の予感  その一方、李首相は、経済成長・消費拡大・失業対策などの課題で連日会議を開いて具体的対策を講じ、国民の関心に答えて国の実情に沿った政策を進める政策派・実務派首相として存在感を発揮している。 4月12日、中国銀行所属の著名経済学者の管濤氏は「毎日経済新聞」の関連記事に登場して、「専門家・企業家座談会」を主宰した李首相については、「首相は各業界の抱える問題と困難を詳しく把握しており、問題のポイントをきちんと押さえている。人々は中央上層部が当面の情勢を把握していないのではないかとの心配があったが、李首相は実情をきちんと理解しているだけでなく、具体的対策も持っているから心が強い」と語った。 党中央のメデイアで「習近平崇拝」が圧倒的な論調となっている中て、上述のような赤裸々な「李克強礼讃」が著名経済学者の口から堂々と吐かれて新聞紙にと登場するようなことは中国では滅多にない。 捉えようによっては、「実情に通じる実務派首相」の李氏に対する称賛はまさに、「実情を無視してゼロコロナ政策強行」の習主席に対する当て付けでもあるのである。 言ってみれば、習近平の失敗を横目に、李首相は自らのイメージアップ作戦に成功して株を上げているが、ひょっとしたら李首相は、今後も続く習主席のコロナ対策の失敗とそれに伴う主席自身の権威失墜を見据えて、それに取って代わる指導者としての自分自身の地歩を固めているのかもしれない。 秋の党大会に向かっての党内闘争が今後どういう展開を見せてくるのかはいまだ未知数であるが、一つ確実に言えることはすなわち、自らの主導する「ゼロコロナ」政策の失敗によって習主席の個人独裁体制はすでに綻び始めていることである』、北京でも自宅待機が要請され始めたようだ。上海に加え、北京まで「ロックダウン」とでもなれば、事態はさらに混乱の度合いを増す。一時は「習主席」は圧倒的に優位だったが、「「ゼロコロナ」政策の失敗によって習主席の個人独裁体制はすでに綻び始めている」、面白い展開になってきた。
タグ:石 平氏による「習近平の「ゼロコロナ」への固執が招いた上海ロックダウン地獄絵図 コロナは個人独裁の綻びの始まり・前編」 現代ビジネス 「権威主義的体制では、指導者の政策の間違いを正すには、政権を倒す体制変革、最悪の場合武力による革命が必要になる。重要なことは、そのとき、多くの人々の生活や生命が犠牲になってしまう」、「欧米や日本の自由民主主義体制ならば、指導者の政策の間違いを修正するのは、それほど難しいものではない。基本的に情報がオープンであることを通じて国民は指導者の間違いを知ることができるからだ。 そして、間違いは選挙を通じてやり直すことができる。それが、一見地味ではあるが、自由民主主義にあって他の政治体制にはない最大のメリットである 「「ゼロコロナ」政策は、中国が新型コロナ対策で世界を指導する地位にあること、中国の政治体制が自由民主主義より優れていることをアピールする政策であったので、その変更は極めて難しいのだ。 むしろ、中国政府は「ゼロコロナ」政策をより徹底的に行うことを指示している」、「「ゼロコロナ」政策を貫いてきた中国が、新型コロナの感染拡大に苦心惨憺している」、科学的視点より政治的視点を重視したツケだ。 「英国と同様に、他の欧米諸国や日本などは、ワクチン接種で重症化防止措置を取れば、あとは手洗い、消毒、マスク着用で感染を防止し、社会活動、経済活動を平時に戻していくという「ウィズコロナ」の方向性に向かっている」、「「ゼロコロナ」を世界に誇っていた中国は、習近平国家主席の強力な指導力による「ゼロコロナ政策」を貫き通そうとした」、思い上がった「ゼロコロナ」の罠に囚われたようだ。 『ゼロコロナ』の「成功体験」に囚われて、「欧米諸国など」が「ウイルスと共存・共生しながら社会を正常化していく方針に転換した」のに取り残されたようだ。 中国が直面するジレンマとは興味深そうだ。 「ロックダウン」が成功した武漢市は、人口1180万人と、「上海」の「2600万人」より小粒で、「オミクロン変異株」のように複雑化してなかった 「市内を視察した上海市党委員会書記が市民に面罵されるという共産党政権下ではめったにない珍光景が見られるまでになった」、確かに驚くべきことだが、市民の怒りの強さを示しているようだ。 上久保誠人氏による「中国のゼロコロナ固執で露呈した、「習近平国家主席は絶対正しい」の限界」 北京でも自宅待機が要請され始めたようだ。上海に加え、北京まで「ロックダウン」とでもなれば、事態はさらに混乱の度合いを増す。一時は「習主席」は圧倒的に優位だったが、「「ゼロコロナ」政策の失敗によって習主席の個人独裁体制はすでに綻び始めている」、面白い展開になってきた。 「この乱暴にして極端な「ゼロコロナ」政策の推進が習主席自身のイメージダウンにつながるだけでなく、その政策の失敗もまた、習主席の権威を大きく傷つけて彼の「バカ殿ぶり」を天下に晒し出しているのである」、「彼の「バカ殿ぶり」を天下に晒し出している」、もう日本国籍を取得した筆者ならではの遠慮のない書きぶりだ。 早く続きを読みたいものだ。 「「ゼロコロナ」政策に一切ノータッチする態度を徹底的に貫く彼の言動は誰から見ても、この政策に対する反対姿勢の表れでしかない」、その通りだ。 コロナの話題を避けたのはまさに見事だ。 石 平氏による「習近平コロナ失政に「無関心」で高まる李克強の存在感が意味すること コロナは個人独裁の綻びの始まり・後編」 ダイヤモンド・オンライン (その23)(中国ゼロコロナ政策)(中国のゼロコロナ固執で露呈した 「習近平国家主席は絶対正しい」の限界、習近平の「ゼロコロナ」への固執が招いた上海ロックダウン地獄絵図 コロナは個人独裁の綻びの始まり・前編、習近平コロナ失政に「無関心」で高まる李克強の存在感が意味すること コロナは個人独裁の綻びの始まり・後編) パンデミック(経済社会的視点)
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日本の構造問題(その26)(大前研一がトップだったマッキンゼーに見た「会社滅びてコンサル栄える」、日本だけ給料が上がらない謎...「内部留保」でも「デフレ」でもない本当の元凶、日本はなぜ「成長を諦めた国」になっているのか 過剰なコロナ対策も購買力を大きく削いでいる) [経済政治動向]

日本の構造問題については、3月1日に取上げた。今日は、(その26)(大前研一がトップだったマッキンゼーに見た「会社滅びてコンサル栄える」、日本だけ給料が上がらない謎...「内部留保」でも「デフレ」でもない本当の元凶、日本はなぜ「成長を諦めた国」になっているのか 過剰なコロナ対策も購買力を大きく削いでいる)である。

先ずは、3月22日付け日刊ゲンダイが掲載した評論家の佐高信氏による「大前研一がトップだったマッキンゼーに見た「会社滅びてコンサル栄える」」を紹介しよう。
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/money/302758
・『マッキンゼーなどに頼む経営者は経営者失格なのではないかと私は思う。大前研一がトップだったころのマッキンゼーで喜劇的なことが起こったからだ。本質的には喜劇ではなく悲劇である。 ワンマンの磯田一郎が君臨した住友銀行やドンの川上源一が支配したヤマハがマッキンゼーにコンサルタントを依頼したが、腐敗や衰退の最大の元凶である磯田や川上にはまったく触れずに”改革”を進めたために、「向こう傷を恐れるな」という磯田イズムが住銀では温存され、イトマン・スキャンダルを結果した。また、ヤマハでも社長世襲の問題は棚上げしたために、若社長が”職場放棄”することになった。 磯田や川上が頼んでいるのだから、彼らの害を追及できるわけがない。本当はそこに踏み込んでこそのコンサルタントだろう。 大前の唱える「維新」が、サラリーマンにとっても、ためになるどころか有害なものであることは、彼を支持する経営者に京セラの稲盛和夫がいることでもわかる。 稲盛は大前をこう持ち上げた。 「大前さんのやろうとしていることが大きな実験であることは間違いない。この国は真の民主主義が定義できる国なのか。借り物の民主主義、えせ民主主義で終わるのか。それを証明する機会だと思う。一般の国民の間、一般社員の間では民主主義になっているが、会社も役所も上に行くほど民主主義ではないという不思議な国だ。大前さんの問いは官僚組織よりも国民一人一人に向けられているのだという自覚が、国民の間にどれくらいあるかが肝心だ。大前さんには冷静に、勇気を持って、初心を忘れずに、常に一歩控えめに事を進めてほしい」 こう言っている稲盛の京セラには「京セラ従業員の墓」という気持ち悪いものがある。そんな京セラならぬ狂セラに「借り物」だろうが、「えせ」だろうが、民主主義がないことははっきりしているが、稲盛にはその自覚がないのだろう。 もし、大前が民主主義の使徒なら、コンサルタントを頼まれた住銀やヤマハで、磯田や川上にレッドカードを突き付けたのではないか。マッキンゼーだけでなく、堀紘一のいたボストン・コンサルティングでも、そこまで徹底してコンサルタント会社が改革案を出した例を私は知らない。だから、これらは新しさを好む経営者が化粧代わりに使っているもので、まさに無用の長物なのである。皮肉を言えば、会社滅びてコンサル栄えるだ。 大前は日本の漁村の港が漁師しか使えないことを批判し、税金で立派にしたのに「一部の人だけの特権になっている」とわめいている。「レジャーボートなんか、とても置かせてもらえない」「これはどう考えてもおかしい」と言うのだが、レジャーボートを置こうとする大前のような人間の方が「一部の人」であることは明らかではないか』、「住友銀行」では「磯田イズムが住銀では温存され、イトマン・スキャンダルを結果した」、「ヤマハでも社長世襲の問題は棚上げしたために、若社長が”職場放棄”」、「コンサルタント会社」はトップの意向を受けてコンサルティングする制約が出たのだろう。「大前」が「「レジャーボートなんか、とても置かせてもらえない」「これはどう考えてもおかしい」」、などと批判したというのは墓穴を掘ったようなものだ。

次に、4月1日付けNewsweek日本版が掲載した経済評論家の加谷珪一氏による「日本だけ給料が上がらない謎...「内部留保」でも「デフレ」でもない本当の元凶」を紹介しよう。
https://www.newsweekjapan.jp/kaya/2022/04/post-180_1.php
・『<順調に給料が上昇する諸外国と比べて、日本の賃金低迷はいよいよ顕著に。企業への賃上げ要求では解決不可能な根深い原因とその処方箋> 日本人の賃金が全くといってよいほど上昇していない。賃金の低下は今に始まったことではないが、豊かだった時代の惰性もあり、これまでは見て見ぬふりができた。だが諸外国との賃金格差がいよいよ顕著となり、隣国の韓国にも抜かれたことで、多くの国民が賃金の安さについて認識するようになっている。 OECD(経済協力開発機構)によると、2020年における日本の平均賃金(年収ベース:購買力平価のドル換算)は3万8515ドルと、アメリカ(6万9392ドル)の約半分、ドイツ(5万3745ドル)の7割程度。00年との比較では、各国の賃金が1.2倍から1.4倍になっているにもかかわらず、日本はほぼ横ばいの状態であり、15年には隣国の韓国にも抜かされた<参考グラフ:各国の平均賃金(年収)の推移>。 諸外国の賃金が上昇しているということは、それに伴って物価も上がっていることを意味する。食品など日本人が日常的に購入している商品の多くは輸入で支えられており、諸外国の物価が上昇すれば、当然の結果として輸入品の価格も上がる。日本人の賃金は横ばいなので、諸外国に対して買い負けすることになり、日本人が買えるモノの量は年々減少している。 日本の大卒初任給が20万円程度で伸び悩む一方、アメリカでは50万円を超えることも珍しくない。日本人に大人気のiPhoneは、高いモデルでは約15万円もするが、月収20万円の日本人と50万円のアメリカ人とでは負担感がまるで違う。このところ日本が貧しくなったと実感する人が増えているのは、こうした内外価格差が原因である』、「日本人の賃金」の伸び悩みは確かに深刻だ。なお、この記事でのグラフなどのリンクは記事にはない。
・『日本企業の内部留保は異様な水準  では、なぜ日本人の賃金は全くといってよいほど上がらないのだろうか。ちまたでよく耳にするのは、企業が内部留保をため込んでおり、社員の給料に資金を回していないという指摘である。21年3月末時点において日本企業が蓄積している内部留保は467兆円に達しており、異様な水準であることは間違いない。 だが内部留保というのは、賃金を含む全ての経費や税金を差し引いて得た利益(当期純利益)を積み上げたもので、本来は先行投資などに用いる資金である。内部留保が過剰に積み上がっているのは企業が先行投資を抑制した結果であって、内部留保を増やすために賃金を引き下げたわけではない。政府は企業に対して内部留保を賃金に回すよう強く求めたことがあったが、これは企業会計の原則を無視した議論であり、企業が応じることは原則としてあり得ない。 内部留保と並んでよく指摘されるのが、デフレマインドというキーワードに代表される日本人の価値観である。アベノミクス以降、デフレが日本経済低迷の元凶であり、デフレから脱却すれば経済は成長するという考え方が広く社会に浸透した。だが、この議論も先ほどの内部留保と同様、原因と結果を取り違えたものといってよいだろう。 一部の特殊なケースを除き、デフレ(物価の下落)というのは基本的に不景気の結果として発生する現象であり、デフレが不景気を引き起こしたわけではない。不景気でモノが売れず、企業は安値販売を余儀なくされ、これがさらに物価と賃金を引き下げている。高く売ることができる商品をわざわざ安く売っていたわけではない点に注意する必要がある。 一部の論者は最低賃金が低すぎるなど、制度に問題があると指摘している。日本の最低賃金が低すぎるのは事実であり、筆者も改善の余地があると考えているが、これが低賃金の直接的な原因になっているわけではない。ドイツではつい最近まで最低賃金制度が存在していなかったが、賃金は日本よりも圧倒的に高く推移してきた。 まともな賃金を払わない企業には人材が集まらないので、企業の側にも賃上げを行うインセンティブが存在する。企業が十分な利益を上げているのなら、最低賃金制度がなくても企業は相応の賃金を労働者に支払うはずだ』、「まともな賃金を払わない企業には人材が集まらないので、企業の側にも賃上げを行うインセンティブが存在する」、多くの企業が「賃上げ」を抑制しているなかでは、「インセンティブ」の「存在」は疑わしい。「企業が十分な利益を上げているのなら、最低賃金制度がなくても企業は相応の賃金を労働者に支払うはずだ」、も同様に疑わしい。「最低賃金」の引上げもプラスの効果を持つ筈だ。
・『低収益によって賃金が低迷する悪循環  以上から、日本企業は何らかの原因で十分に利益を上げられない状況が続いており、これが低賃金と消費低迷の原因になっていると推察される。収益が低いので高い賃金を払えず、結果として消費も拡大しないため企業収益がさらに低下するという悪循環である。そうだとすると、政府が取り組んでいる賃上げ税制も十分な効果を発揮しない可能性が高い。 岸田政権は企業に対して賃上げを強く要請するとともに、賃上げを実施した企業の法人税を優遇する措置を打ち出した。政府からの要請を受けて、企業が賃金を上げたとしても、企業の収益が拡大しない状況では確実に減益になる。企業は品質の引き下げや下請けへの値引き要求など別なところで利益を確保しようと試みるので、賃上げ分は相殺されてしまう。最初から賃上げをする予定だった企業が、節税目的で制度を利用するという、本来の趣旨とは異なる使われ方もあり得るだろう。) 法人税が高い状態であれば、減税もある程度の効果を発揮するかもしれないが、安倍政権は経済界の要請を受け、在任中に3回も法人減税を実施した。日本の法人税は度重なる減税によって大幅に下がっており、企業にとって減税は魅力的に映らない。というよりも、低収益に苦しむ経済界が政府に減税を強く要請したという図式であり、背後には慢性的な低収益という問題が存在している。 結局のところ日本企業が十分な収益を上げられず、これが長期的な低賃金の原因になっているのはほぼ間違いない。では日本企業というのはどの程度、低収益なのだろうか。 一般的に企業の収益力は当期純利益など最終的な利益率で比較されるが、これは賃金を支払った後の数字。人件費を極端に削減すれば利益を上げることができてしまうため、賃金について議論する場合、この指標を使うのは適切ではない。企業がどの程度、賃金を支払う能力があるのかは、企業が直接的に生み出す付加価値を比較することが重要である。 企業というのは、商品を仕入れ、それを顧客に販売して利益を得ている。製造業の場合には原材料などを仕入れ、組み立てを行って製品を顧客に販売している。 販売額と仕入れ額の差分が全ての利益の源泉であり、この根源的な利益のことを企業会計では売上総利益と呼ぶ。商売の現場では粗利(あらり)という言い方が一般的だが、経済学的に見た場合、企業が生み出す付加価値というのは、この粗利のことを指している。企業は付加価値の中から人件費や広告宣伝費などを捻出するので、付加価値が高まらないと賃金を上げることができない』、「付加価値」のなかで「人件費」が占める割合が低いのではなかろうか。
・『全業種で付加価値が低い日本  日本とアメリカ、ドイツにおける部門(業種)ごとの付加価値(従業員1人当たり)の違いを比較すると、その差は歴然としている。図2のグラフ<参考:日米独の部門(業種)ごとの付加価値の違い>は日本企業の付加価値を1としたときの相対値だが、アメリカは全ての部門において、ドイツもほぼ全ての部門において日本よりも付加価値が高い(つまり儲かっている)。日本企業の付加価値が低く推移している以上、日本企業は賃金を上げられないのが現実だ。 では、なぜ日本企業は高い付加価値を得られないのだろうか。会計的に言えば、付加価値(粗利)を増やすには、①売上高を拡大する、②価格を引き上げる、③仕入れ価格を引き下げる、という3つの方法しかない。このうち③の仕入れ価格の引き下げは、品質の低下や取引先企業への悪影響といったデメリットをもたらすので、積極的には選択されない。結局のところ、付加価値を増やすためには売上高を増やすか、価格を引き上げるかの2択となる。) 図3のグラフ<参考:日米の企業売上高の推移>は日本とアメリカの企業全体の売上高の推移を示したグラフである(80年を100としたときの相対値)。アメリカ企業はリーマン・ショックなどの例外を除けば、基本的にほぼ毎年、売上高を拡大しており、過去40年間でアメリカ企業の売上高は7倍近くに増えた。 売上総利益率(売上高に対する売上総利益の割合)は大きく変わらないので、売上高の絶対値が増えれば、その分だけ付加価値の絶対額も大きくなり、賃金を捻出する原資が増える。一方、日本は90年代以降、むしろ売上高を減らしている。売上高が増えていない以上、仕入れ価格を極端に下げるか、販売価格を引き上げない限り、付加価値は増えない。 では価格の推移はどうだろうか。経済圏全体で販売されている全ての製品価格を調べることは不可能だが、輸出に関しては統計的に価格の推移を追うことができる。日本の輸出品目の価格は80年を境に一貫して低下が続いている。国内でもファストフード・チェーンが過度な低価格競争を繰り返してきたことは多くの人が理解しているだろう。 結局のところ、日本企業は売上高を拡大することができず、価格を引き上げることもできていないという状況であり、これが低賃金の元凶となっている。売上高も価格も変えられないということは、企業の競争力そのものに問題があるとの結論にならざるを得ない』、「企業の競争力そのものに問題がある」、その通りなようだ。
・『なぜ日本企業の国際競争力は低いのか  では日本企業の競争力はなぜ諸外国と比較して低く推移しているのだろうか。国により主力となる産業は異なるのでタイプ別に考えてみたい。 昭和の時代まで、日本は輸出主導で経済を成長させてきた。輸出主導型経済において成長のカギを握るのは、輸出産業の設備投資である。海外の需要が拡大すると輸出産業は増産に対応するため工場などに設備投資を行い、これが国内所得を増やし、消費拡大の呼び水となる。 一方、アメリカのような消費主導型経済の場合、成長のエンジンとなるのは国内消費そのものである。消費が拡大すると、国内企業が商業施設などへの設備投資を増やし、これが所得を増やして消費を拡大させるという好循環が成立する。 GDPの支出面における比率を見ると、アメリカは個人消費が67.9%もあるが、日本は55.4%となっており、日本はアメリカと比較して消費の割合が低い。だが、ドイツやスウェーデン、韓国など、日本よりもさらに消費の割合が低い国はたくさんある。ドイツは今も昔も製造業大国であり、輸出産業の設備投資が経済に大きな影響を与えている。) 同じく製造業が強いスウェーデンに至っては個人消費の比率はわずか44.7%しかない。これらの国々はまさに輸出主導型経済と言ってよく、日本はどちららかというと輸出主導型経済と消費主導型経済の中間地点と見なせるだろう。 加えて言うと、同じ輸出主導型経済であっても、典型的な福祉国家のスウェーデンと、日本と同じく自助努力が強く求められ社会的弱者の保護に消極的な韓国とでは、政府支出の比率が大きく異なる。スウェーデンは、韓国よりも製造業の付加価値が高く、余力を社会保障に充当しているという図式であり、これが政府支出という形で経済に貢献している。 韓国はかつては外貨の獲得に苦しみ、海外への利払いや返済が企業経営の重荷となってきたが、リーマン・ショック以降、輸出が大幅に増え、国際収支は近年、劇的に改善している。企業資金需要の多くを国内貯蓄で賄えるようになり、豊かだった日本に近い状態となりつつある。 日本以外の先進諸外国は、日本がゼロ成長だった過去30年、順調に成長を続けることができたが、それは各国企業がそれぞれの経済構造に合致した形で、業績拡大の努力を続けたからである』、なるほど。
・『グローバル基準でも大手だった日本企業の現状  消費主導型経済であるアメリカの場合、経済をリードする企業はウォルマートやホーム・デポといった小売店、プロクター・アンド・ギャンブル(P&G)に代表される生活用品メーカーなどであり、一方、輸出主導型経済において成長のエンジンとなっているのは電機や機械、化学など典型的な製造業だ。 ドイツにはシーメンスやバイエルなど、グローバルに通用する巨大メーカーがたくさんあり、スウェーデンは小国でありながら、エリクソン、ボルボ、イケア、H&M、スポティファイといった著名企業がそろっている。韓国はサムスンとLGが有名である。 日本の大手企業は80年代まではグローバル基準でも大手だったが、30年間で様子は様変わりした。各国企業が軒並み売上高を拡大する中、日本企業だけが業績の横ばいが続き、多くが相対的に中堅企業に転落した。グローバル基準でも大手といえるのは、もはやトヨタや日立、ソフトバンクグループなどごくわずかである。 日本企業の凋落は全世界の輸出シェアを見れば一目瞭然だ。日本は80年代までは順調に世界シェアを拡大し、一時はドイツと拮抗していた。ところが90年代以降、日本企業はみるみるシェアを落とし、今では4%を割るまでになっている。) 90年代といえば全世界的にデジタル化とグローバル化が進んだ時代であり、日本メーカーはこの流れについていけず、競争力を大きく低下させた。かつては世界最強と言われた半導体産業がほぼ壊滅状態に陥ったのも、全世界的なデジタル・シフトに対応できなかったことが原因である。結果として日本の製造業の売上高は伸びず、単価が下がったことで収益力が低下し、賃金が伸び悩んだと考えられる。 豊かな先進国は通常、製造業の競争力が低下しても、国内の消費市場を活用して成長を維持できる。日本はアメリカほどではないが、相応の国内消費市場が存在しているので、容易に消費主導型経済に転換できたはずだが、国内産業も製造業と同様、業績を拡大できなかった。主な原因はやはりデジタル化の不備にある。 80年代から90年代前半にかけて、日本におけるIT投資の金額(ソフトウエアとハードウエアの総額)は、先進諸外国と同じペースで増加していた。ところが95年以降、その流れが大きく変化し、日本だけがIT投資を減らすという異常事態になっている(OECDの統計を基に筆者算定)。この間、アメリカはIT投資額を3.3倍に、スウェーデンは3.0倍に拡大させた<参考グラフ:各国のIT投資の水準>。 ITは企業の限界コスト(生産を1単位増やすために必要な追加投資の額)を引き下げる効果を持つので、デジタル化時代においてITを積極的に導入しない企業は経営効率が著しく低下する。日本企業の多くはITを活用した業務プロセスの見直しを実施せず、生産性が伸び悩んだ可能性が高い。生産性と賃金は比例するので、生産性が伸び悩めば当然、賃金も下がってしまう』、「日本企業の多くはITを活用した業務プロセスの見直しを実施せず、生産性が伸び悩んだ可能性が高い」、こうした「デジタル化投資」の遅れは生産性向上に致命的だ。
・『企業業績が拡大しないと賃金は上がらない  これまでの議論を整理すると、賃金というのは企業の付加価値が源泉であり、企業の業績が拡大しないと賃金は上がらないということが分かる。付加価値が低迷している状態で、無理なコスト削減(非正規労働者の拡大や、低賃金の外国人労働者の受け入れなど)を実施すると、さらに賃金が下がるという悪循環に陥ってしまう。 こうした状態から脱却するためには、企業の経営環境を根本的に見直す必要がある。意外に思うかもしれないが、日本は先進諸国の中で最も大手企業の経営者を甘やかす社会である。 アメリカはもともと株主の意向が強く、利益を上げられない経営者は容赦なく追放される。ドイツも90年代、当時のシュレーダー首相が中心となって企業経営改革を行い、企業は外部に対し明確な説明責任を負うようになった。ドイツの法律では債務超過を一定期間以上放置すると罰則が適用されるなど、経営者の甘えを許さない仕組みになっている。 債務超過に陥ったいわゆるゾンビ企業を税金を使って延命させたり、粉飾決算を行った経営者を処罰しない日本とは雲泥の差といってよいだろう』、「日本は先進諸国の中で最も大手企業の経営者を甘やかす社会である」、同感である。
・『日本の中小企業は大企業の隷属的な下請け  日本でも徐々にコーポレートガバナンス改革が強化されつつあるが、いまだに企業間の株式の持ち合いが行われているほか、経営能力があるのか疑わしい単なる著名人を社外役員に迎えるケースが散見されるなど、ガバナンスについて疑問視せざるを得ない企業が多い。揚げ句の果てには、政府が大手企業から要請を受け、株主総会に不正介入した疑惑まで指摘されるなど、先進国としてはあってはならない事態も起こっている。 日本では中小企業の多くが大企業の隷属的な下請けとなっており、慢性的な低収益に苦しんでいるが、これも先進諸外国ではあまり見られない光景である(アメリカやドイツの中小企業の利益率は大企業とほとんど変わらない)。 ガバナンスが不十分な社会では、企業経営者は非正規労働者の拡大や下請けへの圧迫など安易なコスト削減策に走りやすい。日本の社会システムは大手企業経営者を過度に甘やかす一方で、中小零細企業の経営者には事実上の無限責任を課すなど、中小企業の行動を大きく制約している。 上場企業に対するガバナンスを諸外国並みに強化し、中小企業の自立を促す金融システム改革を進めれば、日本企業の収益は大きく改善すると考えられる。同時並行で、あらゆる企業がITを導入せざるを得なくなるよう、政策誘導することも重要だ。一連の改革を実施し企業が自律的に成長できるフェーズに入れば、企業が生み出す付加価値は増えるので賃金も上昇していくだろう。最大の問題はこの改革をやり抜く覚悟が日本社会にあるのかどうかである』、「上場企業に対するガバナンスを諸外国並みに強化し、中小企業の自立を促す金融システム改革を進めれば、日本企業の収益は大きく改善する」、同感である。「あらゆる企業がITを導入せざるを得なくなるよう、政策誘導することも重要だ」、ただ、システム投資をベンダーへ丸投げするのではなく、中核的部分は出来るだけ自社でやるようにすべきだ。

