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通信(5G)(その1)(「5G」に決定的に乗り遅れた日本、挽回のために今からできること 「6G」とか言ってる場合じゃない、NTT-NEC提携「5Gでファーウェイに対抗」の嘘、対ファーウェイ国産5G連合で蘇る 日本メーカー中国携帯市場「惨敗」の記憶) [産業動向]

今日は、通信(5G)(その1)(「5G」に決定的に乗り遅れた日本、挽回のために今からできること 「6G」とか言ってる場合じゃない、NTT-NEC提携「5Gでファーウェイに対抗」の嘘、対ファーウェイ国産5G連合で蘇る 日本メーカー中国携帯市場「惨敗」の記憶)を取上げよう。これまでは、携帯・スマホとして4月1日に取上げた。

先ずは、1月29日付け現代ビジネスが掲載した経済評論家の加谷 珪一氏による「「5G」に決定的に乗り遅れた日本、挽回のために今からできること 「6G」とか言ってる場合じゃない」を紹介しよう。
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/70087?imp=0
・『今年の4月から、国内でも本格的な5G(第5世代移動通信方式)の商用サービスがスタートする。日本は5Gの整備で出遅れたとの指摘があり、実際、アジア地域では、中国主導で5Gのインフラ整備が急ピッチで進んでいる。だが、通信インフラというのは、ただ整備すればよいわけではなく、どのようなサービスを展開できるのかがむしろ重要である。 中国に対抗するため、さらに次の規格であるポスト5G(6G)の開発を強化すべきとの意見もあるようだが、日本が注力すべきなのは6Gの基盤整備ではなく、まずは5Gにおいて画期的なサービスを開発することである』、日本が「決定的に乗り遅れた」「5G」で挽回策はあるのだろうか。
・『スマホ利用者のメリットはそれほど多くないが…  5Gは、現在主流となっている4G(もしくはLTE)に続く次世代モバイル通信規格のことである。LTEと4Gは厳密には異なる規格だが、業界内ではLTEも4Gに含めるとの合意ができているので、これも4Gとみなしてよいだろう。今、携帯電話を持っている人の大半は、LTEか4Gなので、5Gが本格的に普及することになれば、10年ぶりに通信規格が抜本的に変化することになる。 5Gの最大の特徴は圧倒的な通信速度である。5Gにおける最大通信速度は毎秒20ギガビットとなっており、毎秒200メガビットから1ギガビット程度だった4Gと比較すると、20倍から100倍の速さになる。これはピーク時の通信速度なので、実際はその半分くらいに速度が落ちると思われるが、それでも現状と比較して劇的に速いのは間違いなく、電波の状況がよければ、大容量の動画もほぼ一瞬でダウンロードできるはずだ。 もうひとつの特徴は多数同時接続で、一度に大量の機器が同時に接続できる(従来の30〜40倍)。スマホだけでなく、家電や自動車のセンサーなどあらゆる機器をネットにつなげるという話が現実的になり、IoT(モノのインターネット)を実現する基礎インフラになることが期待されている。 一般的なスマホの利用者からすると、毎日、大量の動画を視聴する人を除けば、それほど大きなメリットが感じられないかもしれない。5Gのサービスについて、今ひとつピンと来ていない人が多かったのはそのためである。だが、5Gを新しい産業基盤として捉えれば、このインフラが持つポテンシャルは大きく、活用次第では極めて大きな経済効果が見込めるだろう』、「ピーク時の通信速度」が「20倍から100倍の速さになる」、とはいっても、「一般的なスマホの利用者からすると」「それほど大きなメリットが感じられないかもしれない」、なーんだ。
・『基地局市場での日本メーカーの存在感はゼロ  では、5Gが国内で盛り上がりを見せているのかというとそうでもない。通信行政を担当する総務省は以前から5Gの推進に力を入れており、一部メディアでは「5Gが日本の未来を切り拓く」といった仰々しいタイトルを付け、宣伝に躍起になっている。 だが、グローバルに見た場合、5Gにおける日本の存在感は薄く、仮に国内で5Gの基盤整備を政府が支援しても、誰がトクするのかという状況に陥っている。その理由は、5Gにおけるインフラ整備のカギを握る基地局市場において日本メーカーのシェアがゼロに近い状況まで落ち込んでいるからである。 世界の基地局インフラ市場でトップに立つのは中国のファーウェイ(華為技術)で、2位はスウェーデンのエリクソン、3位はフィンランドのノキア、4位は中国のZTEとなっており、これに韓国サムスンが続くという図式になっている。日本メーカーのシェアはわずか2%程度しかなく、基地局ビジネスではほとんど存在感がない。 日本の携帯電話各社は、5Gの整備において当初、ファーウェイ製品の導入を検討していたが、米国によるファーウェイ排除の動きが本格化したことから、同社製品の導入は断念した。本来であれば、日本メーカーから調達すれば済む話だが、日本メーカーは通信各社に5Gの基地局機器を十分に提供できるだけの能力がなく、結局、各社はノキアやエリクソンから調達せざるを得ない状況となっている。 アジア各国は、米国の禁輸措置などお構いなしでファーウェイ製品の導入に走っており、もはやファーウェイなしでは5Gのインフラは成り立たない状況になっている。本来であれば、米国の禁輸措置が発動されれば、雪崩を打って日本メーカーに切り換えたはずだが、日本側にはファーウェイに対抗できるだけの製品がなく、なすすべがないというのが現実だ』、せっかくの「米国によるファーウェイ排除の動き」に「日本メーカー」が「なすすべがない」というのは残念だ。
・『重要なのはハードでなくサービス  一部の論者は、日本は5Gのインフラ整備で出遅れてしまった現状を打開するため、さらに次世代の規格である6Gの開発を強化すべきと主張している。だが、通信インフラというものがもはやコモディティ化し、高度なITサービスが普及する現代社会においては、ハードウェアの開発だけに注力するというのはナンセンスである。 日本企業は1990年代以降、急速に国際競争力を低下させたが、その要因のひとつとされているのが、ソフトウェアに対する理解不足である。1980年代までは基本的にハードウェア分野における性能向上が重要なテーマだったが、1990年代以降は、ソフトウェアを使った製品開発が競争力のカギを握るようになった。日本企業はここで完全に出遅れ、現時点でもそれを挽回できていない。 「そんなこと分かっている」などとは決して考えないで欲しい。 事実、通信インフラ整備でも話題になるのはハード面ばかりであり「5Gで中国メーカーに負けたので、6Gの開発を強化すべき」というのは、まさにこうしたハードウェア偏重の価値観がいまだに残っていることを如実に示している。つまり日本の産業界はハード偏重の思考回路からいまだに脱却できていないのが現実なのだ。 センサー類などのハードウェアは日本に強みがあるという見解も同じである。確かにそのセンサーを製造できたメーカーは儲かるだろうが、それは全体からすればごくわずかな金額に過ぎず、マクロ的な影響は極めて小さい。 IoTが標準となるこれからの時代は、ソフトウェアとサービスの重要性がさらに高まってくる。5Gのインフラを使った画期的なサービスが立ち上がれば、ハードウェアなどとは比較にならないレベルの経済効果を得ることができる。経済圏全体で見れば、6Gへの開発原資など簡単に捻出できるだろうし、おのずと6Gへの課題も見えてくるだろう』、「1990年代以降は、ソフトウェアを使った製品開発が競争力のカギを握るようになった。日本企業はここで完全に出遅れ、現時点でもそれを挽回できていない」にも拘らず、「日本の産業界はハード偏重の思考回路からいまだに脱却できていないのが現実」、とは情けない。
・『イノベーションを起こすために  つまり通信インフラをどう整備するのかではなく、そのインフラの上でどんなサービスを構築できるのかが将来のカギを握っている。では、5Gのインフラを使った画期的なサービスを実現するには、何が必要だろうか。 もっとも重要なのは、ターゲティングポリシー(特定の産業分野を政府が戦略的に育成する産業政策)に代表される予定調和型の支援策ではなく、できるだけビジネスの邪魔にならないよう環境整備を行うというパッシブな政策である。 これまで画期的なイノベーションというものが、事前の予想と、それに基づく集中投資で生まれてきたケースはほとんどない。画期的なイノベーションや破壊的イノベーションというのは、常に想像もできなかったところから誕生してくる。当然のことながら5Gにもそれはあてはまり、今の段階でどのようなサービスが出てくるか予想することは難しい(予想できるサービスというのはたいてい陳腐なものである)。 こうしたイノベーションを産業として実用化するにあたってもっとも大事なことは、周囲が邪魔をせず、具現化した時には一気にこれを普及させるスピード感と社会的コンセンサスである。 日本はドローンや自動運転の分野で高い優位性があったにもかかわらず、新しいものを危険視し、排除する論理が働いたことで開発が進まず、米国や中国に完全に抜き去られてしまった。5Gがスタートした後は、多くの産業用機器がリアルタイムでネットに接続され、まったく新しいサービスが誕生してくる可能性が高い。だが、今までのような、原則禁止のスタンスでは、多くのイノベーションが葬られてしまうだろう。 一方で新しいサービスにはトラブルが付きものであり、何か問題が発生した時には、迅速な対応が必要となる。政府の果たすべき役割は、新しいモノを排除しないよう環境整備を行うことに加え、何か重大なトラブルが発生した時には即座に対応するというメリハリの効いた産業政策である』、説得力溢れた主張で、同感である。「予定調和型の支援策」に走りがちな経産省にも猛省が必要なようだ。

次に、8月13日付けNewsweek日本版が掲載した東大教授(中国経済・産業経済)の丸川知雄氏による「NTT-NEC提携「5Gでファーウェイに対抗」の嘘」を紹介しよう。
https://www.newsweekjapan.jp/marukawa/2020/08/nttnecg_1.php
・『<研究開発費でも特許件数でもファーウェイに遠く及ばず、今から追いつくのは不可能。では、この提携の本当の狙いは何なのか> 今年6月25日、NECはNTTから645億円の投資を受け入れ、NTTはNECの株式の4.77%を保有する第3位の大株主になった。新聞報道によると、資本提携の目的は次世代通信(5G) インフラの共同開発を推進し、世界トップの競争力を持つファーウェイに対する「対抗軸をつくる」ことなのだそうだ(『日本経済新聞』2020年6月25日)。 この報道には唖然とした。ファーウェイが昨年投じた研究開発費は1316億元(2兆785億円)である。それより二桁も少ない金額の投資によって「対抗軸をつくる」なんて、まるで風車に向かって突撃するドン・キホーテみたいである。その話を真に受けたかのように報じる日本のメディアもどうかしている。「たった645億円で『ファーウェイに対抗する』なんてバカなことを言っていますが」と解説付きで報じるべきではないだろうか。 その後の報道によれば、NECの新野社長は研究開発や設備投資に「645億円しか使わないということではない」(『日本経済新聞』2020年7月3日)と発言しているので、さすがに竹槍で戦闘機に対抗するような話ではないようである。それにしても、NECの2018年度の研究開発費は1081億円、NTTは2113億円で、両者の研究開発の総力を結集してもファーウェイの15%にすぎない。仮にNECとNTTのエンジニアがファーウェイの何倍も優秀だとしてもおよそ「対抗軸」にはなりえない』、「二桁も少ない金額の投資によって「対抗軸をつくる」なんて、まるで風車に向かって突撃するドン・キホーテみたいである」、「その話を真に受けたかのように報じる日本のメディアもどうかしている」、同感だ。
・『N T T-N E Cは世界9位  しかも、残念ながらNECとNTTのエンジニアがファーウェイの何倍も優秀だということを証明する客観的データはない。2019年秋までの時点で5Gの標準必須特許として宣言された特許ファミリー数を比較すると、ファーウェイが3325件で世界でもっとも多く、全体の15.8%を占めている(図参照)。韓国のサムスンとLG電子がそれに次ぎ、ノキア(フィンランド)、ZTE(中国)、エリクソン(スウェーデン)と世界の有力な通信機器メーカーが名を連ねている。 NECが持つ5Gの標準必須特許はわずか114件(0.5%)にすぎない。NTTドコモが754件持っているので、両者を合わせると868件(4.1%)になるが、これでも世界9位でファーウェイの背中は遠い。 日本の報道ではいまだに5Gに「次世代通信」というまくら言葉をかぶせることが倣いになっているが、すでに2019年に韓国、アメリカ、中国でサービスが始まり、日本でも今年始まったので、次世代というよりすでに「現世代」になりつつある。5Gの技術開発は各国のメーカーがめいめい勝手に行っているのではなく、「3GPP」という国際標準化団体に各国・各メーカーのエンジニアたちが集い、標準化した結果を年1回ぐらいのペースで発表している。今年7月にはその16番目のバージョンが出たばかりである。 5Gのサービスが各国で本格的に立ち上がるのはこれからであるが、技術開発の面では後半戦といってもいい段階に入りつつある。野球の試合に例えれば、ファーウェイ対NECの試合はすでに5回裏まで進んでおり、3325対114でファーウェイが大きくリードしていた。そこでNECはNTTと連合チームを組むことにしたが、それでもファーウェイの選手たちの年俸総額が2兆円、NEC-NTT連合の年俸総額が3000億円では、後者に勝ち目があるとは到底思えない。 「ファーウェイ対抗軸」というには余りに小粒な645億円の出資には、報道とは異なる別の意味があるように思われる。 5Gのように2万件以上もの特許が絡むハイテク機器の場合、一つ一つの特許についてライセンシング契約を結ぶような煩雑なことはやっていられないので、関連特許をまとめて特許プールとし、5Gに関わる機器を作るメーカーはその特許プールに対してロイヤリティや特許料を支払う。ファーウェイ、サムスン、LG電子、ノキアなど、技術的な貢献が特に大きい企業はクロスライセンシングを行ってロイヤリティを支払わずに標準必須特許を利用できるようになる可能性が高い。 一方、NECのように貢献が小さい企業の場合は、特許プールに対してロイヤリティを支払わない限り5Gの基地局などの機器を作ることは許されない。NECには、5Gの技術開発をするためではなく、5Gの機器を作るために資金が必要なのだ』、「N T T-N E C」の「5Gの標準必須特許は・・・868件(4.1%)になるが、これでも世界9位でファーウェイ(3325件)の背中は遠い」、「技術的な貢献が特に大きい企業はクロスライセンシングを行ってロイヤリティを支払わずに標準必須特許を利用できるようになる可能性が高い」、この特許の格差は表面的な数字以上に大きいのかも知れない。
・『N E Cに対する「温情出資」?  そもそもNECの通信インフラ機器の主たる販売先である日本に関しては、日本政府が通信インフラから中国製品を排除するよう暗黙の指示をしているため、「ファーウェイに対抗する」と肩をいからせなくても、最初から敵はやってこないのである。NECが日本国内の通信インフラ機器市場において対抗しなければならないのはむしろノキア、エリクソン、サムスンといった中国勢以外の通信機器メーカーである。これら外国勢は図からもわかるように5G技術への貢献が大きいので、ロイヤリティの負担が少なく、NECより有利である。645億円の出資は、要するに外国勢との競争においてNECに下駄をはかせてやろうという温情を反映したものなのではないだろうか。 NECが「電電ファミリーに戻るつもりは毛頭ない」だとか、NTTとタッグを組むことで「世界に打って出る」というNECの新野社長の言葉(『日本経済新聞』2020年8月3日)はとても空しく響く。一般に、企業間で出資が行われると、出資元を「親会社」、出資先を「子会社」と呼ぶ。つまり、今回の出資によってNECとNTTは「ファミリーになった」のであり、「ファミリーに戻るつもりはない」という言葉は意味不明というほかない。 ドコモの親会社でもあるNTTが、通信機器サプライヤーであるNECと出資関係を持つことは利益相反に陥る危険性のある行動である。通信業者としてのNTTやドコモにとって、購入する通信機器は安いほうが自社の儲けは大きくなる。ところが、通信機器サプライヤーが自社の関連会社だということになると、遠慮なく買い叩くわけにもいかなくなる。NTTとドコモは、NECの機器が高くて性能も悪いのに、関連会社だという温情にほだされて買い支えることによって、自社の儲けを削る羽目に陥るかもしれない。 「世界に打って出る」というのも、NECが過去20年間に何度も繰り返してきた空約束にすぎない。例えば、2000年には当時NECの社内カンパニーの一つであった「ネットワークス」(通信機器や携帯電話)の海外売上比率が30%ほどだったのを「中期的には約50%に高めたい」としていた。しかし、実際にはNEC全体の海外売上比率は下落し、2002年には22%まで落ちた。 2004年には「海外携帯電話機市場が成長の柱」であると強調していたが、実際には2006年末に海外の携帯電話機市場から全面的に撤退した。2007年には会社全体の海外売上比率を30%以上にすることを目標にしていたが、実際には2010年に15%まで落ちた。その後海外売上比率は上昇に転じたものの、2018年度の時点でも24%にすぎない』、「企業間で出資が行われると、出資元を「親会社」、出資先を「子会社」と呼ぶ。つまり、今回の出資によってNECとNTTは「ファミリーになった」のであり、「ファミリーに戻るつもりはない」という言葉は意味不明というほかない」、「「世界に打って出る」というのも、NECが過去20年間に何度も繰り返してきた空約束にすぎない」、手厳しい批判である。
・『「やってる感」の演出か  以上のようにNECとNTTの資本提携に何らかの積極的意義があるとは思えないのだが、気になるのはその背後で日本政府の意向が働いているらしいことだ。『日本経済新聞』(2020年6月26日)の記事をそのまま引用すると、「『国内の機器メーカーを世界で戦えるようにするのが主眼だった』。経済産業省幹部は提携の狙いをこう話す。」 ――実に不可解な一文である。提携した主体はNTTとNECであるはずなのに、なぜ経済産業省幹部がその狙いを説明するのか? それは今回の資本提携が経済産業省の働きかけによって実現したものだからだ、と解釈すれば、この不可解な一文も理解可能となる。 NECの幹部たちは、世界の移動通信インフラ市場で30.8%のシェアを持ち、研究開発費に年2兆円も投じるファーウェイに、シェアわずか0.7%の自社がとうてい太刀打ちできず、せいぜい日本市場を他の海外勢に奪われないようしがみついていくしかないことをよく認識しているはずだ。しかし、政府・経済産業省からはもっと海外市場へ打って出ろとハッパをかけられる。そこでオールジャパンで「やってる感」を演出してみた、というのが今回の提携劇ではないのか。 そもそも日本は中国に比べて5Gに対してシラケており、いっこうに期待感が盛り上がってこない。中国では5Gサービスへの加入者が2020年6月時点ですでに1億人を超えている。(中国移動が7020万人、中国電信が3784万人、中国聯通は発表なし)。一方、日本では、2020年3月末時点のドコモの5G加入者数はわずかに1万4000人である。(他の2社は不明)。 中国政府は、コロナ禍で傷んだ経済を立て直すために、今年は「新型インフラ建設」を打ち出し、5Gのインフラもその一環として建設が推進されている。今年6月時点で中国移動は全国で14万基、中国電信と中国聯通は共同で14万基の5G基地局を設置しており、年内にはそれぞれ30万基以上の基地局が整備される見込みである。これだけの基地局が整備されると、南京市、成都市といった各省の中心都市ばかりでなく、蘇州市、常州市といった全国293の地区レベルの都市でも中心市街地で5Gサービスが使えるようになる(『経済参考報』2020年6月10日)。 一方、ドコモの場合、2020年7月時点で5Gサービスが使える場所は、ドコモショップの店内など全国でわずか262か所である。5Gサービスに加入したとしても、お店でちょっと使ってみることしかできず、外に出たらもう使えない、というのでは、誰も加入したいとは思わないであろう。ドコモの目標は、2021年6月までに基地局の数を全国で1万基に増やすというおっとりしたものであり、スタートダッシュにおける中国との差は歴然としている』、「ドコモ」の目は、競争の緩い国内市場だけに向けられているのだろうか。
・『技術革新の主役から脇役へ  こうしたドコモの不熱心さは、中国の通信会社と比べて不熱心であるばかりでなく、約20年前のドコモ自身と比べても不熱心である。 2001年にドコモが世界に先駆けて第3世代(3G)の通信サービスを始めたとき、それはそれは熱心に携帯電話の世代交代を推進した。ドコモは3年間に1兆円の設備投資を行って日本全国に3Gの基地局網を整備した(『産経新聞』2002年3月12日)。そればかりか欧米や香港の通信会社に対して1兆9000億円もの投資を行い、3Gへの移行を世界的に推進しようとした。ドコモの3Gへの積極投資は、日本が技術的に孤立した第2世代(2G)を早く終わらせたいという動機に基づいていた。 いまのドコモに往時のような熱心さはない。5Gの基地局の整備には2023年度までに1兆円を投じる方針だという(『日本経済新聞』2020年7月10日)。20年前には3年間で1兆円を投じたのが、今は4年間で1兆円である。3Gの時にはドコモなど日本勢は技術革新の主役だったのが、5Gにおいては脇役にしか過ぎない。そうした認識が5Gに対する不熱心さの背後にあるのかもしれない。 しかし、日本の通信会社やメーカーにはぜひとも5Gへの転換を推進してもらいたい。コロナ禍のなかで、オンラインで授業したり、会議をする機会が多くなり、最近はテレビでもオンラインで出演する人も増えている。そのたびに、もっと動画の画質や音質が良ければ、との思いを禁じ得ない。オンラインでの活動が多くなると、現状の通信インフラ能力にボトルネックがあることが意識される。 5Gの機器の選択においては国内メーカー、海外メーカーを問わず、公平な基準で選んでもらいたい。ファーウェイの機器が使えるのであればそれがベストではないかと思うが、アメリカの圧力でそれが難しいのであれば他の外国メーカーでもいい。「ファミリー」に対する情にほだされて高価な国産機器を選ぶ愚は避けてもらいたい。 それでは日本企業はどうなるのか、と詰問されそうだが、世界の移動通信インフラ機器市場でNECのシェアが0.7%、富士通のシェアが0.6%という現状から挽回するのははっきり言って無理だと思う。日本企業は別の土俵で勝負すべきではないだろうか。 5Gの通信機器などハード面での技術開発においては前に述べたようにすでに後半戦に入っていると思われる。一方、5Gを応用したサービスは、5Gがある程度普及してから立ち上がってくるはずであり、戦いはこれからである。5Gを使って遠隔医療ができるとか、自動運転ができるとか、前宣伝は多いが、そうしたアイディアに中身を与えていく作業はこれからである。日本企業にはぜひ5G応用サービスで創造性を発揮してもらいたい』、「ドコモの3Gへの積極投資は、日本が技術的に孤立した第2世代(2G)を早く終わらせたいという動機に基づいていた」、ガラパゴス化した「2G」のみっともなさからの脱却を急いだのだろうか。「アイディアに中身を与えていく作業はこれからである。日本企業にはぜひ5G応用サービスで創造性を発揮してもらいたい」、同感である。

第三に、7月2日付けダイヤモンド・オンラインが掲載した作家・ジャーナリストンの莫 邦富氏による「対ファーウェイ国産5G連合で蘇る、日本メーカー中国携帯市場「惨敗」の記憶」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/241958
・『NTTがとった悪手  数日前に、東京大学社会科学研究所の丸川知雄教授のフェイスブックでの以下のような趣旨の投稿を読んだ。 「NTTがNECに600億円出資してファーウェイに対抗する国産5G連合を作るという話は、まったく意味不明だ。ファーウェイとNECの5Gに関する特許数も、日本と中国の5G加入者数も雲泥の差だ。これを覆すのに600億円の投資では全く足りない。 NECの世界シェアから見ても、安く高性能な5G機器を作れるとは思えない。しかし親会社が出資した手前、ドコモはNECから機器を買わざるを得ないだろう。NTTファミリー復活は失敗への道だ」(丸川教授のFacebookより筆者要約) 丸川氏の研究テーマは、(1)中国の産業集積に関する研究、(2)電子産業と自動車産業に関する研究、(3)再生可能エネルギー産業に関する研究、(4)日中経済関係に関する研究となっている。 私が関心を持つ分野とかなりダブっているので、常に丸川教授の発言などを注意深くチェックしている。しかし、この発言にはさすがに驚いた。 あまりに辛口の発言に、私も記憶が刺激され、携帯電話関連の往事をいろいろと思い出した』、「丸川教授」は第二の記事で紹介した。
・『日本のM社製携帯の「なめた仕様」  今から20年前のことだ。出張で中国に行く機会が増え、移動も激しくなった。連絡手段を確保するため、私は2000年に中国で使用できる携帯電話を買う決意をした。その数年前までは2万元(当時のレートでは約30万円)もした携帯電話は、その頃にはかなり値が下がっていた。 私は、選びに選んで日本のM社製の携帯電話を買った。1400元(当時のレートでは約2万1000円)だった。しかし、使ってみて分かったのは、国際化のイメージが強いM社が、まるで中国人消費者をなめたかのような製品開発をしていたということだ。 その携帯電話は電話番号を登録する時に、人名を漢字で入力することができないのである。ショートメッセージも漢字では書けない。漢字の国で商売をしているにもかかわらず、人名の登録もショットメッセージも、アルファベットを使わないとだめなのだ。その代わりオランダ語やイタリア語、ドイツ語などヨーロッパの言語はたくさん使える。 こうした事情が分かったとき、私は絶句した。メディアに「日本の携帯電話メーカーが中国戦略とそのビジネス姿勢を変えない限り、5年以内は中国市場から駆逐されてしまうだろう」と指摘し、日系携帯電話メーカーの敗北を心配した。 当時、中国の携帯電話市場における日本企業のシェアは4%前後だった。北京を訪れた日本の新華僑の友人に、次のような賭けを仕掛けたことがある。 「2時間以内に北京市内で日系企業製の携帯電話の広告を2つ見つけたら500ドル払う。逆の場合は私がもらう」と。しかし、友人は「中国問題を研究するお前の手に乗るもんか」と相手にしてくれなかった。このような賭けができるほど、携帯電話分野での日系企業の存在は中国市場に進出した当初から薄かったのだ。 案の定、数年が経つと、日本企業は中国の携帯電話市場から相次いで撤退した。シェア上位には日本勢の姿はそもそも最初から存在していなかったが、スマートフォン登場後、中国の携帯電話市場は米アップルのiPhone(アイフォーン)の独壇場となった。 2000年代初めは10社を超えた日本勢だが、2005年頃には見る影もなくなった。世界市場を見回すと、日本メーカーではソニー1社だけが、まだ世界展開を放棄していない』、「日本のM社製携帯」は漢字が使えず、「ヨーロッパの言語はたくさん使える」、そんな姿勢でやっていれば、「中国の携帯電話市場から相次いで撤退」、とは当然だ。
・『M社はその後の敗戦に気づいていた?  05年の年明け早々、パナソニックの携帯電話事業に関わる日本人が私のところにあいさつに来た。 「今年中に中国市場から撤退する」と教えてくれた。あの頃、私が使っていた中国向け携帯電話はパナソニックから提供されたものだった。その関係者の沈んだ表情を目にした私は、「私も2Gで中国市場に挑み続けていても、もう無理だろうと思うが、次の世代の携帯電話で失地挽回を計ればいい」と慰めの言葉をかけた。 しかし、彼は非常に冷静だった。彼が述べたことはいまでもはっきりと覚えている。 「2Gの失敗はもうどうしようもない。私たちの中国市場に対する認識は不足し過ぎるほど不足していた。しかし、次の世代の携帯電話、つまり3Gはもう戦えなくなるだろう。中国市場に改めて挑戦できる時期は早くても4Gだ。ひょっとしたら、5Gの時代になってからようやくそのチャンスが訪れるかもしれない」 その「かもしれない」のイントネーションに、私は「5G時代になってそのチャンスは訪れてこないのでは」と読み取れた。私たちは次に続く言葉が見つからず、私の事務所は重苦しい空気に包まれた。 「こんな結果になるとは予想していなかった。早くその失敗の兆しに気付ければ、中国市場についてはもっと力を入れて健闘できたはずだ。そうすれば、結果ももう少し違ったものになったかもしれない……」 その関係者のやや歪んだ表情に、悔しさが色濃くにじみ出ていた。 だが、いくら後悔してももう間に合わない。ビジネスは厳しいものだ。日本の携帯電話メーカーにとって、中国市場はみるみる遠ざかってしまった。それだけではなく、事業存続の基盤としての日本国内市場も次第に失われていくのではないかと私はみていた』、「M社」を始めとする「日本の携帯電話メーカー」のかつての思い上がりは、取り返しのつかない結果をもたらしたようだ。。
・『二人の日本人識者の辛口論評  パナソニックの携帯電話問題を指摘してから、あっという間に20年間の歳月が過ぎ去ってしまった。5Gと中国市場における携帯電話の失地挽回問題を語ったあの夜から数えても、15年の年月が、川の流れのように音を立てて去っていった。 丸川氏がfacebookにシェアした松永裕司氏の記事『5G連合「NTT x NEC」の資本提携は、脱ガラパゴスの鍵となるのか』(Forbes JAPAN、6月29日配信)にも、四川料理に勝るとも劣らない辛い内容が書かれている。 NTTとNECの資本提携については、「この背景には中国のファーウェイ排除の動きによる追い風がある。5Gの基地局など通信インフラのシェアは、ファーウェイの30%を筆頭に、エリクソン、ノキアの3社が市場の4分3を占める。国内トップとされるNECでさえ、全世界のわずか0.7%のシェアしか持たない」と松永氏は厳しい視線を投げかけている。 NECの新野隆社長は記者会見で「『まず国内から』となっていたことが反省点」としたうえで、「日本発の革新的な技術、製品を創出し、グローバルに展開する」とその気概を明らかにした。 それに対して、松永氏は容赦なくメスを入れた。 「開発費に2兆円を注ぎ込むとされるファーウェイに対し、600億円の出資でどこまで巻き返しが可能なのか。事業会社ではなくホールディングスであるNTTがどこまで技術供与が可能で、ドコモなどのグループ企業を巻き込んで行くのかも気になる点だ。これまで国内市場を見つめてきた両社の共闘が、グローバルな視点からどこまで有効なのかは、お手並み拝見とするしかない」(松永裕司氏の前述の記事より) 人口1億2000万人という内需を抱えて来た日本国内メーカーは21世紀になった現在も、国内市場優先という哲学から抜け出せずにいる現状に対して、松永氏や丸川氏のような日本の識者たちが、焦りに似た諦観を見せている。 以下の批判からも、その諦めに近い気持ちが読み取れるのではないかと思う。 「国内トップとはいえ、NTTドコモのような会社では、数百万円から1000万程度のプロジェクト決済に数カ月かかるのは当たり前、億単位となると1年を要することもザラだ。生き馬の目を抜くようなグローバル社会において、ぬるま湯につかったスピード感で太刀打ちできるかは多いに疑問だ」 「平日の朝、『NEC村』とも呼ばれる東京・田町を歩いていると、白シャツと黒ズボンに鞄……画一化されたような出で立ちの人々が大きなビルに入っていくのは異様な光景にも感じてしまう。実績や能力による登用よりも、年齢や肩書きを優先する社会にこだわりながら、勝算を立てるのはなかなか難易度が高いだろう」 「国内だけで成長を遂げてきた企業が、発想や哲学の転換もなく、お互いの傷を舐め合うような資本提携で終わるようでは、未来はない」(いずれも松永裕司氏の前述の記事より)』、「二人の日本人識者の辛口論評」には全く同感である。
・『臭いものにふたをするな  こうした辛口の発言に、さらに思い出したことがある。 数年前、私が制作に関わったNHKの大型経済番組があった。当時、ソニー歴史資料館を訪れ、ヒット商品があまり出なかった1990年以降とそれ以前の時代との比較を意識しながら取材した。 しかし、編集段階で、日本企業の今の病を象徴している「1990年以降」の内容は全部カットされた。 NHKの編集担当者は「そのような内容を入れるのがソニーさんにとって可哀そうだから」と自らの行動を正当化した。編集会議に出た私は、「このような編集方針でやっていくと、まるで大本営発表になる」と反対の意見を述べた。 しかし、多勢に無勢。一外国人である私の意見が無言のうちに否定された。そしてそれ以降、編集会議に出るのも禁じられた。私もこうした“陸軍派”のようなテレビマンと精神的なソーシャルディスタンスを保つように心がけた。 その意味では、NTTドコモ出身の松永氏と、中国の産業集積に関する研究を重ねてきた丸川氏という、日本を代表する識者の発言にはより注意深く耳を傾けていきたい。 今の日本企業にとって、可哀そうだから、臭いものにふたをするという無責任なやさしさは不要なものだ。世界に通用するビジネスに挑戦したいなら、発想の転換なくして革新がもたらされないという認識をしっかりと共有できることが遥かに重要だ。久しぶりに辛い四川料理風のコラムを書いた。鬱陶しい梅雨の季節に、四川料理は多くの日本人ビジネスパーソンの口に合うだろう』、「NHKの編集担当者は「そのような内容を入れるのがソニーさんにとって可哀そうだから」と自らの行動を正当化した」、ありそうな話だ。「今の日本企業にとって、可哀そうだから、臭いものにふたをするという無責任なやさしさは不要なものだ。世界に通用するビジネスに挑戦したいなら、発想の転換なくして革新がもたらされないという認識をしっかりと共有できることが遥かに重要だ」、同感である。
タグ:ダイヤモンド・オンライン 「「5G」に決定的に乗り遅れた日本、挽回のために今からできること 「6G」とか言ってる場合じゃない」 現代ビジネス N T T-N E Cは世界9位 重要なのはハードでなくサービス 「NTT-NEC提携「5Gでファーウェイに対抗」の嘘」 企業間で出資が行われると、出資元を「親会社」、出資先を「子会社」と呼ぶ。つまり、今回の出資によってNECとNTTは「ファミリーになった」のであり、「ファミリーに戻るつもりはない」という言葉は意味不明というほかない 二桁も少ない金額の投資によって「対抗軸をつくる」なんて、まるで風車に向かって突撃するドン・キホーテみたいである」、「その話を真に受けたかのように報じる日本のメディアもどうかしている 丸川知雄 Newsweek日本版 政府の果たすべき役割は、新しいモノを排除しないよう環境整備を行うことに加え、何か重大なトラブルが発生した時には即座に対応するというメリハリの効いた産業政策である イノベーションを起こすために アイディアに中身を与えていく作業はこれからである。日本企業にはぜひ5G応用サービスで創造性を発揮してもらいたい 1990年代以降は、ソフトウェアを使った製品開発が競争力のカギを握るようになった。日本企業はここで完全に出遅れ、現時点でもそれを挽回できていない 「日本のM社製携帯」は漢字が使えず、「ヨーロッパの言語はたくさん使える」 N E Cに対する「温情出資」? ドコモの3Gへの積極投資は、日本が技術的に孤立した第2世代(2G)を早く終わらせたいという動機に基づいていた 編集段階で、日本企業の今の病を象徴している「1990年以降」の内容は全部カットされた 技術革新の主役から脇役へ せっかくの「米国によるファーウェイ排除の動き」に「日本メーカー」が「なすすべがない」というのは残念 20倍から100倍の速さ スマホ利用者のメリットはそれほど多くないが… 日本が「決定的に乗り遅れた」「5G」 5G(第5世代移動通信方式)の商用サービスがスタート 臭いものにふたをするな NHKの編集担当者は「そのような内容を入れるのがソニーさんにとって可哀そうだから」と自らの行動を正当化 NHKの大型経済番組 莫 邦富 今の日本企業にとって、可哀そうだから、臭いものにふたをするという無責任なやさしさは不要なものだ。世界に通用するビジネスに挑戦したいなら、発想の転換なくして革新がもたらされないという認識をしっかりと共有できることが遥かに重要だ 加谷 珪一 M社はその後の敗戦に気づいていた? NTTがとった悪手 (その1)(「5G」に決定的に乗り遅れた日本、挽回のために今からできること 「6G」とか言ってる場合じゃない、NTT-NEC提携「5Gでファーウェイに対抗」の嘘、対ファーウェイ国産5G連合で蘇る 日本メーカー中国携帯市場「惨敗」の記憶) 「対ファーウェイ国産5G連合で蘇る、日本メーカー中国携帯市場「惨敗」の記憶」 「やってる感」の演出か 通信(5G) 二人の日本人識者の辛口論評 基地局市場での日本メーカーの存在感はゼロ 日本のM社製携帯の「なめた仕様」 松永裕司氏の記事『5G連合「NTT x NEC」の資本提携は、脱ガラパゴスの鍵となるのか』 「世界に打って出る」というのも、NECが過去20年間に何度も繰り返してきた空約束にすぎない 技術的な貢献が特に大きい企業はクロスライセンシングを行ってロイヤリティを支払わずに標準必須特許を利用できるようになる可能性が高い 日本の産業界はハード偏重の思考回路からいまだに脱却できていないのが現実
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航空会社(その3)(乗客ゼロの旅客機が担う「知られざる重要任務」 平時でも、航空貨物の半分は旅客機が運ぶ、JAL・ANAにコロナ再編の波も 1社で十分なら3万人雇用は…、「JAL123」騒動が映す月日の流れと揺らぐ働く意義) [産業動向]

航空会社については、2017年4月20日に取上げたままだった。久しぶりの今日は、(その3)(乗客ゼロの旅客機が担う「知られざる重要任務」 平時でも、航空貨物の半分は旅客機が運ぶ、JAL・ANAにコロナ再編の波も 1社で十分なら3万人雇用は…、「JAL123」騒動が映す月日の流れと揺らぐ働く意義)である。

