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葬式・墓(その2)(もはやホームパーティーより気楽!? 都市部を中心に注目される「自宅葬」、葬儀社選びから節約ポイントまで葬儀のプロが徹底解説…自宅葬「完全マニュアル」 あらゆる疑問に答えます、親父が死んで、私は突然「おくりびと」になった 思わぬものを親父と私と家族にもたらしてくれた、東京23区内の「火葬場」独占企業が中国資本傘下に 「葬儀業者」は締め出されて青息吐息) [生活]

葬式・墓については、2019年8月11日に取上げた。久しぶりの今日は、(その2)(もはやホームパーティーより気楽!? 都市部を中心に注目される「自宅葬」、葬儀社選びから節約ポイントまで葬儀のプロが徹底解説…自宅葬「完全マニュアル」 あらゆる疑問に答えます、親父が死んで、私は突然「おくりびと」になった 思わぬものを親父と私と家族にもたらしてくれた、東京23区内の「火葬場」独占企業が中国資本傘下に 「葬儀業者」は締め出されて青息吐息)である。

先ずは、本年7月19日付け現代ビジネス「もはやホームパーティーより気楽!? 都市部を中心に注目される「自宅葬」」を紹介しよう。
https://gendai.media/articles/-/97613?imp=0
・『最近、自宅葬を専門とする葬儀社が各所に生まれている。昔は、自宅で葬儀といえば「プライベートな空間に多数の人が押しよせる、大変な葬儀」というイメージがあった。 しかし葬儀が小規模化するにつれ自宅葬のデメリットが消滅し、メリットの大きいものとして注目されている。その理由と、実際に自宅葬を行うときの注意点をお伝えする』、興味深そうだ。
・『「大変なのはイヤ」  自宅で葬儀をするというと「ちょっと古臭いのでは?」と感じる読者も多いだろう。 手狭な自宅に祭壇や棺を迎え入れ、たくさんの弔問客に対応しているうちに僧侶が到着し、読経が始まる――。 参列者らが帰った後、疲れ切った遺族は荒れた玄関や汚れたトイレの清掃、貴重品が盗まれていないかなどの点検に追われる。プライベートな空間が一瞬にしてオープンな場となる自宅葬は、かつて遺族にとって負担の大きいものだった。 自宅葬が負担になるのは、葬儀社にとっても同じだ。葬儀ホールをひとたび建てれば、祭壇も参列者席も備え付けのまま、遺族や参列者に来てもらえばいいだけ。遺族の自宅へ祭壇や白黒幕、玄関飾りのための看板や提灯などを持ち込んで一日だけの葬儀空間を仕立て上げるより、ずっと省力化できる。 需給双方のニーズが合致したことにより、2000年からの20年間はとくに、葬儀ホールが全国に乱立した。 一般財団法人日本消費者協会が数年ごとに行っている「葬儀についてのアンケート調査」によると、1999年には葬儀専用式場での葬儀が30.2%にとどまっていたが、2014年の時点では、すでに81.8%にまで増加している。 一方、1999年時点で38.9%を占めていた自宅葬は、2014年には6.3%にまで減少している』、「1999年には葬儀専用式場での葬儀が30.2%、2014年の時点では81.8%にまで増加、1999年時点で38.9%を占めていた自宅葬は、2014年には6.3%にまで減少」、「自宅葬」から「葬儀専用式場での葬儀」へのシフトが顕著だ。
・『葬儀の極端な小規模化  しかし、世の中のスタンダードとは裏腹に、最近は自宅葬が業界内で注目されつつある。 日本で初めて自宅葬に特化した葬儀社が生まれたのは2016年のこと。それから少しずつ、地域特化型の自宅葬専門会社が誕生し、今では全国対応の会社もある。私の周辺でも、自宅葬を専門とする会社や、自宅葬を推奨する会社が増えてきている。 最近になって自宅葬が取り沙汰されるようになった要因は、葬儀の劇的な小規模化にある。 2000年代後半から、家族と主な親族だけで参列する「家族葬」が遺族らの支持を集めるようになってきた。義理だけで参列する人たちを廃し、内輪だけで故人を見送る家族葬は、経済的にも精神的にも遺族の負担が少ない。今や都市部では約半数が家族葬を選んでいると言っても過言ではない。 2020年代になると、葬儀の規模はさらに縮小してきた。コロナ禍によって3密が敬遠され、遠くの親族を呼ぶことや、通夜振る舞いや精進落としといった会食を控える動きが出てきたためだ。 遠くに住む長男が葬儀に出席できず兄弟に喪主を頼んだり、「高齢のご住職を葬儀会場に連れてこられない」と、葬儀をせず直葬(ちょくそう。火葬だけを行うこと)を選んだりといったケースもあったほどだ。 葬儀の急激な縮小化はもはや止められず、「こぢんまりとした葬儀」の流行は今後も続くのではないか。業界内はそんな危機感に晒されているが、そこで「これほど参列人数が少ないのなら、いっそ自宅葬がいいのでは」という気づきも生まれた。参列者が遺族と近しい親族だけであれば、もはや格式張った葬儀式場は必要ない』、「2000年代後半から、家族と主な親族だけで参列する「家族葬」が遺族らの支持を集めるようになってきた。義理だけで参列する人たちを廃し、内輪だけで故人を見送る家族葬は、経済的にも精神的にも遺族の負担が少ない。今や都市部では約半数が家族葬を選んでいると言っても過言ではない」、「葬儀をせず直葬・・・を選んだりといったケースもあったほど」、「「これほど参列人数が少ないのなら、いっそ自宅葬がいいのでは」という気づきも生まれた」、なるほど。
・『現代の自宅葬はメリットばかり  かつての自宅葬は、「人がたくさん訪れる」ことが一番のストレスであり、大変さを感じる最大の理由であった。 しかし、「人がたくさん訪れない」のならどうだろう。自分たち遺族と、常に交流があるひとつかふたつの親族だけで行う葬儀。盆暮れの集まりと変わらない顔ぶれなら、家の中をきちんと飾り立てなければという欲求も湧かない。そこに棺があるだけで、お別れの空間ができあがるのだ。 気の置けない親族だけなら、自宅葬の不安要素を全て払拭できるし、自宅葬を理由にさまざまな煩わしさからも解放される。 まず、よけいな見栄を張らずにすむため祭壇や幕、玄関飾りなどで自宅を装飾する必要がない。案内看板類も不要だし、駐車場を手配しなければという心配もいらない。結果、費用をかなり節約することにもつながる。 また、手狭な自宅での葬儀なので」という理由で参列を遠慮してもらったり、大きな供花や供物を辞退できたりする。「大勢に参列されると面倒くさい。供花や供物をもらうと、香典返しが手間……」という遺族の気持ちを、上手に隠すことができるのだ。 もはやメリットばかりという印象の自宅葬。後編となる「葬儀社選びから節約ポイントまで葬儀のプロが徹底解説…自宅葬『完全マニュアル』」では、自宅葬の流れや気になる費用、見逃せない注意点についてもお伝えする』、「よけいな見栄を張らずにすむため祭壇や幕、玄関飾りなどで自宅を装飾する必要がない。案内看板類も不要だし、駐車場を手配しなければという心配もいらない。結果、費用をかなり節約することにもつながる。 また、手狭な自宅での葬儀なので」という理由で参列を遠慮してもらったり、大きな供花や供物を辞退できたりする。「大勢に参列されると面倒くさい。供花や供物をもらうと、香典返しが手間……」という遺族の気持ちを、上手に隠すことができるのだ」、確かに「メリットばかりという印象の自宅葬」、もう少し詳しくみてみよう。

次に、この続きとして、7月19日付け現代ビジネス「葬儀社選びから節約ポイントまで葬儀のプロが徹底解説…自宅葬「完全マニュアル」 あらゆる疑問に答えます」を紹介しよう。
https://gendai.media/articles/-/97614?imp=0
・『前編記事「もはやホームパーティーより気楽!? 都市部を中心に注目される『自宅葬』」で見たように、いま、自宅葬に注目が集まっている。かつては負担がかかると思われていた葬儀形式だが、「家族葬」や「直葬」が増えて葬儀の小規模化が加速したことで、誰でも簡単にできるようになったのだ。 後編では、実際に自宅葬を行うときの注意点や費用面でのポイントをお伝えする』、興味深そうだ。
・『重要な3つのメリット  自宅葬には、そもそも重要なメリットが3つある。規模の小さな自宅葬であっても、その3つはもちろん享受できる。 1つは、遺族に忘れ物が生じないということだ。 当たり前のようでいて、実はこれが一番のメリットである。通夜と葬儀を葬儀社のホールで行うとなると、遺族は身支度をし、儀式に必要なものを持参して式場に向かうことになる。数珠に始まり、棺に入れてあげたいものまで、さまざまな忘れ物が発生する。 数珠は葬儀ホールで買えるが、棺に入れてあげたいものは、現地で手に入らない。家へ大事なものを取りに帰る時間がなく、そのまま火葬場に向かうことになるという、切ない事例をたびたび見てきた。 2つめは、時間的余裕が生まれるということ。 遺族は、ただ自宅にいさえすればいい。たびたび式場へ向かう手間が省けるだけでも、かなりの時間的余裕が生まれる。加えて葬儀が気の置けない親族だけであれば、式の直前に着付をしてもいいほどだ。 身も心もボロボロの未亡人が葬儀のため朝5時に起きて、眠い目をこすりながらまずは髪をセットしてもらうといった負担は発生しない。 3つめは、故人を住み慣れた自宅から見送れることだ。 長年入院していたり、施設に入居していたりして、自宅に戻れないまま亡くなる故人も多い。自宅葬であれば、最後に故人を懐かしい自宅へ戻してあげられるし、火葬場に向かうまで、ずっと自宅で遺族といられる。このあたたかな記憶は、残される遺族にとっても心の支えになる』、「遺族に忘れ物が生じない」、「時間的余裕が生まれる」、「故人を住み慣れた自宅から見送れる」、いずれも「自宅葬」の「メリット」だ。
・『気になる自宅葬の流れ  自宅葬の大まかな流れは、ホール葬と変わらない。ただ、葬儀の主役は大きな祭壇ではなく棺となり、狭い自宅で行うため棺すなわち故人と参列者との距離が近くなる。棺を囲んで座り、参列者が一人ひとり故人への手紙を読むといった心あたたまる演出がなされるのが特徴だ。 また、故人の写真や動画を盛り込んだオリジナルムービーを流し、参列者がそれを見ながら自由に対話するといった時間も設けられる。会場が狭く、気の置けない人たちばかりが集まる自宅葬だからこそできることだろう。 通夜と葬儀の顔ぶれが同じということもあり、菩提寺と相談して通夜を省略し、葬儀だけを行うといった判断もありうる。 また、通常であれば通夜の前に行う納棺の儀(故人に最後の衣装を着せ、化粧を施して棺に納める儀式)を葬儀に盛り込むような工夫も可能だ』、「通夜を省略し、葬儀だけを行うといった判断もありうる」、確かに「通夜」は無駄ともいえる。
・『自宅葬の費用目安と節約ポイント  少人数の自宅葬は、経済的負担が小さいのも注目したいポイントだ。 香典返しや会食費用といった変動費を考慮しなければ、通夜を省いたプランで30万円ほどが相場となる(お布施は別途)。香典を辞退し、会食をしないと決めてしまえば、変動費を気にする必要もない。 そもそも儀式の必要性を感じないなら、火葬の日まで自宅に安置し、葬儀をせず火葬だけを行う「直葬(ちょくそう)」プランもある。 その場合は10万円台から可能だ。ただ、自治体によって火葬費用が違うため、プラン費用は地域によりかなり変動する。とくに東京23区内は民間の火葬場を使うのが一般的で、火葬費用だけで数万円から10万円の出費となるため気をつけたい。 また、臨終の場所を選ぶのは困難だが、自宅で看取りを行うのであれば病院から自宅への遺体搬送費用を節約できる。遺体搬送費用は距離によって違い、かなりの近距離であれば2万円程度が相場だ。 ほか、仏式ではなく無宗教葬ならお布施を用意する必要はないし、故人の写真や動画を遺族が手持ちのパソコンで編集して手作りのお別れムービーを作成すれば、式のプロデュースに関わる料金が節約できる可能性がある』、「香典返しや会食費用といった変動費を考慮しなければ、通夜を省いたプランで30万円ほどが相場となる(お布施は別途)」、「「葬儀をせず火葬だけを行う「直葬・・・」プランもある。 その場合は10万円台から可能だ」、「故人の写真や動画を遺族が手持ちのパソコンで編集して手作りのお別れムービーを作成すれば、式のプロデュースに関わる料金が節約できる可能性がある」、なるほど。
・『自宅葬を行いたい人のための注意点  自宅葬は、どんな家であってもできるわけではない。 最重要ポイントは「棺が家に入るかどうか」。少人数なら玄関や部屋が多少狭くても、駐車場がなくてもなんとかなる。しかし棺が入らなければ葬儀は難しい。とくに集合住宅では、階段やエレベーターの構造などをあらかじめ調べておきたい。 また、集合住宅の場合は自宅葬をしてもよいものかどうか、マンションの自治会などに事前確認をした方が無難だ。 自宅で葬儀をするとなると、マンション前の人の流れが通常とは少し変わる。読経をすれば声が響くし、霊柩車をマンションの前につけることにもなる。不要なトラブルを生まないためにも、周囲にしっかり説明しておこう。 そして、葬儀社選びにも注意が必要だ。自宅葬を歓迎している葬儀社ばかりではない。設備や人員の関係で、自社のホール葬にしか対応していないところもある。「ここに葬儀を依頼したい」と感じる葬儀社があれば、生前見積もりを依頼して自宅葬ができるかどうか確認しておければ安心だ』、戸建てであっても、「棺が家に入るかどうか」は要チェックだ。「マンション」では「自治会などに事前確認」、「葬儀社選びにも注意が必要」、やはり事前のチェックは周到にしたいものだ。

第三に、8月9日付け東洋経済オンラインが掲載した東京工業大学リベラルアーツ研究教育院 教授の柳瀬 博一氏による「親父が死んで、私は突然「おくりびと」になった 思わぬものを親父と私と家族にもたらしてくれた」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/609883
・『コロナ禍に訪れた、父の死。通夜も葬儀も、身内だけでこぢんまりと行われることになった。 訪れた女性納棺師に導かれ、父を着替えさせるという経験をする。父の体と向き合ったときに見えてきたものは――。 『国道16号「日本を創った道」』の著者である柳瀬博一さんがコロナ禍に父親を送るという経験を綴った『親父の納棺』から一部抜粋、再構成してお届けします』、興味深そうだ。
・『リハーサルなしで「納棺師」の仕事を手伝うことに  「いっそ、お父様のお着替え、お手伝いされませんか?」 納棺師のすずさんは言った。 「ぼくらが、ですか?」思わず、問い返した。 「…….あの、やってもいいんですか?」 「もちろんです」 1秒前まで想像すらしていなかった。 自宅の和室。親父は目の前に横たわっている。 着替えさせたことなんか、ないぞ。しかも、死んでいるのだ。親父は。 いきなりリハーサルなしで、私は「納棺師」の仕事を手伝うことになった。 そう、「おくりびと」をやることになったのである。 2021年5月20日。親父が死んだ。実家のある静岡のとある病院で。87歳だった。 親父の病と死は、新型コロナウィルスの感染拡大時期とぴったり重なっている。 親父自身はコロナに罹って亡くなったわけではない。 が、コロナがもたらした急激な社会の変化に、親父は翻弄された。家族も翻弄された。 生きた親父と私が最後に会ったのは、亡くなる8カ月前、2020年夏のことだった。 3カ月間入院していた病院のエレベーターホールで。たった10分間だけの面会である。外部の人間が病院に立ち入ることは、原則禁止されていた。 退院した親父は、自宅には戻らず、そのまま特別養護老人ホームに入所した。 老人ホームででも、親父と会うことは不可能だった。 もちろんコロナ禍の影響である。東京で暮らす私、弟、海外に住む妹、老人ホームから徒歩圏内に暮らす親父の妻=母。誰も、親父と面会できなかった。 老人ホームに入所して半年後の2021年春。体調が悪くなった親父は、再び病院に入院した。 引き続き、面会はできない。電話で話をすることも無理だった。 すべて、「コロナ」のせいである。 入院から1ヵ月半後。 親父はあっさりこの世を去った。 通夜は家族だけで行った。母、弟、妹、叔母、そして私。たった5人である。 うちはカソリックなので、翌日の葬儀は地元のカソリック教会で行った。 参列した人は数えるほどだった。 人が集まることは極力避けねばならない。 お通夜も葬儀もごく少人数しか参加できない。親戚の大半も、友人も、知人も、立ち会えなかった。すべて、「コロナ」のせいである。 親父が死んだその日。私と弟は東京から車で実家に戻った。 通夜は4日後。葬儀は5日後だ。誰も弔問にこない。喪主の挨拶も、知らぬ人の涙も、大勢の親族との献杯もない。 と書くと、さみしい別れ、のように聞こえるかもしれない。 ところが、である。実は、ちょっと違った。いや、ずいぶん違った。 私が実家を出たのは40年近く前のこと。東京の大学に進学して以来、ずっと首都圏住まいである。前職は日経BP社で現在は、東京工業大学でメディア論を教えている大学教員だ。暮らしの場も仕事の場もずっと首都圏だった。静岡県にある実家に戻るのは年に1度か2度、盆と正月くらいである。5日間も(死んでいるけれど)親父と一緒にいたのは、大学卒業以来初めてである。 そしてなにより、私と私の家族は、想像もしなかった経験をすることになった。 親父の納棺を直接手伝ったのである。手伝ったどころじゃない。 納棺の儀の大半を、いきなり練習もなしにやったのである。死装束をクローゼットから選び出し、親父を丸裸にして、パンツをはかせ、シャツを着せ、靴下をはかせ、ステテコをはかせ、ズボンをはかせ、ジャケットを着せ、ネクタイを締めたのだ。 つまり「おくりびと」になったわけだ』、「生きた親父と私が最後に会ったのは、亡くなる8カ月前、2020年夏のことだった。 3カ月間入院していた病院のエレベーターホールで。たった10分間だけの面会である。外部の人間が病院に立ち入ることは、原則禁止されていた」、「退院した親父は、自宅には戻らず、そのまま特別養護老人ホームに入所した。 老人ホームででも、親父と会うことは不可能だった。・・・誰も、親父と面会できなかった。 老人ホームに入所して半年後の2021年春。体調が悪くなった親父は、再び病院に入院した。 引き続き、面会はできない。電話で話をすることも無理だった。 すべて、「コロナ」のせいである。 入院から1ヵ月半後。 親父はあっさりこの世を去った」、「5日間も・・親父と一緒にいたのは、大学卒業以来初めてである。 そしてなにより、私と私の家族は、想像もしなかった経験をすることになった。 親父の納棺を直接手伝った・・・ 納棺の儀の大半を、いきなり練習もなしにやったのである。死装束をクローゼットから選び出し、親父を丸裸にして、パンツをはかせ、シャツを着せ、靴下をはかせ、ステテコをはかせ、ズボンをはかせ、ジャケットを着せ、ネクタイを締めたのだ」、生前は「コロナ」の影響で親しくできなかったのが、死後は「納棺の儀の大半を」「やったことで」、濃密な親子関係を過ごすことが出来たようだ。
・『「コロナ」が奪ったものともたらしたもの  私たち家族は、葬儀までの5日間、亡くなった親父と、平時ではありえなった、静かだけれど濃密な時間を過ごした。 ……奇妙な話だが、「コロナ」のおかげである。 2020年1月以来、世界を覆い尽くした新型コロナウィルスは、私たちの日常からさまざまなものを瞬時に奪った。たくさんの人々の生命が危機にさらされ、人と人とが物理的に会うことが困難になり、当たり前の社会活動ができなくなった。私の場合、親の死に目に会えなかった。 一方、コロナ禍は、想像もつかなかった体験をもたらした。物理的に会えない代わりに、私たちはインターネットのリモート会議サービスを活用し、遠く離れた家族や友人と、かつてより頻繁に密接にコミュニケーションをとるようになった。出勤や通学を自粛せざるをえず、自宅にこもるようになって、家族と向き合う時間が物理的に増え、近所で過ごすことが多くなった。 親父が火葬場で灰と煙となった夜。私は、5日間の経験を、その間に劇的に変化した自分の主観についてを、すぐにパソコンに打ち込んだ。生々しい体験だった。だからこそ、すぐに書いておかなければ、あっという間にディテールを忘れてしまうだろう。 自分の経験と感じたことを言葉に置き換えているうちに、気づいたことがあった。 死んだ親父の体に直接ふれ、服を着替えさせる納棺という仕事。 それは、きわめて具体的な「死者との対話」だった。 納棺の手伝いをするその直前まで、おくりびとになるまで、私は親父の死を、親父の遺体を、ちゃんと感じることができていなかった。 コロナ禍でずっと会っていなかったからだろうか。最期を直接みとれなかったからだろうか。そうかもしれない。そういえば、祖父母や友人が突然亡くなったとき、目の前に遺体があるのに、なぜかリアリティを感じることができない。そんな戸惑いを覚えた経験が何度かあった。 実際の通夜や葬儀の場で、そこに親しい人間の遺体があるのに、その遺体の意味を、死んだという事実を、二度と戻ってこない喪失を、うまく汲み取れない。目の前に遺体があるのに、だ。親しかった人の遺体がリアルな存在に感じられない。白い棺に入り、花に縁取られ、白装束を身にまとった故人。亡くなったばかりの本人の体が横たわっている。 現代においては、よっぽど近くで寄り添っていない限り、私たちは、すでに亡くなった人の死に直面することが困難だ。お通夜に駆けつけても、故人はすでに棺に納められ、祭壇に飾られた花とともに、本人ではなく本人の象徴のような存在になっている。そのまま翌日になれば、葬儀が行われ、すぐに荼毘に付されてしまう。遺された者が故人の死を肉体的に直接感じる機会は、ほとんどない』、「死んだ親父の体に直接ふれ、服を着替えさせる納棺という仕事。 それは、きわめて具体的な「死者との対話」だった。 納棺の手伝いをするその直前まで、おくりびとになるまで、私は親父の死を、親父の遺体を、ちゃんと感じることができていなかった」、「現代においては、よっぽど近くで寄り添っていない限り、私たちは、すでに亡くなった人の死に直面することが困難だ。お通夜に駆けつけても、故人はすでに棺に納められ、祭壇に飾られた花とともに、本人ではなく本人の象徴のような存在になっている。そのまま翌日になれば、葬儀が行われ、すぐに荼毘に付されてしまう。遺された者が故人の死を肉体的に直接感じる機会は、ほとんどない」、その通りだ。
・『おくりびとになって消えた戸惑い  実家に戻って、布団に横たわる亡くなった親父と対面したとき、私自身が戸惑った。 うまく感情が出てこない。妙に覚めた、妙に他人行儀な、斜め上から見ているような自分の視線に気づいた。なぜ、こんなによそよそしいんだ。 その戸惑いは、しかし翌日の午後、たちどころに消えてしまった。 納棺師の誘いで、私は、おくりびとになったからである。 親父の体にふれ、手を握り、裸にし、服を着替えさせた瞬間、目の前の遺体は、抽象的な存在から、昔から知っている肉親に戻った。 着替えさせながら、私は親父に話しかけた。声を出して。 「死者との対話」というやつを、きわめて即物的にやっちゃったのだ。 そしてその経験は、思わぬものを、亡くなった親父と私と家族にもたらしてくれた。 ひとことで言うと、「ケア」だ。では、そのケアとはなにか。 それは、死んでしまった人へのケア、死んでしまった人からのケアだ。 「納棺」は、死者の弔いである前に、死者と生者、両方へのケアなのだ。) 「ケア」の仕事とはなにか。 通常は、医療や介護の世界の現場で、患者や老人、障害者のお世話をする仕事のことを指すケースが多い。ここで疑問が生じる。ケアは、生きている人だけのものなのか? 私たちは遠い昔から死者を弔ってきた。弔いは間違いなく死者に対するケアである。 宗教も葬儀も古墳もピラミッドもお墓もミイラもお盆も、死者に対するケアだ。 ただし、私が見落としていた死者へのケアがあった。 亡くなったばかりの遺体、つまり死体に対する物理的なケア、である。まさに今回、私が経験した、親父の手を握り、服を着替えさせた、あの行為だ。人は亡くなっても、体はそこに残っている。死体のケアなくして、葬儀も火葬も埋葬もお墓も一周忌もない。 間違いなく、死体のケアは、宗教の誕生より前から存在していたはずである。ケアしなければ死体は腐っていくままだ。私たちの先祖は、はるか昔から死体となった親しい人のケアをしてきたはずだ。もしかすると死体のケア、死者との物理的なケアを通して生まれてきた物語や宗教があったかもしれない』、「親父の体にふれ、手を握り、裸にし、服を着替えさせた瞬間、目の前の遺体は、抽象的な存在から、昔から知っている肉親に戻った。 着替えさせながら、私は親父に話しかけた。声を出して。 「死者との対話」というやつを、きわめて即物的にやっちゃったのだ。 そしてその経験は、思わぬものを、亡くなった親父と私と家族にもたらしてくれた。 ひとことで言うと、「ケア」だ。では、そのケアとはなにか。 それは、死んでしまった人へのケア、死んでしまった人からのケアだ。 「納棺」は、死者の弔いである前に、死者と生者、両方へのケアなのだ』、
・『たんなる儀式ではない  そんな死体のケアについて、でも、私は、自分が直接経験するまで思いを馳せることはなかった。 納棺師のオフィシャルな仕事は、数日内に焼き場で燃やされてこの世からいなくなってしまう人に、ふさわしい衣装を着せ、ふさわしい化粧をして、弔ってあげることだろう。 ただし、それはたんなる儀式ではない。着替えと死化粧の施しだけじゃない。そこには、亡くなった方に対する、そして遺された人たちに対する、「ケア」すべてが含まれているのだ。ただし、通常、この死体のケアに遺族が直接かかわることはほとんどない。通夜や葬儀の準備におおわらわで、主人公=死者の死体のケアは、プロ=納棺師に任せきりになってしまうのが通例だ。 だから、私たちは、棺の中に隔離された「故人」と遠巻きに対面するしかない。 世界トップの高齢者社会である日本は、これから未曾有の高齢者多死時代を迎える。戦後、日本が若かった時代の年間死者数は60万人程度だった。それが高齢化が進むと次第に死者数は増え、2016年には130万人を超えた。国立社会保障・人口問題研究所の調べでは、2024年以降、毎年150万人の日本人が亡くなる。そんな時代が50年前後続くという。 誰かの死を看取るという行為は、あらゆる日本人にとって当事者問題にすでになっている。 だからこそ、亡くなった人と残された人との間の最後のコミュニケーションの機会である「納棺」「おくりびと」経験の重要性について、少しでも多くの人に知ってもらいたい。たまたまコロナ禍のまっただなかで親父を亡くし、たまたま「おくりびと」経験をした、私の個人的な思いである』、私の父母の葬儀では、病院で死んだので、私自身は「おくりびと」経験は出来なかった。残念だが、殆どの「日本人」も同様なのでしょうがない。

第四に、10月13日付けデイリー新潮「東京23区内の「火葬場」独占企業が中国資本傘下に 「葬儀業者」は締め出されて青息吐息」を紹介しよう。
https://www.dailyshincho.jp/article/2022/10131040/?all=1
・『ラオックスグループ  東京23区に火葬場は9カ所ある。7カ所が民営で、そのうち6カ所を運営するのが「東京博善」だ。安倍晋三元首相が荼毘に付されたのも東京博善の「桐ケ谷斎場」だった。皇族と縁の深い「落合」や「代々幡」なども管轄する東京博善が、今夏から、中国系企業に様変わり。葬儀業界は不測の事態に見舞われることとなった。 東京博善が運営する火葬場は需要には事欠かず、売上高は年間93億円超。純資産355億円という超リッチ企業である。親会社は、印刷事業が中核の「広済堂HD(ホールディングス)」だ。 2019年7月、広済堂大株主の「エイチ・アイ・エス」澤田秀雄会長が所有株を手放した。売り先は中国人実業家、羅怡文(らいぶん)氏率いるラオックスグループの「グローバルワーカー派遣」なる人材派遣会社だった。以降も買い増しを続けたグローバルワーカー派遣は筆頭株主に。共同保有者の「R&LHD」と併せれば、羅氏の保有する広済堂株は25%超に達した。 今年1月には、広済堂が羅氏関連の投資会社に第三者割当増資を実施。その結果、羅氏は40%超の広済堂株を押さえ、必然的に東京博善も勢力下に収めたのである』、「東京博善が運営する火葬場は需要には事欠かず、売上高は年間93億円超。純資産355億円という超リッチ企業」、その筆頭株主が「「エイチ・アイ・エス」澤田秀雄会長」から「羅怡文・・・氏率いるラオックスグループの「グローバルワーカー派遣」なる人材派遣会社」に変わったとは初めて知った。
・『締め出し  23区内に拠点を持つ葬儀業者によると、 「これまで、火葬場を利用するには、まず葬儀業者に依頼しなければなりませんでした。東京博善は葬儀事業に手を出さず、業者との間で棲み分けができていた。ところが、今年7月から、東京博善でも葬儀が執り行えるようになりました。広済堂が大手葬儀社の“燦HD”と手を組み“グランセレモ東京”という合弁会社を設立したからです」 同時に、東京博善は葬儀業者向けに「ウェブサイト掲載ガイドラインについて」なるものを示した。葬儀業者は、東京博善の斎場をウェブでの宣伝に用いることを禁じられたという。 「違反を続けると締め出しを食らうとのことでしたので、やむなくガイドラインに従った。その結果、月3000万円前後だった東京博善での売上が一気にゼロに落ち込みました」 葬儀業者は青息吐息の経営状況に追いやられる一方で、東京博善が荒稼ぎを加速させるのは間違いない。 「週刊新潮」2022年10月13日号「MONEY」欄の有料版では、東京博善が運営する火葬場の歴史や広済堂株をめぐる争い、葬儀業界の現状を詳報する。東京博善は「ご喪家ファーストの観点から、混乱を招くような広告はあってはならない」との判断でガイドラインを示したと主張している』、「葬儀業者は、東京博善の斎場をウェブでの宣伝に用いることを禁じられた」、「月3000万円前後だった東京博善での売上が一気にゼロに落ち込みました」、これだけでは分かり難いが、「広告」ルールに従っただけで、「月3000万円前後だった東京博善での売上が一気にゼロに落ち込みました」というのは理解出来ない。「東京博善」の「葬儀業者」は多数ある筈なので、他社はどうなのかも知りたいところだ。筆頭株主が代わっただけで、こんな混乱が起きるとは信じ難い。
タグ:葬式・墓 (その2)(もはやホームパーティーより気楽!? 都市部を中心に注目される「自宅葬」、葬儀社選びから節約ポイントまで葬儀のプロが徹底解説…自宅葬「完全マニュアル」 あらゆる疑問に答えます、親父が死んで、私は突然「おくりびと」になった 思わぬものを親父と私と家族にもたらしてくれた、東京23区内の「火葬場」独占企業が中国資本傘下に 「葬儀業者」は締め出されて青息吐息) 現代ビジネス「もはやホームパーティーより気楽!? 都市部を中心に注目される「自宅葬」」 「1999年には葬儀専用式場での葬儀が30.2%、2014年の時点では81.8%にまで増加、1999年時点で38.9%を占めていた自宅葬は、2014年には6.3%にまで減少」、「自宅葬」から「葬儀専用式場での葬儀」へのシフトが顕著だ。 「2000年代後半から、家族と主な親族だけで参列する「家族葬」が遺族らの支持を集めるようになってきた。義理だけで参列する人たちを廃し、内輪だけで故人を見送る家族葬は、経済的にも精神的にも遺族の負担が少ない。今や都市部では約半数が家族葬を選んでいると言っても過言ではない」、「葬儀をせず直葬・・・を選んだりといったケースもあったほど」、「「これほど参列人数が少ないのなら、いっそ自宅葬がいいのでは」という気づきも生まれた」、なるほど。 「よけいな見栄を張らずにすむため祭壇や幕、玄関飾りなどで自宅を装飾する必要がない。案内看板類も不要だし、駐車場を手配しなければという心配もいらない。結果、費用をかなり節約することにもつながる。 また、手狭な自宅での葬儀なので」という理由で参列を遠慮してもらったり、大きな供花や供物を辞退できたりする。「大勢に参列されると面倒くさい。供花や供物をもらうと、香典返しが手間……」という遺族の気持ちを、上手に隠すことができるのだ」、確かに「メリットばかりという印象の自宅葬」、もう少し詳しくみてみよう。 現代ビジネス「葬儀社選びから節約ポイントまで葬儀のプロが徹底解説…自宅葬「完全マニュアル」 あらゆる疑問に答えます」 「遺族に忘れ物が生じない」、「時間的余裕が生まれる」、「故人を住み慣れた自宅から見送れる」、いずれも「自宅葬」の「メリット」だ。 「通夜を省略し、葬儀だけを行うといった判断もありうる」、確かに「通夜」は無駄ともいえる。 「香典返しや会食費用といった変動費を考慮しなければ、通夜を省いたプランで30万円ほどが相場となる(お布施は別途)」、「「葬儀をせず火葬だけを行う「直葬・・・」プランもある。 その場合は10万円台から可能だ」、「故人の写真や動画を遺族が手持ちのパソコンで編集して手作りのお別れムービーを作成すれば、式のプロデュースに関わる料金が節約できる可能性がある」、なるほど。 戸建てであっても、「棺が家に入るかどうか」は要チェックだ。「マンション」では「自治会などに事前確認」、「葬儀社選びにも注意が必要」、やはり事前のチェックは周到にしたいものだ。 東洋経済オンライン 柳瀬 博一氏による「親父が死んで、私は突然「おくりびと」になった 思わぬものを親父と私と家族にもたらしてくれた」 「生きた親父と私が最後に会ったのは、亡くなる8カ月前、2020年夏のことだった。 3カ月間入院していた病院のエレベーターホールで。たった10分間だけの面会である。外部の人間が病院に立ち入ることは、原則禁止されていた」、「退院した親父は、自宅には戻らず、そのまま特別養護老人ホームに入所した。 老人ホームででも、親父と会うことは不可能だった。・・・誰も、親父と面会できなかった。 老人ホームに入所して半年後の2021年春。体調が悪くなった親父は、再び病院に入院した。 引き続き、面会はできない。電話で話をすることも無理だった。 すべて、「コロナ」のせいである。 入院から1ヵ月半後。 親父はあっさりこの世を去った」、「5日間も・・親父と一緒にいたのは、大学卒業以来初めてである。 そしてなにより、私と私の家族は、想像もしなかった経験をすることになった。 親父の納棺を直接手伝った・・・ 納棺の儀の大半を、いきなり練習もなしにやったのである。 死装束をクローゼットから選び出し、親父を丸裸にして、パンツをはかせ、シャツを着せ、靴下をはかせ、ステテコをはかせ、ズボンをはかせ、ジャケットを着せ、ネクタイを締めたのだ」、生前は「コロナ」の影響で親しくできなかったのが、死後は「納棺の儀の大半を」「やったことで」、濃密な親子関係を過ごすことが出来たようだ。 「死んだ親父の体に直接ふれ、服を着替えさせる納棺という仕事。 それは、きわめて具体的な「死者との対話」だった。 納棺の手伝いをするその直前まで、おくりびとになるまで、私は親父の死を、親父の遺体を、ちゃんと感じることができていなかった」、 「現代においては、よっぽど近くで寄り添っていない限り、私たちは、すでに亡くなった人の死に直面することが困難だ。お通夜に駆けつけても、故人はすでに棺に納められ、祭壇に飾られた花とともに、本人ではなく本人の象徴のような存在になっている。そのまま翌日になれば、葬儀が行われ、すぐに荼毘に付されてしまう。遺された者が故人の死を肉体的に直接感じる機会は、ほとんどない」、その通りだ。 「親父の体にふれ、手を握り、裸にし、服を着替えさせた瞬間、目の前の遺体は、抽象的な存在から、昔から知っている肉親に戻った。 着替えさせながら、私は親父に話しかけた。声を出して。 「死者との対話」というやつを、きわめて即物的にやっちゃったのだ。 そしてその経験は、思わぬものを、亡くなった親父と私と家族にもたらしてくれた。 ひとことで言うと、「ケア」だ。では、そのケアとはなにか。 それは、死んでしまった人へのケア、死んでしまった人からのケアだ。 「納棺」は、死者の弔いである前に、死者と生者、両方へのケアなのだ 私の父母の葬儀では、病院で死んだので、私自身は「おくりびと」経験は出来なかった。残念だが、殆どの「日本人」も同様なのでしょうがない。 デイリー新潮「東京23区内の「火葬場」独占企業が中国資本傘下に 「葬儀業者」は締め出されて青息吐息」 「東京博善が運営する火葬場は需要には事欠かず、売上高は年間93億円超。純資産355億円という超リッチ企業」、その筆頭株主が「「エイチ・アイ・エス」澤田秀雄会長」から「羅怡文・・・氏率いるラオックスグループの「グローバルワーカー派遣」なる人材派遣会社」に変わったとは初めて知った。 「葬儀業者は、東京博善の斎場をウェブでの宣伝に用いることを禁じられた」、「月3000万円前後だった東京博善での売上が一気にゼロに落ち込みました」、これだけでは分かり難いが、「広告」ルールに従っただけで、「月3000万円前後だった東京博善での売上が一気にゼロに落ち込みました」というのは理解出来ない。「東京博善」の「葬儀業者」は多数ある筈なので、他社はどうなのかも知りたいところだ。筆頭株主が代わっただけで、こんな混乱が起きるとは信じ難い。
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小売業(一般)(その7)(小売の常識覆した「素人集団」はなぜ挫折したか 「ハンズを手放す」決断下した東急不動産の苦悶、年間300本以上の取材に対応!? 各局のニュース番組が「スーパーアキダイ」を取材し続ける“納得の理由” 『いつか小さくても自分の店を持つことが夢だった スーパーアキダイ式経営術』より #2、コストコと業務スーパー、「値上げ時代の救世主」が競合しない事情) [産業動向]

小売業(一般)については、昨年12月11日に取上げた。今日は、(その7)(小売の常識覆した「素人集団」はなぜ挫折したか 「ハンズを手放す」決断下した東急不動産の苦悶、年間300本以上の取材に対応!? 各局のニュース番組が「スーパーアキダイ」を取材し続ける“納得の理由” 『いつか小さくても自分の店を持つことが夢だった スーパーアキダイ式経営術』より #2、コストコと業務スーパー、「値上げ時代の救世主」が競合しない事情、)である。

先ずは、本年1月28日付け東洋経済Plus「小売の常識覆した「素人集団」はなぜ挫折したか 「ハンズを手放す」決断下した東急不動産の苦悶」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/576606
・『グループの「顔」でもあったハンズの売却に、なぜ踏み切らざるをえなかったのか。東急不動産ホールディングスの西川弘典社長に聞いた。 素人の発想――。1976年の創業当時、小売業界は東急ハンズを嘲笑した。 きっかけは渋谷・宇田川町で取得した土地だ。駅から遠い、形が悪い、場所は渋谷の裏通り。「3悪」と呼ばれた土地を活用する苦肉の策として、ハンズは誕生した。 「どこにもない店を作れば客が来る」という発想のもと、小売業未経験の東急不動産社員が自ら仕入れ、販売を行った。DIY用品や日用雑貨がひしめくごった煮の店舗は予想外の評判を呼び、売上高や店舗数は右肩上がり。1990年代後半には、ハンズ単体での株式上場も計画された。 だが、2000年代から成長に陰りが見え始める。雑貨店やホームセンターなど競合の増加に加え、PB(プライベートブランド)やEC(ネット通販)の波にも乗り遅れた。そこへコロナ禍が追い討ちをかけ、創業から46年が経った2022年、「素人集団」の再建はカインズという小売の玄人へと託された。 東急不動産グループの「顔」でもあったハンズの売却に、なぜ踏み切らざるをえなかったのか。東急不動産ホールディングスの西川弘典社長に聞いた(Qは聞き手の質問、Aは西川社長の回答)』、「東急ハンズ」は私のお気に入りだっただけに、経営主体が変わるのは残念な気もする。「東急不動産」が親会社だったとは初めて知った。
・『ハンズは社員の「精神的支え」だった  Q:売却はいつごろから検討されていましたか。 A:2020年4月に社長に就任して以来、東急不動産グループとしてコロナ禍収束後を見据えた長期ビジョンの策定に取りかかった。「2030年度にどうありたいか」をグループ会社ごとに提示してもらったところ、ハンズからは「(物販を通じて新しい発見や発想を提案する)『ヒント・マーケット』をデジタルでも表現したい」という提案があった。 当初は私も納得したが、次第に「東急不動産グループにとどまっていては、ハンズの成長は難しい」と思うようになった。 ハンズはPB(プライベートブランド)とEC(ネット通販)の展開が決定的に遅れていた。私も社長就任以前からハンズのデジタル化を急ぐべきだと考え、いずれもコロナ禍以前から取り組みを進めていた。 Q:いざやってみると、そう簡単ではなかったと。 A:取り組むにつれ、PBやECに対する経営資源が当社グループに不足しているとわかってきた。同じデジタル化でも、不動産業と小売業とでは明らかに異なる。 投資家からはよく「ハンズを売却したらどうか」という提案を受けていたが、これまで取締役会で公式に議論されることはなかった。 東急ハンズはグループの中で最も認知度があり、東急不動産を象徴する会社だ。「ハンズを作ったのは俺だ」と自負するOBやOGも多く、社員にとっての精神的な支えになっていた。自力再建ができるならそうしたかった。 そのため、ハンズを保有することの是非を議論することは、非常に勇気のいる判断だった。私としても気持ちの整理には時間がかかった。取締役の間でもハンズに対してさまざまな考えがあったが、(売却の意義を)丁寧に説明して理解を得た。 Q:同業の雑貨店やホームセンターと比較して、人件費の重さが課題でした。 A:“人”こそ(商品知識の豊富な仕入れ担当者が販売まで行う)ハンズの特徴だ。同業他社と比べて高い人件費を前提に、業績を伸ばしていく必要があった。 これは笑い話だが、ハンズに来店して商品を見て重さを確認し、説明書に書いていない使い方まで教えてもらった末に最安値のECで買うという顧客もいる。だったら入場料取れ!と冗談混じりで言ったこともある。 本来であれば、もっと早い段階でハンズなりのPBやECのあり方を提示できていればよかったのだろう。 80年代から90年代にかけてハンズが一世を風靡したという過去の成功体験も、強烈すぎた。当時、ハンズのような小売業はブルーオーシャンだった。消費者の生活もどんどん豊かになった時代だ。現在は雑貨店なども増え、市場はレッドオーシャンに変わった。ハンズ売却後、東急不動産として新たにハンズのような小売業を始めることもないだろう。 Q:2021年5月に策定された長期ビジョンでは「顧客データの活用」を成長戦略にうたっています。不採算と割り切ってでも、消費者に最も近い現場である東急ハンズを顧客データの収集元として活用する手があったのでは。 A:不動産と小売では、得られる個人データの深さや質がまったく異なる。不動産の場合、例えば管理会社を通じて居住者の属性を多面的に把握できる。個人情報保護に配慮しつつも、活用の余地は大きい。 一方、小売で得られるのは、何十代の男性がどんな趣味を持っていて、どんな商品を買っている、といったデータだ。 購買データが不要というわけではないが、不動産業が本業の当社にとっては中途半端なデータであり、マネタイズにも時間がかかる。(ハンズの業績不振が続くことで)お客さんをがっかりさせて社員に雇用不安を抱かせるくらいなら、購買データを諦めてでもハンズの経営課題を解決することを優先した』、賢明な選択だ。
・『今回の売却はハンズにとっての「婚活」  Q:売却にあたっては、カインズ以外の会社にも声をかけたのでしょうか。 まず、ハンズに関心を抱く会社があるかを探ることから始めた。(フィナンシャルアドバイザーに選定した)野村証券を通じて数十社に声をかけたところ、すでに小売業を手がけている会社や投資ファンドなどが関心を示した。 カインズの高家(正行)社長は「日本のDIYを一緒にやっていきましょう」と話されていた。私は社内に対して「今回の売却はハンズにとっての婚活だ」と説明していたが、ハンズとカインズはまさに組織風土が合うと感じた。 ハンズにとって遅れていたPBやECの体制がすでに構築されている点も大きい。決して売却価格で決めたわけではない。 売却の事実は社内でも非公表であり、ハンズ社員も報道で知ったのではないか。だから発表直後に全国の支店長を集めて社員向けの説明を依頼したり、フランチャイズの加盟店や取引先、ハンズが入居する商業施設に対しても説明を行ったりした。) Q:ゆくゆくは社名から「東急」が消える予定です。ハンズ株式の一部を保有し続けて、社名を残す選択肢はありましたか。 株式の一部を売却して、共同でハンズを再建しようとも考えた。ただ、それでは売却先の企業がどこまで経営資源を差し出してくれるかわからない。 当社が少数株主だったとしても、株式の3分の1以上を保有して特別決議を阻止できる状態であれば、相手は本気になってくれないだろう。そうであれば、信頼できる相手に全株を持ってもらったほうがいい。 ただし、「東急」の社名は(売却後も)当面使ってもらう予定だ。いきなり東急の名前が外れることは、ハンズファンとしては受け入れがたい。ハンズ社員としてもショックが大きい。 そこで東急(旧東急電鉄)と話をして、緩衝材の意味でも当面社名を使わせてもらうことにした。そのため、売却後も顧客にとって大きな変化はない』、「当社が少数株主だったとしても、株式の3分の1以上を保有して特別決議を阻止できる状態であれば、相手は本気になってくれないだろう。そうであれば、信頼できる相手に全株を持ってもらったほうがいい」、賢明な判断だ。「ただし、「東急」の社名は(売却後も)当面使ってもらう予定だ」、持株関係はなくなっても、「名前」だけは使うというのは、一般顧客向けなのだろう。
・『直営店を廃止すれば、やせ細ってしまう  Q:ハンズは直営店舗のほか、フランチャイズ方式での出店も行っています。ロイヤルティ収入に軸足を移すことは検討しましたか。 フランチャイズ方式に転換すれば生き残れるのではないか、とも考えた。だが、それもその場しのぎにすぎない。販売を通じて顧客の声を吸い上げる小売現場があるから、ハンズらしさができている。直営店舗を廃止すれば(会社と社員が)現場から離れることになり、時間とともにハンズはやせ細ってしまうだろう。 Q:今後の東急不動産HDとハンズとの関係は。 A:資本関係はなくなるが、お互いにとっていい関係を継続していきたい。ハンズに対して当社が協力できることがあれば、考えていきたい。 Q:ハンズ売却後の事業展開は。 A:本業である不動産開発では、渋谷再開発や住宅分譲に加えて、再生可能エネルギーの電源開発を推進する。太陽光や風力といった開発中の施設が完成すれば、原子力発電所1基分にあたる約40万世帯の電力を確保できる。 管理や仲介、施設運営といった労働集約型の事業では、DXを通じて業務効率化や新たな顧客体験創出を果たしたい。 ホテルやリゾート、スキー場などは、足元の業績こそ振るわないが、インバウンドが回帰すれば元に戻る。国際航空運送協会は2024年をメドに航空需要が回復すると見込んでおり、それまでに事業の立て直しを進めていく。施設単位での売却はあり得るが、事業そのものの清算を行うことは考えていない』、「太陽光や風力といった開発中の施設が完成すれば、原子力発電所1基分にあたる約40万世帯の電力を確保できる」、「原発1基分」とはかなりの規模だ。「東急ハンズ」が「カインズ」傘下で発展することを期待する。