第三に、5月25日付け東洋経済オンラインが掲載したみずほ銀行 チーフマーケット・エコノミストの唐鎌 大輔氏による「日本はなぜ「成長を諦めた国」になっているのか 過剰なコロナ対策も購買力を大きく削いでいる」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/591513
・『5月18日、内閣府から公表された2022年1~3月期の実質GDP(国内総生産)成長率(1次速報値)は前期比年率マイナス1.0%(前期比マイナス0.2%)と、高成長(前期比年率プラス3.8%、2次速報後改訂)の2021年12月期から一転してマイナス成長に転落した。2021年1~3月期から1四半期ごとに成長率はプラスとマイナスを繰り返しており、日本経済がパンデミック局面から抜け出せずに足掻い(あがい)ている様子がよくわかる』、興味深そうだ。
・『脱コロナを望まず、成長を諦める国民  もっとも、足掻いているという表現は適切ではないかもしれない。いまだに新規感染者の絶対水準に拘泥し、マスクの手放せない生活を続けていることは、世界的に見れば異様な光景だが、日本では日常だ。もちろん、マスクがあるから低成長なのではなく、マスクが象徴する過剰な防疫意識が消費や投資の意欲を削いでいることが重要である。 過去2年間、「経済より命」路線は確実に実体経済を破壊し続けているが、岸田政権の支持率から判断するかぎり、この状況を大多数の国民が肯定している。悪化ペースが緩やかなので、今を生きる人々が実感しにくいのかもしれない。現在と先行きの経済よりも健康を重視しがちな高齢者の割合が高いことも影響しており、結果的に政権は若者よりも高齢者を重視しているのだろう。後述するように、日本経済が置かれている状況は客観的に見て、先進国の中でそうとう劣後しているのだが、「成長を諦めた国」は国民が望んだ結果とも言える。 1~3月期のマイナス成長はオミクロン変異株の感染拡大を受けて再び政府が行動制限に踏み切ったためだが、個人消費はマイナスではなく横ばいにとどまり、今期の落ち込みをやや抑制した。これは意外であるが、オミクロン変異株の感染拡大は1~2月がピークだたっため、3月以降は行動制限解除を視野に個人が消費を回復させた可能性はある。 「もう、ポーズだけの行動制限措置にすぎない」と達観した人々が以前より自粛に協力しなくなっているという可能性もあろう。まん延防止等重点措置の期間も人出が減らないという報道が散見された。実際、内閣官房デジタル田園都市国家構想実現会議事務局が提供する地域経済分析システム(RESAS)のデータを見ると、オミクロン変異株の感染者数急増とともにまん延防止等重点措置を発出したにもかかわらず、人流が顕著に抑制されていない現実も確認できる。 なお、5月16日には大手飲食チェーン店が時短命令をめぐり、東京都に損害賠償を求めていた裁判で、「命令は特に必要と認められず、違法」との判決が出ている。飲食店への時短命令も行動制限措置の一環だが、違法な命令を下してまで効果の薄い防疫政策を打つことを、東京都が今後は自重することに期待したい』、「オミクロン変異株の感染拡大は1~2月がピークだたっため、3月以降は行動制限解除を視野に個人が消費を回復させた可能性はある」、その通りだ。
・『過剰な防疫対策で経済の自滅が続く  周知のとおり、まん延防止等重点措置は3月下旬に全面解除され、5月のゴールデンウィーク中の人出はかなりの程度回復した。GW前に警告が見られた「2週間後の感染拡大」は現時点では見られておらず、人流と感染拡大の因果関係はかなり怪しいものだと言わざるをえない。 このままいけば4~6月期は個人消費に牽引され、高い成長率に復帰できるだろう。エコノミストのコンセンサス予想である日本経済研究センターの「ESPフォーキャスト」によれば4〜6月期は前期比年率プラス5.18%まで加速する。 しかし、日本の過剰な防疫意識を前提にすれば、成長軌道はこの先も安定しないことになる。過去2年のパターンに従えば、仮に7~9月期以降に感染拡大が見られた場合、4~6月期の高成長を「気の緩み」と指差し、再び自滅的な低成長(行動制限)を選択する流れが想定される。その悪循環を脱却すべく現実的な政策を打つべきだが、「経済より命」路線に対する根強い国民の支持を踏まえれば、政府・与党もこの方針を変える理由がなく、同じことが繰り返される可能性は否定できない。 人々は感染対策のために生きているわけではないはずだ。だが、日本ではそうなってしまっている。主要国の実質GDP水準の推移を、2019年7~9月期を100として見てみよう。10~12月期ではなく7~9月期としているのは、10月に日本では消費増税と台風19号による大きな下押し圧力を受けており、その影響を除いて比較したいためだ。日本は当時の水準に対して依然としてマイナス4%ほど届いていない。これがいかに異様な姿なのかは下図を一瞥すればわかるだろう。 「成長を諦めた国」というのは大げさな形容ではなく、純粋な事実である。円が実効ベースで急落し、日経平均株価がその他主要国の株価指数にはっきり劣後している状況と無関係とは思えない。 なお、今の日本経済の実情をより正確に映し出すのは実質GDP(国内総生産)に交易条件の変化(=交易利得・損失)を加えた実質GDI(国内総所得)である。1~3月期の実質GDPが前期比年率マイナス1.0%であったのに対し、実質GDIは同マイナス2.7%と3倍弱の落ち込みになっている。 資源価格の高騰および円安によってそれだけ海外への所得流出が進み、日本経済としての購買力が失われたことを意味している。これまでも述べてきたように、実質GDPはプラスとマイナスを交互に繰り返しており「停滞」という形容が当てはまるが、実質GDIは「悪化」の一途をたどっている』、「成長を諦めた国」とは言い得て妙だ。
・『外部環境は厳しい、せめて国内の足枷を外せ  この間、円の実質実効為替相場(複数の通貨間の実力を見たもので、物価の影響を除く)が半世紀ぶりの円安を記録し「安い日本」の象徴として取りざたされたことは周知のとおり。実質GDIも「安い日本」ないし「貧しい日本」の一端を示すデータと言える。巷間言われる「悪い円安」論は結局、家計部門のコスト負担を端的に述べた議論だが、そうした現状を把握するには、国内の生産実態を捕捉する実質GDPよりも、所得実態を捕捉する実質GDIのほうが向いている。 問題は、過剰な防疫政策が修正され、何の行動規制も入らない状態になれば実質GDPは相応に回復しそうだが、高止まりする資源価格に起因する実質GDIの低迷は出口が見当たらないということだ。少なくともウクライナ危機に伴う資源価格上昇は2月下旬以降であり、交易損失拡大の影響がフルに顕現化するのは4~6月期以降の国民経済計算統計なのだろう。 今後の実質GDIは低迷し、結果として家計部門の消費・投資意欲は委縮しやすくなる。おそらく実質GDPの足枷にもなるはずだ。資源高に象徴される国外環境は不可抗力だが、せめて国内環境くらいは足枷をはめるような行為を止めてほしいと願うばかりである』、「「悪い円安」論は結局、家計部門のコスト負担を端的に述べた議論だが、そうした現状を把握するには、国内の生産実態を捕捉する実質GDPよりも、所得実態を捕捉する実質GDIのほうが向いている。」、「今後の実質GDIは低迷し、結果として家計部門の消費・投資意欲は委縮しやすくなる。おそらく実質GDPの足枷にもなるはずだ。資源高に象徴される国外環境は不可抗力だが、せめて国内環境くらいは足枷をはめるような行為を止めてほしいと願うばかりである」、同感である。
タグ:佐高信氏による「大前研一がトップだったマッキンゼーに見た「会社滅びてコンサル栄える」」 日刊ゲンダイ 「住友銀行」では「磯田イズムが住銀では温存され、イトマン・スキャンダルを結果した」、「ヤマハでも社長世襲の問題は棚上げしたために、若社長が”職場放棄”」、「コンサルタント会社」はトップの意向を受けてコンサルティングする制約が出たのだろう。「大前」が「「レジャーボートなんか、とても置かせてもらえない」「これはどう考えてもおかしい」」、などと批判したというのは墓穴を掘ったようなものだ。 「企業の競争力そのものに問題がある」、その通りなようだ。 「付加価値」のなかで「人件費」が占める割合が低いのではなかろうか。 「上場企業に対するガバナンスを諸外国並みに強化し、中小企業の自立を促す金融システム改革を進めれば、日本企業の収益は大きく改善する」、同感である。「あらゆる企業がITを導入せざるを得なくなるよう、政策誘導することも重要だ」、ただ、システム投資をベンダーへ丸投げするのではなく、中核的部分は出来るだけ自社でやるようにすべきだ。 (その26)(大前研一がトップだったマッキンゼーに見た「会社滅びてコンサル栄える」、日本だけ給料が上がらない謎...「内部留保」でも「デフレ」でもない本当の元凶、日本はなぜ「成長を諦めた国」になっているのか 過剰なコロナ対策も購買力を大きく削いでいる) 「まともな賃金を払わない企業には人材が集まらないので、企業の側にも賃上げを行うインセンティブが存在する」、多くの企業が「賃上げ」を抑制しているなかでは、「インセンティブ」の「存在」は疑わしい。「企業が十分な利益を上げているのなら、最低賃金制度がなくても企業は相応の賃金を労働者に支払うはずだ」、も同様に疑わしい。「最低賃金」の引上げもプラスの効果を持つ筈だ。 「日本人の賃金」の伸び悩みは確かに深刻だ。なお、この記事でのグラフなどのリンクは記事にはない。 「「悪い円安」論は結局、家計部門のコスト負担を端的に述べた議論だが、そうした現状を把握するには、国内の生産実態を捕捉する実質GDPよりも、所得実態を捕捉する実質GDIのほうが向いている。」、「今後の実質GDIは低迷し、結果として家計部門の消費・投資意欲は委縮しやすくなる。おそらく実質GDPの足枷にもなるはずだ。資源高に象徴される国外環境は不可抗力だが、せめて国内環境くらいは足枷をはめるような行為を止めてほしいと願うばかりである」、同感である。 加谷珪一氏による「日本だけ給料が上がらない謎...「内部留保」でも「デフレ」でもない本当の元凶」 「日本は先進諸国の中で最も大手企業の経営者を甘やかす社会である」、同感である。 順調に給料が上昇する諸外国と比べて、日本の賃金低迷はいよいよ顕著に。企業への賃上げ要求では解決不可能な根深い原因とその処方箋 Newsweek日本版 「成長を諦めた国」とは言い得て妙だ。 「日本企業の多くはITを活用した業務プロセスの見直しを実施せず、生産性が伸び悩んだ可能性が高い」、こうした「デジタル化投資」の遅れは生産性向上に致命的だ。 「オミクロン変異株の感染拡大は1~2月がピークだたっため、3月以降は行動制限解除を視野に個人が消費を回復させた可能性はある」、その通りだ。 唐鎌 大輔氏による「日本はなぜ「成長を諦めた国」になっているのか 過剰なコロナ対策も購買力を大きく削いでいる」 東洋経済オンライン 日本の構造問題
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脳科学(その2)養老孟司氏2題:なぜ子どもは「theの世界」を生きるのか?、なぜ「他人が自分をどう思うか」を気に病むのか?) [科学]

脳科学については、4月9日に取上げた。今日は、(その2)養老孟司氏2題:なぜ子どもは「theの世界」を生きるのか?、なぜ「他人が自分をどう思うか」を気に病むのか?)である。

先ずは、4/28日経ビジネスオンライン「養老孟司氏、なぜ子どもは「theの世界」を生きるのか?」を紹介しよう。
https://business.nikkei.com/atcl/gen/19/00426/041800005/
・『解剖学者の養老孟司先生の「子どもが自殺するような社会でいいのか?」という問題提起からスタートした本連載。なぜ今、子どもたちは死にたくなってしまうのか。社会をどう変えていけばいいのか。課題を一つずつ、紐解いていきます。 養老先生は、子どもたちは、自然や感覚に代表される「身体の世界」に属するとおっしゃいます。それに対して大人は、都市は情報化社会に代表される「脳の世界」を生きています。とすれば、現代社会は「脳の世界」が明らかに優位になっていますから、子どもたちにとって生きづらいのは当然かもしれません。これから子どもたちが死にたくならない社会をつくるうえで、「感覚」「自然」は大事なキーワードになるでしょう。 今回は、この2つのうち、「感覚」の意味するものへの理解を深めます(Qは聞き手の質問)。 養老(孟司氏:以下、養老):子どもというのは感覚的なんです。そこが大人と違うところですが、僕のいう「感覚的」というのは、普通にいわれている意味と違うんですね。 Q:どう違うのでしょう。 養老:例えば小学校の黒板に先生が白墨で、「黒」っていう字を書くとします。そうしたら、「くろ」と読むというのが正しい教育です。しかし、その白墨で書いた「黒」という字は、何色ですか? 白いチョークで書いているのですから、色という意味では「白」です。 養老:そのとき、それを「しろ」と読む子がいたら、どうなります? Q:「黒」と書いてあるのですから、「漢字を勉強しなさい」と。 養老:でも、チョークの色は白いわけです。ならば、「しろ」と読んでいいじゃないか、と。漢字をわかっていてそう返す子どもがいれば、相当反抗的と見なされるでしょう。 Q: ああ、そうかもしれません。 養老:僕なんかそういう子でしたから。だって先生が書いているの、白いじゃんっていう。それは「感覚が優先する」ということです。言葉として読めば「黒」という字ですけど、感覚として素直に捉えれば、それは「白」です。(養老孟司氏の略歴はリンク先参照)』、「子どもたちは、自然や感覚に代表される「身体の世界」に属するとおっしゃいます。それに対して大人は、都市は情報化社会に代表される「脳の世界」を生きています」、というのは面白い比喩だ。
・『人間の感覚は「x=3」に納得できない  養老:言葉が使えるようになった途端に、感覚より言葉のほうが優位になってきます。上になるんですね。だいたい中学生くらいで逆転します。僕はアルバイトで数学の家庭教師をよくしていたんですけどね。数学では、「2x=6、ゆえにx=3」とやるでしょう。それがどうしても受け入れられない子がいるのですよ。 Q:「x=3」をですか? 養老:うん。さらに「A=B」と文字だけになったりすると、もう怒りだす。 Q:ああ、AはBじゃない。 養老:そう。「AはBじゃない。A=Bなら、明日からBっていう字は要らない。Aって書けばいいでしょう」って。これはへそ曲がりじゃないんですね。感覚的に捉えれば、AとBは違うものでしょう。だから「A=B」に納得できないのは当然なのですが、人は、納得できるようになってしまいます。AとBをイコールで結ぶことができるようになってしまうのですね。 Q: そういう教育を受けるから。 養老:先ほどのように、「x=3」に抵抗する子がいる。「x」は文字で「3」は数字でしょう。「数字と文字を一緒にしていいの?」という疑問ですね。 Q: 感覚としては、受け入れられないということですよね』、「僕はアルバイトで数学の家庭教師をよくしていた」、子どもの捉え方は大人では想像もつかないような捉え方をする子どももいるので、大変だと思う。
・『意識は「同じ」を求め、感覚は「違い」を求める  養老:感覚的に見れば、文字と数字は違っていますから。概念的にも違っていますけどね。それを意識は無理やり「イコール」にしちゃう。そこをすんなり通り抜けられる子と通り抜けられない子がいるんです。通り抜けられなかった子は、数学ができなくなります。 Q:人の意識には「イコールにする」という機能がある。逆に感覚は「イコールにする」ことができない。ご著書にもありました。 言語は「同じ」という機能の上に成立している。逆に感覚はもともと外界の「違い」を指摘する機能である。そう考えれば、感覚が究極的には言語化、つまり「同じにする」ことができないのは当然であろう。 『遺言。』(新潮新書/2017年)  Q: 先生がおっしゃる、都市や情報化社会に代表される「脳の世界」と、自然や感覚に代表される「身体の世界」において、言語は「脳の世界」に属すると。そしてそれは「イコールの世界」である。子どもが属する感覚の世界とは違っているということですね。 養老:これが、前にお話しした「自己の問題」にもつながるんです。 Q:「脳の世界」「イコールの世界」が、自己の問題になる?』、「感覚的に見れば、文字と数字は違っていますから。概念的にも違っていますけどね。それを意識は無理やり「イコール」にしちゃう。そこをすんなり通り抜けられる子と通り抜けられない子がいるんです。通り抜けられなかった子は、数学ができなくなります」、「数学ができない子」のできない1つの理由が理解できた。
・『「昨日の私」と「今日の私」は同じなのか?  養老:意識は毎晩、眠ると失われるのに、朝になったら出てくるでしょう。そして朝に出てきた意識は「記憶にある昨日の意識と同じ意識だ」と考える。その「同じ意識」に「私」という名称を当てちゃうのが間違いなんですがね。 Q:朝起きた「私」が、昨日と「同じ私」と考えるのが、そもそも間違っているというわけですか。 養老:言語がそうであるように、意識というのは「同じ」という働きそのものなんです。しかし、この世界を見まわして、同じものってあります? Q:まったく同じものですか? 養老:そんなもの、あり得ないんです。よく似たものが2つ並んでいたら、置いてある場所も違うし、違うに決まっているんです。 Q:数学はどうですか? 養老:数学は「同じの上」に成り立っています。あれはイコールのなかの世界なんですね。 Q:数学ではなく現実世界では……。確かに「まったく同じ」はないですね。 Q:この2本の赤ペンは「同じ種類のペン」ですけど、いわれてみれば「同じ」ではないです。使い始めた日も違えば、買ったお店も違いますし。インクの残り具合も違います。 養老:ほら、同じものって、ないでしょう。 Q:でも、「同じもの」だと思って生活をしています。よく考えれば「違う」はずのこの2本のペンを、「同じ」だと私たちは認識している。 養老:それを「概念」というのですよ』、「数学は「同じの上」に成り立っています。あれはイコールのなかの世界なんですね」、「現実世界では……。確かに「まったく同じ」はないですね」、意表をつく見方だ。
・『「the」とは感覚であり、「a」とは概念である  養老:リンゴが何個あっても、全部「リンゴ」にする。1個1個が本当にリンゴなのかどうか、いちいち確かめているかというと、別に確かめてはいません。 今、私が「リンゴ」といったときに、どこにもリンゴはありません。感覚的なリンゴはない。 Q:「感覚的なリンゴ」というのは、触ったり、匂いをかいだり、食べたりできるリンゴということですね。 養老:そういう感覚的なリンゴがないにもかかわらず話が通じてしまうのは、「同じもののことを考えている」という暗黙の約束があるからです。言葉でね。「リンゴ」という音が聞こえたときに「あ、リンゴの話をしているんだな」と、みんなが同じものを想起するということが、言葉が成り立つための大事な前提です。その裏にあるのは「同じ」なんです。 英語は「同じリンゴ」と「感覚的なリンゴ」を最初から区別しています。それが「an apple」と「the apple」の違いです。「the apple」のほうは、感覚から入ってきたリンゴですね。 Q:theのほうは、触ったり、においをかいだり、食べたりできる「ある特定のリンゴ」ということですね。つまり「感覚的なリンゴ」。 養老:そうです。だから「このリンゴ」「そのリンゴ」「あのリンゴ」になるんです。一方、「an apple」のほうは「どこのどれでもない一つのリンゴ」。僕が最初に英語を教わったときは、そう教わりました。でも「どこのどれでもない一つのリンゴ」ってわかります? Q:わからないです。 養老:それは別な言い方をすれば、「同じリンゴ」ということです。誰もが考えているリンゴで、「リンゴ」という音が聞こえたときに、みんなが想起するリンゴ。それが「同じリンゴ」。難しくいえば「概念」となります。 Q:概念としてのリンゴ。 養老:日本語の場合は、これを「が」と「は」で使い分けています。(次回に続く)』、「「あ、リンゴの話をしているんだな」と、みんなが同じものを想起するということが、言葉が成り立つための大事な前提です。その裏にあるのは「同じ」なんです。 英語は「同じリンゴ」と「感覚的なリンゴ」を最初から区別しています。それが「an apple」と「the apple」の違いです」、なるほど説得力ある解説だ。

