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景気動向(その1)(コロナ感染だけではない!日本のGDP落ち込みが他国と比べても悲惨な理由、18歳以下に10万円相当給付 所得制限もクーポンも頭が悪すぎる理由、今、本当に必要な経済政策を提案する) [経済政策]

今日は、景気動向(その1)(コロナ感染だけではない!日本のGDP落ち込みが他国と比べても悲惨な理由、18歳以下に10万円相当給付 所得制限もクーポンも頭が悪すぎる理由、今、本当に必要な経済政策を提案する)を取上げよう。景気動向が急に出てきた感があるが、これまでは、アベノミクス、スガノミクス、キシダノミクスなどのタイトルで取上げていたものである。

先ずは、5月20日付けダイヤモンド・オンラインが掲載したノンフィクションライターの窪田順生氏による「コロナ感染だけではない!日本のGDP落ち込みが他国と比べても悲惨な理由」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/271634
・『案の定のGDP減、なぜ日本が顕著に落ち込むのか  2020年度の国内総生産(GDP)が、前年度比4.6%減とリーマンショックがあった08年度(3.6%減)を超え、戦後最大の落ち込み幅になったという。 自粛→緊急事態宣言→自粛→緊急事態宣言のエンドレスリピートで、日本の内需の2大柱である「消費」と「企業の設備投資」がすっかり冷え込んでいるのはご存じの通り。さらに、最近のヤケクソのような「人流抑制策」によってGDPのフリーフォールはまだしばらく続く見込みだ。 今年1~3月期の速報値も年率換算で5.1%減。ならば、3度目の緊急事態宣言が出されて、その対象地域も拡大している4〜6月期は、さらに目も当てられないひどい落ち込みになっているというのは容易に想像できよう。 「未知のウィルスと戦っているのだから、それくらい経済が落ち込むのはしょうがない」などと開き直る人も多いだろうが、日本よりも桁違いの感染者・死者を出しているアメリカの1〜3月期は、前年同期比年率でプラス6.4%と、経済を着々と回復させている。また、同じく日本以上の感染者・死者を出して、ロックダウンで経済も止めた欧州各国のGDPはたしかにマイナスも多いが、それでも日本ほど派手に落ち込んでいない。 「欧米はワクチン接種が進んでいるから」という話にもっていきたがる人も多いが、ワクチン接種率が2.3%(5月19日現在)と、日本とどんぐりの背比べ状態の韓国の1~3月期のGDP速報値は前期比1.6%増で、3期連続でプラスだ。 つまり、日本のGDPが諸外国と比べて際立って落ち込んでいるのは、「コロナ感染l拡大」「ワクチン接種率が低い」だけでは説明できぬ特殊な現象なのだ。 では、いったい何が日本経済をここまで壊滅させたのか』、「日本」の「4〜6月期」は年率でプラス1.9%と持ち直した形になった。
・『「コロナ経済死」する人たちを軽視してきたせいだ  いろいろな要素があるだろうが、個人的には、この1年以上続けてきた日本の「人命軽視」のツケが大きいと思っている。 と言っても、それは「自粛に従わないで飲みに行く」とか「SNSで日本の新規感染者数はそれほど多くないとツイートする」というような類の「人命軽視」ではない。コロナ自粛によって収入が激減し、身も心もボロボロになって夢や生きる目標を失ってしまう、言うなれば「コロナ経済死」ともいうべき苦境に陥る人たちがこの1年で膨大な数に膨れ上がっている。 にもかかわらず、そこから頑なに目を背け続けてきたという「人命軽視」である。 と言うと、「大変な人が多いのは事実だが経済死は大袈裟だろ、政府の対策もあって失業率はそこまで上がっていないじゃないか」という反論があるだろうが、今、日本でどれだけ多くの人が「コロナ経済死」しているかという実態を把握するには、失業率よりも「実質的失業者」に注目すべきだ』、「実質的失業者」とは何だろう。
・『政府が目を逸らす「実質的失業者」が急増中 自殺者増も…  「実質的失業者」とは野村総合研究所が、パート・アルバイトのうち、「シフトが5割以上減少」かつ「休業手当を受け取っていない」人たちのことを定義したもので、彼らは統計上の「失業者」「休業者」には含まれない。 野村総研が2月に、全国20~59歳のパート・アルバイト就業者6万4943人を対象に調査した結果と、総務省の労働力調査を用いて推計したところ、21年2月時点で、全国の「実質的失業者」は、女性で103.1万人、男性で43.4万人にのぼったという。 要するに、雇い主から「緊急事態宣言出ちゃったから今月はシフト半分で」なんてことを言われ、給料が激減している非正規雇用の方たちが、繰り返される緊急事態宣言の中で、急増しているということだ。 一方、政府は3月の完全失業者(180万人)は前月より23万人減っており、雇用情勢は緩やかに回復をしていると胸を張る。 しかし、実はその統計に組み込まれない形で、「かろうじて失業はしていないが、まともな生活ができないような低賃金で飼い殺しにされている労働者」が150万人近く存在しているかもしれないのだ。 もちろん、収入減で苦しんでいる「実質的失業者」はパートやアルバイトに限った話ではない。正社員の方でも出勤制限で残業代などをカットされて収入が大幅に減ったという方もいるだろう。個人事業主の方も、どうにか補助金で食いつないでいるという方もいるだろう。つまり、表面的には「失業者」ではないものの、実態としては失業しているのと同じくらい深刻な経済的困窮に追い込まれている日本人の数は150万人どころではなく、凄まじい数に膨れ上がっている恐れがあるのだ。 このように統計で浮かび上がらない「コロナ経済死」の深刻さがうかがえるようなデータもある。厚生労働省によれば、2020年の全国の自殺者数は2万1081人で19年比で4.5%増で、912人増えている。この10年、日本の自殺者数は減少傾向にあったが、11年ぶりに前年比を飛び越えたのだ。 自殺の理由は個人でさまざまだが、リーマンショックの時に自殺者が増えたという事実もあり、社会不安や失業率が影響するのではないかという専門家の指摘も少なくない。ならば、終わりの見えない経済活動自粛による「コロナ経済死」の増加が影響を及ぼしている可能性もゼロではないのではないか』、「かろうじて失業はしていないが、まともな生活ができないような低賃金で飼い殺しにされている労働者」が150万人近く存在しているかもしれない」、「この10年、日本の自殺者数は減少傾向にあったが、11年ぶりに前年比を飛び越えた」、確かに深刻だ。
・『経済活動再開の後押しを! 「人命軽視だ」と言う人もいるかもしれないが…  このような状況を踏まえると、早急に「コロナ経済死」の対策を真剣に議論すべきなのは明白だ。 「実質的失業者」からもわかるように、政府や自治体が今やっているような、事業者へのカネのバラまきは残念ながら、経営者の懐に入るか、運転資金に化けるだけで、末端の労働者にまで還元されない。彼らにダイレクトに届くような公的支援はもちろん、賃金を引き上げた事業者には減税などのインセンティブをつけるなどの実効性のある賃上げ施策が必要だろう。 だが、それよりも何よりも大切なのは、猫も杓子も「人流抑制」「自粛」ではなく、しっかりとした感染対策をしている分野に関しては、どんどん経済活動再開の後押しをしていくということだ。 このような意見を言うと、「人命軽視だ」と文句を言う人も多いが、「人命」を重視しているからこそ申し上げている。 新型コロナで亡くなった方は18日時点で、1万1847人にのぼり、その9割は70歳以上となっている。一人ひとりの方がかけがえのない大事な存在であり、それぞれに家族や大切な方たちがいることを想像すれば、これが甚大な被害であることは言うまでもない。亡くなられた方のご遺族からすれば、「緊急事態宣言など生ぬるい、なぜもっと強硬な姿勢で、感染を防いでくれなかったのだ」と政治や行政に怒りや不満を抱える方もいらっしゃるだろう。 その心中は察してあまりあるし、このような形で命を落とされる方を1人でも減らしていくには、「人命最優先」で人流なんぞすべて止めてロックダウンでもなんでもしてくれた方がいいのでは、という主張も心情的にはよく理解できる』、やや極論に近く、ついてゆけない。
・『経済的理由で、自殺しようとする人も救うべき  が、一方で「人命最優先」だというのなら、先ほども申し上げたように、日本ではコロナの死者の2倍の方が自ら命を絶っており、その中には経済的な理由で死を選ぶ方もかなりいるという、こちらの「甚大な被害」にも目を向けるべきではないか。特にコロナ禍になってからの特徴としては、女性や子どもの自殺も増えているのだ。 経済の落ち込みとともにこの傾向はさらに強まっている。警視庁によれば、今年4月に自殺した人は速報値で全国で1799人にのぼっており、去年の同じ時期に比べて292人も増えている。特に女性の自殺は37%も増えた。都道府県別でもっとも多いのが東京都で197人だという。ちなみに、今年4月の新型コロナの国内死者数は1067人、東京都の死者数は122人となっている。 自殺だろうが、コロナだろうが、高齢者だろうが、子どもだろうが、命の重みは変わらない。ならば、コロナによる死者を減らすため、経済活動をストップしたのと同じくらいの覚悟をもって、コロナ禍で増える自殺や、その予備軍となる恐れのある「コロナ経済死」を減らすための取り組みをしなくてはいけないのではないか。 もちろん、新型コロナは70歳以上を中心に多くの尊い命を奪った恐ろしい感染症だ。「人命最優先」「医療現場を守る」という観点ではいけば、感染者・死亡者0人を目指さなくてはいけないという理屈もわかる。いわゆる、「ゼロコロナ」だ。 しかし、その一方で現実としては、人口約1億2000万人の日本では毎日、病気や事故で無数の人が亡くなっている。特に高齢化が進んでいる日本では70歳以上の方がコロナが流行する以前から、毎日凄まじい数の方が命を失っていた。 例えば、「老衰」で年間10万人以上が亡くなっているし、「肺炎」でも例年10万人近くの尊い命が失われる。また、高齢者の方の場合、誤嚥性肺炎も深刻で毎年3万人以上が亡くなっている。コロナ流行で大激減したインフルエンザも年間約3000人が命を落としてきた。 こういう現実があるからコロナの1万1000人は騒ぎすぎだ、などと言いたいわけではない。しかし、毎年、老衰や肺炎で亡くなる70歳以上がこれだけいることをそれほど問題視していなかったのに、なぜコロナ患者や死亡者の数になると、マスコミをあげて恐怖を煽るのかということは正直、違和感しかない。まるで、肺炎やインフルエンザで亡くなる人と、コロナで亡くなる人の「命の重み」が違うのかと思ってしまうほど、報道の力の入れっぷりが違うのだ。 「人命最優先」と言いながら、我々はこの1年の集団パニックに陥ったことで、いつの間にか無意識に「コロナで失われる命」だけを特別待遇にしていないか。それが結果として、「コロナ患者以外の人々」の命を軽んじていることにつながっていないか。 GDP「戦後最悪の落ち込み」はそんな人命軽視への警鐘のように筆者は感じてしまう。日本政府にはぜひとも、「他の病気で失われる命」や「経済的理由で失われる命」にも光が当たるような、広い視野をもったコロナ対策を期待したい』、「「人命最優先」と言いながら、我々はこの1年の集団パニックに陥ったことで、いつの間にか無意識に「コロナで失われる命」だけを特別待遇にしていないか。それが結果として、「コロナ患者以外の人々」の命を軽んじていることにつながっていないか」、確かに冷静な議論が必要なようだ。

次に、11月10日付けダイヤモンド・オンラインが掲載した経済評論家・楽天証券経済研究所客員研究員の山崎 元氏による「18歳以下に10万円相当給付、所得制限もクーポンも頭が悪すぎる理由」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/287033
・『「18歳以下に一律で10万円の現金を給付」するとされていた政策案が、自民・公明両党の幹事長会談を経て変容した。5万円分は教育関連に使途を限定したクーポンに姿を変えてしまったのだ。この「クーポン」と、自民党が主張している「所得制限」の導入が、いかに不公平で非効率で頭が悪すぎるかをお伝えしたい』、興味深そうだ。
・『「現金10万円」のはずが5万円はクーポンに化けた  18歳以下の国民に一律で10万円を給付する――。自民党と公明党の間でその調整が本格化している中、その是非が議論を呼んでいる。 いわく、「なぜ18歳なのか。19歳はだめなのか?」、いわく「裕福な家庭にも現金を給付するのは無駄だ」などの批判の声がある。 「18歳以下に1人10万円一律給付」は、矢野康治財務次官が「バラマキ合戦」と評した自民党の総裁選の議論に始まり、さらに衆議院議員選挙にあって各党の公約にも盛られた、国民への現金給付案の一つだ。 報道によると、11月9日の自民・公明両党の幹事長会談において、18歳以下に現金5万円と、使途を子育て関連などに限定した5万円相当のクーポンを支給することで大筋合意したという。直前まで「現金10万円」と取り沙汰されていたはずだが、半分はクーポンに姿を変えてしまった。 また、「一律給付」を主張する公明党に対して、自民党は「年収960万円以下」の所得制限を設けるよう求めたため、その点は継続協議となったとのことだ。) 先般の総選挙で議席を減らしたものの、261議席の絶対過半数を自民党単独で獲得して政治的な基盤を強化した岸田政権としては、独自の案を出しても良さそうな状況であった。しかし、一定の譲歩は求めたとはいえ、選挙情勢の詳細を踏まえて来年の参議院議員選挙を考えると、公明党の顔を立てることが上策だと判断したのだろう。 もう1点推測すると、各種の「バラマキ案」の中で、この案は比較的規模が小さく予算に対する負荷が小さい。岸田政権は、財務省にも気を遣ったのではないだろうか』、「公明党の顔を立てる」ことに加え、「財務省にも気を遣った」ようだ。
・『「所得制限」や「クーポン」は不公平で非効率で頭が悪い  本稿では、自民・公明両党の幹事長会談の前に取り沙汰されていた「18歳以下に1人10万円一律現金給付」を経済政策としてあらためて評価してみたい。「良い点」と「悪い点」がそれぞれ複数ある。そしてそのことを通して、会談後に突如として登場した「クーポン」や、自民党が主張する「所得制限」がいかに不公平で非効率で頭が悪いかを伝えたい。 なお、本稿では現金給付政策を「バラマキ案」と呼ぶが、すぐ後で説明するように筆者はバラマキが悪いとは思っていない。バラマキ政策にも良いものと悪いものがある。そして、良いバラマキ政策は最上の経済政策の一つであり、必要でもある』、「良いバラマキ政策は最上の経済政策の一つであり、必要でもある」、なるほど。
・『「18歳以下に一律現金10万円」 当初のバラマキ案の良い点  世間ではどうしても批判の声が大きく聞こえがちなので、はじめに「良い点」の方に目を向けよう。当初のバラマキ案である「18歳以下に1人10万円一律現金給付」には、良い点が二つある。以下の2点だ。 【「18歳以下に一律現金10万円」バラマキ案の良い点】(1)現金給付なので使い道が自由でメリットが公平であること (2)所得制限のない一律の支給であること 「現金」の支給は使途を限定しないので、国民生活への政府の介入や特定業界へのメリット供与につながりにくい点が大変良い。 家庭の事情はさまざまだ。食費が切実に必要な家庭もあるだろうし、「18歳以下」からイメージされやすい子供の学費に使いたい家庭もあるだろう。いわゆる学費ではない何らかのレッスンにお金が必要な場合もあるだろう。 こうした事情を無視して、自民・公明の幹事長会談後に持ち出された「教育クーポン」のような形で支援を行うと、家庭の必要性にバラツキがあるので、効果の大きな家庭と、そうでもない家庭に差が生じる。一般論として、政府が国民の生活上の選択に介入することは、自由を重んじる国家としては好ましくない。 同様に、「GoToなになに」のように特定の業界や予約サイトがもうかる政策も良くない。「トラベル」などが対象になっても、旅行の好き嫌いには個人差があるし、旅行に行ける家も、そうでない家もある。政治家と業界の癒着といった問題もあるが、それ以前に政策として「公平性」を考えるべきだ。 現金給付というと、「パチンコやギャンブルにお金を使う人もいるのではないか」などと難癖を付ける向きがあるが、それらが「悪い」なら法律で禁止すればいいだけのことであり、別の問題だ。お金の使い道は個人の自由でいい。 ちなみに、筆者自身は法律で認められているギャンブルを「悪い」とは思っていない。 当初のバラマキ案の手段が現金の給付とされていたことは概ね良いことだ』、「一般論として、政府が国民の生活上の選択に介入することは、自由を重んじる国家としては好ましくない。 同様に、「GoToなになに」のように特定の業界や予約サイトがもうかる政策も良くない」、その通りだ。「筆者自身は法律で認められているギャンブルを「悪い」とは思っていない」、競馬のことを東洋経済に寄稿しているから当然だろう。
・『所得制限の議論に終止符を! 「一律給付→税負担で差」が効率的  加えて、所得制限のない一律の給付であることも当初のバラマキ案の良い点だ。 所得制限については、民主党政権時代の「子ども手当」の際に、鳩山さん(当時首相の鳩山由紀夫氏)のようなお金持ちの子供にも現金を給付するのはおかしい」という議論があったと記憶している。 この問題への正解は、「一律に現金を給付して、鳩山さんのような人には追加的な税金をたくさん払ってもらえばいい」という点にある。 お金持ちにも現金を給付するのはおかしいという議論は、その部分だけを見ると正しいように思える。しかし再分配の効果は、「給付」と「負担」の「差額」で見るべきだ。 手続きを考えると、給付を一定にして迅速に行い、負担面である税制を変化させて「差額」をコントロールする方が圧倒的に効率的だし、それで問題はない。両方を調整するのは制度が複雑になるし、時間とお金の両面で非効率的だ。 国民の所得や資産に関する把握が完璧で、合理的なルール作りと合意形成が可能なら、国民一人一人の経済事情に応じて給付を調整しつつ、迅速で公平な給付が可能かもしれない。しかし、今年になってデジタル庁を作るくらい行政手続きが後進的なわが国にあって、個々人の事情に合わせた公平かつ効率的な給付を行うことは全く現実的ではない。 他方、給付を一定で迅速に行い、適切に税金を取るなら、「差額」で見る再分配は問題なくコントロールできる。税負担のあり方を変化させて再配分の効果を操作すればいい。 現金を追加的に配っているのだから、国民全体には間違いなく追加的な税負担能力がある。「財源はあるのか?」という問いに対しては、国民に追加的な現金を配るのだから、「財源は必ずある」と答えて良い。 所得ないし資産(筆者は後者に重点を置くことがいいと思うが)の面で富裕な国民に追加的な負担を求めたらいい。負担が増えた国民と、差額で使えるお金が増えた国民とがいて「再分配」が実現する。 ただし、「来年度給付するから、その財源分を来年度増税する」という議論に乗ることは、マクロ経済政策として不適切だ。インフレ目標が未達である日本経済にあっては、赤字国債を発行して、これを日本銀行が買い入れる(直接でも、民間銀行経由でも効果は同じだ)形で金融緩和政策を財政政策で後押しするべきだ。 長期的な財源の問題と、財源調達のタイミングの問題は、区別して考えるべきだ。 ともかく、何らかの給付政策を考える際に「所得制限が必要だ」という議論には、そろそろ終止符を打つべきだ。前述のように自民党は今回の「10万円相当給付」においても所得制限を主張しているようだが、それを導入するのは非効率的で、頭が悪すぎる。 生活保護などにも言えることだが、所得などに条件をつけて給付すると、行政手続きが煩雑になり、時間とコストがかかり、行政に不必要な権力が生じる。 また、制限の付け方によっては、国民の行動に余計な影響を与えることもある(パート収入の「壁」のような問題が起こる)。総選挙時に立憲民主党が掲げた、年収1000万円程度以下の人の所得税を免除する案なども(実施方法に工夫の余地はあるとしても)ダメな政策だ。 結論を繰り返す。所得制限無しの一律給付である当初のバラマキ案は正しい』、「給付を一定で迅速に行い、適切に税金を取るなら、「差額」で見る再分配は問題なくコントロールできる」、「何らかの給付政策を考える際に「所得制限が必要だ」という議論には、そろそろ終止符を打つべきだ」、同感である。
・『「18歳以下に一律現金10万円」 当初のバラマキ案のダメなところ  さて、逆に「18歳以下に1人10万円一律現金給付」とするバラマキ案のダメなところを挙げてみたい。これは、自民・公明の幹事長会談後のバラマキ案にも共通するところだ。 【「18歳以下に一律現金10万円」バラマキ案のダメなところ】(1)「18歳以下の子供」という支給対象選定が公平でないこと (2)継続的な効果がない一時金であること まず、対象が「18歳以下の子供(のいる家庭)」と、必ずしも公平でなく限定されていることには多くの国民から文句が出て当然だ。 例えば、「大学生の子供がいる母子家庭」のような家には支援がない。また、高齢者でも新型コロナウイルス感染症に伴う経済的困窮者はいるだろう。そもそも非正規で働いていて低所得であるといった理由で、子供を持つ余裕がない人もいるはずだ。 対象者はおそらく予算の都合(財務省は2兆円程度にうまく値切ったと思っているのではないか)と公明党の関係で落とし所が決まったのではないかと推測するのだが、支給対象者の選定は公平性を欠く』、言われてみれば、「「18歳以下の子供」という支給対象選定が公平でない」、というのは確かだ。
・『バラマキ案で一番ダメなのは「一時の給付」であること  そしてバラマキ案で一番ダメなのは、1回限りの1人当たり10万円支給であることだ。 昨年の国民1人当たり10万円の一時金支給でもそうだったが、経済的困窮者は「一時のお金」では、安心することができない。 昨年の給付金について、多くが貯蓄されて消費の下支えに回らなかったことを「失敗」とする見方が一部のエコノミストの間にある。しかし、これは景気だけに注意を向けた皮相的な議論だ。 そもそも給付の「効果」を、個人消費を通じた景気の下支えで測ろうという考え方が卑しくて正しくない。困った人にお金が渡れば、まずは十分いいと考えるべきではないか。 近年所得が伸びていない多くの勤労者の懐具合や、コロナによる生活への影響の不確実性と不安を思うと、一時的な収入を貯蓄に回すのは、家計管理として合理的で冷静な判断だ。あえて言えば、多くの国民は一時金で「貯蓄を買った」のだ。 「1回だけの10万円」のような給付は、受給者にとって安心感が乏しいし、従って前回と同様に支出を促す効果も乏しいはずだ。「子供の未来」などと言うなら、継続的な支援を考えるべきだ。 対案としては、「毎月1万円」のような給付が考えられる。例えば国民年金の保険料を全額一般会計負担(税負担)にすると、低所得な現役世代には苦しい毎月1万6610円の支払いがなくなって、「手取り収入」が将来にわたって増えることが予想できる。 自民党の総裁選で、河野太郎候補がこれに近い案を言っていたが、現役世代の負担軽減を十分訴えなかった点が失敗であったように思う。この他に、NHKの受信料なども所得にかかわらず一律に徴収される定額の負担なので、こうした徴収を止めて全額税負担にすると、国民に一律の給付を行ったのと同様の効果が生じる。 国民年金の保険料もNHKの受信料も、徴収のために多大なコストと手間が掛かっていて、現実的に不払いの問題がある。これらを全額税負担にすることの公平性確保と行政効率を改善する効果は圧倒的だし、デジタル化が遅れているわが国でも十分実現可能だ』、「国民年金の保険料もNHKの受信料も、徴収のために多大なコストと手間が掛かっていて、現実的に不払いの問題がある。これらを全額税負担にすることの公平性確保と行政効率を改善する効果は圧倒的だし、デジタル化が遅れているわが国でも十分実現可能だ」、同感である。
・『選挙のたびのバラマキが定着しないか? 残念すぎるリスクシナリオ  先に述べたように、現金を一律に給付するという政策自体は悪くないし、国民にも効果が分かりやすい。しかし、いささか心配なのは、この政策が国政選挙の度に繰り返されるのではないかという可能性だ。 選挙の都度行う一時金のバラマキ政策は、政治家にとって訴える政策があって好都合だろうし、財務省にとってもその都度政権と駆け引きができる材料を持つことができるので案外悪くない話ではないか。 しかし国民にとって、将来が予測できる継続的・安定的なサポートではないので「安心」への効果が乏しく、消費支出にもつながりにくいことは、前述の通りだ。 政治家は選挙のたびに一時的なバラマキを競い、有権者はバラマキをおねだりする、というような構図が繰り返されるのだとすると、わが国の政治的な将来は残念すぎる』、「選挙の都度行う一時金のバラマキ政策は、政治家にとって訴える政策があって好都合だろうし、財務省にとってもその都度政権と駆け引きができる材料を持つことができるので案外悪くない話ではないか」、ではあっても、こうした政治の劣化は出来れば避けるべきだろう。

