心理学(その5)(脳に良い習慣と「脳に悪い心理状態」の決定的事実 ストレスや不安は海馬や前頭葉を萎縮させてしまう、精神科医が教える「一瞬で不安を打ち消すたった1つの方法」、鴻上尚史氏と中野信子氏が対談 日本は「好きなことをしていると叩かれる国」) [生活]
心理学については、6月29日に取上げた。今日は、(その5)(脳に良い習慣と「脳に悪い心理状態」の決定的事実 ストレスや不安は海馬や前頭葉を萎縮させてしまう、精神科医が教える「一瞬で不安を打ち消すたった1つの方法」、鴻上尚史氏と中野信子氏が対談 日本は「好きなことをしていると叩かれる国」)である。
先ずは、9月3日付け東洋経済オンラインが掲載した精神科医のアンデシュ・ハンセン氏による「脳に良い習慣と「脳に悪い心理状態」の決定的事実 ストレスや不安は海馬や前頭葉を萎縮させてしまう」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/614884
・『ストレスは脳にダメージを与え、海馬や前頭葉が小さくなることも。『運動脳』著者で世界的精神科医のアンデシュ・ハンセン氏が「ちょっとしたイライラ」が脳に静かに与えるダメージ、とっておきのストレス解毒剤として運動の効果を解説します。散歩からストレス解消効果が期待できます。 ストレスは脳を小さくする。そして記憶や発話、感情の制御といった機能に問題を生じさせる。 ストレスを感じると、まず脳の扁桃体が反応し、視床下部→下垂体→副腎へと身体の上から下へ刺激が伝わる。副腎から「コルチゾール」というホルモンが分泌されると、動悸は激しくなる。この一連の反応はほんの1秒ほどで起きるが、これは人類の生存に欠かせないからだ。生存の可能性を増やすものがあるとすれば、危険な状況に出くわしたとき、ただちに逃走をうながす警報システム。扁桃体の機能が、まさにそれにあたる。 扁桃体は、ストレス反応を引き起こすだけでなく、そのストレス反応によっても刺激を受けてしまう。扁桃体が危険を知らせ、それに反応してコルチゾールの血中濃度が上がると、扁桃体がさらに興奮する。ストレスがストレスを呼ぶ悪循環だ。 体内には、このストレス反応を緩和し、興奮やパニック発作を防ぐブレーキペダルが備わっている。その1つが「海馬」だ。海馬は記憶中枢として知られるが、感情を暴走させないブレーキとしても働いている』、「ストレスを感じると、まず脳の扁桃体が反応し、視床下部→下垂体→副腎へと身体の上から下へ刺激が伝わる。副腎から「コルチゾール」というホルモンが分泌されると、動悸は激しくなる。この一連の反応はほんの1秒ほどで起きるが、これは人類の生存に欠かせないからだ」、「扁桃体は、ストレス反応を引き起こすだけでなく、そのストレス反応によっても刺激を受けてしまう・・・ストレスがストレスを呼ぶ悪循環だ」、「体内には、このストレス反応を緩和し、興奮やパニック発作を防ぐブレーキペダルが備わっている。その1つが「海馬」だ。海馬は記憶中枢として知られるが、感情を暴走させないブレーキとしても働いている」、実によく出来た仕組みだ。
・『イライラで海馬が縮小する ストレスそのものは生存に必要な機能だ。闘争、あるいは逃走しなくてはならない重大な局面では、エネルギーが余計に必要となるためコルチゾールが増えることは役に立つ。しかし、海馬の細胞は、コルチゾールに長時間さらされると死んでしまう。慢性的にコルチゾールが分泌されると、海馬は萎縮してしまうのだ。 これは記憶に直結する問題で、重いストレス反応を抱えた状態が続くと、言葉がうまく出てこなかったり、場所の認識ができなくなったりする。海馬は空間認識にも関わっているため、自分の場所や方向がわからなくなる可能性も出てくる。) 扁桃体がストレス反応を引き起こしつづけると、海馬のブレーキはすり減ってしまう。アクセルである扁桃体は、海馬が萎縮してブレーキが利かなくなると暴走を始める。こうして、ストレスがさらにストレスを生むサイクルに入る。 長期的なストレスは脳に損傷を与える。重いストレスや不安を抱える人の脳を調べると、実際に海馬が平均よりわずかに小さいことがわかる。おそらくコルチゾールによって、ゆっくりと蝕まれたためだろう』、「扁桃体がストレス反応を引き起こしつづけると、海馬のブレーキはすり減ってしまう。アクセルである扁桃体は、海馬が萎縮してブレーキが利かなくなると暴走を始める。こうして、ストレスがさらにストレスを生むサイクルに入る」、恐ろしいことだ。
・『心配するたび「前頭葉」が小さくなる ストレスや不安で小さくなるのは海馬だけでない。抽象的思考や分析的思考を行う、額のすぐうしろ「前頭葉」も萎縮する。実際、極度の心配性の人は前頭葉の各部位が小さい。 前頭葉もまた、感情を暴走させず、理性を失った行動に出ないよう働くクールダウンの器官だ。その前頭葉が萎縮すれば、ストレスが長引いて脳はみずからを蝕み、歯止めはさらに利かなくなる。扁桃体がやたらと警告を発し、前頭葉がそれを打ち消すことができなければ、ほんの些細なことにも大げさに反応するようになる。 では、ストレス反応を抑えるにはどうすればいいのか。「磁気による刺激を前頭葉に与えて活動を促す」療法が実在するように、ストレスを抑えたければ、脳の思考領域、つまり海馬と前頭葉の機能をうながせばいい。この2つの部位は、ともに体を活発に動かすことで何より刺激を受ける部位である。 まず、ランニングやサイクリングなどの運動をすると、それを続けている間はコルチゾールの分泌量が増える。体に負荷がかかる運動は一種のストレスだからだ。 筋肉を適切に動かすには、より多くのエネルギーや酸素が必要なので、血流を増やそうとして心臓の鼓動は激しくなる。そして心拍数と血圧が上昇する。この場合のコルチゾールの働きは正常で、体を動かすために必要な反応だ。 しかし運動が終われば、体はもうストレス反応を必要としないので、コルチゾールの分泌量は減り、さらにランニング前のレベルにまで下がっていく。ランニングを習慣づけると、走っているときのコルチゾールの分泌量は次第に増えにくくなり、走り終えたときに下がる量は逆に増えていく。) ここからがおもしろいところで、定期的に運動を続けると、運動以外のことが原因のストレスでも、コルチゾールの分泌量はわずかしか上がらなくなる。運動によるものでも仕事に関わるものでも、ストレスに対する反応は、体が運動で鍛えられるにしたがって徐々に抑えられるのだ。つまり運動が、ストレスに対して過剰に反応しないよう体をしつけるのである。体を活発に動かしたことでストレスに対する抵抗力が高まる。 運動は前頭葉を強くもする。体を活発に動かすと脳の血流が増える。前頭葉にたちまち大量に血液が流れ、機能が促進される。さらに、運動を長期にわたって続けると、前頭葉に新しい血管がつくられ、血液や酸素の供給量が増加、それによって老廃物がしっかり取り除かれる。 加えて、定期的に運動すれば、前頭葉と扁桃体の連携も強化される。そうなると、前頭葉はさらに効率よく扁桃体を制御できるようになる。教師が離れた場所から生徒を監督するのではなく、教室にいて直接指導するようなものだ。 定期的な運動を続ければ、前頭葉は物理的に成長までする。1時間程度の散歩を習慣にしている成人の前頭葉を定期的に測定した結果、前頭葉を含む大脳皮質が成長していたのだ。歩くと前頭葉が大きくなる。信じられないような事実である』、「ストレスに対する反応は、体が運動で鍛えられるにしたがって徐々に抑えられるのだ。つまり運動が、ストレスに対して過剰に反応しないよう体をしつけるのである」、「運動が」「体をしつける」とは面白い表現だ。「1時間程度の散歩を習慣にしている成人の前頭葉を定期的に測定した結果、前頭葉を含む大脳皮質が成長していた」、私も「1時間程度の散歩」を日課にしているので、「大脳皮質が成長」している筈だ。なんだか嬉しくなる。
・『運動とストレスは「正反対」に作用する 運動とストレスに関するさまざまな研究論文に目を通していると、ある事実が浮かび上がってくる。ストレスと運動は、ほぼ正反対の作用を脳に与えているのだ。 ・ストレスが増してコルチゾールの血中濃度が高くなると、脳内で情報を伝達する機能が妨げられる。運動は逆にその機能を高める。 ・ストレスは脳の変化する特性(可塑性)を損なわせるが、運動はそれを高める。 ・ストレスが高まると短期記憶(数分から数時間の記憶)が長期記憶に変わる仕組みにブレーキがかかる。運動はその逆に作用を促す。 運動は、ストレスや不安を消し去る本物の解毒剤だ。週に2,3回は心拍数が増えるようなランニングなどの有酸素運動をお勧めしたい。たとえ動悸が激しくなっても、脳はそれがストレスから来るものではなく、プラスの変化をもたらすものだと学習する。ただ散歩に出かけるだけでもいい。活発に体を動かしたときほどではないにしても、ストレスを抑える効果は望める』、「週に2,3回は心拍数が増えるようなランニングなどの有酸素運動をお勧めしたい」、私の場合は、「ランニング」の代わりに速足をしている。
次に、10月19日付けダイヤモンド・オンラインが掲載した書籍オンライン編集部による「精神科医が教える「一瞬で不安を打ち消すたった1つの方法」」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/310726
・『コロナ禍、ウクライナ危機、急激なインフレ…。いつ何が起こるかわからない世界を生きる私たちは、どんな変化にも対応できるようにストレスへの対処法を知っておく必要がある。そこでおすすめしたいのが、『ストレスフリー超大全』。多くの人がストレスを感じる「人間関係」「プライベート」「仕事」「健康」「メンタル」の5つのテーマに対して科学的ファクトと対処するためのToDoがまとまった1冊だ。本書を執筆した精神科医の樺沢紫苑氏は、「ストレスは耐え忍ぶものではなく、しなやかに受け流すことが必要である」と言う。本記事では、本書をもとに現代人に必須のストレスの対処法をご紹介する』、「「ストレスは耐え忍ぶものではなく、しなやかに受け流すことが必要である」、というのは興味深い見解だ。
