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決済(その6)(公取審査で見えた「PayPay」ひとり勝ちの構図 LINE Payとあわせてシェア60%占有、ドコモ口座パニック拡大 他人事ではない「本当に怖い落とし穴」、菅首相に求むキャッシュレス縦割り行政の打破 ガラパゴス問題の根深さ) [金融]

決済については、2月22日に取上げた。今日は、(その6)(公取審査で見えた「PayPay」ひとり勝ちの構図 LINE Payとあわせてシェア60%占有、ドコモ口座パニック拡大 他人事ではない「本当に怖い落とし穴」、菅首相に求むキャッシュレス縦割り行政の打破 ガラパゴス問題の根深さ)である。

先ずは、8月6日付けダイヤモンド・オンライン「公取審査で見えた「PayPay」ひとり勝ちの構図、LINE Payとあわせてシェア60%占有」を紹介しよう。
https://signal.diamond.jp/articles/-/212
・『8月4日、Yahoo! Japan親会社のZホールディングス(ZHD)とLINEの経営統合を巡って、大きな進展があった。ハードルの1つとなっていた日本の公正取引委員会による審査が完了したのだ。 LINEとYahoo! Japanはニュース配信事業、広告事業、コード決済(注)市場で競合している。公取委の審査ではこの3分野において両社の統合は競争を阻害しないという判断となったが、特に市場支配力が強いコード決済事業に関しては「注記付き」で統合を認める判断となった。 コード決済事業では、ZHDと同じソフトバンクグループのPayPayが圧倒的な強さを見せている。公取委の審査レポートによるとPayPayは2020年1月時点のコード決済(利用金額ベース)で市場シェア55%を占めている。一方、LINE Payは市場シェア5%で、両社を単純合算するとシェア60%におよぶことになる。 PayPayはコード決済サービスの中では後発組で、2018年7月にサービスを開始した。飛躍のきっかけとなったのが2018年12月にスタートした「100億円あげちゃうキャンペーン」。予算100億円、会計金額の20%を還元するという大胆な内容のキャンペーンで、決済できないなどのトラブルを起こしつつも世間の注目を集め、コード決済そのものの認知度を一気に向上させた。 その後PayPayでは全国に営業部隊を展開し、都心の個人商店から地方の観光地まで幅広くにコード決済を売り込んだ。2019年以降はZHDの親会社にあたるソフトバンクグループとソフトバンクの資本も投入し、巨大な赤字を積み増しながらユーザー数と加盟店を増やしてきた。2020年6月末時点でユーザーは3000万人を突破し、対応店舗網は全国230万カ所に及んでいる。 一方、LINE Payは2014年12月サービス開始と、実はコード決済市場では古株だ。LINEアプリに組み込まれているという利便性を強みとして、着々と市場シェアを伸ばしてきた。登録ユーザー数は2019年10月時点で5000万人を突破している。 LINE Payでは2018年8月からは加盟店決済手数料を3年間無料とする施策を展開。政府主導の共通QRコード規格「JPQR」にも参加し、加盟店拡大を図った。 ただ、直近ではプロモーション費用を控えつつ、クーポン配布やLINE Pay クレジットカードの投入など、既存ユーザーの利用機会を増やすような施策にシフトしている。前述の公取委資料によると、2019年4月時点ではLINE Payは25%の市場シェアを保持していたが、2020年5月には5%に低下している。 PayPayの親会社の1つであるZホールディングスとLINE Payの親会社のLINEは2019年11月、経営統合を発表。統合に向けた審査を進めてきた』、後発の「PayPayは2020年1月時点のコード決済・・・で市場シェア55%)、とはあの「キャンペーン」も効いたようだ。
(注)コード決済:QRコードやバーコードを用いた電子決済システム(Wikipedia)
・『最大の競合は「現金」  LINEがグループに加わることで、コード決済市場の圧倒的王者のPayPayは、さらに市場での影響力を高めることになる。ただし、公取委の判断は、両社の統合が直ちに問題とならないと判断している。 政府が2019年9月~2020年6月まで展開したキャッシュレス推進キャンペーンによって、コード決済の利用率は大きく拡大した。コード決済の決済手段としての利用割合は2019年4月の時点では1.76%だったのに対し、2020年1月には7.30%まで増加している。 一方で、決済手段として未だに根強いのは現金だ。2019年4月では52.64%と過半数を占め、キャンペーン期間の2020年1月にも41.58%の決済が現金だ。 同期間にはクレジットカードも利用割合を拡大しているが、30.90%→34.70%と、その伸張は小幅だ。利用動向をみると、クレジットカードは高額決済、コード決済は少額決済とすみ分けが進んでいる。 つまり、コード決済市場は現金の少額決済の需要を奪って成長している格好と言える。 また、ユーザーにとっては他の決済手段を選ぶ自由もある。コード決済サービスはアプリを導入してアカウントを登録し、銀行口座やクレジットカードを登録すれば使える。他のサービスへの乗り換えも難しくはなく、複数のサービスを使うユーザーもいる。 コード決済事業者はユーザーを拡大、定着させるために多くのプロモーション費用をつぎ込んでいる。その一方で、ユーザーはキャンペーンを展開しているサービスを渡り歩いて使うような状態になっている。PayPayでは実際、還元額を増額したキャンペーンの実施日のみ大幅に利用額が増えているような状況にある。 こうした市場の動向もあり、公取委は2社の統合自体は競争の制限とはならないと判断した。一方で現金による決済は減少傾向にあり、コード決済はクレジットカードなどの他の決済手段とも共存していることから、今後競争が阻害されるおそれもあるとして、両社の統合にあたり「条件」をつけている。 条件は2項目あり、統合後の3年間に渡り適用される。1つはコード決済企業での競争状況やユーザーデータの利用状況を公取委に報告すること。もう1つは加盟店契約で排他的な条項(他のコード決済は導入しないといった制約)を設けないことだ。 なお、審査を要請したZHDとLINEが提案した内容を公取委が承認するかたちとなっている』、「コード決済の決済手段としての利用割合は・・・2020年1月には7.30%」、意外に低いようだが、「クレジットカードは高額決済、コード決済は少額決済とすみ分けが進んでいる」、納得である。
・『市場を固めたPayPayはマネタイズにシフト  コード決済市場で圧倒的なシェアを獲得したPayPayだが、そのユーザーと加盟店は、莫大な費用が獲得したものだ。同社の業績は2019年度はマイナス367億円の営業赤字、2020年度にはマイナス822億円とさらに赤字幅が拡大している。同社はユーザーを拡大を進めつつも、収益化をシフトしていく方針を示している。 コード決済の場合、決済手数料そのものでの収益化するよりも、周辺サービスの利用を増してグループ全体での収益化を狙う戦略が王道となる。PayPayが意図する「スーパーアプリ」化もその1つだ。 PayPayの言う「スーパーアプリ」とは決済アプリを起点としたポータル化で、たとえばPayPayアプリから配車サービスのDiDiでタクシーを呼ぶといった機能拡張を行っている。 また、ZHDはPayPayを「Yahoo! JAPAN」に並ぶブランドと位置づけており、6月末にはZHD内の金融関連サービスと企業を「PayPay」ブランドに改称することも発表している。たとえばジャパンネット銀行は「PayPay銀行」に、YJFX!は「PayPay FX」といった具合で、長い歴史の中でYahoo!グループに加わった金融関連サービスをPayPayブランドに結集させつつある。 一方でLINEは、メッセージングアプリの「LINE」を元にさまざまなサービスを拡充してきた経緯があり、LINE自体がスーパーアプリで、LINE Payはその一翼をになうサービスと言える。統合後にPayPayブランドに統合する意義は薄そうだが、加盟店営業ではPayPayとの共同販促で攻勢に出られるだろう。 合併審査中ということもあり、ZHDとLINE両者の首脳から統合後の方針ついての戦略が語られることは少ない。一方で、スマホ決済サービスの今後という点では、両者の戦略はそう離れてはいないだろう。 LINEとZHDはもともと2020年内に経営統合を完了する予定だったが、昨今の新型コロナウイルス感染症の流行により、海外で合併審査の進捗が遅れている。新生ZHDとその傘下企業としてのYahoo! JapanとLINEは、2021年3月に誕生する予定だ』、「PayPay」が「周辺サービスの利用を増してグループ全体での収益化を狙う戦略」で、どの程度「マネタイズ」出来るかに注目したい。

次に、9月18日付けダイヤモンド・オンラインが掲載した百年コンサルティング代表の鈴木貴博氏による「ドコモ口座パニック拡大、他人事ではない「本当に怖い落とし穴」」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/249070
・『ドコモ口座不正引き出しが今までのサイバー犯罪と違う点  「ドコモ口座」不正引き出し事件のパニックが、静かに広がりつつあります。後述するように、事件の経済被害自体は銀行やドコモから見れば少額で、そのこともあって、被害者を全面的に保護し、被害を補償する方向で対応が進みつつあります。 一方で、今回のドコモ口座事件には、これまでのサイバー金融犯罪と比較して大きく違う点があります。それは、基本的に被害者がドコモと無関係の消費者だったことです。 これまで不正利用というと、被害者は心当たりがあるケースばかりでした。たとえばクレジットカード被害に遭う場合、自分が持っているクレジットカードを誰かが不正に使うという被害だったので、明細書を見て使った覚えがない請求があったらそれに気づき、調査をかけてもらうことができました。 昨年はセブン-イレブンが導入したセブンペイで、今回とよく似た不正利用被害が起きました。ただ、この事件における被害者はあくまでセブンペイの口座を自分で開いた人で、その後犯人グループから勝手にパスワードの変更をかけられ、口座を乗っ取られたというケースでした。なので、被害者は被害に遭う「心当たり」があったわけです。 一方で今回のドコモ口座事件が怖いのは、被害者の大半がドコモユーザーではなかった点です。 あるとき銀行通帳に記帳してみたら、ドコモ口座という身に覚えのないサービスから数度にわたって合計30万円が引き落とされている。慌ててドコモに問い合わせると、「そのドコモ口座はあなたの口座ではないので、情報を開示できない」と門前払いを食らわされる。事件が大きな社会問題になるまで、こんなことが起きていたのです。 突然、通帳から大金がドコモに支払われて消えてしまう。訴えて口座を止めようにも対応してくれない――。銀行ユーザーから見れば対策のしようがありません。いったい何が起きているのか、パニックになるのは当然です。 1つユーザーが安心できることは、9月4日にドコモの丸山副社長に報告が上がって大問題になったことで、現在はドコモも責任を認め、過去に遡って全額補償を表明していることです。昨年5月にりそな銀行で最初の事件が起きた際には、もみ消されたといいます。その点では、これから先、万一被害に遭っても心配はいらないと思います。 一方で心配なのは、9月15日の高市早苗総務大臣の記者会見において、総務省管轄のゆうちょ銀行にヒアリングをした結果、ドコモ口座以外にもペイペイなど5社で、即時振替サービスに関連した被害が起きていたことが公表されたことです。 ドコモ口座と違って被害は一桁小さいとはいえ、ペイペイでは今年1月以降、17件141万円の被害が報告されました。ドコモ口座の上限が30万円なのと比較して、ペイペイの場合は上限が低いため、被害額は平均8万円と小規模ではありますが、被害者にとって甚大な損失であることには変わりありません』、今回の手口は巧妙なので、新聞の第一報ではよく理解できなかった。サイバー犯罪手口のイノベーションは困ったものだ。「ドコモ口座以外にもペイペイなど5社で、即時振替サービスに関連した被害が起きていた」、このニュースは見逃していた。「ドコモに問い合わせると、「そのドコモ口座はあなたの口座ではないので、情報を開示できない」と門前払いを食らわされる」、こうした問い合わせが相次いだ筈なのに、直ぐに調査しなかった「ドコモ」の怠慢には呆れた。
・『銀行ユーザーにとっての「2つの不安」  そうした状況下、一般の銀行ユーザーにとって心配なことは、以下の2点です。 (1)なぜこのような被害に遭うのか。 (2)このような被害がこれからドコモ以外で起きたときも、補償してもらえるのか。 先に述べてしまうと、この事件の最大の問題点と思われるのは、必ずしも銀行口座に元通りにお金が戻るとは限らないだろう、ということです。 これから先も、おそらく違う形で似たようなサイバー犯罪が起きることは、まず間違いありません。組織的な犯罪集団は常にイノベーションを図っていて、警察どころか銀行やドコモなどの決済サービス事業者を常に出し抜く努力(?)を重ねています。彼らがセキュリティの穴を発見するたびに、何らかの不正事件がこれからも必ず起きます。 そして、今回の事件でも実はそうなのですが、ユーザーに対して犯罪が実行される条件としては、大半のケースにおいて、銀行やサービス事業者のセキュリティが甘いだけでなく、自分でも何らかのミスをしなければ、犯人グループはお金を盗むことができません(細かく言うと違うのですが、大半の場合についてはその通りのはずです)。 ここがポイントで、今回の事件も犯人グループがドコモ口座を開設してお金を吸い上げるために用いたログイン情報の大半は、被害者のミスで盗まれたと警察は見ています』、「被害者のミス」とはどういうことなのだろう。
・『他人事ではない教訓 「なぜこんな目に遭うのか」  さて、今回の事件において「なぜこのような被害に遭うのか?」について、解説したいと思います。 今回のドコモ口座事件では、第三者が自分の銀行口座のインターネットバンキングのログイン情報を不正に入手して、本人に成りすまして勝手にドコモ口座を開設し、銀行口座からドコモ口座に上限である30万円をチャージして使ってしまうという手口で、犯罪が行われました。 その際に狙われたのは、ウェブ口座振替というサービスでの確認強度が弱い銀行でした。具体的に言えば、口座番号、ログインパスワード、キャッシュカードの暗証番号4ケタ、この3つの情報さえあればドコモ口座に資金を移動できる仕組みになっている銀行が狙われたことになります。 逆に確認強度が強い銀行の場合、たとえば本人しか持っていないワンタイムパスワードを発生させるトークンという機器を提供して本人認証を行っていたり、口座開設時に登録した携帯電話宛にSMSでメッセージを送り本人確認をしたりといった、二段認証をしなければならないようになっています。このような強度の強い銀行は、今回狙われなかったし、今後も狙われることは少ないと一旦は考えられます(今後、犯罪グループも技術が向上していくので、慢心はよくないとは思いますが)。 では、犯人グループはどうやってユーザーの口座番号、ログインパスワード、キャッシュカードの暗証番号を盗んだのでしょうか。警察の話では、今回の事件の大半のケースでは、フィッシング詐欺が用いられたと見ているようです。 ご存じでない、ないしはお気づきでない方もいるかもしれませんが、プライベートでこんなメールが届くことはありませんか。 「あなたの○○アカウントは一時的に停止しました」 この「○○」は、アマゾンでも楽天でもLINEでも銀行でも、何でもいいのですが、とにかくあなたの何らかの口座に不正なアクセスと見られる動きがあったので、一時的にアカウントを停止しているという、一見親切なメールです。しかしこのメール、送り付けるのは大半の場合、犯罪グループです。 メールの中で「アカウント停止の解除はこちらから」と書かれてあるリンクをクリックすると、そこが不正の入り口で、銀行の場合なら、本物の銀行のホームページそっくりの画面が表示されます。 そして、本人確認に必要な情報だとして口座番号、ログインパスワード、キャッシュカードの暗証番号を順番に入力していくと、「本人確認が完了しました。口座の停止を解除しました」といった、ユーザーを安心させるメッセージが表示されます。しかしそのときにはすでに、銀行口座の口座番号、ログインパスワード、キャッシュカードの暗証番号は、犯罪グループに盗まれているわけです。 ちなみに、このような罠を仕掛けなくても、リバースブルートフォースという手口のように、手当たり次第にログインIDと暗証番号を試す攻撃もあります。フィッシング詐欺に引っかかった経験がなくても、暗証番号やパスワードに簡単なものを設定している人は、このような攻撃に対して脆弱だと言えます』、メガバンクのなかでも、みずほ銀行の預金者に被害が出たようだが、同行の「確認強度」はそれほど弱いのだろうか。「フィッシング詐欺に引っかかった経験がなくても」、「リバースブルートフォース」「攻撃」があるというのは、恐ろしいことだ。
・『第二段認証の壁がない「緩い銀行」が狙われた  さて、口座情報を盗んだ犯人にとって難しいのは、ここからです。大半の場合、個人の銀行口座にインターネットバンキングでログインしても、普通はお金を送金できない。第二段認証の壁があるからです。しかしときどき、そういった壁を越える必要のない新サービスが登場します。ドコモ口座もその1つで、上限30万円までなら低いセキュリティで資金を移動できる銀行が何行もありました。だから、その銀行の預金者が狙われたわけです。 ドコモ口座事件の被害者がある意味でラッキーだったのは、事件が大きな社会問題になった一方で、被害額が9月15日時点で143件、2676万円というレベルにとどまっている点です。被害者にとっては平均17万円と大きな被害でも、ドコモのような大企業にとっては役員決裁で補償できるくらいの少ない金額です。だから、補償が決まるのもスムースだったわけです』、「上限30万円までなら低いセキュリティで資金を移動できる銀行が何行もありました。だから、その銀行の預金者が狙われた」、小口だからと、「セキュリティ」を緩めたとすれば銀行側の致命的ミスだ。
・『さらに高額な不正事件が起きたら誰も被害を補填してくれなくなる?  しかし、もし将来別の事件が起きて、被害件数14万件、被害額267億円などと高額になったら、話は変わってきます。ドコモのミスや銀行のミスに加えて、被害者のミスも重ならないと事件は起きないため、関係者間で「被害額をどう分担するか」という話し合いが持たれるでしょう。 その場合、「そもそもパスワードを盗まれたユーザーの責任が一番重い」などと、大企業や銀行が主張することだってあるかもしれません。それが裁判で争わなければいけない事態にまで発展すれば、弁護士を雇うお金もない被害者が一方的に不利になります。そんなケースも、これからは出てくるかもしれないのです。 今回の事件で私が一番気になったのは、銀行の当事者意識が低かったことです。事件に関係した銀行幹部は、ドコモの会見に出席すらしません。背景を推察するに、私たちが銀行のサービスを利用する際には、銀行側からの確認事項に対して全て「同意」しているため、その後どのような事件が起きても、法的には自分たちに何の責任もないということが、わかっているからでしょう。 しかし、だからこそこうした事件は、銀行にとっても危険なのです。消費者が「ITが進化すればするほど、銀行にお金を預けておくと危なくなるんだ」と気づき始めるからです。ドコモ口座事件は、ユーザーがそんなことを肝に銘じる最初の事件だったかもしれません』、「今回の事件で私が一番気になったのは、銀行の当事者意識が低かったことです」、「消費者が「ITが進化すればするほど、銀行にお金を預けておくと危なくなるんだ」と気づき始める」、同感である。

第三に、9月17日付けダイヤモンド・オンラインが掲載した京都大学経済学部特任教授の宇野 輝氏による「菅首相に求むキャッシュレス縦割り行政の打破、ガラパゴス問題の根深さ」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/248808
・『菅義偉新首相は「縦割り行政の打破」を掲げて日本のトップの座についた。そんな菅首相にとってキャッシュレス化政策の改革は、その手腕を発揮するための絶好の舞台といえる。キャッシュレス化は、3省庁にまたがる省益と2つのガラパゴス問題という根深い問題を解決しなくては推進できない政策だからだ』、そんなに大事なのだろうか。
・『政府がデジタル戦略の中核に置くキャッシュレス化の実現性を問う  自民党総裁選の論戦における重要なテーマの1つが、わが国のデジタル戦略だった。新たな首相となった菅義偉氏は「デジタル庁」の設立構想を打ち立てた。また、菅氏の対抗馬だった岸田文雄氏も「データ庁」とデジタルトランスフォーメーション(デジタル化による変革、DX)を推し進める「政府DX推進委員会」の創設する考えを示していた。 デジタル化を巡る政策の転換は、たとえ安倍晋三前首相の電撃的な辞任がなかったとしても、待ったなしの状況だった。2020年7月、政府は「経済財政運営と改革の基本方針2020」において、すでにその方針を示していたからだ。 そこで示された施策は、新型コロナ感染症の危機に直面し、わが国の社会構造が先進国の中で、いかにデジタル化が遅れているかを露呈させた反省から出てきた施策である。この諸施策の実現に当たり、政府は具体的な成長戦略の実行計画案を同時に発表していた。 実行計画案ではデジタル化の主要な施策として、決済インフラの見直しおよびキャッシュレスの環境整備を挙げ、決済インフラに関する法整備やキャッシュレスの環境整備の問題点を提起している。 そして具体的なキャッシュレス決済の目標値として、キャッシュレス決済比率を現在の約20%強から2025年までに40%程度とし、将来的には世界最高水準の80%程度を目指すとしている。 本稿においては、政府がデジタル化の1丁目1番地に位置付けている、キャッシュレス決済比率目標の実現性およびキャッシュレス決済に関わるデジタル化施策の諸課題について、わが国の歴史的な経緯を踏まえて論じてみたい』、「歴史的な経緯を踏まえて論じてみたい」とは興味深そうだ。
・『日銀券の在り方および個人の徴税制度に関する課題  わが国のキャッシュレス決済比率が低迷する歴史的な問題は、政府も成長戦略実行計画において「わが国の決済システムは長い歴史を持ち、非常に強固に作られてきた半面、新しいシステムへの適応が難しい」と述べている。 この問題の根幹にあるのは大量の日本銀行券(現金)の流通にある。日銀券は銀行を中心に安全性(特に偽造問題)が担保され、高額紙幣の流通を可能にしている。 また、80年前のある制度設計が日本のキャッシュレス化を妨げる壁となっている面がある。それは徴税制度だ。 下図のように、世界主要国のキャッシュレス決済比率を見ると、近年韓国や中国はキャッシュレス決済比率を急速に高め、中国は70%超、韓国に至ってはほぼ100%という水準となっている。 これは、脱税問題を解決するため、デジタル化によって納税の透明性を高めた結果だ。それに比べ、日本とドイツのキャッシュレス決済比率が低い理由は、徴税制度に起因しているものと考えられる。 わが国の個人の徴税制度は、戦前のナチスドイツの源泉徴収制度にならって1940(昭和15)年に導入され、現在も続いている。その結果、一般的に個人の脱税問題が発生していないため、領収証さえ添付すれば現金支払いによる経費支出が証明される、という曖昧な確定申告がまかり通っている。 従って、国内総生産(GDP)の約55%を占める個人消費支出約300兆円の80%をキャッシュレス決済にするためには、米国と同様に、わが国にもマイナンバーカードにリンクした徴税制度を導入することが重要な課題となってくる。現在実施されているマイナポイント制度では、到底その効果は期待できない』、「個人の徴税制度は、戦前のナチスドイツの源泉徴収制度にならって1940(昭和15)年に導入され、現在も続いている・・・領収証さえ添付すれば現金支払いによる経費支出が証明される、という曖昧な確定申告がまかり通っている」、「現金支払い」が根強く続いている背景に「曖昧な確定申告」制度があるというのは、初めて知った。
・『そしてもう1つ、日本のキャッシュレス化を妨げてきた要因がある。それは、わが国独自の進化を遂げた“便利すぎる”ATM(現金自動預け払い機)だ。 以前より通貨の取り扱いコスト比較では、現金が極めて割高だった。Visa Internationalによると、50ドルの取引における1件当たりの取り扱いコストは、キャッシュ(窓口)1.07ドル、小切手0.54ドル、ATM0.27ドル、クレジット・デビットカード0.06ドルだという。 ところが日本では、日銀券を取り扱う高性能なATMの開発によって省力化・効率化を図り、事務コストを大幅に引き下げてきた。その結果、現在も現金の利便性は高い。 しかしビッグデータ時代に入った今、個人消費のマーケティングに用いる分析データとして、通貨の流通履歴(Evidence)が欠かせないものとなった。日本における現金の利便性が、その重要なデータの取得を妨げているという皮肉な状況が生まれている』、「現金の利便性が」「通貨の流通履歴」という「重要なデータの取得を妨げているという皮肉な状況が生まれている」、というのも確かに「皮肉」だ。
・『キャッシュレス決済のインフラの見直しと環境整備の課題  次に「成長戦略実行計画」では、決済インフラの見直しとして、以下の3点などを挙げている。 (1)決済法制及び金融サービス仲介法制の見直し (2)振込手数料の見直し (3)優良なノンバンクの参加  そしてキャッシュレスの環境整備としては、前述のマイナポイントの付与の他に以下の2点を提言している。 (1)加盟店手数料の見直し (2)日本発の統一QRコードの海外展開やタッチ式決済のユーザーインターフェイスの統一) しかし、これらについても歴史的な問題を現在も抱えていることを認識しておかなければ、解決策は見いだせない。キャッシュレス決済インフラとキャッシュレス環境が今も抱える根本的な問題は、世界標準から逸脱しガラパゴス状態で進化してきたことにある。その状況は、1960年代以降に日本固有の割賦販売や「後払い」のクレジットカードが導入されたことによって生まれた。 具体的な例として、日本のキャッシュカードやプリペイドカード、クレジットカードのプロトコル(規格)が挙げられる。日本では、大蔵省(現財務省)や通商産業省(現経済産業省)、郵政省(現総務省)の行政指導の下、カードの表側の磁気ストライプ(NTT仕様)を読み取る「表読み」が採用されてきた。それに従ったため、ATMや加盟店の決済用端末機はこの表読みが主流となってしまった。 しかし、世界標準化規格であるISO基準では「裏読み」であるため、決済用端末機への二重投資が発生し、コスト高を招いてしまった。加えて、日本独自の信販・流通業界の割賦販売の仕様が端末機に付加され、端末機価格はより高くなった。そして、複雑な仕様は通信コストや事務処理コストをも高くしてしまった。 加盟店端末機にあっては、その後キャッシュレス決済ビジネスにノンバンクが入り乱れて参入し、ICカードや非接触カードの読み取り機を導入。その結果、店舗側に端末機の設置スペースの問題が発生した。 こうした背景があり、日本の加盟店手数料率は世界標準と比べて約2倍の水準となっている。 これらの諸問題を解決するためには、銀行系クレジットカードや貸金業界を所管する金融庁、信販・流通・ノンバンク業界を所管する経産省、通信インフラを所管する総務省の3省による一体改革が必要不可欠だ。3省は「省益」を排除し、日本独自のキャッシュレス決済インフラを世界標準に合わせ、グローバルな決済インフラに再構築することが求められている。 「縦割り行政の打破」を掲げて自民党総裁選を勝ち抜いた菅義偉新首相にとって、キャッシュレス化の推進政策は、その手腕を発揮する絶好の舞台といえるだろう』、「縦割り行政」によって「決済用端末機への二重投資が発生し、コスト高」、「割賦販売の仕様が端末機に付加され、端末機価格はより高くなった」、という歴史的経緯を度外視して、最適な決済システムを構築する訳にもいかない。「成長戦略実行計画」は絵に描いた餅に過ぎず、実行していくのはなかなか難しい問題のようだ。
タグ:実行していくのはなかなか難しい問題のようだ このような被害がこれからドコモ以外で起きたときも、補償してもらえるのか 縦割り行政 成長戦略実行計画 キャッシュレス決済のインフラの見直しと環境整備の課題 重要なデータの取得を妨げているという皮肉な状況が生まれている 領収証さえ添付すれば現金支払いによる経費支出が証明される、という曖昧な確定申告がまかり通っている 個人の徴税制度は、戦前のナチスドイツの源泉徴収制度にならって1940(昭和15)年に導入され、現在も続いている クレジットカードは高額決済、コード決済は少額決済とすみ分けが進んでいる 通貨の流通履歴 日本とドイツのキャッシュレス決済比率が低い理由は、徴税制度に起因 日銀券の在り方および個人の徴税制度に関する課題 現金の利便性が 歴史的な経緯を踏まえて論じてみたい ドコモ口座以外にもペイペイなど5社で、即時振替サービスに関連した被害が起きていた 政府がデジタル戦略の中核に置くキャッシュレス化の実現性を問う そのドコモ口座はあなたの口座ではないので、情報を開示できない」と門前払いを食らわされる PayPay 市場を固めたPayPayはマネタイズにシフト 「菅首相に求むキャッシュレス縦割り行政の打破、ガラパゴス問題の根深さ」 2020年1月には7.30%まで増加 宇野 輝 「キャンペーン」も効いたようだ 消費者が「ITが進化すればするほど、銀行にお金を預けておくと危なくなるんだ」と気づき始める で市場シェア55% コード決済の決済手段としての利用割合は 今回の事件で私が一番気になったのは、銀行の当事者意識が低かったことです 「成長戦略実行計画」は絵に描いた餅に過ぎず 最大の競合は「現金」 PayPayは2020年1月時点のコード決済 どの程度「マネタイズ」出来るかに注目したい 公正取引委員会による審査が完了 さらに高額な不正事件が起きたら誰も被害を補填してくれなくなる? 上限30万円までなら低いセキュリティで資金を移動できる銀行が何行もありました。だから、その銀行の預金者が狙われた Zホールディングス(ZHD)とLINEの経営統合を巡って 決済用端末機への二重投資が発生し、コスト高 ダイヤモンド・オンライン ドコモ口座不正引き出しが今までのサイバー犯罪と違う点 (その6)(公取審査で見えた「PayPay」ひとり勝ちの構図 LINE Payとあわせてシェア60%占有、ドコモ口座パニック拡大 他人事ではない「本当に怖い落とし穴」、菅首相に求むキャッシュレス縦割り行政の打破 ガラパゴス問題の根深さ) 第二段認証の壁がない「緩い銀行」が狙われた 「公取審査で見えた「PayPay」ひとり勝ちの構図、LINE Payとあわせてシェア60%占有」 歴史的経緯を度外視して、最適な決済システムを構築する訳にもいかない 決済 割賦販売の仕様が端末機に付加され、端末機価格はより高くなった なぜこのような被害に遭うのか 「リバースブルートフォース」「攻撃」がある 周辺サービスの利用を増してグループ全体での収益化を狙う戦略 フィッシング詐欺に引っかかった経験がなくても 他人事ではない教訓 「なぜこんな目に遭うのか」 「ドコモ口座パニック拡大、他人事ではない「本当に怖い落とし穴」」 銀行ユーザーにとっての「2つの不安」 被害者のミス 鈴木貴博
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小池都知事問題(その4)(小池都知事が圧勝の裏で露骨にメディア選別 批判的な記者は“排除”、緊急寄稿・石井妙子 小池再選を生んだメディアの忖度気質、都庁幹部が明かす小池「暗黒都政」<1>管理職には“小池リスク”…誰もが潰され使い捨てられる、小池知事 都の「感染防止ステッカー」掲示店でクラスター発生でもパフォーマンスに終始) [国内政治]

小池都知事問題については、7月3日に取上げた。今日は、(その4)(小池都知事が圧勝の裏で露骨にメディア選別 批判的な記者は“排除”、緊急寄稿・石井妙子 小池再選を生んだメディアの忖度気質、都庁幹部が明かす小池「暗黒都政」<1>管理職には“小池リスク”…誰もが潰され使い捨てられる、小池知事 都の「感染防止ステッカー」掲示店でクラスター発生でもパフォーマンスに終始)である。

先ずは、7月6日付けダイヤモンド・オンライン「小池都知事が圧勝の裏で露骨にメディア選別、批判的な記者は“排除”」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/242248
・『7月5日投開票の都知事選で圧勝し再選を果たした小池百合子知事。東京都内の新型コロナウイルス感染者が急増しその責任は重くなる一方だ。“発信力”が評価される小池知事だが、連日続く記者会見を無難に終えるため、都の職員が奔走して記者の座席表を作成。批判的な記者を指名せず“排除”していることはあまり知られていない』、さすが“排除”好きな「小池知事」だけある。
・『紙に「毎日」「朝日」「日経」…会見のたびに職員が座席表づくり  毎週金曜日午後2時。東京都知事の定例記者会見は原則この時刻に始まる。新型コロナウイルスの感染拡大への対応をめぐって、各都道府県知事の記者会見には大きな注目が集まった。3~5月には、小池百合子東京都知事の会見が報道番組で生中継されることも多かった。一連のコロナ対応をめぐる“発信力”が評価されたことが、7月5日の知事選での圧勝につながったといわれる。 そんな小池知事の定例会見ではいつも、知事に向かって右側に都政策企画局報道課の職員が陪席。同局の初宿和夫理事、その右には日替わりで部下の職員が座る。 会見が始まる前後、部下の職員は記者席を何度も見回し、手元の紙にサインペンで何かを書き込んでいく。ダイヤモンド編集部が6月26日の記者会見でその紙を撮影したところ、「毎日」「朝日」「幹事社 東京新聞」「日経」「日刊スポーツ」などと書かれているのが読み取れた。どの社の記者がどの席に座っているのかが分かる座席表を作成しているのだ。 座席表はいつも、会見開始後15~20分ごろ、職員から初宿理事によって、質疑応答の前に都側からの発表事項についてプロンプターに浮かぶ文字を読み上げている小池知事に手渡される。 小池知事の定例会見は、都庁の記者クラブにファクスで申し込めば、クラブ非加盟の報道機関やフリーランスの記者も参加可能だ。ただ、会見は都庁の記者クラブ主催ではあるものの、質問する記者は小池知事が指名する。 会見の“常連”であるフリージャーナリストの横田一氏は、2017年の総選挙で小池知事が「希望の党」を率いて惨敗した際、あの「排除します」発言を引き出したことで注目されたが、その後指名される機会は激減した。他の記者が手を挙げていても、会見は小池氏の判断で打ち切られる。 会見終了時、指名されなかった横田氏が退室する小池氏に向かって質問を浴びせ、初宿理事がこれを遮るように「記者会見は終了しました。不規則発言はおやめください」とマイクで告げるのが会見の“風物詩”となっている。 横田氏の質問は、小池知事のカイロ大学卒業の真偽や、マスクなどの医療物資が一時、職員に十分に供給されないと指摘された都立墨東病院をめぐる混乱など、小池氏にとって都合の悪い内容が多い。このため小池氏は横田氏を“無視”する態度を取り続けている。 さすがに横田氏は小池知事に顔も名前も覚えられているようだが、この座席表があれば、小池知事が記者の顔を知らなくとも、批判的なメディアの記者の指名を避け、厳しい質問を回避できる』、「質問する記者は小池知事が指名する」、「座席表」が生きてくるのだろうが、「都庁の記者クラブ主催」とは名ばかりで、御用会見だ。
・『大阪・吉村知事は質問尽きるまで続行 「座席表は作成していない」と回答  小池百合子知事の態度はしばしば、石原慎太郎元知事と比較される。当時を知る全国紙の元都庁担当記者は「石原氏は、批判的な質問をする記者も関係なく指名し、露骨に不機嫌になったりムキになったりして反論することがあったものの、とにかく質問に答えてはいた」と振り返る。石原都政の評価をめぐっては毀誉褒貶(きよほうへん)あるものの、良くも悪くも大物ぶりを発揮していたのである。 また大阪府の吉村洋文知事は4月1日のツイッターで「(午後)2時過ぎから始まった僕の記者会見、終わったのは4時半。2時間以上。ほぼ全部コロナ。こんなのざら。さらに毎日のぶら下がり取材。記者全員の質問がなくなるまで無制限でやる」と投稿した。 大阪府企画室政策課報道グループによると、吉村知事の会見も原則週1回、府庁の記者クラブ主催で開かれ、クラブに申し込めば非加盟の記者も参加できる。公務の都合で会見を終えることもあるが、なるべく質問がなくなるまで会見を続ける。また「報道グループが記者の座席表を作成することはない」と回答した。小池知事から避けられ続けている横田氏の質問にも、吉村知事はごく普通に答えている。 だが小池知事の会見では、批判的な質問が封じられる一方「今日はいつもと違うマスクをされていますが、(マスク不足の問題について)どういったふうにお考えでしょうか」(4月7日、フジテレビ)、「(大阪府の吉村知事の体調を気遣い)『吉村寝ろ』とネットで言われていますが、小池知事は体調管理をしっかりなさっているのか、そのあたりを聞かせてください」(4月17日、日刊スポーツ)といった緊張感の乏しいやり取りがなされることがままあるのが実態だ。 5月29日の会見では小池知事の方から「私、口紅忘れてる? もうこのところ、全然しないです。関係ないですけど。化粧品も売れないとか聞きましたけど」などと発言。前列に陣取る民放キー局の女性記者らがこれにうん、うんとうなずいて見せる光景があった。 本編集部は都の情報公開制度を使い、定例記者会見の最中に初宿理事から小池知事に手渡された座席表について開示請求をした。だが都側は、開示・不開示の決定期限である請求から14日目に、決定の延長を通告してきた。理由について都報道課は、「コロナ対応や都知事選への対応で多忙であり、文書の存在について確認ができないため」と説明した。会見のたびに記者の目の前で知事に手渡された1枚の文書の存在が、2週間たっても確認できないというのだ。 こうした手法で“発信力”を培い、圧勝して再選を果たした小池知事。だが、今後は待ち受けるハードルは高く、また多い。 まず、来年の東京オリンピック開催の可否が決まるが、中止となれば一気に求心力を失う可能性がある。また来年には都議会の改選を控える。17年の都議選で“促成栽培”された都民ファーストの会の新人都議たちが大量落選すれば、都政での足場を失うことになる。 今回の知事選で独自候補の擁立を断念し見せ場のなかった自民党東京都連は、反撃の機会を虎視眈々(こしたんたん)とうかがっている。その時、小池氏が頼る自民党の二階俊博幹事長が、今ほどの権力を保持している保証はない。 そしてコロナの新規感染者は7月2日に2カ月ぶりに100人を超えた。感染拡大が深刻化すれば、都民の支持を大きく失いかねない』、「大阪府の吉村洋文知事は・・・「(午後)2時過ぎから始まった僕の記者会見、終わったのは4時半。2時間以上。ほぼ全部コロナ。こんなのざら。さらに毎日のぶら下がり取材。記者全員の質問がなくなるまで無制限でやる」と投稿」、「石原氏は、批判的な質問をする記者も関係なく指名し・・・とにかく質問に答えてはいた」、さすがだ。「小池知事・・・今後は待ち受けるハードルは高く、また多い」、どう乗り越えていくのだろうか。
・『整合性のない発言が多い小池氏 国政復帰は「現在は、考えていない」と留保  6月12日の夕方に都庁で開かれた小池知事の出馬表明会見。幹事社である東京新聞の記者が小池知事に「コロナ対応で注目され、国政復帰も取りざたされている。4年間の知事の任期を全うする考えはあるか」と質問した。小池知事は「これから都知事選に出ようとしているのに、その質問はどうかと思う。都政にしっかりと取り組んでいく」と不快感を示した。 だが、東京新聞記者が「国政への転身は考えていないのか」と改めて念を押すと「はい、考えて、現在は、考えておりません」と答えた。 「現在は」――。では現在でなければ、国政転身もありうるということになる。小池知事は、「カイロ大を首席で卒業した」など、発言の整合性に欠けるケースが多い。築地市場跡地の再開発計画を巡っても、説明は二転三転した。 そう考えれば、「現在は」とわざわざ留保をつけたのは、国政復帰への野心を正直に吐露したとしてむしろ“評価”すべきかも』、「二階俊博幹事長」は留任になったが、菅首相とは相性が悪いようで、「国政復帰」するとしても、まだまだ先になりそうだ。

第二に、7月6日付け日刊ゲンダイ「緊急寄稿・石井妙子 小池再選を生んだメディアの忖度気質」を紹介しよう。
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/275593
・『午後8時の時報と同時に「小池百合子再選、圧勝」とテレビは型どおりに報じた。だが、圧勝というには熱の感じられない選挙ではなかったか。都民の大半が無関心、あるいは背を向けていたように思う。 理由のひとつは選挙報道にあるのだろう。もちろんコロナの影響は大きい。だが、むしろコロナが政治利用されたと感じられてならない。小池都知事は「コロナ対策にまい進する」というポーズを常に取り、テレビ討論会への参加に消極的だったとされる。結果的にテレビ局は、討論会そのものを一度も開かなかった。なぜ、残りの候補者だけで討論会をし、報じなかったのか。 一方で、現役の都知事である小池氏の会見は毎日のように、テレビで取り上げられていた。不公平であろう。小池氏がテレビ討論を嫌がったのであれば、その真の理由は、他候補からの厳しい質問に答える自信がなかったからではないか。他候補はテレビを通じて自己を主張する貴重な機会を小池氏とテレビ局によって奪われてしまったと言っていい。テレビ界出身の小池氏はメディア操作に長けており、また、テレビ局は常に現役の知事に対して忖度をする。前回は朝から晩まで延々と、ワイドショーで都知事選を報じ続けていた。こんなにも選挙報道に落差があっていいのだろうか。 今後の4年間、都政のかじ取りは並大抵ではないはずだ。1兆円あった都の貯金にあたる財政調整基金は、小池都政下でほぼ使い果たした』、「小池都知事は「コロナ対策にまい進する」というポーズを常に取り、テレビ討論会への参加に消極的・・・結果的にテレビ局は、討論会そのものを一度も開かなかった。なぜ、残りの候補者だけで討論会をし、報じなかったのか。 一方で、現役の都知事である小池氏の会見は毎日のように、テレビで取り上げられていた。不公平であろう」、同感である。
・『高齢化と税収減が予測される中、財源もなく、どうやってコロナ対策やオリンピックの延期開催を進めていくのか。小池氏は財政を立て直す努力をせず、任期半ばで口実を見つけて、都政を投げ出してしまうのではないだろうか。彼女には国政への未練がある。 4年前、小池氏は自民党を敵として戦い、それこそ圧勝して都知事となった。ところが、その後、彼女は自民党の大幹部である二階俊博幹事長にすり寄り、自民党が対抗馬を立てないように根回しをして、今回の勝利を手に入れた。その過程では二階氏の顔を立てるために都が備蓄してきた33万着もの防護服を中国に寄付している。都内の病院では防護服が不足し、その結果、医療関係者が感染の危機にさらされた。自分の政治生命を都民の生命よりも優先する彼女の「自分ファースト」は今後も続くことだろう。 都民は今後、厳しい目で監視しつつ、彼女を選んだのは自分たちであるという事実もまた、決して忘れてはならないと思う』、「都が備蓄してきた33万着もの防護服を中国に寄付」、「二階氏の顔を立てるため」、「自分の政治生命を都民の生命よりも優先する彼女の「自分ファースト」は今後も続くことだろう」、やれやれだ。

