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歴史問題(10)(元CIA局員たちへの取材で炙り出された 日米の諜報活動の実態、戦後日本にCIAスパイを送り込んだ 日本人女性キヨ・ヤマダの数奇な運命、28歳「中国残留孤児3世」が日本で直面した現実 5歳で来日、捨てられた家電を拾って暮らした) [国内政治]

歴史問題については、8月20日に取上げた。今日は、(10)(元CIA局員たちへの取材で炙り出された 日米の諜報活動の実態、戦後日本にCIAスパイを送り込んだ 日本人女性キヨ・ヤマダの数奇な運命、28歳「中国残留孤児3世」が日本で直面した現実 5歳で来日、捨てられた家電を拾って暮らした)である。

先ずは、9月18日付けNewsweek日本版が掲載した国際ジャーナリスト 山田敏弘氏へのインタビュー「元CIA局員たちへの取材で炙り出された、日米の諜報活動の実態」を紹介しよう。
https://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2019/09/cia-24_1.php
・『<CIAのスパイを養成していた日本人女性キヨ・ヤマダの人物伝『CIAスパイ養成官――キヨ・ヤマダの対日工作――』(新潮社)を上梓した山田敏弘氏は、これまで各国の諜報機関関係者に取材してきた。山田氏に聞く、日本にもあるというCIAの養成学校の存在と、元CIA局員が指摘する日本のJICAとCIAの類似性とは> またひとつ、埋もれていた歴史が発掘された。 このほど発売された新著により、戦後、アメリカのCIA(中央情報局)に日本に送りこむスパイを育成していた日本人女性がいたことが分かったのだ。 その女性の名はキヨ・ヤマダ。日本で生まれ育った生粋の日本人で、1954年に渡米し、1969年に46歳でCIAに入局。日本語インストラクターとしてCIA諜報員に日本語や日本文化を教えていた人物だ。日本のメディア関係者をスパイにするための工作に関わったり、企業にCIAスパイを送り込む工作にも従事していたという。 国際ジャーナリストの山田敏弘氏は、米マサチューセッツ工科大学(MIT)に安全保障問題の研究員として留学中の2015年にキヨ・ヤマダについて取材を始め、今年8月に『CIAスパイ養成官――キヨ・ヤマダの対日工作――』(新潮社)を上梓した。 そこに記されているのは、1922年に東京で生まれたキヨが戦後、日本を捨てるようにしてアメリカに移り住み、CIA局員として対日工作に関わりながら2010年12月27日に88歳で他界するまでの波乱に満ちた人生だ。 山田氏はこれまでにも、CIAだけでなくイギリスやイスラエル、インドやパキスタンなど世界の諜報機関の取材を続けてきた。今回もCIAが極秘扱いにしていたキヨの身分や任務を炙り出す過程で、複数の元CIA局員から直接話を聞いたという。 取材を通して見えてきたキヨ・ヤマダという元CIA局員の姿と、現在の日米の諜報活動の実態について聞いた(Qは聞き手の質問、Aは山田氏の回答)。
・『Q:キヨ・ヤマダはどのような経緯でCIAに入ったのか。 A:キヨは戦後3年間、神奈川県藤沢市にあった湘南白百合学園で英語の臨時講師を数年務めていたが、もともと家族との関係が悪かったことと、戦前から西洋文化への憧れがあったことからフルブライト奨学生制度に応募し、合格してアメリカに留学した。 だが念願叶ってアメリカに渡ったものの、「敗戦国」から来た彼女が米空軍に勤務するアメリカ人男性と結婚して家庭に入り、夫の仕事で基地を転々とする生活が続けていくうちに自分を見失う。それでも日本で教師として培ったものを生かしてCIAに入り、アメリカに自分の居場所を探しながら生きていく』、「フルブライト奨学生制度に」合格するほど優秀だったようだ。
・『Q:彼女は日本で生まれ育ってからアメリカに渡り、CIAで働くことを決めた。そこに、「母国」を裏切っている、というような気持ちはなかったのだろうか。 A:おそらく一つ大きいのは、CIAで働くことに決めたときには日本にもう家族がいなかったということ。あと自分の取材から見えてきたのは、「日本」を過去のものとして、アメリカに渡った、というイメージだ。 実際に、母親が亡くなったという報告が来ても日本に戻らなかったし、家業を継いでくれと言われても戻らなかった。そのままアメリカで生活していくなかでだんだん自分もアメリカ人になっていくのだが、それでも自分の居場所はぐらついたままだった。 アメリカに住んだことがある人なら誰しも分かると思うが、外国人がアメリカに住むと、自分がメインストリームには入れないという疎外感がある。だから同じ人種の人たちでコミュニティーを作り、かたまりやすくなる。長く住んでいる人でもそうだ。キヨも、いつまでたっても自分の居場所がないと感じていたのではないか。 本来なら夫が自分にとって一番身近な存在であるはずだが、キヨはアメリカ人の夫が黒人を差別する姿などを目の当たりにしてきた。アメリカ人も、もともとはみな移民なので、自分たちの立場を守ろうとするあまり排他的になってしまうところがあったりするのかもしれない。そんななか、CIAのような国家の中枢機関で国策に貢献できる仕事をすることで、キヨはアメリカに自分の居場所を見つけていく。 本にも書いたが、キヨは晩年、自分の身の回りの世話をしてくれていたアイルランド人のアンジェラという女性にこう語っている。「私がCIAに入ってよかったことは、やっとアメリカに受け入れられたと感じることができたことなの」、と。 おそらくキヨは、CIAで働くことでやっと居場所を見つけた。だから自分がしてきたことに誇りに思っていたし、晩年になって、自分がCIAで働いていたことを周囲に打ち明け始めたのだろう』、「私がCIAに入ってよかったことは、やっとアメリカに受け入れられたと感じることができたことなの」、との述懐は、当時は真珠湾攻撃をした日本人に対する反感も強かったなかでは、痛いほどよく分かる。
・『Q:取材を始めるに当たって、キヨ・ヤマダという人物に興味があったのか、CIAに興味があったのか。 A:そもそも諜報機関に対する興味が長年あって、ずっと取材をしてきている。イギリスやイスラエルなど、現役の諜報員は難しいが、以前働いていた人などは機会があれば取材をしてきた。今は中国の諜報力がすごいという人もいるが、CIAは予算も人員も影響力も歴史も含めて大きな組織だ。特にCIAに関心を持っていたなかで、日本人でCIAに関わっていた人がいると知人から聞き、それは面白いと思った。 CIA局員は仕事柄、自分の身分も任務も周囲に明かすことはないが、キヨが日本語インストラクターをしていた当時の教え子、つまり対日工作にかかわった元スパイに話を聞けるかもしれないとなり、これはぜひ本にしたい、と思った』、守秘が厳しいCIA元局員について取材する上では、多くの困難があったのではないか。
・『Q:CIAという組織とその任務は、今も拡大しているのか。 A:実際のところの細かい人員数や予算は、機密情報なので分からないようになっている。ただおそらく、人材の質は変わっていたとしても、規模は変わっていないのではないか。いま諜報活動は過渡期にあって、デジタル化が進み、ハッキングなどが非常に重要になっている。 昔は人を尾行していたが、今はその必要もない。かつてはウォーターゲート事件じゃないが、ビルに入り込んで情報を盗むということをやっていたが、今はその必要もない。 例えば、イスラエルのネタニヤフ首相は昨年、イランが核兵器を開発していると言ってイスラエルの国防省で会見を行った。その証拠がこんなにあると、イランから盗んできたという資料を大量に提示した。たぶん盗んだものをヘリにでも乗せて逃げて来たのだろうが、今はその必要がない。 物理的に持ち出して、逃げてくるのは大変だしリスクが伴う。いかにデジタル化して盗むことができるか、という技術力のほうが今は重要になっている。スパイ活動も変わりつつある。 Q:CIAはハッカーを養成しているのか。 A:CIA専門のハッカーはいる。ハッカーなどを扱っていた元CIA幹部を知っているが、局員以外でも協力者や契約職員としてハッカーを囲っている。アメリカにはNSA(国家安全保障局)があるので、そこには米国でトップの数学者やハッカーたちが揃っている。 NSAは軍寄りなのでCIAとはあまり仲が良くないと言われるが、作戦になると一緒に活動する。例えばアフガニスタンにドローンを飛ばす指揮はCIAがとるが、どこに敵がいるかをハッキングや盗聴などで調べるのはNSAなどの組織だ。 Q:日本にCIA工作員はどれくらいいるのか。 A:分からない。だが1つだけ言えるのは、日本からも欲しい情報はあるということだ。日本の中枢にいるような人たちで、日本版の国家安全保障会議(NSC)とか、内閣情報調査室とか、ああいう情報関係の人たちはCIAとつながっているだろう。これらで働く人たちは、部下たちからすぐに情報を集められる。 情報の世界は絶対にギブ・アンド・テイクなので、ギブだけというのはあり得ない。テイクしないといけないので、おそらく日米もある程度はギブ・アンド・テイクでやっている。当然、提供できない情報はあるだろうが、日米間で「協力」というのは常にやっていると思う。 日本の場合はアメリカから情報を盗まれても致命的になるほどではないのではないか。ただ、それが経済問題や民間企業の場合は、知的財産などが盗まれることになる。例えば名古屋にもCIAの協力者が実際にいたと聞いている』、「CIAの協力者」であれば、東京には大勢いる筈だし、「名古屋」にいるのは、明らかにトヨダなどの製造業がターゲットなのだろう。
・『Q:山田さんはこれまで諜報関係者に数多く取材をしてきているが、彼らはなぜ取材に応じてくれるのか。彼らにとって、取材に応じることによる「テイク」は何か。 A:彼らが今やっている仕事にプラスになると考えているのではないか。CIAを辞めた後に民間企業に入る人はとても多い。コンサルタントのようなことをしていたり。 そういう人たちが、(記者である自分と)繋がっていたほうがいいと思うからしゃべってくれるパターンはあるだろう。もしくは、こういう話があると伝えると、ここまでだったら話してもいいと、自分との関係性の上で話してくれる人もいる。 だが今回の取材で一番大きかったのは、答えてくれた人たちがキヨのことを尊敬していた、ということだろう。キヨの人生がこういう形で、歴史には記録されないまま終わっていくということを、自分たちも同じ仕事をしているので知っている。 そんななかで、もうキヨは亡くなっているし、彼女がやってきたことを歴史の一部分として、完全に匿名でという条件でなら話してもいいと応じてくれた。彼女が生きたということを遺したいという私の意図に乗ってくれたのだと思う。 Q:CIAで働いていた日本人はキヨだけではなかったのか。 A:日本人がいたのかはわからない。日本語を教えていたのはキヨだけではなく、日系人はいた。キヨよりも後の世代の日系人で、取材に応じてくれなかった人もいた。 Q:著書の中に、CIAを養成する学校が日本にもある、というくだりがある。そこでは何人くらい養成しているのか。 A:CIA以外にも、いろいろな立場の人が入り混じっていて、何の組織かよくわからなくなっている。それ以上、詳しいことはここでは言えないが(笑)。ちなみに、日本国内の各国大使館に、それぞれの国の諜報職員を紛れ込ませているというのは有名な話だ。 Q:日本にCIAのような組織はあるのか。 A:しいて言えば内閣情報調査室だが、内調は基本的には国内のことをメインに扱っているだろう。日本の組織のなかで海外の諜報活動をしているところはほぼないと言っていい。 だが警察関係のなかに、海外に行って動いている人たちはいる。とは言えその人たちも、国外で集めているのは日本人に関する情報だ。そういうことも含めて考えれば、日本にはCIAと同じような組織はないと言える。 おそらくどこの国にもCIAのような、国外で自国の国益になるような情報を拾う、もしくは自国に危険が及ばないように情報を収集する組織はあるのだが、日本にはない。それだと日本を守れないので、日本版CIAを作った方がいいのでは、という話は政府関係者の中でも聞かれる』、在外公館にいる各省から派遣された大使館員はそれぞれ情報収集が主要任務なので、「日本版CIA」は不要だろう。
・『ただ、この取材で会った元CIA局員から面白いことを言われた。「日本はJICAってあるでしょう。あれって、ほぼCIAみたいじゃないか」と。「かなり色々な情報を収集して、政府関係者などにもかなり食い込んでいるでしょう」と言うのだ。 世界中にオフィスを持つJICA(国際協力機構)やJETRO(日本貿易振興機構)は各国で莫大な資金を使ったプロジェクトを行っているので、その国の中枢で働く人や省庁の役人たち、もっと言えば大統領などともつながることができる。信頼もされているだろうし、ああいう人たちは全部CIAにできますよね、と冗談っぽく言われた。 CIAも、局員のやっていることの多くはペーパーワークで、あとは現地のスパイたちに情報を集めさせたりしている。集まった情報を局員がまとめて上にあげる。JICAで働く人たちが既にやっているようなことだ。JICAはコバートアクションと呼ばれる秘密作戦や工作はやらないが、情報収集に関しては既に行っている。 彼らはどちらかというと現地寄りなので転換は必要だし、そもそもJICAの職員は途上国支援などといった志があるので情報収集を仕事にはしようとはしないだろうが、彼らの持っている情報網はCIAのような情報活動に近い、というとイメージしやすいかもしれない。 Q:著書の中で、日本のジャーナリストも実際にCIAにリクルートされたという話が出てくる。今でもそういうことはあるのか。 A:CIAに限らず、いるでしょうね。名前は言えないが。ただ、例えばイギリスの諜報機関が「協力者」を使う場合、使われているほうは自分が協力者に仕立て上げられていることを知らない場合がある。普通の会社員が、知らない間に諜報工作に手を貸している場合はある。 Q:山田さん自身は、リクルートされた経験はあるか。 A:一切ない。誤解されやすいのだが(笑)』、「ジャーナリスト」を「協力者に仕立て上げられている」、大いにありそうな話だ。

次に、上記に出てきた国際ジャーナリストの山田敏弘が9月28日付けNewsweek日本版に掲載した「戦後日本にCIAスパイを送り込んだ、日本人女性キヨ・ヤマダの数奇な運命」を紹介しよう。
https://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2019/09/cia-25.php
・『<諜報活動という裏社会に身を投じて居場所を見出したキヨの葛藤は、現代女性にも通じるものがある> 筆者の知人が、アメリカ留学中だった10年ほど前に在米の日本人主婦らが集まった小さなホームパーティーに参加し、そこで「興味深い女性」の話を聞いたという。 その人物の名前は「キヨ・ヤマダ」。戦後間もなく渡米してアメリカ人と結婚した彼女は、その後に世界最強の諜報機関であるCIA(米中央情報局)に入局。スパイに日本語や日本文化を教えていたが、少し前に他界してワシントンのアーリントン国立墓地に眠っているらしい――そんな話だった。 この話を聞いた筆者は、キヨのことがずっと気になっていた。そしてワシントンへの出張の折、アーリントン国立墓地に立ち寄ってみたところ、肩書きに「妻」とだけ書かれたキヨの墓を発見する。そこには彼女が国家のために働いたという形跡は一つもなかった。その後、いろいろな文書などにも当たって調べてみたが、彼女のキャリアは完全に世の中から消されていた。 一体、キヨ・ヤマダとは何者なのか。彼女に対する好奇心が止まらなくなり、彼女の人生を掘り起こす取材を始めた――。 キヨが生まれたのは、1922年(大正11年)9月29日。東京市深川区深川東大工町(現在の江東区白河)に暮らす非常に裕福な家庭に、3人きょうだいの末っ子として生まれた。幼稚園から東京女子高等師範学校(現在の御茶ノ水大学)付属に通うような裕福な家庭に育ちながらも、封建的な社会制度のなかで家庭内の居場所を探し続けた。そんな中で、キヨは英語などの教育専門家となる目標を見据え、海外留学を目指す。日米の間に立ち、架け橋になりたいと考えていたという。 そして戦時中に、東京女子大学や東北大学、東京文理科大学(現在の筑波大学)で学んだ後、湘南白百合学園で英語教師を経験。程なく奨学金を得て、ミシガン大学の大学院で英語教育を学ぶために渡米する』、「アーリントン国立墓地」に埋葬されるとはやはりCIAの活動が高く評価されたのだろう。墓碑に「「妻」とだけ書かれた」、のはCIA局員の宿命だろう。
・『だが大学院卒業後は、米兵と結婚。アメリカやドイツなど各地を転々とする生活を続け、46歳まで専業主婦として軍人の夫を支えた。ただ彼女の気持ちの中で、キャリアを目指す思いは消えてはいなかった。そしてその年齢で、ふとしたきっかけからCIAに入局することになる。 CIAでは日本に送られる諜報員を養成する言語インストラクターとして働いた。その一方で、日米を頻繁に行き来しながら、工作活動やリクルート活動にも深く関与していた。 日本人であるキヨは、CIAで対日工作を行うことに、罪悪感はなかったのか。新著『CIAスパイ養成官 キヨ・ヤマダの対日工作』(新潮社刊)では、キヨのこんな心情を紹介した。 「キヨは晩年、アイルランド人のアンジェラに、過去のいろいろな話をした。アンジェラによれば、キヨはあるときこんなことを言ったという。『私がCIAに入ってよかったことは、やっとアメリカに受け入れられたと感じることができたことなの』」 戦後の日本を抜け出し、アメリカ暮らしとなった彼女が見つけた安息の地はそこにしかなかったのだろう。そしてCIA退官時にはメダルを得て表彰されるほどの実績を残している。彼女にとってCIAが唯一の輝ける場所だったのかもしれない。 表向きには消されてしまった彼女の人生には、戦後を駆け抜け、アメリカに居場所を見出し、諜報活動という裏社会に身を投じた日本人女性の物語があった。キャリアや結婚に思い悩みながら生き方を模索したキヨの葛藤は、女性がキャリアの様々な局面で障害に直面する今の時代にも通じるものがあるのではないだろうか』、「彼女にとってCIAが唯一の輝ける場所だったのかもしれない」、苦労もあっただろうが、「輝ける場所」があったというのは幸せなことなのではなかろうか。それにしても、凄いスーパーウーマンがいたものだ。

第三に、ジャーナリスト、編集者の大塚 玲子氏が12月8日付け東洋経済オンラインに掲載した「28歳「中国残留孤児3世」が日本で直面した現実 5歳で来日、捨てられた家電を拾って暮らした」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/318225
・『中国残留孤児――太平洋戦争が終わったとき、当時の国策により満州に渡っていた日本人たちが命からがら帰国する際、やむなく現地にのこしてきた子どもたちのことです。その多くは、中国人の養父母に育てられました。 日中の国交が回復した1972年以降、徐々に引き揚げが進み、これまで約6700人の孤児・婦人等(家族も含むと約2万1000人)が帰国していますが、日本に帰ったのちも困難は続きました。多くの人が中国語しか話せず、日本の文化にもなじみがないため、大変な苦労をすることになったのです。(厚生労働省「中国残留邦人の状況」より) 「中国残留孤児だった祖母とともに、5歳のときに日本に来た」と連絡をくれたのは、28歳の女性、荻原むつきさん(仮名)でした。祖母が当事者ですから、むつきさんは「中国残留孤児3世」ということになります。 当たり前のことですが、彼女の見た目から、その希有な身の上は想像もつきません。むつきさんは日本に来て、どんな子ども時代を過ごしてきたのでしょうか』、「中国残留孤児」の問題は戦争が残した深刻な爪痕だ。
・『2間に8人、祖父母に育てられた  いったん、歴史を遡ります。祖母は終戦時、中国北東部の村で、比較的裕福な家に引き取られました。よほど能力が高かったのでしょう、大人になってからは、当時女性ではかなり少なかったであろう、ある専門職に就いていました。 祖母が自分が残留孤児であることを知ったのは、結婚したときでした。育ての親から渡された書類には日本の苗字が書かれていましたが、両親がどこにいるかはわからなかったそう。出身地は九州だろうと政府からは伝えられたものの、結局いくら探しても親族を見つけることはできませんでした。 日本に戻ったのは60歳近くなってからです。支援法が整備され、日本政府がいよいよ本格的に調査に乗り出したことがきっかけでした。祖母には「日本で子どもや孫を生活させたほうが、将来的にいいのではないか」という思いもあったといいます。 1996年、日本での生活は、2間の住まいで始まりました。同居したのは、祖母と祖父、父の姉夫婦とその子ども、むつきさんと父親、父の弟の計8人。夜は「布団をぎっしり敷いて」寝ていたそう』、生活保護や公営住宅への斡旋はなかったのだろうか。
・『むつきさんが幼い頃に両親は離婚しており、彼女は祖父母に育てられていました。しかし小学校に入るとき、父の姉一家が別の住まいに移ることになり、むつきさんも姉一家と共に暮らすことになります。慣れない生活の中、いとこ同士で同じ学校に通わせたほうが子どもたちにとっていいだろうと、大人たちが判断したのです。 この暮らしは、むつきさんにとって「あまりよくない」ものでした。優しい彼女は言葉を選びましたが、伯母は言葉がきつい人物で、勉強ができる自分の子どもたちとむつきさんをいつも比べたため、ストレスから彼女は夜尿症になってしまいました。 祖父母の元に戻れたのは、小学校3年のときでした。きっかけの1つは「シャチハタ」です。彼女が家にあったシャチハタを見つけ、外に持ち出して遊んでいたところ、「泥棒が入ったんじゃないか」と騒ぎになってしまったのです。言い出せずにいたところを見つかり、ひどく怒られましたが、おかげで祖父母の元に帰れたのでした。 伯母も「日本に来て言葉も通じない、お金もなくテンパっている時期に、弟の子どもの面倒まで見なきゃいけないという状況」で、大変だったろうとむつきさんは言いますが、大人にあたられる子どもだって大変です。 なお、家の中では彼女もいとこも中国語のみの生活をしていましたが、小学校で日本語のみの環境におかれたため(初めはサポート授業も受けられたそう)、2人とも比較的早く、日本語を使えるようになったということです』、「ストレスから彼女は夜尿症になってしまいました」、ありそうな話だ。
・『公立中学入学に8万、つたない日本語で抗議した祖母  元の住まいに戻ってからは、祖父母や叔父と一緒に、公園などに捨てられている電化製品などを拾いにいったことを覚えています。初めはとくにおかしなことと思わなかったのですが、学校で「昨日、テレビを拾った」と話した際の友人たちの反応から、「恥ずかしいことらしい」と学び、それからは「家族の後ろをついて歩くだけ」になったといいます。 それでも当時、自分の家が貧しいという実感はありませんでした。家にモノはありませんでしたが、祖母は「食べものには絶対に困らせない」という考えをもっていたため、「ご飯でひもじい思いをしたことは全然なかった」からです。小学校の友達もみんな仲がよく、いじめられるようなこともありませんでした。 初めて「うちにはお金がないんだ」と自覚したのは、中学に入るときでした。日本の中学校は義務教育でありながら、入学前に制服や体操服、指定のカバンなどを買いそろえなければならず、これがとても高いのです。 店の人から計約8万円を請求され、祖母はつたない日本語で「高いよ、払えないよ」と抗議しましたが、当然値引きはしてもらえません。むつきさんは試着室に立ち「このやり取りを、ただ申し訳なく見ていた」そう。帰り道、祖母は泣いていました。 最近は就学援助制度(経済的に厳しい家庭に、義務教育に必要な費用の一部を自治体が援助するもの)がようやく周知されてきましたが、15年前当時、日本語がわからない祖母には、情報が行き届いていなかったのでしょう。 しかし就学援助の制度があるにしても、憲法で「無償」とうたわれる義務教育において、これほどの私費負担を求めるというのは、どうなのか?ずっと日本で暮らしてきた筆者でも、疑問に感じます。筆者も数年前、子どもの制服その他一式を購入したときは、「高いですね……」と口にせずにいられませんでした。 むつきさんが最もつらかったのは、中学3年のときでした。祖父が病気になり、手術のため祖父母が一時的に中国に戻ることになり、その間、再び伯母の元で暮らすことになってしまったのです。 叔母の家で、彼女はいつも息苦しさを感じていました。学校から帰り、家のドアを開けるときはいつも、「今日は怒られませんように、と祈る気持ち」だったといいます』、「就学援助制度・・・15年前当時、日本語がわからない祖母には、情報が行き届いていなかったのでしょう」、行政ももっと踏み込んだ支援をする必要がありそうだ。
・『何よりつらかった「だから、あなたも同じ」という言葉  しかしある日、事件は起きました。携帯電話の利用料金が、伯母に決められた額を大幅に超えてしまったのです。当時、中学生にはよくあることかもしれませんが、「グループ内で順番にハブられる」ような状況があったため、彼女も仲間の中でそれなりの位置をキープするのに、当時全盛だったプリクラ代(携帯に画像保存するための利用料)などを出す必要があったのです。 伯母の怒りは、凄まじいものでした。謝っても許されず、追い詰められた彼女は近くにあった棒で自分の手を滅多打ちにしましたが、伯母の怒りはまだおさまりません。離れて暮らしていたむつきさんの父親が、窃盗事件に加担して捕まっていることを突然明かし、「だから、あなたもそうなんだ」と言ったのでした。 父親が罪を犯して捕まっている――それだけでもショックなのに、「だからあなたも同じ」と言われ、どれほど傷つき、悔しい思いをしたか。むつきさんは時折苦笑しながら、でもぽろぽろと涙をこぼし、言葉を詰まらせながら、話してくれました。 一家は来日当初、生活保護を受けて暮らしていましたが、伯母は人一倍努力家で、一族の中で誰より早く生活保護を抜け出し、高額納税者となっていました。そんな伯母にとって、弟の犯罪は許しがたいものだったのでしょう。でも、娘であるむつきさんと無関係であることは、説明するまでもありません。 高校に入ると同時に、むつきさんはめでたく、祖父母の家に戻ります。それからは、学校とアルバイトに明け暮れる日々でした。土日は必ず丸一日、平日も夕方からファストフード店で働いて、月20万円近く稼いでいたといいます。 インターネットが広まったおかげで、幼い頃に父と離婚した母親といつでも話せるようになったのも、うれしいことでした。それまでは数年に1度、夏休みを北京で暮らす母親の元で過ごしていたのですが、高2の頃からはSkypeで大好きな母親と好きなときに話ができるようになり、「精神的にも安定した」のでした』、「Skype」はこうした親子には必須のものだろう。
・『大切なことはみなアルバイトが教えてくれた  英語が得意になったのは、アルバイト先で受けた英語の接客研修がきっかけでした。なんとか例文を覚えようと、携帯でいろいろ調べていくうちに、学校で教わってきた英語と、実際に使う英語がつながったのでしょう。「ああ、そういうことなんだ!」とわかるようになり、以来「英語の成績だけ、すごくよくなった」のです。 バイト先の人たちからも、たくさんのことを教わりました。専門学校生のバイト仲間や、契約社員のお姉さん、店長のおじさんなどからはよく、「将来のことを考えて、今のうちから頑張って」と励まされました。他方では、一流大学の学生たちが「遊び感覚で」アルバイトに来ていたことも、彼女に現実を見据えさせる一因となったようです。 大学は、思い切ってアメリカの州立大学に留学しました。初めは母親のいる中国に留学しようと考えていたのですが、たまたま足を運んだ説明会で奨学金制度があることを知り、アルバイトで貯めたお金でなんとかできそうだとわかったからです。 とはいえ、4年も大学に行くお金はありませんでした。そこでなんとか3年で卒業すべく、ひたすら勉強をして単位を取りまくり、「胃潰瘍になって『もう死ぬ』みたいな感じ」で、日本に帰ってきたということです。 就職は、すぐには決まりませんでした。2012年当時、大卒の就職率は低迷しており、100社に履歴書を送りましたが、すべて不採用とされてしまいます。時々キャバクラで働きつつ就職活動を続けていたところ、2012年5月からようやく、外資系のIT企業で働けることになりました。この会社でキャリアを積んだ彼女は、その後2度、管理職として転職して現在に至ります。 言葉の壁からなかなか定職に就けなかった父親も、ここ数年は事業が軌道に乗り、再婚相手の女性とともに、日々忙しく働いているということです。ちなみにむつきさんは、この父親の再婚相手の女性――「2ママ」(2番目のママ)と呼んでいる――とも仲がよく、また1ママ(北京にいる父親の前妻)と2ママも、非常に仲がいいということです』、「アメリカの州立大学に留学」、「3年で卒業すべく、ひたすら勉強をして単位を取りまくり、「胃潰瘍になって『もう死ぬ』みたいな感じ」で、日本に帰ってきた」、とは大したものだ。
・『「2つの文化」のせめぎ合いを経験する子どもたち  いま日本では外国人の雇用が増え、親に連れられて来日する子どもがとても増えています。これまでの言語が通じない国で、環境変化に戸惑う子どもたちに、何かアドバイスできることはあるか?と尋ねると、彼女はこんな話をしてくれました。 「自分がこれまで持っていた文化と、日本の文化がぶつかり合うときって、必ずあると思うんです。とくに子どもの場合、家ではこれまでの文化、学校では日本の文化に接するから、両者がせめぎ合って、結構悩ましいと思う。挟まれていると、つらくて逃げたくなるんです。学校に行きたくなくなったり、逆に、家族と話したくなくなったりする。 そういうときには、『自分はこうする』と選択をして、かつそれを言葉にしていくことが大事だと思います。『私はこうする』と自分にも周囲にも宣言することで、どちらにも流されないようにできると思うので」 そしてもう1つ、「2つ以上の文化やルーツをもつのは、決して悪いことではなく、自分の人生をさらに豊かにできるすごいことなんだ」ということも、伝えたいそう。 例えば、今むつきさんは「赤」という色が大好きですが、高校生の頃まではずっと「なんとなく避ける色」だったといいます。赤は中国の国旗やお祝い事などに必ず使われる、象徴的な色ですが、彼女は高校生の頃まで「日本に育ったのだから日本人でなくてはいけない」という意識が強かったため、赤を避けていたのです。 しかしその後、アメリカの大学に進学し、さまざまなバックグラウンドをもつ人と交流する中で、むつきさんは中国と日本という2つのルーツをもつ自分を肯定できるようになりました。そこでようやく「赤を好きな自分」を許せるようになったのでしょう。 2つの文化がせめぎ合ったときは、どちらか一方を否定するのでなく「両方いいじゃない」と肯定できるといいのでは。そのうえで「自分が何を選択するか」を、都度決められるといいのかな、というふうに筆者は受け止めました』、その通りだろう。ただ、肝心の「残留孤児」一世の祖母が記事の中心ではなく、中国に戻ってしまったので、残留孤児そのものの苦労が取上げられてないのが残念ではある。
タグ:「2つの文化」のせめぎ合いを経験する子どもたち 大切なことはみなアルバイトが教えてくれた 何よりつらかった「だから、あなたも同じ」という言葉 公立中学入学に8万、つたない日本語で抗議した祖母 2間に8人、祖父母に育てられた 中国残留孤児だった祖母とともに、5歳のときに日本に来た」と連絡をくれたのは、28歳の女性、荻原むつきさん 「28歳「中国残留孤児3世」が日本で直面した現実 5歳で来日、捨てられた家電を拾って暮らした」 東洋経済オンライン 大塚 玲子 奨学金を得て、ミシガン大学の大学院で英語教育を学ぶために渡米する 「妻」とだけ書かれたキヨの墓 アーリントン国立墓地 「戦後日本にCIAスパイを送り込んだ、日本人女性キヨ・ヤマダの数奇な運命」 日本版CIAを作った方がいいのでは、という話は政府関係者の中でも聞かれる 名古屋にもCIAの協力者が実際にいた 諜報活動は過渡期にあって、デジタル化が進み、ハッキングなどが非常に重要になっている CIA局員は仕事柄、自分の身分も任務も周囲に明かすことはない 「私がCIAに入ってよかったことは、やっとアメリカに受け入れられたと感じることができたことなの」 CIAのような国家の中枢機関で国策に貢献できる仕事をすることで、キヨはアメリカに自分の居場所を見つけていく 外国人がアメリカに住むと、自分がメインストリームには入れないという疎外感がある 日本のメディア関係者をスパイにするための工作に関わったり、企業にCIAスパイを送り込む工作にも従事していた 日本語インストラクターとしてCIA諜報員に日本語や日本文化を教えていた人物 1954年に渡米し、1969年に46歳でCIAに入局 歴史問題 (10)(元CIA局員たちへの取材で炙り出された 日米の諜報活動の実態、戦後日本にCIAスパイを送り込んだ 日本人女性キヨ・ヤマダの数奇な運命、28歳「中国残留孤児3世」が日本で直面した現実 5歳で来日、捨てられた家電を拾って暮らした) Newsweek日本版 山田敏弘 「元CIA局員たちへの取材で炙り出された、日米の諜報活動の実態」 キヨ・ヤマダ 『CIAスパイ養成官――キヨ・ヤマダの対日工作――』
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日本の政治情勢(その38)(小田嶋氏2題:小さなウソを容認すると起こること、12月3日を「日本語が死んだ日」に) [国内政治]

