原発問題(その19)(福島第一原発「デブリ取り出しは不可能」と専門家 廃炉できないなら「『石棺』で封じ込めるしかない」、日本型エリート思考”の限界を3.11の原発事故に見た 新失敗学 正解をつくる技術(3)、「正解を作る技術」を詳細公開! ビジネス、生活…すべてに活用できるその技術とは? 新失敗学 正解をつくる技術(4)) [国内政治]
原発問題については、昨年11月3日に取上げた。今日は、(その19)(福島第一原発「デブリ取り出しは不可能」と専門家 廃炉できないなら「『石棺』で封じ込めるしかない」、日本型エリート思考”の限界を3.11の原発事故に見た 新失敗学 正解をつくる技術(3)、「正解を作る技術」を詳細公開! ビジネス、生活…すべてに活用できるその技術とは? 新失敗学 正解をつくる技術(4))である。
先ずは、3月7日付けAERAdot「福島第一原発「デブリ取り出しは不可能」と専門家 廃炉できないなら「『石棺』で封じ込めるしかない」」を紹介しよう。
https://dot.asahi.com/aera/2022030400025.html?page=1
・『東京電力福島第一原発事故からまもなく11年。国と東電は30~40年後の廃炉完了を目指すロードマップに基づき、作業を進めている。だが、相次ぐトラブルから廃炉作業の計画は大幅に遅れている。廃炉は本当に可能なのか。AERA 2022年3月7日号は、小出裕章・元京大原子炉実験所助教に聞いた。 国と東電が策定したロードマップは「幻想」です。 国と東電がいう「廃炉」とは、燃料デブリを格納容器から取り出し、専用の容器に封入し、福島県外に搬出するということです。 当初、国と東電は、デブリは圧力容器直下の「ペデスタル」と呼ばれるコンクリート製の台座に、饅頭(まんじゅう)のような塊になって堆積(たいせき)していると期待していました。そうすれば、格納容器と圧力容器のふたを開け、上方向からつかみ出すことができます。 しかし、デブリはペデスタルの外部に流れ出て飛び散っていることが分かりました。デブリを上部から取り出すことができないことが分かったのです。 そこで国と東電はロードマップを書き換え、格納容器の土手っぱらに穴を開け横方向に取り出すと言い出しました。しかしそんなことをすれば遮蔽(しゃへい)のための水も使えず、作業員の被曝(ひばく)が膨大になってしまいます。それどころか、穴を開けた方向にあるデブリは取り出せたとしても、格納容器の反対側にあるデブリはペデスタルの壁が邪魔になり、見ることも取り出すこともできません。 つまり、デブリの取り出しは100年たっても不可能です。 東電は「国内外の技術や英知を活用すれば廃炉はロードマップ通りに達成できる」などと繰り返し言っているようです。本気で考えているとすれば、相当なバカだと思います。ロードマップは彼らの願望の上に書かれたもので、その願望はすでに崩れています。 廃炉できなければどうすればいいか。できうることは、1986年のチェルノブイリ原発事故の時に実施したように、原子炉建屋全体をコンクリート製の構造物「石棺」で封じ込めるしかありません。) 人間に対して脅威となる放射性物質のセシウム137とストロンチウム90の半減期は、それぞれ30年と28年です。100年待てば放射能は10分の1に、200年待てば100分の1に減ってくれます。 100年か200年か経てば、その間に、ロボット技術や放射線の遮蔽技術の開発も進むはずです。そして、いつかの時点でデブリを取り出すこと以外ないと思います。 国と東電は、それくらい長期にわたる闘いをしているんだと覚悟しなければいけません。 そのためにも、一刻も早く福島県に「廃炉は不可能」と説明し、謝罪するべきです。悲しいことですが、事実を直視しなければ前に進めません』、「デブリはペデスタルの外部に流れ出て飛び散っていることが分かりました。デブリを上部から取り出すことができないことが分かったのです。 そこで国と東電はロードマップを書き換え、格納容器の土手っぱらに穴を開け横方向に取り出すと言い出しました。しかしそんなことをすれば遮蔽(しゃへい)のための水も使えず、作業員の被曝・・・が膨大になってしまいます・・・デブリの取り出しは100年たっても不可能です」、「できうることは、1986年のチェルノブイリ原発事故の時に実施したように、原子炉建屋全体をコンクリート製の構造物「石棺」で封じ込めるしかありません」、「「石棺」で封じ込めるしかありません」、「100年か200年か経てば、その間に、ロボット技術や放射線の遮蔽技術の開発も進むはずです。そして、いつかの時点でデブリを取り出すこと以外ないと思います」、国や東電は、そろそろ現実を直視すべきだろう。
次に、6月6日付け現代ビジネスが掲載した東大名誉教授で原発の政府事故調委員長の畑村 洋太郎氏による「日本型エリート思考”の限界を3.11の原発事故に見た 新失敗学 正解をつくる技術(3)」を紹介しよう。
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/95914?imp=0
・『「決められた正解を素早く出す」ことが優秀な人とされた時代から「自ら正解をつくる」ことができる人の時代へ。「正解がいくつもある時代」になった今、自分たちで正解をつくっていく必要がある。そして自分たちで正解をつくるとは、仮説ー実行ー検証を回していくことにほかならない。そのためのポイントを丁寧に解説、これから私たちが身につけるべき思考法を明らかにした書籍『新失敗学 正解をつくる技術』から注目の章をピックアップしてお届け』、興味深そうだ。
・『東大工学部で感じた違和感 私が東京大学に入学したのは1960年のことです。その後、機械工学科修士課程を出てから日立製作所に就職しましたが、2年後に助手として大学に戻り、2001年に定年で退官するまで30年余、工学部で教員生活を送りました。 私が所属していた東大工学部は、優等生がゴロゴロいました。もちろん百人いれば数人は、「こいつは本当に頭がいい」と感じる、ものごとの本質を突き詰めようとするタイプもいましたが、大部分がいわゆる優等生タイプでした。たしかに頭の回転は速く優秀ではあるのですが、ものごとの本質を突き詰めて考えるというより、自分がいかに早く正解を出せるか、そして知識量の多さを競うような学生が多かったのです。 そして優等生が大部分だった当時の東大工学部を覆っていた雰囲気もまた、とにかく正解が外にあるのだから、それを持ってきてうまく使おうという、いわば「便宜主義」でした。 その典型的な例が原子力発電です。東大原子力工学科は、私が入学した1960年に設立されました。日本初の原子力発電所による試験発電が63年、初の商用発電が66年ですから、ちょうど私の学生時代は日本の原発の黎明期に当たります。 私は当時、原発はすごいものだなと思っていました。原発の試験発電と同じ1963年、関西電力の社運をかけて建設された黒四ダムが、7年の歳月と171人の殉職者を出しながら完成します。このときできた水力発電所の出力が33万5000キロワットでした。一方で日本初の商用軽水炉として66年に着工し、70年に発電を開始した日本原子力発電の敦賀発電所一号機が、一基で35万7000キロワット、その後は一基70万キロワットを超える原発がどんどん建設されていくわけですからエネルギー量がケタ違いです。 日本にとってエネルギーをどのように確保するかは、明治以来ずっと続く大きな課題です。唯一の原爆被爆国である日本でも、原子力を「平和利用」すればエネルギー問題が解決できる、原発こそ夢のエネルギー源だと考えたのは、とてもよく理解できます。 しかしその反面、原子力畑の人が言っているロジックには、なにか危うさも感じていました。原発が本当に安全なのかという議論は当初から頻繁にされていました。それに対し原子力畑の人たちは、原爆と原発とは構造も違うし、何重にも制御できる仕組みがあるから絶対大丈夫ということを言い続けてきました。 しかし、ものごとの本質を考えれば、ウランという原子量が非常に多いものを使っていることは、原爆も原発も変わりありません。物質の構造で見ると、原子量が多いということは、たくさんの素粒子同士のつながりがあって、そこにエネルギーがたくさん蓄積されているということです。だから、その蓄積されたエネルギーを取り出して使えば、少ない材料から大きなエネルギーを得ることができるという考えです。 先進国の米国がやり始めたことだし、とても便利なものだし、安全も確保される(はずだ)し、放射性廃棄物などの難しい問題は後から考えよう――、こうした考え方は便宜主義そのものです。そうした考え方には当時から違和感を感じてきました』、「優等生が大部分だった当時の東大工学部を覆っていた雰囲気もまた、とにかく正解が外にあるのだから、それを持ってきてうまく使おうという、いわば「便宜主義」でした」、「原発」は「先進国の米国がやり始めたことだし、とても便利なものだし、安全も確保される(はずだ)し、放射性廃棄物などの難しい問題は後から考えよう――、こうした考え方は便宜主義そのものです」、なるほど。