先ずは、本年5月15日付け東洋経済オンラインが掲載した交通ライターの谷川 一巳氏による「乗客ゼロの旅客機が担う「知られざる重要任務」 平時でも、航空貨物の半分は旅客機が運ぶ」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/349639
・『新型コロナウイルス感染症拡大の影響が世界的に広がっている。鉄道でも旅客数が激減しているが、貨物列車はJR貨物の4月輸送実績は前年同月比90.3%と、減ってはいるものの、旅客数の落ち込みほどではない。 新幹線など国内の長距離列車は青息吐息だが、貨物列車はそれなりに動いている。航空では多くの路線が運休となる中、北米や中国行きを中心にいつも通りに飛んでいる国際旅客便もある。運休にならない理由は、旅客便には航空貨物を運ぶという役割もあるためだ。多くの旅客便が運休になっていることから、飛んでいる便へ貨物が集中し、需要増で貨物運賃が高騰すらしているという。 われわれが思っている以上に旅客便は航空貨物を運んでいる。とくにワイドボディ機(客室通路が2列ある機体)は大きな貨物輸送能力を持っている。世界の航空貨物のうち、約半分が貨物専用便で運ばれ、残り半分は旅客便の床下で運ばれている。貨物専用便のほうが多くの貨物が運べるが、旅客便は便数が多いのでこのような結果になる。 その旅客便が運休になったことで、貨物が滞ってしまうのだ。そのため貨物専用便による臨時便を運航したり、旅客機に貨物だけ載せて運航したりしている。旅客便は貨物も運ぶことで成り立っていたので、旅客がいないからといって簡単に運休にできない路線も多いのだ』、「世界の航空貨物のうち、約半分が貨物専用便で運ばれ、残り半分は旅客便の床下で運ばれている」、「旅客便は貨物も運ぶことで成り立っていたので、旅客がいないからといって簡単に運休にできない路線も多いのだ」、「旅客便」で運ばれる「貨物」が想像以上に多いようだ。
・『旅客がいなければもっと運べる  それでは旅客機の床下にどのくらいの貨物スペースがあるだろうか。旅客機の床下中央は主翼であり燃料タンクで、機首側には前脚(前の車輪)が収納されているが、それ以外は貨物スペースである。 同じ大きさのボーイング777-200(旅客機)と777-200F(貨物機)を貨物室の容積で比べると、旅客機の床下に150㎥、貨物機は機体全体が貨物室なので653㎥の大きさがある。貨物機は旅客機の4倍の容積があり、圧倒的な輸送力があるように思える。 しかし、話は単純ではない。貨物機に653㎥の大きさがあるといっても、重い貨物を満杯にすることは通常できない。そんなことをしたら、貨物だけで最大離陸重量になり、燃料をほとんど積めなくなってしまう。成田から関空まで飛ぶ程度なら可能だが。 ではどうするか。貨物専用便は重くて小さいものと軽くて大きいものをうまく組み合わせることで、重さ、容積をバランスさせることでアンカレッジまで飛べるくらいの燃料の重さを捻出し、機体性能を目一杯使って飛んでいる。 旅客機は150㎥の貨物スペースしかないものの、旅客や手荷物がなければ、貨物スペースは重い貨物で満杯にすることも可能だ。客室にマスクの入った段ボールを載せる映像もあったが、好んで客室に載せるはずはないので、少なくともその便の床下は貨物で満杯なのである。 日本航空は貨物専用便を運航していたが、破綻を機に運航を取りやめた。旅客便の床下だけでも多くの貨物が運べるというのが専用便撤退の大きな理由だ。逆にいえば、貨物専用便を運航している航空会社は、特大貨物を運べることが強みとなる。またボーイング747貨物機を運航している場合は、機首部の貨物ドアが開くので、長大物も運べる』、「貨物専用便は重くて小さいものと軽くて大きいものをうまく組み合わせることで、重さ、容積をバランスさせることで・・・機体性能を目一杯使って飛んでいる」、ただ積み込めばいいのではなく、工夫が必要なようだ。
・『航空貨物の中身は?  そもそも国際航空貨物として運ばれるものはどのようなものなのか。航空貨物は「速さ」がメリットで、通関も含めて船で1カ月かかるところを2~3日で運ぶ。しかし、運賃は船便の10倍くらいとなる。航空貨物向きなのは小さく軽く高価なもの、具体的には電子機器などである。 いっぽう、食料品は高級ワインなどを除くと船で運ぶのが主流で、航空便が使われるケースは減っている。なぜ減っているかというと、冷凍方法など輸送技術の進歩で、船便でも品質が損なわれることなく運べるようになったためだ。 需要形態にも特徴がある。旅客は気候や世界情勢などで需要が増減するが、貨物需要は安定していることが多い。日本、北米、中国などでたとえれば、アメリカに自動車生産ラインがあり、日本でパーツを、さらにそのパーツの部品を中国で生産していれば、航空貨物便はそれらを運ぶベルトコンベアーの役割を果たす。どこも在庫を多く持つことはしないので、航空貨物便が滞ると全体の流れに対する影響は大きい。いわば航空会社にとって貨物は、定期券で利用しているような需要になる。 旅客便の貨物需要は路線によっても大きく異なり、欧米や中国行きは旺盛な需要があるものの、リゾート路線などでは貨物需要は望めない。一般に欧米路線や中国便には、豪華なビジネスクラスが多い。それは出張需要に応えるためであるが、欧米への長距離便では、燃料もたくさん積まねばならず、旺盛な貨物需要にも応えたいので、エコノミークラスを多めにして定員を増やすことはできない。いっぽう、貨物需要の望めないリゾート路線では、旅客数を多くする必要がある。 旅客数の激減で経営が厳しいLCCが、貨物を増やして収入を補うことができるかというと、そうもいかない。大手の航空会社系列のLCCであれは、大手だけでは運びきれない貨物をLCCに分担させるということも可能であろう。しかし、多くのLCCが利用している機材はエアバスのA320やボーイング737といったナローボディ機(客室通路が1列の機体)で、貨物室が小さく、貨物輸送には適さない。A320には小さなコンテナ搭載も可能だが、737はバラ積みだけなので、貨物といえるような大きなものは積むことはできない』、「多くのLCCが利用している機材は・・・ナローボディ機・・・で、貨物室が小さく、貨物輸送には適さない」、なかなか上手くはいかないようだ。
・『かつての機体は有事も予測していた?  「旅客機は貨物も多く運べなければ経済性で優位に立てない」という考え方は、1970年代からあった。アメリカ製が独占していた旅客機市場にヨーロッパ製のエアバスが参入する際には、エアバスの機体は意図的に客室床面を機体中央よりやや上にずらし、貨物スペースを大きく確保した。客室スペースを少し犠牲にして貨物スペースを捻出したのである。 いっぽう、昔のボーイングには、今日のような事態を予測していたかのような機体もあった。747ジャンボ機にC型という機体があった。Convertible(コンバーチブル)の頭文字で、旅客型にも貨物型にも転用できる機体だった。窓があり旅客型であるが、貨物機として活用する場合、機首部分がぱっくり開き、長大貨物の搬出入が可能なほか、側面に貨物ドアも持っていた。アメリカのチャーター会社やイラク、イスラエルなどの航空会社が購入した。アメリカのチャーター会社は米軍輸送にあたることが多く、兵員を輸送することもあるが、物資輸送にも使われたのである。 新型コロナウイルス感染症の拡大が収束しても、しばらくの間は旅客の低迷が続くだろう。貨物の輸送も考慮しながらどうやって経営の舵取りを行うか、各社の経営陣にとって頭の痛い日々が続きそうだ』、我慢がどこまで続くか、経営の正念場のようだ。

次に、7月26日付けYahooニュースがマネーポストWEBを転載した「JAL・ANAにコロナ再編の波も 1社で十分なら3万人雇用は…」を紹介しよう。
・『コロナで航空業界は大打撃を受けた。2020年1~3月期は、JAL(日本航空)、ANAホールディングス(以下、ANA)ともに赤字に転落。両社の5月の旅客数(国内・国際線)は前年同月比で約94.7%減と壊滅的だ。【表】この1年の国内・国際線利用者数の推移(2019.5 806万人→2020.5 43万人 94.7%減) 国内線は政府と観光業界がゴリ押しする「Go Toキャンペーン」を頼みの綱とするが、“第2波”が迫るなか、世論の猛反対を受け、東京は対象外となり効果は限定的だろう。『経済界』編集局長の関慎夫氏が語る。 「テレワークなど新しい生活様式の普及で、人の移動が以前の状態に戻るとは考えにくい。市場規模縮小は避けられず、JALとANAの経営統合さえ机上の空論ではなくなる。もともと、人口3.2億人の米国が大手3社に集約されていることを考えれば、“1億人あまりの日本に大手は1社で十分”という議論はあったが、いよいよ現実味を帯びてくるのではないか」 ANAの社長、会長を歴任した大橋洋治氏(現相談役)はコロナの影響が拡大する最中に、「こんな小さな国で大手が2社も飛んでいる。1社で十分ですよね」と言及している(ダイヤモンド・オンライン、3月26日付)。 両社の従業員数(連結)はそれぞれ3万人を超える。「大手は1社でいい」となれば、“1社分=3万人の雇用”がどうなるのか。すでに両社は2021年度の新卒採用を中断・中止するなど、雇用への影響は表面化している。 「さらにANAは国内のLCC各社(ピーチ・アビエーション、スカイマーク、エア・ドゥ、ソラシドエア)を子会社か関連会社にしている。ANAの体力が削がれている状況ではLCCの統合や売却の可能性も排除できない」(関氏) 両社は「健全な競争環境を維持することで、運賃やサービス面などでお客さまに満足いただけるようになると考えています」(JAL広報部)、「他社との関係というよりも、自立的な経営を基本に(中略)市場で生き残り、事業を成長軌道に戻すことが重要」(ANA広報部)と説明する。 ただ、パイロットやCAなど、かつて“憧れの的”だった仕事に就く人たちの描ける未来図が、一変したことは確かだ』、「JALとANAの経営統合」については、初めて聞いただけで、まだ具体的な話ではなうようだが、現在の苦境にどれだけ耐えられるか、今後の注目点だ。

第三に、8月18日付け日経ビジネスオンラインが掲載した健康社会学者(Ph.D.)の河合 薫氏による「「JAL123」騒動が映す月日の流れと揺らぐ働く意義」を紹介しよう。
https://business.nikkei.com/atcl/seminar/19/00118/00087/?P=1
・『不思議なものでかれこれ20年近く、現場の声に耳を傾けたり、社会問題に関するコラムを書き続けたりしていると、時代の空気の変化を敏感に感じとることができる。 そんな私が思うのは、今、私たちは「働き方」「働かせ方」の大きな転換期にいるということ(これは誰もが感じていることでしょう)。そして、この変化は、今、私たちが考えている以上に大きなプラスと、想像もしていなかった果てしないマイナスをもたらすってこと。いかなる変化もプラス面は分かりやすく、マイナス面は分かりづらい。その正体は、具体的な出来事が起きて初めて分かるものだ』、その通りなのかも知れない。
・『「取り返しがつかない事態」を予見する難しさ  少々、例えが悪いかもしれないけれど、戦後70年のときに行った戦争経験者たちのインタビューで、「気がついたら戦争になっていた」と多くの人たちが語っていたことを、最近思い出すことが多い。あるいは、産業革命の最中、工場から立ち上る黒い煙を見た科学者のスヴァンテ・アレニウスは、「この煙が私たちの生活に及ぼす悪影響に多くの人が気づいたときは、手遅れになる」と地球温暖化を憂いたことを思い浮かべる。 つまり、それらと同じような“変化”がこの先に待ち受けているのではないか。妙な楽観主義はやめ、今から一つでも多く、予想されるリスクへの事前の対処を考える必要があるのではないか。などと、考えてしまうのだ。 「おい! 何、大げさなこと言ってんだ!」と、叱られてしまうかもしれないけど、理屈じゃない。ただただそう感じるのだ。よほど私の“勘ピューター”が劣化していない限り、取り返しのつかない事態が近い未来に起きる気がして仕方がないのである。 と、しょっぱなから、えらくグダグダした書きっぷりになってしまったが、実はそのマイナス面の輪郭の一部が少しだけ見えたので、今回、あれこれ考えてみようと思った次第である。 テーマは……、「仕事への向き合い方」「危機対応」「会社であることの意義」……、ふむ、なんだろう。 とにもかくにも、先週8月12日のテレビや新聞の報道を見ていて、おぼろげに見えた輪郭と、深まった憂いを、「書いておかなきゃ!」という衝動にえらく駆られている。皆さまも、ぜひ、一緒に考えてくださいませ。 ご存じの方も多いかもしれないけど、8月6日、民間航空機の現在位置をリアルタイム表示するサービス、「Flightrader24」に表示されたある画像がTwitterに投稿された。 「NRT tokyo →N/A」と書かれた画像に映っていたのは、尾翼にツルのマークが描かれたボーイング777の機体で、物議をかもしたのがその「便名」だった。 「JL123」(JAL0123)。そう。昭和世代なら絶対に忘れることができない御巣鷹の尾根に墜落し、520人の命が奪われた航空業界最悪の事故。その事故機の「JAL123」)の便名が付けられた飛行機が、リアルタイムで飛んでいたのだ。 この画像は瞬く間に拡散され、「これは一体何だ?」「123便は永久欠番でしょ?」「操作ミスか?」と話題になり、一万回以上リツイートされた。コメントの中には、「以前にも123便を見たことがある」というのも含まれていて、「幽霊では?」と書き込まれるほどだった。 で、その後の報道で、飛行機が整備場などに向かうときに、実際のフライトと間違わないように任意の便名を付けることがあり、「JAL123」も“たまたま付けられた”ことが分かった』、「JAL123」騒動については、初耳だ。
・『便名は単なる「数字」ではない  「整備作業上の理由で任意の便名を設定する必要があったため、0123という数字を使用した。今後は便名設定時のルールを作成するなど、再発防止を図ってまいります。お騒がせすることとなり、大変申し訳ありません」(JAL広報部)、ということだったらしい。 これを受けて、再びSNSには、 「ってことは、事故を知らない人が増えてるってことでしょ?」「この投稿で123便のこと知ったって人もいるくらいだから」「知ってもらえてよかったね」 などという投稿が相次ぎ、思わぬ形で“事故から35年”という歳月の長さを痛感させられることになった。 中には「実際に運行してる飛行機と間違っちゃいけないなら、永久欠番の123をつけることは、ある意味安全なのでは?」という意見もあったが、航空業界で働いた経験を持つ一人として、コメントさせていただくと、便名は単なる数字ではない。 例えば、ANAの「NH001」便は、ANAが長距離国際線として最初期に就航したワシントンDC線の初便に付けられた便名で、私は今でもその「数字」を忘れたことはない。ANAがいまだに「NH」という航空会社コードを使っているのも、ANAの前身が「日本ヘリコプター輸送」であることに由来している。 私がANAに入社した当時、1週間伊豆山で新人研修があったのだが、「NH」の意味を死ぬほど教官にたたき込まれ、「ANA」という会社を作ってきた先人たちの歴史を教え込まれた。 当時、私はANAという会社に前身があったことも知らず、NHというコードに「何でANAなのにNH?」という疑問を抱くこともない、ノーテンキな新人だった。なので、教官たちから耳にタコができるほど、美土路昌一氏(初代社長)や岡崎嘉平太氏(第2代社長)たちの「民間の航空会社が国際線の空を飛ぶ夢にかけた思い」を聞き、ANAがいかに厳しい状況に追い込まれても、経営陣たちが社員を大切にしてきたことにえらく感動した。 と同時に、NH001便が就航するまでの苦労や、就航した後の機内サービスがいかに大変だったかを、ワシントンDCに飛ぶ度に先輩たちから繰り返し聞き、徐々に「ANAのCA」としての自覚が芽生えていったように記憶している。 であるからして、たかが数字されど数字。「JAL123」という便名が“たまたま”付けられていたという事実に、得体の知れない怖さを感じてしまったのだ。 実際、JAL123便の事故から35年もの歳月が過ぎ、事故の後にJALに入社した社員は全社員の96.5%を占める。事故後に生まれた社員も35%に達し、JALでは事故の教訓や空の安全の重要性を、社員にどう伝えていくかが課題となっているという。 JALの社員でなくとも、1985年、8月12日18時56分の瞬間を経験していると、あのとき「自分が〇〇にいた」という記憶と結びついているので記憶の箱から決して消えることはない。35年という歳月も、「もう、35年なのか」と時間の早さに驚くほどだ』、「ノーテンキな新人だった」、河合氏にもそんな時代があったのかと微笑んでしまった。「事故の後にJALに入社した社員は全社員の96.5%を占める。事故後に生まれた社員も35%に達し、JALでは事故の教訓や空の安全の重要性を、社員にどう伝えていくかが課題となっている」、やはり「35年という歳月」は事故を風化させるようだ。
・『安全とは何か、どこで育まれるのか  だが、35年といえば、生まれた子供が結婚し、子供を持ち、次世代を残すほどの長い時間だ。 長い。とてつもなく長い。 35年前の経験の教訓を、どう伝えていくのか? は、本当に難しいことだと思う。 そもそも「安全」とは何か? それを理解するには、前提として「なぜ、何のために、自分がここにいるのか?」という、仕事への信念=ミッションの獲得が必要不可欠である。 そして、その信念は、実際の現場でしか育まれない。 先輩たちと接し、言葉を交わし、訓練を繰り返し、年月をかけて仕事を共にすることで、自分の内部におのずと育まれる。 経験者から紡がれる言葉には絶対にまねできない「熱量」があり、その熱は同じ空間でフェイスtoフェイスのコミュニケーションでしか伝わらないものだ。 生きた言葉には、その言葉以上の意味がある。生きた言葉を受け取った人の心を動かすパワーがある。そして、その生きた言葉を繰り返し聞くことで、自分の中に“仕事への確信”が生まれるのだ。 私事で申し訳ないけど、私は御巣鷹の事故の3年後にANAに入社したが、たくさんの先輩たちから、123便のクルーが最後の最後まで、乗客の命を守ろうと必死だったと聞かされた。今振り返ると、おそらく先輩たちは「自分たちと同じように空を飛ぶ人」たちの信念を信じていたのだと思う。 そして、実際に数年前に公開された、JAL123便のボイスレコーダーには、先輩たちが信じていたことが残されていた。 機長(墜落32分前)「まずい、何か爆発したぞ」 機長(墜落6分前)「あたま(機首)下げろ、がんばれ、がんばれ」 副操縦士「コントロールがいっぱいです」 公開されたコックピットで格闘する高濱雅己機長(当時49歳)と佐々木祐副操縦士(当時39歳)の声からは、キャプテンたちが最後の最後まであきらめず、最後の一瞬までお客さんの命を守るために踏ん張っていたことが分かるものだった。 コックピットクルー、客室乗務員の最大の任務は「お客様の大切な命を守る保安要員」だ。 私はそのことを新人教育で教官から言われ続けた。だが、その教えを理解するまでにはかなりの時間がかかった』、「コックピットクルー、客室乗務員の最大の任務は「お客様の大切な命を守る保安要員」だ」、初めて知った。
・『「ミッションを自分と一体化させる」ことの意味  フライトの度に先輩から言われ、FE(航空機関士)さんからたくさんのマニュアルの入った大きなパイロットケースを持たされ、「重たいだろ? これが僕たちが人命を預かっているという仕事の重さだ」と教えられ、整備さんからは、「小さなことでも声に出して確認しながら整備しなきゃダメなんだ」と聞かされ、そして、あるとき自分が“失敗”し、「どんなにいいサービスをしても、保安要員であることを忘れたら、飛んでいる意味はない!」と、こっぴどく怒鳴られ、やっと、本当にやっと、「なぜ、何のために、自分がここにいるのか?」という仕事への信念=ミッションが、皮膚の下まで入り込んだ。 おかげでいまだに、緊急時の衝撃防止姿勢や脱出用のスライドを滑り降りるときの確認事項が即座に言えるし、CAを辞めた後の仕事でも、常に「なぜ、何のために、自分がここにいるのか?」を考えるようになった。 “ミッション”を自分と一体化させないと、必ずぶれる。そこに例外はない。 想定外の危機に遭遇しても、骨の髄までミッションが染み込んでいれば、「自分のなすべきことは何か? 自分にできることはどういうことか?」と、自らの正義に従い、危機に対峙できる。 自分がやるべきことに徹することで、最高の選択が可能になる。たとえそれが万事を解決せずとも納得できる行動が取れる。 一方、ミッションが忘れられてしまうと、効率性だけが重視され、自分の存在意義を自ら壊し、本来やるべきことがないがしろにされてしまうのだ。 ミッションはすべての仕事、すべての業種にあり、おそらく誰もが、私がそうだったように、先輩たちと仕事をする中で学び、「自分ごと化」してきたのではないか。JALなどの航空業界だけではなく、いかなる業種においても、「なぜ、何のために、自分がここにいるのか?」という信念が熟成されなければ、不幸な事故は起こるし、自分自身の職務満足感が満たされることもない。 それは「現場の力」が失われていくことでもある。 そういった先輩と後輩が、上司と部下が関わる機会が、今後ますますなくなってしまうのではないか? その転換期に今私たちはいるのではないか? そう、思えてならない。 既に「働き方」「働かせ方」の羅針盤は、「効率化」の方向に加速し、「クオリティー・タイム=質の高い時間」が重視され、「クオンティティー・タイム=量を伴う時間」は淘汰されていく可能性が高まっている。 コストパフォーマンスを最適化することは、「仕事・家庭・健康」という幸せの3つのボールを回し続けるためには必要だろう。 しかし、生産性や効率化とは一見無縁な無駄話や無駄な関わりでしか、育まれないものがある。 現場に必要な知識のかなりの部分は体系化するのが難しく、暗黙知のままにとどまり、人々の中に体現され、日常の業務や仕事のなかに現れ、引き継がれていくものだ。 極論を言えば、「職務満足感」という言葉さえ通じない時代がきてしまうかもしれないという危機感を抱いているのである。 最後に。以下はこれまで何回も、他のコラムでも書いているのだが、とても大切なことなので今年も書きます。 JAL 123便のボイスレコーダーが公開された当時、高濱機長のお嬢さんである、洋子さんはJALで働く客室乗務員だった。 ご自身もご遺族という立場なのに、墜落したジャンボ機の機長の娘であることから、事故当初から想像を絶する苦悩の日々が続いたそうだ。 「519人を殺しておいて、のうのうと生きているな」――。バッシングを容赦なく浴びせられたという。 そんな世間のまなざしに変化が起きたのは、ボイスレコーダーが公開されてからだった。 キャプテンたちの必死な、最後の最後まであきらめず、最後の一瞬までお客さんの命を守るために踏ん張っていた“声”を聞いたご遺族から、「本当に最後までがんばってくれたんだね。ありがとう」と言われたそうだ。 「ご遺族からの言葉を頂いたときには、本当に胸からこみ上げるものがありました。涙が出る思いでした。父は残された私たち家族を、ボイスレコーダーの音声という形で守ってくれたと感じました。私にとっては8月12日は、また安全を守っていかなければと再認識する、そういう一日かなと思います。父が残してくれたボイスレコーダーを聞き、新たにそう自分に言い聞かせています」(ボイスレコーダー公開時にメディアに洋子さんが語った内容より)』、「ミッションはすべての仕事、すべての業種にあり、おそらく誰もが、私がそうだったように、先輩たちと仕事をする中で学び、「自分ごと化」してきたのではないか」、航空会社で「安全」が確固とした「ミッション」であるとしても、他の業種では「ミッション」は時代により変化する可変的なもののなのではないだろうか。ただ、「現場に必要な知識のかなりの部分は体系化するのが難しく、暗黙知のままにとどまり、人々の中に体現され、日常の業務や仕事のなかに現れ、引き継がれていくものだ」、というのは他の業種にも共通するように思う。「JAL123」騒動をネタにここまで深く考察するとは、さすが河合氏の面目躍如だ。
タグ:貨物専用便は重くて小さいものと軽くて大きいものをうまく組み合わせることで、重さ、容積をバランスさせる 旅客便は貨物も運ぶことで成り立っていたので、旅客がいないからといって簡単に運休にできない路線も多いのだ 旅客がいなければもっと運べる 貨物機は旅客機の4倍の容積があり、圧倒的な輸送力があるように思える 機体性能を目一杯使って飛んでいる 航空会社 (その3)(乗客ゼロの旅客機が担う「知られざる重要任務」 平時でも、航空貨物の半分は旅客機が運ぶ、JAL・ANAにコロナ再編の波も 1社で十分なら3万人雇用は…、「JAL123」騒動が映す月日の流れと揺らぐ働く意義) 東洋経済オンライン 谷川 一巳 「乗客ゼロの旅客機が担う「知られざる重要任務」 平時でも、航空貨物の半分は旅客機が運ぶ」 世界の航空貨物のうち、約半分が貨物専用便で運ばれ、残り半分は旅客便の床下で運ばれている ミッションはすべての仕事、すべての業種にあり、おそらく誰もが、私がそうだったように、先輩たちと仕事をする中で学び、「自分ごと化」してきたのではないか 現場に必要な知識のかなりの部分は体系化するのが難しく、暗黙知のままにとどまり、人々の中に体現され、日常の業務や仕事のなかに現れ、引き継がれていくものだ 「ミッションを自分と一体化させる」ことの意味 コックピットクルー、客室乗務員の最大の任務は「お客様の大切な命を守る保安要員」だ 安全とは何か、どこで育まれるのか 事故の後にJALに入社した社員は全社員の96.5%を占める。事故後に生まれた社員も35%に達し、JALでは事故の教訓や空の安全の重要性を、社員にどう伝えていくかが課題となっている ノーテンキな新人だった 私がANAに入社した当時 便名は単なる「数字」ではない 「JAL123」騒動 「「JAL123」騒動が映す月日の流れと揺らぐ働く意義」 河合 薫 日経ビジネスオンライン JALとANAの経営統合さえ机上の空論ではなくなる 「JAL・ANAにコロナ再編の波も 1社で十分なら3万人雇用は…」 マネーポストWEB yahooニュース かつての機体は有事も予測していた? 、貨物室が小さく、貨物輸送には適さない ナローボディ機 多くのLCCが利用している機材は 船で1カ月かかるところを2~3日で運ぶ。しかし、運賃は船便の10倍くらいとなる 航空貨物の中身は?
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健康(その10)(「よく走る人ほど風邪ひきやすい訳」 「免疫力UP」の誘い文句は疑ったほうがいい、「熱中症」で見落とされがちな3つのポイント 水やお茶だけでは「水分補給」には不十分だ、高齢者の脳の若返りに有酸素運動が有効な理由、浅い眠り「レム睡眠」の長さが寿命に影響する?) [生活]

健康については、3月6日に取上げた。今日は、(その10)(「よく走る人ほど風邪ひきやすい訳」 「免疫力UP」の誘い文句は疑ったほうがいい、「熱中症」で見落とされがちな3つのポイント 水やお茶だけでは「水分補給」には不十分だ、高齢者の脳の若返りに有酸素運動が有効な理由、浅い眠り「レム睡眠」の長さが寿命に影響する?)である。

先ずは、5月10日付け東洋経済オンラインが掲載した神戸大学教授(感染症内科)の岩田 健太郎氏による「岩田健太郎「よく走る人ほど風邪ひきやすい訳」 「免疫力UP」の誘い文句は疑ったほうがいい」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/348107
・『なぜよく走る人ほど風邪をひきやすいのか? 日本人が知らない「免疫力の基本」について、2月に横浜港に停泊したクルーズ船「ダイヤモンド・プリンセス号」の内情を告発して注目を集めた、神戸大学感染症内科の岩田健太郎教授が解説。新書『新型コロナウイルスの真実』から一部抜粋・再構成してお届けする。  巷では「〇〇を食べたら治った!」みたいな話が出回っているようですが、基本的に取るに足りません。今のところ、新型コロナウイルスに関して「これをやったら治る」とか「予防に効く」ような食品はありません。 何しろ、現在の段階では、堅牢な臨床試験で証明された治療薬が存在しないわけですから、「私はこれ飲んだら大丈夫だった」みたいな納豆とかヨーグルトとか、ホメオパシーのレメディみたいなやつも全部でたらめだと思っていい。 そもそも、一般論として「免疫力アップ」という言葉はだいたいインチキだと思っていいんです。 ステロイドとか免疫抑制剤のように、免疫力を「下げるもの」の候補は世の中にたくさんあります。あとで説明しますが、免疫力を下げる行動もたくさんあります』、医薬品にも広告規制があるのに、「免疫力アップ」などの誇大広告が横行しているのは、下記のような厚労省の規制が緩過ぎるためなのだろう。有力医師のかなりが製薬業界から金をもらっていることもあって、「岩田」氏のような勇気ある告発は貴重だ。
https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/kenkou_iryou/iyakuhin/koukokukisei/index.html
・『そもそも「免疫力」とは何か?  でも、免疫力を総合的に上げる方法って、ないんです。それを理解してもらうために、「そもそも免疫力とは何なのか」についてお話ししましょう。 「免疫力」とは病原体に対抗する力、つまり生体防御反応の強さのことです。これは、強くなれば強くなるほどいいものではなく、むしろ害になります。 例えばアトピー性皮膚炎や喘息、花粉症、関節リウマチなどの症状は「自己免疫疾患」に分類されますが、これらは全部免疫力が高すぎるがゆえに起きた弊害です。 つまり、免疫力ってバランスなので、高すぎても低すぎてもダメなので、「免疫力アップ」を売り物にしている時点で、既に間違いです。 ぼくも学生の頃に、免疫細胞の機能に関する実験をしていましたけど、一般的に免疫力アップを謳う医者がいたら、その人はインチキだと決めつけてほぼ間違いないでしょう。 それではインチキでなく免疫力を上げる方法はないのかというと、一つだけあります(専門家であれば「他にもある」と反論するでしょうが、一般の方が知っておいたほうがいいのは「一つだけ」です)。それはワクチンです。 ワクチンは、特定の病原体に対する免疫力を高めて防御するもので、典型的なものは麻疹のワクチンです。 麻疹は普通の感染防御が全く通用しない、たいへん怖い感染症ですが、ワクチンはすごく効く。だからみんな麻疹に罹らなくて済んでいるんですね。 麻疹のウイルスは新型コロナウイルスなんかよりもはるかに感染力が強いですから、ワクチンがなかったら世界中麻疹だらけになって大変なことになっているわけで、我々が麻疹にならなくて済んでいるのは、ワクチンがあり、ちゃんと接種しているからなんです。 日本の感染症でいえば、日本脳炎も同様です。日本脳炎ウイルスは豚の中に生息していて、夏になると蚊を介して人間に感染します。じつは、豚の体内のウイルスを排除できないので、日本中、ウイルスだらけなんですよ。 でも日本脳炎って、今の日本ではめったに起きないですよね。それは子供の頃にちゃんと日本脳炎ワクチンを打ってるからなんです。 このようにワクチンは、我々は普段自覚はしないですけど、ちゃんと我々の体を守ってくれているんです』、「免疫力ってバランスなので、高すぎても低すぎてもダメなので、「免疫力アップ」を売り物にしている時点で、既に間違いです」、その通りなのだろう。
・『調子が悪い=ただの疲労  「免疫力」は、目に見えないので、自覚できないものです。「お酒を飲み過ぎて肝臓の調子が悪い」とか「食い過ぎて胃の調子が悪い」とかは自覚できるけど、「いま免疫が弱ってる」みたいなことは自覚できない。体の調子が悪いときに「ちょっと免疫が落ちてるな」みたいに言っちゃうこともあるでしょうが、それは免疫とはまた無関係な、ただの疲労のことが多いですね。 それではワクチン以外では免疫は変わらないかというと、一過的に下がることはよくあります。例えばぼくはマラソンをしますが、一般的に、フルマラソンをした後は数週間、免疫が下がるといわれてます。だからフルマラソンの後は風邪をひきやすくなるんですね。 マラソンのような無理をして免疫力が下がることはよくあるんですけど、かといってアップする方法はない。でもあえて言うならば、免疫力をメンテナンスする、正常な状態に維持する方法ならあります。 それは休養、睡眠、適度な運動……「適度」というのは、マラソンみたいな過度な運動じゃなくて普通の運動ですね、そして食事栄養のバランスです。食事も特別なサプリメントとか必要なくて、果物とか野菜に入っているビタミンを摂れば十分です。休養、睡眠、運動、食事……要するに普通にするのが一番なんです。 特別なことをする必要は一切ありません。と言われても「その普通が難しいんだよ!」と思う方も多いですよね。日本の社会の場合、「普通のこと」ができないから、その結果として病気になる人も多い。けれども、残念ですが、睡眠不足を睡眠以外の方法で補うことはできません』、「フルマラソンをした後は数週間、免疫が下がるといわれてます。だからフルマラソンの後は風邪をひきやすくなる」、初めて知った。「免疫力をメンテナンスする、正常な状態に維持する方法ならあります。 それは休養、睡眠、適度な運動」、なるほど。
・『栄養ドリンクもあまり意味がない  睡眠不足が原因で病気になりやすい人は寝るのが一番だし、疲労がたまっている人は休養を取るしかない。疲れているときに栄養ドリンクを飲んでも意味はありません。あれにはビタミン以外にもアルコールとかカフェインとかが入っていて、「疲れてないよ」と錯覚を与える効果があるんです。 なんか元気になった気分になるけど、疲労そのものを取ってるわけではなく、単に自分をごまかしてるだけなんです。昔、よく鉱山とかでヒロポン注射を打って、疲労困憊の人たちを無理やり働かせたわけですけど、やっていることはそれと一緒です。 繰り返しますが、疲れている人は休養、寝不足の人は睡眠、栄養が足りない人は栄養、運動してない人は適度な運動と、普通のことをするしかない。バランスなのです。免疫力はメンテナンスするものであって、アップするものではない、という考え方が大事になってきます』、「栄養ドリンク・・・にはビタミン以外にもアルコールとかカフェインとかが入っていて、「疲れてないよ」と錯覚を与える効果があるんです。 なんか元気になった気分になるけど、疲労そのものを取ってるわけではなく、単に自分をごまかしてるだけなんです』、私は「栄養ドリンク」は飲まないようにしているが、やはり「自分をごまかしてるだけ」、なのに、堂々とテレビCMを流しているとは悪質だ。

次に、8月31日付け東洋経済オンラインが掲載した 医師・産業医の上原 桃子氏による「「熱中症」で見落とされがちな3つのポイント 水やお茶だけでは「水分補給」には不十分だ」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/371085
・『首都圏では連日最高気温30度以上が続き、1週間で1万人以上が熱中症で搬送されるなど酷暑が続いています。 近年は、在宅勤務の増加に伴い、炎天下での運動による熱中症だけでなく、屋内で発症する熱中症が増えてきていることが問題視されています。子どもや高齢者のみならず働く若い世代でも注意が必要です』、夕方のTVニュースで、ある小学校で運動会の練習で多くの生徒が熱中症で救急搬送されたとあったが、こんな暑いなかで運動会の練習とは全く馬鹿な学校だ。これ以前にも同様の例があったのに、同じ過ちを繰り返すとは・・・。
・『熱中症とは?  以前は日射病・熱射病・熱失神・熱痙攣などさまざまな呼び方がありましたが、現在はこれらをまとめて「熱中症」と呼び、その重症度を1~3度の3段階に分けて表しています。 1度:(日射病)「自身で対処できる段階」 めまい、立ち眩み、生あくび、大量発汗、強いのどの渇き 2度:(熱疲労)「医療機関の受診をすすめる段階」 頭痛、嘔吐、倦怠感、軽い意識障害 3度:(熱射病)「入院が必要な段階」 重い意識障害とともに肝臓や腎臓、脳など臓器に影響 ただし、これらはあくまでもガイドラインに沿った分類です。一口に倦怠感といっても「ちょっとだるい」「ぐったりして動けない」というように症状はさまざまで、症状も刻一刻と変わるため、いつ受診するべきかを日常生活で判断するのは大変難しいことです。 すると元気に歩いてきて「なんとなくだるい」とおっしゃるような不要な救急受診が起こる一方、命に関わる症状にもかかわらず受診しないケースも出てしまい、医療機関側でこれをすべてケアするのは非常に困難です。 したがって、「まず熱中症にならないよう自分自身で予防する」ことが重要です。熱中症の予防には3つのポイントがあります。それは「水分補給」「暑い環境からの回避」「冷却」です。 熱中症では汗などで水分とともに塩分が失われるため、0.1~0.2%の食塩水、つまり1Lの水に対して1~2g(およそひとつまみ)の食塩が含まれるものがよいとされています。水やお茶だけでは「水分」は補給できても塩分を含まないためうまく身体に吸収されません。 最適な飲みものは経口補水液(いわゆる「OS-1」)であり、これには医療用の輸液に近い成分が含まれています。最近では高齢者でも安心して飲めるよう、誤嚥のしにくいゼリータイプのものも市販されているようです。こちらももちろん同様の効果があります。 市販のスポーツドリンクも塩分が含まれるため熱中症予防に効果的ですが、経口補水液に比べて塩分が少なく、糖分が多いことに注意する必要があります。飲みすぎは「ペットボトル症候群」と呼ばれるような、血糖値が上がるためにのどが渇き、またスポーツドリンクを飲むという悪循環に陥る可能性があります。 経口補水液の味が苦手な方は、スポーツドリンクに頼りすぎることなく、梅干しやお味噌汁、塩飴と一緒に水やお茶を摂取することで水分と塩分を同時に補うようにしましょう。 逆に水分補給として不適切なものは、コーヒーなどカフェインを含むもの、そしてお酒です。嗜好品としておいしく飲むのはいいことですが、カフェインやアルコールには利尿作用があるため、水分補給という意味ではむしろ脱水になってしまうのです。 飲み物を飲むタイミングは「のどが渇く前に、こまめに」が基本です。とくに寝起きやお風呂上りには身体が脱水状態になっているため、コップ1杯の飲料を必ず飲むようにしましょう。1日の目安となる水分量は約1.2Lです』、「ペットボトル症候群」まであるとは初めて知った。
・『暑い環境からの回避と冷却の方法  熱中症は、身体の外への熱放出がうまくできず体温が著しく上昇した状態をいいますが、これには温度・湿度・風速・太陽からの日射が関係します。見落とされがちなのは湿度で、湿度が高いと汗が蒸発せず熱がこもってしまいます。湿度の高い日は、たとえ曇りでも水分補給を十分行うようにしましょう。 室内の環境を適切に涼しく整えることも、熱中症予防には非常に重要です。室内ではやはりエアコンが素早く効果的です。温度調節はもちろん、除湿機能で湿度を下げて風量調節で適度な風を送ることも可能です。 ここで毎年問題視されているのは「エアコン嫌い」の方が多くいることです。熱中症で搬送された人の8割がエアコンをつけていないという報道もありました。にもかかわらず使用しない方が案外多いという印象です。 理由はさまざまですが、風が身体に当たるのが不快であれば風向き調節で吹き出し口を上方向にする、ブランケットを羽織ることで対策になります。電気代が気になる場合は、カーテンなどで外からの熱を遮断する、サーキュレーター(空気を循環させるもの)を併用することで冷房効率を上げることができます。 また、加齢に伴って体温調節機能が低下するため暑さを感じにくく、エアコンなどの必要性を感じなくなってしまう方も多くいらっしゃいます。温度計や湿度計を設置することで、視覚的に目標の温度・湿度をわかりやすくして温度調節をするとよいでしょう。 それでも室内が暑くつらい日は、保冷剤などをタオルに包んで首・わきの下・足の付け根といった太い血管が通る場所を中心に冷やしましょう。冷えた血液が全身に回りやすくなり、たいへん効果的です。 熱中症予防の3つのポイントを押さえ、残暑の季節も健康に乗り切っていきましょう』、私も「エアコン嫌い」なので、大いに気を付けたい。

第三に、5月31日付けダイヤモンド・オンラインがヘルスデーニュースを転載した「高齢者の脳の若返りに有酸素運動が有効な理由」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/238846
・『有酸素運動が高齢者の脳を若返らせる?  たとえ長い間、座ってばかりいる生活を送っていた高齢の人でも、有酸素運動を半年間行うことで、思考力や記憶力は向上する可能性があるとする研究結果を、カルガリー大学医学部(カナダ)のMarc Poulin氏らが報告した。有酸素運動により脳への血流が増大し、加齢による影響にも対抗できるのだという。Poulin氏は「どんな人でも、加齢とともに頭脳や身体は衰えるものだ。しかし、年をとってからでも運動を始めることは、脳にとても大きなベネフィットをもたらす可能性がある」と述べている。この研究論文は「Neurology」5月13日オンライン版に掲載された。 この研究は、記憶障害や心疾患の既往がない成人206人(平均年齢66歳)を対象にしたもの。Poulin氏らは、思考力と記憶力に関する試験を研究の開始時と終了後に実施して、対象者の認知機能を評価したほか、経頭蓋超音波検査で脳の血流速度を測定した。対象者は、週3回の監督つき運動プログラムを6カ月間行った。運動量は、1日平均20分から始めて、1日平均40分以上まで徐々に増やしていった。さらに、対象者は週に1回、自分自身で運動するようにとの指示を受けていた』、私も1日1万歩をしているので、「思考力や記憶力は向上する可能性がある」とは嬉しいニュースだ。
・『言語流暢性の領域では5歳の若返りに相当する効果も  その結果、運動プログラム終了時点で、対象者の実行機能に5.7%の改善が認められた。実行機能には、集中する、計画する、指示を思い出す、並行作業を行うなどに関する能力が含まれる。また、情報処理速度の指標である言語流暢性は2.4%向上していた。Poulin氏は「この言語流暢性の改善は、5歳の若返りに相当するものだ」と述べている。 さらに、試験終了後の脳への血流は、試験開始前と比べて平均2.8%増大しており、通常、加齢とともに低下する思考力の改善に関連していた。Poulin氏は「われわれの研究から、活発な運動を6カ月間続けることで、脳への血流が増大し、言語能力のほか、記憶力や頭脳明晰さも向上する可能性が示された」とした上で、「年齢的には、正常な老化により低下していくはずのこうした能力が、逆に向上したという事実は非常に興味深い」と述べている。 Poulin氏は「有酸素運動が全身の血流改善に寄与することは分かっていたが、今回の研究で、脳内の、特に言語流暢性や実行機能に関わる領域への血流も改善する可能性のあることが分かった。この知見は、アルツハイマー病をはじめとする、認知症や脳疾患のリスクがある高齢者には特に重要だと思われる」との見方を示している。(HealthDay News 2020年5月15日)』、「この言語流暢性の改善は、5歳の若返りに相当するものだ」、1日1万歩への意欲がますます高まった。

