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電機産業(その6)(富士通「幹部3000人の希望退職」に映る覚悟と焦り ジョブ型雇用や要職立候補制も急ピッチで拡充、パナソニックがひそかに「業界を揺るがす新制度」を導入していた…その「意外な背景」、パナソニックの持株会社制移行に見る ステークホルダーが気付かない「本気度」、ソニーやパナソニックが再び世界で戦うために必要な「21世紀の水道哲学」) [産業動向]

電機産業については、1月27日に取上げた。今日は、(その6)(富士通「幹部3000人の希望退職」に映る覚悟と焦り ジョブ型雇用や要職立候補制も急ピッチで拡充、パナソニックがひそかに「業界を揺るがす新制度」を導入していた…その「意外な背景」、パナソニックの持株会社制移行に見る ステークホルダーが気付かない「本気度」、ソニーやパナソニックが再び世界で戦うために必要な「21世紀の水道哲学」)である。

先ずは、3月18日付け東洋経済オンライン「富士通「幹部3000人の希望退職」に映る覚悟と焦り ジョブ型雇用や要職立候補制も急ピッチで拡充」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/577375
・『「DX(デジタルトランスフォーメーション)企業へのシフト」というゴールに近づけるか。ITサービス国内首位の富士通が、幹部社員の”入れ替え”を急ピッチで進めている。 同社は3月8日、本体と国内グループ会社で募集していた早期退職に、主に50歳以上の幹部社員3031人の応募があったと発表した。退職金の積み増し分や再就職支援にかかる費用650億円を計上するため、2022年3月期の営業利益予想を下方修正。過去最高益の計画が一転、営業減益となる。 富士通のグループ従業員数は、グローバルで約13万人、国内で約8万人だ。今回の希望退職で会社を去る人数は、国内従業員の4%弱に当たる。 2019年3月期にも大規模な早期退職を実施し、45歳以上で総務や人事などの間接部門、支援部門の一般社員と幹部社員2850人が退職したが、今回はそれを上回る規模だ』、「国内従業員の4%弱」を「早期退職」とは思い切ったリストラだ。
・『過去の人員整理と根本的に違う  同社には従前から「セルフ・プロデュース支援制度」という、早期退職支援にあたる仕組みが存在する。それでも今回、同制度を一時的に広げる形で大規模な早期退職を実施したのには、成長事業を牽引できる人材の登用という狙いがある。 1月の決算説明会で磯部武司CFO(最高財務責任者)は、「富士通が自らのDX、事業モデルやプロセスの変革を進める中で、人材配置をタイムリーに実施していく必要がある」と説明。今回の早期退職は「過去にやってきた事業撤退に伴う人員整理的なものと、根本的に趣旨が異なる」と強調した。 2019年に就任した時田隆仁社長のもと、「IT企業からDX企業へ」を旗印に変革を進める富士通。従来の”御用聞き”的なシステム構築や機器販売から脱却し、コンサルティングを起点に顧客企業のDXや事業構想のパートナーを担う収益性の高いサービスへと軸足を移そうとしている。) 体制を整えるため、全社的な人事制度改革や人材配置の最適化を急いでいる。制度面ではまず、ジョブ型雇用への移行を推進。以前から導入する海外に続き、国内でも2020年4月から課長以上の幹部社員1万5000人に導入した。 ジョブ型は年功序列を廃し、職務(ジョブ)の範囲を明確化しつつ最適な能力の人材を起用する、いわば「適所適材」を目指す雇用方式だ。幹部社員に続き、今後は国内の一般社員6万5000人にもジョブ型の対象を広げる予定だ。 加えて、公募の役職(ポスト)に社員自ら立候補できるポスティング制度も大幅に拡大した。新任の課長についてはすべてポスティングで決めているという。 大和証券の上野真アナリストは「さまざまな部署で中堅幹部のポストが空くので、DXやクラウド、セキュリティーといった成長分野に精通する人材や、若手で能力の高い人材の登用が進むだろう」と指摘する。さらに「幹部の顔ぶれが変われば現場の雰囲気も一新され、収益性や成長性の面で有望なビジネスの加速につながるだろう」と評価する』、「今回の早期退職は「過去にやってきた事業撤退に伴う人員整理的なものと、根本的に趣旨が異なる」と強調」、「成長事業を牽引できる人材の登用という狙いがある」、「幹部社員に続き、今後は国内の一般社員6万5000人にもジョブ型の対象を広げる予定だ。 加えて、公募の役職(ポスト)に社員自ら立候補できるポスティング制度も大幅に拡大」、「IT企業からDX企業へ」を旗印」にする以上、当然だろう。
・『連続最高益を断念して目指すもの  富士通が手がけるシステム構築や、クラウド化などのDX関連事業に対して、足元の需要はおおむね良好だ。コロナ禍に対応するため、大手を中心に顧客企業はテレワーク環境の導入やシステムのクラウド移行などを急いでおり、それをサポートする富士通のビジネスには追い風が吹いている。 前期の2021年3月期は営業利益が2663億円に達し、過去最高を記録。今期も早期退職に伴う費用計上で下方修正をするまでは連続最高益の見通しだった。 その目先の最高益を断念してまで早期退職に踏み込んだのには、2023年3月期が中期経営計画(3カ年)の最終年度にあたるという事情もありそうだ。「IT企業からDX企業へ」の変革達成を占ううえでも、この計画の達成は1つの重要な布石になる。 同計画では2023年3月期、売上収益全体の8割超を占める事業柱で、システム構築やDX関連を担う「テクノロジーソリューション」事業において、売上収益3兆5000億円、営業利益率10%の達成を目標に掲げている。 ただこの目標のうち、売上収益については達成が厳しくなっている状況だ。時田社長は2021年12月の東洋経済の取材に対して「半導体不足も影響し、トップライン(売上収益)は思っていた道筋からやや鈍化している」と語った。 磯部CFOも直近の決算説明会で「(営業利益率10%は)ハードルは高いが必ず達成できる」と決意表明した一方、売り上げ目標については「よりハードルが高い」と、慎重な言い回しにとどめた。 時田社長の話すとおり、世界的に広がった半導体不足の影響は甚大だ。 半導体部品を扱う「デバイスソリューション」事業の業績は期初想定を大きく上振れて推移しているものの、それとは対照的に、テクノロジーソリューション事業では一部のサーバーやネットワーク機器の調達に遅れが生じるなど、悪影響が次第に深刻になった』、確かに「半導体不足の影響は甚大だ」。
・『一時的費用は減るものの  2023年3月期はどうか。半導体不足については「上期(2022年4~9月)は今の水準で影響が続くと想定し、2022年12月あたりから緩やかに改善するとみている」(磯部CFO)。売り上げへのマイナス影響がしばらく続くとの見立てだ。 一方、今回の早期退職には費用の圧縮につながるプラス効果がある。同社の平均年収などから概算して、来期の同事業において約300億円の費用減につながる見通しだ。目下かさんでいる、オフィスの改築・移転費用や社内DXなどの成長投資負担も減る見通しではある。 とはいえ、仮に来期の同事業の売り上げ規模を今期見通しと同水準と想定すると、中期経営計画で示す「10%の営業利益率」の達成には3100億円超の営業利益が必要になる。翻って、今期の同事業の営業利益は、早期退職の影響を除く実力ベースで考えると約2050億円。つまり来期は今期比で1000億円超、50%以上の増益が求められるのだ。 目標達成は一筋縄ではいかなそうだが、全社の営業利益率が15%超の野村総合研究所をはじめ「同業他社ではすでに達成している企業も多い」(大和証券・上野氏)。富士通には、次世代を担う人材の幹部登用を足場に、収益性改善のスピードをもう一段引き上げることが求められている』、「次世代を担う人材の幹部登用を足場に、収益性改善のスピードをもう一段引き上げることが求められている」、今後はかなりの困難も予想される。

次に、6月29日付け現代ビジネスが掲載した経済評論家の加谷 珪一氏による「パナソニックがひそかに「業界を揺るがす新制度」を導入していた…その「意外な背景」」を紹介しよう。
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/96838?imp=0
・『パナソニックが、在庫リスクを負担する代わりに価格決定権を持ち、店頭での値引きができない制度の導入を進めている。かつてメーカーの力は絶大で、戦後経済は小売店がメーカーから価格決定権を奪うという流れで消費経済が発展してきた。だが、ここに来て、その流れが逆転する可能性が見えてきた』、「メーカーから価格決定権を」取り戻そうというのは確かに画期的だ。
・『メーカーと小売店、「価格主導権」をめぐる争い  卸や小売店など流通部門における製品の販売価格をメーカー側が拘束することは独占禁止法違反となる。メーカーは、自社の製品について、何円で売って欲しいという希望を表明することはできるが(希望小売価格)、これを小売店などに要請することはできない。製品のカタログに「オープン価格」などと表示してあるケースをよく見かけるが、これはメーカー側がいくらで売って欲しいのかについて具体的な数字を示していないことを意味している。 製品の価格を決めるのはメーカーではなく、あくまで小売店や消費者であり、売れない製品は安く、売れる製品は高いという感覚は今では当たり前のものかもしれない。だが、こうした商習慣は最近になって確立したものであり、昭和の時代はそうではなかった。 当時も独占禁止法という法律は存在しており、メーカーが小売価格を拘束することはできなかったが、実質的にメーカーが拘束力を持ち、小売店側が自由に販売価格を決めることはできなかった。仮に安値販売する小売店があった場合には、メーカー側が嫌がらせで商品を卸さないといったこともあったといわれる。 戦後間もなくのモノが不足している時代は、こうしたメーカー主導の価格形成もうまく機能したが、社会が豊かになるにつれて、定価販売に対する不満が高まってきた。メーカー主導の価格決定に強く反発し、消費者目線の価格で製品を提供する方針を掲げて急成長したのがスーパーや量販店などの業態である。) スーパーは1960年代に急拡大し、一部の企業は店舗の大規模化に成功。その絶大な販売力を生かして、メーカーに対して強気の価格交渉を行い、店頭では大胆な値引き販売を実施するようになった。メーカーから価格決定権を奪うという意味で、一連の取り組みは「流通革命」と言われた。 特にダイエーは、価格決定権をめぐってメーカーと真っ向から対峙したことで知られており、一部のメーカーはダイエーに対して出荷を停止するなど、相当な嫌がらせを実施。ダイエー側は、裏ルートで製品を仕入れるなど、まさに戦争とも呼べる状況にまで事態はエスカレートした。 商品を安く買いたいという消費者の声は大きく、一連の流通革命はスーパーや量販店の勝利という形で終了。1991年には公正取引委員会が「流通・取引慣行ガイドライン」を制定し、メーカーによる価格拘束の是非がさらに明確に定められた。前述のように希望小売価格も示さないメーカーも出てくるなど、価格は市場が決めるという商慣行が当たり前になったと考えてよいだろう』、「一連の流通革命はスーパーや量販店の勝利という形で終了。1991年には公正取引委員会が「流通・取引慣行ガイドライン」を制定し、メーカーによる価格拘束の是非がさらに明確に定められた」、なるほど。
・『消費経済の大きな転換点に?  これによって量販店など小売店の力はさらに高まり、メーカーに対して、店頭販売員の派遣を要請できるまでになった。量販店に行くと、その量販店の名前が入った制服ではなく、メーカー名の入った制服を着た店員を見かけることがあるが、これはメーカーが量販店に派遣した販売員である。 販売員の派遣については様々な形式があるが、販売員の人件費はメーカー側が負担することが多いと言われる。量販店にしてみれば、販売員が多い方が、商品が売れるのは間違いなく、メーカーからすれば、できるだけ量販店に協力し、自社製品を多く売って欲しい。) 最近では、一部の販売員が過重労働を強いられているとして問題になり、量販店の要請による販売員の派遣を取りやめるところも出てきた。いずれにせよ、昭和後期から平成にかけては、メーカーと小売店の力関係が完全に逆転し、販売員の派遣を要請できるほどに、小売店の力は高まった。 こうした戦後の大きな流れを考えると、今回の動きは要注目といってよい。 パナソニックが導入したのは、同社が在庫リスクを負う代わりに、販売価格の決定権を持つという仕組みである。価格決定権がメーカーにあるものの、すべてのリスクをメーカーが負っているので、この場合には独占禁止法違反にはならない。 メーカーにとっては、奪い取られた価格決定権を取り戻す動きということになるが、この制度を導入した場合、価格の決定権はメーカーに戻る一方で、在庫リスクのすべてメーカーが負うため、必ずしもメーカーに有利とは限らない。それにもかかわらずパナソニックがこうした仕組みの導入を決めた背景には、2つの要因があると考えられる。 ひとつはネット販売の拡大によるさらなる廉価販売の進展、もうひとつは、このところ進んでいるインフレである』、「パナソニックが導入したのは、同社が在庫リスクを負う代わりに、販売価格の決定権を持つという仕組みである」、「メーカーにとっては、奪い取られた価格決定権を取り戻す動きということになるが、この制度を導入した場合、価格の決定権はメーカーに戻る一方で、在庫リスクのすべてメーカーが負うため、必ずしもメーカーに有利とは限らない」、「パナソニックがこうした仕組みの導入を決めた背景には、2つの要因があると考えられる。 ひとつはネット販売の拡大によるさらなる廉価販売の進展、もうひとつは、このところ進んでいるインフレである」、「インフレ」下では「販売価格の決定権」を取り戻す意味はありそうだ。
・『本格的なインフレ時代が到来する前兆  近年、ネット販売の比率が上昇したことで、製品の販売価格がさらに不安定になってきた。量販店とメーカーは互いに価格の主導権をめぐって争い続けてきたものの、メーカーにとって量販店は主要な販路であり、量販店にとっては重要な仕入れ先なので、最終的にはどこかで妥協できる。メーカーと量販店の交渉がまとまれば、価格は最適な水準で落ち着くはずだ。 ところがネット通販の場合、小規模を含めた多数の事業者が様々なルートで商品を販売するため、製品によっては激しく値崩れするケースが出てくる。こうした事態を受けてメーカーと量販店は、一定以上の利益を確保するため、最新モデルを比較的高い価格で販売することに力を入れるようになってきたが、これがさらに値崩れを激しくする結果を招いている(春に出た新製品の価格が、次のモデルが出る秋になると半値以下になっていることもザラである)。 大幅に値崩れした製品があると、メーカーにとってはブランド力の低下につながるため、そうした事態はできるだけ避けたい。在庫のリスクを負うことで、値崩れを防げるのであれば、当該リスクを負った方がよいとの判断はあり得るだろう。 加えて、世界的な物価高騰の影響を受けて、とうとう日本国内でもインフレが進みつつあり、これも新制度の導入を後押ししている。日本の場合、物価高騰に円安が加わっていることから、メーカーにとっては部品など仕入れコストの上昇が激しくなっている。国内では長く不景気が続き、賃金も上がっていないことから、消費者の購買力が低下しているため、小売店側の論理からすると、簡単に商品の値上げは決断できない。 メーカーがコスト上昇分を価格に転嫁するためには、ある程度、メーカーが価格をコントロールする必要が出てくる。インフレは長期化するとの見通しが高まっており、今後、他のメーカーの中からも同じような仕組みの導入を決断するところが出てくるだろう。もしこの動きが市場全体に波及した場合、数十年ぶりに価格の主導権がメーカーに移ることになるかもしれない。 まだ大きなニュースにはなっていないが、この動きは日本でも本格的なインフレ時代が到来することの前兆かもしれない。場合によっては時代の大きな転換点となる可能性も十分にある』、「メーカーがコスト上昇分を価格に転嫁するためには、ある程度、メーカーが価格をコントロールする必要が出てくる。インフレは長期化するとの見通しが高まっており、今後、他のメーカーの中からも同じような仕組みの導入を決断するところが出てくるだろ」、「場合によっては時代の大きな転換点となる可能性も十分にある」、同感である。

第三に、7月5日付けダイヤモンド・オンラインが掲載した早稲田大学大学院経営管理研究科教授の長内 厚氏による「パナソニックの持株会社制移行に見る、ステークホルダーが気付かない「本気度」」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/305917
・『パナソニックが持株会社制へ移行した本当の意義  2021年、パナソニックでは12年からトップを務めてきた津賀一宏氏から楠見雄規氏に社長が交代し、同時に持株会社制への移行を発表。今年4月にはパナソニックホールディングスへ商号変更した。社名変更といえば、ソニーも昨年4月、本社をソニーグループに変更し、各事業会社がその下にぶら下がる格好になった。両社のこのタイミングでの組織変更やパナソニックの社長交代は何を意味するのだろうか。 結論から言えば、両社とも歴史を紐解けば両社らしい意思決定だということだ。パナソニックは、日本でいち早く事業部制を実施し、事業部ごとに商売の責任を持たせることで、ミドルマネジメントや現場社員の士気を上げてきた。戦後の財閥解体の流れの中で、当時の松下は松下電器産業と松下電工に分かれたが、これも戦前に松下幸之助がつくった事業部が独立会社になった格好だ。 松下正治社長時代に始めた事業本部制も、松下が他社に先駆けて実施した組織形態であったし、現在までにビジネスユニットごとのカンパニー制を実施してきた。かつては持株会社制が禁止されていたので、言わばバーチャルに持株会社制を実施してきたのがパナソニックの歴史である。 今回の持株会社制への移行は、パナソニックの業務範囲の広がりと、コロナ禍をはじめとしたそれぞれの事業が直面している不確実性の高さから、全社戦略と個々の事業戦略を1つの会社の1人のトップが見ることが難しい状況になったということであろう。津賀社長への評価は、在任中の10年近くの前半と後半で大きく異なるといえる。前半は、特定の問題を抱える事業を切り離して、注力すべき事業に集中して経営資源を投入し、グループ全体のトップが個別事業へのてこ入れを行うことで、経営の改善をしてきた。 その後、全体のポートフォリオを考えた全社戦略と、個別の事業戦略の陣頭指揮を1人のトップが担う限界が見えてきたわけだが、これは津賀社長個人の資質や能力の問題ではないにもかかわらず、任期後半の氏の評価の低下に影響しているのではないだろうか。 これまでも各カンパニー長が独立して事業責任を負ってきたため、「持株会社制に移行しても結局カンパニー制と変わらないのではないか」という反論もあるかもしれない。しかし、商法上独立した事業会社の社長と、バーチャルな企業内組織のトップでは、その責任や重圧はやはり異なるのではないか。 松下幸之助氏が事業部制を持株会社制として実施しなかったのは当時の法規制によるもので、もしかすると現代において松下幸之助がパナソニックのリーダーであったら、やはり持株会社制に移行していたのではないだろうか。今日のパナソニックが置かれた状況は、松下幸之助の時代とは大きく異なるが、幸之助イズムを現代的に解釈すれば、パナソニックの持株会社制移行はわりと素直に受け入れられる気がする』、「松下幸之助氏が事業部制を持株会社制として実施しなかったのは当時の法規制によるもので、もしかすると現代において松下幸之助がパナソニックのリーダーであったら、やはり持株会社制に移行していたのではないだろうか」、その通りかも知れない。
・『カンパニーと独立事業会社に 見える「本気度」の差とは  各ビジネスユニットにおけるトップの本気度という話に戻れば、筆者も前職でカンパニー制が敷かれていた頃のソニーに在職していたが、「どうせ数年すればカンパニーの枠組みは変わる」「今は自分のカンパニーの業績が悪くても、ソニー自体が潰れるということはないだろう」といった、実際の企業の社長のような本気度が見られないカンパニーのトップもいたように思える。 事業ユニットの経営に対する本気度は、バーチャルなカンパニーと実際の独立した事業会社では異なるのではないだろうか。現在、ソニーの社長を務める吉田憲一郎氏も副社長でCSOの十時裕樹氏も、現在のSo-net運営会社やソニー銀行など、ソニーグループの中で本社の一部門ではなく、独立した事業会社の経営を担って、平井一夫前社長時代のソニーの経営を支えてきた。平井氏自身も、ミュージックからゲームまで多様な独立事業のトップを務めた経歴を持つ。 So-netもソニー銀行も、ステークホルダーから「本業ではない」と言われ続けてきた事業会社であり、それらをいかに持続させ発展させるかは、経営者としての本気度が問われただろう。ある意味、本社のコア事業と言われるビジネスは、本社という大きな組織に守られたぬるま湯的な事業でもある。そこで育ったリーダーと比べて平井、吉田、十時体制以降のソニーが好調なのは、ぬるま湯的な本社ではなく、周縁の子会社の経営者として、本当に厳しい経営を経験してきたことによるのかもしれない。) もちろん、事業ユニットごとに別会社をつくれば、いざというときに切り売りして選択と集中がしやすくなるということもあるだろう。しかしそれ以上に、パナソニックやソニーが期せずして事業会社を独立させたのは、各事業がそれぞれ真剣に不確実な世の中をサーバイブするための経営を、ミドルマネジメントに期待しているということの表れではないだろうか。切り売りしやすい組織形態であるということは、各事業会社のトップにとっては、切り売りされない経営とその結果が求められるからである』、「本社のコア事業と言われるビジネスは、本社という大きな組織に守られたぬるま湯的な事業でもある。そこで育ったリーダーと比べて平井、吉田、十時体制以降のソニーが好調なのは、ぬるま湯的な本社ではなく、周縁の子会社の経営者として、本当に厳しい経営を経験してきたことによるのかもしれない」、言われてみれば、その通りなのだろう。
・『ソニーはもともと何をするかわからない会社だった  ソニーも本社をソニーグループに社名変更して、その下に各事業会社がぶら下がる形態となった。これまで本業と言われてきたエレクトロニクスもその1つになり、音楽、映画、ゲーム、金融と様々な事業と横並びになる。それを「僕らのソニーは終わった」と嘆く人もいる。センチメンタルにいえば、自分もエレキのソニーに憧れて入社した1人なので、その気持ちはわからなくもない。 しかし、そもそもソニーが東京通信工業株式会社という電子技術の会社から、ソニー株式会社という何の事業を行っているのかさえわからない名称の会社に変わった歴史を紐解くと、ソニーとは「本業のない会社」であることがわかる。 ソニーの社史によると、東通工からソニーへ社名変更をする際にステークホルダーから「ソニー株式会社では何の会社なのかわからない。せめてソニー電子などにしたらどうか」と言われたのに対し、当時の経営者は「ソニーがいつまでエレクトロニクス関連の事業をしているかはわからない。社名で事業を縛ることで将来のソニーの可能性を狭めたくない」と説明し、あえてソニー株式会社にしたという。「今のソニーは何の会社かわからない」という皮肉を言う人もいるが、まさにその通りで、ソニーとは時代によって何をするかわからない会社であり、そもそもそれが正解なのだろう。 だからこそ、エレキもあり、エンタテインメントもあり、金融もあるという現在のソニーは、創業時にやっていたことを形式上トレースするのではなく、新しい分野にどんどんトライしていこうという創業世代のフィロソフィーを、受け継いでいるのだと思える。 こうして見ると、パナソニックもソニーも、健全に創業の理念を受け継いでいると言えるのではないだろうか。その意味で、パナソニックに受け継いでほしい創業の理念は「水道哲学」である。これについては次回に議論したい』、「ソニーへ社名変更をする際にステークホルダーから「ソニー株式会社では何の会社なのかわからない。せめてソニー電子などにしたらどうか」と言われたのに対し、当時の経営者は「ソニーがいつまでエレクトロニクス関連の事業をしているかはわからない。社名で事業を縛ることで将来のソニーの可能性を狭めたくない」と説明し、あえてソニー株式会社にしたという」、社名をめぐってそんなエピソードがあったのは初めて知った。

第四に、この続きを、7月6日付けダイヤモンド・オンラインが掲載した早稲田大学大学院経営管理研究科教授の長内 厚氏による「ソニーやパナソニックが再び世界で戦うために必要な「21世紀の水道哲学」」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/305968
・『イノベーションを阻害する本業ではないから切り捨てるという発想  前回の記事では、パナソニックもソニーも案外創業の理念を正しく受け継いでいるという話をした。その最後に、パナソニックにはぜひ今こそ「水道哲学」を受け継いでほしいとも語った。 そもそも、イノベーションとはインベンション(発明)とイコールではない。常に新しい技術をゼロから開発すれば、イノベーションが生まれるものではない。むしろイノベーションとは、日本語訳で「新結合」とされるように、新しい組み合わせであって、組み合わせるもの同士は新しくなくてもよい。 ソニーのビジネスの柱の1つとなっているプレイステーションのゲーム事業も、ソニーミュージック(当時のCBSソニー)の丸山茂雄氏がサプライチェーン改革によって生み出したレコード会社の付加価値創造と、ソニーの久夛良木健氏がもともとは放送局用機器で活用していたポリゴン技術を、新たに組み合わせたイノベーションであった。 久夛良木氏のポリゴン技術は、ゲーム業界に全く新しいリアリティのある映像を持ち込んだ。しかし、ゲームソフトを開発するのはサードパーティのソフトウェアハウスであり、彼らがソフトを供給してくれなければ、ゲーム機はタダの箱である。 プレイステーションのもう1つの成功は、それまで旧態依然としていたゲームメーカー、ソフトウェアハウス、おもちゃ問屋、小売店の関係性を改め、かつてファミコン時代に見られた抱き合わせ販売のような、サプライチェーンの一部にしわ寄せが行くビジネスの慣行を改善したことが大きかった。ゲーム機メーカー以外のソフトウェアハウス、流通も含めて、全ての事業者に利益をもたらすサプライチェーン改革をしたことによって、サードパーティがソニーの味方についてくれたのだ。 ソニーミュージックには丸山学校というソニーミュージック流の経営を学ぶ勉強会があったそうだが、同社のこうしたビジネスの能力もまたソニーグループの大切な資産であり、ソニーグループが全社の資産を上手く使いこなすことが今後も求められる。 「本業ではないから切り捨てる」という発想は、イノベーションを阻害する。ソニーグループの強みは一見シナジーがないように見える、様々な業種の集まりであるところだと、イノベーション研究を本業とする筆者は見ている』、「「本業ではないから切り捨てる」という発想は、イノベーションを阻害する」、その通りだ。「久夛良木氏のポリゴン技術は、ゲーム業界に全く新しいリアリティのある映像を持ち込んだ。しかし、ゲームソフトを開発するのはサードパーティのソフトウェアハウスであり、彼らがソフトを供給してくれなければ、ゲーム機はタダの箱である。 プレイステーションのもう1つの成功は、それまで旧態依然としていたゲームメーカー、ソフトウェアハウス、おもちゃ問屋、小売店の関係性を改め、かつてファミコン時代に見られた抱き合わせ販売のような、サプライチェーンの一部にしわ寄せが行くビジネスの慣行を改善したことが大きかった」、やはり「プレイステーション」は典型的な「イノベーション」の成功例のようだ。
・『苦境期におけるソニーとパナソニック・シャープの決定的な違い  これまで、パナソニックとソニーを同列に論じてきたが、今ソニーの経営は絶好調なのに対しパナソニックは不調であり、比較にならないのではないかとの批判があるかもしれない。しかし、パナソニックの津賀一宏社長やソニーの平井一夫社長がそれぞれ就任した2010年代の始めは、両社の立場を入れ替えて同じことが言われていたのを忘れてはいけない。 パナソニックの現在の問題の1つを遡るとすれば、2010年代始めにV字回復をして、メディアにもてはやされたことにあるのではないかと筆者は考える。同様に、当時V字回復した企業にシャープがある。パナソニックやシャープがV字回復する中で、ソニーだけが経営の回復が遅れ、「さよならソニー」「ソニーだけが凋落」とメディアに書き立てられ、当時の平井社長を「レコード屋の兄ちゃんにソニーの経営は無理」とまで罵る記事も多く見受けられた。 一方で、V字回復したパナソニックやシャープの経営は素晴らしいともてはやされたのである。しかし、考えて欲しい。利益とは売上から支出を引いたものである。支出には将来の事業への投資分も含まれる。 具体的にいえば、当時のパナソニックやシャープは研究開発投資を削減する方向に動いた。一方ソニーの平井社長は、エレクトロニクス事業の選択は行ったものの、残した事業への研究開発投資は赤字の中でも続けてきたのである。 研究開発は未来の収益源である。今期の経営数値には表れないが、確実に将来の経営を左右するものである。そうした未来の収益源を減らせば、見かけ上経営はV字回復する。大抵の場合、企業のV字回復は将来の利益の先取りでしかない。現在の楠見パナソニックに求められるのは、短期的な見かけ上のV字回復ではなく、長期的な組織能力の向上であり、将来への投資を疎かにしない経営であろう。 最後に、パナソニックとソニーの両社に苦言を呈するとすれば、経営を建て直した後、パナソニックはおそらく数年後の、ソニーは足もとの課題として、「今後何をして、どのようにグローバルな競争の中で戦っていくのか」というビジョンを明確に示していくことが、まだ不十分かもしれない。 パナソニックもソニーも、日本を代表する大企業である。しかし、グローバルで見れば、時価総額は決して上位に食い込んではいない。とはいえ、両社には優れた技術の蓄積がある。パナソニックといえば、松下幸之助の商売のイメージが強いかもしれないが、高い技術開発力を持ち、他社にない技術的優位性をいくつも持っている会社である。) これらの技術や経営資源を使って、パナソニックやソニーは世界でどうありたいのか、トップがもっと明確に示して欲しい。両社とも新規事業創出の組織をつくり、ユニークな事業をいくつも生み出し始めているが、どれもグローバルに両社を牽引していく事業に育つ道筋は見えていない。 ソニーの場合、「動くもの」というところにヒントがあるのかもしれない。aiboの復活やEVの開発、最近ではドローン事業への参入など、エレクトロニクスから古き良きメカトロニクスの分野で、新しいものを見せ始めている。 世間ではGAFAがもてはやされているが、プラットフォーマーの彼らにもハードウェアは必要だ。Amazon AlexaもAmazon Echoという端末がなければ使えないし、Facebookも大量にデータを処理するデータセンターにはハードウェアが必要である。こうしたハードウェアの開発は、日本やアジア地域の企業のハードの力をなくしては実現しない。 東芝の島田太郎社長が指摘するように、GAFAの弱点はハードにあるといってもよい。現在は、IoTのサプライチェーンの中で、ソフトウェア領域を担っているところがうまみを持っているが、ハードウェア領域の会社がプラットフォームリーダーになることも、理論的には不可能ではないはずだ。 パナソニックもソニーも、ハードがつくれるという強みがある。ただし、ハードウェアの機能性能だけで勝てるほど今の市場は甘くない。たとえばパナソニックの車載電池事業も、規模を追う一方で、「世界でなにがなんでもナンバーワンの電池サプライヤーになる」という本気度は、生産設備の投資からはうかがえない。そこは、「いたずらに規模を追わずに技術で差別化を」となってしまう』、「当時のパナソニックやシャープは研究開発投資を削減する方向に動いた。一方ソニーの平井社長は、エレクトロニクス事業の選択は行ったものの、残した事業への研究開発投資は赤字の中でも続けてきたのである」、当時、「パナソニックやシャープ」は「V字回復」、経営がもてはやされていたが、「研究開発投資を削減する方向に動いた」、「ソニー」は「残した事業への研究開発投資は赤字の中でも続けてきた」とは大したものだ。
・『ハードだけが競争力ではない 「21世紀の水道哲学」が必要だ  むしろここで、「世界で最も安価に、大量にリチウムイオン電池を供給できるのはパナソニックだ」と、「21世紀の水道哲学」を主張してもらいたい。グローバルに部品や技術を組み合わせ、分業によって製品をつくり出す今日、とりわけ電池のような部品ビジネスで自社しかつくれないユニークな製品というのは、むしろ製品価値を下げるかもしれない。 EVのバッテリー供給を受ける自動車メーカーにしてみれば、様々な企業から複数購買をしたいはずである。1社の技術に縛られれば、サプライヤーに肝を握られてしまうからだ。そうすると、BtoBの部品事業は標準化を指向するようになる。日本が得意な自社しかつくれない部品は、もはや非標準の使いにくい部品に過ぎない。シャープが液晶の外販も視野に入れて建設した堺コンビナートで失敗したケースも、同じであろう。) 今のところソニーのセンサービジネスは、グローバルナンバーワンを目指すため、しっかりとした生産設備への投資を行っているように見える。しかし油断をすれば、すぐに韓サムスンに追いつかれてしまうかもしれないし、そのためにもセンサーの次の事業を育てていく必要がある。 この先10年のパナソニックとソニーは、何をする会社なのか。また、その事業でグローバル展開できるのか。これは両社が現在課せられた宿題だろう。 国内でしか売れない商品をつくっても、パナソニックやソニーほどの規模を持つ企業は経営を維持することはできない。グローバルに何の会社になるのか、持株会社制への移行によって事業形態が複雑になった今こそ、ステークホルダーを納得させる方向性をしっかり示すことが両社に求められる』、「21世紀の水道哲学」については、私には安値イメージが強過ぎ、これまでの日本的経営の弱点と考えているので、これが「必要」との筆者の主張には同意できない。 
・『ソニーとパナソニックが肝に銘じるべき逆転の発想  やはり、求められるのは「水道哲学」である。「安かろう、悪かろう」を売るのではない。安くつくって大量に売ることで、少量の高いものをつくるための原資をつくる。それが今日の「水道哲学」の意義であろう。 パナソニックもソニーも、今よりさらに規模を縮小したいのであれば、販売数量を減らし、規模に見合った中堅メーカーになればよい。しかし、多くの社員とその家族、両社を支え日本に数多く存在するサプライヤーのことを考えれば、規模を負うことも重要であるし、規模を追えば規模の経済性のメリットが享受できる。 米中貿易摩擦や、ロシアのウクライナ侵攻とそれを容認する中国に対して、世界は厳しい目を向けている。IoTとはあらゆる家電製品に通信機能が入り込むということだ。基地局設備は米国でも英国でも、ファーウェイを排除する方向にある。しかし、クライアント機器が中国製であれば、そこが抜け道になるのは当然のことである。日本の防衛省でもレノボのPCを使っているという話を聞いたが、それこそ日本のパナソニックの「レッツノート」が全官庁の標準PCになってもいいはずだ。経済安全保障は日本のエレクトロニクス企業にとって、大きなチャンスとなる。 今こそ反転攻勢に出て、世界で規模を追い求めるときではないだろうか』、「経済安全保障は日本のエレクトロニクス企業にとって、大きなチャンスとなる」、確かに事実だが、それだけでは限界がある。「反転攻勢に出て、世界で規模を追い求める」には、何らかの強味を付け加える必要があるのではなかろうか。 
タグ:「一連の流通革命はスーパーや量販店の勝利という形で終了。1991年には公正取引委員会が「流通・取引慣行ガイドライン」を制定し、メーカーによる価格拘束の是非がさらに明確に定められた」、なるほど。 「メーカーから価格決定権を」取り戻そうというのは画期的だ。 「メーカーがコスト上昇分を価格に転嫁するためには、ある程度、メーカーが価格をコントロールする必要が出てくる。インフレは長期化するとの見通しが高まっており、今後、他のメーカーの中からも同じような仕組みの導入を決断するところが出てくるだろ」、「場合によっては時代の大きな転換点となる可能性も十分にある」、同感である。 加谷 珪一氏による「パナソニックがひそかに「業界を揺るがす新制度」を導入していた…その「意外な背景」」 現代ビジネス 「次世代を担う人材の幹部登用を足場に、収益性改善のスピードをもう一段引き上げることが求められている」、今後はかなりの困難も予想される。 確かに「半導体不足の影響は甚大だ」 「今回の早期退職は「過去にやってきた事業撤退に伴う人員整理的なものと、根本的に趣旨が異なる」と強調」、「成長事業を牽引できる人材の登用という狙いがある」、「幹部社員に続き、今後は国内の一般社員6万5000人にもジョブ型の対象を広げる予定だ。 加えて、公募の役職(ポスト)に社員自ら立候補できるポスティング制度も大幅に拡大」、「IT企業からDX企業へ」を旗印」にする以上、当然だろう。 「国内従業員の4%弱」を「早期退職」とは思い切ったリストラだ。 「パナソニックが導入したのは、同社が在庫リスクを負う代わりに、販売価格の決定権を持つという仕組みである」、「メーカーにとっては、奪い取られた価格決定権を取り戻す動きということになるが、この制度を導入した場合、価格の決定権はメーカーに戻る一方で、在庫リスクのすべてメーカーが負うため、必ずしもメーカーに有利とは限らない」、「パナソニックがこうした仕組みの導入を決めた背景には、2つの要因があると考えられる。 ひとつはネット販売の拡大によるさらなる廉価販売の進展、もうひとつは、このところ進んでいるインフレである」 東洋経済オンライン「富士通「幹部3000人の希望退職」に映る覚悟と焦り ジョブ型雇用や要職立候補制も急ピッチで拡充」 「ソニーへ社名変更をする際にステークホルダーから「ソニー株式会社では何の会社なのかわからない。せめてソニー電子などにしたらどうか」と言われたのに対し、当時の経営者は「ソニーがいつまでエレクトロニクス関連の事業をしているかはわからない。社名で事業を縛ることで将来のソニーの可能性を狭めたくない」と説明し、あえてソニー株式会社にしたという」、社名をめぐってそんなエピソードがあったのは初めて知った。 「本社のコア事業と言われるビジネスは、本社という大きな組織に守られたぬるま湯的な事業でもある。そこで育ったリーダーと比べて平井、吉田、十時体制以降のソニーが好調なのは、ぬるま湯的な本社ではなく、周縁の子会社の経営者として、本当に厳しい経営を経験してきたことによるのかもしれない」、言われてみれば、その通りなのだろう。 「松下幸之助氏が事業部制を持株会社制として実施しなかったのは当時の法規制によるもので、もしかすると現代において松下幸之助がパナソニックのリーダーであったら、やはり持株会社制に移行していたのではないだろうか」、その通りかも知れない。 「「本業ではないから切り捨てる」という発想は、イノベーションを阻害する」、その通りだ。「久夛良木氏のポリゴン技術は、ゲーム業界に全く新しいリアリティのある映像を持ち込んだ。しかし、ゲームソフトを開発するのはサードパーティのソフトウェアハウスであり、彼らがソフトを供給してくれなければ、ゲーム機はタダの箱である。 プレイステーションのもう1つの成功は、それまで旧態依然としていたゲームメーカー、ソフトウェアハウス、おもちゃ問屋、小売店の関係性を改め、かつてファミコン時代に見られた抱き合わせ販売のような、サプライ 長内 厚氏による「パナソニックの持株会社制移行に見る、ステークホルダーが気付かない「本気度」」 ダイヤモンド・オンライン 「当時のパナソニックやシャープは研究開発投資を削減する方向に動いた。一方ソニーの平井社長は、エレクトロニクス事業の選択は行ったものの、残した事業への研究開発投資は赤字の中でも続けてきたのである」、当時、「パナソニックやシャープ」は「V字回復」、経営がもてはやされていたが、「研究開発投資を削減する方向に動いた」、「ソニー」は「残した事業への研究開発投資は赤字の中でも続けてきた」とは大したものだ。 長内 厚氏による「ソニーやパナソニックが再び世界で戦うために必要な「21世紀の水道哲学」」 「経済安全保障は日本のエレクトロニクス企業にとって、大きなチャンスとなる」、確かに事実だが、それだけでは限界がある。「反転攻勢に出て、世界で規模を追い求める」には、何らかの強味を付け加える必要があるのではなかろうか。 「21世紀の水道哲学」については、私には安値イメージが強過ぎ、これまでの日本的経営の弱点と考えているので、これが「必要」との筆者の主張には同意できない。 (その6)(富士通「幹部3000人の希望退職」に映る覚悟と焦り ジョブ型雇用や要職立候補制も急ピッチで拡充、パナソニックがひそかに「業界を揺るがす新制度」を導入していた…その「意外な背景」、パナソニックの持株会社制移行に見る ステークホルダーが気付かない「本気度」、ソニーやパナソニックが再び世界で戦うために必要な「21世紀の水道哲学」) 電機産業
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日本の構造問題(その27)(「絶滅する組織」と「生き残る組織」の違い 世界トップ2に選出された経営学者が徹底解説! リタ・マグレイス教授(コロンビア大学ビジネススクール)インタビュー(前編、終身雇用とイエスマン人生 米著名経営学者が「日本企業のジレンマ」を徹底分析! リタ・マグレイス教授(コロンビア大学ビジネススクール)インタビュー(後編)、岸田ブレーンが語る日本経済低迷の「真犯人」 村井英樹首相補佐官が語る「岸田政策」の裏側) [経済政治動向]

日本の構造問題については、5月27日に取上げた。今日は、(その27)(「絶滅する組織」と「生き残る組織」の違い 世界トップ2に選出された経営学者が徹底解説! リタ・マグレイス教授(コロンビア大学ビジネススクール)インタビュー(前編、終身雇用とイエスマン人生 米著名経営学者が「日本企業のジレンマ」を徹底分析! リタ・マグレイス教授(コロンビア大学ビジネススクール)インタビュー(後編)、岸田ブレーンが語る日本経済低迷の「真犯人」 村井英樹首相補佐官が語る「岸田政策」の裏側)である。

先ずは、5月17日付けダイヤモンド・オンラインが掲載したニューヨーク在住ジャーナリストの肥田美佐子氏による「「絶滅する組織」と「生き残る組織」の違い、世界トップ2に選出された経営学者が徹底解説! リタ・マグレイス教授(コロンビア大学ビジネススクール)インタビュー(前編)」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/303242
・『ベストセラー『競争優位の終焉』の著者で、NYのコロンビア大学ビジネススクール教授であるリタ・マグレイス氏。「世界の経営思想家トップ50」の常連であり、2021年にはトップ2に選ばれた。競争優位とイノベーションの権威であるマグレイス教授は、『Seeing Around Corners: How to Spot Inflection Points in Business Before They Happen』(『曲がり角の先を見通す――ビジネスの変曲点を事前に見いだす』未邦訳、2019)の中で、企業の命運は「変曲点」を予見できるかどうかにかかっていると指摘。変曲点を見損なうと「破滅的結末」を迎える、と警告する同教授に話を聞いた(Qは聞き手の質問)、「ビジネスの変曲点を事前に見いだす」とは興味深そうだ。
・『「曲がり角の先」を見通せるリーダーだけが現代の市場で成功を手にできる  Q:教授のベストセラー『競争優位の終焉――市場の変化に合わせて、戦略を動かし続ける』(日本経済新聞出版)の原書が出版されてから約9年。テック企業による既存の業界の「破壊」やパンデミックによって、企業を取り巻く環境は過酷さを増しています。 2019年9月に上梓した『Seeing Around Corners』(『曲がり角の先を見通す』/未邦訳。企業におけるイノベーション研究における第一人者、故・クリステンセン教授が序章を担当した)では、「変曲点」が訪れる前にそれを予見し、その破壊的影響力を生かして自社の戦略的優位を築くことの重要性を、あなたは説いていますね。 (マグレイス氏の略歴はリンク先参照) この変曲点を見いだせるかどうかで、米アマゾン・ドット・コムや米ネットフリックスのように、既存の業界を「破壊」する企業になれるかどうかが決まる、と。変曲点を見いだせなければ、2010年に経営破綻した米ビデオレンタル大手・ブロックバスターのように「破滅的結末」を迎えることになると、あなたは警告しています。「曲がり角の先」を見通せるリーダーだけが、現代の市場で成功を手にできる、と。 ずばり、絶滅しそうな企業の特徴とは何でしょうか? リタ・マグレイス(以下、マグレイス) まず、「変曲点」とは、それまで当然だと思っていた状況が変化し、10倍の影響力を生み出すような大変革が起こる転換点のことです。長期的視野に立った投資に二の足を踏み、短期的視野でしか物事を見ていない企業は、変曲点に気づくことができません。 短期的視野が引き起こす弊害は2つ。まず、市場に出せるようなイノベーションを起こせないこと。次に、短期的視野に立った、間違っている前提に基づく投資決定を招くことです。苦境に陥っている企業は、代案を検討する時間を惜しむものです。 その典型的な例が、米ゼネラル・エレクトリック(GE)です。同社はかつて世界で最も称賛される企業でしたが、四半期ごとの決算を超えた視点に欠けていました。 GEは2015年11月、フランスの重電大手・アルストムのエネルギー事業を買収しました。向こう20年間は、再生エネルギーがコスト競争力のあるエネルギー源にはならないという見通しを立て、化石燃料がエネルギー源として持ちこたえられるという、誤った前提に賭けたのです。世界中の発電所にサービスを提供するというアイデアに基づく、大規模な買収でした。 ところが、GEの見立ては外れ、再生エネルギーの価格は下がり、気候変動対策が一大問題になりました。これは、企業が、到来する「変曲点」を見損なった代表例です。 次に、メディア企業を例に取りましょう』、「変曲点を見いだせるかどうかで、米アマゾン・ドット・コムや米ネットフリックスのように、既存の業界を「破壊」する企業になれるかどうかが決まる、と。変曲点を見いだせなければ、2010年に経営破綻した米ビデオレンタル大手・ブロックバスターのように「破滅的結末」を迎えることになると、あなたは警告」、「GEは2015年11月、フランスの重電大手・アルストムのエネルギー事業を買収」、「向こう20年間は、再生エネルギーがコスト競争力のあるエネルギー源にはならないという見通しを立て、化石燃料がエネルギー源として持ちこたえられるという、誤った前提に賭けた」、「「変曲点」を見損なった代表例」、なるほど。
・『既存の業界を「破壊する企業」と「破壊される企業」の3つの違い  私がコロンビア大学ビジネススクールで教え始めたのは1993年ですが、当時、ビデオメッセージを1億人に届けようと思ったら、大変な労力が必要でした。何人ものスタッフがアナログカメラで撮影し、テープを世界中に郵送しなければなりませんでした。まだデジタル化のはしりで、高速ブロードバンドのインターネット回線などなかったからです。 でも今や、ティーンエージャーが持っている安価な携帯電話にもメッセージを届けられる時代です。メディア企業にとって、ネットに接続できる誰もがライバルと化したのです。 30~40年前、大手テレビ局は1つの番組で60万~70万人の視聴者を魅了したものですが、状況は激変しました。コンテンツの数が増える一方で、視聴者層は、はるかに小規模化しています。人気のある番組でも、もはや60万人の視聴者を獲得することなどできません。 メディア事業全体の「経済学」が一変したのです。 Q:既存の業界を「破壊する企業」と「破壊される企業」の違いは何でしょうか? マグレイス 3つの大きな違いがあります。最大の違いは、「マインドセット」(発想・考え方)です。 2つ目は、リーダー層が、未知の実験に挑む度胸を持っていないことです。 現況はうまくいっていても、挑戦を怠るような「怠け者にはなるまい」という気概が大切です。新しいことを試し続けなければ、と駆り立てられるような「健全なパラノイア」精神とでも言ったらいいでしょうか。 リーダー層のあり方は極めて重要です。成功している企業では、リーダー層が、自分自身の利益と自社の利益のバランスをうまく取っています。でも、多くの企業のリーダー層は、そうではありません。自分たちの利益に固執する一方で、自社がうまくいっているか? 健全か? ということには無頓着です。 3つ目の大きな違いは、自社が属しているエコシステムとの関係をどのようにかじ取りするか? ということです。 多くの企業は、エコシステムとの関係など頭になく、自社のことだけを考えて計画を立てます。エコシステムが付加価値を与えてくれるとは考えないのです。 Q:企業を取り巻く環境が変化にさらされる中、経営陣は、手遅れになるまで問題の存在を認めないことが多いそうですね。経営陣が問題を頑(がん)として認めず、過去の競争優位にしがみつき、最悪の場合、自社を破滅的な結末に至らせるのはなぜでしょう? マグレイス 経営陣が変化の到来を認めたがらない理由はたくさんありますが、第1の理由は、「人間の特性」からくるものです。システムの刷新には「変革」という難題が伴い、新しいスキルや能力が必要になるからです。 2つ目の理由は、多くのリーダーが長期的視野で経営に臨んでいないことです。米国では、最高経営責任者(CEO)の在任年数は5年以下であることが多いため、在任期間以降も続くような変革には挑もうという気にならないのです。 本物の変革は長い年月を要します。5年で交代することが多いCEO には、10年かかるような変革への意欲など湧きません』、「メディア企業にとって、ネットに接続できる誰もがライバルと化したのです。 30~40年前、大手テレビ局は1つの番組で60万~70万人の視聴者を魅了したものですが、状況は激変しました。コンテンツの数が増える一方で、視聴者層は、はるかに小規模化しています。人気のある番組でも、もはや60万人の視聴者を獲得することなどできません」、「米国では、最高経営責任者(CEO)の在任年数は5年以下であることが多いため、在任期間以降も続くような変革には挑もうという気にならないのです。 本物の変革は長い年月を要します。5年で交代することが多いCEO には、10年かかるような変革への意欲など湧きません」、なるほど。
・『企業に求められるのは、許可不要の組織づくりと「ジグザグのキャリア」を持つリーダー  Q:『競争優位の終焉』や、「ハーバード・ビジネス・レビュー」2012年1~2月号に寄稿した「10年連続で好業績を続ける秘訣」(邦訳版はダイヤモンド社2013年1月号)で、あなたは、世界の企業4793社を対象にした研究を紹介しています。 2000~2009年にかけて、10年連続で純利益が年率5%以上増加するという異例の高成長を遂げた「アウトライヤー(外れ値)企業」は10社とのこと。日本企業では、ヤフー株式会社(当時)が入っていました。アウトライヤー企業の特徴として、リーダーシップと企業の価値観が安定していること、そして、たゆまぬイノベーションを挙げていますね。 マグレイス カギは、安定と、未来を見据えたイノベーションの組み合わせです。 絶えず何かを見直すことに、労力を費やす必要はありませんが、イノベーションの追求にどれだけ予算を組むかというダイナミックさも求められます。このバランスの取り方が難題なのです。 秘訣は、「過剰な変革を避けつつも、環境の変化に対応する」ことです。 リーダーは、従業員がイノベーションを目指して行動できるよう、(過剰な変化を抑えて)不確実性を和らげつつ、同時に、さらなる探求を奨励することが必要です。この2つのうち、いずれかを選べばいいという話ではないところがジレンマなのです。 不確実性のレベルが高まるにつれ、従業員が不確実性に立ち向かう後押しをし、「ある程度の確実性」を確保しなければなりません。 Q:不確実性が増す中、成功する企業に求められるものも変わりましたか? マグレイス この目まぐるしく変わるダイナミックな環境の下でうまくやっている企業のリーダーは、彼ら自身も往々にして、異なる環境下での経験が豊富です。 例えば、業務運営でキャリアをスタートさせ、マーケティングの分野に移り、またほかの分野に移行するといった具合です。機能的な理解の深さよりも、「ジグザグのキャリア」で体得した能力やスキルのほうが目立っています。 2つ目のポイントは、言わずもがな、デジタル全般に関する知識です。デジタル化により、人々の協働の仕方がどれだけ変わったかを理解していなければなりません。 3つ目のポイントが、迅速な意思決定を可能にする、「許可不要」の組織づくりです。組織構造自体が「競争優位」の源泉になり得るからです。 組織が多層構造から成り、上司から逐一、承認を得なければならないと、意思決定に時間がかかり、何か起こったとき、素早く対応できません。「許可不要の組織」を目指し、報告体制を刷新できれば、迅速な意思決定が可能です。 しかし、そのためには、戦略や目標を百パーセント明確にしておかねばなりません。上司の許可が要らない組織をつくるには、多くの条件を整え、その基盤を構築する必要があります。 例えば、アマゾンでは、意思決定の種類により、プロセスが異なります。 その決定が、重要な結果と高コストを招くものを「タイプ1の決定」とし、検討を重ねます。撤回できないため、時間をかけての、慎重な意思決定モデルです。 一方、「タイプ2の決定」は撤回が可能です。失敗しても、経営破綻に陥るような深刻な結果を招かないため、タイプ1のように時間をかけません。 ひるがえって多くの企業は、あらゆる意思決定を「タイプ1」として扱いがちです。5万ドルの実験の是非を問うプロセスも、6000万ドルの資本投資を決めるプロセスも同じなのです。 Q:米動画配信最大手ネットフリックスでも、上司の承認が要らないそうですね。 マグレイス そのとおりです。まず、有能な人材を雇い、同社が言うところの「能力密度を高める」企業文化を築き、何をなすべきかという指針を明確にし、裁量を与えるのがネットフリックスのやり方です。そうすれば、従業員が自ら状況の変化に適応してくれます。いわゆる「自由と責任」(F&R)文化です。 いちいち上司の承認を得る必要がない企業では、従業員が状況の変化に応じ、自ら戦略などを変えたりすることで、異なるチャンスが生まれます。そのため、多くの難題に直面しても、うまく乗り切れます。難局への対処法を熟知しているからです。 Q:アウトライヤー企業は、製薬からビール、建設、銀行まで、幅広い業界に及んでいます。 マグレイス 『競争優位の終焉』出版以降、競争が激しい分野について研究を重ねたところ、業界の垣根を超越した競争が繰り広げられていることが明らかになりました。アマゾンが好例です。 小売り企業でありながら、(米高級食品スーパーのホールフーズ・マーケット買収で)食品業界に進出し、(AWSなど)企業向けのサービスも展開し、ヘルスケア業界にまで事業を拡大しています。 つまり、今や企業を産業別にくくることなどできないのです。従来の企業戦略や、企業パフォーマンスの主要な決定要因としての「産業」という概念など、もはや通用しないのです。(後編へ続く)』、「まず、有能な人材を雇い、同社が言うところの「能力密度を高める」企業文化を築き、何をなすべきかという指針を明確にし、裁量を与えるのがネットフリックスのやり方です。そうすれば、従業員が自ら状況の変化に適応してくれます。いわゆる「自由と責任」(F&R)文化です。 いちいち上司の承認を得る必要がない企業では、従業員が状況の変化に応じ、自ら戦略などを変えたりすることで、異なるチャンスが生まれます。そのため、多くの難題に直面しても、うまく乗り切れます」、「「自由と責任」(F&R)文化」が出来上がれば、あとは楽だが、出来上がるまでには相当の困難もあるのだろう。