第三に、8月10日付け日刊ゲンダイが掲載した澤章東京都環境公社理事長による「都庁幹部が明かす小池「暗黒都政」<1>管理職には“小池リスク”…誰もが潰され使い捨てられる」を紹介しよう。
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/277095
・『7月末で公益財団法人 東京都環境公社の理事長を解任された。8月1日から無職である。62歳を目前にした無職の身に今年の猛暑はことのほか身に染みる。理事長職には失業手当は出ないので、当面、妻に食べさせてもらい生き延びるしかない。 それにしても、7月13日の環境公社の理事会と評議員会で、向こう2年間の理事長として正式に承認を得たにもかかわらず、22日の臨時理事会と31日の臨時評議員会によって、私はいとも簡単に「お払い箱」となり後任が決まった。東京都に問い合わせれば、都としては預かり知らぬことであって環境公社がお決めになったことだ、と言い張るに決まっている。 実際、形式上はそうなのだが、都庁のOB人事のエグいところはまさにここなのだ。表向きは関与していないふうを装いながら、裏ではガッチリと幹部OBたちの首根っこをつかまえて支配しているのである。都の関与がないというのであれば、なぜ、私は7月10日に突然、副知事に呼び出されて辞任を通告されたのか。筋が通らないこと甚だしい』、何が理由だったのだろう。
・『雑誌に載るのは政治的活動なのか  そういえばこの時、副知事からはこんなことまで言われた。7月5日の都知事選投票日の直前、ある写真週刊誌に掲載された私の記事についてだった。内容は拙著「築地と豊洲」(都政新報社)のことや、都政の現状、今後の行方などを語ったものだ。 「君ねえ、都庁のOBには政治的なことに関わらないという美徳があるんだよ。それを知事選直前にあんなことをして、どういうつもりなんだ」 雑誌に記事が掲載されたことが、退任通告の理由である「常識に欠ける行為」に該当するとでも言いたかったようだが、メディアの取材に応じることさえもまかりならぬとは、別件逮捕で身柄を拘束されたも同然だと感じた。いつから都庁は、こんなにも偏狭で高圧的で懐の浅い組織に成り下がってしまったのか。背後にあの人物の冷たい影響力を感じざるを得なかった。 それはともかく、クビを切られて職を失ったおかげで、「都庁OBの美徳」を理由に説教を食らうこともなくなったわけだから、怪我の功名、ああ清々したと言っておこう』、「都知事選投票日の直前、ある写真週刊誌に掲載された私の記事」、これでは辞任に追い込まれたのもやむを得ないだろう。
・『人材の使い捨てとメンタル疾患が増えている  ところで人材の使い捨ては、本家本元の都庁で立て続けに起こっている。新型コロナ拡大の初期段階、都庁は未経験の事態に直面し混乱していた。感染症を所管する福祉保健局には従来から医師の資格を持つ管理職が数名配置されている。だが、彼らもパンデミック(感染爆発)に対処した経験があるわけではない。狼狽した知事や側近から専門的な知見や対応策などについてガンガン詰問されたことは想像に難くない。この時、2人の医師職員が体調を崩したと噂されているから、気の毒なことである。 7月の人事異動では、コロナ最前線の指揮官である福祉保健局長が交通局長に体よく飛ばされたというのは周知の事実だが、これ以外にも人材の使い捨てが発覚している。知事の周りにいる局長級職員が重度のメンタル疾患に陥り、長期の療養生活を余儀なくされたと言われているのだ。 筆者もよく知るこの人物の能力の高さは万人が認めるところだが、よほど精神的に耐えられないことが頻発したのだろう。心が折れるほどの出来事とは何だったのか。一歩間違えば、都庁管理職の誰もが潰され使い捨てられるリスクを負っている。それが今の都庁の偽らざる現実なのである』、「一歩間違えば、都庁管理職の誰もが潰され使い捨てられるリスクを負っている」、「都庁」の内側は大変なようだ。

第四に、8月21日付けダイヤモンド・オンライン「小池知事、都の「感染防止ステッカー」掲示店でクラスター発生でもパフォーマンスに終始」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/246550
・『東京・江戸川区のフィリピンパブで、小池百合子都知事肝いりの「感染防止徹底宣言ステッカー」を掲示していたにもかかわらず新型コロナウイルス感染者のクラスターが発生した。ところが小池知事は店側や客を批判するだけで、実効性を担保できないステッカーの仕組みを見直すつもりはない。引き続き“Tシャツ”や人気ユーチューバーを起用したパフォーマンスに終始している』、「小池知事」の「パフォーマンス」優先の姿勢には呆れ果てる。
・『ステッカーTシャツ“撮影会”の翌週に掲示していたフィリピンパブでクラスター  東京・丸の内の低層オフィスビル。年季は入っているが十分に手入れされ、今も大手コンサルティング会社や法律事務所が入居している。そして地下1階には主にビジネスパーソン向けのさまざまな飲食店が並ぶ。 8月中旬、お盆の時期でもあり客はまばらだったが、店によっては数人の若い男女のグループが和気あいあいと酒を酌み交わしていた。もちろん、マスクはしていない。 下の画像は、新型コロナウイルスの感染予防のため厚生労働省が8月から放映を始めたCM動画だ。飲食店で若い男性の口から飛び出した飛沫をイメージした色のついた空気が、隣や正面にいる知人の顔に降りかかるインパクトの強い動画だ。 CMでは最後に、東京都が普及を呼びかけている「感染防止徹底宣言ステッカー」を例示し、「感染防止の不十分なお店の利用は避けましょう」と結んでいる。 冒頭の丸の内のオフィスビルの地下ではほとんどの飲食店で、都のステッカーを掲示していた。そうした店で、厚労省のCMに出てくるような飛沫を避けられないような至近距離で、和気あいあいと酒と食事を楽しむ若者の光景が見られた。 小池知事があの手この手で普及をアピールしてきた肝いりのステッカーが、店舗の対策をチェックする仕組みがなく有名無実化している実態は、当サイトの記事『小池知事「感染防止ステッカー」の有名無実、伊勢丹新宿本店で露呈』で指摘した。 それでも小池知事は8月7日の記者会見で、ステッカーがプリントされたTシャツを着用する姿を披露。会見後にはカメラマンの求めに応じて、即席のTシャツ“撮影会”まで実施した。その一方で、報道陣から再三問われていたステッカーの実効性については説明せず「今朝の時点でのステッカーの掲示枚数は約16万7000枚に達しております」などと枚数に言及しただけだった』、「報道陣」は「ステッカーの実効性」についてさらに食い下がるべきだった。
・『店側を痛烈に批判して責任転嫁する小池知事 対策をしていたと報じられ今度は客を批判  ステッカーを正面玄関に掲示しているにもかかわらず、感染予防の取り組みが不十分だと前回の記事で指摘した伊勢丹新宿本店では、小池知事がTシャツを披露したまさにその日、伊勢丹を象徴する緑地にチェック柄などの模様が入ったエコバックの即売会を本館地下1階の食料品売り場で開催。客が殺到し、一時は特設カウンターが「三密」状態になっていた(下写真)。 ステッカーの実効性が問われたのは、8月12日に露呈した、東京・江戸川区のフィリピンパブでのクラスターの発生だった。この店ではステッカーを掲示していたにもかかわらず、客と従業員計8人が感染した。 「中には(感染予防対策を)実践もせずに、ただ貼ってつけておけばいいや、みたいな事業者がいないとは限らない。そして現実に、今回起こったわけです」――。翌13日朝、都庁入庁時のぶら下がり会見で小池知事はこう言い放ち、フィリピンパブを痛烈に批判した。 ところが同日、店側は十分な対策を取っていたが、従業員に対してフェイスシールドを外すよう求める客がいたなどとする江戸川区の見解が報じられた。すると、小池知事は発言を翻す。午後の会見では、朝の発言などなかったかのように「利用客には、大声で話して飛沫が飛ばないようにするなどの認識も必要だ」などと、一転して今度は利用者側を批判した。 そもそもコロナウイルスは飛沫感染が中心であり、対策を十分にとっていたとしても限界がある。こうした接待を伴う店舗の従業員が、店舗以外で感染してしまう可能性も否定できない。 店舗で対策をしてもなお感染者を出してしまった結果、東京都のトップから「(ステッカーを)ただ貼っておけばいいや、みたいな事業者」と痛罵されては、店側はまさに立つ瀬がないという心境であろう。 もちろん小池知事が言うように、まともな対策をせずにステッカーだけを貼っている店は存在する。それはそもそも、都が対策をチェックしない仕組みになっているからだ。だからこそ、対策の中身を確認して実効性を担保する仕組みが不可欠なのである』、小池知事は、「ステッカー」を安全の証としてテレビでPRしておきながら、「都が対策をチェックしない仕組み」とは無責任極まる。
・『フワちゃん動画で相変わらず“普及啓発” 警察官立ち入りでグレーな対策を強調  ところが小池知事は14日の記者会見でも、人気ユーチューバーのフワちゃんを起用したステッカーの掲示を呼び掛ける動画をアピールするなど、相変わらずパフォーマンスには余念がなかった。その一方で、ステッカーの実効性を担保するまともな施策は説明されなかった。都の職員による抜き打ちの訪問にも触れたが、マンパワーを考えれば効果はかなり限られる。 また小池知事がこの日の会見で繰り返し強調したのが、風営法に基づく警察官による店舗への立ち入り調査だった。 「昨日錦糸町において、警視庁の風営法による立ち入りの実施に合わせ、店舗の了解を得ながら、都の職員が、ガイドラインがちゃんと徹底されているのか、ステッカーを掲示している店舗に対して、感染防止策の実施状況の確認も行ったところでございます」――。小池知事はこう説明した。警察官に都の職員が同行した立ち入り調査は、14日時点で6回、計70店舗に行われたという。 ただし警察が所管するのはあくまで風営法で、同法を基に感染症予防に関する調査はできない。都の職員が同行し、いくら店の“了解”を得ていたとしても、警察権の行使をちらつかせてプレッシャーをかけつつ予防対策を迫る手法は、法的にはグレーであるとの批判が警察関係者や専門家から上がっている。 そもそもステッカーを掲示している店は、風営法の取り締まり対象外の通常の店舗の方が圧倒的に多いであろうし、コロナの感染源は「夜の街」だけではなくなっている。警察官の立ち入り調査を強調するだけでは極めて不十分であるどころか、むしろ問題が多い。 一方でインターネットでは、入り口に堂々とステッカーを掲示している性風俗店の画像が掲載されていたりもする。小池知事が「東京都を虹色のステッカーで埋め尽くす」と語った末のこの結果を、一体どう考えればいいのだろうか。 なおステッカーのダウンロードが可能になったのは6月12日だが、関係者によると、実は都の事務方の間では、どのようにステッカーの実効性を担保するか、その手法について検討が重ねられてきた。 業種ごとの業界団体に協力を得る手法は、小池知事も14日の会見でようやく言及した。だが、「もし、業界団体が都の委託を受けて、ステッカー掲示店の感染対策を確認するとすれば、公平を期するため全ての店舗を対象にしなければならず、現実的には難しい」(関係者)。 飲食店やクリーニング店など業種ごとに業界団体はあるものの、業種によっては加盟していない個人商店もあろうし、団体がカバーできない業種もある。また業界団体の関係者に、保健所の職員ほど感染症予防の知識があるわけでもない』、「どのようにステッカーの実効性を担保するか」、実務的には極めて難しい問題だ。
・『千代田区は保健所の審査で独自基準を制定 2カ月たっても実効性担保に動かない小池知事  一方で千代田区は「千代田区新しい日常店」の名称で、感染防止対策に取り組んでいる店舗に区独自のステッカー発行の受け付けを8月11日から開始した。 ステッカーは、必須の取り組みをしているクラスIと、さらに推奨される高度な取り組みをしているクラスIIの2段階があり、クラスIでも保健所による書類審査、クラスIIは保健所職員が訪問する実地調査が必須であるなど、きめ細やかに実効性を担保している。 千代田区は、人口約6万6000人と小規模なわりに税収が潤沢であることから、他の区が容易にまねできる施策ではないであろう。とはいえ、繰り返すがステッカーのダウンロード開始は6月12日であり、すでに2カ月が経過している。実効性を担保する難しさは最初から分かっていたはずだ。だからこそ小池知事は、事務方の議論を踏まえてもっと早い段階で、店舗任せの感染症対策の限界を指摘し、23区や市町村、業界団体に協力を求めるべきではなかったか。 ところが、小池知事が発信してきたステッカーに関する情報といえば、大相撲7月場所で掲示した「告知旗」であり、ステッカーがプリントされたTシャツであり、フワちゃんの動画であった。「ダウンロード100万枚が目標」「まずは都民の意識を変える」といった普及に向けた発言やパフォーマンスは見られたが、実効性を真剣に担保しようとする姿勢に欠ける。 14日の記者会見で小池知事は「ステッカーを掲示している店でのクラスター発生は想定していなかったのか」と問われたが質問に答えず、フワちゃんの動画など自身のアピール策を列挙しただけだった。もし想定していたとすれば、取るべき対策を怠っていたことになるし、想定していなかったとすれば、それは都知事の資質が根本的に問われる事態だ。 4~5月の外出自粛によって売り上げが“消失”し、今なお客の減少に苦しむ飲食店や小売店が多くある。彼らの生活や雇用が危機的な状況にあることは言うまでもないし、状況は日に日に悪化している。その痛みや不安を少しでも感じているならば、目先の反響を狙ったパフォーマンスよりも、店や利用客の安心を十分に担保する施策に地道に取り組むべきではないか』、同感である。「小池知事」の無責任ぶりには呆れ果てる他ない。
タグ:質問する記者は小池知事が指名する ダイヤモンド・オンライン 「都庁の記者クラブ主催」とは名ばかりで、御用会見だ 小池都知事問題 「小池都知事が圧勝の裏で露骨にメディア選別、批判的な記者は“排除”」 (その4)(小池都知事が圧勝の裏で露骨にメディア選別 批判的な記者は“排除”、緊急寄稿・石井妙子 小池再選を生んだメディアの忖度気質、都庁幹部が明かす小池「暗黒都政」<1>管理職には“小池リスク”…誰もが潰され使い捨てられる、小池知事 都の「感染防止ステッカー」掲示店でクラスター発生でもパフォーマンスに終始) 大阪・吉村知事は質問尽きるまで続行 「座席表は作成していない」と回答 紙に「毎日」「朝日」「日経」…会見のたびに職員が座席表づくり 目先の反響を狙ったパフォーマンスよりも、店や利用客の安心を十分に担保する施策に地道に取り組むべきではないか 千代田区は保健所の審査で独自基準を制定 2カ月たっても実効性担保に動かない小池知事 フワちゃん動画で相変わらず“普及啓発” 警察官立ち入りでグレーな対策を強調 小池知事は、「ステッカー」を安全の証としてテレビでPRしておきながら、「都が対策をチェックしない仕組み」とは無責任極まる 店側を痛烈に批判して責任転嫁する小池知事 対策をしていたと報じられ今度は客を批判 ステッカーTシャツ“撮影会”の翌週に掲示していたフィリピンパブでクラスター 「感染防止徹底宣言ステッカー」を掲示していたにもかかわらず新型コロナウイルス感染者のクラスターが発生 フィリピンパブ 「小池知事、都の「感染防止ステッカー」掲示店でクラスター発生でもパフォーマンスに終始」 一歩間違えば、都庁管理職の誰もが潰され使い捨てられるリスクを負っている 知事の周りにいる局長級職員が重度のメンタル疾患に陥り、長期の療養生活を余儀なくされた 人材の使い捨てとメンタル疾患が増えている 都知事選投票日の直前、ある写真週刊誌に掲載された私の記事 雑誌に載るのは政治的活動なのか 東京都環境公社の理事長を解任 「都庁幹部が明かす小池「暗黒都政」<1>管理職には“小池リスク”…誰もが潰され使い捨てられる」 澤章 自分の政治生命を都民の生命よりも優先する彼女の「自分ファースト」は今後も続くことだろう 二階氏の顔を立てるため 都が備蓄してきた33万着もの防護服を中国に寄付 結果的にテレビ局は、討論会そのものを一度も開かなかった。なぜ、残りの候補者だけで討論会をし、報じなかったのか。 一方で、現役の都知事である小池氏の会見は毎日のように、テレビで取り上げられていた。不公平であろう 小池都知事は「コロナ対策にまい進する」というポーズを常に取り、テレビ討論会への参加に消極的 「緊急寄稿・石井妙子 小池再選を生んだメディアの忖度気質」 日刊ゲンダイ 「二階俊博幹事長」は留任になったが、菅首相とは相性が悪いようで、「国政復帰」するとしても、まだまだ先になりそうだ 整合性のない発言が多い小池氏 国政復帰は「現在は、考えていない」と留保 とにかく質問に答えてはいた 石原氏は、批判的な質問をする記者も関係なく指名し 「(午後)2時過ぎから始まった僕の記者会見、終わったのは4時半。2時間以上。ほぼ全部コロナ。こんなのざら。さらに毎日のぶら下がり取材。記者全員の質問がなくなるまで無制限でやる」と投稿 大阪府の吉村洋文知事
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商社問題(その2)(最後の旧来型エリートの牙城「商社」がコロナ禍で迎える危急存亡、バフェット氏が「5大商社株」に投資した7つの理由 山崎元が独自解説、三菱商事社長から全社員への「釈明メール」独自入手 軋むエリート集団) [産業動向]

大商社の巨額減損については、2016年5月26日に取上げた。今日は、タイトルを変更、商社問題(その2)(最後の旧来型エリートの牙城「商社」がコロナ禍で迎える危急存亡、バフェット氏が「5大商社株」に投資した7つの理由 山崎元が独自解説、三菱商事社長から全社員への「釈明メール」独自入手 軋むエリート集団)である。

先ずは、本年5月11日付けダイヤモンド・オンライン「最後の旧来型エリートの牙城「商社」がコロナ禍で迎える危急存亡」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/236216
・『『週刊ダイヤモンド』5月16日号の第1特集は「最後の旧来型エリート 商社」です。高給で就職人気の高い総合商社は、日本に残された最後の旧来型エリート集団の象徴といえますが、彼らの稼ぐ力に限界が見え始めています。成長期待の低さから株式市場に見放され、若手人材の流出も止まりません。さらに新型コロナウイルスの感染拡大が、旧来型ビジネスから脱却できない商社の姿を浮き彫りにしています。商社は直面する苦難の時代を乗り切れるのでしょうか』、興味深そうだ。
・『伊藤忠のDNAに刻まれた非資源で打倒!財閥系の半世紀  「昔は三菱(商事)、三井(物産)、住友(商事)という財閥系商社が常に前に立ちはだかり、その壁は高くて厚かった。うちは大阪の繊維商社として始まり、東京へ攻めて総合商社になろうとしたが、大口の電力会社や製鉄会社に全く相手にされなかった」 4月15日、東京・北青山の伊藤忠商事東京本社。インタビューの冒頭、そう語り始めた会長CEO(最高経営責任者)の岡藤正広氏の手元には、最近読み始めたという1冊の本があった。元伊藤忠中国総代表の藤野文晤氏らのインタビューが収録された『証言 戦後日中関係秘史』(岩波書店)だ。 そのページを繰りながら岡藤氏が口にしたのは、伊藤忠の第5代社長、越後正一氏の名だった。越後氏は、太平洋戦争時に大本営作戦参謀だった瀬島龍三氏を招聘し、その人脈や戦略を用いて中国ビジネスなどに参入した。 越後氏は、伊藤忠の総合商社化を図った「中興の祖」と呼ばれるが、それでも重厚長大メーカーや電力会社を顧客に抱える財閥系商社には太刀打ちできなかった。だから「財閥系商社とは違う生活消費関連で勝負をしよう」とした歴史を、岡藤氏は振り返る。 こんな昔話を岡藤氏がわざわざ持ち出したのは、トップの財閥系商社、三菱商事の遠かった背中に、ようやく手の届くところまで来たという自負があるからだろう。 5月8日、総合商社の2019年度決算が出そろった。三菱商事の連結純利益5354億円に対し、伊藤忠は5013億円。「業界2強」はほぼ肩を並べ、20年度もトップ争いを続けることになる』、「瀬島龍三氏を招聘し、その人脈や戦略を用いて中国ビジネスなどに参入」、「伊藤忠」の「中国ビジネス」にそのような歴史があったとは初めて知った。
・『「V字回復困難」「需要が蒸発」 商社トップからコロナ悲観の声続々  そんな業界内の序列はさておき、そもそも総合商社のビジネス自体が、旧来型モデルとなりつつあるのではないか、という指摘もある。この点については岡藤氏も「商社に共通する一番の問題は、(売り手優先の)『プロダクトアウト』の発想から抜けられないこと」と認め、改革の必要性を強調する。 株式市場では、商社のPBR(株価純資産倍率)は解散価値に相当する1倍を概ね下回り、商社株は成長を期待されない銘柄に成り下がっている。「資源バブルで偶然得た利益を使って非資源の資産を積み増してきた中途半端な投資会社」。株式市場ではそう見られていると、みずほ証券シニアアナリストの楠木秀憲氏は指摘する。 コングロマリット企業の総合商社は「会社の中に別の会社がある」と言われるほど、縦割り文化が根強い。ビジネスモデルだけでなく、年功序列が色濃く残り、最初の配属先で将来の出世がほぼ決まる。 そんな旧来型組織に嫌気がさし、近年は入社数年内に希望退社する若手が増えている。財閥系商社を辞めた30代の男性は「海外出張の行程作成など内向きの仕事が異常に多く、肝心の経営を回すノウハウが欠如していると感じた」と話す。 年功序列や縦割り慣行など旧来型の組織を抜本的に変えなければ、若手の流出を食い止めることはできない。それは長期的に見れば、新たな発想や活力が失われていくことになる。 そして今、商社が直面する最大の危機が、新型コロナウイルスの感染拡大だ。19年度決算は資源ビジネスなどで減損損失を余儀なくされ、20年度も軒並み大苦戦の見通しだ。 各社首脳からは「世界景気のV字回復は極めて困難。L字に近い回復に止まり、21年も緩慢な景気回復に止まる可能性がある」(丸紅社長の柿木真澄氏)、「コロナが要因で人流と物流が途絶え、これによりエネルギーの需要がまさに蒸発した」(三井物産社長の安永竜夫氏)と悲観の声が聞こえる。 岡藤氏もダイヤモンド編集部のインタビューで、コロナ禍について「1年から2年くらいは続く。ワクチンが開発されても、ズタズタになったサプライチェーンを戻すのに時間がかかる。消費者や投資家のマインドも冷え込む。原油価格が戻らず、産油国の通貨暴落や米国のシェール企業の連鎖倒産も起きるかもしれない」との見通しを述べている。 各社は財務規律を強め、コロナ禍の嵐を耐え忍ぼうとするだろう。 残された最後の旧来型エリート集団の象徴といえますが、彼らの稼ぐ力に限界が見え始めています。 特集では、コロナ禍以前に商社業界の盟主として長らくトップに君臨し続けた三菱商事を徹底分析。業界盟主の巨大商社が、凋落しつつある背景を追いました。 また高給と安定を捨てて、商社を飛び出す道を選んだ“辞め商社”の若者たちを直撃。インタビューや座談会で、年収2000万円で働かない窓際族の存在など、総合商社が抱える構造的な課題を暴露してもらいました。合わせて、商社に残った者たちの最新の出世・婚活・結婚生活の裏話や給与の秘密に迫ります。 もちろん、商社の最新ビジネス動向も網羅しています。伊藤忠が始めた「遺伝子ビジネス」の全貌や、小売業の現場で火花を散らす三菱商事と住友商事の争いなど、逆風の中で新たなビジネスを模索し続ける現場の商社マンたちの姿を描きます。 加えて総合商社にとどまらず、鉄鋼や繊維、食品などさまざまな専門商社を含めた117社の実力を初算出。キラリと光る隠れ優良商社の存在をランキング形式でお届けします。 商社はBtoBの取引が主でビジネスの表舞台に出ることは少ないですが、今回の特集を通じて、そんな彼らの実像をお伝えできれば幸いです』、「資源バブルで偶然得た利益を使って非資源の資産を積み増してきた中途半端な投資会社」との「楠木秀憲氏」の指摘は、言い得て妙だ。「コロナ禍の嵐」をどう乗り切ってゆくのだろうか。

次に、9月16日付けダイヤモンド・オンラインが掲載した経済評論家・楽天証券経済研究所客員研究員の山崎 元氏による「バフェット氏が「5大商社株」に投資した7つの理由、山崎元が独自解説」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/248726
・『バフェット氏が日本の5大商社に投資していることを発表した。市場関係者の間では有名投資家による日本株への投資を歓迎する声が多い。ただ、同氏の投資にどのような意味があるのか、つかみかねている向きも少なくないようだ。そこで、7つのポイントからバフェット氏が日本の商社株に投資した理由を解説する』、「山崎元が独自解説」とは面白そうだ。
・『世界的投資家のバフェット氏が大手商社5社の株を5%ずつ投資  世界的な投資家として知られるウォーレン・バフェット氏が、自らの90歳の誕生日である8月30日に、日本の大手総合商社5社の株式をそれぞれの会社の時価総額の5%程度取得したと発表した。伊藤忠商事、三菱商事、三井物産、住友商事、丸紅の5社だ。 1年程度をかけて市場で少しずつ買っていたようだ。概算で目下6000億円程度の投資となる。同氏は今後、各社の時価総額の10%前後まで株を買う可能性があると表明している。 市場関係者の間では、有名投資家の日本株への投資を歓迎する声が多い。ただ、同氏の投資にどのような意味があるのか、つかみかねている向きも少なくないようだ。 「5%」の段階で商社株の取得を発表したのは、保有が5%を超えると「大株主」として大量保有報告のデータが公開されるからだろう。また、「10%程度まで」と述べていることや、そもそも投資先を5社に分散したことは、投資先企業の支配を目的とした投資ではない、いわゆる「純投資」であることをうかがわせる。 バフェット氏は、いわゆるアクティビスト(≒「物言う株主」)ではないし、株式を長期に保有しながら、経営には直接関わらずに投資先企業を応援するタイプの投資家だと考えられている。今のところ、投資された側の商社各社に警戒や反発の動きはない。 それにしても、「なぜ」、日本の総合商社への投資であったのか。また大手5社への分散投資だったのだろうか』、「バフェット氏」の「総合商社への投資」を「山崎氏」はどうみているのだろう。
・『商社株の7つのキャラクターからバフェット氏の投資の謎に迫る  各社に多少の違いがあるとしても、株式市場にあって日本の総合商社株は、「高配当利回り」「割安株」「資源関連株」など複数の特徴で把握されている。これら3つの観点に加えて、「非ESG的銘柄」「コングロマリットディスカウント」という5つの観点から、バフェット氏が日本の商社株に投資をした「謎」に迫ってみたい』、切り口はさすが「山崎氏」ならではで鋭い。
・『バフェット氏が商社株に投資した理由(1)高配当利回り株  現在の株価と予想配当の利回りで見て日本の商社株は配当利回りが高い。業績好調の伊藤忠は3%台だが、これでも平均的な配当利回りよりも高いし、三井物産は4%台、三菱商事に至っては5%台の利回りになる。 配当利回りが高いことは、「有効な投資機会がないので資金を配当に回している」、「配当の割に投資家に不人気である」といった属性を示唆する。そのため、会社としてあまり格好のいいことではないが、投資家の側から見ると、特に「不人気」という属性は悪くない。 日本の商社株の配当利回りは、現在1%を大きく割り込んでいる米国の10年国債の利回りよりも有意に高い。しかも、この利回りが円ベースであることを考えると見かけ以上の魅力があるはずだ。しかし、バフェット氏の考え方からすると、「資金を配当して課税されるよりは、事業に有効に投資して複利で増やしてくれる方がもっといい」と考えるはずなので、バフェット氏が配当目当てで日本の商社に投資したとは考えにくい。 ただし、日本の商社はビジネスの実質が「貿易・商業機能付きの投資会社」に近付いているので、潤沢な配当を行うことができる資金力は魅力的に映ったかもしれない。「商社は、これからもっと有効な投資ができるはずだ」という期待を持っている可能性はあるのではないだろうか。 高配当利回りという意味では、地方銀行はもちろん、メガバンクでも配当利回りが高いが、バフェット氏から見て、彼らのビジネスが魅力的ではなかったのだろう』、「「商社は、これからもっと有効な投資ができるはずだ」という期待を持っている可能性はあるのではないだろうか」、なるほど。
・『バフェット氏が商社株に投資した理由(2)割安株  総合商社株は、PER(株価収益率)、PBR(株価純資産倍率)のいずれで見ても株価が割安な株だ。 旧来のバフェット氏の投資法から想像すると、特に重要なのはPBRの方だろう。伊藤忠は1倍を上回っているが、三菱商事、丸紅は0.7倍台、三井物産も0.8倍台、住友商事に至っては0.6倍代と、株価は1株当たり純資産を大きく下回る。 もちろん投資に当たっては、各社の資産の実質価値と、特に投資先の企業やプロジェクトの価値を調べたに違いないが、バフェット氏の昔からの割安株投資の考え方から見て、日本の総合商社株はフェアバリューに対しての「セーフティーマージン(安全帯)」がそこそこに大きく見えたのではないだろうか』、この観点からも納得できる。
・『バフェット氏が商社株に投資した理由(3)資源株  日本の総合商社の株価評価がいまひとつ高くない理由として、彼らのビジネスの大きな部分が資源関連で、資源価格の影響を受けやすいことが挙げられることが多い。複数の商社で、非資源ビジネスのシェア拡大を経営者は課題に挙げる。 バフェット氏の立場では、資源に投資したければ、資源を扱う企業に直接投資することができる。従って、資源関連株であることが日本の商社の魅力の1つだったとは考えにくいが、商社株への投資を「資源関連への投資でもある」と、ある程度は考えているに違いないだろう』、「ある程度は考えている」程度の位置づけのようだ。
・『バフェット氏が商社株に投資した理由(4)「非ESG的」銘柄  商社は前出のように資源関連のビジネスへの割合が大きいし、化石燃料を使う発電所のようなプラントのビジネスも有している。環境を考えていないわけではないだろうから各社のIR(投資家向け広報)の担当者に怒られるかもしれないが、商社は現状では「地球環境に負荷をかけている企業」だろう。 また、商社は日本のビジネス界の中でも「男社会」的な側面が強く、女性の役員・幹部社員は少ない。 日本の商社は、いわば「非ESG的」である。 投資としての評価に関わる点に関してバフェット氏は、E(環境)もS(社会的責任)もG(企業ガバナンス)も目配りしただろう。だが、「ESGの観点からの投資」に特にこだわっていないように見える点で、今回の日本の商社への投資はバフェット氏らしい。 同氏は、ESG投資家に嫌われて株価が低評価なのであれば、むしろ投資のチャンスだというくらいに考えたのではないか』、この解説は苦心したようだ。
・『バフェット氏が商社株に投資した理由(5)コングロマリットディスカウント  複数のビジネスを持つ企業体が、個々のビジネスを独立させた状態よりも低く評価される「コングロマリットディスカウント」と呼ばれる現象がある。株主から見て資本の活用効率が悪いことが嫌われ、いわゆるアクティビスト的な株主は、事業を一部分離して別途上場することを要求するケースもある。 日本の総合商社は、多分野のビジネスの集合体なので、彼らの株価の低評価には「コングロマリットディスカウント」が働いている公算が大きい。これは、現状の不人気の理由だが、バフェット氏の立場から見ると、今後、総合商社が事業を再編してコングロマリットディスカウント的なデメリットを解消できれば、投資の価値が上る可能性が大きいことを意味する。 こうした株主から見た経営改善は、個々の商社が行うこともできるが、例えば、複数の商社が同一のビジネス部門を統合して分離することも有効な対策になり得る。過去に例が多くあるわけではないが、三菱商事と双日が鉄鋼部門を統合してメタルワンにまとめたような事例もある。 今回バフェット氏は複数の商社に同時に投資したが、こうした構想を持っているのかもしれない』、「今後、総合商社が事業を再編してコングロマリットディスカウント的なデメリットを解消できれば、投資の価値が上る可能性が大きいことを意味」、ありそうなシナリオだ。
・『バフェット氏が商社株に投資した理由(6)企業グループの「参入障壁」  投資にあって、バフェット氏は「割安」を好むこととともに、長期保有に耐え得る「偉大なビジネスを持つ会社」を高く評価する点にも特色がある。 「偉大なビジネス」の内実は、競争力であり、特に参入障壁の高さだ。 日本の商社の場合、似たビジネスを行う似た規模の会社が複数あるし、取引における利益率は大きなものでもない。また、技術やパテント(特許)で決定的な強みを持っているわけではない。しかし、特に財閥系の商社のように、同一企業グループに関連するビジネスに対して、他グループのライバルよりも競争上強いポジションを持っている場合がある。 バフェット氏が、日本の商社の「競争力」をどう評価しているのかは興味深いが、「商社が持つ参入障壁は案外強固だ」と評価した可能性はある』、その通りだ。
・『バフェット氏が商社株に投資した理由(7)非効率性の潜在リターン  日本企業が、特に株主や投資家から見て、経営、さらにはコーポレートガバナンスが非効率的だとの批判は根強いし、これが日本株への低評価の原因にもなっている。 しかし、この種の非効率性は、「現在の低評価」の原因であり、これが改善できるなら「追加的なプラスリターン」を生む源泉になり得る。 仮に、米国企業が目いっぱい株主にとって効率の良い経営をしていて、日本企業が相当程度に非効率的な経営をしているなら、「改善の余地」があるのは日本企業の方だ。 「改善できる非効率」は大きなリターンの源泉だ。バフェット氏の商社株投資は、こうした着眼の先駆けとして将来評価されることになる可能性があるのではないだろうか』、「この種の非効率性は、「現在の低評価」の原因であり、これが改善できるなら「追加的なプラスリターン」を生む源泉になり得る」、さすが深い洞察だ。
・『バフェット氏の「分散投資」こそ投資家としての最大の教訓か  それにしても、従来のバフェット氏からすると総合商社大手5社に分散投資したことは異例だ。 「大きな資金を目立つことなく動かすには1社や2社では足りなかったので、保有が公表される5%までは5社買ったのだ」という理由が現実的なのかもしれない。しかし、先に想像したように、日本の商社の事業単位での再編を考えている可能性もないとはいえない。 ただし、バフェット氏の「意図」はともかく、「どの銘柄がいいのか優劣判断が難しい場合は複数の銘柄に分散投資する」という行為は、投資の理屈にかなっている。 分散投資の観点では、これまで専ら米国企業に投資してきたバフェット氏が、今回日本株に投資したことが、国際分散投資の始まりであるなら、これも投資の原則に合致する。1国の株式だけに投資の対象を絞り込むよりは、国際的に分散投資する方が、投資の効率を高める機会がより大きいのは当然だ。 個人投資家としては、バフェット氏の日本の総合商社株への投資から、「不人気株への投資」とか「非効率改善の可能性に賭けた投資」といった疑り深い見方をするよりは、「分散投資の拡大」を素直に教訓として受け取るべきなのかもしれない』、「疑り深い見方をするよりは、「分散投資の拡大」を素直に教訓として受け取るべきなのかもしれない」、「山崎氏」らしいすっきりした解説だ。