第三に、10月18日付けNewsweek日本版が掲載した財務省出身で慶応義塾大学准教授の小幡 績氏による「今、本当に必要な経済政策を提案する」を紹介しよう。
https://m.newsweekjapan.jp/obata/2021/10/post-73_1.php
・『<景気対策は必要ない。コロナの反動需要で景気はこれからますます良くなるからだ(そのカネは、いずれ世界的スタグフレーションがやってきたときに必要になる)。それよりも、今や中国や韓国にも抜かれてしまった長期的な人と教育への投資を急がなければならない> 現在、各政党から出されている公約の経済政策の酷さは惨憺たるものだ。これは既に議論したので、今日は、では何をするべきか、を提案しよう。 まず、大前提として、景気対策は一切要らない。なぜなら、現在、景気は良いからであり、今後、さらに良くなるからだ。 世界的にも、コロナショックへの財政金融政策の総動員をしたところへ、コロナから回復して、一気に反動需要が出てきて、世界が21世紀最高の好景気となった。日本はショックも小さく反動も小さいが、それでも景気は良い。しかも、この8月9月の感染が日本では一番の感染者数だったので、一時的に落ち込んだが、日本の消費の反動的な増加はこれからだ。 だから、景気はさらに良くなる。 景気対策のカネがあれば、それは、来年以降、反動需要増加がピークアウトし、世界的なインフレと不況(いわゆるスタグフレーション)がやって来た時に使うべきである。それまで景気対策のカネは取っておくべきだ。 今景気対策をするとむしろ過熱しているところにさらに過熱させるのでマイナスですらある。 そもそも、コロナで経済はまったく傷んでいない。 傷んでいるのは、経済ではなく社会だ』、「コロナで経済はまったく傷んでいない。 傷んでいるのは、経済ではなく社会だ」、経済については強気なようだ。
・『バラまきでは困った人も救われない  経済的なショックは局部に集中している。特定の業界およびそれに関連する小規模の企業、自営業者だ。傷んだ彼らを、救うためには経済対策では効果がない。ましてや景気対策では、傷んでない、力が残っている強い企業にほとんどかっさらわれる。 必要なのは、経済対策ではなく、社会対策だ。 特定のセクターが公共性のあるセクターであれば、再建を支援する。小企業、個人事業主であれば、もともとの廃業タイミングが早まった企業・事業者が多いから、彼らの廃業を支援する。 廃業手当を失業保険と生活保護の両方の要素を含んだものとして支援する。このシステムを作る。10万円をすべての国民にバラまいても、彼らは救われない。 さて、では、何をするか。 今述べたように、日本に必要なのは、短期の景気対策、経済対策ではない。長期の経済基盤立て直しに全勢力を集中すべきである。 長期の経済基盤とは、人に尽きる。 経済の基盤は人材と社会であり、社会とは人である。 したがって、二重の意味で人がすべてなのである。 人を育てるのは教育、教育となっても、政治家とエコノミスト達は、短期の政策しか考えない。大学院、研究機関への資金注入、研究基金の設立。二重の意味で誤りだ。 第一に、金を投入していないから人材が育たない、という考えが誤りだ。金よりも先に人だ。 人を育てるのは、金ではなく人が必要だ。人が人を育てる。サッカーやバスケットでは、指導者の重要性が認識され、優れた指導者であれば、金に糸目をつけずに、人を世界中からスカウトするのに、学校の教師あるいは大学で研究を指導するよき研究者かつ教育者である人材の獲得にはそれほど注力しない。) 日本は、研究資金は足りないが、その理由は、人の数の不足、質の低下である。カネがないから人がないというのは結果論であり、鶏と卵ではなく、絶対的に人が先である。人がいれば、必ず金はやってくる。そして、研究者業界における最大の問題は、人材の層が圧倒的に薄いことである。 優れた人はいる。しかし、数が少ない。彼らが研究も引っ張り、大学院教育、大学教育も引っ張り、政策関係、政治的なこともしないといけない。無理だ。 いわゆる理科系とは異なるが、経済学でいえば、米国が圧倒的にレベルが高いが、トップもすごいが、本質は層の厚さである。とことん厚い。大学に籠って基礎的な理論をやり続ける人、応用分野で実業界ともやり取りする人、グーグル、マイクロソフトでも研究者、アドバイザーになる人、ワシントンで政権に入る人、シンクタンクに一時的に身を置く人、IMFエコノミストになる人、いろんな人がいるが、日本は、要はこれらを一人でやらないといけない。その結果、すべてが薄くなる。 さらに悪いことに、今後進むと思われるのが、政策マーケットに優秀な学者が入ってこなくなることだ。あまりに政治による経済政策は酷い。他の科学技術政策も酷いものが多い。政治のプロセスはあまりに前時代的だ。時間もエネルギーも取られ過ぎる。すべての研究者は気づいていたが、国のためと思い我慢してきた。その限界を今確実に超えつつある。 層を厚くするには、多くの研究者が必要だ。そして、その研究者を雇う雇い主が必要である。大学の体制にも問題があるが、最大の問題は、社会が、学者、研究者というものを軽視していることだ。企業は一部の研究職を除くと、研究者、博士号を持った人々を評価しない。修士号ですらそうだ。私の学校でMBAをとっても、評価されない。学部卒業生と同じ扱いである。むしろ学部生が好まれる』、強気の景気判断を前提にするので、「日本に必要なのは、短期の景気対策、経済対策ではない。長期の経済基盤立て直しに全勢力を集中すべきである。 長期の経済基盤とは、人に尽きる」、「人を育てるのは、金ではなく人が必要だ」、「研究者業界における最大の問題は、人材の層が圧倒的に薄いことである」、「最大の問題は、社会が、学者、研究者というものを軽視していることだ」、なるほど。
・『海外のMBAだけを英語のために採用する日本企業  私の学校のMBAは駄目で、米国のMBAなら雇うのだが、それは英語力を評価しているだけだ。教育自体は評価されない。皮肉なことに、日本のMBAを評価してくれるのは、外資系ばかりだ。日本企業の考え方が間違っているのである。 実社会では、博士は頭でっかちで使えない、というが、それは社会の側の問題だ。 日本企業が博士を重視しないのは、社会そのものが学問を軽視しているからである。政策決定でも問題になっているが、科学的分析、学問の専門家の意見よりも、政治的都合、雰囲気、そして、根拠のない感覚、イメージで政策が決まっている。これは世界特有の現象だ。 韓国に日本が差をつけられた、ということが しばしば話題になるが、このひとつの理由は、韓国は、学問を重視する。ソウル大学の経済学部の教授は歴史的に大臣になることも多かった。そして、最大の企業サムソンが博士号を最重要視したことで、さらに加速した。土壌には、学問に敬意を持った社会があり、そして、企業が実際に博士を要求した。これで、すべての分野の学者のレベルも実業界の科学的な経営レベルも上がったのだ。 日本の研究者は確かに研究しかできない雰囲気の人も多い。しかし、それは、研究が直接かかわる領域でしか、就職ができないからだ。社会が幅広く、博士、研究者を評価するようになり、いろいろな活躍の場ができれば、彼らの柔軟性、そして人材の多様性は育っていく。 同様な問題は、大学・大学院という研究の領域と同様に、初等教育、いや幼稚園、小中高、すべてに当てはまる。 経済対策と称して、子供1人に10万円配る。社会政策、若年層への社会福祉と称して、高校の授業料の無料化政策を実施する。 まったく間違いだ。 必要なのは、無料の教育ではなく、良い教育なのだ。安い教育を提供するのではなく、質の高い教育を提供することが唯一最大の公的教育の役割である。 低所得者への支援は別の形でいくらでもできる。教育費が高ければ、奨学金を充実させるのが一番だ。 政府、公的セクターにしかできないのは、質の高い公立学校を幼稚園、小中高に提供することだ。 さらに、最悪なことに、小中学校教育への投資の最大のものは、コロナ対応、オンライン授業にかこつけて、ICT、要は、カネを使ったモノの投入なのである。 180度間違っている』、「日本企業が博士を重視しないのは、社会そのものが学問を軽視しているからである。政策決定でも問題になっているが、科学的分析、学問の専門家の意見よりも、政治的都合、雰囲気、そして、根拠のない感覚、イメージで政策が決まっている」、「必要なのは、無料の教育ではなく、良い教育なのだ。安い教育を提供するのではなく、質の高い教育を提供することが唯一最大の公的教育の役割」、日本社会の高いハードルに相当頭にきているようだ。
・『ICT化より教師の質  教師の質を上げることだ。それがすべてである。 そしてある程度の人員の増加は必要で、かつ、部活動などの課外教育は、外の力を使い、学校の先生には、もっと授業そのものにエネルギーを注げる環境を作る。劣悪な労働時間を解消する。そうすれば、給料をそれほど上げなくても、人材は集まるし、何より優秀な人、教育に意欲のある人が定着するはずだ。 さらに重要なのは、教師を育てる教師を育てることである。 医者もそうだが、学校の教師はあまりに酷い。教員免許を取れば、その後は、形式的な研修があるばかりだ。これは、メディアでも話題になったが、結果として逆の方向に向かっている。研修がなくなる方向である。 そうではない。 無駄な研修はなくし、重要な質の高い教師への人的資本投資を行うことが必要だ。教員免許を与えた後の育て方も問題で、今回は詳細には議論できないが、チーム制を設け、チームで学級、学年を担当することが必要だ。その中で、若い先生は、中堅、ベテランのいろんな先生から吸収できる。行っている学校も一部にあるが、国を挙げて、よい教師の育て方の試行錯誤に投資すべきだ。 そして、無駄なお役所の書類だけの形式だけの中央からの監視は減らすべきだ。ただペーパーワークが増えて、教師が生徒に向き合う時間、授業の準備、改善に投資する時間を削っているだけだ。) ここでも再度、社会の問題が出てくる。 実は、日本は、世界的に、少なくともアジアの中では、もっとも教育に関心のない社会である。受験戦争は低年齢化しているが、これは楽な教育を受けるための手段だ。高校生で苦労しないようにと、要は楽に学校を乗り切り、良い学歴を身につければよい、という社会の教育の中身への無関心がある。これは一部では、改善の動きも見られるが、まだまだ少数派だ。 それは、伝統的に、この70年、教育を軽視してしまう社会になったことが根本にある。 アジアのほかの国の受験戦争は酷いほど激しいし、大学、大学院への進学もアジアの親たちは非常に熱心だ。 この差は決定的だ。中国、韓国に、人材の質でも抜かれる日は遠くない。いやすでに抜かれていると思う。 日本が経済成長するためには、人材が必要だ。科学技術の発展も要は人だ。そして、そのために、大学などの研究機関にただ金をつぎ込むのは間違っており、時間をかけて人を育てることが必要だ。そして、より有効なのは、より低年齢での幅広い層への基礎教育である。 これが、日本の学校関係への投資の第二の誤り、最大の誤りだ。 手間と金は初等教育に重点をおくべきだ。幼児教育へも将来は広げるべきだ。公的教育にできることは、基礎力、基礎的な思考力、柔軟性、多様な発想をもたらす基礎的な人格形成が最大、唯一のことであり、社会において最重要なことだ。 経済政策の金、エネルギーをここに集中的に投入すべきだ』、「手間と金は初等教育に重点をおくべきだ。幼児教育へも将来は広げるべきだ。公的教育にできることは、基礎力、基礎的な思考力、柔軟性、多様な発想をもたらす基礎的な人格形成が最大、唯一のことであり、社会において最重要なことだ」、小幡氏の見方は1つの参考になる。
・『子供は日本の隅々で育つのがいい  そして、最後に、国の基礎力を挙げるための教育は多様性、深みを社会にもたらすことであり、そのためには、東京や大都市での教育よりも、様々な地域で育つことが必要で、それぞれの地域で、教育をすることが重要だ。地方創生ではなく、現在の全国の各地域で、子供を地域社会で育てることが、日本社会の長期的な多様性の維持、創造性の発揮に大きく貢献、いや必須のはずだ。そのために、子育て、学校教育は東京などの大都市よりも地方の環境(自然だけでなく、教育者の質という面で)が優れているという状況を生み出すための国家的な政策が必要だ。教育中心の地方創生(言葉は嫌いだが、一般に言われている)政策が必要なのだ。これは、また別の機会に議論したい』、「子供は日本の隅々で育つのがいい」、1つのアイデアではあるが、筆者は幼児教育には素人なので、唐突な感が否めない。「教育中心の地方創生」を今後、さらに取上げるのだろうか。
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半導体産業(その5)(「半導体確保」の重い対価 念願のTSMC日本誘致、富士通・元半導体部門トップの直言① 「日の丸半導体」が凋落したこれだけの根本原因、日の丸半導体「逆襲」の突破口になるか?ナノインプリント技術とは) [産業動向]

半導体産業については、9月23日に取上げた。今日は、(その5)(「半導体確保」の重い対価 念願のTSMC日本誘致、富士通・元半導体部門トップの直言① 「日の丸半導体」が凋落したこれだけの根本原因、日の丸半導体「逆襲」の突破口になるか?ナノインプリント技術とは)である。

先ずは、10月21日付け東洋経済Plus「「半導体確保」の重い対価 念願のTSMC日本誘致」を紹介しよう。
https://premium.toyokeizai.net/articles/-/28551
・『経済安全保障の観点から歓迎する声も多いが、長期的に見ると不安材料も。製造業再興の下支えとなるか。半導体受託製造の世界最大手、台湾積体電路製造(TSMC)は10月14日、オンラインで開催した決算説明会で、日本国内初となる工場を建設すると発表した。魏哲家CEOは「顧客と日本政府の双方からこのプロジェクトに強いコミットメント(確約)を得た」と話した。 新工場は2022年に着工し、24年末の稼働を目指す。場所は明らかにしなかったが、ソニーグループとの合弁事業になる公算が大きく、同グループの半導体事業子会社が取得申請済みの、熊本県菊陽町の工場隣接地になるとみられる。 日本政府はかねて、重要物資である半導体について、安定調達のために海外の製造受託企業の生産拠点を誘致することを目指してきた。とりわけ足元では、コロナ禍からの経済活動の回復に伴い半導体の供給不足が長期化。スマートフォンや自動車など幅広い製品の生産に影響が出ている。 加えて、世界の半導体の大部分を生産する台湾では目下、中国による政治圧力が強まっている。現地の生産工場に頼りきりでは、有事の際、日本の製造業が大混乱するリスクもある。 TSMCの日本工場建設について15日の記者会見で問われた萩生田光一・経済産業相は、「半導体は『産業の脳』。安定供給体制の構築は安全保障の観点からも重要だ」と語った。 工場の新設には高額な製造装置を何台も用意する必要がある。今回の投資総額は7000億~8000億円に上り、その半分程度を日本政府が補助金として支援するとみられる。 直近では米国をはじめ、各国政府が半導体産業への財政支出に力を注ぐ。日本も「他国に匹敵する措置を」(萩生田氏)と、継続的な支援を行う構えだ』、「今回の投資総額は7000億~8000億円に上り、その半分程度を日本政府が補助金として支援」、気前がいい話だが、世界的には世間相場なのかも知れない。
・『補助金なしでは不成立  歓迎ムード一色に見えるTSMC誘致だが、楽観できない面もある。 TSMCが日本の新工場で生産する半導体は、回路線幅が22~28ナノメートルで、これは10年ほど前からある技術のものだ。同種の半導体を手がける既存工場の多くは設備投資と減価償却を終えているため、「一般論として、経済的な補助がなければ(新工場には)価格競争力がない」(ソニーセミコンダクタソリューションズの清水照士社長)。 なぜ10年も前の技術なのか。その理由は日本国内の需要にある。現在量産されている最先端の半導体は回路線幅が5ナノメートルだが、それらを必要とする高性能のパソコンやスマホの生産拠点が日本には少なく、TSMCとしてはハイエンド品を日本で生産する動機がない。 一方、日本が強みを持つソニーグループのイメージセンサーなどには、現在28ナノメートルのロジック(演算用)半導体が使われている。今後はADAS(先進運転支援システム)など自動車向けの需要も拡大する見通しだ。 ただ問題は、この需要が長期間にわたり安定的に継続するかだ。実際、14日のTSMCの説明会では英国のアナリストから「(回路線幅)28ナノメートルの生産能力を拡大して、供給過剰を招かないか」との質問が出た。 魏CEOはこれに対し「需要を満たすために顧客と一緒に働くのだから、供給過剰のリスクなどあるものか」と回答。日本の顧客が買ってくれるから工場を造るのであり、全世界に向けた供給量を増やす目的ではない、との姿勢だ。 新工場が稼働するのは24年末。今でこそ半導体不足が叫ばれているが、3年先の需要は未知数だ。現に2年前の19年、米中貿易摩擦などで半導体需要は落ち込んでいた。三顧の礼でTSMCに来てもらう以上、将来半導体が余っていても、日本のメーカーが一定量を買い支えなければならない事態も起こりうるだろう。 萩生田氏は「わが国の先端半導体製造のミッシングピースを埋める」と意気込むが、TSMCの国内誘致が日本の半導体産業の復興という文脈で語られることにも違和感がある。新工場では多くの日本人技術者が働くことになるが、TSMCでは技術者が得られる情報を厳格に管理しており、そこからの技術移転を期待することは難しい。 思えば、かつて国の旗振りで3つの半導体メモリーメーカーを統合したエルピーダメモリは市況悪化や円高に苦しみ、資金繰りに窮して経営破綻した。ディスプレーでも、同様に3社を統合したジャパンディスプレイが悪戦苦闘している。国が民間産業に口を出して成功した例はほぼない。 世界最大手の誘致に沸き立つ日本だが、真に成功したといえるかは5年、10年先までわからない。「安定調達」の対価は思った以上に高くつくかもしれない』、「最先端の半導体は回路線幅が5ナノメートルだが、それらを必要とする高性能のパソコンやスマホの生産拠点が日本には少なく、TSMCとしてはハイエンド品を日本で生産する動機がない」、やむを得ないが、寂しい限りだ。「国が民間産業に口を出して成功した例はほぼない」、「真に成功したといえるかは5年、10年先までわからない。「安定調達」の対価は思った以上に高くつくかもしれない」、さてどうなることやら・・・。

次に、10月26日付け東洋経済Plus「富士通・元半導体部門トップの直言① 「日の丸半導体」が凋落したこれだけの根本原因」を紹介しよう。
https://premium.toyokeizai.net/articles/-/28462
・『日本の半導体産業が復活するには何が必要か。富士通で半導体部門のトップを務め、現在は半導体の設計ベンチャーを経営する藤井滋氏に聞く。 半導体の重要性が再認識されている。アメリカや中国は経済安保の観点からも兆円単位の国家支援を打ち出し、日本でも、経済産業省が「半導体・デジタル産業戦略」を発表している。 ただ、かつて世界に覇を唱えた日本の半導体産業はすっかり凋落してしまった。なぜ日本の半導体が成功し、なぜダメになったのか。そして、復活には何が必要か。 富士通で半導体部門のトップを務め、現在は半導体の設計ベンチャーを経営する藤井滋氏に話を聞いた。今回はその前編(後編はこちら)。 Q:そもそも半導体産業の黎明期に日本はなぜ勝てたのですか。 A:1940年代後半に半導体を発明したのはアメリカだ。1980年代にそのアメリカに日本は半導体の製造で勝った。それは、1970年代に日本が新しい技術を作ったからだ。 たとえばクリーンルームという概念を生み出した。アメリカでは製造現場に靴で入っていたが、日本では清浄な環境で造らないと不良が出る、とクリーンルームを作った。半導体の基本特許はアメリカ発かもしれないが、LSI(大規模集積回路)にしたのも日本だ。私たちの先輩がゼロから切磋琢磨しながらやった』、「1980年代にそのアメリカに日本は半導体の製造で勝った」、「それは、1970年代に日本が新しい技術を作ったからだ」、「たとえばクリーンルームという概念を生み出した」、「LSI・・・にしたのも日本」、なるほど。
・『市場がパソコン中心になって「安さ」優先に  もう1つ大事なことがある。マーケットがあったことだ。当時、日本の大手電機はみんなNTTファミリーで通信機器やコンピュータを造っていた。半導体は自社の通信機器やコンピュータの部門が大口顧客だった。自社のハードを強くするために強い半導体がいる。通信機器部門やコンピュータ部門にとって、自社で半導体部門を持つメリットがあった。 各社がよりよいコンピュータを作ろうと競い合った。自社の大口顧客に応えるために、半導体部門も開発に力を注いだ。半導体を利用する顧客が近くにいることでよいものができた。それを外に売れば十分に勝てた。1980年代から90年代の初頭まではね。 Q:そうした成功の方程式はなぜ崩れたのでしょう。 A:マーケットが通信機器と大型コンピュータからパソコンに変わったからだ。当初は各社独自のパソコンだったが、IBMの標準機になった。半導体も同じものをいかに安く作るかの競争になった。 
NTT仕様の自社の通信機器向け半導体は35年保証の世界。設計、プロセス、品質管理もその水準でやっていた。それをパソコン向けにも展開したが、必要とされたのは品質より安さだった。パソコンは数年もてばいい。 そこに出てきたのが韓国勢だ。当時、富士通の半導体の断面は神様が切ったようにきれいだったが、韓国メーカー製はガタガタ。でも動く。何より安かった。 Q:過剰品質の問題に気がつかなかったのですか。 A:当然認識していたから、同じ設備でもアウトプットを2倍にするような設計やプロセスを採用して(高品質製品と)ブランドを分ける議論を散々やった。だが、分けられなかった。同じラインで2つの違う製品を流してもコスト削減効果はあまりないからだ。むしろ、2重のコストがかかる。 (藤井氏の略歴はリンク先参照) Q:依然として高品質を求める顧客もいます。 A:たとえば自動車がそうだ。 トヨタさんからは「クラウンが動いている限り半導体を供給しろ」と求められる。自動車用半導体に障害が起きたときの対応コストは膨大になるから、品質を上げてくれというのは当然の要求だ。それは通信も同じ。半導体の故障で海底ケーブルを引き上げたら何億円もかかる。 ただし、今の半導体の設備投資や技術を引っ張っているのは大型コンピュータでも海底ケーブルでも自動車でもない。 パソコンですらなく、スマートフォンだ。スマホ用はパソコン以上に品質を求められない。そのスマホ向けが技術的には最先端で、台湾のTSMC(台湾積体電路製造)は技術開発でスマホにフォーカスしている』、「半導体」の売り先が、「自社の通信機器やコンピュータの部門」から「パソコン」に代わり、さらに「スマホ」となるに伴い、「品質」が求められなくなったようだ。
・『半導体を知らない本社主導の弊害  Q:半導体産業振興のために国によるプロジェクト(国プロ)が数多くありました。初期の国プロは成功しましたが、それ以降はうまくいったものはありません。 A:国プロでは1970年代の超LSI技術研究組合はうまくいった。しかし、その後のさまざまな国プロが成功したとは思えない。 その理由はいくつもある。たとえば、国プロに参加した人材は研究者としてはトップクラスも多かったが、成果を持ち帰って事業を興そうと考えた人材はほとんどいなかった。一方、欧米の国プロでは関わった技術者がその後に会社を作った。 また、国プロに参加した企業、東芝や富士通、NECは総合電機で、半導体は1部門でしかない。(経営的な)決定権を持っていない人材が集まっていた。 半導体部門自体が決定権を持っていないということは、国プロが成功しないという問題だけにとどまらなかった。投資などを決めるのは本社様で、半導体のマーケットをわかっている人間が(投資の)賭けに打って出ることはほとんどできなかった。しかも、半導体が儲かったときは(利益を)全部吸い上げられるし、損をしたときは(事業を)止めろと言われる。 欧米では1990年代に半導体事業が総合電機からスピンアウトした。日本でそれが起こったのは2000年になってからだ。そうしてできたのがエルピーダ(メモリ)とルネサス(エレクトロニクス)の2社だが、意思決定が10年以上遅かった。 Q:10年の遅れはどういう意味を持ちますか。 A:その10年間で工場を1つ作る費用が500億円から5000億円という世界になった。全社の投資額が年間3000億円のところ、半導体に5000億円の投資はできない。富士通だけではなくNECも日立(製作所)も同じだ。対して、(韓国の)サムスン(電子)やTSMCはそれができた。 10年遅れて半導体事業を切り離す決断をしたが、日本の総合電機は半導体の業績や市況が悪いときに捨ててしまった。事業を売る判断も本社。総合電機のトップは半導体出身ではなく、半導体を調達先としてしか考えていなかった。彼らから見ると半導体は金食い虫で早く手を切りたかった。 エルピーダも同じだ。こちらは銀行が耐えられなかった。結果論だが、あと半年耐えられたら状況は変わっていた。市況がよくなって儲かるようになった。誰が儲けたか。倒産したエルピーダを買ったアメリカのマイクロンだ。 Q:海外企業に売却された案件をどのように評価していますか。 A:ほぼ全員アンハッピー。技術も残っていないし、人材も散ってしまった。事業の撤退や再編で会社から捨てられて国内ではどうしようもない。多くは中国でメシを食っているはずだ。 Q:韓国の半導体産業は日本の技術者が立ち上げたと言われています。 A:サムスンや現代(現SKハイニックス)の半導体事業は、当時の日本の技術者が週末に韓国へ行って指導して立ち上げた。ただ、中国に関しては早期退職でクビになった日本の技術者が現地に渡って立ち上げた。そうした構図は液晶もプラズマ(ディスプレイ)も同じ、エレクトロニクス全般に当てはまる。 Q:近年は技術流出が問題視されていますが。 A:技術者をどう処遇するか、という問題だ。彼らが持つノウハウを将来にわたって国がどうキープするかは労務政策であり、産業政策でもある。日本はそれを各社に任せてきた。そして各社は年寄りの技術者をいらないと捨ててきた。 TSMCの(創業者)モーリス・チャン氏は新技術を立ち上げるために、IBMや日立などからキーマンを大金で一本釣りした。日本以外の企業ではトップ人材をヘッドハントするのは当たり前だ。 日本はそうしたスカウトをやらなかった。半導体産業の初期にアメリカ企業から正式に技術導入したり、自社で技術開発をしたりしてきたので人材の裾野は広かった。 だが、全員を食わせられなくなって捨てた。そうした人材が韓国や中国に渡った。中国も韓国も、優秀な技術者の待遇はすばらしい。中国では5年間免税などもあると聞いている』、「半導体部門自体が決定権を持っていないということは、国プロが成功しないという問題だけにとどまらなかった。投資などを決めるのは本社様で、半導体のマーケットをわかっている人間が(投資の)賭けに打って出ることはほとんどできなかった」、総合電機は弱味だったようだ。「欧米では1990年代に半導体事業が総合電機からスピンアウトした。日本でそれが起こったのは2000年になってからだ」、「10年遅れて半導体事業を切り離す決断をしたが、日本の総合電機は半導体の業績や市況が悪いときに捨ててしまった。事業を売る判断も本社。総合電機のトップは半導体出身ではなく、半導体を調達先としてしか考えていなかった。彼らから見ると半導体は金食い虫で早く手を切りたかった」、「エルピーダ」「は銀行が耐えられなかった」「誰が儲けたか。倒産したエルピーダを買ったアメリカのマイクロンだ」、「海外企業に売却された案件」では「ほぼ全員アンハッピー。技術も残っていないし、人材も散ってしまった」、「サムスンや現代・・・の半導体事業は、当時の日本の技術者が週末に韓国へ行って指導して立ち上げた。ただ、中国に関しては早期退職でクビになった日本の技術者が現地に渡って立ち上げた」、「中国も韓国も、優秀な技術者の待遇はすばらしい」、これでは「中国や韓国」に遅れを取るのも当然なのだろう。
・『賃金の平等主義が競争力を落とした  Q:日本メーカーは自前で技術を開発したというと聞こえはよいですが、外からトップ人材を採用して、相応の処遇をすることができなかっただけでは。 A:そうかもしれない。優秀な人材に何億円も出すという大リーガー方式を採るのか、みんなで同じ給料の社会人野球をやるか。社会人野球に大リーガーは来ないだろう。 日本は労働者の流動性がないので全体の賃金が抑えられるが、トップ人材も雇えない。結果、エレクトロニクス分野では日本は三等国になってしまった。復活を目指すなら労務政策を変えないといけないが、平等主義を変える覚悟が日本にあるか。ないだろう。 Q:2000年代などには日本企業の経営者は口を開けば「従業員の賃金が高い」と文句を言っていました。 A:今はもう高くない。とくにエリートに関しては全然高くない。一般従業員でも高くない。上海と比較しても変わらない。ただし、それは東京の話。日本でも、地方の工場従業員の賃金は高い。 富士通時代、会津や三重の工場の駐車場にはBMWが並んでいた。東京からの転勤者が乗っているのはマーチ(日産)だった。東京と地方では物価が違うのに給料水準は同じ。労働組合は全国で共通だったからだ。 地方の半導体工場は子会社ではなかったから、東京で本社のSEの給料を上げたら半導体工場の労務費も上がってしまった。地場の賃金水準の2倍以上になった。それでよく戦っていたと思う。 日本メーカーの東京在住の技術者の給料は、国際的に見て低いから優秀な人材が奪われてしまう。日本だけの争いなら同じ競争環境だから戦えるが、グローバルな戦いになった瞬間にその弱点がモロに出てしまった。それがエレクトロニクスの敗北の大きな理由だと思う。 Q:半導体産業は設計から生産まで一貫して手掛ける垂直統合型から、設計はファブレス、製造はファウンドリーが請け負う水平統合型に変わりました。日本ではファブレス、ファウンドリーとも有力企業が育ちませんでした。富士通時代にシステムLSIの製造受託ビジネスを経験され、独立後はファブレスを経営している経験から、その理由をどう見ていますか。 A:通信のモデムを例に説明しよう。 1970年代から80年代には富士通やIBMが売っていたのは弁当箱くらいの大きさのモデムで、富士通では通信部隊が作っていた。半導体部隊はモデムに使われるデジタル信号処理用半導体などを作っていた。 1990年代になるとモデムは弁当箱からカードになり、1990年代後半にはモデムチップとしてパソコンに取り込まれた。さらにインテルのチップセットにモデム機能が吸収されたため、モデムチップが消えてしまった。 各社のモデムの設計者がどうなったか。アメリカではカードになったときにモデム設計者の多くがクビになった。クビになった設計者がモデムカードのスタートアップを作ったり、モデムチップの設計会社、ファブレスを興したりした。 ところが、日本企業では商売がなくなった技術者は起業するのではなく、社内の別の業務に移った。培ってきた技術は全部消えてしまい、ファブレスも誕生しなかった。 また、アメリカには起業した人間に投資するエンジェルがいる。そして成功した人間がまたカネを出す。技術だけでなくカネも循環している。技術者が大成功できる。かつ、カネを出している連中がCEOやCFOを送り込んで儲けている』、「アメリカではカードになったときにモデム設計者の多くがクビになった。クビになった設計者がモデムカードのスタートアップを作ったり、モデムチップの設計会社、ファブレスを興したりした。 ところが、日本企業では商売がなくなった技術者は起業するのではなく、社内の別の業務に移った。培ってきた技術は全部消えてしまい、ファブレスも誕生しなかった」、日本型雇用がマイナスに利いた例のようだ。
・『ファンドが差配するアメリカの強み  Q:日本でファブレスが出てこなかった理由はわかりました。ファウンドリーが成功しなかったのはなぜでしょう。富士通も含めてチャレンジはしていました。 A:僕がカスタムLSIを作るビジネスをしていたとき、そうしたスピンアウトをしたベンチャーが客だった。1990年後半頃から彼らがTSMCに製造を切り替える動きがあった。理由を調べてみたら、ベンチャーにカネを出しているファンドがTSMCにも多額の出資をしていた。 ファンドがファブレスにもファウンドリーのTSMCにも資金を出して、両方の取締役会に人を送り込んでいた。調達や購買の人間は「富士通の製造技術はすばらしい」と言っても、資本の論理が別にあった。 サンノゼの高級ホテルの最上階にファブレスやTSMCにカネを出しているファンドの連中が集まって、「もっと安くしろ」とか「この時期に(発注を)出せ」とやって決まっていた。富士通の営業がファブレスの購買と話をしても受注が決まらない。大型案件では経営者や資本家が介入してくる。負けたのはF(富士通)だけではない。NTH(NEC、東芝、日立)もみんなやられた』、「大型案件では経営者や資本家が介入」、担当者ベースで交渉しようとする日本型総合電機に勝ち目はないのは当然だ。