次に、5月20日付け日経ビジネスオンライン「養老孟司氏、なぜ「他人が自分をどう思うか」を気に病むのか?」を紹介しよう。
https://business.nikkei.com/atcl/gen/19/00426/042800007/
・『解剖学者の養老孟司先生の「子どもが自殺するような社会でいいのか?」という問題提起からスタートした本連載。いろいろなことが関係している厄介な問題だと、養老先生はおっしゃっていましたが、これまでにうかがったお話から、いくつかの理由が浮かび上がってきました。 情報化社会において子どもが「ノイズ」として扱われていることが一つ(「なぜコロナ禍で子どもたちは死にたがるのか?」、「なぜ『本人』がいても『本人確認』するのか?」)。また、「自己」という概念を文化として持たない日本に、西洋流の「自己」が急激に持ち込まれたことによる戸惑い(「なぜ日本人は『自分で決めたくない』のか?」)。そして私たちの社会には自殺を止める思想がないこともわかりました(「人はなぜ『自分の命は自分のもの』と思い込むのか?」)。 これらの議論を踏まえて、課題解決の方策を探ります。 Q: ここまで、子どもの自殺が増えてしまった理由を考えてきました。では、どうすれば、子どもが死にたくならないような社会にできるのでしょうか。私たちはこれから、どんな社会をつくっていけばいいのでしょうか。今回は、そのヒントをうかがうことができればと。 養老孟司氏(以下、養老):私が気になっているのは、子どもたちが必要なものを与えられているか、ということです。モノの話じゃありませんよ。つまり、生きがいみたいなものです。大人は案外気がつかないんですけどね。 僕はイタリアの田舎なんかが好きでよく行くんですけど、レストランで小学生ぐらいの子がウエーターのまねごとをして、チップをもらっています。あれは今の国連の意見だと、児童労働ということで撲滅しなくちゃいけない。でも、何もさせないほうが虐待なんじゃないかという気がしています。 子どもに役割を持たせて、「承認欲求」をある程度満たしてやらなければならない。子どもは承認欲求が非常に強いんですよ。 Q: 役割を与えるということは、子どもの承認欲求を満たすことになる。それは生きがいにもなりますか? 養老:なります。自分のなかに生きがいはないんですから』、「イタリアの田舎」の「レストランで小学生ぐらいの子がウエーターのまねごとをして、チップをもらっています。あれは今の国連の意見だと、児童労働ということで撲滅しなくちゃいけない」、こんなのを「児童労働」とは官僚主義的解釈の最たるものだ。「役割を与えるということは、子どもの承認欲求を満たすことになる。それは生きがいにもなります」、子どもにも「生きがいにもな」るので抑制しようとした国連のスタンスは誤りだ。
・『自分のために生きるから、承認欲求が満たされない  養老:農作業の手伝いなんか、昔は普通だったんですけどね。そんなふうに社会がきめ細かく子どもの面倒を見ることをやめちゃったんですね。ブータンで、子どもがお父さんの手伝いをしていたら、「国連の役人が来て、児童虐待だといわれた」って、親が怒っていましたよ。国連なんかに勤める人は、要するにハイソサエティーの出身だからね。そうすると、「子どもを働かせるのは児童虐待」と頭で考える。そうじゃなくて、必要な場合もあるわけです。 だからYouTuberになりたいっていう子が増えるんですよ。 Q: 「だから」といいますと? 養老:YouTuberになりたいというのは要するに、「いいね」がたくさん欲しいということでしょ。  Q:満たされない承認欲求を満たしたくて。 養老:人の意見を気にするようになっているんです。小さいときから。 Q: YouTubeで「いいね」をもらわなくても、昔は子どもなりに働いて、親の役に立てれば、承認欲求を満たすことができた。それが生きがいにもつながっていたということですね。 養老:そういうものを全部外しちゃった子どもって何なんですかね。親孝行するにも、大人になってから、お金を稼いでするぐらいしかないでしょう。そんな先のこと、子どもが今、幸せになる動機にはなりませんよ。 だから社会をね、つくり直さなきゃいけない。 Q: 武士の時代のようにお家のためでも、戦争中のようにお国のためでもない社会。けれど、今の日本のように自分のために生きるのでもない社会。 かつての日本には家制度があって、代々家を存続させることに重きをおいていた。それには子供が必要です。それが今のように現世の社会のみを考えれば、大人社会から子供は要らなくなってしまう。『超バカの壁』(新潮新書/2006年) 養老:「世のため、人のため」という感覚でしょうね。家の手伝いというのは、その一歩になります。 Q: 今の日本がこれだけ子どもが自殺してしまうような社会になったということは、個人、自分のためという生き方が行き詰まっているということですよね。 養老:そうです。自分のためでは駄目なんですよ』、「ブータンで、子どもがお父さんの手伝いをしていたら、「国連の役人が来て、児童虐待だといわれた」って、親が怒っていましたよ」、「ブータン」でまで「児童虐待」騒動を起こすとは、国連も困ったものだ。「今の日本がこれだけ子どもが自殺してしまうような社会になったということは、個人、自分のためという生き方が行き詰まっているということ」、その通りだろう。
・『生きることの意味は、自分のなかにはない  養老:今の若い人はボランティアが好きでしょう。「世のため、人のため」だと喜んで動くんですよ。 Q: NPO(非営利団体)に就職したり、ソーシャルベンチャーを立ち上げたりした若い人の話もよく聞きます。もともと子どもはみんな、「人の役に立ちたい」という気持ちを持っているということですね。だからきっと、大人が「世のため、人のため」という部分を大切にすると、子どもも生きやすい社会になる。 養老:戦後、僕がずっと生きてきた時代は、それをばかにしてきましたから。社会貢献する仕事というものの価値を、全部下げてきましたから。学校の先生が偉くなくなったでしょう。 Q: 確かにそうですね。 養老:お医者さんも偉くなくなった。政治家が最初に落っこちましたね。 Q: 政治家ですか。そういわれてみれば、政治家というのは、社会のために働く人でしたね。 養老:僕は、「汚れ仕事をやってくれてありがとうございます」って、ときどきいうんですよ。 Q:そういえば政治家になりたいという子どもは見かけませんね。子どもの小学校で卒業記念のフォトブックを作ったのですが、「将来の夢」の欄に「先生」や「お医者さん」はあっても、「政治家」はありませんでした。人の役に立ちたいという子どもたちにとって、政治家は夢の職業ではなくなっているんですね。 養老:政治家は、国民のために働いているんですよ。今はそんなこと思ってないでしょうけどね、政治家本人たちも。 Q: 確かに私たちの親の世代、私たちの世代が生きてきたのは、社会への貢献より、個人としての成功を第一にする社会だった気がします。 養老:子どもたちは今、「自分の生きる意味は自分のなかにある」と、暗黙のうちに思わされているんです。そう教育されているんですね。それが常識だろうと、親が多分そう思っているわけです。 Q: そう思っていました。正直にいえば、それ以外の考え方があると思っていませんでした。 養老:親がそうであれば、自然に子どもの考え方もそうなってしまう。でも、極めて根拠がないんですよ。「自分の生きる意味は自分のなかにある」という考え方は。 それはヴィクトール・E・フランクルというウィーンの精神科の医者が、本に書いています。人生の意義は自分のなかにはないと。ナチスドイツの強制収容所から生きて出てきたユダヤ人です。 Q: 『夜と霧』ですね。 養老:「わたしたちが生きることからなにを期待するかではなく、むしろひたすら、生きることがわたしたちからなにを期待しているかが問題なのだ(*)」。人生の意義は、自分のなかにはなく、むしろ自分の外にあるということです(*)。 *『夜と霧』(ヴィクトール・E・フランクル/みすず書房):「生きる意味を問う」より  Q: 先生も書かれていましたね。 「自己実現」などといいますが、自分が何かを実現する場は外部にしか存在しない。より噛み砕いていえば、人生の意味は自分だけで完結するものではなく、常に周囲の人、社会との関係から生まれる、ということです。とすれば、日常生活において、意味を見出せる場は、まさに共同体でしかない。『バカの壁』(新潮新書/2003年)』、「人生の意味は自分だけで完結するものではなく、常に周囲の人、社会との関係から生まれる、ということです。とすれば、日常生活において、意味を見出せる場は、まさに共同体でしかない」、日本人は考え違いを正す必要がある。
・『「人からどう見られるか」は、意外に重たい  養老:これは20年ほど前から言っているのですが、「参勤交代」をしたらどうかと。都市で生活している人たちが、1年のなかの一時期、田舎暮らしをしたらどうかという提案です。やむを得ずでも一定の時間、自然と付き合うような形の生き方にしたほうがいいんじゃないの、と。田舎では本来、何でも自分でやらなきゃならない。不便なんですね。この不便というのが非常に大事なんです。  Q:不便さというのが、今の子どもの生きづらさを解消する一助になるということでしょうか? 養老:不便なら身体を使いますから。すると、考え方が変わりますよ、ひとりでにね』、「都市で生活している人たちが、1年のなかの一時期、田舎暮らしをしたらどうかという提案です」、「田舎では本来、何でも自分でやらなきゃならない。不便なんですね。この不便というのが非常に大事なんです」、「不便なら身体を使いますから。すると、考え方が変わりますよ」、興味深い提案だ。
・『 身体を使うことで、子どもの考え方が変わる?  養老:大人も変わるでしょうね。体を使って自然に接する時間をつくると、必ずしも人に合わせる必要がなくなるからです。人の顔色を見る必要がないんですね、田舎では。 Q: 身体を使って自然に接すると、人の顔色を見る必要がない……。 養老:作業しているとね。 Q: 作業ですか。田舎で作業する……。例えば、芋掘り体験をしたときのことなど思い出してみると、確かに芋と土のことしか頭になくて、誰にどう見られているかなんて、あまり気にしていなかった気がします。 養老:そう、それが大事。人にどう見られているかっていうのは、意外に重たいんですね。でも、五感をフルに働かせると、意識のほうが遠慮しますから。そうやって感覚を多少、優位に持っていく。 Q: 具体的に、何かを見るとか聞くとか触るとか。 養老:そうですね。僕の子どものころを思い出すと、いつも川で魚を捕っていましたけど、水に入ると冷たいし、風が吹いてくるし、カワセミは飛んでいるし。ああ、きれいだなって。自然のなかにいると、さまざまな感覚の働きに気を取られて、考えることが減っていきますね。「なぜ死んではいけないのか」なんて、そんなことは考えない。 Q: それが「意識のほうが遠慮する」ということ』、「体を使って自然に接する時間をつくると、必ずしも人に合わせる必要がなくなるからです」、「自然のなかにいると、さまざまな感覚の働きに気を取られて、考えることが減っていきますね」、なるほど。
・『人間の相手ばかりしているから、死にたくなる  Q: 先生は、都市や情報化社会に代表される「脳の世界」と、自然や感覚に代表される「身体の世界」を比較して論じていらっしゃいますが、私たちにとって今、大事なのは「身体の世界」にいる時間を確保することなのですね。子どもが本来、「身体の世界」に属するものだとすると、五感をフルに働かせ、身体を使って何かをすることは、子どもの自殺を防ぐうえで助けになる気がします。 養老:僕らの頃は小学校だともう、1週間の半分ぐらいは川で遊んでましたよ、魚を捕って。それが高学年で虫捕りになっただけで。つまり、人の相手じゃなくて自然を相手にして、十分遊んでいられたんです。今はそれがなくなって、子どもの世界が半分になっちゃった。子どもたちの相手をするのが、先生とか親とか友達とか、人間ばかりになっちゃったんです。若い人にとって、「みんなで何かをする」ことは喜びではあるのですが、それにしても人といる時間が多すぎるんですよ。 なぜならそれが、自殺にも関連してくるからです。坂口恭平さんという人がいて、「いのっちの電話」というのをやっているんです。自分の携帯電話の番号を公開して、死にたい人であれば誰でもかけられるようにしています。『苦しい時は電話して』(講談社現代新書)という自分の本にも、自分の携帯電話の番号を載せている。電話がかかってきたら話して、電話に出られなかったときはかけ直している。そうやって2万人くらいの死にたい人の話を聞いてきた坂口さんは、人の苦労というのはすべて他人との関わり合いのなかにあるとしています。 だからね、子どもの時代からそういう苦労を負わせる必要、僕はないと思う。 Q: 今の子どもは、人間の相手ばかりをしているから、「他人が自分をどう思うか」を気にする時間が長い。常に他人の評価、特に大人の評価にさらされっぱなしということになるんですね。 養老:人生の半分ぐらいは、人以外のものと付き合ったらいいんじゃないのかと思います。 Q: 先生が解剖学に向かわれたのも、そのためですか? 養老:そうです。解剖もそうだし、虫もそうです。 Q: 解剖の検体は「ものいう人」ではないですもんね。虫もそうでしたか。 養老:人以外のものと付き合う時間を増やしていくことが大切なんです。 Q: 都会に住んでいるなら、親が積極的に自然に触れる機会をつくっていかないといけないですね。 養老:そうですね。ただ都会の人はわりと意識的なんです。近ごろは田舎が便利になっちゃったから、むしろ今ではそのほうが問題になっています。文部科学省の統計を調べれば、田舎の子のほうが太っている。 Q: 車での移動が多いから。 養老:だから、都会と田舎を行き来したほうがいいんですよ。(次回に続く)』、「子どもの世界が半分になっちゃった。子どもたちの相手をするのが、先生とか親とか友達とか、人間ばかりになっちゃったんです。若い人にとって、「みんなで何かをする」ことは喜びではあるのですが、それにしても人といる時間が多すぎるんですよ。 なぜならそれが、自殺にも関連してくるからです」、「人以外のものと付き合う時間を増やしていくことが大切」、「都会と田舎を行き来したほうがいい」、今さら、「田舎」生活を半分というのは、夢のまた夢だとは思うが、子どもが自然に接する時間が長くなれば、自殺は減る可能性がありそうだ。
タグ:脳科学 (その2)養老孟司氏2題:なぜ子どもは「theの世界」を生きるのか?、なぜ「他人が自分をどう思うか」を気に病むのか?) 日経ビジネスオンライン「養老孟司氏、なぜ子どもは「theの世界」を生きるのか?」 「子どもたちは、自然や感覚に代表される「身体の世界」に属するとおっしゃいます。それに対して大人は、都市は情報化社会に代表される「脳の世界」を生きています」、というのは面白い比喩だ。 僕はアルバイトで数学の家庭教師をよくしていた」、子どもの捉え方は大人では想像もつかないような捉え方をする子どももいるので、大変だと思う。 「感覚的に見れば、文字と数字は違っていますから。概念的にも違っていますけどね。それを意識は無理やり「イコール」にしちゃう。そこをすんなり通り抜けられる子と通り抜けられない子がいるんです。通り抜けられなかった子は、数学ができなくなります」、「数学ができない子」のできない1つの理由が理解できた。 「数学は「同じの上」に成り立っています。あれはイコールのなかの世界なんですね」、「現実世界では……。確かに「まったく同じ」はないですね」、意表をつく見方だ。 「「あ、リンゴの話をしているんだな」と、みんなが同じものを想起するということが、言葉が成り立つための大事な前提です。その裏にあるのは「同じ」なんです。 英語は「同じリンゴ」と「感覚的なリンゴ」を最初から区別しています。それが「an apple」と「the apple」の違いです」、なるほど説得力ある解説だ。 日経ビジネスオンライン「養老孟司氏、なぜ「他人が自分をどう思うか」を気に病むのか?」 「イタリアの田舎」の「レストランで小学生ぐらいの子がウエーターのまねごとをして、チップをもらっています。あれは今の国連の意見だと、児童労働ということで撲滅しなくちゃいけない」、こんなのを「児童労働」とは官僚主義的解釈の最たるものだ。「役割を与えるということは、子どもの承認欲求を満たすことになる。それは生きがいにもなります」、子どもにも「生きがいにもな」るので抑制しようとした国連のスタンスは誤りだ。 「ブータンで、子どもがお父さんの手伝いをしていたら、「国連の役人が来て、児童虐待だといわれた」って、親が怒っていましたよ」、「ブータン」でまで「児童虐待」騒動を起こすとは、国連も困ったものだ。「今の日本がこれだけ子どもが自殺してしまうような社会になったということは、個人、自分のためという生き方が行き詰まっているということ」、その通りだろう。 「人生の意味は自分だけで完結するものではなく、常に周囲の人、社会との関係から生まれる、ということです。とすれば、日常生活において、意味を見出せる場は、まさに共同体でしかない」、日本人は考え違いを正す必要がある。 「都市で生活している人たちが、1年のなかの一時期、田舎暮らしをしたらどうかという提案です」、「田舎では本来、何でも自分でやらなきゃならない。不便なんですね。この不便というのが非常に大事なんです」、「不便なら身体を使いますから。すると、考え方が変わりますよ」、興味深い提案だ。 「体を使って自然に接する時間をつくると、必ずしも人に合わせる必要がなくなるからです」、「自然のなかにいると、さまざまな感覚の働きに気を取られて、考えることが減っていきますね」、なるほど。 「子どもの世界が半分になっちゃった。子どもたちの相手をするのが、先生とか親とか友達とか、人間ばかりになっちゃったんです。若い人にとって、「みんなで何かをする」ことは喜びではあるのですが、それにしても人といる時間が多すぎるんですよ。 なぜならそれが、自殺にも関連してくるからです」、「人以外のものと付き合う時間を増やしていくことが大切」、「都会と田舎を行き来したほうがいい」、今さら、「田舎」生活を半分というのは、夢のまた夢だとは思うが、子どもが自然に接する時間が長くなれば、自殺は減る可能性がありそうだ。
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金融業界(その14)(韓国大手銀行が日本で脱法的な太陽光投資(上)流出資金は総計1000億円超、韓国大手銀行が日本で脱法的な太陽光投資(下)その巧妙な儲けの手口とは、きらやか銀行 「3度の公的資金申請」に漂う不安 運用受託で含み損拡大のSBIにも厳しい視線、地銀が沈む時代に「信用金庫」が伸びている理由 明暗を分ける差とは? 『なぜ信用金庫は生き残るのか』) [金融]

金融業界については、1月26日に取上げた。今日は、(その14)(韓国大手銀行が日本で脱法的な太陽光投資(上)流出資金は総計1000億円超、韓国大手銀行が日本で脱法的な太陽光投資(下)その巧妙な儲けの手口とは、きらやか銀行 「3度の公的資金申請」に漂う不安 運用受託で含み損拡大のSBIにも厳しい視線、地銀が沈む時代に「信用金庫」が伸びている理由 明暗を分ける差とは? 『なぜ信用金庫は生き残るのか』)である。

先ずは、3月2日付け日刊ゲンダイが掲載したフリーライターの半田修平氏による「韓国大手銀行が日本で脱法的な太陽光投資(上)流出資金は総計1000億円超」を紹介しよう。
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/money/301939
・『韓国の大手銀行と機関投資家が、地上げ業者に資金提供し、日本の山林を乱開発させて荒稼ぎしている。そんな実態が明らかになった。 日本で最も日照時間が長く太陽光発電所が多い山梨県で最近、再生可能エネルギー業者の乱開発による悪影響が問題となっている。 昨年、甲斐市に建設中の東京ドーム3個分に相当する大規模太陽光発電所(メガソーラー)の一部が崩落し、隣接する川の斜面に土砂が流れ込む事態が発生した。10月に県が土砂の撤去を行政指導するも、地元紙によると、12月時点で土砂は放置されたままだという。 このメガソーラーでは、ずさん工事の数々が明らかになっている。十分な防災工事をせずに太陽光パネルを設置したことで、地面に亀裂が走り、排水に必要な調整池の施工法や建材に不備が見つかった。地盤の緩いハゲ山に大雨が降れば、熱海での崩落事故のように大規模な土砂崩れを引き起こしかねない。また、計画以上に森林を伐採するなど安全面以外でも問題が指摘されていた。 工事を手掛けたのは、東京の再エネ業者「ブルーキャピタルマネジメント」。そして、100億円近い費用を融資したのは、韓国銀行大手・新韓銀行の日本法人である「SBJ銀行」や韓国系の「ウリィ銀行」などである。 一般的にメガソーラーは、地上げや工事で巨額の資金が必要となる。だが日本の銀行は、融資の回収可能性や業者の信用力の問題などから、なかなか融資を出さない。住民運動が起きている案件や手抜き工事が指摘されている業者には、融資などもってのほかだ。 だが韓国系銀行は、この案件だけでなく、物議を醸している各地のメガソーラー計画で、資金の出し手として登場している。 審査が緩いのか、日本の事情に疎いのか──と思われたが、意外な裏事情があった』、「日本の銀行は、融資の回収可能性や業者の信用力の問題などから、なかなか融資を出さない」、「韓国系銀行は、この案件だけでなく、物議を醸している各地のメガソーラー計画で、資金の出し手として登場」、どいうことだろう。
・『債権譲渡ありきの融資  韓国系銀行による太陽光融資のカネの出どころは、実は韓国・新韓銀行グループの資産運用会社「新韓BNPパリバ資産運用」が、韓国機関投資家から集めたファンド資金だったのだ。 関係者の話を総合すると、次のようなスキームで日本に資金が投じられているという。 まず、日本の再エネ業者がメガソーラー用地を地上げし、林地開発許可などを得る。 すると新韓BNPパリバのファンドが、事業実施主体となる合同会社を設立するか、会社ごと再エネ業者から買い取るなどの方法で開発権を取得する。 そして実施主体に、リスクに応じて3階層の資金提供を行う。 リスクが低く金利3%程度の「デット」、担保はないが事業がうまくいけば利益が見込める「エクイティー」、その中間で5~7%といった高い金利が得られる「メザニン」、という具合で実施主体に投融資していく。 ファンドは融資債権から得られる金利を機関投資家に配当する。 ただし、このスキームには問題がある。韓国でいかに資金が集まろうと、日本で銀行免許や貸金業の許可を持たない韓国のファンドが、融資債権を組成したり、貸金業を営むことはできないからだ。 そこで、新韓銀行グループで、日本で銀行免許を持つSBJ銀行が役に立つ。同行がまず融資を実行し、ほぼ同時に、各融資債権をファンドに譲渡するというスキームが組まれた。 一見、SBJ銀行による純然たる融資に見えても、実態はファンドの資金なのだ。同様のスキームで日本に入っている資金は1000億円近いともいわれている。 だが、このスキームは、日本の法令に反しているという指摘がある。 一般的に、銀行は不良債権処理などで、債権を債権回収専門会社などに譲渡することがある。 しかし韓国ファンドのスキームでは、SBJ銀行は債権譲渡ありきで融資しており、物事の順序が逆である。いわば、韓国ファンドがSBJ銀行の名義を借りているに等しい。 「日本で免許を持つ銀行が、当初から債権譲渡を目的として融資債権を組成しているのであれば、名義貸しを禁じた銀行法に反していると見なされる恐れがあります」(九段下総合法律事務所・伊倉秀知弁護士) しかもこのスキームでは、韓国ファンドが荒稼ぎする一方、日本は満足な税収すら得られない可能性があるのだ。 =つづく』、損失吸収手段を「デット」、「エクイティ」、「メザニン」の3種類に分けるのは、プロジェクト・ファイナンスでは一般的だ。しかし、「SBJ銀行」が「韓国ファンド」に「名義」貸しをしているのは問題だ。それ以上に、これを見逃す形で、問題が多い「スキーム」が成立した点は由々しい問題だ。