・『原発事故に見る日本型エリート思考の限界 2011年3月の東日本大震災における福島第一原発事故は、このような便宜主義の限界を示した大事故でした。私は当時の政府から事故調査委員会(いわゆる政府事故調)の委員長を依頼されて、約1年3ヵ月の間、この事故の調査を行いました。 福島第一原発には6つの原子炉がありました。大事故に至ったのはこのうちの3つで、それぞれ状況は違いましたが、原子力発電において最も重要な「原子炉を冷やす」という機能を失ったことで問題が発生した点は同じでした。ここでは細かな説明は省きますが、冷却できなくなった核燃料は、自身が発し続けた熱で溶けて圧力容器の底に落ち(メルトダウン)、やがて外側の格納容器にまで漏れ出した(メルトスルー)のです。その際、大量に水素が発生して建物内に充満し、これが爆発を起こして建屋を含む周囲を激しく破損しながら大量の放射性物質を外部に放出しました。 周辺ではこの放射性物質による汚染はいまなお続き、事故現場では建物全体を封じ込めることで大気への放出は抑えられているものの、冷却用に使われている水の処理がいまでも大きな問題になっています。国際原子力事象評価尺度(INES)において最悪のレベル7(深刻な事故)に分類されていますが、これは史上最悪の原発事故とされている1986年のチョルノービリ原発事故(旧ソビエトで現在はウクライナ)と同じ評価です。 福島第一原発の事故では当初、地震による大きな揺れを感知して自動停止した原子炉の冷却機能は維持されていました。地震の影響で外部からの電源供給が途絶えたものの、非常用の発電機が正常に働いていたからです。ところが、その後押し寄せた津波による浸水によって非常用の発電機が使えなくなり、「原子炉を冷やす」という重要な機能が失われました。これが致命傷となって、史上最悪の重大事故が引き起こされてしまったのです。 非常用の発電機が津波による深刻な被害を受けたのは、敷地内で最も低い、地下に設置されていたからでした。当初の想定では、その場所でも津波による被害は及ばないと考えられていましたが、実際に到達した津波の高さは想定をはるかに超えていました。もちろん非常用の発電機をあらかじめどんなに高い津波がやってきても影響を受けない場所に設置していたら、あのような重大事故が発生することはなかったでしょう。関係者は事故発生後、悔やんでも悔やみきれない思いでいたことでしょう。 ではなぜ、非常用の発電機を津波の影響を受けやすい地下などに設置していたのでしょうか? 津波の高さこそ想定外だったとはいえ、あらかじめ津波による被害を想定していた場所です。備えとしては念のため想定外の高さの津波がやってきても被害を受けない場所に設置しておくべきと考えるほうが自然です。むしろそうしていなかったことが不思議でした。 結論から言うと、米国から技術を日本に持ち込む際、知識が中途半端に伝わったことによる悲劇でした。私は政府事故調の活動を通じて、福島第一原発だけでなく日本中の原発が非常用の発電機を地下に置いていたことを知りました。その理由は政府事故調の期間ではわからなかったのですが、その後、さらに調べている中で、米国から原発の技術が持ち込まれたときに、本質的な議論もなしに、形だけの知識が伝わったものであることをある人から教わりました』、「福島第一原発だけでなく日本中の原発が非常用の発電機を地下に置いていた」、「その理由は・・・米国から原発の技術が持ち込まれたときに、本質的な議論もなしに、形だけの知識が伝わったものであることをある人から教わりました」、なるほど。
・『米国と日本の決定的な違い 米国ではなぜ、地下に非常用発電機を設置していたのか。それは、米国ではいちばんの脅威が、「津波」ではなく「竜巻」だったからです。 米国はもともと竜巻被害の多い国です。2021年12月にも中西部や南部を襲った竜巻で90人以上の死者が出たことが大きく報道されました。竜巻がやってきて仮に風速100メートルの暴風に襲われたとすると、竜巻の通り道にある木々や建物は鋭利な刃物で切られたように吹き飛ばされてしまいます。それらを巻き込んだ強風は、大きな破壊力を持っているので、たまたま通り道になっていたりすると、原発の建物やその中にある各種の重要な設備が破壊されてしまうかもしれません。原発本体は頑丈なつくりになっているので耐えられたとしても、冷却に必要な電力を供給するシステムや非常用発電機が破壊されると重大な事故につながりかねないので、これらを最も安全な地下に置くことで安全を確保していたわけです。 ところが日本に原発の技術が伝えられたとき、安全確保に関するこの重要な知識の中身は正確に伝わりませんでした。あるいは途中で消えてしまったということかもしれませんが、いずれにしても結果として残ったのは「重要な設備は地下に置く」という中途半端な知識だけでした。この知識は竜巻から守るためなら有効なものの、日本の原発が想定し、備えていなければいけなかった津波への対策としては、明らかに不適切なものでした。 このように、「ある地域・ある時代の人たちにとっては自明であるがゆえに明文化されず伝えられることもない重要な知識がある」ということも、失敗学では重要な知見の一つです。いちばん大事なことは、常識としてみんなの頭の中に入っているので、文章化されないことがあるのです。 福島第一原発では、もともとの海岸段丘を掘削して立地のレベルを下げ、その地下に非常用電源を設置しています。平地の確保、海水を冷却水として利用しやすくするためといった理由はあるのでしょうが、津波が予測される日本の海岸に設置される原発にとって、いちばん必要なことは何か、という観点からは、ナンセンスとしか言いようがありません。 事故調では、なぜそのようなことをしたのか調べましたが、当時の経緯について触れた資料はまったく残されていませんでした。資料が残されていない以上、当時技術を導入した人たちが、どこまで考えていたかは詳細にはわかりません。しかし、「先進国の米国で行われていることだから間違いないだろう」という意識が働き、思考停止していたのではなかったかと推測しています。 私はここにも正解を持ってくればいい、正解を持ってきてそのままあてはめればいいという優等生型の思考の限界を感じます。 「正解」がはっきりしている場合は、そのまま正解を頭にインプットすれば問題はありませんし、非常に効率的です。しかし「正解」がわからない場合、「正解」自体が間違っている場合も、実際の世界には数多くあるのです。 こうしたときには、本質的には何が重要なのか、根本を突き詰めて考える必要があります。非常用電源を地中に入れておけば「正解」という思考には、本質的に何が重要なのかについて考えた形跡はまったくないのです』、「米国ではいちばんの脅威が、「津波」ではなく「竜巻」」、「冷却に必要な電力を供給するシステムや非常用発電機が破壊されると重大な事故につながりかねないので、これらを最も安全な地下に置くことで安全を確保」、「当時の経緯について触れた資料はまったく残されていませんでした。資料が残されていない以上、当時技術を導入した人たちが、どこまで考えていたかは詳細にはわかりません。しかし、「先進国の米国で行われていることだから間違いないだろう」という意識が働き、思考停止していたのではなかったかと推測しています。 私はここにも正解を持ってくればいい、正解を持ってきてそのままあてはめればいいという優等生型の思考の限界を感じます」、その通りだろう。
第三に、この続きを、6月7日付け現代ビジネスが掲載した畑村 洋太郎氏による「「正解を作る技術」を詳細公開! ビジネス、生活…すべてに活用できるその技術とは? 新失敗学 正解をつくる技術(4)」を紹介しよう。原発問題とは離れるが、「畑村」氏の考え方をより深く知る意味があるとして取上げた次第である。
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/95945?imp=0
・『「決められた正解を素早く出す」ことが優秀な人とされた時代から「自ら正解をつくる」ことができる人の時代へ。「正解がいくつもある時代」になった今、自分たちで正解をつくっていく必要がある。そして自分たちで正解をつくるとは、仮説ー実行ー検証を回していくことにほかならない。そのためのポイントを丁寧に解説、これから私たちが身につけるべき思考法を明らかにした書籍『新失敗学 正解をつくる技術』から注目の章をピックアップしてお届け』、「正解をつくる技術」とは興味深そうだ。
・『「正解がない時代」とは「正解がいくつもある時代」のこと 現代は、いままでの思考法――問題を分析し、その問題の正解を外から持ってくるという思考法――だけでは、多くの場面で通用しません。 私はいまの時代を「正解がない時代」というより、唯一解のない「正解がいくつもある時代」と捉えています。 そんな時代に必要なのは、やはり自分なりの正解を出していく思考法です。これはビジネスに限りません。直面している問題の解決など、すべての活動に求められている考え方です。 それは言い換えれば、「自分で考えて実行し、その結果を検証する」サイクルを続けることにほかなりません。 そこでまず、そのサイクルの基本的なプロセスについて説明していきましょう』、「自分なりの正解を出していく思考法」、「それは」「「自分で考えて実行し、その結果を検証する」サイクルを続けること」、なるほど。
