SSブログ

防衛問題(その14)(安倍政権 米兵器購入費「減免」受けず年間最大39億円の損、イージス・アショアに町を滅ぼされる…山口県阿武町の住民の「怒り」 現地ルポで見えた あまりの理不尽さ、防衛大「教員が首謀し、約200人の学生が関与した詐欺事件」の全容 防衛省から補助金をだまし取った手口) [国内政治]

防衛問題については、昨年9月13日に取上げた。今日は、(その14)(安倍政権 米兵器購入費「減免」受けず年間最大39億円の損、イージス・アショアに町を滅ぼされる…山口県阿武町の住民の「怒り」 現地ルポで見えた あまりの理不尽さ、防衛大「教員が首謀し、約200人の学生が関与した詐欺事件」の全容 防衛省から補助金をだまし取った手口)である。

先ずは、昨年11月16日付け日刊ゲンダイ「安倍政権 米兵器購入費「減免」受けず年間最大39億円の損」を紹介しよう。
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/264854
・『米政府を通じて兵器を購入する「対外有償軍事援助(FMS)」で、政府は、協定を結べば得られる減免措置を取っていなかったことが会計検査院の調査で発覚。16日の東京新聞が報じている。 防衛省がFMSで兵器を購入する場合、品質保証などの手数料として、本体価格の1・2%が上乗せされる。米国と協定を結べば手数料は減免されるが、同省は協定を結んでいなかった。会計検査院の指摘を受け、防衛省が確認したところ韓国や英国、フランスなど18カ国は0・5~1・2%の減免措置を受けていたという。 日本のFMSでの兵器調達額は2018年度で約4078億円。うち、減免対象となる兵器購入額は約3314億円だった。仮に日本が減免措置を受けた場合、16億~39億円を“節約”できた可能性がある。FMSは兵器納入後に米側が金額を精算する制度で、「米国の言い値」との批判が上がる。安倍政権はFMSで武器を“爆買い”している上、節約できたカネまで米国に支払っているのだから許しがたい』、「韓国や英国、フランスなど18カ国は0・5~1・2%の減免措置を受けていた」のに、「防衛省」は「減免」のための「協定を結んでいなかった」、会計検査院の指摘で初めて発覚したとは、気前がいい話だ。安く済まそうなどという発想ははなからないのだろう。

次に、ジャーナリストの半田 滋氏が12月14日付け現代ビジネスに掲載した「イージス・アショアに町を滅ぼされる…山口県阿武町の住民の「怒り」 現地ルポで見えた、あまりの理不尽さ」を紹介しよう。
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/69199
・『配備が予定される地元の反発を招いている地対空迎撃システム「イージス・アショア」。河野太郎防衛相が「ゼロ・ベース」での再検討を指示したことを受けて、秋田市の新屋演習場への配備は「見直し」と報道される一方、山口県萩市のむつみ演習場への配備は「現状維持」と伝えられ、明暗が分かれた。 そこで、実際にむつみ演習場にイージス・アショアが配備されれば、レーダー波(電磁波)をまともに浴びかねないレーダー正面にある町の阿武町に入り、問題点を探った』、どんな「問題点」があるのだろう。
・『グーグル・アースで場所を決められた  「見た通り、イージス・アショアが置かれる予定の東台より、高いのがわかるでしょう」 案内してくれた萩市議の宮内欣二さんは、むつみ演習場の目の前にある小高い丘、西台を指さした。 防衛省がイージス・アショアの配備を計画する、むつみ演習場のある丘・東台側から見渡すと、確かに西台の方が高く見える。事実、東台は標高539・2メートルなのに対し、西台は570・6メートルと31・4メートルも高い。 東台と西台を結んだ先に日本海があり、さらにその先にあるのが北朝鮮だ。北朝鮮から発射された弾道ミサイルを探知しようと東台からレーダー波を出せば、西台が邪魔になる。 防衛省はこの西台を避けるため、仰角を5度以上にしてレーダー波を出すという。地球は丸いので、北朝鮮から発射された弾道ミサイルは日本海から飛んでくるように見える。だから、レーダーは水平に近ければ近いほど探知が早い。たとえ5度であっても上向きにすれば、その分だけ探知が遅れることになる。 防衛省はイージス・アショアの適地を決める際、グーグル・アースの縮尺を読み間違えて、秋田市の新屋演習場を「適地」と判断していたことが判明している。むつみ演習場の選定もグーグル・アースを利用した。 仮に防衛省の担当者が実際に阿武町に入り、西台が障害物のように立ちふさがる地形を見ていたとすれば、果たしてむつみ演習場を「適地」と判断しただろうか。 宮内さんは「山口県には日本海のあちこちに無人島がある。なぜそちらがイージス・アショアの候補地にならなかったのか」といぶかる』、こちらも「新屋演習場」と同様に「グーグル・アース」の利用ミスなのだろう。現地視察もせずに決めたとすれば、防衛省の作戦遂行能力が疑われる。
・『ドクターヘリの運航に影響  まともな調査が行われなかった疑いは、 西台の頂上にラジコン飛行機の滑走路があることからもうかがえる。滑走路は急患輸送のためのドクターヘリの離発着場を兼ねており、ドクターヘリにレーダー波が当たれば、計器類が狂い、墜落の危険を招きかねない。 防衛省は今年5月にあった地元説明会で「西台ラジコン飛行場の運用のあり方については今後、山口県などと相談する」として、事実上、ドクターヘリの運航に影響が出ることを認めた。 萩市消防本部によると、阿武町へのドクターヘリの出動は過去5年間で13件あり、うち3件は西台ラジコン飛行場を使用した。阿武町には他に2カ所、ドクターヘリの発着場があり、必要に応じて使い分けている。西台ラジコン飛行場の運用見直しは、住民の生命にかかわる重大な問題ではないだろうか。 それだけではない。イージス・アショアの配備予定地に近い東台近くには3軒の農家が作る白菜畑がある。そのうちの一軒、白松博之さんの白菜畑は東台から約200メートルのところに位置している。 防衛省は前出の地元説明会で「レーダーの保安距離は半径230メートルに設定し、一般の方々が立ち入らないように制限する」と説明した。裏を返せば、レーダーから半径230メートル以内は人体への影響があり、危険だということだ。 白松さんは「息子に白菜づくりを続けろとは言えない。農業をやめるしかない」と話す。23年前の転落事故で車椅子の生活を与儀なくされ、耕作は息子たちが引き継いだ。自身は農家民宿を立ち上げる一方、自然に恵まれた阿武町の魅力を都会の人に知ってもらう「お試し移住」の旗振り役を務めた。 「阿武町に移住して農業をしたい」。そんな相談は年に10数件あった。しかし、イージス・アショアの候補地と防衛省が発表した昨年6月以降の問い合わせはゼロになった。 「強力なレーダー波を浴びるかも知れない町に、だれも移住しようとは思わない。風評被害だけでも町は駄目になる」』、地域再生の努力も水泡に帰したようだ。
・『「レーダー波」防衛省は安全と言うが…  防衛省は地元対策として今年3月、新屋演習場、むつみ演習場の2カ所に陸上自衛隊の中距離地対空ミサイル「中SAM」のレーダーを持ち込み、電磁波の影響を調べた。その結果、前出の「230メートル離れれば安全」を打ち出した。 しかし、宇宙空間まで届くイージス・アショアの出力は、中SAMのレーダーとは比べものにならないほど大きい。また、強力なレーダー波ほど「サイド・ローブ」と呼ばれる横漏れする電磁波も強い。レーダーは機種ごとに特性があり、米国で新しく開発する日本版イージス・アショア専用のレーダー「LMSSR」の完成を待って実測しなければ意味がないといわれる。 健康に不安を感じる住民らは、防衛省の地元説明会に先立つ今年1月、萩市で緊急講演会を開いた。講師として招かれた電磁波環境研究所長の荻野晃也さんは電磁波が人体に及ぼす様々な健康被害の可能性を指摘し、「強力な電磁波は3kmまではとても強く、10km程度までは用心が必要だ」と話した。 イージス・アショアの配備予定地から3km以内には、民家や小学校、診療所、道の駅、酒造場、牛舎・豚舎、農地など阿武町の生活圏がそっくり入る。西台によって「サイド・ローブ」がすべて跳ね返される訳ではない。この後にあった防衛省の地元説明会で、いくら防衛省が「安全」を強調しても、住民らは納得するはずもなかった。 さらに、阿武町にはレーダー波どころか、発射する迎撃ミサイルの第1弾ロケットにあたるブースターが落下する危険さえある。防衛省は「遠隔操作でむつみ演習場内に落下させる」と説明しているが、まともに受け取る住民はまずいない。 昨年10月12日には、萩市議会に出席した防衛省の五味賢至戦略企画課長(当時)が迎撃ミサイルの2段目、3段目ロケットの落下場所について「絶対に陸上に落ちないとは言えないが、弾道ミサイルがわが国領域に直撃することと比較すると、被害は比べものにならない」と発言、市議会に出席していた阿武町の花田憲彦町長が「町民に犠牲になれと言うのか」と激怒する場面もあった』、「町長」が「激怒する」のも当然だ。
・『「過疎脱却」の努力は踏みにじられる  花田氏がイージス・アショアの配備計画に怒る理由は、ほかにもある。日本海に面した阿武町は、豊かな自然に恵まれ、「平成の大合併」でも萩市との合併を避けて単独で歩む道を選んだ。日本初の「道の駅」をつくった構想力を生かし、農業の法人化や若者の定住策づくりに積極的に取り組んだ。 町職員だった花田氏はそうした取り組みを引き継ぎ、「選ばれる町をめざす」を掲げて移住を呼び込み、過疎の町からの脱却を目指してきた。 その成果は着実に上がり、人口の社会増は5年間で3・9%のプラスと全国で17位。町の人口は社会増よりも自然減が上回り、3274人と減少傾向にあるものの、独自の取り組みは山口県内外の自治体から注目を集めてきた。 花田氏はインタビューの中で「その移住者から『イージス・アショアがあったのならIターンの選択肢はなかった』と言われた。移住がなければこの10年間で300人減り、後継者不足から産業も衰退していたのではないかと思う。町が大事にしてきた施策をひっくり返すのか。そこに一番の憤りがある。ある意味で町の存亡に関わることだ」(6月21日、河北新報)と述べている』、「阿武町」は地域再生のモデルになるような努力を重ねて、「人口の社会増は5年間で3・9%のプラス」と成果を上げてきたのに、それが水泡に帰す悔しさは十分に理解できる。
・『そこまでして「対米追従」か  これほど阿武町を追い込むイージス・アショアは、どのように導入が決まったのだろうか。 2015年、防衛省はミサイル防衛対応のイージス護衛艦を4隻から8隻に倍増させることを決め、現在、7隻目と8隻目の建造を進めている。日米で共同開発中の新型迎撃ミサイルの性能向上もあって、ミサイル防衛はイージス護衛艦の追加で十分というのが防衛省の判断だった。 しかし、安倍晋三首相は2017年2月にあったトランプ米大統領との首脳会談で米国製品の大量購入を求められ、この後の首脳会談でも毎回、米国製武器の「爆買い」を迫られて応じたのがイージス・アショアの導入であり、F35戦闘機105機の追加購入だ。 つまり、イージス・アショアの導入は、安倍政権の延命策でもある対米追従のためだったのである。 防衛上の理由からではなく、政権維持のために、阿武町の人々の努力を国がちゃぶ台返しする。そんな理不尽があっていいはずがない』、「イージス・アショアの導入」は「防衛上の理由からではなく、政権維持のために、阿武町の人々の努力を国がちゃぶ台返しする」、確かに「そんな理不尽があっていいはずがない」、その通りだ。

第三に、ジャーナリストの松岡 久蔵氏が3月7日付け現代ビジネスに掲載した「防衛大「教員が首謀し、約200人の学生が関与した詐欺事件」の全容 防衛省から補助金をだまし取った手口」を紹介しよう。
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/70757
・『自分の妻が経営する貸別荘に…  「まさか200人もの防衛大学生が、福利厚生を利用した『補助金詐欺』の片棒を担いでいたなんて誰も思いませんよね。これだけ大きな詐欺事件だったのに、事件そのものを知らなかったという人が大半なのではないでしょうか」 今回情報提供してくれた防衛省関係者は、こう話す。 事件自体は、昨年9月18日に自衛隊によって発表されている。まず、その中身を確認しよう。 防衛大学校訓練部の40代の3等海佐が同日、陸上自衛隊の警務隊(自衛隊内の司法警察職務にあたる組織)に逮捕された。容疑は、自分の妻が経営する貸別荘に、実際には宿泊していない隊員やその家族が宿泊したと虚偽申請し、防衛省から支給される補助金をだまし取ったというもの。 少し説明が必要だろう。自衛隊員の福利厚生事業を担う「防衛省共済組合」では、提携する宿泊施設に自衛隊員とその家族が宿泊する際、1人1泊につき補助金2000円を支給している(同額が宿泊代金から差し引かれるようになっている)。3佐はその仕組みを利用し、いわば「カラ宿泊」を大量に申請したというわけだ。 防衛大は「個人が特定される」として3佐の氏名や年齢を公表せず、また警務隊が捜査中であることを理由に、詐取した金額も明らかにしなかった。 しかし先の防衛省関係者によると、防衛大側がこの3佐の氏名や年齢をはじめ、詳細を明らかにしない本当の理由は、実は事件に多数の防大生が絡んでいたためなのだという。詳細を聞いてみよう』、「200人もの防衛大学生が、福利厚生を利用した『補助金詐欺』の片棒を担いでいた」、のに闇に葬ろうとする隠蔽体質は大問題だ。
・『防衛大学校の元准教授  「この主犯の3佐は英語が堪能な防衛大学校教官で、『マイケル』というあだ名で呼ばれていました。3佐は2016年から防大の准教授を務めていましたが、2019年4月に突然異動になり、事件が公表された9月の時点にはさらに別の部署へ異動、さらに12月に懲戒免職となったそうです。犯行の詳細が防大側にバレて、こうした不自然な異動が行われたとみて間違いないです。 問題となった宿泊補助金は1泊2000円で、ひとり年4泊分まで受け取ることができます。これは旅行会社が運営する自衛官や防大生専用のウェブサイトから申請できるのですが、制度の存在自体、防大の学生にはあまり認知されていませんでした。3佐はここに目を付けたというわけです。 3佐は授業を受け持っていた学生に『補助金申請に必要なカードを自分に預けてくれたら、ただで6000円あげるよ』と言って、200人ほどの学生からカードを集めました。このカードを利用して、3佐は自分の妻が経営する貸別荘に学生が宿泊しているかのように防衛省共済組合に申請し、学生一人当たり補助金8000円分をだまし取った。 この8000円のうち、学生には一人あたり6000円を渡して、残りの2000円分、つまり総額およそ35万円分を3佐が『手数料』として受け取っていたわけです」 防大生を導くべき教官が学生を巻き込み、このような「カラ宿泊」詐欺を堂々とはたらいたこと自体言語道断だが、身内に甘い防衛大の体質も問題だ』、僅か「35万円」で職や退職金を棒に振るとは、馬鹿な話だ。
・『学生は本当に「知らなかった」のか?  この関係者によると、同僚の教官らがこの3佐の犯行に気づいて問い詰めたところ、3佐は公務員には法律で禁止されている事実上の「副業」として旅館を経営していることと、「カラ宿泊」申請を行ったことを白状したという。 しかし、この同僚らが上司に報告したところ、のらりくらりと対応を渋ったため、より階級の高い幹部職員らにも直接押しかけたが、防大上層部は「これは表沙汰になったらまずい」と、処分をしない方針で動いた。昨年秋にマスコミへの情報提供が行われそうになり、ようやく最低限の情報を公表したのだという。 さらに筆者が取材した複数の防衛省関係者によると、この事件は関与した学生の数が多すぎる上、聞き取り調査の結果、全員が3佐の詐欺行為を理解して協力したわけではないと判明したため、学生全員は処分対象にはならなかった。 とはいえ、3佐から6000円を受け取った学生の中には、虚偽申請の自覚があった者も少なくなかったとみられる。防衛省・自衛隊・防大には、3佐の逮捕と処分だけで幕を引きたいという思惑があったことが透けて見える。この防衛省関係者はこう怒りを露にする。 「逮捕された3佐については懲戒処分の対象となったものの、問題は学生です。 詐欺の片棒を担いだわけですから、受け取った6000円を返金するのが筋だろうと思うのですが、指導が行われたのみで実際に組合に返金していない学生も少なくありません。詐欺事件である以上、共済組合も民事訴訟するのが当然なのに、事件の全容が明るみに出るのを恐れてそれもしていないと聞きます。 税金から給料をもらいながら、詐欺行為に関与した学生全員に処分がなくていいのか。彼らがこのまま任官したら、隊の倫理はどうなるのか。自分の保身しか考えず、過ちを反省せずうやむやにする組織が、まともであるはずがない」 筆者が今回、3佐の詐欺行為と学生の関与について防衛大学校に事実関係を尋ねたところ、下記のような回答があった。 (筆者)3等海佐は詐欺⾏為により約40万円分の宿泊補助⾦をだまし取ったとの情報を得ておりますが、これは事実でしょうか。 (防衛大学校)公判においては、当該3等海佐による詐欺行為により宿泊補助金33万8400円を不正に受給したとされています。 (筆者)同3等海佐は詐欺⾏為をはたらくにあたり、防衛⼤学校の学⽣およそ200⼈に呼びかけ、虚偽の宿泊申請をすることに協⼒させた、またこの際協⼒した学⽣には事件発覚後に処分が⾏われなかったとの情報を得ておりますが、これは事実でしょうか。 (防衛大学校)公判においては当該3等海佐が学生に対して問題がないと騙して貸別荘を予約させたと全面的に認めています。当該学生に対しては、再発防止の観点から、個人情報の管理が十分でなかった点について、その事が本事件に繋がってしまった可能性がある事を深く自覚するよう、厳しく指導を実施しております』、「詐欺行為に関与した学生全員に処分がなくていいのか。彼らがこのまま任官したら、隊の倫理はどうなるのか。自分の保身しか考えず、過ちを反省せずうやむやにする組織が、まともであるはずがない」、「防衛大学校」の隠蔽体質は酷いようだ。
・『悪事をもみ消そうとする体質  今回、防大の國分良成学校長が処分に後ろ向きだった理由は、着任したばかりの2013年に発覚した防大の保険金詐欺の記憶があるからだと噂されている。この事件は、パソコンで受診カードを偽造し、架空のけがを記入するなどの手口で保険金をだまし取ったとして、学生13人が詐欺容疑で書類送検されたというものだ。 防大の内情を知る防衛省幹部はこう話す。 「防大生は体育会系のつながりも強く、誰かが悪事に手を染めると、自分もついていくという体質がある。自衛隊内でマルチ商法がかたく禁じられているいるのもそのためです。 自衛隊そのものの不祥事もあとをたちません。海上自衛隊では今年に入って1等海佐が女性用のデリヘルを経営していたことが発覚しましたが、私の周辺でも、同期生会の会費を横領した疑いがあったにもかかわらず退職してのうのうと暮らしている者や、痴漢で捕まったのに将官になった者もいます。こうした不始末をきちんと処分せず、表沙汰にしたがらない体質が、若手隊員の士気を著しく落とすことにもつながっています」 「悪事を働いても表ざたにはならない」という悪しき意識が、もし自衛隊の将来を担う防大生の間にすら蔓延しているのだとすれば、まともな国防などおぼつかないだろう』、「防大の國分良成学校長」は慶応義塾大学の元法学部長から来た外部の学者である。それが、隠蔽に加担していたのであれば、問題だ。「保険金詐欺」事件は着任早々で、責任を問う訳にはいかないとしても、本件は「教官」が主犯であるだけに、責任は重大だ。「海上自衛隊では今年に入って1等海佐が女性用のデリヘルを経営していたことが発覚」については、昨日の夕刊に懲戒免職されたようだ。しかも、 艦艇の出入港情報まで漏らすという重大な規律違反も犯していたようだ。自衛隊の規律の緩みは目を覆わんばかりだ。
タグ:1等海佐が女性用のデリヘルを経営 2013年に発覚した防大の保険金詐欺 悪事をもみ消そうとする体質 学生は本当に「知らなかった」のか? 防衛大学校の元准教授 自分の妻が経営する貸別荘に 「防衛大「教員が首謀し、約200人の学生が関与した詐欺事件」の全容 防衛省から補助金をだまし取った手口」 松岡 久蔵 対外有償軍事援助(FMS) そこまでして「対米追従」か 「安倍政権 米兵器購入費「減免」受けず年間最大39億円の損」 「過疎脱却」の努力は踏みにじられる 「レーダー波」防衛省は安全と言うが ドクターヘリの運航に影響 グーグル・アースで場所を決められた 「イージス・アショアに町を滅ぼされる…山口県阿武町の住民の「怒り」 現地ルポで見えた、あまりの理不尽さ」 現代ビジネス 半田 滋 韓国や英国、フランスなど18カ国は0・5~1・2%の減免措置を受けていた 米国と協定を結べば手数料は減免されるが、同省は協定を結んでいなかった 日刊ゲンダイ ミサイル防衛はイージス護衛艦の追加で十分というのが防衛省の判断 (その14)(安倍政権 米兵器購入費「減免」受けず年間最大39億円の損、イージス・アショアに町を滅ぼされる…山口県阿武町の住民の「怒り」 現地ルポで見えた あまりの理不尽さ、防衛大「教員が首謀し、約200人の学生が関与した詐欺事件」の全容 防衛省から補助金をだまし取った手口) 防衛問題
nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感

パンデミック(新型肺炎感染急拡大)(その4)(帝国陸海軍の「亡霊」が支配する新型コロナ「専門家会議」に物申す(上)、左同(下)、安倍政権の新型コロナ対策は「視野狭窄バカ」である 目前のことに振り回され対策は後手、新型コロナが引き出した大衆の深層心理の闇) [国内政治]

パンデミック(新型肺炎感染急拡大)については、3月2日に取上げたばかりだが、今日は、(その4)(帝国陸海軍の「亡霊」が支配する新型コロナ「専門家会議」に物申す(上)、左同(下)、安倍政権の新型コロナ対策は「視野狭窄バカ」である 目前のことに振り回され対策は後手、新型コロナが引き出した大衆の深層心理の闇)である。

先ずは、医療ガバナンス研究所理事長の上昌広氏が3月5日付けForesightに掲載した「医療崩壊 (33) 帝国陸海軍の「亡霊」が支配する新型コロナ「専門家会議」に物申す(上)」を紹介しよう。
https://www.fsight.jp/articles/-/46603
・『『犬神家の一族』(角川文庫)が好きだ。横溝正史の代表作で、名探偵金田一耕助が活躍する。1976年に市川崑監督、石坂浩二主演で映画化され、大ヒットした。その後、繰り返し映画化・ドラマ化されている。 この作品は犬神佐兵衛翁の臨終から始まる。佐兵衛翁は裸一貫から犬神財閥を築いた立志伝中の人物だ。 佐兵衛翁の死後、一族が揃ったところで開封された遺言書には、すべての財産を恩人の孫娘である野々宮珠世に譲ると記されていた。ただし、条件があった。それは珠世が佐兵衛翁の3人の孫のいずれかと結婚することだ。 その後、財産をめぐって惨劇が繰り広げられる。ネタバレさせないためにこれ以上は書かないが、読み終わると、一連の惨劇は亡き佐兵衛翁の亡霊が犯人に取り憑いて起こさせたような印象を受ける。人は意識しないところで歴史に操られている、ということを考えさせられる作品だ。 新型コロナウイルスの拡大が止まらず、政府は迷走を続けている。クルーズ船ダイヤモンド・プリンセス号の検疫の失敗、遺伝子診断(PCR)の体制整備の遅れ、安倍晋三首相による突然の休校依頼――。 国内外から批判が噴出している。日本の評価を損ね、東京五輪の開催すら危ぶまれる事態となった』、「政府は迷走を続けている」、むしろ政府が混乱を煽っている感すらある。
・『予算を主導したのは  一連の動きをみて、私は『犬神家の一族』を思い出す。「亡霊」に操られたかのように、関係者が「ピエロ」を演じているからだ。 「亡霊」とは、帝国陸海軍だ。 「関係者」とは、政府の専門家会議のメンバーである。一体、どういうことだろうか。 読み解く鍵は、「国立感染症研究所」(感染研)、「東京大学医科学研究所」(医科研)、「国立国際医療研究センター」(医療センター)、そして「東京慈恵会医科大学」(慈恵医大)だ。 政府が設置した「新型コロナウイルス感染症対策専門家会議」は12名のメンバーで構成されるが(下表)、日本医師会、日本感染症学会、公益を代表する弁護士などを除くと、残る9人中8人が前述の4施設の関係者だ。 座長の脇田隆字氏は感染研の所長、鈴木基氏は感染研感染症疫学センター長、さらに岡部信彦・川崎市健康安全研究所所長は元感染研感染症情報センター長だ。 河岡義裕氏と武藤香織氏は医科研教授、川名明彦・防衛医科大学教授は医療センターの元国際疾病センター医長で、尾身茂・独立行政法人地域医療機能推進機構理事長は元医系技官だ。 医療センターを統括するのは厚生労働省で、医系技官が現役出向している。 さらに、吉田正樹氏は慈恵医大教授で、岡部氏も慈恵医大の同窓だ。 この4組織と無関係の委員は、押谷仁・東北大学教授だけだ。 珍しいことに、委員の中に東京大学医学部出身者がいない。政府の医療の専門家会議で、東大医学部卒が皆無なのは極めて珍しい。 2月13日、このような専門家を迎えて開催されたのが、第8回の新型コロナウイルス感染症対策本部会議だ。この会議には、「新型コロナウイルス(COVID-19)の研究開発について」という資料が提出された(下図)。 この資料によると、緊急対策として総額19.8億円が措置されている。内訳は、感染研に9.8億円、日本医療研究開発機構(AMED)に4.6億円、厚労科研に5.4億円だ。 資料には、AMEDや厚労科研を介した委託先の名前と金額も書かれている。感染研は上記と合わせて12.2億円、医療センター3.5億円、医科研1.5億円だ。さらに感染研と医科研で9000万円だ。総額18.1億円で、予算の91%を占める。予算を決めるのも、執行するのも同じ人ということになる。 この資料の目次には、「資料3 健康・医療戦略室提出資料」と書かれている。その「健康・医療戦略室」を仕切るのは、国土交通省OBの和泉洋人室長(首相補佐官)と、医系技官の大坪寛子次長だ。最近、週刊誌を騒がせているコンビが、この予算を主導したことになる。 大坪氏の経歴も興味深い。慈恵医大を卒業し、感染研を経て、厚労省に就職している。専門家会議のメンバーと背景が被る』、「「感染症対策専門家会議」は12名のメンバーで構成・・・日本医師会・・・弁護士などを除くと、残る9人中8人が前述の4施設の関係者」、とは驚かされた。「予算を決めるのも、執行するのも同じ人ということになる」、これでは全くのお手盛りだ。「医系技官の大坪寛子次長」が和泉首相補佐官と不倫疑惑をものともせず、コンビで仕切っているのにも驚く。
・『「731部隊」関係者もいた「感染研」  なぜ、このようなグループが仕切るのだろうか。 背景には、歴史的な経緯、特に帝国陸海軍が関係する。一体、どういうことだろうか。 まずは感染研だ。 その前身は、戦後の1947年に設立された「国立予防衛生研究所」(予研)である。 予研は戦後、GHQ(連合国軍総司令部)の指示により、「伝染病研究所」(伝研)から分離・独立した。伝研は現在の医科研だ。 医科研キャンパスを訪問された方はおわかりだろうが、港区白金台という都内の超一等地に広大なキャンパスを有している。 キャンパスが広いのは、かつて馬などの家畜を飼っていたからだ。感染症の研究やワクチン・血清治療の開発に利用した。 戦前、伝研を支えたのは陸軍だった。 伝研は、1892(明治25)年に北里柴三郎が立ち上げた民間の研究機関だ。1899(明治32)年に内務省所管の「国立伝染病研究所」となり、1906(明治39)年に現在の白金台に移転する。 伝研の性格を変えたのは、1914(大正3)年の「伝研騒動」だ。内務省から文部省(当時)が統括する東京帝国大学に移管されることが決まったが、北里は、「感染症対策は大学などの学究機関でなく、行政と連携すべき」という考えをもっていたため、猛反対した。 背景には、当時、東大医学部の実力者だった青山胤通教授との確執や、大隈重信首相率いる「憲政本党」と原敬率いる野党「政友会」の対立などが関係した、と言われている。 北里は、日本医師会の前身である東京医会や大日本医会のまとめ役になっており、彼らは政友会を支援していた。一方、青山は大学病院の医師を中心とした明治医会の代表を務め、「青山が北里を引きずり降ろした」という噂まであったという。 腹に据えかねた北里は退職し、職員も従った。困った東大が頼ったのが、当時、陸軍医務局長だった森鴎外だ。 鴎外は軍医を派遣して伝研を支えた。こうして伝研は陸軍との関係を深めていく。 戦後、分離された感染研の幹部には、陸軍防疫部隊(関東軍防疫給水部=731部隊)の関係者が名を連ねたことなど、その一例だ。 専門家会議の委員に感染研と医科研の関係者が名を連ねているのは、このような歴史を受けてのことだ。 医科研の河岡教授、武藤教授が東大医学部の出身ではなく、今回のメンバーに東大医学部の関係者がいないのも、このような背景が関係する』、「北里柴三郎」や「森鴎外」まで出てくるとは、歴史の重みを感じる。
・『軍医療機関と国立病院の関係  では、医療センターの前身は何だろう。 新宿区戸山に位置することから想像できるかもしれないが、陸軍の施設だ。1868(明治元)年に設置された「兵隊假病院」に始まり、1936(昭和11)年には「東京第一陸軍病院」と改称された。つまり、帝国陸軍の中核病院だ。 敗戦で帝国陸軍が解体されると、厚生省に移管され、「国立東京第一病院」に名称が変わった。そして1993年に「国立国際医療センター」となり、2010年に独立法人化され、現在に至る。 医療センターに限らず、多くの国立病院の前身は陸海軍の医療機関だ。 たとえば、「国立がん研究センター」の前身は「海軍軍医学校」で、1908(明治41)年に港区芝から中央区築地に移転した。現在の国立がん研究センターの場所だ。 敗戦が彼らの運命を変える。陸軍省、海軍省は1945年11月30日に廃止され、それぞれ第一、第二復員省となる。両者は1946年6月に統合され、復員庁となり、1947年10月に厚生省に移管される。 中国残留孤児対策、引揚援護、戦傷病者・戦没者遺族・未帰還者留守家族などの援護を、防衛省でなく厚労省が行っているのは、このような経緯があるからだ。 では戦後、軍医療機関はどうなっただろう。 実は、軍医療機関は、戦後の日本医療の救世主だった。 敗戦直後、日本の病院の大半は戦災によって破壊され、機能不全に陥っていた。GHQは、まず占領軍が使用する優良医療施設を確保し、次いで、日本国民の医療提供体制を考える必要があった。 手をつけたのは、陸海軍が保有する医療機関の厚生省への移管だった。 この際、全国146の軍施設が国立病院、国立療養所となったわけだが、注目すべきは、建物も職員も従来のままで診療が継続されたことだ。つまり、病院自体の組織は陸海軍のままで、名称が軍病院から国立病院に変更されただけなのだ。 この影響が現在も残っている。感染症対策も例外ではない』、戦後、「病院自体の組織は陸海軍のままで、名称が軍病院から国立病院に変更されただけなのだ。この影響が現在も残っている。感染症対策も例外ではない」、なるほど。
・『慈恵医大につながる「海軍人脈」  では、慈恵医大はどのように絡むのだろうか。 キーパーソンは、高木兼寛だ。 高木は、前出の海軍軍医学校の創設者の1人である。 高木は薩摩藩出身の医師で、戊辰戦争には薩摩藩の軍医として従軍した。明治維新以降は開成所(東京大学の前身)で英語と西洋医学を学び、その後、薩摩藩によって設立された鹿児島医学校に入学すると、校長のウィリアム・ウィリスに認められ、教授に抜擢される。弱冠21歳のときだ。 その後、薩摩藩出身者が仕切る海軍に出仕する。 1875年から1880年まで英国の「セント・トーマス病院医学校」(現在の「キングス・カレッジ・ロンドン」)に留学し、西南戦争時を英国で過ごした。海軍では順調に出世し、海軍軍医の最高位である海軍軍医総監を務めた。 高木は東京帝国大学医学部、陸軍軍医団がドイツ医学一辺倒で学理・研究を優先していることに反発し、海軍軍医学校には実証主義的色彩が強く、臨床医学を重視する英国医学を取り入れた。 このような姿勢が、有名な脚気の予防法の確立へと繋がり、脚気対策の確立は日露戦争での間接的勝因といわれるに至る。このあたりを詳しく知りたい方には、吉村昭氏の『白い航跡』(講談社文庫)をお奨めする。 1881(明治14)年、この高木が中心になって設立したのが、「医術開業試験」の受験予備校(乙種医学校)であった「成医会講習所」だ。これが1903(明治36)年の専門学校令を受けて、日本初の私立医学専門学校として、「東京慈恵医院医学専門学校」となる。現在の慈恵医大だ。 「慈恵」と名付けたのは、明治天皇の皇后の昭憲皇太后だ。薩摩藩出身者が仕切っていたからこそ、アプローチできたのだろう。現在も、「公益社団法人東京慈恵会」の総裁には、皇族が就任することとなっている(現在の総裁は三笠宮家の寬仁親王妃信子殿下)。 薩摩と言えば海軍だ。このため、慈恵医大は海軍との関係が深い。明治期の海軍軍医総監の大部分は成医会講習所の関係者だ。 慈恵医大には、この伝統が生きている。国際保健、公衆衛生の分野に多くの人材を輩出している。世界保健機関(WHO)でシニアアドバイザーを務める進藤奈邦子氏は、慈恵医大の卒業生だ。英キングス・カレッジ・ロンドン・セント・トーマス病院などで研修後、感染研に就職。2002年からWHOに勤務している。慈恵医大らしいキャリアだ。 このように考えると、今回の専門家会議のメンバーは、帝国陸海軍と関わりが深い組織の関係者で占められていることがわかる。(つづく)』、「高木は東京帝国大学医学部、陸軍軍医団がドイツ医学一辺倒で学理・研究を優先していることに反発し、海軍軍医学校には実証主義的色彩が強く、臨床医学を重視する英国医学を取り入れた。 このような姿勢が、有名な脚気の予防法の確立へと繋がり、脚気対策の確立は日露戦争での間接的勝因といわれるに至る」、「高木」が「臨床医学を重視する英国医学を取り入れた」のは良かったようだ。