第四に、7月18日付けダイヤモンド・オンラインがヘルスデーニュースを転載した「浅い眠り「レム睡眠」の長さが寿命に影響する?」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/243488
・『「レム睡眠」の長さは寿命に影響する?  健康を保つには深い眠りが欠かせないとされるが、浅い眠りであっても、短すぎると健康に影響するようだ。米スタンフォード大学のEileen Leary氏らの研究から、浅い眠りの「レム睡眠」の時間が短すぎると寿命が短縮する可能性があることが分かった。研究結果の詳細は「JAMA Neurology」7月6日オンライン版に掲載された。 レム睡眠とは、眠っていても眼球が動いている浅い眠りの状態で、急速眼球運動(Rapid Eye Movement)の頭文字をとって「REM(レム)」と呼ばれる状態の睡眠のこと。レム睡眠中には夢をよく見るとされ、この間に身体の疲労回復を図っていると考えられている。 Leary氏らは今回、平均年齢76.3歳の男性2,675人を中央値で12.1年追跡したデータと、別の研究に参加した成人男女1,386人(男性54.3%、平均年齢51.5歳)を中央値で20.8年追跡したデータを分析し、レム睡眠の長さと死亡リスクとの関連について調べた。 その結果、総睡眠時間に占めるレム睡眠の割合が低いことが、心血管疾患などによる死亡リスクだけでなく、あらゆる原因による早期死亡リスクの上昇と関連することが明らかになった。高齢男性のコホートのデータからは、総睡眠時間に占めるレム睡眠の割合が5%減るごとに、心血管疾患による死亡率、および全死亡率がいずれも13%上昇することが示された。また、このような関連は、より年齢が若い男女のコホートでも同様に認められた。 Leary氏は、「数多くの研究で、睡眠不足は健康に重大な影響を及ぼすことが報告されている。ところが、いまだに睡眠を軽視し、十分な睡眠を取ろうとしない人も少なくない」と指摘。その上で、「忙しくペースの速い生活を送る中で、睡眠は時間の無駄だと感じてしまうこともあるかもしれない。しかし、今回の研究から、独立した2つの集団でレム睡眠の時間が短いと死亡率が上昇する可能性が示された」と説明している。 また、Leary氏は、「レム睡眠は信頼性の高い死亡の予測因子だと考えられる。レム睡眠を保つためのアプローチは、治療の効果にも影響を及ぼし、死亡リスクの低下につながる可能性がある。そのようなアプローチは、特に、レム睡眠の比率が睡眠時間全体の15%にも満たない成人の死亡リスク低減にとって有望だと思われる」と述べている。 ただし、Leary氏は、この研究は、レム睡眠が短いことと早期死亡リスク上昇の因果関係を証明したものではないとし、「今回の研究結果のみに基づいてレム睡眠の時間を延ばすことを推奨するのは時期尚早だ」と断っている。 付随論評の著者の一人で、米フロリダ大学神経学准教授のMichael Jaffee氏は、「これまでの研究は総睡眠時間に着目したものがほとんどで、睡眠時間は長すぎても短すぎても早期死亡リスクの上昇と関連するとされていた。しかし、今回のLeary氏らの研究からは、総睡眠時間だけでなく、レム睡眠を含めて、さまざまな段階の睡眠時間のバランスを取ることも重要である可能性が示された」とこの研究の意義を強調する。 今回の結果を踏まえJaffee氏は、医師に対し、患者が閉塞性睡眠時無呼吸(OSA)などの、レム睡眠に影響を与える疾患を有しているかどうかを確認するよう求めている。また、「一部の処方薬は、レム睡眠を減らすように作用することも知っておくべきだ」としている。さらに、一般の人々に対しては、「睡眠に問題を抱えていたり、ひどいいびきに悩んだりしている人は、かかりつけ医に相談してほしい」と助言している。(HealthDay News 2020年7月7日)』、「これまでの研究は・・・睡眠時間は長すぎても短すぎても早期死亡リスクの上昇と関連するとされていた。しかし、今回のLeary氏らの研究からは、総睡眠時間だけでなく、レム睡眠を含めて、さまざまな段階の睡眠時間のバランスを取ることも重要である可能性が示された」、深い睡眠のノンレム睡眠については、どんな研究成果が出てくるのだろう。楽しみだ。
タグ:ノンレム睡眠 今回のLeary氏らの研究からは、総睡眠時間だけでなく、レム睡眠を含めて、さまざまな段階の睡眠時間のバランスを取ることも重要である可能性が示された これまでの研究は総睡眠時間に着目したものがほとんどで、睡眠時間は長すぎても短すぎても早期死亡リスクの上昇と関連するとされていた レム睡眠中には夢をよく見るとされ、この間に身体の疲労回復を図っていると考えられている 「レム睡眠」の長さは寿命に影響する? 「浅い眠り「レム睡眠」の長さが寿命に影響する?」 言語流暢性の領域では5歳の若返りに相当する効果も 思考力や記憶力は向上する可能性がある 有酸素運動が高齢者の脳を若返らせる? 「高齢者の脳の若返りに有酸素運動が有効な理由」 ヘルスデーニュース ダイヤモンド・オンライン 「エアコン嫌い」 暑い環境からの回避と冷却の方法 飲みすぎは「ペットボトル症候群」と呼ばれるような、血糖値が上がるためにのどが渇き、またスポーツドリンクを飲むという悪循環に陥る可能性があります 熱中症とは? 「「熱中症」で見落とされがちな3つのポイント 水やお茶だけでは「水分補給」には不十分だ」 上原 桃子 堂々とテレビCMを流しているとは悪質だ ビタミン以外にもアルコールとかカフェインとかが入っていて、「疲れてないよ」と錯覚を与える効果があるんです。 なんか元気になった気分になるけど、疲労そのものを取ってるわけではなく、単に自分をごまかしてるだけなんです 栄養ドリンクもあまり意味がない 免疫力をメンテナンスする、正常な状態に維持する方法ならあります。 それは休養、睡眠、適度な運動 フルマラソンをした後は数週間、免疫が下がるといわれてます。だからフルマラソンの後は風邪をひきやすくなる 調子が悪い=ただの疲労 免疫力ってバランスなので、高すぎても低すぎてもダメなので、「免疫力アップ」を売り物にしている時点で、既に間違いです そもそも「免疫力」とは何か? 医薬品にも広告規制があるのに、「免疫力アップ」などの誇大広告が横行しているのは、下記のような厚労省の規制が緩過ぎるためなのだろう 『新型コロナウイルスの真実』 「ダイヤモンド・プリンセス号」の内情を告発して注目 「岩田健太郎「よく走る人ほど風邪ひきやすい訳」 「免疫力UP」の誘い文句は疑ったほうがいい」 岩田 健太郎 東洋経済オンライン (その10)(「よく走る人ほど風邪ひきやすい訳」 「免疫力UP」の誘い文句は疑ったほうがいい、「熱中症」で見落とされがちな3つのポイント 水やお茶だけでは「水分補給」には不十分だ、高齢者の脳の若返りに有酸素運動が有効な理由、浅い眠り「レム睡眠」の長さが寿命に影響する?) 健康
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日本の構造問題(その17)(「コロナ不況を機にゾンビ企業を淘汰」という説が 日本経済を壊滅させる「危険な暴論」である理由、「ゾンビ企業は淘汰せよ!」の虚構と経営者の意地、自粛警察「執拗すぎる相互監視」を生む根本要因 戦中の隣組、戦前の自警団との意外な共通点) [社会]

日本の構造問題については、4月30日に取上げた。今日は、(その17)(「コロナ不況を機にゾンビ企業を淘汰」という説が 日本経済を壊滅させる「危険な暴論」である理由、「ゾンビ企業は淘汰せよ!」の虚構と経営者の意地、自粛警察「執拗すぎる相互監視」を生む根本要因 戦中の隣組、戦前の自警団との意外な共通点)である。

先ずは、5月9日付けダイヤモンド・オンラインが掲載した経産省出身の評論家の中野剛志氏による「「コロナ不況を機にゾンビ企業を淘汰」という説が、日本経済を壊滅させる「危険な暴論」である理由」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/236535
・『コロナ危機下での「ゾンビ企業」論は、“不当”で“危険”な議論である  「ゾンビ企業」という言葉がある。おおまかに言えば、非効率であるにもかかわらず、存続している企業の蔑称である。 経済学者の中には、日本経済の長期停滞の原因は、このような「ゾンビ企業」を温存させていたことにあると主張する者が少なからずいる。この「ゾンビ企業」論は、政治家や経済界、あるいはビジネス・ジャーナリズムの間でも、支持者が多い。 もし「ゾンビ企業」論が正しい場合、処方箋となる経済政策は、経営が困難になった企業を救済することではない。むしろ、廃業や倒産を放置し、企業の新規参入や起業を促進すべきである。これは、「新陳代謝」とも呼ばれる。 平成の三十年間において進められてきた「構造改革」は、この「ゾンビ企業」の淘汰、あるいは「新陳代謝」を目指してきたと言ってよい。 現下のコロナ危機において、多くの企業、特に中小企業が倒産や廃業の危機にさらされている。しかし、「ゾンビ企業」論者は、政府がこうした企業を救済する必要はないと主張するだろう。むしろ、経営が成り立たなくなった企業の倒産や廃業を促し、「新陳代謝」を図れば、コロナ危機の終息後、日本経済はより効率的な構造になっているに違いないと考えるのである。 だが、この「ゾンビ企業」論は、次のように、多くの問題点をはらむ極めて危険な議論である。 第一に、そもそも現下の経済危機の原因は、新型コロナウイルス感染症の感染拡大によるものであって、非効率な企業が温存されているせいではない。 第二に、ある企業が非効率であるか否かを判断するのは、そう簡単ではない。なぜなら、企業のパフォーマンスは、マクロ経済環境に大きく依存するからだ。 一般的に、企業の業績は、景気が良ければ改善し、景気が悪ければ悪化する。好況時にもてはやされていた経営者が、景気後退とともに業績を悪化させると、手のひらを返したように、非難されることがある。しかし、業績の悪化は、その経営者の能力が劣化したからではなく、景気が悪化したせいである。 マクロ経済環境が悪いために企業の効率性が落ちるのは、企業組織や経営者の能力の問題ではない。マクロ経済政策をつかさどる政府の問題である。仮に「ゾンビ企業」を廃業・倒産させても、不況である限り、「ゾンビ企業」はなくなりはしない。したがって、「ゾンビ企業」を減らしたければ、政府がマクロ経済政策によって景気を回復させるしかないのだ』、「ゾンビ企業」論は、バブル崩壊後の不況のなかでは、かまびすしく主張されたが、生き残った企業も多い。なお、大恐慌時のフーバー大統領の下でメロン財務長官が「清算主義」を唱え、大恐慌を激化させたようだ。
・『淘汰されるべきは「ゾンビ企業」ではなく「ゾンビ企業」論である  第三に、もし、非効率な企業が多数温存されていて、産業構造全体が非効率なのであれば、その国の経済は供給能力が不足するから、本来ならば、インフレになっているはずだ。したがって、仮に「ゾンビ企業」論が正当化できる場合があるとしても、それは悪性インフレの時であって、デフレ時ではない。 しかし、日本は、インフレどころか、二十年以上もデフレである。そして、現下のコロナ危機においても、一部の物資でコスト・プッシュインフレが発生しているものの、全体としては、消費や投資の減少によるデフレ圧力の方が大きい。 デフレ時に、企業の廃業や倒産を促進したら、どうなるか。需要不足であるため、職を失った労働者の再雇用は困難である。したがって、失業者が増大する。失業者が増大すれば、需要はますます減少し、デフレが悪化する。デフレ下では、新陳代謝などは起きない。一方的にやせ細っていくだけなのだ。 第四に、現下のコロナ危機で、政府の支援なしに生き残る可能性がより高い企業は、内部留保がより大きく、資金に余裕がある企業であろう。しかし、内部留保が大きい企業とは、積極的な投資を控え、労働者への分配も抑制して、利益を貯めこんできた企業である。 設備投資や労働分配に積極的な優れた企業の方が、内部留保が少ないため、コロナ危機の下で、資金がショートしやすい。つまり、優れた企業の方が、コロナ危機によって「淘汰」されやすいのだ。 第五に、コロナ危機の中、もし政府の支援がなければ、体力の弱い中小企業が多く廃業・倒産し、体力のある大企業の方が残るだろう。つまり、市場参加者の数が減るのである。その結果、コロナ危機によって、市場の寡占化が進むということになる。 寡占市場では、企業間の競争が起きにくくなるので、経済の効率性は落ちてしまう。また、寡占企業は、企業の市場への新規参入を阻害する。それこそ、本当に「新陳代謝」が起きにくい産業構造になってしまうのだ。 もし、「新陳代謝」が起きやすい経済にしたいのであれば、市場のプレイヤーの数を多く維持し、競争状態を保つことである。そのためには、政府は、むしろ企業の廃業・倒産を防ぐ経済政策を実行しなければならない。そして、需要を拡大し、デフレを脱却して、積極的な新規投資や起業を容易にするマクロ経済環境を回復することだ。 以上、「ゾンビ企業」論の問題点を五つ列記してきたが、最後にもう一つ、最も深刻な問題が残っている。 それは、政府が、経済運営の責任を放棄するという問題である。 もし、「ゾンビ企業」が退出すれば景気が良くなるというのであれば、政府は、不況に対して何もしなくてもよくなる。すなわち、政府に対して、景気回復の責任を問うことはできなくなるのである。その代わり、不況の中で、何とかして存続しようと努力している企業が、景気回復を妨げる「ゾンビ企業」として糾弾されることとなる。 こうして、「ゾンビ企業」論は、不況の責任を問う声を政府から逸らし、あろうことか、弱っている民間企業へと向かわせるのである。政府からすれば、まことに好都合な論理ではあるが、その結果としてもたらされるものは、不況の深刻化、そして、より非効率な経済構造なのだ。 「淘汰」されるべきは、ゾンビ企業ではない。「ゾンビ企業」論である』、説得力溢れた主張で、全く同感である。

次に、8月25日付け日経ビジネスオンラインが掲載した健康社会学者(Ph.D.)の河合 薫氏による「「ゾンビ企業は淘汰せよ!」の虚構と経営者の意地」を紹介しよう。
https://business.nikkei.com/atcl/seminar/19/00118/00088/?P=1
・『今回は「経営者の意地」について、あれこれ考えてみようと思う。 まずは、ある小企業の社長さんのお話からお聞きください。 「今まで経験したことがないくらい、経営は厳しいですよ。しかも、今回は先が見えないから余計にしんどい。でもね、会社をやるってことはそんなこと承知の上でやってるわけです。いいときもあれば悪いときもある。会社を経営する以上、雇用を守ることは経営者の使命です。だから、国の持続化給付金や雇用調整助成金はありがたい制度だし、色々な問題はあったにせよ、中小企業に対して(助成額を)手厚くしてくれたのは、国が中小企業を守ろうとしてくれている姿勢の表れの一つなんじゃないでしょうか。 ただね、解せないのは、そういったやり方を批判する人たちがものすごくいるってことです。 『時代に合わない企業はさっさと潰した方がいい』なんて、あけすけなことを言う学者先生もいるでしょ。あれは……ずいぶんですよね。 だいたい潰れる会社を救ってどうするって言うけど、倒産する会社の中には、潰すにはもったいない会社も少なくない。どんなに健全な経営をしてきても、環境にはあらがうだけの体力がなかったり、社長の気力も持たなかったりする場合がある。銀行の貸し?がしとかも今後は増えていくだろうから、こういうときこそ国に支援してもらわないと。税金ってそのためにあるわけでしょ。なのに、血税の無駄遣いみたいに言われるのは、悔しいですよ』、確かに、頑張っている中小企業に対して、「『時代に合わない企業はさっさと潰した方がいい』なんて、あけすけなことを言う学者先生もいるでしょ」、酷い話だ。
・『生き残るために戦い続ける中小企業  中小の社長やってみりゃ分かると思うけど、大企業と違って社員との距離が近いんです。 まともな経営者なら、普段から社員たちのパフォーマンスをどうやって引き出すかってことも考えるし、大企業さんみたいに優秀な社員ばかりじゃないから、経営者も必死です。指くわえて、国が支援してくれるの待ってるわけじゃない。今も、必死で生き残りを懸けて戦ってる。それが経営者の意地ってもんでしょ。 もちろん中にはね、ひどいことやってるなと、あきれる会社もあります。ニュースなんかでも、経営者の意地なんてみじんもない会社の社長がのうのうと出てきて、自分たちは何もやらないで、政府の支援策に文句つけたりしてることがあるでしょ。あまり言いたくないけど……、ああいう会社と十把一絡げにしてもらいたくないという思いは強いです」 ……実はこれ、「雇用維持の政策がゾンビ企業を延命させている」という意見が、最近目立つようになったことに対し、話してくれた内容である。はい、そうです。私が数名の経営者の方たちに意見を求めた。「ゾンビ企業延命」という物言いに、違和感ありありだったので、ただただ「現場の声」が聞きたかったのである。 そもそも「ゾンビ企業」とは何か? 言葉自体は1990年代後半から世界的に広まったもので、「借金を抱え、再生の見込みがないのに銀行や政府の支援で生きな永らえている企業」を指すものだが、明確な定義があるものではない。 加えて、かつて「ゾンビ企業」と呼ばれた企業でも、破綻や上場廃止に追い込まれた企業はごくわずかで、存続した「ゾンビ企業」の多くは業績を大きく改善させているとの報告もある。 そもそも「ゾンビ企業」を識別するためのデータ入手の困難さから、「ゾンビ企業」と誤って識別されてしまったり、本来であれば「潰してはならない企業」まで、十分な支援が受けられず潰れてしまったりしている可能性があるとされている。 ところが、「ゾンビ企業」という言葉の面白さからなのか、言葉だけが独り歩きした。「雇用調整助成金などの金融支援策が中小企業のゾンビ比率を高めている」といった具合に、雇用調整助成金の制度批判に使われている』、「存続した「ゾンビ企業」の多くは業績を大きく改善させている」、にも拘らず、「ゾンビ企業」論がいまだに根強いのは不思議だ。
・『中小企業の保護を巡る“短絡的な”議論  特に、今回のコロナ禍では、かなり飛躍した“ゾンビ企業論”が蔓延(はびこ)っている。「中小企業は非正規率が高いから雇用は守られない」「生産性の低い中小を救うことはイノベーションの妨げになる」「ポストコロナを見据えれば、雇用維持より雇用の流動化」という意見が声高に叫ばれ、揚げ句の果てに「中小企業を保護することはゾンビ企業の延命につながる」という、“暴論”に発展しているのだ。 もちろん「働く人を守る=雇用調整助成金」ではない。働く人たちを直接支援する「特別定額給付金」や、失業手当では生活できない退職した人たちを支えるなど、「働く人」のセーフティーネットを充実させ、今までのやり方を見直す必要はある。 だが、「企業を守ること」で雇用が守られることはあるし、「雇用調整助成金の制度=ゾンビ企業の延命に手を貸している」だの、「産業構造の転換を遅らせている」というのは少々短絡的だ。 かつてはゾンビ企業は暗黙裏に「大企業」に対して使われていたのに、いつのまにか「ゾンビ企業=中小企業」「中小企業=生産性が低い」という文脈で語る人が増えてしまったことへの違和感も、めちゃくちゃある。 私はこれまで全国津々浦々1000社以上の企業を訪問し、たくさんの中小企業の社長さんにお会いしたけど、どの社長さんにも「経営者の意地」があった。 ある社長さんは「うちはパートさんが支えてくれている会社です。昇級も昇進もあります」と豪語し、「外国人労働者には日本人以上の賃金を払って当たり前。異国での生活には不自由があるだろうから、その分多めに払わないとダメですよ」と断言する社長さんもいた。最近は、「残業時間の削減や休暇の取得もきちんとできるホワイト企業じゃないと、学生さんに来てもらえない」と、悪しき伝統を変えようと努力する社長さ(注:「ん」が抜けている)も増えた』、確かに「かつてはゾンビ企業は暗黙裏に「大企業」に対して使われていたのに、いつのまにか「ゾンビ企業=中小企業」「中小企業=生産性が低い」という文脈で語る人が増えてしまったことへの違和感も」、同感だ。
・『潰してはならない中小企業は山ほど  中には「地方で会社やってると、社員なんか切ろうもんなら、『あそこの会社はうちの息子クビにしたひどい会社だ!』とか言われちゃって大変ですよ。株主なんかより住民のほうが怖い。……そもそも上場もしてないけどね(笑)」なんて話をする社長さんもいた。 とにかく、熱い。そして、温かい。小さな会社だからこそ社員一人ひとりが生き生きと働ける職場を意識した経営をし、絶対に潰してはならないと踏ん張る素晴らしい中小企業が山ほど存在するのだ。 であるからして、体力の弱い中小企業の廃業や倒産を防ぐために、手厚い支援をすることに、個人的には大いに賛成。企業を守ることに批判的な人たちに問いたい。「で?何が問題なのか?」と。 それに、雇用調整助成金を利用した企業の「その後」を調査した報告書をレビューすると、「企業を守ることが雇用を守ることにつながっていること」が分かる。 労働政策研究・研修機構が、2017年に「雇用調整助成金の政策効果に関する研究」(労働政策研究報告書No.187)で、厚生労働省から提供された様々な業務データに基づき分析をしているのだが、その中の「時系列データ」に基づく分析結果が実に興味深い。その一部を紹介する。 と、その前に。報告書の分析は、2008年4月?2013年3月の5年分のデータを使用しているので、リーマン・ショックと東日本大震災とで、雇用調整助成金の支給要件等か?大幅に緩和などされた時期なので、今回のコロナ禍の参考になると思われる。 時系列分析の結果は以下の通りだ。 雇用調整助成金を受給した事業所では、事業面で厳しい状況にあることが一般的で、非受給事業所に比べて、雇用が低調ないし減少で推移していた。 受給事業所は、非受給事業所に比べて、受給期間中を中心として、入職率を相対的に低く抑えていた。 受給事業所では、受給期間中を中心に、総じて離職率も相対的に低く抑えられていた。 受給事業所の雇用変動は、受給終了直後に大きな離職を生じて雇用調整が進んでいた。 受給事業所の廃業が雇調金受給終了後に集中していた。 製造業について、景気回復期以降は、リーマン・ショックの期間のみ受給した事業所の雇用の低下が最も小さかった。 上記の結果を踏まえ、この報告書は、次のように指摘している。 ――4の「受給終了後に大きな離職が生じている」、5の「受給事業所の廃業が受給終了後に集中する」という結果は、「雇調金はいたずらに無駄な雇用を温存する」、さらには「いわゆるゾンビ企業の延命に手を貸している」、「産業構造の転換を遅らせている」などの批判に通じる面もあると考えられる。 しかしながら、支給対象の労働者は当該事業所の中核的に必要な部分である場合が多く、事業主は出来得る限り雇用を維持しようと努めているものの、好転が望めないとの見切りができた事業所においては、受給期間中であっても解雇を含めた厳しい雇用調整に踏み切るところも少なくない。ただし、たとえ離職を余儀なくされる場合であっても、需給状況がある程度改善するのを待って離職することができれば失業期間も短くて済むことを意味している。) 従って、「雇調金はいたずらに無駄な雇用を温存する」「いわゆるゾンビ企業の延命に手を貸している」などと批判するよりも、むしろ雇調金によって雇用失業情勢の最も厳しい時期を後ろに分散化させるとともに、雇用失業情勢が少し落ち着いた状態で、円滑な再就職を促進する効果を持つという前向きの効果として捉えることが適当である。この点は、雇調金の効果として、これまであまり強調されてこなかったが、重要な役割として強調されてもよいと考える――』、その通りだ。
・『雇用調整助成金、失業率上昇抑制に効果  さらに、この指摘を裏付けるのが、次の試算結果だ。 雇調金のマクロ的効果試算については、リーマン・ショック時に雇調金がなければ最多離職想定て? 50万人程度、 緩やか離職でも40万人程度、それぞれ完全失業者数が増加した可能性が示されている。 完全失業率に換算すると、リーマン・ショックにおいて最大5.4%(平成 21年7~9月期)にとどまった失業率が、助成金の活用がなければ6%台にまで上昇した可能性も示されている。 つまり、雇用調整助成金は失業率の上昇をかなり抑える効果を持っていると指摘しているのだ。 また、報告書では、「パート・アルバイトも雇用調整助成金対象とした事業所」と「正社員のみ対象とした事業所」との比較をしたところ、 +パートトタイム労働者を給付対象としている事業所は、そうでない事業所と比較して、全員を対象にしている事業所が多く、助成金の実施によってパートタイム労働者の中の選別は行われていなかった。 +パート・アルバイトも雇調金の対象とした事業所においては、ベテラン社員が助成の対象となっている傾向がみられ、特に基幹的な業務を担う正社員以外の労働者が助成金の対象として優先されていた。 +助成金をきっかけにキャリアアップのための教育訓練がなされている。 +助成の対象となった正社員以外の労働者は、新しく雇用される正社員以外の労働者では置き換えることができない高度な人材だった。 など、人材開発にもつながっていたことが確かめられていたのである。 さて、これらの結果を、どうみるか? 私はこの結果こそが、「経営者の意地」だと理解している。 つまり、雇用調整助成金を単なる延命に使う企業が存在する可能性は否定できない。だが、そういったネガティブな結果を基に、「ゾンビ企業の延命の手助けをするな!」といった、いわばイメージで、救える企業を救わないのは、結果的に日本の土台を壊してしまうのではないか。) 雇用調整助成金は「非正規社員の保護にはつながらない」という意見もあるが、非正規雇用を増やしているのはむしろ大企業だ。例えば、2002年から2015年の間に増えた非正規雇用者の割合は、10?99人の企業では21%増にとどまるのに対し、500人以上の企業は約2倍も増えた。 しかも、中小企業ではパート比率は高いが、契約や派遣の比率は極めて低い。一方、大企業ではその割合が高いので、いわゆる「派遣切り」が行われているのは、体力ある大企業の可能性が高い。 いわずもがな日本の企業全体のうち中小企業数は99.7%で、従業員数は7割弱。付加価値額は52.9%。 また、「2020年版 中小企業白書・小規模企業白書」によれば、経営者の高齢化や後継者不足などで自主的に休廃業・解散している企業のうち、約6割は黒字企業だ。 となれば、中小企業=ブラックだの、中小企業=生産性が低いだの、揚げ句の果てに、中小企業=ゾンビ企業、などとイメージで批判するのではなく、中小企業が培ってきた技術やスキルの高い従業員などの貴重な経営資源を残すための支援を充実させることが、重要ではないか。 15年ほど前に、世界に認められた“ワザ”を生んだ企業を取材して回ったときも、そのほとんどが中小企業だった。従業員数十人の町工場だったり、創業100年の歴史のある小さな会社だったり。「現場の力」を信じ、社員教育に投資し、社長さんが現場を歩き回り、そこで働く人たちはみな「誇り」を持って働いていた。 「ゾンビ企業」というネガティブなパワーワードで、健全な企業まで潰してしまっては元も子もない。 小さくて、古いけど、しぶとい。そんな会社は決して潰してはいけないのだと思う』、第一の記事が「ゾンビ企業」論の総論とすれば、これは実際のケースの各論で、いずれも説得的だ。

第三に、6月12日付け東洋経済オンラインが掲載したFrontline Pressによる「自粛警察「執拗すぎる相互監視」を生む根本要因 戦中の隣組、戦前の自警団との意外な共通点」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/356399
・『新型コロナウイルス感染症拡大に伴って、日本で「自粛警察」が広がった。市民の相互監視とも言えるこの状況に警鐘を鳴らす声も多いが、戦前との比較で危惧を表明する専門家がいる。近代日本の軍事史に詳しい埼玉大学の一ノ瀬俊也教授がその人だ。 「かつて太平洋戦争を遂行させるために作られた『隣組』と共通するところがある」。戦後75年を迎えようとしてもなお、人々の意識が変わっていないという。その核心は何か。一ノ瀬教授に聞いた』、「自粛警察」が「『隣組』と共通するところがある」、とは興味深い。
・『「人の役に立ちたい」欲求  そもそも「隣組」は自然発生的に発足し、機能していた地域住民組織だった。ところが、太平洋戦争が開戦する1年前の1940年、政府の訓令によって正式に組織化される。10戸前後で組織するよう指導され、全戸の加入が義務付けられた。「回報」の回覧による情報の一元化、配給の手続きのための重要な基礎組織として位置付けられた。 隣組の役割について、一ノ瀬教授はこう解説する。 「大きく2つの役割が期待されていました。1つは地方自治の末端組織として、配給などを住民自らに担わせること。もう1つは、政府の方針を国民1人ひとりに行き渡らせること。つまり、国民の自治精神を利用して、戦争遂行を図るために作られたわけです。 戦争になれば、国家の国民生活を隅々まで統制しないといけない。食料などの配給制度は最たるものです。しかし、政府や地方自治体だけで統制をやるのは非常にきつい。そこで隣組を使い、国民の協力を得て統制をやろうとしたわけです。上意下達と下意上達を組み合わせ、ある程度、国民の意見も取り入れて、ガス抜きするような形で戦争の遂行を図っていったところがあります」 戦中の隣組と現在の「自粛警察」。どこに共通点があるのだろうか。 「隣組では、戦争を批判するような発言を住民が聞きつけて、憲兵や特高警察に密告する行為はよく見られました。今と共通しているのは、通報する人たちが『お国のため、全体のために』と考え、よかれと思ってやっている点です。いわゆる自粛警察をやっている人たちはそれが行きすぎて、個人の自由や人権を損なう事態を引き起こしている。そのへんがかつての隣組と共通している。『お国のため』という大義名分を得て、人権弾圧などがエスカレートしていくわけですね」 今年8月、日本は戦後75年の節目を迎える。社会の中核を担う世代は着実に交代していっているのに、住民が相互監視するような社会は繰り返されているように映る。その原因は「人間の本質にある」と言う。 「人間の中に『人の役に立ちたい』『みんなに貢献したい』という欲求はいつの時代にも存在します。それがちょっとしたきっかけで、変な方向に暴走する。人間の本質や性格は何年経っても変わりません。コミュニティーの役に立ちたいという思い、それ自体は今も昔も悪いことではないんですが……」 新型コロナウイルスに関する国や都道府県の対応は、主に「改正新型インフルエンザ等対策特別措置法」に依拠している。都道府県知事は同法24条9項に基づき、休業の協力を要請してきたが、協力に応じなかった事業者に対しては、施設使用の制限などの措置を要請できるとの規定がある。続く第4項は「特定都道府県知事は、第2項の規定による要請(中略)をしたときは、遅滞なく、その旨を公表しなければならない」としている。 この規定に基づき、東京都や大阪府などは休業要請に応じなかった施設の名称を公表した。施設名が公表されたパチンコ店の前には人々が集まっては「営業やめろ」「帰れ」などと叫び、店側やほかの客らと怒鳴り合う事態も発生した。こうした様子はテレビやYouTubeでも盛んに流されたので、目にした人も多いだろう』、「通報する人たちが『お国のため、全体のために』と考え、よかれと思ってやっている点です。いわゆる自粛警察をやっている人たちはそれが行きすぎて、個人の自由や人権を損なう事態を引き起こしている。そのへんがかつての隣組と共通している」、「「人間の中に『人の役に立ちたい』『みんなに貢献したい』という欲求はいつの時代にも存在します。それがちょっとしたきっかけで、変な方向に暴走する」、「自粛警察」は飛んでもない存在と思っていたが、無理からぬところもあると理解できた。
・『施設名公表は「私刑」招きかねない  「要請」に従わない店名を行政が「公表」するという条項には、「自主」と「強制」が同居しているように映る。日本社会に根付く「同調圧力の強さ」を背景に、相互監視を推し進めた素地があるようにも見える。 「自粛は要請だったはずなのに、それに応じない店名を公表する行為には、間違いなく、同調圧力に期待しての部分があったと思います。『要請に従わない店は周辺から白い目で見られる』という雰囲気ができるのを行政はわかっていてやっている。それは、私刑(リンチ)の誘発に繋がりかねないんじゃないか。店名の公表はやはり望ましくなかったと思います。日本は近代法治国家ですから、私刑はあってはならない。私刑を誘発しかねない方法を選ぶ行政、私刑で誰かを処罰するような社会は望ましくないと思います」 住民による扶助組織の起源をさかのぼれば、江戸時代の「五人組」「十人組」に行き着く。その慣習が「隣組」へと引き継がれ、戦後は「町内会」「自治会」という形で残った。 「現在の自治会が担っている防犯活動にもいい面と悪い面、両方あります。自治会が防犯活動することによって地域の治安が保たれる。ただ、地域の安全を守る活動を自治会に頼りすぎると、地域から浮いている人が排除されるという懸念も出てくる。コロナ対応時に浮き彫りになったように、どこまで曖昧さを認め、どこからルールで線を引くのか。難しい問題だとは思います」 地域の安全を住民の手で守ろうとする動きがエスカレートしたらどうなるか。一ノ瀬教授の念頭にあるのは、関東大震災(1923年)時の混乱と虐殺だ。大地震の混乱に乗じて朝鮮人が日本人を殺そうとしているとのデマが拡散。民間の自警団や憲兵によって、朝鮮人や朝鮮人と誤認された日本人が多数殺害された。 ただし、一連の出来事は住民の活動のみで動いていたわけではない。大震災に際して政府が発した1本の通達。その影響も大きかったという。宛先は各地の警察。治安維持に努めるよう指示する中で「混乱に乗じた朝鮮人が凶悪犯罪、暴動などを画策しているので注意すること」という内容が記載されていたのだ。 「関東大震災のときの自警団は、最初のころ、行政が治安維持に利用しようとしていたわけです。ところが、自警団に加わった住民の行為をだんだん行政は止めることができなくなった。そして虐殺に至るわけです。戦時中の隣組にしても、戦時体制にからめ取られていく中、“非国民になりたくない”という力学が発生し、威力を持つようになった。配給などで『食料をあげない、もらえない』みたいな事態になれば、個人の生活が損なわれるからです。だから、誰も後ろ指を刺されたくない」』、「日本は近代法治国家ですから、私刑はあってはならない。私刑を誘発しかねない方法を選ぶ行政、私刑で誰かを処罰するような社会は望ましくないと思います」、その通りだ。「大震災に際して政府が発した1本の通達・・・宛先は各地の警察。治安維持に努めるよう指示する中で「混乱に乗じた朝鮮人が凶悪犯罪、暴動などを画策しているので注意すること」という内容が記載されていた」、とは初めて知った。
・『「過去に学ぶことは本当に重要」  こうした「社会の暴走」はもちろん、日本だけのものではない。 「第2次大戦中のドイツにおけるユダヤ人に対する密告は日本の比ではありませんでした。アメリカでも黒人へのリンチが歴史上何度もあったし、今も起こっています。いつの時代も、どの国でも、ちょっと方向を誤ったり、変なふうに火がついてしまったりするだけで、たやすく社会は暴走します」 「コロナ関係で自粛警察なる動きをする人々についても、その心情は『よかれと思って』でしょう。国が呼び掛けている方針に『みんなで従いましょうよ』というのが出発点にある。でも、かつての隣組が『配給食料をやるか、やらないか』という些細なことで人権弾圧みたいなのものを発生させたように、あるいは関東大震災後の自警団が虐殺に手を染めていったように、簡単にエスカレートしていく危険性がある。歴史を研究している立場からすると、過去に学ぶことは本当に重要なんです」 結局、今は何をすればいいのか。 「政府や地方自治体の自粛要請をめぐる対応がどう行われ、その結果、どういう効果や弊害が生じたのか。きちんと記録に残すことが第一歩です。その記録を基に、議論することが必要です。政府の専門家会議などが議事録を作っていないことは、その意味でも非常に問題があると思います」』、「いつの時代も、どの国でも、ちょっと方向を誤ったり、変なふうに火がついてしまったりするだけで、たやすく社会は暴走します」、「過去に学ぶことは本当に重要」、その通りなのだろう。
・『“自粛警察”に関すると見られる動き
○警察などへの通報(+大阪府のコールセンターに「休業要請対象の店が営業している」という趣旨の通報が、4月下旬までに500件以上あった +「自粛中なのに外でカップルがいちゃついている」などというコロナ関連の通報が愛知県県に多数届く。5月中旬までに400件超 +警視庁によると、新型コロナウイルス関連の110番が急増。東京都などに緊急事態宣言が発令された4月7日?5月6日の1カ月間で計1621件に。休業要請対象のパチンコ店やスナックなどが「営業している」といった内容のほか、「公園で子どもがマスクをせずに遊んでいる」「橋の下でバーベキューをしている」といった内容)
○店舗などに対する“監視の目”(+千葉県の休業していた駄菓子屋に「コドモアツメルナオミセシメロマスクノムダ」という貼り紙 +東京都のライブバーに「安全のために、緊急事態宣言が終わるまでにライブハウスを自粛してください。次発見すれば、警察を呼びます。近所の人」という貼り紙 +大阪府の要請に従って時間短縮で営業していたラーメン店に匿名の手紙。「あなたの店の客が大声で会話している。『繁盛』イコール『公害』であることを忘れるな」 +営業中の店舗に嫌がらせが続出。長野県では「コロナ」の名を付した飲食店に3月から無言電話やネットでの中傷的な書き込みが相次ぐ。横浜市の飲食店では扉に「バカ、死ね、潰れろ!」の落書き +東京都の商店街の組合に「商店街すべてをなんで閉めさせないんだ、すぐに閉めさせろ。何考えてんだ、馬鹿野郎」「利益を上げていて最低」「恥」など多数の電話 +名古屋市の商店街で休業要請対象外の店などが営業していることに「コロナを発信するつもりか」「二度と買い物には行かない」などのメールや電話が多数届く +千葉県で県の休業指示に応じないパチンコ店の前で、男性がマイクを手に「営業やめろ」「帰れ」などと叫ぶ +緊急事態宣言解除の翌日から営業を再開した岐阜県の温泉施設に対し「緊急事態宣言中だ休業要請対象だろ営業再開辞めろ」などのメールが届く
○“他県ナンバー狩り”も続く(+県外ナンバーの車に乗る県内在住者向けに、山形県は「山形県内在住者です」と太書きした“確認書”の交付を開始。県外ナンバーの車への嫌がらせが相次いだためという。“他県ナンバー狩り”に対し、和歌山県なども同様の「県内在住確認書」を交付 +徳島県で県外ナンバーの車に乗る人があおり運転されたり、暴言を吐かれたり、車に傷をつけられたりする事例が相次ぐ。同県三好市は5月、「徳島県内在住者です」という車用の表示デザインを制作 (※上記の動きは朝日新聞、読売新聞、毎日新聞、中日新聞、共同通信、時事通信、NHK、名古屋テレビ、徳島新聞などの報道(WEB版を含む)をもとに、フロントラインプレスが作成)』、こうして「“自粛警察”」の動きを見ると、やはり異常だ。少なくとも政府や自治体、マスコミなどがこれを煽るようなことは、厳に慎むべきだろう。
タグ:中小企業の保護を巡る“短絡的な”議論 かつてはゾンビ企業は暗黙裏に「大企業」に対して使われていたのに、いつのまにか「ゾンビ企業=中小企業」「中小企業=生産性が低い」という文脈で語る人が増えてしまったことへの違和感も 潰してはならない中小企業は山ほど 雇用調整助成金、失業率上昇抑制に効果 生き残るために戦い続ける中小企業 存続した「ゾンビ企業」の多くは業績を大きく改善させている」、にも拘らず、「ゾンビ企業」論がいまだに根強いのは不思議だ 『時代に合わない企業はさっさと潰した方がいい』なんて、あけすけなことを言う学者先生もいるでしょ 淘汰されるべきは「ゾンビ企業」ではなく「ゾンビ企業」論である 「「ゾンビ企業は淘汰せよ!」の虚構と経営者の意地」 河合 薫 日経ビジネスオンライン 「「コロナ不況を機にゾンビ企業を淘汰」という説が、日本経済を壊滅させる「危険な暴論」である理由」 コロナ危機下での「ゾンビ企業」論は、“不当”で“危険”な議論である 中野剛志 ダイヤモンド・オンライン 「自粛警察」 埼玉大学の一ノ瀬俊也教授 Frontline Press 「自粛警察「執拗すぎる相互監視」を生む根本要因 戦中の隣組、戦前の自警団との意外な共通点」 東洋経済オンライン 施設名公表は「私刑」招きかねない 「過去に学ぶことは本当に重要」 警察などへの通報 通報する人たちが『お国のため、全体のために』と考え、よかれと思ってやっている点です。いわゆる自粛警察をやっている人たちはそれが行きすぎて、個人の自由や人権を損なう事態を引き起こしている。そのへんがかつての隣組と共通している 日本は近代法治国家ですから、私刑はあってはならない。私刑を誘発しかねない方法を選ぶ行政、私刑で誰かを処罰するような社会は望ましくないと思います 大震災に際して政府が発した1本の通達 少なくとも政府や自治体、マスコミなどがこれを煽るようなことは、厳に慎むべきだろう 宛先は各地の警察。治安維持に努めるよう指示する中で「混乱に乗じた朝鮮人が凶悪犯罪、暴動などを画策しているので注意すること」という内容が記載されていた 「人の役に立ちたい」欲求 “他県ナンバー狩り”も続く 「人間の中に『人の役に立ちたい』『みんなに貢献したい』という欲求はいつの時代にも存在します。それがちょっとしたきっかけで、変な方向に暴走する 店舗などに対する“監視の目” いつの時代も、どの国でも、ちょっと方向を誤ったり、変なふうに火がついてしまったりするだけで、たやすく社会は暴走します “自粛警察”に関すると見られる動き 「『隣組』と共通するところがある」 日本の構造問題 (その17)(「コロナ不況を機にゾンビ企業を淘汰」という説が 日本経済を壊滅させる「危険な暴論」である理由、「ゾンビ企業は淘汰せよ!」の虚構と経営者の意地、自粛警察「執拗すぎる相互監視」を生む根本要因 戦中の隣組、戦前の自警団との意外な共通点)
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人生論(その5)(茂木健一郎「悩むだけの人」は自分の人生を無駄にしている 割り切って行動すればうまくいく、2020年の世界を生きる君たちへ~投資家 瀧本哲史さんが残した“宿題”~、小田嶋氏他:「旅立つには早すぎる」~追悼 岡 康道さん 人生の諸問題 最終回) [人生]