・『「自分で考えて実行する」とは 「自分で考えて実行する」ことは、じつは多くの人が、日常行っていることです。たとえば、「今日は午後から雨が降りそうだから折りたたみの傘を持って出よう」「今日は金曜日、ということは、いつも通る道は渋滞しそうだから、別の道を選ぼう」「昨晩は焼肉屋に行っていっぱい肉とごはんを食べたから、今日の夕食はさっぱりと野菜中心にしよう」といったことは、すべて自分で考えて実行することに含まれます。こうした日常的な出来事から、さまざまな計画を立てる、企画を考える、設計をするなどのことがすべて、「自分で考えて実行する」ことになります。 ですから、日ごろから意識的に、自分で考えて実行する機会を増やせるかどうかで、人生は大きく変わってくるのです。 一方、「親に言われたから実行した」「教師に言われたから~」「上司に言われたから~」「夫に(妻に)言われたから~」「マニュアルにそう書いてあるから~」「それが決まりだから~」というのはどうでしょうか? そこでは「自分で考えて」の部分が抜けています。 さらに、「自分で考えたけれど、実行しない」のはどうでしょうか? じつは私は、「自分で考えて実行する」ことのうち、「実行する」ほうがより重要だと考えています。 というのも、自力で考えるときよりも、考えたことを実行しようとするときのほうが、さまざまな制約が次から次へと出てきて、はるかに難易度が上がるからです。 たとえば、自分の仕事で新たな企画を考えたり、プライベートで旅行の計画をする。しかしそれをいざ実行しようとすると、「時間がない」「人がいない」「お金がない」「場所がない」「実現する手段がわからない」というように、いろいろな制約が出てきてなかなか実行できないということはよくあります。「考える」と「実行する」の間にある壁は、じつは非常に大きい』、「自力で考えるときよりも、考えたことを実行しようとするときのほうが、さまざまな制約が次から次へと出てきて、はるかに難易度が上がるからです」、確かにその通りだろう。
・『実行することこそが大切 だからこそ、実行することが大切です。まずはどんどんやってみることをおすすめします。そもそも「考える」と「実行する」との間にどんな壁があるかは、実際にやってみないと、なかなか見えてきません。もう一歩進んで実際にやってみると、まったく予期していなかった新しい制約条件が出てきたり、思いもかけない結果が引き起こされたりするなど、もっと別のものが次々と見えてきたりします。そうして明らかになった新たな制約条件を乗り越えたり、別の方法を見つけることが正解への道になるので、実行することそのものが、成功へ至る具体的な道筋を知る方法でもあります。 だいたい多くのことは、頭で考えた通りには動きません。本当のところはどうなのかは、実際にやってみないとわからないものなのです。 極端なことを言えば、最初は「誰かに言われたから実行する」でも良いのです。自分で考えたものでなくても「実行する」ことで、自分の頭が動き出すことだってあります。 たとえば、学校で行う理科の実験のように、誰かがすでにさんざん行って「正解」のあるものでさえ、自分で実際にやってみると、なかなかうまくいかないことが多く、さまざまな発見があります。もちろんうまくいかないということは、材料を間違えたり、手順を間違えたり、温度を間違えたりと、理由が必ずあります。しかしなぜダメだったかを自分で知ることが、本人にとって大きなプラスになることもあるので、できることは可能な限りどんどん実行してみることをおすすめします』、「だいたい多くのことは、頭で考えた通りには動きません。本当のところはどうなのかは、実際にやってみないとわからないものなのです。 極端なことを言えば、最初は「誰かに言われたから実行する」でも良いのです。自分で考えたものでなくても「実行する」ことで、自分の頭が動き出すことだってあります」、なるほど。
・『第一歩は直感から始まる 「自分で考えて実行する」ことの最初の一歩、それは「直感」です。 じつは私はふだん、同じ読みでも「直観」のほうをよく使っています(『直観でわかる数学』〈岩波書店〉という本も2004年に出しました)。この「直感」と「直観」、読みは同じでも意味は大きく異なります。 「直観」は、ものごとの本質をひとつかみに把握するものです。一般的には「論理を用いずに」と説明される言葉ですが、実際には、「なぜそのような判断をしたのか」と理由を問われると、後からきちんと論理的に説明できるものです。「直観」は、実際にはさんざん考え抜いた人だからこそ身につけられるものだと私は考えています。 一方、「直感」は、もう少しほわっとしたものです。違和感だったり、好みだったり、勘だったり……。「感」という文字の通り、感覚的なものだったり、こみあげてくる感情だったりします。論理的にはうまく説明できないことも多いものです。 論理的に説明できない「直感」は、「直観」に比べて、一段劣るものと考える人もいるかもしれません。 しかし、この直感こそが、新たなことを考えるとっかかりとなります。 日常の活動でも仕事をしていても感じる「なんか変だな」といったちょっとした違和感、ちょっとした数字の変化、見慣れた景色だけれどいつもと違うという空気……。意識しないとそのまま通り過ぎてしまうような小さなことが、意外と大きな意味を持つことが、じつは結構あるのです。 私は大学院を修了後、日立製作所で2年間働き、それから大学に戻りました。日立製作所では、いろいろな経験をさせてもらいました。とりわけ後から考えると貴重だったのは、設計の仕事の前にさまざまな現場を経験できたことです。とくに重機の試作機の耐久試験をやる仕事では、自分の五感を使ったいろいろな発見ができました。 あるとき、重機の試作機からふだんと違う音が聞こえてきたことがあります。注意していなければわからないような音の違いでしたが、上司に報告して調べたところ、冷却水が漏れて空焚きの状態になっていることがわかりました。 また別の機会には、熱の変化から試作機の異常に気づいたことがありました。正確に言うと、熱の変化というのは後からわかったことで、最初は試作機の横を通ったときに「昨日とは違う」「なにかおかしい」くらいにしか感じませんでした。そのことを一緒に試作機を動かしている先輩に話したところ、「それなら調べてみよう」と動いてくれました。そしていろいろと調べているうちに、試作機の冷却用の水が抜かれていたのを発見することができたのでした。 熱は温度の高い物体から低い物体へ電磁波によって伝わります。この熱のことを輻射熱といいます。どんな物体も常に輻射熱を放っていますが、感じ方は対象同士の差によって異なります。ふつうは体温より高いものからの輻射熱は「温かい」と感じるし、体温より低いものからの輻射熱は「涼しい」とか「冷たい」と感じます。 しかし、私が試作機から感じたのは、こうした明確なものではありませんでした。「昨日とは違う」とか「なにかおかしい」といったかすかな変化の幅くらいのものでした。それでも違いを感じることができたのは、それまでの現場経験で、五感を使うことの大切さを学んでいたからでしょう。 また、直感はそうした五感からのものだけではありません』、「畑村氏」が、何回となく異常を発見してきた「直感」の鋭さには感服せざるを得ない。
・『「おせっかい」から始まったプロジェクト 2004年3月に、東京・六本木の高層ビルの回転ドアで六歳の男児が挟まれて亡くなるという痛ましい事故がありました。この事故の後、私は仲間たちと原因究明を目的として「ドアプロジェクト」を始めました。じつはこのプロジェクトは、誰かに仕事として依頼されたわけでもなく、完全な手弁当で始めたものです。おせっかいと言えばおせっかいかもしれません。ただそのときは、「これはやろう、やるべきだ」というある種の直感に突き動かされたものでした。そして趣旨に賛同してくれる個人・企業が集まり、プロジェクトとしての活動が始まりました。 「ドアプロジェクト」はその後、対象分野を広げ、13年間続く、常時数百人が参加する「危険学プロジェクト」「ポスト危険学プロジェクト」へとつながっていきました。こうした活動も、「この活動をすることは自分にとって得か損か」などと事前に計算していたら、とうてい、やり始めることさえできなかったでしょう。 どんな人の人生にも、おそらくこうした分岐点のようなものがあると思います。私はそのときにどちらの道を進むのか、最後に決めるのは「計算」より「直感」なのではないかと思っています』、「六本木の高層ビルの回転ドアで六歳の男児が挟まれて亡くなるという痛ましい事故」の後、「私は仲間たちと原因究明を目的として「ドアプロジェクト」を始めました。じつはこのプロジェクトは、誰かに仕事として依頼されたわけでもなく、完全な手弁当で始めたものです」、「その後、対象分野を広げ、13年間続く、常時数百人が参加する「危険学プロジェクト」「ポスト危険学プロジェクト」へとつながっていきました」、大したものだ。
