SSブログ

”右傾化”(その14)(多幸感に包まれて自画自賛を繰り返す…権力に迎合する「エセ保守」の異常、独占インタビュー 分断危機の「神社本庁」トップが語った「内紛の真実」、父は老いて「ネトウヨ」になった…それは本当に「商業右翼コンテンツにつけ込まれた結果」だったのか? 疑問がよぎった理由、高齢化して「ネット右翼」になった父 その原因は「孤独の病」だった…のか? 息子の回顧から見えたこと) [社会]

”右傾化”については、2021年6月19日に取上げた。久しぶりの今日は、(その14)(多幸感に包まれて自画自賛を繰り返す…権力に迎合する「エセ保守」の異常、独占インタビュー 分断危機の「神社本庁」トップが語った「内紛の真実」、父は老いて「ネトウヨ」になった…それは本当に「商業右翼コンテンツにつけ込まれた結果」だったのか? 疑問がよぎった理由、高齢化して「ネット右翼」になった父 その原因は「孤独の病」だった…のか? 息子の回顧から見えたこと)である。

先ずは、昨年10月1日付け日刊ゲンダイが掲載した作家の適菜収氏による「多幸感に包まれて自画自賛を繰り返す…権力に迎合する「エセ保守」の異常」を紹介しよう。
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/312166
・『自称保守向けの某月刊誌の目次を見て驚いた。そこには〈国葬反対派はバカか売国奴〉〈日本を蝕む「アベガー」というカルト〉〈国葬反対派は極左暴力集団〉といった見出しが並んでいる。「日本を蝕むカルト」は一体どちらなのか? 主要メディアの調査のほとんどで国葬反対派は賛成派を上回っており、直近のFNNの調査では賛成が31.5%で反対は62.3%。この類いの連中は、日本人の62.3%が、バカで売国奴で極左暴力集団とでも言うのか。思考停止した連中が徒党を組むと、自分たちの異常さに気づかなくなる。都合のいい情報しか耳に入らなくなり、現実との接点を失い、濃縮されたカルトになっていく。だから安倍というカルト体質の男と親和性があったのだろう。 本来、保守とはこうした歪んだ思考を戒める態度のことである。それは復古でも右翼でもない。近代の不可逆的な構造を理解した上で、近代内部において理性や合理の暴力に抵抗するのが保守である。保守思想に関する文献を読めば、日本で「保守」とされているものが、その対極であることがわかる。保守は人間理性を信仰しないので権力を警戒する。よって権力の分散を説いてきたが、エセ保守は逆に権力に迎合する。そして権力と一体化したかのような多幸感に包まれ、自画自賛を繰り返す。自分が大好きで、日本はすごい国と信じ込み、生温かい世界に引きこもる。論理的な整合性が取れなくなれば陰謀論に逃げ込み、惨めな、卑小な、卑劣な自分たちのメンタリティーをごまかすために、その鬱憤を近隣諸国や社会的弱者にぶつける。) 今回の統一教会との癒着問題を抜きにしても、安倍がやったことは国や社会、法の破壊に他ならなかった。この日本を三流国家に貶めた国賊に、黄色い声援を送ってきたのが自称保守論壇である。要するに、現在のわが国では「バカ」が保守を名乗っている。言葉の混乱は社会の混乱につながる。よって言葉の定義を正確な形に戻すべきだ。保守の2文字を「バカ」に置き換えるといろいろなことがすっきりする。〈保守論壇→バカ論壇〉〈保守合同→バカ合同〉〈親米保守→親米バカ〉〈保守本流→バカ本流〉。そして本来の意味における保守のみを「保守」と呼ぶことにすれば無用な混乱を避けることができる』、「思考停止した連中が徒党を組むと、自分たちの異常さに気づかなくなる。都合のいい情報しか耳に入らなくなり、現実との接点を失い、濃縮されたカルトになっていく。だから安倍というカルト体質の男と親和性があったのだろう」、「本来、保守とはこうした歪んだ思考を戒める態度のことである。それは復古でも右翼でもない。近代の不可逆的な構造を理解した上で、近代内部において理性や合理の暴力に抵抗するのが保守である。保守思想に関する文献を読めば、日本で「保守」とされているものが、その対極であることがわかる。保守は人間理性を信仰しないので権力を警戒する。よって権力の分散を説いてきたが、エセ保守は逆に権力に迎合する。そして権力と一体化したかのような多幸感に包まれ、自画自賛を繰り返す。自分が大好きで、日本はすごい国と信じ込み、生温かい世界に引きこもる。論理的な整合性が取れなくなれば陰謀論に逃げ込み、惨めな、卑小な、卑劣な自分たちのメンタリティーをごまかすために、その鬱憤を近隣諸国や社会的弱者にぶつける」、日本の「エセ保守」に対する批判は手厳しいが、その通りなのだろう。

次に、10月6日付けデイリー新潮「独占インタビュー 分断危機の「神社本庁」トップが語った「内紛の真実」」を紹介しよう。
https://www.dailyshincho.jp/article/2022/10060603/?all=1
・『神社本庁と言えば、全国8万社の神社を取りまとめる日本最大の宗教法人だ。我々が日常的に手を合わせる神社のほとんどが、この神社本庁に属しており、実は日本人にもっとも馴染み深い宗教法人と言えよう。そんな神社本庁が今、事務方トップである「総長」の人選を巡って、分断の危機に瀕している。既に様々な媒体がこの件を報じてきたものの、これまで沈黙を守って来た、渦中の人物が騒動後初めて、デイリー新潮の独占インタビューに応じた。【写真16枚】分裂危機という前代未聞の事態について語る田中総長』、「神社本庁が今、事務方トップである「総長」の人選を巡って、分断の危機」、とは興味深そうだ。
・『前代未聞  まずは一連の騒動を簡単に振り返ってみよう。発端となったのは、今年5月28日に開かれた臨時役員会。神社本庁の事務方のトップである総長を、集まった役員17人の中から選出する話し合いが行われた。そこには、神社本庁のもう一つのトップの地位にあたる、「統理」という役職に就いている鷹司尚武氏も臨席していた。ちなみに統理とは、宗教団体としての神社本庁を統べる地位だ。上皇の甥にあたる鷹司尚武氏は、伊勢神宮のトップにあたる大宮司を務めた後、2018年に統理に就任した。 その鷹司統理が、5月28日の役員会において、新総長に、理事の一人、芦原高穂・旭川神社宮司を突然指名。しかし、役員の多くはその人選を支持せず、現職の総長である田中恆清・石清水八幡宮宮司の続投を望んだため、新総長決定は次回の役員会に持ち越された。が、その直後の6月6日、芦原理事は、自らが新総長に選ばれたとして、法務局に変更登記申請を行ったのである。神社本庁はその動きを察知し、芦原氏が総長の地位にないことを確認する仮処分を申し立て、その主張は認められていた。 前代未聞の事態が、今もって続いている。一体なぜこんなことになったのか、デイリー新潮では、渦中の田中恆清総長に取材を申し込んだ――(Qは聞き手の質問)』、神職の集まりには、似つかわしくない事態が進行しているようだ。
・『驚きと戸惑い  田中総長(以下、田中) 今回の騒動について、これまでいろいろな人がいろいろなことを言っていますが、私自身の声で、何が起こっているのか、きちんと皆様に伝える必要があると思い、機会をうかがっていたところでした。 5月28日の臨時役員会は、いまだに驚きしかありませんし、芦原理事の動きについても、戸惑っています。5月の役員会では、もう一度役員会を開いて新たな総長を決めるという結論になったのに、6月6日に、芦原氏が総長に就任したとして変更登記申請を秘密裏に行った。間一髪で登記変更を止めることはできたものの、本来、変更登記の手続きは、担当部署である神社本庁の総務部が行うものですよ。 Q:それを芦原理事が行ったと。 田中 そういう動きがあったのは事実です。本庁の役員という指導的立場にある神職がそこまで強引な方法をとるとは夢にも思わなかったので、とても驚きました。ちなみに今回分かったのですが、登記申請は、書類さえ整っていれば、誰が申請してこようと、法務局は受けざるを得ない。神社本庁が仮処分を申し立てなければ、6月中旬頃には登記上は芦原理事が代表役員総長になっていた。そういうことも熟知した上での動きだったと思います』、「5月の役員会では、もう一度役員会を開いて新たな総長を決めるという結論になったのに、6月6日に、芦原氏が総長に就任したとして変更登記申請を秘密裏に行った」、「間一髪で登記変更を止めることはできたものの、本来、変更登記の手続きは、担当部署である神社本庁の総務部が行うものですよ」、こんな違法な手続きをした「芦原氏」は、本来、組織として処分すべきだ。
・『なお在任  Q:そんな経緯がありながら、6月23日に次の臨時役員会を迎えた。 田中 その時も話し合いはまとまりませんでした。前回と同様、統理は、「芦原氏が次の総長にふさわしい」と仰って、その一方で役員の過半数は、私の再任という意見でした。ここで問題となるのが、総長を選ぶ際のルールが書かれた庁規(神社本庁の規則)なのです。「総長は、役員会の議を経て、理事のうちから統理が指名する」となっている。この文言の解釈が、今問題になっているわけですが、役員会の議、つまり役員会の議論と議決を経て、私が再任される運びとなったのに、統理は私を指名しない、と。拒否をされたというわけです。 Q:ということは、現在総長は空位となっているのか。 田中 いえ、これも庁規に定めがあるのですが、後任が決まるまでは、前任者がなお在任するとなっておりますので、私が総長ということです。法人の代表役員である総長が不在だと、組織としての決裁ができませんから。 Q:一方の鷹司統理側は、芦原理事が総長になったと主張している。 田中 そうです。統理側は、例のルールを、「役員会の多数意見がどうであれ、統理の意見によって選ばれる」という風に解釈しているというわけです。芦原理事は8月に自らが総長であることの確認を求める訴訟を提起しましたので、今後は、この解釈をめぐって、裁判で争われることになります(※9月29日の第一回口頭弁論で結審)。宗教法人の代表である総長を誰にするかということを、宗教団体の代表である統理の一存で決めていい、というのは庁規の趣旨にそぐわないと思っています。宗教法人として、役員会の議決に意味がないというのは、やはり考えづらいのではないでしょうか』、「統理側は、例のルールを、「役員会の多数意見がどうであれ、統理の意見によって選ばれる」という風に解釈している」、こんな解釈は不当だ。
・『統理という存在  Q:統理という存在は、神社本庁にとってどのようなもの なのか。 田中 統理というのは、基本的には宗教団体としての神社本庁の権威であり象徴であると考えています。例えば、何か対立があったとしても、双方の意見をよくお聞きになりますが、どちら側にもつかない、崇高なお立場として常に見守っておられる。だからこそ、統理様の存在を権威として、みんなで尊敬してきたというわけです。 Q:鷹司統理側が、田中さんを総長に指名しない背景には、何があると考えているのか。 田中 やはり、神社本庁の不動産売却を巡る騒動でしょう(※編集部注 2017年、神社本庁が所有する宿舎を売却した際、田中総長側が不正を行ったのではないかという疑惑。この騒動を巡って、関係者らに怪文書がばら撒かれ、その怪文書を書いたとされる職員ら二人が懲戒処分となった。処分を不服とした二人は神社本庁を提訴。最高裁まで争われ、今年4月、神社本庁側の敗訴が確定した)。 Q:この懲戒処分に、批判の声が上がっている? 田中 そうですね。この件については、撒かれた怪文書の中に、内部情報漏洩があり、それを知り得る内部の人間が書いたことは明らかでした。また、不動産売却は役職員の絡んだ背任行為であることは明白であるなどと、事実と異なる内容を流布しており、これは明確な規程違反です。そこで、書いた職員を調査で特定し、本人たちもそれを認めたものですから、最終的に処分を下す判断となったのです。とはいえ、当然ながら、懲戒解雇と降格という重い処分内容は、私個人の判断ではなく、常務理事会を開いて協議・決定し、さらに役員会、評議員会でも報告したのです。いずれの場でも、懲戒解雇と降格という判断について、了承されました。そうした了承を経ないまま、私が独断で懲戒解雇などを命じた、という風に言う向きもあるようですが、これも全くの誤解です』、「怪文書の中に、内部情報漏洩があり、それを知り得る内部の人間が書いたことは明らか」、「不動産売却は役職員の絡んだ背任行為であることは明白」、「懲戒解雇と降格という重い処分内容は、私個人の判断ではなく、常務理事会を開いて協議・決定し、さらに役員会、評議員会でも報告したのです。いずれの場でも、懲戒解雇と降格という判断について、了承」、手続き的には瑕疵はないようだ。
・『話がいつの間にか変化  Q:宿舎の売却そのものについても、問題はなかったのか。 田中 売却した川崎の職員宿舎は、老朽化が進んでいて、住む人が少なくなっていました。後で分かったことですが、建物も欠陥だらけの、ひどい宿舎だったのです。神社本庁の財政を立て直す検討会が立ち上げられ、財務状況を健全化する動きの中で、宿舎を売却しようということになりました。この話が進んでいく際に、売却を担当する者が私のところにやってきて、「全く高く売れない」と相談してきた。「貴重な財産なんだから、少しでも高く売った方がいいんじゃないか」と私が言って、さらに、昔から神社本庁と付き合いのある、ある不動産業者さんの名前をあげ、「一応相談してみたら」という話をしたんです。これは事実です。それが、いつの間にか、私がその不動産業者にしろ、と命令したかのように話が変化していってしまった。 そして、本来、3億円くらいの価値があると言われる不動産を、1億8400万円という値段で売り、その差額を私が懐に入れているのではないか、という疑惑が騒がれたのですが、実際は3億円の価値はなく、もちろん差額を懐に入れてもいません。これは背任ではない、とさきに述べた裁判の判決文にも書かれているんですよ。これまで何度も説明していますが、それでも、いまだにその話はなくならず、何か特定の意図でもあるのか、何度も何度も蒸し返される、という状態なのです』、「「貴重な財産なんだから、少しでも高く売った方がいいんじゃないか」と私が言って、さらに、昔から神社本庁と付き合いのある、ある不動産業者さんの名前をあげ、「一応相談してみたら」という話をしたんです。これは事実です。それが、いつの間にか、私がその不動産業者にしろ、と命令したかのように話が変化していってしまった。 そして、本来、3億円くらいの価値があると言われる不動産を、1億8400万円という値段で売り、その差額を私が懐に入れているのではないか、という疑惑が騒がれたのですが、実際は3億円の価値はなく、もちろん差額を懐に入れてもいません」、嵌める意図があったが、失敗したようだ。
・『長期政権の意義  Q:一方で、すでに総長を4期続けられており、その長さにも批判の声が上がっているが。 田中 もちろん、そうした声が上がっているのは承知しています。ただ、自ら言うのもおこがましいですが、私に続けてほしい、というお声があるのも、事実なのです。正直、私自身も、もう78歳ですし、できることならもう辞めてしまいたいと思う時もありますよ。ただ、今回も、正当な手続きを経て、多くの方の推薦を受けて理事にしていただき、さらに役員会でも総長にとの議決をいただいている。皆さんからのご期待、「神社本庁をなんとかしてほしい」との声もたくさんいただいております。そうした方々の思いも大切にしていきたいと思っています。 Q:現在、裁判では、総長を決めるためのルール、「役員会の議を経て理事のうちから統理が指名する」の文言の意味を巡る審理が続いている。仮に裁判所が、この文言の意味を、「役員会の決議と統理の意向が一致した時にのみ、新しい総長が選出される」と判断した場合は、統理の意思が変わらない限り、延々と新総長が誕生しないという事態も予想される。このように不安定な状態が続くことについて、どのようにお考えか。 田中 まずは役員会の多数意見に基づいて統理にご指名いただくのが第一だと思っています。これまでも総長はそのように決められてきましたし、議を経てというのは役員会の議決を尊重していただくという意味であるはずです。しかし、それでも統理がご指名されないということであれば、現在の状況(田中氏がなお在任の規定により総長を続ける状態)が続いていくことになってしまいます。全国の神社に迷惑をかけるわけにいきませんから、私は包括宗教法人の代表役員総長として必要な決裁を行い、通常通り業務を進めています。 Q:不安定な状態ではない、と。 田中 もちろん、正式な形で新しい総長が選ばれることが一番です。ただ、今回の件で、庁規や各規程などの条項には、さまざまな問題や齟齬があることがわかりました。全国約8万の包括下神社は、コロナ禍や氏子の減少などで困難に直面しているところも多く、神社本庁では、これまでの小規模神社への支援策を発展させ、地区単位の協力体制作りを進めています。人々が集い絆を深める大切な場所である各地の神社がこれからも安定的に存続していくために、包括法人としての神社本庁の庁規なども、改めて見直していかなければならない、と考えております。今こそ、我々は神職であるということに、今一度立ち戻っていかなければならないと思います。人々が手を合わせ、祈りを捧げる神様に奉仕する。そのことを我々神職は改めて肝に銘じていかなければ、と思っています』、「今こそ、我々は神職であるということに、今一度立ち戻っていかなければならないと思います。人々が手を合わせ、祈りを捧げる神様に奉仕する。そのことを我々神職は改めて肝に銘じていかなければ、と思っています」、同感である。

第三に、本年1月18日付け現代ビジネスが掲載した文筆業の鈴木 大介氏による「父は老いて「ネトウヨ」になった…それは本当に「商業右翼コンテンツにつけ込まれた結果」だったのか? 疑問がよぎった理由」を紹介しよう。
https://gendai.media/articles/-/104407?imp=0
・『「老いた親が突然、韓国や中国を罵倒するような言葉を吐くようになって戸惑っている」 昨今、そんな声をしばしば耳にするようになりました。 ルポライターの鈴木大介さんも、父親が老いとともに「ネット右翼」的な言動をとるようになったことに戸惑った一人です。 父親の死の直後、鈴木さんは「右傾化」の背景を分析する記事を執筆し、大きく話題になりました。 その分析は、「老いと病のなかで父は商業的な右翼コンテンツにつけ込まれたのではないか」というものでしたが、時間とともに、鈴木さんはやがてその分析に疑問を抱くようになります。 家族の「右傾化」とどう向き合うかーー。この現代的な問題に取り組んだ鈴木さんの新著『ネット右翼になった父』より、お届けします』、興味深そうだ。
・『晴れないモヤモヤ  記事を寄稿したあと、僕の中には、何か大きなモヤモヤした感情が立ち上がり始めていた。 寄稿した記事をざっくりまとめれば、父が生来の知的好奇心から保守メディアに触れたことと、商業化し、なりふり構わなくなった右傾コンテンツによって、父の中にあった古き良き日本に対する喪失感の矛先が嫌韓嫌中思考に誘導されたのではないかという推論が、その柱となるだろう。 しかし、「商業右翼が分断の主犯!」とばかりに、怒りに任せて単純な決着をつけてはみたものの、それでは決して胸のモヤモヤは晴れなかったのだ。) まず第一に、一歩引いて客観的に自分を振り返ったときに、寄稿前後の自分が平常心を保てていたとはとても言えないということがある。例えば、下記は寄稿後に感想をくれた取引先の担当編集に返した一文だ。 冷静にお話しする努力が必要かと思いますが、嫌韓嫌中といった心理構造そのものは本当に下衆な民衆心理の骨頂であり、障害者差別、自己責任論、いじめ問題、あらゆる集団が内包する集団心理の醜さが凝縮された、「民意の肥溜め」だと僕は思っています。言いたくない言葉ですが、衆愚とか言いたくなる。だからこそ、自身の父がその言説に「汚染」されたことが悔しくて悔しくて、たまらないのです。 もう、明らかに冷静ではない。前出の寄稿を書く際にも、こうした心情を知人に吐露する際にも、僕は自身の中に湧き上がる激しい憎しみの情動に手を震わせながら、ヘイトコンテンツに対する嫌悪感に吐き気を催しながら、キーボードで文字を入力した覚えがある。 けれど、そんな激高した状態で出した結論で、自身の父親の七十余年にわたる人生の晩節を決めつけてしまって、果たしてよいものだろうか……。 さらに、いくつかの媒体からの取材や問い合わせに答える中で、僕の中には新たにいくつもの疑問が立ち上がってきてしまった。きっかけは、取材に応じるべく何とか記憶を掘り起こしていく中で、不可解な事実を思い出したことだ』、「もう、明らかに冷静ではない。前出の寄稿を書く際にも、こうした心情を知人に吐露する際にも、僕は自身の中に湧き上がる激しい憎しみの情動に手を震わせながら、ヘイトコンテンツに対する嫌悪感に吐き気を催しながら、キーボードで文字を入力した覚えがある。 けれど、そんな激高した状態で出した結論で、自身の父親の七十余年にわたる人生の晩節を決めつけてしまって、果たしてよいものだろうか……」、「冷静に」振り返ることが出来るのはさすがだ。
・『始まりは2000年代初頭だった  その事実とは、父がいわゆる保守系ワードを日常会話の中で口にするようになったのは、父ががんを患った後のことではなく、そこから10年以上遡る「仕事をリタイアした直後」=2002年前後だったということである。 この頃から、父の口からは「支那と言って何が悪い」「三国人は○○」「いかにも毛唐のしそうなことだな」といった、故・石原慎太郎氏の常套句みたいな排外的ワードがこぼれるようになっていた。 けれど2002年と言えば、日韓共同開催となったFIFAワールドカップで偏向審判騒動があったことで、まさに日本国内(特にネット内)での反韓言説が大いに湧き上がったという頃合い。翌年はドラマ「冬のソナタ」に端を発した韓流ブーム元年であり、一方で保守本流を再編したともいわれた「新しい歴史教科書を作る会」が教科書検定に合格して物議をかもしていたタイミングでもある。 こののち、いわゆる嫌韓本の萌芽期が訪れ、次いで商業右翼コンテンツの百花繚乱を見ることになるのだが、この時点での父は「本当にこれが定年後か」と思うほど活動的で知的で、老いなど微塵も感じさせていなかった。 この時期既に父が排外的な発言をしていたのであれば、「老いと病で衰えたところを商業右翼コンテンツにつけ込まれた」という推論は、時系列的に全く的外れになってしまうではないか(「WiLL」の創刊は2004年、「日本文化チャンネル桜」の一部コンテンツがYouTubeで視聴できるようになったのが2009年)。 見失っていた事実を思い起こした瞬間、ギョッとした。ギョッとしたのち、再び混乱した。) というのも、「であれば父は、もともとの素地にそうした保守や排外的な思想を持っていたのか?」というと、それもまた、全く腑に落ちないのだ。 なぜなら晩節は反中発言の激しかった父だが、退職翌年から中国は雲南省の首都昆明にて、たっぷり半年間の語学留学をしている。思い起こせば色々な国の言語を学ぶのが好きだった父は、退職前にはハングルを勉強していた時期もあった。「ハングルは文字としてものすごく合理的で面白い」と言っていたのも憶えている。 「嫌韓」の父がハングルの合理性に感心し、「嫌中」の父がわざわざ昆明まで語学留学などするだろうか? 【つづき】「高齢化して「ネット右翼」になった父、その原因は「孤独の病」だった…のか? 息子の回顧から見えたこと」では、こうした推論のなかで見えてきた、もう一つの可能性について紹介します』、早く真相を知りたいものだ。

第四に、続きを、1月18日付け現代ビジネスが掲載した文筆業の鈴木 大介氏による「高齢化して「ネット右翼」になった父、その原因は「孤独の病」だった…のか? 息子の回顧から見えたこと」を紹介しよう。
https://gendai.media/articles/-/104458?imp=0
・『「老いた親が突然、韓国や中国を罵倒するような言葉を吐くようになって戸惑っている」 昨今、そんな声をしばしば耳にするようになりました。 ルポライターの鈴木大介さんも、父親が老いとともに「ネット右翼」的な言動をとるようになったことに戸惑った一人です。 父親の死の直後、鈴木さんは「右傾化」の背景を分析する記事を執筆し、大きく話題になりました。 その分析は、「老いと病のなかで父は商業的な右翼コンテンツにつけ込まれたのではないか」というものでしたが、時間とともに、鈴木さんはやがてその分析に疑問を抱くようになります。 家族の「右傾化」とどう向き合うかーー。この現代的な問題に取り組んだ鈴木さんの新著『ネット右翼になった父』より、お届けします。 【前編】「父は老いて「ネトウヨ」になった…それは本当に「商業右翼コンテンツにつけ込まれた結果」だったのか? 疑問がよぎった理由」』、興味深そうだ。
・『リタイア後に同世代との交友関係が急拡大  混乱する中で、もう一つ、思い出したことがあった。それは僕の記憶にある、「父が排外的ワードを使うようになった」その時期、父自身の人生に大きな変化が訪れていたということ。それは、同世代との交友関係の急拡大だ。 典型的な企業戦士だった父ではあるが、実は会社員時代の仕事を通じた人間関係では、友人らしい友人を作っていた気配がない。在職中は休日に必ずゴルフの練習やコンペに顔を出していたが、それもあくまで仕事上のことだったようで、退職するやせっかく買いそろえていた用具一式を容赦なく捨て去ってしまった。 引き止められて出向先企業での再雇用にも応じたが、それも2年ほどのことで、きっぱり完全リタイア。その後は在職中の知人とも、ほぼ交流を絶ってしまった。 けれど一方、そうしてリタイアした後の父は、その37年に及んだサラリーマン人生で失ったものを取り戻すかのように、急速にその交友関係を広げていった。留学から帰国するや、地域の大学同窓会に積極的に参加するようになり、あっという間に記念誌刊行のコアメンバーを務めるまでになった。 地域でパソコン教室や同世代の男性向けの料理教室を開き、自治会協議会の連携を目指すネットワークの設立や社会福祉協議会への参加など、もう全方向で交流活動を広げ始めたのだ。 ただ帰って寝るだけだった家の書斎は、地域活動の資料やPC関連の専門書籍が整然と並ぶようになり、地域のために日々飛んで歩く父はリタイア後とは思えないほどに活動的だった。 思い起こせば、初めて父の書斎で保守論壇誌である「正論」を目にしたのは、そうやって父がセカンドライフを充実させているさなかのことだった。 執筆陣には田母神俊雄元航空幕僚長や高市早苗氏など、そうそうたる保守論壇の先鋒が名を連ねていた。表紙には「総力特集・民主党よ、どこまで日本を壊したいのか」と打たれ、外国人参政権や夫婦別姓等々、後にネット右翼が「悪夢」と呼ぶ民主党政権の改革課題がやり玉に挙げられている。 改めて調べると、それは父のリタイアから8年後、東日本大震災の起きる前年の刊行物だった』、「地域のために日々飛んで歩く父はリタイア後とは思えないほどに活動的だった」、「初めて父の書斎で保守論壇誌である「正論」を目にしたのは、そうやって父がセカンドライフを充実させているさなかのこと」、なるほど。
・『新たな推論  ここに至って、僕は新たな推論を立てた。 それは、当時父とその周囲にいた同世代のコミュニティの中で、「排外的ワード」「リベラル政党への疑義」といったものが、共通言語や雑談上のテーマ、いわば「飲みの席での娯楽的なネタ(話題)」だったのではないかということ。 そして同じ傾向の思想を持つ狭い集団の中で対話するうちに、いわゆるエコーチェンバー現象(同じ価値観を持つ集団の中で対話を重ねることで、価値観や言葉が一般に通じないほどに先鋭化してしまうこと)が父の中にも起きてしまっていたのではないかということだ。 実は、父の晩年に枕もとで見た「月刊Hanada」や「WiLL」といった雑誌は、亡くなったあと書斎には残されていなかった。あれらはどこに行ったのか? 「捨てた」のではなく「友人から借りたものだから返した」のかもしれない。 退職して改めて友人づくりができた父にとって、嫌韓論議は同世代の男性との共通言語(コミュニケーションツール)だったり、娯楽の要素が強かったのではないかというのが、あらたな見地です。寄稿した記事に書いたような喪失感も彼らの共通する感情で、その寂しさに対しての答えを、同世代との中で共有、醸成していったのではないかと感じています。 これは、記事寄稿後にコメント取材に応じた僕が、記者の方に送った文面だ。 狭い同世代コミュニティの中で対話を重ねたことでエコーチェンバーが起き、価値観の基準が右寄りに変質していき、その下地ができたところで商業右派コンテンツに晒される。病によって認知判断力が衰え、卑俗なネット右翼コンテンツの消費にまで至る。 まあまあ、ありえそうな話だ。 であれば、これは「孤独の病」だと思った』、「狭い同世代コミュニティの中で対話を重ねたことでエコーチェンバーが起き、価値観の基準が右寄りに変質していき、その下地ができたところで商業右派コンテンツに晒される。病によって認知判断力が衰え、卑俗なネット右翼コンテンツの消費にまで至る。 まあまあ、ありえそうな話だ。 であれば、これは「孤独の病」だと思った」、「狭い同世代コミュニティの中で対話を重ねたことでエコーチェンバーが起き、価値観の基準が右寄りに変質」、大いにあり得そうな話だ。これを「孤独の病」と呼ぶのにはやや違和感を感じる。
タグ:「思考停止した連中が徒党を組むと、自分たちの異常さに気づかなくなる。都合のいい情報しか耳に入らなくなり、現実との接点を失い、濃縮されたカルトになっていく。だから安倍というカルト体質の男と親和性があったのだろう」、 ”右傾化” (その14)(多幸感に包まれて自画自賛を繰り返す…権力に迎合する「エセ保守」の異常、独占インタビュー 分断危機の「神社本庁」トップが語った「内紛の真実」、父は老いて「ネトウヨ」になった…それは本当に「商業右翼コンテンツにつけ込まれた結果」だったのか? 疑問がよぎった理由、高齢化して「ネット右翼」になった父 その原因は「孤独の病」だった…のか? 息子の回顧から見えたこと) 「本来、保守とはこうした歪んだ思考を戒める態度のことである。それは復古でも右翼でもない。近代の不可逆的な構造を理解した上で、近代内部において理性や合理の暴力に抵抗するのが保守である。保守思想に関する文献を読めば、日本で「保守」とされているものが、その対極であることがわかる。保守は人間理性を信仰しないので権力を警戒する。よって権力の分散を説いてきたが、エセ保守は逆に権力に迎合する。そして権力と一体化したかのような多幸感に包まれ、自画自賛を繰り返す。 自分が大好きで、日本はすごい国と信じ込み、生温かい世界に引きこもる。論理的な整合性が取れなくなれば陰謀論に逃げ込み、惨めな、卑小な、卑劣な自分たちのメンタリティーをごまかすために、その鬱憤を近隣諸国や社会的弱者にぶつける」、日本の「エセ保守」に対する批判は手厳しいが、その通りなのだろう。 デイリー新潮「独占インタビュー 分断危機の「神社本庁」トップが語った「内紛の真実」」 「神社本庁が今、事務方トップである「総長」の人選を巡って、分断の危機」、とは興味深そうだ。 神職の集まりには、似つかわしくない事態が進行しているようだ。 「5月の役員会では、もう一度役員会を開いて新たな総長を決めるという結論になったのに、6月6日に、芦原氏が総長に就任したとして変更登記申請を秘密裏に行った」、「間一髪で登記変更を止めることはできたものの、本来、変更登記の手続きは、担当部署である神社本庁の総務部が行うものですよ」、こんな違法な手続きをした「芦原氏」は、本来、組織として処分すべきだ。 「統理側は、例のルールを、「役員会の多数意見がどうであれ、統理の意見によって選ばれる」という風に解釈している」、こんな解釈は不当だ。 「怪文書の中に、内部情報漏洩があり、それを知り得る内部の人間が書いたことは明らか」、「不動産売却は役職員の絡んだ背任行為であることは明白」、「懲戒解雇と降格という重い処分内容は、私個人の判断ではなく、常務理事会を開いて協議・決定し、さらに役員会、評議員会でも報告したのです。いずれの場でも、懲戒解雇と降格という判断について、了承」、手続き的には瑕疵はないようだ。 「「貴重な財産なんだから、少しでも高く売った方がいいんじゃないか」と私が言って、さらに、昔から神社本庁と付き合いのある、ある不動産業者さんの名前をあげ、「一応相談してみたら」という話をしたんです。これは事実です。それが、いつの間にか、私がその不動産業者にしろ、と命令したかのように話が変化していってしまった。 そして、本来、3億円くらいの価値があると言われる不動産を、1億8400万円という値段で売り、その差額を私が懐に入れているのではないか、という疑惑が騒がれたのですが、実際は3億円の価値はなく、もちろん差額を懐に入れてもいません」、嵌める意図があったが、失敗したようだ。 「今こそ、我々は神職であるということに、今一度立ち戻っていかなければならないと思います。人々が手を合わせ、祈りを捧げる神様に奉仕する。そのことを我々神職は改めて肝に銘じていかなければ、と思っています」、同感である。 現代ビジネス 鈴木 大介氏による「父は老いて「ネトウヨ」になった…それは本当に「商業右翼コンテンツにつけ込まれた結果」だったのか? 疑問がよぎった理由」 ネット右翼になった父 「もう、明らかに冷静ではない。前出の寄稿を書く際にも、こうした心情を知人に吐露する際にも、僕は自身の中に湧き上がる激しい憎しみの情動に手を震わせながら、ヘイトコンテンツに対する嫌悪感に吐き気を催しながら、キーボードで文字を入力した覚えがある。 けれど、そんな激高した状態で出した結論で、自身の父親の七十余年にわたる人生の晩節を決めつけてしまって、果たしてよいものだろうか……」、「冷静に」振り返ることが出来るのはさすがだ。 早く真相を知りたいものだ。 鈴木 大介氏による「高齢化して「ネット右翼」になった父、その原因は「孤独の病」だった…のか? 息子の回顧から見えたこと」 「地域のために日々飛んで歩く父はリタイア後とは思えないほどに活動的だった」、「初めて父の書斎で保守論壇誌である「正論」を目にしたのは、そうやって父がセカンドライフを充実させているさなかのこと」、なるほど。 「狭い同世代コミュニティの中で対話を重ねたことでエコーチェンバーが起き、価値観の基準が右寄りに変質していき、その下地ができたところで商業右派コンテンツに晒される。病によって認知判断力が衰え、卑俗なネット右翼コンテンツの消費にまで至る。 まあまあ、ありえそうな話だ。 であれば、これは「孤独の病」だと思った」、「狭い同世代コミュニティの中で対話を重ねたことでエコーチェンバーが起き、価値観の基準が右寄りに変質」、大いにあり得そうな話だ。これを「孤独の病」と呼ぶのにはやや違和感を感じる。
nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感

安倍元首相暗殺事件(その6)(「本部は都内超一等地から地方へ…」旧統一教会が"宗教サークル"に転落すると地方で巻き起こる迷惑千万 宗教法人格の剥奪が生み出す"新たなリスク"、日本マネーが支える韓国「統一教」に迫る2題(本拠地・韓国では想像もつかない「サイビ宗教」と日本の政治の結束、「自民党に教団を切る覚悟はあるのか」韓国に住む日本人信者は怒りをぶちまけた)、《毎日は情けない》統一教会報道、新聞ウォッチャーが”悪い意味”で「驚かされた社説」とは? 新聞エンマ帖) [国内政治]

安倍元首相暗殺事件については、昨年12月21日に取上げた。今日は、(その6)(「本部は都内超一等地から地方へ…」旧統一教会が"宗教サークル"に転落すると地方で巻き起こる迷惑千万 宗教法人格の剥奪が生み出す"新たなリスク"、日本マネーが支える韓国「統一教」に迫る2題(本拠地・韓国では想像もつかない「サイビ宗教」と日本の政治の結束、「自民党に教団を切る覚悟はあるのか」韓国に住む日本人信者は怒りをぶちまけた)、《毎日は情けない》統一教会報道、新聞ウォッチャーが”悪い意味”で「驚かされた社説」とは? 新聞エンマ帖)である。

先ずは、昨年12月26日付けPRESIDENT Onlineが掲載した浄土宗僧侶/ジャーナリストの鵜飼 秀徳氏による「「本部は都内超一等地から地方へ…」旧統一教会が"宗教サークル"に転落すると地方で巻き起こる迷惑千万 宗教法人格の剥奪が生み出す"新たなリスク"」を紹介しよう。
https://president.jp/articles/-/64764
・『旧統一教会の宗教法人格剥奪が生み出す“新たなリスク”  2022年は宗教界にとって、大きな出来事が相次いだ。戦後宗教史における節目を迎えた年、といっても過言ではないだろう。 安倍晋三元首相の暗殺をきっかけにして多くの政治家の世界平和統一家庭連合(旧統一教会)への関与が明らかになった。旧統一教会へ「質問権」が初めて行使され、「被害者救済法」が成立。今後、考えうる宗教法人の「解散請求」に向けて大きく舵を切った形だ。 悪質な宗教へメスを入れることは必要だ。しかし、長期的視座でみれば、昨今の防衛拡充とも影響し合い、危うさも孕む。「安倍元首相暗殺」という衝撃をきっかけに、「政治と宗教との関係」は一歩、接近した。 奈良の選挙の応援にかけつけた安倍氏が、7月8日に狙撃された事件はその後、旧統一教会の不当な献金問題をあぶり出す呼び水となった。 山上徹也容疑者の母が旧統一教会にのめり込んで多額の献金を重ね、家族は破綻。その恨みを、過去に旧統一教会へのビデオメッセージを出していた安倍氏に向けたのだ。政治と宗教との不適切な関係があぶり出される中、多くの「2世信者」らが被害の声を上げ始める。ようやく政府は重い腰を上げるに至った。 文部科学省は旧統一教会にたいし、宗教法人法に基づく調査を決定。1996年の改正宗教法人法施行以後、初めて「質問権」が行使された。このことで旧統一教会にたいする解散命令請求への第一歩が、踏み出された。 不法行為による宗教法人の解散は、各地でテロと殺人を繰り返したオウム真理教と、霊感商法で摘発された明覚寺の2例のみ。いずれも刑事事件に発展したケースだ。 しかし、民事上の不法行為での宗教法人解散はこれまで例がない。旧統一教会が解散となれば今後、多数の訴訟を抱えるような宗教法人に、メスが入っていく可能性は捨てきれない。 来年以降の流れでいえば、旧統一教会に著しい法令違反が認められれば、文部科学省が裁判所に解散命令を請求する。裁判所が解散命令を出せば宗教法人格を失い、宗教団体(任意団体)へと転落する。すると社会的信用を失うだけではなく、税制優遇などが受けられなくなる。つまり法人税、固定資産税、都市計画税、相続税などが課税されることになる』、「裁判所が解散命令を出せば宗教法人格を失い、宗教団体(任意団体)へと転落する。すると社会的信用を失うだけではなく、税制優遇などが受けられなくなる。つまり法人税、固定資産税、都市計画税、相続税などが課税される」、「税制優遇などが受けられなくなる」のはダメージが大きそうだ。
・『本部が渋谷区松濤から地方都市へ移転する可能性も大  確かに、法人格の剥奪は国民の納得が得られるひとつの手段ではある。しかし、同時に別の問題も生み出すリスクも考えなければならない。 現在、旧統一教会は都内の一等地、渋谷区松濤に本部を構える。固定資産税などが加算された場合、地方都市などに移転する可能性も大いにあり得る。すると、移転地で新たなトラブルも発生しかねない。 サークルのような任意団体になれば、水面下での活動になり、より実態がつかめなくなってしまう。また、信者がより原理化、先鋭化しかねない。ちなみにオウム真理教は解散後、3つの分派に分かれ、そのうち2つが地方都市に拠点を移し、公安調査庁は各団体がいまだ教祖麻原彰晃の影響下にあるとみて、観察を続けている。 臨時国会の会期末には、いわゆる「法人等による寄附の不当な勧誘の防止等に関する法律(被害者救済法)」が成立した。旧統一教会をめぐっては、信者から多額の献金を集め、経済的困窮や家庭崩壊に陥らせる事例が相次いでいた。政府は不法行為の防止と被害者救済のための制度改革に乗り出し、迅速に被害者救済法を成立させた。 同法のポイントはいくつかある。まず、「不当な寄付の勧誘行為」を以下のように定義(第4条、要約)している。 ①しつこく勧誘されるなどして、帰ってほしいと伝えても退去しないケース ②同様に帰りたい意思を示しているのに返してくれないケース ③勧誘することを告げず、寄付者が退去しにくい場所に連れて行く行為 ④勧誘を受けた相談を第三者にした特に、威迫する言動を交えて妨害行為をすること ⑤恋愛関係を利用して、寄付しなければ関係解消するなどの告知をすること ⑥霊感商法 さらに、第5条では、 ⑦借金させたり、不動産を売却させたりして寄付させること を禁止している。 こうした行為にたいして、勧誘を受けた者が「困惑」した場合、寄付の取り消しができるとした。 同法の適用範囲は宗教法人だけではない。各種団体やNPO法人などにも広げている。つまり、法人格を有していない宗教団体にも適用されるので、仮に旧統一教会が法人格を剥奪されても同法は適用されることになる。なお、命令に違反した場合は1年以下の拘禁刑や100万円以下の罰金が科される。 旧統一教会だけではなく、同法に抵触しうる既存法人は潜在的にかなりある。 ⑥霊感商法は「先祖供養」「病気治し」などを熱心に実施する新宗教の中には、民事訴訟を抱える教団も少なくない。また⑦借金をさせてでも寄付させることも、仏教寺院の中にも行っているケースが散見される。「一括でお布施を払えなければ、ローンで払え」「カネがないなら親戚から借りてこい」などと要求する寺が、かなり存在していることを私も把握している。同法が、被害者の防衛策としてきちんと運用され、機能することを期待したい。 不当な行為が積み重なっていけば、「宗教法人解散請求」が視野に入る。人々を苦しめる悪質な組織は即刻、「退場」してもらわなければならない』、「宗教法人解散請求」は遠慮せず、必要であれば即刻行うべきだ。
・『日本も反カルト法の整備に乗り出す時だ  一方で、この法案には抜け穴もある。例えば「個人対個人」の寄付行為が、適用されない。教団幹部があくまでも個人的な寄付であることを建前にして「集金」し、組織に再寄付するようなことは容易に想像できる。 また、マインドコントロール(洗脳)下による寄付については、「配慮義務」にとどめ、「禁止」としなかった。これは、「マインドコントロールの定義をすることが難しい」ということが理由だ。創価学会を支持母体に持つ公明党への配慮が感じられる。 しかし、法案整備にあたってはまず「カルト」や「マインドコントロール」の定義こそを、議論すべきではなかっただろうか。真っ当な宗教と、一線を引いて適切に運用させるためにも、この2つの定義こそが重要であったと思う。 日本では「カルト」を、「反社会的な宗教集団」のように漠然と捉えていて、明確な定義は存在しない。例えばフランスでは、日本以上に深刻な宗教問題を抱え、2001年に反セクト(カルト)法という法律を整備するに至っている。セクトとは、おおもとの宗教から派生した宗教教団をさし、「社会にたいして、強硬的かつ断続的な姿勢を持つ過激主義的宗教グループ」(マックス・ウェーバー/エルンスト・トレルチ)のことである。 そのセクトの定義(1995年、フランス国民議会「アラン・ジュスト報告書」)は、 ①精神の不安定化 ②法外な金銭的要求 ③住み慣れた生活環境からの断絶 ④肉体の損傷 ⑤子供の囲い込み ⑥反社会的な言説 ⑦公共の秩序を乱す ⑧訴訟の多さ ⑨通常の経済回路からの逸脱 ⑩公権力を取り込もうとする企てがある としている。 フランスは厳格な政教分離をとっている国として知られている。同時にカルトにたいしては毅然きぜんとした対応を示しているといえる。日本も、反カルト法の整備に乗り出す時機にきているかもしれない』、「「カルト」や「マインドコントロール」の定義こそを、議論すべきではなかっただろうか。真っ当な宗教と、一線を引いて適切に運用させるためにも、この2つの定義こそが重要であったと思う」、その通りだ。
・『「政治の宗教への介入」は再び暗い時代の第一歩か  一方で、歴史的な視座に立てば「政治の宗教への介入」は、あまりよい結果を生んでこなかったのも事実だ。先の日本における戦争も、宗教が根っこにある。 折しも日本政府は防衛費の増額や、敵基地攻撃能力(反撃能力)保有を決めた。日本は安全保障上も大きな岐路に立っている。国家は宗教を精神的な支柱として戦争に利用し、同時に宗教も政治情勢(有事)を利用しながら教線拡大を目論んできた。その構造は今も変わっていない。 わが国における国家と宗教が、今すぐに暴走を始めることはないだろう。しかし、ひとたび有事の局面になれば「信教の自由」が奪われ、殺伐の社会が訪れることは歴史が証明している。政治と宗教の接近は、日本が再び暗い時代への一歩を踏み出したことの暗示だと、考えるべきである』、「政治と宗教の接近は、日本が再び暗い時代への一歩を踏み出したことの暗示だと、考えるべき」、「政治と宗教の接近」しても、「信教の自由」が守られるよう、監視してゆく必要がある。