第三に、10月26日付けダイヤモンド・オンラインが掲載した法政大学大学院教授の真壁昭夫氏による「日の丸半導体「逆襲」の突破口になるか?ナノインプリント技術とは」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/285286
・『わが国の経済はかなり厳しい状況を迎えている。過去30年間わが国の平均給与は増えず、20年は前年比0.8%減の433万円だった。問われているのは、わが国経済全体での実力の発揮だ。自動車を除き、わが国には世界の需要を獲得できる最終製品が見当たらない。利益率が低いため、海外勢に比べて本邦企業の設備投資額は見劣りする。その状況下、官主導ではなく、民間企業主導のコンソーシアムによるナノインプリント技術は、新しい製造技術の創出によって世界の需要を獲得する突破口になる可能性を秘める』、「ナノインプリント技術」とはそんな希望の星なのだろうか。
・『キオクシア(旧東芝メモリ)とキヤノン 大日本印刷の「ナノインプリント」とは  わが国半導体メーカーのキオクシア(旧東芝メモリ)とキヤノン、大日本印刷がコンソーシアムを組んで、「ナノインプリント」と呼ばれる半導体回路形成の新しい技術の実用化を目指している。この技術は、ハンコを押すようにして半導体回路を形成するもので、より効率的な半導体の生産を可能にすると期待される。その新しい技術によって、かつて世界のトップに立っていた日本の半導体業界が、再び、世界市場で上位に入ることを目指している。この技術を期待通りに開花させることができれば、日の丸半導体の「逆襲」も実現可能と期待が高まっている。 ナノインプリントの取り組みに関しては民間企業主導ではあるものの、政府が経済安全保障などの観点から半導体関連産業への支援を強化することにも注目した。主要先進国の産業政策は、市場競争を重視したものから、必要に応じて市場に介入し、新しい需要創出を支援するものにシフトしている。経済安全保障面で重要性が高まる最先端の半導体製造技術は、その象徴的な分野だ。 今後、最先端の半導体製造技術の開発や関連市場シェアを巡って、日本・米国・中国・台湾・韓国の競争は一段と苛烈さを増す。わが国経済に必要なことは、民間企業のアニマルスピリットを最大限に発揮し、それを政府が資金面を中心にしっかりとサポートすることだ。それができれば、わが国の半導体関連産業が世界的な競争力を取り戻すことは可能だろう。楽観はできないが、わが国経済の総力挙げての逆襲を何とか期待したいものだ』、「「ナノインプリント」と呼ばれる半導体回路形成の新しい技術の実用化を目指している。この技術は、ハンコを押すようにして半導体回路を形成するもので、より効率的な半導体の生産を可能にすると期待される」、「期待」するに足る素晴らしそうな技術だ。「わが国経済に必要なことは、民間企業のアニマルスピリットを最大限に発揮し、それを政府が資金面を中心にしっかりとサポートすることだ」、その通りだ。
・『日本の半導体関連産業はなぜ凋落したのか  わが国半導体関連産業の現状は、部材や製造装置の分野で国際競争力を発揮している。また、車載やパワー、音響、画像処理センサーなどの汎用型の半導体分野でもわが国メーカーは一定のシェアを持つ。 その一方で、デジタル化の加速を背景に中長期的な成長が期待されるメモリーやロジック半導体の分野では、世界最大のファウンドリである台湾積体電路製造(TSMC)や韓国のサムスン電子などのシェアが圧倒的だ。2019年時点で世界の半導体市場に占めるわが国企業の売上シェアは10%程度とみられる。 しかし、歴史を振り返ると1988年の時点で日の丸半導体は約50%の世界シェアを確保した。そこから凋落した要因は、日米半導体摩擦の激化、台韓半導体メーカーの成長、国際分業の加速、わが国産業政策の失敗などいくつかある。その一つとして、産業政策に注目してみたい。 90年代に入り本邦半導体産業が国際競争力を失う中、99年にNECと日立製作所のDRAM事業が統合し、それを母体に官主導でエルピーダメモリが設立された。しかし、2012年にエルピーダは経営破綻した。 その要因の一つは、官には事業運営の効率性向上を目指す発想が乏しいことだ。また、最先端の研究開発の動向や事業環境の変化の把握に関しても、政府に優位性があるとはいえない。官主導でコンソーシアムは組んだものの、エルピーダ内部では製造技法や人事権を巡って組織が対立し、混乱した。 一方、世界の半導体産業ではメモリーよりもロジック半導体の生産強化が加速し、わが国半導体産業は環境変化に取り残され、エルピーダの命運は尽きた。日の丸半導体の凋落によって、キヤノンなどはEUV(極端紫外線)露光装置の開発を続ける経営体力(資金力)を強化できず、開発を断念した。その結果、最先端のロジック半導体生産に必要なEUV露光装置は、オランダのASMLが事実上独占している』、なるほど。
・『「秒進分歩の勢い」で熾烈化する半導体競争  わが国半導体メーカーの競争力は低下したものの、依然として、半導体の高純度の部材や製造・検査装置分野では世界的な競争力を発揮している。それは、各社が諦めずにより高純度、より精緻な製造技術を創出し、激化する競争環境に対応して世界の需要を獲得したからだ。 そうした半導体部材や製造装置産業の集積が、TSMCが熊本県に半導体工場を建設する重要な決め手の一つとなった。今月14日、TSMCは22年に着工し24年に生産開始すると正式発表。日本政府による資金援助などの働きかけもあったようだ。熊本工場でTSMCは回路線幅が22ナノと28ナノメートル(ナノは10億分の1)の演算処理用チップを生産するとみられる。最先端ではないにせよ、これは本邦企業のサプライチェーン強化にプラスの効果をもたらす。 ただし、世界経済全体で見た場合、半導体の設計開発と製造技術を巡る競争は、「秒進分歩の勢い」で熾烈(しれつ)化している。例えば、中国のアリババグループは、現時点で最先端の回路線幅5ナノメートルのサーバー向けチップを開発している(当面は自社用に用いる)。また、中国共産党政権は「国家集積回路産業投資基金」を設定し、ソフトとハードの両面で半導体関連技術の強化を支援している。最先端の半導体製造面において中国企業の技術開発力は十分ではないが、先行きは楽観できない。 米国ではバイデン政権がTSMCやサムスン電子などに直接投資を求め、国内での設計開発と製造の両面で世界シェアの獲得を目指している。さらに、米上院は、半導体産業などに約5.7兆円を投じる「米国イノベーション・競争法」(USICA)を可決した。経済安全保障のために、半導体に関する米国の産業政策がさらに強化される可能性は高い。また、韓国政府は「K-半導体戦略」を策定し、サムスン電子はTSMCを追いかけて3ナノや2ナノレベルのチップ生産を目指している』、「熊本工場でTSMCは回路線幅が22ナノと28ナノ」、に対し、「アリババグループ」は「5ナノ」の「チップを開発」、「サムスン電子は」「3ナノや2ナノレベルのチップ生産を目指している」、「熊本工場」のは微細化で取り残されても大丈夫なのだろうか。
・『平均給与は30年間増えず いかに新しい需要を創出するか  TSMCは21年に3兆円規模の設備投資を行い、競争力の向上にまい進している。熊本県での工場建設費用は、約1兆円に上る(政府の補助を含む)。ただ、ファウンドリ市場で寡占的な地位を維持するTSMCでさえ、その優位性を長期的に維持できる保証はない。 問われているのは、わが国経済全体での実力の発揮だ。自動車を除き、わが国には世界の需要を獲得できる最終製品が見当たらない。利益率が低いため、海外勢に比べて本邦企業の設備投資額は見劣りする。その状況下、官主導ではなく、民間企業主導のコンソーシアムによるナノインプリント技術は、新しい製造技術の創出によって世界の需要を獲得する突破口になる可能性を秘める。 その実現に必要なのは、政府がしっかりと支援することだ。政府は事業運営資金や規制改革などの側面から、主要国に見劣りしない規模とスピードでサポートすべきだ。米国などはそうした経済運営をより重視している。政府がTSMCの工場建設を資金支援することは、わが国の経済運営が世界的な「修正資本主義」の流れに向かいつつある兆候だ。それを土台に、国内企業が研究開発から経営まで総合力を発揮する展開を期待したい。 わが国の経済はかなり厳しい状況を迎えている。過去30年間わが国の平均給与は増えず、20年は前年比0.8%減の433万円だった。短期的には、円安と資源高が個人消費や生産活動を圧迫するだろう。長期的には、人口減少によって国内経済の縮小均衡が加速し、国民生活の負担が増す恐れがある。 わが国が真の経済成長を実現するためには、ナノインプリントなどの新しい製造技術を生み出し、世界の新しい需要を取り込むことが不可欠だ。わが国産業界全体がいかにして新しい需要を創出するか、腕の見せどころを迎えている』、「ナノインプリントなどの新しい製造技術を生み出し」、はいいとしても、「世界の新しい需要を取り込む」には特段の努力が必要なようだ。
タグ:半導体産業 (その5)(「半導体確保」の重い対価 念願のTSMC日本誘致、富士通・元半導体部門トップの直言① 「日の丸半導体」が凋落したこれだけの根本原因、日の丸半導体「逆襲」の突破口になるか?ナノインプリント技術とは) 東洋経済Plus 「「半導体確保」の重い対価 念願のTSMC日本誘致」 「今回の投資総額は7000億~8000億円に上り、その半分程度を日本政府が補助金として支援」、気前がいい話だが、世界的には世間相場なのかも知れない。 「最先端の半導体は回路線幅が5ナノメートルだが、それらを必要とする高性能のパソコンやスマホの生産拠点が日本には少なく、TSMCとしてはハイエンド品を日本で生産する動機がない」、やむを得ないが、寂しい限りだ。「国が民間産業に口を出して成功した例はほぼない」、「真に成功したといえるかは5年、10年先までわからない。「安定調達」の対価は思った以上に高くつくかもしれない」、さてどうなることやら・・・。 「富士通・元半導体部門トップの直言① 「日の丸半導体」が凋落したこれだけの根本原因」 「1980年代にそのアメリカに日本は半導体の製造で勝った」、「それは、1970年代に日本が新しい技術を作ったからだ」、「たとえばクリーンルームという概念を生み出した」、「LSI・・・にしたのも日本」、なるほど。 「半導体」の売り先が、「自社の通信機器やコンピュータの部門」から「パソコン」に代わり、さらに「スマホ」となるに伴い、「品質」が求められなくなったようだ。 「半導体部門自体が決定権を持っていないということは、国プロが成功しないという問題だけにとどまらなかった。投資などを決めるのは本社様で、半導体のマーケットをわかっている人間が(投資の)賭けに打って出ることはほとんどできなかった」、総合電機は弱味だったようだ。「欧米では1990年代に半導体事業が総合電機からスピンアウトした。日本でそれが起こったのは2000年になってからだ」、「10年遅れて半導体事業を切り離す決断をしたが、日本の総合電機は半導体の業績や市況が悪いときに捨ててしまった。事業を売る判断も本社。総合 「エルピーダ」「は銀行が耐えられなかった」「誰が儲けたか。倒産したエルピーダを買ったアメリカのマイクロンだ」、「海外企業に売却された案件」では「ほぼ全員アンハッピー。技術も残っていないし、人材も散ってしまった」、「サムスンや現代・・・の半導体事業は、当時の日本の技術者が週末に韓国へ行って指導して立ち上げた。ただ、中国に関しては早期退職でクビになった日本の技術者が現地に渡って立ち上げた」、「中国も韓国も、優秀な技術者の待遇はすばらしい」、これでは「中国や韓国」に遅れを取るのも当然なのだろう。 「アメリカではカードになったときにモデム設計者の多くがクビになった。クビになった設計者がモデムカードのスタートアップを作ったり、モデムチップの設計会社、ファブレスを興したりした。 ところが、日本企業では商売がなくなった技術者は起業するのではなく、社内の別の業務に移った。培ってきた技術は全部消えてしまい、ファブレスも誕生しなかった」、日本型雇用がマイナスに利いた例のようだ。 「大型案件では経営者や資本家が介入」、担当者ベースで交渉しようとする日本型総合電機に勝ち目はないのは当然だ。 ダイヤモンド・オンライン 真壁昭夫 「日の丸半導体「逆襲」の突破口になるか?ナノインプリント技術とは」 「ナノインプリント技術」とはそんな希望の星なのだろうか。 「「ナノインプリント」と呼ばれる半導体回路形成の新しい技術の実用化を目指している。この技術は、ハンコを押すようにして半導体回路を形成するもので、より効率的な半導体の生産を可能にすると期待される」、「期待」するに足る素晴らしそうな技術だ。「わが国経済に必要なことは、民間企業のアニマルスピリットを最大限に発揮し、それを政府が資金面を中心にしっかりとサポートすることだ」、その通りだ。 「熊本工場でTSMCは回路線幅が22ナノと28ナノ」、に対し、「アリババグループ」は「5ナノ」の「チップを開発」、「サムスン電子は」「3ナノや2ナノレベルのチップ生産を目指している」、「熊本工場」のは微細化で取り残されても大丈夫なのだろうか。 「ナノインプリントなどの新しい製造技術を生み出し」、はいいとしても、「世界の新しい需要を取り込む」には特段の努力が必要なようだ。
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その他不正検査(その1)(三菱電機不正3題:東芝と三菱電機 同じ「不祥事企業」でも投資判断の評価は全く異なる理由、「言ったもん負け」の文化を指摘する社員も 三菱電機 調査報告書があぶり出した「特殊体質」、100点中30点 企業不正問題の専門家が一刀両断 三菱電機 291ページの調査報告書が残した「宿題」) [社会]

今日は、その他不正検査(その1)(三菱電機不正3題:東芝と三菱電機 同じ「不祥事企業」でも投資判断の評価は全く異なる理由、「言ったもん負け」の文化を指摘する社員も 三菱電機 調査報告書があぶり出した「特殊体質」、100点中30点 企業不正問題の専門家が一刀両断 三菱電機 291ページの調査報告書が残した「宿題」)を取上げよう。

先ずは、7月7日付けダイヤモンド・オンラインが掲載した経済評論家・楽天証券経済研究所客員研究員の山崎 元氏による「東芝と三菱電機、同じ「不祥事企業」でも投資判断の評価は全く異なる理由」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/276035
・『東芝の後を追うように、三菱電機でも品質検査の不正という深刻な不祥事が発覚した。両社は共に「重電企業」と呼ばれ、どちらの不祥事も相当に「悪い」。しかし、投資判断においては、同じ不祥事企業でも評価が全く異なってくる。その理由をお伝えしよう』、興味深そうだ。
・『東芝に負けない「悪さ」 三菱電機が品質不正の不祥事  先週の拙稿『「底なしに悪い会社」東芝から得る7つの教訓、山崎元が解説』で、東芝のことを「底なしに悪い」と書いた。どのぐらい悪いかの基準があるわけではないのだが、何度も不祥事を起こし、この度は経済産業省とも擦り合わせた上で特定の株主に圧力を掛けた嫌疑が濃厚なので、「悪い」と言って問題はなかろうと判断した。 さて、ライバル会社の「悪さ」に刺激されたわけでもないだろうが、「俺の方がもっと悪いぞ!」と言いかねない勢いで、三菱電機が鉄道車両向けの空調装置と空気圧縮機ユニットの検査に長年かつ意図的な不正があったことを発表した。 ただし、経営陣はその事実を把握し、経産省に報告を済ませていたにもかかわらず、株主総会の前に発表するのではなく、株主総会後の発表となった。報道によると、問題の把握が6月14日、経産省への報告が6月25日、株主総会が6月29日で、検査不正の発表は6月30日だ。この経緯にも問題がある』、「経営陣はその事実を把握し、経産省に報告を済ませていたにもかかわらず、株主総会の前に発表するのではなく、株主総会後の発表となった」、株主軽視の典型だ。
・『辞意を表明した三菱電機社長だが「かなり情けないオチ」が付いた  東芝に関する拙稿では、不祥事企業のトップに対して「問題の解決に当たることが私の責任だ」という言い逃れの下に留任することが世間から許されなくなっていると書いた。そしてその言葉通り三菱電機は、杉山武史社長が問題公表の2日後である7月2日に記者会見を開いて、謝罪と共に辞意を表明した。 しかし、記者会見では29日の定時株主総会で不正を公表しなかったのは取締役会に諮った結果だとの説明が杉山社長からされたのだが、実際には取締役会が開かれておらず、説明に問題があったとの訂正が会社側から行われるという、かなり情けないオチが付いた。 社長を辞めると決めたのだから、他の取締役を巻き込むような説明をせずに「私の判断だ」とこの問題を背負い込めば良かったのに、自分の責任を少しでも軽くしたいと思う組織人の癖が出たのだろうか。杉山氏は、もともと社長の器でなかったとの印象を持つ。一般に、この種の辞め方をする社長が後任選びに関わるとろくなことはないが、彼は潔く手を引くのだろうか。 後任の社長には、社内からの昇格を検討しているようだ。三菱電機は年間の報酬が1億円を超える「億り人役員」の数が多いことで有名な会社だ。彼らの中から後任社長が選ばれるのだろうか。 しかし、長年にわたる深刻な不正が抑えられなかった上、さらに株主に対する情報開示の不誠実があった後に、後任社長が「三菱電機の人」で大丈夫なのか。果たして株主は納得するのだろうか。 なお、三菱電機も東芝と同様に委員会等設置会社で、それなりの経歴を持つ社外取締役を複数取りそろえているが、こうした「先進的なガバナンス」は十分機能しなかったと評価せざるを得ない』、「東芝」「三菱電機」とも「先進的なガバナンス」は、絵に描いた餅に終わったようだ。
・『東芝と三菱電機の不祥事 「不毛な悪さ比べ」だがどちらが悪い?  さて、「悪い」という判断は主観的なものだが、読者は東芝と三菱電機とを比較して、どちらをより悪いと判断されるだろうか。 かつての「不適切会計」問題に、昨年の株主総会における株主への不当な働きかけの嫌疑など、東芝は確かに悪い。 一方、株主に明らかに必要な情報開示をしなかった点で、三菱電機は株主に対して十分悪い。その扱いを了承していたなら経産省も大いに悪いし、単に適切な情報の開示を指導しなかったというのなら官庁として無能だ。彼らに日本企業のコーポレートガバナンス(企業統治)の改革を主導することを期待するのは、泥水で床を掃除するくらい虚しいことだ。 ところが三菱電機の場合は、「悪さ」の相手が株主や投資家だけではなく、顧客や、さらにその先にいる顧客の顧客であることが深刻だ。 筆者はこの不毛な悪さ比べにあって、三菱電機の方に軍配を上げる。顧客をあざむいて製品を販売していたのだし、その先の利用者に対しては安全上の問題が生じる可能性さえあったのだ。この先しばらくの間、訪ねたビルで三菱電機製のエレベーターに乗ると不安を覚えそうだ。不正が、他の製品に及んでいる可能性はないか』、「三菱電機」は「顧客をあざむいて製品を販売していた」、「その先の利用者に対しては安全上の問題が生じる可能性さえあった」、より悪質なようだ。
・『「東芝型」と「三菱電機型」 同じ不祥事でも異なる投資評価  さて、悪い、悪い、と怒ってばかりいても仕方がない。筆者は(おそらくは読者も)、東芝や三菱電機の親でも先生でもない(幸いなことだ)。彼らのしつけや矯正に責任を負っているわけではない。 そこで、両社を投資の観点から眺めることにしよう。) 先週の拙稿で、経産省筋から働きかけがあったかもしれない米ハーバード大学の基金が、東芝株への投資でおそらくかなりもうけたらしいことに触れた。一般論として、不祥事を含む悪材料で株価が下落した状態は投資のチャンスになり得る(もちろん、ならない場合もある)。 さて、あらかじめお断りしておくが、筆者は東芝と三菱電機の株式に関して、どちらについても、「売れ」とも「買え」とも言いたいわけではない。 ただ、投資判断の対象として考えた場合、東芝と三菱電機では評価の視点が異なるので、そこを説明したい。 何度も「悪い」と書いて東芝の関係者には恐縮だが、東芝の悪さは、直接的には株主に対して、あるいは最大限範囲を広げても投資家に対するものだ。 不祥事は、投資家の間での「評判」には影響するが、「業績」に対して直接的に影響する性質のものではない。 思い切って言ってしまうと、評判の悪化で株価が大きく下がるのなら、その状況は投資のチャンスである可能性が大きい。株式投資の判断は、対象企業への好意や、逆に処罰感情で行うべきものではない。 「不適切会計」問題の後の東芝は、その問題が企業価値に与えていた影響を評価して調整してしまえば、普通の投資評価ができたはずだ。なので、株価の下落局面で「買い」という判断を下せた投資家がいた可能性がある(ハーバード大学の基金がまさにそうだった可能性がある)』、「ハーバード大学の基金」はさすがプロフェッショナルだ。
・『三菱電機の不祥事が投資上「厄介」な理由  一方、今回の三菱電機の問題で投資上厄介なのは、問題が同社のビジネスに与えるマイナスのインパクトについて、規模の評価が難しいことだ。 端的に言って販売した製品の品質をごまかしていたのだから、製品の差し替えが必要だろうし、損害賠償が発生するかもしれない。また、正しい検査体制の構築に費用が掛かるだろうし、正しい品質で作るとコストが上昇するかもしれない。さらには同社の製品やサービスに対する、ユーザーの拒否反応による追加的な損失もあるかもしれない。 また、三菱電機の企業体質を考えた場合に、製品検査の意図的不正に類する問題が、鉄道関連の機器にとどまるのかどうかが外部からは分からない。 「東芝型」の不祥事だと、「株価が〇〇〇〇円以下に下がれば投資チャンスではないか」と判断しやすい面があるが、顧客に対する背信を伴う「三菱電機型」の不祥事の場合「××××円まで下がれば買いだろう」という判断が下しにくいのだ』、「顧客に対する背信を伴う「三菱電機型」の不祥事の場合「××××円まで下がれば買いだろう」という判断が下しにくい」のは確かだ。
・『新格言「株は悪材料こそが買い」を提案したいとはいうものの…  株式投資にあっては、不祥事や不測の大型損失、事故などの「悪材料」の発生が、実は投資の好機になる場合が少なくない。株式投資の新しい格言として、「株は悪材料こそが買い」を提案したいくらいのものだ。 投資家にとって「悪材料」のいいところは、しばしばそのスケールを評価することが容易な点だ。「工場が被災」とか「投資の巨額損失」「会計のごまかし」のような悪材料は、「企業価値にとって最大この程度の下方修正要因だ」ということを把握しやすい場合がある。そのスケールをはるかに超えて株価が下がった場合、投資家はひっそりと仕込む(株式を買う)といい。 他方、「新製品の売り上げが好調」のような好材料では、今後どの程度の売り上げが期待できるのかはスケールを評価しにくいので、実は投資評価が難しい。 さて、今回の三菱電機の場合はどうなのだろうか。 実は、今回のケースでは、三菱電機が今後負担しなければならない不正のコストがはっきりしない。その点で、典型的な「株は悪材料が買い」の手法で「株価が××××円以下ならチャンスではないか」という判断を下しにくい。 では、三菱電機に投資するのはダメなのかというと、そうでもない点が難しい。株式市場の参加者は、その時々の情報を加味しながら三菱電機の株式の価値を評価しているはずであり、それが過小とも過大とも決めつけにくい』、筆者の正直な判断はさすがだ。
・『ESG投資を標榜する運用会社は東芝と三菱電機の株式をどうする?  ところで、昨今熱心にセールスされている、「ESG(環境、社会、ガバナンス)」に配慮している企業への投資を提唱する「ESG投資」では、東芝や三菱電機の株式に対してどう対処するのだろうか。 「ESG」の「G」は、ガバナンスの「G」なので、株主に対する背信行為があった両社の株式を、ESG投資を標榜する運用会社が持ち続けるのだとすると、「ESG投資」はほとんどお笑い草だ。 しかし、東芝も三菱電機も企業倫理的に「悪い」のだとしても(再々、申し訳ない)、その株式が現在の株価で投資対象としていいのか悪いのかは判然としない。 こうした具体的な対象に対する投資行動を考えると、資産運用手法としての「ESG投資」のばかばかしさがよく分かる』、その通りだ。
・『日立・東芝・三菱電機の重電3社 さてどれに投資する?  東芝と三菱電機に日立製作所を加えて、重電3社と呼ぶことがある。証券取引コードでは、6501(日立)、6502(東芝)、6503(三菱電機)だ。各社いずれも、インフラなどに関わる「重電」だけをビジネスとしていたわけではないが、比較の対象になりやすいライバル会社3社だ。 最後に、筆者の新米ファンドマネージャー時代の思い出話を紹介しよう。 ある運用会社で、アナリスト部門の役員が、若手ファンドマネージャー数人に、「重電大手の銘柄には、日立、東芝、三菱電機の三つがあるけれど、君たちは、それぞれどんな根拠でどの銘柄を買いたい(=保有したい)と思う?」と問いかけた。 読者なら、どのように考えるだろうか。 ちなみに、過去10年くらいの株価の推移を見ると、日立は相当に上昇していて現状は最高値圏、東芝は上下の動きの幅が大きいが過去10年では高値圏。一方、三菱電機は2018年が高値で現在の株価はそれよりもかなり低い。 問いかけられた若手ファンドマネージャーたちは、それぞれの企業のビジネスや株価に対する評価を述べて、自分が最も買いたいと思う銘柄を述べた。一方、生意気な若手だった筆者は次のように答えた。「私にも、あなた(調査担当の役員のことだ)にも、企業の評価なんてできないし、われわれに特別な情報はないのだから、3銘柄全部に分散投資するといいのではないですか」。 金融論的には今でも「群を抜いた正解!」だと思うのだが、サラリーマンとしてはダメな答えだった。 以上、何を教訓とするかは、読者にお任せする』、「金融論的には」「3銘柄全部に分散投資するといい」、しかし、「サラリーマンとしては」、もっともらしい屁理屈を並べて、適当な答えを出しておく方がいいのだろう。

次に、10月5日付け東洋経済Plus「「言ったもん負け」の文化を指摘する社員も 三菱電機、調査報告書があぶり出した「特殊体質」」を紹介しよう。
https://premium.toyokeizai.net/articles/-/28382#contd
・『三菱電機の全国の事業所で相次ぎ発覚した品質不正問題。創立100年を迎えた名門メーカーに何が起きているのか。 品質不正問題の解決に向けた最初の一歩がようやく踏み出された。 三菱電機は10月1日、社外の弁護士らによる調査委員会がまとめた291ページに及ぶ報告書を公表した。 報告書は一連の品質不正問題の背景に、独立性の高い事業本部制の弊害があったと指摘。問題を解決するための経営陣の「本気度」にも課題があったなど、会社側を厳しく指弾した。 報告を受けて、三菱電機は対応策を同日に発表。柵山正樹会長が引責辞任し、経団連副会長など兼任していたすべての役職から退いた。空席となった取締役議長には社外取締役である薮中三十二・元外務事務次官が就く』、なるほど。
・『製作所の調査は始まったばかり  今回の報告は、名古屋製作所可児工場(岐阜県可児市)と長崎製作所(長崎県時津町)の2カ所で発覚した検査不正が対象だ。 三菱電機ではこれ以外に、受配電システム製作所(香川県丸亀市)や福山製作所(広島県福山市)など、複数の拠点で検査不正や不備が見つかっている。調査委はこれらを含めた三菱電機の22製作所すべてを調査する予定で、2022年4月の調査完了を目指す。 2つの製作所に関する報告からすでに浮かび上がったのは、問題を矮小化し、なかったことにしようとする社内の「事なかれ主義」だ。 工場などの産業用施設で過電流や漏電が起きた際に電流を遮断する「電磁開閉器」を製造する可児工場では、6件の不正が認定された。 古いものでは1994年ごろから認証規格と違う材料を使った製品を製造しており、原因は不明だという。2012年の後継機種の製品開発時にも、開発が遅れていたことを理由に再び規格と異なる材料を採用する不正が起こった。このときは、当時の工場長が虚偽の認証申請をしていた。 291ページに及ぶ報告書には、「『言ったもん負け』の文化がある」などと特殊な社風を指摘する従業員の声も載っている。傍線は編集部(編集部撮影) 鉄道車両用装置を作る長崎製作所では、12件の不正を認定した。 空調装置では、本来行わなければいけなかった量産時の試験を行わず、開発時の試験データを流用していた。不正流用は遅くとも1985年から行われ、1990年ごろには品質管理課の担当者が架空のデータで検査成績書を自動生成するプログラムまで作成していた。いずれの不正でも、製品自体の安全性には問題がないことを確認したという』。「製品自体の安全性には問題がない」、本当だろうか。
・『口をそろえて「品質に問題なし」  報告書は、調査を受けた従業員たちが口をそろえて「品質に問題はなかった」と述べていたことを問題視する。「一部の従業員が、本件品質不正を『悪いこと』、『許されないこと』と受け止め切れていない様子もうかがわれた」(報告書)。 例えば長崎製作所では、測定された製品の冷房能力が規定に達していないのに合格としていた。この件について従業員は「5%程度の(測定数値の)差は、体感できるものではないと判断していた」と証言した。 長崎製作所ではそもそも、製造ラインに冷房能力試験や防水試験を行う設備がなかった。現場の従業員がこの設備を導入するためのコスト増を恐れ、不正が放置された側面もある。 ある従業員は調査委のヒアリングに対し「『言ったもん負け』の文化がある。改善を提案すると、言い出した者が取りまとめになり、業務量の調整もしてもらえないので、単純に仕事が増える」と証言するなど、問題解決に及び腰になっていた事情が明らかになっている。 調査委の木目田裕委員長は「収益などへのプレッシャーはどの会社でもあるが、それに対して安易に不正に走ってしまうところは(三菱電機のどの現場も)共通している」と苦言を呈した』、「長崎製作所ではそもそも、製造ラインに冷房能力試験や防水試験を行う設備がなかった。現場の従業員がこの設備を導入するためのコスト増を恐れ、不正が放置された側面もある」、信じられないようなズサンさだ。
・『「製作所・工場あって会社なし」  こうした問題が長年にわたって見逃されてきた三菱電機特有の事情として、現場と東京にある本社との間の距離感がある。 調査報告では、事業部が本社を頼ろうとせず、自らの組織内だけで問題を解決しようとする姿勢が、長年不正を放置する結果につながったと指摘。調査委はこの状況を「製作所・工場あって会社なし」と批判する。 実際、三菱電機では各部署間での異動は少ない。入社時に配属される事業所に長く配属され、事業所をまたいだ異動は部長級に昇格してからというのが当たり前になっていた。その結果、ひとつの会社としての一体感は醸成されず、所属する事業部を防衛することに視線が向いていた。 「現場のかたが『本社に声を上げて助けを求めても、結局助けてくれない』と言う。これは非常に重要な問題であって、解決しなければならない」。調査委の木目田委員長は、現場の本社に対する不信感についてそう指摘した』、「本社」と「現場」にこれほど溝がある企業も珍しい。これを放置してきた経営者もそれだけで失格だ。
・『くすぶる経営陣の責任問題  責任の追及は今後の課題として残る。7月に辞任した杉山武史社長に続き、柵山会長もこの日に辞任を発表した。 柵山氏は会見で、「社長時代に頻繁に現場に出向き、現場の方から意見を聞いたつもりでいた。だが、そういう場で声を上げてくれる人は私に対してポジティブな(印象を持っている)人だけ。そのことに早く気づけばよかった」と悔やんだ。 杉山氏の後を継いだ漆間啓社長は、不正の舞台となった長崎事業所を所管する社会システム事業部長を歴任し、2018年の社内調査時には不正の疑いを報告されていた。だがそのときは事業所から「不正ではない」との報告を受け、そのまま鵜呑みにし、放置してしまった。漆間氏は会見で「技術スタッフが相当議論をしたと言うので認めてしまった。真摯に(当時の責任を)受け止めている」と述べた。 今回調査委が聞き取りをした歴代社長は柵山、杉山、漆間の3氏にとどまる。木目田委員長は、それ以前の社長への聞き取りについても「可能性はある」と言及。また、ほかの幹部も含めた経営陣の責任をどう明確化するかは、今年の12月までに検討するという。 ガバナンス体制の再構築も急務だ。2022年4月までに外部から執行役を3人招く予定で、人選を急ぐ。漆間社長は「3人いればいろんな意見が出てくる。外部の声を取り入れたい」と語る。 一連の不正の根因とも言える組織風土の問題は、一朝一夕に変えられるものではない。 会社は縦割りを打破するために、全社変革プロジェクト「チーム創生」を10月中に立ち上げる。社内公募したメンバーで改革に向けた提言をまとめ、「上に声を上げやすい」「失敗を許容する」「情報を共有し、ともに課題を解決する」風土を目指すという。社内からは「まずは反省することが大切なのに、こんな前向きなことを言って大丈夫なのか」という疑問の声も上がるが、まずはこれまで手をつけてこなかった仕組み作りからスタートさせる狙いだ。 事なかれ主義、事業部ごとの縦割り、経営陣と現場との断絶――。これらは多くの日本企業に存在する共通の課題でもある。始まったばかりの三菱電機の改革は、日本企業の陥りがちな問題に向き合うことができるかも問われている』、「始まったばかりの三菱電機の改革は、日本企業の陥りがちな問題に向き合うことができるかも問われている」、確かにその通りだ。