第三に、9月14日付けダイヤモンド・オンライン「三菱商事社長から全社員への「釈明メール」独自入手、軋むエリート集団」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/248365
・『三菱商事の垣内威彦社長が6月、社員に向けて送ったメールを独自入手した。その中身からは、社員が経営に不信感を強めていることに対し、垣内社長が並々ならぬ危機感を抱いている様子がうかがい知れる。特集『三菱陥落』(全10回)の#1では、三菱グループのみならず日本を代表するエリート集団企業の内部で起きている異変に迫った』、興味深そうだ。
・『経営への「納得度」「信頼感」低下 メールに透ける垣内社長の危機感  「組織風土調査結果への対応として、すでに各グループ・部門で改善への取り組みを進めてもらっていますが、全社経営においても重要な経営課題と受け止めています」 今年6月半ば、三菱商事の全社員にこのような“釈明”の文言で始まる社内メールが届いた。送り主は垣内威彦・三菱商事社長だ。 垣内社長は一体何を「重要な経営課題」と受け止めているのか。その答えは「組織風土調査」の中身にある。 三菱商事は2009年度以降、「組織の健康診断」の一環として社員向けアンケート調査を定期的に実施している。 今回の調査を実施したのは昨年8月。この結果、「経営方針・戦略の納得度」「全社・グループ経営への信頼感」「変化に対応した効率的な組織運営」「生産性の向上」「新人事制度」の項目について、過去の調査と比べて社員の否定的意見が増加したのだという。 このうち「経営への信頼感」は、いわば社長の支持率のようなものだ。社員が経営への信頼感を持ち得ない会社に、発展など望むべくもない。支持率が急降下したのであれば、民主国家なら“総辞職”もやむを得ない緊急事態だろう。 メールの文面はさらに続く。 「我が社にとって最も重要な資産は人材であり、社員の成長が会社の発展と一体化してきた会社です。社員が成長できる場を提供し、それぞれの社員が構想力、実行力を最大限に発揮できる環境を整備していくことが経営の責務です」 「常日頃から皆で議論する折々に深い洞察に基づく意見を、上下の分け隔てや無用な忖度がなく、お互いにぶつけ合い、十分な議論を重ねた上で、一度結論が出ればノーサイドの精神で全員が一丸になって目標に向かって邁進する、これを重ねていくことが将来にわたって我が社が持続的に成長し、社会に貢献し続けることにつながると確信しています」 「社員が成長できる場を提供」「上下の分け隔てや無用な忖度がなく」――。メールの文面から伝わるのは、それらをあえて明文化しなければならないほど、社内風土の健全性に「確信」を持てない垣内社長の危機感だ。 垣内社長はその対応策として「全社風土改革タスクフォース」なる対外的に非公表の組織の発足を表明。責任者に、人事などを担当する村越晃常務、総務などを担当する榊田雅和常務、常勤監査役の内野州馬氏と平野肇氏を任命した。 三菱商事のある社員は吐き捨てるように言う。「調査には自由筆記欄もあり、経営方針や人事に対する不満が噴出したようだ。社員のモチベーションは明らかに低下している。風土改革タスクフォースを設置するとは前代未聞のことだが、具体的な活動内容は不明のまま。社員にたまった不満のガス抜きにもならない」。 三菱商事といえば、高給・高待遇で、就職人気も高い国内最高峰のエリート企業といっても過言ではない。おのずと社員の満足度は高くなる。事実、過去の調査ではそのような傾向が表れていた。その三菱商事が今、なぜ「前代未聞」の事態に直面しているのか』、「三菱商事は2009年度以降、「組織の健康診断」の一環として社員向けアンケート調査(「組織風土調査」)を定期的に実施」、これはなかなか良い試みだが、社長には今回のような頭が痛くなる結果も出てくるようだ。
・『「組織の三菱」は事実上瓦解 社長による中央集権化が加速  その一因として前出の社員が挙げるのは、垣内社長が急速に進める中央集権化への反発だ。 16年に就任した垣内社長の政権下、三菱商事の歴史上大きく変化した点がある。それが「副社長」ポストの廃止だ。小林健前社長(現会長)時代には、最大5人いた副社長は18年度以降ゼロだ。 資源からコンビニエンスストアまでさまざまな事業の集合体である総合商社のマネジメントは広範かつ複雑だ。中でも業界最大の資産規模を誇る三菱商事において、社長が1人で全体を統括するのは不可能に近い。 従って複数の副社長が番頭として社長を支え、誰が社長ポストに就いても組織体として機能する仕組みが三菱商事の伝統だった。また佐々木幹夫社長時代の古川洽次氏、小島順彦社長時代の故上野征夫氏ら、かつての三菱商事には、いわば「官房長官」役の副社長が必ず社長の最側近にいた。 総務や人事、広報をつかさどるコーポレート出身で、社内外の情報を機敏に察知し、時に社長に苦言も呈する――。そんな“お目付け役”を任せられる人材が、今の三菱商事には存在しない。代わって要職に目立つのは、生活産業グループCEO(最高経営責任者)時代から垣内社長に仕えてきた旧知の部下たちだ。 副社長ポストの廃止には、社長が責任を持って迅速に意思決定する狙いがあるのだろう。また、垣内社長は経営人材の育成や若手の抜てきも新人事政策に掲げるが、若手社員からは「抜てきするのは結局、社長や社長への忖度が染み付いた組織。社長の独断専行人事に社員は萎縮している」との声が漏れ聞こえてくる』、「「副社長」ポストの廃止」は組織のフラット化が図れるが、「“お目付け役”を任せられる人材が、今の三菱商事には存在しない」、「代わって要職に目立つのは、生活産業グループCEO・・・時代から垣内社長に仕えてきた旧知の部下たち」、側近重視すると組織の風通しは悪くなるのは当然だ。
・『三菱商事は今、伝統的な集団指導体制から中央集権体制への転換を急いでいる。実は似たような改革を10年前に断行した商社がある。三菱商事のライバル、伊藤忠商事だ。 伊藤忠の岡藤正広会長CEOは10年に社長に就任した翌年、13人もの役員の首を切る大規模な粛清を断行。特に丹羽宇一郎元会長の出身母体である食料カンパニーに、配下の繊維カンパニー幹部を大量に送り込んだ。垣内氏よりもはるかにドラスティックな中央集権化で自らの権力基盤を固めた。 だが、岡藤氏は結果を出すことで不満分子を黙らせた。当時業界4位が「定席」だった伊藤忠は、住友商事、三井物産と財閥系商社を相次いで追い抜き、ついには業界盟主の三菱商事の肩に手を掛け、今年度に追い抜く勢いだ。既に時価総額では今年6月に三菱商事を上回り、総合商社トップに躍り出ている。 対する三菱商事はどうか。15年度、資源価格の暴落で創業以来初の赤字に転落した直後に就任した垣内社長は、非資源事業の強化を打ち出した。 だが、その後のV字回復を支えたのは、皮肉にも資源ビジネスだった。 オーストラリアの資源投資子会社MDPが、17、18年度に過去最高益を更新した三菱商事の純利益全体の半分近くを稼ぎ出している。ところが資源価格下落でひとたびMDPがつまずくと、再び純利益の下方修正を余儀なくされた。「三菱商事に稼ぐ力はない」――。株式市場ではそんな指摘もささやかれる。 19年度は繰り延べ税金資産を一過性利益として計上する「隠し球」を繰り出し、なんとか純利益トップを維持したが、新型コロナウイルス感染拡大の影響が直撃する20年度は、業界首位からの陥落は避けられそうもない。純利益予想は伊藤忠の4000億円に対し三菱商事は2000億円と、ダブルスコアの差をつけられている』、「伊藤忠」では、「垣内氏よりもはるかにドラスティックな中央集権化で自らの権力基盤を固めた。 だが、岡藤氏は結果を出すことで不満分子を黙らせた」、同じ「中央集権化」を目指しても結果がついてこないのでは、組織に不満が渦巻くのは当然だ。
・『資源エネルギーの低迷に加え、深刻なのは自動車ビジネスだ。本特集#2『「三菱自動車を切り捨てない」三菱商事のキーマン、自動車部門CEO激白』で詳述するが、コロナ禍で世界的に自動車需要が蒸発し、三菱商事が出資する三菱自動車の減損損失を取り込まざるを得ない。 三菱商事は18年に約1200億円を投じ、三菱自への出資比率を1割弱から約2割へ引き上げている。三菱自は16年に燃費不正問題が発覚して日産自動車の傘下に入ったが、その後も三菱“御三家”は株式を保有し続けた。本音ではさっさと手を引きたかった三菱重工業と三菱UFJ銀行から、三菱商事は自動車株を引き受けた形だが、これが完全に裏目に出てしまった。 三菱グループの特色は、グループ“長兄”の重工を筆頭に、重厚長大メーカーが多いことにある。三菱商事はそのグループの扇の要として、メーカーに原材料を納め、完成品を世界中で売りさばく盤石のビジネスモデルを築き上げてきた。 だが重工や自動車をはじめとする三菱の重厚長大メーカーが凋落して久しい。重要パートナーの競争力低下はダイレクトに三菱商事に響き、従来の“必勝パターン”に狂いが生じ始めている。コロナ禍が招いた首位陥落は、一過性ではなく、構造的な危機といえる。 今こそ三菱商事が解体的出直しを図らねばならないと、誰よりも痛感しているのが、垣内社長自身なのかもしれない。 だからこそ時代の変化に対応できるよう、「組織の三菱」の集団指導体制から中央集権の組織づくり、そして抜本的なグループ再編という改革を断行した。時価総額で三菱商事を追い抜き、純利益でも抜き去ろうとするライバル企業の絶対権力者の手法を、垣内社長はつぶさに観察しているはずだ。 しかし結果が伴わなければ、社員の求心力は低下する。経営への納得度や信頼感が低下し、経営の責任者である社長への不信感が増す。三菱商事の組織風土調査が浮き彫りにするのは、そうした現実だ。 三菱商事の“垣内派”幹部は言う。「今は改革の過渡期だ。その過程で一部の社員から不満の声が上がるのは想定内。10~20年後を見据えて今、生みの苦しみを経験しなければ会社として生き残れない」。 三菱商事の苦悩は根深い。変わらなければならない。だが、その変化の途上においても社員が「納得」する経営、人事、そして何よりも結果を出し続けなければ不協和音が増大し、やがて組織は瓦解する。 三菱グループのみならず、日本を代表する企業が直面する苦悩は、日本企業全体の苦悩の象徴なのかもしれない』、「三菱グループ」の最大の柱である「三菱商事の苦悩は根深い」、とは本当に深刻だ。「垣内社長」の手綱さばきが注目される。
タグ:バフェット氏の「分散投資」こそ投資家としての最大の教訓か 「V字回復困難」「需要が蒸発」 商社トップからコロナ悲観の声続々 「垣内社長」の手綱さばきが注目される バフェット氏が日本の5大商社に投資していることを発表 この種の非効率性は、「現在の低評価」の原因であり、これが改善できるなら「追加的なプラスリターン」を生む源泉になり得る バフェット氏が商社株に投資した理由(3)資源株 商社問題 (その2)(最後の旧来型エリートの牙城「商社」がコロナ禍で迎える危急存亡、バフェット氏が「5大商社株」に投資した7つの理由 山崎元が独自解説、三菱商事社長から全社員への「釈明メール」独自入手 軋むエリート集団) バフェット氏が商社株に投資した理由(2)割安株 同じ「中央集権化」を目指しても結果がついてこないのでは、組織に不満が渦巻くのは当然 「最後の旧来型エリートの牙城「商社」がコロナ禍で迎える危急存亡」 バフェット氏が商社株に投資した理由(5)コングロマリットディスカウント バフェット氏が商社株に投資した理由(4)「非ESG的」銘柄 ダイヤモンド・オンライン 「副社長」ポストの廃止 「伊藤忠」では、「垣内氏よりもはるかにドラスティックな中央集権化で自らの権力基盤を固めた。 だが、岡藤氏は結果を出すことで不満分子を黙らせた 三菱商事の苦悩は根深い 資源バブルで偶然得た利益を使って非資源の資産を積み増してきた中途半端な投資会社 山崎 元 今後、総合商社が事業を再編してコングロマリットディスカウント的なデメリットを解消できれば、投資の価値が上る可能性が大きいことを意味 世界的投資家のバフェット氏が大手商社5社の株を5%ずつ投資 「バフェット氏が「5大商社株」に投資した7つの理由、山崎元が独自解説」 「三菱商事社長から全社員への「釈明メール」独自入手、軋むエリート集団」 経営への「納得度」「信頼感」低下 メールに透ける垣内社長の危機感 コロナ禍の嵐 伊藤忠のDNAに刻まれた非資源で打倒!財閥系の半世紀 瀬島龍三氏を招聘し、その人脈や戦略を用いて中国ビジネスなどに参入 「組織の三菱」は事実上瓦解 社長による中央集権化が加速 ESG投資家に嫌われて株価が低評価なのであれば、むしろ投資のチャンスだというくらいに考えたのではないか 商社株の7つのキャラクターからバフェット氏の投資の謎に迫る 「組織風土調査」 バフェット氏が商社株に投資した理由(7)非効率性の潜在リターン 楠木秀憲 バフェット氏が商社株に投資した理由(1)高配当利回り株 大商社の巨額減損 疑り深い見方をするよりは、「分散投資の拡大」を素直に教訓として受け取るべきなのかもしれない 商社が持つ参入障壁は案外強固だ」と評価した可能性はある 代わって要職に目立つのは、生活産業グループCEO・・・時代から垣内社長に仕えてきた旧知の部下たち」、側近重視すると組織の風通しは悪くなるのは当然 “お目付け役”を任せられる人材が、今の三菱商事には存在しない 2009年度以降、「組織の健康診断」の一環として社員向けアンケート調査を定期的に実施 バフェット氏が商社株に投資した理由(6)企業グループの「参入障壁」
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沖縄問題(その11)(軍事アナリスト小川和久氏 普天間は政権次第で突破できる、不登校、深夜徘徊、売買春…記者が見た沖縄の貧困と暴力の凄まじい現実、菅官房長官と安倍政権が「沖縄」に対してやってきた これだけのこと 「菅政権」は沖縄の悪夢かもしれない) [国内政治]

沖縄問題については、昨年3月8日に取上げた。今日は、(その11)(軍事アナリスト小川和久氏 普天間は政権次第で突破できる、不登校、深夜徘徊、売買春…記者が見た沖縄の貧困と暴力の凄まじい現実、菅官房長官と安倍政権が「沖縄」に対してやってきた これだけのこと 「菅政権」は沖縄の悪夢かもしれない)である。

先ずは、本年4月14日付け日刊ゲンダイ「軍事アナリスト小川和久氏 普天間は政権次第で突破できる」を紹介しよう。
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/271662
・『1996年の米海兵隊普天間飛行場の返還合意からもう24年になる。辺野古沿岸部への移設が決まってはいるものの、沖縄県民の反対と訴訟合戦、軟弱地盤の発覚と建設費の膨張など、解決のめどは全く立っていない。少女暴行事件に端を発した「普天間の危険除去」は、なぜここまでこじれてしまったのか。小泉、鳩山政権で首相補佐官就任の打診を受けるなど返還合意前からこの問題に関わり、新著「フテンマ戦記」(文藝春秋)で迷走の舞台裏と原因を明らかにした軍事アナリストの小川和久氏に話を聞いた(本文中の肩書は当時)(Qは聞き手の質問、Aは小川氏の回答)』、興味深そうだ。
・『Q:24年間にわたって民間人として政府の普天間返還問題に関わってきました。どんなきっかけだったのでしょうか。 A:自民党総合政策研究所というシンクタンクの委員をしていて、政務調査会に助言する立場だったんです。96年4月2日に、2週間後に迫った日米首脳会談でどういう話を総理にしてもらうかを話し合う会合がありました。そこでテーマになったのが沖縄の米軍基地の負担軽減の問題。前年に少女暴行事件があったばかりで、「普天間を返してもらいたい」と日本側が96年2月に提案したのですが、その段階では米側に拒否されていた。しかし私は「取り返せるものを取り返せないようでは、独立国家の外交と言えません」と、山崎拓政調会長に迫ったのです』、「24年間」とは長いこと関わってきたようだ。
・『キャンプ・ハンセン陸上案に軍事的合理性  Q:実際、4月の首脳会談で返還が決まりました。 A:会合で、大蔵官僚出身の内海孚慶大教授が「政治が決断する時は、なるべく官僚の数は少ない方がいい」と助言しました。その先はどこでどうなったのか知りませんが、山崎さんが橋本龍太郎総理と話し合い、外務省北米局の田中均審議官だけが加わり、橋本総理がモンデール駐日米大使と会談して、全面返還となった。もともと私は、沖縄の米軍基地問題についてリサーチしていたので、普天間のことはある程度分かる。それで、キャンプ・ハンセンに移設するという構想を提案しました。 Q:それはどんな案なのですか。 A:キャンプ・ハンセンと隣接するキャンプ・シュワブを合わせると普天間が15個入る面積がある。そこの最適な位置に滑走路を移し、兵舎などは訓練の妨げにならないところに建て直せばいい、というものでした。これなら米軍基地内に普天間飛行場を埋め込む考え方ですから、新たな基地が出現するわけでもなく、沖縄県民の理解も得られるだろうと思いました。 Q:日米首脳会談後、96年8月には、本格的なハンセン移設案をまとめたんですよね。 A:まずは短期間でシュワブのほうに50機ほどのヘリが入る仮のヘリベースを造り、ただちに普天間を閉鎖し、危険性を除去する。本格的な移設先は、やはりハンセンの陸上部、一番南の海兵隊隊舎地区が最適だとなりました。恩納岳にぶつかることもなく、滑走路の長さも取れるし、民家の上もほとんど飛ばない。実は2009年ごろですが、海兵隊隊舎の地下に沖縄戦終盤に米海軍が造ったチム飛行場跡があることが分かったのです。戦時中の米軍も私と同じ考え方で最適な場所に飛行場を建設していた。軍事的合理性があるということです。ところが、当時の防衛庁の官僚はハンセンの「空き地」に飛行場をはめ込む発想しかなく、演習場の真ん中に滑走路を描き、「それでは訓練ができない」と米国側から一蹴されていたことが、後になって分かりました。 Q:結局、小川さんの案は採用されなかった。 A:構想を塩川正十郎総務会長に話すと「これで解決できるなあ」とうなずいていました。そして一緒に梶山静六官房長官に話しに行ったのですが、「普天間の問題は岡本(元外務官僚の岡本行夫氏)に泥をかぶれと言っているんだ」と言い、取り付く島もなかった。最も優秀な防衛官僚だと米国で評価の高かった高見沢将林氏は「これでいけると思います。ただ、官僚ではできません。政治がやらないと」と評価してくれたのですが。その後、橋本政権は岡本氏を首相補佐官にした。これが致命的なボタンの掛け違いとなりました』、「キャンプ・ハンセン陸上案に軍事的合理性」があるにも拘らず、受け入れられなかった背景には何があるのだろう。
・『鳩山総理は判断力が致命的に欠けていた  Q:どうして辺野古になったのでしょう。 A:ひとつは防衛庁も外務省も岡本氏も、軍事的な基礎知識がゼロだったということです。ヘリが50機ぐらい入ればいいだろうぐらいにしか考えていなかった。有事にはその6倍ほどの規模になり、数万人の地上部隊を受け入れる必要があるのにです。もうひとつは政治的にだけでなくビジネスとして利害得失を考えなきゃいけない人たちが絡んでおかしくなった。岡本補佐官の時代に橋本総理が急に「海上ヘリポート案」を言い出した。その途端、いろいろな業者が来るようになったと、防衛庁防衛局長だった秋山昌広氏が後に語っています。メガフロート案とか、どれも軍事的には使い物にならない案なのに、それが独り歩きした。そういったものを造るには、辺野古も含まれる東海岸がいいだろうと、落ち着いた印象があります』、「防衛庁も外務省も岡本氏も、軍事的な基礎知識がゼロだった」、お粗末極まる。「橋本総理が急に「海上ヘリポート案」を言い出した。その途端、いろいろな業者が来るようになった」、利権が絡んで、「軍事的合理性」がある「キャンプ・ハンセン陸上案」が葬り去られたとは飛んでもないことだ。
・『Q:解決のチャンスは、橋本政権、小渕政権、小泉政権、鳩山政権の4度あったと書かれています。特に鳩山政権の時は世論の大きな期待があっただけに残念でした。 A:前から鳩山さんを知っていたこともあり、09年の政権交代後、「県外なんて無理ですよ」と言いに行った。キャンプ・ハンセン陸上案も提案しました。その後、鳩山さんはいろんな人に相談していましたが、翌10年3月になって、小川にやらせてみよう、となり首相補佐官の就任を要請されました。しかし、それまでに「総理の案」なるものを米国に持って行っている人たちが多数いて、混乱していた。まずは民間人の立場で整理作業をやりたい、と言ったのです。米国側は了解しました。そうしたら、大型連休中の5月2日に、「ただちにワシントンに飛んで欲しい」という鳩山総理の指示があり、米国との交渉の最前線に送り出されたのです。 Q:電話一本の指示で、突然の話だったそうですね。 A:出張旅費も用意されず、スタッフ2人の分を含めて560万円を立て替えました。米国側との協議で印象に残ったのは、騙され続けてきたという日本政府への強い不信感でした。これは私の反省として本にも書いていますが、正式な立場に立っていない人間が持ってきた案であり、鳩山政権の案として一本化されていないじゃないか、と言うのです。最終的には、小川案に一本化してくれとのことでしたが、その段階で鳩山さんは連絡が取れなくなった。一方で鳩山さんは、私たちがワシントンで米国側と交渉していた5月4日に沖縄入りし、「辺野古回帰」を表明した。その前日に、岡本行夫氏と会って、全部ひっくり返ってしまった。錯乱したとしか思えなかった。鳩山さんには判断力が致命的に欠けていました』、「鳩山総理」は「小川氏」に米国で交渉させたが、最後の段階で、「岡本行夫氏」に傾くとは、聞きしにまさる「錯乱」ぶりだったようだ。
・『方針転換すれば3500億円でお釣りがくる  Q:普天間返還問題がここまでこじれたのは、なぜだと思いますか。 A:政治のリーダーシップの問題が大きい。普天間問題は国内問題です。リーダーシップを持った政権が本気で正面から問題提起すれば、簡単に突破できる。基地の返還には米国の同意が必要ですが、移設先は軍事的知識があればおのずと分かるし、米国も同意する。あとは沖縄県民の半分以上が「まあこれでもいいか」と思う構想を示す。例えば日米地位協定を改定するか特別協定を結んで、事故と犯罪の問題を抑え込む。負担を日本国民で等しく担うということでは、沖縄県民は無税にするとか、教育費や医療・福祉関係の費用を無料にするとか。そして沖縄に人と金が世界中から集まるような制度をつくる。米国にとっては、その軍事的能力が落ちず、沖縄県民が反米感情を持たなければいい。それだけです。 Q:このまま辺野古移設で突き進んでいいのでしょうか。 A:小野寺防衛相の時の14年に、総工費は3500億円と国会で答えています。それが今は、軟弱地盤問題などがあり、9000億円超に膨らんでいる。もっとも、他の飛行場建設の予算から見たら3500億円だって異常に高い。特別な工法はいらないわけですから。それを整理していくと、やはり今でも私が提案してきたキャンプ・ハンセン陸上案がベストだと思います。米国に前例がありますが、環境アセスを含めても4年以内に完成です。既に辺野古でかかった費用を業者に払ったとしても、3500億円の予算で800億円ほどのお釣りがきますよ。(小川氏の略歴はリンク先参照)』、「9000億円超」が2700億円で済み、工期も短くて住むのであれば、いまからでも、「キャンプ・ハンセン陸上案」でやるべきだ。

次に、9月13日付けAERAdotが掲載した琉球新報記者の新垣梨沙氏による「不登校、深夜徘徊、売買春…記者が見た沖縄の貧困と暴力の凄まじい現実」を紹介しよう。
https://dot.asahi.com/dot/2020081700020.html?page=1
・『不登校、深夜徘徊、窃盗、大麻、売買春、妊娠……さまざまな困難を抱える少年・少女を取材した『夜を彷徨う 貧困と暴力 沖縄の少年・少女たちのいま』(琉球新報取材班、朝日新聞出版)。そこには、“青い海と空”といったリゾートのイメージの陰に隠れた、もう一つの現実が描かれている。居場所をなくした少年少女の取材を続けてきた琉球新報・新垣梨沙記者が、その一端を明かす。 2017年12月23日。2人組の13歳の女の子と会ったのは、夜のファミレスだった。1人は年の離れた妹を連れていた。学校に行けない子どもたちの話を聞いてサポートする支援者も含め、5人で遅めの夕食を取り、2人から話を聞く。女の子たちは長く不登校で、1人はここ何日か姉妹の自宅に寝泊まりしていた。姉妹の母親はキャバクラで働いていて朝まで不在だった。 女の子たちに2度目の取材の約束を取り付け、支援者と一緒に、3人を姉妹の自宅がある郊外の集合住宅に送った。姉、その友人、途中で眠ってしまった妹を抱っこした支援者の順に、上階に向かって階段を上る。私は4人と少し距離を置いて後をついていった。 4人が入っていった一室の前に立つ。半開きのドアには、引きちぎられたような金属製のドアチェーンが無造作にぶらさがっていた。 ドアの隙間から部屋の中に目をやる。と、床には網状のフード部分のへこんだ扇風機が転がっていた。ドアチェーンも扇風機も、姉妹の母親の彼氏が暴れて壊したものだった。ファミレスで姉が話した通りの光景が広がっていた。 どれほど暴れればドアチェーンを壊すことができるのだろう。そんな男は女性や子どもに手を上げる時だって手加減などしないはずだ。突っ立ったままぼんやりと考えた。 「この現実をどうする? 新聞記者はどうやったってみんなエリートだ。あなたたち記者は、子どもたちの置かれた状況を見ていない」 沖縄の風俗業界で働く少女たちや、若年で出産した女性たちの聞き取り調査を行い、ケアに心を砕く研究者から突きつけられた言葉を思い起こした。この取材も、その言葉に押されるようにして始めたものだった。だが、暴力の跡を目の当たりにして、私はすでにおじけづいていた』、「琉球新報」の「記者」であれば、「沖縄」ではエリートなので、「おじけづいていた」のも理解できる。
・『頭は「ここからすぐに帰ろう」と言っている。自然と足が階段に向くが、「何も言わずに帰るのは失礼だ」といったん部屋の前まで引き返す。ひとまず支援者に「とても繊細な話なので、記事化するまでにお時間いただくと思います」と言ってみよう。ありとあらゆる言い訳の言葉を考え、長い廊下を行きつ戻りつしながら支援者が部屋から出てくるのを待った。 「おかー(お母さん)は(彼氏に殴られた)顔のあざを化粧でかくして出勤しよった」「おかーは殴られる時、隣の部屋に連れてかれる。殴られる音を聞くと妹が泣くわけ。そしたらなんでか、自分も涙が出るんだよ」 ファミレスで聞いた姉の話と表情がよみがえった。痛みをこらえて仕事に向かった母の姿を、その母を見送った姉妹を、暴力の中で暮らす母娘の日常を思った。 「もう、見なかったことにはできない」。自分なりに子どもたちと向き合おうと覚悟を決めた。のろのろとカバンからノートを取り出し、目の前の光景を書きとめた。 「ドアチェーン、鎖こわれぶらさがる せんぷうき 網のとこへこみ、床にころがる」 その姉妹以外にも、取材でつながった子どもたちの多くがさまざまな暴力にさらされていた。どんな痛みや思いを抱えて生きているのか伝えたい、そう思って取材を続けた』、なるほど。
・『子どもたちのSOS  同僚3人で続けた取材の内容は、2018年1月から8月にかけて連載「彷徨う 少年少女のリアル」として、沖縄の地元紙・琉球新報に掲載した。 出会った子の多くは幼い頃から生活困窮や親からの虐待、いじめなどの困難に直面し、「不登校」という形でSOSを発していた。教育現場がどうなっているのか知ろうと学校を訪ね、教師からも話を聞いた。ある中学校の校長は、不登校の生徒たちを校長室で受け入れ、一緒に絵を描いたり、ギターを弾いたりしながら生徒が安心できる空間を作り出していた。 ただ、こうした校長のような教師との出会いは、私が話を聞いた子どもたちの多くが持ち合わせていなかった。学校に通っている子や学校に楽しい思い出を持つ子はほぼおらず、どの子も、教師や同級生による否定や排除によって傷付けられた経験を重ねていた。 学校に行けなくなった子どもたちは、家でも孤立している場合が多かった。そんな彼らが居場所を求めるのは、街や暗闇の公園、SNSの空間だ。たどり着いた場所で大人に利用され、危険な目に追いやられることも少なくなかった。 年上のグループとつるむようになった13歳の女の子は、言いつけに逆らえずに「援デリ」(出会い系サイトなどで募った客をあてがう違法風俗業)を強制され、客を取らされ続けた。高校に行けずにいた17歳の女の子は「いい働き口を紹介する」と声をかけた大人についていきレイプされたことを、記事の掲載後に明かしてくれた。 連載に対しては、読者からさまざまな反応があった。特に、学校と家から離れて風俗の世界に押し出された女の子たちの話を書いた記事には、「沖縄の子どもはみんなそうだと思われる」「一部の子どもの話だ」などといった意見が寄せられた。性を搾取する加害者側の非をとがめず、女の子たちのみを批判する声は圧倒的に多かった。加害者に甘く、被害者に厳しい社会の感覚こそがおかしいのだと書き続けねばと、そう思っている。 連載時から、子どもたちの痛ましい話を書くことで読者が親への非難を強めないか、「自分とは別世界の人たちの話だ」と切り離してしまわないか、ということが気がかりだった。取材の過程で、子どもたちの背後にいる親の姿も見えてきたからだ。 ネグレクトと言われる親も、かつては子育てを頑張っていた時期があった。だが、離婚や失業、疾病などで生活が急変し、支え手のない中で力尽きていた。 こうした限界点を超える親の姿は、ひとり親の当事者でもある私自身と重なる。ただそれは、ひとり親に限らず、不安定さを増した社会では誰もが直面しうる出来事だ。けっして、別世界や無関係の話ではない。 連載を終えてから2年が経ち、正規採用で就職が決まった子や、小学校高学年から続いた長い不登校の時期を脱し、高校に進学した子がいる。一方、周囲の誰とも信頼関係を結べず孤立を深める子や、自傷行為を繰り返す子もいる。家の中にとどまり、暴力にひたすら耐える子もいる。体や心に新たな傷を増やしながら、どうにかこうにか生きている子は多い。 そんな子どもたちや親への支援はどうあるべきか、まなざしは、かける言葉は、この手をどう使うべきか。本書を通して、読者の皆さんと考えることができたらと思っている』、「加害者に甘く、被害者に厳しい社会の感覚こそがおかしいのだと書き続けねばと、そう思っている」、頑張ってほしいものだ。「2年」が経って立ち直った子と、引き続き底辺に残された子の違いをさらに掘り下げて欲しいものだ。

第三に、9月11日付け現代ビジネスが掲載した沖縄タイムス記者の福元 大輔氏による「菅官房長官と安倍政権が「沖縄」に対してやってきた、これだけのこと 「菅政権」は沖縄の悪夢かもしれない」を紹介しよう。
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/75537?imp=0
・『沖縄には怒りと不満が渦巻く  自民党総裁選でぶっちぎりの展開を見せ、そのまま首相の座を射止めようとしている菅義偉官房長官は、安倍晋三政権において、沖縄基地負担軽減担当相を兼務してきた。全国の7割以上が集中する沖縄県の米軍施設・区域を縮小し、負担を軽減することが役割である。 第2次安倍政権発足後、初の改造となった2014年9月に新設のポストで、それ以来6年間務める。 沖縄の米軍基地は2014年3月の2万2729ヘクタールから、一部の土地が返還されたことで、今年3月には1万8483ヘクタールに縮小されている。菅氏の就任以来、沖縄の米軍基地面積の約19%が返還されたことになる(使用していない米軍基地を単純返還したため、全国の米軍専用施設面積に占める沖縄の割合は、73・8%から70・3%と3・5ポイント減にとどまる)。 菅氏はこうした変化を、常々「安倍政権の成果」と胸を張ってきた。安倍晋三首相の沖縄問題への関心が薄かったことや、実務を担う防衛相、外相の顔ぶれが何度か変わったことを考えると、たしかに一貫して陣頭指揮を執ってきた「菅氏の成果」とも言える。 しかし、問題はその手法である。沖縄県内では菅氏の思うように評価されていないどころか、むしろ怒りや不満が渦巻いている。 県民から反発を受けている象徴的な二つの政策が、沖縄県民の7割以上が反対する沖縄県宜野湾市の米軍普天間飛行場を、同じ沖縄県で50kmしか離れていない名護市辺野古へ移設する計画と、人口140人の沖縄県東村高江の集落を取り囲む六つの米軍ヘリパッドを建設する計画だ。いずれも住民の反対運動などで20年近く滞っていたが、安倍政権が推し進めた。 菅氏は「安倍政権だからできた」と主張する。県民の反発に遭っても、後々評価されると考えている。 菅氏の向き合う「負担軽減」と、苛烈な沖縄戦から75年、米軍基地の過重な負担を受けながら歴史を刻んできた沖縄の人々との思いには隔たりがある。 菅政権が誕生すれば、沖縄の米軍基地問題の混乱は続き、本土と沖縄の関係はぎくしゃくしたままで、沖縄県内で新たな分断を生み出しかねないといった懸念がつきまとう。いや、それ以上の悪夢になるかもしれない』、「悪夢」だろう。
・『あまりに乱暴な辺野古埋め立て  普天間の辺野古移設は第2次安倍政権発足からちょうど1年の2013年12月に転機を迎えた。当時の仲井真弘多(なかいま・ひろかず)知事が、新しい米軍飛行場を造る目的で辺野古の海を埋め立てる防衛省の計画を承認したのだ。 直前に、安倍首相は東京で入院生活を送っていた仲井真知事と面談し、向こう10年間、年3000億円の沖縄関係予算の確保や、米軍基地問題の取り組みなど「政府にできることは全てやる」と約束していた。 仲井真知事の姿勢は「金で転んだ」と受け止められ、県内で失望と反発が高まる中、政府は入札などの準備期間をへて、2014年7月に事業着手した。そして、それまでとは異なる法律上の根拠で、現場で座り込む住民らを排除するようになった。 まず始まったのは海上での規制だ。埋め立て予定海域に住民らが船やカヌーで近寄って抗議するのを防ぐため、広範囲を立ち入り禁止とした。根拠は日米地位協定。もともと米軍基地の警備上の必要性から陸岸から50m以内を常時立ち入り禁止としていたが、それを最大で沖合2・3kmと大幅に広げた。期間は「工事終了まで」。抗議する住民たちを遠ざける狙いが明らかだった。 ここで考えてほしいのは、埋め立て工事は日本政府の事業で、日米地位協定は米軍の権利や運用のルールを定めた取り決めだということである。米軍の運用とは関係のない日本政府の工事のために日米地位協定で海域を規制することが許されるのだろうか。沖縄の弁護士らは「悪用だ」と批判してきた。 次に、警察や海上保安庁が抗議する住民らを排除する際の根拠である。辺野古移設が始まる前、警察は警察官職務執行法5条、海保は海上保安庁法18条を上げていた。そこには、まさに犯罪が行われようとしている時、警告したり、制止したりすることができると書かれている。 沖縄県警や海保の幹部を取材すると「政治的な表現の排除に慎重になるのは当然だ。まず防衛省が住民の理解を得るよう説得し、それができないなら(防衛省が)自前で警備員を雇うべきだ」と話していた。つまり、県警や海保は当初、住民の排除には積極的ではなかったのだ。 ところが、辺野古移設が始まると、海上では船やカヌーで埋め立て予定海域に近寄った住民らを海上保安官が拘束し、陸上では工事車両の出入り口に座り込む住民らを警察官が抱え上げ、排除した。 マスコミの問い合わせに、警察は警察法2条、海保は海上保安庁法2条を根拠に上げた。そこには、公共の安全と秩序の維持が任務であると書かれている。法律に書かれているのは「任務」の性質を示したものであっても、権限ではないはずだ。「辺野古対策で、政府が法解釈を変えたのは間違いない」と住民らの非難を浴びている』、「米軍の運用とは関係のない日本政府の工事のために日米地位協定で海域を規制することが許されるのだろうか」、確かに拡大解釈もいいところだ。「警察は警察法2条、海保は海上保安庁法2条を根拠に上げた」、目的規定は、「「任務」の性質を示したものであっても、権限ではないはずだ」、これも無理のある拡大解釈だ。
・『「辺野古移設反対側」が12勝1敗  物理的な強引さに頼らなければ工事を進めることができないのは、沖縄県民が何度も示してきた民意を無視しているからにほかならない。 辺野古の埋め立てを承認した仲井真知事と、辺野古移設に反対する翁長雄志氏が争った2014年10月の知事選では、翁長氏が10万票近い大差で圧勝した。その後の衆院選、参院選でも辺野古反対の候補者が当選。翁長氏の死去に伴う2018年9月の知事選では後継の玉城デニー知事が大勝した。 辺野古移設に着手してからの知事選と国政選挙では、「辺野古移設反対側」が12勝1敗という結果になっている。政府、自民党の支援する候補者がいずれも「中央と連携した沖縄振興」を主張したため、辺野古反対か、経済か、という構図で、沖縄県民が「辺野古ノー」を突き付け続ける意味は大きい。 さらに辺野古埋め立て工事の賛否を問うた2019年2月の県民投票では、投票率が5割を上回り、「反対」が7割を超えた。しかし、菅氏は「結果を真摯(しんし)に受け止める」と言いながら、工事を中断する気配も見せなかった。 翁長氏や玉城氏が、仲井真氏の埋め立て承認を取り消したり、撤回したりして、工事を一時的に阻止すると、政府は、国民の利益や権利を保護する行政不服審査制度を利用して、その効力を止め、工事を再開した。本来、対等・協力の関係にある国と地方の争いは、地方自治法で解決の道筋を定めるが、それでは時間がかかるため、手っ取り早く工事を再開する方法を選んだのだ。一般私人と同様の立場で埋め立て承認を得たので、一般私人と同様に行政不服審査制度を利用できるという理屈になる。 法律上の争いになると、辺野古移設に多くの県民が反対していることや、沖縄の過重な基地負担などの本質的な問題に触れられることはない。防衛省が「一般私人と同様の立場である」という主張が、法的に正しいか、どうかと機械的なやりとりだけで結論が出る。 菅氏は「法治国家として法に基づき、工事を進めている」と繰り返してきた。翁長氏は生前、「民主主義や地方自治を無視し、対話を拒む。これが法治国家なら『ギリギリ法治国家だ』」と、工事を止めることのできない現状に最大の皮肉を込めていた』、『ギリギリ法治国家だ』とは言い得て妙だ。
・『普天間飛行場についての認識のズレ  「負担軽減」の原点の認識にも差異がある。 安倍氏や菅氏は、「普天間飛行場の危険性の除去は喫緊の課題」と説明する。人口10万人を超えた宜野湾市のど真ん中に位置する普天間飛行場を、人口が少なく、海に突き出た場所に移す計画になぜ反対するのだ、と言わんばかりである。 翁長知事や玉城知事は反論した。1945年の沖縄戦で上陸した米軍が、本土への出撃拠点とするために建設したのが普天間飛行場だ。役場や学校があり、8800人が暮らした集落を奪い取りながら、そこが古くなった、危険になったから他の土地をよこせというのは理不尽で、政治の堕落だ、と訴えてきた。 普天間飛行場の面積は480ヘクタールで東京ドーム102個分にもかかわらず、沖縄の米軍基地全体の2・5%にすぎない。そっくりそのまま返っても、97・5%が残るのに、なぜ沖縄県内に移設しなければいけないのか。海兵隊は必ず沖縄に駐留しなければいけないのか、といった疑問がぬぐえないことも、沖縄県民が辺野古移設に反対する理由につながる。 安倍氏や菅氏が、沖縄が本土に復帰した1972年以降で最大の米軍基地返還と強調する米軍北部訓練場の一部返還も、その条件であった六つの米軍ヘリパッドを建設するために、東京や大阪から機動隊員800人を集め、抗議する住民を強制排除したのが実態だ』、「東京や大阪から機動隊員800人を集め、抗議する住民を強制排除」、はまだ記憶に新しい。
・『元副知事から菅氏への信頼  その強引さと裏腹に、菅氏は気配りも見せてきた。政権ナンバー2で、スポークスマンでもある官房長官が東京を離れることは異例だが、在任中、沖縄を何度も訪れている。道の駅の駐車場整備といった細かな事業も肝いりで進め、基地の返還式典では跡地利用に意欲を見せてきた。 辺野古移設反対の翁長知事の側近だった当時の安慶田(あげだ)光男副知事とは会談を重ね、信頼関係を築いた。安慶田氏は宮古島で生まれ、石垣島で幼少期を暮らし、琉球大学に進んだ苦労人だ。秋田県のイチゴ農家から集団就職で上京し、働きながら法政大学へ進学した菅氏と境遇が似ていた。食事の際にサツマイモを残した安慶田氏に「私も昔、食べ過ぎたせいか、嫌いになりました」と語り掛けたことで、安慶田氏は心を許すようになっていった。 安慶田氏は菅氏と連絡を取り合い、翁長氏の死去後には、後継の玉城知事と距離を置き、新たな保守系グループの結成を模索。菅政権が誕生すれば、安慶田氏の存在感が増す可能性がある。 菅氏は9月3日の記者会見で、沖縄の米軍基地問題と沖縄振興は「結果的にリンクしているのではないか」と語った。歴代政権は沖縄振興について、沖縄戦の甚大な被害や、その後の27年間の米国施政権下で日本の政策が適用されなかったこと、離島の多い沖縄の特殊事情などを理由として、「米軍基地とはリンクしない」というのが公式見解だった。 日米関係と沖縄を研究してきた故・宮里政玄さんは「沖縄は基地政策にちょうどいい大きさと人口で、そこに日米両国は目を付けた」と捉えていた。二つ以上の飛行場と補給施設を運用でき、適度に遊ぶ施設もある。そして、最大の利点は、ちょっとした振興策で基地を受け入れてくれる人口規模という。 辺野古新基地建設では、埋め立て予定海域で見つかった「マヨネーズ並み」といわれる軟弱地盤を改良するため、防衛省は玉城知事の承認を得なければならない。玉城知事は承認しないとみられ、国と沖縄県の新たな対立に発展するのは間違いない。2年後には知事選も控える重大な局面での菅首相の登場となる。 これまで以上に基地政策と振興策をリンクさせる「アメとムチ」を露骨に持ち出せば、新型コロナウイルスの影響で経済の落ち込んだ沖縄県内では、分断がさらに加速するのではないか。心配の種は尽きることがない』、「歴代政権は沖縄振興について・・・「米軍基地とはリンクしない」というのが公式見解だった」のに、「菅氏」は「これまで以上に基地政策と振興策をリンクさせる「アメとムチ」を露骨に持ち出」すとは、なりふり構わぬ強引な姿勢だ。「経済の落ち込んだ沖縄県内では、分断がさらに加速するのではないか」、同感である。
タグ:沖縄問題 「軍事アナリスト小川和久氏 普天間は政権次第で突破できる」 日刊ゲンダイ (その11)(軍事アナリスト小川和久氏 普天間は政権次第で突破できる、不登校、深夜徘徊、売買春…記者が見た沖縄の貧困と暴力の凄まじい現実、菅官房長官と安倍政権が「沖縄」に対してやってきた これだけのこと 「菅政権」は沖縄の悪夢かもしれない) 鳩山総理は判断力が致命的に欠けていた 防衛庁も外務省も岡本氏も、軍事的な基礎知識がゼロだった キャンプ・ハンセン陸上案に軍事的合理性 経済の落ち込んだ沖縄県内では、分断がさらに加速するのではないか 「菅氏」は「これまで以上に基地政策と振興策をリンクさせる「アメとムチ」を露骨に持ち出」すとは、なりふり構わぬ強引な姿 「米軍基地とはリンクしない」というのが公式見解だった 歴代政権は沖縄振興について 当時の安慶田(あげだ)光男副知事 元副知事から菅氏への信頼 東京や大阪から機動隊員800人を集め、抗議する住民を強制排除 普天間飛行場についての認識のズレ ギリギリ法治国家だ 「辺野古移設反対側」が12勝1敗 「任務」の性質を示したものであっても、権限ではないはずだ 警察は警察法2条、海保は海上保安庁法2条を根拠に上げた 米軍の運用とは関係のない日本政府の工事のために日米地位協定で海域を規制することが許されるのだろうか あまりに乱暴な辺野古埋め立て 菅政権が誕生すれば、沖縄の米軍基地問題の混乱は続き、本土と沖縄の関係はぎくしゃくしたままで、沖縄県内で新たな分断を生み出しかねないといった懸念がつきまとう。いや、それ以上の悪夢になるかもしれない 沖縄には怒りと不満が渦巻く 「菅官房長官と安倍政権が「沖縄」に対してやってきた、これだけのこと 「菅政権」は沖縄の悪夢かもしれない」 福元 大輔 現代ビジネス 加害者に甘く、被害者に厳しい社会の感覚こそがおかしいのだと書き続けねばと、そう思っている 子どもたちのSOS おじけづいていた 「不登校、深夜徘徊、売買春…記者が見た沖縄の貧困と暴力の凄まじい現実」 新垣梨沙 AERAdot いまからでも、「キャンプ・ハンセン陸上案」でやるべき 方針転換すれば3500億円でお釣りがくる 「鳩山総理」は「小川氏」に米国で交渉させたが、最後の段階で、「岡本行夫氏」に傾くとは、聞きしにまさる「錯乱」ぶりだった 利権が絡んで、「軍事的合理性」がある「キャンプ・ハンセン陸上案」が葬り去られたとは飛んでもないことだ 橋本総理が急に「海上ヘリポート案」を言い出した。その途端、いろいろな業者が来るようになった
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パンデミック(医学的視点)(その16)(コロナで露呈した米国「ファックス依存」の実態 実はデジタル後進国だった?、はびこる「PCR検査拡大は不合理」説を公衆衛生の第一人者が論破!【偽陽性の問題はほぼ100%ない】 PCR検査の徹底的拡大こそ「経済を回す」、アビガンがコロナに劇的に効く薬ではない現実 あれだけ注目されたその後はどうなっているか) [国内政治]

パンデミック(医学的視点)については、7月17日に取上げた。今日は、(その16)(コロナで露呈した米国「ファックス依存」の実態 実はデジタル後進国だった?、はびこる「PCR検査拡大は不合理」説を公衆衛生の第一人者が論破!【偽陽性の問題はほぼ100%ない】 PCR検査の徹底的拡大こそ「経済を回す」、アビガンがコロナに劇的に効く薬ではない現実 あれだけ注目されたその後はどうなっているか)である。

