景気動向(その1)(コロナ感染だけではない!日本のGDP落ち込みが他国と比べても悲惨な理由、18歳以下に10万円相当給付 所得制限もクーポンも頭が悪すぎる理由、今、本当に必要な経済政策を提案する) [経済政策]
今日は、景気動向(その1)(コロナ感染だけではない!日本のGDP落ち込みが他国と比べても悲惨な理由、18歳以下に10万円相当給付 所得制限もクーポンも頭が悪すぎる理由、今、本当に必要な経済政策を提案する)を取上げよう。景気動向が急に出てきた感があるが、これまでは、アベノミクス、スガノミクス、キシダノミクスなどのタイトルで取上げていたものである。
先ずは、5月20日付けダイヤモンド・オンラインが掲載したノンフィクションライターの窪田順生氏による「コロナ感染だけではない!日本のGDP落ち込みが他国と比べても悲惨な理由」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/271634
・『案の定のGDP減、なぜ日本が顕著に落ち込むのか 2020年度の国内総生産(GDP)が、前年度比4.6%減とリーマンショックがあった08年度(3.6%減)を超え、戦後最大の落ち込み幅になったという。 自粛→緊急事態宣言→自粛→緊急事態宣言のエンドレスリピートで、日本の内需の2大柱である「消費」と「企業の設備投資」がすっかり冷え込んでいるのはご存じの通り。さらに、最近のヤケクソのような「人流抑制策」によってGDPのフリーフォールはまだしばらく続く見込みだ。 今年1~3月期の速報値も年率換算で5.1%減。ならば、3度目の緊急事態宣言が出されて、その対象地域も拡大している4〜6月期は、さらに目も当てられないひどい落ち込みになっているというのは容易に想像できよう。 「未知のウィルスと戦っているのだから、それくらい経済が落ち込むのはしょうがない」などと開き直る人も多いだろうが、日本よりも桁違いの感染者・死者を出しているアメリカの1〜3月期は、前年同期比年率でプラス6.4%と、経済を着々と回復させている。また、同じく日本以上の感染者・死者を出して、ロックダウンで経済も止めた欧州各国のGDPはたしかにマイナスも多いが、それでも日本ほど派手に落ち込んでいない。 「欧米はワクチン接種が進んでいるから」という話にもっていきたがる人も多いが、ワクチン接種率が2.3%(5月19日現在)と、日本とどんぐりの背比べ状態の韓国の1~3月期のGDP速報値は前期比1.6%増で、3期連続でプラスだ。 つまり、日本のGDPが諸外国と比べて際立って落ち込んでいるのは、「コロナ感染l拡大」「ワクチン接種率が低い」だけでは説明できぬ特殊な現象なのだ。 では、いったい何が日本経済をここまで壊滅させたのか』、「日本」の「4〜6月期」は年率でプラス1.9%と持ち直した形になった。
・『「コロナ経済死」する人たちを軽視してきたせいだ いろいろな要素があるだろうが、個人的には、この1年以上続けてきた日本の「人命軽視」のツケが大きいと思っている。 と言っても、それは「自粛に従わないで飲みに行く」とか「SNSで日本の新規感染者数はそれほど多くないとツイートする」というような類の「人命軽視」ではない。コロナ自粛によって収入が激減し、身も心もボロボロになって夢や生きる目標を失ってしまう、言うなれば「コロナ経済死」ともいうべき苦境に陥る人たちがこの1年で膨大な数に膨れ上がっている。 にもかかわらず、そこから頑なに目を背け続けてきたという「人命軽視」である。 と言うと、「大変な人が多いのは事実だが経済死は大袈裟だろ、政府の対策もあって失業率はそこまで上がっていないじゃないか」という反論があるだろうが、今、日本でどれだけ多くの人が「コロナ経済死」しているかという実態を把握するには、失業率よりも「実質的失業者」に注目すべきだ』、「実質的失業者」とは何だろう。
・『政府が目を逸らす「実質的失業者」が急増中 自殺者増も… 「実質的失業者」とは野村総合研究所が、パート・アルバイトのうち、「シフトが5割以上減少」かつ「休業手当を受け取っていない」人たちのことを定義したもので、彼らは統計上の「失業者」「休業者」には含まれない。 野村総研が2月に、全国20~59歳のパート・アルバイト就業者6万4943人を対象に調査した結果と、総務省の労働力調査を用いて推計したところ、21年2月時点で、全国の「実質的失業者」は、女性で103.1万人、男性で43.4万人にのぼったという。 要するに、雇い主から「緊急事態宣言出ちゃったから今月はシフト半分で」なんてことを言われ、給料が激減している非正規雇用の方たちが、繰り返される緊急事態宣言の中で、急増しているということだ。 一方、政府は3月の完全失業者(180万人)は前月より23万人減っており、雇用情勢は緩やかに回復をしていると胸を張る。 しかし、実はその統計に組み込まれない形で、「かろうじて失業はしていないが、まともな生活ができないような低賃金で飼い殺しにされている労働者」が150万人近く存在しているかもしれないのだ。 もちろん、収入減で苦しんでいる「実質的失業者」はパートやアルバイトに限った話ではない。正社員の方でも出勤制限で残業代などをカットされて収入が大幅に減ったという方もいるだろう。個人事業主の方も、どうにか補助金で食いつないでいるという方もいるだろう。つまり、表面的には「失業者」ではないものの、実態としては失業しているのと同じくらい深刻な経済的困窮に追い込まれている日本人の数は150万人どころではなく、凄まじい数に膨れ上がっている恐れがあるのだ。 このように統計で浮かび上がらない「コロナ経済死」の深刻さがうかがえるようなデータもある。厚生労働省によれば、2020年の全国の自殺者数は2万1081人で19年比で4.5%増で、912人増えている。この10年、日本の自殺者数は減少傾向にあったが、11年ぶりに前年比を飛び越えたのだ。 自殺の理由は個人でさまざまだが、リーマンショックの時に自殺者が増えたという事実もあり、社会不安や失業率が影響するのではないかという専門家の指摘も少なくない。ならば、終わりの見えない経済活動自粛による「コロナ経済死」の増加が影響を及ぼしている可能性もゼロではないのではないか』、「かろうじて失業はしていないが、まともな生活ができないような低賃金で飼い殺しにされている労働者」が150万人近く存在しているかもしれない」、「この10年、日本の自殺者数は減少傾向にあったが、11年ぶりに前年比を飛び越えた」、確かに深刻だ。
・『経済活動再開の後押しを! 「人命軽視だ」と言う人もいるかもしれないが… このような状況を踏まえると、早急に「コロナ経済死」の対策を真剣に議論すべきなのは明白だ。 「実質的失業者」からもわかるように、政府や自治体が今やっているような、事業者へのカネのバラまきは残念ながら、経営者の懐に入るか、運転資金に化けるだけで、末端の労働者にまで還元されない。彼らにダイレクトに届くような公的支援はもちろん、賃金を引き上げた事業者には減税などのインセンティブをつけるなどの実効性のある賃上げ施策が必要だろう。 だが、それよりも何よりも大切なのは、猫も杓子も「人流抑制」「自粛」ではなく、しっかりとした感染対策をしている分野に関しては、どんどん経済活動再開の後押しをしていくということだ。 このような意見を言うと、「人命軽視だ」と文句を言う人も多いが、「人命」を重視しているからこそ申し上げている。 新型コロナで亡くなった方は18日時点で、1万1847人にのぼり、その9割は70歳以上となっている。一人ひとりの方がかけがえのない大事な存在であり、それぞれに家族や大切な方たちがいることを想像すれば、これが甚大な被害であることは言うまでもない。亡くなられた方のご遺族からすれば、「緊急事態宣言など生ぬるい、なぜもっと強硬な姿勢で、感染を防いでくれなかったのだ」と政治や行政に怒りや不満を抱える方もいらっしゃるだろう。 その心中は察してあまりあるし、このような形で命を落とされる方を1人でも減らしていくには、「人命最優先」で人流なんぞすべて止めてロックダウンでもなんでもしてくれた方がいいのでは、という主張も心情的にはよく理解できる』、やや極論に近く、ついてゆけない。