・『精神科医が教える「一瞬で不安を打ち消すたった1つの方法」 不安になるのは、なぜか? ストレスはマイナスなイメージがあるが、「いいストレス」もあると本書で樺沢氏は述べている。 適度なストレスは、脳の働きを活性化し、集中力を研ぎ澄まし、記憶力を高めます(P.3) しかし注意しなければいけないのは、「過剰なストレス」だ。 仕事、人間関係、将来不安などで悩み続けると思考停止に陥る。そして、その状態で耐え忍んでしまうとストレスが蓄積していく。やがて、心身をむしばむ「悪いストレス」に変化してしまう。 ではなぜ、人は不安になるのだろうか? 人間が緊張、不安、恐怖の感情を持つと脳内物質の「ノルアドレナリン」が分泌される。 このノルアドレナリンは「闘争か、競争か」の物質と言われている。この物質について、本書にはこう書かれている。 ノルアドレナリンが分泌されると脳が研ぎ澄まされ、集中力が高まり、どうすればいいのか一瞬で判断できるようになります(P.20) 不安や恐怖といったピンチに対して、「さっさと行動しろ!」とノルアドレナリンは私たちに警告してくれているのだ』、「分泌されると脳が研ぎ澄まされ、集中力が高まり、どうすればいいのか一瞬で判断できるようになります」、有難い効用があるようだ。
・『「行動すること」が不安を減らす しかし、ノルアドレナリンの警告を無視し、思考停止になったまま行動を起こさないと、不安は増えていく。 月曜日に大切な会議があるあなたは不安で不安で仕方がない。最悪の事態を想像してしまい、何もする気になれず家に閉じこもっていたのに、休んだ気がしない。不安は増すばかり。そんな日曜の夜を過ごしたことはないだろうか。 しかし、不測の事態に備えた前向きな行動を起こしていたらどうなるか。 前向きな行動を始めると、ノルアドレナリンという行動するためのガソリンが消費され、「行動によるガソリン消費→ノルアドレナリン減少→不安逓減→気持ちが楽になる」という流れが起こる。 本書には、このように書かれている。 不安を消すことは簡単です。「行動する」ことです。いきなり不安が「ゼロ」にならないまでも、行動することで、不安は必ず軽くなります。「何もしない」と強まるだけなので、何かするだけで気分は変わります(P21)』、「前向きな行動を始めると、ノルアドレナリンという行動するためのガソリンが消費され、「行動によるガソリン消費→ノルアドレナリン減少→不安逓減→気持ちが楽になる」という流れが起こる」、なるほど。
・『「行動を細分化」して悩みを解決! 「行動する」ことが大切だとは分かった。しかし、不安や悩みを抱えた状況で前向きな行動ができないのも正直なところだ。 それについて著者は、「すべての『行動』を細分化して行動のハードルを下げることで、苦しい状況でも『できる』ことを見つけられる」とし、3つの「確実に行動できる対処法(ToDo)」を提案している。 1.「話す」(人に話してみたら、心がスッキリしたことはないだろうか。別にアドバイスがもらえなくてもいいのだ。 悩みや不安について同じことをグルグル考え悶々としているより、不安な気持ちを放出することで少しばかりスッキリした気持ちが味わえるものだ。 しかし注意しなければならないのは、不安や悩みを話すのも加減する必要があることだ。延々と聞かされる相手の身になり、不安や悩みは簡潔にまとめ、最後は前向きな言葉で終えることを心掛けたい。) 2.「書く」(不安や悩みというのは、ぼんやりとしたものになりがちだ。そんなときは、無心になって書き出してみよう。 「何について悩んでいるのか」「なぜ悩んでいるのか」を書き出すことで案外、不要な悩みだったことに気づくかもしれない。 手を動かし紙に書き出すという行動は、自分を冷静に見つめ直す作業となる。) 3.「体を動かす」(何をしても不安が拭えないときは、思い切って体を動かしてみよう。じっと椅子に座って考え込んだり、不安だからと布団にくるまっていてもどんどん悪い方向に思考が傾いてしまうだけだ。 それよりも、体を動かしたほうがいい。セロトニンが活性化し、脳が沈静化されてマイナスな思考が薄まってくれる。 これら3つの行動をすべて取り入れる必要はない。その時の自分に合ったものをどれかひとつでもいいので試してみれば、ノルアドレナリンという不安物質が消費されて、心は軽やかになってくれる』、「「すべての『行動』を細分化して行動のハードルを下げることで、苦しい状況でも『できる』ことを見つけられる」とし、3つの「確実に行動できる対処法(ToDo)」を提案」、「1.「話す」」、「2.「書く」、「3.「体を動かす」」、「これら3つの行動をすべて取り入れる必要はない。その時の自分に合ったものをどれかひとつでもいいので試してみれば、ノルアドレナリンという不安物質が消費されて、心は軽やかになってくれる」、なるほど。
・『「悩みの正体」を知れば、解決への道が見える ここで改めて「悩み」とは何か考えてみよう。 悩みとは、ある問題について、苦しみ、思い煩う状態であると著者は述べている。そして、その問題について「どうしたらいいのか」分からないから、人は悩むのだ。 つまり、その問題の対処法や解決法を知り(Know)、それを実行する、行動する(Do)といった悩み解決のプロセスを踏めば解決への道が見えてくる。 解決のプロセスに入る前に、自分が悩み不安に思っている問題を冷静に見つめ直すことが必要であり、それにはこれまでにお伝えしたように、書き出す作業が必要となってくる』、「自分が悩み不安に思っている問題を冷静に見つめ直すことが必要であり、それにはこれまでにお伝えしたように、書き出す作業が必要となってくる」、その通りだ。
・『悩みの対処法を調べ、ToDoに落とし込む 書き出した悩みについて、どのような対処法があるのか調べてみよう。調べると聞くと、ついインターネットで検索しがちだが、そこには誤った情報が書かれている場合があるので、必ず「本」で調べることが大切だ。 悩みの対処法が書かれている本から「ToDo」を3つ探し、1~2週間は実行し進捗具合を評価する。本書には次のような評価の手順が書かれている。 評価の手順1 うまくいっていない理由を3つ書く 評価の手順2 うまくいっている点を3つ書く 評価の手順3 次のToDoを3つ書く(P.27) 翌週は、手順3「次のToDo」を目標とする。これらを繰り返し習慣化することで、悩みはいつか消え去るというわけだ。 このように、自分の悩みを書き出し、その対処法を調べ、やるべきことを知り、行動することを2~3週間行うだけで、悩みの解決にかなりの効果があるという。 頭の中だけで考えているのではなく、行動することが大切なことは分かったが、それすらも億劫に感じるときもあるだろう。そんな時は、家から出て外の光を浴び、近所を散歩するだけでも気が晴れるものだ。 もしくは、友人や知人、その他の助けてくれそうな人を頼ってみればいい。そうやって他人の力を上手に利用して、話を聞いてもらうことで、負のループから抜け出すことができるかもしれない』、「家から出て外の光を浴び、近所を散歩するだけでも気が晴れるものだ。 もしくは、友人や知人、その他の助けてくれそうな人を頼ってみればいい。そうやって他人の力を上手に利用して、話を聞いてもらうことで、負のループから抜け出すことができるかもしれない」、なるほど。
・『コロナ禍に圧倒的に売れたストレス対処法 「読者からの感想」も続々! 「この本を読んで『死なないでほしい』という樺沢先生の言葉に助けられました。」(Mさん) 「紫苑さんの本や動画などはとても分かりやすい言葉になっているので多くの方がフォローしてるのだなと思います。」(Aさん) 「『行動』すれば『ストレスフリー』になることができる。ストレスの原因を取り除かなくとも、ストレスに振り回されない程度に小さくしてハッピーな毎日を送ることができる」(Hさん)』、なるほど。
・『精神科医が教える「一瞬で不安を打ち消すたった1つの方法」 著者からのメッセージ 私の臨床経験では、「几帳面でまじめな人ほどうつになりやすい」傾向を感じます。なぜなら、ストレスの原因を真正面から受け止め、不安になり、悩み続け、リセットできないからです。 悪いストレスをなくしていくことが、「ストレスフリーな人」になるためには重要です。 あなたの「考え方」「受け止め方」を少し変えるだけで、ストレスを受け流せるようになります。それだけで、「不安」や「悩み」の9割は消すことができます。 本書では、誰しもが悪いストレスを感じる「人間関係」「プライベート」「仕事」「メンタル」「健康」という5つのテーマに対し、「科学的なファクト」と「今すぐできるToDo」を示します。「いま何をすべきか」が明確になるでしょう。 精神科医が教える「一瞬で不安を打ち消すたった1つの方法」『ストレスフリー超大全』(ダイヤモンド社) 2年の歳月をかけて書き下ろした集大成! 超・現実的で役に立つノウハウ! 多くのビジネス書では、「ストレスから逃げろ」「ストレスなんか気にするな」という精神論が書かれていますが、そのようなアドバイスは非現実的です。 本書では、私の精神科医としての経験から、現実的であり、かつ、効果抜群のノウハウだけを紹介します。 不安、悩み、ストレスにとらわれない生き方。それができると、あなたの人生は間違いなく楽しく、明るく、達成感と自己成長が感じられる、幸せなものになります。生き方を変えるのは「今」です!』、「あなたの「考え方」「受け止め方」を少し変えるだけで、ストレスを受け流せるようになります。それだけで、「不安」や「悩み」の9割は消すことができます」、「生き方を変えるのは「今」です!」、いかにも効果がありそうだ。
第三に、12月18日付けダイヤモンド・オンラインが掲載した演出家の鴻上尚史氏と脳科学者の中野信子氏による対談「鴻上尚史氏と中野信子氏が対談、日本は「好きなことをしていると叩かれる国」」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/313766
・『不安がちで群れたり、集団からはみ出す人を攻撃したりしやすいのは日本人の特性…と諦めぎみによく言われます。日本人を縛る「同調圧力」とどう向き合えばいいのでしょうか?日々人間関係について考え続ける演出家の鴻上尚史氏と脳科学者の中野信子氏が、現代社会の息苦しさから抜け出し、心地良く生きるためのコミュニケーションについて語り尽くしました。鴻上氏はコロナ禍で「好きなことをしていてたたかれる国になった」と感じたそうです。また、サッカーW杯の日本代表選手への誹謗中傷も話題となりましたが、その根底にあるものについて考える、『同調圧力のトリセツ』(小学館新書)からの抜粋です』、興味深そうだ。