・『仮説を立てる 「なんだろう」「変だな」と直感で思った次は、「自分で考える」ことですが、「自分で考える」とは、言い換えると「仮説を立てる」ことです。 新商品・新サービスの企画にせよ、ビジネス上の戦略にせよ、国の政策にせよ、まず「○○という目的のために、△△をすればいいのではないか」という仮説を立て、実行するための手順に落とし込んでいきます。 たとえば政府の行ってきた新型コロナ対策なども、まず仮説を立て、実行に移されます。感染拡大を防ぐためには人の流れを減らせばいいはずだ、重症者を増やさないためには、リスクの高い人から優先的にワクチンを接種すればいいはずだ、重症者が増えた場合はベッドの確保のために広域で対応すればいいはずだ……。いずれも仮説に基づく対策を行っているのです(いるはずです)。 企業の戦略も同じです。いまはこういうものが消費者に求められているという仮説をもとに製品やサービスを提供したり、近未来の状況を予測し、自社がどこに向かうべきか仮説を立てて中長期計画を立てています。 私も強く意識しているわけではありませんが、大学教員時代、退職後もずっと仮説づくりを行ってきました。 たとえば何かの実験を行う場合、必ず実験計画を作成します。その際、どのような結果が期待されるか、自分なりの仮説を立てます。仮説がないと、どのようなパラメータでどのようなデータを記録するのかを決めることすらできません。とりわけ、誰かの後追いではない新しい試みをする場合は、ゼロから自分なりの仮説をつくらなければなりません。ですからずっと、仮説に基づいて実験し検証する、そのサイクルを続けてきました。 失敗学を提唱してからは、事故調査の依頼が増えました。大きな事故が起こったとき、現場に出向き、関係者に話を聞くなどしながら、原因を探っていきます。事故の瞬間に何が起こっていたかは映像などでこと細かに記録されていることはほとんどないので、現場に残された痕跡や事故に遭遇した人たちの証言などから真相は想像するしかありません。そこで集めたピースから、頭の中で事故時の状況を再現しながら事故原因を探るのですが、これもまた仮説を立てる作業です。状況が許されるのなら、自分が立てた仮説をもとに再現実験を行うこともあります。 もちろんこうした仮説を立てる際は、なんでもいいから仮説を立てればいいというわけではありません。再現実験を行ったり、ちゃんとした事故原因を究明するためには、精度の高い仮説が求められます。当てずっぽうの仮説に基づいてこれらのことを行ってしまうと、得られるものはほとんどないどころか、ミスリードによって同じような誤りを繰り返させることになりかねません。これはどんな類いの仮説づくりであろうと同じです。 たとえばある企業で消費行動に関する仮説を立て、精度が低いまま、それに基づいて製品やサービスを企画して世に出したとします。仮説の精度が低いというのは、実際のニーズと大きくかけ離れているということですから、こういう場合は当然、期待していた成果は得られません。 それでも自分たちで考えた仮説を実際に試したことで、考えが及んでいなかった別の支配法則のようなものが見つかって、それが新たな成果につながることもありますから、実行したこと自体にはそれなりの意味はあります。とは言え、仮説の精度を高めたほうが成功する確率ははるかに上がります。 それではどうすれば仮説の精度を高めることができるのでしょうか? 私の経験では、結局のところ、自分でしつこくやり続けるのがいちばんです。 私は研究仲間や教え子から「先生ははじめて見る事象に対しても、その事象を支配する法則や、パラメータを見つけるのが上手だ」と褒められることがあります。これは興味を持ったり、仕事上必要なものであるとか、ある事象を理解するとき、たんなる一般的な知識として取り込むのではなく、その対象について徹底的に見て考えて自分なりのモデル、つまり仮説をつくることを続けてきた結果だと思います。 と言っても、私も最初から精度の高い仮説を立てられていたわけではありません。何回もしつこく続けていたから、自分がつくる仮説の精度が結果として上がってきたのだと、自分自身では考えています』、「私も最初から精度の高い仮説を立てられていたわけではありません。何回もしつこく続けていたから、自分がつくる仮説の精度が結果として上がってきたのだと、自分自身では考えています」、なるほど。
・『仮説と実行の繰り返し 実行することのほうがより大事だということを前述しましたが、漠然と考えているだけのものを実行しても得られるものは少なく次に活かすことができません。「頑張ってやってみたけどうまくいかなかった」だけでは、次につながりません。 一方で、自分でちゃんと仮説を立てて実行して、それでもうまくいかなかったとき、それは次へのチャンスにつながります。 何かの現象が起こったとき、その現象を支配しているのはどんなパラメータなのか、パラメータ同士の関係はどうなっているのかなど、自分の過去の経験や学んで獲得して持っている知識を総動員して頭の中に仮説をつくるのです。 そうした場合、実行してうまくいかなかったとしても、失敗した原因について、「ここに考え落としがあった」「想定外の反応があった」「こういう制約条件があることに気づいていなかったのがまずかった」などと、いろいろと検討しながら推測しやすくなります。そのうえで、新たな仮説を立てて再び実行することを繰り返し行えば、そのたびにうまくいく可能性はより高まっていきます。 仮説と実行を繰り返す――つまり試行錯誤する――ことは、クリエイティブな作業を行うときには欠かせない作業です。実際にやってみると、だいたい自分の仮説通りにいかないですし、一度で満足のいくものができることもほとんどありません。しかしその原因を考える中で、足りないもの、思い違いをしていたものなどいろいろなことが見えてきます。そうして得たものをもとに、新たな仮説を立てて実行することができるし、場合によっては別の創造のタネにすることだってできます。 iPS細胞の研究でノーベル生理学・医学賞を受賞した山中伸弥さんは、他の人と違う創造的なことをやろうとすると、以下の三つの場合しかないと言っています。それは、「誰も思いつかないことを思いついたとき」「みんなが望んでいるけれど無理だとあきらめているとき」「仮説を立てて実験した結果が最初の予想と違うとき」の三つです。 誰も思いつかないことを思いつくのは、よほどの天才か、奇跡的なひらめきがあったときだけですから、現実にはほとんどありません。二番目は、未踏のまま残されたところを自分の考えで切り開いていくやり方ですが、やり甲斐はあるものの多くの時間と労力を要するので、よほどの覚悟を持って取り組まないといい結果は得られないかもしれません。 これらに比べると三つ目は比較的誰にでもできるのではないでしょうか。仮説を立てて実行するのは、どんなことでも日常的にできますが、チャンスなのは自分の仮説とは違う結果が出たときです。そこに注目して、それを新たな創造の糧にしたり、タネにするのです。 自分で考えて実行するというのは、この三つ目の考え方と基本的には同じです。なんでもそうですが、仮説を立ててやってみたけれどうまくいかない。じつはそこにこそ、目的としていることを成功に導いたり、新たなものを創造するための大事なポイントや情報があるのです。そしてそのことに気づくことができるのは、自分でちゃんと考えたうえで実行している人だけなのです。 私が大学で学生を指導していたときも、ペーパーテストで優秀な成績を取っていても演習ではなかなか手を動かさない学生より、ペーパーテストではそこまでではなくても、演習でどんどん手を動かして試行錯誤を繰り返していくタイプの学生のほうが、最終的に伸びていきました』、「ペーパーテストで優秀な成績を取っていても演習ではなかなか手を動かさない学生より、ペーパーテストではそこまでではなくても、演習でどんどん手を動かして試行錯誤を繰り返していくタイプの学生のほうが、最終的に伸びていきました」、やはり「実行」が肝心なようだ。
先ずは、3月7日付けAERAdot「福島第一原発「デブリ取り出しは不可能」と専門家 廃炉できないなら「『石棺』で封じ込めるしかない」」を紹介しよう。
https://dot.asahi.com/aera/2022030400025.html?page=1
・『東京電力福島第一原発事故からまもなく11年。国と東電は30~40年後の廃炉完了を目指すロードマップに基づき、作業を進めている。だが、相次ぐトラブルから廃炉作業の計画は大幅に遅れている。廃炉は本当に可能なのか。AERA 2022年3月7日号は、小出裕章・元京大原子炉実験所助教に聞いた。 国と東電が策定したロードマップは「幻想」です。 国と東電がいう「廃炉」とは、燃料デブリを格納容器から取り出し、専用の容器に封入し、福島県外に搬出するということです。 当初、国と東電は、デブリは圧力容器直下の「ペデスタル」と呼ばれるコンクリート製の台座に、饅頭(まんじゅう)のような塊になって堆積(たいせき)していると期待していました。そうすれば、格納容器と圧力容器のふたを開け、上方向からつかみ出すことができます。 しかし、デブリはペデスタルの外部に流れ出て飛び散っていることが分かりました。デブリを上部から取り出すことができないことが分かったのです。 そこで国と東電はロードマップを書き換え、格納容器の土手っぱらに穴を開け横方向に取り出すと言い出しました。しかしそんなことをすれば遮蔽(しゃへい)のための水も使えず、作業員の被曝(ひばく)が膨大になってしまいます。それどころか、穴を開けた方向にあるデブリは取り出せたとしても、格納容器の反対側にあるデブリはペデスタルの壁が邪魔になり、見ることも取り出すこともできません。 つまり、デブリの取り出しは100年たっても不可能です。 東電は「国内外の技術や英知を活用すれば廃炉はロードマップ通りに達成できる」などと繰り返し言っているようです。本気で考えているとすれば、相当なバカだと思います。