第三に、10月25日付け東洋経済Plus「100点中30点、企業不正問題の専門家が一刀両断 三菱電機、291ページの調査報告書が残した「宿題」」を紹介しよう。
https://premium.toyokeizai.net/articles/-/28547
・『経過報告として公開された三菱電機の調査報告書は291ページにも及ぶ。膨大な調査結果に不足点はないのか。企業の不正問題に詳しい専門家に聞いた。 相次ぐ検査不正問題に揺れる三菱電機。社外の弁護士らによる調査委員会が10月1日に公表した報告書は「経過報告」との位置づけで、最終的な調査報告は2022年4月をメドに行われる。 不正の原因を分析し、有効な再発防止策を作ることが急務だ。会社側は最終報告を待たずして、品質、風土、ガバナンスの3つの分野に関して改革を進めると発表した。 ここまでの調査のあり方に問題はないのか。企業不正の分析に詳しい元芝浦工業大学教授の安岡孝司氏に、今後発表される最終版へのリクエストを含めて、今回の調査報告書の内容を分析してもらった。 (安岡氏の略歴はリンク先参照) 調査報告書の目的は株主や投資家、取引先などからの信頼回復であり、私はそういう観点から、各社の報告書が信頼回復に役立つのかをチェックしている。 私が開発したチェックリストで、三菱電機の調査報告書を採点したところ、100点満点中30点だった。ほかの企業の報告書は経験的に45~75点程度なので、この点数は低いほうだ。 50点以下の報告書では信頼回復が困難だと思う。今後最終報告が出る予定なので、そこに以下で述べる点が改善されれば、もう少し点数は上がるはずだ』、「ほかの企業の報告書は経験的に45~75点程度」なのに、「三菱電機」のは「30点」とはずいぶん低いようだ。
・『調査委員会の構成が不透明  まずは形式的な面から。気になるのは調査委員会のメンバー構成が記載されていないこと。これでは誰が報告書を書いたのかわからない。 会社から発表された別の資料を見ると、3人の委員の名前が出ているが、報告書自体には書かれていない。そういう意味では非常に不透明な報告書だと言える。 もう1つ気になるのは、調査委員会に入っている法律事務所が西村あさひ法律事務所だけとみられる点。西村あさひ法律事務所が独占受注しているようだが、そもそも報告書にはっきり書かれていないから検証できない。 私は調査委員会には法律事務所が複数入るべきだと考えている。1つの法律事務所だけの場合、そこが仮に(不正を行った会社の)経営陣と手を握っていると、第三者の監視が効かず、経営陣に都合の悪いことをさらっと流してしまう可能性があるからだ。 西村あさひ法律事務所による単独調査は、2017年の日産自動車の無資格検査でも行われたことだ。日産のときは報告書の文章(社員の証言など)に(まるでコピーしたかのような)同じ言い回しが多く、調査の信頼性に疑問符がついた。 三菱電機の報告書でも、会社側の担当者が書いたとみられる文言が見られる。 例えば73ページには「グループ全体に対する点検活動を行うこととした」と書いてある。これは社内の人間が自分たちの自主点検をするときの書き方で、主語が「本社は」「わが社は」になっている。外部の人間だったら、こういうときは「点検活動を行っている」と書くはずだ。 ほかにも、282ページには「品質不正の防止・発見に向けた十分な体制を整備している」と書いてある。ここも第三者なら「十分な」というような修飾語はつけないはずだ。 こうした文体がとても多く、まるで会社の企画本部の人間が書いたかのようだ』、「三菱電機の報告書でも、会社側の担当者が書いたとみられる文言が見られる」、ずいぶん手抜きが多いようだ。
・『原因分析が乏しい  内容については、原因分析で踏み込んだ記載がないことがいちばんの問題だ。 起こった事象については詳しく書いてあるが、その原因分析には言及が乏しい。普通なら、そこが調査の頑張りどころのはず。ステークホルダーからの信用を回復するためには的確な原因分析と、それに対する実効的な再発防止策が必要だ。 不正の背景については、「製作所・工場あって会社なし」とか「ミドルマネジメントの不足」といった指摘をしている。これらはなんとなく世間的には伝えやすい表現だと思うものの、結局は現場の責任にしている。単に「(現場と本社に)距離がありました。われわれは知りません」と、そんなふうに読める。 社内アンケートの結果や不正発覚の経緯、実行者の特定などもきちんと書かれていない。漠然とこういうことが起きたということが書かれていて、どこの部署のどのレベルの人が何をしたかについては書いていない。 もちろん指示者や、圧力があったかどうかも特定していない。さらに上位にさかのぼって、役員の責任を検証するべきだ。私は「調査発注者免責の法則」と呼んでいるが、調査発注者である経営側の責任を調査しない、免責した報告といった印象が強い。 三菱電機は過去にパワハラの問題を指摘されている。企業不正の背景には、経営陣から現場への圧力がつきものだ。経営陣から工場長、現場の部長、課長へと圧力がつながっていくときにどうしても無理が出て、不正につながる。 ハラスメントが指摘されているということは、社員が問題を感じても通報しにくい環境だということ。そうした点に踏み込まないと、真の原因分析にならない。 報告書の公開と同じタイミングで会社側が再発防止策を出しているが、できればこれについても報告書の中で書くべきだ。そうして初めて、起きた事実と原因分析との関連性がきちんと確保できているかチェックできる。会社側が策定した再発防止策が十分なのか、そこは今後の最終報告で調査委員会による的確な検証が必要だ』、「原因分析が乏しい」、「社内アンケートの結果や不正発覚の経緯、実行者の特定などもきちんと書かれていない。漠然とこういうことが起きたということが書かれていて、どこの部署のどのレベルの人が何をしたかについては書いていない」、「調査発注者である経営側の責任を調査しない、免責した報告といった印象が強い」、確かに問題が多い「報告書」のようだ。
・『品質部門に関する指摘は有用  今回の調査報告書には、いい点もある。不正防止にあたって必要な、品質保証部門についての記述だ。 長崎製作所では、製造部門にあった品質管理課を、独立させて品質保証推進部にしていた。これは私もずっとやるべきだと言ってきた体制だ。ただ、場所が(長崎製作所内にあり)製造部門と一緒なので、なかなか本社に帰属意識を持てなかったということを報告書は指摘している。 こうした問題提起は非常に大事なものだ。現場と独立したリスクマネジメント体制は、いろんな会社の人がどうしようか悩んでいるはずだ。三菱電機はこれを受けて、品質保証部門を社長直轄にするという。これまでより一歩踏み込んだ取り組みを始めた。 現場と独立したリスクマネジメント体制は、いろんな会社の人がどうしようか悩んでいるはずだ。そうした企業にとって、この指摘は価値のあるものだ。 ステークホルダーの信頼回復はもとより、調査報告書とは、よその会社が「わが社は大丈夫か」とチェックをするときに、公共性の高い重要なものさしになる。そういう意味で企業不正の調査報告書は社会的な財産である』、「品質部門に関する指摘は有用」、一般的に「調査報告書とは、よその会社が「わが社は大丈夫か」とチェックをするときに、公共性の高い重要なものさしになる」、しかし、「三菱電機」の「報告書」は「公共性の高い重要なものさし」たり得るのだろうか。私は筆者の楽観的見方には疑問を感じる。
タグ:その他不正検査 (その1)(三菱電機不正3題:東芝と三菱電機 同じ「不祥事企業」でも投資判断の評価は全く異なる理由、「言ったもん負け」の文化を指摘する社員も 三菱電機 調査報告書があぶり出した「特殊体質」、100点中30点 企業不正問題の専門家が一刀両断 三菱電機 291ページの調査報告書が残した「宿題」) ダイヤモンド・オンライン 山崎 元 「東芝と三菱電機、同じ「不祥事企業」でも投資判断の評価は全く異なる理由」 「経営陣はその事実を把握し、経産省に報告を済ませていたにもかかわらず、株主総会の前に発表するのではなく、株主総会後の発表となった」、株主軽視の典型だ。 「東芝」「三菱電機」とも「先進的なガバナンス」は、絵に描いた餅に終わったようだ。 「三菱電機」は「顧客をあざむいて製品を販売していた」、「その先の利用者に対しては安全上の問題が生じる可能性さえあった」、より悪質なようだ。 「ハーバード大学の基金」はさすがプロフェッショナルだ。 「顧客に対する背信を伴う「三菱電機型」の不祥事の場合「××××円まで下がれば買いだろう」という判断が下しにくい」のは確かだ。 筆者の正直な判断はさすがだ。 「金融論的には」「3銘柄全部に分散投資するといい」、しかし、「サラリーマンとしては」、もっともらしい屁理屈を並べて、適当な答えを出しておく方がいいのだろう。 東洋経済Plus 「「言ったもん負け」の文化を指摘する社員も 三菱電機、調査報告書があぶり出した「特殊体質」」 「製品自体の安全性には問題がない」、本当だろうか。 「長崎製作所ではそもそも、製造ラインに冷房能力試験や防水試験を行う設備がなかった。現場の従業員がこの設備を導入するためのコスト増を恐れ、不正が放置された側面もある」、信じられないようなズサンさだ。 「本社」と「現場」にこれほど溝がある企業も珍しい。これを放置してきた経営者もそれだけで失格だ。 「始まったばかりの三菱電機の改革は、日本企業の陥りがちな問題に向き合うことができるかも問われている」、確かにその通りだ。 「100点中30点、企業不正問題の専門家が一刀両断 三菱電機、291ページの調査報告書が残した「宿題」」 「ほかの企業の報告書は経験的に45~75点程度」なのに、「三菱電機」のは「30点」とはずいぶん低いようだ。 「三菱電機の報告書でも、会社側の担当者が書いたとみられる文言が見られる」、ずいぶん手抜きが多いようだ。 「原因分析が乏しい」、「社内アンケートの結果や不正発覚の経緯、実行者の特定などもきちんと書かれていない。漠然とこういうことが起きたということが書かれていて、どこの部署のどのレベルの人が何をしたかについては書いていない」、「調査発注者である経営側の責任を調査しない、免責した報告といった印象が強い」、確かに問題が多い「報告書」のようだ。 「品質部門に関する指摘は有用」、一般的に「調査報告書とは、よその会社が「わが社は大丈夫か」とチェックをするときに、公共性の高い重要なものさしになる」、しかし、「三菱電機」の「報告書」は「公共性の高い重要なものさし」たり得るのだろうか。私は筆者の楽観的見方には疑問を感じる。
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今日は更新を休むので、9日にご期待を!

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資本主義(その7)(「分配政策」だけでは 「20年後の生活水準」がいまより2割低下する 日本に必要なのは相当な生産性向上政策、岸田首相の「新しい資本主義」がキモいとしか言えないこれだけの理由、「新しい資本主義」は「新しいバブル」にすぎない 「中間層」を増やすことは本当に可能なのか?) [経済]

資本主義については、9月19日に取上げたばかりだが、今日は、(その7)(「分配政策」だけでは 「20年後の生活水準」がいまより2割低下する 日本に必要なのは相当な生産性向上政策、岸田首相の「新しい資本主義」がキモいとしか言えないこれだけの理由、「新しい資本主義」は「新しいバブル」にすぎない 「中間層」を増やすことは本当に可能なのか?)である。

先ずは、10月17日付け現代ビジネスが掲載した一橋大学名誉教授の野口 悠紀雄氏による「「分配政策」だけでは、「20年後の生活水準」がいまより2割低下する 日本に必要なのは相当な生産性向上政策」を紹介しよう。
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/88257?imp=0
・『高齢化が進展する中で適切な再分配を行うためには、就業者1人当たりの生産物が増えなければならない。日本では、過去20年間以上にわたって1人当たり実質賃金が増えていないので、これは容易ならざる課題だ。賃金のこれまでの傾向が続けば、再分配後の1人当たり所得は、現状より2割ほど減ってしまう。だから、分配政策とともに、強力な成長戦略がどうしても必要だ』、「賃金のこれまでの傾向が続けば、再分配後の1人当たり所得は、現状より2割ほど減ってしまう」、とは大変だ。
・『再分配のためには元手が必要  岸田文雄内閣は、「分配なくして成長なし」としている。 分配問題は確かに重要だ。経済が成長してもその成果にあずかれない人が大勢いる。コロナ禍では、株価が上昇して資産層が裕福になったにもかかわらず、収入の途を絶たれた人がたくさん生じた。分配問題の重要性は、これまでになく重要になった。 しかし、再分配するためには、元手が必要だ。分配をいかに適正化したところで、全体のパイが自動的に増えるわけではない。元手が増えなければ、貧しさを分かち合うことになってしまう。 日本の場合には、人口の高齢化によって働く人の数が減るので、再分配をする元手が減る危険が高い。そうなると、仮にそれらが適正に再分配されたとしても、1人当たりの所得が減少してしまうのだ。 以下では、この問題を定量的に検討することにしよう。 ここでの基本的な想定は、就業者が働き、その一部が税や社会保険料の形で徴収され、それが給付金や社会保障給付の形で再分配されるということだ。所得再分配はさまざまな形で行われているが、額的に最も大きいのは、財政制度を通じるこのような再分配だ。 なお、年金は、受給者が過去に積み立てた保険料で支払われているように見えるが、実際には、その年々の生産物が財政制度を通じて再分配されている』、なるほど。
・『高齢化のため就業者人口が減って従属人口が増える  日本の高齢化は今後も続く。そして、2040年ごろにピークに達する。この時期を乗り越えられるかどうかが、大きな問題だ。 国立社会保障・人口問題研究所の推計(中位推計)によると、2020年と2040年の人口の状況はつぎのとおりだ。 ・総人口は、12533万人から11092万人へと、0.885倍になる。 ・15~64歳人口は、7406万人から5978万人へと0.807倍になる。 簡単化のため、15歳から64歳までの人口の中で就業者となる人の比率は、現在と変らないものとしよう。そして、0歳から15歳、および65歳以上の人口は働かないものとする(この年齢階層の人口を「従属人口」とよぶ)。 すると、就業者数は2020年の80.7%に減少することになる』、なるほど。
・『労働生産性が20年間で9.7%成長しなければならない  以上を前提すると、次の結論がえられる。 2040年における再分配後の1人当たり所得を2020年と同額にするためには、2040年における就業者1人当たりの所得が、2020年より9.7%ほど増加しなくてはならない。つまり、再分配後の所得で現状を維持するだけのためにも、かなりの高成長を実現しなければならないのだ。 こうした結果になるのは、つぎのように考えれば分かるだろう。 2040年を 2020年と比べると、総人口は、0.885倍になるので、総所得が0.885倍になる。他方、就業者は前述のように0.807倍になる。だから、就業者1人当たりの生産額は、0.885÷0.807=1.097倍にならなければならない。つまり、現在より9.7%ほど増えなければならない。分配率が変わらないとすれば、実質賃金が9.7%上昇しなければならない』、あくまで逆算だが、そうなのだろう。
・『過去20年間の実質賃金減少トレンドを一変させる必要  では、実質賃金をこのように上昇させることが可能だろうか? 毎月勤労統計調査によると、実質賃金指数(現金給与総額、5人以上の事業所)は、2000年の113.3から2020年の98.8まで、12.8%ほど下落している。 これとは別に、法人企業統計と消費者物価指数から計算すると、1995年度から2020年度の期間で11.2%ほど下落している。 これらを考慮すると、上述のように実質賃金を今後20年間で9.7%引上げるのは、かなり大変なことだと言わざるを得ない。 現在の状況が続けば今後も実質賃金が下落する可能性が高いので、それを一変させるために、これまでとは異なる強力な成長戦略を実施する必要がある。 そうしないかぎり、いかに分配を適正化したところで、「貧しさを分かち合う」という結果になってしまうのだ』、「これまでとは異なる強力な成長戦略を実施」、「しないかぎり、いかに分配を適正化したところで、「貧しさを分かち合う」という結果になってしまう」、その通りのようだ。
・『実質賃金が増えないと1人当たり所得は約9%減少する  では、実質賃金が今後も伸びないとすれば、どうなるだろうか? その場合には、国民1人あたりの再分配後の所得は、現在より8.8%減少する。 こうした結果になるのは、つぎのように考えれば理解できるだろう。 2040年を2020年と比べると、就業者人口は0.807倍になるのだから、総生産額は0.807倍になる。他方、総人口は0.885倍になる。だから1人あたりの分配後所得は、0.807÷0.885=0.912になる。 つまり、約9%減少する』、働き手が減っても、労働生産性が上がれば、「実質賃金」も上がり易くなるのではなかろうか。
・『成長政策をとらなければ生活水準が2割低下する  就業者の場合、実質賃金は不変なのだが、税・社会保険料が引上げられ、手取りがいまより約9%ほど減ってしまうのだ。 一方、再分配を受ける側では、年金や医療費がいまより約9%減らされることになる。 つまり、再分配のための財源措置が今より強化されるにもかかわらず、再分配された効果は現在よりも小さくなるのだ。 以上は実質賃金がいまと不変の場合だが、今後減少することも十分ありうる。そうであれば、再分配後の所得がもっと減る。 上に見た毎月勤労統計調査による実質賃金指数の下落傾向が、今後も続くとしよう、つまり、20年間で生産性が0.872倍になるとしよう。 その場合に 2040年を2020年と比べると、就業者人口は0.807倍になり、生産性が0.872倍になるのだから、総生産額は0.704倍になる。他方、総人口は0.885倍になる。だから1人あたりの分配後所得は、0.704÷0.885=0.795になる。つまり、現在より2割ほど低下するのだ。 生活水準がいまの8割に低下して、「等しからざるを憂えず」と言っていられるだろうか? 国民の不満は高まるのではないだろうか? なお、以上では再分配はすべての年齢層に対して行なうものとした。実際の再分配政策は、就業者から退職後の人口に対してなされるものが多い。これに関しては、より少ない就業者でより多い高齢者を賄わなければならなくなるので、結論は上記よりも厳しくなる』、「1人あたりの分配後所得は、・・・つまり、現在より2割ほど低下するのだ・・・「等しからざるを憂えず」と言っていられるだろうか? 国民の不満は高まるのではないだろうか」、確かに不満が高まらざるを得ないだろう。
・『人口ボーナス期の社会保障制度が重荷になっている  日本が直面している事態の本質は、就業人口の減少率が人口全体の減少率よりも高いことである。これは、「人口オーナス」と呼ばれる現象だ。このために、再分配政策を行なっても、その効果が弱まってしまう。 就業人口の増加率が人口全体の増加率より高い場合には、これとはちょうど逆のことが起きる。これは、「人口ボーナス」と呼ばれる現象である。 日本の高度成長期は人口ボーナス期であった。そして、高度成長期の終わりに、「福祉元年」の掛け声で、社会保障制度が大幅かつ安易に拡大された。その制度がいま重荷になっている。 人口オーナス期に必要とされるのは、まず第1に、人口ボーナス期に作られた再分配制度を見直すことだ。さらに、再分配と同時に、強力な成長政策を実施することだ』、「人口ボーナス期に作られた再分配制度を見直すこと・・・再分配と同時に、強力な成長政策を実施すること」、急務だ。
・『分配政策の柱である金融所得課税から早くも撤退  「分配なければ成長なし」は魅力的なキャッチフレーズだ。しかし、以上で見たように、分配政策だけでは十分ではない。分配政策とともに、強力な生産性向上政策がどうしても必要だ。 現実には、実効性のある成長戦略を打ち出せないないのを隠蔽するために、分配が強調される危険がある。 一方で、分配政策の実効も難しい。金融資産所得への課税強化は分配政策の柱になるもので、岸田首相の総裁選では、この実現を掲げていた。しかし、早くもこれからの撤退を表明した。 したがって、分配問題も解決できず、成長もできないという結果に陥りかねない』、「金融所得課税」を強化しようとすれば、株価下落が不可避になるので、「岸田首相」も結局、断念したようだ。

次に、10月20日付けダイヤモンド・オンラインが掲載した経済評論家・楽天証券経済研究所客員研究員の山崎 元氏による「岸田首相の「新しい資本主義」がキモいとしか言えないこれだけの理由」を紹介しよう。
・『岸田文雄首相が、自由民主党総裁選の選挙戦中から掲げるキャッチフレーズである「新しい資本主義」が、なんとも「気持ち悪い」。心情としては「キモい!」と叫びたいくらいだ。筆者がそう感じるさまざまな理由をお伝えしたい』、興味深そうだ。
・『岸田首相の得体が知れない思い込み 日本に「新自由主義」のレッテル貼り  いい年をした書き手(筆者自身のことだ)が、記事の文章で「キモい!」というカジュアルな言葉を使うのはいかがなものかとも思う。であるのだが、岸田文雄首相が掲げる「新しい資本主義」に対する気持ち悪さは、「気持ちが悪く思えます」といったゆっくりしたテンポではなく、「キモい!」と、最短の秒数でこの気味の悪さを伝えたい。 気持ちの悪さには複数の要因があるのだが、一番不気味なのは、「新しい資本主義」という言葉を唱えている本人が、その内容を分かっていないのではないかと思われることだ。しかも、その当の人物が、わが国の首相なのだ。国民は不安になる。 岸田氏は、新しい資本主義について、さまざまに表現してきたが、まず、言っていることが意味不明だし、次には、言っている内容がブレている。つまりは、何をしようとしているのかが分からない。しかし、やみくもに何かを変えようとしている。 岸田氏は、例えば、「新自由主義からの転換」という言葉を使った。しかし、日本はいつ新自由主義になったのか。「転換」という言葉を使うからには、彼の認識では、現状は新自由主義なのだろう。 しかし、たかだか郵政民営化くらいのプロジェクトが中途で挫折してぐずぐずになるような、利権維持と非効率性の中で漂うこの国の一体どこが新自由主義なのか。電波オークションもなければ、農地の株式会社保有さえ実現しない。 このような日本に「新自由主義」というレッテル貼りをして、意見を言ったような気分になることができる精神構造を、不気味だと思わないことは難しい。しかも、彼は左派政党の党首ではなくて、自由民主党の総裁なのだ』、「岸田氏」は安部・菅時代を通じて長いこと考える時間があった割には、考えに深みを感じさせず、幻滅した。
・『「新しい資本主義実現会議」は中身がないと断言できる根拠  岸田氏が、「新しい資本主義」について確たる具体的な内容を持っていなかったことは、「新しい資本主義実現会議」という何とも奇妙な有識者会議が、総選挙を前にした内閣府の下に設立されたことに如実に表れている。 内閣府が10月15日に発表した文書を見ると、会議の開催について、「新しい資本主義実現本部の下、『成長と分配の好循環』と『コロナ後の新しい社会の開拓』をコンセプトとした新しい資本主義を実現していくため、それに向けたビジョンを示し、その具体化を進めるため、新しい資本主義実現会議を開催する」とある。 中身が何もないので、「それに向けたビジョン」などという、この種の文章としては世にも情けない言葉を使う以外に書きようがなかったのだろう』、「中身が何もないので、「それに向けたビジョン」などという、この種の文章としては世にも情けない言葉を使う以外に書きようがなかったのだろう」、鋭い読みだ。
・『成長と分配の好循環を「これから検討」 それでは絶望的に中身がない  そもそも、「新しい資本主義」などという偉そうな言葉を使う以上、そのビジョンは言っている本人が明確に提示して方向性を示すべきだ。「成長と分配の好循環」にも「コロナ後の新しい社会の開拓」にも、願望はあっても中身がない。 「成長と分配の好循環」は与党も野党も望んでいることであり、「どう実現しようとするのか」を論じる以外にお互いを区別するポイントはない。それをこれから有識者会議で検討しようというのだから、岸田首相自身には絶望的なまでに中身がない。 また、今後の社会が、「コロナが起こってからの社会」であることは間違いないのだが、「新しい社会の開拓」とだけ言われても、現状の社会を否定する意味しかない。 会議に参加する有識者さんたちは、推察するに「何かお役に立てたらいい」というくらいの善意から参加されるのだろうが、会議自体が時間と手間の無駄になるだろうと予想する。有識者さんたちにとって指名を受けたことは不名誉ではないだろうから、会議自体の存在はいいとするとしよう。 それにしても(この種の会議の出席謝礼は極めて安いので、お金はそれほど無駄になってはいまい)、サラリーマンの立場から推察して何とも気の毒でならないのは、会議の事務局を務める官僚さんたちだ。このような無意味な会議の成果をどのように着地させるといいのか、想像しただけで目が回りそうになる』、「新しい資本主義実現会議」の事務局の官僚もなんとか格好をつけないといけないので、ご苦労なことだ。
・『財務次官の「バラマキ合戦」批判で緊縮財政へ傾斜しないかが当面の心配  岸田氏が中身を十分把握せずに、思いつきか言葉の勢いで「新しい資本主義」という言葉を唱えたことは、まあいいとしよう。わが国の政治家にはよくあることだ。岸田氏の症状はかなり重いとは思うが、「ネクタイを締めた、しゃべる空箱」のような政治家は与野党を問わず少なくない。 気持ちが悪いのは、「新しい資本主義」を唱える岸田氏が、現状の経済政策の何を変えようとしているのかが分からないことだ。少なくとも何かを変えなければ「新しい」とは言えないのだから、彼は何かをしようとしているらしい。 首相就任前に強調していた金融所得課税の見直し(=税率引き上げ)は、一転して当面封印するようだ。封印自体は結果的に正しいのだが、これだけ簡単に意見が変わると有権者は、衆議院選挙で岸田総裁の自民党に何を期待して投票したらいいのかが分からなくなる。 当面の心配は緊縮財政への傾斜だ。次の衆議院選挙を経ても、おそらく岸田氏が首相だろうが、政治家が掲げる政策を「バラマキ合戦」と批判した財務官僚のような人に感化されて、プライマリーバランス(基礎的財政収支)の目標にこだわるような愚策に陥ることが心配だ。 何が「新自由主義」なのかも、たぶん「資本主義」が何のことなのかも分かっていない首相が、立派に聞こえる言葉の響きだけで「プライマリーバランス」や「財政再建」に共感する心配が大いにある。しかし、これらは、現在こだわるべき概念ではない』、確かに元財務大臣だけに、「「プライマリーバランス」や「財政再建」に共感する」可能性もある。
・『岸田首相への最大の不安は金融政策 23年の日銀正副総裁の人事は心もとない  もっと大きな心配は、金融政策に対する影響だ。岸田首相が、これまでの日本銀行の金融緩和政策を「古い資本主義」だと認識して、変えようとする心配がある。2023年の3月に予定されている日銀の正副総裁の人事を、資本主義の何たるかを分かっていない岸田首相が、「人の話をよく聞いて」、つまり周囲の誰かに影響されて決めるのだとすると、何とも心もとない。 中身がないのに「新しい何々」と言いたがることの他に、「人の話を聞くのが得意だ」と自称する性格的特性も国民を不安にさせる。他人に影響されやすいということだからだ。岸田氏は、リーダーには最も不向きなキャラクターなのではないだろうか。 ただし、岸田首相に対する不安と同時に、野党に対する心配も述べておくのがフェアだろう。例えば、岸田氏が捨てた金融所得課税の見直し(=税率引き上げ)を、いまだに格差対策の政策として掲げる立憲民主党には、岸田氏の「新しい資本主義」の気持ち悪さとはまた別の、「反資本主義」の不気味さがある』、「「人の話を聞くのが得意だ」と自称する性格的特性も国民を不安にさせる」、同感である。
・『与野党の党首討論会で考える「バラマキ合戦」の優劣  衆議院選挙の日程が決まり、各党の経済政策が発表されている。財務次官が「バラマキ合戦」と呼ぶ部分について、18日に日本記者クラブで行われた各党党首の討論会をベースに整理すると、以下の通りだ(「日本経済新聞」10月19日朝刊を参照)。 ・自民党:数十兆円の対策とだけ言っていて、何に使うのかを提示しない ・公明党:高校3年生までの子どもに10万円の給付を行うと言っている ・立憲民主党:1000万円程度までの所得の人への所得税免除と、低所得者への12万円給付、加えて消費税率の時限的な5%への引き下げ ・共産党:減収した人に10万円の給付と、消費税率の5%への引き下げ ・日本維新の会:消費税率を2年間を目安に5%へ引き下げと、年金保険料をゼロに ・国民民主党:一律10万円の給付と、低所得者には追加で10万円の現金給付。さらに経済回復まで消費税率を5%に ・れいわ新選組:消費税廃止と毎月一人20万円給付 ・社民党:3年間消費税ゼロと10万円の特別給付金 ・NHKと裁判してる党弁護士法72条違反で(NHK党):10万円以上相当の期限付き電子マネーの給付) まず岸田氏の自民党は、政権党だけに言質を与えたくないということなのかもしれないが、具体案を示さないのはよくない。これで首相が岸田氏では、心配かつ不気味だ。 野党各党が主張する現金給付については、所得制限を設けようとすると手間が掛かるし、国民の経済行動がゆがむ(例えば一時的に所得を抑えようとするなど)副作用がある点に注意が必要だ。 また給付金は、生活への支援や国民の安心感の上でも、1回限りのものよりも継続的に効果のある形のものがいい』、その通りだ。
・『日本維新の会が挙げた「年金保険料の無料化」を推す理由  最も筋が良いと思うのは、日本維新の会が挙げた、年金保険料の無料化だ(基礎年金部分の完全税負担化という意味だろう)。富の再分配効果と行政効率化(例えば、国民年金保険料の徴収が要らなくなる)の効果が大きい。低所得者・現役世代への効果が大きく、所得税率の高い人への効果が小さいし、将来はこの財源となる税金の負担を通じて、それなりに大きな「再分配」の流れができる。 増税には、超富裕層に対する所得税の累進税率の引き上げと、広く薄く課税するような資産課税の強化がいい。投資の利益への課税を狙った金融所得課税の見直しは、リスクマネー供給を阻害するのでよくない。 なお、国民年金保険料のような「一律の負担」が低所得者に厳しく、極めて逆進的であることの解決には、財源を税金にすることが優れている。この点では、NHK党あたりがNHK受信料の税負担化を主張しないのは少し不思議だ。 もっとも、低所得層でテレビを持たなかったり、受信料は不払いだったりする人が多ければ、「再分配」の効果はそれほど大きくないかもしれない。それでも、受信料徴収のコストが回避できて、国民の費用負担がより公平になる(税制全体が公平だとして)ことの効果は小さくあるまい。 野党が足並みをそろえつつある消費税率の引き下げは、それ自体の効果として悪くない。ただ、時限的なものだと税率変更を巡る買い控えや消費の集中など、税率変更の際に起こる混乱が気になる。 筆者なら、消費税率はそのままに、基礎年金を全額国庫負担にする方を採りたい。再分配の効果が大きいし、世の中の事務作業が増える消費税率の変更よりも、公的年金にかける手間が減る点で「年金保険料ゼロ」はいい。 岸田首相に、「良いバラマキ」と「悪いバラマキ」を見分ける眼力があるとは思えないが、経済政策の中身はどの道まだ決まっていないのだろうから、「年金保険料ゼロ」をぜひお勧めしたい』、私は「維新の会」は嫌いだが、この「年金保険料の無料化」は確かにいい政策だ。