人生論については、4月5日に取上げた。今日は、(その5)(茂木健一郎「悩むだけの人」は自分の人生を無駄にしている 割り切って行動すればうまくいく、2020年の世界を生きる君たちへ~投資家 瀧本哲史さんが残した“宿題”~、小田嶋氏他:「旅立つには早すぎる」~追悼 岡 康道さん 人生の諸問題 最終回)である。

先ずは、プレジデント 2020年7月17日号「茂木健一郎「悩むだけの人」は自分の人生を無駄にしている 割り切って行動すればうまくいく」を紹介しよう。
https://president.jp/articles/-/36611
・『「悩むだけで前に進めない人」の勘違い  脳科学者という仕事柄、さまざまな相談事や、悩み事を持ちかけられることがある。 コロナ禍で増えた在宅時間。ただボーっと過ごしているだけでは、悩みの解決を助ける行動や学習を蓄積できない。 もちろん真剣にお聞きして、誠実にお答えするけれども、その中でどうしても気づいてしまうことがある。 すなわち、意味もなくあれこれと悩んでいる人が多すぎるのである。すべての悩みに意味がないというのではない。ただ、世の中には、生きるうえで助けになる悩みとあまり助けにならない悩みがある。その違いを知ることは決定的に重要である。 人間は、自分の生き方や進路に迷うことがある。そのようなときには、脳の「ディフォルト・モード・ネットワーク」と呼ばれる回路が活性化して、さまざまな「出口」を探し出そうとする。この回路は、具体的な課題をこなしているときではなく、いわば「白昼夢」のようにあれこれと迷い、想像しているときに働くことが知られている。 しかし、ここで肝心なのは、ディフォルト・モード・ネットワークがきちんと働くためには、具体的な行動や学習の積み重ねがないといけないということである。肝心のリアルな体験がないと、悩みの素材もないのだ。 「悩む」ということは、つまりは自分の人生の情報を整理するということである。しかし、具体的な学び、仕事をせず、その記憶もなければ、そもそも整理すべき素材もない。何もしないで悩んでいるだけでは、ぐるぐると同じところを回ることになってしまう』、「脳」の「ディフォルト・モード・ネットワークがきちんと働くためには、具体的な行動や学習の積み重ねがないといけないということである。肝心のリアルな体験がないと、悩みの素材もないのだ・・・具体的な学び、仕事をせず、その記憶もなければ、そもそも整理すべき素材もない。何もしないで悩んでいるだけでは、ぐるぐると同じところを回ることになってしまう」、悩みにも有用なものだけでなく、無駄なものもあるとは、初めて知った。
・『悩んでいるだけでは、人生は前に進まない  「私悩んでいるんです」「ぼくの悩みを聞いてください」という方の一部分は、悩みの堂々巡りに陥ってしまっている。時には、悩むことは必要である。悩むことで、人生の新しい道筋が開かれることもある。しかし、悩んでいるだけでは、人生は前に進まない。 質のいい悩みを可能にするためには、悩みとは直接関係のない具体的な行動、経験という準備が必要である。 側頭連合野に蓄えられたさまざまな記憶、情報を整理し、いわば「ドット」と「ドット」を結んで創造的な発想、ひらめきを生み出すのがディフォルト・モード・ネットワークの大切な働きである。しかし、そのためには、素材となる具体的な経験や記憶が蓄積されていなければならない。 脳の働きから見ておススメのライフスタイルは、とにかく具体的な行動を優先することである。昼間起きている時間のほとんどは、実際に何かをするために使うのがいい。勉強でも、仕事でも、次から次へと「プロジェクト」を推し進めていく感覚でいい。 そのようにして目の前の課題に取り組んでいると、脳の中に記憶がバラバラのまま蓄積してくる。だからこそ、何かに集中していて、ふと気を抜いたり、散歩やランニングをしたりといった「すき間」に脳はその整理を始める。そのときこそディフォルト・モード・ネットワークの出番なのである。 仕事がうまくいく人、多くを学ぶ人は、いつも何かに取り組んでいる。人生の選択肢も、何となくではなく、具体的な道筋を検討している。 一見の割り切って行動している人ほうが、悩むべきときにはきちんと悩むことができる。色とりどりの経験の蓄積がある分、中身の濃い「生きる道」の模索ができるのである。 悩むことは、具体的な行動が続く中での1つの「読点」だと思えばいい。よく学び、よく働く人ほど、人生の悩みをテンポよく、意義あるかたちで深めることができるのだ』、「一見の割り切って行動している人ほうが、悩むべきときにはきちんと悩むことができる。色とりどりの経験の蓄積がある分、中身の濃い「生きる道」の模索ができる」、「経験の蓄積」を積み重ねることで、「中身の濃い「生きる道」の模索」をしていきたいものだ。

次に、 8月26日付けNHKクローズアップ現代+「2020年の世界を生きる君たちへ~投資家 瀧本哲史さんが残した“宿題”~」を紹介しよう。
https://www.nhk.or.jp/gendai/articles/4450/index.html
・『6月30日、ある故人を偲ぶネットイベントが大きな話題になった。47歳で亡くなった投資家で教育者の瀧本哲史さん。その日は、生前の瀧本さんが大学で行った講義で、若者たちと再会を約束した日だった。「自分で考えない人間は買い叩かれる」「替えのきかない人間が社会を動かす」。語られたのは、若者に奮起を迫る言葉と、投資家の経験で培った哲学。2020年には世界の混迷が深まると見た瀧本さんは、先の見えない時代でも成長し続け、また結集して困難に立ち向かおうと呼びかけていた―。メッセージを受け止めた若者たちは今、どんな戦いをしているのか。瀧本さんの「宿題」の行方を通して、厳しい時代を生き抜くヒントを考える。 出演者 宮田裕章さん(慶應義塾大学医学部教授) 城田一平さん (投資家) 武田真一 (キャスター)』、興味深そうだ。
・『混迷の時代“天才投資家”の生き方論  瀧本さんの出資とサポートにより、今、大きな飛躍を遂げているベンチャー企業があります。本の内容を朗読した音声を聴くことができる、「オーディオブック」。国内最大手として、コロナ禍の中でも会員数を増やし続けています。 創業者の上田渉さん。事業を始めた当初は大手企業と競合しており、銀行、投資家からは全く見向きもされなかったといいます。 なぜ、瀧本さんだけが上田さんの企業の価値に目を向け、無理と言われた挑戦を成功させることができたのか。最も重視したのは、資本力や市場の動向などの数値ではなく、事業に挑む動機でした。 “『アイデア』は盗まれても『人生』は盗まれない” 上田さんが起業を志したのは、大学在学中、24歳のとき。緑内障を患い、視力が失われつつある祖父の姿を見てオーディオブックを作りたいと考えたのがきっかけでした。 オトバンク 創業者 上田渉さん「本を読もうと思って努力した結果、巨大な虫眼鏡があったりとか、拡大鏡といわれるレンズみたいなのがあったりとか。目が見えなくなっていく自分と格闘した姿、そこは私の原点。」 1,000社あっても生き残るのは数社だけという、ベンチャー企業の世界。その厳しい世界を生き抜くには、その人の動機の強さが何よりも武器になるというのが瀧本さんの投資哲学でした。 上田渉さん「キャリアもただの学生ですし、なんの技術力もないですし、祖父が失明してたからオーディオブックを広げたい、バカな学生なわけですよね。その思いの強さを理念に瀧本さんって投資をされる。」 20年以上前から、次世代エネルギー活用やビッグデータ分析など、まだその名も知られなかったベンチャー企業を応援してきた瀧本さん。社会を変革したいという志を持ったリーダーを1人でも多く生み出したいという強い思いがありました。 東京大学法学部を成績最上位で卒業。外資系コンサルタント会社に進むなど、絵に描いたようなエリートコースを歩んできた瀧本さん。しかし、28歳のとき、1,900億円もの負債を抱えていたタクシー会社に転職します。自分の実力を試したいという思いからでした。 日本交通 会長(当時専務) 川鍋一朗さん「滝本さんとしても、何か答え合わせ的な要素もあった。自分が考えてきたことをやると、どういう反応があって(という)。」 再建に意気込んだ瀧本さんですが、自ら企画した新事業が失敗。150人の社員のリストラを断行せざるを得ないところまで追い込まれます。一人一人に解雇を告げた瀧本さん。人目をはばからず泣き崩れ、自分の力不足を嘆いていたといいます。 川鍋一朗さん「怒り、悲しみ、喜びみたいなものがリアルに巻き起こる。おごりとか未経験さとか、理想と現実のギャップというのを、ものすごい痛い思いをしながら学んだ。」 “時代は劇的に変化している。残念ながら僕には世界も未来も圧倒的にわからない。僕の仮説も行動も支援先も、ぜんぶ失敗に終わる可能性だって当然ありえる。どこかに絶対的に正しい答えがあるんじゃないかと考えること自体をやめること。バイブルとカリスマの否定。なすべきことは、このような厳しい世の中でもしたたかに生き残り、自ら新しい『希望』を作り出すことだ。” 新しい希望を生み出したい。瀧本さんが晩年、力を入れたのが、10代や20代の若者への教育でした。教壇に立つようになったのは、リーマンショックや東日本大震災の影響で社会の不透明さが増す時代。未来を担う若者たちに伝えたいことがありました。 投資家 瀧本哲史さん「3.11以降、誰か偉い人が決めると思ったら、意外にちゃんと決めてくれなかったので、自分で決めるしかない。そういう時代感覚もある。キーワード的に言うと『自分の人生は自分で考えて自分で決めていく』。」 投資家として磨いてきた決断術や交渉術を徹底的にたたき込む講義は、「地獄の瀧本ゼミ」と恐れられました。それでも、いつも定員いっぱいの人気だったといいます。 元ゼミ生 城田一平さん「間違った議論に対しては、もう容赦なく突っ込みが飛んでくる。ちゃんと議論立てて説明できる人に対しては、ものすごく納得してくれる。それがどんなに、学生だろうが身分がなかろうが、フェアに評価してくれる。」 病に侵されながらも、亡くなる前の日まで、投資先や教え子の相談に乗っていたという瀧本さん。最後まで口にし続けたことばがありました。 “世の中を大きく変えたいと思うならば、きちんと『ソロバン』の計算をしながら大きな『ロマン』を持ち続ける。その両方が必要です。 今はまだ小さいけれど、志と静かな熱をもった新しいつながり。新しい組織が若い人を中心に、ゲリラ的に次々と生まれています。『君はどうするの』って話です。主人公は誰か他の人なんかじゃなくて、あなた自身なんだよって話です。”』、「“世の中を大きく変えたいと思うならば、きちんと『ソロバン』の計算をしながら大きな『ロマン』を持ち続ける。その両方が必要です」、大きな挫折を味わった「瀧本さん」の考え方には重みがある。
・『2020年の世界を生きる若者たちへ  武田:こうした瀧本さんのことば、若者たちにどう響いたんでしょうか。講義を受けたり、著作を読んだ若者たちはこう話しています。 起業した男性(28)「幼少期から不況、親の給料も右肩下がりの世代。文句を言わず自分たちが変えるにはどうしたらいいか、実践論を教えてくれた。」 会社員(28)「日本の未来に期待していいか分からない。これからの生き方にロールモデルがないなかで、行動してみないと意味がないと発破をかけられた。」 医師(28)「今の時代、医師免許をもっているだけでは生き残れない。自分にしかできないことを追求する大切さを教わった。」 武田:宮田さん、瀧本さんのどんな思想が、こうした若者たちの心を捉えているというふうに感じていらっしゃいますか。 ゲスト宮田裕章さん(慶應義塾大学 教授)宮田さん:机上の教育論ではなく、実業家、投資家としてご自身が社会を変えようと苦闘してきた瀧本さんが、その実践の中で磨いてきたからこそ、説得力のあることばなんだと思います。さらに彼は、商品だけでなく、人材が替えがきく歯車としてコモディティ化するという危機感を持っていたんですね。まさにこの数年、AI時代の到来によってそれが現実となって、例えば単に知識を持っているだけだと、高度な専門職だとしても、もうAIに取ってかわられてしまうというそういう時代になっています。
また、ミレニアル世代、その下のZ世代の価値観も今、日本だけではなくて、世界で大きく変わってきているんですよね。彼らにとって働くということは、お金を稼ぐために会社に貢献するということではなくて、重要なのは「自分はどう社会に貢献するか」ということなんです。つまり社会変革と自己実現。その貢献を通した自己実現があって、会社はその目的を達成する手段なんだと。こういった考えを持ってきた世代にとって、やはり今、瀧本さんのことばは、リアリティーを持ったものになっているんだなというふうに感じています。 武田:その瀧本さんは、世の中を変えるために、決断術や交渉術といった武器を配りたいというふうに言っていました。瀧本さんのゼミで学び、同じ投資家の道を歩んだ城田さんと中継がつながっています。城田さんは、瀧本さんからもらった武器の中で、どんなことが一番心に残っていますか? ゲスト城田一平さん(投資家・瀧本ゼミOB)城田さん:私は瀧本さんが主催していたゼミで、正しい意思決定の仕方について実践的に学んでいました。瀧本さんからは、意思決定をするときには自分の手でできるだけのデータを集めて、思い込みをなくして、客観的な根拠を持って意思決定しようと教わっていました。 例えば、飲食店に投資をするときには、業績の数字を見るだけではありませんでした。実際に店舗に足を運んで、料理の味だったり、店員さんの働きぶりを自分の目で見て、集めたデータを客観的に分析した上で投資の意思決定をしていました。 武田:思い込みや何か直感ではなくて、しっかりとした根拠を持って決断するんだよということを学んだんですね。ちょっと当たり前のような気もするんですけど、どうですか? 城田さん:瀧本さんは生前から、「自分だけが楽勝でできることを徹底的にやり切れ」とおっしゃっていました。当たり前のことなんだけれども、それをやりきる過程でそれが強みになっていったりとか、戦略につながっていくということをおっしゃってたんだと思います。 武田:若者に「自分の手で社会を変えるんだ」と訴えていた瀧本さん。実は8年前、東日本大震災の翌年に行った講義で、こんな宿題を出していました。 投資家 瀧本哲史さん「8年後に、みんなで『宿題』の答え合わせをしよう。20代半ばの皆さんだったら、すさまじくでかいことできないかもしれないけど、何か自分のテーマを見つけて、世の中をちょっと変えることができるんじゃないかと。」 武田:その宿題の期限というのが、実はことし(2020年)の6月30日でした。それを前に瀧本さんは、惜しくもこの世を去りました。より社会の見通しがきかなくなる中で、あのとき講義を受けた若者たちは、今の時代をどう生きているのか。それぞれが瀧本さんに課せられた宿題と向き合う姿を取材しました』、大学での講義を通じて、「若者に「自分の手で社会を変えるんだ」と訴えていた」、のは次世代への大きな蓄積となって残るだろう。
・『天才投資家が残した“宿題”  青津京介さん、31歳。社会人1年目、23歳のときに瀧本さんの講義を受けました。青津京介さん「日記です。“8年後。最強に”って書いてありますね。何で自分はこれを書いたか分からないんですよ。何を最強にっていうのか、自分はよく分からないですね。」 青津さんが挑んでいるのは、福島に点在する限界集落の活性化です。4年前、自分の力で困っているふるさとを変えてみせると、勤めていた東京のIT企業を辞めました。今は役場に勤めるかたわら、地域を活性化するプロジェクトに参加しています。しかしまだ、目立った成果は上げられていません。 青津京介さん「実力不足だって思い知らされて、地元のことも何も知らないし、田舎は遅れてるみたいに思いこんできた。」 でも最近、仲間たちと、あるイベントを企画しました。大人が行う本気の鬼ごっこ。ふだん交わることの少ないお年寄りと若者たちとの交流をはかろうというアイデア。ところが当初住民の反応は微妙でした。 住民「何すんだべみたいな。訳わかんねえ話だなと思って。今もわかんねえ。」 そのとき、青津さんは詳細な説明書を作成。一人一人に参加を呼びかけました。 住民「やってみたら結構楽しかった。なんで楽しいかわかんねえけど。何してもらえっていうことではねえのよ、顔見せてもらえれば。大歓迎だな。」 その後、評判となった鬼ごっこ。ほかの集落でも企画したいという声が上がり始めています。不可能にも思える限界集落の活性化。でも、こうした小さな積み重ねが未来をひらくと信じています。 今も、たびたび瀧本さんの本を手に取ります。 “賛成する人がほとんどいない、大切な真実を探そう。逆風が吹き荒れても、周囲の大人たちがこぞって反対しても、怒られ、笑われ、バカにされても、そこでくじけてはいけません。あなただけの『ミライ』は、逆風の向こうに待っているのです。” 「今どんな感じですか?最強になれた?」 青津京介さん「いや、全然なれてないですね、全く。最弱です。ただ、8年前よりは、ちょっとはマシになったのかな。瀧本さんの言っていたこともわかってきた。」 東京都に暮らす29歳、大久保宅郎さん。去年(2019年)まで防衛省のキャリア官僚として働いていましたが、退職しました。 大久保宅郎さん「退職した日に撮った写真です。」 大久保さんが防衛省を志したきっかけは、18歳のとき経験した東日本大震災。将来にやりたいことが見つからず、フリーターをしていた大久保さんは、ボランティアとして被災地を回り続けました。 大久保宅郎さん「涙が出てきて。誰かの大事な日常が奪われている。個人でやることの限界を感じた。」 1人でも多くの人を救える社会を作りたい。大久保さんは一念発起して猛勉強を重ね、晴れて防衛省に入省します。しかし待っていたのは、会議のコピーを用意したり、はんこをもらいに行く日々でした。 大久保宅郎さん「私じゃなくて、他の人でもできるなと思った仕事がすごく多くて。本当に志すべきは私でないとできないこと。他の人だったら1しかできないんだけど、自分だったら10できるかもしれない。そういう領域を模索したいなと思って。」 自分にしかできないことは何か。可能性をもっと試したい。そのとき背中を押したのが、あえてブレる生き方を勧める瀧本さんのことばでした。 “ルールが変わらない世界では、ブレないことに価値もあるでしょう。でも、私たちが生きている社会はすぐにルールが変わっていきます。ブレない生き方は、下手をすると思考停止になる。最前線で戦うのであれば、『修正主義』は大きな武器になる。” 大久保さんは防衛省を辞め、民間のコンサルタント会社に転職しました。いずれは多くの人が安心して暮らせる社会の仕組みを提案したいと、今はスキルを磨く毎日です。 投資家 瀧本哲史さん「Do your homeworkですけど…。」 8年前の講義で瀧本さんから投げかけられた宿題。 瀧本哲史さん「8年後にみんなで宿題の答え合わせをしようと。この8年間で、僕はちょっと世の中を変えることができましたとか、あの時、たまたま隣にいたやつとこういうことをやったら、こんなことができましたとか、そういうのができたら面白い。」 大久保宅郎さん「8年間経って、世の中、変えられたかって、私はまだ変えられてなくて。道半ばで、やっとやるべきフィールドを見つけられたかなという段階。自分が決めたフィールドで第一人者になっていって、社会をよくするために貢献できたら。」』、「私たちが生きている社会はすぐにルールが変わっていきます。ブレない生き方は、下手をすると思考停止になる。最前線で戦うのであれば、『修正主義』は大きな武器になる」、その通りなのだろう。
・『若者へ託したこと  武田:他人や世間からの評価ではなく、自分なりの価値観で生き方を選び、自分なりに社会を変えていこうという2人。もちろんまだ大きな成果を手にしたわけではありませんけれども、こういう若者が増えることで、社会はどういうふうに変わっていくんだとお考えですか? 宮田さん:先ほどの繰り返しになりますが、新しい世代にとって働くという意味が変わってきています。もうひとつ瀧本さんのことばで言えば、今まさにルールが変わる時代なんですよね。経済合理性を最優先とする社会というものには、コロナが来る前から、環境問題から疑問が呈されてきたんですが、コロナショックが来て、一度世界が止まった中で、経済だけではなくて命や人権、環境、教育、さまざまな重要な軸があることが認識されました。こうした中で、経済合理性の中で社会を回すための歯車として人が生きるのではなくて、自分は何を大切にしたいんだと。あるいは、自分にしかないものは何か。こうした個性ある「生きる」ということを響き合わせて社会を作り、そして、その中で一人一人が輝く、そういったことが重要な時代になってきているのかなというふうに思いますね。 武田:城田さん、とはいえ若い皆さんにとって、一人一人でできることって、やっぱり限界があるんじゃないかとか、本当に社会を変えていけるんだろうかとか、そんなことって思いませんか? 城田さん:むしろ不確実性が増している今の時代だからこそ、人脈も資金力も無い若者が活躍できたりとか、社会を変えやすくなっている時代だと思っています。私自身も20代でファンドマネージャーをしているんですが、20年前であったら、20代でファンドを運用するのは非常に珍しいことでした。大企業に入れば安泰、資格を取れば安定という時代が崩れているいまだからこそ、若者が挑戦すべき時代なのかなと思っています。 武田:「挑戦」と今おっしゃいましたけれども、私たちも取材してすごく印象に残っていることばがあるんですね。それは「3勝97敗のゲーム」という瀧本さんのことばです。人生や投資においてもそうなんですけれども、失敗というのは織り込み済みなんだと。それでも悲観することなく挑戦できるかが問われているんだということなんですけど、97回も失敗したらさすがに潰れちゃうんじゃないかなと思うんですが、どういうふうにこのことばを受けとめますか? 城田さん:これは、「3回の成功のためには97回失敗してもいいんだよ」という、失敗を許容する瀧本さんの励ましなんだと思っています。小さい挑戦をたくさんしていって、どんどん失敗して、その中から生まれた成功の種を大きく育てていくような考え方が、社会全体にも個人の生き方にも求められる時代なのかなと思っています。 武田:世界では、若い世代が上の世代を動かしていくような動きというのが各地で起きていますよね。日本の若者に今期待することはどんなことですか? 宮田さん:アメリカのブラック・ライブズ・マターとか、あるいはドイツは巨大な財源を保障に積みあげて、退路のない変化に入ってきていると。そんな中であっても、例えば日本で私が受けることばとしては、君たちは生まれながらにして負け組だと。未来も日本も変えられないよという人たちが結構多いんですね。 武田:就職氷河期世代ですね。 宮田さん:そうです。そうした中で変わる、変わらないのかという予測をするのではなくて、私自身は、やはり社会の1人のメンバーとしてどう変えるのかということを考えて行動したいと考えています。特に若い世代は、苦しい思い、失敗したときに諦めや挫折をささやく声というのは聞こえてくると思うんですが、そうした中で自分が何を大切にしているかを考えて、一緒に前を向きたいなと思いますし、あるいは若い世代に限らず、挑戦をする、何かを変えようとする人たちは同志だと思っています。変わる、変わらないではなくて、変えるんだということで一緒に挑戦していきたいなというふうに考えています。 武田:50代の私も、40代の宮田さんも、そしてまだ若い城田さんも一緒に。 宮田さん:変えましょう。 武田:最後に、瀧本さんが若者に託したこんなことばをご紹介します。 “必要なのは、他人から与えられたフィクションを楽しむだけの人生を歩むのではなく、自分自身が主人公となって世の中を動かしていく『脚本を描くこと』なのだ。”(『君に友だちはいらない』より)』、「コロナショックが来て、一度世界が止まった中で、経済だけではなくて命や人権、環境、教育、さまざまな重要な軸があることが認識されました。こうした中で、経済合理性の中で社会を回すための歯車として人が生きるのではなくて、自分は何を大切にしたいんだと。あるいは、自分にしかないものは何か。こうした個性ある「生きる」ということを響き合わせて社会を作り、そして、その中で一人一人が輝く、そういったことが重要な時代になってきているのかなというふうに思いますね」、その通りなのかも知れない。「必要なのは、他人から与えられたフィクションを楽しむだけの人生を歩むのではなく、自分自身が主人公となって世の中を動かしていく『脚本を描くこと』なのだ」との「瀧本さん」の言葉は味わい深い。

第三に、8月7日付け日経ビジネスオンラインが掲載したコラムニストの小田嶋 隆氏  他 2名による「「旅立つには早すぎる」~追悼 岡 康道さん 人生の諸問題 最終回」を紹介しよう。
https://business.nikkei.com/atcl/seminar/19/00077/080500010/?P=1
・『日経ビジネスオンライン時代からの長寿コラム「人生の諸問題」の語り手のお一人、岡 康道さんが2020年7月31日に63歳でお亡くなりになりました。 岡 康道さんは東京都立小石川高校から早稲田大学へ進学、電通に営業として入社後、クリエーティブ局へ転籍。CMプランナー、クリエーティブディレクターとして、JR東日本の「その先の日本へ。」「東北大陸から。」、サントリーでは「モルツ球団」など、数々の傑作CMを世に送り出します。その後電通から独立し、川口清勝、多田琢、麻生哲朗各氏とともに、広告制作のクリエーティブエージェンシー「TUGBOAT(タグボート)」を設立。広告提供枠の料金ではなく、広告制作物自体で対価を得るビジネスを日本で初めて立ち上げました。 日経ビジネスオンラインでは2007年から、高校時代の同級生である小田嶋 隆さんと「人生の諸問題」を語っていただきました。 編集部一同、心よりご冥福をお祈りいたします。また、すでに掲載終了となっていた「人生の諸問題」を順次再公開し、本記事の最後のページからお読みいただけるようにしていきます。  今回は岡さんへの追悼稿を掲載し、これをもって「人生の諸問題 令和リターンズ」の最終回とさせていただきます。 最初は清野由美さん。日経ビジネス編集部に岡さん、小田嶋隆さんをご紹介いただいたジャーナリストです。この「人生の諸問題」の連載の企画・司会・原稿執筆は、すべて清野さんがやってくださっていました』、「人生の諸問題」が「2007年から」続いていたとは初めて知った。「岡」氏と「小田嶋」氏の掛け合いの対談は面白かっただけに、「岡」氏の突然のご逝去は残念だ。
・『そんなのは、まっぴらよ!  それは砂袋で頭をなぐられたような、重く鈍い衝撃だった。袋は直後に破れて、足元にどさどさと砂が落ちていったものだから、うまく歩けない。ただ、知らせを受けた時、街の雑踏の中にいたことは、せめてもの救いだったかもしれない。岡康道急逝の報を、静かな室内で受け取っていたら、身体を保つことはできなかっただろう。目の前には、陽光降り注ぐ夏の光景が広がっていた。 20世紀の最後、バブル景気が終わり、日本が「失われた10年」に突入した時代に、広告業界を代表するCMプランナーとして脚光を浴びた。手がけた作品は、サントリー、JR東日本、フジテレビなど、錚々たるクライアントのもので、1996年にはJAAA(日本広告業協会)クリエイター・オブ・ザ・イヤー特別賞、TCC(東京コピーライターズクラブ)最高賞3部門同時受賞、ADC(東京アートディレクターズクラブ)賞と主要な賞を総なめにした。 日本の広告が最も元気だったのは70年代、そして、最も華やかだったのは80年代だ。岡が頭角を現した90年代は、糸井重里、仲畑貴志らに代表されたコピーライターブームやバブル経済という追い風が急速に冷めていた時期だが、それでもテレビ広告は大きな影響力を持っていた。その黄金期に遅れず、天性の才を開花させた岡は、だから強運の持ち主だったといえる。 電通の中で出世街道を進みながら、「クリエーティブに対するフィーの確立」をうたって、突然、独立を宣言したのは99年だった。そこには、「制作、表現こそが価値を持つ」という、21世紀のイノベーションにつながる重要なビジョンが込められていた。 当時、日本の広告会社を支えた利益構造の柱は、媒体の仲介手数料だった。マスメディア、中でもとりわけTVの広告枠を押さえ、それをクライアントに売ることで稼ぐ方法である。 そのモデルがあまりに巨大で、盤石だったので、広告を実際に制作するクリエーティブ部門は、長く「付帯サービス」の扱いに甘んじていた。業界の雄に属し、制作環境に恵まれていた時から、この構造に対する疑問は、自身に張り付いて離れなかったと、岡はいう。 クリエーティブに対する価値と報酬を確立するには、コミッションビジネスの構造から独立することだ。それは「日本」という、どうしようもなく旧弊で、がんじがらめのシステムへの反逆でもあった。その危険な賭けを颯爽とやってのけたことが、岡康道のスターたるゆえんだった。 ただし、岡の「作風」は、本人が発する強く華やいだイメージとは逆に、暗く、湿度のあるものだった。 飲み屋でエリート風の男たちがぶいぶいとオレさま語りをしている隅で、塩をふいたような物悲しい靴で、彼らに反感を募らせているサラリーマン。 友人の結婚式で「おめでとう」と拍手を送りながら、「ヘンなドレス、ヘンな男、ヘンな親」と、胸の中で悪態をつく女性。(いずれも「フジテレビが、いるよ。」) あるいは、サントリー「南アルプスの天然水」では、清冽な景色の中で少女が交わす会話から、ドキリとする生々しさを切り取る。 岡がCMに載せた毒と抒情は、業界の類型とは一線を引く表現であり、同時にCMの本質をもはずれたものであった。つまり、CMの私小説化だ。それをメジャーなクライアントによるマスCMとして成立させたところに、岡の才と、メディア・広告が輝いていた時代を感じずにいられない。 成功の結節点を、「個人のエゴと理想がまじわるところ」と、岡は表していた。背景には青年時代に背負った「父と息子」の物語があった。 自伝的小説『夏の果て』にも記されているように、経営コンサルのような、山師のような父は、岡の幼年時代から、つねに一家を翻弄し続けた。男子たるもの、という父の想念を受けて育った長男の岡にとって、その存在は大きく、ゆえに生涯消えることのない鬱屈の大もとでもあった。 2007年から本年まで13年にわたって「日経ビジネスオンライン」「日経ビジネス電子版」で続いた連載対談「人生の諸問題」では、盟友、小田嶋隆とともに、東京都立小石川高校、浪人、早稲田大学、その後、と各時代のエピソードを繰り返し語って、尽きることがなかったが、それは双方に盤石の持ちネタがあったからだ。岡は大学時代に経験した実家の破産と父の失踪、小田嶋は30代をまるまるアルコール中毒で棒に振ったこと――と、あらためて記すと、ひどい話ではあるが、ふたりにかかると、それが、ゆるく自由だった昭和ならではの、この上ない冒険譚に聞こえてしまうのだ。 会話の根底には昭和の感性というべき「韜晦」のレトリックが、いつも流れていた。 たとえば「一浪して京都大学に進学して、大原三千院のあたりで美しい女性と出会うはずだったのに、早稲田大学に決まって、都の西北で青春が暗いまま終わってしまった」など、聞きようによっては嫌味になりかねない言い分が、かけあいの中で、ものすごく面白いおバカな話になる。その韜晦を真に受けて、「本当ですね」なんて、あいづちを打ちようものなら、それこそ「シャレをわからないバカ」と、憤激が返ってくる。ひらたくいうと、面倒くさいダンディズムである。 ただし、そのダンディズムが似合うこと、超一流の人が岡康道だった。自身が持つ世俗的な価値と複雑な内面を、天才的な勘でバランスさせて、したたかに、魅力的に人生を生き抜いていた。 同時に「?」と首をひねるような、抜けたところも多々ある人格で、だからこそ、多くの人に愛された。 たとえば、「(待ち合わせ場所の喫茶店が)わからないんだよ」と電話をかけてきた岡その人の姿が、まさしく、その店のドアの真ん前にあったり(岡さん、すでに到着してますよ、そこに)。 頼んだスープを(コロナの今では信じられないことだが)みんなに分けようと、必死になって平皿に注いでいたり(何やってんですか、岡さん?)……。 そんなこんなで、あきれたり、笑ったり、怒ったりしながら、いつの間にか干支がひと回り以上。昨年7月に刊行された対談集第4弾『人生の諸問題 五十路越え』の「おわりに」に、岡はこう書いた。「対談集を10冊まで続けたいと私は夢を見ている。小田嶋はすぐさま賛成するだろうが、清野さんは『まっぴらよ!』と言うであろう」 岡さん、まちがっています。私だって、すぐさまはちょっとわからないけど、賛成しますよ。いや、その前に、「まっぴらよ!」なんて言葉は使わないし……。 だから、いま、使うよ。こんな突然にお別れがくるなんて。本当に、本当に、そんなのは、まっぴらよ!(文:清野 由美)) お二人目は、福岡を基点に長くCMを制作し、現在は映画監督として活躍している江口カンさんです。 映画通としても知られた岡さん。日経ビジネス電子版の「戦力外通告を突きつけられた人はどうするべきか」では、岡さんが江口さんが初めて撮った映画「ガチ星」への感想を語っています。合わせてお読みいただければ幸いです』、「クリエーティブに対する価値と報酬を確立するには、コミッションビジネスの構造から独立することだ。それは「日本」という、どうしようもなく旧弊で、がんじがらめのシステムへの反逆でもあった。その危険な賭けを颯爽とやってのけたことが、岡康道のスターたるゆえんだった」、「面倒くさいダンディズム・・・が似合うこと、超一流の人が岡康道」、凄いスーパースターだったようだ。
・『一生褒めてもらえることなんてないと思っていた  実は岡さんと実際にお会いしたのは3度しかありません。 おこがましいのは重々承知の上で、この場をお借りしてお礼を言わせていただくことをお許し下さい。 岡さんには、2008年のJ R九州のCMでお世話になりました。 当時の僕は、作ったものが少しだけ話題になり始めた頃でした。 岡さんはすでに超有名人、スターでした。 生み出すものはすべて知性的かつぶっ飛んでいて、正直言って広告業界で一番の憧れでした。 そんな人からディレクターとしてのご指名を受けて興奮していたし、とても緊張もしていました。 「岡さんに一発で認められたい」 そう張り切って作ったCMは、岡さんからあっさりダメ出しされました。 僕はすっかり落ち込んでしまいました。 その後、喫茶店で(岡さんは酒が飲めないし、すぐに帰京するということで)お茶しながら話しました。憧れの岡さんはとても気さくで、映画の話も家族の話も下ネタも全て面白くて楽しい時間だったのですが、僕は勝手にショックを引きずっていて、なんだか上手く話せませんでした。 それから数年後、たまたま東京でバッタリお会いしました。 最初の出会いがそんな感じだったので一瞬躊躇しましたが、思い切って声をかけると、 「売れてきてるみたいだけど、あんまりこっちにいないほうがいいよ。他の人と同じように東京に出るのではなく、地に足をつけておけよ」というふうなことを言われました(後にご本人は「適当に言った」とおっしゃってますが)。 それはまさに僕がその当時迷っていたことへの明快な答えでした。 それからずっとお会いすることはありませんでした。 僕は、岡さんのアドバイスもあり、あえて福岡に住み続けながら東京の仕事をやるスタイルがむしろ面白がられ、仕事のペースを上げていきました。 そして2年前のある日、突然岡さんからのメールが届きました。 「ガチ星観ました。よかった、面白かった。いい映画、ありがとうございました」という短い文章。 飛び上がるほど嬉しかった。 それは、僕の初めての映画「ガチ星」への感想でした。 映画処女作で評価も分かれ、かなり自信が揺らいでいたところに岡さんからのこのメール。 しかもよく考えたら岡さんから直接メールを頂いたのは初めてだったのです。 あの岡さんが、わざわざ僕の映画を観てくれた。 面白かったって伝えるためにわざわざメールしてくれた。 一生褒めてもらえることなんてないと思っていた岡さんから面白いって言ってもらえた。 僕とこの映画にとって、これだけで十分満足でした。 そして先日、岡さんの突然の訃報を聞きました。 奇しくもそれは、かつてドラマ(※)で岡さんの役を演じた堤真一さんと映画の撮影をしている最中でした。 なんだかそばに岡さんがいて、やっぱり見られているんじゃないかという気分になります。 いや、むしろそうであって欲しい。 今の自分は岡さんに褒められるようなものを作っているだろうか。 今も心のどこかで岡さんに褒められたい、認められたいと思っているし、これから先もずっとそうだと思います。 岡さん、ありがとうございました。 少しゆっくりして下さい。 そしてこれからもよろしくお願いします。(文:江口カン) (※2002年フジテレビ「恋のチカラ」。また、NHK BSプレミアム「私は父が嫌いです」は岡さんの小説『夏の果て』が原作でした) 次は岡さんの弟、岡 敦さんです。敦さんには日経ビジネスオンラインで「生きるための古典 〜No classics, No life!」を連載していただき、集英社新書から『強く生きるために読む古典 』として刊行されました(2020年8月5日現在「もう一度読みたい」で、連載の一部がお読みいただけます)。敦さんがイラストを描いた兄弟合作の『広告と超私的スポーツ噺』(玄光社刊、2020年4月)が、岡さんの最後の本となりました』、若手が作製した映画を観て、感想をメールするとは、気配りもなかなかのものだ。
・『最後の会話  兄と最後に話をしたのは、いつだったろう。 7月の中頃、兄が再入院(最後の入院)する前だったろうか。 たしか、ぼくは自分の部屋のなか、机の前に立ち、茶色いドアにぼんやりと視線を向けながら、30分ぐらい電話を耳にあてていたのだった。 内容は、まさかそれが最後になるとは考えていなかったから、マルクスの土台上部構造論だの、マンハイムのイデオロギー概念だのと、今こうなってから振り返ると、まったくどうでもいい、つまらないことを、しかしそのときは互いに少し興奮しながら話していたように思う。 しかし話題は少しずつ移り、やがて、どういう流れだったのか覚えていないけれど(そうだ、その頃は母が高齢者施設に入居する、その準備をしていたはずだから、そんな話題の直後だったかもしれない)、兄が突然大きな声ではっきりと言った。 「あぁ、歳をとるってやなもんだな」。 ぼくは、ひどく驚いてしまった。 ぼくたちの育った家は、巨額の負債を背負ったり離散したりした。その前にも後にもいろいろな経験をしたけれど、兄もぼくも、それらのことを怒ったり嘆いたり恨んだりしたことは、ただの一度だってなかった。 誰に教わったわけでもないけれど、子供の頃からずっと、ぼくらは「必然的にやってくるものを拒む」ようなことはしなかったのだ。たとえそれが、どれほどネガティブなものであったとしても。 来るものは来るのだから、嫌がってもしょうがないだろ。嫌がるだけ損だ。それは来るものだと認めたうえで、さあどう受けて立とうかと考えようぜ。 とりわけ兄は、そうだった。来るものが来る、それは兄にとっては、新しいゲームの始まりのようなもの。さあどんなふうに乗り切ってやろうか、どう対応すれば面白いだろう、そうだ、こうやってやっつけてやれば、きっとみんな驚くぞ。 などと想像して目を輝かせ、ワクワクする気持ちを抑えられずにいる。いつも兄は、そんなふうに見えたのだった。 その兄が、避けることのできない「老化」について、嫌だ、と強い調子で拒んでいる。大袈裟に言えば、その言葉は、ぼくの耳に非現実的な響きを残した。 戸惑った。兄が今、何を想い何を考えているのか、このときは想像もできずにいた。 返す言葉も思い浮かばなくて、ただ小さな声で、「だね」と曖昧な相槌を打った。 兄は、なおも、たかぶる想いが収まらないらしく、追撃するような勢いで「歳はとりたくねえなあ」と続けた。 応えられずに、ぼくは黙った。 兄も口をつぐんだ。 そして、少し間をおくと、兄は普段の自分を取り戻して、自嘲気味に笑いながら、まあ、オレのこの病気も老化かもしれないけど、と付け加えたのだった。(文:岡 敦) 最後は、岡さんの同級生にして「人生の諸問題」の相方、小田嶋隆さんです』、「子供の頃からずっと、ぼくらは「必然的にやってくるものを拒む」ようなことはしなかったのだ。たとえそれが、どれほどネガティブなものであったとしても。 来るものは来るのだから、嫌がってもしょうがないだろ。嫌がるだけ損だ。それは来るものだと認めたうえで、さあどう受けて立とうかと考えようぜ」、兄弟が家の不幸をプラスに転じたのはさすがだ。
・『「なあ、どう思う?」  「なあ、どう思う?」 岡康道は、いつも意外な質問を投げかけてくる男だった。 「満員電車って狂ってないか?」と、高校に入学して間もない頃、そんなことを言っていた。 「狂ってるけど、乗らないと学校に来れないしな」「でも、乗ってる全員が我慢してるっておかしくないか?」 たしかにおかしい。そして、その四十数年前の岡の問いに、私はいまだに適切な答えを見つけられずにいる。そういう質問が山ほどある。 「8月ってこんなに暑い必要あると思うか?」「別に必要で暑いわけじゃないしな」「そりゃそうだけど、全世界が全部暑いわけじゃないぞ」「どういう意味だ?」「だからさ。探せば涼しい場所もあるっていうことだよ」「まあな」「だろ? 涼しい場所に行かないのってただの間抜けだと思わないか?」 この質問は、実はフェイクで、本当のところは北海道大学を一緒に受験するプランに私を誘い込むためのプレゼンの導入部だった。 「おまえはこんな暑い土地でキャンパスライフを送るつもりなのか?」と、そんな調子の説得が二学期の間じゅう続いた。私はまんまとひっかかって、翌年の2月には羽田発千歳空港行きの飛行機に搭乗していた。 こんなこともあった。 「オレが何を考えてるかわかるか?」「……んー、どうせおまえにはわからないって考えてるだろ?」「違うな。どうせおまえにはわからないと考えているとおまえが答えるだろうなと思ってた。とりあえずそれがひとつ」「……ほかに何かあるのか?」「おまえはすでに遅刻してるけど、それでいいのかなって思ってる」「……あっ」 忘れもしない。私がある大切な会合(内容は言いたくない)に2時間遅れて、誰も待っていない場所にたどり着く直前にかわした会話だ。こういう時でも、岡は演出を怠らない男だった。 もっとも、岡の質問の大半は 「そんなことも知らないのか?」「どうしてこんな当たり前のことにいちいち疑問を持つんだ?」という感じの、常識以前の疑問だった。そういう意味では、おそろしく無知な部分とみごとにナイーブな感受性を最後まで失わない男でもあった。 私は、いつもその質問に答える役割を与えられていた。 「与えられていた」という書き方をしたのは、私にとって、岡から発せられる質問が、アイディアの出発点でもあることにいつしか気付かされたからだ。 新卒で就職して大阪で半年ほど暮らした頃、私を最も苦しめたのは、自分自身がまるで面白くない男になっていることだった。 その理由の半分ほどは、私が、素っ頓狂な質問を投げかけてくる相棒を失っていたからだった。どういうことなのかというと、私は、「なあ、どう思う?」と、奇妙な問いを発してくるコール&レスポンスの相手を抜きにして、自分のオリジナルのジョークを発信する技術を身に着けていなかったのだ。 私は、愚図だった。その点はいまでも基本的には変わっていない。私は、自分で企画して何かをはじめたり、自分でルートを発見して歩き出したり、自力で発案したジョークを世に問うたりすることが苦手な性質で、誰か、背中を押してくれたり、行き先を示唆してくれる人間の助力なしには、ほとんど何ひとつ始めることができない。そういう宿命にうまれついている。これは変えることができない。 岡康道がいなくなった世界で3日ほど暮らしてみて、いまつくづくと思っているのは、大切なのは、投げかけられた質問にうまい答えを返すことではないということだ。本当に重要なのは、問いを発する仕事なのだ。新しい問いを立てることのできる人間は限られている。岡は、質問に回答する役割としても優秀なクリエーターだったが、それ以上に、問いを立てる人間として替えのきかない、ほとんど唯一の存在だった。その意味で、岡康道は卓抜な企画者であり、大胆な改革者であり、危険きわまりないアジテーターだった。 若い頃、岡に誘われたり、挑発されたり、そそのかされたりして始めたことがいくつかある。そのほとんどすべては、言うまでもないことだが、北大受験をはじめとして、手ひどい失敗に終わっている。いま60歳を過ぎてみて思うのは、それらの、はじめから挑戦する価値さえなかったように見える失敗から学んだことが、結局のところ、自分の財産になっているということだ。つまり、ひと回りした時点から振り返ってみて、彼は、まぎれもない恩人だったわけだ。 行く手に落とし穴を掘ってくれるパートナーを失って途方に暮れている。 実は、型通りに冥福を祈って良いものなのかどうか気持ちが定まっていない。 「冥福には早すぎる」てな調子のセリフを言いながら 「こういうのってちょっとカッコイイだろ?」と、あの笑顔で笑ってくれたらうれしい。 とりあえず、さようならと言っておく。また会おう。(文:小田嶋 隆)』、「本当に重要なのは、問いを発する仕事なのだ。新しい問いを立てることのできる人間は限られている。岡は、質問に回答する役割としても優秀なクリエーターだったが、それ以上に、問いを立てる人間として替えのきかない、ほとんど唯一の存在だった」、今後の「小田嶋」氏のコラムニスト活動に悪影響が及ばないよう願うばかりだ。
・『「人生の諸問題」バックナンバー  「人生の諸問題」の過去記事はこちらからお読みいただけます。システム上の理由で、本コラムのバックナンバーとして収録することができず、「もう一度読みたい」という欄での掲載となりますが、どうかご容赦ください。古い順に転載を進め、最終的にはすべての回を再録する予定でおります。このページに各回のタイトルとリンクを追加していきますので、岡さんを思い出したいときに、お訪ねいただければと思います。 ネット上には岡さんを悼む声、そして、過去の優れたインタビューが多々ございます。もし、岡さんを愛した方と共有したい記事がございましたら、コメント欄にお寄せください。 ●01 2007年9月14日 「文体模写」「他人日記」「柿」 ●02 2007年9月28日 「猿」と「太宰治」と「プレゼン」と ●03 2007年10月5日 「チャンドラー」と「JASRAC」と「新聞紙」と ●04 2007年10月12日 「受験」と「恋愛」と「デニーズ」と ●05 2007年10月19日 「体育祭」と「自己破産」と「男の子」と~第2走者の憂鬱 ●06 2007年10月26日 「ルール」と「法哲学」と「アメリカ」と ●07 2007年11月2日 「息子」と「宴会芸」と「君が代」と ~お父さんは、数学で1点を取りました ●08 2007年11月9日 「パパ社長」と「自分探し」と「プロジェクトX」と ●09 2007年12月14日 「ワイドショー」と「資格」と「十二人の怒れる男」と ●10 2007年12月21日 「夢」と「離婚」と「セカンドライフ」と ●11 2007年12月21日 「セカンドライフ」と「藤沢周平」と『こころ』と ●12 2008年2月1日 「クオーターバック」と「天秤打法」と「スイング」と ●13 2008年2月15日 「幻聴」と「アル中」と「禁煙」と ●14 2008年2月22日 「仕事」と「家庭」と「広告」と ●15 2008年2月29日 「テレビ」と「ウェブ」と「著作権」と ●16 2008年3月7日 「地デジ」と「カンヌ」と「ギャンブル」と ●17 2008年12月12日 「テレビCM」と「家族」と「フッキング」と おまたせしました、シーズン2開幕! ●18 2008年12月26日 「創作」と「違和感」と「思春期」と「『ハケン切り』の品格」大反響、オダジマコラムの“書き方”に迫る ※以降も順次再掲載を進めてまいります。なお、2016~18年分はこちらからお読みいただけます(https://business.nikkei.com/article/life/20070906/134215/)。 岡さん、どうぞ安らかにお過ごしください。 メンツがあちらに揃ったら、ぜひ、「天国の諸問題」で連載を再開しましょう』、「天国の諸問題」も是非読んでみたいものだ。
タグ:「人生の諸問題」バックナンバー 本当に重要なのは、問いを発する仕事なのだ。新しい問いを立てることのできる人間は限られている。岡は、質問に回答する役割としても優秀なクリエーターだったが、それ以上に、問いを立てる人間として替えのきかない、ほとんど唯一の存在だった 「なあ、どう思う?」 子供の頃からずっと、ぼくらは「必然的にやってくるものを拒む」ようなことはしなかったのだ。たとえそれが、どれほどネガティブなものであったとしても。 来るものは来るのだから、嫌がってもしょうがないだろ。嫌がるだけ損だ。それは来るものだと認めたうえで、さあどう受けて立とうかと考えようぜ 最後の会話 一生褒めてもらえることなんてないと思っていた が似合うこと、超一流の人が岡康道 面倒くさいダンディズム クリエーティブに対する価値と報酬を確立するには、コミッションビジネスの構造から独立することだ。それは「日本」という、どうしようもなく旧弊で、がんじがらめのシステムへの反逆でもあった。その危険な賭けを颯爽とやってのけたことが、岡康道のスターたるゆえんだった そんなのは、まっぴらよ! 「「旅立つには早すぎる」~追悼 岡 康道さん 人生の諸問題 最終回」 小田嶋 隆氏  他 2名 日経ビジネスオンライン 必要なのは、他人から与えられたフィクションを楽しむだけの人生を歩むのではなく、自分自身が主人公となって世の中を動かしていく『脚本を描くこと』なのだ コロナショックが来て、一度世界が止まった中で、経済だけではなくて命や人権、環境、教育、さまざまな重要な軸があることが認識されました。こうした中で、経済合理性の中で社会を回すための歯車として人が生きるのではなくて、自分は何を大切にしたいんだと。あるいは、自分にしかないものは何か。こうした個性ある「生きる」ということを響き合わせて社会を作り、そして、その中で一人一人が輝く、そういったことが重要な時代になってきているのかなというふうに思いますね 若者へ託したこと 私たちが生きている社会はすぐにルールが変わっていきます。ブレない生き方は、下手をすると思考停止になる。最前線で戦うのであれば、『修正主義』は大きな武器になる 天才投資家が残した“宿題” 大学での講義を通じて、「若者に「自分の手で社会を変えるんだ」と訴えていた」、のは次世代への大きな蓄積となって残るだろう 2020年の世界を生きる若者たちへ “世の中を大きく変えたいと思うならば、きちんと『ソロバン』の計算をしながら大きな『ロマン』を持ち続ける。その両方が必要です 混迷の時代“天才投資家”の生き方論 「2020年の世界を生きる君たちへ~投資家 瀧本哲史さんが残した“宿題”~」 NHKクローズアップ現代+ 一見の割り切って行動している人ほうが、悩むべきときにはきちんと悩むことができる。色とりどりの経験の蓄積がある分、中身の濃い「生きる道」の模索ができる 悩んでいるだけでは、人生は前に進まない 具体的な学び、仕事をせず、その記憶もなければ、そもそも整理すべき素材もない。何もしないで悩んでいるだけでは、ぐるぐると同じところを回ることになってしまう 「ディフォルト・モード・ネットワークがきちんと働くためには、具体的な行動や学習の積み重ねがないといけないということである。肝心のリアルな体験がないと、悩みの素材もないのだ 「悩むだけで前に進めない人」の勘違い 「茂木健一郎「悩むだけの人」は自分の人生を無駄にしている 割り切って行動すればうまくいく」 プレジデント (その5)(茂木健一郎「悩むだけの人」は自分の人生を無駄にしている 割り切って行動すればうまくいく、2020年の世界を生きる君たちへ~投資家 瀧本哲史さんが残した“宿題”~、小田嶋氏他:「旅立つには早すぎる」~追悼 岡 康道さん 人生の諸問題 最終回) 人生論
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公務員制度(その4)(揺れる“非正規公務員” ~急増する背景に何が?、忖度 更迭 意外な栄転……「官僚たちの夏」2020年霞が関人事を読み解く【週刊エコノミストOnline】、古賀茂明「官邸のえこひいきで堕落した官僚」〈週刊朝日〉) [国内政治]