次に、5月16日付け文春オンライン「年間300本以上の取材に対応!? 各局のニュース番組が「スーパーアキダイ」を取材し続ける“納得の理由” 『いつか小さくても自分の店を持つことが夢だった スーパーアキダイ式経営術』より #2」を紹介しよう。
https://bunshun.jp/articles/-/54008
・『天候不順による野菜の高騰、レジ袋の有料化、消費税の増額といった、生活に直結するニュースが出るたびに、「スーパーアキダイ」社長の秋葉弘道氏は、市井の景況感についてコメントを求められる。なんと、その取材量は年間300本以上。なぜ、数ある八百屋・スーパーのなかで「スーパーアキダイ」は取材先として選ばれ続けるのか。 ここでは、秋葉氏の著書『いつか小さくても自分の店を持つことが夢だった スーパーアキダイ式経営術』(扶桑社)の一部を抜粋。TV局からの取材が殺到する理由について紹介する。(全2回の2回目/前編を読む)』、確かに、テレビのニュースでは、「スーパーアキダイ」が「取材先として選ばれ」ることが多いようだ。
・『年間300本! テレビに出る本当の理由  近年、アキダイには年間300本以上のテレビ局の取材が来ています。 いつ頃から取材依頼が舞い込むようになったかははっきりと覚えていませんが、記憶に残っているのは、農林水産省が作成した「野菜高騰」と書かれた資料を手にしたテレビや新聞の記者さんたちが、取材でウチを訪れたのが始まりです。 その資料に目を通して、すぐに気づいたのは書いてある情報が古いことでした。役所のデータは僕らのような小売業の情報を収集・集計して、分析を加えてから公表されるので、どうしてもリアルタイムの情報とはタイムラグが生じてしまう。そうした点を指摘して丁寧に説明すると、記者の方にとても喜んでもらえました。 そのことで信頼を得られたのか、徐々に取材が増え始めて、東日本大震災が起きた2011年を境に、現在のように店の前にテレビ局のクルーが取材の順番待ちの列を作るようになったんです。震災によって日本の物流網が寸断され、野菜や果物の価格が高騰していたのと、原発事故によって福島県産の青果物の風評被害が懸念されていたので、当時、テレビ局のみなさんはこの点について話を聞きたがっていました。 現在では、民放をはじめ、NHKのEテレまで、テレビは地上波の全局がよく取材に来ています。なぜ、アキダイばかりに取材が集中するのか? よく聞かれる質問ですが、決して僕が目立ちたがりというわけではないのです』、「年間300本以上のテレビ局の取材」、「2011年を境に、現在のように店の前にテレビ局のクルーが取材の順番待ちの列を作るようになった」、通常はヒアリング先は分散するのが一般的だが、「アキダイ」だけは例外のようだ。
・『番組ディレクターが「今日、これから行ってもいいですか?」  取材を受ける理由は大きく二つあります。 一つめの理由としては、メディアの方々が野菜の価格について誰かに話を聞くにしても、たとえば大手スーパーなどの大企業に取材を申請する際には、通常は企画書を送って、それを精査され、何日か後に取材ができるかどうかの返事が来るようです。でも、アキダイの場合、朝に僕の携帯電話が鳴って「今日、これから行ってもいいですか?」と番組ディレクターの方が直接交渉してくる。よほどの用事が入っていない限り、僕は二つ返事で取材を受けるので、今日アポを取って、今日取材というパターンばかり。 取材に来るテレビはニュースか情報番組が大多数で、彼らは鮮度の高い情報を求めているので、リアルタイムで取材を取り付けることができるアキダイは使い勝手がいいのかもしれません。だから僕のスマホには、テレビ各局の情報番組のディレクターの電話番号がたくさん入っています。当日お昼に「夕方のニュースに間に合わせたい」と電話が入っても、すぐに対応できるのはそのためです。 二つめの理由は、6店舗の八百屋を経営しているとはいえ、ウチが個人店だからでしょう。 通常、テレビ番組がどこかの企業や店に取材する場合、事前にADさんがリサーチを重ねて、ここなら大丈夫だろうと判断して取材先が決まるようです。アキダイは1日の仕入れ量が金額にして800万~1000万円ほどと個人店にしては多く、長年の付き合いで関係を構築した青果市場がいくつかあり、仕入れ値も比較的安定しています。 一般的に、個人店の八百屋さんは、仕入れる量が多くないので価格にばらつきが出てしまう。テレビ局の取材テーマはたいてい野菜の値段についてなので、価格が店の個別事情でばらついていては情報として扱いにくいが、ウチはそうしたことがないので取材しやすいというわけです。 また、ウチが東京の八百屋というのも、テレビ局が取材したがる理由の一つでしょう。日本の首都で人口がもっとも多い東京は物流が多いので、地方のように隣町と野菜の値段が大きく変わるようなことはない。平均的な価格相場の中心になっているから、ウチに取材に来る民放キー局の立ち場で考えると全国放送に適しているのかもしれません』、「大手スーパーなどの大企業に取材を申請する際には、通常は企画書を送って、それを精査され、何日か後に取材ができるかどうかの返事が来るようです。でも、アキダイの場合、朝に僕の携帯電話が鳴って「今日、これから行ってもいいですか?」と番組ディレクターの方が直接交渉してくる」、「よほどの用事が入っていない限り、僕は二つ返事で取材を受けるので、今日アポを取って、今日取材というパターンばかり。 取材に来るテレビはニュースか情報番組が大多数で、彼らは鮮度の高い情報を求めているので、リアルタイムで取材を取り付けることができるアキダイは使い勝手がいいのかもしれません」、これならテレビ局にとっては、確かに「取材しやすい」ようだ。
・『毎日市場に行き、店頭に立つから言えること  さらに言うなら、取材に答える僕は経営者ではあるけれど、今も毎朝市場に仕入れに行き、店頭にも立つし、商品を実際に見て、触れて、食べていることも大きい。売上げも数字というデータではなく、現実にお客さんが買っていく姿をこの目で見ているので、お客さんの気持ちがわかるし、取材で仕入れ値を聞かれてもすぐに答えられる。自分で言うのも何ですが、この他にも経営状況や従業員のことも把握しているし、経営者の立場で受け答えもできれば、経営者目線も消費者目線も持ち併せている……等々、引き出しが多いところがお声がけいただいている理由なのかもしれません。 関西や九州から東京に転勤してきたディレクターさんの中には、「『スーパー関係の取材で困ったら、秋葉社長は信用できるんで電話してみな』とプロデューサーに言われて、連絡しました」という人も何人かいました。とはいえ、信頼されているということは、当然、責任も生じます。 取材に答えるときに自分の責任と思っているのは、いい加減なことは言わないということ。 アキダイはいくつかの市場とお付き合いさせてもらっていて、それぞれの市場は個々の産地からの情報を持っています。そうやって貴重な情報を入手するラインがいくつもあるおかげで、産地の生産者も僕のことを知ってくれている。 だから、生産者は市場の売り子さんを介して、たとえば「洪水の影響でどの程度の被害が出たか」「大雪で今後どれくらい出荷が落ち込む見通しか」といったリアルタイムの情報を提供してくれるし、何かあれば写真をスマホに送ってきてくれることもあります。 2016年8月、北海道に1週間で三つの台風が上陸し、道東が豪雨に襲われたときも、多くの畑が冠水し、プカプカ浮いた玉ねぎが流されていく様子を撮った動画を送ってくれました。それを知ったテレビ局のディレクターにこの動画データを貸してくれと頼まれて、その日のうちにニュースで映像が放送されたのです。報道は早い者勝ちで、マスコミ各社が競争しているので、北海道に画を撮りに行っていたのでは遅すぎますからね。 こうしたことは自分の役割だと思っているんです。生産者も産地の惨状を伝えたいけれど、どう発信していいかわからない……。だから、僕はその橋渡し役を務めたい。 たとえば、豊作で生産過剰になっていたら、商品を無駄にしないために少しでも消費したいで、ウチで「今、安いからお買い得ですよ!」と一所懸命売るわけです。大したきっかけで取材を受け始めたわけじゃないのですが、多くの取材を通して産地の事情や生産者の気持ちがわかるようになったのは、僕にとっても大きな財産になっています』、「アキダイはいくつかの市場とお付き合いさせてもらっていて、それぞれの市場は個々の産地からの情報を持っています。そうやって貴重な情報を入手するラインがいくつもあるおかげで、産地の生産者も僕のことを知ってくれている。 だから、生産者は市場の売り子さんを介して、たとえば「洪水の影響でどの程度の被害が出たか」「大雪で今後どれくらい出荷が落ち込む見通しか」といったリアルタイムの情報を提供してくれるし、何かあれば写真をスマホに送ってきてくれることもあります」、「産地」からの「情報」も持っているとは強味だろう。
・『テレビ出演はすべてノーギャラ  店頭での取材の収録が終わり、オンエアの映像でテレビ画面の中の自分を見ると、すごく新鮮でワクワクするというのも本音です。取材にきちんと答えられていれば、それは僕の商品知識がしっかりしている証でもありますから。 取材を通して、いわば自分で自分をテストしているようなものです。普段はこうした商品知識を、お客さんに品質のいい野菜や果物を美味しく食べてもらい、喜んでもらうために役立てていますが、取材では僕の知識が正しくてタイムリーな報道に繋がる。アキダイのお客さんの役に立つことが嬉しいのと同じくらい、メディアのみなさんのお役に立てることも嬉しいんです。 ちなみに取材はすべてノーギャラで、一銭ももらったことはありません。アキダイという店の名前はずいぶん知名度が上がりましたが、僕がテレビに出たくらいで店の売上げが増えるなどということはない。八百屋という商売はお客さんの日々の買い物によって成り立っているので、少しくらい名前が売れたから業績が上がるほど甘くはない。 それでも取材を受けるのは、困っている人がいたら放っておけない性分だから。テレビ局のディレクターさんが僕を頼りにして取材を申し入れてきたのに、断ったら困るでしょう。だから、ノーギャラでも何の不満もありません。誰だって街で人に道を聞かれたら教えてあげますよね。そのときにお金なんて要求しませんよね。僕からすれば、テレビの取材も一緒。 前にも述べたように、これは人のためというより自分のため。仮に、僕が困っている人を放っておいたら、その後、「あの人どうなったかな?」って気になってしょうがない。そんなふうに気を揉むのが嫌なんです。 それと、これは僕が“ブーメランの法則”と呼んでいるんですけれど、人にいいことをすると、いつか巡りめぐって自分に返ってくるような気がする。それを見込んで困っている人を助けているわけではないし、たとえ見返りがなくても、僕は放っておけないんでしょうね』、「取材はすべてノーギャラで、一銭ももらったことはありません」、「アキダイという店の名前はずいぶん知名度が上がりましたが、僕がテレビに出たくらいで店の売上げが増えるなどということはない」、「これは人のためというより自分のため。仮に、僕が困っている人を放っておいたら、その後、「あの人どうなったかな?」って気になってしょうがない。そんなふうに気を揉むのが嫌なんです」、なかなか感心な心がけだ。

第三に、8月26日付けダイヤモンド・オンラインが掲載した百年コンサルティング代表の鈴木貴博氏による「コストコと業務スーパー、「値上げ時代の救世主」が競合しない事情」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/308595
・『ついに、業務スーパーとコストコでも値上げが行われています。コストコでは3~6割値上げした商品も。「値上げがきついコストコから、値上げがマイルドな業務スーパーへと需要が流れるのでは?」と思う方もいるかもしれません。しかし、コストコと業務スーパーは実質的には競合しないのです。その理由を解説しましょう』、「コストコと業務スーパーは実質的には競合しない」、どうしてだろう。
・『業務スーパーが値上げしても庶民の救世主なのは「もともと安すぎる」から  相変わらず、私の自宅の近所にある業務スーパーの店頭は賑わっています。安さで人気の業務スーパーですが、実は、地味に商品の価格が値上げされています。たとえば、その安さで人気だったうどんや焼きそばの麺は、去年は1玉21円(税込み、以下同じ)だったものが今では22円。私の事務所で使っているアラビカ種100%のリッチブレンドコーヒー豆は、430円だったのが497円という具合です。 世の中は値上げラッシュで、その品目を並べると肉製品に食用油、海産物、小麦製品という具合です。考えてみれば業務スーパーで売られている製品は、みんなこの一年間に価格が上昇した製品ばかりです。にもかかわらず、体感で言えば業務スーパーは今でも安い。なぜか。ここが救世主としてのポイントです。 その秘密は、もともと安すぎるからです。冒頭に紹介したうどん1玉の価格の上げ幅は、計算してみると5%の値上げです。でも値上げ後の価格が22円だと思うと、相変わらず消費者から見ればびっくりの激安価格です。一方で面白いと思うのは、業務スーパーが行っている値上げは十分に利幅を取っている点です。 今年4月に、政府の輸入小麦の売り渡し価格が17.3%も値上げになったので、小麦製品の値上げラッシュが大問題になりました。ですが、実は政府の試算でも小麦製品に占める原料小麦代金の割合はそれほど大きくありません。食パンにしてもゆでうどんにしても、小麦の原材料コストは全体の8%程度。農水省の公式試算では原材料の小麦を17.3%値上げしても、パンやうどんの末端価格は1.5%しか上がらないとしています。 業務スーパーで1円値上げされた値上げ幅は、その1.5%よりもはるかに大きい5%です。もちろん包装紙に使うプラスチックや、運送に使う軽油の原材料である原油価格も上昇していますから、小麦分だけを値上げするわけにはいかないのでしょう。けれども業務スーパーの場合は、必要分だけ値上げをしてもまだ庶民から見れば「値上げ時代の救世主」のような価格が維持できている。 低価格ビジネスモデルの小売業は値上げ時代にはよりそのインパクトを増すようです』、「業務スーパーの場合は、(もともと低価格なので)必要分だけ値上げをしてもまだ庶民から見れば「値上げ時代の救世主」のような価格が維持できている」、なるほど。
・『コストコの商品には3〜6割値上げしたものも  さて、業務スーパーと同じ低価格の救世主的立場の小売店に、会員制ホールセールクラブのコストコがあります。私は、業務スーパーもコストコもどちらもよく使います。どちらの小売店もよく似ている点は、1パッケージあたりの量がめちゃくちゃ多い点です。 冒頭のうどん1玉は、業務スーパーでは例外的にばら売りをしている商品で、それ以外の商品の多くはボリュームが多い業務用サイズで販売しています。たとえばラーメンに入れる豚バラ肉の煮込みは600g、お徳用のソーセージは1kg、ブルドックの中濃ソースは業務用の1.8リットルサイズで430円という感じです。 コストコも同様で、もともとのサイズが一般のスーパーで売られているサイズよりもずっと大きいのが特徴です。コストコで私がよく買うコーヒー豆はカークランドシグネチャーという商品です。コストコのPBブランドでありながら、スターバックスが製造しているハウスブレンドコーヒーです。これが1.13kgで2998円。スタバの店頭で売られる豆と同じ250gに換算すると663円ですから、高品質のコーヒー豆としては相対的にかなりお得です。 高級チョコレートとして有名なリンツのリンドールもコストコでよく買う商品ですが、こちらも600gの巨大パッケージ。街中の公式ショップで売っている10個入り1000円の袋詰めがだいたい120gですから、大きさは約5倍。それでも600gで2598円なので、これもかなりお安い気がします。 ただ、ここにきてコストコに出かけると、業務スーパーとは少し違う感覚を覚えます。「なんかかなり高くなったなあ」という感覚です。 さきほどと同じように古いレシートを取り出して確認すると、2年前は同じハウスブレンドコーヒーが1868円でした。同様にリンツも当時は2038円で売られていました。電卓で計算してみると、3割から6割も値段が上がっているのです。この違いはいったい何でしょうか?』、「コストコ」は結婚した娘が会員になっており、一度、連れて行ってもらった。商品の売買の単位の大きさに驚かされた。「業務スーパー」は近くにあるので、昔から利用している。
・『コストコ「値上げ」の原因はインフレとドル高のダブルパンチだ  実は、業務スーパーとコストコの最大の違いは商品の調達先です。業務スーパーの食品の多くが中国から開発輸入している一方で、コストコはアメリカの商品ラインナップを日本に持ってきているものが多いのです。 経済通の読者の方はよくご存じのとおり、今、アメリカでは年率8.6%という大幅なインフレが起きています。日本の2.4%のインフレなど比較にならないほど物の価格が上がっています。 そしてコストコはそれを日本に輸入してくるのですが、これも皆さんご存じのとおり一年前に115円前後だった為替レートが、直近で137円と2割近いドル高が起きています。 最近海外旅行に行った方から、「リベンジ消費するつもりが、あまりに物価が高くて何も買えなかった」という話を聞きますが、これは物価とドル高の掛け合わせ効果です。 8.6%のインフレと約2割のドル高が掛け合わさると、日本人から見ればアメリカの物価は3割高になってしまいます。 コストコの人気商品も、それと同じです。特にアメリカ産や同じく物価高騰に悩むEUの先進国の製品の場合、ふと気が付くとずいぶんな値幅で値上げされていることに気づくのです。ただコストコでは、値上げ後の現在でも同じ商品を普通のスーパーマーケットなどで買うよりも半額近くで買えるということから、やはりまだ大幅に安いという状況は続いているわけです』、「コストコでは、値上げ後の現在でも同じ商品を普通のスーパーマーケットなどで買うよりも半額近くで買えるということから、やはりまだ大幅に安いという状況は続いている」、「業務スーパー」と似ている。
・『値上げ幅が大きくなってもコストコと業務スーパーは競合しない  とはいえ、たくさん買って節約するという顧客から見れば、値上げがきついコストコから値上げがマイルドな業務スーパーへと需要が流れたりしないのでしょうか? ここが面白いところですが、コストコと業務スーパーは実質的には競合しないのです。 実はアメリカでも日本でもそうなのですが、コストコは中流の上から富裕層の顧客が利用する小売店です。会員制というとおり年会費4840円を払ったうえで、自家用車に乗らなければならない距離にある倉庫店まで出かけて買い物をする。しかも、お店に置いてあるのはPBを除けば、主に有名ブランドの商品ばかりというのがコストコの特徴です。 一方で、業務スーパーは基本的に業務用の仕入れを想定した品ぞろえのスーパーです。それが、店舗数が増えた結果、住宅街にも進出してきました。そして実は、業務用の世界では一般のスーパーマーケットと少し売れ筋商品が違うという特徴があります。 たとえば、一般のスーパーで売れ筋の野菜は国産が中心です。中国産の野菜も安く売られていますが、売れ行きを見ると国産の方が勢いがいい。とはいえ、貿易統計を見ると中国産の野菜は結構輸入されています。どこで消費されているのかというと、中国産野菜は圧倒的に飲食店で使われています。 そして業務スーパーで人気の冷凍野菜を裏返してみるとわかるのですが、その多くは原産国が中国になっています。それが業務スーパーでは売れている。ここにコストコと業務スーパーが競合しない理由が隠れています。 業務スーパーの主要な顧客層は、実は庶民です。生活費を切り詰めたいニーズがあって、大手のスーパーマーケットよりも業務スーパーで買い物をしたいという層がここに流れてきます。 実は経済の専門家から見れば、中国産の野菜というのは決して悪い商品ではありません。かつては品質が悪かった時期もあったかもしれませんが、現在では日本の商社や現地の生産者が日本向けの野菜をきちんと管理して育てているので、品質や安全性は向上しています。 しかし一般のスーパーでは、一種の風評で国産に押されている。その観点で言えば、業務スーパーで安い冷凍野菜を買う顧客は、実は賢い買い物をしているとも言えるのです。 値上げラッシュの日本にあって、まだ生活水準は豊かな方できちんとした水準の商品をできるだけ安く買いたい顧客層は、コストコを選びます。そして商品が値上がりしても収入はそれほど増えない顧客層は、賢く業務スーパーで乗り切ろうとします。 どちらの小売店も値上げラッシュの救世主であり、それぞれを利用する顧客層はそれぞれ違う事情から異なるお店を選んでいるというのが実情だということなのです』、「コストコは中流の上から富裕層の顧客が利用する小売店です。会員制というとおり年会費4840円を払ったうえで、自家用車に乗らなければならない距離にある倉庫店まで出かけて買い物をする。しかも、お店に置いてあるのはPBを除けば、主に有名ブランドの商品ばかりというのがコストコの特徴です」、「業務スーパーは基本的に業務用の仕入れを想定した品ぞろえのスーパーです。それが、店舗数が増えた結果、住宅街にも進出してきました。そして実は、業務用の世界では一般のスーパーマーケットと少し売れ筋商品が違うという特徴があります」、「まだ生活水準は豊かな方できちんとした水準の商品をできるだけ安く買いたい顧客層は、コストコを選びます。そして商品が値上がりしても収入はそれほど増えない顧客層は、賢く業務スーパーで乗り切ろうとします」、上手い具合に棲み分けが出来ているようだ。いずれにしろ、良質の商品が安く手に入るのは有難いことだ。
タグ:小売業(一般) (その7)(小売の常識覆した「素人集団」はなぜ挫折したか 「ハンズを手放す」決断下した東急不動産の苦悶、年間300本以上の取材に対応!? 各局のニュース番組が「スーパーアキダイ」を取材し続ける“納得の理由” 『いつか小さくても自分の店を持つことが夢だった スーパーアキダイ式経営術』より #2、コストコと業務スーパー、「値上げ時代の救世主」が競合しない事情) 東洋経済Plus「小売の常識覆した「素人集団」はなぜ挫折したか 「ハンズを手放す」決断下した東急不動産の苦悶」 「東急ハンズ」は私のお気に入りだっただけに、経営主体が変わるのは残念な気もする。「東急不動産」が親会社だったとは初めて知った。 賢明な選択だ。 賢明な判断だ。「ただし、「東急」の社名は(売却後も)当面使ってもらう予定だ」、持株関係はなくなっても、「名前」だけは使うというのは、一般顧客向けなのだろう。 「太陽光や風力といった開発中の施設が完成すれば、原子力発電所1基分にあたる約40万世帯の電力を確保できる」、「原発1基分」とはかなりの規模だ。「東急ハンズ」が「カインズ」傘下で発展することを期待する。 文春オンライン「年間300本以上の取材に対応!? 各局のニュース番組が「スーパーアキダイ」を取材し続ける“納得の理由” 『いつか小さくても自分の店を持つことが夢だった スーパーアキダイ式経営術』より #2」 確かに、テレビのニュースでは、「スーパーアキダイ」が「取材先として選ばれ」ることが多いようだ。 「年間300本以上のテレビ局の取材」、「2011年を境に、現在のように店の前にテレビ局のクルーが取材の順番待ちの列を作るようになった」、通常はヒアリング先は分散するのが一般的だが、「アキダイ」だけは例外のようだ。 「大手スーパーなどの大企業に取材を申請する際には、通常は企画書を送って、それを精査され、何日か後に取材ができるかどうかの返事が来るようです。でも、アキダイの場合、朝に僕の携帯電話が鳴って「今日、これから行ってもいいですか?」と番組ディレクターの方が直接交渉してくる」、「よほどの用事が入っていない限り、僕は二つ返事で取材を受けるので、今日アポを取って、今日取材というパターンばかり。 取材に来るテレビはニュースか情報番組が大多数で、彼らは鮮度の高い情報を求めているので、リアルタイムで取材を取り付けることができるアキダイは使い勝手がいいのかもしれません」、これならテレビ局にとっては、確かに「取材しやすい」ようだ。 「アキダイはいくつかの市場とお付き合いさせてもらっていて、それぞれの市場は個々の産地からの情報を持っています。そうやって貴重な情報を入手するラインがいくつもあるおかげで、産地の生産者も僕のことを知ってくれている。 だから、生産者は市場の売り子さんを介して、たとえば「洪水の影響でどの程度の被害が出たか」「大雪で今後どれくらい出荷が落ち込む見通しか」といったリアルタイムの情報を提供してくれるし、何かあれば写真をスマホに送ってきてくれることもあります」、「産地」からの「情報」も持っているとは強味だろう。 「取材はすべてノーギャラで、一銭ももらったことはありません」、「アキダイという店の名前はずいぶん知名度が上がりましたが、僕がテレビに出たくらいで店の売上げが増えるなどということはない」、「これは人のためというより自分のため。仮に、僕が困っている人を放っておいたら、その後、「あの人どうなったかな?」って気になってしょうがない。そんなふうに気を揉むのが嫌なんです」、なかなか感心な心がけだ。 ダイヤモンド・オンライン 「コストコと業務スーパーは実質的には競合しない」、どうしてだろう。 「業務スーパーの場合は、(もともと低価格なので)必要分だけ値上げをしてもまだ庶民から見れば「値上げ時代の救世主」のような価格が維持できている」、なるほど。 「コストコ」は結婚した娘が会員になっており、一度、連れて行ってもらった。商品の売買の単位の大きさに驚かされた。「業務スーパー」は近くにあるので、昔から利用している。 「コストコでは、値上げ後の現在でも同じ商品を普通のスーパーマーケットなどで買うよりも半額近くで買えるということから、やはりまだ大幅に安いという状況は続いている」、「業務スーパー」と似ている。 「コストコは中流の上から富裕層の顧客が利用する小売店です。会員制というとおり年会費4840円を払ったうえで、自家用車に乗らなければならない距離にある倉庫店まで出かけて買い物をする。しかも、お店に置いてあるのはPBを除けば、主に有名ブランドの商品ばかりというのがコストコの特徴です」、 「業務スーパーは基本的に業務用の仕入れを想定した品ぞろえのスーパーです。それが、店舗数が増えた結果、住宅街にも進出してきました。そして実は、業務用の世界では一般のスーパーマーケットと少し売れ筋商品が違うという特徴があります」、「まだ生活水準は豊かな方できちんとした水準の商品をできるだけ安く買いたい顧客層は、コストコを選びます。そして商品が値上がりしても収入はそれほど増えない顧客層は、賢く業務スーパーで乗り切ろうとします」、 上手い具合に棲み分けが出来ているようだ。いずれにしろ、良質の商品が安く手に入るのは有難いことだ。
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パンデミック(経済社会的視点)(その25)(日本のコロナ対策が迷走ばかりで的を射ない原因 感染症法にとらわれる非科学で非謙虚な政策の数々、「世界のベスト観光都市」で上位3位を独占…日本を愛する外国人観光客を拒否する「水際対策」の無意味さ むしろ「感染者数は世界一」の国なのに…、コロナ自粛による高齢者の健康被害で見えた「長寿大国日本」の隠れた要因、コロナ経験者は肌寒い朝「脳梗塞の発作」に要注意 「血管の内壁」にダメージを与えるという事実) [パンデミック]

パンデミック(経済社会的視点)については、8月24日に取上げた。今日は、(その25)(日本のコロナ対策が迷走ばかりで的を射ない原因 感染症法にとらわれる非科学で非謙虚な政策の数々、「世界のベスト観光都市」で上位3位を独占…日本を愛する外国人観光客を拒否する「水際対策」の無意味さ むしろ「感染者数は世界一」の国なのに…、コロナ自粛による高齢者の健康被害で見えた「長寿大国日本」の隠れた要因、コロナ経験者は肌寒い朝「脳梗塞の発作」に要注意 「血管の内壁」にダメージを与えるという事実)である。

先ずは、8月30日付け東洋経済オンラインが掲載した医療ガバナンス研究所理事長の上 昌広氏による「日本のコロナ対策が迷走ばかりで的を射ない原因 感染症法にとらわれる非科学で非謙虚な政策の数々」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/614403
・『「コロナは普通の風邪だと思いますが、どうして、ここまで大騒ぎするのですか」 私の外来に通っている患者から質問された。患者は80代の男性で、胃がんで2回手術し、昨年、房室ブロックという不整脈のため、ペースメーカー挿入手術を受けた。高齢で持病を有するため、コロナに感染すれば重症化しやすい。ワクチンは4回の接種を済ませていた。 今夏、この患者が妻とともにコロナに感染した。アメリカのメルクが販売するコロナ治療薬モルヌピラビルを内服したものの、症状は軽く、自宅療養で治癒した。これが冒頭への発言へとつながる。 患者はダンスの愛好家だ。休日には夫婦そろって、同世代の友人たちとダンスを楽しむ。ダンス仲間にも、コロナに罹った人がいるが、皆、問題なく治癒している。コロナ感染のリスクをあおる専門家やメディアに不信感を抱いている。 患者は元銀行員で、海外勤務が長い。現在も海外メディアをフォローしており、「コロナ感染のリスクをあおる専門家やメディアに不信感を抱いている」、「日本の対応は異様」と感じている。元金融マンだけに、世界経済には明るく、「このままでは、世界から日本が落伍していく」と日本の将来を憂えている』、「患者は元銀行員で、海外勤務が長い。現在も海外メディアをフォロー」しているのであれば、「このままでは、世界から日本が落伍していく」との危惧も理解できる。
・『日本の超過死亡はコロナ死者の6倍  私は、この患者の意見に賛成だ。マスク装着から水際対策まで、日本のコロナ対策は異様だ。マスクの感染予防率はせいぜい2割程度だし、国内でコロナが蔓延している中、水際対策を強化しても意味がない。分けても問題なのは、漫然と自粛を要請した結果、多数の「自粛関連死」が起こっていることだ。 3月10日、アメリカ・ワシントン大学の研究チームが、イギリス『ランセット』誌に発表した論文は興味深い。彼らは74カ国と地域を対象に、2020年1月から2021年12月までの超過死亡を推定した。 超過死亡とは、過去の死亡統計や高齢化の進行から予想される死亡者数と、実際の死亡者数を比較した数字だ。この研究で、日本の超過死亡数は11万1000人と推定され、確認されたコロナによる死者1万8400人の6.0倍だった。 この数字は、経済協力開発機構(OECD)加盟38カ国中で最高だった。わが国で、重症者のコロナ感染の見落としは考えにくく、長期にわたる自粛や高血圧や糖尿病などの持病を悪化させた高齢者が脳卒中や心筋梗塞を起こし亡くなっているのだろう。) 7月29日、厚労省は「簡易生命表」を発表し、2021年の日本人の平均寿命は女性87.57歳、男性81.47歳で、いずれも過去最高だった前年を下回ったことを明かした。平均寿命が前年割れするのは、東日本大震災があった2011年以来だ。この事実も、ワシントン大学の研究結果と一致する。これでは何のための自粛かわからない。わが国のコロナ対策は早急に見直さねばならない。 8月24日、岸田文雄首相が重い腰を上げた。私は、どのように方向転換するか、岸田総理のリーダーシップに期待していた。 ところが、その期待は裏切られた。岸田総理が表明したのは、コロナ感染者数の全数把握を見直すなど、行政や医療機関の負担を減らすものばかりで、国民生活とは関係がなかった。 政府は来たる臨時国会で、2類相当の見直しを議論する予定で、マスコミにはさまざまな専門家が登場し、侃侃諤諤(かんかんがくがく)の議論を展開中だが、これもピントボケだ。見直しを求める人は、保健所への届け出など医療機関の負担が大きいことを問題視し、慎重派は、5類にすると感染者の全数把握が不可能となり、さらに医療費の自己負担が生じるなどを問題とするが、後述する理由から2類・5類問題は議論の余地がないし、国民にとって優先順位は低い』、「日本の超過死亡数は11万1000人と推定され、確認されたコロナによる死者1万8400人の6.0倍だった。 この数字は、経済協力開発機構(OECD)加盟38カ国中で最高」、「長期にわたる自粛や高血圧や糖尿病などの持病を悪化させた高齢者が脳卒中や心筋梗塞を起こし亡くなっているのだろう」、「2021年の日本人の平均寿命は・・・いずれも過去最高だった前年を下回った・・・平均寿命が前年割れするのは、東日本大震災があった2011年以来」、「これでは何のための自粛かわからない。わが国のコロナ対策は早急に見直さねばならない」、「岸田総理が表明したのは、コロナ感染者数の全数把握を見直すなど、行政や医療機関の負担を減らすものばかりで、国民生活とは関係がなかった」、なるほど。
・『2類感染症と「共存」などありえない  冒頭にご紹介した患者のように、オミクロン株は感染しても軽症で治癒するケースが大部分を占める。コロナ後遺症など、十分に解明されていないものの、国民の多くがワクチン接種や実際に感染することで、一定レベルの免疫を獲得した現在、オミクロン株は過度に恐れる病原体ではないと私が考えている。個別対応することなく、感染者や濃厚接触者を一律に長期にわたり、自宅などで隔離するのはやりすぎだ。 わが国のコロナ対策が、このようなやり方をするのは感染症法という法的根拠があるからだ。感染症法は感染者を隔離することで、社会を感染から守ろうとするもので、感染者の人権を侵害する。 現に、ハンセン病や結核などへの対応で差別を生み出してきた。このような反省から、感染症法では「まん延を防止するために必要な最小限度」の規制しか認められていないのだから、コロナは即刻、2類感染症からは外したほうがいいだろう。日本政府は「ウィズ・コロナ」を推進している。2類感染症と「共存」などありえない。 もし、慎重派が指摘するように、5類に下げても、全数把握が必要なら、医療機関は感染者数だけ保健所に届ければいい。現在、感染経路からワクチン接種日まで、膨大な情報を報告しなければならないが、こうすれば政府が全数を把握しながら、医療機関の手間は大幅に削減されるはずだ。) さらに、感染者の医療費負担が問題なら、自己負担分を予算措置すればいい。いまでも、感染症法の枠組みで公費を支出しているのだから、新たな財源措置は不要だ。岸田政権が本気になれば、すぐにやれることだ。 コロナ対策では、こんな些末な問題よりも、議論すべき重要なことがある。それは感染症法のあり方だ。わが国の感染症法対策は、この法律に基づいて実施されており、これを変えなければ、いつまでも迷走を繰り返す。 この法律の問題は、国家による国民の統制が主体で、国民の権利への配慮がないことだ。この基本姿勢が、わが国のコロナ対策を非科学的なものにして、進歩を阻んだ』、「オミクロン株は過度に恐れる病原体ではないと私が考えている。個別対応することなく、感染者や濃厚接触者を一律に長期にわたり、自宅などで隔離するのはやりすぎだ。 わが国のコロナ対策が、このようなやり方をするのは感染症法という法的根拠があるからだ。感染症法は感染者を隔離することで、社会を感染から守ろうとするもので、感染者の人権を侵害する」、「コロナ対策では・・・議論すべき重要なこと・・・感染症法のあり方だ。わが国の感染症法対策は、この法律に基づいて実施されており、これを変えなければ、いつまでも迷走を繰り返す。 この法律の問題は、国家による国民の統制が主体で、国民の権利への配慮がないことだ。この基本姿勢が、わが国のコロナ対策を非科学的なものにして、進歩を阻んだ」、確かに大きな問題だ。
・『技術で克服した欧米、強制隔離した日本  このことを議論するうえで注目すべきは、わが国の感染症対策の歴史だ。わが国で感染症が激増したのは幕末だ。鎖国をやめ、海外から伝染病が一気に流入した。江戸幕府を引き継いだ明治政府は、感染症対策に苦慮した。当時、抗生物質も検査もなく、国家を感染から守るため、感染者・家族・近隣住民を強制隔離するしかなかった。 もちろん、感染症が問題となったのは、日本だけではなかった。産業革命で都市への人口流入が加速したイギリスでもコレラの蔓延が社会問題となった。当時のイギリスが日本と違ったのは、十分な資本の蓄積があったことだ。民間の資本家が中心となって上下水道を整備し、コレラの蔓延を抑制した。テクノロジーが感染症を克服したのだ。 私は、このような成功体験は、現在も欧米の人々の間で引き継がれていると感じている。コロナ克服に最も貢献したのは、mRNAワクチンを開発したファイザーやモデルナだ。欧米の市民は、チャレンジ精神あふれる企業を応援した。そして、このような企業は政府に依存しなかった。 残念なことに、明治の日本には、そのような資本も技術力もなかった。彼らが頼ったのは感染者の強制隔離だ。そして、その実務を担ったのは、内務省衛生警察と伝染病研究所だった。昭和に入り、結核対策を強化するため、内務省は各都道府県に保健所を設置し、感染症対策の実行部隊となる。 戦後、衛生警察は厚生省(現厚労省)、伝染病研究所は東京大学医科学研究所と国立感染症研究所に引き継がれ、現在も基本的な枠組みは変わらない。明治時代に成立した伝染病予防法は感染症法に名前を変えたが、いまだに強制隔離が中心だ。コロナ対策でも、積極的疫学調査、濃厚接触者探しが強調された。) この間、科学的な議論は二の次だった。厚労省や国立感染症研究所が、今春まで、コロナの空気感染を認めなかったことなど、その典型だ。昨春には、権威あるイギリス『ランセット』誌やイギリスの医師会誌が、この問題を社説などで取り上げ、昨年8月にはアメリカ『サイエンス』誌が、「呼吸器ウイルス感染症の空気感染」という総説を掲載し、世界的コンセンサスとなった。日本の専門家が方針転換したのは、1年以上遅れたことになる。 もちろん、彼らが、このような論文を知らなかった訳ではないだろう。私は利権を守ろうとしたと考えている。もし、空気感染が感染拡大の主因であれば、全国の保健所をフル動員した積極的疫学調査による濃厚接触者探しは無意味だ。臨時国会で議論される感染症法改正では、積極的疫学調査の規模は大幅に縮小したほうがいいだろう』、「当時のイギリスが日本と違ったのは、十分な資本の蓄積があったことだ。民間の資本家が中心となって上下水道を整備し、コレラの蔓延を抑制した。テクノロジーが感染症を克服したのだ」、「明治の日本には、そのような資本も技術力もなかった。彼らが頼ったのは感染者の強制隔離だ。そして、その実務を担ったのは、内務省衛生警察と伝染病研究所だった。昭和に入り、結核対策を強化するため、内務省は各都道府県に保健所を設置し、感染症対策の実行部隊となる。 戦後、衛生警察は厚生省(現厚労省)、伝染病研究所は東京大学医科学研究所と国立感染症研究所に引き継がれ、現在も基本的な枠組みは変わらない。明治時代に成立した伝染病予防法は感染症法に名前を変えたが、いまだに強制隔離が中心だ。コロナ対策でも、積極的疫学調査、濃厚接触者探しが強調された」、「科学的な議論は二の次だった。厚労省や国立感染症研究所が、今春まで、コロナの空気感染を認めなかったことなど、その典型だ」、「いまだに強制隔離が中心」とかつてからの方法そのままであることに、驚かされた。「空気感染が感染拡大の主因であれば、全国の保健所をフル動員した積極的疫学調査による濃厚接触者探しは無意味だ。臨時国会で議論される感染症法改正では、積極的疫学調査の規模は大幅に縮小したほうがいいだろう」、厚労省の主流のやり方は時代遅れのようだ。
・『日本型モデルなど不要  しかしながら、それは厚労省の担当部署、国立感染症研究所や保健所、そして地方衛生研究所の権限とポストの削減につながる。尾身茂コロナ対策分科会会長をはじめ、政府の専門家の多くは、このような組織の関係者だ。彼らにとっては有り難くない話なのだろう。 科学的なエビデンスに反してまでも、飛沫感染を重視し、飲食店などでの感染リスクをあおることは、国民にとっては迷惑以外の何物でもないが、彼らの利益を守るという点では合理的だった。今後も、同様の詭弁を弄し続けるだろう。今回の2類・5類論争が、まさにそうだ。 残念ながら、現在、コロナで世界をリードするのは圧倒的にアメリカだ。mRNAワクチンや治療薬を開発したのが、ファイザー、モデルナ、メルクなどのアメリカの製薬企業であるのは、その象徴だ。 安全保障を重視するイスラエルですら、ワクチンや治療薬を独自に開発していない。同国に、そんな実力がないことがわかっているからだ。国産ワクチンや治療薬にこだわり、巨額の血税を投入した政府のあり方は、空気感染を無視し続けた専門家と同じくらい罪深い。 コロナ対策は、世界の叡智が結集し、試行錯誤を繰り返す。その研究成果は、『ネイチャー』や『ランセット』などの英文の医学誌で発表される。われわれは、もっと世界から学ばなければならない。 「日本型モデル」などは不要だ。もし、画期的な研究成果なら、「日本型モデル」などと自画自賛しなくとも、一流の医学誌や科学誌が論文を掲載し、世界中が関心を抱くはずだ。現に、河岡義裕・東京大学医科学研究所特任教授らの研究が、『ネイチャー』や『ニューイングランド医学誌』などに掲載され、世界のコロナ対策に影響を与えている。) 政府の役割は、コロナ研究をリードし、国民を統制することではなく、国民をサポートすることだ。そのためには、医療や検査を受ける権利、隔離される権利などを感染症法で保障するのがいい。現在の感染症法では、このような権利は明文化されておらず、多くの施策は政府の恩寵的財政措置にすぎない。検査キットなどが不足すると、厚労省は都道府県などに補助金を出すが、財源がなくなると同時に終了となる。 政府は、もっと国民の声に耳を傾けなければならない。流行当初、感染を恐れた世界中の人々は、「病院に行きたくない。他人と会いたくない」と望んだ。このとき、世界と日本の対応は違った。日本は医療機関に補助金を支払い、発熱外来を設置し、医療機関の受診を37.5度4日以上の発熱が続く人に限定した。厚労省や専門家は、「日本の医療を崩壊させないために必要な措置」と繰り返した。 一方、世界は自宅で検査、さらに医療が受けられるように工夫した。例えば、アメリカは、2020年3月に医療機関でのコロナ感染の拡大を防ぐため、すでに承認した心電図やパルスオキシメーター、電子聴診器などの非侵襲的な医療機器とそのソフトウェアを遠隔診療に用いることを緊急承認した。 自宅で利用できる検査は続々と開発され、昨年1月にアマゾンは、FDAが承認した検査キットの販売を始めている。このような検査結果を用いて、感染者は自宅にいながら、医師の遠隔診療を受けることができるようになった』、「世界と日本の対応は違った。日本は医療機関に補助金を支払い、発熱外来を設置し、医療機関の受診を37.5度4日以上の発熱が続く人に限定した。厚労省や専門家は、「日本の医療を崩壊させないために必要な措置」と繰り返した。 一方、世界は自宅で検査、さらに医療が受けられるように工夫した。例えば、アメリカは、2020年3月に医療機関でのコロナ感染の拡大を防ぐため、すでに承認した心電図やパルスオキシメーター、電子聴診器などの非侵襲的な医療機器とそのソフトウェアを遠隔診療に用いることを緊急承認した。 自宅で利用できる検査は続々と開発され、昨年1月にアマゾンは、FDAが承認した検査キットの販売を始めている。このような検査結果を用いて、感染者は自宅にいながら、医師の遠隔診療を受けることができるようになった」、日本は医師会や薬剤師会などへの遠慮もあるのだろう。 
・『アメリカは国民のニーズに真面目に対応している  一方、遠隔診療に対する厚労省の対応は異様だった。検査の精度管理の難しさを強調し、抗原検査キットの販売に際して、薬剤師の対面での指導を義務づけた。ネットでの販売が解禁されたのは、今月になってからで、8月24日にロシュ・ダイアグノスティックスが販売する一般向けの抗原検査キットが承認された。アメリカからは周回遅れだ。 この遅れは、わが国にとって致命的だ。その影響はコロナに限らない。アメリカでは、コロナ流行をきっかけに遠隔医療が急速に発展した。 昨年11月、アメリカのジョンソン・エンド・ジョンソンは、糖尿病治療薬カナグリフロジンの第3相臨床試験を、被験者が医療機関に通院することなく、すべてバーチャルでやり遂げた。さらに、ユナイテッドヘルスケア社などが、遠隔診療に限定したプライマリケアを提供する保険の販売を開始した。この枠組みは、医師不足に悩む僻地医療問題の解決にも貢献するはずだ。 アメリカは、コロナ対応を通じて、リモート診療、そしてリモート勤務を支える社会システムを構築した。私は、このようなシステムが、ポスト・コロナのプラットフォームへと成長すると考えている。なぜ、彼らは、このようなシステムを生み出せるのか。それは国民のニーズに真面目に対応しているからだ。地道に試行錯誤を繰り返すアメリカの社会から、われわれはもっと学ばなければならない』、「アメリカは、コロナ対応を通じて、リモート診療、そしてリモート勤務を支える社会システムを構築した。私は、このようなシステムが、ポスト・コロナのプラットフォームへと成長すると考えている。なぜ、彼らは、このようなシステムを生み出せるのか。それは国民のニーズに真面目に対応しているからだ。地道に試行錯誤を繰り返すアメリカの社会から、われわれはもっと学ばなければならない」、同感である。