次に、この続き、3月5日付けForesight「医療崩壊 (34) 帝国陸海軍の「亡霊」が支配する新型コロナ「専門家会議」に物申す(下)」を紹介しよう。
https://www.fsight.jp/articles/-/46604
・『では、彼らと普通の臨床医の違いはなんだろうか。私は、「情報開示への姿勢」だと思う。 敵軍と対峙することが前提である軍隊には、情報開示は求められない。情報開示による社会のチェックが受けられないため、シビリアン・コントロールが重視される。 ただ、軍事は高度に専門的だ。政治家には理解できないことが多く、しばしば暴走する。統帥権を盾に暴走した帝国陸海軍は勿論、世界各地でクーデターが後を絶たない。 軍隊のもう1つの特徴が、自前主義だ。軍医の立場になれば、治療薬やワクチンは自前で調達しなければならない。 その影響は現在も残っている。 たとえば、インフルエンザワクチンの製造だ。ワクチンの確保は軍隊にとって重要課題だ。帝国陸海軍は「伝染病研究所」(伝研)と協力して、ワクチンを確保した。 現在も、ワクチンの製造・供給体制は、他の薬剤とは全く違う。数社の国内メーカーと「国立感染症研究所」(感染研)が協力する「オールジャパン」体制だ。 通常の薬剤は、製薬企業が開発し、臨床試験の結果などを厚生労働省および「医薬品医療機器総合機構」(PMDA)に提出する。当局は提出されたデータを分析し、承認するか否か決める。その際、製薬企業の国籍は問われない。最近は国際共同で治験が行われることが多い。 インフルエンザワクチンの開発は違う。 毎年、感染研が海外からウイルス株を入手し、数社の国内メーカーに配布する。次に、各メーカーの培養結果を感染研がとりまとめ、最適な株を国内メーカーに配布する。そして、メーカーはワクチンを製造し、感染研が最終的な評価を下す。 感染研には、その対価として施設設備費や試験研究費という形で税金が投入される。知人の感染研関係者は、「この金が感染研の経営を支えている」と言う。 通常の医薬品が、処方量に応じて、医療機関から卸を介して製薬企業に対価が支払われるのとは違う。 だからこそ、処方量を増やしてほしい製薬企業が顧客である医師の機嫌を伺うのに対し、感染研は医師より、政府や与党を気にするようになる』、「インフルエンザワクチンの開発は」「感染研」が全てを取り仕切っており、「その対価として施設設備費や試験研究費という形で税金が投入される」、とは初めて知ったが、これでは国際的なワクチン開発競争に後れを取ることになってしまうだろう。
・『戦前から続く「ワクチン利権」  ではなぜ、インフルエンザワクチンだけ、通常の医薬品とは扱いが違うのだろうか。 感染研は、「特殊製剤で、特別な品質管理が求められる」と説明してきたが、この説明を真に受ける人はいない。 私は、戦前から続く利権が残っているからだと考えている。 現在、国内でインフルエンザワクチンを製造しているのは、「第一三共」、「KMB」、「デンカ生研」、「阪大微生物病研究会」(BIKEN財団)だ。 第一三共は「学校法人北里研究所」から、KMBは「一般財団法人化学及血清療法研究所」(化血研)から、ワクチン事業を譲渡された。 北里研究所は、本稿(上)で紹介した「伝研騒動」の後に北里柴三郎が設立したものだし、化血研の前身は、「熊本医科大学」の「実験医学研究所」だ。北里は熊本出身で、化血研の東京事務所は、白金台の東大医科研に隣接して存在する。いずれも伝研に近い存在だ。 デンカ生研は、「東芝生物理化学研究所」から、1950年に独立したものだ。戦後、公職追放された宮川米次・元伝研所長が所長を務めるなど、陸軍との関係が密接だった。 BIKEN財団は、1934(昭和9)年に「大阪帝国大学微生物病研究所」構内に設立されたもので、コレラなどのワクチンを製造し、軍に提供してきた。 このように考えると、軍部を中心とした戦前のワクチンの開発・提供体制がそのまま残っていることがわかる』、「戦前から続く「ワクチン利権」」、いまだにこんな体制が続いているとは、呆れ果てた。
・『虚偽だった「輸入ワクチンはデータがない」  グローバル化が進むワクチンは、世界でもっとも成長が期待できる分野だ。メガファーマ(巨大製薬企業)が参入し、その技術は日進月歩である。 このような体制は非関税障壁となり、日本のワクチン業界を停滞させる。ツケは国民が払う。 その一例が、2009年の新型インフルエンザの流行だ。 日本では前述の4社がワクチンを提供することになっていた。ところが、彼らは十分な量を提供できなかった。 ワクチン接種が始まった2009年10月19日から11月29日の報告分までに接種できた人数は、推定600万人に過ぎなかった。同時期に米国では4600万人に接種しており、メガファーマとの実力差は明らかだった。 メガファーマは、ワクチンを短期間で大量生産するのに必要な細胞培養技術を開発していたが、国内メーカーにはなかったのが原因だ。 ワクチンを確保すべく舛添要一厚労相(当時)は、「ノバルティス」(本社スイス)などから合計9900万本のワクチンを緊急輸入した。 この時厚労省は、積極的にワクチンを輸入する気はなく、「輸入ワクチンは危険」というネガティブキャンペーンをはった。パブリックコメント募集時には、「国内では使用経験のないアジュバント(免疫補助剤)を用いている」など不安を煽った。 輸入ワクチンの審議に参加した当時の感染研幹部は、「輸入ワクチンはデータがない」と虚偽の主張をした。 真相は逆だった。 輸入ワクチンは海外で治験が実施されていたが、国産ワクチンは全く治験を行っていなかった。 今回、政府が設置した「新型コロナウイルス感染症対策専門家会議」の委員を務め、当時、感染研の感染症情報センター長だった岡部信彦氏は、2011年9月7日の『日経産業新聞』で、「技術的な問題はあっても産業育成の観点から国内メーカーを優先するのはやむを得ない」と述べている。 自国の産業を育成するか、海外から輸入するかは、国民あるいは政府が総合的に判断することだ。医師や感染症の研究者に求められる判断ではない。 このような発言を公務員が公言するのは異様だ。彼らの本音が透けて見える。自前主義、言い換えれば「官民カルテル体制」を死守したいのだろう』、「新型インフルエンザの流行」時に、「舛添要一厚労相(当時)は、「ノバルティス」(本社スイス)などから合計9900万本のワクチンを緊急輸入」、厚労省の抵抗を押し切って輸入したとは英断だ。感染研や厚労省が、「自前主義、言い換えれば「官民カルテル体制」を死守したい」、その犠牲になるのは国民だ。
・『厚労省方針は「人体実験」  新型コロナウイルス対策でも同じことが起こっている。 その象徴が遺伝子検査(PCR)だ。 多くの医師・患者がPCRを希望したが、相談窓口の保健所で断られた。このことは国会でも取り上げられ、社会問題となった。 世間の批判に曝された厚労省は、2月18日から、1日あたりのPCR実施数を3800人に増やすと発表したが、1週間後の25日時点の検査総数は1017人で、前日から104人しか増えていなかった。 韓国は1日あたり5000人の検査体制を構築し、26日午前9時時点で4万5008人が検査を終えていた。 なぜ、日本のPCR件数が少ないのだろうか。 専門家会議の副座長を務める尾身茂氏(独立行政法人地域医療機能推進機構理事長)は、「国内で感染が進行している現在、感染症を予防する政策の観点からは、すべての人にPCR検査をすることは、このウイルスの対策として有効ではありません。また、既に産官学が懸命に努力していますが、設備や人員の制約のため、すべての人にPCR検査をすることはできません。急激な感染拡大に備え、限られたPCR検査の資源を、重症化のおそれがある方の検査のために集中させる必要があると考えます」 と説明している。 この説明は苦しい。韓国にできて、日本にできない理由は考えにくいからだ。 国内には約100社の民間検査会社があり、約900の検査センターを運用している。1つの検査センターでは1日あたり、控えめに見て20人を検査するとしても、1万8000人が可能になる。 さらに尾身氏の発言は、彼の本音を曝け出している。 彼が求められたのは、専門家としての意見だ。彼が紹介すべきは韓国の取り組みなどの具体的な事実であり、政策的な判断ではない。 なぜ、ここまで強硬に抵抗するのだろうか。それは、検査数が増えれば感染研の処理能力を超えるからだろう。 感染研は「研究所」だ。現在のPCR検査が「研究事業」の延長だからこそ、臨床医がPCR検査を必要と判断しても、断ることが許容されている。高齢者は2日以上の発熱が続いた段階で帰国者・接触者相談センターへ相談するとか、PCR検査は肺炎の確定診断に用いるなど、おかしな基準が罷り通る。 早期診断・早期治療は医療の鉄則だ。 特に高齢者は、治療の遅れが致命的になる。 発熱すれば体力が低下し、脱水になる。2日間も我慢せず、点滴や解熱剤を服用した方がいい患者もいる。インフルエンザなら、抗ウイルス剤を服用した方がいいだろう。 さらに、高齢者の肺炎は、殆どが致命的だ。PCR検査で新型コロナウイルス感染の診断をつけても、データを集めるという意味では意義があるが、患者にとっては無益だ。 専門家の提案に従った厚労省の方針は、まさに「人体実験」といっていい代物だ』、こんな「厚労省の方針」を無批判に報道する一般のメディアの姿勢にも疑問を感じる。厚労省担当記者でも理解できないのか、或いは理解できていても、厚労省に遠慮しているのか、いずれにしろ大問題だ。
・『「命」より「データの独占」  なぜ、このような異様な提言が専門家会議で罷り通るのだろう。 それは、新型コロナウイルス感染が拡大し、多くのPCR検査を求められれば、やがて感染研では対応できなくなるからだ。 1日に何万件もの臨床検体を取り扱い、事務手続きや会計処理をするのは、民間検査会社でなければ不可能だ。検査希望者が増えれば、やがて彼らがコントロールできない状況になる。 彼らが怖れているのは、ここだろう。 このことを示唆する所見は、いくつもある。 たとえば、厚労省は大手検査会社の「みらかグループ」と「BML」に協力を依頼したが、彼らがクリニックから直接検体を受託することを規制した。 みらかグループが医療機関に送った文章をご紹介しよう(下図)。 彼らは、「本検査は厚生労働省及びNIID(筆者注・感染研のこと)のみから受託するものであり医療機関からの受託は行っていません」と記載している。体裁上はみらかグループの自主的な動きだが、どのような背景があるかは容易に想像がつくだろう。 あまりの酷さに、「内部告発」も出始めた。 2月28日、『テレビ朝日』の『モーニングショー』に出演した岡田晴恵・白鷗大学特任教授は、以下のように発言した。岡田教授は感染研ウイルス部の元研究部員だ。少し長くなるが引用しよう。「(PCR検査が公的医療保険の適用対象になるからといって)クリニックから直接(民間のPCR検査を依頼できるかどうか)ということはまだわかりません。ちょっと待ってくれと、中枢の先生方が言われたからです。 私はうがった見方をして、オリンピックのために汚染国のイメージをつけたくないという大きな力が影響しているのかなと思って、先生方に聞いたのですが、『そんなことのために数字をごまかすほど、肝の据わった官僚はいない。これはテリトリー争いなんだ。このデータはすごく貴重で、地方衛生研究所からあがってきたデータは、全部、国立感染研究所が掌握しており、このデータは自分で持っていたいと言っている感染研OBがいる。そのへんがネックだった』とおっしゃっていました。ぜひ、そういうことはやめてほしい。人工呼吸器につながれながらも、確定診断してもらえない人がいるんです。数万人の命がかかっています」 岡田教授は、全国ネットのテレビで実名で告発したのだから、相当な覚悟だろう。そして、多くの国民は彼女の発言を信じるだろう。彼女の声は、どこまで届くだろうか。状況は暗い』、「厚労省は大手検査会社の「みらかグループ」と「BML」に協力を依頼したが、彼らがクリニックから直接検体を受託することを規制した」、「地方衛生研究所からあがってきたデータは、全部、国立感染研究所が掌握しており、このデータは自分で持っていたいと言っている感染研OBがいる」、こんなことが危機的状況にあっても、いまだにまかり通っていることには、心からの怒りを禁じ得ない。
・『「日本版CDC」は「731部隊」の復活  新型コロナウイルス対策の迷走を見て、アメリカの「疾病予防管理センター」(CDC)のような「感染症の司令塔」がないことが問題だ、という論調が強まった。 今回の流行が落ち着いた段階で、政府は新組織を含む体制強化を検討することを表明している。 彼らの目標は、「日本版CDC」になることだ。一体、CDCとは何だろう。それは軍隊と密接に繋がる組織だということだ。 米CDCは、第2次世界大戦が終わった後の1946年7月に国防省のマラリア対策部門の後継機関として立ち上がった。戦前の日本の伝研に相当する組織で、日本が第2次世界大戦で勝利していたら、伝研は日本版CDCとなっていただろう。 CDCの特徴は、政府とは「独立」して、感染症対策を立案・遂行できることだ。現在、強力なCDCを有するのは米国と中国だけだ。私は、強大な軍事力と表裏一体だと思う。 安倍官邸は医療の素人であり、医療についてはわからない。今回の対策を仕切ってきたのは、感染研・医系技官・医科研・慈恵医大のカルテットだ。安倍政権が介入しようとすれば、「専門家の意見を聞かない」と反発する。 2月27日、安倍晋三首相が全国の小中学校と高校、特別支援学校を臨時休校することに決めた際には、専門家会議メンバーらは、「専門家会議で議論した方針ではなく、感染症対策として適切かどうか一切相談なく、政治判断として決められたものだ。判断の理由を国民に説明すべきだ」(岡部信彦氏) 「政治的な判断だ。科学的な知見に基づいての提言ではない」(吉田正樹氏)と猛反発した。 繰り返すが、彼らに求められるのは、専門家としての意見で、政治的なプロセスを批判することではない。私は違和感を覚えた。 現実に感染研・医系技官・医科研・慈恵医大のカルテットは、CDCとしての機能を有している。彼らが求めているのは、CDCを法的に保証し、予算を増額することだ。 果たして、それが国民のためになるのだろうか。新型コロナウイルス対策での彼らの言動を聞くに、私は甚だ不安だ。 CDCとは畢竟、政府と独立して機能する専門集団だ。情報開示の圧力を避け、独走することが可能になる。まさに、「731部隊」がやったことだ。果たして、そんなものが日本に必要なのだろうか。 私は、帝国陸海軍の亡霊たちが、専門家会議の委員にとりつき、復活を果たそうとしているように見える。令和版『犬神家の一族』かもしれない』、当初は「日本版CDC」は必要と考えていたが、「情報開示の圧力を避け、独走することが可能になる。まさに、「731部隊」がやったことだ」、やはり、先ずは「カルテット」の解体を含む全面的な体制の見直しが先決なのだろう。

第三に、国際医療福祉大学大学院教授で精神科医の和田 秀樹氏が3月9日付けPRESIDENT Onlineに掲載した「安倍政権の新型コロナ対策は「視野狭窄バカ」である 目前のことに振り回され対策は後手」を紹介しよう。
https://president.jp/articles/-/33549
・『安倍首相の要請により始まった「一斉休校」は正しい判断だったのか。医師の和田秀樹氏は「安倍政権は、心理学でいう視野狭窄の状態に陥っている。目前の『感染拡大』にばかりとらわれてしまって、ほかの重要なことが冷静に考えられなくなっている」という――』、「和田」氏らしい鋭い診断だ。
・『「一斉休校」で学力低下という大きな代償を払うことになる  新型コロナウイルスで世界中がパニックのようになっている。 2月27日に、安倍晋三首相が3月2日から全国すべての小学校・中学校、それに高校と特別支援学校について、春休みに入るまで臨時休校とするよう要請する考えを示した。 そのため、何の準備もしていない学校現場は大慌てとなり、卒業式ができない子どもや小さな子供をもつ親御さんの困惑ぶりが伝えられると、翌28日には一転して、安倍首相は、衆議院財務金融委員会で「今回の要請は法的拘束力を有するものではなく、最終的な判断は学校を設置する地方自治体や学校法人などで行われるものだ。各学校や地域で柔軟に判断いただきたいと考えている」と述べ、萩生田光一文科相も同様のコメントを出した。 しかし、すでに休校で動き出した流れは止められず、結局、ほとんどの学校が春休み終了まで休校となった。 私の知り合いの私立進学校の校長は、少しでも子どもの学力低下を食い止めようと地域で唯一、授業を続けたが、周囲から有形無形の圧力を感じて、数日後にはやはり休校することに決めたという。 学校に限らず、コロナウイルス騒動の余波は多くの場に広がり、とくにスポーツ界では無観客試合が当たり前のようになっている。 あくまで個人的見解だが、私は対応がバタバタしすぎていると感じる。本連載ではこれまで本来賢い人たちがあるきっかけで思考停止のようなバカな状態になっている現象を報告しているが、今回もそれに該当するのではないか』、面白そうだ。
・『安倍政権「稚拙な新型コロナ対策」の3つの盲点  心理学の立場から、3つの観点から新型コロナ騒動に対する疑問を述べたい。 (1)まず、一斉休校のような大きな代償を払ってまで感染の拡大を防ぐ必要があるのかということに対する多角的検討が足りないのではないかという疑問だ。 (2)次に、それだけのことをやって本当に終息に向かわせられるのかという疑問だ。 (3)最後は、厚生労働省は感染の拡大防止や予防的なことにばかりに重点を置きすぎていて、「感染後の対応」が二の次にされていないかという疑問である。 まず(1)「大きな代償を払ってまで感染の拡大を防ぐ必要性を多角的に検討していないのではないか」について。かつて世界で流行した致死率35%のMERSや10%のSARSなら、一時的に経済活動をストップしても感染拡大阻止に全力を挙げるべきだろう。 ただし、その場合は、学校の休校やスポーツ観戦の禁止というような手ぬるい処置ではなく、電車やバスの運休、企業の就業停止など、不特定多数の人との接触停止を2、3週間程度やるくらいの徹底が求められる。 一方、今回の場合、新型コロナウイルスの感染者数は3月4日時点で、中国で感染者が8万人を超え、2943人が死亡したとされている。致死率は3%を超えているから、かなり高いと言えるが、中国の人口を考えると爆発的な感染とまでは言えない。世界全体でみると、9万2722人が感染し、3155人が死亡しており、死亡率は似たようなものだ。 日本でもすでに268人中12人が亡くなっている。致死率は世界と同レベルだが、ほとんどが高齢者なのも確かである』、「大きな代償を払ってまで感染の拡大を防ぐ必要性を多角的に検討していないのではないか」、同感である。
・『アメリカのインフルエンザが日本に入るのを防ごうという話は聞かない  実は、アメリカではインフルエンザで今シーズンだけで1万2000人が亡くなっている。アメリカの場合、医者にかからないで死ぬ(医療費が高いため)人が多いので、3万人という推定もある。それでも、アメリカのインフルエンザが日本に入ってくるのを防ごうという話は聞かない。アメリカの場合、今年のインフルエンザが特別怖いということではなく、2017~18年のシーズンには6万人以上の死者を出している。ただ、その年でも、やはり「アメリカからの感染を防ごう」という動きを国も国民も取らなかった。 以上を踏まえ、スポーツ観戦はともかくとして、学校の休校のデメリットはかなり大きいと考える。なぜなら、インターネットなどを通じた在宅学習のインフラが十分でない日本では、ここ数年学力低下が懸念されている現状をより深刻なものにしてしまいかねないからだ。 また、この休校状態が長期間続き、成長期の子供たちが長い間家を出ないというような事態に発展すると、運動不足により骨や筋肉の発達に影響を与えかねない。 こういう費用対効果を考えないで、手っ取り早くできそうなことだけ、感染拡大防止のための対応をすることに疑問を感じるのだ』、「アメリカではインフルエンザで今シーズンだけで1万2000人が亡くなっている。アメリカの場合、医者にかからないで死ぬ(医療費が高いため)人が多い」、死者が異常に多い事情が理解できた。「「アメリカからの感染を防ごう」という動きを国も国民」も取らないのは、確かに「新型コロナ」騒動に比べ、整合的でないようだ。
・『安倍政権は本当に「新型コロナ」を終息できるのか  次は(2)「本当に終息に向かわせられるのか」について。 インフルエンザウイルスの予防に関しては、一般的に、温度20~25度程度、湿度50~70%程度を保つことが予防のひとつといわれ、夏場に流行ることはほとんどない。しかし、新型コロナに関して、その傾向が確認されていない。夏風邪というのがあるくらいだから、夏場にも流行するリスクは決して低くない。 これは医師としての私の推定だが、現在、新型コロナは東南アジアなどでも相当数の感染者が出ているのだから、高温多湿にも強い特質も備えているのではないか。(※) ※世界保健機関(WHO)は3月6日、「インフルエンザのように夏が来れば新型ウイルスが消失するの考えは間違った期待だ」と発言した。 武漢という都市は、日本企業の工場も多く、日本との交流が深い街だ。コロナウイルスがニュースになる前に日本に入ってきた中国人はかなりの数いるはずで、その中にかなりの数のウイルス保有者がいても不思議ではない。 ここへきて国内の企業は、テレワークや時差通勤を推進しているが、それでも依然として満員電車での通勤を余儀なくされている人は多い。ということは、近いうちに新型コロナ検査キットなどが普及すれば、感染(陽性)者数はどんどん増えると思われる。 春休みが終わった時点で、感染者が数千人(3月4日時点で1000人超)というような状況となって、はたして休校を解除して、1学期を始められるだろうか。オープン戦は無観客試合と決めたプロ野球もレギュラーシーズンに入ったからといって、観客を球場内に迎えることができるのだろうか。日本は密閉式のドーム型が多いのである。 4月になってもおそらく終息宣言は出せないと私は見ている。「新型コロナは致死率が低いから、学校に再び通ってもいいし、多くの人が集う場所でのスポーツ観戦も自由にどうぞ」という結論には至らないだろう』、異例の措置は、止める出口戦略が難しいのは、日銀の異次元緩和と同様だ。
・『感染してしまった後の対応が二の次にされている  最後に(3)「感染してしまった後の対応が二の次にされていないか」である。これに関しては政府もマスコミも、「感染拡大の阻止」に力を置きすぎている。 この記事を書いている途中で、日本の島津製作所がわずか1時間で新型コロナの感染の有無を判定できる機械を開発したことを発表したというニュースが出た。 政府の検査態勢が後手後手だったと批判される中、これが普及すれば、かなりの人の検査が可能になる代わりに、感染者と判明する人はものすごい数で増えるだろう。そうなったときの準備・対策を厚労省はしているだろうか。おそらくそこまで手が回っていないに違いない』、「「感染してしまった後の対応が二の次にされていないか」、同感である。
・『政府は心理学でいう「視野狭窄」に陥っている  今回の新型コロナの場合、高齢になるほど致死率が高く、若年者の死者がかなり少ない。 高齢者施設などに感染が広がらないような対策を採ることは以前からも行われてきたことだが、新型コロナ感染拡大を受け、それをより徹底しヌケのないような体制作りを介護の現場とともに進めるべきだろう。 現時点では、日本の致死率は他国と変わらないが、今後、感染者数そのものが増えたとしても致死率はむしろ下がる可能性が大きいのではないか。なぜなら日本は国民皆保険であり、また外来・入院ともに施設の充実度において他国より上だからだ。しっかりした医療体制が維持されるよう政府がバックアップすることが終息への道となるはずだ。 本稿で、私がもっとも声を大にして言いたいのは、今の政府やマスコミの対応は、心理学でいう「視野狭窄」に陥っているということである。つまり、「感染拡大」にばかりとらわれてしまって、ほかのことが冷静に考えられなくなっているということだ』、「政府」だけでなく、本来は冷静であるべき「マスコミ」も「「視野狭窄」に陥っている」のは残念だ。
・『一斉休校ではなく、やるべきことは他にあるはずだ  新型コロナから話がそれるが、自殺やうつ病を心理学的に研究する分野に「心理学的視野狭窄」という概念がある。たとえば、一部のうつ病の人が「自分は落伍者だ」「もう今後再就職は見込めない」のような考えにとらわれ、ほかの可能性が考えられなくなる現象である。 ほかの可能性が考えられないから、自分の悲観的な観念が絶対正しいと思ってしまい、さらに悲観的になって、最終的に「死ぬしかない」とか「生きていてもいいことはない」という発想にいたってしまう。なにかのきっかけで自殺するというのは、こういう心理状態にあるときだと研究者たちは分析している。 こういう人にほかの可能性も考えられるようにしてあげるのが、現在のうつ病のカウンセリング治療のトレンドだ。 自殺の研究者によれば、いじめ自殺というのは、いじめられた子が助けを求めず、「もう逃げられない」と考えてしまうから自殺にいたってしまうという。そこで、「いじめをなくす」といった100%実現が難しい目標を掲げるより、本人がほかの可能性も考えられるような心理教育・自殺予防教育のほうが、よほど実効性があると研究者たちは言う。私もこれに同意する。 安倍政権の新型コロナウイルス対策はある種の心理学的視野狭窄に陥っている。マスコミの報道にもそれを感じる。目前の現象(感染者拡大とその防止)にエネルギーを奪われ、その他の事後の対策・準備がおろそかになっているように見える。死亡者の多い高齢者へのケアを今から手厚くする、新型コロナ感染を疑って来院した大量の患者を受け入れる体制を整える、といった対処こそ優先すべきではないか。 読者の方におかれては、「不安なとき、危機に対応するとき」ほど慌てず冷静になって、安倍政権のような視野狭窄になっていないかを自己モニタリングして、なるべく多面的に検討したうえでの言動を心掛けてほしい』、説得力溢れた主張で、全面的に同意したい。

第四に、健康社会学者(Ph.D.)の河合 薫氏が3月10日付け日経ビジネスオンラインに掲載した「新型コロナが引き出した大衆の深層心理の闇」を紹介しよう。
https://business.nikkei.com/atcl/seminar/19/00118/00065/?P=1
・『「社会生活や人間関係を汚染するものこそが、新型コロナウイルスがもたらす最大の脅威だ」──。 これはSNSでも話題になった、イタリアの高校のドメニコ・スキラーチェ校長が生徒たちに送ったメッセージの一部だ。 校長先生は、「外国人に対する恐怖やデマ、ばかげた治療法。ペストがイタリアで大流行した17世紀の混乱の様子は、まるで今日の新聞から出てきたようだ」と、1630年にミラノを襲ったペストの流行について書かれた『許嫁(いいなずけ)』を紹介。「感染拡大のスピードは、昔は少しゆっくりだったかもしれないが同じで、それを止める壁は存在しない。目に見えない敵からの脅威を感じているときは、仲間なのに潜在的な侵略者だと見なしてしまう危険がある」と説いた。 ふむ。まるで今の日本だ……。 車内で咳(せき)をしただけで怒号が飛び、ドラッグストアの前ではマスク購入を巡る取っ組み合いのけんかが起きている。私の友人は電車の中で咳をしたら「周りからどんどん人がいなくなり、殺されそうな目で見られた」と嘆いていた(彼女は難病があり乾燥した空間に行くと咳が出るので、常にマスクを着用している)。 中華街には外国人を罵倒するビラが送りつけられ、コンビニのトイレではトイレットペーパーに鎖が付けられていたところも。なるほど、盗難防止ということか』、「社会生活や人間関係を汚染するものこそが、新型コロナウイルスがもたらす最大の脅威だ」、イタリアの高校の校長もいいことを言うものだと感心した。
・『生かされない過去の経験  未知なるものに不安を感じるのは、人として当然の反応である。人類の歴史は感染症との戦いであり、感染症流行に伴う混乱は、地震などの自然災害と同様、社会心理学の分野で研究が蓄積されてきた。しかし、悲しいかな、研究者たちの思いとは裏腹に未知なるものへの“常軌を逸した言動”は繰り返されている。 緊急事態が起こる度に総括され、法律や制度を整備しても、人の心をコントロールするのは至難の業。2003年の重症急性呼吸器症候群(SARS)、09年の新型インフルエンザと、人々の不安感や言動なども研究者たちが検証し、リスクコミュニケーションの重要性が指摘されてきたのに、今の政府の対応には「り」の字のかけらもない(後ほど詳細は説明する)。 そこで今回はいつもとちょっとばかりテーマを変えて、「人の愚かさ」について、過去を振り返ってあれこれ考える。 正直に打ち明けると、私は今のギスギスした空気と、トンチンカンな政治決断やら根拠なき噂話やらにへきえきし、「コロナ関連死」なるものが出るのではないかと危惧している。既存の薬が効いた、検査時間を半分にできるウイルス検査用の試薬開発に着手したなど、企業に勤める研究者たちの努力で前向きになれるニュースも出てきたけど、やはり過去に学び、今を考え、明日からでもできることを模索したいし、少々落ち着きを取り戻したい。 というわけで、感染症流行時の心理反応や効果的なコミュニケーションに関するいくつもの論文を参考にしながら書き進めるので、みなさまもお付き合いください』、「今の政府の対応には「り」の字のかけらもない」のみならず、安部首相自らが危機を煽っているようだ。
・『まずは、世界をパニックに落ち入れた感染症の代表格、「ペスト=黒死病」流行時の惨事を簡単に振り返っておく。 ご存じの通りペストの流行は繰り返され、14世紀にヨーロッパで猛威をふるった際には少なくともヨーロッパ人口の約3分の1が犠牲になったと記録されている。ペスト流行の原因については、広く知られるネズミ原因説のほかにも「占星術的な病因説」や「キリスト教の敵説」があった。 前者は、「火星と木星が水瓶座に集合したため」という、現代なら「???」というものだが、後者は「ユダヤ人が井戸に毒を放った」「ユダヤ人が毒入りのぶどう酒を作った」という、“人間関係を汚染源”とするものだった。 当時、ユダヤ人には裕福な人が多くペストを予防できたため、犠牲者が少なかった。それがかねての宗教的対立を激化させ、ペストは「ユダヤ人のせいだ!」という根拠なき噂や臆測をもたらし、ユダヤ人迫害という民衆の行動を招いた。 1382年、暴徒たちはパリのユダヤ人街で略奪と破壊を行い、1391年には、セビリアの助祭長が「ユダヤ人に対する聖戦」を扇動。暴徒はユダヤ人街に押し寄せ、およそ4万1000人のユダヤ人が殺害され、ストラスブールでは、 2000人のユダヤ人が火刑に処せられたという記録もある。 まさに「目に見えない敵からの脅威を感じているときは、仲間なのに潜在的な侵略者と見なす心理」(by校長先生)が、いくつもの根拠なき噂を生み、常軌を逸した行動につながったのだ』、「ユダヤ人」は昔からこうした危機の際に血祭に挙げられる宿命を負っていたようだ。
・『日本でも感染病によるパニックがたびたび起きた  似たようなことは日本でも、江戸から明治時代にかけて数年間隔で猛威をふるったコレラの流行で起こっている。 1879年(明治12年)の大流行では、患者は感染病専門病院に収容され、自宅療養患者の家族は外出禁止など、感染を防ぐための配慮から隔離する措置が執られていた。 また、感染予防のために魚介類や生鮮食品の販売が禁止され、関係者は大打撃を受ける。そんな折も折、新潟町(過去の文献の記載のまま)では大火や洪水が発生し、米価が急騰。人々のコレラへの恐怖心や不安感はピークに達することになった。 恐怖の矛先はコレラ患者と警察に向けられ、ついに沼垂町では竹やりなどを手にした人々が警察や病院などを破壊。駆けつけた警察によって鎮圧されるも死者を出す事態に発展したという。 そういった異常事態は全国にも伝わり、「沼垂ではコレラに感染すると殺すらしい」「警察は人の生き肝を米国に売っているらしい」「コレラの原因は毒まきが毒をまくためだ」といった噂話が広がり、「毒まき」と疑われた人が市民の手によって警察に連行される騒ぎも起こる。 「死刑にしろ!」と騒ぎ立てる市民と、それを鎮圧しようとする警察との間で衝突が起こり、暴動に発展するなど、異常事態の連鎖が続いたそうだ(鏡淵九六郎編『新潟古老雑話』より)。 ……とまぁ、今とは時代が違うので「昔話」のように思えるかもしれないが、今回の新型コロナウイルスでも「動物からの感染じゃないらしい!」「ウイルス兵器の実験中だったものじゃないか?」などとSNSで発信しているメディアもある。首尾一貫性を好む人間は、兎(と)にも角にも原因を突き止めないと気がすまない。 「隣人や自分と同じ土地に暮らす人々を、敵と見なすか?同胞と見なすか?で人々の行動が変わる」というのは自然災害時の通説だが、ウイルスのように目に見えない恐怖では、見えている「誰か」を危険な存在だと見なし、排除することで、恐怖から逃れようとする心理が強く働くのだ。 先週、ドラッグストアの店員さんが「コロナより人間が怖い」とtwitterで悲鳴を上げ、多くの共感が集まったが、その根っこにある心の動きは過去の感染症流行時と全く同じだ。 ドラッグストア勤務歴12年のベテラン店員さんのツイートは、デマ情報にだまされドラッグストアに殺到するお客さんへの対応について書いたものだった。 「今まで優しかった人々が、殺気立って、とにかくイライラをぶつけてくる。『次の入荷はいつ?』『いつもないじゃない』『1個くらい取っておいてよ』と電話でも、対面でも何度も何度も聞かれ、その度に『すみません』『申し訳ありません』と頭を下げている。人が鬼に見える。正直ノイローゼ気味だ」などと書かれ、リツイートは33.5万件、いいねは59.8万件を超えた(5日19時現在)。 店員さんが「今まで優しかった人々」としていることから分かる通り、幼稚で暴力的な言動に走るのは、決して「特別な人」だけではない。 恐怖にあおられればあおられるほど、人の生存欲求はかき立てられ、利己的な言動が引き出される。自分でも驚くような大きな声を出してしまったり、後から考えると反省しきりの行動をしてしまったりする愚かさを、私たちは持ち合わせている。実に恐ろしいことだ。 3月3日には、「『トイレットペーパーが品薄になる』という虚偽情報を流したのは、うちの職員だった」と、鳥取県米子市の「米子医療生活協同組合」が謝罪したが、その数分後には、SNS上で職員の実名が拡散され、にわかに信じがたいおぞましい言葉が職員に浴びせられていた。“二次被害”が出ないこと願うばかりだ』、日本でも「コレラの流行」時に騒動があったとは初めて知った。「ウイルスのように目に見えない恐怖では、見えている「誰か」を危険な存在だと見なし、排除することで、恐怖から逃れようとする心理が強く働くのだ」、これも人間の困った業なのだろう。
・『冷静さを取り戻す鍵はリスクコミュニケーション  いずれにせよ目に見えない敵に恐怖を感じたときの人間は実に愚かで、暴力的かつ刹那的な言動に走りやすい。それを防ぎ、「正しく恐れる」(←知識人が好む言葉ですね)には、リスクコミュニケーションを徹底するしかない。 「リスクコミュニケーション」は個人、集団、組織などに属する関係者たちが情報や意見を交換し、その問題について理解を深め、互いにより良い決定を下すためのコミュニケーションだ。それは一方通行ではなく双方向で、批判的ではなく建設的に、1回限りではなく継続的にやりとりされる「相互作用の過程」である。 すなわちリスクコミュニケーションとは一般の人たちの「知る権利」であり、リスクに対する彼らの不安や被害をできる限り減らすための唯一の手段なのだ。 リスクコミュニケーションの重要性は、原発の事故発生時やその後の再稼働のときにも散々指摘されてきたが、特に予測が難しい感染症時のリスクコミュニケーションでは、専門家の役割が極めて重要になる。 専門家には一般の人たちの目線と、難しいことを平易な言葉で分かるように伝えるスキルと、「こんなこと言っても分からない」とあきらめない姿勢が求められる。) リスクコミュニケーションでは、専門家が意思決定の裁量を持ち、情報の一元化を徹底することが極めて重要となる。例えば、リスクコミュニケーション先進国である米国では、新型インフルエンザが大流行した際、米疾病管理予防センター(CDC) がリーダーシップを執り、情報提供窓口を一元化した。政府や自治体、企業や学校などもCDCを一次情報源とした。 CDCは、感染者数、感染源、治療法などどんどん更新される情報を、逐一国民に発信し、その際も国民の生活目線を忘れず、迅速かつ分かりやすさを徹底したと報告されている。 例えば、小学校や保育施設など施設別の行動指針やハイリスク者に関する情報、乳児の保護者向けの情報や、夏休み前にはキャンプ時の感染予防策など、豊富な切り口で情報提供した。CDCのホームページを見るだけで、幅広い情報ニーズを満たすことができるようになっていたそうだ(「新型インフルエンザのリスク認知とリスクコミュニケーションのあり方に関する調査研究」より)。 さらに、CDCは暫定的な行動指針やガイドラインなどもリアルタイムで公表、都度更新し修正を加えるなど、まめな情報発信に努めた。 徹底的に正確な情報提供を続けるからこそ、国民の情報への信頼は高まる。生活者目線の情報だからこそ、誰もが「自分の身に何が起こるか? 何に備えておけばいいか? 必要なものは何か? 困ることは何か?」と考え、具体的な行動につなげることができる。 そのような過程の先に、オバマ大統領の「国家非常事態宣言」があり、その後もきちんとそれまでのプロセスと決定を振り返り、検証も行うなど、最後まで双方向の基本原則を貫いたという』、「米疾病管理予防センター(CDC) がリーダーシップを執り、情報提供窓口を一元化した。政府や自治体、企業や学校などもCDCを一次情報源とした」、確かに有効なやり方だが、日本の厚労省などの閉鎖的・隠蔽体質では、機能しないだろう。
・『メディアは一次情報と連携すべし  リスクコミュニケーションでは、二次発信となるメディアの役割も極めて大きい。にわか専門家や、コメンテーターなどが、国民の不安をかき立てるようなことがないように、一次情報発信者(専門家チーム)と密接に連携する。メディアの記者たちには、専門家や政府などが行う記者会見で、適切かつ意義ある質問ができるだけの最低限の知識と生活者目線を持つことが求められる。そのためには専門家たちがリーフレットを配ったり、ミニ講習会を開くなど、マメに「汗をかく」必要もある。 当然ながら政府の役割と責任は極めて大きく、国民に発信するときには、「何を根拠に、そういった決定がなされたのか?」を、一次情報に基づき、きちんと説明し、記者からの質問にもきちんと対応し、双方向の原則を守らなくてはならない。 日本では、リスクコミュニケーションの重要性は「厚生労働省健康危機管理基本指針」にまとめられているし、新型インフルエンザが流行したときの経験を踏まえたリスクコミュニケーションの課題は、研究者がいくつもの調査報告書にまとめている。 一次情報の窓口となった厚労省からのリアルタイム発信が乏しかった、WHOの情報と政府の対応の関係の食い違いが不安と不信感を高めた、マスコミの過熱した報道姿勢など、いくつもの問題が指摘されているのだ。)  ……にもかかわらず、それが全く生かされていない現実がある。 今回の新型コロナウイルス感染拡大防止策は、当初から「誰がリーダーシップを取っているのか?」が不明だったし、専門家会議を立ち上げるのも遅かった。 安倍晋三首相自身が全国の小中高校などへの休校要請について、「直接、専門家の意見を伺ったものではない」と、専門家会議の提言に基づく決定ではないと明かしたり、記者会見でも記者の質問に答えずその場を去ったり、5日に発表された「中韓からの入国規制」については、政府対策本部の専門家会議メンバーの押谷仁・東北大教授が、困惑した様子で受け止め「まずは国内の対策に力を入れるべきではないか」と疑問視したと一部メディアで報じられている。 本来、鍵を握るべき専門家の立場は? 生活者目線は? どこに行ってしまったのか。 安倍首相の政治決断を「英断!」と評価する人もいるけど、納得いく説明もないままにトップダウンの発信だけが進んでいることが、余計な不安感や恐怖心、疑念、差別、偏見、間違った知識などにつながっている。 確かに厚労省は、twitterやFacebookで発信を行っている。しかし、防止策の意思決定はどのように行われているのか? どこに双方向のプロセスがあるのか? 分からないことだらけだ』、「日本では、リスクコミュニケーションの重要性は「厚生労働省健康危機管理基本指針」にまとめられているし、新型インフルエンザが流行したときの経験を踏まえたリスクコミュニケーションの課題は、研究者がいくつもの調査報告書にまとめている……にもかかわらず、それが全く生かされていない現実がある」、つい最近の教訓でも学ぼうとしないのは、困った悪弊だ。
・『一貫しない言動が続く政府とメディア  当初、テレビに出演する専門家たちは「マスクは予防にならない」と口をそろえ、手洗いが最大の防止策と言っていたにもかかわらず、マスクを国が買い取り北海道の人々に配布した。 その後、介護職員らでつくる労働組合が全国の介護事業所4043カ所への緊急調査を行い、マスクがすでにない事業所が約2割、訪問介護に限ると3割、在庫が2週間分以内の事業者は3分の2に達していると、政府にマスクの確保を訴えた。 これにより政府は、「1人に1枚行きわたるようにする」と発表した。 ところが突然、マイナンバーで買えるようにするだの、何だのと、「え? 今、それ??」という発信もあり、政府もメディアも右往左往する状態がまだまだ続いている。 今からでも遅くない。せめて、新型インフルエンザのときの経験を生かした情報発信と対応をしてほしい』、その通りだ。政府はこんな行き当たりばったりの対応で、よくぞ恥ずかしくないものだ。
タグ:予算を主導したのは 河合 薫 新型肺炎感染急拡大 PRESIDENT Online 「安倍政権の新型コロナ対策は「視野狭窄バカ」である 目前のことに振り回され対策は後手」 パンデミック 上昌広 感染してしまった後の対応が二の次にされている 健康・医療戦略室 安倍政権は本当に「新型コロナ」を終息できるのか 予算を決めるのも、執行するのも同じ人 アメリカではインフルエンザで今シーズンだけで1万2000人が亡くなっている。アメリカの場合、医者にかからないで死ぬ(医療費が高いため)人が多いので、3万人という推定もある 感染症対策専門家会議」は12名のメンバーで構成されるが(下表)、日本医師会、日本感染症学会、公益を代表する弁護士などを除くと、残る9人中8人が前述の4施設の関係者 アメリカのインフルエンザが日本に入るのを防ごうという話は聞かない 「医療崩壊 (34) 帝国陸海軍の「亡霊」が支配する新型コロナ「専門家会議」に物申す(下)」 「命」より「データの独占」 一貫しない言動が続く政府とメディア 厚労省方針は「人体実験」 感染研は「研究所」だ。現在のPCR検査が「研究事業」の延長だからこそ、臨床医がPCR検査を必要と判断しても、断ることが許容されている 鴎外は軍医を派遣して伝研を支えた。こうして伝研は陸軍との関係を深めていく 「感染後の対応」が二の次にされていないか 医療センター 医科研 一斉休校ではなく、やるべきことは他にあるはずだ 高木は東京帝国大学医学部、陸軍軍医団がドイツ医学一辺倒で学理・研究を優先していることに反発し、海軍軍医学校には実証主義的色彩が強く、臨床医学を重視する英国医学を取り入れた。 このような姿勢が、有名な脚気の予防法の確立へと繋がり、脚気対策の確立は日露戦争での間接的勝因といわれるに至る 「自前主義、言い換えれば「官民カルテル体制」を死守したい 慈恵医大 それだけのことをやって本当に終息に向かわせられるのか 新型コロナウイルスの拡大が止まらず、政府は迷走を続けている。クルーズ船ダイヤモンド・プリンセス号の検疫の失敗、遺伝子診断(PCR)の体制整備の遅れ、安倍晋三首相による突然の休校依頼――。 国内外から批判が噴出している 接種できた人数は、推定600万人に過ぎなかった。同時期に米国では4600万人に接種し 慈恵医大につながる「海軍人脈」 軍隊のもう1つの特徴が、自前主義だ 新型インフルエンザの流行 虚偽だった「輸入ワクチンはデータがない」 戦前から続く「ワクチン利権」 遺伝子検査(PCR) ワクチンを確保すべく舛添要一厚労相(当時)は、「ノバルティス」(本社スイス)などから合計9900万本のワクチンを緊急輸入した。 この時厚労省は、積極的にワクチンを輸入する気はなく、「輸入ワクチンは危険」というネガティブキャンペーンをはった 現在も、ワクチンの製造・供給体制は、他の薬剤とは全く違う。数社の国内メーカーと「国立感染症研究所」(感染研)が協力する「オールジャパン」体制だ。 「731部隊」関係者もいた「感染研」 「医療崩壊 (33) 帝国陸海軍の「亡霊」が支配する新型コロナ「専門家会議」に物申す(上)」 一斉休校のような大きな代償を払ってまで感染の拡大を防ぐ必要があるのかということに対する多角的検討が足りないのではないか 感染研 安倍政権「稚拙な新型コロナ対策」の3つの盲点 Foresight 「一斉休校」で学力低下という大きな代償を払うことになる オリンピックのために汚染国のイメージをつけたくないという大きな力が影響 メディアは一次情報と連携すべし 厚労省は大手検査会社の「みらかグループ」と「BML」に協力を依頼したが、彼らがクリニックから直接検体を受託することを規制した 北里柴三郎 米国では、新型インフルエンザが大流行した際、米疾病管理予防センター(CDC) がリーダーシップを執り、情報提供窓口を一元化した。政府や自治体、企業や学校などもCDCを一次情報源とした (その4)(帝国陸海軍の「亡霊」が支配する新型コロナ「専門家会議」に物申す(上)、左同(下)、安倍政権の新型コロナ対策は「視野狭窄バカ」である 目前のことに振り回され対策は後手、新型コロナが引き出した大衆の深層心理の闇) 陸海軍が保有する医療機関の厚生省への移管だった。 この際、全国146の軍施設が国立病院、国立療養所となったわけだが、注目すべきは、建物も職員も従来のままで診療が継続されたことだ。つまり、病院自体の組織は陸海軍のままで、名称が軍病院から国立病院に変更されただけなのだ 和泉洋人室長(首相補佐官)と、医系技官の大坪寛子次長だ 冷静さを取り戻す鍵はリスクコミュニケーション 政府は心理学でいう「視野狭窄」に陥っている 和田 秀樹 日本でも感染病によるパニックがたびたび起きた 「日本版CDC」は「731部隊」の復活 地方衛生研究所からあがってきたデータは、全部、国立感染研究所が掌握しており、このデータは自分で持っていたいと言っている感染研OBがいる 生かされない過去の経験 「新型コロナが引き出した大衆の深層心理の闇」 軍医療機関と国立病院の関係 情報開示による社会のチェックが受けられない 日経ビジネスオンライン
nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感

原発問題(その13)(「福島第一原発は津波が来る前に壊れていた」元東電社員“炉心専門家”が決意の実名告発、原発「運転停止」判決の裁判官に襲いかかる「ハラスメント」の数々 「変わり者」「偏向している」…、苦しむ廃炉作業 福島第1原発ルポ) [国内政治]

原発問題については、昨年11月26日に取上げた。今日は、(その13)(「福島第一原発は津波が来る前に壊れていた」元東電社員“炉心専門家”が決意の実名告発、原発「運転停止」判決の裁判官に襲いかかる「ハラスメント」の数々 「変わり者」「偏向している」…、苦しむ廃炉作業 福島第1原発ルポ)である。