公務員制度については、昨年9月6日に取上げた。今日は、(その4)(揺れる“非正規公務員” ~急増する背景に何が?、忖度 更迭 意外な栄転……「官僚たちの夏」2020年霞が関人事を読み解く【週刊エコノミストOnline】、古賀茂明「官邸のえこひいきで堕落した官僚」〈週刊朝日〉)である。

先ずは、昨年11月6日付けNHKクローズアップ現代+「揺れる“非正規公務員” ~急増する背景に何が?~」を紹介しよう。
https://www.nhk.or.jp/gendai/articles/4350/index.html
・『ことし日本列島をたびたび襲った台風。自治体の初期対応や現地調査の遅れが問題となった。さらに相次ぐ児童虐待事件では、児童相談所などの対応の問題も指摘される。実はこうした問題の裏には、自治体の人手不足や、いわゆる“非正規公務員”の増加があると言われている。税収が減り人件費削減が避けられない中、非正規は公務員の3分の1を占めるまでに。手取り16万で働く児相職員、学級担任を任される時給900円以下の非正規の教師…、その労働環境はとても厳しい。税収が減少するなか、安定した自治体運営には何が必要なのか考える。 出演者 石井光太さん (作家) 西山志保さん (立教大学 教授) 武田真一 (キャスター) 、 高山哲哉 (アナウンサー)』、「非正規は公務員の3分の1を占めるまでに」、ここまできたかと再認識した。
・『揺れる“非正規公務員”急増する背景に何が?  さまざまな場所で増えている非正規公務員。そのひとつが、教育現場です。 茨城県の、この中学校。教員20人のうち、3人が非正規です。保健体育の教員、飯田花織さんも、その1人。常勤の講師として、フルタイムで働いています。 朝7時すぎ。部活の朝練。正規採用の教員と同じように、部活動の顧問を任されています。8時になると教室へ。こちらも正規同様、クラス担任を務めています。 常勤講師(保健体育)飯田花織さん「1学期2学期にどれだけ頑張っていたかで、2年生の成績が出ます。」 仕事内容は正規と全く同じなのに、就職して5年、賃金アップは一切ありません。ほかにも…。 常勤講師(保健体育)飯田花織さん「産休や育休は(非正規の)講師にはないので、不安な部分は1年間の契約というか、次の学校があるのかとか、もう1年やらせてもらえるのかとか。」 大学で教員免許を取った飯田さん。正規職員の採用試験を受けましたが、体育の教員は枠が少なく、不合格。その後も、毎年挑戦を続けてきました。 仕事を終えたのは、午後8時半すぎ。採用試験の問題集を見せてくれました。 取材班「すごく細やかな字ですね。」 学校の仕事が忙しいため、試験勉強できるのは帰宅してからのわずかな時間だけだといいます。 常勤講師(保健体育)飯田花織さん「24時間しかない中で(試験勉強を)どこでできるかって言われたら、仕事が終わった後しかできない。負担は負担ですけど、でもそこしかないって感じですかね。」 非正規公務員がおかれる厳しい環境。家族を支える立場になると、より重い意味を持ってきます。 「1週間の時間割になります。」 公立小学校でクラス担任を持って働く、40代の女性です。かつては正規の教員でしたが、出産のために退職。その後、夫と死別し、2人の子どもを育てるため、非正規の教員として働き始めました。 「これが今年の給与明細。」 手取りは、ひと月19万円あまり。非正規になった10年以上前から、ほとんど上がっていません。自治体から支援を受けないと、子どもの給食費や通学費を出すこともできませんでした。 公立小学校 常勤講師 女性(40代)「年齢は、それ(制限)を越えてしまったので、(正規になる試験を)受けることはできない。今、住んでいるところで、正規になる道はもう無い。悔しい、不安、これで老後の資金もためて、死ぬまで働かないといけない。」 高山:ご紹介しました保健体育の飯田先生なんですが、努力が実って採用試験に合格されたので、来年の春から正規の先生として働くことができるんだそうです。 武田:それは本当によかったと思いますが、働き方改革の議論など推進する行政の中で、こういうことが起きているということですね。本当におかしいんじゃないかと思うんですが、どうなんでしょう。 高山:まず、非正規公務員とは何かをご紹介したいと思いますが、一般的には臨時職員非常勤職員などと呼ばれる立場で1年、それから半年という短い期間で契約を繰り返しながら働いている皆さん。具体的には、どんな仕事があるのか。自治体の窓口業務、保育士など、私たちと直接接する機会が多いという身近な仕事なんですね。 番組では、非正規公務員の皆さんからこんな声が届いています。一部をご紹介します。まずは、司書をされているという30代女性です。 “週5日働いて年収は116万円。アルバイトは禁止。私の現実は「同一労働・半額賃金」。「嫌ならやめろ」ということなのでしょう。” それから、40代の教育委員会で働いていらっしゃる女性の方。 “19年間働いているのに予算の削減を理由に「もう任用しない」と言われた。交渉の結果続けられたが、次の年度どうなるか不安。” こういった非正規公務員の皆さんのリアルな声。特設ホームページの方でもご紹介しています。 武田:取材に当たった寺島さん。本当に深刻な問題だと思いますが、非正規公務員の問題、どれぐらい広がっているんでしょうか。 寺島記者:総務省の調べでは、都道府県と市区町村など合わせて、非正規公務員は2005年の時点で全国に45万人余りでした。それが、2016年には65万人近くになり、10年余りの間に4割も増加したことになるんです。自治体によって契約や待遇は違うんですが、共通するのは給与が低く、契約も不安定だということです。こういった人たちは「官製ワーキングプア」と呼ばれることもあります。自治体に求められる役割が拡大する中、その担い手として、非正規公務員が増えているんです』、「非正規公務員」が「10年余りの間に4割も増加」、「官製ワーキングプア」がこれほど増えているとは、異常だ。
・『武田:石井さんも、これまでの取材の中で、こうした非正規公務員の方に出会えたことがあるそうですね。 ゲスト 石井光太さん(作家)石井さん:ある自治体が、低所得者向けにやっている子ども食堂というのがあります。ごはんを提供したり、夜中まで勉強を見てあげたりということですね。こういったときに、非正規の先生方が子どもをたくさん預けている例というのがあったんです。いろんな先生たちが。 武田:先生方が預けている。面倒見ているんじゃなくて。 石井さん:学校の子どもを面倒見れば見るほど、(自分の子どもを)見ることができない、ごはんもない。だから、そういうところに預けているんです。その先生方が言っていたのは、自分自身の仕事の体験の中から、子どもたちに社会で働けとなかなか言えない。子どもたちのほうも、親が常にお金がないとか、仕事がつらいということしか聞いていない。こういった状況が何を生むかというと、まず1つに、社会に働くことに対する失望感みたいなものが空気として出来上がってしまうと思うんですね。もう1つとして、貧困の連鎖。つまり、子ども自身が社会で働かなくなったり、きちんと進学できなくなる中で、貧困になってしまう。国というのは、応急処置のような形で非正規の先生というのをつけていますけれども、長い未来を見たときに、非正規ではなくて、その先生たち、家族、そして次の世代をどうやってきちんと見ていくかというのが重要なんじゃないかと思います。 高山:取材を進めていくと、自治体にとって市民の命を守るという重要な役割も、実は非正規公務員の皆さんが担っている実態があるということが分かってきました』、「非正規の先生方が子どもをたくさん預けている例というのがあった」、「1つに、社会に働くことに対する失望感みたいなものが空気として出来上がってしまうと思うんですね。もう1つとして、貧困の連鎖。つまり、子ども自身が社会で働かなくなったり、きちんと進学できなくなる中で、貧困になってしまう。国というのは、応急処置のような形で非正規の先生というのをつけていますけれども、長い未来を見たときに、非正規ではなくて、その先生たち、家族、そして次の世代をどうやってきちんと見ていくかというのが重要なんじゃないかと思います」、同感である。
・『近年、相次いで起きている幼い子どもへの虐待事件。児童相談所などの対応の遅れが指摘されています。実はこうした現場でも、非正規公務員が重い責任を負っているのです。 東日本の児童相談所で、非正規として働く女性。臨床心理士の資格を持ち、大学院で博士号も取得。キャリアは10年以上になります。仕事内容は、虐待の疑いで保護した子どもと、その保護者に面接し、子どもを帰すべきかどうか判断する業務。 児童相談所非常勤職員 女性(40代)「子どもは(親元に)帰りたい、親も返してほしいと言っていて、でも自分は心配もあって、本当に帰していいのか、帰さないほうがいいのか。すごく判断にプレッシャーというか、負担になるところはありますね。」 難しい案件に対応するうち、昨年度の残業は500時間を超えました。収入は手取り16万円。しかし、職場のことを思うと、仕事を辞めることは考えられないといいます。 児童相談所非常勤職員 女性(40代)「本当にいま、児童相談所自体が(人が)回らなくて、これだけ(虐待の)通告件数も増えていて、人は急には育たないので、自分が辞めたらもう(職場は)危ういだろうな。辞められないというか、綱渡り状態というのはすごく感じます。いっぱいいっぱいの状況を、どこまで社会が分かってくれているかな。」 重要な仕事の多くを非正規に頼っていたことが、思わぬ形で浮き彫りになったケースも。 大型で非常に強い台風19号が日本を襲った先月、ある自治体に密着取材しました。 「水が足りない。」「水も運んでほしいな。」非正規の職員が半数を占める、茨城県の鹿嶋市。事前に災害対策本部を設置していましたが、思わぬ事態が。 市が定めた防災計画では、非正規の職員は災害対応できないことになっていたのです。 「うちら(市民活動支援課)だけ残ればいいってこと?」「じゃあ、そうしていただけますか。」 福祉担当者の間でも課題が。支援が必要な高齢者を、事前に避難場所に誘導しなければならないのですが…。 「やっぱり、初めての(正規)職員が迎えに行くことになるので。」 ふだん、高齢者とやりとりするのは非正規の仕事。しかし、彼らが不在の中、面識のない正規職員が対応せざるを得ません。 「ケアマネジャーに連絡を入れて、その方がどんな生活か、情報も得たうえで、お迎えに行って、話をして調整するような形で。」 午後7時半。 避難所には、大勢の市民が身を寄せていました。130人を超える市民に対して、対応する職員は2人。 「正規職員で対応しています。非正規の人は、夜間勤務はないです。災害対応勤務という形で、時間も変えてやっています。」 災害時、自治体の仕事は避難所の運営や災害廃棄物の撤去など、多岐にわたります。非正規の職員が急増する中、突発的な事態への対応が難しくなっているのです。 次の日。 夜明けとともに、各地の被害が明らかに。鹿嶋市では住宅の浸水はなかったものの、およそ1万戸が停電。住民からの電話が鳴りやみません。 「復旧のめども、東京電力からは来ていないので。」「確認はしているんですけど、明確にいつ復旧という返事がないので。」 台風対応を通じて浮かび上がった、非正規公務員の重要な役割。こうした実態、あなたはどう考えますか。 武田:災害になって、改めて非正規の公務員の人たちが、ふだんから、いかに私たちの命や暮らしに直結するような仕事をしているかというのが浮かび上がったわけですね。 高山:今年の台風を受けて、鹿嶋市では、災害時に非正規の皆さんに何か役割を担ってもらえないかということで、ご紹介した防災計画の改定に乗り出しています。こうした鹿嶋市の動きは、今後も全国で広がっていくのではないのかと専門家は見ています。 ただ、番組に届いた声には、こんな不安もあります。かつて自治体で働いていた50代の女性です。 “非常勤なのに災害時の呼び出し体制に組み込まれた。もし勤務中にけがを負った場合、補償してくれるのかとても心配でした。” 安全面もしっかり配備してほしいということです』、「“非常勤なのに災害時の呼び出し体制に組み込まれた。もし勤務中にけがを負った場合、補償してくれるのかとても心配でした」、「補償」するのは雇用者として当然の義務だ。
・『武田:西山さんにお話伺います。こういったことを担っているというのが現実だとすると、非正規ではなくて正規の雇用にしなくてはいけないのかと思うんですが、なぜこうなるんでしょうか。 ゲスト 西山志保さん(立教大学 教授)西山さん:自治体にとりまして、非正規の存在が雇用の調整弁的な役割を果たしているのも、非常に大きい問題となっているわけです。その背景にありますのは、少子高齢化の中で地域のニーズが多様化し、そこに対応していかなくちゃいけない。しかし、その一方で国の交付金は削減されまして、税収は減っていく。非常に自治体自身が苦しい状況の中にあるわけです。国は地方分権ということで自治体に自助努力を求め、自立できる自治体は魅力的な地域づくりを自分たちの税収をまかないながらやっていってくださいと。そういった自治体は生き残っていけますが、そういうことができない自治体は「消滅可能性都市」と呼ばれるようになっていってしまうと。その中で、やはり行政が、自治体は合理的なサービスを遂行していかなければならない。その一つが、非正規職員の問題として表れていると考えられると思います。 武田:寺島さん、少しでも待遇をよくしてほしいと思うんですけど、国はそういうことは考えていないんですか。 寺島記者:国はようやく改善に乗り出していて、非正規の公務員の方々が働く自治体に対して、通勤費や賞与の支払いなどを求める新たな制度を、来年度から始めることになっています。民間では、同一労働・同一賃金が叫ばれる中、非正規公務員の待遇改善につなげることがねらいです。その一方で、自治体の予算は限られています。支出額全体が変わらないように、賞与は支払う代わりに基本給を減らすと通告されたという悲痛な声が、現場を取材していたら聞こえてきました』、「自治体にとりまして、非正規の存在が雇用の調整弁的な役割を果たしているのも、非常に大きい問題となっている」、「雇用の調整弁的な役割」というのは企業の場合であって、「自治体」には当てはまらない筈だ。やはり、「非正規」は「自治体」には馴染まないとして、本来の「正規」に切り替えてゆくべきだろう。
・『武田:それでは元も子もないというか、増えてないということですよね。石井さんは、児童相談所の相談は数多くなさっていますが、今のVTR前半はどうご覧になりました? 石井さん:児童相談所の職員って仕事も大変なんですが、代えのきかない仕事だと思うんですね。例えば、虐待家庭から救出するというのも一つの仕事ですが、その後に救出した子どもにどう関わっていくか、社会にどう出していくか、家庭をどう持たせていくか、全体に関わらなければならない。一つの例を挙げれば、ある少女が性的虐待を受けていたとします。そういった少女って、すぐにはなかなか言えない。信頼関係の中で、1年後、2年後にようやく言える。その間に、もし非正規職員でころころ変わってしまったら、言えませんよね。あるいは、勇気を出して言って、すぐ1か月後に変わったらどうなるのか。行政のいろんな問題のしわ寄せが、一番保護されなければいけない子どもたちにきてしまったりするケースもあるんですね。そう考えても、僕たちがしなくてはいけないのは、すべてをコストカットという見方ではなくて、どこが重要なのか、どこが変えちゃいけないのかを見極めることが必要になってくるのではないかなと思います。 武田:西山さん。求められる行政サービスが虐待への対応であったり、災害も増えていますよね。どんどん多様化して、広がっているということもあるんですか。 西山さん:そういった多様化するニーズに対応しなくちゃいけないというニーズが高まっている一方で、やはりそこに対応できるだけの十分な財源がないということで、今までのサービスを維持することが非常に難しくなってきているわけですね。その中で、行政がサービスをカットするだけでは魅力的な地域づくりはできませんので、どこを担っていくべきかということを見直していかなくちゃいけないという時期に、今まさに来ていると。 武田:行政の役割って、どこまでなんだろうと考えなくてはいけないと』、「児童相談所の職員」は少なくとも「正規」に切り替える必要がある。
・『高山:問題の根っこにあるのは「自治体の財政難」。これから、ますます財政状況が厳しくなることを見越して、模索を続ける自治体を取材しました。 滋賀県大津市。 経費削減のため、市は非正規の職員を4割まで増やしてきました。しかし、コストカットも限界。将来税収が減ることを見越して、ある計画を打ち出しました。 それは、住民票の発行業務などを行う支所の統廃合。36の支所のうち、26か所を閉鎖することで、減収分を補おうとしたのです。 支所で働く人の7割は非正規の職員。雇用にも影響が出ることになります。 大津市市民部 井上佳子部長「大変難しいことなんです。税収がさがってきますので、予算が限られています。(削減額は)4億8000万円を1年間でというふうに考えておりました。」 市の方針に、住民は激しく反発。 住民「住民をちゃんと守ってほしい。」「現にサービスの低下になっているのではないか。」 サービス縮小の候補となったのは、高齢化が進み、支所の利用が減っている地区。反対する理由を聞いてみました。 住民「災害が起こった折に、ほんまに対応しきれんのけ?」「(市に)お金が無いっていうのことは、誰でも理解しているところですわ。その対策は、何か考えなあかんのは分かっているんですけどね。私らにしたら、一番の住民サービスが支所。そういうものが無くなる。」 高山:住民からの反対を受けて、大津市では支所の統合は断念。その代わりに、窓口の開いてる時間を短縮しましょうという方向で、住民の皆さんと話を続けている最中です。住民の皆さんは、これから財政の状況が苦しくなってくるというのは十分に承知していて、ただ急に支所がなくなりますよと言われますと、安心がなくなる、不安が増幅する、戸惑いというのが隠せなかったというのが実情のようです。 武田:西山さん。今後ますます少子高齢化が進んで人口が減っていくというなかで、私たち自身も行政サービスをどこまで求めていいのか。それも考えていかなければいけないという気がしました。 西山さん:今までのサービスを維持していくのは不可能な段階にきていますので、サービスの提供の在り方という意味で、新しい方法を考えていかなくてはいけない。「行政と市民(NPO)の協働」というのが1つの案としてあると思います。 例えば、先ほど石井さんのお話に出ました子ども食堂の話で言いますと、運営自体はNPOがして、財政支援をする形で運営されているところがあります。こういったところは、NPOが心のケアや貧困への対応ということで細かいケアを担って、行政がそれを支援していくということで、協働の形が1つ表れている例となりますので、下請けではなくて市民との協働ということで、行政がサービスの新しい形を模索していくということが1つ、大きな重要な点となっていると思います。 武田:行政の下請けじゃなくて、一緒に事業をやっていくということですね。 西山さん:そうですね。 武田:市民も参加していけるようになると、こういった非正規の問題も緩和されていく可能性もあると。行政の効率化が避けられないとしても、非正規の人たちの志というのを、それに報いられるような形で改革を行ってほしいなと思いましたけど、石井さんどうでしたか。 石井さん:僕が強調したいのは、今まで僕たちが享受していた行政サービスというのは、あくまでも非正規の人たちの犠牲の上に成り立っていたと思うんですね。僕が知っている例ですと、ある障害者を抱える家庭がありまして、そこに対して行政の非正規の方が支援をしていた。ずっと見守りをしていた。お金もない、給料もすごく低いんですが、頑張っていた。その支援者にとっての心の支えというのは、家族からありがとうと言ってもらえることだったんです。だからずっと頑張れた。だけど、支援者の家庭の旦那様が病気になられて、家庭がうまくいかなくなってしまって、しぶしぶ辞めざるをえなくなってしまったんですね。そうしたら、残された障害者をもっている家庭が、実は心中未遂を起こしてしまったという痛ましい事件があったんです。僕たちは、今まであるものが当然だと思っていて、その人に無理を押し付けてきた結果だと思うんですね。 そう考えたときに、僕たちは何をしなければならないのかというと、非正規で最前線で働いている方に、当然という見方ではなくて、必死に働いてくれることに対して感謝の気持ちを持って、社会としてどうやってその人たちの存在をきちっと守っていくのかが重要になってくる。次の世代に対して、負の遺産を残してしまいかねないと思うんですね。それをしないために、そういった人たちのスキルだとか、善意だとか、そういったものが社会の中で尊重されるような形で守っていきたいなというふうに思っています。 武田:寺島さんは取材して、どういうふうに感じましたか? 寺島記者:非正規公務員の方を取材していて強く感じたのは、仕事への真摯な姿勢や熱意と、その待遇へのギャップです。総務省は、待遇改善に取り組む自治体を支援しようと交付金を出すことを検討していますが、まだ、実際にどこまで実効性があるのかは分かっていません。非正規の力を活用しなければ、行政サービスが立ち行かなくなるところまできていると思います。一人一人がそのことを実感するのが大切だと思いました。 武田:今、石井さんもおっしゃいましたけども、非正規公務員の皆さんの力によって、私たちの暮らし、命というギリギリのところまで維持されているんだということ、これからどういうふうな行政の形があるのか。一人一人が考えなくてはいけない時代になってきていると思いました』、「大津市」の「支所の統合」への反対の例は、住民の甘え的な色彩もある。ただ、「非正規公務員の皆さんの力によって、私たちの暮らし、命というギリギリのところまで維持されているんだということ、これからどういうふうな行政の形があるのか。一人一人が考えなくてはいけない時代になってきている」、その通りだろう。

次に、本年8月30日付け週刊エコノミストOnline「忖度、更迭、意外な栄転……「官僚たちの夏」2020年霞が関人事を読み解く【週刊エコノミストOnline】」を紹介しよう。
https://weekly-economist.mainichi.jp/articles/20200818/se1/00m/020/006000c
・『国交省 来夏の次官狙う運輸  国土交通次官は栗田卓也氏(1984年建設省)に決まり、もう1人の有力候補だった由木文彦氏(83年建設省)は復興次官に就いた。栗田氏は「社交的」との評で、政治家や、次官人事に一定の影響力を持つ人事課OBに、由木氏は「王道の仕事をする」との評で、後輩に支持が広い。形式上は栗田氏に軍配が上がった。 過去にも、次官の輪番が建設事務官に回ってきた際、評価が分かれた人事があった。2013年に国交次官に就任したのは増田優一氏(75年建設省)だったが、同期の中島正弘氏を推す声も強かった。結局、中島氏は復興次官に回ったが、増田国交次官の統率力を疑う声が上がった。今回も省内に禍根が残っており、栗田氏の統率力が問われる。 一方で、次期次官を巡って、早くも運輸事務と建設技官でさや当てが始まっている。 国交次官は建設事務→技官(主に旧建設省)→運輸事務の輪番だ。原則に従えば、来年は技官の番だ。一見すれば、技術畑トップの山田邦博技監(84年建設省)=写真上=が妥当にも見える。ただ、山田氏は62歳で、次官級としての定年に達している。新年度を迎えれば定年延長が必要になるが、それは「技監としての才能が余人をもって代えがたい」という趣旨だ。技監としての定年延長を、次官には持ち込めない可能性が高い。 対抗する運輸事務勢力は「3者の輪番は原則論にすぎない。2年に1度は次官を狙う」との不文律がある。実際、来年次官を狙うべく、藤井直樹国土交通審議官(83年運輸省)=写真下=を留任させた。 藤井氏は、栗田次官より年次が上。慣例に従えば今夏で退官するか、「上がりの栄誉ポスト」である観光庁長官に栄転する。しかし、観光庁長官には藤井氏より年次が下の蒲生篤実氏(85年運輸省)が就く。 慣例まで破って続投が決まった藤井氏は、自動車や鉄道の担当局長を務めた。運輸系の次官OBもその才覚を認めて「来年は藤井で勝負する」と張り切っているようだ。藤井氏は、第1次安倍政権で官邸に出向し、運輸行政とは関係はないが、北朝鮮の拉致問題を担当し、中山恭子首相補佐官(当時)を支えた。当時の働きぶりから、官邸の政治家やスタッフは好印象を持っているとみられる』、やはり「官邸に出向」は、切り札になるようだ。
・『財務省 不振の「84年組」  財務省のサプライズ人事は、主税局長だった矢野康治氏(85年大蔵省)が、重要ポストである主計局長に就いたことだった。主計局長は、次官への待機ポストで、来夏の“矢野次官”誕生が濃厚になった。 事務方は当初、可部哲生理財局長(同)を主計局長とする案を政治家側に提示したが拒否された。結局、可部氏は国税庁長官に回った。事務方が矢野氏を主計局長に就けることで妥協したのは、官邸へのそんたくもあったとみられる。矢野氏が菅義偉官房長官秘書官を務めたことに配慮したようだ。 ただ、安倍晋三首相秘書官を務めた中江元哉関税局長(84年大蔵省)は別だ。今夏、官邸が論功行賞として、中江氏を次官級である国税庁長官に就任させるとの観測もあったが、結局退官となった。 財務省では毎年次、次官は無理でも国税庁長官は輩出していた。同期の美並義人東京国税局長もかつては国税庁長官の候補者だったが、結局なれずじまい。美並氏は、森友学園問題発生時の近畿財務局長だった。84年入省組は次官にも国税庁長官にも就けなかった』、「美並氏」の場合、「森友学園問題発生時の近畿財務局長だった」のが逆に頼りないとみられたのかも知れない。
・『環境省 異色の財務出身次官  環境次官に就いた中井徳太郎氏(85年大蔵省)は、財務省の矢野主計局長らと同期。04年に東京大学医科学研究所教授へ出向した異色の経歴を持つ。大学の組織改革に取り組んだが、総長選での現職落選など学内の混乱もあり、苦労したようだ。 11年に環境省へ。同省での功績は、地球温暖化対策税の税収を経済産業省と折半にしたことだ。同税は12年の導入から税率を引き上げて、増収分を省エネ関連政策を多く抱える経産省に充てるとみられていた。しかし、中井氏は同じく財務省出身の鈴木正規元環境次官と共に、財務・経産省に粘り強く交渉。税率引き上げ後も税収の半分を得ることに成功した』、「財務出身」であれば、「税率引き上げ後も税収の半分を得ることに成功」、などお手のものだろう。
・『経産省 次官候補次々去る  経済産業省では安藤久佳次官(83年通商産業省)が続投する。今夏の人事では官邸の信頼が厚く、安倍政権の経済政策策定の中心を担ってきた新原浩朗経済産業政策局長(84年同)の次官就任観測があったが、留任した。「部下に厳しく組織運営に向かないタイプ」(経産省官僚)との評判で省内には安堵(あんど)感が広がる。今年61歳になる年齢もネックとされ、霞が関では「次官就任の可能性はほぼ消えた」との見方が出ている。 対抗馬と目されていた糟谷敏秀官房長(84年同)は特許庁長官に就任。特許庁長官から次官への昇格はほとんどなく、次官就任の可能性は低くなったとされる。85年入省の次官候補だった高橋泰三資源エネルギー庁長官、西山圭太商務情報政策局長はそろって退職。後任次官は86年入省まで若返るとの観測が浮上する。筆頭候補は多田明弘官房長。製造産業局長などを歴任し、後輩からの信頼も厚く一部で待望論もある。 前田泰宏中小企業庁長官(88年同)=写真=は留任した。「持続化給付金」事業を受託した団体幹部と17年の米国出張時に「前田ハウス」と名付けられたシェアハウスで開いたパーティーで接触したことが明らかになり、国会では野党から追及を受けた。「法に触れたわけではなく、更迭する理由もない。ただ今後も追及されるリスクはある」(経産省官僚)』、「前田泰宏中小企業庁長官・・・は留任」、居直りの典型だ。
・『総務省 郵政系 官房長取れず  総務次官は、昨年12月に鈴木茂樹氏(81年郵政省)の更迭を受けて急きょ就任した黒田武一郎氏(82年自治省)が続投する。 注目は官房長人事だ。内閣総務官を2年間務めた原邦彰氏(88年自治省)=写真=が就いた。前任者よりも3年次若返る抜てき人事だ。総務省の慣例では、次官と官房長は同一の旧官庁からは出さないようにしている。次官、官房長とも旧自治省としたのは、高市早苗総務相の「郵政不信」が背景にありそうだ。現在、2度目の総務相を務める高市氏は、1度目の在任時から郵政官僚には不信感を持っていたとされる。さらに昨年12月には、鈴木総務次官による情報漏えいが発覚し、郵政官僚不信が増幅したとしてもおかしくない。 原氏は3年前、異例の若さで総務官含みで内閣審議官へ出向。18年に総務官に昇格した。総務官は、首相や官房長官答弁作成の司令塔を担い、閣議案件を皇室側に報告することから、首相、官房長官、皇室側とのパイプができる。令和への代替わりでも官邸と皇室側の間で黒衣役を務めた。行財政にも明るく、いずれ次官の呼び声が高い』、「郵政系 官房長取れず」は、「高市早苗総務相の「郵政不信」」を別としても、当然だろう。