次に、8月31日付けPRESIDENT Onlineが掲載したフリーライター・翻訳者の青葉 やまと氏による「「世界のベスト観光都市」で上位3位を独占…日本を愛する外国人観光客を拒否する「水際対策」の無意味さ むしろ「感染者数は世界一」の国なのに…」を紹介しよう。
https://president.jp/articles/-/61009
・『「行きたくても行けない」日本を夢見る外国人観光客  新型コロナの水際対策で、日本政府は外国人観光客の受け入れ制限を続けている。今年6月に約2年ぶりに観光目的の入国ができるようになったが、主要7カ国(G7)で最も厳しいとされる条件が足を引っ張り、6月が252人、7月が7903人にとどまった。 それでも日本を訪れることを夢見る海外客は非常に多いようだ。海外メディアでは「日本へ旅行に行きたい」という人々の声がしばしば紹介されている。 豪フィナンシャル・レビュー紙は、「すでにクリスマス休暇向けに日本のゲレンデ周辺のホテルを予約した幾多のオーストラリア人たちが、個人旅行客の受け入れがいつ再開するかについて岸田政権からいまだ何の表明もないことに不安を募らせている」と報じている。 南半球にあるオーストラリアの人々にとって、日本は、手軽に真逆の季節を楽しめる旅行先として人気が高い。サラサラとしたパウダースノーを楽しめる白馬やニセコなどの雪質は、ジャパンとパウダーを掛け合わせた「Japow」の名で親しまれ、海外スキーヤーたちに好評だ。オーストラリアの人たちは、早くも今年のスキーシーズンをにらみ、日本への個人旅行が解禁されるか気を揉んでいるようだ。 記事は、往来再開の遅れは日本の観光地にとっても打撃だと指摘している。長野や北海道の観光業関係者たちも危機感を募らせていると報じた。政府が早期に受け入れ再開時期を明示しなければ、海外客は予約をキャンセルし、他国への旅行に切り替えるおそれがあるからだ』、「オーストラリアの人たちは、早くも今年のスキーシーズンをにらみ、日本への個人旅行が解禁されるか気を揉んでいるようだ」、「政府が早期に受け入れ再開時期を明示しなければ、海外客は予約をキャンセルし、他国への旅行に切り替えるおそれがあるからだ」、政府は9月26日付けで、個人旅行の解禁など水際対策の緩和を決定した。
・『「訪れたい世界の都市」で首位になった東京  スキーリゾートの例に限らず、日本は海外旅行先として世界から高い需要がある。そのプレゼンスを維持するためにも、個人旅行客の受け入れの早期再開が望まれる。 米著名旅行誌『コンデ・ナスト・トラベラー』は毎年、旅行で訪れたい「世界のベスト都市」ランキングを読者投票により決定している。最新の2021年版では東京が1位に選出された。同誌は日本の東京を「まばゆいネオン、居心地のよい路地裏、そして歴史的な寺社の街」だと紹介している。 日本からランクインしたのは東京だけではない。2位には「近代建築とナイトライフ、たっぷりのストリートフードで知られる」大阪、3位に「日本で最もクリエイティブな街」だと評された京都がランクインし、上位3位を日本が独占した。 東京から箱根・飛騨高山・京都を経て大阪へ抜けるいわゆる「ゴールデンルート」が海外客の人気を集めているが、その魅力が如実に反映されたランキングになっている。 ちなみに4位以下は順に、都市国家シンガポール、カラフルな街並みが美しいメキシコのサン・ミゲル・デ・アジェンデの街、東西文化が混じりあうトルコのイスタンブールとなった』、「旅行で訪れたい「世界のベスト都市」ランキング」、では「最新の2021年版では東京が1位」、「2位には大阪」、「3位に」、「京都」が「選出」、「上位3位を日本が独占」、大したものだ。
・『渡航禁止にもかかわらず、日本がトップに  都市別のみならず、日本という国全体の観光魅力度も高く評価されている。スイスに拠点を構える国際機関の世界経済フォーラムが発表する「旅行&観光開発指数2021」では、世界117の国と地域中、日本が1位となっている。 平たくいえばこのランキングは、旅行先や観光地としての競争力と、その持続可能性を数値化したものだ。観光を取り巻く社会環境、政策、インフラ、観光資源、そしてその持続可能性を評価し、総合点を算出している。 ニュージーランドのニュースサイト「スタッフ」は、「渡航禁止にもかかわらず、日本が観光ランキングでトップに」と報じている。航空をはじめとする交通インフラの整備や、豊かな文化などでスコアを上げたと記事は分析している。 2位以下の国には、アメリカ、スペイン、フランス、ドイツなど欧米諸国が続く。アジアからのランクインは首位日本と9位のシンガポールのみとなっており、この2カ国がまたも強い存在感を示している』、「世界経済フォーラムが発表する「旅行&観光開発指数2021」では、世界117の国と地域中、日本が1位」、「ニュージーランドのニュースサイト「スタッフ」は、「渡航禁止にもかかわらず、日本が観光ランキングでトップに」と報じている」、日本は評判がいいようだ。
・『雪をみたい、桜をみたい…シンガポールの若者  そのシンガポールにおいても、行きたい旅行先(複数回答)に国民の半数近くが日本を挙げている。CNBCが8月に公開した記事によると、英調査会社のYouGov社が行った調査において、シンガポールの49%の人々が次の海外の休暇先として日本を挙げたという。 16歳から24歳の若い層に限ると、この数字は実に68%にまで跳ね上がる。シンガポールの若者の3人に2人が日本への旅行に興味を示していることになる。 東京に拠点を構えるシンガポール旅行会社の社長はCNBCに対し、常夏のシンガポールに住む人々にとって、とくに季節の変化が魅力になっていると説明している。雪景色の冬、そして桜の咲き誇る春がとくに人気だという』、「常夏のシンガポールに住む人々にとって、とくに季節の変化が魅力になっている・・・雪景色の冬、そして桜の咲き誇る春がとくに人気」、それはそうだろう。
・『安心して過ごせる治安のよい国という評判  日本といえば、安心して過ごせる治安のよい国という評判を国際的に得ている。コロナ禍においてはさらに、病気リスクを含めた広義の安全性という意味で、日本を含むアジアの国々が評判を上げているようだ。米CNBCは米旅行保険会社がまとめた2022年版「国別安全度」ランキングにおいて、日本が4位に選ばれたと報じている。 ランキングはアメリカ人への意識調査を集計したものだ。犯罪、テロ、性犯罪、人種差別など各面での安全性を尋ね、総合点によりランクづけしている。2018年調査で10位だった日本は、今回までに順位を6つ上げた。 調査を実施した保険会社によると、全体の傾向としてこれまで旅行者たちは、テロと暴力事件に巻き込まれることを主に懸念してきたという。 だが2022年調査では、「自由に移動できること」「病気の心配がないこと」を重視する傾向がみられたようだ。アジアの国々が軒並み躍進しており、一方、イギリスなど感染爆発が報じられた国が人気を落とした』、「米旅行保険会社がまとめた2022年版「国別安全度」ランキングにおいて、日本が4位に」、安全度は最も高くてしかるべきなのに、「4位」とは意外だ。「安全」の意味がより広いのかも知れない。
・『「ツアー客のみ入国可能」は国境閉鎖と変わらない  「日本に行きたい」という外国人は多いが、日本側の受け入れ体制は整っていない。政府は6月から観光目的の外国人の入国受け入れを再開したが、すべての入国者にビザの取得を義務づけているほか、添乗員付きのツアーに限定している。 この「添乗員付きのツアーに限定」というのが、集客の足を引っ張っているようだ。観光庁の発表によると、観光目的で入国した外国人は6月が252人、7月が7903人にとどまった。 このため一部の海外メディアは「実質的には国境閉鎖と変わらない」と報じている。ブルームバーグは同社コラムニストの記事で、日本の旅行代理店経由でのツアー客のみを受け入れる日本の制度が「大いに嘲笑の的となっている」との手厳しい見解を掲載した。海外のソーシャルメディアでは、ガイドツアーで外貨を稼ぐ北朝鮮を思わせるとの指摘さえ出ているという。 また、「パッケージツアーに限定」との表現が誤解の種となり、海外では誤った理解が広まっているようだ。CNBCの記事は、30人前後がバスに相乗りするスタイルが想起されがちであり、これが日本への旅行意欲を下げている一因だ、と指摘している。実際には、添乗員付きであれば最小1人(と添乗員)からのツアーが認められている。 ただし、費用面での問題は残る。添乗員分の旅行・宿泊費用が旅行費用に上乗せされるため、ただでさえ航空券が高騰している現在、ツアー客の負担は大きい。) 日本で20年以上暮らすニュージーランド人大学講師のルイーズ・ジョージ・キタカ氏は、アジア・メディアセンターに日本への旅行の現状について寄稿した。それによると、添乗員付きツアーの料金は現在、パンデミック前の通常の旅行費用と比較して「3倍から4倍」に跳ね上がっているという。慎重にコロナ対策を実施する日本は旅行先として安心できるが、コスト面で手が届かない存在になっているわけだ』、「「添乗員付きのツアーに限定」というのが、集客の足を引っ張っているようだ」、「添乗員付きツアーの料金は現在、パンデミック前の通常の旅行費用と比較して「3倍から4倍」に跳ね上がっているという。慎重にコロナ対策を実施する日本は旅行先として安心できるが、コスト面で手が届かない存在になっているわけだ」、なるほど。
・『「歴史的な円安」という集客の好機を逃している  国境閉鎖レベルの厳格な水際対策は、コロナの感染事例が海外を中心に発生していたパンデミックの初期には有効であった。その後も、変異株の病原性が高いとされた時分には、強力な株の入境を防ぐという意味で一定の効果があったといえるだろう。 しかし現在では、オミクロン株の亜種であるBA.5が主流となり、感染力の高さが指摘される一方で弱毒化が進んでいるとされる。欧米を中心に多くの国が経済の正常化へ舵を切っており、ニュージーランドは8月1日から国境を完全に開放した。入国者は引き続きワクチン接種の要件を満たしている必要があるが、隔離は必要ない。 アメリカも6月から入国時の陰性証明を不要とし、イギリスは3月から入国後検査を廃止するなど規制緩和の動きが進んでいる。 一方の日本では、6月からツアー客のみの受け入れという独自の基準が設けられた。結果として、歴史的な円安という集客の好機を逃している。 また、現在では新規感染者数が世界1位となっており、この状況で海外からの流入を主な感染源と考えることには無理がある。 米ジョンズ・ホプキンズ大学が発表する28日間移動合計(8月30日時点)で、日本の感染者数は約582万人となり、2位韓国の320万人、3位アメリカの283万人を大きく引き離している。世界の一部の国では全数把握を廃止しているため、完全に対等な比較とはならないものの、日本が世界的にみて高い水準にあることは明らかだ。 この状況で国内旅行を制限せず、海外からの流入を絞ることに意味はあるのだろうか。 岸田首相は24日の会見で、日本人を含むすべての入国者に求めている陰性証明書の提出について、3回目のワクチン接種を条件に免除する方針を示した。さらに外国人観光客の入国をツアー客に限定するという制限を緩和し、9月からは個人旅行も認める方針と読売新聞やNHKで報じられている。 「日本に行きたい」という外国人観光客のニーズは、これまでになく高まっている。年末年始の旅行に間に合わせるには、このタイミングがギリギリだろう。日本経済の再生のためにも、より迅速な対応が望まれる』、前述の政府の規制緩和で「外国人観光客」の来日が本格化しつつあるようだ。

第三に、9月29日付けダイヤモンド・オンラインが掲載したノンフィクションライターの窪田順生氏による「コロナ自粛による高齢者の健康被害で見えた「長寿大国日本」の隠れた要因」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/310452
・『「自粛」がもたらした不健康な生活 高齢者への影響は深刻  9月26日に新型コロナウィルス感染者の「全数把握」の見直しがなされるなど、日本もゆっくりではあるが「日常」を取り戻しつつある。 だが、これで終わりというわけではない。新しいウイルスがまたいつ流行して「医療がひっ迫するからステイホームせよ」という事態に逆戻りになるかわからないからだ。 そこで、今あらためて検証をしなくてはいけないのが、「自粛がもたらす健康被害」だ。 ご存じの方も多いだろうが、コロナ禍での自粛生活で運動量や人とのかかわりが大幅に減ったことで、免疫機能などが活性化せずに体や心の不調をもたらすという「健康二次被害」が指摘されている。 この問題を啓発するために、医師や自治体、民間企業などの有志が立ち上げた「健康二次被害防止コンソーシアム」によれば、自粛によって免疫力が低下したことでコロナに感染しやすく、重症化リスクも高くなってしまう、という本末転倒な事態も起きているという。つまり、我々国民としては、次のパンデミックに備えて「自粛のリスクと効果」をよく理解しておく必要があるのだ。 そんな「コロナ健康二次被害」を考えるうえで、注目すべきは高齢者だ。 実は、これらの年代の人々はコロナ重症化のリスクが高い一方で、過度なステイホームや活動自粛をすると心身を壊すケースが多く報告されている』、「自粛によって免疫力が低下したことでコロナに感染しやすく、重症化リスクも高くなってしまう、という本末転倒な事態も起きている」、当然予想されることなのに、それを考慮しなかった厚労省の責任は重い。
・『高齢者の心と体をむしばむ「自粛」 長寿大国に危険信号  現在、政府が推進している国民健康づくり運動「健康日本21」(第二次)を検討する委員も務めている、千葉大学予防医学センターの近藤克則教授はこう述べる。 「コロナ禍での自粛で、多くの高齢者が友人・知人と会ったり趣味などへの社会参加の頻度を減らしました。しかし、そのような高齢者は社会参加を減らさなかった高齢者に比べて、“うつ”や“要支援・要介護”リスクが高くなっていることが調査で明らかになりました」 近藤教授らが、11自治体の65歳以上の高齢者1万7179人を対象におこなった調査によれば、コロナ禍で「外出」を減らした高齢者は、減らさなかった高齢者に比べて、要支援・要介護リスクが1.95倍だった。「学習・教養サークル」を減らした高齢者に関しては1.68倍。さらに見ていくと、「通いの場」(1.57倍)、「スポーツの会」(1.46倍)、「友人・知人と対面」(1.45倍)となっている。「厳格すぎるステイホーム」は、高齢者の健康に悪影響を及ぼしていることがうかがえる。 また、自粛は「心」にも良くない。同じくコロナ禍で「自宅内の趣味」を減らした高齢者は、減らさなかった高齢者に比べて、「うつ」のリスクが1.49倍、「スポーツ」や「趣味」の会への参加を減らした高齢者はそれぞれ1.37倍、1.34倍となるなど、要支援・要介護のリスクと同じような傾向が読み取れる。 では、なぜ「自粛」はここまで顕著に、高齢者の心と体をむしばんでしまうのか。運動量が落ちることや、免疫機能が落ちるという説明が一般的だが、実はもうひとつ忘れていけない大きな要因がある、と近藤教授は言う。 「それは社会です。人と人とのつながりや、社会全体のまとまりの良さなどが高齢者の健康長寿に大きな影響を与えていることがわかっています」(近藤教授)』、「コロナ禍で「外出」を減らした高齢者は、減らさなかった高齢者に比べて、要支援・要介護リスクが1.95倍だった。「学習・教養サークル」を減らした高齢者に関しては1.68倍。さらに見ていくと、「通いの場」(1.57倍)、「スポーツの会」(1.46倍)、「友人・知人と対面」(1.45倍)となっている。「厳格すぎるステイホーム」は、高齢者の健康に悪影響を及ぼしていることがうかがえる」、「人と人とのつながりや、社会全体のまとまりの良さなどが高齢者の健康長寿に大きな影響を与えている」、予想以上に顕著な結果だ。今後の自粛指導のあり方を見直す必要がある。
・『食生活や運動だけじゃない 「社会」も長寿のワケだったのに…  個人の健康と社会――。一見すると、まったく無関係のように感じるこの2つに、なぜ深い結びつきがあるのか。それは「なぜ日本の高齢者は長生きなのか」ということを考えていくと理解できるという。 日本が「長寿大国」ということに異論は挟む人はいないだろう。実際、WHO(世界保険機関)が発表した2022年版の世界保健統計(World Health Statistics)によれば、平均寿命が最も長い国は日本で84.3歳だった。 この理由について、まず思い浮かべるのは「食生活」だろう。日本人が長生きなのは米を主食としているからだとか、生魚をよく食べているからだというような情報は、テレビの健康番組などでも頻繁に耳にする。近藤教授も食事がひとつの要因であることは間違いないという。 「日本が先進国で最も肥満が少ない国だというのは紛れもない事実で、それは食生活と運動が大きいと言われています。特に在宅勤務の増加で“コロナ太り”が問題になったように、日本人の場合、通勤で電車を何本も乗り換えるなど、たくさん歩かざるをえないという人もたくさんいます」(近藤教授) ただ、その一方で、日本人の長寿を食事や運動だけで説明してしまうのは「やや視野が狭い」と付け加える。 海外の研究者たちの間では、「なぜ日本人は喫煙率が高いのに長生きなのか」というのは長く議論の対象だったが、近年は「日本の社会のあり方が長寿の秘訣」だという考え方が広まっている。なぜかというと、国内外から、健康長寿に「社会」が大きな役割を果たしているという研究結果が続々と集まってきているからだ。 「イギリスのある学者は、日本人が長寿なのは、日本社会が不安なく暮らせるからだと考えています。確かに、日本は国民皆保険があるので、もし何か病気になってもアメリカのように1日で100万円など高額な医療費を請求されることがありません。また、日本のように、女性が夜一人で安心して出歩けるような国は多くありません。治安が悪い地域では歩いているだけでも、不安やストレスを感じます。日本にはそういう悩みが少ないということです」(近藤教授) 「日本の治安の良さ」についてよく言われるのは、「財布を落としても戻ってくる」というものだ。近藤教授によれば、あるアメリカの研究者も、来日した際にタクシーにスマホを忘れたのだが、それが手元に戻ってきたことに大変感動をして、この治安の良い信頼社会も、日本人を長生きにしている理由のひとつだと確信したという。 日本人を長生きにしている「日本社会」という要因について理解できると、「コロナ健康二次被害」の正体も見えてくる』、「日本人を長生きにしている「日本社会」という要因について理解できると、「コロナ健康二次被害」の正体も見えてくる」、その通りだろう。
・『人との接触が健康を高めてきたのに「自粛」は健康を阻害する  未知のウィルスがまん延したことで、多くの高齢者は命を守るために自宅に引きこもらざるをえなくなった。本来は、国民皆保険で誰もが気軽に医療を受けられるが、病院に行くと感染リスクもあるということで、それも控えざるをえなくなった。 また、日本は治安がいいので、高齢者でも安心して出かけて好きな人と会うことができたが、コロナ禍でそれもできなくなった。どこで感染してしまうかという不安を抱えながら、スーパーに行くだけでもマスクをしてウィルスにおびえながら出かけないといけなくなった。これはかなりのストレスだ。 つまり、「コロナ健康二次被害」は、日本人を長生きにさせてきた「治安のいい日本社会」の良いところが、コロナ禍によってかなり制限されてしまったことで引き起こされている側面もあるのだ。 これを踏まえると、次のパンデミックで「自粛」をする際に我々が注意しなくてはいけないことが見えてくる。 「また自粛を余儀なくされるような事態になっても“人と人のつながり”を完全に絶たないことが重要です。実際に、一人でやってもできることを、誰かと一緒にグループでやった場合と一人でする場合でどういう差があるのかを比較をしたところ、グループでやった時の方が、健康保護効果があるという研究が相次いで出ています」(近藤教授) 東北大学大学院歯学研究科の竹内研時氏らが、高齢者1万2571人を約6年間追跡したところ、「一人でいるときのみ笑う」という人に比べて「友人と笑う」という人は要介護認定リスクが約30%低いことがわかっている。 「笑うだけではなく、誰かと一緒に運動や食事をしている方が“うつ”や死亡率が低いという分析結果もあります。食事の場合、一人で食べる人は食事を抜いてしまったり、野菜や果物の摂取頻度が低くなったりすることがわかっています。 あと、男性の場合は“役割”をもって社会と関わると健康に良いことがわかっています。自分の健康のためにウォーキングをしようと思わない男性も用事があるとたくさん歩く。町内会の行事や祭りなどの役員になると、たくさん歩きますよね」(近藤教授)』、「次のパンデミックで「自粛」をする際に我々が注意しなくてはいけないことが見えてくる。 「また自粛を余儀なくされるような事態になっても“人と人のつながり”を完全に絶たないことが重要です」、「男性の場合は“役割”をもって社会と関わると健康に良いことがわかっています。自分の健康のためにウォーキングをしようと思わない男性も用事があるとたくさん歩く。町内会の行事や祭りなどの役員になると、たくさん歩きますよね」、その通りだ。
・『 “顔を見る”意味 「ビデオオフ」も心をむしばむ?  このように「人と人とのつながり」が健康や長寿に極めて大事だということがわかると、一人暮らしの方などは「もしまたステイホームになったらどうしよう」と不安になってしまうことだろう。しかし、そんな時に助けとなるのが「ネット利用」だという。 先ほどの近藤教授らの調査で、インターネットを用いたコミュニケーションの利用を増やした高齢者と、増やさなかった高齢者の「うつ」のリスクを調べたところ、「ビデオ通話」でコミュニケーションを増やした高齢者は増やさなかった高齢者に比べて45%減だった。同様に「ソーシャルメディア」は35%減、メール・チャットも25%減という結果が出たという。 「この調査でわかったのは、モニター越しでも人と人が“顔”を合わせることの大切さです。メールを増やした高齢者では、顔が見えるビデオ通話を増やした高齢者ほど“うつ”は減っていませんでした。ただ、声が聞ければいいのではなく、やはり“顔を見る”ことに力があるのです。ですから、コロナ禍で流行したリモート飲み会なども、心の健康に関してはそれなりに効果があったと思われます」(近藤教授) そう聞くと、気になるのは、コロナ禍で増えたオンライン会議における「ビデオオフ」ではないだろうか。 ネット接続環境が不安定だからとか、メイクをしていないから、などさまざまな理由で、オンライン会議で自分のカメラをオフにする人が少なくない。ビジネスマナー的によろしくないという意見もあるが、実はこれは「健康」という点でも避けるべきことかもしれない。 「やはり話をしている相手の顔が見えないと、ちゃんとコミュニケーションが取れているのかなと不安になりますよね。オンライン会議で、ビデオオフの参加者に声をかけたら返事がなかったりして“ちゃんと聞いているのか?”と心配になりますから」(近藤教授) 考えたくはないが、もし再びコロナ禍のようなステイホームの時代になった時、オンライン会議やリモート飲み会がまた日常になってしまうだろう。 その時、よほどの事情がない限りビデオは必ずオンにしておくことを心がけよう。馬鹿にするなかれ、このような小さなことの積み重ねが、我々の心と体を守って、長寿につながっているかもしれないのだ』、「インターネットを用いたコミュニケーションの利用を増やした高齢者と、増やさなかった高齢者の「うつ」のリスクを調べたところ、「ビデオ通話」でコミュニケーションを増やした高齢者は増やさなかった高齢者に比べて45%減だった。同様に「ソーシャルメディア」は35%減、メール・チャットも25%減という結果が出たという。 「この調査でわかったのは、モニター越しでも人と人が“顔”を合わせることの大切さです。メールを増やした高齢者では、顔が見えるビデオ通話を増やした高齢者ほど“うつ”は減っていませんでした。ただ、声が聞ければいいのではなく、やはり“顔を見る”ことに力があるのです。ですから、コロナ禍で流行したリモート飲み会なども、心の健康に関してはそれなりに効果があったと思われます」」、「再びコロナ禍のようなステイホームの時代になった時、オンライン会議やリモート飲み会がまた日常になってしまうだろう。 その時、よほどの事情がない限りビデオは必ずオンにしておくことを心がけよう」、同感である。

第四に、10月15日付け東洋経済オンラインが掲載したナビタスクリニック内科医師の久住 英二氏による「コロナ経験者は肌寒い朝「脳梗塞の発作」に要注意 「血管の内壁」にダメージを与えるという事実」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/625305
・『朝の気温がぐんと下がり、過ごしやすくなってきた。だが新型コロナ経験者は、これからの寒い季節、脳梗塞の発作が増えてくる可能性がある』、興味深そうだ。
・『新型コロナ経験者「1年後」も脳出血2.2倍  「Nature」の最新報告は、感染から1年経っても脳卒中(脳出血および脳梗塞)のリスクが高いことを示している。 新型コロナによる神経系統への1年後の後遺症を調べるための、アメリカ退役軍人の全米医療データベースを使った、桁違いの大規模調査だ。 ① 2019年にデータベースに参加し、2020年3月から2021年1月までに新型コロナに感染した約15万人 ② 感染経験者と同じ2019年にデータベースに参加し、感染しなかった約56万人 ③ それ以前、2017年からデータベースに参加し、感染しなかった約59万人  脳卒中の発症が増えたかどうか、それがコロナによる影響であるかどうかを確かにするため①と②だけでなく①と③を比較し、考慮している。 その結果、新型コロナ経験者は脳出血リスクが約2.2倍、脳梗塞リスクが1.5倍となっていた。 1年後の脳卒中リスクは、集中治療室での治療を受けた人で最も高く、次いで入院を要する重症者となり、脳出血はその傾向が顕著だった。ただ、脳出血も脳梗塞も、軽症者であっても1年後のリスクは有意に(統計上意味のあるだけ十分に)増加していた。 こうしてみると、2019年末のパンデミック勃発当初こそ重い肺炎ばかりが恐れられていた新型コロナだが、もはや単なる「呼吸器感染症」としてくくることはできない。 そのこと自体は、多くの人が早い段階で気づいていた。血栓症などさまざまな器官・臓器の重い合併症や後遺症が、数カ月のうちに次々と報告されたからだ』、「新型コロナ経験者は脳出血リスクが約2.2倍、脳梗塞リスクが1.5倍となっていた。 1年後の脳卒中リスクは、集中治療室での治療を受けた人で最も高く、次いで入院を要する重症者となり、脳出血はその傾向が顕著だった」、「もはや単なる「呼吸器感染症」としてくくることはできない」、その通りなのだろう。
・『新型コロナは「血管の内壁」を傷つける  新型コロナ感染症の特徴の1つは、血管に直接的・間接的ダメージを与える、ということだ。 厚生労働省の挙げる新型コロナによる重症化リスク疾患の上位を見ても明らかだ。 ●慢性の呼吸器の病気 ●慢性の心臓病(高血圧を含む) ●慢性の腎臓病 ●慢性の肝臓病(肝硬変等) ●インスリンや飲み薬で治療中の糖尿病、他の病気を併発している糖尿病  上記はいずれも「血管や血流にこれ以上問題が生じると、命に関わる病気」と言い換えることができる。肺や腎臓、肝臓は毛細血管の集まりだし、糖尿病も毛細血管がボロボロになる。心臓病や高血圧は説明するまでもないだろう。 いったい新型コロナウイルスは、私たちの血管のどこにどうやって悪さをするのか。数多くの研究を網羅的にまとめたレビュー論文が今年1月に発表されている。 新型コロナウイルスはまず、「内皮」と呼ばれる血管の内側の壁の細胞に感染し、炎症を引き起こしたり機能を損なわせたりして、血管に直接的にダメージを与える。 血管の内皮は、普段からさまざまな物質を出し入れして、多くの役割を担っている。血管を拡張・収縮させ、炎症や免疫を調節し、さらには内皮そのものの修復まで自分でやってのける。 しかし、そうした機能が妨げられると、過剰な免疫反応や炎症物質が生じ、血管に間接的にダメージが積み重なっていく。せっかくの修復作用も損なわれ、悪循環に陥ってしまう。 血管は私たちの体のどこにでも張り巡らされているから、感染による内皮の障害は、あらゆる臓器のあらゆる組織に生じうる。だからコロナの合併症や後遺症は、全身のさまざまな臓器・器官に起きてしまうのだ。 では、今になってなぜ、脳卒中をわざわざ警戒するのか。一つには今年、オミクロン株の出現によって新型コロナの感染者が激増したことが挙げられる。 厚労省のデータによれば、2020年1月20日に国内初感染が確認されてから今年1月20日までの2年間で、国内の感染者数は累積でも約200万人に抑えられていた。だがオミクロンの猛威が始まると、わずか7カ月で約1900万人が上乗せされ、計2100万人超となった。 自覚のないまま脳卒中リスクの高い状態に置かれた人が、昨年末時点と比べてざっくり10倍に増えている計算だ。 そしてもう一つ、よく知られている通り、冬は脳卒中シーズンでもある。 脳卒中には、大きく分けて脳出血と脳梗塞がある。脳出血は、高血圧などが原因で、脳の血管が破れて脳細胞がダメージを受けるものだ。脳梗塞は、脳の血管に血栓が詰まるなどして血流が妨げられ、脳細胞がダメージを受ける。 これからの時期、朝の冷え込みが厳しくなってくる。特に、朝の血圧が高くなる早朝高血圧は危険だ。冷たい空気に触れると交感神経がいっそう刺激され、血管が収縮し、血圧を急上昇させる。 また、脳梗塞は汗をかいて脱水しやすい夏に比較的多いが、そのほかに不整脈を原因とするタイプもある(心原性脳塞栓症)。不整脈の発作も、血圧が高くなりがちな冬に向かって増えてくる。 血管の内皮をダメージから回復させることはできないのだろうか?実は、誰にでもできる方法がある』、「血管は私たちの体のどこにでも張り巡らされているから、感染による内皮の障害は、あらゆる臓器のあらゆる組織に生じうる。だからコロナの合併症や後遺症は、全身のさまざまな臓器・器官に起きてしまうのだ」、「自覚のないまま脳卒中リスクの高い状態に置かれた人が、昨年末時点と比べてざっくり10倍に増えている計算だ」、「冬は脳卒中シーズンでもある。 脳卒中には、大きく分けて脳出血と脳梗塞がある。脳出血は、高血圧などが原因で、脳の血管が破れて脳細胞がダメージを受けるものだ。脳梗塞は、脳の血管に血栓が詰まるなどして血流が妨げられ、脳細胞がダメージを受ける」、恐ろしいことだ。
・『血管ダメージ回復にはまず「運動」  結論から言えば、今日から運動を始めよう。有酸素運動とスクワット、その継続だ。 内皮を守り、回復させるには、先ほど触れた内皮の自己修復機能をうまく引き出してやればいい。重要なのは、血管内皮細胞から放出される「一酸化窒素」(NO)という物質だ。NOは、 ・血管をしなやかにし、拡張させる⇒血流が良くなる ・血管の炎症や酸化を抑える⇒老化予防 ・血管のプラークの発生を抑える⇒動脈硬化・脳出血の予防 ・血栓を出来にくくする⇒脳梗塞の予防 といった働きがある。) 運動はNOの産生を促すことが、多くの研究でわかっている。 ウォーキングやジョギング、サイクリング、水泳、ダンスや球技などの有酸素運動を行うと、文字通り体はより多くの酸素を必要とする。そこで内皮細胞からNOが分泌され、血管を拡張させて血流が増える。血栓予防や炎症抑制などの効果も同時に得られる。 特に、脚を中心とした下半身の運動が効果的だ。 太ももやふくらはぎは、重力に逆らって血液を心臓に送り返すポンプとして、太い筋肉がたくさん集まっている。それらを動かすことで、効率よくNOが産生される。スクワットなどの筋トレを組み合わせて筋肉を増やせば、より高い効果を得られるようになる。 ただし、数週間から数カ月以上は続けることが大事だ。短時間の運動でもNO産生は行われるが、やめてしまえばそれまでのこと。長期的な運動習慣とすることで、NOの産生効率が上がり、血管修復と体質改善につながる』、「血管ダメージ回復にはまず「運動」」、「ウォーキングやジョギング、サイクリング、水泳、ダンスや球技などの有酸素運動を行うと、文字通り体はより多くの酸素を必要とする。そこで内皮細胞からNO(「一酸化窒素」)が分泌され、血管を拡張させて血流が増える。血栓予防や炎症抑制などの効果も同時に得られる。 特に、脚を中心とした下半身の運動が効果的だ。 太ももやふくらはぎは、重力に逆らって血液を心臓に送り返すポンプとして、太い筋肉がたくさん集まっている。それらを動かすことで、効率よくNOが産生される。スクワットなどの筋トレを組み合わせて筋肉を増やせば、より高い効果を得られるようになる。 ただし、数週間から数カ月以上は続けることが大事だ」、なるほど。
・『血管を守る食事、摂りたい「3つのもの」  血管を守り、強くする食事としては、3つのことを心がけたい。十分なタンパク質(特に魚)、良質の油脂類、色とりどりの野菜の摂取だ。 タンパク質は血管の材料に他ならない。日本人の食事摂取基準では、タンパク質の1日当たりの推奨量は、18~64歳男性は65g、65歳以上男性は60g、18歳以上女性は50gとなっている。 文部科学省の「食品成分データベース」で確認すると、例えば生姜焼きなどで食べる豚肉(ロース)だと、生肉100gに19.3gのタンパク質が含まれる。マグロの刺身100gにもおよそ20g程度含まれる。卵1個だと7~8g、絹ごし豆腐100gで5.3gだ。 3食しっかりと肉や魚などを食べないと、推奨量には届かない。動脈硬化を進展させるLDLコレステロール値を下げ、抗炎症作用も期待できる「オメガ3脂肪酸」(DHA、EPA)を多く含む点で、青魚を積極的に摂りたい。 油脂類は、サラダ油(キャノーラ油、紅花油、大豆油等)や、コーン油、ゴマ油に注意が必要だ。) 植物油なのでコレステロールの心配はないが、「オメガ6脂肪酸」(リノール酸)を多く含む。オメガ6は体内で作れない必須脂肪酸には違いないのだが、摂りすぎると、体内で炎症を起こしやすい物質(アラキドン酸)に変化する。 また、色とりどりの野菜を摂るべき理由は、抗酸化作用だ。色の違う野菜には、種類の違うポリフェノール類やビタミンCなどが含まれる。これらの物質は、体内で発生する「活性酸素」が細胞を酸化・損傷するのを防ぎ、血管をダメージから守る作用が期待できる』、「血管を守り、強くする食事としては、3つのことを心がけたい。十分なタンパク質(特に魚)、良質の油脂類、色とりどりの野菜の摂取だ」、なるほど。
・『脳卒中発作を防ぐために今からできること  もちろん、脳卒中の予防には、基礎疾患の適切なコントロールが大前提だ。高血圧や糖尿病(高血糖)、脂質異常症などの診断を受けている人は、計測や服薬を欠かさないでいただきたい。 そのうえでできる、日常生活の中でのちょっとした工夫もある。 例えば、早朝高血圧なら、起床後1~2時間のリスクが高い。朝、目が覚めても急に起き上がらず、布団の中で10分ほどのんびりしてゆっくり起きられるようにしたい。トイレや洗面所などが寒い場合は、必ず何か羽織ったり、ルームシューズを履くなどして、血圧の急上昇を避けよう。 また、脳梗塞の予防には、知らないうちに「脱水」に陥らないようにすること。冬は汗を多くかかないこともあって、高齢や糖尿病の方では特に、自分で喉の渇きに気付きにくくなっている。 料理など食べ物からの摂取以外に、1日で1.5リットル程度は必要とされている。思っている以上に多いので、感覚に頼るのでなく、水分を摂ることを習慣にするのがおススメだ。 例えば3度の食事の際にはコップ1杯200cc、それ以外に150cc程度の飲み物(カフェインの入っていない麦茶など)を2時間おきくらいの決まった時刻に飲む習慣をつけるのが望ましい。 最後に、インフルエンザと新型コロナの予防接種だ。インフルエンザでも、心筋梗塞など心血管疾患のリスクが上がることが研究からわかっている。インフルもコロナも、かからないのが一番だ。ワクチン接種が血管を守ることになる、と覚えておいていただきたい』、「脳卒中の予防には、基礎疾患の適切なコントロールが大前提だ」、「脳梗塞の予防には、知らないうちに「脱水」に陥らないようにすること。冬は汗を多くかかないこともあって、高齢や糖尿病の方では特に、自分で喉の渇きに気付きにくくなっている。 料理など食べ物からの摂取以外に、1日で1.5リットル程度は必要とされている。思っている以上に多いので、感覚に頼るのでなく、水分を摂ることを習慣にするのがおススメだ。 例えば3度の食事の際にはコップ1杯200cc、それ以外に150cc程度の飲み物(カフェインの入っていない麦茶など)を2時間おきくらいの決まった時刻に飲む習慣をつけるのが望ましい」、冬の水分摂取は確かに意識的に取り組む必要がありそうだ。
タグ:「日本のコロナ対策が迷走ばかりで的を射ない原因 感染症法にとらわれる非科学で非謙虚な政策の数々」 上 昌広 東洋経済オンライン パンデミック(経済社会的視点) (その25)(日本のコロナ対策が迷走ばかりで的を射ない原因 感染症法にとらわれる非科学で非謙虚な政策の数々、「世界のベスト観光都市」で上位3位を独占…日本を愛する外国人観光客を拒否する「水際対策」の無意味さ むしろ「感染者数は世界一」の国なのに…、コロナ自粛による高齢者の健康被害で見えた「長寿大国日本」の隠れた要因、コロナ経験者は肌寒い朝「脳梗塞の発作」に要注意 「血管の内壁」にダメージを与えるという事実) 「患者は元銀行員で、海外勤務が長い。現在も海外メディアをフォロー」しているのであれば、「このままでは、世界から日本が落伍していく」との危惧も理解できる。 「日本の超過死亡数は11万1000人と推定され、確認されたコロナによる死者1万8400人の6.0倍だった。 この数字は、経済協力開発機構(OECD)加盟38カ国中で最高」、「長期にわたる自粛や高血圧や糖尿病などの持病を悪化させた高齢者が脳卒中や心筋梗塞を起こし亡くなっているのだろう」、 「2021年の日本人の平均寿命は・・・いずれも過去最高だった前年を下回った・・・平均寿命が前年割れするのは、東日本大震災があった2011年以来」、「これでは何のための自粛かわからない。わが国のコロナ対策は早急に見直さねばならない」、「岸田総理が表明したのは、コロナ感染者数の全数把握を見直すなど、行政や医療機関の負担を減らすものばかりで、国民生活とは関係がなかった」、なるほど。 「オミクロン株は過度に恐れる病原体ではないと私が考えている。個別対応することなく、感染者や濃厚接触者を一律に長期にわたり、自宅などで隔離するのはやりすぎだ。 わが国のコロナ対策が、このようなやり方をするのは感染症法という法的根拠があるからだ。感染症法は感染者を隔離することで、社会を感染から守ろうとするもので、感染者の人権を侵害する」、 「コロナ対策では・・・議論すべき重要なこと・・・感染症法のあり方だ。わが国の感染症法対策は、この法律に基づいて実施されており、これを変えなければ、いつまでも迷走を繰り返す。 この法律の問題は、国家による国民の統制が主体で、国民の権利への配慮がないことだ。この基本姿勢が、わが国のコロナ対策を非科学的なものにして、進歩を阻んだ」、確かに大きな問題だ。 「当時のイギリスが日本と違ったのは、十分な資本の蓄積があったことだ。民間の資本家が中心となって上下水道を整備し、コレラの蔓延を抑制した。テクノロジーが感染症を克服したのだ」、「明治の日本には、そのような資本も技術力もなかった。彼らが頼ったのは感染者の強制隔離だ。そして、その実務を担ったのは、内務省衛生警察と伝染病研究所だった。昭和に入り、結核対策を強化するため、内務省は各都道府県に保健所を設置し、感染症対策の実行部隊となる。 戦後、衛生警察は厚生省(現厚労省)、伝染病研究所は東京大学医科学研究所と国立感染症研究所に引き継がれ、現在も基本的な枠組みは変わらない。明治時代に成立した伝染病予防法は感染症法に名前を変えたが、いまだに強制隔離が中心だ。コロナ対策でも、積極的疫学調査、濃厚接触者探しが強調された」、「科学的な議論は二の次だった。厚労省や国立感染症研究所が、今春まで、コロナの空気感染を認めなかったことなど、その典型だ」、「いまだに強制隔離が中心」とかつてからの方法そのままであることに、驚かされた。「空気感染が感染拡大の主因で あれば、全国の保健所をフル動員した積極的疫学調査による濃厚接触者探しは無意味だ。臨時国会で議論される感染症法改正では、積極的疫学調査の規模は大幅に縮小したほうがいいだろう」、厚労省の主流のやり方は時代遅れのようだ。 「世界と日本の対応は違った。日本は医療機関に補助金を支払い、発熱外来を設置し、医療機関の受診を37.5度4日以上の発熱が続く人に限定した。厚労省や専門家は、「日本の医療を崩壊させないために必要な措置」と繰り返した。 一方、世界は自宅で検査、さらに医療が受けられるように工夫した。例えば、アメリカは、2020年3月に医療機関でのコロナ感染の拡大を防ぐため、すでに承認した心電図やパルスオキシメーター、電子聴診器などの非侵襲的な医療機器とそのソフトウェアを遠隔診療に用いることを緊急承認した。 自宅で利用できる検査は続々と開発され、昨年1月にアマゾンは、FDAが承認した検査キットの販売を始めている。このような検査結果を用いて、感染者は自宅にいながら、医師の遠隔診療を受けることができるようになった」、日本は医師会や薬剤師会などへの遠慮もあるのだろう。 「アメリカは、コロナ対応を通じて、リモート診療、そしてリモート勤務を支える社会システムを構築した。私は、このようなシステムが、ポスト・コロナのプラットフォームへと成長すると考えている。なぜ、彼らは、このようなシステムを生み出せるのか。それは国民のニーズに真面目に対応しているからだ。地道に試行錯誤を繰り返すアメリカの社会から、われわれはもっと学ばなければならない」、同感である。 PRESIDENT ONLINE 青葉 やまと氏による「「世界のベスト観光都市」で上位3位を独占…日本を愛する外国人観光客を拒否する「水際対策」の無意味さ むしろ「感染者数は世界一」の国なのに…」 「オーストラリアの人たちは、早くも今年のスキーシーズンをにらみ、日本への個人旅行が解禁されるか気を揉んでいるようだ」、「政府が早期に受け入れ再開時期を明示しなければ、海外客は予約をキャンセルし、他国への旅行に切り替えるおそれがあるからだ」、政府は9月26日付けで、個人旅行の解禁など水際対策の緩和を決定した。 「旅行で訪れたい「世界のベスト都市」ランキング」、では「最新の2021年版では東京が1位」、「2位には大阪」、「3位に」、「京都」が「選出」、「上位3位を日本が独占」、大したものだ。 「世界経済フォーラムが発表する「旅行&観光開発指数2021」では、世界117の国と地域中、日本が1位」、「ニュージーランドのニュースサイト「スタッフ」は、「渡航禁止にもかかわらず、日本が観光ランキングでトップに」と報じている」、日本は評判がいいようだ。 「常夏のシンガポールに住む人々にとって、とくに季節の変化が魅力になっている・・・雪景色の冬、そして桜の咲き誇る春がとくに人気」、それはそうだろう。 「米旅行保険会社がまとめた2022年版「国別安全度」ランキングにおいて、日本が4位に」、安全度は最も高くてしかるべきなのに、「4位」とは意外だ。 「安全」の意味がより広いのかも知れない。 「「添乗員付きのツアーに限定」というのが、集客の足を引っ張っているようだ」、「添乗員付きツアーの料金は現在、パンデミック前の通常の旅行費用と比較して「3倍から4倍」に跳ね上がっているという。慎重にコロナ対策を実施する日本は旅行先として安心できるが、コスト面で手が届かない存在になっているわけだ」、なるほど。 前述の政府の規制緩和で「外国人観光客」の来日が本格化しつつあるようだ。 ダイヤモンド・オンライン 窪田順生氏による「コロナ自粛による高齢者の健康被害で見えた「長寿大国日本」の隠れた要因」 「自粛によって免疫力が低下したことでコロナに感染しやすく、重症化リスクも高くなってしまう、という本末転倒な事態も起きている」、当然予想されることなのに、それを考慮しなかった厚労省の責任は重い。 「コロナ禍で「外出」を減らした高齢者は、減らさなかった高齢者に比べて、要支援・要介護リスクが1.95倍だった。「学習・教養サークル」を減らした高齢者に関しては1.68倍。さらに見ていくと、「通いの場」(1.57倍)、「スポーツの会」(1.46倍)、「友人・知人と対面」(1.45倍)となっている。「厳格すぎるステイホーム」は、高齢者の健康に悪影響を及ぼしていることがうかがえる」、 「人と人とのつながりや、社会全体のまとまりの良さなどが高齢者の健康長寿に大きな影響を与えている」、予想以上に顕著な結果だ。今後の自粛指導のあり方を見直す必要がある。 「日本人を長生きにしている「日本社会」という要因について理解できると、「コロナ健康二次被害」の正体も見えてくる」、その通りだろう。 「次のパンデミックで「自粛」をする際に我々が注意しなくてはいけないことが見えてくる。 「また自粛を余儀なくされるような事態になっても“人と人のつながり”を完全に絶たないことが重要です」、「男性の場合は“役割”をもって社会と関わると健康に良いことがわかっています。自分の健康のためにウォーキングをしようと思わない男性も用事があるとたくさん歩く。町内会の行事や祭りなどの役員になると、たくさん歩きますよね」、その通りだ。 「インターネットを用いたコミュニケーションの利用を増やした高齢者と、増やさなかった高齢者の「うつ」のリスクを調べたところ、「ビデオ通話」でコミュニケーションを増やした高齢者は増やさなかった高齢者に比べて45%減だった。同様に「ソーシャルメディア」は35%減、メール・チャットも25%減という結果が出たという。 「この調査でわかったのは、モニター越しでも人と人が“顔”を合わせることの大切さです。 メールを増やした高齢者では、顔が見えるビデオ通話を増やした高齢者ほど“うつ”は減っていませんでした。ただ、声が聞ければいいのではなく、やはり“顔を見る”ことに力があるのです。ですから、コロナ禍で流行したリモート飲み会なども、心の健康に関してはそれなりに効果があったと思われます」」、「再びコロナ禍のようなステイホームの時代になった時、オンライン会議やリモート飲み会がまた日常になってしまうだろう。 その時、よほどの事情がない限りビデオは必ずオンにしておくことを心がけよう」、同感である。 久住 英二氏による「コロナ経験者は肌寒い朝「脳梗塞の発作」に要注意 「血管の内壁」にダメージを与えるという事実」 「新型コロナ経験者は脳出血リスクが約2.2倍、脳梗塞リスクが1.5倍となっていた。 1年後の脳卒中リスクは、集中治療室での治療を受けた人で最も高く、次いで入院を要する重症者となり、脳出血はその傾向が顕著だった」、「もはや単なる「呼吸器感染症」としてくくることはできない」、その通りなのだろう。 「血管は私たちの体のどこにでも張り巡らされているから、感染による内皮の障害は、あらゆる臓器のあらゆる組織に生じうる。だからコロナの合併症や後遺症は、全身のさまざまな臓器・器官に起きてしまうのだ」、「自覚のないまま脳卒中リスクの高い状態に置かれた人が、昨年末時点と比べてざっくり10倍に増えている計算だ」、「冬は脳卒中シーズンでもある。 脳卒中には、大きく分けて脳出血と脳梗塞がある。脳出血は、高血圧などが原因で、脳の血管が破れて脳細胞がダメージを受けるものだ。脳梗塞は、脳の血管に血栓が詰まるなどして血流が妨げ られ、脳細胞がダメージを受ける」、恐ろしいことだ。 「血管ダメージ回復にはまず「運動」」、「ウォーキングやジョギング、サイクリング、水泳、ダンスや球技などの有酸素運動を行うと、文字通り体はより多くの酸素を必要とする。そこで内皮細胞からNO(「一酸化窒素」)が分泌され、血管を拡張させて血流が増える。血栓予防や炎症抑制などの効果も同時に得られる。 特に、脚を中心とした下半身の運動が効果的だ。 太ももやふくらはぎは、重力に逆らって血液を心臓に送り返すポンプとして、太い筋肉がたくさん集まっている。それらを動かすことで、効率よくNOが産生される。スクワットなどの筋トレを組み合わせて筋肉を増やせば、より高い効果を得られるようになる。 ただし、数週間から数カ月以上は続けることが大事だ」、なるほど。 「血管を守り、強くする食事としては、3つのことを心がけたい。十分なタンパク質(特に魚)、良質の油脂類、色とりどりの野菜の摂取だ」、なるほど。 「脳卒中の予防には、基礎疾患の適切なコントロールが大前提だ」、「脳梗塞の予防には、知らないうちに「脱水」に陥らないようにすること。冬は汗を多くかかないこともあって、高齢や糖尿病の方では特に、自分で喉の渇きに気付きにくくなっている。 料理など食べ物からの摂取以外に、1日で1.5リットル程度は必要とされている。思っている以上に多いので、感覚に頼るのでなく、水分を摂ることを習慣にするのがおススメだ。 例えば3度の食事の際にはコップ1杯200cc、それ以外に150cc程度の飲み物(カフェインの入っていない麦茶など)を2時間おきくらいの決まった時刻に飲む習慣をつけるのが望ましい」、冬の水分摂取は確かに意識的に取り組む必要がありそうだ。
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科学技術(その2)(中国が約1兆ドルかけて製造・運用する「人工太陽」 太陽の5倍高温なプラズマの維持に成功!、度重なる体制変更の求めに「改革疲れ」の大学 政権肝いり「国際卓越研究大学」に求める高い負荷、理研 大量リストラまで半年「4月1日」巡る攻防 切迫の労使交渉 中座し戻らぬ人事部長、「物理の天才」でもトレーラー運転手になるしかない…日本の研究者が"食えない職業"になった根本原因 政府主導の取り組みが、日本の研究力を殺いでいる)

科学技術については、2020年11月13日に取上げた。久しぶりの今日は、(その2)(中国が約1兆ドルかけて製造・運用する「人工太陽」 太陽の5倍高温なプラズマの維持に成功!、度重なる体制変更の求めに「改革疲れ」の大学 政権肝いり「国際卓越研究大学」に求める高い負荷、理研 大量リストラまで半年「4月1日」巡る攻防 切迫の労使交渉 中座し戻らぬ人事部長、「物理の天才」でもトレーラー運転手になるしかない…日本の研究者が"食えない職業"になった根本原因 政府主導の取り組みが、日本の研究力を殺いでいる)である。

先ずは、本年2月7日付けSorae「中国が約1兆ドルかけて製造・運用する「人工太陽」 太陽の5倍高温なプラズマの維持に成功!」を紹介しよう。
https://sorae.info/space/20220206-artificial-sun.html
・『いわば「人工太陽」とも呼ぶべき核融合炉が完成すれば、人類は無限のクリーンエネルギーを手にすることができるかもしれません。 中国科学院等離子体物理研究所は、同研究所が開発・運用する全超伝導トカマク型核融合実験装置(EAST)が、摂氏約7千億度という高温のプラズマを1,056秒間持続することに成功したと発表しました。この持続時間は、トカマク型による高温プラズマの持続時間としては世界最長となります。EASTは2006年に運用が始まった実験装置で、2022年6月の運用終了までに1兆ドル以上の費用がかかると予想されています。 人工太陽とは、太陽など主系列星の内部で発生する核融合を人工的に再現する装置や施設のこと。核融合とは、水素など軽い原子の原子核同士が結合し、ヘリウムのような重い原子核を生成する反応を指します。 (【▲太陽の内部における水素の核融合反応を示した概念図(Credit: EUROfusion)】の図はリンク先参照) 核融合反応はエネルギーの発生を伴うので、このエネルギーを発電に利用するための研究が進められてきました。石炭や石油を燃やす火力発電とは異なり、核融合を利用する発電では温室効果ガスが放出されないため、クリーンなエネルギーだと考えられています。 ところが、地球の約33万倍もの質量を持つ太陽の内部のような核融合が起きる条件を地球上で人工的に模倣するのは難しく、約1,500万度ある太陽の中心部と比べて約6倍もの高温が必要だといいます。 原子核同士が核融合を起こす環境を人工的に再現したものとしては、ロシア(当時のソビエト連邦)の科学者Natan Yavlinsky氏が1958年に設計した「トカマク型」と呼ばれる型式の核融合炉「T-1」が知られています。トカマク型は強力な磁場をもつドーナツ状の核融合炉のなかで、プラズマを封じ込める仕組みになっているようです。 ロシアが開発した「T-1」以降も様々な核融合実験装置が作られましたが、装置を作動させるために費やされたエネルギーより多くのエネルギーを発生させることに成功したものは登場しませんでした』、冒頭に紹介された「全超伝導トカマク型核融合実験装置」では、エネルギー効率はどうなのだろう。
・『(【▲トカマク型核融合実験装置の概念図(Credit: EFDA-JET(現在のEUROfusion))】の図はリンク先参照) 中国が今回実施した実験は、南フランスで建設中の核融合実験炉ITER(International Thermonuclear Experimental Reactor)のための技術を検証するために実施された模様です。ITERはプラズマを閉じ込めるために地球磁場の約28万倍も強力な磁場を生成できるといいます。このプロジェクトには、EUやイギリス、中国、インド、米国など35ヵ国が共同で参加し、2025年に登場すると見込まれています。 一方、現在EASTで実験を実施した中国自身も、ITERとは別の核融合炉の開発を独自に行っているようです。磁場ではなく慣性によってプラズマを封じ込める「慣性核融合炉」の実験の実施計画や、別のトカマク型核融合炉の完成を2030年代初頭までに目指すなど、新たな核融合炉の開発を進めている模様です』、「核融合」技術は、実用化まではまだ相当の年月を要しそうだ。