次に、12月28日付け日刊ゲンダイ「日本マネーが支える韓国「統一教」に迫る:本拠地・韓国では想像もつかない「サイビ宗教」と日本の政治の結束」を紹介しよう。
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/life/316537
・『安倍晋三元首相が銃撃された事件は、韓国はもちろん、世界各国に衝撃を与えた。しかし、その後の世論の関心は、日本と韓国で大きな開きがある。 日本では、旧統一教会と政界との結びつきが連日報道され、内閣支持率にも大きな影響を与えている。一方で、韓国ではこうした問題は注目されず、メディアを通してもほとんど話題になっていない』、「韓国ではこうした問題は注目されず、メディアを通してもほとんど話題になっていない」、これほどの違いがあるとは驚かされた。
・『似て非なるカルト  この温度差は、旧統一教会に対する社会の見方の違いからきている。キリスト教の影響力が強い韓国社会では、旧統一教会の教義は「異端」とされ、一般的な宗教団体としては認知されていない。 個人崇拝や多額の献金を要求する新興宗教を、韓国では「サイビ宗教」と呼ぶ。「サイビ」を漢字で記すと「似而非」。「宗教とは似て非なるカルト集団」という意味合いだ。韓国社会で旧統一教会は、まさに「サイビ宗教」として認識されている。 多くの韓国人にとって理解できないのは、なぜこうした「サイビ宗教」が、安倍元首相をはじめとした大物政治家と関係を持ち、自民党とのパイプを築くことができたのかという点だ。とりわけ安倍氏は、日韓関係において韓国内では「有名人」だったことから、その人物の背後に「サイビ宗教」が存在したことに驚きを示す声も少なくない。) 韓国では、新型コロナウイルスの感染拡大が懸念された2020年2月、南部の大邱市で感染者が急増し、全国的な広がりを見せる事態となった。この原因となったのが、キリスト教系新興宗教「新天地」の集団感染だ。信者に感染者が出たにもかかわらず検査を拒否し、集団礼拝にも参加したことが発覚したが、教団側はこうした情報を公開しようとしなかった。 1984年に創設された「新天地」は、教祖を「救世主」とあがめ、韓国内に約20万人の信者を持つ。旧統一教会と同様、既存のキリスト教団体からは「異端」として排除されており、信者がのめり込んで家庭崩壊に至る など「サイビ宗教」の典型とされている。 韓国では「新天地」が政権と癒着しているということはない。「サイビ宗教」と政界が結びつくことなど、韓国人にとっては「想像もできない話」(韓国メディアの記者)なのだ。 だが、韓国内で旧統一教会は宗教団体として認識されていない一方、別の形での存在感を示している。それが企業活動だ。=つづく』、「韓国社会では、旧統一教会の教義は「異端」とされ、一般的な宗教団体としては認知されていない。 個人崇拝や多額の献金を要求する新興宗教を、韓国では「サイビ宗教」と呼ぶ。「サイビ」を漢字で記すと「似而非」。「宗教とは似て非なるカルト集団」という意味合いだ。韓国社会で旧統一教会は、まさに「サイビ宗教」として認識されている」、「「サイビ宗教」と政界が結びつくことなど、韓国人にとっては「想像もできない話」、なるほど。

第三に、この続き、1月8日付け日刊ゲンダイ「日本マネーが支える韓国「統一教」に迫る:「自民党に教団を切る覚悟はあるのか」韓国に住む日本人信者は怒りをぶちまけた」を紹介しよう。
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/life/316929
・『安倍晋三元首相の銃撃をきっかけに、旧統一教会の霊感商法や高額献金の問題がクローズアップされ、国会では昨年12月10日、被害者救済を図るための新たな法律が成立した。 新法では、献金のために借金や生活に不可欠な資産の処分で資金を調達させたり、「霊感」で不安に付け込んだりすることなどを禁止している。献金した本人ではなくても、子どもなどが本来受け取るはずだった養育費など、一定の範囲で本人に代わって取り消しや寄付金返還を求めることも可能になった。 最大の課題は、教団のマインドコントロールによって信者が献金することを、どのように規制するかだった。「法律の条文で規制すべき」という野党側と、信教の自由や財産権の問題から難色を示す与党側との意見の隔たりは大きかった。 だが、世論に後押しされる形で与野党が歩み寄り、新法の成立にこぎ着けた。内容が不十分との批判もあるが、旧統一教会にとって大きな圧力となったのは間違いない』、「内容が不十分との批判もあるが、旧統一教会にとって大きな圧力となったのは間違いない」、とりあえずの対応としては、やむを得ない。
・『交錯する不安と怒り  韓国人の元信者は「資金源だった日本からの献金が減れば、教団の運営自体が立ち行かなくなる。(教団が所有する)不動産などが売却される可能性もある」と指摘する。日本での法規制は、旧統一教会の根幹を直撃する問題なのだ。 旧統一教会への「包囲網」といった動きに、信者の抱える不満は大きい。韓国に住む日本人の男性信者は「自民党は教団と本気で手を切るつもりなのか。本当に、その覚悟はあるのか」と、怒りをぶちまけた。マスコミが教団を「ロシアのような戦争犯罪集団と同じ扱い」にしていると、怒り心頭な様子だった。 男性信者に「覚悟とはどういった意味か」と聞いてみた。自民党が教団に握られている弱みを暴露される、という意味かと思えたからだ。 その問いに、男性信者は「教団は世界各国に基盤を持っており、さまざまな人脈がある。安倍首相が、当選直後のトランプ米大統領と会談できたのも、そうした人脈のおかげだからです」とした上で、こう言い切った。「教団が自民党や日本のためにしてきたことはたくさんある。そうした協力を得ることができなくなることへの『覚悟』という意味です」 自民党や日本のために、教団が「してきたこと」とは何なのか。それを尋ねても、明確な答えはなかった。(おわり)(共同通信編集委員兼論説委員・佐藤大介)』、「教団が自民党や日本のためにしてきたことはたくさんある。そうした協力を得ることができなくなることへの『覚悟』という意味です」、どう考えても、「教団」側人間の思い上がりに過ぎないようだ。

第四に、1月14日付け文春オンライン「《毎日は情けない》統一教会報道、新聞ウォッチャーが”悪い意味”で「驚かされた社説」とは? 新聞エンマ帖」を紹介しよう。
https://bunshun.jp/articles/-/60076
・『手練れの業界ウォッチャーが、新聞報道にもの申す! 月刊「文藝春秋」の名物連載「新聞エンマ帖」(2023年2月号)を一部転載します。 岸田政権「勝ちに不思議の勝ちあり」  政治報道の浅薄さに振り回された1年だったと思う。プロ野球の故・野村克也監督は「勝ちに不思議の勝ちあり」と言ったが、前半戦はまさにそうだった。 夏の参院選で岸田文雄自公政権がなぜ勝てたのか、紙面を読んでも全然分からない。「新しい資本主義」など首相のお題目が紙面を席捲したが、中身のなさは首相の説明も記事も同じだった。「野党第一党」を賭けた立憲民主党と日本維新の会の戦いを囃し立てたが、結局は「二弱」のオチだった。それで首相が「黄金の3年間」を手にしたと書かれても、狐につままれた思いしか残らない。 その後の政権の「連敗」ぶりは今更書くまでもないが、内閣支持率が30%台に急落するや、すぐにでも政権が倒れそうな紙面へ早変わり。そのあげく、昨年12月2〜4日にNNNと読売新聞が行なった世論調査で内閣支持率が3%上昇して39%になると、「“下げ止まり”の理由は?」(日テレNEWS)とくる。 いやはや、何とも腰の定まらぬ有り様だが、まだ終わらない。 NHKが9日から3日間行なった調査では、内閣支持率が33%から36%へと回復し、防衛力整備の水準を5年間で43兆円にする方針にも、賛成51%が反対36%を上回った。財源を巡り法人税など増税を検討する方針にさえ、61%対34%と賛成が倍あった。 反転攻勢の兆しかと思いきや、それが1週間後の17、18日に毎日が実施した調査でまた変わる。内閣支持率が発足以来最低の25%を記録したうえ、防衛費増額の賛否も48%対41%と拮抗する。ただ、詮無いのは財源問題だ。 増税と経費削減、国債発行の3つで賛否を聞くが、それぞれ23%対69%、20%対73%、33%対52%で反対が圧倒した。思いつく財源の在処がおしなべて否定された後で、それならいったいどうしろというのだろう。 当初は世論にも賛成論が少なくなかったのに、首相の拙速さと説明不足が仇となって反対論の急増を招くのは、確かに安倍晋三氏の国葬の時と同様の道行きではある。その意味では「負けに不思議の負けなし」とも言えるが、新聞の調査がうつろいやすい世論の反応を伝えるだけで良いものか。 しかもその数字に基づき、黄金の3年間とか下げ止まりとか危険水域とか退陣はいつかとか、浅薄な政局観を月替わりや週替わりで垂れ流す。防衛論議をはじめ、世論は政策や政権のどこを評価してどこに反省を迫っているのか。そこを問い冷静に分析を施さない限り、世論調査はただ世論を迷わせるだけである』、「新聞の調査がうつろいやすい世論の反応を伝えるだけで良いものか。 しかもその数字に基づき、黄金の3年間とか下げ止まりとか危険水域とか退陣はいつかとか、浅薄な政局観を月替わりや週替わりで垂れ流す。防衛論議をはじめ、世論は政策や政権のどこを評価してどこに反省を迫っているのか。そこを問い冷静に分析を施さない限り、世論調査はただ世論を迷わせるだけである」、同感である。
・『教団関連の質問はゼロ  物忘れしやすいことの例えである「鶏は三歩歩けば忘れる」との言葉を思い出した。 きっかけは旧統一教会問題に端を発した被害者救済法成立を受けた岸田文雄首相の記者会見と社説である。成立から数時間後の12月10日夜の会見では、13人の記者から教団関連の質問はゼロ。「終わったことはすぐに忘れる」という現場の記者の記憶力にも驚くが、翌11日朝刊の社説にはもっと驚いた。 それまでメディアが厳しく追及してきた自民党と教団との深い関係への言及が薄まっているのだ。朝日が「教団と政治 解明まだだ」との見出しで、安倍晋三元首相や萩生田光一政調会長と教団との関係が解明されていないことをかろうじて指摘したが、この点を同じように問題視してきていた毎日は情けない。「献金被害の救済法成立 むしろ議論はこれからだ」と題した長行の社説を掲げたが、自民と教団との関係には全く言及がないのだ。 「新聞エンマ帖」全文は、「文藝春秋」2023年2月号と、「文藝春秋 電子版」に掲載されています』、「被害者救済法成立を受けた岸田文雄首相の記者会見と社説である・・・翌11日朝刊の社説にはもっと驚いた」、「それまでメディアが厳しく追及してきた自民党と教団との深い関係への言及が薄まっているのだ。朝日が「教団と政治 解明まだだ」との見出しで、安倍晋三元首相や萩生田光一政調会長と教団との関係が解明されていないことをかろうじて指摘したが、この点を同じように問題視してきていた毎日は情けない。「献金被害の救済法成立 むしろ議論はこれからだ」と題した長行の社説を掲げたが、自民と教団との関係には全く言及がないのだ」、「社説」は一般の記者ではなく、ベテランの論説委員が担当するのに、「それまでメディアが厳しく追及してきた自民党と教団との深い関係への言及が薄まっている」、とは驚かされた。忘れているのか、不勉強なのかは分からないが、全く「情けない」限りだ。
タグ:安倍元首相暗殺事件 (その6)(「本部は都内超一等地から地方へ…」旧統一教会が"宗教サークル"に転落すると地方で巻き起こる迷惑千万 宗教法人格の剥奪が生み出す"新たなリスク"、日本マネーが支える韓国「統一教」に迫る2題(本拠地・韓国では想像もつかない「サイビ宗教」と日本の政治の結束、「自民党に教団を切る覚悟はあるのか」韓国に住む日本人信者は怒りをぶちまけた)、《毎日は情けない》統一教会報道、新聞ウォッチャーが”悪い意味”で「驚かされた社説」とは? 新聞エンマ帖) PRESIDENT ONLINE 鵜飼 秀徳氏による「「本部は都内超一等地から地方へ…」旧統一教会が"宗教サークル"に転落すると地方で巻き起こる迷惑千万 宗教法人格の剥奪が生み出す"新たなリスク"」 「裁判所が解散命令を出せば宗教法人格を失い、宗教団体(任意団体)へと転落する。すると社会的信用を失うだけではなく、税制優遇などが受けられなくなる。つまり法人税、固定資産税、都市計画税、相続税などが課税される」、「税制優遇などが受けられなくなる」のはダメージが大きそうだ。 「宗教法人解散請求」は遠慮せず、必要であれば即刻行うべきだ。 「「カルト」や「マインドコントロール」の定義こそを、議論すべきではなかっただろうか。真っ当な宗教と、一線を引いて適切に運用させるためにも、この2つの定義こそが重要であったと思う」、その通りだ。 「政治と宗教の接近は、日本が再び暗い時代への一歩を踏み出したことの暗示だと、考えるべき」、「政治と宗教の接近」しても、「信教の自由」が守られるよう、監視してゆく必要がある。 日刊ゲンダイ「日本マネーが支える韓国「統一教」に迫る:本拠地・韓国では想像もつかない「サイビ宗教」と日本の政治の結束」 「韓国ではこうした問題は注目されず、メディアを通してもほとんど話題になっていない」、これほどの違いがあるとは驚かされた。 「韓国社会では、旧統一教会の教義は「異端」とされ、一般的な宗教団体としては認知されていない。 個人崇拝や多額の献金を要求する新興宗教を、韓国では「サイビ宗教」と呼ぶ。「サイビ」を漢字で記すと「似而非」。「宗教とは似て非なるカルト集団」という意味合いだ。韓国社会で旧統一教会は、まさに「サイビ宗教」として認識されている」、「「サイビ宗教」と政界が結びつくことなど、韓国人にとっては「想像もできない話」、なるほど。 日刊ゲンダイ「日本マネーが支える韓国「統一教」に迫る:「自民党に教団を切る覚悟はあるのか」韓国に住む日本人信者は怒りをぶちまけた」 「内容が不十分との批判もあるが、旧統一教会にとって大きな圧力となったのは間違いない」、とりあえずの対応としては、やむを得ない。 「教団が自民党や日本のためにしてきたことはたくさんある。そうした協力を得ることができなくなることへの『覚悟』という意味です」、どう考えても、「教団」側人間の思い上がりに過ぎないようだ。 文春オンライン「《毎日は情けない》統一教会報道、新聞ウォッチャーが”悪い意味”で「驚かされた社説」とは? 新聞エンマ帖」 「新聞の調査がうつろいやすい世論の反応を伝えるだけで良いものか。 しかもその数字に基づき、黄金の3年間とか下げ止まりとか危険水域とか退陣はいつかとか、浅薄な政局観を月替わりや週替わりで垂れ流す。防衛論議をはじめ、世論は政策や政権のどこを評価してどこに反省を迫っているのか。そこを問い冷静に分析を施さない限り、世論調査はただ世論を迷わせるだけである」、同感である。 「被害者救済法成立を受けた岸田文雄首相の記者会見と社説である・・・翌11日朝刊の社説にはもっと驚いた」、「それまでメディアが厳しく追及してきた自民党と教団との深い関係への言及が薄まっているのだ。朝日が「教団と政治 解明まだだ」との見出しで、安倍晋三元首相や萩生田光一政調会長と教団との関係が解明されていないことをかろうじて指摘したが、この点を同じように問題視してきていた毎日は情けない。 「献金被害の救済法成立 むしろ議論はこれからだ」と題した長行の社説を掲げたが、自民と教団との関係には全く言及がないのだ」、「社説」は一般の記者ではなく、ベテランの論説委員が担当するのに、「それまでメディアが厳しく追及してきた自民党と教団との深い関係への言及が薄まっている」、とは驚かされた。忘れているのか、不勉強なのかは分からないが、全く「情けない」限りだ。
nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感

大学(その12)(日本の大学教授の脳は「前頭葉が弱い」と言い切れる残念すぎる理由、池上彰氏「ウクライナ危機とソ連・冬戦争。なぜ教養を学ぶのか」、池上彰氏と考える教養 “奴隷的”な現代人が小説を読むべき理由、「大学院卒」でも企業では評価されない…世界中で進む高学歴化に日本だけが取り残されている理由 「高偏差値大学の卒業生は優秀」はもう古い) [社会]

大学については、昨年9月20日に取上げた。今日は、(その12)(日本の大学教授の脳は「前頭葉が弱い」と言い切れる残念すぎる理由、池上彰氏「ウクライナ危機とソ連・冬戦争。なぜ教養を学ぶのか」、池上彰氏と考える教養 “奴隷的”な現代人が小説を読むべき理由、「大学院卒」でも企業では評価されない…世界中で進む高学歴化に日本だけが取り残されている理由 「高偏差値大学の卒業生は優秀」はもう古い)である。

先ずは、昨年11月29日付けダイヤモンド・オンラインが掲載した精神科医の和田秀樹氏による「日本の大学教授の脳は「前頭葉が弱い」と言い切れる残念すぎる理由」を紹介しよう。
・『大学教授がもっとも前頭葉が弱いなどと言うと、「いくら何でも言い過ぎでは」と言われそうですが、決して誇張ではありません。一般社会のビジネスパーソンと比べると、違いは明らかです。研究を沈滞化させる要因として挙げられるのが、給与のしくみです。 ※本稿は、和田秀樹『50歳からの「脳のトリセツ」』(PHPビジネス新書)の一部を抜粋・編集したものです』、興味深そうだ。
・『偉くなってしまえば論文を書かなくてよくなるという問題  大学教授がもっとも前頭葉が弱いなどと言うと、「いくら何でも言い過ぎでは」と言われそうですが、決して誇張ではありません。 一般社会のビジネスパーソンと比べると、違いは明らかです。どのような職種であれ、ビジネスパーソンは成果を求められます。しかし大学教授は、偉くなりさえすれば成果など必要なくなります。 論文の本数も、自分の研究室のメンバーが書いたものに名を連ねるだけでなんとかなります。まったく書かない教授も珍しくありません。論文の本数が少なかろうとクビの心配はないのですから、定年まで楽に過ごせます。 ちなみに、理化学研究所などの研究者は、発表した論文の本数が評価の対象になります。評価が低ければ、職を失うことにもなります。研究者にとってはハードですが、大学のようなぬるま湯とは大違いです。 なぜ大学では、こうした決まりが設けられていないのでしょうか。それは、ぬるま湯でいてほしい人たちがいるからです』、「ぬるま湯でいてほしい人たちがいる」、教授たち以外にもいるのだろうか。
・『ぬるま湯を望む人は、大学の外側にも  教授たちだけではありません。ぬるま湯を望む人は、大学の外側にも存在します。文科省や厚労省などの官僚たちです。 彼らは在任中や退官後に大学教授として再就職することをあてにしています。つまり、天下りです。官僚の天下りは国家公務員法で禁止されていますが、今も数々の抜け道があり、とりわけ大学は大きな受け皿となっています。「公募に応じて」という体裁をとりながら、実は前職の力にものを言わせて、論文を一本も書かずに教授に収まるわけです。 そんな彼らにとって、天下り先がハードな環境になるのはもっとも避けたいところ。将来の自分の首を絞めるような決まり事をつくるはずがないのです。 この思惑がある限り、大学のぬるま湯環境は変わらないでしょう。逆に言えば、大学への天下り規制が強化されれば、日本の研究環境も少しは向上するかもしれません』、「文科省や厚労省などの官僚たち」「は在任中や退官後に大学教授として再就職することをあてにしています。つまり、天下りです。官僚の天下りは国家公務員法で禁止されていますが、今も数々の抜け道があり、とりわけ大学は大きな受け皿となっています」、なるほど。
・『研究者のやる気をなくす大学のシステム  もう一つ、研究を沈滞化させる要因として挙げられるのが、給与のしくみです。 日本の大学教授は、成果を出そうと出すまいと、大学から一定額の給与が支払われます。 他方、アメリカの大学教授の場合は、自力で稼いでくるシステムです。大学からもらう給与もありますが、日本に比べるときわめて低額です。ですから彼らは行政や企業に掛け合って、「グラント(研究費)」を集めます。 受け取ったグラントをどう使うかは教授の自由です。10のうち8を研究資金にして2割を報酬にしてもいいし、7:3でも6:4でも、好きに決められます。 グラントが集められるかどうかは、教授およびその研究室が結果を出しているか、もしくは有望であるかによって決まります。成果や実績、研究内容の持つ意義やポテンシャルなどを認めてもらえない限り資金は得られず、研究も続けられないし、生活も成り立ちません。研究者は自分の業績をもとに営業活動をし、研究室を運営していく「経営者」とも言えます。研究室にいい人材を集めるための努力も欠かせません。 対して、給与をもらっている日本の大学教授は「従業員」の立場ですが、業績にかかわらず給与が出るので、一般のビジネスパーソンよりも楽です。やる気のない人ほど嬉しい環境とも言えます。 逆に言えば、やる気のある人にとっては、恵まれた環境ではありません。と言うのも、研究の成果が報酬に直結しづらいシステムだからです。アメリカと違い、研究費は研究以外のことには使えません。研究の成果が出ても、それが商品化されてお金になるまで、報酬にはなりません。研究のほとんどは、お金を生み出すに至らなかったり、至ったとしても途方もない時間がかかりますから、やりがいにはいま一つ結びつきません。 もちろん、モチベーションの源はお金だけではありません。報酬など気にせず、意義ある研究や発見のために邁進(まいしん)するのも一つの姿勢です。ところが日本の学界は、研究の価値を正当に評価する意識も希薄なのです。iPS細胞のような「特大ホームラン」でもない限り、さほど注目されることもありません。そうしたなかで、もともとやる気のある研究者でも、徐々にやる気を失っていくのです』、やはり「日本」でも「研究の価値を正当に評価する」努力を重ねてゆくべきだろう。さもないと、日本は世界から取り残されてしまうだろう。

次に、12月2日付け日経ビジネスオンラインが掲載したジャーナリスト・東京工業大学リベラルアートセンター教授の池上 彰氏と、東京工業大学教授の 上田紀行氏による対談「池上彰氏「ウクライナ危機とソ連・冬戦争。なぜ教養を学ぶのか」」を紹介しよう。
https://business.nikkei.com/atcl/gen/19/00087/112200321/
・『(Qは聞き手の述懐、質問) Q:このたび、日経ビジネス人文庫から『池上彰の教養のススメ』が刊行になりました。もともとは今から8年前、2014年に単行本として刊行され、累計10万部を超えるベストセラーになった1冊です。 12年、教養を教える教授として東京工業大学に着任した池上彰先生(現在は、特命教授)。着任から間もない時期に、仲間の先生たちと「教養とは何か?」「教養の本質とは何か?」について考え、語り合ってつくったのが『池上彰の教養のススメ』です。文庫化にあたって仲間の1人、東京工業大学教授(副学長)で文化人類学が専門の上田紀行先生との対談をお届けします。 『池上彰の教養のススメ』が刊行されたのち、ビジネス書の世界では、教養の一大ブームが訪れました。なぜ今、教養なのでしょうか。そして教養を学ぶ本当の意義とは? 池上先生と上田先生と一緒に考えます。  このたび、『池上彰の教養のススメ』を文庫化するにあたって、じっくりと再読しました。文庫化する前の親本を編集したのは、現在は東工大でメディア論を研究する柳瀬博一教授です(当時は日経BPに所属)。驚かされたのは、14年当時、池上先生がこう書かれていたことです。 死に絶えたはずの「教養」に今、急速に注目が集まりつつあります。 ビジネス書の世界では、その後、教養の一大ブームが到来しました。今も書店にいけば「教養」をタイトルに冠した本が多く並び、ベストセラーも何冊も出ています。『教養としてのワイン』(18年刊行、*1)、『教養としての投資』(20年刊行、*2)、『教養としての茶道』(21年刊行、*3)など。かくいう私も教養にはコンプレックスがあり、これらの本をおおいに関心を持って興味深く読みました。 池上:ブームの火付け役の一端を担えたなら、光栄ですね。ただ、ちょっと気になるのは、このごろの教養本のニーズが、「すぐに役立つ教養本」に傾いていないか、ということです。 Q: 「すぐに役立つ教養本」ですか。 池上:それって、形容矛盾じゃないかと思うのです。 *1:『世界のビジネスエリートが身につける 教養としてのワイン』 *2:『ビジネスエリートになるための 教養としての投資』 *3:『世界のビジネスエリートが知っている 教養としての茶道』 (池上彰氏の略歴はリンク先参照)』、「『池上彰の教養のススメ』が刊行されたのち、ビジネス書の世界では、教養の一大ブームが訪れました」、現在のブームの基礎をつくったとはさすがだ。
・『すぐに役に立つものは、すぐに役に立たなくなる  池上:慶応義塾大学の中興の祖といわれ、上皇陛下が皇太子時代にご進講した小泉信三は、かつて学問についてこんな言葉を残しています。 すぐに役に立つものは、すぐに役に立たなくなる(教養というのは本来、すぐに役に立つものじゃないんだよ。だけど、じりじりと自分の生き方に影響が出てくるものなんだよ。小泉信三はこの言葉で、こんなことをいいたかったんじゃないかと思うんです。 私は東京工業大のリベラルアーツ研究教育院で、特命教授として理系の大学生に現代史などの「教養」を教えています。リベラルアーツ研究教育院の前身となるリベラルアーツセンターに着任したのは12年のことでした。『池上彰の教養のススメ』は、東工大に着任して間もないころに、仲間の先生たちと「教養とは何か」「教養の本質とは何か」について、じっくりと語り合ってつくった本です。私が東工大で担当する講義は、日本や世界の現代史、現代社会の仕組みなどですが、歴史を学ぶ意義については、こんな言葉があります。 歴史は繰り返さないが、韻を踏む(米国の作家マーク・トウェインの言葉とされています。「されている」というのは、マーク・トウェインの言葉だといわれてきたものの、いくら調べても出典が見つからないんですね。 しかし、なるほど確かに、歴史上の出来事というのは、そのままその通りに繰り返さないけれど、今現在、起きている出来事が、「あ、あのときのあれにそっくりだな」ということはよくあって、まさに「韻を踏む」状況になっているじゃないか、と思うことは、よくあります。 かつてソ連がフィンランドに攻めこんだことがあって、国際世論の非難を浴びました。第2次世界大戦の勃発から間もないころのことで、ソ連・フィンランド戦争、ないしは冬戦争などと呼ばれます。このとき、ソ連は準備不足だったところに、フィンランド軍が粘り強く抵抗して、散々な目にあいました。すると、あれ? ロシアが今、ウクライナに攻めこんで、同じようなことを繰り返しているじゃないか、と思うわけです。 Q: そうでしたか。私は高校時代、世界史を選択していましたが、ソ連とフィンランドの戦争については、まったく記憶にありません。高校時代に教わっていたとしても、「こんなマニアックな知識が、何の役に立つのだろう? 入試でもあまり出なさそうだし」なんて考えたんじゃないかという気がします。 池上:歴史というのは、学んでもすぐには役に立ちません。けれど、「韻を踏む」さまを目の当たりにすることで、人間の愚かさというものが見えてきて、それによって現代の世界を分析することもできる。長い人間の歴史を見ることによって、今を深く見る視点が養われる。そういう役割が教養にはあるのではないかと思います。 Q: そんな教養が、一度は「死に絶えた」と、池上さんは14年に書かれています。教養が「死に絶えた」とは、どういうことでしょうか?』、「歴史は繰り返さないが、韻を踏む(米国の作家マーク・トウェインの言葉)、確かに思い当たる節がある。「歴史というのは、学んでもすぐには役に立ちません。けれど、「韻を踏む」さまを目の当たりにすることで、人間の愚かさというものが見えてきて、それによって現代の世界を分析することもできる。長い人間の歴史を見ることによって、今を深く見る視点が養われる。そういう役割が教養にはあるのではないかと思います」、その通りだ。
・『1990年代、大学で教養が「死に絶えた」?  池上:それについては、東工大教授で、ともにリベラルアーツを教えている上田紀行先生に解説していただきましょう。 上田:ありがとうございます。実は、池上先生を東工大に招いたのは、リベラルアーツセンターの初代センター長を務められた桑子敏雄先生(現在は退官し、名誉教授)と私なんです。 池上:最初は桑子先生と上田先生、それに私の3人だけという小さな所帯でした。 上田:それが今では、60人以上の教授を擁するリベラルアーツ研究教育院に発展しました。ほかの大学から、話を聞かせてほしいと声がかかることも多くて、「日本の大学におけるリベラルアーツ回帰の流れを、東工大がつくった」といわれることもあります。それについては、私には複雑な思いがあるのですが……。と、その話はのちほどするとして、今は、教養が一度は「死に絶えた」ことの解説でしたね。 1991年に「大学設置基準」が改訂されて、多くの国立大学で「教養学部」が解体されました。東工大でもこのころ、学部の教養教育を解体して、大学院を設置しました。「大学は専門教育に重点を置くべきであり、大学に教養教育は要らないのではないか」という文脈です。 90年代前半は、どこの大学でも、教養科目が軽んじられるようになりました。特に、文系の教養科目は軽んじられましたね。 Q: 桑子先生が研究していた哲学や、上田先生の専門である文化人類学といった科目ですね。 池上:その流れが変わったきっかけが、95年、オウム真理教による地下鉄サリン事件だったのですね。 上田:私に「東工大で教えないか」と声がかかったのは、地下鉄サリン事件の翌年、96年のことです。私が当時、研究していたのは「スリランカの悪魔祓い(あくまばらい)」と「癒やし」で、理系教育とはおよそ縁遠かったので、驚きました。東工大の学生は、そんなに「癒やし」を求めているのだろうか、とも。 池上:当時、オウム真理教の幹部に理系出身者が多かったことが問題視されていました。日本の大学の理系教育が、専門教育に偏ったツケが回ってきたのではないか。あまりに純粋培養で、世間知の乏しい若者に育てているんじゃないか、と。 Q: 揺り戻しは90年代後半から始まっていたのですね。 池上:大学の一般教養科目は昔、「パンキョー」と呼ばれていて、多くの学生にとって「つまらない科目」であり、「単位の取りやすい科目を選ぶ」のが普通でした。そこで一般教養を排除したら、大学から出てくる若者たちには、やっぱり教養がなくて、それではいけないということになった。そういう見直しの機運を、具体的な組織の形に落としこんだ先駆けが、東工大のリベラルアーツセンターだったと思います。 上田:教養の見直しという動きには、今、池上先生がおっしゃった「大学の側からの反省」という文脈もありますが、「社会の側からの需要」という文脈もあると思います。(上田紀行氏の略歴はリンク先参照)』、3人だけの世帯から、「60人以上の教授を擁するリベラルアーツ研究教育院に発展」とは大したものだ。「きっかけは、オウム真理教による地下鉄サリン事件」、「オウム」の数少ないプラスの効果だ。
・『教養とは漢方のようなもの  上田:2000年代以降の日本社会は、ショートタームの評価に駆り立てられる方向にどんどん進んでいきました。その結果、人間のブレス(呼吸)がすごく浅くなってしまったように感じるんです。例えば、この四半期でどれだけ利益を出せるか、損失をどれだけ埋められるかと、目標がどんどんと小刻みになっていった。そんななかで働いている人たちがふと「ああ、自分たちは何のために働いているんだろう」と思う。目先の目標に振り回されるままではいけないのではないか。何か人としての根っこのようなものが必要なんじゃないか。そんな思いが、多くの人たちのなかに、実感として湧き上がってきたのではないか、と。  Q:そんな切実な実感が、ビジネス書における教養ブームの素地になっている。 上田:2000年代には、日本のものづくりへの信頼を失墜させる事件も相次ぎました。大手自動車メーカーのリコール隠し、マンションの耐震偽装、大手電機メーカーの不正会計など。これはもう、企業倫理が崩壊してしまったとしか思えない、信じられないような事件の数々を次々に目の当たりにしたときに、「教養」や「リベラルアーツ」といった言葉にはどこか人々の心にヒットするものがあったんじゃないかと。 Q: 東工大の卒業生には、日本のものづくりを担う人たちが多くいます。上田先生にとって切実な課題ですね。 上田:教養教育の弱体化の裏側には、専門教育の強化があったわけです。専門教育を早くからやって「即戦力」を育てるということですね。即戦力を持つ人こそが「強靱(きょうじん)」であるという考え方です。 そのような「強靱化」というのは「ロボットの強靱化」みたいなものなんですね。教養というのは漢方のようなもので、学んですぐに効くわけじゃないけれど、時間をかけてじわじわと効いてくるわけです。それに対して、専門教育は、例えていえば、生薬のなかから特定の何かによく効く成分だけ取り出して凝縮して、注射で打つといったイメージでしょうか。そういうアプローチは、急性の病に対応するのにはいいかもしれませんが、人間としての生命力を支えるところにはつながらないのですね。なんというか、想定外のことが起きたときに、非常に弱い人間をつくってしまうんです。 Q: 大学の教育において、漢方のように時間をかけてじわじわ効くというアプローチが軽んじられた。そのことにはやっぱり問題があって、今の教養ブームにつながっている、と。 池上:今の話に付け加えれば、日本の大学の教養教育が弱くなった1990年代に学生時代を過ごした人たちが、40代、50代になってふと、自分の教養のなさに気づく。そんなこともあるのでしょう。例えば、管理職なり、リーダーの役割を担う立場に立ったとき、若者に語るべき言葉を自分が持っていないことに気づいて驚く。そこで教養を学び直そうと思い立つ。20代、30代というのは、無我夢中で働いていますから、そういうことにはあまり気づかないものです。 Q: ああ、私も90年代に大学時代を過ごしていて、思い当たることばかりです。 池上:上田先生のいう「社会の側」からの文脈では、イノベーションという側面も見逃せません。(次回に続く)』、「大学の教育において、漢方のように時間をかけてじわじわ効くというアプローチが軽んじられた。そのことにはやっぱり問題があって、今の教養ブームにつながっている、と」、その通りだ。