次に、6月14日付けダイヤモンド・オンラインが掲載したニューヨーク在住ジャーナリストの肥田美佐子氏による「終身雇用とイエスマン人生、米著名経営学者が「日本企業のジレンマ」を徹底分析! リタ・マグレイス教授(コロンビア大学ビジネススクール)インタビュー(後編)」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/304675
・『ベストセラー『競争優位の終焉』の著者で、NYのコロンビア大学ビジネススクール教授であるリタ・マグレイス氏。「世界の経営思想家トップ50」の常連であり、2021年にはトップ2に選ばれた。競争優位とイノベーションの権威である同教授は、日本企業をどう見ているのか? 日本企業がポストコロナ時代を乗り切るには? パーパスやESG、従業員のウェルビーイングに無頓着な企業の末路は? リスクをチャンスに変える企業の特徴は? 落ち着いた口調と冷静な分析が印象的な経営学者、マグレイス氏が日本企業のリスクと強みを語る』、興味深そうだ。 
・『ダイバーシティが欠如する企業は現地市場の顧客のニーズを理解しにくい  Q:(前編から)大きな変化が到来する「変曲点」を事前に見いだせるかどうかで企業の命運が決まる、ということですが、教授の目から見て、存続が危ぶまれる日本企業はありますか? リタ・マグレイス(以下、マグレイス) 日本の金融システムに照らしてみると、企業は、自社の意思決定が引き起こす最悪の結果から守られることが多いように見えます。 とはいえ、日本企業は大きな問題を抱えています。それは、スピードが非常に重要な時代にあって、(意思決定などの)動きが遅いことです。 また、意思決定グループにダイバーシティ(多様性)がない点も、最も大きな問題の1つです。日本企業では、依然として、女性や日本文化に属していないアウトサイダーが発言権を持つのは至難の業でしょう? 意思決定者が日本人男性ばかりでは、例えば中南米やアフリカで製品を売ろうと思っても、まったくお門違いの品ぞろえになってしまいます。ダイバーシティの欠如により、多くの日本企業は、海外市場において現地の顧客のニーズを理解しにくいという、多大なリスクを抱えています。 一方、日本企業には強みもあります』、「日本企業では」、「意思決定グループにダイバーシティ(多様性)がない点も、最も大きな問題の1つです」、「多くの日本企業は、海外市場において現地の顧客のニーズを理解しにくいという、多大なリスクを抱えています」、なるほど。
・『日本が誇る「クオリティ」は他国に追い付かれつつある  意思決定に時間がかかる分、計画が熟考され周到に練られているため、いざ実行の段階になると、素晴らしい手腕を発揮します。日本企業にはもう希望がない、などとは決して思いません。 Q:『フォーブスジャパン』2015年5月号でインタビューした際、教授は日本企業について、コンセンサスの形成や質の高い製品・サービス、仕事の正確さといった、大きな長所があると称賛しました。一方で、そうした強みは遂行に時間を要するものばかりだと指摘しています。変化の速度が加速する中、それこそが「日本企業のジレンマ」だと。 また、日本企業には「イノベーション」への障壁が多すぎると分析。ベテランの男性社員が恩恵を受ける終身雇用制度や、厳格なヒエラルキーは、女性の進出にとってマイナスだ、という指摘もしています。現在も、日本企業に関する教授の分析は変わりませんか? マグレイス そうした日本企業の構造は、ちょっとやそっとでは変わらないと思います。変わるとしても、ごくゆっくりとしたペースでしょう。 一方、日本市場は依然として大規模であり、国内市場ではうまくやっています。その点で、日本企業にもまだ優位性があるのは間違いありません。ただ、日本は、かつて世界の企業を圧倒していた「クオリティー」の点で、他国に追い付かれつつあります。 その意味で、日本企業は、次に競争優位を築ける領域を探さなければなりません。 Q:イノベーションには、平均して数年~7年を要するといわれています。従業員の勤続年数が短い米国企業と違い、長期勤続が前提の日本企業は、従業員が腰を落ち着けてイノベーションに取り組めるという点で有利でしょうか? マグレイス そう思います。終身雇用制度は、柔軟性の欠如や従業員がリスクを取ろうとしないことなど、多くの問題がある一方で、長い年月をかけて知識や能力を高めることができるという良い面もあります。会社から会社へと転職していては、そうしたことは困難です。 ただ、終身雇用制度には、同制度特有のヒエラルキーに従わなければならないという、イノベーションの阻害要因があります。そのため、変化を起こしにくいのです。 Q:大企業の終身雇用制度には、イノベーションにとってマイナスな、硬直性や惰性・怠惰を招くリスクもあります。 マグレイス 別に意地悪な見方をしているわけではありませんが、終身雇用制度の下では、チーム内のメンバーに失礼な言い方をしたり、本当の意味で信頼に足る行動を取ったりといったことを避けがちです。そうした行動を取らないことで、初めてチームの一員として歓迎される、という恩恵を得られるからです。 社内で悪いニュースを察知しても見て見ぬふりをする傾向があり、嘘をついているとまでは言いませんが、真実を言わないことに対し、おとがめも受けません。「社内の人間関係と調和」が重視されるからです。 ずっと同じ会社でやっていかなければならないため、ことのほかこうした社内政治への気配りが、(出世などの点で)大きな利点につながってしまうんですね。 同じ会社で何十年も勤め上げるということには、悲しいかな、そうした側面があります。従業員は、会社という「社会」に適応することにひたすら心を砕くのです。1社で生涯やっていくには、気難しい人だと思われたり、何かと反論してくる人だと思われたり、不愉快な人だと煙たがられたりしたら、まずいからです。 その結果、何が起こるのか? 自分のキャリアに枠がはめられ、できることが限られ、誠実な言動も、お互いに異を唱え合うこともままならず、常に「イエス」を繰り返すばかりの仕事人生になりがちです。危険人物だと見なされないように、です』、「社内で悪いニュースを察知しても見て見ぬふりをする傾向があり、嘘をついているとまでは言いませんが、真実を言わないことに対し、おとがめも受けません。「社内の人間関係と調和」が重視されるからです。 ずっと同じ会社でやっていかなければならないため、ことのほかこうした社内政治への気配りが、(出世などの点で)大きな利点につながってしまうんですね。 同じ会社で何十年も勤め上げるということには、悲しいかな、そうした側面があります」、こうしたマイナス面があることも確かだ。
・『EVによる「アーキテクチャの変更」で日系グローバル企業の優位性が危ぶまれる恐れ  Q:現在も世界の市場で大きな成功を収めている唯一の主要日系グローバル企業、トヨタ自動車でさえ、「電気自動車(EV)時代を生き残れるのか? 」という声も聞かれます。 マグレイス トヨタが膨大なリソースと極めて有能な人材を抱えていることを考えると、大丈夫だとは思いますが、今後、テクノロジーで後れを取れば、どのような事態も起こり得ます。 というのも、EVは「アーキテクチャの変更」と言われる抜本的な構造変化をもたらしたからです。 例えば、ガソリン車などに比べ、メンテナンスが楽になりました。その結果、トヨタが長年誇ってきた自動車のクオリティーという大きな優位性が損なわれる可能性があります。 これまでは、車のクオリティが低いと、予想外の修理やメンテナンスにお金がかかりましたが、EVは部品の数自体が少ないため、従来の車ほどメンテナンスにコストがかかりません。ひとたびEVが自動車市場で主役を占めるようになったら、内燃エンジン車が主流だった時代に比べ、市場全体で修理の必要性が大幅に減るとみられています。 つまり、「うちの車を買えば、修理は不要ですよ」という、トヨタの売りや優位性がなくなる恐れがあります。それを避けるためには、テクノロジーへの投資が必須です。トヨタのことですから、すでに注力していると思いますが。 Q:日本企業がポストコロナ時代を乗り切るには、どうすればいいでしょうか? マグレイス もっとも重要なことは、企業のリーダーがどのようなアジェンダ(課題/計画)を持っているかです。 イノベーションや自社の成長、変革をアジェンダのトップに掲げることなく、「何でも自分で解決しなければ」というマインドセット(考え方)で日常の短期的な業務に忙殺されているようでは、リーダーとして有用な仕事をしているとは言えません。 重要なアジェンダに十分な時間を割くことができず、「未来」のために必要な投資を怠ることになるからです。 Q:リスクをチャンスに変える企業の特徴は? マグレイス 積極的に小さなリスクを取ろうとすることです。「答えは見えないが、小さな実験を重ね、そこから価値を見いだし、それをフルに生かそう」とする姿勢が大切です。小さなリスクを取って、そこから何かを学ぼうとする企業が成功を手にできます。 実験が失敗に終わり、思うような結果が得られなくても、その失敗が会社にとって許容範囲内で済むような、小さな実験を重ねることです。 成功している企業は最初から大きなリスクを取っていると考えがちですが、実際は違います。小さなリスクを数多く取って、実験やイノベーションを重ねることで成功をつかんだあと、大きなリスクを取ろうという決断に至るのです。 Q:小さなリスクを取って成功した企業の具体例を教えてください。 マグレイス 例えば、ブラインド販売専門の米EC(電子商取引)企業、Blinds.comが好例です(注:1996年創業のブラインズ・ドット・コムはテキサス州ヒューストンが本社で、もともとはカスタムメイドのブラインドを販売するスタートアップ系通販企業だったが、世界最大のブラインドEC企業に成長。米ホームセンター最大手のホーム・デポへ売却した)。 創業者で最高経営責任者(CEO)だったジェイ・スタインフェルド氏が折に触れて話していますが、彼はむしろリスク回避型で、小さな実験をたくさん行ったそうです。 「大きなリスクを取るタイプではない。大きな意思決定を迫られるような段階に至るまでには、数多くの小さなリスクを取るという経験を積んでいた」と。 スタインフェルド氏の新刊『Lead from the Core: The 4 Principles for Profit and Prosperity』(『基本理念にのっとって会社を率いる――利益と繁栄の4原則』未邦訳)にもあるように、彼はクレイジーで大きなリスクは取らず、用意周到に準備し、小さなリスクをいくつも取ったそうです』、「EVによる「アーキテクチャの変更」で日系グローバル企業の優位性が危ぶまれる恐れ」、由々しいことだ。「小さなリスクを数多く取って、実験やイノベーションを重ねることで成功をつかんだあと、大きなリスクを取ろうという決断に至るのです」、堅実なやり方だ。
・『利益一辺倒の組織はもはや生き残れない  Q:脱炭素戦略や気候変動への取り組みなど、企業のパーパス(存在意義)が重視されるようになりました。消費者を含めたステークホルダー(利害関係者)が企業にパーパスを求める中、利益一辺倒の組織は、もはや生き残れない時代になるのでしょうか? マグレイス そう思います。例えば、インスリン製剤を扱う米製薬会社は、企業の強欲が常軌を逸してしまった典型的な例です。(医療保険に入っていても)薬価の自己負担額が高すぎ、インスリンを買えず、(糖尿病患者などが)命を落とすケースも出ています。 その一方で、製薬会社は自社株を買い戻して株価を上げ、株主に大きな便益を図っています。もはや、非倫理的なボーダーラインを越えてしまっているのです。そうした企業は今後、人材の獲得やフランチャイズ事業の維持などに苦労することになるでしょう。 Q:パンデミックで社会や人々の価値観が急速に変わる中、最優良企業でさえ、パーパスや企業倫理、ESG(環境・社会・ガバナンス)、従業員のウェルビーイング(幸福/心身の健康)などに無頓着だと、今後は衰退の一途をたどることになるのでしょうか? マグレイス そうですね。企業は、社会に対して筋の通った行いをすることを前提に、事業を許可されているのですから、その基準にかなわない企業は衰退を余儀なくされます。   例えば、米国の電子たばこ会社は未成年の若年層をターゲットに大いにもうけるつもりでしたが、米政府が規制し、基本的に高収益を上げる道が閉ざされてしまいました。(社会問題化している)麻薬性鎮痛剤オピオイドの蔓延(まんえん)を引き起こした米製薬会社も同じです。 これらは、社会に有害な企業の行動を示す極端な例ですが、人々が耐えられないようなコストを課すような企業は、衰退の一途をたどるしかありません』、「企業は、社会に対して筋の通った行いをすることを前提に、事業を許可されているのですから、その基準にかなわない企業は衰退を余儀なくされます」、その通りだ。

第三に、6月25日付け東洋経済オンライン「岸田ブレーンが語る日本経済低迷の「真犯人」 村井英樹首相補佐官が語る「岸田政策」の裏側」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/599204
・『6月22日、参院選が公示され、7月10日の投開票日に向けた選挙戦が始まった。 岸田文雄政権が発足してから約8カ月が経過した。岸田首相の経済ブレーンとして知られ、国内経済その他特命事項担当の首相補佐官を務めてきたのが村井英樹議員だ。 官邸での経験から、日本の課題の根幹がどこにあると見定めたのか。出身元である財務省など霞が関への注文を含め、今後の政権運営を占ううえで重要となる考え方について聞いた(Qは聞き手の質問、Aは村井氏の回答)』、「首相補佐官を務めてきたのが村井英樹議員」、初めて知った。
・『最大の課題は「将来不安の軽減」  Q:物価上昇への批判などから足元では若干低下傾向にありますが、各種世論調査における内閣支持率は50〜60%程度と比較的高い水準を維持しています。7月10日の参院選後は、しばらく国政選挙の予定がなく、政治的に安定した「黄金の3年」になるとも言われています。 A:メディアの方は「黄金の3年」とおっしゃるが、そういう感覚はあまり持っていない。まずは、参院選をしっかりと戦うことが大前提だ。 政権運営の一端を担っている側からすれば、安全保障やコロナ対策、経済や社会保障の問題などの課題に、とにかく日々懸命に対応しているというのが正直なところだ。私は官邸の末席に名を連ねているが、それでも政権発足後の8カ月は、人生の中で最も長く感じた8カ月だった。 過去の政権を振り返っても、政権や政局が落ち着いている時期というものは本当にあったのかというのが、偽らざる実感だ。「永田町は、一寸先は闇」。参院選投開票日までのわずかの間も含めて、気を引き締めていかなければならないと日々感じている。 (村井氏の略歴はリンク先参照) Q:首相補佐官として、広く経済政策を担当してきました。日本経済の最大の課題はどこにあるのでしょうか。 A:一言でいうと、将来不安だ。日本においては、企業収益が増加しているにもかかわらず、その果実が成長分野への投資や賃金引き上げに十分に回らず、また、家計においても消費が低迷してきた。その根本には将来不安がある。 企業が将来の市場の不透明感から投資や賃上げを躊躇し、個人は将来不安から消費を控えてしまう。それが日本経済の長期低迷の原因だと思う。 Q:マインドを変えるのはなかなか難しい。どんな手を打ちますか。 A:将来の市場の不透明感に対しては、岸田首相もたびたび言及しているが、官か民かではなく、官が呼び水となって、民間の投資や消費を促すことが重要だ。例えば、グリーン分野では、10年間で150兆円の投資を実現するべく、政府が20兆円規模の大胆な政策支援を行うことを決めた。 また、賃上げについても、賃上げ税制の抜本的拡充や看護・保育士など公的に決まる賃金を引き上げることで、賃上げを促す環境を作ってきた。実際、今年の春闘の賃上げ率は現時点で2.09%と、ここ数年の低迷が一気に反転上昇した』、「将来の市場の不透明感に対しては、岸田首相もたびたび言及しているが、官か民かではなく、官が呼び水となって、民間の投資や消費を促すことが重要だ。例えば、グリーン分野では、10年間で150兆円の投資を実現するべく、政府が20兆円規模の大胆な政策支援を行うことを決めた」、なるほど。
・『年金を「見える化」し、不安を解消  Q:個人の将来不安を軽減するためには、どのような施策を考えていますか。 A:難しい課題だが、私はまずは「年金の見える化」が大切だと考えている。老後の生活の柱は公的年金だ。公的年金については、「どうせ将来もらえない」という方も依然として多いが、将来の年金受給の予定額をお知らせすると、実は多くの方、特に厚生年金加入の方からは「思ったより多いね」という反応がある。 将来不安解消に向けて、まずは公的年金について、できるだけ正しく認識していただくことが大切だと思う。 Q:3年前には「老後に2000万円が不足する」という金融庁の審議会報告書(その後、事実上撤回)が炎上しました。確かに乱暴な試算でミスリーディングなものでしたが、いずれにしても個人の老後不安は蔓延しています。 A:この問題の背景には、多くの方にとって、自分自身が将来どれくらい公的年金を受給できるかわからないということがあった。老後の生活の柱である公的年金が具体的にいくら受給できるかわからない中で、政府から「年金の制度は安心です、100年安心です」と言われても、将来不安が解消されないのは無理もない。 そのため、2022年4月に「公的年金シミュレーター」を公開した。これを使っていただければ、皆さんの将来の公的年金額が簡便にわかる。是非活用してほしい。) 加えて、岸田政権は今春、資産所得倍増を打ち出した。 所得には、大きく労働所得と資産所得がある。先ほど申し上げたとおり、労働所得を押し上げていくことはもちろんだが、資産所得も併せて増やすことが必要だ。 わが国個人の金融資産は約2000兆円と言われているが、その半分以上が預現金で保有されている。この結果、過去20年間でアメリカの家計金融資産が3倍、イギリスでは2.3倍になったのに対し、日本は1.4倍にとどまっている』、「「公的年金シミュレーター」を公開した。これを使っていただければ、皆さんの将来の公的年金額が簡便にわかる。是非活用してほしい」、「シミュレーター」を一度試してみたい。
・『国民運動で資産所得を倍増  Q:その差は、この間の経済成長力の差の結果と言ってしまえばそれまでですが、あえて資産所得倍増を打ち出した背景には「老後不安」の軽減という狙いもある? A:まずは、公的年金シミュレーターを多くの方に活用していただき、それをきっかけに老後の生活設計・資産形成に一歩足を踏み出していただきたい。 また、年末には、NISA(少額投資非課税制度)の拡充などを含めた「資産所得倍増プラン」を策定することとなっている。こうした施策を積み重ね、民間も巻き込んだ国民運動を展開することで、資産所得の倍増につなげていきたい。 Q:日本の企業や組織における課題も強調されていますね。 A:二極化が進んできているように思う。柔軟な組織構造を取り入れて、社員のやる気と挑戦を引き出しどんどん伸びる企業と、硬直的な組織文化を維持して、閉塞感にあえぐ組織だ。日本経済社会にとっては、前者のような企業を応援するとともに、後者のような組織に変革を促すことが重要だと思う。 私は、さいたま市で3人の息子を育てているが、子育て仲間のパパ友との話が非常におもしろい。伸びているベンチャー企業に勤めているようなお父さんは、なぜか時間に余裕があり、子育てにも積極的に参加していることが多い。 他方、役所や古式ゆかしい企業にお務めのお父さんは、なぜか帰りが遅く、子育ては「週末だけ」といったケースが多い。 Q:よくありがちな話ですが、企業の子育て支援とイノベーションの関係など、今後の政策を考えると興味深い話ですね。 A:よくよく聞いてみると、前者の企業は、時短・テレワークなど多様な働き方を積極的に認める、年齢・役職に関係なくおもしろいアイデアを採用するといったようなことをしており、働く側の満足度も総じて高い。 他方で、後者の企業は、年功序列を維持するなど、硬直的な組織になっていることが多いようだ。 民間に活性化を促す国の省庁自体が変わっているのか? Q:村井さんは、財務省出身ですが、やはり後者の組織になりますか。 A:残念ながら、後者の代表選手だと思います(笑)。昭和60年入省の財務省事務次官(事務方トップ)が退官するので、その次は昭和61年入省の人が財務事務次官といった、厳格な年功序列人事を、若手に至るまで、毎年やり続けている。 こうしたことをやる組織は、不思議と働き方も社員目線になっていない。実は最近、財務省時代の後輩から、民間企業で働くと連絡があった。非常に優秀な方だが、財務省的な働き方に疑問を感じたのも偽らざるところのようだ。 Q:霞が関は、全体として組織が硬直的ですね。 A:おっしゃるとおりだ。ただ実は、霞が関の中でも、働き方改革の進捗度・組織の硬直度は違いがあるように感じる。こうした組織改革は簡単ではないし、変に政治が出しゃばるとマイナスも大きいが、変革に向けた刺激を与え続けていきたいと思う。また、国会改革などを実行に移し、永田町が霞が関の働き方改革の足を引っ張っている部分を解消していかなければならない。 Q:冒頭で「黄金の3年」は否定されましたが、いずれにしろ課題は山積ですね。 A:何といっても、岸田政権を安定政権として、内憂外患ともいえるさまざまな課題に1つひとつ結果を出していくことだ。21世紀になって、森喜朗政権から、菅政権まで10の政権があったが、1年以上安定して政権運営できたのは、小泉純一郎政権と第2次安倍晋三政権の2つだけだ。それくらい、安定政権として腰を据えて政策課題に臨むことは簡単ではない。岸田首相を中心に、できるだけ多くの成果を上げていきたい』、「変革に向けた刺激を与え続けていきたいと思う。また、国会改革などを実行に移し、永田町が霞が関の働き方改革の足を引っ張っている部分を解消していかなければならない」、「霞が関の働き方改革」に向けた活躍を期待したい。
タグ:日本の構造問題 (その27)(「絶滅する組織」と「生き残る組織」の違い 世界トップ2に選出された経営学者が徹底解説! リタ・マグレイス教授(コロンビア大学ビジネススクール)インタビュー(前編、終身雇用とイエスマン人生 米著名経営学者が「日本企業のジレンマ」を徹底分析! リタ・マグレイス教授(コロンビア大学ビジネススクール)インタビュー(後編)、岸田ブレーンが語る日本経済低迷の「真犯人」 村井英樹首相補佐官が語る「岸田政策」の裏側) ダイヤモンド・オンライン 肥田美佐子氏による「「絶滅する組織」と「生き残る組織」の違い、世界トップ2に選出された経営学者が徹底解説! リタ・マグレイス教授(コロンビア大学ビジネススクール)インタビュー(前編)」 「ビジネスの変曲点を事前に見いだす」とは興味深そうだ。 「変曲点を見いだせるかどうかで、米アマゾン・ドット・コムや米ネットフリックスのように、既存の業界を「破壊」する企業になれるかどうかが決まる、と。変曲点を見いだせなければ、2010年に経営破綻した米ビデオレンタル大手・ブロックバスターのように「破滅的結末」を迎えることになると、あなたは警告」、「GEは2015年11月、フランスの重電大手・アルストムのエネルギー事業を買収」、「向こう20年間は、再生エネルギーがコスト競争力のあるエネルギー源にはならないという見通しを立て、化石燃料がエネルギー源として持ちこたえ 「メディア企業にとって、ネットに接続できる誰もがライバルと化したのです。 30~40年前、大手テレビ局は1つの番組で60万~70万人の視聴者を魅了したものですが、状況は激変しました。コンテンツの数が増える一方で、視聴者層は、はるかに小規模化しています。人気のある番組でも、もはや60万人の視聴者を獲得することなどできません」、「米国では、最高経営責任者(CEO)の在任年数は5年以下であることが多いため、在任期間以降も続くような変革には挑もうという気にならないのです。 本物の変革は長い年月を要します。5年で交 「まず、有能な人材を雇い、同社が言うところの「能力密度を高める」企業文化を築き、何をなすべきかという指針を明確にし、裁量を与えるのがネットフリックスのやり方です。そうすれば、従業員が自ら状況の変化に適応してくれます。いわゆる「自由と責任」(F&R)文化です。 いちいち上司の承認を得る必要がない企業では、従業員が状況の変化に応じ、自ら戦略などを変えたりすることで、異なるチャンスが生まれます。そのため、多くの難題に直面しても、うまく乗り切れます」、「「自由と責任」(F&R)文化」が出来上がれば、あとは楽だが、 肥田美佐子氏による「終身雇用とイエスマン人生、米著名経営学者が「日本企業のジレンマ」を徹底分析! リタ・マグレイス教授(コロンビア大学ビジネススクール)インタビュー(後編)」 『競争優位の終焉』 「日本企業では」、「意思決定グループにダイバーシティ(多様性)がない点も、最も大きな問題の1つです」、「多くの日本企業は、海外市場において現地の顧客のニーズを理解しにくいという、多大なリスクを抱えています」、なるほど。 「社内で悪いニュースを察知しても見て見ぬふりをする傾向があり、嘘をついているとまでは言いませんが、真実を言わないことに対し、おとがめも受けません。「社内の人間関係と調和」が重視されるからです。 ずっと同じ会社でやっていかなければならないため、ことのほかこうした社内政治への気配りが、(出世などの点で)大きな利点につながってしまうんですね。 同じ会社で何十年も勤め上げるということには、悲しいかな、そうした側面があります」、こうしたマイナス面があることも確かだ。 「EVによる「アーキテクチャの変更」で日系グローバル企業の優位性が危ぶまれる恐れ」、由々しいことだ。「小さなリスクを数多く取って、実験やイノベーションを重ねることで成功をつかんだあと、大きなリスクを取ろうという決断に至るのです」、堅実なやり方だ。 「企業は、社会に対して筋の通った行いをすることを前提に、事業を許可されているのですから、その基準にかなわない企業は衰退を余儀なくされます」、その通りだ。 東洋経済オンライン「岸田ブレーンが語る日本経済低迷の「真犯人」 村井英樹首相補佐官が語る「岸田政策」の裏側」 「首相補佐官を務めてきたのが村井英樹議員」、初めて知った。 「将来の市場の不透明感に対しては、岸田首相もたびたび言及しているが、官か民かではなく、官が呼び水となって、民間の投資や消費を促すことが重要だ。例えば、グリーン分野では、10年間で150兆円の投資を実現するべく、政府が20兆円規模の大胆な政策支援を行うことを決めた」、なるほど。 「「公的年金シミュレーター」を公開した。これを使っていただければ、皆さんの将来の公的年金額が簡便にわかる。是非活用してほしい」、「シミュレーター」を一度試してみたい。 「変革に向けた刺激を与え続けていきたいと思う。また、国会改革などを実行に移し、永田町が霞が関の働き方改革の足を引っ張っている部分を解消していかなければならない」、「霞が関の働き方改革」に向けた活躍を期待したい。
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女性活躍(その25)(全国紙初の女性政治部長が「女性活躍社会なんて 絵空事でしかない」と言い切る深い理由 セクハラを反省しない「オッサン社会」の深い病、妊娠中に大臣就任「政治家」も産育休取る国の凄み フィンランドでは誰もが当たり前に取得する、「専業主婦をもつ夫は幸福度が高く 管理職の妻をもつ夫は幸福度が低い」女性活躍の不都合な真実 妻は夫が出世したほうが 幸福度が高くなる) [社会]

女性活躍については、5月16日に取上げた。今日は、(その25)(全国紙初の女性政治部長が「女性活躍社会なんて 絵空事でしかない」と言い切る深い理由 セクハラを反省しない「オッサン社会」の深い病、妊娠中に大臣就任「政治家」も産育休取る国の凄み フィンランドでは誰もが当たり前に取得する、「専業主婦をもつ夫は幸福度が高く 管理職の妻をもつ夫は幸福度が低い」女性活躍の不都合な真実 妻は夫が出世したほうが 幸福度が高くなる)である。

先ずは、5月22日付け東洋経済オンラインが転載したPRESIDENT Online「毎日新聞社論説委員の佐藤 千矢子氏による「全国紙初の女性政治部長が「女性活躍社会なんて、絵空事でしかない」と言い切る深い理由 セクハラを反省しない「オッサン社会」の深い病」を紹介しよう。
・『なぜセクハラはなくならないのか。長年政治記者を務めてきた、佐藤千矢子さんは「男女雇用機会均等法にセクハラ対策が初めて明記されたのは1997年。その後、改正を重ねたが、いまだにセクハラの禁止を盛り込むことはできていない。ハラスメントに苦しむ人に対し、周囲が見て見ぬふりをしているうちは、皆が気持ちよく働き、ひいてはそれが業績につながる会社や社会をつくることはできないだろう。ましてや女性活躍社会なんて、絵空事でしかない」という――。 ※本稿は、佐藤 千矢子『オッサンの壁』(講談社現代新書)の一部を再編集したものです』、興味深そうだ。
・『財務省事務次官のセクハラ疑惑  2018年4月12日発売の雑誌『週刊新潮』(同年4月19日号)では、財務省の福田淳一事務次官がテレビ朝日の女性記者を飲食店に呼び出しセクハラ発言をしていた疑惑が報じられ、大きな問題になった。週刊新潮はインターネット上でセクハラ場面の音声も公開した。福田氏と見られる声で「胸触っていい?」「抱きしめていい?」などと発言していた。 福田氏は「女性記者との間でこのようなやりとりをしたことはない」「音声データからは、相手が本当に女性記者なのかもわからない」「女性が接客をしている店に行き、店の女性と言葉遊びを楽しむことはある。しかし、女性記者にセクハラ発言をしたという認識はない」など疑惑を真っ向から否定し、当時の麻生太郎副総理・財務相をはじめとして財務省も福田氏を守った。しかし、政府・与党内から更迭を求める声が強まり、福田氏は事実関係を否定したまま、省内を混乱させた責任をとって辞任した』、「福田氏は事実関係を否定したまま、省内を混乱させた責任をとって辞任」、当然だ。
・『「被害女性を考えない」オッサン感覚  この問題では、財務省が報道各社の女性記者に調査協力を求めるなど、対応のまずさが批判を浴びた。被害女性が名乗り出ることへの心理的な負担や二次被害の懸念などを全く考慮していない対応で、「オッサン」感覚を露呈した。「官庁の中の官庁」と言われた財務省の実態だった。 一方、記者が福田氏と会食した際の録音の一部を週刊新潮に提供したことで、情報源秘匿との関係で記者へのバッシングが起きた。私自身も、録音の提供ではなく別の方法で解決できればよかったと思うが、このケースでの記者への批判は問題すり替えの意図を感じ、賛同できない。録音は被害者として他に訴える方法がなく、やむを得ず証拠として提出したのであり、記者の倫理の問題とは別に被害救済が議論されるべきだ』、「このケースでの記者への批判は問題すり替えの意図を感じ、賛同できない。録音は被害者として他に訴える方法がなく、やむを得ず証拠として提出したのであり、記者の倫理の問題とは別に被害救済が議論されるべきだ」、同感である。
・『抗議すれば報復される可能性がある  福田氏のセクハラ問題があった時、自分の過去の経験に照らし合わせて考えざるを得なかった。議員宿舎の部屋で議員から抱きつかれそうになった時、先輩記者2人が「そんな奴のところに、もう夜回りに行かなくていい。それで情報が取れなくなっても構わない」と言ってくれて救われた件では、この議員は大物ではあったが、政党の幹事長のような「オンリー・ワン」という存在ではなかった。彼の情報は新聞社として必要だったが、いざとなったら他の議員の情報があれば、最低限、何とかできるだろうという面もあった。しかし、これが福田氏のような中央官庁の次官で、どうしても日常的に取材しなければならない相手だったら、どうなっていただろう。 もう誰も取材に行かなくていいという結論にはなり得ない。一番いいのは抗議だ。だが抗議しても、なかったことにされて、下手をすれば、報復される可能性がある。報復にはいろんなやり方があるが、一番ありそうなのは一切の取材に応じないことだ。その記者だけでなく、場合によっては新聞社ごと取材拒否にあう可能性もある。「女性の側にも落ち度があるのだろう」と批判されるような二次被害も覚悟しなければならない』、やはり彼女がやったように週刊誌に書かすのが一番だろう。
・『うまく受け流せという暗黙のプレッシャー  抗議には確かな証拠が必要になる。しかし、セクハラは密室状態で行われることが多いため、立証が極めて難しい。隠れて録音したり、その録音データを公開したりするのは、取材源の秘匿との関係でできない。では、担当を替えてもらうのがいいのだろうか。担当替えは急場しのぎにはなるが、根本的な解決にはならない。被害者が自信を喪失することになるだろうし、相手は反省することなく、同じ行為をまた繰り返すかもしれない。 こういうことが目に見えているから、騒ぎ立てず「無難に処理しろ」「うまく受け流せ」という暗黙のプレッシャーが働く。しかし、その場はそれでおさまったように見えても、無難に処理して受け流すことは、女性の心に大きな傷を残す。被害者の女性のみに負担を強いて、それが人生に長く影を落としかねないような、そんな対応は明らかに間違っている』、やはり何らかの形で世の中に訴えるべきだ。
・『昔より声は上げやすくなったが…  福田氏のセクハラ疑惑について2018年4月18日、テレビ局の従業員らでつくる「日本民間放送労働組合連合会」(民放労連)と「民放労連女性協議会」は、次のような抗議声明を出している。 「放送局の現場で働く多くの女性は、取材先や、制作現場内での関係悪化をおそれ、セクハラに相当する発言や行動が繰り返されてもうまく受け流す事を暗に求められてきた。たとえ屈辱的な思いをしても誰にも相談できないのが実態だ。この問題はこれ以上放置してはいけない。記者やディレクター、スタッフ、そして出演者らが受けるセクハラは後を絶たないのに、被害を受けたと安心して訴え出られるような環境も整っていない。このような歪みを是正しなければ、健全な取材活動、制作活動は難しくなる」 自分がまだ若くセクハラに悩んでいた1990年代のころから改善されたようでいて、本質的にはあまり変わっていないのだと思う。だんだんと声をあげられるようにはなってきたが、それでもやはり声をあげることにさえ大きなハードルがあるという実態が広がっている』、「「放送局の現場で働く多くの女性は、取材先や、制作現場内での関係悪化をおそれ、セクハラに相当する発言や行動が繰り返されてもうまく受け流す事を暗に求められてきた。たとえ屈辱的な思いをしても誰にも相談できないのが実態だ。この問題はこれ以上放置してはいけない」、その通りだ。
・『“セクハラ”という言葉の重み  セクハラという言葉が日本で認知されるようになったのは、1989年の新語・流行語大賞からだと書いたが、その後も数年間は私たちの多くはセクハラという言葉を知らなかったし、意識していなかった。認識が広がったのは、1997年、男女雇用機会均等法にセクハラ対策が初めて明記されたころからだったと思う。 セクハラという言葉ができたのは、大きかった。元大手損保会社で総合職第1号だった知り合いの女性は「当時は、セクハラについて口に出して言えなかったし、セクハラという言葉もなかった。言葉を持つことは、力を持つうえで非常に大切だ」と振り返る。 セクハラという言葉がない状況で、女性が被害を訴えても「気にしすぎだ」などと軽くいなされ、下手をすれば逆に「そんなことを問題にするなんて、お前おかしいんじゃないのか」と女性の側が非難されかねない。 セクハラという言葉がなかった時代、自分も含めて多くの知り合いの女性が泣き寝入りするしかなかったのは、そういう事情があったと思う。しかし、セクハラという言葉が定着することによって、「セクハラはしてはいけない行為だ」「被害女性に非はなく悪いのはあくまでも加害男性だ」ということが社会の共通認識になれば、被害を訴えやすくなるし、報告を受けた上司が対応せざるを得なくなる。大きな違いだ』、「セクハラという言葉が定着することによって、「セクハラはしてはいけない行為だ」「被害女性に非はなく悪いのはあくまでも加害男性だ」ということが社会の共通認識になれば、被害を訴えやすくなるし、報告を受けた上司が対応せざるを得なくなる。大きな違いだ」、なるほど。
・『男性側の過剰反応  一方で、「羹あつものに懲りて膾なますを吹く」とでもいうように、男性の側に過剰反応も起きるようになった。よくあるのは、男性上司が女性の部下と一対一で飲みに行くような誘いをしなくなるというケースだ。それで仕事に支障が出ない職種や職場ならば一向に構わないが、新聞記者の場合は困ることもある。 例えば、機微に触れるネタを追っていて、その日のうちに内密に打ち合わせが必要になるようなケースだ。忙しくて時間のない中で、食事の時間を打ち合わせに充てるしかなく、「それじゃあ仕事が一段落したところで、晩飯を食いながら打ち合わせしよう」となるのだが、それが男女一対一だと、やりにくいという場面が出てきた。私は全く意識していなかったのだが、ある時期から急に上司から飲みに誘われなくなったことがあり、「どうしたのか」と聞くと、「いや一対一はまずいかなと思ってね」と言われて、驚いたことがある。仕方ないと思って放っておいたら、何も状況は変わっていないのに、また普通に誘われるようになった。男性の側も、迷いながら対応しているということなのだろう』、「男性の側も、迷いながら対応しているということなのだろう」、あり得る話だ。
・『「働く男女の比率」が近づけば解決される  直接的な仕事の話ではなくても、いわゆる「飲みニケーション」として、時には酒を一緒に飲みながら話をするのも必要なことだ。大勢で飲めばいいではないかと言われるかもしれないが、酒を飲もうが飲むまいが、本当に重要な話は「一対一」のサシでするというのは、特に私たち新聞記者には染みついている。そこで、女性ばかりが誘われないというのは、問題が生じる。 ただ、こうした問題も、女性が少数派だから起きることだ。男女の比率がもっと近づけば、お互いに注意しながら付き合うことになり、一方的に女性が飲み会に誘われなくて不利になるということはなくなっていくのではないだろうか。もちろん、女性上司から男性の部下へのセクハラにも、これまで以上に注意を払わなければならない時代に入っていくだろう』、「「働く男女の比率」が近づけば解決される」、確かにその通りなのかも知れない。
・『なぜセクハラはなくならないのか  セクハラという言葉が定着し、これだけ認識が広まってきたように見えるのに、それでもなくならないのはなぜだろう。 福田次官の問題があった時、ある政治家の言葉が広まった。「福田氏のような話で辞任させれば、日本の一流企業の役員は全員、辞任しないといけなくなるぞ」。本人に発言の確認を直接とっていないし、客観的事実と異なることを言っているので、匿名でしか書けないが、私はいかにもありそうな発言だと思った。 この発言が本当だとしたら、国会議員、中央官庁の幹部だけでなく、民間企業の幹部だって同じだと、政治家自らが言ってはばからず、反省もしない社会とは何なのか。「オッサン社会」の深い病を思う。 私の友人の女性は、「日本の男性は結局、独身女性をバカにしているんだよ」と怒っていた。セクハラの標的になるのは主に独身の女性だ。既婚女性へのセクハラもあるだろうが、独身女性に比べれば圧倒的に少ないのではないか。それは既婚女性には、やはり夫の影がちらつくからではないだろうか。男性からすれば、セクハラが問題化した場合、相手が独身女性ならば相手の責任を言い募って逃れられるかもしれないが、既婚女性ならば夫が乗り出してきて大事になるかもしれない、といった計算が無意識に働いているのではないか。そんなふうに私は見ている』、「既婚女性ならば夫が乗り出してきて大事になるかもしれない、といった計算が無意識に働いているのではないか。そんなふうに私は見ている」、なるほど。
・『セクハラするオッサンに欠けている意識  時々不思議に感じるのだが、オッサンたちはこのままでは自分の娘が同じような被害にあうかもしれないと考えないのだろうか。それとも「娘は専業主婦にさせて会社勤めなんかさせない」、あるいは「優良企業に就職させるから大丈夫」「親のコネがあるから誰も手を出せないだろう」とでも考えているのだろうか。 または「手を出される女性のほうにスキがあるからだ」とでも考えているのだろうか。セクハラに苦しむ女性たちと、自分の娘を分けて考えられる発想が私には全く理解できない。想像力の欠乏症としか思えない』、「セクハラ」対象と「自分の娘」は初めから「分けて考えている」からこそ、「セクハラ」する気になるのだろう。
・『女性活躍社会へは程遠い  セクハラ被害に対しては、相手に直接抗議するか、会社の相談窓口や労働組合などに相談し、相手に事実関係を認めさせ、謝罪と再発防止を確約させる必要がある。しかし、一般的にいって会社へのセクハラ相談は、依然としてハードルが高いようだ。女性たちが会社側の対応を信頼できないのが一因だろう。 男女雇用機会均等法にセクハラ対策が初めて明記されたのは1997年。その後、改正を重ねたが、いまだにセクハラの禁止を盛り込むことはできていない。私の友人が言ったようにセクハラは厳罰をもって対処しない限り、なくなることはないが、日本社会の対応は極めて甘い。ハラスメントに苦しむ人に対し、周囲が見て見ぬふりをしているうちは、皆が気持ちよく働き、ひいてはそれが業績につながる会社や社会をつくることはできないだろう。ましてや女性活躍社会なんて、絵空事でしかない』、やはり「セクハラ」には厳罰化が必要なようだ。