先ずは、昨年9月25日付け文春オンライン「「福島第一原発は津波が来る前に壊れていた」元東電社員“炉心専門家”が決意の実名告発――文藝春秋特選記事 事故検証結果は「津波が原因」。しかし、それは間違っていた……」を紹介しよう。
https://bunshun.jp/articles/-/14271
・『福島第一原発事故から8年。 大事故を受けて、一時は「稼働中の原発はゼロ」という状態にもなったが、新しい安全基準(「新規制基準」)が定められ、現在、国内で7基の原発が稼働中だ(玄海原発4号機、川内原発1・2号機、大飯原発4号機、高浜原発3・4号機、伊方原発3号機)。 2013年に定められた「新規制基準」について、電気事業連合会はこう説明している。 「東京電力(株)福島第一原子力発電所の事故では地震の後に襲来した津波の影響により、非常用ディーゼル発電機・配電盤・バッテリーなど重要な設備が被害を受け、非常用を含めたすべての電源が使用できなくなり、原子炉を冷却する機能を喪失しました。この結果、炉心溶融とそれに続く水素爆発による原子炉建屋の破損などにつながり、環境への重大な放射性物質の放出に至りました。こうした事故の検証を通じて得られた教訓が、新規制基準に反映されています」』、こうした津波原因説を信じ込まされてきたが、これが嘘だとすると、話は全く変わってくる。
・『元東電社員が突き止めた本当の事故原因  要するに、「津波で電源を喪失し、冷却機能を失ってメルトダウンが起こり、重大事故が発生した」ということだ。 この点に関して、津波の規模が「予見可能だったか、想定外だったか」という議論がなされてきた。しかし双方とも「津波が事故原因」という点では一致し、多くの国民もそう理解している。 ところが、「津波が原因」ではなかったのだ。 福島第一原発は、津波の襲来前に、地震動で壊れたのであって、事故原因は「津波」ではなく「地震」だった――“執念”とも言える莫大な労力を費やして、そのことを明らかにしたのは、元東電「炉心専門家」の木村俊雄氏(55)だ。 木村氏は、東電学園高校を卒業後、1983年に東電に入社、最初の配属先が福島第一原発だった。新潟原子力建設所、柏崎刈羽原発を経て、1989年から再び福島第一原発へ。2000年に退社するまで、燃料管理班として原子炉の設計・管理業務を担当してきた“炉心屋”である。 東電社内でも数少ない炉心のエキスパートだった木村氏は、東電に未公開だった「炉心流量(炉心内の水の流れ)」に関するデータの開示を求め、膨大な関連データや資料を読み込み、事故原因は「津波」ではなく「地震」だったことを突き止めた。 「津波が来る前から、福島第一原発は危機的状況に陥っていた」「事故を受けて、『国会事故調』『政府事故調』『民間事故調』『東電事故調』と4つもの事故調査委員会が設置され、それぞれ報告書を出しましたが、いずれも『事故原因の究明』として不十分なものでした。メルトダウンのような事故を検証するには、『炉心の状態』を示すデータが不可欠となるのに、4つの事故調は、いずれもこうしたデータにもとづいた検証を行っていないのです。 ただ、それもそのはず。そもそも東電が調査委員会に、そうしたデータを開示していなかったからです。そこで私は東電にデータの開示を求めました。これを分析して、驚きました。実は『津波』が来る前からすでに、『地震動』により福島第一原発の原子炉は危機的状況に陥っていたことが分かったのです」 7基もの原発が稼働中の現在、このことは重大な意味をもつ。「津波が原因」なら、「津波対策を施せば、安全に再稼働できる」ことになるが、そうではないのだ。 木村俊雄氏が事故原因を徹底究明した「福島第一原発は津波の前に壊れた」の全文は、「文藝春秋」9月号に掲載されている』、「実は『津波』が来る前からすでに、『地震動』により福島第一原発の原子炉は危機的状況に陥っていた」、というのは衝撃の事実だ。これでは、「再稼働」は直ちに止めなければならないことになる。「4つの事故調は、いずれもこうしたデータにもとづいた検証を行っていないのです。 ただ、それもそのはず。そもそも東電が調査委員会に、そうしたデータを開示していなかったから」、「4つの事故調」揃って開示を要求しなかったとは考え難いので、やはり東電が隠蔽したとしか考えられない。ただ、「『炉心の状態』を示すデータ」を、OBの「木村氏」に開示したとは、一貫性を欠く対応だ。OBだから気を許したのか、うっかり開示してしまったのか、真相は不明だ。本来、「「文藝春秋」9月号に掲載」されれば、他のマスコミが後追い報道するものだが、「原子力村」の圧力で自粛しているのだろうか。真相はどうなのだろう。

次に、ジャーナリストの岩瀬 達哉氏が2月8日付け現代ビジネスに掲載した「原発「運転停止」判決の裁判官に襲いかかる「ハラスメント」の数々 「変わり者」「偏向している」…」を紹介しよう。
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/70256
・『死刑宣告に悩んだかと思えば、原発再稼働の可否を決定し、さらに「一票の格差」の判断まで下す。それが裁判官の「重責」だ。彼らの生身の感情とは何だろうか? 徹底的に掘り下げた本が話題だ。発売中の『週刊現代』が特集する』、伺い知ることができない「裁判官」の実情とは興味深い。
・『2人の裁判長の命運  原発の運転禁止と稼働容認の異なる決定が、先月、広島高裁と大阪高裁で相次いで言い渡された。 広島高裁の森一岳裁判長は、1月17日、四国電力の伊方原発3号機への運転禁止を言い渡した。かたや大阪高裁の山下郁夫裁判長は、同30日、住民側の運転差し止め申請を却下。関西電力大飯原発3、4号機の稼働を容認した。 ふたつの決定は、原発の安全技術や設備、地震リスクなどへの裁判長の評価の違いによるものだが、審理にあたって、どの判断枠組みを使ったかの違いでもある。 森裁判長は、原発の安全性を裁判官が独自に審査して運転禁止を言い渡したのに対し、山下裁判長は福島第一原発の事故後、最高裁が示した原発訴訟の事実上の「ガイドライン」を用いて稼働を容認した。 この違いについて、自らも原発訴訟を担当したことのある元裁判官は、こう解説する。 「民事訴訟の基本原則からすると、訴えを起こした側が原発の危険性を証明する必要がある。しかし住民側が、膨大なデータを保有する電力会社と争い、その危険性を証明するのは困難を極めます。 そこで森裁判長は、電力会社側に対し、原発が安全であり運転しても何ら問題ないことを立証させる『立証責任の転換』と呼ばれる審理方針を採用したのです」 同元裁判官の話が続く。「これに対し山下裁判長は、行政側の安全審査基準が正当かどうか、その審査過程で大きな手続き上の欠落がないかを見極める判断枠組みを使っている。 専門知識を持たない裁判官が、原発の安全性を見極めるのは難しいことから、安全性の独自審査には自制的であるべきとした最高裁方針に従ったものです」 過去の原発訴訟を見てみても、どちらの判断枠組みを裁判長が採用したかで、運転禁止か稼働容認かの判断が導かれていることがわかる。同時に、不思議な法則性があることにも気づかされる。 前者の判断枠組みを採用して運転禁止を言い渡した裁判長は、裁判実務一筋に歩んできた人が多いのに対し、後者を使って稼働を容認した審理は、最高裁事務総局に勤務経験のあるエリート裁判官によるものがほとんどと言っていい。 実際、運転禁止の森裁判長は、大阪地裁を振り出しに岡山地裁、東京高裁などで裁判実務を積み重ね、「事実をどう捉え、どう評価するかの判断センスに優れた裁判官」と言われている。 稼働容認の山下裁判長は、任官7年目で最高裁事務総局に「局付判事補」として勤務し、さらにその後「最高裁調査官」を務めたトップエリートである。 一般論として原発の稼働容認は、電力会社を支持基盤とする与党や、原子力発電を「重要なベースロード電源」と位置付ける政府方針と一致する。 それだけに稼働を認めた裁判長には、やがて裁判所内での望ましい処遇が巡ってくると言われている』、『立証責任の転換』「を採用して運転禁止を言い渡した裁判長は、裁判実務一筋に歩んできた人が多いのに対し、後者(最高裁・・・「ガイドライン」)を使って稼働を容認した審理は、最高裁事務総局に勤務経験のあるエリート裁判官によるものがほとんど」、やはり裁判官の世界も階層社会のようだ。
・『原発を停めた「変わり者」  では、原発を停めた裁判官には、どんな組織の返礼が待っているのか。 日本の裁判史上、はじめて稼働中の原発を停めたのは、金沢地裁の裁判長だった井戸謙一氏だ。2006年3月、北陸電力の志賀原発2号機を運転禁止とした。福島第一原発が過酷事故を起こす5年前のことである。 当時を振り返りながら、井戸氏は淡々と語った。 「あの時点で僕は、原発がなかったら日本の社会は成り立たないと思ってましたし、原発訴訟は住民側の全敗でしたから、まあ、同じような判決を書くんだろうなぐらいのイメージだった。 でも、いろいろ審理していくと、電力会社の姿勢に危惧される面があった。さすがにこれだけ危険なものを扱うのに、この姿勢ではダメだろう。 やる以上は、もっと耐震性を高めてから稼働させるべきというのが、あの判決の趣旨なんです」 そしてこう続けた。「審理方針は、住民側の疑問に対し、電力会社側に安全であることを立証してもらい、それが出来ないかぎり原発を停止させるというものでした」 「立証責任の転換」という判断枠組みは、井戸氏によって原発訴訟に導入されていたのだ。 しかし、政府方針に逆らった井戸氏には、その後、「変わり者の裁判官」というレッテルが貼られることになる。 金沢地裁から京都地裁に異動した時には、同僚の部総括(裁判長)から「どんな人が来るのかと思っていたら、けっこう普通の人でした」と言われたという。 またその後、大阪高裁のある部総括からは、こんな内緒話を聞かされた。 「あなたについては、高裁の事務局から、変わり者の裁判官なので、ご苦労されるかもしれないと言われていた」と―。 要するに原発を停めると裁判所内で孤立させられ、同僚から白眼視され、有形無形の「追い出し圧力」に晒されることになるわけだ。 現職のベテラン裁判長も、こう言った。 「だから、良心に従って原発を停められるのは、定年退官か依願退官かは別にして裁判官を辞めると決めた時なんです。でないと原発を停めた途端、裁判所での居場所をなくしてしまいますから」 伊方原発3号機を停めた森裁判長もまた、1月末で定年退官した。 義務教育で教わる三権分立のトライアングルにおいて、裁判所の機能と役割は、立法府と行政府の権力の乱用を牽制し、国民の基本的人権を守り、その自由を擁護することにある。 そのため「裁判官の独立」が憲法に謳われている。だが現実の裁判所は、国民の側に立つことよりも国の統治権行使の一機関として、公権力の利益を優先する傾向にあると言っていい』、「「立証責任の転換」という判断枠組みは、井戸氏によって原発訴訟に導入されていた」、原発事故前に日本の裁判史上、はじめて稼働中の原発を停めた井戸氏は、本当に勇気ある裁判官だ。「良心に従って原発を停められるのは、定年退官か依願退官かは別にして裁判官を辞めると決めた時なんです。でないと原発を停めた途端、裁判所での居場所をなくしてしまいますから」、「現実の裁判所は、国民の側に立つことよりも国の統治権行使の一機関として、公権力の利益を優先する傾向にある」、多少は信じていた裁判の公正さを、やはり望むべくもないのは、残念なことだ。
・『評価を落としたくない  第11代最高裁長官を務めた矢口洪一氏も、自身の「オーラル・ヒストリー」の中で国家と裁判所の関係について、こう述べている。 「三権分立は、立法・司法・行政ではなくて、立法・裁判・行政なんです。司法は、行政の一部ということです」 裁判部門は独立していても、全国の裁判所を統轄し、裁判官を人事管理する最高裁の司法行政部門は「行政の一部」として、政府と協調関係にある。また、そうでなければ、国を安定的に運営していけないと言っているのである。 一皮むけば、さまざまな矛盾を抱え持つ「裁判官村」という閉ざされた世界のなかで、裁判官たちは、いったいどんな思いで日々の法廷に臨んでいるのか。そして裁判所はどのような組織風土と論理のもと運営されているものなのか―。 私は、足かけ4年にわたり、のべ100人を超える現職裁判官や元裁判官を全国に訪ね歩き、このたび『裁判官も人である 良心と組織の狭間で』(講談社刊)を上梓した。 そこから見えてきた裁判官たちの日常は、一般のサラリーマンや行政官僚とさして変わらない厳しい管理下に置かれ、窮屈な職場で多忙を極めているという姿だった。 ベテラン裁判官のひとりは、忸怩たる思いを嚙みしめるように語った。「裁判所というところは、恐ろしく保守的で、誰彼かまわず足を引っ張るのに長けた組織なんです。 若手裁判官に限らず、ベテラン裁判官であっても、上司である部総括に向かってあれこれ意見を言ったりすると、うるさい奴だとか協調性がないといってマイナス評価されてしまう。それを怖れるあまり、皆、萎縮してしまっている」 幼稚園の頃からとびきりよくできると誉めそやされ、優等生として走り続けてきた彼らは挫折を知らず、下積み経験もない。プライドは高く、世俗的な欲望とも無縁ではない』、司法試験に上位で合格する裁判官は、「幼稚園の頃からとびきりよくできると誉めそやされ、優等生として走り続けてきた彼らは挫折を知らず、下積み経験もない。プライドは高く、世俗的な欲望とも無縁ではない」、のであれば、「萎縮」するのも無理からぬところだろう。
・『「だから大半の裁判官は上目づかいで上司に嫌われないよう、無難な判決を書くわけです」 こう前置きして、裁判官の心理を解説してくれたのは元民事裁判官だ。 「われわれは、普通、20代半ばで裁判官になって定年まで勤めるので、約40年という時間を裁判所という閉鎖された社会で過ごすわけです。 その社会の中で生きていくわけだから、順調に昇進し、気持ちよく仕事をしたい。 原発訴訟に限らず、住民訴訟で国を負けさせたりすると、偏向していると批判され、挙げ句、同期より処遇で遅れるというのはさすがに辛い。 しかも遠くの裁判所に飛ばされるかもしれない。家族を連れていけないとなると、単身赴任なわけですから、それはかなわんわけです」 憲法で保障されているはずの「裁判官の独立」は、外部からの干渉には強くても、内部を支配する組織の論理の前では、ほとんど意味をなしていないと言えそうだ。彼らもまた、弱さを抱え持つ生身の人間なのである。 刑事裁判官が判決文を起案する際、胸中に去来するのは、正義の実践をなしえたかといった自問ではなく、上級審でひっくり返され、人事評価が落ちることへの不安だという。 元東京高裁刑事部の裁判長は、そんな刑事裁判官の行動原理についてこう語った。 「無罪判決を書いて検察官と対立するよりは、無罪が確実なのであれば、この先の上級審で無罪にしてくれるだろうから、とりあえず有罪にしておこう。そうすれば(検察側に)控訴されることもない。 検察官に控訴されると、7割の確率で一審判決が破棄されるため、検察官の主張を無批判に受け入れがちになるのです」 一般に真実探求の場であると考えられている裁判所と、裁判所の実態では大きな隔たりがあるのである』、「「無罪判決を書いて検察官と対立するよりは、無罪が確実なのであれば、この先の上級審で無罪にしてくれるだろうから、とりあえず有罪にしておこう。そうすれば(検察側に)控訴されることもない」、恐ろしく無責任な態度だ。 「検察官に控訴されると、7割の確率で一審判決が破棄されるため、検察官の主張を無批判に受け入れがちになるのです」、検察は圧倒的な強さを持っているようだ。
・『今年1月16日に行われた新人判事補の辞令交付式で、最高裁の大谷直人長官は、人を裁くことへの「畏れと危うさの感覚を持ち、畏れの自覚を判断の中に反映させることが重要だ」と訓示した。 しかし裁判所の現状は、司法行政による締め付けによって「畏れと危うさの感覚」を多くの裁判官から奪い取っている。その改善に取り組むことなく、抽象的理念を説いても意味をなさないはずだ。 いま一度、すべての裁判官は、人が人を裁くことの特別の責務と、自らの裁く姿勢を見直す必要があろう。裁く者も、やがて国民の道義的信頼と歴史によって裁かれるからである。 発売中の『週刊現代』ではこのほかにも、民事裁判での事例や、定年退官が近づいた裁判官の声などを紹介しながら、特集『裁判官も人である』を掲載している』、「司法行政により締め付けられた「裁判官」のなかにも、極く少数ながら、勇気ある判決を下す人間がいることが、せめてもの救いだ。

第三に、3月6日付け日経ビジネスオンライン「苦しむ廃炉作業、福島第1原発ルポ」を紹介しよう。
https://business.nikkei.com/atcl/gen/19/00123/030300001/?P=1
・『2011年3月11日に発生した東日本大震災から10年目に入る。福島第1原子力発電所は廃炉に向けた必死の作業が続くが、汚染水や廃棄物の処理など重い難題が立ちふさがる。その現場に2月半ばに入った。 入所前から物々しい検査が行われた。身分証明書を提示し、写真と筆者を照合し、指紋も採取する。わずか10メートル先だが建屋の入り口にさしかかると再び指紋を使い、本人確認をしてようやく中に入れた。 厳しい検査態勢は、テロ対策なのだろう。張り詰めた緊張感が伝わる。 11年3月11日。東京電力(現・東京電力ホールディングス)福島第1原発に6基ある原子炉のうち1~3号機は核燃料が溶け出す炉心溶融を起こし、大量の放射性物質を広い範囲にまき散らした。海側に並ぶ建屋の一部は今も鉄骨がむき出しになり、ひずんだ配管が垂れ下がる。事故から間もなく10年目に入る現場には傷痕がまだ生々しく残っていた。 敷地内はトラックが時折通り過ぎる他は意外なほど静かだ。月平均4070人が廃炉作業に取り組んでいるという。事故の影響が大きかった1~4号機と周辺を除くと敷地の96%は平服で作業できるまでに放射線量は下がっている。毎月数千人の人たちが黙々と、着実に作業を進めてきた結果だが、行く手に目を向けてみれば廃炉作業にはむしろこれから本当の難路が待っているようだ』、「入所前」の検査が2回、というのには驚かされた。
・『廃炉工程表は5回目の書き直し  廃炉は文字通り原発の廃止措置。老朽化し、事故後に厳しくなった安全基準やテロ対策のための大型投資をしても回収できない原発などの廃炉が増え、国内60基のうち24基が廃止を決めている。事故炉である福島第1原発は他とは取り組みが異なり、11年から約30~40年かかるとしている工程は3つに分かれる。 第1期は4号機の建屋内から使用済み核燃料の取り出しを始めた13年11月ごろまで。4号機は水素爆発は発生したが、事故時は定期検査中で炉内に燃料棒がなく、炉心溶融は起きなかったため、最初に取り出しができた。 第2期は事故から10年目あたりまでで、炉内で燃料棒が溶け出した溶融燃料(デブリ)の取り出しに着手できるまでの期間としている。今はこの時期に当たる。それ以後は、デブリの搬出をはじめとする難作業が待ち構える。これが第3期で41~51年に終了することになるという。 だが、これまで計画は変更を重ねてきた。昨年末、工程表は5度目の改訂となり、「(前回分から)1~5年繰り下げになった」(八木秀樹・東電ホールディングス原子力・立地本部長代理)。デブリについては2号機から21年に取り出し始めることを初めて明記したものの、1、2号機の建屋内にある使用済み核燃料を含めて取り出しをそれぞれ遅らせた。 背景にあるのは、廃炉を福島の復興と両立させるために徹底して慎重に進めようとする政府の思惑と見られる。敷地の他の部分と違い、高い放射線量が記録される1~3号機での取り出し作業で万一、放射線が飛散することがあれば、ようやく広がり始めた周辺住民の帰還に影響を及ぼしかねない。正念場にさしかかって、時間的な余裕をもう一度取ったというところだ。21年に始めるとしたデブリの取り出し技術もまだ確立されておらず、技術開発を続けながら進める他ないのが実情でもある。 先を見通せば、課題はさらに山積している』、「工程表は5度目の改訂」、予想されたこととはいえ、「絵に描いた餅」の宿命といえよう。
・『1350トンの液体を収容するタンクが約1000基  原子炉建屋の西、なだらかに高くなっている丘に1基1350トンの液体を収容する大型タンクが約1000基、隙間もなくびっしりと立て連ねてある。ここに毎日、放射性物質の汚染水がたまり続けているのである。 事故で破壊された建屋には地下水や雨水が入り込み、放射性物質が溶け込む。これをくみ出し、途中、放射性物質の除去装置を経てその大部分を取り除き、パイプでタンクにため込んでいるのだ。これが日量170トン(18年平均)。既に計118万トンに達し、「22年夏にはタンク全体が一杯になる」(東電HD)という。 タンク内に入っているのは、除去装置を使っても取り切れない放射性物質の1つ、トリチウムなどの残った汚染水。汚染水処理を始めた初期にはトリチウム以外の放射性物質の処理が完全にできず、一部が残っているとされる。それを含めて再処理するにはさらに時間がかかる。タンク容量の限界は刻々と迫るが、今のところ対策はないのである。 仮にトリチウムだけを残して浄化しても、その処理にも難題がある。トリチウムを含む汚染水は基準以下に薄めれば海洋放出することが国際的にも認められている。今年1月末にはこの問題を議論する経済産業省のALPS小委員会が「復興との両立」を求めながら、海洋放出を有力視する提言をまとめた。だが、地元双葉町、大熊町など4町で作る福島県原子力発電所所在町協議会は即座に「環境や風評への影響を慎重に議論すべきだ」との要望書を東電に出している』、「トリチウム」の除去方法が開発されるのではとの期待もあったが、やはり難しいようだ。「海洋放出することが国際的にも認められている」とはいえ、やはり地元の反対は考慮せざるを得ないようだ。
・『汚染水だけではない。廃炉の際には放射性廃棄物も出てくる。福島第1では今のところ状況を把握した上で、その対応を決めることになっている。しかし、他の廃炉原発(予定含む)と同様、処分場の確保は極めて難しい。 廃棄物は汚染度の高い順にL1~3の3段階に分かれている。建屋の周辺設備のコンクリート、金属など放射能レベルの極めて低いL3、原子炉に関わる廃液、フィルターなど比較的低いL2、そして原子炉内の制御棒や炉内構造物などのL1である。 このうち、例えばL1は地下70メートルより深い場所に10万年埋めておく必要があるとされるが、規制基準もまだ明確になっていない。その他も長期にわたって地下などの保管が必要になるが、処分場のメドは全く立っていない。だが、その処分責任は電力会社が負うこととされている。 一方で技術開発の難しさや長期化から廃炉コストは上昇を続けている。東電は福島第1原発の後、昨年夏には福島第2原発の廃炉も決めたが、そのコストは当初2800億円と見積もっていたものを決定時には4100億円に引き上げている。廃棄物処理にかかる重いコスト負担は東電に限らず、廃炉原発を抱える電力会社に共通するものでもある。東電はその中で最も厳しい環境にあるといえるだろう。重荷を抱えても進む他ないのだが』、こうした「廃棄物」処理コストを度外視して、原発は低コストと建設を推進したツケだ。ただ、少なくとも「L1」保存の「規制基準」は早目に決めておくべきだろう。
タグ:文春オンライン 「津波が事故原因」 東電に未公開だった「炉心流量(炉心内の水の流れ)」に関するデータの開示を求め、膨大な関連データや資料を読み込み、事故原因は「津波」ではなく「地震」だったことを突き止めた 東電社内でも数少ない炉心のエキスパート 元東電「炉心専門家」の木村俊雄氏 福島第一原発は、津波の襲来前に、地震動で壊れたのであって、事故原因は「津波」ではなく「地震」だった (その13)(「福島第一原発は津波が来る前に壊れていた」元東電社員“炉心専門家”が決意の実名告発、原発「運転停止」判決の裁判官に襲いかかる「ハラスメント」の数々 「変わり者」「偏向している」…、苦しむ廃炉作業 福島第1原発ルポ) 「「福島第一原発は津波が来る前に壊れていた」元東電社員“炉心専門家”が決意の実名告発――文藝春秋特選記事 事故検証結果は「津波が原因」 「津波で電源を喪失し、冷却機能を失ってメルトダウンが起こり、重大事故が発生した」 原発問題 元東電社員が突き止めた本当の事故原因 廃棄物処理にかかる重いコスト負担 L1は地下70メートルより深い場所に10万年埋めておく必要があるとされるが、規制基準もまだ明確になっていない 放射性廃棄物 地元双葉町、大熊町など4町で作る福島県原子力発電所所在町協議会は即座に「環境や風評への影響を慎重に議論すべきだ」との要望書 海洋放出を有力視する提言 経済産業省のALPS小委員会 トリチウム 1350トンの液体を収容するタンクが約1000基 廃炉工程表は5回目の書き直し 「苦しむ廃炉作業、福島第1原発ルポ」 日経ビジネスオンライン 検察官に控訴されると、7割の確率で一審判決が破棄されるため、検察官の主張を無批判に受け入れがちになるのです 無罪判決を書いて検察官と対立するよりは、無罪が確実なのであれば、この先の上級審で無罪にしてくれるだろうから、とりあえず有罪にしておこう。そうすれば(検察側に)控訴されることもない 「裁判官の独立」は、外部からの干渉には強くても、内部を支配する組織の論理の前では、ほとんど意味をなしていない 順調に昇進し、気持ちよく仕事をしたい 約40年という時間を裁判所という閉鎖された社会で過ごす 評価を落としたくない 現実の裁判所は、国民の側に立つことよりも国の統治権行使の一機関として、公権力の利益を優先する傾向にある 良心に従って原発を停められるのは、定年退官か依願退官かは別にして裁判官を辞めると決めた時なんです。でないと原発を停めた途端、裁判所での居場所をなくしてしまいますから 政府方針に逆らった井戸氏には、その後、「変わり者の裁判官」というレッテルが貼られる 「立証責任の転換」という判断枠組みは、井戸氏によって原発訴訟に導入 金沢地裁の裁判長だった井戸謙一氏だ。2006年3月、北陸電力の志賀原発2号機を運転禁止とした 原発を停めた「変わり者」 稼働を認めた裁判長には、やがて裁判所内での望ましい処遇が巡ってくると言われている 前者の判断枠組みを採用して運転禁止を言い渡した裁判長は、裁判実務一筋に歩んできた人が多いのに対し、後者を使って稼働を容認した審理は、最高裁事務総局に勤務経験のあるエリート裁判官によるものがほとんど 『立証責任の転換』 山下裁判長は福島第一原発の事故後、最高裁が示した原発訴訟の事実上の「ガイドライン」を用いて稼働を容認 森裁判長は、原発の安全性を裁判官が独自に審査して運転禁止を言い渡した 大阪高裁の山下郁夫裁判長は、同30日、住民側の運転差し止め申請を却下 広島高裁の森一岳裁判長は、1月17日、四国電力の伊方原発3号機への運転禁止を言い渡した 原発の運転禁止と稼働容認の異なる決定が、先月、広島高裁と大阪高裁で相次いで言い渡された 2人の裁判長の命運 「原発「運転停止」判決の裁判官に襲いかかる「ハラスメント」の数々 「変わり者」「偏向している」…」 現代ビジネス 岩瀬 達哉 「再稼働」は直ちに止めなければならない 実は『津波』が来る前からすでに、『地震動』により福島第一原発の原子炉は危機的状況に陥っていたことが分かった 『炉心の状態』を示すデータが不可欠となるのに、4つの事故調は、いずれもこうしたデータにもとづいた検証を行っていない 『国会事故調』『政府事故調』『民間事故調』『東電事故調』と4つもの事故調査委員会が設置され、それぞれ報告書を出しましたが、いずれも『事故原因の究明』として不十分
nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感

加計学園問題(その16)(看板倒れ加計学園 獣医学部はコロナ感染症対策で機能せず、韓国人受験生を全員不合格 加計学園獣医学部に「不正入試」疑惑、小田嶋氏:「嫌い」の持っていきどころ) [国内政治]

加計学園問題については、2018年10月14日に取上げたままだった。久しぶりの今日は、(その16)(看板倒れ加計学園 獣医学部はコロナ感染症対策で機能せず、韓国人受験生を全員不合格 加計学園獣医学部に「不正入試」疑惑、小田嶋氏:「嫌い」の持っていきどころ)である。

先ずは、本年2月14日付け日刊ゲンダイ「看板倒れ加計学園 獣医学部はコロナ感染症対策で機能せず」を紹介しよう。
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/269052
・『新型コロナウイルスの感染が拡大する中、“世界に冠たる”獣医学部は何をしているのか――。新型肺炎対策が議論されている国会で、加計学園が設立した岡山理科大獣医学部の名前が浮上。カケ問題が再燃している。 コトの発端は先週7日の衆院予算委。立憲民主の阿部知子議員が「今般の事案(新型肺炎)に対して、いま加計学園はどんな活動をしているのか」と問うと、萩生田文科相が「今後の感染症、微生物学に関する講義のなかで取り扱うことや、今後、シンポジウムにおいて情報発信・啓発を行うことを検討している」と答弁。国家戦略特区を通じて“鳴り物入り”で新設された獣医学部が、ほとんど何もしていないことが発覚した』、「阿部知子議員」もタイムリーに嫌味な質問をしたものだ。
・『つぎ込まれた税金は約186億円  そもそも、獣医学部新設の狙いを安倍首相は「人獣共通感染症対策」「新薬開発」――と強調してきたはずだ。しかも、〈広域的に(獣医学系大学が)存在しない地域に限り新設を可能とする〉との特区認定の条件を追加し、わざわざ鳥インフルエンザ研究センターを持っていた京都産業大を除外までしている。 それにもかかわらず、新型肺炎が猛威を振るっている、この肝心な時に、ほとんど機能していないのだから話にならない。新薬の開発なんて期待されていないのだ。 さらに、新型肺炎を研究・調査するよう政府から指示を受けた国内の9つの大学にも、岡山理科大は選ばれていない。その理由を文科省に聞くと、「文科省の補助事業『感染症研究国際展開戦略プログラム』に採択されている大学に指示した」(研究振興戦略官付)とのこと。 学園側にも新型肺炎に関する取り組みについて問い合わせたが、期日までに回答はなかった。 獣医学部新設につぎ込まれた税金は約186億円。国からの助成金も入っている。政治評論家の本澤二郎氏がこう言う。「『人獣共通感染症への対策』との説明はしょせん、獣医学部新設のための建前だったということでしょう。モリカケ疑惑といい、『桜を見る会』といい、いったい血税を何だと思っているのでしょうか。今回の新型肺炎のような不測の事態にこそ、税金が投入されるべきでしょう」 “世界に冠たる”なんて、看板倒れじゃないか』、「獣医学部新設の狙いを安倍首相は「人獣共通感染症対策」「新薬開発」――と強調」、安倍のウソもここまでくると、誰も信じないようだ。結果論になるが、「新型肺炎」を研究するのは、「鳥インフルエンザ研究センターを持っていた京都産業大」の方がよかったようだ。

次に、3月4日付け文春オンライン「韓国人受験生を全員不合格 加計学園獣医学部に「不正入試」疑惑」を紹介しよう。
https://bunshun.jp/articles/-/36425
・『2017年、52年ぶりに新設が認められた学校法人加計学園、岡山理科大学の獣医学部。昨年11月16日、愛媛県今治のキャンパスで獣医学科の推薦入試が実施されたが、同学科が韓国人受験生全員の面接試験を一律0点とし、不合格にしていたことが「週刊文春」の取材で分かった。複数の職員が、証拠となる内部文書とともに明かした。 加計学園の幹部職員、武田晶さん(仮名)が怒りを滲ませる。「A方式の推薦入試を受験した韓国人受験生8名全員が不合格となっています。A方式の推薦入試は、学科2科目と面接試験、高校での成績を反映した評点平均値、各50点、計200点満点で採点されます。驚くべきことに、韓国人受験生全員の面接試験での点数は0点。なかには面接で10点でも取れれば合格点に達する受験生もいる。これまで面接試験で0点というのはほとんど見たことがありません。公平公正を重んじなくてはいけない入試で、国籍差別が行われている事実に怒りを覚えます」 週刊文春が入手した内部文書によれば、受験生の受験番号、出身地、得点、合否が記されており、面接の得点欄には「0」が並び、「不合格」と記されている。この面接結果について学内で獣医学部の教授陣は「日本語でのコミュニケーションが著しく困難だった」と説明している。だが、前出の武田さんは反論する。「すべて日本語で記された科目試験で満点に近い優秀な成績を収めた学生もおり、韓国人受験者全員が、日本語に不自由だという説明は不可解極まりないです」』、「韓国人受験生全員の面接試験での点数は0点」、「不正入試」の大胆不敵さには、呆れ果てた。こんなことをしたということは、一時は学生が集まるのかとの危惧もあったが、日本人受験者が十分に多かったことを意味しているようだ。
・『2月21日に加計学園に書面で事実確認を申し入れたが、1週間後に「担当者から連絡します」と言ったきり回答することはなかった。 文科省の担当者に見解を尋ねると、次のように回答した。「仮に受験生の属性によって差異を設けるのなら、大学側は説明責任が生じます。その上で、不適切な入試と判断されれば、文科省などの調査・指導の対象となり、私学助成の対象から除外される可能性もあります」 2018年に女子受験者の点数操作が発覚した東京医科大は、「公正、適切な学生の受け入れが実施されていない」として私学助成が不交付となっている。 岡山理科大学の獣医学部新設の認可をめぐっては、安倍晋三首相(65)と加計孝太郎理事長(68)とのお友達関係による“忖度”が指摘されてきた。新たに不正入試疑惑が浮上したことで、同学園は説明責任を求められそうだ。 3月5日発売の「週刊文春」では、幹部職員らの証言、証拠となる内部文書をもとに、不正入試疑惑を詳細に報じている』、文科省は「私学助成の対象から除外」するべきだろう。