第三に、この続きを、12月21日付け日経ビジネスオンラインが掲載したジャーナリスト・東京工業大学リベラルアートセンター教授の池上 彰氏と、東京工業大学教授の 上田紀行氏による対談「池上彰氏と考える教養、“奴隷的”な現代人が小説を読むべき理由」を紹介しよう。
https://business.nikkei.com/atcl/gen/19/00087/120900327/
・『東京工業大学の池上彰特命教授と、上田紀行教授(副学長)が、教養について語り合う、シリーズ企画(*)。文庫版『池上彰の教養のススメ』の刊行を機に、あらためて教養の意義を考えました。 ギリシャ・ローマ時代の奴隷と、組織で働く現代人はどこか似ている。“奴隷”から抜け出し、自由市民になるために、私たちができることとは? (Qは聞き手の述懐、質問)* 前回は「池上彰氏『ウクライナ危機とソ連・冬戦争。なぜ教養を学ぶのか』」 Q: ビジネス書やビジネス誌の世界では、2010年代前半から「教養ブーム」といわれています。そのブームは沈静化するどころか昨今、教養へのニーズはさらに高まっている気がします。 池上彰氏(以下、池上):それには2つの文脈があると、前回、上田先生に整理していただきましたね。「大学側の反省」と「社会の側の需要」の2つです。大学側の反省については、すでにお話ししましたが、社会の側の需要として見逃せないのが、イノベーションです。 イノベーションと教養といえば、有名なところでは、スティーブ・ジョブズとカリグラフィーですね。(池上彰氏の略歴はリンク先参照)』、興味深そうだ。
・『教養とは「自分を自由にする技」  池上:ジョブズは、マウスを使ったパソコンからスマートフォンまで、私たちの生活を大きく変える革新的な製品を多く世に出しましたが、大学はドロップアウトしています。その彼が、唯一大学でちゃんと学んだのが、カリグラフィーでした。ペンを使った西洋書道ですね。カリグラフィーを学んだことが、アップル製品の妥協ないデザインにつながったと、ジョブズは語っています。 カリグラフィーは、いかにもビジネスには「役に立たなさそう」な教養学問ですが、未来を生む創造的な力をジョブズにもたらしました。 Q: 逆にいえば「すぐに役に立つものは、すぐに役に立たなくなる」。前回、教えていただいた小泉信三氏の言葉を思い出します。 池上:日本企業がアップルのような製品を出せないとしたら、教養が足りない、のかもしれません。 一方、経営学の世界では昨今、「両利きの経営」が大変な注目を集めていますよね。米国のスタンフォード大学とハーバード大学の先生たちが広めた考え方で、イノベーションを起こすには、既存事業の知見を深掘りする「知の深化」だけでは不足があるとします。知の深化と同時に、いろいろなことへ知見を広げていく「知の探索」が必要である。この2つを同時並行でできるのが両利きの経営で、これこそがイノベーションを生むというわけです。 私と上田先生は、東工大で教養を教える仲間であるわけですが、この論を大学教育に当てはめるなら、知の深化を促すのは専門教育であり、知の探索を担うのが教養教育、ということになります。 Q: 社会の側の教養に対する需要としてもう1つ、上田先生が前回、「人としての根っこのようなもの」が必要なのだと指摘されていました。 上田紀行氏(以下、上田):はい、ショートタームの評価に駆り立てられて働く、現代の日本人にとって切実な課題だと思います。 私は今、東工大の副学長ですが、やっぱり評価システムにさらされているわけです。だいたいのみなさんが、今は評価にさらされていますよね。しかも、四半期だとか、毎月だとか、評価のスパンが短い。それはなかなかしんどいことです。 そういう状況を生き抜くうえで、評価とか成果とかと関係なく、自分の魂が喜ぶところを知り、心に持っておくことは重要だと思います。音楽でも小説でも哲学でも短歌でもボランティア活動でも、自分の魂が深く喜ぶところを1つでも2つでも知っていれば、短期的な評価だとか、儲かるかどうかといった話で心がぐらつくことは減っていきます。それが教養であり、リベラルアーツであり、リベラルアーツというのは、その名の通り、「自分を自由にする技」なんですね。 Q: リベラルアーツは、自分を自由にする技、ですか。 上田:はい、話はギリシャ・ローマ時代まで遡ります。(上田紀行氏の略歴はリンク先参照)』、「リベラルアーツというのは、その名の通り、「自分を自由にする技」なんですね」、言い得て妙だ。
・『現代人は、多分に「奴隷的」である  上田:リベラルアーツは一般に「教養」と訳されますが、あらためて考えれば「リベラル(自由)+アーツ(技)」なんですね。 そして、ギリシャ・ローマ時代には「自由市民」と「奴隷」という階級がありました。 自由市民というのは、例えば、ソクラテスやプラトン、アリストテレスのような人たちです。自由市民は「ポリス」という共同体で直接民主政を担う政治家でもありました。だから、共同体をどう導くかについて、日々、思いを巡らせていました。自分の知性と感性を総動員して、共同体の未来を考え、「絶対的な善とは何か」といったことを考えていたわけです。 一方の奴隷ですが、何も鞭(むち)打たれて働かされていたわけではありません。奴隷とは「自由市民の指示で働く労働者」です。指示通りに働くわけですから知性はさほど使いませんし、感性となったらもう、ほとんど使いません。 そう考えると、現代社会の組織の末端で働く私たちには、多分に奴隷的なところがあるわけです。池上先生は自由市民だと思いますが(笑)、副学長であるところの私は当然、学長の指示に従いますし、文部科学省に命じられて、いろんな書類を書いたりしているわけです。ときには「こんな面倒な書類に、どんな意味があるのかなあ」などと思いながら。これはいかにも奴隷っぽいですね。  そうであっても私たちは100%奴隷では生きていけません。リベラルアーツや教養といった言葉が、今、私たちの胸に響くとすれば、そういう事情があると思います。 Q: なるほど。先ほど池上先生が指摘された「イノベーション」が、どちらかというと企業経営の課題であるとしたら、上田先生にご指摘いただいた「人としての根っこ」は、企業をはじめとする組織で働く個人の課題という印象を受けます。教養と「人としての根っこ」の関係について、池上先生は、どう考えますか。 池上:そうですね。例えば、理系の学生が企業に就職して、研究開発部門で働いていたとします。そこで自分の専門分野を探索して、研究成果が上がり、製品化されて、利益が上がった。すると、それだけで喜んでしまって、その成功が副作用として社会にどういう影響を与えているかが見えない。そもそも視野に入っていない、ということが、往々にして起きます。 日本の現代史を振り返れば、水俣病があります』、「理系の学生が企業に就職して、研究開発部門で働いていたとします。そこで自分の専門分野を探索して、研究成果が上がり、製品化されて、利益が上がった。すると、それだけで喜んでしまって、その成功が副作用として社会にどういう影響を与えているかが見えない。そもそも視野に入っていない、ということが、往々にして起きます。 日本の現代史を振り返れば、水俣病があります」、専門バカの怖いところだ。
・『善意の会社員が見落としがちなこと  池上:最初に水俣病の症例が報告されたのは、1956年4月です。原因は、新日本窒素肥料(現チッソ、以下は「チッソ」で統一)という会社が出していた工場排水に含まれる、メチル水銀化合物にありました。ただ、この因果関係が明らかになるまでにはかなり時間がかかりました。当時のチッソは、プラスチックの可塑剤の原料となるアセトアルデヒドの製造で、大成功を収めていたんですね。それまで輸入に頼っていた「オクタノール」という物質を、アセトアルデヒドから誘導・合成することに成功するなど、技術力を誇っていました。 当時、チッソで働いていた研究者はきっと、もっといい可塑剤が作れれば、会社に貢献できる、日本の化学工業界にも貢献できると考えていたと思います。ただ、それだけだと大成功していたアセトアルデヒドの工場周辺で、なぜか奇妙な病気にかかって苦しむ人が出てきているということが、なかなか目に入ってきません。 しかし、チッソの労働組合はやがて、水俣病の被害者の支援に動くようになります。その過程には「自分たちは人間としての志を持っていたか?」「人間として大事なことを忘れていなかったか?」という葛藤があり、気づきがあったのだと思います。 こういうことに気づくには、そもそも人間とは何だろうか、ということを、若いときから幅広い学びのなかで考えることが必要です。若いときに、どれだけ本を読んでいるか、幅広く本を読んでいるか、小説を読んでいるか。  Q:小説ですか』、「当時のチッソは、プラスチックの可塑剤の原料となるアセトアルデヒドの製造で、大成功を収めていたんですね。それまで輸入に頼っていた「オクタノール」という物質を、アセトアルデヒドから誘導・合成することに成功するなど、技術力を誇っていました」、「大成功していたアセトアルデヒドの工場周辺で、なぜか奇妙な病気にかかって苦しむ人が出てきているということが、なかなか目に入ってきません。 しかし、チッソの労働組合はやがて、水俣病の被害者の支援に動くようになります」、「労働組合」が「被害者の支援に動くようになります」、大したものだ。
・『『罪と罰』を読みましたか?  上田:小説はいいです。普段、体験できないようなことをバーチャルに体験できます。そのことによって人間の奥底にある心理とはどういうものか、人としてどう生きるべきかといったことが考えられる。 池上:そう、若いときにそういう時間を持つことが、後年、すごく生きてくる。 Q: 教養は企業倫理にもつながるのですね。確かに「倫理感」といったものは、上司から「持て」といわれて、持てるものではない気がします。いろいろな経験や学びをへて、自分の内面から生まれてくるのが、本当の倫理感かもしれません。 池上:例えば、ドストエフスキーの『罪と罰』なんていうのは、我々の学生時代には必読書でした。要するに「ごうつくばりな婆さんが大金を持っていたって、なんの役にも立たない。だから俺様のものにして有効に使ってやるよ」と、金を奪い、老婆を殺してしまった青年の話です。でも、実際に殺人を犯してしまうと、すごく悩むわけです。心底悩む。その心情を読者は疑似体験するわけです。こういう本を、若いときに社員や役員、経営トップが読んでいるかどうかで、企業がどう成長していくかも変わってくるのではないでしょうか』、私は恥ずかしながら『罪と罰』を読んでない。しかし、「若いときに」読んだとしても、もう忘れている人が多いのではなかろうか。

第四に、本年1月12日付けPRESIDENT Onlineが掲載した昭和女子大学総長・理事長の坂東 眞理子氏による「「大学院卒」でも企業では評価されない…世界中で進む高学歴化に日本だけが取り残されている理由 「高偏差値大学の卒業生は優秀」はもう古い」を紹介しよう。
・『学歴はその後の人生にどのような影響を与えるのか。昭和女子大学総長の坂東眞理子さんは「日本では、偏差値の高い大学に入った人は優秀だ、という思い込みがあるが、国内外の現状は大きく変わってきている」という――。※本稿は、坂東眞理子『思い込みにとらわれない生き方』(ポプラ社)の一部を再編集したものです』、興味深そうだ。
・『「4年制なんかに行けばお嫁に行けなくなる」  ここでは日本の学歴社会に焦点をあてて考えてみたいと思います。 私の世代だと、高校から大学へ進学する女性の割合は10%もいませんでした。特に女性は「女の子に学問はいらない」「東京へは出せない」「女の子が4年制なんかに行けばお嫁に行けなくなる」といった親の思い込みから、成績が良くても、大学に進学できない人が数多くいました。そして、「それでも勉強したい」と望む場合には短大へ進学したものでした。 つまり、昔は、優秀だけれども親のアンコンシャス・バイアス(無意識の思い込み)の影響で、短大や高校卒業という進路を選ばざるを得なかった女性が多かったのです。 しかし今は、短大卒と言うと「成績が悪くて4年制に行けなかったから短大に行った」という偏見をもっている人もいます。そういったことも影響して短大への進学率が著しく下がっていますし、短大そのものの数も減ってきています』、「短大への進学率が著しく下がっていますし、短大そのものの数も減ってきています」、その通りだ。
・『「学歴フィルター」は給与には作用しない  大企業は、ほとんどが大卒を採用するので、大学を出ていることが必要となっています。 日本の場合、時代によって「大学に行くのがスタンダード」になったり「高校卒がスタンダード」になったりしており、今は偏差値の高い大学を出ることが学歴の良さだという思い込みがあるのです。しかし入試の偏差値が高い大学も入学してしまえば、ほとんどの人が卒業できますし、大学の成績は就職であまり考慮されなくなっています。 しかし、他の国はそうではありません。 例えば、アメリカは日本以上に学歴社会です。大学入学は日本より楽ですが、勉強しなければ留年、退学です。卒業するまでしっかり勉強して良い大学を出て、さらに大学院や専門職大学院へ進学して良い成績をとっていれば、高いお給料の仕事に採用される、というシステムなのです。企業は、人材が必要になったら新卒者だけでなく中途転職者も募集し、採用します。 しかし日本は、「大卒」として4月に全部一律に採用し、大卒の新入社員は一律の給料です。就職試験の面接時などでは少なからず、卒業予定大学名でのアンコンシャス・バイアスのフィルターがかかるのに、大学名や大学時の成績の差が給与として反映されることはありません』、「卒業予定大学名でのアンコンシャス・バイアスのフィルターがかかるのに、大学名や大学時の成績の差が給与として反映されることはありません」、その通りだ。
・『大学生は自由を謳歌していればよかったが…  つまり日本では「大学で何を学んできたか、より入試の偏差値が高い大学に入学する人が優秀」というアンコンシャス・バイアスがあるのです。アメリカでは、修士号、博士号をもっているのが高学歴者で、有名大学でも学部卒は高学歴とみなされません。 日本のほとんどの企業では、学生が大学時代に学んできたことと、社会人になってからの仕事に関係がないということも問題です。 ちなみに、学歴と関連して「進学した後、大学で何をするか」というとらえ方も変化してきました。20〜30年くらい前までの日本の大学では、「厳しい受験戦争を乗り切ったのだから、あなたの優秀さは証明されました。その後4年間はサークルや部活動など好きなことをしてください。仕事に必要な知識は入社してから職場で教えます」といった風潮がありました』、かつては「大学生は自由を謳歌していればよかった」、「仕事に必要な知識は入社してから職場で教えます」、その通りだ。
・『「大卒」だけではライバルと差別化できない  が、今はそうではありません。 そのように変化した背景には企業が丁寧に教育・訓練する余裕がなくなったことと、大卒の人間が増え、ライバルが多くなったことがあります。「資格を取ろう」「スキルをつけよう」というように、大卒という資格に、さらに付加価値をつけようとする学生が増えてきています。学生のうちから企業のインターンに参加し、就業経験を積む学生も多くなっています。 このように学歴に関するアンコンシャス・バイアスは、少子高齢化で大学全入になっている現実を反映してどんどん変わってきました。そして今後も変わっていく、ととらえたほうが良いと考えています。 最近では一般入試より前に行われる推薦入試などで入学する学生も増えています。今後、偏差値は意味をなさなくなるでしょう。日本の有名校へ進学することが必ずしも正解ではない、そんな時代が来るのかもしれません。 大切なのは情報をきちんと集め、「今後の社会で何が求められているか」「自分はどんなことが得意なのか」を考え、勉強していくことではないでしょうか。 アンコンシャス・バイアスから脱却することは、生き方の多様性を広げることになります。学歴信仰にまどわされることなく、自分らしい生き方をつかんでほしいと思います』、「偏差値は意味をなさなくなるでしょう。日本の有名校へ進学することが必ずしも正解ではない、そんな時代が来るのかもしれません。 大切なのは情報をきちんと集め、「今後の社会で何が求められているか」「自分はどんなことが得意なのか」を考え、勉強していくことではないでしょうか」、その通りだ。
・『「普通の人が進学できる時代」の大きな変化  最終学歴も、特に日本の職業選択においては重要な要素であり、アンコンシャス・バイアスがかかりやすい部分です。 先にもお話ししましたが、時代は変わり、少子高齢化のあおりを受けて、今や過半数の人が大学に行ける時代になりました。 普通の人が進学できる時代になったのです。トップクラスの高校生が進学していた時代と比べて、「今の大学生は昔に比べて勉強しない」とか「頭が悪い」と言われるのは、大学進学率が高くなったからです。 つまり、「大卒」とひと括りで言っても、その内容は時代によって大きく変わるということなのです。今は半分以上の人が大学に行くようになっていますが、おそらくもう一世代経つと今度は「あなたは大卒なの? 大学院は出ていないの?」と馬鹿にされる時代が来るのではないかと、私は内心思っています』、「もう一世代経つと今度は「あなたは大卒なの? 大学院は出ていないの?」と馬鹿にされる時代が来るのではないか」、私もそう思う。
・『急速に高学歴化するアジアの国々  現にアメリカはすでにそのような状況です。普通の会社員の間でも、「マスターズ・ディグリー(大学院修士課程修了で得られる学位)を持っていないの?」といった会話が、日常的にされています。日本で大学院卒というと、何か専門的な学問の研究者といったイメージがありますが、アメリカではごく一般的な会社員や高校教師なども大学院を出ているのが当たり前なのです。 この現象は中国でも見られるようです。大学院の修士号や博士号を持っていると組織内の出世でプラスになるからと、日本に駐在で働く中国の方が3〜5年の駐在期間のうちに大学院で学ぶといった話もよく耳にします。アジアの国々は急速に高学歴化しています。 彼らには「大学院を出ておくことが出世につながるから勉強しよう」という意欲があるのです。それに比べて、日本では大学院を出ていたとしても一般企業ではほとんど評価されません。これでは、他国より教育水準が下がってしまうのも仕方がないとしかいえません。 といっても、教育水準の低下は、日本の大学にも責任の一端があります。大学院は、もっと社会人にも入りやすく、勉強しやすいものにするべきなのです』、「大学院は、もっと社会人にも入りやすく、勉強しやすいものにするべき」、同意する。
・『「社会人は職場で学べ」を変えていくべき  もともと日本の大学院は研究者養成が中心でしたから、普通の職業人たちに勉強してもらおうという意識がなかったのです。そうした社会人を教えられる大学の先生が少ないという問題もあります。この背景には、「社会人は、学校ではなく職場で実際に仕事をしながら学んでください」という考えがあってのことなのでしょう。 しかし、時代は変わってきています。日本の大学、大学院も世界の潮流に合わせて変わっていくべきだと思います。昭和女子大学でも社会人向けの専門職大学院が2023年からスタートします』、「日本の大学、大学院も世界の潮流に合わせて変わっていくべき」、その通りだ。
・『「仕事の能力は学歴ではない」という知恵  一方で、日本における大卒に対する評価も変わりつつあります。一昔前までは「大学を出ていること=幹部候補生」でしたが、現在は専門学校を出た人、あるいはそういったところから叩き上げで社会に出てオン・ザ・ジョブで仕事をする人、高等専門学校(高専)を出た人の評価が高くなっています。 さまざまな企業、特に中堅企業あたりでは、東大卒を採用して失敗した話はたくさんあるけれど、高専卒を採用して失敗した話はないといわれており、高専卒は高い評価を得ています。これらは、「仕事の能力は学歴ではない」という失敗を経てつかみとった知恵なのかもしれません。 今や人生100年時代といわれ、「学び直し」にスポットライトが当たる機会も増えてきました。「大学は高校を卒業した人だけが行くところ」ではなく、「学びたい」と思ったあらゆる世代の人が行く、そんな場所になりつつあります。大学側も、もっと門戸を広げ、いろいろな人に教育の機会を提供していくべきではないかと私は考えています』、同感である。 
タグ:大学 (その12)(日本の大学教授の脳は「前頭葉が弱い」と言い切れる残念すぎる理由、池上彰氏「ウクライナ危機とソ連・冬戦争。なぜ教養を学ぶのか」、池上彰氏と考える教養 “奴隷的”な現代人が小説を読むべき理由、「大学院卒」でも企業では評価されない…世界中で進む高学歴化に日本だけが取り残されている理由 「高偏差値大学の卒業生は優秀」はもう古い) ダイヤモンド・オンライン 和田秀樹氏による「日本の大学教授の脳は「前頭葉が弱い」と言い切れる残念すぎる理由」 和田秀樹『50歳からの「脳のトリセツ」』(PHPビジネス新書) 「ぬるま湯でいてほしい人たちがいる」、教授たち以外にもいるのだろうか。 「文科省や厚労省などの官僚たち」「は在任中や退官後に大学教授として再就職することをあてにしています。つまり、天下りです。官僚の天下りは国家公務員法で禁止されていますが、今も数々の抜け道があり、とりわけ大学は大きな受け皿となっています」、なるほど。 やはり「日本」でも「研究の価値を正当に評価する」努力を重ねてゆくべきだろう。さもないと、日本は世界から取り残されてしまうだろう。 日経ビジネスオンライン 池上 彰 上田紀行 対談「池上彰氏「ウクライナ危機とソ連・冬戦争。なぜ教養を学ぶのか」」 「『池上彰の教養のススメ』が刊行されたのち、ビジネス書の世界では、教養の一大ブームが訪れました」、現在のブームの基礎をつくったとはさすがだ。 「歴史は繰り返さないが、韻を踏む(米国の作家マーク・トウェインの言葉)、確かに思い当たる節がある。「歴史というのは、学んでもすぐには役に立ちません。けれど、「韻を踏む」さまを目の当たりにすることで、人間の愚かさというものが見えてきて、それによって現代の世界を分析することもできる。長い人間の歴史を見ることによって、今を深く見る視点が養われる。そういう役割が教養にはあるのではないかと思います」、その通りだ。 3人だけの世帯から、「60人以上の教授を擁するリベラルアーツ研究教育院に発展」とは大したものだ。「きっかけは、オウム真理教による地下鉄サリン事件」、「オウム」の数少ないプラスの効果だ。 「大学の教育において、漢方のように時間をかけてじわじわ効くというアプローチが軽んじられた。そのことにはやっぱり問題があって、今の教養ブームにつながっている、と」、その通りだ。 池上 彰氏 上田紀行氏による対談 「池上彰氏と考える教養、“奴隷的”な現代人が小説を読むべき理由」 「リベラルアーツというのは、その名の通り、「自分を自由にする技」なんですね」、言い得て妙だ。 「理系の学生が企業に就職して、研究開発部門で働いていたとします。そこで自分の専門分野を探索して、研究成果が上がり、製品化されて、利益が上がった。すると、それだけで喜んでしまって、その成功が副作用として社会にどういう影響を与えているかが見えない。そもそも視野に入っていない、ということが、往々にして起きます。 日本の現代史を振り返れば、水俣病があります」、専門バカの怖いところだ。 「当時のチッソは、プラスチックの可塑剤の原料となるアセトアルデヒドの製造で、大成功を収めていたんですね。それまで輸入に頼っていた「オクタノール」という物質を、アセトアルデヒドから誘導・合成することに成功するなど、技術力を誇っていました」、「大成功していたアセトアルデヒドの工場周辺で、なぜか奇妙な病気にかかって苦しむ人が出てきているということが、なかなか目に入ってきません。 しかし、チッソの労働組合はやがて、水俣病の被害者の支援に動くようになります」、「労働組合」が「被害者の支援に動くようになります」、大したものだ。 私は恥ずかしながら『罪と罰』を読んでない。しかし、「若いときに」読んだとしても、もう忘れている人が多いのではなかろうか。 PRESIDENT ONLINE 坂東 眞理子氏による「「大学院卒」でも企業では評価されない…世界中で進む高学歴化に日本だけが取り残されている理由 「高偏差値大学の卒業生は優秀」はもう古い」 坂東眞理子『思い込みにとらわれない生き方』(ポプラ社) 「短大への進学率が著しく下がっていますし、短大そのものの数も減ってきています」、その通りだ。 「卒業予定大学名でのアンコンシャス・バイアスのフィルターがかかるのに、大学名や大学時の成績の差が給与として反映されることはありません」、その通りだ。 かつては「大学生は自由を謳歌していればよかった」、「仕事に必要な知識は入社してから職場で教えます」、その通りだ。 「偏差値は意味をなさなくなるでしょう。日本の有名校へ進学することが必ずしも正解ではない、そんな時代が来るのかもしれません。 大切なのは情報をきちんと集め、「今後の社会で何が求められているか」「自分はどんなことが得意なのか」を考え、勉強していくことではないでしょうか」、その通りだ。 「もう一世代経つと今度は「あなたは大卒なの? 大学院は出ていないの?」と馬鹿にされる時代が来るのではないか」、私もそう思う。 「大学院は、もっと社会人にも入りやすく、勉強しやすいものにするべき」、同意する。 「日本の大学、大学院も世界の潮流に合わせて変わっていくべき」、その通りだ。 大学側も、もっと門戸を広げ、いろいろな人に教育の機会を提供していくべきではないかと私は考えています』、同感である
nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感

民主主義(その10)(ぶっ壊れた政党に民主主義を乗っ取るカルト政治 ブラジル大統領選、蔓延する少数派の横暴、大都市エリートが民主主義を滅ぼしてしまう理由 新自由主義的への反省と民主的多元主義の再生) [経済政治動向]

民主主義については、昨年10月23日に取上げた。今日は、(その10)(ぶっ壊れた政党に民主主義を乗っ取るカルト政治 ブラジル大統領選、蔓延する少数派の横暴、大都市エリートが民主主義を滅ぼしてしまう理由 新自由主義的への反省と民主的多元主義の再生)である。

先ずは、昨年10月21日付け東洋経済オンラインが掲載した米プリンストン大学教授 のヤン=ヴェルナー・ミュラー氏による「ぶっ壊れた政党に民主主義を乗っ取るカルト政治 ブラジル大統領選、蔓延する少数派の横暴」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/625724
・『ブラジルの大統領選挙で現職のボルソナロ氏は、トランプ前米大統領と同じ「大ウソ」をつくり出そうとしている。自らが負ける選挙はインチキだと主張し、暴力をたきつけてでも権力の座に居座ろうとする例の戦略だ。 「熱帯のトランプ(ボルソナロ氏)」がトランプ氏をまねるのは驚くことではない。だが選挙結果を受け入れるのは、民主主義の最も基本的な要素の1つだ。選挙結果の否定が新たな世界的潮流になりつつあるのだとしたら、私たちはその理由を問わなくてはならない。なぜこれほど多くの市民が「選挙はインチキだ」と叫ぶインチキな指導者を受け入れようとするのだろうか』、1月に入って「ボルソナロ」支持派が選挙結果に抗議して議会を襲撃、1500人が逮捕された他、「ボルソナロ」側近を逮捕。アメリカ同様の混乱のようだ。
・『劣勢のボルソナロ氏  ボルソナロ氏と対決する左派のルラ元大統領の人気は高い。世論調査の支持率でも一貫してリードを保っており、極右のボルソナロ氏は敗色が濃厚だ。とはいえボルソナロ氏は、そうした選挙結果を受け入れないよう、支持者を調教するのに何年も費やしてきた。 中でも不気味なのは、2000年から用いられ広く信頼されている効率的な電子投票システムに不信の種をまいていることだ。21年1月6日の米連邦議会襲撃事件を受けて、ボルソナロ氏はこう警告した。電子投票を続ければ「米国より大きな問題になる」。 実際、選挙に負けたポピュリストは「インチキだ」と叫ぶことが多い。というのは、われらこそが、そしてわれらだけが「真の国民」、つまり「声なき多数派(サイレント・マジョリティー)」の代表だと言い張ることが支持を訴える基盤のすべてとなっているからだ。) ほかの候補者は全員腐敗している。ゆえにわれらポピュリストの指導者を支持しない者は真の国民ではなく、彼らが投じる票には正当性がない、という主張である。ポピュリズムとは単なるエリート批判ではなく(エリート批判にはうなずけるものも多い)、その根本には他者を排除する姿勢がある。 国民の唯一にして真の代表であるポピュリストが選挙に負けるということは、誰か(リベラル派のエリート)が何か(選挙の不正操作)を行ったからに違いない──。ポピュリストが支持者に施している洗脳とは、このようなものだ』、「ポピュリストが支持者に施している洗脳」はアメリカでも問題化したが、やはり深刻な問題だ。
・『本当に悪いのは誰か  有権者の分断が深まっているときには、選挙結果の否定が一段と起こりやすくなる。トランプ氏やボルソナロ氏のような政治的ビジネスマンにとっては、分断こそがチャンスだ。両氏はどちらも政党という鎖につながれてはいない。ボルソナロ氏は所属をころころと変え、大統領になってからは、どの政党にも属さなかった期間が2年ある。今や共和党を牛耳るトランプ氏が共和党に忠誠を示したことは一度もない(同氏はかつて民主党員だった)。 いずれもソーシャルメディアを通じてカルト信者のようなフォロワー集団を構築。政党の組織的支援を必要とせず、党内事情に配慮する必要もない。 政治信条もなければ、政策も持たず、ひたすら個人のキャラで終わりなき文化戦争を駆動する。そんな人物が選挙に負けたと知りながら敗北を否定する暴挙に出るのは、半ば当然の成り行きといえる。それよりもはるかに深刻なのは、周囲の振る舞いだ。 トランプ氏は例の「大ウソ」を、真の共和党員であるかどうかを試すリトマス試験紙に変えた。その結果、共和党候補の多くが、11月の中間選挙で負けた場合に結果を受け入れるか態度を明らかにするのを拒むようになっている。ブラジルでは、なお少数派であるボルソナロ陣営の「主人公」が軍を抱き込むべく工作に動いている。ボルソナロ氏の支持者は警察関係にも多い。 トランプ氏やボルソナロ氏のファンを見ればわかるように、ポピュリストの言う「声なき多数派(サイレント・マジョリティー)」の実体は大概が「声高な少数派(ラウド・マイノリティー)」だ。むろん少数派の声に耳を傾けるのが大切なことは言うまでもない。が、少数派が民主主義に逆らう暴力的な存在と化したときには、真の多数派には「サイレント」であることをやめる義務がある』、「ブラジルでは、なお少数派であるボルソナロ陣営の「主人公」が軍を抱き込むべく工作に動いている。ボルソナロ氏の支持者は警察関係にも多い」、クーデターの可能性もありそうだ。「ポピュリストの言う「声なき多数派・・・」の実体は大概が「声高な少数派・・・」だ。むろん少数派の声に耳を傾けるのが大切なことは言うまでもない。が、少数派が民主主義に逆らう暴力的な存在と化したときには、真の多数派には「サイレント」であることをやめる義務がある。その通りだ。