次に、この続きを、3月3日付け日刊ゲンダイ「韓国大手銀行が日本で脱法的な太陽光投資(下)その巧妙な儲けの手口とは」を紹介しよう。
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/money/301997
・『韓国大手銀行・新韓銀行グループのファンドが、脱法的な手法で日本の太陽光発電事業に投融資し、ぼろ儲けしている。問題のスキームの最初の投資案件が、茨城・日立十王でのメガソーラーだ。 2015年ごろ、新韓銀行グループの「新韓BNPパリバ」が、韓国機関投資家の資金を集め、日本の太陽光投資を目的としたファンドを組成。日立十王の山林に55メガワットのメガソーラーを建設する計画に、日本のSBJ銀行などを通じ、約150億円の資金提供を行った。 パネル設置などの工事は韓国系の韓電KDNが担い、「オール韓国」で造成した発電所を昨年(21年)4月までに米ファンドに売却。劣後ローン債権を持つ投資家は約8%もの高い金利を得た。エクイティー部分の投資家は、投資元金が2.5倍となる高いリターンを甘受した。 日本の投資家が低金利で運用先に苦しんでいるのを横目に、韓国勢が成功を収めたのだ。 しかも、この儲け分を支払うことになるのは、日本国民である。 メガソーラーを取得した米ファンドは今後、電力会社への売電収入から投資資金を回収することになる。電力会社は再エネ業者に払うコストを「再生可能エネルギー賦課金」として電気料金に転嫁しているからだ。 さらに、韓国勢が日本で得る利益に対し、満足な課税すらできない可能性がある。 前回述べた通り、韓国ファンドは日本で銀行免許を持つSBJ銀行(新韓銀行の日本現地法人)に、太陽光事業の実施主体向け融資債権をつくらせ、ほぼ同時に、韓国のファンドに譲渡されるスキームを組んでいる。 これにより、実施主体が支払う金利は、韓国ファンドの収入になる。すると、法人税は日本ではなく、韓国で納められることになるのだ。 「もし、日本の銀行免許を持つ韓国系銀行が債権譲渡せず融資を継続した場合、得られる利息収入はSBJ銀行の課税所得として、日本で法人税が課税されます。ところが債権が韓国ファンドに譲渡されると、利子はファンドの利益となり、法人税が納められるのは韓国となる。日本での課税は源泉徴収だけとなり、日韓租税条約の制限税率である10%しか課税できない」(公認会計士・税理士の能勢元氏)』、「日本での課税は源泉徴収だけ」、ふざけた話だが、文句はいえない。
・『韓国系金融から資金を借り入れる背景  しかも、ファンドの資金を使っているのは、いわくつきの業者が多い。 前回の冒頭で紹介した、山梨県での乱開発が問題となっているブルーキャピタルマネジメント(東京都)。韓国系銀行は、同社のさまざまな案件に融資しており、その規模は500億円にも上る。だが、土砂崩れや手抜き工事が指摘されている案件が多い。 また、SBJ銀行などは、三重県四日市市に設置予定のメガソーラーにも数百億円規模の資金を提供している。東京ドーム20個分に相当する95ヘクタールの山林を開発するもので、一時期、地元で反対運動が起こっていた。 この実施主体はジーヴァエナジー(東京都)といい、代表者はバブル期に地上げ業者として知られ、住専(住宅金融専門会社)の大口融資先の一つだった。 これらの融資の出どころは、新韓BNPパリバが韓国機関投資家から集めたファンド資金である。 また、韓国系銀行から約150億円もの資金を引き出し、九州でメガソーラーを手掛けている業者は、数年前に介護報酬の不正請求が新聞沙汰となっている人物が経営者。他にも、巨額脱税が指摘された者など、日本の銀行借り入れが難しい面々が受けている韓国系銀行の融資は、ファンド資金と思われる。 海を越えて脱法的に持ち込まれた資金を使い、“アウトロー”たちが日本の国土を乱開発……。大手銀行とは思えぬ振る舞いだが、一連のスキームは現・新韓銀行首脳が関与している可能性が高い。 新韓銀行の頭取を務める晋玉童氏は、09年からSBJ銀行取締役を務め、14年副社長、15年から新韓銀行頭取になる19年まで社長を務めていた。前述の茨城・日立十王の案件は晋頭取の実績であると、韓国の経済メディアは報じている。 筆者はSBJ銀行に取材したが、期日までに回答がなかった。 国が太陽光を推奨する裏側で、日本の天然資源や国民の財産が、海外勢に食い物にされている。=おわり』、これだけ多くの不正事件に関与している「SBJ銀行」、その親の「新韓銀行」が、「日本の天然資源や国民の財産が、海外勢に食い物にされている」のは、由々しい問題だ。ただ、政治家へもヤミ献金などで金融庁に圧力をかけている可能性がある。

第三に、5月20日付け東洋経済オンライン「きらやか銀行、「3度の公的資金申請」に漂う不安 運用受託で含み損拡大のSBIにも厳しい視線」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/590415
・『3度目となる公的資金の活用を検討している山形県のきらやか銀行。背景にあるのは、失敗続きの有価証券運用だ。 コロナ禍によって観光業などの地域経済が疲弊する中、山形県を地盤とするきらやか銀行が5月13日、金融機能強化法に基づく公的資金の注入を申請する方針を表明した。 政府が2020年に設けた強化法の「コロナ特例」を活用する方針で、全国では初。公的資金注入となれば、大分県の豊和銀行以来8年ぶりとなる。申請金額や払込時期などは今後詰める。 「(取引先を)今後も長期にわたって支援していくことが必要だ」。きらやか銀の川越浩司頭取は同日行われた記者会見で、公的資金申請の狙いについてそう言って理解を求めた』、興味深そうだ。
・『公的資金返済へ強まる懸念  ただ、同行への公的資金の注入は、2009年、2012年に続いて今回で三度目となる見通しで、回収への不安は強い。世界的な金融危機、東日本大震災、そしてコロナ禍と大きな経済的ショックによる不可抗力で、公的資金の注入申請に至ったように一見映る。だが、その内情は紛れもなく、有価証券運用をはじめとするきらやか銀の稚拙な経営にある。 「株や債券の相場がどう動いても利益が出ないような、どうしようもないポートフォリオになっていた」。金融庁のある幹部は、きらやか銀の有価証券運用の惨状についてそう話す。 預金と貸し出しによる銀行本来のビジネスが年々細る中で、有価証券による余資運用は地銀経営の要になっているが、きらやか銀の運用商品の中身は周辺の地銀からも「がんじがらめ」「支離滅裂」と揶揄されるような状態にあった。 そのため、きらやか銀は2021年3月期決算で、投資信託など運用資産の“損切り”を実施。さらに運用資産の入れ替えと運用の高度化に向けて、SBIグループへ運用業務の一部委託にも踏み切っている。 同決算では与信費用の増加もあり、最終赤字が過去最大の48億円にのぼったことから、当時頭取だった粟野学氏は責任をとって代表権のない会長に就き、取締役だった川越氏が昇格することになった。 そもそも、きらやか銀は、2012年に注入された公的資金200億円分の返済が2024年9月に迫っている。きらやか銀の親会社、じもとホールディングスの関係者によると、昨春時点できらやか銀の経営陣は、地元企業などへの第三者割当増資によって、公的資金の返済を乗り切る計画を温めていた。 引責辞任ながらも粟野氏を頭取から会長に据え置いたことについて、同関係者は「地元企業に出資をお願いして回るための顔役が必要だったから」と話す。記者会見で地域経済への万全の支援などとアピールしておきながら、その裏では地元企業に奉加帳を回して、お金を集めることを探っていたというわけだ。) だが、その計画はもろくも崩れ去った。高度化を目指しSBIに運用委託した勘定を中心に、外国債券などでの含み損がわずか1年で4倍以上にも膨らんでしまったのだ。2022年3月末時点で、SBIの運用委託分が含まれている有価証券の「その他」項目における含み損は、119億円にも上っている。 欧米で今後利上げが進めば、含み損はさらに膨らむとみられており、きらやか銀としてはまたしても運用資産の損切りを迫られ、赤字を垂れ流すことになりかねない状況にある。 SBIに対する恨み節が今にも聞こえてきそうだが、そうした状態では奉加帳を回す地元企業の数を大幅に増やすようなことでもしない限り、増資によって公的資金返済を乗り切るのは難しい。それゆえ、きらやか銀としてはコロナ特例による公的資金の注入申請に目を向けるざるをえなくなったというのが実情だ』、「高度化を目指しSBIに運用委託した勘定を中心に、外国債券などでの含み損がわずか1年で4倍以上にも膨らんでしまった」、「SBI」も罪作りだ。「コロナ特例による公的資金の注入申請」とは余りに安直だ。
・『問われる行政のかじ取り  公的資金への依存を一段と深める状況に、経営を監督する金融庁の中でも「安易な税金投入は避けるべき」「SBIがきらやかの増資を引き受けるべきだ」といった声も聞こえてくる。 しかしながら、政府・自民党が7月に参院選を控え、中小企業などへの経済支援をアピールしようと、強化法による公的資金の積極活用について地銀などに説いて回っていることもあり、その圧力には金融庁として抗えそうにもない。 コロナ特例は、おおむね15年以内という返済期限もなければ、申請時に経営体制の見直しも求めないなど、その条件はかなり緩い。 きらやか銀としては、経営のかじ取りの失敗を糊塗しコロナ禍のせいにすることで、返済が迫る公的資金を「特例の緩い公的資金に実質的に切り替えられて、ラッキーと腹の中では思っているのでは」(東日本の地銀役員)という見方すらある。 国難にかこつけて、地銀をひたすら甘やかすのか、それとも経営基盤強化に向けてさらなる再編を促すのか。きらやか銀のケースを通じて、政府や金融庁もその舵取りが厳しく問われることになる』、「きらやか銀としては、経営のかじ取りの失敗を糊塗しコロナ禍のせいにすることで、返済が迫る公的資金を「特例の緩い公的資金に実質的に切り替えられて、ラッキーと腹の中では思っているのでは」、安易な「コロナ特例」の適用は避けるべきだが、制度として創設した以上、申請されれば、認めない訳にもいかないだろう金融庁としては、行政指導の面で、厳しい目に指導するほかないのではなかろうか。

第四に、5月23日付けダイヤモンド・オンライン「地銀が沈む時代に「信用金庫」が伸びている理由、明暗を分ける差とは? 『なぜ信用金庫は生き残るのか』」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/303552
・『レビュー  最後に銀行窓口に行ったのがいつだったか思い出せない。残高をスマートフォンで確認するようになってからもう何年も経つ。近年、新聞で銀行の苦境を報じる記事を頻繁に目にするようになった。投資信託などの金融商品の販売をめぐってはネット証券などに押され、銀行を取り巻く環境は厳しい。 一方、銀行の営業姿勢を問題視する声も少なくない。以前同い年の友人が、知り合いの銀行員からノルマ達成のために口座を開設してくれないかと迫られて困っていた。若手行員による座談会の記事で、自社の利益を最優先させよという指示に戸惑ったというコメントも読んだことがある。 そうした不安や課題を抱える銀行を横目に、信用金庫は顧客と自社の利益を両立させ、シェアを拡大しているらしい。本書『なぜ信用金庫は生き残るのか』は信用金庫の強みを隅々まで教えてくれる。顧客の事業の成功のため、数値だけでなく経営者の人柄まで考慮に入れて融資する。売れる商品でも投機的なものは扱わない。著者自ら取材した豊富な事例を紹介しつつ、信用金庫のビジネスモデルが平易な言葉で解説されている。 信用金庫のそうした真摯な姿勢は、地元企業からの信頼を勝ち取り、さらなる取引につながっていく。一見非効率そうでも結果的に利益を生む循環には納得できた。 本書は信金の歴史を語るうえで欠かせない、個性的な人物たちの言動も紹介し、最後まで読者を飽きさせない。金融業界の人はもちろん、業界になじみのない人にもお読みいただきたい。(まゆ)』、興味深そうだ。
・『本書の要点  (1)銀行の将来が不安視されている。手数料収入や収益の源泉である利ざやが減少し、事業基盤が揺らいでいる。特に地方銀行は少子高齢化のあおりを受けて厳しい。 (2)信用金庫は顧客本位の業務運営が評価され、シェアを拡大している。信金間の連携も進み、地域を越えた顧客支援も活発だ。 (3)信用金庫は利他的な経営を貫いた結果、顧客の信頼を得て自社の利益にもつなげた』、なるほど。
・『要約本文  ◆銀行の苦境 ◇経営の現状  生活において身近な存在である銀行の先行きが危ぶまれている。リアルの店舗数は急速に減り、銀行の象徴とも言える預金通帳は有料化を通じて姿を消しつつある。生まれた時からデジタルに慣れ親しんでいる「Z世代」を中心にインターネットバンキングの利用も拡大している。こうした傾向はさらに強まるだろう。 投資家の見方も厳しく、銀行の株価は低迷を続けている。それは将来性を示す株価指標であるPBR(株価純資産倍率)を見れば明らかだ。2021年2月における東京証券取引所第一部に上場する銀行業のPBRは平均で0.4倍と、成長性の有無の目安とされる1.0倍を割り込んだ。特に地方銀行は数値の低さが目立ち、将来不安が強いことがわかる。 文系の大学生にとって銀行は長らく憧れの就職先だった。メガバンクは民間企業が実施する「就職企業人気ランキング」において上位の常連だったが、ここ数年で大幅に順位を落としている。一方、同じ金融業界の損害保険会社は高い人気を集めている。目端の利く学生たちは銀行を見限り始めているのかもしれない』、「損害保険会社は高い人気」は昔から変わらない傾向だ。
・『なぜ業績が悪化しているのか  銀行の人気が落ちたのはその事業基盤が揺らいでいるためだ。銀行は預金金利と融資金利の差である「利ざや」で収益を得ているが、バブル崩壊を経てデフレ経済に陥ると、物価と連動する金利も低下した。利息収入の減少を受け、投資信託や生命保険の販売に力を入れてきたものの、その手数料収入も先行き不透明だ。投資信託は大手インターネット専業証券が販売時の手数料を原則無料にするなど、引き下げ競争が激しい。運用に伴う信託報酬も減少傾向にあり、投資信託からの収入は減り続けると予想されている。 2016年から始まった日本銀行のマイナス金利政策も経営悪化に拍車をかけた。銀行は経営破綻などに備えて顧客から預かった資産のうち一定額を「準備預金」として日銀に預ける。マイナス金利はこの準備預金の上限を超えて預けている超過分にマイナス0.1%の金利を付与するという政策だ。 日銀は超過分を企業への貸出や運用に回させて経済成長につなげる狙いだった。しかし政策開始から5年以上経っても日銀が目指す物価上昇率2%は実現していない。一方、2016年3月期のメガバンクの決算はほぼ減益に転落するなど即座に悪影響が出た。翌年、メガバンクは人員削減を発表し、その流れが店舗の削減や通帳の有料化につながっている』、確かに、異次元緩和政策で、長短金利差が縮小したのは、銀行業界には大打撃だった。
・『危うい地銀  なかでも地銀の業績悪化が目立つ。地方経済は少子・高齢化と過疎化により急速に悪化している。人や企業が減れば、預金や個人へのローン貸出、企業への融資も減少してしまう。傘下に証券会社などを抱えるメガバンクが事業の多角化・国際化を進める一方、「銀行」以外の業務を持たないのも地銀の弱みだ。 地銀の破綻は社会に対する影響が大きいため、金融庁は経営統合などの改革を迫っている。しかし再編により効率化が図られたところで、低金利や手数料収入の減少といった環境のもと、根本のビジネスモデルが崩壊している以上、遅かれ早かれ破綻は免れないのではないか。 金融庁によると、地銀の再編は高コスト体質のメガバンクが対応しきれない中堅企業を支え、経済を成長させるために必要だという。また著者は、金融機関のコスト構造を考えると、個人商店から売上高5億円程度の企業まで地域に密接して取り組めるのは信用金庫や信用組合に限られるという話を聞く。実は近年、信用金庫をメインバンクとする企業が増えている。地銀の存続が不安視される一方、信用金庫の評価は高まっているのだ』、「信用金庫の評価は高まっている」のは何故だろう。
・『【必読ポイント!】◆信用金庫の強み ◇なぜ順調なのか  信用金庫は金融機関だが銀行とは組織形態が異なる。 信用金庫は地域の会員や住民から資金を集めて地域の利益のために働く協同組織だ。預金は誰でもできるが会員資格がないとお金を借りることはできない。会員になるには営業エリアに住んでいるか、働いていることが条件となる。 東京商工リサーチの調査では、銀行業界における信用金庫のシェアは2015年の調査開始以来7年連続で拡大している。) 信用金庫が大手行や地銀から取引先を獲得しているのは、地域に密着したネットワークと支援の手厚さが評価されているためだ。メガバンクに比べ企業の規模は小さいが、営業エリア内の店舗数は多い傾向がある。狭いエリアで営業活動を継続することにより、地域の企業や住民との関係を深めることができる。 また親しみやすさも特長の一つだ。職員は頻繁に顧客のもとに足を運び、地域のイベントにも積極的に参加する。 不況時にこそ信用金庫の強さはきわだつ。銀行は景気が傾き貸出企業の業績が悪化すると、融資の返済を強く求めるようになる。しかし信用金庫は法律により営業エリアが制限されており、無茶な債権回収をすると狭い地域にあっという間に悪評が広まってしまう。そうした事情もあり、信用金庫は取引先が苦境に陥っても経営の立て直しに尽力する傾向がある』、「信用金庫は法律により営業エリアが制限されており、無茶な債権回収をすると狭い地域にあっという間に悪評が広まってしまう。そうした事情もあり、信用金庫は取引先が苦境に陥っても経営の立て直しに尽力する傾向がある」、これは説得的だ。
・『小原鐵五郎と城南信用金庫  小原鐵五郎は業界団体のトップである全国信用金庫協会(全信協)の会長を長期にわたり務めた象徴的存在だ。 1918年の米騒動で経済格差に危機感をおぼえた小原は、庶民の生活の安定を目指し仲間と大崎信用組合を設立。地域住民を熱心に説得し会員を増やした。その後は同組合の専務理事を務め、1951年の信用金庫法(信金法)制定後に城南信用金庫の理事長に就いた。全信協会長就任後は全国を奔走し、単純な利益追求を良しとしない金融機関のあるべき姿を訴えた。 「小原鐵学」と呼ばれるその思想を色濃く受け継ぐのが城南信用金庫だ。城南信用金庫は総資産や預金量の多さから「メガ信金」とも呼ばれる。 その成長を支えてきたのは顧客重視の姿勢にある。顧客には融資のことだけでなく補助金制度の情報についても頻繁に情報提供したり、経営者の人格など定性的なデータも加味して融資を判断したりとその本気度がうかがえる。また、他の金融機関が収益源としている高金利ローンや投資信託をいっさい販売せず、預金もリスク資産の割合を抑えて運用している。 異端にも映る経営方針を支えるのは歴史に対する誇りだ。1945年、15の信用組合が合併して城南信用組合が誕生し、信金法制定後に信用金庫に改組した。合併の旗振り役を務めた小原は第3代理事長に就任。投機的な融資はしない、カードローンは扱わないといった小原鐵学を根付かせた。一時、体制の変更による混乱はあったものの軌道修正し、小原の方針は現在にもしっかりと引き継がれている』、「小原」氏は確かに有名で、信金業界の基礎を築いた。
・『地域をまたぐつながり  信用金庫は営業エリアの制限により遠隔地の企業情報をほぼ持ち合わせておらず、従来は地域をまたいだ事業支援が難しかった。しかし東京が拠点の城南信用金庫が牽引役の「よい仕事おこし」プロジェクトで全国の信用金庫が連携を強めている。 きっかけは東日本大震災だ。城南信用金庫は第13代理事長の川本恭治氏が初代部長を務めた地域発展支援部を中心に被災地支援に取り組んだ。東北と首都圏の企業をビジネスマッチングする「よい仕事おこしフェア」の開催に際し、東北の信金に参加してもらうなどつながりを深め、運営に尽力した。 この成功を踏まえ、インターネットで全国の信用金庫と企業がマッチングできるサイト「よい仕事おこしネットワーク」も開設された。サイトにはビジネスパートナーの募集情報や特産品情報が寄せられる。全国200以上の信用金庫が取引先と共に参加し、顧客の販路拡大や事業連携の機会を創出している。 こうして生まれたつながりを通じ、全国の信用金庫は新型コロナウイルス禍での医療機関への物資提供や飲食店支援にも積極的に参加している』、「ビジネスマッチング」はどの金融機関も注力しているが、現実にはマッチする確率は高くはないようだ。
・『金融機関が生き残るには ◇地銀の非上場化  2017年、金融庁は金融機関に「フィデューシャリー・デューティー」の徹底、つまり顧客本位で業務をするよう求めた。金融機関と一般投資家では情報量に大差がある。そのため、その非対称性ゆえに顧客の意向が軽視されているのではないかと懸念したためだ。 しかし情報の非対称性は金融業界だけでなく、不動産業界などあらゆるビジネスに存在する。わざわざ金融庁が求めるところに、顧客本位の金融機関が少数派であるという事実が現れている。だが、本書に登場する信用金庫は地道な本業支援で地域および顧客の信頼を得ている。 信用金庫を規模や知名度で上回る地銀は、一部の大手を除いて経営が不安定化している。経営改善案として、近年「地銀の非上場化」が取り沙汰されている。上場をやめれば決算発表に伴う人的・金銭的負担や株主からのプレッシャーから逃れられるからだ。 だが、著者は上場をやめても地銀の経営状況は大きく変わらないと見る。自分たちの仕事内容を変えようとしない姿勢が、地銀の経営が悪化した最大の原因だからだ。上場している金融機関でも顧客本位の経営を実現させている企業はある』、上場の有無と「経営悪化」は確かに無関係だ。
・いちよし証券の例は金融機関とは異なるのでカット
・『地銀と信用金庫の明暗  金融業界では地銀の非上場化だけでなく、「信用金庫化」も囁かれている。確かに信用金庫に改編すれば、税負担やシステムコストが軽減される。 しかしこの動きに対し、信用金庫業界は懐疑的な目を向けている。業態転換をしても既存の信用金庫に受け入れられなければ、信用金庫が築いてきたネットワークを活用できない。地銀は自らの経営資源を見直して改革を行うしかないようだ。 地銀の経営不安が続く一方、信用金庫はコロナ禍で再評価されている。経済の先行き不透明感が増すなか、各地の信用金庫と中小企業の取引は飛躍的に増え、貸出残高の増加という形で信用金庫に利益をもたらしている。 明暗を分けたのは、地銀が金利という収益源にこだわったのに対して、信用金庫は利他的な経営を貫いたことで顧客からの信用を獲得し、地域での基盤を強くしたことにある』、「信用金庫は利他的な経営を貫いたことで顧客からの信用を獲得し、地域での基盤を強くしたことにある」、やや建前論的臭いもあるが、その通りなのかも知れない。
・「一読のすすめ」以下は紹介を省略
タグ:金融業界 (その14)(韓国大手銀行が日本で脱法的な太陽光投資(上)流出資金は総計1000億円超、韓国大手銀行が日本で脱法的な太陽光投資(下)その巧妙な儲けの手口とは、きらやか銀行 「3度の公的資金申請」に漂う不安 運用受託で含み損拡大のSBIにも厳しい視線、地銀が沈む時代に「信用金庫」が伸びている理由 明暗を分ける差とは? 『なぜ信用金庫は生き残るのか』) 日刊ゲンダイ 半田修平氏による「韓国大手銀行が日本で脱法的な太陽光投資(上)流出資金は総計1000億円超」 「日本の銀行は、融資の回収可能性や業者の信用力の問題などから、なかなか融資を出さない」、「韓国系銀行は、この案件だけでなく、物議を醸している各地のメガソーラー計画で、資金の出し手として登場」、どいうことだろう。 損失吸収手段を「デット」、「エクイティ」、「メザニン」の3種類に分けるのは、プロジェクト・ファイナンスでは一般的だ。しかし、「SBJ銀行」が「韓国ファンド」に「名義」貸しをしているのは問題だ。それ以上に、これを見逃す形で、問題が多い「スキーム」が成立した点は由々しい問題だ。 日刊ゲンダイ「韓国大手銀行が日本で脱法的な太陽光投資(下)その巧妙な儲けの手口とは」 「日本での課税は源泉徴収だけ」、ふざけた話だが、文句はいえない。 これだけ多くの不正事件に関与している「SBJ銀行」、その親の「新韓銀行」が、「日本の天然資源や国民の財産が、海外勢に食い物にされている」のは、由々しい問題だ。ただ、政治家へもヤミ献金などで金融庁に圧力をかけている可能性がある。 東洋経済オンライン「きらやか銀行、「3度の公的資金申請」に漂う不安 運用受託で含み損拡大のSBIにも厳しい視線」 「高度化を目指しSBIに運用委託した勘定を中心に、外国債券などでの含み損がわずか1年で4倍以上にも膨らんでしまった」、「SBI」も罪作りだ。「コロナ特例による公的資金の注入申請」とは余りに安直だ。 「きらやか銀としては、経営のかじ取りの失敗を糊塗しコロナ禍のせいにすることで、返済が迫る公的資金を「特例の緩い公的資金に実質的に切り替えられて、ラッキーと腹の中では思っているのでは」、安易な「コロナ特例」の適用は避けるべきだが、制度として創設した以上、申請されれば、認めない訳にもいかないだろう金融庁としては、行政指導の面で、厳しい目に指導するほかないのではなかろうか。 ダイヤモンド・オンライン「地銀が沈む時代に「信用金庫」が伸びている理由、明暗を分ける差とは? 『なぜ信用金庫は生き残るのか』」 『なぜ信用金庫は生き残るのか』 「損害保険会社は高い人気」は昔から変わらない傾向だ。 確かに、異次元緩和政策で、長短金利差が縮小したのは、銀行業界には大打撃だった。 「信用金庫の評価は高まっている」のは何故だろう。 「信用金庫は法律により営業エリアが制限されており、無茶な債権回収をすると狭い地域にあっという間に悪評が広まってしまう。そうした事情もあり、信用金庫は取引先が苦境に陥っても経営の立て直しに尽力する傾向がある」、これは説得的だ。 「小原」氏は確かに有名で、信金業界の基礎を築いた。 「ビジネスマッチング」はどの金融機関も注力しているが、現実にはマッチする確率は高くはないようだ。 上場の有無と「経営悪化」は確かに無関係だ。 「信用金庫は利他的な経営を貫いたことで顧客からの信用を獲得し、地域での基盤を強くしたことにある」、やや建前論的臭いもあるが、その通りなのかも知れない。
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倒産・経営破綻(その1)(ジェネリック大手「日医工」が私的整理申請 赤字が1048億円に拡大、オンキヨー経営破綻「3つの原因」が浮き彫りにする  日の丸家電凋落の深層) [企業経営]