昨日に続いて、日本の政治情勢(その38)(小田嶋氏2題:小さなウソを容認すると起こること、12月3日を「日本語が死んだ日」に)である。

先ずは、コラムニストの小田嶋 隆氏が11月22日付け日経ビジネスオンラインに掲載した「小さなウソを容認すると起こること」を紹介しよう。
https://business.nikkei.com/atcl/seminar/19/00116/00045/?P=1
・『「ニューオータニの宴会場で800人の立食パーティーをやって、一人アタマ5000円で済むのか」という話題が、この1週間、様々な場所で行ったり来たりしている。 バカな話だと思う。 私の感覚では、無理に決まっている。これが無理でないのだとすると、この世界に「価格」というスタンダードがあること自体がおとぎ話になってしまう。 どんなに優秀な幹事を立てたところで、きょうび都内の一流ホテルで料理と飲み物を出すパーティーが、一人アタマ1万円以下の会費でペイできる道理はない。聞けば、当日は有名寿司店の寿司がふるまわれたというし、名前の知れたシャンソン歌手が歌う場面もあったのだそうだ。だとすれば、なおのこと5000円という会費はあり得ない。完全に不可能だとまでは断言しないが、近所のコンビニで売っている120円のシュークリームひとつで丸1週間食いつなぐことが困難であるのと同じほどにはバカげた話だと思う。 仮にこの会費でニューオータニのパーティーに誘われたら、私は参加しない。会費の安いパーティーには、若い頃からひどい目に遭っている。たしか高校2年生の時だったか、100平米の雀荘をハコにパー券を300枚売りさばくタイプの暴走族主催のディスコパーティーに引っかかったことがある。あれはキツい経験だった。集結した面々がレディースとツッパリ坊限定だった点もさることながら、狭い雀荘の会場に入るためには、階段越しに 「お前どこのもんだ?」てな調子でスゴんでいるチンピラ諸氏の面通しを突破しなければならなかった。 私にはその関門の先に待っている不機嫌なレディースを待望する理由がなかった。それ以上に、階段の前に陣取っているテカテカのリーゼントに対峙するだけの度胸を持っていなかった。だから、1500円のガリ版刷りの薄紅色のパー券をその場に捨てて、静かに板橋駅に引き返した。いまでも賢明な判断だったと思っている。 もう少し年をとって、ほんの少しだけ賢くなった頃にも、ネットワークビジネスのカモ誘引会場にまんまと間抜け面を晒したことがあった。あの時も、自分の価値観の浅はかさを心から呪ったものだった。だから、このトシになって、いまさら安いパーティーはお断りだ。ごめんこうむる。まあ、高いパーティーにしたところで願い下げではあるのだが。 話を整理しよう。 ニューオータニで5000円のパーティーが可能だろうかなどという話は、本来なら大の大人が大真面目に議論すべき話題ではない。そういうことだ。 「ウソに決まってるだろ」という決まり文句で一蹴すべき案件だ。 とはいえ、読者の中には 「ウソに決まってるじゃないか」だけでは納得しない半端者が必ず含まれている。 そういう少数者のために、外堀を埋める意味で、「ニューオータニ5000円パーティー」の開催不可能性について、以下、やや子細に検討してみる。 仮に、会費5000円でパーティーを開いたことが事実だったのだとすると、ホテル側に支払った実際の金額と、パーティー参加者から徴収した会費の総額との間に「差額」が生じる。と、当然、この「差額」ないし「損失」を誰かが補填しなければならない。そうでないと話が前に進まない』、確かに「本来なら大の大人が大真面目に議論すべき話題ではない」が、頭の体操をしておく意味はある。
・『この場合、差額分を支出していたのが安倍さんの後援会事務所だったのだとすると、相当にマズい。支出をきちんと計上していなかったということにでもなれば、いきなり政治資金規正法違反になる。この先、後援会が帳簿の体裁を整えるつもりでいるのだとしても、差額として支出した金額をどういう名目で処理するのかは、会計担当者にとって、厳しい試練になるはずだ。いったいどうやって申し開きをするつもりなのだろう。 差額の出どころが、「桜を見る会」のための予算であった場合、これはこれでまた別のスキャンダルになる。公の税金を私的なパーティーのために費消していたわけだから、「公私混同」と言われても仕方がない。おそらく、会計的にも問題が残るはずだ  以上の事例とはまったく別に、会費の差額のために官房機密費が充当されていたのだとしても、それはそれで大変によろしくない。このケースが一番ヤバいかもしれない。官房の「機密」が、首相個人の後援会の慰安であるのだとしたら、国家機密そのものが私物化されていたことになる。だとすれば、この国はもはや未開の蛮国にすぎない。 とにかく、5000円という破格の会費でパーティーを開催することで選挙区の支援者を慰撫していたのであれば、安倍さんは、無事では済まない。 最後の可能性として、ホテルニューオータニ側が、会費5000円でのパーティー開催という破格の条件をそのまま飲み込んだ可能性も理屈の上では残されている。 その場合、「ホテル側はどうしてそんな非常識な条件をのんだのか」という疑問に答えなければならない。 で、その答えのひとつとして、「同じクライアント(安倍首相ないしは日本政府)による別の取引機会において、当面の損失を補ってあまりある利益が期待できるから」というプロットがある。 なるほど、ありそうな話だ。 実際、去る10月23日、首相夫妻の主催による天皇皇后両陛下のご即位を祝う晩餐会が、各国の首脳を招いた中で盛大に開催されたわけなのだが、その会場は、実に紀尾井町にあるホテルニューオータニだった。 これは偶然だろうか。 ホテル側からしてみれば、天皇即位のための晩餐会の会場として選ばれる栄誉と実益の大きさに比べてみれば、800人の立食パーティーの会費をどれだけ値引きしたところでものの数ではない。 あるいは、安倍さんの側は、ここのところの権威勾配(というのか「威圧」)につけこむカタチで、不当なディスカウントを迫ったのであろうか。というよりも、首相サイドがあからさまに強要するまでもなく、値引きは、ごく自然に受益者から権力者に向けて「提供」されていたのかもしれない。 してみると、これは、権力なり政府の権威なりを背景とした、「令和の代官&越後屋ストーリー」になる。 この場合も、政府から支払われることになる晩餐会の巨額支出を、自分の後援会事務所主催のパーティー費用とバーターにして値引き交渉をしていたのであれば、より巨大な公私混同案件と見なされるはずだし、直接的に権力の威圧で値引きを勝ち取っていたのだとしても、それはそれでまた政治家としての振る舞い方を批判される理由になる。どっちにしても無事では済まない。 もちろん、私がここで並べ立てている臆測は、取材に基づくファクトや根拠があって言っていることではない。 「そう考えればそう考えることもできる」というだけの、言ってみれば言葉のアヤみたいなものだ』、「ホテル側からしてみれば、天皇即位のための晩餐会の会場として選ばれる栄誉と実益の大きさに比べてみれば、800人の立食パーティーの会費をどれだけ値引きしたところでものの数ではない」、大いにあり得る話だ。なお、ニューオータニと安倍家の関係については、「「安倍家を取り仕切る “ゴッドマザー” こと洋子さん(91)と、ニューオータニの大谷和彦社長(73)は、E塾という経営コンサルティング会社を通じて、古いつき合いがある」(11月27日付けLlivedoor NEWS)との報道もある。
・『ただ、「ニューオータニによる会費5000円でのパーティー会場提供が事実であったとするなら」という条件から考えると、それこそ、バーター案件としてご即位奉祝の晩餐会でも持ってこないと話が合わないぞということを言ったまでのことだ。 思うに、最重要な問題は、これほどまでにあからさまなウソごまかしであっても、首相の口から出た言葉だからという理由で、最大限に尊重せねばならなくなっているわが国のメディアの奴隷根性だ。 メディア側は、最後の最後まで真実である可能性を勘案した上で、首相の発言を取り扱わなければならないと思い込んでいるわけで、結局のところそれほどまでに、ファクトチェックの基準を政府の側に譲り渡してしまっている。 朝日新聞のデジタル版(asahi.com)が、11月20日11時38分に配信のweb版で《安倍首相、招待者選定「意見言うことあった」一転認める》という記事を配信している。 紙の方の新聞では、21日付の朝刊で 《首相、接待関与認める 桜を見る会 昭恵氏も推薦》という見出しのもと、ほぼ同内容の記事を掲載している。 気になるのは、時間的により遅い(つまり最新の)段階で制作されている紙版において、首相の「答弁の修正」(←個人的には「虚偽答弁」の線でたたかうべきだと思っている)を責めるニュアンスが弱まっている点だ。 なお、現時点(11月21日17:00頃)では、web版の方でも、紙版の朝刊とほぼ同じ内容に修正した11月21日05:00更新分の記事が掲載されている。 紙版、web版(第一報)ともに、まずリードの部分で 《国の税金を使い、首相が主催する「桜を見る会」をめぐり、安倍晋三首相は20日午前の参院本会議で、招待者選定について「私の事務所が内閣官房の推薦依頼を受け、参加希望者を募ってきた。私自身も事務所から相談を受ければ意見を言うこともあった」と自らの関与を認めた。会前夜の夕食会は、自らの後援会が主催したことも明らかにした。》 と、首相が国会答弁の中で招待者選定への関与を認めた発言を紹介しているのだが、本文に入ると文章のトーンが変わる。 web版(の第一報である20日11:38配信分)が 《―略― 首相は8日の参院予算委員会では「私は、招待者の取りまとめ等には関与していない」と説明していたが、修正した。 ―略―》 と端的に首相が発言を修正した旨を伝えているのに対して、紙版(ならびに21日05:00更新の記事)では、 《―略― 首相は8日の参院予算委員会で「私は、招待者の取りまとめ等には関与していない」と述べていた。20日は「私は、内閣官房や内閣府が行う最終的な取りまとめプロセスには一切関与していない」と軌道修正。「先日の答弁が虚偽だったとの指摘はあたらない」とも述べた。 ―略―》 と、8日の発言が虚偽答弁にはあたらないという首相の発言を紹介するフォローの一文が書き加えられている』、「最重要な問題は、これほどまでにあからさまなウソごまかしであっても、首相の口から出た言葉だからという理由で、最大限に尊重せねばならなくなっているわが国のメディアの奴隷根性だ」、辛辣なメディア批判だ。
・『首相が、虚偽答弁をしたのかどうかは、今後、与野党ならびにメディアを含めた議論の中で争点になる部分なのだろう。 そういう意味では、新聞の見出しで、いきなり「虚偽答弁」と、決めつけるのはむずかしいことなのかもしれない。 とはいえ、首相は、8日の国会答弁で 「私は、招待者の取りまとめ等には関与していない」と断言している。 でもって、20日には、前言を翻して 「私の事務所が内閣官房の推薦依頼を受け、参加希望者を募ってきた。私自身も事務所から相談を受ければ意見を言うこともあった」と言っている。 要するに「意見を言うことはあったが、そのことがすなわち招待者の取りまとめに関与したことにはならない」という理屈なのかもしれないが、そんなことが通用するものだろうか。 こういう露骨な言い逃れを 「発言を修正した」という伝え方で記事にして、朝日新聞の中の人たちは、そんなことで新聞の役割をまっとうできると考えているのだろうか。 単純な話、首相が国会答弁を修正したのであれば、メディアの側の人間は、修正する前の発言と、修正後の発言の間の整合性を執拗に追及する役割を果たさなければならないはずだ。 「つまり8日の答弁は虚偽だったということですか?」「虚偽ではないのだとすると、事実誤認をしていたということですか?」「事実誤認をそのまま口にしていたのだとして、どうしてそのような事実誤認をしていたのか、その間の事情を説明してください」「勘違いや言い間違いなら、どうして8日の答弁で間違った事実を述べたのかについても教えてください」と、いくらでもツッコミどころはあるはずだ。 そこを「首相が答弁を修正しました」という記事を書いて、はいおしまいにするのだったら、小学生の学級新聞と同じではないか。 「修正しました」「あ、そうですか」では、メディアの役割を果たしたことにはならない。 ただの政府広報だ』、「「首相が答弁を修正しました」という記事を書いて、はいおしまいにするのだったら、小学生の学級新聞と同じではないか。「修正しました」「あ、そうですか」では、メディアの役割を果たしたことにはならない。 ただの政府広報だ」、「小学生の学級新聞」や「政府広報」とは言い得て妙だ。
・『このほか、首相や官房長官の説明を時系列に沿って検討してみると、矛盾点はいくらでも出てくる。 たとえば、安倍首相は、当初、ぶら下がり会見の中において、5000円という会費が、参加者の大多数がホテルの宿泊者という事情などを総合的に勘案し、ホテル側が設定した価格だと主張していた。 しかしながら、その後の調べで、参加者の中にニューオータニとは別のホテルに宿泊した人々がたくさんいることが発覚すると、それについては、「ホテル側の手違い」という言い方で説明している。 正直な話、ここしばらくの首相とその周辺の人々の弁解は、あまりにもバカバカしくて聞いていられない。 私が心底から驚愕しているのは、ひとつひとつの発言の真偽とは別に、今回の一連の出来事に関する首相の発言が、一から十までウソだらけである点なのだが、さらに深刻なのは、首相という立場にある人間が、あからさまなウソをつき続けている事態に、人々が驚かなくなってしまっている点だ。 ほんの小さなウソであっても、公の場でウソをついた人間は絶対に信用しないというのが、ほんの少し前までの、この国の国民的な常識だった。 それが、震災からこっち、すっかり骨抜きになっている。 われわれは、小さなウソを容認しはじめている。のみならず、バレない効果的なウソについては、どうやらそれらを歓迎しはじめてさえいる。 私たちは、あきらかにどうかしている。 ひとつひとつのウソによる個々の被害や、個別のウソの悪質さが問題なのではない。 真におそろしいのは、人前でウソをつき得る人間をリーダーとして頂くことの危険性なのだ。 一度ウソをついた人間は、何度でもウソをつく。このことを忘れてはならない。 5000円は、人それぞれの経済状態にもよるが、多くの国民にとって、些細な金額だ。 仮に、いまここで自分の財布の中から5000円が消えたのだとして、私は、3日もすれば立ち直れるだろう。いや、1週間ぐらいはかかるかもしれないが、それでも、5000円で人生が台無しになるわけではない。 ただ、5000円の出入りについてウソを言った人間は、5兆円の収支についてもウソを言うはずだ。 そういう人間が国庫を握るようなことになったら、国民は100兆円のごまかしや私物化に直面することになる。 すでに直面しているのかもしれない』、私の考えでは、日本では「清濁併せ吞む」ような政治家が実力があるとされ、政治家の嘘には鷹揚な面があるのではなかろうか。財政収支や年金財政は国家ぐるみの嘘の固まりのように思える。

次に、同じ小田嶋氏による12月6日付け日経ビジネスオンライン「12月3日を「日本語が死んだ日」に」を紹介しよう。
https://business.nikkei.com/atcl/seminar/19/00116/00047/?P=1
・『「桜を見る会」の名簿データが消去された話を聞いて、私は、一も二もなく「データの一滴は血の一滴」という言葉を思い浮かべた。 で、早速そのフレーズをタイプした勢いで原稿を書き始めた次第なのだが、冒頭の10ラインほどに到達したところで、 「ん? なんだかこのテキストは、むかし書いたおぼえがあるぞ」ということに思い当たった。 原稿執筆中にデジャブに襲われるのは、実のところ、そんなに珍しいなりゆきではない。 たとえば、武者小路実篤先生の晩年の作品には、同じフレーズや描写が、かなりの頻度で登場する。 武者小路先生ご自身が、自分でわかっていて自己模倣をやらかしていたのか、それとも無意識のうちに同じ文章を繰り返し書く症状を獲得するに至っていたのかは、いまとなっては誰にもわからない。 ともあれ、ある程度年齢の行った書き手は、いつしか、昔書いたのと同じ文章を書いている自分自身に遭遇することになっている。そういうものなのだ。 さいわいなことに、21世紀の書き手は、検索機能を備えたパソコンを所持している。おかげで、あからさまな二度ネタは、なんとか事前に回避することができる。もっとも、二度ネタを回避できるのは、本人が自分の堂々巡りに気づいたケースに限られるわけだが。 旧原稿のフォルダ内をワード検索してみた結果、2017年の6月付で当欄にアップしたテキストにたどりついた。 読んでみると、私が今回声を大にして訴えようとしていた内容が、ほとんどそのまま書き記されている。 時間に余裕のある向きは、当稿を読みはじめる前に、できればリンク先にある2年半前の拙稿を参照してみてほしい。 読者はおそらく、いま現在「桜を見る会」の周辺で展開されているのとほぼまったく同じ出来事が、ちょうど2年半ほど前に、いわゆる「モリカケ」関連のスラップスティックコメディー(注)としてすでに演じられていたことに、驚かされるはずだ。 私たちは、2年半前の時点から、一歩も前に進んでいない。 この国の人間たちは、前回と同じ追及と言い逃れのプロットを行ったり来たりしながら、一向に代わりばえのしない廃棄と隠蔽のストーリーをなぞったあげくに、例によっていつか来た道筋の半ばで不揃いなステップを踏んでいる。 なんということだろう』、「2017年の6月付で当欄にアップしたテキスト」のURLは https://business.nikkei.com/atcl/opinion/15/174784/060800097/
(注)スラップスティックコメディー:観客を笑わせること及び観客の笑いを引き出すことを主目的とした喜劇映画の中でも、特に体を張ったコメディ映画のこと。日本では『ドタバタ喜劇』と訳されることが多いが、厳密には異なる(Wikipedia)
・『私たちは、悪夢のような政権の後を引き継いだつもりでいる間抜けなリーダーが率いるこのケチくさい地獄の真ん中で、いかにも凡庸な悲劇の主人公におさまっている。しかもその役柄に退屈しはじめている。ということはつまり、何日か後に国会が閉会して、このアンチクライマックスの舞台が昔なじみの不潔な思い出に変わる頃には、誰もが負け犬の衣装を身にまとっているのである。 今回の経緯を振り返っておく。 「桜を見る会」の名簿は、すでにシュレッダーで裁断されたことになっている。 奇妙な話だ。 毎年開かれるイベントの招待客名簿を、年ごとに裁断廃棄することは、継続性と一貫性を重んじる行政官僚の所作として、いかにも理屈に合わないやりざまだ。 仮に、個人情報の漏洩を防ぐために名簿の裁断が必要だったのだとしても、普通に考えれば、廃棄のタイミングは、翌年分の名簿が完成した後でなければならなかったはずだ。 なんとなれば、栄誉ある恒例のイベントにおいて、招待客の人選は、前年の実績を踏まえるのが常道だからだ。まして、「桜を見る会」は、総理主催の国家的なイベントであり、その伝統は戦後からこっち50年以上も続いている。とすれば、前例を踏襲しない選択肢は選びようがないではないか。 前年とまったく同じメンバーに宛てて招待状を発送するのではないにしても、当年分の招待メンバーと、翌年の招待客を突き合わせて検討する作業は必ずや必要になる。逆に、年ごとにすべての設定をリセットして、招待客選びを毎回ゼロからやり直すタイプの名簿制作手順は、作業効率からして論外だし、それ以上に、先の敗戦以来、営々として受け継いできた「伝統」の名において到底許されるものではない。 でもまあ、それはそれとして、名簿がすでにこの世に無いことは、残念ながら動かしようのない事実だ。 大変に認めにくい現実ではあるのだが、私たちは、とにかくこの現実を受け入れなければならない。そうでないと話が先に進まない。 官房長官は、たしかに名簿を裁断したと言っている。内閣府のお役人たちも異口同音に既製品の言葉を繰り返している。なにより安倍首相ご自身が、シュレッダー作業に従事した担当者の属性をあえて明らかにしてまで、廃棄作業が確実に遂行された旨を証言している。 とすれば、いち国民としては、お上の言葉を信じるほかにない。 よろしい。名簿は消えた。ここまでは認めよう。 いっそ、名簿なんてはじめから存在しなかったことにしてもかまわない。 さらに言えば、「桜を見る会」自体、開催されたのかどうか疑わしいわけだし、桜にしたところで、そもそも咲いていなかったのかもしれない。要するに、すべては証明不能で、誰も真実にはたどりつけない……というこのポイントこそが、われわれが置かれているありのままの現状なわけだ。ここまではよい。この線までは譲ろう。よろしい。私たちの負けだ。われわれは狂っている……って……いや、間違いだ。取り消す。悪かった。ちょっと言い過ぎた。大丈夫。オレは狂っていない……私は何を言っているのだろう』、「毎年開かれるイベントの招待客名簿を、年ごとに裁断廃棄することは、継続性と一貫性を重んじる行政官僚の所作として、いかにも理屈に合わないやりざまだ」、その通りだ。
・『とにかく、確実に言えるのは、私たちが、記録をないがしろにし、データを消去破棄破壊改ざんする動作を繰り返したあげくの果てに、どうやら言葉というかけがえのないコミュニケーション・ツールを毀損してしまったことだ。だから私は正確な文を書くことができない。とても困っている。 2年半前に書いた原稿の中で、私は、自分たちが、自身の足跡であり人生そのものでもある血の出るようなデータを消去し、改ざんしてしまったことの報いを受けるであろうことを予言した。 そして、その予言は、現在、もののみごとに的中している。 具体的に言えば、私たちは、データを軽んじたことの報いとして、マトモな言葉を喪失しはじめている。 菅義偉官房長官は4日午前の記者会見で、今年4月に開かれた首相主催の「桜を見る会」を巡り、招待者名簿の電子データを内閣府が5月上旬に削除した後も一定期間、外部媒体に残っていたバックアップデータについて、「行政文書に該当しない」との見解を示した。 意味がわかるだろうか? 正真正銘の行政文書たる名簿データのデジタルな複製であるバックアップデータがまったく同一のデータでありながらそれでもなお同じ行政文書でないというこの官房長官の狂った言明は、普通に聞く限りでは、バックアップの意義そのものをアタマから否定する言い草としか解釈のしようがない。 そもそも、「バックアップデータ」とは、原本のデータが誤って消去されたり、何らかの理由で破壊されたりして読めなくなる事態に備えて用意しておく「非常用のコピー」を指す言葉だ。 とすれば、バックアップデータは、今回のような原本のデータが消去されてしまったケースでこそ活躍しなければならないはずのものだ。 ところが、菅官房長官は、元データを廃棄した後、端末にバックアップデータが残っていたにもかかわらず、その提出を拒絶している。しかも、データの提供を拒絶した理由を「バックアップデータは行政文書ではない」からだという理路で説明している。 なんというのか、「売れない占師は売れない自分を占えなかったから売れない」的な、どうにもスジの悪い詭弁のにおい以外のナニモノをも感じることができない。 菅さんは「バックアップ」の意味をなんと考えているのだろうか。 非常時をバックアップ(支える)するためではないのか?』、「2年半前に書いた原稿の中で、私は、自分たちが、自身の足跡であり人生そのものでもある血の出るようなデータを消去し、改ざんしてしまったことの報いを受けるであろうことを予言した。 そして、その予言は、現在、もののみごとに的中している。 具体的に言えば、私たちは、データを軽んじたことの報いとして、マトモな言葉を喪失しはじめている」、小田嶋氏の「予言」が「もののみごとに的中」、とは政治の世界が狂っていることの表れだろう。菅官房長官が、「データの提供を拒絶した理由を「バックアップデータは行政文書ではない」からだ」、というのには私も唖然とさせられた。
・『たとえばの話、原子力発電所にある「バックアップ電源」は、何らかの理由(津波とか)によって、原発の冷却水を冷やす電源が失われた場合に備えて、自動的に発電して原発を冷却するための非常用電源なのだが、このバックアップ電源を「公式の電源ではない」ってな理由で無効化してしまったら、非常の際、冷却されない原子炉は、そのままメルトダウンするほかにどうしようもない。菅さんはそれでもかまわないというのだろうか。 思うに、官房長官の不可解なステートメントを理解するためには、手順を踏まなければならない。 以下、順を追って説明する。 (1) 原本の名簿データは、紙、電子データともに、5月上旬の時点で削除されている。 (2) 外部の端末に残っていると思われていたバックアップデータについては、5月21日の時点で内閣府の幹部が、「破棄した」と答弁している。 (3) (1)および(2)によって、政府は、野党からの名簿データ提出の要求を拒絶した。 (4) ところが、バックアップデータは、5月21日以降も残っていたことが判明した。 (5) (4)によって、(2)「虚偽答弁」になるはずなのだが、それはともかくとして、(4)の前提に立つなら、5月21日の時点で、政府が野党からの名簿データ提出の要求を拒絶していた理由が成立しなくなる。 (6) (3)を正当化するために、あらためてバックアップデータが(国会議員の要求に従って政府が提出を義務付けられている)行政文書に当たらないという理屈が発明された。 ということになる。 なんだか19世紀のダメな小説家が書いたバカな寓話みたいな話だ。 このほかにも、菅官房長官は、「『反社会的勢力』は様々な場面で使われ、定義は一義的に定まっているわけではないと承知しています」などという、正気を疑わしめるような発言を漏らしている。 これもひどい。 仮に、菅官房長官のおっしゃる通りに「反社会的勢力」が、一義的に定義できない曖昧な存在なのだとしたら、暴対法のもと、警察から「反社」との取引や交際の禁止を厳しく求められている一般企業は、いったい何を基準に自分たちの行動をいましめたらよいというのだろうか。 あまりにもばかばかしい。 12月4日放送の「NEWS23」(JNN系)は、内閣府の幹部によるさらに信じられない発言を紹介している。 これは、マジでひどい。 日本語が死んだ日として、国民の祝日に推薦してもよいくらいだ』、菅官房長官の「バックアップデータは行政文書ではない」、「『反社会的勢力』は様々な場面で使われ、定義は一義的に定まっているわけではないと承知しています」、などの発言は、かつて一刀両断のもとに切り捨ててきた菅官房長官の発言とは思えない酷さだ。それだけ、隠し通せなくなってきたのかも知れない。「日本語が死んだ日として、国民の祝日に推薦してもよいくらいだ」、が大げさとも言えないほどの酷さだ。
・『発言は「桜を見る会」のための野党によるヒアリングを収録したVTRの中に収録されている。 11月29日のヒアリングでは、今井雅人議員の 「担当者に(招待番号の)60から63の違いを確認してもらえませんか?」という要求に対して、内閣府酒田元洋官房総務課長が 「承知しました」と答えている。ところが、このヒアリングを受けた12月3日の会合では、 内閣府:「内閣府においてこの情報は保有していない」 議員:「その時の担当者に確認してきて下さいっていいましたよね?」 酒田総務課長:「当時の担当者が特定できるということは申し上げたが、確認をするというところまで確約したかというと記憶にございません」 議員:「は?」 酒田総務課長:「“わかりました”というのはそういう趣旨は理解しましたが、“必ず確認してきます”と承諾したということではありません」という話になる。 より詳しいやりとりは、以下のリンクの記事に詳しい。 この酒田某というお役人の言い分は、自分の言った「承知しました」は "I understand" の意味で発した言葉であって、"Yes,I will" ではないということなのだろう。 構造としては、 《「はい」は、単なる相槌であって、承諾を意味する返答ではありません》という、昔からあるよくある詐欺師の言い草と同じだ。 政府の中枢にいる人間が、こういう理屈を振り回すようになってしまった私たちの国は、この2年半の間に、一歩も前に進んでいないどころか、距離にして2キロメートルほど後ろに下がっている。 それもこれも、みんなしてよってたかって、自分たちの国の言葉を壊してしまったからだ。 適切な言葉がみつからない。 とりあえず、「NO」とだけ言っておく』、「官房総務課長」といえば、NO.1の課長であるが、信じられないような苦しい答弁だ。「みんなしてよってたかって、自分たちの国の言葉を壊してしまったからだ」、確かにその通りだ。
タグ:みんなしてよってたかって、自分たちの国の言葉を壊してしまったからだ “わかりました”というのはそういう趣旨は理解しましたが、“必ず確認してきます”と承諾したということではありません」という話になる 内閣府酒田元洋官房総務課長 日本語が死んだ日として、国民の祝日に推薦してもよいくらいだ 菅官房長官は、「『反社会的勢力』は様々な場面で使われ、定義は一義的に定まっているわけではないと承知しています」などという、正気を疑わしめるような発言 データの提供を拒絶した理由を「バックアップデータは行政文書ではない」からだ 毎年開かれるイベントの招待客名簿を、年ごとに裁断廃棄することは、継続性と一貫性を重んじる行政官僚の所作として、いかにも理屈に合わないやりざまだ 2017年の6月付で当欄にアップしたテキストにたどりついた。 読んでみると、私が今回声を大にして訴えようとしていた内容が、ほとんどそのまま書き記されている 「12月3日を「日本語が死んだ日」に」 日本では「清濁併せ吞む」ような政治家が実力があるとされ、政治家の嘘には鷹揚な面があるのではなかろうか 「首相が答弁を修正しました」という記事を書いて、はいおしまいにするのだったら、小学生の学級新聞と同じではないか。「修正しました」「あ、そうですか」では、メディアの役割を果たしたことにはならない。 ただの政府広報だ 最重要な問題は、これほどまでにあからさまなウソごまかしであっても、首相の口から出た言葉だからという理由で、最大限に尊重せねばならなくなっているわが国のメディアの奴隷根性だ 安倍家を取り仕切る “ゴッドマザー” こと洋子さん(91)と、ニューオータニの大谷和彦社長(73)は、E塾という経営コンサルティング会社を通じて、古いつき合いがある ホテル側からしてみれば、天皇即位のための晩餐会の会場として選ばれる栄誉と実益の大きさに比べてみれば、800人の立食パーティーの会費をどれだけ値引きしたところでものの数ではない 国家機密そのものが私物化 差額のために官房機密費が充当 政治資金規正法違反 ニューオータニの宴会場で800人の立食パーティーをやって、一人アタマ5000円で済むのか 「小さなウソを容認すると起こること」 日経ビジネスオンライン 小田嶋 隆 日本の政治情勢 (その38)(小田嶋氏2題:小さなウソを容認すると起こること、12月3日を「日本語が死んだ日」に)
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日本の政治情勢(その37)(安倍内閣の支持率はなぜ下がらないのか 不祥事続発でも「支持率安定」の摩訶不思議、「桜を見る会」は“フリーパス” 反社勢力が大挙の驚愕実態、「検察が動かないから違法ではない という主張は間違いだ」郷原弁護士が説明する 安倍総理が“詰んでいる”理由、安倍政権に国家賠償も…「桜」がジャパンライフ被害を加速) [国内政治]

日本の政治情勢については、11月16日に取上げた。今日は、(その37)(安倍内閣の支持率はなぜ下がらないのか 不祥事続発でも「支持率安定」の摩訶不思議、「桜を見る会」は“フリーパス” 反社勢力が大挙の驚愕実態、「検察が動かないから違法ではない という主張は間違いだ」郷原弁護士が説明する 安倍総理が“詰んでいる”理由、安倍政権に国家賠償も…「桜」がジャパンライフ被害を加速)である。

先ずは、東洋大学教授 の薬師寺 克行氏が11月23日付け東洋経済オンラインに掲載した「安倍内閣の支持率はなぜ下がらないのか 不祥事続発でも「支持率安定」の摩訶不思議」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/315728
・『憲政史上、最長の首相在職日数を更新した安倍晋三首相だが、9月に内閣改造をして以降、いい話がまったくない。 新たに閣僚に起用した菅原一秀・経済産業相と河井克行・法相が不祥事を理由に相次いで辞任した。11月に入ると2020年度の大学入学共通テストから実施予定だった民間英語試験の導入の延期を決定し、受験界に混乱を招いた。その話題のほとぼりが冷めない中、首相主催の「桜を見る会」が実質的に公費を使った安倍首相の後援会活動の場となっている問題が表面化した。 これだけ悪い話が続けば、新聞やテレビが実施する世論調査で内閣支持率が急落するはずだ。ところが不思議なことに、11月中旬に各社が実施した世論調査の結果を見ると、内閣支持率は何事もなかったかのように安定しているのだ』、私もかねがね不思議に思っていたので、謎解きに期待したい。
・『内閣発足以来、支持率は50%前後を維持  朝日新聞の結果は、「安倍内閣を支持する」が44%で、前月に比べると1ポイント下がっただけだった。NHKの調査結果も47%で、やはり前月に比べて1ポイントの低下。読売新聞は支持が49%だが、下落は6ポイントにとどまっている。 2012年12月に発足した安倍内閣の支持率は、当初は60%台と高い数字だったが、その後下がったものの、ほぼ一貫して50%前後を維持している。特定秘密保護法や安全保障関連法など批判の強かった法律を強引に成立させても、あるいは安倍首相自身の関与が追及された「モリカケ」問題で国会が紛糾したときも、支持率が急落することはなかった。 逆に安倍首相の地元の山口県長門市でプーチン大統領との首脳会談や、伊勢志摩サミットでの議長役など派手な外交パフォーマンスをしたからと言って、支持率が急上昇したわけでもない。どういうわけか、安倍内閣の支持率は不気味なくらい安定しているのである。その結果、政権は安定し、在職最長記録を更新するに至ったのだ。 過去の政権を振り返ると、内閣支持率には「右肩下がりの法則」があった。多くの政権は発足当初は期待感もあって高い支持率を記録する。ところが政権が動き出すと、首相自身、あるいは閣僚や与党幹部の不祥事や失言が露呈する。新しく打ち出した政策への不満や問題点なども出てきて、野党やマスコミはここぞとばかり批判を始める。 その結果、内閣支持率はほぼ例外なく下がる。それも段階的に下がるだけではない。過去には1つの不祥事、1つの失言などが政権にとって致命傷になることもあった』、「安倍内閣の支持率」の安定は、確かに不気味だ。
・『不祥事や問題発言、支持率急落の歴史  党内基盤が盤石で長期政権になるだろうとみられていた竹下登内閣は、リクルート事件に主要閣僚や自民党幹部らが関与していたことが明らかになったため、1989年12月の世論調査で支持率が41%から29%に急落した。さらに消費税導入を目前にした1990年3月には15%へ半減してしまい、退陣に追い込まれた。 森喜朗首相の場合、さらに劇的だった。2001年、ハワイ沖で愛媛県の水産高校の演習船「えひめ丸」がアメリカ軍の原子力潜水艦に衝突・沈没した事件が起きたとき、ゴルフをしていたことが問題になり、直後の世論調査では支持率が9%と1桁になってしまった。 安倍首相自身も第1次内閣では、厚生労働省のずさんな年金記録管理が明らかになった「消えた年金問題」に加え、政治資金の使い道が批判された松岡利勝農水相の自殺をはじめとする閣僚の不祥事や問題発言が相次ぎ、政権発足当初の60%台半ばの支持率がわすか9カ月で30%にまで落ち込んでしまった。 総選挙で自民党を破って政権交代を果たした鳩山由紀夫内閣の支持率の下がり方も激しかった。発足時は70%を超える数字を記録したが、自らの不祥事に加え、沖縄のアメリカ軍基地移転問題へのお粗末な対応など政権運営が混乱したため、1年足らずで20%台に低下してしまった。鳩山氏は退陣後、「最高で7割もあった支持率が半分に、そして3分の1に、あっという間に落ちる。考えられないような話だ」と筆者に語ってくれたことがある。 第1次安倍内閣から民主党政権の野田佳彦内閣まで、6つの政権の内閣支持率はとくに激しく動き、1年単位で乱高下を繰り返した。それに合わせて1年ごとに首相が交代する不安定な状態に陥っていた。内閣支持率の急落が政権の崩壊に直結する時代だった。 ところが第2次安倍内閣になると一変した。何が起ころうと支持率に大きな変動がないのである。なぜ、こうした変化が起きたのだろうか』、大いに知りたいところだ。
・『硬派メディアの報道が国民に届かない  1つは政権を取り巻く政治的環境の変化を上げることができるだろう。自民党内に安倍首相に代わる有力な政治家がいない。自民党にとって代わりうるような野党も存在しない。民主党政権の混乱と崩壊の記憶が鮮明であり、政治の混乱より安定を歓迎する空気が強い。第2次安倍内閣では経済も外交も、大きな改革や進展はないものの安定している。だから、「何となく今のままがいいから、支持する」という空気が広がっているのだろう。 朝日新聞の11月の世論調査結果を見ると、「安倍政権が長い間、続いている理由」についての質問に、82%が「ほかに期待できる人や政党がない」という回答を選択している。安倍首相以外に選択肢がなければ、現状維持を選ぶしかない。安倍内閣の支持率は明らかに消極的選択である。 一方で、かつてであれば当然、内閣支持率の低下につながったであろう首相や閣僚の不祥事、政策の問題などが相次いでいる。にもかかわらず世論調査の数字に反映されない最大の理由は、新聞やテレビなどの伝統的なメディアと国民の間に以前はなかったような乖離が起きているためだろう。 新聞やNHKニュースは、多少の濃淡はあっても、安倍首相が絡む不祥事や閣僚の辞任、政策の大きな失敗などを詳細かつ批判的に報じている。こうした姿勢に大きな変化はない。ところがこうした「硬派メディア」のメッセージが、今の時代、国民にどれだけ伝わっているのであろうか。 若者を中心に情報源の中心はスマホを使ったSNSなどに移っている。電車の中など移動中に、ツイッターなどを使って断片的な情報を片手間に得ている。仕事を終えてじっくりと新聞を読んだり、テレビのストレートニュースを注視することなどほとんどないだろう。 となると、政治家の倫理観の欠如などの問題を、硬派メディアがいくら力を入れて説いたところで、多くの国民には届きようがない。そもそも基本的な事実関係さえ十分に伝わっていない可能性がある。その結果、多くの国民にとって、永田町や霞が関は、何も見えない別世界になっているのではないだろうか。 そういう人たちを対象に行うマスコミの世論調査の結果はいかなる意味を持つのだろうか。少なくとも内閣支持率に実態が伴っていないことは間違いないだろう。 国民が政治について正確で十分な情報を手に入れ、主体的に判断することなくして民主主義は機能しない。そういう意味では、不祥事を起こした首相や閣僚らがきちんと説明しないことが最大の問題である。さらに、情報をきちんと伝えるべきマスコミが社会の変化に十分対応できていないことにも問題があるのではないだろうか。そして、スマホでの断片的情報に満足している国民にも問題がある。 その結果、変動の少ない内閣支持率が安倍内閣に正統性を与え、政権の長期化に寄与しているのだ』、「新聞やNHKニュースは、多少の濃淡はあっても、安倍首相が絡む不祥事や閣僚の辞任、政策の大きな失敗などを詳細かつ批判的に報じている」、これは明らかにおかしい。安倍官邸のマスコミへのコントロールで報道ぶりも「忖度」が目立つようになっている。「若者を中心に情報源の中心はスマホを使ったSNSなどに移っている」、一見、もっともなように思えるが、こうした変化は、第二次安倍政権発足以前から進んでいた長期・構造的変化だ。したがって、政権支持率安定化にある程度影響していることは、間違いないが、第二次安倍政権発足以降の安定化は、やはりマスコミの報道姿勢の変化が大きく影響しているのではなかろうか。

次に、11月30日付け日刊ゲンダイ「「桜を見る会」は“フリーパス” 反社勢力が大挙の驚愕実態」を紹介しよう。
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/265486
・『「結果的には入ったのだろう」――。疑惑続出の「桜を見る会」に反社会的勢力が出席していたことや、警備体制の不備を認めた菅官房長官。首相主催行事の出席者が、ほぼ“フリーパス状態”だったとは呆れるばかりだ。その結果、あらゆる“悪党”が「桜を見る会」に大挙して押しかけ、閣僚らとの記念写真撮影を楽しんでいたわけだ。政府が招待者名簿を「廃棄」と強弁し続けるのも、本当は反社の名前がどんどん出てくるのを怖がっているからじゃないのか』、反社会的勢力とのつながりの強さに、改めて驚かされた。
・『「招待状がなくても入れた」  野党は28日、国会内で幹事長・書記局長会談を開き、「桜を見る会」にジャパンライフ元会長を招待した経緯などについて明らかにするよう政府に求める方針で一致した。だが、政府は「招待者名簿を破棄したため、分からない」と拒否。菅氏は削除した名簿の電子データを「復元できない」と言っていたが、誰が信じるのか。自身も反社と指摘される男と仲良く並んで写真撮影していた事実が発覚したが、これまで分かったことは、「桜を見る会」の出席者はロクに本人確認されることもなく、ほとんど“フリーパス状態”で参加できる状態だったことだ。 「受け付け業務は内閣府などの職員が担当していたのですが、議員から『この人、通してもらえないかな』と言われれば通してしまっていた。本人確認どころか、誰でも入れるような状態だった」(永田町関係者) 週刊誌「フライデー」(講談社・12月6日号)によると、元暴力団員の奈良県高取町議が昨年の「桜を見る会」に出席。経緯について「自民党系の代議士などが集まる勉強会に参加したら、そのメンバーに誘われたんです。招待状を持っていなかったんですが、受付に行ったら何のチェックもなく入れました」と語っていた。つまり、受付で「自民党関係者」と言えば、簡単に入場できる可能性があったのだ』、「招待者名簿を破棄」したのは、共産党から質問予告があった翌日、これは明らかな証拠隠滅だ。。「受付で「自民党関係者」と言えば、簡単に入場できる可能性があった」、驚きの証言だ。
・『「週刊朝日」(朝日新聞出版社・11月29日号)は、暴力団に詳しい人物のコメントとして、「数年前、会場で、暴力団系の団体の幹部を見ました。【中略】彼は20人くらい引き連れていて、中には高級クラブのホステスが3~4人いました」という証言を掲載していた。 西村明宏官房副長官は「反社会的勢力の皆さま」なんて言っていたが、なぜ反社を「さま」と呼ぶのか。全くフザケているが、なるほど、ヤクザは子分が親分の罪をかぶって刑務所に行き、出所したら幹部。他方、安倍政権は安倍首相の罪を隠してウソをつきまくれば出世だ。どちらも同じ体質だから、思わず本音が出たのだろう。どうりで反社が何ら気兼ねなく「桜を見る会」に出席していたわけだ。ジャーナリストの横田一氏はこう言う。「招待者名簿の電子データまで削除し、復元もできないというのは明らかに不自然です。結局、名簿には安倍首相の支援者のみならず、反社関係者の名前がズラッと記載されているのではないか。だからこそ、名簿は『廃棄した』と言わざるを得ないのでしょう。そもそも、反社と関与した芸能人は処分されたのに、政治家はおとがめなしとは理解できません」 もはや反社政権と言ってもいい親分の安倍首相は、芸能人と同じようにさっさと引退するべきだ』、「暴力団系の団体の幹部・・・彼は20人くらい引き連れていて、中には高級クラブのホステスが3~4人いました」、幹部にとっては鼻高々の気分だったろう。「名簿には安倍首相の支援者のみならず、反社関係者の名前がズラッと記載されているのではないか。だからこそ、名簿は『廃棄した』と言わざるを得ないのでしょう」、こんな対応が通るようであれば、世も末だ。世界は反社に対し厳しくなっているのに、日本の総理大臣自らがズブズブでは、世界の嘲笑を浴びるだけだろう。

第三に、12月4日付けYahooニュースがAbema TIMESを転載した「「検察が動かないから違法ではない、という主張は間違いだ」郷原弁護士が説明する、安倍総理が“詰んでいる”理由」を紹介しよう。
・『「桜を見る会」に関する2日の質疑を終え、立憲民主党の蓮舫副代表は「誠実にお答えしよう、自分はやましくない、ということを明らかにする姿勢は微塵も感じられなかった」と安倍総理を厳しく批判した。 一方、与党・自民党の二階幹事長は「だいたいこういうことであったということが、ほぼみんなに分かったのだろうと思うから、これで結構じゃないかと思っている」と述べている。 しかし、「前夜祭」をめぐる問題について、“安倍総理は詰んでいる”と話すのが、元東京地検検事の郷原信郎弁護士だ。 理由の一つ目が、「参加費5000円は安すぎるではないか」という点だ。実際にはこの額以上のお金がかかっており、その部分を安倍総理や後援会が賄っていたとすれば、公職選挙法に抵触する可能性があるという。 公職選挙法では、「公職の候補者又は公職の候補者となろうとする者は、当該選挙区内にある者に対し、いかなる名義をもってするを問わず、寄附をしてはならない」(199条2)と定めており、違反した場合は「1年以下の禁錮又は30万円以下の罰金」(249条2)と規定されている。 「安倍首相の枠で地元・下関の人たちがたくさん招かれていたと思うが、それは選挙区の有権者だ。本当は1万円かかるところ、そのうち5000円を後援会側が補填していたということになると、それだけで公選法違反。当該選挙区ではない場合や、自分の選挙に関してではない利益の供与の場合は比較的軽く、罰金だけになる。しかし、違反は違反だ」。 理由の二つ目は、「安倍総理夫妻は参加費を払ったのか」という点だ。仮に払っていないとすれば、会場であるホテルニューオータニ側が忖度して払った可能性があり、その場合、政治資金規正法に抵触する可能性があるという。つまり総理夫妻や後援会関係者らが会費を払わずに飲食していれば「無銭飲食」ということになるが、これをホテル側が見過ごし、支払いを免除していたとすれば、政治資金規制法上の違法性(企業団体献金の禁止)が問われることになるのだ。 「大した金額ではないが、後援会主催である以上、後援会とホテルの間で総額を決め、会費を徴収するのが当たり前だ。ところがそのような説明をすると公選法の問題になりかねないため、安倍首相は必死になって、ニューオータニ側の責任だったかのような形にしようとしている。一方、ニューオータニが参加者から5000円ずつ徴収したという話になると、参加者である安倍首相夫妻はどうなったのかということの説明がつかなくなる。少なくとも乾杯でグラスに口をつけているのであれば、飲み物を飲んだということになる。こうした点から、安倍総理は説明不可能な状況になっている」』、11月21日付け日刊ゲンダイによれば、「共産党議員の国会質問で疑惑がクローズアップされた3日後の11日、安倍首相はニューオータニ取締役を務める今井敬経団連名誉会長と会食、さらに19日にも再び今井氏と会食しているのだ。忙しい首相が短期間に2度も同一人物と食事をするのは異例だ」、安倍首相自ら口裏合わせに必死のようだ。
・『その上で郷原弁護士は「ホテルニューオータニは自発的に資料を出すべきだ」と訴える。 「一流ホテル、立派な企業がこれだけ説明を押し付けられているにもかかわらず、営業の秘密だから明細も出せないなどとして、何も説明しない。こんなことが許されるのか。今年の10月23日には、内閣府から受注した総理大臣夫妻の晩餐会が同じ部屋で開かれている。ニューオータニ側が“利益供与はない。公明正大に処理している”と自ら説明しなければダメだ。そうでなければ、これから何十年も汚名を着続けることになる」。 では、この問題で検察が動く可能性はあるのだろうか。郷原弁護士は「検察が総理大臣の刑事事件をやるというのは極めて特異なケースで、実際にはほとんどやったことがない。田中角栄元総理のロッキード事件も辞任後だ」と話す。 「検察が動かないから違法ではない、犯罪ではない、などと言っている人がいるが、それは違う。構造的にそのようになっていないということだ。憲法75条に、在任中の国務大臣は内閣総理大臣の同意がなければ訴追されないという規定がある。要するに、憲法は時の総理を検察が起訴して追い落とすということを予定していない。在任中の内閣総理大臣が自らのことについて同意するわけはないので、結局、訴追されないことになる。ただし、そのような疑いかけられた時には、徹底して説明をしなければいけない。それがなされていないということだ」・・・最後に郷原弁護士は「自分のことを言うのはなんだが」と苦笑しながら、「少なくとも、桜を見る会を運営していた役人たちも、“これは無茶苦茶だ”と思っていたはずだ。私も二度行ったが、飲み物も食べ物も何もなかった(笑)。おそらく安倍後援会の人たちが先に入って食べ尽くしていたのではないか。功労、功績のあった人をもてなすことよりも、後援会の人たちをもてなすことを優先している。これは会の趣旨に反するし、役人がそれを許すのはどう考えてもおかしい。しかし、こういうことに対してさえ役人がノーと言えない状況になっているということは、国のやっていることが全体的に歪んでいるのではないかと思われても仕方がない」と批判した。(AbemaTV/『AbemaPrime』より』、郷原弁護士が「二度行った」というのは驚きだが、「飲み物も食べ物も何もなかった(笑)。おそらく安倍後援会の人たちが先に入って食べ尽くしていたのではないか・・・国のやっていることが全体的に歪んでいるのではないかと思われても仕方がない」、その通りだ。国会は閉会したが、「桜を見る会」の疑惑が幅広く深い以上、開いている内閣委員会で引き続き解明に当たってもらいたい。