・『大人になった今だから言えること 鴻上 この国の閉塞感やレッテルの貼り方に対する抗議の挙げ方から考えると、僕と中野さんはそんなに違う方向を向いているとは感じられないんです。でも同じ方向を向いている人同士の対談は、実は面白くなかったりするんですよね。何を言っても、お互い、そのとおり、そのとおりで終わっちゃうから(笑)。 中野 そうですね。ある問題がタワーのように真ん中にあったとして、その問題を私が東側から見ていて、鴻上さんは西側から見てるような感じの対談になったらいいですよね。 鴻上 そうなるといいです。同じ方向、同じサイドからだとダメなので。 中野 私はずっと集団と個の関係に興味があるんです。鴻上さんは、作品の中で、排除されている人の視点で、どうして集団が生贄を必要とするのかを、すごく詩的に情緒的に書かれていますよね。まだ高校生くらいの頃に鴻上さんのスクリプトを読んで、これは同じ問題意識を持った人だ!と感銘を受けて、ボロボロになるまで読みました。あまりに読むので、もう3冊同じのを買っていると思います。 同じ軋(きし)みを見ている。でも私は何とか科学でこれを解決できないか、と取り組んできた。一方で、鴻上さんは経験的に、血の通う言葉を紡ぐことでそれを解決しようとしてこられたんじゃないかと思っています。その視点が組み合わさると、いわゆる上級国民になろうとする必要はないということや、自分のいるべきとされているところに長く留まり続ける必要はなく移動してもいいといった、柔軟な生き方のヒントを、若い人が見つけていけるように思うんです。 鴻上 でも、「上級国民にならなくてもいい」と言うと、屈折している読者の中には「中野信子が何を言ってんだ」と思う人がいるかもしれませんよ。中野さんは、家庭の事情で国立大学しか選択できなかったとしても、結局、東大に入ったわけですから』、「中野氏」が「高校生くらいの頃に鴻上さんのスクリプトを読んで、これは同じ問題意識を持った人だ!と感銘を受けて、ボロボロになるまで読みました。あまりに読むので、もう3冊同じのを買っていると思います」、さすがませた「高校生」だ。
・『浪人する人が激減した理由 中野 いやいや、私は勉強ができるという本当に一枚のカードしか持っていなかったんです。それも、中途半端ですよ。貧乏だし、両親もそこまで教育熱心かというとそうでもない。地位も名声も体力もない。背水の陣で受けた東大に受かったからよかったんですけど。本当のところは、早稲田カルチャーで育った卒業生の皆さんに多くの素敵な人がいて、憧れがあったので、お金があって早稲田に行ける人がうらやましかったですよ。 鴻上 何を言ってるんですか。中野さんみたいに、美人で勉強できるって、最強のカードですよ。ところで、予備校の先生に話を聞くと、僕や中野さんの時代に比べて、浪人をする人が十分の一以下に減っているそうです。 中野 そんなに減ったんですか。 鴻上 なぜ減ったかというと、一年浪人をして大学の偏差値を上げて、ワンランク上の大学に入る意味を見いだしにくくなってきたからだそうです。昔は、東大から早稲田・慶應…という大学のランクにグラデーションがありましたが、今は、浪人するなら、医学部か東大に入らない限りは意義がない。ぶっちゃけて言うと、今は東大とそれ以外の大学という認識なんです。 中野 そこに疑義が呈される時代なんですね。でも長者番付を見てもテレビを見ても、そんなに東大出身の方はいないじゃないですか?目立っている東大生は、東大に行ったことに甘えず、それ以上のことを自分でやってきた人達。大学名には大した価値はなく、自分で何をやるかが大切。大学名に甘えるように思考停止してしまって、若いうちから自分を磨くことをやめてしまった人たちの中年以降って、結構悲しいですよ。50歳になって、自慢できるのがセンター試験の点数しかないみたいな。30年以上も何やってたの。大人になった今だから言えることが、もっと若い人達に響いてほしいですね』、「予備校の先生に話を聞くと、僕や中野さんの時代に比べて、浪人をする人が十分の一以下に減っているそうです・・・ なぜ減ったかというと、一年浪人をして大学の偏差値を上げて、ワンランク上の大学に入る意味を見いだしにくくなってきたからだそうです」、そうであれば、「予備校」ビジネスも様変わりしたのだろう。
・『ハイコンテクストな日本のコミュニケーション 中野 編集の方のお話だと、今、コミュニケーションに関する本が売れているようです。みなさん、コミュニケーションに関して、悩んでるんですよね。鴻上さんの見立てでは、どうしてだと思いますか? 鴻上 僕の言葉で言うと、日本人が生きてきた「世間」が中途半端に壊れてきているからだと思います。「世間」とは、現在、もしくは将来の自分に関係のある人たち。学校のクラスメイトや会社の同僚、地域のサークルや親しい近所の人など自分が知っている人達によって作られている世界です。「世間」の反対語は「社会」だと僕は言ってるんですが、「社会」というのは現在も未来も何の関係もない人達で構成された世界です。道ですれ違った人とか、たまたま入ったコンビニの店員さん、電車で隣に座った人など、自分の知らない人達が作っている世界。日本人の多くは「世間」に生きて、「社会」とは接点が少ないのです。日本人は自分に関係のない「社会」の人とはなるべく関わらず、同時に関わり方がわからず、自分と関係のある「世間」の人を大切にします。結果、圧倒的に「世間」の中でしかコミュニケーションしていないんですが、この「世間」がどんどん中途半端に壊れてきているんです。 僕がよく例に出すのは、NHK紅白歌合戦。前の東京オリンピックがあった前年の1963年(昭和38年)には、視聴率はなんと81.3%もあったんです。それを頂点に1980年代前半までは、75%前後を維持していました。若い奴は信じませんが、ほぼ全部の歌をみんな歌えました。みんなが同じものを見て楽しんでいたんです。そんな時代は(本当は自分を抑えていた人が確実にいたでしょうが)コミュニケーションの断絶に悩んでいなくて、ツーと言えばカーで、なんとなくわかってしまっていた。 しかし、今は、大晦日に紅白歌合戦を見るかどうかだけでなく、そもそも、テレビを見るかどうか、動画をネットで見るかなど視聴行為だけみても多様化してきています。「同質であること」を維持できなくなっているんです。けれど、コミュニケーションのやり方は今までの「世間」のものを応用しているから、あちこちで軋(きし)みが生まれてしまっている。さらに、もう一方の「社会」とどう繋がっていいのかわからないまま、みんなが混乱して、なんとかしようと新たなコミュニケーションのやり方を探して、そういう本を求めているんじゃないかな。 中野 そうなんですね。私はずっと、人間がどうして個の意志と集団の意志が並列に存在する「不完全な社会性」しか持たず、共同体が一個体であるかのように振る舞う蟻や蜂のような「真社会性」を持たないんだろうと思っているんです。 鴻上 蟻や蜂は、すごく頑張って従う個体もいれば、全く働かない個体が二割くらいいて、働く蟻がバーンアウトしたり、動かなくなった時には、働かない蟻が登場して働きだすって言いますよね。 中野 個が「意志をもって働かない」のでなく、単に働かない蟻は、全体のバッファーの役割なんです。繰り返しになりますが、蟻や蜂は巣の全体が一つの生き物みたいなものなんです。) 鴻上 なるほど。僕のフィールドである劇団という集団で考えてみると、一番周りから能力が低いと評価されている人が、伸び伸びと生きられているかどうかが、その劇団の集団としての健全さの目安だと僕は思っています。30人の集団がいれば、一人くらいは遅刻の常習犯だったり、作業を頼んでもできなかったり、必ずオーダーを間違えてしまう人がいる。そういう人達がプレッシャーを受けていられなくなる集団は、とても息苦しい集団だと言えます。 中野 でも、そんなに集団が大事なら、どうして人間にはそれに反するように、個人に強い意志や意識があるのか不思議なんですよね。 鴻上 集団に奉仕するためだったら、個人の意志なんていらないんじゃないかということですか? 中野 いえ、個人の意志を否定したいのではなくて、なぜ真社会性にならないんだろう?という単純な興味です。まあ効率重視なら真社会性ですよね。蟻や蜂と同じ。でも人間は個人の自由に価値を重く置いていたりする。それなのに、みんなのためにと思って個人の意志を時には潰したりもしていて、その間を揺れ動いている不完全な社会性が面白く見えるんです。一貫性を求めるわりには、柔軟に対応しろと言われることもあって、コミュニケーションを介して個体同士が複雑に絡み合っているように見えます。 そもそも、私は「どうして人と同じような振る舞いができないの?」と言われたり、「変わってるね」と言われたりして、集団になじめないところがあったんですが、自分自身はあまり変わったところはなく、凡庸な人間だと思うんです。 鴻上 変わっていることと凡庸はイコールではないんじゃないですか。「変わってる」ということは、他人の言葉の受け取り方が変だということで、変わっていて凡庸じゃない人と、変わっていて凡庸な人がいる気がします』、「日本人の多くは「世間」に生きて、「社会」とは接点が少ないのです。日本人は自分に関係のない「社会」の人とはなるべく関わらず、同時に関わり方がわからず、自分と関係のある「世間」の人を大切にします。結果、圧倒的に「世間」の中でしかコミュニケーションしていないんですが、この「世間」がどんどん中途半端に壊れてきているんです」、「中野 ・・・私はずっと、人間がどうして個の意志と集団の意志が並列に存在する「不完全な社会性」しか持たず、共同体が一個体であるかのように振る舞う蟻や蜂のような「真社会性」を持たないんだろうと思っているんです。 鴻上 蟻や蜂は、すごく頑張って従う個体もいれば、全く働かない個体が二割くらいいて、働く蟻がバーンアウトしたり、動かなくなった時には、働かない蟻が登場して働きだすって言いますよね。 中野 個が「意志をもって働かない」のでなく、単に働かない蟻は、全体のバッファーの役割なんです。繰り返しになりますが、蟻や蜂は巣の全体が一つの生き物みたいなものなんです」、なるほど。