・『経済的理由で、自殺しようとする人も救うべき が、一方で「人命最優先」だというのなら、先ほども申し上げたように、日本ではコロナの死者の2倍の方が自ら命を絶っており、その中には経済的な理由で死を選ぶ方もかなりいるという、こちらの「甚大な被害」にも目を向けるべきではないか。特にコロナ禍になってからの特徴としては、女性や子どもの自殺も増えているのだ。 経済の落ち込みとともにこの傾向はさらに強まっている。警視庁によれば、今年4月に自殺した人は速報値で全国で1799人にのぼっており、去年の同じ時期に比べて292人も増えている。特に女性の自殺は37%も増えた。都道府県別でもっとも多いのが東京都で197人だという。ちなみに、今年4月の新型コロナの国内死者数は1067人、東京都の死者数は122人となっている。 自殺だろうが、コロナだろうが、高齢者だろうが、子どもだろうが、命の重みは変わらない。ならば、コロナによる死者を減らすため、経済活動をストップしたのと同じくらいの覚悟をもって、コロナ禍で増える自殺や、その予備軍となる恐れのある「コロナ経済死」を減らすための取り組みをしなくてはいけないのではないか。 もちろん、新型コロナは70歳以上を中心に多くの尊い命を奪った恐ろしい感染症だ。「人命最優先」「医療現場を守る」という観点ではいけば、感染者・死亡者0人を目指さなくてはいけないという理屈もわかる。いわゆる、「ゼロコロナ」だ。 しかし、その一方で現実としては、人口約1億2000万人の日本では毎日、病気や事故で無数の人が亡くなっている。特に高齢化が進んでいる日本では70歳以上の方がコロナが流行する以前から、毎日凄まじい数の方が命を失っていた。 例えば、「老衰」で年間10万人以上が亡くなっているし、「肺炎」でも例年10万人近くの尊い命が失われる。また、高齢者の方の場合、誤嚥性肺炎も深刻で毎年3万人以上が亡くなっている。コロナ流行で大激減したインフルエンザも年間約3000人が命を落としてきた。 こういう現実があるからコロナの1万1000人は騒ぎすぎだ、などと言いたいわけではない。しかし、毎年、老衰や肺炎で亡くなる70歳以上がこれだけいることをそれほど問題視していなかったのに、なぜコロナ患者や死亡者の数になると、マスコミをあげて恐怖を煽るのかということは正直、違和感しかない。まるで、肺炎やインフルエンザで亡くなる人と、コロナで亡くなる人の「命の重み」が違うのかと思ってしまうほど、報道の力の入れっぷりが違うのだ。 「人命最優先」と言いながら、我々はこの1年の集団パニックに陥ったことで、いつの間にか無意識に「コロナで失われる命」だけを特別待遇にしていないか。それが結果として、「コロナ患者以外の人々」の命を軽んじていることにつながっていないか。 GDP「戦後最悪の落ち込み」はそんな人命軽視への警鐘のように筆者は感じてしまう。日本政府にはぜひとも、「他の病気で失われる命」や「経済的理由で失われる命」にも光が当たるような、広い視野をもったコロナ対策を期待したい』、「「人命最優先」と言いながら、我々はこの1年の集団パニックに陥ったことで、いつの間にか無意識に「コロナで失われる命」だけを特別待遇にしていないか。それが結果として、「コロナ患者以外の人々」の命を軽んじていることにつながっていないか」、確かに冷静な議論が必要なようだ。
次に、11月10日付けダイヤモンド・オンラインが掲載した経済評論家・楽天証券経済研究所客員研究員の山崎 元氏による「18歳以下に10万円相当給付、所得制限もクーポンも頭が悪すぎる理由」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/287033
・『「18歳以下に一律で10万円の現金を給付」するとされていた政策案が、自民・公明両党の幹事長会談を経て変容した。5万円分は教育関連に使途を限定したクーポンに姿を変えてしまったのだ。この「クーポン」と、自民党が主張している「所得制限」の導入が、いかに不公平で非効率で頭が悪すぎるかをお伝えしたい』、興味深そうだ。
・『「現金10万円」のはずが5万円はクーポンに化けた 18歳以下の国民に一律で10万円を給付する――。自民党と公明党の間でその調整が本格化している中、その是非が議論を呼んでいる。 いわく、「なぜ18歳なのか。19歳はだめなのか?」、いわく「裕福な家庭にも現金を給付するのは無駄だ」などの批判の声がある。 「18歳以下に1人10万円一律給付」は、矢野康治財務次官が「バラマキ合戦」と評した自民党の総裁選の議論に始まり、さらに衆議院議員選挙にあって各党の公約にも盛られた、国民への現金給付案の一つだ。 報道によると、11月9日の自民・公明両党の幹事長会談において、18歳以下に現金5万円と、使途を子育て関連などに限定した5万円相当のクーポンを支給することで大筋合意したという。直前まで「現金10万円」と取り沙汰されていたはずだが、半分はクーポンに姿を変えてしまった。 また、「一律給付」を主張する公明党に対して、自民党は「年収960万円以下」の所得制限を設けるよう求めたため、その点は継続協議となったとのことだ。) 先般の総選挙で議席を減らしたものの、261議席の絶対過半数を自民党単独で獲得して政治的な基盤を強化した岸田政権としては、独自の案を出しても良さそうな状況であった。しかし、一定の譲歩は求めたとはいえ、選挙情勢の詳細を踏まえて来年の参議院議員選挙を考えると、公明党の顔を立てることが上策だと判断したのだろう。 もう1点推測すると、各種の「バラマキ案」の中で、この案は比較的規模が小さく予算に対する負荷が小さい。岸田政権は、財務省にも気を遣ったのではないだろうか』、「公明党の顔を立てる」ことに加え、「財務省にも気を遣った」ようだ。
・『「所得制限」や「クーポン」は不公平で非効率で頭が悪い 本稿では、自民・公明両党の幹事長会談の前に取り沙汰されていた「18歳以下に1人10万円一律現金給付」を経済政策としてあらためて評価してみたい。「良い点」と「悪い点」がそれぞれ複数ある。そしてそのことを通して、会談後に突如として登場した「クーポン」や、自民党が主張する「所得制限」がいかに不公平で非効率で頭が悪いかを伝えたい。 なお、本稿では現金給付政策を「バラマキ案」と呼ぶが、すぐ後で説明するように筆者はバラマキが悪いとは思っていない。バラマキ政策にも良いものと悪いものがある。そして、良いバラマキ政策は最上の経済政策の一つであり、必要でもある』、「良いバラマキ政策は最上の経済政策の一つであり、必要でもある」、なるほど。
・『「18歳以下に一律現金10万円」 当初のバラマキ案の良い点 世間ではどうしても批判の声が大きく聞こえがちなので、はじめに「良い点」の方に目を向けよう。当初のバラマキ案である「18歳以下に1人10万円一律現金給付」には、良い点が二つある。以下の2点だ。 【「18歳以下に一律現金10万円」バラマキ案の良い点】(1)現金給付なので使い道が自由でメリットが公平であること (2)所得制限のない一律の支給であること 「現金」の支給は使途を限定しないので、国民生活への政府の介入や特定業界へのメリット供与につながりにくい点が大変良い。 家庭の事情はさまざまだ。食費が切実に必要な家庭もあるだろうし、「18歳以下」からイメージされやすい子供の学費に使いたい家庭もあるだろう。いわゆる学費ではない何らかのレッスンにお金が必要な場合もあるだろう。 こうした事情を無視して、自民・公明の幹事長会談後に持ち出された「教育クーポン」のような形で支援を行うと、家庭の必要性にバラツキがあるので、効果の大きな家庭と、そうでもない家庭に差が生じる。一般論として、政府が国民の生活上の選択に介入することは、自由を重んじる国家としては好ましくない。 同様に、「GoToなになに」のように特定の業界や予約サイトがもうかる政策も良くない。「トラベル」などが対象になっても、旅行の好き嫌いには個人差があるし、旅行に行ける家も、そうでない家もある。政治家と業界の癒着といった問題もあるが、それ以前に政策として「公平性」を考えるべきだ。 現金給付というと、「パチンコやギャンブルにお金を使う人もいるのではないか」などと難癖を付ける向きがあるが、それらが「悪い」なら法律で禁止すればいいだけのことであり、別の問題だ。お金の使い道は個人の自由でいい。 ちなみに、筆者自身は法律で認められているギャンブルを「悪い」とは思っていない。 当初のバラマキ案の手段が現金の給付とされていたことは概ね良いことだ』、「一般論として、政府が国民の生活上の選択に介入することは、自由を重んじる国家としては好ましくない。 同様に、「GoToなになに」のように特定の業界や予約サイトがもうかる政策も良くない」、その通りだ。「筆者自身は法律で認められているギャンブルを「悪い」とは思っていない」、競馬のことを東洋経済に寄稿しているから当然だろう。
・『所得制限の議論に終止符を! 「一律給付→税負担で差」が効率的 加えて、所得制限のない一律の給付であることも当初のバラマキ案の良い点だ。 所得制限については、民主党政権時代の「子ども手当」の際に、鳩山さん(当時首相の鳩山由紀夫氏)のようなお金持ちの子供にも現金を給付するのはおかしい」という議論があったと記憶している。 この問題への正解は、「一律に現金を給付して、鳩山さんのような人には追加的な税金をたくさん払ってもらえばいい」という点にある。 お金持ちにも現金を給付するのはおかしいという議論は、その部分だけを見ると正しいように思える。しかし再分配の効果は、「給付」と「負担」の「差額」で見るべきだ。 手続きを考えると、給付を一定にして迅速に行い、負担面である税制を変化させて「差額」をコントロールする方が圧倒的に効率的だし、それで問題はない。両方を調整するのは制度が複雑になるし、時間とお金の両面で非効率的だ。 国民の所得や資産に関する把握が完璧で、合理的なルール作りと合意形成が可能なら、国民一人一人の経済事情に応じて給付を調整しつつ、迅速で公平な給付が可能かもしれない。しかし、今年になってデジタル庁を作るくらい行政手続きが後進的なわが国にあって、個々人の事情に合わせた公平かつ効率的な給付を行うことは全く現実的ではない。 他方、給付を一定で迅速に行い、適切に税金を取るなら、「差額」で見る再分配は問題なくコントロールできる。税負担のあり方を変化させて再配分の効果を操作すればいい。 現金を追加的に配っているのだから、国民全体には間違いなく追加的な税負担能力がある。「財源はあるのか?」という問いに対しては、国民に追加的な現金を配るのだから、「財源は必ずある」と答えて良い。 