次に、7月1日付け東洋経済オンラインが掲載したライター・翻訳家の堀内 都喜子氏による「妊娠中に大臣就任「政治家」も産育休取る国の凄み フィンランドでは誰もが当たり前に取得する」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/598139
・『2018年から2022年にかけて、5年連続で「幸福度ランキング世界一」を達成したフィンランド。その背景にあるのは、“人こそが最大の資源で宝”という哲学。立場を問わずすべての国民が平等に、そして幸福に暮らすことを可能にする「仕組み」とは──?そして、日本はそこから何を学べるのでしょうか?『フィンランド 幸せのメソッド』より一部抜粋し再構成のうえお届けします』、興味深そうだ。
・『フィンランドの人の就業率は?  フィンランドは男女平等が進み、女性や母親にとって暮らしやすい国として知られる。世界経済フォーラム(WEF)が発表している、男女格差を示す「ジェンダーギャップ指数」でも例年上位にあり、2021年はアイスランドに次いで2位だった。 実際、フィンランドに住むと、女性が社会に進出し、活躍していることを肌で感じる。日本の自治体や経済・政治団体の視察団が訪れると「会う人、会う人すべてが女性で、しかもみんな肩書に長が付く人ばかりだった」とか、「女性の存在感が大きかった」という感想をよく聞く。 中には「今まで経営者として女性活躍、ダイバーシティーを推進しようと社員に言ってはいたが、本当にそれが実現可能だとは信じていなかった。でもフィンランドでは本当に実現されていて驚いた」と語った日本の某大手企業の経営者もいる。 フィンランド統計局の調査によると、2020年、15?64歳の女性の就業率は70.7%、男性は72.5%で、男女の間にほとんど差はない。うちパートで働く人たちは、女性が2割で男性が1割。若干の差はあるが、女性も多くがフルタイムで働いていることがわかる。 さらに、18歳未満の子どもがいてもいなくても、女性の就業率にほとんど差はない。しかも、母親のうち8割以上はフルタイムで働く。つまり、子どもの有無が女性の仕事にほとんど影響していないという状況が見えてくる。 平等法は2015年に改正され、男女だけでなく、性的指向や性自認も含めて、性的マイノリティーの人たちにも配慮された内容となった。 この法律は企業だけでなく教育現場にも適用されていて、学校でも3年に一度、平等に関する計画づくりがされる。法務省のもとには平等に関するオンブズマンが設置されており、法律のもと、人権が平等に扱われ、不適切、差別的なことがないよう監視している』、「法務省のもとには平等に関するオンブズマンが設置されており、法律のもと、人権が平等に扱われ、不適切、差別的なことがないよう監視している」、やはり「オンブズマン」が「監視」しているようだ。
・『政治の世界でも目立つ女性たち  政治の世界ではどうか。2019年の選挙では当選した国会議員200名のうち、女性が94人で47%を占めた。その後、首相が交代してサンナ・マリン内閣が誕生した際には、閣僚19名中12人が女性となった。 2000年以降の閣僚の男女比はほぼ半々で、これまでにも女性のほうが多かったときもあれば、そうでないときもある。もはや男女の割合で一喜一憂する時代ではなくなり、「性別に関係なく、ふさわしい人が選ばれる」と冷静に受け止められている。 実際、フィンランドの公共放送YLEの調査によると、選挙で誰に投票するかを決める際に、性別は影響しないとの結果が出ている。以前は性別が投票理由の1つになりえたが、今は実力などの要素を重視するのだという。 一部北欧諸国では女性の割合が一定になるようクオータ制を導入し、議席の少なくとも4割以上が女性になるようにしている。しかし、フィンランドでクオータ制が定められているのは、任命制の地方と政府の委員会のみ。選挙にクオータ制はないのに、約半数が女性になっているのだ。 フィンランドは全国を14のブロックに分け、非拘束名簿式(候補者名または政党名のいずれかを書いて投票する方式)の比例代表制選挙を行う。この方式では、選挙のたびに政権や与野党の交代が起こりやすい。どの党も支持率が拮抗しているので、より多くの有権者の票を勝ち取る努力が求められる。 そのため、各党は老若男女を問わず幅広く有権者の声に耳を傾け、多彩な候補者を揃えなければならない。投票率を見れば、1970年代以降は男女の投票率がほぼ同じになっており、今では女性の投票率のほうが少し高い。それゆえに、女性有権者のニーズは、党の方針や候補者選びにも大きく反映される。党によっては候補者も当選する議員も女性のほうが多いこともある。 フィンランド人に女性議員が増えた理由を聞くと、「歴史の流れ」「優秀な人を選んだ結果」「教育の成果」といった声が返ってくる。バランスを保つために無理やり女性を増やしたといった経緯はない印象だ。党首や閣僚に女性が多いことについても、単純に実力と人気が評価された結果だと多くの人が捉えている。) 話は少し前にさかのぼるが、私がフィンランドに留学した2000年は、ちょうど史上初の女性大統領タルヤ・ハロネンが就任した年であり、大学でも女子学生たちは女性大統領の誕生を誇らしげに語っていた。 ある友人が言うには、彼女や兄弟は女性候補者に投票したが、彼女の父親は女性を大統領にしたくないとの理由だけで対抗馬の男性候補者に投票していたという。まだまだ政治家の性別が話題や決定に大きな影響を与える時代だったといえる。 タルヤ・ハロネン大統領は就任当時シングルマザーで、子どもの父親とは別の男性と事実婚の関係にあった。そういった事実婚カップル自体は当時すでに珍しくはなかったが、国の代表としては前代未聞のことだった。 その後、2人は正式に入籍している。強さと個性を持ち、わが道を行き、あまり周りやメディアを気にせず外出する彼女の様子は、よくも悪くも注目を集めた』、「選挙で誰に投票するかを決める際に、性別は影響しないとの結果が出ている。以前は性別が投票理由の1つになりえたが、今は実力などの要素を重視するのだという」、「フィンランドでクオータ制が定められているのは、任命制の地方と政府の委員会のみ。選挙にクオータ制はないのに、約半数が女性になっているのだ」、本物のようだ。
・『「男性でも大統領になれるの?」  その後、私が留学中の2003年には女性のアンネリ・ヤーテンマキ首相も誕生、国のトップ2人が女性ということで騒がれた。さらに2010年には史上2人目の女性首相マリ・キビニエミも登場した。彼女は当時2人の幼い子どもを持つ母親で、かつ42歳ということで国内外の注目を集めたが、どちらの女性首相も在任期間は長くない。 それから10年以上が過ぎ、今では女性が党首や議長、大臣職などの要職に就くことも珍しくなくなった。「最近、目立つ女性の政治的リーダーって誰?」とフィンランドの友人たちや同僚に聞くと、いろいろな名前が出てくる。 15年ほど前であれば「タルヤ・ハロネン大統領」と誰もがいちばんに答えたが、「彼女はあくまでも歴史上に何人かいるキーパーソンの1人であって通過点でしかない。今はもっと多岐にわたっていろいろな女性リーダーがいる」というのが、友人たちの声だ。 それでも世界的に見て、目立つ存在といえばサンナ・マリン首相だろう。そして政権発足当時、連立与党を率いる5党の党首が全員女性で、そのうち4人が30代前半というのも大きな話題になった。 2020年9月にはそのうちの1人が交代したが、後を継いだ新たな党首も30代の女性だった。彼女たちは幼い頃から男女共働きの社会で育ち、政界にも周りにも女性のリーダーたちがすでに多く存在した世代だ。 しかも10代の多感な時期に初の女性大統領が誕生。続いて女性が首相になるのも見ている。女性が国のトップになることを自然に受け止めてきたはずだ。マリン首相もかつてインタビューで「憧れの政治家はいないが、ハロネン元大統領は確実に私たちの道しるべとなった存在」と語っている。 もっと若い世代だと、緑の党で今後が期待される20代の女性議員リーッカ・カルッピネンに至っては、物心ついたときには大統領は女性で、地元の首長も女性だった。そこで当時、父親に「男性でも大統領になれるの?」と聞いたと新聞インタビューで語っている。) マリン政権を担う連立与党の党首5人が全員女性だと述べたが、これも別に不思議なことではない。どの党もほぼ半数以上の議員が女性なのだ。 5人の顔ぶれを見て、海外メディアやSNSなどでは「女性ばかりなのはいかがなものか?」という否定的な声が一部で上がったが、正当な手順で党首選が行われ、そこでいちばんに選ばれた人たちがたまたま全員女性だったというだけなので、フィンランド国内では少し驚きはあったものの、男女のバランスに否定的な声はない。 注目すべきは、男女のバランスよりも、若い世代が党首に就いていることだろう。フィンランドでは過去にも30代の首相や20代の閣僚がいたこともあり、日本よりもはるかに若い人たちが役職を担うことが多い。それは政治に限らず、優秀な若い人たちの可能性を信じて任せ、ベテランは陰で支える文化があるからだ。 確かに経験はないよりあったほうがいいが、フィンランド人が必要だと考えている「経験」の年数は日本よりも短い。 企業でも5年の経験があれば十分ベテランの部類に入ってくる。何十年の下積みをしてやっと認められるというよりも、ある程度全体の流れが把握できていて、その人が優秀で素質があるとわかればいい。だから30代で頭取や取締役に就くことも、学校の校長をつとめることもある。 ▽高校生などが政治活動に関わることはタブーではない(政治においても2?3期目で閣僚になることは普通だ。党内の力関係や誰が役職に就くかといったことは、当選回数で決まるのではない。選挙での得票率やそれまでの党内での人気、実力、そして本人の適性がカギとなる。性別や年齢も関係ない。 現在、国会議員の平均年齢は40代半ば。いくら実力主義とはいえ、いくつかの党の党首に30代が就いているのはなぜか。それは、彼女たちに寄せられている変革への期待の表れだろう。 グローバル社会の進展にさまざまな技術革新、生活や価値観の多様化と、私たちを取り巻く世界は刻々と変わっている。どの党も存続のためには変化に対応でき、次世代を担う若者を取り込む必要がある。そういった中で、各政党は象徴となる若いリーダーを求めているというわけだ。 ただし、彼女たちは若さだけが理由で党首に就いているわけではない。教育を十分に受け、行政学や政治学、社会学を学び、10代、20代前半から党の活動に携わってきた経験もある。 フィンランドでは早ければ15歳頃から党の青少年部に入って活動することができ、高校生などが政治活動に関わることは決してタブーではない。党にとってみれば、若い青少年部員たちは若者世代にリーチするための大切な媒介者であり、多少過激であっても、若い人が持つ柔軟な発想が党に刺激を与えてくれることもある。また、彼らは未来の政治家の卵でもある。) マリンも20歳から党に入って政治に携わっているし、ほかの党首たちも10年以上政界でキャリアを積んできている。当選回数は多くなくとも、まったくの素人というわけではなく、ある程度の時間をかけて地道に党の内外で信頼と人気を勝ち取ってきているのだ』、「マリン政権を担う連立与党の党首5人が全員女性だと述べたが、これも別に不思議なことではない。どの党もほぼ半数以上の議員が女性なのだ」、「マリンも20歳から党に入って政治に携わっているし、ほかの党首たちも10年以上政界でキャリアを積んできている。当選回数は多くなくとも、まったくの素人というわけではなく、ある程度の時間をかけて地道に党の内外で信頼と人気を勝ち取ってきているのだ」、なるほど。
・『当たり前になった政治家の産休・育休  国会に30?40代の議員が多くなり、さらに女性議員が増えたことで、政治家に幼い子どもがいることも、出産や育児のために休暇を取ることも自然になってきている。それは閣僚であっても同じだ。 例えば、2020年9月に党首選で勝ち、政権与党の5人のリーダーの中に入ったアンニカ・サーリッコは、前政権時、妊娠中に科学・文化大臣に就任した。 当時から党首に望まれていたが、彼女は出産や家族の時間を優先したいとして出馬はせず、まもなく1年間の出産・育児休暇に入った。その間は同じ党のほかの議員が代わりに大臣をつとめた。そして復帰直後に行われた党首選に出馬し、党首に選ばれた。 彼女が産休・育休を取ったのはこれが初めてではなかった。第1子のときは、何と育休中に大臣職に任命されている。このときも党内の合意のもと、最初は同じ党の代理が大臣職をつとめ、育休復帰後、少しずつ職務をサーリッコに移行していった。 さらに5人の女性リーダーの中のもう1人、リ・アンデルソンは教育大臣をつとめているが、2020年9月に妊娠を発表し、年末から産休・育休に入り、その休暇中はやはり同じ党のほかの議員が代わりをつとめ、アンデルソンは出産から約半年で大臣に復帰している。 5人のうちのもう1人である緑の党の党首も、2021年11月から出産・育休に入った。彼女は党首選への出馬意志と妊娠を同時に発表し、その後再選された。 男性議員も積極的に育休を取っている。マリン政権で国防大臣をつとめる男性議員も父親休暇を取得したが、もはや大きなニュースになることもなく、メディアではいつからいつまで休暇に入り、その間は誰が代理をつとめるといったことのみが事務的に報道されていた。 このように最近の流れを見ていると、フィンランドの政治家や閣僚にとって、出産や育児は政治家のキャリアに負の影響を与えるものではないのだと、強く感じさせられる』、「日本」とは対極の「女性活躍」社会で、余りにも違いが大きいようだ。

第三に、7月7日付けPRESIDENT WOMANが掲載した拓殖大学政経学部准教授の佐藤 一磨氏による「「専業主婦をもつ夫は幸福度が高く、管理職の妻をもつ夫は幸福度が低い」女性活躍の不都合な真実 妻は夫が出世したほうが、幸福度が高くなる」を紹介しよう。
https://president.jp/articles/-/59335
・『管理職の妻をもつ夫は幸せなのか。拓殖大学准教授の佐藤一磨さんは「夫の幸福度の平均値は、妻が非就業の時に最も高く、管理職の時に最も低くなるという結果がでました。夫婦各人の年収や学歴、子のありなしを問わず同じ傾向が見られます」という――』、興味深そうだ。
・『管理職の妻をもつ夫は幸せなのか  日本では管理職として働く女性の割合が徐々に増加しています。具体的な数値を見ると、民間企業の課長級の役職者における女性割合は1990年では約2%でしたが、2019年には約11%にまで上昇しています(※1)。 このような女性管理職の増加は、社会の大きな流れとして今後も続くと予想されますが、管理職となることが女性またはその家族にどのような影響を及ぼすのかという点は、あまり検証されていません。 特に妻が管理職として働く場合、その配偶者である夫に及ぼす影響については、あまり語られてこなかったのではないでしょうか。 日本の場合、性別役割分業意識が強く、「男性=仕事、女性=家事・育児」という価値観が色濃く残っています。妻の管理職での就業は、この価値観から外れてしまうため、家庭内に不和をもたらす可能性もあり、その実態が気になるところです。 そこで、今回は妻の管理職での就業が夫の幸福度に及ぼす影響について検証した研究を紹介していきたいと思います』、「研究」の結果を知りたいものだ。
・『妻が管理職として働くポジティブな影響  実際の検証結果に移る前に、妻の管理職での就業がもたらす影響について整理しておきましょう。 妻の管理職での就業には、ポジティブな影響とネガティブな影響が存在します。 まずポジティブな影響として挙げられるのは、世帯年収の増加です。夫だけでなく妻も働き、かつ妻が管理職につくことは世帯年収を底上げします。 このような世帯年収の増加は、生活に潤いをもたらすでしょう。もちろんその恩恵は夫にも行きわたり、住宅の購入や子どもの教育費用を支払ううえで重要な支えとなります。 また、もう一つのポジティブな影響として考えられるのが夫の所得低下や失業に対する保険です。 長期的な低経済成長に直面してきた日本では、予期せぬ形でボーナスが削減されて夫の所得が低下したり、失業する可能性があります。これらによる世帯所得の低下を補填する保険として、管理職で働く妻の稼ぎが機能すると考えられます』、「ポジティブな影響」は確かに考えられる。
・『妻が管理職として働くネガティブな影響  次にネガティブな影響ですが、2つ考えられます。1つ目は、管理職になることで妻の労働時間が増え、そのしわ寄せが家族、特に夫に向かうというものです。 通常、多くの家庭では妻に家事労働が偏っています。この状態のままで妻が管理職で働くようになると、労働時間が増え、どうしても家事・育児に割ける時間が減ってしまうと予想されます。 これを補完するためにも、夫の家事労働の時間が増える可能性があるのです。 妻の状況を理解し、進んで家事・育児に参加する夫であれば問題ないのですが、夫自身も仕事で忙しく、余裕がなかった場合、家に帰ってから家事・育児もやらなければならないとなると、ストレスが増えてしまう恐れがあります。 また、妻が仕事で忙しくなることによって夫婦間ですれ違いが生じ、ストレスの多い家庭生活になってしまう可能性も考えられます』、「ネガティブな影響」はもっとありそうだ。
・『「男が大黒柱であるべき」という意識と現実とのギャップ  2つ目のネガティブな影響は、性別役割分業意識からの乖離です。他の先進国と比較して、日本では依然として「男性=仕事、女性=家事・育児」という価値観が強く残っています。 この価値観の中には「男は仕事第一で一家の大黒柱であるべき」という考えも含まれています。近年のワークライフバランスを重視する流れから「男は仕事第一」という考えはやや薄れてきていると予想されますが、男女間賃金格差が依然として存在する現状では、「男が一家の大黒柱であるべき」という考えは影響力があると言えるでしょう。 この考えを強く持つ夫の場合、妻が管理職で働き、その多くの時間を家庭外の仕事に割くことに肯定的な意見を持てないと考えられます。 また、もし妻の稼ぎが自分の稼ぎを上回るようになった場合、自分の持つ価値観と実態とのギャップからストレスを感じるようになるでしょう。 以上、妻の管理職での就業には、ポジティブな影響とネガティブな影響の両方が存在し、その相対的な大きさによって幸福度に及ぼす影響が決まってきます。 はたしてどちらの影響が大きいのでしょうか』、実際のデータではどうなのだろう。
・『妻が管理職の夫の幸福度は低い  図表1は妻の就業状態別の夫の幸福度の平均値を示しています。 ここでは、妻の就業状態を①管理職の正社員、②非管理職の正社員、③非正社員、④非就業の4つに分類しています。なお、夫婦ともに59歳以下の現役世代に限定しています。 図表1から明らかなように、夫の幸福度の平均値は妻が④非就業の時に最も高く、①管理職の正社員の時に最も低くなっていました。 この結果は、「妻が管理職の夫の幸福度は低い」ことを意味します。 ちなみにこの結果は、夫の年齢、学歴、子どもの有無や夫婦それぞれの年収、労働時間といった要因を統計的手法でコントロールしても、変わりませんでした』、「妻が管理職の夫の幸福度は低い」、直感的な考え方と一致したようだ。
・『専業主婦を持つ男性の幸福度が最も高い  図表1の結果から、妻の管理職での就業のポジティブな影響とネガティブな影響のうち、ネガティブな影響の方が強かったと考えられます。 ネガティブな影響の原因として、夫の家事・育児負担や夫婦のすれ違いの増加、性別役割分業意識からの乖離といった要因が考えられますが、どの要因の影響力が強いのかは明確には判断できません。 ただし、図表1の結果が示すように、「妻が働いていない夫ほど幸福度が高い」という点を考慮すれば、性別役割分業意識の影響は無視できないと言えるでしょう』、「専業主婦を持つ男性の幸福度が最も高い」、これも直感的な考え方と一致したようだ。
・『夫が働いていない妻の幸福度は低い  一方、妻の場合、幸福度の平均値は夫が①管理職の正社員、②非管理職の正社員、③非正社員、④非就業の順になっていました(図表2)。 夫が管理職だと妻の幸福度が高く、逆に夫が働いていないと幸福度が低くなるというこの結果は、直感的にも納得できます。 特に夫が非就業の場合の幸福度の落ち込みは大きく、「働いていない夫」を持つ妻の苦悩が読み取れます。 ちなみに、夫が働いていない妻の幸福度が低くなるという現象は欧米でも確認されています(※2) 。この点は洋の東西を問わず妻を悩ます種になっているようです』、「夫が働いていない妻の幸福度は低い」、「洋の東西を問わず妻を悩ます種になっているようです」、なるほど。
・『女性活躍推進策が夫婦にもたらした影響  図表1の結果が示すように、妻が管理職の夫の幸福度は低くなっています。 日本では女性活躍推進策が進められ、徐々に管理職として働く妻も増加してきていますが、その陰で夫の幸福度低下という現象が起きていた可能性があります。 このような夫婦の一方の働き方がその配偶者に及ぼす影響に関しては、主に欧米で分析されてきました。欧米では主に夫婦いずれかの失業の影響が注目されてきました。 それらの分析では、失業の影響はもちろんそれを経験した本人において深刻ですが、家族にも及んでいる可能性があり、その影響を見落とすことは、失業の影響を過少に見積もっているのではないかという問題意識が持たれていました。 同じ議論は、女性活躍推進策による女性の管理職増加にも当てはまる可能性があります。 女性活躍推進策を進めることに注力するあまり、その負の側面が見落とされていたのではないでしょうか』、確かに「女性活躍推進策」の「負の側面」も検証すべきだ。
・『必要なのは働き方改革と性別役割分業意識のアップデート  さて、夫の幸福度が低下するからといって、女性活躍推進策の歩みを止めるのはナンセンスです。 女性活躍推進策は今後の日本にとって必要な政策であり、課題に対処しながら進めていくことが重要でしょう。 このために必要となるのは、妻が管理職として働くようになったとしても家族にしわ寄せがいかないワークライフバランス施策です。 また、これに加えて、夫側の性別役割分業意識のアップデートが必須となるでしょう。 (佐藤 一磨氏の略歴はリンク先参照)』、「女性活躍推進策は今後の日本にとって必要な政策であり、課題に対処しながら進めていくことが重要」、「このために必要となるのは、妻が管理職として働くようになったとしても家族にしわ寄せがいかないワークライフバランス施策です。 また、これに加えて、夫側の性別役割分業意識のアップデートが必須」、同感である。
タグ:女性活躍 (その25)(全国紙初の女性政治部長が「女性活躍社会なんて 絵空事でしかない」と言い切る深い理由 セクハラを反省しない「オッサン社会」の深い病、妊娠中に大臣就任「政治家」も産育休取る国の凄み フィンランドでは誰もが当たり前に取得する、「専業主婦をもつ夫は幸福度が高く 管理職の妻をもつ夫は幸福度が低い」女性活躍の不都合な真実 妻は夫が出世したほうが 幸福度が高くなる) 東洋経済オンライン PRESIDENT Online「毎日新聞社論説委員の佐藤 千矢子氏による「全国紙初の女性政治部長が「女性活躍社会なんて、絵空事でしかない」と言い切る深い理由 セクハラを反省しない「オッサン社会」の深い病」 佐藤 千矢子『オッサンの壁』(講談社現代新書) 「福田氏は事実関係を否定したまま、省内を混乱させた責任をとって辞任」、当然だ。 「このケースでの記者への批判は問題すり替えの意図を感じ、賛同できない。録音は被害者として他に訴える方法がなく、やむを得ず証拠として提出したのであり、記者の倫理の問題とは別に被害救済が議論されるべきだ」、同感である。 やはり彼女がやったように週刊誌に書かすのが一番だろう。 やはり何らかの形で世の中に訴えるべきだ。 「「放送局の現場で働く多くの女性は、取材先や、制作現場内での関係悪化をおそれ、セクハラに相当する発言や行動が繰り返されてもうまく受け流す事を暗に求められてきた。たとえ屈辱的な思いをしても誰にも相談できないのが実態だ。この問題はこれ以上放置してはいけない」、その通りだ。 「セクハラという言葉が定着することによって、「セクハラはしてはいけない行為だ」「被害女性に非はなく悪いのはあくまでも加害男性だ」ということが社会の共通認識になれば、被害を訴えやすくなるし、報告を受けた上司が対応せざるを得なくなる。大きな違いだ」、なるほど。 「男性の側も、迷いながら対応しているということなのだろう」、あり得る話だ。 「「働く男女の比率」が近づけば解決される」、確かにその通りなのかも知れない。 「既婚女性ならば夫が乗り出してきて大事になるかもしれない、といった計算が無意識に働いているのではないか。そんなふうに私は見ている」、なるほど。 「セクハラ」対象と「自分の娘」は初めから「分けて考えている」からこそ、「セクハラ」する気になるのだろう。 やはり「セクハラ」には厳罰化が必要なようだ。 堀内 都喜子氏による「妊娠中に大臣就任「政治家」も産育休取る国の凄み フィンランドでは誰もが当たり前に取得する」 フィンランド 幸せのメソッド 子どもの有無が女性の仕事にほとんど影響していない 「法務省のもとには平等に関するオンブズマンが設置されており、法律のもと、人権が平等に扱われ、不適切、差別的なことがないよう監視している」、やはり「オンブズマン」が「監視」しているようだ。 「選挙で誰に投票するかを決める際に、性別は影響しないとの結果が出ている。以前は性別が投票理由の1つになりえたが、今は実力などの要素を重視するのだという」、「フィンランドでクオータ制が定められているのは、任命制の地方と政府の委員会のみ。選挙にクオータ制はないのに、約半数が女性になっているのだ」、本物のようだ。 「マリン政権を担う連立与党の党首5人が全員女性だと述べたが、これも別に不思議なことではない。どの党もほぼ半数以上の議員が女性なのだ」、「マリンも20歳から党に入って政治に携わっているし、ほかの党首たちも10年以上政界でキャリアを積んできている。当選回数は多くなくとも、まったくの素人というわけではなく、ある程度の時間をかけて地道に党の内外で信頼と人気を勝ち取ってきているのだ」、なるほど。 「日本」とは対極の「女性活躍」社会で、余りにも違いが大きいようだ。 PRESIDENT WOMAN 佐藤 一磨氏による「「専業主婦をもつ夫は幸福度が高く、管理職の妻をもつ夫は幸福度が低い」女性活躍の不都合な真実 妻は夫が出世したほうが、幸福度が高くなる」 「研究」の結果を知りたいものだ。 「ポジティブな影響」は確かに考えられる。 「ネガティブな影響」はもっとありそうだ。 実際のデータではどうなのだろう。 「妻が管理職の夫の幸福度は低い」、直感的な考え方と一致したようだ。 「専業主婦を持つ男性の幸福度が最も高い」、これも直感的な考え方と一致したようだ。 「夫が働いていない妻の幸福度は低い」、「洋の東西を問わず妻を悩ます種になっているようです」、なるほど。 確かに「女性活躍推進策」の「負の側面」も検証すべきだ。 「女性活躍推進策は今後の日本にとって必要な政策であり、課題に対処しながら進めていくことが重要」、「このために必要となるのは、妻が管理職として働くようになったとしても家族にしわ寄せがいかないワークライフバランス施策です。 また、これに加えて、夫側の性別役割分業意識のアップデートが必須」、同感である。
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キシダノミクス(その6)(アベノミクス以上にアベノミクスな内容…「骨太の方針2022」でわかった新しい資本主義の古臭さ これが"本気"なら大規模な政策転換だが…、岸田首相は賃上げと株主還元のどちらが先なのか 「新しい資本主義」と「資産所得倍増」は相性が悪い、岸田政権「黄金の3年」で今すぐ着手すべき経済政策とは?) [国内政治]

キシダノミクスについては、6月26日に取上げた。今日は、(その6)(アベノミクス以上にアベノミクスな内容…「骨太の方針2022」でわかった新しい資本主義の古臭さ これが"本気"なら大規模な政策転換だが…、岸田首相は賃上げと株主還元のどちらが先なのか 「新しい資本主義」と「資産所得倍増」は相性が悪い、岸田政権「黄金の3年」で今すぐ着手すべき経済政策とは?)である。

先ずは、6月16日付けPRESIDENT Onlineが掲載した経済ジャーナリストの磯山 友幸氏による「アベノミクス以上にアベノミクスな内容…「骨太の方針2022」でわかった新しい資本主義の古臭さ これが"本気"なら大規模な政策転換だが…」を紹介しよう。
https://president.jp/articles/-/58679?page=1
・『アベノミクス以上にアベノミクスな内容になった  今後1年の政府の経済財政運営の方針である「経済財政運営と改革の基本方針2022」、いわゆる「骨太の方針」が閣議決定された。就任前から岸田文雄首相が強力に打ち出していた「分配重視」の政策がどう具体的な政策として盛り込まれるのかが注目されたが、「分配」はすっかり影をひそめ、「成長」一辺倒といっていい内容となった。 見出しや注記も加えた報告書全体に出てくる「分配」という語句は16カ所。これに対して「成長」という語句が登場するのは68カ所にのぼる。安倍晋三首相が言い続けた「経済好循環」を「成長と分配の好循環」と言い換え、分配には成長が必要だと、当初の主張から大きく舵を切ったように見える。 アベノミクスによる成長重視戦略で格差が拡大したとして、「いわゆる新自由主義的政策は取らない」と大見えを切っていた就任当初の岸田首相の「新しさ」は姿を消した。結局は、アベノミクス以上にアベノミクスな内容になった』、「「いわゆる新自由主義的政策は取らない」と大見えを切っていた就任当初の岸田首相の「新しさ」は姿を消した。結局は、アベノミクス以上にアベノミクスな内容になった」、残念な結果だ。
・『金融所得課税の強化は「完全に引っ込めた」  岸田氏が当初、「格差」対策の分配策として打ち出した金融所得に対する課税強化は、今回の骨太の方針にはまったく盛り込まれなかった。税制改革については、「適正・公平な課税の実現の観点から制度及び執行体制の両面からの取組を強化する」という一文が書かれているが、これは菅義偉内閣が閣議決定した「骨太の方針2021」を引き継いだもので、ここから金融所得課税の強化をやると読むのは難しい。 「7月の参議院選挙を控えて完全に引っ込めたということです」と岸田首相の側近は解説する。何せ、金融所得課税強化を打ち出したことで、市場関係者が一斉に反発。国会で課税強化に触れるたびに「岸田ショック」と呼ばれる株価下落が市場で起きた。「分配」を優先するとした岸田首相には市場関係者や改革派の経営者が一斉に反発。日経CNBCが2月8日に報じたアンケート結果では、「個人投資家の95%が岸田政権『不支持』」という衝撃の結果が出た。 自民党支持者には、株式投資を行っている個人投資家層が少なくない。「株価が下落すると、支持者からお叱りの電話がかかってくる」という自民党議員の声も聞かれる。安倍内閣は過剰なほど株価の動向に敏感で、株価上昇につながる政策を打ち出すことに必死だった。そうした姿勢が「金持ちだけがより豊かになった」というアベノミクス批判につながった』、「金融所得に対する課税強化は、今回の骨太の方針にはまったく盛り込まれなかった」、「7月の参議院選挙を控えて完全に引っ込めたということです」、残念だ。
・『市場に擦り寄る「資産所得倍増プラン」  今回の骨太の方針で「分配」を封印したのは、そうした「市場の反発」に配慮したためだろう。しかも、反発される政策を盛り込まなかっただけでなく、「市場に擦り寄る」政策を盛り込んだ。「『貯蓄から投資』のための『資産所得倍増プラン』」である。 「政策を総動員し、貯蓄から投資へのシフトを大胆・抜本的に進める」とし、「本年末に総合的な『資産所得倍増プラン』を策定する」としている。 もちろん、岸田首相の「分配重視へ」という当初の政策転換姿勢に喝采を送っていた人たちも少なからずいた。野党幹部からも「分配政策は我々の十八番。それを岸田自民党に奪われる」と危機感を露わにする声も聞かれた。それが、5月5日にロンドンで市場関係者を前に「Invest in Kishida(岸田に投資を)」と呼びかけ、露骨に市場に擦り寄ったことで、こうした支持層からも疑念の目が向けられている。「岸田首相の周りは新自由主義者だらけだ」と批判する声も上がる。 かといって、「市場」が岸田支持に回ったか、というとどうもそうではない。ロンドン演説への海外投資家の反応も冷ややかだった。「選挙前だから言っているだけで、岸田首相の本心ではないのではないか」といった見方が市場関係者の間には根強くある』、「ロンドン演説への海外投資家の反応も冷ややかだった。「選挙前だから言っているだけで、岸田首相の本心ではないのではないか」といった見方が市場関係者の間には根強くある」、なるほど。
・『人材投資を促進する政策を「分配」と称している  今回の骨太の方針で「分配」を「成長」に切り替えるにあたって使われた「レトリック」は、人への投資は「分配」だというものだ。 岸田首相の「看板」である「新しい資本主義」について書いた「第2章 新しい資本主義に向けた改革」の冒頭で、「人への投資と分配」を掲げている。個人に直接分配する政策というよりも、人材投資を促進する政策を「分配」と称している。賃上げや最低賃金の引き上げと言った直接の「分配」にも触れているが、これは安倍内閣、菅内閣を通じて行ってきた政策だ。 DX(デジタルトランスフォーメーション)分野やスタートアップ企業の人材など、骨太の方針の各所に「人材確保」「人材育成」という語句があふれている。もちろん、人材を育成することが、競争力を高め、経済の付加価値を高め、分配の原資を膨らませていく。だが、これが「新しい資本主義」だと言われても困惑する。新しい資本主義は市場原理に従った競争を批判する立場だったはずだが、いつの間にかアベノミクスと同じ土俵に上がっている』、「個人に直接分配する政策というよりも、人材投資を促進する政策を「分配」と称している」、「いつの間にかアベノミクスと同じ土俵に上がっている」、失望した。
・『もう一つの文書で掲げた「労働移動の円滑化」  これを端的に示しているのが、骨太の方針と同時に閣議決定された「新しい資本主義のグランドデザイン及び実行計画~人・技術・スタートアップへの投資の実現~」という文書だ。 岸田首相が昨年末に設置した「新しい資本主義実現会議」がまとめたものだ。「実現会議」と言いながら計画を作るのに半年以上もかけていること自体が噴飯物。閣議決定も通常国会の会期末ギリギリだった。実現するためには法案を作って、国会審議を通す必要があり、議論は早くて秋の臨時国会から。どんなに早くても何かが実現するのは2023年4月からの施行、通常ならば2024年4月からの施行ということになる。 話を戻そう。その実行計画の冒頭に驚くべき記載がある。 「新自由主義は、成長の原動力の役割を果たしたと言える」と新自由主義を評価しているのだ。その上で、「資本主義を超える制度は資本主義でしかあり得ない。新しい資本主義は、もちろん資本主義である」と宣言している。 問題は中味だ。ここでも、「人への投資と分配」が新しい資本主義の柱として書かれているが、骨太には明確には触れられていないことがある。賃金の引き上げと並んで掲げられているのが「スキルアップを通じた労働移動の円滑化」である。「学びなおし」や「兼業推進」「再就職支援」などを行い、「教育訓練投資を強化して、企業の枠を超えた国全体としての人的資本の蓄積を推進することで、労働移動によるステップアップを積極的に支援していく」としている』、「「新自由主義は、成長の原動力の役割を果たしたと言える」と新自由主義を評価」、「スキルアップを通じた労働移動の円滑化」、これも「新自由主義」的だ。
・『安倍内閣が実現できなかった政策  つまり、生産性の低い産業分野から生産性の高い分野への労働移動を促すことで、ステップアップ、つまり賃金を上げていくような社会を作るべきだとしているのだ。 実は、これはアベノミクスが当初からやりたくてできなかった政策である。労働移動を促進するためには、本来は滅ぶべき企業、いわゆる「ゾンビ企業」を救済するのではなく、それを潰して、強い企業へ集約していくことが重要だという議論が当初からあった。その際、がんじがらめになっている解雇規制を緩和することが必要だとしたことで、左派野党から猛烈な反発を食らう。「安倍内閣は解雇促進法を作ろうとしている」といった攻撃に負け、安倍内閣は労働法制の改革を断念している。 その後も「働き方改革」の流れの中で、労働移動を促進する制度整備を取ろうとしたが、なかなか本格的に手をつけられずに終わった経緯がある』、「スキルアップを通じた労働移動の円滑化」は私としてはかっては反対だったが、現在のように失業率が低く、「雇用調整助成金を大規模に給付」しているなかでは賛成に切り替える。
・『「本気」ならば、大規模な政策転換だ  そんな時に、新型コロナウイルスの蔓延が起き、雇用調整助成金を大規模に給付せざるを得なくなった。余剰人員の人件費を政府が肩代わりする制度だから、これによって企業に人を抱えさせることとなった。新型コロナにもかかわらず日本は失業率がまったくと言って良いほど上がらなかった。失業率が一時14%まで上がったが、その後の好景気で新型コロナ前の失業率に戻った米国とは対照的だった。米国はこの間、大きく労働移動が起き、ポストコロナ型産業へのシフトが進んだが、日本は労働移動を阻害する政策をとったために産業構造の転換はまったく進んでいない状況になった。 岸田内閣は2022年3月末までだった雇用調整助成金の特例措置を6月末まで延長。さらに選挙後の9月末まで延ばした。労働移動を促進するというのが「本気」ならば、これも大規模な政策転換である。新しい資本主義は、アベノミクスができなかったことに挑む、アベノミクスよりもアベノミクスな資本主義ということになるのだろうか』、「新型コロナウイルスの蔓延が起き、雇用調整助成金を大規模に給付せざるを得なくなった。余剰人員の人件費を政府が肩代わりする制度だから、これによって企業に人を抱えさせることとなった。新型コロナにもかかわらず日本は失業率がまったくと言って良いほど上がらなかった」、「労働移動を促進するというのが「本気」ならば、これも大規模な政策転換である」、「アベノミクスよりもアベノミクスな資本主義ということになるのだろうか」、その通りだ。

次に、6月17日付け東洋経済オンラインが掲載した大和証券 シニアエコノミストの末廣 徹氏による「岸田首相は賃上げと株主還元のどちらが先なのか 「新しい資本主義」と「資産所得倍増」は相性が悪い」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/595662
・『政府は6月7日、「新しい資本主義」の実行計画である「新しい資本主義のグランドデザイン及び実行計画・フォローアップ」を閣議決定した。内容はすでに報じられているように、「成長戦略重視」という印象が強い。 2021年10月26日に行われた政府主導の「新しい資本主義実現会議」の第1回では、事務方から「新しい資本主義(ステークホルダー論)をめぐる識者の議論の整理」という資料が提出され、既存の資本主義の問題点などについて議論されていた。 例えば、下記のような著名人の主張が並べられ、新自由主義や株主至上主義の問題点が指摘された。 ・ティロル(Jean Tirole、2014年ノーベル経済学賞受賞)は、ステークホルダー全体を考慮した企業統治を考える必要性を提唱し、そのための経営者に対するインセンティブと制御の構造を研究すべきとの論⽂を2001年にEconometricaに発表。 ・ラジャンとジンガルス(Raghuram Rajan & Luigi Zingales)は、現代の企業において価値を⽣み出す源泉が何であるかという別の視点から「株主価値最⼤化」の企業統治の仕組みに疑問を提起。 ・ヘンダーソン(Rebecca Henderson、ハーバード・ビジネススクール教授)は、気候変動や格差といった問題に対しては、「株主価値の最⼤化」という考え⽅を離れ、資本主義の再構築を⾏うことが必要と主張。 ・投資家サイドの代表的論客のラリー・フィンク(Larry Fink、世界最⼤の資産運⽤会社ブラックロックのCEO)。彼は2018年1⽉、投資対象企業すべてのCEOに宛てた書簡において、⻑期的な利益を達成するために広い範囲のステークホルダーの利益を追求すべき旨を明記』、「「新しい資本主義実現会議」の第1回」、はまともな内容だったようだ。
・『「新しい資本主義」は着地前に流れが変わった  ところが、これらのスタート時にみられたコンセプトと比べると、今回、出来上がった実行計画は、前政権までの「成長戦略」にかなり近い着地となった印象である。 そうした結果を受けて、実現会議のメンバーでもあり、「新しい資本主義」によって「株主至上主義の是正」を訴えてきた原丈人氏は、朝日新聞のインタビュー(5月30日朝刊掲載)において、実行計画に対して「資産所得倍増の前に分配政策を」と「不満」を訴えた。 2月にBloombergが行ったインタビューでは、原氏は「(岸田首相と)よく会っている。いろいろな助言はしている」とし、「新しい資本主義実現会議」と原氏の財団を「車の両輪」に例えていたことを考慮すると、実行計画策定の段階で、流れが大きく変わったのだろう。岸田政権の「新しい資本主義」の着地点が明確でないことは、原氏のような識者のクレームからも明らかだ。 突如として政策の中心となった「貯蓄から投資へ」というスローガンについては、過去にも改善すべき問題(日本人の高い現預金保有比率)という認識は広がっていたものの、かねて政策対応については、批判的な意見も少なくなかった。 元官庁エコノミストの小峰隆夫・大正大学教授は2020年11月に、ブログ「経済学の基礎で考える日本経済」というシリーズで、「『貯蓄から投資へ』の論理を問う」という論評をアップし、下記のように問題点を指摘している。理想的な状況を目指すうえでは、このような指摘は正しいように思われる。 第1に、(「貯蓄から投資へ」は)やや上から目線的な姿勢が気になる。(中略)家計も馬鹿ではないから、自らの判断で、住宅投資を行い、貯蓄を現預金、証券投資、保険などに振り向けているはずだ。直接金融にしたいというのであれば、家計にスローガンで呼びかけるのではなく、家計が自らの自由な判断で直接金融を選択するような金融環境を整備するのが王道であろう。 第2に、注文を付ける相手が違うのではないかという気もする。家計がリスク性の低いポートフォリオを選択するのは、老後や不時に備える意識が強いからだ。(中略)また、投資を呼びかけるのであれば、家計ではなく企業であろう。日本では90年代末頃から、一貫して企業部門が貯蓄超過という異常な事態が続いている。是正するとすればこちらではないか』、「今回、出来上がった実行計画は、前政権までの「成長戦略」にかなり近い着地となった印象」、「「株主至上主義の是正」を訴えてきた原丈人氏は、朝日新聞のインタビュー・・・において、実行計画に対して「資産所得倍増の前に分配政策を」と「不満」を訴えた」、「突如として政策の中心となった「貯蓄から投資へ」というスローガン」、については、「元官庁エコノミストの小峰隆夫氏」の批判は正鵠を突いている。
・『政府がばらまくたびに貯蓄が増えていく  特に、第2の論点について、企業の積極的な分配を促すことが先であるという点は、原丈人氏の指摘と近いように思われる。企業の貯蓄超過という問題もある。 また、日本の貯蓄・投資バランスをみると、赤字を拡大させている主体は政府部門であり、家計や企業の貯蓄は増え続けている。政府が家計への支援を行うたびに家計の貯蓄(消費以外を指す、株式なども含む)が増え続け、特にコロナ禍の下では消費機会がなかったので貯蓄が強制的に増えてしまっている状況である。 そもそも「資産所得倍増計画」においては「貯蓄」とは何なのか、「投資」とは何なのか、という定義も釈然としない状況だが、おそらく「預貯金」から「株式などリスク資産」という意味で「貯蓄から投資へ」を使っているのだろうとすると、急に「貯蓄」が増えてしまえば、「株式などリスク資産」の比率はなかなか増やせない。 実際に、家計の株式等の保有額は減っているわけではない。したがって、家計は株式等を減らしていたり、投資に対して後ろ向きになっているという感覚はないだろう。むしろ強制貯蓄は今後の物価高で取り崩されるバッファーと考えているかもしれない。「貯蓄から投資へ」と言われてもピンとこない面もあるだろう』、「家計は株式等を減らしていたり、投資に対して後ろ向きになっているという感覚はないだろう。むしろ強制貯蓄は今後の物価高で取り崩されるバッファーと考えているかもしれない。「貯蓄から投資へ」と言われてもピンとこない面もあるだろう」、その通りだ。
・『「資産所得倍増」と「賃上げ」の相性は悪い  今回の「貯蓄から投資へ」は「資産所得倍増プラン」と同時に進められることから、事態は一段と複雑である。例えば、「資産所得倍増」には株式投資における配当収益が含まれると予想されるため、企業の株主還元の姿勢が重要となる。 しかし、一方で企業は「分配」の観点で政府から「賃上げ要請」を受けている。企業は「賃上げ」と「株主還元」のどちらを優先すべきか悩んでしまう状況だ。政府は早急にこれらの優先順位をつけなければ、中途半端になってしまう。 この点については、原氏は「資産所得倍増の前に分配政策を」という主張で一貫している。今後、岸田政権がどちらを重視していくかが注目される。本年末までに総合的な「資産所得倍増プラン」の詳細を策定するという。 もっとも、上記策定に際し、いわゆる骨太方針(「経済財政運営と改革の基本方針2022」では、「家計の安定的な資産形成に向けて、金融リテラシーの向上に取り組むとともに、家計がより適切に金融商品の選択を行えるよう、将来受給可能な年金額等の見える化、デジタルツールも活用した情報提供の充実や金融商品取引業者等による適切な助言や勧誘・説明を促すための制度整備を図る」とされるにとどまっている。見える化、デジタル化は重要だが、それ自体で資産形成に大きな変化は期待できない。 これまでの政権運営を考慮すると、賃上げと株主還元にトレードオフの関係がある中で、企業にどちらを優先的に求めるのかについて、あまり明確なメッセージが出てこない可能性が高いと、筆者は予想している』、「賃上げと株主還元にトレードオフの関係がある中で、企業にどちらを優先的に求めるのかについて、あまり明確なメッセージが出てこない可能性が高いと、筆者は予想」、なるほど。
・『潜在成長率の底上げとデフレ脱却を同時に  「貯蓄から投資へ」に関して、小峰教授は「家計がリスク性の低いポートフォリオを選択するのは、老後や不時に備える意識が強いからだ」とも指摘している。日本の将来や成長への不安を取り除くこと、つまり、潜在成長率の底上げが重要だという点に疑いの余地はないだろう。 また、筆者は2016年に行った分析(下記参考文献)では、「インフレ期待」も株式投資比率にとっては重要なことがわかっている。 これは、個人投資家に行ったアンケート調査の結果を用いて、株式保有比率(金融資産に対する株式等の比率)を被説明変数とし、インフレ予想(1年、3年、5年)を説明変数とした回帰分析を行ったものだ。 株式保有比率に対して「1年先のインフレ予想」は影響を与えていないと考えられる一方、「3年先までのインフレ予想」や「5年先までのインフレ予想」の回帰係数は統計的に有意にプラスとなった。つまり、「デフレ脱却」によって個人のインフレ予想が高くなれば、自然と株式保有比率は上がってくる可能性が高い。株式は預金や債券よりも「インフレに強い資産」と言われるため、自然な結論である。 むろん、政策によって非合理的な「安全志向(現金・預金志向)」は取り除いていく必要はあり、そのためには成長期待が重要なのである。 最終的には「潜在成長率の底上げ」と「デフレ脱却」の両方が「貯蓄から投資へ」の正しい処方箋といえよう。なお、これらは同時に進んでいくことが望ましいことは言うまでもない。 「デフレ脱却」を優先した現在の金融政策は実質所得の目減りという問題を引き起こし、家計や企業のマインドが低下して潜在成長率に対してネガティブに働いているように見える。 むろん、潜在成長率だけが上がっていくと、供給過剰によってデフレ圧力を強めてしまうという問題もあるのだが、どちらかと言えば潜在成長率の上昇を優先すべきだと筆者は考えている。日本は潜在成長率が高い経済だと人々が考えれば、自ずと「貯蓄から投資へ」も進んでいくだろう』、「「潜在成長率の底上げ」と「デフレ脱却」の両方が「貯蓄から投資へ」の正しい処方箋といえよう」、「「デフレ脱却」を優先した現在の金融政策は実質所得の目減りという問題を引き起こし、家計や企業のマインドが低下して潜在成長率に対してネガティブに働いているように見える」、「どちらかと言えば潜在成長率の上昇を優先すべきだと筆者は考えている」、なるほど。 

