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外国人労働者問題(その7)(新在留資格 低賃金の外国人労働者目当ては「排外主義の温床」になる、外国人労働者は「新在留資格」で本当に日本に来てくれるのか、外国人労働者の「輸入」が日本社会に100年の禍根を残す理由) [経済政策]

昨日は「人手不足」を取上げたが、今日は、外国人労働者問題(その7)(新在留資格 低賃金の外国人労働者目当ては「排外主義の温床」になる、外国人労働者は「新在留資格」で本当に日本に来てくれるのか、外国人労働者の「輸入」が日本社会に100年の禍根を残す理由)である。このテーマでは前回、10月16日に取上げている。今日紹介するうち、三番目の記事は、特に出色の出来なので、これだけでも読むことをお勧めしたい。

先ずは、金沢大学法学類教授の仲正昌樹氏が10月30日付けダイヤモンド・オンラインに寄稿した「新在留資格、低賃金の外国人労働者目当ては「排外主義の温床」になる」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/183708
・『新たな在留資格を作って、建設や農業、介護などの業種で外国人労働者の受け入れを拡大するための出入国管理法の改正案が、24日から始まった臨時国会に提出される。 事実上の「移民受け入れ」という見方もある。 人手不足に悩む経済界の事情が背景にあるが、ゆがんだ排外主義が生まれることはないのか』、問題だらけの法案が国会審議も不十分なまま、強行採決されそうな雰囲気すらある。
・『建設、介護など14業種で検討 家族の帯同も可能に  政府は10月12日、外国人労働者の新しい在留資格として「特定技能」1号と2号を導入するための、出入国管理法等の改正案を臨時国会に提出する方針を決めた。 建設や農業、宿泊業、外食、介護など14業種での外国人労働者受け入れ拡大が検討されているという。 これまでは、「就労」を目的とした在留を認められるのは、学者、法律家、医療・教育従事者、報道関係者、日本で活動する外国企業の従業員など、経済的地位が安定した人に限られ、期間は最長5年だった。 2014年の法改正で、研究者や事業経営者などの「高度専門職」については、1号で在留資格5年を得た上で、一定期間在留すれば、活動制限がほぼ全面的に解除され、各種手続きも簡素化され、在留期間が無制限になる2号資格を取得することが可能になった。 今回、作られる「特定技能」という資格は、各分野を所轄する省庁が定めた試験で一定の知識・技能があることが確認され、生活に支障がない程度の日本語能力があることが証明されれば認められる。 1号の在留資格は5年で、「就労」が主たる目的ではないはずの)「技能実習生」も3年の経験があれば、無試験でこの資格に切り替えることができる。 2号になれば、審査を受けた上で、在留資格の更新と家族の帯同も可能になる』、「特定技能」2号でも「移民」でないとは理解不能だ。
・『「移民政策」ではないというが 安い労働力求める経済界の利害と一致  これによって、日本政府は「移民」推進へと大きくかじを切ったようにみえる。 6月に閣議決定された「骨太の方針」や「未来投資戦略2018」でも、「外国人材活用」は成長戦略の一貫として位置付けられた。ただ、政府は、これは人材不足や生産性向上のための政策であって、「移民政策」ではないことを再三、強調している。 12日の閣議決定後の記者会見でも、山下法相は無制限の在留資格ではないので、「移民政策」とは異なると強調している。 政府が「移民政策」という言葉に対して慎重になっている背景には、保守陣営内で、外国人の「労働」と「定住」をめぐる思惑の違いがあるようだ。 2005年に設立された自民党の外国人材交流推進議員連盟(2016年に解散当時は国際人材議員連盟)は、元法務官僚で外国人政策研究所の坂中英徳氏らをブレーンとして積極的な移民促進政策を検討し、2008年6月、人口減少に対処するため、今後50年間での1000万人の移民受け入れ、永住許可要件の大幅緩和、移民庁の設置などを提言した。 2014年2月に内閣府が発表した「目指すべき日本の未来の姿について」では、毎年、移民20万人を受け入れるべきことが示唆され、安倍政権はこの方向に進んでいくかに見えた。 移民受け入れは、安い労働力確保で規制緩和を求める財界のニーズに合致している。 しかし内閣府の発表以降、保守派の間から、移民の大幅な増加は文化摩擦をもたらし、国民国家をベースとした一体感を破壊するとして、反対する声が出るようになった。 TPP締結もそうだが、安倍政権はグローバル化に対応した改革を求める新自由主義派+経済界と、「美しい国日本」を守っていこうとする文化的保守派の双方を支持基盤にしているので、両者の利害が正面からぶつかるような政策では、明確な態度を取れないことが多い。 ちょうど2014年は、ヨーロッパで、過激な反移民政策を掲げるフランスの国民戦線(FN)やドイツの「ドイツのための選択肢(AfD)」など、ポピュリズム政党が台頭し、政権を担ってきた伝統的な保守の票を大きく食うようになった時期だったこともある。 人口の1割近くを移民が占めるドイツやフランスに比べると、日本は移民の数がまだ少ないこともあって、排外主義的な右派の勢力はまだそれほど大きくない。 だが本当に毎年、20万人規模で増やしていけば、国民に移民と共存することへの“免疫”が十分できているとはいえないだけに、排外主義が一気に拡大する恐れもないではない』、安倍政権が「移民ではない」と強弁せざるを得ない、背景にはそんな事情があったとは・・・。
・『「使い捨て」は国際問題に 保守もリベラルも割れる  「高度専門職」と「特定技能」を線引きし、本格的な「移民政策」に踏み切ったわけではないと強調することで、政府はバランスを取ろうとしているようだ。 だがその思惑通りにうまくのかどうか。 永住資格は認めないで、「技能実習」から「特定技能」に切り替えられる可能性を広げる今回の案では、必要な期間だけ雇って、用がなくなれば帰国を余儀なくされるか、日本で職探しするしかない不安定な立場の外国人労働者だけを増やすことになりかねない。 それだと、日本での安定した生活を求めて来る人たちの期待を裏切り、「派遣労働者切り」をめぐる昨今の問題を海外にまで拡大してしまうことになりかねない。日本が自国の都合だけで外国人労働者を使っているという批判が各国から強まり、「国際問題」化することになるだろう。 国内でも、反グローバリズムの右派は、日本の立場の弱い労働者が割を食うことになるとか、不安定な外国人労働者の増加が治安悪化につながるなどとして、政府・自民党を「売国的体質」と糾弾するかもしれない』、派遣切りを海外にまで拡大、とはその通りで、「国際問題」化する懸念が強いだろう。
・『一方で、リベラル派はどうか。 政府が出入国管理法の改正案を発表する少し前から、マスコミやネットで、不法滞在で取り締まり対象になっている外国人に対する入管当局の対応が話題になっていた。 10月初旬、当局とコラボしたテレビのドキュメンタリー番組で、入管Gメンが不法就労者を摘発し、手錠をかける緊迫した場面が放映されたが、外国人労働者に対する偏見を助長するのではないかと、ネットを中心に批判の声が広がった。 外国人問題に取り組む弁護士グループはテレビ局に対し、(1)摘発された外国人労働者たちが不法滞在状態にならざるを得なかった、技能実習先の企業の問題などの背景事情が省略されていたこと、(2)アジア系の外国人に対象が偏っていたこと、(3)不法滞在が凶悪な犯罪であるかのごとく扱われていたことなどを、問題として指摘する意見書を出した。 こうしたこともあって、リベラル系のメディアは当面、在留外国人の権利を十分に守る仕組みを作ることが先決で、企業の都合でなし崩し的に外国人労働者を増やすことは認められない、というスタンスを取っているように見える。 リベラル系の政党や知識人も、移民について、長期的にどのような態度を取っているのか、はっきりしない点がある。 立憲民主党の枝野代表は、在留資格の新設は、事実上の移民政策だとし、それを正々堂々と主張しない政府の曖昧な姿勢を批判しているが、立憲民主党自身もまだ移民政策についての基本方針を固めていない。 党内では、「リベラル」な立場から多様な文化的背景を持つ他者たちとの共存を目指す人たちと、移民に日本人の労働者の地位が脅かさされることを恐れる、最大の支持母体連合の意向を受けて慎重な人たちの考え方が対立しているようだ。 国民民主党や社民党も態度を決めていない。共産党は永住外国人への参政権の付与、難民認定の緩和など、普遍的な人権擁護の姿勢を強調する一方、労働移民に関しては、安易な受け入れによる人権侵害の温床になっているとして技能実習制度の廃止を求めている。 保守だけでなく、左派・リベラル側も、グローバリズムか、国民共同体の利益か、で割れているようである』、やれやれ、これでは国会審議にも余り期待できそうもないようだ。
・『経済と文化のグローバル化が否応なく進んでいく中で、日本という国民国家が存続していくには、日本社会にある程度まで同化してもらうことを条件に、外国人労働者の定住化を積極的に推進する方向に転換しなければならないのは不可避だ、と私は考えている。 日本の伝統文化や規範を維持するためという理由であれ、労働者の利益を守るためという理由からであれ、「移民政策」を――たとえ言葉の上だけのことだとしても――全否定するのは現実的ではない。 かといって、年20万人というように数値目標を掲げるのは、人間を原材料扱いすることを含意している。文科省が進めている留学生30万人計画と同様に、何のための国際化か分からない本末転倒を引き起こすだけなので、控えるべきだろう。 実際に、大学の現場では、計画に合わせて強引に留学生をかき集め、“英語での授業”を増やした結果、大学の教育水準を低下させる悪影響が出ている。このことは多くの大学教員が指摘している通りだ。 どういう文化的・歴史的背景のどういう経歴の人をどういう職種のどういう条件で受け入れたら、スムーズに日本社会に溶け込み、社会的活力の源泉になるのか、十把一からげにせず丁寧に検討し議論する必要がある。 日本で生まれ育った外国人の子どもの永住権や国籍取得についても本格的に検討する必要があるだろう。 新しい在留資格の導入に合わせて、不法就労などの問題に対処するため、法務省の入国管理局を、4月から「入国在留管理庁」に格上げする方針も決まっているが、これだけで不十分だ。 外国人労働者が、日本社会に摩擦なく受け入れられ、融合し共存するためには、違法行為を取り締まるだけでなく、受け入れ先の企業や自治体、教育・福祉機関などと連携して、「多文化社会」に向けての環境整備をする「移民庁」的な機関が必要になるだろう』、ある程度の移民を受け入れざるを得ないという筆者の考えには、私は反対だ。理由は後述する。
・『多文化主義国家を目指すのか  保守、リベラル両陣営とも、移民政策を推進するにしろ抑制するにしろ、国民国家としてのアイデンティティーと普遍的人権、経済・情報のグローバル化の三項関係をめぐる議論を掘り下げ、自らが目指す国家像を明らかにすべきだ。 保守主義の元祖であるエドマンド・バークは、フランス革命の影響に抗して英国の伝統的な国家体制の骨格を守ろうとする一方で、当時、英国の植民地だったアメリカの英国の圧制に対する抵抗に理解を示した。 武力鎮圧に反対したし、またアイルランドのカトリック教徒の解放を提唱するなど、英国のグローバルな発展のための多文化主義・国際協調的な戦略を模索した。 現在の英国の保守党は、EU離脱、移民制限の方向に進んでいるが、英国の保守主義には、市場の自由な発展を守るべく、排外主義的なナショナリズムとは一線を画すバークや経済学者のハイエクのような流れもある。 リベラル派は、国際的な正義の観点から【移民受け入れ→多文化主義】化を促進したがり、コミュニタリアン(共同体主義者)は文化防衛の観点から、それに反対しがち、というイメージを抱く人がいるかもしれない。 しかし、代表的なコミュニタリアンであるカナダの哲学者チャールズ・テイラーは、カナダをモデルにした多文化主義を提唱している。 また英国の元社会主義者のデイヴィッド・ミラーのように、自国民のための福祉・再分配を優先すべきとする「リベラル・ナショナリズム」の立場を取る論者がいる。 カナダのリベラル系の政治哲学者キムリッカのように、その国に居住するに至った歴史的風景を踏まえて、文化的少数派を細かくカテゴリー分けし、それぞれのグループに属する人がどのような文化的権利を有するべきか論じている人もいる。 日本にふさわしい多文化共存のモデルを構築する議論をリードしてこそ、リベラルな政党の腕の見せどころになるだろう。政府の矛盾を指摘するだけなら、相変わらずの無責任野党でしかない。一方で政府・与党も、将来の「国家像」を踏まえたきちんとした「移民政策」を示すことだ』、「将来の「国家像」」すらないなかでは、キレイ事に過ぎるようだ。

次に、立命館大学政策科学部教授の上久保誠人氏が11月7日付けダイヤモンド・オンラインに寄稿した「外国人労働者は「新在留資格」で本当に日本に来てくれるのか」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/184431
・『安倍晋三政権は、外国人労働者の受け入れを拡大する出入国管理法改正案を閣議決定し、臨時国会に提出した。法律が成立すれば、これまで医師、弁護士、教授など「高度専門人材」に限ってきた外国人の就労資格を「非熟練の単純労働」に広げる、日本の入国管理政策の歴史的な大転換となる。 これまで、かたくなに拒んできた外国人単純労働者の受け入れ解禁は、日本の社会に本格的な「移民社会」の到来という、大きな変化をもたらす可能性がある。しかし、安倍首相は国会で「移民政策ではない」と答弁し、法案には具体的に受け入れる業種や人数の規模など、全体像が示されていない。 山下貴司法相(本連載第194回)は、「人出不足が深刻で、法改正は急務だ」と述べ、法案成立を急ぐ考えを示すだけで、国会で具体的な答弁を避けている。とにかく、当面の人手不足を埋めようとする安倍政権の姿勢には、野党のみならず、与党である自民党・保守派や公明党からも「生煮えのまま進めるのは拙速だ」「なし崩しに外国人労働者が増える」と批判が出ている。 だが、本稿は出入国管理法改正による新制度導入で、なし崩しに外国人労働者が増えるどころか、日本国内の人手不足は埋まらないと考える。国際的な観点からみると、外国の単純労働者にとって、日本は既に魅力ある働き場所ではないからだ。その意味で、この法案を巡る安倍政権の思惑も、それを批判する反対派も、どこかピントがずれているように思う』、仮に外国人労働者が来てくれないのであれば、問題ないともいえるのだが・・・。
・『外国人技能実習生制度の理想と現実 実態は中小企業の労働力確保  安倍政権が、外国人単純労働者の受け入れ解禁を急ぐ理由は、端的にいえば、昨今の度重なる災害後の復興や2020年に開催予定の「東京五輪」で、非熟練の単純労働者の需要が高まっているからだ。五輪に向けた建設工事等で、新たな労働者が約80万人必要だという試算がある。だが、人手不足は深刻だ。特に建設業では、2015年には1万2000人程度だった人手不足が、2020年には33万5000人に拡大するという。 しかし、日本では少子高齢化で若者の数が減少している上に、高学歴化、大企業志向の高まりによって非熟練の単純労働者が特に減少し、日本人だけでその穴を埋めることができなくなっている。そこで外国人労働者を受け入れるという話になるのだが、これまで日本政府は、単純労働者の受け入れを認めてこなかった。 日本には既に127万人の外国人がおり、世界4位の受け入れ数だ。だが、専門的または技術的分野の外国人労働者のみ受け入れてきた。日本国内において実際に就労ができる資格は13種類(教授、芸術、宗教、報道、経営・管理、法律・会計業務、医療、研究、技術・人文知識、企業内転勤、興業、教育、技能)のみで、非熟練の単純労働者は含まれていない。 そのため、政府は「外国人技能実習制度」という、一時的外国人労働者受け入れ制度を使ってきた。中国、ベトナム、インドネシア、フィリピンなどアジア諸国から技能実習生として人材を受け入れる。1年間の研修の後、技能テスト合格を得て2年間技能実習生として勤務することができる。技能実習生を受け入れることができる主な業種は、農業、水産業、酪農、製造業、建設業などである。 本制度の目的は、元々外国人労働者が研修で技能を習得して帰国し、その母国へ技能が移転されることを通じて、開発途上国の経済発展に貢献することだ。だから、外国人技能実習生は、労働ビザに該当しない「実習生ビザ」で来日している。しかし、現実的には、中小企業の労働力確保のために利用されてきた。近年は、前述の通り災害や五輪に向けて人材がより必要となり、2017年には外国人技能実習生の合計数は22万人を超えている』、農業、水産業、酪農のように日本的やり方が強い業種では、母国への技能移転など画に描いた餅だ。
・『外国人技能実習生に対する人権侵害問題の闇  だが、外国人技能実習生に対する人権侵害問題が、ほぼ毎年200件以上発覚し、処罰されているという。その主なものは、賃金未払いや暴力などである。よく知られた事件としては、2014年に、日本有数のレタス産地である長野県南佐久郡川上村でレタス栽培に従事していた中国人の農業技能実習生が、人権侵害を受けた事件がある。 中国人技能実習生たちに対して、劣悪な環境の中で、労働基準法に違反した長時間の労働や暴言や暴力、不明瞭な賃金の差し引きや母国にある送り出し機関からの搾取や不必要な管理などが行われていた。技能実習生の申告により、事件として明るみに出たが、日本弁護士連合会が、管理団体である川上村農林業振興事業協同組合に対し、再発防止や被害回復等を求める勧告を行い、厚労相および、法務省に対し被害実態の調査や再発防止、技能実習制度の廃止を求める事態となった。 立命館大学政策科学部・上久保ゼミでは、2016~17年の2年間、ある学生(現在は卒業)が外国人技能実習制度の問題に切り込んだ。この写真は、その学生が2016年6月に外国人技能実習生の調査を行った時に撮影したものである。外国人技能実習生を受け入れた企業・農家に学生がインタビューを依頼したが、ことごとく断られた。業を煮やした学生は、遂にノー・アポイントで取材を敢行した。その結果、なぜ企業が学生の訪問を頑なに拒み続けたか、理由がはっきりとわかった。冷暖房などの設備のないトラックのコンテナの中で、ベトナム人技能実習生が3年間生活していた事実が判明したのである。 技能実習制度は、さまざまな人権リスクが起きやすい制度設計になっている。繰り返すが、技能実習制度は労働人口の減少や若年層の高学歴化、大企業志向などからくる人材不足に対する中小企業の生き残り策として存在している。そのため、技能実習生は日本人が就労したがらない労働分野での補完的役割を担っている。 だが、日本の中小企業における労働組合の組織率はわずか1%と圧倒的に低い。本来、労働者の人権や労働環境を守るための組織である労働組合が中小企業にないことが、仕事の効率ばかりを優先させ、労働者の権利を疎かにする環境につながっている。 その上、「3年間だけ日本国内に滞在を認める」という縛りがある。制度上、外国人労働者のための社会参加は考えられておらず、技能実習生たちの社会的孤立を高めてしまうことになる。結果として、パスポートの取り上げや賃金未払い、労働基準を超す長時間労働など、最悪死に至らしめるさまざまな人権リスクが起きやすくなっている』、上久保ゼミの学生が外国人技能実習制度の問題に切り込んだ、さらに下の部分で、送り出し国に訪問してフィールドワークまでしたとは大したものだ。「冷暖房などの設備のないトラックのコンテナの中で、ベトナム人技能実習生が3年間生活」とは、よくぞそんな酷いことが出来るものだ。技能実習生であれば、労働基準局の監督対象外なのだろうか。
・『さらに言えば、この学生が、技能実習生の送り出し国に訪問してフィールドワークした結果、わかったことがある。技能実習生を送り出す国に、「悪徳仲介業者」が存在し、それが現地のマフィアと結託し、貧困にあえぐ非熟練動労者をほとんど人身売買のように日本に送り込んでいる実態だ。 この仲介業者は、研修生を日本に送れば終わりではない。研修生が日本に送られた後も、金銭を巻き上げるだけでなく、なんと「監視役としての実習生」を日本に派遣している。そして、それに結託している日本の中小企業がある。その結果、日本にも母国にも居場所のなくなった実習生が、次々と失踪している。2015年度には4980人のもの失踪者を生み出しているのである。 外国人技能実習制度は国際社会から多くの批判を受けている。国連のホルヘ・ブスタマンテ氏による報告書では本制度を「奴隷制度または人身売買」と判定した。その上で、日本政府に対しこの制度の廃止と雇用制度への変更、関連企業から完全に独立した監視・申し立て・救済機能の確立の勧告をしている。しかし、これまで安倍政権は、抜本的な解決などは考えてこなかった』、国連によって「奴隷制度または人身売買」と判定されるとは、恥ずかしい限りだ。それに、頬かぶりをする安倍政権も不誠実極まりない。
・『アジアの労働市場で日本の優位性は低下している  繰り返すが、安倍政権が外国人単純労働者の受け入れ解禁を決断したのは、国内の人手不足を解消するためである。だが、それは新たな制度をつくれば解決する簡単な問題ではない。実は、アジアの労働市場において、日本の優位性が低下しているからだ。 近年、中国人「観光客」の爆買いが話題となっている一方で、中国人「労働者」が実は減少している。外国人技能実習生の受け入れがピーク時だった2008年には、およそ80%が中国人であった 。 だが、中国経済の急激な発展によって、上海など都市部では建設ラッシュだ。賃金面で日本の優位性はなくなっている。例えば、外国人労働者のうち中国人が7割を超えていた愛媛県の中小企業団体中央会は、愛媛の最低賃金でフルタイム働いた場合の月収は、中国の都市部で働く場合と大差がないと指摘している。また、日本で高い人権リスクを背負いながら低賃金で働くより、中国の都市部で働いたほうが安全ということになっている(『日本経済新聞社』2016年7月18日)。 現在では、中国の山間部まで募集をかけないと実習生候補が集まらない。2015年時には中国人技能実習生の割合が42%に留まるなど、中国人実習生の数は半分程度に落ち込んでいるのだ。 また、韓国や台湾の単純労働者受け入れ政策への転換がある。日本の外国人技能実習制度は最長滞在期間が3年であるのに対し、韓国は技術が習得できれば熟練労働者に移行でき、台湾は最大12年まで滞在を延長できる 。 また、韓国、台湾と日本の賃金格差も、アベノミクスによる円安の進行でなくなった。日本の最低賃金をドル換算すると、月額で約1060ドルで、ソウル、台北の賃金と変わらない水準となった。その結果、高い人権リスクを冒してまで日本で働くよりも韓国や台湾へ行こうと考える出稼ぎ労働者が増えている現状がある。災害や五輪で人材の需要があっても、簡単に集められない状況なのだ』、円安で「日本の最低賃金をドル換算するとソウル、台北の賃金と変わらない水準」とは、ここまで日本の経済力も低下したのかと、再認識させられた。
・『外国人労働者の人権保護対策が強行裁決後に「例外」で骨抜きの悪夢  安倍政権の入管法改正が、現行の外国人技能実習制度の人権侵害問題と、海外との人材獲得競争での劣勢を多分に意識したものだということは明らかだ。 新たな在留資格「特定技能」を2段階で設けている。「特定技能1号」は、最長5年の技能実習を修了するか、技能と日本語能力の試験に合格する「相当程度の知識または経験を要する技能」を持つ外国人が得られる資格である。滞在期間は通算5年で、家族は認められない。 「特定技能2号」は、さらに高度な試験に合格し、熟練した技能を持つ人に与えられる資格である。1~3年ごとの期間更新が可能で、更新回数に制限がなく、配偶者や子どもなどの家族の帯同も認められる。10年の滞在で永住権の取得要件の1つを満たし、将来の永住に道が開ける。一方、受け入れ先機関が外国人労働者に日本人と同等以上の報酬を支払うなど、雇用契約で一定の基準を満たす必要があることも法案に明記されている。 菅義偉官房長官は、「外国人が働く国を選ぶ時代になったと認識している。外国人が働いてみたい、住んでみたいと思える国を目指す」と発言し、「(1)自治体における相談窓口の一元化、(2)日本語学校の質の向上、(3)外国人を受け入れられる医療機関の体制整備、(4)保証金や違約金を徴収する悪質な仲介業者の排除」の検討を表明している。 しかし、安倍首相は国会答弁で再三にわたって「移民政策ではない」と強調している。これは、安倍政権のコアな支持層である「保守派」(第144回)を意識した発言であることは明らかだ。保守派の圧力に配慮すればするほど、「労働力」としての外国人単純労働者受け入れ制度の導入をなんとか通そうと焦り、いつものように国会答弁がいい加減になり、さまざまな問題が何も修正されないまま、強行採決で法律を通してしまうことが懸念される。 その上、外国人労働者の人権保護対策等は、菅官房長官が言及したように、法律が成立した後に検討されるのだろう。その時は、声が大きいが少数派に過ぎない保守派以上に、外国人労働者を低賃金で使いたい中小企業の支持を受ける自民党のほとんどの議員が、なんだかんだと理屈をつけて、「例外事項」を設けるために動くだろう。人権保護対策は、実質的になにも整備されないまま、新しい制度が動き出すことになる』、なんとも恐ろしいほどいい加減な政治風土だ。
・『野党の追及にも違和感 拙速な「多文化共生社会」の主張  一方、野党の国会での追及も違和感がある。安倍首相に「これは、移民政策ではないのか?」と迫り続けるのは、いつもの執拗な「揚げ足取り」「失言狙い」の生産性のない言葉遊びだろう。 より問題なのは、野党が安倍政権に対抗するために、「拙速」に「多文化共生社会」を打ち出してきたことだ。これは、一見結構なことのように思える。だが、実際は「多文化共生社会が整備されていない」ことを理由として、法案に反対するために使われている。野党は、「拙速に進めるべきではない」「なし崩しに外国人労働者が増える」と政府を批判して、「保守派」とともに「同床異夢」で法案撤回を求めている。野党の姿勢は、まるで「極右政党」(第185回)にしか見えないという違和感があるのだ。 野党が、政府を追及すべき問題はいろいろある。(1)外国人技能実習生の人権侵害問題の実態、それに対する具体的な対応策、(2)実態が不透明な海外の悪徳仲介業者をどう排除するのかの具体策、(3)主な受け入れ先となる建設業の中小企業や農家は、日本人労働者並みの条件で外国人労働者を受け入れられるのか、(4)上記を踏まえた、アジア労働市場における競争力をどう確保するのか、等である。要は、「本当にこんな政策で、外国人労働者が日本に来てくれるのか?」を政府に厳しく問うべきなのである。 野党が「多文化共生社会」を訴えるのならば、外国人労働者の増加を止めるための詭弁として用いるべきではない。真剣に多文化共生社会の実現を実現する、外国人にも日本人と同等のフルスペックの人権を保障する「移民政策」を考えるべきだ』、その通りだろう。
・『安倍政権が若い世代の支持を得ているのは、いろいろ問題を抱えながらも、現実社会の課題を直視し、それを変えようという姿勢が見える「改革派」と評価されているからだという。それに対して、野党は、「55年体制」「東西冷戦期」のシステムを頑なに守ろうとする「保守」だとみなされ、支持されないのだ。 外国人労働者の受け入れについては、各種世論調査では国民の約半数が賛成し、特に若い世代では60%以上が賛成し、抵抗が少ないという(『読売新聞』2018年10月29日)。安倍政権が踏み込むことができない「移民政策」を訴えることは、野党が「保守」ではないことを訴える好機だ。それは、日本の「サイレントマジョリティ」である中道の支持を得ることになる(第136回・P.3)。なにも躊躇することはないのではないだろうか』、野党が中道の支持を得るには、そうした姿勢を見せる必要があるのかも知れない。

第三に、ノンフィクションライターの窪田順生氏が11月8日付けダイヤモンド・オンラインに寄稿した「外国人労働者の「輸入」が日本社会に100年の禍根を残す理由」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/184728
・『一部で「移民政策」ともいわれている入管法改正案が成立しそうだが、この政策は後世に計り知れない悪影響を与えかねない。実は100年前の日本でも同様の事態は発生しており、それは今日にまで在日朝鮮人差別問題として尾を引いている』、興味深そうだ。
・『「移民政策」は日本の労働者にも百害あって一利なし  安倍首相が頑なに「移民政策」と認めない「外国人労働者の受け入れ拡大」を目的とした出入国管理法改正案が、なし崩し的に成立しそうだ。 誰も投獄されていない特定秘密保護法や、物証のない首相の口利き疑惑の時は、この世の終わりのように大騒ぎするマスコミや野党も、驚くほどあっさりとした批判で終わっているからだ。 だが、この政策は我々の子どもや孫の世代に、計り知れない悪影響を与える可能性が高い。 前々回(『安倍政権の「移民政策」、実現なら日本の若者の賃金は上がらない』)も指摘したが、現在の日本の人手不足問題の多くは「雇用ミスマッチ」による「人手偏在」によるところが大きい。つまり、新卒ホワイトカラーの求人には過剰に人手が集まるのに、低賃金で辛い単純労働的な求人は見向きもされないため、「留学生」や「技能実習生」という弱い立場の「短期移民」への依存度が高まっている状況なのだ。 こういう負のスパイラルを断ち切るには賃金アップと生産性向上、それができない経営者の淘汰しかないのだが、今回の移民政策への転換でそれが一気にパアとなる。 「人手偏在」にどんなに外国人労働者を注入しても、辛い単純労働の価値をさらに下げるだけで、低賃金がビタッと定着するからだ。こうなれば、低賃金でコキ使われる日本人や在日外国人の皆さんは「お前の代わりはいくらでもいる」と脅されるなど、これまで以上の弱者になる。つまり、「外国人労働者の受け入れ拡大」で潤うのは、低賃金労働を前提としたビジネスモデルを死守したいブラック経営者だけで、我々一般の労働者からすれば「百害あって一利なし」なのだ』、説得力に溢れた主張で、全面的に賛成だ。第一の記事の筆者の主張に私が反対した理由もここにある。
・『そう言うと、「既に日本は移民国家だ」という開き直る人も多いが、なぜそうなってしまったのかというと、今から100年前、良識のある日本人たちの「警鐘」を無視したからだ。 100年前の雇用ミスマッチで政府は朝鮮人労働者を“輸入”  1917年、北海道や九州の炭鉱で深刻な人手不足が発生した。 当時、日本の人口は右肩上がりで増えていた。おまけに、ワークライフバランスなんて概念もないので、労働者は朝から晩まで働かされた。そんな状況でも「人手不足」だというのだから、炭鉱業では常軌を逸した「雇用のミスマッチ」が蔓延していたわけだが、日本政府はそれを是正することなく、禁断の果実に手を出す。「試験的」という名目で、三菱、三井などの炭鉱に朝鮮人労働者約700名の受け入れを行ったのである。 だが、当時の新聞人は今と比べてかなりまともだった。「読売新聞」(1917年9月14日)の「労力の輸入 最後の計算を誤る勿れ」という記事が以下のように警鐘を鳴らしている。「鮮人労働者の輸入は生産費の軽減を意味し随(したが)って生産品の低廉を意味するが如きも事質に於ては只内地労働者のエキスペンスに於て資本家の懐中を肥やすに過ぎざるなり」「要するに鮮人労働者を内地に輸入するは我内地の生活を朝鮮の生活と同一の水準に低下せしむるとなしとせず」 これは杞憂でも妄想でもなかった。「試験」の結果に気を良くした経営者は続々と「鮮人労働者」を受け入れた。しかし、その一方で、日本の労働者の待遇は一向に上がらず、程なくして小林多喜二の「蟹工船」に描かれたようなブラック労働が定着していったのである。 この100年前の過ちを、さらに大規模なスケールで繰り返そうというのが、今回の「外国人労働者の受け入れ拡大」なのだ。 さらに言ってしまえば、「人間」を「労働力」という側面でしか見ない政策が、憎悪と対立につながっていくことも、我々は歴史から学ぶことができる』、100年前の朝鮮人労働者の輸入の経緯を初めて具体的に知った。こうしたなかでは、「徴用工」問題も叩けばホコリだろう。
・『生活の基盤を持つ外国人が感じる「差別」  政府が「労働力の輸入」に舵を切ってから3年後、「朝鮮移民」が増えた日本で「在京朝鮮人の過半数は内地へ来て一年か二年経つと思想的に悪化し当局に対して白眼視する様になる傾向が現れて来た」(読売新聞1920年8月24日)という問題が発生している。 そのように聞くと「当時の朝鮮人は悪さをすることを目的にやってきた犯罪者も多かった」と、トランプ大統領のようなことを言う人も多いが、実は当時の朝鮮人の態度が悪くなる最大の理由は、「日本人のような扱いを受けられない」という不満だった。先ほどの新聞記事に登場した朝鮮人はこんな風に述べている。「内地人と私等とを差別されるので困る。学生は学校、職工は工場で、其他日毎に遭ふ日本人は皆一様に私達に侮蔑的態度で接してゐる。相当な地位或は財産が出来て内地の婦人を娶ろうとしても鮮人だからと云ってまとまらぬ」(同上) この主張の是非についてはややこしくなるのでちょっと脇に置く。本稿で筆者が言いたいのは、日本人側がいくら外国人を「労働者」や「移民」と呼んで、日本人と異なる特別扱いをしたところで、それはこちらの一方的な押し付けであり、当の外国人は日本で暮らして働く以上、遅かれ早かれ日本人と同じ扱いを望むようになる、ということだ。 よそ者のくせに何たる図々しさだ、と思うかもしれないが、それが「人間」というものだ。 皆さんも想像してほしい。もしどこかの別の国へ移住して、その国の言葉をしゃべり、その国の中で立派に働き、そこで家族を養うようになったら、その国の人とせめて同じくらいの権利や公共サービスを受けたいと思うのではないか。 その国で何年も暮らしているのに「外国人労働者」と言われ続け、体調を崩して働けなくなったりしたら、すぐに国から出てけと言われたらどうか。「差別」だと感じるのではないか。 どちらが正しい、間違っているという話ではない。100年前、日本にやってきた朝鮮人労働者が感じた「差別」というものが、「従軍慰安婦」の問題や今回判決が出た徴用工の問題にもつながって、「負の遺産」になっているのは、動かしがたい事実なのだ』、その通りで、大変重い指摘だ。
・『「労働者」としか見ないのがすべての悲劇の始まり  ここまで言えば、もうお分かりだろう。今回の「外国人労働者の受け入れ拡大」も「朝鮮人労働者」問題のリバイバルで、これから100年続く民族間の遺恨につながる可能性が極めて高いのだ。 隣の国との問題はあくまでレアケースで、他の外国人労働者と遺恨など生じるわけがない、と嘲笑する方も多いかもしれないが、既にブラック労働に辟易とした「技能実習生」が、日本嫌いになって帰国するなどの問題が起きている。また、「移民政策」だと批判された際の安倍首相の反論にも、その兆候が見て取れる。 「素行善良で独立した生計を営める資産または技能があるなど、厳しい条件が課される」 要するに、誰かれ構わず入れるわけではなく、品行方正な労働者だけしか入れませんというのだ。 素晴らしいじゃないかと思うかもしれないが、我々が受け入れるようとしているのは、血が通った人間である。入国した時は素行善良でも、1年経過すれば「差別」に不満を漏らす外国人になるかもしれない。技能や資産があっても、ブラック労働に耐えかねて仕事をボイコットするかもしれない。このように外国人を「労働者」としか見ないところがすべての悲劇の始まりだということを、首相は歴史から学ぶべきだ。 2016年、SNSで一枚のFAXの画像が話題になった。 技能実習生の雇用を企業に促すためのFAXで、「外国人技能実習生で人手不足を解消!! 労働力として全国で約15万人が活躍中!」という文言が大きく踊っていた。もちろん、何者かが何らかの意図を持って作成したビラである可能性もあるが、それを見て筆者が「いかにもありそう」と感じたのは、以下のような記述があったことだ。 「入国前には日本語やマナーを徹底教育しますので外国人技能実習生はオススメいたします」「実習生は基本仕事を休みません! 途中で辞めません! マジメで素直です! 残業、休日出勤は喜んで仕事します!」 ここに日本人が100年前から克服できない「病」の片鱗が見える。人手不足の炭鉱で朝鮮人を働かせた時代から、日本人にとって、外国人は低賃金で文句を言わずキビキビ働く、「労働者」であって、「人間」として見ていないのだ』、「日本人が100年前から克服できない「病」の片鱗」とは言い得て妙だ。
・『外国人差別が根強く残る国で「移民政策」が成功するわけがない  さらに厄介なのは、この病はインテリの方が症状が重いことだ。先日もニュースを見ていたら、「論説委員」という立派な肩書きを持つ方が大真面目な顔をして、こんなことをおっしゃっていた。 「これから日本人は人口が急速に減っていく、いま反対をしても我々が年をとって、誰も介護をしてくれないなんてことにならないように、外国人を受け入れていくしかない」 外国人を労働者どころか、介護要員や社会保障維持の人柱のようにしか考えていないのだ。こういう「外国人差別」が根強く残る国では、「移民政策」など進めて成功するわけがない。 世界一真面目で勤勉と何かにつけて自画自賛している我々日本人でも、あまりに辛いと仕事を投げ出す人がいる。会社を辞める人もいる。働きたくても働けないと心を病む人もいる。 ならば、これから大量に受け入れる「外国人」だってそうならない保証はない。そうなったら、さっさと荷物をまとめて日本から出て行け、と不法滞在外国人扱いとなるのか。これまで日本社会に馴染んできた家族はどうするのか。使い捨てのコマではなく、人間らしく扱うべきだ、と言う声も必ず出てくるはずだ。 安倍首相はこれを頑なに「外国人労働者」と呼ぶが、世界ではそういうスタイルで働かされるのは「奴隷」と呼ぶ。 今の国会で行われている論戦の最大の問題は、外国人を「人間」として見ていないことだ。「労働力」という頭数でしか見ていないので、「人間」ならば起こりえる不正受給、犯罪、心の病など、我々日本人の中で当たり前に見られる問題がスコーンと抜けているのだ。 その中でも最もゴソっと抜けているのは、人間ならば当然抱くであろう「妬み」や「ひがみ」という感情だ。 なぜ日本人よりも何倍も多く働いているのに、日本人よりも待遇が悪いのか。なぜこんなにも日本に貢献しているのに、日本人のように扱ってくれないのか。我々は「使い捨て」なのかーー。 このような不平不満に答えられないような制度設計では、外国人が雪だるま式に増えれば「破綻」をするのは目に見えている。 個人的には、日本の賃金アップと生産性向上がある程度の水準まで到達した後、それでもまだ人手が足りない分野があるというのなら、「移民」を受け入れられればいい。ただ、その時は日本人とそれほど変わらない待遇にする、という覚悟を持つべきだ。 外国人は日本人が豊かな生活を送るための「お手伝いさん」や「奴隷」ではないのだ』、「目から鱗が落ちる」のような素晴らしい記事で、今回紹介したなかでも出色の出来だ。全面的に賛成である。
タグ:外国人労働者問題 (その7)(新在留資格 低賃金の外国人労働者目当ては「排外主義の温床」になる、外国人労働者は「新在留資格」で本当に日本に来てくれるのか、外国人労働者の「輸入」が日本社会に100年の禍根を残す理由) 仲正昌樹 ダイヤモンド・オンライン 「新在留資格、低賃金の外国人労働者目当ては「排外主義の温床」になる」 建設、介護など14業種で検討 家族の帯同も可能に 「高度専門職」 「特定技能」 1号の在留資格 2号 「移民政策」ではないというが 安い労働力求める経済界の利害と一致 自民党の外国人材交流推進議員連盟 積極的な移民促進政策を検討し、2008年6月、人口減少に対処するため、今後50年間での1000万人の移民受け入れ、永住許可要件の大幅緩和、移民庁の設置などを提言 2014年2月に内閣府が発表した「目指すべき日本の未来の姿について」では、毎年、移民20万人を受け入れるべきことが示唆 保守派の間から、移民の大幅な増加は文化摩擦をもたらし、国民国家をベースとした一体感を破壊するとして、反対する声が出るようになった 毎年、20万人規模で増やしていけば、国民に移民と共存することへの“免疫”が十分できているとはいえないだけに、排外主義が一気に拡大する恐れもないではない 「使い捨て」は国際問題に 保守もリベラルも割れる 「派遣労働者切り」をめぐる昨今の問題を海外にまで拡大してしまうことになりかねない リベラル系の政党や知識人も、移民について、長期的にどのような態度を取っているのか、はっきりしない点がある 多文化主義国家を目指すのか 政府・与党も、将来の「国家像」を踏まえたきちんとした「移民政策」を示すことだ 上久保誠人 「外国人労働者は「新在留資格」で本当に日本に来てくれるのか」 国際的な観点からみると、外国の単純労働者にとって、日本は既に魅力ある働き場所ではない 新制度導入で、なし崩しに外国人労働者が増えるどころか、日本国内の人手不足は埋まらないと考える 外国人技能実習生制度の理想と現実 実態は中小企業の労働力確保 日本には既に127万人の外国人がおり、世界4位の受け入れ数 能実習生を受け入れることができる主な業種は、農業、水産業、酪農、製造業、建設業など 本制度の目的は、元々外国人労働者が研修で技能を習得して帰国し、その母国へ技能が移転されることを通じて、開発途上国の経済発展に貢献することだ 現実的には、中小企業の労働力確保のために利用 外国人技能実習生に対する人権侵害問題の闇 長野県南佐久郡川上村でレタス栽培に従事していた中国人の農業技能実習生が、人権侵害を受けた事件 冷暖房などの設備のないトラックのコンテナの中で、ベトナム人技能実習生が3年間生活していた事実が判明 悪徳仲介業者 2015年度には4980人のもの失踪者 外国人技能実習制度 国連のホルヘ・ブスタマンテ氏による報告書では本制度を「奴隷制度または人身売買」と判定した 日本政府に対しこの制度の廃止と雇用制度への変更、関連企業から完全に独立した監視・申し立て・救済機能の確立の勧告 アジアの労働市場で日本の優位性は低下している 韓国、台湾と日本の賃金格差も、アベノミクスによる円安の進行でなくなった 外国人労働者の人権保護対策が強行裁決後に「例外」で骨抜きの悪夢 窪田順生 「外国人労働者の「輸入」が日本社会に100年の禍根を残す理由」 この政策は後世に計り知れない悪影響を与えかねない 「移民政策」は日本の労働者にも百害あって一利なし 賃金アップと生産性向上、それができない経営者の淘汰しかない 今回の移民政策への転換でそれが一気にパアとなる 「人手偏在」にどんなに外国人労働者を注入しても、辛い単純労働の価値をさらに下げるだけで、低賃金がビタッと定着するからだ 低賃金でコキ使われる日本人や在日外国人の皆さんは「お前の代わりはいくらでもいる」と脅されるなど、これまで以上の弱者になる 「外国人労働者の受け入れ拡大」で潤うのは、低賃金労働を前提としたビジネスモデルを死守したいブラック経営者だけで、我々一般の労働者からすれば「百害あって一利なし」なのだ 既に日本は移民国家だ 100年前、良識のある日本人たちの「警鐘」を無視したからだ 100年前の雇用ミスマッチで政府は朝鮮人労働者を“輸入” 北海道や九州の炭鉱で深刻な人手不足が発生 「試験的」という名目で、三菱、三井などの炭鉱に朝鮮人労働者約700名の受け入れを行った 読売新聞 労力の輸入 最後の計算を誤る勿れ 「試験」の結果に気を良くした経営者は続々と「鮮人労働者」を受け入れた。しかし、その一方で、日本の労働者の待遇は一向に上がらず、程なくして小林多喜二の「蟹工船」に描かれたようなブラック労働が定着していった この100年前の過ちを、さらに大規模なスケールで繰り返そうというのが、今回の「外国人労働者の受け入れ拡大」なのだ 「人間」を「労働力」という側面でしか見ない政策が、憎悪と対立につながっていくことも、我々は歴史から学ぶことができる 生活の基盤を持つ外国人が感じる「差別」 実は当時の朝鮮人の態度が悪くなる最大の理由は、「日本人のような扱いを受けられない」という不満 当の外国人は日本で暮らして働く以上、遅かれ早かれ日本人と同じ扱いを望むようになる 100年前、日本にやってきた朝鮮人労働者が感じた「差別」というものが、「従軍慰安婦」の問題や今回判決が出た徴用工の問題にもつながって、「負の遺産」になっているのは、動かしがたい事実なのだ 「労働者」としか見ないのがすべての悲劇の始まり 「技能実習生」が、日本嫌いになって帰国するなどの問題が起きている 外国人を「労働者」としか見ないところがすべての悲劇の始まりだということを、首相は歴史から学ぶべきだ ここに日本人が100年前から克服できない「病」の片鱗が見える 外国人差別が根強く残る国で「移民政策」が成功するわけがない 最もゴソっと抜けているのは、人間ならば当然抱くであろう「妬み」や「ひがみ」という感情だ なぜ日本人よりも何倍も多く働いているのに、日本人よりも待遇が悪いのか。なぜこんなにも日本に貢献しているのに、日本人のように扱ってくれないのか。我々は「使い捨て」なのかーー 日本の賃金アップと生産性向上がある程度の水準まで到達した後、それでもまだ人手が足りない分野があるというのなら、「移民」を受け入れられればいい。ただ、その時は日本人とそれほど変わらない待遇にする、という覚悟を持つべきだ 外国人は日本人が豊かな生活を送るための「お手伝いさん」や「奴隷」ではないのだ
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人手不足(その1)(“人手不足倒産”が日本経済にとっては「いい倒産」である理由、人手不足の日本社会がすがるしかない 手放しで喜べぬ3つの解決策) [経済]