第三に、6月30日付けAERAdot「古賀茂明「官邸のえこひいきで堕落した官僚」〈週刊朝日〉」を紹介しよう。
https://dot.asahi.com/wa/2020062900058.html?page=1
・『先週号の本コラムで「チャラ男」官僚について書いたところ、霞が関の「官僚像」について多くの取材を受けた。 一般に、日本のキャリア官僚は、「優秀」で「勤勉」だと言われる。 憲法15条第2項には、「すべて公務員は、全体の奉仕者であって、一部の奉仕者ではない」と書かれているが、普通の官僚は、その原則を守る善人であるように思える。 さらに、官僚と言えば、「クソ真面目」で、羽目を外すことはないという安心感もある。 こうした官僚像は、間違いとは言えない。そういう官僚も現に存在する。 しかし、昨今話題に上る官僚たちは、こうした伝統的イメージからかなりかけ離れている。 例えば、「優秀」な官僚の中でも選りすぐりの超エリートだと目される「官邸官僚」たち。その筆頭格である今井尚哉総理補佐官兼秘書官は、突然の学校一斉休校の強行で総スカンを食った。その配下にいる経済産業省官僚チームは「アベノマスク」で日本中の怒りや失笑を買い、星野源氏とのコラボ動画では大ブーイングを呼んだ。「優秀」どころか「バカ」ではないか。 長谷川栄一総理補佐官兼内閣広報官が演出する安倍総理の記者会見は、露骨な「やらせ」ばかりが目立ち、会見の度に国民の心が離れていく。こちらも「優秀」とは程遠い。 経産省ではないが、国土交通省出身の官邸官僚、和泉洋人総理補佐官は、厚生労働省の女性審議官と出張の度に「コネクティングルーム」に宿泊という不倫疑惑。「不真面目」の象徴だ。 さらに、先週号でも取り上げたが、安倍政権の屋台骨である経産省では、第1次補正予算の目玉である持続化給付金事業で、トンネル団体を使った電通丸投げという「怠慢」行政が露呈。それを担当した前田泰宏中小企業庁長官が、過去に米テキサス州視察の際に「前田ハウス」と呼ばれる借り上げ住宅で本件に関与する電通職員(当時)とパーティーに同席していたことも発覚。そのチャラ男ぶりも目に余る。一体、官僚とは何なのか。そういう疑問が出てきてもおかしくない』、経産省出身の「古賀」氏にしてみれば、さぞかし歯がゆいことだろう。
・『結論から言えば、官僚は優秀でも勤勉でも公正でもクソ真面目でもない。大学入試の時にテストができただけで、その後ひたすら「省益」のために働く。ほとんど進歩がなく、幹部クラスの多くは使い物にならない。 公務員試験では、自分のためでなく社会のために働けるかという評価はなく、「公正」の保証も全くない。 しかも、最近は、前近代的な職場環境を嫌って官僚よりも外資に優秀な人材が流れ、二流人材が役所に集まる。5~6年働いて、箔をつけて辞めようという確信犯的チャラ男たちも増える。 一方で、今は少数派となった真面目な官僚たちは「弱い人間」だ。国民のことよりも上に媚びたほうが得だとなれば、正しい道から外れてしまうことも多い。 だからこそ、国のリーダーは、自らを強く律し、国民のために身を投げ出す覚悟を示さなければ、官僚たちを正しい道に導くことができない。 しかし、残念ながら、官僚たちは、安倍総理が非常に不真面目で「えこひいき」な人間だと見抜き、出世のためにはそこに取り入るしかないと考えている。「バカで怠慢、えこひいきのチャラ男」官僚たちが羽目を外し、この国を滅ぼす。 それを止めるには、安倍総理以外のリーダーを選ぶしかない』、次期「総理」の呼び声が高まっている菅官房長官は、官邸で官僚たちを操ってきた張本人なので、残念ながら「「バカで怠慢、えこひいきのチャラ男」官僚たちが羽目を外し、この国を滅ぼす」流れは、続かざるを得ないようだ。
タグ:次期「総理」の呼び声が高まっている菅官房長官は、官邸で官僚たちを操ってきた張本人なので、残念ながら「「バカで怠慢、えこひいきのチャラ男」官僚たちが羽目を外し、この国を滅ぼす」流れは、続かざるを得ないようだ 官僚は優秀でも勤勉でも公正でもクソ真面目でもない。大学入試の時にテストができただけで、その後ひたすら「省益」のために働く。ほとんど進歩がなく、幹部クラスの多くは使い物にならない 「古賀茂明「官邸のえこひいきで堕落した官僚」〈週刊朝日〉」 AERAdot 総務省 郵政系 官房長取れず 経産省 次官候補次々去る 環境省 異色の財務出身次官 財務省 不振の「84年組」 国交省 来夏の次官狙う運輸 「忖度、更迭、意外な栄転……「官僚たちの夏」2020年霞が関人事を読み解く【週刊エコノミストOnline】」 週刊エコノミストOnline 非正規公務員の皆さんの力によって、私たちの暮らし、命というギリギリのところまで維持されているんだということ、これからどういうふうな行政の形があるのか。一人一人が考えなくてはいけない時代になってきている 「大津市」の「支所の統合」への反対の例は、住民の甘え的な色彩も 児童相談所の職員」は少なくとも「正規」に切り替える必要 「雇用の調整弁的な役割」というのは企業の場合であって、「自治体」には当てはまらない筈 自治体にとりまして、非正規の存在が雇用の調整弁的な役割を果たしているのも、非常に大きい問題となっている 「補償」するのは雇用者として当然の義務だ “非常勤なのに災害時の呼び出し体制に組み込まれた。もし勤務中にけがを負った場合、補償してくれるのかとても心配でした 1つに、社会に働くことに対する失望感みたいなものが空気として出来上がってしまうと思うんですね。もう1つとして、貧困の連鎖。つまり、子ども自身が社会で働かなくなったり、きちんと進学できなくなる中で、貧困になってしまう。国というのは、応急処置のような形で非正規の先生というのをつけていますけれども、長い未来を見たときに、非正規ではなくて、その先生たち、家族、そして次の世代をどうやってきちんと見ていくかというのが重要なんじゃないかと思います 非正規の先生方が子どもをたくさん預けている例というのがあった 「官製ワーキングプア」がこれほど増えているとは、異常だ 「10年余りの間に4割も増加」 非正規公務員 揺れる“非正規公務員”急増する背景に何が? 非正規は公務員の3分の1を占めるまでに 「揺れる“非正規公務員” ~急増する背景に何が?~」 NHKクローズアップ現代+ (その4)(揺れる“非正規公務員” ~急増する背景に何が?、忖度 更迭 意外な栄転……「官僚たちの夏」2020年霞が関人事を読み解く【週刊エコノミストOnline】、古賀茂明「官邸のえこひいきで堕落した官僚」〈週刊朝日〉) 公務員制度
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日本の政治情勢(その48)(安倍政権最大の罪は社会から「透明性」をなくしたことだ、何も学んでいなかった安倍政権 「やっている感」が通用しなくなった理由〈週刊朝日〉、菅氏の勝利は確実なのに 世論に不評の「党員投票の省略」を決めた本当の理由 「それなら解散総選挙で信を問う」、小田嶋氏:言葉をこん棒として使う人たち) [国内政治]

日本の政治情勢については、7月2日に取上げた。今日は、(その48)(安倍政権最大の罪は社会から「透明性」をなくしたことだ、何も学んでいなかった安倍政権 「やっている感」が通用しなくなった理由〈週刊朝日〉、菅氏の勝利は確実なのに 世論に不評の「党員投票の省略」を決めた本当の理由 「それなら解散総選挙で信を問う」、小田嶋氏:言葉をこん棒として使う人たち)である。

先ずは、9月2日付け日刊ゲンダイが掲載したジャーナリストの立岩陽一郎氏による「安倍政権最大の罪は社会から「透明性」をなくしたことだ」を紹介しよう。
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/278111
・『日本は社会の透明性と無縁になってしまった。それが、安倍総理の辞任劇に際して感じた正直な感想だ。少し振り返ってみたい。安倍総理が慶応病院で診察を受けたのが8月17日。そして24日に再診。一気に体調不良の観測が出回る。しかし、すぐにそれを打ち消すような膨大な情報がメディア関係者に流れる。官邸での総理会見で新型コロナ対策が発表されるとの情報が流れるに至って、「本人はやる気だ」との情報が支配的になる。 その最中の8月27日に私は松本市の臥雲義尚市長と会っていた。臥雲氏はNHKで政治記者として名をはせ、この3月の選挙で市長になった。私が、「安倍総理はまだ続けるみたいですね」と水を向けると、「長年の政治取材の経験からすると、こういう時は辞任の可能性はある」と話した。臥雲市長は、さまざまな情報の流れ方に、一種の情報操作が行われているというにおいを感じ取っていたようだ。つまり、私たちは情報操作に翻弄されたというわけだ』、「一気に体調不良の観測が出回る。しかし、すぐにそれを打ち消すような膨大な情報がメディア関係者に流れる」、官邸の「情報操作」は健在なようだ。
・『情報操作で「花道会見」に変質  もちろん、一国の最高責任者の健康状態を透明にするわけにいかないことはわかる。問題はその後だ。8月28日の会見の約3時間前の午後2時7分にNHKが辞任の速報を流す。それに他社が追随する。そしてNHKが安倍総理のレガシーを放送し始める。これによって、この国のリーダーが2カ月ぶりに行う記者会見が「花道会見」に変質する。 一部のコメンテーターが「お疲れさま」と言わない記者を批判したのは、その変質の「効果」を物語っている。当然ながら総理会見は総理大臣と記者との懇談の場ではない。市民の負託を受けた記者がこの国のリーダーと対峙し疑問を問いただす場だ。「お疲れさま」と声をかける場ではない。しかし、そうした雰囲気が醸成されてしまった。 この会見では、検査を1日20万件可能にするといった新型コロナ対策の抜本的な見直しや、敵基地攻撃を可能にする安全保障政策について語られたが、その全てが辞任によってかき消されてしまった。記者の質問がレガシーや後任に集中するからだ。それでも共同通信は拉致問題などへの対応の反省点を問うたが、「最善を尽くした」としか語らなかった。この問題で政権の本気度に疑問を感じる人は多かったが、その疑問に答えることはなかった。他にも、なぜ新型コロナの検査体制の拡充に時間がかかったのか? 敵基地攻撃を可能にする政策はこの地域の安定につながるのか? いずれも総理が答えるべき疑問だが、全て不透明なまま残された。 安倍政権の最大の罪はこの社会から透明性をなくしたことだろう。官邸主導によってあらゆる情報が管理され、官僚は出世のためにそれに盲従。公文書は破棄、改ざんされ、国会でも記者会見でもはぐらかし答弁が横行した。8月28日の会見は、それを象徴する出来事でしかなかった。 報道各社は安倍政権の功罪の検証が不可欠と指摘しているが、罪に関しては、マスメディアの関わりについても検証が必要だ。それがなければ、政権が替わっても、社会の不透明さは変わらない』、「安倍政権の最大の罪はこの社会から透明性をなくしたことだろう。官邸主導によってあらゆる情報が管理され、官僚は出世のためにそれに盲従。公文書は破棄、改ざんされ、国会でも記者会見でもはぐらかし答弁が横行した」、「報道各社は安倍政権の功罪の検証が不可欠と指摘しているが、罪に関しては、マスメディアの関わりについても検証が必要だ」、全く同感である。

次に、9月3日付けAERAdotが掲載した政治学者の御厨貴氏へのインタビュー「何も学んでいなかった安倍政権 「やっている感」が通用しなくなった理由〈週刊朝日〉」を紹介しよう。
https://dot.asahi.com/wa/2020090200011.html?page=1
・『突然の辞任表明をした安倍晋三首相。政治学者・御厨貴氏は安倍政権を恩人政治で助かってきたと評する。 安倍政権は“本当のレガシー”がない。同じ長期政権でも、佐藤栄作は沖縄返還をやった。安倍さんはとにかく「わが内閣はこれをやる」といって、それを達成したということがなかった。大きなことで成功したことはなかった。達成感なく終わってしまいましたね。 憲法改正は、機運をつくったが、できなかった。経済でも社会保障でも大きな課題に挑戦しないが、小さな課題をつくってはそれをこなしていく。これは安倍側近と官邸を担う官僚たちが非常にうまくやった。「やっている感の政治」だった。 だけど、これがコロナでうまくいかなくなる。コロナにどう取り組むかを示しきれなかった。「やっている感」の政治をやっていくことができなかった。大きい目標を出して、みんなでがんばろうということはなかったから。 彼は国民に対する立ち位置がわからなくなったんだと思う。だから、健康上の理由もあったんだろうけど、ある時期から記者会見をやってこなかった。一番やらないといけない時期なのに』、「大きなことで成功したことはなかった。達成感なく終わってしまいました」、「小さな課題をつくってはそれをこなしていく。これは安倍側近と官邸を担う官僚たちが非常にうまくやった。「やっている感の政治」だった」、「これがコロナでうまくいかなくなる。コロナにどう取り組むかを示しきれなかった」、「彼は国民に対する立ち位置がわからなくなったんだ・・・ある時期から記者会見をやってこなかった。一番やらないといけない時期なのに」、さすが「御厨貴氏」だけあって、極めて的確な描写だ。
・『自慢の外交は、いろいろなことに手をつけたけど、どれもこれも息切れしてしまった。日ロでも日韓でも日朝でも、結実したものはないですよね。アメリカとはトランプ大統領と気が合うとはいうけれども、そのわりにアメリカが何かしてくれることはない。 ただ、長いということが必ずしも尊ばれることではないけど、7年8カ月の間、首相が同じだったということは、国際的に日本の信用を高めた。民主党政権だって1年に1人代わったし、小泉首相以降も3年で3人代わったわけだから。それに比べると、「安定感」はあった。 さらに、彼は選挙に強い。民主党から政権奪還し、国政選挙で計6回勝った。だから、安倍さんには自民党の議員は全員恩義がある。安倍さんを批判したり、降ろしたりという動きがほとんど出なかったのは、これです。恩人政治みたいなもんでね。それで助かってきた。 しかし、終わり方を見て、1年で首相を辞任したときの経験を何も学んでいなかったと思ったね。幕引きをしっかりできない人なんだと。首相は任期中だけが重要なのではなく、自分が辞めて、その後どうするのかも大事。だから、これから後継者がどうなるかで、混乱を生むわけです』、「彼は選挙に強い。民主党から政権奪還し、国政選挙で計6回勝った。だから、安倍さんには自民党の議員は全員恩義がある。安倍さんを批判したり、降ろしたりという動きがほとんど出なかったのは、これです。恩人政治みたいなもんでね」、「恩人政治」とは言い得て妙だ。「終わり方を見て、1年で首相を辞任したときの経験を何も学んでいなかったと思ったね。幕引きをしっかりできない人なんだ」、手厳しい批判だ。

第三に、9月3日付けPRESIDENT Onlineが掲載した「永田町コンフィデンシャル:菅氏の勝利は確実なのに、世論に不評の「党員投票の省略」を決めた本当の理由 「それなら解散総選挙で信を問う」」を紹介しよう。
https://president.jp/articles/-/38529
・『「政治空白を作るわけにはいかない」というナゾの理由  次の自民党総裁は菅義偉官房長官となりそうだ。総裁選は9月8日に告示されるが、党内主要派閥は軒並み菅氏の支持を決めている。このため、メディアは「誰が選ばれるか」ではなく、党員投票を行わない簡略版で総裁が選ぶことになったことを「密室談合」と批判している。 ただ、あえて党員投票を行わないこの決断は、年内に解散・総選挙を行うための布石だという見方がある。一体どういうことなのか。順を追って説明しよう。 9月1日、自民党総務会が正規の党員投票を省略する簡略版の総裁選を行うと決定すると、新聞、テレビなどのメディア、さらに政治評論家たちは競い合うように選出方法を批判した。 8月28日に辞任表明した安倍氏は、新しい首相が決まるまでは通常通り職務を続けて、政治空白は作らないと明言している。それにもかかわらず自民党執行部は「緊急事態に政治空白を作るわけにはいかない」という理由で簡略版の実施を決めてしまった』、「党員投票」する時間的余裕はあるのに、「簡略版の実施を決めてしまった」、「執行部」の判断は分かり難い。
・『党員投票が行われた場合でも、菅氏の勝利は動かなかったはず  党員投票を行わない本当の理由は「石破茂元党幹事長つぶし」であったというのは衆目の一致するところ。石破氏は、過去3度の総裁選チャレンジで党員・党友に人気がある。党員投票を行う正規の総裁選を行うと石破氏は有利だ。 安倍氏は、「与党内野党」として安倍政権にかみついてきた石破氏が後継指名されるのは避けたい。その安倍氏の考えを忖度して二階俊博幹事長ら執行部は、党員投票を省略した「簡略版」を押し通したのだ。この経緯については1日に配信した「『安倍1強』のあとにやってくる『菅1強』は一体いつまで続くのか」で詳しく紹介した。 結局、総裁選は党所属国会議員による394票、47都道府県に3票ずつ割り振られた141票の計535票で争われることになった。 県連の中には自主的に党員による投票を行って県連票の指標にしようとしているところもあり、石破氏がある程度存在感を示すかもしれないが、細田派(98人)、麻生派(54人)、竹下派(54人)、二階派(47人)、石原派(11人)といった派閥に守られた菅氏の有利は動かない。 しかし、ここで素朴な疑問が生じる。簡略版ではなく党員投票が行われた場合でも、菅氏の勝利は動かなかったはずなのだ』、なるほど。
・『石破氏が党員票で爆発的に得票するのは不可能だったが…  正規の党員投票は国会議員の394票と、同じ394票を党員票に委ね、計788票で定める。菅氏は今、議員票のうち300票あまりの支持をとりつけている。党員投票についても、「石破氏が強い」とは言われているが、安倍氏と一騎打ちとなった前回総裁選での党員票の得票率は約45%だった。岸田文雄氏も含めて3人で争われる今回は前回以上の得票率を得るのは難しい。 例えば菅氏の地元神奈川、麻生太郎副総理兼財務相の福岡、二階氏の和歌山などは菅氏が大量得票するのは確実。広島は岸田氏が意地を見せるだろう。そう考えると石破氏が党員票で爆発的な得票率を稼ぐのは不可能だったことが分かる。であれば、世論の反発の中、強引に「簡略版」とする必要はなかったように思える。 その理由について自民党幹部議員は、こうつぶやく。 「最終的には菅氏の判断になるが、衆院解散の布石を打ったのだろう。二階幹事長らはそのことも頭に入れて『簡略版』で押し切ったのではないか」』、「衆院解散の布石」、とはウルトラC級の離れ業だ。
・『政権発足時の「ご祝儀支持」が解散絶好のタイミング  つまりこういうことである。 今、自民党は、党員の声に耳を貸すことなく、事実上の首相である総裁を選ぼうとしている。このことに対して野党は「正統性のない政権」という批判を強めることだろう。それに対し「そういう批判をするのなら、党員だけでなく国民全員の声を聞いてみようではないか」と言って、衆院を解散・国民に信を問う道を選ぶ。野党も反対するわけにいかないだろう。 言い換えれば「民意なき総裁選」を行うことで、早期の衆院解散・総選挙に持ち込む大義名分をつくったということになる。 菅氏が首相となった時、国民にどのように受け止められるかは不透明だ。ただ、8月28日に行った安倍氏の記者会見を多くの国民は好意的に受け止めたようで、現政権の支持率は再浮上している。新しい首相が選ばれた時は「ご祝儀相場」で支持率が上がるのが通例であり、おそらく菅新政権も順風に乗ってスタートするのではないか』、「「民意なき総裁選」を行うことで、早期の衆院解散・総選挙に持ち込む大義名分をつくった」、とは見事な「政治判断」だ。
・『2008年に「解散先送り」を強く進言したのが菅氏だった  一方、野党側は立憲民主党と国民民主党の合流による新党結成で期待値を高め、上昇気流に乗りたい考えだったが、結党のタイミングが「菅新政権」のタイミングと重なってしまった。注目度は極めて低い船出となる。 両者の立場をにらめば、今秋から暮れにかけての衆院選を政権与党側が模索する意味は十二分にあるのだ。それに向けての大義を「菅政権の正統性を問う」と設定するとすれば、8月28日以降の自民党の戦略は極めて高度な政治判断だったといえる。 2008年、麻生氏が首相に就任した時、麻生氏は発足時の高支持率を背景としてすぐに衆院解散をする考えだった。しかし、その頃、リーマンショックが起きたため解散を見合わせたほうがいいとの意見が高まり、麻生氏は解散を先送りした。このとき最も強く解散の先送りを進言したのは、当時、党の選挙責任者だった菅氏だった。 ここで解散の機会を逃した麻生内閣の支持率は、どんどん下がっていき、翌年の衆院選で大敗、民主党政権が誕生し、自民党は下野する。 あれから12年。リーマンショックとコロナ禍という大きな危機の中、新政権が誕生するという意味で、現在と政治状況はとても似ている。12年前の体験を踏まえ、菅氏はどういう決断をするのか。結果が見えてしまった総裁選の行方よりもはるかに興味深いテーマではないだろうか』、コロナ騒動下での総選挙にはハードルは高いとはいえ、「菅氏」としては、自らを押し上げてくれた二階幹事長の言い分を受け入れざるを得ないのではなかろうか。

第四に、9月4日付け日経ビジネスオンラインが掲載したコラムニストの小田嶋 隆氏による「言葉をこん棒として使う人たち」を紹介しよう。
https://business.nikkei.com/atcl/seminar/19/00116/00083/?P=1
・『今回は、本当は「炎上」について書きたいと思っている。 しかしながら、まだ気力が戻っていない。 炎上を語るためには、炎上を覚悟しなければならない。 ところが、いまの自分には、炎上を引き受けながら、炎上の本質をえぐる原稿を書くための精神の準備が整っていない。 こんなふうにして、炎上は、ものを言う人間から気力を奪っていく……と、今回はこの結論だけをお伝えして、別の話題について書くことにする。 ものを書く人間に限らず、スポーツ選手であれミュージシャンであれ、何らかの形で社会に向けて発言する人間は、誰もが炎上のリスクをかかえている。 もっとも、炎上を避けること自体は、そんなにむずかしいタスクではない。 ものの言い方を手加減すればそれで済む。 ただ、私がこの場を借りて強く言っておきたいのは、「この世界の中には、ものの言い方を手加減した瞬間に価値を喪失してしまうタイプの言論があるのだぞ」という事実だ。 誰かが炎上するたびに 「あとで取り消さなければならないようなことは、はじめから言わなければいいのではないでしょうか」てなことを言ってのける学級委員長みたいな人々が登場する。 もちろん言っていることの意味はわかる。私自身、半分以上はあなたのおっしゃる通りだとも思っている。 でも、残りの半分弱のところが、私はどうしても納得できないのだね。 その「納得できない気持ち」を論理的な言葉として表現するのは簡単なことではないのだが、あえて書いてみればこういうことになる。つまり、何かを書いたり表現したり伝えようとしたりすることの中には、「あとで取り消さなければならないこと」が余儀なく含まれているということだ。 ものを書くというのは、そういうことだ。 「三振するくらいなら、はじめから打席に立たなければいいのに」てなことでは打者はつとまらない。 「空振りに終わるスイングもあるし、三振に倒れる打席もある。それでもなお、バットを振り続けなかったらホームランは決して打てない」と、野球をやったことのある人間なら必ず同じことを言うはずだ。 原稿執筆業者も同じだ。 われわれは事後的に了解できることだけを考えているのではないし、結果として無問題なことだけを書いているわけでもない。 手さぐりで書いてみた結果、こっちの執筆時の気持ちとはまったく別の文脈で解釈されるケースもあるし、脊髄反射の発言が思いもよらぬ場所にいる人間の気持ちを傷つける場合もある。そのほかにも、手ぐすね引いてこちらの失言を待ち構えている人々のトラップにひっかかる事例も少なくない。いずれにせよ、何かを表現したり描写したり創造したりする作業にかかわる人間は、自分の言葉が自分自身の予測を超えた場所に届く可能性にいつもおびえている』、「何かを表現したり描写したり創造したりする作業にかかわる人間は、自分の言葉が自分自身の予測を超えた場所に届く可能性にいつもおびえている」、確かにその通りなのだろう。
・『逆に言えば、大きめの安全率を確保した上で、既定のコースから決して逸脱しない発言しかしないようなら、そもそも文章を書く必要などないということだ。というのも、われわれが文章を書く理由のうちの半分は、ほかならぬ自分が何を考えているのかを知るためなのであって、しかも自分が本当に何を考えているのかは、書きかけの文章を全部書き終えてみるまでは、わからないものだからだ。ということはつまり、執筆にたずさわる人間は、少なくとも半分ほどは自分でもよくわかっていないことを書いているのであって、だとすれば、はじめから炎上しないように書くであるとか、あとで取り消すような内容をはじめから書かない形式で書くみたいなことは、原理的に不可能であるのみならず、表現として本質的に不毛な作業なのである。 この話はここでおしまいにする。続ければ続けられるのだが、 「たとえばこのケースの炎上では」と、具体例を引いて紹介するつもりでいた3つほどの事例が、どれもこれもガソリンくさいので、書き起こす気持ちになれないのだね。 つまり、君たちの勝ちだということです。 手に手にトーチをたずさえて、燃え上がる話題に殺到するもぐらたたき趣味の匿名ネット民の炎上圧力が、発言者の意欲を鎮火させたということです。 話題を変える。 私が炎上を恐れるのは、自分自身が炎上後の焼け跡処理の面倒くささに辟易しているからでもあるのだが、それ以上に、同じ枠組みの仕事にたずさわっている仲間に余計な心労と迷惑をかけたくないからだ。 炎上はそういうふうに仕組まれている。つまり、処理する人間の心労を最大化するメソッドとして企画され実行され繰り返されているのである。 そして、炎上を煽る者たちは、燃え上がっている発言を糾弾すること以上に、その発言の周囲にいるすべての人間に「迷惑」をかけることで、炎上を物理的な圧力に変換する方法を日々洗練させている。 彼らは、発言主の所属先の企業や教育機関に通報することで、発言主の経済的な背景を無効化しようとたくらむ。あるいは、番組や記事のスポンサー企業に問い合わせをすることで、炎上の主を「二度と使いたくないタレント」の位置に固定しにかかる。そうやって、面倒なクレーム処理に従事する人間の数を増やすことで、発言者にとっての「迷惑をかけた人数」の最大化をはかることが、焼身者の気持ちをくじくことになる。なんとなれば、多くの日本人は自分自身が火あぶりになることよりも、何の罪もない自分の同僚や関係先のスタッフが迷惑をこうむることの方をより強く恐れるからだ。 手法としては、暴力金融の取り立て人が、本人を脅す一方で、勤務先に押しかけて無関係な同僚にあることないことを吹き込んだり、親戚縁者の家の前で騒ぎ立てたりする作業により強く注力するのと同じことですね。 3行ほどの愚痴で済ませるつもりだったものが、80ラインも書いてしまった。 今回は、英語の話をする。あまり炎上する要素のない、無難な話題だ。 こうして、あらゆる書き手が無難な話題だけを選ぶようになった近未来には、たぶん、他人の文章に課金しようとする人間が一人もいなくなる。別の言い方で言えば言論が死ぬわけです。めでたしめでたし。君らの念願が叶うわけだ。 8月28日の外務省の定例記者会見での茂木敏充外相の発言が話題になっている。詳細は以下の記事にある通りだ』、「われわれが文章を書く理由のうちの半分は、ほかならぬ自分が何を考えているのかを知るためなのであって、しかも自分が本当に何を考えているのかは、書きかけの文章を全部書き終えてみるまでは、わからないものだからだ」、コラムは、私が慣れている経済の論文のように、書く前から結論が決まっているのとは、やはり大きく違うようだ。
・『茂木さんの発言の問題点については、ここでは深く追及しない。 私がわざわざ書くまでもなく主要な論点は以下の記事で言い尽くされている。 ひとつだけ付け加えるなら、茂木外相によるこのたびの不必要にあからさまな記者個人への嘲弄は、彼自身の個性というよりは、むしろ現政権の体質を、より明確に反映した振る舞いだったということだ。 現政権の主要メンバーの間では 「質問にマトモに答えないこと」「質問者を愚弄すること」「会見を設定した言論機関の体面を失わしめること」「質問そのものを揶揄すること」「記者と政治家の間に設定されている会見が対等なコミュニケーションの場ではないことを記者たちに思い知らせること」「質問の意味を意図的にすり替えて回答すること」「回答の言葉を意識的に無意味化すること」といった調子のある種のニヒリズムが強く共有されている。 これは、学級崩壊した教室の中学生たちが、授業の進行を意図的に無効化させようとする態度と相似で、これに(つまり、授業妨害に)参加しない生徒は仲間はずれにされる。 であるから、現政権の中で一定の評価を得るためには(つまり、政権中枢の人々を喜ばせるためには)積極的に会見を愚弄する必要が生じる。 菅義偉官房長官による記者の言葉を聞かない応答や、麻生太郎副総理による若手記者への恫喝も同じ気分の中で起こっている同じタイプの反応だ。 彼らは、誰かをいじめることで連帯している中学生とそんなに変わらない。権力志向の男を選択的に集めたホモソーシャルは、どうかするとその種の中学生くさい悪ガキ集団に着地する。 「言ってやった言ってやった」「ざまあ」「あいつら吠え面かいてやがった」「やったぜ!」 ごらんの通り、この種の腐ったホモソーシャルの中では 「マジメ」が一番嫌われることになっている。 「マジメか!」というツッコミを食らったクラスメートは、仲間に入れてもらえないばかりか、うっかりするといじめのターゲットになる。 彼らの中では、記者なりジャーナリストなり野党議員なりリベラル評論家なりの話に真摯に耳を傾けた時点で 「なんだあいつは?」「なにいい子ぶってやがるんだ?」「マジメか?」「カシコか?」てなことになる』、「現政権の主要メンバーの間では 「質問にマトモに答えないこと」「質問者を愚弄すること」・・・といった調子のある種のニヒリズムが強く共有されている」、「権力志向の男を選択的に集めたホモソーシャルは、どうかするとその種の中学生くさい悪ガキ集団に着地する」、鋭い指摘だ。
・『とまあ、こういう事情が背景にあって茂木大臣は、クソガキみたいな異分子排除のいじめを大々的に展開したのだと、私はそう考えている。 ただ、茂木さんの失礼な態度を録画した会見の動画が思いのほか大きな反発を招いたのには、別の理由もある。 それは、 「人前で流暢な英語をしゃべる日本人は多数派の日本人によって嫌われる」ということだ。 これは実のところなんとも不思議な現象なのだが、毎日のように起こっている極めて日常的なできごとでもある。誰であれ、人前でネイティブ顔負けの発音で立派な英語をしゃべってみせると、必ずや一定の反感を買うのである。 「なにを気取ってやがるんだ?」「はいはい英語通英語通」「オーケイ帰国子女ね。よくわかったおぼえておく」 てな調子で、英語をしゃべる人間は、「得意満面」で「英語をひけらかしている」とみなされる。 これは、われら旧世代の英語コンプレックス人種にとって、英語がいつまでたっても「教室のいいこちゃん」の属性であり、「上からやってくる評価」といういまいましい仇敵であり続けていることの副作用でもある。 ついでに申せば、人前で外国人っぽい英語を使うことをうとましがったりはずかしがったりけむたがったりするという、英語への意識過剰が、われわれを英語から遠ざけている大きな理由のひとつでもあることはともかくとして、無視できないのは、現実問題として、英語は、多くの日本人にとってその人間の「生まれ育ち」をまるごと表象してしまう「烙印」でもあるということだ。 私自身は、ゴミみたいな英語しか使えない人間ではあるのだが、その一方で、誰かが英語をしゃべっているのを聞けば、その人間がどういう地域のどんな階層の家で育ち、どんな教育を受けて、どれほどの成績を収め、どういう種類の職歴を積み重ねてきたのかを、おおよそのところで鑑定する能力を持っているつもりでいる。 いや、この感覚が、勘違いであることは、私自身、半ば以上自覚している。本当のところ、私が誰かが話している英語を材料に、その人間の文化的背景やら生まれ育ちやらを判定する時の精度は、デタラメどころか、モロな「偏見」と言い切っても良い。にもかかわらず、自分がときどきやらかす英語経由の人物鑑定趣味をどうしても捨てきれずにいる。 困ったことだ。 とはいえ、現実問題として、英語は、世界中の植民地の人間にとって「階級」そのものであったりする。 その事情は、わが国においてもそんなには変わらない。うちの国の人間であっても流暢な英語を駆使するということは、それなりの階級に属していて、それなりの文化資本の中で育ったことを意味している。 なぜかって? それはわれわれの国が半分以上植民地だからです』、「英語は、世界中の植民地の人間にとって「階級」そのものであったりする」、日本も含めその通りだ。
・『たとえば、東南アジアや南アジアのいくつかの国を訪れると、それなりの階層の人間の誰もが立派な英語を話すことに気付かされる。 かつて植民地であった国々では、いまだに、英語との距離がその国の上流階級との距離になっている。だから、年収の高い人々や、社会的に高い地位にある人間や、高い教育を受けた子女は、誰もが流暢な英語を話す。一方、生活のために余儀なく英語を身に付けた庶民層は、ブロークンでプアーで直截で聞き取りやすい英語を話すことになっている。 であるから、それらの国では、英語を聞いただけで、その人間のおおよその背景が一発でわかってしまう。 ちなみに申せば、私がいまここに書いたこの見解は、多分に偏見を含んでいる。われわれは、第三世界といわれる旧植民地国を訪れる時、あらかじめ用意された偏見に沿ったものの見方でその国の風土や国民を評価してしまう。これは非常に困った傾向なのだが、同時に、とても克服しにくい手癖でもある。 当然の展開ではあるのだが、われわれは、自分たち自身にも英語にまつわる上流幻想を適用しにかかる。 「ああ、あの人の英語は本場仕込みだね」「ああいう英語がさらっと出てくるところから見てあのヒトは本物のエスタブリッシュメントなのだろうね」「彼女には、3年前にシンガポールでばったり出くわしたことがあるんだけど、その時になんというのか、圧倒的な育ちの違いを見せつけられて、以来、気後れが消えないわけでさ」「育ちの違いってなんだよ」「まあ、平たくいえば英語力だけど」「たかが英語力じゃないか」「でも、英語力って、能力をどうこう言う以前に、生まれ育ちの違いそのものだろ?」とまあ、われわれは、英語に対して困った思い込みを山ほど抱いている。 だから、大臣みたいな立場の人間がいきなり英語をペラペラ振り回すのを聞かされると、カラオケ店で賛美歌を歌う人間を見た時みたいな目つきになってしまうわけなのである。 茂木さんの問題は、日本人を相手に英語でマウントをとったこと以上に、外国人記者に対して日本語の理解度を持ち出すというどうにも差別的ないやがらせを敢行したところにある。それはわかっている。上で紹介した記事に書いてある通りだ。 ただ、パワハラ体質の人間は、相手次第でこん棒として使えるものならどんなツールでも振り回す。英語はそのひとつになる。日本語も、だ。そして、茂木さんの問題はパワハラの問題であり、それはとりもなおさず現政権のメンバーに通底するコミュニケーションの問題でもある。 結局、現政権は、言葉をこん棒として使う人たちの集まりだったわけだ。 次期政権では、どんな言葉が使われるのだろうか。 読むことや聞くことが可能な言葉であってくれれば良いのだが。 まあ、そうでなくても、いずれこん棒の打撃音を素敵に解釈できる有能な人材が登場して、メディアを通じて活発に発言することになるのだろう』、「茂木さんの問題は、日本人を相手に英語でマウントをとったこと以上に、外国人記者に対して日本語の理解度を持ち出すというどうにも差別的ないやがらせを敢行したところにある」、「茂木さんの問題はパワハラの問題であり、それはとりもなおさず現政権のメンバーに通底するコミュニケーションの問題でもある。 結局、現政権は、言葉をこん棒として使う人たちの集まりだったわけだ」、いつもながら、鋭く深い指摘には、感心するほかない。「次期政権」も安部政権の後継を目指す以上、変わりばえしないのだろう。
タグ:「政治空白を作るわけにはいかない」というナゾの理由 党員投票が行われた場合でも、菅氏の勝利は動かなかったはず PRESIDENT ONLINE 永田町コンフィデンシャル:菅氏の勝利は確実なのに、世論に不評の「党員投票の省略」を決めた本当の理由 「それなら解散総選挙で信を問う」 日刊ゲンダイ 立岩陽一郎 「安倍政権最大の罪は社会から「透明性」をなくしたことだ」 日経ビジネスオンライン コロナ騒動下での総選挙 政権発足時の「ご祝儀支持」が解散絶好のタイミング 石破氏が党員票で爆発的に得票するのは不可能だったが… 衆院解散の布石 2008年に「解散先送り」を強く進言したのが菅氏だった 「民意なき総裁選」を行うことで、早期の衆院解散・総選挙に持ち込む大義名分をつくった 情報操作で「花道会見」に変質 安倍政権の最大の罪はこの社会から透明性をなくしたことだろう。官邸主導によってあらゆる情報が管理され、官僚は出世のためにそれに盲従。公文書は破棄、改ざんされ、国会でも記者会見でもはぐらかし答弁が横行した 報道各社は安倍政権の功罪の検証が不可欠と指摘しているが、罪に関しては、マスメディアの関わりについても検証が必要だ 小田嶋 隆 小さな課題をつくってはそれをこなしていく。これは安倍側近と官邸を担う官僚たちが非常にうまくやった。「やっている感の政治」だった 彼は国民に対する立ち位置がわからなくなったんだ 日本の政治情勢 (その48)(安倍政権最大の罪は社会から「透明性」をなくしたことだ、何も学んでいなかった安倍政権 「やっている感」が通用しなくなった理由〈週刊朝日〉、菅氏の勝利は確実なのに 世論に不評の「党員投票の省略」を決めた本当の理由 「それなら解散総選挙で信を問う」、小田嶋氏:言葉をこん棒として使う人たち) 終わり方を見て、1年で首相を辞任したときの経験を何も学んでいなかったと思ったね。幕引きをしっかりできない人なんだ ある時期から記者会見をやってこなかった。一番やらないといけない時期なのに 自慢の外交は、いろいろなことに手をつけたけど、どれもこれも息切れ 彼は選挙に強い。民主党から政権奪還し、国政選挙で計6回勝った。だから、安倍さんには自民党の議員は全員恩義がある。安倍さんを批判したり、降ろしたりという動きがほとんど出なかったのは、これです。恩人政治みたいなもんでね これがコロナでうまくいかなくなる。コロナにどう取り組むかを示しきれなかった 御厨貴 大きなことで成功したことはなかった。達成感なく終わってしまいました 「何も学んでいなかった安倍政権 「やっている感」が通用しなくなった理由〈週刊朝日〉」 AERAdot われわれが文章を書く理由のうちの半分は、ほかならぬ自分が何を考えているのかを知るためなのであって、しかも自分が本当に何を考えているのかは、書きかけの文章を全部書き終えてみるまでは、わからないものだからだ 何かを表現したり描写したり創造したりする作業にかかわる人間は、自分の言葉が自分自身の予測を超えた場所に届く可能性にいつもおびえている 「言葉をこん棒として使う人たち」 英語は、世界中の植民地の人間にとって「階級」そのものであったりする といった調子のある種のニヒリズムが強く共有されている 現政権の主要メンバーの間では 「質問にマトモに答えないこと」「質問者を愚弄すること」 権力志向の男を選択的に集めたホモソーシャルは、どうかするとその種の中学生くさい悪ガキ集団に着地する 茂木さんの問題は、日本人を相手に英語でマウントをとったこと以上に、外国人記者に対して日本語の理解度を持ち出すというどうにも差別的ないやがらせを敢行したところにある 茂木さんの問題はパワハラの問題であり、それはとりもなおさず現政権のメンバーに通底するコミュニケーションの問題でもある。 結局、現政権は、言葉をこん棒として使う人たちの集まりだったわけだ
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働き方改革(その29)(ヤフーの副業募集に「4500人殺到」の舞台裏 「フル在宅」でコロナ対応機能を70以上投入、コロナ禍に乗じた「ジョブ型雇用」礼賛を待ち受ける 修羅の道、小田嶋氏:君、最近休みをとったのはいつだね?) [経済政策]

働き方改革については、7月28日に取上げた。今日は、(その29)(ヤフーの副業募集に「4500人殺到」の舞台裏 「フル在宅」でコロナ対応機能を70以上投入、コロナ禍に乗じた「ジョブ型雇用」礼賛を待ち受ける 修羅の道、小田嶋氏:君、最近休みをとったのはいつだね?)である。