第三に、7月13日付けダイモンド・オンラインが掲載した経済評論家・楽天証券経済研究所客員研究員の山崎 元氏による「岸田政権「黄金の3年」で今すぐ着手すべき経済政策とは?」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/306327
・『参議院選挙で圧勝して、国政選挙がない「黄金の3年」を手にしたとされる岸田政権。しかし、大きな政策を実行に移すつもりだったら、今すぐ動き出さなくては間に合わない。政権にとって「3年」は決して長くないのだ』、「政権にとって「3年」は決して長くないのだ」、との指摘は新鮮だ。
・『参院選を大勝でクリアした岸田首相 「黄金の3年」をどう使う?  さる7月10日に行われた参議院選挙は、単独で改選過半数を超える63議席を獲得する自由民主党の大勝となった。野党側に勝てそうな要素が全く見えない選挙だったから、与党側の勝利に不思議の感はないが、岸田政権としては政権運営における大きな関門をくぐり抜けたと言っていいだろう。 今後、岸田文雄首相自身が衆議院を解散しないかぎり、向こう3年にわたって大きな国政選挙がない。政権が、選挙への影響を気にせずに意図する政策を実現しやすい環境だという意味で、この期間を「黄金の3年(間)」と呼ぶ向きもある。 本稿では、対象を経済政策と経済・資本市場に絞るが、この3年間に何が実現するだろうか。また、何をするべきなのだろうか。 確かにスケジュール的にも選挙結果という重い事実の上でも、岸田首相は大きな政策的フリーハンドを得た。この「政治的資本」をどう使うかは、ご本人にとってだけでなく、国民にとっても大きな問題だ』、「岸田首相は大きな政策的フリーハンドを得た。この「政治的資本」をどう使うかは、ご本人にとってだけでなく、国民にとっても大きな問題だ」、その通りである。
・『アベノミクスの見直し 中でも金融緩和政策はどうなる?  岸田氏の「黄金の3年」における経済政策にあって、大きなテーマが二つあると筆者は考えている。そのうちの一つは「アベノミクス」、特にその中でも金融緩和政策をどう扱うかだ。 この問題にあっては、安倍晋三元首相が殺害され不在となったことの影響が大きいと言わざるを得ない。事件の背景を含む詳細は解明されていないし、まだ日がたっていないので、事件の意味や安倍氏の政治・政策全体に対するコメントは控えて、「心よりご冥福をお祈り申し上げる」としか言えない。ただ、向こう1〜2年の経済政策にあって、彼の「不在」の影響は大きい。 元々岸田氏は、昨年の自民党総裁選挙の直前辺りまでの発言を見ると、(1)アベノミクスの金融緩和政策の修正と、(2)財政再建の二つを指向していたように思われる。 他方、安倍氏は、インフレ目標の達成およびそのための金融緩和の重要性を強調し、加えて、積極的な財政政策を主張していた。彼は、デフレ脱却のためには金融政策だけでは不十分な場合があり、こうした場合に積極的な財政政策の後押しが必要なことを理解していたと思われる。 この点の理解が不足していて、金融緩和だけで十分だと思っていたり、いわゆる「財政再建」と当面の金融政策の目標が矛盾することを理解していなかったりする議員・官僚・有識者は少なくなかった。そのため、党の有力者である安倍氏の存在は今後の政策にとって重要だった』、その通りだ。
・『金融政策の転換に動くのは党人事・内閣改造の後か  一方、岸田氏は総裁選で安部氏のグループからも協力を得るために、表面的には安倍元首相・菅前首相の経済政策を継承する方向転換を見せた。ところが、時に生じる株価に対してネガティブな発言や、今年既に行われた日本銀行の政策委員の人事などを見ると、アベノミクスから距離を取ろうとしているように見える。 この状況にあって、首相OBにして党内の有力者である安倍氏は、岸田氏の政策転換を阻止しようとする、いわば「重し」の役割を果たしていた。 岸田氏にとっては、参院選の勝利と同時に生じた安倍氏の不在は、経済政策に対するより大きな自由を得たことを意味するのではないか。 ただし、安倍氏の死去はあまりにも劇的なものだったので、当面すぐには「アベノミクスの修正」と受け取られるような政策を打ち出しにくいと予想される。 動き出すのは、今後に予想される党人事および内閣改造の後だろう。内閣改造では、財務大臣、経済産業大臣、あとはもう一つの問題との関連で厚生労働大臣に誰を充てるのかに注目したい』、「動き出すのは、今後に予想される党人事および内閣改造の後だろう」、妥当な判断だ。
・『当面は「物価高」への対処が重要 日銀・黒田総裁の方針を支持  当面の経済問題としては、資源価格上昇や円安から来る輸入物価上昇が波及したと見られる「物価高」への対処だろう。消費者物価指数で上昇率が2%を超え、電気代や食品など普通の国民の生活に近い物価はさらに上昇している状況は国民の不満につながりやすい。 今回の物価上昇は、元々海外から輸入される資源の価格上昇に起因する。例えば原油・LNG(液化天然ガス)などの価格上昇だ。これらには、(1)日本人の所得を海外に流出させる効果があることと(この効果自体はデフレ的だ)、(2)エネルギー価格の上昇が止まると1年程度で「対前年比」の物価上昇率に対する影響が消えること、の二側面がある。 そして現在の物価高は、需要が旺盛で起こっている物価高ではないし、物価上昇に見合うほどの賃金上昇を伴うものでもない。 さて、当面の景気は、非製造業はコロナ自粛の解消を背景にやや好調だが、製造業は中国のロックダウンの影響などもあり好調とはいえない。 円安は、企業の収益にはプラスで、これが国内の設備や人への投資につながる状況になれば、やがては賃金上昇にもつながるはずだ。ただ、しばらくは時間が掛かる(たぶん、1〜2年くらい)。 当面の経済状況にあっては、金融引き締めによる需要の抑制は適切ではない。また、利上げによる円高で物価上昇を緩和しようとする政策も、経済が好循環に向かう可能性に水を差す要因になり得る。 将来いずれかの時点では金融政策の引き締め方向への転換があるとしても、当面はアベノミクスの根幹である金融緩和政策を維持するべきだろう。筆者は、日銀の黒田東彦総裁の現在の方針を支持している』、私は「黒田東彦総裁の現在の方針」にはかねてから反対してきた。
・『日銀総裁人事に注目 筆者が推す「次期総裁候補」は?  岸田政権の経済政策にあって影響が最大となりそうなものは、来春に交代する予定の日銀の正副総裁3人の人事だ。任期は5年なので、向こう5年間にわたる金融政策の方向性を大きく左右する。この人事にあって岸田首相が従来の金融緩和路線の修正にかじを切る可能性は小さくないと筆者は考えている。 この人事においては、安倍元首相の存在感と影響力が大きいはずだったのだが、同氏の死去によって岸田首相は自分の意思を通しやすくなった。 世間の注目を集めている人事であり、うわさベースでは既に後任の総裁候補の名前が幾つか挙がっている。次は日銀プロパーの総裁の順番ではないかとの連想から、中曽宏前副総裁、雨宮佳彦現副総裁などだ。 デフレ脱却を確実なものとするためには、「インフレ目標が未達の段階で金融引き締めに政策転換しない(と目される)総裁、副総裁」の任命が適切だ。だが、そうならない可能性が否定できない。日本の経済および資本市場における「岸田リスク」としては、最大のものだろう。 なお、筆者が推す次期日銀総裁候補は、前出の2人と同じ副総裁経験者である若田部昌澄現副総裁だ。「若田部総裁」であれば、アベノミクスの根幹部分であるマイルドなインフレの定着を目指した金融政策の継承を強いメッセージとして発することができる。副総裁の経験を積んでいるし、学識も57歳という年齢も申し分ない。 他の副総裁経験者が総裁になる場合と比較すると、株価的には日経平均株価換算で数千円単位の株高材料だろう。もっとも、人事的慣例から見て「若田部総裁」の実現確率は残念ながら大きくはなさそうだ。 しかし、アベノミクスを継承する場合の人事として、岸田首相にはぜひ頭に入れておいてほしい選択肢だ。株式市場が恐れている最大の「岸田リスク」をポジティブなサブプライズに変えることができる』、「若田部現副総裁」はリフレ派で「山崎氏」とは肌が合うのかも知れないが、私はもともと異次元緩和に反対で、「出口」戦略に転換すべきとの立場なので、「中曽宏前副総裁、雨宮佳彦現副総裁」はいずれも異次元緩和を進める立場だったので、反対だ。
・『資産所得倍増に沿う政策は年末が焦点 「ゼロ回答はあり得ない」と期待  経済政策としては大きなものではないが、先般岸田首相が口にした「資産所得倍増」についても簡単に触れておこう。 この路線に沿った政策は、今年の年末にかけて出てくることが確実視される。NISA(少額投資非課税制度)、つみたてNISAなどの非課税運用枠の増額と、iDeCo(個人型確定拠出年金)の加入年齢延長は、年末の税制関係の検討プロセスで議題に上ることが確実視できる。「富裕層も含めた資産からの所得の倍増」よりも先に「資産形成層の資産所得倍増」を目指すことが、経済格差拡大に対する対策の点で望ましいだろう。また、政策の実現性の点でもちょうど良いのではないか。 首相が口にした方針なので「ゼロ回答はあり得ない」と期待したい。 併せて、金融教育の一層の充実や、金融的なアドバイスに関わる制度的な整備など、国民の投資と資産形成のための環境整備をセットで実現してほしい』、これに関しては、特に異論はない。
・『「黄金の3年」二つ目の重要課題 分配政策と年金  さて、岸田内閣の「黄金の3年」にとって二つ目の重要課題は、年金を含む社会保障と全般的な再分配政策だろう。もともと自民党総裁選の初期には分配政策重視を公言していた岸田首相のことなので、問題意識はあるはずだ。 かつて言い出して、市場に1回目の「岸田ショック」を与えた「金融所得課税の見直し(=強化)」のようなトンチンカンな政策を再び持ち出さないことが肝心だ。そんなことをすれば「資産所得倍増」に逆行してしまう。 また、スケジュールとしては、2023年の人口推計を基に24年には、公的年金の財政検証が行われる。 財政検証では、例によって、「モデル世帯」(既に世の中の平均からズレているが)の「所得代替率」(現役世代の所得に対する年金受給額の比率)の議論が取り沙汰される。将来も所得代替率50%を維持可能であるのか否か、その計算の前提数字は現実的か――。そういった幾らか複雑で、しかも国民感情を刺激しやすい議論に政治の世界も巻き込まれることが予想される。政治家の失言が出やすいし、世間も大騒ぎしやすいテーマなので、年金は時の政権にとって「鬼門」とも言えるテーマだ。 大まかには、23年に出る人口推計の出生率は、これまでに想定されていたよりも早くかつ大きく低下している公算が大きい。その前提で将来の財政検証の計算を行うと、将来の所得代替率は50%を維持できない結果が出る可能性がある。しかし、これに対しては無理な前提を置いて(例えば実質賃上昇率の非現実的な伸びを仮定するなど)「50%維持」を取り繕うべきではない。 マクロ経済スライド方式を使った現在の年金財政のあり方自体は、大まかにはこのままで良いだろう。公的年金は、財政が逼迫していきなり破綻するような仕組みにはなっていない。 もちろん、総合的な富の再分配効果について年金を含めて総合的に検討する必要はある。ただ「分配問題」にあっては、年金制度を操作することによる高齢者向けの再分配ではなく、若者を含む現役世代の経済弱者に対する再分配を重視したい。社会保障制度を支える世代への応援であると同時に、「人への投資」でもある』、「若者を含む現役世代の経済弱者に対する再分配を重視」、これにも異論はない。
・『政権にとって「3年」は消して長くない 大きな政策には今すぐ着手すべき  本連載では、特に低所得な若者中心の現役世代に対する「再分配」かつ「サポート」として最も簡単で効果的な政策を過去に何度か提案している。それは、目下2分の1負担の国民年金・基礎年金の保険料を全額一般会計負担にすることだ。給与所得者なら厚生年金保険料と共に差し引かれている社会保険料が、1カ月当たり1万数千円減ることになり、直ちに手取り所得が増える。しかも、一時の給付金収入ではなく、継続的な手取りの増加だ。 この財源は特定の税目と結び付ける必要はない。ただ、例えば所得税を中心に増税すると、「差し引きでは」高所得な人から低所得な現役世代に「再分配」がなされることになる。 実現のためには、年金を所管する厚労大臣と財源に関わる財務大臣に強力な実行力を持った人物を充てる必要があるので、次の組閣には大いに注目したい。 付け加えると「黄金の3年」と言っても、3年目の24年には次の自民党総裁選があり、翌年には衆議院の任期満了に伴う解散総選挙が迫ってくる。こうした再分配政策に限らず「大きな政策」は、今すぐに方針を決めて、23年の通常国会では法案を通すくらいスピード感を持たないと実現できないはずだ。 「有識者による検討会議」のような時間の無駄を官僚に作られてしまうと、重要な政策は実現しないことを付言しておく。政権にとって「3年」は決して長くない』、「大きな政策」は、今すぐに方針を決めて、23年の通常国会では法案を通すくらいスピード感を持たないと実現できないはずだ」、同感である。
タグ:PRESIDENT ONLINE 末廣 徹氏による「岸田首相は賃上げと株主還元のどちらが先なのか 「新しい資本主義」と「資産所得倍増」は相性が悪い」 「賃上げと株主還元にトレードオフの関係がある中で、企業にどちらを優先的に求めるのかについて、あまり明確なメッセージが出てこない可能性が高いと、筆者は予想」、なるほど。 東洋経済オンライン 「家計は株式等を減らしていたり、投資に対して後ろ向きになっているという感覚はないだろう。むしろ強制貯蓄は今後の物価高で取り崩されるバッファーと考えているかもしれない。「貯蓄から投資へ」と言われてもピンとこない面もあるだろう」、その通りだ。 「スキルアップを通じた労働移動の円滑化」は私としてはかっては反対だったが、現在のように失業率が低く、「雇用調整助成金を大規模に給付」しているなかでは賛成に切り替える。 「若田部現副総裁」はリフレ派で「山崎氏」とは肌が合うのかも知れないが、私はもともと異次元緩和に反対で、「出口」戦略に転換すべきとの立場なので、「中曽宏前副総裁、雨宮佳彦現副総裁」はいずれも異次元緩和を進める立場だったので、反対だ。 「岸田首相は大きな政策的フリーハンドを得た。この「政治的資本」をどう使うかは、ご本人にとってだけでなく、国民にとっても大きな問題だ」、その通りである。 「「新自由主義は、成長の原動力の役割を果たしたと言える」と新自由主義を評価」、「スキルアップを通じた労働移動の円滑化」、これも「新自由主義」的だ。 「金融所得に対する課税強化は、今回の骨太の方針にはまったく盛り込まれなかった」、「7月の参議院選挙を控えて完全に引っ込めたということです」、残念だ。 「「いわゆる新自由主義的政策は取らない」と大見えを切っていた就任当初の岸田首相の「新しさ」は姿を消した。結局は、アベノミクス以上にアベノミクスな内容になった」、残念な結果だ。 その通りだ。 「個人に直接分配する政策というよりも、人材投資を促進する政策を「分配」と称している」、「いつの間にかアベノミクスと同じ土俵に上がっている」、失望した。 「今回、出来上がった実行計画は、前政権までの「成長戦略」にかなり近い着地となった印象」、「「株主至上主義の是正」を訴えてきた原丈人氏は、朝日新聞のインタビュー・・・において、実行計画に対して「資産所得倍増の前に分配政策を」と「不満」を訴えた」、「突如として政策の中心となった「貯蓄から投資へ」というスローガン」、については、「元官庁エコノミストの小峰隆夫氏」の批判は正鵠を突いている。 磯山 友幸氏による「アベノミクス以上にアベノミクスな内容…「骨太の方針2022」でわかった新しい資本主義の古臭さ これが"本気"なら大規模な政策転換だが…」 「「潜在成長率の底上げ」と「デフレ脱却」の両方が「貯蓄から投資へ」の正しい処方箋といえよう」、「「デフレ脱却」を優先した現在の金融政策は実質所得の目減りという問題を引き起こし、家計や企業のマインドが低下して潜在成長率に対してネガティブに働いているように見える」、「どちらかと言えば潜在成長率の上昇を優先すべきだと筆者は考えている」、なるほど。 これに関しては、特に異論はない。 「ロンドン演説への海外投資家の反応も冷ややかだった。「選挙前だから言っているだけで、岸田首相の本心ではないのではないか」といった見方が市場関係者の間には根強くある」、なるほど。 「新型コロナウイルスの蔓延が起き、雇用調整助成金を大規模に給付せざるを得なくなった。余剰人員の人件費を政府が肩代わりする制度だから、これによって企業に人を抱えさせることとなった。新型コロナにもかかわらず日本は失業率がまったくと言って良いほど上がらなかった」、「労働移動を促進するというのが「本気」ならば、これも大規模な政策転換である」、「アベノミクスよりもアベノミクスな資本主義ということになるのだろうか」、その通りだ。 「動き出すのは、今後に予想される党人事および内閣改造の後だろう」、妥当な判断だ。 私は「黒田東彦総裁の現在の方針」にはかねてから反対してきた。 ダイモンド・オンライン 「「新しい資本主義実現会議」の第1回」、はまともな内容だったようだ。 「政権にとって「3年」は決して長くないのだ」、との指摘は新鮮だ。 「大きな政策」は、今すぐに方針を決めて、23年の通常国会では法案を通すくらいスピード感を持たないと実現できないはずだ」、同感である。 山崎 元氏による「岸田政権「黄金の3年」で今すぐ着手すべき経済政策とは?」 「若者を含む現役世代の経済弱者に対する再分配を重視」、これにも異論はない。 (その6)(アベノミクス以上にアベノミクスな内容…「骨太の方針2022」でわかった新しい資本主義の古臭さ これが"本気"なら大規模な政策転換だが…、岸田首相は賃上げと株主還元のどちらが先なのか 「新しい資本主義」と「資産所得倍増」は相性が悪い、岸田政権「黄金の3年」で今すぐ着手すべき経済政策とは?) キシダノミクス
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日本郵政(その18)(現金着服・自爆営業…日本郵政が「社員性悪説」コンプラ指導の非常識【内部マニュアル入手】、「国民のカネを投入してまで維持する意味があるのか」組織に根付いた"郵便局体質"の害悪 民間企業で十分カバーできるのに、「日本郵政」がゆうちょ銀 かんぽ生命の株を手放せないワケ) [国内政治]

日本郵政については、昨年4月24日に取上げた。今日は、(その18)(現金着服・自爆営業…日本郵政が「社員性悪説」コンプラ指導の非常識【内部マニュアル入手】、「国民のカネを投入してまで維持する意味があるのか」組織に根付いた"郵便局体質"の害悪 民間企業で十分カバーできるのに、「日本郵政」がゆうちょ銀 かんぽ生命の株を手放せないワケ)である。

先ずは、昨年7月26日付けダイヤモンド・オンライン「現金着服・自爆営業…日本郵政が「社員性悪説」コンプラ指導の非常識【内部マニュアル入手】」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/277458
・『『週刊ダイヤモンド編集部』7月31日号の第1特集は「郵政消滅 郵便局国有化 ゆうちょ・かんぽ解散!」です。郵便局長・局員による詐欺・横領やかんぽ生命の不正販売など不祥事が多発しており、経営は信頼の回復に躍起になっています。ダイヤモンド編集部では、日本郵政の社員40万人に向けられた「内部マニュアル」を独占入手しました。それによれば、世間の常識とかけ離れた「コンプライアンス指導」がなされている実態が明らかになりました』、興味深そうだ。
・『100ページ超に及ぶ「コンプラ・ハンドブック」 会社本位の姿勢が鮮明に  ここに一冊の内部資料がある。 「コンプライアンス・ハンドブック」。その名の通り、「コンプライアンスを実現するための具体的な手引書」として郵便局の社員などに配布される、研修用のマニュアルだ。 日本郵政グループでは社員による不祥事が乱発している。地に堕ちた信頼を回復するため、コンプライアンス意識の徹底は最重要課題だ。しかし、経営が社員を全く信用していない“社員性悪説”に立ってマニュアルが作成されているため、その中身が世間の常識とは完全にずれている。 まず、のっけから強調されるのが「部内犯罪」の防止についてだ。 確かに現金の着服や私的流用、郵便物の廃棄などは犯罪行為だ。ハンドブックでは、そうした不正は「1億円の減収になる」とご丁寧に図版付きで、経営にもたらすダメージを解説。「あなた(社員)にその1億円を補填できるわけもないから不正はやめましょう」と半ば脅しているようなものだ。 さらにページをめくると、犯罪を行った者は懲戒解雇で退職手当を失うことになると、やはり“脅して”いる。勤続38年の郵便局課長のモデルケースでは、2300万円もの退職金を失うという“悲劇の末路”が示されている。 会社の損害になることを強く訴え、自身にも金銭的な不利益が生じることを説く――。禁止行為の単純な説明にとどまらず、こうしたデメリットを強調して威圧的に取り締まろうとする姿勢は、まるで社員を「性悪」と決め付けているかのようだ。 また、長らく郵便局で問題視されてきた「自爆営業」にも自虐的に触れている』、あれだけ「不祥事」が相次いだので、「“社員性悪説”に立ってマニュアルが作成」もやむを得ないだろう。
・『「自爆営業」阻止にも会社本位の姿勢がくっきり  年賀はがきを自腹で購入した後、金券ショップで換金するといった典型的な自爆営業の醜聞はもはや周知の事実だ。 しかしここでは、社員への負担だけではなく、経営判断を誤らせるリスクや、金券ショップに商品が大量にあふれることによる「営業へのリスク」についてもしっかりと強調されている。どこまでも会社本位の姿勢が貫かれている。 ハラスメントの禁止については、4ページにわたる重点的な説明がなされている。 これは当然順守すべきものであり、ハンドブックでもセクハラなど実際にあった事例を取り上げて問題点を解説している。 だが、郵便局の関係者は「ハラスメントを指摘すると左遷されるなど、内部力学が優先された事例もあった」と言い、ハラスメントの禁止の形骸化だけでなく、組織風土というそれ以前の次元で問題を抱えている懸念さえあるのだ。 ハンドブックには、このほか金融商品に関する順守事項や顧客情報保護に関する注意事項、内部通報制度など、多岐に及ぶ内容が100ページ超にわたって示されている。その文章量こそ、日本郵政の課題の深刻さを物語っているともいえるだろう。 実は、このハンドブックの冒頭には、こんな文言が記されている。 これまでも関係規程類において、コンプライアンスとは、『法令等を遵守すること』であり、(中略)その結果、会社や一部の社員が『法令や社内のルールで禁止されていなければ問題ない』という考えから、お客さまの利益を損ない、社会からの期待よりも会社や自身の利益を優先してきたという反省があります」 この問題点は、識者の指摘にも通じる。コンプライアンス問題に詳しい郷原信郎弁護士は、かんぽ生命保険の不適正募集問題に触れて、「法律違反ではなくても、広い意味で顧客のためになっているかという視点が欠如していたのがそもそもの要因だ。必要なのは、顧客の利益のための『コード・オブ・コンダクト』(行動規範)であり、ある種の誠実さだ」と指摘する。 確かに、社員40万人の巨大組織の末端に至るまで、コンプライアンス意識を丁寧に浸透させるのは難しい。だからといって、会社本位のコンプライアンスを社員に一方的に求めたところで、健全な風土改革など望めるはずもない。 まずはガバナンスの健全化も含め、経営陣や幹部陣がその範を垂れるべきだろう』、「ハラスメントの禁止については」、「郵便局の関係者は「ハラスメントを指摘すると左遷されるなど、内部力学が優先された事例もあった」と言い、ハラスメントの禁止の形骸化だけでなく、組織風土というそれ以前の次元で問題を抱えている懸念さえある」、これは深刻だ。「「法律違反ではなくても、広い意味で顧客のためになっているかという視点が欠如していたのがそもそもの要因だ。必要なのは、顧客の利益のための『コード・オブ・コンダクト』(行動規範)であり、ある種の誠実さだ」との郷原氏の指摘はその通りだ。
・『消える郵便局はどこだ 「過剰」自治体ランキングを発表!  『週刊ダイヤモンド編集部』7月31日号の第1特集は「郵政消滅 郵便局国有化 ゆうちょ・かんぽ解散!」です。 創業150年の節目を迎えた日本郵政が、未曽有の危機に瀕しています。 業績はジリ貧です。郵便、銀行、保険の郵政3事業は、どれも郵便物数の減少と低金利政策により長期低落傾向に歯止めがかかりません。 とりわけ、傘下の日本郵便の苦境は際立っています。年賀はがきと信書などドル箱収入の激減に加えて、不祥事による営業自粛で窓口手数料収入も減少。2022年3月期の日本郵便の当期純利益は200億円まで落ち込む見通しです。 頼みの綱である「第四の事業」の創出にも高い壁が立ちはだかっています。 海外物流参入の足がかりにしようと巨費を投じた豪物流トール・ホールディングスの買収で大失敗。今年3月の楽天グループとの提携も、内実は日本郵政による“官制”救済です。協業分野が物流や携帯電話、金融など多岐にわたる割には、1500億円を拠出した日本郵政にビジネス上の旨みが見当たりません。 日本郵政には「5つ病根」が宿しています。(1)まっとうな経営者の不在、(2)郵政3事業のジリ貧、(3)既得権益の温床、(4)余剰人員あふれる40万人組織、(5)株主監視の不徹底がそうです。 とりわけ、(1)に関連する経営人材の枯渇は深刻です。経営の混乱は40万人組織の「現場」へ波及し、社員のモラルが著しく低下。全国の郵便局社員による不祥事が多発する事態に陥っています。特集では、大きな図解で日本郵政が統治不全に陥ったメカニズムについて解説しました。 経営の混乱に乗じて、“守旧派”である全国特定郵便局長会(全特。旧全国特定郵便局長会)のパワーが増してきています。「全特の告発座談会」企画では、現役の郵便局長が経営陣や政治に向けた本音をぶちまけています。 また、ダイヤモンド編集部の独自企画として、農協と郵便局2万4000局を「5つの指標」で徹底比較しました。“消える郵便局”候補を炙り出す「郵便局が過剰な自治体ランキング50」も掲載しました。 かつて地域住民に「郵便さん」と愛された郵便局員の姿は、風前の灯です。郵便局といえば、どの公的機関の出張所よりも地域の信頼を集めていたはず。その姿は見る影もありません。 中途半端な郵政民営化や経営の怠慢は、郵便局のサービス劣化や地方切り捨てという「大きなツケ」となって国民に跳ね返ってきているのです。 郵便局を存続させるのか、消滅させるのか。日本郵政の存在意義を問い直すべき時がやってきました』、「中途半端な郵政民営化や経営の怠慢は、郵便局のサービス劣化や地方切り捨てという「大きなツケ」となって国民に跳ね返ってきている」、個人的には「消滅させる」方向に切り替えるべきと思う。

次に、本年2月23日付けPRESIDENT Onlineが掲載した経済ジャーナリストの磯山 友幸氏による「「国民のカネを投入してまで維持する意味があるのか」組織に根付いた"郵便局体質"の害悪 民間企業で十分カバーできるのに」を紹介しよう』、興味深そうだ。
・『総務省の監督強化は「官業復帰」への布石  続発する郵便局の不正事件に対応して、総務省が「監督体制を強化」するという。相次いで発覚した切手の不正換金事件や顧客の個人情報の政治活動への流用などは、郵便局長や局員の個人的犯罪の域を越え、組織に長く根付いた「郵便局体質」が背景にある。 その体質との決別を目指した郵政民営化を逆戻りさせた総務省にこそ、その責任はあるのだが、問題を逆に総務省の権限強化の口実にしようという。そんな総務省の「監督強化」は、政官一体で画策する「官業復帰」への布石ともいえる。国民のカネを投入してまで郵便局を維持する意味があるのかが問われている。 「郵政事業に対する国民からの信頼を回復させていくことが急務だ。コンプライアンスやガバナンスの一層の強化、再発防止策の確実な実施を促すため、総務省の監督体制を強化する」 2月1日の閣議後の記者会見に臨んだ金子恭之総務相は、こう語った。信頼回復には総務省が乗り出さなければダメだ、というわけだ。弁護士らで作る「有識者会議」を総務省に設けて、日本郵政グループに対する監督機能の強化に向けた具体的な取り組みについて検討し、夏をメドに報告書をまとめるという』、「相次いで発覚した切手の不正換金事件や顧客の個人情報の政治活動への流用などは、郵便局長や局員の個人的犯罪の域を越え、組織に長く根付いた「郵便局体質」が背景にある。 その体質との決別を目指した郵政民営化を逆戻りさせた総務省にこそ、その責任はあるのだが、問題を逆に総務省の権限強化の口実にしようという。そんな総務省の「監督強化」は、政官一体で画策する「官業復帰」への布石ともいえる。国民のカネを投入してまで郵便局を維持する意味があるのかが問われている」、「弁護士らで作る「有識者会議」を総務省に設けて、日本郵政グループに対する監督機能の強化に向けた具体的な取り組みについて検討し、夏をメドに報告書をまとめる」、どんな「報告書」になるにしても、「総務省」に都合のいい内容になるのだろう。
・『郵便局の不正が次々に発覚している  きっかけはとどまることを知らない郵便局の不正発覚だ。 2021年6月に逮捕された長崎住吉郵便局の元局長は、高金利の貯金に預け入れするなどと嘘を言って、現金をだまし取る手口で、62人から12億4000万円を詐取したと報じられた。また、熊本県の元局長は、かんぽ生命の顧客の個人情報を流した見返りに現金を受け取っていたとして、同じく2021年6月に逮捕された。 さらに昨夏には、ホテルで会合を開いたとする虚偽の名目で経費を不正に受け取った統括郵便局長2人を、日本郵便が戒告の懲戒処分とし、解任していたことが明らかになっている。 問題は、こうした不正が、その局長個人が「たまたま起こした」犯罪では済まされないことだ。 例えば、個人情報の扱いについては、郵便局全体でタガが外れている。2021年末には、郵便局で投資信託などの取引を行った顧客の個人情報が記載された書類が全国6565の郵便局で延べ29万人分紛失していたことを日本郵政が認めて発表した。誤って廃棄したとみられるので「外部への情報漏えいの可能性は極めて低い」と説明し、責任追及すらまともにしていない』、「実際の被害はなかったとはいっても、やはり「書類」「紛失」の責任で処分はすべきだ。
・『「まさか郵便局員が不正を働くわけがない」信頼を悪用している  企業などが郵便料金を別納した際に、相当額の郵便切手に消印を押す仕組みがあるが、それを悪用し、切手に消印を押さずに転売する手口が全国の郵便局で次々と見つかった。これも長年続く「郵便局員の小遣い稼ぎ」だったのではないかとの見方が強い。あまりにも巨額なものは事件化したが、少額のケースは闇に葬られてきたとも言われている。 郵便局は国の事業だから潰れない――。民営化された後もそう考えている利用者は少なくない。特に高齢者は長年付き合いのある郵便局長や局員に全幅の信頼を寄せている。郵便局で相次ぐ不正も、そうした無条件の信頼をベースに起きている。まさか郵便局員が不正を働くわけがない、という人々の思いを半ば、悪用しているわけだ。そうした過度の信頼が、内部のチェックを緩ませ、悪しき風習として脈々と続いている。 郵便局はちょっとやそっとでは潰れない、という思い込みは局長や局員にもあるのだろう。だから、多少経費を水増ししたり、ネコババしても会社は安泰だと思うのか。郵便局を舞台にした数々の不祥事の根は深い。まさに「郵便局体質」が脈々と引き継がれているのだ』、「高齢者は長年付き合いのある郵便局長や局員に全幅の信頼を寄せている」、「郵便局で相次ぐ不正も、そうした無条件の信頼をベースに起きている」、「過度の信頼が、内部のチェックを緩ませ、悪しき風習として脈々と続いている。 郵便局はちょっとやそっとでは潰れない、という思い込みは局長や局員にもあるのだろう。だから、多少経費を水増ししたり、ネコババしても会社は安泰だと思うのか。郵便局を舞台にした数々の不祥事の根は深い」、「まさに「郵便局体質」が脈々と引き継がれているのだ」、その通りだ。
・『民営化は名ばかり、日本郵政株の3分の1は政府が保有  もとは国鉄(JRの前身)にも似たような体質があった。精算窓口でのネコババやカラ出張が新聞を賑わせたものだ。だが、民営化によって誕生したJRは、その体質を一変させた。日本郵政も民営化によってその体質は変わるはずだった。だが、郵政民営化の歩みは鈍い。2007年に日本郵政グループが発足、当初は完全民営化が前提だったが、その後の揺り戻しで、政府は日本郵政株の3分の1超を持ち続けることになった。 民営化した民間会社にもかかわらず、総務省が「監督強化」できるのも、この政府の持ち株と法律で日本郵政を縛っているからだ。持株会社である日本郵政は、今も日本郵便の株式の100%を保有。本来は保有株すべてを売却することになっている「ゆうちょ銀行」の発行済み株式の88.99%、「かんぽ生命」の49.90%をいまだに持ち続けている。つまり、民営化は名ばかりで、事実上、日本郵政グループは国が実質支配しているのだ。 郵政民営化では、銀行業も保険業も民間の企業で十分で、「官業」として国が事業を行えば民業圧迫になると考えられた。だから政府保有株をすべて売らせて、民間金融機関として自立させる道を考えた』、「日本郵政は、今も日本郵便の株式の100%を保有。本来は保有株すべてを売却することになっている「ゆうちょ銀行」の発行済み株式の88.99%、「かんぽ生命」の49.90%をいまだに持ち続けている。つまり、民営化は名ばかりで、事実上、日本郵政グループは国が実質支配しているのだ」、「総務省が「監督強化」できる」のも当然だ。
・『政府は郵便局網の維持に必死  今も、日本郵政を通じて間接支配しているのは理由がある。政府は必死になって郵便局網を維持する道を模索している。郵便局を保有する日本郵便には全国一律のサービスを提供する「ユニバーサルサービス」が義務付けられているが、2021年末時点で2万3774に及ぶ郵便局の多くは赤字だとされる。それを補い郵便局網を維持するために、ゆうちょ銀行とかんぽ生命に「業務手数料」や「拠出金」の形で毎年1兆円もの資金負担を求めてきた。 その支援資金が細ってくると、総務省は2019年から新たな方法に切り替えた。それまでは金融2社が自社商品を郵便局で販売してもらう「業務手数料」として支払われていたものを、独立行政法人の「郵便貯金簡易生命保険管理・郵便局ネットワーク支援機構」にいったん拠出させた後、日本郵便に交付金として支払うように変えたのだ。資金をふんだんに持つ独法を絡めることで、郵便局網維持のための資金確保を狙うと共に、税金を投入する道筋を開いたとみられている』、「資金をふんだんに持つ独法を絡めることで、郵便局網維持のための資金確保を狙うと共に、税金を投入する道筋を開いたとみられている」、さすが悪知恵にたけているようだ。
・『自民党の集票マシーンと呼ばれた「旧特定郵便局長」  そこまでしてなぜ、政府は「郵便局網」を維持したいのか。その理由をうかがわせる不祥事が昨年発覚した。 2021年10月に西日本新聞の報道で発覚したのだが、全国の郵便局長(旧特定郵便局長ら)でつくる任意団体「全国郵便局長会」(全特)が日本郵政に要望、2018~20年度に約8億円分のカレンダー購入経費を負担させた上で、全国の局長に全特が擁立する自民党参院議員の後援会員らに配布するよう指示したというもの。郵便局の持つ顧客の個人情報を政治活動に流用したとして大問題になった。日本郵政は郵便局長ら112人を社内処分したと発表している。どうやら組織的に、郵便局の持つ情報と日本郵政の資金を使って、特定候補の応援をしていたという疑いが濃厚になった。 旧特定郵便局長は明治時代に地方の名士などが設置したものが多く、代々局長を世襲している例もある。地域の中核的存在だったことから政治的にも大きな影響を持ち、自民党の「集票マシーン」と呼ばれることもある。 こうした郵便局長は日本郵政の職員でありながら、転勤もなく、同じ業務を担い続けている。これが顧客との馴れ合いを生み、不正が頻発している根本原因だとも指摘されている。郵政民営化では、この特定郵便局の解体が決まったが、結局、今もひとつの「既得権」として郵便局長ポストが守られているとされる。 では、総務省が権限を強化することで、こうした長年の問題は解消されるのだろうか。残念ながらむしろ逆だろう』、「自民党」としても「集票マシーン」を手放す筈もない。
・日本郵政の事業に国民のカネをつぎ込む必要があるのか  自民党の大物議員の間には、「郵政再国営化」論がくすぶっている。宅配便が全国をカバーし、町々にコンビニができる中で、郵便局に対するニーズはどんどん低下している。宅配会社や地域金融機関との競争で収益性も低下、もはや日本郵政のやりくりだけでは既存の郵便局網を維持することは難しくなっている。そうなると集票マシーンを失うことになる自民党にとっては死活問題になる。郵便局を国営化して国で支えようというわけだ。 総務省の官僚たちが、大臣や与党政治家の意向に従わざるを得ないのは言うまでもない。それだけでなく、総務省自身も郵政事業に利権を持つ。 2019年末、かんぽ生命の不正販売問題の責任を取って、日本郵政、かんぽ生命、日本郵便の3社長が交代した。いずれも民間金融機関出身者だったが、後任は揃って官僚出身者となった。民間出身者が過酷なノルマを課したことが不正販売につながったかのような情報が流されたが、実のところ、民間経営者による改革を嫌う局長や総務官僚らの反発が背景にあった。不祥事を機に総務省はまんまと社長ポストを手に入れたのである。 果たして、今回の「監督強化」で総務省は何を奪還しようとしているのか。再国営化か、税金投入か。日本郵政が手掛ける事業はどれも、民間企業で十分のものばかりで、もはや国が手掛ける歴史的意味を失っている。そこにこれからも巨額の国民のカネをつぎ込む必要があるのかどうか、今こそ真剣に考えるべき時だろう』、「今回の「監督強化」で総務省は何を奪還しようとしているのか。再国営化か、税金投入か。日本郵政が手掛ける事業はどれも、民間企業で十分のものばかりで、もはや国が手掛ける歴史的意味を失っている。そこにこれからも巨額の国民のカネをつぎ込む必要があるのかどうか、今こそ真剣に考えるべき時だろう」、「国民のカネをつぎ込む必要」は「自民党」のためになりこそすれ、「国民」のためにはならない。

第三に、5月14日付け日刊ゲンダイが掲載した金融ジャーナリストの小林佳樹氏による「「日本郵政」がゆうちょ銀、かんぽ生命の株を手放せないワケ」を紹介しよう。
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/money/305136
・『「郵政民営化法が改正されるかもしれない」 地方銀行の幹部はこう警戒する。 2012年改正の郵政民営化法では、国が日本郵政株の3分の1を持ち続ける一方、日本郵政が持つゆうちょ銀行、かんぽ生命保険の金融2社の株はできる限り早期に完全処分を目指すとされている。このため日本郵政はゆうちょ銀行、かんぽ生命が上場後、順次、市場で保有株式を売却してきた。 しかし、「日本郵政グループを支えているのは金融2社の収益であり、この2社が完全に独立した瞬間に、日本郵政グループの価値は暴落しかねない。収益性の低い日本郵便のみが残り、ユニバーサルサービスの維持も困難になろう」(市場関係者)とみられている。金融2社株の完全売却は現実的な選択肢ではないのだ』、「収益」源の「金融2社株の完全売却は現実的な選択肢ではない」、のは確かだ。
・『一体経営を担保する仕組み  その一端が垣間見れたのが、朝日新聞が報じた全国郵便局長会の評議員会の議事録(3月26日)だ。この中で、局長会の末武晃会長は「日本郵政または日本郵便による一定数のゆうちょ銀行、かんぽ生命の株式の保有等、一体経営を担保する仕組みについての検討を求めていきたい」と発言したとされる。 評議員会は全国郵便局長会総会に次ぐ議決機関で、これまでに日本郵政グループの「一体経営の確保」を訴えたことはあるが、トップが金融2社の株式保有にまで踏み込んだ発言を行ったのは初めてだ。政治的な影響力を持つ、全国郵便局長会トップの発言は重い。地方銀行幹部が指摘するように郵政民営化法そのものが改正され、金融2社の株売却にブレーキがかかるのか。 だが、金融2社の株式売却にストップをかけるのはもろ刃の剣でもある。民営化法では、郵政の出資比率が5割を下回るまで金融2社の新規業務に国の認可が必要と定めている。かんぽ生命については21年6月に出資比率が5割を切り、届け出制に移行したが、ゆうちょ銀行はこれから。このまま株式売却を停止すればゆうちょ銀行は新規業務に足かせが残ることになる。 このため株式を完全売却後、日本郵政が株を買い戻すことで、グループ経営を維持する秘策も囁かれ始めた』、「株式を完全売却後、日本郵政が株を買い戻すことで、グループ経営を維持する秘策も囁かれ始めた」、こんな「秘策」許してはならない。仮に、実行した場合には、「新規業務に国の認可が必要」なる条項を復活させるべきだ。
タグ:日本郵政 (その18)(現金着服・自爆営業…日本郵政が「社員性悪説」コンプラ指導の非常識【内部マニュアル入手】、「国民のカネを投入してまで維持する意味があるのか」組織に根付いた"郵便局体質"の害悪 民間企業で十分カバーできるのに、「日本郵政」がゆうちょ銀 かんぽ生命の株を手放せないワケ) ダイヤモンド・オンライン「現金着服・自爆営業…日本郵政が「社員性悪説」コンプラ指導の非常識【内部マニュアル入手】」 あれだけ「不祥事」が相次いだので、「“社員性悪説”に立ってマニュアルが作成」もやむを得ないだろう。 「ハラスメントの禁止については」、「郵便局の関係者は「ハラスメントを指摘すると左遷されるなど、内部力学が優先された事例もあった」と言い、ハラスメントの禁止の形骸化だけでなく、組織風土というそれ以前の次元で問題を抱えている懸念さえある」、これは深刻だ。「「法律違反ではなくても、広い意味で顧客のためになっているかという視点が欠如していたのがそもそもの要因だ。必要なのは、顧客の利益のための『コード・オブ・コンダクト』(行動規範)であり、ある種の誠実さだ」との郷原氏の指摘はその通りだ。 「中途半端な郵政民営化や経営の怠慢は、郵便局のサービス劣化や地方切り捨てという「大きなツケ」となって国民に跳ね返ってきている」、個人的には「消滅させる」方向に切り替えるべきと思う。 PRESIDENT ONLINE 磯山 友幸氏による「「国民のカネを投入してまで維持する意味があるのか」組織に根付いた"郵便局体質"の害悪 民間企業で十分カバーできるのに」を紹介しよう』 「相次いで発覚した切手の不正換金事件や顧客の個人情報の政治活動への流用などは、郵便局長や局員の個人的犯罪の域を越え、組織に長く根付いた「郵便局体質」が背景にある。 その体質との決別を目指した郵政民営化を逆戻りさせた総務省にこそ、その責任はあるのだが、問題を逆に総務省の権限強化の口実にしようという。そんな総務省の「監督強化」は、政官一体で画策する「官業復帰」への布石ともいえる。国民のカネを投入してまで郵便局を維持する意味があるのかが問われている」、「弁護士らで作る「有識者会議」を総務省に設けて、日本郵政グル 「実際の被害はなかったとはいっても、やはり「書類」「紛失」の責任で処分はすべきだ。 「高齢者は長年付き合いのある郵便局長や局員に全幅の信頼を寄せている」、「郵便局で相次ぐ不正も、そうした無条件の信頼をベースに起きている」、「過度の信頼が、内部のチェックを緩ませ、悪しき風習として脈々と続いている。 郵便局はちょっとやそっとでは潰れない、という思い込みは局長や局員にもあるのだろう。だから、多少経費を水増ししたり、ネコババしても会社は安泰だと思うのか。郵便局を舞台にした数々の不祥事の根は深い」、「まさに「郵便局体質」が脈々と引き継がれているのだ」、その通りだ。 「日本郵政は、今も日本郵便の株式の100%を保有。本来は保有株すべてを売却することになっている「ゆうちょ銀行」の発行済み株式の88.99%、「かんぽ生命」の49.90%をいまだに持ち続けている。つまり、民営化は名ばかりで、事実上、日本郵政グループは国が実質支配しているのだ」、「総務省が「監督強化」できる」のも当然だ。 「資金をふんだんに持つ独法を絡めることで、郵便局網維持のための資金確保を狙うと共に、税金を投入する道筋を開いたとみられている」、さすが悪知恵にたけているようだ。 「自民党」としても「集票マシーン」を手放す筈もない。 「今回の「監督強化」で総務省は何を奪還しようとしているのか。再国営化か、税金投入か。日本郵政が手掛ける事業はどれも、民間企業で十分のものばかりで、もはや国が手掛ける歴史的意味を失っている。そこにこれからも巨額の国民のカネをつぎ込む必要があるのかどうか、今こそ真剣に考えるべき時だろう」、「国民のカネをつぎ込む必要」は「自民党」のためになりこそすれ、「国民」のためにはならない。 日刊ゲンダイ 小林佳樹氏による「「日本郵政」がゆうちょ銀、かんぽ生命の株を手放せないワケ」 「収益」源の「金融2社株の完全売却は現実的な選択肢ではない」、のは確かだ。 「株式を完全売却後、日本郵政が株を買い戻すことで、グループ経営を維持する秘策も囁かれ始めた」、こんな「秘策」許してはならない。仮に、実行した場合には、「新規業務に国の認可が必要」なる条項を復活させるべきだ。
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いじめ問題(その13)(「旭川中2女子凍死」で認定された加害生徒の陰湿手口 大人たちの許されぬ行為も、大阪・泉南市でいじめ受けた中1生徒が自殺 市長が報告書「受け取り拒否」の怪、雨宮塔子が見た「フランスのいじめ対策」の本気度 学校でのいじめ撲滅に向けて「厳罰化」に動いた) [社会]

いじめ問題については、4月5日に取上げた。今日は、(その13)(「旭川中2女子凍死」で認定された加害生徒の陰湿手口 大人たちの許されぬ行為も、大阪・泉南市でいじめ受けた中1生徒が自殺 市長が報告書「受け取り拒否」の怪、雨宮塔子が見た「フランスのいじめ対策」の本気度 学校でのいじめ撲滅に向けて「厳罰化」に動いた)である。

先ずは、4月19日付けダイヤモンド・オンラインが掲載した事件ジャーナリストの戸田一法氏による「「旭川中2女子凍死」で認定された加害生徒の陰湿手口、大人たちの許されぬ行為も」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/301842
・『北海道旭川市で昨年3月、中学2年の広瀬爽彩さん(当時14)が凍り付いた遺体で見つかり、その後に上級生らによる性的行為の強要などが明らかになった問題を受け、第三者調査委員会は15日、7人が関わった6項目について「いじめ」と認定する中間報告を公表した。中学校や市教育委員会は隠蔽(いんぺい)を図ろうとしたものの「文春砲」によって暴かれた事実は、おぞましい行為の数々だった』、興味深そうだ。
・『精神的に追い詰め性的行為を強要  本稿に入る前に、広瀬さんに心からお悔やみを申し上げます。 広瀬さんは気温が氷点下17℃だった昨年2月13日に失踪し、同3月23日に雪の積もる公園で凍死しているのが見つかった。失踪当日に死亡したとみられる。文春オンラインが同4月15日、広瀬さんが性的行為を強要されていたなどと報道し、問題が表面化した。 第三者委の報告によると、7人はいずれも上級生で、同じ北星中学に通っていた男子生徒(A、B、C)と女子生徒(D)、別の中学に通っていた男子生徒(E)と女子生徒(F、G)。 6項目は下記の通りだ。 (1)A、B、Cは2019年4月、広瀬さんも含めたLINEのグループ通話で性的なやりとりを繰り返し、Aは性的な意味で広瀬さんの体を触った。 (2)3人は同4~5月、深夜や未明に公園に集まろうと連絡したが、自分たちは行くつもりがなかったのに広瀬さんには伝えなかった。 (3)Dは同5~6月、お菓子などの代金を負担させる行為を繰り返した。 (4)Eは同6月3日、性的な話題を長時間にわたって続け、性的な動画の送信を繰り返し求めた。 (5)C、D、E、F、Gは同6月15日、広瀬さんに性的行為に関する会話をした上、性的な行為をするよう要求、あるいは静観していた。いずれも広瀬さんが性的行為をする状況を見ていた。 (6)Eは同22日、広瀬さんをからかい、嫌がる反応をした後も繰り返した。広瀬さんがパニック状態になった後も、Dは突き放すような発言をした――などとしている。 全国紙社会部デスクによると、(2)では午前4時に公園に呼び出され、母親が止めても「行かなきゃ」とパニックになったこともあった。(3)では、別の友人に負担させられた具体的な金額を挙げて相談していた。 (4)では「裸の画像を送って」「(送らないと)ゴムなしでやる」などとしつこく要求され、恐怖のあまり送ってしまったらしい。 (5)では公園に居合わせた小学生らに「裸の画像を送らされたり、わいせつなやりとりをしたりしていた」と教え、さらに「いま、ここでやってよ」と強要。取り囲まれた広瀬さんは逃げることもできなかった。 (6)はウッペツ川の土手で「画像を流す」とからかい、広瀬さんは「死ぬから画像を消して」と懇願。2人は「死ぬ気もないのに死ぬとか言うな」とさらに詰め寄り、広瀬さんはパニックになって川に飛び込んだとされる。 6項目は「確認された」だけだが、ほかにも表面化していない事案があっただろうことは想像に難くない』、おぞましい行為をよくぞここまでやったものだと、呆れるばかりだ。
・『母親に「頭おかしいのか」とせせら笑った教頭  前述のデスクによると、加害者側は画像や動画をSNSで拡散していた。 「自分の中学だけでなく、ほかの学校の人たちも自分の画像や動画を持っている」。その事実は思春期の女子中学生がどれほど恥ずかしく、怖かったことだろう。加害者側はそこにつけ込み、時に脅し、からかい、あざけり、精神的に追い詰めていったわけだ。 北星中学入学時から(6)までの間、広瀬さんは担任教師に相談した。 だが「相手に内緒で」と約束したのに、その日のうちに相手に話してしまい、いじめがエスカレート。母親も「ママ、死にたい」「いじめられている」と漏らすようになった娘を案じ、学校に指摘したが「遊びだった」「いたずらの度が過ぎただけ」と、まともに取り合わなかった。 対応に当たった教頭は「加害者10人と、被害者1人の未来、どっちが大切ですか。1人のために10人をつぶしていいんですか。どちらが将来、日本のためになるか冷静に考えてください」と加害者側を擁護。 さらに「これ以上、何を望むのか」と逆ギレし、母親が「できないのは分かっているが、娘の記憶を消してください」と求めると、教頭は「頭がおかしくなったんですか。病院に行ったほうがいい」とせせら笑ったという。 しかし(6)の目撃者が警察に通報し、経緯を調べた旭川中央署が一連の実態を把握することとなった。加害者側は画像を削除するなどして証拠隠滅を図ったが、同署がデータを復元し画像や動画を発見した。 母親は警察から事実関係を知らされた上、画像や動画を提示されて強いショックを受けたという。広瀬さんは(6)で病院に搬送され入院していたが、北星中学を信用できなくなっていたため退院後の8月、別の中学に転校した。 その後も広瀬さんは心的外傷後ストレス障害(PTSD)に苦しみ、過呼吸やおう吐、突然「先輩、許して」「殺してください」などと叫んだり、卒倒したりすることがあった。転校先にも通えずにいた。 そして昨年2月13日、自宅から行方不明になり、3月23日に変わり果てた姿で見つかった。葬儀には北星中学の関係者は誰も参列しなかったという』、「北星中学」側の対応は余りに酷過ぎる。特に、「教頭」の「頭がおかしくなった」との言い分は、むしろ「教頭」の方に適合するように思える。
・『いじめ「重大事態」の認定を市教委が避けたかった理由  一方(6)を受け、市教委は北海道教委に「いじめ」が原因で発生したのではなく、「わいせつ・自殺未遂事案」として報告。その後も道教委からの広瀬さんに対する聞き取りなどを要請されても、加害者側の主張を追認して「いじめ」の存在を否定し続けた。 前述のデスクは「いじめ防止対策推進法に基づく『重大事態』と認定したくなかった半面、わいせつ問題をすんなり認めたのは、過去に隠蔽を図り失敗したトラウマがあるのでしょう」と解説した。 推進法は、学校や市教委の隠蔽や責任逃れをしたことが原因で起きた「大津市中2いじめ自殺事件」が契機となって成立した。この重大事態に認定すると、警察を含めた関係各所との連携など、とにかく「大事」になる。学校や教委としても不名誉で、北星中学や市教委が認定を避けたかったという思惑があっただろうことは推測できる。 一方の「トラウマ」だが、旭川市では1996年、市立中学2年の男子生徒複数が特定の女子生徒にセクハラ行為を繰り返した末、エスカレートして強姦(かん)事件にまで発展。学校は女子生徒から相談を受けていたがスルーし、事件後も隠蔽を図ったことが発覚して批判を浴びた。 今回の問題は、北星中学の教諭らが広瀬さんの相談にきちんと耳を傾けて対応し、再発防止に努めて心のケアに取り組んでいれば避けられた悲劇だ。結局のところ、北星中学や市教委は大津や前回の事件から、何も学んでいなかったということだ』、「わいせつ問題をすんなり認めた」割に、「警察」はこれで捜査してないようだ。
・『教育委が言う「いじめ」 実態は悪質な犯罪(今回の問題は「いじめかどうか」がクローズアップされたが、教育委員会などが言う場合の「いじめ」は、表現をオブラートに包むための言い回しで、実態は悪質な犯罪である。 たとえば(1)殴ったり蹴ったりすれば「暴行罪」、(2)けがをさせれば「傷害罪」、(3)金銭を脅し取れば「恐喝罪」、(4)万引などを命じれば「強要罪」、(5)私物を持ち去って隠せば「窃盗罪」、(6)「死ね」などと脅せば「脅迫罪」、(7)私物に落書きすれば「器物損壊罪」――などに該当する。 今回はどうか。旭川中央署はEの行為について児童買春・ポルノ禁止法違反(製造、所持)に抵触すると判断したが、当時14歳未満だったため刑事責任を問えず、「触法少年」として厳重注意にとどまった。ほかの上級生らも同法違反(所持)などで調べたが、いずれも証拠不十分でおとがめなしだった。 意図していたのかどうか不明だが、ある意味で陰湿かつ巧妙だったともいえる。筆者は数年前、懇意にしていた警視庁で少年事件を長く担当してきた刑事に「昔は殴ったり蹴ったりという物理的ないじめが多かったが、最近は精神的に追い詰める陰湿な手口が多い」と聞いたことがあった。まさに今回のようなケースなのだろう。 今回、加害者側は誰一人として罪に問われなかったが、彼らが広瀬さんを死に追いやったのは誰の目にも明らかだ。 加害者側は問題が発覚しそうになったとき、証拠隠滅を図ったり、口裏合わせをしていたりしていたとされる。問題発覚後も、一部の事実関係を認めながらも反省のそぶりはなく、謝罪も口にしていないという。 加害者が心から反省し、墓前で謝罪することが広瀬さんや母親、遺族らに対するせめてもの贖(しょく)罪だと思うのだが、無理な話なのだろうか』、「当時14歳未満だったため刑事責任を問えず、「触法少年」として厳重注意にとどまった。ほかの上級生らも同法違反(所持)などで調べたが、いずれも証拠不十分でおとがめなし」、証拠不十分とは調べ方が不徹底だからなのではなかろうか。「母親」は「教育委員会」や「北星中学」、加害少年らの親に対して損害賠償訴訟を提起すべきだろう。刑事責任は問えなくても、民事上の責任は果たしてもらうべきだ。