・『日本人がコミュニケーションに悩む脳科学的な理由とは 中野 おそらく一般的な意見の受け取り方が、私は下手くそなんですよね。でも私みたいに受け取り方が下手なほうが、なぜかコミュニケーションに悩まずにいられて、受け取り方が上手な人のほうがめちゃくちゃ巻き込まれて、大変な思いをして悩んでいる。むしろ受け取れない側からすると、悩んでいることがうらやましい感じさえします。 鴻上 脳科学的には、日本人がコミュニケーションに悩むというのは、どういった分析になりますか?) 中野 脳科学的に、というよりは比較言語論のような話になってしまいますが、日本の、あるいは日本語話者のコミュニケーションのあり方は、ハイコンテクストだと言われますよね。まさに「空気を読む」という表現もありますけど、こんなの日本語だけ。一つの単語が表す意味が重層的であったり、同音異義語も多くて、意味をあえて特定しにくくしているフシすらある。表情や声のトーンなど言葉以外の情報に頼ることも頻繁にあります。受け取る側のリテラシーが試される言語です。さらに、失敗してしまった時のペナルティも大きい。このペナルティの大きさは「社会性の強さ」とも言えます。日本がこのような独特の社会を形成した要因の一つには、災害が多いことも関連していると思います。 鴻上 「社会性の強さ」とは僕の言う「世間性の強さ」ということですよね。同じ「世間」に生きているなら、言葉がハイコンテクストでも成立します。逆に言うと、「世間」の団結を強めるためには、ほかの集団には通じない符牒(ふちょう)、独特な言葉を使うことが大事になる。ほかの集団には通じない言葉を使えば使うほど、同じ集団に属す我々は一つだという快感を覚えることになります。 中野 思考停止していても安全、ということですしね。 鴻上 その符牒を読み間違えてしまうと、我々の「世間」には所属していない者だと認定され、強烈な制裁がやってくるわけです。 中野 共同体を破壊し、安全な思考停止状態を破る危険な異物として排除されてしまうんですよね』、「「社会性の強さ」とは僕の言う「世間性の強さ」ということ」、「「世間」の団結を強めるためには、ほかの集団には通じない符牒(ふちょう)、独特な言葉を使うことが大事になる。ほかの集団には通じない言葉を使えば使うほど、同じ集団に属す我々は一つだという快感を覚えることになります・・・鴻上 その符牒を読み間違えてしまうと、我々の「世間」には所属していない者だと認定され、強烈な制裁がやってくるわけです。 中野 共同体を破壊し、安全な思考停止状態を破る危険な異物として排除されてしまうんですよね」、さすがに深い考察だ。
・『好きなことをしているとたたかれる国 鴻上 コロナの影響で国から自粛を求められた時に、「演劇界を含め、自粛要請でダメージを受けた業界には、休業補償をお願いしたい」とインタビューで話したら、そのインタビューをネットで読んだ人から「好きなことをやっているんだから、貧乏でいいだろう」という反応があったんです。 中野 同じ時期に、日本俳優連合の理事長を務める西田敏行(にしだとしゆき)さんが、俳優の窮状を訴える要望書を国に提出したら、同じようにバッシングされてしまったことをよく覚えています。「好きなことをやっていると責められてしまう国って何なのかな…」とすごくモヤモヤとした気持ちになりました。) 鴻上 好きなことをやっていると、ネットで攻撃されるのはどうしてだろうと疑問を感じて、エッセイに「街のラーメン屋さんを含め、自分で事業を始めた個人事業主は、今はコロナ禍で苦しいかもしれないけれど、たぶん好きなことをやろうとした人達。サラリーマンは半分半分くらいで、今増えている非正規雇用の人たちは、好きなこととは遠いことをやっているんじゃないだろうか」と、書いたんです。そうしたらそのエッセイがネットにアップされた数時間後には、「好きなことをやっていないのは非正規」と僕が言っているというスレッドがネット上に立っていて驚きました。 中野 え…! 鴻上 そのスレッドをよく読んでみると、僕のエッセイの一部分しか抜粋していないんですよ。だから、それを元にして呟いていた人に、「全文を読んでください」と丁寧に一人一人レスポンスをしたんですが、今度は「鴻上が憑(つ)いた」というツイートが出てきて、その瞬間、「なんでこの暗闇に僕は石を投げてるんだろう?」と我に返りました。 中野 書かれていることを、意図的に歪めて読み取ったり、アクセス数を伸ばすために敢(あ)えて人の気持ちを逆なでするように切りとったりする人はいますよね。それにしても、好きなことをやっている人がとがめられる時代というのは、本当に闇だなと…。 鴻上 自分が好きなことをしていないから、好きなことをやっていると思われる人を見たら、許せないと感じてしまうんだとしたら、これは脳科学的にはいわゆる嫉妬になるんですか? 中野 はい。嫉妬、というか正確には妬みですね。自分は我慢をしているのに、あの人だけは好きなことをやっていて「ずるい」と認識すると、その人を攻撃せずにはいられなくなる。 私はその点で標的になりやすい人達の代表例として、スポーツ選手が挙げられるのではないかと感じています。「国のために頑張ります」と言うのは許されても、「楽しんできます」と言うのは許されない。もし楽しんで結果を出せば、賞賛されるかもしれませんが、結果が出ないと、成績とは関係がない、例えば、ファッションや化粧のことまで槍(や)り玉(だま)に挙げられて非難されてしまう。好きなように生きていることが、これほど罪のようにとがめられてしまうことに、危惧を覚えます』、「自分が好きなことをしていないから、好きなことをやっていると思われる人を見たら、許せないと感じてしまうんだとしたら、これは脳科学的にはいわゆる嫉妬になるんですか? 中野 はい。嫉妬、というか正確には妬みですね」、「妬み」が根底にあるとはイヤな社会だ。
・『色眼鏡をかけるほうが人間にとって快適 鴻上 確かに僕は好きな演劇を仕事にしているのですが、好きなことを仕事にすることは、ただ「楽しい」とか「嬉しい」ということではないんです。好きなことを仕事にした人なら、みんな直面すると思うんですが、好きなことを仕事にするために、やらなければいけない「好きでないこと」が、かなりの量あるんです。 演劇で言えば、よくファンの人達が使う「大人の事情」というものも実際にあって、思ったとおりにできないことも多々ある。うかうかしていると演劇そのものをどんどん嫌いになるような出来事もある。そういったことを全部無視されて「好きなことをやってるんだから文句を言うな」と言われてしまうと、すごい無力感にとらわれますね。) 中野 「好きなことをやっている」ということにマスクされてしまって、その人が実際どんな状況にあり、なにを考えているのかまで見えていない。解像度がすごく粗くなっているんですよね。私たちの脳は、自分の身の回りの人のことはよく見えるんですが、自分の集団にはいない人のことは、記号のようにしか認知できません。つまりよそ者のことは、記号だから攻撃してもいいんだと思ってしまうんです。 鴻上 そこをどう乗り越えていくか、ということですよね。 万が一、自分が攻撃の標的になってしまった時は 中野 「努力して変えていきましょう」というのは、基本的に機能しない呼びかけだと思っているんです。場合によっては、より悪い状況にもなる。努力できる人だけが損をし続けていく仕組みだからです。努力できない時間はそれができないということ。何か一つ努力しだすと他のことができなくなるくらい、人間の脳というのは努力には向いていません。さらに、仲間として認知できる人数は、百五十人と言われていて、それ以上の人たちは、記号としてしか扱えない残念な脳なんですよ。私達はそもそも色眼鏡をかけて生まれてきている、ということを知るしか方法はないように思います。 鴻上 人間はそうやって色眼鏡をかけるほうが快感というか、快適だから、色眼鏡をかけるわけですよね。 中野 ええ。だから、自分が気持ちよさに負けて誰かを攻撃しそうになった時に、「いけない、私、色眼鏡をかけてたわ」と気づくきっかけをどこかに置いておくことが大事です。逆に、万が一、自分がその攻撃の標的になってしまった時は、「あの人、色眼鏡が外せてないな」と思えるよう、心算をしておくことをおすすめしたいです』、「自分が気持ちよさに負けて誰かを攻撃しそうになった時に、「いけない、私、色眼鏡をかけてたわ」と気づくきっかけをどこかに置いておくことが大事です。逆に、万が一、自分がその攻撃の標的になってしまった時は、「あの人、色眼鏡が外せてないな」と思えるよう、心算をしておくことをおすすめしたいです」、さすが中野氏だけに味わいのある言葉だ。
先ずは、9月3日付け東洋経済オンラインが掲載した精神科医のアンデシュ・ハンセン氏による「脳に良い習慣と「脳に悪い心理状態」の決定的事実 ストレスや不安は海馬や前頭葉を萎縮させてしまう」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/614884
・『ストレスは脳にダメージを与え、海馬や前頭葉が小さくなることも。『運動脳』著者で世界的精神科医のアンデシュ・ハンセン氏が「ちょっとしたイライラ」が脳に静かに与えるダメージ、とっておきのストレス解毒剤として運動の効果を解説します。散歩からストレス解消効果が期待できます。 ストレスは脳を小さくする。そして記憶や発話、感情の制御といった機能に問題を生じさせる。 ストレスを感じると、まず脳の扁桃体が反応し、視床下部→下垂体→副腎へと身体の上から下へ刺激が伝わる。副腎から「コルチゾール」というホルモンが分泌されると、動悸は激しくなる。この一連の反応はほんの1秒ほどで起きるが、これは人類の生存に欠かせないからだ。生存の可能性を増やすものがあるとすれば、危険な状況に出くわしたとき、ただちに逃走をうながす警報システム。扁桃体の機能が、まさにそれにあたる。 扁桃体は、ストレス反応を引き起こすだけでなく、そのストレス反応によっても刺激を受けてしまう。扁桃体が危険を知らせ、それに反応してコルチゾールの血中濃度が上がると、扁桃体がさらに興奮する。ストレスがストレスを呼ぶ悪循環だ。 体内には、このストレス反応を緩和し、興奮やパニック発作を防ぐブレーキペダルが備わっている。その1つが「海馬」だ。海馬は記憶中枢として知られるが、感情を暴走させないブレーキとしても働いている』、「ストレスを感じると、まず脳の扁桃体が反応し、視床下部→下垂体→副腎へと身体の上から下へ刺激が伝わる。副腎から「コルチゾール」というホルモンが分泌されると、動悸は激しくなる。この一連の反応はほんの1秒ほどで起きるが、これは人類の生存に欠かせないからだ」、「扁桃体は、ストレス反応を引き起こすだけでなく、そのストレス反応によっても刺激を受けてしまう・・・ストレスがストレスを呼ぶ悪循環だ」、「体内には、このストレス反応を緩和し、興奮やパニック発作を防ぐブレーキペダルが備わっている。その1つが「海馬」だ。海馬は記憶中枢として知られるが、感情を暴走させないブレーキとしても働いている」、実によく出来た仕組みだ。