第四に、12月7日付け日刊ゲンダイ「安倍政権に国家賠償も…「桜」がジャパンライフ被害を加速」を紹介しよう。
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/265897
・『悪質なマルチ業者「ジャパンライフ」に対し、安倍政権が“手心”を加えていたことが発覚し、被害者から批判が噴出している。本来、取り締まるのが政府の役割なのにジャパンライフの元会長を「桜を見る会」に招待し、政府自ら“お墨付き”を与えていたのだから当然である。いずれ、被害者が安倍政権に国家賠償を求めるのは必至だ。 ジャパンライフによる被害は約7000人、総額2000億円に上る。その悪質性は半端じゃない。3・11の被災者を狙い撃ちにしていた。国民生活センターによると、2009年からの10年間の相談件数は福島県が最多。店も6店舗と全国最多だった。東日本大震災の後、2店舗から6店舗に拡大している。原発事故の賠償金を狙っていたのは明らかだ。 そんな希代の悪徳業者を、安倍政権は取り締まるどころか手を貸していた』、「桜を見る会」がジャパンライフ問題にまで発展したとは、安倍政権の悪辣さもここに極まれりだ。しかもジャパンライフが「原発事故の賠償金を狙っていた」とは悪質だ。
・『消費者庁は13年ごろからジャパンライフの悪質性を把握し、14年5月には「立ち入り検査」の方針を固めていた。ところが、わずか2カ月後の7月、ヤル気を見せていた取引対策課の課長がなぜか交代し、検査は中止。同7月31日付の職員らによる新任課長への説明文書には「要回収」のハンコが押され、〈本件の特異性〉〈政務三役へ上げる必要がある〉〈政治的背景による余波を懸念〉と“政治案件”を示す記載があった。 この時、文書注意で済ませたため、被害が拡大してしまった。もし、この時点で予定通り「立ち入り検査」をしていれば、被害拡大は防げたはずだ。 ちなみに、15年夏まで消費者庁の取引対策課に在籍し、ジャパンライフを担当していた課長補佐は、同年7月にジャパンライフに天下りしている。 安倍首相の罪も重い。15年2月に「桜を見る会」の招待状を元会長(当時は会長)に送った後、被害事例が急増しているのだ。ジャパンライフが、招待状を目いっぱい「信用創出」に利用し“最後の荒稼ぎ”をしたのは明らかである。結局、初めての行政処分が行われたのは16年12月だった。 この先、被害を拡大させる要因になった安倍政権に対して、被害者が損害賠償を求める可能性が高い』、「消費者庁」で「ヤル気を見せていた取引対策課の課長がなぜか交代し、検査は中止」、この経緯も徹底的に調べる必要がある。「新任課長への説明文書には「要回収」のハンコが押され、〈本件の特異性〉〈政務三役へ上げる必要がある〉〈政治的背景による余波を懸念〉と“政治案件”を示す記載があった」、のであれば、なおさらだ。
・『大和都市管財事件では大蔵省に15億円命じる  実際、ウソの説明で約7万人から約4200億円を集め、11年に破綻した「安愚楽牧場」の事件では、国の不作為が被害を拡大させたとして国家賠償訴訟が起こされている。さらに、「国が保証しているので安全」などとうたい、違法な抵当証券を販売していた「大和都市管財」の巨額詐欺事件は、旧大蔵省が訴えられて、08年に大阪高裁から約15億円の国家賠償を命じられ、上告を断念している。 ジャーナリストの横田一氏が言う。「消費者庁の不可解な対応の遅れと、公的行事である『桜を見る会』への元会長の招待が、被害を拡大させたことは、客観的に明らかです。ジャパンライフの被害者は、国家賠償訴訟を起こして、国の責任を追及するのではないか。なぜ、消費者庁は手心を加え、元会長は『桜を見る会』に招待されたのか――。司法の場での真相究明を期待したい」 大和都市管財事件の旧大蔵省より、今回の方がよっぽどえげつない。もう逃げられない』、「国家賠償訴訟を起こして、国の責任を追及する」、国会と違っていい加減な言い逃れの余地がないだけに、面白い展開になってきた。それにしても、「桜を見る会」の疑惑の幅広さには改めて、驚かされる。
タグ:(その37)(安倍内閣の支持率はなぜ下がらないのか 不祥事続発でも「支持率安定」の摩訶不思議、「桜を見る会」は“フリーパス” 反社勢力が大挙の驚愕実態、「検察が動かないから違法ではない という主張は間違いだ」郷原弁護士が説明する 安倍総理が“詰んでいる”理由、安倍政権に国家賠償も…「桜」がジャパンライフ被害を加速) 日本の政治情勢 内閣支持率は何事もなかったかのように安定している 内閣発足以来、支持率は50%前後を維持 公職選挙法に抵触する可能性 10年間の相談件数は福島県が最多 「「検察が動かないから違法ではない、という主張は間違いだ」 ホテルニューオータニ側が忖度して払った可能性があり、その場合、政治資金規正法に抵触する可能性 彼は20人くらい引き連れていて、中には高級クラブのホステスが3~4人いました わずか2カ月後の7月、ヤル気を見せていた取引対策課の課長がなぜか交代し、検査は中止 大和都市管財事件では大蔵省に15億円命じる この時点で予定通り「立ち入り検査」をしていれば、被害拡大は防げたはず 被害者は、国家賠償訴訟を起こして、国の責任を追及するのではないか 新任課長への説明文書には「要回収」のハンコが押され、〈本件の特異性〉〈政務三役へ上げる必要がある〉〈政治的背景による余波を懸念〉と“政治案件”を示す記載があった 原発事故の賠償金を狙っていたのは明らかだ 消費者庁は13年ごろからジャパンライフの悪質性を把握し、14年5月には「立ち入り検査」の方針を固めていた ジャパンライフによる被害は約7000人、総額2000億円に ジャパンライフの元会長を「桜を見る会」に招待し、政府自ら“お墨付き”を与えていた 「安倍政権に国家賠償も…「桜」がジャパンライフ被害を加速」 私も二度行ったが、飲み物も食べ物も何もなかった(笑)。おそらく安倍後援会の人たちが先に入って食べ尽くしていたのではないか 憲法は時の総理を検察が起訴して追い落とすということを予定していない 」郷原弁護士が説明する、安倍総理が“詰んでいる”理由」 安倍首相はニューオータニ取締役を務める今井敬経団連名誉会長と会食、さらに19日にも再び今井氏と会食している “安倍総理は詰んでいる”と話すのが、元東京地検検事の郷原信郎弁護士 「前夜祭」をめぐる問題 Abema TIMES yahooニュース 世界は反社に対し厳しくなっているのに、日本の総理大臣自らがズブズブでは、世界の嘲笑を浴びるだけだろう 反社と関与した芸能人は処分されたのに、政治家はおとがめなしとは理解できません 招待者名簿の電子データまで削除し、復元もできないというのは明らかに不自然 暴力団系の団体の幹部 受付で「自民党関係者」と言えば、簡単に入場できる可能性があった 本人確認どころか、誰でも入れるような状態だった 「招待状がなくても入れた」 反社会的勢力 安倍官邸のマスコミへのコントロールで報道ぶりも「忖度」が目立つようになっている 「「桜を見る会」は“フリーパス” 反社勢力が大挙の驚愕実態」 日刊ゲンダイ 、第二次安倍政権発足以降の安定化は、やはりマスコミの報道姿勢の変化が大きく影響している 不祥事を起こした首相や閣僚らがきちんと説明しないことが最大の問題 多くの国民にとって、永田町や霞が関は、何も見えない別世界になっている 政治家の倫理観の欠如などの問題を、硬派メディアがいくら力を入れて説いたところで、多くの国民には届きようがない 若者を中心に情報源の中心はスマホを使ったSNSなどに移っている 新聞やNHKニュースは、多少の濃淡はあっても、安倍首相が絡む不祥事や閣僚の辞任、政策の大きな失敗などを詳細かつ批判的に報じている 不祥事や問題発言、支持率急落の歴史 「安倍内閣の支持率はなぜ下がらないのか 不祥事続発でも「支持率安定」の摩訶不思議」 東洋経済オンライン 薬師寺 克行 硬派メディアの報道が国民に届かない
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資本市場(その3)(リート初の「敵対的買収」意外な結末の一部始終、0.001秒短縮に命を賭けた男たちの儲ける執念、証券の「手数料ゼロ」は要注意!投資家が理解すべき構造変化とは?、東証の「市場区分変更」 見えぬ議論の終着点) [金融]

資本市場については、2017年10月7日に取上げた。久しぶりの今日は、(その3)(リート初の「敵対的買収」意外な結末の一部始終、0.001秒短縮に命を賭けた男たちの儲ける執念、証券の「手数料ゼロ」は要注意!投資家が理解すべき構造変化とは?、東証の「市場区分変更」 見えぬ議論の終着点)である。

先ずは、本年9月4日付け東洋経済オンライン「リート初の「敵対的買収」意外な結末の一部始終 1号上場から18年、制度的不備があらわに」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/300897
・『Jリート(上場不動産投資信託)史上初の敵対的買収劇は、制度の間隙を突いた形での決着となった。 8月30日、都内の貸会議室には張り詰めた空気が流れていた。この日、さくら総合リート投資法人との合併を求める2つのリートが綱引きを繰り広げた。結果は、三井物産などをスポンサーとする投資法人みらいとの合併案は定足数が満たされずに上程されず、独立系のスターアジア不動産投資法人との合併案が可決された』、新聞報道だけでは、よく理解できない複雑な案件だっただけに、こうした解説は有用だ。
・『1日に投資主総会が2回開催される異常事態  これで一件落着かと思いきや、関係者からは合併手続きの疑義や制度上の不備を指摘する声が上がっている。 まずは経緯を簡単に振り返ろう。事の発端は今年5月10日、スターアジアの運用会社がさくらとの合併を提案したことに始まる。物件運用の不手際や運用コスト高などを理由に、さくらに代わってスターアジアが運用を担う方が投資家の利益になるというのが言い分だ。 寝耳に水の合併提案に対してさくらは猛反発。スターアジアの提案を受け入れないよう投資家に訴えるリリースを発表した。その後、両方の運用会社は、運用会社としてどちらが適任かを争う展開が続いた。 事態が動いたのは6月28日。スターアジアが関東財務局に対して申し立てていた、合併の可否を決する投資主総会の招集が認められたのだ。スターアジアは当時、さくらの投資口の約3.6%しか保有しておらず、少数投資主による総会の招集請求が認められるかどうかが注目されていた。 招集請求を認めないよう働きかけていたさくらは、反撃に転じた。同じ6月28日、さくら側も自ら投資主総会を開催することを発表した。その結果、スターアジアとさくらがそれぞれ主催する総会が、同じ8月30日に開催されるという異例の事態となった。 さくらが投資主総会を開催した背景には、「ホワイトナイト」の存在があった。 さくらは水面下で20社以上のリートと話し合いを進めていた。そして、7月19日に三井物産などをスポンサーとする投資法人みらいと合併に関する基本合意書を締結したと発表した。 ホワイトナイトが出現したかに見えるが、合併によってさくらは消滅し、実態はみらいによるさくらの完全な吸収合併だ。さくらにとってみれば、「(みらいが存続法人となることが)投資主の価値の最大化につながる」という苦渋の決断だった』、「スターアジアとさくらがそれぞれ主催する総会が、同じ8月30日に開催されるという異例の事態」、確かに「異例」だ。
・『みらいがさくらとの合併に応じたわけ  では、みらいはさくらとの合併になぜ応じたのか。8月中旬に開催された投資家説明会で、みらいの運用会社である三井物産・イデラパートナーズの菅沼通夫代表はこう語った。 「みらいとさくらが合併すれば資産規模が合計2000億円となるが、この数字は極めて重要だ。世界的なリート指数であるグローバルインデックスに組み入れられる可能性が高まり、投資家に買われるようになる」 国内の金融環境も無視できない。現在、みらいの信用格付けはシングルAだ。仮にさくらと合併を果たせば、ダブルAに格付けが上がる可能性が高まる。「日本銀行はリートの買い入れ対象をダブルA相当以上としており、日銀や(日銀の買い入れ状況を指標とする)地銀からの買い入れが期待できる」(三井物産金融事業部アセットマネジメント事業室の上野貴司プロジェクトマネージャー)。 一方、スターアジアは現在信用格付けを取得していないが、「さくらと合併することで、格付け取得の可能性が高まる」(スターアジアグループの杉原亨氏)と期待する。 資産規模がわずか約500億円の小規模リートが、合併相手としてひっぱりだこになった背景には、少しでも規模を拡大させて高い格付けを取得し、投資家の目に留まりたいという思惑が透ける。 「格付けの低いリートは、機関投資家へのIR説明のアポイントさえ取れない」(上場リート運用会社の関係者)。買われるリートは買われ続け、買われないリートはいつまでも買われないという格差が横たわる』、リートの格付けは確かに重要な要素だ。
・『リート特有の「みなし賛成」が事態を複雑にした  さらに、今回の合併で争点となったのが、「みなし賛成」というリート特有の制度だ。通常の株主総会と異なり、リートの投資主総会では議決権や委任状を行使せずに無投票となった票は、自動的に「賛成」として数えられる。 みなし賛成制が導入された背景について、投信法見直しに関する金融庁の会議ではこう述べられている。「リートの投資主は議決権の行使よりリターンに関心があるため、投資主総会への出席も期待できない。投資法人の円滑な運営を進める上で(みなし賛成制度は)必要だ」。元々は定足数が満たされずに、総会で何も決められなくなってしまうことを避けるための特例だった。 ところが、今回はこの「配慮」が事態を複雑にした。合併提案には投資主の3分の2の賛成が必要だが、みなし賛成制度を利用すれば反対票が賛成票を上回ったとしても、それ以上に無投票が多ければスターアジアとの合併が承認されてしまうからだ。 そこでさくらは奇策に出た。スターアジアが主催する投資主総会に修正動議を提案したのだ。この結果、スターアジア側の執行役員を就任させ、スターアジアと資産運用委託契約を結ぶ議案と、みらい側の執行役員を就任させ、みらいと資産運用委託契約を結ぶ議案が並存することになった。 さくらの狙いは、スターアジアによるみなし賛成制度の活用を封じることにあった。実は、みなし賛成制度を規定している投信法93条1項には、「複数の議案が提出された場合において、これらのうちに相反する趣旨の議案があるときは、当該議案のいずれをも除く」とただし書きがある。) さくらが修正動議を提出したことで、みなし賛成制度を適用すると矛盾が生じるため、適用されなくなるのだ。スターアジアも総会2日前の8月28日、修正動議の存在を理由にみなし賛成制度を適用しないことを表明した。 スターアジアも、さくらが主催する総会でのみなし賛成制度を活用できないように策を講じた。「スターアジアの合併提案が否決されるまで、さくらはみらいとの合併提案を決議できない」という趣旨を投資法人規約に盛り込む議案をさくら主催の投資主総会に提出した。午前中のスターアジア主催の総会で合併提案が可決された後、午後に行われるさくら主催の総会でみらいとの合併提案が可決され、スターアジアの提案が骨抜きにされることを防ぐ狙いだ』、「みなし賛成制度」はここまでの事態を想定せずに設けられたのだろうが、立法上の手落ちではある。
・『個人投資主はさくら、みらいに厳しい声  こうした水面下の暗闘の結果は、冒頭の通りだ。スターアジア主催の総会では合併提案が可決され、さくら主催の総会は定足数を満たさず議案は上程されなかった。 投資主総会で議決を行うには、一定割合以上の投資主の出席(定足数)が必要だが、これは議案によって過半数の場合と3分の2の場合がある。スターアジア主催の総会は過半数、さくら主催の総会は3分の2が定足数だった。 さくらとみらいは「みなし賛成が適用されていれば、われわれの合併提案が可決されていた」と悔しさをにじませる。だが、みなし賛成がなくてもスターアジアとの合併提案が可決された事実は、さくらとみらいに重くのしかかる。 午前、午後ともにスターアジア側に票を投じたという60代の男性は、「提案内容はスターアジアの方が有利だ。さくらは、みらいとの合併が投資主の利益になると言うが、スターアジアからの合併提案を受けて慌てて対応した印象を受ける」と手厳しい。同じくスターアジアの提案に賛同した50代の男性も「みらいは自身の格付けを上げることだけを考えている印象を受ける」と話す。 他方で、合併が承認されたスターアジア側も、前途洋々というわけではない。今回承認されたのは完全な合併ではなく、スターアジアの運用会社の下にスターアジア不動産投資法人とさくら総合リート投資法人という2つのリートをぶらさげる形をとる。2つの投資法人を合併するには、さくらが諮ったような合併提案をスターアジア自身も行う必要がある。 ただし、合併内容について事前に合意したみらいと異なり、スターアジアは合併比率などの条件を非公式に提示したのみで、さくらとの正式な合意には至っていない。同社は今年末にも合併の承認を求める投資主総会を改めて開く予定だが、提示した合併条件が投資主の意向に沿わなければ、スターアジア自身が合併を阻まれるリスクがくすぶる。 約4カ月にもわたった買収劇は、Jリートをめぐるさまざまな制度的不備を浮き彫りにした。東証に初のリートが上場してから、今月でちょうど18年。これを機に、リートのあり方を今一度点検する必要がありそうだ』、その通りだが、スターアジアによる「合併の承認を求める投資主総会」は成立するのだろうが、一応の注目点ではある。

次に、経済ジャーナリストの岩崎 博充氏が9月29日付け東洋経済オンラインに掲載した「0.001秒短縮に命を賭けた男たちの儲ける執念 高頻度取引に支配される金融市場のリスク」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/305020
・『株や為替などの金融取引に関わるテクノロジーの進化が止まらない。 とりわけ、現在は運用プログラムである「アルゴリズム取引」、あるいは数ミリ秒単位の「高頻度取引」「高速取引」が市場を支配しており、金融マーケットは人類の手の届かないところで制御不能な領域に達しつつある』、最先端の金融テクノロジーとは興味深そうだ。
・『高頻度取引が織りなす金融市場のロマン?  そんな中で、先ごろ封切られた映画『ハミングバード・プロジェクト0.001秒の男たち』が、注目を集めている。 2011年にスタートしたニューヨーク証券取引所(以下、NYSE)とカンザス州のデータセンター間1600キロメートルを、光回線でつなぐ専用回線敷設プロジェクトの物語を映画化したものだ。ハミングバード(ハチドリ)が1回羽ばたく際の時間「0.001秒」を短縮するためのプロジェクトである。 この物語の舞台となっている2011年当時は、株式取引が「高頻度取引」に大きくシフトしていた頃で、ほかの投資家よりわずかでも高速売買を可能にしたものが、利益をすべて独占できる夢を追いかけたストーリーだ。実在する通信プロバイダー「スプレッド・ネットワーク社」が、NYSEからシカゴのデータセンターを一直線の光回線で結ぶことで、0.001秒の短縮を狙った顛末を描いた。 同社の無謀とも言える光ファイバー敷設計画は、作家のマイケル・ルイスが『フラッシュ・ボーイズ10億分の1秒の男たち』(文藝春秋刊)として描き、世の中に幅広く高頻度取引が知られることとなった。その結果、アメリカや欧州、日本でもこの高頻度取引業者を規制する動きが広まった。 今や、金融商品の中でも大きなシェアを持つ「ETF(Exchange Traded Funds:上場投資信託)」も高頻度取引の産物と言われ、金融マーケットは人間同士の売買取引よりも、コンピューターによるアルゴリズム取引と高頻度取引が圧倒的に高いシェアを持っている。 にもかかわらず、ほとんどその実態は知られていない。映画『ハミングバード・プロジェクト』が公開されたのを機に、現在の金融マーケットが抱えるリスクを考えてみたい。) 高頻度取引とは、英語で「High Frequency Trading」のことで、略してHFTとも言われる。高頻度取引(以下、HFT)は、証券会社や投資運用会社、ヘッジファンドなどがやっているわけではなく、いわゆる「HFT業者」と呼ばれる業界があると考えればいい。 HFTは、よくアルゴリズム取引と混同されがちだが、アルゴリズム取引全体の中の1つがHFTという位置づけだ。もともとアルゴリズム取引は、コンピューターのプログラムがあらかじめ設定された内容に基づいて、売りや買い注文を「自動的に発注するプログラム」のこと。したがって、HFTではないアルゴリズム取引も数多く存在する。 例えば、ある銘柄を大量に買ったり売ったりしたいとき、金融機関はアルゴリズム取引を使って、1度に取引が成立しないように工夫する。時間を分けて、あるいは日数を分けて売買注文を行い、大量注文によって市場が大きく動かないように配慮し、また当局から目を付けられないようにする。 一方、アルゴリズム取引の一種であるHFTは、大きく2つに分けて「マーケットメイク戦略」と「裁定取引」を使って利益を出す。マーケットメイク戦略とは、買い注文とそれよりわずかに高い売り注文を同時に出して、両社の価格差の分だけ利益を獲得するという仕組みだ。 一方の裁定取引は、例えば現物と先物、ETFなどを使って、売りと買いを同時に出し、やはりその価格差を利益にするもの。周知のようにETFは、日経平均株価やTOPIXなどの指数と連動する株式市場に上場している投資信託の一種だが、これから日経平均株価が上がると思ったときには、先にETFを購入して、その後日経平均を構成している株価が上昇した銘柄を売れば、その差額が利益になる。 マーケットメイク戦略にせよ、裁定取引にせよ、大切なことは誰よりも速く取引した業者がほぼ独り勝ちする構造になっていることだ。映画『ハミングバード・プロジェクト』も、少しでも速く取引できる環境作りを狙った物語になっている。 このマーケットメイク戦略と裁定取引の主戦場は、今やETFと言っても過言ではない。それだけ一般的に使われているストラテジー(戦略)の1つだ。例えばETFの売買高が少なくても、マーケット戦略を使えば指数の構成銘柄を売買することで「流動性」を作ることもできる。売買が活発となって、アルゴリズム取引やHFT以外の顧客も市場参入してくる。 少なくともマーケットメイク戦略は、売りと買いの指値注文を出してその注文に対応する顧客を待つ戦略と言ってよい』、「誰よりも速く取引した業者がほぼ独り勝ちする構造になっている」、しかし、「「流動性」を作ることもできる」、と功罪半ばするようだ。
・『通信回線の高速化だけじゃない?  HFT最大の特徴は、たとえ0.001秒でも速い業者が独り勝ちする取引であるということだ。そのためにカンザスからニューヨーク間1600キロメートルを直線でつなぐなどという途方もないプロジェクトが現実のものになる。 いったいどのくらいの予算がかかるのかわからないが、それでもほかの業者よりも速い取引ができるのであれば、コストはあっという間に回収できる。それがHFTの魅力と言っていい。 ちなみに、2000年代に入ってから始まったHFTの高速化競争は、さまざまな形で試みられてきた。高速化競争の方法は大きく分けて3つある。簡単に紹介しよう。 1.ネットワーク回線の高速化 2.取引プログラムの高速化 3.取引所マッチングエンジンの高速化 ハミングバード・プロジェクトは、言うまでもなく「ネットワーク回線の高速化」になるわけだが、この物語が実話であることでもわかるように、当時は大まじめに取り組んでいた話だ。実際、アジアとアメリカをHFT専用の海底ケーブルを引くという構想まで出たと言われている。 通信回線を地下に埋める方法だけではなく、光ファイバーよりも速い直線距離通信が可能となる「無線」の利用を考えて電波塔建設も試みられたようだ』、高速化をめぐる競争は止まるところを知らないようだ。
・『過熱する高性能なコンピューターの開発競争  2016年8月8日付のウォールストリートジャーナルは、「進化する超高速取引、光速の領域に踏み込む」と題する記事の中で、オーストラリアのシドニーに本拠を置く「メタマコ(Metamako)」と「エクスブレイズ(Exablaze)」、シカゴに拠点を置く「エクセロア(xCelor)」は、 取引所から顧客である電子トレーナーに送るデータのスピードが約4ナノ秒(1ナノ秒=10億分の1秒)しかかからない「スイッチ」を製造している、と報道している。 スイッチというのは、膨大な量の株式市場のデータを同時に数多くの取引サーバーに送ることができるものだが、このスイッチの能力を高めた業者もやはり独り勝ちできる可能性が高かった。スイッチもまた通信ネットワークの高速化の1つのツールだ。 アルゴリズム取引も、むろん投資対象によっては高速化が勝負を決める。イギリスのEU離脱が決まった瞬間のイギリス・ポンド取引も、人間が瞬きをしている間に勝負が決まった。ロンドンのFX会社はメタマコ社製のスイッチでプレグジットを乗り切ったと同記事は報道している。 日本銀行の金融政策決定会合の結果は英語と日本語で発表されるが、アルゴリズムは英文を使って分析するそうだ。英文は、先に結論から入るため分析のスピードが速い。その結果でどこよりも早く発注した業者が利益を得られる。まさにスピード競争が勝敗を分けるわけだ。 一方、取引プログラムや取引所マッチングの高速化というのは、一言でいえば「より高性能なコンピューターの開発競争」と言ってよい。取引所マッチングエンジンの高速化は、今や株式取引だけでなくFXや仮想通貨などで幅広く使われている技術で、売買取引の高速化には欠かせないテクノロジーだ。 当時、話題になった技術としては「FPGA」がある。詳細は省くが、簡単に言えばCPUのオフロード化のことで、コンピュータ処理の時間短縮による高速化だ』、「イギリスのEU離脱が決まった瞬間のイギリス・ポンド取引も、人間が瞬きをしている間に勝負が決まった」、「日本銀行の金融政策決定会合の結果・・・英文は、先に結論から入るため分析のスピードが速い。その結果でどこよりも早く発注した業者が利益を得られる」、いずれも初めて知って、驚かされた。
・『投資判断不要、速く注文すれば独り勝ち?  さて、こうしたHFTは証券会社や投資運用会社、ヘッジファンドといった既存の金融機関ではなく、あくまでもHFT会社が単独でやっているケースが多い。莫大な自己資金がかかるわけだが、そのスポンサーはさまざまだろう。既存の金融機関も多いはずだ。 そもそもマーケットメイク戦略にしても、裁定取引にしても、投資に必要な将来の値動きを予想する必要がない。長年培った企業を見抜くスキルとか相場の動きを判断するキャリアも不要だ。ただただ、ほかの業者よりも早く注文ができれば大きな利益を確保できる。 そうした背景からHFTは急速に発達し、莫大な量の取引を行ってきた。例えば、シンガポールを拠点とするHFT業者の「グラスホッパー社」は、日本市場をメインとしており、金融庁に高速取引を行う「高速取引行為者(HST)」としても登録している。 同社は、東証でETFの気配値提示義務を負うマーケットメーカーも務める。同社のジェームズ・リヨンCFOは、QUICKのインタビュー記事(2019年6月21日付)で、日本の月間取引額は3000億ドル(約32兆円)と答えている。 途方もない数字だが、同社の取引の大半は、買いと売りのわずかな指値の価格差によって稼ぐマーケットメイク戦略を中心にしており、相場の方向性を占って投資する戦略はほとんど実施していないため、金融マーケットの動きには何ら影響を与えていない、と断言している。 ちなみに競争は非常に激しく、6年前にはシンガポールで日本市場の取引をするプロの投資家は500~600社あったものの、現在では50社しか残っていない、とも語っている。当時、日本市場がこうしたHFT業者にとってはパラダイスであったことは事実で、アジア最大のHFTマーケットであったと言っていい。 それが一変したのは、金融庁が2018年にHSTの登録制度を導入するなど、日本での高速取引の規制が進んだことだ。これは日本だけではなく、映画『ハミングバード・プロジェクト』の原作となった『フラッシュ・ボーイズ10億分の1秒の男たち』が注目を集めたため、アメリカや欧州でも規制の動きが広まったためと言っていい。 現在、株式投資をしている個人投資家も、そして日々パソコンに向かって売買しているデイトレーダーもまったく関係のないところで、HFT業者が日々すさまじい金額の売買を繰り広げてきたわけだが、実はHFTの現場は大きく様変わりしている』、「グラスホッパー社」、初耳だが、ありそうな話だ。
・『執行アルゴリズム対HFTの戦い、ETF大崩壊のリスク?  HFT業者は厳しい競争にさらされており、業者の中には取引所へのアクセスに時間がかかるなら、自分たちで取引所を作ってしまおうという動きも見られた。現実に「私設取引市場(PTS)」を設立して、取引所よりも細かいスプレッド(売買の価格差)を設定して、より薄い利幅を獲得する競争になりつつある。 そもそも通信回線のスピード競争も、2014年あたりには決着がついてしまっている。2014年7月8日付のロイターの記事「焦点超高速取引の厳しい『台所事情』、利幅少なく競争も激化」によると、すでに東証はこの時点で高速取引にとって欠かせない「コロケーションエリア」を、取引所近くに設置している。 コロケーションとは、東証の売買システムのすぐ隣に投資家向けのレンタルサーバーを設置し、直接ケーブルでつなぐサービスのこと。自己資金を使って売買を行うHFT業者の多くが、そのサービスを使っているとロイターは伝えている。 もともとHFTにはさまざまな批判があった。「見せ玉」を使って売買しているのではないか、スピードを制した業者が莫大な儲けを独占しているのではないかなどなど……。超高速で、超短期のHFTは東証など取引所の監視システムさえもくぐり抜けているのではないか……。そんな指摘が多いのも事実だ。 とはいえ、HFT業者側は株式市場に膨大な流動性を供給している、と反論している。実際にETFなどの設定や取引にはHFTが不可欠になっている。とりわけ、ETFは登場して以降、 アルゴリズムなどと連携して、今やほとんどコンピューター同士で取引されていると言っても過言ではない。 実際、 アメリカ市場の30%をETFの売買が占めており、「JPモルガン」の推計によると、人間同士でかわされるファンダメンタルズ分析に基づいた売買取引は今や10%程度にすぎない。残りの大半はアルゴリズム取引とHFTによって支配されているわけだ。 とりわけ、自動的に売買注文を出すアルゴリズム(執行アルゴリズム)とHFT=高頻度・高速取引との戦いが、日々繰り広げられていると言われている。その舞台となっているのがETFであり、そこに絡んでデリバティブ(派生商品)や先物、指数と逆に動くインバースなどが複雑に絡み合ってくる。 最近の株式市場は瞬間的に暴落するものの、またすぐに回復してくるという傾向を見せている。これはアルゴリズムとHFTによる特徴だと言われている。今のところ、まだ AI(人工知能)は与えられた使命を忠実に実行している人間の下僕だが、いずれは自分で判断して自立し、金融市場を支配しようとするかもしれない。 プログラム同士が取引する日も近づいており、取引所のサーキットブレーカー(一定の値幅で市場取引がストップする)が役に立たない日がやってくるのではないか……。大暴落と大急騰を毎日繰り返すようなマーケットになるのかもしれない。『ハミングバード・プロジェクト』は、そんな人類の抱えるリスクを垣間見せてくれる映画と言っていい』、「実際にETFなどの設定や取引にはHFTが不可欠になっている。とりわけ、ETFは登場して以降、 アルゴリズムなどと連携して、今やほとんどコンピューター同士で取引されていると言っても過言ではない」、すごい時代になったものだ。これからの取引はどうなるのだろう。人間が関与する余地が残されているのだろうか。

第三に、経済評論家・楽天証券経済研究所客員研究員の山崎 元氏が11月20日付けダイヤモンド・オンラインに掲載した「証券の「手数料ゼロ」は要注意!投資家が理解すべき構造変化とは?」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/221052
・『「ゼロ」は手数料競争の終着点か? 個人投資家にとって良いことか?  証券業界の各種手数料が「ゼロ」に向かっている。 米国では、既にネット証券最大手のチャールズ・シュワブが株式売買の「手数料ゼロ」を打ち出したことに対して、他のネット証券も追随して、取引手数料ゼロが広がっている。 日本でも、ネット証券最大手のSBI証券が、株式の取引手数料を今後3年以内に原則ゼロとする方針を打ち出している。 個人投資家にとっては、良いことのように見える。しかし、証券会社にも証券取引所にも社員がいるしシステムもある。手数料ゼロで取引ができるという状況は、「これで大丈夫なのか?」「何かおかしいのではないか?」「自分はどうしたらいいのか?」と順々に考えてみるべき問題だ。 これらの疑問の一部に答える記事が「日本経済新聞」(11月18日)に載っていた話題だ。例えば、「覗かれる株注文データ 高速取引、個人に先回り」(川崎健編集委員執筆)だ。 詳しくはぜひ記事を読んでみていただきたいが、信用取引の金利や、貸株の品貸し料といった証券取引に少々詳しい方ならご存じの収益源の他に、高頻度取引(HFT)業者が投資家の注文に先回りして収益を上げ、ネット証券がHFT業者から報酬をもらうような「注文の収益化」の仕組みがあることが説明されている。 二昔前くらいの証券会社では通称「フロント・ランニング」と呼ばれる行為が存在することがあった。大口の顧客から営業部門が受けた株式の売買注文の情報を、自己勘定の株式トレーディング部門が何らかの形で得て、顧客の注文に先回りする形で自社が収益を上げる行為で、監督官庁の検査などで発覚すると処分の対象になる不正行為だ。もちろん、現在も禁止されている。 ネット証券から私設取引所に注文が出て、この注文を見たHFT業者が投資家に先回りして東京証券取引所等に注文を出して、HFT業者が収益を上げることが可能になる。この一連の流れは、証券会社1社でやると不正になるフロントランニングが、証券会社・HFT業者が協力し、舞台装置として私設取引所等を使うと不正にならない(らしい)仕組みであることが分かる。マイクロセコンド(100万分の1秒)の時間単位で、言わば「分業フロントランニング」が行われているということだ。 記事にあるように、投資家は、東証にあったはずの売買注文指し値を見て売り買いを行ったはずなのに、何者かに先回りされたように感じる。しかし、私設取引所で注文の一部は有利に(買い注文なら安く)約定されている部分もあるので、「私設取引所と東証のより有利な方で約定する注文システムだ」との建前に渋々納得する場合もあるだろう。 すっきりしない印象を持つ投資家が多かろうが、こうした状況をどう考えて、どう付き合ったらいいのだろうか』、「「ゼロ」は手数料競争の終着点か? 個人投資家にとって良いことか?」、と本質的な問題を提起するところは、さすが山崎氏だ。
・『投資家にとって重要なのは市場の維持コストの変化を正しく理解すること  HFT業者が市場でどのような役割を果たしているのかについては諸説ある。筆者は、(1)出来高の見かけほど実質的な「流動性」の役には立っていないのだろうが、(2)利益があるからマーケットメイクに参加しており、市場の成り立ちに一定のプラスの役割「も」果たしている、というくらいに考えている。 一般投資家の注文に対する「分業フロントランニング」にあっては、HFTは先回りした買い(売り)と反対売買を「割り込ませる」だけなので、取引コストを下げるという意味での「流動性の改善」に対してはむしろ逆行していて取引の出来高の数字ばかりがかさ上げされている。 他方、上場投資信託(ETF)のマーケットメイクなどにあって、HFT業者が一定の役割を果たしていることも事実だろう。 これまで売買手数料に支えられた証券会社が維持してきた市場取引が、「分業フロント・ランニング」の利益で一部賄われるようになる、という流れだと理解できよう。一般投資家が何らかの意味で市場の維持コストを払うことに変わりはない。ただし、コストを払う主体は変化している。 トータルで改善しているのかどうかに関しては評価が難しい。HFT業者が参加する市場は「不気味だし、嫌いだけれども、トータルのコストは改善している」ということかもしれないし、帳尻は改善していないかもしれない。 ただ、個々の投資家が状況を変えられるわけではない。投資家にできることは、変化を与件として正しく理解することと、コスト負担構造の変化にうまく対応することだろう』、「これまで売買手数料に支えられた証券会社が維持してきた市場取引が、「分業フロント・ランニング」の利益で一部賄われるようになる、という流れだ」、「投資家にできることは、変化を与件として正しく理解することと、コスト負担構造の変化にうまく対応することだろう」、分かり易い解説だ。
・『デイトレーダーは稼ぎづらくなる サイコロは「ゆっくり」「シンプルに」転がせ  ネット証券はかつても今も「デイトレーダー」と呼ばれるような投資家も含めて、頻繁に取引を行う投資家に大いに支えられてきた。これは動かしがたい事実だ。そして、筆者はネット証券(楽天証券)に勤めている。なので、少々申し上げにくいのだが、現在起きているような市場のコスト負担構造の変化は、デイトレーダー的な頻繁な取引による収益獲得をかつてよりも不利で難しいものにしているように思われる。 投資家の平均像としては、取引頻度を落とすゲームプランにシフトすることを考えることがより「得」だろう。 投資家自身が、何を自分の「エッジ」(相対的有利性のポイント)だと考えているのかにもよるが、秒・分・時単位で有効なエッジから、日・週・月・年・長期…といった単位で有効なエッジにシフトしていくことができると有効だろう。 また、そもそも株式投資の本質は「株式のリスクプレミアム(リスク負担を補償する追加的利回り)のコレクション」なので、長期で保有するアプローチが有効にできていると期待できる。 長期で保有できる銘柄に投資するといいし、たぶん、それ以上に分散投資が有効だ。 ゼロ手数料下の株式の売買は「ミクロのいかさま」があるサイコロを振るようなものなので、なるべくサイコロを振る回数を減らすことと、「いかさま」がやりにくいときにサイコロを振ることを心掛けたい。 具体的には、長期のバイ・アンド・ホールド(持ち切り)を中心に投資戦略を考える。どうしても個別銘柄を売買したいときは、例えば、最も出来高が多く注文が集中するのは一般に東証の寄り付きなので、売買注文は「寄り付き・成り行き」に決めておくような、「ゆっくり」かつ「シンプル」なスタイルでいいのではないだろうか。売買テクニック以外のポイントで勝負するのだと考えよう。 「寄り付き」の株価が思ったよりも有利な場合も不利な場合もあるだろうが、長い目で見ると有利・不利は半々だろうし、仮に不利でも長い投資期間で「期間当たりのコスト負担」で考えると損害は軽微だと割り切るのだ』、「長期のバイ・アンド・ホールド(持ち切り)を中心に投資戦略を考える。どうしても個別銘柄を売買したいときは、例えば、最も出来高が多く注文が集中するのは一般に東証の寄り付きなので、売買注文は「寄り付き・成り行き」に決めておくような、「ゆっくり」かつ「シンプル」なスタイルでいいのではないだろうか。売買テクニック以外のポイントで勝負するのだと考えよう」、私はもう積極的な投資は止めたが、多くの人には役立ちそうな投資戦略だ。
・『自分はちゃっかり収益を稼ぎながらHFT業者と「喰われた投資家」に感謝する方法  最後に、ご存じない投資家には「耳より」であるかもしれない情報をお伝えしよう。長期に保有する株式、あるいはETFは、保有ポートフォリオを貸株に回すと、例えば年率0.1%といった利息のかたちで品貸し料が得られる。 特にETFの投資家は、例えば東証株価指数(TOPIX)連動のETFを持っていると、運用管理費用(信託報酬)が年率約0.1%前後掛かるが、品貸し料で年率0.1%の収益があると、実質ほとんどゼロコストでインデックスファンドを持ち続けることができる。外国株式のETFなどでも、品貸し料を得ることができるので、調べてみて、納得できたら利用してみてほしい。 ネット証券をお使いの方は、ホームページで「国内株式」のカテゴリーを見て、「貸株」、さらに「貸株利息」といった分岐に進んでETF等の銘柄コードで検索すると、お持ちの銘柄の品貸し料が分かるはずだ。 ところで、現在、株式を売って現金を手に入れても、ゼロないしマイナス金利なので、プラスの利息(品貸し料)が得られるのは、一昔前の常識からすると、少々不思議に思えないだろうか。これは、ETF等を利用することによってメリットを得ている業者(おそらくはHFT業者)がいるからで、彼らが利益を得られるのは、一般投資家の注文が利用されているからだと考えられよう。 長期投資家は、ETF等をじっくり保有しつつ、品貸し料を得てもいい。そして、HFT業者とHFT業者に「喰われている」一般投資家に静かに感謝するのだ』、「品貸し料」を言葉では知っていても、投資に活用すべきというのは貴重なアドバイスだ。