次に、7月12日付けダイヤモンド・オンラインが掲載したジャーナリストの池上正樹氏による「大阪・泉南市でいじめ受けた中1生徒が自殺、市長が報告書「受け取り拒否」の怪」を紹介しよう。
・『2022年3月、大阪府泉南市で中学1年生(当時)の少年が自殺した。母親の手記には、少年が同級生から「少年院帰り」などとからかわれ、担任に助けを求めたことや、教員が「誰が言ったか分かるまで学校側は指導しない」といった趣旨の発言をしたことなどが記されている。この問題の真相を究明すべく、泉南市長の附属機関「泉南市子どもの権利条例委員会」が検証を行った。しかし検証後、泉南市の山本優真市長は、委員会からの報告書の受け取りを拒否した。31歳の山本市長は“全国最年少市長”として注目を集める人物だが、なぜ不可解な対応を取ったのか』、「市長直轄組織の調査報告書を市長本人が「受け取り拒否」」とは、ただ事ではない。どういう事情があるのだろう。
・『市長直轄組織の調査報告書を市長本人が「受け取り拒否」の怪  2022年3月18日、大阪府泉南市の中学校1年生だった男子生徒(以下、Aさん)が、不登校になってひきこもりを続けた末、自宅近くで自殺した。 小学校時代から学校への不適応感から不登校状態だったAさんは、中学で同級生などから「少年院帰り」などと言われ、教師に相談したものの対応してもらえず、亡くなる前に「生きていてもしょうがない」などと漏らすようになっていたという。 この問題を受け、泉南市長の附属機関である「泉南市子どもの権利条例委員会」(吉永省三会長)が「子どもの権利条例」に基づく検証を行った。 しかし検証終了後、泉南市の山本優真市長は、附属機関である委員会からの報告書の受け取りを拒否するという「聞いたことのない」(総務省の担当者)対応を取り、事態は混迷を極めている。 山本市長は1990年生まれの31歳。22年4月の市長選で初当選し、5月に就任した際に“全国最年少市長”として注目を集めた。 詳しくは後述するが、Aさんの自殺が山本市長の就任前であり、市長本人が「どこまで把握しているか分からない」(泉南市役所秘書広報課)状況であることが、行政側の対応の遅れにつながっているという。 Aさんの自殺の背景に、いったい何があったのか』、いくら山本市長の就任前の事件とはいえ、「附属機関である委員会からの報告書の受け取りを拒否するという「聞いたことのない」対応を取り」、非常識極まる行動だ。
・『「少年院帰り」「障がいやから」と言われ…「だから学校いややねん」  <「少年院帰り」「障がいやから」と言われ、だから学校いややねん> これは、自殺したAさんの母親が、亡くなる8カ月前の7月に子どもから聞いた言葉を書きとった手記だ(原文ママ、以下同)。 Aさんは小学校のとき不登校だったことから、そのまま進学する同級生の多かった中学で、こんな言葉をかけられていたという。 手記は、こう続く。 <令和3年9月夏休みあけすぐ担任にそのことをいうと、家に来てA(原文実名)と話す。その際も誰がいったと特定できないと指導できないという> 「誰が言ったか分かるまで、学校側は指導しない」という人ごとのような対応に、Aさんはどんな思いを抱いたのだろうか。中学入学後も不登校状態にあったAさんは、21年の9月中旬から2週間ほど学校に行けるようになるものの、ある日を境に再び行けなくなった。 その主な要因は、からかってくる同級生ではなく教師だったという」、 <その日に何があったのか本人にきくと、生徒が理由でなく、教師とはなす。担任かそれ以外の先生か聞くと、それ言うと分かってしまうから言えんという。担任に言われたか、行動か(※編集部注:「担任の発言、または態度に傷ついたのか?」という意味)と聞くが、最後までしゃべらず。ただそれから担任のことは拒絶する> 母親によると、Aさんが再び学校に行けなくなったとき、中学の担任が「話をしたい」と自宅を訪問した。Aさんは拒絶したものの、母親が説得して、担任と話し合うことになったという。 <担任がどうしたら学校にこれる?と聞いたので、本人は小学校のときのことをすべて生徒に話して欲しい、そうしたら年少帰りとか障がいとか言われへんし、自分のつらさもわかってもらえるというが、担任は先生1人で答えられんから管理者たちと相談し返答すると言って帰る。結局、管理者たちがあかんと言ってるからと言いに来るが、そこから担任に対しての完全な拒絶になる> 中学入学後、同じ小学校から一緒に上がった同級生にいじめを受け始めたAさんは、小学校時代に不登校になった要因について、中学の担任から同級生に説明してもらうことを望んだようだ。事情を広く理解してもらえれば、いじめは減ると考えていたとみられる。 では、小学校の時にいったい何があったのか』、「小学校時代に不登校になった」とはよほど深刻なことがあったのだろう。
・『Aさんが小学生時代に不登校になった要因は「担任からの暴力的指導」  母親によると、小学校時代、Aさんが学校に行けず家にいるとき、教師が自宅に来てドア越しに「学校に行こう」と手を引っ張られたことがあった。 また、抵抗すると背負い投げをされたり、「目を見ない」などの理由で何回も顎を持ち上げられたり、時間割表の入った封筒でたたかれたりした。母親がそのことに抗議すると、「たたくなんて、コミュニケーションの一環ですよ」と言われたという。 Aさんは小学校時代、こうした経緯で学校側への不信感をつのらせ、その後も不登校状態が続いた。 中学の担任に、このような事情を「すべて話してほしい」と望んだAさん。だが手記の通り、中学の担任は「周囲があかんと言ってる」という理由でそれを拒否した。 これがきっかけとなって、Aさんは中学の担任と会うことを完全に拒絶し、21年10月から再び不登校になった。 「別の中学に転校して頑張りたい」と市の教育委員会に直訴したこともあったが、「無理」と断られるばかりだったという。その頃から「生きてていいことない」「生きててもしゃーない」と漏らすようになり、家にひきこもることが続いた。 Aさんが亡くなったのは、それから約5カ月後のことだ。母親の手記はこう綴る。 <令和4年3月18日 仕事から帰ると、Aが10時ごろ家を出て行ったきり帰ってこないと兄がいう。すぐに警察に捜索依頼する> <令和4年3月19日 夕方警察から自宅近くで遺体が出たので、写真の確認をしてほしいと言われ、Aと確認する> わが子を失った母親が望んでいるのは、Aさんを自殺へと追い詰めた背景、すなわち「学校で何があったのか」を知ることだ』、「小学校の担任」が母親に「「たたくなんて、コミュニケーションの一環ですよ」と言われた」、とは信じられないような暴言だ。「中学の担任」にしてみれば、「小学校時代に不登校になった理由」は預かり知らぬところで、その説明を求めた「Aさん」やその親の要求には無理が多いと思われるが、「中学の担任」として可能な「説明」について、Aさんも交えて相談すべきだった。
・『泉南市の中1生自殺問題を巡る「三つの疑問点」  Aさんが自殺した問題について、筆者が特に疑問を覚えるポイントは三つだ。 一つ目は、全ての根源である小学校時代の担任の言動だ。教師がひきこもっている子の自宅に来て封筒でたたくことは、果たしてコミュニケーションの一環と言えるのだろうか。 二つ目は、中学入学後のAさんへのいじめに対する、中学校時代の担任の対応だ。母親の手記の通りだとすれば、「少年院帰り」「障がい」といった言葉を発した生徒を詳しく調べることもせず、「誰が言ったか分かるまで、学校側は指導しない」と突き放した態度を取ることは、果たして適切だったのだろうか。 そして三つ目は、教育委員会の対応だ。「泉南市子どもの権利条例委員会」が独自に調査結果をまとめたものの、市長が受け取りを拒否したことは冒頭で述べた。だが、これとは別に、泉南市教育委員会が問題の究明や行政側の対応の是正に動くこともできたはずである。 文部科学省が定める「子供の自殺が起きた時の背景調査の指針」には「児童生徒の自殺が,いじめにより生じた疑いがある場合は,いじめ防止対策推進法に規定する『重大事態』として,事実関係の調査など,必要な措置が法律上義務づけられる」と明記されている。 にもかかわらず、泉南市教育委員会事務局が、市の教育委員や校長会に対して事実関係を何も報告していないのはなぜなのか。 これらの疑問点のうち、最初の二つ(小中学校による一連の対応の是非)について学校側に取材したところ、泉南市教育委員会が「学校側の代理」として、以下のようなコメントを寄せた。 「もちろん当時の確認などはしているが、情報が一部なのか全貌なのかわからないところがあり、事実でないこともある」(教育部、以下同) 「自死なのかどうかとか、いじめが疑われるのかどうかとか、保護者から直接聞けていないので非常に制限がかかっている状態だが、情報は調べている。今後、あらゆる手段を使ってきちんと調べて対応していかないといけない案件だと思っている」 また、三つ目の疑問点(教育委員会が真相究明に動かない理由)についても泉南市教育委員会に取材したところ、「背景調査は行っているものの、保護者に会えないため、Aさんが自殺なのかどうかの死因を確認できていないので、そこから身動きが取れない状況にある」と説明した』、「泉南市教育委員会」は「母親」と話しをしていないのだろうか。「母親」の不信を買って話も出来ない関係になってしまったのだろうか。
・『市長が調査報告書「受け取り拒否」 その要因は「教育委員会からの指示」  冒頭で触れた「泉南市子どもの権利条例委員会」は現在、「報告書受け取り拒否」をはじめとする市長らの対応を受け、行政側への不信感を募らせている。 この問題の経緯を改めて説明すると、泉南市子どもの権利条例委員会はAさんが亡くなった後、「子どもの自死が学校生活と何らかの関係があると推測されるのに、教育委員会に報告もされず、何ら審議もしていないのは理解できない」として、2度にわたって意見書を冨森ゆみ子教育長あてに提出した。 そして7月1日、泉南市の山本市長に「子どもの権利条例に基づいて検証が求められる重大な課題」だとする最終報告書を手渡そうとした。だが山本市長は、直接受け取ろうとはしなかった。さらに、泉南市役所の秘書広報課長にも、報告書を受け取らないよう指示した。 総務省の担当者によると、市長の附属機関である委員会の報告書を、市長自らが受け取らない事例は「聞いたことがない」という。 その経緯について取材を試みたところ、泉南市役所秘書広報課が取材に応じ、以下のコメントを寄せた。 「教育委員会の事務局から『内容に法的な問題があるのではないか』と(市長に)報告があり、(その意見を聞き入れた)市長から報告書を受け取らないよう指示されたので、受け取らなかった。市長は報告書の内容を把握していない。3月の生徒の自死についても、市長は5月に就任したばかりでどこまで把握しているかわからない。(教育委員会の)事務局から、市長が報告書を読めるように権限を与えてほしい」 このコメントに含まれる「『報告書の内容に法的問題があるのではないか』と市長に報告した」という旨の事実関係を泉南市教育委員会に尋ねたところ、「概ねその通りだが、今はコメントできる状況ではない」と回答した。 行政側による一連の対応を受け、泉南市子どもの権利条例委員会は7月8日午後6時に大阪市内で特別研究会を開催し、報告書の全文を公開した。 公開された報告書には、Aさんの母親の手記を踏まえて、こんな文章が記されている。 「Aさんの生きようとした事実を、そこから受け止めようと読み返しました。学校や先生、教育委員会や市は、そして私たちの社会は、Aさんにとって、いったいどんな存在だったのでしょうか」 「なぜ当該子どもの自死を防ぎえなかったのか――この検証の一端を担うことが私たちに課せられています」』、問題はどうも「教育委員会」にあるようだ。「『報告書の内容に法的問題があるのではないか』と市長に報」、とはどういう意味なのだろう。いずれにしても、法治国としては信じ難いような出来事だ。余りに若過ぎる「市長」も、現場の教育委員会にいいように言いくるめられたようだ。

第三に、6月3日付け東洋経済オンラインが掲載したフリーキャスター/エッセイストの雨宮 塔子氏による「雨宮塔子が見た「フランスのいじめ対策」の本気度 学校でのいじめ撲滅に向けて「厳罰化」に動いた」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/592743
・『私が日本での3年弱に及ぶ帯のニュース番組の仕事を終えて、再びフランスに居を戻したのは2019年の夏のことです。 その年の秋に、日本でいう中学3年生になったばかりの息子の通う公立中学校を面談で訪れて、驚いたことがありました。 玄関ホールに、学校の創設者の肖像や理念が掲げられているのはわかるのですが、その隣に少なくない数の、いじめ防止を題材にしたポスターが貼られていたのです。 実写の、かなり踏み込んだシーンを描いたポスターに、この数年の間にフランスは「いじめ」という、それまではタブー視されてきた問題に切り込もうとしていると感じました』、「この数年の間にフランスは「いじめ」という、それまではタブー視されてきた問題に切り込もうとしていると感じました」、なるほど。
・『学校をあげていじめ防止の啓蒙  さらにその後、息子の高校進学を控えて、高校選びのためにサイトで情報を読みあさっていたとき、ある私立高校のウェブサイトにあった動画に心が揺さぶられました。在校生2人が、転校してきたある男子生徒がいじめを苦に自殺するまでの経緯を、2人で交互に語っていくのです。 5分ちょっとのショートムービーですが、語りと映像のリアルさに、それは2人が制作したフィクションだと気がつくまでかなりの時間を要しました。 学校をあげていじめ防止の啓蒙をしようとしている……。それは私が今まで見たことのなかったマニフェストでした。 フランスの教育省付調査局「DEPP」は2015年に、学校環境といじめ被害者の調査を行いました。それによると、児童生徒全体の10%近く、つまり70万人もの生徒が学校教育期間にいじめの被害に遭っているそうです。この数値はこの10年間でほとんど変動していないという調査結果に、当時衝撃を受けたことを覚えています。) これだけの被害者を毎年出し続けているから、フランスはいじめ問題を無視していると当時は糾弾されたのでしょうか。 例えばスカンディナビア諸国は10年以上にわたっていじめ問題への社会の意識を高め、いじめ予防のプログラムが作られてきたことによって、いじめを事実上根絶してきたと言われているのに対し、フランスはいじめ問題への対策に、それらの国々やカナダ、イギリスなどに比べてかなり遅れをとっていたのです。 というのはフランスの学校教育は学生たちの学校生活における幸福度より、知識の伝達をつねに優先してきました。また、前述したようにいじめ問題はタブーとされてきた風潮があり、実際に先生方がいじめに気がついても見て見ぬふりをするといった教職員や学校関係者の関与の欠如が、被害者の証言から明らかになっていたのです。 多民族国家ゆえ、いじめが人種や宗教的相違からくることもあり、ある意味日本よりも原因の根が深いこともあるかもしれません。ですが、それでもかつてある被害者の両親が学校に相談した際、学校側の及び腰の姿勢に、告訴もやむをえないと言うと、主任教諭からそのいじめ問題が学校名と関連付かないようにしてほしいと頼まれたという証言に愕然としました。こういった問題を隠蔽したがる風潮、体質の深刻さには言葉がありませんでした』、「スカンディナビア諸国は10年以上にわたっていじめ問題への社会の意識を高め、いじめ予防のプログラムが作られてきたことによって、いじめを事実上根絶してきたと言われているのに対し、フランスはいじめ問題への対策に、それらの国々やカナダ、イギリスなどに比べてかなり遅れをとっていたのです。 というのはフランスの学校教育は学生たちの学校生活における幸福度より、知識の伝達をつねに優先してきました。また、前述したようにいじめ問題はタブーとされてきた風潮があり、実際に先生方がいじめに気がついても見て見ぬふりをするといった教職員や学校関係者の関与の欠如が、被害者の証言から明らかになっていたのです」、「フランス」は「日本」と似たところもあったようだ。
・『手をこまねいていたわけではない  もちろん、フランス政府はいじめ問題に何の手だても講じてこなかったわけではないのです。2011年の実態調査でいじめによる被害が明らかになったことで、2013年には学校での対処の仕方が国家の対策として規定されました。 その文書にはいじめが疑われる状況を6種類に想定し、それぞれの場合での初動対応の仕方や被害者、加害者の保護者との面談要領(被害者の保護者には学校の対応と児童保護の具対策を伝え、加害者の保護者には状況と懲罰内容を伝え、問題を修復する方法をともに考える)、また目撃者の保護者とも場合によっては面談することなどが明示してあります。 また、加害の危険度が高い場合には地方評議会や裁判所へ連絡することや、事後フォローの仕方も5項目にわたって述べられています。 確かに、この10年の間に学校でのいじめ撲滅の措置が取られていることを実感することがありました。 知人の話ですが、彼女の娘さんが中学生の頃、3人の女友達から急に意地悪をされたり、無視されることが続いたことがありました。娘さんからその事を聞いた彼女は、事情を説明するためすぐに担任の先生と面談の約束をとりつけたそうです。 彼女が面談で学校を訪れたとき、偶然にもくだんの生徒3人とすれ違ったのですが、彼女はいつもと変わらぬ態度でその生徒たちとあいさつを交わして、担任の先生との面談に臨みました。驚いたことに、その面談の数時間後には彼女の娘さんとくだんの生徒3人、担任の先生と生活指導の先生とを交えた面談の場が設けられたのだそう。 エスカレーター式のその学校でいじめ加害者のレッテルを貼られることがどういうことになるのか、3人のうちの1人はすぐに気がついたようで、彼女の娘さんにその場で謝りました。ほかの2人は、娘さんの態度に不満があったといった旨を口にしながらも、最終的にはもういじめをしないと約束したそうです。) 「報復のようなことにはならなかった?」 私の問いに彼女は首を振り、いじめ加害者の生徒たちが彼女の姿を校内でみとめて、その数時間後に面談に召集されたことで、いじめ問題には親や学校がすぐに立ち上がることを痛感したのだろうと言っていました。国が学校に課した規定にあるように、事後フォローが厚いことも、再発予防に貢献しているのかもしれません。 こうして国が対応策を定め、学校や地方教育委員会の専門官と連携してきたのにもかかわらず、実はいじめ被害者数が減ることはありません。フェイスブックやスナップチャットといったSNSで、当事者以外に気づきようのないいじめが急増していることが主な要因です。その被害は2015年には4.1%だったのが、2018年には倍以上の9%に増加しているのです。 また、学校でいじめに遭っている生徒の22%が誰にも打ち明けられないという調査結果も出ています。学校にいじめの事例を通告するのを躊躇する場合や、通告しても学校の対応が不十分な場合には、通常のいじめとネットいじめ、それぞれ無料電話相談窓口にかければ、いじめ専門官による助言を受けられます。 具体的な対策が必要と判断されれば、相談者の通う学校にはもちろん、全国31の地方教育委員会に報告されます』、「2013年には学校での対処の仕方が国家の対策として規定」、これはに「日本」よりはるかに先をいっているようだ。
・『いじめ被害者対象の保険も  2021年には3歳から23歳までのいじめ被害者を対象とした保険も売り出されました。3歳からという低年齢に驚かされますが、月額1,50ユーロ、年額18ユーロという低価格で法的保護や治療的サポート、いじめによる学校中退者には個人授業への財政的サポートなどが提供されています。ネット上に書かれた悪い噂や評判をも一掃することが可能とのこと。 同じくネットいじめが加速する日本でも適用できるのではと思いました。 こうした、いじめ問題に対するフランスの本気の姿勢を最終的に明示したのが、学校でのいじめの“厳罰化”です。 例えば、いじめ被害者を自殺、または自殺未遂に追い込んだ場合には、最高で懲役10年と15万ユーロ(約2085万円)の罰金が科されるといった容赦のない罰則は、日本のメディアでも驚きをもって報じられていました。 この罰則にはフランス国内でも厳罰化の効果を疑問視する声があがっていますが、フランスが世界で最も厳しいいじの罰則を敷いた事を、ブランケール教育相は「共和国の価値観を徹底させるための手段」と言っています。 厳罰化がいじめ防止につながるかは注視が必要ですが、“共和国の価値観” をここまで鮮明にする姿勢には、「いじめ防止対策推進法」の法令の遵守ですらあやふやな日本の国籍を持つ者として、胸がすく思いがするのです』、「厳罰化がいじめ防止につながるかは注視が必要ですが、“共和国の価値観” をここまで鮮明にする姿勢には、「いじめ防止対策推進法」の法令の遵守ですらあやふやな日本の国籍を持つ者として、胸がすく思いがする」、同感である。
タグ:おぞましい行為をよくぞここまでやったものだと、呆れるばかりだ。 戸田一法氏による「「旭川中2女子凍死」で認定された加害生徒の陰湿手口、大人たちの許されぬ行為も」 ダイヤモンド・オンライン いじめ問題 (その13)(「旭川中2女子凍死」で認定された加害生徒の陰湿手口 大人たちの許されぬ行為も、大阪・泉南市でいじめ受けた中1生徒が自殺 市長が報告書「受け取り拒否」の怪、雨宮塔子が見た「フランスのいじめ対策」の本気度 学校でのいじめ撲滅に向けて「厳罰化」に動いた) 「北星中学」側の対応は余りに酷過ぎる。特に、「教頭」の「頭がおかしくなった」との言い分は、むしろ「教頭」の方に適合するように思える。 「わいせつ問題をすんなり認めた」割に、「警察」はこれで捜査してないようだ。 「当時14歳未満だったため刑事責任を問えず、「触法少年」として厳重注意にとどまった。ほかの上級生らも同法違反(所持)などで調べたが、いずれも証拠不十分でおとがめなし」、証拠不十分とは調べ方が不徹底だからなのではなかろうか。「母親」は「教育委員会」や「北星中学」、加害少年らの親に対して損害賠償訴訟を提起すべきだろう。刑事責任は問えなくても、民事上の責任は果たしてもらうべきだ。 池上正樹氏による「大阪・泉南市でいじめ受けた中1生徒が自殺、市長が報告書「受け取り拒否」の怪」 「市長直轄組織の調査報告書を市長本人が「受け取り拒否」」とは、ただ事ではない。どういう事情があるのだろう。 いくら山本市長の就任前の事件とはいえ、「附属機関である委員会からの報告書の受け取りを拒否するという「聞いたことのない」対応を取り」、非常識極まる行動だ。 「小学校時代に不登校になった」とはよほど深刻なことがあったのだろう。 「小学校の担任」が母親に「「たたくなんて、コミュニケーションの一環ですよ」と言われた」、とは信じられないような暴言だ。「中学の担任」にしてみれば、「小学校時代に不登校になった理由」は預かり知らぬところで、その説明を求めた「Aさん」やその親の要求には無理が多いと思われるが、「中学の担任」として可能な「説明」について、Aさんも交えて相談すべきだった。 泉南市の中1生自殺問題を巡る「三つの疑問点」 小学校時代の担任の言動だ。教師がひきこもっている子の自宅に来て封筒でたたくことは、果たしてコミュニケーションの一環と言えるのだろうか 二つ目は、中学入学後のAさんへのいじめに対する、中学校時代の担任の対応だ 三つ目は、教育委員会の対応 「泉南市教育委員会」は「母親」と話しをしていないのだろうか。「母親」の不信を買って話も出来ない関係になってしまったのだろうか。 問題はどうも「教育委員会」にあるようだ。「『報告書の内容に法的問題があるのではないか』と市長に報告」、とはどういう意味なのだろう。いずれにしても、法治国としては信じ難いような出来事だ。 余りに若過ぎる「市長」も、現場の教育委員会にいいように言いくるめられたようだ。 東洋経済オンライン 雨宮 塔子氏による「雨宮塔子が見た「フランスのいじめ対策」の本気度 学校でのいじめ撲滅に向けて「厳罰化」に動いた」 「この数年の間にフランスは「いじめ」という、それまではタブー視されてきた問題に切り込もうとしていると感じました」、なるほど。 「スカンディナビア諸国は10年以上にわたっていじめ問題への社会の意識を高め、いじめ予防のプログラムが作られてきたことによって、いじめを事実上根絶してきたと言われているのに対し、フランスはいじめ問題への対策に、それらの国々やカナダ、イギリスなどに比べてかなり遅れをとっていたのです。 というのはフランスの学校教育は学生たちの学校生活における幸福度より、知識の伝達をつねに優先してきました。また、前述したようにいじめ問題はタブーとされてきた風潮があり、実際に先生方がいじめに気がついても見て見ぬふりをするといった教 「2013年には学校での対処の仕方が国家の対策として規定」、これはに「日本」よりはるかに先をいっているようだ。 「厳罰化がいじめ防止につながるかは注視が必要ですが、“共和国の価値観” をここまで鮮明にする姿勢には、「いじめ防止対策推進法」の法令の遵守ですらあやふやな日本の国籍を持つ者として、胸がすく思いがする」、同感である。
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異次元緩和政策(その42)(【翁邦雄・元日銀金融研究所所長に聞く】インフレはそれ以上に賃上げ率を高める という幻想 国民の求める「物価安定」とは何かを考え直す、次元緩和を問う⑥ 財政政策に入り込む中央銀行=翁百合、金利抑制を巡る日本銀行と海外ファンドの死闘 制するのはどちらか 過去には先進国の中央銀行が敗退も、円安に国民が苦しんでるのに それでも日銀が「金利を引き上げられない」4つの理由) [経済政策]

異次元緩和政策については、4月26日に取上げた。今日は、(その42)(【翁邦雄・元日銀金融研究所所長に聞く】インフレはそれ以上に賃上げ率を高める という幻想 国民の求める「物価安定」とは何かを考え直す、次元緩和を問う⑥ 財政政策に入り込む中央銀行=翁百合、金利抑制を巡る日本銀行と海外ファンドの死闘 制するのはどちらか 過去には先進国の中央銀行が敗退も、円安に国民が苦しんでるのに それでも日銀が「金利を引き上げられない」4つの理由)である。

先ずは、6月22日付けダイヤモンド・オンライン「【翁邦雄・元日銀金融研究所所長に聞く】インフレはそれ以上に賃上げ率を高める、という幻想。国民の求める「物価安定」とは何かを考え直す」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/305144
・『黒田日銀総裁が2013年に就任した際「グローバル・スタンダード」と強調していた2%のインフレ目標。ようやくそれに達しようとしている今、国民の強い反発にさらされている。いま、国民の求めている「物価安定」とはなにかをもう一度考える必要がある』、「翁邦雄」氏の理論的見方とは興味深そうだ。
・『「家計は値上げ許容」発言への強い反発  2022年6月6日、黒田東彦・日本銀行総裁は、講演で「家計が値上げを受け入れている」と述べた。 この黒田総裁の発言に対しては、Twitterでは「#値上げ受け入れていません」というハッシュタグがトレンド入りして大きな話題になるなど、世間から強い反発があり、黒田総裁は発言撤回に追い込まれた。 6月15日、岸田文雄総理は国会閉幕後に記者会見し、物価高や景気対策のため「物価・賃金・生活総合対策本部」を設置すると明らかにし、みずからが本部長に就く、とした。物価高騰については、「最大限の警戒感を持って対応する」と述べ、「迅速かつ総合的な対応策を検討し、断固として国民生活を守り抜く」とした。 黒田総裁は2013年の就任記者会見で「2%の物価目標をできるだけ早期に実現するということが、日本銀行にとって最大の使命」とし、そのために採用したのが異次元緩和だった。また、2%のインフレ目標は「グローバル・スタンダード」であることも強調し続けている。 それから9年経って、ようやくインフレ率が2%に達したときに、政府が物価高騰対策に奔走し、物価高が参議院選挙の争点になっている状況をどう整理したらよいのだろうか。日本の物価安定目標のどこに齟齬があるのか。それを考えるうえでは、国民の求めている「物価安定」とはなにかをもう一度考える必要がある』、「国民の求めている「物価安定」とはなにかをもう一度考える必要がある」、その通りだ。
・『「物価安定」とはインフレを気にしなくて済むこと  黒田総裁が「グローバル・スタンダード」としてしばしば主張するように、現在、多くの国で2%程度の消費者物価上昇率を物価安定目標としている。この指標は、経済を定量的に捉えたい経済学者や、日々モニターで物価指数の動向をフォローしているようなエコノミストには、わかりやすく受け入れやすい、というメリットもある。 しかし、一般国民にとっては必ずしもそうではない。 普通の人々が日々、消費者物価指数の定義に沿って物価上昇率を計算したり、その上昇率を予想したりして暮らしているはずはないからだ。一般国民にとっての物価安定は、FRB議長時代のアラン・グリーンスパンが定義したようにむしろ物価上昇を気にかけなくてよい状況だろう(グリーンスパンは物価安定を「人々が、経済的な意思決定における一般物価の予想される変化を考慮しなくなったときに得られる」と定義した)。 こうした物価安定の考え方は、数値的な定義よりも日常的である。多くの人が健康だと感じるのは、痛みや食欲、睡眠などの異常がなく、健康を意識しなくてよい状態であり、血圧や体温など特定のバイタル・データに集約するのは難しい。金融についても金融システムの安定は、人々が銀行の経営に無関心でいられる状態であり、必ずしも一定以上の銀行の自己資本比率によって得られるものではない』、「一般国民にとっての物価安定は、FRB議長時代のアラン・グリーンスパンが定義したようにむしろ物価上昇を気にかけなくてよい状況だろう」、さすが説得力がある。
・『家計の収入が高く伸びれば2%程度のインフレは気にならない  どのような状況なら、人々は2%のインフレを気にかけないのだろうか。 もし、賃金が毎年数%ベアで上がっており、退職世代の年金についても物価スライドにより実質価値が保証され、十分に金利が高く金利収入が確保できたりしていれば、家計は2%程度の物価上昇をあまり気にしないだろう。 しかし、日本のように家計を支える収入がじりじり下がる世界では、物価が1%上がるような状態にも強い抵抗感を持ちがちになることが予想される。四半世紀を超えてゼロインフレが続いてきた日本では、それが社会規範になっている、との見解も見られるが、その背景には、こうした構造があるだろう』、「もし、賃金が毎年数%ベアで上がっており、退職世代の年金についても物価スライドにより実質価値が保証され、十分に金利が高く金利収入が確保できたりしていれば、家計は2%程度の物価上昇をあまり気にしないだろう。 しかし、日本のように家計を支える収入がじりじり下がる世界では、物価が1%上がるような状態にも強い抵抗感を持ちがちになることが予想される」、その通りだ。
・『「インフレはそれ以上に賃上げ率を高める」という幻想  これらのことを踏まえて、異次元緩和の出発時点の状況を振り返ってみよう。異次元緩和が始まったのは2013年4月である。その約1ヵ月後の5月7日、内閣府が出した経済財政諮問会議提出資料はこの点で興味深い。 この資料では、「海外をみると、物価安定目標を設定するなどして、2%程度の物価安定に向けて取り組んでいる国々では、名目賃金上昇率が物価上昇率と同水準、あるいはそれを上回る傾向にある」とされている。 そして、2000年以降のいくつかの国の具体的数字(米国では名目賃金上昇率は3.3%で消費者物価上昇率は2.5%、英国では名目賃金上昇率は3.3%で消費者物価上昇率は2.2%等)を挙げている。これらの国では、賃金上昇率が物価上昇率を上回っていた。しかし日本については、この期間、これらの国に比べ物価上昇率が相対的に低いだけでなく、名目賃金が消費者物価下落率(マイナス0.3%)をかなり上回って下落していた(マイナス0.8%)、という点で他国と大きく状況が異なっていたことが分かる。 内閣府資料は当時、政府が、日本が2%の物価安定目標を達成すれば、なんらかの理由で2%以上に賃金率が上がり他の主要先進国と同じ好循環が起きる、という期待を寄せていたことがうかがえる。 ただし、その根拠は金融政策には内在しない。そもそも、先行してインフレ率を上げれば、それ以上に賃金上昇率が高まるというシナリオは、現実には大きな弱点を抱える。インフレ率が賃金上昇率を上回る状況では実質所得が目減りするから家計の生活防衛意識が高まり、需要の6割を占める個人消費が減少して経済全体が失速しかねないからだ。 ちなみに、黒田総裁も、異次元緩和導入の約1年後の2014年3月の講演で賃金について触れている。そこでは、内閣府資料ほど楽観的な期待を示していたわけではない。しかし、賃金が上昇せずに、物価だけが上昇するということは、普通には起こらない、物価の上昇に伴って、労働者の取り分である労働分配率が下がり続けることになってしまうからであり、こうしたことは、一時的にはともかく、たぶん長く続くとは考えられない、と述べている。つまり、物価上昇を許容していればいつかは賃金上昇が追いかけはじめるだろう、という前提で、異次元緩和への理解を訴えていたことになる。 しかし、賃金・実質所得が上がらない状況では人々は値上げに対し寛容になることはなく、生活防衛的に反応し続けた。ゼロインフレは社会規範として定着し、日銀の「物価安定への取り組み」への認知度はじりじり下がり続けた』、「米国」や「英国」では「賃金上昇率が物価上昇率を上回っていた」が、「日本では」「物価上昇率が相対的に低いだけでなく、名目賃金が消費者物価下落率(マイナス0.3%)をかなり上回って下落していた(マイナス0.8%)、という点で他国と大きく状況が異なっていた」、「賃金・実質所得が上がらない状況では人々は値上げに対し寛容になることはなく、生活防衛的に反応し続けた。ゼロインフレは社会規範として定着し、日銀の「物価安定への取り組み」への認知度はじりじり下がり続けた」、米英と環境が大きく異なっていたようだ。
・『家計への共感の欠落がもたらす政策への逆風  日銀が家計や中小企業の懸念に敏感でないのは、マクロの視点に立ち、日本全体があたかも「一人の経済主体」であるように擬制したロジックで経済を捉えていることも一因だろう。 このことは、現在、大きな懸念を持たれ始めている円安による輸入物価の上昇の影響についての黒田総裁の説明にも表れている。 黒田総裁は6月6日の「きさらぎ会」の講演で「わが国の交易条件悪化の主因は、あくまでもドル建ての資源価格の上昇であって、為替円安ではありません。ドル建ての資源価格の上昇は、輸入物価だけを上昇させますが、為替円安は、輸出物価と輸入物価をともに押し上げるため、交易条件に対し概ねニュートラルです」と述べている。 しかし、輸出物価上昇の恩恵を受けるのは輸出企業であり、輸入物価上昇によって生活を直撃されるのは家計等である。あたかも同じ一人の主体が右手で恩恵を受け、左手で損失を被り、差し引きの影響がほぼゼロ、というようなロジックは、一方的に負担増に直面している家計の円安への懸念に対しては説得力を持たない。こうした家計への共感の欠落は、金融政策への不信と反発を増幅しかねない。 ただし、異次元緩和スタート時に比べれば、賃金上昇率の重要性についての日銀の認識はより深まっていると思われる。だからこそ黒田総裁は6月6日の講演で、「コロナ禍における行動制限下で蓄積した「強制貯蓄」が、家計の値上げ許容度の改善に繋がっている可能性がある」という強い批判を浴びた主張の述べた後で、日本の家計が値上げを受け容れている間に、良好なマクロ経済環境をできるだけ維持し、これを来年度以降のベースアップを含めた賃金の本格上昇にいかに繋げていけるかが当面のポイントである、としたのだろう。 とはいえ、これまでの経験は、賃金が十分上昇できる環境がつくれない限り、2%のインフレ目標がグリーンスパンの定義する物価安定と両立するような環境は達成できないことを強く示唆している。この点からみると、良好な「マクロ経済環境」は好況による総需給バランスの改善を超え、実質賃金の持続的上昇が可能になるよう環境でなければならない。DXや人への投資などさまざまな議論が盛り上がり始めているのは、そのことと無関係ではないだろう』、「ドル建ての資源価格の上昇は、輸入物価だけを上昇させますが、為替円安は、輸出物価と輸入物価をともに押し上げるため、交易条件に対し概ねニュートラルです」と述べている。 しかし、輸出物価上昇の恩恵を受けるのは輸出企業であり、輸入物価上昇によって生活を直撃されるのは家計等である。あたかも同じ一人の主体が右手で恩恵を受け、左手で損失を被り、差し引きの影響がほぼゼロ、というようなロジックは、一方的に負担増に直面している家計の円安への懸念に対しては説得力を持たない。こうした家計への共感の欠落は、金融政策への不信と反発を増幅しかねない」、手厳しい批判である。「良好な「マクロ経済環境」は好況による総需給バランスの改善を超え、実質賃金の持続的上昇が可能になるよう環境でなければならない」、しかし、実現の可能性は低そうだ。

次に、6月27日付けエコノミストOnline「異次元緩和を問う⑥ 財政政策に入り込む中央銀行=翁百合」を紹介しよう。
https://weekly-economist.mainichi.jp/articles/20220705/se1/00m/020/061000c
・『金融政策の限界が認識され、焦点は財政政策に移っている。しかし、異次元金融緩和によって、日銀が財政政策に踏み込んでいると翁百合・日本総合研究所理事長は指摘する。中央銀行の独立性のあり方が問われる。(異次元緩和を問う) 翁氏は政府の有識者会議メンバーを歴任してきた。岸田政権下でも、「新しい資本主義実現会議」の委員を務める。 各種の会議に出席する機会には人への投資と、それによる生産性の向上が大事だと繰り返し述べている。 異次元緩和の当初はデフレ脱却がカギとの声が強かったが、生産性がカギであり、潜在成長率を上げていかなければならないことがようやく認識されるようになった。そのことに気づくのが遅れた影響が大きすぎると感じている。 安倍政権も成長戦略は掲げていた。2014年の「選択する未来」委員会は生産性向上、少子化対応、地域活性化の3点を挙げていた。それを検証する「選択する未来2.0」懇談会の座長を務め、昨年6月に報告書を提出した。残念ながら潜在成長率は横ばいで生産性は下がり続けている。出生率もコロナ前から下がっている。地域活性化だけは、一貫して続いてきた東京一極集中がコロナで少しだけ是正される兆しがある。 マクロの生産性を上げていくには、人への投資を行いながら、生産性の高い部門に人がシフトし、賃金が上がっていくことが大事だ。国民が望むのも、持続的に賃金が上がることだ。 長期停滞の要因として、生産性の低い企業が残ってしまうことがマクロの生産性にマイナスに寄与していると指摘されている。金利機能は効率的な資源配分を促すものだから、低金利はなんらかの背景になっている。 長期停滞には、需要と供給の双方からさまざまな要因があるが、異次元緩和は長期停滞の結果であり、一方で原因でもある。 異次元緩和を経済政策の前面に打ち出した安倍晋三元首相は、20年9月に首相を辞任した後も影響力を持つ。今年5月には「日本銀行は政府の子会社」と発言し、波紋を広げた。 日銀が事実上、まさにそのような立場に置かれてしまっていることが非常に大きな問題だ。 日銀は独立性のもと、通貨の安定、つまり物価と金融システムの安定を図るのが使命だ。独立性は条件なしに与えられているわけではない。選挙で選ばれていない中央銀行の政策は、国民から信頼され支持されなければ実行できない。 独立性を担保するうえで、なんらかの目安を示して説明することが大事という考え方は理解できる。ただ、異次元金融緩和で2%のインフレ目標を掲げ、期待に働きかける手法の有効性に過大な期待があったことが適切だったのか、疑問を感じる』、筆者の「翁百合」氏は日銀時代に、第一の記事の筆者の「翁邦雄」氏と結婚、夫婦揃って第一線のエコノミストとして活躍している。「異次元金融緩和で2%のインフレ目標を掲げ、期待に働きかける手法の有効性に過大な期待があったことが適切だったのか、疑問を感じる」、批判は立場上、抑制気味だ。
・『金融システムに潜むリスク  数字だけにこだわると金融に不均衡が生じる。不均衡は物価だけに表れるわけではない。日本のバブル期に物価は安定していたが、資産価格などひずみは大きくなっていた。 翁氏はもともと、金融システムの安定を図るプルーデンス政策が専門。1990年代には不良債権問題や金融機関の破綻処理を分析し、産業再生機構の委員も務めた。 金融システムの健全性は、表面的には崩れていないようにみえる。だが、低金利で地銀等は外債に傾斜し、含み損を抱えている。マクロの資金循環としても、度重なるリスクにさらされた企業部門が現預金の保有を増やしており、金融機関は厳しい環境にある。金融システムの潜在的リスクは拡大している。 いま局面が変わっているのは、財政政策との関係だ。独立性のもと金融政策を行っているはずなのに、日銀は国債を大量に購入したことで、結果的に財政政策に深入りし、抜け出せなくなっている。 今後、市場からの金利上昇圧力は続き、インフレで金利を上げざるをえないこともありうる。金利が上がることで超低金利の国債を大量に保有している日銀に大きな損失が生じた場合、それは日銀が債務超過に転落するという国民にとって想定外の社会的コストを突きつける可能性もある。 民主主義のプロセスがない形で財政政策に入り込んでいることが問題だ。 13年4月に異次元金融緩和が始まったのは、安倍政権が前年12月の衆院選で、大胆な金融緩和を公約に掲げて勝利し、誕生したことが反映されている。民意が緩和を求めたともいえる』、「民主主義のプロセスがない形で財政政策に入り込んでいることが問題だ」、金融政策は「財政政策」の領域にまで立ち入るべきではない。
・『国民は10年も同意せず  最初はそうだったが、国民は10年も続くとは思っていなかっただろう。当初、日銀は「2年でインフレ2%」と言っていたから、その間は年間50兆円、80兆円と保有国債残高を増やしても、その後で出口を考えれば問題は小さかったかもしれない。それが10年続き、国債保有(図)によって結果的に日銀の債務超過などに伴い、さまざまなコストが生じるとなると、「そこまで同意しただろうか」と国民は思うのではないか。 たとえば今のインフレが加速していくとしたら、日銀は金利を上げ、生じるコストを財政が穴埋めするのか。それとも政策を動かさず国民はインフレを受け入れざるをえないのか。 インフレが進めば低所得者に大打撃である一方、金利が上がれば国債の利払い費が増え、財政を直撃する。どちらかに陥れば大変な事態だから、ナローパス(狭い道筋)だ。ここまでバランスシート(資産・負債の規模)が拡大すると、日銀がこの先、ドラスチックにとれる行動はそれほどない。 出口の局面で、日銀は技術的にさまざまな手立てを講じるだろう。最終的に大きな課題となるのは、財政の持続可能性だ。これほどまで国債を購入してきた日銀は、責任を持てるのだろうか。日銀が出口について議論を避ける根底には、財政の持続可能性の問題があるのだろう。 財政規律に対して長期金利市場が警告を発する機能は失われている。財政支出が本当に生活の質や生産性向上に寄与するかどうかを問うことなく、規模に傾斜しがちな弊害がある。 日本の財政は、高齢化で拡大する社会保障をファイナンスする消費税導入・税率引き上げが遅れてきたから、科学技術や教育など長期的に税収増につながる投資ができていない。日本の閉塞(へいそく)感にはそのような背景もあると思う。今後、長期的な成長につながる投資を行いながら、財政再建を進めなければならない』、「日銀が出口について議論を避ける根底には、財政の持続可能性の問題があるのだろう」、「財政規律に対して長期金利市場が警告を発する機能は失われている。財政支出が本当に生活の質や生産性向上に寄与するかどうかを問うことなく、規模に傾斜しがちな弊害がある」、「日本の財政は、高齢化で拡大する社会保障をファイナンスする消費税導入・税率引き上げが遅れてきたから、科学技術や教育など長期的に税収増につながる投資ができていない」、「今後、長期的な成長につながる投資を行いながら、財政再建を進めなければならない」、同感である。

第三に、7月3日付け現代ビジネスが掲載した一橋大学名誉教授の野口 悠紀雄氏による「金利抑制を巡る日本銀行と海外ファンドの死闘、制するのはどちらか 過去には先進国の中央銀行が敗退も」を紹介しよう。
・『日本銀行は世界の大勢に逆らって金利を押さえ込んでいるが、いずれ政策転換を余儀なくされるだろうと予測する海外のファンドが、日本国債を売り浴びせて、日銀に挑戦している。もし彼らが勝てば、巨額の利益を手に入れることになる』、「海外のファンドが、日本国債を売り浴びせて、日銀に挑戦」、とは大変だ。
・『海外のファンドが日銀に挑戦  現在、日本の金利水準は、主要国(とくにアメリカ)の水準に比べて低い。このため、円資産を売って、ドルなどの資産に乗り換える動きが続き、金利に上昇圧力がかかっている。 これが、急速な円安をもたらしている基本的な原因だ。 これに対して、日本銀行は、国債を無制限に買い入れる政策をとって、対抗している。 最近では、海外のファンドが日銀の金融政策に真っ向から挑戦して政策転換を促し、日銀が応戦している状況が鮮明になってきた。 6月16日付の日本経済新聞によると、イギリスのヘッジファンド、ブルーベイ・アセット・マネジメントは、長期金利を抑制しようとする日銀の政策は、いずれ放棄せざるをえなくなるので、それを促すために日本国債を売っていると明言している。 同ファンドのマーク・ダウディング最高投資責任者(CIO)は、世界の金利が上昇しているなかで、日銀だけが長期金利の上限を0.25%にとどめようとしているが、それを維持するのは難しいとし、「7~9月のどこかで、長短金利操作(イールドカーブ・コントロール、YCC)政策を修正するだろう」と述べている』、確かに指値オペで「国債を無制限に買い入れる政策をとって、対抗」しているが、限界があるだろう。
・『ファンドは、なぜ日本国債を売るのか?  確かに、こうしたファンドが国債を売れば、国債の価格に下落圧力がかかる。つまり、金利上昇圧力が強まる。 ところで、このファンドは、なぜ日銀の金利政策を解除させようとしているのだろうか? 日銀の政策を正常化させて日本国民の役にたちたいというようなことではではないだろう。何らかの利益が得られるから、このようなことをしているのだろう。 「将来金利が上がる(国債価格が下落する)だろうから、価格が高いいまのうちに売ってしまおう」ということだろうか? そうした消極的理由もあるかもしれない。しかし、実は、ヘッジファンドは、もっと積極的に、現在の状況を利用して、巨額の利益を得ようとしているのである』、どういうことなのだろうか。
・『日本国債の「ショートポジション」を取った  このことは、ダウディング氏にインタビューしたブルームバーグの記事(2022年6月14日)をみると、分かる。 同氏は、「かなりの額の日本国債をショートしている」と言っているのだ。単に、保有している日本国債を売却するのではなく、「ショート」しているのである。こが重要なポイントだ。 「ショート」と言うのは空売りのことだ。国債を借りて売る。 そして、一定の期間後に、借りていた国債を返却するのである。 この取引をすると、金利上昇によって利益を得ることができる。その理由は、つぎのとおりだ。 現在は金利が低い。つまり国債の価格が高い。その価格で国債を売り、それによって国債の価格に下落圧力を加える。それが成功すれば、国債の価格が下がる。そこで、安くなった価格で国債を買って返せば、利益がでる。 なお、空売りでなく、国債の先物取引を行っても、同じ結果が得られる。つまり、将来、国債の価格は低下する(金利が上昇する)と予測した上で、「将来時点で国債を売る」という先物契約を結ぶのだ。 思惑通りになれば、将来時点で、現物価格より高い価格で国債を売れるだろう。だから、安く国債を買って、先物取引の実行で高く売れば、やはり利益を得ることができる』、「空売り」で「国債の価格が高い。その価格で国債を売り、それによって国債の価格に下落圧力を加える。それが成功すれば、国債の価格が下がる。そこで、安くなった価格で国債を買って返せば、利益がでる」、なるほど。
・『将来の金利が低下すればヘッジファンドは負け  もちろん、上で述べた取引には、リスクがある。仮に何らかの理由で、将来、金利が低下してしまったとする。つまり国債価格が上がったとする。空売りの場合には、借りた国債を返すために、価格が高くなった国債を買わなければならないので、損失が発生する。 国債の先物取引の場合にも、その実行によって、市場価格より安い価格で売らなければならないから、損失が発生する。 ブルーベリー・アセット・マネジメントは、「金利が将来下がる可能性は非常に低い」と読んでいるのだ。 前記のインタビューの中で、ダウディング氏は、つぎのように述べている。「金利が0.18%を超えて低下する可能性はかなり低い。一方、日銀がYCCの修正に動いた時の債券価格の下落(金利の上昇)は非常に大きいものになるだろう」』、「日銀がYCCの修正に動いた時の債券価格の下落(金利の上昇)は非常に大きいものになるだろう」、その通りだ。
・『どちらが勝つか?  日銀とヘッジファンドのどちらが勝つかは、資金力の違いに大きく影響されるから、ファンドが中央銀行に勝てるはずはないように思える。 しかし、同じような取引を仕掛けているのは、ブルーベイだけではないはずだ。巨額の利益を得るチャンスがあるのだから、多くのファンドや投機家が同じようなことをしているに違いない。 実際そのようなことが起きていることを示す状況証拠がある。これまで述べてきたような取引によって、日本国債のマーケットは、最近、きわめて異常な形に歪んでしまっているのだ(これについての詳しい説明は、ここでは省略する)』、なるほど。
・『中央銀行が負けた例も  中央銀行とヘッジファンドの戦いで、中央銀行が負けた例もある。最近では、オーストラリア準備銀行(中央銀行)が、昨年11月に金利のコントロールを放棄した。 もっと前では、アメリカの投資家、ジョージ・ソロス氏が、イングランド銀行を打ち負かした例が有名だ。 1990年、イギリスはEC諸国の為替を一定の枠に収めようとする通貨管理体制ERM(欧州為替相場メカニズム)に参加した。当時、イギリス経済が低迷していたにも関わらず、ポンドが過大評価されていた。 しかし、イギリスはERMの規制に従って切り下げができなかった。この状態に着目したソロス氏のクウォンタムファンドが、ポンドを売り浴びせ、ポンドの切り下げ圧力が強まった。 1992年9月16日(水)、ついにイギリス通貨当局が攻防に敗れ、ポンドは、ERMを脱退し、変動相場制へと移行することになった』、「ジョージ・ソロス氏が、イングランド銀行を打ち負かした例」は確かに「有名だが」、「オーストラリア準備銀行の「金利のコントロールを放棄」は初めて知った。
・『「合理的なものが勝つ可能性が高い」  前記のダウディング氏のインタビューで興味深いのは、「日銀が国債を買いながら財務省が円を買う介入をしようとしているのは、アクセルとブレーキを同時に踏むようなもので、一貫した政策とは言えない」とコメントしていることだ。そして同氏は、「一貫性のないものに対しては、投資家は挑戦をしたくなる」と述べている。 確かにその通りだ。現在の日本政府の政策は、ちぐはぐなものになっている。「物価対策が必要」ということで、ガソリンなどの価格をおさえている。ところが一方では、物価高騰の重要な要因である円安を放置している。つまり、アクセルとブレーキを同時に踏んでいるのだ。 一貫性のない政策を継続することは難しい。どこかで破綻する。事実、現在の日本の国債市場は、そうした状況になりつつある。 「合理的なものが勝つ可能性が高い」という考えは、大変説得的だ』、「現在の日本政府の政策は、ちぐはぐなものになっている。「物価対策が必要」ということで、ガソリンなどの価格をおさえている。ところが一方では、物価高騰の重要な要因である円安を放置している。つまり、アクセルとブレーキを同時に踏んでいるのだ。 一貫性のない政策を継続することは難しい。どこかで破綻する」、「「合理的なものが勝つ可能性が高い」という考えは、大変説得的だ」、同感である。