所得ないし資産(筆者は後者に重点を置くことがいいと思うが)の面で富裕な国民に追加的な負担を求めたらいい。負担が増えた国民と、差額で使えるお金が増えた国民とがいて「再分配」が実現する。 ただし、「来年度給付するから、その財源分を来年度増税する」という議論に乗ることは、マクロ経済政策として不適切だ。インフレ目標が未達である日本経済にあっては、赤字国債を発行して、これを日本銀行が買い入れる(直接でも、民間銀行経由でも効果は同じだ)形で金融緩和政策を財政政策で後押しするべきだ。 長期的な財源の問題と、財源調達のタイミングの問題は、区別して考えるべきだ。 ともかく、何らかの給付政策を考える際に「所得制限が必要だ」という議論には、そろそろ終止符を打つべきだ。前述のように自民党は今回の「10万円相当給付」においても所得制限を主張しているようだが、それを導入するのは非効率的で、頭が悪すぎる。 生活保護などにも言えることだが、所得などに条件をつけて給付すると、行政手続きが煩雑になり、時間とコストがかかり、行政に不必要な権力が生じる。 また、制限の付け方によっては、国民の行動に余計な影響を与えることもある(パート収入の「壁」のような問題が起こる)。総選挙時に立憲民主党が掲げた、年収1000万円程度以下の人の所得税を免除する案なども(実施方法に工夫の余地はあるとしても)ダメな政策だ。 結論を繰り返す。所得制限無しの一律給付である当初のバラマキ案は正しい』、「給付を一定で迅速に行い、適切に税金を取るなら、「差額」で見る再分配は問題なくコントロールできる」、「何らかの給付政策を考える際に「所得制限が必要だ」という議論には、そろそろ終止符を打つべきだ」、同感である。
・『「18歳以下に一律現金10万円」 当初のバラマキ案のダメなところ さて、逆に「18歳以下に1人10万円一律現金給付」とするバラマキ案のダメなところを挙げてみたい。これは、自民・公明の幹事長会談後のバラマキ案にも共通するところだ。 【「18歳以下に一律現金10万円」バラマキ案のダメなところ】(1)「18歳以下の子供」という支給対象選定が公平でないこと (2)継続的な効果がない一時金であること まず、対象が「18歳以下の子供(のいる家庭)」と、必ずしも公平でなく限定されていることには多くの国民から文句が出て当然だ。 例えば、「大学生の子供がいる母子家庭」のような家には支援がない。また、高齢者でも新型コロナウイルス感染症に伴う経済的困窮者はいるだろう。そもそも非正規で働いていて低所得であるといった理由で、子供を持つ余裕がない人もいるはずだ。 対象者はおそらく予算の都合(財務省は2兆円程度にうまく値切ったと思っているのではないか)と公明党の関係で落とし所が決まったのではないかと推測するのだが、支給対象者の選定は公平性を欠く』、言われてみれば、「「18歳以下の子供」という支給対象選定が公平でない」、というのは確かだ。
・『バラマキ案で一番ダメなのは「一時の給付」であること そしてバラマキ案で一番ダメなのは、1回限りの1人当たり10万円支給であることだ。 昨年の国民1人当たり10万円の一時金支給でもそうだったが、経済的困窮者は「一時のお金」では、安心することができない。 昨年の給付金について、多くが貯蓄されて消費の下支えに回らなかったことを「失敗」とする見方が一部のエコノミストの間にある。しかし、これは景気だけに注意を向けた皮相的な議論だ。 そもそも給付の「効果」を、個人消費を通じた景気の下支えで測ろうという考え方が卑しくて正しくない。困った人にお金が渡れば、まずは十分いいと考えるべきではないか。 近年所得が伸びていない多くの勤労者の懐具合や、コロナによる生活への影響の不確実性と不安を思うと、一時的な収入を貯蓄に回すのは、家計管理として合理的で冷静な判断だ。あえて言えば、多くの国民は一時金で「貯蓄を買った」のだ。 「1回だけの10万円」のような給付は、受給者にとって安心感が乏しいし、従って前回と同様に支出を促す効果も乏しいはずだ。「子供の未来」などと言うなら、継続的な支援を考えるべきだ。 対案としては、「毎月1万円」のような給付が考えられる。例えば国民年金の保険料を全額一般会計負担(税負担)にすると、低所得な現役世代には苦しい毎月1万6610円の支払いがなくなって、「手取り収入」が将来にわたって増えることが予想できる。 自民党の総裁選で、河野太郎候補がこれに近い案を言っていたが、現役世代の負担軽減を十分訴えなかった点が失敗であったように思う。この他に、NHKの受信料なども所得にかかわらず一律に徴収される定額の負担なので、こうした徴収を止めて全額税負担にすると、国民に一律の給付を行ったのと同様の効果が生じる。 国民年金の保険料もNHKの受信料も、徴収のために多大なコストと手間が掛かっていて、現実的に不払いの問題がある。これらを全額税負担にすることの公平性確保と行政効率を改善する効果は圧倒的だし、デジタル化が遅れているわが国でも十分実現可能だ』、「国民年金の保険料もNHKの受信料も、徴収のために多大なコストと手間が掛かっていて、現実的に不払いの問題がある。これらを全額税負担にすることの公平性確保と行政効率を改善する効果は圧倒的だし、デジタル化が遅れているわが国でも十分実現可能だ」、同感である。
・『選挙のたびのバラマキが定着しないか? 残念すぎるリスクシナリオ 先に述べたように、現金を一律に給付するという政策自体は悪くないし、国民にも効果が分かりやすい。しかし、いささか心配なのは、この政策が国政選挙の度に繰り返されるのではないかという可能性だ。 選挙の都度行う一時金のバラマキ政策は、政治家にとって訴える政策があって好都合だろうし、財務省にとってもその都度政権と駆け引きができる材料を持つことができるので案外悪くない話ではないか。 しかし国民にとって、将来が予測できる継続的・安定的なサポートではないので「安心」への効果が乏しく、消費支出にもつながりにくいことは、前述の通りだ。 政治家は選挙のたびに一時的なバラマキを競い、有権者はバラマキをおねだりする、というような構図が繰り返されるのだとすると、わが国の政治的な将来は残念すぎる』、「選挙の都度行う一時金のバラマキ政策は、政治家にとって訴える政策があって好都合だろうし、財務省にとってもその都度政権と駆け引きができる材料を持つことができるので案外悪くない話ではないか」、ではあっても、こうした政治の劣化は出来れば避けるべきだろう。
第三に、10月18日付けNewsweek日本版が掲載した財務省出身で慶応義塾大学准教授の小幡 績氏による「今、本当に必要な経済政策を提案する」を紹介しよう。
https://m.newsweekjapan.jp/obata/2021/10/post-73_1.php
・『<景気対策は必要ない。コロナの反動需要で景気はこれからますます良くなるからだ(そのカネは、いずれ世界的スタグフレーションがやってきたときに必要になる)。それよりも、今や中国や韓国にも抜かれてしまった長期的な人と教育への投資を急がなければならない> 現在、各政党から出されている公約の経済政策の酷さは惨憺たるものだ。これは既に議論したので、今日は、では何をするべきか、を提案しよう。 まず、大前提として、景気対策は一切要らない。なぜなら、現在、景気は良いからであり、今後、さらに良くなるからだ。 世界的にも、コロナショックへの財政金融政策の総動員をしたところへ、コロナから回復して、一気に反動需要が出てきて、世界が21世紀最高の好景気となった。日本はショックも小さく反動も小さいが、それでも景気は良い。しかも、この8月9月の感染が日本では一番の感染者数だったので、一時的に落ち込んだが、日本の消費の反動的な増加はこれからだ。 だから、景気はさらに良くなる。 景気対策のカネがあれば、それは、来年以降、反動需要増加がピークアウトし、世界的なインフレと不況(いわゆるスタグフレーション)がやって来た時に使うべきである。それまで景気対策のカネは取っておくべきだ。 今景気対策をするとむしろ過熱しているところにさらに過熱させるのでマイナスですらある。 そもそも、コロナで経済はまったく傷んでいない。 傷んでいるのは、経済ではなく社会だ』、「コロナで経済はまったく傷んでいない。 傷んでいるのは、経済ではなく社会だ」、経済については強気なようだ。