第三に、コラムニストの小田嶋 隆氏が3月6日付け日経ビジネスオンラインに掲載した「「嫌い」の持っていきどころ」を紹介しよう。
https://business.nikkei.com/atcl/seminar/19/00116/00060/?P=1
・『話題は、例によって「週刊文春」によるスクープという形で、まずはウェブ上で告知された。内容は、2017年に、侃々諤々の議論の中で半ば強引に認可された岡山理科大学の獣医学部の不正入試にかかわる告発記事だ。 ネットにアップされた予告記事を一読して、翌朝、一番に近所のコンビニで「週刊文春」本誌を入手した。これは、読まないわけにはいかない。 内容から見て、当該の記事は、岡山理大の関係者による内部告発を踏まえたものだ。昔からの現場の記者の言い方で言えば「タレコミ記事」ということになる。 それにしても、このテの内部告発ネタの持ち込み先が、新聞社でなくなっているという事実に、私の世代の人間は、一抹の寂寥感を抱く。 おそらく、内部告発者は、タレコミのネタを新聞社に持ち込んでも、展開次第では、先方が政権に忖度して、記事を握りつぶす(古い報道の人たちは「ネグる」という言い方をしていましたね)可能性を恐れたのだろう。 ありえない話ではない。昨今の状況を鑑みるに、新聞社の上の方の人間が、ネタを記事化しない選択肢を選ぶなりゆきは十分に考えられる。そうでなくても、タレコミのネタは、新聞社と政権周辺との間の取引の材料に使われて、ナマの形では日の目を見ないかもしれない。これも非常にありそうな話だ。 と、この種のハレーションのデカそうな話題を、真正面から記事にする根性を持っているように見えるのは、現状では、週刊文春の一択だろう。 実際のところ、私は、3年ほど前から、「文春砲」などという夜郎自大な述語を振り回しつつ、やたらと調子ぶっこいているあの雑誌の編集部に、良い感情を持っていないのだが、それでも、岡山理大の内部告発者が、タレコミ先として、週刊文春を選んだ気持ちはとてもよく理解できる。私自身、自分がヤバげなネタをつかんだら、文春に持ち込むことになるはずだ。新聞は、もはや信頼できない。先日の全国一斉休校を要請した際の首相会見(←2月29日の総理会見)を仕切っていた幹事社の朝日新聞の人間の司会ぶりをテレビ画面越しに眺めながら、つくづくそう思った。社員記者の面々は総理の足元に鎮座している。まるで飼い猫みたいに、だ。 新聞やテレビ各社をはじめとする記者クラブメディアは、官邸や政府との共存共栄(最近の言い方で言えば「Win-Win」ですね)関係の維持を、どうやら国民の疑念を晴らすことよりも上位に置いている。 記者たちが政権や各省庁との駆け引きの中で、ネタの出し入れをすることは、互いの省力化のために必要な措置であるのかもしれない。とはいえ、あらかじめ申告した質問へのあらかじめ用意された回答に満足して、15分で質問時間を打ち切るようなやりとりを「記者会見」と呼ぶことは、言葉を扱う職業の人間には耐えられない欺瞞であるはずだ。あんな五人囃子の笛太鼓みたいな会見映像を全国放送されて、それでも記者章をぶら下げて歩いていられるのは、私に言わせれば恥知らずということになる。 当然、2月29日の総理会見の後、ネット上には、会見を差配した記者クラブへの不満が爆発する形になった。 で、不満の声に答える形で、3月3日付の毎日新聞は、秋山信一記者の署名入りで、《首相と閣僚の記者会見は“出来レース”か 政治部記者が明かすその実態》という見出しの記事を配信した。 記事を読んで、記者クラブと被取材者の関係が、一方的な上下関係ではないということは理解できた。 事前に質問を通告しておくことが、まるっきりの「出来レース」とは違う意味を持っていることもよくわかった。互いの情報交換を円滑にするための下準備は、当然必要な作業なのだろう。 ただ、それはそれとして、記者の仕事をわかりやすく説明してくれているこの記事の行間に、首相をフォローするニュアンスが横溢してしまっている。この点に私は失望を禁じ得なかった』、「岡山理大の内部告発者が、タレコミ先として、週刊文春を選んだ気持ちはとてもよく理解できる・・・新聞は、もはや信頼できない」、「新聞」は墓穴を掘ってしまったようだ。「全国一斉休校を要請した際の首相会見」は、本当に見るに堪えなかった。
・『私とて、会見のすべてが出来レースだったとは思わないし、記者クラブにぶら下がっている記者が雁首を揃えて政権の茶坊主業務に邁進しているとは思っていない。 ただ、首相に「苦言を呈する」構えで文章を紡ぎつつ、結果として、会見場に集まった自分たちの仕事ぶりについて弁明しているようにしか見えない記事を配信することになってしまった今回の経緯を、私はとても残念に思っている。 「記者と政治家の間には、部外者にはわからない微妙な駆け引きと力関係があって、それは記事を読んでいるだけの読者には簡単には理解できないものなのです」というお話は、雲の高みにいる人間が、下界の人間にアナウンスする説明として、内容はともかく、構えとしてあまりにもイヤミったらしい。その意味で、失敗だったと思う。 私は率直に「ナニサマのつもりだ?」と思ったし、もっと言えばナニサマとナニサマが互いに忖度し合ってるみたいなやりとりは、有料の見世物として興行するのには無理があると考えている。無理だ。そんなものを見るために、大切な時間を浪費するのは御免だ。 話がズレてしまった。 文春の記事の話題に戻る。 記事の内容が真実であるのだとすれば、今回の岡山理大の所業は、まるで弁護の余地のない、最悪のやりざまだ。 上の文で私があえて「記事の内容が真実であるのだとすれば」などと、事前弁解くさい接頭辞を配置したのは、自分の気持ちの中で、いまにいたってなお、「いくらなんでもこんなひどい話が本当であるはずがない」という、常識から来る思い込みをぬぐい切ることができずにいるからだ。 これはそれほどひどい話だ。 というよりも、ゲロが出そうにグロテスクな話だ。 本件が、「不正入試」であることはあらかじめ申すまでもない。それゆえ論じる必要もない。 「差別事案」であることもはじめからはっきりしている。 これらの前提を踏まえた上で、ここから先、私が書こうとしているのは、「差別はいけません」「大学の入学試験は公平、公正、かつ透明性が確保されているべきです」てなことを、くどくどと弁じ立てるテキストではない。 入試の公平性と差別撤廃の必要性は、民主社会の前提ではあるが、本稿のテーマではない。 本稿のテーマは、むしろ、それらの諸前提の崩壊危機についてだ。 私は、ここから先の何十ラインかを 「差別って本当にいけないのか?」「入試が公平じゃないからって、たいしたことないだろ?」と考え始めている人間たちのために書こうと思っている』、興味深そうだ。
・『実際、「差別の撤廃」や「入試の公正さ」といった「建前」は、現実問題として、広範な人々によって、嘲笑の対象になっている。 「入試が公平だとか、どこの国の話をしてるんだ?」「だよな。入試問題って、あれ、頭の悪いヤツは点が取れないようにできてるぞ。つまりおまえらにとってはどうにも不公平な試練だってことだぞ(笑)」「差別はいけませんって、だったらお前は美味い寿司と不味い寿司を差別してないのか?」てな調子の「自称リアリスト」は、私の見るに、SNSの「本音増幅機能」のアオリを受けて年々その数を増やし続けている。 それゆえ、私が恐れているのは、差別があることそのものよりも、この驚くべき差別を、「当然じゃないか」「どこが悪いんだ?」「どこの大学だって、表立ってやってないってだけで、実際には受験生を恣意的に選別してるはずだよ」「日本の私学助成金をどうして外国人に用立てる必要があるんだ?」「っていうか、お国のカネ使って遺伝子スパイを養成してどうするんだって話だろ、むしろ」てな調子で容認擁護している人間たち(←実際、この記事を紹介したツイートにぶら下がっているリプには、あからさまに韓国人差別を肯定している人々が山ほど含まれている)が、総理の腹心の友と言われている人間が経営している学校法人による公然たる差別が、いともぞんざいに中央突破でまかり通っていた実例をまのあたりにすることで、ますます自信を得て、その結果発言力を増すことなのである。 ちょっと前に発覚した、医学部を舞台にした不正入試事件では、男性の受験生にゲタを履かせることで、女性の合格者を減らす結果をもたらしていた点が問題視された。 2018年の12月、順天堂大学の学長が、女子の面接点を低く採点していた点について 「大学受験時点では女子の方がコミュニケーション能力が高い傾向にあり、判定の公平性を確保するために男女間の差を補正したつもりだった」という、バカな弁解をして笑いものになったのは、比較的記憶に新しいことだが、当たり前の話だが、学長のバカな弁解が、あの事件の全体像を端的に説明していたわけではない。 ここでは別の説明を採用する。 医療現場に詳しい人々が解説していたところによれば、彼らが男子学生を優遇せんとしたのは、「付属病院を持つ医大の人間にとっては、インターンとして一定期間自分たちの病院で勤務させるにあたって、男性医師の方が使い勝手が良いから」ということに尽きるらしい。 つまり、寝る間もないブラック労働のコマとして使い倒すためには、若手独身男性医師こそが好適な金のタマゴなのであって、妊娠や結婚で職場を離れるリスクを持っている女性の医師は、相対的に価値が低いということだ。となると、入試の合否判定における男女格差は、結果として明らかな差別であることは事実であるにしても、そもそもの意図としては「差別」よりは「営業上の利益優先」から発したものだったということになる。 もちろん、意図として男女差別を狙ったものでないのだから許されるという話ではない。 というよりも、このケースは医療現場に蔓延している女性への配慮を欠いた差別的な扱いを、入試のステージにそのまま転嫁した意味で、より差別的であるのかもしれない。 「女子受験生を排除した医大の首脳部は、必ずしも女性差別を意図していたのではなくて、単に、より過酷に使役できる男性の医師を求めたのだ」という言い方を単純に採用してしまうと、女性差別を擁護することになってしまう。 違う。その言い方は正しくない。 医大の人間たちは、女性差別をしなかったのではない。彼らは、医療の世界に蔓延する女性差別(と、そのカゲで酷使される若手医師たち)を利用して、より高い利益を得ようとした。 結局、彼らは、受験生を医療双六の「コマ」としてしか見ていなかったということだ』、「「自称リアリスト」は・・・年々その数を増やし続けている」、困った現象だ。医学部不正入試をした「首脳部」は、「受験生を医療双六の「コマ」としてしか見ていなかったということだ」、的確な表現だ。
・『さて、岡山理大がおよそぞんざいにやってのけたあからさまな差別は、営業上の利害だとかとはあまり関係のない、ド直球の、プリミティブな差別だった。 獣医学部が韓国人学生を排除することで、直接的な利益を得られるわけではないし、なんらかの損失を回避できるわけでもない。 あくまでも、彼らは排除のために排除し、差別のために差別している。 つまり、意図としてはそれだけ差別の意図が徹底していたということでもある。 私がなんともいやな気持ちになっているのはこの点だ。 彼らは、ただただ差別のために差別をしている。 儲けるためにとか、カネを節約するためにとか、そういう損得勘定すらない場所で、ただ一心に自分自身の差別をしたいという欲望をかなえる目的で差別をしている。こんなに薄気味の悪いやりざまがあるだろうか。 あるいは、損得に沿って考えるなら、韓国人受験生の面接点にゼロの数字を書き込んで、彼らの合格を阻止しようとした人々は、誰かに気に入られたくてそれをしたのかもしれない。 その場合は、韓国人を差別すると喜ぶ誰か(それも偉い人)が、彼らの上にいたということになる。 それもまた非常に気味の悪い想定ではある。 ナチス治世下のドイツや、戦前の日本のような、異民族への差別がごく自然な感情として広く共有されていた社会では、差別は、それ自体が利益をもたらすものでなくても、民族の団結を促すわかりやすいスイッチとして機能していたと考えることができる。 現代でも、自分たち以外のメンバーを排除することや、純血でないとされる構成員を差別することで、主要な「仲間」の団結を完全ならしめるための助けとしている集団はそこここに存在している。 「◯◯人は国に帰れ」「◯◯人はこの店に入るな」「Japanese Only」というスローガンは、差別のための掛け声であると同時に、仲間内に団結を呼びかける和合の言葉でもある。 こういう場所では、「韓国人」であるとか「中国人」であるとか「ユダヤ人」であるとか「異教徒」であるとか「裏切り者」であるとか「売国奴」であるといった、具体的な「外部の人間」「異端の存在」を設定・想起し、その彼らを排除、差別、攻撃、嘲笑することを通じて、「自分たち」(あるいは「日本人」)の輪郭を明確化できると思っている人間は、実のところ、少なくない。彼らは、まず外部に憎悪の対象を設定し、しかる後にその憎悪への反作用として自分たちへの愛情を方向づけるのである。 排外主義や外国人差別は、行き過ぎた愛国主義の反作用だと言われる。 私は、逆だと思っている』、「彼らの合格を阻止しようとした人々は、誰かに気に入られたくてそれをしたのかもしれない。 その場合は、韓国人を差別すると喜ぶ誰か(それも偉い人)が、彼らの上にいたということになる。 それもまた非常に気味の悪い想定ではある」、安部首相を指しているのだろうが、忖度のやり過ぎだ。
・『愛国心は、外に向けた憎悪や恐怖や嫌悪の反作用として芽生える、と、そう考えたほうが実態に即している、と、少なくとも私は、現状を見るかぎりにおいて、そう考えている。 差別的な男が徒党を組むことで形成される「ホモソーシャル」と呼ばれる社会では、差別は、そのまま組織の行動原理として採用される。時には集団を前に進めるエンジンにもなる。 さきほど男女差別の話が出たので、ついでに蒸し返すと、私個人の見方では、女性への差別は、この30年ほどの間に、かなりマシになったと思っている。 実際、現代の20〜30代の若者は、われわれの時代から比べれば、驚くほど女性差別的な言動をしない。 であるから、差別の質自体、20世紀標準の露骨なセクハラや抑圧から比べれば、ずっと改善されている。 たとえば、ケーブルテレビのチャンネルで、1980年代の「オレたちひょうきん族」を見ると、面白いとかつまらないとかいった次元を超えて、女性差別ネタのひどさが鼻について、見ていられない。 当時の芸人たちは、コントやギャグやフリートークの中で、自分がいかに女たちを残酷に扱っているのかを競い合って開陳しては互いに爆笑している。それが笑いになると思っているのだ。でもって、互いが「オンナにひどいことをする男」であるという一点において「ワル仲間」っぽい友情を結び合っていたりさえする。 このミソジニー(注)傾向は、現代のお笑い芸人の中にも残っている。 たとえば、松本人志氏は、1月27日のテレビ番組「ワイドナショー」において、さる芸能人の不倫報道に触れる中で「ボクは結婚前、嫁に何度も言ってます。『俺は結婚してもそれ(不倫行為)がない男ではないよ』って。わかってるわけですよ」と言ってのけている。 夫である芸人に、こんな屈辱的な条件を飲まされて結婚したことを、全国中継のテレビ番組の中で暴露された配偶者が、どんな気持ちになるのかを、松本氏は、考慮したのだろうか。 まったく考えていないと思う。 むしろ、「そんな邪魔くさいこと、いちいち考えてられへんわ(笑)」てな調子で、「女子供の」事情をあっけらかんと斬って捨てる生き方こそが、すなわち男らしさだと、そう考えているに違いない。 ただ、こんな調子の勘違いしたマッチョは、順次絶滅しつつある。それが救いだ。松本氏のような人格標本は、関西のお笑いの世界にわずかに生き残っているばかりで、ヤンキーの間ですら、絶滅しつつある。 そういう点で、私は現代のこの国の若い人たちを信頼している。 ただ、外国人への差別感情や忌避感ということになると、これは、2002年以降、なぜなのか増幅しつつある気がしている。 このたびの岡山理大の韓国人差別措置を紹介したツイートにも、無視できない数の称賛のリプライがぶら下がっていたりする。 もしかしたら、われわれは誰かを憎まないとうまく生きていけないのかもしれない。 だとすると、誰も傷つけずに済む、うまい憎悪の持っていきどころを見つけた人には、ノーベル賞を差し上げてもよいのかもしれない。 私が自分の精神衛生のために嫌っている対象をお教えしてもよいのだが、賛成してもらえない場合、良くない展開が予想されるので、やはり秘密にしておくことにする』、「愛国心は、外に向けた憎悪や恐怖や嫌悪の反作用として芽生える」、にはいささか違和感を覚える。もっと純粋な「愛国心」もあるような気がする。「外国人への差別感情や忌避感ということになると、これは、2002年以降、なぜなのか増幅しつつある気がしている」、特に嫌韓意識の高まりには危機感すら覚える。「誰も傷つけずに済む、うまい憎悪の持っていきどころ」、私には残念ながら思いつかない。
(注)ミソジニー:女性嫌悪、女性蔑視(Wikipedia)
タグ:全国一斉休校を要請した際の首相会見 「差別の撤廃」や「入試の公正さ」といった「建前」は、現実問題として、広範な人々によって、嘲笑の対象に 「看板倒れ加計学園 獣医学部はコロナ感染症対策で機能せず」 「今般の事案(新型肺炎)に対して、いま加計学園はどんな活動をしているのか」と問う 小田嶋 隆 「自称リアリスト」は、私の見るに、SNSの「本音増幅機能」のアオリを受けて年々その数を増やし続けている 受験生を医療双六の「コマ」としてしか見ていなかったということだ 「韓国人受験生を全員不合格 加計学園獣医学部に「不正入試」疑惑」 内部告発者は、タレコミのネタを新聞社に持ち込んでも、展開次第では、先方が政権に忖度して、記事を握りつぶす(古い報道の人たちは「ネグる」という言い方をしていましたね)可能性を恐れたのだろう 韓国人を差別すると喜ぶ誰か(それも偉い人)が、彼らの上にいたということになる。 それもまた非常に気味の悪い想定ではある 誰も傷つけずに済む、うまい憎悪の持っていきどころを見つけた人 岡山理大の関係者による内部告発 愛国心は、外に向けた憎悪や恐怖や嫌悪の反作用として芽生える、と、そう考えたほうが実態に即している 社員記者の面々は総理の足元に鎮座している。まるで飼い猫みたいに、だ 韓国人受験生全員の面接試験を一律0点とし、不合格にしていた 「文春砲」などという夜郎自大な述語 女子受験者の点数操作が発覚した東京医科大は、「公正、適切な学生の受け入れが実施されていない」として私学助成が不交付 外国人への差別感情や忌避感ということになると、これは、2002年以降、なぜなのか増幅しつつある気がしている 安倍首相は「人獣共通感染症対策」「新薬開発」――と強調 国家戦略特区を通じて“鳴り物入り”で新設された獣医学部が、ほとんど何もしていないことが発覚した 日刊ゲンダイ あらかじめ申告した質問へのあらかじめ用意された回答に満足して、15分で質問時間を打ち切るようなやりとりを「記者会見」と呼ぶことは、言葉を扱う職業の人間には耐えられない欺瞞 新型肺炎を研究・調査するよう政府から指示を受けた国内の9つの大学にも、岡山理科大は選ばれていない 「タレコミ記事」 (その16)(看板倒れ加計学園 獣医学部はコロナ感染症対策で機能せず、韓国人受験生を全員不合格 加計学園獣医学部に「不正入試」疑惑、小田嶋氏:「嫌い」の持っていきどころ) 文春オンライン 立憲民主の阿部知子議員 つぎ込まれた税金は約186億円 「「嫌い」の持っていきどころ」 加計学園問題 日経ビジネスオンライン この種のハレーションのデカそうな話題を、真正面から記事にする根性を持っているように見えるのは、現状では、週刊文春の一択
nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感

ブラック企業(その11)(ブラック企業大賞 2年連続で「三菱電機」…電通とセブンが「特別賞」同時受賞、ワタミ「ホワイト企業化」報道のウラで…渡邉美樹の「ヒドい勘違い」 本当にこれで脱ブラックと言えるのか、劣悪なブラック企業で働き続ける人がいる納得の理由 待遇が悪いほど やる気が上がる) [企業経営]

ブラック企業については、昨年6月19日に取上げた。久しぶりの今日は、(その11)(ブラック企業大賞 2年連続で「三菱電機」…電通とセブンが「特別賞」同時受賞、ワタミ「ホワイト企業化」報道のウラで…渡邉美樹の「ヒドい勘違い」 本当にこれで脱ブラックと言えるのか、劣悪なブラック企業で働き続ける人がいる納得の理由 待遇が悪いほど やる気が上がる)である。なお、3番目の記事は大変参考になるので、必読である。

先ずは、昨年12月23日付け弁護士ドットコム「ブラック企業大賞、2年連続で「三菱電機」…電通とセブンが「特別賞」同時受賞」を紹介しよう。
https://www.bengo4.com/c_5/n_10572/
・『「ブラック企業大賞2019」の発表・授賞式が12月23日、東京都内でおこなわれて、三菱電機(メルコセミコンダクタエンジニアリング)が、史上初めて2年連続で大賞に選ばれた。長時間労働による40代社員の自殺が労災認定されるなどしていた。 ウェブサイトや会場での投票数による「ウェブ投票賞」は、ネット大手の楽天(ウェブサイト:1万303票、会場:1票)が選ばれた。楽天は、男性社員が会議中に上司から暴行を受けて、労災認定される事件が発生していた。 「特別賞」は、過去に大賞を受賞したことがある電通とセブン‐イレブン・ジャパンの2社が受賞した。電通は、36協定違反で労基署から是正勧告を受けるなどした。セブン‐イレブン・ジャパンは、フランチャイズ従業員に対する賃金不払いが発覚していた。 「#MeToo賞」は、長崎市だった。市幹部が2007年7月、女性記者に対して、性暴力をふるう事件が起きた。女性がことし4月、市を相手取って、損害賠償をもとめて提訴した。 過去に大賞を受賞して、今回もノミネートされたのは、セブンイレブンジャパン(2015年)、電通(2016年)、三菱電機(2018年)の3社』、「三菱電機」の「2年連続で大賞」受賞、「電通とセブン‐イレブン・ジャパン」の「「特別賞」受賞は、いずれも当然だろう。
・『ことしは、8社・1自治体が「ノミネート」されていた  ことしは、KDDI、セブン-イレブン・ジャパン、電通、ロピア、長崎市、トヨタ自動車、三菱電機、吉本興業、楽天がノミネートされていた(8社・1自治体)。 ノミネートの理由は、ブラック企業大賞のウェブページhttp://blackcorpaward.blogspot.com/)に掲載されている』、「ウェブページ」では、「トヨタ自動車」はパワハラで社員が自殺。「吉本興業」は過労死ラインを超える残業、タレントとの所属契約なし、パワハラなどが問題視。
・『「ブラック企業」の定義  ブラック企業大賞は、弁護士やジャーナリストでつくる実行委員会が、労働環境を改善する活動として、2012年から開催されており、ことしで8回目だ。同委員会によるブラック企業の定義は次のようなものだ。 (1)労働法やその他の法令に抵触し、またはその可能性があるグレーゾーンな条件での労働を、意図的・恣意的に従業員に強いている企業 (2)パワーハラスメントなどの暴力的強制を常套手段として従業員に強いる体質を持つ企業や法人(学校法人、社会福祉法人、官公庁や公営企業、医療機関なども含む) 上記の定義にあたる企業のうち、裁判において企業側の非が確定した案件や、行政処分がなされた企業など、広く社会的に明白に問題があるとされた企業がノミネートされている』、「実行委員会」の「定義」は妥当なようだ。本年はどんな企業が「ノミネート」されるのだろう。

次に、フードビジネスコンサルタントの永田 雅乙氏が本年1月31日付け現代ビジネスに掲載した「ワタミ「ホワイト企業化」報道のウラで…渡邉美樹の「ヒドい勘違い」 本当にこれで脱ブラックと言えるのか」を紹介しよう。
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/70132
・『驚きの「ホワイト企業大賞」受賞  2020年1月19日、居酒屋企業のワタミが「ホワイト企業大賞特別賞」を受賞したというニュースが報じられた。読者の皆様の中にも「えっ!?あのワタミがホワイト企業?」と驚いた方も多いのではないだろうか。 まだまだ世間のイメージには「ワタミ=ブラック企業」というイメージがついている。外食産業専門のコンサルタントである筆者は、ワタミが改善に向けて努力していることは知っていたものの、正直このニュースには驚いた。 そして同じ外食産業に関わる人間として「嬉しさ」と「疑問」が湧いてきた。ワタミは本当に「ホワイト企業」になったのだろうか――。 本題に入る前にまず、今日に至るまでのワタミの変遷について、簡単に振り返りたいと思う。 ワタミは、1984年に居酒屋ブランド「つぼ八」のFC(フランチャイズ)加盟により事業を開始。1992年、笹塚に和民1号店をオープンすると、毎年売上高・営業利益・経常利益すべて2桁という驚異のペースで成長を遂げた。 2000年に東証一部上場を果たすと、「外食産業の風雲児」、「平成のジャパニーズドリームを体現」と注目を浴びるように。海外出店や介護事業、弁当宅配事業などにも参入し、連結売上高1000億円企業となる。 そんな絶頂期を迎えていたワタミだったが、2008年頃を機に、暗い影を落とすこととなる。度重なる長時間労働、法令違反の報道を受けて、世間から向けられた「ブラック企業」の声だ』、「ホワイト企業大賞」なるものの信頼性はどうなのだろうか。
・『渡邉美樹氏の影響力は今も変わらず  ワタミ新入社員の自殺、アルバイトの残業時間切り捨て、告発したアルバイトに対する報復的解雇……といった数々の報道。さらに、創業者・渡邉美樹氏の「鼻血を出そうが、ぶっ倒れようが、とにかく1週間全力でやらせる」といった“ブラック”な発言も公になったことで、「ワタミ=ブラック企業」というイメージは浸透してしまう。 それを象徴するように、2013年には不名誉な「ブラック企業大賞」を受賞。さらに、識者ではない一般参加者によるウェブ投票から実に70%の票を獲得し、「一般投票賞」もW受賞してしまった。 と、ここまで大きな要点に絞り込み時系列で振り返ったが、やはりどうしても渡邉氏(現・同社代表取締役会長)に話題と興味が集中してしまう。そう、「ワタミ=渡邉美樹氏」なのである。 渡邉氏は2013年に政界進出と取締役辞任、そして2019年に政界引退と代表取締役復帰を果たした。この間のワタミの経営状況を見ると、2015年から赤字に転落し、2017年3月期に黒字復活、そして18年、19年と再成長期(経営再建できた)に入っている。 ここ最近の業績回復は、様々な努力があったことは間違いないし、筆者は特に、2015年に代表取締役に就任した清水邦晃氏体制を評価している。 とはいえ、渡邉氏が2013年での取締役辞任以降も現在に至るまで、筆頭株主は依然として有限会社アレーテー(渡邉美樹氏100%出資の会社)であり、渡邉氏の影響力は強い。その中で、グループ企業の整理と新規業態開発と展開業態の明確化を推進されている。 では、かつてブラック企業批判に晒された当時と変わらず、渡邉氏の強い影響下にありながら、ワタミはいかにして今回、「ホワイト企業大賞特別賞」を受賞するに至ったのだろうか』、「渡邉氏」はかつて教育問題で活発に発言していたが、まさに「偽善者」の典型だった。
・『「ホワイト化」報道への違和感  本題に戻ろう。今回「ホワイト企業大賞特別賞」を受賞したのは、正確にはワタミグループ内の「三代目 鳥メロ」である。 同ブランドは2016年「わたみん家」などの既存店舗を業態転換して誕生。秘伝のぷるぷるダレの焼鳥・菜種油で揚げた3種ダレの串揚げ・みちのく清流若鶏のモモ1本焼きの3大柱を“三代目”と表現し、「鳥料理でメロメロにしたい!」との思いから誕生したブランドだ。現在、全国に約150店舗を擁している。 ワタミグループは前述のように「ブラック企業」イメージがついて以降、様々なブランドを創出し、イメージ刷新を図っていた。そのため、「ワタミ」を冠にするブランドは激減し、「ミライザカ」「TGIフライデーズ」、そして今回の「三代目鳥メロ」が現在のワタミグループを牽引している。 さて、その三代目鳥メロが受賞した「ホワイト企業大賞特別賞」だが、そもそも世間の認知度は果たしてどれほどのものなのだろうか。 筆者はこのホワイト企業大賞について、存在は知っていた。そして従業員満足度(ES)が高く、労働環境が素晴らしく、そんな模範となる企業が表彰されていると思っていた。だが、この記事を執筆するにあたり調べてみると、ちょっと様子が違うようだ。 ホワイト企業大賞は2014年に創設。そこでは「ホワイト企業とは、社員の幸せと働きがい、社会への貢献を大切にしている企業」と定義されている。エントリー企業で働く人からのアンケート調査から“ホワイト指数”を数値化し、その後個別に訪問やインタビューをした上で、賞が決められるという』、「ホワイト企業大賞」は正当性が疑わしそうだ。
・『誤解を招いた「ホワイト企業大賞」受賞  「三代目鳥メロ」は、ホワイト企業大賞の特別賞「働く一人ひとりのチャレンジ精神賞」という賞を受賞している。受賞理由は「創業当時からのビジョナリーな哲学を守りつつも、現場の一人ひとりが新しい組織になっていこうとチャレンジしている」というものだ。 ここまで読むと筆者もなるほどと思えるのだが、もう少し深堀りすると、今回のメディアで報じられた「ホワイト企業大賞特別賞受賞」とは違った印象になる。 同賞は10万円のエントリー費用を払うと審査対象となる。そして今回エントリーした団体は30数団体、そして何らかの賞を受賞した団体が31団体なのである。 大賞2団体、特別賞・推進賞29団体。無受賞の団体は数団体、その理由はアンケート回収やその点数が低いとされている。そして参加団体は受賞・無受賞関わらず「ホワイト企業フェロー」という永遠の資格が与えられる。 そう、同賞の受賞は決して「ホワイト企業」であるお墨付きではないのだ。ホワイト企業大賞の主催者も実際、「ホワイト企業というお墨付きを与えるものではなく、ホワイト企業を目指す企業の健康診断のようなもの」と答えている。 つまり、より良い企業を増やすために、ホワイト企業を目指す企業を応援する意味の賞、という代物なのだ。それにもかかわらず、ブラック企業の象徴であったワタミが「ホワイト企業大賞特別賞受賞」という字面のインパクトからマスメディアでも報道されたため、誤解が生じてしまっているようだ』、これでは全くの”お手盛りの賞”だ。食品分野で悪名高いモンドセレクションと似ている。これは、ベルギー企業が、食品分野を中心とした製品の技術的水準を審査するもの。”相対評価ではなく絶対評価を用いているため、定められた技術水準を満たした商品には全て認証が与えられる。モンドセレクションは国際的な知名度はないが、日本国内での知名度は高い。2008年の日経MJによると、審査対象品の5割が日本からの出品であり、うち8割が入賞している。2017年は、2965製品中420製品が最高金賞、1368製品が金賞と過半数が金賞以上に認証されており、90%以上の2691製品が銅賞以上に認証されている”(Wikipedia)。日本のテレビCMでも馴染みのものだが、”お手盛りの賞”の典型だ。
・『根本的に何も変わっていない  筆者が今回の記事執筆に至ったポイントは、受賞の際の渡邉美樹氏のコメントにある。 「ワタミの離職率は2015年21.6%だったのが、2018年8.5%と改善され外食業界平均よりもかなり低い。残業時間管理、有給休暇の消化の管理が変わった。以前は働きすぎの部分が生まれた。ただ今は労働時間というのは国が定めているというのが前提。それを守った上で楽しく仕事しようよ、と。以前は厳密に守っていなかった。今は火曜日・木曜日には社内に帰宅を促す放送が流れる。以前は好きなだけ仕事をしようという部分がありましたが変わりました。そこが厳守されていると思います」 筆者はこの一連のコメントを見て、「この人は根本的に何も変わっていない」「ホワイト企業が何かも解っていない」と憤りを感じてしまった。 大切な社員が自殺までし、多くの社員たちがブラック労働に苦しんだ日々に対しての反省と学びを感じられないのだ。また、未だに渡邉氏自身に経営の責任があったことを認めていないのだとも感じたのである。 ただ、同社のホワイト企業大賞にエントリーした担当者のコメントには“一筋の光”もあった。 「ワタミは労働環境の改善を最優先事項とし、2014年には外部有識者によるコンプライアンス委員会を設置、今回のホワイト企業大賞エントリーにつきましても外部基準においての自社組織の状況把握をするためです。今後も社員の声に耳を傾け、ホワイト企業大賞の定義にある『社員の幸せと働きがい、社会への貢献を大切にしている企業』を目指します」 という担当者のコメントには、筆者も共感を覚えた』、「渡邉氏」が、「「この人は根本的に何も変わっていない」「ホワイト企業が何かも解っていない」と憤りを感じてしまった」、その通りだろう。
・『ワタミはまだホワイト企業ではない  筆者は1990年代から外食産業専門コンサルタントとして活動していく中で、渡邉美樹氏に尊敬の念を持ち、学ばせていただいたことからついつい感情移入してしまう。 そして今回の「渡邉美樹氏の代表取締役会長復帰」「ホワイト企業大賞特別賞受賞」のニュースにも様々な感情が湧いてきた。ブラック企業イメージからの脱却への並々ならぬ企業努力も素直に認める一方で、絶大な影響力を持つ創業者・渡邉氏の復帰はどのように影響を及ぼすのか。 おそらくかつてより30%以上も低くなった売上高を再度急成長させる部分での渡邉氏のモチベーションは高い。そして、それを見てみたい気持ちもある。 ただ時代は変わった。働き手となる社員への感謝の気持ちと幸せを願い、寄り添える経営者でなければならない。外食産業の仕事は「お客様の笑顔に、幸せにする」こと、そして、その現場を支える“身内”を何より大切にできない経営者には誰もついてこないのだ。 ワタミの現状は決して「ブラック企業」ではない。だが、お世辞にも世間が考える「ホワイト企業」でもない。しかし「ホワイト企業」を目指し、進んでいることは間違いない。その点では同社の将来に期待が持てる』、現在のコロナウィルス騒動で、足元は苦戦しているだろうが、騒動が収まったあとに業績は回復してゆくかを注目したい。

第三に、脳科学者、医学博士、認知科学者の中野 信子氏が3月6日付けPRESIDENT Onlineに掲載した「劣悪なブラック企業で働き続ける人がいる納得の理由 待遇が悪いほど、やる気が上がる」を紹介しよう。
https://president.jp/articles/-/33175
・『劣悪な待遇で働かされる「ブラック企業」が成り立ってしまうのはなぜか。脳科学者の中野信子氏は、「人の脳は“嫌なことの見返りとして報酬がある”と刷り込まれている。そのため、報酬そのものの存在がタスクを嫌なこととして認知させてしまう」という——。※本稿は、中野信子『空気を読む脳』(講談社+α新書)の一部を抜粋、見出しなど再編集したものです』、面白そうだ。
・『素晴らしいごほうびのある実験  子どもにやる気を出させたいとき、部下に自発的に頑張ってほしいとき、自身を鼓舞したいとき等々、自分も含めて誰かのモチベーションを上げたい、という場面には頻繁に遭遇します。 多くの人はそんなとき、目に見える報酬を用意して、モチベーションアップにつなげようとするのではないでしょうか? たとえば、子どもには「成績が上がれば欲しいものを買ってあげよう」と伝えてみたり、部下には昇給や昇進を約束したり、自分自身にも「自分へのごほうび」を期して何ごとかを頑張ろうとしたりする、などです。 しかし、この方法は本当に良い方法と言えるのでしょうか? この問題について、実験的に分析した人たちがいます。スタンフォード大学の心理学者レッパーの研究グループです。 実験は、子どもたちに絵を好きになってもらうにはどうしたらよいか、というテーマのもとに立案されました。子どもたちをふたつのグループに分け、片方のグループには「良く描けた絵には素晴らしい金メダルが与えられる」ということを前もって知らせておきます。もう一方のグループには、メダルが与えられるという話は一切しないでおきます』、こうした興味深い研究はやはり米国が本場のようだ。
・『「ごほうびがある」=「その課題は嫌なこと」なのか  この操作のしばらくあとに、子どもたちのグループそれぞれに、実際にクレヨンと紙が渡されます。そして、子どもたちがどれだけ絵に取り組んでいたか、取り組んだ時間の総計と課題に傾ける熱心さを観察します。 すると、メダルを与えると伝えた子どもたちのグループは、メダルのことを何も知らなかった子どもたちよりも、ずっと課題に取り組む時間が少なかったのです。あたかも報酬を与えることそのものが、子どもたちを絵から遠ざけることになってしまったかのような結果でした。 絵を好きになってもらうために、良かれと思ってごほうびを約束したことが、かえって逆効果になってしまったのです。グループを変えて何度実験してもこの結果は変わらず、データには再現性がありました。 なぜ、このような現象が生じてしまったのでしょうか? この実験を行った学者たちは次のように述べています。 子どもは、「大人が子どもに『ごほうび』の話をするときは、必ず『嫌なこと』をさせるときだ」というスキーマ(構造)をそれまでの経験の中から学習してきており、報酬を与えられた子どもは「大人が『ごほうび』の話をしてきたということは『絵を描くこと』=『嫌なこと』なんだ」と、報酬そのものの存在がタスクを嫌なこととして認知させてしまう要因になると指摘したのです』、結果の意外さに驚かされたが、「報酬を与えられた子どもは「大人が『ごほうび』の話をしてきたということは『絵を描くこと』=『嫌なこと』なんだ」と、報酬そのものの存在がタスクを嫌なこととして認知させてしまう要因になる」、説得力ある指摘だ。
・『報酬とモチベーションとの関係性  これは、子どもに限った話ではありません。別の研究者による実験では、大人の被験者を対象に、公園でのごみ拾いという課題に楽しさをどのくらい感じたか、という心理的な尺度が測定されています。 「目的は公園の美化推進を効率的に行うにはどうすればよいかの調査です」と被験者には伝え、絵を描かせる実験と同様に、この実験でも被験者を2グループに分け、片方のグループには報酬として多めの金額を提示しました。もう一方のグループにはごくわずかな報酬額を提示しました。そして作業終了後には全員に、ごみ拾いがどのくらい楽しかったかを10点満点で採点してもらいました。 すると、謝礼として多めの金額を提示されたグループでは、楽しさの度合いの平均値は10点満点中2点となったのに対し、ごくわずかな報酬額を提示されたグループでは、平均値が8.5点だったのです。 つまり、何かをさせたいと考えて報酬を高くすると、かえってそのことが楽しさや課題へのモチベーションを奪ってしまうということが明らかになったのです。 公園のごみ拾いで高い報酬を提示された人たちは、ごほうびをもらえると言われた子どもたちと同じように「高い報酬をもらえるからには、この仕事はきつい、嫌な仕事に違いない」と考え、楽しさが激減してしまったのです。 逆に、ごくわずかな報酬を提示された人たちには認知的不協和が生じ、「わずかな金額でも自分が一生懸命になっているということは、この課題は楽しい課題に違いない」と自分で自分に言い聞かせるようになったと考えられます』、「大人」でも、「何かをさせたいと考えて報酬を高くすると、かえってそのことが楽しさや課題へのモチベーションを奪ってしまう」、というのは常識が如何にあてにならないかを示しているようだ。
・『ブラック企業でも辞めないのは、低い報酬だから  類似の実験は課題を変えて何度も再現性が確認されていますが、報酬額や仕事の内容によらず、低い報酬を約束された人は高い報酬の人よりも常に頑張ってしまい、課題の成績も良く、しかも圧倒的に楽しいと感じているという傾向が見られます。 この心理が、ブラック企業に利用されているのかもしれません。酷使されても辞めないケースの中には、低い報酬だからという要因も考えられます。 私自身も疑問に思い、日本テレビ系列の番組『世界一受けたい授業』の制作スタッフに同様の実験をしてもらいました(2018年5月5日放送)。すると、やはり報酬額の少ないほうがその課題を楽しく感じる、という結果に変わりはありませんでした。 人にやる気を起こさせようとするとき、多額の報酬を与えることはほとんど意味がないということがこれでわかります。短期的には馬力を出すための励みになるかもしれませんが、長期的に見ればかえって仕事に対する意欲を失わせる原因になってしまう可能性があります。 人をやる気にさせるのに効果的なのは、その仕事自体が「やりがい」があり、素晴らしいものだとくり返し伝え続けることと、「『思いがけない』『小さな』プレゼント」です。予測される報酬ではなく気まぐれに与えられること、しかも少額であることが重要です。多額のものでは、せっかく醸成されたその人のやる気が失われてしまいかねません』、最後の部分は大いに考えさせられる。
・『人は「承認欲求を満たす言葉」でやる気が出る  もともと仕事の内容が嫌なものであることが明らかな場合には、現実的な額の報酬を与え、その後、「あなたのような人でなければできない仕事です」などの心理的報酬、つまり承認欲求を満たす言葉を上手に使っていくのが効果的です。 逆を言えば今、給料は少ないし休みもないけれどやりがいがある、という状態にあるとの自覚を持っている人は、一度自分の状態が客観的に見てどうなのかを振り返ってみることが必要かもしれません。 しかし、「報酬を目当てにみんな仕事をしているし、昇給すればうれしいし、言葉よりも具体的な金額として自分の努力が認められるのは幸せなことじゃないか」と、多くの人は反論したくなるだろうと思います。たしかに、ある種の課題では、外的動機づけと呼ばれるわかりやすい報酬が生産性を上げるのに功を奏することがわかっています。 それでは、報酬を与えるのはどんな課題のときがよく、どんな課題のときには報酬を与えてはいけないのでしょうか?』、「もともと仕事の内容が嫌なものであることが明らかな場合には、現実的な額の報酬を与え、その後、「あなたのような人でなければできない仕事です」などの心理的報酬、つまり承認欲求を満たす言葉を上手に使っていくのが効果的です」、なるほど、その通りなのだろう。
・『モチベーションは「報酬」か「やりがい」か  この問いに答えを与えるのが、あまりにも有名な、ドゥンカーのロウソク問題です。私も以前、著書の中で触れたことがあります。 心理学者ドゥンカーが考案したこの実験では、次のような道具を使います。 ロウソク1本、マッチ1束、画鋲1箱。 実験中、被験者に対してひとつの課題が与えられます。ロウソクをコルクボードの壁に固定して、火をつけるというものです。ただしこの課題には条件があり、融けたロウが下のテーブルに落ちてはいけません。また、ロウソクを直接画鋲でコルクボードに固定することもできません(物理的にも難しいです)。 この問題の答えは、箱から画鋲をすべて取り出し、画鋲で箱をコルクボードに固定、そこにロウソクを立てて、マッチで火をつけるというものです。画鋲を入れてあった箱を道具として使えるかどうか、という創造性が求められる課題なのですが、今や有名になりすぎて、創造性を測るテストとしてはもはや使うことができないでしょう。 それはさておき、この課題の被験者をやはりふたつのグループに分けて、片方には多額の報酬を与え、もう一方にはやりがいのみを与えるという条件を設定します』、「画鋲を入れてあった箱を道具として使えるかどうか、という創造性が求められる課題」、私は恥ずかしながら、解けなかった。
・『単純な課題に対しては「報酬」がモチベーションになる  すると、予想どおり金銭的報酬を与えたほうがひらめくのに余計に時間がかかってしまい、やりがいのみを与えたグループのほうが平均して数分早くこの問題を解くことができたのです。この結果はおそらく多くのみなさんが想像したとおりです。 創造性を上げたいときには報酬を与えてはいけない、むしろ、やりがいを与えたほうが創造性が高くなる、ということがわかりました。類似の現象は多くの分野で実際に見られるのではないでしょうか。 さて、この問題には別のバージョンがあります。課題も条件も同じで、ただ画鋲が箱から出されている、という点だけが違うものです。画鋲が箱の中にあるか外にあるかだけで問題の難易度はまったく変わってきます。あらかじめ画鋲が箱の外にあれば、創造性やひらめきはまったく必要なく、課題はただ与えられた材料を組み立てるだけの単純作業になるからです。 では、そうなると実験の結果は変わってくるのでしょうか? 予想どおり、このバージョンでは、報酬を与えられたグループのほうが圧倒的に早く、この課題をやり遂げるという結果になりました。単純なルールとわかりやすいゴールの見えている短期的な課題に限れば、外的動機づけが有効だ、ということが改めて確認されたわけです。 ところで、私たちが経験してきて、子どもにも学習させようとしているのは、こうした単純な課題に対する応答の速さ、ではないでしょうか?』、「創造性を上げたいときには報酬を与えてはいけない、むしろ、やりがいを与えたほうが創造性が高くなる」、「単純なルールとわかりやすいゴールの見えている短期的な課題に限れば、外的動機づけが有効だ」、なるほど難しいものだ。
・『どうすれば創造性を伸ばせるのか  人的資源を大量に利用し、大量生産が利益に結びついた時代には、単純な課題をどれだけ早くこなすことができるか、が勝負でした。ゆえにそうした人材が求められ、報酬を上げることで生産性そのものもそれに比例して向上したのです。 しかし、現代はどうでしょうか? われわれやわれわれの子ども世代が取り組まなくてはならないのは、正解やゴールのない問題ばかりです。むしろ、単純作業はどんどん機械に勝てなくなっていくのですから、そんなところを鍛えてもまったくの無駄になってしまうであろうことが容易に予測できます。 人工知能の開発が進めば進むほど、報酬依存型の生産性向上のスキーマは崩壊していくでしょう。その時代にあって、どのようにしたら私たちは創造性を伸ばすことができるのでしょうか? ブレーメン国際大学の心理学者フェルスターは、創造性を伸ばすには異端的なものの存在を露わにする現代美術の絵画を眺めると効果があるのではないかと考え、2005年にある実験を行いました。 特別に印刷された2枚の絵を用意し、被験者をどちらか1枚の前に座らせます。そして、レンガひとつの使い方をできるだけたくさん考えるといった標準的な創造力テストをやってもらいます』、結果はどうなのだろう。
・『人は「暗示」に影響される  この絵はいずれも1メートル四方であり、12個の十字が黄緑色の背景の中に描かれています。片方の絵の十字はすべて濃いグリーン、もう片方の絵の十字はひとつだけが黄色であとはすべて濃いグリーンでした。濃いグリーンの十字の中にひとつだけ黄色い十字があれば、それはほかの十字からは外れた異端的な何かを示すものと無意識的に被験者に受け止められ、型破りで創造的な思考を促すのではないか、とフェルスターは考えたのです。 すると、フェルスターの思惑どおり、ひとつだけが黄色い十字の描かれている絵の前に座った被験者のほうが、有意にレンガの使い方をたくさん考えることができたのです。また、心理学の専門家は、黄色い十字のある絵の前に座った被験者のほうがより創造的な使い方を考えた、と評価しました。 子どもの創造性を高めたい、社員の創造力をアップしたいと考えるなら、今すぐに異端的な何かを示唆するアートを取り入れるべきだと言えるでしょう。 フェルスターのこの実験は、1998年にナイメーヘン大学のダイクステルホイスとニッペンベルクが行った実験に基づいています。この研究は、暗示効果(プライミング効果)により、人がその暗示に影響される、というものです』、「子どもの創造性を高めたい、社員の創造力をアップしたいと考えるなら、今すぐに異端的な何かを示唆するアートを取り入れるべき」、日本の組織が「異端」を排除しがちなのは、創造力にはマイナスのようだ。
・『常識が創造性を邪魔しているかもしれない  たとえば、パソコンの壁紙に紙幣の画像を使っていると、人はエゴイスティックに振る舞うようになり、寄付を渋ったり、他者との交流を深めようとしなくなったりします。また、ほんの少しだけ石鹼のにおいをつけた部屋にいると人はそれまでよりきれい好きになったり、会議でテーブルにブリーフケースを置くと急に競争意識が増す、ということも知られています。 フェルスターは絵の実験をする前にこんな実験をしています。 過激で反社会性の高い技術者と保守的な技術者の、行動や生き方、外見について短い文章でまとめてもらい、その後に創造力テストを行いました。すると、過激で反社会性の高い技術者について考えた被験者のほうが、はるかに創造性が高くなっていたのです。 私たちの創造性は、常識や、社会に合わせなければという思いに無意識的に縛られているのかもしれません。遺伝的に社会性が高くなりがちな素因を持つ日本人は、自分の創造性を発揮する前に、社会の一員であることに喜びを感じることが多くなりがちです。 ただ、ひとりになれる場所や、社会性を考えなくてもすむフィールドでなら、その創造性を十二分に発揮できているという現実もあります。時には本家ノーベル賞以上に創造性が求められるイグノーベル賞ですが、その受賞者には日本人が非常に多く、13年連続で受賞するなど活躍が光っています。 肩の力を抜いて個人が自由な創造性を発揮できる分野だからこその結果である、と言えるでしょう。注目された結果、むやみに研究費などが乱発されて、クールジャパンのような大惨事にならないかだけが個人的には心配です』、「私たちの創造性は、常識や、社会に合わせなければという思いに無意識的に縛られているのかもしれません。遺伝的に社会性が高くなりがちな素因を持つ日本人は、自分の創造性を発揮する前に、社会の一員であることに喜びを感じることが多くなりがちです。 ただ、ひとりになれる場所や、社会性を考えなくてもすむフィールドでなら、その創造性を十二分に発揮できているという現実もあります」、会社のオフィスも、大部屋スタイルではなく、欧米のような個室スタイル(管理職以上)にした方が、「創造性」「発揮」にはいいのかも知れない。
タグ:国際的な知名度はないが、日本国内での知名度は高い モンドセレクション 「ホワイト化」報道への違和感 2008年頃を機に、暗い影を落とすこととなる。度重なる長時間労働、法令違反の報道を受けて、世間から向けられた「ブラック企業」の声だ PRESIDENT ONLINE 大切な社員が自殺までし、多くの社員たちがブラック労働に苦しんだ日々に対しての反省と学びを感じられない 驚きの「ホワイト企業大賞」受賞 人をやる気にさせるのに効果的なのは、その仕事自体が「やりがい」があり、素晴らしいものだとくり返し伝え続けることと、「『思いがけない』『小さな』プレゼント」です。予測される報酬ではなく気まぐれに与えられること、しかも少額であることが重要です。多額のものでは、せっかく醸成されたその人のやる気が失われてしまいかねません 報酬を与えられた子どもは「大人が『ごほうび』の話をしてきたということは『絵を描くこと』=『嫌なこと』なんだ」と、報酬そのものの存在がタスクを嫌なこととして認知させてしまう要因になる 「ブラック企業大賞、2年連続で「三菱電機」…電通とセブンが「特別賞」同時受賞」 三菱電機 モチベーションは「報酬」か「やりがい」か どうすれば創造性を伸ばせるのか 永田 雅乙 ブラック企業でも辞めないのは、低い報酬だから 誤解を招いた「ホワイト企業大賞」受賞 楽天 渡邉美樹氏の影響力は今も変わらず ワタミの離職率は2015年21.6%だったのが、2018年8.5%と改善され外食業界平均よりもかなり低い。残業時間管理、有給休暇の消化の管理が変わった 中野 信子 2019年に政界引退と代表取締役復帰 『空気を読む脳』(講談社+α新書) ワタミ=渡邉美樹氏 「ブラック企業」の定義 「#MeToo賞」は、長崎市 もともと仕事の内容が嫌なものであることが明らかな場合には、現実的な額の報酬を与え、その後、「あなたのような人でなければできない仕事です」などの心理的報酬、つまり承認欲求を満たす言葉を上手に使っていくのが効果的です 「ごほうびがある」=「その課題は嫌なこと」なのか 根本的に何も変わっていない 「ホワイト企業」を目指し、進んでいることは間違いない 史上初めて2年連続で大賞に ブラック企業 創造性を上げたいときには報酬を与えてはいけない、むしろ、やりがいを与えたほうが創造性が高くなる ウェブ投票賞 弁護士ドットコム 「三代目 鳥メロ」 子どもの創造性を高めたい、社員の創造力をアップしたいと考えるなら、今すぐに異端的な何かを示唆するアートを取り入れるべき 同賞は10万円のエントリー費用を払うと審査対象となる。そして今回エントリーした団体は30数団体、そして何らかの賞を受賞した団体が31団体なのである 「ワタミ」を冠にするブランドは激減し、「ミライザカ」「TGIフライデーズ」、そして今回の「三代目鳥メロ」が現在のワタミグループを牽引 「劣悪なブラック企業で働き続ける人がいる納得の理由 待遇が悪いほど、やる気が上がる」 ワタミはまだホワイト企業ではない 審査対象品の5割が日本からの出品であり、うち8割が入賞 ことしは、8社・1自治体が「ノミネート」されていた 人の脳は“嫌なことの見返りとして報酬がある”と刷り込まれている。そのため、報酬そのものの存在がタスクを嫌なこととして認知させてしまう ブラック企業大賞2019 お手盛りの賞” 単純な課題に対しては「報酬」がモチベーションになる 何かをさせたいと考えて報酬を高くすると、かえってそのことが楽しさや課題へのモチベーションを奪ってしまう 私たちの創造性は、常識や、社会に合わせなければという思いに無意識的に縛られているのかもしれません。遺伝的に社会性が高くなりがちな素因を持つ日本人は、自分の創造性を発揮する前に、社会の一員であることに喜びを感じることが多くなりがちです。 ただ、ひとりになれる場所や、社会性を考えなくてもすむフィールドでなら、その創造性を十二分に発揮できているという現実もあります 単純なルールとわかりやすいゴールの見えている短期的な課題に限れば、外的動機づけが有効だ (その11)(ブラック企業大賞 2年連続で「三菱電機」…電通とセブンが「特別賞」同時受賞、ワタミ「ホワイト企業化」報道のウラで…渡邉美樹の「ヒドい勘違い」 本当にこれで脱ブラックと言えるのか、劣悪なブラック企業で働き続ける人がいる納得の理由 待遇が悪いほど やる気が上がる) 人は「承認欲求を満たす言葉」でやる気が出る 「特別賞」は、過去に大賞を受賞したことがある電通とセブン‐イレブン・ジャパンの2社が受賞 主催者も実際、「ホワイト企業というお墨付きを与えるものではなく、ホワイト企業を目指す企業の健康診断のようなもの」と答えている 人は「暗示」に影響される 素晴らしいごほうびのある実験 現代ビジネス 「ワタミ「ホワイト企業化」報道のウラで…渡邉美樹の「ヒドい勘違い」 報酬とモチベーションとの関係性 常識が創造性を邪魔しているかもしれない
nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感