第四に、7月6日付け現代ビジネスが掲載した経済評論家の加谷 珪一氏による「円安に国民が苦しんでるのに、それでも日銀が「金利を引き上げられない」4つの理由」を紹介しよう。
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/97082?imp=0
・『日銀が6月の金融政策決定会合において、金融緩和策の継続を決定するなど、日米の金融政策の違いがより鮮明になっている。日本とアメリカの金利差が拡大するのはほぼ確実であり、市場では円安がさらに加速するとの見方が強まっている。 国内でも物価上昇が顕著となっており、日銀に対する風当たりは強まる一方だが、日銀はなぜ金利の引き上げに消極的なのだろうか。政府・日銀が金利を引き上げられない理由について、あらためてまとめた』、興味深そうだ。
・『理由その1 景気に逆風  日本経済は過去30年間、低金利が続いており、企業も家計も低金利であることが大前提となっている。このため、急に金利が上がってしまうと、企業の利払い負担が増えたり、借入れが減少するなど経済に大きな影響が及ぶことになる。 リーマンショック以降、国内の倒産件数は異常な低水準で推移してきたが、これは、政府が銀行に対して過度な資金回収を実施しないよう強く要請していたことが大きく影響している。企業は低金利で資金を借りることができ、しかも、銀行が積極的な融資姿勢を継続したことで、本来なら倒産している企業も延命できているケースが少なくない。 こうした状況で金利の引き上げを実施すると、倒産が増える可能性があるほか、大企業の設備投資も大幅に抑制される。諸外国と比較して、ただでさえコロナ危機からの回復が遅れている時に、金利の引き上げによる景気後退だけは避けたいというのが政府・日銀のホンネだろう』、確かに超金融緩和で支えてきた「企業」は「金利の引き上げ」には弱そうだ。
・『理由その2 住宅ローン負担が大きくなる  企業と同じく家計も低金利の恩恵を大きく受けており、金利引き上げの制約要因となっている。日本の家計は、低金利政策によって、極めて低い金利で住宅ローンを借りることができた。特に変動金利の場合、限りなくゼロ金利に近い金利で住宅ローンを組むことができたため、本来なら住宅ローンを組めない水準まで借り入れを行っている人が一部に存在している。 例えば5000万円のローンを30年で組んだ場合、2%の金利であれば返済原資の5000万に加えて、利子を1500万円以上支払わなければならない。ところが0.5%の低金利であれば、利子はわずか400万円程度で済むので、その分だけより高額な物件に手を出すことができてしまう。 ここで金利が上昇すると、一部の人は返済に苦慮することになり、場合によっては住宅ローン破綻者が増えるリスクがある。そこまでいかなくても、変動金利の場合、金利上昇によってローンの返済額が増えるのは確実であり、家計の可処分所得は減ることになる。当然の結果として個人消費には大きな悪影響が及ぶ』、「変動金利の場合、限りなくゼロ金利に近い金利で住宅ローンを組むことができたため、本来なら住宅ローンを組めない水準まで借り入れを行っている人が一部に存在している」、「ここで金利が上昇すると、一部の人は返済に苦慮することになり、場合によっては住宅ローン破綻者が増えるリスクがある」、その通りだ。
・『理由その3 政府の利払いが増える  低金利によって借金が大きく膨れ上がっているという点では、個人や企業だけでなく、政府にとっても同じことである。よく知られているように日本政府は約1000兆円の負債を抱えている。 現在はほぼゼロ金利に近いため、政府の利払いは最小限の水準で済んでいるが、もし金利が米国並みの3%台に上昇すれば、日本政府は最終的に年間30兆円以上の利子を負担しなければならない。日本政府が発行している国債の年月はバラバラなので、全ての国債が高い金利に入れ代われるまでには約9年の時間的猶予があるものの、年々利払い額が増えていくという点では、金利上昇後、すぐにその影響は顕在化してくる。) 現在、日本政府の税収は約50兆円しかなく、残りは全て新規の国債発行による借金である。ここで金利が上昇してしまうと単純計算で政府の支出が30兆円増えるということであり、政府の税収の6割が利払いに消えることになってしまう。この状態では、まともに予算を組むことはできず、他の予算が大きく制約を受けてしまう。こうした状況を考えると政府・日銀は、簡単には金利を引き上げられない』、「もし金利が米国並みの3%台に上昇すれば、日本政府は最終的に年間30兆円以上の利子を負担しなければならない」、「政府の税収の6割が利払いに消えることになってしまう。この状態では、まともに予算を組むことはできず、他の予算が大きく制約を受けてしまう」、これは大変だ。
・『理由その4 日銀のバランスシートが毀損する  日銀は現在(2022年6月末)、約540兆円の国債を保有している。もしここで日銀が金利上昇に踏み込んだ場合、理論上を保有している国債の評価額は減少することになる。もっとも日銀は簿価で会計を管理しているので、保有している国債の減額分を損失として計上する必要はない。 だが、現実問題として簿価で会計を処理しているので、損失は考慮する必要がないという理屈は成り立たない。市場は日銀が潜在損失を抱えたことを認識するので、これは確実に円安要因となる。 一部の論者は「保有する国債の価値が下がった程度で日本円が紙くずになることはない」と主張しているが、この議論は完全に論点がズレている。市場関係者が懸念しているのは日銀が破綻するといった極論ではない。日銀のバランスシートが毀損したと見なされた場合、最初に影響を受けるのは為替であり、過度な円安という形でその影響は顕在化する。現時点においても、円安の弊害が指摘される中、さらに円安が進みやすくなることを歓迎できるわけがない。 円安が加速するかしないかというのは、現実的な問題であり、この状況について日銀自身がもっともよく理解している。そうであればこそ、金利の上昇には簡単には踏み込めない』、「日銀のバランスシートが毀損したと見なされた場合、最初に影響を受けるのは為替であり、過度な円安という形でその影響は顕在化する。現時点においても、円安の弊害が指摘される中、さらに円安が進みやすくなることを歓迎できるわけがない」、確かに「為替」への影響は大きそうだ。
・『低金利を続けるとどうなる?  このように金利の上昇には多くの弊害があり、政府・日銀にとって、金利の上昇はなるべく避けたいというのが本音である。一方で、円安にもそれなりのデメリットがあり、国民からの不満の声は高まる一方である。どちらにしても厳しい状況だが、それでも日銀は現状の政策を維持し、円安のメリット(輸出やインバウンドの拡大)が顕在化してくるまで、時間稼ぎをした方が得策と考えている可能性は高い。 では、金融緩和を継続し、時間稼ぎをする政策はうまく機能するのだろうか。 最大の焦点となるのは、やはり長期金利の動向だろう。日銀は現在、国債の金利が0.25パーセント以上にならないよう、無制限に国債を買い取る「指値オペ」を実施している。為替については、一部から市場介入を実施すべきという声も出ているが、ドル売り、円買いの為替介入の場合、外貨準備の範囲でしか実行できないという制約があり、あまり現実的ではない。結果として為替市場では自由に取引が行われることになる。 そうなると政府・日銀が恣意的にコントロールできるのは、国債の金利しかない。理論的に日銀が購入できる国債は無限大なので、日銀は金利を低く抑え続けることができる。だが、この指し値オペを続ければ続けるほど、円安圧力が高まってくるのは確実である。 もしどこかのタイミングで、指し値オペを継続できなくなった場合、一気に円安が進み、半ば暴落に近い状態になるリスクが存在することは否定できないだろう。結局のところ、今の日銀は日本経済のファンダメンタルズと逆方向の政策を続けており、いずれ限界はやってくる。 急に金利を上げることの弊害が大きいことは筆者もよく理解しているが、現状の政策では、ダムが決壊するような形で金利上昇と円安が同時に進む最悪のシナリオもないとは言い切れない。こうした事態を回避するには、指し値オペの範囲に柔軟性を持たせるなど、市場に対して、何らかの含みをもたせておく必要があるはずだが、今の日銀にその気配は感じられない』、「理論的に日銀が購入できる国債は無限大なので、日銀は金利を低く抑え続けることができる。だが、この指し値オペを続ければ続けるほど、円安圧力が高まってくるのは確実である。 もしどこかのタイミングで、指し値オペを継続できなくなった場合、一気に円安が進み、半ば暴落に近い状態になるリスクが存在することは否定できない」、「今の日銀は日本経済のファンダメンタルズと逆方向の政策を続けており、いずれ限界はやってくる。 急に金利を上げることの弊害が大きいことは筆者もよく理解しているが、現状の政策では、ダムが決壊するような形で金利上昇と円安が同時に進む最悪のシナリオもないとは言い切れない。こうした事態を回避するには、指し値オペの範囲に柔軟性を持たせるなど、市場に対して、何らかの含みをもたせておく必要があるはずだが、今の日銀にその気配は感じられない」、「日銀」が硬直的なのは何故なのだろう。
タグ:ダイヤモンド・オンライン「【翁邦雄・元日銀金融研究所所長に聞く】インフレはそれ以上に賃上げ率を高める、という幻想。国民の求める「物価安定」とは何かを考え直す」 異次元緩和政策 (その42)(【翁邦雄・元日銀金融研究所所長に聞く】インフレはそれ以上に賃上げ率を高める という幻想 国民の求める「物価安定」とは何かを考え直す、次元緩和を問う⑥ 財政政策に入り込む中央銀行=翁百合、金利抑制を巡る日本銀行と海外ファンドの死闘 制するのはどちらか 過去には先進国の中央銀行が敗退も、円安に国民が苦しんでるのに それでも日銀が「金利を引き上げられない」4つの理由) 「翁邦雄」氏の理論的見方とは興味深そうだ。 「国民の求めている「物価安定」とはなにかをもう一度考える必要がある」、その通りだ。 「一般国民にとっての物価安定は、FRB議長時代のアラン・グリーンスパンが定義したようにむしろ物価上昇を気にかけなくてよい状況だろう」、さすが説得力がある。 「もし、賃金が毎年数%ベアで上がっており、退職世代の年金についても物価スライドにより実質価値が保証され、十分に金利が高く金利収入が確保できたりしていれば、家計は2%程度の物価上昇をあまり気にしないだろう。 しかし、日本のように家計を支える収入がじりじり下がる世界では、物価が1%上がるような状態にも強い抵抗感を持ちがちになることが予想される」、その通りだ。 「米国」や「英国」では「賃金上昇率が物価上昇率を上回っていた」が、「日本では」「物価上昇率が相対的に低いだけでなく、名目賃金が消費者物価下落率(マイナス0.3%)をかなり上回って下落していた(マイナス0.8%)、という点で他国と大きく状況が異なっていた」、「賃金・実質所得が上がらない状況では人々は値上げに対し寛容になることはなく、生活防衛的に反応し続けた。ゼロインフレは社会規範として定着し、日銀の「物価安定への取り組み」への認知度はじりじり下がり続けた」、米英と環境が大きく異なっていたようだ。 「ドル建ての資源価格の上昇は、輸入物価だけを上昇させますが、為替円安は、輸出物価と輸入物価をともに押し上げるため、交易条件に対し概ねニュートラルです」と述べている。 しかし、輸出物価上昇の恩恵を受けるのは輸出企業であり、輸入物価上昇によって生活を直撃されるのは家計等である。あたかも同じ一人の主体が右手で恩恵を受け、左手で損失を被り、差し引きの影響がほぼゼロ、というようなロジックは、一方的に負担増に直面している家計の円安への懸念に対しては説得力を持たない。こうした家計への共感の欠落は、金融政策への不信と反発 エコノミストOnline「異次元緩和を問う⑥ 財政政策に入り込む中央銀行=翁百合」 、筆者の「翁百合」氏は日銀時代に、第一の記事の筆者の「翁邦雄」氏と結婚、夫婦揃って第一線のエコノミストとして活躍している。「異次元金融緩和で2%のインフレ目標を掲げ、期待に働きかける手法の有効性に過大な期待があったことが適切だったのか、疑問を感じる」、批判は立場上、抑制気味だ。 「民主主義のプロセスがない形で財政政策に入り込んでいることが問題だ」、金融政策は「財政政策」の領域にまで立ち入るべきではない。 「日銀が出口について議論を避ける根底には、財政の持続可能性の問題があるのだろう」、「財政規律に対して長期金利市場が警告を発する機能は失われている。財政支出が本当に生活の質や生産性向上に寄与するかどうかを問うことなく、規模に傾斜しがちな弊害がある」、「日本の財政は、高齢化で拡大する社会保障をファイナンスする消費税導入・税率引き上げが遅れてきたから、科学技術や教育など長期的に税収増につながる投資ができていない」、「今後、長期的な成長につながる投資を行いながら、財政再建を進めなければならない」、同感である。 現代ビジネス 野口 悠紀雄氏による「金利抑制を巡る日本銀行と海外ファンドの死闘、制するのはどちらか 過去には先進国の中央銀行が敗退も」 「海外のファンドが、日本国債を売り浴びせて、日銀に挑戦」、とは大変だ。 確かに指値オペで「国債を無制限に買い入れる政策をとって、対抗」しているが、限界があるだろう。 どういうことなのだろうか。 「空売り」で「国債の価格が高い。その価格で国債を売り、それによって国債の価格に下落圧力を加える。それが成功すれば、国債の価格が下がる。そこで、安くなった価格で国債を買って返せば、利益がでる」、なるほど。 「日銀がYCCの修正に動いた時の債券価格の下落(金利の上昇)は非常に大きいものになるだろう」、その通りだ 「ジョージ・ソロス氏が、イングランド銀行を打ち負かした例」は確かに「有名だが」、「オーストラリア準備銀行の「金利のコントロールを放棄」は初めて知った。 「現在の日本政府の政策は、ちぐはぐなものになっている。「物価対策が必要」ということで、ガソリンなどの価格をおさえている。ところが一方では、物価高騰の重要な要因である円安を放置している。つまり、アクセルとブレーキを同時に踏んでいるのだ。 一貫性のない政策を継続することは難しい。どこかで破綻する」、「「合理的なものが勝つ可能性が高い」という考えは、大変説得的だ」、同感である。 加谷 珪一氏による「円安に国民が苦しんでるのに、それでも日銀が「金利を引き上げられない」4つの理由」 理由その1 景気に逆風 確かに超金融緩和で支えてきた「企業」は「金利の引き上げ」には弱そうだ。 理由その2 住宅ローン負担が大きくなる 「変動金利の場合、限りなくゼロ金利に近い金利で住宅ローンを組むことができたため、本来なら住宅ローンを組めない水準まで借り入れを行っている人が一部に存在している」、「ここで金利が上昇すると、一部の人は返済に苦慮することになり、場合によっては住宅ローン破綻者が増えるリスクがある」、その通りだ。 理由その3 政府の利払いが増える 「もし金利が米国並みの3%台に上昇すれば、日本政府は最終的に年間30兆円以上の利子を負担しなければならない」、「政府の税収の6割が利払いに消えることになってしまう。この状態では、まともに予算を組むことはできず、他の予算が大きく制約を受けてしまう」、これは大変だ。 理由その4 日銀のバランスシートが毀損する 「日銀のバランスシートが毀損したと見なされた場合、最初に影響を受けるのは為替であり、過度な円安という形でその影響は顕在化する。現時点においても、円安の弊害が指摘される中、さらに円安が進みやすくなることを歓迎できるわけがない」、確かに「為替」への影響は大きそうだ。 低金利を続けるとどうなる? 「理論的に日銀が購入できる国債は無限大なので、日銀は金利を低く抑え続けることができる。だが、この指し値オペを続ければ続けるほど、円安圧力が高まってくるのは確実である。 もしどこかのタイミングで、指し値オペを継続できなくなった場合、一気に円安が進み、半ば暴落に近い状態になるリスクが存在することは否定できない」、「今の日銀は日本経済のファンダメンタルズと逆方向の政策を続けており、いずれ限界はやってくる。 急に金利を上げることの弊害が大きいことは筆者もよく理解しているが、現状の政策では、ダムが決壊するような形で
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イノベーション(その4)(マッキンゼー:日本でイノベーションが生まれなくなった真因 新規事業の構築における「5つの罠」と処方箋、『両利きの経営』著者が指摘 日本企業の多くがイノベーションを勘違いしている チャールズ・オライリー教授インタビュー(前編)、NECやAGCにスタンフォードの学生が興味津々の理由 『両利きの経営』著者に聞く チャールズ・オライリー教授インタビュー(後編)) [イノベーション]

イノベーションについては、2019年1月31日に取上げた。今日は、(その4)(マッキンゼー:日本でイノベーションが生まれなくなった真因 新規事業の構築における「5つの罠」と処方箋、『両利きの経営』著者が指摘 日本企業の多くがイノベーションを勘違いしている チャールズ・オライリー教授インタビュー(前編)、NECやAGCにスタンフォードの学生が興味津々の理由 『両利きの経営』著者に聞く チャールズ・オライリー教授インタビュー(後編))である。

先ずは、2020年5月24日付け東洋経済オンラインが掲載したマッキンゼー パートナーの野崎 大輔氏と、マッキンゼー アソシエイトパートナーの 田口 弘一郎 氏による「日本でイノベーションが生まれなくなった真因 新規事業の構築における「5つの罠」と処方箋」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/346923
・『日本から生まれた新たな製品やサービスが世界を席巻する──。かつて度々耳にしたそうした輝かしい報道を聞かなくなって久しい。企業も研究機関も、そして個人も日々努力を重ねているのだが、頓挫したり空回りしたり、思ったような成果が出せないケースが多く見られる。その問題の真因はどこにあるのか。昨年、『マッキンゼー ホッケースティック戦略成長戦略の策定と実行』を監訳した野崎大輔氏と、一部翻訳を担当した田口弘一郎氏が、新規事業において日本企業が陥りがちな罠とその処方箋を解き明かす』、興味深そうだ。
・『研究開発費自体は増えている  近年、日本企業のイノベーション力が低下しているという声をよく聞くようになった。例えば中国に特許出願数や論文の被引用数で後れを取り始めたというのはその証左であろう。 リチウムイオン電池のように、革新的な技術を開発して世界を席巻するということについては強さを誇ってきた日本企業であるはずだが、今何が起きているのか。そこには、日本ならではの課題が存在しているとわれわれは考えている。 本稿では80年代からの長期にわたるデータ分析と共に、これまで数多くのクライアントをご支援してきた経験から、日本企業がイノベーションを推進するうえで陥りがちな罠と、今後必要な取り組みについて考えてみたい。 まず、日本の研究開発に対するリソースがどう推移してきたか見てみたい。 1987年から2019年までの日本企業における研究開発費売上高比率と企業研究者の人数を見ると、実は80年代後半から今に至るまで、基本的には日本企業の研究開発にかけるリソースは継続的に増加してきている。 研究開発費売上高比率では、1987年に2.8%だったものが継続的に増加し2017年では3.9%、企業における研究者も1987年に26万人だったものが2017年では50万人近くまで、年率2%程で継続的に増えてきている。) では、なぜ特許出願数などで中国に後れを取り始めているのか。単純に、中国の研究開発費や研究者の増加が日本よりも急激だからであろうか』、「研究開発費売上高比率」は上昇、「研究者数」も増加しているのに、「特許出願数などで中国に後れを取り始めている」ようだ。
・『課題は研究者1人当たりの生産性  ここで、日本とアメリカ・中国の間で研究開発の生産性の比較を行ってみたい。あくまでも一つの指標ではあるが、研究者1人当たりの研究開発費(インプット)と、研究者1人当たりの特許出願件数(アウトプット)がどのように推移してきたか、それぞれの国で見ていく。横軸に1人当たり研究開発費(インプット)、縦軸に1人当たり特許出願件数(アウトプット)をプロットして時系列で見てみると、面白いことが見えてくる。 (出所:OECD Stat, WIPO Statistics database より筆者作成) まず、中国について。2000年代前半まで1人当たり研究開発費は10万ドル未満、特許出願件数も0.1件程度であったが、2009年に1人当たり研究開発費が15万ドルを超え、特許出願数0.2件と倍増したあたりから、毎年1人当たり研究開発費と1人当たり特許出願件数がきれいに相関を持って増加し、2017年では1人当たり研究開発費は約28万ドル、特許出願件数は0.75件程度となり、インプット・アウトプットともに日本の水準を超えている。 アメリカについては、1980年代に1人当たり研究開発費は20万ドル未満で特許出願件数も約0.1件程度であったが、その後継続的にインプットもアウトプットも増加し、2016年では1人当たり研究開発費が38万ドル程度、特許出願件数が0.4件程度と増加してきている。 つまり、アメリカでも中国同様、緩やかではあるものの、基本的にはインプットが増えればアウトプットが増える、という相関が維持されている。 一方日本はどうか。1980年代前半までは1人当たり研究開発費が10万ドル未満、1人当たり特許出願件数は0.6件程度であったが、そこから2000年代前半まで、1人当たり研究開発費が継続的に増加し17万ドル程度となり、1人当たり特許出願件数もそれに伴って0.8件程度まで増加していった。 つまり2000年代前半までは、日本もインプットを増やすほどアウトプットが増えていたのである。 ところが2000年代後半からは様子が大きく変わる。2017年までに1人当たり研究開発費は27万ドル程度まで増加したが、1人当たり特許出願件数はむしろ減少し、0.7件を下回っている。1人当たり研究開発費が10万ドル増えたにもかかわらず、特許出願件数が減っている。 つまり、インプットを増やしてもアウトプットが増えない、むしろ減ってしまうという壁に突き当たってしまっているのである。) もちろん、特許出願数はイノベーション力の1つの指標にすぎず、これはあくまでも1つの可能性にすぎないが、日本のイノベーション力の低下は、人員数や資金の問題ではなく、研究者1人当たりの生産性の低下がボトルネックになっていることが可能性として考えられる。 仮にそうであった場合、なぜこういった生産性の低下が起こってしまっているのであろうか』、「1人当たり研究開発費」と「特許出願件数」は中国や米国では比例関係がみられるが、日本では「2000年代後半から」インプットを増やしてもアウトプットが増えない、むしろ減ってしまうという壁に突き当たってしまっている」、確かに不思議な「生産性の低下」だ。
・『変わらない研究領域  こういった生産性低下の原因の1つのヒントとなるのが、日本の研究開発領域の硬直性である。日本の研究開発領域は、過去20年ほとんど変わっていない。 アメリカや中国は、過去20年間で大きく研究開発分野をシフトさせてきた。例えば特許登録件数の分野別比率(8技術分野)を見ると、アメリカは2000年から2018年の間で、特許登録件数に占める情報通信分野の割合が16%から29%へほぼ倍増し、代わりに化学や機械工学といった分野の比率が大きく下がった。 一方日本は、構成比率が最も大きく増減した分野でも、輸送機械分野の7%から10%へ移行した、約3%ポイントのみである。それ以外の分野に至っては、構成比率は3%ポイント未満しか増減していないのである。19年間という期間を考えれば、むしろ驚くべき硬直性である。また、毎年総務省が行っている科学技術研究調査という研究開発に関するサーベイの結果を見ても、少なくともここ10年間、研究者の専門分野構成はほとんど変わっていないことがわかる。 これは、ある程度成熟してしまった研究領域の中でさらに深掘りをし続けているということでもあるし、世界のニーズが大きくシフトしてきている中で、新たなニーズが生まれ多くのイノベーションが求められている領域での勝負ができていないということかもしれない。 こういったところに、日本企業の研究開発における生産性低下の一因があるのではないだろうか。つまり、アウトプットとしての事業領域がシフトできていない、新たなニーズをうまくとらえた事業を展開できていないために、研究開発も既存の領域にとどまり、結果的に生産性が低下してきてしまっているのではないか。 実際、携帯電話の顔認証機能など、先に基礎技術としての研究開発で成果は出していても、結局消費者のニーズをうまく捉えて製品化・事業化したのは海外企業であった、という例も見られる。 これを解決するためには、そもそもの日本企業の事業領域シフトを加速させることが重要である。 しかし、ここに日本特有の難しさが存在している。) たとえば上場企業の新陳代謝は、アメリカに比べ日本は非常に緩やかである。2017年の日経新聞調査によれば、ニューヨーク証券取引所の上場企業における平均寿命(上場維持年数の平均値)は15年であるのに対し、日本取引所上場企業の平均寿命は89年。経営の安定性が高い一方で、新陳代謝が進みにくく、新たな産業領域の開拓は苦手な傾向にある。 こういった事業のシフトを加速すること、そして、事業上のニーズに合わせて研究開発の方向性を調整し生産性を高めていくためには、まずそのかじ取りを行うマネジメント側が変わっていく必要があるのではないか。 既存企業の中において、新たな事業構築にかかわるマネジメントの行動様式を整え、そして組織としてのスキルを獲得すること(リスキリング)で、企業の新陳代謝を高め、新たな事業領域を切り開くことができるのではないだろうか』、「アメリカや中国は、過去20年間で大きく研究開発分野をシフトさせてきた」、他方、「日本の研究開発領域は、過去20年ほとんど変わっていない」、「驚くべき硬直性である」、「アウトプットとしての事業領域がシフトできていない、新たなニーズをうまくとらえた事業を展開できていないために、研究開発も既存の領域にとどまり、結果的に生産性が低下してきてしまっているのではないか」、「上場企業の新陳代謝は、アメリカに比べ日本は非常に緩やかである。2017年の日経新聞調査によれば、ニューヨーク証券取引所の上場企業における平均寿命・・・は15年であるのに対し、日本取引所上場企業の平均寿命は89年。経営の安定性が高い一方で、新陳代謝が進みにくく、新たな産業領域の開拓は苦手な傾向にある」、「既存企業の中において、新たな事業構築にかかわるマネジメントの行動様式を整え、そして組織としてのスキルを獲得すること(リスキリング)で、企業の新陳代謝を高め、新たな事業領域を切り開くことができるのではないだろうか」、確かに「リスキリング」が鍵になるようだ。
・『日本企業の新規事業構築「5つのポイント」  特に近年、我々のクライアントに対しても、こういったリスキリングと新規事業創出の具体的支援を並行して進めるケースが増えてきている。さまざまなご支援をさせていただく中で、我々は特に日本企業のマネジメントが陥りがちな罠がいくつか存在すると考えている。 今回は、その中でも主な5つをご紹介しつつ、それぞれにどう対処すべきか考えてみたい。 (1)「製品開発」の発想で「事業開発」を推進しない  これまで既存事業を長く続けてきた日本企業は、「製品開発」と「事業開発」が根本的に異なるものであることを意識しなければならない。 例えば既存事業において、製品開発の中止は稀にしか起きない憂慮すべき事態である。新型車の開発は遅延こそ起きるが、中止されることは比較的まれである。 一方で新規事業についてはどうか。事業開発は、そのほとんどが失敗する、もしくはピボットが必要になるというのが前提である。VCの事業ポートフォリオは平均30社以上で、その内1?2社がIPOすれば成功であり、それらの事業もIPOまでに3~4回程度のピボットを経験することが普通であると言われている。それに対し、例えば自動車のような製品開発の発想だと、30の製品開発を始めて、1製品でもヒットすればいい、しかも途中で大きな設計変更が3?4回生じるというのは通常許容されないだろう。 新規事業開発は製品開発と違い、そもそも顧客のニーズが存在するのか、事業モデル・マネタイズモデルが機能するのか不明確なところからスタートするため、当然確度は低くなる。複数の案件を、そのほとんどがうまくいかない前提で、顧客ニーズの確度を検証しつつ、頻度高くポートフォリオ管理を実施していくことが求められる。 また製品開発は、ある技術やサービス単品の開発をロードマップに沿って行うことが多いが、事業開発は事業として10年後、20年後の広がりを見据えて行う。仮にロードマップ通りに製品やサービスが開発されて単体として成功しても、事業としての長期的な展開に対するビジョンがないと、散発的な新規事業の一つとして数年で成長が止まってしまうことが多い。この製品開発から事業開発への考え方の切り替えが、リスキリングの重要な一歩となる』、「製品開発から事業開発への考え方の切り替えが、リスキリングの重要な一歩となる」、その通りだろう。
・『(2)既存事業の物差しで新規事業を見ない  上記のようなものの見方の違いを頭ではわかっても、いざ同じ経営会議の俎上にのせて同じメンバーで議論をしてしまうと、必然的に同じ物差しに寄せるバイアスが働くのは人の性といえる。場合によっては新規事業が経営企画部の管掌であったり、新規事業担当役員が既存事業と兼任であったりして、どうしても既存事業のKPI(重要業績評価指標)や成功確率やスピードに引きずられてしまう。) 日本企業、特に産業の中心を担ってきた自動車などの製造業は既存事業の確度が比較的高いことが多い。もちろん、そういった業界でも不確定性は常に存在するが、生産性・効率性等オペレーショナルなKPIをきっちりとやり切ればそれなりの成果は見込める。 一方で新規事業については、ニーズそのものが不透明で、何がKPIかも決まっておらず、わずかに垣間見える顧客ニーズの一端といった定性的な要素に基づいて頻度高い経営判断を行うことが求められる。 もちろんこういったことができるように既存経営陣に対してリスキリングを進めていく必要はあるが、同じ土俵・メンバーで議論している限り、リスキリングの進みはどうしても遅くなってしまう。 新規事業については組織を分け、担当役員も完全に分離した上で、新規事業に係る意思決定は既存の経営会議と分けて実施をするのがあるべき姿といえる。そして新規事業担当役員については、社内に適任者がいない場合、外部登用も積極的に検討すべきである』、「新規事業については組織を分け、担当役員も完全に分離した上で、新規事業に係る意思決定は既存の経営会議と分けて実施をするのがあるべき姿といえる」、なるほど。
・『既存事業の物差しも必要  一方で、いつかは新規事業も既存事業の物差しで評価していくことが必要となってくる。例えばある大手電機メーカーの社内ベンチャー制度では、立ち上げた新規事業に対して社内の他部門から引き合いが来た段階で、既存事業部に事業ごと引き渡すということを行っている。 また、営業キャッシュフローが黒字になるタイミングをマイルストーンとして事業部として独立させ、それ以降は既存事業と同等の評価指標で見るといった工夫も考えられるであろう。 (3)新規事業の成功体験を持つ外部人材の活用  新興国の台頭やデジタル化の進展、CASE(自動車業界に大きな影響を与えつつある4つのトレンド:Connected, Autonomous, Shared, Electrificationの頭文字を取ったもの)など破壊的トレンドによって日本企業が本格的に新規事業に取り組み始めたのは比較的最近のことである。 その中で、まだ新規事業の創出に成功したプレーヤーは多くはない。ほとんどの企業で、新規事業の成功体験がないのである。よって、社内でリスキリングを推進できるコーチ役となる人材は通常ほぼいない。 また、その中で、概念的に見るべきKPIや組織体制など他社のベストプラクティスを模倣しても、具体的なKPIの粒度や顧客ニーズの掘り起こし方など、成功体験を持ち肌感覚でわかる人材がいなければ成功確度は当然下がってしまう。 リスキリングを加速させるためには、起業経験・VC経験を持つ社外の人材をアドバイザーとして起用したり、短期契約でも新規事業創出のプロセスを一緒にひと回ししてもらい、社内の人材に実体験を蓄積したりすることが効果的である。一部の国内メーカーでは、既に社外有識者をアイデア創出等の取り組みにおいて積極的に活用し始めている』、「起業経験・VC経験を持つ社外の人材をアドバイザーとして起用したり、短期契約でも新規事業創出のプロセスを一緒にひと回ししてもらい、社内の人材に実体験を蓄積したりすることが効果的」、なかなかいいアイデアだ。 (4)リスキリングを組織として消化する  せっかく外部人材を登用してリスキリングを推進しようとしても、実際のオペレーションや、人材の評価・育成の仕組みが既存のままだと、組織としての慣性力(イナーシャ)が働き、リスキリングは停滞するか、以前の状況に簡単に戻ってしまう。 これを避けるためには、上述のようなオペレーションや、人材の評価・育成を新規事業に即したものに変えていき、リスキリングを継続させる仕組みを組織として構築する必要がある。 このためには、上述のように新規事業組織を分けるとともに、そこに新規事業スキルを保有する人材、新たな研究開発領域の知見を持つ人材を集約し、オペレーションや人材評価・育成を既存事業と分けて実施することが重要である。) たとえばある国内の鉄道会社では、そもそも採用の時点で既存の鉄道事業部門と電子マネーなど新規事業を担当する部門を分け、人事制度も既存事業とは分けている。 このように、新規事業として独立した人事制度・採用枠を作り、必要な人材がクリティカルマスを超えるように、新卒・中途双方での採用を行うべきである。 そして、新規事業を推進できる魅力的な人材を採用できるだけの柔軟な処遇や、新規事業からのキャリアパスが描けることなど、人事制度上の工夫が必須である』、「新規事業として独立した人事制度・採用枠を作り、必要な人材がクリティカルマスを超えるように、新卒・中途双方での採用を行うべきである」、なるほど。
・『人事制度の独立が必須  このように、新規事業は新規事業として、独立した人事制度・採用枠を作り、必要な人材がクリティカルマスを超えるように、新卒・中途双方での採用をすべきである。そのためには、新規事業を推進できる魅力的な人材を採用できるだけの柔軟な処遇や、新規事業からのキャリアパスが描けることなど、人事制度の独立が必須である。 (5)新規事業=ゼロイチというバイアスの克服  これまで見てきたように、新規事業といっても、本当にゼロから事業を創出しスケールアップさせることは、確率が低く忍耐を伴い、見通しも不透明なものである。 1つの手法として、プログラマティックなM&Aを活用して新たな領域にどう入っていくかを検討することも重要な新規事業のアプローチである。 特に、対象とする事業領域の人材や組織をそのまま手に入れることが可能であるため、上記で述べたような陥りがちな罠はM&Aという手法を取ることによってある程度回避できる。 ゼロイチからの新規事業を検討する前に、どういった新規事業を目指すのか、本当にM&Aではなくゼロからの立ち上げを目指す必要があるのかを具体的に検討したうえで新規事業立ち上げの手法を選択すべきである。 そして本当にゼロから立ち上げる新規事業を目指すのであれば、経営陣として覚悟を持ち、外部役員の登用や人事制度の独立など、これまで述べてきたようなドラスティックなやり方を取ってリスキリングも並行して進めていくことが必要となる』、「本当にゼロから立ち上げる新規事業を目指すのであれば、経営陣として覚悟を持ち、外部役員の登用や人事制度の独立など、これまで述べてきたようなドラスティックなやり方を取ってリスキリングも並行して進めていくことが必要となる」、「経営陣として覚悟」が弱ければ、モラルも上がる筈もない。

次に、6月27日付けダイヤモンド・オンラインが掲載した作家/コンサルタントの佐藤智恵氏による「『両利きの経営』著者が指摘、日本企業の多くがイノベーションを勘違いしている チャールズ・オライリー教授インタビュー(前編)」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/305262
・『日本でベストセラーとなったビジネス書『両利きの経営―「二兎を追う」戦略が未来を切り拓く』の増幅改訂版が6月24日に発売された。著者の一人であるスタンフォード大学経営大学院のチャールズ・オライリー教授は日本での同書のヒットをどう見ているのか。また改訂版で新たにAGC(旧・旭硝子)の事例を加筆した理由とは』、興味深そうだ。
・『なぜ「両利きの経営」は日本でベストセラーになったのか  佐藤智恵 『両利きの経営―「二兎を追う」戦略が未来を切り拓く』(以下、「両利きの経営」)が、日本で10万部を超えるベストセラーとなっています。なぜ日本でこれほどのヒットを記録したと思いますか。 チャールズ・オライリー 「両利きの経営」に対しては世界中から反響がありましたが、日本からの反響が際立って大きいのは確かです。その理由は、おそらく日本の経営者がどの国の経営者よりも強く変革の必要性を感じているからではないでしょうか。 戦後、多くの日本企業は右肩上がりで成長を続けてきましたが、近年は中国企業や韓国企業など新興勢力がどんどん台頭し、激しい価格競争にさらされています。こうした中、日本企業の経営者は「これまでうまくいっていたやり方はもはや通用しないのだから、何か別のことをやらなくてはならない」「会社も、経営者としての自分も変わらなければならない」と痛感しているように見受けられます。 私たちが「両利きの経営」で示したのは、大企業がイノベーションを創出するための具体的な手法です。これが結果的に日本企業の経営者が今知りたいことにダイレクトに答えることとなり、多くの読者に支持されたのではないでしょうか。 また、私たちは本書で「大企業は長期的な視点でイノベーションを創出することが大切だ」と提唱していますが、日本企業の経営者は一般的に長期的な利益を重視しますから、こうした視点にも共感していただいたのかもしれません。 佐藤 「両利きの経営」の出版以来、オライリー教授の提唱する「既存事業の深化と新規事業の探索を同時に行う経営手法」は多くの日本企業に取り入れられ、経営のスタンダードになりつつあります。新型コロナウイルスの感染拡大は、こうした企業における「両利きの経営」の推進にどのような影響を与えたと思いますか。 オライリー パンデミックは、明らかに企業に変革やイノベーションを加速させるきっかけをもたらしたと思います。大企業の中には、これを機に「両利きの経営」をさらに加速させている企業もあります。自社はもう変われないと思っていたが、必要に迫られるとこれほど自社は変われるのかと実感し、変革に前向きになった経営者や社員がたくさん出てきたからです。 もちろんパンデミック下で業績が悪化した企業も数多くありますが、これらの企業が「両利きの経営」の実践を完全にストップさせたかといえば、そうでもないのです。大規模な投資は控えても、新規ビジネス創出への投資はやめていません』、「「両利きの経営」の出版以来、オライリー教授の提唱する「既存事業の深化と新規事業の探索を同時に行う経営手法」は多くの日本企業に取り入れられ、経営のスタンダードになりつつあります」、「自社はもう変われないと思っていたが、必要に迫られるとこれほど自社は変われるのかと実感し、変革に前向きになった経営者や社員がたくさん出てきた」、なるほど。
・『イノベーションが「着想」で終わっている  佐藤 日本では2022年6月24日に「両利きの経営」(増補改訂版)が新たに出版されました。今回、増補改訂版を出版しようと思った動機は何ですか。 オライリー 16年に「両利きの経営」を出版した後、日本とヨーロッパでさらに研究を進めたところ二つの重要な発見があり、これらをぜひとも書き加えたいと思ったからです。 まず一つめの発見は、何をどこまで実現すれば本当にイノベーションを創出したといえるのかを、多くの経営者や管理職が明確に理解していない点です。彼らが「イノベーション」という言葉を使うとき、それはほとんどの場合「アイデアを着想すること」を意味します。 つまり、「社内からイノベーションを起こすには、とにかく社員に新しいアイデアをたくさん提案してもらわなくてはならない」「新規ビジネスのアイデアがたくさん出てくれば、革新的な会社になれる」と思い込んでいるのです。 例えば、18年にある日本の大企業を調査したときのことです。この会社は「デザイン・シンキング」に多くのリソースを割いていて、新規事業開発部門の担当者は「このプロジェクトから新規ビジネスや新製品のアイデアが400以上も生まれたんですよ」と誇らしげに語ってくれました。 ところが実際、アイデアを思いつくだけでは、イノベーションは生まれません。私たちの理論によれば、イノベーションには「着想」(アイディエーション)→「育成」(インキュベーション)→「規模の拡大」(スケーリング)の三つのフェーズがあり、この三つ全てを実現して初めてイノベーションを創出したことになるのです。 私が担当者に、「ではその400のうち、いくつ市場に出し、いくつ事業化したのですか」と聞くと、口ごもってしまいました。つまりこの会社のイノベーションは、三つのフェーズのうちの「着想」で終わっていて、「育成」「規模の拡大」までたどりついていなかったのです。 二つめの発見は、これまで会社を成長させてきた既存事業の企業文化が「両利きの経営」推進の障害にもなり得ることです。なぜなら既存の企業文化は、新規事業部門が必要とする起業家的な文化とは相反することが多いからです。 「両利きの経営」を実現するためには、経営者が意識して「既存事業部門の伝統的な文化」と、「新規事業部門の起業家的な文化」を併存させていかなければなりません。ところが、全く異なる文化を両輪で回すのは容易ではありません。 経営者が相当な覚悟を持って二つの企業文化を管理しなければ、いくら新規事業開発用の新しい組織をつくったとしても、結果的に多くの社員が長いものに巻かれ、保守化してしまう結果となります。 こうした二つの発見をもとに私たちはさらに研究を進め、増補改訂版では、イノベーションの三つの規律(「着想」→「育成」→「規模の拡大」)と「両利きの経営」における組織文化の役割について大幅に加筆しています』、「この会社のイノベーションは、三つのフェーズのうちの「着想」で終わっていて、「育成」「規模の拡大」までたどりついていなかったのです」、「これまで会社を成長させてきた既存事業の企業文化が「両利きの経営」推進の障害にもなり得る」、あり得る話だ。
・『AGCと富士フイルム、2社の変革手法の違いとは  佐藤 「両利きの経営」(増補改訂版)では日本企業のAGC(旧・旭硝子)の事例についても加筆しています。その理由は何ですか。 オライリー 「両利きの経営」ではすでに富士フイルムの事例を取り上げていますが、増補改訂版では新しい日本企業の事例を追加したいと思いました。いくつかの候補の中からAGCを選んだのは、「伝統的な日本企業も変わろうと思えば変われるのだ」という事実を如実に示してくれた事例だったからです。 ご存じのとおりAGCは110年以上もの歴史を持つ長寿企業です。優れたテクノロジーも製造能力もある。ところが、近年は日本の他の製造業と同じようにコモディティー化の問題に直面していました。主力のガラス事業は市場競争にさらされ、伸び悩み、さらに他の既存事業も大きく成長する余地はなさそうな状況でした。 私たちが注目したのは15年に社長に就任した島村琢哉氏(現・AGC取締役兼会長)が、実際にどのように「両利きの経営」を実践していったかです。特に、富士フイルムとの比較で興味深かったのは、変革の手法です。 富士フイルムの古森重隆氏(現・富士フイルムホールディングス最高顧問)がトップダウンで一気に改革を断行していったのに対し、島村氏はトップダウンとボトムアップを併用した手法で時間をかけて改革を進めていった印象があります。このリーダーシップスタイルの違いも面白いと思いました。) 佐藤 トップダウンとボトムアップを併用した手法とは、具体的にはどういうことですか。 オライリー 島村氏が実行した改革の中でも非常に効果的だったと私が評価しているのが、組織文化改革です。島村氏は次の二つを特に意識して実行したと思います。 まず一つめが、「既存事業部門のものづくり文化」と「新規事業部門の起業家的な文化」を両輪で回すことです。全く異なる企業文化の管理はトップにしかできません。 既存事業部門の社員には、AGCの伝統であるものづくり文化を大切にしつつ、生産性の向上とグローバル展開に注力することを奨励し、新規事業部門の社員には、起業家のようなマインドで仕事をしてイノベーションを創出することを奨励しました。 二つめが、最初から中間管理職を企業変革に巻き込むことです。島村氏は中間管理職から会社の戦略について直接、意見を聞くセッションをいくつも設けました。 例えば「2025年のありたい姿」を策定した際には、早い段階から中間管理職が議論に参画し、自社がどの分野に進出すべきかについて意見を述べたと聞きます。自分の意見を社長に直接聞いてもらい、全社戦略に反映されれば、当然のことながら社員のやる気は高まるでしょう』、「「既存事業部門のものづくり文化」と「新規事業部門の起業家的な文化」を両輪で回すことです。全く異なる企業文化の管理はトップにしかできません。 既存事業部門の社員には、AGCの伝統であるものづくり文化を大切にしつつ、生産性の向上とグローバル展開に注力することを奨励し、新規事業部門の社員には、起業家のようなマインドで仕事をしてイノベーションを創出することを奨励しました」、「AGC」の「トップ」は「全く異なる企業文化の管理」をしたとは大したものだ。
・『社名変更が社員にもたらす影響とは  佐藤 AGCは18年に「旭硝子」から社名変更しましたが、社名変更は企業文化の変革にどのような影響をもたらしたと思いますか。 オライリー もちろん社名を変えたからといって、急に会社が変わるわけではありません。しかし社名変更には、社員に「これから私たちの会社は変わります」という強いメッセージを伝える効果があります。 例えば21年、フェイスブックが「メタ・プラットフォームズ」に社名変更しましたが、その主な目的は「これからこの会社はフェイスブック以外のプラットフォーム事業にも注力していく」というメッセージを社員に象徴的に伝えることだと思います。経営陣が新規事業に前向きなことが分かれば、社員は既存のフェイスブック事業の枠組みを超えた新規事業を安心して提案することができます。 経営陣が社員に変革を奨励する手法はいくつもあり、社名の変更は数ある手法の一つにすぎませんが、起業家精神にあふれた社員の能力を生かすために一定の効果があるのは間違いありません。社内で起業したい、新規事業を起こしたいと思っていた社員はますますやる気になるでしょうから。 その意味でもAGCの事例は興味あるものだと思います。私自身は、社名を変え、組織を変え、文化を変えたAGCが今後どのように変わっていくのか、注目しています。この事例は自社を変革したいと考える全てのリーダーにとって興味深いものですので、ぜひ多くの読者に読んでいただきたいです。(チャールズ・オライリー氏の略歴、佐藤智恵氏の略歴はリンク先参照)』、確かに「社名を変え、組織を変え、文化を変えたAGCが今後どのように変わっていくのか、注目」、同感である。