先ずは、7月23日付け東洋経済オンラインがThe New York Timesを転載した「コロナで露呈した米国「ファックス依存」の実態 実はデジタル後進国だった?」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/364474
・『新型コロナウイルスの感染が深刻化しているテキサス州ヒューストン。感染者が他人にウイルスをばらまく前に追跡して隔離しようと公衆衛生当局は対応に大わらわとなっている。ところが彼らには、それ以前に何とかしなければならない問題がある。ファクスだ。 先日、ヒューストンのハリス郡公衆衛生局にあるファクス機が悲鳴を上げた。ある検査ラボから大量の検査結果が送られ、床全体に何百枚という紙が散乱したのだ。 「何百枚というファクスが届き、機械から紙が吐き出され続ける様子を想像してみてもらいたい」と、同衛生局のウメア・シャー局長は語る。ハリス郡では、これまでに4万人を超す感染者が記録されている。 シャー氏個人のファクス番号に検査結果を送ってくる医師もいる。それらは「マル秘」と記された封筒に入れられ、感染症部門に手渡される』、「ファクス」を使っていたのは日本だけでなく、IT先進国の「アメリカ」も似た状況とは驚いた。
・『郵便もいまだ現役  アメリカは感染の拡大を抑え込もうと必死だが、細切れの保健システム、新旧テクノロジーの混在、疫学者のニーズを満たさないデータ基準などから、次々と問題にぶつかっている。公衆衛生当局や民間の検査機関は、1日の検査実施件数をなんとか50万人超まで拡大したが、雪崩のように押し寄せる大量の検査結果をスムーズに処理する仕組みがない。 各衛生当局が感染経路を追跡するのに使っている方法は、いかにもアメリカ的なごたまぜだ。一部の検査結果はデジタル化されスムーズに集積されるが、電話、電子メール、郵便、ファクスで送られてくる検査結果も多い。 ファクスがいまだに使われているのは、保健情報のデジタルプライバシー基準に配慮した結果だ。物理的に送られる報告書は往々にして重複し、管轄とは違う保健所に届き、感染者の電話番号や住所といった肝心の情報も抜けている。 こうしたデジタル化の遅れのせいで、感染拡大の抑制に欠かせない症例報告と接触者の追跡に支障が出ている。さらに公衆衛生分野の経験に乏しい機関が多数、症例報告と接触者追跡に加わったことで、混乱はいっそう深まった。 「現場は、とてつもなく困難な状況に直面している。データの把握が感染速度に追いつかないのだから」と、シャー氏は述べた。 紙のデータがあふれかえるようになったことを受けて、少なくとも1つの衛生局がデータ処理部隊の増員を要請する事態となっている。ワシントン州は先日、州兵を25人投入し、検査結果の手入力に当たらせた。 「検査件数にこだわりすぎて、『検査結果をどう使うのか』という肝心の目的が見えなくなっている」と、アメリカ疾病対策センター(CDC)の元所長、トーマス・フリーデン氏は指摘する。「どの州も、この点に頭を悩ませている」。 テキサス州の州都オースティンとトラビス郡で臨時の衛生局長を務めるマーク・エスコット氏は、重複した検査結果も含めると毎日1000件のファクスが事務所に届いていると話した。管轄外のものもあれば、症例の調査に必要な重要情報が抜けているものも目立つ。オースティンではそうしたファクスの大半がコンピューターに送信されるようになっているが、それでも印刷してデータベースに手作業で情報を入力する必要があるという。 この衛生局では、必要な情報が出そろうまでに検査実施から平均して11日もかかっている。こんなに時間がかかるようでは、接触者追跡を行う意味がない。そのためエスコット氏は、管轄域内でコロナの症状が出ている人は陽性と考えるよう忠告してきた。検査結果を待っていたら手遅れになるからだ。 「症状が出てから14日後に検査結果が届いても(感染防止には)まったく役立たない」(エスコット氏)』、「州兵を25人投入し、検査結果の手入力に当たらせた」、「オースティン」では「必要な情報が出そろうまでに検査実施から平均して11日もかかっている」、驚きのドタバタのようだ。
・『紙データが氾濫した理由  CDCによると、今回のパンデミックが発生するまで、公衆衛生当局が追跡する疾患の検査結果は90%近くがデジタルで送信されていた。 しかしウイルス検査を大規模に行う必要性が出てきたため、普段は経営者向けの検査のみを実施する業者や、インフルエンザやレンサ球菌咽頭炎といった病気の検査を行う小規模なクリニックなどが多数、コロナ検査に参入することになった。当局に従来とは違った形態で検査結果が報告される割合が高まったのは、このためだ。 「基準はあるが、コロナの感染が急拡大し、検査件数が劇的に増えたことで対応が追いつかなくなった」と、CDCで検査報告作業部会の責任者を務めるジェイソン・ホール氏は語る。 州・準州疫学者評議会のジャネット・ハミルトン代表によると、アメリカ全体として見た場合、コロナ検査結果の約80%では人口動態情報が抜けており、半数には住所の記載もない。 「データに抜け漏れがあると、空白を埋める作業が必要になる。検査実施機関に問い合わせたり、別のデータベースと照合したりしているが、これには時間がかかる」とハミルトン氏は話す』、「今回のパンデミックが発生するまで、公衆衛生当局が追跡する疾患の検査結果は90%近くがデジタルで送信されていた。 しかしウイルス検査を大規模に行う必要性が出てきたため、普段は経営者向けの検査のみを実施する業者や、インフルエンザやレンサ球菌咽頭炎といった病気の検査を行う小規模なクリニックなどが多数、コロナ検査に参入することになった。当局に従来とは違った形態で検査結果が報告される割合が高まったのは、このためだ」、なるほど苦しい事情が理解できた。
・『ファクスはミスの温床  トランプ政権は6月上旬、あるガイドラインを発表している。公衆衛生当局が人口動態面からコロナの感染状況を細かく把握できるよう、検査機関に感染者の年齢、人種、民族的なバックグラウンドの報告を要求したのだ。 ただ、この規則は8月まで効力を持つことはなく、感染者の住所と電話番号については情報提供が「望ましい」と述べるにとどまり、義務づけには至っていない。 この種のデータは一般に、病院や診療所から検査ラボ、公衆衛生当局の間を行き来し、その過程で行方不明になることが多い。 情報の伝達手順も一様ではなく、さらに各段階の技術的な不具合によっても重要情報の伝達が遅れたり、混乱したりするおそれがある。病院や診療所は必ずしも検査ラボと電子的なシステムでつながれているわけではない。 検査ラボのソフトウェアが、公衆衛生当局でのちのち必要になるデータを除外することもままある。そして、ファクスや表計算ソフトのスプレッドシートで情報を送れば、コンピューターに手作業で情報を再入力する必要が生じ、入力ミスの危険性まで高めることになる』、「アメリカ」でもこんな付け焼刃的なやり方で混乱を招いているとは、改めて驚かされた。

次に、7月6日付け文春オンラインが掲載したWHO事務局長上級顧問、英国キングス・カレッジ・ロンドン教授の渋谷 健司氏による「はびこる「PCR検査拡大は不合理」説を公衆衛生の第一人者が論破!【偽陽性の問題はほぼ100%ない】 PCR検査の徹底的拡大こそ「経済を回す」」を紹介しよう。
https://bunshun.jp/articles/-/39414
・『東京都のみならず、全国で感染者数が増加し、大都市では既に指数関数的増加の初期の様相を呈している。 前回の記事においても述べたが、緊急事態宣言解除後に感染がぶり返すのは、予想されたことである。 しかし、政府は一向に有効な手を打てないでいる。壊滅的な影響を受けている観光業を支援し経済を回そうとする「Go To トラベル」は迷走を続け、大規模イベントの解禁にも赤信号が点灯している。これは一重に、有効な感染コントロールができていないからだ。感染のリスクがあれば、国民は安心して旅行をしたり、経済活動を行うことはできない。 緊急事態宣言解除後は、行動力が高い若い世代の間で感染が広がり、軽症や無症状の感染者数が増加するのも予想されたことである。現在の感染者数の増加をどう見るかについては様々な議論があるが、過度に悲観や楽観をせずに冷静に現状分析を進めることが重要だ。 今のクラスター対策は、軽症の感染者や無症状の濃厚接触者へも検査適応を拡大させている。そのために、確かに軽症や無症状例が増えているのは事実であり、感染者数に一喜一憂したり、過度に悲観してパニックになるようなことは得策ではない』、「過度に悲観や楽観をせずに冷静に現状分析を進めることが重要だ」、同感である。
・『「検査数が増えたから感染者数が増えた」は不正確  その一方で、過度の楽観も厳に慎むべきだ。若者の重症者も出始めており、高齢者、病院や介護施設での感染が既に広がってきている。さらに、感染経路が追えない感染者も増えている。重症者数が増加していないことをもって「心配ない」との意見もあるが、無症状の方も含め、感染自体が広がれば、当然、次のタイミングで重症者や死者も増えていく。 欧米で起こったように、感染のコントロールを誤れば、感染者は加速度的に増加し、重症者や死者の増加へとつながってしまう。 第一波の段階で日本で死者数を抑制できたのは、現場の関係者の尽力、国民の協力等に加えて、ギリギリのタイミングで自粛が行われたためと考えられるが、もう少し遅れていれば、欧米のような結果になっていた可能性が高い。 感染爆発を起こした他国では、もう少し早く対策を開始しておけば、もう少し早くロックダウンしていれば、と必ず同じことを言っている。 また、「検査数が増えたから感染者数が増えただけなので心配ない」という指摘も正確ではない。感染が拡大トレンドになければ、陽性の結果が出る割合(検査陽性率)は、基本的に大きく変動しないはずだ。しかし検査陽性率はここ最近軒並み上昇しており、東京では過去1週間で倍増している。大阪ではすでに13%だ。 これは、感染者の増加に検査が追いついていないことを示している』、「検査陽性率はここ最近軒並み上昇・・・これは、感染者の増加に検査が追いついていないことを示している」、ということであれば、「検査数が増えたから感染者数が増えただけなので心配ない」は確かに間違いだ。
・『無症状感染者対策が感染コントロールの鍵  このような状況の中、無症状感染者の対策が、我が国の今後の感染コントロールのカギとなることは間違いない。 初動が遅れ、感染爆発を起こしてしまった英国のボリス・ジョンソン首相は、BBCのインタビューで「最初の数週間や数カ月間、(ウイルスを)十分に理解していなかった」「当初おそらく何より気づいていなかったのは、いかに無症状の人から人へと感染が広がっていたか」だと述懐している。 第一波の初期に一定の役割を果たしたクラスター対策も、たまたま症状のある感染者の周りに無症状の感染者が見つかれば良いが、そうでない無症状感染者は感染を知らぬうちに拡大させている。特に、無症状感染者の多い今回の再燃では、クラスター対策をさらに困難にさせている。 クラスター対策が有効に機能しないのであれば、緊急事態宣言、休業や自粛の要請等が議論の俎上にあがるが、こうした手法は現在でも回復が進んでいない経済への打撃が極めて大きく、多くの事業者で倒産が続出するため、もう自粛は勘弁してほしいという国民の声ももっともだ。 こうした未曽有の事態に直面し、経済再生と感染予防の両立のために最適な施策をデザインしていくことは容易でなく、政府や自治体の対応も試行錯誤しながら進めていかざるを得ないのは当然だと思うが、国全体としてのコロナ対策の基本戦略がそろそろ確立されるべき時期にきている』、同感である。
・『休業・自粛の繰り返しでは経済は落ち込むだけ  筆者が繰り返し主張してきた通り、経済再生と感染予防の両立のための基本戦略の柱は「徹底したPCR検査の実施」だ。特に、無症状感染者への対策がカギとなる今後の感染流行では、この戦略の重要性がさらに高まっている。 PCR検査の拡大で、クラスター対策では追いきれない無症状者も含めた感染者を、他の方々が感染する前に見つけ出して、ホテル等の収容施設で療養してもらうことが何よりも重要だ。しかし残念ながら、こうした「検査と隔離」の戦略が十分に進められている状況とはいえない。 第一波の死亡者数を抑制できたある種の「成功体験」の影響なのか、政府の感染予防策は、3密回避、「ウィズ・コロナ」の新しい生活様式、事業者向けのガイドラインなど、一律の行動変容や個人の努力に頼る施策に終始しており、今後のコロナとの戦いの基本戦略が明確に示されていないように見える。 もちろん3密回避等は重要な事だが、これだけに頼っていては経済や社会が十分に回らない。誰が感染しているか分からず、また、職業上、接触減が難しい方も多い。病院や介護施設、サービス産業で働く人々は、接触5割減と言っていたら仕事の効率性への打撃が極めて大きい。 全く感染リスクがない方と感染リスクの高い方を一緒にして画一的なリスク管理を行うことは極めて効率が悪い。しかも、個人の行動変容がいかに難しいか、そしてそれを長期間にわたり持続させていくことがいかに難しいかという点は、公衆衛生の分野では常識とされている。 こうしたアプローチだけでは、自粛疲れの中、第一波のときのような効果が得られるとは限らない。結果として、大規模な休業・自粛要請等に追い込まれ、感染予防も経済再生も共に遠のくという最悪の結果も招きかねない。 第一波の感染収束から経済活動再開に向かう6月の1カ月間は、PCR検査能力を急拡大させ、感染実態のモニタリング、特に無症状感染者の早期発見と隔離を進め、社会経済活動を回し自粛を防ぐために準備するべき最も重要な時期であったが、その貴重な時間が有効に活用されなかった。 PCR検査の積極的推進に不可欠な、無症状者や軽症者のための療養施設の確保についても、東京都の杜撰な対応が報じられている。 国全体の基本戦略が明確になっていないことを背景に、「Go To トラベル」キャンぺーンについては、国と都との間の不協和音が伝わってくる。 今こそ、PCR検査の徹底的な拡大が、感染予防と経済再生を両立させるための国の貴重な「社会インフラ」であることを認識すべきである』、「今こそ、PCR検査の徹底的な拡大が、感染予防と経済再生を両立させるための国の貴重な「社会インフラ」であることを認識すべき」、その通りだ。これに抵抗している厚労省技官グループの頑迷ぶりには呆れ果てる。
・『感染制御・社会経済活動を維持するための検査へ  他国がやっている事が全て正しいと考えるべきではないが、検査拡大に本格的に舵を切らない我が国の対応は、世界の専門家の方々からも不思議がられているのが現状である。「PCR検査の徹底的な拡大」の必要性については、マスコミ・識者の間でも理解が深まりかなり定着してきたと考えられるが、残念ながら、依然として反対の声がある。 当初は、スタッフ、試薬の不足、収容施設の不足等「検査を拡大したくてもできないハードルがある」との指摘が多かったが、こうした課題が順次解消されていく中で「検査は(拡大できたとしても)拡大すべきではない」という指摘も少なくない。 こうした議論については、当然のことであるが、事実に基づき、科学的な議論により方向性を定めていくことが重要だ。こうした観点から、最近、日本医師会COVID-19有識者会議の一環としてとりまとめられた、「COVID-19感染対策におけるPCR検査実態調査と利用推進タスクフォース 中間報告書解説版」の内容は注目に値する。 本レポートには筆者も参加したが、医師会や医学会、検査関係者、臨床医、公衆衛生関係者らが多面的かつ科学的な検討を繰り返したうえでの成果であり、新型コロナに関わる関係者全てが読むべき内容と考えられる。今までの検査する・しないという世論を真っ二つにするような議論に対して、事実に基づき、非常に明快な指針を与えている。 特に、検査は、その目的と意義を理解したうえで、適切に利用することが重要であると指摘している。以下、ポイントを抜粋しよう。 「PCR検査の利用目的と意義は以下の4通りがある。 1. 患者の診断(個々の患者の治療方針等を決めるための病状の把握) 2. 公衆衛生上の感染制御(他の方にうつす前に隔離するための感染者の発見) 3. ヘルスケアによる社会経済活動の維持 4. 政策立案のための基礎情報」 このうち、筆者が検査の拡大が必要と考えるのは、1の目的よりも、主に2と3の感染制御および社会経済活動の維持を目的とするものである。 さらに、PCR検査の利用は、対象とする者やグループについては、事前確率(どの程度感染が広まっていると推測されるか)、集団リスク(感染が急速に拡がるリスク、感染拡大が公共機能等に与える影響のリスク)、経済的影響(感染拡大が経済に与える影響)の3つの観点から考えることが必要だ。 レポートでは3つの場合分けがなされ、 「1. 事前確率が比較的高い場合:クラスター対策などの積極的疫学調査や個別感染症診療 、2. 事前確率は低いが(または不明だが)、集団リスク(公共的影響)や経済的影響が大きい場合:空港検疫、院内感染対策、高齢者・福祉施設の施設内感染対策、3. 無症状患者で、事前確率は低いが社会・経済的な影響が大きい場合:海外交流、音楽・スポーツイベント、観光、特定のハイリスク職業のヘルスケア。1、2は、行政検査のPCR検査の実施、3は企業・自己負担で実施が望ましい」 といずれにおいても、検査の重要性を指摘している。 さらに、「これらの目的と意義を考えると、継続的な精度の確保と維持のもとに、事前確率(感染がどのくらい広がっているかどうか)によらずにPCRの利用を拡大することが必要である」と結論づけている』、「渋谷氏」も参加して作成された「日本医師会COVID-19有識者会議」の「中間報告書解説版」は、説得力があるが、これに対して厚労省はどう応えるのだろう。
・『感度・特異度の議論はもうやめよう  検査拡大へ反対する立場から、厚生労働省や医療関係者の間で指摘されているのが、「PCR検査を拡大すると偽陽性が多くなる」、つまり、感染していないのに感染していると診断される人が多数出ることに対する懸念だ。 特に、検査の特異度(陰性の人を陰性と判定できる確率)が100%でないために、感染確率が低い時には、検査で陽性の結果が出ても、実際に感染者である確率(陽性予測値)が低くなる。 ゆえに、「数少ない陽性者を見つけ出すために、それに見合わない多くの方々に必要のない隔離生活を強いるのは不合理である」「感染の確率が低い場合には(つまり症状のない場合には)検査はやるべきではない」「症状があり、感染の確率が高い人へ検査をすれば十分」という理由で、検査を症状のある症例に絞ったクラスター対策が続けられてきている。 しかし、現在のクラスター対策では、無症状感染者を中心とする感染拡大を止めるのは難しい。それでは、休業・自粛要請という手法に安易に頼らざるをえなくなってしまう。 上記の反対論の方々の指摘には2点大きな問題があると考えられる。まず、PCR検査の特異度については、様々な精度管理により、特異度はほぼ100%だ。PCRはウイルスの遺伝子そのものを見ているために、実際の特異度は99.99%以上と報告されているが、検査拡大に反対する厚労省や医療機関の関係者の方々はなぜか99%ジャストの値を用いて議論されている。 “わずか1%の差”と思われるかもしれないが、このわずかな差により、2つ目の論点である感染確率が低い場合には、「数少ない陽性者を見つけ出すために、それに見合わない多くの方々に必要のない隔離生活を強いるのは不合理である」というロジックが成立しなくなるからだ。 日本医師会COVID-19有識者会議の中間報告書解説版では、「PCR検査の特異度を99.99%に向上させた場合は、有病率が必ずしも高くない(0.5-10%)疫学的調査においても、偽陽性が増えて陽性的中率が大きく低下することはない」と示されており、精度管理を徹底すれば、偽陽性の問題はほぼ存在しないのだ』、厚労省などの反対論にも見事に論駁しているのは、さすがだ。
・『唾液やのどの粘膜にウイルスがいるかどうかが重要  また、感度(陽性の人を陽性と判定できる確率)に関しても、臨床診断上は70%程度であり、残りの30%の間違って陰性と判定された感染者の方が動きまわってしまい、感染を広げるのではないかという懸念を持つ人が多い。 しかし、いま戦略的にPCR検査を拡大しようとするのは、感染者が他の人に感染させることができる「感染力」があるかどうかを確認し、感染者を隔離することが目的だ。しかも主な対象は無症状感染者であり、咳やくしゃみなどの症状がなくても、唾液やのどの粘膜にウイルスがいたら、会話をしたり歌ったりしたときに他の人に移してしまう。 感染防止を目的とした場合には、唾液やのどの粘膜にウイルスがいるかどうかが重要で、コロナに感染しているのにウイルスが見つからず、臨床診断的に「偽陰性」になったとしても、実は大きな問題ではない。PCR検査を行えば唾液やのどの粘液の「感染性」を直接みることができるので、感染制御を前提とした場合には「偽陰性」という概念は消え去る。 つまり、感染制御や社会経済活動の維持のためのPCR検査には、感度や特異度に基づく議論は基本的にはあてはまらないし、そもそも、PCR検査は他の多くの検査に比べても優れた検査であることを忘れて議論されてしまっている。 また検査精度については、外部制度管理の実施や検査機関の評価・認定基盤の充実とともに、検査を繰り返すことにより実質上の精度を大幅に引き上げることも可能であり、いかに多くの人が、簡単に検査を活用できるかどうかに、新型コロナの感染コントロールはかかっている。 最近では、非常に価格が安く、短時間で検査結果の出るPCR検査も開発されはじめている。いずれ、リトマス試験紙のような検査キットで、毎日検査をしてから出勤するようになるかもしれない。 検査数が相当な水準まで増加し、その時々の検査対象の絞り方等に影響を受けにくい「定点観測的データ」が検査を受けた方々の様々な属性情報とともに公表される枠組みができてくれば、どのようなエリアでどのような方々に感染が拡大しているのかを正確に把握することが可能となる。 こうした大規模な検査インフラができあがれば、国民が感染者数の動向をどう解釈するかに翻弄されることなく、また、万が一休業・自粛要請が必要な局面となっても、最低限のセクター、エリア、期間等に限定して、経済への打撃を最小化した「スマート」な自粛要請等も可能となる。 臨床診断目的の論理を感染制御や社会経済活動の維持という目的に当てはめて、検査を抑制する日本独自の考えはもう脱却し、検査と隔離を本格的に基本戦略に据えるべき時だ。そうでなければ、この秋以降の世界的第二波に対応できない』、「検査を抑制する日本独自の考えはもう脱却し、検査と隔離を本格的に基本戦略に据えるべき時だ。そうでなければ、この秋以降の世界的第二波に対応できない」、説得力溢れた主張で、大賛成である。
・『検査と隔離の拡大で、自粛を防ぎ経済を活性化できる  コロナ対策の基本戦略が確立していないことの影響が如実に現れたのが、「Go To トラベル」キャンペーンを巡る混乱ではないか。地方経済の再生のために、旅行の促進をする意図は理解できるが、当然のことながら感染予防の観点からはリスクが増加する。 多くの旅行者は感染者ではないが、感染状況が分からないために、行動を制限され、受け入れる旅行業者やホテルなどにも感染予防のために多くのコストがかかる。こうした不透明な状況では、やるべき、やめるべきとの二元論の議論に陥りやすい。 仮に、PCR検査の徹底的な拡大による検査インフラが整備されていれば状況はかなり違ったのではないか。例えば、旅行開始の一定期間前にPCR検査を受けて陰性が確認されていることをキャンペーン参加の要件とし、さらには検査費用も支援対象に含める方法も選択肢となったのではないか。 イベントに関しても同様のアプローチが可能だ。つまりPCR検査で陰性が確認された方に経済を動かしてもらうという発想だ。 こうしたアプローチは、PCR検査数のさらなる拡大を通じて、感染者の隔離をさらに進める効果をもたらす、というある種の好循環にもつながってくる。 当然のことながら、こうしたアプローチの大前提は、相当な数まで検査数を増加させることだ。他国の対応状況をみても、PCR検査体制を徹底的に拡大させたうえで、感染の状況に応じてその枠組みをスマートに活用することによって、感染制御と経済再生の両立に大きな効果があげられている。 市場でのクラスターが発生した北京市では、新規感染者が30人強の段階で、エリアを限定して封鎖し、最大1日100万件以上の検査を行い、再燃を封じ込めた。ベトナムの観光都市ダナンでは、数名の陽性者が見つかった段階で、観光客を待避させ、検査を拡大し、封じ込めを行なっている。 英国では、第一波での失敗の反省から、検査体制を12月までに1日50万件まで増やし、地域ごとにロックダウンができるような権限を与え、この秋からの本格的な第二波に備えている。 米国NIH(国立衛生研究所)は、検査拡大を出口戦略の柱にしており、秋までには週に100万件、12月までに1日600万件の検査を目指す計画を発表した』、「 米国NIH・・・は、検査拡大を出口戦略の柱にしており、秋までには週に100万件、12月までに1日600万件の検査を目指す計画を発表」、遅ればせながらも、極めて大規模な「検査」のようだ。
・『検査体制の確立には程遠い予算規模  日本では、感染状況を的確に把握するための検査体制の拡大が進んでいないこともあり、こうした機動的な対応が進められていない。 安倍総理自らPCR検査を増やすように言っているが、実際の政府予算を見れば、日本が検査への投資に極めて消極的であることが分かる。 例えば第一次補正予算では、検査体制の強化と感染の早期発見と言う名目で94億円だが、その約半分は行政検査の国負担分であり、純粋な検査法確立の予算はわずか4600万円である。アベノマスクは260億円だ。第二次補正でも検査のための予算は620億円程度である。これでは、検査体制の確立には程遠い。 仮に新宿エリアの感染が広まっていると的確に把握できれば、東京都全体での自粛というような経済的な打撃が大きく効率性も低い手法はとらずに、新宿エリアに限定して休業要請を行ったうえで、住民や従業員等に検査受診の費用補助や受診要請等を行うことにより、感染者の隔離を集中的に進めることも可能となる。 ジョンソン首相は、「自分たちの初期の対応について、学ばなくてはならないことがあると言っていいと思う。当時のことから教訓を学ぶ機会は今後、たくさんあるはずだ」と述べている。コロナに関する知見は日々変わっていく。それに合わせて戦略を変えていくことは全く誤りではなく、むしろそうすべきだ』、日本の官庁に根強い無謬性の神話にこだわって硬直的なやり方を続ければ、第二次大戦の失敗を繰り返す結果になりかねない。
・『今から実行すべき「6つの施策」  繰り返しになるが、今からでも遅くない。我が国も検査体制の徹底的拡大、検査と隔離の推進を基本戦略として明確に位置付け、感染制御と経済再生の両立に向けて、例えば以下のようなことを即座に実行すべきであろう。 1. 行政検査(保健所等の調査としての位置づけ)による調査の枠を外し、医師の判断のみで保険適用の検査(自己負担なし)を実施できるようにする。 2. 医療機関、介護施設等については、全てのスタッフが例えば2週間に1度PCR検査を受ける等の具体的なガイドラインを設け、費用負担等の点で支援をする。 3. 経団連等の経済団体に、感染状況の的確なモニタリングにも資することを踏まえ、企業の社員について定期的にPCR検査を実施することを要請する。 4. 医療機関がPCR検査機器などを購入する際には100%補助する。 5. 国産のPCRなどの検査試薬と自動機器の開発製造基盤構築に対して、国が積極的な投資を行う。 6. 検査データの品質評価機関の設立と早期稼働により、信頼出来る検査データを公表し、世界の専門家が分析や政策提言等をできる枠組みを整備する。 「日本は特別だから、大丈夫」という甘い幻想をウイルスは簡単に打ち破る。今の感染増加は「日本モデル」で抑え込んだはずで「自粛は不要だった」とさえ言われていた第一波の再燃である。検査と隔離の体制を拡充させることが、自粛を回避し経済と感染コントロールの両方を達成するために最も重要である。日本の技術でもNIHの目指す検査レベルは実現できるはずだ。今こそ検査イノベーションに投資して、自粛を回避し経済を回すべきだ』、「「日本は特別だから、大丈夫」という甘い幻想をウイルスは簡単に打ち破る」、「今こそ検査イノベーションに投資して、自粛を回避し経済を回すべきだ」、全く同感である。

第三に、9月16日付け東洋経済オンラインが掲載したジャーナリストの村上 和巳氏による「アビガンがコロナに劇的に効く薬ではない現実 あれだけ注目されたその後はどうなっているか」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/375562
・『新型コロナウイルス感染症(COVID-19、以下新型コロナ)患者は今も毎日報告され、収束の兆しは見えないが、これに関連して表舞台からこつぜんと消えてしまった話題がある。「新型コロナの治療薬になるかも?」と注目された新型インフルエンザ治療薬・アビガン(一般名:ファビピラビル)である。 いまからさかのぼること4カ月余り前の5月4日、新型インフルエンザ等特措法に基づく緊急事態宣言延長時の記者会見で、安倍晋三首相(当時)は「すでに3000例近い投与が行われ、臨床試験が着実に進んでいます。こうしたデータも踏まえながら、有効性が確認されれば、医師の処方の下、使えるよう薬事承認をしていきたい。今月(5月)中の承認を目指したいと考えています」と発言した。 首相自ら特定の薬剤名に言及したことで、一般人の間で「アビガンは新型コロナの『特効薬』」という無意識な刷り込みが広がった可能性は否定できない。 そしてそのアビガンを名指しした安倍首相は健康問題を理由に辞任を表明。その後のアビガンについてはほぼ音沙汰なしだ。今、アビガンはどうなっているのか?』、興味深そうだ。
・『アビガンとは何か?  そもそもアビガンは、富山大学医学部教授の白木公康氏と富山化学工業(現・富士フイルムホールディングス傘下の富士フイルム富山化学)が、季節性インフルエンザの治療薬を目指して開発した薬だ。 インフルエンザウイルスはヒトの体内に入ると、ヒトの細胞に潜り込んでウイルスの持つ遺伝情報(RNA)を放出(①)。放出されたウイルスの遺伝情報がヒトの細胞を乗っ取って新たなウイルスを作り出し(②)、この新たにできたウイルスはその細胞から飛び出して(③)、別の細胞に感染するという経過をヒトの免疫に制圧されるまで繰り返す。 現在、日本国内で厚生労働省の承認を受けたインフルエンザ治療薬はアビガンを含め7種類あるが、これらは①~③のいずれかの段階でウイルスの働きを阻止する。具体的には、①が1種類、②が2種類、③が4種類ある。アビガンは②に該当する。 ただ、2011年3月にアビガンが季節性インフルエンザ治療薬として厚生労働省に製造承認を申請した当時、インフルエンザ治療薬として認可されていたものは③のタイプのタミフル(一般名:オセルタミビル)、リレンザ(一般名:ザナミビル)、ラピアクタ(一般名:ペラミビル)の3種類のみ。タミフルが経口薬、リレンザが吸入薬、ラピアクタが点滴静注薬という点を除けば、いずれも効き方(作業機序)はまったく同じで、効き目もほぼ同じと言っていい。 一般的にウイルス感染症では、重症化した場合や遺伝子変異が起こりやすいウイルスに対処する場合には、効き方の違う薬を2種類以上併用する。いわば複数経路を封じて一気にたたきのめすという戦略である。その意味ではアビガンの製造承認申請が行われた当時、これが承認されれば、場合によって併用療法が可能になるというメリットが考えられた。 一方、インフルエンザの流行に関しては、アビガン申請前の2003~2011年にアジア、中東を中心に感染者578人、死者340人が発生した高病原性トリインフルエンザ(H5N1)、2009年4~11月までに全世界で62万人超の感染者と約8000人の死者を出したブタ由来新型インフルエンザのパンデミックが発生していた。 遺伝子変異が頻繁に起こりやすいインフルエンザウイルスでは、このような通常の季節性インフルエンザを超える病原性の高いものが出現する危険性はつねに存在する。こうした事態に備える意味でも新しいタイプのインフルエンザ治療薬の選択肢は必要だった。しかも、アビガンに関しては動物実験段階で高病原性トリインフルエンザへの効果があることが示されていた。 いずれにせよインフルエンザ治療薬としては当初かなり期待されたのがアビガンだった』、なるほど。
・『懸念された重大な副作用  しかし、審査の段階で「物言い」がついてしまう。問題となったのは承認申請時に提出された動物実験の結果だ。アビガンを投与されたラットでは初期の受精卵(初期胚)が死滅してしまうほか、サル、マウス、ラット、ウサギの4種類の動物すべてで、胎児の奇形が生じる「催奇形性」が認められていたからである。 動物実験と同じ結果がそのままヒトで起こるとは断言できないが、ヒトで奇形が発生するかどうかの実験は倫理的に実施不可能だ。ただ、霊長類も含む4種類もの動物で催奇形性が確認されている以上、ヒトでも起こりうると考えるのは常道である。 こうした催奇形性を有する薬については、すでに世界的に苦い歴史を経験している。1950年代後半に睡眠薬、胃腸薬として発売されたサリドマイドである。妊娠時のつわりの薬として使用されていたことなどもあり、胎児の耳や手足の奇形が起こり、日本での300人超を含め、全世界で約5000人の被害者を出した。 ちなみにこの件をきっかけに一度は市場から消えたサリドマイドは、後に治療薬が少ない血液がんの一種・多発性骨髄腫に有効なことがわかり、日本国内では2008年にその治療薬として再承認を受けた。ただ、使用に当たっては厳格な流通管理が行われ、妊婦や妊娠の可能性のある女性への投与の回避のほか、投与中および投与後7日間の避妊措置の徹底が求められている。 催奇形性問題で揺れたアビガンの承認可否を検討する厚生労働省薬事・食品衛生審議会医薬品第二部会での本格審議が始まったのは、富山化学工業の製造承認申請から2年10カ月も経た2014年1月末。 その結果、同部会での承認了承に際して適応は季節性インフルエンザではなく、「新型または再興型インフルエンザウイルス感染症(ただし、ほかの抗インフルエンザウイルス薬が無効または効果不十分なものに限る)」とされ、パンデミック発生時に国が出荷の可否を決め、承認条件としてさらなる追加臨床試験の実施を求められた。 しかも、追加試験のデータ承認までは試験用以外の製造は禁止。さらに流通に際してはサリドマイド同様の厳格管理を課されることになった。 実際、今回の新型コロナ対策として患者を受け入れた医療機関の一部にはアビガンが納入されたものの、それ以前は国の新型インフルエンザ対策での備蓄用以外では製造は行われておらず、どこの医療機関にも在庫すらなかったのが実際だ。 ある関係者は「国内患者数が1万4000人程度の多発性骨髄腫へのサリドマイド処方と違い、インフルエンザ治療薬はひとたびパンデミックが起これば、数百万人単位で処方される可能性がある。たとえ厳格な流通管理制度を設けたとしても、対象患者が多いほど制度を運悪くすり抜け、被害者が出る危険性も想定しなければならず、医療機関に常時在庫がある状態にはとてもできなかった」と当時の状況を振り返る』、「催奇形性」「副作用」とは深刻だ。「承認条件としてさらなる追加臨床試験の実施を求められた」のは当然だろう。
・『あえてアビガンを承認したワケ  もっとも「そこまでして承認する必要はなかったのでは?」という見方もあるだろう。実際、海外などでは承認申請後の審査でもめた際に製薬企業側が自主的に承認申請を取り下げることもある。 この背景には当時最も使われていたインフルエンザ治療薬のタミフルをめぐる事情も影響していた。まず、タミフルは頻用されている結果として、全体のおおよそ1~2%とはいえ薬剤耐性ウイルスが確認されていた。 これに加え、タミフルの製造原料は中国南部からベトナム北東部にかけた地域を原産とする植物トウシキミ。その実は中華料理などの香辛料で使われる八角として知られている。つまり原料調達時は香辛料需要と競合し、なおかつ自然物のため、パンデミック発生時に生産急増が必要になっても原料の大量調達が容易ではないという問題も抱えていた。 これに加え、前述した新型インフルエンザ対応を見越したアビガンの利点もあり、過去にない制限を付けても承認する必要があったとみなされたといわれている。 そんなインフルエンザの治療薬として開発されたアビガンが、なぜ新型コロナの治療薬として一躍注目を浴びるようになったのか? アビガンは、RNAウイルスであるインフルエンザウイルスのRNA複製を通じたウイルス増殖をブロックする。このため、同じRNAウイルスである新型コロナウイルスでも有効かもしれないという発想が根本にある。 現在、新型コロナに対して日本で承認された唯一の治療薬であるベクルリー(一般名:レムデシビル)も、もともとはアフリカで散発的に発生し、感染者の高い致死率で恐れられているRNAウイルスのエボラウイルスに対する治療薬として開発中だったものが転用されている』、「新型コロナに対して日本で承認された唯一の治療薬であるベクルリー(一般名:レムデシビル)」は、「新型コロナ」にどの程度有効なのだろう。
・『エボラに関しては“有望視”の範囲  ちなみにアビガンも西アフリカのシエラレオネを中心とする2014年のエボラ・パンデミックで臨床試験が行われている。その結果、エボラウイルス感染者の中でも血液中のウイルス量が少ない場合は死亡率の減少傾向が認められたが、一般的な新薬の臨床試験のような厳格な比較試験ではなかったため、このデータは治療薬の正式な承認申請には使えず、“有望視”との範囲にとどまっている。 このように既存薬を新型コロナの治療薬に転用しようとするのは、イチから新型コロナの治療薬を開発すると、膨大な時間がかかるからである。 一般論として新薬になりそうな化合物が、動物実験、ヒトでの臨床試験を経て市場に出るまでには約20年、総コストとして約200億円はかかる。しかも、新薬候補が有効性・安全性が確認されて、無事市販にこぎつけられる確率は実に1万2888分の1という超低確率(日本製薬工業協会のデータ)。現在進行形のパンデミック収束のため、イチから「博打」を打つ時間的余裕はないのである。 こうした中で、中国科学院武漢ウイルス研究所の研究グループが試験管内で新型コロナウイルスに対する7種類の薬剤の抗ウイルス効果を検討した研究が2月上旬に発表され、そこで有望とされたものの1つがアビガンだった。 この報告などを受けて、日本でも2月下旬くらいから新型コロナの患者を診療する医療機関の一部にアビガンが提供され、試験的に投与されていた。ただ、新薬の承認となると、臨床試験そのものが倫理的・科学的に妥当なデザインであることが求められる。 通常、日本国内の法規制上定められた新薬の承認申請のための臨床試験は、まず製薬企業が新薬候補を健康な成人に処方して安全性(副作用)を確認する試験(第Ⅰ相試験)を実施し、それで問題がなければ投与量を決めるために患者に投与する試験(第Ⅱ相試験)へと進む。 これで一定の有効性と安全性が担保されれば、最終段階として患者を2グループに分け、一方のグループには新薬候補、もう一方のグループにはプラセボ(偽薬)や従来の標準的な治療薬を投与し、有効性や安全性を統計学的な検討で厳格に比較評価する(第Ⅲ相試験)。 これらのデータを製薬企業が厚生労働省に提出すると、同省の薬事食品衛生審議会で審査が行われ、有効性・安全性が担保されていると認められれば製造販売の承認が下される。 そして、冒頭に紹介した安倍首相の発言を受けたのか、5月12日に厚生労働省医薬・生活衛生局が出した通知では、新型コロナに対する治療薬に関しては、製薬企業自身の管理による従来の厳格な臨床試験を行わなくとも、医師が主導する公的な研究事業などの成果で一定の有効性・安全性が確認されれば、そのデータを製薬企業が承認申請用に代用できる旨を明言した』、「安倍首相」の前のめりな姿勢には違和感を抱いた。
・『安倍前首相が「5月中の承認を目指したい」と語った背景  すでにこの通知時点では新型コロナに対するアビガンの効果を検討するため、愛知県の藤田医科大学で医師主導の臨床試験が実施中だった。当時の安倍首相が「今月(5月)中の承認を目指したい」とまで語った背景には、この試験が念頭にあったと思われる。 同試験は無症状・軽症の新型コロナ患者にアビガンを投与し、ウイルスが消失した人の割合を検討した研究で、すでに3月2日からスタートしていた。 具体的には患者を試験開始から10日間連続でアビガンを服用するグループと、試験開始から6~15日目までの10日間連続でアビガンを服用するグループに分け、それぞれの試験開始日から6日目のウイルス消失率を比較した。ちなみに最終的な解析に用いられたのは前者のグループが36人、後者のグループが33人である。 ややわかりにくい試験の方法だが、2つのグループを試験開始日から5日間だけで見ると、前者はアビガンを服用するグループ、後者はアビガンを服用しないグループとなり、両グループの6日目のウイルス消失率を測定すれば、アビガンを服用した場合としない場合の効果を比較できるという仕組みだ。 一部の患者で死の危険もある新型コロナの場合、一方のグループで完全なプラセボ服用、すなわちまったく治療しないという形だと、感染者から臨床試験参加に必要な文書同意を得ることが難しかったためだと思われる。 そして7月10日に藤田医科大学が発表した結果では、6日目のウイルス消失率は前者のグループは66.7%、後者のグループは56.1%となった。つまりアビガンを服用したグループのほうがウイルスの消失率は高いという結果だった。 この結果は、一見するとアビガンを服用したほうがいいと思えるが、通常、薬の効果判定では2つのグループの差がたまたま偶然で生じたのか、それとも偶然ではない、つまりこの場合で言えばアビガン服用の有無によって生じたのかを統計学による計算で判定する。ちなみに統計学を用いた計算で2つの群で生じた差が単なる偶然ではないと判定された場合は「統計学的に有意差が認められた」と表現される。 結論を言うと、この結果は統計学的な有意差は認められない、つまり偶然起きた可能性が十分ありうるもので、両グループのウイルス消失率に差はないというものだった。極端に言えば新型コロナにアビガンは「効かない」という結果になったのである』、「死の危険もある新型コロナの場合、一方のグループで完全なプラセボ服用、すなわちまったく治療しないという形だと、感染者から臨床試験参加に必要な文書同意を得ることが難しかった」ので、日にちをズラした試験という異例の形をとったようだが、「新型コロナにアビガンは「効かない」という結果になった」、気をもたせただけだったようだ。
・『効いたとしてもそれはほんのちょっとの効果?  もっとも「効かない」は、わかりやすくするためにあえて強い表現を選んだもので、さまざまな事情を考慮すれば、そう単純ではない。 というのも新型コロナでは、約8割といわれる無症候・軽症患者は特別な治療を行わなくても発症から7~10日目までくらいに回復することがわかっている。藤田医科大学の臨床試験は、まさにこうした患者が対象であるため、そもそもウイルス消失が自然経過なのか、アビガンの効果なのかをもともと判別しにくい点で、アビガンの評価には不利な条件である。 また、この統計学的な有意差は臨床試験の参加者が多いほど証明しやすいという傾向がある。実際、この試験を率いた藤田医科大学微生物学・感染症科の土井洋平教授は、結果を発表したオンライン会見で臨床試験参加者が200人規模だったならば、統計学的に有意な差が得られた、すなわちウイルス消失率から見てアビガンが効いたと言える水準になった可能性があると指摘している。 ただ、感染症はいつどこで患者が発生するかわからず、日本の場合はほかの先進国と比べて新型コロナの感染者も少ないこともあり、臨床試験の参加に同意する患者を数多く確保することは、ほかの病気に比べても難しかった現実もある。 しかし、前述のような臨床試験の参加患者数が多ければ多いほど、統計学的に有意な差が検出されやすい、つまり効いたと証明しやすいということは、裏を返せば参加患者が多ければ多いほど、ごく小さな差を統計学的に有意な差として検出してしまう可能性があることも示している。 このため藤田医科大学側が言う臨床試験の参加者数を多くして得られたかもしれない差(効果)は、患者も医師も実感が得られない程度の小さな差だった可能性も否定できないのである。 では、実際、現場で診療にあたっている医師の実感はどうなのだろうか?首都圏の病院に勤務する感染症専門医が次のように語る。 「アビガン服用後に症状が改善したように見える患者もいますが、ほとんどが自然経過で回復していたとしても不思議ではないケースで、個人的にはこの薬で劇的な効果を感じた患者はいないのが正直なところ。もう1つ感じているのは、重症の肺炎に至った患者に投与して効果があったとは思えないということ 一方で、従来から催奇形性の問題は指摘されていますし、多くの人で一時的に尿酸値が高くなる副作用があって、この場合もともと尿酸値が高めの高齢者ほど使いにくい。実際、現在ではほとんど使いません。強いて言うなら、メディアの影響で『アビガンを使ってください』とどうしても食い下がる患者さんに慎重に投与するという感じでしょうか」 藤田医科大学による臨床試験は好調な結果を収められなかったが、現時点で富士フイルムが主導する新型コロナに対するアビガンの臨床試験は継続中である。その点では今後治療薬として承認される可能性がないわけではない。 ちなみに富士フイルムが行う臨床試験は新型コロナに感染し、重症ではない肺炎に至った患者が対象。参加患者を2つのグループに分けて、両グループともに標準的な肺炎治療を行ったうえで、一方のグループにはアビガン、もう一方のグループにはプラセボをそれぞれ最長14日間上乗せ投与する。そのうえで、PCR検査で陰性になるまでの期間を両グループで比較する』、「富士フイルムが行う臨床試験」の結果はどうなるのだろう。
・『結局のところ特効薬ではない  3月から始まった臨床試験だが、一時期感染者が減少したことで進行が停滞。7月以降の感染者増加により参加患者数が増加し、最終的な参加患者は約100人で今月中旬には終了する予定だ。この結果が良好、すなわち統計学的に有意な差が認められれば、現下の新型コロナの治療薬がほとんどない状態では、厚生労働省が迅速承認に踏み切る可能性は高いだろう。 ただ、もし富士フイルムが主導する臨床試験で統計学的に有意な差が示されたとしても、この試験のデザインを考えれば「通常の肺炎治療に追加した場合、治るまでの期間が数日間は短くなる」という程度のもの。もっともこの点は医療機関にとっては、一部の重症でない新型コロナ肺炎患者の入院期間短縮につながり、ベッド不足による「医療崩壊」への歯止めにはなる。 これら今のところわかっている情報を総合すれば、アビガンは単独で死の危機に瀕するほど重症の新型コロナ患者を救い出すほどの「特効薬」ではないということであり、この薬が仮に今後承認されたとしても、多くの人にとって感染予防が何よりも重要であるという現実は何も変わらないということである』、「臨床試験」の結果はどう出るのだろう。ただ、いずれにしろ「特効薬ではない」のであれば、過度な期待は禁物なようだ。
タグ:パンデミック 検査と隔離の拡大で、自粛を防ぎ経済を活性化できる 「はびこる「PCR検査拡大は不合理」説を公衆衛生の第一人者が論破!【偽陽性の問題はほぼ100%ない】 PCR検査の徹底的拡大こそ「経済を回す」」 無症状感染者対策が感染コントロールの鍵 渋谷 健司 検査を抑制する日本独自の考えはもう脱却し、検査と隔離を本格的に基本戦略に据えるべき時だ。そうでなければ、この秋以降の世界的第二波に対応できない 検査陽性率はここ最近軒並み上昇 「検査数が増えたから感染者数が増えただけなので心配ない」は確かに間違いだ これは、感染者の増加に検査が追いついていないことを示している 「検査数が増えたから感染者数が増えた」は不正確 過度に悲観や楽観をせずに冷静に現状分析を進めることが重要だ 文春オンライン 紙データが氾濫した理由 日本医師会COVID-19有識者会議 唾液やのどの粘膜にウイルスがいるかどうかが重要 ファクスはミスの温床 オースティン 感度・特異度の議論はもうやめよう 必要な情報が出そろうまでに検査実施から平均して11日もかかっている 休業・自粛の繰り返しでは経済は落ち込むだけ 「コロナで露呈した米国「ファックス依存」の実態 実はデジタル後進国だった?」 郵便もいまだ現役 今こそ、PCR検査の徹底的な拡大が、感染予防と経済再生を両立させるための国の貴重な「社会インフラ」であることを認識すべき 州兵を25人投入し、検査結果の手入力に当たらせた 「中間報告書解説版」は、説得力がある 感染制御・社会経済活動を維持するための検査へ The New York Times 「ファクス」を使っていたのは日本だけでなく、IT先進国の「アメリカ」も似た状況 東洋経済オンライン (その16)(コロナで露呈した米国「ファックス依存」の実態 実はデジタル後進国だった?、はびこる「PCR検査拡大は不合理」説を公衆衛生の第一人者が論破!【偽陽性の問題はほぼ100%ない】 PCR検査の徹底的拡大こそ「経済を回す」、アビガンがコロナに劇的に効く薬ではない現実 あれだけ注目されたその後はどうなっているか) 承認条件としてさらなる追加臨床試験の実施を求められた アビガンとは何か? 検査体制の確立には程遠い予算規模 今回のパンデミックが発生するまで、公衆衛生当局が追跡する疾患の検査結果は90%近くがデジタルで送信されていた。 しかしウイルス検査を大規模に行う必要性が出てきたため、普段は経営者向けの検査のみを実施する業者や、インフルエンザやレンサ球菌咽頭炎といった病気の検査を行う小規模なクリニックなどが多数、コロナ検査に参入することになった。当局に従来とは違った形態で検査結果が報告される割合が高まったのは、このためだ 「日本は特別だから、大丈夫」という甘い幻想をウイルスは簡単に打ち破る 安倍前首相が「5月中の承認を目指したい」と語った背景 死の危険もある新型コロナの場合、一方のグループで完全なプラセボ服用、すなわちまったく治療しないという形だと、感染者から臨床試験参加に必要な文書同意を得ることが難しかった 結局のところ特効薬ではない 効いたとしてもそれはほんのちょっとの効果? 「臨床試験」の結果 「新型コロナにアビガンは「効かない」という結果になった 「安倍首相」の前のめりな姿勢には違和感を抱いた エボラに関しては“有望視”の範囲 新型コロナに対して日本で承認された唯一の治療薬であるベクルリー(一般名:レムデシビル) 「催奇形性」 「アビガンがコロナに劇的に効く薬ではない現実 あれだけ注目されたその後はどうなっているか」 あえてアビガンを承認したワケ 懸念された重大な副作用 村上 和巳 東洋経済オンラインが 今から実行すべき「6つの施策」 米国NIH(国立衛生研究所)は、検査拡大を出口戦略の柱にしており、秋までには週に100万件、12月までに1日600万件の検査を目指す計画を発表 今こそ検査イノベーションに投資して、自粛を回避し経済を回すべきだ (医学的視点)
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パンデミック(経済社会的視点)(その7)(新型コロナ感染への不安に負けない心のコツ 精神科・産業医が勧めるコロナとの付き合い方、鴻上尚史氏 自粛警察生んだ日本の同調圧力は戦時下と同じ、小田嶋氏:うっかりマスクを忘れた人は「加害者」か) [国内政治]