ロードマップは彼らの願望の上に書かれたもので、その願望はすでに崩れています。 廃炉できなければどうすればいいか。できうることは、1986年のチェルノブイリ原発事故の時に実施したように、原子炉建屋全体をコンクリート製の構造物「石棺」で封じ込めるしかありません。) 人間に対して脅威となる放射性物質のセシウム137とストロンチウム90の半減期は、それぞれ30年と28年です。100年待てば放射能は10分の1に、200年待てば100分の1に減ってくれます。 100年か200年か経てば、その間に、ロボット技術や放射線の遮蔽技術の開発も進むはずです。そして、いつかの時点でデブリを取り出すこと以外ないと思います。 国と東電は、それくらい長期にわたる闘いをしているんだと覚悟しなければいけません。 そのためにも、一刻も早く福島県に「廃炉は不可能」と説明し、謝罪するべきです。悲しいことですが、事実を直視しなければ前に進めません』、「デブリはペデスタルの外部に流れ出て飛び散っていることが分かりました。デブリを上部から取り出すことができないことが分かったのです。 そこで国と東電はロードマップを書き換え、格納容器の土手っぱらに穴を開け横方向に取り出すと言い出しました。しかしそんなことをすれば遮蔽(しゃへい)のための水も使えず、作業員の被曝・・・が膨大になってしまいます・・・デブリの取り出しは100年たっても不可能です」、「できうることは、1986年のチェルノブイリ原発事故の時に実施したように、原子炉建屋全体をコンクリート製の構造物「石棺」で封じ込めるしかありません」、「「石棺」で封じ込めるしかありません」、「100年か200年か経てば、その間に、ロボット技術や放射線の遮蔽技術の開発も進むはずです。そして、いつかの時点でデブリを取り出すこと以外ないと思います」、国や東電は、そろそろ現実を直視すべきだろう。
次に、6月6日付け現代ビジネスが掲載した東大名誉教授で原発の政府事故調委員長の畑村 洋太郎氏による「日本型エリート思考”の限界を3.11の原発事故に見た 新失敗学 正解をつくる技術(3)」を紹介しよう。
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/95914?imp=0
・『「決められた正解を素早く出す」ことが優秀な人とされた時代から「自ら正解をつくる」ことができる人の時代へ。「正解がいくつもある時代」になった今、自分たちで正解をつくっていく必要がある。そして自分たちで正解をつくるとは、仮説ー実行ー検証を回していくことにほかならない。そのためのポイントを丁寧に解説、これから私たちが身につけるべき思考法を明らかにした書籍『新失敗学 正解をつくる技術』から注目の章をピックアップしてお届け』、興味深そうだ。
・『東大工学部で感じた違和感 私が東京大学に入学したのは1960年のことです。その後、機械工学科修士課程を出てから日立製作所に就職しましたが、2年後に助手として大学に戻り、2001年に定年で退官するまで30年余、工学部で教員生活を送りました。 私が所属していた東大工学部は、優等生がゴロゴロいました。もちろん百人いれば数人は、「こいつは本当に頭がいい」と感じる、ものごとの本質を突き詰めようとするタイプもいましたが、大部分がいわゆる優等生タイプでした。たしかに頭の回転は速く優秀ではあるのですが、ものごとの本質を突き詰めて考えるというより、自分がいかに早く正解を出せるか、そして知識量の多さを競うような学生が多かったのです。 そして優等生が大部分だった当時の東大工学部を覆っていた雰囲気もまた、とにかく正解が外にあるのだから、それを持ってきてうまく使おうという、いわば「便宜主義」でした。 その典型的な例が原子力発電です。東大原子力工学科は、私が入学した1960年に設立されました。日本初の原子力発電所による試験発電が63年、初の商用発電が66年ですから、ちょうど私の学生時代は日本の原発の黎明期に当たります。 私は当時、原発はすごいものだなと思っていました。原発の試験発電と同じ1963年、関西電力の社運をかけて建設された黒四ダムが、7年の歳月と171人の殉職者を出しながら完成します。このときできた水力発電所の出力が33万5000キロワットでした。一方で日本初の商用軽水炉として66年に着工し、70年に発電を開始した日本原子力発電の敦賀発電所一号機が、一基で35万7000キロワット、その後は一基70万キロワットを超える原発がどんどん建設されていくわけですからエネルギー量がケタ違いです。 日本にとってエネルギーをどのように確保するかは、明治以来ずっと続く大きな課題です。唯一の原爆被爆国である日本でも、原子力を「平和利用」すればエネルギー問題が解決できる、原発こそ夢のエネルギー源だと考えたのは、とてもよく理解できます。 しかしその反面、原子力畑の人が言っているロジックには、なにか危うさも感じていました。原発が本当に安全なのかという議論は当初から頻繁にされていました。それに対し原子力畑の人たちは、原爆と原発とは構造も違うし、何重にも制御できる仕組みがあるから絶対大丈夫ということを言い続けてきました。 しかし、ものごとの本質を考えれば、ウランという原子量が非常に多いものを使っていることは、原爆も原発も変わりありません。物質の構造で見ると、原子量が多いということは、たくさんの素粒子同士のつながりがあって、そこにエネルギーがたくさん蓄積されているということです。だから、その蓄積されたエネルギーを取り出して使えば、少ない材料から大きなエネルギーを得ることができるという考えです。 先進国の米国がやり始めたことだし、とても便利なものだし、安全も確保される(はずだ)し、放射性廃棄物などの難しい問題は後から考えよう――、こうした考え方は便宜主義そのものです。そうした考え方には当時から違和感を感じてきました』、「優等生が大部分だった当時の東大工学部を覆っていた雰囲気もまた、とにかく正解が外にあるのだから、それを持ってきてうまく使おうという、いわば「便宜主義」でした」、「原発」は「先進国の米国がやり始めたことだし、とても便利なものだし、安全も確保される(はずだ)し、放射性廃棄物などの難しい問題は後から考えよう――、こうした考え方は便宜主義そのものです」、なるほど。
・『原発事故に見る日本型エリート思考の限界 2011年3月の東日本大震災における福島第一原発事故は、このような便宜主義の限界を示した大事故でした。私は当時の政府から事故調査委員会(いわゆる政府事故調)の委員長を依頼されて、約1年3ヵ月の間、この事故の調査を行いました。 福島第一原発には6つの原子炉がありました。大事故に至ったのはこのうちの3つで、それぞれ状況は違いましたが、原子力発電において最も重要な「原子炉を冷やす」という機能を失ったことで問題が発生した点は同じでした。ここでは細かな説明は省きますが、冷却できなくなった核燃料は、自身が発し続けた熱で溶けて圧力容器の底に落ち(メルトダウン)、やがて外側の格納容器にまで漏れ出した(メルトスルー)のです。その際、大量に水素が発生して建物内に充満し、これが爆発を起こして建屋を含む周囲を激しく破損しながら大量の放射性物質を外部に放出しました。 周辺ではこの放射性物質による汚染はいまなお続き、事故現場では建物全体を封じ込めることで大気への放出は抑えられているものの、冷却用に使われている水の処理がいまでも大きな問題になっています。国際原子力事象評価尺度(INES)において最悪のレベル7(深刻な事故)に分類されていますが、これは史上最悪の原発事故とされている1986年のチョルノービリ原発事故(旧ソビエトで現在はウクライナ)と同じ評価です。 福島第一原発の事故では当初、地震による大きな揺れを感知して自動停止した原子炉の冷却機能は維持されていました。地震の影響で外部からの電源供給が途絶えたものの、非常用の発電機が正常に働いていたからです。ところが、その後押し寄せた津波による浸水によって非常用の発電機が使えなくなり、「原子炉を冷やす」という重要な機能が失われました。これが致命傷となって、史上最悪の重大事故が引き起こされてしまったのです。 非常用の発電機が津波による深刻な被害を受けたのは、敷地内で最も低い、地下に設置されていたからでした。当初の想定では、その場所でも津波による被害は及ばないと考えられていましたが、実際に到達した津波の高さは想定をはるかに超えていました。もちろん非常用の発電機をあらかじめどんなに高い津波がやってきても影響を受けない場所に設置していたら、あのような重大事故が発生することはなかったでしょう。関係者は事故発生後、悔やんでも悔やみきれない思いでいたことでしょう。 ではなぜ、非常用の発電機を津波の影響を受けやすい地下などに設置していたのでしょうか? 津波の高さこそ想定外だったとはいえ、あらかじめ津波による被害を想定していた場所です。備えとしては念のため想定外の高さの津波がやってきても被害を受けない場所に設置しておくべきと考えるほうが自然です。むしろそうしていなかったことが不思議でした。 結論から言うと、米国から技術を日本に持ち込む際、知識が中途半端に伝わったことによる悲劇でした。私は政府事故調の活動を通じて、福島第一原発だけでなく日本中の原発が非常用の発電機を地下に置いていたことを知りました。その理由は政府事故調の期間ではわからなかったのですが、その後、さらに調べている中で、米国から原発の技術が持ち込まれたときに、本質的な議論もなしに、形だけの知識が伝わったものであることをある人から教わりました』、「福島第一原発だけでなく日本中の原発が非常用の発電機を地下に置いていた」、「その理由は・・・米国から原発の技術が持ち込まれたときに、本質的な議論もなしに、形だけの知識が伝わったものであることをある人から教わりました」、なるほど。