健康(その9)(ベジタリアン食は脳卒中リスクが20%高まる可能性、医師が警告!「糖質制限したい人」、ここに注意 「朝食抜き」「隠れ糖質」…その方法で大丈夫?、筋肉体操の谷本氏「運動効果を倍にする歩き方」 ちょっとのコツだけでエクササイズにもなる) [生活]

健康については、昨年8月30日に取上げた。久しぶりの今日は、(その9)(ベジタリアン食は脳卒中リスクが20%高まる可能性、医師が警告!「糖質制限したい人」、ここに注意 「朝食抜き」「隠れ糖質」…その方法で大丈夫?、筋肉体操の谷本氏「運動効果を倍にする歩き方」 ちょっとのコツだけでエクササイズにもなる)である。

先ずは、昨年9月21日付けダイヤモンド・オンライン「ベジタリアン食は脳卒中リスクが20%高まる可能性」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/215354
・『ベジタリアン食で脳卒中リスクが高まる?  野菜中心で肉を食べないベジタリアン食は、心臓の健康には良いが、脳卒中リスクはわずかに高まる可能性があることが、英オックスフォード大学ナッフィールド保健省のTammy Tong氏らの研究で明らかになった。 研究では、肉を食べる人に比べて、ベジタリアンでは心疾患リスクが22%低下した一方で、脳卒中リスクは20%高まることが示された。一方、肉は食べないが魚を食べる人(ペスカタリアン)では心疾患リスクは低く、脳卒中リスクの上昇は認められなかったという。研究結果の詳細は「BMJ」9月4日号に掲載された。 この研究は、1993~2001年の間に登録した虚血性心疾患や脳卒中の既往歴がない英国人の男女4万8188人(平均年齢45歳)を対象としたもの。参加者を、肉を食べる群(2万4428人)と魚を食べるペスカタリアン群(7506人)、ベジタリアン群(1万6254人)の3つの群に分けて約18年間追跡し、虚血性心疾患と脳卒中の発症を調べた。 追跡期間中に2820人が心疾患を発症し、1072人が脳卒中を発症した。脳卒中患者のうち519人は脳梗塞で、300人は出血性脳卒中であった。病歴や喫煙歴、サプリメント使用の有無、身体活動量などの因子を調整して解析した結果、虚血性心疾患リスクは、肉を食べる人に比べてペスカタリアンでは13%、ベジタリアンでは22%それぞれ低いことが分かった。一方、肉を食べる人に比べて、ベジタリアンでは脳卒中リスクが20%高いことも示された』、参加者は開始時の「平均年齢45歳」、なので、終了時には63歳になったようだ。「病歴や喫煙歴、サプリメント使用の有無、身体活動量などの因子を調整して解析」、したのであれば、信頼性が高そうだ。気の長い研究で、研究結果は大いに役立ちそうだ。ただ、「肉を食べる人に比べて、ベジタリアンでは脳卒中リスクが20%高い」、というのは常識と違うので、意外だった。
・『Tong氏は「ペスカタリアンやベジタリアンで心疾患リスクが低下したのは、食事による減量や血圧、コレステロール値の改善、糖尿病有病率の低下などが部分的に関与したのでは」との見方を示している。ただし、この研究は因果関係を証明するものではないとして、同氏は慎重な解釈を求めている。 また、心疾患リスクの低下度や脳卒中リスクの上昇度はわずかであり、「肉を食べる人と比べて、ベジタリアンでは10年間に心疾患を発症する人が1000人当たり10人少なく、脳卒中を発症する人が1000人当たり3人多いだけだ」と同氏は説明している。 Tong氏によると、最近の研究から、コレステロール値を過度に下げると出血性脳卒中のリスクが高まることが報告されている。また、ベジタリアンやヴィーガン(注)の人は、動物性食品のみから摂取できるビタミンB12などの一部の栄養素が不足しがちになることも指摘されている。さらに、ビタミンB12欠乏は、脳卒中リスクの上昇と関連する可能性も示唆されているが、結論には至っていないという。 論文の付随論評を執筆したディーキン大学(オーストラリア)公衆栄養学教授のMark Lawrence氏は、「食事ガイドラインでは、食事が健康全体に与える影響について考察されており、肉や魚を食べる人たちと同様に、ベジタリアンにとっても適切なアドバイスが示されている」と説明。また、「植物性食品を中心とした食事に変えることは、個人の健康だけでなく地球環境にも優しいといえる。ただし、そのためにベジタリアンになる必要はない」と話している。 一方、専門家の一人で米ニューヨーク大学(NYU)ランゴン医療センターの管理栄養士であるSamantha Heller氏は、「野菜中心の生活を送る人たちは、ビタミンB12やビタミンD、ω3脂肪酸などが不足しないよう食事やサプリメントから補う必要がある」と指摘する。ただ、植物性食品が主体の食事は、心血管疾患や一部のがん、2型糖尿病などの予防に有用だとし、「牛肉や豚肉などの赤肉や加工肉の摂取を控え、豆類や豆腐、ブロッコリー、ホウレンソウ、カリフラワーなどを食べるとよい」と助言している。(HealthDay News 2019年9月5日)』、「この研究は因果関係を証明するものではないとして、同氏は慎重な解釈を求めている」、学者らしい良心的発言だ。「リスクの低下度・上昇度」でみると、「肉を食べる人と比べて、ベジタリアンでは10年間に心疾患を発症する人が1000人当たり10人少なく、脳卒中を発症する人が1000人当たり3人多いだけだ」、と違いはそれほど大きくないようだ。ただ、この僅かの差をどうみるかは、人それぞれだろう。
(注)ヴィーガン:完全菜食主義者。卵・乳製品・はちみつも口にしない(Vegewel)

次に、医学博士/池谷医院院長の池谷 敏郎氏が12月10日付け東洋経済オンラインに掲載した「医師が警告!「糖質制限したい人」、ここに注意 「朝食抜き」「隠れ糖質」…その方法で大丈夫?」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/318043
・『内科、循環器科の専門医として、数多くの患者と日々接している医学博士の池谷敏郎氏。血管、心臓などの循環器系のエキスパートとして『モーニングショー』(テレビ朝日)、『深層NEWS』(BS日テレ)などテレビにも多数出演しているが、過去15キロ以上の減量に成功し、57歳でも体脂肪率10.6%を誇ることはあまり知られていない。 その減量メソッドを全公開した著書『50歳を過ぎても体脂肪率10%の名医が教える内臓脂肪を落とす最強メソッド』が13万部のベストセラーになっており、日テレ系列『世界一受けたい授業』(12月7日放映)にも出演した池谷氏が、「糖質制限の注意点」について解説する』、自ら「15キロ以上の減量に成功し、57歳でも体脂肪率10.6%」の「医学博士」が言うのであれば、説得力がありそうだ。
・『「間違った糖質制限」は体調を崩しかねない  「ダイエット中だからご飯もパスタも食べないようにしている」「朝食は抜きにして、ランチもサラダだけ」と、ダイエットを頑張っている人たちからは、このような話をよく聞きます。 糖質をたくさんとるとエネルギー過剰となり、大量に分泌されるインスリンの働きによって、どんどん「内臓脂肪」が蓄積されていきます。 内臓脂肪は「糖尿病」や「動脈硬化」「がん」など、さまざまな疾患の原因となるだけでなく、見た目も老けさせます。内臓脂肪を増やさないためにも「糖質をとりすぎないようにする」ということは、体にとって大切なことです。 しかし、多くの患者さんと接してきて「糖質制限」について間違った知識や考えをもたれている方がとても多いことを感じました。 「ひたすら炭水化物をとらないようにする」「極力食べないようにする」というようなことを続けていると、確かに体重は減るかもしれませんが、「無理な糖質制限」によるダイエットは、体に大きな負担をかけてしまいます。私自身もかつて、無理な糖質制限を行ってしまい、体調を崩したことがありました。 では、「正しい糖質制限」をするには、どんなことに注意をすればいいのか。さまざまな注意点がありますが、ここでは主な6つの注意点を解説します。 まず、初めに注意していただきたいのが「極端な糖質制限はNG」ということです』、「私自身もかつて、無理な糖質制限を行ってしまい、体調を崩したことがありました」、経験を踏まえているだけに、説得力がある。「内臓脂肪は・・・見た目も老けさせます」、とはショックだ。
・『「糖質」は少なすぎてもいけない  【注意点1】「極端な糖質制限」はNG  「糖質制限がいいというのなら完全な糖質制限にすればいいのでは」と思われるかもしれませんが、「極端な糖質制限」は、私はおすすめしません。 ブドウ糖は不要な栄養素ではなく、私たちの体を動かしたり脳を働かせたりするために必要な、大切なエネルギー源の1つだからです。 そのため、糖質中心だった食事から炭水化物を極端に減らすとエネルギー不足に陥りやすくなります。また、動物性脂肪が過剰になり、心疾患のリスク増加につながる可能性が高まる危険性も出てきます。糖質は「多すぎず、少なすぎず」上手にとることが重要なのです。 そこでおすすめなのが、「なんちゃって炭水化物」です。ごはんの量を1/2~1/3に減らすのですが、その分、きのこや大豆などを炭水化物とみなして「カサ増し」をするのです。 これならチャーハンや焼きそばでも大丈夫。糖質が減った分、たんぱく質や食物繊維がとれるので栄養バランスもよくなります。「極端な糖質制限」は避け、上手に糖質をコントロールしましょう』、「炭水化物を極端に減らすとエネルギー不足に陥りやすくなります。また、動物性脂肪が過剰になり、心疾患のリスク増加につながる可能性が高まる危険性も出てきます」、「心疾患のリスク増加」とは驚いた。「なんちゃって炭水化物」は確かによさそうだ。
・『【注意点2】「朝食抜き」はかえって太る  「食べる量を減らすために、朝食は抜いてしまおう」と、つい考えてしまいがちですが、実は朝食を抜くと体重はかえって増加しやすくなってしまいます。これは、最近になって名古屋大学の研究チームにより解明されました。 理由は、体内のエネルギー代謝をつかさどる「時計遺伝子」と、「脂質代謝を担う遺伝子」に狂いが生じたことでした。また、活動期になっても上がるはずの体温も上がってこないという症状もありました。 つまり、朝食を抜くことで「体内時計」に異常が生じ、エネルギーをあまり消費しない体になってしまうのです。 また朝食をとらないと空腹の時間がより長くなってしまうので、その反動が昼食や夕食のドカ食いへとつながってしまう危険性も大きくなります。 ダイエットのために、朝食は必ずとりましょう。しかし、だからといって油断をして糖質をとりすぎてしまうと、その後の空腹感を導いてしまいます。 朝食では、なるべく不足しがちな栄養素である食物繊維やビタミン、ミネラルを含んだ食事になるよう心がけましょう。 3つ目の注意点は、「食事の量を減らすと、必要な栄養素も減ってしまう」ことです』、「朝食を抜くことで「体内時計」に異常が生じ、エネルギーをあまり消費しない体になってしまうのです」、大いに気をつけたい。
・『「積極的に摂りたい栄養素」と「食べる時間帯」を知る  【注意点3】食事を減らしすぎると「ほかの栄養素も制限」してしまう  食事の量を極力減らそうとすると、糖質は減らすことができますが、それと同時にほかの必要な栄養素も減ることになるので、「単純に食事の量を減らす」のは要注意です。 とくに、たんぱく質不足には気をつけましょう。たんぱく質が足りなくなると筋肉が落ちていきます。筋肉が落ちると代謝が下がり、結果として、身体機能が低下してしまいます。 エネルギーを燃やす筋肉がないと、リバウンドは簡単に起きてしまいます。そのため、食事の量をむやみに減らさず、減らしたときは筋肉の材料となるたんぱく質は積極的にしっかりとることが大切です。 ただし、慢性腎臓病(CKD)などで、たんぱく質の摂取を制限されている人は、動物性たんぱく質を食べすぎないように気をつけましょう。 豆などの植物性たんぱく質であれば腎臓への悪影響が少ないことがわかっているので、主治医とよく相談しながら、たんぱく質不足にならないように気をつけてください』、「たんぱく質が足りなくなると筋肉が落ちていきます。筋肉が落ちると代謝が下がり、結果として、身体機能が低下してしまいます」、これも気をつけたいところだ。
・『【注意点4】「太りやすい時間帯」と「太りにくい時間帯」がある  ダイエット中でも、スイーツが無性に食べたくなるときがありますよね。しかし、無理に我慢をしてストレスをためてしまうと、最終的にドカ食いになってしまい、努力が水の泡にもなりかねません。 そういうときは無理に我慢をしないで「食べる時間」を工夫してみましょう。どうしても食べたいものは「午後2~6時の間」に食べるようにするのです。なぜなら、この時間帯は食べても「太りにくい時間帯」だからです。 私たちの体には「BMAL1(ビーマルワン)」という遺伝子があります。この遺伝子は、体内時計に関係する遺伝子であると同時に、脂肪の分解を抑制して、体内にため込む働きをしています。 最近の研究成果で、このBMAL1は1日の中で影響力が変動することがわかりました。影響力が強まるのは夜間の時間帯で、日中は弱まります。午後2時ごろがいちばん弱く、6時ごろからまた強くなっていきます。つまり、影響力が弱まる午後2~6時の間に食事をすると、太りにくいということになります。 まだ、動物実験レベルの研究結果ではありますが、食べる時間の工夫の1つとして取り入れてみる価値はありそうです』、「どうしても食べたいものは「午後2~6時の間」に食べるようにするのです。なぜなら、この時間帯は食べても「太りにくい時間帯」だからです」、初めて知った。夕食も「6時」までに済ますようにしよう。
・『5つ目の注意点は「主食やお菓子以外の『隠れ糖質』がある」ことです。 【注意点5】主食やお菓子以外の「隠れ糖質」に注意  「糖質制限をしているのに全然効果がない」と悩んでいる人がいますが、じつは、自分で気づかないところで、糖質をとっていることが多いものです。 「糖質」というと、つい主食のご飯や麺類やパン、お菓子などに目がいきがちですが、それ以外にも糖質を含む食べ物は結構あります。野菜や果物、飲み物などでも糖質を多く含む食べ物があるので注意しましょう。 【糖質を多く含む食品の例(主食やお菓子以外)】(野菜……イモ類(じゃがいも、さつまいもなど)、れんこん、かぼちゃ、そら豆など 果物……バナナ、ぶどう、もも、なし、マンゴー、柿など その他……くずきり、シリアル、練り物(ちくわ、かまぼこなど)、栄養調整食品(大豆バー、ゼリーなど) 飲み物……スポーツドリンク、市販の野菜ジュースなど』、これは常識の範囲だ。
・『【注意点6】体重が減らなくなっても「1カ月」は継続する  「内臓脂肪」は食べすぎや運動不足により急速に蓄積します。しかしその一方で、食事改善や運動のエネルギー消費により、急速に減少するのが特徴です。ダイエットを始めてからたった15日でも、変化を感じることができると思います。 これに対して「皮下脂肪」は15日程度では、そうそう減りません。また、落ちる過程としては、内臓脂肪が落ち切ってから皮下脂肪が落ちるのではなく、途中から同時進行になっていきます。そのため、順調に減っていった体重も、ある時期から変化が出なくなる可能性もあります。 しかし、ここで体重が減らないといって諦めては、またすぐにリバウンドしてしまいます。まずは1カ月のダイエット計画を立ててみましょう。日々の体重の変化で一喜一憂するかもしれませんが、1カ月をメドに続けてみることが大切だと思います』、「内臓脂肪」は「急速に減少する」が、「「皮下脂肪」は15日程度では、そうそう減りません」、やはり「体重が減らなくなっても「1カ月」は継続する」のが重要なようだ。
・『「間違った糖質制限」は命に関わるリスクがある  糖質のとりすぎは「内臓脂肪」を増やし、さまざまな疾患の原因となるので、ある程度の制限をする必要があります。しかし、間違った認識で「糖質制限」をすると、体に負担がかかるだけでなく、かえって命に関わる重大なリスクにつながる可能性もあります。 そのためには、「糖質制限」を正しく理解したうえで実践することが大切です。 そうやって「内臓脂肪」を落とせば、健康体になれるだけでなく、「見た目」も「心」も若々しく生き生きとした毎日を過ごすことができる、私は57歳の医師として自分自身の経験からも、そう確信しています』、先ずは「内臓脂肪」を落とすことを心がけよう。

第三に、近畿大学准教授の谷本 道哉氏が本年2月29日付け東洋経済オンラインに掲載した「筋肉体操の谷本氏「運動効果を倍にする歩き方」 ちょっとのコツだけでエクササイズにもなる 」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/331139
・『国民総肥満、定年延長が叫ばれる昨今、健康管理と継続的な運動を通じ、70歳まで働けるカラダを維持することはもはや義務とも言えそうな状況にある。一方、人気TV番組出演の谷本道哉・近畿大学准教授の著書『新装版 学術的に「正しい」若い体のつくり方-なぜあの人だけが老けないのか?』 によると、ちょっとのコツを取り入れるだけで、普段の「歩く」がエクササイズになるという。 日常生活の中で最もエネルギー消費の大きい活動は「歩くこと」です。 普段の歩きをキビキビ行う、歩いていける距離ならば車や電車などを使わずになるべく歩く、といったことを心がけるだけでもずいぶん違うものです。 つまり、普段の移動をエクササイズと考えてしっかり歩けば、すべての道があなたにとってのプライベートジムになるともいえますね。 特別な運動以外の1日の身体活動量はおおよそ「歩数」に反映されます。そして1日の歩数は、歩数計をつけることで把握することができます。いまはスマートフォンのアプリなどでも気軽に計測できるようになりました。 そこで皆さんにはぜひ歩数計をつけ、「自分の日常の活動量」を把握していただきたいと思います。 目標は身体活動基準で示す23メッツ・時/週に相当する、「8000歩から10000歩」。自分の活動量がこの目標値に比べてどのくらいなのか、まずは知りましょう』、「普段の移動をエクササイズと考えてしっかり歩けば、すべての道があなたにとってのプライベートジムになるともいえますね」、嬉しいご託宣だ。私は1日「10000歩」を目標にして、ほぼ達成している。
・『速く歩くほど、運動効果がぐんと高まる   私たちが歩くとき、自然と「体の振り子」を利用しています。  脚を振り出すときは、振り出す脚をぶら下がった振り子にし、蹴り出すときは、棒が前に倒れるように、体を前に倒す、倒立振り子の揺れを利用しているのです。歩いているときというのは体という振り子の持つ揺れに自然と合わせているため、歩行動作というのは実はとても効率がよい動きなのです。  振り子の揺れ自体はエネルギー消費「ゼロ」であり、その揺れを存分に利用して、自然の速度で歩いているとき、実は私たちはエネルギー消費を抑え、ラクに進んでいるわけです。 しかし図のとおり、普段の歩きよりも速くすればするほど、この振り子の力に頼れなくなるので、ぐんと運動効果が上がるのです。 例えば通常歩行の70m/分を1.5倍のスピードに上げたとします。やや足早にシャキシャキ歩くくらいでしょうか。 この場合、エネルギー効率は1.6倍ほど落ちます。これは、同じ距離歩いた場合のエネルギー消費が1.6倍になるということ。そして歩くスピードが1.5倍ですから、おおよそ1.5×1.6で、なんと約2.4倍の運動の強度ということになるのです。 普段の生活で、階段を積極的に使うこともとてもおすすめです。 2階や3階くらいまでならエレベーターやエスカレーターではなく階段を使いましょう。とはいえ、「階段を積極的に」といわれても、あまり体を動かしていなかったり、エレベーターに慣れすぎた人にとっては簡単ではないかもしれません。 そこで、階段をスイスイ上るのに役立つ、ょっとした体の動かし方のコツを紹介しましょう。筋肉、腱のバネを利用した「反動動作」を使った階段の上り方です。 私たちの筋肉・腱には、弾性力、つまりバネ作用があります。これを上手に使うと、体を要領よくダイナミックに動かせるようになります。このバネ作用を生み出すのが「反動」を使った動きです』、「やや足早にシャキシャキ歩くく・・・同じ距離歩いた場合のエネルギー消費が1.6倍になるということ。そして歩くスピードが1.5倍ですから、おおよそ1.5×1.6で、なんと約2.4倍の運動の強度ということになる」、この掛け算はよく理解できないが、専門家なので正しいのだろう。「筋肉・腱には、弾性力、つまりバネ作用があります。これを上手に使うと、体を要領よくダイナミックに動かせるようになります。このバネ作用を生み出すのが「反動」を使った動きです」、意識して「反動」を使ってみよう。
・『立ち上がる時の「よいしょ」も効果あり  わかりやすい例として、まず椅子からの立ち上がり動作で説明しましょう。 椅子から立ち上がるときは、必ず一度お辞儀をするように上体を前にかがめてから立ち上がります。 そして体を起こす前に、自然と私たちはそれと反対の前にかがむ動きをとるのです。これこそが「反動」です。 前にかがめる下向きの力を筋肉、腱のバネ作用で上向きに返すため、スッと体を起こして立ち上がることができます(図)。 バネを使った反動動作のポイントは、お辞儀をしてから体を起こす動作へと「動きを切りかえす瞬間」にポンと力を出すことです。「よいしょ!」という声が出ることがありますが、切りかえしで強い力を発揮するときに、つい声が出るのです。 ですから、「よいしょ!」は、反動を使った動きでうまく力を発揮するためのかけ声といえます。年寄りくさいと思わないでください。むしろその声こそ、活動的に体を動かせている証拠。「よいしょ!」をどんどん使っていただきたいと思います。 試しに、この反動動作を少し大げさにして立ち上がってみてください。反動をバネにしてすっと立ち上がるという感覚がよくおわかりになるはずです』、「よいしょ!」を「年寄りくさい」と思っていたが、「反動を使った動きでうまく力を発揮するためのかけ声」とは初めて知った。大いに実行してみたい。
タグ:(その9)(ベジタリアン食は脳卒中リスクが20%高まる可能性、医師が警告!「糖質制限したい人」、ここに注意 「朝食抜き」「隠れ糖質」…その方法で大丈夫?、筋肉体操の谷本氏「運動効果を倍にする歩き方」 ちょっとのコツだけでエクササイズにもなる) 肉を食べる人に比べて、ベジタリアンでは心疾患リスクが22%低下した一方で、脳卒中リスクは20%高まることが示された。一方、肉は食べないが魚を食べる人(ペスカタリアン)では心疾患リスクは低く、脳卒中リスクの上昇は認められなかった 魚を食べるペスカタリアン群 健康 私たちの筋肉・腱には、弾性力、つまりバネ作用があります。これを上手に使うと、体を要領よくダイナミックに動かせるようになります。このバネ作用を生み出すのが「反動」を使った動きです 立ち上がる時の「よいしょ」も効果あり 「ベジタリアン食は脳卒中リスクが20%高まる可能性」 筋肉、腱のバネを利用した「反動動作」を使った階段の上り方です 英オックスフォード大学ナッフィールド保健省のTammy Tong氏らの研究 【注意点4】「太りやすい時間帯」と「太りにくい時間帯」がある 「糖質」は少なすぎてもいけない 普段の移動をエクササイズと考えてしっかり歩けば、すべての道があなたにとってのプライベートジムになる 反動を使った動きでうまく力を発揮するためのかけ声 「よいしょ!」 速く歩くほど、運動効果がぐんと高まる 「皮下脂肪」は15日程度では、そうそう減りません 「内臓脂肪」 【注意点6】体重が減らなくなっても「1カ月」は継続する 【注意点5】主食やお菓子以外の「隠れ糖質」に注意 どうしても食べたいものは「午後2~6時の間」に食べるようにする 【注意点3】食事を減らしすぎると「ほかの栄養素も制限」してしまう 【注意点2】「朝食抜き」はかえって太る 【注意点1】「極端な糖質制限」はNG 極端な糖質制限はNG 内臓脂肪は「糖尿病」や「動脈硬化」「がん」など、さまざまな疾患の原因となるだけでなく、見た目も老けさせます 「間違った糖質制限」は体調を崩しかねない 過去15キロ以上の減量に成功し、57歳でも体脂肪率10.6%を誇る 『50歳を過ぎても体脂肪率10%の名医が教える内臓脂肪を落とす最強メソッド』 「医師が警告!「糖質制限したい人」、ここに注意 「朝食抜き」「隠れ糖質」…その方法で大丈夫?」 東洋経済オンライン 池谷 敏郎 この研究は因果関係を証明するものではないとして、同氏は慎重な解釈を求めている 虚血性心疾患リスクは、肉を食べる人に比べてペスカタリアンでは13%、ベジタリアンでは22%それぞれ低いことが分かった。一方、肉を食べる人に比べて、ベジタリアンでは脳卒中リスクが20%高いことも示された 病歴や喫煙歴、サプリメント使用の有無、身体活動量などの因子を調整して解析 虚血性心疾患と脳卒中の発症を調べた ベジタリアン群 ダイヤモンド・オンライン 急速に減少 肉を食べる群 約18年間追跡 肉を食べる人と比べて、ベジタリアンでは10年間に心疾患を発症する人が1000人当たり10人少なく、脳卒中を発症する人が1000人当たり3人多いだけだ 約2.4倍の運動の強度 「筋肉体操の谷本氏「運動効果を倍にする歩き方」 ちょっとのコツだけでエクササイズにもなる 」 目標は身体活動基準で示す23メッツ・時/週に相当する、「8000歩から10000歩」 「積極的に摂りたい栄養素」と「食べる時間帯」を知る やや足早にシャキシャキ歩く 谷本 道哉 ベジタリアン食で脳卒中リスクが高まる? 「間違った糖質制限」は命に関わるリスクがある
nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感

自動運転(その4)([議論]トヨタは10年後も世界のリーダーでいられるか  File 3 「自動運転業界」(第4回)、自動運転車は誰を犠牲にすべき?究極の思考実験「トロッコ問題」とは、なぜトヨタは富士にイチから「自動運転実験都市」を作らなければならないのか) [イノベーション]

自動運転については、昨年7月6日に取上げた。今日は、(その4)([議論]トヨタは10年後も世界のリーダーでいられるか  File 3 「自動運転業界」(第4回)、自動運転車は誰を犠牲にすべき?究極の思考実験「トロッコ問題」とは、なぜトヨタは富士にイチから「自動運転実験都市」を作らなければならないのか)である。

先ずは、昨年6月25日付け日経ビジネスオンライン「[議論]トヨタは10年後も世界のリーダーでいられるか  File 3 「自動運転業界」(第4回)」を紹介しよう。
・『現在の議論のテーマ  「自動運転業界」を深掘りする当連載もいよいよ最終回。今回は、自動車業界の未来予想図について議論します。出演者4人の議論を踏まえて、コメント欄に自由に書き込み、ぜひ皆さんで議論してください。 各業界をよく知る第一線のゲストに話を聞きながら、今後、その業界がどう変わっていくかを探る連載「入山章栄・安田洋祐の業界未来図鑑」。入山章栄氏は早稲田大学ビジネススクール教授。 安田洋祐氏は大阪大学経済学部准教授。 第3回シリーズ(File 3)では、モビリティーの新たなサービスやプロジェクトに積極的にかかわるDeNAの中島宏常務執行役員オートモーティブ事業本部長とアーサー・ディ・リトル・ジャパンのパートナーで自動車業界・自動運転業界に精通している鈴木裕人氏をゲストに招き、自動運転業界についての議論を展開中。 最終回の議題は「自動運転で自動車業界はどう変わるか」。自動車メーカーを中心に回ってきた自動車業界だが、自動運転化やMaaS(モビリティー・アズ・ア・サービス)の進行によって、巨大IT企業や新興企業がキープレーヤーとして存在感を増しつつある。果たして日本の自動車メーカーや部品メーカーは10年後も生き残ることができるのか。大胆に将来像を語り合った。 安田:「入山章栄・安田洋祐の業界未来図鑑」、このシリーズでは自動運転を取り上げています。今回は自動運転によって自動車業界はどう変わっていくのかについて、お話をお聞きしたいと思います』、興味深そうだ。
・『入山:なんといっても自動車は日本のものづくりを支える一大産業。今後、どうなるのかに関心を持つ方は多いですよね。 安田:読者の方から質問もたくさんいただいています。ご紹介しましょう。人生のらりくらりさん。「自動運転車になったら車を所有する人は減るのかな?」という質問です。サービス化が進むと、個人は自動車を所有しなくなるのかということですが、いかがですか。 鈴木:私は「持ち家に住むか、賃貸に住むか」という選択に近いと思っていて。住宅を考えてみても、みんなが持ち家でもなければ、みんなが賃貸でもないですよね。 個人の嗜好にかかわるものなので、みんなが自家用車でもないし、みんながサービス利用でもない。持ち家比率に近いところに収まるんじゃないかと思います。一般論としては、地方の方が遅くまで自家用車が残っていくと思います。 入山:中島さん、いかがですか。 中島:諸説ありますけれども、世の中に存在する総車両数は減ってしまうと思います。特に自家用車。自家用車って稼働率3%といわれています。わずか3%しか乗らないものを、何百万円も出して所有欲を満たすためだけに買うという時代はもう終わっていくでしょう』、「個人の嗜好にかかわるものなので、みんなが自家用車でもないし、みんながサービス利用でもない。持ち家比率に近いところに収まるんじゃないか」、説得力のある見方だ。
・『使ってわかる、「やっぱり高級車っていい」  入山:所有か使用かという話でいうと、前にあるデザイン会社の社長さんから面白い話を聞いたことがあります。人間には所有欲と使用欲があって、使用すればするほど、所有欲が高まるっていうんです。例えば、漫画の世界では今、スマホに取って代わられて雑誌は全く売れない。『少年ジャンプ』も『少年マガジン』も部数はかつてに比べてずいぶん減っています。けれど、コミックはそんなに落ちていない。スマホで漫画を読んで所有欲をかき立てられた人たちが、例えば「『ワンピース』を全巻そろえておきたい」とコミックを買っているからです。 そこから考えると、「ポルシェ」みたいな豪華なクルマは所有するためのクルマとして残るんじゃないでしょうか。感性を満足させるものですから。 鈴木:高級車はたぶん残ると思います。大衆車はやはり機能性の面で使う方が多いので、中島さんがおっしゃるように、減っていく可能性はある。 中島:所有欲と使用欲の切り口で「まさに」と思う話があります。我々は「Anyca(エニカ)」という個人間カーシェアリングサービスを手掛けています。運営しているのは20~30代のメンバー。20代で都心に住んでいたら、ふつうクルマなんて持てないじゃないですか。ところが、ある日気付いたら、「Anyca」の運営メンバーがやたらと高級車を持っているんですよ。「なんでオレよりいい車を持っているんだ」と思うぐらいに(笑)。 よくよく聞いてみると、「カーシェアすることを前提に高級車を買っています」という話なんです。シェアリングすれば個人の負担は軽くなりますから。 入山:高いクルマをシェア前提で買っているんですね。 中島:そう。でもそれなら、自分で買ってオーナーにならなくても、ふつうに「Anyca」で利用すればいいじゃないですか。どうやら、最初はそうしていたらしいんです。ところがポルシェとかBMWとかに乗っているうちに、欲しくなってきちゃったと。「中島さん、知っていますか。やっぱり高級車っていいんですよ」って。 入山:へえ。それで持ちたくなったんだ。 中島:でもそんな高級車を買うほどの金銭的余裕はない。なのでシェアリングを前提に買おうとする。つまり金銭負担をなるべく抑えながら所有欲を満たそうとしているんです』、「人間には所有欲と使用欲があって、使用すればするほど、所有欲が高まる」、「「ポルシェ」みたいな豪華なクルマは所有するためのクルマとして残るんじゃないでしょうか」、なるほどと納得させられた。
・『ダイムラーは宣伝の一環でカーシェアを活用  安田:そういうことなら、高級自動車メーカーこそカーシェアリングを手掛けて、若い人たちにとりあえず乗ってもらうという戦略をとった方が、長期的には勝ち残れるかもしれないですね。そういう動きって出ていますか。 鈴木:完成車メーカーの中ではダイムラーが最も積極的にモビリティーサービスを手掛けていますね。彼らに聞くと、ある種の宣伝としてカーシェアリングをやっていると。そこから何かのきっかけでオーナーになってもらおうと考えています。まさに「Anyca」で起きたようなことを狙っている。 中島:高級車からエントリーしてもらって、慣れてきて「やっぱり持ちたい」となったら買ってもらうという戦略ですね。今、メーカーはエントリーカーとしてカーシェアリングを使うことに非常に積極的です。 入山:従来のエントリーカーは軽自動車とか「カローラ」のような大衆車だったけれど、今はいきなり「ベンツ」か。 安田:もともと自家用車は3%しか使われてないというのだから、残りの97%分は伸びしろだらけですね。カーシェアによって利用効率を上げていくと、少ない出費で、今まで「モノ」としては手が届かなかった高級車に、「コト」として触れる消費者が増えてくるわけですね。 入山:うん。面白いね。 安田:さて、冒頭で話をしたように、日本の産業界では自動車メーカーの影響力がものすごく大きいですね。そういう中で、「モノからコト」とか「MaaS」の流れが世界中で進んでいったとき、日本の自動車産業はどうなるのでしょうか。懸念する声も大きいと思います。皆さんにはぜひここで○×棒でお答えいただこうと。 入山:お、きましたね。 安田:この先10年ぐらいを考えたとき、日本の自動車メーカーが、世界の自動運転業界、自動車業界で依然として中心的なプレーヤーでいられるのか。世界市場を引っ張って活躍できるのか。できると思われる方は「○」、ちょっと厳しいと思う方は「×」を上げてください。 もちろんその後、理由もお聞きしますから。「バツなところだけ出されてちょっとバツが悪い」、なんてことはないです。はい。 入山:ちょいちょいおやじギャグが出るんだよね(笑)。 安田:はい(笑)。皆さん準備はよろしいですか。では出してください。せーの。はい』、「ダイムラーが最も積極的にモビリティーサービスを手掛けていますね。彼らに聞くと、ある種の宣伝としてカーシェアリングをやっていると。そこから何かのきっかけでオーナーになってもらおうと考えています」、上手い戦略だ。
・『EV普及まで日本メーカー優位は保たれる  入山:わ、全員「○」だ。 安田:じゃあ、入山さんから理由をどうぞ。 入山:自動運転とは離れますが、この後、自動車市場では電気自動車が出てきます。といっても、たぶん一気に普及することはない。充電のインフラを配備しなくてはいけないし、バッテリー技術をもっと成熟させないといけないですから。 この前、トヨタ自動車がハイブリッドの特許を開放しましたね。あれはおそらく、うまく誘導すれば、当面マーケットがハイブリッド中心でいけると判断し、仲間を増やそうと考えたからだと読んでいます。つまり電気自動車への移行をなるべく遅らせようという狙いなのではないかと。 ハイブリッドの設計思想ってガソリン車寄りです。部品点数がめちゃめちゃ多い。電気自動車は逆で部品点数が少ない。電気自動車はパソコンと同じで、部品やモジュールを組み合わせれば誰でもつくれます。それに比べるとハイブリッドは組み合わせて、すり合わせて、という技術が必要。これって日本の自動車メーカーがものすごく強いところです。 この先10年ぐらいなら、電気自動車はまだそれほど普及していないはずですから、日本の自動車メーカーの優位は保たれると僕は思っています。 安田:電気自動車が普及すれば自動車メーカーだけでなく、系列の部品メーカーなども厳しくなるといわれていますが、そういう変化は10年ぐらいならまだ大きくは進まない。トヨタなどはハイブリッドの仲間を増やして電気自動車への移行を遅らせつつ、一方で「MaaS」などへの対応も着々と進めているのではないかと。 入山:そうですね。電子機械産業には「スマイルカーブ」という現象が起きます。バリューチェーンの上流と下流はもうかるけれど、真ん中のアセンブリーメーカーはもうからないという状況です。典型はパソコン業界で、もうかるのは部品をつくっているインテル、OSをつくるマイクロソフト、エンドユーザー向けのサービスを手掛けるグーグルやフェイスブックで、組み立てるパソコンメーカーはもうからない。 電気自動車の時代になると自動車も同じで、組み立てをやっていた自動車メーカーがもうからなくなる可能性がある。だからトヨタは人工知能に投資したり、「イーパレット」の構想を打ち出したりして下流を取ろうとしている。さらに、上流を取るために、ハイブリッドの技術を開放して、システムサプライヤーみたいなことをやろうとしている。僕はそう理解しています』、「トヨタなどはハイブリッドの仲間を増やして電気自動車への移行を遅らせつつ、一方で「MaaS」などへの対応も着々と進めているのではないか」、「トヨタは人工知能に投資したり、「イーパレット」の構想を打ち出したりして下流を取ろうとしている。さらに、上流を取るために、ハイブリッドの技術を開放して、システムサプライヤーみたいなことをやろうとしている」、「トヨタ」は万全の構えのようだ。
・『10年後、VWは中国の会社になっている?  安田:日本の自動車メーカーはスマイルカーブの底に沈まないような施策をすでに先駆けて打ち始めているということですね。わかりました。 続いて僕もさらっと「○」の理由を言うと、今のお話にも出てきたように、自動車メーカーは一歩先、二歩先を意識しながら、ワーストケースを避ける積極投資をしているんじゃないかと見たからです。 もっとも、実を言うと、僕は今日お2人のお話を伺う前は、やっぱり厳しいんじゃないかと思っていたんですが……。 入山:うん。今日の話を聞くとかなり違うよね。 安田:自動運転でも、隠し持っている技術があるというお話ですし。そんなことから考えると、世界の自動車市場をけん引してきたメーカーとしての先行者利益はまだまだ効いてくるのかなと思いました。ただし、この先5年ぐらいの投資は非常に重要だという印象を持っています。 ではここからはプロのご意見をお聞きしましょう。鈴木さんからお願いします。 鈴木:入山さんが指摘した電気自動車というのは非常に重要なキーワードで。経営的に言うと、電気自動車はそのままだと絶対儲からない。 入山:うん。さっきのスマイルカーブですね。 鈴木:そうです。だからエンジン車をつくった方が絶対もうかります。電気自動車は環境規制が厳しいところから増えていくので、欧州と中国で普及が進むと考えられます。欧州と中国って、幸か不幸か、トヨタはじめ日本のメーカーはそんなに強いマーケットではないんですよ。強いのはフォルクスワーゲンなど。ということは、フォルクスワーゲンの方が先にもうからなくなる。だから私は、10年後にはフォルクスワーゲンはなくなっているか、中国の会社になっているか、どっちかだと思っているんですけれども。 入山:おっと。大胆発言が出ました。えーと、関係者の方、これはあくまで個人の予測ですので。 鈴木:はい。すみません。 安田:その頃には中国やヨーロッパでは電気自動車化が進行しきっていると。 鈴木:はい。なので、相対的に日本は結構いいポジションにいる。主戦場としているマーケットがそんなに電動化が進まないという意味で、すごくラッキーなんです。その間に、いかに先行投資を続けられるかが重要です。 それから、日本には自動車みたいなすり合わせの機械の産業があって、DeNAみたいなITの産業があって、エレクトロニクスの産業もある。そういう多様な産業が全部集まっているというのは大きなアドバンテージです。ドイツはITがそんなに強くないし、アメリカは機械やエレクトロニクスが今あまりない。日本の産業構造は、これから自動車のサービスをつくっていく上で、すごくいい状態にあると思います。) 安田:鈴木さんの見立てでは、日本には自動運転業界とか「MaaS」の世界でリーダーになるチャンスがあるということですね。逆に言うと、このチャンスを取りそびれると、日本の産業は厳しいっていうことになりますね。 鈴木:そうですね。この10年が勝負だと思いますね。 安田:なんとしてもここでチャンスをつかまないといけないですね。では満を持して中島さん。 中島:今、日本で自動車業界を引っ張っている企業が、引き続き世界のリーダーになれる可能性は十分にあると思います。 さっきのスマイルカーブの話ですが、お付き合いすればするほど、自動車という分野で、スマイルカーブの真ん中にいるOEMメーカーの努力やノウハウの質はすさまじい。この座布団は結構厚くて、まだ十分に世界をリードするだけのノウハウがあるという印象です。 それから、OEMメーカーは製造だけでなく販売会社も持っています。ここはサービスも請け負うので下流工程ですね。自動運転技術が進化して高度化すればするほど、メンテナンスやアフターサービスによってクルマの安全・安心を維持し続ける価値はぐっと高くなります。下流工程も持っている自動車メーカーは実は磐石だと思っています』、「電気自動車はそのままだと絶対儲からない・・・欧州と中国で普及が進むと考えられます・・・強いのはフォルクスワーゲンなど。ということは、フォルクスワーゲンの方が先にもうからなくなる。だから私は、10年後にはフォルクスワーゲンはなくなっているか、中国の会社になっているか、どっちかだと思っている』、日系が「中国」で弱かったのが幸いするとは皮肉だ。
・『日本の自動車業界はこの10年が勝負  安田:そうか。これから自動運転がサービスの分野で広がっていくとなると、その価値は非常に重要になりますね。 中島:そうです。ただ、クルマの販売台数はどうしたって減りますから、もうけ方を変えないといけない。今までみたいに何年かに1回だけメンテナンスに持ってきてもらったり、車検のときに補修したりということではなく、日々メンテナンスフィーを受け取るようなビジネススキームにしないと生き残れないと思います。ビジネスモデルのスムーズな転換ができるかどうかにかかっていると思います。 入山:それは大事なポイントですね。強みを生かしながら、きちんと変革できる会社ならば、おそらくこれからも世界をリードできるということですね。 いや、今日実は僕、始まる前まで、自動運転にも日本の自動車業界にも少し悲観的な見方をしていたんです。でもお話を伺えば伺うほど、結構、未来は明るくて、希望が持てるんだなと思いました。まさに自動運転業界、自動車業界の未来が見えたなと思います。 安田:改めまして、お2人に感謝をして。 入山:はい、本当にどうもありがとうございました。 中島・鈴木:ありがとうございました。(この後の出席者の略歴の紹介は省略)』、「クルマの販売台数はどうしたって減りますから、もうけ方を変えないといけない・・・日々メンテナンスフィーを受け取るようなビジネススキームにしないと生き残れない」、いくら努力しても、」「販売台数」減少のインパクトは大きそうだ。「日本の自動車業界はこの10年が勝負」、とすると、日産の大混乱は心配になる。