・『バラまきでは困った人も救われない 経済的なショックは局部に集中している。特定の業界およびそれに関連する小規模の企業、自営業者だ。傷んだ彼らを、救うためには経済対策では効果がない。ましてや景気対策では、傷んでない、力が残っている強い企業にほとんどかっさらわれる。 必要なのは、経済対策ではなく、社会対策だ。 特定のセクターが公共性のあるセクターであれば、再建を支援する。小企業、個人事業主であれば、もともとの廃業タイミングが早まった企業・事業者が多いから、彼らの廃業を支援する。 廃業手当を失業保険と生活保護の両方の要素を含んだものとして支援する。このシステムを作る。10万円をすべての国民にバラまいても、彼らは救われない。 さて、では、何をするか。 今述べたように、日本に必要なのは、短期の景気対策、経済対策ではない。長期の経済基盤立て直しに全勢力を集中すべきである。 長期の経済基盤とは、人に尽きる。 経済の基盤は人材と社会であり、社会とは人である。 したがって、二重の意味で人がすべてなのである。 人を育てるのは教育、教育となっても、政治家とエコノミスト達は、短期の政策しか考えない。大学院、研究機関への資金注入、研究基金の設立。二重の意味で誤りだ。 第一に、金を投入していないから人材が育たない、という考えが誤りだ。金よりも先に人だ。 人を育てるのは、金ではなく人が必要だ。人が人を育てる。サッカーやバスケットでは、指導者の重要性が認識され、優れた指導者であれば、金に糸目をつけずに、人を世界中からスカウトするのに、学校の教師あるいは大学で研究を指導するよき研究者かつ教育者である人材の獲得にはそれほど注力しない。) 日本は、研究資金は足りないが、その理由は、人の数の不足、質の低下である。カネがないから人がないというのは結果論であり、鶏と卵ではなく、絶対的に人が先である。人がいれば、必ず金はやってくる。そして、研究者業界における最大の問題は、人材の層が圧倒的に薄いことである。 優れた人はいる。しかし、数が少ない。彼らが研究も引っ張り、大学院教育、大学教育も引っ張り、政策関係、政治的なこともしないといけない。無理だ。 いわゆる理科系とは異なるが、経済学でいえば、米国が圧倒的にレベルが高いが、トップもすごいが、本質は層の厚さである。とことん厚い。大学に籠って基礎的な理論をやり続ける人、応用分野で実業界ともやり取りする人、グーグル、マイクロソフトでも研究者、アドバイザーになる人、ワシントンで政権に入る人、シンクタンクに一時的に身を置く人、IMFエコノミストになる人、いろんな人がいるが、日本は、要はこれらを一人でやらないといけない。その結果、すべてが薄くなる。 さらに悪いことに、今後進むと思われるのが、政策マーケットに優秀な学者が入ってこなくなることだ。あまりに政治による経済政策は酷い。他の科学技術政策も酷いものが多い。政治のプロセスはあまりに前時代的だ。時間もエネルギーも取られ過ぎる。すべての研究者は気づいていたが、国のためと思い我慢してきた。その限界を今確実に超えつつある。 層を厚くするには、多くの研究者が必要だ。そして、その研究者を雇う雇い主が必要である。大学の体制にも問題があるが、最大の問題は、社会が、学者、研究者というものを軽視していることだ。企業は一部の研究職を除くと、研究者、博士号を持った人々を評価しない。修士号ですらそうだ。私の学校でMBAをとっても、評価されない。学部卒業生と同じ扱いである。むしろ学部生が好まれる』、強気の景気判断を前提にするので、「日本に必要なのは、短期の景気対策、経済対策ではない。長期の経済基盤立て直しに全勢力を集中すべきである。 長期の経済基盤とは、人に尽きる」、「人を育てるのは、金ではなく人が必要だ」、「研究者業界における最大の問題は、人材の層が圧倒的に薄いことである」、「最大の問題は、社会が、学者、研究者というものを軽視していることだ」、なるほど。
・『海外のMBAだけを英語のために採用する日本企業 私の学校のMBAは駄目で、米国のMBAなら雇うのだが、それは英語力を評価しているだけだ。教育自体は評価されない。皮肉なことに、日本のMBAを評価してくれるのは、外資系ばかりだ。日本企業の考え方が間違っているのである。 実社会では、博士は頭でっかちで使えない、というが、それは社会の側の問題だ。 日本企業が博士を重視しないのは、社会そのものが学問を軽視しているからである。政策決定でも問題になっているが、科学的分析、学問の専門家の意見よりも、政治的都合、雰囲気、そして、根拠のない感覚、イメージで政策が決まっている。これは世界特有の現象だ。 韓国に日本が差をつけられた、ということが しばしば話題になるが、このひとつの理由は、韓国は、学問を重視する。ソウル大学の経済学部の教授は歴史的に大臣になることも多かった。そして、最大の企業サムソンが博士号を最重要視したことで、さらに加速した。土壌には、学問に敬意を持った社会があり、そして、企業が実際に博士を要求した。これで、すべての分野の学者のレベルも実業界の科学的な経営レベルも上がったのだ。 日本の研究者は確かに研究しかできない雰囲気の人も多い。しかし、それは、研究が直接かかわる領域でしか、就職ができないからだ。社会が幅広く、博士、研究者を評価するようになり、いろいろな活躍の場ができれば、彼らの柔軟性、そして人材の多様性は育っていく。 同様な問題は、大学・大学院という研究の領域と同様に、初等教育、いや幼稚園、小中高、すべてに当てはまる。 経済対策と称して、子供1人に10万円配る。社会政策、若年層への社会福祉と称して、高校の授業料の無料化政策を実施する。 まったく間違いだ。 必要なのは、無料の教育ではなく、良い教育なのだ。安い教育を提供するのではなく、質の高い教育を提供することが唯一最大の公的教育の役割である。 低所得者への支援は別の形でいくらでもできる。教育費が高ければ、奨学金を充実させるのが一番だ。 政府、公的セクターにしかできないのは、質の高い公立学校を幼稚園、小中高に提供することだ。 さらに、最悪なことに、小中学校教育への投資の最大のものは、コロナ対応、オンライン授業にかこつけて、ICT、要は、カネを使ったモノの投入なのである。 180度間違っている』、「日本企業が博士を重視しないのは、社会そのものが学問を軽視しているからである。政策決定でも問題になっているが、科学的分析、学問の専門家の意見よりも、政治的都合、雰囲気、そして、根拠のない感覚、イメージで政策が決まっている」、「必要なのは、無料の教育ではなく、良い教育なのだ。安い教育を提供するのではなく、質の高い教育を提供することが唯一最大の公的教育の役割」、日本社会の高いハードルに相当頭にきているようだ。
・『ICT化より教師の質 教師の質を上げることだ。それがすべてである。 そしてある程度の人員の増加は必要で、かつ、部活動などの課外教育は、外の力を使い、学校の先生には、もっと授業そのものにエネルギーを注げる環境を作る。劣悪な労働時間を解消する。そうすれば、給料をそれほど上げなくても、人材は集まるし、何より優秀な人、教育に意欲のある人が定着するはずだ。 さらに重要なのは、教師を育てる教師を育てることである。 医者もそうだが、学校の教師はあまりに酷い。教員免許を取れば、その後は、形式的な研修があるばかりだ。これは、メディアでも話題になったが、結果として逆の方向に向かっている。研修がなくなる方向である。 そうではない。 無駄な研修はなくし、重要な質の高い教師への人的資本投資を行うことが必要だ。教員免許を与えた後の育て方も問題で、今回は詳細には議論できないが、チーム制を設け、チームで学級、学年を担当することが必要だ。その中で、若い先生は、中堅、ベテランのいろんな先生から吸収できる。行っている学校も一部にあるが、国を挙げて、よい教師の育て方の試行錯誤に投資すべきだ。 そして、無駄なお役所の書類だけの形式だけの中央からの監視は減らすべきだ。ただペーパーワークが増えて、教師が生徒に向き合う時間、授業の準備、改善に投資する時間を削っているだけだ。) ここでも再度、社会の問題が出てくる。 実は、日本は、世界的に、少なくともアジアの中では、もっとも教育に関心のない社会である。受験戦争は低年齢化しているが、これは楽な教育を受けるための手段だ。高校生で苦労しないようにと、要は楽に学校を乗り切り、良い学歴を身につければよい、という社会の教育の中身への無関心がある。これは一部では、改善の動きも見られるが、まだまだ少数派だ。 それは、伝統的に、この70年、教育を軽視してしまう社会になったことが根本にある。 アジアのほかの国の受験戦争は酷いほど激しいし、大学、大学院への進学もアジアの親たちは非常に熱心だ。 この差は決定的だ。中国、韓国に、人材の質でも抜かれる日は遠くない。いやすでに抜かれていると思う。 日本が経済成長するためには、人材が必要だ。科学技術の発展も要は人だ。そして、そのために、大学などの研究機関にただ金をつぎ込むのは間違っており、時間をかけて人を育てることが必要だ。そして、より有効なのは、より低年齢での幅広い層への基礎教育である。 これが、日本の学校関係への投資の第二の誤り、最大の誤りだ。 手間と金は初等教育に重点をおくべきだ。幼児教育へも将来は広げるべきだ。公的教育にできることは、基礎力、基礎的な思考力、柔軟性、多様な発想をもたらす基礎的な人格形成が最大、唯一のことであり、社会において最重要なことだ。 経済政策の金、エネルギーをここに集中的に投入すべきだ』、「手間と金は初等教育に重点をおくべきだ。幼児教育へも将来は広げるべきだ。公的教育にできることは、基礎力、基礎的な思考力、柔軟性、多様な発想をもたらす基礎的な人格形成が最大、唯一のことであり、社会において最重要なことだ」、小幡氏の見方は1つの参考になる。
・『子供は日本の隅々で育つのがいい そして、最後に、国の基礎力を挙げるための教育は多様性、深みを社会にもたらすことであり、そのためには、東京や大都市での教育よりも、様々な地域で育つことが必要で、それぞれの地域で、教育をすることが重要だ。地方創生ではなく、現在の全国の各地域で、子供を地域社会で育てることが、日本社会の長期的な多様性の維持、創造性の発揮に大きく貢献、いや必須のはずだ。そのために、子育て、学校教育は東京などの大都市よりも地方の環境(自然だけでなく、教育者の質という面で)が優れているという状況を生み出すための国家的な政策が必要だ。教育中心の地方創生(言葉は嫌いだが、一般に言われている)政策が必要なのだ。これは、また別の機会に議論したい』、「子供は日本の隅々で育つのがいい」、1つのアイデアではあるが、筆者は幼児教育には素人なので、唐突な感が否めない。「教育中心の地方創生」を今後、さらに取上げるのだろうか。