第四に、金融ジャーナリストの伊藤 歩氏が12月3日付け東洋経済オンラインに掲載した「東証の「市場区分変更」、見えぬ議論の終着点 1部上場企業の「降格案」はなぜ消えたのか」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/317210
・『あの騒動はいったい何だったのか――。 東京証券取引所の上場区分の変更を検討している、金融庁の金融審議会市場構造専門グループの5回目会合が11月20日に開催された。 関係者からのヒアリングは4回目までの会合で終了している。事務局である金融庁は年内の提言提出を予定しており、審議会のいつものパターンであれば、20日に提言のたたき台に近いものが提示されてもおかしくなかった。 ところが、この日に事務局側から提示されたのは、議論すべきポイントが列挙された論点整理次元のものだった』、「上場区分の変更」がどうなっているのだろうと思っていたら、竜頭蛇尾に終わりそうだ。
・『250億円で東証1部から降格  市場区分見直し議論の発端となったのは、東証に「市場構造の在り方等に関する懇談会」が2018年10月29日に設置されたことだった。日本取引所グループの清田瞭CEOが定例会見で公表し、近年その役割があいまいになっていた4市場(東証1、2部、ジャスダック、マザーズ)の役割を議論し直すという触れ込みだった。 しかし、東証が懇談会について詳細な情報を開示をしないまま、「東証1部2000社の半分もしくは3分の2が強制的に降格」「(東証1部から降格する)足切りラインは250億円の案も」「早ければ2019年5月に東証規則改正」といった報道が相次ぎ、上場会社だけでなく、TOPIX(東証株価指数)をベンチマークに投資をしている投資家にも動揺が走った。 現在のTOPIXは東証1部の全銘柄を対象にしており、対象銘柄が突如入れ替わると、投資家は多額の損失を被る可能性がある。 3月27日に東証が公表した論点整理では、降格イメージをやわらげるためか、上下関係にあった各市場の位置づけを並列に扱い、時価総額での足切りの可能性についても大幅にトーンダウンさせた。しかし、足切りラインと報じられた「250億円」という金額は1人歩きを続けたままで、投資家の疑心暗鬼は消えていない。 審議会はこれまで5回開催され、機関投資家や発行体企業、有識者などからヒアリングを行った。 投資家からは「TOPIXに流動性が乏しい銘柄が含まれていて問題」「TOPIXが問題だから市場区分を変えるという議論は本末転倒で、市場区分問題とインデックスの問題は切り離して考えるべき」などの声があがった。 上場会社4社などは「強制降格が実施されると、失う社会的信用は甚大」「赤字企業でもプライム市場に上場ができるように」などと訴え、大学教授からは「市場コンセプトがあいまいだから改革せよでは、改革で不利益を被る者は納得しない」、弁護士からは「一部の機関投資家の意見に依拠すべきでない」「コーポレートガバナンスコードの適用状況を降格基準に使うべきではない」などという指摘が出た』、東証1部には到底上場企業とは思えないような企業も多く、理想論としては、「市場区分見直し」には意義はあったが、現実論としては、既に深く社会に定着した区分の見直しはやはり抵抗が強いのだろう。
・『事務局案は単なる看板のつけ替え  11月20日に事務局が出した論点整理案は、これらの意見をすべて盛り込んだかのような折衷案だ。 まず市場区分については、現在4ある市場を3に減らす。成長途上の企業を対象とする「グロース」、すでに実績がある企業のうち、高度なガバナンスを備えている企業を対象とする「プライム」、そうでない企業を対象とする「スタンダード」に分ける。 つまり、現在の東証1部はプライムに、2部とジャスダックのスタンダードを合体させてスタンダードに、マザーズとジャスダックグロースを合体させてグロースに、それぞれ看板をつけ替える案にすぎない。 しかもプライム市場への上場基準は、時価総額だけでなく流動性やガバナンスを組み合わせた基準としながら、具体的な数値には一切言及していない。すでに1部に上場している企業については、基準に満たなくても希望すればプライム市場への上場を認め、強制排除もしないという。 つまり、当初の「上場企業が多すぎるから減らす」という議論は跡形もなく葬られ、東証1部上場企業の降格問題は事実上なくなったのだ。) 強制的な降格がないのであれば、東証1部は実質的に現状維持され、わざわざプライム市場を設ける必要性がどこにあるのか、よくわからなくなってくる。 誰もが知っている大企業でもない限り、東証1部というステータスは採用や商取引の場面ではかなり有効だ。正規の手続きを経て1部に昇格したのに、降格となれば失う信用は計りしれない。多くの中小型銘柄企業が混乱したのはこのためだ。中身が変わらないのであれば、呼称も変えてほしくないというのが、これらの企業の本音だろう』、もともと抵抗が大きいことは予想された筈で、東証や金融庁の事務局はどうさばくつもりだったのだろう。
・『時価総額で機械的に振り分けることはない  東証の懇談会と金融審議会の委員の両方を務める立正大学の池尾和人教授は、金融審の第2回会合で「東証の懇談会で議論していたときから、時価総額で機械的に振り分けるなどという乱暴な話はしていなかったのに、そういう印象を世の中に持たれる結果になった」と発言。報道を否定している。 さらに、第5回会合では「ガバナンスの高低でプライムとスタンダードに分けるというのなら、両社に上下関係が生まれるのは明らか。並列だと言うのは理屈として難しい」と突っ込んだ。 そして、同じ会合で「上場会社、つまりパブリックカンパニーとして、最低限備えていなければならないガバナンスの水準を越え、どこまでエクスプレイン(説明)するのかは、個別の企業の問題。市場区分で議論する話ではない。並列だというのなら、市場区分は3つではなくグロースとそれ以外の2つとすべき」と言い切った。予定調和とはおよそかけ離れた、極めて真っ当な議論が展開されたのだ。 もっとも、ある機関投資家は「2部市場というのはある意味懐の深い市場。小粒ながら隠れた優良企業が多数上場している一方で、降格になった東芝の受け皿になっていたり、地方市場が消滅したために2部に移行した企業など、さまざまな企業が混在している。水清ければ魚住まずで、こういった市場の存在も必要」と言う。 問題は、市場区分と分けて考えるべきと整理されたインデックスである。金融庁の論点ペーパーは、機関投資家にとって使い勝手のいい、新たなTOPIXの創設を前提にした書きぶりだ。 論点ペーパーは、インデックスの選定対象はプライム市場だけでなくスタンダード市場からも選定できるようにしてはどうかと提言している。金融審の議論では、グロース市場からの選定を求める発言が出ている。 現在のTOPIXは東証1部の全銘柄を対象にしているが、新しいTOPIXは一定の基準に基づいて数を絞り、対象に選ばれたり、対象から外れるケースを前提としている。しかし、それは既存のJPX日経インデックス400とどう違うのか。JPX日経インデックス400が活用されていない実態も含め、議論は一切なされていない』、そもそも「インデックス」が公的性格を持つこと自体が、おかしなことだ。欧米では、民間が知恵を絞って作成したものが、市場に定着していったことを、考慮すれば、民間に委ねるべきだろう。ただ、日本的なインデックスが既に定着してしまったという現実を踏まえると、悩ましい問題ではある。
・『日銀やGPIFへの影響は?  何よりも、現在のTOPIXの最大顧客といっていいGPIF(年金積立金管理運用独立行政法人)と日本銀行への影響を分析した形跡すらない。 日銀は年間6兆円ものETF買いを続け、2019年9月末の残高は27兆円に達している。GPIFも159兆円の運用資産のうち、日本株は38兆円強。その9割はパッシブ運用である(2019年3月末時点)。TOPIXの設計を変えることで、もっとも甚大な影響を受けるのはGPIFと日銀。つまり国民である。 「インデックスはさまざまな作り方があるが、東証1部上場会社を網羅するTOPIXは極めてシンプルな設計。今進めている議論はその設計を変更するという話。GPIFや日銀が使っている以上、そもそも設計自体、変更していいのかどうかから議論すべき」(前出の機関投資家) 結局、この1年の騒動は何だったのか。甚大な被害を被る市場参加者が出るような議論を唐突に始めたうえ、情報も出さずに報道を放置した東証の責任は重いことを、言い出しっぺの東証はそろそろ認めるべきだろう』、着地点も考えずに突っ走った「東証や金融庁の責任は重い」ことは確かだ。どうやって幕を引くのか見物だ。
タグ:事務局案は単なる看板のつけ替え 時価総額で機械的に振り分けることはない 日銀やGPIFへの影響は? 250億円で東証1部から降格 (その3)(リート初の「敵対的買収」意外な結末の一部始終、0.001秒短縮に命を賭けた男たちの儲ける執念、証券の「手数料ゼロ」は要注意!投資家が理解すべき構造変化とは?、東証の「市場区分変更」 見えぬ議論の終着点) 東洋経済オンライン 個人投資主はさくら、みらいに厳しい声 山崎 元 ダイヤモンド・オンライン 個人投資家にとって良いことか? リート特有の「みなし賛成」が事態を複雑にした HFT業者 1日に投資主総会が2回開催される異常事態 資本市場 通信回線の高速化だけじゃない? みらいがさくらとの合併に応じたわけ アルゴリズム取引全体の中の1つがHFT 投資家にとって重要なのは市場の維持コストの変化を正しく理解すること 「証券の「手数料ゼロ」は要注意!投資家が理解すべき構造変化とは?」 デイトレーダーは稼ぎづらくなる サイコロは「ゆっくり」「シンプルに」転がせ スイッチ 伊藤 歩 過熱する高性能なコンピューターの開発競争 HFTは、大きく2つに分けて「マーケットメイク戦略」と「裁定取引」を使って利益を出す 執行アルゴリズム対HFTの戦い、ETF大崩壊のリスク? 「ゼロ」は手数料競争の終着点か? あの騒動はいったい何だったのか―― 岩崎 博充 「0.001秒短縮に命を賭けた男たちの儲ける執念 高頻度取引に支配される金融市場のリスク」 高頻度取引が織りなす金融市場のロマン? イギリスのEU離脱が決まった瞬間のイギリス・ポンド取引も、人間が瞬きをしている間に勝負が決まった 投資判断不要、速く注文すれば独り勝ち? 「東証の「市場区分変更」、見えぬ議論の終着点 1部上場企業の「降格案」はなぜ消えたのか」 「リート初の「敵対的買収」意外な結末の一部始終 1号上場から18年、制度的不備があらわに」 ETF(Exchange Traded Funds:上場投資信託)」も高頻度取引の産物
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香港(その3)(香港デモに「暴力はダメ」と安易に考える人に伝えたい大事なこと、香香港情勢を甘く見た中国 巻き返しに出る可能性も 習近平は香港の中国離れを絶対に容認しない) [世界情勢]

香港については、10月8日に取上げた。今日は、(その3)(香港デモに「暴力はダメ」と安易に考える人に伝えたい大事なこと、香香港情勢を甘く見た中国 巻き返しに出る可能性も 習近平は香港の中国離れを絶対に容認しない)である。

先ずは、立命館大学政策科学部教授の上久保誠人氏が11月27日付けダイヤモンド・オンラインに掲載した「香港デモに「暴力はダメ」と安易に考える人に伝えたい大事なこと」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/221574
・『香港の区議会選挙で民主派が初の過半数獲得  11月24日、香港区議会(地方議会)選挙が実施された。デモ隊と香港警察の対立が激化し、選挙が中止になることが危ぶまれたが、当日は大きな混乱は起きなかった。投票率は前回(2015年)の47%をはるかに上回り、中国返還後に行われた選挙で最高の71%に達した。 そして、民主派が452議席の約9割に達する390議席を獲得する歴史的な勝利を収めた。民主派が過半数を獲得したのは初めてで、改選前に7割の議席を占めていた親中派との立場は完全に逆転した。民主派は、あらためて「五大要求」の実現を要求し、抗議行動を継続すると表明した。しかし、香港政庁とその背後にいる中国共産党が容易に折れるとは考えられない。今後の問題は、民主派がどう要求を実現していくかだ』、興味深そうだ。
・『「デモに対する支持率が低下」と語る日本の“識者”のいいかげんさが露呈  日本では、テレビや新聞、雑誌、インターネット等のメディアで、「識者」と称する人たちが「デモによる暴力で、香港経済や市民の生活にダメージがあり、デモに対する支持率が低下している」というコメントをすることが少なくない。しかし、それはまったく現地のことを知らない人が、日本語でいいかげんなことを言っているだけということが、明らかになった。 香港で行われている世論調査では、民主主義を求める若者に対する支持はまったく下がっていなかった。だが、この事実は、なぜか日本のメディアで取り上げられることが非常に少なかった。 今回の選挙で、香港市民は民主派を圧倒的に支持していることが明らかになった。「デモによる暴力」を批判していた日本の識者の皆様には違和感がある結果だろう。筆者は、彼らに言いたいことがある。 筆者は、選挙の前に香港の「民主の女神」周庭(アグネス・チョウ)さんとSNSのメッセンジャーでやり取りをした。その際、強い印象が残ったのは、彼女が「私がこの運動が始まってからよく思うのは、民主主義と自由がある国の人たちが、自由のない生活を経験したことがないのに、『暴力はダメよ、支持しませんよ』というのは、ちょっと傲慢なのではないか」「私たちだって、暴力を使いたくないですよ」と言ったことだ。 この連載では、中国共産党が「香港の中国化」を目指し、圧力を強めることで、香港市民が自由を奪われ、暴力を使うことでしか民主主義を守る手段がないところまで追い詰められたことを、詳述してきた(本連載第213回)。 雨傘革命後、筆者がアグネスさんら民主派の若者たちに初めて会ったとき、彼らは「香港の選挙は『AKB48の総選挙』のようなもの。民主的に行われているように見えて、実は秋元さんが全部決めている。香港の選挙も中国共産党が全部決めている」と言い、この状況下では「暴力しかない」と訴えかけてきた(第116回)。 それでも彼らは、「デモで選挙制度は変えられなかったが、将来を自分たちで決めたいなら若者の政党をつくるべきだ」と訴えた。彼らは「活動家」から「政治家」に進化しようとした(第141回)。 そして、16年9月4日に行われた香港立法会選挙で、民主派の若者らが6議席を獲得した。彼らを含む「反中国派」全体で30議席を得て、法案の否決が可能になる立法会定数70議席の3分の1(24議席)以上を占める画期的な勝利となった。 しかしその後、彼らは中国を侮辱する言動を行ったとして、議員資格を取り消されてしまった。アグネスさんは18年4月の香港立法会議員の補欠選挙に、弱冠21歳の現役女子大生として立候補しようとしたが、当局によって立候補を差し止められた。 彼らの政治家になろうとする志は、香港政府とその背後にいた中国共産党によって、踏みにじられることになった。そして、この件に象徴される、中国共産党・香港政庁による民主派に対する一連の「弾圧」は、民主化運動の中心メンバーだけではなく、多くの若者を深い絶望に陥れ、「暴力」を肯定せざるを得ないところにまで追い込んだのだ。 この背景を理解することなしに、自由と民主主義を生まれながらに謳歌してきた人が、シンプルに「暴力はいけない」と言うのは、浅はかすぎると断ぜざるを得ない。もちろん、筆者も「暴力」は肯定しない。しかし、香港の「暴力」については、民主派の若者にまったく責任はない。彼らを徹底的に追い詰めた中国共産党・香港政庁にこそ、「暴力」の全責任があると、最大級の非難をしておきたい』、「私がこの運動が始まってからよく思うのは、民主主義と自由がある国の人たちが、自由のない生活を経験したことがないのに、『暴力はダメよ、支持しませんよ』というのは、ちょっと傲慢なのではないか」、との「香港の「民主の女神」の主張はその通りだ。
・『香港政庁・中国共産党が区議会選挙の実施を恐れた理由とは?  香港区議会については、地域の法律や予算を決める強い権限は持っておらず、公共サービスや福祉といった地域の問題について政府に提言する諮問機関のような役割しかない。従って、今回の選挙の結果は、香港の情勢に大きな影響を与えないという人がいる。しかし、その見方は、正しいとはいえない。 香港政庁・中国共産党は、今回の区議会選挙を延期できないか、ずっと模索していたとされる。デモ隊と警察の衝突の激化で、選挙の安全な実施が困難だからと報道されることが多かったが、そんな単純な理由ではない) 香港政庁・中国共産党は、選挙当日になれば市民は皆、デモを行わず選挙に行くことを当然、予測できたはずだからだ。実際、衝突などまったく起きることはなく、整然と選挙が実施された。 香港政庁・中国共産党が本当に恐れたのは、今回の選挙結果が「香港行政長官選挙」に与える影響だ。香港行政長官は、不動産や金融など35業界の代表と立法会議員、区議会議員ら1200人で構成される「選挙委員会」の投票で選出される。 行政長官選挙に立候補するには「選挙委員」のうち、150人以上の推薦が必要であり、当選するには過半数の得票を得る必要がある。これまで、選挙委員は親中派が多数を占めてきたため、事実上民主派の候補者は立候補すらできない仕組みとなってきた。 しかし、選挙委員のうち区議会枠(総数117)は、区議会議員の互選で選ばれる。今回の区議会選挙で民主派が9割を占めたので、区議会枠は親中派から民主派に変わることになる。互選がどういう形になるかは不明だが、仮に117人の9割だとすると、民主派は105人いうことになる。 また、20年9月には「立法会選挙」が実施される。これは区議会選に比べて、民主派が躍進するには高い壁がある。定数70のうち直接選挙で選ばれるのは35議席だ。残る35議席は職業別代表枠で、間接選挙によって選ばれるが、ほとんどが親中派である。 その上問題なのは、直接選挙が「比例代表制」であることだ。区議会選は、勝者となる党派が実際の得票数よりも多くの議席を獲得する傾向にある「小選挙区制」だった。実際、今回の区議会選は、民主派が9割の議席を獲得したが、得票数は6割程度だったのだ。 「比例代表制」の場合は、シンプルにいえば6割の得票数だと、6割の議席を獲得することになる。仮に、民主派が今回と同程度の支持を集めたとすると、立法会選挙の直接選挙35議席中21議席の獲得にとどまる。定数70のうちの21議席なので、区議会の過半数には遠く及ばないことになる。 ただ、立法会議員はそのまま行政長官選挙の選挙委員となる。21人の民主派が立法会枠から加わることになると、選挙委員会1200人中、区議会枠と合わせて民主派は126人程度となる。すると、立候補者を出すために必要な選挙委員150人の推薦を実現するハードルが、かなり下がることになる そして、ここまでハードルが下がってしまうと、中国共産党にとっての「不測の事態」が起こりかねなくなる。現在、親中派とみられる人たちも、民主化支持の世論を気にして、中国共産党と距離を置いているといわれる。 仮に22年の次期行政長官選挙の際にそのような状況になったら、選挙委員会の中から、親中派・民主派双方の幅広い支持を得られるような、開明的なリーダーが立候補して行政長官に当選し、中国共産党が香港の行政をコントロールできないという事態も起きかねない。だから、中国共産党は、そのきっかけとなる懸念がある今回の区議会選の実施を嫌がったのだといえる』、「香港政庁・中国共産党が本当に恐れたのは、今回の選挙結果が「香港行政長官選挙」に与える影響だ」、その後の説明と合わせて、よく理解できた。「区議会選は・・・「小選挙区制」だった。実際、今回の区議会選は、民主派が9割の議席を獲得したが、得票数は6割程度だったのだ」、初めて知ったが、香港政庁・中国共産党も改めてその恐ろしさを認識したのだろう。
・『香港の状況を劇的に変えられるのは「財界」である  しかし、それはあくまで中国共産党にとっての「不測の事態」であり、民主派にとっては「希望的観測」にすぎないだろう。リアリスティックに考えれば、香港の状況を劇的に変えることができるのは、「財界」である(第223回・P6)。 財界が民主派に寝返れば、行政長官選挙の「選挙委員」は民主派が圧倒的多数派になる。つまり、民主派の候補者しか当選できない制度に代わってしまうことになるのだ。 だが、アグネスさんに聞いてみたが、財界の動きは「分からない」という。財界について話題を振っても、反応が鈍い。おそらく、現在のところ民主派と財界の間に接点はないのだろう。財界は完全に親中派とみなされているので、民主派が安易に接触すると、動きが筒抜けになってしまう恐れがある。信用できないのだろう。 日本的な感覚で考えれば、民主派の若者の中に財界と交渉できるような「寝業師」はいないのかと言いたくなる。おそらく、いないのだろう。リーダー不在の「水の革命」(*)の難しさが露呈しているといえるのかもしれない(第214回)。 *香港出身のアクション映画スターであるブルース・リーが語った格言「Be Water(水のようになれ)」にちなんだ、今回の香港の民主化デモの通称。リーダー不在で臨機応変にデモ活動のかたちを変えることに由来する。 一方、財界側は民主派の抗議行動に対して、静観を貫いている。ただ、今回の抗議行動が始まって以降、中国共産党は、香港の民間企業に対する圧力を徹底的に強化している。例えば、中国政府はキャセイパシフィック航空に対して、デモにかかわった従業員を職務に就かせないように強く要求し、実際にデモに参加した操縦士2名が解雇された。また、同社のルパート・ホッグ前最高経営責任者(CEO)が辞任に追い込まれ。キャセイパシフィックの元操縦士で立法会議員のジェレミー・タム氏も、同社を退社した。 英公共放送「BBC」のカリシュマ・ヴァスワニ・アジア経済担当編委員は、「キャセイの話は、香港でビジネスをする企業が、中国が何を欲するかを勘案しないとどうなるかを示す教訓といえる」と指摘する(BBC NEWS JAPAN「香港デモ、苦しむキャセイ航空 『会社が恐怖に包まれている』」)。だが、静観を貫く財界は内心、中国共産党に対する強い不満を募らせているという。なにか、起爆剤となることが起きれば、財界は動くかもしれない』、楽観的に過ぎる印象を受ける。やはり香港の存在意義は、中国の出先であって、それを抜きにした存在意義は考え難いからだ、
・『香港財界を動かす可能性を感じさせる米議会の「香港人権・民主主義法案」  そして、財界を動かす可能性を感じさせるのが、米議会が可決した「香港人権・民主主義法案」だ。現在、米中貿易交渉が佳境を迎えている(第211回)。ドナルド・トランプ米大統領は法案に署名するかどうか、態度を明らかにしていない。 だが、仮にトランプ大統領が拒否権を発動しても、上下両院の3分の2が賛成すればこれを覆すことができる。この法案はすでに、ほぼ全会一致で可決されており、大統領が署名しなかった場合でも、問題なく成立するとみられる。 香港人権・民主主義法は、米国務省が年1回、香港の「一国二制度」が保証され、香港の「非常に高度な自治」が維持されているかを確認し、米国が香港に通商上の優遇措置という「特別な地位」を付与するのが妥当かどうかを判断するものだ。 もし、香港で人権侵害などが起きた場合、その責任者には米国の入国禁止や資産凍結などの制裁が科せられる。そして、通商上の優遇措置が撤廃されれば、香港は中国本土の都市と同じ扱いを受けることになる。 これは、ただでさえ不調に陥っている中国経済に大打撃を与えることになると指摘されている。中国では、資本取引が全面的には自由化されていない。中国の対内・対外直接投資の6〜7割は香港経由である。また、08年から19年7月まで、中国企業が香港市場で株式新規上場し資金調達した金額は1538億ドルで、中国市場全体の3148億ドルの約半分である。さらに、中国企業が18年に海外市場で行ったドル建て起債1659億ドルの33%を、香港の債券市場が占めている(岡田充「米中代理戦争と化した香港デモ。アメリカの『香港人権法』は諸刃の刃になるか」Business Insider Japan )。 中国経済における香港の重要度は以前と比べると下がっているといわれるが、いまだに多くの部分を依存しているといえる。もちろん、香港への優遇措置見直しは、米国経済にもダメージを与えるものだ。 だが、貿易戦争は双方が不利益を受けるものであり、問題はどちらにより大きな損害があるかだ。米中貿易戦争でより大きなダメージを中国が受けたように、香港が中国本土と同じ扱いとなれば、中国がより深刻な損害を受けることになると考えられる。 区議会選が終われば、中国共産党は再び全国人民代表大会常務委員会が前面に出て香港への関与の姿勢を強めるとみられていた。デモの鎮圧には、より強硬な手段が講じられるとの懸念も出ていた。だが、米国が香港人権・民主主義法を発動するかどうかは、中国共産党に対する極めて強いけん制となるだろう。 そして、香港人権・民主主義法が施行されれば、香港の財界は中国共産党に従属する「親中派」のスタンスを変えざるを得なくなるかもしれない。 香港に対する優遇措置が維持されなければ、民間企業はビジネスを続けることができない。しかし、前述のキャセイパシフィック航空のように、中国共産党からの圧力に屈する姿を米国に見せてしまうと、一国二制度は維持されていないとみなされて、米国が法律を発動する懸念が出てしまう。財界もまた、従来通り「親中派」のままでいいのか、難しい判断を迫られることになる可能性がある。 要するに、香港政庁・中国共産党と民主派の間で膠着状態が続く香港の抗議活動を動かせるとすれば、それは香港財界と米国ということになる。この連載では、次のように論じたことがある(第223回・P6)。14年の「雨傘運動」は、行政長官選挙の選挙委員会を親中派が占めて、民主派は立候補すらできない制度の理不尽さに反発して起きた。だが、香港財界が民主派を支持すると決断すれば、雨傘運動の若者たちが目指したものの大部分が、長い戦いの末に実現することになる。このことをあらためて強く主張したい。香港財界には、一国二制度を守るために、歴史的な決断を下してもらいたい』、トランプ大統領は『香港人権法』に一応署名はしたようだが、中国政府にもかなり気を使っており、対決は避けたいようだ。ただ、『香港人権法』が財界の考え方に多少の変化をもたらす可能性はありそうだ。

次に、政治学者の舛添 要一氏が11月30日付けJBPressに掲載した「香香港情勢を甘く見た中国、巻き返しに出る可能性も 習近平は香港の中国離れを絶対に容認しない」を紹介しよう。
https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/58432
・『11月24日に投票が行われた香港の区議会議員選挙は、民主派の圧勝という予想外の結果となり、世界中に大きな衝撃を与えた。とくに、親中派の勝利を信じていた習近平政権には、大きな誤算となった。 さらに、19日に米議会を通過していた「香港人権・民主主義法案」にトランプ大統領が署名し、米中間に新たな火種が生まれた』、あの舛添 要一氏が何を主張するのだろう。
・『次の焦点は行政長官選挙と立法会選挙  香港政府が、4月に、容疑者を中国に引き渡すことを可能にする逃亡犯条例改正案を立法会に提案し、これに抗議する市民が街頭に出たのが6月である。デモに参加する人々の数は増えていき、6月16日には200万人にも達した。民主派は、①条例改正案の撤回に加え、②デモの「暴動」認定の取り消し、③警察の暴力に対する独立調査委員会の設置、④抗議活動で拘束された者の釈放、⑤行政長官選挙の民主化の5項目要求を掲げている。 その後もデモは続き、遂に9月4日、林鄭月娥行政長官は条例改正案を正式に撤回した。しかし、民主化を求める市民の抗議活動は続いていった。10月5日には、「覆面禁止規則」が施行され、それがまたデモを過激化させるという悪循環になり、11月8日には、現場で負傷した男子大学生が死亡した。その3日後の11日には、警官の発砲で男子学生が重態になり、抗議活動が毎日続くようになり、17日には香港理工大学を学生が占拠して警官隊と攻防を繰り返す事態に発展した。 このような中で、区議会議員選挙のキャンペーンが10月18日から始まり、11月24日に投票が行われたわけだ。選挙期間中には、民主派、親中派双方の候補者や選挙事務所が襲撃されるなど混乱が続いた。このため、選挙が予定通り行えるかどうか不安視されたほどであった。 区議会議員選挙は、親中派の特権階級による間接選挙である行政長官選挙と違って、市民が直接投票する普通選挙であり、民意が反映される。18区議会の452議席を選ぶが、それ以外に、親中派に27議席を割り当てる仕組みとなっている。 今回は、過去最多の約1100人が立候補し、投票率も71.2%と過去最高であった。そして結果は、民主派が388議席で約85%の議席を獲得する圧勝であった。親中派は改選前には7割を占めていたが、59議席と惨敗した。その他は5議席である。2015年の前回の選挙(総議席数は431)では、民主派が120議席、親中派が293議席、その他が18議席だったので、地滑り的な大変動が起こったと言ってよい。まさに民主化を求める市民の声が反映されたのである。 行政権のトップと国会(立法会)を選ぶ選挙は普通選挙ではないために、今回の区議会議員選挙の結果がなおさら重要になる』、「地滑り的な大変動」には前述の通り小選挙区制が影響している。
・『惨敗で浮上する立法会選挙の仕組み変更の可能性  行政長官の選挙は、1200人の選挙委員による間接選挙で、内訳は、業界団体別の選挙で選ばれた926人、立法会枠70人、区議枠117人、中国全人代・人民政治協商会議枠が87人となっている。今回の区議選の結果で、117人枠の大半を民主派が占めることになるが、これは選挙委員全体のわずか1割程度であり、業界団体の中の民主派を合わせても、過半数にはほど遠い。しかし、何の影響もないわけではない。 また、立法会の選挙は、定数70議席のうち、比例代表による直接選挙が35議席、業界団体別の選挙が29議席、区議枠が6議席である。民主派は現在25議席であるが、次回選挙でどれくらい上積みできるかが重要である。 区議会議員選挙は小選挙区であり、死票が多くなる。民主派は議席で8割を超えたが、得票率で見ると57%であり、親中派が41%である。立法会の直接選挙は比例代表制であるので、区議選と同じ得票率ならば、民主派が20議席、親中派が14議席となる。区議枠の5議席を確保すると、民主派議席は25議席。そこで、過半数にはあと10議席以上必要で、親中派が占める業界枠29議席の中から10議席をもぎ取るのは困難である。 しかし、万が一、そのような事態になれば、習近平政権としては取り返しのつかないことになる。香港で制定される全ての法律が反中国的なものになってしまう危険性があるからである。 だからこそ中国は、今回の結果を驚愕の念をもって受け止めた。中国では、区議会議員選挙の結果に関する報道は一切ない。北京政府は、これまで通り親中派が勝つと確信していたようである。それは、デモ隊の暴力行為で経済活動を阻害され、不満がたまっている「サイレント・マジョリティ」は民主派に投票しないだろうという安心感があったからである。この楽観主義は、事態を正確に分析することに失敗したことを意味し、読みは完全に間違っていた。 そこで、習近平政権は、今後、立法会選挙の仕組みを変える可能性すらあり、香港の自治権を制限する方向に動く可能性がある。「一国二制度」は認めても、香港はあくまでも中国の一部であり、北京に刃向かうことは許さないという立場である』、「行政長官の選挙は、1200人の選挙委員・・・中国全人代・人民政治協商会議枠が87人」、中国本土側が「87人」も確保されているとは初めて知った。「北京政府は、これまで通り親中派が勝つと確信」、香港には中国側の情報工作員が多数いる筈だが、彼らは「北京政府」を忖度して、不都合な事実を伝えるのをためらったのかも知れない。
・『ポピュリズム横行する民主主義と「幸福な監視社会」中国の相克  そのような北京政府の前に立ち塞がっているのが、国際社会、とりわけアメリカである。中国の監視社会の酷さは、ウイグルへの弾圧が典型であるが、習近平による非公開演説や収容者の家族との想定問答集などの内部文書を11月16日にニューヨークタイムズが入手して公開した。その中で、習近平が「容赦するな」と喝破したことが暴露されている。これは「幸福な監視社会」が牙を剝くと、どのような弾圧社会になるかを示しており、世界に衝撃を与えた。 そして、アメリカ議会では、10月15日に下院で可決された「香港人権・民主主義法案」が、上院でも11月19日に全会一致で可決された。この法律は、香港で「一国二制度」、つまり「高度な自治」が機能しているかどうかを毎年検証し、議会に報告することをアメリカ政府に義務づけるものである。もし人権侵害などが確認されれば、香港への優遇措置を見直すことが可能となり、民主派を支援する内容となっている。 この米議会の決定に対して、中国は内政干渉だとして猛反発し、対抗措置をとることを明らかにした。そこで焦点になっていたのが、法案に必要な署名にトランプ大統領が応じるか否かであった。一般的に、大統領の選択肢としては、①拒否権を発動する、②10日間何もせずに自然成立を待つ、③署名するという三つがあるが、①の場合は、両院で3分の2の多数で再可決されることは確実なので、結果的には意味がない。ただ、中国に対しては恩を売ったことになる。しかし、米国内で人権を無視する大統領という悪評が立つことになる。 今のトランプは再選されるために役立つことは何でもやる、再選にマイナスになることは何もやらないという一貫した姿勢である。結局、27日には、「香港人権・民主主義法案」に署名し、その結果、法案は成立した。これに対して、中国は、「重大な内政干渉だ」として、報復措置をとることを示唆した。 署名後に、トランプは、「中国や香港の指導者が見解の違いを友好的に乗り越え、長期的な平和と繁栄につなげるよう願う」という声明を出し、「この法律には大統領の外交政策における憲法上の権限行使を妨げる条項がある、私の政権は外交関係において、この法律の条項が大統領権限と矛盾しないようにする」と述べて、中国への一定の配慮をのぞかせている。 しかし、交渉が進む米中貿易協議への悪影響も懸念される。中国が態度を硬化させ、アメリカとの合意に達しなければ、12月15日には、アメリカは中国からの輸入品に新たに関税を上乗せすることになる。対象にはスマートフォンやパソコンが含まれており、米中双方に大きな影響が出る。そうなれば、「交渉上手」だと自負するトランプの人気にも陰りが見えてこよう。 習近平政権にとっては、香港や台湾を中国の不可分の領土として中国共産党の支配下に置くことが政策目標であり、その基礎が崩れるような事態は何としても避けたいのである。しかし、米中貿易摩擦をこれ以上に悪化させたくないので、アメリカを刺激しないように慎重に行動してきた。香港に直接介入しなかったのも、そのためである。 しかし、アメリカが法律まで制定して香港の行方について「内政干渉」するに及んで、北京政府としても何らかの対抗措置を考えざるをえなくなっている。それがどのようなものになるか、これから2週間の中国の動きを注目しなければならない。 世界の覇権をめぐる米中の争いで、軍事や経済については、中国が猛烈な勢いでアメリカに追いついている。問題は、民主主義という価値観について、どのような立場をとるかということである。世界中でポピュリズムの嵐が吹き荒れ、民主主義の統治能力が問われるなかで、「幸福な監視社会」を実現させた中国である。共産党の支配のほうが安定性を含め、統治が上手く機能しているのではないかという意見が世界中で力を持ち始めている。そのような状況で、香港で民主派が勢力を伸ばしていることは、政治制度が覇権争いの重要な柱であることを再認識させている』、「幸福な監視社会」という表現にはいささか違和感を感じる。監視社会であっても経済的成果を国民が享受しているという意味なのだろうが、「統治が上手く機能している」、もウィグルだけでなく、その他の地方でも頻発していると言われる抗議行動への弾圧などを見ると、大いに疑わしいのではなかろうか。いずれにしろ、今後の香港情勢も要注目のようだ。
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終末期(その5)(「人生会議」PRポスター騒動で 厚労省が気づかない本当の失敗、家族に丸投げ「人生会議」ポスターの大ウソ、小田嶋氏:人生会議に呼びたい人は?) [社会]

昨日に続いて、終末期(その5)(「人生会議」PRポスター騒動で 厚労省が気づかない本当の失敗、家族に丸投げ「人生会議」ポスターの大ウソ、小田嶋氏:人生会議に呼びたい人は?)を取上げよう。