・『米国と日本の決定的な違い 米国ではなぜ、地下に非常用発電機を設置していたのか。それは、米国ではいちばんの脅威が、「津波」ではなく「竜巻」だったからです。 米国はもともと竜巻被害の多い国です。2021年12月にも中西部や南部を襲った竜巻で90人以上の死者が出たことが大きく報道されました。竜巻がやってきて仮に風速100メートルの暴風に襲われたとすると、竜巻の通り道にある木々や建物は鋭利な刃物で切られたように吹き飛ばされてしまいます。それらを巻き込んだ強風は、大きな破壊力を持っているので、たまたま通り道になっていたりすると、原発の建物やその中にある各種の重要な設備が破壊されてしまうかもしれません。原発本体は頑丈なつくりになっているので耐えられたとしても、冷却に必要な電力を供給するシステムや非常用発電機が破壊されると重大な事故につながりかねないので、これらを最も安全な地下に置くことで安全を確保していたわけです。 ところが日本に原発の技術が伝えられたとき、安全確保に関するこの重要な知識の中身は正確に伝わりませんでした。あるいは途中で消えてしまったということかもしれませんが、いずれにしても結果として残ったのは「重要な設備は地下に置く」という中途半端な知識だけでした。この知識は竜巻から守るためなら有効なものの、日本の原発が想定し、備えていなければいけなかった津波への対策としては、明らかに不適切なものでした。 このように、「ある地域・ある時代の人たちにとっては自明であるがゆえに明文化されず伝えられることもない重要な知識がある」ということも、失敗学では重要な知見の一つです。いちばん大事なことは、常識としてみんなの頭の中に入っているので、文章化されないことがあるのです。 福島第一原発では、もともとの海岸段丘を掘削して立地のレベルを下げ、その地下に非常用電源を設置しています。平地の確保、海水を冷却水として利用しやすくするためといった理由はあるのでしょうが、津波が予測される日本の海岸に設置される原発にとって、いちばん必要なことは何か、という観点からは、ナンセンスとしか言いようがありません。 事故調では、なぜそのようなことをしたのか調べましたが、当時の経緯について触れた資料はまったく残されていませんでした。資料が残されていない以上、当時技術を導入した人たちが、どこまで考えていたかは詳細にはわかりません。しかし、「先進国の米国で行われていることだから間違いないだろう」という意識が働き、思考停止していたのではなかったかと推測しています。 私はここにも正解を持ってくればいい、正解を持ってきてそのままあてはめればいいという優等生型の思考の限界を感じます。 「正解」がはっきりしている場合は、そのまま正解を頭にインプットすれば問題はありませんし、非常に効率的です。しかし「正解」がわからない場合、「正解」自体が間違っている場合も、実際の世界には数多くあるのです。 こうしたときには、本質的には何が重要なのか、根本を突き詰めて考える必要があります。非常用電源を地中に入れておけば「正解」という思考には、本質的に何が重要なのかについて考えた形跡はまったくないのです』、「米国ではいちばんの脅威が、「津波」ではなく「竜巻」」、「冷却に必要な電力を供給するシステムや非常用発電機が破壊されると重大な事故につながりかねないので、これらを最も安全な地下に置くことで安全を確保」、「当時の経緯について触れた資料はまったく残されていませんでした。資料が残されていない以上、当時技術を導入した人たちが、どこまで考えていたかは詳細にはわかりません。しかし、「先進国の米国で行われていることだから間違いないだろう」という意識が働き、思考停止していたのではなかったかと推測しています。 私はここにも正解を持ってくればいい、正解を持ってきてそのままあてはめればいいという優等生型の思考の限界を感じます」、その通りだろう。
第三に、この続きを、6月7日付け現代ビジネスが掲載した畑村 洋太郎氏による「「正解を作る技術」を詳細公開! ビジネス、生活…すべてに活用できるその技術とは? 新失敗学 正解をつくる技術(4)」を紹介しよう。原発問題とは離れるが、「畑村」氏の考え方をより深く知る意味があるとして取上げた次第である。
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/95945?imp=0
・『「決められた正解を素早く出す」ことが優秀な人とされた時代から「自ら正解をつくる」ことができる人の時代へ。「正解がいくつもある時代」になった今、自分たちで正解をつくっていく必要がある。そして自分たちで正解をつくるとは、仮説ー実行ー検証を回していくことにほかならない。そのためのポイントを丁寧に解説、これから私たちが身につけるべき思考法を明らかにした書籍『新失敗学 正解をつくる技術』から注目の章をピックアップしてお届け』、「正解をつくる技術」とは興味深そうだ。
・『「正解がない時代」とは「正解がいくつもある時代」のこと 現代は、いままでの思考法――問題を分析し、その問題の正解を外から持ってくるという思考法――だけでは、多くの場面で通用しません。 私はいまの時代を「正解がない時代」というより、唯一解のない「正解がいくつもある時代」と捉えています。 そんな時代に必要なのは、やはり自分なりの正解を出していく思考法です。これはビジネスに限りません。直面している問題の解決など、すべての活動に求められている考え方です。 それは言い換えれば、「自分で考えて実行し、その結果を検証する」サイクルを続けることにほかなりません。 そこでまず、そのサイクルの基本的なプロセスについて説明していきましょう』、「自分なりの正解を出していく思考法」、「それは」「「自分で考えて実行し、その結果を検証する」サイクルを続けること」、なるほど。
・『「自分で考えて実行する」とは 「自分で考えて実行する」ことは、じつは多くの人が、日常行っていることです。たとえば、「今日は午後から雨が降りそうだから折りたたみの傘を持って出よう」「今日は金曜日、ということは、いつも通る道は渋滞しそうだから、別の道を選ぼう」「昨晩は焼肉屋に行っていっぱい肉とごはんを食べたから、今日の夕食はさっぱりと野菜中心にしよう」といったことは、すべて自分で考えて実行することに含まれます。こうした日常的な出来事から、さまざまな計画を立てる、企画を考える、設計をするなどのことがすべて、「自分で考えて実行する」ことになります。 ですから、日ごろから意識的に、自分で考えて実行する機会を増やせるかどうかで、人生は大きく変わってくるのです。 一方、「親に言われたから実行した」「教師に言われたから~」「上司に言われたから~」「夫に(妻に)言われたから~」「マニュアルにそう書いてあるから~」「それが決まりだから~」というのはどうでしょうか? そこでは「自分で考えて」の部分が抜けています。 さらに、「自分で考えたけれど、実行しない」のはどうでしょうか? じつは私は、「自分で考えて実行する」ことのうち、「実行する」ほうがより重要だと考えています。 というのも、自力で考えるときよりも、考えたことを実行しようとするときのほうが、さまざまな制約が次から次へと出てきて、はるかに難易度が上がるからです。 たとえば、自分の仕事で新たな企画を考えたり、プライベートで旅行の計画をする。しかしそれをいざ実行しようとすると、「時間がない」「人がいない」「お金がない」「場所がない」「実現する手段がわからない」というように、いろいろな制約が出てきてなかなか実行できないということはよくあります。「考える」と「実行する」の間にある壁は、じつは非常に大きい』、「自力で考えるときよりも、考えたことを実行しようとするときのほうが、さまざまな制約が次から次へと出てきて、はるかに難易度が上がるからです」、確かにその通りだろう。
・『実行することこそが大切 だからこそ、実行することが大切です。まずはどんどんやってみることをおすすめします。そもそも「考える」と「実行する」との間にどんな壁があるかは、実際にやってみないと、なかなか見えてきません。もう一歩進んで実際にやってみると、まったく予期していなかった新しい制約条件が出てきたり、思いもかけない結果が引き起こされたりするなど、もっと別のものが次々と見えてきたりします。そうして明らかになった新たな制約条件を乗り越えたり、別の方法を見つけることが正解への道になるので、実行することそのものが、成功へ至る具体的な道筋を知る方法でもあります。 だいたい多くのことは、頭で考えた通りには動きません。本当のところはどうなのかは、実際にやってみないとわからないものなのです。 極端なことを言えば、最初は「誰かに言われたから実行する」でも良いのです。自分で考えたものでなくても「実行する」ことで、自分の頭が動き出すことだってあります。 たとえば、学校で行う理科の実験のように、誰かがすでにさんざん行って「正解」のあるものでさえ、自分で実際にやってみると、なかなかうまくいかないことが多く、さまざまな発見があります。もちろんうまくいかないということは、材料を間違えたり、手順を間違えたり、温度を間違えたりと、理由が必ずあります。しかしなぜダメだったかを自分で知ることが、本人にとって大きなプラスになることもあるので、できることは可能な限りどんどん実行してみることをおすすめします』、「だいたい多くのことは、頭で考えた通りには動きません。本当のところはどうなのかは、実際にやってみないとわからないものなのです。 極端なことを言えば、最初は「誰かに言われたから実行する」でも良いのです。自分で考えたものでなくても「実行する」ことで、自分の頭が動き出すことだってあります」、なるほど。