次に、11月30日付け東洋経済オンラインが掲載した政治学者・九州大学大学院比較社会文化研究院教授の施 光恒氏による「大都市エリートが民主主義を滅ぼしてしまう理由 新自由主義的への反省と民主的多元主義の再生」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/631573
・『グローバル化の問題点は「新しい階級闘争」を生み出した。新自由主義改革のもたらした経済格差の拡大、政治的な国民の分断、ポリティカル・コレクトネスやキャンセルカルチャーの暴走である。 アメリカの政治学者マイケル・リンド氏は、このたび邦訳された『新しい階級闘争:大都市エリートから民主主義を守る』で、各国でグローバル企業や投資家(オーバークラス)と庶民層の間で政治的影響力の差が生じてしまったことがその要因だと指摘している。 私たちはこの状況をいかに読み解くべきか。同書に収録された政治学者の施光恒氏による監訳者解説を一部編集のうえ、お届けする』、「新しい階級闘争」とは興味深そうだ。
・『アメリカの国民統合のあり方を考察  『新しい階級闘争:大都市エリートから民主主義を守る』は、Michael Lind, The New Class War: Saving Democracy from the Metropolitan Elite(London: Atlantic Books, 2020)の邦訳である。著者のマイケル・リンド(Michael Lind)氏は1962年アメリカテキサス生まれで、現在、テキサス大学オースティン校リンドン・B・ジョンソン公共政策大学院で政治学を講じる教授である。 氏は、イェール大学で国際関係論の修士、テキサス大学のロー・スクールでJD(法務博士)の学位をそれぞれ取得している。その後、ヘリテージ財団などのシンクタンクでアメリカの政策の分析・提言活動に従事し、1991年からは『ナショナル・インタレスト』などのメジャーな雑誌で編集者や論説委員を務めた。1999年には「ニュー・アメリカ財団」(現在は「ニュー・アメリカ」)というシンクタンクを設立し、2017年からは現職である。この経歴からわかるように、リンド氏は現実政治に対する深い知識と実践的関心を有する政治学者だと言えよう。 マイケル・リンド氏の名前を知ったのは、私が長年関心を持っている「リベラル・ナショナリズム」のアメリカにおける提唱者の一人だからである。氏は、1995年に出版した『次なる米国─新しいナショナリズムと第4次米国革命』(The Next American Nation: The New Nationalism and the Fourth American Revolution (New York: Free Press)などで、多様な人種や利害の相違を超えたアメリカの国民統合のあり方についてさまざまな考察を行ってきた。) 本書『新しい階級闘争』は、戦後実現した「民主的多元主義」の安定した政治が、1970年代に始まった新自由主義に基づく「上からの革命」の影響を受け、機能不全に陥った結果、今日のアメリカでは国民統合が揺らぎ、分断が深刻化していることを指摘し、また、その分断の解消をどのように図っていくべきかについて論じるものである。 リンド氏の第1の関心はアメリカ社会であるが、本書の議論は日本社会の現状を考えるうえでも大きな示唆を与える』、「戦後実現した「民主的多元主義」の安定した政治が、1970年代に始まった新自由主義に基づく「上からの革命」の影響を受け、機能不全に陥った結果、今日のアメリカでは国民統合が揺らぎ、分断が深刻化していることを指摘し、また、その分断の解消をどのように図っていくべきかについて論じるもの」、なるほど。
・『新自由主義が生み出した国民の分断  各章の概要を示しつつ、本書の内容を紹介したい。 リンド氏は、アメリカをはじめとする現代の欧米諸国で新しい階級闘争が生じていると考える(第1章)。前述したように1970年代から上流階級の高学歴の管理者(経営者)層(エリート層)が主導する「上からの革命」が生じ、新自由主義に基づくグローバル化推進策が徐々にとられるようになったからである。新しい階級闘争は、グローバル化推進策から利益を得る管理者(経営者)エリート層と、そこからほとんど利益を得ることのない庶民層(中間層ならびに労働者層)との間の対立である。こうした対立は、現在では、経済、政治、文化(価値)の各領域に及ぶ。 この対立は、国内における地理的な分断も生んでいる(第2章)。管理者(経営者)エリート層は、ニューヨークやロサンゼルス、あるいはロンドンやパリといった大都市に暮らす場合が多い。その結果、知識や技術、交通の結節点、つまり「ハブ」と呼ばれる大都市と、庶民層が多く暮らす「ハートランド」と称される郊外や地方という地理的分断も顕著となった。 新しい階級闘争を鎮める方策を考察するために、リンド氏は、それ以前の階級闘争の帰趨を振り返る(第3章)。かつての階級闘争は、いわゆる資本家と労働者との闘争だった。古い階級闘争は、2度の世界大戦を経験する中で、国家を仲介役とし、両陣営が妥協策を積み上げていったことが契機となり、これが戦後の福祉制度に引き継がれ、解消に向かった。リンド氏はこれを民主的多元主義(democratic pluralism)の政治と称する。労働組合をはじめ、農協などの協同組合、各種業界団体、政党の地方支部、教会(宗教団体)、ボランティア組織などのさまざまな参加型の中間団体が、国民の多様な層の声を集約し、政府がそれらを拾い上げ、相互調整し、偏りなく行っていく政治である。民主的多元主義を通じて、労働者は資本家に対し拮抗力を持つことができた。 しかし、こうした暫定協定は長続きしなかった。上からの新自由主義革命が生じたからである(第4章)。各種の妥協策が覆され、各層の利害が調整されなくなった。そして、管理者(経営者)エリート層の利益が、経済、政治、文化の各領域でもっぱら推進される不公正な社会へとアメリカをはじめとする欧米社会は変質してしまった。) それに対し、庶民層からの反発が生じている。これをリンド氏は、「下からのポピュリストの反革命」と称する(第5章)。2016年の国民投票による英国のEU離脱の決定、アメリカのトランプ前大統領の選出、2018年秋からのフランスの黄色いベスト運動、そのほかの欧州のポピュリスト政党の躍進などが表面に現れた顕著な例である。リンド氏は、庶民層に深い共感の念を抱いているが、ポピュリスト運動を必ずしも支持しない。ポピュリスト運動は、エリート層による社会の寡頭制支配やそれに伴う国民の分断という「病理」から発する「症状」の1つだとみなす。寡頭制支配を行うエリート層に対し、脅威を感じさせたり、その身勝手さに対する警告を発したりする機能は持つとしても、「病理」そのものへの根本的「治療」にはならないからである』、「古い階級闘争は、2度の世界大戦を経験する中で、国家を仲介役とし、両陣営が妥協策を積み上げていったことが契機となり、これが戦後の福祉制度に引き継がれ、解消に向かった。リンド氏はこれを民主的多元主義(democratic pluralism)の政治と称する」、「民主的多元主義を通じて、労働者は資本家に対し拮抗力を持つことができた。 しかし、こうした暫定協定は長続きしなかった。上からの新自由主義革命が生じたからである(第4章)。各種の妥協策が覆され、各層の利害が調整されなくなった。そして、管理者(経営者)エリート層の利益が、経済、政治、文化の各領域でもっぱら推進される不公正な社会へとアメリカをはじめとする欧米社会は変質」、「それに対し、庶民層からの反発が生じている。これをリンド氏は、「下からのポピュリストの反革命」と称する(第5章)。2016年の国民投票による英国のEU離脱の決定、アメリカのトランプ前大統領の選出、2018年秋からのフランスの黄色いベスト運動、そのほかの欧州のポピュリスト政党の躍進などが表面に現れた顕著な例」、なるほど。
・『エリート層の認識と「対症療法」的措置  エリート層は、庶民層のポピュリスト運動が発する警告を真剣に受け取ろうとしない(第6章)。むしろ、庶民はロシアの諜報活動に踊らされているだけだといった陰謀論をつくり出してしまう。あるいは、ポピュリストの政治家や政党の支持者を、「権威主義的パーソナリティー」などの精神病理を抱える者だとエリート層は認識してしまう。ポピュリズム運動をかつてのナチズムと同様、社会不適合者による非合理な運動だとみなすのである。それによって、エリート層は、自分たちがつくり出した社会の不公正さから目を背けようとする。 現代社会の不公正さを認識するとしても、エリート層は「根治療法」ではなく、新自由主義の枠内におけるいわば「対症療法」をとろうとする(第7章)。リカレント教育(再教育)などの教育政策、ベーシックインカムなどの再分配政策、反独占政策といったものである。リンド氏は、これらを評価しない。根本的問題である権力関係の不均等を正面から見つめ、その改善を真摯に図るものではないからである。 リンド氏は、問題の解決のためには、やはり庶民層の利益や見解を代弁し、政治に反映させる拮抗力が必要だと論じる(第8章)。庶民層の声を政治に届けるには、人々が団結しなければならない。やはり労働組合などさまざまな中間団体を再生し、新しい民主的多元主義を現代においてつくり出さなければならない。 そのためには、新自由主義に基づく現在のグローバル化推進策を改める必要性を訴える(第9章)。資本の国際的移動や、外国人労働者や移民といった人の移動に対する各国政府の規制や管理を強化する必要があるというのである。そうしなければ、労働組合などの各種の中間団体が機能せず、民主的多元主義に基づく公正な政治を行うことは不可能だからである。) 本書は、現代の欧米社会や日本社会を見つめ、評価するうえで大いに役立つ。日本の読者にとくに有益だと思われる3点について触れたい。 第1に指摘したいのは、グローバル化と自由民主主義の相性の悪さを明らかにしている点である。日本では「グローバル化」はまだまだ前向きで良い印象を与える言葉である。しかし、本書が論じるように、新自由主義に基づくグローバル化政策は、自由民主主義の政治の基盤を掘り崩してしまう。 この点については、さまざまな論者が明らかにしてきた。例えば、本書第9章でも触れているが、労働経済学者のダニ・ロドリックは、グローバル化に伴う資本の国際的移動の自由化・活発化が各国の経済政策に及ぼす影響について指摘した(柴山桂太・大川良文訳『グローバリゼーション・パラドクス』白水社、2013年、第9章)』、「エリート層は、自分たちがつくり出した社会の不公正さから目を背けようとする。 現代社会の不公正さを認識するとしても、エリート層は「根治療法」ではなく、新自由主義の枠内におけるいわば「対症療法」をとろうとする」、「問題の解決のためには、やはり庶民層の利益や見解を代弁し、政治に反映させる拮抗力が必要だと論じる・・・。庶民層の声を政治に届けるには、人々が団結しなければならない。やはり労働組合などさまざまな中間団体を再生し、新しい民主的多元主義を現代においてつくり出さなければならない。 そのためには、新自由主義に基づく現在のグローバル化推進策を改める必要性を訴える・・・。資本の国際的移動や、外国人労働者や移民といった人の移動に対する各国政府の規制や管理を強化する必要」、その通りなのだろう。
・『各国の一般庶民が政治の主役ではなくなってしまう  グローバル化とは一般に、ヒト、モノ、カネ(資本)、サービスの国境を越える移動が自由化・活発化することを意味するが、これが生じると、必然的に、グローバルな企業関係者や投資家(本書でいうところの管理者<経営者>エリート)の力が増す。彼らは「人件費を下げられるよう非正規労働者を雇用しやすくする改革を行え。さもなければ生産拠点をこの国から移す」「法人税を引き下げる税制改革を実行しないと貴国にはもう投資しない」などと各国政府に圧力をかけられるようになるからである。各国政府は、自国から資本が流出すること、あるいは海外からの投資が自国を忌避することを恐れ、グローバルな企業関係者や投資家の要求に敏感にならざるをえない。そのため、各国のルールや制度はグローバルな企業や投資家に有利なものへと「改革」される。だが、その半面、各国の一般庶民の声は相対的に政治に届きにくくなる。庶民層が各国政治の主役ではなくなってしまうのである。そして彼らの生活は不安定化し、貧困化が進む。 これに加え、リンド氏が本書で強調するのは、前述のとおり、民主的多元主義の基盤が掘り崩されてしまうことである。庶民層が政治に声を届けるには、各人が組織化され、各種の中間団体が形成されていなければならない。戦後の欧米諸国では(リンド氏は触れていないが後述のとおり日本も同様)、労働組合や協同組合などの各種中間団体を通じて庶民の声が政治に反映され、資本家に対する拮抗力を獲得し、比較的公平な政治が行われた。また、経済的格差も小さかった。) しかし、グローバル化により、資本の国際移転、仕事の国境を越えた外部委託(アウトソーシング)、外国人労働者や移民の大規模受け入れなどが可能になると、労働組合などはあまり機能しなくなる。政治的影響力のバランスが崩れ、不公正な政治が行われるようになる。 ネイションの境界を溶かすグローバル化の下では、自由民主主義の維持は非常に困難である。やはりネイションを軸とした秩序、つまり多数の国民国家からなる世界である必要がある。そして、各国は、民主的多元主義のシステムを内部に発展させ、国民各層の利害のバランスをとりつつ、ヒト、モノ、カネ、サービスの国境を越える移動を適切に規制・調整していく。現行の新自由主義的グローバリズムの秩序ではなく、このような民主的多元主義を可能にする国際秩序をつくり出す必要がある』、「現行の新自由主義的グローバリズムの秩序ではなく、このような民主的多元主義を可能にする国際秩序をつくり出す必要がある」、その通りだ。
・『寡頭制vs. ポピュリズム  第2に、本書は現在の欧米の主流派の政治、およびそれに対する反発としてのポピュリズムの政治を見つめる新たな視角を提供する点で有益である。 日本のマスコミや評論家は、欧米の主流派マスコミの情報をもとにして世界を見ていることが大半である。それゆえ、どうしても一面的な見方に陥ってしまう。ブレグジットやトランプ前大統領の選出など現代のポピュリズムに対する見方もそうだ。ポピュリズム現象とは、グローバル化に乗り遅れた時代遅れの不適合者が騒いでいるにすぎないという見方をとりがちだ。 他方、ネット世論では逆に、その反動からかポピュリズム運動を全面的に肯定してしまう議論がしばしばみられる。トランプ氏を英雄視してしまうような議論だ。 本書は、第3の視点を提供する。現在の主流派の政治は、管理者(経営者)エリートによる寡頭制支配にほかならないと見る。庶民層の怒りは正当だとする。だが、ポピュリスト運動は組織化されていないため不安定である。持続的ではないし、建設的でもない。国民各層の意見を十分に取り込むこともできていない。 リンド氏によれば、現在の病理の改善のためには、あらためて労働組合などの中間集団をきちんと組織し、国民各層の多様な見解や利害が公正に政治に反映される社会を再生する必要がある。) 3番目は、戦後日本社会を理解する有益な視点を提供するという点である。リンド氏は、民主的多元主義や新自由主義を論じる際に、日本についてほとんど触れていない。だが、リンド氏の議論は日本にも当てはまるところが多い』、「現在の主流派の政治は、管理者(経営者)エリートによる寡頭制支配にほかならないと見る。庶民層の怒りは正当だとする。だが、ポピュリスト運動は組織化されていないため不安定である。持続的ではないし、建設的でもない。国民各層の意見を十分に取り込むこともできていない。 リンド氏によれば、現在の病理の改善のためには、あらためて労働組合などの中間集団をきちんと組織し、国民各層の多様な見解や利害が公正に政治に反映される社会を再生する必要がある」、その通りなのだろう。
・『「一億総中流」ののち、中間層の暮らしは不安定化  戦後の日本は、高度経済成長を経て、比較的平等かつ安定的な発展を享受した。1990年代前半までに「日本型市場経済」「日本型経営」と称される特徴的な経済の仕組みをつくり出し、「一億総中流」と称される社会を実現した。中間層が主役の「ミドルブロー」の大衆文化も栄えた。しかし、1990年代後半以降は、欧米にならった新自由主義の経済運営を取り入れ、構造改革を繰り返し、現在では中間層の暮らしは不安定化し、劣化している。 かつての戦後日本社会が安定した経済を享受できたのは、本書でいうところの民主的多元主義を日本なりに作り上げたからだと理解できる。リンド氏は、前述のとおり、欧米諸国において資本家層と労働者層の妥協が生じたきっかけは2度の世界大戦の経験だと論じる。それが第2次大戦後の福祉国家的システムにつながっていったと考える。 日本についても、このように見る論者がいる。例えば、英国の日本研究者ロナルド・ドーアである(『幻滅─外国人社会学者が見た戦後日本70年』藤原書店、2014年、144─146頁など)。あるいは批判的な視点からではあるが、野口悠紀雄氏の「1940年体制」論も同様の見方をとると言える(『1940年体制─さらば戦時経済』東洋経済新報社、1995年)。 つまり日本も、リンド氏が本書で描いたような道筋をたどったと理解することができる。第2次大戦を戦い抜くために政府が経済の統制・調整に乗り出し、資本家と労働者、および資本家相互の妥協を作り出した。この体制が戦後の社会民主主義的な「日本型市場経済」につながった。一種の民主的多元主義の形態だと言えよう。 エズラ・ヴォーゲルは『ジャパンアズナンバーワン─アメリカへの教訓』(広中和歌子・大本彰子訳、TBSブリタニカ、1979年)を著したが、このなかで描かれているのは、まさに民主的多元主義がうまく機能している日本の姿である。ヴォーゲルは、日本ではさまざまな中間団体の活動がさかんであり、アメリカよりも日本のほうが民主的であるとまで述べた。「政治に多様な利益を反映させ、それらの利益を達成する統治能力があることが民主主義の定義であるならば、日本はアメリカよりも民主主義がずっと効果的に実現されている国家であるといえよう」(122頁)。 ヴォーゲルは、当時の戦後日本社会では、政府が、多様な中間団体の利益に配慮し、資本家と労働者、さまざまな業界間、大都市と地方、地域間を巧みに調整していると指摘した。「利益の分配の側面から見ると、日本ではフェア・シェア(公正な分配)がなされているといえる」(同頁)。リンド氏のいうところの民主的多元主義の一形態が日本で根付き、欧米諸国に比べても安定的に機能し、「一億総中流」と称された社会をつくり出したのである。) ヴォーゲルは、日本の民主主義が壊れるとしたら、その要因となるのは「軍国主義の脅威」などではなく「集団の団結力の拡散」だと指摘し、警鐘を鳴らしていた(156頁)。中間団体を作る機能が損なわれ、国民がばらばらになってしまい、各層の利益が公正に反映されなくなることを恐れたのである。 ヴォーゲルの懸念は1990年代後半以降、的中した。日本の場合は、「上からの新自由主義革命」が国内で生じたというよりも、ドーアなども指摘するとおり、アメリカなど欧米諸国の新自由主義化に無批判に追従したことが主な要因だと言えよう。ヴォーゲルが称賛した日本型民主的多元主義の道を捨て、「グローバル標準」を旗印とし、新自由主義的構造改革を推し進めた。 本来なら左派やリベラル派は、新自由主義化に対抗する中心的勢力になるべきであったが、日本ではそうはならなかった。いくつかの要因が指摘できるだろうが、「1940年体制」論の影響もその1つである。民主的多元主義の日本版だともいえる「日本型市場経済」は、戦時経済の名残であり否定すべきものだ、集団主義的で遅れたものだという議論が高まった。こうした議論に影響され、左派やリベラル派でさえ新自由主義的改革を肯定的に受け取ってしまった。 リンド氏が本書で指摘しているのは、欧米諸国で戦後、国民福祉と安定した経済成長を可能にしたのは日本と同様、戦争の経験に端を発する、民主的多元主義と称すべき政府主導の調整型の社会システムだということだ。つまり、「1940年体制」は日本だけではなかったのである。またリンド氏は、庶民各層の声を政治に十分に反映させる公正な社会の実現には、こうした社会システムの構築しかありえないと論じている。 これらは、現代の日本にとって、新自由主義以前の「日本型市場経済」や「日本型経営」といったかつての調整型の社会システムの再評価を迫るものだと言えるであろう』、「欧米諸国で戦後、国民福祉と安定した経済成長を可能にしたのは日本と同様、戦争の経験に端を発する、民主的多元主義と称すべき政府主導の調整型の社会システムだということだ。つまり、「1940年体制」は日本だけではなかったのである。またリンド氏は、庶民各層の声を政治に十分に反映させる公正な社会の実現には、こうした社会システムの構築しかありえないと論じている」、「現代の日本にとって、新自由主義以前の「日本型市場経済」や「日本型経営」といったかつての調整型の社会システムの再評価を迫るものだと言える」、「かつての調整型の社会システム」に戻るとはいっても、「かつて」とは同じではなく、より高度になったものだろう。
・『民主的多元主義の可能性  以上のように、本書は、新自由主義的政策の進展に伴い、管理者(経営者)エリート層と庶民層との間の力のバランスが崩れ、経済、政治、文化の各局面で諸種の不公正な事態が生じていることを明らかにする。現状に対する解決策として本書が期待するのは、現代の文脈における民主的多元主義の政治の再生である。そして、これを可能ならしめるために、現行の新自由主義に基づくグローバル化推進路線の転換が必要だと本書は論じる。 もちろん、これまでの路線を改め、現在の複雑な状況のなかで、民主的多元主義の政治を再構築することは多大な困難を伴う。しかし、各国において国民各層の声を公正に反映する政治を可能にするほかの方法がありうるだろうか。本書はこのように問いかける。新自由主義的な改革に明け暮れてきた欧米諸国や日本に新しい視点を与え、自由民主主義の意味や条件を考えさせる貴重な1冊だと言える』、「現状に対する解決策として本書が期待するのは、現代の文脈における民主的多元主義の政治の再生である。そして、これを可能ならしめるために、現行の新自由主義に基づくグローバル化推進路線の転換が必要だと本書は論じる」、私は「新自由主義」に反対の立場なので、「グローバル化推進路線の転換が必要」との趣旨には賛成である。
タグ:民主主義 (その10)(ぶっ壊れた政党に民主主義を乗っ取るカルト政治 ブラジル大統領選、蔓延する少数派の横暴、大都市エリートが民主主義を滅ぼしてしまう理由 新自由主義的への反省と民主的多元主義の再生) 東洋経済オンライン ヤン=ヴェルナー・ミュラー氏による「ぶっ壊れた政党に民主主義を乗っ取るカルト政治 ブラジル大統領選、蔓延する少数派の横暴」 1月に入って「ボルソナロ」支持派が選挙結果に抗議して議会を襲撃、1500人が逮捕された他、「ボルソナロ」側近を逮捕。アメリカ同様の混乱のようだ。 「ポピュリストが支持者に施している洗脳」はアメリカでも問題化したが、やはり深刻な問題だ。 「ブラジルでは、なお少数派であるボルソナロ陣営の「主人公」が軍を抱き込むべく工作に動いている。ボルソナロ氏の支持者は警察関係にも多い」、クーデターの可能性もありそうだ。「ポピュリストの言う「声なき多数派・・・」の実体は大概が「声高な少数派・・・」だ。むろん少数派の声に耳を傾けるのが大切なことは言うまでもない。が、少数派が民主主義に逆らう暴力的な存在と化したときには、真の多数派には「サイレント」であることをやめる義務がある。その通りだ。 施 光恒氏による「大都市エリートが民主主義を滅ぼしてしまう理由 新自由主義的への反省と民主的多元主義の再生」 「新しい階級闘争」とは興味深そうだ。 「戦後実現した「民主的多元主義」の安定した政治が、1970年代に始まった新自由主義に基づく「上からの革命」の影響を受け、機能不全に陥った結果、今日のアメリカでは国民統合が揺らぎ、分断が深刻化していることを指摘し、また、その分断の解消をどのように図っていくべきかについて論じるもの」、なるほど。 「古い階級闘争は、2度の世界大戦を経験する中で、国家を仲介役とし、両陣営が妥協策を積み上げていったことが契機となり、これが戦後の福祉制度に引き継がれ、解消に向かった。リンド氏はこれを民主的多元主義(democratic pluralism)の政治と称する」、「民主的多元主義を通じて、労働者は資本家に対し拮抗力を持つことができた。 しかし、こうした暫定協定は長続きしなかった。上からの新自由主義革命が生じたからである(第4章)。各種の妥協策が覆され、各層の利害が調整されなくなった。そして、管理者(経営者)エリート層の利益が、経済、政治、文化の各領域でもっぱら推進される不公正な社会へとアメリカをはじめとする欧米社会は変質」、「それに対し、庶民層からの反発が生じている。これをリンド氏は、「下からのポピュリストの反革命」と称する(第5章)。 2016年の国民投票による英国のEU離脱の決定、アメリカのトランプ前大統領の選出、2018年秋からのフランスの黄色いベスト運動、そのほかの欧州のポピュリスト政党の躍進などが表面に現れた顕著な例」、なるほど。 「エリート層は、自分たちがつくり出した社会の不公正さから目を背けようとする。 現代社会の不公正さを認識するとしても、エリート層は「根治療法」ではなく、新自由主義の枠内におけるいわば「対症療法」をとろうとする」、「問題の解決のためには、やはり庶民層の利益や見解を代弁し、政治に反映させる拮抗力が必要だと論じる・・・。 庶民層の声を政治に届けるには、人々が団結しなければならない。やはり労働組合などさまざまな中間団体を再生し、新しい民主的多元主義を現代においてつくり出さなければならない。 そのためには、新自由主義に基づく現在のグローバル化推進策を改める必要性を訴える・・・。資本の国際的移動や、外国人労働者や移民といった人の移動に対する各国政府の規制や管理を強化する必要」、その通りなのだろう。 「現行の新自由主義的グローバリズムの秩序ではなく、このような民主的多元主義を可能にする国際秩序をつくり出す必要がある」、その通りだ。 「現在の主流派の政治は、管理者(経営者)エリートによる寡頭制支配にほかならないと見る。庶民層の怒りは正当だとする。だが、ポピュリスト運動は組織化されていないため不安定である。持続的ではないし、建設的でもない。国民各層の意見を十分に取り込むこともできていない。 リンド氏によれば、現在の病理の改善のためには、あらためて労働組合などの中間集団をきちんと組織し、国民各層の多様な見解や利害が公正に政治に反映される社会を再生する必要がある」、その通りなのだろう。 「欧米諸国で戦後、国民福祉と安定した経済成長を可能にしたのは日本と同様、戦争の経験に端を発する、民主的多元主義と称すべき政府主導の調整型の社会システムだということだ。つまり、「1940年体制」は日本だけではなかったのである。またリンド氏は、庶民各層の声を政治に十分に反映させる公正な社会の実現には、こうした社会システムの構築しかありえないと論じている」、 「現代の日本にとって、新自由主義以前の「日本型市場経済」や「日本型経営」といったかつての調整型の社会システムの再評価を迫るものだと言える」、「かつての調整型の社会システム」に戻るとはいっても、「かつて」とは同じではなく、より高度になったものだろう。 「現状に対する解決策として本書が期待するのは、現代の文脈における民主的多元主義の政治の再生である。そして、これを可能ならしめるために、現行の新自由主義に基づくグローバル化推進路線の転換が必要だと本書は論じる」、私は「新自由主義」に反対の立場なので、「グローバル化推進路線の転換が必要」との趣旨には賛成である。
nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感

パンデミック(医学的視点)(その26)(コロナワクチン接種後死亡を追う6題:広島大が衝撃発表! “サイトカインストーム”発生で症例報告4例全員の体温が「異常高温」、コロナワクチン接種後死亡を追う、「原死因」ワクチン接種4事例の詳報 遺体が語る因果関係とは?、反ワクチン陰謀論と推進論の不毛…「副反応疑い」は客観的情報が不足している、ワクチン接種と副反応被害 因果関係の判断に重要な「白木3基準」、戦後最大「超過死亡」の謎…ワクチン接種との関係はあるのか?) [パンデミック]

パンデミック(医学的視点)については、昨年2月6日に取り上げた。今日は、(その26)コロナワクチン接種後死亡を追う6題:(広島大が衝撃発表! “サイトカインストーム”発生で症例報告4例全員の体温が「異常高温」、コロナワクチン接種後死亡を追う、「原死因」ワクチン接種4事例の詳報 遺体が語る因果関係とは?、反ワクチン陰謀論と推進論の不毛…「副反応疑い」は客観的情報が不足している、ワクチン接種と副反応被害 因果関係の判断に重要な「白木3基準」、戦後最大「超過死亡」の謎…ワクチン接種との関係はあるのか?)である。

先ずは、昨年11月5日付け日刊ゲンダイが掲載したノンフィクション作家の山岡淳一郎氏による「広島大が衝撃発表! “サイトカインストーム”発生で症例報告4例全員の体温が「異常高温」」を紹介しよう。
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/life/313919
・『総じて厚生労働省と医学界は、新型コロナワクチン接種と接種後死亡の因果関係の解明には消極的なようにみえる。 そうしたなか、広島大学の法医学、病理学講座を中心とする研究グループが、「Frontiers in Immunology(免疫学の最前線)」という国際免疫学連合会(IUIS)の学術誌に画期的な(?)症例報告を発表した。論文の題は「新型コロナワクチン接種後のサイトカインストーム4例(原文は英語)」。査読を経て、今年8月15日、学術誌のサイトに掲載された。その内容は衝撃的だった。 広大研究チームは、2回目の接種後1~10日で死亡した20~50代の男性4人の遺体を解剖した。そこに前回詳述した岡本裕二さんの長男も含まれている。4人のうち3人がモデルナ製ワクチン、1人がファイザー製を接種していた。病理解剖の時点ではどの遺体からも死亡原因にかかわる情報を得られなかった。ただ、4人とも検視官が測った直腸温から死亡時の体温が、41~43度、42~46度、39~41度、43~44度と「異常高温」だったと推測される。 そこで広大チームは、死亡後、それぞれ24時間以内に採血した血液サンプルを「RNAシーケーシング」という最先端技術を使って解析。「遺伝子発現(遺伝子の遺伝情報がさまざまな生体機能をもつタンパク質の合成を通じて具体的に現れること)」の変化を突きとめる。その結果、4人ともサイトカインが過剰に放出されて暴走し、自らを攻撃するサイトカインストームが発生。全身性炎症反応症候群(SIRS)を発症して死に至ったと推認されたのだ。 20世紀初め世界的に流行し、死亡者が推定1億人を超えた「スペイン風邪(H1N1亜型インフルエンザ)」で青年層に被害が多かったのはサイトカインストームによるものといわれる。免疫力の強い若者は、免疫系が極端に反応すると全身に嵐のような混乱が生じる』、「サイトカインが過剰に放出されて暴走し、自らを攻撃するサイトカインストームが発生。全身性炎症反応症候群(SIRS)を発症して死に至ったと推認」、恐ろしいことだ。
・『副反応の高熱を甘く考えてはいけない  広大の症例報告には、こう記されている。 「死亡した4人は、最初のワクチン接種によって免疫能が感作(特定の抗原=新型コロナウイルスに対して生体が感じやすい状態に)され、2回目のワクチン接種によってSIRSが発症しやすくなったと考えられる。また、この4人はSIRSを発症しやすい生まれつきの素因を持っていた可能性がある」) ただし、今回の症例だけでワクチン接種を危険とみなすべきではない、と広大チームは説く。そして、異常なサイトカイン過剰の原因は明らかではないとしたうえで、こう警告を発する。 「解熱剤を用いても、ワクチン接種後に40度を超える異常高熱がみられた場合には、注意深い観察と対処が必要と思われる」  副反応による高熱を甘く考えてはいけないのである』、「接種後に40度を超える異常高熱がみられた場合には、注意深い観察と対処が必要と思われる」、と言われても困ってしまう。

次に、続きで、11月8日付け日刊ゲンダイが掲載したノンフィクション作家の山岡淳一郎氏による「コロナワクチン接種後死亡を追う」を紹介しよう。
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/life/314031
・『大阪医薬大法医学教室の解剖…ワクチン2回目接種後に異変、60代男性は肺動脈の断面に血栓びっしり:大阪府高槻市、大阪医科薬科大学法医学教室では鈴木廣一名誉教授ともう一人の教授で、年間160~200体、犯罪や事故、または自宅や路上などで突然死した人の遺体を解剖している。昨年8月上旬、60代男性の遺体が運び込まれてきた。 男性は、中肉中背、毎朝1時間のウオーキングを欠かさず、健康を保っていたが、ファイザー製の新型コロナワクチン2回目接種後から異変が生じた。 家族の話では、男性は胸の違和感を訴え、「息切れがする」と日課のウオーキングをやめている。男性は、接種5日後、あまりの苦しさに診療所に電話をし、受診に向かおうとした。自転車に乗ってこぎ出したところで「やっぱりしんどい」と止まり、そのまま倒れた。見送りの妻が周りに助けを求め、男性は救命救急センターに搬送されたが、すでに心肺停止状態。間もなく死亡が確認された。救命センターの担当医は、法律に従って警察に連絡し、遺体は解剖による死体検案のために大阪医薬大に送られてきたのだった。 解剖台に遺体がのる。鈴木氏は、深々と一礼し、「始めます」と介助の技術職員らに声をかけた。外表検査から始め、胸部にメスを当てて開き、内景の所見に移る。解剖は血液循環の動力源、心臓に及んだ。静脈血を肺に送る肺動脈を切断し、断面を確認する。鈴木氏は思わず、目を見張った。血の塊=血栓が、びっしり血管内に詰まり、血流を塞栓(遮断)していた。) 「これでは血液中の酸素濃度が急激に低下して、呼吸困難や心停止を起こす。おそらく即死に近かっただろう」と直感した。 では、血栓はどこから来たのか? 往々にして血栓は下肢の深部静脈で生じる。鈴木氏は左脚の膝の奥の膝窩静脈にメスを入れた。血栓らしきものはない。続けて右脚の膝窩静脈を開くと黒い血栓がひしめいていた。これだ! 鈴木氏は、解剖を振り返って、こう語った。 「左脚に血栓がなかったのは、そこにあった小血栓が亡くなる直前に自転車をこぐ運動で剥がれて血流で運ばれたから。小血栓は心臓から肺に入り、まず末梢の血管で詰まる。次々と血栓が押し寄せ、塞栓が幹の肺動脈に達したと考えられます。原理的にはエコノミー症候群と同じです。だけど毎朝、ウオーキングをしていた人がいきなり血栓塞栓症を発症するなんて、通常、ありえません。ワクチン接種後、胸の苦しさが続き、診療を受けに行く途中で倒れている。こうなればワクチン接種と死亡の因果関係あり、と捉えるのが医学的見方です」』、「中肉中背、毎朝1時間のウオーキングを欠かさず、健康を保っていたが、ファイザー製の新型コロナワクチン2回目接種後から異変が生じた」、全くの健康体だったのに、「ワクチン接種後」、「血栓塞栓症」になったとは恐ろしい副反応だ。 
・『遺体は因果関係を語りかける  だが、厚生労働省は、このケースも因果関係を評価不能としている。実は、大阪医薬大法医学教室は男性の他に解剖した3人の事例で、死因をワクチン接種と推認している。遺体は因果関係を語りかける。もう少し耳を傾けてみよう。=つづく』、「厚生労働省」は「このケースも因果関係を評価不能としている」、もっと誠実に原因を追究してほしいものだ。

第三に、この続きを、11月9日付け日刊ゲンダイが掲載したノンフィクション作家の山岡淳一郎氏による「「原死因」ワクチン接種4事例の詳報 遺体が語る因果関係とは?」を紹介しよう。
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/life/314084
・『大阪医科薬科大学法医学教室は、昨春から今春にかけて警察から依頼された法医解剖例のうち少なくとも「4件」で、「原死因(死亡を引き起こした一連の事象の起因となった疾病または損傷)」は「新型コロナウイルスワクチン接種」と報告している。その4例を記そう。 ①前回、詳述した60代男性のケース。ファイザー製ワクチン2回目接種の5日後、胸が苦しくて診療所へ受診に行こうとして、路上で倒れ、亡くなった。解剖の結果、血の塊=血栓が血管に詰まった「肺動脈血栓塞栓症」と確認される。血栓症を起こした大もとの原死因はワクチン接種と死体検案書に書かれた。 ②高度肥満の70代女性が、ファイザー製ワクチン2回目接種の3日後、「足の甲が痛い。手と口が震える」と訴えて倒れた。呼吸が荒くなり、救急搬送されたが死亡。肺の病理組織検査で肺動脈の血栓が見つかる。心臓の血管内に炎症細胞の異常増多も認められた。直接死因は「急性肺動脈血栓症および急性心筋炎」だが、原死因はワクチン接種と考えられる。 ③70代女性は、ファイザー製ワクチン初回接種2日後、胸が痛いと言い、嘔吐した。しばらく横になっていたが、4時間後に親族が異変に気づき、救急搬送。蘇生しなかった。解剖で「頭皮下溢血点、臓器うっ血」などが認められ、病理組織検査で軽度の心筋炎が確認される。直接死因は「致死性不整脈の疑い」。原死因がワクチン接種とされる。) ④70代男性のタクシー運転手が、昨年2月、客を降ろし、空車で帰る途中、下り坂で蛇行運転をして中央分離帯にぶつかり、反動でガードレールに激突。運転手は救急搬送された病院で死亡した。直接死因は「肝臓挫傷による出血性ショック」など。運転中に突発的な脳血管障害が生じた形跡はなく、当初は原死因を特定できなかった。後日、大阪医薬大名誉教授の鈴木廣一氏が報告書作成のために事故の資料を精読して重要な事実に気づく。運転手の妻が「事故の12時間前に夫は3回目のワクチン接種をしました」と述べていたのだ。しかも救急搬送された病院で運転手の体温は40.1度と記録されていた。鈴木氏が語る。 「救急搬送された時点で運転手さんは生きていた。ふつう40度もの熱が出る病状の方が、タクシー勤務には出られません。勤務開始時は体調に問題なく、だんだん反応が起きて発熱した。運転中に脳梗塞や心筋梗塞は発症しておらず、肺動脈の血栓塞栓症もない。つまりワクチン接種の副反応の高体温による意識障害が原死因として推認されます」 厚労省は「評価不能」の烙印  これら4例も厚生労働省は接種と死亡の因果関係に評価不能の烙印を押している。調べ直すには遺族の方々が健康被害救済制度に沿って、病理的な資料を取り寄せなくてはならない。(つづく)』、「ワクチン接種の副反応の高体温による意識障害が原死因として推認」、にも拘らず、厚労省は引き続き「「評価不能」の「烙印」、さらに調べようとはしていない。不当な無視だ。

第四に、続きを11月10日付け日刊ゲンダイが掲載したノンフィクション作家の山岡淳一郎氏による「反ワクチン陰謀論と推進論の不毛…「副反応疑い」は客観的情報が不足している」を紹介しよう。
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/life/314156
・『新型コロナワクチンの副反応疑い死について語ろうとすると、とても窮屈な空気につつまれる。遺族は強い衝撃を受けている。なぜ、どうして、ああすればよかった、こうすればよかった、と悩み苦しむ。 そうした事実をもとに語ろうとしても、友人でさえ「危険さをあおって、反ワクチン団体の陰謀論に加わるの? 接種は国や専門家が推奨しているよ」と色眼鏡で見る。反ワクチン派は「それみろ、接種は悪だ。絶対に打たせるな」と全否定していきり立つ。 接種の判断は、小児はともかく、成人は本人の意思にかかっている。利益とリスクを勘案して本人が決めれば、他人がとやかく言う問題ではない。利益とリスクを見極めるために副反応の客観的な情報が必要なのだ。が、反ワクチン団体のなかには接種イコール悪と決めつけ、接種会場に乗り込み、妨害する集団まで現れた。主宰者は警視庁公安部に逮捕されている。暴論は排除されるだけだ。 ただ、副反応疑いについては、客観的情報が不足している。だから現実に被害を受け、肉親を失った遺族が孤立する。そもそも副反応疑い死を減らすにはどうしたらいいかという本質的な科学論議も起きてこない』、「副反応疑いについては、客観的情報が不足」、「副反応疑い死を減らすにはどうしたらいいかという本質的な科学論議も起きてこない」、これは不思議だ。
・『死亡例を「無過失予防接種事故」と呼んで放置した過去  1994年に予防接種法が改正され、接種が国民の「努力義務」に変わる以前の「義務」だった時代、副反応被害に国は冷淡だった。接種後に子どもが亡くなっても「特異体質」のひと言でおしまい。死亡例を「無過失予防接種事故」と呼んで放置した。 そうした状態で子どもを亡くした親や、子どもに重い障害が残った親たちが団結して立ち上がり、国を相手に集団訴訟を起こす。その過程で「健康被害救済制度」ができた。集団訴訟が被害者側の勝利で終わるまで26年もの歳月を要したが、健康被害救済制度という救いの綱は残された。今回の副反応被害でも、まずはこの制度を活用するのが先決だろう。 手続きはこうだ。被害者や遺族は、市区町村の窓口の健康被害調査委員会に書類や資料をそろえて補償を申請する。自治体の委員会は、予防接種と健康被害の状況を医学的立場から判断する資料を迅速・正確に収集し、必要な検査などの助言も行う。書類と資料が整えば都道府県を経由して厚生労働省に進達。一件ずつ審査会で認否が審議される。 審査会で「認定しない」「一時金等を支給しない」と決まっても、不服であれば、行政の処分に対する「審査請求」を出して再度、救済への道を探れる。審査請求も認められなければ、「不支給の取り消し」などを目的とした「行政訴訟」を起こすこともできる。過去には行政訴訟で、健康被害救済を勝ち取った被害者たちもいる。 そこで重要になるのは接種と死亡の因果関係を法的に判断する「白木3基準」という考え方だ。(つづく)』、「死亡例を「無過失予防接種事故」と呼んで放置した過去  1994年に予防接種法が改正され、接種が国民の「努力義務」に変わる以前の「義務」だった時代、副反応被害に国は冷淡だった。接種後に子どもが亡くなっても「特異体質」のひと言でおしまい。死亡例を「無過失予防接種事故」と呼んで放置」、そんな歴史的経緯は初めて知った。

第五に、続きを、11月11日付け日刊ゲンダイが掲載したノンフィクション作家の山岡淳一郎氏による「ワクチン接種と副反応被害 因果関係の判断に重要な「白木3基準」」を紹介しよう。
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/life/314218
・『新型コロナワクチン接種の副反応疑いで重篤な被害を受けた人や遺族は、「予防接種健康被害救済制度」に基づいて医療費や、障害年金、死亡一時金などの補償を申請できる。民法の損害賠償請求では事実と結果(接種と死亡の因果関係)に「高度の蓋然性(確からしさ)」が求められるが、「迅速に幅広く」救済するためのこの制度では「高度の蓋然性」までは求めないと、次のように解釈されている』、「「迅速に幅広く」救済するため」であればやむを得ない。
・『予防接種の健康被害救済は「迅速に幅広く」  「因果関係の判定は、特定の事実が特定の結果を予測し得る蓋然性を証明することによって足りることとする」(1976年3月22日伝染病予防調査会答申) しかしながら、実際に救済制度が運用されるにつれて被害者が補償請求の申請をしたにもかかわらず、認められないケースも出てくる。納得できない被害者は、医療費や障害年金、死亡一時金などの不支給の取り消しを求めて行政訴訟を起こす。その裁判過程で東京大学医学部長だった白木博次教授が示した3要素が因果関係を判断する重要な基準となる。 ①当該症状がワクチンの副反応として起こりうることについて医学的合理性がある。 ②当該症状がワクチンの接種から一定の合理的時期に発症している。 ③他原因によるものであると考えることが合理的な場合に当たらない。 裁判所は、この3基準を重視して因果関係を判断している。 たとえば、三種混合ワクチンの接種後、4歳の女の子が「急性脳症」で重度の障害を負ったケースでは、当初、補償申請が認められなかった。1992年、両親は納得がいかないと裁判所に訴えた。国は3基準について、ことごとく反論してくる。とくに③の他原因については「ヘルペスウイルスによるヘルペス脳炎を来した可能性が相当高い」とワクチン接種との因果関係を真っ向から否定した。  これに対し、原告側は女の子を治療した東京女子医科大学病院の医師らを証人に立て、一つ一つエビデンスを示して論破する。 ヘルペス脳炎についても、「診断に必要な血清、髄液検査、頭部CTスキャン画像検査、脳波検査等の各種検査を精力的に施行したが、いずれの検査においてもウイルス性脳炎感染を支持する陽性所見は得られず」と裁判官は国の主張を退ける。最終的にこう判決を下した。 「本件においては、因果関係が存在することを認定する要因である三つの基準を満たしており、厚生大臣が原告の本件症状と本件予防接種との因果関係の存在を認定しなかったことは、因果関係についての判断を誤ったものというべきであり、その誤った判断に基づいてされた本件各処分は違法であって、取り消しを免れない」 白木3基準には、もっと注目したほうがいいだろう。=つづく』、「白木3基準」はさすがに合理的だ。「4歳の女の子が「急性脳症」で重度の障害を負ったケース」で、「③の他原因については「ヘルペスウイルスによるヘルペス脳炎を来した可能性が相当高い」とワクチン接種との因果関係を真っ向から否定した」、「「ヘルペスウイルス」説にはどんな根拠があったのだろう。単に責任回避のためのこじつけといった印象も受けた。

第六に、続きを、11月12日付け日刊ゲンダイが掲載したノンフィクション作家の山岡淳一郎氏による「戦後最大「超過死亡」の謎…ワクチン接種との関係はあるのか?」を紹介しよう。
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/life/314296
・『新型コロナ感染症のパンデミックをめぐる謎の一つに「超過死亡」がある。超過死亡とは、死亡者の数が例年の水準にもとづく予測値に比べてどれだけ上回っているかを示す指標。対前年比の死亡者数が一つの目安になる。 2021年の国内全死亡者数は、20年よりも「6万7101人」も増え、増加数は東日本大震災の11年(約5万5000人)を上回り、戦後最大を記録した。21年の新型コロナ感染症による死亡者数は「1万6766人」なので、それとは別の理由で5万人以上が亡くなっていることになる。 推計・分析をした国立感染症研究所の鈴木基感染症疫学センター長は、22年2月18日に厚生労働省の審議会の副反応部会に招かれた。巷では医学者の間からも新型コロナワクチン接種が超過死亡に影響を与えているのではないか、という意見が出ており、見解を求められたのである。鈴木氏は、大阪府、兵庫県、全国の時系列での「ワクチン接種数」「超過死亡の発生」のグラフを示し、次のように断言した。 「(21年春~初夏の)第4波の超過死亡は、ワクチン接種数の増加よりも先に発生し、そしてピークを迎えたということ。(略)ワクチン接種の増加が超過死亡の増加につながったという説明は成り立たない」「学術的な検証を経た科学的根拠は他の国からも報告はない」。そのうえで第4波の爆発的な感染拡大で「医療システムが逼迫し、非感染者における救急医療や一般医療、他病院サービスにも影響を与えた」可能性に言及した。要するに医療崩壊による死亡者増に触れている』、「第4波の爆発的な感染拡大で「医療システムが逼迫し、非感染者における救急医療や一般医療、他病院サービスにも影響を与えた」可能性に言及」、なるほど。
・『名古屋大学名誉教授の小島勢二氏は鈴木氏の見方を否定  他方、名古屋大学名誉教授の小島勢二氏は、22年2~4月ごろの「ワクチン3回目接種回数の推移」と「ワクチン3回目接種後に見られた超過死亡」のデータを突き合わせ、「3回目コロナワクチン接種のピークと超過死亡は同時期に観察され、接種回数と超過死亡には、相関係数0.99と極めて強い正の相関がある」として鈴木氏の見方を否定する。) また、副反応疑い死亡症例を網羅的に分析し、「ワクチン接種後の死因で最も多いのは状態悪化であるが、死亡診断書には老衰と記載されている例も多いと想像される」と指摘。循環器系、呼吸器系疾患、老衰での死亡には、コロナ感染やワクチン接種に関わる死亡が含まれていると思考している。 さらに22年2~3月には医療逼迫が起きていなかった鳥取県、島根県でも191人、131人の超過死亡が観察されたと述べ、コロナの流行拡大の影響を受けていない要因があると説く。それが、副反応による状態悪化なのだろうか……。 私たちの社会には、まだ見えていない副反応疑い死が埋もれているのかもしれない。(おわり)』、「私たちの社会には、まだ見えていない副反応疑い死が埋もれているのかもしれない」、やはり謙虚な姿勢も大切なようだ。
タグ:山岡淳一郎氏による「広島大が衝撃発表! “サイトカインストーム”発生で症例報告4例全員の体温が「異常高温」」 「サイトカインが過剰に放出されて暴走し、自らを攻撃するサイトカインストームが発生。全身性炎症反応症候群(SIRS)を発症して死に至ったと推認」、恐ろしいことだ。 日刊ゲンダイ (コロナワクチン接種後死亡を追う6題:広島大が衝撃発表! “サイトカインストーム”発生で症例報告4例全員の体温が「異常高温」、コロナワクチン接種後死亡を追う、「原死因」ワクチン接種4事例の詳報 遺体が語る因果関係とは?、反ワクチン陰謀論と推進論の不毛…「副反応疑い」は客観的情報が不足している、ワクチン接種と副反応被害 因果関係の判断に重要な「白木3基準」、戦後最大「超過死亡」の謎…ワクチン接種との関係はあるのか?) パンデミック(医学的視点)(その26) 「接種後に40度を超える異常高熱がみられた場合には、注意深い観察と対処が必要と思われる」、と言われても困ってしまう。 山岡淳一郎氏による「コロナワクチン接種後死亡を追う」 「中肉中背、毎朝1時間のウオーキングを欠かさず、健康を保っていたが、ファイザー製の新型コロナワクチン2回目接種後から異変が生じた」、全くの健康体だったのに、「ワクチン接種後」、「血栓塞栓症」になったとは恐ろしい副反応だ。 「厚生労働省」は「このケースも因果関係を評価不能としている」、もっと誠実に原因を追究してほしいものだ。 山岡淳一郎氏による「「原死因」ワクチン接種4事例の詳報 遺体が語る因果関係とは?」 「ワクチン接種の副反応の高体温による意識障害が原死因として推認」、にも拘らず、厚労省は引き続き「「評価不能」の「烙印」、さらに調べようとはしていない。不当な無視だ。 山岡淳一郎氏による「反ワクチン陰謀論と推進論の不毛…「副反応疑い」は客観的情報が不足している」 「副反応疑いについては、客観的情報が不足」、「副反応疑い死を減らすにはどうしたらいいかという本質的な科学論議も起きてこない」、これは不思議だ。 「死亡例を「無過失予防接種事故」と呼んで放置した過去  1994年に予防接種法が改正され、接種が国民の「努力義務」に変わる以前の「義務」だった時代、副反応被害に国は冷淡だった。接種後に子どもが亡くなっても「特異体質」のひと言でおしまい。死亡例を「無過失予防接種事故」と呼んで放置」、そんな歴史的経緯は初めて知った。 山岡淳一郎氏による「ワクチン接種と副反応被害 因果関係の判断に重要な「白木3基準」」 「「迅速に幅広く」救済するため」であればやむを得ない。 「白木3基準」はさすがに合理的だ。「4歳の女の子が「急性脳症」で重度の障害を負ったケース」で、「③の他原因については「ヘルペスウイルスによるヘルペス脳炎を来した可能性が相当高い」とワクチン接種との因果関係を真っ向から否定した」、「「ヘルペスウイルス」説にはどんな根拠があったのだろう。単に責任回避のためのこじつけといった印象も受けた。 山岡淳一郎氏による「戦後最大「超過死亡」の謎…ワクチン接種との関係はあるのか?」 「第4波の爆発的な感染拡大で「医療システムが逼迫し、非感染者における救急医療や一般医療、他病院サービスにも影響を与えた」可能性に言及」、なるほど。 「私たちの社会には、まだ見えていない副反応疑い死が埋もれているのかもしれない」、やはり謙虚な姿勢も大切なようだ。
nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感

リニア新幹線(その9)(静岡県知事・川勝平太氏の「下品極まりない手口」…JR東海が「リニア問題」で困り果てている、リニアを阻む「静岡問題」の解決で欠かせない地元目線 鉄道の岐路(12)、リニア工事延期を通して露呈した川勝知事と静岡県庁の「機能不全」…記者たちの追及やまず、「大井川『命の水』を守る」発言の嘘を見破った2人の静岡県議と「川勝知事が嘘を決して認められないワケ」) [産業動向]

リニア新幹線については、昨年12月23日に取り上げた。今日は、(その9)(静岡県知事・川勝平太氏の「下品極まりない手口」…JR東海が「リニア問題」で困り果てている、リニアを阻む「静岡問題」の解決で欠かせない地元目線 鉄道の岐路(12)、リニア工事延期を通して露呈した川勝知事と静岡県庁の「機能不全」…記者たちの追及やまず、「大井川『命の水』を守る」発言の嘘を見破った2人の静岡県議と「川勝知事が嘘を決して認められないワケ」)である。