昨日に続いて、パンデミック(経済社会的視点)(その7)(新型コロナ感染への不安に負けない心のコツ 精神科・産業医が勧めるコロナとの付き合い方、鴻上尚史氏 自粛警察生んだ日本の同調圧力は戦時下と同じ、小田嶋氏:うっかりマスクを忘れた人は「加害者」か)を取上げよう。

先ずは、8月12日付け東洋経済オンラインが掲載した精神科医・産業医の奥田 弘美氏による「新型コロナ感染への不安に負けない心のコツ 精神科・産業医が勧めるコロナとの付き合い方」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/368335
・『6月末からPCR検査数の大幅な拡充(3月、4月の約10倍)に伴って東京を中心に、全国で新型コロナのPCR陽性者数増加が報告されています。PCR検査数の急増にはあまり触れずに、その陽性者数の増加を「新規感染者の増加」として強調する報道が多く、中には恐怖をあおることが目的のようなものも散見されます。日々不安に思っている人も多いと思います。 私は東京都の企業約20社で産業医としての業務を行っています。「コロナの感染がどんどん広がっていて大丈夫でしょうか?」と動揺した社員さんから質問されることがしばしばあります。 そのたびに、「東京では検査数が春の10倍以上に増えているのだから、今まで隠れていた感染者が見つかるのは当たり前。3月、4月にこれぐらいの数を検査していたら、もっとたくさんの陽性者数が見つかった可能性が高いですよ」「ほとんどは無症状者か軽症者です。3月、4月には検査が受けられず、風邪として治癒していたような軽症の感染者が、今は検査が受けられるようになったので次々と判明しているだけです」「死亡者は微増で、ウイルスが変異して強毒化したというわけではありません」と説明しています。そうすると、多くの人はほっとした顔で落ち着かれます』、テレビでは「コロナの感染」の深刻さを煽るような報道も目立つ。
・『すでに多くの人が感染、無症状・軽症で済んでいる  私がそのように説明するのには根拠があります。 例えばソフトバンクが6月9日に行った大規模な新型コロナウイルス抗体検査において、PCR陽性者の約14倍の人が、抗体を保持していたことがわかっています。新型コロナウィルスに対して抗体を持っているいうことは、当然ながら過去に感染したことを示す証拠です。この抗体検査では被験者4万4066人のうち陽性者数は191人、陽性率は平均0.43%(医療者のみでは1.79%、非医療者だけでは0.23%)でした(ソフトバンクグループ「抗体検査結果速報値等について」6月9日付)。 この陽性率を単純に日本の全人口1億2373万人に当てはめると、53万2000人(非医療者の陽性率だと28万4000人)がすでに新型コロナウイルスに感染していたという計算となります。一方、日本で今までPCR検査を経て感染が判明した人は、累計でもわずか4万7466人のみ(8月8日現在)です。すでに多数の隠れた感染者がいても不思議ではありません。 「地方と東京は人口密度も感染状況も違うからその抗体陽性率で単純に計算できないのでは」というご意見もあるかと思いますので、東京都のみに当てはめて計算しますと、人口1400万人で抗体陽性率0.43%とすると約6万人、非医療者の抗体陽性率0.23%を適用したとしても約3万人と推計できます。東京都の公表しているPCR検査の累計陽性者数1万5536人(8月8日現在)の約2倍から4倍です。多くの方が知らないうちにコロナに感染して治癒しているということが類推できます。 ちなみに最新のコロナ抗体調査では、ソフトバンク調査より高い数字が出ています。神奈川県・横須賀市が無作為に抽出した2000人の市民を対象として7月3日~15日に調査した結果、検査を受けた964人中10人に抗体があり、抗体保有率は1.04%でした。この抗体保有率を東京都の人口に当てはめると、約14万5000人がすでに感染していることになり、現在判明している陽性者数の約10倍ということになります。 こうした抗体検査の結果から類推される患者数から考えても、検査数が増えれば増えるほど、コロナ陽性者がどんどん掘り起こされていく可能性は非常に高いです。西村康稔経済再生担当大臣(兼新型コロナ対策担当大臣)は、東京都の検査数を1万件まで上げると明言されていますから。そんな中で、一部のマスコミの「感染者数だけ」で危機をあおる報道に踊らされていては、不安にさいなまれてメンタルがもたなくなってしまいます。しかし、ほとんどは無症状か軽症で終わってしまうのです。 そこで、心を安定させながら仕事に向かい、生活を送るための「心のコツ」を2つ提案したいと思います』、「ソフトバンク調査」を「東京都のみに当てはめて計算しますと」、「抗体陽性者」は「PCR検査の累計陽性者数1万5536人(8月8日現在)の約2倍から4倍」、「横須賀市」の「抗体保有率」を「東京都」に当てはめると、「現在判明している陽性者数の約10倍」、とすると、「検査数が増えれば増えるほど、コロナ陽性者がどんどん掘り起こされていく可能性は非常に高い」。「一部のマスコミの「感染者数だけ」で危機をあおる報道に踊らされていては、不安にさいなまれてメンタルがもたなくなってしまいます」、同感だ。
・『多角的な情報を集めて自分で判断する  その1は、「多角的な視点からコロナ情報を集めて、自分でしっかり考察する」ことです。テレビやネットでセンセーショナルに報道される「コロナ恐怖系情報」ばかりを見ずに、自分でさまざまなコロナ情報を集めて、しっかり考察することが大切です。 現在、新型コロナウイルスの正体については、多くの方がデータを多角的に解析して新たな知見を次々と発表しています。 例えば日本総合研究所からは枩村秀樹調査部長による「新型コロナ感染が再拡大、本当の脅威は何か?」と題した興味深いデータ解析レポートが出されています。その主な内容は東洋経済オンライン記事「政府は『新型コロナの恐怖』政策を見直すべきだ」で読むことができます。 一読をお勧めしますが、産業医の視点から特に次のポイントに注目してご紹介しておきましょう。それは「若年・壮年者にとって新型コロナは脅威でない」という冷静なデータ分析です。 「まず、新型コロナへの恐怖感を拭い取り、国民に安心感を与えることが必要である。死亡率データから言えるのは、日本では欧米諸国より死亡率が大幅に低いこと、なかでも若年・壮年の死亡率がゼロに近いことである。若年・壮年者にとっては、決して世間で喧伝されているような『恐怖のウイルス』ではない」という一文は力強く感じられるのではないでしょうか。 産業医として面談をしていると、ワイドショーなどでセンセーショナルに誇張して放映される画像を見て、「自分もコロナにかかったら死ぬのではないか?」と恐れおののいている若い社員さんに時々出会います。ですが、枩村氏の指摘のとおり、新型コロナウイルスは基礎疾患を持たない健康な若者・壮年者にとってはインフルエンザ以下の毒性であることが明らかになりつつあります。 また、高橋泰・国際医療福祉大学大学院教授(公衆衛生学)も東洋経済オンラインのインタビューにて「日本国民の少なくとも3割程度がすでに新型コロナの暴露を経験したとみられる」「新型コロナウイルスは、初期から中盤までは、暴露力(体内に入り込む力)は強いが、伝染力と毒性は弱く、かかっても多くの場合は無症状か風邪の症状程度で終わるおとなしいウイルスである」と解説されています(『新型コロナ・日本で重症化率・死亡率が低いワケ』7月17日公開)』、「新型コロナウイルスは基礎疾患を持たない健康な若者・壮年者にとってはインフルエンザ以下の毒性である」、のはその通りだが、それをいいことに「健康な若者」が夜の街で遊びまくり、発症しない感染者となって、高齢者に移しまくるというのも困ったものだ。
・『「第2類感染症の指定から外すべき」との提言も  また7月30日に首相官邸で開かれた未来投資会議では、大木隆生・東京慈恵会医科大学教授(外科統括責任者・対コロナ院長特別補佐)から、新型コロナウイルスと共生するという考え方で画期的な提言が出ています。 この提言では、「これまで実施された一般を対象とした抗体検査(0.1~8%)、PCR 検査(1~3%)から日本にはすでに数百万人単位の感染者がいたことになるが、それこそ多数の無症候性患者がいる事の証明である。したがって死亡率は季節性インフルエンザと同程度の 0.02~0.04%前後」「7 月に入って全国的に感染者数が増えたが、それは PCR 検査実施数が増えたので PCR 陽性者も増えた事が主因であり、死亡者増、医療崩壊など実害は出ていない」と明確に述べられています。 また今後の具体的対策案も多数提案されています。 「高齢者施設や病院での院内感染による死者数が全体の 20~40%を占めているのでこれら弱者を守ることで死亡率をさらに下げることができる。そこで公費負担で入院する患者と共に、施設・病院従事者に対して毎週1回程度の PCR を実施すべき」「新型コロナは第2類感染症に指定されているので PCR 陽性と判定されたら隔離等が必要となり、これが保健所も医療も無駄に圧迫している」「結論として、新コロナは日本人にとって怖くない。国民にそれを啓蒙し、実害のない『新規陽性者数』に一喜一憂せず、経済的に新コロナ対応病院を援助し、第2類感染症指定をはずすことで医療崩壊は防げる」 このような次々と発表される新たな知見に触れれば、「コロナ感染が拡大してきた、自分や家族が感染すれば死ぬかも!」と盲目的に恐怖に支配されることもなくなりますよね。 まずは陽性者数のみを強調して恐怖をあおるテレビ報道に踊らされずに、現在次々と解析され判明してきている新型コロナウイルスに関する正しいデータと知見、冷静な専門家の意見にも積極的に触れてみると、メンタルを平静に保ちながら日々を過ごすことができます』、「このような次々と発表される新たな知見に触れれば・・・」を素人に求めるのは酷だ。やはり「テレビ報道」の姿勢を正すことが先決なのではなかろうか。
・『コロナ感染を恐れず、ある程度許容する  2つめとして提案したい心のコツは、「コロナ感染を恐れず、ある程度許容する気持ちを持つ」ことです。 私たち現役世代は「自分も周りの同僚も、いつかコロナに感染する可能性がある」と考えたほうがいい。いくら職場で感染対策を万全にしていたとしても、インフルエンザより広がりやすいことがわかってきた新型コロナウイルスに、今後もずっと罹患しないでおくのは至難の業です。たとえワクチンができたとしても、インフルエンザワクチンがそうであるように、100%コロナ感染を予防することはできないのです。 過剰な報道を背景に、地方を中心として、「新型コロナウイルスに感染することは、悪である」「感染した人は責められるべき」といった理不尽な偏見や嫌悪が日本社会に蔓延しています。そのために新型コロナウイルスそのものへの恐怖よりも、近隣の他者の目や風評被害を恐れるあまりに、過剰なゼロリスク対策を自分自身や周りにも強要する風潮になっています。そしてお互いに監視し合うという戦時中の隣組のような息苦しい雰囲気に日本の社会全体が包まれています。 そんな中で、筆者は新潟県見附市役所のFacebook公式ページの素晴らしい投稿に出会いました。見附市公式レポーターである村上徹さんが、7月14日、フェイスブックに、数コマの漫画とともに次のような言葉をつづっていらっしゃいました。 【安心して感染したい】物騒なタイトルですが…。丁寧に補強説明すると《もし新型コロナウィルスに感染しても、安心して治療に専念できる見附であって欲しい》ということなんです。―(中略)―仮に見附市で最初の感染者になっても、市民が口を揃えて「一日でも早く完治するといいね!」と心強い励ましを送ってくれるんであれば、安心出来ますよね。―(中略)―無知から生じる誤解や、ねじ曲がった噂が広まり、自分の家族や友人までを傷つけるような事態だけは避けたいからです。明日、自分が感染していないと自信を持って言える人は一人もいないからこそ互いを想い合う空気をまずは自分から創って行きたいと思います。 さに私自身が書きたいと思っていた言葉で、思わず膝を打ち大きく何度も頷いてしまいました。地域社会でも会社でも、「絶対にコロナに感染してはいけない」とガチガチにゼロリスク対策を求めるのではなく、これからは「万が一コロナに感染しても、安心して治療に専念し復帰できる」という温かい雰囲気を皆が意識して作っていく必要があると思います。 もちろん新型コロナウイルスに感染すれば重症化しやすいリスクのある基礎疾患を持つ患者さんや高齢者に対しては、ワクチンができるまで、引き続き厳重な感染予防対策が継続できるように、社会的にサポートし、手厚い保護をしていく必要があります。 例えば家庭内や街中では、ハイリスクの人たちとは極力ソーシャルディスタンスがとれるように過ごす。ハイリスクの人たちが集団での食事や会合に参加しなくても済むように配慮する。職場ではハイリスクの人たちにはリモートワークを優先して適用する、どうしても出勤が必要な場合は十分に距離の取れる場所で就業してもらうなどの工夫を積極的に行いましょう。また、マスクや手洗いを励行しつつ、「発熱以外にも、咳や倦怠感など何らかの風邪症状を感じたら、早めに休む」ことも職場で徹底していきましょう。 こうした感染対策を行いながらも、低リスクで健康な壮年・青年・子どもたちについては、「自他ともにコロナ感染を許容しながら、お互いに支え合って、社会活動を積極的に継続していく」という寛容な意識改革が、必要だと考えています。 新型コロナの死者は流行から6カ月あまり経った8月8日現在で1042人です。ちょっと視野を広げてみると、私たちは新型コロナより死者数が多いインフルエンザ(2018年約3000人死亡)に対してもお互いに感染を許容し合ってきました。また新型コロナと同等の扱いをされている結核(毎年約2000人程度死亡)が職場で発生しても、保健所が消毒にきて濃厚接触者についてX線検査や血液検査を行いますが、差別や偏見を持たずに冷静に対応してきたではありませんか』、「新型コロナウイルスそのものへの恐怖よりも、近隣の他者の目や風評被害を恐れるあまりに、過剰なゼロリスク対策を自分自身や周りにも強要する風潮になっています。そしてお互いに監視し合うという戦時中の隣組のような息苦しい雰囲気に日本の社会全体が包まれています」、これは大いに問題だ。「インフルエンザ・・・に対してもお互いに感染を許容し合ってきました」、「結核」も「差別や偏見を持たずに冷静に対応してきた」、「コロナ感染を恐れず、ある程度許容する」、同感だ。
・季節性インフルエンザより死者数が少ない  新型コロナもインフルエンザや結核と同様に扱う寛容な心を持たなければ、このウイルスと人間社会の共存は永遠に成り立たないでしょう。 私がこれまで産業医・精神科医として接してきたさまざまな職種の人たちにおいても、今回ご紹介した2つのコツを心がけている方々は、過剰な不安にさいなまれることなく落ち着いて仕事に取り組み、日常生活でもコロナ前の穏やかさを次第に取り戻しています。 まず、経営陣がこうした広い視点と心を持つことが必要ですし、そうした人たちの下では社員たちも伸び伸びと元気に働いているように感じます。本コラムがわずかでも読者の皆さんの心の平和に役立てれば幸いです』、「まず、経営陣がこうした広い視点と心を持つことが必要ですし、そうした人たちの下では社員たちも伸び伸びと元気に働いているように感じます」、その通りなのだろう。

次に、9月14日付け日刊ゲンダイが掲載した劇作家・演出家の鴻上尚史氏による「鴻上尚史氏 自粛警察生んだ日本の同調圧力は戦時下と同じ」を紹介しよう。
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/life/278549
・『「空気を読め」「和を乱すな」――。日本社会で日常的に使われる言葉が、コロナ禍によって他人への「暴力」につながる。日本人の「同調圧力」を冷静に分析し、それに屈しない戦い方を提示し続けているのが、この人だ。コロナ禍であぶり出された日本人の「正体」とは何か。息苦しさとどう向き合うべきなのか。ざっくばらんに聞いた(Qは聞き手の質問、Aは鴻上氏の回答)。 Q:なぜこのタイミングで新著「同調圧力 日本社会はなぜ息苦しいのか」(講談社現代新書)を出したのでしょう。 A:新型コロナウイルスの登場によって人々は抑圧的な生活を余儀なくされ、それによって生じる不安や苛立ちは、この先の未来が見えないことによって倍化しています。日本独特の社会システムである「世間」が凶暴化し、“自粛警察”を筆頭とする同調圧力を増大させています。このような状況を目の当たりにし、「今、出版しないといけない」と思ったのです』、「日本独特の社会システムである「世間」が凶暴化し、“自粛警察”を筆頭とする同調圧力を増大させています」、極めて的確な捉え方だ。
・『日本独特の「世間」が息苦しさの要因  Q:「世間」とは一体、何でしょうか。 A:自分の知っている人たちによってつくられた集団と定義しています。その反対語は「社会」。自分の知らない人たちでつくられている世界です。同調圧力は、「世間」から生まれます。自分の世界、すなわち「世間」から異物を排除し、「世間」を乱そうとする「社会」の人を激しく攻撃するのです。 Q:「世間」はどのように形成されてきたのでしょう。 A:日本では、異なる言語を話す民族に一度も蹂躙されていない分、村という「世間」がずっと続いてきました。年貢は個人単位ではなくて、村単位だったので、村全体で何百俵単位の米を出すことが至上命令でした。村落共同体という「世間」が、日本人のDNAに残っているといえるでしょう。 Q:村の同調圧力といえば、村八分が象徴的です。 A:なぜ、村八分が起こるのか。村にとって、水が一番大事だからです。川から田んぼに水をどう引くかが、村にとって死活問題でした。もし誰かが、途中で自分の田んぼに水を多めに引いたら、日照りの夏は他の田んぼが干上がる可能性がある。だから、ルールに背いたものは、村八分にされる。葬式と消火の「二分」は村人が手伝いますが、これは決して優しさではありません。火事は急いで止めないと村全体が燃えてしまうし、葬式を挙げて遺体を埋めないと、腐敗してウジが湧き、疫病が広がってしまう。村を守るために、最低限のことは手伝うしかなかったのです』、「同調圧力は、「世間」から生まれます。自分の世界、すなわち「世間」から異物を排除し、「世間」を乱そうとする「社会」の人を激しく攻撃するのです」、「世間」と「社会」を分別しているようだ。「ルールに背いたものは、村八分にされる。葬式と消火の「二分」は村人が手伝いますが、これは決して優しさではありません。火事は急いで止めないと村全体が燃えてしまうし、葬式を挙げて遺体を埋めないと、腐敗してウジが湧き、疫病が広がってしまう。村を守るために、最低限のことは手伝うしかなかったのです」、「村八分」の意味が漸く深く理解できた。
・『二度と会わないかもしれない人との会話が大事  Q:村という「世間」を守るために、掟を破った「異物」を排除した。 A:異物を排除しようとする人は別に悪人でもなければ、冷たい人でもない。掟を破った人を無視することと、自分の「世間」を守ることはイコールだからです。例えば、隣の家からコロナ感染者が出たとする。その感染者との間に何も関係性がない場合、その感染者は「社会」の人です。守るべき「世間」の人ではないから、その感染者には「許しがたい」という感情しか湧かない。岩手県の感染者第1号は名前と顔と住所を特定され、勤務先には「おまえらの監督が不行き届きだからコロナになるんだ」などの抗議電話が殺到したといいます。これと一緒です。 Q:今の状況について「戦時下と同じ」という言葉を使っていますね。 A:異物に対する排除の強さが当時とすごく似ているような気がします。例えば、昭和15年の「七・七禁令」。何円以上のメロンやイチゴ、スーツや腕時計といった“高級品”を買ってはいけないという省令です。そのルールを破っていないかどうか、隣組や国防婦人会などが見て回った。今も行政の要請に応じて自粛しているか、東京から帰省した人がいるか、他県ナンバーの車が通るかなど、SNSの発達によって昔と同じ厳しさになったと思います。 Q:戦時下の日本人のマインドと変わっていない。 A:戦時下と今がソックリだということを知らせることで、愚かな過ちを繰り返すのはやめようと思う人を少しでも増やしたいと思います。国防婦人会は派手な服装やパーマを当てている人を捕まえ、隣組は「お宅からすき焼きのにおいが漂ってますけど、このご時世にすき焼きを食べるんですか」などと監視した。コロナ感染者の名前や顔、住所を特定し、勤務先に抗議電話をすることと一緒です。はっきりしているのは、みんなコロナそのものの怖さより、「あいつコロナになったぜ」と後ろ指をさされる方が怖いのだと思う。病気になった上に、何をウワサされるか分からなくて、引っ越しをせざるを得なくなるとか、どう考えてもおかしい。 Q:どうしたら、そんな息苦しさを和らげることができるのでしょう。 ひとつは、緩やかな「世間」をつくることです。会社という「世間」しか持っていない状況で、いつも上司から抑圧を受けたり、罵倒されたりしたら、どこかに文句の電話もしたくなるだろうし、ネットで誹謗中傷を書きたくなると思う。絵画教室に行って絵を描いて没頭する時間をつくるとか、とにかく緩やかな「世間」をいくつか持つことが肝心です。もうひとつは、「社会」の人たちとつながる言葉を見つけることです。 Q:具体的にはどんなことでしょう。 A:例えば、会社という「世間」で上司からボロクソに言われて、むしゃくしゃしている。誰にも相談できないと思った時、帰宅途中で普段は行かないレストランへ寄り道して、店員さんと「おいしかったです」と言葉を交わすとか。何でもいいんですけど、犬を連れている人と思わず犬の話で盛り上がるとか。二度と会わないかもしれない人と会話をすることで、自分の焦りや不安を少しは解消できるんじゃないかな』、現在の自粛警察は「隣組や国防婦人会」と確かに同じだ。「緩やかな「世間」をいくつか持つことが肝心です。もうひとつは、「社会」の人たちとつながる言葉を見つけることです」、確かに有効なのかも知れない。
・コロナ禍が突き付けた「お任せ」の限界  Q:コロナ禍の終息は見通せず、経済的にも精神的にも不安が募る一方です。 A:新型コロナは人類が初めて直面する、未曽有の事態です。だから、判断を間違うことはあります。間違っていたら、合理的に考えてやり直せばいい。太平洋戦争の日本人の死者といわれている310万人のうち9割が、昭和19年以降の死者です。昭和19年といえば、敗色濃厚の時期。その時にやめておけば、実は9割の人は死ぬことはなかったのです。軍も当時はどうやって講和するかしか考えていなかったけれど、結局、ズルズル引きずった。日本人はどこか、破滅するまで止まらないみたいな、「世間」に身を任せる特徴があります。変化を嫌うというか。 Q:まるで「一億玉砕」です。 料理の頼み方でも、日本人特有の「お任せ」というのがあるでしょう。海外の人からすると、お店で「お任せ」なんて言っても、余りものしか出てこないから、料理長の自慢の一品や高級な食材が出てくるなんて信じられない。日本人は料理も含め、あらゆることを「お任せ」してしまう。昭和19年以降、おかしいと思いつつも、「世間」に「お任せ」して玉砕しました。コロナ禍でも、「なんかおかしい」と思っている間に「お任せ」して破滅する可能性をはらんでいます。 Q:ひと昔前は、「親方日の丸」なんて言葉もありましたね。 A:コロナ禍は嫌なことしかないけど、ひとつ前向きなことを教えてくれたとすると、自分の頭で考えなければいけないということです。今までは日本政府という「親方」に「お任せ」していたけど、政治的な立場を超えて一人一人が自分の頭で考えざるを得なくなった。例えば、介護士や保育士など2万人にPCR検査を無料で行う「世田谷モデル」に賛成なのか反対なのか、Go Toキャンペーンに東京を含めるかどうかをどう考えるか、とか。 Q:「自己責任」が強まっている? A:責任というより、「決断」でしょう。自分がまずどう考えるかという段階にやっと来た。例えば、この状況で「よし沖縄へ行こう!」と決断したとする。で、感染してしまった場合に、「政府のGo Toに乗っかって行ったのにさぁ」と責任をなすり付けるか、「自分の決断で行ったんだから、この感染は自己責任」と考えるかは、決断を下した後の段階。たくさんの人に「世間」のルールやカラクリを知ってもらい、「世間」が生む同調圧力や息苦しさと戦ってもらえたらいいですね。(鴻上氏の略歴は省略)』、「日本人は料理も含め、あらゆることを「お任せ」してしまう。昭和19年以降、おかしいと思いつつも、「世間」に「お任せ」して玉砕しました。コロナ禍でも、「なんかおかしい」と思っている間に「お任せ」して破滅する可能性をはらんでいます」、「今までは日本政府という「親方」に「お任せ」していたけど、政治的な立場を超えて一人一人が自分の頭で考えざるを得なくなった」、「「世間」が生む同調圧力や息苦しさと戦ってもらえたらいいですね」、こうした前向きな動きが出てくることを期待したい。