今日は、人手不足(その1)(“人手不足倒産”が日本経済にとっては「いい倒産」である理由、人手不足の日本社会がすがるしかない 手放しで喜べぬ3つの解決策)を取上げよう。

先ずは、元銀行員で久留米大学商学部教授の塚崎公義氏が5月18日付けダイヤモンド・オンラインに寄稿した「“人手不足倒産”が日本経済にとっては「いい倒産」である理由」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/170323
・『東京商工リサーチや帝国データバンクによれば、「求人難」「人手不足」による倒産が増加しているという。いずれも件数は少ないものの、「労働力不足」で倒産する企業が増えているというのは、象徴的なニュースだ。 倒産は悲惨だ。経営者は、全財産を失って路頭に迷い、銀行は融資が返済されずに損失をかぶり、従業員は退職金も受け取れずに仕事を失って茫然自失となってしまうからだ。そうした当事者たちにとって、「いい倒産」など存在するはずはない。 筆者としても、倒産した企業の経営者を批判したり、倒産するような企業に金を貸すような銀行の無能を批判したりしているのではなく、ましてや他人の不幸は蜜の味だと喜んでいるわけでも全くない。当事者にとっては誠に不幸で残念な出来事であることは十分認識しながらも、マクロ的な視点で広く日本経済のことを考えると、人手不足倒産は「いい倒産」だ、と述べているのである。ぜひともご理解いただきたい』、批判を避けるための慎重な言い回しは手慣れたものだ。
・『人手不足になるほど景気がいいことを祝おう  倒産の話を始める前に、まずは人手不足になるほど景気がいいという状況を素直に祝おう。不足という単語は、否定的なニュアンスを持った言葉であり、何か日本経済に困ったことが生じているような印象を与えかねない言葉だが、バブル崩壊後の長期低迷期に日本経済を悩ませ続けた失業問題が消えうせた結果が人手不足なわけで、これは素直に喜ばないわけにはいくまい。 人手不足というのは経営者目線の言葉であり、労働者目線からは「仕事潤沢」とでも呼ぶべきだが、筆者にはキャッチコピー考案のセンスが乏しいので、どなたかに素晴らしい言葉を考えていただきたいと願っている次第である』、「人手不足というのは経営者目線の言葉」というのは言われてみればその通りだ。「仕事潤沢」というのは、やはりこなれてない言葉だ。
・『人手不足なので、倒産企業の労働者にも仕事は見つかる  失業が深刻なときの倒産は、文字通り悲惨だ。従業員は仕事を失い、失業者となるからだ。経営者と銀行が悲惨なのは言うまでもない。しかし、「人手不足倒産」が発生するような状況であれば、従業員は比較的容易に次の仕事が見つけられるから、それほど悲惨ではなさそうだ。 銀行も、不況型倒産が減っているだろうから、全体の貸倒動向に注目すれば、それほど悲惨ではなさそうだ。一般論として、景気がいいときには「高い金利でも借りたい」という企業が増えて利ざや収入も増え、多少の貸し倒れ損失は気にならないはずだ。この点は今回は当てはまっていないが。 経営者が悲惨なのは、何ともし難いが、不況や連鎖倒産といった外部要因で倒産したのではなく、労働力確保競争に負けて倒産したのだから、ある程度「自己責任」と言えるだろう。つまり、同業他社よりも低い給料しか提示できなかったことによる倒産なわけで、不運による倒産とは言えない面もあるはずだ。 マクロ経済から考えたときに、人手不足倒産がいい倒産だと言える理由は、日本経済全体として労働力が有効利用されるようになるということだ。人手不足倒産によって、「労働力を有効に活用できていない企業」から「有効に活用できている企業」へと労働力が移転するからだ。 労働力を有効に活用して高い利益を稼いでいる企業は、高い賃金が払えるから労働力が確保でき、人手不足倒産とは無縁だ。労働力を有効に活用できない企業は、利益が少ないので高い賃金が払えず、労働力が確保できなくなって人手不足倒産してしまうのだ。 そうだとすると、人手不足倒産によって失業し、新しい会社に雇われた労働者は、労働力をうまく利用できない会社から、労働力をうまく利用できる会社に「転職」したことになる。これは、日本経済にとって素晴らしいことだ。 「社員を上手に使っていい製品を作っているのに、業界全体の過当競争に伴う安売り競争に巻き込まれて利益が上がらず、賃上げができなかった。その結果、社員が高い給料を払っている他業界に引き抜かれてしまって倒産した」という会社があったとする。 だとすれば、労働力を上手に使っている会社が倒産することになってしまうが、業界全体として見た場合には、労働力を利益に結びつけられていないわけで、やはり労働力を上手に使えていない業界だ、ということになる。 いずれにしても、そうした企業の経営者には申し訳ないが、「その会社が倒産したことで、業界全体の過当競争が緩和され、生き残った会社は安売り競争をやめて適正な価格で販売するようになり、適正な利益を稼いで高い給料で人手を確保できるようになる」のだから悪い話ではない。 日本企業は過当競争体質で、せっかく良い物を作っても安売り競争を繰り広げてしまうから儲からないのだ、と言われる。それが、労働力不足で「良い物を適正な値段で売る」ようになれば、これまた素晴らしいことだ』、「「社員を上手に使っていい製品を作っているのに・・・」の例示は、例示そのものが矛盾しているが、それを除けば概ね正論だ。
・『穏当な労働力移動の方が倒産よりは望ましい  とはいえ、できれば倒産は避けたい。その意味では、人手不足倒産の件数が少ないことは救いだ。裏で人手不足による自主廃業、合併、会社の身売りなどが数多く行われているのだろう。 合併や企業の身売りなどにより、設備や労働力を同業他社が有効利用してくれるならいいことだ。「規模の経済」によって、日本経済が効率化していくからだ。資金力のある企業に吸収されれば、資金力を頼みに省力化投資を行うことで、労働力不足が緩和できる。 また、倒産してしまうと、企業に蓄積していたノウハウや顧客からの信頼といった「バランスシートに載っていない資産」が雲散霧消してしまう上に、バランスシートに載っている資産もスクラップ用に二束三文で買いたたかれたりしかねない。これは、日本経済にとって大きな損失だ。 したがって、人手不足倒産が懸念される事態に陥ったら、経営者は早めに合併や身売りや廃業を検討していただきたい。ご自身のためにも、日本経済のためにもだ。自社が生き残れるかもしれないといういちるの望みが残っているときには、必死になって生き残る可能性に賭けるのが経営者としては自然であろうが、それでつぶれてしまってはもったいない話で、日本経済の損失となる。冷静に考えて決断していただければ幸いである』、元銀行員だけあって、説得力がある主張だ。日本企業は苦しくなっても、必要以上に頑張ってしまう結果、大幅な債務超過となって、経営者のみならず、労働者にまで被害が及ぶケースが多い。これからは、傷が広がる前に、早目に見切ることも必要だろう。

次に、百年コンサルティング代表の鈴木貴博氏が10月26日付けダイヤモンド・オンラインに寄稿した「人手不足の日本社会がすがるしかない、手放しで喜べぬ3つの解決策」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/183394
・『2030年の人手不足は今の5倍以上?「もう日本が回らない」は本当か  以前から指摘されている「2030年問題」というものがある。2030年には日本人口の3分の1が高齢者になり、同時に大幅に生産年齢人口が減少することで、日本社会全体が回らなくなるのではないか、と懸念されている問題だ。 この問題については、いくつものシンクタンクが様々な試算を行っている。みずほ総研によれば、2016年に6648万人だった日本の労働力人口は、2030年には5880万人になると予測されている。単純計算で768万人の労働力減少が起きることになる。 この問題が厄介なのは、人口問題はかなり高い確率で現実のものになるということだ。いまさら日本人の出生率が急増するわけもなく、仮に今年や来年に増加したとしても、2030年の生産年齢人口には何の影響もない。 一方で、ひょっとすると高齢者の寿命は2030年頃にはもっと伸び、需要は拡大しているかもしれない。悪い方に予想が間違うことはあっても、いい方向に間違うことはないだろう。 10月23日にパーソル総合研究所と中央大学が発表した調査結果によれば、2030年の日本の人手不足は644万人になるという。厚生労働省の発表による昨年7月の人手不足は121万人だったので、2030年には現在の5倍以上の労働力不足がやってくるというわけだ。中央大学の阿部正浩教授によれば、この試算も賃金が上昇した場合であって、想定通りに賃金が上昇しなければ1000万人規模の人手不足に陥るという。 では、この問題はどう解決できるのだろうか。この2030年問題については、実は3つの具体的な解決策が提唱されている。3つとも「必ずしも好ましい対策とは言えない」という欠点を持っているにもかかわらず、おそらくその3つが未来の問題を解決してくれると期待されている。「手放しで喜べない3つの解決策」とは何か。1つずつ紹介していこう』、どのようなものなのだろうか。
・『【解決策1】労働参加年齢の上昇  労働力の統計には、生産年齢人口と労働力人口がある。生産年齢人口は15歳以上65歳未満の人口のことなので、これはどんな政策を用いても増加することはできない。一方で労働力人口は、一般には15歳以上で働く意思を持っている人口のことを指す。なので、労働参加率が上昇すれば労働人口は増えることになる。 たとえば、日本の従業員数は1984年に3936万人だったものが、2016年には5391万人と1455万人も増えている。なぜ増えたか、その要因としては人口増加よりも労働参加率の上昇の方が圧倒的に重要である。この30年間で女性の労働参加率が飛躍的に増加したのと同時に、1984年当時は55歳だった定年が現在では多くの企業で60歳以上に引き上げられていることが挙げられる』、なるほど。
・『もう高齢者や外国人に頼るしかないのか  翻って2030年のことを予測すると、その時代には70歳にならなければ満足な額の年金が支給されなくなるということが予想されている。年金が支給されなければ、ないしは年金が支給されてもその額が十分でなければ、生活が成り立たない高齢者がどうするかというと、働くしかない。 中国から見ると、現在でも日本は高齢者がたくさん働いている国に映るそうだが、それが2030年にははるかに大規模な社会現象となり、労働力不足は200万人規模の高齢者が埋めてくれることになる』、「定年」がない高齢者の労働参加率はどうなのだろう。
・『【解決策2】移民の活用  日本は欧米のような移民政策は絶対にとらない――。我々日本人はそう信じてきた。しかし海外の人から言わせると、現在の日本はすでに移民大国なのだという。 実際、2008年に48万人だった外国人労働者は、2017年には127万人まで増加している。前年比で言えば18%増と急激な増加率だ。どのような外国人が増えているのか、内訳を見ると実に全ての分類で増加しているのだ。技能実習も専門分野の在留資格も着々と増えているし、資格外活動の外国人も増加している。 さらに政府は、こうした実態に合わせるために、今後単純労働に関しても、外国人に対してビザを発行する方針を決定した。仮に外国人労働者の数が、今後(現在よりはペースダウンした)毎年10%の増加率で増えて行ったと仮定すると、どうなるだろうか。試算してみると、2030年の外国人労働者の数は400万人を超える。これは労働力不足を補うには十分なペースである』、外国人労働者の急増を社会が円滑に吸収し得るか、日本人の賃上げ圧力を抑制しないか、などが問題になる。
・『【解決策3】AI・ロボット活用  さて、実はこれが一番現実味が大きいと私が考えているものだが、人工知能の進化によって、2020年代を通じて人間が行う頭脳労働のかなりの部分がAIに置き換わるようになる。 現実に、メガバンクは10年間で1万9000人規模のリストラを計画しているが、これはRPA(ロボティック・プロセス・オートメーション)と呼ばれるAIによって、事務作業の多くが自動化されることを見込んだ数字である』、ホワイトカラーにとって深刻な脅威だ。
・『AIに仕事を奪われるのは正社員 この国は変質してしまうのか  私もこれまで『仕事消滅』 『「AI失業」前夜』といった著書を通じて、人工知能による仕事消滅論に警鐘を鳴らしてきた。仕事消滅の怖いところは、失業者が増えるのではなく、むしろ給料の高い頭脳労働者の仕事がなくなることだ。言い換えると、人工知能の問題は正社員の仕事を消滅させ、我々の仕事の大半をパートタイム労働だけにしてしまうことにある。 そもそも2030年に644万人の人手不足が発生するという試算の前提は、2030年の日本に7000万人分の労働需要があるという考え方に基づいている。人工知能が1000万人分の仕事を消滅させただけで、この問題はあっという間に解決してしまう。そして2020年代には、実際にAIはそれを上回るペースで人間の業務を効率化していくと予想されている。 以上が2030年問題に関して考えられている主な解決策のリストである。人工知能が頭脳労働を肩代わりしてくれ、外国人労働者がコンビニ・飲食店・宅配便・介護といった若手でないとできない仕事を担当してくれ、生活費の足りない高齢者が警備員・チラシのポスティング・清掃の仕事を請け負ってくれるのが、2030年の未来ではないか。 そのような未来を考えると、2030年問題の核心は、労働力ギャップよりも、日本という国がどこまで変質してしまうのかということだと思う。皆さんはこの問題を、どう考えるだろうか』、AIによるホワイトカラーの代替は残念ながら避けることは出来ないだろう。代替する仕組みを設計する技術者は、ごく少人数で済むので、影響は深刻だ。他方、高齢者の労働市場参加は、生活の必要性から進むだろう。現在問題になっている外国人労働者の問題は別途、取上げる予定だが、私は枠を広げることには、社会的な問題が大きく反対である。 
タグ:人手不足 (その1)(“人手不足倒産”が日本経済にとっては「いい倒産」である理由、人手不足の日本社会がすがるしかない 手放しで喜べぬ3つの解決策) 塚崎公義 ダイヤモンド・オンライン 「“人手不足倒産”が日本経済にとっては「いい倒産」である理由」 「求人難」「人手不足」による倒産が増加 マクロ的な視点で広く日本経済のことを考えると、人手不足倒産は「いい倒産」だ 不足という単語は、否定的なニュアンスを持った言葉 人手不足というのは経営者目線の言葉 労働者目線からは「仕事潤沢」とでも呼ぶべき 人手不足なので、倒産企業の労働者にも仕事は見つかる 経営者が悲惨 労働力確保競争に負けて倒産したのだから、ある程度「自己責任」と言える 同業他社よりも低い給料しか提示できなかったことによる倒産 人手不足倒産がいい倒産だと言える理由は、日本経済全体として労働力が有効利用されるようになるということだ 労働力を有効に活用できない企業は、利益が少ないので高い賃金が払えず、労働力が確保できなくなって人手不足倒産してしまうのだ その会社が倒産したことで、業界全体の過当競争が緩和され、生き残った会社は安売り競争をやめて適正な価格で販売するようになり、適正な利益を稼いで高い給料で人手を確保できるようになる 穏当な労働力移動の方が倒産よりは望ましい 人手不足倒産の件数が少ないことは救いだ。裏で人手不足による自主廃業、合併、会社の身売りなどが数多く行われているのだろう 倒産してしまうと、企業に蓄積していたノウハウや顧客からの信頼といった「バランスシートに載っていない資産」が雲散霧消してしまう上に、バランスシートに載っている資産もスクラップ用に二束三文で買いたたかれたりしかねない 経営者は早めに合併や身売りや廃業を検討していただきたい 鈴木貴博 「人手不足の日本社会がすがるしかない、手放しで喜べぬ3つの解決策」 2030年の人手不足は今の5倍以上? 手放しで喜べない3つの解決策 【解決策1】労働参加年齢の上昇 この30年間で女性の労働参加率が飛躍的に増加 定年が現在では多くの企業で60歳以上に引き上げられている 【解決策2】移民の活用 現在の日本はすでに移民大国 2017年には127万人まで増加 全ての分類で増加 政府は、こうした実態に合わせるために、今後単純労働に関しても、外国人に対してビザを発行する方針を決定 毎年10%の増加率で増えて行ったと仮定 2030年の外国人労働者の数は400万人を超える。これは労働力不足を補うには十分なペース 外国人労働者の急増を社会が円滑に吸収し得るか 日本人の賃上げ圧力を抑制しないか 【解決策3】AI・ロボット活用 メガバンクは10年間で1万9000人規模のリストラを計画 RPA(ロボティック・プロセス・オートメーション) AIに仕事を奪われるのは正社員 怖いところは、失業者が増えるのではなく、むしろ給料の高い頭脳労働者の仕事がなくなること 人工知能の問題は正社員の仕事を消滅させ、我々の仕事の大半をパートタイム労働だけにしてしまうことにある 人工知能が頭脳労働を肩代わりしてくれ 外国人労働者がコンビニ・飲食店・宅配便・介護といった若手でないとできない仕事を担当してくれ 生活費の足りない高齢者が警備員・チラシのポスティング・清掃の仕事を請け負ってくれる 2030年問題の核心は、労働力ギャップよりも、日本という国がどこまで変質してしまうのかということだと思う
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GAFA(プラットフォーマー)(その1)(「グローバル独占企業」がイノベーションを殺す GAFAが資本主義のルールを変えた、GAFAの躍進を支えるリバタリアン思想の正体 自由至上主義者のユートピアが現出した、グーグル炎上!従業員は何に怒っているのか 取締役陣に従業員代表を加えることを要求、世界経済をけん引してきたGAFAに退潮の兆し 米国経済への影響は大) [産業動向]

今日は、GAFA(プラットフォーマー)(その1)(「グローバル独占企業」がイノベーションを殺す GAFAが資本主義のルールを変えた、GAFAの躍進を支えるリバタリアン思想の正体 自由至上主義者のユートピアが現出した、グーグル炎上!従業員は何に怒っているのか 取締役陣に従業員代表を加えることを要求、世界経済をけん引してきたGAFAに退潮の兆し 米国経済への影響は大)を取上げよう。

先ずは、ジャーナリストの池田 信夫氏が7月27日付けJBPressに寄稿した「「グローバル独占企業」がイノベーションを殺す GAFAが資本主義のルールを変えた」を紹介しよう。
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/53691
・『EU委員会は7月18日、グーグル社に43億4000万ユーロ(約5700億円)の制裁金を払うよう命じた。これはEU(ヨーロッパ連合)の制裁金としては史上最大だ。その理由は、グーグルが携帯端末用OS「アンドロイド」に自社製アプリを抱き合わせしているというものだが、これは1990年代のマイクロソフトに対する司法省の訴訟と似ている。 グーグルだけではなく、アップルもアマゾンもフェイスブックもグローバルな独占企業になり、まとめてGAFA(Google、Apple、Facebook、Amazon)と呼ぶことも多い。こうした新しい独占企業が、グローバル資本主義を変えようとしている』、EUは日本と違って、GAFAに対する取り組みでは先進的だ。
・『インターネットが生んだ独占・集中社会  90年代にインターネットが急速に普及したとき、それは従来の電話網とは違う自律・分散型のネットワークだった。それによって国家と大企業を中心とする20世紀型の社会が変わり、個人を中心とする自律・分散型の社会になると予想する人が多かった。一時はそういう兆しも見えた。電話交換機で通信を独占した電話会社が衰退し、大型コンピュータを独占したIBMが経営危機に瀕し、携帯電話で個人がいつでも世界に情報を発信できるようになった。GAFAのうちアップルを除く3社は、90年代後半以降に創業した企業である。 しかし2004年に創業したフェイスブックを最後に、既存の企業を倒す「破壊的イノベーション」は消えた。新しい成長企業が、大企業に育つ前に買収されたからだ。アンドロイドも、携帯用OSを開発していた会社をグーグルが買収したものだ。ITの世界では、ゼロから研究開発するより有望な企業を買収したほうが速い。  企業買収のもう1つの意味は、競争の芽を摘むことだ。2012年にフェイスブックが写真サイト「インスタグラム」を10億ドルで買収したとき、その売り上げはゼロだったが、ユーザーは3000万人で急成長しており、フェイスブックのライバルになる可能性があった。それを買収することで、フェイスブックは独占を守ったのだ。 皮肉なことに自律・分散型のインターネットが生んだのは、かつての電話会社やIBMより強力な独占・集中型の産業構造だった。それはインターネットという巨大なプラットフォームを独占することが、国家を超える権力になるからだ』、確かにGAFAの巨大化、独占化には目ざましいものがある。
・『「プラットフォーム独占」は国境を超える  キャッシュの余った大企業が関連のない企業を買収して規模を拡大するのは、昔は「コングロマリット」と呼ばれ、ダメな企業の代名詞だった。日本の「総合電機メーカー」のようなコングロマリットの経営が悪化するのは、経営者が資本効率を考えないで多角化して雑多な企業を抱え込むからだ。 しかしGAFAのような「ITコングロマリット」は、多角化しても資本効率が落ちない。それは彼らのコア技術がソフトウェアだからだ。アマゾンやグーグルが自動運転の企業を買収しても、彼らが開発するのは自動車ではなく、それを運転するソフトウェアだから、プラットフォーム独占は共通だ。ハードウェアは中国に発注してもいい。 GAFAは、国境を超えるグローバル独占企業になった。かつて電話会社は国内市場を独占したが、インターネットのユーザーは全世界で40億人。その最適規模は国家を超える。グローバル独占が確立すると、それをくつがえす新企業が出てくることはむずかしい』、「多角化しても資本効率が落ちない。それは彼らのコア技術がソフトウェアだからだ」というのは、その通りだ。つまり巨大化にブレーキが利かないことを意味している。
・『多くの経済学者は、2010年代に成長率が低下した原因を、このようなイノベーションの衰退に求めている。ケネス・ロゴフ(ハーバード大学教授)は、それを「第二のソロー時代」と呼んでいる。  かつて経済学者ロバート・ソローが「コンピュータはどこにでも見られるが、生産性の統計の中には見られない」といったように、インターネットは人々の生活を便利にし、既存企業の独占利潤を上げる役には立ったが、生産性は上がっていないのだ』、これは興味深い指摘だ。
・『古い独占を倒すのは新しい独占  グローバル独占企業が昔の独占企業より強力なのは、その市場支配力が国家に依存しないからだ。最盛期のAT&T(アメリカ電話電信会社)の社員は100万人を超えたが、そのビジネスはアメリカを超えられなかった。1980年代の分割で国際事業が認められたが、失敗に終わった。 国境を超える独占企業になったほとんど唯一の例外がIBMだが、それは大型コンピュータというプラットフォームの独占に依存していたので、パソコンという新しいプラットフォームが出てくると没落した。 独占を守るにはライバルを買収して、新しいプラットフォームをつぶす必要があるが、司法省との独禁法訴訟を抱えていたIBMは、彼らの独占に挑戦する企業を買収できなかった。1980年代にIBMがマイクロソフトを買収していたら、われわれは今も大型コンピュータを使っているかもしれない。 電話会社は各国の規制と戦うことに多大な労力を費やしたが、GAFAには今までそういう問題は少なかった。ソフトウェアを規制する法律はほとんどなく、インターネットという巨大なプラットフォームを独占すれば、IBMよりはるかに巨大な独占企業になれた』、その通りだろう。
・『しかし今回のEU委員会の制裁にみられるように、ヨーロッパ各国政府はGAFAに警戒を強めている。それはもはやヨーロッパにはGAFAに対抗できる企業がなく、アメリカ文化がヨーロッパを支配することを恐れているからだ。 日本政府には、そういう危機感もない。それは日本企業が、とっくの昔にプラットフォーム競争に負け、競争に参加する気もないからだろう。むしろ中国の「国家資本主義」が、GAFAのライバルになる可能性がある』、中国にはその後、トランプ大統領が経済戦争を仕掛けたので、先行きは曲折があろう。
・『21世紀に生まれたグローバル独占資本主義のルールは、経済学の教科書には書かれていない。それは日本メーカーの得意とする「いいものを安くつくる」市場とは違う。問題は性能でも価格でもなく、巨額のリスクを取って独占を作り出す経営者の度胸である。 そこでは市場メカニズムはきかず、強者が徹底的に投資して弱者を蹴落とす進化論的な競争になる。こういう独占を防ぐには、一国内のシェアを基準にした独禁法は無意味である。古い独占を倒すには、新しい独占を育てるしかない。競争政策にもイノベーションが必要である』、「勝者総取り」の世界では、勝者はますます強くなっていく。11月3日の日経新聞によれば、日本政府は、GAFAなどによるデータ寡占を独禁法で規制することを検討しているようだが、果たして可能なのだろうか。相変わらず腰が引けた対応だ。

次に、翻訳家の脇坂 あゆみ氏が8月27日付け東洋経済オンラインに寄稿した「GAFAの躍進を支えるリバタリアン思想の正体 自由至上主義者のユートピアが現出した」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/234258
・『・・・「少数の支配者と多数の農奴が生きる世界」  アメリカの四大テクノロジー企業の光と影を、ニューヨーク大学のビジネススクール教授が書いた『the four GAFA - 四騎士が創り変えた世界』・・・が話題を呼んでいる。そのタイトルどおり、本書では、これら四強の本質と、彼らがどのようにビジネスや暮らしを一変させてきたかが解き明かされている。 いまやグーグルで検索するとき、「この答えは誰がどうやって決めているの?」とか、「自分の本性がバレないだろうか?」など立ち止まることはほぼない。どこかの天才が、客観的なアルゴリズムによって最も正しい答えに導いてくれると信じて疑うことはない。 アマゾンのレビューで数百人ものレビューアーが良いと言うならきっと良い商品だろうし、アップルの最新端末は、他社製品は言うにおよばず、1年前の機種よりいいに決まっており、フェイスブック・メッセンジャーのない日々の通信も考えられない。 典型的とは言えなくても、ある程度、現代都市でスマホを持っている読者なら心あたりがあるのではないだろうか』、確かに我々の生活にGAFAは深く入り込んでいる。
・『だが、ギャロウェイ教授は、彼らに痛めつけられた自らの経験も踏まえてこの四大企業の本性と怖さを教え、そのサービスを無批判に享受し続ける信者たちに警鐘を鳴らす。四騎士とは、聖書のヨハネの黙示録に登場し、地上の四分の一を支配する強大な力を与えられて平和を脅かし、殺戮や飢饉など厄災をもたらす恐ろしい存在だ。 教授は、四騎士が指し示すのは「少数の支配者と多数の農奴が生きる世界」だと言う。そこはごく限られた強者がゲームのルールを決め、富を独占しながらも税から逃れ社会的責任も果たさない非民主的な世界であり、卓越した能力を持たない凡人がわずかな残り物を争う殺伐とした世界だ。アマゾンの正体は、既存ビジネスと雇用の「破壊者」である。 教授によれば、GAFAは「盗みと保護」によって躍進し、その支配は消費者の本能、主に下半身に訴えるブランド戦略によって盤石なものとなっている。絶対的な力を手にしたGAFA企業は絶対的に腐敗するリスクをはらんでおり、集中しすぎた権力は規制し、解体すべきというのがその主張の一部だ』、随分、過激な主張のようだが、もう少し主張の詳細をみてみよう。
・『次の時代を生き抜くにために、教授が若者たちに提案するのは、まずはこの四騎士の本質を理解すること。そして、次なるスティーブ・ジョブズを夢見るのではなく、「大学にいく」こと、「友人を大切にする」こと、「資格をとる」ことなど。教授が起業したのも、大企業で働くスキルが欠落していたためだという。 本書によって読者は、彼ら四騎士がどのようにビジネスと消費の常識を変えてきたかを知ると同時に、GAFAが君臨する新世界での自分自身の信条と立ち位置について、改めて確認できる。そこにはGAFAを誕生させ、躍進させた文化と、それが目指すユートピアの本質が示されているからだ』、なるほど。
・『リバタリアンのユートピア  GAFAを生み、育て、その独裁を許し、アメリカ議会までもがひれ伏す神聖な帝国を築かせたのは、卓越した商品やサービスを生み出す起業家こそが大きな価値を生み出し、応分の見返りを得るに値するという信条、シリコンバレーなどアメリカの西海岸に巣食うリバタリアンのDNAだ。 GAFAが体現するリバタリアンのDNAとは、次の3点に要約される。第1に、権威ではなく個人がそれぞれの目標と幸福を定義できるとする「個人主義思想」、第2に、少数の天才が社会を前進させる原動力になるという「英雄礼賛文化」、第3に、最小限の国家の介入を理想とする「自由市場経済」である。地上の四分の一を支配し、旧世界に侵食しつつある無慈悲な新世界は、自由至上主義者のユートピアなのだ。 まず、第1が「個人主義思想」だ。GAFAが君臨する世界では、正しいことやいいことは個人によって違っており、それぞれが自分にとっていいこと、時間の使い方をより高い自由度を持って決めることができる。そこでは知りたいことを知りたいときに調べ、買いたいものを買いたいときに買い、遠い国の戦争ではなく、昔の友人や同僚の近況を自分の指先で探し、楽しめる。 「グーグルの登場で、私たちはそれぞれ違う問題、目標、欲望を持つ個人とみなされるようになった。私たちはそれぞれ違う質問をする」と教授は分析する。 本書の読みどころの1つは、教授が取締役を務めたニューヨーク・タイムズとグーグルとの戦いだ。戦いというよりは自然な成り行きとも言えるが、旧世界のタイムズの経営陣は、自社サイトで稼ぐのでなく、無邪気にもグーグルからの無制限のアクセスを許した。その結果、タイムズは、インターネットという広大な土地の領主であるグーグルの小作人になり下がってしまったという。 タイムズはもはや、たとえばアメリカ大統領選に大きな影響力を持つことはできなくなってしまった。アメリカの多数の有権者が彼らの社説は読まず、タイムズが嫌うトランプのツイッターをフォローする。かつて、重要なことは新聞が決めていた。買うべきものは雑誌が決めていた。だが最後に新聞の社説を読んだのはいつだったろう……? ギャロウェイ教授は、グーグルとフェイスブックは既存のメディアをも大きく上回る発信力と広告収入を持ちながら、メディアではなくプラットフォームだと主張し、「真実を追求するジャーナリズム精神など持ち合わせず」無責任にフェイクニュースを垂れ流すという。リバタリアンの新世界では、個人がそれぞれに真実を追求する責任を負う。グーグルは、タイムズのご高説はもうたくさんだというユーザーの本音に忠実に従う。 今日私たちが日々頭を垂れるのは祈るときではなく、スマホに向かってグーグルで検索するときだと、教授は指摘する。リバタリアンのユートピアで、人は信じることではなく、知ることで神に近づけると気づくからだ』、リバタリアンとは自由至上主義信奉者のことで、政治的には右派とみられているが、GAFAはどちらかといえば、リベラル色が濃いと思っていたが、彼らもリバタリアンとは認識を新たにした。
・『弱肉強食の冷酷な世界  第2に「英雄礼賛文化」である。リバタリアンの世界では、卓越したアイデアと才能・実行力を持つ個人は英雄として崇められる一方で、中途半端なサービス、二流の商品が生きながらえることはない。そこで勝つとは、誰よりも早く、未開発の市場を思いつき、独占すること。安定ではなくディスラプション、統制のとれた集団ではなく才能のある個人が絶え間ないイノベーションによって理想世界を実現する。それは結果がすべての弱肉強食の冷酷な世界でもある。 思えば「世界最大のお店」とか「世界中の人をつなげるアプリ」とか「全知全能の検索エンジン」など、GAFAの発想は荒唐無稽だった。だがスーパーヒーローたる起業家たちは、ビジョンの大きさにひるむことがない。ギャロウェイ教授によれば、大抵の経営者は最小の資本で最大のリターンを目指す。だがアマゾンの発想は違う。「莫大な資金がかかるために他社にはできないことで、われわれが他者を出し抜けることは何だろうか?」そして、その荒唐無稽なビジョンに賭ける投資家たちがいる。フェイスブックは、誰もが気づいていない真実を探し続けた逆張りの投資家ピーター・ティールによって最初の資金を得ることができた。「私たちの文化の中で、起業家はスポーツのヒーローや芸能界のスターと同じような、アイコン的な地位に持ち上げられている。起業家の象徴たるハンク・リアーデンから、死によって神格化されたスティーブ・ジョブズまで」と教授は指摘する。 ジョブズの物語は、いまなおアップルユーザーの心をざわつかせ、時価総額1兆ドルを超えるメガ企業になっても魔法が解けることはない。ジョブズは死んで神様となったのだから。喫茶店でMacに向かうクリエイターやビジネスマンの多くはいまも、ジョブズと同じ反逆のスピリットを持っているか、持ちたいと思っているのではないか。 ハンク・リアーデンとは、アイン・ランドの長編小説『肩をすくめるアトラス』で、あらゆる既存勢力や国家の妨害と戦いながらまったく新しい合金を開発した鉄鋼王だが、いまも全米のビジネスマンを刺激し続けるこの物語で最も偉大なのは実業家たち、それも裸一貫であらゆる逆境を乗り越えてまったく新しい事業を築き上げる起業家たちだ』、なるほど。
・『プライバシーほど神聖なものはない  第3に、「自由市場経済」である。リバタリアンの理想郷では、国家や政府の干渉が最小限に抑えられている。インターネットの黎明期、サイバー空間は国家権力が介入しないユートピアとしてリバタリアンたちを熱狂させたが、そのユートピアの規範がいまやリアルな世界に侵入しつつある。 アップルがFBIへの協力を拒み、個人情報を守るとき、信者たちは喝采を送る。教授は、それはアップルがイケてるからだ、という。それもあるかもしれないが、リバタリアンの世界では、プライバシーほど神聖なものはない。税金についても、同じキャッシュなら、国家に収めるより稼ぐ力がある人間が有意義に使ったほうが世の中のためになるという考え方だ。 GAFAが君臨するのは「少数の支配者と多数の農奴が生きる世界」かもしれないが、その新世界を支えるのは、多数の幸福な農奴たちでもある。アマゾンやグーグル、フェイスブックによって壊滅的な打撃を受けた小売やメディアの関係者にとって、本書で描かれている悪夢は現実だろう』、確かにGAFAの考え方はリバタリアンそのものだ。
・『一方で、GAFAのシンプルで、使いやすく、すべての個人に開かれたプラットフォームによって、知り、創造し、発信し、起業した人は少なくないはずだ。 たとえばアマゾンは、e託サービスによって、マスマーケットへのアクセスなど望むべくもなかった個人が、ニッチな小ロットの商品を販売することを可能にした。フェイスブックなどのSNSは、大組織の支援のない名もなきクリエイターが本当に面白いコンテンツをコンテンツそのものの力で拡散させることを可能にしている。300万円の予算で制作された映画『カメラを止めるな!』がヒットしたのは、SNSを通じた口コミの力も大きい。 20億人のSNSのプラットフォームは、ほかの同様のプラットフォームの追随を許さない悪徳のモノポリかもしれないが、それによって地球上のあらゆる弱小クリエイターたちは、ごく少ない資本で、本当に刺激的で面白いコンテンツを世界に発信し、評価されることが可能になったのである。 ユーザーとしても、自分の嗜好がどんどんコンテンツに反映されていくのだとすれば、しなければならないのは、好きなものを探し、楽しみ、周囲の一握りの人たちに共有することだけだ。 だが彼らユーザーはいまGAFAの信者であったとしても狂信者ではない。タイムラインのニュースが胡散臭いと思えばいつでも、別のメディアをみることができるし、アマゾンがダメなら楽天がある。そうしないとすれば、それはGAFAのサービスは便利さとともに、より多くの真実をもたらしてくれるからだ。アマゾンはおおむね、私たちを売る側の論理と都合やマスマーケティングの押し売りから解放してくれている。四強が競合を破壊し尽くして、戻る場所はなくなるという考え方もあろうが、私はそうは思わない』、これはギャロウェイ教授の考えではなく、筆者の考えだろうが、確かにプラス面も考慮する必要がある。
・『栄光は永遠ではない  私たちがグーグルやフェイスブックを認知し始めてから、まだ20年も経っていない。20年前、本書にも登場する当時時価総額上位のGEは、次の100年も安泰と思われていたが、つい先日ひっそりと、ダウ平均銘柄のリストから姿を消した。iPhoneXで多くの通信や雑務をこなしてしまう私たちがブラックベリーに張り付いていたのは10年も昔ではない。栄光はかくも儚いものだとGAFA以前の世界を眺めてきた私たちユーザーは知っている。四騎士の覇権もいつかは崩れ、新しい騎士たちが世界を席巻するだろう。  Google 、Apple、Facebook、Amazon――彼ら四騎士は確かに地球の四分の一以上を支配しつつあるが、彼らの栄光は永遠ではない。ただ、この本を読み終わってもなお、四騎士の台頭を厄災ではなく福音と想い続けることができるならば、あなたはもしかすると、天才起業家が神々となるユートピアを信じるリバタリアンの一人かもしれない』、GAFAが「新しい騎士たちが世界を席巻する」ことのないような、圧倒的な独占的地位を築いたとすれば、この部分にはいささか違和感を感じる。