先ずは、5月20日付けダイヤモンド・オンラインが掲載したノンフィクションライターの窪田順生氏による「コロナ感染だけではない!日本のGDP落ち込みが他国と比べても悲惨な理由」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/271634
・『案の定のGDP減、なぜ日本が顕著に落ち込むのか 2020年度の国内総生産(GDP)が、前年度比4.6%減とリーマンショックがあった08年度(3.6%減)を超え、戦後最大の落ち込み幅になったという。 自粛→緊急事態宣言→自粛→緊急事態宣言のエンドレスリピートで、日本の内需の2大柱である「消費」と「企業の設備投資」がすっかり冷え込んでいるのはご存じの通り。さらに、最近のヤケクソのような「人流抑制策」によってGDPのフリーフォールはまだしばらく続く見込みだ。 今年1~3月期の速報値も年率換算で5.1%減。ならば、3度目の緊急事態宣言が出されて、その対象地域も拡大している4〜6月期は、さらに目も当てられないひどい落ち込みになっているというのは容易に想像できよう。 「未知のウィルスと戦っているのだから、それくらい経済が落ち込むのはしょうがない」などと開き直る人も多いだろうが、日本よりも桁違いの感染者・死者を出しているアメリカの1〜3月期は、前年同期比年率でプラス6.4%と、経済を着々と回復させている。また、同じく日本以上の感染者・死者を出して、ロックダウンで経済も止めた欧州各国のGDPはたしかにマイナスも多いが、それでも日本ほど派手に落ち込んでいない。 「欧米はワクチン接種が進んでいるから」という話にもっていきたがる人も多いが、ワクチン接種率が2.3%(5月19日現在)と、日本とどんぐりの背比べ状態の韓国の1~3月期のGDP速報値は前期比1.6%増で、3期連続でプラスだ。 つまり、日本のGDPが諸外国と比べて際立って落ち込んでいるのは、「コロナ感染l拡大」「ワクチン接種率が低い」だけでは説明できぬ特殊な現象なのだ。 では、いったい何が日本経済をここまで壊滅させたのか』、「日本」の「4〜6月期」は年率でプラス1.9%と持ち直した形になった。
・『「コロナ経済死」する人たちを軽視してきたせいだ いろいろな要素があるだろうが、個人的には、この1年以上続けてきた日本の「人命軽視」のツケが大きいと思っている。 と言っても、それは「自粛に従わないで飲みに行く」とか「SNSで日本の新規感染者数はそれほど多くないとツイートする」というような類の「人命軽視」ではない。コロナ自粛によって収入が激減し、身も心もボロボロになって夢や生きる目標を失ってしまう、言うなれば「コロナ経済死」ともいうべき苦境に陥る人たちがこの1年で膨大な数に膨れ上がっている。 にもかかわらず、そこから頑なに目を背け続けてきたという「人命軽視」である。 と言うと、「大変な人が多いのは事実だが経済死は大袈裟だろ、政府の対策もあって失業率はそこまで上がっていないじゃないか」という反論があるだろうが、今、日本でどれだけ多くの人が「コロナ経済死」しているかという実態を把握するには、失業率よりも「実質的失業者」に注目すべきだ』、「実質的失業者」とは何だろう。
・『政府が目を逸らす「実質的失業者」が急増中 自殺者増も… 「実質的失業者」とは野村総合研究所が、パート・アルバイトのうち、「シフトが5割以上減少」かつ「休業手当を受け取っていない」人たちのことを定義したもので、彼らは統計上の「失業者」「休業者」には含まれない。 野村総研が2月に、全国20~59歳のパート・アルバイト就業者6万4943人を対象に調査した結果と、総務省の労働力調査を用いて推計したところ、21年2月時点で、全国の「実質的失業者」は、女性で103.1万人、男性で43.4万人にのぼったという。 要するに、雇い主から「緊急事態宣言出ちゃったから今月はシフト半分で」なんてことを言われ、給料が激減している非正規雇用の方たちが、繰り返される緊急事態宣言の中で、急増しているということだ。 一方、政府は3月の完全失業者(180万人)は前月より23万人減っており、雇用情勢は緩やかに回復をしていると胸を張る。 しかし、実はその統計に組み込まれない形で、「かろうじて失業はしていないが、まともな生活ができないような低賃金で飼い殺しにされている労働者」が150万人近く存在しているかもしれないのだ。 もちろん、収入減で苦しんでいる「実質的失業者」はパートやアルバイトに限った話ではない。正社員の方でも出勤制限で残業代などをカットされて収入が大幅に減ったという方もいるだろう。個人事業主の方も、どうにか補助金で食いつないでいるという方もいるだろう。つまり、表面的には「失業者」ではないものの、実態としては失業しているのと同じくらい深刻な経済的困窮に追い込まれている日本人の数は150万人どころではなく、凄まじい数に膨れ上がっている恐れがあるのだ。 このように統計で浮かび上がらない「コロナ経済死」の深刻さがうかがえるようなデータもある。厚生労働省によれば、2020年の全国の自殺者数は2万1081人で19年比で4.5%増で、912人増えている。この10年、日本の自殺者数は減少傾向にあったが、11年ぶりに前年比を飛び越えたのだ。 自殺の理由は個人でさまざまだが、リーマンショックの時に自殺者が増えたという事実もあり、社会不安や失業率が影響するのではないかという専門家の指摘も少なくない。ならば、終わりの見えない経済活動自粛による「コロナ経済死」の増加が影響を及ぼしている可能性もゼロではないのではないか』、「かろうじて失業はしていないが、まともな生活ができないような低賃金で飼い殺しにされている労働者」が150万人近く存在しているかもしれない」、「この10年、日本の自殺者数は減少傾向にあったが、11年ぶりに前年比を飛び越えた」、確かに深刻だ。
・『経済活動再開の後押しを! 「人命軽視だ」と言う人もいるかもしれないが… このような状況を踏まえると、早急に「コロナ経済死」の対策を真剣に議論すべきなのは明白だ。 「実質的失業者」からもわかるように、政府や自治体が今やっているような、事業者へのカネのバラまきは残念ながら、経営者の懐に入るか、運転資金に化けるだけで、末端の労働者にまで還元されない。彼らにダイレクトに届くような公的支援はもちろん、賃金を引き上げた事業者には減税などのインセンティブをつけるなどの実効性のある賃上げ施策が必要だろう。 だが、それよりも何よりも大切なのは、猫も杓子も「人流抑制」「自粛」ではなく、しっかりとした感染対策をしている分野に関しては、どんどん経済活動再開の後押しをしていくということだ。 このような意見を言うと、「人命軽視だ」と文句を言う人も多いが、「人命」を重視しているからこそ申し上げている。 新型コロナで亡くなった方は18日時点で、1万1847人にのぼり、その9割は70歳以上となっている。一人ひとりの方がかけがえのない大事な存在であり、それぞれに家族や大切な方たちがいることを想像すれば、これが甚大な被害であることは言うまでもない。亡くなられた方のご遺族からすれば、「緊急事態宣言など生ぬるい、なぜもっと強硬な姿勢で、感染を防いでくれなかったのだ」と政治や行政に怒りや不満を抱える方もいらっしゃるだろう。 その心中は察してあまりあるし、このような形で命を落とされる方を1人でも減らしていくには、「人命最優先」で人流なんぞすべて止めてロックダウンでもなんでもしてくれた方がいいのでは、という主張も心情的にはよく理解できる』、やや極論に近く、ついてゆけない。
・『経済的理由で、自殺しようとする人も救うべき が、一方で「人命最優先」だというのなら、先ほども申し上げたように、日本ではコロナの死者の2倍の方が自ら命を絶っており、その中には経済的な理由で死を選ぶ方もかなりいるという、こちらの「甚大な被害」にも目を向けるべきではないか。特にコロナ禍になってからの特徴としては、女性や子どもの自殺も増えているのだ。 経済の落ち込みとともにこの傾向はさらに強まっている。警視庁によれば、今年4月に自殺した人は速報値で全国で1799人にのぼっており、去年の同じ時期に比べて292人も増えている。特に女性の自殺は37%も増えた。都道府県別でもっとも多いのが東京都で197人だという。ちなみに、今年4月の新型コロナの国内死者数は1067人、東京都の死者数は122人となっている。 自殺だろうが、コロナだろうが、高齢者だろうが、子どもだろうが、命の重みは変わらない。ならば、コロナによる死者を減らすため、経済活動をストップしたのと同じくらいの覚悟をもって、コロナ禍で増える自殺や、その予備軍となる恐れのある「コロナ経済死」を減らすための取り組みをしなくてはいけないのではないか。 もちろん、新型コロナは70歳以上を中心に多くの尊い命を奪った恐ろしい感染症だ。「人命最優先」「医療現場を守る」という観点ではいけば、感染者・死亡者0人を目指さなくてはいけないという理屈もわかる。いわゆる、「ゼロコロナ」だ。 しかし、その一方で現実としては、人口約1億2000万人の日本では毎日、病気や事故で無数の人が亡くなっている。