・『イライラで海馬が縮小する ストレスそのものは生存に必要な機能だ。闘争、あるいは逃走しなくてはならない重大な局面では、エネルギーが余計に必要となるためコルチゾールが増えることは役に立つ。しかし、海馬の細胞は、コルチゾールに長時間さらされると死んでしまう。慢性的にコルチゾールが分泌されると、海馬は萎縮してしまうのだ。 これは記憶に直結する問題で、重いストレス反応を抱えた状態が続くと、言葉がうまく出てこなかったり、場所の認識ができなくなったりする。海馬は空間認識にも関わっているため、自分の場所や方向がわからなくなる可能性も出てくる。) 扁桃体がストレス反応を引き起こしつづけると、海馬のブレーキはすり減ってしまう。アクセルである扁桃体は、海馬が萎縮してブレーキが利かなくなると暴走を始める。こうして、ストレスがさらにストレスを生むサイクルに入る。 長期的なストレスは脳に損傷を与える。重いストレスや不安を抱える人の脳を調べると、実際に海馬が平均よりわずかに小さいことがわかる。おそらくコルチゾールによって、ゆっくりと蝕まれたためだろう』、「扁桃体がストレス反応を引き起こしつづけると、海馬のブレーキはすり減ってしまう。アクセルである扁桃体は、海馬が萎縮してブレーキが利かなくなると暴走を始める。こうして、ストレスがさらにストレスを生むサイクルに入る」、恐ろしいことだ。
・『心配するたび「前頭葉」が小さくなる ストレスや不安で小さくなるのは海馬だけでない。抽象的思考や分析的思考を行う、額のすぐうしろ「前頭葉」も萎縮する。実際、極度の心配性の人は前頭葉の各部位が小さい。 前頭葉もまた、感情を暴走させず、理性を失った行動に出ないよう働くクールダウンの器官だ。その前頭葉が萎縮すれば、ストレスが長引いて脳はみずからを蝕み、歯止めはさらに利かなくなる。扁桃体がやたらと警告を発し、前頭葉がそれを打ち消すことができなければ、ほんの些細なことにも大げさに反応するようになる。 では、ストレス反応を抑えるにはどうすればいいのか。「磁気による刺激を前頭葉に与えて活動を促す」療法が実在するように、ストレスを抑えたければ、脳の思考領域、つまり海馬と前頭葉の機能をうながせばいい。この2つの部位は、ともに体を活発に動かすことで何より刺激を受ける部位である。 まず、ランニングやサイクリングなどの運動をすると、それを続けている間はコルチゾールの分泌量が増える。体に負荷がかかる運動は一種のストレスだからだ。 筋肉を適切に動かすには、より多くのエネルギーや酸素が必要なので、血流を増やそうとして心臓の鼓動は激しくなる。そして心拍数と血圧が上昇する。この場合のコルチゾールの働きは正常で、体を動かすために必要な反応だ。 しかし運動が終われば、体はもうストレス反応を必要としないので、コルチゾールの分泌量は減り、さらにランニング前のレベルにまで下がっていく。ランニングを習慣づけると、走っているときのコルチゾールの分泌量は次第に増えにくくなり、走り終えたときに下がる量は逆に増えていく。) ここからがおもしろいところで、定期的に運動を続けると、運動以外のことが原因のストレスでも、コルチゾールの分泌量はわずかしか上がらなくなる。運動によるものでも仕事に関わるものでも、ストレスに対する反応は、体が運動で鍛えられるにしたがって徐々に抑えられるのだ。つまり運動が、ストレスに対して過剰に反応しないよう体をしつけるのである。体を活発に動かしたことでストレスに対する抵抗力が高まる。 運動は前頭葉を強くもする。体を活発に動かすと脳の血流が増える。前頭葉にたちまち大量に血液が流れ、機能が促進される。さらに、運動を長期にわたって続けると、前頭葉に新しい血管がつくられ、血液や酸素の供給量が増加、それによって老廃物がしっかり取り除かれる。 加えて、定期的に運動すれば、前頭葉と扁桃体の連携も強化される。そうなると、前頭葉はさらに効率よく扁桃体を制御できるようになる。教師が離れた場所から生徒を監督するのではなく、教室にいて直接指導するようなものだ。 定期的な運動を続ければ、前頭葉は物理的に成長までする。1時間程度の散歩を習慣にしている成人の前頭葉を定期的に測定した結果、前頭葉を含む大脳皮質が成長していたのだ。歩くと前頭葉が大きくなる。信じられないような事実である』、「ストレスに対する反応は、体が運動で鍛えられるにしたがって徐々に抑えられるのだ。つまり運動が、ストレスに対して過剰に反応しないよう体をしつけるのである」、「運動が」「体をしつける」とは面白い表現だ。「1時間程度の散歩を習慣にしている成人の前頭葉を定期的に測定した結果、前頭葉を含む大脳皮質が成長していた」、私も「1時間程度の散歩」を日課にしているので、「大脳皮質が成長」している筈だ。なんだか嬉しくなる。
・『運動とストレスは「正反対」に作用する 運動とストレスに関するさまざまな研究論文に目を通していると、ある事実が浮かび上がってくる。ストレスと運動は、ほぼ正反対の作用を脳に与えているのだ。 ・ストレスが増してコルチゾールの血中濃度が高くなると、脳内で情報を伝達する機能が妨げられる。運動は逆にその機能を高める。 ・ストレスは脳の変化する特性(可塑性)を損なわせるが、運動はそれを高める。 ・ストレスが高まると短期記憶(数分から数時間の記憶)が長期記憶に変わる仕組みにブレーキがかかる。運動はその逆に作用を促す。 運動は、ストレスや不安を消し去る本物の解毒剤だ。週に2,3回は心拍数が増えるようなランニングなどの有酸素運動をお勧めしたい。たとえ動悸が激しくなっても、脳はそれがストレスから来るものではなく、プラスの変化をもたらすものだと学習する。ただ散歩に出かけるだけでもいい。活発に体を動かしたときほどではないにしても、ストレスを抑える効果は望める』、「週に2,3回は心拍数が増えるようなランニングなどの有酸素運動をお勧めしたい」、私の場合は、「ランニング」の代わりに速足をしている。
次に、10月19日付けダイヤモンド・オンラインが掲載した書籍オンライン編集部による「精神科医が教える「一瞬で不安を打ち消すたった1つの方法」」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/310726
・『コロナ禍、ウクライナ危機、急激なインフレ…。いつ何が起こるかわからない世界を生きる私たちは、どんな変化にも対応できるようにストレスへの対処法を知っておく必要がある。そこでおすすめしたいのが、『ストレスフリー超大全』。多くの人がストレスを感じる「人間関係」「プライベート」「仕事」「健康」「メンタル」の5つのテーマに対して科学的ファクトと対処するためのToDoがまとまった1冊だ。本書を執筆した精神科医の樺沢紫苑氏は、「ストレスは耐え忍ぶものではなく、しなやかに受け流すことが必要である」と言う。本記事では、本書をもとに現代人に必須のストレスの対処法をご紹介する』、「「ストレスは耐え忍ぶものではなく、しなやかに受け流すことが必要である」、というのは興味深い見解だ。
・『精神科医が教える「一瞬で不安を打ち消すたった1つの方法」 不安になるのは、なぜか? ストレスはマイナスなイメージがあるが、「いいストレス」もあると本書で樺沢氏は述べている。 適度なストレスは、脳の働きを活性化し、集中力を研ぎ澄まし、記憶力を高めます(P.3) しかし注意しなければいけないのは、「過剰なストレス」だ。 仕事、人間関係、将来不安などで悩み続けると思考停止に陥る。そして、その状態で耐え忍んでしまうとストレスが蓄積していく。やがて、心身をむしばむ「悪いストレス」に変化してしまう。 ではなぜ、人は不安になるのだろうか? 人間が緊張、不安、恐怖の感情を持つと脳内物質の「ノルアドレナリン」が分泌される。 このノルアドレナリンは「闘争か、競争か」の物質と言われている。この物質について、本書にはこう書かれている。 ノルアドレナリンが分泌されると脳が研ぎ澄まされ、集中力が高まり、どうすればいいのか一瞬で判断できるようになります(P.20) 不安や恐怖といったピンチに対して、「さっさと行動しろ!」とノルアドレナリンは私たちに警告してくれているのだ』、「分泌されると脳が研ぎ澄まされ、集中力が高まり、どうすればいいのか一瞬で判断できるようになります」、有難い効用があるようだ。
・『「行動すること」が不安を減らす しかし、ノルアドレナリンの警告を無視し、思考停止になったまま行動を起こさないと、不安は増えていく。 月曜日に大切な会議があるあなたは不安で不安で仕方がない。最悪の事態を想像してしまい、何もする気になれず家に閉じこもっていたのに、休んだ気がしない。不安は増すばかり。そんな日曜の夜を過ごしたことはないだろうか。 しかし、不測の事態に備えた前向きな行動を起こしていたらどうなるか。 前向きな行動を始めると、ノルアドレナリンという行動するためのガソリンが消費され、「行動によるガソリン消費→ノルアドレナリン減少→不安逓減→気持ちが楽になる」という流れが起こる。 本書には、このように書かれている。 不安を消すことは簡単です。「行動する」ことです。いきなり不安が「ゼロ」にならないまでも、行動することで、不安は必ず軽くなります。「何もしない」と強まるだけなので、何かするだけで気分は変わります(P21)』、「前向きな行動を始めると、ノルアドレナリンという行動するためのガソリンが消費され、「行動によるガソリン消費→ノルアドレナリン減少→不安逓減→気持ちが楽になる」という流れが起こる」、なるほど。
・『「行動を細分化」して悩みを解決! 「行動する」ことが大切だとは分かった。しかし、不安や悩みを抱えた状況で前向きな行動ができないのも正直なところだ。 それについて著者は、「すべての『行動』を細分化して行動のハードルを下げることで、苦しい状況でも『できる』ことを見つけられる」とし、3つの「確実に行動できる対処法(ToDo)」を提案している。 1.「話す」(人に話してみたら、心がスッキリしたことはないだろうか。別にアドバイスがもらえなくてもいいのだ。 悩みや不安について同じことをグルグル考え悶々としているより、不安な気持ちを放出することで少しばかりスッキリした気持ちが味わえるものだ。 しかし注意しなければならないのは、不安や悩みを話すのも加減する必要があることだ。延々と聞かされる相手の身になり、不安や悩みは簡潔にまとめ、最後は前向きな言葉で終えることを心掛けたい。) 2.「書く」(不安や悩みというのは、ぼんやりとしたものになりがちだ。そんなときは、無心になって書き出してみよう。 「何について悩んでいるのか」「なぜ悩んでいるのか」を書き出すことで案外、不要な悩みだったことに気づくかもしれない。 手を動かし紙に書き出すという行動は、自分を冷静に見つめ直す作業となる。) 3.「体を動かす」(何をしても不安が拭えないときは、思い切って体を動かしてみよう。じっと椅子に座って考え込んだり、不安だからと布団にくるまっていてもどんどん悪い方向に思考が傾いてしまうだけだ。 それよりも、体を動かしたほうがいい。セロトニンが活性化し、脳が沈静化されてマイナスな思考が薄まってくれる。 これら3つの行動をすべて取り入れる必要はない。その時の自分に合ったものをどれかひとつでもいいので試してみれば、ノルアドレナリンという不安物質が消費されて、心は軽やかになってくれる』、「「すべての『行動』を細分化して行動のハードルを下げることで、苦しい状況でも『できる』ことを見つけられる」とし、3つの「確実に行動できる対処法(ToDo)」を提案」、「1.「話す」」、「2.「書く」、「3.「体を動かす」」、「これら3つの行動をすべて取り入れる必要はない。その時の自分に合ったものをどれかひとつでもいいので試してみれば、ノルアドレナリンという不安物質が消費されて、心は軽やかになってくれる」、なるほど。