第三に、11月3日付け東洋経済オンラインが転載したロイター「グーグル炎上!従業員は何に怒っているのか 取締役陣に従業員代表を加えることを要求」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/247052
・『カリフォルニア・マウンテンビュー/ニューヨーク (ロイター) - アジア、欧州、北アメリカのグーグルのオフィスに勤務する数千人の従業員と契約社員は11月1日、性差別、人種差別そして職場で黙認されるパワハラに対する抗議活動を行った。 カルフォルニア州マウンテンビューのグーグル・グローバル本社の中庭には、何百人もの社員が集まった。うち何人かは同社の音声認識アシスタント「OK Google」にちなんだ「Not OK Google」という大きなサインを掲げた』、私もニュースに驚かされた。詳細を知りたいところだ。
・『ニューヨークやサンフランシスコでも(ニューヨークのグーグルのオフィスビル周辺では、男女が周辺ブロックをおよそ10分間にわたって静かに歩き回った。そのうち何人かは「女性に敬意を」といった内容のサインを掲げていた。 「これがグーグルです。これまで多くの難題を乗り越えてきました。現況は受け入れがたいものですが、もし解決できる企業があるとすれば、それはグーグルだと思います」と、同社に勤務して3年になるソフトウェアエンジニアであるトマス・ニーランドは話す。 2ブロック離れた小さな公園にはグーグルの社員を含めた、およそ1000人のニューヨーカーが集まった。うち数名はオフィスビル周辺で見られたよりも大きなプラカードに「Time's up Tech (いい加減にしろ)」というサインを掲げていた。 今回の抗議行動について、グーグルの従業員たちはマネジャーや同僚から参加を促すメールを多数受けとった、とニーランド氏は言う』、マネジャーからも参加を促すメールを受けとったとは、驚かされたが、いかにもグーグルらしい。
・『午前11時頃、社員は集まって本社を離れる準備を開始。「待機中のチームエンジニアもページャーを持って参加しました。それほどこの抗議行動が重要だと考えたのです」。 サンフランシスコのフェリービルディング近くの通りには数百人が集まり、同僚がほかのグーグルオフィスに抗議活動への参加を呼びかける声に静かに聞き入っていた。 主催者は、この抗議行動は世界中のグーグルのオフィスに広がったと発表。この行動は、社内セクハラ問題で2014年に退職した当時の幹部、アンディ・ルービン氏に対してグーグルが9000万ドル相当の退職金パッケージを提供した、という米ニューヨーク・タイムズ紙の報道をうけて勃発した。 ルービン氏はこの報道を否定し、退職金の額については「大きく誇張されている」と述べている。 グーグルはこの記事に抗議していない』、社内セクハラ問題で退職しても、9000万ドル相当の退職金パッケージを受け取れるとは優雅な身分だ。
・『グーグルは社会経済的地位の手本になるべき  この報道は、グーグル社内で長年続いてきた多様性の推進や女性、マイノリティの待遇改善を求める活動に火をつけた。 これらの課題は2016年、共和党のドナルド・トランプ氏が出馬したアメリカ大統領選以降、民主党支持者が多いシリコンバレーの住民の重要案件となっている。 従業員たちは、大統領とグーグルによる移民、防衛、差別に対するスタンスについて、はっきりと意見するようになった。最先端技術の先駆者だからこそ、自分たちの雇用主は社会経済的地位の手本になるという意識を持つべきだと、従業員たちは訴えている。 10月31日の午後、抗議の主催者はグーグルの親会社であるアルファベットに対して取締役に従業員代表を加えること、また報酬の平等性に関するデータの社内共有を求めた。同時に、嫌がらせが起きているとの訴えがあったとき、公正に審査する人事制度も要求している。 グーグルのサンダー・ピチャイ最高経営責任者(CEO)は「従業員が建設的なアイデアを提案した」とし、「こうしたアイデアを実行に移していけるよう、従業員のフィードバックをすべて把握する」と表明した』、「取締役に従業員代表を加える」との要求は、仮に受け入れられれば、米国では革命的なことになる。ピチャイCEOの反応も、具体性にはまだ欠けるとはいえ、大したものだ。「自分たちの雇用主は社会経済的地位の手本になるという意識を持つべきだ」との従業員の訴えも、素晴らしい。
・『現地時間の11月1日11時、ダブリンにあるヨーロッパ本社は何百もの人に埋め尽くされた。主催者がSNSに投稿した写真にはロンドン、チューリッヒ、ベルリン、東京そしてシンガポールの従業員たちがグーグルのオフィスを離れる姿が写されている。 アイルランド地元メディアRTEによると、ある従業員は机の上に 「不品行、不当、不透明、不健康な職場環境に抗議するための活動に参加中のため不在です」と書かれたメモを置いている。 グーグルのダブリンオフィスはアメリカ国外としては最大規模で、およそ7000人の従業員が働いている』、さすがグローバル企業らしい。
・『セクハラ撲滅の対策が遅れている  アルファベットが抱える9万4000人の従業員と、何万人もの契約社員の不満は、同社の株価に影響を及ぼしている。しかしアルファベットの経営陣がこの問題を解決しない限り、同社は人材確保とその維持に苦労するだろうと、同社の従業員は予想する。 今年前半、団体の活動の多くは署名活動や労働者の権利を守る団体Coworker.orgとのブレインストーミングセッションといった、内向的な活動が多かった。 20年前に設立されて以降、グーグルは社内規範として「Don't Be Evil(邪悪になるな)」を掲げて社内における従業員と企業活動の透明性を訴えてきた。しかし主催者によれば、グーグル上層部は、「#Metoo」活動によって影響を受けたほかの企業のリーダーたちと同様、この問題に焦点をあてるのに時間がかかりすぎている。 「多様性と包括性を誇ってきたグーグルにもかかわらず、人種主義に対する具体的な行動や公平性の向上、セクハラの撲滅といった対策が遅すぎる」と主催者は語る。 グーグルはセクハラに関する統計報告を公表し、嫌がらせの問題を内々で強引に処理する体質を改善しなければならない、と主催団体は言う。 また、チーフ・ダイバーシティ・オフィサー(最高多様性責任者)が直接上層部に意見できる環境を要求している』、今後、グーグルがこれらの要求に如何に答えていくのか、大いに注目したい。

第四に、信州大学経済学部教授の真壁 昭夫氏が11月5日付け現代ビジネスに寄稿した「世界経済をけん引してきたGAFAに退潮の兆し 米国経済への影響は大」を紹介しよう。
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/58303
・『米国の先端IT企業であるGAFA(グーグル、アップル、フェイスブック、アマゾン)の今年7-9月期の決算が出そろった。各社の決算内容を見ると、今後、GAFA株に対する期待の盛り上がりがやや後退することが考えられる。それは、米国だけではなく世界経済にとって無視できないリスク要因になるかもしれない。 最も重要なポイントは、これまでのようなイノベーションが見られないことだ。人々が欲しいと思わずにはいられない、ヒット商品や新しいサービスが見当たらなくなっている。スマートフォン売り上げの伸び悩みはその一例だ。また、SNS関連企業に関しては個人情報保護にどう対応するか、先行きが見通しづらくなっている』、GAFAが曲がり角に来ているのは確かなようだ。
・『先端IT企業GAFAのイノベーション  近年、GAFA4社を米国のIT先端企業の代名詞として扱う専門家が増えている。その背景には、この4企業がイノベーションを発揮して、従来にはないサービスやモノ(最終製品)を生み出してきたことがある。GAFAのイノベーションは、米国経済が好調さを維持する大きな要因だ。それが、足許の世界経済を支えている。 イノベーションとは、端的に、わたしたちが「ほしい!」、「使いたい!」と思わずにはいられない、新しいモノやサービスを生み出すことだ。世界の若者のミュージックライフを一変させたといわれるソニーの“ウォークマン”はそのよい例だ。アップルのiPhoneにも同じことが言える。イノベーションを通してヒット商品を創造できれば成長は可能だ  2007年に発表されたiPhoneは、事実上、スマートフォンという小型コンピューターのコンセプトを世界に示したといえる。それには従来の携帯電話にはない新しい機能が搭載されていた。それが多くの人のほしいという気持ち=需要を取り込んだ結果、アップルの売り上げが増え、米国企業で初めて時価総額は1兆ドル(約112兆円)を突破した。 スマートフォンの普及とともに、他の新しいモノやサービスも創造された。フェイスブックに代表されるSNS、アマゾンやグーグルのクラウドコンピューティングサービスはその例だ。また、アマゾンはネットワークテクノロジーを駆使して世界の物流に革命を起こしたといえる。その結果、ネット経由での消費が増加している』、これまでの成長ぶりは、目を見張るものがあった。
・『米国経済のダイナミズム停滞懸念  GAFAの業績は世界経済を左右するといって過言ではない。過去3年間、ナスダック総合指数を中心に米国の株価が上昇した理由は、GAFAが高成長を遂げるとの期待があったからだ。しかし、その期待は抱きづらくなっている。GAFA各社の7~9月期の業績や今後の売上高予想などに関して、アナリストの予想を下回る内容が目立つ。 それは、GAFA各社のイノベーションが停滞しつつあることの表れだ。フェイスブックやグーグルに関しては、個人情報をどう保護するか、具体的かつ抜本的な解決策が見出しづらい。SNS企業などは人海戦術でフェイクニュースなどを摘発し、規制への対応を進めている。そのための支出が増える一方、データ不正流出への不安からユーザーは減少傾向だ。 アップルに関しては、新型機種の売れ行きが同社の想定を下回っているとの見方が多い。11月1日、ニューヨーク株式市場の時間外取引では、成長鈍化への懸念から同社株価は7%下落し、時価総額は1兆ドルを下回った。アマゾンに関しても、海外でのネット事業は伸び悩んでいる。アマゾンは株価も割高だ。 どのようにGAFAを中心に米国のIT先端企業がイノベーションを発揮するか、現時点で先行きは見通しづらい。中国経済の減速、トランプ政権の政策リスクなど、IT先端企業の経営に関するリスク要因も増えている。追加的にGAFAの成長期待が低下する場合、世界経済の中で独り勝ちの状況にある米国経済の下振れリスクは高まるだろう』、ますますGAFAの今後に注目する必要がありそうだ。
タグ:EU委員会 グーグル社に43億4000万ユーロ(約5700億円)の制裁金を払うよう命じた 「アンドロイド」に自社製アプリを抱き合わせしている プライバシーほど神聖なものはない 今年7-9月期の決算 新しい成長企業が、大企業に育つ前に買収されたからだ。アンドロイドも、携帯用OSを開発していた会社をグーグルが買収したものだ 企業買収のもう1つの意味は、競争の芽を摘むことだ ンターネットという巨大なプラットフォームを独占することが、国家を超える権力になるからだ 追加的にGAFAの成長期待が低下する場合、世界経済の中で独り勝ちの状況にある米国経済の下振れリスクは高まるだろう GAFA各社のイノベーションが停滞しつつあることの表れだ IT先端企業の経営に関するリスク要因も増えている これまでのようなイノベーションが見られない ヒット商品や新しいサービスが見当たらなくなっている アナリストの予想を下回る内容が目立つ 米国経済のダイナミズム停滞懸念 GAFAのイノベーションは、米国経済が好調さを維持する大きな要因だ。それが、足許の世界経済を支えている 「世界経済をけん引してきたGAFAに退潮の兆し 米国経済への影響は大」 現代ビジネス 真壁 昭夫 グーグル上層部は、「#Metoo」活動によって影響を受けたほかの企業のリーダーたちと同様、この問題に焦点をあてるのに時間がかかりすぎている セクハラ撲滅の対策が遅れている サンダー・ピチャイ最高経営責任者(CEO)は「従業員が建設的なアイデアを提案した」とし、「こうしたアイデアを実行に移していけるよう、従業員のフィードバックをすべて把握する」と表明した 嫌がらせが起きているとの訴えがあったとき、公正に審査する人事制度も要求 抗議の主催者はグーグルの親会社であるアルファベットに対して取締役に従業員代表を加えること、また報酬の平等性に関するデータの社内共有を求めた グーグルは社会経済的地位の手本になるべき 社内セクハラ問題で2014年に退職した当時の幹部、アンディ・ルービン氏に対してグーグルが9000万ドル相当の退職金パッケージを提供した この抗議行動は世界中のグーグルのオフィスに広がった 今回の抗議行動について、グーグルの従業員たちはマネジャーや同僚から参加を促すメールを多数受けとった 性差別、人種差別そして職場で黙認されるパワハラに対する抗議活動 「グーグル炎上!従業員は何に怒っているのか 取締役陣に従業員代表を加えることを要求」 ロイター 四騎士の覇権もいつかは崩れ、新しい騎士たちが世界を席巻するだろう 栄光は永遠ではない GAFAのシンプルで、使いやすく、すべての個人に開かれたプラットフォームによって、知り、創造し、発信し、起業した人は少なくないはずだ 弱肉強食の冷酷な世界 グーグルとフェイスブックは既存のメディアをも大きく上回る発信力と広告収入を持ちながら、メディアではなくプラットフォームだと主張し、「真実を追求するジャーナリズム精神など持ち合わせず」無責任にフェイクニュースを垂れ流す 旧世界のタイムズの経営陣は、自社サイトで稼ぐのでなく、無邪気にもグーグルからの無制限のアクセスを許した。その結果、タイムズは、インターネットという広大な土地の領主であるグーグルの小作人になり下がってしまった 第3に、最小限の国家の介入を理想とする「自由市場経済」 第2に、少数の天才が社会を前進させる原動力になるという「英雄礼賛文化」 リバタリアンのユートピア 第1に、権威ではなく個人がそれぞれの目標と幸福を定義できるとする「個人主義思想」 絶対的な力を手にしたGAFA企業は絶対的に腐敗するリスクをはらんでおり、集中しすぎた権力は規制し、解体すべき GAFAは「盗みと保護」によって躍進し、その支配は消費者の本能、主に下半身に訴えるブランド戦略によって盤石なものとなっている 四騎士が指し示すのは「少数の支配者と多数の農奴が生きる世界」 この四大企業の本性と怖さを教え、そのサービスを無批判に享受し続ける信者たちに警鐘を鳴らす ギャロウェイ教授 『the four GAFA - 四騎士が創り変えた世界』 「GAFAの躍進を支えるリバタリアン思想の正体 自由至上主義者のユートピアが現出した」 東洋経済オンライン 脇坂 あゆみ 日本メーカーの得意とする「いいものを安くつくる」市場とは違う 市場メカニズムはきかず、強者が徹底的に投資して弱者を蹴落とす進化論的な競争になる グローバル独占資本主義のルールは、経済学の教科書には書かれていない ヨーロッパ各国政府はGAFAに警戒を強めている ソフトウェアを規制する法律はほとんどなく、インターネットという巨大なプラットフォームを独占すれば、IBMよりはるかに巨大な独占企業になれた 「ITコングロマリット」は、多角化しても資本効率が落ちない。それは彼らのコア技術がソフトウェアだからだ 古い独占を倒すのは新しい独占 インターネットは人々の生活を便利にし、既存企業の独占利潤を上げる役には立ったが、生産性は上がっていないのだ 多くの経済学者は、2010年代に成長率が低下した原因を、このようなイノベーションの衰退に求めている コングロマリットの経営が悪化するのは、経営者が資本効率を考えないで多角化して雑多な企業を抱え込むからだ 「プラットフォーム独占」は国境を超える フェイスブックを最後に、既存の企業を倒す「破壊的イノベーション」は消えた インターネットが生んだ独占・集中社会 GAFA(Google、Apple、Facebook、Amazon) 「「グローバル独占企業」がイノベーションを殺す GAFAが資本主義のルールを変えた」 JBPRESS 池田 信夫 (その1)(「グローバル独占企業」がイノベーションを殺す GAFAが資本主義のルールを変えた、GAFAの躍進を支えるリバタリアン思想の正体 自由至上主義者のユートピアが現出した、グーグル炎上!従業員は何に怒っているのか 取締役陣に従業員代表を加えることを要求、世界経済をけん引してきたGAFAに退潮の兆し 米国経済への影響は大) (プラットフォーマー) GAFA
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鉄道(その4)(欧州の「フリーゲージ」はなぜ成功しているか 日本のFGTは技術的難易度が高すぎる、欧州の鉄道「スピード最優先」の時代に終止符 イタリアは時速350km運転を無期限延期、羽田アクセス線構想の落とし穴 首都圏に鉄道はこれ以上必要か、新幹線の手荷物検査 「51%超が導入賛成」なのにJR東海が拒否する理由) [産業動向]

鉄道については、3月25日に取上げた。今日は、(その4)(欧州の「フリーゲージ」はなぜ成功しているか 日本のFGTは技術的難易度が高すぎる、欧州の鉄道「スピード最優先」の時代に終止符 イタリアは時速350km運転を無期限延期、羽田アクセス線構想の落とし穴 首都圏に鉄道はこれ以上必要か、新幹線の手荷物検査 「51%超が導入賛成」なのにJR東海が拒否する理由)である。

先ずは、欧州鉄道フォトライターの橋爪 智之氏が4月7日付け東洋経済オンラインに寄稿した「欧州の「フリーゲージ」はなぜ成功しているか 日本のFGTは技術的難易度が高すぎる」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/215507
・『スイスの私鉄、モントルー・オーベルラン・ベルノワ鉄道(MOB)は3月12日、車両メーカーのシュタドラー社(スイス)との間で、線路幅が異なる路線同士を直通できる「軌間可変装置」付き客車20両を供給する契約を結んだと発表した。日本でいう「フリーゲージトレイン」だ。 軌間可変装置は、すでにスペインのタルゴ社によって実用化されているが、今回は同社製品ではなく、アルストム・ドイツ社で製造される台車を使用し、車体製造および組み立てをシュタドラー社で行う』、なるほど。
・『なぜ「軌間可変」が必要なのか  MOBは、スイス最大の湖、レマン湖のほとりにある高級リゾート地モントルーを起点として、ベルン州南西部に位置するツヴァイジンメンまでを結ぶ本線を中心に、総計75kmの路線を持つ。このうち、ゴールデンパスラインと銘打った62kmの風光明媚な本線に運行されるパノラマ客車を使用した列車「ゴールデンパス・パノラミック」が同鉄道最大の目玉で、年間通して多くの観光客が利用する人気列車となっている。 ところが、この鉄道には一つだけ大きな悩みがあった。軌間(線路の幅)1000mmの狭軌路線である同鉄道は、スイス国鉄をはじめ多くの鉄道で一般的な「標準軌」、軌間1435mmの他路線へ乗り入れできない。ツヴァイジンメンは単なる田舎の村で、多くの旅行客はそのまま先へ旅を続けるが、ここから先は標準軌の私鉄ベルン・レッチュベルク・シンプロン鉄道(BLS)となっており、必ず乗り換えが必要となる。 この乗り換えが不便とみなされ、敬遠されているのか、スイス旅行の代名詞のようにも扱われる観光列車「氷河急行」と比較すると、ゴールデンパス・パノラミックはいまいち知名度が上がらない。MOBにとってツヴァイジンメンから先、リゾート地として人気が高いインターラーケンまでゴールデンパス・パノラミックの直通運転を実現させることは、いわば悲願でもあった。 MOBは過去10年以上にわたり、この直通運転に関してさまざまな検討を重ねてきた。標準軌の線路にもう1本の線路を敷いて、車輪を変えなくても直通運転できる「3線軌条」案も検討されたが、乗り入れ先のBLSの協力が不可欠なのと、複雑な線路構造でメンテナンスコストがかさむことなどから実現しなかった。今回、軌間可変装置の技術的なメドが立ったことで、ようやく実現する運びとなった』、乗り換えのハンディは確かに大きそうだ。
・『2020年末には営業運転  軌間可変装置を作動させるための地上設備は、現在ツヴァイジンメン駅構内に建設中で、2018年8月頃には完成する予定だ。当初計画では2019年12月の冬ダイヤ改正から営業運転を始めたいとしていたが、計画の遅れから2020年12月へずれ込むことになるとアナウンスされている。なお、軌間可変装置を搭載するのは客車だけで、機関車はMOB、およびBLSがそれぞれの軌間のものを用意し、ツヴァイジンメンで軌間変更と同時に、機関車の交代も行う。 軌間可変装置付きの車両は、日本でもフリーゲージトレイン(FGT)として開発が進められてきた。だが、開発が思うように進んでいないことに加え、車両維持費が通常車両よりかなり高額となるため、長崎新幹線への導入を予定していたJR九州は運営が困難であると表明している。 日本では一向に実用化のメドが立たない軌間可変車両だが、スペインでは「タルゴ」と呼ばれる客車によって何十年も前から実現している。欧州ではほかにも異なる方式の軌間可変車両が開発されており、今回MOBへ導入される車両はスペインの技術とは異なるものだ。日本と欧州の軌間可変車両にはどのような違いがあるのだろうか。 欧州で問題なく実用化されている理由の一つとして、そのほとんどが動力装置を持たない客車である点が挙げられる。日本のFGTは、各台車にモーターなどの駆動装置を搭載する電車方式の車両のため、モーターやギアなどを可変装置の中に組み込まなければならず、台車そのものが複雑な構造となる。各部の耐久性にも問題が生じてくることは想像に難くない。 また、装置が複雑になれば重量も増加し、路盤が弱い日本の在来線で運行した場合、インフラ側のメンテナンス費用にも影響が及ぶおそれがある。車両側、地上側双方に未解決の問題がある状態では、早期の営業運転実現は難しい』、漸くJR九州がFGTを断念した理由が理解できた。これだけの問題があるのであれば、当然の決断だ。
・『日本に比べれば開発は容易  一方、欧州で採用されている軌間可変技術は、スペインの一部の車両を除いて動力装置を持たない客車に採用されており、構造を複雑にする動力装置を搭載しない分、日本のFGTに比べれば開発は難しくないといえる。 スペインでは動力装置を持った軌間可変車両もあるが、同国の場合は標準軌と、より線路幅の広い広軌(1668mm)との変換であるため、装置そのものの搭載スペースを十分確保することができる。日本や今回のスイス・MOBのように、標準軌と狭軌に対応させる場合はスペースに限りがあるため、設計は容易ではない。駆動装置を搭載する電車方式ならなおさらだ。 欧州の鉄道と日本の鉄道は、同じ鉄道ではあっても車両・インフラともに規格が異なるため、単純に比較することはできない。軌間可変車両も同様だ。欧州では一見簡単に成功しているようにも見えるが、日本のFGTは新幹線での高速運転を実現しながら在来線、それも路盤の弱いローカル区間へ直通運転させるという、現状では限りなく困難に近い高度な技術が求められており、それが実現の難しさに結び付いているのである』、日本が技術的に遅れてい訳ではないことを知って、一安心した。

次に、同じ橋爪氏が7月29日付けで同誌に寄稿した「欧州の鉄道「スピード最優先」の時代に終止符 イタリアは時速350km運転を無期限延期」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/231122
・『イタリア交通省と同国の鉄道安全機関ANSFは2018年5月28日、イタリア国内における時速350km運転の無期限延期、およびこの先の速度向上テストの中止を発表した。 イタリア国内における時速350km運転への取り組みは、これまで最新のETR400型(フレッチャロッサ・ミッレ)によって行われてきた。2016年2月にはイタリア国内最高速度記録となる時速393.8kmを記録しており、350km運転の認可を取得するための条件である営業速度+10%(350km×10%=385km)に到達している。 実際、ETR400型は最高速度400km、営業最高速度360kmで設計されており、車両側のスペックとしては、条件を余裕でクリアしている。 しかし交通省およびANSFは、試験走行で技術面と経済面に問題点が浮かび上がったと結論づけている』、「認可を取得するための条件」に到達しながら、商用化を無期限延期とは、思い切った決断だ。
・『時速350km運転はコストに見合わず  技術面においては、高速走行中のすれ違い時に、風圧によって線路のバラスト(敷石)が巻き上げられ、反対方向を走っていた列車に当たり、車体が破損するという事例が発生した。これは軌道がコンクリート製のスラブ軌道ではないことから発生した問題で、その解決にはバラスト飛散防止剤を線路へ塗布しなければならないが、時速350km運転を行う約500kmの区間にわたってこの薬剤を撒くのは、大変な労力とコストが掛かる。 経済面では、たとえば主要区間であるミラノ―ローマ間で350キロ運転を行った場合、現在は2時間55分の所要時間が約10分短縮の2時間45分程度になると試算されているが、前述の薬剤塗布に加え、より多くのエネルギーを消費することから、それらがコストとして跳ね返ってくる』、ミラノ―ローマ間で350キロ運転を行っても、所要時間が僅か約10分しか短縮できないというのは、意外だが、途中停車駅が多いなどの理由があるのかも知れない。
・『鉄道の高速化にはそれ相応のコストが発生するが、そのコストを加味してもなお、高速化への意義があるならば、鉄道会社は惜しむことはなく投資するだろう。しかしイタリアは、高速化によってコストに見合うだけの利益を得ることはできない、と結論づけた。 2018年現在、世界最速の列車を運行するのは中国高速鉄道で、すでに時速350km運転を実現している。中国がなぜ、いち早く350km運転を実現できたのか、それは偶然でもなんでもなく、ある意味当然の結果と言えるかもしれない。 まず、中国は圧倒的に国土が広く、離れた主要都市を結ぶ高速列車は停車駅間の距離も長い。発車と停止の繰り返しが最もエネルギーを消費するので、高速運転を行ううえでは最高速度をどれだけ維持できるかが重要な要素となってくる。欧州ではそもそも主要都市間が何百キロと離れているわけではないため、必然的に時速350kmを維持できる区間が短くなり、メリットがあまりない。その点、中国は国土そのものが高速運転に適した土地だったと言える。 また、中国が高速鉄道建設において後発だった点も、高速化に有利だったと言える。建設された各路線とも、バラスト飛散の心配がないスラブ軌道を全線の90%以上で採用、複線の線路中心間隔も、欧州の多くの国は4.2~4.8mと狭いが、中国では全線で5m間隔となっている。 中国では、さらなる高速化を研究しているようだが、そうなるともう鉄車輪である必要はなくなり、それこそリニアが最適な選択肢の1つとなるのではないか。アメリカもそうだが、リニアは数百キロ程度の短区間を結ぶものではなく、広大な土地があり1000キロ単位の区間を運転することで、その真価を発揮できるのではないだろうか。 中国は上海空港へのアクセス用として、ドイツからトランスラピッド(常電導磁気浮上式リニア)の技術を取得したが、本国ドイツでは実現せず早々に手放したこの技術が、いずれ中国国内の都市間輸送で日の目を見るかもしれない』、中国は確かに高速鉄道に適しているようだが、遠距離であればやがては航空機との競争に晒される筈だ。
・『欧州は今後どうする?  話を欧州へ戻すと、この先欧州の高速鉄道はどのような方向性へ進んでいくのだろうか。 イタリアは当面、時速350km運転計画の無期限延期を表明したが、これを再開するためには、一部に点在するカーブ区間を改良するなど、350kmをある程度維持できるための路線改良が必要となってくるだろう。だが、そのためには土地収用も必要となってくるため、かなりの時間と労力を費やさなければならず、現実問題としては厳しいと言える。 フランスやドイツは、現時点では計画路線の大半が完成に近づきつつあるので、今後、既存路線の改良を行うかどうかが焦点となってくる。 たとえば、フランスの高速新線LGVは、最初に開業した南東線とその次の大西洋線(最初に開業した区間)では複線間隔が4.2mであったが、北線では4.5mに、地中海線以降は4.8mと、後発になるほど間隔が広がっており、複線間隔が広い東ヨーロッパ線では、欧州最速となる時速320km運転が行われている。 ただし、既存路線の高速化については、複線間隔の拡大や線形改良など多岐にわたることから、特に金銭的な面で非現実と言わなければならない』、。
・『高速化一辺倒から方向転換  一方ドイツは、もともと各地方に都市が点在しており、高速化に対する必要性がさほど高くないことから、時速300km以上での運転を行う積極的な理由が見つからない。 現在、同国内で運行される高速列車の多くは最高速度250kmまでの中速列車となっており、ベルリン―ヴォルフスブルク間のように300km運転ができる区間においても、運行は250kmまでとなっている。300km運転が行われているのは、ケルン―フランクフルト間やニュルンベルク―ハレ間など、一部区間のみだ。将来的に、300km以上の速度で運行する可能性はほとんどないと言える。 スペインも、かつて時速350km運転を行うと表明していたが、最近ではまったく聞かれなくなった。スペインの高速鉄道網も建設は一段落し、現在ではフランスとも結ばれたため、今後は在来線との直通運転など、利便性の向上などに注力していくものと思われる。 LCCや高速バスなど、さまざまな交通機関が群雄割拠する欧州。鉄道は、他交通機関とのすみ分けを明確にするなど、高速化一辺倒ではない「鉄道ならではのサービス」を提供できる方向へ転換する時期に来ている』、ケルン―フランクフルト間のような近距離で300km運転をしているというのは、首を傾げざるを得なが、何か理由があるのだろう。欧州では、高速化熱は冷めたようだが、翻って、日本では効果があと1つ不明確なリニアに邁進するJR東海の姿勢には、首を傾げざるを得ない。

第三に、百年コンサルティング代表の鈴木貴博氏が7月6日付けダイヤモンド・オンラインに寄稿した「羽田アクセス線構想の落とし穴、首都圏に鉄道はこれ以上必要か」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/174151
・『羽田空港アクセス線構想が本格化 利便性が向上する一方で課題も  JR東日本が「羽田空港アクセス線」構想の実現へと、本格的に舵を切り始めた。羽田空港アクセス線は、海外からの日本への玄関口を充実させる路線計画として、2020年の東京五輪に向けて検討がなされていたが、その経費負担をめぐって調整が難航し、東京五輪に向けた計画としては、一旦棚上げにされていた』、東京五輪関連経費抑制のあおりを受けたのだろう。
・『今回JR東日本は、2028年の開業を目指して計画の検討を再開することを表明したわけである。この羽田空港アクセス線は、実は興味深い論点を持つ計画なのだが、まず、その構想について簡単に説明しよう。 現在、都心から羽田空港へは、東京モノレール(JR東日本傘下)と京浜急行空港線(京浜急行傘下)の2つの路線が運行している。羽田空港アクセス線構想は、これらの鉄道に代わる第三のアクセス手段をつくる計画だ。 この計画、まず羽田空港のターミナルから約6キロメートル離れたJRの東京貨物ターミナルまで新線を建設する。羽田空港アクセス線はここからJR東日本の既存の線路を使って3方向に分かれる。それは田町駅から東京駅に向かう東山手ルート、りんかい線経由で大崎駅から新宿を経由し埼京線につながる西山手ルート、そして同じりんかい線を東京テレポート経由で新木場までつなぐ臨海部ルートである。 この路線が開通すると、東京駅から羽田空港までは18分(現在は東京モノレール経由で28分)、新宿駅から羽田空港までは23分(現在は京浜急行経由で41分)、新木場駅から羽田空港へは20分(現在は東京モノレール経由で41分)と、いずれも羽田空港へのアクセスが飛躍的によくなると期待されている。 さて、「アクセスがよくなるのだから、基本的に歓迎すべきこと」でよいのだろうか。鉄道の新線計画においては、いくつか考えなければいけないことがある。順に説明していこう。 鉄道事業は、そもそも公益事業に位置付けられている。私鉄も含め鉄道会社が完全な営利企業になってしまうと、採算の悪い路線や駅を安易に閉鎖してしまうなど、人々の足をなくしてしまうような事態が起きかねない。だから、鉄道の開業や運賃設定は国がコントロールしているし、鉄道会社の経営に関してもきちんと監督している』、当然のことだ。
・『複雑多岐にわたる首都圏の鉄道網 これから新線をつくる3つの意義  では、その前提で考えると、鉄道の新線の建設にはどのような意義があるのだろうか。大きく分けて3つの意義がある。その観点で費用対効果が高ければ、新線建設は「是」と考えることができる。 1つ目は、その新線建設によって新たな、そして大きな経済効果が上がるという意義だ。最近のわかりやすい事例では、北陸新幹線の開通で金沢や軽井沢といった観光地への人の流れが、以前よりも格段に活発化したことが挙げられる。 2つ目に、時間短縮の効果が大きいという意義がある。2015年に上野東京ラインが開通したが、路線としては特に新駅ができたわけではない。しかし東海道本線と東北本線、高崎線、常磐線が相互直通運転することで、乗り換え時間が不要になった。時間短縮としてはわずかな時間だとしても、毎日乗り入れる数百万人の足という観点で延べ時間を考えると、これも経済効果としては大きいものがある。 3つ目は、首都圏のような場所でネットワーク効果が向上するという意義だ。東京の中心部の場合、JRと東京メトロ、都営地下鉄が網の目のようにネットワークを結んでおり、その結果、同じ場所に行く場合でも複数の経路をオプションとして持つことができる。混雑も分散するし、たとえば列車事故などによる運休時でも他のネットワークを経由することで、それほど大きな混乱に遭わずに目的地へ辿り着けることが、ネットワーク効果の意義である。 余談だが、ネットワークというものは便利を追求し過ぎると、人間がついていけなくなるという欠点はある。最近の複雑多岐にわたる地下鉄の乗り入れ問題は、そのような新しい課題を生み出し始めている。 たとえば事故の際に、連鎖運休が起きる問題が発生するし、渋谷駅や池袋駅のようにJRとメトロ、私鉄の乗り換えの仕方が素人にはよくわからないという鉄道網のユーザビリティの問題も、ネットワーク過剰における課題の1つである。とはいえ、ネットワーク過剰自体は利便性の副産物のようなものなので、あえて目くじらを立てるような問題ではないと私は考えている。 そもそも今回話題にしている羽田空港アクセス線の場合、2つ目と3つ目の意義を考えると、公益事業として新線を建設する意義は大いにありそうだ。では、課題はないのか。 実は私は、羽田空港アクセス線構想について、1つ気になっていることがある。それは、この路線が開通すると羽田空港アクセス線が東京モノレール、京浜急行羽田線と比べて、あまりにも「ひとり勝ち」してしまうのではないか、という懸念だ。 つまり東京駅方面からも、新宿・渋谷駅方面からも、千葉方面からも、埼玉方面からも、茨城方面からも、羽田空港アクセス線が一番便利な鉄道路線になる。しかも横浜方面から見ても、大井町で乗り換えて羽田に向かうほうが、京浜急行から蒲田駅経由で羽田に向かうよりも、便利になる可能性がある。 一方で、従来路線である東京モノレールと京浜急行羽田線については、公益事業であるから、赤字路線になったとしても路線を簡単には廃止できない。それはそうだろう。「大井競馬場前」や「昭和島」、「大鳥居」や「穴守稲荷」近辺の住民が困ってしまうからだ。 とはいえ、もう一方で鉄道会社は赤字路線をそのまま運営することもしない。だからダイヤの本数を減らすことでコストを下げながら、路線を維持することになるだろう。東京モノレールと京浜急行羽田線という、これまで堅調に利益を上げてきた路線が、事業縮小へと向かう恐れがあるのだ』、東京モノレールはJR東日本傘下なので、問題は比較的少ないとしても、京浜急行羽田線にとっては大問題だろう。
・『羽田空港を取り巻く「ゼロサムゲーム」の行方  結局のところ、羽田空港アクセス線の開通とは、その生み出す利益が、空港からのアクセスの利便性を他の手段から奪うことで実現されるという「ゼロサムゲーム」なのかもしれない。そう考えると、企業としてのJR東日本にとっては問題のない計画ではあるものの、税金の一部も投入される公益事業としては、全く問題がないとは言えなそうだ。他の路線から奪ってくる収益は除いた上で、実質的にどれほどの経済効果があるのかということが、私には少しだけ気になるのだ。 実はこれ、今後の首都圏における全ての新線に関わる問題である。これだけ便利になった首都圏で、まだいくつもの新線計画が温められている。果たしてそれは「ゼロサムゲーム」以上に意義があることなのかどうか。今後の首都圏の鉄道計画には新しい尺度が必要になるのかもしれない』、その通りだろう。