次に、3月23日付け東洋経済Plus「度重なる体制変更の求めに「改革疲れ」の大学 政権肝いり「国際卓越研究大学」に求める高い負荷」を紹介しよう。
・『大学ファンドの資金が分配されるのは「国際卓越研究大学」に選ばれること。だが、そのハードルは高く、大学にさらなる改革を求める。現場の「改革疲れ」が研究力低下の一因にもなっている。 「大学改革などを大きく進める最大のチャンス到来と言える。(中略)ここから数年は日本が世界のトップ集団にい続けられるか否かの勝負の分かれ目になる」 大学ファンドの創設決定を受け、総合科学技術・イノベーション会議で国立研究開発法人物質・材料研究機構理事長の橋本和仁委員はこう述べた』、次々に新しい制度が作られるが、これまでの「改革」の評価はどうなっているのだろう。
・『厳しい要件をクリアする必要  大学ファンドは10兆円という巨額の資金を運用し、その運用益を大学支援に充てる目的で創設された。研究力低下の打開策として大学ファンドとそれに伴う大学改革への期待は大きい。しかし、大学ファンドからの支援を受けられるのは、世界に伍する研究大学として国が認める「国際卓越研究大学」になることだ。それに選定されるためには厳しい要件をクリアする必要がある。 2月1日には、総合科学技術・イノベーション会議で10兆円という超巨額の大学ファンドによる大学支援の最終案を決定した。2月25日には関連法案を閣議決定し、現在開かれている通常国会での法案成立を目指している。 2021年3月から12回にわたって開かれた総合科学技術・イノベーション会議内の「世界と伍する研究大学専門調査会」で「国際卓越研究大学」のガバナンスや研究環境のあり方などが議論されてきた。 国公立・私立問わずどの大学も「国際卓越研究大学」の選定対象になる。しかし、「国際卓越研究大学」に選定されるには高いハードルがある。「年3%の事業成長」のほか、国際的に卓越した研究成果の創出、合議体の設置などガバナンス体制の強化という3つの要件をクリアして初めて「国際卓越研究大学」として認定される。世界トップレベルの研究大学への変革を望む大学を支援するという観点から「国際卓越研究大学」として認定されるのは5~7校程度に絞られる予定だ。 ある国立大学の元教授は、とくに年3%の事業成長の部分に対して「大学に民間企業並みの成長を求めるのか」と憤る。 それぞれのハードルは高い。その「年3%の事業成長」だが、民間からの寄付収入や、企業などとの共同プロジェクトの助成金、協力金、受託研究費などで実現してもらうと国側は説明するが、過去、各大学がこうした資金を集めるのに苦労してきた経緯を考えれば一筋縄ではいかない。 2つめの研究成果の創出についてもどのように評価するのか、どのような研究もしくは環境整備が卓越した研究成果を生むのか定量的に評価することは難しいとの指摘もある。今後どのように評価していくのか、不透明だ。 そして3つめのガバナンスの改革も大学にとっては重荷だ。大学内部では経営執行の責任を負う大学の長とは別に研究環境の整備などを行う教学担当役員(プロボスト)や、財源の確保など財政基盤の強化にあたるCFO(最高財務責任者)を設置することを求めている。 加えて、大学からは独立した監督組織として過半数が経営などに専門性を持つ学外者で構成される合議体の導入が必須となる。また、合議体は組織的なコンプライアンスの確保など経営執行に関する監督機能や大学の長の選任も担う。 私立大学には理事会や評議員会などの合議体に相当する機関が存在するが、国立大学は2014年の法改正で学長の権限を強め、ガバナンス体制を強化してきた。ガバナンス体制をさらに拡充させ、経営方針決定に多様な観点が入ることは望ましいことだろう。しかし、こうした国主導の大学改革は、国立大学法人化に始まり、学長の権限強化や、指定国立大学の設置など絶え間なく行われてきた。大学の現場ではそうした変化や変更の対応にずっと追われてきた経緯があり、「改革疲れ」を指摘する声も少なくない。 財政投融資分科会で専門委員を務めるグローカル政策研究所代表理事の川村雄介氏は「大学の研究力が落ちたのは金だけの問題なのか。(国が国立大学に拠出する)運営費交付金の減額に加え、学内改革に伴う膨大な会議や書類申請などにより本来の研究に割く時間が減っている。大学ファンドをきっかけにそうした点を改めて考え直すべきなのではないか」と語る。 2021年12月には山中伸弥京大教授がiPS細胞研究所の所長を退任すると発表された。背景には所長として研究資金を得るための業務などに時間を割くのでなく、「自身の研究に注力」したいという思いがあったという。研究者が研究に打ち込めるよう多面的に支援しなければ研究力低迷の根本的な問題は解決されないだろう』、「国主導の大学改革は、国立大学法人化に始まり、学長の権限強化や、指定国立大学の設置など絶え間なく行われてきた」、「「大学の研究力が落ちたのは金だけの問題なのか。(国が国立大学に拠出する)運営費交付金の減額に加え、学内改革に伴う膨大な会議や書類申請などにより本来の研究に割く時間が減っている。大学ファンドをきっかけにそうした点を改めて考え直すべきなのではないか」、こういったマイナスの影響が出ているとすれば、大きな問題だ。
・『研究に割ける資金は減少、研究環境の悪化が続く  研究力の低下の原因はさまざまあるが、国立、公立、私立問わず基盤的経費に充てられる運営費交付金や私学助成金が減少し、研究費を得るために科学研究費補助金(科研費)など競争的資金に頼らざるをえない構図があることもその一つだ。 競争的資金獲得のためには各種基準の達成や、膨大な申請書執筆に時間を割く必要があるうえ、採択される割合も申請数の約2割と低い。書類準備に時間がかかるだけではなく、採択されるためには書き方や見せ方などのテクニックも必要になる。ある大学関係者は「科研費を獲得するために書類の書き方などを指導する『科研費屋』がいる。彼らにも報酬を支払わなければならない」と嘆く。 慢性的な資金不足、改革に伴う書類作成をはじめとする事務時間の増加など、研究者を取り巻く環境は悪化し続けている。 「国際卓越研究大学」に求める大学改革も、従来の改革の二の舞いになるのでは、と大学関係者はいぶかる。しかし文部科学省の担当者は「現場が改革疲れに陥っているのは重々承知しているが、今回の改革では大学の自由度があがる可能性を秘めている」と期待感を示す。) 総合科学技術・イノベーション会議の資料は「国際卓越研究大学」に3%の事業成長を求める背景を、大学の持続的成長に向け、自律的財政基盤を強化するためと説明する。 大学ファンドからの支援が終了した後も、大学が自主的にファンドを運用し、研究基盤などを整備できるよう変革を遂げてもらうことが最終目標だ。担当者は「大学だからこそ創出できる価値で事業成長を遂げてほしい。目先のことでいくら稼げるのかといったことを重視する大学を望むわけではない」と強調した。 世界最高水準の教育研究活動を実現できるガバナンスや、国からの巨額の支援を受けるにあたり国民の期待に応えられるガバナンスが必要とも同資料では記されている。「学長のリーダーシップを阻害するのではなく、学長が率先して経営を行えるように体制を変える」(文科省担当者)のが狙いだ。教学担当と財務担当の責任者を置き大学の長と連携することで、大学の長が大学運営により集中できる体制構築を目指す。 合議体を設置することで経営や教育に専門性を持つ構成員とともに大学の長が長期的な視点で経営戦略を議論・決定できるようにもする。文科省の担当者は、「大学の自律的な経営において課題となることを合議体の議論から吸い上げ、今後の制度設計の参考にするなど双方向型の環境を整備したい」とも語った。 認定要件の一つである国際的に卓越した研究成果の創出においても単純にAIといった先端領域の研究成果だけが求められるわけではなく、若手研究者の育成や研究者が活躍できる場の整備、グローバルに優秀な博士課程学生を獲得するなど、評価指標は多種多様だ。研究成果そのもの以上に研究環境の整備といった長期的な視点で研究力を測るという』、東工大と医科歯科大学の合併は「国際卓越研究大学」の認定をにらんだものと言われている。「「国際卓越研究大学」に3%の事業成長を求める背景を、大学の持続的成長に向け、自律的財政基盤を強化するためと説明する」、「大学」に「3%の事業成長を求める」のには違和感がある。
・『研究力低下の原因は資金不足だけなのか  大学ファンドの本来の目的は研究力強化だ。だが、資金援助をする代わりに改革を求める構図は従来の大学支援策と変わりがない。研究力の向上は資金だけでなく、研究に割ける時間や研究環境、研究に携わる、支援する人材などしっかりした基盤があってこそだが、大学ファンドが従来の改革とは異なる形で研究を支援できるのか疑問が残る。 大学ファンドの設立を機に自主ファンドの設立など自律的な成長を遂げる大学になってほしいと文科省は期待する。だが、大学が長年の政府や文科省主導の改革によって疲弊してきたことも研究力低下の一因だ。大学ファンドが、従来の改革と同様に「徒労の改革」で終われば、本末転倒にならざるをえない』、「大学が長年の政府や文科省主導の改革によって疲弊してきたことも研究力低下の一因だ。大学ファンドが、従来の改革と同様に「徒労の改革」で終われば、本末転倒にならざるをえない」、同感である。

第三に、10月1日付け東洋経済オンライン「理研、大量リストラまで半年「4月1日」巡る攻防 切迫の労使交渉、中座し戻らぬ人事部長」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/622546
・『理研人事部長A氏「面接終わりました。雰囲気的に(労使交渉の席に)戻ったほうがいいですか?」 理研幹部B氏「戻らずに17:00で終わらせる方が、(会議を)長引かせないと思います」 理研幹部C氏「終わりましょう」 ※()内は編集で補足、他は原文ママ (研究員の苦境は本日配信の記事「迫る大量リストラ、理研研究者が募らせる危機感」に) 今春に発覚した、理化学研究所が有期雇用の研究者らを2023年3月末で大量にリストラする方針を巡り、撤回を求め続けている理研労組との秋の労使交渉が9月15日の夕方に行われた。開始から間もなくで2時間になる午後5時前ごろ。理研は組合が会議の続行を求めるのを遮り、「今日はこれで終わりにします」と打ち切った。 理研関係者によると、交渉はリモート会議で行われた。理研側の出席者は個別のアカウントで出席しつつ、裏ではグループチャットを使って連絡を取り合っていたという。東洋経済は理研関係者から、その時のグループチャットのスクリーンショットを入手した』、「交渉はリモート会議で行われた。理研側の出席者は個別のアカウントで出席しつつ、裏ではグループチャットを使って連絡を取り合っていた」、これは極めて悪質で、信義則違反だ。
・『理研の人事担当らが交渉中にしていたチャット  労組との交渉中、理研幹部らはチャットで「長引かせないで終わりにしましょう」などとやりとりしていた(画像の一部を加工。関係者提供) そこには、面接を理由に会議を早々に中座した後、会議に戻れたのに戻らなかった人事部長と、他の幹部の生々しいやり取りなどが記録されていた。その一部が冒頭の内容だ。 この事実に対し、交渉に出席していた組合幹部は「少しでも早く話し合いを進めるべきだが、理研側には誠実さがない」と憤る。3月末で契約の更新を打ち切られる研究者は、「私たちには残されている時間がないのに」と悲しみの表情を浮かべた』、「理研側」には初めから「話し合う」気はさらさらなかったのではあるまいか。
・『3月31日、大量の研究者が雇い止めに  理研は、2023年4月1日で有期雇用の通算期間が10年を超える研究者の雇用契約を、1日前の2023年3月31日で終了するとしている。 組合によると今春の段階では、研究者の雇い止めで波及的な影響を受けるスタッフらを含め、約600人が職を失う見通しだった。その後、雇い止めを待たずに理研を去った人がいるため、現時点では約400人がリストラの危機にある状況だ。 2013年4月1日に施行された改正労働契約法で、通算の有期雇用の期間が一般の会社員の場合は5年、研究者など一部の専門職の場合は10年を1日でも超えれば、労働者側は無期転換申込権を得られるようになった。雇用者側に拒む権利はない。 無期転換申込権の発生に先立ち、理研は2つの手を打っている。1つ目が、2016年4月に施行した就業規則の改定だ。理研は有期雇用の研究者の雇用上限は最大で通算10年までとすることを決め、2018年には起算日を2013年4月1日に遡ることを新たに定めた。 2つ目が、2017年2月頃に有期雇用の研究者らに書かせた「従事業務確認書」だ。この確認書では、毎年1年ごとの有期雇用の更新上限が2023年3月31日であることを記し、2023年4月1日に有期雇用の期間が10年を超える研究者らにサインさせた。翌年度以降の有期雇用の契約書にも毎回、2023年3月31日までしか更新しない旨を記している。 複数の研究者らによると、この従事業務確認書は人事部から直接説明を受けて書いたものではない。研究室の上司にあたるPI(研究主催者)から「契約更新に必要な書類だから書いておいて」と言われたパターンが大半という。ある研究者は更新上限の内容に不安を感じてPIに意味を質問すると、「ただの形式的なものだから」と言われたという。 研究者らは「PIは毎年の契約更新の判断権を持っている。逆らって関係を悪化させたくない。PIも、私たちにサインさせなければ理研から睨まれ、研究の予算を減らされる懸念があるのだろう」と語る。そのうえで、「理研から従事業務確認書を根拠に、『2023年3月末の更新上限に同意した』と言われるのは、だまし討ちされた気分だ」と訴える。 背景はともかく、外形的に見れば、理研側は2023年3月31日で有期雇用が通算10年になる研究者らの契約更新を打ち切るうえで、上記の2つの理由を保持していることになる』、「この従事業務確認書は人事部から直接説明を受けて書いたものではない。研究室の上司にあたるPI(研究主催者)から「契約更新に必要な書類だから書いておいて」と言われたパターンが大半という。ある研究者は更新上限の内容に不安を感じてPIに意味を質問すると、「ただの形式的なものだから」と言われたという。 研究者らは「PIは毎年の契約更新の判断権を持っている。逆らって関係を悪化させたくない。PIも、私たちにサインさせなければ理研から睨まれ、研究の予算を減らされる懸念があるのだろう」と語る」、なるほど。
・『ルール撤廃は雇い止め翌日から  そのような中、新たに大きな動きがあった。理研は7月末、組合側に、就業規則の「有期雇用上限10年ルール」を2023年4月1日に撤廃する方針を伝えたのだ。この日以降に雇用されている有期雇用の研究者は、10年の上限を超えて理研での勤務が可能になる。 理研は上限撤廃の理由について、「通算契約期間の上限があることで、来年度以降の新たな有期プロジェクトへの応募資格がなかった方々に対し、その規制を撤廃し応募の機会を提供するため」などとしている。 ただ問題は、その前日の3月31日で雇い止めになる多くの研究者がいることだ。4月1日から有期雇用上限10年ルールを撤廃しても、そうした研究者の契約打ち切りには効力が及ばない。そのため、組合側は「就業規則の廃止は、3月31日までにするべきだ」と迫り、9月の労使交渉でも説明を求めている。 理研は、労使交渉で合意しなくても4月1日からの撤廃で押し切る方針だ。 撤廃は3月31日か、4月1日か。1日を巡る攻防は、果たしてどのような意味を持つのか。 3月31日で雇い止めとなる研究者が4月1日以降に再び理研に採用されることは理論上可能だ。しかし、組合側は「雇い止め対象の研究者が4月1日以降の契約のポストに申し込んでも、理研がもし採用すれば有期雇用の通算が10年を超えて無期転換申込権を得るため、選考で不利な扱いを受けるのではないか」と疑義を呈する。 理研が4月1日以降の雇用契約で、3月31日に雇い止めした研究者からはわずかな人数だけ採用してアリバイづくりにするのではないか―。研究者らは、そんな強い懸念も抱いている。 一方の理研側は「(従事業務契約書などでの)最終年度契約があるので、3月31日までに就業規則の有期雇用10年上限ルールを撤廃しても、2023年3月31日での契約終了は有効だと思っている。ただ、変に期待をさせたり混乱を招いたりしないために、撤廃は4月1日からにする」「4月1日以降の雇用契約の募集で、不利益な扱いをしないように周知徹底する」などと主張し、一歩も譲る気配はない』、「3月31日で雇い止めとなる研究者が4月1日以降に再び理研に採用されることは理論上可能だ。しかし、組合側は「雇い止め対象の研究者が4月1日以降の契約のポストに申し込んでも、理研がもし採用すれば有期雇用の通算が10年を超えて無期転換申込権を得るため、選考で不利な扱いを受けるのではないか」と疑義を呈する」、なるほど。
・『そもそも効力の薄い上限ルール  では、法的な面から「10年上限ルール」と従事業務確認書の妥当性を評価するとどうか。 労働法に詳しい法政大学法学部教授の沼田雅之氏は「まず、そもそも従事業務確認書にサインしたからと言って、更新上限に同意したことにはならない。サインしなければ契約更新することが難しい状況であれば、本人の自由意思によるものとは言えないからだ。判例でも、博報堂が不更新条項を理由に行った雇い止めを無効としている」と話す。 さらに、沼田氏は理研が2016年に改正・施行した就業規則の有期雇用上限10年ルールについても、「労働者にとっては不利益変更にあたる。労働契約法10条では、合理性がない限りは不利益変更を認めていない。起算日を2013年4月1日に遡及している点も大いに問題だ。不利益を遡及すると、法的安定性を害する」と指摘する。 しかも、理研は東洋経済の取材に対し、「(有期雇用10年上限の)通算契約期間の起点については、改正労働契約法を参考に2013年4月とした」と回答した。これでは、無期雇用転換逃れが目的であると自白しているのに等しい』、「理研が2016年に改正・施行した就業規則の有期雇用上限10年ルールについても、「労働者にとっては不利益変更にあたる。労働契約法10条では、合理性がない限りは不利益変更を認めていない。起算日を2013年4月1日に遡及している点も大いに問題だ。不利益を遡及すると、法的安定性を害する」と指摘する」、その通りだ。
・『理研の研究者雇い止めに関連する主な動き  タイムリミットの3月末までもう半年しかない。労使間の話し合いが双方納得する形で折り合う可能性は、今のところ極めて低い雰囲気だ。 どのような結末になるにせよ、人事部長が労使交渉を早々に抜けたうえで、会議を早く終わらせるために戻らないような理研の姿勢からは、研究者1人ひとりの人生やキャリアに向き合う真摯さは感じられない。 理研には、旬な研究をやる人材が座る席を確保するために流動性を確保したいという事情や、そもそも国から割り当てられる固定の人件費自体が、有期雇用者の無期転換に対応できる形では増えていないという事情もある。 だが、理研が、「出口」において丁寧なプロセスを経ることなく多数の研究者を追い出す行為は今後、「入口」に影響し、有望な志望者の減少へと跳ね返る恐れがある。そうなれば、岸田文雄政権が掲げる科学技術立国がますます遠のく。割を食うのは国民だ』、「理研が、「出口」において丁寧なプロセスを経ることなく多数の研究者を追い出す行為は今後、「入口」に影響し、有望な志望者の減少へと跳ね返る恐れがある。そうなれば、岸田文雄政権が掲げる科学技術立国がますます遠のく。割を食うのは国民だ」、同感である。

第四に、10月6日付けPRESIDENT Onlineが掲載したジャーナリストの知野 恵子氏による「「物理の天才」でもトレーラー運転手になるしかない…日本の研究者が"食えない職業"になった根本原因 政府主導の取り組みが、日本の研究力を殺いでいる」を紹介しよう。
https://president.jp/articles/-/62289
・『日本の研究力が下がっている。約20年前まで、日本は「影響力が大きい論文数」で世界4位だったが、今や10位に落ちた。ジャーナリストの知野恵子さんは「研究力を上げようとする政府主導の取り組みが、逆に日本の研究力の低下を招いている」という――』、逆説的だが、どういうことなのだろう。
・『天才大学生はなぜ研究者を諦めたのか  9月15日にプレジデントオンラインが公開した「全国初の『17歳の大学生』になったが…早熟だった『物理の天才』が、いまトレーラー運転手として働くワケ」は、多数のアクセスと共感を呼んだ。千葉大学に飛び入学した1期生・佐藤和俊さんの半生を追った記事で、読売新聞の連載企画を『人生はそれでも続く』(新潮新書)というタイトルで書籍化し、その中から佐藤さんのエピソードが配信された。 飛び入学は、千葉大が「日本の受験制度に風穴をあけたい」と1998年から始めた。高校3年を経ずに大学入試を受けられる制度で、研究者としての将来を嘱望された佐藤さんは、大学院に進学後、研究機関に就職した。 だが、手取りは15万円。生活は苦しい。その後、母校・千葉大の非常勤講師となり、予備校講師もかけもちする。1年ごとに契約を更新する千葉大からは、30歳を超えてから契約を打ち切られた。 そこで、佐藤さんは研究者の仕事に見切りをつける。運送会社に転職し、大型トレーラーの運転手になった。今も物理が好きで、知人の子供の家庭教師をしているという。 不安定な仕事、落ち着いて研究できない環境。佐藤さんだけでなく、科学研究の現場のあちらこちらで耳にする問題だ』、「飛び入学」で「千葉大」に入学。卒業後は、「母校・千葉大の非常勤講師」の職を、「30歳を超えてから契約を打ち切られた」のを機に、「研究者の仕事に見切りをつける。運送会社に転職し、大型トレーラーの運転手になった」、「不安定な仕事、落ち着いて研究できない環境。佐藤さんだけでなく、科学研究の現場のあちらこちらで耳にする問題だ」、その通りだ。
・『国の政策で研究力が落ちている皮肉な事実  「自然科学(理系)分野の学生の割合を現在の35%から、5割程度を目指す」――政府の「教育未来創造会議」(議長・岸田首相)が5月にまとめた第一次提言は、こんな目標を掲げた。現在7%しかいない理工系女性を男子学生と同等の28%程度に高めていくことも打ち出した。 この方針を受けて、文部科学省は来年度予算に、理工系学部拡充のための基金創設などで100億円を要求した。 理工系に力を入れること自体は間違っていない。デジタル化、脱炭素化など、経済や社会は、理工系の知識を必要とする時代へと移っている。 女性を増やすことも同じだ。理工系といえば男性、という先入観が、女性の進路選択を狭めてきた。そのため、女性の視点や意見が、製品開発やモノづくりになかなか反映されずにいた。いつまでもそれでいいはずがない。4月には女子大初の工学部が奈良女子大に誕生。2024年にはお茶の水女子大も工学部を発足させる予定で、理工系拡充は続きそうだ。 政府がこうした動きを進めるのは、理工系の研究成果をもとに、産業や経済を活性化させようとしているためだ。だが、狙い通りにいくかどうか、危うさと不安も伴う。 ここ4半世紀にわたって政府は、この政策を掲げて科学技術を推進したが、逆に研究力の低下を招いた、という苦い体験があるためだ』、「狙い通りにいくかどうか、危うさと不安も伴う。 ここ4半世紀にわたって政府は、この政策を掲げて科学技術を推進したが、逆に研究力の低下を招いた、という苦い体験があるためだ」、当然の懸念材料だ。
・『「稼げる大学になれ」とさかんに言われてきたが…  経済が停滞すると、経済界、政界、行政から必ず、あることが叫ばれる。「大学改革」だ。 例えば、 <日本経済が振るわないのは、イノベーションの源泉である大学が、蛸壺たこつぼのような専門、論文至上主義などの狭い世界に閉じこもり、実用的な成果を生み出す研究をしていないからだ> <米国の大学は、1980年代から研究成果を特許にしたり、産業界と連携したり、研究成果をもとにベンチャー起業したりするなど、さかんに経済活動をしている。日本も見習うべきだ> 一言でいえば稼げる大学へ早く転換せよ、ということだ。日本では1990年代後半からこうした政策がさかんに進められた。 特に国立大学への風当たりは強かった。かつて大蔵省(現・財務省)による銀行の横並び経営「護送船団」方式が問題になったが、国立大も同じことが指摘された。 文部省(現・文部科学省)が、「箸の上げ下ろし」まで事細かに指示する一方、大学に安定的に予算を配っている。その結果、経営力のない銀行が生き延びていたのと同様、個性や実力のない大学も生き延びている、と』、「稼げる大学へ早く転換せよ、ということだ。日本では1990年代後半からこうした政策がさかんに進められた。 特に国立大学への風当たりは強かった」、その通りだ。
・『結果、論文ランキングは世界4位→10位に  そこで政府は、国立大学に配っていた基盤的な経費を削減する一方、すぐに役立つ研究や産業に直結する研究を重視し、政策に沿ったところへ手厚く予算を分配するなどの改革に乗り出した。 それまでの終身雇用制が研究者のやる気を阻害するとして、若手研究者には期間を限って雇用する任期制度も導入した。「さまざまな大学や研究所で武者修行をすることで、能力が向上する」という説明だった。 だが、日本の研究力は段々下がる。この8月に文科省の科学技術・学術政策研究所が公表した指標では、日本は約20年前までは、影響力が大きい論文数で世界4位だったが、今や10位に落ちた。長年1位だった米国を追い抜いて中国が1位になったことも、日本にショックを与えた』、「国立大学に配っていた基盤的な経費を削減する一方、すぐに役立つ研究や産業に直結する研究を重視し、政策に沿ったところへ手厚く予算を分配するなどの改革に乗り出した」、「終身雇用制が研究者のやる気を阻害するとして、若手研究者には期間を限って雇用する任期制度も導入」、その結果、「日本は約20年前までは、影響力が大きい論文数で世界4位だったが、今や10位に落ちた」、著しい「日本の研究力」の低下だ。
・『現場の現実にそぐわない数値目標を優先させている  なぜ国が力を入れても成果が出ないのか。政治、行政、産業界が、研究現場の現実を踏まえて方策を検討するのではなく、「こうあるべき」という考えと、そのための枠組みや制度、数値目標などを優先させることがあるだろう。 不慣れな目標を提示された研究者が、ピントはずれの「大学商法」を進め、自らの力を弱めた面もある。そして、政治も行政も産業界も、進めてきたことの検証や統括をしないまま、次の方策へと突き進んでいく。 国立大学を所管する文科省の元幹部は「経済が上向かないと、『やはり大学は役に立たない』と言われる」。効果が出るまで、次々と新たな方策を生み出さざるをえない事情を話す。 一方、「武士の商法」ならぬ「大学商法」は、すぐにはうまくいかない。例えば「稼げる大学」の指標のひとつの特許を見てみよう』、「不慣れな目標を提示された研究者が、ピントはずれの「大学商法」を進め、自らの力を弱めた面もある。そして、政治も行政も産業界も、進めてきたことの検証や統括をしないまま、次の方策へと突き進んでいく」、これは日本の構造的悪弊だ。
・『「特許を出すようさかんに言われたのに…」  大学研究者の成果は論文や学会発表で評価されていた。だが、2000年代に入ると、特許も重視される。経産省は2001年に「特許取得件数を10年間で15倍にする」数値目標を掲げ、文科省も大学の出願ランキングを公表した。 当初は、特許を取得するだけで研究者は評価された。出願や維持にお金がかかることは、あまり念頭に置かれていなかった。だが特許は利用されないと、お金を生み出さない。 ある地方国立大の研究者は戸惑った体験を持つ。「大学から特許を出すようにとさかんに言われていたのに、今度はできるだけ出すなと言われた」 文科省の調査によると、特許収入では、東大、京大、大阪大、九州大、東北大など、旧帝大系が圧倒的な強さを見せる。それでも、大学が保有する特許が使われたのは、東大と京大が36%で、それ以外は10%台にとどまる。企業の49%に比べると差が大きい。 産学連携による共同研究で、企業側がひいてしまうケースもある。ある企業幹部は、「大学はわれわれよりも短期視点で考え、すぐにお金のことを口にする」と言う。世事に疎うとく、企業との付き合いが苦手な研究者もいる。研究者個人との契約で生じた面もあり、最近では組織対組織で契約を結ぶところが増えている』、「大学から特許を出すようにとさかんに言われていたのに、今度はできるだけ出すなと言われた」、「当初は、特許を取得するだけで研究者は評価された。出願や維持にお金がかかることは、あまり念頭に置かれていなかった。だが特許は利用されないと、お金を生み出さない」、素人でも分かるお粗末な政策だったようだ。
・『「大学を下請けのように見ている」日本企業の体質  こうした改革の結果、じっくりと腰を落ち着けた研究がしにくくなったことや、ノーベル賞受賞者がこれまでのようには出なくなる懸念などが、研究者から何度も指摘されている。だが、政府は顧みない。 科学技術政策を検討する政府の有識者会議のメンバーの1人はこう言い切る。「ノーベル賞受賞者を増やすことや、スター研究者を育てることに興味はない。経済や安全保障に役立つ研究を促進するのがわれわれの目的だ」 研究がうまくいったとしても、新たな難関が待ち受ける。それは日本企業の体質だ。 旧帝大系国立大学のある研究者は嘆く。彼の研究成果が新聞やネットで報じられると、すぐに電話やメールで接触してくるのは米国、韓国などの企業。日本企業は1カ月後ぐらいだという。 「担当者だけで判断できず、社内の根回しや会議に時間を費やしているのだろう」と彼は言う。スピード感の欠如が、日本の知的成果の海外流出を招きかねない状況だという。 そして「日本企業は大学を下請けのように見ている」と指摘する。米国企業などは、「あなたのこの成果を使って、どういうことができるか教えてほしい」と、研究者のプライドをくすぐりながら、話を持ち掛けてくる。一方、日本企業は「こういう製品を作りたいので役立つものを出してほしい」と、上から目線の発言が目立つという』、「こうした改革の結果、じっくりと腰を落ち着けた研究がしにくくなったことや、ノーベル賞受賞者がこれまでのようには出なくなる懸念などが、研究者から何度も指摘されている。だが、政府は顧みない」、「日本企業」は「研究成果」の報道への反応が米・韓企業より遅い、「日本企業は大学を下請けのように見ている」、やはり。「日本企業」の姿勢には根本的な問題があるようだ。
・『「17歳の大学生」は名研究者になったかもしれない  政府が産学連携を推奨していることもあり、東大などには、企業から大型研究費が提供されている。ただ、企業は日本の大学よりも、米大学との共同研究を好み、多額の資金も提供する。彼はこう指摘する。「研究そのものより、人間関係構築や、米有名大学と共同研究しているという宣伝効果に利点を見出している」 理工系の知識や技術だけでは、経済発展につながらないことを、日本はこれまでも体験してきた。デジタル敗戦を重ねた日本企業だが、ネット検索エンジン開発では、進んでいた。だが、経営者が「他人のコンピューターを勝手に検索していいのか」として許可をしなかった。技術はあってもビジネスで負ける。 東大工学部卒業後、大手メーカーに勤務する技術者は指摘する。「石橋をたたいて渡るのではなく、たたいて壊してしまうのが日本企業だ」。こうした体質も変革する必要がある。 政府の「教育未来創造会議」は理工系拡充とともに、理系文系の枠にとどまらず横断的に学ぶ「総合知」を研究や企業活動に生かすことを挙げた。それが本筋のはずだが、理工系学部の新設などの拡充策で突っ走るところに、この4半世紀のやり方と似たものを感じてしまう。 冒頭で取り上げた、全国初の17歳の大学生・佐藤さんも、研究現場がもっと若手を育てる仕組みを手厚くしていれば、また違う結果になったかもしれない。研究の現場の声を聞き、制度を描くことが必要だ。そうでないと再びこの4半世紀を繰り返すことになりかねない』、「ネット検索エンジン開発では、進んでいた。だが、経営者が「他人のコンピューターを勝手に検索していいのか」として許可をしなかった。技術はあってもビジネスで負ける」、「日本企業」の典型的な弱点だ。「研究の現場の声を聞き、制度を描くことが必要だ。そうでないと再びこの4半世紀を繰り返すことになりかねない」、強く同意する。
タグ:科学技術 (その2)(中国が約1兆ドルかけて製造・運用する「人工太陽」 太陽の5倍高温なプラズマの維持に成功!、度重なる体制変更の求めに「改革疲れ」の大学 政権肝いり「国際卓越研究大学」に求める高い負荷、理研 大量リストラまで半年「4月1日」巡る攻防 切迫の労使交渉 中座し戻らぬ人事部長、「物理の天才」でもトレーラー運転手になるしかない…日本の研究者が"食えない職業"になった根本原因 政府主導の取り組みが、日本の研究力を殺いでいる) Sorae「中国が約1兆ドルかけて製造・運用する「人工太陽」 太陽の5倍高温なプラズマの維持に成功!」 冒頭に紹介された「全超伝導トカマク型核融合実験装置」では、エネルギー効率はどうなのだろう。 「核融合」技術は、実用化まではまだ相当の年月を要しそうだ。 東洋経済Plus「度重なる体制変更の求めに「改革疲れ」の大学 政権肝いり「国際卓越研究大学」に求める高い負荷」 次々に新しい制度が作られるが、これまでの「改革」の評価はどうなっているのだろう。 「国主導の大学改革は、国立大学法人化に始まり、学長の権限強化や、指定国立大学の設置など絶え間なく行われてきた」、「「大学の研究力が落ちたのは金だけの問題なのか。(国が国立大学に拠出する)運営費交付金の減額に加え、学内改革に伴う膨大な会議や書類申請などにより本来の研究に割く時間が減っている。大学ファンドをきっかけにそうした点を改めて考え直すべきなのではないか」、こういったマイナスの影響が出ているとすれば、大きな問題だ。 東工大と医科歯科大学の合併は「国際卓越研究大学」の認定をにらんだものと言われている。「「国際卓越研究大学」に3%の事業成長を求める背景を、大学の持続的成長に向け、自律的財政基盤を強化するためと説明する」、「大学」に「3%の事業成長を求める」のには違和感がある。 「大学が長年の政府や文科省主導の改革によって疲弊してきたことも研究力低下の一因だ。大学ファンドが、従来の改革と同様に「徒労の改革」で終われば、本末転倒にならざるをえない」、同感である。 東洋経済オンライン「理研、大量リストラまで半年「4月1日」巡る攻防 切迫の労使交渉、中座し戻らぬ人事部長」 「交渉はリモート会議で行われた。理研側の出席者は個別のアカウントで出席しつつ、裏ではグループチャットを使って連絡を取り合っていた」、これは極めて悪質で、信義則違反だ。 「この従事業務確認書は人事部から直接説明を受けて書いたものではない。研究室の上司にあたるPI(研究主催者)から「契約更新に必要な書類だから書いておいて」と言われたパターンが大半という。ある研究者は更新上限の内容に不安を感じてPIに意味を質問すると、「ただの形式的なものだから」と言われたという。 研究者らは「PIは毎年の契約更新の判断権を持っている。逆らって関係を悪化させたくない。PIも、私たちにサインさせなければ理研から睨まれ、研究の予算を減らされる懸念があるのだろう」と語る」、なるほど。 「3月31日で雇い止めとなる研究者が4月1日以降に再び理研に採用されることは理論上可能だ。しかし、組合側は「雇い止め対象の研究者が4月1日以降の契約のポストに申し込んでも、理研がもし採用すれば有期雇用の通算が10年を超えて無期転換申込権を得るため、選考で不利な扱いを受けるのではないか」と疑義を呈する」、なるほど。 「理研が2016年に改正・施行した就業規則の有期雇用上限10年ルールについても、「労働者にとっては不利益変更にあたる。労働契約法10条では、合理性がない限りは不利益変更を認めていない。起算日を2013年4月1日に遡及している点も大いに問題だ。不利益を遡及すると、法的安定性を害する」と指摘する」、その通りだ。 「理研が、「出口」において丁寧なプロセスを経ることなく多数の研究者を追い出す行為は今後、「入口」に影響し、有望な志望者の減少へと跳ね返る恐れがある。そうなれば、岸田文雄政権が掲げる科学技術立国がますます遠のく。割を食うのは国民だ」、同感である。 PRESIDENT ONLINE 知野 恵子氏による「「物理の天才」でもトレーラー運転手になるしかない…日本の研究者が"食えない職業"になった根本原因 政府主導の取り組みが、日本の研究力を殺いでいる」 逆説的だが、どういうことなのだろう。 「飛び入学」で「千葉大」に入学。卒業後は、「母校・千葉大の非常勤講師」の職を、「30歳を超えてから契約を打ち切られた」のを機に、「研究者の仕事に見切りをつける。運送会社に転職し、大型トレーラーの運転手になった」、「不安定な仕事、落ち着いて研究できない環境。佐藤さんだけでなく、科学研究の現場のあちらこちらで耳にする問題だ」、その通りだ。 「狙い通りにいくかどうか、危うさと不安も伴う。 ここ4半世紀にわたって政府は、この政策を掲げて科学技術を推進したが、逆に研究力の低下を招いた、という苦い体験があるためだ」、当然の懸念材料だ。 「稼げる大学へ早く転換せよ、ということだ。日本では1990年代後半からこうした政策がさかんに進められた。 特に国立大学への風当たりは強かった」、その通りだ。 「国立大学に配っていた基盤的な経費を削減する一方、すぐに役立つ研究や産業に直結する研究を重視し、政策に沿ったところへ手厚く予算を分配するなどの改革に乗り出した」、「終身雇用制が研究者のやる気を阻害するとして、若手研究者には期間を限って雇用する任期制度も導入」、その結果、「日本は約20年前までは、影響力が大きい論文数で世界4位だったが、今や10位に落ちた」、著しい「日本の研究力」の低下だ。 「不慣れな目標を提示された研究者が、ピントはずれの「大学商法」を進め、自らの力を弱めた面もある。そして、政治も行政も産業界も、進めてきたことの検証や統括をしないまま、次の方策へと突き進んでいく」、これは日本の構造的悪弊だ。 「大学から特許を出すようにとさかんに言われていたのに、今度はできるだけ出すなと言われた」、「当初は、特許を取得するだけで研究者は評価された。出願や維持にお金がかかることは、あまり念頭に置かれていなかった。だが特許は利用されないと、お金を生み出さない」、素人でも分かるお粗末な政策だったようだ。 「こうした改革の結果、じっくりと腰を落ち着けた研究がしにくくなったことや、ノーベル賞受賞者がこれまでのようには出なくなる懸念などが、研究者から何度も指摘されている。だが、政府は顧みない」、「日本企業」は「研究成果」の報道への反応が米・韓企業より遅い、「日本企業は大学を下請けのように見ている」、やはり。「日本企業」の姿勢には根本的な問題があるようだ。 「ネット検索エンジン開発では、進んでいた。だが、経営者が「他人のコンピューターを勝手に検索していいのか」として許可をしなかった。技術はあってもビジネスで負ける」、「日本企業」の典型的な弱点だ。「研究の現場の声を聞き、制度を描くことが必要だ。そうでないと再びこの4半世紀を繰り返すことになりかねない」、強く同意する。
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高齢化社会(その21)(日本電産に疑惑、自社株買いに永守会長が関与か 株価至上主義が招いたインサイダー取引の疑い、和田秀樹氏2題:60代からの「見た目年齢」格差はなぜ起きるのか?和田秀樹医師が解説、和田秀樹「脳トレは認知症予防にならない理由」 認知症の進行を遅らせるためにできること) [社会]

高齢化社会については、10月4日に取上げた。今日は、(その21)(日本電産に疑惑、自社株買いに永守会長が関与か 株価至上主義が招いたインサイダー取引の疑い、和田秀樹氏2題:60代からの「見た目年齢」格差はなぜ起きるのか?和田秀樹医師が解説、和田秀樹「脳トレは認知症予防にならない理由」 認知症の進行を遅らせるためにできること)である。

先ずは、10月8日付け東洋経済オンラインが掲載したジャーナリストの大清水 友明氏による「日本電産に疑惑、自社株買いに永守会長が関与か 株価至上主義が招いたインサイダー取引の疑い」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/624236
・『封印されていたパンドラの箱がついに開いてしまった。 モーター世界最大手の日本電産のことである。9月2日に関潤社長の退任を決定して以来、メディアからの猛批判を受け続けている。 創業者である永守重信氏(現会長)はすでに78歳。その後継者をめぐって日本電産は迷走を繰り返してきた。カルソニックカンセイ(現マレリ)元社長の呉文精氏、シャープ元社長の片山幹雄氏、関氏と同じく日産出身の吉本浩之氏と、いずれも後継者含みでヘッドハンティングしたものの、「期待どおりでない」と判断するや永守氏は一流経営者たちを次々に辞任へと追い込んだ。 日産のナンバー3(副COO)だった関潤氏を三顧の礼で日本電産に迎え、最高経営責任者(CEO)に据えたのは2021年6月のことだ。しかし、1年も経たない2022年4月には業績悪化を理由に最高執行責任者(COO)に降格。そして9月には会社から事実上、放逐した。 業績悪化とはいうものの、関氏が社長だった2022年3月期、日本電産の決算は連結の売上高、営業利益、純利益のいずれも過去最高を更新している。確かに関氏が担当した車載事業こそ、2022年1〜3月期に赤字を計上するなど厳しい状況が続いたが、これは原料高や中国におけるロックダウンの影響などによるところも大きい』、「永守重信氏」の「ワンマン」ぶりは余りに酷い。
・『繰り返した関氏への罵倒  関氏の退任を決めた9月2日の取締役会後の記者会見で永守氏は、「私から首を切るようなことはいっさいしていない」と述べていた。だが、実際には日本電産グループの全幹部が参加する幹部会議や役員宛のメールで、「Q1(=第1四半期の業績)未達なら退職退任を自ら申し出るのが常識ある人の判断だろう」「もう辞めたらどうや」「日産のナンバー3というからどんだけのものかと思っとったが、こんなものかと失望した。私の55年間の経営者人生で、これほどの大失敗人事をしたことはない」など、関氏を罵倒する発言を繰り返している。関氏ならずともプライドがズタズタになるはずだ。 永守氏は記者会見で、「罵倒ではなく叱責」「叱責を受けて喜んでいる社員もいる」と述べていたが、何をか言わんやである。カリスマ経営者としてもてはやされてきた永守氏だが、そのワンマンぶり、パワハラぶりは、つとに世に知られている。) 批判的なメディアの報道に対し、永守氏は9月5日の社内の朝礼でいつもの「永守節」でこううそぶいてみせた。 「株価は下がっていくし、揚げ句に三流雑誌にいろいろ書かれるなんて、過去にはこんなことなかった。昔は日本電産がそんなに有名でなかったし、永守重信という人物もそんなに有名でなかったから。いかにわが社が立派な企業になったかということだ」 (日本電産の株価推移のグラフはリンク先参照) だが、立派な企業になったと喜んでいる場合ではない。ここに来て市場関係者は永守流の経営を危ういものと見なすようになってきているのだ。2021年2月に1万5000円台と上場来高値となった日本電産株は今年初めから急落し、後継者問題の迷走ぶりが伝えられるに伴い下落幅はさらに拡大。6月には8000円を割る水準まで売り込まれ、その後やや持ち直したとはいえ、2022年10月現在も8500円台半ばにとどまる。 1973年創業と製造業としては後発組ながら日本電産は驚異的な急成長を遂げ、グループ全体の売上高は2兆円近く、従業員数は11万人を超える巨大な上場企業となった。だが、社内からも「大きな中小企業」と言われるとおり、会社の急成長ぶりに比して経営体質は旧態依然としたままだ。 永守氏の独自の経営理念は、これまで多くのメディアによって持ち上げられてきたが、その実態たるやまるで昭和の時代のような精神論ばかり。にもかかわらず、あまりに礼賛されてきた故か、自ら会社を窮地に追い込むような、危ない橋を渡っていることに永守氏本人も気がついていないようだ』、「永守氏の独自の経営理念」、「その実態たるやまるで昭和の時代のような精神論ばかり。にもかかわらず、あまりに礼賛されてきた故か、自ら会社を窮地に追い込むような、危ない橋を渡っていることに永守氏本人も気がついていないようだ」、マスコミも持ち上げ過ぎだ。
・『自社株買いの条件を指示か  わずか1年余りで関氏を退任に追い込んだ今回の騒動で堪忍袋の緒が切れたのだろうか。パンドラの箱が開いたかのように多くの関係者が証言を始めた。 中でも日本電産の最大のタブーともいうべき問題は、自社株買いをめぐる疑惑だ。ある金融関係者が打ち明ける。 「毎年実施されている日本電産の自社株買いだが、実は同社では毎月のように買い付け条件が変更され、これに永守氏が深く関与している」 自社株買いとは、株主還元策として市場などで自社の株を購入し、株価を下支えしたり、買い取った株を役員や従業員に付与し士気高揚を図ったりするために行われる。しかし、自社の内部情報に基づいて自社株を購入することには、つねにインサイダー取引や株価操縦の危険がつきまとう。そのため、金融当局は、法令やガイドラインで厳しいルールを設け、とくに上場企業にはその徹底を図ってきた。 日本電産もほかの上場企業と同じように、取締役会で決議した自社株買いの取得枠を毎年公表し、また、毎月の自社株買いの実績も公表している。自社株買いは信託銀行に信託して行っており、一見、一般的な自社株買いのように見える。) 問題はここからだ。 関係者によると、日本電産では自社株買いについて、月ごとに信託設定を行い、月ごとの数量、価格、指し値を指示しているという。自社株買いの信託は、原則として信託銀行に裁量を一任する。途中で信託設定を変更する場合には、それがインサイダー取引とならないよう、経営における重要情報を把握する部署と、証券会社に指示を出す財務担当者の間でファイアウォール(情報隔壁)を設けて情報遮断することになっている(金融庁、平成20年11月18日Q&A)。これは自社株買いの大前提となるルールである。 ところが、である。日本電産では、経営情報のすべてを握る永守氏自身が、毎月のように上記の数量、金額、指し値など、自社株買いの条件を事細かに指示していたというのだ。事実上、日本電産の全権を握る永守氏には刻一刻とあらゆる情報が上がり、経営上の重要事項を決定している当の本人でもある。毎月のように信託設定の指示を出せば、インサイダー取引の疑惑が払拭できないことになる。 さらに関係者によれば、かつては四半期決算の見通しが固まってから決算発表を行うまでの期間にも、永守氏の指示で頻繁に信託設定の条件を変えていた疑いまであるという。事実だとすれば、インサイダー取引の疑惑は、いっそう深まる。 元証券取引等監視委員会専門検査官で、会社法や金融商品取引法を専門とする白井真弁護士もこう指摘する。 「インサイダー取引になるかは、インサイダー情報(重要情報)を知りながら信託設定の変更指示を出しているかがポイントになる。実務ではそのような疑義を避けるため仮に変更指示を出す場合でも厳密に情報隔壁を構築して慎重に行うが、本件は、外形的にみると、このような実務の取扱いに照らして違和感を覚えると言わざるをえない。そもそも、信託設定である以上、裁量を一任していなければならないが、実際は永守氏の指示でやっていたとすると、何らかのインサイダー情報を知りながら指示を出している可能性があるとの疑義を招きかねず、そのような疑義を招くこと自体、信託制度の本来の意味を損なうことになる」』、「自社の内部情報に基づいて自社株を購入することには、つねにインサイダー取引や株価操縦の危険がつきまとう。そのため、金融当局は、法令やガイドラインで厳しいルールを設け、とくに上場企業にはその徹底を図ってきた」、「毎月のように信託設定の指示を出せば、インサイダー取引の疑惑が払拭できないことに」、「かつては四半期決算の見通しが固まってから決算発表を行うまでの期間にも、永守氏の指示で頻繁に信託設定の条件を変えていた疑いまであるという。事実だとすれば、インサイダー取引の疑惑は、いっそう深まる」、社内のコンプライアンス部門も「永守氏」の行動には口を出せないのだろう。
・『永守氏は日本電産の大株主  日本電産の元役員にこの情報を確認したところ、「永守会長はストイックで、私腹を肥やしているわけではない」とかばってみせたが、直近の有価証券報告書によると、永守氏は妻が代表を務める法人と合わせて日本電産株の約12%を保有する大株主だ(2022年3月末時点)。「私腹は肥やしていない」では済まされない。 永守氏は日本電産の取締役会の議長であり、執行権限を事実上独占し、個人としては筆頭株主でもある。しかも、日本電産本体には労働組合もない。社内にはその暴走を食い止めることができる者は誰もいない。 折りしも9月5日、日経平均株価を構成する銘柄の1つに日本電産株が採用された。わが国を代表する銘柄の1つとなったわけだが、社外取締役や監査法人が機能しているかも含め、日本電産のガバナンスに問題なしとできるのだろうか。 なお、自社株買いをめぐる疑惑や関氏退任に至るまでの永守氏の社内での発言などについて、日本電産広報に東洋経済編集部から詳細な質問を送ったが、期限までに回答はなかった。 【情報提供のお願い】東洋経済では、日本電産が直面する経営や業務上の問題を継続的に取り上げています。こちらのフォームへ、情報提供をお待ちしております』、「日本電産本体には労働組合もない。社内にはその暴走を食い止めることができる者は誰もいない」、思い上がった「永守氏」の頭を冷やすには、当局の捜査しかなさそうだ。