先ずは、百年コンサルティング代表の鈴木貴博氏が11月29日付けダイヤモンド・オンラインに掲載した「「人生会議」PRポスター騒動で、厚労省が気づかない本当の失敗」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/221879
・『厚労省が提唱する「人生会議の日」 啓蒙ポスターが大炎上の誤算  明日11月30日は「いい看取り、いい看取られ」のゴロ合わせから「人生会議の日」となっているそうです。人生会議は、厚生労働省が推進するアドバンス・ケア・プログラムの愛称です。 この人生会議の普及のためのPRポスターが炎上しました。これは人生会議のキャンペーン事業を受託した吉本興業が、お笑いタレントの小籔千豊さんを起用して作成したポスターですが、死の間際に昏睡状態にあると思われる小籔さんが、以下のようにつぶやいているという内容です。 まてまてまて俺の人生ここで終わり? 大事なこと何にも伝えてなかったわ それとおとん、俺が意識ないと思って隣のベッドの人にずっと喋りかけてたけど全然笑ってないやん 声は聞こえてるねん。 はっず! 病院でおとんのすべった話聞くなら家で嫁と子どもとゆっくりしときたかったわ ほんまええ加減にしいや あーあ、もっと早く言うといたら良かった! こうなる前に、みんな「人生会議」しとこ この啓蒙ポスターに対して、がん患者団体が抗議をし、それに続いてその抗議に賛同する声が広がりました。そのことが報道されると、厚生労働省は以下のようなお詫びを出したうえで、ポスターの配布中止を決定します。 「この度、『人生会議』の普及・啓発のため、PRポスターを公開したところですが、患者団体の方々等から、患者や遺族を傷つける内容であるといったご意見を頂戴しております。厚生労働省としましては、こうしたご意見を真摯に受け止め、掲載を停止させていただき、改めて、普及・啓発の進め方を検討させていただきます」』、なんともお粗末極まる「厚生労働省」の対応には、開いた口が塞がらない。
・『がん患者を取り上げたポスターだと読み取ることはできるか  このポスターの何がどう問題だったのかを、検証してみたいと思います。最初のきっかけは、11月25日にがん患者やその家族への支援を行っている団体「スマイリー」の代表が、厚生労働省に抗議の文書を送付したことのようです。 公表されている抗議文によれば、「『がん=死』を連想させるようなデザインだけでもナンセンスだと思います」としたうえで、「これを目にする治療に苦慮する患者さんや残された時間がそう長くないと感じている患者さんの気持ちを考えましたか?そしてもっと患者と話をすれば良かったと深い悲しみにあるご遺族のお気持ちを考えましたか?」「医療の啓発をするのにその当事者や患者の心情を配慮しないなんてことがあってはならないと強い憤りを感じています」と、このポスターの表現について強く再考を求めています。そして厚生労働省が再考をした結果、このポスターを使わないことに決めたというのが、現時点における最新のニュースです。 日ごろから真摯にがん患者やその家族の支援をしている団体のトップが、このような憤りを感じることは自然だと思います。実は私も昨年、家族をがんでなくしています。「生きているうちに、もっとああしておけばよかったな」といった後悔はありますし、今回の騒動で改めてそのことを思い出して、少し悲しくなったのも事実です。 ただ、どうなのでしょうか。このポスターに関しては、私は正直、がん患者を取り上げた内容だと読み取ることはできませんでした。そもそも私が体験したがんによる身内の死は、ポスターのような状況ではありませんでした。告知があって本人が悩み、家族も悩み、話し合いも行い、おそらく本人が望む最良の治療を家族で考えて、最期を看取った。そのような体験でした。 そうではなく、このポスターのような状態になるのは、不慮の事故か、脳卒中のような突然の病気による可能性が高いでしょう。病気が発症してこん睡状態に陥り、その時間が一定期間続く――。そのような状態で、一定数の患者は外部から「植物状態」と診断されても、本人には意識があることが知られています。おそらくポスターの製作者は、そうした知見を基にポスターの場面設定を考えたのではないでしょうか。 だから病室に来た父親が、植物状態の小籔さんに必死に声をかけるのではなく、むしろ隣の患者に話しかけているのでしょう』、『人生会議』なるネーミングには違和感を感じる。
・『リスクを感じていない一般の人向け 「お笑いタレント」を起用するのもあり  要するにこのポスターは、がんを告知され、そのステージから一定の覚悟もできている患者とその家族の姿を描いたものではなく、そうしたリスクをまだ感じていない一般の人たちに対して、「関係ないと思わないで、人生会議を始めたほうがいいですよ」ということを啓蒙しようとしたポスターなのだと、私は当初から捉えていました。 がん患者の支援団体は、このようなポスターが病院に貼られることを危惧しています。私もこのポスターを病院、特に入院病棟に貼るのは配慮が足らない行為だと思います。しかし、かかりつけの医院や、市役所、一般の職場に貼るのであれば、許容すべきPR活動だとも思います。ポスターが悪いのではなく、「貼る場所を考えることが重要だ」という考え方です。 厚生労働省によれば「誰でも、いつでも、命に関わる大きな病気やケガをする可能性があります」という前提で、「命の危険が迫った状態になると約70%の方が、これからの医療やケアなどについて自分で決めたり、人に伝えたりすることができなくなるといわれています」と問題提起をしています。 そのために、もしものときにどのような治療を望むのかについて、予め家族と話し合っておいたほうがいいと考える人の割合は、厚生労働省の調査によれば65%に達するそうです。しかし、そのことについて詳しく話し合っている人は全体の3%、意思表示の書類を作成している人は8%と、何かを実行に移している人はごくわずかという実情があります。 つまりPRのターゲットは、深刻な闘病に直面する家族ではなく、「その他大勢の一般市民」であって、そのターゲット層に啓蒙活動を行う場合は、お笑いタレントを起用するのも常道だし、笑いの要素をクリエイターが入れ込むことも理解できます。 にもかかわらず、なぜ批判を招いたのか。ここが難しいところで、「笑い」というものは本質的に誰かを必ず傷つけます。どんな人でもTPOによっては、お笑いを不謹慎に感じるものだからです。病院を舞台にしたコメディ映画も、お医者さんと患者のコントも、真剣に死と闘っている人が不快な場面設定だと感じることはあるでしょう』、「笑いの要素をクリエイターが入れ込むことも理解できます」、私は笑いの要素を入れたのは、間違いだと思う。
・『クレームはもっともだが 本質的なミスは他にある  だから、支援団体の代表がこのポスターを見て「『がん=死』を連想させるようなデザイン」と感じたこと自体は、誰も否定できません。そう感じてしまう人は、必ずいるわけですから。 しかし、「笑いからすぐに不謹慎さを連想するような抗議」が相次いでいる現状は、社会にとっても闘病者にとってもマイナスだとしか、私には思えません。病気や人生の困難を乗り越えるために笑いは実に有効なものであり、かつ、たくさんのお笑い芸人さんがボランティアとして、そうした人たちを励ます活動をしていることも知られています。私は笑い声が絶えない病室のほうが、他の患者さんや家族の気持ちを考えて笑ってはいけない病室よりも、好ましく感じます。 おそらく、厚労省が犯した最大のミスは、「患者や遺族を傷つける内容である」という抗議を受け入れ、ポスターの回収を判断した結果、現場に「お笑い禁止」のムードを広めてしまった、ということではないでしょうか。 アングリー(怒り)がスマイル(笑い)を殺す――。今回の騒動に後味の悪さを感じたのは、私だけでしょうか』、「笑い声が絶えない病室のほうが・・・好ましく感じます」、一般論としてはその通りだが、終末期の患者がいる場合には、あり得ないのではなかろうか。

次に、健康社会学者(Ph.D.)の河合 薫氏が12月3日付け日経ビジネスオンラインに掲載した「家族に丸投げ「人生会議」ポスターの大ウソ」を紹介しよう。
https://business.nikkei.com/atcl/seminar/19/00118/00051/?P=1
・『今回のテーマは「家族に丸投げするな!」。 これはテーマであり結論なのだが、取り上げるのは先週問題となった厚生労働省による「人生会議」についてだ。 センシティブな問題なので、少々長くなるがまずはおさらいをしておく。 26日、厚労省は患者の終末期にどのような医療やケアを受けるか事前に家族や医師と話し合っておくよう啓発するポスターに、患者団体から抗議を受けたことから、同日予定していた自治体へのポスター発送を中止した。 ポスターは厚労省が「人生会議」と愛称を付けた取り組みを普及させるために、吉本興業に委託して作成したもので、お笑い芸人の小籔千豊さんが酸素チューブを鼻につけ、病院のベッドに横たわる写真と共に、以下の文言が記されていた。 まてまてまて 俺の人生ここで終わり? 大事なこと何にも伝えてなかったわ それとおとん、俺が意識ないと思って 隣のベッドの人にずっと喋りかけてたけど 全然笑ってないやん 声は聞こえてるねん。 はっず! 病院でおとんのすべった話聞くなら 家で嫁と子どもとゆっくりしときたかったわ ほんまええ加減にしいや あーあ、もっと早く言うといたら良かった! こうなる前に、みんな 「人生会議」しとこ 「人生会議」という愛称はACP(アドバンス・ケア・プランニング)の普及を目指し、厚労省が昨年(8月13日から9月14日)に募集。応募総数1073件の中から、愛称選定委員会により選定。また、11月30日(いい看取り・看取られ)を「人生会議の日」とし、人生の最終段階における医療・ケアについて考える日としている』、「人生会議という愛称は・・・愛称選定委員会により選定」、というのは初めて知ったが、厚労省の責任逃れに委員会が使われた印象を受ける。
・『相次ぐ抗議で啓発ポスター採用が見送りに  抗議文を提出した卵巣がん体験者の会スマイリーは、「医療の啓発をするのにその当事者や患者の心情を配慮しないなんてことがあってはならないと強い憤りを感じています」とし、「『がん』=死 を連想させるようなデザインだけでもナンセンス」と指摘した。 他にも患者さんなどからも抗議が相次いだとされ、厚労省は「こうしたご意見を真摯に受け止め、掲載を停止させていただき、改めて、普及・啓発の進め方を検討させていただきます」とHP上に見解を掲載した。 また、加藤勝信厚労相は、28日の参院厚労委員会で、「患者や遺族を傷つけるとの意見を真摯に受け止める。伝わり方を常に考えないといけない。もう少し丁寧な対応をしておけば良かった」と釈明している。 ……さて、今回の問題の本質は「理解不足」に尽きる、と私は考える。 これまで厚労省は長年、終末期医療について議論を進めて、ガイドラインを作るなど頑張ってきたのに、なんでこんなにもトンチンカンなポスターになってしまったのか。残念というか、正直あきれている。 ポスターを作った人たちが「インパクト」を狙ったのは分かる。だが、ACPとは何なのか? ACPがなぜ、必要なのか?ということをきちんと理解していれば、あのような乱暴なポスターにはならなかったはずだ。 個人的には「人生会議」という“愛称”にも違和感を抱いているのだが、この案件に関わったすべてのメンバーが、ACPをきちんと理解していれば、ポスターに記された心の声に「おとん=家族」しか出てこないような事態に、絶対になるわけがないのである。 もっとも、これがACPではなく、AD(アドバンス・ディレクティブ)なら、おとんだけでもいい。ADは、事前指示書と訳され、「病気のあるなしにかかわらず、いつかは理性的判断ができなくなることがあることを想定し、自分自身の人生の終末期には、このようにしてほしいと希望を述べておく書類」のこと。 例えば、心肺が停止したときに、心肺蘇生術を希望するか? 拒否するか? 輸血や輸液は? どこまでの治療を希望するか? などだ』、「AD(アドバンス・ディレクティブ)なら、おとんだけでもいい」、ACPの正しい理解はどのようなものなのだろう。
・『ACPは医療従事者が関与してはじめて成り立つもの  一方、今回問題となったACPは、「今後の医療や療養場所の希望について患者・家族と医療従事者があらかじめ話し合い、共有する自発的なプロセス」を意味する。 つまり、冒頭で書いた通り「家族に丸投げする」問題じゃない。医療従事者がいてはじめて成立するもの。特に「医療従事者の役割」は極めて大きく、ただ単に「家族で人生の最後について話し合いましょう」的なものではない。 ACPについて具体的に書く前に、歴史的な流れを振り返っておくと、1990年代はADが評価され注目された。それまで、医師と患者の関係は「患者は黙って医師に任せておけばいい」という従属関係にあった。 これは父親が小さな子の意向を聞かず、よかれと思って決定するのと同じなのでパターナリズム(父権主義)と呼ばれた。 だが、医師と患者との関係は人間として対等であり、医療行為を受けるのは患者自身であり、死の危機にさらされるのも患者だ。なので、「患者が主体であるべきではないか?」という考え方から、パターナリズムへの反省が広がるようになった。 その中で生まれたのがインフォームドコンセントであり、ADだったのである。 ところがADは「病気のあるなしにかかわらず、いつかは理性的判断ができなくなることがあることを想定」しているため最終的には、役に立たないという否定的な意見や調査研究が相次いだ。 ADを書いたからといって、将来、自分の命を脅かす病気が何なのか? いつ、病気になるのか?は予測できない。入院した際に患者にADを書いてもらっても、そもそも患者が病状の理解を深めたり、治療の選択肢を知ったりしければ、ADの内容を医療やケアの選択に生かせない。 また、病状によって患者の意思が変わることが度々認めらることもあるし、患者の家族などの代理人も「患者がなぜ、そうしたいのか?」が分からないと、患者の代弁者になることもできない……などなど。 そういった問題点が明らかになり、「医療従事者が舵(かじ)取り役をする必要がある」という認識の下で生まれたのが、ACP=「今後の医療や療養場所の希望について患者・家族と医療従事者があらかじめ話し合い、共有する自発的なプロセス」というわけ』、さすが河合氏の見識には脱帽する他ないが、肝心の厚労省がきちんと理解してないとは信じられないような失態だ。
・『患者・家族・医療従事者の信頼関係が必須  少々説明的なことばかりで疲れたかもしれないけれど、私は大学院の恩師から医療と健康社会学研究における「患者=当事者参加」の重要性を死ぬほど学んだ。患者=当事者が参加する意義は、患者が自分自身の存在意義を高め、精神的な支えを得ることにある。と同時に、「医療従事者=専門家」が知見を広め、情報を蓄積することにも役立つ。両者が信頼関係を構築し、互いに意見を交わし、リテラシーを高め、共通理解の下で目的に進むことは価値あることだ、と。 であるからして、今回のポスター事件は、ACPの重要性をたくさんの人に知っていただくきっかけになったと考えている。なので、もう少し堅苦しい説明にお付き合いしてください。 では、ACPについて、具体的にお話しする。 ACPは、大前提として医療従事者が、患者が大切にしていることや価値観を理解し共有することで、患者の価値観を重視した意思決定を患者が行えるようにエビデンスや知識を提供し、支援することが根底にある。価値観は「Values」と複数形だ。つまり、いくつもの「価値=大切なもの」がある中で、何を優先すべきかを両者が考えていくプロセスなのだ。 その上で、 +医療従事者(介護提供者も含む)は、いつ、どの段階で話を行うか?といった適切なタイミングを計る必要がある +話し合った内容は、患者の同意のもと記述する +患者が意思決定できなくなったときに、患者に変わって意思決定する人を決めておく必要があり、代理人は話し合いに加わっていくことが望ましい +患者の病状や患者のニーズに応じて何回も行ったり、記述した内容を見直したりすることも不可欠 要するに、医療従事者なくしてACPは成立しないのだ。なのにポスターには医者がいない。患者・家族・医療従事者に信頼関係がなければ成り立たないのだ。なのにポスターには患者しかいないのである。) 厚労省は2014年から、全国10カ所の医療機関でモデル事業としてACPを実施したり、患者の相談に対応できる医療・ケアチーム(医師、看護師など)の育成研修なども行ったりしてきた。2018年には、「人生の最終段階における医療・ケアの 決定プロセスに関するガイドライン」も策定している。 その流れの最終形として、今回の一般向けの啓蒙活動に至ったのだと個人的には理解している。 ならば、患者となる「私たち」がまず知っておくことは、ACPとは何なのか?ということ。なぜ、ACPが大切なのかを理解すること。そして、「選択肢は1つじゃない」ということを知ることだ。 ネットなどにあふれる疑わしい情報ではなく、きちんとした情報を提供するサイトやらミニ番組やらを提供すること。自分が選ぶ道は画一化された一本道ではなく、側道もあれば、休憩所もあるし、遠回りもあるという、「決める自由が自分にはあるんだよ」ということを周知することだ』、厚労省は「「人生の最終段階における医療・ケアの 決定プロセスに関するガイドライン」も策定している」、にも拘らず、「その流れの最終形として、今回の一般向けの啓蒙活動に至った」、のであれば、吉本興行に入れ挙げている首相官邸から、吉本興行を使えと指示されたので、やむなく使ったとしか考えようがなさそうだ。
・『患者が自分で自由に決めることの重要さ  「自分で自由に決めることができる権利がある」という感覚は人の生きる力を高める最高のリソースである。職務満足感や人生満足感を高め、寿命をも左右する。病気であればなおさらのこと。同じきつい治療であっても、医師から一方的に施されるより、最終的には自分で「やります!」と決めた方が治療後の予後が順調だったり、QOL(生活の質)が保たれたりするという報告もある。 また、同じ治療法でも人によって副作用が違ったり、効果が変わったり、予期できないことは多い。そんなとき「自分で決めた」という行為自体が、予測できなかったネガティブな状況に役立ったりもする。 人は誰しも自分で自由に決めたいのだ。 誤解ないように言っておくと、私は何が大切かを家族で会話する機会、いわば「人生会話」には大賛成だ。病気は常に予想外だからこそ、不確実な将来に備えて、どうするか?を考えておくことは、プロアクティブコーピング(proactive coping、「コーピング」は問題に対応する・切り抜けるという意味)と呼ばれる対処法だ。 これは、「ストレッサー(ストレスの要因)」に直面してからの事後的なリアクティブコーピングとは異なり、不確実な将来に向けた積極的で前向きな対処法で、より満足のいく人生を手に入れるためには、プロアクティブコーピングを行った方がいい。 平たく言えば、突然の雨に備えて、傘を準備するようなもの。雨が降り出したときにどこに向かって歩いていけばいいかを考え、そこにたどり着くまでにぬれずに済む傘を準備する。たとえ予期した雨とは違う降り方であっても、自分の中にある選択肢を考えた経験がストレスを和らげる効果をもたらす。なので、年末年始など家族が集まったときに、人生の会話を楽しめばいい。 最後に今回問題になったポスターの文言について、「ポスターの趣旨=ACPの啓蒙活動」とは無関係な極めて個人的なことを書きます。 親の変化は突然にくる。私の父はすい臓がんが見つかる前の日まで、「100歳まで生きる」と誰も疑わないほどバリバリ元気だったので、がんが身体にすみついていたなんて、本人も家族も想定外中の想定外だった。 しかも、父は80歳だったけど脳も元気で、認知レベルは私以上だったが、がんの宣告を医師からされたときに「自分ががんに侵されている」ことを自覚できなかった。自ら「手術できないのは年だからですか?」と質問までしていたのに自覚できてなかった。 お見舞いに行ったときに「今日、病院の中をお散歩していたら隣の病室に先輩がいたんだよ。びっくりしちゃったよ。胃がんなんだって。気の毒になぁ」と言われたときは金縛りにあった』、河合氏の父親が「「自分ががんに侵されている」ことを自覚できなかった」、本人にはその方が幸せだったのかも知れない。
・『闘病は答えがない禅問答のようなものと実感  抗がん剤の治療が始まり、手引きなるものを医師から渡され、そこにはデカデカと「がん細胞」と書いてあるのに、自分ががんであると受け入れるまで、ひと月以上かかってしまったし、その後も「今月で治療終わるよね? 来月の予定入れていい?」と聞くなどしていた。 その一方で、体力も気力も劇的に衰えた。抗がん剤治療については色々な意見があるが、父にとっては「治療できること」自体が希望の光だった。なので副作用で抗がん剤が中止になったときは、かわいそうなぐらい落ち込んだ。 余命2カ月といわれながらも7カ月も頑張ったし、抗がん剤治療も通院だったので最後まで自宅だったけど、最後を迎えた後も、本当にあれでよかったのか? 抗がん剤治療をしない選択をしていたら、もっと最後まで元気だったのではないか?という思いは、心の奥底に残り続けている。 結局、何が正解かは答えがない禅問答のようなもの。「あのときはあの選択がベストだったんだ」と自分を納得させるには、医師に質問できるだけの治療や病気へのリテラシーを持っていることがとても大事である。私は幸運にも医師や薬剤師といった専門家の先生が周りにいて相談できたので、担当医師とその都度、話し合うことができた。そうしたリテラシーがないと結局はパターナリズムに身を委ねることになってしまうように思う。 厚労省には、病気に関するリテラシーを普及させる活動にもっと力を入れてほしい。家族に丸投げしないで!』、「闘病は答えがない禅問答のようなものと実感」、その通りなのだろう。「厚労省」こそ、「病気に関するリテラシー」を高めて、今回のような問題を起こさずに済むようにしてもらいたいものだ。

第三に、コラムニストの小田嶋 隆氏が11月29日付け日経ビジネスオンラインに掲載した「人生会議に呼びたい人は?」を紹介しよう。
https://business.nikkei.com/atcl/seminar/19/00116/00046/?P=1
・『厚生労働省が制作したポスターが炎上している。 リンク先の記事によれば、批判が集中しているのは、 「人生の最終段階でどんな治療やケアを受けたいかを繰り返し家族や医師らと話し合っておく」ための「アドバンス・ケア・プランニング」(以下「ACP」と略称します)と呼ばれる取り組みを一般に広く宣べ伝えるための掲示物だ。 なお、ACPについて、厚労省は昨年「人生会議」という愛称を決めている。で、その「人生会議」を啓発するためのPR活動の一環として制作されたポスターが、このたび炎上を招いたというなりゆきだ。 ポスターの中では、吉本興業所属の小籔千豊という芸人が、ベッドに横たわった状態(鼻に酸素吸入のチューブを入れている)の入院患者に扮している。で、その瀕死と思われる患者の内心のつぶやきが桃色の文字で印字されている。 記事に添付された写真を見ればわかる通り、なかなか衝撃的な制作物だ。 良い意味の衝撃ではない。 「嫌なものを見せられた」という感慨を抱く人が多数派だと思う。 「人生の最終段階」に直面している当事者やその家族にしてみれば、広く一般の注目を引くためとはいえ、家族の死というこれ以上ない重い体験を、お笑い芸人を起用した半笑いの啓発ポスターに委ねた厚労省のやりざまに、裏切られた気持ちを抱いてもおかしくない。 というのも、件のポスターは、ACPを「ネタ」として消費する文脈の中で制作されているからだ。 21世紀のお笑いの多くは、他人の人格や人生を対象化しつつ、「ネタ」としていじくりまわすことで成立している。今回のポスターも例外ではない。外部に向けて自分の意思を伝えることがかなわない病状に立ち至っている瀕死の主人公が、もっと早い段階でACPに取り組んでこなかったことを悔やむ思いを関西弁のボヤキ口調で述懐する設定になっている。 言いたいことはわかる。 ある意味、わかりやすい作風だとも思う。 ただ、ポスターが情報として告知している内容とは別に、「形式」「文体」というのか「口調」の部分に漂っている「不真面目さ」が、見る者を困惑させることは、この場を借りて、強く指摘しておきたい。 おそらく、自分自身の死を意識せざるを得ない状況に置かれている、あるタイプの疾患の患者や、自分の家族や近しい人の中に余命宣告を受けたメンバーをかかえている人々は、このポスターが醸している「不真面目さ」に、「からかわれた感触」をおぼえるはずだ。 無論のこと、この軽佻な関西弁のPR宣材に触れて、どんな反応を示すのかは、ACPと対峙している当事者といえども、人それぞれではある。 率直に憤る向きもあるだろうし、悲しみに打ちひしがれる人もいることだろう。笑って済ませる人だっていないとは限らない。が、大部分の当事者は、少なくとも愉快な気持ちではいられないはずだ。 重要なのは、このポスターを見て、一般の、ACPをよく知らない人々が、ACPなるものに興味を抱いたり啓発されたりするとも思えない一方で、現実にACPについて真剣に考えざるを得ない立場にある当事者の多くが、このポスターに感情を害されるであろうことだ』、「「形式」「文体」というのか「口調」の部分に漂っている「不真面目さ」が、見る者を困惑させる」、全く同感である。
・『とすれば、このポスターは害を為すことしかしていない。 なにより、ACPに「人生会議」という「愛称」をつけてその普及をPRしようとしている厚労省の狙いが理解を絶している。 ACPはACPのままで良い。 というよりも、ACPのような一般の人々にとってなじみにくい用語は、そのなじみにくさと深刻さを含みおいたうえで、なじみにくい頭文字略称のままで、辛抱強く理解を求めていくべきだと思う。 たしかに「ACP」は、はじめてその言葉を知った人間が、一発で理解できる言葉ではない。 とはいえ、わかりにくいのは、用語が不適切だからではない。 そもそも概念として難解であり、様々な予備知識や広大な思索の余地を含んでいるからこそ、簡単には理解できないというだけの話だ。 言い換えれば、こういう言葉を理解するためには、それなりの時間と労力が必要だということで、してみると、ACPのような概念に、安易な理解を拒む難しげな名前が冠せられていることは、実は、妥当ななりゆきなのである。 というのも、地道な説明と、真面目な啓発を根気よく繰り返すのでなければ、このテの重苦しくも厄介な言葉は、決して広く世間に共有されないはずだからだ。 難解なカタカナ用語に安易な日本語をハメこんで、上っ面だけをわかりやすく装っても、概念としてののみこみにくさが緩和されるわけではない。 むしろ、平易に見せかけた日本語が当てられることで、誤解の余地が生じるデメリットの方が大きくなる。 実際、こういう例(難解な概念に親切ごかした訳語を当てはめたおかげで、一般の人々がその用語を正しく理解しなくなっている例)は、いくらでもある。 たとえば、一時期、OS(オペレーティング・システム)に対して、新聞各社が「基本ソフト」という訳語を当てることを書き手に義務付けていた時代があったが、あの「基本ソフト」という用語は、響きがやさしげなだけで、内容的にはOSの機能や役割をほとんどまったく説明していなかった。 OSはOSとして、その言葉が成立した背景やそれらにまつわる周辺技術コミコミでそのまま理解・使用する方が適切であるに決まっている。 パソコンやITの周辺にはこういう言葉がヤマほどある。 「パラメーター」の訳語は、一応「媒介変数」ということになっているが、漢字を当てたからといって、この用語の難解さが少しでも薄まっているわけではない。だとしたら、パラメーターはパラメーターとして、そのまま記憶する方がベターだと私は少なくともそう思っている。 このほか、たとえば、「接続」と翻訳される言葉には、「アクセス」「リンク」「ログイン」「ログオン」「サインイン」「コネクト」「コンタクト」といった、それぞれに少しずつニュアンスの違う用語がズラリと並ぶ。これらの近接概念は、ヘタに日本語にせず、それぞれ、元の英語をカタカナに開いただけのカタカナ用語として取り扱った方が読者を混乱させない意味で親切な翻訳になる。「マウス」を「鼠」、「ジョイスティック」を「快楽棒」に訳出するみたいな闇雲な翻訳は、誰もしあわせにしない』、「難解なカタカナ用語に安易な日本語をハメこんで、上っ面だけをわかりやすく装っても、概念としてののみこみにくさが緩和されるわけではない。 むしろ、平易に見せかけた日本語が当てられることで、誤解の余地が生じるデメリットの方が大きくなる」、その通りだ。
・『もっとひどい話もある。 第2次世界大戦当時の大日本帝国では、敵国たる「鬼畜米英」の使用言語である英語を「敵性言語」として憎悪する愚かな国粋主義者が、思うさまに跳梁跋扈していたものなのだが、その彼らは、野球用語についても、「ストライク」を「よし」に、「ボール」を「駄目」といった調子で、順次腐った日本語に置き換えずにはおかなかった。 しかし、考えてみてほしい。野球の世界で言う「ストライク」は、「ストライクゾーン」(打撃可能範囲)の略称であると同時に、「打撃」という行為自体を指す動詞でもある。さらにその一方で、スコアブックに記録される時には「打撃意図の失敗」すなわち「空振り」もしくは「見逃し」を意味していたりする。 「ボール」の方も一筋縄ではいかない。「ボール」は、なによりもまず、野球で使う「使用球」「硬球」それ自体を指す言葉だ。しかしながら、他方、スコアブック上では「ストライクゾーンから外れた投球」を意味してもいる。してみると、こういう油断のならない言葉に一対一で日本語の単語を対応させて、それで良しとするようなバカな翻訳は、成立する道理がないのである。 「人生会議」は、意訳である分だけ、さらに真意が伝わりにくい。 いや、「人生会議」は、「翻訳」ですらない。ただの「愛称」だ。 「愛称」? ゆるキャラでもないのに? そもそも、どうして、人の生き死にを扱うフレーズに「愛称」が必要なんだろうか。 ともあれ、ふつうに考えれば、「愛称」をつけたからといって、ACPがポジティブだったり可愛かったりする言葉に生まれ変わるわけではない。 あたりまえの話だが、死についての用語はどう取り繕ったところで明るい話題にはならない。明るく語ろうとすれば、そこには当然のことながら欺瞞が生じる。 つまり、今回の事態は、その厚労省による「欺瞞」が視覚化された過程そのものだったわけだ。 厚労省のホームページには、ACPについて詳しく解説した文書がアップされている。 読んでみればわかるが、これまた衝撃的な文書で、通読した人間は、必ずや憂鬱にとらわれる。 事実、私は読んだあとしばらくふさぎこまなければならなかった。 なにしろ、印刷してみればA4の用紙2枚半に満たない分量のページ内に、「人生の最終段階」というフレーズが20回登場するのである。 びっくりだ。ほぼ2行に1回の頻度で、「死」ないしは「死の直前」の過ごし方が語られている。たしかに、これは世間の善男善女にうっかり共有してもらえるような甘ったるい話ではない。 おそらく、厚労省のお役人は、「人生の最終段階」「終末期医療」「死」といった、どうにも重苦しい言葉を繰り返すことでしか説明できないACPの話題をつくづく扱いかねたのだと思う。 だからこそ、彼らは、その啓発活動を吉本興業に丸投げにした。 ヨシモトなら、この重苦しくも暗鬱なACPを、明るく心あたたまる話題に作り変えてくれるはずだ……とまでは思わなかったにせよ、厚労省が難航しているACPのPR活動に、外部からのヘルプを求めていたことは確かだと思う。 で、失敗したわけだ。 当然だ。失敗するに決まっている。 そもそも、こういう仕事にお笑いの世界の人間を持ってくること自体がどうかしている』、「死についての用語はどう取り繕ったところで明るい話題にはならない。明るく語ろうとすれば、そこには当然のことながら欺瞞が生じる。 つまり、今回の事態は、その厚労省による「欺瞞」が視覚化された過程そのものだったわけだ」、「そもそも、こういう仕事にお笑いの世界の人間を持ってくること自体がどうかしている」、いずれもその通りだ。
・『お笑いの世界の人間は、単に笑いを取ることはできても、対象を貶めずに話題に「軽み」をもたらすような演出手法は持っていない。特に令和の時代のお笑い関係者は、相方なり共演者なりを泥まみれにすることでしか笑いを生み出すことができない仕様になっている。 とすれば、彼らが「死」に軽みをもたらすことなど、できようはずがなかったのである。 問題は、厚労省が「死」ないしは「終末期医療」という話題の重苦しさに真正面から対峙することを嫌って、その話題から逃避したことだ。 あるいは、邪推すればだが、このお話は、老人医療ならびに終末期医療の予算削減を画策する厚労省が、延命治療の放棄に向けた議論の下地作りのために、吉本芸人の知名度と好感度を利用したということだったのかもしれない。 だとすると、「人生会議」という、一見前向きに見えるこの名前は、実のところ、後期高齢者や重篤な患者の「人生」に適切な(ということはつまり「医療保険制度にとって過重な負担とならない」)タイミングでの「ピリオド」を打つための施策で、その「会議」の主たる議題は「適切な死」だったわけだ。 ついでのことにもう一つの邪推として、「人生会議」での吉本興業の起用が、「総理案件」であった可能性について簡単に触れておきたい。 11月にはいってからこっち、例の「桜を見る会」に関連して、「行政の私物化」「政治家の公私混同」「政権内外を席巻するネポティズム(縁故主義)の影響」といったフレーズが、連日新聞紙面を賑わせているわけなのだが、私個人の直感では、この案件にも同じ匂いを嗅ぎ取らざるを得ない。つまり、まるで畑違いの厚労省の仕事にわざわざ吉本興業の芸人が押し込まれた経緯に、官邸周辺と吉本幹部の蜜月の影響を感じるということだ。 この夏、何人かの吉本興業所属のタレントが、反社会的勢力との取引や付き合いを取り沙汰されて、謹慎処分になった時点で、私は、彼らの雇用主である吉本興業が、明示的なカタチで責任を取っていないことに強い違和感をおぼえていた。もう少し具体的に言えば、会長や社長が辞任しないまでも、少なくとも、政府関連の仕事からは撤退するのがスジだと、そう考えていた。 ところが、吉本興業は、五輪や万博の関連で様々な経路で請け負っている公的な仕事を従来どおりに受注している。行政の側も、まったくアクションを起こしていない。クールジャパン機構から提供されることになっている資金を返上する様子もない。 で、今回のこの事態だ。 私には自業自得案件にしか見えない。 最後に「人生の最終段階」という今回のパワーワードについて、思うところを述べておきたい。これも邪推といえば邪推なので、あくまでも個人の感想として書き記すにとどめる。 ACPを推進しようとしている最も積極的な論者は、「人生の最終段階」という言葉に、おそらく「治癒する見込みのない患者の延命治療」という意味をこめているはずだ。 そういう人たちのアタマの中では、「何カ月か意味のない延命をすることだけのために、何百万円何千万円の医療費をかけるのなら、もっと若くて体力のある生産性の高い患者の治療に投入するべきだ」式の理屈が行ったり来たりしているのだと思う。 大筋において、私は、彼らの主張を理解しないわけではない。 ただ、「人生の最終段階」は、他人が思うほど計量可能な指標ではない。 この言葉は、使いようによっては、どこまでも危険な尺度になるはずだ。 寝たきりの患者を眺めている見舞客の立場からすれば、もう何カ月も一言すら発し得ない重篤な患者は、まさに「人生の最終段階」に到達した人間に見えるはずだ。 でも、本人はそう思っていないかもしれない。 家族の思いもまた別であるはずだ』、「「人生会議」という、一見前向きに見えるこの名前は、実のところ、後期高齢者や重篤な患者の「人生」に適切な・・・タイミングでの「ピリオド」を打つための施策で、その「会議」の主たる議題は「適切な死」だったわけだ」との「邪推」は見事な謎解きだ。「畑違いの厚労省の仕事にわざわざ吉本興業の芸人が押し込まれた経緯に、官邸周辺と吉本幹部の蜜月の影響を感じる」、同感だ。「ACPを推進しようとしている最も積極的な論者は、「人生の最終段階」という言葉に、おそらく「治癒する見込みのない患者の延命治療」という意味をこめているはずだ。 そういう人たちのアタマの中では、「何カ月か意味のない延命をすることだけのために、何百万円何千万円の医療費をかけるのなら、もっと若くて体力のある生産性の高い患者の治療に投入するべきだ」式の理屈が行ったり来たりしているのだと思う」との「邪推」も、薄気味悪いが、新自由主義的政策の極致のようだ。
・『私が懸念しているのは、厚労省がホームページの中で20回にわたって繰り返している「人生の最終段階」というこのおだやかならぬ言葉が、一人歩きを始める近未来だ。 たとえば、あるタイプの最新のがん治療薬は、投与1回分で数百万円と言われる高価な薬である一方で、ある確率で著効をあらわす夢の薬だとも言われている。 とはいえ、仮に20%の患者に著効をあらわすのだとすれば、残りの80%の患者にとって、そのクスリに使われた金額(保険料も)は、結果として「無駄」ということになる。 死の側から逆算すれば、治療にかかった薬価は、そのまま「浪費」ということにもなるだろう。 一方、著効例で、延命効果があらわれたケースでも、それはそれで、「無駄」は生じる。 というのも、高額な治療薬のおかげで延命がかなったのだとしても、患者は、延命期間中、その高額な治療薬を投与し続けなければならない(完全に治癒すれば、話はまた別だが)からだ。 とすると、たった2回か3回でもびっくりするような金額を要するその治療薬を、延命した患者は何年間も投与し続けるわけで、これはかなりとてつもない出費になる。 幸い、現在のわが国では、高額療養費制度のおかげで、薬価のかなりの部分は、国が負担してくれる。 もっとも、お国ならびに厚労省は、続々と開発される高額な新薬の登場を横目に、高額療養費制度の存続をどうやら疑問視しはじめている。実際、2カ月ほど前だったか、NHKのニュース解説に出てきた解説委員のおじさんは、高額療養費の国庫負担が限界を超えつつあることについて、極めて厚労省寄りの見解を述べていた。 なんということだ。 近い将来、最新の薬による延命は、富裕層の特権になるかもしれないわけだ。 話を整理しよう。 薬が効いて延命が実現したのだとして、その人間の生は、他人から見れば、たぶん「人生の最終段階」にすぎない。 あるいは、ネオリベ的な経済合理性の割り算で考えると、特定個人のそれぞれの延命は、その人間の残りの人生が薬価を費やすに足る価値を持っているかどうかを勘案しつつ、それぞれ個別に審査しないといけないってな話になる。 若くて生産性があって人望があって能力の高い人間の人生は、何千万円かけても延命させる価値を持っている。 一方、延命したところで飯を食ったり寝たり考え事をしたり不機嫌に黙り込んでいたりするだけの年寄りの人生は、たとえ何百万円でなんとかなるのだとしても、あえて延命するには足りないということになる。 いずれにせよ、他人に決められるのはごめんだ。 なので、会議には誰も招集しない。 あしからず』、「若くて生産性があって人望があって能力の高い人間の人生は、何千万円かけても延命させる価値を持っている。 一方、延命したところで飯を食ったり寝たり考え事をしたり不機嫌に黙り込んでいたりするだけの年寄りの人生は、たとえ何百万円でなんとかなるのだとしても、あえて延命するには足りないということになる」、ここまで「邪推」出来る小田嶋氏の能力には脱帽するしかない。
「人生会議」について、3人の論者の見方を紹介したが、冒頭の鈴木氏のは駄作だが、河合氏のはACPを幅広い角度で説明しており、読みがいがあった。小田嶋氏の様々な「邪推」は本当に考えさせられ、傑作だ。
タグ:クレームはもっともだが 本質的なミスは他にある 難解なカタカナ用語に安易な日本語をハメこんで、上っ面だけをわかりやすく装っても、概念としてののみこみにくさが緩和されるわけではない。 むしろ、平易に見せかけた日本語が当てられることで、誤解の余地が生じるデメリットの方が大きくなる 相次ぐ抗議で啓発ポスター採用が見送りに 「家族に丸投げ「人生会議」ポスターの大ウソ」 ACPを推進しようとしている最も積極的な論者は、「人生の最終段階」という言葉に、おそらく「治癒する見込みのない患者の延命治療」という意味をこめているはずだ。 そういう人たちのアタマの中では、「何カ月か意味のない延命をすることだけのために、何百万円何千万円の医療費をかけるのなら、もっと若くて体力のある生産性の高い患者の治療に投入するべきだ」式の理屈が行ったり来たりしているのだと思う 若くて生産性があって人望があって能力の高い人間の人生は、何千万円かけても延命させる価値を持っている。 一方、延命したところで飯を食ったり寝たり考え事をしたり不機嫌に黙り込んでいたりするだけの年寄りの人生は、たとえ何百万円でなんとかなるのだとしても、あえて延命するには足りないということになる 畑違いの厚労省の仕事にわざわざ吉本興業の芸人が押し込まれた経緯に、官邸周辺と吉本幹部の蜜月の影響を感じる 「人生会議」という、一見前向きに見えるこの名前は、実のところ、後期高齢者や重篤な患者の「人生」に適切な・・・タイミングでの「ピリオド」を打つための施策で、その「会議」の主たる議題は「適切な死」だったわけだ そもそも、こういう仕事にお笑いの世界の人間を持ってくること自体がどうかしている 「人生会議に呼びたい人は?」 死についての用語はどう取り繕ったところで明るい話題にはならない。明るく語ろうとすれば、そこには当然のことながら欺瞞が生じる。 つまり、今回の事態は、その厚労省による「欺瞞」が視覚化された過程そのものだったわけだ 「形式」「文体」というのか「口調」の部分に漂っている「不真面目さ」が、見る者を困惑させる 小田嶋 隆 闘病は答えがない禅問答のようなものと実感 患者が自分で自由に決めることの重要さ 患者・家族・医療従事者の信頼関係が必須 ACPは医療従事者が関与してはじめて成り立つもの 日経ビジネスオンライン 河合 薫 「「人生会議」PRポスター騒動で、厚労省が気づかない本当の失敗」 厚労省が犯した最大のミスは、「患者や遺族を傷つける内容である」という抗議を受け入れ、ポスターの回収を判断した結果、現場に「お笑い禁止」のムードを広めてしまった、ということではないでしょうか リスクを感じていない一般の人向け 「お笑いタレント」を起用するのもあり がん患者を取り上げたポスターだと読み取ることはできるか 啓蒙ポスターが大炎上の誤算 厚労省が提唱する「人生会議の日」 ダイヤモンド・オンライン 終末期 (その5)(「人生会議」PRポスター騒動で 厚労省が気づかない本当の失敗、家族に丸投げ「人生会議」ポスターの大ウソ、小田嶋氏:人生会議に呼びたい人は?) 鈴木貴博
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終末期(その4)(ドイツ終末期ケアの実態 歴史あるホスピスに学ぶ「尊厳ある死」、日本人への安楽死適用が難しい理由 Nスペ安楽死のジャーナリストが語る、1000人の看取りに接した看護師が教える 最期を迎える人によく起こる 不思議な現象とは) [社会]

終末期については、4月25日に取上げた。今日は、(その4)(ドイツ終末期ケアの実態 歴史あるホスピスに学ぶ「尊厳ある死」、日本人への安楽死適用が難しい理由 Nスペ安楽死のジャーナリストが語る、1000人の看取りに接した看護師が教える 最期を迎える人によく起こる 不思議な現象とは)である。