先ずは、本年1月2日付け現代ビジネスが掲載したイトモス研究所所長の小倉 健一氏による「静岡県知事・川勝平太氏の「下品極まりない手口」…JR東海が「リニア問題」で困り果てている」を紹介しよう。
https://gendai.media/articles/-/104250?imp=0
・『リニア新幹線を巡る「攻防」  リニア新幹線建設を巡り、JR東海と川勝平太静岡県知事の対立が泥試合の様相を呈している。泥試合を仕掛けているのは、川勝知事だ。静岡県内における建設着工を防ぐために、ありとあらゆる難癖をつけて妨害を続けている。 2020年6月10日、JR東海の金子慎社長は(当初計画していた)2027年の開業について「ギリギリで難しい工程」と述べていた。あれから2年と半年が過ぎたが、静岡県との協議は一歩も前へ進んでいない。下手すると、2030年まで開業を後ろ倒ししなくてはいけない可能性がある。 一民間企業であるJR東海の事業を、権力者が徹底的に妨害する様は、徳川家康が豊臣秀頼・淀君にもつけた難癖に近い。もはやイジメだろう。経営体力のあるJR東海だから大人の対応をしているが、これが他のJRだったら万事休すとなっていてもおかしくない。徳川家康には、「自分の目の黒いうちに豊臣家を滅ぼしておく」という目的があったが、川勝知事にある「大義」とはいったいなんなのだろうか。 かつて川勝知事は、「静岡空港直下への東海道新幹線新駅設置構想」なるものを太田昭宏国土交通相(当時)に提案している。「新幹線静岡空港駅」構想だ。この提案に対してJR東海は「明らかに短い区間にたくさん駅を作れば列車本数が入らなくなり、東海道新幹線の輸送力が傷んでしまう」(2013年12月11日・JR東海社長定例会見での発言)として拒否。リニア建設において、JR東海へ嫌がらせをすることで、新幹線静岡空港駅の譲歩を引き出そうとしたのではないかとされている』、「かつて川勝知事は、「静岡空港直下への東海道新幹線新駅設置構想」なるものを太田昭宏国土交通相(当時)に提案」、「JR東海」が「拒否」したことで、「JR東海へ嫌がらせをすることで、新幹線静岡空港駅の譲歩を引き出そうとしたのではないかとされている」、「川勝知事」の「拒否」の背景が初めて理解できた。
・『過剰な数の駅数  川勝知事が主張するように、静岡空港に新幹線の駅をつくることは物理的には可能なのであろうが、静岡県にはすでに熱海駅、三島駅、新富士駅、静岡駅、掛川駅、浜松駅と6つも新幹線の駅(さらに神奈川県との県境には小田原駅、愛知県との県境には豊橋駅という新幹線駅)がある。 1日の平均乗車人員(平成30年度・コロナ前) 東京:104,451人 品川:37,200人 新横浜:34,095人 小田原:11,245人 熱海:4,825人 三島:15,319人 新富士:4,874人 静岡:21,207人 掛川:4,379人 浜松:13,731人 豊橋:8,934人 三河安城:1,865人 名古屋:73,747人 岐阜羽島:2,955人 米原:7,240人 京都:39,229人 新大阪:84,467人 この1日の乗車人員(2倍にすると乗降人員になる)を考えると、三島と静岡以外、JR東海にとって駅を存続させるメリットは薄そうだ。この数字を見る限り、JR東海がやるべきは、静岡空港に駅をつくることではない。静岡県の新幹線駅を減らすことだろう。人口減少社会を迎える公共交通において、経営のお荷物は極力無くしていったほうがよい。 東海道・山陽新幹線において静岡県は最多の駅数で、すでに人口規模(376万人、全国で10番目)から言って過剰な数の駅数である。「のぞみ」が全然止まらないのは、静岡県が栄えていないか、クルマ社会であるということだ。川勝県政下で過去10年、ずっと右肩下がりで人口が減り続けている静岡県に新駅をつくるなど、民間企業としてはデメリットばかりの過剰な投資でありリスクしかない』、「過去10年、ずっと右肩下がりで人口が減り続けている静岡県に新駅をつくるなど、民間企業としてはデメリットばかりの過剰な投資でありリスクしかない」、その通りだ。
・『唐突な論点のすり替え  静岡空港へのアクセスについては、たしかに現状クルマやバスでしかいけないという不便な面はあるものの、工業製品や魚介を海外へ輸出したいのであれば、トラックで運べばいい。観光客やビジネスパーソンが、絶対に鉄道を使ってでしか空港へ行きたくないと言うのであれば、セントレア(中部国際空港)という鉄道が直結する立派な空港が静岡県のすぐ近くにある。 JR東海側の計画によれば、リニア新幹線が開業すると、これまでの東海道新幹線の運転本数のうち、「のぞみ」の割合が減り、「ひかり+こだま」の割合が増えることになる。「のぞみ」は静岡県に止まることはないが、「ひかり+こだま」ならたくさん止まる。静岡県民の利便性は向上することになる。さっさとリニアを通したほうが、静岡県民のためになるのだ。 川勝知事は、これまで「リニアを引き合いに静岡空港新幹線新駅の実現を迫る」(2016年9月の定例会)答弁を強行し、新駅容認派の学者を集めたシンポジウムでは「駅を造らないといけないという保証をいただいた。JR東海には意識改革を求めたい」(2017年2月)と迫り、2019年6月の定例記者会見・トンネル関連工事の視察の際には「地域貢献を金額に直すと(中間駅のある)4県の(駅整備額の)平均がめどになる」などとJR東海に露骨に金銭を要求してきた経緯がある。この下品極まりないやり方には、自民党の族議員も真っ青だろう。 川勝知事がアクロバチックに繰り出した最大の難癖が「命の水を守れ」キャンペーンだ。「大井川流域が水不足に悩んでいる」という「虚偽の前提」から始まった一連のキャンペーンは、川勝知事の再選に大きな役割を果たしたようだ。 川勝知事は、水不足になっていない現実が知られてくると、今度は「(志太榛原には)うまい酒がある。水質が悪くなると名酒が名酒でなくなる」「リニアという国策のために自然を破壊しかねない」(2021年6月3日)と、「水質保全・自然破壊防止」という論点にすり替えを行った。自然破壊をせずに済むトンネル工事などほぼないだろう。川勝知事の言った通りにすると、絶対にリニア建設などムリなことは明白だ』、「「大井川流域が水不足に悩んでいる」という「虚偽の前提」から始まった一連のキャンペーンは、川勝知事の再選に大きな役割を果たしたようだ。 川勝知事は、水不足になっていない現実が知られてくると、今度は「(志太榛原には)うまい酒がある。水質が悪くなると名酒が名酒でなくなる」「リニアという国策のために自然を破壊しかねない」・・・と、「水質保全・自然破壊防止」という論点にすり替えを行った」、「論点」の「すり替え」は巧みだ。
・『「堪忍袋の尾が切れました」  先述の新幹線駅と静岡空港の話に戻るが、遠くない距離にセントレア(もしくは羽田空港)がある現状を考えれば、赤字(県と空港会社の収支合算)を垂れ流し続ける静岡空港は、新幹線駅をつくるどころか、廃止するという考えに立ってもおかしくない。 静岡空港は、川勝知事が大事にしていると主張する自然を破壊した上で建設されたものだ。日本有数のお茶の産地を総事業費約1900億円かけてぶっ潰したわけである。そんなに自然が大事なら空港は更地にして、茶畑に戻すべきだろう。 丁寧に論点を整理し、できることから着々と進めるJR東海に対し、川勝知事は「そもそも極めて傲慢な態度で臨まれているという認識を持っております。あたかも水は一部戻してやるから、ともかく工事をさせろという、そもそも極めて傲慢な態度で臨まれている。そういった態度であり、私の堪忍袋の緒が切れました」と述べている。 水の質が問題だと難癖をつけられたから、「水をそのまま戻します」と妥協案を示したJR東海が、「極めて傲慢な態度」だというのだから、子どもの頃に歌った童謡ではないが「川勝さん家の平太くん、このごろ少し変よ。どうしたのかな」と呆れるほかない』、「川勝知事」の「抵抗」は確かに整合性が取れていない。「川勝知事」に名誉ある撤退っせる妙案はないのだろうか。

次に、1月3日付け日経ビジネスが掲載した「リニアを阻む「静岡問題」の解決で欠かせない地元目線 鉄道の岐路(12)」を紹介しよう。
https://business.nikkei.com/atcl/gen/19/00148/111700088/
・『鉄道ビジネスの停滞感が顕著になるなか、次代を担うブレイクスルーは何なのか。そう考えたとき、やはり筆頭に上がるのは「超電導リニア」だろう。技術は確立済みで、リニア中央新幹線の建設も各地で進むが、静岡県の反対が2027年を目指していた開業を阻んでいる。いくら「国家プロジェクト」だと訴えても、結局のところ、地域と真剣に向き合うことを宿命づけられているのが鉄道というビジネスだ。 22年10月にJR東海の山梨リニア実験線に試乗する機会を得た。実は超電導リニアに乗るのは5年ぶり2度目。鉄道を取材している記者としての完全な役得である。 とはいえ、正直に言って、2度目の試乗に心ときめいていたわけではない。5年前に乗ったときの印象がそれほど良くなかったからだ。 超電導リニアは鉄道のような車輪ではなく、浮上して走行することはよく知られている。レールのつなぎ目はないし、地面に接していないのならさぞ滑らかに走るのだろう……。そう期待して乗ったら、見事に裏切られた。発車時の急加速はまるで飛行機のように荒々しく、浮上走行時も小刻みな揺れがあって、コップの水がこぼれないことを売りにしている新幹線の滑らかな乗り心地とはほど遠い。そして時速150キロメートル程度まで減速するとタイヤ走行に切り替わるのだが、その際もガタンという衝撃があり、飛行機が着陸するような感覚だった。総じて鉄道というよりは飛行機に近く、快適性では鉄道に一日の長があると感じた。 さて、今回はどうだろうか。 現地で超電導リニアと対面して気づいたのだが、5年前とは車両の一部が変わっていた。20年春に7両編成のうち先頭車両とその隣の中間車両の2両が「L0系改良型試験車」に置き換えられたという。今回はその改良型に乗り込むことになった。 5年前に乗った超電導リニアの車内は、JR東海の東海道新幹線N700系と似た印象だった。しかし改良型は、だいぶ雰囲気が変わっていた。椅子の軽量化に腐心したのだろうか。細いパイプで支えられていて、足元に荷物を入れるスペースがあるなど、飛行機の椅子に近い。前席背面の大型テーブルがなくなり、肘掛けに収納された小さなテーブルだけになったのは、東京-名古屋間で最速40分、東京-大阪間で同67分という所要時間を考慮したのだろう。確かにその程度の所要時間なら、弁当を食べたり、パソコンを開いて仕事をしたりするほどのこともない。 天井は編み込まれた繊維のようなもので覆われていて、聞けば吸音効果があるという。 さて、いよいよ出発だ。山梨リニア実験線は全長42.8キロメートル。将来はリニア中央新幹線の一部となる。出発地点からはまず実験線の東端に向かい、そこから折り返して最高時速500キロメートルで全線を走行。西端で折り返して出発地点へと戻る。都合3回ずつ、加速と減速を体験した。 変わっていなかったのは、急加速と、停車前に浮上走行からタイヤ走行に切り替わるときの衝撃。これはやはり飛行機に近く、鉄道と超電導リニアは違う乗り物だと再認識した。 一方、浮上走行中の揺れについては、前回の試乗時ほど強い印象は受けなかった。 もしかしたら個人的な「慣れ」によるものかもしれないと思ってJR東海に確認してみたところ、改良型では先頭形状を変更して空気抵抗を約13%低下させたことや、車内の騒音を低減したことが影響しているかもしれないとのことだった』、「山梨リニア実験線」での「実験」では、「前回の「実験」と、「変わっていなかったのは、急加速と、停車前に浮上走行からタイヤ走行に切り替わるときの衝撃。これはやはり飛行機に近く、鉄道と超電導リニアは違う乗り物だと再認識した」、なるほど。
・『天井は吸音効果がある素材に覆われている  乗り心地の滑らかさでは、まだ新幹線のレベルには到達していない。しかし飛行機ほどの揺れはなく、1時間程度の乗車であれば、さほど気にならないと感じた。国土交通省が技術開発は完了したとお墨付きを与えているのもうなずける。 長年「夢の乗り物」の域を脱せなかった超電導リニアだが、1962年の研究開発から60年の時を経て、ようやく現実のものになろうとしている。 その姿を一番実感できるのは、名古屋駅周辺だろう。リニア中央新幹線の名古屋駅は、南北方向に走る東海道新幹線・東海道線などと交差、すなわち東西方向に延びる形で設置される。地下駅となるが、地表から掘り進む開削工法で建設されるため、駅周辺ではビルの立ち退き・解体が進んでいる。 現在は解体した建物の地下部分など支障物を撤去する準備工事段階だが、更地になった部分から、将来の駅のスペースが手に取るように分かる。 リニアの名古屋駅建設現場。手前から奥へと細長く用地が延びていることが分かる 首都圏側ではJRと京王電鉄が乗り入れる橋本駅(相模原市)の駅前で、神奈川県駅(仮称)の掘削工事が進む。移転した神奈川県立相原高校の広大な跡地を工事ヤードとして活用し、国内では珍しい露天掘りが行われている。この迫力ある工事現場が、10月1~4日の4日間、周辺住民をはじめとする一般客に公開された。掘削現場ののり面にプロジェクションマッピングを投映する「さがみはらリニアビジョン」というイベントで、事前申し込みした約2000人が参加した。 イベントでは工事現場でプロジェクションマッピングが投映された(点灯セレモニーには、JR東海の金子慎社長や神奈川県の黒岩祐治知事が登壇。黒岩知事は「2027年の開業に向け、国家プロジェクトとして進めていく」「国家プロジェクトを盛り上げていく機運が高まってきた」「住民の皆さんが国家プロジェクトに協力してくれている」などと、何度も「国家プロジェクト」という言葉を持ち出した』、「黒岩知事」が「何度も「国家プロジェクト」という言葉を持ち出した」、JR東海のプロジェクトに過ぎないのを、「国家プロジェクト」と強弁するのには違和感がある。
・『着工のめどが立たない約10キロメートル  実はその1週間ほど前、静岡県の川勝平太知事が「神奈川県が完全に27年の開業を不可能にしたと思う」と発言し、物議を醸していた。 東京から名古屋の間で工事が着々と進むなか、静岡県の大井川上流部をかすめるようにトンネルで通過する、わずか約10キロメートルの着工のめどが立っていない。建設残土の処理や大井川の水資源の保全を巡り、静岡県の理解を得られていないためだ。国交省を交えて協議を行っているが、膠着状態は3年以上続いている。JR東海は静岡工区に着手できないことを理由に「27年の開業は困難」としている。 川勝知事の発言は、静岡工区以外にも開業遅れの理由はあるという主張だった。具体的には、相模原市に設けられる車両基地の用地取得が遅れていることに触れ、取得交渉の実務を担当している神奈川県をやり玉に挙げたのだ。これに対して神奈川県の黒岩知事は「セレモニーの前に現地をきちんと見てきた。外から見ただけでは分からないが、住宅が建っているところでは8割が(用地売却を)了承されている。27年の開業に向けて進んでいけると実感した」と反論した。) 黒岩知事が執拗に「国家プロジェクト」と強調したのは、静岡県だけがリニアの着工を認めないことへのけん制のようにも取れる。西九州新幹線の未整備区間を巡り、佐賀県がフル規格新幹線での整備に慎重な姿勢を示しているのと同様、国全体の便益と地域の利益のどちらを優先すべきなのか、対立が生じている。 リニア中央新幹線は西九州新幹線と同じく「全国新幹線鉄道整備法」に基づく路線だが、JR東海が建設費の全額を負担するため、国や沿線自治体の費用負担は発生しない。沿線自治体との交渉の矢面に立つのも国交省ではなく、JR東海自身だ。 JR東海の関係者からは「静岡県が懸念する水資源問題の解決策を提示しても、新たな問題が提示される。ゴールポストを変えられるようなもので、終わりが見えない」とため息交じりの声が聞かれる。 リニアのトンネル内に湧き出る水は導水路トンネルを建設して大井川に戻すことで、中下流域の水量は変わらないと国交省の有識者会議も評価している。新たに焦点となっているのは、トンネル掘削時の約10カ月間、一時的に山梨県側に湧水が流出するという問題。突発湧水の危険性があり、安全確保のためには山梨県側から上向きに掘削せざるを得ないためだ。 この問題に対してJR東海は、ウルトラCとも言える方策をひねり出した。大井川上流にある田代ダムでは、東京電力リニューアブルパワーが水力発電用に取水。山梨県側に送っている。そこで同社に協力を仰ぎ、工事期間だけ取水を制限するという案だ。こうすれば中下流域の水量は実質的に変わらない計算になる。 JR東海の宇野護副社長は「大井川流域の市町からは分かりやすい対策という声をいただいている」と話す。しかし静岡県の川勝知事は「広い意味での地域貢献になる」と歓迎しつつも「(静岡県が求めている、県外に流出する水の)全量戻しには当たらない」との立場。解決の糸口が見いだせない状況だ。 はたから見れば、無理難題を押しつけているようにも見える。その背景について、静岡県の幹部は「静岡県や沿線自治体には、JR東海の営業エリアでありながら、長年軽視されてきたという思いがある。JR東海に対する不信感が根本にある」と解説する』、「静岡県の幹部は「静岡県や沿線自治体には、JR東海の営業エリアでありながら、長年軽視されてきたという思いがある。JR東海に対する不信感が根本にある」と解説」、こうした歴史的経緯があると、ややこしい。
・『「のぞみ通行税」に込めた不満  古くは02年、石川嘉延前知事が「のぞみ通行税」を持ち出したことがある。東海道新幹線の主力であるのぞみは、東名阪をいかに速く移動できるかを重視しているため、静岡県は素通り。静岡駅や浜松駅に停車する「ひかり」「こだま」の本数が限られていることに不満を示した。 また、前出の県幹部は「東海道線の沿線自治体が柔軟な運行ダイヤ変更などを要望しても、東海道新幹線との接続を優先しなければいけないといった理由でなかなか認められない」とも話す。 目下の懸案は、東海道新幹線の「静岡空港駅」新設問題だ。石川前知事時代から静岡~掛川間の富士山静岡空港近くに新駅を建設し、空港アクセスの利便性を向上させたいとしている。しかし、JR東海は一貫して難色を示している。隣の掛川駅との駅間距離が短く、高速鉄道としての特性を損なうという理由からだ。 静岡県は22年7月、リニア中央新幹線沿線の都道府県で構成する「リニア中央新幹線建設促進期成同盟会」に加盟した。 建設促進期成同盟会はその名の通り、リニア中央新幹線の建設促進を目的としている。川勝知事は一時期、リニアそのものへの懐疑的な発言が目立っていたが、これで建設自体は否定しない立場が明確になった。 そしてこの組織にはもう1つの顔がある。各県内に停車駅の設置を実現させるというものだ。JR東海がリニア中央新幹線を建設する主眼は東名阪の所要時間短縮と東海道新幹線の老朽化や地震災害に備えた輸送の二重系化だ。しかし山梨県、長野県、岐阜県といった沿線自治体は、建設に協力することで中間駅の設置を勝ち取り、地域振興の起爆剤として期待する。 ただ、リニア中央新幹線は静岡県内は南アルプスの山奥を通過するだけなので、静岡県にとって駅を設置するメリットは皆無。仮に新駅を求めるとすれば、静岡空港駅になるのではないか』、「静岡県は22年7月、リニア中央新幹線沿線の都道府県で構成する「リニア中央新幹線建設促進期成同盟会」に加盟した。・・・川勝知事は一時期、リニアそのものへの懐疑的な発言が目立っていたが、これで建設自体は否定しない立場が明確になった」、「リニア中央新幹線は静岡県内は南アルプスの山奥を通過するだけなので、静岡県にとって駅を設置するメリットは皆無。仮に新駅を求めるとすれば、静岡空港駅になるのではないか」、なるほど。
・『JR東海も地元との対話を強化  実際、静岡県が建設期成同盟会に加盟した後、山梨県の長崎幸太郎知事などが静岡空港駅の建設要望について議題に取り上げたい考えを示している。 静岡県の川勝知事は大井川の水資源問題解決を公約に掲げて県知事選を制した手前、自ら静岡空港駅の設置を持ち出して、振り上げた拳を簡単に下ろすのは難しいだろう。周辺から議論の機運を醸成していくしかない。 JR東海も遅ればせながら、地元との対話を強化しようとしている。22年3月に、静岡支社に新たに副支社長ポストを設置した。7月からは県内の駅に大井川の水資源に関する取り組みを紹介するパンフレットを置き、利用客へアピールするとともに、意見や質問などを受け付けている。3カ月間で200件近い意見や質問が集まり、これに対する回答を公開したところだ。 旅客収入の9割近くを東海道新幹線で稼ぐJR東海は、経済合理性だけを考えれば東名阪の移動需要を重視すればいい。日本を支える大動脈を運営し、国家プロジェクトの一翼を担う自負もあるだろう。しかし実際には他のJR各社と同様、営業エリアである中部地方から逃れられない宿命を帯びている。地域の課題と向き合っていくことが、結果的にリニアの早期開業につながるのではないだろうか』、「旅客収入の9割近くを東海道新幹線で稼ぐJR東海は、経済合理性だけを考えれば東名阪の移動需要を重視すればいい」、「しかし実際には他のJR各社と同様、営業エリアである中部地方から逃れられない宿命を帯びている。地域の課題と向き合っていくことが、結果的にリニアの早期開業につながるのではないだろうか」、その通りだ。

第三に、 1月9日付け現代ビジネスが掲載したジャーナリストの小林 一哉氏による「リニア工事延期を通して露呈した川勝知事と静岡県庁の「機能不全」…記者たちの追及やまず」を紹介しよう。
https://gendai.media/articles/-/104421?imp=0
・『知事と副知事の「食い違い」  2023年を迎えたが、2022年に引き続き、「リニア静岡問題」解決はお先真っ暗の状態である。2018年夏から、静岡県とJR東海はリニア問題を解決するための議論を続けているが、何ら進展は見られない。 河川法の許可権限を盾に、川勝知事がさまざまな言い掛かりをつけ、リニア議論を妨害するからである。このままではリニア開業を大幅に遅らせた最大の責任者として、川勝知事の“悪名”が歴史にしっかりと刻まれることになるだろう。 2022年の最後となる12月27日の定例会見で、川勝知事は「『リニアは存亡の危機にある』という認識を持っている」などと報道各社に向かって、従来通りの挑発的な発言を行った。いくつかの地元テレビ局は川勝知事の挑発発言を鵜呑みにして、そのまま報道していた。 ところが、実際の会見では、川勝知事と森貴志副知事の主張の食い違いが問題となり、緊迫したやり取りが続いていたのである。 12月4日に開かれた県地質構造・水資源専門部会終了後の囲み取材で、筆者は以下のような質問をした。 「今回の会議で、田代ダム取水抑制案が全量戻しに有効であることが確認された。ところが、知事は何度も『田代ダム取水抑制案は全量戻し策にならない』と発言してきた。知事が田代ダム取水抑制案を認めないならば、県専門部会の議論そのものがムダになる。リニア問題を議論する県の責任者として見解を示してほしい」 すると森副知事は「田代ダム取水抑制案がJR東海の工事中の全量戻しに有効であると川勝知事も認識している」と発言した。 それにも関わらず、川勝知事は12月16日の会見で「田代ダム取水抑制案は別の事柄。(JR東海の)南アルプス工事と結びつくものではない」などと繰り返し否定してしまい、静岡県庁の「機能不全」が深刻化していることを明らかにしてしまった』、「森副知事は「田代ダム取水抑制案がJR東海の工事中の全量戻しに有効であると川勝知事も認識している」と発言した。 それにも関わらず、川勝知事は12月16日の会見で「田代ダム取水抑制案は別の事柄。(JR東海の)南アルプス工事と結びつくものではない」などと繰り返し否定してしまい、静岡県庁の「機能不全」が深刻化していることを明らかに」、お粗末だ。
・『副知事の発言を「ちゃぶ台返し」  県政記者らは16日の知事会見後に、あらためて森副知事に確認した。その後、川勝知事と協議をしたとする森副知事は、「知事も検討の余地があると認識している。誤解を生じさせた」などと、知事発言の訂正を行った。 このため、27日の会見で読売新聞の記者が「田代ダム取水抑制案は静岡県が求める全量戻しに相当する案として認められるのか、それとも全く認められないのか」と知事の姿勢をただした。 この質問に、川勝知事が「JR東海は県専門部会で説明責任を果たさなければならない」など脈絡のない回答に終始したため、読売記者は「事務方はリニアと田代ダム取水抑制案は関係があると明言している。知事はそれと同じことを言えないのか」と厳しく追及した。 この追及に対して、川勝知事は「全量戻しとは掘削中に出る水をすべて戻すことであり、田代ダム取水抑制案は全量戻しとは違うという認識を持っている」などと12月16日と全く同じ回答をして、再び森副知事の発言を“ちゃぶ台返し”してしまった。 森副知事と食い違う川勝知事の回答に、業を煮やしたテレビ静岡の記者が、事務方のリニア担当部局へ説明を求めた。責任者の渡邉光喜参事は隣にいる知事の顔色をうかがって、全く見当外れの説明に終始した』、お粗末極まる。
・『静岡県庁の「機能不全」  さらに、渡邉氏がJR東海への責任転嫁を始めたことに、テレビ静岡の記者は「それでは森副知事が嘘をついているんですね。我々の前ではそうは言っていない。はっきりと録画も録音も残っている。そういう不誠実なことはやめたほうがいい」などと県のごまかしを許さない毅然とした対応をした。 再び渡邉参事から代わった川勝知事は「私は(森副知事と)見解がずれているとは思わない。残念ながら森副知事は東京に出張しており、見解への説明は今できない」などと言い繕い、ごまかそうともしている。 これに対して、中日新聞の記者は「田代ダム取水抑制案は県専門部会の森下(祐一)部会長も『有力な案』と見ている。森副知事は『田代ダム取水抑制案として検討するに値する』と発言した。知事と事務方と同じ見方なのかどうかと質問している」と知事のごまかしを許さなかった。 さまざまな前置きをした上で、最後に川勝知事は「検討の余地がある」と述べて折れた形となり、今回の知事会見は時間切れとなった。 川勝知事の嘘やごまかしに、記者たちは我慢できないようになっている。一触即発の剣呑な雰囲気となったが、記者たちは追及の手を緩めなかった。“裸の王様”川勝知事によって、静岡県庁の「機能不全」が最悪の状態に向かいつつあることを明らかにしたのだ。 後編「大井川『命の水』を守る」発言の嘘を見破った2人の静岡県議と「川勝知事が嘘を決して認められないワケ」では、これまで何度も川勝知事が唱えてきた「大井川流域62万人の『命の水』を守る」発言の嘘をただした桜井勝郎県議(無所属、島田市・大井川町選出)、野崎正蔵県議(自民党、磐田市選出)らの追及の詳細と、川勝知事の苦しい対応について報じる』、「“裸の王様”川勝知事によって、静岡県庁の「機能不全」が最悪の状態に向かいつつあることを明らかにした」、大混乱のようだ。

第四に、1月9日付け現代ビジネスが掲載したジャーナリストの小林 一哉氏による「「大井川『命の水』を守る」発言の嘘を見破った2人の静岡県議と「川勝知事が嘘を決して認められないワケ」」を紹介しよう。
・『2023年を迎えたが、2022年に引き続き、「リニア静岡問題」解決はお先真っ暗の状態である。2018年夏から、静岡県とJR東海はリニア問題を解決するための議論を続けているが、何ら進展は見られない。 河川法の許可権限を盾に、川勝知事がさまざまな言い掛かりをつけ、リニア議論を妨害するからである。このままではリニア開業を大幅に遅らせた最大の責任者として、川勝知事の“悪名”が歴史にしっかりと刻まれることになるだろう。 前編記事『リニア工事延期を通して露呈した川勝知事と静岡県庁の「機能不全」…記者たちの追及やまず』で、2022年12月の記者会見で川勝知事が記者たちに厳しい追及をされた経緯について詳報した。後編では知事の嘘を追求する県議たちと知事のやりとりについて報じる』、興味深そうだ。
・『JR東海に「責任転嫁」  2022年12月県議会で、桜井勝郎県議(無所属、島田市・大井川町選出)、野崎正蔵県議(自民党、磐田市選出)が、これまで何度も川勝知事が唱えてきた「大井川流域62万人の『命の水』を守る」発言の嘘をただした(筆者の近著『知事失格 リニアを遅らせた川勝平太静岡県知事「命の水」の嘘』飛鳥新社でその内容を詳しく紹介した)。 特に、元島田市長の桜井県議は大井川広域水道の役割を十分に承知しているだけに、現在、県地質構造・水資源専門部会で議論になっているリニアトンネル工事中(約10カ月間)に山梨県へ流出する最大約500万トンの湧水問題について厳しく追及した。 川勝知事の「命の水」の嘘を明らかにした上で、桜井県議は「静岡県から県外流出する量は、最大毎秒0・21トンに過ぎない。現在、大井川広域水道事業団の余った水は毎秒0・9トンもあり、川勝知事が言う“命の水”は十分に足りている。農業用水、工業用水にもしわ寄せがいかない。何の影響もないどころか、使われない水はそのまま大井川に流され、海に捨てられてしまう。その量は、年間に直せば、約2838万トンにも上っている。一滴たりとも県外に渡さないという“命の水”が実際は捨てられている。これについて知事はどのような所見を持つのか」などと述べて、現在、行われている県専門部会の議論そのものが不毛であることまで明らかにした。 川勝知事は「JR東海が県外流出量を算出した係数の値がひとけた違えば、流出する量は大幅に増える」などと国の有識者会議の結論などを無視して、無責任な回答でごまかした。さらに、森副知事は「62万人の『命の水』とは、大井川広域水道だけでなく、各市町で使う自前の水も合わせた量だ」などと頓珍漢な回答でお茶を濁した』、「元島田市長の桜井県議は大井川広域水道の役割を十分に承知しているだけに・・・川勝知事の「命の水」の嘘を明らかにした上で、桜井県議は「静岡県から県外流出する量は、最大毎秒0・21トンに過ぎない。現在、大井川広域水道事業団の余った水は毎秒0・9トンもあり、川勝知事が言う“命の水”は十分に足りている。農業用水、工業用水にもしわ寄せがいかない。何の影響もないどころか、使われない水はそのまま大井川に流され、海に捨てられてしまう。その量は、年間に直せば、約2838万トンにも上っている」、やれやれ「川勝知事」の言い分はどうも当てにならないようだ。
・『「静岡県がリニア開業を遅らせている」は風評?  「命の水」の嘘について、川勝知事は必死で逃げ回るしかないようだ。だから、国交省、JR東海へ責任転嫁を図るような質問や意見書を送り続けている。 まず、2022年11月25日付で川勝知事は、金子慎JR東海社長宛にリニア工事の関係都県の進捗状況等(用地取得率、工事進捗率など)を出すよう求め、この件でJR東海を指導するよう求める文書を水嶋智・国土交通審議官に送った。 金子社長は、12月11日付で「全線における用地取得、工事の契約及び工事の状況等については当社のホームページで公表している」などという回答とともに、難工事となる南アルプストンネル静岡工区の早期着工に向けて、理解と協力を要請した。金子社長の回答に川勝知事は激怒、12月23日付であらためて「用地取得などの公表についてJR東海を強く指導するよう要請する」という文書を水嶋審議官宛に送りつけた。 この文書の背景には、川勝知事が2022年9月、神奈川県駅などの建設現場を視察した際、関東車両基地の現場を通ったところ、「(整備予定地の)道の両側に数多くの人家があり、地域住民が普通の生活をしていたことから、(関東車両基地)用地取得が滞っている」という“事実”に驚いたことに端を発する。 その後の会見で、川勝知事は「2027年開業が、静岡県の工事拒否によってできないとJR東海が広報しているが、神奈川県の現状を見れば、静岡県がリニア開業を遅らせているというのはJR東海がつくった風評だ」と怒りをぶちまけた。 つまり、神奈川県内の用地取得などが遅れていることをJR東海に公表させて、2027年開業が無理なのは静岡県の責任ではないことを世間に知らしめたいのだ。 ただ、2022年12月に始まった県議会や記者らの厳しい追及で、今後、川勝知事の「嘘」が明白となってしまえば、リニアトンネル静岡工区の着工許可を出さず、リニア開業を遅らせた責任を問われることになる。リニア開業を遅らせた張本人として歴史的な汚名を被ることを川勝知事は恐れているのだろう。 2022年を象徴する1字に、川勝知事は「水」と書いた。「命の水」の嘘を2022年中に水に流してしまいたいから、「水」を選んだのだろうか? お先真っ暗なリニア問題の現状を変えることができるのは、世論の力しかない』、「お先真っ暗なリニア問題の現状を変えることができるのは、世論の力しかない」、どうも「川勝知事」の分は悪そうだ。ただ、「リニア問題」そのものについては、私は現在の新幹線との競合から反対である点は以前から変わらない。
タグ:「黒岩知事」が「何度も「国家プロジェクト」という言葉を持ち出した」、JR東海のプロジェクトに過ぎないのを、「国家プロジェクト」と強弁するのには違和感がある。 「お先真っ暗なリニア問題の現状を変えることができるのは、世論の力しかない」、どうも「川勝知事」の分は悪そうだ。ただ、「リニア問題」そのものについては、私は現在の新幹線との競合から反対である点は以前から変わらない。 何の影響もないどころか、使われない水はそのまま大井川に流され、海に捨てられてしまう。その量は、年間に直せば、約2838万トンにも上っている」、やれやれ「川勝知事」の言い分はどうも当てにならないようだ。 「元島田市長の桜井県議は大井川広域水道の役割を十分に承知しているだけに・・・川勝知事の「命の水」の嘘を明らかにした上で、桜井県議は「静岡県から県外流出する量は、最大毎秒0・21トンに過ぎない。現在、大井川広域水道事業団の余った水は毎秒0・9トンもあり、川勝知事が言う“命の水”は十分に足りている。農業用水、工業用水にもしわ寄せがいかない。 小林 一哉氏による「「大井川『命の水』を守る」発言の嘘を見破った2人の静岡県議と「川勝知事が嘘を決して認められないワケ」」 「“裸の王様”川勝知事によって、静岡県庁の「機能不全」が最悪の状態に向かいつつあることを明らかにした」、大混乱のようだ。 お粗末極まる。 「森副知事は「田代ダム取水抑制案がJR東海の工事中の全量戻しに有効であると川勝知事も認識している」と発言した。 それにも関わらず、川勝知事は12月16日の会見で「田代ダム取水抑制案は別の事柄。(JR東海の)南アルプス工事と結びつくものではない」などと繰り返し否定してしまい、静岡県庁の「機能不全」が深刻化していることを明らかに」、お粗末だ。 小林 一哉氏による「リニア工事延期を通して露呈した川勝知事と静岡県庁の「機能不全」…記者たちの追及やまず」 「旅客収入の9割近くを東海道新幹線で稼ぐJR東海は、経済合理性だけを考えれば東名阪の移動需要を重視すればいい」、「しかし実際には他のJR各社と同様、営業エリアである中部地方から逃れられない宿命を帯びている。地域の課題と向き合っていくことが、結果的にリニアの早期開業につながるのではないだろうか」、その通りだ。 「静岡県は22年7月、リニア中央新幹線沿線の都道府県で構成する「リニア中央新幹線建設促進期成同盟会」に加盟した。・・・川勝知事は一時期、リニアそのものへの懐疑的な発言が目立っていたが、これで建設自体は否定しない立場が明確になった」、「リニア中央新幹線は静岡県内は南アルプスの山奥を通過するだけなので、静岡県にとって駅を設置するメリットは皆無。仮に新駅を求めるとすれば、静岡空港駅になるのではないか」、なるほど。 「静岡県の幹部は「静岡県や沿線自治体には、JR東海の営業エリアでありながら、長年軽視されてきたという思いがある。JR東海に対する不信感が根本にある」と解説」、こうした歴史的経緯があると、ややこしい。 「山梨リニア実験線」での「実験」では、「前回の「実験」と、「変わっていなかったのは、急加速と、停車前に浮上走行からタイヤ走行に切り替わるときの衝撃。これはやはり飛行機に近く、鉄道と超電導リニアは違う乗り物だと再認識した」、なるほど。 日経ビジネスが掲載した「リニアを阻む「静岡問題」の解決で欠かせない地元目線 鉄道の岐路(12)」 「川勝知事」の「抵抗」は確かに整合性が取れていない。「川勝知事」に名誉ある撤退っせる妙案はないのだろうか。 「「大井川流域が水不足に悩んでいる」という「虚偽の前提」から始まった一連のキャンペーンは、川勝知事の再選に大きな役割を果たしたようだ。 川勝知事は、水不足になっていない現実が知られてくると、今度は「(志太榛原には)うまい酒がある。水質が悪くなると名酒が名酒でなくなる」「リニアという国策のために自然を破壊しかねない」・・・と、「水質保全・自然破壊防止」という論点にすり替えを行った」、「論点」の「すり替え」は巧みだ。 「過去10年、ずっと右肩下がりで人口が減り続けている静岡県に新駅をつくるなど、民間企業としてはデメリットばかりの過剰な投資でありリスクしかない」、その通りだ。 「かつて川勝知事は、「静岡空港直下への東海道新幹線新駅設置構想」なるものを太田昭宏国土交通相(当時)に提案」、「JR東海」が「拒否」したことで、「JR東海へ嫌がらせをすることで、新幹線静岡空港駅の譲歩を引き出そうとしたのではないかとされている」、「川勝知事」の「拒否」の背景が初めて理解できた。 小倉 健一氏による「静岡県知事・川勝平太氏の「下品極まりない手口」…JR東海が「リニア問題」で困り果てている」 現代ビジネス (その9)(静岡県知事・川勝平太氏の「下品極まりない手口」…JR東海が「リニア問題」で困り果てている、リニアを阻む「静岡問題」の解決で欠かせない地元目線 鉄道の岐路(12)、リニア工事延期を通して露呈した川勝知事と静岡県庁の「機能不全」…記者たちの追及やまず、「大井川『命の水』を守る」発言の嘘を見破った2人の静岡県議と「川勝知事が嘘を決して認められないワケ」) リニア新幹線
nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感

異次元緩和政策(その44)(日銀の金融政策見直し 新たな目標は「円の対外価値維持」重視にせよ、【翁邦雄・元日本銀行金融研究所所長に聞く】日銀の「超低金利固定」からの脱却はなぜ「必要だが困難」なのか、【翁邦雄・元日本銀行金融研究所所長に聞く】日銀の金利引き上げが金融政策正常化につながらない理由) [経済政策]

異次元緩和政策については、昨年12月3日に取上げた。日銀の金融政策見直しを踏まえた今日は、(その44)(日銀の金融政策見直し 新たな目標は「円の対外価値維持」重視にせよ、【翁邦雄・元日本銀行金融研究所所長に聞く】日銀の「超低金利固定」からの脱却はなぜ「必要だが困難」なのか、【翁邦雄・元日本銀行金融研究所所長に聞く】日銀の金利引き上げが金融政策正常化につながらない理由)である。