第三に、10月31日付け東洋経済オンラインが掲載した財務省出身で 慶應義塾大学大学院准教授の小幡 績氏による「「新しい資本主義」は「新しいバブル」にすぎない 「中間層」を増やすことは本当に可能なのか?」を紹介しよう。
・『「新しい資本主義」は岸田文雄政権の経済政策のキャッチコピーで、これまでの経済財政諮問会議に代わって、新しい資本主義実現会議がスタートしたようだ』、興味深そうだ。
・『「新しい」とは何を意味するのか?  もちろん、中身は新しくも何もない。「成長を実現し、それを分配する」ということにすぎない。これまで、すべての政権の成長戦略が成長を実現したことはないから、成長から分配という戦略であれば、成長が政策的な戦略では実現できないから、今回も何も起きるはずがない。 しかし、そんなわかりきったことをいまさら批判するほど私もヒマではない。問題は、キャッチコピーが、GDPと株価から「新しい」資本主義に変わったことだ。つまり、時代は、今までと違う資本主義を求めているということが、政治家にすら伝わってきた、ということであり、いよいよ社会は、資本主義から次の「新しい」時代に向かっている、向かいたいと思っている、ということを示しているのである。 この「新しい」とは何を意味するのか? 岸田政権の政治的な主張は、新自由主義からの決別ということらしいが、そもそも新自由主義という言葉自体が政治的で、学問的にも経済的にも何の意味もない。要は「今までの利益、株価一辺倒から社会、環境とのバランスを重視した経営への移行、競争至上主義から長期的な持続性重視への緩やかな移行」ということだ。 つまり、新しい資本主義とは、ESG、SDGsと実質的には同じことであり、それに格差問題への対応で分配を重視するという政治的なテイストをまぶしたものである。 リーマンショック以後の、強欲資本主義批判は、ウォールストリートとメインストリートの格差、トマ・ピケティの格差拡大批判と、格差攻撃に向かっていたのだが、それがここ5年は急激に環境・持続可能性という方向に舵が切られている。格差といまだに騒いでいるのは、日本ぐらいで、こちらも格差是正と言いながら、欧米のように富裕層から奪ってくるのではなく、分厚い中間層を作り、経済成長を取り戻す、という方向で議論されている。これらのことは何を意味するのだろうか? それは、また「新しい」バブルが始まったのである』、「また「新しい」バブルが始まった」、とはどういうことだろう。
・『新たな「ESG、SDGsバブル」の始まり  リーマンショックで世界金融バブルが崩壊したが、その処理を先送りするために「量的金融緩和バブル」が世界中の金融市場を覆った。これが崩壊しそうになったときに、コロナショックが起き、世界的に限界を超えた金融緩和が行われた。さらに前代未聞の財政出動が行われ、コロナショックバブルが起きた。 このバブルが崩壊するのも時間の問題になった。そしてついに財政破綻から、1990年の社会主義諸国の市場経済化により始まった中期的なバブルにおける短期的なバブルの連鎖も持続不可能になり、バブルの大崩壊になることが確実になってきた。そこへ、最後のあがき、として、これまでの資本主義を否定するかのようにみせかけて、資本主義を延命させようとしたバブルが登場したのである。それがESG、SDGsバブルである。 これまでの資本主義は限界を迎えた。しかし、それを捨てることはできないから、修正を行い持続可能にすることにした。それがESG、SDGsである。実質的には延命にすぎないが、名目的には持続可能な資本主義に修正して、永続的な資本主義の発展を目指すということである。 しかし、それは論理的にも現実的にも不可能だ。なぜか。 環境問題、資源問題の制約に直面してしまったため、脱炭素ということになっているが、炭素は最も効率的であったから使ってきたのであって、すぐに他の資源の制約に直面する。これがすでに直面している現実的な問題である。 水素を作るには電力を大量に必要とする。しかし、火力抜きの電力は世界的に不足している。エネルギー効率は悪い。だから、すぐに水素はうまくいかなくなる。太陽光というのも非常に効率の悪いシステムで、そもそも資源を大量に消費し、パネルを設置し、その接地面の土地は生態系的には有効に利用されない。しかも、そのパネルは持続性がないから、大量の廃棄物が出る。これをフィルムに置き換える技術が生まれているが、それでも資源効率、エネルギー効率は悪い。温暖化対策の決め手、避けては通れないのは、電力消費量を世界で大幅に削減することである。電力を生み出すために資源と環境に負担をかけているのだから、その根源である電力消費を激減させなければ問題は解決しようがない。本当は日本の出番だが、世界は日本を無視し、電力消費削減の必要性は軽視する。なぜか。 それは、資本主義にとって都合が悪いからである。 電力消費を減らすということは、経済拡大を犠牲にするということである。しかも、スマホ、コンピューター駆使の社会で、電力消費は増える一方である。世界中の眠らないサーバーで、電力は世界中で24時間365日大量に消費されている。電力消費総量の大幅削減は、経済の拡大を確実に抑制する。だから、それは避けるのである。 脱炭素で別のエネルギーになるのであれば、経済拡大は止まることはない。さらに、あわよくばもうけのチャンスになる。新エネルギーのためには大規模な投資が必要だから、これは、経済規模大幅拡大につながる。そこで、こぞって新エネルギーを持てはやし、現実のエネルギー効率はないがしろにされているのである。そして、この流れが生まれてしまえば、四の五の言わず、この流れに乗ったもの勝ちだ。だから我先にと、このマーケットに殺到している』、「最後のあがき、として、これまでの資本主義を否定するかのようにみせかけて、資本主義を延命させようとしたバブルが登場したのである。それがESG、SDGsバブルである」、確かにその通りだ。「電力消費総量の大幅削減は、経済の拡大を確実に抑制する。だから、それは避けるのである。 脱炭素で別のエネルギーになるのであれば、経済拡大は止まることはない。さらに、あわよくばもうけのチャンスになる。新エネルギーのためには大規模な投資が必要だから、これは、経済規模大幅拡大につながる。そこで、こぞって新エネルギーを持てはやし、現実のエネルギー効率はないがしろにされているのである」、なるほど。
・『「ブレーキ」VS「アクセル」のせめぎ合いが10年続く  これはどこかで見た景色だ。そう。バブルそのものである。脱炭素バブル、SDGsバブル、ESGバブルである。これで、もう一度バブルの恩恵に授かろうとしていたのだ。 しかし、早くも困難に直面している。資源価格が高騰して、早くも現実世界に引き戻されつつある。金融市場は、自分たちで自己実現バブルを作ればよいが、実体経済、実社会での生活はそうはいかない。急激すぎる、無理な脱炭素の動きにブレーキが今後かかっていくだろう。一方、金融市場や投資家たちは、その現実を無視してバブルを膨らませ続けようとするだろう。そのせめぎあいが、今後10年は続くだろう。 日本は、この脱炭素バブル、環境バブルに乗り遅れている。なぜなら、日本は、この問題で世界では圧倒的に進んでおり、現実をよく知ったうえで、現実的な環境対応を行ってきた実績がありすぎたからだ。 バブルは実体のないものほど乗りやすい。バブルが膨らみやすい。日本は、環境問題では、実体がありすぎ、実績がありすぎて、現実的すぎて、バブルに乗るにはためらいがあったため、乗り遅れてしまったのだ。そして、今でも半信半疑、躊躇しながらバブルに乗るかどうかを迷っている。どうせバブルに乗るのであれば、早いほうがいいのだが、もう遅い。資本主義最後のバブルゲームには乗り遅れてしまったのだ。だから、このバブルが崩壊して、世界が現実に引き戻されたときに出番が来るだろう。その時まで、じっと備えておくのが正しい戦略だが、そう肝を据えられるかどうか。日本の政治には無理な気配があり、一番遅れてバブルに乗ろうとしたのが前菅義偉政権であり、この点では岸田政権も同じであろう。 日本は、経済成長(正確には短期的なGDPの増大)において、この10年、欧米諸国に見劣りしている。そこで「GDP増加を目指して、分厚い中間層を作る」という宣言を出したのが、岸田政権の「新しい」資本主義である。日本は資本主義の持続性よりも、そもそも資本主義がきちんと成り立っていない。利益追求、リスクテイクが足りない。そして需要が足りない。だから、起業家と分厚い中間層が必要だ。日本の経済論壇やメディアは、これを大前提として議論をしている』、「日本は、この脱炭素バブル、環境バブルに乗り遅れている。なぜなら、日本は、この問題で世界では圧倒的に進んでおり、現実をよく知ったうえで、現実的な環境対応を行ってきた実績がありすぎたからだ」、「このバブルが崩壊して、世界が現実に引き戻されたときに出番が来るだろう。その時まで、じっと備えておくのが正しい戦略だが、そう肝を据えられるかどうか。日本の政治には無理な気配があり、一番遅れてバブルに乗ろうとしたのが前菅義偉政権であり、この点では岸田政権も同じであろう」、「脱炭素」や「環境」もバブルとは、さすが鋭い指摘だ。
・『「新しく」もないただの資本主義  しかし、こちらは、「新しく」もないただの資本主義である。起業家とは何か。利益を独占するために、既存の利益独占者を倒そうと立ち上がる人々である。しかし、彼らは成功すれば新しい独占者になる。大企業からプラットフォーマーへと、さらに独占力を強めるだけである。資本主義はそのまま拡大するだけであり、格差はさらに拡大する。 一方、中間層を増やすというのは、これらの独占者、大企業にせよプラットフォーマーにせよ、それらを利用できる消費者と労働者を増やすということにすぎない。低所得者が多いと、独占者は彼らの消費から利益を得ることができない。だから彼らにも、必需品以外の嗜好品を買わせてマーケットを拡大しよう。スマホを世の中の全員に持たせよう。そして、消費を把握し、さらに贅沢を覚えさせ、ゲームをやらせ、消費を増やさせよう。 これは21世紀に始まった、資本主義は、BOPビジネス、ボトムオブピラミッドまたはベースオブピラミッドという概念をもちろん利用した(作成した)。要は、動員である。資本主義とはバブルであり、バブルも資本主義も、人々と物とそして社会を流動化して、動員するシステムである。分厚い中間層というのは、動員する消費者と労働者を増やすためのものである。すなわち、これらは、ごく普通の資本主義である。これまでの路線を強化するだけのことである。あるいは高成長期の動員メカニズムの復活を目指すことである。世界は、アフリカ、貧困層という最後のフロンティアまでを食い尽くしてしまったため、最後の手段、「新しい」資本主義という名の新しいESGバブルを作り、日本は、古きよき時代の普通のバブル、普通の資本主義の再興を目指しているというのが、今なのだ。 しかし、これは理論的に破綻している。なぜなら、資本主義が行き詰ったから、新しい資本主義を目指したのであり、それが同じバブルであり、同じ資本主義であれば、持続不可能であることは自明だからだ。 したがって、新しい資本主義は実現しない。そして、バブルも新しい資本主義も破綻する。そして、その後にやってくるものは、近代資本主義の前の世界、中世だ。そして、それは「新しい」中世である。 「新しい」中世とは、持続的な世界である。 近代資本主義が、流動化、市場化、変動、拡大、バブルという世界であるのに対して、「新しい」中世は、固定化、関係取引、安定化、日常の繰り返し、循環経済という世界である。 資本主義がグローバル化、世界市場の一体化、膨張の世界であったのに対して、「新しい」中世は、ローカル化、多様化からの独自化、持続的な安定状態の世界である。 イノベーションという名の下、新しいぜいたく品(嗜好品、エンターテインメント品、装飾品、ブランド)を次々と繰り出し、欲望を刺激する世界から、必需品の繰り返しからの改善、改良、高品質化により、質の高い必需品に囲まれる世界になる。 過去の中世においても、農業生産力の上昇、開墾、新しい農法の発明、さまざまな技術の発明の元が蓄積された時代であった。それが、1492年以降、大航海時代が幕を開け、拡大、争奪、支配、膨張、戦い、競争の世界の中で、流動化が進み、その動員により、バブルが花開き、刺激的な消費による快楽を享受してきた。それを使い尽くしたので、今度は、再び、蓄積の時代に戻るのである』、「資本主義とはバブルであり、バブルも資本主義も、人々と物とそして社会を流動化して、動員するシステムである」、「資本主義が行き詰ったから、新しい資本主義を目指したのであり、それが同じバブルであり、同じ資本主義であれば、持続不可能であることは自明だからだ。 したがって、新しい資本主義は実現しない。そして、バブルも新しい資本主義も破綻する」、「その後にやってくるものは、近代資本主義の前の世界、中世だ。そして、それは「新しい」中世である。 「新しい」中世とは、持続的な世界である。 近代資本主義が、流動化、市場化、変動、拡大、バブルという世界であるのに対して、「新しい」中世は、固定化、関係取引、安定化、日常の繰り返し、循環経済という世界である。 資本主義がグローバル化、世界市場の一体化、膨張の世界であったのに対して、「新しい」中世は、ローカル化、多様化からの独自化、持続的な安定状態の世界である」、「新しい資本主義は実現しない」はいいとしても、「「新しい」中世」にまではついてゆけない。
・『「新しい」中世の始まりの気配はここかしこに  中世のような社会階級の固定化は復活しないだろう。いったん流動化した社会は、そこは元には戻らない。しかし、新しく分断された社会が成立していくだろう。分厚い中間層、格差社会という言葉は、資本主義の下で、富だけが人々の間の差をあらわすものであったことから生まれたものである。金持ちの貴族と貧乏な貴族は争ったが、貧しい武士と豊かな商人とは別の世界に生きていた。それぞれが独自の幸せと安定性と日常を繰り返す、「新しい」中世社会が成立するだろう。 中世の王や宗教の権威は、近代になって、ブルジョワジーの資本、カネの力に屈し、世の中を支配する力は富に変わった。「新しい」中世では、何が支配力になるかは、まだ不明である。知識、人間力など美しい言葉は考えうるが、これは不明である。 ただ、「新しい」中世の始まりの気配はここかしこにある。社会の分断、多様化、相互理解の不可能性、グローバリゼーションからローカライゼーション、覇権国家の非存在、Gゼロの世界の到来など、あらゆる兆候がある。 「新しい資本主義」という言葉が政治家のキャッチコピーになるのも、その兆候のひとつである』、「「新しい」中世」は仮説としては面白い。「「新しい資本主義」という言葉が政治家のキャッチコピーになるのも、その兆候のひとつ」、ここまで論理補強の材料とするとはさすがだ。

なお、明日から8日まで更新を休むので、9日にご期待を!
タグ:資本主義 (その7)(「分配政策」だけでは 「20年後の生活水準」がいまより2割低下する 日本に必要なのは相当な生産性向上政策、岸田首相の「新しい資本主義」がキモいとしか言えないこれだけの理由、「新しい資本主義」は「新しいバブル」にすぎない 「中間層」を増やすことは本当に可能なのか?) 現代ビジネス 野口 悠紀雄 「「分配政策」だけでは、「20年後の生活水準」がいまより2割低下する 日本に必要なのは相当な生産性向上政策」 「賃金のこれまでの傾向が続けば、再分配後の1人当たり所得は、現状より2割ほど減ってしまう」、とは大変だ。 あくまで逆算だが、そうなのだろう。 「これまでとは異なる強力な成長戦略を実施」、「しないかぎり、いかに分配を適正化したところで、「貧しさを分かち合う」という結果になってしまう」、その通りのようだ。 働き手が減っても、労働生産性が上がれば、「実質賃金」も上がり易くなるのではなかろうか。 「1人あたりの分配後所得は、・・・つまり、現在より2割ほど低下するのだ・・・「等しからざるを憂えず」と言っていられるだろうか? 国民の不満は高まるのではないだろうか」、確かに不満が高まらざるを得ないだろう。 「人口ボーナス期に作られた再分配制度を見直すこと・・・再分配と同時に、強力な成長政策を実施すること」、急務だ。 「金融所得課税」を強化しようとすれば、株価下落が不可避になるので、「岸田首相」も結局、断念したようだ。 ダイヤモンド・オンライン 山崎 元 「岸田首相の「新しい資本主義」がキモいとしか言えないこれだけの理由」 「岸田氏」は安部・菅時代を通じて長いこと考える時間があった割には、考えに深みを感じさせず、幻滅した。 「中身が何もないので、「それに向けたビジョン」などという、この種の文章としては世にも情けない言葉を使う以外に書きようがなかったのだろう」、鋭い読みだ。 「新しい資本主義実現会議」の事務局の官僚もなんとか格好をつけないといけないので、ご苦労なことだ。 確かに元財務大臣だけに、「「プライマリーバランス」や「財政再建」に共感する」可能性もある。 「「人の話を聞くのが得意だ」と自称する性格的特性も国民を不安にさせる」、同感である。 私は「維新の会」は嫌いだが、この「年金保険料の無料化」は確かにいい政策だ。 東洋経済オンライン 小幡 績 「「新しい資本主義」は「新しいバブル」にすぎない 「中間層」を増やすことは本当に可能なのか?」 「また「新しい」バブルが始まった」、とはどういうことだろう。 「最後のあがき、として、これまでの資本主義を否定するかのようにみせかけて、資本主義を延命させようとしたバブルが登場したのである。それがESG、SDGsバブルである」、確かにその通りだ。「電力消費総量の大幅削減は、経済の拡大を確実に抑制する。だから、それは避けるのである。 脱炭素で別のエネルギーになるのであれば、経済拡大は止まることはない。さらに、あわよくばもうけのチャンスになる。新エネルギーのためには大規模な投資が必要だから、これは、経済規模大幅拡大につながる。そこで、こぞって新エネルギーを持てはやし、現 「日本は、この脱炭素バブル、環境バブルに乗り遅れている。なぜなら、日本は、この問題で世界では圧倒的に進んでおり、現実をよく知ったうえで、現実的な環境対応を行ってきた実績がありすぎたからだ」、「このバブルが崩壊して、世界が現実に引き戻されたときに出番が来るだろう。その時まで、じっと備えておくのが正しい戦略だが、そう肝を据えられるかどうか。日本の政治には無理な気配があり、一番遅れてバブルに乗ろうとしたのが前菅義偉政権であり、この点では岸田政権も同じであろう」、「脱炭素」や「環境」もバブルとは、さすが鋭い指摘だ 「資本主義とはバブルであり、バブルも資本主義も、人々と物とそして社会を流動化して、動員するシステムである」、「資本主義が行き詰ったから、新しい資本主義を目指したのであり、それが同じバブルであり、同じ資本主義であれば、持続不可能であることは自明だからだ。 したがって、新しい資本主義は実現しない。そして、バブルも新しい資本主義も破綻する」、「その後にやってくるものは、近代資本主義の前の世界、中世だ。そして、それは「新しい」中世である。 「新しい」中世とは、持続的な世界である。 近代資本主義が、流動化、市場化、 「「新しい」中世」は仮説としては面白い。「「新しい資本主義」という言葉が政治家のキャッチコピーになるのも、その兆候のひとつ」、ここまで論理補強の材料とするとはさすがだ。 なお、明日から8日まで更新を休むので、9日にご期待を!
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原発問題(その18)(「使用済み核燃料の再処理に経済合理性はない」 著名科学者が警告する核燃料サイクルの不合理、データで明らかになった「詰め込み貯蔵」の実態 あふれる原発の核燃料プール 火災事故の危険性、賠償額「114万円」のはずが「11万円」に減額 東電の農家賠償で「算定間違い」多発の根本原因) [国内政治]

原発問題については、5月7日に取上げた。今日は、(その18)(「使用済み核燃料の再処理に経済合理性はない」 著名科学者が警告する核燃料サイクルの不合理、データで明らかになった「詰め込み貯蔵」の実態 あふれる原発の核燃料プール 火災事故の危険性、賠償額「114万円」のはずが「11万円」に減額 東電の農家賠償で「算定間違い」多発の根本原因)である。

先ずは、9月29日付け東洋経済Plus「「使用済み核燃料の再処理に経済合理性はない」 著名科学者が警告する核燃料サイクルの不合理」を紹介しよう。
https://premium.toyokeizai.net/articles/-/28316#contd
・『自民党総裁選でにわかに注目を集めている核燃料サイクル政策の是非。核物質問題の世界的権威に聞いた。 核燃料サイクル政策を続けるべきか否かは、次期首相を決める自民党総裁選でも主要な争点の1つになっている。 総裁選の有力候補である河野太郎・行政改革担当相は核燃料サイクル政策の見直しを訴え、「核のゴミ処分のあり方をテーブルに載せて議論しなければならない」と言及している。 核燃料再処理やプルトニウムなど核物質の問題に詳しいプリンストン大学のフランク・フォンヒッペル名誉教授に、日本の核燃料サイクル政策の是非についてインタビューした(書面インタビュー。インタビューに際しては、インターネット情報サイト「核情報」主宰者の田窪雅文氏の協力を得た。Qは聞き手の質問、Aはフォンヒッペル氏の回答)』、興味深そうだ。
・『河野氏の「再検討発言」は大歓迎  Q:自民党総裁選で河野氏が核燃料サイクル政策の見直しを訴えています。六ヶ所再処理工場(青森県六ヶ所村)の稼働を前に、与党の有力者からこうした発言が出てきたことについてどう受け止めていますか。 A:私は、この問題について河野氏と話をしたことがある。河野氏が日本の核燃料サイクル政策について再検討すべきだと述べていることは大歓迎だ。 Q:河野氏は新著『日本を前に進める』の中で、「高速増殖炉の開発が頓挫し、核燃料サイクルは行き詰まっている」「使用済み核燃料を再処理して余分なプルトニウムを取り出す必要はない」「再処理で取り出したプルトニウムは、核拡散の危険性を高める」などと述べています。これらの主張の当否についてどのようにお考えですか。 A:これらすべての点において河野氏に同意する。 Q:世界における再処理の現状は。 A:今日、使用済み核燃料の再処理を実施している国は、6カ国まで減っている。中国、フランス、インド、日本、ロシア、そしてイギリスだ。 イギリスは2022年に再処理の完全中止を予定している。再処理ビジネスの顧客である国内外の電力会社が契約更新を拒否したためだ。中国、インド、ロシアは、高速増殖炉計画に必要なプルトニウムを生産するために再処理をしていると説明している。 しかし、ロシアの原子力複合企業ロスアトムは、同社の3基目の高速増殖原型炉の運転開始を早くても2030年代まで延期するとしている。中国とインドは、核兵器用にプルトニウムを生産すると同時に、発電もする原子炉として原型炉を建設しているとみられる。 フランスと日本は、再処理で取り出したプルトニウムをウラン・プルトニウム混合酸化物(MOX)燃料に加工し、通常の原発(軽水炉)で利用している。日本でもフランスでも再処理コストを含めると、MOX燃料の製造コストは通常の原発で使う低濃縮ウラン燃料の10倍レベルとなると推定されている。 (フランク・フォンヒッペル名誉教授の略歴はリンク先参照)』、「フランスと日本は、再処理で取り出したプルトニウムをウラン・プルトニウム混合酸化物(MOX)燃料に加工し、通常の原発(軽水炉)で利用している。日本でもフランスでも再処理コストを含めると、MOX燃料の製造コストは通常の原発で使う低濃縮ウラン燃料の10倍レベルとなると推定」、こんなに高コストとは、飛んでもない話だ。
・『インドの核実験と再処理政策の見直し  Q:アメリカは最初は再処理推進の先頭に立っていましたね。 A:再処理のもともとの目的は、通常の原発の使用済み核燃料からプルトニウムを取り出して「増殖炉」の燃料にすることにあった。プルトニウムを燃料として使いながら、使った以上のプルトニウムを生産するというものだ。 天然ウランの中に豊富に含まれている連鎖反応をしないウラン238に中性子を当てて核変換させ、プルトニウムにするための原子炉だ。背景にあったのは、連鎖反応を起こすウラン235は天然ウランの中に0.7%しか含まれておらず、これを利用するだけでは原子力発電は維持できないという資源制約上の心配だ。 Q:フォンヒッペルさんはアメリカが1970年代に再処理政策を取りやめる際の政策決定に関わりました。 A:私は、1977年にカーター政権がアメリカの核燃料政策について再検討した際、アドバイザーの1人だった。当時のアメリカの政策は現在の日本と同じだった。カーター大統領は、再処理には経済的合理性がないし、プルトニウムは核兵器に使えるため、再処理でプルトニウムを取り出すことは他の国々にとって危険な手本となってしまうとの結論に達した。 インドはその直前の1974年にこのことが現実であることを世界に示した。アメリカの援助を得て、プルトニウム増殖炉計画用に分離したプルトニウムを使って核実験を行ったのだ。これに大変な衝撃を受けたことが再処理政策の見直しにつながった。 この頃までには、当初予想されていたよりずっと大量のウラン資源が存在し、高速増殖炉は予想よりも実用化が難しいことがわかってきていた。ウラン不足解消のために巨額の費用をかけてプルトニウムを取り出して使う必要はないということだ。 Q:カーター大統領の決定後、どうなりましたか。 A:カーター大統領の政策は当初、大変な物議を醸した。レーガン大統領は1981年に大統領に就任後、この政策を白紙に戻し、再処理するか否かはアメリカの電力会社次第だと発表した。しかし、大統領が同時に、連邦政府は再処理に補助金を出さないと発表した結果、アメリカの電力会社は再処理しないことを決定した。そして、使用済み核燃料の直接処分のために地下処分場を建設する費用を政府に支払うことに同意した。 Q:日本が六ヶ所再処理工場の稼働に踏み切った場合の影響は。 A:日本は再処理の方針を表明している唯一の非核兵器保有国だが、1970年代と1980年代にアメリカが日米原子力協定に基づいて日本に再処理を認めて以来、韓国も同様に再処理を認めるよう、アメリカに要求してきている。韓国国民の半数以上が北朝鮮に対する抑止力として韓国も核兵器を持つべきだと考えているため、これは厄介な問題だ。 Q:日本ではエネルギー政策の観点から、発電用として再処理が進められようとしています。使用済み核燃料を再処理せずに地下に埋めて直接処分したほうがよいと考える理由はどこにありますか。 A:アメリカの電力会社は、再処理とプルトニウムの再利用は経済的でないと理解した。日本の原子力委員会が2004年と2011年に設置した専門家委員会も、直接処分路線のほうが再処理路線より安くつくとの結論に達している。 しかし、日本の再処理推進派は、別の再処理正当化論を持ち出している。いわゆる核のゴミの「有害度低減」(無毒化)のために必要だという主張だ。 アメリカでも、高速中性子炉の推進派は、再処理を使用済み核燃料処分戦略の一部とすべきだと主張している。プルトニウムは寿命が長く、地下処分した使用済み核燃料の有害度の低減に必要な期間を長くする。だから、再処理でこのプルトニウムを取り出して高速中性子炉で核分裂させて、寿命の短い核分裂生成物にするべきだとの主張だ。 Q:その主張に合理性はありますか。 A:1990年代にアメリカ科学アカデミーは、この問題について研究するよう依頼された。「プルトニウムは、深地下の使用済み核燃料処分場で発生する長期的毒性(有害度)の支配的要因ではない」というのがその研究の結論だった。なぜかというと、プルトニウムは比較的水に溶けにくく、地表に到達するのに時間がかかるうえ、口から体内に取り込まれても胃腸から簡単に吸収されて他の臓器に運ばれることにはならないからだ。 一方、ヨウ素129(放射能の半減期は約1600万年)のような長寿命の核分裂生成物が毒性を支配するとみなされた。しかし、ヨウ素は吸着が難しいことから、フランスの再処理工場で分離されたヨウ素129のほとんどは海に放出されている。青森県の六ヶ所再処理工場はフランスの設計により建設されており、同じような問題がある。 フランスの「放射線防護原子力安全研究所(IRSN)」とスウェーデンの(使用済み燃料処分場の建設・運転に責任を負う)「核燃料・廃棄物管理会社(SKB)」による大掛かりな研究も、アメリカ科学アカデミーと同じ結論に達している』、「ヨウ素129・・・のような長寿命の核分裂生成物が毒性を支配するとみなされた。しかし、ヨウ素は吸着が難しいことから、フランスの再処理工場で分離されたヨウ素129のほとんどは海に放出されている。青森県の六ヶ所再処理工場はフランスの設計により建設されており、同じような問題がある」、福島第一原発でのトリチウムも「ヨウ素」と同じように「吸着が難しく」、「フランスの再処理工場」では「ほとんどは海に放出」。日本政府はトリチウムを含んだ汚染水も「海洋に放出」したいようだが、漁民が風評被害が激化すると反対している。
・『再処理路線はなぜ進められているのか  Q:再処理見直しに関するアメリカの教訓は。 A:私は、1993年に東京電力、関西電力など電力会社の核燃料担当者らと会い、「もし選択肢が与えられるのであれば再処理を選択するかどうか」について聞いてみた。答えは「ノー。だけど、われわれは(政策のわなに)はめられてしまっている」というものだった。 Q:合理性がないのになぜ、再処理路線が進められているのでしょうか。 A:再処理を正当化する側にとっての最後のよりどころは、再処理工場の運転を開始しなければ、使用済み核燃料を送り出せず、原発は止まってしまうという論理だ。これは他の国々がやっているように、乾式貯蔵方式を導入すれば解決できる問題だ。 アメリカでは、ほとんどすべての原発で使用済み核燃料プールが満杯になっていて、危険な稠密貯蔵状態にある。そのため、古い使用済み核燃料は敷地内で乾式貯蔵容器に入れて保管されている。これはプール貯蔵より安全だ。 乾式貯蔵のコストは決して高くない。敷地内にある原子炉すべての廃止措置(いわゆる廃炉)が完了するまでであれば、電力会社にとって問題にはならない。廃止措置が完了となると、電力会社としては、敷地を他の目的で利用しやすくするために、使用済み核燃料を集中貯蔵施設に搬出したいと考える。 アメリカの原子力委員会は最近、テキサス州の使用済み核燃料集中貯蔵計画に対し、建設・操業許可を出した。ニューメキシコ州でも別の施設の建設に許可を出すと見られている。しかし、放射性廃棄物の絡んだ問題は、アメリカでも日本と同様、政治的に論議を呼んでいる。 青森県の六ヶ所再処理工場や、フィンランド、スウェーデン、イギリスの使用済み核燃料処分場の場合と同様、地元のコミュニティーは雇用を求めるからこのような施設を受け入れようとする。しかし、州内の別の場所で政治的反対が生じる。2つの州の集中貯蔵計画がどうなるかは今後の展開を待つしかない』、「フィンランド、スウェーデン、イギリスの使用済み核燃料処分場の場合と同様、地元のコミュニティーは雇用を求めるからこのような施設を受け入れようとする。しかし、州内の別の場所で政治的反対が生じる。2つの州の集中貯蔵計画がどうなるかは今後の展開を待つしかない」、欧米でも地元と他の場所での利害対立が起きているようだ。今後の展開を注目したい。