・『「悩みの正体」を知れば、解決への道が見える ここで改めて「悩み」とは何か考えてみよう。 悩みとは、ある問題について、苦しみ、思い煩う状態であると著者は述べている。そして、その問題について「どうしたらいいのか」分からないから、人は悩むのだ。 つまり、その問題の対処法や解決法を知り(Know)、それを実行する、行動する(Do)といった悩み解決のプロセスを踏めば解決への道が見えてくる。 解決のプロセスに入る前に、自分が悩み不安に思っている問題を冷静に見つめ直すことが必要であり、それにはこれまでにお伝えしたように、書き出す作業が必要となってくる』、「自分が悩み不安に思っている問題を冷静に見つめ直すことが必要であり、それにはこれまでにお伝えしたように、書き出す作業が必要となってくる」、その通りだ。
・『悩みの対処法を調べ、ToDoに落とし込む 書き出した悩みについて、どのような対処法があるのか調べてみよう。調べると聞くと、ついインターネットで検索しがちだが、そこには誤った情報が書かれている場合があるので、必ず「本」で調べることが大切だ。 悩みの対処法が書かれている本から「ToDo」を3つ探し、1~2週間は実行し進捗具合を評価する。本書には次のような評価の手順が書かれている。 評価の手順1 うまくいっていない理由を3つ書く 評価の手順2 うまくいっている点を3つ書く 評価の手順3 次のToDoを3つ書く(P.27) 翌週は、手順3「次のToDo」を目標とする。これらを繰り返し習慣化することで、悩みはいつか消え去るというわけだ。 このように、自分の悩みを書き出し、その対処法を調べ、やるべきことを知り、行動することを2~3週間行うだけで、悩みの解決にかなりの効果があるという。 頭の中だけで考えているのではなく、行動することが大切なことは分かったが、それすらも億劫に感じるときもあるだろう。そんな時は、家から出て外の光を浴び、近所を散歩するだけでも気が晴れるものだ。 もしくは、友人や知人、その他の助けてくれそうな人を頼ってみればいい。そうやって他人の力を上手に利用して、話を聞いてもらうことで、負のループから抜け出すことができるかもしれない』、「家から出て外の光を浴び、近所を散歩するだけでも気が晴れるものだ。 もしくは、友人や知人、その他の助けてくれそうな人を頼ってみればいい。そうやって他人の力を上手に利用して、話を聞いてもらうことで、負のループから抜け出すことができるかもしれない」、なるほど。
・『コロナ禍に圧倒的に売れたストレス対処法 「読者からの感想」も続々! 「この本を読んで『死なないでほしい』という樺沢先生の言葉に助けられました。」(Mさん) 「紫苑さんの本や動画などはとても分かりやすい言葉になっているので多くの方がフォローしてるのだなと思います。」(Aさん) 「『行動』すれば『ストレスフリー』になることができる。ストレスの原因を取り除かなくとも、ストレスに振り回されない程度に小さくしてハッピーな毎日を送ることができる」(Hさん)』、なるほど。
・『精神科医が教える「一瞬で不安を打ち消すたった1つの方法」 著者からのメッセージ 私の臨床経験では、「几帳面でまじめな人ほどうつになりやすい」傾向を感じます。なぜなら、ストレスの原因を真正面から受け止め、不安になり、悩み続け、リセットできないからです。 悪いストレスをなくしていくことが、「ストレスフリーな人」になるためには重要です。 あなたの「考え方」「受け止め方」を少し変えるだけで、ストレスを受け流せるようになります。それだけで、「不安」や「悩み」の9割は消すことができます。 本書では、誰しもが悪いストレスを感じる「人間関係」「プライベート」「仕事」「メンタル」「健康」という5つのテーマに対し、「科学的なファクト」と「今すぐできるToDo」を示します。「いま何をすべきか」が明確になるでしょう。 精神科医が教える「一瞬で不安を打ち消すたった1つの方法」『ストレスフリー超大全』(ダイヤモンド社) 2年の歳月をかけて書き下ろした集大成! 超・現実的で役に立つノウハウ! 多くのビジネス書では、「ストレスから逃げろ」「ストレスなんか気にするな」という精神論が書かれていますが、そのようなアドバイスは非現実的です。 本書では、私の精神科医としての経験から、現実的であり、かつ、効果抜群のノウハウだけを紹介します。 不安、悩み、ストレスにとらわれない生き方。それができると、あなたの人生は間違いなく楽しく、明るく、達成感と自己成長が感じられる、幸せなものになります。生き方を変えるのは「今」です!』、「あなたの「考え方」「受け止め方」を少し変えるだけで、ストレスを受け流せるようになります。それだけで、「不安」や「悩み」の9割は消すことができます」、「生き方を変えるのは「今」です!」、いかにも効果がありそうだ。
第三に、12月18日付けダイヤモンド・オンラインが掲載した演出家の鴻上尚史氏と脳科学者の中野信子氏による対談「鴻上尚史氏と中野信子氏が対談、日本は「好きなことをしていると叩かれる国」」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/313766
・『不安がちで群れたり、集団からはみ出す人を攻撃したりしやすいのは日本人の特性…と諦めぎみによく言われます。日本人を縛る「同調圧力」とどう向き合えばいいのでしょうか?日々人間関係について考え続ける演出家の鴻上尚史氏と脳科学者の中野信子氏が、現代社会の息苦しさから抜け出し、心地良く生きるためのコミュニケーションについて語り尽くしました。鴻上氏はコロナ禍で「好きなことをしていてたたかれる国になった」と感じたそうです。また、サッカーW杯の日本代表選手への誹謗中傷も話題となりましたが、その根底にあるものについて考える、『同調圧力のトリセツ』(小学館新書)からの抜粋です』、興味深そうだ。
・『大人になった今だから言えること 鴻上 この国の閉塞感やレッテルの貼り方に対する抗議の挙げ方から考えると、僕と中野さんはそんなに違う方向を向いているとは感じられないんです。でも同じ方向を向いている人同士の対談は、実は面白くなかったりするんですよね。何を言っても、お互い、そのとおり、そのとおりで終わっちゃうから(笑)。 中野 そうですね。ある問題がタワーのように真ん中にあったとして、その問題を私が東側から見ていて、鴻上さんは西側から見てるような感じの対談になったらいいですよね。 鴻上 そうなるといいです。同じ方向、同じサイドからだとダメなので。 中野 私はずっと集団と個の関係に興味があるんです。鴻上さんは、作品の中で、排除されている人の視点で、どうして集団が生贄を必要とするのかを、すごく詩的に情緒的に書かれていますよね。まだ高校生くらいの頃に鴻上さんのスクリプトを読んで、これは同じ問題意識を持った人だ!と感銘を受けて、ボロボロになるまで読みました。あまりに読むので、もう3冊同じのを買っていると思います。 同じ軋(きし)みを見ている。でも私は何とか科学でこれを解決できないか、と取り組んできた。一方で、鴻上さんは経験的に、血の通う言葉を紡ぐことでそれを解決しようとしてこられたんじゃないかと思っています。その視点が組み合わさると、いわゆる上級国民になろうとする必要はないということや、自分のいるべきとされているところに長く留まり続ける必要はなく移動してもいいといった、柔軟な生き方のヒントを、若い人が見つけていけるように思うんです。 鴻上 でも、「上級国民にならなくてもいい」と言うと、屈折している読者の中には「中野信子が何を言ってんだ」と思う人がいるかもしれませんよ。中野さんは、家庭の事情で国立大学しか選択できなかったとしても、結局、東大に入ったわけですから』、「中野氏」が「高校生くらいの頃に鴻上さんのスクリプトを読んで、これは同じ問題意識を持った人だ!と感銘を受けて、ボロボロになるまで読みました。あまりに読むので、もう3冊同じのを買っていると思います」、さすがませた「高校生」だ。
・『浪人する人が激減した理由 中野 いやいや、私は勉強ができるという本当に一枚のカードしか持っていなかったんです。それも、中途半端ですよ。貧乏だし、両親もそこまで教育熱心かというとそうでもない。地位も名声も体力もない。背水の陣で受けた東大に受かったからよかったんですけど。本当のところは、早稲田カルチャーで育った卒業生の皆さんに多くの素敵な人がいて、憧れがあったので、お金があって早稲田に行ける人がうらやましかったですよ。 鴻上 何を言ってるんですか。中野さんみたいに、美人で勉強できるって、最強のカードですよ。ところで、予備校の先生に話を聞くと、僕や中野さんの時代に比べて、浪人をする人が十分の一以下に減っているそうです。 中野 そんなに減ったんですか。 鴻上 なぜ減ったかというと、一年浪人をして大学の偏差値を上げて、ワンランク上の大学に入る意味を見いだしにくくなってきたからだそうです。昔は、東大から早稲田・慶應…という大学のランクにグラデーションがありましたが、今は、浪人するなら、医学部か東大に入らない限りは意義がない。ぶっちゃけて言うと、今は東大とそれ以外の大学という認識なんです。 中野 そこに疑義が呈される時代なんですね。でも長者番付を見てもテレビを見ても、そんなに東大出身の方はいないじゃないですか?目立っている東大生は、東大に行ったことに甘えず、それ以上のことを自分でやってきた人達。大学名には大した価値はなく、自分で何をやるかが大切。大学名に甘えるように思考停止してしまって、若いうちから自分を磨くことをやめてしまった人たちの中年以降って、結構悲しいですよ。50歳になって、自慢できるのがセンター試験の点数しかないみたいな。30年以上も何やってたの。大人になった今だから言えることが、もっと若い人達に響いてほしいですね』、「予備校の先生に話を聞くと、僕や中野さんの時代に比べて、浪人をする人が十分の一以下に減っているそうです・・・ なぜ減ったかというと、一年浪人をして大学の偏差値を上げて、ワンランク上の大学に入る意味を見いだしにくくなってきたからだそうです」、そうであれば、「予備校」ビジネスも様変わりしたのだろう。