第四に、10月2日付けダイヤモンド・オンライン「新幹線の手荷物検査、「51%超が導入賛成」なのにJR東海が拒否する理由」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/181015
・『17年末までに防犯カメラ設置も 繰り返される悲劇  ・・・「8月、JR東海は「不測の事態に対する現場の教育訓練」の様子を公開した。実際の新幹線車両を使ってのデモンストレーションには、乗務員や警備員のみならず、鉄道警察まで参加する力の入れようだ。 新幹線の安全神話を崩す事件が相次いでいる。2015年には東海道新幹線の車内で男が焼身自殺を図り、火災が発生。今年6月には男が刃物を振り回す無差別殺人事件が起きた。1993年にのぞみ車内で覚せい剤常用者による刺殺事件が起きて以来の大惨事だ。 JR東海は焼身自殺事件を受けて、17年末までに全編成の9割に防犯カメラを設置したが、抑止力にはならず悲劇は繰り返された』、防犯カメラはそれを責任をもってきちんとモニターする体制があってこそ、有効だが、そのような体制なしにいくら設置したところで、効果は知れている。
・『51.2%が新幹線で手荷物検査導入賛成  抜本的な保安対策として、手荷物検査の是非が問われている。欧州の一部でも検査が実施されているし、中国の高速鉄道では検査どころか身分証の提示まで求められる。JR東海は「乗客の利便性を損なう」(金子慎社長)ことを理由に検査をかたくなに拒否しており、導入の検討すらされていない。 確かに、JR東海の言い分は一面では正しい。利用者アンケートでも、半数以上が「検査を導入すべき」としながらも、その大半が許容できる検査時間は10分だ。 東海道新幹線の強みは、1編成で1300人を運べる大量輸送と定時運行だ。この強みを発揮させた効率運行は、乗客の便益であると同時にJR東海の利益の源泉でもある。検査の実施は、効率運行で稼ぐ新幹線のビジネスモデルを崩壊させるインパクトがあるのだ』、「乗客の利便性を損なう」との理由で一蹴するJR東海の姿勢はどうかと思う。公共輸送機関として利便性以上に重視すべき、安全性について触れられてないのは、大問題だ。
・『新幹線で手荷物検査を導入すべき  検査の可否は、リニア中央新幹線でも試されることになろう。「リニアは品川も名古屋も新駅。検査スペースが確保できないことが導入不可の理由にはならない」(木村嘉男・元JTB時刻表編集長)からだ。仮にリニアで検査を実施すれば、スピードで飛行機を追い越すはずだった夢がついえてしまう。 しかし、である。一連の事件を通して新幹線の安全対策には抜け穴があることを、世界中に知らしめてしまった事実は重い。世界から注目されるリニアは、テロリストの格好の標的になり得るだろう』、「仮にリニアで検査を実施すれば、スピードで飛行機を追い越すはずだった夢がついえてしまう」としても、少なくともリニアでは、手荷物検査を導入すべきだろう。
・『飛行機は「テロに強い空港」目指して対策強化中  遅々として進まない新幹線のセキュリティー対策を尻目に、飛行機は国際線事業で培った保安対策を国内線にも導入し、先を行く。さらに東京五輪に向けて国と空港、航空会社、そして検査受託会社が一体となり「テロに強い空港」を目指して対策を強化中だ。 例えばボディースキャナーや高性能X線検査装置、爆発物検査装置など先進的な機器は、床の耐荷重工事も含めて最大で1台数億円もの投資になるが、国による補助も追い風となり導入が進む。 ANAは独自の手法で検査の時短化に取り組んでいる。従来、保安検査員が搭乗券確認と検査の二つをしていたが、ANAスタッフを増員し検査場のレイアウトを変更することで、時間短縮につながった(下図参照)。 飛行機は航空法で保安検査の実施が定められている。検査を通過した乗客や荷物を業界用語で「クリーン」というが、新幹線との最大の違いは航空会社がクリーンに対して責任を負っていることだ。保安強化と時間短縮の両方で改善を重ねることが、結果的に顧客満足度を上げることになる』、新幹線やリニアで事故が起こってからでは遅い。安全のためには、利便性の犠牲もやむを得ないと割り切るべきだろう。
タグ:鉄道 (その4)(欧州の「フリーゲージ」はなぜ成功しているか 日本のFGTは技術的難易度が高すぎる、欧州の鉄道「スピード最優先」の時代に終止符 イタリアは時速350km運転を無期限延期、羽田アクセス線構想の落とし穴 首都圏に鉄道はこれ以上必要か、新幹線の手荷物検査 「51%超が導入賛成」なのにJR東海が拒否する理由) 橋爪 智之 東洋経済オンライン 「欧州の「フリーゲージ」はなぜ成功しているか 日本のFGTは技術的難易度が高すぎる」 スイスの私鉄、モントルー・オーベルラン・ベルノワ鉄道 フリーゲージトレイン 軌間可変装置 スペインのタルゴ社によって実用化 今回は同社製品ではなく 「ゴールデンパス・パノラミック」が同鉄道最大の目玉 1000mmの狭軌路線 他路線へ乗り入れできない 必ず乗り換えが必要 乗り換えが不便とみなされ、敬遠されている 「氷河急行」と比較すると、ゴールデンパス・パノラミックはいまいち知名度が上がらない 2020年末には営業運転 軌間可変装置を搭載するのは客車だけで、機関車はMOB、およびBLSがそれぞれの軌間のものを用意し 日本でもフリーゲージトレイン(FGT) 開発が思うように進んでいないことに加え、車両維持費が通常車両よりかなり高額となるため、長崎新幹線への導入を予定していたJR九州は運営が困難であると表明 日本のFGTは、各台車にモーターなどの駆動装置を搭載する電車方式の車両のため、モーターやギアなどを可変装置の中に組み込まなければならず、台車そのものが複雑な構造となる。各部の耐久性にも問題が生じてくることは想像に難くない 装置が複雑になれば重量も増加し、路盤が弱い日本の在来線で運行した場合、インフラ側のメンテナンス費用にも影響が及ぶおそれがある 日本に比べれば開発は容易 スペイン 標準軌と、より線路幅の広い広軌(1668mm)との変換であるため、装置そのものの搭載スペースを十分確保することができる 「欧州の鉄道「スピード最優先」の時代に終止符 イタリアは時速350km運転を無期限延期」 イタリア国内における時速350km運転の無期限延期、およびこの先の速度向上テストの中止を発表 イタリア国内最高速度記録となる時速393.8kmを記録しており、350km運転の認可を取得するための条件である営業速度+10%(350km×10%=385km)に到達 交通省およびANSFは、試験走行で技術面と経済面に問題点が浮かび上がったと結論づけている 時速350km運転はコストに見合わず 技術面においては、高速走行中のすれ違い時に、風圧によって線路のバラスト(敷石)が巻き上げられ、反対方向を走っていた列車に当たり、車体が破損するという事例が発生 軌道がコンクリート製のスラブ軌道ではないことから発生した問題 経済面 ミラノ―ローマ間で350キロ運転を行った場合、現在は2時間55分の所要時間が約10分短縮の2時間45分程度になると試算 イタリアは、高速化によってコストに見合うだけの利益を得ることはできない、と結論づけた 中国高速鉄道で、すでに時速350km運転を実現 倒的に国土が広く、離れた主要都市を結ぶ高速列車は停車駅間の距離も長い。発車と停止の繰り返しが最もエネルギーを消費するので、高速運転を行ううえでは最高速度をどれだけ維持できるかが重要な要素となってくる 欧州ではそもそも主要都市間が何百キロと離れているわけではないため、必然的に時速350kmを維持できる区間が短くなり、メリットがあまりない 上海空港へのアクセス用 トランスラピッド 本国ドイツでは実現せず早々に手放したこの技術が、いずれ中国国内の都市間輸送で日の目を見るかもしれない フランスやドイツは、現時点では計画路線の大半が完成に近づきつつあるので、今後、既存路線の改良を行うかどうかが焦点 高速化一辺倒から方向転換 スペインも、かつて時速350km運転を行うと表明していたが、最近ではまったく聞かれなくなった 鈴木貴博 ダイヤモンド・オンライン 「羽田アクセス線構想の落とし穴、首都圏に鉄道はこれ以上必要か」 JR東日本 羽田空港アクセス線 2028年の開業を目指して計画の検討を再開 羽田空港のターミナルから約6キロメートル離れたJRの東京貨物ターミナルまで新線を建設する。羽田空港アクセス線はここからJR東日本の既存の線路を使って3方向に分かれる 東山手ルート 西山手ルート 臨海部ルート 東京駅から羽田空港までは18分(現在は東京モノレール経由で28分)、新宿駅から羽田空港までは23分(現在は京浜急行経由で41分)、新木場駅から羽田空港へは20分(現在は東京モノレール経由で41分)と、いずれも羽田空港へのアクセスが飛躍的によくなると期待 鉄道事業は、そもそも公益事業 鉄道の開業や運賃設定は国がコントロールしているし、鉄道会社の経営に関してもきちんと監督 複雑多岐にわたる首都圏の鉄道網 これから新線をつくる3つの意義 この路線が開通すると羽田空港アクセス線が東京モノレール、京浜急行羽田線と比べて、あまりにも「ひとり勝ち」してしまうのではないか、という懸念だ 羽田空港を取り巻く「ゼロサムゲーム」の行方 他の路線から奪ってくる収益は除いた上で、実質的にどれほどの経済効果があるのか 「新幹線の手荷物検査、「51%超が導入賛成」なのにJR東海が拒否する理由」 新幹線の安全神話を崩す事件が相次いでいる 51.2%が新幹線で手荷物検査導入賛成 JR東海は「乗客の利便性を損なう」(金子慎社長)ことを理由に検査をかたくなに拒否 公共輸送機関として利便性以上に重視すべき、安全性について触れられてないのは、大問題だ 新幹線で手荷物検査を導入すべき 飛行機は「テロに強い空港」目指して対策強化中 新幹線やリニアで事故が起こってからでは遅い。安全のためには、利便性の犠牲もやむを得ないと割り切るべきだろう
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日中関係(その3)(小田嶋氏:安倍首相の静かな訪中と読書録、本の紹介:中国人の「面子」と『ドラゴンボール』の世界) [外交]

昨日に続いて、日中関係(その3)(小田嶋氏:安倍首相の静かな訪中と読書録、本の紹介:中国人の「面子」と『ドラゴンボール』の世界)を取上げよう。

コラムニストの小田嶋 隆氏が11月2日付け日経ビジネスオンラインに寄稿した「安倍首相の静かな訪中と読書録」を紹介しよう。
https://business.nikkeibp.co.jp/atcl/opinion/15/174784/110100165/?P=1
・『安倍晋三首相が中国を訪問した。 様々なメディアのそれぞれの立場の書き手やコメンテーターが、何度も繰り返し強調している通り、日本の首相が中国を訪問するのは、実に7年ぶりのことだ。これは、安倍さん自身が、現政権では一度も中国に足を踏み入れていなかったことを意味している。してみると、今回の訪中は、私たちが思っている以上に重大な転機であったのかもしれない。 産経新聞は、《安倍晋三首相は平成24年12月の首相再登板以降の約6年間で延べ149カ国・地域を訪れたが、中国に2国間の枠組みで赴くのは今回が初めてだ。---略---》という書き方で今回の訪中の意義を強調している。 今回は、中国の話をする。 というよりも、ありていに言えば、中国についての面白い本を読んだので、その本の感想を書きたいということだ。 冒頭で安倍訪中の話題を振ったのは、前振りみたいなものだと思ってもらって良い。 いずれにせよ、今回の訪中に関して多言するつもりはない。 個人的には、なにはともあれ、先方に足を運んだことだけでも大手柄だったと思っている。というのも、中国に関しては、とにかく、こちらから顔を出すことが何よりも大切だと、前々からそう思っていたからだ』、「朝貢」の伝統があるからなのだろうか。
・『彼の地でどんな話をして何を約束するのかといったようなことも、もちろん重要だが、それ以前に、とにかく行って顔つなぎをしてくることに意味がある。まずは、自身の訪中という困難な決断を果たした安倍さんに敬意を表したいと思う。 ところが、世間の評価は意外なほど冷淡だ。少なくとも私の目にはそう見える。 ここで言う「冷淡」というのは、「評価が低い」というのとは少し違う。扱いが小さいというのか、思いのほか大きな話題になっていないことを指している。 実際、ニュース枠のトップ項目の中では、安田純平さんの帰国の話題の方がずっと扱いが大きかった。 不思議だ。どうして安倍訪中は軽視されているのだろうか。 私自身は、「対中国包囲網」であるとか「地球儀俯瞰外交」みたいな言葉を使って、しきりに中国への警戒心や対抗心を煽ってきたように見える安倍さんが、ここへ来て一転自ら協調路線に踏み出したことには、大きな歴史的転換点としての意味があると思っている。であるからして、今回のニュースについては、さぞや各方面で侃々諤々の議論が展開されるに違いないと考えていた。 ところ意外や意外、主要メディアの扱いは、いずれもさして大きくない。蜂の巣をつついたような騒ぎになるはずだったネット界隈も静まり返っている。 なんとも不気味な静けさだ。 日中関係の専門家や外交に詳しい人たちは、今回の首脳会談の成果を、現時点で軽々に判断してはいけない、というふうに考えているのかもしれない。それはそれで、おおいにありそうなことだ。実際、会ったということ以上の具体的な話は、何もはじまっていないわけだから。 でも、それにしても、一般の人たちの反応の乏しさは、これはいったいどうしたことなのだろうか。 以下、私の勝手な推理を書いておく。 安倍さんの政治姿勢を評価しない一派の多くは、安倍政権のこれまでの対中強硬策に強く反対していた人々でもある。とすれば、彼らはこの度の訪中を評価しても良さそうなものなのだが、そこはそれで、反安倍の人たちは、心情的に安倍さんを素直に褒めることはしたくないのだろう。 一方、安倍さんのシンパを自認する人たちは、同時に中国との安易な友好路線を拒絶している面々でもある。 とすれば、今回の安倍さんの訪中は彼らにとって裏切りに近い態度であるはずで、当然、反発せねばならないところなのだが、ここにおいてもやはりそこはそれで、安倍支持者は、たとえ安倍さんが自分たちの意に沿わぬ動き方をしたのであっても、それを即座に指弾するようなリアクションは避けたいのであろう。 てなわけで、アンチとシンパの双方が微妙に口ごもっている中で、メディアや専門家もとりあえず様子見をしているというのがおそらく現状ではあるわけで、してみると、この訪中の評価は、なお半年ほど先行きを見ないと定まらないのだろう。 ということで、この件はおしまいにする』、「アンチとシンパの双方が微妙に口ごもっている」とはなかなか上手い表現だ。
・『私が読んだ本というのは、『スッキリ中国論 スジの日本、量の中国』(田中信彦著:日経BP社刊)というタイトルの、この10月に出たばかりの書籍だ。「スジの日本、量の中国」というサブタイトルが示唆している通り、ものごとを「スジ」すなわち「理屈」や「筋道」、「原理」「建前」から読み解いて判断しようとする日本人と、「量」すなわち「効果」「現実的影響力」「実効性」を重視する中国人との間に起こる行き違いやトラブルを、豊富なエピソードを通じて考証した好著だ。 これまで、中国の歴史や文化、ないしは政治的・経済的な交渉相手としての重要さについて書かれた書物はたくさんあったし、その中には必読の名著も数多い。ただ、「中国人」という生身の人間を題材にした書物で、これほど画期的な本はなかなか見つからないと思う。 善悪や好き嫌いの基準は別にして、市井の一人ひとりの中国人の内心を誰はばかることなく明らかにした本書は、この先、日中両国がのっぴきならない隣国として交流するにあたって、必ず座右に置くべき書籍となるはずだと確信する』、いつもは謝に構えて冷静な小田島氏にしては、珍しい褒め方だ。
・『『スッキリ中国論』は、冒頭で触れた安倍さんの訪中を機会に、なにかの参考になればと思ってパラパラとめくってみた本のうちの一冊だった。で、これが、実に目からウロコの書籍だった。それでこの原稿を書いている。 もっとも、本文中の記事のうちのいくつかは、ウェブ上に記事としてアップされた時点ですでに読んでいるものだった。 書いてある内容についても、すべてがこちらの予断に無い新鮮な知見だったわけではない。前々からなんとなくそう思っていたことが言語化されていたという感じの記述もあれば、ほかの誰かから聞いていたのと似たエピソードもある。 ただ、こうして一冊の書籍という形でひとまとめに読了してみると、個々のエピソードを知ったときとは、まったく別の印象が立ち上がってくる。 なんというのか、バラバラに見えていた挿話がひとつにつながって、巨大な物語が動き出す驚きを味わうことができる。自分の中で、長い間打ち捨てられていたいくつかの小さな疑問が、「そういうことか」と、いきなり生命を得て動き出した感じと言えば良いのか、とにかく、上質のミステリーの謎解き部分を読んだ時の爽快感を久しぶりに思い出した』、ここまで推奨されると、読んでみたくなる。
・『私の世代の者は、もともと中国と縁が深い。 というのも少年期から青年期がそのまま高度成長期で、さらにバブル期が働き盛りとぴったりカブっていた世代であるわたくしども1950~60年代生まれの人間は、中国出張を命じられることの多いビジネスマンでもあれば、取引の相手として中国人とやりとりせねばならない個人事業主でもあったからだ。 じっさい、自分の同世代には、「中国通」が少なくない。 直接の知り合いの中にも、中国人と結婚することになったケースを含めて、中国に5年駐在した記者や、中国各地を訪問して工場の移転候補地を探して歩いた経歴を持つ男や、一年のうちの2カ月ほどを中国各地で過ごす生活をこの10年ほど繰り返している嘱託社員などなど、中国と深いつながりを持っている人々がいる。 それらの「中国通」たる彼らから、これまで、幾度となく聞かされてきた不可思議なエピソードや謎の体験談に、このたび、はじめて納得のいく解答をもたらしてくれたのが、本書ということになる』、なるほど。
・『何年か前に、あるメディアが用意してくれた枠組みで中国から来て30年になるという大学教授の女性に話をうかがう機会があった。 その時に彼女が言っていた話で印象的だったのは、「日本人の中国観は良い意味でも悪い意味でも誇張されている」「しかも、その中国観は驚くほど一貫していない」「理由は、日本人の中国観が、多くの場合、その日本人が交流している特定の中国人に影響されているからで、しかも、その当の中国人は、立場の上下や貧富の別によってまるで別の人格になり得る人々だからだ」ということだった。 つまり、どういうカウンターパートと付き合っているのかによって、日本人の中国人観はまったく違うものになるということらしい。 上司が中国人である場合と部下が中国人である場合は話が逆になるし、貧しい中国人と付き合うことと富裕層の中国人との交流も別世界の経験になる。 であるから、ボスとしてふるまう時の中国人と部下として仕える中国人を同じ基準で考えるのは間違いだということでもあれば、中国人の金銭感覚は、貧乏な中国人と金持ちの中国人の両方を知ったうえでないと把握できないということにもなる』、これは、多かれ少なかれ、どこの国でもあ得る話だ。
・『この話を聞いたときに、少しだけ謎が解けた気がした。 というのも、それまで、私が中国人について聞かされる話は、どれもこれも白髪三千丈のバカ話にしか聞こえなかったからだ。 「要するに彼らは◯◯だからね」という断言の、◯◯の部分には、様々な言葉が代入される。 「ケチ」「いいかげん」「自分本位」「忘れっぽい」「やくざ」などなどだ。 かといって、その種の断言を振り回している人間が、必ずしも中国人を憎んでいるわけでもないところがまた面白いところで、中国通の人々は、中国人を散々にケナし倒しながら、それでいて彼らに深い愛情を抱いていたりする。そこのところが、私にはいまひとつよくわからなかったわけなのだが、とにかく、大学教授氏の話をうかがって、われわれが聞かされる「中国人話」の素っ頓狂さの理由の一部が理解できたということだ。 つまり、「中国人は、われわれの想像を超えて振れ幅の大きい人たちで、しかもその振れ幅は、個々人の持ち前の人格そのものよりは、相互の立ち位置や関係性を反映している」ということだ。 とはいえ、そう説明されてもわからない部分はわからない。「まあ、実際に中国で3年暮らさないとわからないんじゃないかな」と、中国通は、そういうことを言う。 私にはそういう時間はない。ということは、オレには、あの国の人たちのアタマの中身は一生涯理解できないのだろうか、と思っていた矢先に読んだのが、『スッキリ中国論』だ。 この本を読んで、そのあたりのモヤモヤのかなり大きな部分がスッキリと晴れ渡る感覚を抱いた』、ますます読んでみたくなった。
・『たとえば本書で紹介されているエピソードにこんな話がある。《2018年1月、成田空港で日本のLCC(ローコスト航空会社)の上海行きの便が到着地の悪天候で出発できず、乗客が成田空港で夜通し足止めされるという事態が発生した。航空会社の対応に一部の乗客が反発、係員と小競り合いになり、1人が警察に逮捕された。そこで乗客たちは集団で中国国歌「義勇軍行進曲」を歌って抗議した。》(スッキリ中国論 P098より) この奇妙な事件の小さな記事は、私も当時何かで見かけて不可解に思ったことを覚えている。「どうしてここで義勇軍行進曲が出てくるんだ?」と思ったからだ。私の抱いていた印象では、中国人は、海外で国歌を歌う人々ではなかった。であるから、成田での彼らの国歌斉唱は、どうにも場違いでもあれば筋違いにも思えて、つまるところ薄気味が悪かった。 で、この小さな事件は、私の中では不気味な謎のまま忘れられようとしていたのだが、本書での説明を得てはじめて得心した。 本文にはこうある。《空港で国歌を歌った中国の人々が言いたかったのは、「われわれ中国国民の安全で快適な旅行を保証するのは中国の統治者の責任である。その中には航空会社や外国の政府に圧力をかけて必要な措置を提供させることも含む。それをただちに実行せよ」ということである。クレームの相手は中国政府なのだ。》 なんとも、日本で暮らしている当たり前の日本人であるわれわれには到底了解不能な思考回路ではないか。 こういうことは、実際に中国人と日常的にやりとりしている人間でなければわからない』、「クレームの相手は中国政府」なのに、成田空港で歌うとは私も了解不能だ。
・『この国歌のエピソードだけではない、本書では、中国の人々の自我のあり方や、社会と個人の関係についての考え方、あるいは、為政者への期待や秩序感覚といった、ひとつひとつ順序立てて説明されなければ到底理解のおよばない話が、実例つきで紹介されている。 さまざまな意味で、勉強になる本だと思う。 安倍さんにもぜひ読んでほしい。 あるいは、今回の訪中で伝えられている言動を見るに、すでに読んでおられるのかもしれない。 いずれにせよ、今回、安倍さんがとりあえず習近平氏の面子を立てておく選択肢を選んだことは事実で、してみると、首相の周辺には、優秀なアドバイザーがいるのだろう。 不愉快な助言をもたらすアドバイザーを大切にしてほしい。 これは私からの助言だ』、同感である。

次に、上記の本について、著者のコンサルタント BHCCパートナーの田中 信彦氏が11月5日付け日経ビジネスオンラインに寄稿した「中国人の「面子」と『ドラゴンボール』の世界 「スカウター」のように相手の「強さ」を読み合う」を紹介しよう。
https://business.nikkeibp.co.jp/atcl/opinion/16/041100064/103100011/?P=1
・『今回は、単行本『スッキリ中国論 スジの日本、量の中国』の中から「面子(メンツ)」について触れた部分を、ウェブ用に編集してお送りします。中国人を理解する上で重要な概念の「面子」ですが、日本にも同じ単語があるために、正確に理解することがかえって難しい概念かもしれません。コメント欄でも触れていただいた方がいました。「スジと量」で、面子を読み解くとどうなるでしょうか』、興味深そうだ。
・『『スッキリ中国論 スジの日本、量の中国』  「中国人と言えば『面子(メンツ)』を大事にするそうだ。面子と『量』はどのように関係しているのか?」 中国社会を知り、日本社会と比較するフレームとして「量」と「スジ」をご紹介してきたが、こんな疑問を抱いた方もいるだろう。「中国人が面子を重視する」ことはよく言われるし、まったくその通りで、彼らを理解するキーワードでもある。そして、その底にはやはり「量」の思考が存在する。だが、「量」の話をする前に、まず「面子」について詳しく説明しておこう。日本で言う「メンツ」とは意味がかなり異なるからである』、どう異なるのだろう。
・『日本語の「面子」とは意味も重さも違う  中国語でよく使われる言い回しに「面子が大きい 」という言い方がある。 「あの人は本当に面子が大きいね」とか「私は彼ほど面子が大きくないから……」といった使い方をする。 「面子が大きい」という言い方は日本語ではなじみがないが、要するにこれはその人の「問題解決能力が高い」ことを意味する。つまり「他の人にはできないことが、その人にはできる」ことである。 例えば、普通ではなかなか入れないような幼稚園や学校に、その人に頼むと、(さまざまな方法で人を動かして)何とか入れてしまう。正面からのルートではとても会えないような著名人に、その人に頼めば面会できてしまう。そういったようなケースで、「あの人は面子が大きい」ということになる。もっと生臭い話でいえば、正式には競争入札によって受注企業が決まるはずなのに、「面子の大きい」人に頼めば有利に取り計らってもらえるとか、有利な条件で国の持つ土地の使用権を譲ってもらえるとか、そういったことも当然、含まれる。 これは(日本人が好む)「スジ」的に言えば「なんといい加減な社会だ、不公平だ」ということになるのだが、よい悪いではなく、現状がそうなのだから止むを得ない。普通の人々に広く適用されているルールや常識的な相場観のようなものが存在するにもかかわらず、その人物が出てくると、その枠を飛び超えて、異例な取り計らいが実現してしまうような人が「面子の大きい人」である』、日本社会では余りないことなので、ここまで説明されて漸く納得できた。
・『「誰よりも優れている」という、最大級の褒め言葉  中国社会において、このような「面子の大きい人」は極めて便利で、かつ大きな利益をあげられる可能性を持つ。それは時として便利や利益というレベルを超え、自分や家族の安全すら確保してくれる人である可能性がある。 だから普通の中国人にとって、「面子の大きい人」とは、非常に頼りになる、どうにかしてお近づきになりたい人である。というより、「面子の大きい」人が近くにいないと安全・快適な生活を実現するのは難しい。だから「あの人は面子が大きい」という表現は、中国社会では最大級の褒め言葉である。周囲から尊敬と羨望のまなざしで見られる人物を意味する。そして誰もが自分も何とか自分の面子を大きくしたいと考える。「面子が大きい」と世間から言われるような人になりたい、と思うのである。 このように考えてくると、中国社会における面子の本質とは、その人が「他人には不可能なことができることが明らかになる」とか、その人が「他人より優れていることを周囲の人が認める」“状態”であることがわかる。 周囲は「あの人は他の誰にもできないことができる。すごい人だ」と称賛する。本人は「自分は他の人にはできないことができる。自分は他人より優れている」と周囲から認められ、自尊心が満たされる。こういう状態が中国人にとっての、日本語で言う「面子が立っている」状態である。逆に「面子がない」「面子がつぶれる」状況とは、「自分は他人より優れていない」ことが公衆の面前で実証されてしまう事態を指す』、なるほど。
・『ルールや組織といった「スジ」が頼りにならず、「面子の大きい」人や権力者の腹一つで状況がいかようにも変化するサバイバル社会で、中国の人々は自らの力を恃(たの)んで生きている。 そこでは常に「自分は大丈夫だ。やっていけるのだ」という自信、言ってみればある種の自己暗示のようなものが不可欠である。根拠は少々薄弱でも、「自分は他人より優れている。大丈夫、勝てる」と自らに常に言い聞かせているようなところがある。 これは想像だが、おそらく日本の社会でも自営業の皆さんやプロスポーツ選手、芸能人、職人さんなど、自分の腕一本で世の中を渡っている人たちは似たようなマインドを持っているのではないかと思う(私も自営業だ)。「自分のようなものはダメかもしれない」などと思っていたら、とても競争に挑んでいくことができない』、確かに、その通りだろう。
・『「量」の思考法が強いる、他人との比較  さて、この面子と「量」の思考はどのような関係にあるのか。 「量」で考える基本思想について、この連載の冒頭でこう述べた。 「(中国人は)『あるべきか、どうか』の議論以前に、『現実にあるのか、ないのか』『どれだけあるのか』という『量』を重視する傾向が強い」 量とは、大きさや重さ、多さ、高さを測る言葉だが、それは「強さ」と言い換えることもできる。大きいものは強い。そして、「量」を判断の基本に置くということは「現実に、目の前の相手より、自分は強いのか、弱いのか」を、常に意識しながら生きていく、ということでもある。ここで面子と「量」がつながる。 別の言い方をしよう。中国人は、誰かと向き合った時、人の「個性の差」よりも、相手との「力関係」を意識する傾向が強い。例えば、日本社会では「貧しいけれども立派な人」「貧乏だけど希有(けう)な趣味人」といった概念はごく普通に成り立ち得る。人には個性があるもので、みんな違う。その「違い」を認識することが人間関係の前提になっている。 しかし中国社会では、事の当否は別として、お金持ちか否か、権力・権限を持つ人かどうか、社会的な影響力を持つ(自分の意見を通せる)人物かどうか、そういった、その人物の「大きさ」「力の強さ」を重視する傾向が強い。つまり周囲との関係を「違い」ではなく「上下」「強弱」で、言ってしまえば「闘ったら勝つか負けるか」の価値観で理解する傾向が強いということだ。面子は、その強弱、勝ち負けそのものを指す概念と言っていい。いわば「量の勝負」=面子、なのである。 だから、中国社会の面子は非常に重い意味をもつ。 日本人にとっては「面子が立たない」という言葉は、ちょっと無礼なことをされたくらいの感覚で、そこに「上下」「勝負」の要素はあまりない。だが、中国人にとっての「面子」は、自分という人間が人格を肯定されるか否定されるか、くらいの意味をもつ。ここを軽く見てはいけない。「面子を立てるなんて簡単だ、失礼がなければいいんだろう」程度の気持ちでいると、相手のプライドを深いところで傷つけてしまいかねない』、中国人との付き合いは日本人にとっては、ひどく「疲れる」もののようだ。
・『「量で比較する」ことが発想や行動を強く支配するゆえに、「面子」が絡むと対人関係が「勝ち負け」になってしまう。これは中国社会のモチベーションの源泉であると同時に大きな問題でもある。 大小、上下、高低、強弱、言い方はさまざまあるが、詰まるところ評価の軸が事実上、1本しかない。そこで勝てればいいが、負けることは耐えがたく、許されない。やや極端に言うと、社会的な評価方法にバラエティが乏しく、誰もがステレオタイプの基準で相手を判断しようとする。皆が「相手に見くびられたら商売にならない」と思っていて、かく言う私も中国で暮らしている間に、そういう考え方にかなり強い影響を受けていることを自覚するようになった』、「評価の軸が事実上、1本しかない」とは、自分としては住みたくない社会だ。
・『国民全員独立自営、全ては人と人の相対取引  日本でも自営業の皆さんやスポーツ選手、職人さんの世界の発想はこれに近いものがあるかもしれないと書いたが、要は中国人は全14億の国民が、全て独立自営で生きている、くらいに思った方がいい。本人が実際には企業や政府機関などの組織に所属していようが、現実には全部、個人間の相対(あいたい)取引=人vs人の勝負、なのである。 そこではまずお互いが「自分のほうが強い」とツッパリ合い、双方が値踏みし合う。その段階では笑顔も見せず、決して譲らない。しかし中国人は、会話や態度の端々から、素早く「(腕っぷしではなく、先の『面子の大きさ』を比較して)どちらが強いか」を察知する。「こいつとケンカして勝てるのか、勝ったとして得なのか」をお互いが瞬時に判断し、どちらか、もしくは双方がほぼ同時に矛を収める。その感覚は非常に鋭敏である。というのは、本当は相手の方が「強い」のに、読み誤って下手に突っ張ったら、とんでもないことになるからだ。 非常に疲れる話ではあるが、これはある意味、非常に割り切ったサバイバルのための知恵でもある。世界のどの社会でも、弱者を保護するタテマエやそのための仕組みは存在しているが、突き詰めて言えば「強いほうが強い」のが現実だ。そして、負けるのは嫌だといっても、誰もが世界一強くなれるわけはない。常にケンカし続ける訳にもいかない。 だから結局のところは、強者と弱者の間に一定の均衡が生まれて妥協が成立する。弱者は自分が弱者であることを暗黙に認めるが、一定の尊厳は与えられる。強者は利益を得るが、(相手が自分のことを尊重する限り)弱者に一定の配慮をして、叩き潰すことはしない。相手に利用価値があれば、優遇さえもする。そして何事も「誰が最高権力者なのか」という問題が決着しないと話が始まらないが、一度力関係を認めてしまえば、後は話が早い』、「会話や態度の端々から、素早く「・・・どちらが強いか」を察知する」というのは、欧米と共通点があるようだ。「国民全員独立自営」というのが、中国で有力ベンチャー企業が育った一因なのかも知れない。
・『「まるで『ドラゴンボール』の世界ですね」  この話を担当編集者にしたところ、「なんだか、『ドラゴンボール』(作・鳥山明)の世界みたいですね」と言われた。 私はこのマンガを知らないのでピンと来ないのだが、超常能力を持つキャラクターたちがバトルする世界で、「スカウター」と呼ばれる、相手の“戦闘力”を数値化して表示するガジェットが存在する。闘う前に相手と自分とどちらが強いのかがわかるのだという。中国人は確かにそんな感じで、相手の様子を見て“戦闘力”を素早く読み取る。 「ドラゴンボール」はマンガだから、戦闘力が文字通り「桁違い」の相手にも無謀なバトルを挑むし、時には勝てたりもするようだが、もしもドラゴンボールの世界の住人が中国人だけなら、闘いが始まる前に妥協が成立してしまうかもしれない。 それはともかく、「量=大きさ=強さ」であって、「強い=面子が大きい」。面子が大きいことは、14億総自営業モード、人と人の相対取引が基本の世の中で、自分の権利を守って幸福に生きていくために非常に大事なのである。 そんなことだから、中国人の自己アピールは多くの場合、非常に強烈なものになる。 過去のあらゆる経験や知識、学歴・職歴、友人・知人などさまざまな材料を持ち出して自分をアピールする。そのため、もちろん個人差はあるが、多くの場合、中国人の自己評価は異様に高い。背景は別項に譲る・・・が、基本的に「自己評価」が全ての世界なので、ナルシシスト的傾向が強くなる。自分に甘く、他人に厳しい。 俗な例で言えば、身の丈に合わないほどの豪邸に住んだり、高級車に乗ったり、派手な時計をしたり、ブランド品を身につけたりすることを好む人が多いのも、同じ構造に基づく。 そうやって「自分は他の人より優れている(強い)」ことを周囲に常にアピールし、他者からの評価や称賛に執着する。そして、その努力が実って、周囲から「あなたは他の人とは違う。すごい人だ」という認知が得られると、もううれしくてたまらない。俄然、生きる気力が出てくる。もっと称賛を得たい、もっと能力を認められたい、もっと褒められたいと気合を入れて動き始める』、「中国人の自己アピールは多くの場合、非常に強烈なものになる」というのは、むしろ日本人の自己アピールの弱さこそが特筆すべきなのかも知れないと思う。国際機関で働く日本人の少なさにも表れているようだ。
・『中国で暮らしていてつくづく思うのは、中国人とは実に褒められるのが好きな人たちだということだ。もちろんどこの国でも褒められて悪い気のする人はいないが、中国人の「褒められたい願望」の強さはすごい。オフィスなどで若い人をちょっと褒めると、実にうれしそうな顔をする。そして「ボスに褒められた」ことを周囲や家庭で大宣伝する。翌日にはまた褒めてもらおうと思って、「私はこんなことをした」「お客様にこんなことで感謝された」と知らせに来る。うるさいほどである。 逆に「自分は他人より優れていない」ことが明らかになってしまう状況に陥ると、途端にモラルが下がって、どうにも生きる気力がなくなる。そのコントラストが著しい。わかりやすいといえばわかりやすいが、起伏が激しいので時に疲れる。そこでうまくケアする人がいないと、自分が世間に認められないのは「社会が悪いからだ」とか「周囲の人間に人を見る目がないからだ」といった形で、現状を他人のせいにし始める。「自分が悪いのかもしれない」という発想が出てきにくい。これは面子の意識が強すぎることの悪弊といえる』、なるほど。
・『中国人の「面子を立てる」ためには  このように、やや誇張して言うと、中国人という人々は周囲からの称賛というエネルギーを注ぎ込み続けないと、燃料切れで動きが止まってしまうような人たちである。これは詰まるところ、面子の意識がそうさせるのである。 面子は中国人が生きていく上でのエネルギー源のようなものだから、維持するために尋常でない努力をする。自分自身を「面子が大きい」、日本人が言う「面子が立っている」状態に保っておくことに執心するのと同時に、他人の面子に対しても細心に気を配る。 私は月に1~2回程度のペースで上海と日本を往復している。その際、日本から上海に戻る時のスーツケースはさまざまな品物で常に満杯である。中身の大半は中国人の友人たちへの土産物や頼まれ物だ。なぜ毎回、大量の品物を抱えていくかと言えば、それは面子の論理とかかわる。 中国社会で他人に何か贈り物を持っていく、頼まれたことを引き受けることは、それは「私はあなたをこんなに重視していますよ」というメッセージである。単なる「おすそ分け」や「おつきあい」ではない。極めて戦略的な行為である。先に中国人は「褒められたい」「認められたい」という願望が強いと書いた。他人が自分にものをくれる、他人が自分のために動いてくれるということは、すなわちそれだけ尊重されていることを意味する。まして海外からとなれば、評価はさらに高いと考えられる』、「面子は中国人が生きていく上でのエネルギー源のようなものだから、維持するために尋常でない努力をする」で「面子」の重要性を再認識した。
・『私も中国社会で生きているので、戦略は中国人に学ばねばならない。大切な友人、好きな友人ほど高価で、見栄えのするものを持っていく。当然ながら最も高価なものを渡すのは妻に対してである。まさに「これ見よがし」であるが、面子とは詰まるところ「これ見よがし」なのだから仕方がない。 実録、「面子の連鎖」  例えば、日本の老舗の高価なお菓子を中国の友人に渡すとする。 その際には、いかに有名な店で、○○庁御用達とか、何百年の老舗とか、国際○○賞受賞とか、海外の有名スターも食べたとか、いかに高価なものであるか、さまざまなお話をつけて、ありがたみを増幅して渡す。友人は「田中先生はこんなに私のことを重視している」と喜び、「自分は特別である。私は他人より優れている」と確信を持つ。これが中国人の「面子が立っている」状態である。 この友人はお菓子を自宅に持ち帰り、家族に「このお菓子は日本の○○庁御用達、何百年の歴史があり、国際 ○○賞……」と話して聞かせる。「世界トップ500の大企業経営者を相手にしている日本で最も有名なコンサルタントで、テレビにも頻繁に出演している田中先生が私のために日本から持ってきてくれたのだ」などと、ほとんど荒唐無稽な誇張が加わる。家族はそれを聞いて、まあ全て信じているわけではないが、とにかく「すごいねえ。こんなものが食べられるなんて」と喜び、かくも高名な先生から尊重されている父を称賛する。これで家族も含めて面子が立っている状態になる。 さらに友人の妻はお菓子を自分はほんの少ししか食べず、そのまま実家の母親に持っていく。母親は大切な人だからである。そこで友人の妻は「日本で最も有名なコンサル……、○○庁御用達の……」と口上を述べ、母親は素直に喜ぶ。ここで彼の妻の面子に加え、こんな立派な先生が友人にいる人徳のある亭主がいて、しかも自分は我慢してもお菓子を親のところに持ってくる孝行娘を持った母親とそのご主人の面子は大いに立つのである。 話はまだ終わらない。この友人の妻の母親は、もらったお菓子をほとんど食べず、そのまま老人会の友人たちに持って行く。大事な仲間だからである。そこで母親は「私の娘の亭主の友人である日本で最も有名な……、○○庁御用達……」と語り、お菓子をふるまう。仲間は自分たちが尊重されたことに満足しつつ、「立派な娘婿と孝行娘を持って幸せだねえ」と羨ましがってみせ、友人の妻の母親を称賛する。これで友人たちに加え、友人の妻の母親の面子も大いに立つのである。 このように中国人の間の「面子の連鎖」はどんどん巡っていく。自分も面子を立ててもらうが、それを使って周囲の人の面子も立てる。そうやって「面子の立て合い」をすることでコミュニティは円滑に回っていく。だから中国人は他人からものをもらった時、ご馳走してくれた時などに「なんだ、これ見よがしに、金持ち風吹かせやがって」などとは決して言わない。ものをくれるのは自分が尊重されている証しだと素直に喜ぶ。そして相手を称賛する。それがルールである』、「面子の連鎖」とは社会を円滑にする上手い仕組みだ。
・『面子はモチベーションと不満、両方の源泉  このように中国社会では、面子はコミュニケーションの根幹をなしている。相手に自分のことを好きになってほしければ、まずその相手の面子を立てなければならない。それはつまり相手が「自分は特別な人間である」「自分は他人より優れている」と実感できるようにすることである。 だから有能な中国人は、ある人に対して好感を持ったら、とにかく「あなたは能力がある」「私はあなたを高く評価している」と明確に伝える。そして相手の自尊心を満足させ、自分にも好意を持ってもらえるよう努力する……そんなことを「先払い」の話・・・で紹介したが、そうすることによってたとえ外国人であっても中国人社会にスムーズに溶け込んでいけるし、子細に観察していれば、有能な中国人ほどそうやって相手を自分の「勢力範囲」に取り込んでいく。周囲に尊大な態度を取っている連中にロクな人物はいない(これは日本でも同じだ)。 面子はこのようにポジティブな側面を持つ一方、厄介な面もある。常に「自分は他人より優れている」ことを証明しようと行動しているのだから、分業やチームプレーが得意なわけがない。全体の利益を考えるより、自分が評価されることを優先してしまう傾向が強いのは面子の最大の弊害だ。 また、仮にある中国人が「自分は他人より優れている」と信じているとしても、現実にはそうではないケースは多いわけで、その人たちはいつか自尊心と現実の折り合いをつけなければならない。それはつらい作業である。中には折り合いをつけられない人も出てくる。 面子は中国社会のモチベーションの源泉であると同時に、社会に充満する不満の源泉でもある。ものごとを「量の大小」「力の強弱」という評価軸で判断する傾向の強い中国社会の光と陰が「面子」に表れている。日本人的なお気軽な感覚で「面子」をとらえると、認識を誤る。 中国の「面子」とは、「スカウター」を付けた14億人が、いつでもどこでも「量」を巡る真剣勝負をしている国だ、ということなのである』、「お気軽な感覚で「面子」をとらえる」ことのないよう気を付けたい。
タグ:「面子が大きい」 日中関係 (その3)(小田嶋氏:安倍首相の静かな訪中と読書録、本の紹介:中国人の「面子」と『ドラゴンボール』の世界) スッキリ中国論 スジの日本、量の中国 日本語の「面子」とは意味も重さも違う 面子(メンツ) 「中国人の「面子」と『ドラゴンボール』の世界 「スカウター」のように相手の「強さ」を読み合う」 『スッキリ中国論 スジの日本、量の中国』 「問題解決能力が高い」ことを意味 日経ビジネスオンライン 小田嶋 隆 「スジの日本、量の中国」 『スッキリ中国論 スジの日本、量の中国』(田中信彦著:日経BP社刊 上海行きの便が到着地の悪天候で出発できず、乗客が成田空港で夜通し足止めされるという事態が発生 なにはともあれ、先方に足を運んだことだけでも大手柄だった 首相再登板以降の約6年間で延べ149カ国・地域を訪れたが、中国に2国間の枠組みで赴くのは今回が初めてだ 「安倍首相の静かな訪中と読書録」 とにかく行って顔つなぎをしてくることに意味 世間の評価は意外なほど冷淡 アンチとシンパの双方が微妙に口ごもっている 成田空港 中国人は、われわれの想像を超えて振れ幅の大きい人たちで、しかもその振れ幅は、個々人の持ち前の人格そのものよりは、相互の立ち位置や関係性を反映している 「中国人」という生身の人間を題材にした書物で、これほど画期的な本はなかなか見つからないと思う どういうカウンターパートと付き合っているのかによって、日本人の中国人観はまったく違うものになるということらしい 自分の中で、長い間打ち捨てられていたいくつかの小さな疑問が、「そういうことか」と、いきなり生命を得て動き出した感じと言えば良いのか、とにかく、上質のミステリーの謎解き部分を読んだ時の爽快感を久しぶりに思い出した 今回、安倍さんがとりあえず習近平氏の面子を立てておく選択肢を選んだことは事実で、してみると、首相の周辺には、優秀なアドバイザーがいるのだろう 田中 信彦 われわれ中国国民の安全で快適な旅行を保証するのは中国の統治者の責任である。その中には航空会社や外国の政府に圧力をかけて必要な措置を提供させることも含む。それをただちに実行せよ 航空会社の対応に一部の乗客が反発 1人が警察に逮捕された。そこで乗客たちは集団で中国国歌「義勇軍行進曲」を歌って抗議 「面子」が絡むと対人関係が「勝ち負け」になってしまう。これは中国社会のモチベーションの源泉であると同時に大きな問題でもある 中国人の「面子を立てる」ためには 「誰よりも優れている」という、最大級の褒め言葉 「量」の思考法が強いる、他人との比較 「面子がない」「面子がつぶれる」状況とは、「自分は他人より優れていない」ことが公衆の面前で実証されてしまう事態を指す 中国人は、誰かと向き合った時、人の「個性の差」よりも、相手との「力関係」を意識する傾向が強い 中国人にとっての「面子」は、自分という人間が人格を肯定されるか否定されるか、くらいの意味をもつ 国民全員独立自営、全ては人と人の相対取引 中国人の自己アピールは多くの場合、非常に強烈なものになる 「面子の連鎖」 面子は中国人が生きていく上でのエネルギー源のようなものだから、維持するために尋常でない努力をする 日本人的なお気軽な感覚で「面子」をとらえると、認識を誤る 面子はモチベーションと不満、両方の源泉
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日中関係(その2)(日中関係20年間の悪化を的中させた私が感じる「日中合作新時代」,「新冷戦」で追い込まれての日中連携へ トランプ主義が変えた力学、日本は対中「注文外交」をできるのか? 中国の対日微笑み外交は「米中関係の従属変数」) [外交]