次に、10月1日付け東洋経済Plus「データで明らかになった「詰め込み貯蔵」の実態 あふれる原発の核燃料プール、火災事故の危険性」を紹介しよう。
https://premium.toyokeizai.net/articles/-/28319
・『全国にある原発のうち、4割超の原発で使用済み核燃料を収納するプールが満杯に近い状態になっている。詰め込み貯蔵による大規模事故の危険が高まっている。 全国に33基ある原子力発電所のうち14基で使用済み核燃料を収納するプール施設が満杯に近い状態になっている。 核燃料サイクル政策の下、使用済み核燃料は、青森県六ヶ所村の再処理工場に送ることになっているが、この工場が25回の完成延期を繰り返すなど一向に稼動していないためだ。 以前、搬出先として使われていた東海再処理工場(茨城県東海村)は廃止作業が進み、イギリスとフランス両国への再処理委託契約に基づく搬出もそれぞれ1997年と2001年に終了している。そのため、このプールの満杯問題は、使用済み核燃料の送り先を確保するために一刻も早く六ヶ所再処理工場を動かせという政府や地元からの圧力になっている』、「原発の核燃料プール」で「火災事故の危険性」、現在でも大変危険な保管方法を取っていることを改めて知り、憤りを覚えた。
・『14原発で貯蔵能力の80%超に  立憲民主党の宮川伸衆院議員が請求した原子力規制委員会の開示資料を基に、原子力資料情報室の松久保肇事務局長とインターネット情報サイト「核情報」主宰者の田窪雅文氏がまとめたところ、「管理容量」に対する使用済み核燃料の実際の貯蔵割合を示す「管理容量比」が14原発で80%以上に達していることがわかった。 管理容量とは原子炉の定期点検などに伴って必要な空きスペースなどを考慮したうえで実際に保管(貯蔵)できる容量を示したもので、この比率が大きいほど貯蔵能力に余裕がないことを意味する。 だが、もっと大きな問題は、使用済み核燃料がもともとの想定の何倍もの密度で詰め込まれていることだ。福島第一原発4号機で心配されたように、このような状態のプールで水がなくなっていくと、大量の放射性物質の放出を伴う大事故に至る可能性があるのだ。 1970年代に建てられた原発では当初、使用済み核燃料は数年間貯蔵プールで保管した後、再処理工場に送ることが想定されていた。このため、これらの貯蔵プールは、1~2炉心分(注 1炉心分とは、原子炉内にある全燃料=全炉心の1倍分を指す)程度しか収納できない設計になっていた。このことは、関西電力・高浜原発1、2号機やすでに運転が停止されている日本原電・敦賀原発1号機など、とくに古くからある原発で明白だ。 プールが満杯になり、原発の運転を中止せざるをえない状況になるのを防ぐために実施されてきた対策が、燃料貯蔵ラック(棚)の増設や「リラッキング」(詰め直し)と呼ばれる方法だ。後者は、臨界防止対策を施したうえで、燃料集合体同士の間隔を狭めて、プール内に使用済み核燃料をぎっしり詰め込むやり方だ。原発33基のうち25基でラックの増設やリラッキングが実施されている。 一方、北海道電力・泊原発1~3号機や関電・大飯原発3、4号機など、比較的新しい原発の場合、稼働当初から、全貯蔵容量が大きめに設定されている。これは、プールの面積を大きくしたためではなく、当初から核燃料をプールにぎっしり詰め込む「稠密貯蔵」を想定していたことによる。 田窪氏は「稠密貯蔵は危険なやり方だ。巨大地震やテロ行為など何らかの理由でプールの水が失われた場合、燃料棒の温度が上がり、燃料被覆管(ジルコニウム合金)が発火する。そして最終的には大規模なプール火災に至り、その過程で生じた水素による水素爆発で建屋の上部が損壊し、放射性物質がそのまま大気中に出ていって、大量の放射能汚染をもたらす可能性がある」と指摘する。 プール火災の危険性が現実味を帯びたのが、2011年3月11日に起きた東京電力・福島第一原発の事故だった。事故当時、4号機の使用済み核燃料プールは、定期点検のために炉心から取り出したばかりの使用済み核燃料などでほぼ満杯状態にあった。そこに原発事故による全電源喪失が発生し、使用済み核燃料プールの冷却が一時不能になった』、「プールが満杯になり、原発の運転を中止せざるをえない状況になるのを防ぐために実施されてきた対策が、燃料貯蔵ラック(棚)の増設や「リラッキング」(詰め直し)と呼ばれる方法だ。後者は、臨界防止対策を施したうえで、燃料集合体同士の間隔を狭めて、プール内に使用済み核燃料をぎっしり詰め込むやり方だ。原発33基のうち25基でラックの増設やリラッキングが実施されている」、「田窪氏は「稠密貯蔵は危険なやり方だ。巨大地震やテロ行為など何らかの理由でプールの水が失われた場合、燃料棒の温度が上がり、燃料被覆管・・・」、が発火する。そして最終的には大規模なプール火災に至り、その過程で生じた水素による水素爆発で建屋の上部が損壊し、放射性物質がそのまま大気中に出ていって、大量の放射能汚染をもたらす可能性がある」と指摘」、「稠密貯蔵」のようなその場しのぎの方法で、リスクが大きくなっているとは、改めて恐ろしい気がする。
・『最悪想定では避難人口は3000万人に  プリンストン大学のフランク・フォンヒッペル名誉教授らの試算によると、福島第一原発4号機でプール火災が発生していれば、海に向かって風が吹いていた場合(2011年4月9日に火災が発生したと仮定)でも、放射性物質の拡散により約100万人が強制避難を余儀なくされていたという。 さらに風が陸向きだった場合(同年3月19日に火災が発生したと仮定)、影響ははるかに深刻になっていた。首都圏全体が高濃度の放射性物質に汚染されることにより、強制避難人口は約3000万人にのぼったという。 こうした指摘は決して絵空事ではない。2011年3月に菅直人首相に要請されて原子力委員会の近藤駿介委員長(いずれも当時)が提出した資料の中でも、プールの冷却不能によって使用済み核燃料の破損・溶融と原子炉格納容器内の燃料の溶融が重なることで、最悪の場合には首都圏が強制移転エリアに含まれる可能性があったという。その被害の深刻度は、チェルノブイリ事故をはるかに上回るものだ。 このような惨事を防ぐために、フォンヒッペル氏は「使用済み核燃料プールでの稠密貯蔵を早急に見直し、乾式貯蔵方式(分厚い鋼製容器を用いた自然空冷方式)に移行すべきだ」と指摘する。プールで5年間ほど冷やした使用済み核燃料は、古いものから順に乾式貯蔵に移すという考え方だ。 原子力規制委員会の田中俊一・前委員長も2016年2月3日の臨時会議で、「リラッキングなどという考え方はやめるべきで、ドライキャスク(乾式貯蔵容器)に保管するほうがより安全。世界的にもそれが普通だ」との見方を示している。 乾式貯蔵は使用済み核燃料の再処理をやめたアメリカやヨーロッパなどの原発で一般的になっているほか、日本でも日本原電・東海第二原発や福島第一原発などで小規模ながら実施されている。また、青森県むつ市において、再処理までの中間貯蔵という名目で、大規模な乾式貯蔵施設が建設中だ。 ただ、政府や電力会社は六ヶ所再処理工場の運転を早く開始しなければ原発が止まってしまうと強調してきたため、原発敷地内外の乾式貯蔵の本格的導入に本腰を入れることができないのが実情だ』、「福島第一原発」事故では、「プールの冷却不能によって使用済み核燃料の破損・溶融と原子炉格納容器内の燃料の溶融が重なることで、最悪の場合には首都圏が強制移転エリアに含まれる可能性があったという。その被害の深刻度は、チェルノブイリ事故をはるかに上回るものだ」、たまたま幸運に恵まれたに過ぎないようだ。「乾式貯蔵は使用済み核燃料の再処理をやめたアメリカやヨーロッパなどの原発で一般的になっている」、「政府や電力会社は六ヶ所再処理工場の運転を早く開始しなければ原発が止まってしまうと強調してきたため、原発敷地内外の乾式貯蔵の本格的導入に本腰を入れることができないのが実情だ」、情けない限りだ。
・『コストは6分の1で済む  むつ市の貯蔵施設の事業費などを基にした田窪氏の試算によれば、「乾式貯蔵コストは総発電コストの1%程度。コストはさほど高くない」という。旧通産省総合エネルギー調査会原子力部会の研究結果(1998年)によれば、同じ容量の使用済み核燃料プールの建設コストは乾式貯蔵施設とほぼ同程度とみられるが、水による冷却および維持・監視のためのコストがかさむ。このため、乾式貯蔵はプール貯蔵の約6分の1のコストで済むという。 乾式貯蔵に迅速に移行すれば、使用済み核燃料の行き先確保のために再処理工場を運転する必要はなくなる。原発の敷地内外に乾式貯蔵施設の用地を確保できれれば済むからだ。地元との調整など課題はあるが、もっとも安全な保管方法だ。 再処理工場とMOX燃料(ウラン・プルトニウム混合酸化物燃料)製造工場の総事業費は約16兆円にのぼるが、「いま中止すれば、使用済み核燃料の追加的貯蔵やMOX燃料に代わる濃縮ウラン燃料製造費などを差し引いても、今後約10兆円の節約になる」と田窪氏は試算する。 核兵器に利用可能なプルトニウムを増やしてしまうという面を抜きにしても、安全性および経済性の両面から、核燃料サイクル計画の見直しと乾式貯蔵導入の本格化を真剣に考える必要がある』、「乾式貯蔵はプール貯蔵の約6分の1のコストで済む」、「乾式貯蔵に迅速に移行すれば、使用済み核燃料の行き先確保のために再処理工場を運転する必要はなくなる」、となれば、「安全性および経済性の両面から、核燃料サイクル計画の見直しと乾式貯蔵導入の本格化を真剣に考える必要がある」、その通りだ。

第三に、10月23日付け東洋経済Plus「賠償額「114万円」のはずが「11万円」に減額 東電の農家賠償で「算定間違い」多発の根本原因」を紹介しよう。
https://premium.toyokeizai.net/articles/-/28545
・『福島の原発事故で被害を受けた果樹農家への賠償が、本来支払うべき金額を大幅に下回って決められていたことが判明した。 福島第一原子力発電所の事故で被害を受けた果樹農家への東京電力ホールディングスによる賠償が、本来支払うべき金額を大幅に下回って決められていたことがこのほどわかった。東電によれば、10件の農家について算定間違いが判明し、本来払うべき金額より合計で約500万円少なく見積もられていたという。 本来、114万円の賠償が支払われるはずであるのに、わずか11万円しか提示されなかった農家や、賠償そのものが認められなかった農家もある。東電は「故意ではない」としているが、「きちんとした説明もなく不誠実だ」(梨農家)と怒りの声が上がっている』、「東電」の割には、なにかみみっちい話だ。
・『なぜ算定間違いが続発したのか  算定の誤りは、被害を受けた農家が加入する福島県農民運動連合会(福島県農民連)による指摘で判明した。 東電の賠償の仕組みでは、取引量の少ない月に野菜や果樹の価格が高騰したり、逆に大幅に下落していた場合、原発事故前の過去3年間の平均単価を100%として、その100%という数値を当てはめて賠償額を一律に算定している。一方、相場変動が小さい通常の月については、実際の相場に基づいた数値である全国平均価格変動係数を適用して賠償額を決めている。 ところが東電は、梨やぶどうの最盛期で取引量が多い月であったにもかかわらず、価格が高騰している事実だけをとらえて異常値であると判断。213%や240%といった全国平均価格変動係数の実数値ではなく、100%という便宜的な数値を適用した。その結果、賠償額が本来の金額と比べて著しく少ないケースやゼロとされる事例が相次いだ。 問題が発覚したのは、福島県農民連の担当者が東電に問いただしたことがきっかけだった。 6月22日、東電の計算に疑問を抱いた福島県農民連の担当者が指摘。東電は8月31日、賠償額の計算の仕方に誤りがあったと認めた。しかし、東電は経済産業省にその事実を速やかに報告せず、経産省が誤りの事実を知ったのは9月中旬になってからのことで、福島県農民連から問題があるとの情報を寄せられたことがきっかけだった。 一方、農家がJAふくしま未来を通じて賠償請求をする「団体賠償」のケースでは算定間違いはなかったという。「同じ社内手続きが行われているはずなのに、なぜ団体請求と個別農家による請求とで異なった対応がされたのか、理解できない」と福島県農民連の佐々木健洋事務局長は話しているが、東電は明確な説明をしていない。 福島県伊達市の果樹農家、野田吉男さん(66)は、「東電から通知されたぶどうに関する2020年の賠償額はゼロ円だった」という。前年の約50万円から激減したが、「まさか東電が計算を間違うはずはない」と思い、合意書にサインした。野村さんは後に算定間違いの事実を知り、「東電への不信感で頭がいっぱいだ。きちんとした説明を求めたい」と話す』、「経産省が誤りの事実を知ったのは・・・福島県農民連から問題があるとの情報を寄せられたことがきっかけ」、「福島県農民連」のチェックがなければ、問題は闇のままに葬られていたようだ。
・『あいまいな説明に終始する東電  計算間違いの原因について、東電は「全国平均価格変動係数を算定した結果、200%を超過した値が出たにもかかわらず算定した結果を(異常値として)機械的に扱ってしまった」ことだと説明している。 東電では毎月の相場に基づいて適用する係数の妥当性について、「実務を担当するグループのマネージャーを含め、複数人で確認していた」(同社)ものの、数字の適用の仕方の誤りについて誰も気づかなかったという。一方、なぜ個別農家の請求に限って誤りがあったのかについての明確な説明は得られなかった。 東電は今後の対応について、「是正対象となる農家に連絡を取ったうえで速やかに正しい金額をお支払いする。(10件以外の農家への周知は)お詫びのお知らせとともに訂正した数値をホームページに掲載することを考えている」と説明している。ただ、農家の中には「賠償は期待できない」と思い込み、請求せずに諦めている農家も少なくないとみられる。 なお、再発防止策について東電は「今後は請求内容を確認する部署の品質管理を担当する管理職と、別部署のグループマネージャーが確認を行うことを考えている」としている。 福島第一原子力発電所では、放射性物質を吸着して外部への漏洩を防ぐことを目的とした排気フィルターを2年前に点検したところ、対象箇所25カ所のうちすべてで破損が見つかり、ひそかに交換していた。東電は2021年9月の記者会見で質問を受けるまでその事実を公表しなかった。 2月13日の福島県沖を震源とする地震の際にも、それ以前に地震計が故障したまま放置されていたことが判明し、安全への姿勢が批判されている。そして今般、賠償でも新たな不祥事が判明した。 福島第一原発をめぐっては現在、放射性物質を含むALPS(多核種除去設備)処理水の海洋放出が計画されている。しかし、その際の風評被害に対する賠償がきちんと行われるかどうかをめぐり、賠償スキームの実効性に疑問が持たれている。 そうした中で新たに発覚した今回の問題は、東電に対する不信感をいっそう高めている。東電は「最後の1人まで賠償を貫徹する考えに変わりはない」と言うが、曖昧な説明に終始するようでは信頼回復もままならない』、「東電」のダメぶりには食傷気味だが、今回のもコメントする気にもなれない。こんな少額でも、賠償額を圧縮することが評価されるような文化があるのだろう。徹底的な反省と再発防止策が必要だ。
タグ:原発問題 (その18)(「使用済み核燃料の再処理に経済合理性はない」 著名科学者が警告する核燃料サイクルの不合理、データで明らかになった「詰め込み貯蔵」の実態 あふれる原発の核燃料プール 火災事故の危険性、賠償額「114万円」のはずが「11万円」に減額 東電の農家賠償で「算定間違い」多発の根本原因) 東洋経済Plus 「「使用済み核燃料の再処理に経済合理性はない」 著名科学者が警告する核燃料サイクルの不合理」 「フランスと日本は、再処理で取り出したプルトニウムをウラン・プルトニウム混合酸化物(MOX)燃料に加工し、通常の原発(軽水炉)で利用している。日本でもフランスでも再処理コストを含めると、MOX燃料の製造コストは通常の原発で使う低濃縮ウラン燃料の10倍レベルとなると推定」、こんなに高コストとは、飛んでもない話だ。 「ヨウ素129・・・のような長寿命の核分裂生成物が毒性を支配するとみなされた。しかし、ヨウ素は吸着が難しいことから、フランスの再処理工場で分離されたヨウ素129のほとんどは海に放出されている。青森県の六ヶ所再処理工場はフランスの設計により建設されており、同じような問題がある」、福島第一原発でのトリチウムも「ヨウ素」と同じように「吸着が難しく」、「フランスの再処理工場」では「ほとんどは海に放出」。日本政府はトリチウムを含んだ汚染水も「海洋に放出」したいようだが、漁民が風評被害が激化すると反対している。 「フィンランド、スウェーデン、イギリスの使用済み核燃料処分場の場合と同様、地元のコミュニティーは雇用を求めるからこのような施設を受け入れようとする。しかし、州内の別の場所で政治的反対が生じる。2つの州の集中貯蔵計画がどうなるかは今後の展開を待つしかない」、欧米でも地元と他の場所での利害対立が起きているようだ。今後の展開を注目したい。 「データで明らかになった「詰め込み貯蔵」の実態 あふれる原発の核燃料プール、火災事故の危険性」 「原発の核燃料プール」で「火災事故の危険性」、現在でも大変危険な保管方法を取っていることを初めて知り、憤りを覚えた。 「プールが満杯になり、原発の運転を中止せざるをえない状況になるのを防ぐために実施されてきた対策が、燃料貯蔵ラック(棚)の増設や「リラッキング」(詰め直し)と呼ばれる方法だ。後者は、臨界防止対策を施したうえで、燃料集合体同士の間隔を狭めて、プール内に使用済み核燃料をぎっしり詰め込むやり方だ。原発33基のうち25基でラックの増設やリラッキングが実施されている」、「田窪氏は「稠密貯蔵は危険なやり方だ。巨大地震やテロ行為など何らかの理由でプールの水が失われた場合、燃料棒の温度が上がり、燃料被覆管・・・」、が発火す 「福島第一原発」事故では、「プールの冷却不能によって使用済み核燃料の破損・溶融と原子炉格納容器内の燃料の溶融が重なることで、最悪の場合には首都圏が強制移転エリアに含まれる可能性があったという。その被害の深刻度は、チェルノブイリ事故をはるかに上回るものだ」、たまたま幸運に恵まれたに過ぎないようだ。「乾式貯蔵は使用済み核燃料の再処理をやめたアメリカやヨーロッパなどの原発で一般的になっている」、「政府や電力会社は六ヶ所再処理工場の運転を早く開始しなければ原発が止まってしまうと強調してきたため、原発敷地内外の乾式 「乾式貯蔵はプール貯蔵の約6分の1のコストで済む」、「乾式貯蔵に迅速に移行すれば、使用済み核燃料の行き先確保のために再処理工場を運転する必要はなくなる」、となれば、「安全性および経済性の両面から、核燃料サイクル計画の見直しと乾式貯蔵導入の本格化を真剣に考える必要がある」、その通りだ。 「賠償額「114万円」のはずが「11万円」に減額 東電の農家賠償で「算定間違い」多発の根本原因」 「東電」の割には、なにかみみっちい話だ。 「経産省が誤りの事実を知ったのは・・・福島県農民連から問題があるとの情報を寄せられたことがきっかけ」、「福島県農民連」のチェックがなければ、問題は闇のままに葬られていたようだ。 「東電」のダメぶりには食傷気味だが、今回のもコメントする気にもなれない。こんな少額でも、賠償額を圧縮することが評価されるような文化があるのだろう。徹底的な反省と再発防止策が必要だ。
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介護(その7)(小学生で「ヤングケアラー」となった彼女の苦悩、中国の高齢化が日本のビジネスチャンスになるとは言い切れない複雑な事情中国の高齢化が日本のビジネスチャンスになるとは言い切れない複雑な事情、「その気がなくて…」ヘルパーの色仕掛けをシャットアウトした男性の賢い対応) [社会]

介護については、4月23日に取上げた。今日は、(その7)(小学生で「ヤングケアラー」となった彼女の苦悩、中国の高齢化が日本のビジネスチャンスになるとは言い切れない複雑な事情中国の高齢化が日本のビジネスチャンスになるとは言い切れない複雑な事情、「その気がなくて…」ヘルパーの色仕掛けをシャットアウトした男性の賢い対応)である。

先ずは、4月25日付け東洋経済オンライン「小学生で「ヤングケアラー」となった彼女の苦悩」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/424378
・『その女性は、母親から虐待を受けて育ちました。母親自身も幼少期に虐待を受けた影響から、重度の精神疾患を抱えており、女性は小学生の頃から母親のケアをしてきたといいます。届いたメッセージには、母親の突発的な自傷行為への対応や、彼女自身も精神疾患を患ったこと、ヤングケアラーとして感じたことなどが書かれていました。 ヤングケアラーというのは「家族にケアを要する人がいる場合に、大人が担うようなケア責任を引き受け、家事や家族の世話、介護、感情面のサポートなどを行う18歳未満の子ども」のことです(『ヤングケアラー 介護を担う子ども・若者の現実』より)。 一般的にヤングケアラーというと、家事や介護をするイメージが強いですが、親が精神疾患の場合は特に、家族の「感情面のケア」の負担も大きいことが調査でわかっています。 ケアラーであることは子どもにとって、どんな体験なのか?連絡をくれた亜希さん(仮名、20代)に、11月のある朝、Zoomでお話を聞かせてもらいました』、「母親から虐待を受けて育ちました。母親自身も幼少期に虐待を受けた影響から、重度の精神疾患を抱えており、女性は小学生の頃から母親のケアをしてきたといいます」、自分を「虐待」した「母親」の「ケアをしてきた」とは感心だ。
・『キレやすい母との毎日は地獄のようだった  亜希さんは、両親と妹の4人家族でした。小さい頃から、母親は「怒るとものすごく怖い」と感じていたそう。例えば彼女が6、7歳の頃には、こんなことがありました。 「視力が悪くてメガネをつくることになったんですけれど、そのとき母親が錯乱状態になっちゃって。母親自身もメガネでいじめられた経験があったせいで、たぶんいっぱいになっちゃったんです。それで私と心中しようとしたのか、私を包丁で刺そうとしたんだか、とにかく刃物をもって暴れまわっちゃって」 娘のメガネで、錯乱?度肝を抜かれる話ですが、亜希さんにとっては、そう驚くことではなかったようです。母親は「自分が受け入れられない現実があると、急にスイッチが入り、刃物をもって暴れまわる」のが日常だったからです。子どもたちを殴る蹴るは当たり前で、寝ているときに急に耳を引っ張られたり、お風呂で突然冷水をかけられたりしたことも。刃物で流血したことも、慣れるほど「よくあった」といいます。 父親は「問題に向き合わないタイプ」でした。「父親の足音が聞こえるだけで母親がパニックになる」ので、最初は亜希さんと妹で両親が顔を合わせないように対応していましたが、亜希さんが10歳の頃から父親がアパートを借りて家を出て、そのまま現在にいたるということです。 母親自身も幼少期に自分の父親からひどい虐待を受けており、そのことを亜希さんに繰り返し語っていました。勉強中でもなんでも、つねに聞き役を求められるのは負担でしたが、「うるさい」などと言えばまた暴れだしてしまうので、「とにかくひたすら我慢」して聞き続けていたといいます。 病院で母親が受けた診断は、うつ病、パニック障害、境界性パーソナリティー障害など。とくに、亜希さんが小学校高学年だった頃は「キレやすく、毎日が地獄のようで、包丁や放火にビクビクしていた」と振り返ります。しかも母親からは宗教的な虐待もあり、さらに両親からの性的虐待もあったとのこと。 母親の症状が悪化したきっかけのひとつは、祖母との同居でした。虐待を受けていたときに助けてくれなかった祖母に対し、母親は当然よい感情をもっていなかったのですが、その祖母がアルツハイマーになったのです。事情により数カ月間、亜希さん一家と同居したところ、「母の暴動が毎日のように起き始めた」のでした。 「携帯で電話がかかってきて『今、どこどこのビルの屋上にいるから』とか。電話越しに『そんなこと(飛び降り)しないで』と言って、とにかく説得して帰ってきてもらったりして。靴も履かずに探しに行ったこともありました。あとは刃物で手首を切ったり、家の2階のベランダから飛び降りたり。死ぬとかじゃないけれど、骨折とか。母としては、いっぱいいっぱいだったようです」 ときには家族に激しい他害行為をして、警察を呼ばざるをえないこともありました。 「でも母は、自分がしたことを全部なかったことにしちゃうんです。事実をすり替えちゃうし、平気でうそをつく。でも、本当に記憶が入れ替わっているんだと思うんです。だから、母がひどいことをしたから私たちが警察を呼んだんだといっても、自分が被害者だと思っているので、話がまるで通じない。警察の方には親子げんかだと思われてしまうので、児相などに保護されたことは一度もなく、ただ耐えるしかありませんでした」』、「母親からは宗教的な虐待もあり、さらに両親からの性的虐待もあった」、まるで「虐待」のショールームだ。「「でも母は、自分がしたことを全部なかったことにしちゃうんです。事実をすり替えちゃうし、平気でうそをつく。でも、本当に記憶が入れ替わっているんだと思うんです」、困ったことだ。
・『「地域に知れわたるほど」の激しいいじめを受け…  家事全般も、小学生の頃から亜希さんが担っていました。母親の症状が最も重く寝たきりだった頃は、トイレや食事の介助までしていたといいます。母はパニック障害でもあったため、電車に乗る際や、通院、買い物に付き添うこともたびたびありました。 このように家ではつねに神経を張りつめていた亜希さんでしたが、中学校では「地域に知れわたるほど」の激しいいじめも受けていました。2年生のときに転校したものの、転校先の中学でもいじめのことは知られており、再びいじめられるようになってしまいます。 ストレスの影響か、亜希さんの心身にはだんだんと異変が出てきました。パニック障害になって動悸がしたり、唾液恐怖(唾を飲むことが気になる)になったり、ヒステリー球(のどから食道にかけて詰まった感じがする)の症状が出たりするようになったのです。 高校は近くの進学校に入ったのですが、次第に教室にいるだけで「動悸や唾液のことで頭がいっぱいになって、足裏に脂汗をかいたり、全身に冷や汗をかいたり」するように。もう、勉強どころではありませんでした。 「アルバイトして貯めたお金で心療内科のクリニックに通ったりしていました。本末転倒というか、滅茶苦茶なんですけれど(笑)。でもそこで出してもらった薬も強すぎちゃって、授業中に眠ってしまったりして。もうフラフラな状態で、どうにかこうにか卒業できた、みたいな感じでしたね」 残念ながら当時、亜希さんが置かれた厳しい状況を理解する先生はいませんでした。症状や薬のことを相談したら「病気を言い訳にするな」と突き放されたことも。信頼する先生に家の事情を話したところ、「(親との関係について)お前は間違っている」と笑われてしまったこともありました』、「高校は近くの進学校」の割には、先生の対応は、お粗末だ。
・『YouTubeでたまたま見た○○○○に勇気をもらった  高校を卒業後、亜希さんはいくつかの仕事を経験してきました。いじめの影響もあってつねに人の目が気になり、さまざまな症状を抱えつつ薬を飲んで、なんとかやっていたそう。そんなつい数カ月前、気持ちが少し上向くきっかけがあったといいます。何があったのでしょうか。 「プロレスにハマったんです。真壁刀義さんってご存じですか?タレントもされている、現役のプロレスラーの方なんですけれど。私自身、今年に入ってからいろいろあったんですね。もう人生終わりにしようと思って、首を吊ったんですけれど。なんかこう諦めきれなくて、ただただ時間を潰すためにYouTubeを見ていたら、その方のチャンネルが『オススメ』とかに出てきて。それではまっていって、勇気をもらった感じでした。 真壁さんは新人時代に理不尽なしごきを受け続けていたんですけれど、『自分は後輩に同じことはしない』っていう強い決意があったそうなんですね。だから真壁さんの後の世代の新人には、そういう理不尽ないじめがなくなったというエピソードがあって。ネットでその話を知って、すごく勇気をもらって。悪いものは次の世代に継承しないという、そういう決意や覚悟をくれたんです」 まさかの、プロレスでした。申し訳ないのですが、筆者はあまりにも門外漢なため、熱く語り出した亜希さんにひたすらあいづちを打つことしかできなかったのですが、それが亜希さんに大きな力を与えてくれたことは、よくわかりました。 「ずっと自分の存在を許せていなかったんです。母からは『生まなきゃよかった』とか言われて、家でも学校でも否定され続けてきたので、もはや死にたいとかじゃなくて、『私の存在をもともとなかったことにしたい』という感覚があって。だから、疑問に思うことがあっても、表現なんてしようとは思えなかったですし。 真壁選手も、プロレスの世界で必要とされない不遇の時代が長かったんですけれど、そこで腐ったりあきらめたりせず、ただ淡々とやるべきことを真面目にやり続けて、結果、花を咲かせている。それを知ったら、私も自分の存在を責めたりしている場合じゃないなって。何かにつながらなくても、やれることをやっていこうと思って」 なぜ、こんなにもハマっているのか。最初は亜希さん自身にもわからなかったのですが、真壁さんやプロレスから受け取ったメッセージの意味に気づいたとき、自分でも腑に落ちたということです。 亜希さんは現在、両親とはほぼ絶縁状態だということです。母親に対しては、だいぶ前から「わかり合える人ではない」とあきらめて連絡を絶っており、数年前には父親からも連絡が来ないよう、携帯電話の番号やLINEのアカウントを変更しています。 父親は暴力をふるったことはないものの、両親の問題が子どもに与えた影響をまったく自覚できず、亜希さんに自分の愚痴を聞かせるばかりでした。そのうえ、お酒を飲むと亜希さんが傷つくことを告げるため、もうかかわる必要はないと判断したのです。 「子どものときに『ああ、私、親を子育てしてるな』って、はっきり言葉で思っていたんですよね。生意気ですけれど。親に教えられたこととか、そういうものが一切なくて。言われて響いたこ」、こととか、『こうやって生きていけばいいんだ』という受け取れたメッセージが、何一つ残っていない。むしろ反面教師にすべきことばかり。 私のほうから『こうやって関係性を作っていこうよ』とか、父と母に働きかけ続けてきたんですけれど、結局は何も実らなかった。本当に、親を子育てしてきた感覚というのが私のなかには強くあって。意外とそういうお子さんは多いのかもしれないな、と思っています」』、「首を吊ったんですけれど。なんかこう諦めきれなくて、ただただ時間を潰すためにYouTubeを見ていたら、その方のチャンネルが『オススメ』とかに出てきて。それではまっていって、勇気をもらった感じでした』、「プロレス」にはまったきっかけが、「首を吊った」ことというのは興味深い。
・『「家族」に頼りすぎるから、ヤングケアラーが生まれる  ヤングケアラーだったことについては、こんなふうに感じているといいます。 「国もそうですけど、家族、世帯という単位に頼りすぎちゃっているから、ヤングケアラーが生まれるんじゃないかなと思います。家族だからケアすることが当たり前というふうに、いまは社会全体が思っちゃっているけれど、個人個人にだって生活がありますし、人生がある。だけれど結局『家族のなかで、なんとかしてよ』という制度だったりするじゃないですか。それはやっぱりまずいな、というのを一番思います」 そしていま、かつての亜希さんのような状況にある人には、こんなことを伝えたいそう。 「自分の違和感かとかストレス、不安だったり、むかむかしたり、いろんな形で出てくると思うんですけれど。『これは何から来ているのかな』というのを、しんどいと思うけど、探ってみてほしいなって思います。『あのとき、お母さんにああ言われたことから来てるのかな』とか『お父さんにあのとき殴られたときの感覚なのかな』とか。 絶対しんどさを伴うんですけど、そこを見つめ続けて、たくさん葛藤して、その先に見えてくる自分なりの正解があると思うんです。それは親との和解という場合もあると思うし、絶縁という場合もあると思いますし、あとは適度に付き合っていく、とか。そういうところをうまく見つけていけたらラクになるのかな、というのは感じますね」 取材から5カ月。今月ひさしぶりに亜希さんに連絡したところ、なかなか連絡がつきませんでした。ようやく話を聞いたところ、その後、PTSDやうつの症状が悪化して苦しんでいたことを教えてくれました。いまは、体調を崩しながらもなんとか働いているといいます。一進一退で、でもちょっとずつ前に進んでいる、亜希さんなのでした』、「「家族」に頼りすぎるから、ヤングケアラーが生まれる」、確かにその通りで、もっと公助を取り入れてゆくべきだ。「取材から5カ月。今月ひさしぶりに亜希さんに連絡したところ・・・PTSDやうつの症状が悪化して苦しんでいたことを教えてくれました。いまは、体調を崩しながらもなんとか働いているといいます」、しっかりしているように見えても、「PTSDやうつの症状が悪化」、完治には長い年月が必要なようだ。