今日は、倒産・経営破綻(その1)(ジェネリック大手「日医工」が私的整理申請 赤字が1048億円に拡大、オンキヨー経営破綻「3つの原因」が浮き彫りにする  日の丸家電凋落の深層)を取上げよう。

先ずは、本年5月19日付け日刊ゲンダイが掲載した経済ジャーナリストの重道武司氏による「ジェネリック大手「日医工」が私的整理申請 赤字が1048億円に拡大」を紹介しよう。
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/money/305363
・『後発医薬品(ジェネリック医薬品)を巡る品質不正問題が、業界大手3社の一角の経営破綻劇にまで発展した。日医工で、先週末に事業再生ADR(裁判外紛争手続き)を申請。主力行の三井住友銀行(SMBC)をはじめとした取引金融機関による債権放棄など債務負担軽減を受けたうえで再建を目指すとしている。 日医工は2020年、国に承認されていない手順で薬剤を製造していたことが発覚。翌21年3月に主力の富山第一工場(滑川市)が富山県から32日間の業務停止命令を受けた。このため品質管理の厳格化など改善を進めてきたものの思うようにはかどらず、今なお「170品目前後で生産や出荷停止が続いている」(事情通)とされる。 製造委託先だった小林化工(福井県あわら市)の不祥事にも足をすくわれた。睡眠導入剤の成分が薬剤に混入し、2人の死者まで出す「健康被害」を引き起こしたもので、委託品の販売中止に追い込まれた』、「ジェネリック医薬品」業界での相次ぐ「不正」については、このブログの昨年10月5日付けで取上げた。いまだに「「170品目前後で生産や出荷停止が続いている」とは異常事態だ。
・『メガバンクは支援へ  業績は急激に悪化して21年3月期に41億円強の最終赤字に転落。22年3月期には16年に買収した北米子会社ののれんや無形資産などの減損に、原材料・製品の廃棄などを見越した棚卸資産評価損の計上も余儀なくされ、最終損失額は一気に前期比25倍超の1048億円余にまで膨らんだ。 こうなると重荷になってくるのが“借金”だ。過去にしきりとM&Aを繰り返してきたこともあって、3月末の有利子負債残高は1626億円と7年前の約10倍にものぼる。巨額赤字による自己資本の毀損で、財務制限条項に抵触するハメにも陥った。 日医工の取引行はSMBCを筆頭に政府系の日本政策投資銀行(政投銀)や三井住友信託銀行、三菱UFJ銀行、農林中央金庫など。北陸銀行や北国銀行などの地銀も名を連ねる。融資残高は「SMBCで370億円前後」(関係者)とみられ、政投銀と三井住友信託銀行が各200億円前後で続く。すでに政投銀と3メガバンクが設立した事業再生ファンドが最大200億円を出資するとの意向を示しており、「ADR成立は比較的容易では」というのが金融筋の見立てだが、予断は許さない。 後発薬業界では品質不正が多発。38社中約8割の企業が承認外の手順で薬剤を製造していたという業界団体の報告もある』、「過去にしきりとM&Aを繰り返してきたこともあって、3月末の有利子負債残高は1626億円と7年前の約10倍にものぼる。巨額赤字による自己資本の毀損で、財務制限条項に抵触するハメにも陥った」、「財務制限条項に抵触」とは逃げ道がない。それにしても、「後発薬業界では品質不正が多発。38社中約8割の企業が承認外の手順で薬剤を製造していたという業界団体の報告」、とは驚くほどコンプライアンス意識が欠如した業界のようだ。

次に、5月24日付けダイヤモンド・オンラインが掲載した早稲田大学大学院経営管理研究科教授の長内 厚氏による「オンキヨー経営破綻「3つの原因」が浮き彫りにする、日の丸家電凋落の深層」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/303672
・『「hi-fi」のオンキヨーが経営破綻した3つの理由  この1年、オンキヨーという会社をウォッチし続けてきた。日本のエレクトロニクス企業というと、パナソニック、東芝、ソニー、シャープなどを思い浮かべるが、40、50代以上のhi-fiブームを知っている世代にとって、この度のオンキヨーの破産申請は大きなショックとともに受け入れられたであろう。オンキヨーはもともと、松下電器産業(現パナソニック)の音響エンジニアが独立して作った、オーディオ専業メーカーである。 昨年9月にオンキヨーは主力のAV事業を売却し、売却先のAV事業の売り上げのライセンス料を収益化することを狙っていた。しかし、このスキームが上手く機能することはなく、収益のあてのないオンキヨーは破産の道を選んだ。創業が1946年であるから、創業80年を目前にしての消滅であった。 筆者は2020年秋と2021年秋に、通信社やテレビ局からオンキヨーの経営についてコメントを求められた。2020年の段階ではまだオンキヨーは生き残る術はあったかもしれないし、当時そう答えていた。ただし、大規模なリストラは必要であった。 筆者は、日本の現場を守るためなら経営トップが外国人になっても構わないという考えを本連載でも述べてきたので、リストラ、特にエンジニアの集団をそぎ落とすことについては、最後の最後までやるべきではないと考えている。しかし、オンキヨー破綻の原因は大きく3つあり、その中でも中途半端な規模感というのが最も問題であったと言える』、「中途半端な規模感」とはどういうことなのだろう。
・『パイオニアAV部門買収が岐路に 規模拡大の誘惑に潜むリスク  その1つ目の要因とは、パイオニアのAV機器部門の買収による中途半端な規模の拡大である。ソニーやパナソニックといった企業は、まず多くの製品カテゴリーがあり、また組織が十分に大きくコスト競争力もあり、ブランドの知名度も高いので、多品種大量販売をしても何とかなるメーカーである。一方オンキヨーは、一部オンキヨーマニアによって支えられてきた企業であり、知る人ぞ知る高機能・高性能・高級AV機器を少品種少量販売すべきであった。) しかし、パイオニアのAV機器部門を吸収したことで、開発部門の人員という固定費は膨らみ、既存のオンキヨーの製品ラインアップだけでは、到底コストが賄い切れなかった。そのため、事業計画の数字上の辻褄を合わせるために、組織の体力に見合わない大量モデルの投入とそれらが売れることを前提とした、収益化プランを作ってしまった。 実際には、オンキヨーにはそれだけの多くのラインアップを販売店に押し込む力はなく、そもそも店頭に展示されない機種が多数存在していた。 家電の世界は、店頭展示シェアがほぼイコール実販シェアである。店頭に並んでいない商品をカタログから取り寄せ注文する顧客は極めてレアであり、SKU(店頭に並ぶ定番商品)を取れない限り、むやみにモデル数を増やしても売り上げが伸びることはない。 むしろオンキヨーの場合、同社のムダに多いラインアップ同士が競合を起こし、同じメーカーの製品内で共食いのような競合状態になっていた。これは、必ずしもオンキヨーのせいではないが、コロナ禍の輸送力低下、半導体不足により、そもそもカタログに載っている商品の生産すらできないという状況も経営を苦しめていた。 歴史に「たられば」はないというが、オンキヨーが無理をしてパイオニアのAV機器部門を吸収せず、身の丈に合ったオーディオ専業メーカーとしてやっていれば、その後の状況は違っていたかもしれない』、「オンキヨーの場合、同社のムダに多いラインアップ同士が競合を起こし、同じメーカーの製品内で共食いのような競合状態になっていた」、こんな状態では、「パイオニアのAV機器部門を吸収」などもともと無理だったのではあるまいか。
・『オーディオ不況が敗因ではない? ブランドイメージの重要性  2つめの要因は、何がオンキヨーを代表するシグニチャー商品なのかがわからないことだ。hi-fiブームが去り、オーディオ不況とも呼ばれて久しいが、それでも生き残っていて元気のあるオーディオ専業メーカーは、世界を見渡せばいくつもある。 かつてのデンオン、現在のデノンもそうした国内オーディオ専業メーカーである。他にもサウンドバーやミキサーで有名なヤマハのオーディオ部門、米国にはスピーカーのBOSE、欧州ではハイエンドデザインAV機器のB&Oなども健在である。オーディオ不況がオンキヨーの敗因というわけではなさそうだ。 では、何がもうひとつの原因なのか。それは、今述べたメーカーの枕詞にある。BOSEならスピーカー、B&Oならデザイン家電のように、各社は自社の製品の特徴と製品ラインアップを絞って、「このブランドと言えばこれ」「これといえばこのブランド」というイメージを作ってきた。アップルですら、スマートフォン、PC、イヤホンから大きくラインアップを広げようとしていない。 一方のオンキヨーはどうか。デノンのような単品コンポのピュアオーディオだけではなく、ソニー同様のポータブルオーディオを出してみたり、ワイヤレスイヤホンや、パイオニアブランドではあるがシーリングランプまで手がけたりしていた。 あるとき、オンキヨーがオーディオに特化したスマートフォンを発表したときに、真偽のほどは定かではないが、「評価用サンプル」という名目でお土産に新製品のスマートフォンを配っていたという話をしていた記者もいた。少し横道にそれるが、メーカーにとって新製品は我が子であって、それをただでお土産にするなど言語道断である。筆者もメーカー勤務時代にサンプルの貸し出しは行っていたが、「借りパ……」ではないが、返却の遅い媒体にいかに製品サンプルを返却してもらうかで苦労をしていた』、「オンキヨー」には「「このブランドと言えばこれ」「これといえばこのブランド」というイメージがなかった。
・『「良いものをつくれば売れる」という固定観念の危うさ  バブル期と言わないまでも1990年代までは、中堅メーカーが良いものをつくれば、ラインアップを広げていったり、製品の数を増やしたりしても、何とかやっていけたかもしれない。それは、かつてNEBA店と呼ばれた地域量販店が、歩合制の店員を店内に配置し、一生懸命商品説明をして、少しでも高いものを売ろうとしていた時代であったからである。 2000年代に入ると、YKK(ヤマダ、コジマ、ケーズ)という全国チェーンが台頭し、ほとんど売り場に説明員がいない状況が生まれ、良いものを作っても顧客に良さが伝わりにくくなった。さらにEコマースの広がりや、Amazonによる家電取り扱いの開始によって、さらに細かな説明をしないと良さが伝わらない商品は売れない状況に陥った。むしろ最近のヤマダ電機の方が、丁寧に商品説明をしてくれている。 このような状況では、店頭での商品力の訴求を期待するのは難しく、ネットでパッと見て良さがわかるかブランドが認知されるような、一点豪華主義にシフトした方が良い。それがオンキヨーにはできなかった』、「店頭での商品力の訴求を期待するのは難しく、ネットでパッと見て良さがわかるかブランドが認知されるような、一点豪華主義にシフトした方が良い。それがオンキヨーにはできなかった」、なるほど明解である。
・『優れた現場があってもそれだけで製品は売れない  最後に3つ目の敗因。これは毎度の話であるが、オンキヨーに戦略がなかったことだ。良いものを作ればいつか消費者はわかってくれる――。このような「待ち」の姿勢では、いくら優れた現場があっても、それだけで製品が売れるわけではない。 最近アップルはiPodの販売終了を発表したが、いまだにソニーはウォークマンのビジネスを世界中で展開している。30万円以上もするような高級モデルもラインアップされている。ソニーのウォークマンの販売戦略は、ひとことでいえば松竹梅の竹をなくして「超松」と「超梅」の2本柱にしたことだ。 「超梅」は1万円前後の商品。これは、スマートフォンを持てない小中学生が外で音楽を聴くためのエントリーモデルである。一方「超松」モデルは大人のウォークマンである。hi-fi世代がハイレゾ音源を趣味として楽しむような顧客に向けて、数は少ないが確実に利益を取れるモデルを出している。 つまり、超梅モデルで、規模の経済性を生み出すことで固定費を稼ぎ、「ハイレゾと言えばウォークマン」という高級オーディオブランドにウォークマンをスイッチさせるための超ハイエンドモデルを、持続的に開発するための土台にしていると言える。それによって、「ソニーのオーディオといえばウォークマン」「ウォークマンと言えば高いけれど超高音質のハイレゾ音楽が楽しめる商品」という、ブランド浸透を図っているのである。 それに対してオンキヨーは、個々の製品をしっかり見るといずれも良い商品ばかりだった。しかし世の中には、しっかり紙のカタログを読み込んでくれたり、店頭で販売員に相談したりするお客さんがいなくなった。この販売の現場の変化に対応できなかったことも、オンキヨーという企業に寿命をもたらした要因だと言える』、確かに「ソニー」の「ブランド」戦略は凄い。「オンキヨー」はマーケティング戦略不在のまま沈没したようだ。 
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キシダノミクス(その4)(ウクライナより深刻?「岸田リスク」を総点検する 岸田内閣は短命のほうが日本のためになる?、与党の大醜態「年金受給者5000円給付」撤回の裏側 バラマキ批判におびえて 責任のなすり合い、同じ日本人として恥ずかしい…岸田首相の「岸田に投資を!」が海外メディアにスルーされた納得の理由 いま「自国の利益」をアピールする国は欧米にはない) [国内政治]

キシダノミクスについては、本年2月12日に取上げた。今日は、(その4)(ウクライナより深刻?「岸田リスク」を総点検する 岸田内閣は短命のほうが日本のためになる?、与党の大醜態「年金受給者5000円給付」撤回の裏側 バラマキ批判におびえて 責任のなすり合い、同じ日本人として恥ずかしい…岸田首相の「岸田に投資を!」が海外メディアにスルーされた納得の理由 いま「自国の利益」をアピールする国は欧米にはない)である。