第三に、この続きを、6月28日付けダイヤモンド・オンラインが掲載した作家/コンサルタントの佐藤智恵氏による「NECやAGCにスタンフォードの学生が興味津々の理由、『両利きの経営』著者に聞く チャールズ・オライリー教授インタビュー(後編)」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/282522
・『日本でベストセラーとなったビジネス書『両利きの経営―「二兎を追う」戦略が未来を切り拓く』の増幅改訂版が6月24日に発売された。著者の一人であるスタンフォード大学経営大学院のチャールズ・オライリー教授は、同校の授業でNECやAGCの事例を教えている。スタンフォードの学生たちは日本の長寿企業の改革をどう見ているのか。また、「両利きの経営」を実践する上で欠かせない、経営者必見の五つのポイントについて解説してもらった』、興味深そうだ。
・『「両利きの経営」著者がNECの変革に注目した訳  佐藤智恵 オライリー教授は、スタンフォード大学経営大学院で選択科目「既存組織における起業家的リーダーシップ」を担当しています。授業では、どのような日本企業の事例を取り上げていますか。 チャールズ・オライリー この授業の主題は、「大企業の経営者や管理職は、どうすれば大組織の中で起業家のようなリーダーシップを発揮できるのか」。授業ではNECとAGCの事例を教えています。 NECは日本企業の中でも積極的に「両利きの経営」を実践している会社で、私にとっても非常に興味深い研究対象です。 先ほど、日本の製造業企業が主力製品のコモディティー化の問題に直面していること(前編「『両利きの経営』著者が指摘、日本企業の多くがイノベーションを勘違いしている」参照)をお伝えしましたが、NECも同様の問題を抱え、近年、同社の成長は伸び悩んでいました。 素晴らしい組織能力、技術を持っている。世界市場へ参入していくための諸条件も整っている。顧客インサイトも蓄積されている。ところが、こうした自社の潜在能力をイノベーション創出に生かしきれない状況が続いていたのです。 そこでNECは、既存事業部門とは別に新規事業開発部門を設立し、その部門を核に新たなイノベーションを創出することにしました。2013年には「ビジネスイノベーション統括ユニット」(現・グローバルイノベーションユニット)、18年にはアメリカのシリコンバレーに新会社「NEC X」を立ち上げ、既存事業部門ではできないことに挑戦しようとしてきました。 現在、NECは森田隆之社長のもと、さらに「両利きの経営」を推進しようとしていますが、授業では「あなたがNECの社長だったら、コア事業部門と新規事業部門をどのように併存させていくか」「NECのケイパビリティーをどのように新規事業に生かすか」といったテーマで議論していきます。 佐藤 グローバルイノベーションユニットやNEC Xの存在は、一般社員や中間管理職にどのような影響を与えていると思いますか。 オライリー NECの中間管理職の中には、「私はNECで20年間、この仕事に携わってきた。私は今の仕事が好きだし得意なので、このままこの仕事を続けたい」という人もいるでしょう。私は、それはそれで構わないと思います。 NECにとっては、新規事業を創出することと同じくらい、既存事業を深化させていくことも大切なのです。例えば「三井住友銀行の勘定系システムを構築する」といった仕事がこれからも重要であることに変わりはありませんし、既存事業の仕事が得意な人は既存事業部門で活躍すればよいと思います。 ところがNECの中には、「新規事業の探索をしたい」「新しい事業を立ち上げたい」という社員もたくさんいます。問題は、既存事業部門ではこうした起業家精神にあふれた社員の熱意や能力を受け止めきれないことです。彼らの能力を生かすには、別個の組織が必要なのです。 その意味で私は、グローバルイノベーションユニットやNEC Xはいずれも若い社員ややる気のある社員に活躍の場を与える組織として、重要な役割を果たしていると思います』、「既存事業部門ではこうした起業家精神にあふれた社員の熱意や能力を受け止めきれないことです」、「グローバルイノベーションユニットやNEC Xはいずれも若い社員ややる気のある社員に活躍の場を与える組織として、重要な役割を果たしている」、なるほど。
・『スタンフォードで学んだ起業家精神は大企業で生かされている  佐藤 AGCのケースについては、どのような点に注目して議論するのですか。 オライリー 私がAGCのケースをもとに特に注力して教えているのが、いかに島村琢哉氏(現・AGC取締役兼会長)がボトムアップで組織文化を変革していったかです。 これまでの授業では度々、島村氏をゲストスピーカーとして招聘(しょうへい)しましたが、学生からは「どのようにして社員に変革の必要性を納得してもらったのですか」「日本企業で『両利きの経営』を実践できた秘訣(ひけつ)は何でしょうか」といった質問が相次ぎました。というのも、スタンフォードの学生は一般的に「日本企業は変革するのが難しい」「日本企業の経営者は決断も実行も遅い」という思い込みを持っているからです。 確かにAGCの変革は一朝一夕では実現できません。同社は創業110年以上の歴史の長い企業です。このような企業を変革するのは、並大抵のことではありません。私の見立てでは、少なくとも10年はかかるはずです。 AGCの「両利き戦略」は15年に島村氏が社長に就任したときに本格的に始まり、現在は平井良典社長に引き継がれていますが、この変革の成果は未知数です。つまり、AGCの「両利きの経営」はまだ発展途上なのです。しかし、同社がこれまでやってきたこと、やろうとしていることは理論的にも正しいことは確かです。 授業ではAGCが島村氏や平井氏のもと、どのように変わっていったかをつぶさに見ていきますが、毎回、学生は「このような伝統的な日本企業でも変われるのだ」という事実を知り、感銘を受けています。 佐藤 スタンフォードのデジタル・ネイティブ世代の学生が、NECやAGCといった日本の長寿企業の事例に関心を持っているのは意外な感じがします。どのような理由から興味を持つのだと思いますか。 オライリー スタンフォード大学の卒業生には著名な起業家がたくさんいることから、「スタンフォード大学の学生は皆、起業家志向だ」と思われがちですが、実際は多くの学生が大企業に就職しています。つまり、スタンフォードで学んだ起業家精神は大企業の中で生かされているのです。そのため、「両利きの経営」について学ぶ選択科目は、スタンフォード大学経営大学院の中で最も人気のある講座の一つになっています。 実際のところ、「両利きの経営」は世界中の大企業にとってますます重要になってきています。特に、アメリカでは経営者が自らの報酬を最大化するために短期利益を追求し、場当たり的な戦略を実施した結果、失敗してしまう事例が後を絶ちません。 ヒューレット・パッカード(HP)は、その典型的な事例でしょう。かつては革新的な企業の代名詞であった同社は、度重なるトップの交代と分社化で、今苦境に立たされています。HPの迷走の要因が、長期的な視点で両利きの経営を実践してこなかったことであることは明らかです。 NECやAGCなど日本企業の事例は、HPのような歴史の長い大企業に就職する学生にとって直接、役立つものなのです』、「AGCの変革は一朝一夕では実現できません。同社は創業110年以上の歴史の長い企業です。このような企業を変革するのは、並大抵のことではありません。私の見立てでは、少なくとも10年はかかるはずです」、やはり「歴史の長い企業」には時間がかかるようだ。「「両利きの経営」は世界中の大企業にとってますます重要になってきています。特に、アメリカでは経営者が自らの報酬を最大化するために短期利益を追求し、場当たり的な戦略を実施した結果、失敗してしまう事例が後を絶ちません。 ヒューレット・パッカード(HP)は、その典型的な事例でしょう。かつては革新的な企業の代名詞であった同社は、度重なるトップの交代と分社化で、今苦境に立たされています」、なるほど。
・『「両利きの経営」を成功させるために必要不可欠な五つの条件  佐藤 「両利きの経営」を実践しようとする日本企業の中には、「新規事業部門や新規ビジネスを立ち上げただけで終わってしまう」「経営者が人事にまで踏み込んで改革しなかったため、結局、新規事業部門が保守化してしまった」といった失敗事例も見受けられます。日本企業の経営者にどのようなアドバイスをしますか。 オライリー おっしゃる通り、「両利きの経営」は「言うはやすく行うは難し」で、頭では理解していても、正しく実践するのは難しいものです。なぜなら、経営者に相当な勇気と覚悟が必要だからです。 しかしながら、決して実現不可能なものではありません。私が「両利きの経営」を実践している大企業の経営者に助言しているのは、次の5点です』、「「両利きの経営」を成功させるために必要不可欠な五つの条件」とはどんなものなのだろうか。
・『(1)「両利きの経営」を経営陣が一丸となって推進する  「一丸となって」というところが肝です。例えば、「この専務は新規ビジネス推進派だけれど、この専務は反対派だ」というような状況を社員が察すれば、どうなるでしょうか。「どちらかにつくと今後の自分のキャリアに影響が出るから、ここは黙って、何もしないでおこう」となるでしょう。 いくら社長が「両利きをやる」といっても、自分の経営チームがまとまっていなければ、失敗してしまうのです。あなたが社長であれば、自分の経営チームは全員「両利き」賛成派にしなければなりません。 (2)二つの異なる企業文化を同時に管理する  ここで重要なのは、新規事業部門の起業家的な文化と既存事業部門の伝統的な文化を別々に管理し、間違っても、新規事業部門に伝統的文化が侵食しないようにすることです。さらにはこの二つの部門は、それぞれ文化は違っても、同じ経営理念を共有しなければなりません。つまり一つの経営理念のもと、二つの異なる企業文化を同時に管理していくことが重要なのです』、(1)は当然だろうが、(2)は結構、難しそうだ。
・『(3)新規事業部門は既存事業部門とは別に設立する  新規事業部門の役割は新しい事業の開拓(explore)であり、既存事業部門の役割は現事業の深化(exploit)です。両者は必要なリソースもプロセスも違います。そのため新規事業部門は、既存事業部門とは切り離して設立する必要があるのです。 (4)規模の拡大のためにリソースを投入する  新規ビジネスが軌道に乗り始めたら、拡大のためのリソースを十分に投入することが必要です。既存事業でもうけたお金をリスクの高い新規事業に投入するのは、簡単なようで難しいものです。なぜなら、会社全体の利益も経営者自らの報酬も減ってしまうリスクがあるからです。経営者が勇気をもって投入しなければ、「小さなビジネスがたくさん立ち上がっただけ」で終わってしまいます。 (5)最低5年は「両利き」を続ける  ベンチャー投資家がスタートアップ企業に投資する際、黒字化まで5~7年かかることを前提で投資しますが、大企業が社内事業に投資する際も同じことが言えます。「2年で黒字化しなければ撤退」と言われれば、社員は萎縮してしまい、破壊的なビジネスに挑戦できなくなります。 「両利きの経営」を成功させるための魔法はありません。この5点を実践する勇気が必要なのです』、(3)も当然だろうが、(4)はやはり難しそうで、「経営者」の覚悟が必要なようだ。(5)は果たして「5年」も我慢できるのかと心配になる。
・『トップが保守的だと感じても中間管理職には挑戦をやめないでほしい  佐藤 「両利きの経営」の読者の多くは、中間管理職です。読者の中には、「私が勤めている会社の経営陣は皆、保守的で、どうも両利きの経営を実践してくれそうにない。このままでは会社が傾いてしまうかもしれない」と不安に思っている人もいます。こうした中間管理職の人たちに、どのように助言しますか。 オライリー 「両利きの経営」を成功させるために、最も肝要なのが経営陣のリーダーシップであることは間違いありません。新規事業部門を設立し、必要な資金や人材を投入する決断をするのは経営者です。中間管理職がどれだけ素晴らしい提案をしても、実現するためのリソースや組織がなければ、事業化できません。 そうはいっても、中間管理職の皆さんには挑戦をやめないでほしいのです。中間管理職が「自社では新規事業はできない」と不満を述べている場合、経営者の保守化を言い訳にしているケースが多々見られます。「こんな新規事業をやってみたい」「こんな製品をつくってみたい」と思うなら、まずは下から上にどんどん提案することです。それが上を動かすことにもつながります。 佐藤 今後、研究してみたい日本企業はありますか。 オライリー NEC、AGCのほかにも、パナソニック、ソニー、トヨタ自動車、ホンダ、ANAなど、多くの日本の大企業が今、「両利きの経営」を実践していると聞いています。こうした日本企業の事例はどれも研究対象として興味深いものです。 私もスタンフォードの学生も、日本企業からまだまだ学ぶべきことがたくさんあると実感しています。私は、日本企業の未来については楽観的に見ています。日本企業の強みである製造能力、テクノロジーなどを生かし、長期的な視点でイノベーションを創出していけば、仮に今は成長が停滞していても、必ずまた成長していくと思います。 日本企業は変われないとよく聞きますが、私は、日本企業は「両利きの経営」を成功させることができるし、自力で変わることができると信じています。(チャールズ・オライリー氏の略歴、佐藤智恵氏の略歴はリンク先参照)』、「日本企業の強みである製造能力、テクノロジーなどを生かし、長期的な視点でイノベーションを創出していけば、仮に今は成長が停滞していても、必ずまた成長していくと思います。 日本企業は変われないとよく聞きますが、私は、日本企業は「両利きの経営」を成功させることができるし、自力で変わることができると信じています」、「オライリー氏」の予言が実現してほしいものだ。
タグ:(その4)(マッキンゼー:日本でイノベーションが生まれなくなった真因 新規事業の構築における「5つの罠」と処方箋、『両利きの経営』著者が指摘 日本企業の多くがイノベーションを勘違いしている チャールズ・オライリー教授インタビュー(前編)、NECやAGCにスタンフォードの学生が興味津々の理由 『両利きの経営』著者に聞く チャールズ・オライリー教授インタビュー(後編)) イノベーション 東洋経済オンライン 野崎 大輔 田口 弘一郎 「日本でイノベーションが生まれなくなった真因 新規事業の構築における「5つの罠」と処方箋」 「研究開発費売上高比率」は上昇、「研究者数」も増加しているのに、「特許出願数などで中国に後れを取り始めている」ようだ。 「1人当たり研究開発費」と「特許出願件数」は中国や米国では比例関係がみられるが、日本では「2000年代後半から」インプットを増やしてもアウトプットが増えない、むしろ減ってしまうという壁に突き当たってしまっている」、確かに不思議な「生産性の低下」だ。 「アメリカや中国は、過去20年間で大きく研究開発分野をシフトさせてきた」、他方、「日本の研究開発領域は、過去20年ほとんど変わっていない」、「驚くべき硬直性である」、「アウトプットとしての事業領域がシフトできていない、新たなニーズをうまくとらえた事業を展開できていないために、研究開発も既存の領域にとどまり、結果的に生産性が低下してきてしまっているのではないか」、 「上場企業の新陳代謝は、アメリカに比べ日本は非常に緩やかである。2017年の日経新聞調査によれば、ニューヨーク証券取引所の上場企業における平均寿命・・・は15年であるのに対し、日本取引所上場企業の平均寿命は89年。経営の安定性が高い一方で、新陳代謝が進みにくく、新たな産業領域の開拓は苦手な傾向にある」、「既存企業の中において、新たな事業構築にかかわるマネジメントの行動様式を整え、そして組織としてのスキルを獲得すること(リスキリング)で、企業の新陳代謝を高め、新たな事業領域を切り開くことができるのではないだ 日本企業の新規事業構築「5つのポイント」 (1)「製品開発」の発想で「事業開発」を推進しない 「製品開発から事業開発への考え方の切り替えが、リスキリングの重要な一歩となる」、その通りだろう。 (2)既存事業の物差しで新規事業を見ない 「新規事業については組織を分け、担当役員も完全に分離した上で、新規事業に係る意思決定は既存の経営会議と分けて実施をするのがあるべき姿といえる」、なるほど。 3)新規事業の成功体験を持つ外部人材の活用 「起業経験・VC経験を持つ社外の人材をアドバイザーとして起用したり、短期契約でも新規事業創出のプロセスを一緒にひと回ししてもらい、社内の人材に実体験を蓄積したりすることが効果的」、なかなかいいアイデアだ。 (4)リスキリングを組織として消化する 「新規事業として独立した人事制度・採用枠を作り、必要な人材がクリティカルマスを超えるように、新卒・中途双方での採用を行うべきである」、なるほど。 (5)新規事業=ゼロイチというバイアスの克服 「本当にゼロから立ち上げる新規事業を目指すのであれば、経営陣として覚悟を持ち、外部役員の登用や人事制度の独立など、これまで述べてきたようなドラスティックなやり方を取ってリスキリングも並行して進めていくことが必要となる」、「経営陣として覚悟」が弱ければ、モラルも上がる筈もない。 ダイヤモンド・オンライン 佐藤智恵氏による「『両利きの経営』著者が指摘、日本企業の多くがイノベーションを勘違いしている チャールズ・オライリー教授インタビュー(前編)」 『両利きの経営―「二兎を追う」戦略が未来を切り拓く』の増幅改訂版 「「両利きの経営」の出版以来、オライリー教授の提唱する「既存事業の深化と新規事業の探索を同時に行う経営手法」は多くの日本企業に取り入れられ、経営のスタンダードになりつつあります」、「自社はもう変われないと思っていたが、必要に迫られるとこれほど自社は変われるのかと実感し、変革に前向きになった経営者や社員がたくさん出てきた」、なるほど。 「この会社のイノベーションは、三つのフェーズのうちの「着想」で終わっていて、「育成」「規模の拡大」までたどりついていなかったのです」、「これまで会社を成長させてきた既存事業の企業文化が「両利きの経営」推進の障害にもなり得る」、あり得る話だ。 「「既存事業部門のものづくり文化」と「新規事業部門の起業家的な文化」を両輪で回すことです。全く異なる企業文化の管理はトップにしかできません。 既存事業部門の社員には、AGCの伝統であるものづくり文化を大切にしつつ、生産性の向上とグローバル展開に注力することを奨励し、新規事業部門の社員には、起業家のようなマインドで仕事をしてイノベーションを創出することを奨励しました」、「AGC」の「トップ」は「全く異なる企業文化の管理」をしたとは大したものだ。 、確かに「社名を変え、組織を変え、文化を変えたAGCが今後どのように変わっていくのか、注目」、同感である。 佐藤智恵氏による「NECやAGCにスタンフォードの学生が興味津々の理由、『両利きの経営』著者に聞く チャールズ・オライリー教授インタビュー(後編)」 「既存事業部門ではこうした起業家精神にあふれた社員の熱意や能力を受け止めきれないことです」、「グローバルイノベーションユニットやNEC Xはいずれも若い社員ややる気のある社員に活躍の場を与える組織として、重要な役割を果たしている」、なるほど。 「AGCの変革は一朝一夕では実現できません。同社は創業110年以上の歴史の長い企業です。このような企業を変革するのは、並大抵のことではありません。私の見立てでは、少なくとも10年はかかるはずです」、やはり「歴史の長い企業」には時間がかかるようだ。「「両利きの経営」は世界中の大企業にとってますます重要になってきています。特に、アメリカでは経営者が自らの報酬を最大化するために短期利益を追求し、場当たり的な戦略を実施した結果、失敗してしまう事例が後を絶ちません。 ヒューレット・パッカード(HP)は、その典型的な 「両利きの経営」を成功させるために必要不可欠な五つの条件 (1)「両利きの経営」を経営陣が一丸となって推進する (2)二つの異なる企業文化を同時に管理する (1)は当然だろうが、(2)は結構、難しそうだ。 (3)新規事業部門は既存事業部門とは別に設立する (4)規模の拡大のためにリソースを投入する (5)最低5年は「両利き」を続ける (3)も当然だろうが、(4)はやはり難しそうで、「経営者」の覚悟が必要なようだ。(5)は果たして「5年」も我慢できるのかと心配になる。 「日本企業の強みである製造能力、テクノロジーなどを生かし、長期的な視点でイノベーションを創出していけば、仮に今は成長が停滞していても、必ずまた成長していくと思います。 日本企業は変われないとよく聞きますが、私は、日本企業は「両利きの経営」を成功させることができるし、自力で変わることができると信じています」、「オライリー氏」の予言が実現してほしいものだ。
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メディア(その33)(朝日新聞元エース記者が暴露する朝日新聞政治部シリーズ:(4)内閣官房長官の絶大な権力、「朝日はこうして死んだ」、泉房穂明石市長との対談:このままでは自滅して沈んでいくだけ 大マスコミと政治家・官僚はしょせん「同じ穴のムジナ」なんです) [メディア]

昨日に続いて、メディア(その33)(朝日新聞元エース記者が暴露する朝日新聞政治部シリーズ:(4)内閣官房長官の絶大な権力、「朝日はこうして死んだ」、泉房穂明石市長との対談:このままでは自滅して沈んでいくだけ 大マスコミと政治家・官僚はしょせん「同じ穴のムジナ」なんです)を取上げよう。

先ずは、5月26日付け現代ビジネスが掲載したジャーナリストの鮫島 浩氏による「話題の書『朝日新聞政治部』先行公開第4回〜内閣官房長官の絶大な権力 朝日新聞政治部(4)」を紹介しよう。
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/95522?imp=0
・『「鮫島が暴露本を出版するらしい」「俺のことも書いてあるのか?」――いま朝日新聞社内各所で、こんな会話が交わされているという。元政治部記者の鮫島浩氏が上梓する『朝日新聞政治部』(5月27日発売、現在予約受付中)​は、登場する朝日新聞幹部は全員実名、衝撃の内部告発ノンフィクションだ。 戦後、日本の左派世論をリードし続けてきた、朝日新聞政治部。そこに身を置いた鮫島氏が明かす政治取材の裏側も興味深いが、本書がもっとも衝撃的なのは、2014年に朝日新聞を揺るがした「吉田調書事件」の内幕をすべて暴露していることだ。 7日連続先行公開の第4回は、内閣官房長官が持つ権力の正体を暴き、それに迎合する番記者たちの姿を浮き彫りにする』、「内閣官房長官が持つ権力の正体」とは興味深そうだ。
・『官房長官には総理より多くの情報が集まる  小泉総理は郵政選挙に圧勝した1年後の2006年秋、安倍晋三氏を後継指名して勇退した。安倍総理は塩崎恭久官房長官ら親密な仲間で主要ポストを固め「お友達内閣」と呼ばれたが、スキャンダルが相次いで失速。2007年夏の参院選で惨敗し、過半数を失う。衆参で与野党が逆転する「ねじれ国会」に突入した。 安倍総理は政権を立て直すため、官房長官にベテランの与謝野馨氏を起用した。政治部に復帰した私は官邸クラブに配属され、与謝野氏の担当を命じられた。官房長官番だ。 官房長官は「内閣の要」と言われる。すべての政策や人事に深くかかわる。総理に上がる情報は、その前に官房長官の手で取捨選択される。官房長官には総理より早く多くの情報が集まる。 領収書不要の官房機密費を管理するのも官房長官の権限。長官室の金庫には常に数千万円の現金が保管され、政界対策や世論対策に投入されていく。官房長官が札束を持ち出した翌日には金庫に現金がすぐに補充される。 もうひとつの武器は、毎日午前と午後に官邸で開く官房長官会見だ。この場の発言が政府の公式見解となる。何をどこまで公にするのか、どういう言い回しにするかが、政局や政策の流れを決める。官房長官は記者会見で政治の主導権を握ることができるのだ。 官房長官の権限は絶大だ。ある意味で総理を上回る。霞が関のエリート官僚たちは総理よりも官房長官の顔色をうかがうことが多い。総理としては最も信頼を寄せる政治家、決して裏切らない政治家を起用したい。安倍総理が塩崎氏を起用したのは同世代で親密な仲間だからだった。しかし「お友達内閣」は参院選で惨敗し、政権立て直しのためベテランの与謝野氏を受け入れざるを得なくなったのだ。 与謝野氏は与謝野鉄幹・晶子夫妻の孫としても有名である。東大を卒業した後、日本原子力発電を経て中曽根康弘元総理の秘書となり、政界入りしたサラブレッド。財務省や経済産業省に大きな影響力を持つ経済政策通として評価される一方、ハト派・リベラル派の顔を持ち、マスコミ界との交流も深かった。 官僚でもとりわけ与謝野氏を敬愛していたのが、のちに経産事務次官になる島田隆氏である(岸田政権で事務次官経験者としては異例の首相秘書官に就任した)。島田氏は与謝野氏が通産大臣の時に信頼を獲得。与謝野氏が小泉内閣で竹中平蔵氏の後継の経済財政担当大臣になり、総務大臣に転じた竹中氏と激しい政策論争を繰り広げた時も、側近として仕えた。どんな職務にあろうとも東京・六本木の与謝野邸に早朝から通い、英字新聞を含め与謝野氏が読むべき記事を用意してから職場へ向かうスーパー官僚だった。衆目が一致する与謝野氏の右腕である。与謝野氏の官房長官就任にあわせて秘書官に就任したのは自然の流れだった』、「総理に上がる情報は、その前に官房長官の手で取捨選択される。官房長官には総理より早く多くの情報が集まる。 領収書不要の官房機密費を管理するのも官房長官の権限。長官室の金庫には常に数千万円の現金が保管され、政界対策や世論対策に投入されていく。官房長官が札束を持ち出した翌日には金庫に現金がすぐに補充される。 もうひとつの武器は、毎日午前と午後に官邸で開く官房長官会見だ。この場の発言が政府の公式見解となる」、「総理より早く多くの情報が集まる」、「官房機密費を管理」、「官房長官会見」で「政府の公式見解」、いずれも重要な役割だ。
・『「俺と竹中とどっちが魅力的か、見せてやろう」  私は官房長官番に就任するにあたり、東京・四谷にある与謝野事務所に挨拶に訪ねた。そこへ現れたのが島田氏だった。彼は「あなたのことはよく知っています」と静かに語り、立ちはだかった。与謝野氏が竹中氏と闘っている時、あなたが竹中番として寄り添っていたことを忘れていない、何をしにここへ来たのか、という含意がそこに読み取れた。私は島田氏に気圧され、しばし立ちすくんでいた。 その時である。事務所の奥から、ややしわがれた声が聞こえてきた。 「島田ちゃん、いいじゃないか。通してやれよ。俺と竹中とどっちが魅力的か、見せてやろうじゃないか」 それが与謝野氏だった。大物政治家とはこういうものだ。度量の広さを見せつけ、周囲の者を取り込んでいく。それは「お友達内閣」に最も欠けていた資質かもしれなかった。私は初対面で与謝野氏に惹かれた。きっと島田氏もそうして惹かれていったのだろう。 与謝野官房長官の記者会見の受け答えは味わいがあった。私は政治家を厳しく追及するのが好きだったが、与謝野氏は答えるべきことは答え、かわすべきことは見事にかわした。文学的、芸術的な表現を交えて受け流していく。それでも食い下がる私とのやりとりをまるで楽しんでいるようであった。自らの識見、理解力、答弁力に対する圧倒的な自信の裏返しであったのだろう。 安倍内閣の菅義偉官房長官の対応は対照的だった。何を聞いても「問題ない」「批判は当たらない」の一言ではぐらかす。各社政治部の番記者もそれを許容し、二の矢三の矢を放たない。そこへ乗り込んだ東京新聞社会部の望月衣塑子記者の厳しい追及に対し、菅氏は不快な表情をみせ、司会役の官邸広報室長は質問を妨害し、質問回数に制限を加えた。醜悪だったのは、各社政治部の官房長官番が望月記者の質問を妨害することに抗議せず、それを黙殺し、官邸側に歩調を合わせたことだった』、「与謝野事務所」の「島田氏」は来客を事前にチェックするという意味で秘書としては有能だ。そのやり取りを聞いて、「通してやれよ。俺と竹中とどっちが魅力的か、見せてやろうじゃないか」と言った「与謝野氏」はさすが「大物政治家」らしい。「与謝野氏は答えるべきことは答え、かわすべきことは見事にかわした。文学的、芸術的な表現を交えて受け流していく。それでも食い下がる私とのやりとりをまるで楽しんでいるようであった。自らの識見、理解力、答弁力に対する圧倒的な自信の裏返しであったのだろう」、これに対し、「菅義偉官房長官の対応は対照的だった。何を聞いても「問題ない」「批判は当たらない」の一言ではぐらかす」、「東京新聞社会部の望月衣塑子記者の厳しい追及に対し、・・・司会役の官邸広報室長は質問を妨害し、質問回数に制限を加えた。醜悪だったのは、各社政治部の官房長官番が望月記者の質問を妨害することに抗議せず、それを黙殺し、官邸側に歩調を合わせたことだった」、「各社政治部」の体質を如実に示している。
・『官房長官番という仕事  官房長官番はなぜこうした行動に出るのか。彼らは自民党幹事長番と並んで政治取材の中核である。官房長官と幹事長には政権の重要情報が集約される。番記者がどれだけ情報を取れるかは、各社の政治報道の「勝ち負け」に直結する。 特に官房長官番は激務だ。毎日2回の記者会見は業務の一部でしかない。官房長官には常に15~20社の番記者が張り付く。朝から晩まで政治家や官僚の面会が相次ぐタイトな日程をかいくぐり、他社を出し抜いて情報を得なければならない。官房長官に食い込んだ番記者は深夜や週末にサシで取材する機会を得る。そこで「特ダネ」をもらうこともあるが、そうした番記者はごく一握り。大半の番記者は「特ダネ」を取れなくても最低限こなさなければならない役割がある。「ウラ取り」だ。 官房長官には外交から内政まで政策全般、選挙から国会まで政局全般、さらに公安情報まで、ありとあらゆる情報が集まる。官房長官が総理の意向を踏まえつつ「OK」したものだけが「政府の意思決定」となる。新聞記事で「政府が~という方針を固めた」と表現されているものの多くは、官房長官の裏付け取材を経たものだ。官房長官が「OK」する前の情報を「政府」の主語で報じるのは禁じ手である。「財務省は~」「外務省は~」という主語にするか、「政府内で~の案が浮上した」「政府内で~の検討が進んでいる」という表現にとどめなければミスリードといっていい。 官房長官番は連日、官房長官から「裏付け」を取るようデスクやキャップからプレッシャーを受けている。「○○省の次官に○○氏が内定したと○○省担当記者が言っているから裏を取れ」「○○省が○○法改正案をまとめたというので裏を取れ」「ワシントンから日米首脳会談の日程情報が入ったので裏を取れ」といった具合だ。これを官房長官会見で聞くわけにはいかない。他社にバレてしまう。 激務の官房長官をサシでつかまえるのは難しい。朝晩に電話するしかない。携帯番号を教えてもらい、電話に出てもらえる信頼関係をつくらなければ仕事にならない。官房長官は忙しい。その合間に着信記録をみて折り返してくれる関係をつくらなければ官房長官番は「失格」の烙印を押されてしまう』、「官房長官番は連日、官房長官から「裏付け」を取るようデスクやキャップからプレッシャーを受けている」、「携帯番号を教えてもらい、電話に出てもらえる信頼関係をつくらなければ仕事にならない」、これは大変そうだ。
・『「特オチ」しても譲れなかった信念  与謝野氏のように厳しい質問を楽しむような官房長官ならよい。しかし菅氏のように厳しい質問をする記者を遠ざける官房長官なら、番記者はどうしてもたじろぐ。嫌われて電話に出てもらえなくなれば日常業務を果たせなくなり、「無能な政治記者」として飛ばされてしまう。 菅氏は政治部や番記者の事情を熟知し、「都合の良い記者」と「不都合な記者」への対応を露骨に変えることで自らへの批判を封じ、番記者全体を「防御壁」に仕立てるのが巧妙だった。番記者たちが望月記者の追及から菅氏を守った真相はそこにある。 与謝野氏は就任1ヵ月で、安倍氏が体調不良を理由に入院したまま退陣したため官房長官を退いた。現職総理が入院するという緊急事態で、与謝野氏の裁きぶりはフェアだった。連日記者会見で丁寧に病状を説明した。その間、安倍後継を決める政局とは一線を画し、次の福田康夫内閣では要職から身を引いた。小渕恵三総理が病に倒れた時に青木幹雄官房長官ら「五人組」が情報をひた隠しにして密室で森喜朗氏を後継総理に決めたことや、安倍総理が入院した際に菅官房長官が総裁選に出馬して勝利したことと比べると、与謝野氏の振る舞いは清廉だった。 私は官房長官番になるにあたり、上司にひとつお願いをした。番記者として官房長官と対等な関係をつくるには、電話で頭を下げて裏付け取材をするわけにはいかない日があることを認めてほしい、ということだった。官房長官会見で厳しく追及した夜に電話して「これを確認させてください」とお願いするようでは、対等な関係はつくれない。「特オチ」してもやせ我慢し、緊張関係を保つことが重要だ。だが、政治取材の要である官房長官番がそうした態度を貫けば、朝日新聞は「特オチ」を繰り返し、番記者だけの問題ではなくなる。政治部としてそれを許容する覚悟が必要であった。 当時の上司は私の願いを受け入れた。私は与謝野氏の後を受け継いだ町村信孝氏まで2代にわたって官房長官番を務めたが、決してへりくだらなかった。与謝野氏も町村氏もそんな私を拒まなかった。記者との緊張関係をギリギリ保っていた時代の政治家だった』、「菅氏は政治部や番記者の事情を熟知し、「都合の良い記者」と「不都合な記者」への対応を露骨に変えることで自らへの批判を封じ、番記者全体を「防御壁」に仕立てるのが巧妙だった。番記者たちが望月記者の追及から菅氏を守った真相はそこにある」、「番記者全体を「防御壁」に仕立てる」とは高度な技だ。「官房長官会見で厳しく追及した夜に電話して「これを確認させてください」とお願いするようでは、対等な関係はつくれない。「特オチ」してもやせ我慢し、緊張関係を保つことが重要だ。だが、政治取材の要である官房長官番がそうした態度を貫けば、朝日新聞は「特オチ」を繰り返し、番記者だけの問題ではなくなる。政治部としてそれを許容する覚悟が必要であった。 当時の上司は私の願いを受け入れた。私は与謝野氏の後を受け継いだ町村信孝氏まで2代にわたって官房長官番を務めたが、決してへりくだらなかった。与謝野氏も町村氏もそんな私を拒まなかった。記者との緊張関係をギリギリ保っていた時代の政治家だった」、「特オチ」を覚悟した「朝日新聞政治部」も大したものだ。「与謝野氏も町村氏もそんな私を拒まなかった。記者との緊張関係をギリギリ保っていた時代の政治家だった」、そんな政治家が少なくなっているのだろうが、寂しいことだ。

次に、6月11日付け現代ビジネスが掲載したジャーナリストの鮫島 浩氏による「元朝日新聞エース記者が衝撃の暴露「朝日はこうして死んだ」 『朝日新聞政治部』著者が明かす」を紹介しよう。
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/95754?imp=0
・『巨大組織が現場社員に全責任を押し付ける。メディアが一斉に非難を浴びせるような出来事が、あの朝日新聞で行われた。大企業が陥った「危機管理の失敗」を、エース記者が精緻な目線で内部告発する』、興味深そうだ。
・『社長も大喜びだったのに  隠蔽、忖度、追従、保身、捏造、裏切り。 メディアが政権を責め立てるとき、頻繁に使われる言葉だ。だが、権力批判の急先鋒たる朝日新聞にこそ、向けられるべき指摘だという。元朝日新聞記者の鮫島浩氏(50歳)はこう振り返る。 「'14年9月11日、木村(伊量)社長(当時)が『吉田調書』報道を取り消したことで、朝日新聞は死んだと思っています。同時に、私の会社員人生は一瞬にして奈落の底へ転落してしまいました」 5月27日に刊行された『朝日新聞政治部』が大きな話題になっている。大新聞が凋落する様子が登場人物の実名とともに生々しく描かれたノンフィクションだ。 著者で政治部出身の鮫島氏は、与謝野馨元財務相や古賀誠元自民党幹事長などの大物政治家に食い込み、数々のスクープを放ったエース記者だった。なぜ大手新聞社の中枢に身を置いた彼が「内部告発」をするのか。そして、なぜ朝日新聞は「死んだ」と言えるのか』、どういうことなのだろう。
・『原発事故報道でスクープを連発  時計の針を'12年に巻き戻そう。当時、政治部デスクだった鮫島氏は、先輩に誘われて特別報道部に異動した。 特別報道部は、'05年に朝日新聞の記者が田中康夫元長野県知事の発言を捏造した「虚偽メモ事件」をきっかけに創設されたチームだ。政治部や経済部などから記者を集めて調査報道に専従させる。'11年に起きた東日本大震災と原発事故で、調査報道の重要性が見直されていた頃だった。鮫島氏が加わった特別報道部は、原発事故の報道で輝かしい結果を残していく。 福島第一原発周辺で行われている国の除染作業をめぐり、一部の請負業者が除染で集めた土や洗浄で使った水などを、回収せずに山や川に捨てている様子を取り上げた「手抜き除染」は'13年の新聞協会賞を受賞した。 もっとも世間の注目を集めたのは、「吉田調書」報道だ。福島第一原発元所長の吉田昌郎氏が政府事故調査委員会の聴取に応じた記録を独自入手し、事故対応の問題点を報じたのだ。記事を手がけたのは、特別報道部の記者3人と担当デスクを務めた鮫島氏のチームだった』、「福島第一原発元所長の吉田昌郎氏が政府事故調査委員会の聴取に応じた記録を独自入手し、事故対応の問題点を報じた」のであれば、極めて重要性の高いものだ。
・『木村社長も大興奮、しかし……  このスクープは、'14年5月20日の朝刊1面と2面で大展開された。第一報では、「朝日新聞が吉田調書を独自入手したこと」、「吉田所長は第一原発での待機を命じていたのに、所員の9割が命令に違反し、第二原発に撤退していたこと」が主に報じられた。 報道直後から社内外では大反響が広がった。当時の朝日新聞社内の様子を著書から抜粋しよう。 〈朝日新聞社内は称賛の声に包まれた。市川誠一特別報道部長は「木村社長が大喜びしているぞ。社長賞を出す、今年の新聞協会賞も間違いないと興奮している」と声を弾ませていた〉 吉田調書報道を主導していた鮫島氏は、絶頂の真っ只中にいた。社内では多くの社員から取り囲まれて握手攻めにあい、同僚たちから祝福のメールが届いた。 特別報道部と鮫島氏が、わずか4ヵ月後に転落するとは誰も思わなかっただろう。 絶頂にあった特別報道部に対して、木村伊量社長らはまるで「手のひら返し」をするように冷淡になってゆく。そして事態は、特集記事「慰安婦問題を考える」の掲載をきっかけに急展開するのだった。特別報道部と鮫島氏を待ち受ける過酷な運命を、後編記事「なぜ朝日新聞は『読者に見捨てられる』のか? 元朝日スクープ記者が明かす」でお伝えする』、「後編記事」は見当たらないので推測する他ないが、「所員の9割が命令に違反し、第二原発に撤退していた」、となると、公式見解と矛盾するので、撤回すべきとの圧力がかかり、「木村伊量社長」が撤回させたのだろうか。

第三に、7月9日付け現代ビジネスが掲載した泉房穂明石市長と鮫島浩氏との記念対談「泉房穂×鮫島浩(2)」を紹介しよう。
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/97116?imp=0
・『このままでは自滅して沈んでいくだけ 大マスコミと政治家・官僚はしょせん「同じ穴のムジナ」なんです:新刊『朝日新聞政治部』が話題の政治記者・鮫島浩氏と、市長にして全国区の人気を誇る泉房穂明石市長の対談第2回をお届けする。 テーマはズバリ、「なぜ大手マスコミはダメになってしまったのか」。 泉市長もNHK出身だけに、お互いの古巣への苦言も交えてトークがヒートアップ! すべて本音の辛口対談をお楽しみください。(この対談の動画を鮫島タイムスYouTubeで公開しています)』、「泉房穂明石市長」の存在は初めて知ったが、興味深そうだ。
・『なんでテレビは思い込みのデタラメを報じるの!?  鮫島 泉さんは毎日何度もツイッターで発信していますが、メディアの報道姿勢に対しては、かなり辛辣ですよね。つい先日(6月23日)も、独自の施策により出生率を上げた明石市を紹介した『ひるおび』(TBS系)に対して、随分お怒りでした。 泉 はい。昼のワイドショーは基本的に取材に来ないんです。適当にパネルを作って放送してしまう。それで、毎度のことなのですが、勝手に番組内で明石市が扱われて、間違った事実を流されてしまう。そんなケースばかり。 あの時も「18歳以下の医療費無料」、「1歳誕生月までおむつ無料」、「中学校の給食無料」など、明石市が進めている施策を紹介しつつ、それができているのは市の職員の給与をカットしているから、などと事実誤認だらけの内容を放送していたので、ツイッターで反論しました。 泉 我々明石市は、誰かに犠牲やしわ寄せが行かない形で、こども施策を進めようとしているのです。でもそれをマスコミは認めようとしない。 「そんなにうまくいくはずない」「どっかにしわ寄せがいってるはずだ」との想定のもと、何か問題が起きているかのように、ろくに取材もせずに進めていく。 それ、思い込みだから! 鮫島 放送の翌朝には、明石市職員の平均給与が、兵庫県内の他の市町に比べて低くないことをデータで示し、反撃されてましたね。 私は昨年、27年間勤めた朝日新聞を辞め、新たに立ち上げた自分自身のメディア「鮫島タイムス」を中心に活動しているのですが、今回の参院選で一種のチャレンジングな試みをしています。れいわ新選組に思いっきり肩入れしているんです。 大手メディアでは、まずありえませんよね。「ジャーナリストが、特定の政党に肩入れしていいのか」という抗議ももちろん来ます。 でも、欧米では大手メディアやジャーナリストが、支持政党を明確に打ち出すことは、まったく珍しいことではない。 もともとNHKにいらした泉さんは、その辺りどうお考えですか? 泉 日本がどうかしてるだけです。日本では、宗教と政治の話はタブーだとよく言われますけど、タブーとして遠ざけるだけでは、良くなるはずがない。 海外なら、CNNにしてもニューヨークタイムズにしても、メディアが自分の立場を鮮明にしますよね。スタンスをきちんと説明して、視聴者や読者に判断してもらえば、それでいいと思います』、「我々明石市は、誰かに犠牲やしわ寄せが行かない形で、こども施策を進めようとしているのです。でもそれをマスコミは認めようとしない。 「そんなにうまくいくはずない」「どっかにしわ寄せがいってるはずだ」との想定のもと、何か問題が起きているかのように、ろくに取材もせずに進めていく」、マスコミの姿勢は余りに酷い。「明石市」が反論するのは当然だ。
・『政治家も官僚も朝日新聞も「同じ穴のムジナ」  鮫島 私は新聞社にいた時から、「客観中立報道」というものに、ずっと疑問を感じていました。 泉 「中立」なんてないです、ウソですよ! 客観中立なんて、今をヌクヌクと生きている人たちの言い分です。「自分たちは現状維持を望む」と宣言してるのと同じですから。 明石市に取材に来たマスコミに「泉さんは、参院選で誰も応援しませんよね?」と聞かれました。「泉さんが、誰かを応援したら放送できません」だって。 何なの、それ。市長だって政治家の端くれですよ? 選挙で誰も応援するなって、どういうことなんですかね。 鮫島 実際、今回の選挙で泉さんは思いっきり応援してますよね。ツイッターを見ていて驚きました。「特定の政党は支持しない」と前置きしながら、応援したい議員として自見はなこさん(自民党)と矢田わか子さん(国民民主党)の名前を上げておられた。 鮫島 一緒に子供問題に取り組んでいる、この二人だけは当選してほしいと。 〈全国比例区に「国民民主党」と書こうと思っておられる方は、政党名ではなく、『矢田わか子』と個人名を書いていただきたい〉というメッセージを見て、「こんな市長いるのか」と衝撃を受けるとともに、非常に共感しました。 私がれいわ新選組に応援メッセージの動画を送ったことも、泉市長の考えと重なります。立場はそれぞれ違っても、何か実現したいことのために、リスクを背負ってでも特定の政治家を応援する。 でも、大手メディアは選挙なんて対岸の火事で、安全なところから見ているだけ。このように既存のジャーナリズムが当事者性を失ったから、多くの人から見放されているんじゃないかと。泉さんはどう思いますか? 泉 私は、誰かれ構わず噛み付くのではなく、政治家・官僚・マスコミに、特に辛口なんです。なぜかというと、彼らに期待しているからです。 彼らには力があるじゃないですか。権力がある。その力を使って、本来やるべきことが山ほどあるのに、全然やらないから、つい辛口になってしまう。 マスコミの中でも特に手厳しくなるのは、NHKと朝日新聞に対してです。 NHKは古巣ですし、朝日新聞には友達が多い。結局ね、東大とか京大とか、その辺りの出身者が多いんですよ。 政治家も官僚もNHKも朝日新聞も「同じ穴のムジナ」というのが私の持論です。ちょっと行き先が分かれただけ。「みんな裏で飲み会やってるんちゃうか」みたいな話ですよ。 朝日新聞なんて、政権にチクリとやってる風の見世物をやり続けてるでしょ。それを見ていると、「あなたたち、本気で社会をよくしたいんですか?」「社会を変える気あるんですか?」「変える気があるフリだけしてるんとちゃいますか?」と思ってしまう。 それで、「やるなら本気でやれよ」と、ついカッカしてしまうんです。 鮫島 今日、初めてお会いしましたが、ほとんど意見が同じです(笑)。 泉 フリをしてるだけだから、バレないうちはいいけど、本当に危うい局面になったら保身に走るわけです。 そしてその時に「フリをしていただけ」という正体がバレてしまう』、「泉 私は、誰かれ構わず噛み付くのではなく、政治家・官僚・マスコミに、特に辛口なんです。なぜかというと、彼らに期待しているからです。 彼らには力があるじゃないですか。権力がある。その力を使って、本来やるべきことが山ほどあるのに、全然やらないから、つい辛口になってしまう。 マスコミの中でも特に手厳しくなるのは、NHKと朝日新聞に対してです。 NHKは古巣ですし、朝日新聞には友達が多い。結局ね、東大とか京大とか、その辺りの出身者が多いんですよ。 政治家も官僚もNHKも朝日新聞も「同じ穴のムジナ」というのが私の持論です。ちょっと行き先が分かれただけ。「みんな裏で飲み会やってるんちゃうか」みたいな話ですよ。 朝日新聞なんて、政権にチクリとやってる風の見世物をやり続けてるでしょ。それを見ていると、「あなたたち、本気で社会をよくしたいんですか?」「社会を変える気あるんですか?」「変える気があるフリだけしてるんとちゃいますか?」と思ってしまう。 それで、「やるなら本気でやれよ」と、ついカッカしてしまうんです」、なるほど。
・『新聞・テレビは時代に取り残されている  鮫島 『朝日新聞政治部』に詳しく書きましたが、本当に泉さんのおっしゃる通りです。しょせんはエリートの社員たちが、安全地帯にいながら「権力批判をしているフリ」をしているだけ。いざとなったら腰砕けになって保身に走る。そういう醜い姿をたくさん見てきました。 SNSやインターネットメディアの台頭が、マスコミの「やってるフリ」を完全にバラしたと言えます。 インターネットを通じて誰もが情報を発信できるようになり、茶番が可視化されてしまった。政治家も官僚もマスコミも、完全に“あちら側”の人たちで、自分たちのことしか考えずに、既得権益を守っている。それが、明るみに出てしまった。 泉 私も実感してます。みんなが平等に発信できる、ツイッターとかフェイスブックは、本当にすごいですね。これまでは、一部の特権階級だけが情報を握っていて、民衆はそれを待っているしかなかった。 でも、皆がお互いに発信し合うと、「あ、実はそういうことだったのね」と、すぐに物事の本質にたどり着ける。 鮫島 ネット社会のスピード感は、完全に既存のマスコミを置き去りにしています。 朝日新聞のオピニオン編集部にいたことがありますが、オピニオンっていうからには、本来は最先端を行かなきゃいけない。 でも尖ってたり、批判が出るような意見は叩かれる危険性があるので、まずネット世論を見るんです。そしたら、案の定、ツイッター上ですでに殴り合いのような議論が起きていて、もう勝者が決まってたりする。 新聞やテレビは、その勝者を呼んでくるわけです。つまり、新聞・テレビに出てきた時点で、実は論争はもう終わってる。新聞・テレビは時代についていけてないんです。 泉 たしかに最近の新聞は、ネットでひと昔前に話題になったことを、堂々と報じているように見えます。 あと、新聞は社説が特に恥ずかしいね。あらゆる方面に気を使いすぎて、もはや、何も言っていない。バランスを取ろうとして、とりあえず両論併記してみたり。あれなら書かないほうがマシ。 大マスコミの建前にみんなが気付き、飽き飽きしてる。いまやメディアにも本音が求められていると思います』、「SNSやインターネットメディアの台頭が、マスコミの「やってるフリ」を完全にバラしたと言えます。 インターネットを通じて誰もが情報を発信できるようになり、茶番が可視化されてしまった。政治家も官僚もマスコミも、完全に“あちら側”の人たちで、自分たちのことしか考えずに、既得権益を守っている。それが、明るみに出てしまった」、「新聞は社説が特に恥ずかしいね。あらゆる方面に気を使いすぎて、もはや、何も言っていない。バランスを取ろうとして、とりあえず両論併記してみたり。あれなら書かないほうがマシ。 大マスコミの建前にみんなが気付き、飽き飽きしてる。いまやメディアにも本音が求められていると思います」、手厳しい批判である。
・『マスコミは自ら変わらないと沈んでいくだけ  鮫島 本当におっしゃるとおりです。結局のところ、マスコミの中に、本気で怒ったり、本気で「これはやるべきだ」と思っている人が、ほとんどいなくなってるんだと思います。 残念ながら、朝日新聞の記者の8割以上は、そもそもやりたいことがないというか、保身しか考えていなかった。 「自分が出世したい」とか、「社内の立場を守りたい」と考える人たちにとっては、抗議がくるような原稿はリスクでしかないんです。それで、リスクを回避するために、無難に「やってる感」を出すだけの記事をつくるから、両論併記だらけになるんです。 本当に訴えたいことがあればリスクを背負っても攻めるはずですが、そもそも伝えたいことがないから、リスクを負う勇気も持てない。 社会に対する不条理とか不公平に対して、怒りを感じない人は、ジャーナリストに向いていないと思います。 泉 先ほど、政治家・官僚・マスコミの人たちは「同じ穴のムジナ」と言いました。彼らの多くは、そこそこの家庭に生まれ、進学校に行って、有名大学を出ている。実は、極端に狭い世界の中で生きてきてるので、自分たち以外の世界に生きている他者を知らないんです。 そして、その他者を想像する能力もなくなってきてるように感じます。 鮫島 それはあるでしょうね。私も京都大学ですが、相当貧しい母子家庭に育ったので、「生き延びるために相手の真意を読む」という習性が子供の頃からついていた。それが政治記者として役に立ったと思います。 今の記者は、すぐに騙されるんですよ。森友事件みたいなことがあっても政府や役所の発表が事実だと信じる記者もいる。 相手は権力なのに、疑ってみるということもない。「裏を取る」というのは「役所に聞く」ことだと思っている記者すらいます。 泉 そうですよね! 私も体験しました。デタラメを書いた記者に「裏を取ったのか」と聞くと、「取りました」と言うんです。そんなバカなと思っていたけど、あれは「厚労省に確認しました」という意味だったのですね。 鮫島 当局に聞くことが裏取りだと思ってるんです。それぐらいひどい状況です。政府が言ってることを信じてしまう。 政治記者は政治家が口を開いたら「ウソじゃないか」と疑うのが基本なんです。だけどウソを見抜く力は教科書読んでも身につかないんですよね。 泉 マスコミが自問自答して、変わらなきゃいけない時代が来ている。昔の感覚でやっていけるわけがない。変わらないと沈む一方だと思います。ちょっと手厳しい言い方になりましたが、私からのエールのつもりです。 政治家と官僚とマスコミが、いい意味で緊張感のある関係でないと、この国の未来もありませんから。 次回は『いよいよ参院選投票当日!緊迫の最終回』。明日更新です』、「残念ながら、朝日新聞の記者の8割以上は、そもそもやりたいことがないというか、保身しか考えていなかった。 「自分が出世したい」とか、「社内の立場を守りたい」と考える人たちにとっては、抗議がくるような原稿はリスクでしかないんです。それで、リスクを回避するために、無難に「やってる感」を出すだけの記事をつくるから、両論併記だらけになるんです。 本当に訴えたいことがあればリスクを背負っても攻めるはずですが、そもそも伝えたいことがないから、リスクを負う勇気も持てない。 社会に対する不条理とか不公平に対して、怒りを感じない人は、ジャーナリストに向いていないと思います」、「マスコミが自問自答して、変わらなきゃいけない時代が来ている。昔の感覚でやっていけるわけがない。変わらないと沈む一方だと思います。ちょっと手厳しい言い方になりましたが、私からのエールのつもりです。 政治家と官僚とマスコミが、いい意味で緊張感のある関係でないと、この国の未来もありませんから」、全く同感である。 
タグ:現代ビジネス メディア (その33)(朝日新聞元エース記者が暴露する朝日新聞政治部シリーズ:(4)内閣官房長官の絶大な権力、「朝日はこうして死んだ」、泉房穂明石市長との対談:このままでは自滅して沈んでいくだけ 大マスコミと政治家・官僚はしょせん「同じ穴のムジナ」なんです) 鮫島 浩氏による「話題の書『朝日新聞政治部』先行公開第4回〜内閣官房長官の絶大な権力 朝日新聞政治部(4)」 「内閣官房長官が持つ権力の正体」とは興味深そうだ。 「総理に上がる情報は、その前に官房長官の手で取捨選択される。官房長官には総理より早く多くの情報が集まる。 領収書不要の官房機密費を管理するのも官房長官の権限。長官室の金庫には常に数千万円の現金が保管され、政界対策や世論対策に投入されていく。官房長官が札束を持ち出した翌日には金庫に現金がすぐに補充される。 もうひとつの武器は、毎日午前と午後に官邸で開く官房長官会見だ。この場の発言が政府の公式見解となる」、「総理より早く多くの情報が集まる」、「官房機密費を管理」、「官房長官会見」で「政府の公式見解」、いずれも 「与謝野事務所」の「島田氏」は来客を事前にチェックするという意味で秘書としては有能だ。 そのやり取りを聞いて、「通してやれよ。俺と竹中とどっちが魅力的か、見せてやろうじゃないか」と言った「与謝野氏」はさすが「大物政治家」らしい。「与謝野氏は答えるべきことは答え、かわすべきことは見事にかわした。文学的、芸術的な表現を交えて受け流していく。それでも食い下がる私とのやりとりをまるで楽しんでいるようであった。自らの識見、理解力、答弁力に対する圧倒的な自信の裏返しであったのだろう」、 これに対し、「菅義偉官房長官の対応は対照的だった。何を聞いても「問題ない」「批判は当たらない」の一言ではぐらかす」、「東京新聞社会部の望月衣塑子記者の厳しい追及に対し、・・・司会役の官邸広報室長は質問を妨害し、質問回数に制限を加えた。醜悪だったのは、各社政治部の官房長官番が望月記者の質問を妨害することに抗議せず、それを黙殺し、官邸側に歩調を合わせたことだった」、「各社政治部」の体質を如実に示している。 「官房長官番は連日、官房長官から「裏付け」を取るようデスクやキャップからプレッシャーを受けている」、「携帯番号を教えてもらい、電話に出てもらえる信頼関係をつくらなければ仕事にならない」、これは大変そうだ。 「菅氏は政治部や番記者の事情を熟知し、「都合の良い記者」と「不都合な記者」への対応を露骨に変えることで自らへの批判を封じ、番記者全体を「防御壁」に仕立てるのが巧妙だった。番記者たちが望月記者の追及から菅氏を守った真相はそこにある」、「番記者全体を「防御壁」に仕立てる」とは高度な技だ。 「官房長官会見で厳しく追及した夜に電話して「これを確認させてください」とお願いするようでは、対等な関係はつくれない。「特オチ」してもやせ我慢し、緊張関係を保つことが重要だ。だが、政治取材の要である官房長官番がそうした態度を貫けば、朝日新聞は「特オチ」を繰り返し、番記者だけの問題ではなくなる。政治部としてそれを許容する覚悟が必要であった。 当時の上司は私の願いを受け入れた。私は与謝野氏の後を受け継いだ町村信孝氏まで2代にわたって官房長官番を務めたが、決してへりくだらなかった。与謝野氏も町村氏もそんな私を拒ま 鮫島 浩氏による「元朝日新聞エース記者が衝撃の暴露「朝日はこうして死んだ」 『朝日新聞政治部』著者が明かす」 どういうことなのだろう。 「福島第一原発元所長の吉田昌郎氏が政府事故調査委員会の聴取に応じた記録を独自入手し、事故対応の問題点を報じた」のであれば、極めて重要性の高いものだ。 「後編記事」は見当たらないので推測する他ないが、「所員の9割が命令に違反し、第二原発に撤退していた」、となると、公式見解と矛盾するので、撤回すべきとの圧力がかかり、「木村伊量社長」が撤回させたのだろうか。 泉房穂明石市長と鮫島浩氏との記念対談「泉房穂×鮫島浩(2)」 「泉房穂明石市長」の存在は初めて知ったが、興味深そうだ。 「我々明石市は、誰かに犠牲やしわ寄せが行かない形で、こども施策を進めようとしているのです。でもそれをマスコミは認めようとしない。 「そんなにうまくいくはずない」「どっかにしわ寄せがいってるはずだ」との想定のもと、何か問題が起きているかのように、ろくに取材もせずに進めていく」、マスコミの姿勢は余りに酷い。「明石市」が反論するのは当然だ。 「泉 私は、誰かれ構わず噛み付くのではなく、政治家・官僚・マスコミに、特に辛口なんです。なぜかというと、彼らに期待しているからです。 彼らには力があるじゃないですか。権力がある。その力を使って、本来やるべきことが山ほどあるのに、全然やらないから、つい辛口になってしまう。 マスコミの中でも特に手厳しくなるのは、NHKと朝日新聞に対してです。 NHKは古巣ですし、朝日新聞には友達が多い。結局ね、東大とか京大とか、その辺りの出身者が多いんですよ。 政治家も官僚もNHKも朝日新聞も「同じ穴のムジナ」というのが私の 朝日新聞なんて、政権にチクリとやってる風の見世物をやり続けてるでしょ。それを見ていると、「あなたたち、本気で社会をよくしたいんですか?」「社会を変える気あるんですか?」「変える気があるフリだけしてるんとちゃいますか?」と思ってしまう。 それで、「やるなら本気でやれよ」と、ついカッカしてしまうんです」、なるほど。 「SNSやインターネットメディアの台頭が、マスコミの「やってるフリ」を完全にバラしたと言えます。 インターネットを通じて誰もが情報を発信できるようになり、茶番が可視化されてしまった。政治家も官僚もマスコミも、完全に“あちら側”の人たちで、自分たちのことしか考えずに、既得権益を守っている。それが、明るみに出てしまった」、「新聞は社説が特に恥ずかしいね。あらゆる方面に気を使いすぎて、もはや、何も言っていない。バランスを取ろうとして、とりあえず両論併記してみたり。あれなら書かないほうがマシ。 大マスコミの建前に 「残念ながら、朝日新聞の記者の8割以上は、そもそもやりたいことがないというか、保身しか考えていなかった。 「自分が出世したい」とか、「社内の立場を守りたい」と考える人たちにとっては、抗議がくるような原稿はリスクでしかないんです。それで、リスクを回避するために、無難に「やってる感」を出すだけの記事をつくるから、両論併記だらけになるんです。 本当に訴えたいことがあればリスクを背負っても攻めるはずですが、そもそも伝えたいことがないから、リスクを負う勇気も持てない。 社会に対する不条理とか不公平に対して、怒りを感 社会に対する不条理とか不公平に対して、怒りを感じない人は、ジャーナリストに向いていないと思います」、「マスコミが自問自答して、変わらなきゃいけない時代が来ている。昔の感覚でやっていけるわけがない。変わらないと沈む一方だと思います。ちょっと手厳しい言い方になりましたが、私からのエールのつもりです。 政治家と官僚とマスコミが、いい意味で緊張感のある関係でないと、この国の未来もありませんから」、全く同感である。
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メディア(その32)(朝日新聞元エース記者が暴露する朝日新聞政治部シリーズ:(1)「吉田調書事件」とは何だったのか、(2)「吉田調書事件」とは何だったのか、(3)小渕恵三首相「沈黙の10秒」) [メディア]