日中関係については、2016年5月10日に取上げたままだった。2年以上経った今日は、(その2)(日中関係20年間の悪化を的中させた私が感じる「日中合作新時代」,「新冷戦」で追い込まれての日中連携へ トランプ主義が変えた力学、日本は対中「注文外交」をできるのか? 中国の対日微笑み外交は「米中関係の従属変数」)である。

先ずは、作家・ジャーナリストの莫 邦富氏が10月26日付けダイヤモンド・オンラインに寄稿した「日中関係20年間の悪化を的中させた私が感じる「日中合作新時代」」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/183390
・『日中関係は20年間よくならないと20年前の1998年に予測  安倍晋三首相は10月25日、約7年ぶりの中国公式訪問のために羽田空港を飛び立った。 中国滞在中には、「日中平和友好条約締結40年」の記念レセプションに出席してスピーチを行うだけでなく、習近平国家主席や李克強首相などとも会談することになっている。この訪問を中国メディアは「中日合作新時代」、日本メディアは「新たな次元の協力」と受け止め、評価している。 20年前の1998年、私は講演や著書の中で初めて「これからの20年間、日中関係はよくならない」という予測を発表した。この予測は当時、中国国内の知日派の学者たちから「悲観的に見過ぎている」と批判されたほど異色だった。 2004年11月、参議院国際問題調査会で、日中関係に関する参考人として呼ばれた際も、「これからの20年間、日中関係はよくならず、いろいろな試練に直面するだろう」と述べた。 アジアでは長い間、1つの強大国が他の国々を引っ張っていくという時代が続いた。かつては中国が強大国だった。だが、近代に入ってからは日本が、国力の衰弱した中国に取って代わり“アジアの雄”となった。 1970年代以降、日本が主張していた「アジア雁行経済」が広く認められ、日本はアジアの覇者らしくその先頭を飛ぶ雁になった。一方、文化大革命で崩壊寸前の状態に陥った中国は、体こそ大きいものの最後尾を飛ぶ形になった』、20年前に「日中関係は20年間よくならない」と予言したとは、さすがだ。
・『中国が猛烈に追い上げてきて相互嫌悪のムードが定着  しかし改革・開放時代に入ってから、中国は猛烈に日本を追い上げてきた。1990年代半ば頃からは、日本に迫ってきた中国を“脅威”と捉えた石原慎太郎氏を始めとする一部の日本人が、「中国を封じ込めろ」と呼び掛け警戒感をあおった。その認識は日本社会に広く浸透、やがて日中両国には相互嫌悪のムードが広がり定着した。 2005年、拙著『日中はなぜわかり合えないのか』が出版されるとき、私はその前書きに、次のように書いた。「現在、日中間に現れたいろいろな衝突は、まさに時代の変わり目に出るべくして出てきた問題であり、特に驚くことではない。アジアは1強時代が終わり、これまで1度も経験したことのない2強時代を迎えようとしているのだ。その時代の変化は、『日中友好時代が終わった!』という形で現れたのである。(中略)日中友好時代は終わった!しかし、恐れることはない。日中両国の国民がともに力を合わせて、平和的な両国関係を築けばいい」 さらに、次のように呼び掛けた。「新しい日中関係を構築すべき時がやってきた。たとえ、日中両国が友好的な隣国同士という関係を維持できないにしても、少なくとも平和的な隣近所であることを日中両国が目標に求めるべきだ」 2012年9月、尖閣諸島(中国名は釣魚島)国有化問題が起きる直前に発売された月刊「世界」10月号に、私は論考「『中日関係』という建築物に耐震工事を」を発表し、築40年を迎えた日中関係という“建築物”に、新たな“耐震補強工事”を行うべきだと主張した。 日中国交正常化の実現にこぎ着けた1972年、当時の建築基準に基づいて、“日中関係ビル”が竣工した。しかし、築年数が40年となった日中関係というビルは、これまで何度もの政治的な嵐と地震に見舞われ、壁のひび割れや基礎の動揺などの現象が見られた。ビルの安全性を脅かすこうした問題を取り除くために、耐震補強のための追加工事や修繕工事を行わなければならないというものだ。 「耐震補強工事」とは、具体的にいえば観光などを含む人的交流の強化に加え、ソフトの交流(例えば、国民皆保険に代表される日本の医療保険制度や税制、年金制度、義務教育制度、さらに省エネや環境保護など、多数の分野にわたるソフトパワーの交流)、そして「すべての紛争を平和的手段による解決する」という原則の貫徹だ。 2002年に発売された『これは私が愛した日本なのか──新華僑30年の履歴書』という本が2015年に文庫化された際・・・、その後書きに、私はそれから20年間の日中関係の展望を書いた。その内容の一部を紹介する。「1998年頃からすでに『日中関係はこれから20年間にわたって、よくならない』と予告した私から見れば、落ち葉が地面を敷きつめてから秋が来たと叫ぶように遅すぎた発見だ。日中関係に携わっている人間としては、これから20年先の日中関係がどうなるのか、そしてどうなるべきだと思うのか、さらにどうしていけばいいのか、をより力点を置いて考えるべきだ」と。 そして「互いに魅力を覚えられる、平和的に共存できる隣国同士。甘ったるい日中友好といった言葉がなくても全く問題のない健全な両国関係。それは私が描いた20年先の日中関係だ」と』、2015年に新たな日中関係を描いていたのも、さすがだ。
・『“日中関係20年間悪化説”に終止符 これからは“日中合作新時代”に  “日中関係20年間悪化説”を主張し始めてから、今年でちょうど20年。今回の安倍首相の中国訪問は、奇しくもそれに終止符を打ってくれた形だ。そして、これからの20年間は“日中合作新時代”になると思う。 これからの日中関係の特色の1つは、国益を重視しながらも、手を携えるところは積極的に協力し合うという付き合いになると思う。 安倍首相の訪中直前、日本側は中国向け政府開発援助(ODA)の終了方針を決めた。さらに、その1ヵ月前の9月13日には、海上自衛隊の複数の潜水艦および搭載航空機5機が南シナ海で中国をけん制する目的で、対潜水艦戦関連の訓練を実施した。しかも訓練は、中国が南シナ海で自国の領有権を主張するために設定した境界線「九段線」の内側で行われたという事実を、防衛省当局者は隠そうともしなかった。 一方、中国側も安倍首相の訪中が予定されていた10月にも、公船による尖閣諸島(釣魚島)海域のパトロールを続けている。釣魚島の接続水域への進入だけではなく、日本側から見た「領海侵入」も継続している。 本来、重要な外交日程が組まれている敏感な時期に、相手国の神経を逆なでするような行為は慎むべきなのに、日中双方は平気で継続している。しかも、互いに本気で相手国を怒る気配もない。 こうした行動こそ、日中合作新時代の特徴の1つといえる。つまり国益重視の原則を守りつつも、例えば首脳の訪問など、手を携えるべきところは積極的にその行動を起こすというものだ』、随分、大人の関係になったものだ。
・『是々非々の交流と付き合いが日中合作新時代のカラーに  5月に日本を訪れた中国の李克強首相と安倍首相は、首脳会談を通して日中両国が第三国での経済協力を積極的に進めるという方向を決めた。中国は一帯一路経済圏の構築に没頭しているが、海外への投資経験は乏しい。そこで先輩役の日本から投資ノウハウを学ぼうというもので、第三国での経済協力はまさに経済交流がハードからソフトへ転換する好例となる。 いまや力関係が変わった日中両国は、新たな隣国同士の関係を構築する時代を迎えようとしている。確かに、国益を求めての小競り合いはこれからも起きるだろう。しかし、互いの国益を守るために交流や協力、提携もどんどん始まると思う。 大切なのは、日中両国が互いに平和を求める気持ちで、新しい課題に手を携えて対処していくという原則の堅持だ。是々非々の交流と付き合いが、日中合作新時代のカラーになるだろうと思う』、なるほど。トランプとの関連は、ここでは触れられていないが、次の2つの記事にあるので、参考にされたい。

次に、元日経新聞論説主幹の岡部 直明氏が10月30日付け日経ビジネスオンラインに掲載した「「新冷戦」で追い込まれての日中連携へ トランプ主義が変えた力学」を紹介しよう。
https://business.nikkeibp.co.jp/atcl/report/16/071400054/102900085/?P=1
・『安倍晋三首相と中国の習近平国家主席による日中首脳会談は、経済協力を最優先し連携することで合意した。トランプ米大統領が「経済冷戦」から「新冷戦」に踏み込むなかで、追い込まれての日中連携である。米中経済戦争で日本に期待せざるをえない中国と日米摩擦を前に中国の経済力を頼みとしたい日本の経済的利害が一致した。 しかし、日中平和友好条約締結から40年、新時代を迎えた割に日中の合意は小粒である。目先の防御的連携を超えて、環太平洋経済連携協定(TPP)と東アジア地域包括的経済連携(RCEP)の結合などアジア太平洋の大戦略を打ち出し、米国をこの成長センターに引き戻すときである』、だいぶ壮大な構想を主張している。
・『経済最優先の連携  日中首脳会談では、新時代の関係構築で合意した。安倍首相は①競争から協調へ②互いにパートナーとして脅威にならない③自由で公正な貿易体制の発展―という3原則を提起した。 歴史認識のズレや尖閣諸島をめぐる対立など、これまでの日中のあつれきにはあえて深入りを避け、経済協力を最優先したのが特徴だ。第3国市場での連携は、中国が進める「一帯一路」構想を視野に入れたものだ。この構想をめぐっては、アジア各国から債務拡大などの不安が強まり、大きな壁に突き当たっているだけに、日本の協力は「中国第一主義」への懸念を払しょくするのが狙いだろう。 金融協力にも一定の進展はあった。危機時に日銀と中国人民銀行は円と人民元を交換するスワップ協定を再開する。融通額の上限は3兆4千億円(人民元の上限は2千億元)と10倍超になる。尖閣諸島をめぐるあつれきによって2013年に失効した通貨協定の復活で、日本企業が中国でビジネスを展開しやすくなることはたしかだ』、スワップ協定の上限が10倍超とは、中国にとっては有難い話だ。
・『遅すぎた対中ODAの終了  その一方で、日本が40年に渡り実施してきた中国に対する政府開発援助(ODA)は2018年度の新規案件を最後に打ち切ることになった。1990年代、筆者は日本の対中円借款の実施調査のため西安郊外のダム建設や北京郊外の浄水場などを訪問したことがある。驚いたのは円借款に関わる中国人の多さだった。 日本の円借款は空港建設など中国のインフラ整備に大きな貢献があった。固定資本投資に日本からの円借款は組み込まれていた。中国の改革開放路線を側面から支援したのは明らかだ。その割には中国からの感謝はそう大きくなかったようにみえる。戦後賠償を放棄する見返りとされた円借款だけに、当然視されていた面があったかもしれない。日本も他の先進国の支援に比べても、円借款の効果を積極的にはPRしてこなかったところがある。どちらにしろ、とっくに援助する側の先頭にある中国が援助される国を卒業するのは当然であり、対中ODAの終了は遅すぎたといえる』、「中国からの感謝はそう大きくなかったようにみえる」というのは、残念なことだ。
・『トランプ攻勢に守りの協調  日中があつれきを超えて協調したのは、トランプ大統領が経済冷戦から新冷戦に踏み込もうとするなかで、「守りの協調」に動かざるをえないという事情がある。とくに中国は、米中貿易戦争で大きな打撃を受けているだけに、日本との協調は欠かせない。 中国の7-9月期の経済成長率は6.5%に減速した。生産と投資の伸び悩みは大きい。経営破たんの増加など貿易戦争の影響は表面化している。米国製の自動車だけでなく、中国が制裁関税を課した化学品や紙製品などで値上げが相次ぎ、9月の消費者物価は2.5%上昇した。中国企業が抱えた過剰債務はますます大きな足かせになってきた。こうしたなかで、上海株式市場の動揺は著しく、世界同時株安を加速させている。 そんな中国にとって、日本との協調はトランプ米政権へのけん制の狙いが込められているが、日本にとっても日中協調はトランプ政権への「中国カード」ともいえる。米国よりずっと貿易関係の深い中国との協力を強化することで、対日圧力を強めるトランプ政権をけん制する思惑がある。 来年始まる日米の物品貿易協定(TAG)をめぐる交渉では、米側は自動車関税の引き上げをちらつかせながら自動車輸入の「管理貿易」化をめざす可能性がある。さらにムニューシン財務長官は「為替条項」を要求する構えで、日米交渉は難航必至の情勢である。トランプ政権との関係を大きく崩さない範囲で「中国カード」を交渉の武器にしたいというのが安倍政権の本音だろう』、トランプ政権が日中関係の改善を促したとは、トランプ大統領がもたらした数少ない恩恵といえよう。
・『失敗した「中国包囲網」構想  日中が歩み寄った意味は大きいが、中国が米国と肩を並べようとするなかで、日中に不仲の時代が長く続いたツケは重い。安倍政権がめざした「地球儀を俯瞰する外交」は事実上の「中国包囲網」構想だった。しかしこの構想は失敗に終わった。 安倍政権は中国をアジアにおけるライバルと位置付けていたが、あっという間に「日中逆転」が進行していたのである。2010年に国内総生産(GDP)に抜かれ、中国に世界第2の経済大国の座を明け渡したと思えば、いまやその落差は2.5倍にも達した。 中国は経済を先導する世界的起業家を輩出してきたが、日本にはほとんど見当たらない。自由な資本主義国である日本より国家資本主義の中国の方が、起業家精神が旺盛とは大きな皮肉である。日本が圧倒的にリードしていたはずのハイテク分野でも、日本は逆に差をつけられた。フィンテックでは中国視察団への日本企業の参加が人気を集めるありさまだ。 習近平政権がめざす「中国製造2025」に、トランプ政権が警戒しているのは、中国が国家資本主義により、半導体製造などで米国追跡をめざしていると考えるからだ。ハイテク分野での米中間の覇権争いはし烈を極める。中国が照準を定めるのは米国であり、もはや日本ではない。 人民元の「国際通貨」化構想も、「ドル・ユーロ・人民元」の3大通貨を軸にしている。日本円はほとんど眼中にないといっていい。 そんな経済超大国になった中国に対して「包囲網」を築こうという発想そのものが時代錯誤だったといえる。「地球儀を俯瞰」して中国の周辺に足しげく外交を展開して、肝心の中国との直接対話を疎かにしてきたのではないか。この戦略そのものに大きな誤りがあった。その反省がないかぎり、日中は再び不幸な「不仲時代」に逆戻りしかねない』、安倍政権の「中国包囲網」構想は危なっかしい代物だったが、失敗に終わったのは喜ぶべきことだ。
・『日中はなぜ独仏に学べなかったか  中国駐在の経験はないが、駆け出し記者のころ日中国交回復前の日中貿易を担当して以来、ずっと中国を側面からみつめてきた。欧州駐在の経験を踏まえると、戦後72年になるのに、日中はなぜ独仏に学べないのかという命題に突き当たる。 国交回復前の日中関係を支えたひとりに、日中覚書貿易事務所の岡崎嘉平太代表がいた。戦中、日銀マンとして中国に駐在した経験から戦後は日中関係の正常化に尽力していた。それは右翼の攻撃対象にされた。夜回り取材で岡崎氏の自宅を訪問したときのことだ。岡崎氏の脇には大きなシェパードが座り、こちらをみつめていた。右翼への警戒を怠らず、命がけで日中関係の打開をめざしていたのである。 日中関係はニクソン米大統領訪中の後を受けた田中角栄首相の訪中で正常化に向かうが、周恩来首相が「井戸を掘った人」と讃えたのは、岡崎氏だった』、「井戸を掘った人」を讃えた周恩来首相はやはり傑出した人物だったのだろう。
・『戦後の日中関係が疎遠だったのは、中国に共産党政権が誕生し、冷戦下で西側の拠点になった日本との対立関係が生まれたためともいえる。しかし、第2次大戦後、欧州ではフランスの実業家、ジャン・モネの仲介で独仏和解が実現し、それが欧州統合に結実している。欧州連合(EU)はいま様々な難題を抱えているが、独仏和解を軸に平和が保たれている。 この独仏和解に日中はなぜ学べなかったのか。第2次大戦のような悲惨を防ぐために、政治体制の違いを超えた平和構築は可能だったはずだ。日中関係の「井戸を掘った人」岡崎氏は日中関係の長い冬の時代を嘆いていた』、当時の東西冷戦、対米追随外交が影響していたのだろう。
・『米国巻き込む日中連携の大戦略を  日本は米中両大国の間でどううまく泳ぎ切るか、と考える政策当局者もいる。これは大きな間違いだ。いま日本に求められるのは、アジア太平洋の繁栄と安定のために、扇の要(かなめ)として大戦略を打ち出すことである。 第1に、TPPとRCEPの結合である。11カ国によるTPP11はたしかに先進的な自由貿易圏だが、その範囲は狭い。これに対して、東南アジア諸国連合(ASEAN)10カ国に日中韓、そしてインド、オーストラリア、ニュージーランドを加えたRCEPにはアジア太平洋の主要国がほぼすべて含まれる。問題は自由化度合がTPPに比べて低いことだが、交渉次第で自由化率を上げられる。TPPとRCEPでともに核にあるのは日本である。TPPとRCEPを結合して、米国を呼び戻すのは日中の共同戦略になる。それは、米中貿易戦争を打開する道でもあるだろう。 第2に、中国主導で成立されたアジアインフラ投資銀行(AIIB)とアジア開発銀行の統合である。AIIBにはアジア各国や欧州各国などが参加しているが、日米はあえて参加していない。中国は日米にも参加を求めているが、日米は慎重だ。このためAIIBの運営は必ずしも軌道に乗っていない。日本人が歴代総裁をつとめるアジア開発銀行はインフラ投資などをめぐってAIIBと協力しているが、両行が統合すれば、旺盛な需要に対して資金不足にあるアジアのインフラ投資が進む可能性がある。 日中首脳会談による日中連携は、冬の時代が長かった戦後の日中関係からみると一歩前進ではある。しかし、それはトランプ旋風に対応した防御的な連携にすぎない。日中両国に求められるのは、世界の成長センターであるアジア太平洋を結びつけるより広範な連携である。この本格的な多国間主義こそ、トランプ流の2国間主義を突き崩すことになるはずだ』、誠に格調が高い主張で、大賛成である。

第三に、元経産省米州課長で中部大学特任教授の細川 昌彦氏が10月31日付け日経ビジネスオンラインに寄稿した「日本は対中「注文外交」をできるのか? 中国の対日微笑み外交は「米中関係の従属変数」」を紹介しよう。
https://business.nikkeibp.co.jp/atcl/report/16/062500226/103000008/
・『10月26日に北京で開かれた日中首脳会談。米中の「貿易戦争」を背景に「微笑み外交」で日本に迫る中国に対し、日本の対応はどうだったのか。安易な「日中関係改善」では不十分で、知財問題や一帯一路に関して「注文外交」を展開する必要がある。 これほど思惑がわかりやすい首脳会談もない。10月26日、安倍総理が北京を訪問し、習近平国家主席との日中首脳会談が開催された。この首脳会談に対する中国側の意気込みはやはり米中対立の裏返しであった。 2017年半ばから習主席は日本との関係改善に動き始め、昨秋の共産党大会を終えて以降、対日外交は「微笑み外交」に明確に転じた。習近平体制の権力基盤の強化もあるが、基本的には米中関係の悪化が大きく影響している。 米中関係が厳しさを増してくると、日本との関係は改善しておき、日米の対中共闘を揺さぶる、といういつもながらの思考パターンだ。 これまでの歴史を振り返ってもそうだが、「日中関係は米中関係の従属変数」という要素が大きい』、「日中関係は米中関係の従属変数」とは言い得て妙だ。
・『もちろん日中の関係改善は歓迎すべきことで、これを機に建設的な対話をするチャンスだろう。しかし、これを永続的なものと楽観視すると中国の思うつぼだ。あくまでも中国側の事情、打算による関係改善である。将来、仮に米中融和に向かえば、どうなるかわからない脆い基盤だ。残念ながらそれが日中関係の現実だ。日本政府も「従属変数としての日中関係」を頭に置いた対応が求められる。 日本企業にとっても注意を要する。 米中間の関税合戦もあって、外国企業の対中投資が見直しの機運で、現に中国での生産拠点を他国に移転する動きも出てきた。これに中国は強い危機感を持ちだした。そこで、日本企業を引き留めるだけでなく、更には対中投資に向けさせたいとの思惑が働いている。 最近、中国は共産党指導部の意向を受けて、各地の地方政府が熱心に日本企業に対する投資誘致に奔走しているのは、そうした背景による急接近だ。これは中国側の状況次第でいつでも風向きが変わるリスクがあることを忘れてはならない』、さすが対米交渉を取り仕切った通商問題のプロだけあって、冷徹で鋭い指摘だ。
・『知的財産権での注文外交とは  こうした中国の「微笑み外交」に対して、日本は中国に対して「注文外交」ができるかが問われている。 具体的に日中首脳会談の経済面での成果を見てみよう。 その一つが、先端技術分野での連携のための新たな枠組みとして「イノベーション協力対話」を作ったことだ。これも米国との技術覇権争いを背景として、中国がハイテク技術で日本に接近する思惑が見え隠れする。 5月、李克強首相が訪日した際、安倍総理に投げたボールが、イノベーション分野での対話・協力であった。日本は中国の思惑にそのまま乗るわけにもいかない。中国の知的財産権の扱いについては欧米とともに日本企業も懸念を有している。そこで、これを知的財産権問題とパッケージにして扱う場に仕立て上げた。 米国は中国への技術流出を止めようとしている矢先に日本が抜け穴になることは看過できない。日本政府も米国政府に懸念払拭のために事前説明したようだ。 今後、この対話の場をどう動かしていくか、まだ決まっていない。だが、日本としては中国にお付き合いしている姿勢を示しつつも、具体的な案件ごとに安全保障上の懸念がないか慎重にチェックすることが必要だ。 日本企業も恐る恐る対応することになる。協力案件が米国から問題にされることがないよう、企業にとって保険になるような、政府ベースでの仕掛けづくりが大事だ』、なるほど、その通りなのだろう。
・『習主席訪日を「人質」に取られ、日本はWTOに提訴できず  またこの対話を進める前提として、中国の知的財産権のあり方に注文をつけることが不可欠だ。中国の不公正な知的財産権のあり方については、欧米が歩調を合わせて世界貿易機関(WTO)への提訴を行っている。ところが日本は今回の安倍総理の北京訪問、来年の習主席の訪日を人質に取られて、中国へのWTO提訴をしていない。 先月の日米首脳会談での共同声明にあるように、中国の知的財産の収奪、強制的な技術移転などの不公正さには日米欧で共同対処するとなっている。にもかかわらず、日本が中国に対してWTO提訴できないでいるのだ。これには欧米からは冷ややかな目で見られていることは重大だ。 特に日本政府はルール重視と口では言っていても、中国のルール違反に対しては甘い姿勢でいることに、言行不一致との指摘もささやかれている。これではこれからの国際秩序作りに日本が主導して日米欧が共同歩調を取ることを期待できないだろう。 日本も中国に対してWTO提訴を行ったうえで、こうした対話の場を活用して、中国に対して民間企業が直面している懸念をぶつけて、改善のための協議をすることが、イノベーションの協力を進めるための政府の役割だろう。日本企業もこれまで知財での不公正な扱いに対して、中国政府に睨まれないよう、目をつぶっていた体質を変える必要があるが、それも日本政府の対応がしっかりしていることが前提だ』、今回は、日本側が有利な立場にいた筈なのに、日本だけWTOに提訴できなかった、とは情けない話だ。
・『一帯一路への「注文外交」を  そしてもう一つの柱が、日中の「第三国市場でのインフラ協力」だ。 中国の思惑は、日本をいかにして一帯一路への協力に引き込むかにあるのは明白だ。一帯一路も相手国を「借金漬け」にする手法に、欧米だけでなくアジア諸国からも警戒感が高まり、一時の勢いが見られない。パキスタン、ミャンマー、マレーシアなど事業の縮小、見直しが相次いでいる。そうした中で、日本の協力を得ることは、一帯一路の信頼性を高めるうえで大きい。 他方、日本は「量より質」で勝負しようと、相手国のニーズと案件を精査して「質の高いインフラ整備」で対抗しようとしている。米国とともに提唱している「インド太平洋戦略」がそれだ。 しかし単に対抗するだけではなく、圧倒的な資金量を誇る中国とは協調も必要ではないかとのスタンスに徐々に舵を切り始めたのだ。もちろん民間企業のビジネスチャンスへの要望もあるだろう。 むしろ日本に優位性のあるプロジェクト・マネジメントやリスク管理のノウハウを活用して、一帯一路を軌道修正させていこうとの思惑だ。日本のメガバンクはこうした面での強みを特にアジアにおいては有している。中国企業の安価な製品、サービスと結びつけば補完関係にある。 ただし、一帯一路への協力となると、米国も黙ってはいない。神経をとがらせて当然だ。日本もそれを意識して、「一帯一路への協力」とは一言も言っていないのだ。しかし当然のことながら、中国側は早速、「一帯一路に日本の協力を取り付けた」と宣伝している。 日本は本来、米国とともに主導している「インド太平洋戦略」でインフラ整備を進めていることになっているはずだ。日本も中国同様、「インド太平洋戦略に中国の協力を取り付けた」と宣伝するぐらいの厚かましさがあってもよい。 日中首脳会談直後に来日したインドのモディ首相にもその協力で合意している。今回の中国との第三国市場でのインフラ協力は、こうしたインド太平洋戦略との関係をどう整理して国際的に説明するのか不透明なのが問題だ。それはそもそも、インド太平洋戦略の中身が明確になっていないことにも起因している』、中国包囲網を意識していたインド太平洋戦略を如何に見直していくかは、重大な課題だ。米国やインドの思惑はともかく、日本側だけでも青写真を描いておくべきだろう。
・『「危険な案件」の見極めが必要  言葉がどうであれ、今後、大事なことは具体的なプロジェクトの進め方で中国に注文をつけていくことができるかどうかだ。日本も米国政府に事前にそう説明して、米国の批判、誤解を招かないように手を打ったようだ。そうでなければ、中国の思うつぼであり、米国からも厳しい目で見られるだろう。2018年4月には欧州もハンガリーを除くEU大使が連名で一帯一路への警戒感から中国に改善を申し入れている。日本も安易な対応は国際的に許されない状況にある。 問題はこれからだ。 今回の首脳会談の際には、民間ベースでも52件の案件を合意して、成果に仕立て上げた。日中間の協力と言っても、具体的なビジネスは様々なパターンがある。 例えば、日中企業が共同で太陽光発電事業を受注して運営するケース。日本企業が発電所建設を受注して、中国企業から安価な機器を調達するケース。日中の合弁企業が中国で発電機器を製造して第三国の発電所に納入するケース。日本企業が基幹部品を供給して中国企業が組み立てた機械を輸出するケース。日本企業が中国と欧州を結ぶ鉄道を活用して物流事業を展開するケース。日中企業が協力してヘルスケアなどのサービス市場の展開をするケースなど、さまざまな形態が含まれている。 政府は高速鉄道案件のような象徴的な大プロジェクトに飛びつきがちだが、最近の中国側のずさんな対応を見ると、それはリスクが高い。むしろ地道なプロジェクトを積み上げていくべきだろう。 日本企業の中にはビジネスチャンスと捉える向きもあるが、事はそう単純ではない。今後、協力案件を慎重に見定めなければ、中国の影響力拡大の戦略を利することにもなりかねない。また、民間企業にとっても中国側の国有企業特有の甘いリスク判断は受け入れがたい。そうした“危険な”案件の見極めも必要だ。 今後、日中間では官民合同の委員会で議論して進めることになっているが、官民ともに甘い見通しを持つことは禁物だ。今回、日中間で開放性、透明性、経済性、対象国の財政健全性といった国際スタンダードに沿ってプロジェクトを進めていくことが合意されたと言うが、こうした原則の合意だけで安心していてはいけない。原則の美辞麗句だけでなく、これらが具体的にどう適用されるかを注意深く見ていく必要がある』、安倍政権はインフラ輸出などを推進するとしているが、懸念されるのは、案件獲得を焦る余り、「危険な案件」の見極めがおろそかになることだ。
・『今回の安倍総理の北京訪問を受けて、来年には習近平主席の来日を求めて、日中首脳の相互訪問を実現したいというシナリオだ。しかし、だからと言って、友好だけを謳っていればいい時代ではない。知的財産権にしろ、インフラ整備にしろ、中国に対して注文すべきことは注文するのが重要だ。前述したように、中国に対するWTO提訴を躊躇しているようではいけない。それでは国際秩序を担う資格はない。 米中関係が長期的な経済冷戦の様相を呈している中、中国に対して、かつての冷戦モードのような「封じ込め政策」でもなく、「関与政策」でもない第3のアプローチを模索する時期に来ているのだろう。日本も米国の中国に対するアプローチとは違って、「注文外交」をきちっとすることによって、時間をかけて中国の変化を促すような、腰を据えた中国との間合いの取り方が必要になっている』、説得力のある主張で、その通りだと思う。
タグ:新たな次元の協力 中日合作新時代 李克強首相などとも会談 日中関係 日中平和友好条約締結40年 (その2)(日中関係20年間の悪化を的中させた私が感じる「日中合作新時代」,「新冷戦」で追い込まれての日中連携へ トランプ主義が変えた力学、日本は対中「注文外交」をできるのか? 中国の対日微笑み外交は「米中関係の従属変数」) 習近平国家主席 ダイヤモンド・オンライン 「日中関係20年間の悪化を的中させた私が感じる「日中合作新時代」」 莫 邦富 日中関係は20年間よくならないと20年前の1998年に予測 中国が猛烈に追い上げてきて相互嫌悪のムードが定着 “日中関係20年間悪化説”に終止符 国益重視の原則を守りつつも、例えば首脳の訪問など、手を携えるべきところは積極的にその行動を起こすというものだ 是々非々の交流と付き合いが日中合作新時代のカラーに 岡部 直明 日経ビジネスオンライン 「「新冷戦」で追い込まれての日中連携へ トランプ主義が変えた力学」 日中首脳会談は、経済協力を最優先し連携することで合意 新時代を迎えた割に日中の合意は小粒 目先の防御的連携を超えて、環太平洋経済連携協定(TPP)と東アジア地域包括的経済連携(RCEP)の結合などアジア太平洋の大戦略を打ち出し、米国をこの成長センターに引き戻すときである 経済最優先の連携 スワップ協定を再開 融通額の上限は3兆4千億円(人民元の上限は2千億元)と10倍超に 遅すぎた対中ODAの終了 中国からの感謝はそう大きくなかったようにみえる トランプ攻勢に守りの協調 中国にとって、日本との協調はトランプ米政権へのけん制の狙い 日本にとっても日中協調はトランプ政権への「中国カード」 失敗した「中国包囲網」構想 地球儀を俯瞰する外交」は事実上の「中国包囲網」構想 あっという間に「日中逆転」が進行 「包囲網」を築こうという発想そのものが時代錯誤 日中はなぜ独仏に学べなかったか 周恩来首相が「井戸を掘った人」と讃えたのは、岡崎氏だった 米国巻き込む日中連携の大戦略を TPPとRCEPを結合して、米国を呼び戻すのは日中の共同戦略になる アジアインフラ投資銀行(AIIB)とアジア開発銀行の統合 本格的な多国間主義こそ、トランプ流の2国間主義を突き崩すことになるはずだ 細川 昌彦 「日本は対中「注文外交」をできるのか? 中国の対日微笑み外交は「米中関係の従属変数」」 これほど思惑がわかりやすい首脳会談もない この首脳会談に対する中国側の意気込みはやはり米中対立の裏返しであった 米中関係が厳しさを増してくると、日本との関係は改善しておき、日米の対中共闘を揺さぶる、といういつもながらの思考パターン これを永続的なものと楽観視すると中国の思うつぼだ。あくまでも中国側の事情、打算による関係改善である 中国側の状況次第でいつでも風向きが変わるリスク 知的財産権での注文外交とは イノベーション協力対話 中国の知的財産権の扱い これを知的財産権問題とパッケージにして扱う場に仕立て上げた 習主席訪日を「人質」に取られ、日本はWTOに提訴できず 欧米からは冷ややかな目で見られている 日本企業もこれまで知財での不公正な扱いに対して、中国政府に睨まれないよう、目をつぶっていた体質を変える必要がある 一帯一路への「注文外交」を インド太平洋戦略 「危険な案件」の見極めが必要 欧州もハンガリーを除くEU大使が連名で一帯一路への警戒感から中国に改善を申し入れている 「注文外交」をきちっとすることによって、時間をかけて中国の変化を促すような、腰を据えた中国との間合いの取り方が必要
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司法の歪み(その11)(業務上過失致死傷罪への”組織罰”導入で問われる山下新法相の真価、松橋事件 再審は誰のために、岡口基一裁判官 独占インタビュー「言論の自由を封殺した最高裁へ」 そして 驚くべき司法の内情について) [社会]

司法の歪みについては、9月17日に取上げた。今日は、(その11)(業務上過失致死傷罪への”組織罰”導入で問われる山下新法相の真価、松橋事件 再審は誰のために、岡口基一裁判官 独占インタビュー「言論の自由を封殺した最高裁へ」 そして 驚くべき司法の内情について)である。