・『ハイコンテクストな日本のコミュニケーション 中野 編集の方のお話だと、今、コミュニケーションに関する本が売れているようです。みなさん、コミュニケーションに関して、悩んでるんですよね。鴻上さんの見立てでは、どうしてだと思いますか? 鴻上 僕の言葉で言うと、日本人が生きてきた「世間」が中途半端に壊れてきているからだと思います。「世間」とは、現在、もしくは将来の自分に関係のある人たち。学校のクラスメイトや会社の同僚、地域のサークルや親しい近所の人など自分が知っている人達によって作られている世界です。「世間」の反対語は「社会」だと僕は言ってるんですが、「社会」というのは現在も未来も何の関係もない人達で構成された世界です。道ですれ違った人とか、たまたま入ったコンビニの店員さん、電車で隣に座った人など、自分の知らない人達が作っている世界。日本人の多くは「世間」に生きて、「社会」とは接点が少ないのです。日本人は自分に関係のない「社会」の人とはなるべく関わらず、同時に関わり方がわからず、自分と関係のある「世間」の人を大切にします。結果、圧倒的に「世間」の中でしかコミュニケーションしていないんですが、この「世間」がどんどん中途半端に壊れてきているんです。 僕がよく例に出すのは、NHK紅白歌合戦。前の東京オリンピックがあった前年の1963年(昭和38年)には、視聴率はなんと81.3%もあったんです。それを頂点に1980年代前半までは、75%前後を維持していました。若い奴は信じませんが、ほぼ全部の歌をみんな歌えました。みんなが同じものを見て楽しんでいたんです。そんな時代は(本当は自分を抑えていた人が確実にいたでしょうが)コミュニケーションの断絶に悩んでいなくて、ツーと言えばカーで、なんとなくわかってしまっていた。 しかし、今は、大晦日に紅白歌合戦を見るかどうかだけでなく、そもそも、テレビを見るかどうか、動画をネットで見るかなど視聴行為だけみても多様化してきています。「同質であること」を維持できなくなっているんです。けれど、コミュニケーションのやり方は今までの「世間」のものを応用しているから、あちこちで軋(きし)みが生まれてしまっている。さらに、もう一方の「社会」とどう繋がっていいのかわからないまま、みんなが混乱して、なんとかしようと新たなコミュニケーションのやり方を探して、そういう本を求めているんじゃないかな。 中野 そうなんですね。私はずっと、人間がどうして個の意志と集団の意志が並列に存在する「不完全な社会性」しか持たず、共同体が一個体であるかのように振る舞う蟻や蜂のような「真社会性」を持たないんだろうと思っているんです。 鴻上 蟻や蜂は、すごく頑張って従う個体もいれば、全く働かない個体が二割くらいいて、働く蟻がバーンアウトしたり、動かなくなった時には、働かない蟻が登場して働きだすって言いますよね。 中野 個が「意志をもって働かない」のでなく、単に働かない蟻は、全体のバッファーの役割なんです。繰り返しになりますが、蟻や蜂は巣の全体が一つの生き物みたいなものなんです。) 鴻上 なるほど。僕のフィールドである劇団という集団で考えてみると、一番周りから能力が低いと評価されている人が、伸び伸びと生きられているかどうかが、その劇団の集団としての健全さの目安だと僕は思っています。30人の集団がいれば、一人くらいは遅刻の常習犯だったり、作業を頼んでもできなかったり、必ずオーダーを間違えてしまう人がいる。そういう人達がプレッシャーを受けていられなくなる集団は、とても息苦しい集団だと言えます。 中野 でも、そんなに集団が大事なら、どうして人間にはそれに反するように、個人に強い意志や意識があるのか不思議なんですよね。 鴻上 集団に奉仕するためだったら、個人の意志なんていらないんじゃないかということですか? 中野 いえ、個人の意志を否定したいのではなくて、なぜ真社会性にならないんだろう?という単純な興味です。まあ効率重視なら真社会性ですよね。蟻や蜂と同じ。でも人間は個人の自由に価値を重く置いていたりする。それなのに、みんなのためにと思って個人の意志を時には潰したりもしていて、その間を揺れ動いている不完全な社会性が面白く見えるんです。一貫性を求めるわりには、柔軟に対応しろと言われることもあって、コミュニケーションを介して個体同士が複雑に絡み合っているように見えます。 そもそも、私は「どうして人と同じような振る舞いができないの?」と言われたり、「変わってるね」と言われたりして、集団になじめないところがあったんですが、自分自身はあまり変わったところはなく、凡庸な人間だと思うんです。 鴻上 変わっていることと凡庸はイコールではないんじゃないですか。「変わってる」ということは、他人の言葉の受け取り方が変だということで、変わっていて凡庸じゃない人と、変わっていて凡庸な人がいる気がします』、「日本人の多くは「世間」に生きて、「社会」とは接点が少ないのです。日本人は自分に関係のない「社会」の人とはなるべく関わらず、同時に関わり方がわからず、自分と関係のある「世間」の人を大切にします。結果、圧倒的に「世間」の中でしかコミュニケーションしていないんですが、この「世間」がどんどん中途半端に壊れてきているんです」、「中野 ・・・私はずっと、人間がどうして個の意志と集団の意志が並列に存在する「不完全な社会性」しか持たず、共同体が一個体であるかのように振る舞う蟻や蜂のような「真社会性」を持たないんだろうと思っているんです。 鴻上 蟻や蜂は、すごく頑張って従う個体もいれば、全く働かない個体が二割くらいいて、働く蟻がバーンアウトしたり、動かなくなった時には、働かない蟻が登場して働きだすって言いますよね。 中野 個が「意志をもって働かない」のでなく、単に働かない蟻は、全体のバッファーの役割なんです。繰り返しになりますが、蟻や蜂は巣の全体が一つの生き物みたいなものなんです」、なるほど。
・『日本人がコミュニケーションに悩む脳科学的な理由とは 中野 おそらく一般的な意見の受け取り方が、私は下手くそなんですよね。でも私みたいに受け取り方が下手なほうが、なぜかコミュニケーションに悩まずにいられて、受け取り方が上手な人のほうがめちゃくちゃ巻き込まれて、大変な思いをして悩んでいる。むしろ受け取れない側からすると、悩んでいることがうらやましい感じさえします。 鴻上 脳科学的には、日本人がコミュニケーションに悩むというのは、どういった分析になりますか?) 中野 脳科学的に、というよりは比較言語論のような話になってしまいますが、日本の、あるいは日本語話者のコミュニケーションのあり方は、ハイコンテクストだと言われますよね。まさに「空気を読む」という表現もありますけど、こんなの日本語だけ。一つの単語が表す意味が重層的であったり、同音異義語も多くて、意味をあえて特定しにくくしているフシすらある。表情や声のトーンなど言葉以外の情報に頼ることも頻繁にあります。受け取る側のリテラシーが試される言語です。さらに、失敗してしまった時のペナルティも大きい。このペナルティの大きさは「社会性の強さ」とも言えます。日本がこのような独特の社会を形成した要因の一つには、災害が多いことも関連していると思います。 鴻上 「社会性の強さ」とは僕の言う「世間性の強さ」ということですよね。同じ「世間」に生きているなら、言葉がハイコンテクストでも成立します。逆に言うと、「世間」の団結を強めるためには、ほかの集団には通じない符牒(ふちょう)、独特な言葉を使うことが大事になる。ほかの集団には通じない言葉を使えば使うほど、同じ集団に属す我々は一つだという快感を覚えることになります。 中野 思考停止していても安全、ということですしね。 鴻上 その符牒を読み間違えてしまうと、我々の「世間」には所属していない者だと認定され、強烈な制裁がやってくるわけです。 中野 共同体を破壊し、安全な思考停止状態を破る危険な異物として排除されてしまうんですよね』、「「社会性の強さ」とは僕の言う「世間性の強さ」ということ」、「「世間」の団結を強めるためには、ほかの集団には通じない符牒(ふちょう)、独特な言葉を使うことが大事になる。ほかの集団には通じない言葉を使えば使うほど、同じ集団に属す我々は一つだという快感を覚えることになります・・・鴻上 その符牒を読み間違えてしまうと、我々の「世間」には所属していない者だと認定され、強烈な制裁がやってくるわけです。 中野 共同体を破壊し、安全な思考停止状態を破る危険な異物として排除されてしまうんですよね」、さすがに深い考察だ。
・『好きなことをしているとたたかれる国 鴻上 コロナの影響で国から自粛を求められた時に、「演劇界を含め、自粛要請でダメージを受けた業界には、休業補償をお願いしたい」とインタビューで話したら、そのインタビューをネットで読んだ人から「好きなことをやっているんだから、貧乏でいいだろう」という反応があったんです。 中野 同じ時期に、日本俳優連合の理事長を務める西田敏行(にしだとしゆき)さんが、俳優の窮状を訴える要望書を国に提出したら、同じようにバッシングされてしまったことをよく覚えています。「好きなことをやっていると責められてしまう国って何なのかな…」とすごくモヤモヤとした気持ちになりました。) 鴻上 好きなことをやっていると、ネットで攻撃されるのはどうしてだろうと疑問を感じて、エッセイに「街のラーメン屋さんを含め、自分で事業を始めた個人事業主は、今はコロナ禍で苦しいかもしれないけれど、たぶん好きなことをやろうとした人達。サラリーマンは半分半分くらいで、今増えている非正規雇用の人たちは、好きなこととは遠いことをやっているんじゃないだろうか」と、書いたんです。そうしたらそのエッセイがネットにアップされた数時間後には、「好きなことをやっていないのは非正規」と僕が言っているというスレッドがネット上に立っていて驚きました。 中野 え…! 鴻上 そのスレッドをよく読んでみると、僕のエッセイの一部分しか抜粋していないんですよ。だから、それを元にして呟いていた人に、「全文を読んでください」と丁寧に一人一人レスポンスをしたんですが、今度は「鴻上が憑(つ)いた」というツイートが出てきて、その瞬間、「なんでこの暗闇に僕は石を投げてるんだろう?」と我に返りました。 中野 書かれていることを、意図的に歪めて読み取ったり、アクセス数を伸ばすために敢(あ)えて人の気持ちを逆なでするように切りとったりする人はいますよね。それにしても、好きなことをやっている人がとがめられる時代というのは、本当に闇だなと…。 鴻上 自分が好きなことをしていないから、好きなことをやっていると思われる人を見たら、許せないと感じてしまうんだとしたら、これは脳科学的にはいわゆる嫉妬になるんですか? 中野 はい。嫉妬、というか正確には妬みですね。自分は我慢をしているのに、あの人だけは好きなことをやっていて「ずるい」と認識すると、その人を攻撃せずにはいられなくなる。 私はその点で標的になりやすい人達の代表例として、スポーツ選手が挙げられるのではないかと感じています。「国のために頑張ります」と言うのは許されても、「楽しんできます」と言うのは許されない。もし楽しんで結果を出せば、賞賛されるかもしれませんが、結果が出ないと、成績とは関係がない、例えば、ファッションや化粧のことまで槍(や)り玉(だま)に挙げられて非難されてしまう。好きなように生きていることが、これほど罪のようにとがめられてしまうことに、危惧を覚えます』、「自分が好きなことをしていないから、好きなことをやっていると思われる人を見たら、許せないと感じてしまうんだとしたら、これは脳科学的にはいわゆる嫉妬になるんですか? 中野 はい。嫉妬、というか正確には妬みですね」、「妬み」が根底にあるとはイヤな社会だ。