第三に、9月11日付け日経ビジネスオンラインが掲載したコラムニストの小田嶋 隆氏による「うっかりマスクを忘れた人は「加害者」か」を紹介しよう。
https://business.nikkei.com/atcl/seminar/19/00116/00085/
・『先日、ある場所で開かれた会合で久しぶりにタバコの煙にさらされた。 タバコの煙を身に浴びた程度のことをいまだに覚えているのは、過剰反応であったと、わがことながら反省している。コロナ禍の影響は多方面に及んでいる。私たちが「他人」から受けるささいな「迷惑」を容認できなくなっていることもそのうちのひとつだと思う。じっさい、私はコロナ禍以来、タバコの煙に敏感になっている。 ソーシャルディスタンスに慣れたわれらコロナ下の日本人は、「他者」への違和感をエスカレートさせるステージに突入している。であるからして、おそらく、アンダー・コロナのゆとりある通勤電車に慣れたビジネスパースンの中には、仮に新型コロナウイルスが収束したのだとして、あの満員電車の距離感に戻れなくなる人々が一定数現れるはずだ。 私自身の話をすれば、私はすでに30年以上前から、朝夕のラッシュの時間帯の電車には乗れない。そういうカラダになってしまっている。 もっとも、自分が満員電車に乗れない体質である旨を明言する態度は、それはそれで高飛車な特権顕示(あるいは最近の言い方で言えば「マウンティング」)であるのかもしれない。 じっさい、親しい間柄の人間は、「おまえはナニサマなんだ?」という率直なリアクションを返してくる。 「忠告しとくけど、満員電車が苦手だとか、ふつうの勤め人の前では言わない方がいいぞ」「なんで?」「毎日満員電車に乗って出勤しているあなたがた庶民は奴隷か何かなんですか、と言ってるみたいに聞こえるからだよ」「奴隷じゃないのか?」「オレはいま面白い冗談として聞いてやってるけど、とにかく一般人の前ではそういうまぜっ返しは禁物だぞ」なるほど。 「満員電車に乗れないとか、このオッサンは何様のつもりなんだろうか」と思って私の話を聴いてくれていた若い人たちには、あらためてこの場を借りて謝罪しておく。私は「オレ様」だったのかもしれない。 ともあれ、このたびのコロナ生活を通じて、身近な他者と容易に打ち解けない「オレ様」の数は、確実に増加しつつある。それが良いことなのか悪いことなのかは、一概には言えない。ただ、一人ひとりの日本人が個人としての独立自尊の境地に到達するためには、他者をうとましく感じる段階が必要ではあるはずで、その意味からすると、満員電車に乗ることのできないオレ様な日本人が増えることは、わが国が国際社会のマトモなメンバーになるためには、通過せねばならない一過程なのではあるまいか。 タバコの話に戻る。 煙を浴びた当日、打ち合わせをしている室内にタバコの煙が漂っていることを、私がリアルタイムで不快に感じていたのかというと、それほどまでのことはなかった。 「この部屋にはタバコを吸う人が二人いるのだな」と、そう思っただけだ』、「このたびのコロナ生活を通じて、身近な他者と容易に打ち解けない「オレ様」の数は、確実に増加しつつある・・・一人ひとりの日本人が個人としての独立自尊の境地に到達するためには、他者をうとましく感じる段階が必要ではあるはずで、その意味からすると、満員電車に乗ることのできないオレ様な日本人が増えることは、わが国が国際社会のマトモなメンバーになるためには、通過せねばならない一過程なのではあるまいか」、やや強引過ぎる印象もあるが、面白い。
・『あらためてタバコの被害に思い至ったのは、帰宅して着替えながら、自分の着ているシャツにタバコの匂いが染み付いていることに気づいた時だ。 「ああ、このシャツは早速クリーニングに出さないとダメだな」 と思うと、腹が立った。というのも、そのシャツは、ちょっと前に倒産が伝えられたレナウンのブランドのもので、個人的なお気に入りのひとつだったからだ。で、自分が感情を害していることへの意外さとうしろめたさから、あれこれ考え始めたのが、今回の執筆のきっかけになったわけだ。 タバコの周辺にはいくつかの困った逆説がある。 そのうちのひとつは、喫煙の被害が減れば減るほど、その迷惑さが顕著になっていることだ。 私はいま、あえてわかりにくい書き方をしている。 というのも、これは、直感的に飲み込みにくい話で、喫煙者、非喫煙者双方にとって、理不尽な展開でもあるからだ。 街なかにタバコの煙が蔓延していた昭和の時代、喫煙は「嗜好」であって「迷惑」ではないと考えられていた。いや、非喫煙者の側は「迷惑」に感じていたかもしれないのだが、彼らとて「被害」とまでは断じていなかった。 喫煙者の側は、ほとんどまったく自分たちの喫煙が「加害」であることは自覚していなかった。「マナー違反」とすらほぼ考えなかった。 ところが、路上や駅頭から喫煙者の姿が消えて、喫煙できる公共スペースが限られるにつれて、タバコの煙は、悪目立ちするようになった。 そして、これもまた皮肉ななりゆきなのだが、タバコによる被害が減れば減るほど「加害者」はより特定されやすくなった。 不特定多数の喫煙者(つまり「加害者」ですね)が、あらゆる場所に遍在していた時代は、誰も自分のシャツをクサくした人間を特定することができなかった。それどころか、自分の立ち回り先のあまねく場所にタバコの煙が常にたちこめていたあの時代には、その匂いを「クサい」と感じる感覚自体が育っていなかった。というのも、世界はタバコの匂いで満たされているのがデフォルト設定で、それ以外の世界を思い浮かべることのできる人間は、まだ生まれていなかったからだ。 ところが、街路からタバコが追放されて、喫煙者が札付きの異端者と見なされる世界が到来してみると、タバコの匂いは、明らかな異臭として意識されるようになる。ついでのことに、自分のシャツにタバコの匂いをつけた「犯人」も容易に特定可能になった。 「この不快な匂いは、あの時のあの打ち合わせの席で、やおらタバコを取り出して火をつけていたあのおっさんが吐き出していたあの煙が原因だな」と、現実問題としてタバコの「被害」が、20世紀の喫煙最盛期に比べれば、十分の一以下に激減しているにもかかわらず、被害感情はむしろ増している。もちろん、特定の喫煙者への憎悪も同じように増量している。 これは、タバコに限った話ではない。 マナーにかかわる話はどれもプロットをたどることになっている。逸脱者が減少すればするだけ、彼らはより強く断罪されるようになるのである。 たとえば、教師による生徒への暴力は、私が子供だった昭和40年代にはさほど珍しいエピソードではなかった。 どの学校にも札付きの暴力教師が一人や二人はいて、その彼らは、日常的に生徒を叩くことを自らの信念において敢行していた。 私自身、中学校の3年間を通じて100を超える数の殴打を浴びている』、「タバコの「被害」が、20世紀の喫煙最盛期に比べれば、十分の一以下に激減しているにもかかわらず、被害感情はむしろ増している。もちろん、特定の喫煙者への憎悪も同じように増量している」、確かに逆説だ。私は節煙をして、現在は1日2本程度しか吸わないようにしているが、他人の煙が充満している喫煙室は嫌いで、庭で吸うようにしている。
・『教室内の暴力は、一部の暴力教師に限った話でもなかった。 ふだんは温厚な教師が、年に一度くらいのペースで生徒に手を上げることもよくある話だったし、生徒間の暴力も、私の知る限りでは、現在よりもずっと頻繁に勃発していた。 で、何が言いたいのかというと、学校に暴力が蔓延していた時代は、暴力そのものがさして意識されなかったということだ。暴力は、環境の一部だった。教室にある机や椅子と同じような背景のひとつとして受け止められていた。 ここにも喫煙とその被害の間にある逆説とよく似た逆説が介在している。 多くの教師が多くの生徒を殴っていた時代、殴られた側の生徒が被害を意識することは少なかったし、殴る側の教師が自分の加害を自覚する度合いもずっと低かった。 であるからして、殴られたことを問題視して教育委員会に訴える生徒もほとんど現れなかったし、生徒を殴った教師が職を失うようなこともなかった。 ところが、学校から暴力が追放されて、生徒を殴る教師がほぼ根絶されてみると、教師による暴力は、新聞記事として掲載されるレベルのスキャンダルと見なされるようになった。そして、殴られた生徒の側も、教師による殴打をきっかけに不登校に陥るほどのショックを受けるようになった。 もちろん、これは良い方向の変化の結果だ。 私は、喫煙だの暴力だのについて、昔の方が良かったと言うつもりはない。路上の立ち小便についても同様だ。ああいうことが当たり前だった時代に戻ったところで良い変化はひとつも起こらない。 では、どうして私が 「路上喫煙もカジュアルな暴力も立ち小便も、昔は、たいした問題じゃなかったのだよ」てなことをわざわざ文章として書き起こしているのかというと、年寄りの読者の共感を獲得しようとしているからではない。 私はむしろ、若い人たちに向けて、「君たちが当たり前だと思っている君たちの社会の前提は、ほんの数十年前まではわりと軽んじられていたのだよ」ということを知ってほしいと思って今回の原稿を書いている。 もうひとつ、「多様性」と「加害」と「差別」と「同調」の間に、必ずしも豁然とした線が引けるわけではないということを訴えたい気持ちもある。 ん? わからない? たしかに、これまでの話から、多様性と加害と差別と同調が互いに侵食し合っているという話を読み取るのは簡単ではない。 しかも、この先はさらにわかりにくい話になる。 でも、なんとか書き起こしてみることにする。 わかってくれる人が3割しかいなくても、書いておく価値はある。 というよりも、私のような先の長くない書き手は、3割の読者にしか届かない原稿をこそ、ぜひ書き残しておくべきなのである。 理由は述べない。自分で考えてくれ』、「「多様性」と「加害」と「差別」と「同調」の間に、必ずしも豁然とした線が引けるわけではないということを訴えたい」、全くわからないので、次の展開が楽しみだ。
・『まず、タバコの例から。 近年、明らかな「加害と被害」の文脈で語られるようになっているタバコの話題は、ほんの30年ほど前までは、「嗜好」の問題として片付けられていた。 それどころかタバコのような嗜好品に関して「加害」であるとか「被害」であるといった言葉を使うことは「野暮」な態度として一蹴されていた。 「人間には固有の声や風貌や匂いがある。そして、それらの個性に対しては別の人間がそれぞれの好悪の感情を抱くことになっている。タバコを吸うか吸わないかということも、髪が長いか長くないかと同じく、個人の個性に属する話であることは論をまたない。で、別の個人が、その他人の個性を不快と感じるか好ましく感じるかの感情を抱いたのだとして、それらの感情はそれを抱いている個々人が甘受すべき試練以上のものではない」 てな感じの理屈が主張されていた。 勘違いしてもらっては困るのだが、私はいまここで、喫煙派の昔の理屈を蒸し返して擁護しようとしているのではない。私は2002年に禁煙して以来、20年近くクリーンだし、他人の煙は迷惑だと思っている。 私は現時点での「常識」で、明らかな「加害/被害」と考えられている喫煙にも、「あまたある多様性のうちのひとつ」と考えられていた時代があったという事実をお知らせしているに過ぎない。 「同調」が進むと、「異端」の排除はより苛烈になる。 私が心配しているのはこのポイントだ。 喫煙や暴力や立ち小便について言うなら、その種の悪弊については寛容さよりも峻厳さで対処した方が良いのだろう。 ただ、モノによっては同調と秩序を求める態度が、社会の多様性を殺すケースもあることを自覚しておかなければならない。 たとえば、ゼノフォビア(外国人嫌悪)の問題は、それを声高に主張する側(外国人への嫌悪を喧伝する人々)のペースで進められてはならない。 面倒なようでも、嫌悪をあらわにする人々を説得する方向で話をせねばならない。で、嫌悪の元となっている外国人を排除するのではなくて、彼らが抱いている嫌悪感の方を絶滅させるべく対策を立てないといけない。 外国人との交流に慣れていなかったり、内心に差別感情をあたためたりしている人たちは、外国人の自然な振る舞いを、習慣や文化の違いとして当たり前に受け止めることができない。 だから、人によっては、外国人が外国語を使うことを 「加害」「迷惑」「日本文化への冒涜」として受け止める。 「店員同士がけたたましい韓国語でしゃべってやがってアタマに来た」「日本語がわからないの一点張りで、話にもなんにもなりゃしないから勘弁しておっぱなしてやった」という感じの武勇伝を開陳されて困惑したことが、私にも何度かある』、「「同調」が進むと、「異端」の排除はより苛烈になる」、「モノによっては同調と秩序を求める態度が、社会の多様性を殺すケースもあることを自覚しておかなければならない。 たとえば、ゼノフォビア(外国人嫌悪)の問題は・・・嫌悪の元となっている外国人を排除するのではなくて、彼らが抱いている嫌悪感の方を絶滅させるべく対策を立てないといけない」、なるほど。
・『彼らには、あるいは悪気はないのかもしれない。 外国人が、外国人として外国人らしく振る舞うことそれ自体を、「キモい」「異様だ」「クサい」「エレベーターが臭うのをなんとかしてほしい」「なんかジロジロこっち見やがった」「ニヤニヤしてやがる」「なに?あのデカい帽子みたいなマフラーみたいなの、なにあれ?」「なんであの人たちって異様に身振り手振りがデカいんだろうな。あと声も」「だよな。バスとかで会うとうるさくて死ぬ」てな調子で感じたままに話しているだけなのかもしれない。 しかし、あなたのその無邪気な雑談が高い確率で差別を含んでいることは、自覚しておいた方が良いと思う。 タバコの煙のようなあれほどはっきりした匂いですら、ほんの30年前までは「クサい」とは思われていなかった。あまたある「街の匂い」のひとつとして等閑視されていた。 それが、「クサ」くなったのは、タバコという商品の匂いそのものが激烈化したからではない。 街が相対的に無臭化したからでもあれば、人々の振る舞い方や体臭が平準化したからでもあり、社会全般が同調の度を高めたからでもある。 外国人への忌避感は、タバコへの嫌悪と同じく、「被害」として自覚されやすい。 じっさい、ゼノフォビアは、自分たちと同じようでない人間たちが、自分たちの社会の中で一定の地歩を占めていること自体を、自分たちの共同体への「攻撃」であると見なす人々によって正当化され、組織化される。 私は、コロナ禍をきっかけに、世界中で人種間の対立や民族間の緊張が高まっていることと、うちの国のような比較的均質性の高い社会で、外国人いびりが表面化しやすくなっていることを、無縁だとは思っていない。同じひとつの出来事の別の側面なのだと思って眺めている。誰によるどのセリフだというふうに特定することは避けるが、この半年ほどの間に、外国人へのいやがらせのコメントやツイートが目立つ傾向にあることはまぎれもない事実だ。 喫煙者への攻撃と直接に関係のある話ではないが、抑圧を感じている人々が不寛容の度を高める展開は、実にわが国らしい話だと思っている。 21世紀の社会は、多様化している一方で画一化している部分はおそろしく窮屈になっている。 私の抱いている感じでは、「多様化」が促進されているのは、商品として提供可能な属性に限られていて、人間の振る舞い方や性質についての決まりごとは誰もが同じように振る舞わないと異端者として排除されるタイプの同調が、どこまでも極端になってきている。 たとえば、うっかりマスクを忘れてエレベーターに乗り込んでしまった時の人々の視線の険しさを3月の段階と9月の時点で比べてみると、体感として3倍くらいにはなっている。われわれは非マスク者を「加害者」と見なして睨み殺す視線を獲得し終えている。 社会の要求水準がより上品になるということは、われわれがそれだけ神経質になるということでもある。 ささいな匂いや騒音や煙に敏感になることは、それだけ社会を清潔に保つために寄与する態度ではあるものの、その一方で、ある集団のメンバーが、ある臨界点を超えて高い同質性を求めると、そこには相互監視の地獄が現出することになるのもまた事実だ。 思うに、うちの国の新型コロナウイルス対策が現時点でなんとか持ちこたえているのは、政治主導の施策が功を奏しているからではない。最悪の感染爆発を回避し得ているのは、われら一般人にビルトインされている隣組マインドと相互監視根性とムラ社会メンタリティーが社会全体を、がんじがらめのスリーパーホールド(注)状態におさえこんでいるからではないか。 というわけで、新型コロナウイルスへの警戒感が、無闇矢鱈な異端者排除の発作に至らないように心がけたいものですね、というのが今回の結論です。 ええ、変な結論ですが。 めんどうくさいのは、反PC(ポリティカル・コレクトネス)の活動に血道を上げている人たちが、例によって寛容さという言葉の関節を逆に取るタイプの論陣を張ってくることだ。 「やれPCだの差別だのとわめきちらしては表現規制や行動制限を求めてやまないのはおまえたち人権屋の方じゃないか」というお決まりの例のアレだ。 議論に巻き込まれるのはごめんなので。ひとことだけ 「うるせえ」と言っておく』、「ある集団のメンバーが、ある臨界点を超えて高い同質性を求めると、そこには相互監視の地獄が現出することになるのもまた事実だ。 思うに、うちの国の新型コロナウイルス対策が現時点でなんとか持ちこたえているのは、政治主導の施策が功を奏しているからではない。最悪の感染爆発を回避し得ているのは、われら一般人にビルトインされている隣組マインドと相互監視根性とムラ社会メンタリティーが社会全体を、がんじがらめのスリーパーホールド状態におさえこんでいるからではないか」、その通りなのかも知れないが、ノーベル賞受賞者の山中教授が、探っている日本での死者数が少ない理由の1つに挙げるには、定性的すぎて無理だろう。
(注)スリーパーホールド:後ろから相手の首に腕をまわし、肘が喉の前に来る状態で首を左右から挟むようにして頸動脈を締め上げる技(ピクシブ百科事典)
タグ:新型コロナウイルスは基礎疾患を持たない健康な若者・壮年者にとってはインフルエンザ以下の毒性である (経済社会的視点) 奥田 弘美 すでに多くの人が感染、無症状・軽症で済んでいる 「新型コロナ感染への不安に負けない心のコツ 精神科・産業医が勧めるコロナとの付き合い方」 「第2類感染症の指定から外すべき」との提言も (その7)(新型コロナ感染への不安に負けない心のコツ 精神科・産業医が勧めるコロナとの付き合い方、鴻上尚史氏 自粛警察生んだ日本の同調圧力は戦時下と同じ、小田嶋氏:うっかりマスクを忘れた人は「加害者」か) 多角的な情報を集めて自分で判断する 一部のマスコミの「感染者数だけ」で危機をあおる報道に踊らされていては、不安にさいなまれてメンタルがもたなくなってしまいます 東洋経済オンライン パンデミック 検査数が増えれば増えるほど、コロナ陽性者がどんどん掘り起こされていく可能性は非常に高い ある集団のメンバーが、ある臨界点を超えて高い同質性を求めると、そこには相互監視の地獄が現出することになるのもまた事実だ。 思うに、うちの国の新型コロナウイルス対策が現時点でなんとか持ちこたえているのは、政治主導の施策が功を奏しているからではない。最悪の感染爆発を回避し得ているのは、われら一般人にビルトインされている隣組マインドと相互監視根性とムラ社会メンタリティーが社会全体を、がんじがらめのスリーパーホールド状態におさえこんでいるからではないか 嫌悪の元となっている外国人を排除するのではなくて、彼らが抱いている嫌悪感の方を絶滅させるべく対策を立てないといけない モノによっては同調と秩序を求める態度が、社会の多様性を殺すケースもあることを自覚しておかなければならない。 たとえば、ゼノフォビア(外国人嫌悪)の問題は 「同調」が進むと、「異端」の排除はより苛烈になる タバコの「被害」が、20世紀の喫煙最盛期に比べれば、十分の一以下に激減しているにもかかわらず、被害感情はむしろ増している。もちろん、特定の喫煙者への憎悪も同じように増量している 一人ひとりの日本人が個人としての独立自尊の境地に到達するためには、他者をうとましく感じる段階が必要ではあるはずで、その意味からすると、満員電車に乗ることのできないオレ様な日本人が増えることは、わが国が国際社会のマトモなメンバーになるためには、通過せねばならない一過程なのではあるまいか このたびのコロナ生活を通じて、身近な他者と容易に打ち解けない「オレ様」の数は、確実に増加しつつある 「うっかりマスクを忘れた人は「加害者」か」 小田嶋 隆 日経ビジネスオンライン 「世間」が生む同調圧力や息苦しさと戦ってもらえたらいいですね 今までは日本政府という「親方」に「お任せ」していたけど、政治的な立場を超えて一人一人が自分の頭で考えざるを得なくなった 日本人は料理も含め、あらゆることを「お任せ」してしまう。昭和19年以降、おかしいと思いつつも、「世間」に「お任せ」して玉砕しました。コロナ禍でも、「なんかおかしい」と思っている間に「お任せ」して破滅する可能性をはらんでいます コロナ禍が突き付けた「お任せ」の限界 緩やかな「世間」をいくつか持つことが肝心です。もうひとつは、「社会」の人たちとつながる言葉を見つけることです 現在の自粛警察は「隣組や国防婦人会」と確かに同じだ 二度と会わないかもしれない人との会話が大事 ルールに背いたものは、村八分にされる。葬式と消火の「二分」は村人が手伝いますが、これは決して優しさではありません。火事は急いで止めないと村全体が燃えてしまうし、葬式を挙げて遺体を埋めないと、腐敗してウジが湧き、疫病が広がってしまう。村を守るために、最低限のことは手伝うしかなかったのです 同調圧力は、「世間」から生まれます。自分の世界、すなわち「世間」から異物を排除し、「世間」を乱そうとする「社会」の人を激しく攻撃するのです 日本独特の「世間」が息苦しさの要因 日本独特の社会システムである「世間」が凶暴化し、“自粛警察”を筆頭とする同調圧力を増大させています 「同調圧力 日本社会はなぜ息苦しいのか」(講談社現代新書) 「鴻上尚史氏 自粛警察生んだ日本の同調圧力は戦時下と同じ」 日刊ゲンダイ まず、経営陣がこうした広い視点と心を持つことが必要ですし、そうした人たちの下では社員たちも伸び伸びと元気に働いているように感じます 季節性インフルエンザより死者数が少ない 「結核」も「差別や偏見を持たずに冷静に対応してきた」 に対してもお互いに感染を許容し合ってきました インフルエンザ 新型コロナウイルスそのものへの恐怖よりも、近隣の他者の目や風評被害を恐れるあまりに、過剰なゼロリスク対策を自分自身や周りにも強要する風潮になっています。そしてお互いに監視し合うという戦時中の隣組のような息苦しい雰囲気に日本の社会全体が包まれています コロナ感染を恐れず、ある程度許容する 「テレビ報道」の姿勢を正すことが先決 このような次々と発表される新たな知見に触れれば
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パンデミック(経済社会的視点)(その6)(アフターコロナはバブルになる可能性が大きい 適応的市場仮説でコロナ後の市場を考えてみた、安倍首相のコロナ対応、日米欧6カ国で「最低」 国際世論調査、経済支援策に不満大きく、科学的根拠が明示されない日本の感染症対策の咎 【対談】西浦博・京都大学大学院教授×森田朗・NFI代表理事(前編)) [国内政治]

パンデミック(経済社会的視点)については、8月11日に取上げた。今日は、(その6)(アフターコロナはバブルになる可能性が大きい 適応的市場仮説でコロナ後の市場を考えてみた、安倍首相のコロナ対応、日米欧6カ国で「最低」 国際世論調査、経済支援策に不満大きく、科学的根拠が明示されない日本の感染症対策の咎 【対談】西浦博・京都大学大学院教授×森田朗・NFI代表理事(前編))である。

先ずは、8月8日付け東洋経済オンラインが掲載した経済評論家の山崎 元氏による「アフターコロナはバブルになる可能性が大きい 適応的市場仮説でコロナ後の市場を考えてみた」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/368090
・『今回は「コロナ後のマーケット」を考えるうえで、ある興味深い仮説を紹介することから始めよう。 それは「適応的市場仮説」である。経済学者のアンドリュー・W・ローが提唱している理論的枠組みで、市場の振る舞いや人間の行動を、環境への適応の観点から説明しようとするものだ』、「適応的市場仮説」とは興味深そうだ。
・『「適応的市場仮説」では人間をどう考える?  ローが最初に論文を発表したのは2004年だが、筆者は割合早い時点からこの理論に注目していた。 個人的な話で恐縮だが、2007年に出版した一般向けの株式投資の解説本(『新しい株式投資論』、PHP新書)では、この説を好意的に紹介している。 筆者の不勉強もあって、その後の研究の進展に気づかなかったが、このほど「Adaptive Markets 適応的市場仮説」(望月衛訳、東洋経済新報社)というタイトルで、この理論と周辺の研究を包括的に紹介した一般向けの書籍の翻訳が出版された。 本文が600ページ以上に及ぶ大著だが、投資理論に興味のある方にとっては、注釈、引用文献まで含めて、舐めるように精読しても損のない本だ。筆者は、7月下旬の4連休に、どこにも「Go To」せずに読みふけった。過去15年分くらいのこの分野の読書で得た諸々の知識が整理された気分になった。 適応的市場仮説は、人間を合理的な計算装置ではなく「生物学的存在」として理解する。人間は、進化の結果としてゆっくり変化してきた生物的特徴(例えば、急に恐怖を感じた時に冷静な計算や論理的思考が止まる)の影響と、環境からのフィードバックを受けて思考を変化させる「思考のスピード」で変化する行動パターンの影響と、二つの影響を受けながら、意思決定と行動を変化させる。後者は、過去にどのような経験があったか、直近の経験がどのようなものであったか、といった事実が辿った時間的な経路に大きく依存する。 「コロナ」が大きな影響を与えている今日のマーケットと、その先行きを考える上で「適応的市場仮説」が幾つかヒントを与えてくれそうだ。 今年の3月にかけて内外の株価が急落した「コロナショック」は、株価の下げの大きさと何よりもそのスピード、そして、株価の戻りのスピードが「意外」であった。 伝統的な金融論の意味で合理的に解釈しようとすると、例えば、コロナが経済に与えると予想されるマイナスのインパクトが当初非常に大きくて、その後に幾らか小さく修正された、というような市場参加者の「期待」(予想の平均)の変化が対応しなければならない。だが、この間、中国を除き先進国を中心として、経済成長率見通しはほとんどがマイナス幅拡大の方向に変化していた。 アメリカでいうと、2020年のGDP成長率が3、4月時点でマイナス3%くらいと予想されていたのに対して、今はマイナス5%台の数字を予想するエコノミストが多い。日本も欧州諸国も、この間の実体経済に対する見通しの変化は「悪化」だ』、こうした市場の一見すると不可解な動きをどう説明するのだろう。
・『「エルズバーグのパラドックス」とは?  しかし、株価は大きく戻った。これに対して「実体経済と株価の危険な乖離だ」と警戒する論調もある。株価が戻る理由には、FRB(米連邦準備制度理事会)をはじめとする先進国の中央銀行の金融緩和と財政政策の後押しも小さくないと思われるのだが、これに加えて、当初は「(経済にとって)どのくらい怖いか得体の知れないコロナ」から、現在では「厄介な感染症だが(相対的には)正体が見えてきたコロナ」に人々の認識が変化したことの影響があるだろう。 これは、どちらかというと人間の生物的な進化の過程で組み込まれたバイアスだと思われるが、人は同じオッズのはずの賭けでも中身の詳細が分からない賭けを嫌う傾向がある。 前掲書に「エルズバーグのパラドックス」(p75)と呼ばれる現象の説明がある。人間は「赤玉50個と白玉50個」の壺から取り出す玉の赤白に賭ける方が、「中身は赤玉か白玉のどちらかだ」と言われた壺から取り出す玉の赤白に賭けるよりも「リスク回避度が小さい」傾向があるのだ。どちらの賭けも赤白五分五分で、赤白どちらに賭けてもいいにもかかわらずだ。 仮に、コロナが主として「未知の病」であると思われている時と、「かなり分かった病」だと思われている時とで、他の条件を一定として、投資家のリスクプレミアムが前者で7%、後者で5%となるとすれば、リスクフリー金利をゼロとするなら、前者の株価は後者の株価よりも約28.6%安くなる計算だ。 やみくもに逆張りするのはお勧めできないが、「得体が知れない」ことの株価への影響は過大になりがちであることを知っておいて損はない』、「「得体が知れない」ことの株価への影響は過大になりがち」、素人の常識でも理解しやすい。
・『「密」と「非接触」を巡る進化論  人間は、「社会的動物」と呼ばれることがあるように、人同士が集まろうとする傾向がある。また、人同士の距離が近い状態、多くの人がいっしょに集まる状態などを好む人が多い。 「ウィズコロナ」の状況にある現在だと、「密です!」と叱られるような状況が多くの人に好まれてきたし、幾つかのビジネスにあっては、「密」を意図的に演出して効果を得ていた。実際、一部の精神科医や心理学者からは、コロナが去ったら、人々は「密」な関係を回復する必要があるとの指摘がある。 興味深いのは、この「密」愛好がどの程度普遍的であるかだ。今回のコロナで「3密回避」や「ソーシャルディスタンシング」の必要性が繰り返し強調され、テレワークが広まるような状況に対応するうちに、他人と「密」であるよりも、「非接触」的に距離を保つほうが快適であると感じるようになった人が徐々に増えている。 感じ方や性格が変化するほど時間が経っていないことを思うと、「非接触」愛好型が増えたというよりは、隠れた「非接触」愛好者が自らの真の好みを、コロナをきっかけに発見したと考えるのが実態に近いかも知れない。 満員電車の不快感はほぼ普遍的かも知れないが、大人数の社内会議が苦痛なサラリーマン、レストランや居酒屋で間隔をあけて座ると気が楽な客、プロ野球やサッカーの試合を応援なしで観る方が実は快適なスポーツファン、などが、コロナによってソーシャルディスタンシングが要求される期間が長引くほどに、徐々に増えてくるのではないだろうか。 これは、感染症への警戒心から来るだけの問題ではなさそうだ。進化論を素朴に考えると、「密」の愛好者の方が多く遺伝子を残して長期的に優勢になりそうにも思うが、「非接触」の愛好者の方が経済的に豊かだったり、社会に上手く適応できたりすると、こちらの方が増える可能性もある。 環境が人間に与える影響を考えると、特定の環境がどのくらいの期間続くかが重要に思えるが、社会生活やビジネスのあり方の無視できない大きさの部分がコロナによって変化するのではないだろうか。いさかか雑だが、金融商品の売れ方などの経験を当てはめると、株高(安)でも円安(高)でも、2年間同一の傾向が続くと投資家のセンチメントが相当に変化する。 「ウィズコロナ生活」の継続期間に注目したい。 いつの時点なのか筆者にはまだ分からないが、状況が「ウィズコロナ」から「アフターコロナ」に変化する時が来るはずだ。「ウィズコロナ」の経済とマーケットは、大まかには、コロナによる活動制約と需要縮小がもたらす実物経済の「不景気」と、これを金融システムに波及させないための金融・財政の緩和政策の引っ張り合いだと要約できる。政策論としては、後者は目標インフレ率に達するまで十分に強いものである必要があるし、いきなり中止したり、逆回転させたりするべきではない。 さて、こうした状況で、業種や会社、個人によって差を伴いながらも、コロナの影響が後退して、経済が「アフターコロナ」に移行すると何が起こるだろうか。 思うに、バブルが起こる可能性が相当に大きいのではないだろうか。政策面での「緩和」は急に止められないだろう。ただでさえ、金融政策では中央銀行に引き締めが遅れるバイアスがあると言われてきた(日本は極端な例外だが、今回、日銀は「そうはしない」と繰り返し言っている)。 付け加えると、サブプライム問題の際に「個人」に溜まった債務は、コロナ前には「企業」(特にアメリカ企業)で膨らみ、コロナを機に、債務を膨らませる主体が「政府」に移った。常識的に考えて、次に債務を肩代わりしてくれる移転先はないので、「アフターコロナ」では、いよいよ何十年かぶりにインフレが問題になるかも知れない』、「他人と「密」であるよりも、「非接触」的に距離を保つほうが快適であると感じるようになった人が徐々に増えている・・・隠れた「非接触」愛好者が自らの真の好みを、コロナをきっかけに発見したと考えるのが実態に近いかも知れない」、「コロナを機に、債務を膨らませる主体が「政府」に移った。常識的に考えて、次に債務を肩代わりしてくれる移転先はないので、「アフターコロナ」では、いよいよ何十年かぶりにインフレが問題になるかも知れない」、大胆で面白い見方だ。
・『リスクプレミアムの過剰な縮小が起こる可能性  インフレはさておき、「アフターコロナ」に移行する段階で、投資家の認識や行動はどう変化するだろうか。端的に言って、リスクプレミアムの過剰な縮小が起こるのではないか。アメリカでいうと、2000年代初頭のネットバブルの崩壊、2007年から2008年にかけてのサブプライム問題からリーマンショックに至ったプロセス、さらに今回のコロナショックとった「ショック」(≒株価の大幅下落)が、何れも主に中央銀行の政策によって救われた。こうした経験が続くと、投資家は、「株価は下がっても必ず戻る」という経験則に対する忠誠心と同時に依頼心を高め、「長期に投資していれば絶対に大丈夫だ」との思想を強化するのではないか。 この認識変化の帰結は、リスクプレミアムの縮小だ。例えば、先程のリスクプレミアムの拡大と同様の計算をすると、例えばリスクプレミアムが5%から3%に低下するなら、株価に対しては66.7%の上昇効果があっておかしくない。 仮にそうなると、長期投資の成功に「強い信念」を持って臨んだ投資家は、そのさらに将来、リスクプレミアムが平均回帰する際に、かなりの深傷を負うことになるかも知れない。念のために申し上げておくが、最後の状況を、今の時点では警戒する必要は「全く」ない。 なお、適応的市場仮説は人間を「生物」と見るのだが、人間は、立場により、個体差によって「一様に同じ存在」ではない。生活、ビジネス、金融市場など様々な場で、有利な集団と不利な集団、さらには食う側と食われる側に分かれるのが現実だ。 適応的市場仮説には、人間を集団に分けた適応・不適応などの分析が進むことを期待したい。念のために付け加えるが、経済的人間の適切な区分は、今や「資本家」と「労働者」ではない。資本家も時には搾取されるカモでありうることは、すでにリーマンショック時に、分かる人には分かっていたことだと思う。この続きは、また別の機会に(本編はここで終了です。次ページは競馬好きの筆者が週末のレースを予想するコーナーです。あらかじめご了承ください)』、「長期投資の成功に「強い信念」を持って臨んだ投資家は、そのさらに将来、リスクプレミアムが平均回帰する際に、かなりの深傷を負うことになるかも知れない」、その通りなのかも知れない。

次に、8月13日付け東京新聞「安倍首相のコロナ対応、日米欧6カ国で「最低」 国際世論調査、経済支援策に不満大きく」を紹介しよう。
https://www.tokyo-np.co.jp/article/48602
・『新型コロナウイルスに関する日米欧6カ国の国際世論調査で、自国のリーダーがコロナ危機へ適切に対応できているかを聞いたところ、日本は新型コロナ感染症の死者数が米欧に比べ少ないにもかかわらず、安倍晋三首相の国民からの評価が6カ国で最も低かった。一方で経済的な不安を感じている人の割合は、日本が最も高かった。 調査は、米独のPR戦略会社「ケクストCNC」が7月10~15日に、日本、米国、英国、ドイツ、スウェーデン、フランスで1000人ずつ、計6000人を対象に行った。 自国リーダーのコロナ危機対応の質問では、「うまく対応できている」と答えた人の割合から「対応できていない」と答えた人の割合を引いて数値化した。安倍首相はマイナス34ポイントだった。次に低かったのはトランプ米大統領でマイナス21ポイント。6カ国で唯一、肯定的な評価を受けたドイツのメルケル首相はプラス42ポイントだった。 政府の経済支援策への評価では「企業が必要とするビジネス支援を提供できている」と回答した人の割合が、日本の23%に対し、他の5カ国は38~57%。リーダーだけでなく政府全体に対しても、日本は評価が最も厳しかった。 日本は、経済的不安に関する質問で「失業するのではないかと懸念している」との回答が38%、「勤務している会社が倒産しないか心配」との回答が36%に上り、ともに6カ国の中で最も高かった。 日本の調査結果について、ケクストCNCのヨッヘン・レゲヴィー日本最高責任者は「政府のビジネス支援策に対する非常に強い不満が、安倍首相への否定的な評価につながった一因ではないか」と分析している』、「メルケル首相はプラス42ポイント」とはさすがだ。「安倍首相」は健康問題を名目に退陣、後継はさきほど菅官房長官に決まった。これほど、厳しい評価が出ていることを報じた「東京新聞」はさすがだ。他紙は忖度して握り潰したのだろうか。

第三に、8月19日付けJBPress「科学的根拠が明示されない日本の感染症対策の咎 【対談】西浦博・京都大学大学院教授×森田朗・NFI代表理事(前編)」を紹介しよう。
https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/61863
・『少子高齢化と人口減少が進むわが国の社会の質を維持し、さらに発展させるためには、データの活用による効率的な社会運営が不可欠だ。一方で、データ活用のリスクにも対応した制度基盤の構築も早急に求められている。新型コロナウイルスの世界的な感染拡大によって、これまでの経済、社会のあり方は大きく変わろうとしている。 その中で、日本が抱える課題をどのように解決していくべきか。データを活用した政策形成の手法を研究するNFI(Next Generation Fundamental Policy Research Institute、次世代基盤政策研究所)の専門家がこの国のあるべき未来図を論じる。 今回は、新型コロナウイルス感染症対策専門家会議のメンバーを務めた西浦博・京都大学大学院医学研究科教授とNFI代表理事の森田朗氏によるスペシャル対談の前編。専門家会議の反省点や新型コロナウイルスの感染拡大が全国的に進む現状、あるべき感染症対策の形について、率直に意見を交わした(過去11回分はこちら)』、面白い組合せの対談で、期待できそうだ。
・『「今の日本の状況をとても懸念している」  森田朗氏(以下、森田):はじめに、新型コロナウイルス感染の現状について、どのように見ておられるのかということから聞かせていただけますか。 西浦博氏(以下、西浦):ここ最近、感染者が全国的に増えているのは皆さんご存知の通りです。とくに都市部で顕著で、「実効再生産数」、つまり1人の患者が何人の二次感染者を発生させているかという数で言うと、全国は1.6から1.7ですが、愛知県で2を超えたり、沖縄県で3を超えている状態です(1を超えれば感染が拡大し、1を下回れば収束する)。今の状況をとても懸念しています。 第一波の時は、新型コロナウイルス感染症対策専門家会議が会見を通して、分析結果や必要となる行動変容などを直接国民に語りかけていました。こういった対策は国民生活や社会経済活動にも大きな影響が及びます。会見を通して直接語りかけるというスタイルは、専門家としての責任を果たそうと決めて始めたことです。 ただ、国民の目から見ると、専門家がすべての政策を決めていると感じられるようになってしまいました。実際のところ、そんなことはないんです。僕たちに政策決定権なんか何もないし、提言してもそうならなかったことなんてゴマンとあります。ただ、そう映ってしまったのは事実です。 西浦:本来、リスク評価とリスク管理は別のものですが、リスク評価者であるべき僕たちがリスク管理にある程度、立ち入ってしまった状態だったんですね。いったん専門家会議が終わるところで、専門家会議の座長、副座長であった脇田(隆字)先生と尾身(茂)先生が皆さんの前で、「前のめりになりました。ごめんなさい」というお話をしたのも、リスク管理に立ち入ったという反省があったからです。 そうした経緯があって、リスク評価や現状分析を専門家が直接皆さんに届ける機会はとても少なくなっています。現状、リスク評価自体は厚労省のアドバイザリーボードという専門家組織に残っていて、リスク管理は厚労省外の内閣官房の新型コロナウイルス感染症対策分科会(尾身茂分科会長)でやっています。第一波の教訓もあるので、リスク評価と管理の切り分けをしたいという強い意識が専門家の中にあります。 今後のことも考えると、リスク管理や政策の決断に関しては政治家の人にやっていただかないといけないということを、専門家は相当意識しています。結果的に、流行の現状について専門家組織が自由にしゃべらないという状況になっています』、9月12日現在の「実効再生産数」は、全国0.94、東京都1.38、大阪府1.28、沖縄県0.34とかなり低下している。「リスク管理や政策の決断に関しては政治家の人にやっていただかないといけない」、「専門家」が「政治家」の弾除けになっている感すらある。
・『実効再生産数はずっと1を超えていた  西浦:実際のところ、緊急事態宣言を解除してから実効再生産数はずっと1を超えていたんです。でも、日本はかなり速いペースで規制が緩和されました。それ自体はもちろん政策判断なので仕方ありませんが、海外では、実効再生産数がたとえば1を超えている時間が一定期間続くとそこでブレーキを踏んで逆戻りをするという対応をとっています。 それに対して、日本では実効再生産数を使った判断が採用されてきませんでした。実効再生産数を活用した指標については私もリスク評価の場でたびたび説明してきましたが、8割接触削減の考えのベースになったSIRモデル(感染症の数理モデル)や実効再生産数がさも悪かのように政治家に扱われた時期が宣言解除後にありました。残念ながら、実効再生産数が積極的に採用されずに規制緩和が進み、ここまで感染者が増えてきたのが実情です。 実効再生産数が、たとえば東京で1.4ですという時には、リスクの高い場所での全接触のうち30~40%の接触を減らすと、実効再生産数が1を割るということにつながります。でも、そうやって言及することは、対策、つまりリスク管理の方の話になってしまうので、専門家がどこまで入り込んでいいのかという葛藤をずっと抱えながらやってきました。 現状では、公には実行再生産数をリアルタイムで説明できていません。だから今、実効再生産数を計算できるダッシュボードの近日公開を目指しています。市町村等が自分のデータを使って最新の実効再生産数が分かるサイトです。 森田:リスク評価とリスク管理といった場合、たとえば、感染者が増えているから実効再生産数がこういう数字になるというのは、これは評価の話ですね。その次に、たとえば接触を30%減らすと実効再生産数が1以下になるという予測も評価から出てくる判断です。具体的にどうやって接触を30%減らすかというのはオペレーションだから、管理の話になるという理解でいいでしょうか。また、どこを抑えると30%減になるかということは、評価サイドの研究者が提供できるのでしょうか。 西浦:一部の地方自治体が持っているデータで、どのような属性の人の間で二次感染が起こっているかはある程度、分析ができています。たとえば、職業別で誰が誰に二次感染を起こすという相対的頻度を推定すると、どこを止めるとどれくらい効果があるというのが分かってきています。ただ、自治体の懸念もあって、その情報はなかなか公表することができていません。 また、俗に「夜の街」と呼ばれているところについても、自治体で思い切って検査をして、集団発生の時点で封じ込める試みをしたところがありました。それに対して、ホストクラブなどがとても協力的になるという1つの変化も起きました。協力してもらう代わりに、地下に潜らず、部分営業を安心して続けてもらうためということでやるわけです。 ただ、その後に休業要請をしてばっさりと閉めてしまうと、協力をしていた人の気持ちを反故にするような面もあります。夜間の接待飲食業での伝播を何十%減らせば伝播の多くが止まるって言ったとしても、それを実行するのはなかなか難しい状況にあります』、「緊急事態宣言を解除してから実効再生産数はずっと1を超えていたんです」、実際には8月11日以降、1を下回り、8月17日には0.81まで低下したが、その後上昇に転じ、前述のように9月12日には0.94になった。
・『公衆衛生より営業と行動の自由が重視される日本  森田:海外では、はっきりと禁止して十分な補償もなしというのが一般的だと思います。強制力をもって閉めていますね。行政学をやっていた立場から言うと、公衆衛生では、まだ感染していない人たちを守るために、強制隔離によって感染者との接触を断つというのが一番重要です。でも日本の対応はソフトというか、公衆衛生よりも営業、行動の自由が重視されているように思います。 西浦:おっしゃる通りです。感染症法の基本的な考え方はそこなんです。感染症の流行を制御することによって、感染していない人の感染や死亡を防ぎ、人口全体の利益を最大限にするために一定の行動制限というものを認めるということです。たとえば、感染症法の44条などを利用すれば、自宅待機や就業制限というところまで、ある程度行動を縛って二次感染を防げます。ただ、とくに要請ベースでこの流行に立ち向かっている日本では、それぞれの細部にほころびやずれが出てしまいます。それが、今の状況につながっているんだと思います。 森田:私が非常に危惧するのは、このままさらに感染が広がって、かなり強い手段を使わざるを得ない状況になる可能性です。その時には、戦略としては一番まずい「兵力の逐次投入」のようなことになり、国全体として疲弊してしまうのではないかと懸念しています。 しかしそれ以前に、強い手段に踏み切るためには法改正が必要で、その議論が進まないのを歯がゆく思っています。刀を用意をした上で伝家の宝刀にしておくのも1つの方法だと思うんですね。抜くか抜かないかは最後に決めればいい。抜かなきゃならなくなってから刀を作るのでは間に合いません』、「強い手段に踏み切るためには法改正が必要で、その議論が進まないのを歯がゆく思っています」、同感だ。
・『「三密」が最も有用なのは感染者が少ない時  西浦:これまでも何度も、政策決定者の立場から感染症対策と社会経済活動というのを両立するということが明確に説明されているんですけれど、一方でその根拠に明示的なものがないことに気付いておくことは極めて重要です。アカデミックに最適解を追求していない、いわば勘に頼っている状態に近いかもしれません。これは、次の波までに何らかの形で解決しておかないといけないことだと思います。 今の制御の考え方は、医療体制の逼迫を避けるという論理で進められていますが、実を言うと、感染を減らすために休業要請が必要なら、もっと小さい山の時点で接触を減らす方が休業期間も短くなるし、流行のピークも小さくなるんです。この点については、増える前の段階から厚生労働省が発表した病床の改善版シナリオで明示的に議論をしてきました。今はもう感染者が増えてしまっているので、病院も、それ以上に保健所も相当厳しい状態です。 本格的にクラスター対策をやっていた時には、数が少ないから感染伝播の連鎖が消えるという確率的な現象を、三密を防ぎながら狙っていました。「感染者数が少ない時に三密対策が特に有用」という考え方は、実は皆さんにあまり知られていませんが、背景の理論に確率的な絶滅というものがあるんです。 三密については、患者が少ない時も増えた時でも三密を避ける効果が同じだと思ってはいけないところに落とし穴があります。なのに、感染者が増えてもモノトーン調に三密の重要性が発表されています。他方、専門家メンバーは三密回避が依然として重要だけれども、話の内容が真新しくないために上手に伝達されないことに悩んでいる状態です。 いずれにしても、今の戦略自体が感染対策と経済を両立させる最適解かというと、少し怪しいです。仮に科学的に正しくないとするならば、なぜこういうやり方をとっているのかという点は、もうちょっと政策策定側が明確にしておかないといけないように思います』、「「三密」が最も有用なのは感染者が少ない時」であるにも拘らず、いまだに「三密」が切り札であるかのように強調するのは、おかしいようだ。
・『無傷では実現できない感染対策と経済の両立  森田:経済と感染症対策の「両立」という言い方がされますが、日本の場合にはゼロリスクというのがあるべき状態になっているように思います。経済もまったく傷がつかず、感染者も減ることを目指すのが両立というふうに言ってるように思えます。 しかし、実際にはそんなことは起こらない。実際に重要なことは、トータルなダメージを最小化することです。でも、ダメージの話はなかなか言えないので、感染が広がるから移動しないようにと言いながら、他方でGo Toトラベルというキャンペーンを同時にやるという、そういう形で出てくるのかなと。 西浦:観光に関しては、僕も北海道と京都府という観光業と深く関係している地域にお世話になっているのでとても強く感じます。両方とも大打撃を受けている場所ですから。だから「感染しないように行ってくれ」と言うしかないのもよく分かります。 でも、感染者が増えれば増えるほど、今は関係者の皆さんの良心で社会資本として成り立っている病院経営が、いつ終わりを迎えるのかなというあたりがとても不安に思います。 感染者が増えると病院の負荷は入院管理の面でも経営面でも大きくなっていきます。感染者を受け入れている公立病院だけじゃなくて、他のところも含めて受け入れざるを得なくなりますし、受け入れると決めてないところで感染者が増えるのも大変難しいところだと思っています。それを防ぐには本来的には感染者を減らすのが最良の策なのですが・・・。 第二波で国や地方公共団体の要請で受け入れたところも、これ以上、支援もなしに負担ばかり要求されると、そもそも収入が減っているわけですから、第三波以降で協力してもらえるのか、長期的な視点で考えないと現場の信頼は得にくいかもしれません。(後編に続く)』、「病院経営」へのテコ入れは確かに必要なようだ。「後編」の紹介は省略するが、興味ある方は下記リンクを参照されたい。
https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/61863
タグ:パンデミック (その6)(アフターコロナはバブルになる可能性が大きい 適応的市場仮説でコロナ後の市場を考えてみた、安倍首相のコロナ対応、日米欧6カ国で「最低」 国際世論調査、経済支援策に不満大きく、科学的根拠が明示されない日本の感染症対策の咎 【対談】西浦博・京都大学大学院教授×森田朗・NFI代表理事(前編)) 「病院経営」へのテコ入れは確かに必要なようだ 無傷では実現できない感染対策と経済の両立 「三密」が最も有用なのは感染者が少ない時 強い手段に踏み切るためには法改正が必要で、その議論が進まないのを歯がゆく思っています 公衆衛生より営業と行動の自由が重視される日本 実際には8月11日以降、1を下回り、8月17日には0.81まで低下したが、その後上昇に転じ、前述のように9月12日には0.94になった 実効再生産数はずっと1を超えていた 「リスク管理や政策の決断に関しては政治家の人にやっていただかないといけない」、「専門家」が「政治家」の弾除けになっている感すらある 「今の日本の状況をとても懸念している」 「科学的根拠が明示されない日本の感染症対策の咎 【対談】西浦博・京都大学大学院教授×森田朗・NFI代表理事(前編)」 JBPRESS 「うまく対応できている」と答えた人の割合から「対応できていない」と答えた人の割合を引いて数値化した。安倍首相はマイナス34ポイントだった。次に低かったのはトランプ米大統領でマイナス21ポイント。6カ国で唯一、肯定的な評価を受けたドイツのメルケル首相はプラス42ポイント 日本、米国、英国、ドイツ、スウェーデン、フランスで1000人ずつ、計6000人を対象に行った 米独のPR戦略会社「ケクストCNC」 「安倍首相のコロナ対応、日米欧6カ国で「最低」 国際世論調査、経済支援策に不満大きく」 東京新聞 長期投資の成功に「強い信念」を持って臨んだ投資家は、そのさらに将来、リスクプレミアムが平均回帰する際に、かなりの深傷を負うことになるかも知れない リスクプレミアムの過剰な縮小が起こる可能性 コロナを機に、債務を膨らませる主体が「政府」に移った。常識的に考えて、次に債務を肩代わりしてくれる移転先はないので、「アフターコロナ」では、いよいよ何十年かぶりにインフレが問題になるかも知れない 「非接触」愛好型が増えたというよりは、隠れた「非接触」愛好者が自らの真の好みを、コロナをきっかけに発見したと考えるのが実態に近いかも知れない 他人と「密」であるよりも、「非接触」的に距離を保つほうが快適であると感じるようになった人が徐々に増えている 「密」と「非接触」を巡る進化論 「得体が知れない」ことの株価への影響は過大になりがち 「エルズバーグのパラドックス」とは? 適応的市場仮説は、人間を合理的な計算装置ではなく「生物学的存在」として理解する。人間は、進化の結果としてゆっくり変化してきた生物的特徴(例えば、急に恐怖を感じた時に冷静な計算や論理的思考が止まる)の影響と、環境からのフィードバックを受けて思考を変化させる「思考のスピード」で変化する行動パターンの影響と、二つの影響を受けながら、意思決定と行動を変化させる 「適応的市場仮説」では人間をどう考える? 「適応的市場仮説」 「アフターコロナはバブルになる可能性が大きい 適応的市場仮説でコロナ後の市場を考えてみた」 山崎 元 (経済社会的視点) 東洋経済オンライン
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宗教(その4)(「仏教・儒教・旧約思想」が同時期に生まれた理由 「資源・環境の限界」で考える「地球倫理」思想、徳川家康「キリスト教を徹底弾圧した」深い事情 日本がスペイン植民地になった可能性もある、「キリスト教系は5万人増 仏教系は4000万人減」この30年間に起きた宗教離れの意味 日本は「宗教消滅」に向かっている) [社会]

宗教については、昨年12月9日に取上げた。今日は、(その4)(「仏教・儒教・旧約思想」が同時期に生まれた理由 「資源・環境の限界」で考える「地球倫理」思想、徳川家康「キリスト教を徹底弾圧した」深い事情 日本がスペイン植民地になった可能性もある、「キリスト教系は5万人増 仏教系は4000万人減」この30年間に起きた宗教離れの意味 日本は「宗教消滅」に向かっている)である。