次に、7月5日付けダイヤモンド・オンラインが掲載した日中福祉プランニング代表の王 青氏による「中国の高齢化が日本のビジネスチャンスになるとは言い切れない複雑な事情」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/275582
・『10年ぶりに行われた国勢調査で、高齢者の数が著しく増えていることが明らかになった中国。高齢社会へと突き進む中で、「介護」の需要も拡大していくことが想定される。隣国のこうした大きな変化は日本にとってビジネスチャンスとなるのか。これを考える上では、介護を取り巻く「三つの構造的問題」を認識しておく必要がある』、興味深そうだ。
・『中国の高齢化は日本にとってビジネスチャンスか?  5月11日に、10年ごとに実施されている中国の第7回国勢調査の結果が、中国国家統計局により発表された。それによると、60歳以上の高齢者が2.6億人となり、総人口の18.7%を占めている。65歳以上の人口は10年前と比べて6割増えて1.9億人となり、全体に占める割合は13.5%だった。一方、2020年の新生児数は1200万人となり、3年連続で減少。出生率は1952年の統計開始以来、最低の1.3である。少子高齢化が加速していることが明らかとなった。 国勢調査の発表後、日中の福祉ビジネスに携わる筆者のもとに、日本の介護事業者から問い合わせが相次いだ。 「中国の高齢者人口が日本の人口の2倍となって、介護ビジネスのチャンスとなるのでは?」「すでに進出していた日本の介護事業者は今どんな状況?」などの類いの質問であり、今回の発表がかなり気になっているようだ。 中国国内でも、そのタイミングで大手健康食品や保険会社など、異業種の企業が介護産業に進出するニュースが続々と報じられていた。今年3月に開催された第13回全国人民代表大会を受けての記者会見で李克強首相が「高齢者産業が巨大な成長産業となり、多様なニーズをもたらすだろう」と述べたことも、異業種からの介護業界への参入の追い風となっている。) しかし、このような「熱狂ぶり」とは裏腹に、厳しい数値もある。昨秋、中国国内の行政部門の一つである民政部は、介護施設の現状を公表した。これによると、現在、中国国内の介護施設の総数は約4.2万カ所、429万床。これに対して、214.6万人が入居しているという。全国の平均入居率は50%。 また、北京大学人口研究所の調査によると、北京にある介護施設のうち約半数は、入居率が50%に届いておらず、入居率100%の施設はわずか49カ所だという。そのほか、黒字の施設の割合が4%、深刻な赤字の施設は30.7%と、3割超に上ることも分かった』、「北京大学人口研究所の調査によると、北京にある介護施設のうち約半数は、入居率が50%に届いておらず、入居率100%の施設はわずか49カ所だという。そのほか、黒字の施設の割合が4%、深刻な赤字の施設は30.7%」、「入居率」が想像以上に低いことに驚かされた。
・『中国の介護を取り巻く三つの深刻な問題  最近、中国の介護業界では、安徽省の地方都市に住む、ある50代男性の体験が話題となった。 男性の父親が介護施設で亡くなった。父親は87歳。軽度の認知症で介護が必要な状態だった。男性は父の生前、施設を訪れた際に衝撃的な光景を目にしている。 車いすやベッドから勝手に落ちたりしないように、父親が縄で拘束されていたのだ。縄は横断幕用だった布を再利用して作ったもので、危険な状態だった。案の定、ベッドから床に転がり落ちた際、その縄が首に絡んで窒息し死亡したという。これまでスタッフが頻繁に様子を見に来ていたが、その日はたまたま別の入居者の対応に時間がかかって、戻ってきたときにはもう手遅れだった。 男性は、介護スタッフの人手が少ないことと、転倒などの事故が発生するリスクを避けるためにやむを得ないことだと思って、その状態をずっと黙認していた。男性は、「施設はなぜ専用のベルトを買わなかったのか?本当に悔やまれる……」と落胆した様子でマスコミの取材に応じた。 この事例は、まさに今の中国の介護を象徴したものといえる。具体的には、以下の三つの深刻な問題が映し出されている。 まずは、介護にかかる「金」の問題だ。 中国は、日本の介護保険のような社会保障制度が完備されていないため、施設への入居費など、介護にかかる費用は全額自己負担となっている。最も人口が多い中間層を例にとっても、高齢者本人の年金だけでは足りず、家族の援助が不可欠だ。そのため、できるかぎり入居費を抑えたいので、多床室を選ぶ。結果、最低限の衣食住の環境で、自由も少なく、いわば「生きているだけ」の生活を強いられていることが少なくないのだ。一方で、施設の運営側は赤字にならないように、備品購入費や人件費など、最大限コストを抑えようとする。 第二の問題は、介護施設の需要と供給のアンバランスである。 空室率が高い施設の多くは、富裕層向けもしくは不動産投機が目的であるものだ。高級路線の施設は、五つ星ホテルと間違えられるような、豪華な玄関があり、部屋にも高級家具が置かれている。ただ、そこで悠々自適に老後を送ることができるのは、一握りの富裕層と一部の「上級国民」だけだ。 一方で、料金がリーズナブルで、立地などの条件も良く、中間層が利用しやすい施設は数が不足している。ゆえに、全体で見ると約5割もの高い空室率であるにもかかわらず、多くの高齢者が入りたい施設はなかなか見つからないという現状がある。 最後に、「介護人材の著しい不足」だ。現在、中国の介護人材は約1000万人不足しているといわれている。中国の介護施設では、1人のスタッフが8~12人の入居者を見て、1日12時間働き、休日は週1日というところも多い。 現場で働くスタッフの特徴は、これまで「三高三低」と称される。つまり、「リスクが高い、労働強度が高い、離職率が高い。一方で、社会的地位が低い、給料が低い、学歴が低い」。ここ数年、スタッフの年齢が年々“高く”なったことで、今は「三低四高」といわれている。 最新の調査では、50歳以上のスタッフが全体の70%を占めていて、学歴が高卒以上の人は12%である。現場では、人材のほとんどが「4050」といわれる40代~50代の地方からの出稼ぎの女性たちだ。近年、政府も民間も若者に介護業に就職してもらうため、さまざま奨励金制度や無料の研修などの施策を講じているが、介護の仕事は若者に不人気であることに変わりはない』、身体「拘束」は日本でも「認知症」患者などに行われているが、中国での「死亡」事故のようなことがあったかどうかは覚えていない。「人材のほとんどが・・・40代~50代の地方からの出稼ぎの女性たちだ」、「政府も民間も若者に介護業に就職してもらうため、さまざま奨励金制度や無料の研修などの施策を講じているが、介護の仕事は若者に不人気であることに変わりはない」、なるほど。
・『独自の発想で成功する国内事業者も 政府の目標は「量」から「質」へ  最後に、高齢化が進む中国社会で、日本をはじめとする外資企業がビジネスチャンスをつかむにはどうすればいいのか、整理してみたい。 中国国内で高齢社会への関心が高まる中、国有企業、大手デベロッパー、保険会社などがこぞって介護事業に参入している。そうした企業は、日本をはじめ海外の先進事例を熱心に研究し取り組んでいる。 制度が整備されていないがゆえに、自由な発想で介護サービスを向上させており成功している介護事業者も少なからず出始めている。筆者が日本の医療・介護関係者に中国の優れている施設や特色のある施設を案内した際には、多くの関係者が驚き、「日本はあと何年の間、介護の先進国でいられるのか」と強い危機感を持っていたくらいだ。 現在、中国国内で介護事業で成功し、話題となっているのは全て国内の事業者であり、日本を含め外資系は軒並み苦戦している状況である(これらの理由については、過去コラム『中国より日本のほうが「介護先進国」は本当か』『中国から日本の介護施設に見学者が殺到している理由』を参照してほしい)。社会制度や生活習慣、文化などの違いがあるため、日本式の介護をそのまま持ち込んでもうまくいかないことは明白であるが、これに加えて、中国の現地情報が著しく不足しているのではないかと思う。 そんな中、今後のビジネスチャンスのヒントとなる“方針”が、先日政府から打ち出された。中国政府は「第14次5カ年計画(2021~2025年)民政事業発展計画」の発表会で、これまで目標としていた「1000人の高齢者に35ベッド」の指標を取り消し、代わりに介護用のベッド数の割合を上げる指標に切り替えたのだ。そのほか、中間層が入りやすい施設の普及、真のニーズに合ったサービスの提供、最後まで尊厳のある人生を送れる社会環境の構築なども表明された。これまでベッド数という量を追求してきたが、今後は「量」より「質」を重視する政策へと、風向きが変わるといえる。 莫大な高齢者人口を抱える中国。高齢者のうち、認知症の人は1507万人、要介護者は4000万人に上る。そして、1962~63年のベビーブームで生まれた世代が膨大な高齢者予備軍として待ち構えており、2030年には高齢者数は3.6億人になると予測されている。 隣国で発展するこのような巨大な介護市場に対して、日本はどんなことができるのか。 政策の転換をチャンスに、日本が先行している「尊厳のある老後」や「QOL(クオリティー・オブ・ライフ、生活の質)重視」を意識したサービスなど、質の部分で商機をつかむことが期待されるだろう。 現に、日本の「認知症グループホーム」や「訪問入浴」などは中国で大きな話題となり、実践され、浸透しつつある。また、日本で介護を学んだ人が帰国後、起業したり、就職したりして、介護業界で大活躍するケースも少なくない。何よりも、現在の中国の介護業界は、欧米の国々より日本を一番参考にしており、「日本はこうだから間違いないだろう」という空気があると筆者は感じる。だからこそ、日本の事業者には、ぜひこの大チャンスをうまく生かしてほしいと思う』、「中国国内で介護事業で成功し、話題となっているのは全て国内の事業者であり、日本を含め外資系は軒並み苦戦している状況」、「社会制度や生活習慣、文化などの違いがあるため、日本式の介護をそのまま持ち込んでもうまくいかないことは明白であるが、これに加えて、中国の現地情報が著しく不足しているのではないかと思う」、激しい「高齢化」を迎える「中国」の「介護市場」に「日本の事業者」も、内外の違いを理解した上で、積極的に参加してほしいものだ。

第三に、7月9日付け日刊ゲンダイが掲載した作家の夏樹久視氏による「「その気がなくて…」ヘルパーの色仕掛けをシャットアウトした男性の賢い対応」を紹介しよう。
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/life/291669
・『午前9時45分が、池端史郎さんのお迎え時刻だ。 その時刻に、僕が運転するワンボックスカーを家の前に止める。添乗員の小池さんが車から降り、玄関のベルを鳴らす。2、3分して池端さんは、男性ホームヘルパーに付き添われて車に乗り込む。 「おはようございます、ゆっくり眠れましたか」「はい、眠れました」「朝ごはんは食べましたか」「どうにか」……。そのほか食欲についてなど健康状態を確認してデイサービス施設に向かう。 ホームヘルパーとは、ひとりでは日常生活が不自由な高齢者を介助する仕事だ。朝、自宅に訪問して起床させ、着替え、朝食、トイレの世話をしてデイサービスに送り出すのが基本で、それに昼食や夕食の用意、洗濯、部屋の掃除などの時間単位の追加が付くこともある。 池端さんは87歳、奥さんに先立たれ一人暮らし。結婚して家を出た娘さんは、夫の仕事の関係で海外在住。聞いた話では、池端さんは苦労して働きながら大学に通い、薬剤師の資格を取り、都内に薬局を開業して成功したとか。自宅は70坪、ほかにも何件かの不動産を持つ資産家だとか。 そんな池端さんだが、以前出入りしていた妖艶な女性ヘルパーに「???」と感じたことがあった。同僚の小池さんと雑談になった。「あのヘルパー、何歳くらいかな」「50歳前後……」「化粧が濃いね」「香水の匂いも……」「大丈夫かな? 怪しくないか」「うん、危ないかもしれない」「今度は夕方からのヘルパー勤務らしいし……」「探ってみようか」……。 小池さんと僕は、波長が合う。夕方からのホームヘルパーとなると炊事だけではなく、かなりデリケートな仕事もある。なにか問題が起きたら大変だ。僕と小池さんは、池端さんに探りを入れた。 「今度のヘルパーさん、美人ですね」「いい感じだね。親切だし」「派遣事務所は同じですか?」「同じだと思う」……。そんなやりとりの後、「入浴は?」と尋ねると驚くべき答えが返ってきた。 「デイサービスで週2回入っているから断った。夏場は汗ばむから、どうかって誘われたけど。事務所に内緒でいいからって……」 僕と小池さんは顔を見合わせた。入浴介護は別料金。内緒というのは違法行為になる。 「断ったのですか」 「ちょっと気持ちが揺れたけど、私にはその気がないから」 「そうでしたかで」 軽い認知症だが、池端さんは「色仕掛け」を感じて賢い対応をしたのだ。しばらくすると、その女性ヘルパーは姿を見せなくなった。そんな折、新聞でこんな記事を目にした。 「相続トラブル、各地で頻発! 一人暮らしの高齢者が被害」 一人暮らしのお年寄りにヘルパーとして接近。献身的な介助の一方で、婚姻や養子縁組などの姻戚関係をつくり、遺産相続を狙う。あるいはヘルパーである自分に遺産の一部を相続させるための遺書を書かせる。そんなトラブルが頻発しているとか。 それにしても池端さんに「その気」がなくてよかった。ごく少数だろうが介護の世界には、こうした「危険分子」が潜んでいる。高齢の親を持つ人は肝に銘じておいたほうがいい』、高齢の資産家男性に「色仕掛け」で、迫って「婚姻や養子縁組などの姻戚関係をつくり、遺産相続を狙う。あるいはヘルパーである自分に遺産の一部を相続させるための遺書を書かせる」、などの悪質な「女性ヘルパー」がいるとは、驚いた。自分も気をつけよう、ただ、狙われる「資産」がないので、寄り付いてもくれないだろう。
タグ:介護 (その7)(小学生で「ヤングケアラー」となった彼女の苦悩、中国の高齢化が日本のビジネスチャンスになるとは言い切れない複雑な事情中国の高齢化が日本のビジネスチャンスになるとは言い切れない複雑な事情、「その気がなくて…」ヘルパーの色仕掛けをシャットアウトした男性の賢い対応) 東洋経済オンライン 「小学生で「ヤングケアラー」となった彼女の苦悩」 「母親から虐待を受けて育ちました。母親自身も幼少期に虐待を受けた影響から、重度の精神疾患を抱えており、女性は小学生の頃から母親のケアをしてきたといいます」、自分を「虐待」した「母親」の「ケアをしてきた」とは感心だ。 「母親からは宗教的な虐待もあり、さらに両親からの性的虐待もあった」、まるで「虐待」のショールームだ。「「でも母は、自分がしたことを全部なかったことにしちゃうんです。事実をすり替えちゃうし、平気でうそをつく。でも、本当に記憶が入れ替わっているんだと思うんです」、困ったことだ。 「高校は近くの進学校」の割には、先生の対応は、お粗末だ。 「首を吊ったんですけれど。なんかこう諦めきれなくて、ただただ時間を潰すためにYouTubeを見ていたら、その方のチャンネルが『オススメ』とかに出てきて。それではまっていって、勇気をもらった感じでした』、「プロレス」にはまったきっかけが、「首を吊った」ことというのは興味深い。 「「家族」に頼りすぎるから、ヤングケアラーが生まれる」、確かにその通りで、もっと公助を取り入れてゆくべきだ。「取材から5カ月。今月ひさしぶりに亜希さんに連絡したところ・・・PTSDやうつの症状が悪化して苦しんでいたことを教えてくれました。いまは、体調を崩しながらもなんとか働いているといいます」、しっかりしているように見えても、「PTSDやうつの症状が悪化」、完治には長い年月が必要なようだ。 ダイヤモンド・オンライン 王 青 「中国の高齢化が日本のビジネスチャンスになるとは言い切れない複雑な事情」 「北京大学人口研究所の調査によると、北京にある介護施設のうち約半数は、入居率が50%に届いておらず、入居率100%の施設はわずか49カ所だという。そのほか、黒字の施設の割合が4%、深刻な赤字の施設は30.7%」、「入居率」が想像以上に低いことに驚かされた。 身体「拘束」は日本でも「認知症」患者などに行われているが、中国での「死亡」事故のようなことがあったかどうかは覚えていない。「人材のほとんどが・・・40代~50代の地方からの出稼ぎの女性たちだ」、「政府も民間も若者に介護業に就職してもらうため、さまざま奨励金制度や無料の研修などの施策を講じているが、介護の仕事は若者に不人気であることに変わりはない」、なるほど。 「中国国内で介護事業で成功し、話題となっているのは全て国内の事業者であり、日本を含め外資系は軒並み苦戦している状況」、「社会制度や生活習慣、文化などの違いがあるため、日本式の介護をそのまま持ち込んでもうまくいかないことは明白であるが、これに加えて、中国の現地情報が著しく不足しているのではないかと思う」、激しい「高齢化」を迎える「中国」の「介護市場」に「日本の事業者」も、内外の違いを理解した上で、積極的に参加してほしいものだ。 日刊ゲンダイ 夏樹久視 「「その気がなくて…」ヘルパーの色仕掛けをシャットアウトした男性の賢い対応」 高齢の資産家男性に「色仕掛け」で、迫って「婚姻や養子縁組などの姻戚関係をつくり、遺産相続を狙う。あるいはヘルパーである自分に遺産の一部を相続させるための遺書を書かせる」、などの悪質な「女性ヘルパー」がいるとは、驚いた。自分も気をつけよう、ただ、狙われる「資産」がないので、寄り付いてもくれないだろう。
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電子政府(その5)(大前研一「デジタル庁が日本を変えるのは無理」 日本はIT人材の給料が安すぎる、行政のDXは風前のともしび デジタル庁が失敗するこれだけの理由、国政選挙がネット投票に変わらない ちょっとだけ怖い裏事情) [経済政策]

電子政府については、8月4日に取上げた。今日は、(その5)(大前研一「デジタル庁が日本を変えるのは無理」 日本はIT人材の給料が安すぎる、行政のDXは風前のともしび デジタル庁が失敗するこれだけの理由、国政選挙がネット投票に変わらない ちょっとだけ怖い裏事情)である。

先ずは、9月30日付けプレジデント 2021年10月15日号が掲載したビジネス・ブレークスルー大学学長の大前 研一氏による「大前研一「デジタル庁が日本を変えるのは無理」 日本はIT人材の給料が安すぎる」を紹介しよう。
https://president.jp/articles/-/50316?page=1
・『デジタル庁トップすら人材がいない  2021年9月1日にデジタル庁が発足した。注目を集めていたデジタル庁トップ「デジタル監」には、これまで何人か候補者の名前が噂されていたが、結局、一橋大学名誉教授(経営学)の石倉洋子氏が就任した。 発足式で石倉氏は「(私は)デジタルの専門家でもエンジニアでもない」「Python(プログラミング言語)にもチャレンジしたが、今のところ挫折している状況」と発言し、話題になった。 デジタル庁のトップがデジタルについて理解していないのも問題だが、それ以上に問題なのは、自分の役割を正しく認識していないことだ。日本のデジタル政策を構想することがデジタル庁の役割であるはずが、自身のプログラミング学習歴の話(しかも中学生でもできるレベルで挫折)をしていて、デジタルで日本をどう変革するかという構想の話がない。幹部人事で迷走したデジタル庁が日本を変えることは無理だろう。 デジタル庁トップに日本人では適任者がいないように、実は企業もIT人材が不足している。日本のIT人材不足には、根深い問題があるのだ。 世界でIT人材といえば、アメリカのシリコンバレー、中国の深圳、インドのバンガロールやプネ、ハイデラバードなどにはスーパースターのような優秀なエンジニアがごまんといる。 しかし、日本のIT業界は、「多重下請け、低賃金の温床」が実情だ。大正時代に紡績工場で過酷な労働をしていた女性たちのルポ『女工哀史』のように、今のデジタル業界もまさに「ITエンジニア哀史」のような悲惨な状況なのだ。 日本には全国各地にプログラミングの専門学校があれば、大学の工学部にもプログラミング教育を前面に出しているところもある。しかし哀しいことに、そういったプログラミング学校を卒業しても、米中印のスーパースターのような構想力を持ったエンジニアになれず、日本独自の年功序列制度の末端に入ることになる。 日本のIT教育の問題点は、作りたいシステムを構想し、それをスペック(仕様)に書き出すということを教えていないことだ。作りたいシステムがないままに、プログラミングのルールばかりを勉強する。だから、人に言われたことをプログラミング(コーディング)するだけの人材しか育たず、「ITエンジニア哀史」の物語が生まれることになるのだ。このような人材は、世界では到底評価されない』、「デジタル庁」担当大臣だった平井卓也氏は小選挙区で落選、新任の牧島かれん氏は当選したようだ。「日本のIT教育の問題点は、作りたいシステムを構想し、それをスペック(仕様)に書き出すということを教えていないことだ。作りたいシステムがないままに、プログラミングのルールばかりを勉強する。だから、人に言われたことをプログラミング・・・するだけの人材しか育たず、「ITエンジニア哀史」の物語が生まれることになるのだ。このような人材は、世界では到底評価されない」、その通りだ。
・『アメリカは事業会社に優秀なIT人材がいる  事実、日本のIT人材の給料は低い。経済産業省によれば、日本のIT人材の平均年収は、20代で413万円、30代で526万円、40代で646万円、50代で754万円と、自分が専門とするシステムが古くなって活躍する場が減っても年功序列で給料は上がってくる。一方、成果主義の米国は20代の平均年収が1023万円と、日本の20代の2.5倍だ。30代が最も高くて1238万円。40代は1159万円、50代で1041万円と年齢が上がっていくと徐々に下がっていくが、いずれの年代も日本よりもはるかに高給取りだ』、「日本」は単なるプログラマーなので、安いのは当然だ。
・『日米のIT人材の年代別平均年収  また、日本のIT人材はIT企業に集中しすぎだというデータもある。米国はIT企業にいるIT人材はわずか35%で、非IT企業にいるIT人材は65%だ。一方で、日本は72%ものIT人材がIT企業におり、非IT企業には28%しかIT人材がいない。 一例を挙げれば、ニューヨークにあるゴールドマン・サックス証券本社は、最盛期の2000年に600人のトレーダーが在籍していたが、今はたった2人しか残っていない。代わりにコンピュータ・エンジニアを大量採用し、200人で同じ量の仕事をしている。つまり、生産性を3倍向上させたわけだ。1人で3人分の成果を生み出すなら、給料も高くなるのは当たり前だ。 一方で、日本は非IT企業にIT人材がいないから、システム開発は外注することになる。外注するにしても、どういうシステムを作るのかというスペックが書けるレベルのIT人材が社内にいない。 会社の中に“情シス”などと呼ばれるシステム部門はあっても、彼らの仕事はベンダー選びにすぎない。ITコンサルタントやベンダーの社員を自社に呼んできて「ここで机を並べて働けば、うちの業務や管理の仕組みが理解できる。常駐しながらわが社に最適のシステムを提案してくれ」とベンダーに頼るのだ。発注側には、はじめから自分たちで必要なシステムを企画するつもりがない。 この仕様書作成の期間に半年、1年とかかることもある。システムの規模によっては、30人単位の派遣になるから、日本のITベンダーはいわば“ヒト入れ業”だ。人海戦術でシステムが構築されていくのだ。 それでシステムができたと思っても、発注側はシステムを評価する力もないから、そのまま運用を始めてしまう。実際に使い始めると営業などの現場から次々と改善要望のクレームが集まる。それを情シスはリストアップして、ベンダーに対して「お金はたくさん払っているから直してくれ」と、追加料金なしで修正事項をぶん投げるのだ。ベンダー側も、不満はあってもお客様に対してNOとは言えないから、“サービス残業”をして徹夜で修正作業に取り掛かるのだ。 こうしてカスタマイズを重ねていくと、その会社独自のシステムができあがる。開発したベンダー以外では、もう改修ができないほどに作り込まれるのだ。運用し始めたが最後、途中で「このベンダーはやめて別のベンダーに乗り換えよう」と思っても、社内常駐からやり直しで多額のコストがまた必要だ。そのため不満だらけのシステムを使い続けなければならず、ベトナム戦争のように泥沼化していくのだ。 この最たる例が、日本の行政だ。12省庁・47都道府県・1718市町村がそれぞれバラバラにシステムを開発しており、どれも開発ベンダー以外は改修できないくらいに作り込まれてしまっている。行政のシステムやデータベースは1つでいいので、この問題にデジタル庁は取り組む必要があるのだ。 しかし、IT企業の社長と頻繁に会食しているだけの自称「IT通」デジタル大臣と、デジタルの専門家でないデジタル監は、使い勝手が悪い「マイナンバー制度」を改修することしか頭にない。日本政府も、日本企業と同じように自治体別、省庁別に泥沼にはまっているのだ(デジタル庁が作るべき国民データベースについては28年前の拙著『新・大前研一レポート』にて詳述)。 アメリカ企業やインド企業であれば、発注側もカーネギー・メロン大学の提唱する厳格なシステム構築の手法を用いて(CMMIレベル5ベースの)スペックを書ける優秀な人材を抱えているから、このような問題はまず起こらない。日本はプロジェクトマネジメントをするのはITコンサルタントやベンダー側だが、アメリカ企業なら発注側にしっかりプロジェクトマネジメントできる人材がいるのだ』、「アメリカ企業なら発注側にしっかりプロジェクトマネジメントできる人材がいる」、うらやましい限りだ。
・『システムがわかる人が経営者になれ  経営者にとって、今やプログラミング思考は必須科目だ。自分のアイデアをどうシステム化するのかを語れることが重要で、優れた経営者たちはプログラミング思考を学び、挫折することなく習得している。 例えば、日本交通の川鍋一朗会長。彼は日本初のタクシー配車システム「日本交通タクシー配車アプリ」(後の「ジャパンタクシー」、現在「GO」)の原型を構築した。このシステムによって、タクシーをスマホで呼ぶことができるし、タブレット端末をタクシーに設置することでキャッシュレス支払いに対応し、乗客の属性に合わせた動画広告配信が可能となり、タクシーに新しい価値を生み出すことに成功した』、「日本交通の川鍋一朗会長」が「日本初のタクシー配車システム・・・の原型を構築した」、大したものだ。
・『彼らのような人材が、本当の「DX人材」  川鍋会長はアメリカでウーバーが登場したとき、「このままではタクシー業界は危ない」と危機感を持ったそうだ。そこで、プログラミングスクールに通ってシステム開発を進めたという。 2020年末にIPOをし、ロボアドバイザー投資事業で業界断トツのウェルスナビ柴山和久社長も、社長自らシステム開発をした経営者だ。柴山社長は、アメリカの家庭では当たり前のように資産運用がされていて、アメリカ人の妻の親は自分の親より資産が10倍もあったことに衝撃を覚えたことから、日本の働く世代のための資産運用サービスが必要だとして起業。自ら(川鍋氏と同じ)プログラミングスクールに通って、ロボアドバイザーによる資産運用システムの原型を構築した。 この2人はともに文系出身だが、見事にプログラミング思考を身につけた経営者だ。経営者の頭の中にある構想をシステムに落とし込むことできる、彼らのような人材が、本当の「DX人材」なのだ。 日本の将来を考えれば、システムがわかる人間が経営者になったほうが早いだろう。(日本では比較的人材開発がうまくいっている)ゲーム業界と同じように彼らに早めに経営を教えて、起業させる仕組みが重要である』、「プログラミングができる中高生を「ITエンジニア哀史」の世界に送り込むのもやめるべきだ」、「彼らに早めに経営を教えて、起業させる仕組みが重要である」、同感である。