先ずは、12月29日付けダイヤモンド・オンラインが掲載した一橋大学名誉教授の野口悠紀雄氏による「日銀の金融政策見直し、新たな目標は「円の対外価値維持」重視にせよ」を紹介しよう。これは有料だが、今月は私の場合、あと4本まで無料)
https://diamond.jp/articles/-/315232
・『YCCの長期金利上限引き上げ 「利上げでない」との日銀の弁明は苦しい  日本銀行が12月20日にイールドカーブコントロール(長短金利操作、YCC)の長期金利上限の引き上げを決めたが、日銀は利上げでもないし、金融緩和出口の始まりでもないと、説明した。 他方でマーケットは、この決定にただちに反応し、金利や為替レート、株価が大きく変動した。 これは、20日の日銀の決定が金融政策の大転換であり、「低金利時代の終焉」と捉えられたことを意味している。 決定の影響は、日本国内だけでなく世界に及んだ。米英独などの国債利回りが日銀の決定を受けて0.1%以上高くなったのだ。 「利上げでもないし、金融緩和出口の始まりでもない」という説明と、「金融緩和時代の終了」という見方のどちらが正しいのか? それを判断するには、YCCの政策変更ががなぜ行なわれたのか、その背景を振り返る必要がある。 金融政策の手段や目標見直しが必要だ』、「日銀は利上げでもないし、金融緩和出口の始まりでもないと、説明」、これはどうみても苦しい言い訳だ。
・『市場の圧力に屈した日銀 緩和政策修正以外の何ものでもない  日銀が長期金利の誘導目標の上限を引き上げた理由は、一言で言えば、市場の圧力に屈したということだ。 金融市場では、このところ、地方債の国債とのスプレッド拡大やイールドカーブの歪みなどの異常な状況が生じていた(これらについての詳しい説明は、本コラム12月15日付け「日銀が金利を抑えても長期金利はすでに上昇、『YCC修正』は避けられない」を参照)。 また、長期国債の売買が不成立の日が多発し、12月1日には発行直後の国債の約半分を日銀が購入するという異常事態が起きた。 こうしたことになったのは、日銀が設定している0.25%の長期金利上限が、経済の実態に則して低すぎる(日銀が設定している10年物国債の価格が高すぎる)からだ。 つまり、10年物国債は、市場が望ましいと考える以上に発行されており、民間の金融機関はもっと安い価格でないと購入しない。現在の価格で購入するのは、ほとんど日銀だけという状況になっていたのだ。 だから、国債との信用度格差が変わらなかったにもかかわらず地方債はもっと安い価格(もっと高い金利)でないと資金調達できない状態に追い込まれた。社債による資金調達も同じだ。 長期金利の直接コントロールは、2016年のYCC導入以降、金融緩和政策の柱になっている。それに対して市場が拒否反応を示したことになる。 だから、日銀が市場の要求を認めたことは、金融緩和政策の基本的な修正以外の何物でもない』、「長期金利の直接コントロールは、2016年のYCC導入以降、金融緩和政策の柱になっている。それに対して市場が拒否反応を示したことになる」、「日銀が市場の要求を認めたことは、金融緩和政策の基本的な修正以外の何物でもない」、その通りだ。
・『最後の低金利国だった日本 低金利時代の終わり」が始まった  これまで、世界のヘッジファンドなどが、日銀のYCC維持は不可能との見通しの下に、10年物日本国債の先物売り投機を仕掛けていた。 ヘッジファンドと日銀の戦いは、今年の6月に顕著になったのだが、このときは、日銀の勝ちに終わった。そして、「中央銀行に勝てるはずはない」というのが、つい先頃までの見方だった。 ところが12月20日の決定で長期金利が上昇したため、ヘッジファンドの勝ちとなった。投機を仕掛けていたファンドは巨額の利益を手にしたはずだ。 投機が巨大中央銀行を屈服させたのは、1992年にイングランド銀行をポンド切り下げに追い込んだジョージ・ソロス氏の例以来の歴史的な事件だとの見方もある。 日銀と同じようなコントロールを行なっていたオーストラリア準備銀行(中央銀行)は2021年11月に、スイス中銀は今年の6月に、市場の圧力によって、金融緩和策の修正に追い込まれている。同じことが日本でも起こったのだ。 「低金利時代の終わり」は、日本を除く全世界ですでに進行していたことだが、最後の低金利国日本にもその時代の終わりが始まったことになる。 これをきっかけに、海外ヘッジファンドの日本国債売りが加速するとの見方もある』、「日銀と同じようなコントロールを行なっていたオーストラリア準備銀行・・・は2021年11月に、スイス中銀は今年の6月に、市場の圧力によって、金融緩和策の修正に追い込まれている」、「オーストラリア」や「スイス」でも中央銀行が、「金融緩和策の修正に追い込まれ」たとは初めて知った。
・『YCCは停止、短期金利操作に 物価は金融政策の目標として適切でない  今後、金融政策をどのように修正する必要があるか? まず第1に、手法の見直しが必要だ。 長期金利の直接コントロールは市場原理に反することだ。政策金利を決めれば市場の原理によって、イールドカーブの形が決まりしたがって長期金利も決まるからだ。 イールドカーブコントロールを停止し、短期市場での金利操作を主とした中央銀行の元々の政策手法に戻ることが必要だ。 さらに、金融政策の目的についても見直しが必要だ。 異次元金融緩和は、物価上昇率を政策目標とした。しかし、物価は、金融政策の目標として適切ではないことが分かった。 その理由は、次の二つだ(これについての詳しい議論は、本コラム11月3日付「日銀の異次元緩和『本当の目的』は物価でなく低金利と円安」で行なった)。 第1に、政策手段(国債の大量購入あるいはイールドカーブコントロール)と、物価上昇率の関係が明らかでない。 第2に、物価が上昇しても賃金が上がらないことが分かった。そして、賃金を日本銀行が動かすことができないことも分かった。また、政府も賃金を直接には動かせないことも分かった。 つまり、物価上昇は、働く者の立場から見れば望ましくないものであることが明らかになったのだ。 したがって、2%物価目標達成を目指した2013年の政府と日銀のアコードは破棄されるべきだ』、「物価が上昇」と「賃金」上昇にはタイムラグがあるので、「物価が上昇しても賃金が上がらない」とは言えない可能性がある。事実、ベア引上げの動きが広がりつつある。「物価目標達成」は国際的潮流なので、これから外れるには余程の根拠が求められる。
・『物価に代わり「通貨価値の維持」を目標に 国民生活に円安のデメリット大きい  では、物価に代って金融政策の目標にすべきものは何か?  私は「通貨価値の維持」が尊重されるべきだと思う。 日本の場合には、特に円の対外的な価値の維持だ。) これまで日本では、企業の利益増大の観点から円安が望まれてきた。その反面で、円の対外的な価値を維持する必要性は、ほとんど意識されなかった。 しかし、2022年に急激な円安が進んだことによって、円安が国民生活にいかに大きな問題をもたらすかが、多くの人によって理解されるようになった。 対外的な円の価値の維持とは、大まかに言えば、市場為替レートが購買力平価から大きく離れないことだ。 ここで購買力平価とは、世界的な一物一価が成立するような為替レートだ。OECDなどいくつかの機関が、この考えに基づく指数を計算している。 そして、現在の円の市場レートは購買力平価に比べて大きく円安になっている。 22年の秋には、急激な円安の進行を背景として、人々が円建て預金を外貨預金に移す動きが生じた。幸いにしてこれは大きな流れにはならなかったのだが、仮にこの傾向が広がれば、日本からの大規模な資本流出という事態になりかねない。 そうなれば、日本経済は破綻してしまう。 また、円安が国際間の労働力移動に影響を与えていることも問題だ。 フィリピンなどからの介護人材が日本に来なくなり、オーストラリアなどに流れていると報道されている。また、高度専門人材の日本からの流出が生じつつある。 こうした事態は日本にとって大きな損失だ。 市場レートが購買力平価に比べて円安になる基本的な原因は、日本の金利があるべき水準に比べて低すぎることだ。 この状態を改善する必要がある。 したがって円の対外価値維持が政策目標とされれば、物価上昇率を2%に引き上げるために金利を抑制してきた、これまでの日銀の政策とは反対に金利を引き上げる必要がある』、「22年の秋には、急激な円安の進行を背景として、人々が円建て預金を外貨預金に移す動きが生じた。幸いにしてこれは大きな流れにはならなかったのだが、仮にこの傾向が広がれば、日本からの大規模な資本流出という事態になりかねない」、「円の対外価値維持が政策目標とされれば、物価上昇率を2%に引き上げるために金利を抑制してきた、これまでの日銀の政策とは反対に金利を引き上げる必要がある」、しかしながら、「金利引き上げ」には、財政赤字の拡大など副作用も極めて大きい。自国通貨の「対外価値維持」を「政策目標」にしている先進国はない。「政策目標」の切り替えにはもっと慎重に検討すべきだ。

次に、1月6日付けダイヤモンド・オンラインが掲載した「【翁邦雄・元日本銀行金融研究所所長に聞く】日銀の「超低金利固定」からの脱却はなぜ「必要だが困難」なのか 」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/315477
・『日銀がついに2022年12月20日野金融政策決定会合で、事実上の金利引き上げに踏み切った。これは金融政策正常化への一歩となるのか。元日本銀行金融研究所所長で、『金利と経済――高まるリスクと残された処方箋』などの著書もある翁邦雄氏の寄稿を2回に分けてお届けする。 急激な円安の進行が一段落するなか、日銀の黒田総裁は出口の議論は時期尚早と位置づけ、粘り強く金融緩和を続けることをひたすら標榜してきた。しかし、12月20日の金融政策決定会合で、日銀は、YCC(イールドカーブ・コントロール)の手直しという名目で事実上の金利引き上げに踏み切った』、「翁」氏は90年代前半、金融政策を巡って「翁ー岩田論争」と呼ばれる議論で有名に。経済学者の岩田規久男さんが、「日銀が貨幣供給量を増やせばマネーストック(経済全体の通貨量)が増え、インフレ圧力を高めることができる」と主張したのに対し、当時、翁邦雄さんは「日銀がコントロールできる貨幣量は限られている」と反論」(日経BOOKPLUS)。
・『日銀の金融政策の中核にあるYCC (翁 邦雄氏の略歴はリンク先参照) これは、金融政策正常化への適切な第一歩なのだろうか。以下では「金融政策の正常化」について、現在の金融政策の中核をなしているYCCからの脱却に論点を絞る。 むろん、現在の日本の金融政策にはYCC以外にも他の先進国に例をみない緊急避難的な枠組みが混在する。例えば、日銀による民間企業の株式の大量取得だ。これは資本主義の根幹を揺るがしかねない要素をはらむ。ETFを介して日銀が大量に購入してきた株式をどう処理するかは、国債によるバランスシートの水膨れ対応よりも格段に難しい。国債には満期があり、満期が到来するとバランスシートから落ちるが、株式は満期がないからだ。このため、株式はいつまでも日銀のバランスシートにとどまり続ける。何もしなければ、中央銀行が多くの企業の大株主だったり、筆頭株主だったりし続ける、というおよそ社会主義国家のような事態が続く。 それをどう解消していくのか、というのも大きな問題だ。こうした問題の存在は出口の議論を複雑にしているが、金融政策の根幹であるYCC解除とはいちおう切り離せる問題なので、本稿では取り上げない』、「民間企業の株式の大量取得」を、「YCC解除とはいちおう切り離せる問題なので、本稿では取り上げない」、賢明なやり方だ。
・『中国のゼロコロナ政策と酷似したYCCの弊害  ところで、YCCの方は、なぜ解除が難しいのだろうか。それは、YCCが中国のゼロコロナ政策と類似の問題を引き起こしているからだ。 中国は、コロナの感染拡大という差し迫った脅威・リスクなどを理由に、特定の都市や地域で自由な外出や移動を厳しく制限してきた。同様に、YCCのもとで、政策金利である翌日物だけでなく、本来は市場の経済観に応じて自由に金利が形成されるべき10年物の国債金利も日銀が固定してきた。YCCは、中国がゼロコロナ政策で人流の感染拡大の影響を抑え込んだように財政拡大の金利への影響などを抑え込んできた。 中国のゼロコロナ政策の厳格な行動制限は、当初、大成功した、と喧伝された。その成功の幻想の下で医療体制の整備は立ち遅れ、欧米の先進型のmRNA(メッセンジャーRNA)ワクチン導入や接種など、国民のコロナ感染への耐性強化といった課題は先送りされた。だが、厳格な行動制限は永続化するほどひずみが拡大する。それが極限に達した結果、習近平政権のゼロコロナ政策は破綻した。感染力の強いオミクロン株が蔓延するなか、これまでの厳格な行動制限は人民の忍耐の限界を超えたため持続困難になり、中国政府はオミクロン株の弱毒性をもちだしてゼロコロナ政策を撤廃した。 中国政府はゼロコロナ政策をなぜもっと早く解除できなかったのか。これまでの政策の帰結として、中国国民は有効なワクチン接種も十分な集団免疫のいずれも達成されていない。そうした状況下でゼロコロナ政策を打ち切れば、感染者数・死亡者数が激増する。現に、そうなりつつあるようだ。中国で、新型コロナとの闘いがいつ・どのように終わるかは、現時点では誰にもわからない』、「これまでの厳格な行動制限は人民の忍耐の限界を超えたため持続困難になり、中国政府はオミクロン株の弱毒性をもちだしてゼロコロナ政策を撤廃」、「これまでの政策の帰結として、中国国民は有効なワクチン接種も十分な集団免疫のいずれも達成されていない。そうした状況下でゼロコロナ政策を打ち切れば、感染者数・死亡者数が激増する。現に、そうなりつつあるようだ」、その通りだ。
・『YCCによる行動制限長期化の弊害  日本で、YCCからの離脱と正常化はいずれ必要と認識されながら、日銀がその方向に舵を切れなかった事情も類似している。2年間の短期決戦であったはずの異次元緩和は、当初は大歓迎された。他方で、2%の物価目標は達成される気配がなく、長期戦となるなかで、YCCへ形を変えた。しかし、この異形の金融政策は、日本の課題を解決することなくむしろ日本衰退につながった。 たしかに、超低金利により、ゾンビ企業も含めて多くの企業が倒産を免れたことで大規模な失業は発生しなかった。だが、生き延びることを主眼とした企業経営のもとで生産性は伸び悩み、先進国の中でほぼ日本だけ賃金が上がらず非正規雇用が増えるなど雇用の質は低下し、非正規雇用の労働者を中心に、将来所得への不確実性と不安も高まった。日本の多くの企業は、ひたすら行動制限だけを続けて感染に脆弱になった国の市民に近い。他方、財政はほぼゼロの利払コストを前提としてバラまきに傾斜し、ワイズ・スペンディングの意識は希薄化した。日本経済に新陳代謝や市場経済のダイナミズムを取り戻すためには、金融市場に市場機能を回復させることは不可欠だ』、「生き延びることを主眼とした企業経営のもとで生産性は伸び悩み、先進国の中でほぼ日本だけ賃金が上がらず非正規雇用が増えるなど雇用の質は低下し、非正規雇用の労働者を中心に、将来所得への不確実性と不安も高まった。日本の多くの企業は、ひたすら行動制限だけを続けて感染に脆弱になった国の市民に近い。他方、財政はほぼゼロの利払コストを前提としてバラまきに傾斜し、ワイズ・スペンディングの意識は希薄化した」、その通りである。
・『YCC解除により金利のオーバーシュートが起きるリスク  しかし、中国のゼロコロナ解除が感染の急拡大を招きつつあるのと同様、YCCからの不用意な離脱は、10年物金利を急騰させかねず、大きな混乱を招きかねない。日銀のYCC同様、3年物金利にターゲットを設定していたオーストラリア連銀(RBA)は、2021年11月に3年物金利についての目標(YT)を解除したが、その過程で市場の混乱を招き、オーストラリア連銀は、その名声(reputation)も大きなダメージを被った。健全な財政運営や経済の新陳代謝には適正なプラスの金利が必要だとしても、ゼロ金利を所与の条件として生き延びてきた多くの企業を急激な金利上昇にさらせば、実体経済を大きく動揺させかねない。このようにYCCは中国のゼロコロナ政策と同様のジレンマを抱えている。 それでは、今回のYCCの修正は金融政策正常化への適切な第一歩になるのだろうか。(明日公開の次稿へつづく)』、「日銀のYCC同様、3年物金利にターゲットを設定していたオーストラリア連銀(RBA)は、2021年11月に3年物金利についての目標(YT)を解除したが、その過程で市場の混乱を招き、オーストラリア連銀は、その名声・・・も大きなダメージを被った」、「YCCは中国のゼロコロナ政策と同様のジレンマを抱えている」、「今回のYCCの修正は金融政策正常化への適切な第一歩になるのだろうか」、次の記事に移ろう。

第三に、この続きを、1月7日付けダイヤモンド・オンラインが掲載した「【翁邦雄・元日本銀行金融研究所所長に聞く】日銀の金利引き上げが金融政策正常化につながらない理由」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/315479
・『「YCC手直しの内容」を検証  日銀がついに2022年12月20日野金融政策決定会合で、事実上の金利引き上げに踏み切った。これは金融政策正常化への一歩となるのか。元日本銀行金融研究所所長で、『金利と経済――高まるリスクと残された処方箋』などの著書もある翁邦雄氏による寄稿の後編をお届けする。 前編:【翁邦雄・元日本銀行金融研究所所長に聞く】日銀のYCC解除はなぜ「必要だが困難」なのか』、興味深そうだ。 
・『固定相場解除の内外の事例  これまでのYCCは、「10年物金利の固定」という要素と、その固定金利水準をゼロ近傍に設定する「超低金利政策」という2つの要素からなっていた。 黒田総裁は、これまで「粘り強く金融緩和を続ける」と「出口の議論は時期尚早」の2つを常套句にしてきた。これは出口をぎりぎりまで先に延ばし、どうしても金利を上げざるを得なくなった局面で金利を上げることになる。こうしたかたちでYCCを離脱すれば、金利の上昇圧力がきわめて強いときに、金利形成を自由化することになるから、金利に大きなオーバーシュートが発生するなど金融市場が混乱する蓋然性は高い。 オーストラリア連銀のYT解除のときにもそうした現象が起きた。為替相場についても固定相場制を放棄して変動相場制に移行する際に混乱が生じる大きな理由は、維持不能になるギリギリまで政策当局がそれまでの固定相場を維持しようとする傾向があること、そのために固定相場制に対する大きな調整圧力が蓄積されていること、による。こうした混乱は古くは1971年の日本の固定相場制(1ドル360円)からの離脱、近年では、スイスの無制限介入による対ユーロ固定相場制の放棄(2011年)などでも観察されている』、「オーストラリア連銀のYT解除のときにもそうした現象が起きた。為替相場についても固定相場制を放棄して変動相場制に移行する際に混乱が生じる大きな理由は、維持不能になるギリギリまで政策当局がそれまでの固定相場を維持しようとする傾向があること、そのために固定相場制に対する大きな調整圧力が蓄積されていること、による」、「移行する際に混乱が生じる大きな理由」は、「固定相場を維持しようとする」間に「大きな調整圧力が蓄積」、なるほど。
・『金利固定解除のベスト・タイミングは? (翁 邦雄氏の略歴はリンク先参照) この点を踏まえるとYCCの2つの要素を切り離し、金利水準の調整の必要のないときに金利固定を放棄し、そのあと政策金利水準を変更させるほうがよいことが分かる。 オーストラリア連銀も日銀のYCCと類似のYT解除の反省として、この政策はもっと早期に、例えば市場金利と目標金利がほぼ同水準であった2021年の早めの時期に終了させても良かった、と総括している。つまり、市場の実勢金利がYCCに近い状態、あるいはむしろ追加緩和期待があるようなときに金利固定の呪縛を解くことが望ましい、といえるだろう』、「オーストラリア連銀も」、「YT解除の反省として、この政策はもっと早期に、例えば市場金利と目標金利がほぼ同水準であった2021年の早めの時期に終了させても良かった、と総括」、なるほど。
・『「緩和政策に変更がない」のに金利が上がる理由  これらの点を踏まえて、12月20日の決定会合の「YCCの手直し」の内容を検討しよう。日銀の金融市場調節方針についての決定の骨格は、①現状維持(金利目標は変えない)、②YCCの運用について一部見直す、というものだ。 具体的には、国債買入れ額を大幅に増やしつつ、長期金利の変動幅を従来の±0.25%程度から±0.5%程度に拡大、0.5%の利回りでの指値オペを原則毎営業日実施、さらに、金融市場調節方針と整合的なイールドカーブの形成を促すため、各年限において、機動的に、買入れ額の更なる増額や指値オペを実施する、とした。 円安は一服して政策の手直しは相対的にしやすいタイミングだった。そこで政策変更を行った点は、評価できる。しかし、それでも10年物金利は上昇した。これは、市場の実勢金利がYCCに近い状態ではなかったことによる。長期金利の変動幅拡大、というと金利が上下に動くイメージだが、実際には日銀が強引に10年物金利を低位に固定していた状況での変動幅拡大という措置の効果は、金利が張り付く水準が0.25%から0.5%に上がるだけであり、より自由に変動するわけではない。このため、黒田総裁が金利政策に変更がないと強調したにもかかわらず、「日銀、事実上の利上げ」と報道され金利水準の修正が今回の措置の眼目となった』、「変動幅拡大という措置の効果は、金利が張り付く水準が0.25%から0.5%に上がるだけ」、「「日銀、事実上の利上げ」と報道され金利水準の修正が今回の措置の眼目となった」、なるほど。
・『金利の固定を強化したYCC手直し  他方、黒田総裁は記者会見で「これはイールドカーブ・コントロールをやめるとか、あるいは出口というようなものでは全くありません」と述べた。実際、YCCの手直しは金利の固定範囲を拡大し、イールドカーブ全体へのロックダウンを強化する、という措置になっていた。 YCCの枠組み変更の理由について、日銀は、イールドカーブの歪みを挙げた。これは、10年物を無理に抑え込んでいる結果、イールドカーブの10年物が不自然に凹んでいることによる弊害を問題視したとみられる。この懸念から、日銀は変動幅拡大という名目で10年物金利を引き上げた。それだけでなく、これと同時に、2年、5年、20年の新発国債を対象に、指定した利回りで無制限に買い入れる「指し値オペ」を実施する、とした。つまり、日銀は、翌日物金利、10年物金利だけでなく、利回り曲線の主要点にまで金利固定の戦線を拡大する措置を選んだことになる。 こうしてみると、金融政策正常化の第一歩との評価も見られる今回の措置だが、「金利水準正常化」への第一歩ではあっても、「金利形成の正常化」からはかえって遠のいていることがわかる』、「10年物を無理に抑え込んでいる結果、イールドカーブの10年物が不自然に凹んでいることによる弊害を問題視したとみられる。この懸念から、日銀は変動幅拡大という名目で10年物金利を引き上げた。それだけでなく、これと同時に、2年、5年、20年の新発国債を対象に、指定した利回りで無制限に買い入れる「指し値オペ」を実施する、とした。つまり、日銀は、翌日物金利、10年物金利だけでなく、利回り曲線の主要点にまで金利固定の戦線を拡大する措置を選んだ」、「「金利水準正常化」への第一歩ではあっても、「金利形成の正常化」からはかえって遠のいていることがわかる」、その通りだ。
・『金融政策正常化の前に共同声明の再確認が必要  いずれにせよ、金融政策の本格的正常化はやはり来春の新執行部発足後になるだろう。 その場合、新たな金融政策の出発点は、内閣府、財務省、日銀の連名で2013年1月に公表された「デフレ脱却と持続的な成長の実現のための政府・日本銀行の政策連携について(共同声明)」を引き継ぐのか、改定するのか、という点にあるのではないだろうか。実際、一部で共同声明の改定を政府が検討している、という報道が流れている。 しかし、共同声明は当時の安倍総理やその後の黒田総裁が喧伝したような「日銀が2%の目標達成にコミットした」ものではない。共同声明の実際の内容はこうした理解とは大きな隔たりがあり、機械的な2%のインフレ目標追求からはむしろ距離を置き、政府も成長力強化や財政の健全化努力を謳った内容になっているからだ。 いずれにせよ、共同声明はあくまでも「その時点の」政府と日銀の連携である。金融政策を決めるのはその時々の日銀政策委員会メンバー、財政・経済政策を決めるのは、その時々の政府である以上、執行部が代われば、あらためて共同声明の精神を受け継ぐのか、何らかの見直しを行うのかという吟味が必要とならざるを得ないはずである』、「金融政策を決めるのはその時々の日銀政策委員会メンバー、財政・経済政策を決めるのは、その時々の政府である以上、執行部が代われば、あらためて共同声明の精神を受け継ぐのか、何らかの見直しを行うのかという吟味が必要とならざるを得ないはずである」、その通りだ。
・『共同声明の内容  具体的に共同声明をみると、「日本銀行は、今後、日本経済の競争力と成長力の強化に向けた幅広い主体の取組の進展に伴い持続可能な物価の安定と整合的な物価上昇率が高まっていくと認識している。この認識に立って、日本銀行は、物価安定の目標を消費者物価上昇率の前年比上昇率で2%とする」とし、「日本経済の競争力と成長力の強化に向けた幅広い主体の取組の進展」が2%達成の条件とされている。 また、「その際、日本銀行は、金融政策の効果波及には相応の時間を要することを踏まえ、金融面での不均衡の蓄積を含めたリスク要因を点検し持続的な成長を確保する観点から、問題が生じていないかどうかを確認していく」とされており、日銀は2%を絶対的な道標とするのではなく、持続的な成長を脅かす可能性のある様々な動き、とりわけ金融の不均衡(金融システムの不安定化リスク)など他の指標をにらみながら総合的視点で金融政策運営を行う、としている。 この間、「政府は(中略)日本経済の競争力と成長力の強化に向けた取組を具体化し、これを強力に推進する。」、「政府は、日本銀行との連携強化にあたり、財政運営に対する信認を確保する観点から、持続可能な財政構造を確立するための取組を具体化し、これを強力に推進する。」とされており、政府自身も課題への取り組むことを表明している』、「日本銀行は、金融政策の効果波及には相応の時間を要することを踏まえ、金融面での不均衡の蓄積を含めたリスク要因を点検し持続的な成長を確保する観点から、問題が生じていないかどうかを確認していく」とされており、日銀は2%を絶対的な道標とするのではなく、持続的な成長を脅かす可能性のある様々な動き、とりわけ金融の不均衡(金融システムの不安定化リスク)など他の指標をにらみながら総合的視点で金融政策運営を行う、としている」、総合的視点での判断そのものだ。
・『共同声明の扱いについての選択肢  このように「共同声明」はおよそ日銀が片務的に2%物価目標を機械的に追求することを謳った文書ではなく、日銀と政府が連携しておのおのが果たすべき役割を明確に述べたものになっている。それだけに、その改定は喫緊の課題とは言えないとしても、日銀も、政府も、共同声明で謳われた課題にどう取り組んできたかを総括することには大きな意味があるだろう。そのうえで、現在の共同声明の文字通りの内容を政府・日銀が明示的に再確認し継承するのか、それとも、その後10年の経験を踏まえ、これになんらかの改定を加えるのか、は重要な選択肢になるだろう。 個人的には、2%の物価目標を機械的に追求することを謳った文書ではないことを踏まえたうえで、日銀だけでなく政府サイドも取り組むべき課題を再確認すること、そのうえで日銀は経済情勢をにらみながら市場機能を回復させる金利形成の正常化に舵をきっていくことが望ましい、と考えている』、「2%の物価目標を機械的に追求することを謳った文書ではないことを踏まえたうえで、日銀だけでなく政府サイドも取り組むべき課題を再確認すること、そのうえで日銀は経済情勢をにらみながら市場機能を回復させる金利形成の正常化に舵をきっていくことが望ましい、と考えている」、同感である。 
タグ:異次元緩和政策 (その44)(日銀の金融政策見直し 新たな目標は「円の対外価値維持」重視にせよ、【翁邦雄・元日本銀行金融研究所所長に聞く】日銀の「超低金利固定」からの脱却はなぜ「必要だが困難」なのか、【翁邦雄・元日本銀行金融研究所所長に聞く】日銀の金利引き上げが金融政策正常化につながらない理由) ダイヤモンド・オンライン 野口悠紀雄氏による「日銀の金融政策見直し、新たな目標は「円の対外価値維持」重視にせよ」 「日銀は利上げでもないし、金融緩和出口の始まりでもないと、説明」、これはどうみても苦しい言い訳だ。 「長期金利の直接コントロールは、2016年のYCC導入以降、金融緩和政策の柱になっている。それに対して市場が拒否反応を示したことになる」、「日銀が市場の要求を認めたことは、金融緩和政策の基本的な修正以外の何物でもない」、その通りだ。 「日銀と同じようなコントロールを行なっていたオーストラリア準備銀行・・・は2021年11月に、スイス中銀は今年の6月に、市場の圧力によって、金融緩和策の修正に追い込まれている」、「オーストラリア」や「スイス」でも中央銀行が、「金融緩和策の修正に追い込まれ」たとは初めて知った。 「物価が上昇」と「賃金」上昇にはタイムラグがあるので、「物価が上昇しても賃金が上がらない」とは言えない可能性がある。事実、ベア引上げの動きが広がりつつある。「物価目標達成」は国際的潮流なので、これから外れるには余程の根拠が求められる。 「22年の秋には、急激な円安の進行を背景として、人々が円建て預金を外貨預金に移す動きが生じた。幸いにしてこれは大きな流れにはならなかったのだが、仮にこの傾向が広がれば、日本からの大規模な資本流出という事態になりかねない」、 「円の対外価値維持が政策目標とされれば、物価上昇率を2%に引き上げるために金利を抑制してきた、これまでの日銀の政策とは反対に金利を引き上げる必要がある」、しかしながら、「金利引き上げ」には、財政赤字の拡大など副作用も極めて大きい。自国通貨の「対外価値維持」を「政策目標」にしている先進国はない。「政策目標」の切り替えにはもっと慎重に検討すべきだ。 「翁」氏は90年代前半、金融政策を巡って「翁ー岩田論争」と呼ばれる議論で有名に。経済学者の岩田規久男さんが、「日銀が貨幣供給量を増やせばマネーストック(経済全体の通貨量)が増え、インフレ圧力を高めることができる」と主張したのに対し、当時、翁邦雄さんは「日銀がコントロールできる貨幣量は限られている」と反論」(日経BOOKPLUS) 「民間企業の株式の大量取得」を、「YCC解除とはいちおう切り離せる問題なので、本稿では取り上げない」、賢明なやり方だ。 「これまでの厳格な行動制限は人民の忍耐の限界を超えたため持続困難になり、中国政府はオミクロン株の弱毒性をもちだしてゼロコロナ政策を撤廃」、「これまでの政策の帰結として、中国国民は有効なワクチン接種も十分な集団免疫のいずれも達成されていない。そうした状況下でゼロコロナ政策を打ち切れば、感染者数・死亡者数が激増する。現に、そうなりつつあるようだ」、その通りだ。 「生き延びることを主眼とした企業経営のもとで生産性は伸び悩み、先進国の中でほぼ日本だけ賃金が上がらず非正規雇用が増えるなど雇用の質は低下し、非正規雇用の労働者を中心に、将来所得への不確実性と不安も高まった。日本の多くの企業は、ひたすら行動制限だけを続けて感染に脆弱になった国の市民に近い。他方、財政はほぼゼロの利払コストを前提としてバラまきに傾斜し、ワイズ・スペンディングの意識は希薄化した」、その通りである。 「日銀のYCC同様、3年物金利にターゲットを設定していたオーストラリア連銀(RBA)は、2021年11月に3年物金利についての目標(YT)を解除したが、その過程で市場の混乱を招き、オーストラリア連銀は、その名声・・・も大きなダメージを被った」、「YCCは中国のゼロコロナ政策と同様のジレンマを抱えている」、「今回のYCCの修正は金融政策正常化への適切な第一歩になるのだろうか」、次の記事に移ろう。 「【翁邦雄・元日本銀行金融研究所所長に聞く】日銀の金利引き上げが金融政策正常化につながらない理由」 金利と経済――高まるリスクと残された処方箋 「オーストラリア連銀のYT解除のときにもそうした現象が起きた。為替相場についても固定相場制を放棄して変動相場制に移行する際に混乱が生じる大きな理由は、維持不能になるギリギリまで政策当局がそれまでの固定相場を維持しようとする傾向があること、そのために固定相場制に対する大きな調整圧力が蓄積されていること、による」、「移行する際に混乱が生じる大きな理由」は、「固定相場を維持しようとする」間に「大きな調整圧力が蓄積」、なるほど。 「オーストラリア連銀も」、「YT解除の反省として、この政策はもっと早期に、例えば市場金利と目標金利がほぼ同水準であった2021年の早めの時期に終了させても良かった、と総括」、なるほど。 「変動幅拡大という措置の効果は、金利が張り付く水準が0.25%から0.5%に上がるだけ」、「「日銀、事実上の利上げ」と報道され金利水準の修正が今回の措置の眼目となった」、なるほど。 「10年物を無理に抑え込んでいる結果、イールドカーブの10年物が不自然に凹んでいることによる弊害を問題視したとみられる。この懸念から、日銀は変動幅拡大という名目で10年物金利を引き上げた。それだけでなく、これと同時に、2年、5年、20年の新発国債を対象に、指定した利回りで無制限に買い入れる「指し値オペ」を実施する、とした。 つまり、日銀は、翌日物金利、10年物金利だけでなく、利回り曲線の主要点にまで金利固定の戦線を拡大する措置を選んだ」、「「金利水準正常化」への第一歩ではあっても、「金利形成の正常化」からはかえって遠のいていることがわかる」、その通りだ。 「金融政策を決めるのはその時々の日銀政策委員会メンバー、財政・経済政策を決めるのは、その時々の政府である以上、執行部が代われば、あらためて共同声明の精神を受け継ぐのか、何らかの見直しを行うのかという吟味が必要とならざるを得ないはずである」、その通りだ。 「日本銀行は、金融政策の効果波及には相応の時間を要することを踏まえ、金融面での不均衡の蓄積を含めたリスク要因を点検し持続的な成長を確保する観点から、問題が生じていないかどうかを確認していく」とされており、日銀は2%を絶対的な道標とするのではなく、持続的な成長を脅かす可能性のある様々な動き、とりわけ金融の不均衡(金融システムの不安定化リスク)など他の指標をにらみながら総合的視点で金融政策運営を行う、としている」、総合的視点での判断そのものだ。 「2%の物価目標を機械的に追求することを謳った文書ではないことを踏まえたうえで、日銀だけでなく政府サイドも取り組むべき課題を再確認すること、そのうえで日銀は経済情勢をにらみながら市場機能を回復させる金利形成の正常化に舵をきっていくことが望ましい、と考えている」、同感である。
nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感

陰謀論(その1)(秘密結社が裏にいると信じる人が増えている訳 被害妄想的な感受性がコロナ禍で静かに広がる、プーチンの戦争で極右政党がさらに…!「アメリカ」と「ドイツ」を襲う「陰謀論」の危なすぎるワナ、「陰謀論」がまた…!「移民」ぎらいの「排外主義者」がふたたび勢いづくヤバすぎる国の名前) [経済政治動向]

今日は、陰謀論(その1)(秘密結社が裏にいると信じる人が増えている訳 被害妄想的な感受性がコロナ禍で静かに広がる、プーチンの戦争で極右政党がさらに…!「アメリカ」と「ドイツ」を襲う「陰謀論」の危なすぎるワナ、「陰謀論」がまた…!「移民」ぎらいの「排外主義者」がふたたび勢いづくヤバすぎる国の名前)を取上げよう。

先ずは、2021年1月2日付け東洋経済オンラインが掲載した評論家・著述家の真鍋 厚氏による「秘密結社が裏にいると信じる人が増えている訳 被害妄想的な感受性がコロナ禍で静かに広がる」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/398113
・『日本の社会が先行きの見えない不安に覆われている。驚くような事件や事象が次々と巻き起こる一方で、確かなものはますますわからなくなりつつある。わたしたちは間違いなく心休まらない「不安の時代」に生きている。しかもそれは、いつ爆発するかもしれない「不機嫌」を抱えている。そんな混迷の時代の深層に迫る連載第4回』、「いつ爆発するかもしれない「不機嫌」を抱えている」、とは興味深そうだ。
・『「Qアノン」とは何なのか  2020年は新型コロナウイルス感染症のパンデミック(世界的大流行)によって、インフォデミック(偽情報の大流行)が世界各地で混乱を巻き起こし、陰謀論がメインストリームに躍り出るようになった年として記憶されることだろう。 アメリカ発の陰謀論である「Qアノン」がイギリスやドイツ、オーストラリアなどの国々にも拡大し、日本でもアメリカ大統領選の一連の騒動をきっかけにその影響力を増している。ブルームバーグは最近、日本にQアノンの支部が出現したことについて報じている。 「ソーシャルメディア分析会社グラフィカの調査によると、日本国内のQアノンのコミュニティーは独特の用語や行動様式、インフルエンサーを持ち、国際的に最も発達した支部の1つとなっている。トランプ大統領の側近だったマイケル・フリン元米大統領補佐官(国家安全保障問題担当)を崇拝する動きも目立つという」(日本にも「Qアノン」、独特な信奉者集団は陰謀論の世界的広がり示す/Bloomberg2020年11月30日配信)。 Qアノンとは、一部のエリートから構成される悪魔を崇拝する小児性愛者の秘密結社が、政治やメディアを支配する「ディープ・ステート(闇の政府)」として君臨し、アメリカ合衆国連邦政府を裏で操っているとの見方を支持する集団である。そしてトランプ大統領は、そんな連中と人知れず戦っているヒーローだというのだ。もともとは2017年に政府の内通者を自称する「Q」が匿名掲示板に投稿したことに端を発している。 大変興味深いことではあるが、これらの荒唐無稽なおとぎ話が、コロナ禍によって世界各国に輸出され、現地の陰謀論と融合して、独自の発展を遂げている。つまり、Qアノンがいわば都合のいい母体となって、さまざまな妄想を吸収しているのである。 そもそも元祖のQアノン自体が、アメリカ・ワシントンのピザ店が小児性愛と児童買春の拠点とされ、ヒラリー・クリントンが関与しているという「ピザゲート」疑惑に着想を得た後、宇宙人から反ワクチンに至るまで多様な陰謀を咀嚼(そしゃく)し、雪だるま式にその全体像を巨大化させていったのだ。) 日本では、アメリカ大統領選をめぐる不正投票説の蔓延がQアノンの浸透を後押しした。日本国内の国政選挙における陰謀論がすでに根付いていたことに一因があると思われる。5~6年ほど前からソーシャルメディアを中心にたびたび言及されるようになった言説で、ムサシ社製の票計測機が自民党の候補者に有利になるよう仕組まれているという疑惑である。 これはムサシ社製品が開票所の票計測機として大きなシェアを占めることが背景にある。このようなローカルな陰謀論がネットコミュニティにある程度定着していたところに、同じく不正投票説を唱える海外の陰謀論が好意的に受け入れられたことは想像にかたくない。 そもそもディープ・ステートは、イギリスに本部を置く影の世界政府のトップ「三百人委員会」(ジョン・コールマン)、あるいはイルミナティやフリーメイソンといった世界征服を企む秘密結社といった系列の現代的なリバイバルにすぎない(以前であれば、ロスチャイルドやロックフェラー、現在ではビル・ゲイツやジョージ・ソロスなどの名前がよく挙がっている)』、「Qアノン」は、「もともとは2017年に政府の内通者を自称する「Q」が匿名掲示板に投稿したことに端を発している。 大変興味深いことではあるが、これらの荒唐無稽なおとぎ話が、コロナ禍によって世界各国に輸出され、現地の陰謀論と融合して、独自の発展を遂げている。つまり、Qアノンがいわば都合のいい母体となって、さまざまな妄想を吸収している」、「日本では、アメリカ大統領選をめぐる不正投票説の蔓延がQアノンの浸透を後押しした。日本国内の国政選挙における陰謀論がすでに根付いていたことに一因があると思われる」、なるほど。
・『コロナ禍で脳の警報装置を起動させるかのように  既存の陰謀論を巧みに取り込みながら、ローカルな陰謀論とも容易に結び付くメカニズムもそれほど目新しいものではないが、コロナ禍で世界各国の経済がダウンし、自粛により心身が過度のストレスにより疲弊し、ネットにかじりつく時間が増大したことで、真偽不明の情報に釣られやすくなっているだけでなく、深入りしてしまう動機づけがかつてないほど強まっているのである。 コロナ禍で陰謀論がメインストリームに急上昇しているのは、未曽有のパンデミックによる混乱ぶりも手伝って、その差し迫った脅威に関するメッセージが、まるで脳の警報装置を起動させるかのように、人々の情動へ効果的に作用したからだ。 進化心理学的に見れば、陰謀論に惹きつけられる発端は、進化の過程で獲得された心のプログラムの誤作動と考えることができる。進化心理学は、人間の心をさまざまな情報を直観的に処理する、複数の「認知モジュール」を備えたシステムととらえる。道に落ちていたヒモをヘビと間違えて身がすくむのは、ヘビを感知するモジュールが反応したとみなすのがわかりやすい例だが、これは太古の昔にわたしたちが生存のために身に付けたものである。) ただし、この仕組みは、現代社会のようなネットとスマホで構築された過剰接続の時代を想定してはいない。ソーシャルメディアでシェアされる恐怖や嫌悪をあおる情報が、いわばおもちゃのヘビ(虚偽)のようなものにすぎなかったとしても、脅威に対する認識は直観を優先する傾向に引きずられやすいのである。 当然ながら、社会や経済の危機的な状況下において、ネットを通じて諸悪の根源を追求しようとする振る舞いは、生存本能に促された自然な行為といえる面がある。しかし、目の前に「洪水」や「猛獣」などが迫り来るような、自身に危害が及ぶ緊急性がさほどない場合は、その多くが不必要なアラームとも考えられる。進化上重要なスイッチではあるけれども、他部族の襲撃や干ばつによる飢餓などが身近ではなくなった現代では、作動するにぶさわしい機会は恐らくかなり稀なはずで、むしろ検知の感度が高いほうが厄介だからである』、「コロナ禍で陰謀論がメインストリームに急上昇しているのは、未曽有のパンデミックによる混乱ぶりも手伝って、その差し迫った脅威に関するメッセージが、まるで脳の警報装置を起動させるかのように、人々の情動へ効果的に作用したからだ」、「目の前に「洪水」や「猛獣」などが迫り来るような、自身に危害が及ぶ緊急性がさほどない場合は、その多くが不必要なアラームとも考えられる。進化上重要なスイッチではあるけれども、他部族の襲撃や干ばつによる飢餓などが身近ではなくなった現代では、作動するにぶさわしい機会は恐らくかなり稀なはずで、むしろ検知の感度が高いほうが厄介だからである」、「その多くが不必要なアラーム」、その通りだ。
・『人間の道徳基盤が強く刺激された場合に  社会心理学者のジョナサン・ハイトは、複数の認知モジュールで構成される道徳基盤が、人間にあると主張する。それらのいずれかが強く刺激された場合に、その出力として引き起こされる情動が方向性を決めるという。 公正/欺瞞のモジュールであれば怒り・感謝、忠誠/背信のモジュールであれば裏切り者に対する怒りなど、権威/服従のモジュールであれば、尊敬・恐れが誘発される(『社会はなぜ左と右にわかれるのか対立を超えるための道徳心理学』高橋洋訳、紀伊國屋書店)。これがネットを飛び交う真偽不明の情報によっても生じ、情動が瞬時に物事の善し悪しを判断して、「闘争か、逃走か」モードに移行するのだ。 その際、ネットで悲観的な情報を漁り続ける「ドゥーム・スクローリング」(Doomscrolling)は、このような心理的な反応を積極的に作り出す大きな要因となる。コロナワクチンの接種はマイクロチップを埋め込むためで、それによって人類家畜化計画が成就するといったデマであっても、自分の生命を脅かすかもしれない出来事と切実に感じれば、関連するニュースや投稿を執拗に追い続け、世界がホラーハウスに見え始めてくるだろう。 これは、地球温暖化が恐ろしくて夜も寝られず、抑うつ状態になる「エコ不安症」とまったく同じメカニズムだ。つまり、情動のスイッチが誤作動を起こして入りっぱなしになるのである。 心理学者のジョシュア・ハートは、陰謀論に走りやすい人々に関する調査分析を行い、その性格的な因子を「スキゾタイピー」(統合失調症的な傾向)と呼んだ。「比較的信頼できない傾向があり、思想的に偏屈で、異常な知覚体験(実際には存在しない刺激を感じるなど)をしやすい特徴を持つ」と述べ、これは自分に特有のものだと感じたい欲求があると指摘した(Something’s going on here:Building a comprehensive profile of conspiracy thinkers/The Conversation)。 彼らは、「世界が危険な場所」であると捉えがちで、「あらゆる兆候」に差し迫った危機を見いだそうとするのである。このような被害妄想的な感受性がコロナ禍で静かに広がっていった可能性は高いだろう』、「ネットで悲観的な情報を漁り続ける「ドゥーム・スクローリング」(Doomscrolling)は、このような心理的な反応を積極的に作り出す大きな要因となる。コロナワクチンの接種はマイクロチップを埋め込むためで、それによって人類家畜化計画が成就するといったデマであっても、自分の生命を脅かすかもしれない出来事と切実に感じれば、関連するニュースや投稿を執拗に追い続け、世界がホラーハウスに見え始めてくるだろう。 これは、地球温暖化が恐ろしくて夜も寝られず、抑うつ状態になる「エコ不安症」とまったく同じメカニズムだ。つまり、情動のスイッチが誤作動を起こして入りっぱなしになるのである」、恐ろしいことだ。
・『どんなマイナーな言説でも小さな市民権を得られる  ネットのコミュニティでは、どんなマイナーな言説であっても、小さな市民権が得られる。手っ取り早く不安を解消するには、同じ不安を持つ人々と連帯するのがいい。だが、世界が特定の何者かによってコントロールされているといった信念は、無力感や不毛さをすべて外部要因のせいにしてしまうペテンであり、国家や企業や少人数のグループでさえがそれぞれ別のロジックが働いていて、まったく予期せぬ結果をもたらすという複雑性を排除する〝おまじない〟となる。 要するに、新世界秩序(New World Order)とは、人類が救済されることへの願望を反転させた陰画(ネガ)のようなものなのだ。人生を揺るがすようなスペクタクルを激しく欲しているのである。 もちろん、別々の物事に共通する理論を見いだし、それに根本原因を求めようとするパターン認識の習性や、あらゆる事象の背後に何らかの主体の意思を読み取ろうとする超高感度エージェンシー検出装置(HADD)という心性も、「闘争か、逃走か」モードに牽引された情動を強化する要素となるが、まず心のプログラムの誤作動が起点にあることにもっと注意を向ける必要がある。 直観に従属してしまう傾向を持ち、それゆえ頻繁にアラームが発動してしまう存在でありながら、有史以来経験したことのない過剰接続の世界に無防備なわたしたちのポテンシャルへの自覚である』、「別々の物事に共通する理論を見いだし、それに根本原因を求めようとするパターン認識の習性や、あらゆる事象の背後に何らかの主体の意思を読み取ろうとする超高感度エージェンシー検出装置(HADD)という心性も、「闘争か、逃走か」モードに牽引された情動を強化する要素となるが、まず心のプログラムの誤作動が起点にあることにもっと注意を向ける必要がある」、「直観に従属してしまう傾向を持ち、それゆえ頻繁にアラームが発動してしまう存在でありながら、有史以来経験したことのない過剰接続の世界に無防備なわたしたちのポテンシャルへの自覚である」、その通りなのだろう。