次に、11月13日付けダイヤモンド・オンライン「自動運転車は誰を犠牲にすべき?究極の思考実験「トロッコ問題」とは」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/220343
・『本格的な自動運転時代が2020年にも始まるが、ルール作りや社会的コンセンサスが追い付いていない部分が少なくない。特集「トヨタ、ホンダ、日産 自動車の最終決断」(全9回)の番外編として自動運転時代の課題や考え方について、明治大学自動運転社会総合研究所やモビリティ企業への取材を基にレポートする』、「自動運転時代の課題や考え方」、大いに考えさせられるテーマだ。
・『緊急時のハンドル操作を予めプログラムできるのか  政府のロードマップ上では、2020年にも本格的な自動運転(レベル3〈条件付運転自動化〉以上)時代に突入することになっている。 交通業界にとって天変地異なのは、操縦の主体がドライバー(人)からシステムに置き換わることだ。人は運転から解放されて車内で自由な時間を持てる。安全性も人の運転より高まるとされている。一方で法律面、倫理面の課題も見えてきた。 学者らの間で話題沸騰中なのが、倫理上の思考実験「トロッコ(トロリー)問題」だ。究極的な人命選択の運転場面を想定し、「あらかじめシステムに対してどのような選択基準をプログラムすればよいのか」、という問題だ。 上の概念図で説明すると、ブレーキが壊れた(あるいはブレーキをかけても間に合わない)トロッコがある。そのままAの方向に進めば3人と衝突する。一方、分岐点でBの方向に進行を切り替えれば、衝突するのは1人。さあどちらの選択が正しいのか、という思考実験だ。概念図は線路なので走行ルートは限られているが、実際の道路上では例えば急ハンドルを切って壁に激突して自損事故(被害者は運転手、乗員のみ)という選択肢もある。 操縦主体がドライバーならば、どの判断をするにせよ、責任者は人間。一方、システムが操縦主体の自動運転下では、システムが責任者となる。システムの選択基準をあらかじめ設定することになるのは、自動車メーカーになろう。ケースごとに「社会的合意を得られる判断をあらかじめ考えておくことが必要になるのでは」、ということで自動車業界や保険業界などを中心に関心が高まっている。 米マサチューセッツ工科大学は、「モラル・マシーン」という名のウェブサービスで、世界規模の調査を実施している。トロッコ問題に関わるさまざまな運転場面を想定し、イラストを交えて質問。例えば「直進すれば壁に激突して複数の乗員に死傷者が出るが、ハンドルを切れば乳児を含む複数の男女をはねる(ただし男女が歩いている横断歩道の信号機は赤色)」といった具合だ。回答傾向を分析したところ、社会的合意を得られる判断が国によって大きく違うことが浮き彫りになった。日本は世界平均と比べ、歩行者、法令順守、不作為(ハンドルを切ることで被害者を選ばない)を優先する傾向が強い。中南米では、社会的地位の高さ、子ども、女性の優先度が高い。欧米は不作為の傾向が強かった。 学者らの間でトロッコ問題の議論が過熱する一方、「ただの思考実験なので勝手にやってくれ。自動運転社会ではそもそもトロッコ問題は起きない」と断言するモビリティ企業幹部もいる。高度に進化した自動運転車両では、センサーが肉眼以上に余裕を持ってブレーキの間に合う距離で対象物を把握するし、ブレーキの異常を感知した時点で補助ブレーキが作動してトロッコ問題が起きる前に停車する。つまり、「トロッコ問題は手動運転時代の遺産に過ぎない」というのだ。 最終的にはそうなるのかもしれないが、自動運転車両はまさに進化の過程にある。さまざまなリスクに対して議論をしておくことは大切だ。 以下ではトロッコ問題を含め自動運転を巡るさまざまな課題を、18年に設立された明治大学自動運転社会総合研究所の識者2人へのインタビューで掘り下げてみた(Qは聞き手の質問、Aは回答)』、「日本は世界平均と比べ、歩行者、法令順守、不作為・・・を優先する傾向が強い。中南米では、社会的地位の高さ、子ども、女性の優先度が高い。欧米は不作為の傾向が強かった』、確かに「社会的合意を得られる判断が国によって大きく違う」ようだ。
・『自分が死ぬ車を誰が買うのでしょうね【中山幸二部門長(法律分野)】  Q:政府の自動運転ロードマップでは「2020年までに移動サービスでレベル4(高度自動運転)」が始まることになっています。日本のレギュレーションが追い付いていない部分を整理して教えてください。 A:道路運送車両法はレベル4まで想定しています。でも、道路交通法はレベル3(条件付自動運転)までしか想定していない。道路交通法を所管する警察庁はドライバーがいなければいけないという考えが根強いからです。「いざとなれば、すぐにシステムからドライバーに切り替わる」までのレベルは認めるというのが今の彼らのスタンスです。 車両の認証(保安)基準もレベル3以上は世界で基準ができていません。独アウディの新車もレベル3の機能は備えていますが、封印していますよね。国際的な基準を今作ろうとしている。システムをどうやって測るか。今までは機械的に検査していました。これからは設計段階から設計思想を見ないといけません。 Q:自動運転を巡っては、トロッコ問題が話題です。 A:ドイツでは17年、国の倫理委員会がガイドラインを公表しています。要するに無作為が正解。プログラムは被害者を選択してはいけない、と。ドイツの自動車メーカーはそれに則ってプログラミングするのでしょうね。 一方、運転手、乗員が第一だという考え方を唱える人もいます。運転手・乗員優先の方がメーカーは安心して造れます。自分が死ぬかもしれない車を誰が買うのでしょうということになりますから。世界的には、運転手・乗員優先のクルマが売れていくのでしょう。 Q:日本の議論の状況をどう見ていますか。 A:日本の自動車メーカーはまだ態度を表明していません。 日本ではトロッコ問題になるといつも議論がストップする。外国の議論を紹介してそれで終わっちゃうのです。トロッコ問題は避けて通れないが、「そういう場面を作ってはいけないんだ」というのが今の状況だと思います』、「日本では・・・トロッコ問題は避けて通れないが、「そういう場面を作ってはいけないんだ」というのが今の状況」、いくら技術的に安全にしても、やはり想定外の事故は避けられないとして、正面から議論しておくべきだろう。
・『自動運転社会への過渡期で損保会社は倫理観を問われる【中林真理子所長(保険分野)】  Q:自動運転ではトロッコ問題が話題です。 A:私は日本経営倫理学会に入っているのですが、自動運転をめぐる問題として出て来ていますね。さまざまな場所でここ2、3年、特に話題に上ってきた印象です。トロッコ問題という哲学の命題自体は以前からありました。でもこれまでは現実味がありませんでした。AIの開発進化に伴い、自動運転という身近な話題が出てきました。米ウーバー・テクノロジーズが自動運転車両で死亡事故を起こしたりと。そこで改めてどう考えればいいのかという議論が起きています。 Q:結論は出るのでしょうか。 A:日本ではまだ、国もメーカーも誰も結論を出していません。たぶん結論は出ないです。哲学は「これが正解」という世界ではありません。「議論する」ということ自体が恐らく正解なのではないでしょうか。 超一流の学者たちの団体、日本学術会議でも取り上げられています。9月に傍聴しましたが、まだ、「新しいトロッコ問題が出てきた」「どう議論したらいいのか」という取っ掛かりの段階です。何かしらの方向性が出れば、国の決定にも影響する可能性があります。 Q:損保会社の自動車保険は自動運転時代の到来でどうなるのでしょうか。 A:自動運転社会では事故は減ると言われています。それでもたぶん事故自体はなくならない。リスクがある限りなんらかの保険は必要です。 損保各社は倫理観が問われています。誰も想定していないような事故が起きた時、「約款にないから」と断ち切っていいのか。例えば大地震の際には人道上、お見舞金などの形で例外的に支払う対応をしています。自動運転の過渡期はそんなことが多いのではないでしょうか。 損保会社の自動車メーカーなどへの求償権もクローズアップされそうです。これまでは製造物責任の立証困難などから損保会社がかぶるケースが多く、でも再保険が掛かっているので大きな問題にはなりませんでした。自動運転時代ではシステムの欠陥が明確な場合、損保会社が求償権行使する可能性があります。そうすると行使先は自動車メーカーなのかセンサーメーカーなのかと、わけが分からなくなります。この辺りはまだ議論が始まったばかりです。 一つの解決案として、明治大学自動運転社会総合研究所監修『自動運転と社会変革――法と保険』で紹介している模擬裁判では、利害関係者による仲裁コンソーシアムの設立を提案しています。まだ業界でその方向に進んでいるわけではありません。責任割合とか出資割合とか議論は大変だろうと思います』、「トロッコ問題・・・日本ではまだ、国もメーカーも誰も結論を出していません。たぶん結論は出ないです。哲学は「これが正解」という世界ではありません。「議論する」ということ自体が恐らく正解なのではないでしょうか」、やはり難しい問題のようだ。

第三に、フリージャーナリストの西田 宗千佳氏が本年1月8日付け文春オンラインに掲載した「なぜトヨタは富士にイチから「自動運転実験都市」を作らなければならないのか 豊田章男社長がラスベガスで語った真意」を紹介しよう。
https://bunshun.jp/articles/-/24521
・『米・ラスベガスでは、1月7日から10日の4日間、世界最大のテクノロジー関連展示会である「CES 2020」が開催される。開催前日の1月6日(現地時間)、トヨタは記者会見を開き、新しい施策を発表した。 ここ数年、CESでは自動運転などが大きなテーマになっている。だが、トヨタが発表したのは自動運転技術でも、自動運転車でもなく、「街」だった。自動車メーカーであるトヨタがなぜ街づくりを発表したのか? その理由には、自動運転などをめぐるひとつの本質が存在する』、「トヨタがなぜ街づくりを発表したのか?」、その答えが知りたいところだ。
・『富士の裾野に「自動運転のための街」を作る  「これは私の『フィールド・オブ・ドリームス』だ」 記者会見に登壇した、トヨタの豊田章男社長はそう記者に語りかけた。 トヨタが作る街の名前は「Woven City」。トヨタが織機製造からスタートしたことをうけて「織物(Woven)」の名を冠した。街の場所は東富士。2020年末に閉鎖予定のトヨタ自動車東日本・東富士工場(静岡県裾野市)の跡地を使い、最終的には約70.8万平方メートルの土地を使う。 Woven Cityの特徴は、電気で動く自動運転車の利用が前提となっていることだ。トヨタがソフトバンクなどと組んで開発中の自動運転車「e-Palette」を活用し、「速度の速い自動運転車が走る道」「電動キックボードや人が一緒に動くプロムナード」「歩行者専用の歩道」という3種類の道が入り交じるような構造になるという。基本的にはゼロエミッション・カーボンニュートラルな街をめざし、建物も木製が基本。屋根には太陽電池が設けられる。生活インフラとしての電線や燃料電池による発電施設などは地下に設置され、外からは見えない。 デザインを担当するのは、建築家ビャルケ・インゲルスが率いるBjarke Ingels Group(BIG)。イーロン・マスクとともに、火星移住計画用の都市設計やチューブ状の高速移動システム「ハイパーループ」を検討したことでも知られる。富士の裾野に未来的な都市を作るなら、うってつけのパートナーといえる』、「東富士工場の跡地」利用とは上手い手だ。
・『スマートシティを作る理由とは  トヨタは2021年からWoven Cityの建設に着工。当初はトヨタ社員や研究者を中心に、2000名が暮らす街の開発を目指す。 こうした都市づくりは俗に「スマートシティ」と呼ばれる。取り組みとしてはそこまで珍しいものではない。地方自治体などが取り組む例が多いのだが、日本でもパナソニックが神奈川県藤沢市・横浜市綱島、大阪府吹田市などと共同で進めている。 ただ、それらとトヨタのWoven Cityでは、性質が異なる部分がある。トヨタが自社の敷地内に、まず自社関係者を集めて作る「実験都市」でもある、ということだ。パートナーは「オープンに募る」(豊田社長)とはいうものの、トヨタの敷地でトヨタの技術とアイデアを使って作っていくため、スマートシティよりもトヨタ1社の考えが強く押し出されている。 また、既存の都市をスマート化するのではなく、1から作るため、より大胆に「自動運転車があることを前提とした街」を作り上げることができる。非常に夢のある壮大な計画だ。 しかし、夢がある壮大な計画であるがゆえに、具体性に欠ける部分がある。2021年着工とされているが、いつまでにどういう計画で作っていくのか、という情報は公開されていない。かかる予算も、技術的な課題に対する答えも示されていない。なにより、この街を作ったからといって、トヨタが直接的に儲かる仕組みにはなっていない』、「1から作るため、より大胆に「自動運転車があることを前提とした街」を作り上げることができる」、早く具体的な「計画」を知りたいものだ。
・『自動車の未来を「自ら作ってみせる」  それでは、なぜトヨタは、このような街を作るのだろうか? 答えは、豊田社長の、次の言葉にある。 「我々は誰も、自動車の未来を占う水晶玉はもっていない」 自動運転が自動車の未来であることは、関係者の多くが認めることだ。だが、「実際に自動運転車が多数、あたりまえのように走っている街」がどのようになるのか、ちゃんと予測できている人はいない。やってみなければわからない部分が多すぎる。 トヨタは、2018年のCESで「e-Palette」という構想を発表した。自動運転車を作り、それをカーシェアリングや物流などに「サービス」として提供することで、単に自動車を売るのではない、「モビリティ(移動)をサービスとして提供する企業」への脱皮を宣言した。その後、ソフトバンクと組んで「モネ・テクノロジーズ」を設立、今年2020年には、e-Paletteの実車を街中で走らせる計画を持っている。 しかし、現状では、e-Paletteを実験として走らせるのがせいぜい。自動運転車を理想的に運行するには、街中にセンサーを張り巡らせて、人と車の情報を常に収集・活用する仕組みの存在が望ましい。自動車を売るのではなくサービスを売る、という新しいビジネスモデルを実現するには、まだまだハードルが多い。 こんな状況では、トヨタのビジョンを理解してもらうのも難しいし、ビジネスを具体化するための研究開発や試験も難しい。 だからこそトヨタは、「サービスとしての自動運転車が存在しうる街」を作ってしまうことで、その姿や可能性を、誰の目にもはっきりと見せようとしているのだ。 重要なのは、ここまで大胆なビジョンを、トヨタのような大企業がトップダウンで打ち出せているということだ。イーロン・マスクが同じことを言い出しても驚かないが、豊田章男社長が打ち出している、というのが面白い。具体性や実現性には疑問点が多いが、トヨタには、そうした懸念を「実証」で払拭していって欲しい。』、「「サービスとしての自動運転車が存在しうる街」を作ってしまうことで、その姿や可能性を、誰の目にもはっきりと見せようとしている」、狙いは理解できたが、「そうした懸念を「実証」で払拭」できるのかを注目したい。
タグ:自動運転社会への過渡期で損保会社は倫理観を問われる フォルクスワーゲンの方が先にもうからなくなる。だから私は、10年後にはフォルクスワーゲンはなくなっているか、中国の会社になっているか、どっちかだと思っている 日本の自動車業界はこの10年が勝負 自分が死ぬ車を誰が買うのでしょうね 「自動運転車は誰を犠牲にすべき?究極の思考実験「トロッコ問題」とは」 自動車の未来を「自ら作ってみせる」 トヨタなどはハイブリッドの仲間を増やして電気自動車への移行を遅らせつつ、一方で「MaaS」などへの対応も着々と進めているのではないか EV普及まで日本メーカー優位は保たれる 使ってわかる、「やっぱり高級車っていい」 1から作るため、より大胆に「自動運転車があることを前提とした街」を作り上げることができる。非常に夢のある壮大な計画だ 世界規模の調査 社会的合意を得られる判断が国によって大きく違うことが浮き彫りになった。日本は世界平均と比べ、歩行者、法令順守、不作為(ハンドルを切ることで被害者を選ばない)を優先する傾向が強い。中南米では、社会的地位の高さ、子ども、女性の優先度が高い。欧米は不作為の傾向が強かった スマートシティを作る理由とは 東富士工場の跡地 ダイヤモンド・オンライン 富士の裾野に「自動運転のための街」を作る 「なぜトヨタは富士にイチから「自動運転実験都市」を作らなければならないのか 豊田章男社長がラスベガスで語った真意」 日本ではまだ、国もメーカーも誰も結論を出していません。たぶん結論は出ないです。哲学は「これが正解」という世界ではありません。「議論する」ということ自体が恐らく正解なのではないでしょうか 文春オンライン 西田 宗千佳 トロッコ(トロリー)問題 緊急時のハンドル操作を予めプログラムできるのか 10年後、VWは中国の会社になっている? トヨタは人工知能に投資したり、「イーパレット」の構想を打ち出したりして下流を取ろうとしている。さらに、上流を取るために、ハイブリッドの技術を開放して、システムサプライヤーみたいなことをやろうとしている 人間には所有欲と使用欲があって、使用すればするほど、所有欲が高まる 「ポルシェ」みたいな豪華なクルマは所有するためのクルマとして残るんじゃないでしょうか 日経ビジネスオンライン 鈴木裕人 サービスとしての自動運転車が存在しうる街」を作ってしまうことで、その姿や可能性を、誰の目にもはっきりと見せようとしている 中島宏 ダイムラーは宣伝の一環でカーシェアを活用 「入山章栄・安田洋祐の業界未来図鑑」 「[議論]トヨタは10年後も世界のリーダーでいられるか  File 3 「自動運転業界」(第4回)」 個人の嗜好にかかわるものなので、みんなが自家用車でもないし、みんながサービス利用でもない。持ち家比率に近いところに収まるんじゃないか (その4)([議論]トヨタは10年後も世界のリーダーでいられるか  File 3 「自動運転業界」(第4回)、自動運転車は誰を犠牲にすべき?究極の思考実験「トロッコ問題」とは、なぜトヨタは富士にイチから「自動運転実験都市」を作らなければならないのか) 自動運転
nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感

EC(電子商取引)(その5)(アマゾンの納税額が楽天より圧倒的に低い理由 ITの巨人に長く根付く「フリーライダー」精神、楽天に怒りの鉄拳…公取委員長が「三木谷社長の横暴を許さない」ワケ これはプラットフォーマーへの警告だ、楽天が8年ぶりの最終赤字 「送料無料」の裏にあった誤算) [産業動向]

EC(電子商取引)については、昨年10月14日に取上げた。今日は、(その5)(アマゾンの納税額が楽天より圧倒的に低い理由 ITの巨人に長く根付く「フリーライダー」精神、楽天に怒りの鉄拳…公取委員長が「三木谷社長の横暴を許さない」ワケ これはプラットフォーマーへの警告だ、楽天が8年ぶりの最終赤字 「送料無料」の裏にあった誤算)である。

先ずは、 ジャーナリストの横田 増生氏が昨年11月11日付け東洋経済オンラインに掲載した「アマゾンの納税額が楽天より圧倒的に低い理由 ITの巨人に長く根付く「フリーライダー」精神」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/308929
・『日本の大手企業、楽天や高島屋と比べて、アマゾンの「納税額」は極端に低い。インターネット通販サイトの雄として世界中を席巻する大企業にもかかわらず、それはなぜか? ジャーナリストの横田増生がアマゾンのさまざまな現場に忍び込み、「巨大企業の光と影」を明らかにした『潜入ルポ amazon帝国』から一部抜粋してお届けする。 2000年に日本で業務を開始したアマゾンジャパンが、日本でいくら納税したかがわかる年が1年だけある。2014年だ。 官報に、アマゾンジャパン株式会社とアマゾンジャパン・ロジスティクス株式会社の2014年12月期の決算公告が発表されている。 アマゾンジャパン株式会社の売上高は316億円強で、法人税が4億5000万円強。さらに、アマゾンジャパン・ロジスティクス株式会社の売上高は582億円で、法人税が6億円強。2社を合計すると、売上高が899億円強で、法人税が約10億8000万円──となる』、日本の道路などのインフラをさんざん使っておきながら、「法人税が約10億8000万円」とは納得がいかない。
・『なぜ「アマゾンの納税額」は少ない?  ここで、「おやっ!?ちょっと変だぞ」と気づいた方もいるだろう。「アマゾンの日本での売上高が、900億円弱というのは、数字が一桁少ないんじゃないのか」と。そう思った人は、かなりのアマゾン通である。 米アマゾンが発表する年次報告書によると、2014年の日本での売上高は79億1200万ドル(8700億円)と記載されている。米アマゾンの年次報告書の記載と比べると、決算公告に記載された売上高は、ほぼ10分の1に減少している。 法人税などの税金は、売上高から販売管理費などの諸経費を引いて最後に残った税引き前利益にかかるものだから、売上高が低くなれば、その分純利益も低くなり、納税額も低くなる。 アマゾンの年次報告書によると、8700億円の売上高を上げている日本において、納税額が10億8000万円に過ぎないというのだ。 単純計算とはいえ、売上高が8700億円となると、法人税額が、100億円を超える可能性もある。実際、同じような売上規模の小売業者である高島屋の法人税はこの年、136億円強に上る。また、日本の同業者である楽天は、同年の売上高は5985億円で税引き前利益が1042億円に対し、法人税は331億円を支払っている。 同業者の楽天と比べるとわかりやすい。楽天が、330億円を超える法人税を納税し、一方、アマゾンは10億円強の法人税を納税する。その差は320億円。アマゾンは、その差額を新しい事業の開発費用や、現行サービスの値引きの原資、さらには従業員の給与の支払いなどに使えるのだから、圧倒的に有利な条件で事業運営を進めることができる・・・』、「売上高は、ほぼ10分の1に減少」、驚いくべきマジックだ。「アマゾンは・・・圧倒的に有利な条件で事業運営を進めることができる」、これでは楽天などの日本勢は勝負にならない。
・『アマゾンが使う「巧妙なトリック」  アマゾンジャパンが決算公告で発表している899億円と、米アマゾンが年次報告書で発表している8700億円の差異はどうやって生まれるのか。 財務省出身で、現在は東京財団で研究主幹を務める森信茂樹はこう話す。 「アメリカ本社と日本法人の間におけるアマゾンの税制のスキームは、コミッショネア契約と呼ばれています。コミッショネア契約とは、本来なら、アマゾン本社が行う日本国内での物流業務などの補助的な業務を日本法人が代行することに対し、アマゾン本社が日本法人に委託手数料を支払うという意味です。仮にアメリカ本社が日本法人に全売上高の10%を手数料として払っているとすると、決算公告と年次報告書の差額が説明できます。このスキームを使えば、日本法人の売上高と法人税を大きく圧縮できます」 アマゾンのような国際企業から税金を正しく徴収するには、国税庁が、その企業が各国にどのような拠点があり、どんな機能があり、その拠点や機能によってどれだけの収益を上げているのかを、正確に把握する必要がある。しかも、そうした情報を得たうえで、他国の徴税機関、この場合、アメリカのIRS(内国歳入庁)との交渉に打ち勝つ必要がある。 さらに厄介なのは、アマゾンのような国際企業にとって決算数字の付け替えは、いかようにもできるという点だ。アメリカ本社に集めた日本からの知的財産の使用料を、アメリカ国内の租税回避地である、デラウェア州などで処理されれば、低額の納税で済ませることができる。 その実態は、アマゾンと各国の税務担当局のみが知りえる。その実態は守秘義務に守られ、その詳細が外部に流出することはない。 アマゾンジャパンの租税回避について、追及した国会議員が1人いる。自民党の参議院議員である三原じゅん子だ。2014年3月と2015年3月の参議院予算委員会で、この問題について質問している。 「(アマゾンジャパンは)日本でのシステム運営と顧客サービスを担当しているにすぎないのであって、販売を行っているわけではない、販売しているのはあくまでもアメリカ法人であるから法人税はアメリカに支払うというものです。これはアマゾンの領収書でも確認することができます。/国税庁に伺います。アマゾンのわが国での売り上げと納税額を教えてください」(2014年3月19日の予算委員会議事録) それに対する国税庁の答えは、「アマゾンの日本における売上額と納税額について御下問ありましたけれども、申し訳ありません、個別の事項についてはお答えを差し控えさせていただきたいと存じます」というものだった』、「コミッショネア契約」を認めれば、アマゾンの好き放題に租税回避できることになる。「三原じゅん子」参議院議員もたまにはいいことを質問したようだ。しかし、「国税庁」の守秘義務の壁に阻まれたのは残念だ。
・『「税金対策のプロ」を80人そろえる  租税回避という言葉がある。アマゾンなどの国際IT企業が、世界中に遍在するタックス・ヘイブンという低課税地域や、各国の税法の抜け穴などを巧妙に組み合わせ、納税額を少しでも減らそうとする節税手段だ。そうした国際IT企業などでは、百人前後の大人数の税制度の専門家をスタッフとして抱え、租税回避へと邁進する。 『ジェフ・ベゾス果てなき野望』によると、米アマゾンにも80人からなる税金対策部がある。会計や法律の専門家である彼らは、その知識を駆使し、アマゾンが払う税金が少しでも安くなるように知恵を絞り、その見返りとして高額の給与を手にする。 租税回避は、違法行為である脱税とは違い、一応、法律の条件は満たしているのだが、その目的は、各国の税制に従って正しく納税するということではなく、各国の税制の抜け穴を積極的に探し、合法的に納税を逃れることに全力を尽くすことにある。) 租税回避が違法でないのなら、なぜここで取り上げる必要があるのか。租税回避と脱税とは紙一重であり、金融機関や会計事務所、コンサルタントが生み出した複雑怪奇なスキームを使って、納税額を法律の枠で認められたぎりぎり最小限に押し込める。 しかし、租税回避や節税、脱税の境界は極めてあいまいであり、所得や利益を海外にあるタックス・ヘイブンに逃がし、本来なら、納めるべき税金を払わないで済ませているのがアマゾンを含むGAFAに代表される国際企業なのだ。 そうした国際企業が応分の税金を支払うことから逃れるツケを負わされているのが、中所得や低所得の市民である。タックス・ヘイブンなどを舞台とした租税回避によって、富める企業はますます富み、貧する者はますます貧するという負の構図が生まれているからだ(志賀櫻著『タックス・ヘイブン』)』、「国際企業が応分の税金を支払うことから逃れるツケを負わされているのが、中所得や低所得の市民である」、由々しいことだ。ただ、GAFAの「租税回避」については、経済協力開発機構 (OECD)でも議論されているようだ。
・『強く根付く「フリーライダーのDNA」  アマゾンの租税回避を知るうえで大切なのは、この考え方が、アマゾンのDNAに深く刻み込まれている、ということだ。税金によって作られる道路や上下水道、病院などの社会インフラを活用しながらも、あらゆる手を使って納税額を最小限に抑え、その分を事業発展に使うという“フリーライダー(ただ乗り)”のDNAだ。 ベゾスが繰り返し語るアマゾン誕生物語では、ウォール街の金融機関を辞めてアマゾンを起こそうと思ったベゾスが、祖父の自宅のあったテキサス州で車を借り、マッケンジーがハンドルを握り、助手席でベゾスが事業計画書を書きながら、西へと向かった。そして、マイクロソフトなどの本社などがあるため優秀なIT人材が豊富で、書籍の取次の大型倉庫にも近いという理由でワシントン州シアトルを創業の地に選んだ──ことになっている。 しかし、1996年の米ネットメディア《Fast Company》でのインタビューで、創業の地をシアトルに選んだ理由を尋ねられ、ベゾスは税金対策のためだったと答えている。 私の知る限り、ベゾスがアマゾンの税金対策について率直に語った唯一の機会である。 まだ株式を上場したばかりのこのころ、後年にアマゾンの租税回避の問題が、アメリカ国内だけでなく、世界各国を巻き込んだ大問題に発展するなど、ベゾス自身も想像していなかったため、警戒感が薄く、うっかり口を滑らせてしまったのだろうか。しかし、このネット時代、過去の発言の多くは、時間を経てもネット上に残り簡単に手に入れることができる。 先のインタビューで、ベゾスはこう話している。「奇妙に聞こえるかもしれませんが、ネット書店をどこで始めるかというのは大変重要な問題でした。〈中略〉それは、人口の少ない州でないといけませんでした。ネット通販の場合、売上税(消費税)は、本社を置いている州の住民だけにかけられるからです。人口の多い、カリフォルニアやニューヨーク州で事業を始めるのは馬鹿げています。 〈中略〉私はまた、サンフランシスコの近くにある先住民の居留地にアマゾンの本社を置くことはできないか、という可能性も探りました。そうすれば、税金をまったく払わずに事業ができるからです。けれど、不幸なことに、この計画はカリフォルニア州当局が受け入れませんでした」 アメリカの売上税とは日本の消費税にあたる。両者の最大の違いは、日本の消費税が国税であるのに対し、アメリカの売上税が州や市などに払う地方税であることだ。ネット立ち上げの1990年代当時は、法律上、ネット企業が売上税を課税しなければならないのは、本社や物流センターなどがある一部の州だけでよかった。つまり、アマゾンの場合、ワシントン州民の利用者だけが、商品代金に売上税を載せた金額を支払うことになった。 ワシントン州の人口は589万人。アメリカで最も人口の多いカリフォルニア州の3387万人と比べると、5分の1の人口であり、アメリカの全人口である2億8000万人強と比べると、全体の約2%という取るに足らない数字だ。だから、ワシントン州を創業の地に選んだというのだ。(筆者注・いずれも2000年の国勢調査の数字) ベゾスは創業時の1994年7月、《カダブラ社》として、ワシントン州シアトルを本社として法人登録をする。しかし、その後で社名をアマゾン・ドット・コムと変え、1996年6月に再登記するとき、アメリカの中でもタックス・ヘイブン(租税回避)の地として悪名高いデラウェア州を本社に選んでいる。会社の本社機能はワシントン州シアトルに置くが、税制などの法律で使われる本社の住所はデラウェア州となる。 本社をデラウェア州に置くなら、州の人口数の多寡は関係がなくなる。デラウェア州は今日まで、売上税を課税しなくていい数少ない州の1つなのだから』、「アマゾンの租税回避」は創業時から徹底していたようだ。
・『先住民居留地の利用さえ辞さない  売上税の回避の考え方以上に驚くべきことは、ベゾスがインタビューの後半で語る部分である。 アマゾンを創業するのに、税金がかからないという理由で先住民居留地に本社を置こう、とベゾスは試みている。 正攻法のビジネスとは、大きくかけ離れた裏技、いや寝技である。なりふり構わぬ節税方法だ。先住民居留地のビジネスに税金がかからないのは、歴史的に差別されてきた先住民を雇うことに対する見返りだ。しかし、私の知る限り、ベゾスがアメリカ先住民だけを従業員としてアマゾンを創業するという事業計画を書いたという事実はない。だからこそ、カリフォルニア州政府がそのベゾスの提案を拒否したのだろう。 重要なことは、そんな奇策を弄してまで、ベゾスがアマゾン設立以前から、言い換えれば今のような国際的なIT企業になるはるか前から、租税回避に心血を注いできたという事実だ』、「先住民居留地のビジネス」の特例を当局から拒否されたのは当然だが、「なりふり構わぬ節税方法」にここまで血道を上げるとは驚かされた。なお、最近の「アマゾン」の日本での納税については、第二の記事を読んでほしい。

次に、ジャーナリストの伊藤 博敏氏が2月13日付け現代ビジネスに掲載した「楽天に怒りの鉄拳…公取委員長が「三木谷社長の横暴を許さない」ワケ これはプラットフォーマーへの警告だ」を紹介しよう。
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/70398
・『楽天VS公取委の構図  公正取引委員会は、2月10日、インターネット通販サイト「楽天市場」を運営する楽天に対し、独占禁止法違反(優越的地位の乱用)の疑いで立ち入り検査に入った。 強制調査権を持つ怖い役所ながら、普段はソフトな印象の公取委だが、楽天に対する判断は迅速、かつ積極的だ。背景には杉本和行委員長の「プラットフォーマーの横暴を許してはならない」という強い意志がある。 楽天VS公取委の構図を読み取りたい。 楽天が、3月18日から実施を公言している「3980円以上の送料無料」というプランの導入に対し、出店者の集まりである「楽天ユニオン」は、1月22日、独禁法違反の調査を求める署名を提出した。 それを受けて公取委は、1月28日、出店者から事情を聞くなど調査を開始した。だが、楽天は意に介さなかった。 翌29日、楽天の出店者などを集めた「楽天カンファレンス2020」で、三木谷浩史会長兼社長は「たとえ政府や公取委と対峙しようとも必ず実行する」と、ぶち上げた。 公取委に対する挑戦状である』、「三木谷浩史会長兼社長」の決意は並々ならぬものがありそうだ。
・『強行突破を図るという確信犯  これに対し、2月5日の定例会見で杉本委員長は、「疑いがあれば調査し、違反があれば厳正に対処する」と述べたものの、三木谷氏の好戦的な態度については、「売り言葉に買い言葉というわけにはいかない」と、述べるにとどめた。 だが、腹のなかは別だった。 楽天は、「送料無料」が独禁法に抵触するかどうかを、昨年、公取委に打診、12月までに「優越的地位の乱用の恐れがある」という回答を得ていた。 だが、強行突破を図るという確信犯。違反行為を阻止するためには、早期着手で、実施までに何らかの措置を講ずる必要があった。 筆者は、楽天ユニオンの中核メンバーから話を聞き、本サイトで<傲慢な時代錯誤経営でアマゾンに勝てるか>と配信、三木谷氏を批判した。 三木谷氏の未来を切り開くベンチャー・スピリットと、ネット通販を日本に根付かせ、IT社会を構築した功績を否定するものではない。 既得権益層に反発、規制緩和を訴えて新経済連盟を立ちあげ、「役人にビジネスの何がわかる」と言ってのけるのだから性根は据わっている』、一般的には波風を立てないようする経営者が殆どのなかで、「「役人にビジネスの何がわかる」と言ってのける」「性根は据わっている」のは確かだ。
・『プラットフォーマーへの警告  だが、GAFA(グーグル、アップル、フェイスブック、アマゾン)に代表される巨大プラットフォーマーが、二極化を進めて、世界の人々を追い詰めており、その対抗策が国家の役割で、国民(利用者)も反撃を始めている、という時代認識に欠ける。 杉本委員長は、昨年8月に上梓した『デジタル時代の競争政策』(日本経済新聞出版社)のなかで、プラットフォーマーに次のような警告を与えている。 <プラットフォーマーが自らの支配的地位を濫用し、消費者や取引先事業者に不当な不利益を課すことにより、公正な競争を歪めたり、自らの競争者となるおそれのある新規参入者を不当に排除するなど自由な競争を妨げる行為が見られる場合には、競争政策上看過できないことになる> 有無をいわさずに規約を変え、罰金制度を設け、楽天ペイを強要、アフィリエイト課金を最大8%に引き上げ、そして送料を、事実上、出店者の負担にする――。 その優越的地位の乱用に値((注:正しくは「音」)を上げ、「送料無料」が最後の一押しとなって楽天ユニオンは結成され、杉本委員長はその訴えを取り上げた。 これは三木谷氏が暗示する「役所の横暴」ではないし、楽天が10日に発表した「法令上の問題はないと考えている」というレベルの話ではない。 もっと根源からの変化を促すものだ』、「三木谷氏」は一体どうしたのだろう。
・『パラサイトの時代は脱出不可能  今年のアカデミー賞は、韓国映画『パラサイト 半地下の家族』が、英語以外の作品としては、初めて作品賞を受賞した。 全員失業中の半地下の家族と、高台の豪邸に住むIT企業社長の一家。監督賞も受賞したポン・ジュノ監督のテーマは、前作『スノーピアサー』も含めて、底辺の人々が直面する社会システムへの怒りとその破壊である。 ユーモアを交えた格差社会への怒りが、観客の共感に繋がり、凄惨な結末を納得させる。それが世界共通の思いであることをアカデミー賞受賞は伝える。 高台の豪邸と底辺の暮らしの二極化は、かつても映画のテーマであり、57年前には巨匠・黒澤明監督が『天国と地獄』で描いている。山崎努が演じる医学生は、谷底の街から高台に住む三船敏郎が演じる企業経営者を憎み、息子の誘拐に及ぶ。 ただ、この時代の二極化は、その後の高度経済成長によって多くの中産階級を生み、大量消費時代となって解消された。だが、パラサイトの時代は脱出のしようがない。 なかでも、巨大プラットフォーマーは無料サービスの対価として得た個人情報を利用、電子商取引に生かすだけでなく、利用者に好みの衣食住環境を提供、銀行、証券、保険といった金融サービスはもちろん、医療、教育などあらゆる分野をプラットフォーム上で賄えるようにする。 プラットフォーマーの持つ権力と影響力は国家並みに強大で、それに対抗できるのは国家しかない。 だから世界が、GAFA対策に奔走、GAFAもかつての傲慢な姿勢を修正、日本でもアマゾンは、出店者の1%ポイント負担を撤回、売上高を国内法人に計上、日本での納税に切り替えた。 三木谷氏はそうした動きに逆行、出店者に負担を強いて公取委にケンカを売った。それはオーナーでワンマンの三木谷氏の判断である。 文句をつけることはできないが、「国家とのケンカ」は、顧客や民衆の賛同を得て、始めて勝利する過酷なものだ。 国家に戦いを挑み、仮に勝利したとしても待ち構えるのは時価総額で100倍規模のアマゾン。5万の出店者の支持なしに、アマゾンと同じ土俵で戦って、どんな勝算があるのだろうか』、「アマゾンは、出店者の1%ポイント負担を撤回、売上高を国内法人に計上、日本での納税に切り替えた」、「そうした動きに逆行、出店者に負担を強いて公取委にケンカを売った」、とは「三木谷氏」は信じられないほど傲慢になったようだ。