先ずは、8月20日付け東洋経済オンライン「ヤフーの副業募集に「4500人殺到」の舞台裏 「フル在宅」でコロナ対応機能を70以上投入」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/369924
・『コロナ禍でデジタルトランスフォーメーション(DX)需要が高まり、追い風を受けるIT・ネット大手。中でもZホールディングス(ZHD)は、2020年4~6月の決算で前年同期比4割増の営業利益をたたき出す好調ぶり。中核企業のヤフーは、ネット広告事業では広告主の出稿意欲低下の影響を受けた一方、傘下のZOZO、アスクルを含むネット通販(EC)事業が大きく拡大したほか、100億円単位の全社的なコスト抑制も効いた。 ヤフーはこの間、通常のサービス開発とは別で70以上の「対コロナ」のサービスや機能をリリースしている。混雑情報、教育系コンテンツなど、種類もさまざまだ。また、「無制限リモートワーク」と称す新しい勤務体制への移行も実施、副業人材を今後100人単位で受け入れることも打ち出した。反響は大きく、すでに日本全国、さらに世界から4500人以上の応募を得ているという。 世界に目を転じれば、米中間ではテック企業を巡る摩擦が加速度的に高まっている。LINEとの経営統合で「東アジアにテック業界の“第三極”を作る」と目標を掲げるZHDは、未来をどう描くのか。川邊健太郎社長に聞いた(Qは聞き手の質問、Aは川邊社長の回答』、「副業人材を今後100人単位で受け入れる」のに対し、「4500人以上の応募を得ている」とはさすがだ。
・『下は15歳から上は80歳までが応募  Q:7月に行った副業人材の募集には、大きな反響があったそうですね。 A:すでに4500人以上の応募があった。「100人採用」と大々的に打ち出したので、当然ある程度の反応はあると思っていたけど、想像以上だ。応募は全都道府県、海外からも来ており、職種も大手企業の要職経験者、フリーランス、学生、市長さんなどさまざまだ。年齢も、下は15歳から上は80歳まで幅広い。 Q:なぜこのタイミングで募集に踏み切ったのでしょう。 A:実は社外からの副業受け入れの前に、ヤフー社員に対して「うちは副業を許可しているので、この制度をもっと活用してほしい」と呼びかけた。新型コロナでここ数カ月、期せずしてリモートワーク前提の勤務体制としてきたが、ヤフーでは社員のパフォーマンスが非常に上がっている。通常サービスの開発に遅れが出なかったのに加え、コロナ対応のサービスや機能を70以上世に出せたことからも明らかだ。 通勤時間を削減でき、余裕を持って働ける社員が増えているのなら、もちろんそのパワーをヤフーのために使ってもらうのもいい。だけど、自分自身の成長のために他社の仕事にもチャレンジしたいなら、それも素晴らしいこと。こういうニーズはほかの会社で働く人たちにも生まれているのではないかと思い、今回の募集につながっている。 Q:「戦略アドバイザー」「事業プランアドバイザー」という職種での募集ですが、具体的にどんな仕事を依頼する想定ですか。 A:ヤフーが手がけるのは消費者向けサービスなので、いろいろな立場や考え方の人が寄ってたかって意見を言ってくださるほうが魅力を高められる。 オープンイノベーションを意識した開発は従前から行っていて、オフィス内に設置したコラボレーションスペース「LODGE(ロッジ)」がその役割を担っていた。今は感染防止のために閉鎖してしまっているので、それをオンラインに「引っ越し」させたいとの思いもある。 実際の業務内容は各人と話しながら決めていきたいが、CSO(最高戦略責任者)の安宅(和人氏)やCOO(最高執行責任者)の小澤(隆生氏)のもとで、新しいサービスや企画の立案、既存サービスへの改善提案などに携わってもらいたいと思っている。 Q:社内では「無制限リモートワーク」という新しい勤務体制を推進されています。 前提としてヤフーの働き方改革の経緯を話すと、宮坂(学)前社長体制の時から、人事評価を「ペイ・フォー・タイム」ではなく「ペイ・フォー・パフォーマンス」にしていこうと動いてきた。パフォーマンスを評価するのであれば、働く場所は関係ない。社内では「どこでもオフィス」という、月間5日までオフィス外での勤務をOKとする制度も運用してきた。 ただ、8年くらいこの制度を運用する中で感じたのは、放っておくと皆会社に来てしまって全然「どこでも化」が進まないということ。結局、オフィスがいちばん生産性高く仕事できると思うからだろう。 コロナ感染者が多く発生している今だけでなく、今後の災害対応力や創造性を高める意味でも、社員にはマインドを変えてもらいたい。そういう思いで、リモートワークの回数制限撤廃、コアタイムの廃止、通勤定期券代の支給停止(実費支給)などを打ち出した』、「社外からの副業受け入れの前に、ヤフー社員に対して「うちは副業を許可しているので、この制度をもっと活用してほしい」と呼びかけた。新型コロナでここ数カ月、期せずしてリモートワーク前提の勤務体制としてきたが、ヤフーでは社員のパフォーマンスが非常に上がっている」、さすがだ。「人事評価を・・・「ペイ・フォー・パフォーマンス」にしていこうと動いてきた・・・社内では「どこでもオフィス」という、月間5日までオフィス外での勤務をOKとする制度も運用してきた」、「8年くらいこの制度を運用する中で感じたのは、放っておくと皆会社に来てしまって全然「どこでも化」が進まないということ。結局、オフィスがいちばん生産性高く仕事できると思うからだろう」、やはり「ヤフー社員」でも「「どこでも化」が進まない」、というのは、興味深い。
・『機動的に組織を組み替えた  Q:コロナ対応で70以上の新サービス・機能をリリースしたとのことですが、どのように進めてきたのでしょうか。 A:ヤフーではこれまでも地震、台風などの自然災害が起こった時、被災した方々の役に立つような情報やサービスの提供を積極的に行ってきた。 ヤフーニュース内には新型コロナ関連の生活情報をまとめた特設ページを用意している(出所:ヤフーニュース) ただ今回は局所的な災害と違い、全国的、全世界的に広がっている感染症で、誰が被害に遭うかわからない状態。落ち着いて対応するためには社員の安全確保が必要なので、まずはフルリモートでしっかり業務を行える環境を整備し、そこからあらゆるサービス作りに着手した。 災害時のニーズは日々刻々と変わっていく。東日本大震災の時には、被災状況の把握から、計画停電について、放射能汚染についてへと関心が移っていった。こういう変化はヤフー検索のデータに如実に現れる。これにヤフーニュースのアクセス動向なども掛け合わせてニーズを読み取り、優先順位の高いものを判断して機能開発を進めた。 Q:具体的に、今回のケースでは? A:最初は衛生物資の不足が問題になったので、EC部隊を中心に商品情報の面などで対応した。その後は憶測やフェイク情報の拡散が深刻化したため、提携媒体とともに正確な情報提供を行うページ作りに腐心した。 そうこうしているうちに、今度はステイホーム期間が長くなりそうということで、教育系コンテンツなどを拡充していった。その後は「新しい生活様式」の助けになるよう、混雑予測などのサービスに注力している。 ヤフートラベルのように需要が蒸発してしまったサービスもあるので、そこに携わっていたエンジニアを引っこ抜いて忙しい部門の開発に当たってもらうなど、機動的に組織を組み替えながら現在に至っている』、「ヤフー」のような「検索」中心のポータルサイトは、ニーズの変化が把握し易いので、人的資源の振り分けを弾力的に変更できるのは、大きな強味のようだ。

次に、8月28日付けダイヤモンド・オンラインが掲載した百年コンサルティング代表の鈴木貴博氏による「コロナ禍に乗じた「ジョブ型雇用」礼賛を待ち受ける、修羅の道」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/247113
・『コロナ禍でにわかに高まる「日本型雇用」の見直し機運  今年の春闘で経団連の会長が「日本型雇用制度を見直す」と提言した流れで、この夏、日本企業が次々とジョブ型雇用の導入を発表したことに、注目が集まっています。具体的には日立製作所、富士通、KDDIなどの企業が、ジョブ型雇用の導入を表明しています。 もともとは、働き方改革を進めなければいけないという理念から提言された日本型雇用制度の見直しですが、その中でジョブ型雇用への移行が注目される背景には、コロナ禍によるリモートワークの普及が一因として存在します。 そもそも旧来の日本型雇用は「メンバーシップ型雇用」と呼ばれていて、「うちの会社の社員になれ」と言われて雇用された従業員が、「君は営業、君は開発、君は企画」というように、就職した後に配属が決まる仕組みでした。 その後もキャリア形成の途中で、「そろそろ君も他の職種を経験したほうがいい」と言われて、社内の全然違う部署に異動するような人事が、当たり前のように行われてきました。日本型の雇用とは、その会社のことをよく理解しているジェネラリストを育成する仕組みでした。 一方で今注目を浴びているジョブ型雇用は、欧米の企業で多く見られる採用方法で、最初から営業、開発、企画といった職種(ジョブ)ごとに雇用を行い、専門家として育成する仕組みです。 これは、働く側の若い人材にとっては合理的な制度です。自分が何の専門家になるのかが社会人になった当初から明確なので、何を学び、何を磨けばいいのかがはっきりします。ジョブディスクリプションといって、その仕事が何をしなければいけないのかが明確になっていることから、自分が仕事で貢献できているかどうかもよくわかります。 メンバーシップ型の会社では、特に若いうちは色々な雑用を頼まれます。「あの会議、代わりに出ておいてくれ」「出荷の仕事が遅れているから、今日は職場全員で残業して」といった話が当然のようにあるのですが、ジョブ型の会社では「担当ではないので」「私の本来の仕事が遅れてしまいますから」などと断ることができるようになります。結果として、ワークライフバランスもとりやすくなるわけです。 利点をまとめるといいことに思えるこのジョブ型雇用への移行ですが、「なぜこのタイミングで推進するのか」を考えると、どうも「光」だけではなく「影」の事情がそこにあるように思えて、仕方ありません。 要するに、経団連が打ち出しているのは日本型雇用の見直しなのですが、その文脈でジョブ型を取り上げると、「使えない中高年社員のリストラにつながるのではないか」という懸念が、当然のように持ち上がるのです』、「ジョブ型雇用」に必要な「ジョブディスクリプション」は、実際には難しい作業で、どこまで仕上がっているのかも疑問だ。
・『仕事がなくなったらあぶれた社員は会社に残れない?  たとえば、こういうことです。今後大企業では、これまで当たり前のようにあった仕事がなくなるケースが出てきます。大きなレベルでいえば、「工場がアジアに移転するので閉鎖される」「不振の外食部門から撤退する」「営業をより営業力のある外部の販売会社に委託する」いったケースがあります。もっと小さなレベルでは、「業務を見直したらこの仕事は3人で十分だとわかった」といったケースもあります。 メンバーシップ型の雇用の場合は、社員に仕事を割り当てるので、このように仕事がなくなっても、あぶれた社員を他の仕事にあてることになります。しかしジョブ型雇用の場合は、本来的には仕事に必要な専門スキルを持った社員をあてる仕組みなので、仕事がなくなれば、必然的にそのなくなった仕事を専門とする社員はあぶれます。 もちろん、日本の法律では、大企業がジョブ型に移行したからといって、仕事がなくなった社員を簡単に解雇することはできません。ただ法律論的には、ジョブ型が定着した企業で、その担当するジョブ自体がなくなった場合は解雇が適法だ、という判決が下される可能性が出てくるそうです。 ジョブ型雇用におけるジョブディスクリプションは、通常は部門、職種、キャリアレベルというように、いくつかの切り口で細分化されます。通信機部門の営業の中堅社員に求められるジョブは、半導体部門の営業の新卒社員に求められるものとは内容が違います。 大企業の中では、ジョブは最終的には2万種くらいに細分化されて、それぞれ何を達成しなければいけないかが明文化されていきます。どのように明文化するかは企業次第ですが、問題はそこに書かれるスキルの難易度になると思われます。 その内容次第で、仕事がなくなった中高年社員が「別のジョブに掲げられているスキルを自分は持っていない」「自分にもできる他のジョブは、給料レベルが格段に下がってしまう」といった事態が起きかねません。 日本の大企業では、ジョブ型への移行をまず管理職から始めるケースが目立ちます。組合員ではなくかつ中高年が多い管理職から制度を導入するということなので、会社によって社員側は、制度が悪用されないかどうか、どうしても不安になるわけです』、「日本の大企業では、ジョブ型への移行をまず管理職から始めるケースが目立ちます」、しかし、「使えない中高年社員のリストラにつながる」ような動きがあれば、その後の一般社員への展開は難しくなる可能性があるだろう。
・『評価を気にする中高年社員がサービス残業を抱え込んで自滅  2017年に国会で大議論の末に廃案となり、2018年の国会で復活した「高度プロフェッショナル制度」でも懸念された話ですが、ジョブ型雇用になると「ジョブディスクリプションで求められているジョブが達成できていない」と評価されることを恐れた中高年が、実質的に青天井のサービス残業を抱え込んで自滅するようなケースも危惧されます。 これは、もともとジョブ型雇用になっている公立学校の教師において、どんどんジョブの内容が増え、労働時間が青天井になっているのと仕組みは同じです。 しかし、メンバーシップ型の雇用なら問題がないのかというと、そうでもありません。むしろ、従来型の日本式雇用でも色々と試行錯誤したうえで、やるところまでやってきたという感じなのです。 たとえば西暦2000年頃、メンバーシップ型の日本の大企業では、仕事がなくなってあぶれた社員を配置転換するケースがよくありました。間接部門の仕事が大幅に見直された大企業で、あぶれた社員がすべて営業に異動させられるケース、ハードウェアの開発技術者が大量に不要となり、ソフトウェアエンジニアに配転させられたケースなどです。 同じホワイトカラーだから内勤から営業への配転でも大丈夫だろう、同じ技術者だから回路設計からソフトウェア開発に仕事が変わっても大丈夫だろうというのは、本当は無理な話です。これらの会社では、営業のノルマがきつくて辞めたり、ソフトウェア技術を一から学ぶことを断念して辞めたりする中高年の社員が続出しました。違うジョブへの配転は、20年前にリストラの手法としてすでに試されてきたのです』、「ジョブ型雇用になると「ジョブディスクリプションで求められているジョブが達成できていない」と評価されることを恐れた中高年が、実質的に青天井のサービス残業を抱え込んで自滅するようなケースも危惧されます」、大いに警戒すべきだろう。
・『大企業に透けて見える「狙い」 待ち受けるのは修羅の道か  そういうことを試行してきた大企業が、今度はジョブ型雇用に移行するという新しいキーワードを出してきた。そうした「影の狙い」が、どうしても透けて見えてしまうのです。 ジョブ型雇用に移行すると、どうしても考慮しなければいけないのが、ジョブによって給料が異なるという事実です。これは、ジョブ型雇用のメリットの1つである「他の企業への転職がしやすくなる」ということの裏返しなのです。 たとえば、マーケティングの専門家というジョブの給料に、自分の会社と競合他社で大きな差があれば、社員が辞めてしまうことになる。なので、高度に専門的なジョブの給料は市場価格に合わせる必要が出てきます。 昨今の例でいえば、一流大学の大学院でAIのエンジニアとして学んできた新卒は、1000万円を超える報酬を用意しなければ採用できない、といった話につながります。 一方で、ジョブ型に移行すれば同一労働同一賃金も実現しなければいけません。このように、ジョブ型雇用への移行を礼賛していると、結局のところ日本型雇用のさまざまなひずみが表面に出てくることになるのです。 ジョブ型雇用を宣言した企業が、実際にその仕組みをつくり上げ、運用に移行するまでには、だいたい4~5年はかかるものです。そして、その行きつくところ、つまり2025年頃に向かって雇用改革が辿る道は、社員にとっても経営にとっても「修羅の道」なのです』、「ジョブ型雇用への移行を礼賛していると、結局のところ日本型雇用のさまざまなひずみが表面に出てくることになる」、「ジョブ型雇用を宣言した企業が、実際にその仕組みをつくり上げ、運用に移行するまでには、だいたい4~5年はかかる・・・その行きつくところ、つまり2025年頃に向かって雇用改革が辿る道は、社員にとっても経営にとっても「修羅の道」なのです」、同感である。

第三に、8月21日付け日経ビジネスオンラインが掲載したコラムニストの小田嶋 隆氏による「君、最近休みをとったのはいつだね?」を紹介しよう。
https://business.nikkei.com/atcl/seminar/19/00116/00081/?P=1
・『夏休みを含めて4週連続でお休みをとりました。 なので、当欄への登場は約一ヶ月ぶりということになる。 これほど長い間原稿を書く作業から遠ざかったのは、久しぶりのことだ。 休みについては、読者の皆様の中にも、新型コロナウイルス騒動がはじまってからこっち、不本意ながらの休業や、余儀ない形での自宅待機も含めて、あらためて考える機会を持った方も少なくないはずだ。 そこで、今回は、仕事と休養についてあれこれ思うところを書いておくことにする。 このたびのコロナ禍は、政府ならびに労使双方の団体が企図していた「働き方改革」を、強力に推し進める触媒になるはずだ。コロナの影響にポジティブな面があるのだとしたら、おそらくその点だけだろう。 われわれは、予期せぬなりゆきで、自分たちの働きぶりと休み方について、あらためて自省する機会を与えられている。別の言い方をすれば、走っている時には決して思い浮かべることのできないタイプのアイディアを、結実させるための時間を獲得したわけだ。 こじつけに聞こえるかもしれないが、その点を気に病む必要はない。アイディアというのは、そもそもこじつけなのだ。 まず私自身の話をする。 私は、元来、忙しい男ではない。 レギュラーの働き方からすると、執筆に充てる日は、週のうちの3日ほどに限られる。残りの日はぶらぶらしている。 このスケジュールは、30年来変わっていない。 20代の一番忙しかった頃は、主に税金を支払うために設立していた会社を回すために、ひと夏泊まり込みで働いたこともあったが、それ以外では、週に4日以上働いた経験は持っていないと申し上げて良いかと思う。 毎度残念に思うのは、他人にこの話(働くのは週に3日ですねというお話)をすると、ほぼ必ず 「良いご身分ですね」という感じの反応が返ってくることだ。 なんというのか、自慢話をカマしたと思われてしまうらしいのだ。 なるほど。 なので、そういう人たちに向けては、あらためて、 「でもまあ、フリーランスの仕事には、休みなんてありませんよ」 という方向の話し方で軌道修正をすることにしている。 これも、言葉どおりの意味ではないものの、あながちウソでもない。 執筆日のみを働いた日として算入すると、たしかに労働に充てる日は週に3日ということになる。しかし、あれこれと原稿のネタを考える作業もまた原稿執筆には不可欠な時間であることを考慮に入れれば、完全な休養日は一年のうちに何日もないという計算の仕方も可能になる。 要するに「働く」という言葉の定義次第で、勤務日なり休日なりの日数は、かなり大幅に変わってしまうということだ』、「このたびのコロナ禍は、政府ならびに労使双方の団体が企図していた「働き方改革」を、強力に推し進める触媒になるはずだ」、鋭い指摘だ。「「働く」という言葉の定義次第で、勤務日なり休日なりの日数は、かなり大幅に変わってしまう」、その通りだろう。
・『そのこととは別に、この場を借りてぜひ強調しておきたいのは、原稿を書く仕事をはじめてからこっちの約40年間、私にとって経済的不安を感じなかった日々がほとんど存在しなかったということだ。 原稿を書く仕事に限らず、フリーランスで働いている人間はおおむね似たようなものだと思う。われわれには、忙しい時期もあれば、ヒマな時期もある。で、どの稼業でも同じことだが、ヒマな時は収入途絶の不安にさいなまれるし、忙しい時期には神経が摩耗することになっている。どっちにしても優雅なご身分というには程遠い境地だ。 興味深いのは、今回のコロナ禍による全世界的な経済の停滞が、結果として、勤め人と呼ばれる人々の労働観を、かなり根本的な次元で変容させてしまっていることだ。 思うに、アンダーコロナのテレワークを機に、日本の勤め人の労働観は、「ヒマならヒマで不安だし、忙しいなら忙しいで神経がもたない」という、われらフリーランスの労働哲学に限りなく近似してきている。 東京を含む全都道府県に緊急事態宣言が発出されていた4月から5月に至るひと月半ほどの間、ツイッター上には、 「満員電車に乗らずに済む生活がこれほど快適だったとは」「オレ、宣言が解除されても、またあの電車に詰め込まれて会社に行く自信ないなあ」「さんざんテレワークでの会議を経験してわかったことは、会議の時間のうちの半分は無駄だったということと、会議に参加しているメンバーのうちの半分は不要だったということだな」「出勤という所作が慣性の法則によって達成されている、等速直線運動であることがよくわかった」「働きたくないという自分の内なる声の正しさを知った」 という感じの感慨があふれ返ることになった。 で、私は、5月11日のツイッターに 《「出勤したくない気持ち」をネタにした自虐ツイートを「大人のユーモア」だと思いこんでいるアカウントが散見されますが、コロナ下の収入減に苦しむ多くの日本人には、その種のボヤキは出勤しなくても月々の定額の給料が保証されている一流企業の正規雇用者が特権を謳歌しているようにしか見えません。 午前10:41 - 2020年5月29日》《まあ、一種の王朝文学なのだろうね 午前11:05 - 2020年5月29日》 というスレッドを書き込んだ次第なのだが、実際、この時点では、半月やそこら休んでも給料の目減りを心配せずに済む一流企業の正規雇用者と、今日の収入の途絶がそのまま明日の暮らしの逼迫につながる日銭商売の人間との間に、巨大な格差が露呈しているように見えた』、「アンダーコロナのテレワークを機に、日本の勤め人の労働観は、「ヒマならヒマで不安だし、忙しいなら忙しいで神経がもたない」という、われらフリーランスの労働哲学に限りなく近似してきている」、面白い指摘だ。
・『で、5月時点のタイムラインには、思わぬ「休暇」の到来を寿いでいるお気楽な殿上人の感慨と、今日のコメの算段に苦しむ底辺民の悲鳴が交錯する事態を迎えていた次第なのだが、この状態もそれほど長続きしたわけではなかった。 というのも、棚ぼたの「休暇」に浮かれる気分は、ほんの二週間ほどで雲散霧消して、ほどなく、ほとんどの日本人が、先行きへの不安に思いを馳せはじめる重苦しい日々が到来することになったからだ。 いったいにわれわれはバカンスを楽しむようには設計されていない。 というよりも、平均的な日本人は、一週間以上の「休暇」には、不安を抱くべく条件付けられている。つまり、われら21世紀の日本人は、それほどまでに勤勉の呪いに深く囚われた人々なのである。 もっとも、いま私が言っている「日本人は勤勉だ」という定説も、昨今では、どうやらそのまま無邪気に押し通せるひとつ話ではなくなってきている。 5年ほど前だったか、主要な職業生活のうちの十数年をアメリカのいくつかの州で過ごした知り合いが、こんな話をしてくれたことがある。 「勤勉の呪いというのは、別に日本人に限った話じゃないぞ」「そうか?」「うん。オレの知る限りでは、アメリカのエリートは日本の平均的なサラリーマンなんかよりずっと猛烈に働いてるぞ」「うーん。オレの予断とずいぶん印象が違うんだが」「っていうか、日本人の不思議なところは、たいして出世してるわけでもない並レベルの勤め人が、わりとムキになって働いてるところだと思う」「並レベル?」「うん。アメリカだと年収5万ドル以下の勤労者はスキあらば怠けようとしてる印象だったな」 なるほど。 アメリカのエリートと非エリートがどんなふうに働いているものなのかはともかくとして、私の観察範囲では、うちの国の勤労者たちは、そろそろアンダーコロナの働き方に不安をおぼえはじめている。「業種とか職種にもよるんだろうけど、テレワークって、格差拡大の口実になると思うな」 「というよりもテレワーク下の成果主義は、経営側に有利な形でしか解釈されないってことだよ」 「それもあるけど、ちょっと長い目で見ると、地域の経済と関係のないグローバル企業だけが生き残る結果にならないか?」 「どっちにしても現場軽視てなことにはなるだろうな」 ひとつ注意を促しておかねばならないのは、私が話を聞いている範囲の人間は、ほぼ私と同世代の勤め人に限られるということだ。 つまり、私の耳にはいってくる情報は、「勝ち逃げ」組(役員待遇もしくは、退職金を満額もらって悠々自適)発のお話にしても、そうでない組(起業、子会社出向、転職などなど)のご発言にしても、今回のコロナによる経済の停滞をどことなく他人事として見ている引退老人の感慨だということだ。その意味で、われわれの話は、どの角度から評価しても、そんなに深刻な話にはならないものなのかもしれない。 おそらく、40代から50代にかけての働き盛りの勤労者は、このたびのコロナ禍を、もう少しきびしい試練として受けとめているはずだ。 20代の就活世代にとっては、さらに憂鬱な話題に属する話なのかもしれない』、「今回のコロナによる経済の停滞をどことなく他人事として見ている引退老人の感慨」、私もこの部類だが、若い世代は大変だろうと同情している。
・『いずれにせよ、世界中の人間が、働き方と暮らし方を見直さなければならない局面で、考えこんでしまっている。 私自身、いまだに答えを見いだせずにいる。 ただ、これまでと同じようには行かないのだろうなということを、噛み締めているばかりだ。 ネット上では、8月の17日に、安倍晋三首相が慶応大学病院で日帰り検診を受けたことについて、麻生太郎副総理が記者団に対して 「147 日間休まず連続で働いたら、普通だったら体調おかしくなるんじゃないの」「あなたも147日間、休まず働いてみたことありますか。140日休まないで働いたことないだろう。140日働いたこともない人が、働いた人のこと言ったって分かんないわけですよ」などと発言したことに反発の声があがっている。 いちいちツッコむのも面倒なのだが、麻生さんの発言は、その横柄さもさることながら、以下の点から批判されて当然の物言いだったと思う。 特定の経験を踏んでいない人間による批判を封じたら、たとえば政治家への批判は政治家にしか許されないことになる。 そもそも147連勤の数え方が恣意的すぎる。たった30分の執務を一日の勤務と数えることが可能なら、300連勤を超える勤労者も珍しくない。
総理の働きぶりが日数として足りていないことを批判している人間はほとんどいない。多くの批判は、国会を召集しないことに集中している。 動画を見て私が驚愕したのは、麻生さんの発言のバカバカしさそのものよりも、それに反論した記者が一人もいないことに対してだった。実際、記者団は、借りてきた猫みたいにおとなしく、麻生さんの言葉に耳を傾けている。 発言の後、誰も一言たりとも抗弁をしていない。 「にゃあ」と鳴いた記者が、あるいは何人かいたかもしれない。 こんな人たちを記者と呼んで良いものなのだろうか。 私の基準では、彼らは「働いて」いなかった。 あんな話の聞き方をしている記者を、私は勤労に従事する人間として認める気持ちにはなれない。あたりまえだ。あんなものは御用聞きに過ぎない。 彼らは働いていない。ただ出勤しているだけだ。 テレワークの反対。出勤怠業。英語ではどう言うのだろう』、「動画を見て私が驚愕したのは、麻生さんの発言のバカバカしさそのものよりも、それに反論した記者が一人もいないことに対してだった」、「あんな話の聞き方をしている記者を、私は勤労に従事する人間として認める気持ちにはなれない。あたりまえだ。あんなものは御用聞きに過ぎない」、全く同感である。
・『どこかで読んだ話だったのか、あるいは誰かに聞いた話だったのか、出典を忘れてしまったのだが、「とある大富豪が体調を崩して入院した時の話」というのを思い出したので、以下、ご紹介する。記憶から引用する話なので、正確なところは必ずしもはっきりしないのだが、おおむねこんな話だった。 富豪は、特別室を訪れた主治医にこう尋ねた。 「君、最近休みをとったのはいつだね?」 一人目の医師は、「二ヶ月前です」と答えて、その場で担当を外された。 二人目の医師は、「昨日までバカンスをとっていました」と答えた。富豪はにっこりして握手を求めた。 「よろしい、君に執刀してもらおう」 この富豪のエピソードを踏まえて話をするなら、私は、はじめから 「仮に147日間にわたって一日たりとも休暇をとっていない政治家がいるのだとしたら、私はその愚かな政治家の判断を金輪際信用しないだろう」という原稿を書くべきだったのかもしれない。 実際、適切な休暇を自分に与えることすらできない人間が、適切な仕事をこなせるはずはないのだし、適切な判断を下せる道理もないからだ。 なんというのか、政権中枢に近い人たちがこの数日繰り返している 「こんなに働いているのだから多少体調を崩すのは当然だ」「こんなに休んでいない首相をもっと評価してくれ」「これほど苦しい体調の中で、これほどまでに頑張っている安倍さんをもっと尊敬しても良いのではないか」という感じのアピールのあまりといえばあまりのバカバカしさに、私は静かにがっかりしている。うちの国では、頂点のそのまたトップに位置する人間からして 「いっしょうけんめいにがんばっている」みたいな中学生じみた弁解から外に出られずにいる。 なんとバカな国ではあるまいか。 誰も睡眠不足の医師に執刀してほしいとは思わない。 同様にして、私は、休暇をとる判断さえ下せないリーダーにお国の舵取りを任せたいとは考えない。 私自身は、自分が仕事をこなせる状態にないと判断したら、その時は、迷わずに休むことにしている。 疲れている人間の仕事の質は、より勤勉に働くことによってではなく、休みをとることによって回復する。当たり前の話だが、このことをきちんと自分の働き方に適用できる人間は思いのほか少ない。これができないとフリーランスで仕事を続けることはできない。 最後に、蛇足として、総理には衷心から休暇の取得を進言しておきたい。 副総理には、私から特段にお伝えする言葉はない。 お好きになさってください。ではまた来週』、「うちの国では、頂点のそのまたトップに位置する人間からして 「いっしょうけんめいにがんばっている」みたいな中学生じみた弁解から外に出られずにいる。 なんとバカな国ではあるまいか」、安部ヨイショ論への小気味いい痛烈な批判だ。安部首相も後継がほぼ菅氏に固まり、旧悪を暴かれずに済むので、一安心だろう。
タグ:働き方改革 (その29)(ヤフーの副業募集に「4500人殺到」の舞台裏 「フル在宅」でコロナ対応機能を70以上投入、コロナ禍に乗じた「ジョブ型雇用」礼賛を待ち受ける 修羅の道、小田嶋氏:君、最近休みをとったのはいつだね?) 東洋経済オンライン うちの国では、頂点のそのまたトップに位置する人間からして 「いっしょうけんめいにがんばっている」みたいな中学生じみた弁解から外に出られずにいる。 なんとバカな国ではあるまいか 今回のコロナによる経済の停滞をどことなく他人事として見ている引退老人の感慨 下は15歳から上は80歳までが応募 「ペイ・フォー・パフォーマンス」にしていこうと動いてきた アンダーコロナのテレワークを機に、日本の勤め人の労働観は、「ヒマならヒマで不安だし、忙しいなら忙しいで神経がもたない」という、われらフリーランスの労働哲学に限りなく近似してきている 「コロナ禍に乗じた「ジョブ型雇用」礼賛を待ち受ける、修羅の道」 ダイヤモンド・オンライン 使えない中高年社員のリストラにつながる」ような動きがあれば、その後の一般社員への展開は難しくなる可能性 8年くらいこの制度を運用する中で感じたのは、放っておくと皆会社に来てしまって全然「どこでも化」が進まないということ。結局、オフィスがいちばん生産性高く仕事できると思うからだろう その行きつくところ、つまり2025年頃に向かって雇用改革が辿る道は、社員にとっても経営にとっても「修羅の道」なのです ジョブ型雇用になると「ジョブディスクリプションで求められているジョブが達成できていない」と評価されることを恐れた中高年が、実質的に青天井のサービス残業を抱え込んで自滅するようなケースも危惧されます 仕事がなくなったらあぶれた社員は会社に残れない? 「働く」という言葉の定義次第で、勤務日なり休日なりの日数は、かなり大幅に変わってしまう 評価を気にする中高年社員がサービス残業を抱え込んで自滅 日本の大企業では、ジョブ型への移行をまず管理職から始めるケースが目立ちます 機動的に組織を組み替えた このたびのコロナ禍は、政府ならびに労使双方の団体が企図していた「働き方改革」を、強力に推し進める触媒になるはずだ あんな話の聞き方をしている記者を、私は勤労に従事する人間として認める気持ちにはなれない。あたりまえだ。あんなものは御用聞きに過ぎない 動画を見て私が驚愕したのは、麻生さんの発言のバカバカしさそのものよりも、それに反論した記者が一人もいないことに対してだった 鈴木貴博 ジョブ型雇用への移行を礼賛していると、結局のところ日本型雇用のさまざまなひずみが表面に出てくることになる 小田嶋 隆 「君、最近休みをとったのはいつだね?」 大企業に透けて見える「狙い」 待ち受けるのは修羅の道か 「副業人材を今後100人単位で受け入れる」のに対し、「4500人以上の応募を得ている」 日経ビジネスオンライン 「ヤフーの副業募集に「4500人殺到」の舞台裏 「フル在宅」でコロナ対応機能を70以上投入」 ジョブ型雇用を宣言した企業が、実際にその仕組みをつくり上げ、運用に移行するまでには、だいたい4~5年はかかる コロナ禍でにわかに高まる「日本型雇用」の見直し機運
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東京国際金融センター(その1)(東京が「金融センター」には到底なれない理由 香港混乱が続く中 再び構想が浮上している、香港金融人材の日本移住が簡単にはいかない訳 外国人には3つの障壁が立ちはだかっている、菅官房長官の“利権” 「アジアの金融センター」が東京ではなく「大阪・福岡」に…) [金融]

今日は、香港問題を契機に再燃した東京国際金融センター(その1)(東京が「金融センター」には到底なれない理由 香港混乱が続く中 再び構想が浮上している、香港金融人材の日本移住が簡単にはいかない訳 外国人には3つの障壁が立ちはだかっている、菅官房長官の“利権” 「アジアの金融センター」が東京ではなく「大阪・福岡」に…)を取上げよう。

先ずは、7月14日付け東洋経済オンラインが掲載した『フランス・ジャポン・エコー』編集長、仏フィガロ東京特派員 のレジス・アルノー氏による「東京が「金融センター」には到底なれない理由 香港混乱が続く中、再び構想が浮上している」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/362263
・『東京は、アジアの金融センターとして香港になり代わることができるのか。香港において国家安全維持法が施行され、それに反発するデモと治安当局との衝突が起きる中で、現地の金融コミュニティは、安全に不安を抱くようになっている。こうした中、安倍晋三首相は、日本が香港に取って代わるという発想を温めている。 安倍首相は6月12日の国会で、「香港から来る人も含め、専門的かつ技術的に優れた能力を持つ外国人を歓迎する」と発言。翌日には自民党が、ポストコロナ時代における日本経済の抱負として、東京を国際的な金融センターにするという計画を打ち出した』、「安倍首相」の言明は香港問題への悪乗りとしか思えないようなお粗末な対応だ。
・『構想はこれまでもあった  東京を金融センターにするという計画が持ち上がったのは今回が初めてではない。日本のベテランエコノミストであるイェスパー・コール氏は「私が1986年に来日したとき、当時の宮澤喜一大蔵相(当時)はすでに成長戦略の一環として金融業推進を掲げていた」と話す。 昨今の例をあげるならば、2014年には当時の舛添要一都知事が同じ目標を掲げて金融促進事業を開始しており、2016年には現都知事である小池百合子氏がこれにならった。さらに2019年には自由民主党が同様の事業を行ったが、これらの試みはことごとく失敗している。 コール氏は、「アブダビやシンガポールで起業するなら、管理職、会計士、マーケティング担当者、弁護士、全て英語話者で揃えることができる。東京の環境はそうなっていない」と語る。 世界第3位の規模の株式市場を有し、取引高の3分の2を外国人投資家が占める東京は、確かに一見すると傑出した金融センターであるかのように映り、世界の大手ファンドはどこも東京にオフィスを構えている。 元日銀政策委員会の審議委員である白井さゆり氏は、2017年のアジア開発銀行研究所の論文で、「日本の長所は、GDP世界第3位を誇る経済規模、米ドルとユーロに次ぐ第3の国際通貨という円の地位、そして豊富な資本を抱える巨大な金融市場だ。東京には、その地理を利用して、台頭しつつあるアジア市場に巨額の資本を投入する地域の金融センターになれる可能性がある」と述べている。 「香港での混乱に加え、シンガポールが一段と権威主義的になる中で、日本は地理的な要素も含めて優位に立つ。日本は民主主義的かつ、法の支配に基づいた、自由で安全な社会だ」と、自民党の木原誠二衆議院議員は話す。同議員はイギリスで教育を受けた比較的若い、外務副大臣の経験もある海外通だ。 だが、東京が真に国際的な金融都市だった期間は短く、その重要性はこの15年間で失われてしまった。対外資産運用の専門家によると、「バブル崩壊後、香港とシンガポールが台頭する前、日本は、金融業を洗練する必要から、外国人を招いて市場を近代化した。2000年にはアジアを拠点とするヘッジファンドの80%が東京に拠点をおいていた。ところが、2005年前後に出ていってしまった」』、「2000年にはアジアを拠点とするヘッジファンドの80%が東京に拠点をおいていた」、こんな時代もあったようだ。
・『東京が「凋落」した原因  この凋落にはさまざまな原因がある。第1に、金融業はまだ日本の主要産業になっていないということだ。アーカス・リサーチのアナリスト、ピーター・タスカー氏は「シンガポールや香港では、金融業が経済に占める規模が大きい。しかし、日本で最も主要な産業は製造業だ。ほとんどの家庭は金融商品を保有していない」と話す。 さらに、コール氏は、「ローソンやトヨタのCEOに話を聞くと、彼らが自社製品で業界トップに立っていることを誇りとしているのがわかる。一方で資産運用会社のCEOは、そこまで誇らしくしていない。というのも、日本では金融業に対し悪い印象があるからだ」と指摘する。 第2に、今日の日本は金融の最も基本的な要素である、海外からの人の流入とリスクに対して過剰に警戒している。日本人の英語力は高いとはいえず、東京の外国人人口は全体の4%に過ぎない。東京はそもそも国際都市ではないのだ。また日本政府はリスクを避けている。 「日本は失敗に厳しい文化だ。しかしこの業界で大きな成功を収める人は、10回のうち8回は損をしている。孫正義氏は良い例だ。彼が富豪になれたのは、数回の投資で莫大な利益を生み出せたからに過ぎない」と、専門家は語る。 日本の行政手続きによる負担は、香港やシンガポールと比べてかなり重いと3つの金融市場を知るすべての金融業者は口を揃える。「地元の投資家と資産運用会社の間には仲介人が多すぎる」と、1人は言う。 しかし、海外の金融関係者が日本の金融を敬遠する一番の理由は税金だ。日本における税負担軽減措置はいくつもあるが、どこからでも仕事ができる今、東京で働くことにメリットを見出すほど魅力的ではない。 ある海外駐在員によれば、シンガポールと東京の生活費はあまり変わらないが、可処分所得には大きな差がある。「東京では100万米ドル稼いでも年度末には40万ドルになっている。シンガポールでは78万ドル手元に残る」と同氏は説明する。 さらに同氏が日本を離れた場合、金融資産には15%の出国税が課される。また日本で亡くなったり、日本を出国して5年以内に亡くなったりすれば、海外資産には最大55%の税金が課されることになる』、「海外の金融関係者が日本の金融を敬遠する一番の理由は税金だ」、その通りで、やむを得ない。
・『日本の相続税は最悪  対してシンガポールには出国税も相続税も存在しない。東京在住で最も影響力のある外国人投資家の1人は、「これが最大の問題で、ばかげたことだ。なぜなら、日本の最富裕層はすでに財産を国外に持ち出している。しかも、これは公にされていないが、外国人が日本を離れた場合、彼らの保有している海外資産を回収する手立てを日本の国税庁は持っていないのだ」と指摘する。 日本の税制のあまりの厳しさに、日本人の資産を担当する日本人の専門家までがシンガポールに逃れた。 「私がシンガポールに移住してきたのは、マリーナ・ベイの開発が進む14年前のことだ。1時間の時差は問題ではない。必要な場合は東京にアナリストを送ることもできる。日本の相続税は私にとっても子どもにとっても最悪のものだ。加えて、米中に挟まれた日本に住み続けるのは、長期的には危険だと考えている」と語るのは、日本人ファンドマネージャーだ。日本人の資産運用家が日本を離れるくらいなのだから、外国人がわざわざやって来る理由はない。 重要な課題であるにもかかわらず、日本金融を語る場で税制に触れるのはタブーになっている。国内で最も知られる年次国際金融イベント、CLSAジャパンフォーラムの元幹部はこう振り返る。 「2018年、都庁と会計事務所のPWCが、東京の魅力について講演してほしいと打診してきた。そしてその際、聴衆に対し、税制について質問することを一切禁止してほしいと言ってきた。そんなばかげた要求を呑めるわけがない。蓋を開けてみれば、彼らのプレゼンは聞いていて恥ずかしいぐらいだった。日本には英語を話せる人がいる、だから外国人は来るべきだ、というのが彼らの主張だったのだから」 PWCは、高所得者の顧客に対しては日本の税制について警告する一方で、東京を宣伝して報酬を得ているという。6月13日の自民党の提言には、税制に対する言及はなかった。 シンガポールに移住するため東京を離れたばかりの対外資産運用の専門家は、「日本が好きな外国人はたくさんいる。だが最後に日本が彼らに要求するのは、たくさんのお金だ」と強調する。 2016年、小池都知事は東京国際金融機構(略称:FinCity.Tokyo)というシンクタンクを設立し、東京を国際金融センターにするという目標のもと、国内外の金融業界のトップを集めた。「4年経過し、この目標が想像以上に複雑に絡み合っている問題だと分かった。出入国管理は法務省、税金は税務当局、年金基金は厚生労働省など、複数の省庁とのやり取りが必要だ。官僚は賢く、問題をしっかり見極める。 しかし、この国はサイロ化(縦割り)しすぎている」と、Fincity.Tokyoの有友圭一専務理事は語る。 グローバルで熱意にあふれる同氏は、日本が掲げる国際金融都市構想の最も適した提唱者である。しかし、有友氏が勤める同機構は資金提供するための充分な数の企業も見つけられていないのだ。 同機構の顧問は、「日本郵政公社が複数のファンドに出資するはずだったのだが、要求された条件があまりに多かったため実現できなかった。日本の資産運用家は教育することさえ難しい」と嘆く』、「都庁と会計事務所のPWCが、東京の魅力について講演してほしいと打診してきた。そしてその際、聴衆に対し、税制について質問することを一切禁止してほしいと言ってきた」、やはり財務省の睨みが効いているようだ。「日本の相続税は最悪」は、勝手な言い分で、世代間の格差是正のためには必要だ。
・『東京が香港になれる可能性は限りなく低い  コール氏は、「カリフォルニアのカルパースや、シンガポールのテマセクといった公的資金を基にしたファンドは、対外資産を運用するファンドに投資している。GPIF(年金積立金管理運用独立行政法人)や日本生命、東京都も同じことをすれば、国際金融コミュニティの信用を得られるのに、決してそうはしない」と語る。 香港の衰退から利益を得ようと狙う日本に対し、白井氏は警鐘を鳴らす。 「香港は依然として中国本土への唯一の門戸であり、多くの中国系大企業が資金を集める場となっている。中国政府としても、香港の金融センターとしての沽券を傷つけるのは望ましいことではないだろう。 仮にそうなったとしても、日本の投資家がいまだにアジアよりアメリカやEUの金融資産を好んでいることからすれば、東京が香港にとって代わる可能性はかなり低い。香港は金融センターとしての地位を保ち、いくつかの機能を東京ではなくシンガポールに移転するものとみられる」。 日本の機関投資家は配当の少ない商品で顧客に多額の手数料を払わせ続けている。GPIFの運用資産の4分の1は依然として無利子国債のままだ。東京に拠点を置く資産運用会社ロジャーズ・インベストメント・アドバイザーズのエド・ロジャーズ氏によれば、2001年から2019年まで運用実績を見ると、GPIFに資産を預けた場合は2.3倍に、カルパースでは3.2倍に、イェール大学のエンダウメント・プログラムでは6.2倍に増えていたということだ。 高齢化が進む日本では、効率的な資産運用の必要性がますます高まっている。このままでは、日本の年金受給者はより貧しくなっていくばかりだろう。「私は楽観している。私が信じなければ、誰が信じるのか」と、有友氏は話す。 自民党の木原衆議院議員も同意する。「これが日本にとっては最後のチャンスだ」』、「GPIF」も運用方針を弾力化してきたが、為替リスクを考慮すると、海外資産の運用比率を無闇に上げる訳にはいかない。「有友氏」の発言は、単なる無責任なポジショントークだ。