先ずは、本年2月3日付け東洋経済オンラインが掲載した京都大学こころの未来研究センター教授の広井 良典氏による「「仏教・儒教・旧約思想」が同時期に生まれた理由 「資源・環境の限界」で考える「地球倫理」思想」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/325711
・『多くの企業や経済団体などが「SDGs(持続可能な開発目標)」について言及する機会が増えている。こうした流れの象徴的出来事として前回記事ではグレタ・トゥーンベリさんの発言を取り上げた。 このたび『人口減少社会のデザイン』を上梓した広井良典氏が、今回は、同じような資源・環境問題に直面していた紀元前5世紀頃の「枢軸時代/精神革命」を切り口に、人類史的な視点から「地球倫理」が企業行動や経営にもたらしている変化を論じる』、歴史的で巨視的視点から捉えるとは興味深そうだ。
・『「枢軸時代/精神革命」をめぐる構造  前回、スウェーデンのグレタさんをめぐる動きを手がかりに、現在という時代が人類史の中での3度目の「拡大・成長から成熟・定常化」への移行期にあたること、またそこでは「地球倫理」とも呼ぶべき新たな思想や価値が求められていることを述べた。 ここで「地球倫理」の内容を考えていくにあたり、1つの手がかりとなるのは、紀元前5世紀頃の「枢軸時代/精神革命」をめぐる動きである。 なぜなら、1万年前に始まった農耕文明が、その発展に伴って人口や経済の規模が大きくなる中で資源・環境制約にぶつかり、「物質的生産の量的拡大から文化的・精神的発展へ」という方向に移行する際に生じたと考えられるのが紀元前5世紀頃の「枢軸時代/精神革命」であり、それは工業文明が資源的・環境的制約にぶつかっている現在の状況とよく似ているからだ。 そこでは、前回も少し述べたように、地球上のいくつかの場所で“同時多発的”に、現在につながるような普遍的な思想(ないし普遍宗教)が生まれた。 具体的には、ほぼ同時期に、ギリシャではいわゆるギリシャ哲学、インドでは仏教、中国では儒教や老荘思想、中東ではキリスト教やイスラム教の源流となった旧約思想(ユダヤ思想)がこの時代に生成したのである。 そして、 ●ギリシャにおける(ソクラテスの言う)「徳」ないし「たましいの配慮(care of the soul)」 ●仏教における「慈悲」 ●儒教における(「礼」の根底にある内的倫理としての)「仁」 ●キリスト教における「愛」 のように、それらの諸思想は、内容や表現は異なるものの、それまで存在しなかった、人間にとっての何らかの精神的あるいは内面的な価値や倫理を新たに提起したのである。 この場合、こうした新たな思想は、それまでに何もなかった空白地帯に突然のように生まれたわけではない。 やや立ち入った内容になるのでごく簡潔な記述にとどめるが、私の視点から大きくまとめると、それ以前の農耕文明社会においては、まず「宇宙的神話」と呼べるような段階があり、それがより合理化・抽象化されて「哲学的宇宙論」と呼べるような段階へと進化し、そしてそれがさらに「個人の内面的倫理」へと展開したところに、上記のような枢軸時代/精神革命の諸思想が生まれたのである』、「紀元前5世紀頃の「枢軸時代」」、初めて聞いたが、「工業文明が資源的・環境的制約にぶつかっている現在の状況とよく似ている」、確かにその通りだ。「地球上のいくつかの場所で“同時多発的”に、現在につながるような普遍的な思想(ないし普遍宗教)が生まれた」、同時性には驚かされる。
・『インドにおける思想・倫理構造の進化  例えばインドの場合、紀元前1500年前後の時代に「リグ・ヴェーダ」と呼ばれる、多神教的な神々の讃歌としての叙事詩が書かれているが、その中の(おそらく最終的に到達した)部分に、「宇宙開闢(かいびゃく)の歌」と呼ばれる、世界の創造に関する文章がある。 そこでは宇宙の始まりにおいては「有」も「無」も存在せず、またこうした世界の創造がなぜ生まれたかは、(神々の創造はそれより後なので)誰にもわからないといった、現在においてもなお人類はこれ以上の認識に到達できていないと思えるような、根底的な思考が展開されている(『リグ・ヴェーダ讃歌』参照)。 そしてこうした宇宙的神話の先に、より抽象化された哲学的思考が生成し、いわゆる「ウパニシャッド」の書物群において「ブラーマン(宇宙の根源)とアートマン(自我の根源)の一致」や「輪廻の業からの解脱」といった思考が生まれる。 つまりここで(先の「リグ・ヴェーダ」のような)宇宙的なレベルの議論が個人のレベルにつながっていくことになり、そしてさらにその先に、ブッダの説くような、「慈悲」に収れんする個人の内的倫理(としての仏教)が生まれたのである。 以上はインドでの展開だが、これと同様の構造の進化が、中東(→キリスト教)、中国(→儒教)、ギリシャ(→ギリシャ哲学)においても共通して起こっているのではないかというのが私の見立てである。 (「宇宙的神話から精神革命(枢軸時代)へ」の図はリンク先参照) この場合、これらの進化は“真空”の中で生まれたのではなく、やはりその時代の経済社会の構造変化と深く関わっていたと私は考える。 すなわち、これらはいずれも(約1万年前に始まった)農耕をベースとする社会における展開であり、農耕社会においては、それまでの狩猟採集社会に比べて、農作業という集団的な共同作業が中心となり、また(自然のサイクルという)時間的な秩序の中で生活が営まれていった。 そこでは神話を含め、共同体の中で人々が共有するような世界観(コスモロジー)が作られていくと同時に、そこでの“倫理”は基本的に「共同体の倫理」であり、「個」はその中に埋め込まれているような存在だったと言える。 しかしそうした農耕社会ないし農耕文明が、先述のように人口増加や経済の拡大に伴って資源的・環境的制約にぶつかるようになったのがその後半期であり、そこにおいて、以上のような「共同体の倫理」を乗り越え、それまでに存在しなかった「個の内的倫理」をうたう形で生まれたのが、枢軸時代/精神革命における諸思想であったと考えられるのである。 以上に対し、私たちが生きている近代社会ないし産業化社会は、当初から「個人」とその自由ということが中心的な原理となり、それが経済規模の拡大と一体となって展開してきた社会だった。 だとすれば、私たちがいま迎えつつあるその後半期の思想は、何らかの意味で「個人を超える」ようなベクトルを含む内容のものであるはずであり、それが本稿のテーマである「地球倫理」とつながることになる』、「「共同体の倫理」を乗り越え、それまでに存在しなかった「個の内的倫理」をうたう形で生まれたのが、枢軸時代/精神革命における諸思想であった」、「私たちがいま迎えつつあるその後半期の思想は、何らかの意味で「個人を超える」ようなベクトルを含む内容のものであるはずであり、それが本稿のテーマである「地球倫理」とつながることになる」、なかなか興味深い歴史解釈だ。
・『地球倫理という思想  以上を踏まえたうえで、私たちが今迎えようとしている、ここ200~300年続いてきた産業文明が「拡大・成長」から「成熟・定常化」に移行する時代において、新たに生成してくると思われる「地球倫理」について、その要点をスケッチしておこう。 ここでまず、私たちが現在使っているような意味での「地球」という観念は、仏教や儒教、ギリシャ哲学や旧約思想が生まれた枢軸時代/精神革命においては存在しなかったということを確認していきたい。 そこで重要な意味をもったのは、先ほども宇宙的神話や哲学的宇宙論について言及したように、むしろ「宇宙」であり、ただしそれもまた、現在の私たちが念頭に置くような宇宙と言うよりは「“森羅万象”全体を含む世界」といった意味のものだった。 つまり、(アメリカの建築家・思想家バックミンスター・フラーが唱えた)“宇宙船地球号(spaceship earth)”といった発想や、“有限な資源と環境の惑星”としての「地球」という視点は、仏教や旧約思想などが生まれた枢軸時代にはなく、それは現代において固有の概念と言える。 したがって、人類史における「第3の定常化」の時代としての現在における、新たな思想や観念ということを考える場合、どうしても「地球」というコンセプトを避けることはできない。 そして、そこで浮かび上がってくる「地球倫理」ということを考えた場合、そのエッセンスをごく簡潔に記すならば、それは以下のような内容のものとなるだろう。 すなわち、地球倫理とは、 ①地球資源・環境の「有限性」を認識し、 ②地球上の各地域の風土的相違に由来する文化や宗教の「多様性」を理解しつつ、 ③それらの根底にある自然信仰を積極的にとらえていく ような思想のことをいう。 このうち①は基本的な出発点になるもので、私たちの経済活動が、“無限の空間”の中での「拡大・成長」を目指すという性格のものではなく、それは資源・環境の有限性の中においてなされる営みであることを認識するものだ。 これは「持続可能性(サステイナビリティー)」というコンセプトと不可分である。つまり資源や環境が無限に存在するのなら、わざわざ持続可能性ということを持ち出す必要はなく、ひたすら拡大・成長を追求すればよいのであって、資源・環境の有限性ということがあるからこそ、そうした制約と両立させながら経済活動をいかに持続させていくかという点がテーマとして浮上するわけである』、「産業文明が「拡大・成長」から「成熟・定常化」に移行する時代において・・・私たちが現在使っているような意味での「地球」という観念は、仏教や儒教、ギリシャ哲学や旧約思想が生まれた枢軸時代/精神革命においては存在しなかった」、それは確かだ。「資源・環境の有限性ということがあるからこそ、そうした制約と両立させながら経済活動をいかに持続させていくか」、つまり「地球倫理」、が「テーマとして浮上」、なるほど。
・『企業行動も「拡大・成長」から「持続可能性」へ  ところで、近年では多くの企業や経済団体等も「SDGs(持続可能な開発目標)」や環境や社会に配慮した「ESG投資」等々についてさまざまな形で言及するようになっており、そうした流れからすれば、ここで述べている「地球倫理」は、実はこれからの時代の企業行動や経営理念と密接に結び付く性格のものと言える。 こうした点を、「経済と倫理の分離と再融合」という観点から捉えてみよう。 思えば近年、企業の不祥事などで、記者会見場において3人くらいの幹部が並んで深々と頭を下げるという場面を見るのが半ば日常の出来事のようになった。個別の特殊事情もあろうが、そこには何か時代の構造的要因と呼ぶべきものが潜んでいるのではないか。 このことを「経済と倫理」という視点から考えてみたいのだが、「経済と倫理」というと、現在では対極にあるものを並置したような印象があるだろう。 しかし近代以前あるいは資本主義が勃興する以前の社会では、両者はかなり重なり合っていた。近江商人の“三方よし”の家訓がすぐ思い出されるし、現代風に言えば「地域再生コンサルタント」として江戸期に活躍した二宮尊徳は経済と道徳の一致を強調していた。 黒船ショックを経て日本が急速に近代化の坂道を登り始めて以降も、こうした世界観はなお一定に保たれていた。 新1万円札の肖像に選ばれ、「日本資本主義の父」とも称される渋沢栄一は『論語と算盤』を著し、経済と倫理が一致しなければ事業は永続しないと論じたし、この時代の事業家には、渋沢や倉敷紡績の大原孫三郎のようにさまざまな「社会事業」ないし福祉活動を行う者も相当数いたのである。 戦後の高度成長期になると、状況は微妙に変化していったように見える。“経営の神様”といわれた松下幸之助が、「根源社」という社を設けるなど宇宙的とも呼べるような独自の信仰をもっていたことは知られており、同様の例はこの時期の日本の経営者に多く見られる。 しかし一方、国民皆保険制度(1961年)などが整備され、福祉や社会保障は政府が行うという時代となり、経営者は社会事業などからは遠ざかっていった。 つまりよくも悪くも、「私(企業ないし市場)」と「公(政府)」の分離が進み、前者はひたすら利潤の拡大を目指せばよく、そこから生じる格差や環境破壊等の問題は政府が事後的に対応する、という二元論的な枠組みが浸透していったのである。 ただし当時はモノがなお不足していた時代であり、松下自身が考えていたように、企業がモノをつくり人々に行き渡らせることがそれ自体「福祉」でもあった。ある意味で、収益性と倫理性が半ば予定調和的に結び付く牧歌的な時代だったとも言える。 80年代前後からこうした状況は大きく変容し、一方でモノがあふれて消費が飽和していくと同時に、「経済と倫理」は完全に分離していった。他方では、日本がそうであるように経済格差を示すジニ係数は増加を続け、また本稿で論じてきたように資源や環境の有限性が顕在化するに至っている』、「モノがあふれて消費が飽和していくと同時に、「経済と倫理」は完全に分離」、「経済格差を示すジニ係数は増加を続け・・・資源や環境の有限性が顕在化」、確かに大きな構造変化だ。
・『「経済と倫理」の再融合  こうした中で近年、“「経済と倫理」の再融合”とも呼ぶべき動きが、萌芽的ではあるが現われ始めているように見える。例えば「ソーシャルビジネス」や“社会的起業”に取り組む若い世代の言明などを読むと、それは渋沢栄一や近江商人の家訓など、ひと時代前の経営者の理念と意外にも共鳴するのだ。 私の身近でも、ゼミの卒業生で、再生可能エネルギーや環境等に関してソーシャル・ベンチャー的な会社を立ち上げたりする者は、そうした社会貢献的な志向を持っていることが一般的である。 例えばある卒業生は、事業を立ち上げるにあたり、自分がやりたいのは「自己実現」ではなく「世界実現」だと言っていた。“自己を超えた価値”の追求ということであり、それは“個人を超えて、コミュニティーや自然とつながる”思想としての「地球倫理」と通じる面をもっている。 なぜそうなるのか。それはほかでもなく本稿で述べてきたように、モノや情報があふれて消費が飽和するとともに、地球資源や環境の有限性が顕在化し、経済や人口が「拡大・成長」を続ける時代から「成熟・定常化」する時代へと移行しつつあるという構造変化が背景にあるだろう。 その中で「拡大・成長」時代の行動パターンや発想を続けていれば、企業や個人は“首を絞め合う”結果になる。 それが先ほどもふれた近年における“不祥事の日常化”とも重なっている。限りない「拡大・成長」を前提とした“ノルマ思考”も同様であり、こうした高度成長期的な「量的拡大」志向に日本がなおとらわれていることが、皮肉にも“失われた〇〇年”の元凶なのではないか。 いま根本から「経済と倫理」の関係を考え直す時期に来ており、そして、「拡大・成長」よりも「持続可能性」に軸足を置いた経済・経営の可能性を探っていく時期に来ているのである。 これは観念的な“空論”のように響くかもしれないが、そうではない。上述のように、こうした「持続可能性」に軸足を置いた経営理念あるいは「経済と倫理の融合」という発想ないしDNAは、日本においてはむしろ脈々と存在してきた。 しかもこうした方向は必ずしも現実離れしたものではない。例えばわかりやすい話、“事業規模を拡大することと、事業が長く続くことのいずれかを選ばなければならないとしたら、どちらを選びますか?”と問われた場合、「長く続く」ことを選ぶという経営者は、日本において決して少なくないのではないか。 このように考えていくと、本稿で述べてきた「地球倫理」とは、実は日本における経済や経営の理念として伝統的に存在していたものを、グローバル時代における資源や環境の有限性の顕在化という現代の文脈において“再発見”ないし“再定義”したものとも言える。 この意味では、いわば“「懐かしい未来(ancient futures)」としての地球倫理”という把握が可能なのだ』、「“「経済と倫理」の再融合”とも呼ぶべき動きが、萌芽的ではあるが現われ始めている」、「根本から「経済と倫理」の関係を考え直す時期に来ており、そして、「拡大・成長」よりも「持続可能性」に軸足を置いた経済・経営の可能性を探っていく時期に来ている」、「「地球倫理」とは、実は日本における経済や経営の理念として伝統的に存在していたものを、グローバル時代における資源や環境の有限性の顕在化という現代の文脈において“再発見”ないし“再定義”したものとも言える」、大胆だが、曙光がさすようなスケッチだ。
・『風土・文化の多様性そして「鎮守の森」  以上、地球倫理の柱として示したうちの①について述べたが、残る2点についてはどうか。 ②として挙げた「地球上の各地域の風土的相違に由来する文化や宗教の「多様性」を理解」という点は、次のような趣旨である。 先ほど、紀元前5世紀頃の枢軸革命/精神革命の時代に生まれた(仏教や儒教、ギリシャ哲学や旧約思想といった)普遍思想ないし普遍宗教について述べたが、これらの諸思想は、その内容は互いに大きく異なるものでありつつ、自らの思想が“普遍的(ユニバーサル)”なものとして自認し、人類すべてにあてはまるものとして主張していった。 しかし実際には、そうした普遍思想のそれぞれがもつ世界観や自然観は、それが生まれた風土の影響を色濃く反映したものであった。 すなわち、キリスト教などの源流となった旧約(ユダヤ)思想が、人間と自然を対立的なものとして捉える“砂漠の宗教”という性格をもち、アーリア人がガンジス河流域に移動していく過程で生成した仏教が人間と自然・宇宙をより一体的に捉える“森の宗教”と呼びうる性格をもったように、その自然観や人間観はそれらが生まれた地域の風土に大きく規定されたものであり、こうした意味で、それらの“普遍性”は実は限定的なものだったのである。 地球上の地域間の交流や移動が現在と比べれば圧倒的に少なかった中世においては、それぞれの風土に根差して生まれた各々の普遍思想ないし普遍宗教は、いわばリージョナルな形で“住み分け”、互いに共存することができた。 しかしグローバル化が進んだ現在においては、(キリスト教文化圏とイスラム教文化圏の対立に象徴されるように)皮肉なことに、自らの“普遍性”や絶対性を信じてやまない普遍思想ないし普遍宗教同士が互いに衝突し、紛争の元凶の1つになっているのである。) 地球倫理の特質として挙げた②は、まさにこうした点に関わるものであり、地球上に存在するさまざまな宗教や文化の「多様性」に積極的に目を向けつつ、そうした多様性がそもそもなぜ生じるかを、その背景となっている風土ないし環境の多様性との関わりにおいて把握し、異なる文化間の相互理解の道を開こうとするものである。 それは宗教を含め、人間の思想や観念が「環境」に依存していることを認識するという点で、「エコロジカル」な人間理解と言えるものだ。 この点に関し、私は「ローカル・グローバル・ユニバーサル」という言い方をするのだが、ここで述べている「地球倫理」の「地球(グローバル)」とは、地球上のすべての地域を均質化していくような“マクドナルド化”という意味でのグローバルではない。 そうではなく、むしろ地球上のローカルな地域の個別性や多様性に積極的に目を向け、そうした多様性がなぜ生じるかの全体構造を理解するという点がポイントであり、つまり「ローカル(=個別的・地域的)」と「ユニバーサル(=普遍的・宇宙的)」の対立を乗り越え総合化するような意味の「グローバル」なのだ』、「「ローカル・・・」と「ユニバーサル・・・」の対立を乗り越え総合化するような意味の「グローバル」なのだ」、なるほど。
・『「自然信仰」を再発見していく  最後に、地球倫理の③は「根底にある自然信仰を積極的にとらえていく」という点である。ここでいう「自然信仰」とは、自然の中に単なる物質的なものを超えた何か、あるいは有と無を超えた何かを見出すような理解をいう。 こうした「自然信仰」は、さかのぼれば(前回述べた)狩猟採集社会の後半期に起こった「心のビッグバン」において生成したものであり、さまざまな宗教や信仰の最も根底にあるものと言えるのだが、先ほどから述べている枢軸時代/精神革命の時代に生まれた普遍宗教においては、こうした(アニミズム的な)自然観は“不合理”なものとして忌避された。 しかしこうした自然観を、上記のようにまさにさまざまな宗教の根源にあるものとして再発見していくというのが「地球倫理」の③であり、これは「“アース”(大地)としての地球」という点からも理解できるだろう。(「「地球倫理」をめぐる構造」の図はリンク先参照) このように記すと一見わかりづらく感じるかもしれないが、それは日本の文脈では“八百万の神様”とか「鎮守の森」といった表現、あるいは宮崎駿監督のジブリ映画などにも示される自然観であり、日本人にとっては日常的な感覚としても理解しやすいものだろう。 ちなみに、私はここ10年以上にわたり「鎮守の森・コミュニティプロジェクト」というプロジェクトをささやかながら進めており、御関心のある方は「鎮守の森コミュニティ研究所」のホームページを参照いただければ幸いである。 本稿では、前回も含め、スウェーデンの高校生グレタさんの話を導きの糸として、現在の私たちが人類の歴史のどのような場所に立っているかという視点を座標軸にしながら、「拡大・成長から持続可能性へ」という方向性の意味を、「地球倫理」という思想を軸に考えてきた。 それは一見迂遠であるように見えて、実は日本における伝統的な経営理念や企業行動の“DNA”と親和的な面を多くもち、また、その土台をなす「自然信仰」は、やはり日本において伝統的な「鎮守の森」的な自然観と共鳴するものだった』、「普遍宗教においては、こうした(アニミズム的な)自然観は“不合理”なものとして忌避された。 しかしこうした自然観を、上記のようにまさにさまざまな宗教の根源にあるものとして再発見していくというのが「地球倫理」の③」、日本の場合は(アニミズム的な)自然観は神道のなかに残されている。欧米のように徹底して「忌避された」地域でも「再発見」されるかどうかは説明不足のようだ。
・『現代の日本において求められているものとは  思えば日本は世界の中で“高齢化・人口減少のフロントランナー”でもあり、従来型の「拡大・成長」モデルとは異なる新たな社会像を率先して実現していくべきポジションにある。 SDGsやESG投資などの潮流も踏まえ、それをチャンスと捉え返しつつ、人類史における「第3の成熟・定常化」の時代における新たな思想や経済社会のありようを構想し、発信していくことこそが日本において求められているのである』、私は前述のように「「地球倫理」の③」にやや危うさを感じるが、全体としては大いに考えさせる好論文だ。

次に、9月6日付け東洋経済オンラインが掲載した元国税調査官で作家の大村 大次郎氏による「徳川家康「キリスト教を徹底弾圧した」深い事情 日本がスペイン植民地になった可能性もある」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/355272
・『江戸幕府260年の基礎を築き上げた初代将軍・徳川家康。彼はなぜキリスト教が日本に普及することを恐れたのか? 元国税調査官で、作家の大村大次郎氏による新刊『家康の経営戦略』より一部抜粋・再構成してお届けする。 豊臣秀吉の後を継いだ徳川家康は、当初キリスト教の布教に寛容だった。家康は、征夷大将軍になったとき、イエズス会やキリスト教勢力と和解している。「秀吉が壊した外交関係は一旦、修復させてみる」というのが家康の方針だったようだ。 が、あるときを境に、キリスト教を全面的に禁止することになる。しかも、それは秀吉のときの「バテレン追放令」のように「自発的にキリスト教を信仰する分には構わない」というような緩いものではなく、キリスト教を完全に禁教にしてしまうのだ』、「家康」の変心の理由は何だったのだろう。
・『家康がキリスト教を「禁教」にした理由  家康がキリスト教を禁止したのは、慶長14(1609)年に起きたポルトガルとのトラブルが契機になっていた。日本の朱印船が、マカオでポルトガル船のマードレ・デ・デウス号とトラブルになり乗組員60名が殺されてしまったのだ。 その報復として、日本側は長崎に入港していたデウス号を撃沈させた。この一連の出来事では、幕府の役人と肥前日野江藩(長崎県)主の有馬晴信とのあいだの贈収賄事件なども絡み、江戸幕府草創期の大不祥事となった。この事件により、慶長17(1612)年に、家康は幕府直轄領に対して、キリシタンの禁制を発令した。 しかし、この事件は、単なるきっかけに過ぎず、家康はキリスト教禁教の機会をうかがっていたのである。 戦国時代当時、キリスト教は、我々が思っている以上に普及していた。キリシタン大名の追放が始まった慶長19(1614)年の時点で、日本人の信徒の数は少なく見積もっても20万、多い場合は50万人ほどいたと見られている。 当時、日本の人口は1200万人程度だったとされているので、人口の2〜4%がキリスト教徒だったことになる。長崎を中心に、博多、豊後(大分)、京都などに布教の拠点があり、ポルトガル人やスペイン人の宣教師や教会関係者は、国内に100〜200人程度いて、教会は200か所あった。長崎などは、一時、イエズス会の領地のようになっていたこともあった。 このキリスト教の広がりは、じつは大きな利権が絡んでいた。天下人や戦国武将たちにとって、ポルトガルやスペインとの交易は、大きな旨みをもたらしていた。が、それには必ずキリスト教の布教が付随していたのである。 15世紀から16世紀にかけ、ポルトガルとスペインは、世界各地への航路を開拓し、手広く貿易をおこなったが、この貿易には、キリスト教の布教がセットになっていた』、「人口の2〜4%がキリスト教徒だった」、驚くほどの多さだ。「天下人や戦国武将たちにとって、ポルトガルやスペインとの交易は、大きな旨みをもたらしていた。が、それには必ずキリスト教の布教が付随していた」、危険性を見抜いた「家康」は大したものだ。
・『なぜキリスト教が世界を席巻したか?  ローマ教皇は、ポルトガルとスペインに対し、キリスト教を布教することと引き換えに、世界をポルトガルとスペインで二分する許可を与えた。この命により、両国は世界中に植民地を持つ代償として、各地に宣教師を派遣し、教会を建設する義務を負ったのである。 ポルトガルとスペインの交易船には、宣教師も乗っており、新しく交易を始める土地では、必ず布教の許可を求めた。布教を許可した土地のみと、交易を開始したのである。 彼らが日本に来たときも、取引をおこなう条件として、キリスト教の布教許可を求めた。諸大名たちは、南蛮船と交易をするために、キリスト教の布教を認めた。そのため、戦国時代にキリスト教が爆発的に広がるのである。 当時の南蛮貿易は、西洋の珍しい文物を運んでくるだけのものではなかった。というのも、日本に来る南蛮船のほとんどは、マカオや中国の港で積んだ物資を持ってきていたからだ。 すでに鉄砲の製造は日本でもおこなわれていたが、鉄砲の弾丸に使われる鉛や、弾薬の原料となる硝石などは、当時の日本では生産できず、海外からの輸入に頼るしかなかった。南蛮貿易を介さなければ、鉄砲の弾薬や火薬の原料などは手に入らなかったのだ。つまり、南蛮貿易の隆盛やキリスト教の普及というのは、諸大名の軍需物資輸入がいかに大きかったかを裏づけるものでもあったのだ。 家康は、天下人になって以降、諸大名の軍事力を削減させようとしてきた。築城や城の改築などは原則禁止で、特別な理由があるときだけ幕府が許可した。 また、慶長14(1609)年には、500石積以上の大船建造が禁止され、諸藩が所有している大船は没収された。このように、諸藩の軍事力を削減させようとしているなか、ポルトガルやスペインとの南蛮貿易は害が大きかった。 しかも、ポルトガルやスペインは、軍事的にも不穏な動きがあった。長崎はイエズス会の領地のようになってしまっていた。またキリスト教徒たちが、日本各地の寺社を破壊することもたびたび起こっていたのである。 スペインにいたっては、日本への武力侵攻を検討したこともあった。当時の日本は戦国時代で、大名たちの戦力が充実していたために、侵攻を断念しただけだったのだ。 もし、日本が戦国時代ではなかったら、ほかの東南アジア諸国のように、ポルトガルやスペインから侵攻されていた可能性もあるのだ。それらのことを総合的に判断し、キリスト教全面禁止に踏み切ったものと考えられる』、「ローマ教皇は、ポルトガルとスペインに対し、キリスト教を布教することと引き換えに、世界をポルトガルとスペインで二分する許可を与えた」、これが両国の熱心な布教活動に繋がっていたとは、初めて知った。「南蛮貿易の隆盛やキリスト教の普及というのは、諸大名の軍需物資輸入がいかに大きかったかを裏づけるものでもあった」、「スペインにいたっては、日本への武力侵攻を検討したこともあった」、とあっては、「キリスト教全面禁止に踏み切った」、のは賢明な措置だ。
・『家康はなぜ「オランダびいき」なのか?  家康が、キリスト教を完全に禁じたのは「キリスト教の危険性」のほかに、もう1つ大きな理由があった。幕府が独占的にオランダと交易するためである。 家康は、オランダと奇妙な縁があった。家康がまだ征夷大将軍になる前の慶長5(1600)年4月、大分の臼杵(うすき)にオランダ船のリーフデ号が漂着した。臼杵藩の藩主・太田一吉は、乗組員を保護し、長崎奉行に報告した。リーフデ号は大坂に回航されることになった。 「関ヶ原の戦い」の少し前であり、まだ豊臣政権だったときのことである。この時期、豊臣政権の番頭格だった石田三成は、失脚して領国に戻っており、事実上、家康が政務を取り仕切っていた。そのため、家康が、リーフデ号の検査、尋問などをすることになった。 日本にいたスペインのイエズス会の宣教師たちは、リーフデ号のことを聞きつけ、家康に処刑するように注進した。イエズス会は、カトリック・キリスト教の修道会であり、当時はプロテスタント・キリスト教と激しく対立していた。 リーフデ号の母国オランダは、プロテスタントの国である。だから、日本在住のイエズス会としては、プロテスタントの勢力が日本に及ぶことを非常に恐れていたのだ。しかし、家康は、イエズス会の宣教師たちの注進は聞き入れず、リーフデ号を浦賀に回航し、乗組員を江戸に招いた。 家康は、リーフデ号の乗組員から海外情報などを仕入れ、一部の乗組員は家臣として取り立てた。幕府の要人となったオランダ人のヤン・ヨーステンや、三浦按針の日本名で知られるイギリス人のウィリアム・アダムスは、このリーフデ号の乗組員だった。このヤン・ヨーステンやウィリアム・アダムスから、家康は当時の西洋の国情や宗教事情などを詳しく聞いたようである。 当時のキリスト教世界では、ルターの宗教改革から生まれたプロテスタントが、急激に勢力を拡大している時期だった。プロテスタントは、免罪符に象徴されるような教会の権威主義、金権主義を批判し、純粋な信仰に戻ろうという宗派である。そのため、旧来の教会であるカトリックと、新興宗派であるプロテスタントは、激しく対立していたのである。 ポルトガルやスペインは、カトリックの国だった。彼らが、大航海をして世界中に侵攻していたのも、じつはカトリックとプロテスタントの対立が影響していたのである。 プロテスタントに押されていたカトリックは、少しでも多くの信者を獲得するために、積極的に世界布教に乗り出したのだ。戦国時代に日本にやってきたポルトガル、スペインの宣教師たちは、皆この流れに沿ったものなのである』、「家康は、イエズス会の宣教師たちの注進は聞き入れず、リーフデ号を浦賀に回航し、乗組員を江戸に招いた。 家康は、リーフデ号の乗組員から海外情報などを仕入れ、一部の乗組員は家臣として取り立てた。幕府の要人となったオランダ人のヤン・ヨーステンや、三浦按針の日本名で知られるイギリス人のウィリアム・アダムスは、このリーフデ号の乗組員だった」、恥ずかしながら、初めて知った。
・『オランダとの貿易をやめなかった理由  が、一方、オランダはプロテスタントの国だった。オランダは、新興海洋国でもあり、ポルトガルやスペインに続いて、世界中に進出し、貿易や侵攻をおこなっていた。 オランダも、キリスト教の布教もおこなっていたが、それはメインの目的ではなく、金儲けが最大の目的だった。日本に対しても、キリスト教の布教を強く求めることはなく、貿易だけを求めてきた。つまり、オランダは、キリスト教の布教をしなくても貿易をしてくれるというわけである。 家康はこの事情を知り、オランダとだけ貿易をすることにしたのだ。しかも、幕府が独占的にオランダと交易をおこなえば、貿易における旨みを幕府だけが享受することができる。 そのため、江戸時代を通じて、オランダが唯一の西洋文明の窓口となった。オランダからの文物を学ぶ「蘭学」は、日本の最先端の学問となったのである』、「オランダは、キリスト教の布教をしなくても貿易をしてくれる・・・家康はこの事情を知り、オランダとだけ貿易をすることにしたのだ。しかも、幕府が独占的にオランダと交易をおこなえば、貿易における旨みを幕府だけが享受することができる」、「江戸時代を通じて、オランダが唯一の西洋文明の窓口となった。・・・「蘭学」は、日本の最先端の学問となった」、「家康」の決定の賢明さに改めて感謝したい。

第三に、9月9日付けPRESIDENT Onlineが掲載した宗教学者の島田 裕巳氏による「「キリスト教系は5万人増、仏教系は4000万人減」この30年間に起きた宗教離れの意味 日本は「宗教消滅」に向かっている」を紹介しよう。
https://president.jp/articles/-/38441
・『文化庁の『宗教年鑑』によると、平成の30年間でキリスト教系の信者数は5万人増えたが、仏教系は4000万人減った。一体なにが起きているのか。宗教学者の島田裕巳氏は「日本は宗教消滅に向かっている。とくに仏教系は深刻な事態に直面している」という――。 ※本稿は、島田裕巳『捨てられる宗教 葬式・戒名・墓を捨てた日本人の末路』(SB新書)の一部を再編集したものです』、「仏教系は4000万人減った」、驚きの数字だ。何が要因だったのだろう。
・『平成の時代、宗教信者数は大きく減少した  世界の宗教地図は大きく変わろうとしている。とくに、世界最大の宗教組織であるカトリック教会は、根本的な危機に直面している。では、日本の宗教はどうなのだろうか。 昭和の時代においては、日本の各宗教団体は信者の数を伸ばしていった。ところが、平成の時代になると、事態は大きく変わり、信者数は相当に減少するようになった。そのことは、宗教法人を所轄している文化庁が毎年刊行している『宗教年鑑』にはっきりとした形で示されている。『宗教年鑑』には、いくつかの数字があげられているが、ここでは、「包括宗教団体別被包括宗教団体・教師・信者数」を取り上げたい。 宗教法人について詳しくないと、包括宗教団体や被包括宗教団体の意味はわからない。簡単に言ってしまえば、前者は仏教教団で言えば宗派にあたり、後者は個々の寺院のことをさす。平成の約30年のあいだにどういった変化が起こったかを見てみよう。まず、昭和63年版からの数字をあげる。 総数 1億9185万0997人 神道系 9617万7763人 仏教系 8666万8685人 キリスト教系 89万5560人 諸教 810万8989人 次に、今のところ最新の令和元年版の数字をあげる。 総数 1億3286万3027人 神道系 8009万2601人 仏教系 4724万4548人 キリスト教系 95万3461人 諸教 457万2417人』、確かに「仏教系」の落ち込みが顕著だ。
・『信者数は「3割」減少している  これは、文化庁が調査した数字ではない。包括法人の側が報告してきた数を、そのまま『宗教年鑑』に載せたものである。 その点では、果たして実態を示したものなのかという疑問が生まれる。けれども、ほかに使える資料がない。信者の数を調査しようにも、国民全体を対象として実施することなど不可能である。その点で、この数字を使うしかないのだが、それでも重要な変化は見て取ることができる。 まず総数である。平成がはじまる段階では、信者数は全体で1億9000万人に達していた。日本の総人口が、1990年(平成2年)の時点で、およそ1億2361万人だから、信者数はそれを上回っている。主に、神社の氏子として数えられている人たちが、同時に寺院の檀家としても数えられているからである。これは別に不思議なことではない。私たちは、長く続いた神仏習合の時代の名残で、神道と仏教の双方にかかわっているのだ。 その総数が、令和元年版では1億3000万人にまで減少している。およそ5900万人減っている。3割の減少である。 これは驚くべき数字である。平成のあいだに、宗教の世界で大変な事態が起こったことになる。神道系だと、9600万人が8000万人に減少している。こちらは1割7分の減少である。神道系以上に減少が著しいのが仏教系である。8700万人が4700万人にまで減っている。なんと4割5分も減っている。半減に近い』、「仏教系」が「4割5分も減っている」、衝撃的な数字だ。
・『創価学会と密接な関係を持っていた「日蓮正宗」  平成の約30年のあいだに仏教系の信者は半減した。これが事実なら、とんでもないことである。 ただ、これについては、一つ考慮しなければならないことがある。仏教系の信者急減の原因として、ある宗派の事情がかかわっているからだ。その宗派とは日蓮正宗のことである。日蓮正宗と言っても、多くの人にはピンと来ないかもしれない。 日蓮正宗は、日蓮宗の一派ということになるが、以前は日本で最大の新宗教である創価学会と密接な関係を持っていた。昭和の時代には、創価学会に入会する際に、会員は自動的に日蓮正宗に入信した。それは、日蓮正宗の特定の寺院の檀家になることを意味した。そして、入信の際には、家の仏壇に祀る曼荼羅を授与された。曼荼羅の中心には、「南無妙法蓮華経」の題目が描かれている。そのもとを書いたのは宗祖である日蓮で、檀家はその写しを授かるのである。 戦後、創価学会は相当な勢いで信者を増やした。そのため、日蓮正宗も膨大な信徒を抱えるようになった。街のなかで、「正宗用仏壇」という看板を掲げた仏具店を見かけることがある。正宗とは日蓮正宗のことで、そこで創価学会の会員は仏壇を買い求める。正宗用仏壇には、曼荼羅を掲げるためのフックが付けられており、一般の仏壇とは形式が異なっている。 ところが、1970年代になると、在家の組織である創価学会と、出家の組織である日蓮正宗の関係が悪化した。創価学会は、戦後急成長をはじめた段階では、自分たちの教えの正しさを証明するために日蓮正宗という後ろ盾を必要とした。だが、巨大教団に発展することで、それが不要になったのだ』、「創価学会は、戦後急成長をはじめた段階では、自分たちの教えの正しさを証明するために日蓮正宗という後ろ盾を必要とした。だが、巨大教団に発展することで、それが不要になった」、なるほど、そういった特殊要因があったとは・・・。
・『日蓮正宗による「破門」で減少した1684万人  創価学会と日蓮正宗との対立が激しくなったのは1990年(平成2年)のことである。翌年には、日蓮正宗が創価学会を破門した。これで、創価学会の会員のほとんどが日蓮正宗から離れた。日蓮正宗寺院の檀家ではなくなったのだ。『宗教年鑑』昭和63年版では、日蓮正宗の信者数は1756万6501人となっていた。これが正確な数字なら、人口の1割5分に近い。それが、令和元年版では72万8600人と激減している。1684万人も減ったのだ。 創価学会の会員数は『宗教年鑑』には掲載されていないが、創価学会本部は、会員数をここのところずっと827万世帯としてきた。世帯で数えるのは、曼荼羅が世帯単位で授与されるからである。日蓮正宗から抜けた創価学会の会員は、別の宗派に入信したわけではない。したがって、仏教系の信者数のなかから、1684万人分が消えてしまった。 このことを加味して考えると、仏教系の信者の数は、平成の30年のあいだに2300万人減少したことになる。4000万人よりははるかに減少の幅は小さい。それでも2割6分の減少である。仏教系は4分の3に縮小したのだ』、「仏教系の信者の数は」、「創価学会」の影響を除いても、「2割6分の減少」、とは何故なのだろう。
・『バブル時代が日本の宗教人口のピークだった  1995年には、オウム真理教による地下鉄サリン事件が起こり、宗教は恐ろしいというイメージが広がった。それは、宗教を信じる人の割合、信仰率にも影響を与えた。しかしそれが、2割5分の減少の主たる原因ではない。 神道系の信者も、仏教系ほどではないもののかなり減少している。日本の宗教は衰退しつつある。そのことが、平成の30年間を振り返ってみることで明らかになってくるのである。 平成の時代は1989年からはじまる。それは80年代なかばからはじまるバブル経済が頂点を極めようとしていた時期にあたる。株価や地価は上がり続けており、それに比例するかのように、宗教団体の信者数も、バブルの時代がもっとも多かった。 バブルがはじまる前の『宗教年鑑』昭和55年(1980年)版を見ると、信者数の総数は、1億7603万8611人で、昭和63年版と比べると1580万人少なかった。神道系が7986万9429人で、仏教系が8350万4031人だった。いずれも、昭和63年版の方が増えている。仏教系は300万人ほどの伸びだが、神道系は1600万人も増えている。どうやら平成のはじまりの時点が、日本の宗教人口のピークだったようなのだ。 それが、平成の約30年が過ぎるあいだに、激減という事態が起こった。しかも、その傾向は、令和の時代に入っても変わらない。依然として宗教団体の信者数は減り続けている。宗教消滅に向かっていることは確かだ。そのなかでも、とくに仏教系は深刻な事態に直面しているのである』、「創価学会」の影響を除いた「仏教系」の減少要因は、結局説明されないままで、拍子抜けだ。檀家制度の空洞化などが影響しているのだろう。
タグ:スペインにいたっては、日本への武力侵攻を検討したこともあった 「仏教系」が「4割5分も減っている 家康は、イエズス会の宣教師たちの注進は聞き入れず、リーフデ号を浦賀に回航し、乗組員を江戸に招いた。 家康は、リーフデ号の乗組員から海外情報などを仕入れ、一部の乗組員は家臣として取り立てた。幕府の要人となったオランダ人のヤン・ヨーステンや、三浦按針の日本名で知られるイギリス人のウィリアム・アダムスは、このリーフデ号の乗組員だった 「経済と倫理」の再融合 バブル時代が日本の宗教人口のピークだった 「地球倫理」 資源・環境の有限性ということがあるからこそ、そうした制約と両立させながら経済活動をいかに持続させていくか 家康はなぜ「オランダびいき」なのか? 資源や環境の有限性が顕在化 私たちが現在使っているような意味での「地球」という観念は、仏教や儒教、ギリシャ哲学や旧約思想が生まれた枢軸時代/精神革命においては存在しなかった 産業文明が「拡大・成長」から「成熟・定常化」に移行する時代において 地球倫理という思想 私たちがいま迎えつつあるその後半期の思想は、何らかの意味で「個人を超える」ようなベクトルを含む内容のものであるはずであり、それが本稿のテーマである「地球倫理」とつながることになる 「共同体の倫理」を乗り越え、それまでに存在しなかった「個の内的倫理」をうたう形で生まれたのが、枢軸時代/精神革命における諸思想であった 「「地球倫理」の③」にやや危うさを感じるが、全体としては大いに考えさせる好論文 インドにおける思想・倫理構造の進化 「地球上のいくつかの場所で“同時多発的”に、現在につながるような普遍的な思想(ないし普遍宗教)が生まれた」 「工業文明が資源的・環境的制約にぶつかっている現在の状況とよく似ている」 紀元前5世紀頃の「枢軸時代」 「枢軸時代/精神革命」をめぐる構造 『人口減少社会のデザイン』 「「仏教・儒教・旧約思想」が同時期に生まれた理由 「資源・環境の限界」で考える「地球倫理」思想」 広井 良典 東洋経済オンライン (その4)(「仏教・儒教・旧約思想」が同時期に生まれた理由 「資源・環境の限界」で考える「地球倫理」思想、徳川家康「キリスト教を徹底弾圧した」深い事情 日本がスペイン植民地になった可能性もある、「キリスト教系は5万人増 仏教系は4000万人減」この30年間に起きた宗教離れの意味 日本は「宗教消滅」に向かっている) 根本から「経済と倫理」の関係を考え直す時期に来ており、そして、「拡大・成長」よりも「持続可能性」に軸足を置いた経済・経営の可能性を探っていく時期に来ている モノがあふれて消費が飽和していくと同時に、「経済と倫理」は完全に分離 「創価学会」の影響を除いた「仏教系」の減少要因は、結局説明されないままで、拍子抜けだ。檀家制度の空洞化などが影響しているのだろう 現代の日本において求められているものとは キリスト教全面禁止に踏み切った」、のは賢明な措置 ローマ教皇は、ポルトガルとスペインに対し、キリスト教を布教することと引き換えに、世界をポルトガルとスペインで二分する許可を与えた この命により、両国は世界中に植民地を持つ代償として、各地に宣教師を派遣し、教会を建設する義務を負った 信者数は「3割」減少している 大村 大次郎 「「キリスト教系は5万人増、仏教系は4000万人減」この30年間に起きた宗教離れの意味 日本は「宗教消滅」 「地球倫理」とは、実は日本における経済や経営の理念として伝統的に存在していたものを、グローバル時代における資源や環境の有限性の顕在化という現代の文脈において“再発見”ないし“再定義”したものとも言える 平成の時代、宗教信者数は大きく減少した オランダ船のリーフデ号が漂着 南蛮貿易の隆盛やキリスト教の普及というのは、諸大名の軍需物資輸入がいかに大きかったかを裏づけるものでもあった 経済格差を示すジニ係数は増加を続け 創価学会と密接な関係を持っていた「日蓮正宗」 天下人や戦国武将たちにとって、ポルトガルやスペインとの交易は、大きな旨みをもたらしていた。が、それには必ずキリスト教の布教が付随していた 人口の2〜4%がキリスト教徒だった オランダは、キリスト教の布教をしなくても貿易をしてくれる 「蘭学」は、日本の最先端の学問となった “「経済と倫理」の再融合”とも呼ぶべき動きが、萌芽的ではあるが現われ始めている 日本の場合は(アニミズム的な)自然観は神道のなかに残されている。欧米のように徹底して「忌避された」地域でも「再発見」されるかどうかは説明不足のようだ 家康はこの事情を知り、オランダとだけ貿易をすることにしたのだ。しかも、幕府が独占的にオランダと交易をおこなえば、貿易における旨みを幕府だけが享受することができる 企業行動も「拡大・成長」から「持続可能性」へ 平成の30年間でキリスト教系の信者数は5万人増えたが、仏教系は4000万人減った なぜキリスト教が世界を席巻したか? 「徳川家康「キリスト教を徹底弾圧した」深い事情 日本がスペイン植民地になった可能性もある」 家康がキリスト教を「禁教」にした理由 テーマとして浮上 オランダとの貿易をやめなかった理由 江戸時代を通じて、オランダが唯一の西洋文明の窓口となった。 PRESIDENT ONLINE 島田 裕巳 「仏教系の信者の数は」、「創価学会」の影響を除いても、「2割6分の減少」 風土・文化の多様性そして「鎮守の森」 「自然信仰」を再発見していく 日蓮正宗による「破門」で減少した1684万人 創価学会は、戦後急成長をはじめた段階では、自分たちの教えの正しさを証明するために日蓮正宗という後ろ盾を必要とした。だが、巨大教団に発展することで、それが不要になった 宗教
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日本の政治情勢(その49)(「尖閣船長釈放問題」での菅政権の対応の総括なくして、野党復活はない、菅義偉氏の天敵・望月記者が語った彼の長所・短所と「もし菅氏が総理になったら」、"苦労人"菅氏の生い立ちから見える「菅義偉政権」の危険な兆候 恩師の平和主義に「そこは俺と違う」、安倍政権は“経産省内閣”ではなく“官邸官僚内閣”だ 経産省出身者が集まったのはナゼ?) [国内政治]