先ずは、福祉ジャーナリスト(元・日本経済新聞社編集委員の浅川澄一氏が6月26日付けダイヤモンド・オンラインに掲載した「ドイツ終末期ケアの実態、歴史あるホスピスに学ぶ「尊厳ある死」」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/206703
『約50年の歴史を誇るドイツ初のホスピス「ハウス・ホーン」  100万人都市ケルンから西へ車で1時間半、人口24万人のアーヘンに向かった。ベルギーとオランダの国境に近いドイツの古都である。かつてのフランク王国の都だった。ここにドイツで初めて誕生したホスピスがあると聞き訪ねることにした。高齢者施設を運営する「ハウス・ホーン」が1968年に開設した。約50年の歴史を誇る。 6月11日から始めた今回のドイツの高齢者ケア視察のテーマの一つは看取り、終末期の対応であり、ホスピスは格好の訪問先である。 1968年に創業されたカトリック系の宗教団体「ハウス・ホーン」は、老人介護施設や高齢者集合住宅を手掛けてきた。その後、近代ホスピスの創始者、英国のシシリー・ソンダースの考え方に共鳴してホスピスの開設に取り組みだした。 代表者、マンフレッド・フィーベグさんは「当時は病院や老人ホームで、入居者たちを閉じこめ、尊厳を無視するような死の迎え方が一般的だった。そこへうちの神父がホスピスの必要性を訴えた」と語る。 死が間近な人を集める新しい発想の施設への住民の反対運動は強かった。「病気を治すところではありません。病状から起こる苦痛などを改善するところです」と、神父たちは説得し、やっと開設へこぎつける。教会系事業者でも実現までは一筋縄ではいかなかったようだ。 「ゲスト」と呼ばれる入居者は、当時53人の定員でスタートした。3分の2は2人部屋だった。その後に「家族的雰囲気で」とする法律ができて定員は16人以下とされたことに伴い、2011年に12の個室に改装した。現在はその個室で12人が暮らしている。 高齢者住宅や介護保険の介護ホームとつながった廊下の先に、ホスピスの部屋とリビングルームや食堂が並ぶ。リビングルームでは、テーブルを囲むようにして入居者たちが中年男性のボランティア・スタッフに見守られながら談笑している。 天井まで届く大きなガラス窓の向こうでは、小さな子どもたちが遊具で遊ぶ。同じ敷地内に建つ幼稚園の子どもたちだ。声は届かないが、その元気いっぱいの様子を毎日眺められる。 ゲストたちは、病院や家庭医(GP)から疾病金庫に「ホスピスでのケアが必要」とする証明書が提出されて入所が決まる。疾病金庫とは、ドイツの医療保険のことで、介護は、同じ組織が介護金庫として運営。ホスピスへの入所が決まると、本人にかかる費用の95%は疾病金庫が担い、残りの5%をホスピスが負担する。したがって、ゲスト本人は費用がかからない。それも年齢を問わず、だ。というのも、ドイツの医療保険や介護保険は年齢で区切られていないからである。 介護保険の入所施設では、入居料のうち20万~30万円ほどは自己負担を強いられる。ドイツの介護保険は「部分保険」のため、利用料の全額を賄えることはないからだ。それに比べると雲泥の差である。 ゲストの病状で最も多いのは、やはり「がん」である。神経系統や心臓関連が最近増えてきた。がんの治療効果が高まってきたためだ。昨年の平均年齢は73歳。「若い人は病院を選ぶから」だという。2018年の死亡者は80人で、平均滞在日数は54日だった。 疼痛管理などの技術を持つホスピスで働く人は19人。常勤換算で13.5人と、やはりかなり手厚い配置となっている。 ゲストの緩和ケアは看護師の業務。医療面は家庭医が外からやってくる。自宅で長年付き合いの深い医師が終末期まで関わる。その点でも、日本とは大きく異なる。 オランダや英国ほどには家庭医制度が根を張っているとは言い難いが、それでもほとんどのドイツ人は地域の家庭医を決めている』、ドイツでも、「当時は病院や老人ホームで、入居者たちを閉じこめ、尊厳を無視するような死の迎え方が一般的だった」、ドイツといえどもやはりそういう時期があったようだ。
・『ドイツ2番目の「聖フランシスコ・ホスピス」 宗教問わず、あらゆる人を受け入れる  次に向かったのは、デュッセルドルフを経由し、その北東のレックリングハウゼン市にあるホスピス「聖フランシスコ・ホスピス」であった。このホスピスは、1969年に開設されたというから、「ハウス・ホーン」の翌年である。つまりドイツで2番目に古いホスピスだ。 直線が縦横にスッと伸びるモダンな造りの外観。今風の洗練されたデザインに目を奪われる。住宅地の中でひときわ目立つ。6年前に新築したという。ずっと以前の開設時の苦労はこの建物からは感じられない。 イタリアの有名聖人の名称から、カトリック団体の運営と分かる。近隣者から寄贈された3階建ての民家を改装して、入居者8人のこぢんまりとしたホスピスとして発足したという。 開設の経緯についてスライドを使って説明してくれたのは、ホスピスの代表者で、すぐ近くのエリザベス病院の経営者だったノーベルト・ホーマンさん。自身も含めて同病院の理事や職員たち12人のグループがホスピス開設に動いた。 「病院では、末期がん患者への対応が十分ではないことが分かっていた。何とかしなければと考えていた」と話し出す。 英国のシシリー・ソンダースさんのことはよく知っていたが、あえて病院の敷地外での開設を目指していたという。ホスピスを運営する組織も病院とは別の形態を採った。「どこの科の医師でも来てもらえるようにした」と話す。 理念としては、聖フランシスコの考え方、生き方を取り入れた。12世紀末のイタリア、アッシジで育ったフランシスコは、裕福な親の意向に反して、キリスト精神に忠実な清貧生活に徹して、賛同者を集めフランシスコ会を作り上げた。すなわち、(1)お金ではなくまず行動すること、(2)本人だけでなく家族と共に活動する、(3)原則としてボランティア活動、(4)服役者など素性にかかわらず誰でも受け入れる――ということだ』、「「聖フランシスコ・ホスピス」 宗教問わず、あらゆる人を受け入れる」、超オープンな姿勢には驚かされた。
・『当初の開設計画には、やはり反対も多かった。 「良いことだという証明がしにくかったこともあり、教区の司教もなかなか同意してくれなかった」(ホーマンさん)。 ホスピスに理解のあったアーヘンの司教が、ここの地区の司教を説得してくれたこともあった。「ローマ法王が、ホスピスの考え方はキリスト教にふさわしいと話したのは1992年ですから」とホーヘンさん。主要政党からもすぐには賛意が得られなかった。 ホスピスの建物を提供してくれたのは、診療所として使っていたジーバース医師夫妻。自宅でもあった。「暮らしているこの家で亡くなりたい」というのが夫妻の望みだった。実際、2人の願望はその後かなえられた。 家賃はエリザベート病院が負担することで合意。階段にリフトを設けたが、民家なので入浴場は地階にひとつしか取れなかった。聖フランシスコをまつる礼拝堂はしっかり設けた。 やっとの思いで開設した日に大衆紙が「ドイツ初の死の家」と報じた。その誌面をスライドで説明しながら、ホーマンさんは感慨深げだ。 それから43年後の2013年に、現在のホスピスが竣工した。地元の教会の所有地に建てたので、礼拝堂は教会の所有となっている。総建設費は235万ユーロかかり、そのうち80万ユーロは自己負担しなければならなかった。 ホスピスの居室は12室。11人が暮らしており、1室は緊急用に空けている。コの字型に4室ずつ並ぶ。その居室はホテルの一室のようなモダンな造りだ。ベッドの先には2つの椅子と四角いテーブル、それに壁掛けテレビ。クローゼットの下部には、キャスター付きの小引き出しがあり、引っ張り出して使える。 トイレとシャワー、洗面所を一緒に備えたタイル張りの水回り空間は広い。車いすで入っても十分ゆとりがありそうだ。欧米の介護施設に共通することだが、この広さに改めて感心させられる。部屋全体の4分の1ほどの広さだ。 この水回りへの扉を操作しながら、所長のハイケ・レンツェさんは「引き戸にして扱いやすくしました」と説明する。 食堂の隣のリビングルームもゆったりした空間だ。小机にソファなどが置かれ、普通の家の雰囲気である。目を引いたのは片隅の古いミシン。世界中で一世を風靡した「シンガー」である。若いころに子ども服を作るためにこのミシンを踏んだ高齢者は多く、当時を懐かしく思い出しそうだ。認知症高齢者への回想法として効果があるといわれるが、昔なじんだ家庭用品が目の前にあれば誰でもうれしいだろう。 実は、このホスピスでも隣に幼稚園があった。北側の4室とリビングルームから窓越しに子どもたちが遊具を使って遊ぶ光景がよく見える。 玄関フロアーで、ハイケ・レンツェさんが1つのオブジェを前に話し出した。 「これはキリスト教徒とユダヤ教徒、それにイスラム教徒の一体性を表していて、私たちの考え方そのものです」』、「昔なじんだ家庭用品」があったり、「隣に幼稚園」があるというのはいいことだ。
・『敬虔なカトリック教徒が立ち上げたホスピスだが、今では宗教の区別なく入居者を受け入れていることがよく示されている。 身体面でも寛容な姿勢を知ることができた。病院で処置された延命治療のための経管栄養の管を付けたままの人でも受け入れるという。「断るホスピスもありますが、入所してしばらくすれば、自ずと外されていきますから」とレンツェさんは言う。かなりおおらかだ。 「ホスピスですからアクティブな延命行為はしません。でもそれ以外は、入居者が望んでいれば何でも応じたい。そのためには、何よりも話し合いが大事だと思います」(レンツェさん) その通りだろう。話し合いの中で「医師にも誠実さが求められる」と強調する。 「近い将来の状態をきちんと伝えるべきでしょう。抗がん剤の副作用などを含めて、心身に与える影響を正直に話さないといけないと思います」(レンツェさん) 入居者の中で、自身の意思を表明した事前指示書を持っている人が増えているという。話し合いの前提になる。最期の時の意思決定をゆだねられる人を決めておく人も増えたという。 「ドイツの国民全体が死に関心を持つようになったのは確かです。これはとても良いことだと思います。私は以前、病院の集中治療室で勤務していましたが、事前指示書はほとんど知られていませんでした。大きく変わりました」(レンツェさん) 確信に満ちた言葉が強く印象に残った。 入居者の平均滞在日数は4~6週間。訪問した数日前にも1人亡くなった。その方の部屋のドアノブには赤い花が飾られていた。玄関の美しいオブジェには火が灯されていた』、「事前指示書」が広がってきたのもいい傾向だ。
・『「死にゆく人」に寄り添う2つのホスピスと緩和ケア  以上の2つのホスピスは「入所型ホスピス」といわれる。入所型とわざわざ名乗るのは、もう1つのホスピス、「訪問型」があるからだ。それは「在宅ホスピス」(Ambulanter Hospizdienst)と称している。自宅や高齢者施設を訪ねていくホスピス活動である。それも、ボランティア活動として成り立っている。日本には全くない活動である。 「ハウス・ホーン」でも、「聖フランシスコ・ホスピス」でも「在宅ホスピス」が主要事業の1つであると聞かされた。ケルン市にはこの在宅ホスピスが13団体あり、その1つ「ケルン北部在宅ホスピス」の話を聞くことができた。 コーディネーターとして2人が専属職員として勤務しており、現場の担い手は30人ほどのボランティアである。「死にゆく人」への対応を100時間の研修で学び、訪問活動に入る。利用者から要望がくると、まずコーディネーターがその本人や家族と会ってからボランティアに引き継ぐ。 「最も重要なのはその人の傍らにいてあげることです。そして傾聴ですね」とコーディネーターのソニア・ミューラーさん。「一緒にいることで、不安が消えることが多いですから」と言う。 活動内容は幅広い。ペットの世話や通院同行、写真の整理、買い物、散歩同行、本を読む、思い出の場所への同行など日々の暮らしの伴走者となる。 ケルンで在宅ホスピスが始まったのは1995年。ドイツではその10年ほど前から活動していた団体があるという。「死」に対してのこうした市民レベルでの地道な活動が広がり、病院を巻き込んだ「緩和ケア」システムが確立していったようだ。 その象徴的な運動が「2008年にまとめた死期を迎えた人のための憲章だろう」と力説するのはアーヘン大学病院のロマン・ロボギー教授である。市民が自ら作り、広めていった。8年間の普及活動は、1000に達する団体と1万7000人の署名として実を結んだ。それが、政治を動かし、2015年に在宅ホスピス緩和ケア法の成立に至る。 同法によって、財政面からの支援が本格的になる。それまでは入所型ホスピスの事業者負担が10%だったが、5%へ削減されることに。これでホスピス活動に弾みがついたという。「とても小さな市民グループから始まった運動が、大きな成果をもたらした」と教授は振り返る。 現在、全国の病院の中で緩和ケア病棟を持つのはほぼ15%、300ほどに達した。「ただ、病棟はなくても、緩和ケア部門を備える病院も多い。緩和ケア部門がないと患者は来なくなるし、時代の流れに追いついていけなくなる」と教授はみている。それほど普遍化しつつあるということだ。 強い痛みを緩和する病院の役目が終わると、患者は入所型ホスピスに移る。さらに余命が1年を超えると判断されると、自宅や集合住宅、施設に移る。そこで在宅ホスピスのサービスを受けたり、ドイツ独特のSAPVやAAPVという在宅医療・介護チームが関わったりする。自宅で過ごすのが最もいいが、当然逆の流れもある。 2017年には在宅で死ぬことが国民の権利として認めた法律が施行されている。人生の最終段階について、症状に合わせて緩和ケアや暮らしを営む場所が合理的にシステム化されているようだ』、さすがドイツは先進的だ。「在宅ホスピス」については、日本でも導入を検討すべきなのではなかろうか。

次に、ジャーナリストの草薙厚子氏が7月8日付けダイヤモンド・オンラインに掲載した「日本人への安楽死適用が難しい理由、Nスペ安楽死のジャーナリストが語る」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/207969
・『6月2日(日)に放送されたNHKスペシャル『彼女は安楽死を選んだ』はあまりにも衝撃的な内容だった。放送からかなりの時間が経過した今でも、安楽死を選んだ女性がまるで眠るように亡くなっていくシーンが脳裏に焼き付いて離れない。NHKが安楽死をテレビで報じるのは、約20年ぶりだったというが、大きな反響を呼んでいるようだ。NHKのスタッフとともに彼女に密着取材し、『安楽死を遂げた日本人』(小学館)を上梓した宮下洋一氏に話を聞いた』、私も番組を観て衝撃を受けた。
・『深刻な病状の女性にどう接するべきか苦悩した  6月上旬、スペイン在住のジャーナリスト宮下洋一氏から『安楽死を遂げた日本人』(小学館)の出版案内が届いた。宮下氏はNHKのスタッフとともに、彼女に密着して取材したという。 安楽死は日本では認められていない。たとえ患者側が医師に「安楽死」を要求したとしても、実行した場合、刑法199条の「殺人罪」で死刑か無期、もしくは5年以上の懲役となる可能性がある。また、安楽死の協力者や仲介者も、刑法202条の「自殺関与及び同意殺人」に抵触するのだ。 宮下氏が小島ミナさん(当時50歳)から連絡を受けたのは、2018年8月。直接会ったのは9月だったという。彼女は「多系統萎縮症」という難病にかかっていた。小脳などの変性によって徐々に身体機能が奪われていく病気で、ゆっくりと確実に進行し、やがて四肢が動かなくなり、言葉も話せなくなり、思考以外のすべての機能が奪われて寝たきりとなる。現状では根治療法はない。 「小島さんが連絡してきた理由は、私にスイスの自殺幇助(ほうじょ)団体『ライフサークル』への仲介役を頼むためでした。私はジャーナリストであって、家族でもないし医師でもありませんから、知っていることをお伝えはしますが、スイスへ行くためのお手伝いもできませんと、はっきり断ったんです。これまでも安楽死をしたいという考えは尊重しますが、決して勧めることはしないし、仲介もアドバイスもしないという方針を貫いてきました。しかし、小島さんの訴えが切実で、病状も深刻だったため、彼女とどのような距離感で接すればいいのかという葛藤がありました」(宮下氏)』、確かに「ジャーナリスト」にとって、取材対象との「距離感」は悩ましい問題だろう。
・『外国人でも安楽死できる世界で唯一の国・スイス  このスイスにあるライフサークルは、エリカ・プライシックという女性医師が2011年に設立した自殺幇助団体で、年間約80人の自殺幇助が行われている。自殺幇助とは「医師から与えられた致死薬で、患者自身が命を絶つ行為」で、安楽死の1つである(医師自身が致死薬を投与する「積極的安楽死」と呼ばれる方法もある)。 法的に安楽死を認めている国は他にもあるが、外国人にも適用できるのはスイスだけだ。会員は世界中に1660人いて、そのうち日本人は17人(2019年4月時点)。ライフサークルに登録したからといって、すぐに自殺幇助を受けられるわけではない。団体から患者として承認されるためには「医師の診断書」と「自殺幇助を希望する動機書」を英・仏・独・伊いずれかの言語で送り、審査を受ける必要がある。審査の基準は「耐えがたい苦痛がある」「回復の見込みがない」「代替治療がない」「本人の明確な意思がある」の4つだ。 「これまでに日本人が同団体で安楽死を施行した例は、1件もありませんでした。世界中から応募者が殺到しているため、半年でできればまだいい方で、そもそも施行できること自体が珍しいのです。最終的には女性医師の判断によりますが、小島さんの場合、このタイミングを逃したらもうできないとわかっていることや、待機リストの人が亡くなったりして、申請してわずか3ヵ月弱の11月に奇跡的に施行できることになったのです」(宮下氏) 日本では認められていない安楽死であるが、国内では治療不可能な難病を抱えていて、家族や病院の献身的な看護の下、日々死に向き合っている人も多い。そんな中、日本人で初めて安楽死を選んだ女性の最期に立ち会った宮下氏は、安楽死という概念をどう捉えているのか。今後、日本にも浸透していくのだろうか』、「年間約80人の自殺幇助」とは案外少ない感じを受けるが、「審査」の厳しさが影響しているのかも知れない。
・『「自分の意思」がハッキリしていない日本人に安楽死を適用する難しさ  「日本ではとりあえず尊厳死(海外では消極的安楽死と呼ばれる)、つまり延命治療の中止、手控えを進めようという動きがあって、それらを法制化しようとする動きがあります。ただし尊厳死と、積極的安楽死や自殺幇助は、まったく次元の異なる話です」(宮下氏) 今の日本の社会で、尊厳死や安楽死の区別が認知されないまま、議論されることは危険だと、宮下氏は強調する。 「日本は、同調圧力が強い国だといわれます。例えば自ら安楽死したいと思った時、それは本当に自分がそう思っているのか、または思わされているのか、そこが重要です。欧米人の意思というのは、本当に個人の意思に近いのです。子どもがそうしてくれと言ったら親は認め、尊重します。逆に親が安楽死を選んでも、子どもも親の考え方を尊重して、わかったと言います」(宮下氏) お互いが相手の意思を尊重するという文化があるからこそ、成り立つのが安楽死。しかし、日本の場合だとそうならないケースも想像できる。 「子どもに迷惑をかけるから、そろそろ死んだ方がいいかなと思うことは、本当に自分がそう思っているのか、迷惑をかけて申し訳ないと思って自分をそう仕向けているのか、わからないわけです。そうなると、本当の自分の意思による死ではないのかもしれない。安楽死を審査する4つの基準『本人の明確な意思』に当てはまらなくなるのです」(宮下氏) 日本では年老いた親が子どもに対して「迷惑をかけているからもういい、呼吸器を抜いてくれ」と嘆願したりするが、欧米では「まだ生きたいから、迷惑をかけるけれど面倒を見てくれ」と、はっきり意思表示をするという。日本は空気を読む文化でもあるため、法制化されて「そろそろ死にたいんです」と言ったとき、本当にその人が死にたいと思っているのかどうか、判断するのはかなり難しいだろう』、確かに日本では、意思確認は至難の業だろう。
・『安楽死を望む人に共通する3つの特徴とは  「法律があれば、あなたがそう決断したんですね、ではやりましょうと医師が言えば実施できてしまいます。本当にその人の意思なのかを確認するのは非常に難しい。極端な例ですが、子どもから保険金目当てでそう仕向けられているというケースだってあるかもしれない。そういったことを考えても日本では法制化はすごく危険だと思います」(宮下氏) 安楽死は、そもそも独立心が強い人でないと望まないという。わがままな人、お金があり教養がある人、子どもがいない人。この3つが世界でも共通しているという。小島さんの場合は独身で子どもはいなく、また、高学歴だったということもある。もちろん、最期を見届けるまでの彼女の姉妹の葛藤も大きかっただろうし、今後の心理的なケアも必要かもしれない。 「たぶん私は、末期がんだったら安楽死は選んでいないと思うよ。だって期限が決まっているし、最近なら緩和ケアで痛みも取り除けるといわれているでしょ?でも、この病気は違うの。先が見えないのよ」 小島さんはそう語っていた。そして宮下氏に、自分のような患者がいることを伝えることで、安楽死の議論に一石を投じてほしいと訴えた。衝撃的な最期のシーン、自らの手で投薬のふたを開け、静かに、そして平和に自らの人生の幕を閉じた。 「テレビの反響としては、小島さんの死に対して肯定的な人はすごく多いですね。衝撃的、重い、見たくなかったけど見ちゃった、でも見てよかった、という感じです。いやだって思うけど、見てしまったからにはやはり考える。ここが重要だと思います。法制化うんぬんの前に、自らや家族の死について考えるということを、この国はもっとしなきゃいけないんです」(宮下氏) 少子化に拍車がかかり、超高齢時代を迎える日本は「いかに死ぬか」について、正面から向き合わなければならない時がやってきた。「重い」の一言で片付けてはならない問題なのは間違いない』、「安楽死は、そもそも独立心が強い人でないと望まないという。わがままな人、お金があり教養がある人、子どもがいない人。この3つが世界でも共通している」、私は「子ども」がいるので、望む人の類型には入らないようだただ、「「いかに死ぬか」について、正面から向き合わなければならない」、さしあたり、準備しているエンディング・ノートを見直してみよう。

第三に、正看護師でBLS(一次救命処置)及びACLS(二次救命処置)インストラクター・看取りコミュニケーターの後閑愛実氏が8月10日付けダイヤモンド・オンラインに掲載した「1000人の看取りに接した看護師が教える、最期を迎える人によく起こる、不思議な現象とは」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/210964
・『人は自分の死を自覚した時、あるいは死ぬ時に何を思うのか。そして家族は、それにどう対処するのが最善なのか。 16年にわたり医療現場で1000人以上の患者とその家族に関わってきた看護師によって綴られた『後悔しない死の迎え方』は、看護師として患者のさまざまな命の終わりを見つめる中で学んだ、家族など身近な人の死や自分自身の死を意識した時に、それから死の瞬間までを後悔せずに生きるために知っておいてほしいことを伝える一冊です。 「死」は誰にでも訪れるものなのに、日ごろ語られることはあまりありません。そのせいか、いざ死と向き合わざるを得ない時となって、どうすればいいかわからず、うろたえてしまう人が多いのでしょう。 これからご紹介するエピソードなどは、『後悔しない死の迎え方』から抜粋し、再構成したものです。 医療現場で実際にあった、さまざまな人の多様な死との向き合い方を知ることで、自分なら死にどう向き合おうかと考える機会にしてみてはいかがでしょうか』、興味深そうだ。
・『死にゆく人は第六感が鋭くなる  どう見ても昏睡状態で意識がないと思われるのに、家族が部屋にいるときは脈や呼吸が安定し、家族がいなくなると脈や呼吸が不安定になるという人がよくいます。 視覚、味覚、触覚、嗅覚、聴覚の「五感」が働かなくなると、その代わりに五感以外の「第六感」のようなものが鋭くなって何かを感じるのかもしれません。 ある高齢の男性患者さんは、脳梗塞の後遺症で寝たきりとなっていました。 しゃべることも自分で身体を動かすこともできません。 ほとんどの時間を目を閉じてすごしていました。 ときどき息子さんがお見舞いにやって来ます。 息子さんはいつもお父さんに少し声をかけると、あとは何も言わずにそばで小説を読んでいました。 そのときの患者さんは、呼吸が安定していて、とても穏やかな表情をされるのでした。 寝たきり、しかも脳梗塞で麻痺があったりすると、拘縮といって身体の関節が固まっていったり筋肉が緊張した状態になりがちなのですが、この患者さんには拘縮もほとんどなく、筋肉も緊張していませんでした。 きっと、安心感に包まれてすごされていたからだと思います。 第六感が働き、息子さんがそばにいてくれたのがわかっていたのかもしれません』、「「五感」が働かなくなると、その代わりに五感以外の「第六感」のようなものが鋭くなって何かを感じるのかもしれません」、「1000人の看取りに接した看護師」の言葉だけに、重みがある。
・『別の意識のない女性患者さんは、そばで息子さんが 「なんで病院に預けているのに具合がよくならないんだ!」と医療関係者に声を荒らげていたとき、それまでの穏やかな表情が一変して、急に脈や呼吸が乱れ不安定になることがありました。 この患者さんも、意識はなくとも第六感で周囲の様子を感じていたのだと思います。 この段階の患者さんに対しては、何かをしてあげるとかではなく、家族が穏やかにいつもどおりの気持ちでそばにいてあげるのが、本人にとっていちばんいいのではないでしょうか。 「死なないで! 頑張って!」今にも張り裂けそうなほどの緊張の中で患者さんを見守り続けている家族がいるときも、患者さんにその緊張が伝わっているように感じることがあります。 場合によっては、さんざん頑張ったのだから、もう解放してあげては……などと思うこともあるのですが、患者さんは遺されるご家族を案じて頑張っているのだろうなと考えると、命の偉大さ、家族の絆の強さを感じることもあります。 そんなとき患者さんは、家族がちょっと席を外した隙に、ようやくホッとしたかのようにして逝くこともあれば、「自分がいなくても家族のことはもう心配がいらないのだ」と確信できてから逝ったのだな、と感じるような患者さんもいました。 「死ぬときは第六感が鋭くなるのかもしれない」という話をしたら、友人がこんなことを教えてくれました。 「父が亡くなるちょっと前、病室に見舞いに行ったとき、ベッドは仕切りのカーテンをぴったり閉められていた状態だったんだよ。 まだ俺の顔が見えていないはずなのに、『カズオか』って声をかけられたんだよね。 『なんでわかった?』って聞いたら、『足音でわかった』って言うんだ。 先生や看護師さんたちと俺とじゃ、足音が違ったらしい。 目が見えなくなって、意識も朦朧としているはずなのに、聴覚が鋭くなっていたのかもね」 とても興味深い話です。 五感が薄れてきて、新たに第六感が鋭くなるものかと思っていたのですが、聴覚が鋭くなって敏感に感じ取っている場合もあるのかもしれません。 身体の機能が衰えて視覚、味覚、触覚、嗅覚が鈍っても、聴覚は最後まで残るともいわれていますから。 そういえば、ある女性患者さんは、息子たちのこんな声を聞いて息を吹き返しました。) 呼吸と呼吸の間が長くなっていき、そのうち呼吸をしなくなったので、もう息が止まったと思われました。 その場にいた二人の息子さんも、そう感じたことと思います。 そのとき急に、息子さん二人が遺産をめぐってケンカを始めたのです。 「長男だから多くもらう」と主張するお兄さんに対して、「お母さんを実際に介護していた自分が多くもらって当然」と言う次男さん。 私は言葉を失いました。何もこんなときにこんな場所で……。 そう思っていたら、患者さんの呼吸が再開したのです。 二人は、「えっ!?」という表情で母親を見つめていました。 最後の最後で、息子さんたちのことが心配になってしまったのでしょうか。 その患者さんは、その後2時間くらい呼吸を続けてから亡くなりました。 この女性患者さんに限ったことではなく、患者さんは最期まで何かを感じ取っているのだと思っています』、「患者さんは最期まで何かを感じ取っているのだと思っています」、見舞いに行ってどうせ聞こえやしないと悪口などを口にするのは禁物のようだ。
タグ:(その4)(ドイツ終末期ケアの実態 歴史あるホスピスに学ぶ「尊厳ある死」、日本人への安楽死適用が難しい理由 Nスペ安楽死のジャーナリストが語る、1000人の看取りに接した看護師が教える 最期を迎える人によく起こる 不思議な現象とは) 外国人でも安楽死できる世界で唯一の国・スイス 草薙厚子 隣に幼稚園 患者さんは最期まで何かを感じ取っているのだと思っています 昔なじんだ家庭用品 視覚、味覚、触覚、嗅覚、聴覚の「五感」が働かなくなると、その代わりに五感以外の「第六感」のようなものが鋭くなって何かを感じるのかもしれません 死にゆく人は第六感が鋭くなる 『後悔しない死の迎え方』 「1000人の看取りに接した看護師が教える、最期を迎える人によく起こる、不思議な現象とは」 「自分の意思」がハッキリしていない日本人に安楽死を適用する難しさ 後閑愛実 いかに死ぬか 安楽死を望む人に共通する3つの特徴とは わがままな人、お金があり教養がある人、子どもがいない人。この3つが世界でも共通 審査を受ける必要 「医師の診断書」と「自殺幇助を希望する動機書」 外国人にも適用できるのはスイスだけだ。会員は世界中に1660人 年間約80人の自殺幇助 事前指示書 スイスの自殺幇助(ほうじょ)団体『ライフサークル』 当初の開設計画には、やはり反対も多かった 「入所型ホスピス」 「死にゆく人」に寄り添う2つのホスピスと緩和ケア 取材対象との「距離感」 「多系統萎縮症」という難病にかかっていた。小脳などの変性によって徐々に身体機能が奪われていく病気で、ゆっくりと確実に進行し、やがて四肢が動かなくなり、言葉も話せなくなり、思考以外のすべての機能が奪われて寝たきりとなる 宮下洋一氏から『安楽死を遂げた日本人』(小学館) 深刻な病状の女性にどう接するべきか苦悩した NHKスペシャル『彼女は安楽死を選んだ』 「日本人への安楽死適用が難しい理由、Nスペ安楽死のジャーナリストが語る」 もう1つのホスピス、「訪問型」 宗教問わず、あらゆる人を受け入れる ドイツ2番目の「聖フランシスコ・ホスピス」 当時は病院や老人ホームで、入居者たちを閉じこめ、尊厳を無視するような死の迎え方が一般的だった。そこへうちの神父がホスピスの必要性を訴えた 近代ホスピスの創始者、英国のシシリー・ソンダースの考え方に共鳴してホスピスの開設に取り組みだした 約50年の歴史を誇るドイツ初のホスピス「ハウス・ホーン」 「ドイツ終末期ケアの実態、歴史あるホスピスに学ぶ「尊厳ある死」」 ダイヤモンド・オンライン 浅川澄一 終末期
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リニア新幹線(その4)(リニア静岡問題 JR東海の「挽回策」はなぜ失敗? 他地域では進む工事 「次の一手」はあるか、リニア実験線出火事故の原因は何か?安全性への不安の声も、リニア新幹線「2027年開通」に漂う不安 JR東海に課題山積み) [国内政治]

リニア新幹線については、昨年9月20日に取上げたままだった。久しぶりの今日は、(その4)(リニア静岡問題 JR東海の「挽回策」はなぜ失敗? 他地域では進む工事 「次の一手」はあるか、リニア実験線出火事故の原因は何か?安全性への不安の声も、リニア新幹線「2027年開通」に漂う不安 JR東海に課題山積み)である。

先ずは、本年12月2日付け東洋経済オンライン「リニア静岡問題、JR東海の「挽回策」はなぜ失敗? 他地域では進む工事、「次の一手」はあるか」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/317109
・『折り合いが悪いJR東海と静岡の関係にも例外がある。静岡県の県庁所在地で政令指定都市でもある静岡市との関係は良好だ。 静岡に関してはリニア中央新幹線のルートはすべて静岡市内を通る。JR東海と静岡市は静岡工区の建設に向けて、現場に至る林道の改良工事に関する協定を2019年7月に締結した。 その前年の8月、JR東海の宇野護副社長の元に、静岡県から難波喬司副知事名で一通の文書が届いていた。そこにはこう書かれていた。「貴社との交渉等は静岡県中央新幹線対策本部が行います。ついては、貴社が関係利水者及び市町と個別に交渉等を行うことは、ご遠慮くださいますようお願い申し上げます」――。県が事務局となって、静岡市を除く島田市、焼津市、掛川市など流域の8市2町などで構成される「大井川利水関係協議会」を8月2日に設置し、JR東海との交渉は県に一本化すると決めたのだ。 県からの公式な要請では仕方がない。個別交渉をJR東海は控えた。 それから1年余りたった今年11月6日、JR東海と静岡県の関係改善に向け調整役となった国土交通省が市町を訪問してヒアリングしていることに対して、静岡県の川勝平太知事が、「5年前に当時の国土交通大臣がJR東海に“地元の理解と協力を得ることを確実に実施するように”と求めたのに、やってこられなかったから、今国交省の担当者が回られている。JR東海は反省すべきである」と言い出した。JR東海が地元に足を運んでいないとして批判したのだ』、「静岡県」には駅がないので冷淡なのは理解できるが、静岡市が前向きなのは「現場に至る林道の改良工事」が期待できるからなのだろうか。
・『完全にこじれた関係  県の要請を受けて、個別交渉を控えていたJR東海にしてみれば、心外な発言である。そもそも、県から要請がある以前は、JR東海は流域市町などへの個別説明を行っていた。知事の発言は、5年前からJR東海が地元への説明をまったく行っていなかったようにも聞こえる。 金子慎社長は、「知事がそうおっしゃるなら、流域の市町に個別にご説明にお伺いしようと思います」と、11月8日に発言した。JR東海はその翌週、静岡市および8市2町に面談を申し込んだ――。 JR東海と静岡県の関係はこじれきっている。そもそも水問題に関するこれまでの経緯という「事実」についても、両者の認識がまったく違うのだ。 JR東海の認識では、水問題を含めた環境問題について県や利水団体、沿線市町と以前から対話を重ねており、2014年10月の認可取得後は県が取りまとめ役となって工事着手に向けた基本合意の文書案作りを進めていた。ところが、合意案がほぼまとまり最終段階に入った2017年10月になって、川勝知事が突然、「JR東海の態度は極めて傲慢だ」と、協定締結に反対を表明したという。 これに対して、県側の認識では、工事認可前の段階から「トンネル湧水の全量を戻せ」と主張し続けているが、JR東海からは回答がなかった。そのため、トンネル湧水の全量を戻すよう何度もJR東海に要求している。 このように過去の経緯に関しても、両者の捉え方はまったく違う。 県はトンネル湧水の全量戻しを要求するが、JR東海は環境影響評価で論点になっているのは大井川における河川流量の確保だと考えてきた。そのためJR東海はトンネル工事によって発生する湧水の全量は戻せなくても、大井川の水量を維持できるだけの湧水は戻せると説明してきた。 だが、着工が遅れると2027年の開業が危うくなる。背に腹は変えられない。2018年10月、JR東海は県の主張を受け入れ、「原則としてトンネル湧水の全量を大井川に流す」と回答した。ようやく両者の間で意見が一致したかに見えた』、「工事認可前の段階から「トンネル湧水の全量を戻せ」と主張し続けているが、JR東海からは回答がなかった」、との「県側の認識」が正しいとすれば、「JR東海」もずいぶん不誠実だったようだ。
・『国交省も協議に加わったが…  ところが、一件落着とはならなかった。県が「全量を戻す方法」についてJR東海に対して詳細な説明を求めたのだ。 JR東海は、2019年9月に具体的な工法を提示したが、「静岡県内で工事中のトンネルが山梨、長野とつながるまでの間は静岡県の湧水が山梨、長野側に流出する可能性がある」として、県側はこの工法に反対。トンネル湧水を一滴たりとも県外には流させないというのが県の主張だ。 今年8月からは国交省が協議に加わった。しかし、川勝知事は、リニアを所管する鉄道局は環境問題の検討ができないとして、水管理・国土保全局、さらには環境省、農林水産省の協議参加を求めている。 赤羽一嘉国交相は11月22日の記者会見で川勝知事の発言を「ちょっといかがなものか」といさめたが、知事の剣幕に押されたのか、従来からの「国土交通省として必要な調整や協力を行っていく」という方針に加えて、「開業の遅れをJR東海が心配しているのであれば、まずは両者間で懸念をしっかりと議論してクリアしていただきたい」という発言が加わった。一歩引いた印象だ』、確かに「川勝知事の発言を「ちょっといかがなものか」」、という感じもするが、「川勝知事は、リニアを所管する鉄道局は環境問題の検討ができないとして、水管理・国土保全局、さらには環境省、農林水産省の協議参加を求めている」、これはもっともな主張だ。
・『赤羽大臣の記者会見と同じ11月22日、神奈川県相模原市に設けられるリニア神奈川県駅(仮称)起工式が行われた。リニアは東京都、神奈川県、山梨県、長野県、岐阜県、愛知県に1つずつ駅が設けられる。神奈川県駅はJR横浜線と相模線、京王相模原線が停車する橋本駅に隣接する形で設置される。 橋本駅北口は高層マンションが立ち並び、「イオン」などの商業施設もある。一方で、南口は駅前にあった県立相原高校が2019年4月に移転し、閑散とした雰囲気だ。この相原高校跡地の地下にリニア新駅が設置される。 新設される中間駅の中では、神奈川県が工事の先陣となる。JR東海の金子社長は、「地上に造られるほかの中間駅とは違い地下に駅を建設するため、早くスタートしたかった」と話す』、「神奈川県」が駅に前向きなのは、開発利益を享受できるので当然だろう。
・『期待高まる相模原市  開業後はリニアが横浜線や京王相模原線とも結ばれるため、東海道新幹線の新横浜駅のような利便性が期待される。市はリニア駅の地上部分を再開発して、オフィスビル、商業施設などの一般的な施設を造るだけでなく、宇宙開発、ロボット産業など次世代技術を創造する拠点としても活用したい考えだ。 「さがみロボット産業特区」を推進する神奈川県の黒岩祐治知事は、「未来の乗り物リニアと、新しい産業であるロボットは相性がいい。リニアが開業する2027年には町中にロボットがあふれるような、日常生活でロボットを体感できるまちづくりをしたい」と希望に満ちた将来像を描く。 相模原市の本村賢太郎市長も「多くの人が相模原の駅で降りたいと思ってくれるようにしたい」とリニアに期待をかける。市民の間には環境問題を心配する声もあるが、知事、市長ともに工事着工を祝い、開業を心待ちにしている。 それから4日後の11月26日には岐阜県内を走る日吉トンネルの建設現場が報道公開された。駅の建設現場やトンネル作業坑が公開されたことはこれまでにもあったが、リニアが走る本線トンネルの公開は今回が初めてという』、「相模原市」や「神奈川県」が夢を描くのは、当否は別として、彼らの勝手だろう。
・『全長14.5kmの日吉トンネルのうち、公開されたのは全長7.4kmの南垣外(みなみがいと)工区。トンネル本線は、山岳トンネルの工事でよく使われるNATM(ナトム)工法で掘削が行われている。1日およそ6mのペースで掘削が進んでいるという。現場周辺にはウラン鉱の存在も確認されているが、JR東海は「ウラン鉱を避けて掘削している。目下のところ基準値を超えたものは出ていない」とする。 トンネルから地上に出ると工事ヤードがあり、土砂の仮置き場が設けられている。発生土をすぐにベルトコンベアで運ぶのではなく、仮置き場で発生土の重金属含有量を毎日チェックして、基準値を超えていた場合は、環境影響対策を施した遮水タイプの別の仮置き場に運ぶ。現時点で、基準値を超えた発生土は約1万㎥あり、行政から許可を受けた専門業者を通じて処理をしているという。 また、全長約2kmのベルトコンベアが設置され、トンネル内の発生土を発生土置き場まで運搬する。通常なら発生土はダンプで運ぶが、「住民の皆様との話し合いの中で、騒音・振動や一般交通への影響を避けるためにベルトコンベアも活用してダンプの台数を削減することが決まった」とJR東海・岐阜工事事務所多治見分室の加藤覚室長が説明する』、これは「JR東海」が安全性や「騒音・振動や一般交通への影響を避ける」方策を講じているというPRだ。「神奈川県駅」や「日吉トンネル」の話をわざわざ入れたのは、取材させてもらった「JR東海」への「忖度」だろう。
・『個別交渉拒否のカラクリ  日吉トンネルは地元住民との話し合いが無事まとまり、工事も順調に進んでいる。神奈川県駅の工事もいよいよ始まる。 こうした状況を見ると、難工事であり一刻も早く着工する必要があるはずの静岡工区だけが手付かずという異常ぶりが際立つ。 さて、大井川流域の市町に面談を申し込んだJR東海はどうなったか。結論を先に言うと、静岡市を除く8市2町は会談を拒否した。 11月19日の記者会見で、川勝知事は、「8市2町、全会一致というのはすごいことです」「僕は正直感動しました」と8市2町の対応を手放しで称賛した。この件に県が関与しているのかという質問に対して、川勝知事は「まったくありません」と答えている。 そもそも、県や8市2町が参加する大井川利水関係協議会では、JR東海との交渉は県が行うと決定している。従って、もしこの決定が変更されていないのであれば8市2町がJR東海と個別交渉しないのは当然ということになる。その点で、確かに県は関与していないのだろう。地元テレビ局の情報番組で、掛川市の松井三郎市長や島田市の染谷絹代市長が「JR東海の説明を聞きたい」という趣旨の発言をしている様子が報じられたが、今回拒否した理由も協議会の決定に従った結果だと考えれば納得がいく。 地元と交渉してはどうかとも聞こえる川勝知事の「誘い」に乗って面談を申し込み、地元から門前払いを食らう結果に終わったJR東海。対して、川勝知事は静岡市の回答をなかったことにして、「全会一致でJR東海との面談を拒否したのは地元の不信感の表れ」という印象を作り出すことに成功した。川勝知事が一枚上手だった。 11月22日の神奈川県駅起工式後に金子社長、黒岩知事、本村市長らの記者会見が行われたが、質問は静岡県の水問題に集中した。 金子社長は「地元の皆様のご心配に対しては、”心配ないんですよ”ということをしっかりと説明したい」と述べ、8市2町と面談したいとの思いをにじませた。 本村市長に「川勝知事に会ったら何を話すか」と質問したところ、「“水の問題が重要であることは承知しているが、(リニアは)国家プロジェクトとして重要なので、ぜひご理解いただきたい”とお伝えしたい」と、金子社長を側面支援した。 川勝知事の強気の姿勢の背後には、「水問題は重要だ」と考える県民の支持がある。事態を打開するためには、JR東海は各地域で工事が環境に配慮して行われていることを実例として示すしかないし、静岡県以外のリニア沿線の各自治体も知恵を絞る必要がある。そして、何よりも金子社長と川勝知事が直接面談して、とことん議論することも必要なのではないか』、「川勝知事の強気の姿勢の背後には、「水問題は重要だ」と考える県民の支持がある」、のであれば、「直接面談」をやったところで、「水」掛論に終始するのではなかろうか。