・『第一歩は直感から始まる 「自分で考えて実行する」ことの最初の一歩、それは「直感」です。 じつは私はふだん、同じ読みでも「直観」のほうをよく使っています(『直観でわかる数学』〈岩波書店〉という本も2004年に出しました)。この「直感」と「直観」、読みは同じでも意味は大きく異なります。 「直観」は、ものごとの本質をひとつかみに把握するものです。一般的には「論理を用いずに」と説明される言葉ですが、実際には、「なぜそのような判断をしたのか」と理由を問われると、後からきちんと論理的に説明できるものです。「直観」は、実際にはさんざん考え抜いた人だからこそ身につけられるものだと私は考えています。 一方、「直感」は、もう少しほわっとしたものです。違和感だったり、好みだったり、勘だったり……。「感」という文字の通り、感覚的なものだったり、こみあげてくる感情だったりします。論理的にはうまく説明できないことも多いものです。 論理的に説明できない「直感」は、「直観」に比べて、一段劣るものと考える人もいるかもしれません。 しかし、この直感こそが、新たなことを考えるとっかかりとなります。 日常の活動でも仕事をしていても感じる「なんか変だな」といったちょっとした違和感、ちょっとした数字の変化、見慣れた景色だけれどいつもと違うという空気……。意識しないとそのまま通り過ぎてしまうような小さなことが、意外と大きな意味を持つことが、じつは結構あるのです。 私は大学院を修了後、日立製作所で2年間働き、それから大学に戻りました。日立製作所では、いろいろな経験をさせてもらいました。とりわけ後から考えると貴重だったのは、設計の仕事の前にさまざまな現場を経験できたことです。とくに重機の試作機の耐久試験をやる仕事では、自分の五感を使ったいろいろな発見ができました。 あるとき、重機の試作機からふだんと違う音が聞こえてきたことがあります。注意していなければわからないような音の違いでしたが、上司に報告して調べたところ、冷却水が漏れて空焚きの状態になっていることがわかりました。 また別の機会には、熱の変化から試作機の異常に気づいたことがありました。正確に言うと、熱の変化というのは後からわかったことで、最初は試作機の横を通ったときに「昨日とは違う」「なにかおかしい」くらいにしか感じませんでした。そのことを一緒に試作機を動かしている先輩に話したところ、「それなら調べてみよう」と動いてくれました。そしていろいろと調べているうちに、試作機の冷却用の水が抜かれていたのを発見することができたのでした。 熱は温度の高い物体から低い物体へ電磁波によって伝わります。この熱のことを輻射熱といいます。どんな物体も常に輻射熱を放っていますが、感じ方は対象同士の差によって異なります。ふつうは体温より高いものからの輻射熱は「温かい」と感じるし、体温より低いものからの輻射熱は「涼しい」とか「冷たい」と感じます。 しかし、私が試作機から感じたのは、こうした明確なものではありませんでした。「昨日とは違う」とか「なにかおかしい」といったかすかな変化の幅くらいのものでした。それでも違いを感じることができたのは、それまでの現場経験で、五感を使うことの大切さを学んでいたからでしょう。 また、直感はそうした五感からのものだけではありません』、「畑村氏」が、何回となく異常を発見してきた「直感」の鋭さには感服せざるを得ない。
・『「おせっかい」から始まったプロジェクト 2004年3月に、東京・六本木の高層ビルの回転ドアで六歳の男児が挟まれて亡くなるという痛ましい事故がありました。この事故の後、私は仲間たちと原因究明を目的として「ドアプロジェクト」を始めました。じつはこのプロジェクトは、誰かに仕事として依頼されたわけでもなく、完全な手弁当で始めたものです。おせっかいと言えばおせっかいかもしれません。ただそのときは、「これはやろう、やるべきだ」というある種の直感に突き動かされたものでした。そして趣旨に賛同してくれる個人・企業が集まり、プロジェクトとしての活動が始まりました。 「ドアプロジェクト」はその後、対象分野を広げ、13年間続く、常時数百人が参加する「危険学プロジェクト」「ポスト危険学プロジェクト」へとつながっていきました。こうした活動も、「この活動をすることは自分にとって得か損か」などと事前に計算していたら、とうてい、やり始めることさえできなかったでしょう。 どんな人の人生にも、おそらくこうした分岐点のようなものがあると思います。私はそのときにどちらの道を進むのか、最後に決めるのは「計算」より「直感」なのではないかと思っています』、「六本木の高層ビルの回転ドアで六歳の男児が挟まれて亡くなるという痛ましい事故」の後、「私は仲間たちと原因究明を目的として「ドアプロジェクト」を始めました。じつはこのプロジェクトは、誰かに仕事として依頼されたわけでもなく、完全な手弁当で始めたものです」、「その後、対象分野を広げ、13年間続く、常時数百人が参加する「危険学プロジェクト」「ポスト危険学プロジェクト」へとつながっていきました」、大したものだ。
・『仮説を立てる 「なんだろう」「変だな」と直感で思った次は、「自分で考える」ことですが、「自分で考える」とは、言い換えると「仮説を立てる」ことです。 新商品・新サービスの企画にせよ、ビジネス上の戦略にせよ、国の政策にせよ、まず「○○という目的のために、△△をすればいいのではないか」という仮説を立て、実行するための手順に落とし込んでいきます。 たとえば政府の行ってきた新型コロナ対策なども、まず仮説を立て、実行に移されます。感染拡大を防ぐためには人の流れを減らせばいいはずだ、重症者を増やさないためには、リスクの高い人から優先的にワクチンを接種すればいいはずだ、重症者が増えた場合はベッドの確保のために広域で対応すればいいはずだ……。いずれも仮説に基づく対策を行っているのです(いるはずです)。 企業の戦略も同じです。いまはこういうものが消費者に求められているという仮説をもとに製品やサービスを提供したり、近未来の状況を予測し、自社がどこに向かうべきか仮説を立てて中長期計画を立てています。 私も強く意識しているわけではありませんが、大学教員時代、退職後もずっと仮説づくりを行ってきました。 たとえば何かの実験を行う場合、必ず実験計画を作成します。その際、どのような結果が期待されるか、自分なりの仮説を立てます。仮説がないと、どのようなパラメータでどのようなデータを記録するのかを決めることすらできません。とりわけ、誰かの後追いではない新しい試みをする場合は、ゼロから自分なりの仮説をつくらなければなりません。ですからずっと、仮説に基づいて実験し検証する、そのサイクルを続けてきました。 失敗学を提唱してからは、事故調査の依頼が増えました。大きな事故が起こったとき、現場に出向き、関係者に話を聞くなどしながら、原因を探っていきます。事故の瞬間に何が起こっていたかは映像などでこと細かに記録されていることはほとんどないので、現場に残された痕跡や事故に遭遇した人たちの証言などから真相は想像するしかありません。そこで集めたピースから、頭の中で事故時の状況を再現しながら事故原因を探るのですが、これもまた仮説を立てる作業です。状況が許されるのなら、自分が立てた仮説をもとに再現実験を行うこともあります。 もちろんこうした仮説を立てる際は、なんでもいいから仮説を立てればいいというわけではありません。再現実験を行ったり、ちゃんとした事故原因を究明するためには、精度の高い仮説が求められます。当てずっぽうの仮説に基づいてこれらのことを行ってしまうと、得られるものはほとんどないどころか、ミスリードによって同じような誤りを繰り返させることになりかねません。これはどんな類いの仮説づくりであろうと同じです。 たとえばある企業で消費行動に関する仮説を立て、精度が低いまま、それに基づいて製品やサービスを企画して世に出したとします。仮説の精度が低いというのは、実際のニーズと大きくかけ離れているということですから、こういう場合は当然、期待していた成果は得られません。 それでも自分たちで考えた仮説を実際に試したことで、考えが及んでいなかった別の支配法則のようなものが見つかって、それが新たな成果につながることもありますから、実行したこと自体にはそれなりの意味はあります。とは言え、仮説の精度を高めたほうが成功する確率ははるかに上がります。 それではどうすれば仮説の精度を高めることができるのでしょうか? 私の経験では、結局のところ、自分でしつこくやり続けるのがいちばんです。 私は研究仲間や教え子から「先生ははじめて見る事象に対しても、その事象を支配する法則や、パラメータを見つけるのが上手だ」と褒められることがあります。これは興味を持ったり、仕事上必要なものであるとか、ある事象を理解するとき、たんなる一般的な知識として取り込むのではなく、その対象について徹底的に見て考えて自分なりのモデル、つまり仮説をつくることを続けてきた結果だと思います。 と言っても、私も最初から精度の高い仮説を立てられていたわけではありません。何回もしつこく続けていたから、自分がつくる仮説の精度が結果として上がってきたのだと、自分自身では考えています』、「私も最初から精度の高い仮説を立てられていたわけではありません。何回もしつこく続けていたから、自分がつくる仮説の精度が結果として上がってきたのだと、自分自身では考えています」、なるほど。