特に高齢化が進んでいる日本では70歳以上の方がコロナが流行する以前から、毎日凄まじい数の方が命を失っていた。 例えば、「老衰」で年間10万人以上が亡くなっているし、「肺炎」でも例年10万人近くの尊い命が失われる。また、高齢者の方の場合、誤嚥性肺炎も深刻で毎年3万人以上が亡くなっている。コロナ流行で大激減したインフルエンザも年間約3000人が命を落としてきた。 こういう現実があるからコロナの1万1000人は騒ぎすぎだ、などと言いたいわけではない。しかし、毎年、老衰や肺炎で亡くなる70歳以上がこれだけいることをそれほど問題視していなかったのに、なぜコロナ患者や死亡者の数になると、マスコミをあげて恐怖を煽るのかということは正直、違和感しかない。まるで、肺炎やインフルエンザで亡くなる人と、コロナで亡くなる人の「命の重み」が違うのかと思ってしまうほど、報道の力の入れっぷりが違うのだ。 「人命最優先」と言いながら、我々はこの1年の集団パニックに陥ったことで、いつの間にか無意識に「コロナで失われる命」だけを特別待遇にしていないか。それが結果として、「コロナ患者以外の人々」の命を軽んじていることにつながっていないか。 GDP「戦後最悪の落ち込み」はそんな人命軽視への警鐘のように筆者は感じてしまう。日本政府にはぜひとも、「他の病気で失われる命」や「経済的理由で失われる命」にも光が当たるような、広い視野をもったコロナ対策を期待したい』、「「人命最優先」と言いながら、我々はこの1年の集団パニックに陥ったことで、いつの間にか無意識に「コロナで失われる命」だけを特別待遇にしていないか。それが結果として、「コロナ患者以外の人々」の命を軽んじていることにつながっていないか」、確かに冷静な議論が必要なようだ。
次に、11月10日付けダイヤモンド・オンラインが掲載した経済評論家・楽天証券経済研究所客員研究員の山崎 元氏による「18歳以下に10万円相当給付、所得制限もクーポンも頭が悪すぎる理由」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/287033
・『「18歳以下に一律で10万円の現金を給付」するとされていた政策案が、自民・公明両党の幹事長会談を経て変容した。5万円分は教育関連に使途を限定したクーポンに姿を変えてしまったのだ。この「クーポン」と、自民党が主張している「所得制限」の導入が、いかに不公平で非効率で頭が悪すぎるかをお伝えしたい』、興味深そうだ。
・『「現金10万円」のはずが5万円はクーポンに化けた 18歳以下の国民に一律で10万円を給付する――。自民党と公明党の間でその調整が本格化している中、その是非が議論を呼んでいる。 いわく、「なぜ18歳なのか。19歳はだめなのか?」、いわく「裕福な家庭にも現金を給付するのは無駄だ」などの批判の声がある。 「18歳以下に1人10万円一律給付」は、矢野康治財務次官が「バラマキ合戦」と評した自民党の総裁選の議論に始まり、さらに衆議院議員選挙にあって各党の公約にも盛られた、国民への現金給付案の一つだ。 報道によると、11月9日の自民・公明両党の幹事長会談において、18歳以下に現金5万円と、使途を子育て関連などに限定した5万円相当のクーポンを支給することで大筋合意したという。直前まで「現金10万円」と取り沙汰されていたはずだが、半分はクーポンに姿を変えてしまった。 また、「一律給付」を主張する公明党に対して、自民党は「年収960万円以下」の所得制限を設けるよう求めたため、その点は継続協議となったとのことだ。) 先般の総選挙で議席を減らしたものの、261議席の絶対過半数を自民党単独で獲得して政治的な基盤を強化した岸田政権としては、独自の案を出しても良さそうな状況であった。しかし、一定の譲歩は求めたとはいえ、選挙情勢の詳細を踏まえて来年の参議院議員選挙を考えると、公明党の顔を立てることが上策だと判断したのだろう。 もう1点推測すると、各種の「バラマキ案」の中で、この案は比較的規模が小さく予算に対する負荷が小さい。岸田政権は、財務省にも気を遣ったのではないだろうか』、「公明党の顔を立てる」ことに加え、「財務省にも気を遣った」ようだ。
・『「所得制限」や「クーポン」は不公平で非効率で頭が悪い 本稿では、自民・公明両党の幹事長会談の前に取り沙汰されていた「18歳以下に1人10万円一律現金給付」を経済政策としてあらためて評価してみたい。「良い点」と「悪い点」がそれぞれ複数ある。そしてそのことを通して、会談後に突如として登場した「クーポン」や、自民党が主張する「所得制限」がいかに不公平で非効率で頭が悪いかを伝えたい。 なお、本稿では現金給付政策を「バラマキ案」と呼ぶが、すぐ後で説明するように筆者はバラマキが悪いとは思っていない。バラマキ政策にも良いものと悪いものがある。そして、良いバラマキ政策は最上の経済政策の一つであり、必要でもある』、「良いバラマキ政策は最上の経済政策の一つであり、必要でもある」、なるほど。
・『「18歳以下に一律現金10万円」 当初のバラマキ案の良い点 世間ではどうしても批判の声が大きく聞こえがちなので、はじめに「良い点」の方に目を向けよう。当初のバラマキ案である「18歳以下に1人10万円一律現金給付」には、良い点が二つある。以下の2点だ。 【「18歳以下に一律現金10万円」バラマキ案の良い点】(1)現金給付なので使い道が自由でメリットが公平であること (2)所得制限のない一律の支給であること 「現金」の支給は使途を限定しないので、国民生活への政府の介入や特定業界へのメリット供与につながりにくい点が大変良い。 家庭の事情はさまざまだ。食費が切実に必要な家庭もあるだろうし、「18歳以下」からイメージされやすい子供の学費に使いたい家庭もあるだろう。いわゆる学費ではない何らかのレッスンにお金が必要な場合もあるだろう。 こうした事情を無視して、自民・公明の幹事長会談後に持ち出された「教育クーポン」のような形で支援を行うと、家庭の必要性にバラツキがあるので、効果の大きな家庭と、そうでもない家庭に差が生じる。一般論として、政府が国民の生活上の選択に介入することは、自由を重んじる国家としては好ましくない。 同様に、「GoToなになに」のように特定の業界や予約サイトがもうかる政策も良くない。「トラベル」などが対象になっても、旅行の好き嫌いには個人差があるし、旅行に行ける家も、そうでない家もある。政治家と業界の癒着といった問題もあるが、それ以前に政策として「公平性」を考えるべきだ。 現金給付というと、「パチンコやギャンブルにお金を使う人もいるのではないか」などと難癖を付ける向きがあるが、それらが「悪い」なら法律で禁止すればいいだけのことであり、別の問題だ。お金の使い道は個人の自由でいい。 ちなみに、筆者自身は法律で認められているギャンブルを「悪い」とは思っていない。 当初のバラマキ案の手段が現金の給付とされていたことは概ね良いことだ』、「一般論として、政府が国民の生活上の選択に介入することは、自由を重んじる国家としては好ましくない。 同様に、「GoToなになに」のように特定の業界や予約サイトがもうかる政策も良くない」、その通りだ。「筆者自身は法律で認められているギャンブルを「悪い」とは思っていない」、競馬のことを東洋経済に寄稿しているから当然だろう。
・『所得制限の議論に終止符を! 「一律給付→税負担で差」が効率的 加えて、所得制限のない一律の給付であることも当初のバラマキ案の良い点だ。 所得制限については、民主党政権時代の「子ども手当」の際に、鳩山さん(当時首相の鳩山由紀夫氏)のようなお金持ちの子供にも現金を給付するのはおかしい」という議論があったと記憶している。 この問題への正解は、「一律に現金を給付して、鳩山さんのような人には追加的な税金をたくさん払ってもらえばいい」という点にある。 お金持ちにも現金を給付するのはおかしいという議論は、その部分だけを見ると正しいように思える。しかし再分配の効果は、「給付」と「負担」の「差額」で見るべきだ。 手続きを考えると、給付を一定にして迅速に行い、負担面である税制を変化させて「差額」をコントロールする方が圧倒的に効率的だし、それで問題はない。両方を調整するのは制度が複雑になるし、時間とお金の両面で非効率的だ。 国民の所得や資産に関する把握が完璧で、合理的なルール作りと合意形成が可能なら、国民一人一人の経済事情に応じて給付を調整しつつ、迅速で公平な給付が可能かもしれない。しかし、今年になってデジタル庁を作るくらい行政手続きが後進的なわが国にあって、個々人の事情に合わせた公平かつ効率的な給付を行うことは全く現実的ではない。 他方、給付を一定で迅速に行い、適切に税金を取るなら、「差額」で見る再分配は問題なくコントロールできる。税負担のあり方を変化させて再配分の効果を操作すればいい。 現金を追加的に配っているのだから、国民全体には間違いなく追加的な税負担能力がある。「財源はあるのか?」という問いに対しては、国民に追加的な現金を配るのだから、「財源は必ずある」と答えて良い。 所得ないし資産(筆者は後者に重点を置くことがいいと思うが)の面で富裕な国民に追加的な負担を求めたらいい。負担が増えた国民と、差額で使えるお金が増えた国民とがいて「再分配」が実現する。 ただし、「来年度給付するから、その財源分を来年度増税する」という議論に乗ることは、マクロ経済政策として不適切だ。