先ずは、2月27日付け東洋経済オンラインが掲載した経済評論家の山崎 元氏による「ウクライナより深刻?「岸田リスク」を総点検する 岸田内閣は短命のほうが日本のためになる?」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/514793
・『前回の「株式市場を脅かす『4つのリスク』は解消するのか」(2月5日配信)で、筆者は、「ご本人が心底株式を嫌っているのかどうかは定かでないが、株式市場のほうはすでに岸田文雄首相を嫌っているように見える」と書いた。この推測を強力に裏付ける調査を見つけた』、どんな「調査」なのだろう。
・『「投資家」の岸田政権支持率はたったの3%  日経CNBCが同チャンネルの視聴者を対象に行った調査で、「あなたは、岸田政権を支持しますか?」という質問に対して、「はい」という回答がたったの3%しかなかった(調査期間は2022年1月27日~1月31日)。 日経CNBCは、主にマーケットや経済を題材とする番組を流す有料チャンネルで、実際に投資にかかわっている視聴者が多い。国民一般を対象にした岸田内閣の支持率は、多くの調査でここのところ下落傾向にあるが、それでも40%台半ばくらいの数字が多い。ところが、「投資家の支持率」と見ることができるこの調査では3%なのだ。よほど嫌われていると言っていい。 目下、新型コロナ・オミクロン株の流行が「マンボウ」(まん延防止等重点措置)を通じて経済を減速させ、ウクライナ・ロシア間の地政学的問題が発生し、何よりもFRB(アメリカ連邦準備制度理事会)がインフレ対策に重点を移して今後利上げと量的緩和の回収に進む「パウエルリスク」の顕在化で、内外の株価が下げている。 これらに加えて、株式市場が警戒する「岸田リスク」まで実現したら、投資家としてはたまったものではない。 株式市場が「岸田リスク」と感じている、「岸田首相の懸念材料」は複数あるが、大きく3つのカテゴリーに分けることができる。第1に「税制リスク」、第2に「新しい資本主義リスク」、第3に「金融政策転換リスク」だ』、「日経CNBC」調査で、「投資家」の岸田政権支持率はたったの3%」、とは確かに衝撃的な数字だ。
・『首相が再び税制言及なら日経平均1000円下落も  まず、税制に関するリスクとして心配なのは、岸田氏が昨年の自民党総裁選の時点で口にしていた金融所得課税の見直し(要は税率引き上げ)が、再登場する可能性だ。 この構想は、金融所得に対する課税が分離課税であるために、株式の配当等による収入が大きい年収1億円を超えるような富裕層の所得に対する税率が、1億円未満の層よりも低下する通称「1億円の壁」問題への対策として登場した。増税に熱心な官僚やそのサポーター的な学者などの間では前々から話題に上っていた構想だが、どうやら「分配」が大事らしいとぼんやり思っていた岸田氏の耳に入ったのだろう。 金融所得への課税強化は、投資家が株式投資や投資信託への投資などでリスクを取って儲けることに対して、現在よりもより処罰的に働く、投資家から見ると「とんでもない税制改悪」だ。この可能性は、岸田氏が首相に就任した当初にマーケットで懸念されて株価が下がり、一部では「岸田ショック」などとも呼ばれた岸田リスクの第1号案件だ。 市場では不評で、株価を下げかねないことから、参議院選挙の前に持ち出されることはなさそうだが、参議院選挙が終わって、来年の税制が検討される今年の秋以降に、再び話題に上る可能性がある。話題に上るということは、岸田首相の耳に入るということであり、彼にとっては「耳、即ち脳!」なので、反射的に「検討を廃除するものではない」などと口走るかも知れない。 この場合、株価はいったん急落し(日経平均株価で1000円見当か)、その後に様子を見ながら、検討が撤回させるまでじくじく悪影響を与える材料になりそうだ。筆者は、こうした市場の反応を見て、金融所得課税の見直しは実現しないことになるだろうと「予想」するが、予想というものは当てにならない。 仮に参議院選挙に与党が勝利していた場合(今の野党に対して、さてどのくらい負ける要素があるのか?)、しばらく国政選挙のスケジュールがないので、増税マニアの誰かが、岸田氏に「総理の掲げる政策を実現するチャンスは今しかありません」とささやくかも知れない。この場合、ささやきの角度とタイミングが気持ちよくて実現してしまう可能性がゼロではない。) 岸田氏は、「新しい資本主義」という内容空疎な言葉の使用を止める気配がない。おそらく、口にしてみると、耳障りが良くて、自分が何かを考えたかのような誇らしい気分になるのだろう。できるなら人前で口にするのは我慢してほしいものだが、かつての首相たちも、「改革」とか「美しい国」のような、中身が伴わないけれども気持ちのいい言葉を発することをつねとしていた。これは首相官邸の風土病なのかもしれない』、「中身が伴わないけれども気持ちのいい言葉を発することをつねとしていた。これは首相官邸の風土病なのかもしれない」、困ったことだ。
・『日本の資本主義の本質とは何か?  しかし、「美しい国」くらいなら国民は陰で嗤っていればよかったが、「新しい資本主義」は、しばしば株価や経済にとってのリスク要因になるので厄介だ。 先の金融所得課税の見直しもその1つだが、岸田首相は、どうやら株主レベルでの利益追求を抑制することが、資本主義の見直しになると思い込んでいるらしい。小さなレベルでは、「自己株買いの規制の検討」、「業績の四半期開示の見直し」、といった株式投資家に不利益ないし迷惑な施策の可能性を口走るし、おおもとで「新自由主義の見直し」が必要だと思っているらしいことが厄介だ。 そもそも日本の経済が新自由主義的だと考えることは事実誤認だ。政・官、および大企業正社員階層から上の企業人たちは(日本の「上層部」と呼ぶことにしよう)、メンバーシップが固定的な「資本主義の仮面を被った縁故主義」とでも呼ぶのがふさわしい形で社会および経済を運営している。 日本の資本主義は独裁国家・権威主義国家と呼ばれる国々が民主主義を名乗るために行っている選挙のごとき一種の仮面にすぎない(ウラジーミル・プーチン氏も選挙で選ばれた大統領だ)。2世、3世議員がうようよいる自民党政権は(野党にもいるが)、経団連ばかりか、連合にも守られて(野党を分断してくれる自民党の最大の応援勢力だ)、固定的な支配構造が当面安泰だ。社会・経済が長年停滞するのも無理はない。 もっとも、正社員メンバーシップから外れた非正規労働者に対しては、企業をはじめとする上層部の行動は、極めてドライに古典的資本主義を適用している。労働力は、極めて安価かつ競争的に商品化されている。ここだけを見ると、今時になってマルクスを持ち出す人達の気持ちがわからなくはないが、日本全体が資本主義的に運営されていると見るのは間違いだ。 こうした状況に「新しい資本主義」が絡むのでややこしい。日本経済の発展のためには、「普通の資本主義」を社会の上層部に対して徹底すべきだし、株式の投資家がおおむね願っている「成長戦略」はその方向にある。しかし、岸田氏にはこれが「行きすぎた新自由主義」に見えるらしい。 また、本来、福祉やセーフティーネットの役割を企業に割り当てることが不適切で、これは岸田氏一人に責任があるわけではなく、日本の社会設計上の誤りだが、企業に賃上げを求めることを「分配政策」だと勘違いしたり、「70歳まで社員を雇用せよ」と要請したりする、「資本主義の修正」のつもりの政策は、企業の活力を奪い、社会を停滞させる。この調子では、「企業の内部留保への課税を検討する」などとも言い出しかねない。 いずれも、株式投資家が嫌う社会の姿だし、経済の一層の停滞を招く。筆者が考える正しい方向性は「強力なセーフティーネット付きの普通の資本主義の徹底」だ。例えば、正社員に対する解雇の金銭解決ルールを整備して人材の流動化・再配置を促すことが必要だが、その前提条件として、解雇されても生活ができるようなセーフティーネット(理想はベーシックインカム)と職業訓練の仕組み、さらには公的な教育・研究の充実などが必要だ。 付け加えると、「普通の資本主義」と「セーフティーネット」の両方が必要だが、順番はセーフティーネットの整備が先だ(柔道で、投げ技よりも受け身を先に練習するように)。 この点で、岸田氏の「分配重視」は役に立つかも知れないのだが、先の「子供1人当たり10万円」の給付金が所得制限付きでボロボロになった様子を見ると、セーフティーネットの構築はおろか、正しいバラマキ政策の作法もご存じない様子だ。 岸田首相の「新しい資本主義」構想は、「予想としては」、おそらく迷走して、その都度株式市場に嫌われながら方針を撤回して、日本にとって時間の空費に終わるだろう。停滞感満載の時間が延びるのは国民にとって災難だが、そのくらいで済めばいい、とも言える』、「「新しい資本主義」構想は、「予想としては」、おそらく迷走して、その都度株式市場に嫌われながら方針を撤回して、日本にとって時間の空費に終わるだろう。停滞感満載の時間が延びるのは国民にとって災難だが、そのくらいで済めばいい、とも言える」、手厳しい見方だ。
・『「金融政策転換リスク」はインフレで発火するか?  本格的に心配なのは、3つ目に挙げた、岸田政権が金融緩和政策を転換しようとするリスクだ。 岸田氏は、かつて「政権禅譲」の期待を裏切った安倍晋三氏を快く思っていまい。また、彼の脳そのものである「耳」には、周囲の官僚達から緊縮財政への誘惑とともに、アベノミクスの金融緩和政策を見直そうとする声が侵入しているにちがいない。) しかも、届くことはないと思われていた消費者物価の「2%」の上昇率が、エネルギー価格をはじめとする輸入物価の上昇につれられて、昨春の携帯料金引き下げの影響が剥落する今春以降に、一時的に達成される可能性が出て来た。 仮にそうなるとして、このインフレは、需要が昂じて景気が過熱して起こったものではなく、需要の弾力性が小さい(価格が上昇しても節約しにくい)エネルギーなどの輸入価格上昇に伴って起こる国民の窮乏化を伴う物価上昇であり、金利を引き上げることが適切な種類のインフレではない』、なるほど。
・『7月の日銀政策委員会の審議委員人事に注目  例えば、政策金利を引き上げると、おそらく大幅な円高が起こり、輸入物価の下落要因にはなる。だが企業の価格競争条件が悪化し(よく話題になる輸出競争力だけではなく、国内製品も競争条件が悪化する)、加えて実質金利の引き上げになるのだから、ここに至っても「コロナ前」に戻ることすらできていない日本経済に良いはずがない。 「円高のほうが、企業は高付加価値製品へのシフトに努力するだろう」という声を聞くことがあるのだが、根拠のない根性論だ。利益が出ていて、実質金利が低いほうが、企業は前向きな投資を行いやすいと考えるのが当然ではなかろうか。日本企業が高付加価値製品分野で競争力を持たないことの原因は、円安ではない。 これまでに何度も指摘してきたことだが、金融政策転換リスクの恐ろしいところは、岸田氏が次の日本銀行の正副総裁の実質的な任命者になることだ。「新しい資本主義」その他に関連する迷走は、少々後から岸田氏の「耳」に悪評が入ることによってその都度修正が可能だが、日銀総裁の任期は5年あるので、影響が固定化される公算が大きい。 このリスクの行方を占ううえでは、7月に任期を迎える日銀の政策委員会の審議委員である、鈴木人司氏および片岡剛士氏の後任に注目したい。鈴木氏は「銀行業界枠」と目される方なので、一人は銀行業界から選ばれるものと予想されるが、「リフレ派」エコノミストである片岡氏の実質的な後任にリフレ派と覚しき人物が選任されないようだと、来年の正副総裁人事に赤に近い黄色信号が点滅する。場合によっては、参議院選挙以上の7月の注目材料だ。) 以上、3つのカテゴリーの「岸田リスク」は、いずれも岸田内閣が向こう1年半以上継続することを前提としている。では、岸田内閣が短命に終わる可能性はないか。 1つには、夏の参議院選挙で自民党が予想外の敗北を喫することはないか。現在の野党の状況を見るとその可能性はなさそうに見えるのだが、1つの要素として注目できるのは、現在参院選の選挙協力で自民党との全面的な合意ができていない公明党との関係だ。 公明党およびその支持母体である創価学会の協力なしに当選できない自民党候補は一定数いるにちがいない』、私は、異次元緩和には反対の立場なので、「リフレ派」の「片岡」氏の後任は、オーソドックスなエコノミストの選任が望ましいと思う。
・『「小泉コミュニケーション担当」首相なら魅力的  仮に選挙協力が不調に終わって、自民党候補が戦前の予想以上に落選した場合に何が起こるか。さすがに、衆参の「ねじれ」が起こるほどに負けないだろうが、岸田政権は弱体化する。ほどほどの負けは、安倍晋三氏、麻生太郎氏、菅義偉氏、二階俊博氏といった、「岸田政権の主流ではない政治的実力者たち」にとって好都合だろう。 加えて、注目できるのは、公明党にとっても、同党の協力がなければ自民党が選挙で苦労することを示すことは、自分たちの価値をつり上げて、政治的影響力を増す効果があることだ。 仮に、参院選の敗北などで岸田政権が弱体化したときに、自民党内で「政局」は起こるだろうか?政治の世界のことなので予測はできないが、例えば、菅前首相は「いま、おれに対する世論の反応は悪くない」と周囲に語っているらしい(『朝日新聞』2月22日)。 さすがに、菅氏のすぐの再登板は考えにくいが、小泉進次郎首相、菅副総理兼官房長官、河野太郎厚労大臣、林芳正外務大臣、といったラインナップなら、なかなか魅力的に思える。派閥力学的には、安倍晋三氏を副総理で遇するといいのかもしれない。 河野氏と菅氏は、いずれもビジネスの世界で言うマイクロ・マネジメントのタイプなので、2人で首相、副首相を分け合うのは不向きに思える。首相だがコミュニケーション担当の扱いで小泉進次郎氏を担ぐのがいいのではないかと提案しておく。「ポエム」を封印して頑張って欲しい。河野太郎氏には、課題満載の官庁である厚労省の根本的な改革を是非期待したい(本編はここで終了です。次ページは競馬好きの筆者が週末のレースを予想するコーナーです。あらかじめご了承ください)』、「小泉進次郎首相、菅副総理兼官房長官、河野太郎厚労大臣、林芳正外務大臣、といったラインナップ」、馬鹿馬鹿しくてコメントする気にもならないが、「小泉」には「首相」はどう考えても無理だろう。

次に、3月31日付け東洋経済オンラインが掲載した政治ジャーナリストの泉 宏氏による「与党の大醜態「年金受給者5000円給付」撤回の裏側 バラマキ批判におびえて、責任のなすり合い」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/578238
・『2022年度予算成立の直前に、政府・与党内で突然浮上した年金受給者への一律「5000円給付」案が、事実上“撤回”の方向となった。「参院選に向けたバラマキで、極め付きの愚策」(立憲民社幹部)などの激しい批判に、岸田文雄首相も28日の参院決算委員会で「本当に必要なのかどうか」と再検討の意向を示した。 同案を政府に提起した自民、公明両党幹部も態度を一変。野党だけでなく大多数の国民からの批判に怯えた結果、自民党の高市早苗政調会長は29日夕、「もうこの話はなくなった」と明言した。 その一方で、方針転換に伴う自公両党の「裏舞台での責任のなすり合い」(自民幹部)も表面化。同案提起を主導したとされる茂木敏充自民幹事長に対し、公明党は「こちらが考えたわけではない。いい迷惑だ」(幹部)と不満を漏らすなど、与党内のあつれきも隠せない。 そもそも、同案の「提起」も「撤回」も唐突で、政府与党内での根回し不足は明らか。しかも、「今回の与党の混乱で、岸田首相の指導力も問われる」(自民長老)ことは確実で、「どう落とし前をつけるか」(同)が岸田政権の浮沈にもかかわる事態となっている』、「そもそも、同案の「提起」も「撤回」も唐突」、その通りだ。
・『物価高騰の緊急対策として案が浮上  ロシアのウクライナ侵攻を受けた物価高騰を憂慮する岸田首相は、3月29日午前の閣僚懇談会で「原油や穀物の価格上昇が社会経済活動の順調な回復の妨げ」になると指摘。自らをトップとする関係閣僚会議を設置し、与党との連携による4月中の緊急対策策定を表明した。 この対策は①原油高対策、②資源・食料安定供給、③中小企業支援、④生活困窮者支援の4本柱。政府は2022年度予算に計上した総額5兆5000億円の予備費を財源とする方針で、自公両党も政策担当による議論を急ぐ。 そこで注目されたのは、予算に賛成した玉木雄一郎・国民民主代表が強く求めているガソリン税減税のためのトリガー条項の凍結解除案と、年金受給者への一律5000円給付案の取り扱い。 前者については自民、公明、国民民主の3党協議で4月中に結論を出すことを確認。政府も「凍結解除も含めて検討する」としており、与党内には「(凍結解除は)すぐ効果が表れる」(公明幹部)との声もあり、実現の可能性が見込まれる。) その一方で、後者については自民の政策担当責任者の高市氏が「もう事務的にも間に合わなくなったので、この話はなくなった」と言明。生活に困窮する高齢者への支援は「今後、ゼロベースで議論する」と白紙で再検討する意向を明らかにした。 与党内では高市氏を筆頭に「5000円一律給付」案を今後の議題対象から除外すべきだとの声が多く、「白紙イコール中止」との見方が支配的だ。 今回、与党が同案を提起したのは、公的年金の支給額が4月から減額になることを踏まえた年金生活者への救済が狙い。具体的には、生活を支える年金支給額1人当たり約5000円となることから、その分を「補填」するためで、住民税非課税で臨時特別給付金の受給対象世帯を除く年金受給世帯への一律支給というスキームだった。 そもそも年金額は、物価や現役世代の賃金の変動などに伴い、毎年度改定され、2022年度は賃金の減少に合わせて0.4%減とすることが今年1月に決まっている。ただ、原油価格の高騰などで2月以降消費者物価指数は前年同月比で0.6%と急上昇し、ウクライナ情勢でさらなる上昇が確実視されるため、同案が年金生活者への救済措置として急浮上した』、確かに、前述の「同案の「提起」も「撤回」も唐突」」は言い得て妙だ。
・『給付事務費700億円に批判殺到  3月15日に自公両党の幹事長らが同案の実現を政府側に申し入れた際は、岸田首相も「しっかり対応したい」と応じて、いったんは実現の可能性が強まった。 しかし、約2600万人とされる年金受給者への一律給付ともなれば、収入の有無を無視した対策となり、5000円という給付額自体が「救済の効果が少ない」のも事実。しかも、給付事務費に約700億円が必要とされたことが「税金の無駄遣い」との批判を拡大させた。 同案について与党側は、当初から年度内の3月中に2021年度予算の予備費からの支給を決め、参院選前の給付実現を目指していたとされる。しかし、自公両党の提案が公表されると同時に、メディアも含めたバラマキ批判が急拡大したことが、高市氏の「撤回」発言につながった。 2年以上前にコロナパンデミックが始まって以来、この種の「一律給付」を主導してきたのは公明党だ。安倍晋三政権下の2年前には、当時の自民党政調会長だった首相が主導して閣議決定までした収入減少世帯限定での現金30万円給付が、公明党と当時の二階俊博自民幹事長の巻き返しで、全国民一律10万円給付に変更された。 さらに、昨年秋の岸田政権発足後も、その前の衆院選で公明党が「公約」として掲げた「ゼロ歳から高校3年生までを抱える世帯への一律10万円給付」を巡っても、政府与党内のあつれきが表面化し、すったもんだの末、地方自治体に判断を委ねる形で、公明の主張が事実上通った経緯がある。) このため、今回も「一律給付」は公明の発想と受け取る向きが多かった。自公幹事長の茂木、石井啓一両氏が政府に申し入れた段階では、「茂木氏が公明党の立場に忖度した」(自民幹部)との見方が広がった。 ただ、財務省は「寝耳に水」(幹部)で、「国民からも参院選目当てのバラマキと受け止められる」(同)と反発。与党内でも「かえって票が減る」(自民選対)との声が相次ぎ、わずか2週間で事実上の撤回を余儀なくされたのが実態だ。 “主犯”視された公明党は「茂木氏が持ちかけた」(政策担当幹部)と不満を表明。「都合が悪くなると公明のせいにするが今回は違う」(同)と不満たらたら。これに対し茂木氏も「何かに限って対策を打つのではないと何度も言ってきた」と釈明に追われた。 そもそも、公明党にとって夏の参院選は「党勢維持を懸けた正念場」(幹部)。しかも、3月29日にはコロナ対策を巡って貸金業法違反に問われた元同党衆院議員の遠山清彦・元財務副大臣に対し、東京地裁が懲役2年、執行猶予3年の有罪判決を言い渡した。 この判決について山口那津男公明代表は同日の記者会見で、「このような事態に至ったことを深く心から反省し、国民の皆さまにおわびを申し上げたい」と沈痛な表情で謝罪。同代表周辺も「参院選への悪影響は避けられない」と肩を落とす』、どうも「茂木幹事長」の政治力は大したことなさそうだ。
・『改めて自公“すきま風”が浮き彫りに  こうした同党の窮状が、今回の「5000円給付」案の与党内の責任のなすり合いにつながっているのは否定できない。自民党も、「参院選勝利のための自公両党の『相互推薦』を公明党に頼み込んだ負い目」(自民選対)があり、「どちらが“主犯”かの真相はまさに藪の中のまま」(同)で終わることになるのは確実だ。 ただ、「今後は岸田首相と山口代表という与党のツートップの指導力が厳しく問われる」(自民長老)ことは間違いない。それだけに今回の「5000円給付」騒動は、岸田政権での“自公すきま風”の深刻さを浮き彫りにしたともいえそうだ』、「今回の「5000円給付」案の与党内の責任のなすり合い」は、「“自公すきま風”の深刻さを浮き彫りにした」、参院選までに修復できるのだろうか。

第三に、5月21日付けPRESIDENT Onlineが掲載したジャーナリストのさかい もとみ氏による「同じ日本人として恥ずかしい…岸田首相の「岸田に投資を!」が海外メディアにスルーされた納得の理由 いま「自国の利益」をアピールする国は欧米にはない」を紹介しよう。
https://president.jp/articles/-/57806
・『岸田首相を知らない市民が「ハイジャックか」と大騒ぎ  5月5日のロンドンは、真昼間のちょっとしたハプニングで騒然としていた。戦闘機2機を従えた大きな旅客機が市街地中心の上空を低空飛行で横切ったのだ。「旅客機がハイジャックか?」「ついにテロが起きたか?」と市民たちは一斉に飛行の様子をSNSに書き込んだ。 日本ではブルーインパルスによる展示飛行があると、仕事の手を休めて上空を見上げる人々でちょっとした騒ぎになる。ジェット機と戦闘機が並んで飛ぶさまはブルーインパルスほどには激しくないが、それでも市民の注目を浴びるには十分だった。いったいこれは何だったのか? 実はこのパフォーマンス、日本からやってきた岸田文雄首相を歓迎するために英空軍(ロイヤル・エアフォース、RAF)が行った儀礼飛行(フライパースト)だった。旅客機エアバスA330を改装した軍用輸送機「RAFボイジャー・ヴェスピナ」が、超音速戦闘機「タイフーン」2機を両側に従えて首相官邸やトラファルガー広場などの上空を通過した。 しかし、岸田首相の訪英を知らなかった大半の市民は、この儀礼飛行を見て大騒ぎになった。その様子はまるで、ハイジャックされた民間機が戦闘機の護衛を受けながら、ロンドン・ヒースロー空港に向かって緊急着陸する、という情景だったからだ。 そんなこともあってか、SNSを見る限りでは“人騒がせな飛行”のおかげで日本のPM(首相、プライムミニスター)がロンドンに来ていたことを初めて知った市民が多かったようだ。実際にメディアの取り上げ方も、会談の内容よりも儀礼飛行の騒ぎを伝えた記事のほうが多い、という皮肉な結果となった』、「RAFが行った儀礼飛行」、従来の「日本の首相」訪問時にもあったのだろうか。
・『「岸田に投資を!」と訴えるも現地メディアは無反応  岸田首相はゴールデンウィークにアジアと欧州を歴訪し、最後の訪問先に英国を選んだ。5日には、ロンドンの金融街「シティー」のギルドホールと呼ばれる市庁舎で講演を行い、「私からのメッセージは1つだ。日本経済はこれからも力強く成長を続ける。安心して日本に投資をしてほしい。インベスト・イン・キシダだ」とアピールした。 その後、6カ国歴訪の成果について、「平和を守る、との目的で訪問し確かな成果を得たと手応えを感じている」と評価。「いずれの首脳とも本音で大変有意義な議論ができた」「力による一方的な現状変更はいかなる場所でも許されないという共通認識を得られた」と自画自賛している。 しかし、現地主要メディアがこの発言を取り上げることはほとんどなかった。日本のように予定調和の記事は出さないという英国メディア特有の慣習もあるが、「関心事はもっと別のことにあったからだ』、「現地主要メディアが」、「インベスト・イン・キシダ」発言を取り上げることはほとんどなかった」、官邸ももっと海外メディア戦略を真剣に検討すべきだ。
・『英メディアの大多数は安全保障の「協定」に注目  岸田首相の訪英を取り上げる記事で目立ったのは、日英の安全保障に関するトピックだった。ロシアによるウクライナ侵攻で欧州全体が“第3次世界大戦”に神経をとがらせる中、英政府のもっぱらの志向は、防衛に絡む国際関係をどう取りまとめていくかに傾いている。 今回の日英会談では、自衛隊と英軍が互いの国に滞在した際の法的地位を定める「円滑化協定」(RAA)について大枠合意した。日本が欧州の国、英国がアジアの国とこうした「円滑化協定」を結ぶのは初めてだ。 英国がこれほどまでに日本に期待を寄せる理由とは何か。実は日英の防衛当局はともに、「最新鋭戦闘機の導入」という重要イシューを抱えており、これを財政難の中、効率的に作り出さなければいけないという難度の高い課題がある。 コロナ禍でさんざんな目に遭った英国も日本同様、財政面で相当厳しい状況にある。カネがない英政府は今や、自国一国で戦闘機開発は成就しない。コストを抑えるため、日本に対し「ギブアンドテイクで良いので、一緒にやろうと持ちかけた」というわけだ。 新たな戦闘機開発という「共通目標」を持つ日英両国は、実証実験の段階から手を結ぶことを決断した。「日英円滑化協定(RAA)」の締結は、戦闘機開発に当たって情報のやりとりを文字通り円滑にすることを目的としたものだ』、「カネがない英政府は今や、自国一国で戦闘機開発は成就しない。コストを抑えるため、日本に対し「ギブアンドテイクで良いので、一緒にやろうと持ちかけた」、「新たな戦闘機開発という「共通目標」を持つ日英両国は、実証実験の段階から手を結ぶこを決断」、「「日英円滑化協定(RAA)」の締結」、両国にとってウィン・ウィンなようだ。
・『ウクライナ侵攻で中国、北朝鮮への警戒感も増している  5月16日には、複数の関係者の話として「航空自衛隊F2戦闘機の後継となる次期戦闘機について、英国と共同開発する方向で調整に入った」と伝えられた。一方の英国も、現在使っている戦闘機「ユーロファイター・タイフーン」の後継機開発を進めており、2035年ごろの就役を目指す。英国が日本に求める「重要な役目」は、技術や部品の共通化でコストダウンが見込める「共同開発」に応じてほしい、といったものだろう。 遠いアジアの出来事とはいえ、北朝鮮がミサイルの発射実験を繰り返していることは、G7にとって喜ばしいことではない。岸田首相訪英の日の朝にも発射実験があった。英政府による日英首脳会談終了後の声明を読むと、北朝鮮への批判もしっかり行っていることが分かる。 英国としては「アジアで唯一のG7の国」である日本に、中国や北朝鮮に対する目を光らせておいてほしい、という思いも強い。こうした背景もあって、英国の現地メディアの報道は「新たな防衛パートナーシップを結んだ英日関係」に注目する論調が目立った』、「英国の現地メディアの報道は「新たな防衛パートナーシップを結んだ英日関係」に注目する論調が目立った」、「岸田」「発言」よりもはるかに意味がある報道だ。
・『どの国も「ロシアへの対応」が最優先事項のはずだが…  今回の岸田首相訪問が、英国世論でことのほか関心を呼ばなかったのはすでに述べた通りだが、それはボリス・ジョンソン首相にとっても同じだっただろう。 というのも、両首脳が会談した5月5日は折しも、英国の統一地方選挙の投票日に当たっていた。筆者が<キーウ電撃訪問はウクライナのためではない……英ジョンソン首相の英雄的行動のウラにある残念な事情>でも紹介したように、ジョンソン首相はコロナの行動規制のさなか、首相官邸で開かれたパーティーに参加したという、いわゆる「パーティーゲート事件」により、強い辞任要求に揉まれながらの日々を送ってきた。おそらく、岸田首相と会っている間も、選挙の情勢が気になって仕方がなかったのではないだろうか。 選挙結果を見ると、首相の人気低下、国政与党・保守党からの支持離れは明確なものとなった。伝統的に保守党が強いと言われてきたロンドンの複数行政区で票を次々と落とし、野党・労働党、自由民主党の躍進を許す格好となっている。 そうでなくても、英国やEU諸国にとって、ウクライナ危機への対応は今や国の最優先事項だ。ロシアによる侵攻後まもなく、ジョンソン首相はバイデン米大統領、マクロン仏大統領、ショルツ独首相の3人とオンライン形式で会談し、ロシアへの経済制裁について協議した。4月9日にはショルツ首相がロンドンを訪れて首脳会談を行い、その3日後にはキーウを電撃訪問し、ゼレンスキー大統領と直接対話している』、「岸田首相と会っている間も、選挙の情勢が気になって仕方がなかったのではないだろうか」、その通りだ。
・『「平和ボケしすぎ」とみられてしまっている  岸田首相が英国を離れた直後も、フィンランドとスウェーデンの北太平洋条約機構(NATO)加盟を後押しすると発言。ロシアへの脅威から2カ国を守るため、NATO正式加盟までの間、英国が防衛支援を行うことで合意した。 このように、米英首脳がいま各国に求めていることは、ひとえに「ロシアをどう叩くか」に尽きる。そんな局面で、岸田首相はG7としての自国の役割は脇に置き、「岸田に投資を!」と訴えたわけだ。ウクライナに攻め込むロシアに対し、日本は地政学的に一定のリスクを抱えている国のはずだが、自国経済のアピールに終始する様子は「近隣国なのに日本は平和ボケしすぎ」とみられてしまっている。英国主要メディアが「岸田に投資を!」という言葉を軒並み無視したことからしても、その温度差は大きい。 筆者は英国に住んで15年になるが、今ほど戦争の脅威を身近に感じる日々はない。日本の国際的なプレゼンスが弱まっていることが指摘される状況で、最もアピールしなければならなかったのは自国の利益ではなく、ロシアとどう対峙するかの姿勢ではなかったか。同じ日本人として恥ずかしくなってしまう』、「最もアピールしなければならなかったのは自国の利益ではなく、ロシアとどう対峙するかの姿勢ではなかったか。同じ日本人として恥ずかしくなってしまう」、強く同意する。
タグ:(その4)(ウクライナより深刻?「岸田リスク」を総点検する 岸田内閣は短命のほうが日本のためになる?、与党の大醜態「年金受給者5000円給付」撤回の裏側 バラマキ批判におびえて 責任のなすり合い、同じ日本人として恥ずかしい…岸田首相の「岸田に投資を!」が海外メディアにスルーされた納得の理由 いま「自国の利益」をアピールする国は欧米にはない) キシダノミクス 東洋経済オンライン 山崎 元氏による「ウクライナより深刻?「岸田リスク」を総点検する 岸田内閣は短命のほうが日本のためになる?」 どんな「調査」なのだろう。 「日経CNBC」調査で、「投資家」の岸田政権支持率はたったの3%」、とは確かに衝撃的な数字だ。 「「新しい資本主義」構想は、「予想としては」、おそらく迷走して、その都度株式市場に嫌われながら方針を撤回して、日本にとって時間の空費に終わるだろう。停滞感満載の時間が延びるのは国民にとって災難だが、そのくらいで済めばいい、とも言える」、手厳しい見方だ。 私は、異次元緩和には反対の立場なので、「リフレ派」の「片岡」氏の後任は、オーソドックスなエコノミストの選任が望ましいと思う。 「小泉進次郎首相、菅副総理兼官房長官、河野太郎厚労大臣、林芳正外務大臣、といったラインナップ」、馬鹿馬鹿しくてコメントする気にもならないが、「小泉」には「首相」はどう考えても無理だろう。 泉 宏氏による「与党の大醜態「年金受給者5000円給付」撤回の裏側 バラマキ批判におびえて、責任のなすり合い」 「そもそも、同案の「提起」も「撤回」も唐突」、その通りだ。 確かに、前述の「同案の「提起」も「撤回」も唐突」」は言い得て妙だ。 どうも「茂木幹事長」の政治力は大したことなさそうだ。 「今回の「5000円給付」案の与党内の責任のなすり合い」は、「“自公すきま風”の深刻さを浮き彫りにした」、参院選までに修復できるのだろうか。 PRESIDENT ONLINE さかい もとみ氏による「同じ日本人として恥ずかしい…岸田首相の「岸田に投資を!」が海外メディアにスルーされた納得の理由 いま「自国の利益」をアピールする国は欧米にはない」 「RAFが行った儀礼飛行」、従来の「日本の首相」訪問時にもあったのだろうか。 「現地主要メディアが」、「インベスト・イン・キシダ」発言を取り上げることはほとんどなかった」、官邸ももっと海外メディア戦略を真剣に検討すべきだ。 「カネがない英政府は今や、自国一国で戦闘機開発は成就しない。コストを抑えるため、日本に対し「ギブアンドテイクで良いので、一緒にやろうと持ちかけた」、「新たな戦闘機開発という「共通目標」を持つ日英両国は、実証実験の段階から手を結ぶこを決断」、「「日英円滑化協定(RAA)」の締結」、両国にとってウィン・ウィンなようだ。 「英国の現地メディアの報道は「新たな防衛パートナーシップを結んだ英日関係」に注目する論調が目立った」、「岸田」「発言」よりもはるかに意味がある報道だ。 「岸田首相と会っている間も、選挙の情勢が気になって仕方がなかったのではないだろうか」、その通りだ。 「最もアピールしなければならなかったのは自国の利益ではなく、ロシアとどう対峙するかの姿勢ではなかったか。同じ日本人として恥ずかしくなってしまう」、強く同意する。
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ハラスメント(その20)(メンタル崩壊から復活した30代男性が語る「教訓」 元エリート自衛官に起きたまさかの事態、エンタメ界の性的強要はなぜ根絶できないのか 呆れた実態、力を持つ人が陥る危険な思考回路、「夜回りに行ったら突然抱きつかれ…」全国紙初の女性政治部長が明かす永田町のセクハラの実態 議員秘書は見て見ぬふりが当たり前だった) [社会]