次に、10月7日付けダイヤモンド・オンラインが掲載した精神科医・国際医療福祉大学赤坂心理学科教授の和田 秀樹氏による「60代からの「見た目年齢」格差はなぜ起きるのか?和田秀樹医師が解説」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/310582
・『高齢者専門の精神科医として、30年以上高齢者医療の現場に携わってきた和田秀樹氏が、新著『70代からの元気力』を発売。同書からの一部抜粋で、70代からの人生を充実させるためのヒントをお教えする。今回のテーマは、年を取るほどに個人差が際立っていく「見た目年齢」について』、興味深そうだ。
・『「見た目格差」は年を取るほど開いていく  60代も半ば過ぎになると、「見た目年齢」の個人差が、一気に広がります。 これは、私が高齢者の医療に長く携わってきた中で、気がついたことです。 実際、60代になると、同じ年齢でも、見た目が老け込んでいる人と若々しい人の差が激しくなるのがわかります。しかも、その差は、年齢を重ねるにしたがって、その後、ますます開いてくるのです。 顔の肌つやもあって、皮膚にも張りのある65歳もいれば、顔も皮膚もくすんでしまって、しわばかりが目立つ65歳もいます。若々しい人は、実年齢より10歳はおろか、20歳も若く見える人も珍しくありません。実際、医療の現場にいると、「同じ歳で、見た目がこんなに違ってしまうのか!」と驚かされることが少なくないものです。 つくづく老いは「個人差」が激しいと痛感します。 ただ、これだけ「見た目年齢」の格差が広がってしまうと、「高校時代の同窓会などに出席して、困る人もいるだろう」などと、余計なことも考えてしまいます。 高校時代の同窓会だと、かつての担任教師が招かれることもあります。若い教師でしたら、生徒との年齢差は10歳くらい、ということもあるでしょう。集合写真を撮って、あとで見ると、冗談ではなく、教師よりはるかに老け込んでいる元生徒がいることだって考えられます。 私が、そのような「見た目年齢」が老け込んでしまった60代の患者さんと話すとき、いつも感じることがあります。 「タンパク質が足りてないな」という感想です。 体全体がしぼんだように見えたり、皮膚にしわが浮かび上がっていたりするような60代は、話をしてみると、実際、食生活もあっさりしたものを好んでいることが多いのです。 「変化」のない食生活が、その人の「見た目年齢」を一気に上げているのです』、私もたまに同期会があると、「「同じ歳で、見た目がこんなに違ってしまうのか!」と驚かされる」のは同じである。
・『65歳を過ぎたらむやみに健康になろうとしない  「見た目年齢」が高い人の食生活は、医者として何となく想像がつきます。 健康的ではあるのですが、全体的にタンパク質が足りていない。意外に健康志向が高く、和食党が多い。食生活は、おそらく次のようなイメージになります。 朝は、ご飯にみそ汁、納豆、漬物。 昼は、蕎麦かうどん、夏なら、ソーメン。 夜は、野菜の煮物、煮魚、冬なら、鍋物。 「見た目年齢」が高い人の食生活は、このようなイメージです。和食党には、いかにもありがちなパターンと言えます。 一つ一つの食事は、たしかに健康的です。 消化にもよく、体にもやさしそうです。実際に、こういう食生活が「体にいい」と信じている人は多いでしょう。コレステロール値も血糖値も低いままに抑えられますし、塩分さえ注意すれば、血圧が極端に上がることもありません。 ただ、こういう食生活だと、毎日がほぼ、似たような料理の繰り返しになってしまいます。食材や味付けを少し変えるぐらいですんでしまうからです。 つまり、食卓から、だんだんと「変化」がなくなってくるのです。 しかも、全体的に、タンパク質が足りていない。 「健康数値」にこだわりすぎると、「見た目年齢」や「心理年齢」が上がることは珍しいことではありません。 一見、理想的な食生活が、肉体的、精神的な老いを加速させることもあるのです。血圧や血糖値やコレステロールの数値がどんなに優等生でも、見た目がしょぼしょぼの70代になってしまうことも少なくはありません。 個人的には、65歳を過ぎたら、「健康数値至上主義」とも、そろそろお別れしてもいいように思います。「健康数値がいいなら、見た目だって若いはずだ」と考える人が多いようですが、大きな誤解です。 私がいままでに接してきた70代で言うと、「見た目年齢」が若い人のほとんどが、血圧もコレステロール値も少々高めでした。少なくとも、検診で定められている基準の数値よりは高めの人が多かったのです。逆にうつ気分の続いている70代のほうが、「健康数値」は正常だったりします。 65歳過ぎたら、むやみに健康になろうとしないほうがいいのです』、「私がいままでに接してきた70代で言うと、「見た目年齢」が若い人のほとんどが、血圧もコレステロール値も少々高めでした。少なくとも、検診で定められている基準の数値よりは高めの人が多かったのです。逆にうつ気分の続いている70代のほうが、「健康数値」は正常だったりします。 65歳過ぎたら、むやみに健康になろうとしないほうがいいのです」、その通りなのだろう。

第三に、10月11日付け東洋経済オンラインが掲載した精神科医の和田 秀樹氏による「和田秀樹「脳トレは認知症予防にならない理由」 認知症の進行を遅らせるためにできること」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/623854
・『「人生100年時代」と言われるようになり、シニア世代に入ってからの人生を心配する人が少なくありません。高齢者がなりうる認知症に対してはどのように向き合えばいいのでしょうか。高齢者専門の精神科医として6000人以上の患者を診てきた和田秀樹さんの著書『60歳からはやりたい放題』から一部抜粋してお届けします』、「認知症」とは興味深そうだ。
・『「認知症=かわいそう」は間違い  多くの日本人が抱える老後不安の最大のものの1つ。それは「認知症」ではないかと思います。 長年、高齢者に特化した精神科医として働いてきて、私自身が感じるのは、世の中には「認知症=何もできなくなる悲惨な存在」だと思っている人が、あまりにも多いことです。個人的には認知症患者に対して、必要以上に悲惨なものだと考えるのは、間違いだと感じています。 たしかに、認知症になった場合、最終的には人の顔もわからなくなります。でも、病気になってから、最初の5年くらいについては、以前とほとんど人格は変わりませんし、知能もあまり落ちません。それまでと大して変わらない生活を送る人のほうが多数派です。 言い換えれば、初期の認知症はまったく怖くない。それを、過剰に怖がり、人生を悲観するのは非常にもったいないことです。 寝たきりの状態についても、「死んだほうがましだ」と考えている人は決して少なくないようです。これも、「寝たきりの状態=何もできない」というイメージが先行しているせいでしょう。 たしかに元気なときと比べたら、もちろんできることは限られるでしょうが、人によっては「毎日大好きな詩を1編ずつ暗記する」など目標を持って生きている人はたくさんいます。こうした人々を見ていると、決して生きることに悲観しているわけではなく、残りの日々をどうやって楽しもうかと試行錯誤している人が多いように思います。) 延命ばかりがすべてではないですが、「認知症になったら安楽死させてほしい」「寝たきりになったら死んでしまいたい」というのは、あまりにも高齢者を差別する発言だといえるでしょう。 また、周囲が「生かすほうがかわいそうだ」「治療を控えたほうがいいのではないか」などと勝手に決めつけるのは、少し暴力的ではないかとすら感じます。ご自身の行く末はもちろん、親御さんの介護などで迷ったときは、ぜひ「認知症や寝たきりは決してかわいそうではない」ということを、忘れないでほしいと思います』、「最初の5年くらいについては、以前とほとんど人格は変わりませんし、知能もあまり落ちません。それまでと大して変わらない生活を送る人のほうが多数派です。 言い換えれば、初期の認知症はまったく怖くない。それを、過剰に怖がり、人生を悲観するのは非常にもったいないことです」、「ご自身の行く末はもちろん、親御さんの介護などで迷ったときは、ぜひ「認知症や寝たきりは決してかわいそうではない」ということを、忘れないでほしいと思います」、なるほど。
・『認知症でも活躍したレーガン大統領  昨今、認知症予防のさまざまなトレーニングが登場していますが、70代後半になると、8~10%の人が認知症にかかります。そして、80代以降は認知症の比率はどんどん増えていきます。85歳以上になればアルツハイマー型認知症の変化が脳に現れない人はいません。どんなに脳トレを行ったとしても、誰もが年齢を重ねるごとに、軽度の認知症になります。 なお、日本の認知症患者の6割を占めるのが、「アルツハイマー型認知症」です。アルツハイマー型認知症の特徴は、脳の神経細胞に老人斑や神経原線維変化が生じることです。脳内のβアミロイドが増えると、記憶をつかさどる海馬を中心に萎縮が目立つようになるとされています。「ついさっき何を食べたのか」「今日、誰に会ったのか」などの短期記憶に支障が出るようになり、知能も少しずつ低下していきます。 ただ、かなり認知症が進行しても、知的能力は残り続けるケースが多いです。たとえば、69歳でアメリカの大統領となったロナルド・レーガン元大統領は、退任の5年後に自身がアルツハイマー型認知症であることを公表しています。) 発表した時点ではすでに会話にも支障が出ていたようなので、少なくとも発症から5年以上経過していた(その後の経過や93歳まで生きたことを考えると進行の速いタイプではないはずです)とすると、大統領の在任中もすでに認知症による記憶障害は起こっていたでしょう。 しかし、レーガン大統領は、認知症を患っていたであろう期間もアメリカ大統領として采配をふるい、歴史的な業績も残しています。言い換えてみれば、アルツハイマー型認知症であっても、大統領としての任務をこなせるだけの知力は残っていたということです』、「70代後半になると、8~10%の人が認知症にかかります。そして、80代以降は認知症の比率はどんどん増えていきます。85歳以上になればアルツハイマー型認知症の変化が脳に現れない人はいません」、「レーガン大統領は、認知症を患っていたであろう期間もアメリカ大統領として采配をふるい、歴史的な業績も残しています。言い換えてみれば、アルツハイマー型認知症であっても、大統領としての任務をこなせるだけの知力は残っていたということです」、「認知症を患っていたであろう期間もアメリカ大統領として采配をふるい、歴史的な業績も残しています」、「認知症」への認識を改めさせられた。
・『認知症で「個性」が浮き彫りに  70代や80代になると、かなりの確率で誰の脳にもアルツハイマー型認知症の傾向は見られます。 数年前に、『渡る世間は鬼ばかり』『おしん』などで知られる脚本家の故・橋田寿賀子さんが「アルツハイマーになったら安楽死させてくれ」と発言して話題になりました。当時の橋田さんは90代でしたが、90代の方の6割以上がテスト上は認知症を発症しているので、もしあの発言があった時点で橋田寿賀子さんに記憶力テストをしたり、脳の画像診断を行っていたら認知症との診断が下った可能性はゼロとはいえません。 でも、晩年まで脚本家として活躍した橋田さんの業績を見てみても、彼女が持っていた作品を作り続ける素晴らしい創作能力に変わりはなかったことがわかります。現実には認知症にあたらないと考えるのが自然です。 このように、一言で「認知症」といっても、多くの方が思うよりも個人差の大きなものだし、病気の進行具合も変わってきます。) 私が長年お世話になり、老年精神医学の師と仰いでいる竹中星郎先生は、「認知症は欠落症状に対する自分の人格の反応」だとおっしゃっています。 何か物を置き忘れたという欠落症状が起きたときに、もともと自分に厳しい性格の人であれば、「何でこんな失敗をしてしまうのだ」と落ち込むでしょう。また、他人に対して厳しい人であれば、「人が盗ったのではないか」と誰かを責めるかもしれません。もともと性格が温和な人であれば、物がなくなってもさほど気にしない可能性もあります。 このように、認知症になるとその人個人の個性が発揮されます。だからこそ「認知症はかかったら終わり」の病気ではなく、「自分の個性がより強調される症状が起こる」ということを、忘れないでほしいと思います』、「認知症になるとその人個人の個性が発揮されます。だからこそ「認知症はかかったら終わり」の病気ではなく、「自分の個性がより強調される症状が起こる」ということを、忘れないでほしいと思います」、少し安心した。
・『会話を増やせば認知症予防になる  どんな人がアルツハイマー型の認知症になるのか。それは、遺伝的要因が非常に大きいようです。もし親がアルツハイマー型認知症になった場合は、その子どもも同じ認知症になりやすいといわれています。 なお、頭を日ごろから使わない人ほど、認知症になりやすいのは確かなようです。認知症にかかっていた患者さんたちを比較してみると、日ごろから頭を使っている人のほうが認知機能テストの点数が高いのもよくある話です。 では、「何が一番頭を使っていることになるのか」というと、最も効果が高いのは他人との会話です。会話は、相手の言ったことを理解し、瞬時になにかしらの反応を返さなければならないという非常に高度な知的作業なので、強制的に頭が回転するのでしょう。 声を出すこと自体にも、ボケ防止の効果があるように感じます。私の担当するアルツハイマー型認知症の患者さんに、長年、趣味として詩吟を続けている方がいるのですが、常に声を出すことが習慣づいているせいか、認知症の症状の進行が非常に遅いのです。詩吟ではなくても、カラオケや合唱など、声を出す趣味を持っておくことは、ボケ防止の良い手段になるかもしれません。) 昨今、認知症予防のために簡単な四則計算や数字のパズルである「数独」を解くなど「脳力トレーニング」を行うことが、脳に刺激を与えて認知症予防に役立つとの定説が広まりつつあります。 ところが、『ネイチャー』などの海外の一流医学誌に、これら脳トレの効果にまつわる調査結果が掲載されたところ、実は脳トレは認知症予防には意味がないことが明らかになっています。 その研究の一つであるアラバマ大学で実施された2832人の高齢者に対する実験では、言語の記憶や問題解決能力、問題処理能力を上げるトレーニングを実施した場合、課題のテストの点数は上がるものの、そのほかの認知機能に対する波及効果は見られず、点数は上がっていないとの報告がされています。簡単にいえば、勉強した課題に対するトレーニングにはなっているものの、脳全体のトレーニングには結び付いていないのです』、「「何が一番頭を使っていることになるのか」というと、最も効果が高いのは他人との会話です。会話は、相手の言ったことを理解し、瞬時になにかしらの反応を返さなければならないという非常に高度な知的作業なので、強制的に頭が回転するのでしょう。 声を出すこと自体にも、ボケ防止の効果があるように感じます」、「最も効果が高いのは他人との会話」とは意外な感じを受けた。
・『「脳トレ」よりも「楽しいこと」  では、脳トレに代わる認知症予防として、何をすればいいのでしょうか。その一番の対策は「楽しいことをやる」ことだと思っています。楽しいことをやればやるほど、脳にはプラスの刺激が伝わります。 もし、「脳トレをすること自体が楽しい」という人であれば、そのトレーニングをやり続けることは脳に良い影響を与えるでしょう。でも「面倒くさいけど、認知症予防になると聞いているから」「退屈だけど、ボケ防止のためにやっている」というのであれば、むしろこれまで行ってきた日常生活を楽しみながら続けるほうが、認知症の進行を遅らせる効果があるように感じます。 日々の家事を楽しみながら、工夫する。仕事をしている人ならば、毎日その仕事を続ける。趣味でやっているテニスをそのまま続ける……など。 「認知症予防のために、何か特別なことをしなければならないのではないか?」と思う方も多いかもしれませんが、人間の日常生活は実に複雑です。その日常生活のレベルを落とさずに頑張って継続するだけで、十分「ボケの進行防止」になります』、「人間の日常生活は実に複雑です。その日常生活のレベルを落とさずに頑張って継続するだけで、十分「ボケの進行防止」になります」、「日常生活のレベルを落とさずに頑張って継続するだけで、十分「ボケの進行防止」になります」、というのは嬉しい励ましだ。 
タグ:高齢化社会 (その21)(日本電産に疑惑、自社株買いに永守会長が関与か 株価至上主義が招いたインサイダー取引の疑い、和田秀樹氏2題:60代からの「見た目年齢」格差はなぜ起きるのか?和田秀樹医師が解説、和田秀樹「脳トレは認知症予防にならない理由」 認知症の進行を遅らせるためにできること) 東洋経済オンライン 大清水 友明氏による「日本電産に疑惑、自社株買いに永守会長が関与か 株価至上主義が招いたインサイダー取引の疑い」 「永守重信氏」の「ワンマン」ぶりは余りに酷い。 「永守氏の独自の経営理念」、「その実態たるやまるで昭和の時代のような精神論ばかり。にもかかわらず、あまりに礼賛されてきた故か、自ら会社を窮地に追い込むような、危ない橋を渡っていることに永守氏本人も気がついていないようだ」、マスコミも持ち上げ過ぎだ。 「自社の内部情報に基づいて自社株を購入することには、つねにインサイダー取引や株価操縦の危険がつきまとう。そのため、金融当局は、法令やガイドラインで厳しいルールを設け、とくに上場企業にはその徹底を図ってきた」、「毎月のように信託設定の指示を出せば、インサイダー取引の疑惑が払拭できないことに」、 「かつては四半期決算の見通しが固まってから決算発表を行うまでの期間にも、永守氏の指示で頻繁に信託設定の条件を変えていた疑いまであるという。事実だとすれば、インサイダー取引の疑惑は、いっそう深まる」、社内のコンプライアンス部門も「永守氏」の行動には口を出せないのだろう。 「日本電産本体には労働組合もない。社内にはその暴走を食い止めることができる者は誰もいない」、思い上がった「永守氏」の頭を冷やすには、当局の捜査しかなさそうだ。 ダイヤモンド・オンライン 和田 秀樹氏による「60代からの「見た目年齢」格差はなぜ起きるのか?和田秀樹医師が解説」 私もたまに同期会があると、「「同じ歳で、見た目がこんなに違ってしまうのか!」と驚かされる」のは同じである。 「私がいままでに接してきた70代で言うと、「見た目年齢」が若い人のほとんどが、血圧もコレステロール値も少々高めでした。少なくとも、検診で定められている基準の数値よりは高めの人が多かったのです。逆にうつ気分の続いている70代のほうが、「健康数値」は正常だったりします。 65歳過ぎたら、むやみに健康になろうとしないほうがいいのです」、その通りなのだろう。 「和田秀樹「脳トレは認知症予防にならない理由」 認知症の進行を遅らせるためにできること」 「認知症」とは興味深そうだ。 「最初の5年くらいについては、以前とほとんど人格は変わりませんし、知能もあまり落ちません。それまでと大して変わらない生活を送る人のほうが多数派です。 言い換えれば、初期の認知症はまったく怖くない。それを、過剰に怖がり、人生を悲観するのは非常にもったいないことです」、「ご自身の行く末はもちろん、親御さんの介護などで迷ったときは、ぜひ「認知症や寝たきりは決してかわいそうではない」ということを、忘れないでほしいと思います」、なるほど。 「70代後半になると、8~10%の人が認知症にかかります。そして、80代以降は認知症の比率はどんどん増えていきます。85歳以上になればアルツハイマー型認知症の変化が脳に現れない人はいません」、 「レーガン大統領は、認知症を患っていたであろう期間もアメリカ大統領として采配をふるい、歴史的な業績も残しています。言い換えてみれば、アルツハイマー型認知症であっても、大統領としての任務をこなせるだけの知力は残っていたということです」、「認知症を患っていたであろう期間もアメリカ大統領として采配をふるい、歴史的な業績も残しています」、「認知症」への認識を改めさせられた。 「認知症になるとその人個人の個性が発揮されます。だからこそ「認知症はかかったら終わり」の病気ではなく、「自分の個性がより強調される症状が起こる」ということを、忘れないでほしいと思います」、少し安心した。 「「何が一番頭を使っていることになるのか」というと、最も効果が高いのは他人との会話です。会話は、相手の言ったことを理解し、瞬時になにかしらの反応を返さなければならないという非常に高度な知的作業なので、強制的に頭が回転するのでしょう。 声を出すこと自体にも、ボケ防止の効果があるように感じます」、「最も効果が高いのは他人との会話」とは意外な感じを受けた。 「人間の日常生活は実に複雑です。その日常生活のレベルを落とさずに頑張って継続するだけで、十分「ボケの進行防止」になります」、「日常生活のレベルを落とさずに頑張って継続するだけで、十分「ボケの進行防止」になります」、というのは嬉しい励ましだ。
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随筆(その5)(養老孟司氏 人はなぜ「自分の命は自分のもの」と思い込むのか?、養老孟司が語る「じぶんの壁」…いまこそ、小田嶋さんへの手紙 追悼・小田嶋隆さん) [人生]

随筆については、6月28日に取上げた。今日は、(その5)(養老孟司氏 人はなぜ「自分の命は自分のもの」と思い込むのか?、小田嶋さんへの手紙 追悼・小田嶋隆さん)である。

先ずは、3月17日付け日経ビジネスオンラインが掲載した解剖学者の養老孟司氏による「養老孟司氏、人はなぜ「自分の命は自分のもの」と思い込むのか?」を紹介しよう。
https://business.nikkei.com/atcl/gen/19/00426/030100004/
・これは、有料記事だが、月3本までは無料なので、紹介する次第。 解剖学者の養老孟司先生の「子どもが自殺するような社会でいいのか」という問題提起からスタートした本連載。なぜ今、子どもたちは死にたくなってしまうのか。社会をどう変えていけばいいのか。課題を一つずつ、ひもといていきます。 前回(日本の子どもに「個性と自己実現」を求めるべきか?)は、「自己の問題」を取り上げました。 日本の伝統的な考え方には、自己という概念がない。そのことを反映するかのように、日本の子どもたちはアメリカの子どもたちと違って、自分の人生を自分で選択したり、自分で決定したりすることを好まない。しかし、西洋の考え方が導入された現代社会を生きる親たちは、子どもたちに「個性を伸ばせ」「自己実現せよ」と求める――。 このような自己の問題は、日本人が明治維新以来抱えているストレスであると先生はおっしゃいます。子どもの自殺が今、増えていることとも関係しているのかもしれません。 Q:前回のお話では、そもそも「生まれてから死ぬまで一貫して変わらない私がいる」という感覚が、日本人にはそぐわない、ということでした。今の日本の大人にとっては、当たり前の感覚だと思いますが、これは明治以降、西洋からきた考え方であり、日本の伝統的な考え方とは違う、と。 養老孟司氏(以下、養老):もともとヨーロッパでも、多神教の世界(*)ではこういう「私」はなかったと思うんです。 例えばデカルトの「我思う」ってありますね。あれはフランス語で「Je pense」でしょう。「donc je suis」は、「私は存在する」(*)。「Je」が、私ですね。 これをラテン語(*)で書くと、「我思う」はいきなり「Cogito(コギト)」となるんです。Cogitoは、一人称単数現在の動詞です。「私は考える」と言いたいときに、ラテン語では主語は要らないんです。 Q:英語でいえば「think」のみということですね。主語がない。 養老:「主語がない」というと、何か不足しているような気がしますが、日本語と同じで必要がなかったんですね。 確かに日本語も、主語をあまり使いませんね。普段の会話において、「私は……」と話すことはあまりありません。 * 多神教の世界:神道の日本、インド、古代オリエント、古代ギリシャ・ローマなど。 *「我思う、ゆえに我あり」:Je pense, donc je suis * ラテン語:古代ローマ帝国の公用語。現在のフランス、イタリア、スペイン語など、すべてのロマンス諸語の母体』、「「私は考える」と言いたいときに、ラテン語では主語は要らないんです。 Q:英語でいえば「think」のみということですね。主語がない。 養老:「主語がない」というと、何か不足しているような気がしますが、日本語と同じで必要がなかったんですね』、「ラテン語では主語は要らない」とは初めて知った。
・『「I am a boy」に、「I」は不要である  養老:英語で「I am a boy」って言うときに「I」を必ず付けますけど、その「I」も本当は要らないですよね。「am」とくれば、主語は「I」に決まっているのですから。じゃあ、ラテン語で入っていなかった「私」が、いつから入ってきたかというと、多分中世、キリスト教からです。 Q:何か理由があったのですか? 養老:一神教の世界には、「最後の審判」があります。この世の終わりに、全員が神様の前に出て裁きを受ける。そうすると、そのときまで存在し、過去から一貫している自分がないといけない。 裁きを受けるまで、一貫した自己がないといけない……。以前(なぜ「本人」がいても「本人確認」するのか?)にうかがった、名前が必要な理由と似ていますね。「貸したお金を返してください」といったときに、「借りたのは私ではありません」と反論されると困るから、借りた私に「黒坂真由子」という名前が付けられている。 養老:最後の審判であれば、「審判を受ける自分は誰か」ということになる。生後50日の私と、84歳の今の私では、まったく違うとなれば、どっちが審判の場に出るのか、ということになります。 Q:仏教では、生後50日の養老先生と、84歳の養老先生はまったく違う存在だと考えるのでしたね(前回参照)。 養老:しかし、最後の審判がある人々にとっては、生まれてから死ぬまで一貫した私というものがないと困るんですよ。そういうものが要請されてしまったんですね。 Q:その「生まれてから死ぬまで一貫した私」という考えが、明治以降、日本に輸入されて、今「個性を伸ばせ」という教育になっているということですね。本来「自己」という土壌がないのに、急に「個性を伸ばしなさい」という教育になってしまった。 養老:そうです。だから先生も困っているのではないですか。 Q:前回ご紹介した研究の通り、日本の子どもは、パズルもペンの色も母親の好みで選びたい、人生の選択もなるべく多くを周りに委ねたい。そういった周囲の意向を受け入れて生きていくのが心地いい日本の子どもにとって、「個性を伸ばせ」「自己実現せよ」という親や社会の期待が、プレッシャーになっている可能性がある。 このような「自己の問題」は、自殺にも関係しているのでしょうか? 養老:自己の問題の裏にあるのが、「命は自分のもの」という考え方です。だから、若い人が勝手に死ぬ』、「一神教の世界には、「最後の審判」があります。この世の終わりに、全員が神様の前に出て裁きを受ける。そうすると、そのときまで存在し、過去から一貫している自分がないといけない」、「「生まれてから死ぬまで一貫した私」という考えが、明治以降、日本に輸入されて、今「個性を伸ばせ」という教育になっているということですね。本来「自己」という土壌がないのに、急に「個性を伸ばしなさい」という教育になってしまった」、確かに「自己」が未確立なのに、「個性」重視教育は馴染まない。「自己の問題の裏にあるのが、「命は自分のもの」という考え方です。だから、若い人が勝手に死ぬ」、困ったことだ。
・『自分の命は、自分のものではない  Q:「自己がある」という考えが「命は自分のもの」という考え方につながる。確かに「自己」がなければ「自分のもの」と思いようがないですね。 養老:みなさん、「命は自分のものだから、自分の好きなようにしていいんだ」と思っていますよね。自分の身体や命が「自分のもの」であるという暗黙の了解ができています。それが常識になってしまっている。でも、そんなことは、どこにも決められていないんです。 Q:では、もし子どもに、 「命は誰のものなのですか?」と聞かれたら、どう答えればいいのでしょうか? 養老:世の中には誰かのものであるものと、誰のものか分からないものがあるんです。例えば、月は誰のものですか? 命が誰のものであるかを問うのは、それと同じくらい、おかしな質問です。今の社会の常識を優先してしまうから、質問自体が変だということに気がつかない。 Q:中学生の娘に、子どもの自殺をテーマに養老先生に取材をすると話したら、「なんで自殺しちゃいけないのか、養老先生に聞いてみたい」と言われました。こういう質問自体が、おかしいということなんですか? 養老:おかしいでしょう。それは「なぜ人を殺してはいけないの?」というのと、同じくらいおかしな質問です。一時期、この問いが話題になりましたよね。 Q:じゃあ、命は誰のものでもないのですか? 養老:そうです。 Q:ええと、自分の命は自分のものではないんですか? 私の命は、私のものではない? 養老:はい。命はもらったものです。別に自分で稼いで、生まれてきたわけじゃないでしょう。 Q:なんというか、そういう答えを予想していなかったので……。「誰のものでもない」という答えは、正直、まったく考えていませんでした。 養老:あなたが勝手にいじっていいものじゃないよ、ということでしょうね。 Q:自分が今生きているということ自体を、いじる権利が自分にはない……。 養老:そうですね。仕方がないから生きてるんですよ、僕なんか。 これも、お互いさま(「なぜコロナ禍で子どもたちは死にたがるのか?」参照)に近いですね。みなさん、自分一人の力で独立して生きているわけではないでしょう。何かそういう当たり前のことを議論しなくてはならなくなったのが、変なんですよ。本来、そういうふうに言葉で議論するものではないんですよ。 Q:でも、「命は誰のものか?」という問いには「誰かのもの」という答えがあるものだと、思い込んでいました』、「命は誰のものでもない」、「自分の命は自分のものではないんですか? 私の命は、私のものではない? 養老:はい。命はもらったものです。別に自分で稼いで、生まれてきたわけじゃないでしょう」、「自分一人の力で独立して生きているわけではないでしょう・・・本来、そういうふうに言葉で議論するものではないんですよ」、「私の命は、私のものではない」のは確かだ。
・『「なぜ人を殺してはいけないのか?」に、どう答えるか  養老:「なぜ人を殺してはいけないのか?」という質問に、藤原正彦さんは「『駄目だから駄目』ということに尽きます」と言っていました(*)。「ならぬことはならぬものです」という会津の教育ですね。今の人は、何でも理屈で解決できると思っている。すべてのことが言語的に解決できるかというとそうはいかないよ、ということです。 人生を一言で表現してみなさい、といわれたらどうですか。無理に決まっているでしょう。一言で言えるわけがないのですよ。生きるというのは、プロセスですから。 「自分の命は、自分のもの」という考え方には、根拠がないのです。特に日本においては、極めて根拠が薄い。 *『国家の品格』藤原正彦著(新潮新書/2005年) Q:前回、武士の話が出ましたが、確かに武士の社会では、「藩や家のために切腹」ということがありました。命はそれこそ藩や家に属していて、自分のものではなかった。 養老:そうです。本来、自分のためのものではないのです。人生とか生きがいというのは。 Q:そういう「命は自分のものではない」という価値観が綿々と続く社会の中で生きてきたのが、私たち日本人ということなんですね。でも、西洋では「命は自分のもの」であるわけですよね? それは自殺には結びつかないのですか?  養老:だからキリスト教では「自殺禁止」が明言されているんですよ。自殺は大罪にあたります。キリスト教社会では19世紀まで、自殺した人は、まともな墓場に入れてもらえなかったんです。戦後もありましたよ。自殺すると墓地に入れてもらえないことは。 でも日本では侍のハラキリから始まって、自殺を禁じる考えはありません。そういう社会に「自己」というものを持ち込み、その上「自分の命は自分のもの」という考え方まで持ち込んでくると、自殺者が増えるのは当たり前です。自殺を止める思想がそもそもないのですから。 Q:日本には「自殺禁止」につながる考え方は、何もなかったのですか?』、「キリスト教では「自殺禁止」が明言されているんですよ。自殺は大罪にあたります。キリスト教社会では19世紀まで、自殺した人は、まともな墓場に入れてもらえなかったんです」、「自殺禁止」を担保するため、「自殺した人は、まともな墓場に入れてもらえなかった」とは初めて知った。
・『「自殺を止める思想」を失った日本人  養老:戦前はまだ、命は自分のものではないというのが基本的な考え方でした。「身体髪膚之を父母に受く、敢えて毀傷せざるは孝の始めなり(しんたいはっぷこれをふぼにうく、あえてきしょうせざるはこうのはじめなり)」ということです。これは『孝経(*)』にある一節で、「人の身体はすべて父母からもらったものだから、傷つけないようにするのが孝行の始まり」という意味です。これが人間関係の起点でもありました。 * 孝経(こうきょう):孔子の弟子の曾子の作と伝えられる。『論語』とならぶ儒家の古典のひとつ。「孝」は儒教倫理の中心であり暗唱しやすかったため、家庭での教育に用いられた。 Q:戦前は親孝行をしなくちゃいけなかった。ある意味、自分の命は親のもの。戦争中は……。 養老:お国のためですね。 Q:ああ、シベリアで捕虜生活を送った大正12年(1923年)生まれの祖父に「なんで戦争に行ったの?」と尋ねたとき、「日本民族のため」と言っていたのを思い出します。そう考えると、私の祖父の頃までは「自分の命は自分のものではない」ということが、まだ常識だったということですよね。「命は自分のもの」ということが常識となったのは、ここ数十年のこと。自分のものなら、自分の好きにしていいと、確かに考えてしまいそうです。 養老:親孝行という徳目を、かつて徹底的に教えたことには、自殺を防ぐ効果があった。親孝行の価値観がある間は、子どもは死ねません。子どもが親の先に死ぬのは「逆縁」といって最大の親不孝です。今の常識では、夢にも思わないのではないですかね。 「滅私奉公」「一億玉砕」の裏返しで「命が自分のもの」になった今の日本には、自殺を止める思想がない。だから「こんなにつらいのなら、自分の命は自分で潰していい」と考える。 Q:そもそも命が自分のものではない仏教には「自殺禁止」の教えが存在しない。それをかつては「親孝行」という思想で止めていた。しかし、親孝行という思想はほとんど消えかけている。だから現代の日本には、自殺を止める思想がないということですね。これだけ大きな問題となると、どこから手をつけていいのかわからなくなってきてしまいました。 養老:もちろん簡単にはいきません。でも、簡単にいかないからといって考えることをやめるわけにもいきません。 Q:そうですね。難しくても、考えていくしかない。次回も、よろしくお願いいたします』、「そもそも命が自分のものではない仏教には「自殺禁止」の教えが存在しない。それをかつては「親孝行」という思想で止めていた。しかし、親孝行という思想はほとんど消えかけている。だから現代の日本には、自殺を止める思想がない」、「親孝行という思想」が「自殺」を止めていた。「親孝行という思想」は古臭いと思っていたが、意外な効用があったようだ。

次に、7月1日付け日経ビジネスオンライン「小田嶋さんへの手紙 追悼・小田嶋隆さん」を紹介しよう。
・『2022年6月24日、日経ビジネスオンライン時代から長くご執筆をいただいてきたコラムニスト、小田嶋隆さんがお亡くなりになりました。 今回は、小田嶋さんに近しい方々にいただいた寄稿を掲載して、皆さんと一緒に偲びたいと思います。 最初は、日経ビジネスに小田嶋隆さんをご紹介くださったジャーナリスト、清野由美さんです。 追悼、小田嶋隆さんへ ついにこの時が来てしまった。 小田嶋さんが脳梗塞で入院された時から、ずっと、はらはらと過ごしてきた。編集Yこと、日経ビジネスの山中浩之さんから電話の着信があると、覚悟を決めて出るのが習いになっていた。小田嶋さん本人の美学から、逐一の病状はうかがっていなかったが、じわじわと砂の落ちる音は伝え聞いていた。 私にとっては、昨秋「中央公論」で小田嶋さんとオバタカズユキさんの対談の仕切り役をした時が、今生のお別れとなった。幾度かの入院治療のインターバルのタイミングで、身体の動きはゆっくりしていたが、アタマの切れは変わらず、口先もいたって達者で、さすがだった。 65という小田嶋さんの享年は、現在の日本の平均寿命から言えば早すぎるかもしれない。ただ、私はそう思わない。小田嶋さんは独自の美学を保ったまま、自身に与えられた唯一の時間をまっとうした。そう思えてならない。 ひとつに、老成というものが、彼の特質には無縁のものだったことがある。この場合、老成とは世間知と言い換えていい。 周囲の人間関係、状況を見ながら、そこにいる複数の人々の利害を察知し、場を丸く収めながら、自分のいちばん得になるように、筋書きを運んでいく。 そういうこざかしい大人の処世から無縁――というか、見放されているのが、小田嶋隆という人だった。 ある時、小田嶋さんから「お世話になったお礼に、食事をごちそうさせてもらいたい」というありがたい申し出があった。 「そんなあ、気を使わないでいいですよー」「いや、オレの気持ちだから」みたいなやり取りの後、「じゃあ、お言葉に甘えて」となった。だとしたら、普通は日程とか、お店とか、奢る方がアレンジする流れになりますよね。 でも、小田嶋さんだとそうならない。 結局、言われた方の私が、日取りも、待ち合わせの場所も設定して、待ち合わせの場所では「えっと、お店、決まっています?」「ううん、決まってない」という予想通りの展開になった。 ただ、ここで怒っていては、小田嶋番は務まらないのである。こんなこともあろうかと、私は事前に近隣でよかろうと思える店の見当も付けており、そこに無事、小田嶋先生をご案内したのであった。って、どっちが接待主なのよ。 このようなエピソードからも、新卒の営業要員として小田嶋さんが就職した日本の食品企業が、いかにつらかったか、容易に想像できる。つらかったのは、もちろん、雇用する側です。 しかし、世間知から見放されていたからこそ、小田嶋さんの書く文章、とりわけコラムにおけるレトリックの切れ味は極上であった。中でもいくつか、私の中には永久保存版のレトリックがある。ここで書きたいと思ったが、一部分だけ抽出すると、過度に攻撃的になってしまうので、やめておく。ともかく、つまらない大人は「おうさまは、はだかだ」なんて言えないし、そもそも分からない。でも小田嶋さんは、言葉のナイフで敵をすっと切り裂いた後、その切っ先を爆笑に着地させるという、スゴイ技を持っていた。 レトリックの根底にあったのは、彼一流のセンスだ。小熊英二が著した『日本社会の仕組み』によると、戦後、地域間賃金格差や階級間年収格差が最小だったのが1975年(引用元は、橋本健二『「格差」の戦後史』)で、日本社会が「一種の安定状態」にあったのが70年代後半だったという。 これはまさに、小田嶋さんが生涯を貫くセンスを獲得した高校、浪人、大学時代と重なる。小田嶋さん世代は、一回り上の団塊世代が、田舎くささ丸出しで、元気に暴れた果てに、権力の側に吸い込まれていった経緯を、柱の陰から眺め続けた。アタマのいい高校生は、そこから、事象をことさらに深刻化せず、落語のようなおかしみを持って語る反作用的な態度を身に付けた。その要諦は、含羞と諧謔、かろみ、デフォルトとしての虚無である。 地域間賃金、階級間年収はさておき、70年代は都会と地方には、まだ情報のギャップがあった。東京都北区赤羽という、江戸の町人文化を引く土地に生まれ育った小田嶋さんは、まさしく都会の高校生で、野暮すなわち、拝金、権威主義、自己宣伝、人とつるむ態度、湿っぽさ、反知性などなどを、忌むべきものとした。この感性は、いろいろな人がワサワサと行きかう都会でないと、なかなか磨かれないものだろう。 小田嶋さんには、言いたいことを言ってきたから、その点で私に悔いはない。 ただひとつ、今年6月に刊行された小田嶋隆、初の小説『東京四次元紀行』の素晴らしい出来に感動したことは伝えられなかった。小田嶋さんのコラムは、痛快であると同時に、時に切り込み過ぎて、小田嶋さんの美質とは違うところで炎上を招いていた。その様子を傍から見ていると、「違うのに……」と、胸が痛むことがあった。だが、小説は洒脱でドライで、どこかあったかいという、彼がその経験から培ったすべてのセンスが結実していた。きっと小田嶋さんにとって、コラムよりも書いていて楽しい形式だったと思う。ありあまる才能の、その先の展開が見られないことは、残念の一言である。その悔しさは、この文章を書いている現在ではなく、この先、雑踏を歩いている時なんかに唐突に襲ってきて、私の足をすくませてしまうのだろう。 小田嶋さんはいま、彼の顔をしかめさせる現世の言説、ふるまいからきっぱりと離れ、病の苦痛からも解放され、無垢な表情でやすらかに過ごしている。そう信じている。(文:清野 由美)』、「小田嶋」氏の追悼記事はこのブログでは6月28日に紹介した。「老成というものが、彼の特質には無縁のものだったことがある。この場合、老成とは世間知と言い換えていい。 周囲の人間関係、状況を見ながら、そこにいる複数の人々の利害を察知し、場を丸く収めながら、自分のいちばん得になるように、筋書きを運んでいく。 そういうこざかしい大人の処世から無縁――というか、見放されているのが、小田嶋隆という人だった」、極めて的確な紹介だ。
・『兄の親友、小田嶋隆を弟はどんな目で見ていたのか  次は20年に亡くなられた小田嶋さんの親友、岡康道さんの弟、岡 敦(あつし)さんです・・・この部分は紹介を省略する。
・『友達はいつでもスタンド・バイ・ミー  今回のラストは、東京女子大学学長の森本あんり先生。国際基督教大学の名誉教授でもあり、神学者でもある先生は、小田嶋さんとずっと同級生であり、学生時代を通して親しい友達でした。2021年には先生の書かれた『不寛容論』(新潮選書)を題材に、寛容についてお二人で話し合っていただきました(『不寛容論』に学ぶ、「不愉快な隣人」への振る舞い方)。この続きを近いうちに、と念じていたのですが、ついにかないませんでした。 2022年5月28日、13:19着信、15分通話――小田嶋と最後に話したのはいつだろう、と思って携帯電話の履歴を確認したら、そう記録があった。最近は便利なものである。その10日前、これもメールの記録から辿ったのだが、彼の編集者から突然連絡があり、ともかく小田嶋が話したがっているから電話をしてやってくれ、ということだった。すぐに何度も電話をしたのだが、つながらない。あちらからも電話があったようだが、わたしは気づかなかった。結局わたしがかけ続けていたのは間違った番号だった、とわかったのがこの28日なのである。その後しばらくして、そろそろまた電話してみようかな、と思っていたら、出張中の新幹線で訃報のメールを受け取った。 小田嶋の追悼文なんて、わたしは書きたくない。彼のことなので、わたしより親しかった友人や仕事仲間はたくさんいるだろうし、「惜しい人をなくしました」的なアナウンスもあちこちで流されるのだろう。そんな言葉を読んだり聞いたりしたら、きっと小田嶋はそれをまたひとしきり自嘲ネタにして楽しむだろう。そういう役割は、他の方々にお任せしたい。それでもわたしがこれを書いているのは、半世紀以上前の旧友として、われわれが共有した何ごとかを書いて残し、彼の逝去に際して捧げておきたいと思ったからである。 すでに何度か書いたことだが、わたしと彼は小中高と同級生で、とても親しかった。小田嶋は、昔から勉強ができて成績はいつもトップレベル。手先も器用で、ピアノもギターも見よう見まねでささっとできてしまう。何でもできるけれど、特に何かを一心不乱に追求してその道の達人になる、などということはしない。みっともないからである。 ちなみに、古代ギリシアではこういう人を円環的な教養人と呼ぶ。たとえば、人は笛を吹く楽しみを知っていなければならないが、あまり上手すぎてはいけない。熟達しようとすると、人間性の他の部分を犠牲にして努力してしまうからである。「趣味といっても彼の腕前はプロ級で」などというのは、実のところ無教養の極みだろう。何にせよ適量を過ぎると、人は不幸になる。そのことを心底よく知っていた小田嶋は、結局のところまあまあ人生を楽しんだ幸せな人間だった。そう思うことにしたい。 彼が電話で話したかったのは、仕事のことではない。しばらく牧師職にあったわたしの宗教的な慰めが欲しかったわけでもない。ただ、たわいもない話ができることを喜んでいた。すでに鎮静剤もかなりの量になっているようで、メールを打つのもしんどいし、お見舞いなんてもっと疲れるから、電話で話すくらいがちょうどありがたい、ということだった。ツイッターなどとは縁のないわたしは、彼の病状が終末期まで進行していることも知らなかった。たぶんそうだろう、と思った彼は、「いきなり自分の訃報が届くのも何だから」ということで、わたしに心の準備をさせるために話したかったのだ。 電話の向こうで彼は、ゆっくりとした口調でこぼしていた。「あらいゆうこうも、ひろせだいぞうも死んじゃったし、もうオレとあんりが覚えている人って、このあたりに誰もいないのよ。」わたしは、その二人の名前は覚えているし、どのあたりに住んでいたかも覚えているが、いつどのように亡くなったかは知らない。 高校で同級生だった岡康道のことは、二人で一緒に高校の同窓会誌に書いた。当時からやたらに大人びていて、どこか陰のある魅力的な人物だった。メディア界の有名人になった彼を、わたしは小田嶋を通して間接的に知っていたくらいだが、「今度3人で何かやろう」と企画を話しているうちに、彼は亡くなってしまい、それを小田嶋はとても残念がっていた。おそらく、そうやって先に逝った人たちのことを順に数えながら、おぼろげに自分の行く末を見つめていたのだろう。最後は、「あっちに行ったら、岡によろしく」「うんわかった」というお出かけの挨拶だった。 高校卒業後の小田嶋のことも、わたしはまったく知らない。これも何度か書いたことだが、わたしにとって小中高は暗黒時代だったので、その後の人生ではできるだけ近づかないようにしていた。小田嶋隆という名前も、パソコン誌にテクニカルライターとして書いた彼の記事で知っていただけである。ところが、卒業して30年ほど経ったある日、突然連絡をもらい、彼の担当するラジオ番組で対談することになった。わたしが『反知性主義』(2015年)を書くより数年ほど前のことである。 その時の対談の内容は忘れてしまった。だが、この再会はわたしの人生に大きな意味をもった。収録が終わり、近くの喫茶店でくつろいでいた時のことである。彼は、わたしが忘れていたこと、というより記憶の底に押し込めて忘れようとしていたこと、をぽつぽつと語ってくれたのである。 高校生のある日、例によって授業を抜け出したわれわれ2人は、学校の裏手に新しく地下鉄の駅が建設されつつあるのを見つけた。現在の三田線千石駅である。小田嶋の回想によると、その時わたしは、中へ入ってみようと言い出し、勝手にシャッターをがらがらと上げて、暗い駅の中へ降りていったという。そんなことをして大丈夫かな、と思っているうちにホームに着くと、今度はさらに線路へ降りて歩くという。それはさすがにまずいのではないか、と彼は思ったそうだが、わたしがずんずん先へ行ってしまうので、結局2人して巣鴨へ向かって歩き始めた。すると、案の定途中で向こうから試運転の電車が轟音と閃光とともに走ってくる。恐怖に駆られたわれわれは、ひたすら壁に張り付いてやり過ごそうと思ったが、急停止した電車の車掌にとっつかまり、2匹のねずみのように連れて行かれて、駅でこっぴどく叱られた、という話である。 今から思うと、叱られただけで済んだなんて、信じられないほどラッキーな話である。ことによったら生命すら危なかっただろう。そんな彼の問わず語りを聞いて、ようやくわたしも思い出した。だが、思い出したのはその出来事だけでなく、その時自分が何を考えてそんな愚かなことをしたのか、ということだった。わたしはその時、「悪いことをして冒険してみたい」というより、「これで死んでしまってもいい」と思っていたのである。それが当時のわたしの暗澹とした現実だった。小田嶋は、地下鉄の線路くらいに暗かったわたしの実存の闇を、命がけでいっしょに歩いてくれた友だったのである。 しかもわたしは、そのことを30年以上も忘れていた。小田嶋の話を聞いてはじめて、そんなにも長い間そのことを忘れて、自分の人生を生きてこられた、ということを発見したのである。自分は、忘れたい過去と縁を切って、30年も過ごすことができた。だから今では、それを思い出したり話したりしても平気である。気がついたら、そういう自分になっていた。そのことを、小田嶋との再会が悟らせてくれたのである。忘恩もはなはだしいし、ちょっと遅すぎるのだけど、小田嶋ありがとう。(文:森本 あんり)』、「三田線千石駅」のエピソードは、「「これで死んでしまってもいい」と思っていたのである。それが当時のわたしの暗澹とした現実だった。小田嶋は、地下鉄の線路くらいに暗かったわたしの実存の闇を、命がけでいっしょに歩いてくれた友だったのである」、「しかもわたしは、そのことを30年以上も忘れていた。小田嶋の話を聞いてはじめて、そんなにも長い間そのことを忘れて、自分の人生を生きてこられた、ということを発見したのである。自分は、忘れたい過去と縁を切って、30年も過ごすことができた。だから今では、それを思い出したり話したりしても平気である。気がついたら、そういう自分になっていた。そのことを、小田嶋との再会が悟らせてくれたのである。忘恩もはなはだしいし、ちょっと遅すぎるのだけど、小田嶋ありがとう」、「自分は、忘れたい過去と縁を切って、30年も過ごすことができた」、「忘恩もはなはだしいし、ちょっと遅すぎるのだけど、小田嶋ありがとう」、こんなドラマチックな話を「忘れたい過去と縁を切って」いたにせよ、「30年以上も忘れていた」とは驚かされた。「小田嶋」氏はやはり稀有の存在だったようだ。
タグ:日経ビジネスオンライン (その5)(養老孟司氏 人はなぜ「自分の命は自分のもの」と思い込むのか?、養老孟司が語る「じぶんの壁」…いまこそ、小田嶋さんへの手紙 追悼・小田嶋隆さん) 随筆 「養老孟司氏、人はなぜ「自分の命は自分のもの」と思い込むのか?」 「ラテン語では主語は要らない」とは初めて知った。 「一神教の世界には、「最後の審判」があります。この世の終わりに、全員が神様の前に出て裁きを受ける。そうすると、そのときまで存在し、過去から一貫している自分がないといけない」、「「生まれてから死ぬまで一貫した私」という考えが、明治以降、日本に輸入されて、今「個性を伸ばせ」という教育になっているということですね 。本来「自己」という土壌がないのに、急に「個性を伸ばしなさい」という教育になってしまった」、確かに「自己」が未確立なのに、「個性」重視教育は馴染まない。「自己の問題の裏にあるのが、「命は自分のもの」という考え方です。だから、若い人が勝手に死ぬ」、困ったことだ。 「命は誰のものでもない」、「自分の命は自分のものではないんですか? 私の命は、私のものではない? 養老:はい。命はもらったものです。別に自分で稼いで、生まれてきたわけじゃないでしょう」、「自分一人の力で独立して生きているわけではないでしょう・・・本来、そういうふうに言葉で議論するものではないんですよ」、「私の命は、私のものではない」のは確かだ。 「キリスト教では「自殺禁止」が明言されているんですよ。自殺は大罪にあたります。キリスト教社会では19世紀まで、自殺した人は、まともな墓場に入れてもらえなかったんです」、「自殺禁止」を担保するため、「自殺した人は、まともな墓場に入れてもらえなかった」とは初めて知った。 「そもそも命が自分のものではない仏教には「自殺禁止」の教えが存在しない。それをかつては「親孝行」という思想で止めていた。しかし、親孝行という思想はほとんど消えかけている。だから現代の日本には、自殺を止める思想がない」、「親孝行という思想」が「自殺」を止めていた。「親孝行という思想」は古臭いと思っていたが、意外な効用があったようだ。 日経ビジネスオンライン「小田嶋さんへの手紙 追悼・小田嶋隆さん」 清野由美 「小田嶋」氏の追悼記事はこのブログでは6月28日に紹介した。「老成というものが、彼の特質には無縁のものだったことがある。この場合、老成とは世間知と言い換えていい。 周囲の人間関係、状況を見ながら、そこにいる複数の人々の利害を察知し、場を丸く収めながら、自分のいちばん得になるように、筋書きを運んでいく。 そういうこざかしい大人の処世から無縁――というか、見放されているのが、小田嶋隆という人だった」、極めて的確な紹介だ。 東京女子大学学長の森本あんり 「三田線千石駅」のエピソードは、「「これで死んでしまってもいい」と思っていたのである。それが当時のわたしの暗澹とした現実だった。小田嶋は、地下鉄の線路くらいに暗かったわたしの実存の闇を、命がけでいっしょに歩いてくれた友だったのである」、「しかもわたしは、そのことを30年以上も忘れていた。小田嶋の話を聞いてはじめて、そんなにも長い間そのことを忘れて、自分の人生を生きてこられた、ということを発見したのである。 自分は、忘れたい過去と縁を切って、30年も過ごすことができた。だから今では、それを思い出したり話したりしても平気である。気がついたら、そういう自分になっていた。そのことを、小田嶋との再会が悟らせてくれたのである。忘恩もはなはだしいし、ちょっと遅すぎるのだけど、小田嶋ありがとう」、「自分は、忘れたい過去と縁を切って、30年も過ごすことができた」、 「忘恩もはなはだしいし、ちょっと遅すぎるのだけど、小田嶋ありがとう」、こんなドラマチックな話を「忘れたい過去と縁を切って」いたにせよ、「30年以上も忘れていた」とは驚かされた。「小田嶋」氏はやはり稀有の存在だったようだ。
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クレーマー(その3)(「シルバークレーマー」はなぜ増えるのか そしてその対応策とは、生活保護を申請しホテルに971泊 市は「ハードクレーマー」にどう対応すべきか、鴻上尚史「複雑化する日本のクレームに対応するには“不寛容車両”しかない」 世間ってなんだ(4)) [人生]