先ずは、元東京地検特捜部検事で弁護士の郷原信郎氏が10月16日付け同氏のブログに掲載した「業務上過失致死傷罪への”組織罰”導入で問われる山下新法相の真価」を紹介しよう。
https://nobuogohara.com/2018/10/16/%E6%A5%AD%E5%8B%99%E4%B8%8A%E9%81%8E%E5%A4%B1%E8%87%B4%E6%AD%BB%E5%82%B7%E7%BD%AA%E3%81%B8%E3%81%AE%E7%B5%84%E7%B9%94%E7%BD%B0%E5%B0%8E%E5%85%A5%E3%81%A7%E5%95%8F%E3%82%8F%E3%82%8C/
・『2018年10月26日、山下貴司法務大臣が、福知山線脱線事故、笹子トンネル事故等の重大事故の遺族を中心に結成されている「組織罰を実現する会」のメンバーと面談する。 山下氏の入閣は、総裁選で安倍首相と激しい戦いを繰り広げた石破派からの唯一の入閣であり、全体としては支持率上昇につながらなかった第4次安倍内閣組閣の中でも、国民からの好感度・期待が高い人事だ。それ以上に注目すべきは、山下大臣は、検察、法務省の豊富な実務経験を有する初めての法務大臣だということだ。 その山下新法務大臣が、業務上過失致死傷罪への両罰規定の導入という刑事司法にとって重要な問題に関して、重大事故の遺族の声に耳を傾けてくれたことで、就任早々の面談が実現した』、なにやら久しぶりに曙光がさしたようなニュースだ。
・『組織罰実現をめざす重大事故遺族の活動  私は、法務・検察の組織に23年間所属したが、その間、1999年から2001年まで、法務省法務総合研究所研究官を務めた際、2000年の犯罪白書では、特集で「経済犯罪」を初めて取り上げ、独禁法を中心に企業に対する処罰・制裁の在り方の総合的な研究をしたのが「企業犯罪研究会」だった。その頃、法務省刑事局付だった山下氏は、法人処罰も含めた企業に対する制裁の在り方の研究への理解者の一人だった。 企業活動に伴って発生する重大事故の問題に私が関わるようになったのは2005年検察から桐蔭横浜大学法科大学院に派遣され、コンプライアンス研究センターの活動を開始した頃からだ。その直後に発生したのが乗客106人の死者、500人以上の負傷者を出したJR西日本福知山線脱線事故だった。それ以降、重大事故の原因究明と責任追及の問題はコンプライアンス研究センターの重要なテーマの一つとなった。何回かシンポジウムも開催し、多くの重大事故の遺族の方々が参加され、率直な意見を聞くことができた』、山下氏が法務省内での「企業に対する制裁の在り方の研究への理解者の一人だった」とは、多少の希望の光なのかも知れない。
・『2015年10月に、JR福知山線脱線事故の遺族が中心となって立ち上げた「組織罰を考える会」から、講演の要請を受けた。企業等の組織に、必要な安全対策を怠って事故を起こしたことの直接の責任を問う法制度の実現をめざす勉強会だった。そこで考えられていたのが、イギリスの「法人故殺罪」のように、法人企業の事業活動において人を死傷させる事故が発生した場合に、その「法人組織の行為」について「法人自体の責任」を追及する制度だった。 ところが、日本の刑事司法は、従来から、犯罪行為を行った自然人個人の処罰が中心で、法人に対する処罰は付随的なものだ。「法人組織の行為」を認めて、法人を刑事処罰の対象にすることは容易ではない。「組織罰を考える会」のめざす制度の実現は、現実的にかなり難しいことは否めなかった』、なるほど。
・『現実的な立法としての「業務上過失致死傷罪への両罰規定の導入」  しかし、肉親の死を無駄にしたくない、社会に活かしたいという遺族の思いを、何とかして受け止めたかった。重大事故についての法人処罰の在り方を私なりに改めて考えてみた。その結果たどり着いたのが、多くの特別法で認められている「両罰規定」を、法人の事業活動に伴って発生する業務上過失致死傷罪に導入する特別法の立法の提案だった。 両罰規定というのは、法人または人の業務に関して「犯罪行為」が行われたときに、その行為者を処罰するのに加えて、法人に対しても罰金刑を科す規定だ。 業務上過失致死傷罪に両罰規定を導入すれば、法人の役職員個人について業務上過失致死傷罪が成立する場合に、法人の刑事責任を問うことができる。「法人組織の行為」について法人の責任を問うという、それまで「組織罰を考える会」がめざしてきた方向とは異なるが、重大事故について、事業主の法人企業の刑事責任を問うことは、「組織罰」の導入として大きな第一歩となる。 しかも、現行法制でも広く認められている「両罰規定」の活用であれば、立法上の問題ははるかに少ない。刑法の改正は、法制審議会での議論等が必要となるが、刑法犯である業務上過失致死傷罪のうち、法人企業の事業活動で発生した事故に限定して「両罰規定」を導入する特別法を創設するのであれば、法制審議会の正式な手続は必ずしも必要とはならず、ハードルが低い』、次善の策としての導入論のようだが、個人が業務上過失致死傷罪の宣告を受けた場合にのみ、法人も罰せられることになる。しかし、肝心の個人への業務上過失致死傷罪適用自体のハードルが、JR福知山線脱線事故でもかなり高い現実のなかでは、実効性には心もとない気もする。
・『刑事公判が、「法人企業の安全コンプライアンス」を評価する場に  そして、重要なことは、法人企業への罰金刑については、事故防止のための十分な措置をとっていたにもかかわらず回避困難な事情によって事故が発生したことを法人企業側が立証した場合には、免責されるということだ。刑法の大原則である「責任主義」の観点から、役職員の犯罪行為について法人を処罰するためには、法人の責任の根拠がなければならない。両罰規定では、「行為者に対する選任監督上の過失」が、法人の責任の根拠とされてきた。その立証責任は、処罰を免れようとする法人側が負うこととされ、法人側が「選任監督上の過失がなかったこと」を主張立証しない限り、罰金刑を免れることはできない。 法人企業の業務に関して発生した事故で、法人を業務上過失致死傷罪で処罰するとすれば、「選任・監督上の過失」に相当するものとして考えられるのが「事故防止のための措置義務違反」だ。法人企業が、義務を十分に尽くしていたこと、回避困難な事情があったことを立証できれば、免責されることになる。法人企業に対する罰金の上限が、経営規模に見合うだけの水準に設定されれば、刑事責任を免れようとする法人企業は、事故防止のために十分な措置を講じていたことの立証が必要となる。万が一の事故が発生した場合、その立証を行うためには、企業が日常的に事故防止のための安全対策を十分に行うことが必要となり、事故防止にも大きく貢献することになる』、「法人側が「選任監督上の過失がなかったこと」を主張立証しない限り、罰金刑を免れることはできない」ということ自体は前進だが、それも個人が業務上過失致死傷罪の宣告を受けることが大前提となる。
・『業務上過失致死傷罪に両罰規定を導入する特別法の条文案を作った上で、「組織罰を考える会」での講演に臨み、「組織罰導入」の方向性を「両罰規定の導入」の方向に転換することを提案した。刑法の理論面にも関わる事柄だったが、多くの遺族の方々が真剣に耳を傾けてくれ、賛同が得られた。それ以降、会の活動は、この「両罰規定」の導入を目指す方向に向かっていった。 2016年4月、「組織罰を考える会」が発展した形で「組織罰を実現する会」が設立され、福知山線脱線事故の遺族の大森重美会長を中心に、「重大事故での加害企業への組織罰の導入」をめざす様々な活動が行われてきた。そして、それが、今回の山下新法務大臣との面会につながった』、一歩前進であることは確かだ。
・『重大事故遺族の心情の理解を  重大事故遺族がめざす「組織罰」の問題に向き合うためには、遺族の複雑な心情を理解する必要がある。 これまで、多くの重大事故で、刑事事件は不起訴となるか、起訴されても無罪に終わっている。企業活動に関して発生した事故で刑事責任を追及することは難しい。しかし、重大事故で肉親を失った遺族は、加害者の処罰、責任追及を強く求めてきた。それはなぜなのか。 第1に、「肉親の命が突然奪われたこと」に対して、その重大性に応じた社会の対応を求める気持ちである。その端的な方法が「加害者を処罰すること」であり、それが行われないことに対する強い違和感・抵抗感がある。しかし、仮に、加害者側が処罰されたとしても、遺族の思いはそれによって充たされるものではない。殺人事件の犯人に対するような恨み・憎しみとは異なる・・・「処罰してやれば文句ないだろう」「処罰のため最大限の努力をしているから理解しろ」という刑事司法関係者の考え方は、逆に、遺族の心情を傷つけるものなのだ。刑事処罰を求めることを通して、肉親の死を社会が忘れないようにしてほしい、というのが遺族の心情なのだ。 第2に、事故の真相究明を求める気持ちだ。そこには、「自分の肉親が亡くなった経過を知りたい。何がどうなって亡くなったのか、事故の状況を知りたい。」という切なる願いと、事故の真相解明によって、原因が究明され、事故の再発が防止されることで、失われた肉親の命を社会に役立てたいという思いがある。 しかし、加害者の刑事処罰が事故の真相の解明・究明につながるのかというと、実際には、そうではない。 一般的には、複雑な事故の過失犯の処罰は、事故の再発防止にはつながらない。厳罰化は、関係者から供述を得ることを困難にし、証拠が隠滅されるおそれもある。また、起訴されても、刑事事件の裁判で事故の真相が明らかになるのかと言えば、必ずしもそうではない。典型的な例が福知山線脱線事故だ。刑事裁判で問われた過失は「事故の8年前に、山崎元社長が鉄道本部長だったときに、ATSを設置すべきだった。」というもので、刑事裁判での争点は、事故の8年前における企業の措置の適否だった。実際の事故の場面が裁判で明らかになったわけではなかった。 むしろ、事故の原因調査のための体制や権限の充実を通して、遺族にも納得してもらえるよう、事故調査のプロセスと調査結果の透明化を図っていくというのが合理的な考え方であり、そのためには、事故原因の真相解明に最も近い立場にある加害企業が、積極的に関わることが不可欠だと言える。 重大事故の遺族の心情は、加害者の処罰への欲求と、真相解明の要請とが、ある面では相反しつつ、複雑に絡み合っている。そういう遺族の複雑な心情を理解した上で、加害者の処罰に関する法制度を検討していく必要がある』、事故原因の真相解明や真の再発防止策策定には、米国のように加害者の刑事責任を不問にするという考え方もあるが、この点に触れてないのは残念だ。
・『過去の重大事故で「両罰規定による法人処罰」は可能か  では、業務上過失致死傷罪に対する両罰規定が設けられていた場合、過去の重大事故について法人企業を処罰することができただろうか。 まず、福知山線の脱線事故については、運転手は既に死亡しているが、事故の状況は事故調査報告書によって明らかになっている。「車掌との電話に気を取られ、急カーブの手前で減速義務を怠った」ということが立証できれば、運転手についての業務上過失致死傷罪の成立は立証できる可能性が高い。問題は、そういう運転手の過失による事故を防止するために、JR西日本が十分な安全対策をとっていたと言えるのかだ。その点について、JR西日本側が立証し、事故防止のための措置が十分だったと認められないと、JR西日本に対して有罪判決が言い渡されることになる。 2016年の軽井沢のバス転落事故の例では、運転手が排気ブレーキをかけることなく加速して、制限速度を大幅に超過した状態で下り坂カーブに突っ込めば、横転し、大破して乗客が死亡することを予見できた。適切にギアを入れたり、ブレーキを踏むなどして事故を回避することができたという前提で考えれば、死亡した運転手についての業務上過失致死傷罪の立証は可能だと思われる。それについて、会社側がどのような対策を講じていたのかが問題になるが、十分な対策を講じていなかったことは明らかであり、会社が有罪となる可能性が高い。 一方、2012年に起きた笹子トンネルの事故のように、組織としての企業には安全対策の不備が指摘されていても、行為者個人の過失を特定して、人の死傷という結果が生じたこととの因果関係を立証することが困難な事故については、両罰規定による法人企業の処罰は容易ではない』、福知山線事故や軽井沢のバス転落事故のように、運転手が死亡している場合でも、起訴し有罪にすることが必要になる。笹子トンネルの事故は指摘の通りだ。
・『しかし、一定の範囲に限られるものであっても、重大事故の刑事裁判で法人企業の刑事責任が問われ、企業の側が事故防止に向けての措置を立証することになれば、企業の事故防止コンプライアンスを刑事裁判の俎上に載せることができる。社会全体が、企業活動に伴う重大事故の防止に向き合っていく一つの契機になるのではないか。 それは、事故で失われたかけがえのない肉親の命を社会に活かしてもらいたいと心から願い、街頭署名活動まで行って「組織罰の実現」をめざす遺族の思いに応えるものなのではなかろうか』、その通りだろう。
・『日本の法人処罰のブレイクスルーとなるか  業務上過失致死傷罪に両罰規定を設ける立法が行われることで、重大事故についての法人処罰が導入され、企業の事故防止に向けての措置・対策が十分であったことを立証した場合に法人が免責されることになれば、法人企業の事故防止に向けてのコンプライアンスが、刑事裁判で具体的に評価・判断されることになる。それは、検察の立証の限界から企業活動の実態を反映させることが難しかった従来の刑事裁判を、企業活動のリアリティに沿ったものに転換させていくことにもつながる。 一方で、今年6月施行の刑訴法改正で導入された「日本版司法取引」(捜査公判協力型協議合意制度)に関しても「法人処罰」は動き始めている。初適用事案となった、タイの発電所建設事業をめぐる不正競争防止法違反(外国公務員への贈賄)事件では、三菱日立パワーシステムズと東京地検特捜部との間で「犯罪を実行した役職員の捜査に協力する見返りに、法人としての同社に対する刑事処罰を免れさせる合意」が行われた。この事例では、法人が積極的に内部調査を行って自社の役職員が行った犯罪事実を明らかにし、その結果に基づいて捜査当局に協力する「コンプライアンス対応」が法人の刑事責任の軽減・免除に値すると評価された。それは、「法人の事後的なコンプライアンス対応」という面から、法人自体の責任を独立して評価するものだ』、ただ、三菱日立パワーシステムズの判断には、「社員を売った」との批判もある。「コンプライアンス対応」のためには、そもそも「外国公務員への贈賄」など決してやってはいけない、ということなのだろう。
・『自然人個人に対する道義的責任が中心の日本の刑事司法では、これまで、法人処罰はあまり注目されて来なかった。それを大きく変えることになり得るのが、業務上過失致死傷罪への両罰規定の導入と、日本版司法取引による法人企業の免責だ。重大事故に至るまでの法人企業の事故防止コンプライアンスへの取組みを評価して法人の刑事責任の減免を決するという「事前のコンプライアンス」評価と、役職員による犯罪の疑いを発見した企業による内部調査の徹底という「事後のコンプライアンス」の評価の両面から法人の刑事処罰が判断されることになれば、刑事司法における法人処罰の位置づけは、これまでとは全く異なったものとなる。企業のコンプライアンスの実質的評価が刑事実務として定着することで、日本の「経済司法」のレベルを大きく向上せることにもつながるであろう。 「組織罰の実現」を求め活動を続ける重大事故遺族の思いに応えることができるか。日本の法人処罰に画期的なブレイクスルーをもたらすことができるか。検察実務にも、刑事立法実務にも精通した山下新法務大臣の真価が問われている』、新内閣全体としては、期待できないが、山下新法務大臣には大いに期待したい。

次に、10月17日付けNHK時論公論「松橋事件 再審は誰のために」を紹介しょう。
http://www.nhk.or.jp/kaisetsu-blog/100/307488.html
・『30年以上前の殺人事件で、先週、最高裁判所は、再審・裁判のやり直しを認める決定を出しました。「松橋事件」と言われ、犯人とされた男性は今後、この事件で無罪が言い渡される公算が大きいとみられます。 事件は、今の日本の再審制度が抱える問題点をいくつも含んでいます。この事件と制度の課題を考えます。
【ポイント】●今回は、「新しい証拠」が裁判の後になって出てきました。 ●そして再審請求が最高裁まで争われたことは適切だったのか。 ●最後に、再審は誰のためにあるのか、その理念についてです。
【松橋事件とは】昭和60年に、当時の熊本県松橋町、今の宇城市の住宅で、59歳の男性が刃物で刺されて殺害されているのが見つかりました。将棋仲間だった宮田浩喜さんが殺人などの疑いで逮捕されます。 捜査段階で、いったん犯行を認める「自白」をした宮田さんですが、一審の途中から「うその自白をさせられた」と無罪を主張しました。 昭和61年。熊本地裁は懲役13年を言い渡しました。2年後に福岡高裁も同じ判決。さらにその2年後の平成2年に最高裁で確定しました。
【再審の決め手は】この事件で、犯人であることを明確に示す証拠は「自白」だけでした。捜査段階の供述の概要は「シャツの左袖から布を切り取り、小刀の根本に巻き付けて男性を刺した。刃物はよく洗い、布は焼いた」などとする内容です。実際、凶器とされた刃物から血液は検出されず、布もありませんでした。 ところが判決確定後、再審の準備をしようとした弁護団が、検察庁に5枚の布が保管されていたことを知ります。 この布は組み合わせると、1枚のシャツに復元されました。「燃やした」はずの左袖も見つかりました。さらに、左袖の布には血液がついていなかったことも分かりました。これらは「自白」と明らかに矛盾します。 もう一度年表に戻ります。弁護団によるとこの証拠が明らかになったのは平成9年。有罪確定の7年後でした。裁判をしている間、検察はこの証拠があることを、明らかにしませんでした。 平成11年、宮田さんは仮出所します。弁護団は平成24年に再審請求。その後、裁判所の勧告を受けて、さらにおよそ90点の証拠が開示されます。 結局この布や遺体の傷に関する専門家の鑑定などが決め手となって、熊本地裁は再審開始を決定、福岡高裁も再審を認めました。 捜査機関は自分に不利な証拠を、裁判には出さず抱え込んでいたことになります。弁護団から「ずさんな捜査の上、裁判で証拠を隠していた」と批判の声が上がるのも、当然でしょう』、捜査機関が自分に不利な証拠を裁判には出さず抱え込んでいた、とは驚くべき不誠実さだ。
『・【証拠開示の制度は】この事件は、▽自白に依存した有罪判決が、+新たに開示された証拠で重要な事実が明らかになり、+これまでの判断が覆されるという典型的なケースです。過去にも同じような経緯をたどった再審事件がありました。しかしなぜ、繰り返されるのでしょう。 課題の1つに、証拠の取り扱いがあります。裁判員制度の導入などをきっかけとして、裁判の前に、検察がすべての証拠をリストにして弁護側に示すという制度が導入されました。 しかし、再審請求は、この対象になっていません。証拠をどこまで出すよう求めるかは、裁判官に裁量がゆだねられています。 専門家からは、再審請求についても、証拠開示を制度化するよう求める意見が上がっています。今回をきっかけに、制度の検討にむけた議論を始めるべきではないでしょうか』、証拠開示制度で再審請求が対象外になった理由は何なのだろうか。当然、対象に含めないと同様のことが繰り返されるだけだ。
・『【特別抗告は必要だったのか】宮田さんは現在85歳。認知症が進行し、弁護団によると体も弱って一人では歩くこともできないといいます。 検察は、地裁の決定を不服として抗告し、去年の福岡高裁の決定に対しても、最高裁に特別抗告していました。特別抗告が認められるのは、憲法違反や最高裁判例と異なる判断があった場合などに限定され、実際にその判断が覆ることは、まれです。それでも検察は争い続けました。 この間も宮田さんの体調は悪化します。父親のために再審請求をしていた長男も去年、病気で亡くなりました。 最高裁では判断が出るまで数年かかるケースも珍しくありません。ところが今回、最高裁はわずか11か月で検察の特別抗告を退けました。さらに最高裁は今回「職権判断」をつけることも一切なく、文字通り検察を「門前払い」しました。これは最高裁が、今回の特別抗告に対する冷ややかな意思を示したとも感じられます。検察は最高裁の決定を重く受け止めるべきでしょう』、検察が面子だけで特別抗告した責任を問うべきなのではなかろうか。
・『すでに自白の核心部分が新証拠で大きく崩れたうえ、地裁と高裁で2度も再審が認められたのに、有罪だと主張し続け最高裁まで争う必要性はあったのか。本人の年齢や健康状態も考慮できたのではないでしょうか。 最高裁には今、「大崎事件」という別の再審請求事件もあります。こちらも地裁と高裁が再審開始を認めたのに対し、検察が最高裁に特別抗告をしています。請求人は91歳です。検察がすでに出されている再審開始決定の取り消しを最高裁まで求めることの妥当性は、今後も議論になるでしょう』、NHK流の言い方だが、特別抗告で恥の上塗りをするだけだ。
・『【再審は誰のために】再審制度は、戦前もありました。では、日本で最初の再審無罪とはどんな事件でしょうか。はっきりとした記録を見つけることはできませんでしたが、戦後、最高検検事や広島高検検事長などを務めた岡本梅次郎氏は、東京控訴院検事時代に自ら担当した昭和9年の新潟の放火事件が、「初の再審無罪だ」とする回想を残しています。 この事件の最大の特徴は、検察が再捜査して、昭和13年に自ら再審手続きをとったことです。岡本氏は当時の捜査がずさんだったと認めたうえで「記録を調べ、再捜査を行った結果、犯行を認める供述をした別の男が真犯人で、服役した男性は無罪だったと判断し、この男性を促し自らも再審手続きをした」などと回想しています・・・当時の新聞記事にも「検事局が進んで再審手続きを行った」と書かれています。 しかも回想によれば、上司だった検事長や次席検事も報告を聞いて何度も激励し、再審無罪となったことを「よくやった」とねぎらったということです。 当時は司法制度が今とは大きく異なるうえ、事実が判明した経緯も全く違うため、直接比較することはできません。 ただ、回想から伝わってくるのは、事実に対する謙虚さです。自らのメンツのため、ただやみくもに争うのではなく、裁判の誤りを正し、無実の人を救うという再審制度の理念を、岡本梅次郎氏やその上司が、理解していたことがうかがえます。 法律は再審請求を、有罪が確定した人の「利益」のためにあると記しています。 最高検察庁は今回「決定を厳粛に受け止め、再審公判において適切に対処したい」とするコメントを出しました。 今後は、改めてこの事件の裁判が行われます。無罪の公算がすでに大きいことから、裁判所は1日も早く裁判を行って、宮田さんの名誉を回復すべきだと思います』、戦前の検事局は立派だ。本来はその血を引いている筈の検察庁も、見習うべきだろう。

第三に、ジャーナリストの岩瀬 達哉氏が10月29日付け現代ビジネスに寄稿した「岡口基一裁判官、独占インタビュー「言論の自由を封殺した最高裁へ」 そして、驚くべき司法の内情について」を紹介しよう。
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/58177
・『ツイッター上での活発な発言で有名な岡口基一・東京高等裁判所判事。最高裁判所は今月、その岡口氏に対して、ツイッター上での発言を理由に「戒告」の処分を下した。だが岡口氏は、この決定が極めて多くの問題を含んでいるとしている。今回の決定の危うさ、そして、現在の司法の知られざる内情について、「週刊現代」誌上で本人が語った。 今回の処分によって、一時的であれ、私の言論が封殺されただけでなく、明らかに裁判官の表現の自由は制限されました。 これまでは、すでに確定した判例について個人情報を完全に秘匿した状態のもの、いわば「事例」化された判例については、ネット上で自由に議論がされてきました。しかし今回の分限決定で、事実上、裁判官がネット上でこういう議論に参加することができなくなったことは明らかです。 しかし少なくとも、私が成功したことは、最高裁が、いかにいいかげんな判断をしているかってことを世に知らしめたことです。 一般の方は、最高裁は正しい手続きを踏んで正しい決定をしていると信じている。しかしそうではなかった。あり得ない事実認定しかできない裁判官、そして手続保障を全く理解していない裁判官が、こんな適当な決定をしていたわけです。 そもそも処分というのは、基本的には故意に悪いことをしたときにするものです。しかし今回は、故意による行為でもない。最高裁の歴史に残る恥ずかしい決定になるでしょう。ちなみに、テレビを買えばNHKの受信料を支払わなければならないとした最高裁判決は、今回の処分を下したのと同じ最高裁長官と最高裁判事たちによるものです。』、驚くべき最高裁の暴挙だ。
・『愕然とする決定  最高裁大法廷・・・は、10月17日、東京高裁の岡口基一判事への「戒告」処分を決定した。 「ブリーフ裁判官」として知られる岡口判事は、白ブリーフ姿の自撮り写真をツイッターのカバーページに掲げ、法律問題から時事問題、さらには性の話題まで多岐にわたってツイートしてきた。 処分の対象となったのは、今年5月、犬の返還訴訟について報じた新聞記事のURLを添付し、こうツイートしたことだった。〈公園に放置されていた犬を保護し育てていたら、3か月くらい経って、もとの飼い主が名乗り出てきて、『返してください』『え? あなた? この犬を捨てたんでしょう? 3か月も放置しておきながら…』『裁判の結果は……』〉 このツイートによって、「もとの飼い主」は感情を傷付けられたと、東京高裁に抗議。同高裁の林道晴長官は、岡口判事にツイートをやめるよう強要したものの、応じなかったため、最高裁に懲戒を申し立てていたものだ。 最高裁大法廷は、岡口判事のツイートは、裁判所法49条で定める「品位を辱める行状」にあたるとして、14名の最高裁判事の全員一致意見として、戒告を言い渡したのである。 正直、最高裁の決定には愕然としました。 最高裁の判断を整理すると、次のようになります。このツイートを一般人が読めば、私が「もとの飼い主」が訴訟を起こしたこと自体を非難していると受け止める。裁判官が、訴訟を起こしたこと自体を非難していると一般人に受け止められるようなツイートをすることは、裁判官の「品位を辱める」行為である。だから処分するというものです。 しかしこの事実認定は、いくらなんでも無理がある。私のツイートから、犬を捨てたことを非難してると思う人はいるかもしれません。しかし、訴訟を起こしたこと自体を私が非難していると受け止める人など、いないですし、いたとしてもそれが「一般的」とはとても言えません。 すでに多くの法曹実務家や学者が、この点について、ありえない事実認定であると指摘しています。 しかも、東京高裁が提出した「懲戒申立書」は、私が「もとの飼い主を傷つけるツイートをしたこと」を懲戒理由として設定していました。それなのに、決定の結論は、そうではなく、「裁判を起こしたこと自体を非難していると一般人に受けとめられるようなツイートしたこと」を戒告理由としているのです。 つまり、当初はもとの飼い主の話として申し立てられたものであるのに、最終的には、一般人に誤解を招くツイートをした点が問題であると、話が変わっているのです。 戒告処分は不利益処分ですから、処分される側に弁明の機会を保障し、十分に防御ができるように、いかなる行為について懲戒を申し立てるのかを、「申立て理由」書に正確に書いておかなければならない。 でないと、十分な弁明や防御ができず、裁判の公正な手続きが実践できないからです。しかし、結果はいま申し上げた通り。「申立ての理由」と最終的な決定にズレが出ている。こんな不意打ちを、最高裁がやるとは夢にも思っていませんでした。 しかも、分限裁判は、当局が訴えて当局が裁くという、もともと不公平な裁判です。そのため、当局が勝手なことをできないように、かつて「寺西判事補事件」を審理した最高裁大法廷判決は、補足意見において「手続きは公開の場で行われるべき」と指摘しているのです。 この補足意見を根拠に、司法クラブに所属する新聞社、テレビ局の全社が、事前に傍聴の要請をしていたにもかかわらず、当局はそれを拒否。非公開の場で行なったうえ、こちらが、いろんな釈明をしたにもかかわらず、それにも一切答えず、わずか1回の審理で終結してしまったのです』、最高裁の姿勢は全く不可解だ。非公開の場でこそこそと処理したのは、恥部を覆い隠そうとしたためなのだろう。
・『素人のエッセイのような…  処分後、岡口判事は、司法記者クラブで会見し、確たる証拠のないまま最高裁がいい加減な認定をしたことや、公正な裁判手続きを保障しなかったことなどを理由に、処分の不当性を訴えた。 適正手続きは、裁判の命である。裁かれた者が、たとえ主張が入れられなかったにしろ、公正な審理を受けたと納得できる裁判を、なにゆえ最高裁は行わなかったのか。 大法廷決定の理不尽さとともに、最高裁を頂点とした裁判所の病理について、岡口判事が続ける。 しかしそれ以上に驚かされたのは、3人の最高裁判事が共同執筆した「補足意見」です。あの意見は、ヒステリックに私を非難するものであって、品格があるはずの最高裁の補足意見とはとても思えない。素人の、エッセイのようなものです。 補足意見は、元通産官僚で内閣法制局長官を務めた山本庸幸(つねゆき)、元外務官僚で英国大使を務めた林景一、弁護士出身の宮崎裕子の3判事が執筆。彼らはとりわけ、岡口判事の「2度目の厳重注意」を問題視していて、こう述べた。〈私たちは、これは本件ツイートよりも悪質であって、裁判官として全くもって不適切であり、裁判所に対する国民の信頼をいたく傷つける行為であるとして、それ自体で懲戒に値するものではなかったかとも考えるものである〉〈本件ツイートは、いわば『the last straw』(ラクダの背に限度いっぱいの荷が載せられているときは、麦わら一本積み増しても、重みに耐えかねて背中は折れてしまうという話から、限度を超えさせるものの例え)ともいうべきものであろう〉 要するにこの補足意見は、本件ツイートは「麦わら一本」程度のものでしかなく、実際には過去のツイートで処分したんだと、自白しちゃってる。 そうであれば、最初から、「懲戒申立書」に、過去のツイートが主な対象である旨を明記しておく必要があります。何を対象として申し立てられているのかがわからないままでは、反論の機会が与えられたとは到底いえず、裁判の公正な手続きが実践できないからです。この意見は、気に入らない奴を裁くのに、公正な手続きなど必要ないんだと言っているのも同然でしょう。 裁判での審理というのは、感情をぶつける場じゃない。冷静に、事実認定と法的判断を普通にやる場です。そういう場に、裁判の手続保障について、この程度の理解しかない人たちを入れるのは、よくないんじゃないですかね』、補足意見は確かに驚くべき内容だ。
・『憲法上の問題があった  補足意見が問題にした岡口判事のツイートは、昨年12月、最高裁のウェブサイトに掲載された性犯罪事件の判決文を紹介したもの(ただし個人情報は秘匿されている)。岡口判事は判決文のURLを、ツイッターの画面に添付したうえで、こうつぶやいていた。〈首を絞められて苦しむ女性の姿に性的興奮を覚える性癖を持った男 そんな男に、無残にも殺されてしまった17歳の女性〉 補足意見の裁判官らは、遺族の方が私のつぶやいた文言に傷ついたとしています。しかし被害者の女性の遺族は、もともと判決文を裁判所が公開したことに抗議していた。判決文を公開したのは、私ではなく最高裁です。 それがいつの間にか、私のツイートの文言で傷ついたに変わり、それに基づいて私の厳重注意処分がなされました。しかしそれが終わると、再び、判決文を裁判所のウェブサイトに載せられたことに傷ついたという主張に戻っている。この事実は、私のブログのコメント欄に遺族の方が自ら投稿しています。そして毎日新聞の報道によれば、更に考えを変えて、私のおちゃらけたツイッターで紹介されたことで傷ついたと、4回も「傷ついた理由」を変えているんです。これって、どういうことなのでしょうか』、女性の遺族の抗議まで「改竄」するとは、悪質極まりない。
・『また今回は、表現の自由や裁判官の独立などの憲法上の問題があったのですが、それについて最高裁が全く判断しなかった――つまり、「憲法判断」がなかったことも指摘しておく必要があります。 実は、現在、最高裁には憲法学者が一人もいないのです。そのためか、金沢市役所前広場事件という表現の自由が大きな問題になった事件で、最高裁は、憲法判断をしないどころか、判決の理由を明確に論じない、いわゆる「三行半判決」で終わらせました。そういう流れがあるということも押さえておかなければなりません』、「最高裁には憲法学者が一人もいない」というのには驚かされた。確かに憲法学者の殆どが安保法制に違憲論を唱えるなど、安倍政権にとっては、「目の上のタンコブ」なのかも知れないが、「一人もいない」というのは憲法軽視そのものだ。
・『自由な議論が抑制されてしまう  岡口判事のツイッターは2008年から始められ、一日20回程度のツイートを行ってきた。フォロワーは常時、約4万人を数えていたが、東京高裁長官が分限裁判を申し立てるや、研究者用に発信している別のブログが一挙に50万アクセスを突破。その途端、理由不明のまま、ツイッターのアカウントは凍結されてしまった。いまは、アクセス不能の状態にある。 私のツイッターアカウントの読者のほとんどは、法曹関係者や法学部の学生など、法律に関係している方々です。 今回、私が処分される原因になった犬の飼い主に関するツイートにしても、犬の所有権がどちらの側にあるかって結構、面白い事件なので、ロースクール生とか法学部の学生に考えてほしくて載せただけ。元の飼い主を非難する考えなど毛頭もない。 確定した裁判例について、個人情報を完全に隠して、いわば「事例」化したものについて、自由に論じるというのは、たとえ、それによって、当該事件の当事者が傷つくことがあっても、それは許されるというのが、これまで長い間続いてきたルールです。日本の法律学を発展させるためには、実際の事件を題材として議論するのが一番だからです。 そして、こういう議論には、専門家である裁判官も当然に関与することができ、これまでも関与してきました。私も今回このルールにしたがっただけです。 ネット社会では、ネット上で、その議論がされるわけで、今回の犬の裁判についても、法律家や学者がネット上で議論をしています。例えば、明治大学の教授は、今回の犬の裁判について、ネット上で評釈しており、その内容は「もとの飼い主」を傷つける内容ですが、これは完全に許されている行為なのです。 こういう議論は、当事者を傷つけないように、国民の目に触れないとこでこっそりやるようにしましょうという動きになる方が、むしろ危険です。情報公開・国民の知る権利は、国民主権・民主主義の基本であって、国民が自由に議論をすることは何よりも保護されるべきものだからです。情報の隠蔽はそこに新たな権力を生むだけです。 凍結されているツイッターについて言えば、ツイッター社が、いかにおかしなことをするかを示すため、そのまま放置し、別アカウントを作る気はありません。だから、いまはフェイスブックを中心に発信しているんです』、ツイッター社も最高裁や東京高裁から凍結を要請されたら、驚いて従ってしまったのだろう。「情報の隠蔽はそこに新たな権力を生むだけです」とはその通りだ。
・『裁判所の権威を守るための「秘密のベール」  裁判官がSNSに投稿したことで戒告処分を受けるのは、今回がはじめて。過去の戒告は、破廉恥行為や怠慢行為などに下されている。以下は、最近のおもな事例だ。
 +2001年10月、痴漢行為によって神戸地裁元所長が戒告。のちに依願退官。
 +2013年10月、福岡地裁判事が、女性の司法修習生へのセクハラ行為で戒告。のちに依願退官。 +2018年6月、岐阜地裁判事が、判決文を完成させないまま判決を言い渡していたとして戒告。のちに依願退官。
 裁判所には、ブログはやるなという基本方針があるんです。以前、ドイツに留学していた女性裁判官がブログをやっていたのを当局が聞きつけた途端、閉鎖になってしまった。また、家庭裁判所の調査官でブログをやっていた人がいたのですが、次席調査官室に呼びつけられ、ネチネチやられて、結局やめちゃった。 裁判所がなぜ、裁判官のブログを嫌がるかというと、どんな人が、どんなことをしているか知られたくないからでしょう。秘密のベールに包んでおけば、権威は高まりますから。 実際、20代で裁判官になっても、一人前になるには時間がかかりますから。彼らの実力を知られたら困るわけです。 司法試験って、基本法しかやらない。ところが裁判の現場では、いろんな法律があって、住民訴訟なんて、地方自治法を一度も読んだことないのに、いきなりやらされたりする。そういう職場環境のもとで、よくわからないまま難しい事件を次々担当させられるので、みんな自信を持てないでいるんです。 じゃ、勉強すればいいじゃないかとなりますが、勉強する時間もない。仕事が一杯一杯で、土日も判決書いてますから。 裁判官の仕事って、社会的なことを知らなくてはいけないし、法律も知らなくてはいけない。しかも法律はどんどん変わる。だから全部のことがわかって、自信をもって判決書けるという人は非常に少ない。たいていは、「判例秘書」という判例検索ソフトで、過去の似たような事件の判決を探しだしては、ああ参考例があってよかった、これを真似すれば判決が書けると言って、コピペしたりしている』、裁判官の実態がそんな程度であれば、確かに「秘密のベールに包んで」おこうとする態度も理解できなくもない。
・『他方で、スーパーエリートであった某裁判官が、自信を持って、信念に基づいて国を負けさせ続けたところ、みごとに左遷されてしまいました。東京に戻ることもかなわずに今年の5月に名古屋で定年となりました。するとみんな、国を負けさせるとヤバいんだなとわかる。見せしめをひとりつくれば、下手に締め付けなくても、裁判官を自発的に隷従させることができる。そんな組織になってしまっている。 さすがに私も、裁判所という世界に若干、嫌気がさしてるのですが、処分を受けたことで逆に辞められなくなってしまった。法曹界のいろんな方々から、辞めないで発言を続けるようにといった励ましのメールがどんどん届いているうえ、職場でも冷たくされるどころか、もっと頑張ってみんなの弾除けになって下さいって言われるものですから』、「もっと頑張ってみんなの弾除けになって下さい」には微笑んでしまった。
・『「プロ」の裁判官が減ってきた  裁判官って、弱いんですよ。ひとりひとりは、ただのサラリーマンですから。 とりわけ司法制度改革のあとは司法試験の合格者が急増していて、この20年間で弁護士人口は2倍強に増えた。弁護士が余っていて、裁判官を辞めても弁護士に転身できないんです。 だから当局に睨まれることなく、賢くやっていきたいという自信のないヒラメ裁判官が増えることになる。多少の不利益を受けてもいいから、本を書いて、ほかの裁判官の役に立とうという奇特な人はいなくなりました。今では、本を書くと裁判官としての成績評価に響くといった「都市伝説」があるくらいです。 どこの世界も、プロがいなくなってきたと言われていますが、ウチも同じ』、司法制度改革は弁護士に影響しただけと思っていたら、裁判官にまで間接的に影響していたとは・・・。
・『基本的な司法の役割すらわかっていない裁判官がいます。なぜ、わからないかといえば、誰も教えないからです。それにワーク・ライフ・バランスで、週に何回かは早く帰らなくちゃならない。そうなると職場の飲み会もなくなる。先輩が後輩に教えるシステムが断絶してるんですね。 だからというわけではないのですが、これからはツイッターに替えて、フェイスブックで若い裁判官などに、司法の本質論を伝えていきたいと思っています。 三権分立のなかで、立法と行政は多数決原理ですから、必然的に少数者は追いやられる。その少数者の権利を誰が守るのかといったら、司法しかありません。 ヘイトスピーチとか、LGBTの話とか差別されている人たちがいて、この人たちの権利を守るのは、われわれの守備範囲なんですよと。そちらに目を向けてもらえるよう情報発信を続けていくつもりです。 二度目の戒告を受けることになるかもしれませんが、そういうことは気にしないでやっていくつもりです。私はなによりも自分自身の表現の自由を守りたいからです。自分の表現の自由すら守れない裁判官が、他人の表現の自由を守れるはずがありません』、東京高裁にこんな骨のある岡口判事のような立派な人物がいたとは、かすかな光明だ。今後の活躍を期待したい。
タグ:郷原信郎 (その11)(業務上過失致死傷罪への”組織罰”導入で問われる山下新法相の真価、松橋事件 再審は誰のために、岡口基一裁判官 独占インタビュー「言論の自由を封殺した最高裁へ」 そして 驚くべき司法の内情について) 司法の歪み 同氏のブログ 「業務上過失致死傷罪への”組織罰”導入で問われる山下新法相の真価」 山下貴司法務大臣 「組織罰を実現する会」のメンバーと面談 検察、法務省の豊富な実務経験を有する初めての法務大臣 業務上過失致死傷罪への両罰規定の導入という刑事司法にとって重要な問題に関して、重大事故の遺族の声に耳を傾けてくれたことで、就任早々の面談が実現 組織罰実現をめざす重大事故遺族の活動 桐蔭横浜大学法科大学院 コンプライアンス研究センター JR西日本福知山線脱線事故 イギリスの「法人故殺罪」のように、法人企業の事業活動において人を死傷させる事故が発生した場合に、その「法人組織の行為」について「法人自体の責任」を追及する制度 日本の刑事司法は、従来から、犯罪行為を行った自然人個人の処罰が中心で、法人に対する処罰は付随的なものだ 現実的な立法としての「業務上過失致死傷罪への両罰規定の導入 「両罰規定」を、法人の事業活動に伴って発生する業務上過失致死傷罪に導入する特別法の立法の提案 両罰規定というのは、法人または人の業務に関して「犯罪行為」が行われたときに、その行為者を処罰するのに加えて、法人に対しても罰金刑を科す規定 業務上過失致死傷罪に両罰規定を導入すれば、法人の役職員個人について業務上過失致死傷罪が成立する場合に、法人の刑事責任を問うことができる 「両罰規定」の活用であれば、立法上の問題ははるかに少ない 刑法の改正は、法制審議会での議論等が必要 「両罰規定」を導入する特別法を創設するのであれば、法制審議会の正式な手続は必ずしも必要とはならず、ハードルが低い 刑事公判が、「法人企業の安全コンプライアンス」を評価する場に 両罰規定では、「行為者に対する選任監督上の過失」が、法人の責任の根拠とされてきた。その立証責任は、処罰を免れようとする法人側が負うこととされ、法人側が「選任監督上の過失がなかったこと」を主張立証しない限り、罰金刑を免れることはできない 重大事故遺族の心情の理解を 過去の重大事故で「両罰規定による法人処罰」は可能か 日本の法人処罰のブレイクスルーとなるか NHK時論公論 「松橋事件 再審は誰のために」 最高裁判所は、再審・裁判のやり直しを認める決定 捜査段階で、いったん犯行を認める「自白」をした宮田さんですが、一審の途中から「うその自白をさせられた」と無罪を主張 熊本地裁は懲役13年を言い渡しました。2年後に福岡高裁も同じ判決。さらにその2年後の平成2年に最高裁で確定 証拠は「自白」だけでした 検察庁に5枚の布が保管されていたことを知ります。 この布は組み合わせると、1枚のシャツに復元されました。「燃やした」はずの左袖も見つかりました。さらに、左袖の布には血液がついていなかったことも分かりました。これらは「自白」と明らかに矛盾します 裁判をしている間、検察はこの証拠があることを、明らかにしませんでした 弁護団から「ずさんな捜査の上、裁判で証拠を隠していた」と批判の声 裁判員制度の導入 裁判の前に、検察がすべての証拠をリストにして弁護側に示すという制度が導入 再審請求は、この対象になっていません 特別抗告は必要だったのか 最高裁は今回「職権判断」をつけることも一切なく、文字通り検察を「門前払い」 今回の特別抗告に対する冷ややかな意思を示した 大崎事件 別の再審請求事件もあります 再審は誰のために 昭和9年の新潟の放火事件 検察が再捜査して、昭和13年に自ら再審手続きをとったことです 法律は再審請求を、有罪が確定した人の「利益」のためにあると記しています 岩瀬 達哉 現代ビジネス 「岡口基一裁判官、独占インタビュー「言論の自由を封殺した最高裁へ」 そして、驚くべき司法の内情について」 岡口基一・東京高等裁判所判事 最高裁判所 ツイッター上での発言を理由に「戒告」の処分 私の言論が封殺されただけでなく、明らかに裁判官の表現の自由は制限されました 今回の分限決定で、事実上、裁判官がネット上でこういう議論に参加することができなくなったことは明らかです 最高裁の歴史に残る恥ずかしい決定 ブリーフ裁判官 犬の返還訴訟 公園に放置されていた犬を保護し育てていたら、3か月くらい経って、もとの飼い主が名乗り出てきて、『返してください』『え? あなた? この犬を捨てたんでしょう? 3か月も放置しておきながら…』『裁判の結果は…… このツイートによって、「もとの飼い主」は感情を傷付けられたと、東京高裁に抗議。同高裁の林道晴長官は、岡口判事にツイートをやめるよう強要したものの、応じなかったため、最高裁に懲戒を申し立てていたものだ 最高裁大法廷 裁判所法49条で定める「品位を辱める行状」にあたるとして、14名の最高裁判事の全員一致意見として、戒告を言い渡したのである 私のツイートから、犬を捨てたことを非難してると思う人はいるかもしれません。しかし、訴訟を起こしたこと自体を私が非難していると受け止める人など、いないですし、いたとしてもそれが「一般的」とはとても言えません 懲戒申立書 もとの飼い主を傷つけるツイートをしたこと」を懲戒理由 決定の結論 、「裁判を起こしたこと自体を非難していると一般人に受けとめられるようなツイートしたこと」を戒告理由 いかなる行為について懲戒を申し立てるのかを、「申立て理由」書に正確に書いておかなければならない 分限裁判は、当局が訴えて当局が裁くという、もともと不公平な裁判 寺西判事補事件 最高裁大法廷判決は、補足意見において「手続きは公開の場で行われるべき」と指摘 この補足意見を根拠に、司法クラブに所属する新聞社、テレビ局の全社が、事前に傍聴の要請をしていたにもかかわらず、当局はそれを拒否。非公開の場で行なったうえ わずか1回の審理で終結 3人の最高裁判事が共同執筆した「補足意見」 ヒステリックに私を非難するものであって、品格があるはずの最高裁の補足意見とはとても思えない。素人の、エッセイのようなものです 性犯罪事件の判決文を紹介 被害者の女性の遺族は、もともと判決文を裁判所が公開したことに抗議していた。判決文を公開したのは、私ではなく最高裁です それがいつの間にか、私のツイートの文言で傷ついたに変わり、それに基づいて私の厳重注意処分がなされました 表現の自由や裁判官の独立などの憲法上の問題があったのですが、それについて最高裁が全く判断しなかった 現在、最高裁には憲法学者が一人もいないのです 金沢市役所前広場事件という表現の自由が大きな問題になった事件で、最高裁は、憲法判断をしないどころか、判決の理由を明確に論じない、いわゆる「三行半判決」で終わらせました 自由な議論が抑制されてしまう ツイッターのアカウントは凍結 国民の目に触れないとこでこっそりやるようにしましょうという動きになる方が、むしろ危険 情報の隠蔽はそこに新たな権力を生むだけです いまはフェイスブックを中心に発信 裁判所の権威を守るための「秘密のベール」 裁判所には、ブログはやるなという基本方針があるんです 裁判所がなぜ、裁判官のブログを嫌がるかというと、どんな人が、どんなことをしているか知られたくないからでしょう。秘密のベールに包んでおけば、権威は高まりますから 20代で裁判官になっても、一人前になるには時間がかかりますから。彼らの実力を知られたら困るわけです 自信をもって判決書けるという人は非常に少ない たいていは、「判例秘書」という判例検索ソフトで、過去の似たような事件の判決を探しだしては、ああ参考例があってよかった、これを真似すれば判決が書けると言って、コピペしたりしている スーパーエリートであった某裁判官が、自信を持って、信念に基づいて国を負けさせ続けたところ、みごとに左遷されてしまいました プロ」の裁判官が減ってきた 司法制度改革 弁護士が余っていて、裁判官を辞めても弁護士に転身できないんです 基本的な司法の役割すらわかっていない裁判官がいます 先輩が後輩に教えるシステムが断絶
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東京都の諸問題(その15)豊洲以外の問題7(小田嶋氏:「言い訳にすぎない」と言えるのは、自分だけ) [国内政治]