第三に、ジャーナリストの森岡 英樹氏が2月27日付け文春オンラインに掲載した「楽天が8年ぶりの最終赤字 「送料無料」の裏にあった誤算」を紹介しよう。
https://bunshun.jp/articles/-/35890
・『楽天の三木谷浩史会長兼社長は2月13日の決算会見で、ネット通販サイト「楽天市場」の送料無料化を予定通り3月18日から実施すると発表した。 楽天関係者が明かす。「実は幹部は揃って送料無料化に反対していたのですが、三木谷社長は何を言っても聞かず、『とにかくやる』と周囲の反発を撥ねつけた。2000円以上で送料無料を原則としているアマゾンに対抗するために、強行したのです」 昨年8月、楽天は規約を変更し、1店舗で税込み3980円以上を購入した場合、出店者側の負担で一律送料無料にすると発表。出店者が抗議し、今年2月10日に公正取引委員会が楽天に立入検査に入る事態に。 「アマゾンは自社で物流システムを構築し、在庫管理を行っています。一方の楽天はネット上の場所を貸しているだけなのに、有無を言わさず規約を変えたり、楽天銀行への振り込みを強要するなど、強引なやり方に出店者から批判が高まっています」(ITアナリスト) 強気な姿勢の裏で、楽天は昨年12月、独占禁止法に抵触するかどうかを公取委に相談していた。その際、公取委から「優越的地位の乱用のおそれがある」という回答を得ていたのである。 公取委に喧嘩を売ってまで、なぜ強引に進めるのか』、「実は幹部は揃って送料無料化に反対していたのですが、三木谷社長は何を言っても聞かず、『とにかくやる』と周囲の反発を撥ねつけた」、ワンマンの極致だ。
・『第4のキャリアの誤算とは?  その背景には、三木谷氏が「アポロ計画」とぶち上げた第4のキャリア(携帯電話会社)での誤算がある。本格サービスの開始は当初の昨年10月からずれ込み、今年4月を予定している。 「楽天は4G対応の通信ネットワークの構築を急いでいるが、基地局の設置数は携帯各社が20万局規模なのに対し、3月末で4400局にとどく程度。東名阪以外はKDDIのネットワークを借用している」(同前) 他方、携帯各社は4Gよりも100倍速く、1000倍容量が大きくなる5Gへの移行を3月から開始する予定だ。楽天の出遅れ感は否めない。 楽天の2019年12月期決算は、8年ぶりに最終損益が約319億円の赤字に転落した。 「米配車サービスのリフトを減損したのは、これまでのM&Aのツケが出てきたことのあらわれでしょう。フリーキャッシュフローは320億円あり、当座の懸念はないが、物流整備に2000億、通信事業に6000億と投資が集中し、財務を圧迫することになる。こうした投資を継続するため、売上増の即効性がある送料無料を打ち出さざるを得なかったのです」(金融機関幹部) 三木谷氏は「5万店舗を載せた楽天という船が荒波を乗り切るにはこれしかないという思いだ」と強調するが、船から乗組員が下りれば元も子もない』、「こうした(4G対応の通信ネットワークの構築)投資を継続するため、売上増の即効性がある送料無料を打ち出さざるを得なかった」、苦しまぎれに強硬突破を図ろうとしているようだが、失敗した場合のシナリオはあるのだろうか。2月29日付け日経新聞は「「楽天に緊急停止命令を」 送料問題 公取委、地裁に申し立て」と伝えた。「地裁」の判断によるとはいえ、「申し立て」は受理される可能性が高いと思われる。さあ、「三木谷氏」どうする。
タグ:2014年 追及した国会議員 携帯各社は4Gよりも100倍速く、1000倍容量が大きくなる5Gへの移行を3月から開始する予定だ。楽天の出遅れ感は否めない 三原じゅん子 東洋経済オンライン 4G対応の通信ネットワークの構築を急いでいる 横田 増生 アマゾンは、出店者の1%ポイント負担を撤回、売上高を国内法人に計上、日本での納税に切り替えた そうした動きに逆行、出店者に負担を強いて公取委にケンカを売った 米アマゾンの年次報告書の記載と比べると、決算公告に記載された売上高は、ほぼ10分の1に減少している 森岡 英樹 第4のキャリアの誤算とは? (その5)(アマゾンの納税額が楽天より圧倒的に低い理由 ITの巨人に長く根付く「フリーライダー」精神、楽天に怒りの鉄拳…公取委員長が「三木谷社長の横暴を許さない」ワケ これはプラットフォーマーへの警告だ、楽天が8年ぶりの最終赤字 「送料無料」の裏にあった誤算) 「楽天が8年ぶりの最終赤字 「送料無料」の裏にあった誤算」 強く根付く「フリーライダーのDNA」 年次報告書によると、8700億円の売上高を上げている日本において、納税額が10億8000万円に過ぎない 強行突破を図るという確信犯 「役人にビジネスの何がわかる」 先住民居留地の利用さえ辞さない 三木谷浩史会長兼社長は「たとえ政府や公取委と対峙しようとも必ず実行する」と、ぶち上げた (電子商取引) 独禁法違反の調査を求める署名を提出 「3980円以上の送料無料」 なぜ「アマゾンの納税額」は少ない? 「楽天ユニオン」 「「楽天に緊急停止命令を」 送料問題 公取委、地裁に申し立て」 こうした投資を継続するため、売上増の即効性がある送料無料を打ち出さざるを得なかったのです 2019年12月期決算は、8年ぶりに最終損益が約319億円の赤字に転落 文春オンライン 杉本和行委員長の「プラットフォーマーの横暴を許してはならない」という強い意志 独占禁止法違反(優越的地位の乱用)の疑いで立ち入り検査 楽天VS公取委の構図 「楽天に怒りの鉄拳…公取委員長が「三木谷社長の横暴を許さない」ワケ これはプラットフォーマーへの警告だ」 現代ビジネス 伊藤 博敏 国際企業が応分の税金を支払うことから逃れるツケを負わされているのが、中所得や低所得の市民である 租税回避や節税、脱税の境界は極めてあいまいであり、所得や利益を海外にあるタックス・ヘイブンに逃がし、本来なら、納めるべき税金を払わないで済ませているのがアマゾンを含むGAFAに代表される国際企業なのだ 「税金対策のプロ」を80人そろえる 本来なら、アマゾン本社が行う日本国内での物流業務などの補助的な業務を日本法人が代行することに対し、アマゾン本社が日本法人に委託手数料を支払う 個別の事項についてはお答えを差し控えさせていただきたい 国税庁の答えは アメリカ本社に集めた日本からの知的財産の使用料を、アメリカ国内の租税回避地である、デラウェア州などで処理されれば、低額の納税で済ませることができる アマゾンが使う「巧妙なトリック」 アマゾンは、その差額を新しい事業の開発費用や、現行サービスの値引きの原資、さらには従業員の給与の支払いなどに使えるのだから、圧倒的に有利な条件で事業運営を進めることができる 楽天は、同年の売上高は5985億円で税引き前利益が1042億円に対し、法人税は331億円 日経新聞 売上高が899億円強で、法人税が約10億8000万円 コミッショネア契約 アマゾンのような国際企業にとって決算数字の付け替えは、いかようにもできる パラサイトの時代は脱出不可能 EC このスキームを使えば、日本法人の売上高と法人税を大きく圧縮できます 「アマゾンの納税額が楽天より圧倒的に低い理由 ITの巨人に長く根付く「フリーライダー」精神」 「実は幹部は揃って送料無料化に反対していたのですが、三木谷社長は何を言っても聞かず、『とにかくやる』と周囲の反発を撥ねつけた プラットフォーマーへの警告 『潜入ルポ amazon帝国』
nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感

医薬品(製薬業)(その4)(新型肺炎の治療薬・ワクチン開発で日本企業の影が薄い理由、なぜ日本は世界一の「薬剤師パラダイス」になったのか その「ツケ」を払っているのは消費者、市販薬の「大量服用」に依存する人の切実な実態 販売規制や啓蒙教育だけでは防止できない) [産業動向]

医薬品(製薬業)については、1月26日に取上げたばかりだが、今日は、(その4)(新型肺炎の治療薬・ワクチン開発で日本企業の影が薄い理由、なぜ日本は世界一の「薬剤師パラダイス」になったのか その「ツケ」を払っているのは消費者、市販薬の「大量服用」に依存する人の切実な実態 販売規制や啓蒙教育だけでは防止できない)である。

先ずは、2月28日付けダイヤモンド・オンライン「新型肺炎の治療薬・ワクチン開発で日本企業の影が薄い理由」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/230223
・『新型コロナウイルスによる肺炎が日本でも猛威を振るい始めているが、治療薬やワクチンの開発では海外製薬会社ばかりが目立ち、国内製薬会社は存在感に乏しい。なぜなのか。 新型コロナウイルスによる肺炎(新型肺炎)が世界で猛威を振るい、日本でも各地で感染者が続出している。そこで世界中で期待されているのは新型肺炎の治療薬や、重症化を予防するワクチンの登場だ。 新薬開発で注目の製薬会社は米ギリアド・サイエンシズ、アッヴィ、ジョンソン・エンド・ジョンソン、英グラクソ・スミスクラインなど海外勢が目立ち、日本勢の影は薄い(下表を参照)。世界中で新薬の研究開発能力があるのは、先進国の一部企業だけなのにもかかわらず、だ。 基本的なところから説明すると、国内の製薬会社には、「注力分野」がある。新薬開発にかかる費用が膨大なため、経営資源を集中させているのだ。 ワクチンといえば武田薬品工業、第一三共、BIKEN(田辺三菱製薬が33.4%出資)、明治ホールディングスなど。感染症分野の治療薬といえば、塩野義製薬などの会社名が挙がる。 新薬開発を表明しないことに対する不満をこれらの企業にぶつけることはたやすい。だが製薬会社の多くは株主利益の最大化を図る上場企業。複数の業界関係者に取材すると、過熱する報道を尻目に驚くほど冷静で、現状は、「ビジネスとしてシビアに見ている」というのが本音のようだ』、彼らがそう判断したのであれば、残念ながらやむを得ない。
・『製薬は“ビジネス”  まずもって、感染症は「流行」があるため、治療薬やワクチンの開発(通常数年~十数年)が完了した頃には流行が終息している可能性が高い。いざ上市の段階になって「ほとんど売れない」となれば、製薬会社は当然、研究開発費を回収できない。そもそも治験段階で必要な感染者が集まらず、開発断念という“リスク”すらある。 また感染者数も製薬会社がもろ手を挙げて開発に取り組みたいほど多くはない。感染者数は露骨に言えば、製薬会社にとっての「客数」。2月25日時点で中国が約8万人、日本はクルーズ船を含めて約900人。「潜在的な感染者数はもっと多い」との指摘はさておき、数字だけを見れば希少疾病(日本国内患者数が原則5万人未満)の部類だ。 さらに国の専門家会議によると、感染者のほとんどが無症状か軽症で、予想される新薬の使用頻度は相対的に低い。それでもCSR(企業の社会的責任)だと割り切って開発する手もあるが、「一企業で開発するには事があまりにも大きくなり過ぎた」(大手製薬会社)。 ワクチンに限れば、日本は「ワクチン後進国」といわれるほど接種に消極的な時代が続いた。それに伴い、日本勢が開発力に乏しいことも背景にあるようだ。 とはいえ、目の前の重症の感染者を救う必要性は論をまたない。 海外でも事情は似たり寄ったりのはずだが、よく見れば上表に登場する海外企業はチャレンジ精神が旺盛なベンチャーか研究開発費が潤沢なメガファーマ(巨大製薬会社)と両極端だ。「目立とうとファイティングポーズを取っただけの会社もあるのでは」と、国内の一部業界関係者は疑問視する。真偽は不明だが、実際に新型肺炎関連株として軒並みこれらの企業の株価は急伸している』、「日本は「ワクチン後進国」といわれるほど接種に消極的な時代が続いた」、とは初耳で、意外だ。「新型コロナウイルスによる肺炎」でも「希少疾病の部類」、にも驚かされた。「感染症は「流行」があるため、治療薬やワクチンの開発が完了した頃には流行が終息している可能性が高い」、これでは確かに難しそうだ。感染防止策を取った上で、あとは感染の終息をじっと待つ他なさそうだ。

次に、作家の猪瀬 直樹氏が1月31日付けPRESIDENT Onlineに掲載した「なぜ日本は世界一の「薬剤師パラダイス」になったのか その「ツケ」を払っているのは消費者」を紹介しよう。Qは聞き手の質問、Aは猪瀬氏の回答。
https://president.jp/articles/-/32580
・『大きな病院の門前には、同じような店構えの調剤薬局が並ぶ。なぜこうした風景が生まれたのか。『日本国・不安の研究 「医療・介護産業」のタブーに斬りこむ!』(PHP研究所)を出した作家の猪瀬直樹氏は「調剤薬局の青年がフェラーリを乗り回しているという話が取材の端緒だった」という――』、「調剤薬局の青年が・・・」をもっと具体的にみてみよう。
・『年間8兆円、薬局調剤医療費の不思議な仕組み  Q:『日本国・不安の研究』では、調剤薬局を切り口に、薬局調剤医療費(年間8兆円)の問題点を指摘しています。 A:国民医療費43兆円のうち、医科診療医療費が31兆円を占めています。8兆円の薬局調剤医療費はあまり目立たないのですが、きちんと精査する必要があります。厚生労働省が場当たり的に「医薬分業」を進めた結果、薬局調剤医療費……とくに1兆9000億円の調剤技術料をわれわれが負担しなければならなくなった。 Q:医師が薬の処方を、薬剤師が調剤を分担する「医薬分業」については明治期に遡さかのぼって解説していますね。 A:そもそも「医薬分業」自体は悪いことではないんです。欧米の先進国でも当たり前に行われています。日本では明治時代から「医薬分業」の必要性は訴えられていたものの、医師が収入源だった調剤権を手放さなかったために「医薬分業」が定着しなかった。 昔は医師が仕入れた薬を倍くらいの値段で、大量に処方していた。もちろん「薬漬け」「過剰投与」と批判された。医師だけが儲かる仕組みに対して、「それじゃまずいだろう」と厚生労働省は「医薬分業」へと舵を切った。 その結果、昔は当たり前だった病院内での処方が減りました。そして患者みんなが病院の外に並ぶ「門前薬局」で薬をもらうようになった。現在、病院内での処方は3割。残りの7割が病院外の薬局の処方されている』、「7割が病院外の薬局の処方」、一応、形の上では「医薬分業」がされたようだ。
・『医薬分業に潜む「政策コスト」  Q:そこだけ聞くと、医者が不当に儲けられなくなり、患者は適正な価格で薬をもらえるようになる気がするですが。 A:政策コストがかかりすぎて、そのコストをわれわれ利用者が払っているから問題なんです。政策コストとは、政策を実現するためにインセンティブを与える費用です。「医薬分業」で言えば、医師、病院から薬剤師、薬局に調剤業務を移行させための必要な費用です。 その政策コストの1つが、先ほど指摘した調剤技術料です。調べれば調べるほど、1兆9000億円の調剤技術料にどこまで合理的な根拠があるのか疑問がわいてくる。 一例ですが、高血圧、糖尿病、不眠、胃炎の70代の患者が28日分の薬を処方してもらったとします。病院内の場合は320円で済むのに、「門前薬局」に行くと3450円もかかる。 A:病院内で処方されるより10倍以上も高いとは驚きです。 それだけではありません。そのなかでも調剤料は、院内が90円に対し、院外が2400円。実に27倍ですよ。それに「お薬手帳」ってあるでしょう。あれも持っていても持っていなくても、380円かかる仕組みになっている。 結局、医師のボロ儲けを防ぐための「医薬分業」が、薬剤師がボロ儲けする構造になってしまった。 Q:なぜ是正しないのでしょうか A:それは大玉送りだからですよ』、「調剤技術料」など「調剤薬局」へのインセンティブが手厚過ぎたのだろうか。
・『根本的な見直しを怠り、既得権益が積み重なる  Q:大玉送りですか? A:運動会で、隊列を組んだ子どもたちが、両手を挙げて大きな玉を移動させていく競技があるでしょう。調剤医療費を巡る問題を先送りしていくさまが、まさに大玉送りなんです。 2、3年で担当が代わる役人が長期的なビジョンもなく「医薬分業」を実現するために少しずつ修正した。そして「医薬分業」を達成してみると、必要以上に政策コストがふくらんで調剤技術料が1兆9000億円になった。 付け加えるなら「門前薬局」の増加が、薬剤師の雇用を生んで、薬科大学の定員が大幅に増えた。私学薬学部の定員は1990年代と比較すると2倍になっています。また人口1人あたりの薬剤師の数は諸外国に比べても飛び抜けて多い。増え続ける薬剤師が食べていくためにも、高額な調剤技術料が必要になる。そうした産業構造がつくられてしまった』、確かに病院の前には「門前薬局」が乱立している。「薬学部の定員は1990年代と比較すると2倍になっています。また人口1人あたりの薬剤師の数は諸外国に比べても飛び抜けて多い」、「既得権益が積み重なる」、厚労省の怠慢だけでなく、政治献金を受け取っている政治家の責任も重大だ。
・『調剤薬局の若手経営者がフェラーリのお得意さん  Q:いつの間にか病院の前にたくさん並ぶようになった薬局の源泉は、私たちが無自覚に支払っていた薬局調剤医療費だった、ということですね。 風景の変化は、自覚的に見ていかないと気がつきませんからね。私にも「門前薬局」の風景に違和感を持つきっかけがありました。 数年前、散歩の途中で立ち寄ったフェラーリ販売店の店主と雑談していると、チャラチャラした若者が店員と立ち話している。とてもフェラーリに手が届く収入があるようには見えない普通の青年でした。不思議に思って、店主に「あの青年は、冷やかしなのかね」と尋ねると「お得意さんです」と答えた。 聞けば、調剤薬局の経営者だという。実を言えば、そのとき「チョウザイヤッキョク」が「調剤薬局」と結びつかなかったし、聞いたあとも、なぜ調剤薬局がフェラーリを買えるほど儲かるのか分からなかった。 Q:実際にそんなに儲かるのですか? A:たとえば、1人で門前薬局を開業したとして、月20日間店を開けて、1日30人患者がくるとしましょう。受け付けしただけで支払わなければならない調剤基本料、調剤の数によって算出される調剤料、お薬手帳の料金など、薬剤費を抜いた技術料だけで“3450円×30人×20日=207万円”。これを年収にすると2484万円。経費を抜いて年収1000万円だとしたら、フェラーリにも十分手が届く計算になる』、「調剤薬局の経営者」といっても、実際には複数の「調剤薬局」を経営しているのだろう。
・『問題の根っこを見るには歴史的な視点  Q:なるほど。フェラーリを買いにきた若者をきっかけに「医薬分業」の歴史をたどり、薬局調剤医療費を削減する提言にまでいきついたわけですね。 A:医療や介護問題に限らず、いまの日本では、歴史的な視点が政治家にも専門家にも失われてしまっている気がします。社会がディズニーランド化してしまったと言えばいいかな。歴史の流れを見ようとしなくなった。 精神医療にしても「医薬分業」にしても、近代以降の連続性を見ていかないと問題の根っこは見えてこない。そもそもわれわれが日本人という意識を持ったのは近代――明治以降ですから。物事の本質をつかむには、明治時代に日本という空間が誕生して、日本の近代がスタートした時点にまで立ち返るしかない』、「歴史的な視点」は確かに重要だ。
・『国民国家としての日本をどうするか  いま日本のIT業界の人たちが盛んに「電子国家」を掲げるエストニア詣をしているでしょう。エストニアは、公的サービスの99%が電子化され、24時間年中無休で利用でき、住民票などの変更も選挙も確定申告もパソコンやスマホでできるそうです。マイナンバーカードのようなIDカードが1枚あれば、免許証も健康保険証も、お薬手帳も必要ない。 でも、エストニアを礼賛する人たちには、近代への目線が欠けている。視点が軽いと言わざるをえません。 エストニアはスウェーデンやロシアから長い間、占領されていました。彼らはいつ領土が奪われるかもしれないという危機感がある。だから領土を奪われ、国民がちりぢりになっても国民と国の電子データさえあれば、国家を再建できるという考えから「電子国家」として存続していこうとしている。 私は国民国家とは、ある意味での会員制クラブのようだと考えているんです。会費を払えば、さまざまなサービスを受けられる。日本ではエストニアのような危機感は持ちにくいのはわかりますが、人口が減少し、高齢化が進むいま、国民国家を維持していく上で、ギリギリのところにきている。とくに問題なのが『日本国・不安の研究』で提示した医療・介護です。ここを早く解決しないと日本は取り返しがつかないことになる』、その通りだろう。
・『政治家や官僚は改革を実行できるのか  Q:『日本国・不安の研究』には増え続ける医療・介護費を消費者の利益に沿ってどのように削減していくか数々の提案が示されている。政治家や官僚は実行できるのでしょうか。 A:政治家が地元しか見ていないからです。道路公団民営化のときも同じことを感じました。政治家は自分の地元に道路を敷きたい。高速道路が通らなければ、地元が寂れてしまう。地元をないがしろにしたら選挙に勝てない……。その気持ちは分からなくはないのですが、本来、政治家は天下国家を論じるべき存在です。地元だけを見ていると、国家の観点がなくなってしまう。 期待できるとしたら政権ですが、安倍政権は権力を持ったけれど、なにもやらない。権力があり、本気になれば改革できるはずなんですよ。だって、小泉さんは信念を持って郵政民営化をやり遂げたでしょう。 一方、官僚は当局の政策を立案する役割をになう。ただし担当者が2、3年で異動していくから、目先のことしか見ていない。長期で俯瞰する視点を持たず、予算なら前年度比を参考にして考えることしかできない。だから道路にしても、医療にしてもコストだけがどんどんふくらんでしまう。 将来を見通す政治家と実務を行う官僚がうまく補完し合う関係であればいいんだけど、現実はそうなっていない。近い将来、長期的なビジョンを持つ政治家が厚生労働大臣になり、私が書いた処方箋をもとに、医療・介護業界の改革に乗り出してほしいと考えているんです』、「政治家は天下国家を論じるべき存在です。地元だけを見ていると、国家の観点がなくなってしまう」、その通りだが、これには小選挙区制がもたらした弊害も大きい。先ずは中選挙区制に戻すべきだろう。

第三に、2月10日付け東洋経済オンライン「市販薬の「大量服用」に依存する人の切実な実態 販売規制や啓蒙教育だけでは防止できない」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/329394
・『医師から言われるがままに飲んでいた薬、病気を治すためだと思っていた治療や検査……。それらが実は健康をむしばんでいるかもしれない。 2月10日発売の『週刊東洋経済』は「信じてはいけないクスリ・医療」を特集。がん患者につけこむ科学的根拠のない免疫療法、量産される無駄な入院など、身近な医療の裏側に迫っている。 「大量に飲むとトリップできる」「悩みが吹き飛んで多幸感が得られる」――。 これは大麻や覚醒剤など違法薬物の話ではない。ドラッグストアで買える市販のせき止め薬や風邪薬のことだ。商品名をインターネットで検索すれば、こんな情報があふれている。 今、10代の間で、身近な市販薬の乱用が増えている。厚生労働省の調査によると、市販薬の乱用は全薬物乱用者のうちの5.2%(2016年)から5.9%(2018年)と微増にとどまる。しかし、10代の薬物乱用の推移を見ると、2014年にゼロだった市販薬乱用は、2018年には約4割と最も多くなっている』、「市販のせき止め薬や風邪薬」でも「10代」を中心に「乱用」が増えているとは、由々しいことだ。
・『市販薬の乱用者は7割が女性  2014年に最も多かった危険ドラッグの乱用者は男性中心だ。対して、市販薬は女性が7割を超える。使用している層が異なるため、危険ドラッグが規制された結果、市販薬に流れたという単純な構図ではない。若年層、しかも女性に多いのが市販薬乱用の特徴だ。 薬物による依存症の回復を支援するNPO法人で働く大木由美子さん(41歳、仮名)も、10代の頃から市販薬乱用に苦しんだ1人だ。「どこにでも売っているし、危ない薬だとは思っていなかった」と、当時をそう振り返る。きっかけは、18歳のとき好意を寄せていた男性から勧められたことだった。嫌われたくないという思いから断れず、せき止め薬の「ブロン錠」を一度に20錠飲んだ。 「しばらくすると、悩んでいたことが頭から消え、『生きていてよかった』と幸せな気持ちになりました。魔法の薬のように感じたんです。それからドラックストアを何軒も回り、薬を買い集めました。せき止め薬と同じ成分が入った薬も試したり……。毎日のように店に通い、いろいろな薬を飲んでいましたね」 気づけば、薬はおびただしい量になっていった。1瓶84錠のせき止め薬を1日数回、その間にも鎮痛薬を常に飲んでいる状態だったという。大木さんは22歳のとき、精神科病院に入院。リハビリ施設で12年間の生活し、乱用を克服した。 「今考えると、寂しさを埋めるためでした。学校での人間関係に悩んでいましたが、親との関係も悪かったため、誰にも相談できませんでした。市販薬は簡単に手に入り、親にも言い訳をして隠しやすい」 厚労省の調査を実施した国立精神・神経医療研究センター薬物依存研究部部長の松本俊彦医師は、「市販薬乱用者には、うつ病などの精神疾患を抱えた患者が多い」と指摘する。 「生きづらさを抱えた若者が『死にたい』『いなくなりたい』という気持ちを和らげるために使う。一時的な元気の前借りだ。しかし、長期的には気分の浮き沈みが激しくなり、もともとあった精神疾患の治療も難しくなる」』、「精神科病院に入院。リハビリ施設で12年間の生活し、乱用を克服した」、こんなに長期の「リハビリ」が必要になったとは、事態の深刻さを再認識させられた。
・『安価なものを求め種類も量も増えていく  同調査で最も多くの乱用があったせき止め薬「ブロン錠」には、麻薬と同様の鎮痛成分が含まれる。同じ成分を含む風邪薬「パブロンゴールド」も乱用が多い。これらの薬は、中枢神経を覚醒させる成分と鎮静させる成分の両方が含まれ、大量に飲むと高揚感や多幸感を得られるとされる。 鎮痛薬にも、覚醒成分と鎮静成分の両方を含むものが多く、乱用される傾向がある。乱用者はこのような成分を含む、より安価なものを求めて種類も量も増やしていく。 「体を慣らしながら飲む量を増やし、1日700錠飲んでいた患者もいる。薬をやめれば激しい離脱症状が現れるが、その症状は覚醒剤よりも苦しいといわれる。全身のだるさとともに身の置きどころがない焦燥感が起こるため、寝ることもできない」(松本医師) しかも、市販薬は他の薬物に比べて依存性が強い。同調査で、市販薬は、「やめられない」「とまらない」という依存症候群が他の薬物に比べて最も多いことがわかった。 街を歩けばドラッグストアはいくらでもある。入手するためのアクセスがよいだけに、一度辞めても再発もたやすい。安全なイメージの強い市販薬だが、その先には非合法薬物と同様の深刻な依存が待ち受けている。 せき止め薬などの乱用のおそれがある市販薬は、購入量が一度に1瓶までに制限されるなど、国が販売ルールを定めている。しかし、2018年実施の厚労省調査によると、国が規定する販売ルールをドラッグストアの約半数が守っていなかった。複数買う場合でも、48%が使用目的の確認をしていない。2019年9月、厚労省は販売規定を徹底するよう、販売業者や製薬メーカー団体に指導した。 製薬メーカーはこうした事態をどう捉えているのか。ブロン錠を販売するエスエス製薬は、乱用について「大きな懸念事項だ。業界を挙げて防止策に取り組む必要がある」と答える。2019年10月以降、店頭に置くブロンの空箱に注意喚起のシールを貼付するなど、新たな取り組みを始めた。パブロンゴールドを販売する大正製薬も、「販売店には必要な情報提供をし、適正販売を依頼する。メーカー団体と連携して必要な対策を実施していく」と答えた』、「薬をやめれば激しい離脱症状が現れるが、その症状は覚醒剤よりも苦しいといわれる」、無論、大量に乱用した場合、とはいっても、市販薬にこのような恐ろしい副作用があることは、もっと周知徹底すべきだろう。「注意喚起のシールを貼付」、もっと早くから取り組むべきだった。「国が規定する販売ルールをドラッグストアの約半数が守っていなかった」、厳しい行政処分を課すべきだろう。
・『販売店「売らないわけにはいかない」  販売店も苦心する。日本チェーンドラッグストア協会は、若年者へは身分証の確認、他店での購入状況を尋ねるなどの自主ルールを定めた。が、こうした規制には限界がある。担当者は言う。「購入者から売ってほしいと言われれば、売らないわけにはいかない。販売ルールの徹底にはばらつきがある」。 セルフメディケーションを推進する国は、処方薬から市販薬への転用や減税制度の導入などで市販薬販売を拡大している。2014年からは、乱用のおそれがある市販薬もインターネット販売が解禁された。ネット販売でも複数購入者には使用目的の確認が必要だが、これも半数の業者が守っていない。規制を強化できても、複数の店やサイトで購入しようとすれば簡単に手に入る状況だ。 根本的な解決は、乱用者本人が乱用に陥らないことだが、「ダメ。ゼッタイ。」といった薬物乱用禁止を訴える教育だけでは、防止できない。前出の松本医師は、「人に頼れない環境が薬物依存を生み出す」と指摘する。周囲の期待に応える「よい子」が、逃げ道として市販薬に依存することもあるという。 「市販薬に頼らざるを得なかった環境にこそ、目を向けるべきだ。乱用に至るには虐待や育児放棄などの家庭環境や、学校でのいじめなどの背景がある」(松本医師) 規制だけでは市販薬の乱用防止、さらにその克服は難しい。家族も含めたメンタルヘルスへの支援体制が不可欠だ』、「周囲の期待に応える「よい子」が、逃げ道として市販薬に依存することもある」、恐ろしいことだ。「家族も含めたメンタルヘルスへの支援体制が不可欠だ」、どうやら簡単で実効性ある対策はない難しい問題のようだ。
タグ:国民国家としての日本をどうするか 調剤薬局の若手経営者がフェラーリのお得意さん 人口が減少し、高齢化が進むいま、国民国家を維持していく上で、ギリギリのところにきている 年収にすると2484万円。経費を抜いて年収1000万円だとしたら、フェラーリにも十分手が届く計算になる 問題の根っこを見るには歴史的な視点 年間8兆円、薬局調剤医療費の不思議な仕組み 周囲の期待に応える「よい子」が、逃げ道として市販薬に依存することもある 東洋経済オンライン 「市販薬の「大量服用」に依存する人の切実な実態 販売規制や啓蒙教育だけでは防止できない」 「大量に飲むとトリップできる」「悩みが吹き飛んで多幸感が得られる」 市販のせき止め薬や風邪薬 本来、政治家は天下国家を論じるべき存在です。地元だけを見ていると、国家の観点がなくなってしまう 製薬業 開発で日本企業の影が薄い理由、なぜ日本は世界一の「薬剤師パラダイス」になったのか その「ツケ」を払っているのは消費者、市販薬の「大量服用」に依存する人の切実な実態 販売規制や啓蒙教育だけでは防止できない) 新薬開発で注目の製薬会社は 医療・介護 調剤料は、院内が90円に対し、院外が2400円。実に27倍 「お薬手帳」 調剤技術料 病院内での処方は3割。残りの7割が病院外の薬局の処方 医薬分業に潜む「政策コスト」 猪瀬 直樹 治験段階で必要な感染者が集まらず、開発断念という“リスク”すらある 病院内の場合は320円で済むのに、「門前薬局」に行くと3450円もかかる 「注力分野」がある。新薬開発にかかる費用が膨大なため、経営資源を集中させている 「医薬分業」で言えば、医師、病院から薬剤師、薬局に調剤業務を移行させための必要な費用 「新型肺炎の治療薬・ワクチン開発で日本企業の影が薄い理由」 ダイヤモンド・オンライン 日本は「ワクチン後進国」といわれるほど接種に消極的な時代が続いた。それに伴い、日本勢が開発力に乏しいことも背景 「ビジネスとしてシビアに見ている」というのが本音 海外企業はチャレンジ精神が旺盛なベンチャーか研究開発費が潤沢なメガファーマ(巨大製薬会社)と両極端だ PRESIDENT ONLINE 根本的な見直しを怠り、既得権益が積み重なる 製薬は“ビジネス” 家族も含めたメンタルヘルスへの支援体制が不可欠だ 薬物乱用禁止を訴える教育だけでは、防止できない 国が規定する販売ルールをドラッグストアの約半数が守っていなかった 販売店「売らないわけにはいかない」 セルフメディケーション 感染症は「流行」があるため、治療薬やワクチンの開発(通常数年~十数年)が完了した頃には流行が終息している可能性が高い。いざ上市の段階になって「ほとんど売れない」となれば、製薬会社は当然、研究開発費を回収できない 『日本国・不安の研究 「医療・介護産業」のタブーに斬りこむ!』(PHP研究所) 「門前薬局」の増加が、薬剤師の雇用を生んで、薬科大学の定員が大幅に増えた。私学薬学部の定員は1990年代と比較すると2倍になっています。また人口1人あたりの薬剤師の数は諸外国に比べても飛び抜けて多い 380円かかる 希少疾病 医薬品 海外勢が目立ち、日本勢の影は薄い 薬をやめれば激しい離脱症状が現れるが、その症状は覚醒剤よりも苦しいといわれる 安価なものを求め種類も量も増えていく 精神科病院に入院。リハビリ施設で12年間の生活し、乱用を克服した 市販薬の乱用者は7割が女性 10代の間で、身近な市販薬の乱用が増えている 「なぜ日本は世界一の「薬剤師パラダイス」になったのか その「ツケ」を払っているのは消費者」 場当たり的に「医薬分業」を進めた結果、薬局調剤医療費……とくに1兆9000億円の調剤技術料をわれわれが負担しなければならなくなった 政治家や官僚は改革を実行できるのか とくに問題なのが
nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感

パンデミック(新型肺炎感染急拡大)(その3)(全国民困惑の休校要請 場当たり的で五月雨式の極み 新型コロナの感染拡大は安倍政権の弔鐘となってしまうのか、コロナ対応で決定的に ネット民の「安倍離れ」が進んでいる、専門家を軽視し 不安を利用する日本の政治…新型コロナが示したこと 「不安の政治化」とは何か、小田嶋氏:人の不安を笑うな) [国内政治]

パンデミック(新型肺炎感染急拡大)については、2月18日に取上げたばかりだが、事態の急速な展開を受け、今日も、(その3)(全国民困惑の休校要請 場当たり的で五月雨式の極み 新型コロナの感染拡大は安倍政権の弔鐘となってしまうのか、コロナ対応で決定的に ネット民の「安倍離れ」が進んでいる、専門家を軽視し 不安を利用する日本の政治…新型コロナが示したこと 「不安の政治化」とは何か、小田嶋氏:人の不安を笑うな)である。