ハラスメントについては、昨年12月2日に取上げた。今日は、(その20)(メンタル崩壊から復活した30代男性が語る「教訓」 元エリート自衛官に起きたまさかの事態、エンタメ界の性的強要はなぜ根絶できないのか 呆れた実態、力を持つ人が陥る危険な思考回路、「夜回りに行ったら突然抱きつかれ…」全国紙初の女性政治部長が明かす永田町のセクハラの実態 議員秘書は見て見ぬふりが当たり前だった)である。

先ずは、本年1月17日付け東洋経済オンラインが掲載したライターの松永 怜氏による「メンタル崩壊から復活した30代男性が語る「教訓」 元エリート自衛官に起きたまさかの事態」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/501833
・『仕事で華々しく活躍していた人があるとき、メンタルダウンして職場を去っていくーー。他人事ではない人も多いのではないでしょうか。 私たちは仕事における孤独やストレス、困難とどう向き合うべきか。そもそも、メンタルは鍛えられるのか。過去に厳しい体験をしてきた人に、心のあり方や試練の乗り越え方について聞きます』、興味深そうだ。
・『朝6時のラッパ音に飛び起きる日々  今回登場いただくのは、元エリート自衛官だったわびさん(仮名・30代)。現在は外資系企業で健康的に働いているが、うつになり休職、復職を経て転職した経緯がある。 わびさんは宮崎県で起きた口蹄疫や、東日本大震災ほか、多数の災害派遣の指揮所でも活躍した人物。現在は妻と双子の子ども4人で暮らしている。 いったいどんな職場だったのか。わびさんに聞いてみると、自衛隊の訓練は想像する以上にハードだった。 まず、陸上自衛隊の幹部候補生が集まる学校の一日は、朝6時にラッパ音で起こされるところから始まる。外に向かって「おはよう!」と絶叫した後、2、3分で着替え、ベッドを整え、上半身裸で外に駆け出す。点呼が終わると腕立て伏せをするのがルーティンだった。 卒業して、幹部自衛官になった後も訓練は続く。たとえば、暑さ寒さが過酷な現場では、テントの室温が50度前後にも及ぶ状況で指揮を取ったかと思えば、マイナス15度の極寒の地で訓練をしたことも。寒さのあまり、普段優しくて温厚な人でもキレやすくなったり、攻撃的になる傾向もあったそうだ。 そんな中、わびさんは幹部上級過程において歴代優秀者の中に名を連ね、知識、技術ともに高い評価を得ていた。多忙な業務をこなしつつ、上司や同僚にも恵まれた。あとは着実に、一歩一歩ステップアップを重ねて昇進していく……はずだった。 ところがわびさんは、部署異動をきっかけに壮絶なパワハラに遭遇する。耐えに耐えた結果、最終的にはうつ病を発症し、休職を余儀なくされてしまった。 同期の中でもトップの成績を残し、誰よりもメンタルが強いと自負していたわびさん。いったい何が起きたのか。 はじめは、パワハラを受けている自覚はなかったという。上司は自分のためを思って厳しく言ってくれている。自分の努力が足りないだけ。頑張ればいつかわかってもらえるはずと、自責の念と儚い希望を持っていたという。 ところが、日に日にエスカレートしていく叱責。1日の業務量が多く、怒鳴られるたびに仕事は止まる。上司へ報告、連絡、相談を受けてくれるのは19時以降で、すべての案件に対して長時間の指導や人格否定が続く。その後、翌日上司が出勤するまでに、当日から翌日朝までに上がった情報収集や分析を行わなければならず、やれどもやれども終わりが見えない。 当時の残業時間は月200時間を超えた。朝5~6時には出勤して、帰宅時間は深夜1時。睡眠時間は毎日3時間程度。土日休みだったものの、仕事が終わらず土日のどちらかは出勤。もう一日はひたすら寝るか、生まれたばかりの双子の子育てで妻も孤立無援となっており、一緒に家事や育児も行う日々に追い詰められていった。 そんなわびさんがパワハラを受けていると自覚したのは、業務以外のことでも口出しされるようになった頃。上司は、妻が作ってくれた弁当にダメ出し。子どもの名前に意見する。乗っている車にさえ文句を言う。これはもう指導ではないと、はっきりと違和感を抱いた。 しかし、その時点ですでに心身ともに消耗しきっていたわびさん。もはや正常な判断を下せる状態にはなく、思考や行動にも異変が表れていた』、「わびさんは幹部上級過程において歴代優秀者の中に名を連ね、知識、技術ともに高い評価を得ていた」、「部署異動をきっかけに壮絶なパワハラに遭遇する。耐えに耐えた結果、最終的にはうつ病を発症し、休職を余儀なくされてしまった」、「パワハラを受けていると自覚したのは、業務以外のことでも口出しされるようになった頃。上司は、妻が作ってくれた弁当にダメ出し。子どもの名前に意見する。乗っている車にさえ文句を言う」、優秀な「幹部候補生」を「うつ病」で「休職」にまで追い込んだ「上司」は当然、処分の対象とすべきだ。
・『ツイッターに投稿され共感を呼んだわびさんのつぶやき  たとえば自動販売機で缶コーヒーを買うにも、この種類を買ったら上司に怒られるのではないか。トイレにいても、途中で上司が入ってきたら、この場所を使っていたら迷惑にならないか。次第に仕事のミスも増加。フラフラになりながら、以前お世話になった上司に相談を持ち掛けた。しかし、返ってきた言葉は「気のせいだ」。 そうして最後は、職場で叫び声を上げてデスクの下に潜り、そのまま病院に運ばれた。その時の記憶はない。その後しばらく休職となり、社会復帰するまでに1、2年の時間を費やすことになった』、「社会復帰するまでに1、2年の時間を費やす」、かなり重症だったようだ。
・『パワハラに対処するコツ  わびさんは自身の経験を経て、パワハラを受ける人に、仕事ができる、できないは関係ないと語る。運悪くパワハラのターゲットになってしまった、またはメンタルダウンした場合、どのような対策をすることが大切か。わびさんの経験から整理してみる。 【わびさんがメンタルダウンするまで】 ・何を言われても反抗しなかった ・弱音を吐かなかった。逃げることは恥だと思っていた ・自分の心のサインに気付かなかった ・正しい道にこだわりすぎていた) 何を言われても反抗しなかった:上司に何を言われても反抗せず、従順すぎたと語るわびさん。パワハラをする人は、自分に自信がない、または、誰かをマウントすることによって自分の力を誇示したい。もしくはただ自分の要求を押し付けたいだけの人もいると語る。 そうした相手には、「この人は利用できないと思わせることが大切」とわびさんは振り返る。時には言い返す、または反応しない。もしくは間を開けて返事をするなど態度で示す』、「「この人は利用できないと思わせることが大切」とわびさんは振り返る。時には言い返す、または反応しない。もしくは間を開けて返事をするなど態度で示す」、なるほど。
・『弱音を吐くこと、逃げることは恥だと思っていた  パワハラ上司に反抗するのは恐怖かもしれない。しかし、耐えるばかりでボロボロになった結果、その後1年、2年とつらい思いをするよりは、はるかにダメージが少ないときっぱり言う。パワハラにまでは従う必要はない、「一線を越えてきたら撃ちますよ」の気概が大切だ』、「パワハラにまでは従う必要はない、「一線を越えてきたら撃ちますよ」の気概が大切だ」、その通りだろう。
・『ツイッターで支持されたわびさんのつぶやき  弱音を吐かなかった・逃げることは恥だと思っていた:当時のわびさんには、「逃げる」という選択肢がなかった。弱音を吐くのは恥。他の人も頑張っている。逃げたら終わりだと思っていた。また、自衛隊を辞めたら他に仕事はなく、踏ん張るしかないと決めつけていたとも語る。 人によっては、パワハラの証拠集めとして録音したり、転職したりとほかにも方法があったのでは?と思う人もいるだろうか。しかし、パワハラを受けて深みにはまると、思考がそこまで追い付かない。ただただ相手に怯えるばかりで、何もできなくなってしまうという。そうしてひたすら耐えて、大丈夫なふりをした結果、得たものはうつ病、不安神経症、病気休暇、賞与カット、承認遅れ、左遷。失ったものは、家族と幸せに過ごすはずだった時間だった。普通に働けるようになるまで約2年の月日が流れた。 わびさんは語る。メンタルダウン初期なら周りが助けてくれる。弱音を吐くことによって困難な状況も乗り切れる。ただし、メンタルダウンが深まっていたらただちに逃げること。そして速やかに病院を受診することを勧める。 責任のある仕事をしている中、引き際、辞め時のタイミングは迷いも生じる。ただ、出口の見える仕事に対しては一定程度やり遂げるのにある程度無理はきくが、一向に出口が見えない状況なら、速やかに撤退したほうがいいと念を押す。 自分の心のサインに気付かなかった: 振り返ればメンタルダウンのサインは出ていた。 ・ごはんがおいしくない ・休日に動けない ・布団に入っているのに全然寝付けない ・嫌な記憶がグルグル巡る ・なぜか涙が出てくる ・「死ぬ」という選択肢が頭をよぎる しかし、当時はそういったサインの知識は乏しかった。または、健康なときでも眠れない、食欲がないことくらいあるだろうと気にしていなかったそうだ。 これらのサインは、健康のときにこそ知っておいてほしいとわびさん。いざ深みにはまってしまうと、新たな知識や情報を調べる余裕はないだろうと言う。 つねに自分の気持ちにフォーカスすること。そしてストレスを感じたら早期回復、心の病気の予防が大切だ。) 正しい道にこだわりすぎていた:メンタルダウンするまでは、一度決めた道だから、上司の命令だから、妻子がいる身だから、と身動きがとれずにいたと語るわびさん。せっかくの自分の人生なのに、他人が作った正しい道にこだわっていたという。 しかし、人生を総合的に捉えるようになってからは自由度がかなり上がるようになった。目の前の仕事や評価に一喜一憂せず、自分の生き方に合わせて環境を選ぶ。大まかな方向が合っていればOKくらいの感覚で進む。道を変えたり、途中で寄り道したり、時には少し休みながら進んでいくぐらいでちょうどよいと語る。 また、他人を意識しすぎると心が疲れやすくなってしまう。自分の人生の主体は、自分である』、「振り返ればメンタルダウンのサインは出ていた。 ・ごはんがおいしくない ・休日に動けない ・布団に入っているのに全然寝付けない ・嫌な記憶がグルグル巡る ・なぜか涙が出てくる ・「死ぬ」という選択肢が頭をよぎる」、「人生を総合的に捉えるようになってからは自由度がかなり上がるようになった。目の前の仕事や評価に一喜一憂せず、自分の生き方に合わせて環境を選ぶ。大まかな方向が合っていればOKくらいの感覚で進む。道を変えたり、途中で寄り道したり、時には少し休みながら進んでいくぐらいでちょうどよいと語る。 また、他人を意識しすぎると心が疲れやすくなってしまう。自分の人生の主体は、自分である」、その通りだろう。
・『自衛隊で生き生きしている人の特徴  自衛隊の中でも、自分らしく充実した日々を過ごしている人はもちろんいる。わびさんが見た彼らの特徴は、趣味に没頭したり、いくつかいい意味での依存先を持っている人だという。 たとえば、業務が終わると外に出て、20キロくらいマラソンをする人。休日の朝4時から洗車に行く人。なかなか普通の人にはわかりにくいレベルで、各々が趣味に没頭していたそうだ。彼らは、仕事で何かトラブルがあっても依存先が複数ある。または、自分時間を保っているため回復が早い。 一方、メンタルダウンする前のわびさんは、趣味も依存先もなかった。もしくは趣味さえも完璧主義が邪魔をしたという。頭の中でこれはできる、できないとシミュレーションして判別。その結果、趣味には結びつくことはなかった。 しかし、休職、転職を経た現在は、とても趣味が多い。畑作業やキャンプ、ビオトープ、DIY、筋トレ、SNSで出会った人との交流ほか、仕事とは関係ない趣味をたくさん持つようになった。以前と比べて時間とお金、心に余裕ができた。また、まずはやってみようと完璧を目指さなくなったという。 エリート自衛官だったわびさん。壮絶なパワハラを経験したのち、現在は時間やお金、精神的にも余裕を持ちながら幸せに過ごせている。 「メンタルは鍛えられない」とわびさんは言う。しかし、自分の気持ちにフォーカスすることで、ある程度予防・回復はできる。まずは、メンタルダウンについて知識を持つこと。耐える努力より(注:「より」は不要?)だけでなく、自分の心の声に、素直に耳を傾けることを、わびさんから学べるのではないだろうか』、「自衛隊の中でも、自分らしく充実した日々を過ごしている人」「の特徴は、趣味に没頭したり、いくつかいい意味での依存先を持っている人だ」、「自分の気持ちにフォーカスすることで、ある程度予防・回復はできる。まずは、メンタルダウンについて知識を持つこと。耐える努力・・・だけでなく、自分の心の声に、素直に耳を傾けることを、わびさんから学べる」、その通りだろう。