昨日に続いて、東京都の諸問題(その15)豊洲以外の問題7(小田嶋氏:「言い訳にすぎない」と言えるのは、自分だけ)を取上げよう。

コラムニストの小田嶋隆氏が10月19日付け日経ビジネスオンラインに寄稿した「「言い訳にすぎない」と言えるのは、自分だけ。」を紹介しよう。
https://business.nikkeibp.co.jp/atcl/opinion/15/174784/101800163/
・『今週のはじめ、ツイッターのタイムラインに不思議な画像が流れてきた。 バドミントンのラケットを持つ女性の写真を中央に配し、その上に 障がいは言い訳にすぎない。負けたら、自分が弱いだけ。 という二行のキャッチコピーが大書してある。 写真の右側には 「バドミントン/SU5(上肢障がい) 杉野明子」と、写真の人物のプロフィール情報が記されている。 東京駅に掲出されていたポスターで、制作は東京都だという。 一見して困惑した。 五輪パラリンピックを主催する自治体である東京都が、公的機関による障害者雇用の水増しの問題がくすぶり続けているこの時期に、あえてこの内容のポスターを制作して世に問うた狙いが、どうしてもうまく飲み込めなかったからだ。 本題に入る前に、「障害」「障がい」というふたつの表記について、私なりの基準を明示しておきたい・・・簡単に言えば、「害」という文字に悪い意味が含まれているからという理由で、その漢字をひらがなに開いて表記するタイプの問題のかわし方は、私の好みに合わないということだ。 ご存知の通り、漢字は表意文字だ。 一文字ごとに漢和辞典を引いてみればわかることだが、われわれがよく知っているつもりでいる文字にも、時に意外な意味が隠れていたりする。たとえば日本経済新聞の「経」には「首をくくる」という含意がある。だからといって、私は「日けいビジネスオンライン」とは書かない。そんな対応をしていたら、日本語の書物はひらがなだらけになる。 もうひとつ言えば、「障害」は、厚生労働省のホームページの中で使われていることでもわかる通り、明らかな害意が証明されている表記ではない。「障害者総合支援法」という法律の名称にもそのまま「障害者」の文字が使われている。 したがって、当稿では、引用文については引用元の書き手の表記法を尊重するが、私自身の文責で書くテキストに関しては、法律がそうしている通りに「障害」「障害者」という表記を採用する。 以上、表記についての説明はこれまで。話を戻す』、私も漢字2字の熟語として定着しているのに、わざわざ「障がい」と表記するとは、こざかしい馬鹿げたことだと思う。
・『ポスターを見た後、私はツイッター上に《活躍する障害者を持ち上げるのは大いに結構だと思う。でも、一握りの例外的な成功者をこういう形で利用(←「ハンディキャッパーも自己責任で頑張れ」的な突き放し言説を補強するサンプルとして)するのはどうなんだ? しかもそれをやっているのがパラリンピックを招致する自治体だし。》《「障害を言い訳にするな」も「死んだら負け」も、当事者による自戒の言葉だからこそ意味を持つのであって、同じ言葉を他人が言ったら、その言葉はそのまま障害や希死念慮を持つ人への迫害になる。で、その「迫害」が、いま、当事者の言葉をオウム返しにする形で拡散されている。》という2つのツイートを書き込んで、とりあえずその日は寝た。 翌朝、毎日新聞社から当該のポスターについての感想を問う内容の電話があった。記者さんの話によると、東京都は各方面からのクレームに対応する形で、15日の夜にポスターを撤去しているということだった。 私がお答えしたコメントは、以下の記事の中にある。 ポスターのキャッチコピーとして採用された杉野明子選手の元発言は、以下のインタビュー記事の中のものだ。「それまで健常の大会に出ているときは、障がいがあってもできるんだという気持ちもあれば、負けたら“障がいがあるから仕方ない”と言い訳している自分がありました。でもパラバドでは言い訳ができないんです。シンプルに勝ち負け。負けたら自分が弱いだけ」 私がこの発言を要約してポスターのキャッチコピーにするのだとしたら、「パラバドでは障がいは言い訳にできない」と書くと思う。 なぜというに、杉野選手の発言の主旨はあくまでも「健常の大会では、自分の障がいを言い訳にしていた私も、(同じ障がい者同士が戦う)パラスポーツの世界では、障害は言い訳にすることはできない」ということだからだ。 ところが東京都が作ったポスターでは、 「パラバドでは」という前提条件が省略されている。 しかも、「障がいは言い訳にできない」という杉野選手自身の言葉を 「障がいは言い訳にすぎない」と、一段階強い言い方に改変している。 なんとも不可解な「翻訳」だ。 もうひとつ不可解なのは、普通の読解力を持っている日本人なら、誰であれ一見して炎上が予想できる「障がいは言い訳にすぎない」というキャッチコピーが、制作段階でチェックされずに制作→印刷→掲出にまで至ってしまった点だ。 この種のPRにかかわる制作物は、通常、ラフ案の検討から最終版下の下版に至るまでの制作過程の各所で、様々な立場の人間の目による複数のチェックを通過して、はじめて完成に至ることになっている。 ということはつまり、誰が見ても炎上しそうなこのコピーが、最後まで無事にチェックを通過したこと自体が、極めて例外的ななりゆきだったと申し上げねばならない。 しかも、あらかじめ炎上上等の鉄火肌で業界を渡り歩く覚悟を決めているやぶれかぶれの集団ならばいざしらず、当該のPRポスターの制作主体は、炎上やクレームを何よりも嫌うお役所である東京都だ。 どうして、こんなトンデモなブツが刷り上がってしまったのだろうか。 私のアタマで考えつく範囲のシナリオとしては、当該のコピーが「上から降りてきた案件」だった可能性くらいだ。 たとえば、組織委員会なり、都庁なり、あるいは競技団体なりのボスかでなければその側近、あるいはさらに上の人あたりが、このコピーの発案者であるのだとしたら、これはもう、現場の人間は誰も口を出せない、という状況もありえるだろう。 ともあれ、ポスターは制作され、掲示され、撤去された。制作過程で何があったのかは、どうせわれわれには明かされない。 私もこれ以上は詮索しない』、「上から降りてきた案件」というのは、最も説得力のある説明だ。本人はさぞかし、きまり悪い思いをしていることだろう。なお、タイトルの「東京都の諸問題」の範囲に入るのはここまでで、以下では、その範囲から大きく外れていく。
・『ただ、「障がいは言い訳にすぎない」なる文言を大書したポスターが掲出されるにふさわしい空気は、五輪招致決定以来、東京都内に蔓延しはじめているとは思う。 どういうことなのかというと、アスリートを前面に押し出して「頑張る人を応援する」という一見前向きなメッセージを発信しつつ、その実、 「頑張らない人」や「甘えている人間」や「現状に安住している市民」を攻撃する言説を広めようとしている人々が、各所にあらわれはじめているということだ。 冒頭の部分で紹介したツイートの中で、私が今回の「障がいは言い訳にすぎない」というポスターの案件をさるコメディアンがテレビ番組の中で発した「死んだら負け」発言と一括りに扱った意図もそこのところにある。 つまり、私個人は「障がいは言い訳にすぎない」と「死んだら負け」という、この2つの文言は深いところでつながっているひとつの思想の別の一断面だと考えているということだ』、ここまで深く掘り下げる小田島氏の姿勢は、いつもながら感心させられる。
・『ついでに申せば、先日来、様々な場面で蒸し返され続けている「生産性のない人たちに税金を投入するのは間違いだ」と言った国会議員の署名記事とも、根っこは同じだと思っている。 「死んだら負け」発言についてざっと振り返っておく。これは、吉本興業所属のお笑いユニット「ダウンタウン」の松本人志氏が、14日放送のフジテレビ系「ワイドナショー」の中で漏らした言葉だ。 以下、記事を引用する。《 -略- 松本人志(55)は、今回の裁判に「こういう自殺の話になったときに、原因をみなさん突き止めたがるじゃないですか」とした上で「正直言って、理由なんて自殺、ひとつじゃないと思うんですよ。いろんな複合的なことが重なって、許容範囲を超えちゃって、それこそ水がコップからあふれ出ていっちゃうんだと思うんです。これが原因だからってないんです。ないから多分、遺書もないんです」と自身の見解を示した。 さらに「これは突き止めるのが不可能で、もちろん、ぼくは事務所が悪くないとも言えないですし、言うこともできないんですけど、我々、こういう番組でこういう自殺者が出てこういうニュースを扱うときになかなか亡くなった人を責めづらい、責めれないよね。でも、そうなんやけど、ついついかばってしまいがちなんだけど、ぼくはやっぱり死んだら負けやっていうことをもっとみんなが言わないと、死んだらみんながかばってくれるっていうこの風潮がすごく嫌なんです」と持論を展開した。「勉強、授業でも死んだら負けやぞっていうことをもっともっと教えていくべきやと」と訴えていた。-略- 》(出典はこちら) 以上の発言には、SNSや掲示板を通じて、賛否の声が多数寄せられたかに見える。 で、それらの反応を受けて、松本氏は、17日に、自身のツイッターアカウントから、《自殺する子供をひとりでも減らすため【死んだら負け】をオレは言い続けるよ。。。》という言葉をツイートしている。 松本氏に悪気がないことはわかっている。 彼は、自分の発言に悪気がないことを自覚していて、しかも、自らの主張に自信を抱いているからこそ、あえてツイッターで同じ言葉を重ねたに違いない。 しかし、問題は「悪気」の有無ではない。「害意」や「差別意識」や「攻撃欲求」の有無でもない。 われわれは誰であれ、日常的に悪意のない言葉で他人を落胆させ、追い詰め、悲しませ、失望させている。 ましてテレビで発言する有名人の言葉は、本人の意図とは別に、単独のフレーズとして独り歩きをする。 彼を擁護するファンは「発言の一部を切り取って批判するのは卑怯だ」という主旨の言葉を繰り返している。 これは問題発言を指摘された側の定番の反論なのだが、実際、一理ある主張でもある。 言葉を切り取られた側が心外に思うのは当然の反応だ。 とはいえ、もともと言葉は、切り取られることによって拡散するものでもある。 とすれば、知名度を持った人間は、公の場所でなにかを言うにあたって、自分の言葉が切り取られた先の結果に、あらかじめ思いを馳せておくべきだということになる。「こういう言い方をしたら、相手はどういう受け止め方をするだろうか」と、いちいち考えるのは、たしかに著しくめんどうくさいことだ。が、言論というのは、結局のところ、めんどうくささそのものを指す言葉なのだ。 松本氏の一連の発言のうち「自殺の原因は簡単には決められない」という部分については、私自身も、おおむねその通りだと思っている。 「死んだらみんなかばってくれるっていう風潮がすごく嫌なんです」という指摘も、鋭いところを突いていると思う。 実際、WHOがリリースしている自殺報道のガイドラインの中でも、自殺者を過剰にエモーショナル(感情的)に扱うことや、希死念慮を抱いている人間に向けて「死をもって訴えること」が大きな効果を持っているかのような情報を与えることを強くいましめている。 現状の日本のテレビの自殺の扱いは、松本氏が「嫌なんです」と言っている通り、自殺者を聖人扱いにしたり、「自らの死と引き換えに」伝えたメッセージを過剰に劇的に演出する傾向が強い。 ただ、決めのフレーズとして持ち出した「死んだら負け」というこの言葉は、松本氏の意図どおりに受け止められないだろう。 いじめなりパワハラなり経済的困窮なり病苦なりで苦しんでいる人たちが自殺を思い浮かべるのは、「勝ち負け」を意識しているからではない。というよりも、自殺という結末のつけ方がアタマから離れなくなるほどに追い詰められた人間は、そもそも「勝ち負け」という発想そのものを忌避するはずだ。さらに言うなら、「勝ち負け」に代表される競争的な設定にほとほと疲れ果てた結果として死に誘引されている人も少なくないはずなのだ。 とすれば、「死んだら負けだ」は、希死念慮を抱いている人間を鞭打つ結果になりかねない。 もちろん「死んだら勝てる」と思って死を意識している人間がいないとは限らない。そういう人間だって、いるかもしれない。そういう例外的な心の強い自殺志願者には、「死んだら負けだ」という言葉がハマるかもしれない。が、そんなケースはあくまでも例外にすぎない』、「WHOがリリースしている自殺報道のガイドライン」まであるとは初めて知った。小田島氏の見解は説得的で、その通りだ。
・『「障がいは言い訳にすぎない」と「死んだら負け」を批判した私のツイートには、私が想定していたよりは多くの反論が届けられた。 反論のツイートのひとつひとつを読みながら、私は、ひと月ほど前の杉田水脈議員の発言を取り上げた原稿の結論部分で抱いていたのと同じ感慨に打ちひしがれていた。 つまり、 《杉田議員の主張は、言葉の使い方こそ無神経ではあるものの、日本の「民意」を代表する言説のひとつだ。だからこそ、私は、絶望している。》と書いた時と同じように、私は「障がいは言い訳にすぎない」が、「勇気ある主張を打ち出した素晴らしいポスター」で、「死んだら負け」が、「そこいらへんの腰の引けた言論人が言わない魂の本音で、しかも、苦しんでいる人たちに本当の意味で寄り添っている温かい言葉」だと思っている人間が、もしかしたら、21世紀の日本人の多数派なのかもしれないことに思い至って、失望しているということだ。 弱っている人間に「死んだら負けだ」という言葉を投げかける松本氏の態度を、あるタイプの人々は、「アルプスの少女ハイジ」の中で、主人公のハイジが脚は治っているにもかかわらず歩き出せない親友のクララに向かって「クララのバカっ! 何よ、意気地なしっ!」という叱咤の言葉をぶつけたあの名場面と同じ感覚で受け止めているのかもしれない。 実際、ふたつのエピソードの外形は似ていなくもない。 ただ、ハイジの言葉は、長らく一緒に過ごしている親しい友人であるクララに向けて、涙とともに発せられた、最後の手段と言っても良いギリギリの言葉だった。 ドラマのクライマックスを演出する中で、一見残酷に見える言葉が、実は必死の情熱の発露であり、その必死の言葉が奇跡を生むというストーリー展開は、あってしかるべきものだろう』、「アルプスの少女ハイジ」まで持ち出すとは、さすがだ。
・『が、現実の世界で、テレビの中の有名人が不特定多数の自殺志願者に向けて、逆説的な励ましの言葉を述べたところで、奇跡が起こる保証はない。 私は、松本氏の言葉が「非人情」だとか「残酷」だと言っているのではない。 「障がいは言い訳にすぎない」のポスターをプッシュしていた人たちが、世にも悪辣な差別主義者だと断じているのでもない。 彼らは、「非情」であったり「残酷」であったりするよりは、むしろ「スパルタン」で「マッチョ」な自己責任論者というべき人々だ。「障害者であれ健常者であれ人間は誰でも、個々人が直面している個人的な逆境に負けることなく、絶えざる努力と克己の精神によってそれらを乗り越えるべきだ」という思想を抱いている、自己超克型の人間なのだと思う。 その彼らの思想が、間違っていると言いたいのでもない。 自己超克もしばき上げも、本人が自分を律する分にはかまわないし、大いに奮闘してもらいたいとも思っている。 ただ、その種の人生観は他人に求めるにふさわしいものではないし、見知らぬ人間に強要して良いものでもない。まして、上の者が下の者に、強いものが弱い者に求めると、単なる迫害になる』、なかでも、「自己超克もしばき上げも、・・・」以下の部分は、本当によく練られた主張で、強く同意する。
・『私自身は、「死んだら負け」みたいな考え方をする人々とは正反対の人生観を抱いている。 いや、「死んだら勝ち」と考えているのではない。 一言で言えば、私は、自分に許される環境の中で最大限に快適に暮らすのが良い人生なのだというふうに考えている。 「それじゃ進歩がないじゃないか」と言う人には 「ないよ」と答えておく。 ただ、進歩や向上が自分にとって快適であるような分野や場面に直面したら、私も自分なりに上を目指すはずだとは思っている。 これまでのところを振り返った部分で話をするなら、私は、自分にとって快適でない環境から逃亡し続けた結果として、現在いる場所にたどり着いたのだと思っている。 もし、私が、置かれた場所で咲くことを至上命令として、逆境の中でたゆまぬ努力と忍耐を傾けるタイプの人間であったなら、私は、12秒台前半で走る陸上選手であったことだろう。 新卒で就職した企業で残業を嫌がらず、慰安旅行を拒絶せずに仕事に励んでいれば、いまごろ私は課長ぐらいにはなっていたかもしれない。いや、もっと頑張ればあるいは役員にのぼりつめていたかもしれない。 でも、逃げてズルけて怠けてグズった結果としての現在の位置に、私はおおむね満足している。 なので、現状に苦しんでいる若い人たちには、この場を借りて「逃げるが勝ちだぞ」ということをお伝えしておきたい』、この結びには違和感を感じた。日本ではいまだに「転職」が多くの場合、ハンディキャップになるケースが多いのも事実だ。「逃げるが勝ちだぞ」は、才能に恵まれ、結果的に「勝ち組」になった小田島氏だからこそ成り立つが、それほどの才能がない多くの若者にとっては、「置かれた場所で咲くことを至上命令として、逆境の中でたゆまぬ努力と忍耐を傾ける」ことが正解である場合も多いのではなかろうか。どちらかといえばリスク回避型の私ゆえの感想なのかも知れないが・・・。
タグ:東京都の諸問題 (その15)豊洲以外の問題7(小田嶋氏:「言い訳にすぎない」と言えるのは、自分だけ) 小田嶋隆 日経ビジネスオンライン 「「言い訳にすぎない」と言えるのは、自分だけ。」 バドミントン/SU5(上肢障がい) 杉野明子 東京駅に掲出されていたポスターで、制作は東京都 五輪パラリンピック 障がいは言い訳にすぎない。負けたら、自分が弱いだけ 障害を言い訳にするな」も「死んだら負け」も、当事者による自戒の言葉だからこそ意味を持つのであって、同じ言葉を他人が言ったら、その言葉はそのまま障害や希死念慮を持つ人への迫害になる この種のPRにかかわる制作物は、通常、ラフ案の検討から最終版下の下版に至るまでの制作過程の各所で、様々な立場の人間の目による複数のチェックを通過して、はじめて完成に至ることになっている 誰が見ても炎上しそうなこのコピーが、最後まで無事にチェックを通過したこと自体が、極めて例外的ななりゆきだった 当該のコピーが「上から降りてきた案件」だった可能性くらいだ 、「障がいは言い訳にすぎない」なる文言を大書したポスターが掲出されるにふさわしい空気は、五輪招致決定以来、東京都内に蔓延しはじめているとは思う 「頑張らない人」や「甘えている人間」や「現状に安住している市民」を攻撃する言説を広めようとしている人々が、各所にあらわれはじめているということだ コメディアンがテレビ番組の中で発した「死んだら負け」発言 「生産性のない人たちに税金を投入するのは間違いだ」と言った国会議員の署名記事とも、根っこは同じだと 知名度を持った人間は、公の場所でなにかを言うにあたって、自分の言葉が切り取られた先の結果に、あらかじめ思いを馳せておくべきだということになる WHOがリリースしている自殺報道のガイドライン 「死んだら負けだ」は、希死念慮を抱いている人間を鞭打つ結果になりかねない 、「アルプスの少女ハイジ」の中で、主人公のハイジが脚は治っているにもかかわらず歩き出せない親友のクララに向かって「クララのバカっ! 何よ、意気地なしっ!」という叱咤の言葉をぶつけたあの名場面と同じ感覚で受け止めているのかもしれない 「スパルタン」で「マッチョ」な自己責任論者というべき人々 自己超克もしばき上げも、本人が自分を律する分にはかまわないし、大いに奮闘してもらいたいとも思っている ただ、その種の人生観は他人に求めるにふさわしいものではないし、見知らぬ人間に強要して良いものでもない。まして、上の者が下の者に、強いものが弱い者に求めると、単なる迫害になる 私自身は、「死んだら負け」みたいな考え方をする人々とは正反対の人生観 置かれた場所で咲くことを至上命令として、逆境の中でたゆまぬ努力と忍耐を傾けるタイプの人間 現状に苦しんでいる若い人たちには、この場を借りて「逃げるが勝ちだぞ」ということをお伝えしておきたい
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東京都の諸問題(その14)豊洲以外の問題6(東京都迷惑防止条例、改正に抗議デモ…警察 恣意的判断で逮捕可能か、東京都が取り組む「時差Biz」は疑問だらけだ 多額の宣伝費投じたが効果の検証ほぼなし) [国内政治]

東京都の諸問題については、昨年9月11日に取上げた。久しぶりの今日は、(その14)豊洲以外の問題6(東京都迷惑防止条例、改正に抗議デモ…警察 恣意的判断で逮捕可能か、東京都が取り組む「時差Biz」は疑問だらけだ 多額の宣伝費投じたが効果の検証ほぼなし)である。

先ずは、ジャーナリストの林克明氏が3月28日付けBusiness Journalに掲載した「東京都迷惑防止条例、改正に抗議デモ…警察、恣意的判断で逮捕可能か」を紹介しよう。
https://biz-journal.jp/2018/03/post_22782.html
・『3月22日午後5時半、東京都議会場前の道路では、この日都議会の警察・消防委員会で可決された東京都迷惑防止条例の「改正」案に反対する人たちが、抗議の声を上げていた。 「今さら小池に忖度するな!」「賛成した議員はみんなヤメロ!」「迷惑都知事は辞めろ!」「賛成議員は恥を知れ!」 改正案は、29日の本会議で正式に成立する可能性が高い。彼らはなぜ、この都条例の改正に強く反対しているのか。 そもそも東京都迷惑防止条例は1962年に制定され、繁華街で迷惑行為を重ねる愚連隊などを取り締まる目的だった。それが何度か改正され、現在の条例には盗撮行為や痴漢行為も規制する内容も盛り込まれている。「迷惑防止」を強化するのだから、都民にとって必要なことではないかと思えるが、改正内容を見ると、迷惑行為を防止するというよりは、改正案そのものが都民・市民にとって迷惑で危険な存在だとわかった。 改正ポイントは2つあり、「盗撮」と「つきまとい」の防止をさらに強化するというものだ。このような行為を「特定の者に対するねたみ、恨みその他の悪意の感情を充足する目的」で行うことを取り締まる。抗議集会に駆けつけた元日本弁護士連合会(日弁連)会長の宇都宮健児弁護士は、都条例が改悪であるというポイントを次のように指摘する。「国会で森友問題が騒がれているタイミングで、東京都はこっそりと条例改悪しようとしています。この危険性が、国会周辺で森友問題に関して抗議する人々にも十分に伝わっていません。国会周辺のデモを取り締まりたい警察は取り締まる武器が必要であり、その武器が東京都迷惑防止条例改悪なのです」(宇都宮弁護士) 森友問題などに関して連日、国会周辺では抗議デモが続けられている。集まった人たちは、安倍晋三首相、昭恵夫人、佐川宣寿前国税庁長官、麻生太郎財務大臣など、具体的に名を挙げて厳しく批判している。 このような言動が、条例が改定されれば警察の恣意的判断で取り締まられる可能性がある。権力側から見れば、絶妙のタイミングでの「改正」だ。29日の本会議で成立すれば、7月には施行される。宇都宮弁護士はさらに続ける。「強行成立させた特定秘密保護法、共謀罪(テロ等準備罪)と同じ威力を持つ条例改悪です。悪政を追及して正そうと批判する言論表現活動を取り締まる目的が、これらの法律や条例に共通しています』、デモ取り締まりにまで悪用される恐れがあるとは、極めて重大な問題だ。
・『(改定のポイントの「つきまとい」と「盗撮」行為を)『悪意の感情を充足する目的』で取り締まるという点が問題です。悪意の感情などは内面の問題であるのに、警察の恣意的判断に委ねられてしまうことは問題です。森友・加計問題で安倍首相らを非難することも『悪意の感情を従属する目的』とされかねません。だから、警察の判断で国会デモに参加する人たちをいつでも逮捕できる余地を与えてしまうと考えられます」 もうひとつのポイント、「つきまとい」に関してはどうか。 「『つきまとい(みだりにうろつく)』行為が取り締まられることは、記者の張り込み取材が規制対象になる恐れがあります。いま問題になっている森友問題で、財務省官僚の自宅周辺を張り込んだり、前国税庁長官の佐川(宣寿)さんの自宅や滞在先をうろつくことも規制される可能性があります」(同) 取材活動はもちろん、労働組合や市民運動が団交や批判の対象者がいる場所に出入りし「うろつく」ことは当然あるだろうが、このような動きもできなくなる』、記者の張り込み取材まで、警察の恣意的判断で取り締まられることも由々しい問題だ。
・『委員会で反対はたった1人  さらに、取り締まり対象には、電子メールやSNS(ソーシャルネットワーキングサービス)での発信も含まれている。そのため、日常的に何気なく批判的な言動をアップすれば、逮捕されるおそれは十分にある。 批判内容が名誉棄損と解釈される場合が要注意だ。通常、名誉棄損は告訴するなどの行為が必要だが、改正条例案では被害者が訴えていなくても警察の判断で捜査できてしまうのだ。 つまり、捜査当局の意向でどうにでもなる、民主主義と言論表現の自由に対する時限爆弾のような都条例改悪案だ。それなのに、警察・消防委員会で反対したのは共産党の大山とも子議員ただ1人で、都議会民進党・立憲民主党、都民ファースト、自民党、公明党などは賛成した。 その大山議員が抗議集会に駆けつけた。「二十数年間都議会議員をしていて、皆さんからのファックスや意見など、数日間でこんなに盛り上がったことはありませんでした。都条例改定案は、『悪意ある』などと内心の問題に踏み込む内容です。悪意があるかないかを判断するのは警察です。そもそも改正する必要のある具体的事実(立法事実)があるのかと聴いたところ、警視庁は『統計がないから』と答えを避けました」(大山議員) このように、今回の改定はまったく必要性がないと指摘した。そして大山議員は最後に「29日の本会議がある」と、世論の動向によっては本会議で否決できるとして、わずかな望みを抱いていることを明かした。 重大な懸念があるにもかかわらず、たった1時間の審議で委員会採決をしてしまうとは、都議会と都民をバカにしているとしか言いようがない。警視庁の提案どおりに改正案を都議会に提出した小池百合子都知事の目的は、不正に対して街頭で抗議する市民を“排除”することなのだろうか』、電子メールやSNSでの発言まで対象とは、さらに驚きだ。しかも、こんな重大な憲法違反の条例を、「たった1時間の審議で委員会採決」、反対したのは共産党議員ただ1人とは、あきれてものも言えない。都議会民進党・立憲民主党も全く頼りにならないとは、都議会議員も劣化したものだ。警察としても、直ぐにこの条例を盾に強権的に取り締まるような愚かな真似はしないだろうが、いざという時に使える武器を与えてしまったことは、危険極まりない事態だ。

次に、 まち探訪家の鳴海 行人氏が7月10日付け東洋経済オンラインに寄稿した「東京都が取り組む「時差Biz」は疑問だらけだ 多額の宣伝費投じたが効果の検証ほぼなし」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/228679
・『7月9日から東京都で「時差Biz」が始まった。これは小池百合子都知事の「満員電車をなくす」という公約から始まった、都が主導する通勤時間をずらす取り組みで、昨年は7月11日から7月25日の実施で約320社が参加した。今年は7月9日から8月10日まで期間を延長し、さらに冬も行う予定だ。東京都では今年度、1000社の参加を目指しているという。 今年度の時差Bizは昨年以上に力の入ったものになっている。前に述べたとおり、参加企業を約3倍に増やす目標もあり、時差Bizセミナーの開催や企業訪問、オリンピック・パラリンピックのスポンサー企業への協力依頼などを積極的に行い、地道に参加企業を増やしている。 現時点での参加社数は約750社(7月9日現在)で、すでに昨年の倍以上の参加社数となっている。PRムービーでも坂本龍馬をイメージしたものを作成し、時差Bizへの参加を力強く訴える。東京都都市整備局によれば、今年度の時差Biz関連予算は9000万円。昨年度予算では6000万円の予算が組まれていたので、およそ1.5倍に増加した計算だ』、なるほど。
・『鉄道側の取り組みも拡大  鉄道会社側でも、昨年以上に力を入れる事業者が現れている。昨年田園都市線で臨時列車「時差Bizライナー」を運行した東急電鉄では、今年は東横線にも臨時列車を拡大し、「時差Biz特急」を早朝時間帯に運行。東京メトロでも、昨年「時差Bizトレイン」を運行した東西線と半蔵門線に加え、今年は臨時列車を運行する路線を拡大し、日比谷線や副都心線でも運行する。 ほかにも「朝活」を促す夏の快適グッズやポイントのプレゼント、クーポンの配布などといった取り組みもJR東日本や西武鉄道などで行われる。また、朝だけではなく、夕方の快適な退勤を促す取り組みも行われる。京王電鉄では、2月に運行開始した「京王ライナー」を活用した「楽・得・京王ライナーキャンペーン」を展開する。これは時差Biz期間中、「京王ライナー」の座席を4席購入するごとに、ボーナスポイントがプレゼントされる(京王チケットレスサービスの優先予約サービス登録者のみ)ものだ。 では、昨年の時差Bizはどのような成果があったのだろうか。時差Bizを担当する東京都都市整備局は「認知度は70%と高い。また参加した人へのアンケートでは6割が『やってよかった』と効果を実感した。ほかにも東京都が言ってくれたから時差通勤を実施できるようになったという声も寄せられている」と、その成果を説明する。ほかにも時差Biz参加企業の多いエリアにある16駅で自動改札機のデータを分析したところ、朝ラッシュピーク時には利用客が平均2.3%減少したという。 筆者も昨年、田園都市線の時差Bizライナーに乗車してみた。確かに朝ラッシュの激しい混雑時よりは楽に乗車することができたし、なによりも止まらずに溝の口駅から渋谷駅へ向かっていくことが楽さを感じさせてくれたように思う。また、かなり周知も行っていたことで、狙って乗る人も一定数いた。東急電鉄広報によれば、昨年の時差Bizライナーの乗車率は108%。同時間帯の列車の乗車率は70%~90%ということで、1本の列車のこととはいえ効果はあったようだ。 また、意外な効果を指摘する専門家もいる。「時差Bizで乗車率が下がったというよりも、関連して鉄道各社が列車別の混雑の情報公開を駅貼りポスター等で行うようになったことが大きいと思う。この取り組みで列車1本ごとの情報まで見える化が進んだことは乗客にとってもすいている列車を選べるという意味で大きなことではないか」という』、「朝ラッシュピーク時には利用客が平均2.3%減少」というのは殆ど誤差の範囲で、効果があったというには不十分なのに、筆者はいい加減に評価しているのは残念だ。
・『「朝を有効活用できた」は4割以下  では、時差Bizの参加者は具体的にどういう感想を持ったのだろうか。時差Bizホームページの実地レポートを見ると、意外な点が見えてきた。 まず、「通勤時の快適性は変化したか」というアンケートの項目(単数回答)では「非常に上がった」が24.6%、「少し上がった」が33.4%、「変化なし」が33.4%だった。約6割の人は効果を感じたと言える。 しかし、「時差Biz参加によって得られたこと」という項目(複数回答)では「朝の時間を有効活用できた」と答えたのは38.2%にとどまる。また「働き方を改めて考えるきっかけとなった」という人は37.2%だった。 また、「時差Biz期間中に出勤した時間帯の混雑状況」という項目(単数回答)で「普段より空いていた」と答えた人が過半数となったのは、7時30分までに出社した人か、9時31分から11時00分に出社した人だった。9時出社の企業の場合、1時間半以上早く出勤しないと効果を感じにくいと言えよう。 昨年の効果を振り返ってみると、取り組みの規模に対して大変限定的な効果であったように思える。もっとも、参加企業が東京都の中にある約320社しかないというところからも限定的な効果にならざるをえないのは仕方ないことではあるが、そうした意欲的な企業の中でも参加者の満足度は必ずしも高いとは言えないのではないだろうか。 むしろ、この取り組みは企業が「働き方改革をしている」というPRのために使われているのではないかと思える。 時差Bizのホームページにあるレポートを見ると、「時差Bizによって得られたもの」という設問(複数回答)では上位に「ホームページに社名が掲載され自社PRにつながった」41%、「働き方改革宣言などと一緒に取組めた」36%となっており、「社員からへの参加取組への評価があった」は31%となっている。人事制度や働き方の変化への貢献を感じた企業は20%台とさらに少ない。 「働き方改革」であるならば、社員からの評価や人事制度の充実というものが実感した効果として上位に来てしかるべきだと思うが、アンケート結果ではそういった取り組みにはつながっていないことがわかる。これでは時差Bizそのものに効果があるのかはっきりしないと企業側から言われているようなものではないだろうか』、「企業が「働き方改革をしている」というPRのために使われているのではないかと思える」というのはその通りだろう。
・『五輪に向けた混雑対策の一面  しかし、こうした状況の中でも参加企業を増やそうとしているのにはワケがある。それは東京オリンピック・パラリンピック開催中の混雑対策だ。中央大学の田口東教授のシミュレーションによれば、オリンピック・パラリンピック開催中、朝のラッシュ時には乗車率200%を超える電車が1.5倍に増え、東京や新宿などの大規模駅は最大20%程度利用者が増えるという。 各鉄道会社がピーク時に合わせて運行設備の設計や列車の運行本数などを設定していることを考えると、朝ラッシュ時にオリンピック・パラリンピックの観戦客が移動する分が加わるだけで駅の混乱や列車のひどい遅延が起こりかねない。小池都知事も、今年の時差Biz期間発表にあたり「五輪に向けたTDM(交通需要マネジメント)としても取り組む」とコメントしており、都としても「オリンピックの混雑問題」が喫緊の問題として認識されているのだ。 時差Bizは小池都知事が環境相時代に行った「クールビズ」のように、横並びで始めることで一気に推し進めて効果を出し、皆で社会問題を解決しようという施策だ。しかし、時差Bizの場合は鉄道会社もできることが限定的なうえ、クールビズのように「個人が簡単な取り組みをすることで社会問題を解決する」という方向のものではない。 また、時差Bizでは通勤時間をずらすとしても早い時間にずらすことが多く、早起きが得意な人はいいが、先ほど述べたように普段より1時間以上も早く出勤しないと効果が得にくいとあってはなかなか「参加しやすい」とは感じにくいだろう。 昨年の時差Bizに関して言えば、東京都の職員が参加した実績がまったくわからないことは取り組みを主導する立場としていささか不誠実に感じる。同じような取り組みでは、昨年11月に神奈川県川崎市で市職員を対象に行った時差通勤の実験的取り組みの場合、対象となる職員の数・日別の取り組んだ職員の数・時差通勤をしなかった日の理由などしっかりアンケートをとって発表している。こうして自ら実験的取り組みを行うことで成果をデータやアンケート結果で見せていくことがまず必要なのではないだろうか。 また、昨年度の時差Bizによって出た混雑緩和の具体的なデータ検証がほとんど行われていない点にも疑問が残る。昨年度行われた時差Bizのデータ検証は先述した一部の駅の改札機の通過データ検証と東急電鉄の「時差Bizライナー」の乗車率のデータ検証くらいで、ほとんど行われていないといってよい。参加者に限られたアンケートでの効果測定だけでは偏りが心配され、本当の意味でどれだけの効果があったのかわからない』、「東京都の職員が参加した実績がまったくわからないことは取り組みを主導する立場としていささか不誠実に感じる」というのは、その通りだ。「混雑緩和の具体的なデータ検証がほとんど行われていない」というのも問題だ。
・『効果の検証をはっきりと  今年度はぜひ、もっと大々的に乗車率測定などを行い、首都圏の電車通勤の様子がどれだけ変わったのか、効果測定をしてPRしてほしい。満員電車が好きな人はそういない。少しでもすいた列車に乗れるとわかれば、時差Bizに取り組もうという動機づけにもなるはずだ。 東京都都市整備局によれば、今年度の時差Biz関連予算の多くは取り組みをPRするために使うという。しかし、このままでは働き方改革につながらず、混雑緩和の検証も行われず、音頭をとっている役所も取り組みに参加しているのか実態がわからない。そんな活動に税金を投入する価値はないと思われても仕方ないのではないか。 繰り返しになるが、満員電車が好きな人はそういないはずだ。そして、企業も労働者の生産性を高めたいと思っているだろう。企業の参加を促し、働き方改革を成功させるためには、周知よりも時差Bizの結果をより多面的に検証し、データを示すことこそが重要ではないだろうか』、強く同意する。
タグ:16駅で自動改札機のデータを分析したところ、朝ラッシュピーク時には利用客が平均2.3%減少したという 共産党の大山とも子議員ただ1人 盗撮」と「つきまとい」の防止をさらに強化するというものだ 都条例改定案は、『悪意ある』などと内心の問題に踏み込む内容です。悪意があるかないかを判断するのは警察です 小池百合子都知事の「満員電車をなくす」という公約から始まった 改正ポイントは2つあり 委員会で反対はたった1人 「改正」案 財務省官僚の自宅周辺を張り込んだり、前国税庁長官の佐川(宣寿)さんの自宅や滞在先をうろつくことも規制される可能性 東京都迷惑防止条例 記者の張り込み取材が規制対象になる恐れ 「東京都迷惑防止条例、改正に抗議デモ…警察、恣意的判断で逮捕可能か」 「つきまとい」と「盗撮」行為を)『悪意の感情を充足する目的』で取り締まるという点が問題 東京都の諸問題 たった1時間の審議で委員会採決 昨年度行われた時差Bizのデータ検証は先述した一部の駅の改札機の通過データ検証と東急電鉄の「時差Bizライナー」の乗車率のデータ検証くらいで、ほとんど行われていないといってよい 鉄道側の取り組みも拡大 朝を有効活用できた」は4割以下 五輪に向けた混雑対策の一面 今年度、1000社の参加を目指している 企業が「働き方改革をしている」というPRのために使われているのではないかと思える Business Journal 東京都の職員が参加した実績がまったくわからないことは取り組みを主導する立場としていささか不誠実に感じる 悪政を追及して正そうと批判する言論表現活動を取り締まる目的が、これらの法律や条例に共通しています 「東京都が取り組む「時差Biz」は疑問だらけだ 多額の宣伝費投じたが効果の検証ほぼなし」 権力側から見れば、絶妙のタイミングでの「改正」だ 林克明 このような言動が、条例が改定されれば警察の恣意的判断で取り締まられる可能性 このような行為を「特定の者に対するねたみ、恨みその他の悪意の感情を充足する目的」で行うことを取り締まる 効果の検証をはっきりと 宇都宮健児弁護士 抗議デモが続けられている。集まった人たちは、安倍晋三首相、昭恵夫人、佐川宣寿前国税庁長官、麻生太郎財務大臣など、具体的に名を挙げて厳しく批判 オリンピック・パラリンピック開催中、朝のラッシュ時には乗車率200%を超える電車が1.5倍に増え、東京や新宿などの大規模駅は最大20%程度利用者が増えるという 東洋経済オンライン 鳴海 行人 (その14)豊洲以外の問題6(東京都迷惑防止条例、改正に抗議デモ…警察 恣意的判断で逮捕可能か、東京都が取り組む「時差Biz」は疑問だらけだ 多額の宣伝費投じたが効果の検証ほぼなし) 取り締まり対象には、電子メールやSNS(ソーシャルネットワーキングサービス)での発信も含まれている 今年度の時差Biz関連予算は9000万円。昨年度予算では6000万円の予算が組まれていたので、およそ1.5倍に増加 東京都で「時差Biz」 国会周辺のデモを取り締まりたい警察は取り締まる武器が必要であり、その武器が東京都迷惑防止条例改悪なのです
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物流問題(その5)(ヤマト水増し請求は「起こるべくして起こった」と言える理由、ヤマト「社外秘資料」入手!代金着服、事故隠蔽…不正・懲戒の実態、消える内航船 静かに進む「海の物流危機」 船員の過半数が50歳超でも「外国人はノー」) [産業動向]