インフレ目標が未達である日本経済にあっては、赤字国債を発行して、これを日本銀行が買い入れる(直接でも、民間銀行経由でも効果は同じだ)形で金融緩和政策を財政政策で後押しするべきだ。 長期的な財源の問題と、財源調達のタイミングの問題は、区別して考えるべきだ。 ともかく、何らかの給付政策を考える際に「所得制限が必要だ」という議論には、そろそろ終止符を打つべきだ。前述のように自民党は今回の「10万円相当給付」においても所得制限を主張しているようだが、それを導入するのは非効率的で、頭が悪すぎる。 生活保護などにも言えることだが、所得などに条件をつけて給付すると、行政手続きが煩雑になり、時間とコストがかかり、行政に不必要な権力が生じる。 また、制限の付け方によっては、国民の行動に余計な影響を与えることもある(パート収入の「壁」のような問題が起こる)。総選挙時に立憲民主党が掲げた、年収1000万円程度以下の人の所得税を免除する案なども(実施方法に工夫の余地はあるとしても)ダメな政策だ。 結論を繰り返す。所得制限無しの一律給付である当初のバラマキ案は正しい』、「給付を一定で迅速に行い、適切に税金を取るなら、「差額」で見る再分配は問題なくコントロールできる」、「何らかの給付政策を考える際に「所得制限が必要だ」という議論には、そろそろ終止符を打つべきだ」、同感である。
・『「18歳以下に一律現金10万円」 当初のバラマキ案のダメなところ さて、逆に「18歳以下に1人10万円一律現金給付」とするバラマキ案のダメなところを挙げてみたい。これは、自民・公明の幹事長会談後のバラマキ案にも共通するところだ。 【「18歳以下に一律現金10万円」バラマキ案のダメなところ】(1)「18歳以下の子供」という支給対象選定が公平でないこと (2)継続的な効果がない一時金であること まず、対象が「18歳以下の子供(のいる家庭)」と、必ずしも公平でなく限定されていることには多くの国民から文句が出て当然だ。 例えば、「大学生の子供がいる母子家庭」のような家には支援がない。また、高齢者でも新型コロナウイルス感染症に伴う経済的困窮者はいるだろう。そもそも非正規で働いていて低所得であるといった理由で、子供を持つ余裕がない人もいるはずだ。 対象者はおそらく予算の都合(財務省は2兆円程度にうまく値切ったと思っているのではないか)と公明党の関係で落とし所が決まったのではないかと推測するのだが、支給対象者の選定は公平性を欠く』、言われてみれば、「「18歳以下の子供」という支給対象選定が公平でない」、というのは確かだ。
・『バラマキ案で一番ダメなのは「一時の給付」であること そしてバラマキ案で一番ダメなのは、1回限りの1人当たり10万円支給であることだ。 昨年の国民1人当たり10万円の一時金支給でもそうだったが、経済的困窮者は「一時のお金」では、安心することができない。 昨年の給付金について、多くが貯蓄されて消費の下支えに回らなかったことを「失敗」とする見方が一部のエコノミストの間にある。しかし、これは景気だけに注意を向けた皮相的な議論だ。 そもそも給付の「効果」を、個人消費を通じた景気の下支えで測ろうという考え方が卑しくて正しくない。困った人にお金が渡れば、まずは十分いいと考えるべきではないか。 近年所得が伸びていない多くの勤労者の懐具合や、コロナによる生活への影響の不確実性と不安を思うと、一時的な収入を貯蓄に回すのは、家計管理として合理的で冷静な判断だ。あえて言えば、多くの国民は一時金で「貯蓄を買った」のだ。 「1回だけの10万円」のような給付は、受給者にとって安心感が乏しいし、従って前回と同様に支出を促す効果も乏しいはずだ。「子供の未来」などと言うなら、継続的な支援を考えるべきだ。 対案としては、「毎月1万円」のような給付が考えられる。例えば国民年金の保険料を全額一般会計負担(税負担)にすると、低所得な現役世代には苦しい毎月1万6610円の支払いがなくなって、「手取り収入」が将来にわたって増えることが予想できる。 自民党の総裁選で、河野太郎候補がこれに近い案を言っていたが、現役世代の負担軽減を十分訴えなかった点が失敗であったように思う。この他に、NHKの受信料なども所得にかかわらず一律に徴収される定額の負担なので、こうした徴収を止めて全額税負担にすると、国民に一律の給付を行ったのと同様の効果が生じる。 国民年金の保険料もNHKの受信料も、徴収のために多大なコストと手間が掛かっていて、現実的に不払いの問題がある。これらを全額税負担にすることの公平性確保と行政効率を改善する効果は圧倒的だし、デジタル化が遅れているわが国でも十分実現可能だ』、「国民年金の保険料もNHKの受信料も、徴収のために多大なコストと手間が掛かっていて、現実的に不払いの問題がある。これらを全額税負担にすることの公平性確保と行政効率を改善する効果は圧倒的だし、デジタル化が遅れているわが国でも十分実現可能だ」、同感である。
・『選挙のたびのバラマキが定着しないか? 残念すぎるリスクシナリオ 先に述べたように、現金を一律に給付するという政策自体は悪くないし、国民にも効果が分かりやすい。しかし、いささか心配なのは、この政策が国政選挙の度に繰り返されるのではないかという可能性だ。 選挙の都度行う一時金のバラマキ政策は、政治家にとって訴える政策があって好都合だろうし、財務省にとってもその都度政権と駆け引きができる材料を持つことができるので案外悪くない話ではないか。 しかし国民にとって、将来が予測できる継続的・安定的なサポートではないので「安心」への効果が乏しく、消費支出にもつながりにくいことは、前述の通りだ。 政治家は選挙のたびに一時的なバラマキを競い、有権者はバラマキをおねだりする、というような構図が繰り返されるのだとすると、わが国の政治的な将来は残念すぎる』、「選挙の都度行う一時金のバラマキ政策は、政治家にとって訴える政策があって好都合だろうし、財務省にとってもその都度政権と駆け引きができる材料を持つことができるので案外悪くない話ではないか」、ではあっても、こうした政治の劣化は出来れば避けるべきだろう。
第三に、10月18日付けNewsweek日本版が掲載した財務省出身で慶応義塾大学准教授の小幡 績氏による「今、本当に必要な経済政策を提案する」を紹介しよう。
https://m.newsweekjapan.jp/obata/2021/10/post-73_1.php
・『<景気対策は必要ない。コロナの反動需要で景気はこれからますます良くなるからだ(そのカネは、いずれ世界的スタグフレーションがやってきたときに必要になる)。それよりも、今や中国や韓国にも抜かれてしまった長期的な人と教育への投資を急がなければならない> 現在、各政党から出されている公約の経済政策の酷さは惨憺たるものだ。これは既に議論したので、今日は、では何をするべきか、を提案しよう。 まず、大前提として、景気対策は一切要らない。なぜなら、現在、景気は良いからであり、今後、さらに良くなるからだ。 世界的にも、コロナショックへの財政金融政策の総動員をしたところへ、コロナから回復して、一気に反動需要が出てきて、世界が21世紀最高の好景気となった。日本はショックも小さく反動も小さいが、それでも景気は良い。しかも、この8月9月の感染が日本では一番の感染者数だったので、一時的に落ち込んだが、日本の消費の反動的な増加はこれからだ。 だから、景気はさらに良くなる。 景気対策のカネがあれば、それは、来年以降、反動需要増加がピークアウトし、世界的なインフレと不況(いわゆるスタグフレーション)がやって来た時に使うべきである。それまで景気対策のカネは取っておくべきだ。 今景気対策をするとむしろ過熱しているところにさらに過熱させるのでマイナスですらある。 そもそも、コロナで経済はまったく傷んでいない。 傷んでいるのは、経済ではなく社会だ』、「コロナで経済はまったく傷んでいない。 傷んでいるのは、経済ではなく社会だ」、経済については強気なようだ。