クレーマーについては、2020年2月27日に取上げた。今日は、(その3)(「シルバークレーマー」はなぜ増えるのか そしてその対応策とは、生活保護を申請しホテルに971泊 市は「ハードクレーマー」にどう対応すべきか、鴻上尚史「複雑化する日本のクレームに対応するには“不寛容車両”しかない」 世間ってなんだ(4))である。

先ずは、昨年6月23日付けダイヤモンド・オンラインが掲載した(株)エンゴシステム代表取締役の援川 聡氏による「「シルバークレーマー」はなぜ増えるのか、そしてその対応策とは」を紹介しよう。
・『現場を混乱させるクレーマーたち  ここのところ毎日、新型コロナウイルスワクチンの話がニュースや身の回りで大きな話題になっています。ワクチン接種の申し込みを受ける役所や、接種会場などでよく見聞きするのが、「接種ができずに感染したら責任を取れるのか!」「孫に会えないのはお前のせいだ!」などとキレる人たち。こうしたクレーマーへの対応に疲弊し、ストレスで心が折れてしまう職員が全国で発生しています。 納得できないことがあると毒を吐き、現場をマヒさせるモンスタークレーマー。なかでも、シルバー世代のクレーマーは、正論で世の中を正そうとする傾向があるようです。よく言えば豊富な人生経験に基づいた説得力があり、悪く言えば頑固で理不尽な言い分の中には、「おっしゃる通り」の部分もあるため、対応は面倒で厄介な作業となり、現場のマンパワーを低下させます。 対応する側の医療・行政やコールセンターの職員は、基本的にみな真面目。一生懸命対応しようとしますが、納得させることは非常に困難なのが現実です。コロナ禍時代の特徴として、「誠実で心優しい人」ほど心をやられる(心が折れる)時代がやってきたともいえるのです。 クレーマーに突然怒鳴りつけられた職員はどうすることもできません。萎縮し、泣きそうになりながら、ひたすら謝罪を繰り返すのみ……。ワクチン接種の現場で対応する(医療・行政)職員にとってはあまり想像したくない、クレーム対応の現実です。 しかし、長く続くコロナ禍で日頃から不満をためている人が増え、ちょっとしたことで爆発しやすくなっている今は、こうしたクレーマーに遭遇し、トラブルに巻き込まれる可能性が高まっています。いつ何時、あなたに降りかかるかわかりません』、「シルバー世代のクレーマーは、正論で世の中を正そうとする傾向があるようです。よく言えば豊富な人生経験に基づいた説得力があり、悪く言えば頑固で理不尽な言い分の中には、「おっしゃる通り」の部分もあるため、対応は面倒で厄介な作業となり、現場のマンパワーを低下させます」、これはやっかいだ。
・『シルバー世代のクレーマーたちは、なぜ“キレる”のか  「いきなり大声で威嚇された」という場合、視野を少し広く持ってみると、相手の声の大きさに過剰に反応して「怒声」と思い、そんな相手を理不尽だと決めつけているケースが多いのも事実です。 冒頭でシルバー世代のクレーマーがワクチン接種現場を混乱させていると書きましたが、年齢によるものも大きいのです。人間、年を取れば心身が衰えますが、実は脳も衰えます。老化により前頭葉が衰えると、怒りの沸点が低くなるといわれています。いきなり怒鳴りだすクレーマーがシルバー世代に多いのは、ある意味では自然現象ともいえるのです。 とはいえ、いくら業務上のお客様対応とはいえ、いきなり怒鳴りつけられたら気持ちはへこみますし、面白くありません。なかには対応の不備や従業員の言葉尻をとらえ、個人を攻撃してくる者もいます。 「いったいどんな教育を受けてきたんだ」「親の顔が見てみたい!」 こんな怒声を浴びせられ、心が悲鳴を上げない人はいないでしょう。 あなたの心を怒れる理不尽クレーマーから守るには、どうしたらよいのでしょうか? ここからは、得体の知れないクレーマーに対して、焦らず対応するための“心構え”を紹介します』、「老化により前頭葉が衰えると、怒りの沸点が低くなるといわれています。いきなり怒鳴りだすクレーマーがシルバー世代に多いのは、ある意味では自然現象ともいえるのです」、「得体の知れないクレーマーに対して、焦らず対応するための“心構え”」とは興味深そうだ。
・『「老人だから」を理由にゴリ押し、時間を奪う人たち  例えば、順番待ちの列に割り込んだ高齢男性。こちらが最後尾に案内するも、 「耳が遠いからよく聞こえない!」「立ってるのも、しんどいんだ!それくらい特別扱いをしろよ!」「年寄りだからってばかにしてんのか!?」 などと、老化に伴う身体的な衰えを理由に、過度な要求を無理やり通そうとする人。 また、社会通念を逸脱した行為に対して注意をすると、「耳が遠いんだ」「ボケたかな」などとうそぶいて相手の話を聞こうとしない人。 女性スタッフの体に直接触るなど、セクハラまがいな行動をし、とがめられると「年寄りだから」などと言い訳する人。 こうした「老人だから」を理由に、過度で理不尽な要求を押し通そうとする人は少なくありません。業務上の理由や公益性の観点からお断りすると、いきなりキレだすのも特徴です。さらに、一度キレだすと、不満と怒りがどんどん雪だるま式に大きくなり、直接的には店に関係のない文句を言い始めるなど、最後には本人もどうしたら怒りが収まるのかわからなくなってしまいます。興奮状態になって土下座を強要するような行為も、自分で怒りの収拾が付かなくなっているからだといえます。 そうなると、自身の理不尽な加害行為を棚に上げ、被害者意識にスイッチが入ります。 「ばかにしているのか!!!!」「年寄りは死ねばよいのか!」 と、怒鳴ることも珍しくありません。 また、他にも、話しぶりは穏やかでも 「私が子どもの頃はね……」「あなたはどこの出身なの?」「うちの息子がね……」などと、自身の身の上話や職員のプライベートについてなど脈絡なく延々と話し続け、長時間の接遇を求める困ったお年寄りもいます。 こういう人は、迷惑ではありますが、業務を妨害するクレーマーだとも一概に言いづらく、現場にとっては非常にやりにくいタイプかもしれません。要求がわかりにくく、話が長く支離滅裂。静かに話を聞いていたつもりが、何かのきっかけで不満が爆発してびっくりすることもあります』、「老化に伴う身体的な衰えを理由に、過度な要求を無理やり通そうとする人。 また、社会通念を逸脱した行為に対して注意をすると、「耳が遠いんだ」「ボケたかな」などとうそぶいて相手の話を聞こうとしない人。 女性スタッフの体に直接触るなど、セクハラまがいな行動をし、とがめられると「年寄りだから」などと言い訳する人。 こうした「老人だから」を理由に、過度で理不尽な要求を押し通そうとする人は少なくありません」、断固として特別扱いはすべきではない。「セクハラ」には警察を呼ぶなど断固たる対応が必要だ。
・『「心の上から目線」で対応する  ここからは、私が刑事時代に身につけた対処法をお話しします。 「いったいどんな教育を受けてきたんだ」 「親の顔が見てみたい!」 いきなりこんな怒声を浴びせられると萎縮し、心が悲鳴を上げてしまうものです。私はこうした言葉を真正面から受けません。スルーしたり、「そうですか……」などと返してやり過ごしたりしながら、相手の真意(第二の感情)を見出そうと試みます。元刑事である私は人に対するとき、言葉の意味や声の大きさだけではなく、表情やしぐさ、その視線などで真意を探るのです。 私がおすすめするのは、心が折れそうな局面になったら、クレーマーを別の角度から見てみるということです。 「怒鳴り続けているこの人は、きっと寂しい人なんだ」「家族や近所で疎んじられているんだ。かわいそうに」 などと、別の感情を持ちながら接するのです。 私はこれを「心の上から目線」と呼んでいます。実際に上から目線でクレーム対応することはありませんし、できませんが、心の中でだけ、上から目線でクレーマーを見つめ直す。そうすることで、落ち着いて冷静な対応をすることができるのです』、「心の上から目線」とは面白い対応方法だ。
・『根底にあるのは「孤独感」と「承認欲求」  ほとんどのケースで、シルバーモンスターの根底には、「孤独感」と「承認欲求」があります。年配者であることをカサに高圧的に説教してくる人も、高齢者としての弱者強調型も、その怒声の裏には、何らかの抑うつした感情があるのは事実です。 このように少し落ち着いて、客観的に分析することなどで相手のキャラクターや別の感情を早めにつかむことができれば、対応する側の感情も落ち着きを取り戻しやすくなります。すると、怒鳴りつけられて一瞬パニックになったときもその状態から回復しやすくなりますし、相手の罵声や非難、中傷が心に刺さらなくなります。 クレーム対応するときには、顧客の心に配慮する心配りは大切なポイントです。しかし、クレーマーに正面から対応しようとすると、感情がとらわれ、心が折れやすくなります。こうした局面でのクレーム対応においては、ここまで書いたような“心構え”があるだけで、結果は違ってきます。自らの心にバリアを張り、シャッターを下ろして、理不尽な攻撃から身を守るイメージです。 正義と弱者、善(白)と悪(黒)、セクハラ(ピンク)などなど……クレーマーたちはさまざまな色や形の仮面をかぶっています。時には弱者、時に敬うべき先人として振る舞い、イライラを無責任に爆発させ、理不尽な言葉でマウントを取ってきます。別角度から相手を探り、上手にスルーすることでクレーマーの理不尽な攻撃をかわし、“心構え”をしておくことで自らの感情と心を守ってください』、「少し落ち着いて、客観的に分析することなどで相手のキャラクターや別の感情を早めにつかむことができれば、対応する側の感情も落ち着きを取り戻しやすくなります。すると、怒鳴りつけられて一瞬パニックになったときもその状態から回復しやすくなりますし、相手の罵声や非難、中傷が心に刺さらなくなります。 クレーム対応するときには、顧客の心に配慮する心配りは大切なポイントです。しかし、クレーマーに正面から対応しようとすると、感情がとらわれ、心が折れやすくなります。こうした局面でのクレーム対応においては、ここまで書いたような“心構え”があるだけで、結果は違ってきます。自らの心にバリアを張り、シャッターを下ろして、理不尽な攻撃から身を守るイメージです」、確かにその通りなのだろう。

次に、昨年10月13日付けダイヤモンド・オンラインが掲載した(株)エンゴシステム代表取締役の援川 聡氏による「生活保護を申請しホテルに971泊、市は「ハードクレーマー」にどう対応すべきか」を紹介しよう。
・『家賃滞納で立ち退きを命じられ、生活保護を申請中の男性がホテルで971泊。かかったお金を市に水増し請求するという事件がありました。男性は「ハードクレーマー」として有名だったとのことで、市職員も対応に苦慮したものと思われます。こうしたモンスタークレーマーを生まないためにはどうしたらいいのでしょうか?』、「「ハードクレーマー」として有名」とのことで、行政が増長させてしまったのだろう。
・『生活保護を受けている男性が971泊分のホテル代を市に請求  9月末、ちょっと驚くような事件の裁判がありました。 ●「ハードクレーマー」で有名、生活保護でホテル971泊…市に水増し請求(約2年8か月にわたりホテルに宿泊しながら、盛岡市から生活保護費の住宅扶助計約1440万円をだまし取ったとして詐欺罪に問われた無職の男(53)(青森県八戸市)と妻(47)(同)の初公判(加藤亮裁判長)が27日、盛岡地裁であった。 <略> 捜査関係者によると、男らは盛岡市内で被告の90歳代の父親と3人で同居していた。しかし、14年10月に家賃滞納で立ち退きを命じられ、同市に生活保護を申請。一家が住居を確保するまでの間、市は一時的にホテル代を住宅扶助として支給することを認めた。同市は3人家族に対する1か月の住宅扶助の支給上限額を4万円と定めているが、男らが受給した額は1か月あたり約45万円にのぼった。 検察側の冒頭陳述によると、男は担当者をどなりつけるなど、市職員の間では「ハードクレーマー」として有名だった。市は再三、住居の確保を要請したが、「高齢の父親がいるので身動きがとれない」とホテル暮らしを継続。「一定額までしか給付できない」との市の説明にも「全額でなければ困る」などと執拗(しつよう)に主張したという。 (引用:読売オンライン 2021年9月28日記事より) この記事を読んで最初に思ったのは、「なぜこんなことになるまで放置してしまったのか」という残念な気持ちでした。細かい事情は分からないので断定はできませんが、長期間にわたる後手後手の対応によって、超ド級の巨大モンスタークレーマーを育ててしまった、といってもいいかもしれません。 「役所としてはルール通りの金額を支給すればいい。もし怒鳴り散らすようなことがあれば通報すればよいだけでは? なぜそれができないのか」 この事件の記事を読んだ方はおそらく、このような感想を持ったのではないでしょうか。 このクレーマーはおそらく、市の職員に対して「高齢の父親の命に関わる問題だ!」「納得できない!」「弱者は死ねというのか!」「市民のための行政機関ではないのか!」「ばかじゃないのか!この税金泥棒!」などと怒鳴りつけたのではないでしょうか(あくまで想像ですが)。記事で「ハードクレーマーで有名」と説明されているということは、おそらく現場の職員がいくら丁寧に説明しても受け入れず、こうした暴言を吐き、何をやってもキレて怒鳴り散らす……。まさにモンスター状態だったのだろうと想像します。 さて、このような巨大なモンスターが育ってしまったきっかけは何だったのでしょうか? おそらくそれは「初期対応のミス」にあったのだろうと私は予想します』、「巨大なモンスターが育ってしまったきっかけは」「「初期対応のミス」にあった」、とはその通りだろう。
・『怒鳴りつけてくるクレーマーに対応するコツとは  初期対応で毅然と対応していれば、ここまでの悪質な事件にまでは至っていなかった――私だけでなく、多くの皆さんもそう思っているのではないでしょうか。 しかし、これまでの連載でも説明してきましたが、怒鳴り散らす相手に毅然とした対応をとることは実はとても難しい。ましてや、相手は生活保護の対象である「弱者」であり、最初から詐欺を働こうなどの悪意はなかったでしょう。初期の段階では、単に「怒鳴る・罵声を浴びせる」ことはあったかもしれませんが、それだけでは悪意があるとは断定でない状況であり、あくまでグレーゾーンです。 対応する職員の立場からすると、現場で突然浴びせられる罵声の威力は強烈で、ちょっとしたパニック状態になります。冷静になってから判断すれば、理不尽な要求だと分かっても、いきなり“弱い立場”の市民から怒鳴りつけられ、責任追及の罵声を浴びせられたら、あまりの剣幕にあらがえず屈してしまう――。そうした状況は、容易に想像できます。職員は、他の業務もある中、長時間拘束されてしまえば判断力も鈍るでしょう。そのストレスは計り知れません』、「冷静になってから判断すれば、理不尽な要求だと分かっても、いきなり“弱い立場”の市民から怒鳴りつけられ、責任追及の罵声を浴びせられたら、あまりの剣幕にあらがえず屈してしまう――。そうした状況は、容易に想像できます。職員は、他の業務もある中、長時間拘束されてしまえば判断力も鈍るでしょう。そのストレスは計り知れません」、確かにその通りだろう。
・『対応の限界「K点」を設定する  こうしたとき、私が現場で対応する人たちに推奨したいのは、対応の限界「K点」(レッドライン)を明確に設定することです。もしこのレッドラインを超えてしまったら、個人で対応するのをやめ、組織対応に切り替えます。このような明確なラインを設けることで、現場の負担も軽減し、後々で組織の首を絞めるような対応を避けることができるのです。 今回のケースの場合、基準は「他の市民(客)にもできるかどうか」になります。 「この人(クレーマー)の言う通り、特別に対応しても大したことではない……」と、事なかれ主義が頭をもたげたとしても、一人にそうした特別対応をすれば、二人目、三人目と当然特別対応しなくてはならない相手が増えていきます。このような特別待遇が他に知られたら、その対応についての二次クレームの電話が増え、その処理にも追われるでしょう。対応する職員のモチベーションが低下するのは間違いありません。 「面倒な人ほどシンプルに対応する」ことで現場担当者の負担が減り、ストレスも軽減するはずです。納得しない、理不尽な人、「ああ言えばこう言う」人に対してこそ、どのように向き合うか「心構えの基準」を組織で明確に持つことが重要なのです』、「対応の限界「K点」(レッドライン)を明確に設定することです。もしこのレッドラインを超えてしまったら、個人で対応するのをやめ、組織対応に切り替えます。このような明確なラインを設けることで、現場の負担も軽減し、後々で組織の首を絞めるような対応を避けることができるのです。 今回のケースの場合、基準は「他の市民(客)にもできるかどうか」になります」、「「面倒な人ほどシンプルに対応する」ことで現場担当者の負担が減り、ストレスも軽減するはずです。納得しない、理不尽な人、「ああ言えばこう言う」人に対してこそ、どのように向き合うか「心構えの基準」を組織で明確に持つことが重要なのです」、なるほど。
・『初期対応ができていない人は、クレーマーにつけこまれやすい  その証拠のようなエピソードもあります。 以前、自らを「理論派のクレーマー」と称する男性と話したことがあります。この男性がはっきり言っていたのは「つけ込みやすいのは初期対応ができていない、ダメな人」ということでした。 「クレームをつけたとき、相手の最初の対応が良ければいい(そこで諦める)が、中途半端な説明で逃げようとしたら、怒りのスイッチが入ります。そうなったら、自分たちの立場を押し付けるような“上から目線の態度”で、ガンガンいくしかない」 「逆に、クレームをエスカレートさせにくいのは、自分の言い分をしっかり聞こうとする姿勢や、できることとできないことの基準が明確な姿勢の相手。こういう人には、むやみなことは言えないと思う。『できないことはできない』ときっぱり言われれば、『しっかりしているな』と一目置きます」 あり得ない要求を突きつけるモンスターだとしても、相手は人間。こちらは明確な基準をもって対応するのが一番です。納得しない人が増える中で、多少担当者によって対応に差が出たとしても、基本は「公平・公正」、はっきりした基準を決めておくことが重要になります。 今回の事件では、この男性のホテル代に多額の税金が使われたことも気になりますが、この対応の最大の誤りは、うるさいハードクレーマーを特別扱いした結果、他の困っている人や声すら出せない真の弱者を放置してしまっている点です。 企業でも、行政機関や医療機関でも、何事も「できることとできないこと」ははっきりとあるはずです。 次回は、困ったクレーマーへの具体的な言い回しや具体的な対応について解説します』、「基本は「公平・公正」、はっきりした基準を決めておくことが重要になります。 今回の事件では、この男性のホテル代に多額の税金が使われたことも気になりますが、この対応の最大の誤りは、うるさいハードクレーマーを特別扱いした結果、他の困っている人や声すら出せない真の弱者を放置してしまっている点です。 企業でも、行政機関や医療機関でも、何事も「できることとできないこと」ははっきりとあるはずです」、その通りだ。

第三に、10月3日付け現代ビジネスが掲載した作家・演出家の鴻上 尚史氏による「鴻上尚史「複雑化する日本のクレームに対応するには“不寛容車両”しかない」 世間ってなんだ(4)」を紹介しよう。
https://gendai.media/articles/-/100289?imp=0
・『多くの書籍を通じて、日本社会の特徴ともいえる「空気」と「世間」について、さまざまな角度から考えてきた鴻上さん。 30年にわたる連載をもとに刊行した『世間ってなんだ』では、ずっと中途半端に壊れ続ける世間が私たちの生活、心に何をもたらしてきたのか、世間が息苦しいと感じたときに、そこから抜け出す方法を語っている』、「鴻上」氏の見方はユニークなので、これまでから注目してきた。
・『クレームに弱い日本  大阪に仕事に行って、帰りの新幹線の中で、たこ焼きと肉まんを食べるのが至福の時間でした。 それが2017年夏、いきなり、新大阪駅改札内で販売されている「たこ家道頓堀くくる」のパッケージに、「新幹線車内および駅構内でのお召し上がりはご遠慮願います。空き容器は店内のくずもの入れにお捨て願います」という注意書きシールが貼られました。 最初、このシールを見た時は凍りました。新幹線の中でたこ焼きの臭いがするのがダメなのかなあ、しょうがないなあ、と駅のホームで出発前までの短い時間に必死であふあふしながら頬張りました。口の中を若干火傷しながら、もう一度シールを見ると、「駅構内でのお召し上がりはご遠慮願います」と書かれていることに、あらためて気付きました。ということは、ホームでもダメじゃんとひりひりする口で気付きました。 でも、車内で隣の人が文句を言うのはまだ分かるけど、屋外のホームのベンチで食べるのがどうしていけないのと、臭いは風と共に消えていくよと、猛烈に悲しい気持ちになりました。 そもそも、買って食べないままずっと車内に置いておくと、臭いが長時間にわたってずっと出続けないかと心配になりました。 ネットの記事によれば、それは「くくる」さんの決断ではなく、JR東海からの要請だそうです。 で、JR東海さんの言い分は、もうこれは当然ながら、「車内でたこ焼きを食わすな。禁止しろ!」という臭いに対するクレームの電話があったからだということだそうです。 昔は、新幹線の中で「たこ焼き」が売られていました。1980年代です。けれど、今、新幹線の中ではたこ焼きは食べられません』、「JR東海からの要請だそうです。 で、JR東海さんの言い分は、もうこれは当然ながら、「車内でたこ焼きを食わすな。禁止しろ!」という臭いに対するクレームの電話があったからだということだそうです」、「JR東海」は「クレーム」には弱いようだ。
・『「社会」と「世間」の違いをよく分かってない日本人  そして、衝撃的なネット記事「IT media ビジネスオンライン(窪田順生、2018年3月13日)」を見つけました。 なんと、「551蓬莱」の豚まんが問題になっているというのです。 「551蓬莱」の豚まん、美味しいですよね。ホカホカをあふあふと食べれば、幸せを感じますよね。 でも、「豚まんのように強烈な臭いのするモノを車内で広げられたら、気分が悪くなる人もいるし、目的地まで眠りたい人の邪魔になる」とか「食欲がそそられるので、『豚まんテロ』」と、新幹線の車内で食べることは重大なマナー違反で、禁止すべきだという声が上がっているというのです。 現在、「くくる」さんは、改札内のお店なのでJR東海さんの指導に従い、「551蓬莱」さんは駅構内なので、JR東海直接の管轄ではないことが、「ご遠慮願います」というシールのあるなしを分けているようです。 でも、ニュースサイト『しらべぇ』がJR東海に問い合わせたところ、「駅弁や豚まんなど『シールがないもの』については一概にはお答えできませんが、周囲からご意見があった際は、ご協力いただくこともあるかもしれません」とその可能性を否定しなかったそうです。 つまりは、「クレームがあったら、豚まんも駅弁も禁止にしますから」ということです。もう、お客様の声が一番なんですね。 「社会」と「世間」の違いをよく分かってない日本人は、クレームに対してとても弱いです。どんなTVCMも、クレームの電話数本でオンエア中止になります。 お客様は神様だから、その言葉は「世間」様の声で、従うべき身内の指摘だと思うのです。 でも、それは「社会」の声です。神様ではなく他人の声です。客観的に分析し、実証し、判断するべきデータなのです。 いったい、一日、何人の人が「たこ焼き」を新幹線に持ち込み、何件の苦情があったのかを調べるべきなのです。 それが、例えば1割なら無視してはいけないと判断します。でも、1日5000人がたこ焼きを持ち込み、3人の人が苦情の電話をかけてきたら、割合は0.06%です。それは逆に問題にしてはいけない数字だと思います。 最近は、「隣で酒を飲まれると、臭いが漂ってきて不愉快だという人が出てきた」そうです。 たこ焼きから豚まん、そして、駅弁、お酒とどんどんクレームと共に新幹線はクリーンになっていくのでしょう。コーヒーの臭いが不快な人もいるでしょう。そういう人のクレームにも、JR東海さんはやがて対応していくのでしょうか。 担当編集者の鈴木さんが、「いずれ、『飲酒可車両』とかできるんじゃないかと思いますね。心おきなくタコ焼きを食べられる車両。それで、他人の食べもののニオイがイヤ、子供が泣くのもイヤ、酒飲みもイヤという人が乗る『不寛容車両』も作ればいいのにw」というメールをくれました。 なんてするどい。たしかに、JR東海さんは「たこ焼きの臭いに対するクレーム」に対して、誠実に対応して禁止にしたわけですから、これから増えていくであろう、お酒や駅弁の臭いや子供の泣き声に対するクレームにも誠実に対応するでしょう』、「最近は、「隣で酒を飲まれると、臭いが漂ってきて不愉快だという人が出てきた」そうです。 たこ焼きから豚まん、そして、駅弁、お酒とどんどんクレームと共に新幹線はクリーンになっていくのでしょう。コーヒーの臭いが不快な人もいるでしょう。そういう人のクレームにも、JR東海さんはやがて対応していくのでしょうか。 担当編集者の鈴木さんが、「いずれ、『飲酒可車両』とかできるんじゃないかと思いますね。心おきなくタコ焼きを食べられる車両。それで、他人の食べもののニオイがイヤ、子供が泣くのもイヤ、酒飲みもイヤという人が乗る『不寛容車両』も作ればいいのにw」というメールをくれました」、さすがに『不寛容車両』に乗れば、自らが「不寛容」であることを認めることになるので、乗ろうとする人はいないような気がする。
・『「子供は泣くもんだ」が許せない日本人  しかし、子供の泣き声に関しての、日本のお母さんの気の使い方は、痛々しいくらいです。 バスでも電車でも、子供がちょっとした声を上げると「しっ! 静かにしなさい」と叱ります。それで、静かになるなら、子供ではありません。小学校に入るぐらいなら、物事の分別がつく奴もそれなりに出てきますが、保育園・幼稚園のガキんちょに、「声を出すな。音をたてるな」と強制することは不可能です。 まして、赤ん坊に「泣くな」というのはありえません。でも、泣き始めると、母親は真っ青になって周りに気を使います。座っていては泣き止まないから、通路を歩いたり、車両の間に立ったり、見ていて胸が痛くなります。 僕は「子供が騒ぐ(泣く)に任せて放っている日本人親」より「子供が騒いだり(泣いたり)すると、オロオロして、周りに気を使い、子供をきつく叱り続けている日本人親」の方をたくさん見てきました。 海外では、子供が泣いても「子供は泣くもんだ」と自然にしている親をたくさん見ました。オロオロと立ち上がり、通路を歩き、「すみません。すみません」と謝り続ける親を見た記憶がありません。 やがて、日本ではクレームの結果、「子供不可」という車両が生まれるかもしれません。 じつは、世界で車内の携帯電話を禁止している国はほとんどありません。本当は日本以外ゼロと言いたいのですが、中に、地下鉄はダメとかバスはダメという国がほんの少数あります。 この規則は外国人からすると意味不明です。「うるさいから」というのなら、車内で大声で会話している二人組はうるさくないのか、迷惑なのにこれは禁止しないのか、という議論に当然なります。 一度、「電話は相手の声が聞こえないから意味不明の会話にしかならない。それが聞いていて不快なんだ」と説明している人がいました。そんなの、二人いてとんでもない会話を聞く方がもっと不快です。 以前、電車の中で、おばちゃん二人が、「日野の2トントラック」のTVCMに出ていたリリー・フランキーさんの話をしていました。おばちゃんは当然のようにリリー・フランクさんと言い、もう一人のおばちゃんが、「違うわよ、あれは吉田鋼太郎さんよ」と訂正し、フランクのおばちゃんが「あら、芸名変えたの?」と驚き、もう一人のおばちゃんが「本名にしたんじゃないの? 日本人だからいつまでもリリーじゃダメよ」とメデタシメデタシという顔で答えました。 二人の目の前でシートに座っていた僕は、「二人とも違う!」と、もう少しで叫びそうでした。 車内でどんなにトンチンカンなことを話してもいいのに、どうして携帯はダメなのか、というのは、理窟では説明できません。 唯一できるとしたら、「日本人は静かな環境が好きなので、本当は電車の中では話してもいけないんだ。やがて、電車では沈黙することがマナーになるだろう」という言い方でしょう。これなら、一応論理的に矛盾はしていません。 そういう車両を表向きは「クリーン車両」なんて言うようになるんじゃないかと思います。 でも、それは裏からいえば、編集鈴木女史が言ったように「不寛容車両」です。この言い方、すごくいいです。自分が不寛容であることを周りに宣言してるんですからね。 もうクレームに誠実に対応するなら、これしか方法はないと思います。 僕はうるさくて、臭いがあっても我慢します。「不潔車両」別名「寛容車両」で「くくる」のたこ焼きも、「551」の豚まんもたらふく食べたいと思います!(2018年3月)』、「「子供が騒いだり(泣いたり)すると、オロオロして、周りに気を使い、子供をきつく叱り続けている日本人親」の方をたくさん見てきました」、子供の泣き声などには寛容にすべきだ。「「日本人は静かな環境が好きなので、本当は電車の中では話してもいけないんだ。やがて、電車では沈黙することがマナーになるだろう」という言い方でしょう。これなら、一応論理的に矛盾はしていません。 そういう車両を表向きは「クリーン車両」なんて言うようになるんじゃないかと思います。 でも、それは裏からいえば、編集鈴木女史が言ったように「不寛容車両」です。この言い方、すごくいいです。自分が不寛容であることを周りに宣言してるんですからね。 もうクレームに誠実に対応するなら、これしか方法はないと思います」、「僕はうるさくて、臭いがあっても我慢します。「不潔車両」別名「寛容車両」で「くくる」のたこ焼きも、「551」の豚まんもたらふく食べたいと思います!」、「鴻上」氏らしい締めだ。
タグ:(その3)(「シルバークレーマー」はなぜ増えるのか そしてその対応策とは、生活保護を申請しホテルに971泊 市は「ハードクレーマー」にどう対応すべきか、鴻上尚史「複雑化する日本のクレームに対応するには“不寛容車両”しかない」 世間ってなんだ(4)) クレーマー ダイヤモンド・オンライン 援川 聡氏による「「シルバークレーマー」はなぜ増えるのか、そしてその対応策とは」 「シルバー世代のクレーマーは、正論で世の中を正そうとする傾向があるようです。よく言えば豊富な人生経験に基づいた説得力があり、悪く言えば頑固で理不尽な言い分の中には、「おっしゃる通り」の部分もあるため、対応は面倒で厄介な作業となり、現場のマンパワーを低下させます」、これはやっかいだ。 「老化により前頭葉が衰えると、怒りの沸点が低くなるといわれています。いきなり怒鳴りだすクレーマーがシルバー世代に多いのは、ある意味では自然現象ともいえるのです」、「得体の知れないクレーマーに対して、焦らず対応するための“心構え”」とは興味深そうだ。 「老化に伴う身体的な衰えを理由に、過度な要求を無理やり通そうとする人。 また、社会通念を逸脱した行為に対して注意をすると、「耳が遠いんだ」「ボケたかな」などとうそぶいて相手の話を聞こうとしない人。 女性スタッフの体に直接触るなど、セクハラまがいな行動をし、とがめられると「年寄りだから」などと言い訳する人。 こうした「老人だから」を理由に、過度で理不尽な要求を押し通そうとする人は少なくありません」、断固として特別扱いはすべきではない。「セクハラ」には警察を呼ぶなど断固たる対応が必要だ。 「心の上から目線」とは面白い対応方法だ。 「少し落ち着いて、客観的に分析することなどで相手のキャラクターや別の感情を早めにつかむことができれば、対応する側の感情も落ち着きを取り戻しやすくなります。すると、怒鳴りつけられて一瞬パニックになったときもその状態から回復しやすくなりますし、相手の罵声や非難、中傷が心に刺さらなくなります。 クレーム対応するときには、顧客の心に配慮する心配りは大切なポイントです。 しかし、クレーマーに正面から対応しようとすると、感情がとらわれ、心が折れやすくなります。こうした局面でのクレーム対応においては、ここまで書いたような“心構え”があるだけで、結果は違ってきます。自らの心にバリアを張り、シャッターを下ろして、理不尽な攻撃から身を守るイメージです」、確かにその通りなのだろう。 援川 聡氏による「生活保護を申請しホテルに971泊、市は「ハードクレーマー」にどう対応すべきか」 「「ハードクレーマー」として有名」とのことで、行政が増長させてしまったのだろう。 「巨大なモンスターが育ってしまったきっかけは」「「初期対応のミス」にあった」、とはその通りだろう。 「冷静になってから判断すれば、理不尽な要求だと分かっても、いきなり“弱い立場”の市民から怒鳴りつけられ、責任追及の罵声を浴びせられたら、あまりの剣幕にあらがえず屈してしまう――。そうした状況は、容易に想像できます。職員は、他の業務もある中、長時間拘束されてしまえば判断力も鈍るでしょう。そのストレスは計り知れません」、確かにその通りだろう。 「対応の限界「K点」(レッドライン)を明確に設定することです。もしこのレッドラインを超えてしまったら、個人で対応するのをやめ、組織対応に切り替えます。このような明確なラインを設けることで、現場の負担も軽減し、後々で組織の首を絞めるような対応を避けることができるのです。 今回のケースの場合、基準は「他の市民(客)にもできるかどうか」になります」、「「面倒な人ほどシンプルに対応する」ことで現場担当者の負担が減り、ストレスも軽減するはずです。納得しない、理不尽な人、「ああ言えばこう言う」人に対してこそ、どのように向き合うか「心構えの基準」を組織で明確に持つことが重要なのです」、なるほど。 「基本は「公平・公正」、はっきりした基準を決めておくことが重要になります。 今回の事件では、この男性のホテル代に多額の税金が使われたことも気になりますが、この対応の最大の誤りは、うるさいハードクレーマーを特別扱いした結果、他の困っている人や声すら出せない真の弱者を放置してしまっている点です。 企業でも、行政機関や医療機関でも、何事も「できることとできないこと」ははっきりとあるはずです」、その通りだ。 現代ビジネス 「鴻上尚史「複雑化する日本のクレームに対応するには“不寛容車両”しかない」 世間ってなんだ(4)」 「鴻上」氏の見方はユニークなので、これまでから注目してきた。 「JR東海からの要請だそうです。 で、JR東海さんの言い分は、もうこれは当然ながら、「車内でたこ焼きを食わすな。禁止しろ!」という臭いに対するクレームの電話があったからだということだそうです」、「JR東海」は「クレーム」には弱いようだ。 「最近は、「隣で酒を飲まれると、臭いが漂ってきて不愉快だという人が出てきた」そうです。 たこ焼きから豚まん、そして、駅弁、お酒とどんどんクレームと共に新幹線はクリーンになっていくのでしょう。コーヒーの臭いが不快な人もいるでしょう。そういう人のクレームにも、JR東海さんはやがて対応していくのでしょうか。 担当編集者の鈴木さんが、「いずれ、『飲酒可車両』とかできるんじゃないかと思いますね。心おきなくタコ焼きを食べられる車両。それで、他人の食べもののニオイがイヤ、子供が泣くのもイヤ、酒飲みもイヤという人が乗る『不寛容車両』も作ればいいのにw」というメールをくれました」、さすがに『不寛容車両』に乗れば、自らが「不寛容」であることを認めることになるので、乗ろうとする人はいないような気がする。 「「子供が騒いだり(泣いたり)すると、オロオロして、周りに気を使い、子供をきつく叱り続けている日本人親」の方をたくさん見てきました」、子供の泣き声などには寛容にすべきだ。 「「日本人は静かな環境が好きなので、本当は電車の中では話してもいけないんだ。やがて、電車では沈黙することがマナーになるだろう」という言い方でしょう。これなら、一応論理的に矛盾はしていません。 そういう車両を表向きは「クリーン車両」なんて言うようになるんじゃないかと思います。 でも、それは裏からいえば、編集鈴木女史が言ったように「不寛容車両」です。この言い方、すごくいいです。自分が不寛容であることを周りに宣言してるんですからね。 もうクレームに誠実に対応するなら、これしか方法はないと思います」、「僕はうるさくて、臭いがあっても我慢します。「不潔車両」別名「寛容車両」で「くくる」のたこ焼きも、「551」の豚まんもたらふく食べたいと思います!」、「鴻上」氏らしい締めだ。
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司法の歪み(その17)(有罪判決でも返り咲いた37歳の美濃加茂市長が語る検察の矛盾「河井事件は不問。法は不平等」〈dot.〉、激増する「不起訴の理由が不明」記事が大問題な訳 凶悪犯罪でも真相が水面下に潜ってしまう、事故防止より検挙件数が目的になっている…コソコソと隠れて取り締まる日本の警察はやはりおかしい 取り締まりのために 防げる事故を見過ごしている) [社会]

司法の歪みについては、昨年10月8日に取上げた。今日は、(その17)(有罪判決でも返り咲いた37歳の美濃加茂市長が語る検察の矛盾「河井事件は不問。法は不平等」〈dot.〉、激増する「不起訴の理由が不明」記事が大問題な訳 凶悪犯罪でも真相が水面下に潜ってしまう、事故防止より検挙件数が目的になっている…コソコソと隠れて取り締まる日本の警察はやはりおかしい 取り締まりのために 防げる事故を見過ごしている)である。

先ずは、本年2月3日付けAERAdot「有罪判決でも返り咲いた37歳の美濃加茂市長が語る検察の矛盾「河井事件は不問。法は不平等」〈dot.〉」を紹介しよう。
https://dot.asahi.com/dot/2022020200033.html?page=1
・『「有罪判決を受けて、また選ばれるという市長は私の他にいないでしょう。今も再審請求中で最後まで争うつもりです。せっかくなので稀有な経験を市政に反映させていきたいですね」 こう苦笑するのは、1月23日投開票の岐阜県美濃加茂市で4度目の当選を果たした、藤井浩人市長(37)だ。 藤井氏が28歳で美濃加茂市選挙に初当選したのは2013年。当時は、全国最年少市長だった。 だが、そのキャリアは1年あまりで暗転する。藤井氏が美濃加茂市議時代に愛知県の浄水設備会社の社長から、現金30万円を受け取ったとして2014年6月、受託収賄罪の容疑で愛知県警と岐阜県警に逮捕された。 藤井氏は一貫して無罪を主張し、市長職にとどまった。 そして、一審の名古屋地裁で無罪判決とされた。しかし、2016年11月の控訴審では一転して有罪判決が言い渡される。 そこで、同年12月に市長を辞職し、出直し選挙に出馬し、圧勝。 事件については最高裁に上告したが、2017年12月に棄却され確定、公民権も3年停止となり、辞職を余儀なくされた。 藤井氏は市長時代の幹部、伊藤誠一氏を「後継」として推し、後を託した。 2020年12月に執行猶予が満了、公民権停止も終わった藤井氏は21年末、市長選に出馬を表明する。 市長選は藤井氏が後継を託した現職の伊藤氏と一騎打ちとなった。藤井氏は出馬に至った心境をこう振り返る。 「伊藤氏に後をお願いしたのは私です。尊敬する方でもあり、出馬するのは複雑な心境でした。なぜ出馬したのか、それは選挙の最大の争点、市役所の移転、建設場所の問題です。市内のホテルを取り壊しそこに建てると伊藤氏は説明したが、市民からは反対意見も多かった。私には事件の経験がある。被告という立場でしたが、徹底的に情報公開して、警察や検察、裁判所のおかしいところなど問題をどんどん発信してきた」 藤井氏はそのおかげで地裁では無罪判決を勝ち取り、最高裁まで戦い、再審請求もできた、という』、「美濃加茂市長」の冤罪問題については、このブログの2017年6月20日、2018年1月26日、2018年5月10日の3回にわたって取上げた。「2020年12月に執行猶予が満了、公民権停止も終わった藤井氏は21年末、市長選」で勝利したとは、市民の支持が強力だったのだろう。
・『「2016年の出直し選挙で勝てたのも、自身の情報公開で事件が冤罪だと市民に理解していただけたからです。市役所の移転計画は、4か所の候補地があるのに、なぜホテルを取り壊して建て替えが必要なのか。そのプロセス、過程が判然としない。一部の意見、偏った情報で進んでいるのではないかと市民が不信感を抱いていたので、出馬を決意した」 名古屋高裁への再審請求を公表したのは、昨年11月30日と選挙が差し迫っていた。 「再審請求をすれば、また裁判があって、市政に支障をきたさないか」との声が市民から寄せられた。藤井氏はこう話す。 「これも市長時代から、自分の事件についても積極的に情報公開してきたことで、市民にも事件の概要はご理解いただいていた。多くの方が無罪をとも言ってくださった。再審請求についても、司法制度を詳しく説明することで、不安が払しょくされ、私の思いが通じたと思います」 藤井氏のホームページには、有罪判決を隠すどころか、<前科者と呼ばれても政治家として闘うワケ 私は誰に嵌められたのか>と堂々と書いている。 その姿勢が評価されたのか、選挙の結果はダブルスコアに近い大差での圧勝だった。 「市役所は新しくしなければならないと思うが、建設場所や規模、予算などは白紙にして市民に意見を聞いて、考えたい」 最近、藤井氏が気になったというのが2019年の参院選で2900万円をばらまいて、公職選挙法違反(買収)に問われ、有罪が確定している河井克行、案里夫妻の事件だ。 河井夫妻からカネを受け取った被買収の広島県議ら地方議員ら99人を検察が不起訴としていた。しかし、後に検察審査会では99人の地方議員のうち35人を起訴相当と議決した。 藤井氏と同じ市長という立場で、河井夫妻から150万円を受け取り辞職に追い込まれた、元三原市長の天満祥典氏も起訴相当だった。藤井氏は河井事件と自身の事件とで、矛盾した対応をする検察にこう怒る』、「藤井氏のホームページには、有罪判決を隠すどころか、<前科者と呼ばれても政治家として闘うワケ 私は誰に嵌められたのか>と堂々と書いている。 その姿勢が評価されたのか、選挙の結果はダブルスコアに近い大差での圧勝だった」、大したものだ。「河井事件と自身の事件とで、矛盾した対応をする検察にこう怒る」、国策捜査の醜い姿が顕著だ。
・『「私の支援者の中には『藤井君より桁違いのカネもらって、罪に問われない、不起訴はおかしい』と言ってきた方もいらっしゃる。その通りです。国民から選ばれた検察審査会こそ正義がある。検察の不起訴って、法の下の平等ってなんでしょうか」 市長に返り咲いても、事件は再審請求で徹底的に争うと公言する。 「私が冤罪に陥れられた事件の事実を警察、検察、裁判所が正面から受け入れようとしない。警察には長時間、過酷な取り調べで真実を言っても聞く耳を持たなかった。私を有罪にするストーリーに沿った都合のいい話だけをしろ、という傲慢さだった。私が容疑を認めないと検察は贈賄側と連日、打合せを繰り返し、でっち上げを法廷で証言させる。私は名古屋地裁で無罪となったが、有罪とした名古屋高裁は一度も私の被告人質問を認めなかった。つまり、話を聞かないまま、判決を出した。このまま引き下がることはできません。警察、検察、裁判所はある意味、国民の最後の砦ですから、正義がないと困ります。市長としてのこの経験をもとにしっかりと地方行政が腐敗しないよう取り組みたい」』、「私が容疑を認めないと検察は贈賄側と連日、打合せを繰り返し、でっち上げを法廷で証言させる。私は名古屋地裁で無罪となったが、有罪とした名古屋高裁は一度も私の被告人質問を認めなかった。つまり、話を聞かないまま、判決を出した」、司法の闇は深いようだ。