次に、10月14日付け日経ビジネスオンラインが掲載した日経クロステック/日経コンピュータ編集長の木村 岳史氏による「行政のDXは風前のともしび、デジタル庁が失敗するこれだけの理由」を紹介しよう。
https://business.nikkei.com/atcl/gen/19/00322/091400014/
・『デジタル庁が2021年9月1日に発足したことで、行政のDX(デジタルトランスフォーメーション)はうまくいくだろうか――。そう人から尋ねられたら、私はちゅうちょなく「駄目でしょ」と答える。変革の志に燃えてデジタル庁に集った人たちには申し訳ないが、行政のDXはほぼ無理だ。 「言い出しっぺ」の菅義偉首相がデジタル庁の発足直後に突然、退陣を表明したからこんな話をしているわけではない。菅首相であろうと新首相であろうと、政治家が「デジタル庁をつくっても行政のDXは不可能に近い」という構造問題を深く認識するはずがないからヤバいのだ。深く認識したとしても、これから説明するこの構造問題を解決し、行政のDXを完遂するのは、目まいがするほど困難ではあるが。 「おやおや、デジタル庁が発足した途端、おとしめるつもりだな。木村がやりそうなことだ」と、私を目の敵にする一部のIT関係者が言い出しそうだが、それは違うからな。当事者(当然、国民も当事者)が「ほぼ無理」という現実を認識しているかどうかで、結果は多少なりとも変わってくる。どんなことでも、結果はゼロかイチではない。行政のDXも成功か失敗かの二者択一ではない。目まいがするほど困難であるという認識が広く共有されれば、少しはましな方向に進むはずである。 さて本題に入る前に、読者にこんな謎をかけてみよう。お分かりになるだろうか。「デジタル庁ができたことで行政のDXはうまくいくか」と聞かれたら、私は「駄目でしょ」と答える。だが「行政のDXがうまくいくか、いかないかを賭けるとして、あなたはうまくいかないほうに賭けるか」と聞かれたら、私は「絶対にそんなばかげた賭けはしない」と答える。その賭けがたとえ合法であったとしても、絶対に負けるからである。さて、なぜでしょう。 答えは実に簡単だ。「絶対に成功したことになる」からだ。行政のDXの内実がどんなに悲惨なものであったとしても、行政のDXは成功裏に完遂したことになるのである。別に首相やデジタル相ら政治家だけが「成功した! 成功した!」と騒ぐわけではないぞ。「デジタル化かDXか何か知らんが、そんなことに付き合えないぞ」と足を引っ張っていた抵抗勢力の役人も「成功した」と言い出す。「うまくいかなかった」と失意に沈むデジタル庁の担当者も「成功だ」と語るだろう。 この現象は、民間の企業でおなじみの光景だ。ERP(統合基幹業務システム)導入による業務改革とか、BPR(ビジネス・プロセス・リエンジニアリング)など過去の取り組みの多くは皆、壮絶に破綻した。でも、関係者は誰も彼も「成功裏に完遂した」と口裏を合わせ、厚かましくもメディアに成功事例として登場したりした。ただ、これは当たり前である。「失敗した」と正直に話すアホウはどこにもいない。口裏を合わせておけば、ほぼバレないからな。行政のDXも同じ。だから、先ほどの賭けには勝てないのだ』、「「行政のDXがうまくいくか、いかないかを賭けるとして、あなたはうまくいかないほうに賭けるか」と聞かれたら、私は「絶対にそんなばかげた賭けはしない」と答える・・・絶対に負けるからである。さて、なぜでしょう。 答えは実に簡単だ。「絶対に成功したことになる」からだ。行政のDXの内実がどんなに悲惨なものであったとしても、行政のDXは成功裏に完遂したことになるのである」、「この現象は、民間の企業でおなじみの光景だ。ERP・・・導入による業務改革とか、BPR・・・など過去の取り組みの多くは皆、壮絶に破綻した。でも、関係者は誰も彼も「成功裏に完遂した」と口裏を合わせ、厚かましくもメディアに成功事例として登場したりした」、官民を問わず、人間の性なのかも知れない。
・『霞が関では「DX」と「行政改革」は別概念  技術者の読者、ひょっとしたらデジタル庁に関係する読者から「いや、それは違う。バレないはずがない。システム開発に失敗したら断罪されるではないか」といった反論が出るかもしれない。だが、それは勘違いだ。私が言っているのは行政のDXであって、個々のシステム開発の話ではない。DXを単なるデジタル化、システム化の問題に矮小(わいしょう)化して論じてはいけない。 ただ、行政のDXを単なるデジタル化の問題として捉えてしまうのは、仕方がない面もある。何度も言っているように、DXとは「デジタル(=IT)を活用したビジネス構造の変革」だ。広い意味では行政機関の業務も「ビジネス」なので、行政のDXもこの定義で問題ないのだが、もう少し行政寄りにカスタマイズしてみよう。すると「デジタルを活用した行政改革」となる。ところが不思議なことに、霞が関かいわいではDXと行政改革は別の概念なのである。 何でそんなことが言えるのかというと、デジタル改革相(デジタル庁発足後は「デジタル相」)と行政改革相の2人の大臣がいるからだ。大臣が別にいるということは、担当する役人らも別だし、そもそもデジタル改革(DX)と行政改革が別概念であることを示している。これは本当にナンセンスな話である。行政改革は省庁再編など「組織に手を突っ込む」というニュアンスが強いものの、デジタル革命の世なのに「デジタルを前提としない行政改革」なんてあり得るのだろうか。 いずれにせよ行政改革とは別概念なので、行政のDXではDXの魂であるはずの「X」、つまり「トランスフォーメーション=変革」の影が薄くなる。実際、発足したデジタル庁の役割を見ると「行政のDXを担う中核組織にはなり得ないよね」という感がある。そういえば、この「極言暴論」と対をなす私のコラム「極言正論」の記事で、国の行政機関を巨大企業グループと見立てると、デジタル庁はその企業グループの持ち株会社に設置されたIT部門に相当することを示した。 本当に、デジタル庁は持ち株会社に設置されたIT部門とそっくりなのだ。そもそもデジタル庁を設置した問題意識からして、企業のそれと同じだ。従来はグループ会社に相当する各省庁で独自にシステムを構築・運用してきたため、省庁間でのデータ連係ができていなかった。しかも各省庁のIT部門には人材が不足し、システム開発などはITベンダー任せ。ITベンダーに支払う料金が適正かどうかも不透明だった。顧客である国民に向けたシステムも各省庁によってバラバラで、使い勝手の悪い代物だった。 デジタル庁はこの問題の打開を図る。まさに持ち株会社にIT部門を設置するのと同様の発想で、行政のデジタル/ITに関する権限の多くをデジタル庁に集約したわけだ。しかも、システム内製化などのためにIT人材を中途採用するのも、DXを推進しようとする企業の取り組みと同じだ。さらに「サプライチェーンを構成する企業」とのデータ連係などのために、そうした「企業」のシステムの標準化などにも手を伸ばす。何の話かと言うと、デジタル庁が主導する地方自治体のシステムの標準化、クラウド化の件だ。 どれもこれも日本企業が取り組んできた、あるいは取り組みつつあるIT部門改革、システム開発運用体制の見直し、IT予算の一元化などとうり二つである。だから、それ自体は悪くない。どんどん推進すべきことでもある。だが、少しおかしくないかい。極言正論の記事でも指摘したが、これだけなら「デジタルによる変革(行政改革)」ではなく「行政におけるデジタル分野(システム関連)の変革」にすぎない』、「デジタル改革相・・・と行政改革相の2人の大臣がいるからだ。大臣が別にいるということは、担当する役人らも別だし、そもそもデジタル改革(DX)と行政改革が別概念であることを示している。これは本当にナンセンスな話である。行政改革は省庁再編など「組織に手を突っ込む」というニュアンスが強いものの、デジタル革命の世なのに「デジタルを前提としない行政改革」なんてあり得るのだろうか」、確かに一体であるべきものだ。
・『デジタル庁はIT絡みの勧告権しかない  「行政におけるシステム関連の変革」にすぎないにもかかわらず、デジタル庁が主導して行政のDXを推進するという。とても奇妙なロジックだが、恐らく次のようなストーリーだろう。政府機関や自治体のシステム(特に基幹システム)の標準化や再構築を通じて、役所の業務の変革につなげる。つまり、システムを業務に合わせるのではなく、システムに業務を合わせるというやつだ。 読者の中には「あぁ、駄目だ、こりゃ」と思った人が大勢いるはずだ。その通り。駄目だ、こりゃ、である。これはまさに民間の企業におけるしかばね累々の取り組みと同じだ。先ほども述べたERP導入による業務改革とか、システム刷新に伴うBPRの類いだ。IT部門が主導して「全社的に業務を抜本的に変革する」と大風呂敷を広げたものの、利用部門から「ふざけんな。それじゃ業務が回らないじゃないか」とねじ込まれて頓挫、という例のパターンである。 で、どうなったかというと、例えばERP導入による業務改革の場合、アドオンの山をつくることになる。旧来の基幹システムの機能のうち「これがないと業務が回らない」との利用部門のごり押しに負けてアドオンをつくっているうちに、何のことはない、旧システムとほとんど変わらないシステム(ERP+アドオン)が出来上がり、業務改革って何だっけ、という状態になる。もちろん多少の「改革」はやるが、それをもって「改革は成功した」とIT部門や利用部門、そしてITベンダーは口裏を合わせる。 もちろん最近では、企業の経営者がこの問題の重大性に気づき、基幹システム刷新をDXの一環として位置付けるケースも増えている。で、その際には「変革が主」となる。要は、業務をERPなどのシステムに合わせる形で改革を遂行するわけだ。行政機関のシステム刷新もそうなればよいが、それは期待できない。各省庁の大臣や自治体の首長のほとんどは、国民、市民向けのシステムやアプリには多少なりとも関心を持つだろうが、バックヤードの基幹システムなど知ったことではないからだ。 「デジタル庁にはIT予算の権限や監督権があるから、何とかなるんじゃないか」と考える人はまさかいないと思うが、念のために書いておく。デジタル庁が持つのはITに関わる権限だけだからな。他の役所の業務に手を突っ込む権限はない。「予算で縛って余計に機能をつくらせなければよいのでは」というのも甘い。各役所にへばりついている人月商売のITベンダーが、要望に合わせたシステムを予算の枠内でつくるからだ。赤字になってもシステム運用段階で回収すればよい。デジタル庁はそこまで目を光らせることができるだろうか。 特に危ういのは、デジタル庁から「遠い」自治体の基幹システムだ。各自治体のシステムを標準化、クラウド化を推進するという。政府機関のシステムともども、自治体のシステムもデータ連係できるようにしようというわけだが、それだけのために膨大なお金をかける。データ連係できるようにデータ項目やインターフェースなどを標準化したら、後は自治体の利用部門の要望に応じて、旧システムの機能をこれでもかとつくり込む。担当するITベンダーはそれこそ笑いが止まらないだろう。 「これまで役所のシステムは縦割りだったのだから、データを連係できるようになるだけでも画期的なのではないか」との意見もあるかもしれないが、それは違う。膨大なお金、つまり税金をかけたのに、データ連係という行政システムの最低限の要件だけを満たした、代わり映えのしないシステムが出来上がるだけだぞ。行政のDX、つまり行政改革は全く進まないのに、誰もが「DXに成功した」と口裏を合わせる。今のところ、そんな結果しか見えてこない』、「膨大なお金、つまり税金をかけたのに、データ連係という行政システムの最低限の要件だけを満たした、代わり映えのしないシステムが出来上がるだけだぞ。行政のDX、つまり行政改革は全く進まないのに、誰もが「DXに成功した」と口裏を合わせる。今のところ、そんな結果しか見えてこない」、やれやれだ。
・『「世界最高水準」と自賛する電子政府ができても……  さて、ここまで書いてこなかったが、フロントエンドつまり国民とのインターフェースとなる「電子政府」や「デジタル・ガバメント」と呼ばれステムやアプリのほうはどうか。「行政におけるデジタル分野(システム関連)の変革」という矮小化されたDXを担うデジタル庁にとっては、ここが主戦場である。マイナンバーカードとの組み合わせで、国民がワンストップで行政手続きなどを行えるし、必要な行政サービスも迅速に受けられる。そんな電子政府がゴールだろう。 新型コロナウイルス禍の各種対策のためにつくったシステムは軒並み駄目だったが、デジタル庁がつくるシステムは少しはまともになるはずだ。なぜなら、コロナ禍対策のシステムは有事のシステムであり、これからつくるのはアフターコロナの平時のシステムだからだ。そもそも行政関連で有事のシステム構築はうまくいかない。急ぎ構築するのでバグが多いといった理由だけではない。コロナ禍などの有事では各省庁や各自治体の枠を超えた連携が必要になるにもかかわらず、縦割りでシステムをつくってしまうからだ。 2021年8月下旬に、自宅療養中のコロナ感染者が保健所から認識されずに亡くなるという「事件」があった。一義的には保健所のミスだが、行政の縦割りを前提にしたシステムが招いた悲劇だ。亡くなったこの方は厚生労働省の「新型コロナウイルス感染者等情報把握・管理支援システム(HER-SYS)」に症状の悪化を訴える内容を入力していた。厚労働はHER-SYSについて「急変時に気づいてもらえないことがなくなり、きめ細かな安否確認を受けられるようになる」などとうたうが、紙で情報を管理していた保健所は気づかなかった。 一方、デジタル庁がつくる電子政府のシステムは、行政の縦割りを前提にしても問題が露見する可能性は低い。各省庁や各自治体のシステムがデータ連係できるようになれば、電子政府で受け付けた手続き申請を担当組織のシステムに送る仕組みなどを構築すればよい。「データを送ったので、後はそちらで処理をよろしく」というわけだ。もちろん担当する自治体などでは、対応する機能や業務フローを新たにつくらなければならないかもしれないが、何せ有事のシステムではないから対応を検討する時間はある。 かくして、省庁や自治体などの行政の縦割り構造や、それぞれの組織の業務のやり方に手を加えることなく、バックヤードの基幹システムの刷新などを担当するITベンダーを肥え太らせながら、「世界最高水準」と自賛するデジタル・ガバメントが出来上がるだろう。もちろん、各組織の非効率な業務はそのまま、頑強な組織の壁もそのままである。アフターコロナの平時が続けばよいが、再びコロナ禍級の災難に見舞われたとき、果たして変革なき縦割り行政のデジタル・ガバメントは適切な有事対応が可能になるのだろうか。 そもそも官庁や自治体の縦割り行政は大きな問題だ。特に複数の組織をまたぐ課題に対しては、権限争いや消極的権限争い(責任の押し付け合い)を繰り広げ、調整に時間がかかるうえに、思わぬ機能不全を引き起こす。だからこそ菅首相が「行政の縦割り打破」を唱えてきたわけだし、行政のDXの目標はそれでなければならないはずだ。つまりデジタルを活用し、官庁や自治体の壁を越えて政策や実務面で連携できる体制をつくるということだ。 というわけで「行政のDXは無理」との結論になる。ただ、これで終わるのは極言暴論といえども、あまりに無責任なので最後に提言をしておこう。まず行政のDXと行政改革という2つの概念を統一する。そのうえで、発足したばかりなのに恐縮だが、デジタル庁を改組して「デジタル行政改革庁」をつくる。「このままじゃ、まずいんじゃないか」と憂う、志のある官僚らも一本釣りで集める。で、「システムに業務を合わせろ」とか「組織の壁を越えて必要な体制をつくれ」といった強い勧告権を与える。 もちろん、デジタル革命の世にふさわしい行政の在り方を検討し、首相に提言する機能もデジタル行政改革庁のミッションとすればよい。これでどうだ。もちろん、新たな首相の強いリーダーシップが大前提ではあるが』、「亡くなったこの方は厚生労働省の「新型コロナウイルス感染者等情報把握・管理支援システム・・・に症状の悪化を訴える内容を入力していた。厚労働はHER-SYSについて「急変時に気づいてもらえないことがなくなり、きめ細かな安否確認を受けられるようになる」などとうたうが、紙で情報を管理していた保健所は気づかなかった」、「縦割りでシステム」が機能せず失敗した典型例だ。「デジタル庁を改組して「デジタル行政改革庁」をつくる。「このままじゃ、まずいんじゃないか」と憂う、志のある官僚らも一本釣りで集める。で、「システムに業務を合わせろ」とか「組織の壁を越えて必要な体制をつくれ」といった強い勧告権を与える。 もちろん、デジタル革命の世にふさわしい行政の在り方を検討し、首相に提言する機能もデジタル行政改革庁のミッションとすればよい」、なるほど、その通りなのだろう。

第三に、10月29日付けダイヤモンド・オンラインが掲載した百年コンサルティング代表の鈴木貴博氏による「国政選挙がネット投票に変わらない、ちょっとだけ怖い裏事情」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/286046
・『ネット投票実現の問題点は全て克服できる  衆議院選挙の投票日もだんだん近づいてきました。少し想像していただきたいのですが、スマホで投票ができたら楽ですよね。なぜ日本はネット投票を導入しないのでしょうか? 実は、そこにはある理由が存在しているという話をします。 まずは表向きの話から。ネット投票が実現できたら基本的に良いことばかりです。何より投票が手軽になります。投票所に出かける必要がなくなりますから。そんなことから投票率が上がります。在外投票や障がい者の投票も便利になります。投票を通じて政治に参加する国民が増えることは、民主主義にとっては歓迎すべきことです。 そして、投開票に関わるコストは論理的には減ります。無効票も減り、開票スピードは劇的に上がります。もし投票手段をネット投票のみに限定したら、選挙の投票が20時に締め切られる日本の場合、20時から始まる選挙特番の冒頭で、全議席が確定することになります。 一方で、ネット投票を実現しようとすると問題点が存在します。 (1)個人情報をどう守るか? (2)システム障害が起きたらどうするか? (3)新たなタイプの選挙違反をどう防ぐか? (4)サイバー攻撃によって国政がゆがむリスクをどう防ぐか? (5)有権者がその選挙結果が公正であることをどう検証できるか? 重要なことは、これらの問題点はすべて克服可能だという点です』、なるほど。
・『デジタル庁の発足、出口調査の徹底 法の整備で大半のトラブルは対応可能  1番目の問題は、そもそもこの10月にデジタル庁が発足した理由そのものです。これから5年以内に行政サービスでマイナンバーカードを便利に使えるように世の中の仕組みを一気呵成(かせい)に変えるというのがデジタル庁の存在意義なので、この記事ではそこは克服されることを前提に考えましょう。 2番目の問題ですが、システム障害が起きたら困ることはこの世の中には無数にあります。それでもデジタル社会では、銀行も鉄道の運行も病院のカルテもデジタル放送もすべてシステムは障害を克服しながら稼働を続けています。 メガバンクのシステム障害が起きる現代ですから、国政選挙がネット投票になれば何らかの障害が起きる状況もいつか発生するでしょう。ですから、「そうなったときにどうするのか?」のルールを決めておくことが大切です。最悪の場合、投票のやり直しを含めて、法改正をどうするのか、確かに検討項目は多いと思います。しかし、ネット投票が議論されはじめた2000年代とは違い、現在の情報通信インフラを前提にすればシステムの問題は解決可能な問題になっているはずです。 ひとつ飛んで、4番目の問題は本質的に重大です。システムインフラに携わっていらっしゃる方はよくご存じのように、インフラに対するサイバー攻撃は日常的に発生しています。もし某国が我が国の選挙システムに侵入して巧妙に選挙結果を書き換えたとしたら? それはどう防ぐことができるのでしょうか? 比較的起こりうるサイバー攻撃として有権者のパソコンやスマホをウイルス感染させて投票自体をゆがめられたことが選挙後にわかったとしたら? ないしは、その感染自体に誰も気づかなかったとしたら? この問題は五番目の問題と表裏の関係にあります。みんながAという候補者に投票したと思っているのに、結果としてBという候補者が圧勝したとします。紙の選挙であれば再開票を請求することができますが、ネット投票ならそれがありません。 理由もわからないとします。某国のウイルスが個人の投票をゆがめたのか、秘密裏に集計プログラムをB候補に書き換えたのか、それとも選挙集計プログラム自体に政府の陰謀があって、特定の候補の得票を上積みする秘密のコードが挿入されていたのか? そのような疑惑が無限に起こりうることを考えると、第三者による出口調査的なシステムが抑止力として、政府が運営するネット選挙システムとは別に存在すべきかもしれません。たとえば、NHKや大新聞からの「誰に投票しましたか?」という質問に有権者は積極的に回答するのがひとつの自衛策になります。もちろん、うそを言う人は一定数いるでしょうけれども、統計学的には大量のサンプルがあれば独自調査結果は実際の結果とかなりの確率で一致します。 ですから、どの調査を見てもA候補が当選しているのに、実際の選挙ではB候補が当選したとしたら、その選挙結果は「怪しい」と考えることができるわけです。 この問題の解決としては「ではどうするのか?」について、どのような法律を作るかが重要です。サイバー的な要素での不正が疑われるケースについて、プログラムのコードを検証したり、ウイルスの有無をチェックするよりも、実用的には「結果が疑わしいケースでは何らかの機関が再選挙を命じることができる」ようにするのが現実的かもしれません』、「第三者による出口調査的なシステムが抑止力として、政府が運営するネット選挙システムとは別に存在すべきかもしれません」、「実用的には「結果が疑わしいケースでは何らかの機関が再選挙を命じることができる」ようにするのが現実的かもしれません」、結構大変だ。
・『ネット投票を解禁した場合に起こりそうな新たな「選挙違反」とは?  残る問題としては、これは日本の社会的な問題だとも思うのですが、3番目のネット投票時代の新しい選挙違反への危惧が大きいかもしれません。 非常にわかりやすく例示すると、高齢者施設や障がい者施設で、運営者が入居者のスマホとマイナンバーカードを預かってしまい、勝手に投票したらどうするのか? という問題提起があります。実際に選挙になったら本当にそんな事件が起きそうです。 海外の事例では他人に投票されてしまった人も、後から自分で投票でき、かつ後から投票した票を有効票とするような仕組みが作られています。ただ、それだけではこの例で挙げたような弱者の票を奪う犯罪は防ぎきれません。となるとこの問題を解決するには、私は厳罰化しかないと思います。 そもそも、ネット犯罪は通常犯罪よりも手を染めやすい側面がある分、抑止力としての厳罰化が重要なのです。たとえばネット選挙での選挙違反は実刑でかつ凶悪犯と同等の刑罰になると決められ、それが周知されれば、そこまでして選挙違反に協力しようとする人は減るはずです。 さて、このようにして問題点を克服して、ネット選挙が導入されれば民主主義は一見、よくなりそうです。 日本では若者の投票率が低いことが社会問題だとされています。若者が収めた税金が高齢者の社会福祉にばかり使われているのは、投票率の高い有権者の方を政治家が向いているからだ、という説はそこそこ根拠のある説のようです。若者にとってもよりよい未来を望むのであれば、若者の投票率を上げるべきで、その手段としてネット投票は一番の解決策になるという意見は論理的に見えます。 実際、民主主義国家同士の比較で見ると日本は投票率が低い国のグループに入ります。いわゆる西側諸国であるOECD加盟国を例に取ると、オーストラリアの投票率は90%台、ベルギー、スウェーデン、トルコ、デンマークなどが80%台、ドイツ、イタリア、スペイン、カナダ、イギリスなどが60%台後半から70%台と高いのに対し、日本は50%台の下の方です。 そして、ネット投票の推進がこの状況を変えてくれそうなのですが、ここに新たな問題点として「が登場します』、「裏事情」とはどういうことだろう。
・『国政選挙がネット投票に変わらないちょっとだけ怖い裏事情  先にこの裏の事情を象徴する事実を紹介しておきましょう。技術的にはネット投票が実現できる社会が誕生しているのにもかかわらず、先進国中で国政選挙にネット投票を全面的に取り入れている事例が、いまだにエストニア1国しか存在しないのです。 もちろん国政選挙でもオーストラリアの一部の州で導入したとか、フランスでは在外フランス人の投票に導入したとか、部分的な事例は他にも存在しています。ほとんどの先進国で選挙制度のネット化に興味を示し、日本もそうですが地方自治体選挙での導入例は散見されているにもかかわらず、世界の潮流としてネット選挙へ突き進んでいる国がエストニアしかない。こういう問題にはそれなりの裏事情が存在しているものです。 ここから先は話が生々しくなるので、日本ではなく、日本と同じく投票率が50%台と先進国の中では比較的低いアメリカの事情をもとに、なぜアメリカが低い投票率を放置しているのか、そしてなぜ先進国がエストニアに倣わないのかを検討してみます。 アメリカの社会ドキュメンタリー番組で、選挙制度の問題は何度も題材として取り上げられています。アメリカでは州ごとに選挙制度が微妙に違い、その選挙制度は現職の議員が自分に有利な方向でルールを作る傾向があることが社会問題になっています。 たとえばアメリカ人が選挙に投票するためには登録をしなければならないのですが、その登録方法を不便で面倒にしておくと黒人の登録率が低くなる傾向があるといいます。あからさまにはそうは口に出さないのですが、保守系の政治家にとってはその方が有利だと考えて、不便な仕組みを変更しない。そして実際の選挙では現職の政治家が接戦を制するという結果になっている州がいくつも存在しているのです。 これはアメリカ全体の問題なのですが、政治家の対立軸は大きく保守と革新に分かれていて、世論調査では微妙に革新の方が多数派になるのですが、選挙では結果が拮抗している。この結果を引き起こしている一番の要因が選挙制度だと指摘されているのです。 そのような現職議員が、2007年から始まったエストニアのネット国政選挙から学んだことがあります。ネット選挙を導入したエストニアでは国政選挙に対する国民の投票行動が、がらりと変化しました。そして2003年までは第三党だった改革党が、2007年以降、4回の国政選挙ですべて第一党に躍進したのです。 「ネット選挙を導入すると、得票の傾向が大きく変わってしまう」 これが、ネット先進国エストニアが証明した、選挙のネット化の真実です。そしてこれはアメリカだけではなく、すべての国の現職議員にとって不都合な真実でした。 もちろん、状況証拠だけで証明することはできません。日本でもネット選挙の導入に向けて有識者会議は行われています。でも、そんな日本だけではなく、OECDに加盟する西側先進国でエストニア以外、ほとんどの国がネット国政選挙に踏み切らないことは事実です。そしてそのことと、選挙制度を決めるのが現職議員であるという当たり前の事実の間には、何やら深い因果関係がありそうだと私には見えるのです』、「ネット選挙を導入したエストニアでは国政選挙に対する国民の投票行動が、がらりと変化しました。そして2003年までは第三党だった改革党が、2007年以降、4回の国政選挙ですべて第一党に躍進したのです。 「ネット選挙を導入すると、得票の傾向が大きく変わってしまう」 これが、ネット先進国エストニアが証明した、選挙のネット化の真実です。そしてこれはアメリカだけではなく、すべての国の現職議員にとって不都合な真実でした」、「選挙制度を決めるのが現職議員である」、これでは「ネット選挙」が導入される可能性は限りなくゼロに近いようだ。 
タグ:(その5)(大前研一「デジタル庁が日本を変えるのは無理」 日本はIT人材の給料が安すぎる、行政のDXは風前のともしび デジタル庁が失敗するこれだけの理由、国政選挙がネット投票に変わらない ちょっとだけ怖い裏事情) 電子政府 プレジデント 2021年10月15日号 大前 研一 「大前研一「デジタル庁が日本を変えるのは無理」 日本はIT人材の給料が安すぎる」 「デジタル庁」担当大臣だった平井卓也氏は小選挙区で落選、新任の牧島かれん氏は当選したようだ。「日本のIT教育の問題点は、作りたいシステムを構想し、それをスペック(仕様)に書き出すということを教えていないことだ。作りたいシステムがないままに、プログラミングのルールばかりを勉強する。だから、人に言われたことをプログラミング・・・するだけの人材しか育たず、「ITエンジニア哀史」の物語が生まれることになるのだ。このような人材は、世界では到底評価されない」、その通りだ。 「アメリカ企業なら発注側にしっかりプロジェクトマネジメントできる人材がいる」、うらやましい限りだ。 「日本交通の川鍋一朗会長」が「日本初のタクシー配車システム・・・の原型を構築した」、大したものだ。 「日本」は単なるプログラマーなので、安いのは当然だ。 「プログラミングができる中高生を「ITエンジニア哀史」の世界に送り込むのもやめるべきだ」、「彼らに早めに経営を教えて、起業させる仕組みが重要である」、同感である。 日経ビジネスオンライン 木村 岳史 「行政のDXは風前のともしび、デジタル庁が失敗するこれだけの理由」 「「行政のDXがうまくいくか、いかないかを賭けるとして、あなたはうまくいかないほうに賭けるか」と聞かれたら、私は「絶対にそんなばかげた賭けはしない」と答える・・・絶対に負けるからである。さて、なぜでしょう。 答えは実に簡単だ。「絶対に成功したことになる」からだ。行政のDXの内実がどんなに悲惨なものであったとしても、行政のDXは成功裏に完遂したことになるのである」、「この現象は、民間の企業でおなじみの光景だ。ERP・・・導入による業務改革とか、BPR・・・など過去の取り組みの多くは皆、壮絶に破綻した。でも、 「デジタル改革相・・・と行政改革相の2人の大臣がいるからだ。大臣が別にいるということは、担当する役人らも別だし、そもそもデジタル改革(DX)と行政改革が別概念であることを示している。これは本当にナンセンスな話である。行政改革は省庁再編など「組織に手を突っ込む」というニュアンスが強いものの、デジタル革命の世なのに「デジタルを前提としない行政改革」なんてあり得るのだろうか」、確かに一体であるべきものだ。 「膨大なお金、つまり税金をかけたのに、データ連係という行政システムの最低限の要件だけを満たした、代わり映えのしないシステムが出来上がるだけだぞ。行政のDX、つまり行政改革は全く進まないのに、誰もが「DXに成功した」と口裏を合わせる。今のところ、そんな結果しか見えてこない」、やれやれだ。 「亡くなったこの方は厚生労働省の「新型コロナウイルス感染者等情報把握・管理支援システム・・・に症状の悪化を訴える内容を入力していた。厚労働はHER-SYSについて「急変時に気づいてもらえないことがなくなり、きめ細かな安否確認を受けられるようになる」などとうたうが、紙で情報を管理していた保健所は気づかなかった」、「縦割りでシステム」が機能せず失敗した典型例だ。「デジタル庁を改組して「デジタル行政改革庁」をつくる。「このままじゃ、まずいんじゃないか」と憂う、志のある官僚らも一本釣りで集める。で、「システムに業 ダイヤモンド・オンライン 鈴木貴博 「国政選挙がネット投票に変わらない、ちょっとだけ怖い裏事情」 「第三者による出口調査的なシステムが抑止力として、政府が運営するネット選挙システムとは別に存在すべきかもしれません」、「実用的には「結果が疑わしいケースでは何らかの機関が再選挙を命じることができる」ようにするのが現実的かもしれません」、結構大変だ。 「裏事情」とはどういうことだろう。 「ネット選挙を導入したエストニアでは国政選挙に対する国民の投票行動が、がらりと変化しました。そして2003年までは第三党だった改革党が、2007年以降、4回の国政選挙ですべて第一党に躍進したのです。 「ネット選挙を導入すると、得票の傾向が大きく変わってしまう」 これが、ネット先進国エストニアが証明した、選挙のネット化の真実です。そしてこれはアメリカだけではなく、すべての国の現職議員にとって不都合な真実でした」、「選挙制度を決めるのが現職議員である」、これでは「ネット選挙」が導入される可能性は限りなくゼロに
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