日本の政治情勢については、9月4日に取上げた。今日は、(その49)(「尖閣船長釈放問題」での菅政権の対応の総括なくして、野党復活はない、菅義偉氏の天敵・望月記者が語った彼の長所・短所と「もし菅氏が総理になったら」、"苦労人"菅氏の生い立ちから見える「菅義偉政権」の危険な兆候 恩師の平和主義に「そこは俺と違う」、安倍政権は“経産省内閣”ではなく“官邸官僚内閣”だ 経産省出身者が集まったのはナゼ?)である。

先ずは、9月8日付けYahooニュースが掲載した元東京地検特捜部検事で郷原総合コンプライアンス法律事務所 代表弁護士の郷原信郎氏による「「尖閣船長釈放問題」での菅政権の対応の総括なくして、野党復活はない」を紹介しよう。
https://news.yahoo.co.jp/byline/goharanobuo/20200908-00197304/
・『本日(9月8日)付けで、産経新聞が、 前原誠司元外相が、2010年9月7日に尖閣諸島沖の領海内で発生した海上保安庁巡視船と中国漁船の衝突事件で、当時の菅直人首相が、逮捕した中国人船長の釈放を求めたと明らかにした。旧民主党政権は処分保留による船長釈放を「検察独自の判断」と強調し、政府の関与を否定してきたが、菅氏の強い意向が釈放に反映されたとみられる。 と報じている。当時の外務省幹部も「菅首相の指示」を認めたが、菅氏は、取材に「記憶にない」と答えたとのことだ・・・この尖閣中国船船長の釈放の問題については、当時、私は、検察の対応と、民主党政権の政府の対応を徹底して批判した。 刑事事件については、警察・海上保安部等の第一次捜査機関が、犯罪の立証のための十分な証拠収集を行い、検察が、犯人の身柄の拘束及びその継続の必要性の判断を含め、事案の重大性・悪質性に応じた刑事処分に向けての対応を総括する。 しかし、外交関係に絡む問題については、そのような刑事司法上の判断とは別に、内閣として適切な外交上の判断を行い、それに基づいて最終的な刑事処分を決定することが必要な場合もある。この種の事案に対しては、国家としての主権を守るとともに、他国との適切な外交関係を維持するための判断が求められるが、これは、刑事司法機関の所管外の事項であるため、内閣が政治責任に基づいて判断をすることになる。その場合、刑事事件としての対応や処分に外交上の判断を反映させるために活用されるべき制度が、内閣の一員である法務大臣の検事総長に対する指揮権(検察庁法14条但書)である。検察は、外交上の判断が必要な事件と判断すれば、法務大臣に「請訓」という形で指示を仰ぐことになる。 尖閣の中国漁船の衝突事件は、外交上の判断が必要な事件だったのであるから、刑事司法機関が勾留・起訴という厳正な刑事処分に向けての対応を行う一方、内閣としては、外交関係を踏まえてその刑事処分に向けての対応を変更する必要性を判断し、必要があれば、それを法務大臣指揮権の発動という形で、内閣の責任を明確にして実行すべきであった。 ところが、この事件では、中国船船長の釈放が決定された際の会見で、那覇地検次席検事が「最高検と協議の上」と述べた上で、「日中関係への配慮が、釈放の理由の一つである」かのように述べた。つまり、この事件での「船長の釈放」という検察の権限行使において、検察が組織として外交上の判断を行ったことを認めたのである。そして、このような、検察が外交問題に配慮したかのような説明に対し、当時の仙谷官房長官は「了とする」と述べた。 この検察の対応が、検察独自の判断だとは考えられなかった。検察としては、厳正な刑事処分に向けての対応を粛々と進めていたはずだ。船長の釈放は当時の内閣の判断によるものであることは、誰の目にも明らかであった。ところが、外交関係への配慮も含めて、すべて検察の責任において行ったように検察側が説明し、内閣官房長官がそれを容認する発言をした。それによって、検察の刑事事件の判断についての信頼が損なわれる一方、内閣が負うべき外交上の責任は覆い隠されてしまった』、「民主党政権」にとって、「指揮権発動」は避けたいとの配慮で、「すべて検察の責任において行ったように検察側が説明し、内閣官房長官がそれを容認する発言をした」、可能性がある。「仙谷官房長官」も弁護士出身なので、本来あるべき処理方式は理解していた筈だ。ただ、自民党政権時代には、逮捕などせずにそのまま見逃していたのを、国土交通大臣だった「前原氏」が勇み足で逮捕したため問題を大きくしたとの批判もある。
・『しかし、今回、前原氏が明らかにしたところによると、当時の菅首相が釈放を指示したとのことであり、検察の釈放措置は、菅首相の指示によって行われたものだということになる。船長を逮捕した海上保安部を所管する大臣だった前原氏としては、菅首相の指示によって海上保安部としての摘発を無にされたと言いたいのだろう。 尖閣諸島をめぐっては、その後、2012年8月に、香港の活動家らによる尖閣諸島不法上陸事件が発生した。この時の民主党政権の対応も弱腰そのものであった。その際も、民主党政権下の政府と検察の弱腰の対応を批判した。以下は、産経新聞に「【領土を考える】主権侵害は逮捕・起訴を」と題して掲載された拙稿の一部だ。 香港の活動家らによる尖閣諸島不法上陸事件で、沖縄県警は入管難民法違反(不法入国)容疑で逮捕した中国人を検察庁に送致せず、入管当局に引き渡し、活動家は強制送還された。 今回の措置は同法65条の「他に罪を犯した嫌疑のないときに限り…入国警備官に引き渡すことができる」との規定によるが、その趣旨は不法就労など単純事案は国内法で処罰するより、早急に国外退去させ違法状態を解消するほうが法の趣旨に沿うためだ。今回のように日本の領土や主権を侵害する目的での確信犯的な不法上陸事案は、極めて悪質な刑事事件として当然、逮捕、起訴すべきだった。 問題なのは、今回の措置が同法の規定に基づく「刑事事件としての当然の措置」のように説明されていることだ。この種の事件に厳正な刑事処分を行わない判断が「当然の判断」とされるなら、わが国はもはや国家としての体をなしていないと言わざるを得ない。 このような民主党政権時代の、尖閣列島をめぐる中国人の不法事案に対する日本政府の対応は、全くの弱腰で論外であった。しかも、中国人船長の事案については、菅首相の判断で船長を釈放させたにもかかわらず、それが、あたかも、検察の判断であるかのように検察に説明させて「隠蔽」していたのである。それを行わせた菅首相も論外だが、当時、菅首相の不当な指示に、国交大臣として異を唱えることなく唯々諾々と従っておきながら、今になって、自分は菅首相の不当な命令を受けた被害者であるかのように語る前原氏の態度も信じ難いものだ。 一連の不当な対応について、未だに、総括も反省もせず、安倍政権の批判ばかりを行ってきたために、旧民主党出身者を中心とする野党は国民に支持されず、「安倍一強」の政治状況を8年近くも続けさせることにつながったのである。 現在も、菅氏は立憲民主党に所属し、昨日、公示された合流新党の代表選で、枝野氏の選対本部の顧問に名を連ねている。一方の、前原氏は、国民民主党に所属し、玉木雄一郎氏が中心となる新党に加わるとのことだ。 このような野党のままでは、菅義偉氏が総裁となった後の自民党に対抗できるはずもなく、「菅一強」状態になってしまうことは必至だ。 自民党新総裁には、安倍政権の徹底検証が必要であることは言うまでもないが、野党の側も、政権を担当した時の組織の病根を放置したままでは、政権奪還など「夢のまた夢」である』、「当時、菅首相の不当な指示に、国交大臣として異を唱えることなく唯々諾々と従っておきながら、今になって、自分は菅首相の不当な命令を受けた被害者であるかのように語る前原氏の態度も信じ難いものだ」、も含め郷原氏の指摘は、正論だと思う。

次に、9月7日付け週刊女性PRIMEが掲載したお笑いジャーナリスト/ピン芸人/『株式会社 笑下村塾』取締役のたかまつなな氏による「菅義偉氏の天敵・望月記者が語った彼の長所・短所と「もし菅氏が総理になったら」」を紹介しよう。
https://www.jprime.jp/articles/-/18786
・『安倍晋三首相が体調不良による辞任を表明したことにより、自民党総裁選が9月8日に告示される。“ポスト安倍”の最有力候補となったのは、菅義偉(すが・よしひで)官房長官だ。党内の主要派閥のほとんどは、菅氏の支持を決めているという』、「菅義偉氏の天敵・望月記者」の見解とは興味深い。
・『菅氏は“根回し”や気配りに長けている  菅氏の“天敵”と謳(うた)われているのが、森友・加計問題をめぐり、記者会見で激しいやりとりをしたことで知られる、東京新聞の望月衣塑子(いそこ)記者だ。菅氏からは「主観だ」「質問が長い」と揶揄(やゆ)されながらも、果敢に切り込んでいく。9月2日に行われた菅氏の総裁選出馬会見においても、これまで会見では「質問妨害」があった経緯を説明し「総理になられた際には、会見のあり方を変えるか」という趣旨の質問を投げかけた。 だが、質問の途中で司会者から「簡潔にお願いします」と注意が入り、菅氏からは「早く結論を質問してくれれば、それだけ時間が浮く」などと皮肉ってかわされ、番記者とおぼしき人たちから大きな笑いが起きたのを私は目の前で見た(※フリー記者として参加)。まるで、「私は菅さんが正しいと思います」と媚びを売っているかのような笑いで、なんだか気持ち悪かった。私は望月記者を全面的には肯定はできないが、あの会見での異様な空気は脳裏にこびりついている。実際に何度もあの空気を味わいつつ、菅氏と向き合ってきた望月記者に、菅氏の長所・短所や今後、予想される情勢について語ってもらった。 まず、会見でたびたび菅氏と対峙している望月記者から見て、彼はいったい、どんな人に映っているのだろうか。 「食事をともにするなどの付き合いはなく、会見の場での菅さんしか見ていませんが、麻生派や細田派など強力なメンバーが支持を表明した要因のひとつには、菅氏が日ごろから“根回し”や細やかな気配りをしていたことがあると思います」 望月さんから見ても、菅氏はうまく味方をつけることに長けているという。 「議員の中には女性記者に対してリップサービスをしがちだったり、近くに座らせたりしたがる人もいますが、菅さんは“男女で接し方を変えない”と複数の男性記者たちから評判です。また、側近たちの裏切りによって不祥事が発覚する議員は多いですが、菅さんはこれまで、自身の大きなスキャンダルが出ていないですよね。秘書や周りの人間とどう付き合い、どんなふうに可愛がるかというのは政治家にとって、とても大切です。菅さんはそれが上手で、周りと信頼関係を築き、“菅さんを守ろう”と思ってもらうのが得意なのかな、と感じます」』、「司会者から「簡潔にお願いします」と注意が入り、菅氏からは「早く結論を質問してくれれば、それだけ時間が浮く」などと皮肉ってかわされ、番記者とおぼしき人たちから大きな笑いが起きた」、「番記者」たちの姿勢には腹が立つ。
・『異を唱える者は徹底的に排除する方針  では、菅さんの悪いところはどんなところだろうか。 「会見でなかなか非を認めないところや、好き嫌いが激しいところですかね。例えば、他の記者が長い質問をしても答えるのに、私がその方より短い質問をしても“あなたの質問に答える場ではない”などと言われたこともあります。好まない人物に対しては過剰にムキになり、嫌悪感をあらわにしますよね」 この傾向は望月記者だけではなく、官僚に対してもあるのではないかという。 「菅さんや官邸側の方針に異を唱える官僚さんは、徹底的に排除されると聞きます。“官僚は人事でコントロールできる”という考えを持っており、彼の方向性に沿って動かない人物は、優秀な官僚であっても飛ばされるそう。周囲からの話によれば、IR含めて横浜市役所の課長クラスの人事までも、割と細かく確認するとか。菅さんが総理になった場合には、現場をまとめ上げ、自分の意向に沿って物事を進めてくれる人物として、和泉洋人首相補佐官が重要になるでしょう。ですから今年の春に和泉補佐官の“コネクティングルーム出張”について『週刊文春』が報じたたときも、徹底的に守りました。そうやって自分を裏切らない人間で側近を固め、番記者たちも掌握しつつある、という強さがありますね」』、「和泉洋人首相補佐官」を守ったとは、よほど使い易い人物なのだろう。
・『「政治の私物化」がより強化される恐れ  ほかに、韓国との関係や沖縄についても気がかりだという。 「韓国にはかなり敵対的な対応になることが予測されます。また、沖縄の辺野古新基地問題に関してはより悪化するでしょう。新基地は軟弱地盤の問題で建設ができないのではないか、できたとしても、20センチほど地面が沈むのでは、という推計を民間の先生方が出していると思うのですが、菅さんらはごまかして、アメリカの決めた方向で新基地を作ろうとしています。でも、県民としては7割“ノー”という投票結果が出ており、玉城デニー県知事も反対していますから、沖縄に対する圧力はかなり強化すると思いますね」 長期政権の弊害として、政治の私物化が安倍首相の辞任会見でも問われた。望月記者は「私物化がより強くなるのでは」と危惧する。 「長期政権の中で官僚たちは、たとえダイレクトな指示がなくとも“官邸のために仕事をする”という“忖度”意識が強まってしまった。自分たちの人事を上に握られているからということもありますが、結果として国民のめの公平・公正な行政がうまく進んでいません。森友事件の公文書改ざん問題や、『桜を見る会』の招待者名簿をシュレッダーで廃棄するなど、信じがたいことがたくさん起こりました。 一方で、そういった負の遺産をリセットしたい、という思いが、自民党員や国民の間でも強まっていると感じます。ですが、菅さんがポスト安倍として就任した場合、“モリ・カケ・桜問題”(※森友・加計学園をめぐるさまざまな疑惑や、首相主催『桜を見る会』のあり方における対応のずさんさを指す)には、いちばん踏み込まれたくないはずです。実際、安倍政権と結びつきが強かった黒川弘務前東京高検検事長を検事総長にするため、検察官の定年を引き上げようとした“検察官定年延長問題”でも、菅さんは安倍さん以上にこだわったと聞きます。“守護神”である黒川氏をトップに置き続け、数々の“疑惑”をうやむやにしたまま政治を進めていきたかったのでしょう」 望月記者は、以上のことを加味すると「個人的には、菅氏が次期首相になった場合“これまでの安倍政権における悪かった部分が改善されていく”という期待感をどうしても抱けない」という。自民党の総裁を、国民は直接選ぶことができない。だからこそ、ポスト安倍政権に対して、私たちがしっかりと評価し、次の国政選挙で判断を下さなければならない。我々は総裁選の討論会などで語られる公約を忘れず、実行できているかどうかなどを見守っていかないといけないだろう。 菅氏が総理大臣になったら、日本はどのような方向を向くのだろうか。 「約3年間見てきた限りでは、思想傾向が左か右のどちらかに偏っているわけではない。憲法改正に関しては恐らく、さほど関心がなさそうです。安倍政権の中で、経済政策が支持率に直結することを肌で感じていると思うので、経済まわりに力を入れると思います。実際、コロナ禍でもっとも菅さんを象徴するのがGoToトラベル事業ですよね。 新型コロナがぜんぜん収束しない中で、この事業に約1.7兆円の予算をつけ、当初の予定より前倒しで展開しました。医師会からは“とんでもない”という声があがっています。ですが菅さんは“経済を回さないと、自分たちの支持基盤を含めた財界が黙っていない”という考えが念頭にあるため事業展開に踏み切ったのでしょう」』、「政治の私物化」がより強化される恐れ」、やれやれだ。

第三に、9月8日付けPRESIDENT Onlineが掲載した元週刊現代編集長でジャーナリストの元木 昌彦氏による「"苦労人"菅氏の生い立ちから見える「菅義偉政権」の危険な兆候 恩師の平和主義に「そこは俺と違う」」を紹介しよう。
https://president.jp/articles/-/38611
・『「安倍の政策を引き継ぐ」と主張するが…  昔、長嶋茂雄が巨人軍の監督に就任したとき、「長嶋のいない巨人を指揮する長嶋は大変だ」と思ったことがあった。 王貞治は現役だったが全盛期をとうに過ぎていた。案の定、長嶋監督は結果を残せず、読売新聞首脳部に無慈悲に首を斬られてしまった。 菅義偉(71)も同じ道をたどるのではないかと、私は考えている。安倍首相は、自民党の歴史の中でも、「最軽量の神輿」であった。それが長続きしたのは、女房役である菅官房長官の手腕であったことは、衆目の一致するところである。 だが、黒子役である人間が表に出てしまったら、誰が菅を支えるのか。菅政権最大の弱点である。今下馬評に上がっている人間たちが、菅を支えられるとは到底思えない。 菅は以前から、「総理になる気はない」といい続けてきた。本心であろうと私は思う。なぜなら、菅の人生は常に「ナンバー2」「影の存在」だったからだ。 法政大学時代は「空手部副主将」、横浜市議時代は「影の市長」、安倍政権では「影の総理」。表舞台でスポットライトを浴びるより、黒子に徹して、裏で政治を動かすことに喜びを見出していた男が、安倍の突然の辞任で、いきなり公衆の面前に立たされてしまったのである。 菅は出馬表明会見で、「安倍の政策を引き継ぐ」としかいえなかった。前代未聞である。千歩譲って、安倍政権がそれほど悪い政権でなかったとしても、自分だったらこうするというビジョンを一つ二つ提示するのが、総裁選に臨む人間のたしなみではないか』、「出馬表明会見で、「安倍の政策を引き継ぐ」としかいえなかった」、確かに「菅」の限界を示しているのかも知れない。
・『菅義偉という人間を多くの国民は知らない  故中曽根康弘元首相は、平議員の時から、首相になったらこういうことやると、ノートに記していたそうだ。 菅は、東京に来て働いているうちに、26歳にして、「世の中を動かしているのは政治ではないか」と気づき、政治家を志したといっている。幼すぎる。ましてや、菅が過ごした大学時代は、70年安保闘争や学生紛争が燃え盛っていた時代である。そうした中に身を投じていなくても、政治が一番身近に感じられた時代であった。 思想信条ではなく、否応なく政治について考えざるを得なかったはずなのに、菅は大学を卒業するまで考えていなかった。だとすれば、政治は就職先の一つ程度の認識だったのではないか。 失礼ついでにいえば、菅義偉という人間について多くの国民はほとんど知らない。あるのは、「令和おじさん」としての知名度しかないといってもいいだろう。 秋田県の貧しい農家の出で、集団就職で東京に来て、法政大学の夜間を出た苦労人政治家というイメージが独り歩きしているが、それは全く違うようだ。 ノンフィクション・ライターの松田賢弥『影の権力者 内閣官房長官菅義偉』(講談社+α文庫、以下、『影の権力者』)と、森功『総理の影 菅義偉の正体』(小学館ebooks、以下、『総理の影』)を基に、菅という男の人生を見てみたい』、興味深そうだ。
・『ソ連軍による惨劇から命からがら逃れた  菅が生まれたのは秋田県雄勝郡秋ノ宮村という雪深いところである。県南部に位置し山形県寄り、横堀が最寄り駅だが、かなり離れている。 戦前、父親の和三郎は一旗揚げようと、1941年に中国・満州へと渡っている。いわゆる「満蒙開拓団」である。彼は「満鉄」に勤めている。その後妻を満州に呼び寄せ、娘も生まれた だが、終戦の年の8月、不可侵条約を破って攻め込んできたソ連軍による侵攻によって、和三郎のいた開拓団376人のうち273人が亡くなっている。しかも8月19日の集団自決だけで、死者は253人にのぼったと、森は、『総理の影』に記している。当時の満蒙開拓団の全在籍者は27万人だが、死者は7万8500人にもなった。 妻と幼い2人の娘と共に命からがら逃げてきた和三郎は、故郷へ舞い戻る。だが、今でもこの地方では、その悲劇を語ることはタブーになっているという。 義偉が生まれるのは引き揚げ後2年たってである。松田は『影の権力者』の中で、「雄勝郡開拓団の不幸な歴史については、菅はくわしくは知らなかった」と書いている。 知らないわけはない。満蒙開拓団の悲劇は、日本が中国を侵略したために起きたのである。二度とこうした悲劇を繰り返してはいけないといえば、憲法を踏みにじり、集団的自衛権を容認し、戦争のできる「普通の国」を目指す安倍政権とは真反対を向くことになる。 菅はそんなことを考えもしなかったのではないか。その一つを取り上げただけでも政治家失格である』、「満蒙開拓団の悲劇」を両親からは聞かなかったかも知れないが、何があったかは調べればすぐ分かる筈だ。
・『学生運動の最中、アルバイトをしながら法政大学へ  父・和三郎には商才があったようだ。稲作農業だけでは生活が豊かにならないと、改良を重ねて「ニューワサ」というブランドいちごづくりを始めたという。 他の地域でも同じようにいちごを作り出すと、流通量の少ない時期を狙って出荷して、値段を確保したそうだ。その後、和三郎は、町会議員にもなっている。 菅は長男だが、農業を継ぐことは嫌だったようだ。父親への反発もあったという。菅は松田に「鉛色の空に覆われた村が嫌だった」と語っている。高校を出て夜行列車で東京へ行き、就職したのである。 東京・板橋の町工場で働くが、つらかったのだろう、そこを辞めてアルバイトをする傍ら、大学受験の勉強を始めた。彼が入学した1969年当時、法政大学は東大や早稲田と並んで、学生運動の拠点だった。 菅はそうした喧騒とは離れ、空手に打ち込んだそうだ。アルバイトで学費を稼ぎ、学生課に学費の安い夜間部への転部を申し出たこともあったという。このあたりから、集団就職、夜間大学というイメージが作られてきたようだ。 一方では、家からの仕送りで、金銭的には恵まれていたという説もあるようだが、真偽のほどはわからない。 2年後輩に、後に沖縄県知事になり、米軍基地の辺野古移設問題で対峙することになる、翁長雄志がいた』、「翁長」氏が「2年後輩」だったとは初めて知ったが、「沖縄」に対する姿勢は冷淡そのものだ。
・『世間の声を把握するのは新聞の「くらし」欄  卒業して、企業に勤めた後、大学のOB会に政治家を紹介してくれと頼みに行ったそうだ。 最初は、法政OBで衆院議長などを歴任した中村梅吉の秘書になるが、中村が政界を引退したため、神奈川県横浜市出身の小此木彦三郎衆院議員のところへ行く。 以来11年間秘書を務めた後、38歳で横浜の市会議員になり、市議を二期やって、「影の市長」とまでいわれるようになる。 47歳で今度は衆院選に出馬して当選する。二世でもなく、地盤も看板も鞄(カバン=カネ)もない男としては、異例の出世であろう。 よく、「男の顔は履歴書」といわれる。衆議院議員になった頃は、身体全体がふっくらとして、雰囲気も明るいのに、永田町の泥水を飲み、今のようなとっつきにくい酷薄な容貌に変わってきたのは、よほどの苦労があったのではないかと想像させる。 菅には面白い世論吸収法があるそうだ。彼は昔から、読売新聞の「くらし・家庭」欄にある「人生案内」を毎日読んでいるという。 そこで、庶民にはどういう悩みがあり、それに対して識者がどう答えているかを“勉強”していたというのである。 街に出て、庶民と対話しようなどという発想は、この男にはないようだ。選挙応援や会見では仕方なくしゃべるが、基本的にひきこもり的な性格なのであろうが、それを周囲の者や記者たちは「強面」と誤解しているのではないか』、「基本的にひきこもり的な性格なのであろうが、それを周囲の者や記者たちは「強面」と誤解しているのではないか」、そうなのかも知れない。
・『師匠・梶山静六は「憲法改正」反対だったが…  国会議員になってからは、竹下(登)派の七奉行の一人で“武闘派”といわれた梶山静六を師と仰ぐ。 梶山も茨城県の農家の出身である。県会議長の時、田中角栄から国政への出馬を要請された。情に厚く、角栄がロッキード事件で逮捕され、保釈されたときは、「やくざだって親分が出所するときは迎えに行く」と、真っ先に出迎えに行っている。 梶山は、橋本龍太郎内閣で官房長官に就くが、1998年7月、参院選の敗北の責任をとり橋本が退陣を表明すると、総裁選に名乗りを上げた小渕恵三と対抗して、無派閥で出馬を表明した。 菅と佐藤信二が派閥を離脱して、梶山を応援するが、わずかな差で敗れてしまう。 梶山は見かけとは違って、「再び戦争を繰り返してはいけない」と平和主義を信念としていた。戦争中に長兄を亡くしている梶山の体験から生まれたものだった。 だが、菅は松田に、「梶山さんと俺のちがいはひとつあった。梶山さんは平和主義で『憲法改正』に反対だった。そこが、俺とちがう」といったそうだ』、なるほど。
・『両親は戦争の被害者であるのに、なぜ?  野中広務という政治家がいた。小沢一郎と死闘を繰り返した自民党の大物であった。 野中は若い頃の菅に目をつけていた。松田によれば、菅はかつて新聞記者に、「第二の野中広務さんのような政治家になりたい」と語っていたという。 野中も筋金入りの反戦・平和主義者であり、梶山と同じように、沖縄のことを真剣に考えた政治家だった。 「九七年には、沖縄米軍の基地用地使用を継続するための駐留軍用地特別措置法(特措法)改正案を可決する際、衆院本会議で声を震わせた。 『この法律が軍靴で沖縄を踏みにじる結果にならないように、私たち古い苦しい時代を生きてきた人間は、国会の審議が再び大政翼賛会にならないように、若い皆さんにお願いしたい』議場は騒然となる」(『影の権力者』) 田中角栄は常々、「あの戦争を知っている人間たちが政治家である限り、日本は戦争をしない」といっていた。 だが菅という男、恩師の梶山や野中の反戦・平和主義から学んでいないのはどうしてなのだろう。 たしかに、梶山も野中も軍隊経験をしている。菅とは20年以上の歳の差がある。だが、両親は満蒙開拓団の一員として辛酸をなめた、戦争の被害者である。菅はもうすぐ72歳になる。 後期高齢者間近い政治家が、わずか75年前の誤った戦争を二度と起こさない、仁王立ちしても止めてみせるという覚悟がなくて、何のために総理になるのか』、「野中」の『この法律が軍靴で沖縄を踏みにじる結果にならないように、私たち古い苦しい時代を生きてきた人間は、国会の審議が再び大政翼賛会にならないように、若い皆さんにお願いしたい』、との演説で「議場は騒然となる」、初めて知ったが、昔は骨がある自民党有力者がいたものだ。
・『「菅のいない菅政権」は成り立つのか  総裁選に出馬して以来、自分の言葉を持たない、独自の政策がないと批判されている。 「安倍政治をそのまま受け継ぐ」というだけではまずいと思ったのだろう、自分のブログに「『自助・共助・公助』で信頼される国づくり」という公約らしきものを掲げた。まるで、高校の社会科に出て来るお決まりの表現のようである。長年政治家をやってきた人間とは思えない幼さだ。 外交に未経験なことを問われ、安倍とトランプとの電話会談にはすべて同席していると答えた。オブザーバーでは、外交を実体験したことにはならないことを、菅は分からないらしい。 冒頭で触れたように、菅のいない菅政権は、羅針盤のない船で荒海に出ていくようなものである。安倍よりさらに軽い神輿になりそうな菅は、派閥のいいなりになるのではないか。 ここでは詳しく書かないが、安倍はそれを意図して、突然、辞任したのではないかと思っている。裏で菅を操り、任期明けの来年9月には「安倍再登板」の声が高まり、3度目の政権復帰を目論んでいる。これが私だけの悪夢であればいいのだが』、「安倍よりさらに軽い神輿になりそうな菅は、派閥のいいなりになるのではないか」、「安倍はそれを意図して、突然、辞任したのではないかと思っている。裏で菅を操り、任期明けの来年9月には「安倍再登板」の声が高まり、3度目の政権復帰を目論んでいる」、確かに「悪夢」だ。
・『菅氏が力を入れる「NHKの国有化」  菅政権の最大の不安は、言論表現の自由が安倍時代よりもさらに狭まると危惧されることである。 安倍政権時代を通じて、日本の報道の自由度は実に22位から66位にまで下がり続けた。その下落に大いに貢献したのが安倍と菅だが、菅の役割のほうが大きかったと思う。官房長官会見で、東京新聞の望月衣塑子記者への質問妨害、NHK「クローズアップ現代」のキャスターだった国谷裕子への嫌がらせで、降板に追い込んだことなど枚挙に暇がない。 第二次安倍政権から取り組んできたのがNHK問題である。 『総理の影』で森は、「菅の悲願は、受信料の義務化を通じた事実上の国営放送化である」と指摘している。 第一次安倍政権時代、菅は、受信料を2割下げろ、できなければ受信料を義務化する、国営放送にするとNHKに迫ったそうだ。 森によると、経営委員会というのは12人の委員で構成され、NHK会長を人選して任命し、理事の人事にも拒否権を持つ、大きな権限を持ったもので、その経営委員を任命するのが総理大臣だそうだ。 この時は安倍の辞任で果たせなかったが、第二次安倍政権で、菅は再び、NHK支配を強引に実行していく。 第二次政権がスタートして、経営委員に政権寄りの人間を多数押し込み、会長に抜擢されたのが三井物産出身の籾井勝人であった。 「軽量級のトップの後ろでNHKを動かそうとしてきたのが、官邸の菅や財界応援団たちである」(『総理の影』)』、「菅の悲願は、受信料の義務化を通じた事実上の国営放送化である」、恐ろしいが、ありそうな話だ
・『担ぐのがうまい人間が頂点に立つとどうなるか  コロナ報道を持ち出すまでもなく、NHKの国営化はほとんど出来上がったと思っている。だが、菅のメディアコントロールは、それだけではないと森はいう。 「新聞やテレビの政治記者はもとより、週刊誌や月刊誌の幹部やフリージャーナリストにいたるまで、菅の信奉者は少なくない」(同)という。 極秘情報というアメをしゃぶらせて、批判させず子飼いにしてしまうのだ。自分たちが菅の掌で踊らされていると気づく者もいないのが、メディアの置かれた深刻さを表している。 NHKを支配し、メディアを黙らせ、派閥の上に乗っていれば安泰かといえば、そうではない。安倍以上に問答無用、説明責任を果たさない政権が長続きするはずはない。 それに、ここまでのし上がって来るには、どれほどの「無理」を重ねてきたのだろうと考えると、就任早々、醜聞が噴き出す可能性は大だと思っている。 「第二次安倍政権をつくったのは俺だ」。菅の口癖だそうだ。菅という男、駕籠を担ぐのはうまいかもしれないが、駕籠に乗って様になるかは疑問である。 菅の恩師、梶山は総裁選に出た時、勝てないと思う3つの理由を、秘書にいったと松田が書いている。 1つは小泉純一郎が出馬して票が割れるというものだが、後の2つは、「総理総裁をめざして政治家をやってきたわけではないので敵が多い。梶山静六に梶山静六はいない」。菅にも同じことがいえるはずである。 最後に角栄の大好きだった母親が、息子に向けた言葉を菅に贈ろう。 「総理大臣がなんぼ偉かろうが、あれは出かせぎでござんしてね」』、「ここまでのし上がって来るには、どれほどの「無理」を重ねてきたのだろうと考えると、就任早々、醜聞が噴き出す可能性は大」、何が出てくるか、今後が楽しみだ。

第四に、9月10日付けYahooニュースがABEMA TIMESを転載した「安倍政権は“経産省内閣”ではなく“官邸官僚内閣”だ 経産省出身者が集まったのはナゼ?」を紹介しよう。
https://news.yahoo.co.jp/articles/cbaf855c8fbc5fc0f2fa2c537c39885b7f909e2e
・『「官邸主導」が強く印象付けられた安倍政権。今井尚哉総理補佐官、新原浩朗経済産業政策局長、佐伯耕三総理秘書官など、経済産業省出身の官僚たちが総理の側近に起用され、“アベノマスク”など、様々な政策が立案されてきたことから、“経産省内閣”と呼ぶ人もいるという。 元財務官僚の小黒一正・法政大学教授は「私は“経産省内閣”という言い方は間違っていると思う。この数年、財務省もそうだが、経済産業省の若手もかなり辞めている。なぜかといえば、官邸にいる官僚のパワーが強く、インナーで決定するような形になっている。あえて言えば“官邸官僚内閣”だ」と話す。 「また、経産省と財務省の微妙な関係という意味で言えば、例えばキャッシュレスのポイント還元事業があった。あれも官邸というか、総理直結のような感じで決まったが、財務省主計局長だった太田事務次官が官邸と握って持ってきた案件だ。しかし、実際にポイント還元の予算を財務省で執行してくれというのは難しいので、そこをうまくやって、補助金適正化法を使って経産省に投げた。実務的に処理しないといけない経産省としてはかなり大変だったはずで、経産省の中からボトムアップで上がってきたら、上がやりたくないと言うはずの案件だった」。 元経産官僚の宇佐美典也氏は「財務省の人と話をしていてよく聞く話だが、なぜ経産省出身者がこんなに活躍したのかといえば、それは経産省の人が一番経産省の将来を見限ったからだという。つまり、経産省として霞が関でプレゼンスを上げることは諦めて、どれだけ官邸に人を送り込むかということに専念した結果だということだ。それでマクロ経済政策はよく見えないけれど、ミクロで岩盤規制など、打てる手は全部打つみたいな官邸になった。しかし、これが永続するわけではない。人事を通じて官邸の権力が拡大し、これが完全にシステム化したので、次の政権では誰が官邸に入り込むのかということが問題だ」との見方を示した。(ABEMA/『ABEMA Prime』より)』、「“経産省内閣”ではなく“官邸官僚内閣”」とは言い得て妙だ。経産省や財務省で優秀な官僚の退職が相次いでいるのも、「“官邸官僚内閣”」の影なのだろうか。
タグ:ここまでのし上がって来るには、どれほどの「無理」を重ねてきたのだろうと考えると、就任早々、醜聞が噴き出す可能性は大 官邸にいる官僚のパワーが強く、インナーで決定するような形になっている。あえて言えば“官邸官僚内閣”だ この数年、財務省もそうだが、経済産業省の若手もかなり辞めている 「安倍政権は“経産省内閣”ではなく“官邸官僚内閣”だ 経産省出身者が集まったのはナゼ?」 Abema TIMES 担ぐのがうまい人間が頂点に立つとどうなるか 「菅の悲願は、受信料の義務化を通じた事実上の国営放送化である」 菅氏が力を入れる「NHKの国有化」 安倍はそれを意図して、突然、辞任したのではないかと思っている。裏で菅を操り、任期明けの来年9月には「安倍再登板」の声が高まり、3度目の政権復帰を目論んでいる 安倍よりさらに軽い神輿になりそうな菅は、派閥のいいなりになるのではないか 「菅のいない菅政権」は成り立つのか 『この法律が軍靴で沖縄を踏みにじる結果にならないように、私たち古い苦しい時代を生きてきた人間は、国会の審議が再び大政翼賛会にならないように、若い皆さんにお願いしたい』議場は騒然となる 野中 両親は戦争の被害者であるのに、なぜ? 師匠・梶山静六は「憲法改正」反対だったが… 基本的にひきこもり的な性格なのであろうが、それを周囲の者や記者たちは「強面」と誤解しているのではないか 世間の声を把握するのは新聞の「くらし」欄 「翁長」氏が「2年後輩」だった 学生運動の最中、アルバイトをしながら法政大学へ 和三郎のいた開拓団376人のうち273人が亡くなっている 「満蒙開拓団」 父親 ソ連軍による惨劇から命からがら逃れた 菅義偉という人間を多くの国民は知らない 「安倍の政策を引き継ぐ」と主張するが… 「"苦労人"菅氏の生い立ちから見える「菅義偉政権」の危険な兆候 恩師の平和主義に「そこは俺と違う」」 元木 昌彦 PRESIDENT ONLINE 「政治の私物化」がより強化される恐れ 「和泉洋人首相補佐官」を守ったとは、よほど使い易い人物なのだろう 異を唱える者は徹底的に排除する方針 司会者から「簡潔にお願いします」と注意が入り、菅氏からは「早く結論を質問してくれれば、それだけ時間が浮く」などと皮肉ってかわされ、番記者とおぼしき人たちから大きな笑いが起きた 菅氏は“根回し”や気配りに長けている 「菅義偉氏の天敵・望月記者が語った彼の長所・短所と「もし菅氏が総理になったら」」 たかまつなな 週刊女性PRIME 野党の側も、政権を担当した時の組織の病根を放置したままでは、政権奪還など「夢のまた夢」である 当時、菅首相の不当な指示に、国交大臣として異を唱えることなく唯々諾々と従っておきながら、今になって、自分は菅首相の不当な命令を受けた被害者であるかのように語る前原氏の態度も信じ難いものだ 「民主党政権」にとって、「指揮権発動」は避けたいとの配慮で、「すべて検察の責任において行ったように検察側が説明し、内閣官房長官がそれを容認する発言をした」、可能性 010年9月7日に尖閣諸島沖の領海内で発生した海上保安庁巡視船と中国漁船の衝突事件で、当時の菅直人首相が、逮捕した中国人船長の釈放を求めたと明らかに 前原誠司元外相 「「尖閣船長釈放問題」での菅政権の対応の総括なくして、野党復活はない」 郷原信郎 yahooニュース (その49)(「尖閣船長釈放問題」での菅政権の対応の総括なくして、野党復活はない、菅義偉氏の天敵・望月記者が語った彼の長所・短所と「もし菅氏が総理になったら」、"苦労人"菅氏の生い立ちから見える「菅義偉政権」の危険な兆候 恩師の平和主義に「そこは俺と違う」、安倍政権は“経産省内閣”ではなく“官邸官僚内閣”だ 経産省出身者が集まったのはナゼ?) 日本の政治情勢
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今日は更新を休むので、明日にご期待を!

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