次に、8月14日付け東洋経済オンラインが掲載した香港在住ジャーナリストの富谷 瑠美氏による「香港金融人材の日本移住が簡単にはいかない訳 外国人には3つの障壁が立ちはだかっている」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/365463
・『2020年6月30日夜、香港で国家安全法が施行された。施行後の8月10日には、民主活動家の周庭(アグネス・チョウ)氏や、現地メディア「蘋果日報(アップルデイリー)」の創業者で親民主派の黎智英(ジミー・ライ)氏らが逮捕された。(両氏はその後保釈) これを機に、香港人の海外移住が増えると見る考えもあるようだ。自民党の経済成長戦略本部は東京の金融機能強化を打ち出しており、東京に香港の金融人材を誘致してはどうか、という声も出ている。6月11日の参院予算委員会では、安倍晋三首相も「香港を含め専門的、技術的分野の外国人材の受け入れを引き続き積極的に推進する」という旨を発言していた。 筆者も実際に金融業界で働く数人の香港人たちと、日本移住の可能性について話してみたことがある。しかし彼らの中で実際に移住を決意した人物は1人もいない。それはいったいなぜなのか――』、「香港」の「金融人材」の実際の見方とは興味深そうだ。
・『香港人が移住先に求める3つの要素  マイケル(仮名・30代男性)は香港のとある金融機関に勤める押しも押されもせぬ「金融人材」だ。年収は日本円にして3000万円を超える。アジアの金融センターとして外資系金融機関が軒並み支店を置き、ポジションも豊富な香港では、30代でこうした年収を稼ぎ出す人材は珍しくない。 共働きの妻と娘との3人暮らしだが、主にマイケルの収入で暮らしている。国家安全法の施行をきっかけに、マイケルも海外移住を検討し始めた。妻も娘も、大の日本好き。新型コロナウイルスが流行する前までは、年に1度は必ず日本に旅行していたという。 「娘は日本で育てようかと思うんだ」。筆者はマイケルにそう相談されたが、家族を持つ金融人材はそもそも移住先に何を求めているのか。 マイケルに聞くと、まずは永住権だ、と話す。香港以外の国で永住権を持ちたい、という。ところが、外国人の日本での永住権取得への道のりは険しい。 「日本の永住権を取得するためには、基本的には継続して10年以上の在留が必要で、うち5年間は就労資格または居住資格での在留を継続している必要があります」(アジアを中心とする外国人の在留資格申請に詳しい松本行政書士事務所・代表行政書士の松本沙織氏)。 ただし出入国管理及び難民認定法に定める在留資格「高度専門職」に認められれば、他の在留資格とは異なり、はじめから在留期間は5年間で、永住権申請への近道となる。 この高度専門職は年齢や年収、学歴などから計算されるポイント制度。80点以上のポイントの高度外国人材については、高度外国人材としての活動を継続して1年間行っていると、永住権の申請が可能になるが「企業で働く人材の場合、若いエンジニアなどが中心で、金融人材については少ない印象です」(松本氏)。 また、日本で永住権を取得しても、1年を超えて日本を離れる場合は事前に再入国の許可を得て、最長5年間の期限までに再び日本に戻る必要がある。松本氏によると、うっかり再入国許可の有効期間を数日過ぎて帰国した外国人が、日本入国の際に再度の永住権を許可されなかったこともあるという。 ちなみに香港は、比較的永住権を取得しやすく、維持もしやすい地域として知られている。「7年以上連続して居住すれば、永久居民資格(永住権)を取得できることになっています」(香港のビザ取得サービスを手掛ける香港BSディレクターの鴫谷賢二氏)。 永住権を取得できても、1年のうち半分は国内に滞在しないと永住権が取り消しになる国もあるが、香港においては、永住権取得後は、3年に1度入境すれば資格を保ち続けることができる。さらに「たとえ永住権を取り消されたとしても、代わりに入境権が付与されます。選挙権や社会保障の一部はなくなりますが、就労や居住は制限なく継続できる」(同) シティバンクのプライベートバンク部門出身でもある鴫谷氏は「こうした永住権の取得のしやすさ、保ちやすさに加えて大きなメリットが税率の低さ。このような魅力に惹かれ、世界中から多くの金融人材や富裕層が香港に集まり、金融都市として発展してきました」と指摘する』、「高度専門職」も「若いエンジニアなどが中心で、金融人材については少ない印象です」、やはり切り札にはならないようだ。
・『香港人を驚かせる日本の税率  一方で、さらに香港の金融人材が一様に目をむくことになるのが日本の「税率」である。 香港と日本は、双方ともに所得に応じて納税額が上がる累進課税制度(※厳密には、香港は標準課税方式との選択制)。しかし香港の所得税率が最高17%である一方、日本では45%だ。香港には存在しない住民税だが、日本では10%前後。つまりこれだけで所得の半分以上を持っていかれてしまう。さらに、キャピタルゲイン税20%、消費税が10%。子供に財産を残す場合も10~55%の相続税がかかる。これらはいずれも、香港では非課税だ。 賃貸、売買ともに不動産が非常に高額な香港だが、金融業界の高所得者であれば、たとえ家賃やローンを自力で支払っていたとしてもおつりがくる。 年収3000万円のマイケルの場合、日本では所得税40%と住民税10%の50%がかかり、この時点で手元に残るのは1500万円。しかし税率17%の香港であれば2490万円と、約1000万円もの差がついてしまうのである(各種扶養控除は除いて計算)。 この結果に、マイケルは驚きを隠さなかった。「香港の家賃はたしかに高い。でもいくら自分でも、年間1000万円以上も支払っているわけじゃない……。しかも手取りが1000万円減って、さらに家賃や子供の学費もかかるわけでしょう」(マイケル)』、「金融人材」であれば、税制の違いは常識だ。
・『子供の学費も支払う必要が  「駐在員として東京に赴任するのであれば、家賃もインターナショナルスクールの学費も支給されるケースが多い。しかし、東京採用であれば日本人同様に、自分で支払うことになります。金融人材を誘致したいならば、東京を金融特区にでもしないと難しいのでは、と思いますが、そこまで必要かという議論も生まれてきそうです」(香港で金融人材を多く紹介するJACリクルートメント香港の渥美賢吾・代表取締役社長)。 渥美氏の元にもここ数カ月で「東京のポジションに興味がある」という香港人が何人か訪れたというが、いずれも転職には至らなかったという。 東京を拠点に、金融人材の紹介に強みを持つタイグロンパートナーズの野尻剛二郎代表取締役社長も「東京は(所得税が日本と同程度の)欧米人には人気があります。ただしそれでも、住民税の高さを気にする人もいる。香港の金融人材からは、あまり問い合わせはきていませんね」と話す。 東京採用であれば、当然ながら日本語力も求められる。「トレーダーなら日常会話レベルで足りるかもしれませんが、フロント(営業職)ならば当然ネイティブレベル。ミドルオフィス、バックオフィスもビジネスレベルはないと厳しい」(野尻氏)。香港人が日本国内で、香港と同程度の職を得るのは容易なことではないのだ。 税率の高さを許容し、無事に東京で金融職を得たとしても、子供の教育についてまた壁が立ちはだかる。 まず、日本の公立小学校や私立小学校に通わせるだけでは、英語を使いこなせるようになるのは極めて難しい。そのため、インターナショナルスクールが現実的な選択肢となるだろうが、香港同様に人気校はウェイティングリストに登録をして順番待ちをするケースも多い。入学できたとしても、学費や寄付などで年間100万円を超える学校は珍しくない。 さらに、マイケル夫妻は妻も香港人で、高齢の両親たちは英語を話すことができない。香港の標準語は広東語だが、大多数の香港人は北京語も理解できる。そのため、せめて北京語を――となればインターナショナルスクールに通わせるだけでは追い付かない。北京語の家庭教師などを雇い、継続的に中国語に親しませる必要がある』、確かに「「駐在員として東京に赴任する」のに比べ、「東京採用」では、税金・教育費などの負担が極めて大きくなる」のは避けられない現実だ。
・『日本以外の国への移住も視野に  香港人、と一口に言ってもその考えはさまざま。20代で年収2000万円超のイルマ(仮名・20代女性)は独身の香港人だが「日本は旅行先で十分」と話す。 「香港は中国企業が資金調達をする玄関口として、シンガポールは東南アジアの金融センターとして今後も発展していくでしょう。でも、ごめんなさい。東京には何があるの?」(イルマ) リック(仮名・20代男性)も同様の意見だ。リックは香港人だが、オーストラリア国籍も保持している。彼のように他国の国籍を保持している香港人は決して少なくない。 「香港人といっても、今の状況を悲観的にとらえる人ばかりではないことを知ってほしいですね。むしろ中国企業の香港株式市場におけるIPOは増えるのではないでしょうか。僕の場合、老後はオーストラリアに移住する選択肢もありますしね」(リック) 前述のマイケルは、移住先にイギリスやオーストラリア、カナダも候補に入れて再度検討を始めた。7月22日にはイギリス政府が香港市民に対する特別ビザの詳細を公表。1997年の香港返還以前に生まれた香港市民が持つイギリス海外市民(BNO)パスポートの保持者は、2021年1月からイギリスの特別ビザを申請できる、とするものだ。 今回の決定で、今後は2回に分けた30カ月の長期滞在か、5年間の長期滞在が可能になった。また、特別ビザの保持者は就労上の制限も受けず、イギリス市民権獲得の道も開かれている。 しかし、マイケルのため息は止まらない。「イギリスは香港から遠いし、時差もある。広東語や北京語を娘に習わせる難易度も高いし、コロナの影響を受けていて失業率も高い。移住は日本と同じか、それ以上に難航すると思う」(マイケル) 「それに、なんといってもコロナウイルスの流行がまったく収まっていないよね。もし僕や家族が新型コロナに感染したら、医療費はどうなるんだろうか」(同) 8月10日時点で、イギリスの新型コロナによる死者数4万人超になっている。また、BNOパスポート自体についても、7月23日に中国外務省が「有効な旅券として認めない」と反論。先行きが見通せない状態だ。 ちなみに、マイケルは移住先の候補に、あえて台湾やシンガポールを入れていない。台湾は「10年以内には、香港と同様の状況になるのでは」という恐れに加え、金融ビジネスがそこまで発展しているわけではない。シンガポールは永住権を取りにくく、維持するための要件が厳格だからだという』、「イギリス」は、「香港から遠いし、時差もある」だけでなく、EU離脱に伴い金融業には混乱も生じるので、敬遠するのは正解だろう。
・『すでに他国の永住権を取得している人も  「もっと若いうちに、他の国で学ぶなり、働くなりして永住権を取っておけばよかったよ」。そう嘆くマイケル。同様の発想で、海外に移住したり、子供を海外留学させたりして現地で就労をさせ、世界各地で財と人脈を築いてきたのが「華僑」と呼ばれる人々だ。 筆者が見る限り、同じ香港人であっても、他国の永住権やパスポートを持つ人々にはあまり焦りが見られない。今後香港に何が起こっても、働く場所や住む国を、自分で選べるという自信があるからだろう。 マイケルの嘆きは、日本人にも何かを示唆しているように思えてならない』、中国人には「華僑」の伝統があるが、日本人も戦前は中南米を中心に移住ブームとなり、なかにはペルーのフジモリ氏のように大統領になる人物まで出現した。現在は豊かになったので、内向き志向が強まったようだが、一抹の寂しさを覚えざるを得ない。

第三に、8月27日付けデイリー新潮「菅官房長官の“利権” 「アジアの金融センター」が東京ではなく「大阪・福岡」に…」を紹介しよう。
https://www.dailyshincho.jp/article/2020/08181659/?all=1
・『「暗黒法」とも言われる国家安全維持法が施行されたことで、これまで「アジアの金融センター」と呼ばれた香港から金融機関の人材や企業が流出する動きが出始めている。日本がその受け皿となれれば、莫大な国益をもたらすことは間違いない。しかし、誘致にあたる菅義偉官房長官は、自らの“利権”を優先するあまり、最有力候補の東京ではなく、大阪と福岡に特区を作る意向なのだ。 「国家安全維持法が施行されたことで、香港における経済活動への不透明感が強まりました」 こう解説するのは、第一生命経済研究所主席エコノミストの永濱利廣氏。公用語が英語で、法人税率の低い香港にはこれまで金融業者を含む外資系企業が集まりやすかった。しかし、大規模な民主化デモが頻発するようになると、「アジアの金融センター」の座は揺らぎ始め、今回の暗黒法の施行により、その座から陥落することが決定的になったのだ。 では、どこが香港に取って代わるのか。イギリスのシンクタンクが今年3月に発表した「国際金融センター指数」では、東京はニューヨーク、ロンドンに次いで3位となっている。 「最新版のレイティングは、ロンドンが742点、東京が741点、上海が740点です。つまり、東京とロンドン、そして上海はとはほとんど横一線で並んでいるのです。ですから、東京は、ロンドンを超え世界第2位のグローバル金融センターになれる絶好の位置にいます」(シグマ・キャピタルのチーフエコノミストである田代秀敏氏) となれば、日本政府は上海やシンガポールなどのライバルに負けないようにするため、東京に資金投下する必要があるのだ。ところが、7月に二度にわたって行われた和泉洋人・総理補佐官と関係各省の幹部による打ち合わせで明らかになった方針は、 「菅さんの意を受けた和泉さんがそこで出した指示は、『大阪を中心とする関西圏や福岡の特区』に国際金融機能や人材を誘致するための課題を検討せよ、というものだったのです」(永田町関係者) なぜ世界的にも評価が高い東京は外されたのか。背後にあるのは、菅官房長官の意向だ。政府関係者は、菅官房長官の「小池都知事嫌い」も影響しているとしつつ、決定的なのは“利権”であると解説する。 「関係の深い日本維新の会への『土産』ですよ」と先の永田町関係者。コロナの影響で開業に暗雲が立ち込めはじめたIR(カジノを含む統合型リゾート)に代わる経済の起爆材として金融センターの誘致を差し出した形だという。 一方、福岡が俎上に載せられた背景には、福岡を地盤に持つ麻生太郎・副総理の存在がある。 「元々、菅さんと麻生さんは犬猿の仲。その2人が金融センターを巡って手を組んだ。『ポスト安倍』を狙う菅さんが麻生さんの協力が欲しくて、麻生さんがそれに乗ったということです」(政府関係者) 8月19日発売の週刊新潮では、既に動き始めている「大阪・福岡案」の詳細について報じる』、「国際金融センター指数」は英国のシンクタンクZ/Yenと深セン市の中国総合開発研究所が貸出したもので、それほど権威があるものではない。なお、香港は3位から6位に転落。「菅官房長官」が「日本維新の会への『土産』」として「大阪」、「菅さんが麻生さんの協力が欲しくて、麻生さんがそれに乗った」ので「福岡」を「俎上に載せ」た、とは「金融センター」をつまらない政治の駆け引きの道具にしたとは恐れ入る。総裁選でも「麻生派」は派内の河野を抑えて、「菅」支持でまとまったようだ。
タグ:構想はこれまでもあった 東京が香港になれる可能性は限りなく低い 「日本維新の会への『土産』」として「大阪」 「菅さんが麻生さんの協力が欲しくて、麻生さんがそれに乗った」ので「福岡」 (その1)(東京が「金融センター」には到底なれない理由 香港混乱が続く中 再び構想が浮上している、香港金融人材の日本移住が簡単にはいかない訳 外国人には3つの障壁が立ちはだかっている、菅官房長官の“利権” 「アジアの金融センター」が東京ではなく「大阪・福岡」に…) 「駐在員として東京に赴任する」のに比べ、「東京採用」では、税金・教育費などの負担が極めて大きくなる」のは避けられない現実だ 東京が「凋落」した原因 海外の金融関係者が日本の金融を敬遠する一番の理由は税金だ レジス・アルノー 東洋経済オンライン 東京国際金融センター すでに他国の永住権を取得している人も 香港人を驚かせる日本の税率 安倍首相は6月12日の国会で、「香港から来る人も含め、専門的かつ技術的に優れた能力を持つ外国人を歓迎する」と発言 2000年にはアジアを拠点とするヘッジファンドの80%が東京に拠点をおいていた 富谷 瑠美 為替リスクを考慮すると、海外資産の運用比率を無闇に上げる訳にはいかない 香港問題への悪乗り 日本以外の国への移住も視野に 「東京が「金融センター」には到底なれない理由 香港混乱が続く中、再び構想が浮上している」 子供の学費も支払う必要が 「菅官房長官の“利権” 「アジアの金融センター」が東京ではなく「大阪・福岡」に…」 高度専門職」も「若いエンジニアなどが中心で、金融人材については少ない印象です」 「香港金融人材の日本移住が簡単にはいかない訳 外国人には3つの障壁が立ちはだかっている」 香港人が移住先に求める3つの要素 日本の相続税は最悪 デイリー新潮
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香港(その6)(中国共産党による香港弾圧に「53カ国が賛成」の衝撃=立沢賢一、香港から「出て行く人たち」はどこへ向かうのか 香港人だけでなく 外国人やメディアまでも、香港投資家 英国不動産に殺到 国家安全法恐れ移住目的で) [世界情勢]

香港については、7月8日に取上げた。今日は、(その6)(中国共産党による香港弾圧に「53カ国が賛成」の衝撃=立沢賢一、香港から「出て行く人たち」はどこへ向かうのか 香港人だけでなく 外国人やメディアまでも、香港投資家 英国不動産に殺到 国家安全法恐れ移住目的で)である。

先ずは、8月13日付けYahooニュースが週刊エコノミストOnlineを転載した元HSBC証券社長・投資コンサルタントの立沢賢一氏へのインタビュー「中国共産党による香港弾圧に「53カ国が賛成」の衝撃=立沢賢一【週刊エコノミストOnline】」を紹介しよう(Qは聞き手の質問、Aは立沢氏の回答)。
・『Q:香港国家安全維持法が確実に機能するために、中国共産党は何をしたのでしょうか? A: (1) 2020年2月13日、中国共産党は習近平国家主席が浙江省党委員会書記を務めていた2003年、同副書記に就任し、キリスト教教会の屋根の十字架を全て強制撤去するなどのキリスト教抑圧策で知られ、習氏の片腕とも言われている夏宝竜を、国務院香港・マカオ事務弁公室トップに充てました。 これによって、香港情勢の立て直しを図り、中国共産党政府の関与を強めようとしていると報じられました。準備万端な中国共産党は取締りのための幹部人事を迅速に公表しています。 (2) 香港国家安全維持法を適用するや否や早速、逮捕者を出し、民主化運動の火種を排除しました。 香港政府は前哨戦として、2020年4月18日、現職の梁耀忠立法会議員や「民主の父」と呼ばれるマーティン・リー元議員ら15人を逮捕しました。15名には民主化運動を支持しているメディア界の大物でアップル・デーリーを創業したジミー・ライ氏も含まれています。民主化運動を抑え込もうという中国共産党政府の意志の強さは強烈で、それを実行する手段が新法の条文から把握できます。つまり、香港での民主化運動や中央政府批判などの活動は厳格に規制され、当局は中国共産党政府の法解釈で、関係者を容易に拘束できる仕組みが作られているのです。 この法律の内容が運動家らに与える恐怖感、威圧感は圧倒的であり、民主化運動家らが生命の危険を感じて姿を消すのも当然です。ですから、中国共産党政府が手を下すまでもなく、反中運動が消えていくことが予想されます。 それほどまでに香港国家安全維持法の内容は民主化の動きを封じてしまう危険性を濃厚に感じさせるのです。 6香港の民主派団体「デモシスト」のアグネス・チョウ氏とジョシュア・ウォン氏の様な民主化運動家らが生命の危険を感じ、団体から離脱する以外に手段がないと判断せざるを得なかったことも理解できます。 実際に、アグネス・チョウ氏とジョシュア・ウォン氏は2020年6月30日、それぞれのSNSで団体を離脱することを表明しました。 詳しい理由は明らかにされてませんが、同日に全人代で香港国家安全維持法が可決されたことで、団体に残留することで自分達や他のメンバーが逮捕されるリスクを避けるための決断という可能性が考えられます。 アグネス・チョウ氏が配信したTwitterの最後に「生きてさえいれば希望はあります」というメッセージがありましたが、その言葉が全てを物語っているように思えます。 国家安全維持法は、香港の自由を支えてきた英植民地時代からの判例法主義の法体系や、様々な自由を保障する香港基本法と根本的に対立するものと言えます。 このままだと香港は中国本土の都市と変わらないと世界から見做されてしまうでしょう』、「このままだと香港は中国本土の都市と変わらないと世界から見做されてしまうでしょう」、その通りだ。
・『Q:第44回国連人権理事会で香港国家完全維持法の賛否が問われる  A:さて、スイス・ジュネーブで2020年6月30日、第44回国連人権理事会が開催され、国家安全維持法に関する審議が行われましたが、国家安全維持法に反対したのは僅か27カ国、対して支持した国はその約2倍の53カ国でした。 国家安全維持法に反対したのは、英国、フランス、ドイツ、オランダ、ベルギー、ルクセンブルク、オーストリア、スロベニア、スロバキア、アイルランド、スウェーデン、デンマーク、フィンランド、アイスランド、ラトビア、エストニア、リトアニア、ノルウェー、スイス、リヒテンシュタイン、カナダ、オーストラリア、ニュージーランド、パラオ、マーシャル諸島、ベリーズ、日本の27カ国でした。 ちなみに米国はトランプ政権になって以降、同理事会から脱退しています。 賛成に回ったのは中国、キューバ、ドミニカ、アンティグア・バーブーダ、ニカラグア、ベネズエラ、スリナム、カンボジア、ミャンマー、ラオス、スリランカ、ネパール、パキスタン、タジキスタン、イラン、イラク、クウェート、サウジアラビア、アラブ首長国連邦、バーレーン、オマーン、イエメン、シリア、レバノン、パレスチナ、エジプト、モロッコ、スーダン、南スーダン、エリトリア、ジブチ、ソマリア、ニジェール、ガンビア、シエラレオネ、トーゴ、ギニア、ギニアビサウ、赤道ギニア、ガボン、カメルーン、ブルンジ、中央アフリカ、レソト、コンゴ共和国、モーリタニア、レソト、トーゴ、ザンビア、ジンバブエ、モザンビーク、パプアニューギニア、コモロ、ベラルーシ、北朝鮮の53ヶ国でした。 反対している国々を見ると、2つの特徴が窺えます。 1つ目は、それらの国々が中国と同じように独裁的、もしくは権威主義的で、イスラム過激派のような反政府勢力の問題を国内に抱えていることです。 エジプトやイラン、パキスタン、シリア、サウジアラビアなどはイスラム過激派など反政府組織の問題を抱えています。新疆ウイグルをめぐる中国国内情勢は、これら国々と状況が類似していて、国家体制を維持するため、市民への統制を緩めることが出来ず、反政府組織に対しては厳しく抑圧するという共通点があります。 2019年7月にも、今回と同様に国連人権理事会の加盟国である英国や日本など22カ国が、新疆ウイグル自治区での人権侵害で中国を非難する共同書簡を提出しましたが、ロシア、北朝鮮、パキスタン、シリア、アルジェリア、サウジアラビアやエジプトなど37カ国は中国を擁護する立場をとりました。 2つ目は、一帯一路による莫大な資金援助の影響です。 エジプト、イラン、パキスタン、シリア、サウジアラビアも事情が似ているかもしれませんが、今回の52カ国には、カンボジア、カメルーン、モザンビーク、ミャンマー、ネパール、ラオス、パプアニューギニア、スリランカ、ザンビア、ジンバブエなど多額の資金を中国から受け取っている国々が含まれています。中にはすでに債務超過状態に陥り、返済すらままならない国もあります。そういった国々は、国内でインフラ整備や都市化を推進するためにも、中国支援の立場を取らなければいけないという政治的プレッシャーがあると考えられます。 また、中国との貿易関係が深まっているアフリカや中南米の国々は、香港問題への興味や関心が希薄で、経済的パイプから中国共産党政府の意向に忖度していると言われています。 理由はともかく、国連人権理事会という公の場で、参加国の2倍あまりの国々が、力尽くで中国が制定した香港国家安全維持法に賛成するという現実があるのです。 香港国家安全維持法は、一国二制度を当初の取決めより27年も早く終焉させ、北京の中国共産党政府が香港を実効支配するという法律なのです。それにも拘らず、国連人権理事会で香港国家安全維持法の賛成派が過半数を超えているのは、中国共産党の狡猾さによるものではないかと思われます』、「国連人権理事会で・・・国家安全維持法に反対したのは僅か27カ国、対して支持した国はその約2倍の53カ国」、「一帯一路による莫大な資金援助の影響」など中国外交の圧倒的な勝利に終わったようだ。
・『Q:反対する世界各国はどう対応しているのですか?  A:米中覇権戦争のもと、米国は香港国家安全維持法に対する制裁措置を既に開始しています。 2020年7月1日、米下院は香港自治法案を満場一致で可決し、同年7月14日にトランプ大統領が署名し同法は成立しました。香港自治法は、香港の民主化デモの取締りに当たる中国当局者と取引する銀行に罰則を与えるという内容です。 イギリスは最大300万人の香港市民に、イギリスでの定住と、最終的に英市民権を申請する機会を与える方針だとしています。 オーストラリアもまた、香港居住者に安全な避難先を提供することを「積極的に検討」していると伝えられています。スコット・モリソン首相は、「間もなく内閣で検討される」案が複数あると表明しています。 カナダは2020年7月3日には香港と結んでいた犯罪人引き渡し条約の停止と、香港で民主化デモの弾圧に使われる可能性がある「軍民両用」製品を含む軍事物資の輸出禁止を発表しました』、「イギリスは最大300万人の香港市民に、イギリスでの定住と、最終的に英市民権を申請する機会を与える方針」、旧宗主国で、曖昧な「一国二制度」を認めた責任があるとはいえ、ずいぶん思い切った措置だ。
・Q:香港国家安全法施行に関する個人的見解  A:中国・武漢から発症したと言われている新型コロナウイルスが未だ世界に恐怖を与え続けており、中国共産党は世界中の国々から非難を受けています。その様な環境下に、中国共産党は自国を更に世界から孤立化させてしまうような香港国家安全維持法をなぜこのタイミングで制定したのかが、非常に重要なポイントです。 中国共産党が世界を敵に回してまで、香港国家安全維持法を香港に強要するのは、「お家事情」があるからではないかと思います。 恐らく、日本人の我々が想像する以上に、中国国内で内乱やデモは多発しており、中国共産党は是が非でも民主化運動を制圧する必要性を感じているのでしょう。 その為にも、2020年9月6日に予定されている香港立法会選挙で民主派議員が過半数を獲得する様な事態を回避しなければならないのです。 大衆の民主化機運を抑えることが最優先課題である中国共産党にとって、香港国家安全維持法は政権維持の為に、絶対的に必要不可欠な法律なのです』、既に「香港立法会選挙」で「民主派議員」の立候補を認めないなどの暴挙に出ているようだ。

次に、8月24日付け東洋経済オンラインが掲載した『フランス・ジャポン・エコー』編集長、仏フィガロ東京特派員のレジス・アルノー氏による「香港から「出て行く人たち」はどこへ向かうのか 香港人だけでなく、外国人やメディアまでも」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/370697
・『とどまるべきか、離れるべきか――。これは、中国本土が6月30日に新しい国家安全維持法を施行して以来、何百万人もの香港人だけでなく、香港に関わる外国人が抱いている疑問である。この新法は、中国政府が大まかに定義している転覆、離反、テロリズム、外国勢力との共謀などを最大で終身刑で処罰するものだ。 ほとんどの人はこの法律に関わることはないだろう。しかし、この法律の条項は非常に曖昧であるため、実際のテロ行為から習近平国家主席を扱った風刺画まで、無制限の範囲で適用される可能性があると指摘されている』、「この法律の条項は非常に曖昧であるため・・・無制限の範囲で適用される可能性がある」、恐ろしい法律のようだ。
・『日本人だからといって「無縁」ではない  同法の最もおそろしい規定は、おそらくその第38条である。「この法律は、香港特別行政区の永住者ではない者が、香港特別行政区の外から香港特別行政区に対して犯した犯罪に適用される」。実際には、どの国の誰でも、この法律に基づいて中国から責任を問われる可能性があるということだ。 例えば今後、日本人がアメリカで休暇中に日本語で中国を批判するツイートを書き、2年後にたまたま香港空港を通過した場合、この法律に基づいて逮捕され、中国本土の裁判所に送られる可能性がある。 香港は現在、民主主義国との間で20の引き渡し条約を結んでいるが、香港の法制度がこのような攻撃を受けた後では、この条約を維持することは難しい。すでにオーストラリアとカナダ、さらにアメリカが条約を停止している。 「中国共産党は、自国と香港の法制度との間の『法的な防壁』を破壊した。アメリカ人を香港に引き渡すのはもはや安全ではない。中国共産党が新しい国家安全維持法に照らして好ましくないと認めた行為を行った人は、中国国内での全体主義的で不正な起訴の対象になるからだ」と、アメリカ下院外交委員会のマイケル・マコール委員長は『フォーリン・ポリシー』誌に語っている。 メディアの香港からの流出も始まっている。7月半ばには、ニューヨーク・タイムズ紙がデジタルニュース事業を韓国・ソウルに移転すると発表。ワシントン・ポストやウォール・ストリート・ジャーナルも同様のことを検討している。中国本土では何年もの間、ジャーナリストが警察にますます苦しめられており、最も声高なジャーナリストはビザの更新を拒否されている。 外国人にとって法の支配は香港の最高の資産の1つだった。香港は中国で最も安全な投資先であり、「イギリスの司法制度と同じくらい公正で効率的」な裁判所に守られていた。それは彼らが中国共産党の恣意的な決定の対象となることを防いでいた。法の支配がなくなった今、多くの外国人投資家は、部分的に、あるいは完全に香港からの転出を検討している。 「私が運営する金融ファンドの金融調査部門が中国の国有企業について批判的な分析を発表したら、私は反逆罪の疑いをかけられることになるのだろうか。この法律はあまりにも曖昧でわからない」と香港に拠点を置くヘッジファンドの責任者は言う』、「どの国の誰でも、この法律に基づいて中国から責任を問われる可能性がある」、本当に恐ろしい法律だ。(英国流の)「法の支配がなくなった今、多くの外国人投資家は、部分的に、あるいは完全に香港からの転出を検討している」、金融センターとしての地位が揺らぐのは当然だろう。
・『シンガポールへの移住は微妙  シンガポールには英語を話す会計士、弁護士、営業担当者が大勢住んでおり、香港の金融サービスを再現することができるため、論理的に考えて投資家の逃亡先としては最適だ。しかし、シンガポール政府は香港についてのコメントを控えている。 「シンガポール人は現在、外国人を拒絶しており、シンガポール政府は中国政府との良好な関係を維持したいと考えている。この状況で、シンガポール政府が、自国を亡命する香港人のプラットフォームとして売り込みをすることはない」と、香港や東京で働き、現在はシンガポールに住んでいる外国人銀行員は言う。 一方、香港人はどうだろうか。香港の富裕層はすでに複数の国のパスポートと資産を持っているので、自分の好きな国に比較的簡単に永住権を移すことができる。難民の受け入れに寛容なカナダ、オーストラリア、アメリカのような主要な民主主義国は香港人を歓迎するだろう。 その中でも特に歓迎しているのが2人の政治指導者である。1人は台湾の蔡英文総統だ。台湾は人口2300万人の民主主義国家であり、攻撃性を増す中国の脅威に最もさらされている国である。 習近平国家主席は、極東アジアで最も活気のある民主主義国家である台湾を必要であれば武力で中国に再統合したいと考えているきらいがある。しかし、蔡英文総統は中国政府の強引な行動を明確に非難している。 「台湾の人々は長い間、香港の人々の窮状に共感しており、われわれは困っている人々を支援し、保護するために実質的な行動を取っている。私たちの台湾香港サービス交流事務室は、香港人がここ台湾での新しい生活に移行するのを支援することに専念している」と6月19日のツイートに書いている。 2019年には、5000人の香港人が台湾での居住を申請し、今年はさらに数千人が見込まれている。「35歳以上の人は、報道の自由がなく、集会の自由もなかった戒厳令の時代を覚えており、人々は民主主義を取り戻そうと戦ってきた。私たちは昔の悪い時代には戻りたくない」と、台湾で「デジタル大臣」を務める唐鳳(オードリー・タン)は話す。 「だからこそ、近年の中国が戒厳令時代と私たちが記憶している状態、つまり、政府を批判する自由がなく、ジャーナリズムの自由が著しく阻害されているのを、私たちはそこに行きたくないというだけではなく、私たちが乗り越えてきた構造的な問題として見ている」 もう1人はイギリスのボリス・ジョンソン首相だ。「香港が成功しているのは香港人が自由だからだ。香港人は自分の夢を追求し、才能が許す限り高みを目指すことができる。彼らは新しいアイデアを議論し、共有することができ、好きなように自分自身を表現することができる」と、ジョンソン首相は、6月3日、ある新聞に寄稿した。 同首相は、イギリスがイギリス海外市民旅券(BNO)の保有者を対象に移民規則を変更すると約束した。現在、香港には約35万人のBNO保有者がいるが、約300万人(香港の人口の40%)の香港人が新たに対象となる。 対象者は、5年間イギリスに滞在して働くことができ、イギリス市民権へのルートをたどることができる、とボリス・ジョンソンは述べた。イギリス外務省によると、今後数年間で20万人の香港人がイギリスに移住する可能性があるという。 才能ある人々が香港にとどまっていたのは、香港が人民主権に裏付けられた一連の原則に支配され、それが彼らを自由にしてくれていたから。中国の恣意的な権力に取って代わられた原則の下では、人々は民主主義国家へと去っていき、やがては中国の弱体化につながりかねない』、「シンガポール政府は中国政府との良好な関係を維持したいと考えている・・・自国を亡命する香港人のプラットフォームとして売り込みをすることはない」、やはり「中国」から睨まれたくないようだ。しかし、「人々は民主主義国家へと去っていき、やがては中国の弱体化につながりかねない」、「香港」が「中国」の一地方都市になってゆくのは残念でならない。

第三に、8月30日付けNewsweek日本版がロイター記事を転載した「香港投資家、英国不動産に殺到 国家安全法恐れ移住目的で」を紹介しよう。
https://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2020/08/post-94296.php
・『中国政府が香港の統制を強める香港国家安全維持法(国安法)が施行されたことを受けて、旧宗主国である英国の不動産を求める香港の人々が増えている。 不動産仲介業者によると、過去2カ月で香港の投資家が購入したアパートメント数は2倍以上となっており、個人で利用するための購入が伸びの大部分を占めている。 英国政府は7月、国安法の施行を受けて、約300万人いる海外在住英国民(BNO)パスポートを保有する香港の住民に対して、英市民権取得の道を開いた。 ロンドンの不動産仲介業者ベナム&リーヴスは香港の約1000顧客に英国不動産を貸し出している。ディレクターのMarc von Grundherr氏は「既存顧客からこれほど多くの問い合わせを受けたことはない」と語る。 2014年以来のポンド安、および価格が50万ポンド(65万4400ドル)を下回る住宅を対象とする印紙税特例も香港投資家による英国不動産購入を後押ししている』、「海外在住英国民(BNO)パスポートを保有する香港の住民に対して、英市民権取得の道を開いた」、効果が早くも「不動産」購入増加の形で現れているようだ。
・『ロンドンの不動産仲介業者アーリントン・レジデンシャルは、過去2カ月で10件以上の契約をまとめた。通常なら1年間で達成する数字だという。香港の中原地産は、7月だけで60軒前後のアパートメントを販売し、供給不足のために顧客が順番待ちをしていると明らかにした。 香港の投資家は30万─5000万ポンド(39万─6550万ドル)の住宅ならどこの立地でも購入しており、マンチェスターやブリストルといったロンドン以外でより安価な物件を求める動きも強まっている。 ナイト・フランクのデータによると、ロンドン中心部に投資する外国人勢力として香港の投資家は過去12カ月で中国、米国、インド、ロシアに次ぐ5位の大きさとなり、1つ順位を上げた。購入に占める割合は4%で、2016年の2.5%から上昇した。 香港人のウィニー・トンさん(40)は小さい子どものことを考えバーミンガムへの移住を望んでいる。しかし、「質の良い住宅は全て売れており、価格は上がっている。今は英国(の不動産)に飛び付いている香港人があまりに多い」と話した』、「ロンドン中心部に投資する外国人勢力として香港の投資家は過去12カ月で・・・購入に占める割合は4%で、2016年の2.5%から上昇」、最近の数字では「割合」はもっと上がっているだろうが、それでもこの程度とは、「英国不動産」市場の懐の深さを示しているのだろう。
タグ:東洋経済オンライン 既に「香港立法会選挙」で「民主派議員」の立候補を認めないなどの暴挙に出ているようだ 日本人だからといって「無縁」ではない 旧宗主国で、曖昧な「一国二制度」を認めた責任があるとはいえ、ずいぶん思い切った措置だ Newsweek日本版 イギリスは最大300万人の香港市民に、イギリスでの定住と、最終的に英市民権を申請する機会を与える方針 国家安全維持法に反対したのは僅か27カ国、対して支持した国はその約2倍の53カ国 国連人権理事会で このままだと香港は中国本土の都市と変わらないと世界から見做されてしまうでしょう 無制限の範囲で適用される可能性がある 「中国共産党による香港弾圧に「53カ国が賛成」の衝撃=立沢賢一【週刊エコノミストOnline】 人々は民主主義国家へと去っていき、やがては中国の弱体化につながりかねない 立沢賢一 ロイター 週刊エコノミストOnline yahooニュース (その6)(中国共産党による香港弾圧に「53カ国が賛成」の衝撃=立沢賢一、香港から「出て行く人たち」はどこへ向かうのか 香港人だけでなく 外国人やメディアまでも、香港投資家 英国不動産に殺到 国家安全法恐れ移住目的で) 香港 「香港から「出て行く人たち」はどこへ向かうのか 香港人だけでなく、外国人やメディアまでも」 シンガポール政府が、自国を亡命する香港人のプラットフォームとして売り込みをすることはない シンガポール政府は中国政府との良好な関係を維持したいと考えている シンガポールへの移住は微妙 「英国不動産」市場の懐の深さ 「法の支配がなくなった今、多くの外国人投資家は、部分的に、あるいは完全に香港からの転出を検討している」 購入に占める割合は4%で、2016年の2.5%から上昇 ロンドン中心部に投資する外国人勢力として香港の投資家は過去12カ月で どの国の誰でも、この法律に基づいて中国から責任を問われる可能性がある レジス・アルノー 「香港投資家、英国不動産に殺到 国家安全法恐れ移住目的で」 この法律の条項は非常に曖昧であるため
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