メディアについては、5月29日に取上げた。今日は、(その32)(朝日新聞元エース記者が暴露する朝日新聞政治部シリーズ:(1)「吉田調書事件」とは何だったのか、(2)「吉田調書事件」とは何だったのか、(3)小渕恵三首相「沈黙の10秒」)である。

先ずは、5月23日付け現代ビジネスが掲載したジャーナリストの鮫島 浩氏による「元エース記者が暴露する「朝日新聞の内部崩壊」〜「吉田調書事件」とは何だったのか(1)朝日新聞政治部(1)」を紹介しよう。
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/95386?imp=0
・『「鮫島が暴露本を出版するらしい」「俺のことも書いてあるのか?」――いま朝日新聞社内各所で、こんな会話が交わされているという。元政治部記者の鮫島浩氏が上梓した​『朝日新聞政治部』は、登場する朝日新聞幹部は全員実名、衝撃の内部告発ノンフィクションだ。 戦後、日本の左派世論をリードし続けてきた、朝日新聞政治部。そこに身を置いた鮫島氏が明かす政治取材の裏側も興味深いが、本書がもっとも衝撃的なのは、2014年に朝日新聞を揺るがした「吉田調書事件」の内幕をすべて暴露していることだ。 今日から7回連続で、本書の内容を抜粋して紹介していく』、興味深そうだ。
・『夕刊紙に踊る「朝日エリート誤報記者」の見出し  2014年秋、私は久しぶりに横浜の中華街へ妻と向かった。息苦しい都心からとにかく逃れたかった。 朝日新聞の特別報道部デスクを解任され、編集局付という如何にも何かをやらかしたような肩書を付与され、事情聴取に呼び出される時だけ東京・築地の本社へ出向き、会社が下す沙汰を待つ日々だった。蟄居謹慎(ちっきょきんしん)とはこういう暮らしを言うのだろう。駅売りの夕刊紙には「朝日エリート誤報記者」の見出しが躍っていた。私のことだった。 ランチタイムを過ぎ、ディナーにはまだ早い。ふらりと入った中華料理店はがらんとしていた。私たちは円卓に案内された。注文を終えると、二胡を抱えたチャイナドレスの女性が私たちの前に腰掛け、演奏を始めた。私は紹興酒を片手に何気なく聴き入っていたが、ふと気づくと涙が溢れている。 「なぜ泣いているの?」 二胡の音色をさえぎる妻の声で私はふと我に返った。人前で涙を流したことなんていつ以来だろう。ちょっと思い出せないな。これからの私の人生はどうなるのだろう。 朝日新聞社は危機に瀕していた。私が特別報道部デスクとして出稿した福島原発事故を巡る「吉田調書」のスクープは、安倍政権やその支持勢力から「誤報」「捏造」と攻撃されていた。政治部出身の木村伊量社長は、過去の慰安婦報道を誤報と認めたことや、その対応が遅すぎたと批判する池上彰氏のコラム掲載を社長自ら拒否した問題で、社内外から激しい批判を浴びていた。 「吉田調書」「慰安婦」「池上コラム」の三点セットで朝日新聞社は創業以来最大の危機に直面していたのである。特にインターネット上で朝日バッシングは燃え盛っていた。 木村社長は驚くべき対応に出た。2014年9月11日に緊急記者会見し、自らが矢面に立つ「慰安婦」「池上コラム」ではなく、自らは直接関与していない「吉田調書」を理由にいきなり辞任を表明したのである。さらにその場で「吉田調書」のスクープを誤報と断定して取り消し、関係者を処罰すると宣告したのだ。 寝耳に水だった。 その後の社内の事情聴取は苛烈を極めた。会社上層部はデスクの私と記者2人の取材チームに全責任を転嫁しようとしていた。5月に「吉田調書」のスクープを報じた後、木村社長は「社長賞だ、今年の新聞協会賞だ」と絶賛し、7月には新聞協会賞に申請した。ところが9月に入って自らが「慰安婦」「池上コラム」で窮地に追い込まれると、手のひらを返したように態度を一変させたのである』、「木村社長は「社長賞だ、今年の新聞協会賞だ」と絶賛し、7月には新聞協会賞に申請」、それを手の平を返して「辞任を表明」とは、全く節操がない人物だ。
・『私がどんな「罪」に問われていたか  巨大組織が社員個人に全責任を押し付けようと上から襲いかかってくる恐怖は、体験した者でないとわからないかもしれない。それまで笑みを浮かべて私に近づいていた数多くの社員は蜘蛛の子を散らすように遠ざかっていった。 私は27歳で政治部に着任し、菅直人、竹中平蔵、古賀誠、与謝野馨、町村信孝ら与野党政治家の番記者を務めた。39歳で政治部デスクになった時は「異例の抜擢」と社内で見られた。その後、調査報道に専従する特別報道部のデスクに転じ、2013年には現場記者たちの努力で福島原発事故後の除染作業の不正を暴いた。この「手抜き除染」キャンペーンの取材班代表として新聞協会賞を受賞した。 朝日新聞の実権を握ってきたのは政治部だ。特別報道部は政治部出身の経営陣が主導して立ち上げた金看板だった。私は政治部の威光を後ろ盾に特別報道部デスクとして編集局内で遠慮なく意見を言える立場となり、紙面だけではなく人事にまで影響力を持っていた。それが一瞬にして奈落の底へ転落したのである。 ああ、会社員とはこういうものか――。そんな思いにふけっているところへ、妻の声が再び切り込んできた。二胡の妖艶な演奏は続いている。 「なぜ泣いているの?」 「なんでだろう……。たぶん厳しい処分が降りるだろう。懲戒解雇になると言ってくる人もいる。すべてを失うなあ……。いろんな人に世話になったなあと思うと、つい……」 妻はしばらく黙っていたが、「それ、ウソ」と言った。続く言葉は強烈だった。 「あなたはこれから自分が何の罪に問われるか、わかってる? 私は吉田調書報道が正しいのか間違っているのか、そんなことはわからない。でも、それはおそらく本質的なことじゃないのよ。あなたはね、会社という閉ざされた世界で『王国』を築いていたの。誰もあなたに文句を言わなかったけど、内心は面白くなかったの。あなたはそれに気づかずに威張っていた。あなたがこれから問われる罪、それは『傲慢罪』よ!」 紹興酒の酔いは一気に覚めた。妻はたたみかけてくる。 「あなたは過去の自分の栄光に浸っているだけでしょ。中国の皇帝は王国が崩壊した後、どうなるか、わかる? 紹興酒を手に、妖艶な演奏に身を浸して、我が身をあわれんで涙を流すのよ。そこへ宦官がやってきて『あなたのおこなってきたことは決して間違っておりません。後世必ずや評価されることでしょう』と言いつつ、料理に毒を盛るのよ!」 中国の皇帝とは、仰々しいたとえである。だが、妻の目に私はそのくらい尊大に映っていたのだろう。そして会社の同僚たちも社内を大手を振って歩く私を快く思っていなかったに違いない。私はそれにまったく気づかなかった。 「裸の王様」がついに転落し、我が身をあわれんで涙を流す姿ほど惨めなものはない。そのような者に誰が同情を寄せるだろうか。 私は、自分がこれから問われる「傲慢罪」やその後に盛られる「毒」を想像して背筋が凍る思いがした。泣いているどころではなかった。独裁国家でこのような立場に追い込まれれば、理屈抜きに生命そのものを絶たれるに違いない。今日の日本社会で私の生命が奪われることはなかろう。奈落の底にどんな人生が待ち受けているかわからないが、生きているだけで幸運かもしれない。 そんな思いがよぎった後、改めて「傲慢罪」という言葉を噛み締めた。「吉田調書」報道に向けられた数々の批判のなかで私の胸にストンと落ちるものはなかった。しかし「傲慢罪」という判決は実にしっくりくる。そうか、私は「傲慢」だったのだ! 政治記者として多くの政治家に食い込んできた。ペコペコすり寄ったつもりはない。権力者の内実を熟知することが権力監視に不可欠だと信じ、朝日新聞政治部がその先頭に立つことを目指してきた。調査報道記者として権力の不正を暴くことにも力を尽くした。朝日新聞に強力な調査報道チームをつくることを夢見て、特別報道部の活躍でそれが現実となりつつあった。それらを成し遂げるには、会社内における「権力」が必要だった――。 しかし、である。自分の発言力や影響力が大きくなるにつれ、知らず知らずのうちに私たちの原点である「一人一人の読者と向き合うこと」から遠ざかり、朝日新聞という組織を守ること、さらには自分自身の社内での栄達を優先するようになっていたのではないか。 私はいまからその罪を問われようとしている。そう思うと奈落の底に落ちた自分の境遇をはじめて受け入れることができた。 そして「傲慢罪」に問われるのは、私だけではないと思った。新聞界のリーダーを気取ってきた朝日新聞もまた「傲慢罪」に問われているのだ』、奥さんに指摘された「あなたはね、会社という閉ざされた世界で『王国』を築いていたの。誰もあなたに文句を言わなかったけど、内心は面白くなかったの。あなたはそれに気づかずに威張っていた。あなたがこれから問われる罪、それは『傲慢罪』よ!」は、実に本質を突いた至言だ。
・『日本社会がオールドメディアに下した判決  誰もが自由に発信できるデジタル時代が到来して情報発信を独占するマスコミの優位が崩れ、既存メディアへの不満が一気に噴き出した。2014年秋に朝日新聞を襲ったインターネット上の強烈なバッシングは、日本社会がオールドメディアに下した「傲慢罪」の判決だったといえる。木村社長はそれに追われる形で社長から引きずり下ろされたのだ。 「吉田調書」報道の取り消し後、朝日新聞社内には一転して、安倍政権の追及に萎縮する空気が充満する。他のメディアにも飛び火し、報道界全体が国家権力からの反撃に怯え、権力批判を手控える風潮がはびこった。安倍政権は数々の権力私物化疑惑をものともせず、憲政史上最長の7年8ヵ月続く。 マスコミの権力監視機能の劣化は隠しようがなかった。民主党政権下の2010年に11位だった日本の世界報道自由度ランキングは急落し、2022年には71位まで転げ落ちた。新聞が国家権力に同調する姿はコロナ禍でより顕著になった。 木村社長が「吉田調書」報道を取り消した2014年9月11日は「新聞が死んだ日」である。日本の新聞界が権力に屈服した日としてメディア史に刻まれるに違いない。 私は2014年末、朝日新聞から停職2週間の処分を受け、記者職を解かれた。6年半の歳月を経て2021年2月に退職届を提出し、たった一人でウェブメディア「SAMEJIMA TIMES」を創刊した。 私と朝日新聞に突きつけられた「傲慢罪」を反省し、読者一人一人と向き合うことを大切にしようと決意した小さなメディアである。自らの新聞記者人生を見つめ直し、どこで道を踏み外したのかをじっくり考えた。本書はいわば「失敗談」の集大成である。 世の中には新聞批判が溢れている。その多くに私は同意する。新聞がデジタル化に対応できず時代に取り残されたのも事実だ。一方で、取材現場の肌感覚とかけ離れた新聞批判もある。新聞の歩みのすべてを否定する必要はない。そこから価値のあるものを抽出して新しいジャーナリズムを構築する材料とするのは、凋落する新聞界に身を置いた者の責務ではないかと思い、筆を執った。 この記事は大手新聞社の中枢に身を置き、その内情を知り尽くした立場からの「内部告発」でもある。 次回は「新人時代のサツ回りが新聞記者をダメにする」​です』、「木村社長が「吉田調書」報道を取り消した」、どんな事情があったのだろう。

次に、この続きを、5月24日付け現代ビジネスが掲載したジャーナリストの鮫島 浩氏による「元エース記者が暴露する「朝日新聞の内部崩壊」〜「吉田調書事件」とは何だったのか(2) 朝日新聞政治部(2)」を紹介しよう。
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/95464?imp=0
・『「鮫島が暴露本を出版するらしい」「俺のことも書いてあるのか?」――いま朝日新聞社内各所で、こんな会話が交わされているという。元政治部記者の鮫島浩氏が上梓する『朝日新聞政治部』(5月27日発売、現在予約受付中)​は、登場する朝日新聞幹部は全員実名、衝撃の内部告発ノンフィクションだ。 戦後、日本の左派世論をリードし続けてきた、朝日新聞政治部。そこに身を置いた鮫島氏が明かす政治取材の裏側も興味深いが、本書がもっとも衝撃的なのは、2014年に朝日新聞を揺るがした「吉田調書事件」の内幕をすべて暴露していることだ。 同書の内容を抜粋して紹介する。7日連続公開の第2回は、新聞記者が新人時代に必ず通る「地方支局でのサツ(警察)回り」の実態だ』、興味深そうだ。
・『キャリア官僚の話に興味が持てない  私は1994年に京都大学法学部を卒業し、朝日新聞に入社した。バブル経済は崩壊していたものの、その余韻が残る時代だった。数年後にやってくる就職氷河期の「失われた世代」や現在の「コロナ禍世代」と比べれば、気楽な就職活動の時代であった。 当時の京大生のご多分に漏れず、学業に熱心とは言い難い生活だった。就活中の1993年は自民党が衆院選に敗北して下野し、細川連立内閣が発足した戦後政治史の重要な年である。京大キャンパスのある衆院京都1区(当時は中選挙区制)からは、のちに民主党代表となる前原誠司氏が日本新党から出馬して初当選した。だが、私にはこの衆院選の投票に行った記憶がない。 新聞も購読していなかった。母子家庭で仕送りがなく、奨学金とアルバイト代で辛うじて学生生活を送っていたというのは言い訳である。 トイレも風呂も洗面所もない「離れ」に下宿した入学当初はたしかに厳しい暮らしだったが、3~4年生になると塾講師のアルバイトで稼いで自分の車まで所有していた。単に「学び」に不熱心だったというほかない。国立大学なら奨学金とアルバイトで何とか下宿し、通学し、それなりに遊び、卒業して就職できる幸運な時代だった。 朝日新聞の採用試験を受けたのも、当時交際していた同じ年の女性が新聞社志望で、募集要項をもらってきたのがきっかけだった。今となってはそこに何を書き込んだのかも覚えていない。朝日新聞といえばリベラルというくらいの印象しかなかった。ただ、これを境にそろそろ就職活動をしないといけないとにわかに焦り始めたことを覚えている。 親しい友人たちが国家公務員一種試験(法律職)を目指して勉強していたので、遅ればせながらその輪に入れてもらった。2~3ヵ月、過去問をひたすら解いて挑んだ筆記試験に合格し、友人たちに驚かれた。要領は良かったのだろう。その後、キャリア官僚と「面接」を重ねたが、自慢話を聞かされるばかりで興味を持てなかった。そこで、様々な業種から名前を知っている大企業をひとつずつ選んで訪問することにした。銀行、生保、メーカー……。朝日新聞はそのひとつに過ぎなかった。世間知らずの学生だった。 面接は得意だった。当意即妙の受け答えには割と自信があった(政治記者になった後も記者会見やインタビューで二の矢三の矢を放つのが好きだった)。それが功を奏したのか、朝日新聞を含め、いくつか内定をいただいた。 朝日新聞の東京本社や京都支局にうかがって現役の新聞記者にも会ったが、興味のわく人はいなかった。キャリア官僚と同じ匂いがした。 私は朝日新聞の内定を断った。代わりに選んだのが新日鉄(現・日本製鉄)である。この会社は会う人会う人が魅力的だった。私は新日鉄にのめり込んでいった。各地の製鉄所も見学させてもらった。「鉄は国家なり」と熱く語る人、ヒッタイト以来の鉄の歴史を研究して披露する人、鉄鋼労働者が暮らす四畳半の宿舎を案内し「君がこの会社で最初にする仕事はこの部屋が煙草の不始末で火事にならないようにすることだ」と説く人。みんな思いが詰まっていて、キャリア官僚や新聞記者より輝いて見えた。 なかでも私を気に入ってくれたのが、Sさんだった。私は京都から大阪・梅田の高層ビルに入る高級店に何度となく呼び出され、「君と一緒に仕事をしたい」と口説かれた。Sさんはパリッとしたスーツに身を固め、紳士的で、格好良かった。キャリア官僚や新聞記者とはまるで違った。私は新日鉄へ入社する決意をSさんに告げた』、「梅田の高層ビルに入る高級店に何度となく呼び出され」、「新日鉄」も優秀な大学生にはかなり手をかけたようだ。
・『「新聞記者は主役になれない」  迷走はここから始まる。私は世の中をあまりに知らなかった。自分がいざ「鉄鋼マン」になると思うと、「鉄は国家なり」と熱く語る人やヒッタイトの歴史を熟知する人のように鉄に人生を捧げる覚悟が湧いてこなかった。「鉄」に限らずビジネスの世界で生きる将来の自画像がまったく浮かんでこなかったのだ。 一度決断しないと本心に気づかないのは困ったものである。就活の季節はとっくに過ぎ去っていた。内定を断った会社に今一度問い合わせてみた。 そのなかで唯一「今からでも来ていいよ」と答えてくれたのが朝日新聞社だった。当時の採用担当者から「君は新聞のことを知らなすぎる。新聞記者としてうまくいくかわからないけれど、来たいのなら来てもいいよ」と言われ、負けん気に火がついたのである。 私は大阪・梅田で新日鉄のSさんに会い、内定をお断りした。「どこにいくのか」と聞かれ、「新聞記者になります」と答えた。Sさんは引かなかった。「なぜ新聞記者なのか」と繰り返し迫った。私はとっさに「いろんな人の人生を書きたいからです」と魅力を欠く返答をした。彼は決して譲らず、熱く語った。 「新聞記者は人の人生を書く。所詮は人の人生だ。主役にはなれない。我々は自分自身が人生の主役になる。新日鉄に入って一緒に主役になろう」 熱かった。心が揺れた。私はこののち多くの政治家や官僚を取材することになるが、このときのSさんほど誠実で心に迫る言葉に出会ったことがない。いわんや、朝日新聞の上司からこれほど心を揺さぶられる説得を受けたことはない。 しかし、Sさんの熱い言葉は、彼の思いを超えて、私に新たな「気づき」を与えたのだった。ビジネスの世界に身を投じることへの抵抗感が自らの心の奥底に強く横たわっていることを、私はこのときSさんの熱い言葉に追い詰められて初めて自覚したのである。 「なぜ新聞記者なのか」と繰り返すSさんに、私がとっさに吐いた言葉は「ビジネスではなく、政治に関心があるからです」だった。政治家になろうと考えたことはなかった。政治に詳しくもなかった。なぜ「政治に関心がある」という言葉が出てきたのか、自分でもわからない。 いま振り返ると、一介の学生が働き盛りの鉄鋼マンに「なぜ新聞記者なのか」と迫られ、「ビジネス」への対抗軸として絞り出した答えが「政治」だったのだろう。多くの書物を読んで勉学を重ねた学生なら「学問」「文化」「芸術」などという、もう少し気の利いた言葉が浮かんだのかもしれないが、当時の私はあまりにも無知で無学で野暮だった。「政治」という言葉しか持ち合わせていなかったのだ。 ところが、「政治」という言葉を耳にして、Sさんはついに黙った。ほどなくして「残念だ」とだけ言った。Sさんとの別れだった。彼にとって「政治」とは、どんな意味を持つ言葉だったのか。当時の私には想像すらできなかった。 Sさんに投げかけられた「なぜ新聞記者なのか」という問いを、私はその後の新聞記者人生で絶えず自問自答してきた。客観中立を口実に政治家の言い分を垂れ流す政治記事を見るたびに、「新聞記者は主役になれない」と言い切ったSさんの姿を思い出した。いつしかSさんに胸を張って「主役になりましたよ」と言える日が来ることを志し、27年間、新聞記者を続けてきた。山あり谷あり波乱万丈の記者人生だったが、Sさんと再会して「君は主役になったな」と認めてもらえる自信はない。「所詮は新聞という小さな世界の内輪の話だよ」と言われてしまう気もする。 鉄も新聞も斜陽と呼ばれて久しい業界だ。学生時代の私が進路を決めるにあたり鉄と新聞で揺れたのは、果たして偶然だったのだろうか。私がSさんにとっさに吐いた言葉の後を追うように「政治記者」となり、多くの政治家とかかわるようになったのは運命だったのだろうか。 いずれにせよ、私は「新聞記者は主役になれない」という言葉を背負って朝日新聞に入社した。そこには新聞記者を志し、とりわけ朝日新聞に憧れて難関を突破してきた大勢の同期がいた。朝日新聞記者の初任給は当時、日本企業でトップクラスだった。日本の新聞の発行部数はまだ伸びていた。1994年春である。 太平洋の向こう側、アメリカ西海岸ではIT革命が幕を開けようとしていた』、当初は新日鉄入社を考えていたが、「鉄に人生を捧げる覚悟が湧いてこなかった」、「「新聞記者は主役になれない」という言葉を背負って朝日新聞に入社した」、なるほど。
・『記者人生を決める「サツ回り」  新聞記者人生は大概、地方の県庁所在地から始まる。新人記者は県警本部の記者クラブに配属され、警察官を取材する「サツ回り」で同僚や他社の記者と競わされる。支局には入社1~5年目の記者がひしめく。同世代はみんなライバルだ。 私は違った。初任地は茨城県のつくば支局。大学と科学の街である。県庁所在地ではなく県警本部はない。他社に新人記者は一人もいなかった。大半は科学記者だ。朝日新聞つくば支局は科学部出身の支局長、科学部兼務の記者、新人の私の3人。畑が点在する住宅街にある赤煉瓦の一軒家に支局長が居住し、その一角が私たちのオフィスになっていた。 同期たちからは「まあ、気を落とすなよ」と言われた。彼らには私が会社員人生の初っぱなから「コースを外れた」と映ったようだ。すでに出世競争は始まっていた。サツ回りで評価された記者が政治部や社会部に進む新聞社の常識を、私は知らなかった。 1994年4月、私は水戸支局に赴任する同期のY記者と特急スーパーひたちに乗り込んだ。茨城県全域を統括する水戸支局長に着任の挨拶をするためだ。支局長は社会部の警視庁記者クラブで活躍した特ダネ記者という評判だった。 水戸支局は水戸城跡のお堀に面した通りにある。いちばん奥のソファに、彼は仰向けに寝そべっていた。黒いサングラスをかけ、白いエナメルの靴を履いた足を投げ出している。その姿勢を維持したまま、彼は少し頬を緩めボソボソと口を開いた。 「世の中の幸せの量は決まっている。Yの幸せはサメの不幸、サメの幸せはYの不幸」 訓示はそれで終わった。何が言いたいんだ、競争心を煽っているのか、とんでもないところに来てしまった、これが新聞社なのか……。 この水戸支局長、野秋碩志(のあきひろし)さんが私の最初の上司である。 Y記者は早速、3人チームのサツ回りに投入された。入社3年目の県警キャップと2年目のサブキャップのもとで徹底的にこき使われるのだ。昼間は県警記者クラブで交通事故や火災などの発表を短行記事にする。殺人事件や災害が起きれば現場へ向かい、関係者の話を聞いたり写真を撮ったりする。朝と夜は警察官の自宅を訪問して捜査情報を聞き出す。いわゆる「夜討ち朝駆け」だ。 当時携行させられていたのはポケベルだった。休日深夜を問わず鳴り続ける。警察官宅で酔いつぶれたキャップから車で迎えに来るように呼びつけられることもある。 県警発表を記事にするだけでは評価されない。未発表の捜査情報――「明日逮捕へ」とか「容疑者が~と供述」とか――を、他社を出し抜いて書く。これら特ダネは、警察官と仲良くなって正式発表前に特別に教えてもらうリーク型がほとんどだ。不都合な事実を暴く正真正銘の特ダネとは違う。 新聞というムラ社会の中だけで評価される特ダネを積み重ねることが「優秀な新聞記者」への第一歩となる。逆に他社に特ダネを書かれることを「抜かれ」といい、他の全社が報じているのに一社だけ記事にできずに取り残されることを「特オチ」という。それらが続くと「記者失格」の烙印を押される。サツ回りで特ダネを重ねた記者が支局長やデスクに昇進し、自らの「成功体験」を若手に吹聴して歪んだ記者文化が踏襲されていく。 駆け出し記者は特ダネをもらうのに必死だ。あの手この手で警察官にすり寄る。会食を重ねゴルフや麻雀に興じる。風俗店に一緒に行って秘密を共有する。警察官が不在時に手土産を持って自宅を訪れ、奥さんや子どもの相談相手となる。無償で家庭教師を買って出る……。休日も費やす。とにかく一体化する。こうして警察官と「癒着」を極めた記者が特ダネにありつける。 警察は記者同士の競争意識につけ込み、警察に批判的な記者には特ダネを与えない。他の記者全員にリークし、批判的な記者だけ「特オチ」させることもある。記者たちはそれに怯え、従順になる。こうした環境で警察の不祥事や不作為を追及する記事が出ることは奇跡に近い』、「警察官と「癒着」を極めた記者が特ダネにありつける。 警察は記者同士の競争意識につけ込み、警察に批判的な記者には特ダネを与えない。他の記者全員にリークし、批判的な記者だけ「特オチ」させることもある。記者たちはそれに怯え、従順になる。こうした環境で警察の不祥事や不作為を追及する記事が出ることは奇跡に近い」、「警察」のマスコミ・コントロールは容易なようだ。
・『競わされる相手がいなかった  日本の新聞記者の大多数はこうしたサツ回りの洗礼を受け、そこで勝ち上がった記者が本社の政治部や社会部へ栄転していく。敗れた記者たちもサツ回り時代に埋め込まれた「特ダネへの欲求」や「抜かれの恐怖」のDNAをいつまでも抱え続ける。 純朴で真面目なY記者は日々、明らかに憔悴していった。 私は違った。つくばには他社を含め新人記者は私しかいない。警察本部もない。つくば中央警察署(現・つくば警察署)に取材に訪れる記者は私だけだった。競わされる相手がいなかったのだ。末端の警察官まで私を歓迎してくれた。 しかもメインの取材先は警察ではなかった。私は科学以外のすべてを一人で担う立場にあった。つくば市など茨城県南部の読者に向けて地域に密着した話題(いわゆる「街ダネ」)を県版に毎日写真入りで伝えることを期待された。カメラをぶら下げ、市井の人々と会い、日常のこぼれ話を来る日も来る日も記事にした。 27年間の新聞記者人生でこの時ほど原稿を書いた日々はない。当時はフィルム時代だった。つくば支局にはカラー現像機がなかった。私は毎日、白黒フィルムで撮影し、暗室にこもって写真を焼いた。 この記者生活は楽しかった。私は新人にして野放しだった。夜討ち朝駆けはほとんどしなかった。毎朝目覚めると「今日はどこへ行こうか」「誰と会おうか」「何を書こうか」と考えた。私は自由だった。毎日が新鮮だった。 この野放図な新人時代は、私の新聞記者像に絶大な影響を与えることになる。 次回は「政治取材の裏側〜小渕恵三首相の沈黙の10秒」​​。「野放図な新人時代は、私の新聞記者像に絶大な影響を与えることになる」、幸運だったようだ。

第三に、この続きを、5月25日付け現代ビジネスが掲載したジャーナリストの鮫島 浩氏による「話題の書『朝日新聞政治部』先行公開第3回〜小渕恵三首相「沈黙の10秒」 朝日新聞政治部(3)」を紹介しよう。
・『・・・戦後、日本の左派世論をリードし続けてきた、朝日新聞政治部。そこに身を置いた鮫島氏が明かす政治取材の裏側も興味深いが、本書がもっとも衝撃的なのは、2014年に朝日新聞を揺るがした「吉田調書事件」の内幕をすべて暴露していることだ。 7日連続先行公開の第3回は、初めて政治部に着任した鮫島氏が小渕恵三総理と向き合う緊迫の場面を紹介する』、興味深そうだ。
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/95521?imp=0
・『政治記者は「権力と付き合え」  1999年春、私は政治部へ着任した。時は小渕恵三政権である。自民、自由、公明の連立政権が動き始めていた。小泉純一郎政権から安倍晋三政権へ至る清和会支配が幕を開ける前夜、竹下登元首相が最大派閥・平成研究会(小渕派)を通じて隠然たる影響力を残していた時代である。 私は新聞記者6年目の27歳。政治や経済は無知であった。そればかりか初めての東京暮らしで右も左もわからなかった。政治部の恒例で着任初日は政治部長に挨拶し昼食をともにする。駆け出し政治記者が政治部長と直接話をすることなどこの時くらいである。 政治部長は若宮啓文さんだった。朝日新聞を代表するハト派・リベラル派論客で、のちに社説の責任者である論説主幹や主筆となる。韓国紙に連載するなど国際派でもあった。父親は朝日新聞政治部記者から鳩山一郎内閣の総理秘書官に転じた若宮小太郎氏。その子息の若宮さんは「政治記者として血統の良いサラブレット」という印象が強かった。朝日新聞をライバル視する読売新聞の渡辺恒雄氏とも昵懇で、政治家では河野洋平氏と密接な関係を築いていた。 その若宮さんが私たち駆け出し政治記者に投げかけた訓示が衝撃的だった。私はつくば、水戸、浦和で過ごした新聞記者5年間とは別世界に来たと思った。若宮さんは眼光鋭い目を見開きながら、静かにこう語ったのだった。 「君たちね、せっかく政治部に来たのだから、権力としっかり付き合いなさい」 新聞の役割は権力を監視することだと思ってきた。「権力としっかり付き合いなさい」という言葉は意外だった。私は当時、世間知らずで怖いもの知らずだった。日本の新聞界を代表する政治記者であり、朝日新聞を代表する論客であり、初対面である自分の上司に、やや挑発めいた口調でとっさに質問したのである』、「新聞の役割は権力を監視することだと思ってきた。「権力としっかり付き合いなさい」という言葉は意外だった」、確かにドサ回りとは全く違う環境のようだ。
・『日本という国家の「権力」  「権力って、誰ですか?」 若宮さんはしばし黙っていた。ほどなく、静かに簡潔に語った。 「経世会、宏池会、大蔵省、外務省、そして、アメリカと中国だよ」 経世会とは、田中角栄や竹下登の流れを汲み、当時は小渕首相が受け継いでいた自民党最大派閥・平成研究会のことである。永田町ではかつての名称「経世会」の名で呼ばれることも多い。数の力で長く日本政界に君臨し、たたき上げの党人派が多く「武闘派」と恐れられた。小沢一郎氏が竹下氏の後継争いで小渕氏に敗れ自民党を飛び出した「経世会の分裂」が、1990年代の政治改革(小選挙区制導入による二大政党政治への転換)の発端だ。 宏池会は、池田勇人、大平正芳、宮澤喜一ら大蔵省(現・財務省)出身の首相を輩出し、戦後日本の保守本流を自任してきた。経済・平和重視のハト派・リベラル派で、政策通の官僚出身が多い一方、権力闘争は不得手で「お公家集団」と揶揄される。経世会の威を借りて戦後の政策立案を担ってきた。 大蔵省と外務省は、言わずと知れた「官庁中の官庁」。自民党が選挙対策や国会対策に奔走する一方、内政は大蔵省、外交は外務省が主導するのが戦後日本の統治システムだった。とくに大蔵省は予算編成権を武器に政財界に強い影響力を行使し、通産省(現・経済産業省)や警察庁など霞が関の他官庁は頭が上がらなかった。この大蔵省・財務省支配は2012年末の第二次安倍内閣発足まで続く。 そしてアメリカと中国。日米同盟を基軸としつつ対中関係も重視するのが経世会や宏池会が牛耳る戦後日本外交の根幹だった。政治家やキャリア官僚は日頃から在京のアメリカ大使館や中国大使館の要人と接触し独自ルートを築く。政治記者を煙に巻いても米中の外交官には情報を明かすことがある。政治記者ならアメリカや中国にも人脈を築いてそこから情報を得るという「離れ業」も必要だ。国際情勢に対する識見を身につけたうえで、米中の外交官が欲する国内政局に精通し、明快に解説できないようでは見向きもされない。 若宮さんの訓示は、この6者(経世会、宏池会、大蔵省、外務省、アメリカ、中国)こそが日本という国家の「権力」であり、政治記者はこの6者としっかり付き合わなければならないということだった。戦後日本政治史の実態を端的に表現したといえるだろう。 私は当時、その意味を理解する知識も経験も持ち合わせていなかったが、政治記者として20年以上、日本の政治を眺めてきた今となっては、若輩記者の直撃に対して明快な答えを即座に返した若宮さんの慧眼と瞬発力に感動すら覚える』、確かに「若輩記者の直撃に対して明快な答えを即座に返した若宮さんの慧眼と瞬発力に感動すら覚える」、その通りだ。
・『小渕恵三首相の「沈黙の10秒」  小渕恵三という総理は、口下手だった。途中で言葉が詰まり上手に話せないこともしばしばあった。しかし、総理番の取材に丁寧に応じようとしていることはよく伝わってきた。短い時間に、歩きながら、必死に言葉を絞り出していた。 私も何度もぶらさがって小渕総理に厳しい質問をしたが、どんなに慌ただしい政局の中でも何とか言葉を探して一言は答えてくれたものだ。無視されることはなかった。 小渕総理は風貌は地味で、流暢に話せず、「冷めたピザ」と揶揄されたが、若手記者の取材に真摯に応じる姿勢に惹かれた総理番は少なくなかった。「人柄の小渕」がマスコミを通して世間にじわじわ浸透したのか、当初低迷していた内閣支持率は徐々に上向いた。時間がたつにつれ支持率が下がることの多い日本の政権にしては珍しいパターンだった。 私は2000年春に総理番を卒業することになった。最終日、4月1日は日本政治史に残る重大な日となる。当時の関係者が何年もたった後に私に打ち明けた話によると、自自公連立を組む自由党の小沢一郎氏はこの時、連立離脱をちらつかせながら小渕総理と水面下で接触し、自民党と自由党をともに解党して合流するという大胆な政界再編を秘密裏に迫っていたというのだ。この日は夕刻に官邸を訪れ、小渕総理と最後の直談判に及んだのだった。私たち総理番は執務室の前で待った。小沢氏が硬い表情で退出した後、ほどなくして小渕総理が現れ、総理番に取り囲まれた。 私は小渕総理の目の前にいた。小渕総理は何か語ろうとしたが、うまく声を発することができずに10秒ほど押し黙った。ようやく口を開いて「信頼関係を維持することは困難と判断した」と述べ、会談が決裂したことを告げた。 小渕総理はそのまま総理番たちに背中を向け、総理公邸へ向かう廊下を進んだ。最後にちらっと私たちのほうを振り向いた。 これが小渕総理との別れだった。小渕総理は公邸に戻り、大好きな司馬遼太郎の「街道をゆく」のビデオを観ながら倒れたという。あとで先輩から「お前はあの時、小渕さんの目の前にいながら、10秒も押し黙ったのに、体調に異変が生じていることに気づかなかったのか」と叱られた。まったくその通りである。 しかし当時の政局は緊迫していた。小沢氏と決裂して連立解消が決まった直後、小渕総理の口調がこわばっていても不思議ではない。しかも小渕総理は日頃から能弁ではなく、言葉に詰まることが珍しくなかった。とはいえ体調の異変に気づかなかったのは、毎日密着している総理番としては観察力に欠けていたと言われても仕方がない。 その夜、政治記者たちは連立解消の取材に遅くまで追われた。朝刊の締め切りが過ぎた4月2日未明、私は他社の総理番らに国会近くの飲み屋で「総理番卒業」の送別会を開いてもらった(4月2日は日曜だった)。私は外務省担当になることが決まっていた。「小渕政権の最後まで総理番として見届けたかった」と他社の総理番たちにほろ酔いで話していたまさにその頃、小渕総理は病魔に襲われ、密かに順天堂大学附属順天堂医院へ運び出されていたのである』、「小渕恵三首相の「沈黙の10秒」」に立ち会ったが、「体調の異変に気づかなかった」、とは「小渕」氏であれば、やむを得ないだろう。
・『権力は重大な事を隠す  当時の青木幹雄官房長官や野中広務幹事長代理ら「五人組」は小渕総理が倒れた事実を伏せ、後継総理――それは森喜朗氏だった――を密室協議で決めた。 権力は重大な事を隠す。小渕総理の入院が公表された時にはすでに森政権へ移行する流れは出来上がっていた。小渕総理が身をもって教えてくれた政治の冷徹な現実である。 小渕官邸の「総理番」で学んだことは多かった。もちろん、官邸と官邸記者クラブの「癒着」は当時からあった。いちばん驚いたのは官房機密費の使い方だ。さすがに「餞別」などの理由で現金が政治記者に配られることはなかったと思う。しかし政務担当の総理秘書官は連夜、総理番を集め高級店で会食していた。その多くの費用は官房機密費から出ていると政治部記者はみんな察していた。 当時、地方支局ではオンブズマンが情報公開制度を利用して官官接待を追及しており、行政と記者の癒着にも厳しい目が向けられていた。「取材相手との会食は割り勘」は常識だったし、記者懇談会で提供される弁当にも手を付けるなという指示が出るほどだった。それなのに永田町の政治取材の現場では官房機密費がばらまかれていた。官房機密費の使用には領収書が不要で、情報公開で決して表に出ることはないと政治家も官僚も記者も確信しているからだった。 私は政務の総理秘書官を担当しておらず会食に出席したことはなかったが、上司に「あれはおかしいのではないか」と言ったことがある。上司は「それはそうだが、あの会食に出ないと、総理日程などの情報が取れない」と説明した。それに抗って異論を唱え続ける胆力は新米政治記者の私にはなかった。 当時に比べると、今の取材現場では「割り勘」が浸透し、悪弊は解消されつつある。ただし、そのスピードは極めて遅い。そればかりか、安倍晋三、菅義偉、岸田文雄各総理の記者会見をみると、官邸と官邸記者クラブの緊張関係はまったく伝わってこない。 小渕総理と政治記者のぶらさがり取材には緊張関係があった。小渕総理が政治記者という職業に敬意を払っていたからだろう。当時は新聞の影響力が大きく無視できないという政治家としての現実的な判断もあっただろう。 政治取材は長らく、権力者側の「善意」や「誠意」に支えられる側面が大きかった。新聞の影響力低下に伴って政治記者が軽んじられるようになり、一方的に権力者にこびへつらうようになったのが今の官邸取材の実態である。権力者側の「善意」や「誠意」には期待できないことを前提に、新たな政治取材のあり方を構築しなければ、政治報道への信頼はますます失われていくだろう。 次回は「内閣官房長官の絶大な権力」​​。明日更新です』、「新聞の影響力低下に伴って政治記者が軽んじられるようになり、一方的に権力者にこびへつらうようになったのが今の官邸取材の実態である。権力者側の「善意」や「誠意」には期待できないことを前提に、新たな政治取材のあり方を構築しなければ、政治報道への信頼はますます失われていくだろう」、その通りだ。 「吉田調書事件」については、何も触れられてないのは、残念だ。
タグ:(その32)(朝日新聞元エース記者が暴露する朝日新聞政治部シリーズ:(1)「吉田調書事件」とは何だったのか、(2)「吉田調書事件」とは何だったのか、(3)小渕恵三首相「沈黙の10秒」) メディア 現代ビジネス 鮫島 浩氏による「元エース記者が暴露する「朝日新聞の内部崩壊」〜「吉田調書事件」とは何だったのか(1)朝日新聞政治部(1)」 「木村社長は「社長賞だ、今年の新聞協会賞だ」と絶賛し、7月には新聞協会賞に申請」、それを手の平を返して「辞任を表明」とは、全く節操がない人物だ。 奥さんに指摘された「あなたはね、会社という閉ざされた世界で『王国』を築いていたの。誰もあなたに文句を言わなかったけど、内心は面白くなかったの。あなたはそれに気づかずに威張っていた。あなたがこれから問われる罪、それは『傲慢罪』よ!」は、実に本質を突いた至言だ。 「木村社長が「吉田調書」報道を取り消した」、どんな事情があったのだろう。 鮫島 浩氏による「元エース記者が暴露する「朝日新聞の内部崩壊」〜「吉田調書事件」とは何だったのか(2) 朝日新聞政治部(2)」 「梅田の高層ビルに入る高級店に何度となく呼び出され」、「新日鉄」も優秀な大学生にはかなり手をかけたようだ。 当初は新日鉄入社を考えていたが、「鉄に人生を捧げる覚悟が湧いてこなかった」、「「新聞記者は主役になれない」という言葉を背負って朝日新聞に入社した」、なるほど。 「警察官と「癒着」を極めた記者が特ダネにありつける。 警察は記者同士の競争意識につけ込み、警察に批判的な記者には特ダネを与えない。他の記者全員にリークし、批判的な記者だけ「特オチ」させることもある。記者たちはそれに怯え、従順になる。こうした環境で警察の不祥事や不作為を追及する記事が出ることは奇跡に近い」、「警察」のマスコミ・コントロールは容易なようだ。 「野放図な新人時代は、私の新聞記者像に絶大な影響を与えることになる」、幸運だったようだ。 鮫島 浩氏による「話題の書『朝日新聞政治部』先行公開第3回〜小渕恵三首相「沈黙の10秒」 朝日新聞政治部(3)」 「新聞の役割は権力を監視することだと思ってきた。「権力としっかり付き合いなさい」という言葉は意外だった」、確かにドサ回りとは全く違う環境のようだ。 確かに「若輩記者の直撃に対して明快な答えを即座に返した若宮さんの慧眼と瞬発力に感動すら覚える」、その通りだ。 「小渕恵三首相の「沈黙の10秒」」に立ち会ったが、「体調の異変に気づかなかった」、とは「小渕」氏であれば、やむを得ないだろう。 「新聞の影響力低下に伴って政治記者が軽んじられるようになり、一方的に権力者にこびへつらうようになったのが今の官邸取材の実態である。権力者側の「善意」や「誠意」には期待できないことを前提に、新たな政治取材のあり方を構築しなければ、政治報道への信頼はますます失われていくだろう」、その通りだ。 「吉田調書事件」については、何も触れられてないのは、残念だ。
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