次に、3月12日付け東洋経済オンラインが掲載した コラムニスト・人間関係コンサルタント・テレビ解説者の木村 隆志氏による「エンタメ界の性的強要はなぜ根絶できないのか・ 呆れた実態、力を持つ人が陥る危険な思考回路」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/538076
・『あえて「国際女性デー」の3月8日にワールドプレミア(最初の上映会)を行ったばかりの映画『蜜月』が、翌9日に急きょ公開中止を発表。その理由は、「榊英雄監督がキャスティングを持ちかけて性的行為を強要したことなどが報じられたから」でした。 同作は家庭内の性被害を描いた作品だったこともあって衝撃は大きく、10日の「めざまし8」(フジテレビ系)はトップニュースで報じ、MCの谷原章介さんは「榊さんは知人」と前置きしつつ「残念」「あってはならない」などと断罪。一方、当事者の榊監督は記事の内容を一部認めるような形で、謝罪コメントを発表しました。 全面的ではないものの記事の内容を認めて謝罪した以上、榊監督は責められて当然であり、今後は「どのように償っていくのか」が求められるでしょう。しかし、問題は今回の当事者だけではありません。谷原さんが「エンタメ業界は、いまだに夢や希望を持って『映画に出たい』という女性にとっては生きにくい世界なんだなと痛感いたしました」と語っていたように、私のもとにも性的被害に関するさまざまな話が聞こえてきます。 「#Me Too運動」が広がった2017年から4年超が過ぎた今、なぜこのようなことが起きてしまうのでしょうか。また、どんな問題や現実があるのでしょうか。芸能界のさまざまなエピソードを知るエンタメコラムニストであり、女性の性被害についても相談を受けるコンサルタントでもあるという立場から、その実態を挙げていきます。 ビジネスパーソンのみなさんは、「自分には関係のない芸能界の話」と思うかもしれませんが、実は他人事ではない問題。リスク回避の意味も含めて、ここでその実態をつかんでおいてほしいのです』、興味深そうだ。
・『本当の力を持つわけではない強者たち  なぜこんなことが起きてしまうのか。テレビや映画の関係者、芸能人、芸能事務所のスタッフ、芸能リポーター、エンタメ業界の出入り業者などと話をしていると、いまだにこの手のエピソードを普通のこととして聞くことがあります。 監督だけでなく、プロデューサー、大物芸能人、事務所幹部、スポンサーなど、エンタメの現場には力を持つ人が多く、また組織の大小による力関係もあり、残念ながら「キャスティングは必ずしも実力によるフェアな競争」とは言えません。他業種と比べても、具体的な作品名などで相手に力を感じさせやすいところがあり、ついそれを誇示したくなってしまうことが性的強要の入り口となっています。 一方、選んでもらう側の力を持たない人々は、「使ってもらえなければ何もはじまらない」「そもそもチャンスの機会が少ない」という厳しい現実にさらされている状態。貧困に悩まされる人が多いうえに、全国規模のテレビや映画は遠い夢であるため、「報酬の安い小規模な作品のほうが性被害は深刻」という声も聞きます。 これは俳優だけの話ではなく、アイドル、アーティスト、クリエイターなども同様。たとえば、「アイドルがプロデューサーやスポンサーから性的被害に遭った」というケースは何度か聞いたことがありますし、「けっきょく大したチャンスをもらえず泣き寝入りに終わった」という人も少なくないようです。 また、力を持つ人が愚かな行為に至ってしまうもう1つの理由は、「本当の意味で力を持っているわけではない」から。たとえば映画は、前述したように力を持つ多くの人が関わるものであり、監督など誰か1人の思い通りになるとは限りません。個人の力が絶対的なものではないからこそ、「それが通用する弱い立場の人に誇示することで自分を満たそう」とする傾向があるのです』、「残念ながら「キャスティングは必ずしも実力によるフェアな競争」とは言えません。他業種と比べても、具体的な作品名などで相手に力を感じさせやすいところがあり、ついそれを誇示したくなってしまうことが性的強要の入り口となっています」、なるほど。
・『「ウィン・ウィン」の関係性でも危ない  そのように相手との力関係を見て性的強要を行う加害者が本当に罪深いのは、「軽い気持ちで性的欲求を満たそうとしただけで、それ以外はあまり考えていない」こと。たとえば監督や俳優であれば、性的被害のシーンがある作品に関わる可能性は決して低くありません。しかし、被害者にしてみれば、憎き加害者が性的被害を扱っていることを知ったら、今回のように「許せない」と怒るのは当然であり、だから自らのリスクを承知で告発したのではないでしょうか。 加害者が「あまり考えていない」のは、「これくらいなら大丈夫だろう」と相手を甘く見すぎているからであり、やはり力関係を根拠にしています。だから周囲から見たら、「そりゃ告発されるよ」「そんなにひどいことをしたら恨まれて当然」と驚くほど、言動が自分勝手なケースが多いのです。) 相手を甘く見ている加害者には、「ウィン・ウィンにしてあげればいいよね」という考えの浅さと、「俺がお前を使ってあげる」という傲慢さがあり、それはどんなに甘い言葉で言いくるめようとしても伝わってしまうもの。ビジネスパーソンの中にも、「仕事ができて地位もある人なのに、異性が絡むと考えが浅くなり、傲慢さがにじみ出てしまう」という人をよく見かけるだけに、今回の件は決して他人事ではないのです。 では、エンタメ業界にその「ウィン・ウィン」を思わせる、両者が合意した枕営業はあるのでしょうか。 今回の件を報じた「文春オンライン」は、同じタイミングで「『おっさんずラブ』瑠東東一郎監督が人妻ヘアメイクと“不倫LINE” 夫は『最低の男です』」という記事も配信していました。こちらも「監督とヘアメイク」という立場の差がある関係性ではありますが、「両者の同意があった」という異なるニュアンスを感じさせます。 この2人の関係が「恋愛なのか」「枕営業の要素を含んでいるのか」はわかりませんが、実際に「ウィン・ウィン」の人たちがいるのも事実。しかし、そういう関係性の成功体験がある人ほど、「勘違いして同じことを繰り返し、想定外の相手から告発されてしまう」という落とし穴があるだけに要注意です。 ただ、これまでさまざまなエンタメ関係者に聞いてきた限り、「完全に同意している」というより、「疑問や不満を抱えながらも同意している」というケースのほうが多く、その関係性は常に波乱含み。たとえば、力を持つ側が「同意の関係性」と思っていても、現実的には力を持たない側がいつ爆発してもおかしくない爆弾を抱えているようなものなのです』、「「完全に同意している」というより、「疑問や不満を抱えながらも同意している」というケースのほうが多く、その関係性は常に波乱含み。たとえば、力を持つ側が「同意の関係性」と思っていても、現実的には力を持たない側がいつ爆発してもおかしくない爆弾を抱えているようなものなのです」、なるほど。
・『どれだけリスクをイメージできるか  では、どのように気をつけていけばいいのでしょうか。 まず力や地位のある人ほど、日ごろから「どんなリスクがあるのか」を具体的かつ鮮明にイメージしておくことが重要です。今回の件で言えば、榊監督のダメージは「被害女性の尊厳を傷つけてしまい、償っていかなければいけない」ことだけではありません。) 何より今回の騒動によって映画『蜜月』は、「性被害の加害者が、被害者の物語を撮る」という説得力のない作品になってしまいました。さらに、「榊監督は本当にいい作品を撮ろうとしていたのか」という映画に懸ける情熱すらも疑問視する声すらあがっています。 これらもリスクをイメージできなかったことの結果であり、榊監督にとっては痛恨でしょう。しかし、ダメージはこれだけにとどまらず、榊監督が培ってきたキャリアや、これまで関わってきた過去の作品にも傷をつけてしまったことになるのです』、「榊監督が培ってきたキャリアや、これまで関わってきた過去の作品にも傷をつけてしまったことになる」、映画監督の宿命だ。
・『家族の心を傷つけたことだけにとどまらない  プライベートに目を向けても、家族の心を傷つけたことだけにとどまりません。アーティスト活動をしている妻や、小中学生の娘2人に肩身の狭い思いをさせてしまいますし、友人・知人たちから距離を置かれることもありうるでしょう。榊監督がこれらのリスクを具体的にイメージできていれば、多少なりとも行動を抑制できたのではないでしょうか。 また、性的被害ではなく、前述した「ウィン・ウィン」の関係性に近い人も、同様にリスクのイメージをしておくことが必要。たとえば、職場や家族に知られたとき、両者の仕事に明暗が分かれたときなどは、相手が敵意むき出しの姿に豹変する可能性は低くないでしょう。 さらに、もし性的な関係性がなかったとしても、パワハラ、セクハラとみなされてしまうケースのダメージも少なくありません。仕事上で出会った異性は、どんなに笑顔を向けられていたとしても、リスクを排除することはできない存在。もし「合意の関係だった」としても、何かのきっかけで豹変されてしまったら、リスクにさらされてしまいます。たとえば、それが不倫であるかにかかわらず、「本当は嫌だった」「こんなことをされた」と告発されてしまったら、公私ともに悪影響は避けられないでしょう。 ネット上で告発しやすくなり、一気に拡散されるようになったこと。暴露系YouTuberの存在なども含め、やはり力や立場のある人は、「あわよくば」という下心との向き合い方を真剣に考えておいたほうがよさそうです』、「やはり力や立場のある人は、「あわよくば」という下心との向き合い方を真剣に考えておいたほうがよさそうです」、その通りだろう。
・『性的強要の社会的制裁に時効はない  最後に話をエンタメ界に戻すと、ファンあってのビジネスである限り、「時代に合わない悪しき習慣は本気で変えていく」という確固たる姿勢を打ち出すことが必要ではないでしょうか。 たとえば業界の大物たちが、合意の有無にかかわらず枕営業の全面禁止・厳罰化を宣言。プロデューサーや監督などの力を持っている人は、誓約書を交わすなどの強い姿勢を見せれば、夢を追う人々だけでなく、世間の人々から支持を集めるでしょう。さらに、若い才能が次々に開花して業界全体が活気づくかもしれません。 ちなみに、昭和のころからしばしば見られてきた「監督と女優が結婚」などのケースは現在でもありえるものですが、クリーンさを求められる時代だけに、祝福ムードが生まれづらくなっているのも事実。「そういう業界だから仕方がない」「昔からそうだから」というムードを消し去るためには、「本当に力を持っているトップ自らが変わること」が必要な気がするのです。 4年前に「#Me Too運動」が広がったように、今回もこれまで沈黙してきた被害者たちが声をあげるかもしれません。そして、その被害は最近のものだけではなく、法的なことはさておき「社会的制裁という意味での時効はない」こともリスクの高さを物語っています。 性的強要は何年前の行為だったとしても、仕事を干される、周囲の人々が離れるには十分すぎる理由。芸能人だけでなく、ビジネスパーソンにとっても、自分がそれに至る、あるいは疑惑だとしても告発されるリスクを限りなくゼロに近づけておくようにしたいところです』、「芸能人だけでなく、ビジネスパーソンにとっても、自分がそれに至る、あるいは疑惑だとしても告発されるリスクを限りなくゼロに近づけておくようにしたい」、同感である。

第三に、5月18日付けPRESIDENT Onlineが掲載した毎日新聞社論説委員の佐藤 千矢子氏による「「夜回りに行ったら突然抱きつかれ…」全国紙初の女性政治部長が明かす永田町のセクハラの実態 議員秘書は見て見ぬふりが当たり前だった」を紹介しよう。
https://president.jp/articles/-/57275
・『働く女性にとって、セクハラは今も深刻な問題だ。「セクハラ」という言葉が一般的ではなかった時代から政治記者として活躍し、全国紙で女性として初めて政治部長に就いた佐藤千矢子さんが自身の経験を明かす――。 ※本稿は、佐藤 千矢子『オッサンの壁』(講談社現代新書)の一部を再編集したものです』、「全国紙で女性として初めて政治部長に就いた」とは大したものだ。
・『私の記者人生で見てきた「セクハラ」  ハラスメントにはさまざまな種類があり、主なものだけでも、セクシャル・ハラスメント(セクハラ)、パワー・ハラスメント(パワハラ)、ジェンダー・ハラスメント(ジェンハラ)、マタニティ・ハラスメント(マタハラ)、パタニティ・ハラスメント(パタハラ)、モラル・ハラスメント(モラハラ)、票ハラスメント(票ハラ)などがある 今回は、セクハラを取り上げたい。 2017年10月、米ハリウッドの大物映画プロデューサー、ハーヴェイ・ワインスタイン氏が長年にわたり女優らにセクハラや性的暴行を繰り返してきたことが米紙ニューヨークタイムズの記事で告発された。これをきっかけにSNS上に「私も」と被害体験を告白する動きが「#MeToo(私も被害者)運動」として世界に広がった。 ちょうどそのころ、Yahoo!ニュース特集編集部が、毎日新聞、日本テレビ、フジテレビの女性政治部長3氏の座談会を企画し、私も出席した。2017年12月のことだ。その中で、当然、セクハラもテーマになった。 司会役から「目下、日本でも世界でも職場などでのセクハラに対して声があがるようになっています。男性議員から女性記者へのセクハラはありましたか」との質問が投げかけられた。 当時、日本テレビの政治部長だった小栗泉さんが、フジテレビの政治部長だった渡邉奈都子さんと私を見ながら「小栗 昔は……(と2人を見つつ)、ありましたよね?」と言うと、「佐藤、渡邉 (沈黙ののち、笑い)」という書き出しになっている。 この時、私は内心「昔はあったが、今もなくなっていない……」と思ったが、ネットメディアの座談会で他の人のことを勝手に話すわけにはいかない。そこで、この場では自分が過去に経験した中から二つのセクハラのケースを紹介することにした。記事に採用されたのは、そのうちの一つで、次のような話だ』、興味深そうだ。
・『おっぱい好きな大物議員  もう亡くなった大物議員ですが、おっぱいを触るのが大好きな人がいました。彼は小料理屋に行くと、仲居さんの着物に手をつっこんで触っているような人だったんです。ある時、私がたまたま隣に座ったら、ふざけて「佐藤さんのおっぱいも触っていいかな」と手が伸びてきた。そこで「ちょっとでも触ったら書きますよ」と言ったら、電気に打たれたようにビビビッと手が引っ込みました。ペンの力ってすごいなというのと、毅然きぜんとした態度を取ることも大事なんだとつくづく思った記憶があります。 これは軽微なセクハラで、よくある話だった。実際には触れられていないし、自分としてはきちんと撃退でき、この議員から二度とセクハラめいた行動を取られることはなかったので、今では笑い話として振り返ることができる。一方、座談会の中で紹介したもう一つの経験談は、全体のバランスなどさまざまな点から記事として採用されなかったのではないかと想像する。そして、記事化されなかった次の話のほうが、私にとっては重いものだった』、「ふざけて「佐藤さんのおっぱいも触っていいかな」と手が伸びてきた。そこで「ちょっとでも触ったら書きますよ」と言ったら、電気に打たれたようにビビビッと手が引っ込みました」、「ペンの力ってすごいなというのと、毅然きぜんとした態度を取ることも大事なんだとつくづく思った記憶があります」、反撃された「大物議員」もびっくりしたことだろう。
・『セクハラ議員を止めない秘書  これも亡くなった別の大物議員の話で、もう20年以上前のことになる。その議員が住んでいた東京都内の議員宿舎の部屋には、夜回りの記者数人が毎晩のように詰めかけ、小一時間ほど懇談に応じていた。ある晩、たまたま他の記者が誰も夜回りにやって来ず、議員と私だけの一対一の懇談になった。最初はいつものようにリビングのソファの下に座り込む形で普通に話していたが、いきなりにじり寄ってきて、腕が肩に回って抱きつかれるようなかっこうになった。「やめてください」と何度か言った。それでもなかなかやめようとせず、最後は振りほどくようにして逃げ帰ってきた。その時、別室に秘書が待機しているのが見えた。秘書は慌てる様子もなく、普通にただそこにいた。 議員の行動はもちろんだが、秘書の行動もショックだった。秘書は明らかに議員によるセクハラという状況に慣れていた。「いったい何人の女性が私と同じような思いをしたのだろう」。想像せずにはいられなかった』、「大物議員」の毒牙にかかった「女性」は何人もいたのだろう。
・『周囲はどう対応したか  私はその夜のうちに男性の先輩記者2人に報告し、今後の対応を相談した。「そんな奴のところに、もう夜回りに行かなくていい。それで情報が取れなくなっても構わない」。2人は即座に言った。当時、この議員は放っておいていいような軽い存在ではなく、新聞社として情報が欲しかったのはよくわかっていたので、私はこの反応がうれしかった。 もしも「他の男性記者がいる時に行くようにして、気をつけて取材してはどうか」と言われたら、落胆しただろう。あるいは「担当を外す」と言われたら、当座はほっとしたかもしれないが、責任を感じ、自分を責めて、後々まで思い悩んだかもしれない。 「もう夜回りに行かなくていい」というのは、会社として情報を失う犠牲を払ってでも記者を守ろうとする姿勢がはっきりしている。しかし「気をつけて取材してはどうか」とか「担当を外す」というのは、一見、記者に配慮しているようでいて、情報入手のほうを優先している。この差は大きい。 先輩記者の反応がうれしくて、私は「いえ、明日からも夜回りに行きます。一対一にならないよう、他の記者がいる時に部屋に入るように気をつけます」と言った。その後も普通に夜回りに行き、無事に仕事をこなすことができた。議員も秘書も全く何ごともなかったかのように振る舞っていた。いや、振る舞っていたというよりも、全く気にかけていなかったというほうが近い。罪悪感など微塵も感じていないようだった』、「その後も普通に夜回りに行き」、「議員も秘書も」、「罪悪感など微塵も感じていないようだった」、なるほど。
・『忘れるようにしても、深い傷になっている  座談会で20年以上前のこの話を紹介すると、同席していた男性のスタッフが言った。「セクハラというのは、どうしても防げないことがある。大事なのは、セクハラが起きてしまった後、周囲がどう対応するかなんですね」。そのひと言を聞いた瞬間、自分に予期しなかった反応が起きた。涙が出てきた。「もう忘れていたはずなのに、まさかこんなことが心の傷になっていたなんて……」と思い、戸惑った。先輩記者に深夜に報告して以来、このセクハラ経験を話したのは初めてだったため、自分でも気づかなかったのだ。 こんなふうに自分の気持ちに蓋をし、思い出さないようにしてやり過ごしている女性は多いと思う。ここでセクハラのことを書くにあたり、何人かの女性に話を聞いたが、「彼女も、私と同じように気持ちを封印することで何とか乗り切ってきたのだろう」と感じることが何度もあった』、「忘れるようにしても、深い傷になっている」、女性にはその通りなのだろう。
・『セクハラか判断がつかず、対応に困るケース  他の働く女性たちの話に入る前に、自分の話をもう少しだけ語っておきたい。政治記者としての自分のセクハラ経験で忘れがたいケースはもう一つある。政治部記者になって2年目の1991年、宮澤喜一氏、渡辺美智雄氏、三塚博氏の3人が争った自民党総裁選で、朝回り取材をしていた時のことだ。ある中堅議員の議員宿舎の部屋には総裁選の陣営情報を得ようと、毎朝、数人の記者が集まっていた。 この議員は、記者たちの健康を気遣い、「朝は味噌汁ぐらい飲まないといけないぞ」と言って、カップ味噌汁を大量に買い込み、一人ずつお湯を注いでふるまってくれる優しい人だった。 ある朝たまたま、他の記者が現れず、一対一の取材になった。いつものように台所で味噌汁を飲みながら話をしていると、「睡眠時間も足りていないんだろう。少し寝なさい」と言って、隣の和室に行って押し入れから布団を出し、畳の上に敷き始めた。私は遠慮して早々に帰ってきた。議員は高齢で、優しい人だったのと、朝という時間帯もあって、あれはセクハラなのかどうか私は混乱し、すぐに先輩記者に相談した。 先輩記者は「バカだなあ、疲れていてもそんなところで寝ちゃあダメだよ、当たり前じゃないか。あのオヤジ~。帰ってきてよかったよ」と笑っていた。後から思うと、明らかなセクハラのケースだが、私もまだ若く、記者としても未熟で、何よりも高齢で優しかった議員とセクハラが結びつかなかったため、「それではお言葉に甘えて少し仮眠を取らせていただきます」と危うく寝てしまいかねないところだった』、「先輩記者は「バカだなあ、疲れていてもそんなところで寝ちゃあダメだよ、当たり前じゃないか。あのオヤジ~。帰ってきてよかったよ」と笑っていた」、「記者としても未熟で、何よりも高齢で優しかった議員とセクハラが結びつかなかったため、「それではお言葉に甘えて少し仮眠を取らせていただきます」と危うく寝てしまいかねないところだった」、確かに危機一髪だったようだ。
・『「個室での一対一の取材」はアウトなのか  これもまた別のある大物議員との間で1990年代後半にあった話だが、込み入った取材のため、電話ではなく面会のアポイント(約束)を取ろうとしたところ、「資料を渡してきちんと話したいから滞在中のホテルの自室まで来てくれないか。部屋でゆっくり話そう」と言われた。信頼している議員だったので、かなり迷った。 男性の先輩記者に相談したら「絶対にやめておけ」と言う。その先輩記者は「仮に何も起きなかったとしても、ホテルの部屋に入るところを誰かに見られたら、言い訳ができない。完全にアウトだ」と理由まで丁寧にアドバイスしてくれた。確かにその通りだと思い、「部屋には行けません」と断ると、議員は「それじゃあ、部屋のあるフロアの廊下まで来てくれないか」と食い下がったが、これも断った。結局、相手は不承不承、ホテルの地下のレストランまで降りてきてくれて、無事に取材ができた。 その後も議員と記者として、緊張感と信頼のバランスを保った関係が維持されたので良かったが、仮に部屋に来るようゴリ押しされたり、先輩のアドバイスが異なったものだったりしたら、とその後も時々、考えることがあった。何ごともなかったかもしれないが、セクハラ被害にあい悲惨なことになっていたかもしれない。未だにあれはセクハラの意図があったのかどうかわからないでいる』、「「部屋には行けません」と断ると、議員は「それじゃあ、部屋のあるフロアの廊下まで来てくれないか」と食い下がったが、これも断った」、粘り腰なのも下心があるからなのかも知れない。「未だにあれはセクハラの意図があったのかどうかわからないでいる」、「被害」を危機一髪で切り抜けている以上、「わからない」のも宿命だろう。
タグ:ハラスメント (その20)(メンタル崩壊から復活した30代男性が語る「教訓」 元エリート自衛官に起きたまさかの事態、エンタメ界の性的強要はなぜ根絶できないのか 呆れた実態、力を持つ人が陥る危険な思考回路、「夜回りに行ったら突然抱きつかれ…」全国紙初の女性政治部長が明かす永田町のセクハラの実態 議員秘書は見て見ぬふりが当たり前だった) 東洋経済オンライン 松永 怜氏による「メンタル崩壊から復活した30代男性が語る「教訓」 元エリート自衛官に起きたまさかの事態」 「わびさんは幹部上級過程において歴代優秀者の中に名を連ね、知識、技術ともに高い評価を得ていた」、「部署異動をきっかけに壮絶なパワハラに遭遇する。耐えに耐えた結果、最終的にはうつ病を発症し、休職を余儀なくされてしまった」、「パワハラを受けていると自覚したのは、業務以外のことでも口出しされるようになった頃。上司は、妻が作ってくれた弁当にダメ出し。子どもの名前に意見する。乗っている車にさえ文句を言う」、優秀な「幹部候補生」を「うつ病」で「休職」にまで追い込んだ「上司」は当然、処分の対象とすべきだ。 「社会復帰するまでに1、2年の時間を費やす」、かなり重症だったようだ。 「「この人は利用できないと思わせることが大切」とわびさんは振り返る。時には言い返す、または反応しない。もしくは間を開けて返事をするなど態度で示す」、なるほど。 「パワハラにまでは従う必要はない、「一線を越えてきたら撃ちますよ」の気概が大切だ」、その通りだろう。 「振り返ればメンタルダウンのサインは出ていた。 ・ごはんがおいしくない ・休日に動けない ・布団に入っているのに全然寝付けない ・嫌な記憶がグルグル巡る ・なぜか涙が出てくる ・「死ぬ」という選択肢が頭をよぎる」、「人生を総合的に捉えるようになってからは自由度がかなり上がるようになった。目の前の仕事や評価に一喜一憂せず、自分の生き方に合わせて環境を選ぶ。大まかな方向が合っていればOKくらいの感覚で進む。道を変えたり、途中で寄り道したり、時には少し休みながら進んでいくぐらいでちょうどよいと語る。 また、他人 「自衛隊の中でも、自分らしく充実した日々を過ごしている人」「の特徴は、趣味に没頭したり、いくつかいい意味での依存先を持っている人だ」、「自分の気持ちにフォーカスすることで、ある程度予防・回復はできる。まずは、メンタルダウンについて知識を持つこと。耐える努力・・・だけでなく、自分の心の声に、素直に耳を傾けることを、わびさんから学べる」、その通りだろう。 木村 隆志氏による「エンタメ界の性的強要はなぜ根絶できないのか・ 呆れた実態、力を持つ人が陥る危険な思考回路」 「残念ながら「キャスティングは必ずしも実力によるフェアな競争」とは言えません。他業種と比べても、具体的な作品名などで相手に力を感じさせやすいところがあり、ついそれを誇示したくなってしまうことが性的強要の入り口となっています」、なるほど。 「「完全に同意している」というより、「疑問や不満を抱えながらも同意している」というケースのほうが多く、その関係性は常に波乱含み。たとえば、力を持つ側が「同意の関係性」と思っていても、現実的には力を持たない側がいつ爆発してもおかしくない爆弾を抱えているようなものなのです」、なるほど。 「やはり力や立場のある人は、「あわよくば」という下心との向き合い方を真剣に考えておいたほうがよさそうです」、その通りだろう。 「芸能人だけでなく、ビジネスパーソンにとっても、自分がそれに至る、あるいは疑惑だとしても告発されるリスクを限りなくゼロに近づけておくようにしたい」、同感である。 PRESIDENT ONLINE 佐藤 千矢子氏による「「夜回りに行ったら突然抱きつかれ…」全国紙初の女性政治部長が明かす永田町のセクハラの実態 議員秘書は見て見ぬふりが当たり前だった」 「全国紙で女性として初めて政治部長に就いた」とは大したものだ。 「ふざけて「佐藤さんのおっぱいも触っていいかな」と手が伸びてきた。そこで「ちょっとでも触ったら書きますよ」と言ったら、電気に打たれたようにビビビッと手が引っ込みました」、「ペンの力ってすごいなというのと、毅然きぜんとした態度を取ることも大事なんだとつくづく思った記憶があります」、反撃された「大物議員」もびっくりしたことだろう。 「大物議員」の毒牙にかかった「女性」は何人もいたのだろう。 「その後も普通に夜回りに行き」、「議員も秘書も」、「罪悪感など微塵も感じていないようだった」、なるほど。 「忘れるようにしても、深い傷になっている」、女性にはその通りなのだろう。 「先輩記者は「バカだなあ、疲れていてもそんなところで寝ちゃあダメだよ、当たり前じゃないか。あのオヤジ~。帰ってきてよかったよ」と笑っていた」、「記者としても未熟で、何よりも高齢で優しかった議員とセクハラが結びつかなかったため、「それではお言葉に甘えて少し仮眠を取らせていただきます」と危うく寝てしまいかねないところだった」、確かに危機一髪だったようだ。 「「部屋には行けません」と断ると、議員は「それじゃあ、部屋のあるフロアの廊下まで来てくれないか」と食い下がったが、これも断った」、粘り腰なのも下心があるからなのかも知れない。「未だにあれはセクハラの意図があったのかどうかわからないでいる」、「被害」を危機一髪で切り抜けている以上、「わからない」のも宿命だろう。
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