第二に、1月10日付け現代ビジネスが掲載した経済産業研究所コンサルティングフェローの藤 和彦氏による「「陰謀論」がまた…!「移民」ぎらいの「排外主義者」がふたたび勢いづくヤバすぎる国の名前」を紹介しよう。
https://gendai.media/articles/-/104321?imp=0
・『米バイデンが窮地に立たされた!  アメリカで新たな火種が噴出し、過激派組織を勢いを増している。移民問題が改めて米国政治の最重要課題になっているからだ。 気になるのは、米国の全人口に占める合法・不法移民の割合の高さだ。米移民研究センターによれば、昨年9月時点で14.6%に上っており、過去最高の1890年の14.8%を今年中に突破することが確実な情勢だ。 これをうけて、1月3日に開会した米連邦議会では、野党・共和党が不法移民対策を追及する構えだ。上下両院で多数派が異なる「ねじれ議会」なので、共和党が過半数を握る下院がその舞台となる。 一方、バイデン政権は移民の受け入れを増やす政策を掲げ、野党・共和党と真っ向から対立している。移民の増加や不法移民の合法化を柱とした移民制度改革が労働力不足を補い物価高の抑制にもつながるというのがその理由だ。 バイデン政権は昨年12月、トランプ前政権が新型コロナ対策を名目に導入した不法移民を母国に即時送還する措置を早期に終わらせる方針を表明したが、これに反発する共和党優位の各州が裁判所に措置の維持を求めている。 連邦最高裁判所の判断が下るのは今年6月以降になる見通しだ。 いったいアメリカはどうしてしまったのだろうか。 さらに連載記事『プーチンの戦争で極右政党がさらに…!「アメリカ」と「ドイツ」を襲う「陰謀論」の危なすぎるワナ』では、アメリカの陰謀論の深層と欧州でもふたたび猛威をふるう極右政党のいまを詳細にレポートする』、共和党、民主党間の「移民政策」を巡る対立は、困ったことだが、下院は共和党優勢になっただけに、今後の行方は不透明だ。「連載記事」は次で取上げる。

第三に、次に、1月10日付け現代ビジネスが掲載した経済産業研究所コンサルティングフェローの藤 和彦氏による「プーチンの戦争で極右政党がさらに…!「アメリカ」と「ドイツ」を襲う「陰謀論」の危なすぎるワナ」を紹介しよう。
https://gendai.media/articles/-/104322?imp=0
・『アメリカでふたたび「移民問題」が噴出し、バイデン政権と野党・共和党が激しい論争を繰り広げている。かたや欧州ではウクライナ戦争で発生した難民受け入れでドイツにふたたび陰謀論が台頭、過激派が勢いをましている。前編記事『「陰謀論」がまた・・・!「移民」ぎらいの「排外主義者」がふたたび勢いづくヤバすぎる国の名前』に続き、アメリカとドイツの危険な兆候をレポートしていく』、興味深そうだ。
・『陰謀論うずまくアメリカ  メキシコと接する南西部国境での不法移民の拘束数は2022会計年度(2021年10月から2022年9月)に約230万人に上り、前年度より4割増加した。共和党は不法移民の増加が犯罪の温床になっているとバイデン政権を非難している。 米保守系メデイアは連日のように過激な報道を行っている。 FOXニュースのタッカー・カールソン氏は米南部国境の移民増加について「これは我が国への侵略だ。もう国境はない。かつて繁栄していた街は今は『戦争している』かのように見える」と扇情的に訴えている。) 移民の増加は人種差別的な陰謀論の隆盛に大きく影響する。移民の流入に歯止めがかからない米国は今や陰謀論のメッカだと言っても過言ではない。 米国では昨年末、電力施設に対する攻撃が相次いだ。 西部ワシントン州タコマで12月25日、電力施設4カ所が破壊工作を受け、1万4000世帯が停電した。現在捜査中だが、電力施設を保有するタコマ公益事業は「FBIから12月上旬に『同社の送電網が脅威にさらされている』と警告を受けていた」ことを明らかにしている。 オレゴン州やノースカロライナ州でも同様の事件が起きている。 組織的な攻撃かどうかは不明だが、国土安全保障省は「暴力的な過激派が少なくとも2020年以降、電力施設を攻撃するという具体的な計画を立てている」と認識している。 その狙いは定かではないが、「人種間の対立を図る右翼過激派が、電力施設を攻撃して全米で恐怖心を煽り、内戦を誘発しようとしている」との指摘がある』、「「人種間の対立を図る右翼過激派が、電力施設を攻撃して全米で恐怖心を煽り、内戦を誘発しようとしている」、との指摘が正しければ、「右翼過激派」はとんでもなく悪質なことを仕掛けていることになる。
・『すでに内戦状態  米国では近年「内戦勃発」に対する警戒感が強まっているが、移民の増加がそのリスクをさらに高めることになるのではないだろうか。移民の増加が過激派組織に勢いを与えているのは米国だけではない。 欧州で最もQアノン(米国の陰謀論サイト)信奉者が多いとされるドイツでも同様だ。) ドイツでは昨年12月上旬、連邦検察庁が国家転覆を計画していた右翼テロリスト集団を一斉摘発し、世界を驚かせた。 摘発されたテロリスト集団は2020年1月の米国の連邦議事堂襲撃事件にならい、「Xデー」にドイツ連邦議事堂に武器を持って侵入し、国会議員らを拘束して暫定政権を発足させる計画だったという。 逮捕者の中に既存の国家秩序を否定する「ライヒス・ビュルガー(帝国の臣民)」のメンバーが複数存在したが、このグループはQアノンの人種差別的な陰謀論に深く共鳴していることで有名だった。 この計画を首謀していたのが貴族の末裔だったことにも世間の関心が集まったが、筆者が注目したのは逮捕者の中に元連邦議会議員のヴィンケマンがいたことだ。ヴィンケマンは極右政党「ドイツのための選択肢(AfD)」に所属し、難民政策について問題発言を繰り返していた。 AfDは2017年の連邦議会選挙で第3党に躍り出たが、追い風となったのは大量に流入してきたシリア難民への国民の反発だった。 ドイツでは新たな難民問題が発生している。ロシアの侵攻以来、ウクライナからの難民が急増しているのだ。ウクライナからの難民は昨年10月中旬時点で100万人を超え、2015~16年のシリア難民の数を上回っている』、「摘発されたテロリスト集団は2020年1月の米国の連邦議事堂襲撃事件にならい、「Xデー」にドイツ連邦議事堂に武器を持って侵入し、国会議員らを拘束して暫定政権を発足させる計画だったという」、「ウクライナからの難民は昨年10月中旬時点で100万人を超え、2015~16年のシリア難民の数を上回っている」、「ウクライナからの難民」には連帯を示していると思っていたが、やはり「問題になっている」とは驚かされた。
・『極右がドイツを追い詰める  難民を収容している自治体の財政はパンク状態になっているが、ショルツ政権は寛容な難民受け入れの方針を変更する気配はまったくない。ウクライナ難民への国民の反発を糧にAfDの支持率は15%とウナギ登りだ。) これに対し、政権与党の社会民主党と緑の党の支持率がそれぞれ18%と伸び悩んでいる。国内の過激派組織にとっても願ってもない状況だろう。 ウクライナ難民の問題はEU共通の問題だ。「ない袖は振れない」各国は他の紛争地域向けODA予算を削減しており、このことが今後域内に流入する難民を増加させる原因になるのではないかと懸念されている。 経済の悪化に加えて、難民が急増する事態になれば、ドイツを始め欧州全域で過激派組織がこれまでになく勢いづいてしまうのではないだろうか さらに連載記事『習近平の大誤算…!「ゼロコロナ」がいざなう、中国発「世界大不況」の巨大すぎるインパクト』では、混とんとする世界情勢のなかでも中国のいまを詳細にレポートする』、「ウクライナ難民への国民の反発を糧にAfDの支持率は15%とウナギ登りだ」、「経済の悪化に加えて、難民が急増する事態になれば、ドイツを始め欧州全域で過激派組織がこれまでになく勢いづいてしまうのではないだろうか」、「政権与党の社会民主党と緑の党の支持率」回復を期待したいが、回復しない場合には「ウクライナ支援」にも悪影響がありそうだ。
タグ:東洋経済オンライン (その1)(秘密結社が裏にいると信じる人が増えている訳 被害妄想的な感受性がコロナ禍で静かに広がる、プーチンの戦争で極右政党がさらに…!「アメリカ」と「ドイツ」を襲う「陰謀論」の危なすぎるワナ、「陰謀論」がまた…!「移民」ぎらいの「排外主義者」がふたたび勢いづくヤバすぎる国の名前) 陰謀論 真鍋 厚氏による「秘密結社が裏にいると信じる人が増えている訳 被害妄想的な感受性がコロナ禍で静かに広がる」 「いつ爆発するかもしれない「不機嫌」を抱えている」、とは興味深そうだ。 「Qアノン」は、「もともとは2017年に政府の内通者を自称する「Q」が匿名掲示板に投稿したことに端を発している。 大変興味深いことではあるが、これらの荒唐無稽なおとぎ話が、コロナ禍によって世界各国に輸出され、現地の陰謀論と融合して、独自の発展を遂げている。つまり、Qアノンがいわば都合のいい母体となって、さまざまな妄想を吸収している」、「日本では、アメリカ大統領選をめぐる不正投票説の蔓延がQアノンの浸透を後押しした。日本国内の国政選挙における陰謀論がすでに根付いていたことに一因があると思われる」、なるほど。 「コロナ禍で陰謀論がメインストリームに急上昇しているのは、未曽有のパンデミックによる混乱ぶりも手伝って、その差し迫った脅威に関するメッセージが、まるで脳の警報装置を起動させるかのように、人々の情動へ効果的に作用したからだ」、 「目の前に「洪水」や「猛獣」などが迫り来るような、自身に危害が及ぶ緊急性がさほどない場合は、その多くが不必要なアラームとも考えられる。進化上重要なスイッチではあるけれども、他部族の襲撃や干ばつによる飢餓などが身近ではなくなった現代では、作動するにぶさわしい機会は恐らくかなり稀なはずで、むしろ検知の感度が高いほうが厄介だからである」、「その多くが不必要なアラーム」、その通りだ。 「ネットで悲観的な情報を漁り続ける「ドゥーム・スクローリング」(Doomscrolling)は、このような心理的な反応を積極的に作り出す大きな要因となる。コロナワクチンの接種はマイクロチップを埋め込むためで、それによって人類家畜化計画が成就するといったデマであっても、自分の生命を脅かすかもしれない出来事と切実に感じれば、関連するニュースや投稿を執拗に追い続け、世界がホラーハウスに見え始めてくるだろう。 これは、地球温暖化が恐ろしくて夜も寝られず、抑うつ状態になる「エコ不安症」とまったく同じメカニズムだ。つまり、情動のスイッチが誤作動を起こして入りっぱなしになるのである」、恐ろしいことだ。 「別々の物事に共通する理論を見いだし、それに根本原因を求めようとするパターン認識の習性や、あらゆる事象の背後に何らかの主体の意思を読み取ろうとする超高感度エージェンシー検出装置(HADD)という心性も、「闘争か、逃走か」モードに牽引された情動を強化する要素となるが、まず心のプログラムの誤作動が起点にあることにもっと注意を向ける必要がある」、 「直観に従属してしまう傾向を持ち、それゆえ頻繁にアラームが発動してしまう存在でありながら、有史以来経験したことのない過剰接続の世界に無防備なわたしたちのポテンシャルへの自覚である」、その通りなのだろう。 現代ビジネス 藤 和彦氏による「「陰謀論」がまた…!「移民」ぎらいの「排外主義者」がふたたび勢いづくヤバすぎる国の名前」 共和党、民主党間の「移民政策」を巡る対立は、困ったことだが、下院は共和党優勢になっただけに、今後の行方は不透明だ。「連載記事」は次で取上げる。 藤 和彦氏による「プーチンの戦争で極右政党がさらに…!「アメリカ」と「ドイツ」を襲う「陰謀論」の危なすぎるワナ」 「「人種間の対立を図る右翼過激派が、電力施設を攻撃して全米で恐怖心を煽り、内戦を誘発しようとしている」、との指摘が正しければ、「右翼過激派」はとんでもなく悪質なことを仕掛けていることになる。 「摘発されたテロリスト集団は2020年1月の米国の連邦議事堂襲撃事件にならい、「Xデー」にドイツ連邦議事堂に武器を持って侵入し、国会議員らを拘束して暫定政権を発足させる計画だったという」、「ウクライナからの難民は昨年10月中旬時点で100万人を超え、2015~16年のシリア難民の数を上回っている」、「ウクライナからの難民」には連帯を示していると思っていたが、やはり「問題になっている」とは驚かされた。 「ウクライナ難民への国民の反発を糧にAfDの支持率は15%とウナギ登りだ」、「経済の悪化に加えて、難民が急増する事態になれば、ドイツを始め欧州全域で過激派組織がこれまでになく勢いづいてしまうのではないだろうか」、「政権与党の社会民主党と緑の党の支持率」回復を期待したいが、回復しない場合には「ウクライナ支援」にも悪影響がありそうだ。
nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感

ペット(その4)(「犬は飼い主に忠誠心をもつ」は間違い 研究で判明した「犬が本当に考えていること」、犬を飼うと、猫にはない「健康長寿」効果が! 目を合わせて遊ぶと「幸せホルモン」が3.5倍に…「介護」「心血管疾患死」リスクも低減) [生活]

ペットについては、昨年8月21日に取上げた。今日は、(その4)(「犬は飼い主に忠誠心をもつ」は間違い 研究で判明した「犬が本当に考えていること」、犬を飼うと、猫にはない「健康長寿」効果が! 目を合わせて遊ぶと「幸せホルモン」が3.5倍に…「介護」「心血管疾患死」リスクも低減)である。

先ずは、昨年11月26日付けNewsweek日本版がPRESIDENT Onlineから転載したドッグトレーナー・スタディ・ドッグ・スクール代表の鹿野正顕氏による「「犬は飼い主に忠誠心をもつ」は間違い 研究で判明した「犬が本当に考えていること」」を紹介しよう。
https://www.newsweekjapan.jp/stories/technology/2022/11/post-100196_1.php
・『犬と接するときはどんなことに気を付けるべきか。ドッグトレーナーの鹿野正顕さんは「犬を擬人化してはいけない。あくまで動物であり、常に本能で動いている。人間側の一方的な思いや価値観で犬と接してはいけない」という――。※本稿は、鹿野正顕『犬にウケる飼い方』(ワニブックスPLUS新書)の一部を再編集したものです』、「あくまで動物であり、常に本能で動いている。人間側の一方的な思いや価値観で犬と接してはいけない」、冷静な見方で、興味深そうだ。
・『犬は本能を理性でコントロールできない  犬という動物を知るうえで、大前提として知っておきたいのは、五感の感覚が人間とはまったく違うこと。そして脳の働きも人間とはまるで違うということです。 これは当たり前のことなのですが、ともすれば、犬と家族同様に暮らしていくうちに、犬も人と同じようにものを見たり聞いたりし、人と同じような感情を持つように思い込んでしまう方もいます。 同じ空間で生活していても、犬は人間とは違う世界で生きています。 まず感覚受容器の構造が違うため、人と同じ環境にいても、目、耳、鼻から受け取る情報が人間とはまったく異なっているのです。 感覚受容器は、外部からの刺激を脳に伝えて行動を促す役割があります。 動物の行動には、それを促す何らかの刺激が必ず存在し、五感が敏感であるほど刺激を受けやすいということになります。 その行動を司(つかさど)るのが脳ですが、人の脳と、犬などの哺乳類の脳では大脳皮質(大脳の表面部分)のとくに前頭葉の働きが大きく違います。 前頭葉には、「思考・判断・情動のコントロール・行動の指令」という大事な役割がありますが、犬の前頭葉の働きは鈍く、簡単に言うと「犬は人のように本能を理性でコントロールすることが難しい」のです。 犬は哺乳動物のなかでも「頭がいい・かしこい動物」とされていますが、大脳皮質のうち前頭葉の占める割合は、人は30%、犬は7%、ネコは3%となっています。つまり、犬は人間のように何か考えに基づいて行動したり、意図的に行動をコントロールすることはほとんどできないのです』、「大脳皮質のうち前頭葉の占める割合は、人は30%、犬は7%、ネコは3%」、「犬の前頭葉の働きは鈍く、簡単に言うと「犬は人のように本能を理性でコントロールすることが難しい」のです」、やむを得ないことだ。
・『人にいやがらせをすることはない  そうした脳の働きをふまえて、犬の行動や認知能力を見ていくと、次のような特徴があることがわかってきます。 ●感情をコントロールすることが苦手(犬は、高ぶった気持ちを自分で落ち着かせたり、がまんするなど、情動・感情のコントロールが苦手です)』、数年前まで飼っていた秋田犬とサモエドのミックスの大型犬は、ドライブが大好きで、気配を察すると庭中を狂ったように走り回り、なだめるのに苦労した記憶がある。
・『●善悪の判断はしないし、人社会のルールも理解できない(人間のモラルや道徳観とは無縁なので、自分の行為の善悪の判断をしません。基本、人の都合にはおかまいなしです。人社会のルールをそのまま押し付けようとしても、守るべき理由を理解できません。 ●先のことを予測して考えることができない(これをやったらどうなるか、という先のことを考えることができません。たとえば、子ども用のぬいぐるみの腕を噛んで振り回したら、腕が取れてボロボロになる......といった行動の先の結果を予測することはしないし、できないのです。) ●短期記憶は10秒程度で消えることも(記憶には短期記憶と長期記憶がありますが、犬の短期記憶は30秒〜120秒程度とされ、10秒程度で消えてしまうこともあります。さっきやったばかりのこともすぐ忘れて、また同じことをやるということが起こります。 ●人にいやがらせをすることはない(飼い主に対してわざといやがらせをすることはありません。相手を困らせて喜ぶという発想も想像力も持たないし、犬にそういう概念はないのです。 人がいやがることかどうかの判断もできません。してほしくないところへ排泄するケースも、犬に「おしっこやうんちは汚い」という衛生観念はないので、「これで人を困らせてやれ」と意図することはあり得ないのです。したがって、叱られた腹いせでわざとおしっこをするようなことはありません』、「人にいやがらせをすることはない」のは確かだ。そんな犬がいたら気持ち悪い。
・『叱られても反省することはない  ●ほめことば/叱りことばだけかけても理解しない(「いい子だね」とか「いけない・ダメ」ということばだけを聞いて、自分はほめられたとか叱られたとかは理解できません。ことばだけではなく、ことばプラスいい結果(ごほうびがもらえる)、または悪い結果(リードを強く引かれるなど)と結び付くことで、自分の行為が肯定されたのか否定されたのかを覚えていきます。 ●叱られても反省はしません(「うちのワンちゃんは叱るとシュンとなって反省のポーズをします」という飼い主さんがいますが、犬は叱られても反省はしません。 なぜ悪いことなのかを理解しないし、やったことを後悔もしません。叱られておとなしくなるのは、飼い主さんが怖くて萎縮しているだけなのです。これはいくつかの実験でも明らかにされています。 叱られると目をそらしたりするのは、犬の目をじっと見て強い調子でしゃべる飼い主にケンカや闘いの前ぶれを感じ、目をそらすことで「自分は闘いモードではありません」という意志を示しているのです。 うなだれたり、体を縮めて"反省のポーズ"をしているように見えても、飼い主のふだんと違う態度に怯えて、「早くこの恐怖から抜け出したい、早くこのつらい時間が終わればいい」と思っているだけのことがほとんどです』、「叱られておとなしくなるのは、飼い主さんが怖くて萎縮しているだけなのです」、その通りだ。
・『食事の回数は適量を複数回に  これは摂食行動の話になりますが、犬を初めて飼ったとき、食べ物をいくらでも欲しがることに驚いた人もいるのではないでしょうか。 犬は食べ物をほとんど一気食いしてしまい、出されたものはいくらでも食べてしまう傾向があります。 これは犬が特別"食い意地が張っている"というわけではありません。犬は、人や他の動物ほど脳の満腹中枢が機能していないため、「満腹感を感じにくい」という特徴があるのです。そして一度にたくさん食べるよりも、食べる回数が増えるほうが犬はよろこぶのです。 そのため、しつけやトレーニングの際のごほうび(トリーツ)として、好きな食べ物を何度でも与えることが有効な方法になってきます。 ところが、しつけ教室などでたまにいらっしゃるのは、「食べ物で釣るなんて、浅ましくていやだ」という飼い主さんです。ごほうびに「おやつ」をあげてトレーニングすることを頑なに拒否する飼い主さんもいます。 それは「人間の物差し」でしか考えられない方なのです。) しょっちゅう食べてばかりいるとか、もらうだけ食べるのが"浅ましい"とか"意地汚い"と感じるのは人間だけです。動物にとって食べ物を見つければ口にするのは別に浅ましいことではないし、食べたばかりでも、もらったらまた食べるのは犬の本能なのです。 満腹中枢がほとんど機能していないということは、脳が「もう十分だ」という指令を出さないということ。だから犬は「もうけっこう」なんて遠慮はしないし、あげたらあげるだけ食べるのが普通なのです。 野生ではいつ食べ物にありつけるかわからないので、いまある食べ物を一気に丸呑みし、大量にお腹にため込もうとしていました。その名残で、犬はごはんをあげるとほとんど噛まずに呑み込むようにして食べます。 猫はごはんを少し残したり、数度に分けて食べることが多いのですが、犬は出されたものを一気に食べてしまいます。そのため、留守番させるときなど、器に食べ物を出しておくと一度で全部食べてしまうので、自動給餌(きゅうじ)器を利用したり、遊びながら食べ物が得られるおもちゃ(コングなど)を与えるなどの工夫が必要になります』、「「食べ物で釣るなんて、浅ましくていやだ」という飼い主さんです。ごほうびに「おやつ」をあげてトレーニングすることを頑なに拒否する飼い主さんもいます。 それは「人間の物差し」でしか考えられない方なのです」、私も当初はそう考えたが、途中で考え違いに気づいた。
・『動物を飼うことには向いていない人の特徴  ここまで述べたように、人間と犬は感覚や脳の働きが大きく異なります。 そこを理解せずに、犬をまるで同居人のように擬人化して、人の感覚や「人間の物差し」で行動を判断してしまうと、さまざまな誤解や人の勝手な思い込みを生んでしまいます。 大事なのは、人間側の一方的な思いや価値観だけで犬の行動を見ないことです。 こうしてほしいのに、なぜできないの? 何度も教えているのに、なぜ覚えないの? 犬と暮らしていれば、そのような不満が生じるのは当たり前なのです。 人間側の都合ばかり押し付けたい人は、はっきり言って動物を飼うことには向いていません。 犬はあくまで動物で、人と同じような考え方や行動はしません。 人間の価値観や常識(=人間の物差し)で犬の行動を見てしまうのもやはり間違っています。 あらためてその点を認識し、犬の特性を尊重する姿勢を持てば、しつけやトレーニングをする際にもよけいな悩みが減ってくると思います』、「犬はあくまで動物で、人と同じような考え方や行動はしません。 人間の価値観や常識・・・で犬の行動を見てしまうのもやはり間違っています」、その通りだ。
・『「犬は主人に対して忠誠心を持つ」は幻想  昔から犬は主人思いの動物とされて、「犬は三日飼えば三年恩を忘れぬ」などと言われてきました。 しかし、ここにも人間の勝手な思い込みが入っている気がします。 ただ飼えばいいわけではなく、飼い主が本能的欲求を満たしてくれる(十分な食事、安心な寝床、一緒に遊んでスキンシップをしてくれるなど)ことがなければ恩は感じてくれません。 「動物なのだから、食べ物をあげていれば懐いて恩を感じるだろう」と思うかもしれませんが、それだけなら、よそでもっとたくさんごはんをくれる人を見つければ、そっちへ行ってしまいます。 同様に「犬は主人に対して忠誠心を持つ」というのも、ほとんどの場合、人間の思い込みです。これも親和性の高い飼い方をしない限り、ただの幻想と言っていいでしょう。 幸せホルモン(オキシトシン)に満たされるような、安心と幸せを感じる関係にあれば、親愛の情や絆を感じさせる行為がみられることはあります。 実際、「飼い主に危険が及ぶのを察知して知らせてくれた」とか、「か弱い子どもを懸命に守ろうとした」といった感動的なエピソードには事欠きません。 それを忠誠心と呼ぶのは自由ですが、犬は犬社会でも、仲間に危険を警告したり、犬同士で助け合う行動は普通にみられます。それを飼い主に対しても行っているだけだ、というドライな見方もできるのです。) 群れで生活する動物には、危機に瀕(ひん)している仲間を助けようという行為は珍しくありません。社会性のある動物は、群れを維持していかないと自分の生存も危ぶまれるからです。 たとえばゾウの集団では、子ゾウを協力して助けたり守ったりしますが、それは群れ・集団の維持のために仲間を守る行為なのです。 そうした行動は、ときに自己犠牲をともなう"利他的"な、見返りを求めない無償の行為に見えることもあります。しかしそこには「自分の生存にも関わる」という動物の本能がはたらいているはずなのです』、「犬は犬社会でも、仲間に危険を警告したり、犬同士で助け合う行動は普通にみられます。それを飼い主に対しても行っているだけだ、というドライな見方もできるのです」、なんだかつまらない。
・『忠犬ハチ公の真実  犬は人間が好きですが、"欲求の期待に応えてくれる存在"が好きなので、人に飼われても、不満やストレスばかり抱えるようだと何年飼っても恩義や忠誠心のようなものは抱きません。 ちなみに、有名な「忠犬ハチ公」の話がありますが、ハチは飼い主だった大学の先生を、亡くなった後もずっと駅で待ち続けていたわけではなく、好物の焼き鳥をくれる人を待っていたのが真実だそうです(諸説あり)。ハチの剝製は東京の国立科学博物館に現存していますが、解剖した際にハチの胃袋からは焼き鳥の串がいくつも出てきたそうです。(鹿野氏の略歴はリンク先参照)』、「ハチは飼い主だった大学の先生を、亡くなった後もずっと駅で待ち続けていたわけではなく、好物の焼き鳥をくれる人を待っていたのが真実だそうです」、「焼き鳥をくれる人」は「ハチ」が「主人」を「待ち続け」ていたからこそ、感心して「焼き鳥をあげた」と考えれば、もとの美談になるともいえる。

次に、本年1月8日付けデイリー新潮「犬を飼うと、猫にはない「健康長寿」効果が! 目を合わせて遊ぶと「幸せホルモン」が3.5倍に…「介護」「心血管疾患死」リスクも低減」を紹介しよう。
https://www.dailyshincho.jp/article/2023/01081057/?all=1
・『ありとあらゆる健康情報が溢れる人生100年時代。体にいい食材は何か、どんな運動が効果的か、何時間眠ればいいのか、すなわち“長生き術”の正解はどこにあるのか。答えは意外なところにあるようで……。健康長寿の新常識、科学に基づいた「犬」の効用。 人生100年時代とは、果たしてどんな時代なのだろうか。 男性81.47歳、女性87.57歳。日本人の「平均寿命」は着実に延びている。一方、男性72.68歳、女性75.38歳。日常生活を自立的に過ごせる「健康寿命」は、平均寿命に比べると男性で8.79歳、女性だと12.19歳も短い。つまり私たちは、10年前後は介護などのお世話になりながら“生き続けなければならない”時代にいるのだ。 畢竟(ひっきょう)、どうせ長生きするのなら、できるだけ健康寿命を延ばして、ぎりぎりまで自立した生活を送りたいと願うのが我ら衆生の性(さが)である。 そして世には「健康法」が溢れることとなる。いろいろな方法を試してはいるけれど、やや食傷気味……。そんな方に向け、ちょっと“毛色の変わった健康情報”を紹介することにしよう』、“毛色の変わった健康情報”とは興味深そうだ。
・『“幸せ感の共鳴”  「人間は家族を最小単位とし、仲間や知り合いなどとコミュニティーを築き、その中で生きていく生き物です。しかし、核家族化や未婚化が進み、また伴侶に先立たれた『おひとりさま』が増えるなど、現代は個々人の分断が進んでいます。そんな時代だからこそ、人間の心身における健康にとって、犬の存在の重要度は増していると感じます」 こう語るのは、麻布大学獣医学部の茂木一孝教授(伴侶動物学)だ。 「一般に、ペットを飼うと癒やしの効果があるといわれていますが、こと犬に関して言えば、そうした曖昧なイメージにとどまらない“何か”があるのではないか。人間は単に“アイコン”や“ファッション”として犬を飼っているわけではない。人間と犬の共生の長い歴史には科学的なバックグラウンドがあるに違いない。そう考えて実験を行ったところ、実際に人間と犬の“幸せ感の共鳴”とでもいうべき現象が起きていることが分かったのです」』、「人間と犬の“幸せ感の共鳴”」とはどういうことだろう。
・『「愛情ホルモン」が3.5倍に  その実験結果は米国の科学誌「サイエンス」に掲載された。 具体的には飼い主と犬が会議室で30分間交流した後に、両者がよく見つめ合ったグループと、そうでもなかったグループの、交流前後の尿中の「オキシトシン」というホルモンの濃度を比較。すると、前者の飼い主は3.5倍に上昇したものの、後者では変化は見られなかった。 オキシトシンは別名「愛情ホルモン」、あるいは「絆形成ホルモン」とも呼ばれる。すなわち、犬と戯れることによって、飼い主に安心や信頼がもたらされ、「心の健康度」が上がったと考えられるのだ』、「飼い主と犬が」「よく見つめ合ったグループ」では、「尿中の「オキシトシン」」の「濃度」が「3.5倍に上昇した」、「犬と戯れることによって、飼い主に安心や信頼がもたらされ、「心の健康度」が上がったと考えられる」、すごい効果だ。
・『犬にできて猫にできないこと  「遺伝子的に犬に近いオオカミに関しても同様の実験を行いました。ちなみに、ごく小さい時から人の周りにおくことで、オオカミでもどうにか飼いならすことができます。さて、オオカミに関する実験結果はというと、犬の場合と違ってオキシトシン濃度に変化はなく、そもそもオオカミは飼い主とじゃれはしても、顔を見つめることはありませんでした。このことから分かるように、普段身近な存在であるため気が付きにくいのですが、犬は極めて特殊な動物なのです」(同) それは、犬と同じく私たちの身近にいる猫と比べても指摘できることだという。一般社団法人ペットフード協会の調査によると、2017年から猫の飼育数が犬を逆転し、犬は“劣勢”に立たされているという。しかし、 「ペットが、人間が指さした方向にしっかりと反応できるのは当たり前というイメージがあるかもしれません。ところが、実は同じペットでも、犬にはできても基本的に猫を含めた他の動物にこれはできません」(同) なるほど、犬は「単なる一ペット」ではなさそうだ』、「ペットが、人間が指さした方向にしっかりと反応できるのは当たり前というイメージがあるかもしれません。ところが、実は同じペットでも、犬にはできても基本的に猫を含めた他の動物にこれはできません」、犬だけ別格のようだ。
・『困ると人の顔を見る  さらに、他にもこんな実験報告があると茂木教授が紹介する。 「中にエサが入った箱を鼻でつつくと、箱が開いてエサが食べられるようにしておき、その後、鼻でつついても開かないように人間が細工をする。普通の動物は、細工を施(ほどこ)した後も、開くものだと信じ込んで壊れるくらいに延々と箱を足でひっかき回し続けたりするだけなのですが、犬は途中まで開けようと頑張ってダメだと分かると、まるで助けを求めるように近くにいる人間の顔を見る。これも犬にしかできない反応です」 このように、異種であるにもかかわらず「eye to eye」のコミュニケーションが取れる特別な関係の人間と犬。ゆえに、最古の家畜として、両者は“共生”することができてきたのだ』、「異種であるにもかかわらず「eye to eye」のコミュニケーションが取れる特別な関係の人間と犬。ゆえに、最古の家畜として、両者は“共生”することができてきたのだ」、猫や馬とは「「eye to eye」のコミュニケーションが取れ」ないとは初めて知った。
・『「犬」と「犬以外」を飼う意味は異なる  「そもそも、犬に触ることはできますが、猫は嫌がる場合が多い。したがって、犬を飼うのと猫を飼うのとでは、その意味は大きく異なると思います」 と、茂木教授が続ける。 「犬の場合、eyeコミュニケーションやボディーコミュニケーションができるパートナーとして飼う面が強く、猫を飼う行為は観賞目的の意味合いが強い。猫の場合は、動物園の動物を見て楽しむのに近いのではないでしょうか。その意味においては猫に限らず、『犬』と『犬以外』の動物を飼うことの意味は大きく異なるといえます。こうした特別な関係の人間と犬が接することで分泌されるオキシトシンには、リラックス効果や痛みの閾値(いきち)を下げる効果もある。やはり、犬を飼うことは人間の心の健康に極めて有効だといえます」 科学的な裏付けを伴った犬による心の面での「癒やし効果」。だが、それだけではない。体の健康、とりわけ高齢者の健康寿命の延伸にも犬は大いに貢献してくれているのだ』、「人間と犬が接することで分泌されるオキシトシンには、リラックス効果や痛みの閾値(いきち)を下げる効果もある。やはり、犬を飼うことは人間の心の健康に極めて有効だといえます」、なるほど。
・『「自立喪失」リスクが半減  「65歳以上の約6200人を対象に追跡調査を行ったところ、身体機能が衰えるフレイル(虚弱)が発生するリスクが、犬を飼った経験がない人と比べると、飼育している人で2割低減されることが分かりました。他方、猫の場合はリスクは変わらず、フレイルに対する予防効果は見られませんでした」 こう解説するのは、国立環境研究所主任研究員の谷口優氏だ。この研究結果が科学誌に掲載されたのは2019年。そして22年、人と動物の関係を研究する谷口氏らは新たな研究成果を発表した。 「フレイルの関連要因である要介護状態や死亡への影響を調査しました。1万人以上の高齢者を対象に2年間の追跡調査を行った結果、犬の飼育による新たな効果が浮き彫りとなったのです」 具体的には、次のような結果が出た。 「要介護と死亡をあわせて『自立喪失』と呼びますが、猫の飼育状況と自立喪失との間に明確な関連性はみられませんでした。ところが、犬を飼っている人とそうでない人を比べた場合、後者の自立喪失リスクを『1』とすると、前者の自立喪失リスクは『0.54』で、およそ半減。犬を飼っていることで自立喪失リスクが大きく低減されることが分かったのです」(同)』、「犬を飼っていることで自立喪失リスクが大きく低減される」、凄い明確な効果だ。
・『犬の散歩の効能  猫にはない、犬による大きな健康長寿効果。死亡も含めたリスクが下がるというのだから、犬の飼育は「新たな健康長寿法」と言って差し支えなかろう。 「さらに今回の調査の特徴は、犬を飼っている人の中でも運動習慣があるか否かを調べたことです。その結果、犬を飼っていても運動習慣がない人の自立喪失リスクは0.85と大きな差はないものの、犬を飼っていて運動習慣がある人のリスクは0.44と大きく下がっていた。つまり犬の散歩などの運動が、健康長寿に貢献しているということです」(同) たかが犬の散歩、されど犬の散歩。恐るべし犬の散歩――。谷口氏らの研究結果を補強するように、海外でも次のような調査結果が存在する。 例えば、スウェーデンの調査では、ひとり暮らしで犬を飼っている人は、ペットを飼っていない人と比べて心血管疾患で死亡するリスクが36%も低減。家族がいる世帯でも15%下がることが判明した。 また、チェコの調査では、犬を飼っている人と、他のペットを飼っている人を比較した場合、犬を飼っている人のほうが身体活動や食事に関するスコアが最適である割合が高いことが分かっている』、「スウェーデンの調査では、ひとり暮らしで犬を飼っている人は、ペットを飼っていない人と比べて心血管疾患で死亡するリスクが36%も低減。家族がいる世帯でも15%下がることが判明」、なるほど。
・『犬によって人間らしくなれる  再び茂木教授が説明する。 「どんな高齢の人でも、犬を飼っていれば大抵は外に散歩に連れていくことになります。運動効果はもちろん、外の空気を吸うことでリラックスできますし、また、散歩に連れていくという習慣を半ば強制されることによって、結果的にそれが規則正しい生活にもつながる。日々のリズムが整えば、食生活も乱れないという好循環が生み出されるのだと思います」 そして、犬によって私たちは「人間らしさ」まで取り戻すことができるという。 「先ほど説明したように、人と犬は異種でありながら例外的に共鳴することができます。だからこそ、私たちは犬に話しかける。ひとりで散歩するよりも、犬に話しかけながら散歩するほうが人間らしいですよね」(同)』、「散歩に連れていくという習慣を半ば強制されることによって、結果的にそれが規則正しい生活にもつながる。日々のリズムが整えば、食生活も乱れないという好循環が生み出されるのだと思います」 そして、犬によって私たちは「人間らしさ」まで取り戻すことができるという」、その通りだ。
・『人と人のコミュニティーも広げてくれる  さらに見過ごせないのが、“コミュニケーションの潤滑油”としての犬の役割だ。 「最近、人間の世界ではプライバシー意識が一段と強まっています。我が子、我が孫に関してですら、他人に軽々に話すことははばかられる状況です。対して、さすがに“我が犬”について話すのに気を使う必要はありません。犬の存在が話の接ぎ穂となるわけです」(茂木教授) 互いに犬オーナーであればもちろんのこと、そうでなくても犬は力を発揮する。 「公園で見ず知らずの高齢者がすれ違っても、いきなり話しかけるのはかなりハードルが高い。しかし、そこでどちらかが犬を連れていれば、もう一方が犬を飼っていないとしても、その犬の存在をきっかけに話しかけやすくなりますよね。犬は、人と共鳴できる疑似家族のような例外的動物である上に、人と人とのコミュニティーまで広げてくれるわけです」(同)』、私がよく行く公園にも、犬中心のサークルがあり、私も会うことを楽しみにしている。
・『高齢者が安心して犬を飼える仕組みを  たしかにフレイルは、体力の低下とともに社会とのつながりの欠如によっても促進されてしまう。やはり、犬は「抗フレイル」に大きく貢献してくれるといえそうだ。しかし、課題がないわけではない。 谷口氏が指摘する。「近年、外出自粛に伴い自宅で過ごす時間が増加したことから動物飼育への関心が高まっています。一方で、終生飼養の観点から、高齢者の犬猫飼育には消極的な意見も少なくありません。動物飼育は健康長寿に大きな効果が期待できることから、高齢者が安心して動物を飼育し続けるための仕組みを官民が連携して構築することを期待しています」 茂木教授が後を受ける。 「高齢者が犬を飼うのは体力的に大変かもしれません。しかし、高齢者には高齢者に合った犬がいます。例えば高齢犬を飼えば、若い犬に比べて運動量は少ないのでゆったりとした散歩ができる。その人、その世代に合った犬は必ず存在します」 無論、ただ飼えばいいというわけではない。 「自分にもしものことが起きた場合に犬をどうするかはしっかりと考えておかなければいけませんが、犬を飼うことで生活に張りができるのは間違いありません。例えば、今、増えている高齢者のおひとりさまにとって、犬は健康長寿を支えてくれる格好の存在といえるでしょう。70歳、80歳になって妻や夫を失い、新たな伴侶を探すのはなかなか難しい。そうであれば、犬を飼うことで新たなパートナーとするほうが、現実的な『老後対策』といえるのではないでしょうか」(同)』、私は飼っていた大型犬が死んだ時に、新たに飼うことも考えたが、先に自分の方が死ぬと、あとペットをどうするのかが問題となるので、飼うのは断念した。
・『目が合うと、犬も幸せホルモンを分泌  偉大なる犬による健康長寿効果。だが、昨今は「愛玩動物批判」が高まり、ペットを飼うという行為そのものが問題視される傾向もあるが……。 「太古の昔から、番犬や猟犬として基本的に犬は人間とともにありました。野良犬といっても、もとをただせばほとんどは人間が飼っていた犬です」 として、茂木教授がこう締めくくる。 「つまり、犬は常に人間の近くにいた。犬も人間を必要としてきたのです。先に紹介したオキシトシンに関する実験がそれを証明しています。なぜなら、見つめ合った結果、オキシトシン濃度が上がったのは人間だけではありませんでした。犬も上がった。犬も幸せホルモンを分泌していたのです。すなわち、犬も人間の近くにいることで幸福感を得ている。ですから、私に言わせれば、犬を飼うことに対する愛玩動物批判は……ナンセンスですね」 (茂木氏の略歴はリンク先参照)』、一旦は断念した飼うことを、大型犬でなく、中型犬にすれば飼い易いかと迷ったが、やはり自分が先に死んだあとのことを考慮して、最終的に断念した。 
タグ:「大脳皮質のうち前頭葉の占める割合は、人は30%、犬は7%、ネコは3%」、「犬の前頭葉の働きは鈍く、簡単に言うと「犬は人のように本能を理性でコントロールすることが難しい」のです」、やむを得ないことだ。 「人にいやがらせをすることはない」のは確かだ。そんな犬がいたら気持ち悪い。 数年前まで飼っていた秋田犬とサモエドのミックスの大型犬は、ドライブが大好きで、気配を察すると庭中を狂ったように走り回り、なだめるのに苦労した記憶がある。 「あくまで動物であり、常に本能で動いている。人間側の一方的な思いや価値観で犬と接してはいけない」、冷静な見方で、興味深そうだ。 (その4)(「犬は飼い主に忠誠心をもつ」は間違い 研究で判明した「犬が本当に考えていること」、犬を飼うと、猫にはない「健康長寿」効果が! 目を合わせて遊ぶと「幸せホルモン」が3.5倍に…「介護」「心血管疾患死」リスクも低減) ペット 鹿野正顕『犬にウケる飼い方』(ワニブックスPLUS新書) 鹿野正顕氏による「「犬は飼い主に忠誠心をもつ」は間違い 研究で判明した「犬が本当に考えていること」」 PRESIDENT ONLINE Newsweek日本版 「叱られておとなしくなるのは、飼い主さんが怖くて萎縮しているだけなのです」、その通りだ。 「「食べ物で釣るなんて、浅ましくていやだ」という飼い主さんです。ごほうびに「おやつ」をあげてトレーニングすることを頑なに拒否する飼い主さんもいます。 それは「人間の物差し」でしか考えられない方なのです」、私も当初はそう考えたが、途中で考え違いに気づいた。 「犬はあくまで動物で、人と同じような考え方や行動はしません。 人間の価値観や常識・・・で犬の行動を見てしまうのもやはり間違っています」、その通りだ。 「犬は犬社会でも、仲間に危険を警告したり、犬同士で助け合う行動は普通にみられます。それを飼い主に対しても行っているだけだ、というドライな見方もできるのです」、なんだかつまらない。 「ハチは飼い主だった大学の先生を、亡くなった後もずっと駅で待ち続けていたわけではなく、好物の焼き鳥をくれる人を待っていたのが真実だそうです」、「焼き鳥をくれる人」は「ハチ」が「主人」を「待ち続け」ていたからこそ、感心して「焼き鳥をあげた」と考えれば、もとの美談になるともいえる。 デイリー新潮「犬を飼うと、猫にはない「健康長寿」効果が! 目を合わせて遊ぶと「幸せホルモン」が3.5倍に…「介護」「心血管疾患死」リスクも低減」 “毛色の変わった健康情報”とは興味深そうだ。 「人間と犬の“幸せ感の共鳴”」とはどういうことだろう。 「飼い主と犬が」「よく見つめ合ったグループ」では、「尿中の「オキシトシン」」の「濃度」が「3.5倍に上昇した」、「犬と戯れることによって、飼い主に安心や信頼がもたらされ、「心の健康度」が上がったと考えられる」、すごい効果だ。 「ペットが、人間が指さした方向にしっかりと反応できるのは当たり前というイメージがあるかもしれません。ところが、実は同じペットでも、犬にはできても基本的に猫を含めた他の動物にこれはできません」、犬だけ別格のようだ。 「異種であるにもかかわらず「eye to eye」のコミュニケーションが取れる特別な関係の人間と犬。ゆえに、最古の家畜として、両者は“共生”することができてきたのだ」、猫や馬とは「「eye to eye」のコミュニケーションが取れ」ないとは初めて知った。 「人間と犬が接することで分泌されるオキシトシンには、リラックス効果や痛みの閾値(いきち)を下げる効果もある。やはり、犬を飼うことは人間の心の健康に極めて有効だといえます」、なるほど。 「犬を飼っていることで自立喪失リスクが大きく低減される」、凄い明確な効果だ。 ・『犬の散歩の効能  猫にはない、犬による大きな健康長寿効果。死亡も含めたリスクが下がるというのだから、犬の飼育は「新たな健康長寿法」と言って差し支えなかろう。 「さらに今回の調査の特徴は、犬を飼っている人の中でも運動習慣があるか否かを調べたことです。その結果、犬を飼っていても運動習慣がない人の自立喪失リスクは0.85と大きな差はないものの、犬を飼っていて運動習慣がある人のリスクは0.44と大きく下がっていた。 「スウェーデンの調査では、ひとり暮らしで犬を飼っている人は、ペットを飼っていない人と比べて心血管疾患で死亡するリスクが36%も低減。家族がいる世帯でも15%下がることが判明」、なるほど。 「散歩に連れていくという習慣を半ば強制されることによって、結果的にそれが規則正しい生活にもつながる。日々のリズムが整えば、食生活も乱れないという好循環が生み出されるのだと思います」 そして、犬によって私たちは「人間らしさ」まで取り戻すことができるという」、その通りだ。 私がよく行く公園にも、犬中心のサークルがあり、私も会うことを楽しみにしている。 私は飼っていた大型犬が死んだ時に、新たに飼うことも考えたが、先に自分の方が死ぬと、あとペットをどうするのかが問題となるので、飼うのは断念した。 一旦は断念した飼うことを、大型犬でなく、中型犬にすれば飼い易いかと迷ったが、やはり自分が先に死んだあとのことを考慮して、最終的に断念した。
nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感