・『色眼鏡をかけるほうが人間にとって快適 鴻上 確かに僕は好きな演劇を仕事にしているのですが、好きなことを仕事にすることは、ただ「楽しい」とか「嬉しい」ということではないんです。好きなことを仕事にした人なら、みんな直面すると思うんですが、好きなことを仕事にするために、やらなければいけない「好きでないこと」が、かなりの量あるんです。 演劇で言えば、よくファンの人達が使う「大人の事情」というものも実際にあって、思ったとおりにできないことも多々ある。うかうかしていると演劇そのものをどんどん嫌いになるような出来事もある。そういったことを全部無視されて「好きなことをやってるんだから文句を言うな」と言われてしまうと、すごい無力感にとらわれますね。) 中野 「好きなことをやっている」ということにマスクされてしまって、その人が実際どんな状況にあり、なにを考えているのかまで見えていない。解像度がすごく粗くなっているんですよね。私たちの脳は、自分の身の回りの人のことはよく見えるんですが、自分の集団にはいない人のことは、記号のようにしか認知できません。つまりよそ者のことは、記号だから攻撃してもいいんだと思ってしまうんです。 鴻上 そこをどう乗り越えていくか、ということですよね。 万が一、自分が攻撃の標的になってしまった時は 中野 「努力して変えていきましょう」というのは、基本的に機能しない呼びかけだと思っているんです。場合によっては、より悪い状況にもなる。努力できる人だけが損をし続けていく仕組みだからです。努力できない時間はそれができないということ。何か一つ努力しだすと他のことができなくなるくらい、人間の脳というのは努力には向いていません。さらに、仲間として認知できる人数は、百五十人と言われていて、それ以上の人たちは、記号としてしか扱えない残念な脳なんですよ。私達はそもそも色眼鏡をかけて生まれてきている、ということを知るしか方法はないように思います。 鴻上 人間はそうやって色眼鏡をかけるほうが快感というか、快適だから、色眼鏡をかけるわけですよね。 中野 ええ。だから、自分が気持ちよさに負けて誰かを攻撃しそうになった時に、「いけない、私、色眼鏡をかけてたわ」と気づくきっかけをどこかに置いておくことが大事です。逆に、万が一、自分がその攻撃の標的になってしまった時は、「あの人、色眼鏡が外せてないな」と思えるよう、心算をしておくことをおすすめしたいです』、「自分が気持ちよさに負けて誰かを攻撃しそうになった時に、「いけない、私、色眼鏡をかけてたわ」と気づくきっかけをどこかに置いておくことが大事です。逆に、万が一、自分がその攻撃の標的になってしまった時は、「あの人、色眼鏡が外せてないな」と思えるよう、心算をしておくことをおすすめしたいです」、さすが中野氏だけに味わいのある言葉だ。
タグ:(その5)(脳に良い習慣と「脳に悪い心理状態」の決定的事実 ストレスや不安は海馬や前頭葉を萎縮させてしまう、精神科医が教える「一瞬で不安を打ち消すたった1つの方法」、鴻上尚史氏と中野信子氏が対談 日本は「好きなことをしていると叩かれる国」) 「家から出て外の光を浴び、近所を散歩するだけでも気が晴れるものだ。 もしくは、友人や知人、その他の助けてくれそうな人を頼ってみればいい。そうやって他人の力を上手に利用して、話を聞いてもらうことで、負のループから抜け出すことができるかもしれない」、なるほど。 「自分が悩み不安に思っている問題を冷静に見つめ直すことが必要であり、それにはこれまでにお伝えしたように、書き出す作業が必要となってくる」、その通りだ。 「「すべての『行動』を細分化して行動のハードルを下げることで、苦しい状況でも『できる』ことを見つけられる」とし、3つの「確実に行動できる対処法(ToDo)」を提案」、「1.「話す」」、「2.「書く」、「3.「体を動かす」」、「これら3つの行動をすべて取り入れる必要はない。その時の自分に合ったものをどれかひとつでもいいので試してみれば、ノルアドレナリンという不安物質が消費されて、心は軽やかになってくれる」、なるほど。 「前向きな行動を始めると、ノルアドレナリンという行動するためのガソリンが消費され、「行動によるガソリン消費→ノルアドレナリン減少→不安逓減→気持ちが楽になる」という流れが起こる」、なるほど。 「分泌されると脳が研ぎ澄まされ、集中力が高まり、どうすればいいのか一瞬で判断できるようになります」、有難い効用があるようだ。 「「ストレスは耐え忍ぶものではなく、しなやかに受け流すことが必要である」、というのは興味深い見解だ。 書籍オンライン編集部による「精神科医が教える「一瞬で不安を打ち消すたった1つの方法」」 ダイヤモンド・オンライン 「週に2,3回は心拍数が増えるようなランニングなどの有酸素運動をお勧めしたい」、私の場合は、「ランニング」の代わりに速足をしている。 「ストレスに対する反応は、体が運動で鍛えられるにしたがって徐々に抑えられるのだ。つまり運動が、ストレスに対して過剰に反応しないよう体をしつけるのである」、「運動が」「体をしつける」とは面白い表現だ。「1時間程度の散歩を習慣にしている成人の前頭葉を定期的に測定した結果、前頭葉を含む大脳皮質が成長していた」、私も「1時間程度の散歩」を日課にしているので、「大脳皮質が成長」している筈だ。なんだか嬉しくなる。 「扁桃体がストレス反応を引き起こしつづけると、海馬のブレーキはすり減ってしまう。アクセルである扁桃体は、海馬が萎縮してブレーキが利かなくなると暴走を始める。こうして、ストレスがさらにストレスを生むサイクルに入る」、恐ろしいことだ。 「体内には、このストレス反応を緩和し、興奮やパニック発作を防ぐブレーキペダルが備わっている。その1つが「海馬」だ。海馬は記憶中枢として知られるが、感情を暴走させないブレーキとしても働いている」、実によく出来た仕組みだ。 「ストレスを感じると、まず脳の扁桃体が反応し、視床下部→下垂体→副腎へと身体の上から下へ刺激が伝わる。副腎から「コルチゾール」というホルモンが分泌されると、動悸は激しくなる。この一連の反応はほんの1秒ほどで起きるが、これは人類の生存に欠かせないからだ」、「扁桃体は、ストレス反応を引き起こすだけでなく、そのストレス反応によっても刺激を受けてしまう・・・ストレスがストレスを呼ぶ悪循環だ」、 アンデシュ・ハンセン氏による「脳に良い習慣と「脳に悪い心理状態」の決定的事実 ストレスや不安は海馬や前頭葉を萎縮させてしまう」 東洋経済オンライン 心理学 精神科医が教える「一瞬で不安を打ち消すたった1つの方法」『ストレスフリー超大全』(ダイヤモンド社) 「あなたの「考え方」「受け止め方」を少し変えるだけで、ストレスを受け流せるようになります。それだけで、「不安」や「悩み」の9割は消すことができます」、「生き方を変えるのは「今」です!」、いかにも効果がありそうだ。 「鴻上尚史氏と中野信子氏が対談、日本は「好きなことをしていると叩かれる国」」 『同調圧力のトリセツ』(小学館新書) 「中野氏」が「高校生くらいの頃に鴻上さんのスクリプトを読んで、これは同じ問題意識を持った人だ!と感銘を受けて、ボロボロになるまで読みました。あまりに読むので、もう3冊同じのを買っていると思います」、さすがませた「高校生」だ。 「予備校の先生に話を聞くと、僕や中野さんの時代に比べて、浪人をする人が十分の一以下に減っているそうです・・・ なぜ減ったかというと、一年浪人をして大学の偏差値を上げて、ワンランク上の大学に入る意味を見いだしにくくなってきたからだそうです」、そうであれば、「予備校」ビジネスも様変わりしたのだろう。 「日本人の多くは「世間」に生きて、「社会」とは接点が少ないのです。日本人は自分に関係のない「社会」の人とはなるべく関わらず、同時に関わり方がわからず、自分と関係のある「世間」の人を大切にします。結果、圧倒的に「世間」の中でしかコミュニケーションしていないんですが、この「世間」がどんどん中途半端に壊れてきているんです」、 「中野 ・・・私はずっと、人間がどうして個の意志と集団の意志が並列に存在する「不完全な社会性」しか持たず、共同体が一個体であるかのように振る舞う蟻や蜂のような「真社会性」を持たないんだろうと思っているんです。 鴻上 蟻や蜂は、すごく頑張って従う個体もいれば、全く働かない個体が二割くらいいて、働く蟻がバーンアウトしたり、動かなくなった時には、働かない蟻が登場して働きだすって言いますよね。 中野 個が「意志をもって働かない」のでなく、単に働かない蟻は、全体のバッファーの役割なんです。繰り返しになりますが、蟻や蜂は巣の全体が一つの生き物みたいなものなんです」、なるほど。 「「社会性の強さ」とは僕の言う「世間性の強さ」ということ」、「「世間」の団結を強めるためには、ほかの集団には通じない符牒(ふちょう)、独特な言葉を使うことが大事になる。ほかの集団には通じない言葉を使えば使うほど、同じ集団に属す我々は一つだという快感を覚えることになります・・・鴻上 その符牒を読み間違えてしまうと、我々の「世間」には所属していない者だと認定され、強烈な制裁がやってくるわけです。 中野 共同体を破壊し、安全な思考停止状態を破る危険な異物として排除されてしまうんですよね」、さすがに深い考察だ。 「自分が好きなことをしていないから、好きなことをやっていると思われる人を見たら、許せないと感じてしまうんだとしたら、これは脳科学的にはいわゆる嫉妬になるんですか? 中野 はい。嫉妬、というか正確には妬みですね」、「妬み」が根底にあるとはイヤな社会だ。