先ずは、国際政治学者の舛添 要一氏が2月28日付けJBPressに掲載した「全国民困惑の休校要請、場当たり的で五月雨式の極み 新型コロナの感染拡大は安倍政権の弔鐘となってしまうのか」を紹介しよう。
https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/59515
・『まったくなっていない。新型コロナウイルスの感染に対する政府の対応は、後手後手である。 専門家会議が設置されたのが2月14日であるが、前日に神奈川県の80代の女性が新型肺炎で死亡しており、それで慌ててこしらえたような感じであった。初会合は2月16日。この時点ですでに、日本で初めて患者が出た日(1月15日)から、1カ月も経っていた』、政府の「後手後手」の対応には呆れ果てる他ない。
・『いま必要なのは感染症対策だけでなく日本全体の危機管理  感染源が不明なケースが日本列島各地で続出するに及んで、ついに政府は2月24日に専門家会議に諮って、25日に基本方針をとりまとめた。 その基本方針によれば、まず現状認識については、一部地域で小規模な集団発生があるが、大規模な感染拡大ではないとしている。そして、水際対策から国内対策に重点を移し、流行の規模とスピードを落とし、重症者を減らしていく。また、経済への悪影響を減らすことも謳っている。 また症状については、普通の風邪とあまり変わらないが、特徴としては、37.5度以上の熱が4日以上続くことを挙げている。 国民に対しては、感染防止のために「せきエチケット」を守ることや手洗いの励行を求めた。そして、風邪症状のときは安易に職場へ行かず、密閉空間での濃厚接触を避けること、また、イベントも自粛することを要請している。 この基本方針の取りまとめが行われた日の翌26日に開かれた対策本部の会合で、今度は安倍首相が直々に、大規模なスポーツ・文化イベントについては「2週間の自粛」を求めた。 それを受けて、PerfumeやEXILEは当日26日夜の公演を中止した。また、プロ野球もオープン戦の全72試合を無観客で実施することを決定。このように各種イベントが次々と中止に追い込まれている。) また基本方針では、医療体制について、地域で患者数が大幅に増えた状況では、一般の医療機関で感染が疑われる患者も診療できるようにするが、症状が軽度のときは、自宅での安静・療養を原則とすると明記されている。 2009年に新型インフルエンザが発生したときは、その時期が5月の連休と重なったため、やはり各種イベントが中止になり大混乱に陥った。関西では修学旅行が中止になり、観光業界を含め経済界に甚大な被害が出て、厚労大臣の私の許にも京都や大阪から数多くの陳情が寄せられた。政府全体で補助金などの対策を講じたが、感染症対策と経済活動の維持のバランスをどうとるかというのは、難しい課題である。これは感染症の専門家が解決できる問題ではなく、それこそ政治指導者の出番なのである。 ところが25日の基本方針では、大規模イベントの自粛を決めながら、具体的判断基準すら示さなかった。そこを批判されたからなのか、翌日になると突然、「2週間」という期間を示した。だが、これは危機管理としては失格である。どの程度の規模を「大規模」というのか、どれくらいの期間の措置なのか、本来は最初から決めておかなければならないのだ。 また、専門家会議に感染症の専門家を集めるのは当然であるが、基本方針の策定に当たっては、大規模イベント業界の専門家、商工業界の代表、教育現場の代表など、基本方針が影響を及ぼす分野の専門家の意見を広く聴取すべきなのだ。日本国全体の危機管理が問題なのであって、感染症対策のみを行っているのではない』、「日本国全体の危機管理が問題なのであって、感染症対策のみを行っているのではない」、正論である。
・『イベントや活動自粛のツケは全て国民が負担するのか  安倍政権の対応ぶりを見ていると、大日本帝国陸海軍を思い浮かべてしまう。戦時中の大日本帝国軍には大戦略がなく、小手先の戦術のみで、無能な司令官が朝令暮改の指示を与えたため、討ち死にする兵隊が続出した。クルーズ船の地獄絵はまさにこれに瓜二つである。司令官であるべき橋本岳副大臣が乗船して失笑ものの写真をSNSで発信し、しかも感染の疑いで自ら隔離されることになる。このような愚を繰り返してはならない。 本来は、感染源の不明な感染者が出始めた2月13日頃には大規模イベントの中止を決めるべきであった。結局、ここでも決定が遅すぎ、後手に回ってしまった。 しかもイベント自粛要請そのものも、その後の補償や業界の救済などについては一切念頭に置かずに、決定してしまった。これでは、収容先も決まっていないのに、武漢までチャーター機で飛ばしたのと同じである。そのため、「チャーター機で帰国した人々はホテルで相部屋」という信じがたい措置をとり、世界を唖然とさせてしまった。 今回も、後出しで26日午前中に「大規模イベントの2週間自粛」を決めたために、その日の夜のイベントが中止されるという異常事態になった。公演のチケットは払い戻されるだろうが、日本全国からイベントのために集まった人々の悲しみと、会場までの交通費や宿泊費の負担をどう考えているのだろうか。まさに国民の目線を忘れてしまった政権の奢りがここに表れている』、「国民の目線を忘れてしまった政権の奢り」、とは言い得て妙だ。
・『「小中高校の休校」で日本全体が困惑  さらに27日夕方には、驚くべきニュースが日本列島を駆け巡った。安倍首相が、3月2日から全国の小中高校を春休みまで臨時休校に入るように要請したのだ。これには全国民がびっくり仰天したに違いない。 こうなると、イベントの自粛とはわけが違う。こういう措置をとるときには、たとえば共働き家庭の支援などの措置も同時にとらないと、家庭と仕事の両立ができなくなる。期末試験、進学進級、卒業などをどうするのか? 子供の面倒を見るために職場に出られない母親たちはどうするのか? 彼女たちの戦力を失った企業や組織は営業を続けられるのか? そういうこともきちんと考えずに、このような手を打つと日本全国が大混乱に陥る。場当たり的、五月雨的な政策を連発するようでは、感染症対策にも経済活動の維持にも失敗する。政策を決めるときは、副作用などその結果にも責任を持たねばならないのである。 日本は「村八分」社会であり、全員が「右へならえ」になってしまう。異論を許さない社会における内閣総理大臣の発言の重さを再認識したほうがよい。そして、問題は、この危機的状態において、首相が、役人の書いた紙を、下を向いて朗読するのみだということである。正面を向いて、紙など見ずに自らの言葉で語らなければ、国民には通じないし、説得力もない。嫌々ながら新型肺炎対策を行っているようにしか見えず、弱々しい印象しか与えない。 アメリカのトランプ大統領は、ペンス副大統領とCDC(アメリカ疾病予防管理センター)の責任者を従えて会見し、副大統領をヘッドとするチームに最高の人材を集め、全力をあげて新型コロナウイルスの感染阻止に取り組むことを、自らの言葉で正面を向いて国民に訴えている。これが感染症対策の危機管理における政治指導者がとるべき態度だ。だから、安倍首相の会見の様子は世界に発信しないほうがよい。また世界が失望するからである。 首相の判断が常に最善とはかぎらない。だから、せめて内閣を構成する閣僚が異論を差し挟むことができるようでなくてはならない。果たして現状はそうなっているだろうか。 自民党内も安倍一強で、首相に諫言する者がいない。野党が分裂して弱体化しているおかげで安倍政権は安泰であるが、今のような危機管理を行っていれば、政権の命運は遠からず尽きることになるだろう』、「小中高校の休校」の要請には、私も「殿ご乱心」と感じた。「首相が、役人の書いた紙を、下を向いて朗読するのみ」、情けない限りだ。
・『この調子では安倍政権の命脈尽きることにも  今や中国や日本以外でも、イタリアとイランで急速に感染が拡大し、ヨーロッパや中東の周辺国にも感染が広まりつつある。アフリカでは、エジプトに次いでアルジェリアで、また南米でもブラジルで感染者が確認されている。これで5大陸すべてに感染が広まったことになり、WHOがパンデミックを宣言するのは時間の問題だ。 そのような状況の下で、東京五輪が予定通り開催されるのかどうか、世界から心配する声が高まっている。 私は2月22日付のJBpressの記事で、「五輪中止のシナリオを用意せよ」と書いた。(参考記事)新型コロナ終息せず、五輪中止のシナリオも用意せよ https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/59449 だが安倍政権の目線の先には、今夏のオリンピック開催は絶対に成し遂げたいという思いが先立っているようにしか見えない。だからこそ、IOCの委員から五輪開催に疑問符を付けるような発言が飛び出したらびっくりし、急遽、小中高校の休校を要請したのではないか。 IOCのパウンド委員(カナダ)は、東京五輪開催か中止かの判断は今から3カ月以内、つまり、5月25日頃までには決定せねばならないということを明らかにした。これは、日本政府が言うようにIOCの公式見解ではないものの、IOCが中止のシナリオを書き始めたことを意味する。そして、世界の世論の動向を探るためのアドバルーン(観測気球)をあげたと考えてもよい。 私も都知事のときに、IOCと何度も交渉を行ったが、開催地が東京であっても、最終決定権を握っているのはIOCであり、何度も苦い思いをさせられた。実際にIOCは、マラソンと競歩を札幌に移すことを、小池都知事など蚊帳の外において決めたことは記憶に新しい。 すべては、新型コロナウイルスの感染の状況次第であるが、私は五輪は開催か中止かしかないと思う。秋に延期という選択肢は、テレビ放映権の問題があるから、まずない。また、ロンドンなどで代替開催ということもない。これは5月のロンドン市長選を前に与野党の候補者が人気取りに思いつきの提案を行っただけであり、今や選手村もマンションになっており、メインスタジアムも縮小されている。事実上、ロンドンでの開催は無理だ。 パウンド委員は、来年延期案を示唆しているが、それが実現可能かを決めるのは容易ではない。 新型肺炎の感染が止まる時期にもよりけりであるが、クルーズ船が拡散した日本のマイナス・イメージは選手も観客も東京から遠ざけることになってしまうだろう。東京五輪はまさに正念場を迎えつつある。 いずれにせよ、今のような感染症対策を続ける限り、五輪より前に安倍内閣が幕を閉じることになるだろう』、「東京五輪」について、IOCのバッハ会長は、2月27日に「予定どおり開催するため全力で準備を進めていく」と発言したようだが、まだ予断は許さないとみるべきだろう。「今のような感染症対策を続ける限り、五輪より前に安倍内閣が幕を閉じることになるだろう」、鋭い指摘で、その通りなのだろう。

次に、3月1日付けNEWSポストセブン「コロナ対応で決定的に ネット民の「安倍離れ」が進んでいる」を紹介しよう。
https://www.msn.com/ja-jp/news/national/%E3%82%B3%E3%83%AD%E3%83%8A%E5%AF%BE%E5%BF%9C%E3%81%A7%E6%B1%BA%E5%AE%9A%E7%9A%84%E3%81%AB-%E3%83%8D%E3%83%83%E3%83%88%E6%B0%91%E3%81%AE%E3%80%8C%E5%AE%89%E5%80%8D%E9%9B%A2%E3%82%8C%E3%80%8D%E3%81%8C%E9%80%B2%E3%82%93%E3%81%A7%E3%81%84%E3%82%8B/ar-BB10z932
・『報道各社の世論調査で「安倍内閣の支持率」が軒並み低下している。小中高校の全国一斉休校要請など場当たり的な新型コロナウイルス対策や桜を見る会問題に有権者が厳しい目を向けるなか、じわりと浸透しているのが「ネット保守層の安倍離れ」だ。 「ネット選挙解禁から7年間にわたってネット保守層をウォッチしてきましたが、これほど安倍政権への失望が際立つようになったのは初めてです。森友問題でも加計問題でも安倍首相を擁護してきた人たちの離反が続いています」 そう指摘するのは、言論サイト「アゴラ」編集長の新田哲史氏。ネットを中心に保守的な意見を表明して安倍首相を応援する「ネット保守層」は現政権の強力な支持母体のひとつとされるが、最近は安倍離反の動きが見られるという。目下、新型コロナ対策で“安倍離れ”が顕著になっているが、その兆候は昨年から出ていたようだ。 「昨年からネット保守層は、香港やウイグルなどで市民への圧政が取り沙汰されている中国の習近平国家主席を今年4月に国賓招待することに反対していました。また“反緊縮財政”をモットーにするネット保守層は、大規模な財政出動と反消費税を掲げる藤井聡・京都大学教授が2018年末に内閣官房参与を退任したことにも強い不満を抱いていた。そうした下地があったところに『あの事件』が起きたのです」(新田氏) ターニングポイントとなった「あの事件」とは、昨年10月の臨時国会で、国民民主党の森ゆうこ参議院議員が、同年6月に毎日新聞が報じた内容をもとに、政府の国家戦略特区ワーキンググループ座長代理の原英史氏について、「国家公務員だったら、あっせん利得、収賄で刑罰を受ける」と発言したことに端を発する。 森議員が取り上げた毎日新聞の記事は、原氏が特区提案者から金銭を受け取ったと読み取れる内容だったが、森議員が国会で取り上げた時点ですでに原氏はこれを事実無根として毎日新聞社を提訴していた(現在も係争中)。 原氏は森議員に対しても謝罪と訂正を求めたが聞き入れられなかったため、12月2日、山東昭子参院議長に森議員の懲罰を求める請願を提出した。しかし、議院運営委員会の理事会で「保留」になり、本会議で審議すらされなかったのである。 大手メディアで報じられることのほとんどなかったこの出来事が、多くのネット保守層を失望させたと新田氏は指摘する。 「何より問題は、自民党が請願に賛成せず保留に回ったことです。安倍さんがその気になれば賛成できたはずなのに、自民党は請願を握りつぶした。しかも原さんは安倍首相が主張する規制改革を引っ張ってきたキーマンです。功労者の人権を蔑ろにするような安倍首相のふるまいに多くのネット保守は憤り、改革への本気度を疑うようになりました」(新田氏) 実際に新田氏にはネット保守層から、〈安倍総理及び自民党議員は、この問題を過小評価していると大きな間違いを起こす〉といったリプライが多数送られた。 「森議員や野党に対する怒り以上に、安倍首相と自民党への不信感が目立ちました。霞が関の働き方改革の頓挫や大学入試改革の中止なども重なり、何も決められない政治に愛想をつかし始める保守層も現れた。一部の動きではありますが、不満を持つ人のなかには、より先鋭的な政策を掲げる『NHKから国民を守る党』や『れいわ新選組』を支持する者も出てきました」(新田氏) こうして支持層の不満がぐつぐつと煮えたぎるなか、今年に入っても安倍政権の失策はとまらなかった。 自民党の河井克行・杏里夫妻に常識外れの選挙資金1億5000万円を提供しながら選挙違反疑惑を追及せず、厚労省の大坪寛子審議官と“不倫コネクティング出張”をした和泉洋人首相補佐官の責任も問わない。これまでには考えられない杜撰な対応にネット保守層は安倍首相の変質を感じ取り、現政権への失望を隠さなくなった。 それに拍車をかけているのが、政府の新型コロナウイルス対策への不信だ。たとえば、2月26日の衆院予算委員会で立憲民主党の枝野幸男議員が行った質疑について報じた記事へのネットの反応は象徴的だった。クルーズ船乗客への対応の不手際やPCR検査の体制不備などを質し、政府全体の危機意識のなさや当事者意識の欠如を指摘した枝野氏に同調するコメントが多数寄せられた一方で、これまでなら一定数はあった安倍首相シンパの“カウンターコメント”がほとんど目立たなかったのだ。 政府の対策には、これまで安倍首相を支持してきた産経新聞や百田尚樹氏ら保守層も異論を唱えるようになった。憲政史上最長を記録した安倍内閣が、その求心力を取り戻すことはもう難しいかもしれない』、「ネット保守層」だけでなく、「政府の対策には、これまで安倍首相を支持してきた産経新聞や百田尚樹氏ら保守層も異論を唱えるようになった」、というのは象徴的だ。舛添氏の予言が裏付けられた形だ。

第三に、名古屋大学准教授の日比 嘉高氏が3月2日付け現代ビジネスに掲載した「専門家を軽視し、不安を利用する日本の政治…新型コロナが示したこと 「不安の政治化」とは何か」を紹介しよう。
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/70755
・『突然の発表  カミュの『ペスト』が売れている。文庫版の版元である新潮社は、急遽4000部の増刷を決めたという。ペストの感染拡大によって封鎖されたアルジェリアの都市オランを舞台に、医師とその仲間たちが閉鎖環境の中で苦闘するというノーベル賞作家のこの小説が、新型コロナウイルスの感染拡大におびえる人々の不安と共振しているのだろう。 広がり続ける感染という現実を前に、私たちは抑えようのない不安にさらされている。専門家の知見は、市民の不安に応えられるのか。そして政治は、社会に広がる不安に対しどのように対処しようとしているのか。 2月27日の夕刻、安倍総理大臣が全国の小中高等学校などに対して、春休みまで臨時休校とするよう要請する方針だというニュースが流れた。方針の決定過程を検証した記事によれば、安倍晋三首相は今井尚哉首相補佐官らの提案を受け、菅義偉官房長官にも相談することなく、萩生田光一文科相と文部科学省担当者の反対をも押し切って、これを決めたという。 この判断のプロセスには疑問が残る。しかしいっそう問題なのは、首相の決断が、〈新型コロナウイルスの拡大を押さえ込むためには一斉休校が有効だ〉というような専門家の提言に基づいてはいなかったという事実である。驚くべきことに、安倍首相は、確たる根拠もなく47都道府県すべての小中高などに対し、休校を要請していたのである。 現場の学校や自治体、教育委員会は大きく混乱し、突如として平日の昼間に子供の面倒を見なければならなくなった親たちはうろたえ、影響は給食業者へ、学童保育業者へ、親たちの勤める企業へ、就業期間を失う非常勤職員たちへと玉突き的に広がっている。そして、その代償に得られるはずの感染の抑え込み効果は、不明確なのである』、「安倍晋三首相は今井尚哉首相補佐官らの提案を受け、菅義偉官房長官にも相談することなく、萩生田光一文科相と文部科学省担当者の反対をも押し切って、これを決めた」、「確たる根拠もなく47都道府県すべての小中高などに対し、休校を要請」、安部首相は何をそんなに焦っているのだろう。
・『専門知軽視の風潮  アメリカでも日本でも、専門家の知見への軽視は大きな議論の的になっている。『専門知は、もういらないのか──無知礼賛と民主主義』の著者で国家安全保障問題の専門家であるトム・ニコルズは危機感を隠さない。 専門的な知識に敬意が払われなくなり、専門家と政治家、そして市民の間の信頼が崩壊したとき、民主主義や共和制に死が訪れ、衆愚政治が始まる、とニコルズは警告する。ステレオタイプの弊害、反ワクチン思想、歴史修正主義など次々と例証を挙げていくニコルズの指摘は、日本の状況にもよく当てはまる。 ただ、今回の新型コロナウイルスへの対処から見えてくるのは、現政府の専門家に耳を貸さない姿勢が、単に専門家軽視の問題には止まらないということである。 専門家の知見が市民の不安を必ずしも鎮めないことは、新型コロナウイルスの検査方法をめぐる議論がまさにあきらかにしている。異見もあるようだが、軽症である罹患疑いの人まですべて検査するのは不要もしくは弊害が大きい、というのが疫学の専門家の見解のようである。 一方、素朴な市民の感覚としては、仕事に行くにしても家庭にいるにしても、体調が崩れている自分ないし家族が新型コロナウイルスにかかっているのかどうかは、はっきりさせたい。 また、「この一週間から二週間が感染拡大の山場」であるから外出や大規模な集会を控えよと言われても、現実には何をどこまで自粛すればいいのか判断に迷う。私の身近でも集会や会合のキャンセルが続いているが、中止や延期の増加自体が、人が集まること、集まる場所への不安を高めている。 人々の不安が、事態の鍵を握っている。不安には、何段階かの閾(しきい)がある。漠然とした不安から、行動を起こさずにいられない明確な危機感へ、さらに恐慌を伴う恐怖へ』、日米での「専門知軽視の風潮」は、「民主主義や共和制に死が訪れ、衆愚政治」へとつながるとの「ニコルズ」氏の警告は重く受け止めるべきだろう。
・『政治が不安に「スイッチ」を入れる  不安が閾を越えるときには、引き金となる事件や合図がある。私の感覚にもとづいて言えば、首相が全国一斉休校を「要請」したとき、日本社会の不安を一段階押し上げるスイッチが入った。 夕方のニュースで、当惑気味のキャスターによって突如読み上げられたこのニュースに、私は心底驚き、なんらかの行動を起こさなければならない切迫した状況──小学生の息子をどうするのか──に、自分がいきなり置かれていることを発見した。そしてこの驚きと変化はおそらく私一人のものではなかった。Twitterを中心としたネットの反応の沸騰や、トイレットペーパーを買いだめに走った人々の狼狽が、その証左となるはずである。 政治権力には、社会的な不安のトリガーを引く力がある。政治権力は、日常を「例外状態」へと変えることができる。ドイツの思想家・政治学者のカール・シュミットは、著書『政治神学』において、「主権者は、現に極度の急迫状態であるかいなかを決定すると同時に、これを除去するためになにをなすべきかをも決定する」ことができると述べている。つまり、政治権力は緊急事態かどうかを自分で決めることができ、そして決めた上で何を行うかも決めることができるというわけである。 さらに興味深いのは、シュミットが続けて、このような「例外状態」を作り出す際、権力は現行の法的秩序の内側にいると同時に外側にもいると述べていることである。一読しただけでは意味がわかりにくいが、例を挙げれば難しいことではない。「非常事態」がその事例である。「非常事態」を宣言した権力は、法秩序の中から出発しながら、その法秩序を越えることができる。 そう、これはまさにいま──微温的な形ではあれ──日本で起こっていることである。北海道の鈴木直道知事は「緊急事態宣言」を出し、安倍首相は小中高等学校などの全国一斉休校を要請した(いずれも法的な根拠はない「お願い」や「要請」であるから、その強制力は弱いはずである。にもかかわらず、ここまでの効果を発揮してしまうこと自体に、我々の社会の抱える問題の根深さを感じるが、ここではこれ以上展開しない)』、「政治権力には、社会的な不安のトリガーを引く力がある。政治権力は、日常を「例外状態」へと変えることができる」、安部首相にはそんな自覚はなかったろう。「「非常事態」を宣言した権力は、法秩序の中から出発しながら、その法秩序を越えることができる」、恐ろしいことだ。
・『「非常事態」に慣らされていく  専門家とその知見は、権力が力を振るう際にブレーキをかけたり、後押ししたり、力の向きや強さを調整したりする役割を負っている。今回の場合で言えば、休校が「全国一斉」である必要があったかについては、慎重な疫学的判断が必要だった。 小中高等学校などを大規模に休校させる際にも、教育の実務家と専門家たちの知見とノウハウが必要だった。だが残念ながら専門家には、権力が耳を傾けない場合において、権力を止める力までは備わっていない。 一斉休校は支持率低下を受けた安倍首相の苦し紛れの策だという解説ニュースを読み、実際政局的にはかなりの悪手だったと私も見ているが、政局などは短期的な問題に過ぎない。より長期的に問題なのは「非常事態」に私たちが慣らされていくことである。 そしてさらに押し進めて言えば、「非常事態」において強い強制力を発揮する権力を、我々自身が求めるようになってしまうことである。実際、今でも政府に「自粛の基準を決めてくれ」と求める声が聞こえるし、「決められた以上はやるしかない」とあきらめ受け入れる声が聞こえるのである。 カミュは『ペスト』でこう書いている。「だが、ペストや戦争がやってくるとき人々はいつも無用意な状態にあった。」 カミュの生きた20世紀にはそう言えたかもしれない。しかし21世紀の政治で、ペストや戦争は向こうからやってこない。現代のペストや戦争は、人々の不安が、自ら社会のうちに招き寄せるのである。 不安は、人々の非理性的な思考や行動を誘発する。実際には払底しないトイレットペーパーの買い占め程度であれば笑い話で済むが、感染への恐怖は「感染者」もしくは潜在的可能性をも含めた「感染源」への深刻な忌避や差別を生むことがある。日本の国内でも国外でも、中国人やアジア系の人々──海外ではここに日本人も含まれる──に対する差別の言動が見られる。 また、今回新型コロナウイルスのPCR検査で陽性とされた人々は、周囲から差別や攻撃を受けはしないだろうか。不安は敵を作り出し、敵を排除することで人はその不安をなだめようとする。そして不安を払拭しようとする人々の一部が、より強く、強硬な権力を求めるという道筋も、存在するのである。 私たちはいま、「不安の政治化」の危険の中にいる。新型コロナウイルスにおびえる私たちの不安は、政治的に利用されうる資源であることを忘れるべきではない。そして専門家は、不安の政治利用を防ぎ、社会の危険な分断を回避するためにも、人々のおびえを和らげるべく知恵を絞る必要がある』、「一斉休校は支持率低下を受けた安倍首相の苦し紛れの策だ」、その通りだろう。「不安を払拭しようとする人々の一部が、より強く、強硬な権力を求めるという道筋も、存在する」、大いに気をつけるべきことだ。

第四に、コラムニストの小田嶋 隆氏が2月28日付け日経ビジネスオンラインに掲載した「人の不安を笑うな」を紹介しよう。
https://business.nikkei.com/atcl/seminar/19/00116/00059/
・『新型コロナウイルスによる肺炎が、実際のところ、どの程度蔓延しているのか、私は、正確な情報を持っていない。幾人かの専門家が、現時点でのおおまかな推測を語ってくれているのだが、ひとくちに専門家といっても、いろいろな立場の人がいて、言っていることの内容もピタリと一致しているわけではない。感染者を多めに見積もっている人もいれば、軽めにアナウンスする人々もいる。なので、どちらに信を置くのかによって、私のような素人の見方は、かなり大幅に変わってしまう。 対策についても同様だ。 こまめな手洗いうがいを心がけて、不要不急の外出を控えるといったあたりの対処法に関しては、ほとんどの専門家の意見が一致しているものの、その先の対応(発熱、咳などの症状が出た時に、どんなふうに対処すべきなのか、あるいは、重症者以外への検疫の是非などなど)をどうするのかということになると、彼らの間でも様々に見解が分かれている。 と、自前の知見や独立独歩の思考力を持っていない一般人たるわれわれは、結局のところ「どの専門家のどの意見を鵜呑みにするのか」の選択肢を持て余すばかりで、事実上、どうすることもできない。 今回は、新型肺炎周辺の話題について書こうと思っている。 当然のことながら、読者に向けて未知のウイルスへの正しい対処法を伝授するつもりはない。 私は、読者を啓蒙するに足る知識を持っていないし、それだけの見識も備えていないからだ。 というよりも、私自身、どう対処して良いのやらわからずにいる。 そんな人間が、他人に説教を垂れることができてたまるものか、と、そんなわけなので、ここでは、対処法以前の話として、「不安」をどう扱うべきなのかについてあれこれ考えるつもりでいる。 自分自身の不安にどうやって対峙すべきなのかも重要だが、それ以上に、むしろ、他者の不安をどうやって受け止めるのかについて真剣に考えなければならないと思っている。ここが大切なポイントだ。 どうしていまさらこんなことを言い出しているのかというと、個人的に、今回の新型肺炎騒動を通じてはっきりしつつあることのひとつに、わたくしども令和の日本人の多くが「不安」ならびに「恐怖」という感情を、軽視しているということがあると思っているからだ。 不安に駆られている人々を、われわれは適切に扱うことができない。 また、自分が不安をかかえてしまった場合でも、私たちは、その自分自身の不安を適切に処理することができない。 なぜこんなことになってしまったのだろうか』、「令和の日本人の多くが「不安」ならびに「恐怖」という感情を、軽視している」、言われてみればその通りなのかも知れない。
・『理由は、思うに、21世紀の時代精神が、不安という感情を軽蔑しているからだ。 われわれは、不安や恐怖を、恥辱として意識するように条件づけられている。 もう少しわかりやすい言い方をするなら、この何十年か、わたくしども日本人は、不安に陥ったり、恐怖に駆られたりする感情のあり方そのものを、理性の敗北ないしは情報収集の失敗と見なすものの考え方にすっかり染まってしまっているということだ。 われわれは、感情一般を軽蔑している。 そして、いま、そのことの報いを受けている、と、私はそう考えている。異論は認める。 「正しく情報を咀嚼していれば、不安を抱く必要はないはずだ」「恐怖に駆られている人間は、正常な思考力を喪失した人間だ」「適切に思考し、十分に情報を取り入れている人間は、不安や恐怖とは無縁だ」というドグマに似たものを、いつの頃からか、われわれは信じ込まされている。 だからこそ、ネット上の人間は、恐怖を語る人間を寄ってたかって攻撃し、不安を漏らす見解をわざわざRTしてまで嘲笑する。 不安な人間を笑うのは、それ自体不安の表れだと思うのだが、笑っている人間はそのことに気づかない。なんとなれば、嘲笑はすべての感情を一時的に浄化する特効薬だからだ。 しかし、ちょっと考えてみればわかることだが、恐怖は思考なんかでは撲滅できない。当然だ。不安も情報収集で消せるようなものではない。もちろん嘲笑でリセットできるものでもない。 こんなことは、20世紀以前の人間であれば、誰もが知っている常識だった。 つまり、不安ほど圧倒的で制御不能な感情はないし、恐怖ほど切実に人間を動かすものはほかにないというのが、前の世紀までに普通に生きている人間にとっては、ごくごく当たり前の人生観だったはずなのだ。それほど、人生は、恐怖と不安に支配され続ける経験だったと言い直してもよい。 とにかく 「理性で不安が消せるだと? 冗談言うなよ小僧」というのが、ちょっと前の時代までの通常人の普通の最終回答だったということだ。 ところが、どうしたことなのか、令和の時代のわたくしたちはその時点から進歩するどころか 「怖がっているヤツはバカだ」「不安とか、なにガキみたいなこと言ってるわけ?」てな調子の、小学校4年生段階の小児マチズモに退行している。 今回は、だから、「正しく怖がる」ことの再学習を試みるつもりでいる』、「わたくしども日本人は、不安に陥ったり、恐怖に駆られたりする感情のあり方そのものを、理性の敗北ないしは情報収集の失敗と見なすものの考え方にすっかり染まってしまっている」、「令和の時代のわたくしたちはその時点から進歩するどころか 「怖がっているヤツはバカだ」「不安とか、なにガキみたいなこと言ってるわけ?」てな調子の、小学校4年生段階の小児マチズモに退行している」、鋭い観察だ。
・『ちなみに「正しく怖がる」というこの言い方は、前の震災以来の、言ってみれば流行語で、私はこの言葉をあまり高く評価していない。 理由は、「正しく怖がる」というこの言い回しの中に、すでにして「正しく認識すること」を「むやみに怖がること」の上位に置く理性万能主義が露見しているように見えて、その理性万能主義の浅薄さに抵抗を覚えざるを得ないからだ。 科学的知見に重きを置くことそのものは悪いことではない。 しかし、たいして賢明でもないそこいらへんのおっさんがファクトだとかエビデンスだとかサイエンスだとかを上位に置くものの考え方を平板に採用すると、その対処法は、人間の感情を軽視し、感情を持った人間を軽蔑し、事態に直面して動揺する人間の精神を踏みにじる結果をもたらす。なので、この言葉は慎重に使わないといけない。少なくとも私は、ゴールデンタイムの教養バラエティーの中で、タレントに転向した学者さんが単純に連呼してよい言葉だとは思っていない。 もちろん、「正しく怖がる」という言葉の指し示すところが 「正しい情報を正しい方法で収集して正しく認識しましょう」「その情報を踏まえて、警戒すべき対象と警戒せずに済ます対象との間にしっかりとした線を引きましょう」「こうすれば、怖いものには近づかずに済むし、怖くないものにおびえる必要もなくなります」と、ざっとこういう話であることは、なんとなくわかっている。 その方針が大筋として、悪くないことも理解している。 実際、この対処法は、相手次第では大変に有効だ。 たとえば、100℃の水を飲んだり浴びたりしてはいけない。やけどをしてしまうからだ。4℃の水で入浴するのも良くない。10分以上つかっていると低体温症で命を落とすかもしれない。 正しく温度を測定して、その温度に合った対処法を正しく認識していれば、40℃のお湯を怖がる必要はなくなるし、60℃の温泉に飛び込んでやけどを負うこともなくなるだろう。てなわけで、水を扱う時に正しい方法で温度を測ることと、その温度ごとの対応を学ぶことは大変に有効な学習だってなことになる。 ただしウイルスは、水の温度ほど簡単ではない』、私はどちらかといえば、「理性万能主義」に毒されているので、どこに問題があるのか、小田嶋氏の考えをもう少しみてみたい。
・『目に見えないウイルスや、暗がりに潜んでいるかもしれない幽霊や、なにかの拍子に転落したら確実に死をもたらすに違いない高所や、いつ飛翔に転ずるかを決して明らかにせずに高速移動しているゴキブリ君の光る背中のような対象は、40℃の湯加減ほど快適なものでもなければきっぱりと数値化できるものでもない。 高所恐怖症をかかえている人間は、「閉じたガラス窓の向こう側から君を外に吸い出すような風が吹くことは絶対にありえない」と何度説明しても、高層ビルの窓際に立つことはできない。理由は、彼が建築に無知だからでも物理学を理解していないからでもない。恐怖というのは、そもそも理不尽なものなのだ。いくら理屈で安全であることを理解していても、怖い人間にとっては怖い。 飛行機恐怖症の人に、誰かが飛行機の安全性を教えたら 「なるほど、飛行機はバスやタクシーよりもずっと安全なのだね」と、その瞬間に恐怖症が消えてなくなるのかというと、そんなことは決してありえない。 当然だ、飛行機恐怖症の患者は、理詰めで怖がっているのではない。とすれば、理屈で納得させたところで、彼の恐怖が消える道理はないのである。 私自身の話をすれば、私は、若い頃、暗いところがひどく怖かった。 30歳くらいになるまでは、一人で夜道を歩く時は、ほぼ全力疾走をしていた。暗い部屋や暗い倉庫には入れなかった。もちろん暗い森だとかは問題外だった。 しかも、思春期から20代にかけて、私は、そのことをとても強く恥じていた。 自分の恐怖を誰にも見破られないように、大変に労していたことを思い出す。 その暗闇への恐怖感は、ある時、ふと気がつくと消えてしまっていたのだが、その時期も理由もはっきりとはわからない。 かように、恐怖は、説明できない部分を多く持っている。 いま現在、ウイルスへの恐怖に苦しんでいる人たちも、自分の感情が過剰反応であることは重々承知しながら、それでも怖いのだと思う。 そういう人間に向けて、「正しい情報」をおしつけることが、どんなに失礼で思いやりを欠いた行動であるのかということを、この場を借りて強く訴えておきたい。 私自身は、今回のウイルスをほとんどまったく恐れていない。 それは、私が豪胆だからではない。 ファクトに基づいたサイエンティフィックな考え方が身についているからでもない。 単にその方面に関して比較的無神経だからだ。 人は、誰であれ、分野別に特有な恐怖や無神経の傾向を持っている。 食べるものの清潔にやたらと神経を配る人間が、一方において机の整理がまるでできないということもあれば、高いところや暗がりをまるで恐れないおっさんが、小さなテントウムシが肩にとまっただけで気を失わんばかりに取り乱すケースもある。 不安もまた同様で、あらゆる燃料ゲージや保管アイテムをすべて満タンにしておかないと安心して眠れないタイプの青年がいたかと思えば、月のはじめに預金口座がゼロになっていることに、電気を止められてはじめて気づく暢気なお嬢さんが実在していたりもする。 とすれば、市民社会で暮らす常識ある人間は、他人の不安や恐怖を笑うことはもちろん、それらをつかまえて説教をカマすこともなるべく控えるべきだと思っている』、「私は、若い頃、暗いところがひどく怖かった。 30歳くらいになるまでは、一人で夜道を歩く時は、ほぼ全力疾走をしていた。暗い部屋や暗い倉庫には入れなかった」、小田嶋氏にもそんな時期があったとは微笑ましい。「恐怖は、説明できない部分を多く持っている。 いま現在、ウイルスへの恐怖に苦しんでいる人たちも、自分の感情が過剰反応であることは重々承知しながら、それでも怖いのだと思う。 そういう人間に向けて、「正しい情報」をおしつけることが、どんなに失礼で思いやりを欠いた行動であるのかということを、この場を借りて強く訴えておきたい」、その通りだ。
・『結論を述べる。 正しく怖がるというのは、怖がらないことではない。理性的に怖がることでもない。エビデンスとファクトに基づいて科学的に怖がることでもない。 正しく怖がる方法は、人それぞれで違っている。意外に聞こえるかもしれないが、これが本当のところだ。 万人に適用可能な正しい怖がり方は、事実上存在しないと考えるのが妥当だと、少なくとも私はそう考えている。そう考えない人がいることもわかっている。つまり、あなたの考える正しさと私の考える正しさは違っている。正しさというのは、しょせんその程度のものだ。 ツイッターを眺めていると、マスクを買い占めた(と思われる)人々や、満員電車の中で咳をしたご老人を白眼視する乗客たちを揶揄嘲笑攻撃論難する書き込みの多さにげんなりする。 ほかにも、報道に過剰反応してアルコール消毒のウエットティッシュを買いに走る庶民や、保健所に問い合わせの電話をかけまくる市民がネタとして冷笑されている。 危機や混乱にあたって冷静な態度を貫くことそのものは、けっこうなことだ。 ただ、自分の冷静さをアピールするだけではこと足りずに、あわてていたり不安に駆られていたりする人々を間抜け扱いにして笑うのは、21世紀の文明国の市民としてなさけない態度だと思う。私個人は、不安に駆られている人間をバカ扱いにすることも、新型肺炎騒動への過剰反応のひとつだと考えている。もう少し踏み込んだ言い方をすれば、情報弱者を嘲笑する人間は、素直に悲鳴を上げることができなくなっているという意味で、生物として間違った道を歩み始めているのだと思っている。 そもそも、インターネット言論は、感情を軽蔑している。 これは、私自身、パソコン通信の時代(1980年代後半~1990年代中盤まで)からネット言論に付き合ってきた人間の実体験として、強く実感しているところなのだが、伝統的に、インターネット上のコミュニケーションは、互いに顔(出自や肩書も)が見えないだけに、論理だけがものを言う曲芸じみたやりとりに着地することになっている。 前世紀末に、いわゆる「ネット論壇」なるものが形を整えつつあった頃、その運動を支えていたのはパソコン通信時代から営々と草を生やしてきた草の根BBS(掲示板)や、ニュースグループと呼ばれる投稿システムの中で、文字による対話を繰り返してきた人々だった。そして、その初期のインターネットを支えてきた面々には、少なからぬ確率でメインフレームにぶら下がっている研究者や、市井のオタクである野良パソコン技術者を含んでいた。であるからして、そもそもが理屈っぽい彼らは、議論を好み、論理的な精密さを重視する人々で、その一方で、感情を軽視し、情緒的な言葉を軽蔑する傾きを持っている人々でもあった。 そんな彼らが、ネット上の対話のルールとして、純粋な論理だけに基づくことを掲げたのは当然と言えば当然だった。 というのも、相手の肩書や地位から発する圧力(あるいは「オーラ」)の影響を一切受けることなく、純粋に言葉の力だけで、純論理的なやりとりとしての会話を交わすことは、人類が長い間夢に見ていながら実現できずにいた理想の哲学的環境だったわけで、20世紀までのネット常駐者は、そのソクラテスの時代以来の理想の対話の場に参集した人間としての自覚を持っていたからだ。 現在のネット世論も、多かれ少なかれ、ネット論壇黎明期に活躍した、ソフィストじみた人たちの影響を逃れ得ていない。 で、この殺伐としたSNSの環境を改善するために、大量のポエムなり詩なりがもっとふんだんに供給されるべきだと思っているのだが、今回のこの文章は、あんまり詩的ではなかった。反省している』、「情報弱者を嘲笑する人間は、素直に悲鳴を上げることができなくなっているという意味で、生物として間違った道を歩み始めているのだと思っている」、いくばくかの自省を込めて納得した。「この殺伐としたSNSの環境を改善するために、大量のポエムなり詩なりがもっとふんだんに供給されるべきだと思っているのだが、今回のこの文章は、あんまり詩的ではなかった」、「詩的ではなかった」のみならず、説明不足で私の理解力を超えている。いずれにしろ、他人の不安を嘲笑する傾向は困ったものだ。第三の記事での「不安」と結びつかなかったのは残念だ。
タグ:令和の日本人の多くが「不安」ならびに「恐怖」という感情を、軽視している この危機的状態において、首相が、役人の書いた紙を、下を向いて朗読するのみだ 異論を許さない社会における内閣総理大臣の発言の重さを再認識したほうがよい パンデミック 恐怖は、説明できない部分を多く持っている。 いま現在、ウイルスへの恐怖に苦しんでいる人たちも、自分の感情が過剰反応であることは重々承知しながら、それでも怖いのだと思う。 そういう人間に向けて、「正しい情報」をおしつけることが、どんなに失礼で思いやりを欠いた行動であるのかということを、この場を借りて強く訴えておきたい 国民の目線を忘れてしまった政権の奢りがここに表れている 今のような感染症対策を続ける限り、五輪より前に安倍内閣が幕を閉じることになるだろう 政治が不安に「スイッチ」を入れる 舛添 要一 イベントや活動自粛のツケは全て国民が負担するのか 専門的な知識に敬意が払われなくなり、専門家と政治家、そして市民の間の信頼が崩壊したとき、民主主義や共和制に死が訪れ、衆愚政治が始まる、とニコルズは警告する (その3)(全国民困惑の休校要請 場当たり的で五月雨式の極み 新型コロナの感染拡大は安倍政権の弔鐘となってしまうのか、コロナ対応で決定的に ネット民の「安倍離れ」が進んでいる、専門家を軽視し 不安を利用する日本の政治…新型コロナが示したこと 「不安の政治化」とは何か、小田嶋氏:人の不安を笑うな) アメリカでも日本でも、専門家の知見への軽視は大きな議論の的に 専門知軽視の風潮 安倍首相は、確たる根拠もなく47都道府県すべての小中高などに対し、休校を要請していた 専門家の提言に基づいてはいなかったという事実 より長期的に問題なのは「非常事態」に私たちが慣らされていくことである。 そしてさらに押し進めて言えば、「非常事態」において強い強制力を発揮する権力を、我々自身が求めるようになってしまうこと Newsポストセブン 「非常事態」に慣らされていく 「小中高校の休校」で日本全体が困惑 「非常事態」を宣言した権力は、法秩序の中から出発しながら、その法秩序を越えることができる いま必要なのは感染症対策だけでなく日本全体の危機管理 一斉休校は支持率低下を受けた安倍首相の苦し紛れの策 新型コロナウイルスの感染の状況次第であるが、私は五輪は開催か中止かしかないと思う JBPRESS 理性万能主義 「コロナ対応で決定的に ネット民の「安倍離れ」が進んでいる」 安倍晋三首相は今井尚哉首相補佐官らの提案を受け、菅義偉官房長官にも相談することなく、萩生田光一文科相と文部科学省担当者の反対をも押し切って、これを決めた 対策本部の会合で、今度は安倍首相が直々に、大規模なスポーツ・文化イベントについては「2週間の自粛」を求めた 安倍政権の目線の先には、今夏のオリンピック開催は絶対に成し遂げたいという思いが先立っているようにしか見えない 政治権力には、社会的な不安のトリガーを引く力がある。政治権力は、日常を「例外状態」へと変えることができる この調子では安倍政権の命脈尽きることにも 突然の発表 「専門家を軽視し、不安を利用する日本の政治…新型コロナが示したこと 「不安の政治化」とは何か」 現代ビジネス 政治権力は緊急事態かどうかを自分で決めることができ、そして決めた上で何を行うかも決めることができる 場当たり的、五月雨的な政策を連発するようでは、感染症対策にも経済活動の維持にも失敗する。政策を決めるときは、副作用などその結果にも責任を持たねばならないのである 新型コロナウイルスの感染に対する政府の対応は、後手後手 日比 嘉高 政府の対策には、これまで安倍首相を支持してきた産経新聞や百田尚樹氏ら保守層も異論を唱えるようになった 政府の新型コロナウイルス対策への不信 「全国民困惑の休校要請、場当たり的で五月雨式の極み 新型コロナの感染拡大は安倍政権の弔鐘となってしまうのか」 小中高等学校などを大規模に休校させる際にも、教育の実務家と専門家たちの知見とノウハウが必要だった 自民党の河井克行・杏里夫妻に常識外れの選挙資金1億5000万円を提供しながら選挙違反疑惑を追及せず、厚労省の大坪寛子審議官と“不倫コネクティング出張”をした和泉洋人首相補佐官の責任も問わない 原さんは安倍首相が主張する規制改革を引っ張ってきたキーマンです。功労者の人権を蔑ろにするような安倍首相のふるまいに多くのネット保守は憤り、改革への本気度を疑うようになりました 政府の国家戦略特区ワーキンググループ座長代理の原英史氏について、「国家公務員だったら、あっせん利得、収賄で刑罰を受ける」と発言したことに端を発する わたくしども日本人は、不安に陥ったり、恐怖に駆られたりする感情のあり方そのものを、理性の敗北ないしは情報収集の失敗と見なすものの考え方にすっかり染まってしまっている 情報弱者を嘲笑する人間は、素直に悲鳴を上げることができなくなっているという意味で、生物として間違った道を歩み始めているのだと思っている 森ゆうこ参議院議員 「人の不安を笑うな」 自分の冷静さをアピールするだけではこと足りずに、あわてていたり不安に駆られていたりする人々を間抜け扱いにして笑うのは、21世紀の文明国の市民としてなさけない態度だ 日経ビジネスオンライン 感染症対策と経済活動の維持のバランスをどうとるかというのは、難しい課題 令和の時代のわたくしたちはその時点から進歩するどころか 「怖がっているヤツはバカだ」「不安とか、なにガキみたいなこと言ってるわけ?」てな調子の、小学校4年生段階の小児マチズモに退行している 中国の習近平国家主席を今年4月に国賓招待することに反対 小田嶋 隆 新型肺炎感染急拡大 ネット保守層の安倍離れ
nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感