次に、9月28日付け東洋経済オンラインが掲載した取材記者グループのFrontline Pressによる「激増する「不起訴の理由が不明」記事が大問題な訳 凶悪犯罪でも真相が水面下に潜ってしまう」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/620587
・『「検察は不起訴の理由を明らかにしていない」 そんな決まり文句の付いた記事が激増している。不起訴になれば、公開の刑事裁判は開かれず、事件処理はそこで終わってしまう。殺人などの凶悪犯罪であっても容疑者が不起訴になれば、(検察審査会への申し立てなどがない限り)事件捜査の実相は水面下に潜ってしまうのだ。不起訴の理由は“謎”――。そんな状況が広がっていいのだろうか』、「容疑者が不起訴になれば、・・・事件捜査の実相は水面下に潜ってしまう」、というのは困ったことだ。
・『「嫌疑なし」と「起訴猶予」は天と地ほどの差  不起訴には主に「嫌疑なし」「嫌疑不十分」「起訴猶予」という3種類がある。 「嫌疑なし」は文字どおり、犯罪の容疑そのものがなかったという判断だ。捜査機関が集めた証拠には犯罪を証明するものがなかった。容疑者は無実であり、捜査が間違っていた可能性がある。 「嫌疑不十分」は、裁判で有罪を立証する証拠を十分に集められなかったケースなどを指す。 「起訴猶予」は、証拠に基づいて有罪を立証することは十分に可能だが、検察官の判断で起訴しないことを指す。罪の軽重や容疑者の境遇、被害弁済、示談成立などを考慮して、検察官はこの判断を下す。 同じ不起訴であっても、「嫌疑なし」と「起訴猶予」は、天と地ほどの差がある。したがって、不起訴が3種類にどれに該当するのかは、事件関係者だけでなく、地域住民らにとっても重大な関心事だ。 それにもかかわらず、不起訴に関する最近のニュースは、この3つの区分すら明らかになっていない。例えば、次のような記事だ。) 暴力団員であることを隠して旅館に宿泊したとして、県警に詐欺容疑で逮捕された6代目山口組系「淡海一家」組員の男性(41)について、地検は15日、不起訴にしたと発表した。理由を明らかにしていない。(読売新聞2022年9月16日朝刊・滋賀県版) 服の一部を着けない姿の写真を女子中学生に送らせたとして、府警に児童買春・児童ポルノ法違反(児童ポルノ製造)などの疑いで逮捕された大阪市立中学校の男性講師(24)について、大阪地検岸和田支部は6日付で不起訴処分にした。理由は明らかにしていない。(朝日新聞2022年9月8日朝刊・大阪府内版) 不起訴はベタ記事の扱いが目立ち、ネットに配信されていないケースも多い。まずは、全体の傾向をつかむため次のグラフを見てほしい。新聞各紙を横断検索できるデータベース・G-Searchを使って調べた結果である。 検索キーワードは「地検」「不起訴」「理由」「明らかにしていない」の4語句を用いた。不起訴理由を明記していない記事では、「地検は不起訴の理由を明らかにしていない」という一文がかなりのケースで常套句として使われているからだ。対象メディアは全国紙4紙(朝日、読売、毎日、産経)、有力地方紙8紙(北海道、中日、中国、西日本など)、通信社2社(共同、時事)とした。 この検索でヒットした「不起訴理由が不明の記事数」はグラフ内の折れ線で示した。もちろん、不起訴理由を明示していない記事には、4語句以外の文字列を使ったものもある。したがって、グラフはあくまで参考程度に見てほしい(図表は、外部配信先ではすべて閲覧できない場合があります。その際は東洋経済オンライン内でご確認ください)。(注)起訴と不起訴の処分人数は、検察統計のデータ(フロントラインプレス作成)』、「不起訴には主に「嫌疑なし」「嫌疑不十分」「起訴猶予」という3種類」、「同じ不起訴であっても、「嫌疑なし」と「起訴猶予」は、天と地ほどの差がある」、なるほど。
・『近年は事件処理の7割が不起訴  日本の刑法犯は現在、毎年のように史上最少を更新している。警察庁のデータによると、2021年の認知件数は約56万8000件で、前年比7.5%減。戦後最少の更新は7年連続だった。2022年の上期も前年同期比0.8%減。これも戦後最少で、上期としては20年連続の減少だった。 主にネット情報を通じて得られる“体感治安”は別にして、日本はいま、空前の治安安定社会の中にある。上のグラフに示された起訴・不起訴(人数)がはっきりと減少傾向を続けているのもその反映だろう。 これに伴って、検察が不起訴を選択するケースも増加。近年では事件処理の7割が不起訴になっている。 こうした流れとは対照的に「不起訴理由が不明の記事数」は爆発的に増えている。グラフの折れ線に着目してほしい。2009年までは1年間に数件、あるいは十数件しかなかった「不起訴理由が不明の記事数」は2010年以降、明らかに増加トレンドに入った。増え方も激増という呼び名がふさわしく、2019年からは年間で2000件を超えるようになった。) では、不起訴の理由を示せていない記事とは、具体的にどのような内容だろうか。 次の表は、朝日新聞の記事データベースを使って、不起訴理由がわからないと明記されたものをピックアップした結果である。期間は2022年4月1日から8月31日まで。検索キーワードは新聞横断検索の場合と同様の4語句「地検」「不起訴」「理由」「明らかにしていない」を用いた。 事件の容疑者が複数おり、1つの記事で起訴と不起訴に分かれているものなどは一覧表から外した。綿密な調査研究ではなく、あくまで傾向をざっくり把握するためのものだということを念頭に置きながら、並んだ見出し(地方版含む)を眺めてほしい』、「近年では事件処理の7割が不起訴」、「「不起訴理由が不明の記事数」は2010年以降、明らかに増加トレンドに入った。増え方も激増」、理由も明らかにせず「不起訴」にする件数が急増しているとは問題だ。
・『見えてきた4つの重要ポイント  いかがだろうか。大雑把な内容を知るための表ではあるが、いくつかの重要なポイントは見えてくる。整理すると、「不起訴理由が不明」の記事には次のような傾向がある。 ① 凶悪事件(殺人、強盗、放火、強姦)でも不起訴理由が不明のものが結構ある ② 警察官や教職員などの公務員、マスコミ関係者が目立つ ③ 地方版での掲載が多い ④ 文字数は100文字前後という「ベタ記事」が多い 凶悪事件が多かったり(①)、公務員やマスコミ関係者の記事が目立ったり(②)するのは、逮捕段階での記事が多いためだ。地方版の記事が多い(③)のは、そもそも当初からニュースバリューが低いと判断され、初報が地方版にしか掲載されていないためと思われる。 ただ、報道機関が「地方版ネタ」と考えたとしても、殺人などの凶悪事件の不起訴理由が“謎”のままでよいのだろうか。それも1件や2件というレベルではない。しかも、ほとんどのケースでは、第一報段階では容疑者の実名が報道されている。) 例えば、5月28日の「殺人容疑の男性不起訴処分」という北海道版の記事は、3月に起きた母親刺殺事件の続報だ。 逮捕段階では、道警の発表に基づいて20代の男性容疑者は実名で報道され、事件の内容についても「自宅で母親の頭や顔などを刺して殺した」という趣旨が記されている。それなのに、札幌地検は不起訴理由を「明らかにしていない」で終わっている。嫌疑なしなのか(この場合はありえないと思うが)、嫌疑不十分なのか、起訴猶予なのかもわからない。 普通、起訴・不起訴の記事は「容疑者逮捕」「摘発」の続報だ。少年事件などを除き、報道機関は容疑者の実名を報じる。したがって、不起訴を伝える記事は、容疑者の名誉回復という意味も持つ。逮捕時に実名をさらされ、その後、「嫌疑なし」で不起訴になったのに、その事実が報じられないとしたら、当人の名誉回復もなかなかできないだろう。 そのため、報道各社は社内のガイドラインで「不起訴処分と発表されても、嫌疑はあるのか、あるいは嫌疑がないか不十分なのかなどを取材し、記事に反映させなければならない」(朝日新聞社「事件の取材と報道 2018」)などと定めている。 「嫌疑なし」と「起訴猶予」には天と地ほどの差がある。これら不起訴の種類すら報道できないのであれば、報道機関はその義務を果たしているといえるのかどうか』、「不起訴を伝える記事は、容疑者の名誉回復という意味も持つ。逮捕時に実名をさらされ、その後、「嫌疑なし」で不起訴になったのに、その事実が報じられないとしたら、当人の名誉回復もなかなかできないだろう」、「不起訴の種類すら報道できないのであれば、報道機関はその義務を果たしているといえるのかどうか」、少なくとも「不起訴の種類」は報道してほしいものだ。
・『理由の公表を拒む検察、突破できない報道機関  それにしても、なぜ、これほどまでに「不起訴の理由は不明」という記事が増えてきたのか。考えうるのは、不起訴理由の公表を拒む検察の姿勢と、それを突破できない報道機関の弱体化だろう。 2年前の2020年7月、読売新聞島根県版と山陰中央新報に興味深い記事が載っている。ベタ扱い程度の小さな記事だ。新しい検事正の着任を機に松江地検が方針を変え、不起訴の理由を原則として公表しない姿勢に転じたという内容である。両紙の記事を一部引用しよう。 松江地検が20日、不起訴処分の内容を公表しない方針に転換した。地検は「検事正が代わったため」とし、詳細な理由を明らかにしていない。松江地検はこれまで逮捕・送検された人を不起訴にした場合、報道機関に処分内容を明らかにしていた。(略)逮捕、送検された人の名誉回復、警察の捜査が適切だったかを明らかにする上で、処分内容の公表は重要な役割を果たしていた。(2020年7月21日、山陰中央新報) 地検は、逮捕・送検された容疑者を不起訴とした際、報道機関の取材に対し、これまでは「嫌疑なし」「嫌疑不十分」「起訴猶予」といった理由や内容を明らかにしてきたが、方針を一転させた形。三井田次席検事は方針変更について、「処分内容を公表したときに発生する人権侵害などを考慮した」と理由を述べた。(2020年7月24日、読売新聞朝刊大阪本社版・島根県版) 記者会見という公の場で不起訴理由の非公表方針を公言したケースは、記事になっていないだけでほかの地検でもあったかもしれない。記者会見で公言しなくても、非公開方針を旨とする地検はほかにも多々あろう。 検察組織の統一性や実際に「不起訴理由が不明」記事が激増している実態を踏まえると、非公表方針の考え方は検察組織全体で共有されていると考えていい。) もっとも、以前からこの問題は各地でくすぶっていた。 例えば、読売新聞は2013年3月20日朝刊(大阪本社版)で「不起訴の理由 非公表/逮捕者 名誉回復に影響」という大型記事を掲載。「検察庁が、事件の容疑者を不起訴にした際、『起訴猶予』『嫌疑不十分』などの種類や、その判断の理由を公表しないケースが相次いでいる」「(不起訴の)種類が伏せられると、犯罪に関わったのか、無関係なのかがわからない」と指摘した。 記事によると、大阪地検は2013年2月までの1年間、報道機関から不起訴に関する説明を求められた107件のうち約6割、65件で不起訴の種類を公表しなかったという。それでも、ほぼ全件について理由を説明しないという現在の姿勢ほど、検察はかたくなではなかったと思われる』、「松江地検が20日、不起訴処分の内容を公表しない方針に転換した。地検は「検事正が代わったため」とし、詳細な理由を明らかにしていない。松江地検はこれまで逮捕・送検された人を不起訴にした場合、報道機関に処分内容を明らかにしていた。(略)逮捕、送検された人の名誉回復、警察の捜査が適切だったかを明らかにする上で、処分内容の公表は重要な役割を果たしていた」、「非公表方針の考え方は検察組織全体で共有されていると考えていい」、「検察」は何故、「非公表方針」に転換したのだろう。
・『現場の記者たちはどう対応しているのか  では、不起訴の理由を説明しない検察に対し、記者たちは現場でどう対応しているのだろうか。検察側の対応に大した疑問も持たず、「わかりました」とだけ言って、すごすごと引き下がっているのだろうか。 不起訴の理由を取材することは、事実関係の確認だ。「調査報道」といったレベルの話ではなく、“玄関取材”に類するものだ。しかし、こうした基本的な事実さえ取材できないのだとしたら、取材力の劣化も極まったというほかはない。 こうした問題について、熊本日日新聞の司法キャップ植木泰士記者(33)に話を聞く機会があった。植木記者は連載企画「くまもと発・司法の現在地/不起訴の陰影」(今年6月掲載)の取材班リーダーである。 「不起訴理由を説明しないのは、明らかに不当だと思います。熊本地検では、記者が不起訴理由を尋ねてもゼロ回答ばかり。秘密主義がどんどん進んでいる。不起訴にするということは、容疑者を公開の法廷で裁かずともよいということ。その判断は、いわば、検察による“事前裁判”です。検察官が裁判官の代わりになってしまっている。その割合(不起訴率)が7割を超えているというのも異常ではないでしょうか」 熊本日日新聞のこの企画は、まさに「不起訴理由を開示しない検察」の問題を取り上げたものだ。連載の狙いは明確で、1つは、不起訴率が7割にも達する中、その理由を開示しないことは“検察による事前裁判化”を容認することにつながるのではないか、との指摘だ。 もう1つは、犯罪の証明がなかった「嫌疑なし」も明らかにされないため、捜査の不手際や誤認逮捕といった警察・検察にとって不利な事態が埋もれてしまうのではないか、というものだ。 ただし、植木記者は検察の姿勢だけでなく、取材側にも問題があると感じている。 不起訴理由を開示すべきだと迫ると、他メディアの記者から「地検の発表は義務ではない。メディアは便宜供与を受けている立場だから、そこまで求めるのはいかがなものか」といった声が出ると明かす』、「不起訴にするということは、容疑者を公開の法廷で裁かずともよいということ。その判断は、いわば、検察による“事前裁判”です。検察官が裁判官の代わりになってしまっている」、「不起訴率」「の理由を開示しないことは“検察による事前裁判化”を容認することにつながる」、「犯罪の証明がなかった「嫌疑なし」も明らかにされないため、捜査の不手際や誤認逮捕といった警察・検察にとって不利な事態が埋もれてしまうのではないか」、その通りだ。
・『地方支局の取材記者を減らしている全国メディア  熊本地検の場合、次席検事は週2回、庁舎内で記者と対応する。次席検事に直接質問できる貴重な取材機会であるにもかかわらず、その場に現れない社も珍しくないそうだ。とくに全国メディアの支局記者にその傾向が強いという。 全国メディアは、地方支局の取材記者をどんどん減らしている。記者数人で県政や市政、事件事故、教育、文化、経済などをフルカバーし、広い県下を走り回るケースも少なくない。不起訴の理由を明らかにしない検察に対して粘り強く取材をかける体力は、とくに地方においては相当に失われている。 検察は「なぜ不起訴か」を開示する法的義務を負っていない。報道機関に不起訴理由を説明していた過去の振る舞いは、言ってしまえば、「便宜供与」「行政サービス」の枠内だったにすぎない。報道機関側はその枠組みの上であぐらをかき、不起訴理由を公開させる制度を作り上げることができなかった。 もの言わぬ姿勢を強める検察、取材力の劣化で基本的事実さえ把握できなくなってきた報道機関。その狭間で、「嫌疑なし」(事実上の無実)と「起訴猶予」(犯罪行為は認められる)の区別すら不明の“謎の不起訴”は今後も増え続けるだろう』、「検察は「なぜ不起訴か」を開示する法的義務を負っていない。報道機関に不起訴理由を説明していた過去の振る舞いは、言ってしまえば、「便宜供与」「行政サービス」の枠内だったにすぎない」、「不起訴理由」の開示を義務付けるように制度改正すべきだ。特段の不都合はない筈だ。

第三に、10月9日付けPRESIDENT Onlineが掲載したカーライフジャーナリストの渡辺 陽一郎氏による「事故防止より検挙件数が目的になっている…コソコソと隠れて取り締まる日本の警察はやはりおかしい 取り締まりのために、防げる事故を見過ごしている」を紹介しよう。
https://president.jp/articles/-/62329
・『交通事故を減らすにはどうすればいいのか。カーライフジャーナリストの渡辺陽一郎さんは「警察は信号機のない横断歩道の取り締まりを強化しているが、横断歩道で車が止まることでかえって事故を誘発する場合がある。物陰に隠れて一時停止違反の車を探すよりも、信号機の設置や歩行者のサポートに注力すべきだ」という――』、興味深そうだ。
・『警察が横断歩道の取り締まりを強化する理由  2022年の交通安全白書によると、2021年における交通事故の死者数は2636人であった。1970年の1万6765人に比べると、約16%まで減少している。死亡した状況を見ると、最も顕著に減ったのは自動車乗車中の事故だ。1970年頃をピークに減り始め、1980年代の後半から保有台数の増加によって一時的に増えたが、1990年代以降は、安全装備の充実によって大幅なマイナスに転じている。 一方、歩行中の死亡事故は、歩道の整備などによって1970年頃から1980年頃にかけて大幅に減ったが、この後は横ばいが続く。自転車乗車中の事故も同様だ。死亡事故の推移を見ると、自動車だけが安全性の向上によって大きく減少している。 2021年に発生した死亡事故の件数を見ると、最も多いのは自動車の衝突事故で791件(約30%)だったが、2位は歩行者横断中で、612件(約23%)を占める。この状況を受けて、警察は信号機のない横断歩道の取り締まりを活発に行っている』、「2021年に発生した死亡事故の件数」で、「歩行者横断中」が「2位」で「23%」「を占める」とは、ここまで多いとは思わなかった。
・『歩行者に譲られたら、あなたはどう対応するか  横断歩道を渡ろうとしている歩行者がいる時は、車両は横断歩道の直前で停車して、歩行者の通行を妨げてはならない。このことは道路交通法第38条1項にも明記されている。しかし横断歩道の取り締まりを増やしたことで、別の課題も発生してきた。 例えば車両が横断歩道の直前で停車したのに、歩行者が渡らず、ドライバーに「先に行け」とジェスチャーで指示した場合だ。特に高齢者は、歩行速度が遅いことを気にするのか、車両に対して通過を促すことがある。この歩行者の指示に従って、そのまま車両を発進させたところ、取り締まりの対象になったことがニュースとして取り上げられた(その後、処分は撤回)。 この事例では、横断歩道の脇に歩行者がいるのに、無視して停車せずに通過したわけではない。一度停車して、歩行者が横断歩道を渡ることができるように配慮した。従って歩行者の通行を妨げてはいない。その上で歩行者が渡らず、車両を進行させる趣旨の指示を行ったから、ドライバーはこの意思を受け入れて車両を発進させた。それなのに取り締まりの対象になった』、何故だろう。
・『違反の有無を左右する「現場の判断」  この点を警察関係者に尋ねると、以下のように返答された。「取り締まりは、現場の判断に基づいて行われ、状況によって対応が異なる。仮に歩行者が渡らず、手振りで車両の進行を促したように見えても、ドライバーの勘違いという場合もある。一概にはいえない」。 それならドライバーがサイドウインドーを開いて「どうぞ渡ってください」と声を掛けて、歩行者が「いいえ、私は渡りませんから先に行ってください」と返答した場合はどうなるのか。 「この場合はドライバーと歩行者の間で、明確な意思の疎通が図られている。車両は横断歩道の直前で停車した上で、歩行者の指示を受けて改めて発進させた。従って道路交通法の違反にはならない」 このほかにも「現場の判断」はあるのか。 「車両が停止すべきか否かは、歩行者と車両の距離によっても変わる。例えば車両から見て横断歩道の右側(反対車線側)から歩行者が渡り始めた場合、道幅が広いと、自車が通行する左車線へ歩いて来るまでに時間を要する。従って右車線を渡り始めた段階では、横断歩道の手前で停車しなくても、歩行者の通行を妨げたことにならない場合もある。これが現場の判断だ。 道路交通法に違反するか否かは、横断歩道の長さや道路の形状、歩行者と車両の位置関係、さらに先に話をしたドライバーと歩行者の意思疎通など、いろいろな事柄に基づいて判断される」』、「道路交通法に違反するか否かは、横断歩道の長さや道路の形状、歩行者と車両の位置関係、さらに先に話をしたドライバーと歩行者の意思疎通など、いろいろな事柄に基づいて判断される」、「現場の判断」が「違反の有無を左右する」理由が理解できた。
・『信号機のない横断歩道が抱える問題の本質  この警察関係者のコメントは、取り締まりに限らず、信号機のない横断歩道が抱える問題点の本質を突いている。歩行者とドライバーという、現場にいる当事者の判断に委ねるところが大きいことだ。 ドライバーは、歩行者が横断歩道の近くにいる時、運転しながら歩行者が渡るか否か、横断歩道の直前で停車すべきか否かを瞬時に判断せねばならない。横断歩道の脇に立って、スマートフォンを使っている歩行者もいるのだ。 そして先のコメントにあった通り、歩行者が横断歩道の反対車線側(右側)から渡り始めて、自車が通行する左車線へ歩いてくるまでに時間を要する時など、停車する必要があるとは限らない。 そうなると信号機のない横断歩道は、ドライバーの判断が難しい場面になる。横断歩道を渡ろうとしている歩行者がいる時は、もちろん停車せねばならないが、ドライバーの判断ミスも発生しやすい。そのために事故に至る可能性も高いのだ』、確かに「信号機のない横断歩道は、ドライバーの判断が難しい場面になる」、その通りだ。
・『一時停止のせいで歩行者が死角に入る場面も  しかし信号機があれば、対応はシンプルで分かりやすい。歩行者の有無にかかわらず、信号機の指示に従えば良いからだ。従って横断歩道には、可能な限り信号機を併設すべきだ。そうできない事情があるならば、交通量が少なく、走行速度も低く、なおかつ見通しの良い道路に限定せねばならない。 特に危険な横断歩道は信号機のない2車線道路だ。私はかつて次のような経験をした。神奈川県内にある2車線道路の左車線を自動車で走行中、信号機のない横断歩道の左脇に、歩行者が立っていることを認識した。私が横断歩道の直前で停車すると、歩行者が左側から右側に向かって横断を開始した。 その時、私の車両のルームミラーとドアミラーに、右車線を後方から走ってくる車両が映った。減速しておらず、横断中の歩行者は、私の車両の陰に隠れて右車線のドライバーからは見えない可能性も高い。そこで私はサイドウインドーから手を出して、減速するように促した。知人も私と同様の経験をしており「慌てて右側のドアを開いた」という』、「特に危険な横断歩道は信号機のない2車線道路だ」、確かに思い当たる節が多い。
・『止まるのと進むのと、実はどちらが安全か  道路交通法第38条2項には、横断歩道の手前で停車している車両がある場合、その側方を通過する時は、前方に出る前に一時停止しなければならない、という趣旨の記載がある。 従って前述の右車線を走る車両のドライバーも、私の車両の右側を通過する時に一時停止しなければならないが、それを怠れば事故に直結する。私が横断歩道の直前で停車した遵法運転により、事故が発生する可能性もあるわけだ。 そのために私は、2車線道路の信号機のない横断歩道では、その脇に歩行者が立っていても停車するとは限らない。2車線道路は概して走行速度も高く、前述のような後続車両が事故を発生させる心配がある時は、道路交通法の違反を認識しながら通り過ぎる場合もある。 私が停車して、歩行者が交通事故の犠牲になる危険が高まるなら、通り過ぎるのが正しい現場判断と考えるからだ。そして歩行者は、車両の流れが途絶えた時に、安全に渡っていただきたい。 ここで問題になるのが、横断歩道における取り締まりだ。今までは安全を優先させる現場判断により、通り過ぎていた状況でも、取り締まりが頻発するとあえて停車する。それによって危険が生じかねない』、「2車線道路は概して走行速度も高く、前述のような後続車両が事故を発生させる心配がある時は、道路交通法の違反を認識しながら通り過ぎる場合もある。 私が停車して、歩行者が交通事故の犠牲になる危険が高まるなら、通り過ぎるのが正しい現場判断と考えるからだ。そして歩行者は、車両の流れが途絶えた時に、安全に渡っていただきたい」、これは熟練のドライバーらしい判断だが、「警察」が果たしてこれを受け入れるのだろうか。
・『2車線道路には必ず信号機を設置すべき  そうなると2車線道路の横断歩道で、自車が停車して歩行者が横断を始めた時は、後方の様子にも気を配る。状況に応じて、後方から接近する車両に、歩行者が横断中であることを知らせねばならないからだ。 そして今のような取り締まりを行うなら、少なくとも2車線道路で信号機のない危険な横断歩道は廃止すべきだ。信号機を必ず設置して、事故防止を積極的に行わねばならない。 1車線道路の横断歩道は、歩行者がいたら必ず停車するが、この時も自車の車線だけが渋滞している時は注意が必要だ。歩行者が左側から横断を開始した時、対向車線のドライバーからは、歩行者が手前に並ぶ渋滞車両の陰に隠れて見えない場合がある。対向車線のドライバーが横断歩道を見落とすと(特に雨天時は路面に描かれた横断歩道の表示が分かりにくい)、交通事故が発生する危険が高まる。 この時に横断歩道の直前で停車している車両が右ハンドル車であれば、ドライバーからは目の前を渡る横断歩道上の歩行者と、対向車の両方が見える。両者が衝突する危険が生じたら、歩行者か対向車のどちらかを止める必要が生じる』、「少なくとも2車線道路で信号機のない危険な横断歩道は廃止すべきだ。信号機を必ず設置して、事故防止を積極的に行わねばならない」、その通りだ。
・『取り締まりのために危険を見過ごしてはいけない  以上のように信号機のない横断歩道は、ドライバーのミスを誘発させ、交通事故を発生させる危険をはらむ。それなのに警察は、物陰に隠れて横断歩道の取り締まりを行う。警察官が物陰に隠れて見ている前で、交通事故が発生したらどうするのか。本来なら防げた事故を見過ごしたことになってしまう。 警察官を横断歩道に配置するなら、物陰に隠れて取り締まりをするのではなく、横断歩道の脇に立って歩行者が安全に横断できるようサポートすべきだ。あるいはドライバーに対して注意喚起を行う。取り締まりも交通事故を防ぐ手段のひとつではあるが、歩行者のサポートや交通整理は、それ以上に有効で事故を直接防げるからだ。 高速道路における速度超過違反の取り締まりも同様だ。覆面パトカーの取り締まりは、速度超過違反を敢えて見過ごして、その上で検挙するものだ。白黒のパトカーで赤色灯を点灯して走らせ、高速道路全体の走行速度を整えたほうが、事故防止に役立つ。 横断歩道から高速道路まで、取り締まりのために、危険を見過ごしてはならない。信号機のない横断歩道の放置も、危険を見過ごしていることになる』、「警察官を横断歩道に配置するなら、物陰に隠れて取り締まりをするのではなく、横断歩道の脇に立って歩行者が安全に横断できるようサポートすべきだ。あるいはドライバーに対して注意喚起を行う。取り締まりも交通事故を防ぐ手段のひとつではあるが、歩行者のサポートや交通整理は、それ以上に有効で事故を直接防げるからだ」、「高速道路における速度超過違反の取り締まりも同様だ。覆面パトカーの取り締まりは、速度超過違反を敢えて見過ごして、その上で検挙するものだ。白黒のパトカーで赤色灯を点灯して走らせ、高速道路全体の走行速度を整えたほうが、事故防止に役立つ」、同感である。違反点数稼ぎのような倒錯した取り締まりは、百害あって一利なしだ。 
タグ:(その17)(有罪判決でも返り咲いた37歳の美濃加茂市長が語る検察の矛盾「河井事件は不問。法は不平等」〈dot.〉、激増する「不起訴の理由が不明」記事が大問題な訳 凶悪犯罪でも真相が水面下に潜ってしまう、事故防止より検挙件数が目的になっている…コソコソと隠れて取り締まる日本の警察はやはりおかしい 取り締まりのために 防げる事故を見過ごしている) 司法の歪み 「美濃加茂市長」の冤罪問題については、このブログの2017年6月20日、2018年1月26日、2018年5月10日の3回にわたって取上げた。「2020年12月に執行猶予が満了、公民権停止も終わった藤井氏は21年末、市長選」で勝利したとは、市民の支持が強力だったのだろう。 AERAdot「有罪判決でも返り咲いた37歳の美濃加茂市長が語る検察の矛盾「河井事件は不問。法は不平等」〈dot.〉」 「藤井氏のホームページには、有罪判決を隠すどころか、<前科者と呼ばれても政治家として闘うワケ 私は誰に嵌められたのか>と堂々と書いている。 その姿勢が評価されたのか、選挙の結果はダブルスコアに近い大差での圧勝だった」、大したものだ。「河井事件と自身の事件とで、矛盾した対応をする検察にこう怒る」、国策捜査の醜い姿が顕著だ。 「私が容疑を認めないと検察は贈賄側と連日、打合せを繰り返し、でっち上げを法廷で証言させる。私は名古屋地裁で無罪となったが、有罪とした名古屋高裁は一度も私の被告人質問を認めなかった。つまり、話を聞かないまま、判決を出した」、司法の闇は深いようだ。 東洋経済オンライン Frontline Pressによる「激増する「不起訴の理由が不明」記事が大問題な訳 凶悪犯罪でも真相が水面下に潜ってしまう」 「容疑者が不起訴になれば、・・・事件捜査の実相は水面下に潜ってしまう」、というのは困ったことだ。 「不起訴には主に「嫌疑なし」「嫌疑不十分」「起訴猶予」という3種類」、「同じ不起訴であっても、「嫌疑なし」と「起訴猶予」は、天と地ほどの差がある」、なるほど。 「近年では事件処理の7割が不起訴」、「「不起訴理由が不明の記事数」は2010年以降、明らかに増加トレンドに入った。増え方も激増」、理由も明らかにせず「不起訴」にする件数が急増しているとは問題だ。 「不起訴を伝える記事は、容疑者の名誉回復という意味も持つ。逮捕時に実名をさらされ、その後、「嫌疑なし」で不起訴になったのに、その事実が報じられないとしたら、当人の名誉回復もなかなかできないだろう」、「不起訴の種類すら報道できないのであれば、報道機関はその義務を果たしているといえるのかどうか」、少なくとも「不起訴の種類」は報道してほしいものだ。 「松江地検が20日、不起訴処分の内容を公表しない方針に転換した。地検は「検事正が代わったため」とし、詳細な理由を明らかにしていない。松江地検はこれまで逮捕・送検された人を不起訴にした場合、報道機関に処分内容を明らかにしていた。(略)逮捕、送検された人の名誉回復、警察の捜査が適切だったかを明らかにする上で、処分内容の公表は重要な役割を果たしていた」、「非公表方針の考え方は検察組織全体で共有されていると考えていい」、「検察」は何故、「非公表方針」に転換したのだろう。 「不起訴にするということは、容疑者を公開の法廷で裁かずともよいということ。その判断は、いわば、検察による“事前裁判”です。検察官が裁判官の代わりになってしまっている」、「不起訴率」「の理由を開示しないことは“検察による事前裁判化”を容認することにつながる」、「犯罪の証明がなかった「嫌疑なし」も明らかにされないため、捜査の不手際や誤認逮捕といった警察・検察にとって不利な事態が埋もれてしまうのではないか」、その通りだ。 「検察は「なぜ不起訴か」を開示する法的義務を負っていない。報道機関に不起訴理由を説明していた過去の振る舞いは、言ってしまえば、「便宜供与」「行政サービス」の枠内だったにすぎない」、「不起訴理由」の開示を義務付けるように制度改正すべきだ。特段の不都合はない筈だ。 PRESIDENT ONLINE 渡辺 陽一郎氏による「事故防止より検挙件数が目的になっている…コソコソと隠れて取り締まる日本の警察はやはりおかしい 取り締まりのために、防げる事故を見過ごしている」 「2021年に発生した死亡事故の件数」で、「歩行者横断中」が「2位」で「23%」「を占める」とは、ここまで多いとは思わなかった。 「道路交通法に違反するか否かは、横断歩道の長さや道路の形状、歩行者と車両の位置関係、さらに先に話をしたドライバーと歩行者の意思疎通など、いろいろな事柄に基づいて判断される」、「現場の判断」が「違反の有無を左右する」理由が理解できた。 確かに「信号機のない横断歩道は、ドライバーの判断が難しい場面になる」、その通りだ。 「特に危険な横断歩道は信号機のない2車線道路だ」、確かに思い当たる節が多い。 「2車線道路は概して走行速度も高く、前述のような後続車両が事故を発生させる心配がある時は、道路交通法の違反を認識しながら通り過ぎる場合もある。 私が停車して、歩行者が交通事故の犠牲になる危険が高まるなら、通り過ぎるのが正しい現場判断と考えるからだ。そして歩行者は、車両の流れが途絶えた時に、安全に渡っていただきたい」、これは熟練のドライバーらしい判断だが、「警察」が果たしてこれを受け入れるのだろうか。 「少なくとも2車線道路で信号機のない危険な横断歩道は廃止すべきだ。信号機を必ず設置して、事故防止を積極的に行わねばならない」、その通りだ。 「警察官を横断歩道に配置するなら、物陰に隠れて取り締まりをするのではなく、横断歩道の脇に立って歩行者が安全に横断できるようサポートすべきだ。あるいはドライバーに対して注意喚起を行う。取り締まりも交通事故を防ぐ手段のひとつではあるが、歩行者のサポートや交通整理は、それ以上に有効で事故を直接防げるからだ」、 「高速道路における速度超過違反の取り締まりも同様だ。覆面パトカーの取り締まりは、速度超過違反を敢えて見過ごして、その上で検挙するものだ。白黒のパトカーで赤色灯を点灯して走らせ、高速道路全体の走行速度を整えたほうが、事故防止に役立つ」、同感である。違反点数稼ぎのような倒錯した取り締まりは、百害あって一利なしだ。
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中国経済(その17)(中国で まさか「長江が干上った」…! 習近平が焦る「ヤバすぎる異常気象」の現実と “中国14億人”を襲う「恐ろしい悲劇」…!、習近平が ついに「禁じ手」…! 中国の「人工雨」と「地球環境破壊」の“ヤバすぎる真実”、「中国の経済成長神話は崩壊しつつある」と断言できるこれだけの理由) [世界経済]

中国経済については、8月27日に取上げた。今日は、(その17)(中国で まさか「長江が干上った」…! 習近平が焦る「ヤバすぎる異常気象」の現実と “中国14億人”を襲う「恐ろしい悲劇」…!、習近平が ついに「禁じ手」…! 中国の「人工雨」と「地球環境破壊」の“ヤバすぎる真実”、「中国の経済成長神話は崩壊しつつある」と断言できるこれだけの理由)である。

先ずは、9月4日付け現代ビジネスが掲載した経済産業研究所コンサルティングフェローの藤 和彦氏による「中国で、まさか「長江が干上った」…! 習近平が焦る「ヤバすぎる異常気象」の現実と、“中国14億人”を襲う「恐ろしい悲劇」…!」を紹介しよう。
https://gendai.media/articles/-/99269?imp=0
・『中国で、まさか「長江の水」が干上がった…! 世界で同時多発的に厳しい干ばつ被害が起きている。 欧州委員会は8月23日「欧州全土の6割以上が干ばつ被害を受けている。過去500年間で最悪レベルだ」との見解を示した。ライン川の水位が劇的に低下し、域内物流への影響が懸念されている。 米国でも「ホット・アンド・ドライ(高温乾燥)」と呼ばれる干ばつ型の異常気象が報告されているが、大変なことになっているのは中国である。 中国ではいま、観測史上最悪の熱波に見舞われているのだ。 そんな中国で最も深刻な打撃を受けているのは中部と南部を流れる長江流域だ。 約4億5000万人が生活している長江流域の今年の夏は、70日以上にわたって異常な高温と雨不足に襲われた。 上海のビルは一斉に明かりを消し、エアコンを使えない人々は涼を求めて地下壕に逃げたという。 さらに、長江の一部で川底が露呈するほど水位が下がったことで、600年前の仏様が発見されるなどの“異常事態”が相次いでいるのだ』、10月8日付け日経新聞でも、干ばつは続いているようだ。
・『工場停止、食糧危機…「危ない」のはこれからだ!  長江流域では電力不足で工場が操業停止に追い込まれるなど経済への悪影響がすでに出ている。 そこへきて、秋に収穫される農産物の被害が甚大になるとの危惧も生じている。 中国では秋に収穫される穀物が年間の穀物生産の75%を占めている。 中国の農業生産の3分の1を支える長江流域の不調は中国全体の食糧危機に直結すると言っても過言ではない。当然、習近平国家主席にとって頭痛の種になってきたわけだ。 さらに後編記事『習近平が、ついに「禁じ手」…! 中国の「人工雨」と「地球環境破壊」の“ヤバすぎる真実”』では、そうした中で中国が取り組み始めた「人口雨」とその危ない実態についてレポートしよう』、「中国では秋に収穫される穀物が年間の穀物生産の75%を占めている」のであれば、影響は極めて深刻だろう。

次に、この続きを、9月4日付け現代ビジネスが掲載した経済産業研究所コンサルティングフェローの藤 和彦氏による「習近平が、ついに「禁じ手」…! 中国の「人工雨」と「地球環境破壊」の“ヤバすぎる真実”」を紹介しよう。
・『世界で同時多発的に厳しい干ばつ被害が起きている中で、いま中国が観測史上最悪の熱波に見舞われている。そんな中国で最も深刻な打撃を受けているのは中部と南部を流れる長江流域で、約4億5000万人が生活している長江流域では、今夏に70日以上にわたって異常な高温と雨不足に襲われた。 中国の農業生産の3分の1を支える長江流域の不調は中国全体の食糧危機に直結すると言っても過言ではない事態にあって、ここへきて中国がとんでもない「対策」に出始めた。それはなんと「人工降雨」を降らせるというもの――。 当然、気候を人工的に操作するために計り知れないリスクや影響が出る可能性もある。いまいったい、何が起きているのか。そしてリスクは……? その最前線をレポートしよう』、「人工降雨」にはどんなリスクがあるのだろうか。
・『中国で、まさか「人工降雨」で連日の豪雨…!  危機感を高める長江流域の地方政府は、長引く干ばつの影響を緩和するため、人工的に雨を降らせる取り組みを開始した。 その先鞭を切ったのは例年に比べ50%以上も降水量が減った四川省だ。 四川省は8月25日から29日にかけて人工降雨の取り組みに着手したのだ。 6000平方キロメートルに及ぶ範囲で大型ドローン2機がヨウ化銀を雨雲の中に散布した結果、「恵みの雨」が降ったが、皮肉なことに今度は連日の豪雨で洪水の発生が警戒されている』、「四川省」では、「「恵みの雨」が降ったが、皮肉なことに今度は連日の豪雨で洪水の発生が警戒されている」、なかなか思うようにはいかないようだ。
・『「ヨウ化銀」をばらまく…  雲の中にヨウ化銀を散布し人工的に雨を降らせる技術は、クラウドシーデイング(雲の種まき)と呼ばれている。雲の中に雨粒の種となるヨウ化銀をばらまき、周囲の小さな水の粒を集めて大きな雨粒に成長させ、雨を降らせるというものだ。 ヨウ化銀を使って雨を降らせる技術は、1960年代に米国のゼネラル・エレクトリックの化学者によって発明された。 中国は早くからこの技術に注目し、その習得に熱心に取り組んできた。北西部の広大な乾燥地帯にこの技術で雨を降らせ、耕作地を拡大することが狙いだった(2001年から実施された「西部大開発」の原動力となった)。 2008年の北京五輪で開会式の降雨を回避するために、中国政府がヨウ化銀を積んだ多数の砲弾を発射して周辺地域に人工的に雨を降らせたことでその存在は一躍有名となった。 世界規模での気候危機が今後も多発することが予想される中で、大規模な工学的手法で猛暑や干ばつに対処する必要性が生じているが、クラウドシーデイングを始め気候改変技術の利用に伴うリスクを十分に考慮しなければならないのは言うまでもない』、「北京五輪で開会式の降雨を回避するために、中国政府がヨウ化銀を積んだ多数の砲弾を発射して周辺地域に人工的に雨を降らせた」、記憶に新しいところだ。
・『「人工降雨」、本当に大丈夫なのか?  まず、第一に挙げられるのは人体や環境への悪影響だ。 ヨウ化銀から発生する有毒な銀イオンが生態系を汚染し、人体を脅かす懸念がある。中国政府は「使用されるヨウ化銀の量はわずかであり、人体などに害はない」としているが、1回に散布されるヨウ化銀はわずかでも、特定の地域で繰り返しこの技術が使用すれば、安全な基準値を超える可能性は十分にある。 この技術はトータルの降水量を変えることはできないことから、ある地域に人工的に雨を降らせると、それによって周辺地域で降水量が減るという問題もある。 中国政府は「天候に影響を与えるのは短時間で非常に限定的である」と説明しているが、ここ数年、夏の豪雨災害に悩まされてきた中国が、今年は一変して極端な雨不足となっている。筆者は気象学の専門家ではないが、気候改変技術の濫用が大本の原因なのではないかと思えてならない。 「ブラジルの1匹の蝶の羽ばたきが米テキサス州で竜巻を引き起こす」というバタフライ効果が指摘される気象の世界では、わずかな人為的介入によって状態が激変することがありうるからだ』、「ヨウ化銀から発生する有毒な銀イオンが生態系を汚染し、人体を脅かす懸念がある。中国政府は「使用されるヨウ化銀の量はわずかであり、人体などに害はない」としているが、1回に散布されるヨウ化銀はわずかでも、特定の地域で繰り返しこの技術が使用すれば、安全な基準値を超える可能性は十分にある」、「この技術はトータルの降水量を変えることはできないことから、ある地域に人工的に雨を降らせると、それによって周辺地域で降水量が減るという問題もある」、「トータルの降水量を変えることはできない」、というのは初めて知った。
・『「偏西風の蛇行」に影響か…?  21世紀に入り、世界で異常気象が多発しているが、その共通の原因は偏西風(北半球の上空を西から東へ吹くジェット気流)の蛇行だ。高気圧や低気圧の移動に大きな影響を与える偏西風が大きく蛇行することで世界各地に異常気象が発生している。 偏西風の蛇行の原因は解明されていないが、中国の気候改変技術が影響しているのかもしれない。その導入の規模があまりにも巨大だからだ。 中国政府は2012年から大量の資金を投入して気候改変プログラムの開発に取り組み、「2025年までに気候改変プログラムの対象地域を550万平方キロメートルに拡大する」との方針を明らかにしている。550万平方キメートルという規模は中国の国土面積の5割以上であり、日本の国土面積の10倍以上に相当する。 米軍がベトナム戦争で人工的に雨を降らせる作戦を展開したことが問題となり、1978年に「軍事的又はその他の敵対的な気候改変技術の使用禁止に関する国際条約」が発効した。 中国もこの条約を2005年に批准したが、軍事目的ではない同国内の気候改変技術の利用にはまったく歯止めがかかっていないのが現状だ』、「偏西風の蛇行の原因は解明されていないが、中国の気候改変技術が影響しているのかもしれない。その導入の規模があまりにも巨大だからだ」、「1978年に「軍事的又はその他の敵対的な気候改変技術の使用禁止に関する国際条約」が発効した。 中国もこの条約を2005年に批准したが、軍事目的ではない同国内の気候改変技術の利用にはまったく歯止めがかかっていないのが現状だ」、「中国の気候改変技術」はまだ多くの課題を抱えたままのようだ。ついては、「2025年までに気候改変プログラムの対象地域を550万平方キロメートルに拡大する」、とはいっても「拡大」は、効果を見極めつつ、徐々に広げてもらいたいものだ。
・『対岸の火事では済まされない  気候変動が中国国内にとどまるのであれば「自業自得」だろう。 が、世界全体の気候へ悪影響を及ぼしているのあれば「対岸の火事」では済まされない。 日本を始め世界の関係機関は中国の気候改変技術についてノーマークのようだが、その動向把握にもっと真剣に取り組むべきではないだろうか。 さらに連載記事『三峡ダム「大崩壊」の原因…? 中国政府がひっそり仕込む「気象兵器」のヤバすぎる中身』では、そんな中国の“気象兵器”をめぐる最前線をレポートしよう』、この「連載記事」は2021年10月12日付けの記事だが、やや陰謀論的色彩も濃いので、ここでは紹介を省略する。