次に、鉄道ジャーナリストの枝久保達也氏が12月2日付けダイヤモンド・オンラインに掲載した「リニア実験線出火事故の原因は何か?安全性への不安の声も」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/222024
・『10月に山梨県のリニア実験線で起きた、車両からの出火事故。リニアは線路の9割がトンネルだから、火災には不安を覚える人も少なくないだろう。しかし、JR東海の情報公開があまり積極的ではないことや、ローカルメディア以外は詳しく報じていないこともあって、真相がよく見えないままだ』、「JR東海」が不都合な情報公開に消極的な姿勢なのは確かに問題だ。
・『試験車両出火事故で安全性に疑問の声も  今年10月、山梨リニア実験線の車両基地で、車両から出火する事故が発生したことを覚えているだろうか。大手紙の地方版や地元紙、ローカル局が報じたほかは、産経新聞のweb版が多少詳しく取り上げた程度だったので、初耳という人もいるかもしれない。 事故の概要は次の通りだ。10月7日午後4時頃、山梨県都留市の車両基地に停車中のリニア試験車両の車内で、作業員3人が試験データを取得するために「断路器」と呼ばれるスイッチを切り、作業後に再びスイッチを入れたところ、断路器から発火。火花が作業員の衣服に燃え移り、2人が重傷、1人が軽傷を負い、病院に搬送された。 この事故に対し、静岡県の川勝平太知事は、10月11日の定例記者会見で「火災事故はリニア新幹線への信頼を揺るがしかねない事態ではないか」と記者から問われ、開口一番「いいご質問だと思います」と応答。「もしこれが走行中であったり、あるいはアルプスの下であったらどうなるのか」として、JR東海の危機管理体制を批判した。 川勝知事は、リニア中央新幹線のトンネル工事によって「大井川の流量が減少する」と主張しており、JR東海と対立している。このコメントは、いわば大井川を巡る対立が火災事故に“延焼”したものであり、中立な評価とはいえない。 しかし、リニア中央新幹線は全長286kmの9割でトンネルを走行する。さらに、出火した試験車両は、営業用仕様第1世代に位置付けられる「L0系」車両だから、川勝知事と同じような疑問や不安を抱く人がいても不思議ではない。 もっとも、原因となった断路器は、特定の機器を電気回路から切り離すためのスイッチであり、走行中に操作する機器ではない。したがって今回の出火事故を、そのままリニア運行の不安に結び付けるのは適切ではない。しかし、こうした基本的な情報も含め、JR東海の発信が消極的であるため、不安の「火種」がくすぶったまま時間だけが経過しているのが現状だ』、私も初耳だったが、「JR東海」を忖度して沈黙した主要マスコミの姿勢も問題だ。
・『出火した「断路器」は営業車両には搭載しない  リニアの安全性に問題はないのか。量産車両でも起こりうる事故なのか。ニュースの扱いは小さかったが、続報が気になっている人も多いはずだ。そこでJR東海に事故原因の調査状況について問い合わせたところ、「詳細は現在調査中」としながらも、東京広報室が取材に応じた。 今回筆者が確認したのは、(1)他の試験車両でも発生しうる問題か、(2)営業車両(量産型車両)でも発生しうる問題か、(3)そして発生時に被害が拡大しないか――の3点である。 まずは断路器で発生した火災が、他の車両でも発生するかという点である。断路器の役割を身近なものに例えるなら、家電におけるプラグとコンセントのようなものだ。ドライヤーやミキサーはコンセントにつながないと使用できないが、内部の清掃などの時はプラグを抜いておかないと、動き出してケガをしたり、感電する恐れがある。 安全のために切り離しできるようになっているプラグとコンセントだが、正しい取り扱いをしないと事故が発生する。例えばドライヤーが動いている状態でプラグを引き抜くと、コンセントとの間に火花が散ることがあるし、プラグが濡れていたり、ほこりが積もっているとショートして火災の原因となる。これは断路器も同様だ。 JR東海は火災の原因について、「復電作業時に、何らかの要因により断路器でショートし火花が発生したものと推定される」としながらも、機械的なトラブルであるか、人為的なミスであるかを含めて、詳細は明言を避けた。 2点目は、火災の原因となった断路器の位置付けである。JR東海は、当該断路器は一般的に使用されている断路器であるとした上で、「車両の照明や空調などに電気を供給するための回路に挿入されている」と説明した。役割や位置付けについては「技術情報」だとして明らかにしなかったが、「試験車両特有の電気機器のために取り付けられているもの」であり、「営業車両には搭載しない機器」であるという。 超電導リニアの基本的な走行技術は確立済みであるが、建設工事と並行してより安全・快適で、コスト低減・効率化に向けた車両の開発が続けられている。来年春には、改良型試験車両が投入され、2022年頃までに「量産型車両」の詳細な仕様を策定する方針だ。今後も試験の過程で、測定用機器の取り付けや、通常では行わない取り扱いが行われることだろう。営業車両に関係があろうとなかろうと、作業には慎重を期するよう改めて求めたい』、その通りだ。
・『説明不足が不信感を増大させる  そして、ある意味で最も重要な3点目は、出火した断路器から周辺への延焼の有無である。実はリニアには、火災にまつわるトラウマがある。1991年10月、鉄道総合技術研究所(JR総研)の宮崎リニア実験線で、走行試験中に出火し、実験車両が全焼する事故が発生しているのだ。山梨実験線の建設に着手した直後に起きたこの火災事故は、当時「実用化間近」と見られていた超電導リニア開発に冷や水を浴びせることとなった。今回の火災事故の一報を聞いて、28年前の事故を想起した人もいたことだろう。 宮崎の事故では、実験のためにタイヤに設置されていたパンク再現装置が誤作動し、タイヤを引きずったまま走行したことで、軽量化のために採用されていたマグネシウム製ホイールが摩擦熱で過熱して発火した。この事故を教訓として、以降の実験車両は営業車両に準じた難燃・不燃素材の使用など火災対策を講じている。 山梨リニア実験線では、営業用仕様と位置付けられる「L0系」車両は、実際に使われている鉄道車両と同じく、国交省令に基づく燃焼性規格における難燃性・不燃性の材料を使用している。 その甲斐があったのか、JR東海は今回の事故で、断路器から周辺機器、車体への延焼は発生せず、事故の一報から14分後には現場の管理者が火のないことを確認したと説明している。 もちろん、これでリニアの安全性に対する懸念が全て払拭されたと言いたいわけではない。火災対策だけでも他にさまざまな課題がある。ただ、そのうちどの部分が「超電導リニア」に起因するか(従来の鉄道とは異なるのか)、「実験線」特有の事情か、「営業線」でも起こりうる事象か、というように問題を仕分けないと、現実的なリスクの想定と対策に向けた議論が成り立たなくなってしまう恐れがある。 これを実現するためには、JR東海の積極的な情報公開と、メディアの取材と検証の両方向のアクションが必要になるが、現状では双方がコミュニケーションに及び腰であるかのようだ。しかし、それで取り残されてしまうのは社会の一般利用者である。 今回の事故の一報を聞いて「リニア」と「火災」のキーワードを結び付けたまま、不安の「火種」をくすぶらせている人もいることだろう。火種を放置すると、やがて不信感となって燃え盛り、消し止めることができなくなる。そうなってからは手遅れだ。 大井川の流量減少問題をはじめとするリニアを巡るさまざまな対立は、こうした構図の相似形ともいえないこともない。リニア建設が順調に進むか、地域と利用者に広く受け入れられるか、これらは全て、JR東海の姿勢にかかっているのではないだろうか』、「JR東海」や「メディア」双方の猛省が必要なようだ。

第三に、12月4日付けダイヤモンド・オンライン「リニア新幹線「2027年開通」に漂う不安、JR東海に課題山積み」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/222420
・『湧水で中断した名古屋の工事は11カ月ぶりに再開した  2018年12月末から中断していたリニア中央新幹線の名城非常口(名古屋市中区)の掘削工事が、11月26日に約11カ月ぶりに再開した。地下水が沸き出たために工事を中止していたものだ。 現場は名古屋城の南側に隣接していて、この辺りの地層はもともと地下水の水位が高い。着工前に入念な地質調査はしていたものの、一般に地中にトンネルや構造物を造る土木工事では、地下水の状況は「掘ってみないと分からない」(複数のゼネコン関係者)。 この地区の地層は、水を通さない粘性土の層と、水を通す砂礫層がランダムに積み重なる複雑な構造をしている。中でも特に複雑な地層となっている部分に高水圧がかかり、水みちが形成されたとJR東海は分析している。掘削作業を中断している間には、掘削面からの湧水を止めるため、非常口内に水を溜めて地下からの湧水を抑えた上で、止水工事を行った。 当初は16年4月から今年9月末までと予定されていた工期は、中断期間を除いて約7カ月間延び、竣工の予定は21年4月末となった。掘削工事の中断期間を除いても工期が延びたのは、工事開始前の地質調査で、一部から基準値以上の鉛(特定有害物質)が見つかり、それを取り除いていたためだ。鉛はリニア工事以前に発生していたものだった。 幸いなことに、同じように水が出やすい地質と言われているリニア新幹線の名古屋駅新設工事では、水の問題は起きていない。 JR東海は掘削中断や工期延長によるスケジュールの修正について、「全体工期へ影響しないよう進めていく」と説明するが、2027年に品川から名古屋間を開通させる目標はハードルが高そうだ。 「今はほかにも仕事がたくさんあるから困らないし、遅れても追加工事として補償されるだろう」とゼネコン幹部が言うように、掘削の中断期間中に、ゼネコンや専門工事業者の人員や機材は遊ぶことはなかったようだ。 ただ、ここから先の人材や資材のやりくりには難しさが伴うだろう。たとえ名城非常口工事の工期が守れても、遅れのしわ寄せは他の現場に生じかねない。全国でインフラ更新などの土木工事があり、建築でも再開発などが目白押しとなっている建設業界は、職人の高齢化と入職者の減少という慢性的な人手不足に長らく悩まされている』、平地でもこんなトラブルに見舞われるようでは、静岡県が問題視している中央アルプスでのトンネル工事ではトラブルが続出しそうだ。
・『工事の技術面よりも渉外に課題  「リニア中央新幹線関連の工事は、進み具合は遅れているけど、技術的な問題はあまりない」と工事に関係するゼネコンの幹部は言う。山岳トンネルの土被りの深さや営業中の新幹線や在来線に近接する工事を行うため失敗が許されないなど、工事の難易度の高さがよく話題に上るが、開業スケジュールを脅かす原因になりかねないのはそこではない。渉外関係に懸念がある。 代表的なのは静岡の水問題。リニアが通る山岳トンネルの掘削により、静岡県内に流れる大井川水系の河川水量が減るとして、川勝平太静岡県知事が水の全量を河に戻すようJR東海に求めており、合意するまで静岡県内では工事を始められない。 他にも懸念はある。山岳トンネル工事では、リニアが通る地下深くの本線トンネルまで、地表から斜めに掘った坑道が要る。この斜坑を使って建設機械などの工事車両が出入りしたり、湧水をくみ上げる排水ポンプ、電線、コンクリートなどの資材を運んだりする。 地上部分の森林の大半は、農林水産大臣または都道府県知事によって指定される保安林となっているため、保安林の指定を解除する行政手続きが必要だ。保安林解除には、申請開始から1年程度の時間が掛かる。この申請の動き出しが遅く、手続きが予定を押してしまい、ゼネコンが頭を悩ます工区があるのだ。 工事関係者は、「お客さんのことを悪く言いたくないけれど、JR東海は東海道新幹線以来、新幹線工事の新設経験がない。だから本体工事に取り掛かる前の段取りが悪かった」と明かす。 保安林解除申請は事業者がゼネコンに工事を発注する前に申請しておくべきところ。それをゼネコンに丸投げしてきたため、すぐに斜坑を掘る工事に取り掛かれず、現場は混乱。やむなく待機したり、他の工程を先に回したりしている。 また、トンネルを掘った際に出る大量の土(残土)の置き場がほとんど決まっていない。長野県を例に挙げると、トンネル工事で発生する残土は950万立方メートル。公共事業での活用を想定するものの、残土の大半の受け入れが決まっていない。受け入れが決まっている大鹿村でさえ、その量はわずか10万5000立方メートルだ。 約100万立方メートルを受け入れる有力な候補地になっているのは長野県南部にある下條村。村は道の駅とその周辺の整備に残土を使う計画を立てている。計画地の下流に人家はなく、仮に土砂崩れが起きたとしても人命被害に及ぶ可能性は低い。ただし、計画地は活断層の地形上にある。 長野県駅予定地から天竜川をはさんで北東にある豊丘村の元村議・唐澤啓六氏は「豊岡村でも16年や17年に計画があったが、住民の反対で中止になった。県内では下條村以外の残土受け入れ候補地のほとんどが『谷埋め盛り土』で、とても危険」と語る。谷を残土で埋めて均すと、一見、土地活用がしやすくなるように感じるが、大雨や地震が起きた時に盛り上げた残土が下滑りするリスクがあるというのだ。 用地買収も思うように進んでいない。工事の遅れがさらに拡大する可能性がある。「ある県では、駅に係る土地に建つ大規模マンションを管理する高齢の管理組合長がしぶとい。同じような問題は他県でもある」(JR東海関係者)。 27年の開通に向けて、複数の関係者を巻き込みどこまでスケジュールを推し進めることができるか。近年、JR7社の中でも新幹線を持つJR北海道、JR東日本、JR西日本、JR九州では新幹線新設・延伸工事の実績を積んでいるため、渉外経験や技術者のノウハウも新しい。大手民鉄でも新線や相互直通運転のための工事経験を積んでいる。それに比べて、1959年に開通した東海道新幹線以来、路線新設工事の経験が乏しいJR東海では、特に渉外力が試されている』、「残土の大半の受け入れが決まっていない」、というのは深刻だ。こんなのはもっと早く取り掛かるべきだったろう。「渉外力」が心もとないのであれば、他のJR各社に頭を下げて、出向、または転籍を依頼する手もあるだろうが、「JR東海」のプライドが許さないのかも知れない。まだ、プライドを気にするだけ余裕があるのだろうか。私自身は、かつてから、採算上の問題を指摘してきたが、それ以外にも問題山積のようだ。
タグ:神奈川県駅 日吉トンネル 期待高まる相模原市 トンネル湧水を一滴たりとも県外には流させないというのが県の主張 国交省も協議に加わったが… 「静岡県内で工事中のトンネルが山梨、長野とつながるまでの間は静岡県の湧水が山梨、長野側に流出する可能性がある」として、県側はこの工法に反対 東海道新幹線以来、路線新設工事の経験が乏しいJR東海では、特に渉外力が試されている 説明不足が不信感を増大させる 出火した「断路器」は営業車両には搭載しない 新幹線を持つJR北海道、JR東日本、JR西日本、JR九州では新幹線新設・延伸工事の実績を積んでいるため、渉外経験や技術者のノウハウも新しい 残土の大半の受け入れが決まっていない 工事関係者は、「お客さんのことを悪く言いたくないけれど、JR東海は東海道新幹線以来、新幹線工事の新設経験がない。だから本体工事に取り掛かる前の段取りが悪かった」 保安林の指定を解除する行政手続きが必要だ 工事の技術面よりも渉外に課題 「リニア新幹線「2027年開通」に漂う不安、JR東海に課題山積み」 試験車両出火事故で安全性に疑問の声も JR東海の情報公開があまり積極的ではない 山梨県のリニア実験線で起きた、車両からの出火事故 「リニア実験線出火事故の原因は何か?安全性への不安の声も」 ダイヤモンド・オンライン 枝久保達也 ウラン鉱を避けて掘削している。目下のところ基準値を超えたものは出ていない 住民の皆様との話し合いの中で、騒音・振動や一般交通への影響を避けるためにベルトコンベアも活用してダンプの台数を削減することが決まった 個別交渉拒否のカラクリ 静岡市を除く8市2町は会談を拒否した 川勝知事の強気の姿勢の背後には、「水問題は重要だ」と考える県民の支持がある 、県側の認識では、工事認可前の段階から「トンネル湧水の全量を戻せ」と主張し続けているが、JR東海からは回答がなかった。そのため、トンネル湧水の全量を戻すよう何度もJR東海に要求している 合意案がほぼまとまり最終段階に入った2017年10月になって、川勝知事が突然、「JR東海の態度は極めて傲慢だ」と、協定締結に反対を表明 JR東海の認識では、水問題を含めた環境問題について県や利水団体、沿線市町と以前から対話を重ねており、2014年10月の認可取得後は県が取りまとめ役となって工事着手に向けた基本合意の文書案作りを進めていた 水問題に関するこれまでの経緯という「事実」についても、両者の認識がまったく違う 完全にこじれた関係 県が事務局となって、静岡市を除く島田市、焼津市、掛川市など流域の8市2町などで構成される「大井川利水関係協議会」を8月2日に設置し、JR東海との交渉は県に一本化 貴社との交渉等は静岡県中央新幹線対策本部が行います。ついては、貴社が関係利水者及び市町と個別に交渉等を行うことは、ご遠慮くださいますようお願い申し上げます 静岡県から難波喬司副知事名で一通の文書 現場に至る林道の改良工事に関する協定を2019年7月に締結 静岡市との関係は良好 「リニア静岡問題、JR東海の「挽回策」はなぜ失敗? 他地域では進む工事、「次の一手」はあるか」 東洋経済オンライン リニア新幹線 (その4)(リニア静岡問題 JR東海の「挽回策」はなぜ失敗? 他地域では進む工事 「次の一手」はあるか、リニア実験線出火事故の原因は何か?安全性への不安の声も、リニア新幹線「2027年開通」に漂う不安 JR東海に課題山積み)
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宗教(その3)(ユダヤ人に成功者が多いのは「タルムード」に理由があった、ビジネスにすぐに役立つ「イスラム教のしきたり」、知っておきたい! カトリックとプロテスタントの4つの大きな違い、プロテスタントの国のほうが「経済的にうまくいっている理由」) [社会]

宗教については、9月11日に取上げた。今日は、(その3)(ユダヤ人に成功者が多いのは「タルムード」に理由があった、ビジネスにすぐに役立つ「イスラム教のしきたり」、知っておきたい! カトリックとプロテスタントの4つの大きな違い、プロテスタントの国のほうが「経済的にうまくいっている理由」)である。

先ずは、元外交官の山中俊之氏が9月18日付けダイヤモンド・オンラインに掲載した「ユダヤ人に成功者が多いのは「タルムード」に理由があった」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/212304
・『アメリカ・ヨーロッパ・中東・インドなど世界で活躍するビジネスパーソンには、現地の人々と正しくコミュニケーションするための「宗教の知識」が必要だ。しかし、日本人ビジネスパーソンが十分な宗教の知識を持っているとは言えず、自分では知らないうちに失敗を重ねていることも多いという。本連載では、世界94カ国で学んだ元外交官・山中俊之氏による著書、『ビジネスエリートの必須教養 世界5大宗教入門』(ダイヤモンド社)の内容から、ビジネスパーソンが世界で戦うために欠かせない宗教の知識をお伝えしていく』、興味深そうだ。
・『ビネスマインドあふれる「タルムード」  「ユダヤ人は大金持ちで成功者が多い」「ユダヤ人は優秀だ」 こんなイメージを抱く人もたくさんいますし、実際にたくさんの成功者がいます。スターバックス、リーバイスの創業者はユダヤ人(ユダヤ系を含む)ですし、アインシュタインもユダヤ人。 世界人口のわずか〇・二五%のユダヤ人が、ユダヤ系を含めるとノーベル賞受賞者の二〇%を占めているといわれています。『フォーブス』の長者番付で常に上位を占めているのもユダヤ人です。 ユダヤ人がこれほどまでに優秀な理由は二つあると、私は考えています。 一つは、ヨーロッパで圧倒的に少数派であり、キリスト教徒でないために差別されていたから。政治家や官僚など、その国のメインストリームに行くことは難しく、ビジネスや金融、科学や芸術など自らの才覚で人生を切り拓こうとしていたためでしょう。 そしてもう一つ、とても大きな理由はモーセが伝えたユダヤ教徒の守るべき聖典の一つとされているタルムードの存在です。 宗教にはそれぞれ聖典がありますが、タルムードは他の宗教に比べて現実世界における成功や繁栄につながる内容がかなり多くあります。「ビジネスパーソンの指南書」たる要素すらあると感じます。 たとえば「学ぶことが大切だ。常に新しいことを学びなさい」などといった教えがあり、なにより特徴的なのが、約二〇〇〇年も前から生産性について述べられていること。「時間当たりの成果をちゃんと意識しなさい」と明記されており、驚きます。 差別されてメインストリームに行けない時点でいじけてしまいそうなものですが、ちゃんと学んで成果を上げる、これはタルムードのおかげと言っていいのではないでしょうか。 アメリカやイスラエルでスタートアップが多いのも、さもありなんです。他の宗教にも優れた教えがたくさんありますが、現代のビジネスパーソンに直結する教えがあるのはタルムードが一番と言えそうです』、「世界人口のわずか〇・二五%のユダヤ人が、ユダヤ系を含めるとノーベル賞受賞者の二〇%を占めている」、確かに凄いことだ。「学ぶことが大切だ。常に新しいことを学びなさい」、「時間当たりの成果をちゃんと意識しなさい」、などは現在でも成功に導く大事な人生訓だ。
・『ユダヤ教のお金感覚とは?  旧約聖書のレビ記、申命記には「異邦人に貸しつけるときは利子をつけても良いが、あなたの兄弟から利子をとってはいけない」という旨の記述があります。これは、親戚とユダヤ人以外からは利子をもらっていいということ。 キリスト教では利子は認められておらず、中世のヨーロッパ社会では、キリスト教徒がお金を貸して利子で儲けるというのは良くないこととされていました。 そこでユダヤ教徒が金融業を担ったという歴史から、「お金に強いユダヤ人」が生まれたと言われています。 「消費はいけない。投資をしなさい」とあるのも特徴的だと思います』、ベニスの商人のシャイロックをめぐるシェークスピアの話は有名だ。
・『ユダヤ教で押さえるべき戒律  律法がしっかりとあり、「ルールを守りなさい!」という主張の強さでは、ユダヤ教は5大宗教のうちトップと言っていいでしょう。 ユダヤ教には律法(ミツヴァ)が六一三あり、そのうち、「してはならない」というのが一年の日数と同じで三六五あります。それを厳しく守っている人たちとつき合うには、NGポイントを押さえておくことが重要です』、「してはならない」が365もあるというのは大変だ。
・『1 食事の戒律に気を遣わないのはNG  イスラム教がルールに厳しいことはよく話題になりますが、日本のビジネスパーソンがユダヤ人の取引先を日本でもてなすとしたら、イスラム教の人よりも難しいのではないでしょうか。 「カシュルート」と呼ばれる食事の規定ではヒレ、ウロコのないシーフードはNG。肉と乳製品を同時に使ったものもNGなので、チーズとサラミを使ったピザやチーズバーガーは無理です。 血の摂取禁止、蹄が完全に分かれ反芻する(食物を口で咀嚼し、反芻胃に送って部分的に消化した後、再び口に戻して咀嚼するという過程を繰り返すこと)四つ足の動物は食べて良いなどの規定もあります。そのため反芻しない豚はダメということになります』、「豚」が「反芻しない」、恥ずかしながら初めて知った。
・『2 「土曜日=安息日」と知らないのはNG  休日はビジネスパーソンにとって影響が大きく、スケジューリングの際は注意すべきです。安息日(シェバト)は土曜日で、イスラエルでも金曜日の夕方から土曜の夕方までの二四時間は完全に休み。ありとあらゆるものが止まるので、出張の際にはくれぐれもご注意を。 この安息日を単に休みの日と捉えてはいけません。安息日において大切なのは、「日常生活から離れ、本質的なことを深く考えること」なのです。安息日の存在にも、ユダヤ人が世界で活躍している要因があるようです』、「安息日において大切なのは、「日常生活から離れ、本質的なことを深く考えること」」、ダラダラ過ごしてはいけないようだ。
・『3 割礼について無知なのはNG  聖書であるモーセ五書には、「男子は割礼(注)をすべし」と何度も出てきます。男子の割礼はユダヤ教徒として必須のものと捉えられています。割礼について否定的な発言は絶対に避けるべきです』、(注)『旧約聖書』に記述があることからユダヤ教、イスラム教では信仰の一環として行われている。キリスト教圏でも衛生上の理由などで行われている場合がある。また、アフリカ・オセアニアの諸民族などでは風習として割礼が行われている(Wikipedia)

次に、同じ山中氏による10月20日付けダイヤモンド・オンライン「ビジネスにすぐに役立つ「イスラム教のしきたり」」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/212836
・(冒頭省略)宗教と生活が一体化しているイスラム  イスラムは政治から生活までが宗教と一体化しています。彼らと仕事をしていくなら、食事や礼拝などの知識についてある程度押さえておきましょう。 実際にイスラム教徒とビジネスをするためにも役立ちますし、思わぬビジネスチャンスが生まれることもあります。ずいぶん前ですが、韓国のLGエレクトロニクスが、礼拝の際にメッカの方角がわかる携帯電話を開発し、人気を集めたことがありました。 今はスマートフォンのアプリに取って替わられているようですが、ムスリムがあまりいない韓国がムスリム向けのビジネスを思いつき、成功していたという点がとても面白いではありませんか。 何より教養とは、知らなかったことを新しく知ることで深まっていきます。さっそくイスラム教の生活習慣を見ていきましょう』、確かに面白そうだ。
・『注意したい! 礼拝とお辞儀の関係  イスラム教で特徴的なのは、何といっても礼拝(サラート)です。日本では、夕方の五時や六時に時刻を知らせる音楽をかける地域がありますが、イスラムの国ではモスクからアザーンと呼ばれる日本人にはまるで音楽のように聞こえる呼びかけがなされます。 礼拝は一日五回、人にもよりますがだいたい一五分から二〇分程度、メッカの方向に向かって祈ります。 ただし「礼拝は絶対その時間にやらないとダメだ」というのは誤解です。礼拝は未明、昼、日没前、日没後、夜の五回とコーランにより規定されていますが、現実はある程度柔軟で、夜、帰宅してからまとめて礼拝をしても構わないとされています。 私は神戸情報大学院大学で教鞭をとっており、イスラム教徒の留学生と遠出もしますが、次のアポイントメントに向かって地下鉄に乗っている時、彼らが「礼拝の時間です」と言い出して途中下車するようなことはありません。そのあたりは一般の常識で動いています。 ただし、普段オフィスで働いている時、イスラム教徒が「礼拝に行ってきます」と中座することは許されてしかるべきだと思いますし、配慮することも必要でしょう。 礼拝では「アッラーフ・アクバル(アッラーは偉大)」と唱えながら、立ったり座ったりして祈りを捧げます。頭を下げるのは「神への絶対的な帰依」を示すもの。 だからこそ、イスラム教徒は人間に頭を下げることに抵抗があります。すぐにお辞儀をする日本人に対して違和感を覚える人も珍しくありません。イスラム教徒と仕事をする時は、お辞儀は極力控えておいたほうが良いでしょう。 また、イスラム教では、神の前での平等が大前提ですから、お客に対しても頭を下げることはありません。お客様は神様という日本との大きな違いです。物乞いもお金をもらっても特に頭を下げるわけではないのです。このあたりの考え方に、日本人ビジネスパーソンは違和感を持つかもしれませんが、イスラム教を理解するなかで慣れていくしかないでしょう。 ちなみに、日本人の目にイスラム教徒が宗教的に映るのは、独特の服装のせいもあると思います。女性は顔と手以外は隠すべきだと考えられています。 ただし、顔を全部覆うのはイスラム教というよりは、アラビア半島などその地域の習慣と捉えたほうが良いでしょう。イスラム教徒の男性が髭を生やしていることが多いのは、彼らが理想とするムハンマドを真似ているからです』、「頭を下げるのは「神への絶対的な帰依」を示すもの。 だからこそ、イスラム教徒は人間に頭を下げることに抵抗があります」、初めて知った。「イスラム教徒の男性が髭を生やしていることが多いのは、彼らが理想とするムハンマドを真似ているから」、もっと深淵な理由があると思っていたのに、拍子抜けだ。
・『モスクとイスラム芸術  イスラム教では偶像崇拝が禁止されたため、幾何学的装飾、文字装飾、植物の模様を使った装飾が発展しました。文字装飾と関連してカリグラフィー(書道)も優れたものが多く残されていますが、芸術にまで発展したのは、アラビア語文化圏と漢字文化圏のみの特徴です。 芸術としての書道がアラビア語と漢字で共通するというのは、私がイスラム教徒と文化について語る際の定番ネタです。世界各国の文化に合わせてネタを持っておくことは、ビジネスエリートに必須なのです。 どんな宗教であれ、その宗教施設を訪れることで、書籍やウェブとは違う形でその教えを“体感”することができます。 本来おすすめしたいのは聖地メッカ(カーバ神殿のあるマスジド・ハラーム)やメディナ(預言者のモスク)なのですが、イスラム教徒でないと街自体に入れません。私は、サウジアラビアのジェッダからメッカの街の入口手前まで行きましたが、そこには、日本語で「イスラム教徒以外立入厳禁」と書いてありました。その場で引き返したのは言うまでもありません。 また、もう一つの聖地であるエルサレム宮殿の岩のドームやアル・アクサーモスクはその手前までは行けますが、やはり内部は、イスラム教徒以外は立ち入り禁止です。 ここでは、非イスラム教徒の外国人でも入ることができるモスクやイスラム建築の代表的なものを挙げておきます。出張や旅行の際に、足を運んでみるといいでしょう。 イマームモスク(イラン・イスファハン)(サファビー朝ペルシャの首都であったイスファハンにあるイラン建築を代表するモスク。ペルシャンブルーの色使いは見事です。イスファハンは、一六世紀末にサファビー朝ペルシャの首都に定められ、「世界の半分」といわれるほど繁栄しました。 アヤソフィア(トルコ・イスタンブール)(もともとビザンツ帝国のギリシャ正教会の大聖堂でしたが、オスマン帝国の支配を受けてモスクに変容しました。ビザンチン建築とトルコ・イスラム文化が融合しています。 タージ・マハル(インド・アーグラ)(モスクではないが、ムガール帝国皇帝が妃のために建立した墓廟であり、インド・イスラム文化を象徴する建築物です』、「芸術としての書道がアラビア語と漢字で共通する」、確かにアラビア文字なら「書道」が普及しそうだ。
・『ラマダンはイスラムの“お正月”  「断食なんて大変ですね。ラマダンはつらいでしょう」 あなたは気を使ったつもりでも、こう言うのはNG。イスラム教徒は気を悪くします。 日本人には「ラマダン=断食をしなければいけないつらい時期」と修行のように捉えている人が多いと思いますし、確かに一ヵ月間、日の出から日没まで食事も水も断つのですから、肉体的にはハードです。 私もエジプトに住んでいた頃にトライしたことがありますが、飲まず食わずの日中に備えて、日の出前に起きて食事をするので睡眠不足にもなります。 英字新聞で、「アイスランドに住むイスラム教徒のつらいラマダン」という記事がありましたが、北欧にイスラム教が広まらなかったのは、春から夏の終わりには極端に昼が長くて夜が短いために、ラマダンがつらすぎることも一因ではないでしょうか。 ちなみに戦争に行っている人、妊婦、子ども、老人、病人、旅人はラマダンでも断食が免除されます。ラマダンで重要なのは、断食でみながひもじい思いをし、貧しい人を思いやることです。 ラマダンはまた、イスラム教徒にとって連帯感を強めるすばらしい一ヵ月です。「ラマダンカリーム! (ハッピーラマダン!)」という挨拶があるくらいで、イスラム教徒にこの挨拶をすると、間違いなく笑顔が返ってきます。 ラマダンの時期は「イスラム暦の第九月」と定められているので一〇日ほど毎年早まっていきます。年末年始ではないのですが、みなが集まるという意味で雰囲気は日本の年末からお正月にどこか似ています。 昼間はずっと我慢して、日没とともに家族みんなで集まって、大いにご馳走を食べて楽しく過ごします。 ラマダンが終わった後の祭りが、イスラム教最大の祭りであり、三日間続くイード・アル・フィトル。長年イスラム教徒とつき合った経験から、重要なアポイントメントはこのイード・アル・フィトルの時期を外すことをおすすめします。 なお、もう一つの重要な祭りが、巡礼月にあるイード・アル・アドハー(犠牲祭)で、その名の通り、家畜を供出します。 あなたがもし、ラマダンの時期にイスラムの国に出張に行ったとしても、ホテルなどでは多くの場合普通に食事ができます。 ただし、レストランの窓が覆われていたりついたてがあったり、食べている姿がまわりの人に見えないよう、お店側が配慮しています。特にイスラムで禁じられているお酒は、ラマダン時期には決してイスラム教徒の前で飲まないよう注意すべきでしょう』、「「断食なんて大変ですね。ラマダンはつらいでしょう」、「こう言うのはNG」、初めて知った。私がかつてアルジェリアを旅行した際に、ラマダン期間中に砂漠地帯に行って、食べるものを探すのに苦労した。幸い、パンのようなものが駄菓子屋にあって、助かった記憶がある。

第三に、同じ山中氏による9月26日付けダイヤモンド・オンライン「知っておきたい! カトリックとプロテスタントの4つの大きな違い」を紹介しよう。
・(冒頭省略)ルターの登場と「個人主義」の始まり  ローマ・カトリックと東方正教会に分かれて世界に広がっていったキリスト教は、一六世紀に大転換期を迎えます。これがよく知られた宗教改革です。先駆者であるウィクリフや処刑されたフスの後を継いだのが、マルティン・ルターです。 「聖書を解釈するのは教皇と聖職者の仕事。何もわからない一般人は、ありがたく教えてもらい、従いなさい」 ちょっと意地悪な言い方ですが、これが当時のローマ・カトリック。 そしてローマ・カトリックは「善行主義」ですが、善行にもいろいろあります。たとえばボランティア活動や恵まれない人への施しをローマ・カトリックは今も昔もとても大切にしていて、これは明らかに「善きこと」でしょう。ところが、当時は「ローマ教皇にドンと寄付する」といったことも善行に含まれ、さらに聖職者たちが絶対的な権力を握ったことで汚職や不正も横行していました。 ルターは、今のドイツに住む一司祭でしたが、大学で神学と哲学を学んだ知性派です。 「神と人が一対一で向き合うのが本来の姿ではないか」「大切なのは善行ではなく、信仰そのものではないか」 このように考えたルターは、腐敗したローマ・カトリック教会の改革を目的に、一五一七年に九五箇条の論題をカトリック教会に突きつけます。ルターは、悪いことをしてもそれを買えば赦されるという贖宥状の発行が、ローマ教皇の資金源になっている点も厳しく非難していました。 ローマ教皇の絶対権力に反発する人たちも、これに賛同。こうしてルターの主張からプロテスタントという宗派が確立していきます。プロテスタントとは「抗議」を意味するラテン語です。 このように書くと、ルターの主張がどんどん広まったという事実に注目してしまいますが、様々な文献をひもとくと、実際のルターの人生はいつ殺されるかもわからないというまさに命を懸けたきわどい戦いだったようです。 なぜなら当時、ローマ教皇に反対意見を表明することは、異端であり死刑を意味しました。ルターとほぼ同時代の科学者コペルニクスは、地動説を信じながら、聖書の天地創造の教えに反することからなかなか出版ができませんでした。 彼は、地動説を発表する書籍の原稿が到着した日に病死したので、弾圧に遭わずに済んだのです。 プロテスタントの広がりの背景には、当時の印刷技術の発展もありました。教会にたった一冊しかない外国語の聖書では、そもそも手に取る機会がないし、あったとしても読む気にならないでしょう。 ところが、自国の言葉に翻訳された聖書が印刷物として大量に出回れば、一般の人たちの識字率も上がっていきます。 たとえて言うなら、それまでのカトリックでは、神やキリストが「作家」であり、そのメッセージはローマ教皇や聖職者という「マスコミ」経由でしか得ることができませんでした。 情報にバイアスがかかっていても、真相はわかりません。ところが宗教改革をきっかけに、人々は自分で聖書を読める、つまり神からダイレクトに情報を得られるようになったのです。まるでネット社会の到来のようではありませんか。 ルターが掲げたのは「信仰主義」「聖書主義」「万人祭司」の三つです。 ざっくり言うと、神と一対一で対峙して信仰を大切にし、聖書を読んで自分なりに解釈し、主体的に行動すべきだという主張です。これは現代社会の個人主義のスタートと言っていいと思います』、「実際のルターの人生はいつ殺されるかもわからないというまさに命を懸けたきわどい戦いだった」、それでも当時のドイツの有力諸侯の庇護があったからこそ、異端者としての火あぶりを免れたのだろう。
・『ローマ・カトリックとプロテスタントの四つの違い  日本人から見ると、プロテスタントとローマ・カトリックは「同じキリスト教」に見えるかもしれません。ところが、キリスト教徒にとっては「違う宗教」と言ってもいいほど大きな違いがあります(ただし、第二バチカン公会議〈一九六二~六五〉以降、お互いの関係は近づいたともいわれています)。 たとえば、「カトリックからプロテスタントに改宗する」としたら、イスラム教に改宗するほどではないとしても、人生の軸が変わる大きな出来事です。東方正教会とカトリック、プロテスタントとの間でも同じでしょう。 ビジネスパーソンであれば、この違いは理解しておいたほうがいいでしょう。そこで詳しく論じる前に、わかりやすく象徴的な点をまとめておきます』、どんな違いなのだろう。
・『1 善行のローマ・カトリック、信仰のプロテスタント  カトリックは、どんな罪人も善行を積めば救われると考えます。ここで言う善行とは巡礼や寄付、ボランティアのことです。逆に、労働はややネガティブに捉えられており、蓄財には罪悪感すらあります。一方で、プロテスタントは、どんな罪人も信仰によって救われると説きます。当時、このようなルターの信仰義認説をまとめた「キリスト者の自由」がドイツで大ベストセラーになりました』、「カトリック」が「労働はややネガティブに捉えられており、蓄財には罪悪感すらあります」、現在の時代にはマッチしない面もあるようだ。
・『2 ゴージャスなローマ・カトリック、シンプルなプロテスタント  日本人がイメージする「教会」は、ステンドグラスやマリア像、宗教画で美しく飾られた尖塔を持つカトリックの教会だと思います。しかし、プロテスタントの教会は、簡素で装飾のないつくりが一般的です』、確かにその通りだ。
・『3 感じるローマ・カトリック、考えるプロテスタント  カトリックは、かつては聖書の自国語訳が認められず、神父の話や美術、音楽で信者に教えを説いてきました。神父によるミサをするのは基本的にカトリックだけで、プロテスタントにはありません(最後の晩餐に由来する聖餐式はあります)。こう考えるとカトリックは、神父の言葉や美術や音楽で神を「感じる」もの、プロテスタントは自分で聖書を読んで神について「考える」もの、と言ってもいいでしょう』、なるほど。
・『4 生涯独身のローマ・カトリック、結婚OKのプロテスタント  カトリックの神父は生涯独身で、プロテスタントの牧師は妻帯が認められているばかりか、女性の牧師も存在します。これは基本中の基本ですが、私は宗教について理解が浅い若い頃、大失敗をしたことがあります。あろうことか、マルタ出身のローマ・カトリックの神父に「ご結婚なさっていますか?」と尋ねてしまったのです! 今思い出しても恥ずかしくなるほどで、くれぐれも同じ轍を踏まないでいただきたいと願っています。 また、プロテスタントでは認められている離婚が、カトリックでは原則許されません(新約聖書には、離婚について大変ネガティブな記述があります)。実際には法律で認められている国が多いですが、フィリピンのように離婚が認められない国も残っています』、「カトリックの神父は生涯独身」が影響しているのか否かは不明だが、神父による少年hでの性的犯罪が広がり、「カトリック」の恥部になっているようだ。