・『バラまきでは困った人も救われない 経済的なショックは局部に集中している。特定の業界およびそれに関連する小規模の企業、自営業者だ。傷んだ彼らを、救うためには経済対策では効果がない。ましてや景気対策では、傷んでない、力が残っている強い企業にほとんどかっさらわれる。 必要なのは、経済対策ではなく、社会対策だ。 特定のセクターが公共性のあるセクターであれば、再建を支援する。小企業、個人事業主であれば、もともとの廃業タイミングが早まった企業・事業者が多いから、彼らの廃業を支援する。 廃業手当を失業保険と生活保護の両方の要素を含んだものとして支援する。このシステムを作る。10万円をすべての国民にバラまいても、彼らは救われない。 さて、では、何をするか。 今述べたように、日本に必要なのは、短期の景気対策、経済対策ではない。長期の経済基盤立て直しに全勢力を集中すべきである。 長期の経済基盤とは、人に尽きる。 経済の基盤は人材と社会であり、社会とは人である。 したがって、二重の意味で人がすべてなのである。 人を育てるのは教育、教育となっても、政治家とエコノミスト達は、短期の政策しか考えない。大学院、研究機関への資金注入、研究基金の設立。二重の意味で誤りだ。 第一に、金を投入していないから人材が育たない、という考えが誤りだ。金よりも先に人だ。 人を育てるのは、金ではなく人が必要だ。人が人を育てる。サッカーやバスケットでは、指導者の重要性が認識され、優れた指導者であれば、金に糸目をつけずに、人を世界中からスカウトするのに、学校の教師あるいは大学で研究を指導するよき研究者かつ教育者である人材の獲得にはそれほど注力しない。) 日本は、研究資金は足りないが、その理由は、人の数の不足、質の低下である。カネがないから人がないというのは結果論であり、鶏と卵ではなく、絶対的に人が先である。人がいれば、必ず金はやってくる。そして、研究者業界における最大の問題は、人材の層が圧倒的に薄いことである。 優れた人はいる。しかし、数が少ない。彼らが研究も引っ張り、大学院教育、大学教育も引っ張り、政策関係、政治的なこともしないといけない。無理だ。 いわゆる理科系とは異なるが、経済学でいえば、米国が圧倒的にレベルが高いが、トップもすごいが、本質は層の厚さである。とことん厚い。大学に籠って基礎的な理論をやり続ける人、応用分野で実業界ともやり取りする人、グーグル、マイクロソフトでも研究者、アドバイザーになる人、ワシントンで政権に入る人、シンクタンクに一時的に身を置く人、IMFエコノミストになる人、いろんな人がいるが、日本は、要はこれらを一人でやらないといけない。その結果、すべてが薄くなる。 さらに悪いことに、今後進むと思われるのが、政策マーケットに優秀な学者が入ってこなくなることだ。あまりに政治による経済政策は酷い。他の科学技術政策も酷いものが多い。政治のプロセスはあまりに前時代的だ。時間もエネルギーも取られ過ぎる。すべての研究者は気づいていたが、国のためと思い我慢してきた。その限界を今確実に超えつつある。 層を厚くするには、多くの研究者が必要だ。そして、その研究者を雇う雇い主が必要である。大学の体制にも問題があるが、最大の問題は、社会が、学者、研究者というものを軽視していることだ。企業は一部の研究職を除くと、研究者、博士号を持った人々を評価しない。修士号ですらそうだ。私の学校でMBAをとっても、評価されない。学部卒業生と同じ扱いである。むしろ学部生が好まれる』、強気の景気判断を前提にするので、「日本に必要なのは、短期の景気対策、経済対策ではない。長期の経済基盤立て直しに全勢力を集中すべきである。 長期の経済基盤とは、人に尽きる」、「人を育てるのは、金ではなく人が必要だ」、「研究者業界における最大の問題は、人材の層が圧倒的に薄いことである」、「最大の問題は、社会が、学者、研究者というものを軽視していることだ」、なるほど。
・『海外のMBAだけを英語のために採用する日本企業 私の学校のMBAは駄目で、米国のMBAなら雇うのだが、それは英語力を評価しているだけだ。教育自体は評価されない。皮肉なことに、日本のMBAを評価してくれるのは、外資系ばかりだ。日本企業の考え方が間違っているのである。 実社会では、博士は頭でっかちで使えない、というが、それは社会の側の問題だ。 日本企業が博士を重視しないのは、社会そのものが学問を軽視しているからである。政策決定でも問題になっているが、科学的分析、学問の専門家の意見よりも、政治的都合、雰囲気、そして、根拠のない感覚、イメージで政策が決まっている。これは世界特有の現象だ。 韓国に日本が差をつけられた、ということが しばしば話題になるが、このひとつの理由は、韓国は、学問を重視する。ソウル大学の経済学部の教授は歴史的に大臣になることも多かった。そして、最大の企業サムソンが博士号を最重要視したことで、さらに加速した。土壌には、学問に敬意を持った社会があり、そして、企業が実際に博士を要求した。これで、すべての分野の学者のレベルも実業界の科学的な経営レベルも上がったのだ。 日本の研究者は確かに研究しかできない雰囲気の人も多い。しかし、それは、研究が直接かかわる領域でしか、就職ができないからだ。社会が幅広く、博士、研究者を評価するようになり、いろいろな活躍の場ができれば、彼らの柔軟性、そして人材の多様性は育っていく。 同様な問題は、大学・大学院という研究の領域と同様に、初等教育、いや幼稚園、小中高、すべてに当てはまる。 経済対策と称して、子供1人に10万円配る。社会政策、若年層への社会福祉と称して、高校の授業料の無料化政策を実施する。 まったく間違いだ。 必要なのは、無料の教育ではなく、良い教育なのだ。安い教育を提供するのではなく、質の高い教育を提供することが唯一最大の公的教育の役割である。 低所得者への支援は別の形でいくらでもできる。教育費が高ければ、奨学金を充実させるのが一番だ。 政府、公的セクターにしかできないのは、質の高い公立学校を幼稚園、小中高に提供することだ。 さらに、最悪なことに、小中学校教育への投資の最大のものは、コロナ対応、オンライン授業にかこつけて、ICT、要は、カネを使ったモノの投入なのである。 180度間違っている』、「日本企業が博士を重視しないのは、社会そのものが学問を軽視しているからである。政策決定でも問題になっているが、科学的分析、学問の専門家の意見よりも、政治的都合、雰囲気、そして、根拠のない感覚、イメージで政策が決まっている」、「必要なのは、無料の教育ではなく、良い教育なのだ。安い教育を提供するのではなく、質の高い教育を提供することが唯一最大の公的教育の役割」、日本社会の高いハードルに相当頭にきているようだ。
・『ICT化より教師の質 教師の質を上げることだ。それがすべてである。 そしてある程度の人員の増加は必要で、かつ、部活動などの課外教育は、外の力を使い、学校の先生には、もっと授業そのものにエネルギーを注げる環境を作る。劣悪な労働時間を解消する。そうすれば、給料をそれほど上げなくても、人材は集まるし、何より優秀な人、教育に意欲のある人が定着するはずだ。 さらに重要なのは、教師を育てる教師を育てることである。 医者もそうだが、学校の教師はあまりに酷い。教員免許を取れば、その後は、形式的な研修があるばかりだ。これは、メディアでも話題になったが、結果として逆の方向に向かっている。研修がなくなる方向である。 そうではない。 無駄な研修はなくし、重要な質の高い教師への人的資本投資を行うことが必要だ。教員免許を与えた後の育て方も問題で、今回は詳細には議論できないが、チーム制を設け、チームで学級、学年を担当することが必要だ。その中で、若い先生は、中堅、ベテランのいろんな先生から吸収できる。行っている学校も一部にあるが、国を挙げて、よい教師の育て方の試行錯誤に投資すべきだ。 そして、無駄なお役所の書類だけの形式だけの中央からの監視は減らすべきだ。ただペーパーワークが増えて、教師が生徒に向き合う時間、授業の準備、改善に投資する時間を削っているだけだ。) ここでも再度、社会の問題が出てくる。 実は、日本は、世界的に、少なくともアジアの中では、もっとも教育に関心のない社会である。受験戦争は低年齢化しているが、これは楽な教育を受けるための手段だ。高校生で苦労しないようにと、要は楽に学校を乗り切り、良い学歴を身につければよい、という社会の教育の中身への無関心がある。これは一部では、改善の動きも見られるが、まだまだ少数派だ。 それは、伝統的に、この70年、教育を軽視してしまう社会になったことが根本にある。 アジアのほかの国の受験戦争は酷いほど激しいし、大学、大学院への進学もアジアの親たちは非常に熱心だ。 この差は決定的だ。中国、韓国に、人材の質でも抜かれる日は遠くない。いやすでに抜かれていると思う。 日本が経済成長するためには、人材が必要だ。科学技術の発展も要は人だ。そして、そのために、大学などの研究機関にただ金をつぎ込むのは間違っており、時間をかけて人を育てることが必要だ。そして、より有効なのは、より低年齢での幅広い層への基礎教育である。 これが、日本の学校関係への投資の第二の誤り、最大の誤りだ。 手間と金は初等教育に重点をおくべきだ。幼児教育へも将来は広げるべきだ。公的教育にできることは、基礎力、基礎的な思考力、柔軟性、多様な発想をもたらす基礎的な人格形成が最大、唯一のことであり、社会において最重要なことだ。 経済政策の金、エネルギーをここに集中的に投入すべきだ』、「手間と金は初等教育に重点をおくべきだ。幼児教育へも将来は広げるべきだ。公的教育にできることは、基礎力、基礎的な思考力、柔軟性、多様な発想をもたらす基礎的な人格形成が最大、唯一のことであり、社会において最重要なことだ」、小幡氏の見方は1つの参考になる。
・『子供は日本の隅々で育つのがいい そして、最後に、国の基礎力を挙げるための教育は多様性、深みを社会にもたらすことであり、そのためには、東京や大都市での教育よりも、様々な地域で育つことが必要で、それぞれの地域で、教育をすることが重要だ。地方創生ではなく、現在の全国の各地域で、子供を地域社会で育てることが、日本社会の長期的な多様性の維持、創造性の発揮に大きく貢献、いや必須のはずだ。そのために、子育て、学校教育は東京などの大都市よりも地方の環境(自然だけでなく、教育者の質という面で)が優れているという状況を生み出すための国家的な政策が必要だ。教育中心の地方創生(言葉は嫌いだが、一般に言われている)政策が必要なのだ。これは、また別の機会に議論したい』、「子供は日本の隅々で育つのがいい」、1つのアイデアではあるが、筆者は幼児教育には素人なので、唐突な感が否めない。「教育中心の地方創生」を今後、さらに取上げるのだろうか。