電機業界(その7)(「ダイソン」一強時代が終えん 日立とパナソニックの強烈な巻き返しで掃除機市場は戦国時代へ、日立副社長に聞く「巨大セクター」設置の狙い 「『業界』の意味は薄れた。共通項は多い」、巨艦日立が「ごった煮」の事業部門を作る理由 コングロマリットならではの強み発揮できるか) [産業動向]

電機業界については、昨年7月21日に取上げた。今日は、(その7)(「ダイソン」一強時代が終えん 日立とパナソニックの強烈な巻き返しで掃除機市場は戦国時代へ、日立副社長に聞く「巨大セクター」設置の狙い 「『業界』の意味は薄れた。共通項は多い」、巨艦日立が「ごった煮」の事業部門を作る理由 コングロマリットならではの強み発揮できるか)である。なお、タイトルの電機産業を電機業界に変更した。

先ずは、昨年10月23日付けデイリー新潮「「ダイソン」一強時代が終えん 日立とパナソニックの強烈な巻き返しで掃除機市場は戦国時代へ」を紹介しよう。
https://www.dailyshincho.jp/article/2022/10230701/?all=1
・『掃除機商戦に異変あり──今、家電業界では「ダイソンvs.国内メーカー」のバトルに注目が集まっている。かつて“絶対王者”として人気をほしいままにしてきたダイソン製掃除機の勢いが陰りを見せ、国内メーカーが巻き返しを図っているというのだ。 今、掃除機で最も人気なのは「スティッククリーナー」と呼ばれるタイプだ。まさにダイソンと国内メーカーが激戦を繰り広げている分野でもある。 価格.comが9月14日から10月11日までに集計した掃除機の「人気売れ筋ランキング」によると、1位から20位までの20商品のうち13商品がスティクタイプだ。 そのメーカーの内訳は、ダイソンが6商品、国内メーカーではパナソニックが2商品、日立が3商品、シャープとアイリスオーヤマが各1商品の計7商品という結果だった。 まさに激戦だが、一体、掃除機商戦で何が起きているのか、価格.comを運営するカカクコムの執行役員でショッピングメディア本部副本部長を務める鎌田剛氏に取材を依頼した。 「少なく見積もってもこの10年間は、ダイソンが日本の掃除機市場を席巻していました。弊社のランキングでも、ベスト5をダイソンが独占することも全く珍しくなかったほどです。特に2016年に発売されたスティック型コードレスクリーナーのV8シリーズは、日本でも爆発的な人気商品となりました」 人気の秘密は、ダイソンご自慢の吸引力と、メカニカルな外観が男女を問わず「カッコいい」と評価されたことだという。(価格.com 掃除機カテゴリ 人気売れ筋ランキング(11〜20位)はリンク先参照)』、「この10年間は、ダイソンが日本の掃除機市場を席巻」、「人気の秘密は、ダイソンご自慢の吸引力と、メカニカルな外観が男女を問わず「カッコいい」と評価されたこと」、なるほど。
・『ダイソンの不満点  「『見せる家電』と呼ばれたこともありました。昭和の時代、掃除機は押し入れに収納する家庭が多かったはずです。ところがダイソンのスティック型クリーナーは、壁に立てかけても映えます。その結果、掃除をしようと思い立ったら、すぐ手に取って動かすことができる。コードレスですから取り回しも楽です。デザイン性が利便性にもつながったことが、人気の理由の一つだったのではないでしょうか」(同・鎌田氏) だが、ユーザーが増えれば増えるほど、不満の声もそれに比例していったという。 「価格.comの『レビュー』に投稿された不満点で多かったのが『重い』でした。ダイソンのスティックタイプは、重さが2キロ台です。欧米のように住居が広く、下向きの掃除が多いと感じないのですが、日本の住居は狭く、高いタンスや棚を掃除するためノズルを上に向けることが少なくなかったのです」(同・鎌田氏) 高評価を聞いてダイソンを買ったものの、ノズルを上に向けると2キロ台の重さが厳しかったというユーザーもいたようだ。 「更にダイソンのスイッチは引き金式です。今はボタン式を採用したモデルもありますが、価格.comのレビュー欄には『トリガーを引き続けるのは指が痛くて大変』という投稿がよく見られました」(同・鎌田氏)』、「重さが2キロ台」、「スイッチは引き金式」、確かに不満なユーザーもいるだろう。
・『“日の丸人気”復活  (価格.com 掃除機カテゴリ 人気売れ筋ランキング(1〜10位)はリンク先参照) 一方、国内メーカーはダイソンの背中を必死になって追っていたのだが、迷走していた時期もあったという。 「ダイソン以上の吸引力を実現したのはいいが、非常に重いものなど、首を傾げざるを得ないモデルが発売されたりもしました。長い不景気で商品開発費が削減されたことも大きかったでしょう。開発現場の苦労は並大抵のものではなかったと思いますが、ここ数年はユーザーの希望に向き合った商品が開発されるようになり、ようやくダイソン追撃のムードが高まってきました」(同・鎌田氏) 実を言うと、ダイソンの名を高めたサイクロン技術は日本の家電メーカーも実用化していた。「我々の掃除機は世界一」という傲りもどこかにあったのかもしれない。 「率直に言って、そこをダイソンに付け込まれたというのが、これまでの10年間だったと思います。しかし最近、国内メーカーの商品は軽くて吸引力も高い優れたモデルばかりです。ダイソンの重量に不満だったユーザーなどを取り込み、買い替え需要で売上を伸ばしています」(同・鎌田氏))(充電式掃除機(ホワイト) ランキング1位のパナソニック(パナソニックの公式サイトより)はリンク先参照)』、「最近、国内メーカーの商品は軽くて吸引力も高い優れたモデルばかりです」、遅ればせながら追撃が始まったようだ。
・『果たして勝者は!?  これからの時期、年末や年度末の商戦を迎え、掃除機に注目が集まる機会は多い。特に年末は大掃除が控えている。 「激しい商戦が繰り広げられるのは間違いないわけですが、国内メーカーに追い風が吹いているかなと考えています。理由は、『国内メーカーのスティッククリーナーが売れている』というトピックが、既に一つの大きなニュースだからです。マスコミや小売店で話題になるほど、国内メーカーのモデルに関心を持つ消費者は増えるはずです」(同・鎌田氏) ダイソンには更なる逆風もある。“輸入品”のため円安で価格が上昇する可能性があるのだ。 「近年のダイソンは新商品だけでなく、過去の商品を改善した“改良モデル”をリーズナブルな価格で発売して人気です。『国内メーカーの掃除機も、性能や使い勝手がいいよ』という評判を追い風にする国内メーカーと、改良版で円安のデメリットを解消しようとするダイソンの対決という構図になっているのではないでしょうか」(同・鎌田氏) 寒さが増すにつれ、「ダイソンvs.国内メーカー」の商戦は熱を帯びるようだ』、「国内メーカーの掃除機も、性能や使い勝手がいいよ』という評判を追い風にする国内メーカーと、改良版で円安のデメリットを解消しようとするダイソンの対決という構図になっている」、勝負の行方はどうなるのだろうか。

次に、12月9日付け東洋経済オンライン「日立副社長に聞く「巨大セクター」設置の狙い 「『業界』の意味は薄れた。共通項は多い」」を紹介しよう。
・『2022年4月に日立製作所がつくった新セクターは、家電やエレベーター、空調設備や医用機器も含み、ごった煮の状態だ。どのようにシナジーを生み出すのか、コネクティブインダストリーズを率いる副社長に聞いた。 上場子会社解消など、事業のポートフォリオ改革を進めてきた日立製作所は2022年4月、大規模なセクター再編を行った(詳細は12月9日配信『巨艦日立が「ごった煮」の事業部門を作る理由』)。縦割りの弊害も指摘されるコングロマリットという事業形態で、どのようなシナジーを生み出すのか。家電からエレベーター、空調設備、さらには半導体製造装置など多岐にわたる量産品を扱う巨大セクター「コネクティブインダストリーズ」を率いる青木優和副社長にその狙いを聞いた(Qは聞き手の質問、Aは青木副社長の回答)』、興味深そうだ。
・『「全部日立がやる」チャンス増えた  Q:コネクティブインダストリーズには事業がたくさんあり、共通項がわかりづらいです。 A:日立はかなりいろんな事業を手がけているので、外から見ると「わかりづらい」という見方はたしかにある。切り口はいろいろあり、もっと細分化されていたほうがわかりやすいという意見も当然ある。だが、お客様や市場、あるいは社会から見たときに昇降機とか空調とかいった「なんとか業界」という意味は薄れてきている。 たとえばビルを建てたら、空調もエレベーターも変電設備も全部まとめて制御しないと省エネルギーにはならない。それなのに今まではバラバラのままビジネスをしていた。それを「全部日立がやりますよ」と提案できるチャンスは昔よりすごく増えている。 私は2017年から「インダストリーセクター」という産業システム向けの事業を率いてきたが、それぞれのパーツがバラバラにビジネスをしていては(顧客の要求に)追いつかないという意識がずっとあった。 さきほどのビルシステムと空調のように、一緒に提案可能なケースがあるはずなのに別々だったものを一緒にしたのが「コネクティブインダストリーズ」だ。(逆に)これまではなぜかビルと鉄道事業が同じセクターにあった。 ビジネスサイクルによる分類もできる。鉄道や日立エナジーがやっているインフラに関わるビジネスは10年単位でものを造る。それに対してコネクティブインダストリーズに入るビジネスは大体半年から、短いものは1日で決着がつく。平均的には数カ月単位のビジネスサイクルだ。 ビジネスサイクルが近いと、実は文化もそれぞれ近いことが結構ある。一緒にしてから気づいたことも多い。市場のニーズと将来の展望があり、製品開発をして販売して、提供した後にリカーリング(注)という形でお客さんとの関係をどう保持するか。これは業界が違っていても同じだった。) Q:元々上場子会社として独自路線を歩んでいた日立ハイテクも同じセクターに取り込みました。 A:日立ハイテクが扱っている分析装置などは病院や研究施設が顧客。日立本体でもいままでマテリアルズ・インフォマティクス(統計技術などを用いた材料開発の効率化)やトレーサビリティの開発をしてきた。特に細胞のトレーサビリティはこれからどんどん重要になる。 医療業界で日立ハイテクの装置が使われていることはシナジーを生み出せるチャンスだ。装置を導入している病院向けに、日立のエレベーターを売り込むことも結構できる。100%というわけにはいかないが、かなりの手札が我々にあるという利点は、間違いなくある。 たしかに日立ハイテクは上場会社として独立していたので、文化の違いや壁があった。ただ、実際オープンに議論してみると「結構近いじゃないか」となることも多かった』、「「全部日立がやりますよ」と提案できるチャンスは昔よりすごく増えている」、「コネクティブインダストリーズに入るビジネスは大体半年から、短いものは1日で決着がつく。平均的には数カ月単位のビジネスサイクルだ。 ビジネスサイクルが近いと、実は文化もそれぞれ近いことが結構ある」、なるほど。
(注)リカーリング:商品・サービスを一度提供して終わりではなく、継続的に価値を提供することで、その対価として長期的な収益を目指す考え方(DGFT)。
・『できることがいっぱいある  Q:セクターの共通項というと。 A:われわれのセクターのどのチームも、いわゆるサブスクリプション(定額課金)型とかサービスフィー型といった(継続課金型の)ビジネスを強くしようと言っているけれども、エレベーターはそのあたりが進んでいる。 他業界からすると「そこまでできるのか」ということがいっぱいある。家電の生産ラインも「1分に何台できるか」が勝負の業界で自動化に対するマインドがすごく強く、これこそ私のやりたいことだと感じた。 これまでは部分最適の要素が強かった。「家電だったら(子会社の)日立グローバルライフソリューションズでやってください」となっていた。私も部分最適の鬼みたいなところもあったので、ああだこうだ言われて「面倒くさいこと言っているな」と思っていたかもしれない。 ただ、最近はだいぶ変わってきた。「そうなのか、(他部門のことを)もっと勉強したい」という人が増えている。) Q:2022年4月から新しいセクターにしましたが、どのような議論があったのでしょうか。 A:2021年の夏くらいから議論はしていた。ちょうど小島(啓二)CEOが就任し、これから日立をどのように運営していくかをかなり話し合う中で今の形が出てきた。 このセクターだけで売上高が2兆8000億円近くあるから「ちょっと規模が大きすぎるのではないか」という議論もあったので、ビジネスユニットを3つに分けてサブリーダーを置く形にしている』、「このセクターだけで売上高が2兆8000億円近くあるから「ちょっと規模が大きすぎるのではないか」という議論もあったので、ビジネスユニットを3つに分けてサブリーダーを置く形にしている」、「このセクターだけで売上高が2兆8000億円近くある」、のであれば、「ビジネスユニットを3つに分けてサブリーダーを置く」のは当然だろう。
・『生産ラインの考え方を変えたい  Q:新しくこんな事業を伸ばしていきたいといったイメージは。 A:この3、4年間、相当投資をしているのがオートメーション(自動化)の分野だ。これから間違いなく(日本では)人口は減少するし、働き手がいなくなる。面倒なこともやりたくない。 今、アマゾン(の物流拠点)はどんどんロボット化しているが、製造業全部がそうなってくる。中国の安い人件費の工場で造ればいいという話も難しくなってくる。 じゃあロボットを造るビジネスをやればいいじゃないかというと、そう単純ではない。ロボットがあるだけではオートメーションはできない。オートメーションには人がやっていたことをロボットが代わること以上の意味がある。ラインの考え方から変えなくてはいけない。 製造業では、製品開発と技術開発に一番リソースを割かなくてはならないとの認識がどんどん強まっている。その結果、アメリカでは「こういう製品を作るから、今度ラインをあなたが作ってください」といった形でラインづくりをアウトソースする動きも広がる。 そのときに顧客にとってありがたいのは「ここにはファナックのこのロボット、あそこには安川電機のあのロボットを」といった形で提案をするSI(システムインテグレーター)だ。 そういった提案は製造業の知識がないとできないが、日立にはある。さらに上流の生産計画の管理といったデータマネジメントも強みとして持つ。製造業の上から下まで一気通貫にやるという点では、世界中を見渡して日立が一番強いのかもしれない。そのうえで(2019年にアメリカのロボットSI大手である)JRオートメーションテクノロジーズを買収するなどの強化を進めてきた。) Q:「製造業自体をこう変えたい」といった姿があるのですか。 A:最初に話した日立製作所の部門ごとの壁みたいな話がお客さんの側にもある。部分最適だらけ。特に日本の会社は真面目だからみなさん1分1秒を縮めるために頑張っているのに、(製品が)工場を出たとたん、代金をもらうまで何カ月もかかるみたいなところがある。いろんなところにある既得権益と部分最適を崩すのは難しく、それを日立が言ってみんなが競争力をつけていくといったことをやらない。 部分ごとの名人みたいな人がいたとして、「それはひょっとしたら機械でできるのでは」とはなかなか言いにくいもの。でもそこも変えていかなくてはいけない。 2017年のことになるが、ダイキン工業のロウ付け技術を日立の「ルマーダ」によってデジタル化したことがある。当時、ダイキンの方に「こんな匠の技をデジタル化してしまっていいのですか」と質問してみた。 すると、「いいんです。我々はもっと先の名人芸をやらなくてはいけない。誰にもできないような名人芸を次にまた開拓するのが我々の使命です」という答えが返ってきた。まさにそのとおりで、日本の製造業をそんなふうにしたい』、「顧客にとってありがたいのは「ここにはファナックのこのロボット、あそこには安川電機のあのロボットを」といった形で提案をするSI(システムインテグレーター)だ。 そういった提案は製造業の知識がないとできないが、日立にはある。さらに上流の生産計画の管理といったデータマネジメントも強みとして持つ。製造業の上から下まで一気通貫にやるという点では、世界中を見渡して日立が一番強いのかもしれない」、「ダイキン工業のロウ付け技術を日立の「ルマーダ」によってデジタル化した」際に、「「こんな匠の技をデジタル化してしまっていいのですか」と質問してみた。 すると、「いいんです。我々はもっと先の名人芸をやらなくてはいけない。誰にもできないような名人芸を次にまた開拓するのが我々の使命です」という答えが返ってきた」、「ダイキン工業」の考え方は模範的だ。
・『ものづくりをやめる気はない  Q:デジタル化や「ルマーダ」のような話を聞くと、日立自身が「ものづくり」をやめてしまうのではないかという疑問が湧きます。 A:数年前くらいから、日立の外へ向けた発信は「IT(情報技術)」や「デジタル」という方向になっている。一時「IT×OT(制御技術)」だと言っていた時代もあった。私は当時の東原(敏昭)社長に「プロダクトがあるから日立の売り上げの相当分が成り立っている。『IT×OT×プロダクト』だ」と主張したこともある。プロダクトはもう中国から買ってくればいい、という話には絶対にならず、「IT×OT」に「プロダクト」を加えてもらった。 日立の強みはプロダクトといったフィジカルなものがあるからこそ可能なデジタル(領域)だと思う。その部分は今の小島(啓二)社長も明確に方針として示してくれた。物理的な存在がある限りはプロダクトはなくならない。そこをやめるという選択肢は私にはない』、「日立の強みはプロダクトといったフィジカルなものがあるからこそ可能なデジタル(領域)だと思う」、「物理的な存在がある限りはプロダクトはなくならない。そこをやめるという選択肢は私にはない」、なるほど。

第三に、12月9日付け東洋経済オンライン「巨艦日立が「ごった煮」の事業部門を作る理由 コングロマリットならではの強み発揮できるか」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/638450
・『事業ポートフォリオ改革を進める日立製作所。2022年4月に設立した大型セクターには、ビルシステムや家電、産業機器などの事業が入り、ごった煮の様相を呈する。どのようにシナジーを生み出すのか。 年間売上高約10兆円を誇る日立製作所が、新局面を迎えている。2009年に22社あった上場子会社を次々と売却・統合。現在は最後に残った日立金属の売却手続きが進んでおり、これが完了すれば日立の事業ポートフォリオ改革には一定の区切りがつく。 小島啓二社長は2021年末のインタビューで「10年にわたる基礎工事は完了した」と語り、今後は次の成長を実現できる体制が必要との見方を示した。 2022年4月には2024年度までの中期経営計画を発表。IoT基盤「ルマーダ」を中心として、市場成長が見込めるグリーンとデジタルに関連する事業を育成する方針を掲げた。スイスの重電大手ABBの送配電事業やアメリカのデジタルエンジニアリング企業グローバルロジックの買収はその一環であり、この流れは今後も継続する。 一方、既存事業をどうするのか。事業整理を進めたとはいえ、エネルギーや鉄道などのインフラから家電、ITまで数多くの事業を抱えるコングロマリットであることに変わりはない。「モノ言う株主」との関係に苦慮し解体論まで飛び出した東芝とも、本質的には似た問題を抱える』、興味深そうだ。
・『ビルも家電も産業機器もひとつの部門  日立は新中計スタートにあわせ、事業部門再編に着手。上場子会社と連結子会社の日立アステモを除いて従来5つだったセクターを3つにした。その中で異色の存在が「コネクティブインダストリーズ」セクターだ。 (日立製作所の事業区分再編の概要はリンク先参照) このセクターには、冷蔵庫などの家電やエレベーターなどのビルシステム、変圧器などの産業機器のほか、医療機関向けの計測機器や半導体製造装置などを扱う日立ハイテクが入る。各事業が数千億円の売り上げ規模を持ち、業界内で存在感はあるものの、事業間の関係は一見すると薄い。特に日立ハイテクはかつての上場子会社で独立心も旺盛だ。にもかかわらず、ひとつのセクターとして運営しようと考えた意図は何か。 「それぞれの業界から見たらわかりにくいと思われるかもしれない。だが、顧客への関わり方や課題などは重なっている部分が多い」。セクターを束ねる青木優和副社長はそう話す(青木副社長のインタビューはこちら)。根底には「それぞれのパーツがバラバラにビジネスをしていても(顧客の要求に)追いつかない」という問題意識があった。 ビルのエレベーターと空調を一体管理したいというニーズへの対応がわかりやすい例だ。「プロダクトで見ればバラバラであっても、顧客が求めるソリューションという観点では重なる部分が多い」と青木副社長は解説する。 各事業のライバルには、空調のダイキン工業や、半導体製造装置の東京エレクトロンのように、それぞれの領域に特化した専業メーカーも多い。雑多な事業をあえて一体で運用することで新しいビジネスモデルを生み出し、ライバルに対抗したいと日立は考えている。) カギとなるのはリカーリング(継続課金)ビジネスだ。プロダクトの「売り切り」に比べて顧客の囲い込みができるうえに、メンテナンスやサービスビジネスは一般的に利益率も高い。 通信やAI(人工知能)の発展によって「できること」も増えつつある。こうした傾向はどのプロダクトにも言えることで、日立全体が目指す「社会イノベーション事業の高収益化」という考えにも一致する。 ただし、業界ごとにリカーリング事業に対する取り組みに濃淡があった。そこで2022年度から始まったのが「リカーリング強化プロジェクト」だ。セクターに入っている各事業の開発や営業などさまざまな職員が集まってそれぞれの取り組みを発表、課題に対する取り組み方や工夫を形式知化し、ほかの事業にも応用しようとしている』、「各事業のライバルには、空調のダイキン工業や、半導体製造装置の東京エレクトロンのように、それぞれの領域に特化した専業メーカーも多い。雑多な事業をあえて一体で運用することで新しいビジネスモデルを生み出し、ライバルに対抗したいと日立は考えている」、ただ、「新しいビジネスモデル」は果たして生み出されるのだろうか。
・『遠隔監視の開発ノウハウを応用  ビルシステム業界ではエレベーターの遠隔監視や予兆保全といった取り組みが30年以上前から当たり前のものとして発達してきた。その開発ノウハウを、産業機械などのほかのプロダクトに応用することに成功。プロジェクトの参加者は多くの新たな気付きを得たという。 プロジェクトを統括するコネクティブ事業開発推進部の平野徹部長は、「遠隔監視や予兆診断が大事なことはわかっていたが、製品視点で(サービス開発などを)やってきたことは否めない。みんな自分の事業を伸ばすことに注力して、サイロ化(細分化)していたのではないか」と過去を反省する。 そのうえで「いろんな視点を組み合わせて高度化することが他社との差別化になるのでは」と話し、将来の成功に手応えを感じているという。 事業領域が比較的近い分野では、具体的な協業も進む。その1つがエレベーターを扱う日立ビルシステムと家電や空調機器を扱う日立グローバルライフソリューションズの協業だ。 日立ビルシステムでは、管理者向けの「ビルミライ」や利用者向けの「ビルパス」といったプラットフォームを展開する。その一方、日立グローバルライフソリューションズでは、遠隔監視・予兆診断システム「エクシーダ」を開発。 それぞれが別々に展開してきたものを一体提案できるよう、両社でワーキンググループを作り、営業部隊が売り込みをかけている。すでにいくつかの受注につながっているという。 ビル管理の領域では、エレベーターの遠隔監視のみならず空調の状態や、オフィスの混雑具合のチェックなどさまざまなソリューションが求められている。リモートワークの広がりでオフィスに求められる機能も変化しており、フリーアドレスの座席確保や、大型ビル内の飲食店の予約を行えるアプリなどの開発も進む。 「オフィス需要が縮小する中、オーナーがメーカーに求める水準も厳しくなっている」と日立の小菅佳克スマートビルディング本部長は話す。近年、カーボンニュートラルに向けてZEB(ゼロ・エネルギー・ビル)に対する要求も高まっており、今後は家電部門以外との協業も進める予定だ。) それぞれの事業が個別最適を目指し、独立心が強いのは日立グループの特徴でもある。コネクティブインダストリーズセクターに加わった日立ハイテクとはどのようにシナジーを追求するのか。 羽田空港に程近い大規模複合施設「羽田イノベーションシティ」。2022年10月、日立ハイテクはここに従来施設を大幅に拡充する形で新拠点の「ヘルスケアイノベーションセンター東京」を開設した。 血液検査などに使う臨床検査用装置などを設置し、医療従事者の研修のほか、研究開発にも活用する。ここでも重視されるのは共創とリカーリングだ』、「エレベーターを扱う日立ビルシステムと家電や空調機器を扱う日立グローバルライフソリューションズの協業だ。 日立ビルシステムでは、管理者向けの「ビルミライ」や利用者向けの「ビルパス」といったプラットフォームを展開する。その一方、日立グローバルライフソリューションズでは、遠隔監視・予兆診断システム「エクシーダ」を開発。 それぞれが別々に展開してきたものを一体提案できるよう、両社でワーキンググループを作り、営業部隊が売り込みをかけている。すでにいくつかの受注につながっているという。 ビル管理の領域では、エレベーターの遠隔監視のみならず空調の状態や、オフィスの混雑具合のチェックなどさまざまなソリューションが求められている。リモートワークの広がりでオフィスに求められる機能も変化しており、フリーアドレスの座席確保や、大型ビル内の飲食店の予約を行えるアプリなどの開発も進む」、なるほど。
・『医用機器のメンテナンスでルマーダ活用  医用機器の分野では、医療従事者のほかに検査薬などを提供する試薬会社などとの協力が不可欠だ。分析技術が高度化して年々検査範囲が広がっているうえに、人手不足を背景とした自動化ニーズも高まる。 リカーリングビジネスも進み始めた。医用機器の稼働データをルマーダのアルゴリズムで分析してメンテナンスの時期を特定する新サービスを2022年度から運用開始。24時間体制で医療機関に対応する。人材を効率的に配置しコスト削減も実現している。 これまでも部品交換や消耗品で継続的な取引はあったものの、ルマーダの活用で「社会課題に対応する価値を提供し、対価を得られるものになった」(新サービスを担当する日立ハイテクの橘盛俊氏)。 日立ハイテクが、親会社日立製作所と協業する機会は増えている。日立ハイテクの禰寝義人専務は「上場子会社だったからこそ直接ステークホルダーに説明するという意識は今も強い。だが、目指す方向は一致しているし、横串の話がたくさん走っている。今はそういう時期だ」と解説する。 コネクティブインダストリーズはセクター単体で年間売上高2兆7500億円、従業員8万2000人(2022年3月期)を数える大所帯だ。従来、協働の機会も少なかったうえ、独立心も強く、ともすれば空中分解するリスクもある。国内での協業事例は積み重なりつつあるが、強化しているアメリカなど海外事業とのシナジーをどう生み出すかなど見えていない部分が多い。 アメリカのGEやドイツのシーメンスなどのコングロマリットは分社化による改革を進める中、あえて事業分野をまとめた日立の取り組みは異色にも映る。日立としてのアイデンティティをどう作り上げていくかが問われる局面だ』、「アメリカのGEやドイツのシーメンスなどのコングロマリットは分社化による改革を進める中、あえて事業分野をまとめた日立の取り組みは異色にも映る。日立としてのアイデンティティをどう作り上げていくかが問われる局面だ」、日立のユニークな取り組みが結実するか、大いに注目される。 
タグ:東洋経済オンライン「日立副社長に聞く「巨大セクター」設置の狙い 「『業界』の意味は薄れた。共通項は多い」」 「国内メーカーの掃除機も、性能や使い勝手がいいよ』という評判を追い風にする国内メーカーと、改良版で円安のデメリットを解消しようとするダイソンの対決という構図になっている」、勝負の行方はどうなるのだろうか。 「最近、国内メーカーの商品は軽くて吸引力も高い優れたモデルばかりです」、遅ればせながら追撃が始まったようだ。 「重さが2キロ台」、「スイッチは引き金式」、確かに不満なユーザーもいるだろう。 「この10年間は、ダイソンが日本の掃除機市場を席巻」、「人気の秘密は、ダイソンご自慢の吸引力と、メカニカルな外観が男女を問わず「カッコいい」と評価されたこと」、なるほど。 デイリー新潮「「ダイソン」一強時代が終えん 日立とパナソニックの強烈な巻き返しで掃除機市場は戦国時代へ」 (その7)(「ダイソン」一強時代が終えん 日立とパナソニックの強烈な巻き返しで掃除機市場は戦国時代へ、日立副社長に聞く「巨大セクター」設置の狙い 「『業界』の意味は薄れた。共通項は多い」、巨艦日立が「ごった煮」の事業部門を作る理由 コングロマリットならではの強み発揮できるか) 電機業界 「「全部日立がやりますよ」と提案できるチャンスは昔よりすごく増えている」、「コネクティブインダストリーズに入るビジネスは大体半年から、短いものは1日で決着がつく。平均的には数カ月単位のビジネスサイクルだ。 ビジネスサイクルが近いと、実は文化もそれぞれ近いことが結構ある」、なるほど。 (注)リカーリング:商品・サービスを一度提供して終わりではなく、継続的に価値を提供することで、その対価として長期的な収益を目指す考え方(DGFT) 「このセクターだけで売上高が2兆8000億円近くあるから「ちょっと規模が大きすぎるのではないか」という議論もあったので、ビジネスユニットを3つに分けてサブリーダーを置く形にしている」、「このセクターだけで売上高が2兆8000億円近くある」、のであれば、「ビジネスユニットを3つに分けてサブリーダーを置く」のは当然だろう。 「顧客にとってありがたいのは「ここにはファナックのこのロボット、あそこには安川電機のあのロボットを」といった形で提案をするSI(システムインテグレーター)だ。 そういった提案は製造業の知識がないとできないが、日立にはある。さらに上流の生産計画の管理といったデータマネジメントも強みとして持つ。製造業の上から下まで一気通貫にやるという点では、世界中を見渡して日立が一番強いのかもしれない」、 「ダイキン工業のロウ付け技術を日立の「ルマーダ」によってデジタル化した」際に、「「こんな匠の技をデジタル化してしまっていいのですか」と質問してみた。 すると、「いいんです。我々はもっと先の名人芸をやらなくてはいけない。誰にもできないような名人芸を次にまた開拓するのが我々の使命です」という答えが返ってきた」、「ダイキン工業」の考え方は模範的だ。 「日立の強みはプロダクトといったフィジカルなものがあるからこそ可能なデジタル(領域)だと思う」、「物理的な存在がある限りはプロダクトはなくならない。そこをやめるという選択肢は私にはない」、なるほど。 東洋経済オンライン「巨艦日立が「ごった煮」の事業部門を作る理由 コングロマリットならではの強み発揮できるか」 興味深そうだ。 「各事業のライバルには、空調のダイキン工業や、半導体製造装置の東京エレクトロンのように、それぞれの領域に特化した専業メーカーも多い。雑多な事業をあえて一体で運用することで新しいビジネスモデルを生み出し、ライバルに対抗したいと日立は考えている」、ただ、「新しいビジネスモデル」は果たして生み出されるのだろうか。 「エレベーターを扱う日立ビルシステムと家電や空調機器を扱う日立グローバルライフソリューションズの協業だ。 日立ビルシステムでは、管理者向けの「ビルミライ」や利用者向けの「ビルパス」といったプラットフォームを展開する。その一方、日立グローバルライフソリューションズでは、遠隔監視・予兆診断システム「エクシーダ」を開発。 それぞれが別々に展開してきたものを一体提案できるよう、両社でワーキンググループを作り、営業部隊が売り込みをかけている。 すでにいくつかの受注につながっているという。 ビル管理の領域では、エレベーターの遠隔監視のみならず空調の状態や、オフィスの混雑具合のチェックなどさまざまなソリューションが求められている。リモートワークの広がりでオフィスに求められる機能も変化しており、フリーアドレスの座席確保や、大型ビル内の飲食店の予約を行えるアプリなどの開発も進む」、なるほど。 「アメリカのGEやドイツのシーメンスなどのコングロマリットは分社化による改革を進める中、あえて事業分野をまとめた日立の取り組みは異色にも映る。日立としてのアイデンティティをどう作り上げていくかが問われる局面だ」、日立のユニークな取り組みが結実するか、大いに注目される。
nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感