第四に、同じ山中による11月25日付けダイヤモンド・オンライン「プロテスタントの国のほうが「経済的にうまくいっている理由」」を紹介しよう。
・(冒頭省略)大航海時代で世界に広がり近代を迎える  宗教改革によりプロテスタントの勢いが増すにつれて、カトリック側の危機感も高まりました。カトリック陣営には、当時、地中海世界で大きな力を持ったオスマン帝国と同盟を結ぼうとする意見すらありました。 オスマン帝国はイスラム教の帝国ですから完全に異教徒。それでも同盟したいというくらい、追い詰められていたのです。 一五世紀後半以降始まったスペイン・ポルトガルによる世界への大航海は、一六世紀の宗教改革によるカトリックの危機感に結びつき、世界各地へのキリスト教の伝播につながりました。中南米にカトリック教徒が多いのは、この大航海時代にスペインとポルトガルがやってきて植民地化したためです。 私は二〇一三年のフランシスコ教皇就任直後に教皇の出身国アルゼンチンを訪問したのですが、街のいたるところにフランシスコ教皇の写真が飾られており、アルゼンチンの人々が心から教皇就任を祝っていることを感じました。 ヨーロッパでは一六世紀から一七世紀にかけて多くの宗教戦争が起きました。一七世紀の三十年戦争はそのなかでも最大級のものでした。 宗教改革の影響で中南米に加えてアジアにも多くの宣教師が送られました。日本にもフランシスコ・ザビエルがやってきたことはよく知られています。 時代は大きく下りますが、一九世紀にアフリカがヨーロッパの植民地になるとキリスト教はアフリカでも信者を増やします。アフリカ大陸には、古来エチオピア正教会、エジプトのコプト教会など東方教会系のキリスト教がありましたが、その他の地域にも本格的に広がったのです。現在アフリカ大陸の南半分はキリスト教徒が多い地域になっています。 このように大航海時代と宗教改革を経ることで、ヨーロッパと地中海周辺の国々の宗教であったキリスト教が全世界的に広がるのです。 大航海時代とほぼ同時期のルネサンス時代には、神優位の時代から人間中心の時代への変化が起きました。プロテスタントの勢力拡大もあり、ローマ教皇の権威は落ちていきました。時代は合理主義・科学主義をベースとする近代に入っていったのです』、「日本にもフランシスコ・ザビエルがやってきた」、のが「宗教改革」が影響していたとは初めて知った。
・『プロテスタントの国が経済発展した三つの理由  ローマ・カトリックとプロテスタントの違いをより深く理解するには、現在のそれぞれの宗派の国を比較するといいでしょう。一六世紀のヨーロッパで力を持っていたスペインはカトリック。イタリアは当然のこと、フランスもカトリックです。 ルターを生んだドイツは、諸侯がバチカンに反旗を翻したこともあり、プロテスタントが広まりました(カトリックも相当残りました)。続いてオランダや北欧もプロテスタントに改宗します。 プロテスタントは、万人祭司の考えをとりますので、カトリックのローマ教皇のような最高権威的存在はありません。その一方で多くの分派があります。 そのなかで重要なのは、イギリスで生まれたイギリス国教会です。 一六世紀にイギリスは国王ヘンリー八世の離婚問題を機にローマ教皇と袂を分かちイギリス国教会(アングリカンチャーチ)が生まれました。国王の個人的な理由でできたイギリス国教会は、カトリックの影響が根強いプロテスタントという、なんとも微妙な立ち位置になっています。 「もっと純粋なプロテスタントであるべきだ」と王に抗ったのが清教徒(ピューリタン)革命で、イギリスを離れ、メイフラワー号でアメリカに入植した最初の人々は清教徒だったといわれています。 そのためアメリカは、プロテスタントの国となりました。アメリカが宗教的な国になったのには、この清教徒の存在が大きいのです。宗教の国アメリカでは、清教徒の他、メソジスト、バプティストなど多数のプロテスタントの宗派があります。 このように、現在の欧米はカトリックとプロテスタント、東方正教会に分かれているのですが、興味深いのが、「二一世紀の今、経済的にうまくいっている」とされる国々には、プロテスタントである国が多い点です。 「国の経済や財政に問題あり」とされているスペイン、イタリアはカトリック、経済危機に陥ったギリシャは東方正教会です。いったいなぜでしょう? ビジネスパーソンが押さえておきたいのは、なぜ、プロテスタントの国々が経済的に成功したか、その三つの理由です』、「イギリス国教会は、カトリックの影響が根強いプロテスタントという、なんとも微妙な立ち位置」、確かに国教会は、壮麗な儀式、司教や司祭などまるでカトリックと思ってしまうほどだ。「王に抗ったのが清教徒(ピューリタン)革命で、イギリスを離れ、メイフラワー号でアメリカに入植した最初の人々は清教徒だった」、というのも理解できる。
・『1 識字率  翻訳・印刷された聖書を自分で読むようになったプロテスタントの人々は識字率が上がり、さらに本を読んで勉強するようになりました。 たとえば、一七世紀オランダの絵画には、女性が本を読んだり、手紙を書いたりする姿が描かれますが、これはプロテスタントの識字率の高さを示すものと言えるでしょう。 一般庶民の知的レベルが上がったので、プロテスタントの国々は一八世紀の産業革命の波にうまく乗ることができたのです。 産業革命の担い手は工場で働く大量の労働者ですが、みんなで一緒に作業したり、新しい機械を使ったりするので、覚えることがたくさんあります。どんなに頭がいい人でも、一回聞いたくらいでは忘れてしまいます。 そこで文字に書いたマニュアルやハウツーができるわけですが、これを利用できるのは字が読める人だけです。 明治維新以降の日本が急速に近代化することができたのも、識字率が高かったからだといわれています。こうしてプロテスタントの国では技術力が上がり、技術力が上がるとともに経済発展していきました』、「一七世紀オランダの絵画には、女性が本を読んだり、手紙を書いたりする姿が描かれますが、これはプロテスタントの識字率の高さを示すもの」、確かにその通りなのだろう。
・『2 個人としての自立  プロテスタントは「万人祭司」という立場をとるだけに個人主義的な傾向が強くあります。 カトリックのローマ教皇のような「大元締め」がいないため、「自分なりに聖書を解釈し、自分がいいと思えばそれでいい」という人も少なくありません。 プロテスタントを代表する言葉に、ルターによる「私は立つ」というものがありますが、これは神の前で自分が主体的に動くという意味で、「自主的に考えて行動する」という現代の働き方に近いものです。 「指示待ちは良くない」などはビジネスエリートの常識ですが、これはプロテスタント的思考とも言えるのです』、「自主的に考えて行動する」、「指示待ち」が多い日本の若者にも爪の垢を煎じて飲ませたいくらいだ。
・『3 「仕事=神の教えに従うこと」という概念  プロテスタントのなかのカルヴァン派は、ルターの二六歳下のカルヴァンが唱えたもの。 職業は神が与えたものであり、自分の仕事に専念することが修行であると説いたカルヴァンの『キリスト教網要』は広く読まれました。 あらゆる欲望を絶ち、禁欲的に働くことが救いになるとの考え方は、その後のプロテスタントの職業観に大きな影響を与え、禁欲的に働いた上での蓄財は罪ではなく、新たな事業に投資して良いという考え方は、資本主義の思想と親和性があります。 「働くことは良いこと」というのがカルヴァン派の仕事観であり、これがドイツ、イギリス、アメリカ、北欧の国々に影響をおよぼし産業革命につながった……。これはドイツの社会学者マックス・ウェーバーの説ですが、まさにその通りだと思います』、確かに「カルヴァン派の仕事観」は「産業革命」にとって重要な要素のようだ。
・『プロテスタントはビジネス書の読者に似ている?  キリスト教では、死後いったん仮の場所(仮の天国、煉獄〈カトリックのみ〉、地獄)で待機した後、千年王国を経て、神の教えに従って生きてきたかどうか最後の審判が行われ、天国か地獄へ行くことになっています。 マタイの福音書第二五章には、「(悪いことをした)者どもは永遠の罰を受け、正しい人たちは永遠の命にあずかる」とあります。この天国と地獄を分ける思想は古代ペルシャで隆盛をみたゾロアスター教に由来するといわれます。 ローマ教皇の依頼を受けたミケランジェロは、バチカンのシスティーナ礼拝堂にある『最後の審判』にて、死後天国と地獄へ分かれる審判を受ける様子を描きました。イエスが審判をしており、左側が天国に昇天する人々、右側が地獄へ落ちる人々です。 これがキリスト教の死生観の基本なのですが、プロテスタントのカルヴァン派には「予定説」というものがあります。簡単に言えば「あなたが天国に行くかどうかは神によって定められている」というものです。 最初から「最後の審判」の結果は決まっていて、天国に行くか地獄に行くかは、生まれつき決まっているけれど、あなたには知らされていない。しかし、「自分は天国に行くんだ」という前提で、それに値するような禁欲的できちんとした人生を送りなさい……。 最初から決まっているなら「大丈夫、天国へ行けるし」とだらだら暮らしても、「どうせ地獄だ」とヤケになって好き放題やっても良さそうなものですが、「天国行きという前提で頑張りなさい」というのが予定説なのです。私なりに解釈すれば、これは上司が部下を励ます感じに似ています。「君には実力があるはずだし、絶対うまくいくと信じている。だから頑張れよ!」 いわば「やればできる子」という太鼓判を押すのです。すると部下はやる気を出して努力し、実際に成果を上げる……。 カルヴァン派には、また「天職」という概念があります。天に与えられた自分の本当の役割があって、それをまっとうしなさいということです。英語で天職は「Calling(神の宣告)」ですし、才能は「Gift(神の贈り物)」。余談ですが同じ才能でも「Talent」は職業的技術的に優れた能力で、「Gift」は天才的な能力とされています。 自分には天職がある。だからうまくいくと信じて頑張ろう……。これは何やら、ビジネス書や自己啓発書にあるポジティブ思考に似ています。ビジネスパーソンなら一冊は読んだことがあるであろうこれらのジャンルのルーツはアメリカですし、アメリカで一流といわれるビジネスパーソンは、日本人以上にハードワーカーという人が珍しくありません。 プロテスタントの考えをもとに経済発展した国々の死生観と、現代のビジネス書がつながっているというのは、なかなか興味深い推論ではないでしょうか』、「アメリカで一流といわれるビジネスパーソンは、日本人以上にハードワーカーという人が珍しくありません」、ピューリタンやユダヤ教の影響の強さを考慮すると当然なのかも知れない。
・『ローマ・カトリックの人生観とは?  カトリック教徒の死生観には、プロテスタントの一派のカルヴァン派が考える予定説はありません。彼らは善行をとても大切にしている一方、労働はどちらかというとつらい義務だと捉えています。 蛇にそそのかされて知恵の実をかじったアダムとエヴァが楽園を追われ、アダムは労働という苦しみ、エヴァは出産という苦しみを与えられた――カトリックの労働観の根底には、この旧約聖書の逸話が根強くあるのです。 「仕事は義務だからやらなきゃいけないけど、なるべく早く終えて遊びたい、休みたい」 イタリアやスペインに赴任した日本人ビジネスパーソンは、現地の人との働き方の温度差に驚きます。 カトリック教徒は宗教行事を家族でとり行うことを大切にしており、クリスマス、復活祭、家族の洗礼式は何をおいても優先されることが多いです。一般に安息日である日曜日も大切にしているので、そこは立ち入らないほうがいいでしょう。これはヨーロッパのみならず、中南米でもフィリピンでも、世界のカトリック教徒に見られる傾向です』、「カトリックの労働観の根底には、この旧約聖書の逸話が根強くある」、初めて知ったが、頷ける。
・『我が道を行くローマ・カトリック国のフランス  「経済的にうまくいっているプロテスタント、そうでないカトリック」というやや極端な区分けをするとき、例外となるのがフランスです。カトリックらしく休みはたっぷりとりますが、今のところ、国内の格差問題などはあるものの深刻な経済危機には陥っておらず、EUのリーダーであり続けています。その理由について、私の仮説は二つあります。 一つめは、フランスにはかつてユグノーと呼ばれるカルヴァン派がいて、その影響が残っているというもの。マックス・ウェーバーの著書には、ユグノーがフランス経済、資本主義の発展に貢献したという旨の記述があります。 二つめは、フランス革命という市民革命によっていち早く近代国家の基盤をつくった国であるために、政教分離の概念が非常に強く、カトリックの考えや価値観が政治や経済の場に直接的に出にくいこと。 この問題は奥深く、フランスの有識者や四〇年間フランスにかかわっている知人と議論をしても、なかなか結論が出ません。フランスに限らず宗教も文化も国のあり方も、単純化は難しいものだと改めて思います。 世界を理解するには、政治経済だけはなく、宗教、文化などを含め、深く広く考えることが必要なのです』、「フランス」を「我が道を行くローマ・カトリック国」、として、イタリア、スペインと同列に扱わなかったのは、さすがだ。
4つの記事を通じて、普段は縁遠い宗教が多少身近になった気がする。
タグ:ローマ・カトリックの人生観とは? (その3)(ユダヤ人に成功者が多いのは「タルムード」に理由があった、ビジネスにすぐに役立つ「イスラム教のしきたり」、知っておきたい! カトリックとプロテスタントの4つの大きな違い、プロテスタントの国のほうが「経済的にうまくいっている理由」) 我が道を行くローマ・カトリック国のフランス 3 「仕事=神の教えに従うこと」という概念 2 個人としての自立 1 識字率 イギリス国教会は、カトリックの影響が根強いプロテスタントという、なんとも微妙な立ち位置になっています プロテスタントの国が経済発展した三つの理由 2 ゴージャスなローマ・カトリック、シンプルなプロテスタント 1 善行のローマ・カトリック、信仰のプロテスタント ローマ・カトリックとプロテスタントの四つの違い 「知っておきたい! カトリックとプロテスタントの4つの大きな違い」 モスクとイスラム芸術 宗教と生活が一体化しているイスラム 「ビジネスにすぐに役立つ「イスラム教のしきたり」」 ルターの登場と「個人主義」の始まり 1 食事の戒律に気を遣わないのはNG ユダヤ教で押さえるべき戒律 ユダヤ教のお金感覚とは? 「ユダヤ人に成功者が多いのは「タルムード」に理由があった」 ダイヤモンド・オンライン 山中俊之 宗教 3 割礼について無知なのはNG 2 「土曜日=安息日」と知らないのはNG ビネスマインドあふれる「タルムード」 王に抗ったのが清教徒(ピューリタン)革命で、イギリスを離れ、メイフラワー号でアメリカに入植した最初の人々は清教徒だった プロテスタントはビジネス書の読者に似ている? ラマダンはイスラムの“お正月” 4 生涯独身のローマ・カトリック、結婚OKのプロテスタント 大航海時代で世界に広がり近代を迎える 「プロテスタントの国のほうが「経済的にうまくいっている理由」」 注意したい! 礼拝とお辞儀の関係 日本にもフランシスコ・ザビエルがやってきた 3 感じるローマ・カトリック、考えるプロテスタント
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物流問題(その6)(アマゾンがついに「自前物流」構築の衝撃 配送業者に「契約打ち切り」の恐怖が広がる、ヤマト「アマゾンの仕事が戻らない」誤算の真因 「荷主の離反」に株価は直近ピーク時の半値へ、開発続く「物流施設」 駅チカ物件が増えるワケ 託児所やスポーツジム併設の施設も登場) [産業動向]

物流問題については、昨年11月1日に取上げた。1年以上経った今日は、(その6)(アマゾンがついに「自前物流」構築の衝撃 配送業者に「契約打ち切り」の恐怖が広がる、ヤマト「アマゾンの仕事が戻らない」誤算の真因 「荷主の離反」に株価は直近ピーク時の半値へ、開発続く「物流施設」 駅チカ物件が増えるワケ 託児所やスポーツジム併設の施設も登場)である。

先ずは、本年6月6日付け東洋経済オンライン「アマゾンがついに「自前物流」構築の衝撃 配送業者に「契約打ち切り」の恐怖が広がる」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/285198
・『アマゾンの小売り事業を支える大事なパートナーは「デリバリープロバイダ」と呼ばれる地域限定の配送業者だ。宅配最大手のヤマトホールディングスが悲鳴をあげるきっかけとなった急増するアマゾン経由の荷物配送は、このデリバリープロバイダが担っている。 だが今年に入り、全国で9社しかない、そのデリバリープロバイダのうちの1社がひっそりと名前を消した』、興味深そうだ。
・『アマゾン依存からの脱却を迫られる  5月30日、東証1部に上場する中堅物流企業のファイズが決算説明会を開いた。 「(アマゾン向けの)一本足打法でいいのか。顧客の分散化を進めていかなければいけない」。ファイズの榎屋幸生社長はこう語り、「アマゾン依存」から脱却する必要性について言及した。 ファイズは昨年までアマゾンのデリバリープロバイダのうちの1つだった。人材派遣会社・ヴィ企画の3PL(物流の一括請負)部門が独立する形で2013年に設立され、アマゾンを主要顧客とした3PL業務を中心に成長を遂げ、派遣やデリバリーサービスまで事業領域を広げてきた。アマゾンジャパン向けの売り上げは2018年3月期に7割弱で、2019年3月期も約6割を占める。 アマゾンジャパンは今年9月から埼玉県川口市で新たな物流拠点を立ち上げる予定で、ファイズはそこの3PL業務も請け負うとされる。「数百人から1000人を送り込む規模になる」(榎屋社長)。株式市場からは典型的な「アマゾン関連銘柄」と位置付けられており、自らアマゾン離れを掲げる積極的な理由はない。 両社の関係が変化したことを示したのが、ファイズの業績下方修正だ。2019年3月期の実績は赤字こそ避けられたが、創業以来初めて営業減益となった。要因の1つが、宅配を行うデリバリーサービスにおける大型案件の終了だった。ファイズは「顧客との契約内容については答えられない」とするが、物流関係者は「アマゾンからデリバリープロバイダの契約を打ち切られたからだろう」とみる。 アマゾンのデリバリープロバイダの1つである丸和運輸機関の和佐見勝社長は、「配送の品質が悪ければ、(荷主から)契約を打ち切られることは当然ある」と話す。 「アマゾンとの契約期間は基本1年間。ファイズは軽貨物車を用いた宅配業務に進出してからまだ日が浅く、アマゾンは顧客からのクレームが多いことに業を煮やしたのではないか」と指摘する運送会社の幹部もいる。アマゾンとファイズとのデリバリー契約が終了した時期は2018年末と見られている』、ファイズの「アマゾンジャパン向けの売り上げは2018年3月期に7割弱で、2019年3月期も約6割を占める」、どうみても依存度が高過ぎたようだ。
・『昨年11月から始まったアマゾンフレックス  時を同じくしてアマゾンが始めたのが、「アマゾンフレックス」という新サービスだ。アマゾンが個人事業主のドライバーと直接業務委託して配送する。2018年11月から東京都と神奈川県でサービスを展開し、現在は愛知県での募集を始めている。 アメリカでは2015年から始まり、日本を含め現在6カ国で展開している。アマゾンフレックスは軽バンなどの軽貨物車を保有している個人事業主を束ねるプラットフォームであり、不特定多数の人を募るクラウドソーシングという点では、配車アプリの「ウーバー」などと仕組みは近い。日本では始まっていないが、アメリカでは徒歩で配達することもできる。 アマゾンがドライバーに支払う報酬条件は、1注文2時間程度で税込み4000円。ドライバーにとっては、1日5注文10時間程度で月22日働けば、月44万円稼げる計算になる。 アマゾンフレックスは手持ちのアプリでスケジュールに合った時間を選択し、配達ステーションで荷物をピックアップ。アプリでルートを確認しながら配達できるという手軽さがセールスポイントだ。他社と比べて報酬は高くないが、届け先が不在時の場合、ドライバーが再配達する必要がないメリットがあるという』、「アマゾンフレックス」が日本ではまだ導入されてないのは、貨物自動車運送事業者法の許可をどうするかが、問題になっているためではなかろうか。
・『自社物流の道を歩み始めるアマゾン  ファイズとの契約打ち切りは、「アマゾンがいよいよ、ヤマトでもデリバリープロバイダでもない、“自社物流”の道を歩み始めた」と物流業界では受け止められている。あるデリバリープロバイダの幹部は「(アマゾンの本社がある)アメリカ・シアトルの人たちは、基本的にすべて自前で配送を管理したいのだろう」と警戒感を示す。 アマゾンは昨年、本社でドライバーが配送ビジネスを立ち上げる支援プログラムを始めている。日本でも「物流の自前化」が今後さらに進んでいく可能性が高い。 アマゾンジャパンが取り扱う年間の荷物は5億個と言われ、宅配会社別のシェアは2017年4月時点でヤマトが断トツの71%だった。それが、2018年4月時点で49%に下がり、足元はさらに低下しているとみられる(再配達管理アプリを運営するウケトル調べ)。対照的にアマゾン向けシェアを伸ばしているのがデリバリープロバイダだったが、アマゾンはそのデリバリープロバイダの依存度すら引き下げようとしている。 配送会社にとっては、重要顧客であるアマゾンからの発注を維持しつつ、新たな顧客を開拓していけるかが生き残りのカギを握る。今期から荷受け量の回復を目指すヤマトなど大手も含め、小売りの巨人といかに向き合うかは、自らの行方を左右する死活問題となっている』、物流業者にとっては、アマゾンの一挙手一投足に機敏に対応してゆく必要がありそうだ。

次に、11月12日付け」東洋経済オンライン「ヤマト「アマゾンの仕事が戻らない」誤算の真因 「荷主の離反」に株価は直近ピーク時の半値へ」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/313722
・『失った信頼の代償は、大きかった。 ヤマトホールディングス(HD)は10月31日、2020年3月期の業績見通しを下方修正した。営業収益は250億円減額して1兆6700億円(前期比2.7%増)に、営業利益は同100億円引き下げ、620億円(同6.3%増)を見込んでいる。 主力のデリバリー事業において、大口法人顧客の取扱数量が想定を下回ったことなどが響いた。中核子会社のヤマト運輸は2017年春から法人向けの運賃値上げを進めているが、それによって顧客である荷主がヤマトから離れてしまった格好だ』、興味深そうだ。
・『アマゾンのヤマト向け委託比率は3割に低下  「ヤマト離れ」した大口法人顧客の中で、最も大きい存在がアマゾンだ。佐川急便に代わり、2013年から大部分のアマゾンの荷物をヤマトが扱っていたが、2017年に従業員に対する未払い残業代問題が発覚。ヤマトは働き方改革の一環として宅急便の荷受け量抑制と運賃値上げなどの事業構造改革を進め、結果的にアマゾンの荷物の取扱量が減少した。 再配達問題解決アプリ「ウケトル」のデータによると、アマゾンのヤマトへの委託比率は2017年4月時点で7割強あったが、2019年5月時点では3割強まで下がった。 アマゾンが日本で出荷する荷物は年間で推定5億個に及び、単純計算で年間約18億個にのぼるヤマトの取扱荷物の3割弱を占める。比率が縮小したとはいえ、ヤマトにとってアマゾンが最大の顧客であることは間違いないとみられる。 アマゾンの荷物の数量が減ること自体はヤマトの想定どおりだったが、今期になっても数量が戻ってこないことは誤算だった。 事業構造改革を経て、今期の取扱数量は前期比3.9%増を見込んでいたが、2019年4~9月期は0.6%増にとどまった。荷物量の回復に備え、午後の配達に特化した配達員「アンカーキャスト」を2020年3月末までに1万人を採用する予定だったが、荷物量の回復力が鈍く、採用はいったん凍結している(2019年9月末時点で約6500人)』、「アマゾンのヤマトへの委託比率は2017年4月時点で7割強あったが、2019年5月時点では3割強まで下がった」、2年間でこれだけ下がるとは、第一の記事にあった「デリバリープロバイダ」を育成・活用したのだろう。ヤマトもこうしたアマゾンの動きは、水面下で把握していた筈だが・・・。
・『アマゾン、楽天が相次ぎ自前物流を強化  誤算の背景にあるのは、荷主による物流の自前化だ。アマゾンはSBS即配サポートや丸和運輸機関(SBSと丸和運輸のトップインタビューを週刊東洋経済PLUSに掲載)といった地域限定の配送業者「デリバリープロバイダ」への委託を強化しているほか、個人事業主のドライバーに直接業務委託する「アマゾンフレックス」を2019年1月から本格的に始めている。アマゾンフレックスは現在、関東圏・愛知県・宮城県・北海道で展開している。 ウケトルのデータによると、アマゾンの自前配送比率は2019年7月時点で41.2%にのぼる。楽天も2018年7月に自前の物流拠点や配送網を構築する「ワンデリバリー構想」を打ち出し、累計で2000億円を投じるとしている。 現在、ヤマトがアマゾンから引き受ける荷物の配送料金は1個当たり平均420円とされる。関係者によれば、デリバリープロバイダはそれよりも4~5割程度安い200~250円で引き受けているという。接客応対や時間指定など配送品質の面でヤマトなど大手に分があるが、荷主からするとより安価な配送業者を選ぶのは合理的だ。 慌てたヤマトがとった策が、アマゾンとの価格再交渉だ。交渉の結果、2018年1月に1個当たり平均280円だった配送料を420円へ値上げすることで決着したとされるが、2019年10月上旬に両者が新たな契約を結んだことが関係者の間で話題になっている。 10月31日の決算会見でヤマトHDの芝﨑健一副社長は「(アマゾンに対する)値下げの事実はない」と語っている。ただ、あるデリバリープロバイダの幹部は「2018年1月のヤマトによるアマゾンへの値上げは、個数が増えるごとに値段が上がる累進課税的な仕組みだった。ヤマトは今回、この条件を放棄したようだ」と話す。 そのうえで「一部地域では、現状より1割強安い約360円で妥結する方向で交渉が進んでいる」(同幹部)という。また別の物流関係者は「一定を超える数量の荷物をアマゾンが出荷した際、ヤマトからアマゾンに金銭的な補助をするリベート的な契約が盛り込まれた可能性がある」と説明する。 こうした関係者の証言を総合すると、「事実上の値下げ」と言える合意が両者の間であるのは確かなようだ。この点について、ヤマトHDは「個別の企業との契約内容になるため回答を控えるが、宅急便の数量拡大のために値下げを行うことはない。同社(=アマゾン)とは、つねに適正かつよりよいサービスに向けた協議を行っている」と回答した』、ヤマトが今になって実質値下げをしたところで、アマゾンは、「デリバリープロバイダ」や「アマゾンフレックス」といった別チャネルの活用を始めてしまったので、「時既に遅し」なのではなかろうか。
・『株価は直近ピーク時の半値で推移  アマゾンに事実上の値下げをしたことで憤るのは、ヤマトの現場で働く社員と値上げをのまされたアマゾン以外の荷主だろう。あるヤマト関係者は「ヤマトの幹部が6月頃、荷物の量が戻らないことに対し『蛇口をひねれば大丈夫』ということを言っていた。いつでもアマゾンの荷物は戻ってくるという意味の発言だが、見通しが甘すぎる。これまでの働き方改革とも逆行する」と語る。 また、ある日用品ECメーカー関係者は「アマゾンだけに値下げするのは不公平だ。われわれも値下げをしてほしい」と漏らす。 一連の混乱も反映して、ヤマトHDの株価は2018年9月にピーク(3506円)をつけた後、およそ半値まで低迷している(11月11日の終値は1802円)。9月中旬にはアメリカ運用大手のキャピタル・リサーチ・アンド・マネージメント・カンパニーが、保有する7.05%の株式すべてを売却し、一時ヤマトHDの株価が前日比9%安まで急落する場面があった。「業績回復の見込みが立たないと判断し、損切りせざるをえなくなったようだ」(市場関係者)。 JPモルガン証券の姫野良太アナリストは「荷主の離反はヤマトHDが考えているより深刻な可能性があり、下期の修正計画達成も現時点ではハードルが高い印象がある」と指摘する。 ヤマトグループは、11月29日に創業100周年を迎えるが、次の100年を見通すことができない五里霧中状態にある。2019年4月に社長に就任した長尾裕氏はこの間対外的な発信をほとんど行っておらず、リーダーシップを発揮すべき局面を迎えている』、「ヤマトの幹部が」『蛇口をひねれば大丈夫』と言ったというのは、業界NO.1の座からの「驕り」だろう。「アマゾン、楽天が相次ぎ自前物流を強化」したなかでは、戦略の抜本的見直しが必要だろう。

第三に、12月1日付け東洋経済オンライン「開発続く「物流施設」、駅チカ物件が増えるワケ 託児所やスポーツジム併設の施設も登場」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/316530
・『10月、千葉市内で巨大物流施設の竣工式が執り行われた。 事業主は物流施設開発で最大手の米プロロジス。今回竣工した「プロロジスパーク千葉1」は、東京ドーム1.4個分の敷地に延べ床面積14.7万平方メートルを誇り、物流施設でも大型の部類に属する。さらに隣ではもう1つの物流施設の工事も進んでおり、こちらは来年11月に竣工する予定だ。 会場には千葉市長や建設を担当したゼネコン社長などが居並ぶ中、冒頭で挨拶に立ったプロロジスの山田御酒社長が自信を見せたのは、意外な点だった。「これまでに国内95棟の物流施設を開発してきたが、今回は最も広いカフェテリアを施設内に用意した。宅配ボックスやシェアサイクルも設置し、最寄り駅までの専用バスも手配する予定だ」。 これらはすべて、物流施設で働く従業員への福利厚生だ。といっても、プロロジス自体は物流施設そのものを開発、賃貸する立場。ここで言う従業員とは施設に入居するテナントが雇用する人たちであり、プロロジスと直接の関係はない。「赤の他人」を異例の厚遇で迎える背景には、物流業界を悩ませる深刻な人手不足がある』、「人手不足」が「物流施設」の立地や設備にまで大きな影響を与えているようだ。
・『1に雇用、2に雇用、3に雇用  物流業界が欲する人材は、トラックドライバーや宅配便の配送員だけではない。施設内で荷物の仕分けや梱包、ピッキングなどをする作業員の不足も深刻化している。「顧客に今の課題は何かと聞くと、『1に雇用、2に雇用、3に雇用』という答えが返ってくる」(プロロジスのハミード・R・モガダム会長兼CEO)。 大規模かつ安価な土地を求めて、郊外に立地することが多い物流施設。都市部ほど働き口が豊富でない地域にあって、これまでは労働力を確保することが比較的容易だった。だが電子商取引(EC)の急成長などを受け、この数年で物流施設の数は急増した。物流施設が多数立地する地域の求人情報は「倉庫内作業」「軽作業」といった言葉で埋め尽くされ、施設同士で労働力の奪い合いも起きている。 物流施設開発で大手の日本GLPの帖佐義之社長は、「人手不足に対して物流施設の開発者として何ができるかは、テナントの入居にも関わる」と話す。単なる立地や賃料だけでなく、従業員にとって魅力ある施設を開発することが不動産会社に求められるようになってきた。そこで各社は「働きたくなる」物流施設の開発に知恵を絞る。 日本GLPが昨年2月に千葉県流山市で開発した「GLP流山1」。延べ床面積約13万平方メートルの巨大施設には、施設内にコンビニやカフェテリアのほかに託児所を開設した。「(子育てのために)これまで働くことを諦めていたが、『託児所があるから働きたい』という人もいる」(帖佐社長)。 オリックスが今年3月に埼玉県松伏町で開発した「松伏ロジスティクスセンター」には、ランニングマシンやエアロバイクなどが並んだフィットネスルームが併設されている。一見物流施設とは縁遠いが、これも人手確保の一環だ。 オリックスの清田衛・物流事業部長は、「物流施設で働く方が、健康になりながら働けるような環境であることを訴求していきたい。女性だけでなく、運動不足などを気軽に解消したい男性パート社員の確保にも追い風だ」と狙いを話す。施設で働く従業員であれば、仕事がない日でも利用されているようだ』、「託児所」はまだしも、「フィットネスルームが併設」とは恐れ入った。
・『立地戦略にも影響  深刻な人手不足は、物流施設の開発立地にも影響を与え始めている。 「物流施設開発を始めた頃は、インターチェンジからの距離が最大の関心事だった。だが現在は駅からの距離を重視するようになっている」。三井不動産の三木孝行・常務執行役員ロジスティクス本部長は、近年の物流業界の変化をこう振り返る。 これまでの物流施設は、高速道路の出入口に近い場所が一等地とされてきた。荷物を運ぶトラックが迅速に配送地まで行き来できることが重要だった。だが時代は下り、輸送効率よりもまず施設内の作業員確保が重要視されるようになり、電車や路線バスなど公共交通機関で通える土地が脚光を浴びている。 三井不動産が今年10月に竣工させた「MFLP船橋Ⅱ」は、JR京葉線「南船橋」から徒歩10分の距離にある。さらに同社が現在開発を進める佐賀県の「MFLP鳥栖」や「MFLP大阪交野」も、最寄駅から徒歩圏内だ。 香港に本社を構える物流施設開発会社「ESR」は昨年9月、埼玉県久喜市に延べ床面積約15万平方メートルの物流施設「ESR久喜ディストリビューションセンター」を開発した。もともとは東京理科大学のキャンパスがあった場所で、久喜駅からも路線バスが通っている。「施設が出来上がる前から、『いつパート社員の募集が始まるのか』という電話がかかってきた」と担当者は述懐する。 前述の「GLP流山1」の周辺にはもともと駅やバス停がなかったが、「バスがなければ通せばいい」と言わんばかりに、敷地内にバス停そのものを作ってしまった。現在は東武バスがつくばエクスプレス「流山おおたかの森」駅まで、従業員専用の直行バスを運行している。日本GLPは将来的に、近隣のスーパーマーケットなどにも専用のバス停を設けたい構えだ。 荷物を保管するだけの「倉庫」が、仕分け・梱包・流通まで担う「物流施設」へと変貌して久しい。旧来型の倉庫が競争力を失う一方で、物流施設はさながら時代の寵児のごとく隆盛を極めてきた。だが今後は「物流施設同士でも競争が繰り広げられるだろう」(三井不動産の三木氏)』、「立地」が変化したのは、確かに「荷物を保管するだけの「倉庫」が、仕分け・梱包・流通まで担う「物流施設」へと変貌」、という物流業界の構造変化の影響が大きいだろう。
・『物流施設が抱えるジレンマ  例えば、ある不動産会社が今年に開発した物流施設。延べ床面積は約4万平方メートルと中型で、最寄駅から施設までは路線バスも走っている。だが施設内に従業員向けの食堂や売店、休憩スペースなどは設置されていない。「大型の物流施設ならさまざまな福利厚生を提供できるが、中小規模だと収益的に厳しい」と担当者は打ち明ける。 物流施設の賃料はテナントに貸し出す面積によって決まる。福利厚生を充実させればさせるほど、施設全体が生み出す賃料は下がるジレンマを抱える。 首都圏の物流施設では、併設した託児所の運用に頭を悩ませる。「テナントから何歳の子が何人来そうかをヒアリングしているところだ。場合によっては、利用者がゼロの可能性もある」(開発担当者)。流動的な非正規従業員のニーズを的確に捉えることは難しく、どんなサービスを提供するか各社の手腕が問われる部分だ。 物流施設への投資額は重くなる一方、不動産会社からは「魅力的な施設を作れば、それに見合った賃料を取れる」という声も上がる。物流施設というハードを整えるのみならず、働きやすさというソフトに対しても大胆な投資を行うことこそ、遠回りに見えて実際は収益化の近道となるのかもしれない』、「物流施設」へのニーズ変化に対応する必要がある不動産会社も知恵の勝負になってきたようだ。
タグ:デリバリープロバイダ 「アマゾンがついに「自前物流」構築の衝撃 配送業者に「契約打ち切り」の恐怖が広がる」 アマゾン、楽天が相次ぎ自前物流を強化 貨物自動車運送事業者法の許可 昨年11月から始まったアマゾンフレックス 「ヤマト「アマゾンの仕事が戻らない」誤算の真因 「荷主の離反」に株価は直近ピーク時の半値へ」 アマゾンのヤマト向け委託比率は3割に低下 アマゾン依存からの脱却を迫られる 自社物流の道を歩み始めるアマゾン 物流施設というハードを整えるのみならず、働きやすさというソフトに対しても大胆な投資を行うことこそ、遠回りに見えて実際は収益化の近道となるのかもしれない 物流施設が抱えるジレンマ フィットネスルーム これまでの物流施設は、高速道路の出入口に近い場所が一等地 荷物を保管するだけの「倉庫」が、仕分け・梱包・流通まで担う「物流施設」へと変貌 輸送効率よりもまず施設内の作業員確保が重要視されるようになり、電車や路線バスなど公共交通機関で通える土地が脚光 立地戦略にも影響 託児所 1に雇用、2に雇用、3に雇用 「開発続く「物流施設」、駅チカ物件が増えるワケ 託児所やスポーツジム併設の施設も登場」 物流施設開発で最大手の米プロロジス 株価は直近ピーク時の半値で推移 「人手不足」が「物流施設」の立地や設備にまで大きな影響 (その6)(アマゾンがついに「自前物流」構築の衝撃 配送業者に「契約打ち切り」の恐怖が広がる、ヤマト「アマゾンの仕事が戻らない」誤算の真因 「荷主の離反」に株価は直近ピーク時の半値へ、開発続く「物流施設」 駅チカ物件が増えるワケ 託児所やスポーツジム併設の施設も登場) 東洋経済オンライン 物流問題
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