第三に、9月27日付けダイヤモンド・オンラインが掲載した多摩大学特別招聘教授の真壁昭夫氏による「「中国の経済成長神話は崩壊しつつある」と断言できるこれだけの理由」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/310188
・『習近平主席は、台湾侵攻のチャンスをうかがっているようにも見える。それは地政学的リスクを高める要因だ。海外投資家にとって、下落リスクの高まる人民元を保有する意義は低下している。債券などの売却資金をドルに替える海外の投資家は急速に増えている。そうした傾向は、当面続くだろう』、興味深そうだ。
・『中国の経済成長神話は崩壊しつつある  ここへ来て、人民元の下落に歯止めがかからない。最大の要因として、海外投資家が人民元建ての債券などを売却していることがある。それによって、投資資金が海外に流出している。 中国人民銀行(中央銀行)は、人民元の下落阻止のため人民元の買い支えを行っているとみられる。それに伴い8月の中国の外貨準備残高は予想以上に減少した。 それでも、人民元の下落は止まらない。9月中旬には、一時、共産党政権が防衛ラインとしてきた1ドル=7.00元を下回る水準まで人民元が売られた。 今後も資金流出に歯止めがかからないと、人民元の下落基調は続く可能性が高い。資金流出の背景には、不動産バブル崩壊の負の影響が深刻化し、中国経済が一時の信認を失っていることがある。 中国の経済成長神話は、崩壊しつつあるといっても過言ではないだろう。当面、海外投資家は人民元建ての金融資産を売却し、中国本土市場からの資本逃避はさらに加速する可能性が高い』、「オンショア人民元」相場は現在、7.19ドルまで持ち直しているようだが、これは後述の「外貨の預金準備率引き下げ」の効果の可能性がある。
・『海外投資家の債券売却で人民元安が加速  9月15日、オフショア人民元(CNH)は、2020年7月以来の1ドル=7元台を付けた。翌16日には、オンショア人民元(CNY)も7元台に下落した。中国本土市場の取引が終わりロンドン時間に入ると、オフショア人民元の下落が鮮明化する場面が増えた。人民元を手放そうとする海外投資家は増え、資本流出の動きが強まっている。 中国中央国債登記結算(CCDC)によると、22年2月から6月まで5カ月連続で、海外の投資家は中国の債券を売り越した。また、国際金融協会(IIF)によると、7月も中国の債券市場からは資金が流出した。人民元建てで発行された民間不動産会社などの社債、地方政府や傘下の投資会社が発行した債券、さらには中国の国債などを手放す外国人投資家は増えている。 海外投資家が人民元を売るのは、景気後退や台湾問題などの懸念が一段と高まって、中国経済に対する信認が大きく低下しているからだ。経済面では、不動産バブル崩壊、ゼロコロナ政策、IT先端企業への締め付け強化によって、中国経済の成長率の低下は鮮明だ。 特に、不動産セクターでは社債のデフォルト懸念が急速に高まっている。不動産市況の悪化にも歯止めがかからない。8月の不動産販売額は前年同月比で22.58%減少した。減少は13カ月連続だ。土地の譲渡益は減少し、財政運営の逼迫(ひっぱく)に直面する地方政府も増えた。 ゼロコロナ政策も継続され、個人消費の回復は弱い。世界的な物価高騰によって各国の需要は下押しされ、輸出の伸びも鈍化している。共産党政権はインフラ投資の積み増しなど景気刺激策を打ち出しているが、目立った効果は出ていない。 また、習近平主席は、台湾侵攻のチャンスをうかがっているようにも見える。それは地政学的リスクを高める要因だ。海外投資家にとって、下落リスクの高まる人民元を保有する意義は低下している。債券などの売却資金をドルに替える海外の投資家は急速に増えている。そうした傾向は、当面続くだろう』、確かに「海外投資家にとって、下落リスクの高まる人民元を保有する意義は低下している。債券などの売却資金をドルに替える海外の投資家は急速に増えている。そうした傾向は、当面続くだろう」、その通りだ。
・『人民元防衛に取り組む共産党政権  習近平政権は、資金流出に伴う人民元の下落に危機感を一段と強めているはずだ。共産党政権は、「外貨預金準備率引き下げ」「口先介入」「基準値の予想外引き上げ」「基準値から2%を超える元安阻止のドル売り」などによって人民元防衛を強化している。 まず、4月に続いて9月にも中国人民銀行は、市中銀行の外貨の預金準備率を引き下げた。9月15日から8%だった外貨の預金準備率は、6%に引き下げられる。こうした措置は、人民元の為替レート下支えにつながる可能性がある。 次に、口先介入に関して、中国国家外為管理局(SAFE)は、国有銀行などに人民元売りを自粛するよう求めると報じられている。事実上の元売り手控え指示といってもよい。特に、8月下旬に米ワイオミング州で開催されたジャクソンホール会合の後、米国の金利上昇観測が急速に高まった。 その一方、中国は景気下支えのため金融緩和を強化せざるを得ない。米中の金融政策の差は、これまで以上に明確になっている。それは米ドル高・人民元安の圧力を強める。それに歯止めをかけるため、SAFEは銀行に人民元の売りを控えるよう、より強く求めているようだ。 さらに、人民銀行は9月16日まで17営業日連続で、人民元の対ドル基準値を予想外に引き上げた。何としても、人民元安に歯止めをかけるとの共産党政権の危機感は強い。 しかし、そうした防衛策をとっても、足元の人民元の売りを抑えることは難しそうだ。苦肉の策として、人民銀行は、元の買い支えを行わざるを得ない状況だ。 そうした事情もあり、8月の中国の外貨準備残高は3兆549億ドル(約441兆円)と、18年10月以来の低水準に減少した。減少額は予想を上回った。共産党政権は外貨準備減少の主たる要因はドル安によるものと説明している。それに加えて、基準値から2%を超える元安進行を阻止するためにドル売り・元買いが増えているだろう』、「9月にも中国人民銀行は、市中銀行の外貨の預金準備率を引き下げた」「こうした措置は、人民元の為替レート下支えにつながる可能性がある」、「苦肉の策として、人民銀行は、元の買い支えを行わざるを得ない状況だ。 そうした事情もあり、8月の中国の外貨準備残高は3兆549億ドル(約441兆円)と、18年10月以来の低水準に減少した。減少額は予想を上回った」、なるほど。
・『さらに厳しい状況が懸念される中国経済  今後、中国の実質ベースの国内総生産(GDP)の成長率はさらに低下する可能性が高い。特に、不動産バブル崩壊の負の影響は大きい。 これまで共産党政権は、海外からの直接投資を誘致して不動産事業の拡張や工業化を進め、地方政府にGDPの成長目標を課した。そうしたメカニズムの中で、不動産価格上昇が経済成長に重要な役割を果たしてきた。不動産バブル膨張によって、地方政府の収入源である土地譲渡益は増え、高速鉄道などのインフラ投資が積み増され、経済成長率は人為的にかさ上げされてきた。不動産投資の増加は、中国の雇用・所得環境の安定と共産党による一党独裁体制の維持に決定的に重要だった。 しかし、不動産バブル崩壊によって、共産党政権の経済運営は困難な局面を迎えつつある。過剰投資によって、資本の効率性は低下している。家計、民間企業、地方政府、金融機関まで不良債権は増えている。 民間企業などのデフォルトはさらに増加すると予想される。ウクライナ危機の発生以降、台湾問題の緊迫化などの懸念も一段と高まった。中国の生産年齢人口の減少もインドやベトナムなどに生産拠点を移転する企業の増加要因になっている。その結果、中国に投資した資金を引き揚げる海外投資家は急増している。 今後、ネットベースで中国から流出する資金はさらに増える可能性が高い。資産価格のさらなる下落や規制強化など政策の不透明感を嫌い、人民元建ての債券などを売る海外投資家は増え、資金流出はより拡大することが想定される。財産を守るため、海外に資金を移そうとする中国の国民が増えることも考えられる。 状況によっては、急速に人民元安が進んで中国の外貨準備が減少し、中国経済の本格的な後退懸念が急速に高まる展開も否定できない。海外投資家による資本逃避などによって、中国経済がさらに厳しい状況を迎える恐れは高まっている』、「過剰投資によって、資本の効率性は低下している。家計、民間企業、地方政府、金融機関まで不良債権は増えている」、「中国の生産年齢人口の減少もインドやベトナムなどに生産拠点を移転する企業の増加要因になっている。その結果、中国に投資した資金を引き揚げる海外投資家は急増」、「海外投資家による資本逃避などによって、中国経済がさらに厳しい状況を迎える恐れは高まっている」、やはり「中国の経済成長神話は崩壊しつつある」ようだ。 
タグ:(その17)(中国で まさか「長江が干上った」…! 習近平が焦る「ヤバすぎる異常気象」の現実と “中国14億人”を襲う「恐ろしい悲劇」…!、習近平が ついに「禁じ手」…! 中国の「人工雨」と「地球環境破壊」の“ヤバすぎる真実”、「中国の経済成長神話は崩壊しつつある」と断言できるこれだけの理由) 中国経済 現代ビジネス 藤 和彦氏による「中国で、まさか「長江が干上った」…! 習近平が焦る「ヤバすぎる異常気象」の現実と、“中国14億人”を襲う「恐ろしい悲劇」…!」 10月8日付け日経新聞でも、干ばつは続いているようだ。 「中国では秋に収穫される穀物が年間の穀物生産の75%を占めている」のであれば、影響は極めて深刻だろう。 藤 和彦氏による「習近平が、ついに「禁じ手」…! 中国の「人工雨」と「地球環境破壊」の“ヤバすぎる真実”」 「人工降雨」にはどんなリスクがあるのだろうか。 「四川省」では、「「恵みの雨」が降ったが、皮肉なことに今度は連日の豪雨で洪水の発生が警戒されている」、なかなか思うようにはいかないようだ。 「北京五輪で開会式の降雨を回避するために、中国政府がヨウ化銀を積んだ多数の砲弾を発射して周辺地域に人工的に雨を降らせた」、記憶に新しいところだ。 「ヨウ化銀から発生する有毒な銀イオンが生態系を汚染し、人体を脅かす懸念がある。中国政府は「使用されるヨウ化銀の量はわずかであり、人体などに害はない」としているが、1回に散布されるヨウ化銀はわずかでも、特定の地域で繰り返しこの技術が使用すれば、安全な基準値を超える可能性は十分にある」、「この技術はトータルの降水量を変えることはできないことから、ある地域に人工的に雨を降らせると、それによって周辺地域で降水量が減るという問題もある」、「トータルの降水量を変えることはできない」、というのは初めて知った。 「偏西風の蛇行の原因は解明されていないが、中国の気候改変技術が影響しているのかもしれない。その導入の規模があまりにも巨大だからだ」、「1978年に「軍事的又はその他の敵対的な気候改変技術の使用禁止に関する国際条約」が発効した。 中国もこの条約を2005年に批准したが、軍事目的ではない同国内の気候改変技術の利用にはまったく歯止めがかかっていないのが現状だ」、 「中国の気候改変技術」はまだ多くの課題を抱えたままのようだ。ついては、「2025年までに気候改変プログラムの対象地域を550万平方キロメートルに拡大する」、とはいっても「拡大」は、効果を見極めつつ、徐々に広げてもらいたいものだ。 この「連載記事」は2021年10月12日付けの記事だが、やや陰謀論的色彩も濃いので、ここでは紹介を省略する。 ダイヤモンド・オンライン 真壁昭夫氏による「「中国の経済成長神話は崩壊しつつある」と断言できるこれだけの理由」 「オンショア人民元」相場は現在、7.19ドルまで持ち直しているようだが、これは後述の「外貨の預金準備率引き下げ」の効果の可能性がある。 確かに「海外投資家にとって、下落リスクの高まる人民元を保有する意義は低下している。債券などの売却資金をドルに替える海外の投資家は急速に増えている。そうした傾向は、当面続くだろう」、その通りだ。 「9月にも中国人民銀行は、市中銀行の外貨の預金準備率を引き下げた」「こうした措置は、人民元の為替レート下支えにつながる可能性がある」、「苦肉の策として、人民銀行は、元の買い支えを行わざるを得ない状況だ。 そうした事情もあり、8月の中国の外貨準備残高は3兆549億ドル(約441兆円)と、18年10月以来の低水準に減少した。減少額は予想を上回った」、なるほど。 「過剰投資によって、資本の効率性は低下している。家計、民間企業、地方政府、金融機関まで不良債権は増えている」、「中国の生産年齢人口の減少もインドやベトナムなどに生産拠点を移転する企業の増加要因になっている。その結果、中国に投資した資金を引き揚げる海外投資家は急増」、 「海外投資家による資本逃避などによって、中国経済がさらに厳しい状況を迎える恐れは高まっている」、やはり「中国の経済成長神話は崩壊しつつある」ようだ。
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安倍元首相暗殺事件(その4)(文化庁が宗教法人と交わした「裏約束」の正体 統一教会・名称変更文書「黒塗り」の根本原因、自民党が旧統一教会と金輪際縁を切るための「リトマス試験紙」 反セクト法と脱会支援、旧統一教会に対する「解散請求」にそそり立つ壁 なぜ反社会的な団体を解散できないのか?、統一教会へ「解散命令」請求をしない文化庁の謎 「信教の自由」を理由に及び腰な政府の姿勢) [国内政治]

安倍元首相暗殺事件については、9月13日に取上げた。今日は、(その4)(文化庁が宗教法人と交わした「裏約束」の正体 統一教会・名称変更文書「黒塗り」の根本原因、自民党が旧統一教会と金輪際縁を切るための「リトマス試験紙」 反セクト法と脱会支援、旧統一教会に対する「解散請求」にそそり立つ壁 なぜ反社会的な団体を解散できないのか?、統一教会へ「解散命令」請求をしない文化庁の謎 「信教の自由」を理由に及び腰な政府の姿勢)である。

先ずは、9月13日付け東洋経済オンライン「文化庁が宗教法人と交わした「裏約束」の正体 統一教会・名称変更文書「黒塗り」の根本原因」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/617415
・『「世界平和統一家庭連合」(旧統一教会、以下、統一教会)は2015年に現在の名前に変更された。1997年に一度退けられていた名称変更の申請が、2015年に認証された背景に政治家の関与があったことが疑われている。 しかし、名称変更の経緯を明らかにするために、文化庁に対して開示が求められた文書の一部は「黒塗り」の状態だった。その背景には、過去に文化庁が宗教法人と交わしたある「約束」があることがわかった。 特集「宗教を問う」の第8回は、統一教会の名称変更や宗教法人の情報公開をめぐる歴史的背景について、文化庁で宗教法人を担当する宗務課長だった前川喜平・元文部科学事務次官に聞いた。浮かび上がるのは、宗教法人に対する政府の強い配慮だ(Qは聞き手の質問、Aは前川氏の回答)』、「前川」氏が当時、「文化庁で宗教法人を担当する宗務課長だった」とは、めぐり合わせを感じる。
・『「認証してもらえる」という見通しがあった  Q:1997年に宗務課長だった前川さんは、統一教会の名称変更を受け入れませんでした。名称変更の申請を受理しないのは「違法」ではないかという指摘が一部でありますが。 A: 申請を出されたら必ず受理しなければならないのは当然のことだ。1997年当時、私は申請前の事前相談の段階で「認証はできないので、申請はしないでください」とお願いし、先方は納得のうえで引き下がった。そこに違法性はない。 宗教団体の名称も、宗教団体の実態(宗教団体性)を表す重要な要素だ。「世界基督教統一神霊協会」という名前で長年活動し、信者を集め、社会的な存在としても認識されてきた。実態と合わない名称変更は認められない。 それでも申請されれば、受理するしかない。受理したものを認証するかしないかは次の段階の話だ。申請を受理した後、認証しないケースに限って、主な宗教法人の代表者や宗教学者でつくる「宗教法人審議会」(以下、審議会)に諮問する。ところが、認証するときは審議会にかけなくていい。 不認証となれば、同じものをもう一度出したところで認証はされない。2015年の名称変更の際、統一教会が申請したのは「今回は認証してもらえる」という見通しを持っていたからだ。 Q:1997年、仮に審議会にかけられていたら不認証になっていたのでしょうか。 A: 認証しないという方向で審議会に諮問したら、不認証を了解されていた可能性はかなり高かったと思う。審議会のメンバーは仏教やキリスト教、新宗教の代表者らで構成されており、統一教会に好意を持つ人はいない。 統一教会の立場からいうと、1997年の事前相談の段階で申請を出さなかったのは賢明な判断だった。申請を出して不承認になったら、元も子もないからだ。2015年の名称変更の際、認証してもらえるという確証をどこから得たのかが問題だ。認証するという保証が事前になければ、申請はできなかったはずだ。) Q:2015年の名称変更のとき、前川さんは文科相、事務次官に次ぐ審議官という立場でした。 A: 当時の宗務課長が「統一教会の名称変更の申請がきているから認証する」と説明に来た。私が認証すべきでないと言ったら、宗務課長が非常に困った顔をしていたのを覚えている。しかし、結果的に認証はすることになったので、私の上の人が認証する意思を持っていたことになる。つまり事務次官か、大臣のどちらかだ。 認証時の事務次官は、認証直前に交代したばかりで名称変更については相談をあずかっていない可能性がある。事務次官は旧文部省出身者と旧科学技術庁出身者が交互に歴任し、科学技術系の事務次官のときは、その下にいる旧文部省系の審議官が事実上の事務次官として意思決定に関わる。名称変更時の事務次官は科学技術省系。つまり、名称変更の認証のとき、私の上には事実上大臣(下村博文氏)しかいなかった。(前川氏の略歴はリンク先参照)』、「1997年当時、私は申請前の事前相談の段階で「認証はできないので、申請はしないでください」とお願いし、先方は納得のうえで引き下がった。そこに違法性はない」、剛腕の「前川」氏らしいやり方だ。「2015年の名称変更のとき、前川さんは文科相、事務次官に次ぐ審議官という立場でした。 A: 当時の宗務課長が「統一教会の名称変更の申請がきているから認証する」と説明に来た。私が認証すべきでないと言ったら、宗務課長が非常に困った顔をしていたのを覚えている。しかし、結果的に認証はすることになったので、私の上の人が認証する意思を持っていたことになる。つまり事務次官か、大臣のどちらかだ」、「名称変更時の事務次官は科学技術省系。つまり、名称変更の認証のとき、私の上には事実上大臣(下村博文氏)しかいなかった」、やはり「下村博文氏」が「認証する意思を持っていた」のだろう。
・『宗教法人法は「性善説」に基づく  Q:そもそも、なぜ宗教法人法では、認証しないときは審議会にかけるのに、認証するときには審議会にかけないのでしょうか。 A: 宗教法人法は信教の自由を守るためのもので、「宗教法人は悪いことをしない」という性善説に基づいているからだ。だた、オウム真理教の事件以降、宗教法人の中には問題がある団体も紛れている可能性があるという慎重な姿勢になった。 そうした中で1996年に宗教法人法が改正された。改正前は新たに宗教法人を認証しても、その後は糸の切れたタコのように動向がわからない状態だった。神社本庁や仏教の○○宗のような「包括宗教法人」は改正前から文部大臣の所轄だったが、創価学会や統一教会のような「単立宗教法人」は都道府県の所轄だった。 それでは全国的に活動している宗教法人を把握できない。改正によって単立宗教法人の所轄は、都道府県から文部大臣に変わった。 もう一つの改正点は、宗教法人から毎年度、役員名簿や財産目録、収支報告書といった最低限の書類を提出してもらう義務を課したことだ。信教の自由に触れる危険性があるため、活動報告のような書類の提出義務はなく、あくまで外形的な書類に限る。それらを通して、宗教法人が健全に活動していることを確認するという趣旨だ。 宗教法人法改正は、当時の文部大臣であった与謝野馨さんのトップダウンによる意思決定だった。大臣官房に法律改正チームをつくり、与謝野さんの秘書官だった私もチームに入って改正作業に携わった』、「宗教法人法改正」に「与謝野さんの秘書官」として「携わった」。
・『「提出された書類は、一切外に出しません」  Q:改正には宗教団体がかなり反発したと聞きます。 A:仏教もキリスト教も新宗教も、ほとんどの宗教法人が反対でした。創価学会も強く反発した。 文部省はオウム真理教の反省から宗教法人を野放しにするわけにはいかず、最低限の実態確認が必要だった。特定の宗教団体を狙い撃ちにしたものではなかったが、当時は自民党と新進党(現在の公明党)が敵対関係にあったから、自民党の一部の議員が創価学会攻撃のために宗教法人法改正を利用しようとした。それで文部省と創価学会との関係が悪くなった。 宗教法人法改正は前出の審議会にも意見うかがいをしたが、宗教法人からは「信教の自由に触れるのではないか」と批判の声が上がり、審議会は荒れた。当時の文化庁次長が最後には頭を下げて「なんとかこれを了解いただきたい。伏してお願いします」と言っていたのを覚えている。 その際、宗教関係者たちに「提出された書類は、一切外に出しません」と約束した。 Q:宗教法人法改正で提出が義務化された収支報告書などについて、東洋経済は過去に情報公開請求をして提出書類の開示を求めています。しかし、文化庁は書類の存否も明らかにせず、不開示としています。原因は改正時の「約束」でしょうか。 A:その通り。それに関しては私に責任がある。1999年に成立した情報公開法が国会に出されたとき、宗教団体の関係者が怒り出した。提出書類は開示しないという約束があったから法改正をのんだのに、提出書類が開示請求の対象になるとはどういうことだと。) 宗教法人側は「信教の自由」という言葉を不開示の理由として、情報公開法に入れるように求めてきた。 当時宗務課長だった私は、情報公開法案を準備していた総務庁(当時)と交渉したが、信教の自由だけを特別に不開示理由に入れることはできないと返された。そこで最終的には「権利」という言葉を情報公開法の条文に入れてもらうことにした。 Q:たしかに情報公開法の中にある不開示の理由の一つに、法人または個人の「権利、競争上の地位その他正当な利益を害するおそれがあるもの」と示されていますね。 A:当初、不開示理由の条文は「利益」だけだったが、「権利」という言葉が入った。その後、情報公開法を審議する内閣委員会で私は、不開示理由の権利には「信教の自由が入る」と答弁し、宗教法人の提出書類は不開示情報に当たると説明した。 つまり、宗務課長として「宗教法人法に基づいて提出された書類は不開示情報です」と釘を刺したわけだから、私に責任があるのです。 だからマスコミの皆さんが情報公開請求をしても、開示されることはない』、「宗務課長として「宗教法人法に基づいて提出された書類は不開示情報です」と釘を刺した・・・私に責任があるのです」、「宗教法人側」の猛反対を乗り切るための妥協だったようだ。
・『安易な開示は他の宗教団体の反発を招く  Q:共産党の宮本徹議員が、統一教会が文化庁に提出した名称変更の申請書の開示を求めたところ、名称変更の理由に当たる部分が黒塗りの状態で開示されました。 A:申請書も文化庁への提出書類の一種。書類を黒塗りにした理由は、統一教会の政治的背景が明らかになることを避けたわけではないだろう。 宗教法人が文化庁に提出した書類が安易に開示されると、他の宗教団体の反対を招く可能性がある。それを恐れたからだと思う。) Q:開示請求しても何も出てこない理由がわかりました。 A:自民党が公明党と連立を組んでいる間は開示されないと思う。 1999年の自民党と公明党の連立工作をしたのも与謝野さんだった。すでに都議会では自民党と公明党が組んでいた。都議会の公明党議員だった藤井富雄さんと自民党東京都連の与謝野さんが中心になって、国政レベルでの自公連立を実現させた。つまりこの時期、自公連立に向けて文部省と創価学会の関係が非常に大事だった。 宗務課長になったとき、与謝野さんに挨拶に行ったら「とにかく創価学会とは仲よくしてくれ」と言われた。先ほど言ったように、宗教法人法改正をめぐって文部省と創価学会は抜き差しならない対立関係になっていた。文部省としては創価学会に敵対心はない。その誤解を解くために、宗教法人法改正で提出が義務付けられた書類は一切出さないと約束した。 情報公開法以外でも宗教関係者に根回しする一環として、信濃町の創価学会本部に何度か足を運んで説明した。創価学会の秋谷栄之助前会長とも1回か2回、赤坂の料亭で与謝野さんと一緒に食事をしたことがある』、「文部省としては・・・宗教法人法改正で提出が義務付けられた書類は一切出さないと約束した」、「創価学会」に「約束」させられていたのでは、開示されない訳だ。
・『提出された書類は見たことがない  Q:自公連立を見越していい関係を築いていたということですね。 A:そうだ。与謝野さんからの秘密指令を受けて、とにかく仲よくした。「雨が降ろうと槍が降ろうと、自民党の大物政治家が文句を言ってきても、提出された書類は絶対に出しません」と。そうやって創価学会・公明党から信用してもらった。 Q:オウム事件を受けた宗教法人法改正は、文化庁が宗教法人の最低限の実態把握をするためのものでした。国民にはそう言いながら、宗教団体に対しては配慮をしていたと。 A:二枚舌だと言われればそうかもしれない。 Q:提出された書類をチェックする人はいるのでしょうか。 A:担当者はいる。収支計算書や財産目録の体をなしているかという最低限のチェックはするんだけど、それ以上のことはしない。宗務課長の私も一度も見たことがない。金庫に入れてしまってある。 【情報提供のお願い】東洋経済では、統一教会や他の宗教の問題について継続的に取り上げていきます。こちらのフォームへ、情報提供をお待ちしております』、さすが当時、「宗務課長」をされていただけあって、説明はクリアで、事情がよく理解できた。

次に、9月19日付け現代ビジネスが掲載した元足利市長の大豆生田 実氏による「自民党が旧統一教会と金輪際縁を切るための「リトマス試験紙」 反セクト法と脱会支援」を紹介しよう。
https://gendai.media/articles/-/99685?imp=0
・『自民党は旧統一教会と訣別を宣言し、「社会的に問題が指摘されている団体との関係は一切持たない」、「旧統一教会との関係を断てない議員は離党させる」などの方針を打ち出しました。 しかし、私にはいかにも“やってます感”をだして、鎮静化をはかろうとしているだけのように見えます。そんなレベルでは旧統一教会と自民党の関係性は絶対に解消しないと断言しておきます。 なぜなら、旧統一教会はこれまでのような表立った活動は控える一方で、上意下達の指示のもと、したたかに政治家本人、もしくはその側近と個人的な関係性を築き上げていくに違いないからです。それこそ、信者であることは悟られずに秘書やスタッフとして紛れ込んでくることさえあるでしょう。 そうなると、信者かどうか見分けることはもはや不可能です。同じ日本人の顔をし、日本語を話し、支援してくださる方の心の信仰までは誰も見極められません。 その意味で、岸田総理の言う「もう一段踏み込んだ実効的な体制の整備」が、前述のような取り組みだけではないことを祈っています』、「信者であることは悟られずに秘書やスタッフとして紛れ込んでくることさえあるでしょう。 そうなると、信者かどうか見分けることはもはや不可能です。同じ日本人の顔をし、日本語を話し、支援してくださる方の心の信仰までは誰も見極められません」、その通りだ。
・『旧統一教会との決別の「リトマス試験紙」  では「実効的な体制の整備」はどうすればいいのでしょうか? 8月29日に河野太郎大臣の肝いりで、霊感商法に関する対策検討会が立ち上がりました。これは主眼点が消費者被害とその対策ということであり、とても大事な切り口ですが、旧統一教会対策としては、ふたつの点で不十分だと言わざるを得ません。 ひとつは、旧統一教会の霊感商法による被害はあくまでも結果であり、その上流の原因をつくっているカルト問題に対する根本的な解決策になっていないということです。つまり、法規制の問題です。 もうひとつは、教育現場における教養として宗教教育の欠落、そして信者にさせられた人を脱会させ、救出する仕組みの欠落という点です。つまり、政治的・社会的支援の問題です。 ひとつ目の「法規制」ですが、旧統一教会の霊感商法などの違法な経済活動を行う宗教法人に対してはしっかりと課税をし、さらに罰則を用意するなどの宗教法人法の改正と、仮に加害者が末端の信者であっても組織的に違法行為を繰り返す旧統一教会に対しては、その認可を取り消すことができる反セクト法を制定し、宗教とカルトの線引きを明確にすべきです。) そして、そうした法規制の趣旨を踏まえた「宗教法人法の改正と反セクト法の制定」を公約として各政党及び各政治家が掲げられるかどうか、それが旧統一教会との決別の「リトマス試験紙」になりえると思います。 識者の中には、保守系と思える人であっても、そのような法整備について「信教の自由という観点から、それは難しい」だとか、「国家が恣意的に認可の取り消しをしかねないから、それは危険だ」などと難癖をつける人がいますが、それに対する反論は簡単で、私ならこう応えます。 「フランスでは反セクト法が制定されているではありませんか」』、「組織的に違法行為を繰り返す旧統一教会に対しては、その認可を取り消すことができる反セクト法を制定し、宗教とカルトの線引きを明確にすべき」、その通りだ。
・『被害者家族への脱会支援を  ふたつ目の点ですが、反セクト法を制定し宗教とカルトの線引きを明確にした上で、カルトに入らせない社会づくりの一環として、教育現場で宗教とは、カルトとは、どういうものなのかを教養として教えていくことが、カルト被害の予防にもつながると思います。 そして、旧統一教会のみならず、カルト認定された新興宗教に入ってしまった人を救出するための公的な支援がどこまでできるか、そのための国民のコンセンサスをどのように醸成することができるか、という視点も検討すべき課題として提起しておきたいと思います。 カルトに入った信者の脱会に向けた話し合いは、家族だけでできるものではありません。 たとえば、旧統一教会からの脱会に向けた家族の話し合いがあったとします。 旧統一教会の信者からすれば、家族に対して「家族のために献身して、旧統一教会の教えのとおり、献金をしたり、物を売ったりして頑張っているのに、何でわかってくれないの」となりますし、家族からすれば「なんでマインドコントロールされているのがわからないんだ。もっとこちらの話を聞きなさい!」となります。 加えて、どこの家庭にもある些細な過去の家族間のいざこざがあいまって、結局、話し合いにすらならない場合がほとんどです。 旧統一教会からの脱会に向けた取り組みは、何の社会的支援もないまま、小さなグループで断続的に行われているのが現状です。私の知る脱会カウンセラーの方は、脱会した元信者の方々やその家族の方々とともに、数十年にわたり脱会カウンセリングをボランティアでなさっていらっしゃいますが、それだけでは自ずと限界があります。) 脱カルトのための脱会カウンセリングの公的支援が必要な理由がここにあるのです。 以上、この2点について、岸田政権が国家国民のために結果を出すことができれば、その時こそ本当の意味で、私は「自民党は旧統一教会と決別した」と評価したいと思います』、同感である。

第三に、9月26日付けAERAdot「旧統一教会に対する「解散請求」にそそり立つ壁 なぜ反社会的な団体を解散できないのか?」を紹介しよう。
https://gendai.media/articles/-/99685?imp=0
・『9月16日、世界平和統一家庭連合(旧統一教会)による被害の救済と根絶に取り組んできた全国霊感商法対策弁護士連絡会(全国弁連)が東京都内で集会を開催し、問題解決に向けた声明を発表した。旧統一教会に家庭を破壊され、恨みを募らせた山上徹也容疑者が安倍晋三元首相を射殺してから2カ月以上が経過。オンラインを含めた集会には弁護士や牧師、僧侶、報道関係者のほか、約20人の国会議員が参加した。声明には教団への解散請求を含めたさまざまな対策が盛り込まれたが、課題も浮き彫りになった。 「旧統一教会の解散を実現しなければならない。それが無理であれば、教団の活動を規制するガイドラインをつくって政令で明示するなど、実現可能な何らかの結果を出さなければならない。そのためには今の状況のなかでできることを最大限にやる。今日集まった弁護士は全員、同じ気持ちだと思います」 こう語ったのは全国弁連の代表世話人である山口広弁護士。ときに声を荒らげながら、「時間的な余裕はない」と、焦りをにじませた。 世間では旧統一教会に対する強い批判の声が上がっている。だが、世論は移ろいやすい。30年前もそうだった』、「30年前もそうだった」、もう忘れたが、何があったのだろう。
・『“嵐”が過ぎ去るのを待っている  1992年、韓国で行われた統一教会の合同結婚式に桜田淳子らが参加したことが大きな話題となった。しかし、高額な献金や信教の自由の侵害など、問題の本質に目が向けられることはほとんどなく、以後、「空白の30年」が続いた。 「旧統一教会は今、ひたすら身をかがめて嵐が過ぎ去るのを待っていますよ。教団とつながりの深い自民党もそうでしょう。残念ながら、今回の騒ぎも30年前と同様に半年もすれば終わると思います。そうしたらまた元に戻る。私たちの活動は焼け石に水ですよ」 脱会信者らの支援活動を続けてきた竹迫之(たけさこ・いたる)牧師は、以前の取材で、そう苦々しく語っていた。 いまも「彼ら(旧統一教会信者)との関係を悪化させたくない」と、筆者に語る議員もいる。旧統一教会と一部政治家は持ちつ持たれつの便利な存在なのだ』、「韓国で行われた統一教会の合同結婚式に桜田淳子らが参加」、これなら知っているが、この話だったとは拍子抜けだ。
・『解散請求に不可欠な調査  宗教法人法では、法令に違反し、著しく公共の福祉を害する行為などがあった場合、裁判所は所轄庁などの請求を受け、解散を命令できる。 全国弁連はこの解散請求を旧統一教会対策の本丸と位置づける。 「長年にわたりこれほど経済的、精神的に被害を生じさせてきた団体に対して『解散できない』というのは明らかにおかしい。それは広く国民のみなさまにおいてもご賛同いただけるものと考えております」と、井筒大介弁護士は訴える。 一方、川井康雄弁護士は解散請求について「現時点の材料で認められると、安易に考えているわけではない」と言う。 いったい欠けているのは、何か?  旧統一教会が宗教法人であることを隠した伝道活動の違法性が認められているが、「そのような活動が全国47都道府県で行われているという裏づけが必要です」(川井弁護士)。 さらに重要なのは資金の流れの解明という。 「旧統一教会が毎年提出している財産目録や収支計算書が本当に実際の献金どおりに記載されているのか。そこに虚偽があれば宗教法人として罰則が科せられます。さらに関連会社などにおける事業収益で脱税が行われていないか、お金の流れを明らかにすることが大切です」(同) だが、当然のことながら、弁護士には捜査権がない。国が調査に乗り出さなければ証拠は集まらない。 さらに山口弁護士は別なハードルを挙げる。 「旧統一教会に対して解散請求を不用意に行えば宗教界は総反発するでしょう。解散請求は決して宗教界全体におよぶものではなく、霊感商法的な行き過ぎた活動に対するものですと、きちんと説明して、ご理解いただく努力が必要だと思います」』、「解散請求は決して宗教界全体におよぶものではなく、霊感商法的な行き過ぎた活動に対するものですと、きちんと説明して、ご理解いただく努力が必要」、いくら「説明して」も、「ご理解いただく」のはハードルが高そうだ。
・『現実的な消費者庁との連携  宗教法人の所轄庁は文部科学大臣である。しかし、これまでの経験から「文科省を動かすのは極めて難しい」と山口弁護士は実感する。解散請求に向けて時間を費やしている間に国民の関心が薄れてしまえば、国は動かないだろう。そのため、全国弁連内部ではさまざまな議論が飛び交っているという。 そんななか、山口弁護士が期待を寄せるのは、消費者庁のフットワークの良さだ。実際、同庁では「霊感商法等の悪質商法への対策検討会」が開かれている。この検討会について川井弁護士は「議論は非常にありがたいことです」と述べ、消費者保護の観点から全国弁連内部で主に三つの法令について議論していることを明かした。消費者契約法(消契法)または特定商取引法(特商法)の改正、もしくは新法の立ち上げである。 ただ、いずれの案にしても旧統一教会の霊感商法をどのように法律のなかに盛り込むかが大きな課題となる。 旧統一教会は正体を隠して伝道を行い、相手を知らず知らずのうちに教義を疑わない“かたい信者”にしたところで高額な物品を売りつける。集会の会場に展示された『天聖経』は430万円。『聖本』にいたっては3千万円。代金は「献金」として教団に渡される。商取引ではないので領収書は発行されない。さらに信者には被害者であるという意識もない。 「このような献金被害を消契法あるいは特商法で規定するのは本当に難しい。新法をつくるとしてもどういう規定にするのか。旧統一教会が組織的に被害者の信教の自由を奪い、財産権を侵害していることは明らかですから、私は解散請求で対応することが一番いいと思っています」(川井弁護士)』、「『天聖経』は430万円。『聖本』にいたっては3千万円。代金は「献金」として教団に渡される。商取引ではないので領収書は発行されない。さらに信者には被害者であるという意識もない」、「私は解散請求で対応することが一番いいと思っています」、確かにその通りだ。
・『日本はカルトの吹きだまり  一方、阿部克臣弁護士は「消契法や特商法を使いやすいように改正すれば、さまざまなカルトと戦う『武器』が増える」と、メリットを挙げ、こう続けた。 「いま、日本は世界中から有象無象のカルトが集まる、まるでカルトの吹きだまりのような状況になっている」 日本脱カルト協会の代表理事を務めた故・高橋紳吾さんによると、1970年代、欧州では日本と同様、旧統一教会の活動が猛威を振るった。その後、EC(ヨーロッパ共同体)や加盟諸国は次々とカルト対策を打ち出し、旧統一教会はほぼ撤退した。 「一方、日本は1995年にオウム真理教による無差別殺人事件という甚大な被害を経験した国であるにもかかわらず、カルトについての抜本的な解決策を見いだせないまま今日にいたっています。旧統一教会による被害も根絶されないままです」(阿部弁護士) なぜ、日本ではカルト対策がほとんど打ち出されてこなかったのか。前述の山口弁護士は、こう説明する。 「神道と結びついた戦前の宗教行政の反省に立って、行政が宗教界に干渉することはよくないこととされてきました。しかしながら、旧統一教会による多大な被害が長年続いてきた現実があります。さらにこれまで細々と看板を掲げてきたさまざまなカルトの“メシア”たちがウェブ社会になってからインターネットを通じて信者を増やしている。それをめぐるトラブルの相談が最近とても増えています。本当にこの機会に宗教行政を根本から問い直さなければダメだと思います」』、「いま、日本は世界中から有象無象のカルトが集まる、まるでカルトの吹きだまりのような状況になっている」、みっともない限りだ。早急に対策を打つ必要がある。
・『カルト問題は宗教問題か  ちなみに、カルト対策の先進国、フランスの反セクト(カルト)法は教義の内容には踏み込まない。個々の教団の活動によって生じた被害のみを問題としてとらえる。カルト問題は宗教問題ではない、という姿勢を明確にしている。 「反セクト法を日本に直輸入するわけにはいきませんが、示唆に富むものだと感じています」(山口弁護士) 安倍晋三元首相銃撃事件をきっかけにして30年ぶりに浮上した旧統一教会問題。5年後、10年後、結局何も変わらなかった、としてはならない』、「教義の内容には踏み込まない。個々の教団の活動によって生じた被害のみを問題としてとらえる」「フランスの反セクト(カルト)法」を叩き台にして、「日本」に適合した形で立法化する必要がある。

第四に、10月5日付け東洋経済オンライン「統一教会へ「解散命令」請求をしない文化庁の謎 「信教の自由」を理由に及び腰な政府の姿勢」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/622526
・『安倍晋三元首相が銃撃され死亡した事件の背景には、「宗教」の影があった。10月3日発売の週刊東洋経済は「宗教カネと政治」を特集。 「世界平和統一家庭連合」(旧統一教会、以下、統一教会)をめぐっては、信教の自由を理由にした行政の及び腰な姿勢が浮き彫りになった。文化庁は野党のヒアリングにおいて、統一教会は現時点で解散命令を請求する対象に当たらないとの見解を示した。九州大学の南野森教授(憲法学)に信教の自由はどこまで保障されるのか、話を聞いた(Qは聞き手の質問、Aは南野森教授の回答)。 Q:宗教法人に対する解散命令請求は過去に2例しかなく、文化庁は慎重な姿勢です。 A:大前提として、宗教法人を解散させることは、信教の自由の直接的な侵害には当たらない。1996年に解散命令が出されたオウム真理教の最高裁判所決定でも、同様の判断が示されている。 宗教法人格がなくなると、税制上の優遇といった「特典」がなくなるが、宗教団体としての活動は維持できる。信教の自由と宗教法人としての特権が失われることは、切り分けて議論する必要がある。 過去に解散命令が出された2例はオウム真理教と、2002年の明覚寺だ。明覚寺は霊視商法で一般の人を脅して献金を集めた。この点で統一教会と類似する』、「宗教法人格がなくなると、税制上の優遇といった「特典」がなくなるが、宗教団体としての活動は維持できる。信教の自由と宗教法人としての特権が失われることは、切り分けて議論する必要がある」、そうであれば、「解散」させてもよさそうだ。
・解散要件は抽象的  Q:宗教法人法の解散要件には、「法令に違反して、著しく公共の福祉を害すると明らかに認められる行為をしたこと」とあります。過去の2例と比較して、どう位置づけられますか。 A:この解散要件は非常に抽象的だ。過去の2例は、教団の教祖や幹部が刑事事件で逮捕されている。そのため文化庁は、刑事裁判で宗教法人本体の役員などの責任が認められないと解散要件に当てはまらないと解釈している。 文化庁の解釈は官庁の法解釈として一定の権威があるが、あくまで行政の基準だ。最終的な解散命令は裁判所の判断になる。その前の段階で、文化庁がふるいにかけすぎて裁判所の判断を仰がないでいる。はたしてそれでいいのか。 Q:2009年、霊感商法で印鑑販売をしていた統一教会傘下の販売会社「新世」の幹部が逮捕され、特定商取引法違反で懲役刑を下されています。それでも宗教法人本部には捜査が及びませんでした。A:この事件の判決で、販売会社は全社員が信者であると認定され、統一教会の信仰と一体となったマニュアルを基にした組織的な犯行だと認定された。しかし、法的には販売会社は宗教法人である統一教会とは別法人になる。法人を分けている点こそが、統一教会のいわば巧妙な点だ。 (南野森氏の略歴はリンク先参照) 統一教会は過去の裁判で、霊感商法や献金強要が違法行為であると繰り返し認定されている。その判例の多さは、ほかの宗教団体の比ではない。統一教会の巧妙なやり方と、類を見ないほど多い判例をどう評価するか。その点が裁判所に問われることになる。統一教会の特殊性を考えると、2例に縛られない新しい判断をすべきだと思う。 解散命令が難しいにしても、ほかにやるべきことはある。1つは優遇税制の見直しだ。おそらく、ほかの宗教団体の反発があるため、政治的合意を得るのはかなり難しいだろうが、そこにメスを入れるべきではないか』、「最終的な解散命令は裁判所の判断になる。その前の段階で、文化庁がふるいにかけすぎて裁判所の判断を仰がないでいる」、「解散命令が難しいにしても、ほかにやるべきことはある。1つは優遇税制の見直しだ」、その通りだ。
・『税制上の優遇に応じた責務  税制上の優遇を享受しているならば、その特典に応じた責務がある。詐欺的な集金を行っていないか、外為法に触れるような海外送金をしていないか、こうしたお金の流れを明らかにする必要があるが、透明化されていない』、「お金の流れを」、「透明化さされていない」というのは問題だ。思い切って「透明化」させるべきだろう。
・『過去に解散になった宗教法人  献金額に具体的な上限を設けるといった案も出ているが、現実的には難しいだろう。しかし、文化庁あるいは税務当局がお金の流れを明らかにしたり、行政が相談窓口を設けて被害相談数を公表したりといったことで、一定程度の透明化はできる。消費者庁や消費生活センターが、相談件数や内容を公表しているのと同じで、宗教団体に関する相談やクレームの公開を検討すべきだ。) Q:統一教会だけでなく、文化庁に提出された宗教法人の財務諸表などの文書は公開されません。 A:税制優遇を受けている場合や、ほかの公益法人であれば透明化されるべきお金の流れが、宗教法人になるとベールに包まれる。信教の自由が錦の御旗になっているからだ。しかし、行政がお金の流れを公開しても、信教の自由を侵害することにはならない。お金の流れを公開されて困るような宗教団体は、そもそも宗教法人として保護する必要性に欠ける。 宗教法人法は宗教団体に対する性善説に基づいている。統一教会に限らず、宗教であることを隠れみのにして、反社会的な行為をする団体が紛れ込んでいる可能性がある。しかし信教の自由を盾にされると、どこまで介入していいのか、行政側も腰が引けてしまう。 信教の自由は無制約ではない。心の信仰は守られても、外形的に違法行為や反社会的な行為をすれば制裁を受けるのは当然だ。憲法上の権利が無制約ではないことは、ほかの権利も同じ。表現の自由は名誉毀損やプライバシー侵害に当たれば制約されることは、よく理解されている。ところが、信教の自由になると急に及び腰になる』、「表現の自由は名誉毀損やプライバシー侵害に当たれば制約されることは、よく理解されている。ところが、信教の自由になると急に及び腰になる」、不思議だが、第一の記事にある「宗教法人」の別格扱いが影響しているのだろうか。
・『「カルトSOS」が必要  Q:宗教2世の当事者からは、子どもの信教の自由が侵害されているという声が上がっています。ただ、親が教育する権利も保障されています。 A:そこは一番の難題だ。家庭の中に公権力がどれくらい踏み込めるのかという問題になる。児童虐待と同様に、虐待が疑われる、学校に行かせないなど外形的に見える部分にしか介入できないだろう。 例えば、カトリックでは幼児洗礼がある。それを、成人になってから自分の意志で洗礼を受けるようにと国家が決めるのは、信教の自由を侵害すると教会側は反発するだろう。宗教や親の側からすると、信仰の継承はとても重要な価値だ。「子どもを洗脳してはダメ」と言うのは難しい。 ただ、子どもが助けを求めたり、相談できたりする窓口は必要だ。フランスではカルト問題に悩む人が電話できる窓口がある。日本でも「カルトSOS」といった電話相談窓口を早急に設置する必要がある。子どもの異変に気づいた学校の先生など、周囲も相談できる窓口だ。こども家庭庁に窓口を一本化し、そこで2世問題に対応するのも一案だろう。 Q:行政機関に相談しても宗教が絡むと介入できないと聞きます。 A:2世の人たちが、育児放棄に遭ったり、経済困窮に陥ったりしていても、行政や警察は「宗教の問題だから」と立ち入ろうとしない。だが、児童相談所の仕事は家庭の中に入ることだから、信教の自由があるからといって、ひるむ必要はない。宗教に対する知識不足や誤解が、さまざまな不幸を生んでいると思う』、「日本でも「カルトSOS」といった電話相談窓口を早急に設置する必要がある。子どもの異変に気づいた学校の先生など、周囲も相談できる窓口だ。こども家庭庁に窓口を一本化し、そこで2世問題に対応するのも一案だろう」、面白い提案だ。「児童相談所の仕事は家庭の中に入ることだから、信教の自由があるからといって、ひるむ必要はない。宗教に対する知識不足や誤解が、さまざまな不幸を生んでいると思う」、その通りだ。
タグ:安倍元首相暗殺事件 (その4)(文化庁が宗教法人と交わした「裏約束」の正体 統一教会・名称変更文書「黒塗り」の根本原因、自民党が旧統一教会と金輪際縁を切るための「リトマス試験紙」 反セクト法と脱会支援、旧統一教会に対する「解散請求」にそそり立つ壁 なぜ反社会的な団体を解散できないのか?、統一教会へ「解散命令」請求をしない文化庁の謎 「信教の自由」を理由に及び腰な政府の姿勢) 東洋経済オンライン「文化庁が宗教法人と交わした「裏約束」の正体 統一教会・名称変更文書「黒塗り」の根本原因」 「前川」氏が当時、「文化庁で宗教法人を担当する宗務課長だった」とは、めぐり合わせを感じる。 「1997年当時、私は申請前の事前相談の段階で「認証はできないので、申請はしないでください」とお願いし、先方は納得のうえで引き下がった。そこに違法性はない」、剛腕の「前川」氏らしいやり方だ。「2015年の名称変更のとき、前川さんは文科相、事務次官に次ぐ審議官という立場でした。 A: 当時の宗務課長が「統一教会の名称変更の申請がきているから認証する」と説明に来た。私が認証すべきでないと言ったら、宗務課長が非常に困った顔をしていたのを覚えている。しかし、結果的に認証はすることになったので、私の上の人が認証する意思を持っていたことになる。つまり事務次官か、大臣のどちらかだ」、「名称変更時の事務次官は科学技術省系。つまり、名称変更の認証のとき、私の上には事実上大臣(下村博文氏)しかいなかった」、やはり「下村博文氏」が「認証する意思を持っていた」のだろう。 「宗教法人法改正」に「与謝野さんの秘書官」として「携わった」。 「宗務課長として「宗教法人法に基づいて提出された書類は不開示情報です」と釘を刺した・・・私に責任があるのです」、「宗教法人側」の猛反対を乗り切るための妥協だったようだ。 「文部省としては・・・宗教法人法改正で提出が義務付けられた書類は一切出さないと約束した」、「創価学会」に「約束」させられていたのでは、開示されない訳だ。 さすが当時、「宗務課長」をされていただけあって、説明はクリアで、事情がよく理解できた。 現代ビジネスが掲載 大豆生田 実氏による「自民党が旧統一教会と金輪際縁を切るための「リトマス試験紙」 反セクト法と脱会支援」 「信者であることは悟られずに秘書やスタッフとして紛れ込んでくることさえあるでしょう。 そうなると、信者かどうか見分けることはもはや不可能です。同じ日本人の顔をし、日本語を話し、支援してくださる方の心の信仰までは誰も見極められません」、その通りだ。 「組織的に違法行為を繰り返す旧統一教会に対しては、その認可を取り消すことができる反セクト法を制定し、宗教とカルトの線引きを明確にすべき」、その通りだ。 AERAdot「旧統一教会に対する「解散請求」にそそり立つ壁 なぜ反社会的な団体を解散できないのか?」 「30年前もそうだった」、もう忘れたが、何があったのだろう。 「韓国で行われた統一教会の合同結婚式に桜田淳子らが参加」、これなら知っているが、この話だったとは拍子抜けだ。 「解散請求は決して宗教界全体におよぶものではなく、霊感商法的な行き過ぎた活動に対するものですと、きちんと説明して、ご理解いただく努力が必要」、いくら「説明して」も、「ご理解いただく」のはハードルが高そうだ。 「『天聖経』は430万円。『聖本』にいたっては3千万円。代金は「献金」として教団に渡される。商取引ではないので領収書は発行されない。さらに信者には被害者であるという意識もない」、「私は解散請求で対応することが一番いいと思っています」、確かにその通りだ。 「いま、日本は世界中から有象無象のカルトが集まる、まるでカルトの吹きだまりのような状況になっている」、みっともない限りだ。早急に対策を打つ必要がある。 「教義の内容には踏み込まない。個々の教団の活動によって生じた被害のみを問題としてとらえる」「フランスの反セクト(カルト)法」を叩き台にして、「日本」に適合した形で立法化する必要がある。 東洋経済オンライン「統一教会へ「解散命令」請求をしない文化庁の謎 「信教の自由」を理由に及び腰な政府の姿勢」 「宗教法人格がなくなると、税制上の優遇といった「特典」がなくなるが、宗教団体としての活動は維持できる。信教の自由と宗教法人としての特権が失われることは、切り分けて議論する必要がある」、そうであれば、「解散」させてもよさそうだ。 「最終的な解散命令は裁判所の判断になる。その前の段階で、文化庁がふるいにかけすぎて裁判所の判断を仰がないでいる」、「解散命令が難しいにしても、ほかにやるべきことはある。1つは優遇税制の見直しだ」、その通りだ。 「お金の流れを」、「透明化さされていない」というのは問題だ。思い切って「透明化」させるべきだろう。 「表現の自由は名誉毀損やプライバシー侵害に当たれば制約されることは、よく理解されている。ところが、信教の自由になると急に及び腰になる」、不思議だが、第一の記事にある「宗教法人」の別格扱いが影響しているのだろうか。 「日本でも「カルトSOS」といった電話相談窓口を早急に設置する必要がある。子どもの異変に気づいた学校の先生など、周囲も相談できる窓口だ。こども家庭庁に窓口を一本化し、そこで2世問題に対応するのも一案だろう」、面白い提案だ。 「児童相談所の仕事は家庭の中に入ることだから、信教の自由があるからといって、ひるむ必要はない。宗教に対する知識不足や誤解が、さまざまな不幸を生んでいると思う」、その通りだ。
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