・『仮説と実行の繰り返し 実行することのほうがより大事だということを前述しましたが、漠然と考えているだけのものを実行しても得られるものは少なく次に活かすことができません。「頑張ってやってみたけどうまくいかなかった」だけでは、次につながりません。 一方で、自分でちゃんと仮説を立てて実行して、それでもうまくいかなかったとき、それは次へのチャンスにつながります。 何かの現象が起こったとき、その現象を支配しているのはどんなパラメータなのか、パラメータ同士の関係はどうなっているのかなど、自分の過去の経験や学んで獲得して持っている知識を総動員して頭の中に仮説をつくるのです。 そうした場合、実行してうまくいかなかったとしても、失敗した原因について、「ここに考え落としがあった」「想定外の反応があった」「こういう制約条件があることに気づいていなかったのがまずかった」などと、いろいろと検討しながら推測しやすくなります。そのうえで、新たな仮説を立てて再び実行することを繰り返し行えば、そのたびにうまくいく可能性はより高まっていきます。 仮説と実行を繰り返す――つまり試行錯誤する――ことは、クリエイティブな作業を行うときには欠かせない作業です。実際にやってみると、だいたい自分の仮説通りにいかないですし、一度で満足のいくものができることもほとんどありません。しかしその原因を考える中で、足りないもの、思い違いをしていたものなどいろいろなことが見えてきます。そうして得たものをもとに、新たな仮説を立てて実行することができるし、場合によっては別の創造のタネにすることだってできます。 iPS細胞の研究でノーベル生理学・医学賞を受賞した山中伸弥さんは、他の人と違う創造的なことをやろうとすると、以下の三つの場合しかないと言っています。それは、「誰も思いつかないことを思いついたとき」「みんなが望んでいるけれど無理だとあきらめているとき」「仮説を立てて実験した結果が最初の予想と違うとき」の三つです。 誰も思いつかないことを思いつくのは、よほどの天才か、奇跡的なひらめきがあったときだけですから、現実にはほとんどありません。二番目は、未踏のまま残されたところを自分の考えで切り開いていくやり方ですが、やり甲斐はあるものの多くの時間と労力を要するので、よほどの覚悟を持って取り組まないといい結果は得られないかもしれません。 これらに比べると三つ目は比較的誰にでもできるのではないでしょうか。仮説を立てて実行するのは、どんなことでも日常的にできますが、チャンスなのは自分の仮説とは違う結果が出たときです。そこに注目して、それを新たな創造の糧にしたり、タネにするのです。 自分で考えて実行するというのは、この三つ目の考え方と基本的には同じです。なんでもそうですが、仮説を立ててやってみたけれどうまくいかない。じつはそこにこそ、目的としていることを成功に導いたり、新たなものを創造するための大事なポイントや情報があるのです。そしてそのことに気づくことができるのは、自分でちゃんと考えたうえで実行している人だけなのです。 私が大学で学生を指導していたときも、ペーパーテストで優秀な成績を取っていても演習ではなかなか手を動かさない学生より、ペーパーテストではそこまでではなくても、演習でどんどん手を動かして試行錯誤を繰り返していくタイプの学生のほうが、最終的に伸びていきました』、「ペーパーテストで優秀な成績を取っていても演習ではなかなか手を動かさない学生より、ペーパーテストではそこまでではなくても、演習でどんどん手を動かして試行錯誤を繰り返していくタイプの学生のほうが、最終的に伸びていきました」、やはり「実行」が肝心なようだ。
タグ:原発問題 (その19)(福島第一原発「デブリ取り出しは不可能」と専門家 廃炉できないなら「『石棺』で封じ込めるしかない」、日本型エリート思考”の限界を3.11の原発事故に見た 新失敗学 正解をつくる技術(3)、「正解を作る技術」を詳細公開! ビジネス、生活…すべてに活用できるその技術とは? 新失敗学 正解をつくる技術(4)) AERAdot「福島第一原発「デブリ取り出しは不可能」と専門家 廃炉できないなら「『石棺』で封じ込めるしかない」」 「デブリはペデスタルの外部に流れ出て飛び散っていることが分かりました。デブリを上部から取り出すことができないことが分かったのです。 そこで国と東電はロードマップを書き換え、格納容器の土手っぱらに穴を開け横方向に取り出すと言い出しました。しかしそんなことをすれば遮蔽(しゃへい)のための水も使えず、作業員の被曝・・・が膨大になってしまいます・・・デブリの取り出しは100年たっても不可能です」、「できうることは、1986年のチェルノブイリ原発事故の時に実施したように、原子炉建屋全体をコンクリート製の構造物「石棺 現代ビジネス 畑村 洋太郎氏による「日本型エリート思考”の限界を3.11の原発事故に見た 新失敗学 正解をつくる技術(3)」 「優等生が大部分だった当時の東大工学部を覆っていた雰囲気もまた、とにかく正解が外にあるのだから、それを持ってきてうまく使おうという、いわば「便宜主義」でした」、「原発」は「先進国の米国がやり始めたことだし、とても便利なものだし、安全も確保される(はずだ)し、放射性廃棄物などの難しい問題は後から考えよう――、こうした考え方は便宜主義そのものです」、なるほど。 「福島第一原発だけでなく日本中の原発が非常用の発電機を地下に置いていた」、「その理由は・・・米国から原発の技術が持ち込まれたときに、本質的な議論もなしに、形だけの知識が伝わったものであることをある人から教わりました」、なるほど。 「米国ではいちばんの脅威が、「津波」ではなく「竜巻」」、「冷却に必要な電力を供給するシステムや非常用発電機が破壊されると重大な事故につながりかねないので、これらを最も安全な地下に置くことで安全を確保」、「当時の経緯について触れた資料はまったく残されていませんでした。資料が残されていない以上、当時技術を導入した人たちが、どこまで考えていたかは詳細にはわかりません。しかし、「先進国の米国で行われていることだから間違いないだろう」という意識が働き、思考停止していたのではなかったかと推測しています。 私はここにも 畑村 洋太郎氏による「「正解を作る技術」を詳細公開! ビジネス、生活…すべてに活用できるその技術とは? 新失敗学 正解をつくる技術(4)」 原発問題とは離れるが、「畑村」氏の考え方をより深く知る意味があるとして取上げた次第である。 「正解をつくる技術」とは興味深そうだ。 「自分なりの正解を出していく思考法」、「それは」「「自分で考えて実行し、その結果を検証する」サイクルを続けること」、なるほど。 「自力で考えるときよりも、考えたことを実行しようとするときのほうが、さまざまな制約が次から次へと出てきて、はるかに難易度が上がるからです」、なるほど。 「だいたい多くのことは、頭で考えた通りには動きません。本当のところはどうなのかは、実際にやってみないとわからないものなのです。 極端なことを言えば、最初は「誰かに言われたから実行する」でも良いのです。自分で考えたものでなくても「実行する」ことで、自分の頭が動き出すことだってあります」、なるほど。 「畑村氏」が、何回となく異常を発見してきた「直感」の鋭さには感服せざるを得ない。 「六本木の高層ビルの回転ドアで六歳の男児が挟まれて亡くなるという痛ましい事故」の後、「私は仲間たちと原因究明を目的として「ドアプロジェクト」を始めました。じつはこのプロジェクトは、誰かに仕事として依頼されたわけでもなく、完全な手弁当で始めたものです」、「その後、対象分野を広げ、13年間続く、常時数百人が参加する「危険学プロジェクト」「ポスト危険学プロジェクト」へとつながっていきました」、大したものだ。 「私も最初から精度の高い仮説を立てられていたわけではありません。何回もしつこく続けていたから、自分がつくる仮説の精度が結果として上がってきたのだと、自分自身では考えています」、なるほど。 「ペーパーテストで優秀な成績を取っていても演習ではなかなか手を動かさない学生より、ペーパーテストではそこまでではなくても、演習でどんどん手を動かして試行錯誤を繰り返していくタイプの学生のほうが、最終的に伸びていきました」、やはり「実行」が肝心なようだ。 「自力で考えるときよりも、考えたことを実行しようとするときのほうが、さまざまな制約が次から次へと出てきて、はるかに難易度が上がるからです」、確かにその通りだろう。