物流問題については、昨年10月5日に取上げた。1年以上経った今日は、(その5)(ヤマト水増し請求は「起こるべくして起こった」と言える理由、ヤマト「社外秘資料」入手!代金着服、事故隠蔽…不正・懲戒の実態、消える内航船 静かに進む「海の物流危機」 船員の過半数が50歳超でも「外国人はノー」)である。

先ずは、ノンフィクションライターの窪田順生氏が8月2日付けダイヤモンド・オンラインに寄稿した「ヤマト水増し請求は「起こるべくして起こった」と言える理由」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/176253
・『ヤマトホールディングスの子会社で、顧客への水増し請求が問題になっている。この一件のみならず、近年は神戸製鋼や東芝、電通など、日本を代表する大企業で粉飾や水増し請求などの不正が次々に発覚している。そこには、昭和型企業理念をいまだに引きずっている日本企業に共通する闇がある』、「共通する闇」とは何だろう。
・『個々人の社員の独断はあり得ない ヤマト水増し請求の闇  「宅配クライシス」にあえぐ流通界の巨人が、今度は「水増しクライシス」でも足元が揺らぎはじめている。 ヤマトホールディングスの子会社・ヤマトホームコンビニエンス(以下、YHC)が法人向け引越し代金を水増し請求していた問題だ。当初は4.8万件で17億円といわれていた水増しが、5年前までさかのぼって調査をしたところ、2倍以上の31億円にも上ることが分かったという。 この問題を指摘した同社の元支店長・槙本元氏は先月27日に国土交通省で会見を行い、過大請求は2010年ごろから行われていて、「17億円より膨らむはず」という見方を示していたが、まさにその通りになったわけだ。この流れでいけば、2010年からざっと40~50億円の水増し請求が行われていた可能性もある。 ヤマトホールディングスの山内雅喜社長は、「会社として組織としてこのような指示をしたことはない」(日本経済新聞2018年7月24日)と釈明をしているが、個々の社員が「今月は目標未達で苦しいからちょっと上乗せしちゃえ」と魔が差すくらいでは、ここまで膨大の数の不正にはならないはずだ。 指示はしていないという言葉を信じるのなら、YHCという組織全体が「どうせお客もそこまで厳しくチェックしないんだから、乗っけられるだけ乗っけておけ」というボッタクリ文化に毒されていたとしか考えられないのだ。 では、なぜここまでのモラルハザードが起きてしまったのか。 調査委員会が原因を究明しているということなのでそれは待ちたいが、個人的には恐らくその調査報告書にも掲載されないであろう、「根本的な原因」がひとつ思い当たっている』、「ボッタクリ文化に毒されていた」とは手厳しいが、「根本的な原因」とは何なのだろう。
・『昭和な社訓のゴリ押しが組織を殺す  それは「ヤマトは我なり」だ。「何だそれ?」という方のために説明をすると、1931年に制定されたヤマトグループの社訓の一番頭にくるもので、ヤマトホールディングスホームページには以下のように紹介されている。《社員一人ひとりの「和」の力、「協力・結束・調和」が、ヤマトグループの企業としての力を生み出します。この「自分自身=ヤマトという意識を持ちなさい」という言葉は、ヤマトグループの全員経営の精神を表しています》 この言葉からもわかるように、ヤマトグループで働く人たちにとって、「ヤマトは我なり」というのは、「全国約4千の拠点で毎朝唱和する社訓の1つ」(日経MJ2016年5月16日)であり、それ以上に、常に心の真ん中に置くべき、極めて重要なものの考え方なのだ。 そんなヤマトの社訓と「過大請求」とが一体、どう関わってくるのだ、と首をかしげる方も多いかもしれないが、実は大いに関係している。 「全員経営」というのは、かの松下幸之助も掲げた日本型企業文化の根幹をなす考え方である。高度経済成長期のように、人口が右肩上がりでイケイケドンドンの時期には、一定レベル以上のサービスや商品を提供できる大企業は、ガバナンスが崩壊しないかぎり、自然と「結果」がついてきた。だから、昭和の組織は「協力・結束・調和」を一番大切なこととして掲げたのである。 ただ、時代が変われば当然、考え方も変わらなくてはいけないのだが、ヤマトグループをはじめ、多くの大企業はいまだに、この「全員経営」をまるでお題目のように唱え続けている。 これはかなりマズい事態を引き起こす。 人口減少でさまざまなシステムの見直しをしなければならないのに、高度経済成長期の思考を毎朝唱和させられれば、高度経済成長期の思考に凝り固まってしまう。当然、現代の問題は解決できない。それでもなお、「協力・結束・調和」という精神論を振りかざせば、「みんなのため」の名のもとに社員を酷使するブラック企業になるか、「みんなで協力して不正をする」というダークサイドへ堕ちるしかないのである』、なるほど、ある程度理解できた気がする。
・『低成長時代に全体主義を掲げると水増しや粉飾が常態化する理由  ご存じのように、ヤマトはドライバー不足などの厳しい問題で業績が悪化している。このように「結果」が出ていない組織の「全員経営」は、「全員不正」になってしまう恐れがあるのだ。 実はこのように「一人ひとりの力を結集して運営にあたる組織」というのは、「結果」が出ているうちは「one for all,all for one」なんて感じで互いにミスをフォローしたりといいこと尽くめなのだが、ひとたび「結果」が出なくなってくると、誰に命じられるわけでもなく、互いのミスをフォローし合うかのように、自発的に「水増し」や「粉飾」などに走る傾向があるのだ。 いい加減なことを言うなとお叱りがくるかもしれないが、過去に国家ぐるみで「全員経営」を掲げた人たちの失敗が、その真理を雄弁に語っている。旧ソ連だ。 「神戸製鋼『不正40年以上前から』証言で注目すべきソ連との関係」の記事でも触れたが、この国では、「計画経済」が行き詰まってくると、以下のように社会のさまざまなところに「粉飾」や「水増し」が横行した。 「水増しソ連経済統計 国民所得6倍を90倍 国内誌が実態暴露」(読売新聞1987年2月7日) 役所、工場、企業…さまざまな組織で、さまざまな人たちが、誰に命じられるわけでもなく、自発的に不正に手を染めたのである。ただ、ちょっと考えればそれも当然である。 「計画経済」というものは、ソ連人民一人ひとりが力を結集すれば計画通りに物事が進む、という考えに基づいているので、結果が出ないなどあり得ない、ということになる。当然、計画達成は至上命令なので、それができない工場長は責任を問われ、罰則や制裁も加えられた。 とはいえ、経済が計画通りに進むのなら、今の日本もこんな有様にはなっていない。旧ソ連も同様で、さまざまなところで計画通りの結果が出ないという事態が起こった。こうなると、責任者が吊し上げられるのはもちろんだが、組織構成員たちも肩身が狭い。 では、「みんな」が助かるために何をすればいいか。一人ひとりが力を結集させて、「粉飾」や「水増し」という不正を行うことで、破綻を覆い隠せばいいという結論になりがちだ』、旧ソ連の計画経済を引き合いに出すのは、やや違和感もあるが、面白い見方だ。
・『全体主義そのものだった旧ソ連でも水増しや粉飾が横行していた  つまり、旧ソ連の企業や工場などが「水増し」や「粉飾」という「不正の温床」となったのは、計画経済の破綻によって、「ソ連は我なり」という「全員経営」がマイナスの方向へ思いっきり舵を切って、「全員不正」になってしまったと見ることができるのだ。 「ヤマトは我なり」という「全員経営」を掲げるこの組織にも、旧ソ連と似た問題が起きていた可能性は高い、と筆者は考えている。こちらにも「計画経済」の行き詰まりが見えるからだ。 「YHCの18年3月期の営業利益は5億2200万円で、過大請求分を差し引くと赤字に陥っていた可能性がある」(毎日新聞2018年7月24日)  調査委員会の報告でいずれ明らかになるだろうが、もし仮にYHCで、「水増し請求」によって辛うじて「結果」を出すということが常態化していたのなら――。罰則や制裁を恐れ、実績を水増ししていた旧ソ連の工場や企業の姿と丸かぶりではないか。 バカバカしいと思うかもしれないが、YHCや旧ソ連が同じ病にかかっていたというのは、両者のモラルの壊れっぷりを見ても明らかだ。 前出・槙本氏は2010年頃から幾度となくこの問題を内部告発したが、会社は取り合ってくれなかったという。また、水増し請求をしている人間をいさめたが、「みんなやっているじゃないですか」と逆ギレされ、ほどなくして同じようなことを繰り返したと証言している。 これは旧ソ連もまったく同じだ。たとえば1984年、ソ連企業庁の担当者が、生産報告を日本円で約5億7000万円水増ししていたとして処分された。だが、ほどなくして驚くべき事実も発覚した。なんとこの担当者は3年前、2年前にも同様に水増しをしていたが、同じ企業庁内で、同じ職にとどまっていたというのだ』、なるほど。
・『神戸製鋼、電通、東芝…全体主義企業の相次ぐ不正  どういうことか。この問題を報道している「読売新聞」のモスクワ特派員の言葉がすべてを物語っている。 「うがった見方をすれば、少々の水増しは必要悪と目をつぶるのがソ連経済の体質かもしれない。ただひたすら、計画達成だけを目標にする経済活動の弊害が、かい間見えるようだ」(読売新聞1984年6月29) 厳しい業績状況や槙本氏の証言から、このような体質がYHCにもあったのではないかということは容易に想像できよう。 そして、もうお気づきだろうが、「計画達成だけを目標にする経済活動の弊害」というのは、残念ながらヤマトグループだけにとどまらず、日本のあらゆる「大企業」に見てとれる。 「世界一の鉄鋼技術」を掲げていた神戸製鋼は、経営陣の指示がなくても現場の判断で40年近くデータの「粉飾」を行っていた。世界で五指に入る広告代理店・電通では、ネット広告の効果を「水増し」してクライアントに報告し、過大請求を行っていた。そして、東芝では経営陣が「チャレンジ」の名のもとで、現場に対して、旧ソ連も真っ青の「計画経済必達」を命じ、やはり旧ソ連の工場長らと同じように、各部門が自発的に利益の「水増し」を行っていた。 無理にこじつけているわけではなく、ここ数年で発覚している名門企業の不正が発生するプロセスというのは、すべて旧ソ連型のモラルハザードで説明できるのだ』、ここまできてようやく納得できた。こじつけの感もなくはないが、参考になる見方だ。
・『不正発覚ラッシュの本番はむしろこれから!?  これらの企業は「計画達成」に強い執着があるのはもちろんだが、なによりも「電通人」「東芝マン」なんて言葉があるように、単なる「勤務先」という定義を超越して、死ぬまでその組織に忠誠を誓うことを強いるような、独特の組織カルチャーがある。気兼ねなくて言わせていただくと、全体主義の匂いがプンプンするのだ。 人口がフリーフォールのように激減していく日本ではもはや、「全員経営」などという、旧ソ連型全体主義が通用しないのは明らかだ。計画経済が行き詰まったように、多くの企業の「経営計画」が暗礁に乗り上げるのは目に見えている。 そこで本来は考え方をガラリと変えなくてはいけないのだが、「ヤマトは我なり」みたいに古い社訓に縛られていると、その現実を「気合」や「不正」で乗り越えようとしてしまう。そういえば、「全員経営」を掲げるユニクロも、ジャーナリスト・横田増生氏の潜入取材などで、近年は「ブラック企業」のそしりを受けている。 そう考えると、今回のYHCの「水増し請求」発覚は、氷山の一角というか、これから始まる不正発覚ラッシュの序章なのかもしれない。 個人的には次はマスコミ、その中でも、これだけ人口が減少しているのに、発行部数がそれほど落ちていないという大新聞あたりがクサいと思っている。注目したい』、確かに、いまだに「全員経営」を唱っている大企業は多いのは事実だ。「これから始まる不正発覚ラッシュの序章なのかもしれない」という不気味な予言が大新聞も含めてどうなるか、私としても大いに注目したい。

次に、8月16日付けダイヤモンド・オンライン「ヤマト「社外秘資料」入手!代金着服、事故隠蔽…不正・懲戒の実態」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/177542
・『ヤマト運輸で起きた不正行為や犯罪、事件・事故に対する懲戒事案をまとめた「懲戒委員会審査決定事項について」という社外秘資料を、本誌は独自入手した。ヤマトは昨年の大規模な違法労働問題に続き、7月には法人向け引っ越し事業の全国的な過大請求が判明したが、本丸の宅急便事業ではどのようなコンプライアンス体制を敷いているのか・・・「懲戒」と赤文字で大きく書かれた表紙。中をめくると「交通事故を隠蔽していた」「代金の着服を行った」など物々しい文面が幾つも並んでいる。 これは宅配便最大手のヤマト運輸で起きた不正行為や犯罪、事件・事故に対する懲戒事案をまとめた「懲戒委員会審査決定事項について」という社外秘資料。通称「赤社報」だ。本誌は同社関係者から、2017年4月13日付の第432回分から同年12月22日付の第440回分までの赤社報を入手。これを基に懲戒の種類やそれに対する審議、主なケースをまとめたのが次ページの図である(なお、ヤマト運輸に対して資料の確認と幾つかの質問をしたところ、同社は「コメントは控える」と回答し、否定しなかった)。 その数、9ヵ月間で総計203件。資料を提供した関係者は、「お客さまから運賃や代引き手数料を頂きながら、不正に着服する行為が全国的に多い。飲酒運転などで逮捕される事案も毎月のように発生している」と深刻さを訴える。そして「これは宅急便事業のみの不祥事で、グループ全体では驚くほどの件数になる」という。 まるでそれを裏付けるかのような問題が起きている。7月、引っ越し事業を行うグループ会社のヤマトホームコンビニエンス(YHC)が過去2年間にわたり、法人客2640社に総額17億円を過大請求していたことが判明した。 「顧客から信頼を頂いているクロネコブランドとして、あってはいけないこと」。ヤマトホールディングスの山内雅喜社長は記者会見の席で謝罪を繰り返し、「組織的に指示したことはない」と弁明。しかし全国の事業所の9割近くで過大請求が見つかっており、全社的に不正が横行していたのは明らかだ。会見の数日後に過大請求額を過去5年間で総額31億円に訂正するなど、その全容は計り知れず、今月9日には国土交通省がYHC本社に立ち入り検査を行う異例の事態となっている』、リンク先の図を見ると確かに目を覆いたくなるような不祥事の続発ぶりだ。ただ、真の問題は宅急便事業でのこうした小さな不祥事ではなく、水増し請求のように大規模、組織的なものにある筈だ。
・『ヤマトは昨年、本丸の宅急便事業で230億円もの未払い残業代が発覚し、働き方改革に取り組んでいる真っ最中。にもかかわらず、またもコンプライアンス・・・違反が露呈した。いったい同社のコンプライアンス体制はどうなっているのか。その実態を垣間見ることができるのが冒頭の赤社報なのだ。 衝撃的な事案が並ぶ中でもひときわ目を引くのが、首都圏のあるセンターで起きたコレクト商品(通信販売などの代金引換商品)の代金の着服である。約1年間で353件、総額7652万0392円を、ドライバーが「遊興費欲しさから」着服したと記してある。 それはどんな手口なのか。複数の関係者に取材すると、通称「コレクトの回し」と呼ばれるもので着服の「常とう手段」だという。 具体的にはこうだ。ヤマトの各センターでは毎日、全ての荷物をドライバーが持つ携帯端末とそれにひも付く基幹システムで管理しているのだが、ドライバーがコレクト商品を「持ち出し」(配達)の入力をしないで客に届け、回収した代金を着服する。または配達は完了して代金を回収しているが、端末には持ち戻り(不在)で入力し、代金は懐に入れる。こうした不正を繰り返すのがコレクトの回しで、そのトータルが353件、7652万円に上ったとみられる。 しかし、こうした行為を防ぐために一応は「牽制管理システム」がある。コレクト商品の配達状況をチェックし、何日も持ち戻りが続いたり、センターに入金がなかったりするとアラートが出る仕組みだ。通常は荷物や金が行方不明になれば事務員や早朝アシストと呼ばれる荷物の仕分け作業員、あるいは別のドライバーが気付いて捜索が始まる。ところが幾つかの「抜け穴」があり、周囲に気付かれないことも現実にはあるという。 「この場合は当該ドライバーが他の人にチェックをさせなかったり、休みの前日に着服分を幾らか入金したりして、ばれないようにしていたのだろう」(関係者)。平均すると1件につき約20万円の高額商品を1年も「回し」続けたことになり、当該センターは相当ずさんな管理体制だったと推測される。 取材中、9ヵ月間で203件の懲戒事案数に対して、「マンモス企業だから仕方ない」という関係者の声もあった。何しろ、ヤマトは全国に6000の営業拠点を抱え、従業員数は20万人超。件数と従業員数の割合で測れば、一般的水準という意味だ。 だからといって、ヤマトも不正を野放図に放置しているわけではなく、仕組みは整備している。まず、コレクト回しの荷物に対して、「届いた商品が壊れている」と客からのクレームが入れば、システム上では「届いているはずのない荷物」として判明するようになっている』、銀行も昔から小さな不祥事は日常茶飯事で、それに対する牽制の仕組みもあるが、それでもある程度の発生は避けられないようだ。
・『マザーキャッツは、いる?  さらに、大きいのが社内監査だ(監査に関する質問もヤマトから回答を得られなかったため、現場社員の証言を基に述べる)。監査には幾つかパターンがある。ざっくり言えば本社の監査部が年に1回程度実施する“本監査”と、その前に主管支店が実施する“主管監査”がある。本監査はより厳密な監査を行うために、当該センターが所属する管轄以外の、遠く離れた別のエリアの監査人を派遣する場合もある。 他方、ヤマトで古株社員を中心に語り継がれるのが警察OBなど“プロ”が集う特別調査部隊で、特に悪質な不正を担当する通称「マザーキャッツ」の存在だ。クロネコに引っ掛けて、母猫が目を光らせる様子からその名が付いたもよう。「組織図にも載せていない秘密組織」とうわさされている。 実際は、マザーキャッツ課は10年以上前に「品質監理課」に名称が変更されているし、監査部は組織図上に示されている。しかも昨年春からは働き方改革の一環で、監査部は社長直轄に切り替わり、より表に出てきている。つまり現場で語り継がれるマザーキャッツは“都市伝説”に近い。ただ、それだけ現場社員にとって監査部隊は、謎のベールに包まれ、恐れ多い存在なのだ。 加えて赤社報そのものが不正防止に役立っている。全国のセンターに配布され、正社員・契約社員だけでなく末端のパート・アルバイトも回覧し確認のサインをすることから「全社全員で情報を共有する赤社報はコンプラ違反の抑止力になっている」と評されている。 このように、仕組みや抑止力は二重三重に張り巡らされていて、社員もそれを認知し恐れている。 ところが、社歴20年超のベテランドライバーは「多い、少ないじゃなくて、“懲りない”だ」と明かす。「赤社報を初めて見たときから着服、暴力、事故隠蔽はずっと掲載されていて、何ら変わっていない」(同)という』、なるほど。
・『まっとうな仕組みにもかかわらず、不正が繰り返される原因は仕組みを動かす“人”にありそうだ。冒頭の関係者は「結局、本社の経営陣が真に有効な手を打っていない。全従業員に対するコンプライアンス研修すらない」と憤る。 不正の発生に対して本社や支社の幹部が責任を取ることはまれで、当事者と、場合によっては併せてその現場の上司(センター長やエリア支店長)、あるいはせいぜい主管支店長が軽い懲戒を受ける程度。宅急便は地域に根差した業務の性質上、本社や支社から事細かに指示を出すというよりも、現場に裁量を与える「現場主義」だ。この方針は時に「現場任せ」となり、不祥事の責任も現場に“丸投げ”する構造で、改善されない。 他方、現場からは「人手不足で誰彼構わず採用したせいで、人材の質が低下しているのが原因だ」(中堅ドライバー)。「昔は先輩から後輩へ指導する過程で、仕事に対するモラルも自然と伝わっていたと思う。しかし今は目の前の業務に手いっぱいで余裕がない」(前出のベテランドライバー)。要するにネット通販の荷物の急増に端を発した労働過多が、現場のモラル低下を招いているという。 最後に、大多数の従業員は真面目に業務を遂行していることを強調したい。本誌の調査では「サービスの質が高い配送業者」として8割弱の利用者が「ヤマト」と答えている(右図参照)。消費者からの絶大な信頼を裏切らないためにも、引っ越し事業、宅急便事業を問わず、ヤマトはグループ総出で企業倫理の在り方を見直すべきである』、肝心の水増し請求問題は、個人レベルではなく、組織的問題だが、筆者はこれについては第三者委員会の結論を待つとして、細かな不祥事に絞っている。その限りでは、妥当な主張だ。第三者委員会の結論を早く見たいものだ。

第三に、話題は全く変わるが、10月28日付け東洋経済オンライン「消える内航船、静かに進む「海の物流危機」 船員の過半数が50歳超でも「外国人はノー」」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/245568
・『多くの業界と同じく、物流の大動脈である海運業も少子高齢化と人手不足に悩まされている。深刻なのは、国内産業の基礎物資輸送の要である内航海運で事業継続が危ぶまれる事業者が増えていることだ。 海外の港を行き来する外航船と異なり、内航船は日本国内の港から港へモノや人を運ぶ海運業者だ。鉄鋼や石油製品、セメントなど国内の産業基礎物資輸送の約8割を担う。災害などで陸路が寸断された際には代替輸送を行うほか、環境負荷軽減に向けたモーダルシフトの受け入れ先としても期待されている。 内航船の船員数はバブル崩壊後の景気低迷に伴い、1990年の5万6100人から2016年には2万7639人へ半減。その一方で輸送量は2010年以降、3億6000万~3億7000万トン程度で下げ止まっており、現状の船員規模を維持する必要がある。しかし、年齢構成をみると心もとない状況だ』、「モーダルシフトの受け入れ先としても期待」されているのに、大丈夫なのだろうか。
・『船員の過半数は50歳以上  内航船員の7割強を占める貨物船の場合、50歳以上が53%、60歳以上も28%を占める。一方、30歳未満の若手船員は16%にすぎない。いびつな年齢構成になった背景には、内航船員は日本人でなければならないというルールがあるからだ。 1899年(明治32年)の船舶法制定以来、内航船は経済安全保障上の観点から日本籍船に限定され、外国人船員も認められてこなかった。一方、運賃がドル建ての外航船は、1985年のプラザ合意後の円高をきっかけにコスト削減策として外国人船員の採用に舵を切った。 内航海運は、外航海運の外国人船員化と漁獲制限に伴って漁船からあぶれた日本人船員の受け皿となった。バブル崩壊後の輸送量減少で新造船が減ったこともあり、人手不足とは無縁でいられた。「即戦力を採用できたので、長らく船員育成に力を入れてこなかった」(内航船関係者)ため、今そのツケが回ってきた格好だ。 航海士や機関士になるには国家資格の海技士免許が必要で、船の大きさや航行区域に応じて1~6級に分かれている。小型の内航船であれば6級から乗ることができ、4級を持っていれば比較的大きな船の船長になれるが、免許取得には乗船履歴などの条件をクリアする必要がある。 内航船員を養成する代表的な教育機関に海技教育機構があり、中学卒業者を対象にした海上技術学校4校と、高校卒業者以上を対象とする海上技術短期大学校3校、海技大学校を擁する。技術学校では3年の修業期間終了後に6カ月の乗船実習を受けると、4級の航海士か機関士の免許を取得できる。短大も乗船実習を含め2年で同様の免許が取得可能だ。 同機構では“士官候補生”の内航船員を毎年330~380人程度送り出している。技術学校、短大とも志願者は募集定員を上回っており、これまでのところ船員希望の若者を確保できていないわけではない』、船長資格が予想外に簡単に取得できるのに、いささか驚かされた。
・『船員1年目の手取りは月25万円  そもそも船員は高給取りだ。「船員1年目でも乗船中の月給は手当込みで手取り25万円程度」(海技教育機構の遠藤敏伸・募集就職課長)。貨物船の場合、勤務形態は3カ月乗船、1カ月陸上休暇のサイクルが基本で、乗船中は賄い付きなので食費もかからない。「海が好き、給料がいい、まとまった休みが取れる点を志望動機に挙げる生徒が多い」(同)という。 国土交通省の試算によると、60歳以上の船員が今後5年間で退職する場合には毎年1200人程度の新規就業者が必要という。海技教育機構の定員増が検討されているほか、水産系高校から内航船員希望者を募ったり、社会人経験者を対象とした6級取得養成制度を設けたりすることで、退職者の補充を急いでいる。 女性船員の育成も課題だ。内航海運の女性船員比率は2%にすぎず、貨物船ではさらにその比率は下がる。貨物の積みおろしの際には力仕事が必要な上、伝統的な男性職場のため採用する側も敬遠しがちだ。しかし、11年前から女性船員を定期的に作用してきた協同商船の福田正海専務は「結婚を機に辞めることも多いが、いずれは女性船員だけで1隻運航させたい」と採用に積極的な事業者も登場している。 荷主からコスト削減目的で外国人船員の採用を求める声が出たことがある。しかし、「日本人船員とのコミュニケーションの問題や、混雑した港を航行する技術が必要なため、外国人船員(の採用)は難しい」(内航海運大手)として、現在そうした要望は出ていない。 もっとも、内航海運業界内でも船員不足の状況は一律ではない。これには特有の契約形態が影響している。 運送事業者は「オペレーター」と呼ばれ、元請けのほかに2次、3次の下請け事業者がいる。オペレーターは自社保有船のほかに、貸渡事業者(オーナー)から船員ごと船を借り、請け負った貨物を運送する。荷主はオペレーターに運賃を、オペレーターはオーナーに用船料を支払う多重構造になっている』、「船員1年目の手取りは月25万円」と待遇が予想外にいいのにも驚かされた。もっとも船内に拘束される時間が長いことからすれば、妥当なのかも知れない。
・『貸渡事業者の6割が「一杯船主」  オペレーターは2018年3月時点で1515事業者おり、主に荷主である石油元売り会社や鉄鋼会社などの系列に属する上位60事業者が総輸送量の8割を契約している。一方、オーナーも1470事業者いるが、その6割程度が主に小型船を1隻のみ保有する「一杯船主」だ。 大型船を複数保有するなど事業規模の比較的大きいオペレーターやオーナーは、船内環境を含めた待遇の良さをアピールできるため、「船員採用ではそれほど苦労していない」(内航海運大手)。海技教育機構の卒業生も大手事業者を中心に入社していく。 深刻なのは一杯船主を含めた小規模事業者だ。国交省の調査では船舶1~2隻、船員20人未満の事業者では50歳以上の比率が6割を占め、60歳以上の船員も34%に達している。こうした小規模事業者の中には、「とうちゃん船長、かあちゃん機関長」と呼ばれてきた家族、親族だけで運航するオーナーも存在する。 船員が辞める理由として、もっとも多いのは人間関係と内航海運関係者は口をそろえる。小規模事業者は若手の船員に来て欲しいが、せいぜい5~6人乗りで年齢が高い船員ばかりの小型船は敬遠されがち。一杯船主だと人間関係がこじれた際にほかの船に移ることもできず、待遇も見劣りがする。一方、オーナー側も“促成栽培”で経験不足の若手船員を雇うことに不安を覚えるうえ、少人数運航では育成する余裕もない。 内航海運オーナーの営業利益率は1.3%と全産業平均の約3分の1にすぎない。1隻数億円以上する船の建造費も借り入れで賄っている状況だ。後継者難、船員不足となれば事業継続は難しくなり、実際、一杯船主は2005年から10年間で39%減少した』、大手事業者と小規模事業者の格差に改めて驚いた。一杯船主の減少は、事業整理(清算)なのか、或は大手に事業譲渡(吸収合併)なのか、どういう形をとるのだろう。いずれにしろ、業界の再編成が必要なことは確かなようだ。
・『国交省もようやく本腰に  業界からは「一杯船主が安く請け負っているから成り立っている業界。いなくなったらどうするのか」(中堅オーナー)と先行きを危惧する声があがる。小規模事業者が主に所有する499総トン以下の小型船は内航船全体の隻数の8割弱を占める。統合や集約を進めようにも「赤字の事業者を集めてどういう経営をするのか」「長らく地縁血縁でやってきた世界なので難しい」との見方が大勢だ。 船員や海運関連の従業員らでつくる全日本海員組合の森田保己組合長は「そもそも運賃や用船料が削られてきたことが、内航海運が直面している問題の要因。用船料の適正化が不可欠だ。小型船が動かなくなればその分を外国籍船に頼むことになりかねず、事故も多発するおそれがある」と、現場の声を代弁する。 国交省でも小規模事業者の船員不足を含め、内航海運の課題解決に向けて各種検討会を設置するなど本腰を入れ始めた。荷主、オペレーター、オーナーいずれもが“三方良し”とならなければ、経済安全保障を掲げたオールジャパン体制の維持は難しくなるだろう』、「経済安全保障」の建前はいささか時代遅れの感もある。小規模事業者へ助成するような愚は避けるべきで、「安楽死」を促すべきではなかろうか。
タグ:物流問題 法人向け引越し代金を水増し請求 ボッタクリ文化に毒されていた 荷主、オペレーター、オーナーいずれもが“三方良し”とならなければ、経済安全保障を掲げたオールジャパン体制の維持は難しくなるだろう 国交省もようやく本腰に 貸渡事業者の6割が「一杯船主」 ダイヤモンド・オンライン 「ヤマト水増し請求は「起こるべくして起こった」と言える理由」 窪田順生 (その5)(ヤマト水増し請求は「起こるべくして起こった」と言える理由、ヤマト「社外秘資料」入手!代金着服、事故隠蔽…不正・懲戒の実態、消える内航船 静かに進む「海の物流危機」 船員の過半数が50歳超でも「外国人はノー」) 2010年からざっと40~50億円の水増し請求が行われていた可能性も 宅配クライシス 神戸製鋼や東芝、電通など、日本を代表する大企業で粉飾や水増し請求などの不正が次々に発覚 昭和型企業理念をいまだに引きずっている日本企業に共通する闇 時代が変われば当然、考え方も変わらなくてはいけないのだが、ヤマトグループをはじめ、多くの大企業はいまだに、この「全員経営」をまるでお題目のように唱え続けている 昭和な社訓のゴリ押しが組織を殺す 日本型企業文化の根幹をなす考え方 ヤマトグループの全員経営の精神を表しています 「ヤマトは我なり」 「全員経営」 協力・結束・調和」という精神論を振りかざせば、「みんなのため」の名のもとに社員を酷使するブラック企業になるか、「みんなで協力して不正をする」というダークサイドへ堕ちるしかない 低成長時代に全体主義を掲げると水増しや粉飾が常態化する理由 「結果」が出ていない組織の「全員経営」は、「全員不正」になってしまう恐れがある 自然と「結果」がついてきた。だから、昭和の組織は「協力・結束・調和」を一番大切なこととして掲げたのである 高度経済成長期 神戸製鋼、電通、東芝…全体主義企業の相次ぐ不正 神戸製鋼『不正40年以上前から』証言で注目すべきソ連との関係 過大請求分を差し引くと赤字に陥っていた可能性がある 全体主義そのものだった旧ソ連でも水増しや粉飾が横行していた ひとたび「結果」が出なくなってくると、誰に命じられるわけでもなく、互いのミスをフォローし合うかのように、自発的に「水増し」や「粉飾」などに走る傾向があるのだ 「計画経済」が行き詰まってくると、以下のように社会のさまざまなところに「粉飾」や「水増し」が横行 「全員経営」を掲げるユニクロも 不正発覚ラッシュの本番はむしろこれから!? 「計画達成だけを目標にする経済活動の弊害」というのは、残念ながらヤマトグループだけにとどまらず、日本のあらゆる「大企業」に見てとれる 一応は「牽制管理システム」がある ヤマト運輸で起きた不正行為や犯罪、事件・事故に対する懲戒事案をまとめた「懲戒委員会審査決定事項について」という社外秘資料 コレクト商品(通信販売などの代金引換商品)の代金の着服 幾つかの「抜け穴」があり、周囲に気付かれないことも現実にはある 「ヤマト「社外秘資料」入手!代金着服、事故隠蔽…不正・懲戒の実態」 内航船は日本国内の港から港へモノや人を運ぶ海運業者 不正が繰り返される原因は仕組みを動かす“人”にありそうだ 東洋経済オンライン 社内監査 主管支店が実施する“主管監査” 監査部 本社の監査部が年に1回程度実施する“本監査 警察OBなど“プロ”が集う特別調査部隊で、特に悪質な不正を担当する通称「マザーキャッツ」の存在 ヤマトはグループ総出で企業倫理の在り方を見直すべき 仕組みや抑止力は二重三重に張り巡らされていて、社員もそれを認知し恐れている 「消える内航船、静かに進む「海の物流危機」 船員の過半数が50歳超でも「外国人はノー」」 内航船員の7割強を占める貨物船の場合、50歳以上が53%、60歳以上も28% 半減 2010年以降、3億6000万~3億7000万トン程度で下げ止まっており 内航船の船員数は 輸送量は 60歳以上の船員が今後5年間で退職する場合には毎年1200人程度の新規就業者が必要 運送事業者は「オペレーター」と呼ばれ、元請けのほかに2次、3次の下請け事業者 船員1年目の手取りは月25万円 技術学校では3年の修業期間終了後に6カ月の乗船実習を受けると、4級の航海士か機関士の免許を取得できる 内航船員は日本人でなければならないというルール 即戦力を採用できたので、長らく船員育成に力を入れてこなかった」(内航船関係者)ため、今そのツケが回ってきた格好だ 内航船は経済安全保障上の観点から日本籍船に限定 4級を持っていれば比較的大きな船の船長になれる 内航海運は、外航海運の外国人船員化と漁獲制限に伴って漁船からあぶれた日本人船員の受け皿となった とうちゃん船長、かあちゃん機関長 一杯船主だと人間関係がこじれた際にほかの船に移ることもできず、待遇も見劣りがする オペレーターは自社保有船のほかに、貸渡事業者(オーナー)から船員ごと船を借り、請け負った貨物を運送
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